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チェスタトン的な"見えない人間"の「盲点」。「サンドイッチのハム」で氷解するのが肝(キモ)。

ジョン・フォーサイス(推理小説家マイケル・バーンズ)/モー リス・マンソン(医師) ケント・スミス(民事弁護士・友人ジェリー)/ジョン・フォーサイス(バーンズ)
「The Alfred Hitchcock Hour - The Complete Collection [Import]」
ある日、自動車で帰宅中の作家マイケル・バーンズ(ジョン・フォーサイス)がひき逃げ事件を目撃する。彼が「すべてを見た」と警察に証言し、逃げた男の特徴や車を明確に告発したことで、犯人と思われる男が逮捕される。しかし、この目撃証言には大きな落とし穴があった。証言者であるバーンズ自身も、運転中に別の交通ルール違反を犯していたことが判明し、警察や検察側から「お前の目撃証言は本当に正確なのか?」と、逆にバーンズの信用性が厳しく追及されることになる。「自分は確実に見た」と主張するバーンズに対し、警察側は彼の過去の違反や目撃時の状況を細かくつついて彼を追い詰め、次第にバーンズの主張が揺らいでいく―。
エヴァン・エヴァンス(ペネロペ・サンフォード/ペニー)/フィリップ・オーバー(薔薇の世話をしていたジョン・ホーイ大佐)/ウィリアム・ニューウェル(酔っ払いピーターソン)/ジョン・フィードラー(車に乗っていたスチュワート)
「ヒッチコック・サスペンス」(1963~65)第4話「ひき逃げを見た」(I Saw the Whole Thing)は、「ヒッチコック・サスペンス」の中で唯一のヒッチコック監督作になります。人間がいかに「自分の見たいものしか見
ない」か、記憶がいかに曖昧で都合よく改変されるかを描いたサイコロジカル・サスペンスであり、最後までバーンズが真犯人であるかのように見せず(映像的"叙述都トリック"とも言える)、視聴者も彼の視点に合わせて「警察が無能だ」と感じさせる構成がヒッチコックらしい巧みな演出となっています。
バーニー・フィリップス(スイート警部補)
冒頭のストップモーションでのつかみも中盤の法廷シーンも
良く、被告であるバーンズ自らが弁護を担当し、目撃者である証人たちの証言を一つ一つ打ち崩していくあたりは充分堪能できます。そして最後に、観客の視点を自分の手内に集めておいて、実は逆の手でネタを仕込んでいたという手管が見事でした。
ジョン・ザレンバ(アンダーソン検事)/ウィリス・ブーチェイ(ニールソン判事)/エバン・エヴァンス(ペニー)
原作は、法理論の世界的権威メルトン教授が母校ケンブリッジ大学で講義をすることになったものの、当日の朝に頭を強打し、いかにして完全犯罪を遂行するかという突拍子もない名講義をするというユーモア法廷推理小説『メルトン先生の犯罪学演習』('61年/創元推理文庫)のヘンリー・セシルで、この映像化作品の原作もミステリ・ファンの間でも評価が高い作品そうですが、一体どこで読めるのか。自身で監督したということは、ヒッチコック自身も良さを感じ取っていたのでしょうか。先に取り上げた「ヒッチコック劇場(第49話)/手(オッターモール氏の手)」は、叙述トリック的構造を持つ原作をどう映像化するのかが見所でしたが、こちらは、原作がどうなっているのか読んでみたいと思いました。
ウィリス・ブーチェイ(ニールソン判事)

「ヒッチコック・サスペンス(第8話)/ひき逃げを見た(S 1 E 4 #4)」●原題:The Alfred Hitchcock Hour-I SAW THE WHOLE THING●制作年:1962年●制作国:アメリカ●本国放映:1962/10/11●監督:アルフレッド・ヒッチコック●脚本:ヘンリー・スレッサー●原作:ヘンリー・セシル●時間:48分●出演:ジョン・フォーサイス/ケント・スミス/エヴァン・エヴァンス/ジョ ン・フィードラー/フィリップ・オーバー/ジョ ン・ザレンバ/バーニー・フィリップス/ウィリアム・ニューウェル/ウィリス・ブーチェイ)/モーリス・マンソン/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1963/08/09●放映局:関西テレビ(評価★★★★)
「ヒッチコック劇場 第四集2 【ベスト・ライブラリー 1500円:第4弾】 [DVD]」(「脱税夫人(The avon emeralds)」「悪徳の町(The crooked road)」「指(Man from the south)」「ひき逃げを見た(I saw the whole thing)」)
「ヒッチコック・サスペンス」The Alfred Hitchcock Hour(CBS・NBC 1963.9.20~65.5.10)○日本での放映チャネル:関西テレビ(1963・第1シーズン32話を放送)/フジテレビ(1965・第2シーズン32話を放送)
●「ヒッチコック・サスペンス」(関西テレビ)
1963年6月21日〜1964年2月28日 第1シーズン32話を放送(1964年1月31日以降は再放送)
●「新・ヒッチコックシリーズ」(フジテレビ)
1965年1月6日〜1965年9月29日。第2シーズン32話を放送(1965年8月25日以降は再放送)

ミネソタ州ノースフィールドで、年老いた農夫ジョン・クーリー(R・G・アームストロング)の息子トミーが図書館から本を借りたまま失踪した。ノースフィールドの町の図書館司書のスーザン(ジャクリーン・スコット)は、幼馴染みのウィル保安官補(ディック・ヨーク)に捜索を依頼、ウィルは町をあげて大捜索を行うが、トミーは見つからない。その後しばらくして、トミーは後頭部を強打された無残な死体となって発見される。地道に事件の捜査を行うウィルだったが、何一つ手掛かりを見つけることができないままだった。その後、不動産のオーナー男性、そして「独裁者」と言われる地元の名士フローラ・スローン女史(キャサリン・スクイール)が相次いで殺される。まったく手掛かりが無くお手上げ状態で、町の人々は犯人を逮捕できないウィルの責任を追及し、集会を開き自警団を結成すると騒ぎだすが、ウィルはふと、トミーの父親がトミーの遺体の発見現場でガラスの破片を拾っていたことを思い出す。それは、自動車のヘッドライトの破片だった。それによってリンクは、トミーが自動車事故により死亡したこと、そして犯人に気づく。だがその時すでに、犯人は「独裁者」が不動産オーナーから買った中古車を、彼女に押しつけられて購入したスーザンを殺そうとしていた―。
「ヒッチコック・サスペンス」(1963~65)の第43話「探索」です。原作は、本国で1999年に刊行されたエラリー・クイーンの推理小説短編集『間違いの悲劇』('06年/創元推理文庫)の中の1編「動機」(The Motive)で、1956年に「恐怖の町」という題で発表され、その後、EQMMの1958年8、9月号に「動機」と改題・改稿されて掲載された作品です(ストーリーに変更はなかったものの、かなりの加筆があった模様)。
この作品は作者のクイーン(合作ペンネームだが)も自賛しており、文庫解説の飯城勇三氏は、動機の謎を扱った〈ミッシング・リンクもの〉としては、本作は5本の指に入る出来であるとしています。ただし一方で、巧妙な伏線が張り巡らされてはいても、手掛かりに基づく論理的推理には乏しいともしています(言わせてもらえば、犯人の犯行ターゲットも蓋然性に基づくものである)。ただし、飯城勇三氏曰く、この映像化作品は脚本が素晴らしく、原作を見事に映像に移し替えているとし、敢えて不満を言えば、予算のせいか、町のパニックがあまり描かれていないことぐらいかと。
保安官補役のディック・ヨークは、観る側に「奥様は魔女」の"ダーリン"のイメージを与えるためか、シリアスな状況でもどこかコミカルな印象がありましたが、事件の真相に迫るにしたがって締まってきました。幼馴染みのスーザンとの付かず離れずの関係も見所です。飯城勇三氏は、原作について、「幼馴染みのカップルの田舎風恋愛は、他のクイーン作品に出てくる洒落た都会風の恋愛とは異なっている」としていましたが、映像化してみるとこれはこれで悪くなく、前半のディック・ヨークのコミカルな演技やジャクリーン・スコットの突っ張った演技も効いていたように思います。
「ヒッチコック・サスペンス(第42話)/探索(S 2 E 3 #35)」●原題:The Alfred Hitchcock Hour -TERROR AT NORTHFIELD●制作年:1963年●制作国:アメリカ●本国放映:1963/10/11●監督:ハーヴェイ・ハート●脚本:リー・ブラケット●原作:エラリー・クイーン●時間:48分●出演:ディック・ヨーク/ジャクリーン・スコット/R・G・アームストロング/キャサリン・スクイール/ピーター・ウィットニー/デニス・パトリック/カート・コンウェイ/ゲルトルート・フリン/ハリー・ハーヴェイ・シニア/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1965/03●放映局:フジテレビ(評価★★★★)





「われわれの契約は、これで終わりだ」探偵ホーソーンに、彼が主人公のミステリを書くのに耐えかねて、私、作家のホロヴィッツはこう告げた。その翌週、ロンドンで脚本を手がけた戯曲の公演が始まる。いきなり酷評する劇評を目にして意気消沈するわたし。ところがその劇評家が殺害されてしまう。凶器はあろうことか私の短剣。逮捕された私には分かっていた。自分を救えるのは、あの男だけだと―。



『メインテーマは殺人』の刊行まであと3ヵ月。プロモーションとして、探偵ダニエル・ホーソーンと私、作家のアンソニー・ホロヴィッツは、初めて開催される文芸フェスに参加するため、チャンネル諸島のオルダニー島を訪れた。どことなく不穏な雰囲気が漂っていたところ、文芸フェスの関係者のひとりが死体で発見される。椅子に手足をテープで固定されていたが、なぜか右手だけは自由なままだった―。
ウドリー・コモンの「リンゴの木荘」でハロウィーン・パーティの飾りつけの準備中に殺人を目撃したことがあると言い出した13歳の少女、ジョイスが翌日、パーティ用に用意された水の入ったバケツに首を押し込まれて溺死しているのが見つかった。パーティに出席していたアリアドニ・オリヴァ夫人は、ただちにエルキュール・ポアロに助けを求める。ジョイス殺しと彼女が見たという殺人の謎を解き明かすため、ポアロはウドリー・コモンに住む旧友、スペンス元警視を訪ね、捜査に乗り出す―。
デビッド・スーシェ主演のテレビシリーズの「ハロウィーン・パーティ」(第63話)では、原作のプロットを活かしながら、サブエピソードや脇役のキャラクターを整理していて、魔女伝説などもプラスされていますが、総じて、超自然的ムードにはいささか乏しく、むしろ子供たちが躊躇ない悪意の手にかかる筋立てや、犯人の動機と心理の身勝手さにおぞましさが感じられるものとなっています。あくまでミステリ部分に焦点を当て、丁寧に物語を作らられていた分、神秘的だったりメルヘンチックな部分は抑えられ、説明的であったとも言えます(この作品に限らず、映像化するとそうなる傾向はある)。
ランダ(アリー・ヒギンズ)の「亡き父親」について作り話していたのは、娘には「強い父親」像が必要だったからと、ちゃんとその理由をジュディス本人に言わせていました。脚本家の1つの解釈かもしれませんが、原作より丁寧とも言えるか? 彼女は「女」から娘の将来を想う「母親」になっていったということでしょうか(「どろっと」感を抑えた?)。
原作が同じく『ハロウィーン・パーティー』であるケネス・ブラナー監督・主演の映画化作品「名探偵ポアロ:ベネチアの亡霊」('23年/米)はどのような作りになっているのか観てみたいと思いました。ケネス・ブラナーが「
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「名探偵ポワロ(第63話)/ハロウィーン・パーティ」●原題:AGAHTA CHRISTIE'S POIROT SEASON11:HALLOWE'EN PARTY●制作年:2010年●制作国:イギリス●本国放映:2010/10/27●監督:チャールズ・パーマー●脚本:マーク・ゲイティス●時間:89分●出演:デビッド・スーシェ/ゾーイ・ワナメイカー(アリアドニ・オリヴァ)/デビッド・イェラ
ンド(ジョージ)/アメリア・ブルモア(ジュディス・バトラー)/デボラ・フィンドレイ(ロウィーナ・ドレイク)/メアリー・ヒギンズ(ミランダ・バトラー)/ソフィー・トンプソン(レイノルズ夫人)/ジョージア・キング(フランシス・ドレイク)/イアン・ハラード(エドムンド・ドレイク)/フィネラ・ウールガー(ウィチカー先生)●日本放映:2012/02/08●放映局:NHK-BS2(評価:★★★☆)

1919年のロンドン。ハーバート・ホワイブロー氏はイースト・エンドの路地を抜け、妻の待つ自宅へ帰り着く。その時ノックの音が。ドアを開け、ホワイブロー氏は笑顔でその人物に語りかけた。「さあ、どうぞ。一緒に座ってお茶でも...」その瞬間、その首に手が巻き付いた!―彼は驚愕の叫びを上げ、ホワイブロー夫人は奥の部屋から「ハーバート?」と声を掛けた。ホワイブロー夫妻の殺害現場に出動した巡査部長(セオドア・バイケル)は入口で騒ぐ群衆を整理していた。そこへホワイブロー氏の甥(バリー・ハーヴェイ)がやってくる。「誰がやった?」「まだわからん」 巡査部長は、家の前を通りかかるとドアが開いており、中を覗いたら死んでいたと甥に告げる。現場には争った跡もなく、金も残っており物盗りの気配もなかった。隣人は、夫婦は5年前に引っ越して来て以来、穏やかで皆から好かれていたと語った。指紋もない。甥は叫んだ。「何の理由もない!」「その通り、何の理由もなく彼らは死んだ」。そこへ「ガーディアン」紙の記者サマーズ(リス・ウィリアムズ)もやって来る。マスコミ関係者をシャットアウトした巡査部長は、たまたまバーを巡回中に会ったサマーズと情報の開示について口論する。巡査部長「ところで...何故、あなたはあんなに早く現場に来れたのか?」「たまたまあの時、あの辺りをうろついていたのさ。おやすみ、巡査部長」。その頃、町を歩く花売りの老婆に近付く口笛...その首に手が巻きつく!次の朝、警察へ赴くサマーズ。そこで演説をぶつ初老の巡査ジョンソン(トリン・サッチャー)と浮かぬ顔のピータースン(ジョン・トレイン)。「どこにも理由がないということは...全く理由がないということだ。判るか?...いや、家を間違えたか?そんなバカな...」「どうしたって ワケが判らない。どんな動機が?」サマーズ「多分無いのだ」。ジョンソン「いや、あるはずだ、必要だ」「違う違う...犯罪も殺人もずっと前から動機など必要としてない。」その考えに賛同する巡査部長に、サマーズは続ける。「その男を想像してみよう...普通に見えて、そうじゃない。古風な罪の呵責など全くなく、彼の手の許に3つの殺人は行われた。そして間違いなくどこかで静かにお茶を楽しんでる...我々のように。彼は微笑んでいる―警察が余りに愚かだからだ」。ジョンソン「笑ってはいるだろう...しかし彼はイギリス人じゃない、外国人だ」。その後次なる犠牲者として、あろうことか巡査ピータースンが巡回中に絞め殺されてしまう。記者サマーズは、バーで知り合いがサンドウィッチを食べているのを見て、何となく質問した。「何故、パンにハムがはさんである?」「決まってるだろう。誰かがここにハムを入れたからさ」彼は、それを聞いてあることに気付き、街へ出て行く―。

トマス・バーク(Thomas Burke, 1886-1945)によって1929年に発表された短編「オッターモール氏の手」のヒッチコック劇場版。原作者トマス・バークはロンドンのイースト・エンドに生まれ、両親を幼い頃失って孤児院育ち、地元を舞台にした小説を書きました。中でもこの作品はエラリイ・クイーン、ディクソン・カー、アントニー・バウチャー、ハワード・ヘイクラフト等から絶賛され、数多くのアンソロジーに選ばれています。EQMM1950年アンケートの短編ベスト12(所謂「黄金の十二」)の一編(得票数でポー「盗まれた手紙」などを抑えて第1位)に選出され、ディクソン・カーは「最上、最高級、非の打ちどころのない優秀な作品である」と評価、日本では江戸川乱歩が編者である『世界短編傑作集4』('61年/創元推理文庫)に収録されています('19年に発表年順に再編集された新版が刊行。第4巻には1929年から1935年に発表された作品を収録)。
ホラーとして分類される場合も多い本作ですが、ミステリとしてはチェスタトン的な"見えない人間"とも言うべき「盲点」を扱っています(でも、ミステリと言うよりサスペンスホラーか)。原作は、明確に個々のキャラクターを描かず、濃霧に覆われた街を暴走する"殺人者の思惟"が時折、一人称で顔を出す構成も不気味であると同時に、その中に"犯人を埋没させる"効果を発揮して、ラストの衝撃性を高めています(ある種"叙述トリック")。その点、TVドラマ化するとある程度キャラクターを限定し、生身の人間として描かざるを得ず、「ガーディアン」紙の記者サマーズ(原作では"「デイリー・トーチ」紙の若い新聞記者"で名前はない)、巡査部長、ピータースン巡査(原作ではピーターセン)、ジョンソン巡査などが具体的に絡み合う展開で、その分、残念ながら原作の"何かがたち込めている"ような恐怖感は薄れています(原作の犯人は7人を殺害している)。特に、年老いたジョンソン巡査はドラマ独自のオリジナル・キャラクターであり、若き巡査部長との世代間ドラマとして原作に無い微妙なニュアンスを醸してます。また、他にもサマーズの記者魂などが強調され、巧みな脚色ではあるのですが、「普通のドラマ」っぽくなってしまっているとも言えます。
TVドラマ化における最大の個人的関心は、叙述トリック的構造を持つ原作をどう扱うのかでしたが、そうしたこともあって、雰囲気(霧のロンドン)は出ていたけれどイマイチでした(TVドラマとしては良くできているが、原作と比べると―という感じ)。そもそも、これ、タイトルが最大の叙述トリックで、映像化作品の原題は原作と同様"The Hands Of Mr.Ottermole"(「オッターモール氏の手」)なのですが、日本放映時に「手」というタイトルになっていて(ドラマタイトルも今や通称は「オッターモール氏の手」だと思うが)、これだけでオッターモール氏が何者なのかを探る愉しみが無くなっているほか、ラストの衝撃も弱められているように思いました(原作は、記者もラストで犯人に首を絞められようするところで終わっていて、誰かが助けに来るような描写は無い。ドラマで誰かが助けに来る方が、なぜそこが分かったかということなどの点から不自然かも)。
それともう1つ。記者が犯人が誰かに気づく契機となる、ドラマでの「何故、パンにハムがはさんである?」「決まってるだろう。誰かがここにハムを入れたからさ」のセリフの遣り取り部分。原作ではこれだけでなく、記者がそこからどう考えたかもう少し詳しく説明されていますが、基本的には同じコンセプトであり、原作を読んだ時は、正直、この部分からなぜ記者は犯人に思い当たったのか、そんな単純な話なのかと思いました。ただ、今回ドラマを観て、さらに原作を読み直して、やっぱり"単純"なことだったのだと再認識しました。「あまりに日常的すぎる存在は、人間の盲点となり見えなくなる」というチェスタトンの"見えない人間"の「盲点」に帰結するテーマでした。動機の観点からすると、犯人自身も犯行動機がわかっていないわけで、これはやはり(今ではそれほどでもないかもしれないが)発表当時は物議を醸しただろなあと思います。その点も画期的ですが、やはり「サンドイッチのハム」(ある種の形而上学的メタファーになっているとも言える)で謎が氷解するところが、この作品の肝(キモ)なのでしょう。


ッターモール氏の手」は、犯人の意外性が最大のポイントなのですが、原作を読んで犯人を知ってしまっていたので、どこか「刑事コロンボ」を見るような見方で味わっていたかもしれません(苦笑)。
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ニューヨーク・ウォール街。バスターが出納係として働く小さな銀行の支配人ジョー(ジョー・ロバーツ)は、郊外の古屋敷・通称「化物屋敷」で偽札造りを続けていた。建物のあちこちに細工を凝らした上に、化物が出るという噂を流し、その屋敷に他人を寄せつけないようにしている。バスターは女性に弱い行員で、美人女性(ヴァージニア・フォックス)に頼まれれば9時開店のところを8時に金庫を開けてしまう。窓口では、バスターが紙幣を
めくるとき誤って指に接着剤を付けてしまったお陰で、そのお札に触る者が皆、接着効果に見舞われ、行内は大騒動に。頭取室では、頭取が銀行内に偽札が出回っていることに気づき警察に捜査を依頼。これはマズいと支配人ジョーは偽札回収し証拠隠滅するために、手下に命じて狂言強盗をやらせるという手段に出る。ところが、接着剤浸けの札はさすがに盗めず、計画は狂って窮地のジョーは、たまたまその場で銃を手にしていたバスターにすべての罪を着せる。警察に追われる身になってしまったバスター、最後には例の化物屋敷へと逃げ込む。そこには、ジョーの手下の他に「ファウスト」上演で大失敗をやらして客から逃れた役者らの一座も乱入し―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第5作(米国公開日:1921年2月10日)】。前半の銀行でのドタバタと、後半の「化物屋敷」という極端な非日常空間でのアクションの対比が見どころの、キートンらしい王道コメディです。
前半は、生真面目そうな銀行員のキートンが騒動を引き起こすところが面白いです。接着剤を取るために熱湯をかけようとするが相手の男が熱がるために、ハンマーで殴って気絶させ、さらに今度は、自らの手についた接着剤を取ろうとするキートンがハンマーで自らを殴るというというギャグが可笑しいです。それにしてもこの接着剤、アロンα並みの瞬間強力接着剤だったなあ(なぜ、そんなものが窓口に置いてある? 印紙とか貼るのにこれほどの量は要らないといと思うけれど)。
後半は「化物屋敷」での展開で、ギミックを含むキートンのアクションが全開。スイッチひとつで滑り落ちる仕掛けの階段をメインに、幽霊から逃げ惑うキートンの動きを堪能することが出来ます。また、人間のパーツを組み立てると本物の人間となって動き出すというジョルジュ・メリエス(「
個人的には、事前に"夢オチ"作品と簡易AIから聞いていて、このシーンで"夢オチ"を確信しました。最後、天国の門で拒絶され、ここでも階段を滑り落ちた挙げ句に地獄に辿り着き(作中劇「ファウスト」のパロディか)、悪魔に痛めつけられているところを、銀行の頭取の娘に揺り起こされて、「全部夢だった」と...。でも、どこから夢だったのだろうかと、疑問に思いました。
銀行の頭取の娘を演じたナタリー・タルマッジは、この作品の公開の3カ月後の1921年5月31日にキートンと、共に25歳同士で結婚式を挙げています。しかし、2人の子供をもうけたものの、贅沢な暮らしぶりで、1928年にキートンがMGMと契約した頃からそのキャリアが低迷し始めると心は離れ、1933年に離婚が成立しています。キートンの生涯3回の結婚の内のこの1回目の結婚は5年で終わったことになり、2回目の結婚も3年しか続かず、40代半ばでの3回目の
結婚にしてやっと生涯の伴侶となる、
23歳年下のダンサーのエレノア・ノリスと出会い、キートンが亡くなるまで結婚生活は続いたほか、彼女はキートンの没後もその作品の広報活動に携わりました。エレノア・ノリスとは、キートンが人気凋落で失意の中、トランプ・ゲームを通じて知り合っています。彼女は、映画撮影所で働いていた父親を事故で亡くし、貧乏な家計を助けるために10代でMGM映画でダンサー契約し、1945年までダンサーとして出演を続けた苦労人でした。23歳年下ということはともかく(加藤茶などは45歳下だからなあ)、やっぱり多少の苦労の味を知っている女性の方がいいのかも。
「キートンの化物屋敷」●原題:THE HAUNTED HOUSE●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:18分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン/ナタリー・タルマッジ/マーク・ハミルトン●米国公開:1921/02(評価:★★★★)

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夏の午後バスターは、遊園地に来ている。お化け屋敷に一人で入っても全然楽しくないのが解り、ガール・ハントを開始。水上ゴンドラを目当てに一人で来た女の子フィリス(フィリス・ヘイヴァー)を発見。すかさず隣の席に座って機会を伺うが、敢えなくヒジテツを喰らう。フィリスは大きな車を乗り回すような男まさりな女の子だった。ガール・ハントを諦めたバスターは、隣の空き地の気球の離陸準備が面白そうなので、作業を手伝うことにする。気球の頂上で作業中に気球は離陸を開始してしまい、バスターひとりが上空へ。飛行がしばらく続くと空腹感、今度はバード・ハントといった具合。気球にとまった鳥をライフルで狙い撃ち。も
ちろん気球は破裂して、バスターあわやの急降下!ところが運良く落下地点が木の上で命拾いする。その辺り一帯は、自然に恵まれた川べりだったので、さっそくフィッシング開始。そして、偶然にも、アウトドアライフを楽しむフィリスの姿がすぐそばに―(「キートンの空中結婚」)。
実は初めて観た時、キートンが遊園地の水上ゴンドラでヒジテツ(パンチ?)を喰らった女性と、気球が墜落した川岸で出会った女性が同じ女性であることに気づかず、再見して、ちゃんと伏線を回収していることに気づきました。女性の愛を獲得してカヌーで川を下るが、あわや滝に落ちそうになる...というラストは、可愛らしい終わり方でした。
美しい夕暮れ時に恋人から別れを告げられたバスターは、彼女のことを忘れるために世界一周の船旅に出発することを決めた。ただし、乗る船は、ボートに幌を掛けただけのような小舟キューピッド号。出発してから何日経っても
目の前には大海原が広がるばかり。気分が悪くなったバスターは酔い止めの薬を飲んで横になった。気がつくと、すぐ近くに捕鯨船。その船の船長は七つの海で最も残忍で短気な男だったが、他にあてのないバスターは船室付き給仕として雇ってもらうことにした。鯨の捕獲の最中に船長が海に落ちてしまう。これはラッキー、今度は自分が船長だ、と他の船員に息巻くバスター。その様子を海からサバイバルしてきた船長が見て怒り心頭。船長に追いつめられたバスター危うし、甲板から落ちることを余儀なくされた。ついに海の藻屑と化してしまうのか、と思いきや、船尾から海へと伸びた縄につかまり、救命ボートを奪取する機会を伺うバスターであった―(「捨小舟」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第19作(米国公開日:1923年3月22日)】。巨大な戦艦や爆破シーンなど、短編ながらも独創的なアイデアが詰め込まれています。キートンの他に、キートン映画で憎まれ役でお馴染みの巨漢ジョー・ロバーツ(ビッグ・ジョー)や、「
「キートンの空中結婚(キートンの昇天)」●原題:THE BALLOONATIC●制作年:1923年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●時間:22分●出演:バスター・キートン/フィリス・ヘイヴァー●米国公開:1923/01●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの船出(漂流)」(評価:★★★★)
「捨小舟」●原題:THE LOVE NEST●制作年:1923年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●●時間:19分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス●米国公開:1923/03(評価:★★★☆)
夢見がちな無職者バスター。世間知らずなお嬢さんのハートを射止め、彼女の父親に結婚の許しを得ようとしたが、「おまえは娘を養えないだろう」と言われてしまう。そこで、「これから都会に行って成功してみせます。もしダメだったらここに戻ってきてピスト
ル自殺します」と啖呵を切った。都会に行ったバスターからお嬢さん宛に手紙が順次届いた。
儲けでもしてみようと証券取引所の辺りでビジネスをしています。金融界の著名人たちとよく顔を合わせます。」
■手紙3「金儲けにも飽き飽きしました。僕は自分の芸術家的な資質を生かそうと考えました。今日シェークスピアの『ハムレット』で舞台デビューします。」
の差があり、最初に仕事したのはサナトリウムではなく動物病院での獣医の下働きで、証券取引所の辺りでビジネスをしているのではなく道路の清掃をしていて(紙吹雪がスゴい)、舞台デビューはハムレット役ではなく多くの兵士のうちの1人の役に過ぎず...。手紙から恋人の想像する医師や証券ビジネスマン、ハムレット俳優として成功しているキートン像もあり、それだけにギャップ感が大きいです。アクションも全開で、兵士の格好のまま街に飛び出して、定番の警官との追い駆けっこ。かの有名な路面電車に掴まって浮いて空中を泳ぐシーンや、
船の水車でぐるぐる回りながら歩くシーンなどもあります。「白日夢」と言うより「悪夢」ですが、「何をやっても上手くいかないが、めげない」ところがキートンらしい。ただ、タイトルから窺えるように"夢落ち"であり、ハッピーエンドに落ち着きはしますが、夢の内容はやっぱり相当に悲惨で、最後にはキートンが宣言通りピストル自殺をしようとしますが、これも失敗。このように、、結構トーンとしては悲観主義的な雰囲気が色濃い作品ではありますが、都会的・連続的アクションが見られ、4つのシークエンスがテンポ良く愉しめるアイデアの凝縮度という点では傑作だと思います。
「キートンの白日夢(成功成功)」●原題:DAY DREAMS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●時間:22分●出演:バスター・キートン/ルネ・アドレ/ジョー・キートン/ジョー・ロバーツ●米国公開:1922/11(評価:★★★★) 
蒸気船「ロベール=ウーダン・スター・ライン」号の乗客らは、英国海峡を渡る際に荒波に遭う。甲板上で、頬髯を伸ばし格子柄の上下を着た男(ジョルジュ・メリエス)が大揺れの中で何とか飲み食いをしようとジタバタし、長髭の聖職者が動転した乗客たちを宥めようと話しかけ、船長は上部甲板からこの混乱した状態を窺い、船酔いになったと思しき女性が介抱される―(「カレーとドーヴァーの間」)。
女性(ジュアンヌ・ダルシー)が舞踏会から帰ってくると、女中の手を借りながらドレス、ペチコート、下履き、黒い靴下などを脱いでいく。最後に後ろを向いて肌着を脱ぎ、背中を見せる。そのあとに女中が彼女に湯をかけ、バスローブを羽織らせてて体を乾かす―(「舞踏会のあとの入浴」)。
1898年2月15日、アメリカ海軍の戦艦メイン号はキューバのハバナ湾で停泊中に爆破し、海底に沈没した。その海底とメイン号の残骸が画面に映し出される。長いエアホースが付いた送気式の潜水服の3人のダイバーは、梯子を使って海底へと降りる。ダイバーはメイン号の残骸の大きな穴の開いたところから中へ入り、死体を回収する。死体はロープで結ばれ、海上へと引き上げられる。別のダイバーは船体から重い物体を回収する―(「海底の軍艦メーヌ号見学」)。
マジシャン(ジョルジュ・メリエス)は、ステージ上にある2つのテーブルの間に立ち、自分の頭を引き抜いてテーブルの上に置く。頭はあたりを見回したり、喋ったりしている。マジシャンの首には、すぐに新しい頭が付いてくる。マジシャンはこの芸当に誤魔化しがないことを見せるために、頭を置いたテーブルの下を通り抜ける。それからマジシャンは、新しく生えてきた自分の頭を抜いてはテーブルの上に置くという行為を2回繰り返し、最後に自分の首に4つ目の頭が付く。マジシャンはバンジョーを弾き始め、テーブルの上にある3つの頭も一緒に歌い出す。マジシャンは頭たちの歌声が不快になり、バンジョーで2つの頭を叩いて消してしまう。さらに自分の頭を取って投げ捨て、テーブル上にある残る一つの頭を宙に放り投げると首にくっついて戻る。マジシャンは画面に向かってお辞儀をしてステージから出て行く―(「幾つもの頭を持つ男」)。
「カレーとドーヴァーの間」●原題:ENTRE CALAIS ET DOUVRES(英:BETWEEN DOVER AND CALAIS /BETWEEN CALAIS AND DOVER)●制作年:1897年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・メリエス●時間:約1分●出演:ジョルジュ・メリエス/ジョルジェット・メリエス/ジョゼ・グラピネ●フランス公開:1897年(評価:★★★☆)
「舞踏会のあとの入浴」●原題:APRES LE BAL (LE TUB)(英:AFTER THE BALL)●制作年:1897年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・メリエス●時間:約1分●出演:ジュアンヌ・ダルシー/ジャンヌ・ブラディ●フランス公開:1897年(評価:★★★☆)
「海底の軍艦メーヌ号見学」●原題:VISITE SOUS-MARINE DU "MAINE"(英:DIVERS AT WORK ON THE WRECK OF THE "MAINE")●制作年:1898年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・メリエス●時間:約1分●パリ公開:1898/04(評価:★★★☆) 
「幾つもの頭を持つ男」●原題:UN HOMME DE TETES(英:THE FOUR TROUBLESOME HEADS●制作年:1898年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・メリエス●時間:約1分●フランス公開:1898年(評価:★★★☆)

スペイン・バルセロナで暮らす80歳の舞台女優クラウディア(アンヘラ・モリーナ)は、末期がんに冒されている。がんは脳にまで転移し、錯乱や半身麻痺、さらに自我の喪失も近づくなか、彼女は安楽死を選択する。子育てよりも舞台優先で生きてきたクラウディアを支え続け、今なお愛してやまない夫フラビオ(アルフレド・カストロ)も彼女とともにスイスで安楽死することを決意し、3人の子どもたちに打ち明ける。子どもたちは戸惑い反発するが父の意志は固く、両親はデュオ安楽死に必要な手順を進め、ついに最後の旅へと出発するときがやって来る―(「両親が決めたこと」)。
カルロス・マルケス=マルセット監督の2004年公開作で、高齢夫婦のどちらかが病の終末期に安楽死する決意をしたときに、そのパートナーが自身は健康であっても伴侶と共に安楽死する道を選ぶ「デュオ安楽死」というもの(ヨーロッパで急増しているという)を題材にした家族ドラマ。デュオ安楽死を決めた両親と、その子どもたちの心の機微を、ユーモアをも交えながら描いています(妻が元ダンサーということで、時折挿入される芸術的な舞台シーンなどもテーマが重い故の緩衝材的効果を狙ったと思われる)。本作は、2024年・第49回「トロント国際映画祭」で、新たな挑戦作を評価する「プラットフォーム部門」の作品賞を受賞しています。


「両親(ふたり)が決めたこと」ではアンヘラ・モリーナが、60代後半の実年齢で80歳の元舞台女優の妻クラウディアを演じています。アンヘラ・モリーナは、あの「
テロの危険に満ちたセビリア。初老の紳士(フェルナンド・レイ)は、発車間際の電車に乗り込もうとしてきた1人の女にバケツの水を被せる。驚く相客の男女らに、彼は女が悪魔であることを語り始める、その娘コンチータ(キャロル・ブーケ)のことを。初老の紳士マチューがコンチータに会ったのは、従兄の判事エドワール(ジュリアン・ベルトー)を食事に招いた日のこと。その日雇われた新しい小間使がコンチータだったのだ。その初々しい姿にすっかり魅せられたマチューは、夜コンチータを呼んだ。しかしコンチータはその部屋を逃げ去り、翌朝、マチューの家を出て行った。彼女を忘れられないマチューはローザンヌのレ
マン湖畔で偶然彼女と再会する。演劇仲間といっしょの彼女は、興行主に騙され無一文だと言う。そんな彼女に金を握らせるマチュー。彼はそれがきっかけで、パリに帰ってからもコンチータのアパートを訪れた。アパートでは、彼女(アンヘラ・モリーナ)は、母と二人で貧しい生活を送っていた。マチューは、母親に大金を渡し、コンチータを自分の邸に引き取ろうとするが、コンチータは、そんなやり方のマチューに怒り、手紙を残して彼の許を去ってしまう。夜も眠れぬマチュー。再びとあるバーで偶然コンチータを見かけた彼は、今度こそは離すまいと、郊外の別荘に連れてゆく。ところが、ベッドの中でマチューが手にしたものは、なんと彼女を守る貞操帯だ。マチューの欲望は一向に満たされない―(「「欲望のあいまいな対象」)。
「欲望のあいまいな対象」は「
列車の中で主人公が語る話が映画のメインストーリーですが、その列車にバケツで水をぶっかけられたコンチータも乗っているわけで、彼女もお返しに主人公にバケツで水をぶっかける―ところが、主人公の話が終わって、映画もこれで終わりという時に2人は...。"想定外の結末"との世評ですが、全体を振り返ってみると、やっぱりという気もしないではない、と言うか、この結末しかないのではないかという気もします(この主人公は「病膏肓に入る」だなあ)。エンディングに爆発に象徴されるように、テロによる政情不安というのも背景にあるのでしょうか。個人的にはその辺りの関連はあまりよく分からなかったけれど。
「両親(ふたり)が決めたこと」●原題:POLVO SERAN(英題:THEY WILL BE DUST)●制作年:2024年●制作国:スペイン・イタリア・スイス●監督:カルロス・マルケス=マルセット●製作:トノ・フォルゲラ/アリアドナ・ドット/ジョバンニ・ポンピリ/オイゲニア・ムーメンターラー/ダービト・エピナイ●脚本:カルロス・マルケス=マルセット/クララ・ロケ/コーラル・クルス●撮影:ガブリエル・サンドル●音楽:マリア・アルナル●時間:106分●出演:アンヘラ・モリーナ/アルフレド・カストロ/モニカ・アルミラル・バテット/パトリシア・バルガロ/アルバン・プラド/マヌエラ・ビーダーマン●日本公開:2026/02●配給:百道浜ピクチャーズ●最初に観た場所:神保町・シネマリス(26-02-17)●同日上映:「欲望のあいまいな対象」(ルイス・ブニュエル) font>
「欲望のあいまいな対象」●原題:CET OBSCUR OBJET DU DESIR(英:THAT OBSCURE OBJECT OF DESIRE)●制作年:1977年●制作国:フランス・スペイン●監督:ルイス・ブニュエル●製作:セルジュ・シルベルマン●脚本:ルイス・ブニュエル/ジャン=クロード・カリエール●撮影:エドモン・リシャール●時間:99分●出演:フェルナンド・レイ/キャロル・ブーケ/アンヘラ・モリーナ/バレリー・ブランコ/エレン・バル/リタ・ラッチ・ペイロ/デイビッ ト・ロッチャ●日本公開:1984/11●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):神保町・シネマリス(26-02-17)●同日上映:「両親(ふたり)が決めたこと」(カルロス・マルケス=マルセット) font>



72歳のハリー(アート・カーニー)は、妻に先立たれ3人の子供達も独立しており、マンハッタンのアパートに愛猫トントとともに暮らしていた。しかし、区画整理のためにアパートから強制的に立ち退かざるを得なくなり、長男バート(フィル・ブランス)の家へ移り住むことになるも、そこに馴染むことができず、娘のシャーリー(エレン・バースティン)を尋ねる為、トントを連れてシカゴへ向かう決心をする。トントが原因で飛行機にもバスにも乗ることが出来なくなったが、中古車を買い旅を続けることで、様々な人と出会うことに―。
ポール・マザースキー監督の1974年公開作で、アート・カーニーが映画初主演で第47回「アカデミー主演男優賞」を受賞した作品。ポール・マザースキー監督はハリー役に有名俳優を起用したいと考え、ローレンス・オリヴィエ、既に引退したケイリー・グラントに出演依頼をしたがいずれも断られ、一方プロデューサー側は興行的に失敗する場合も想定してギャラの安いテレビ俳優を希望しており、そこでマザースキーの目に留まったのがたまたま鑑賞した舞台に出ていたアート・カーニーだったとのこと。カーニーは台本を気に入ったものの、72歳のハリーよりも16歳も年下なので断ろうとしたが、マザースキーは第二次大戦で負傷した彼の歩き方がこの役に合ってると思い彼を説得、カーニーは当時56歳で、息子役のラリー・ハグマンと13歳、娘役のエレン・バースティンと14歳しか離れていなかったそうです。
ニューヨークでアパートを立ち退かされた72歳の老人ハリーが、愛猫トントとともにアメリカ大陸を横断するロードムービーです。ハリーが家を追われ、子供たちの世話になれる状況でも、彼らの家庭の都合や空気に無理に合わせず、新しい旅に出るというのは強いなと思います。70代で車を運転し、新しい場所へ行き、様々な世代の人々(ヒッチハイカーの少女や先住民など)と心を通わせるハリーの姿は、冒険心に年齢制限がないことを表しています。旅の過程で、ハリーは家族や友人、そして愛猫トントとの別れを経験します。しかし、彼はその悲しみに押し潰されることなく、思い出を大切にしながら、前を向いて歩き続けます。
今回久しぶりに「NHK-BSプレミアムシネマ」で観直してみて気づいたのは、ハリーの旅の過程で女性との接触が多いことでした。ラスベガスへ向かう車の運転中に女性(実は売春婦)に声を掛けられ、一緒に過ごすことを誘われます(バーバラ・ローズ演じる彼女はハリーに「少し人生を楽しんだら」と優しく働きかけるが、ここはそれだけのエピソードで終わる)。また、シカゴの老人介護施設にかつての恋人を訪ね再会しますが、彼女は現在認知症を患っており、ハリーを別の男と間違えるなど心痛な場面ですが、二人がかつて愛し合ったという背景が切なく描かれます。
これ以外にも、物語の初期、ヒッチハイカーの少女(メラニー・メイヤー)を車に乗せ、しばらく一緒に行動するシーンがあります。 少女から直接的な性的な誘いではありませんが、彼女が同宿したホテルで胸を露わにし、ハリーが動揺したかのように見えるシーンがあります(15歳くらいなのだが)。結局この娘は、ハリーが再会した元引き籠りの自分の孫と意気投合して、若者たちが共同生活を送るコミューンに行くことになりますが、ハリーは、社会の規範にとらわれない彼らの生き方に対し理解を示します。
一方で、オープニングシーンの都会の老人たちのショットの連続は、老人の社会的疎外を象徴しており、その後もハリーが老朽化したアパートから強制立ち退きに遭うシーンなどが続き、映画そのものも、高齢化社会の問題を先取りするようなものであったとも言えます(高齢化社会の問題は特にわが国において深刻なのだが)。
ハリーがアメリカ横断の旅をする中で、老インディアンと出会い、心を通わせるエピソードがありますが、この老インディアンを演じたチーフ・ダン・ジョージは、1969年に60歳を超えて俳優デビューし、アーサー・ペン監督の「小さな巨人」('70年/米)でアカデミー賞及びゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされ、「ニューヨーク映画批評家協会賞」「全米映画批評家協会賞」の男優賞を受賞しています。


「ハリーとトント」●原題:HARRY AND TONTO●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督・製作:ポール・マザースキー●脚本:ジョシュ・グリーンフェルド/ポール・マザースキー●撮影:マイケル・バトラー●音楽:ビル・コンティ●時間:115分●出演:アート・カーニー/エレン・バースティン/ジェラルディン・フィッツジェラルド/ラリー・ハグマン/アーサー・ハニカット/フィル・ブランス/クリフ・デ・ヤング/チーフ・ダン・ジョージ/バーバラ・ローズ/メラニー・メイヤー●日本公開:1975/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:高田馬場・パール座(79-10-01)(評価:★★★★)●併映:「これからの人生」(モーシェ・ミズラヒ) font>


1949年、故郷からナチスに追われアメリカに亡命したジョナス・メカス。言葉も通じないブルックリンで一台の16ミリ・カメラを手にしたメカスは日々の生活を日記のように撮り始める。27年ぶりに訪れた故郷リトアニアでの母、友人たちとの再会、そして風景が映し出される―。
【ジョナス・メカス自身による解説] この映画は3つの部分から構成されている。まず、第一の部分は、私がアメリカにやって来てからの数年、1950~53年の間に、私の最初のボレックスによって撮られたフィルム群から成っている。そこでは、私の弟アドルファスや、そのころ私達がどんな様子であったかを見ることができる。ブルックリンの様々な移民の混ざりあいや、ピクニック、ダンス、歌、ウィリアムズバーグのストリートなどを。第二の部分は、1971年に、リトアニアで撮られた。ほとんどのフィルム群は、私が生まれた町であるセミニシュケイを映しだしている。そこでは、古い家や、1887年生まれの私の母や、私たちの訪問を祝う私の兄弟たるや、なじみの場所、畑仕事や、他のさして重要ではないこまごまとしたことや、思い出などを、見ることになる。ここでは、リトアニアの現状などというものは見ることはできない。つまり、27年の空白の後、自分の国に戻って来た「亡命した人間」の思い出が見られるだけなのである。第三の部分はハンブルクの郊外、エルンストホルンへの訪問から始まる。私たちは、戦争の間l年間、そこの強制労働収容所で過ごしたのだった。その挿入部分の後、われわれは私たちの最良の友人たちの一部、ペーター・クーベルカ
、ヘルマン
・ニッチ、アネット・マイケルソン、ケン・ジェイコブスと共にウィーンにいる。そこでは、クレムスミュンスターの修道院やスタンドルフのニッチの城や、ヴィトゲンシュタインの家などをも見ることができる。そしてこのフィルムは、1971年8月のウィーンの野菜市場の火事で終わることになる。─ジョナス・メカス。
この作品は一応'96年8月30日が本邦"初公開"とされていて、2014年にも再公開され、さらに2022年にイメージフォーラムで再々公開されていますが、そのずっと前に、現在渋谷にあるイメージフォーラムがまだ四谷3丁目にあった70年代の頃からそこで度々上映されていて、当時観に行こうと思いながら結局行けずじまいだった作品でした(ヴェルナー・ヘルツォーク監督の「小人の饗宴」('69年/西独)などもその類。「小人の饗宴」の方は1977年が本邦初公開となっているようだ)。今回観れて、何だか何十年分かの借りを返したような気分です(笑)。
ジョナス・メカス
カス●時間:88分●出演:ジョナス・メカス/ピーター・クーベルカ/ヘルマン・ニッチ/アネット・マイケルソン/ケン・ジェイコブス/ペトラス・メカス●日本公開:1996/08●配給:ダゲレオ出版(イメージフォーラム)●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(26-01-17)(評価:★★★★) font>
ある日、カトリック教会のトップにしてバチカン市国の国家元首であるローマ教皇が、心臓発作のため突如として急死してしまう。教皇死去の悲しみに暮れる暇もなく、イギリス出身でローマ教皇庁首席枢機卿を務めるトマス・ローレンス枢機卿は枢機卿団を招集し、次のローマ教皇を選出する教皇選挙(コンクラーヴェ)を執行することとなった。100人以上の枢機卿がコンクラーヴェが行われるシスティーナ礼拝堂に集まる中、有力候補者として
の4人の名が取り沙汰される中、メキシコ出身で昨年に前教皇によって新たに任命されたばかりのアフガニスタン・カブール教区のベニテス枢機卿が開始直前に到着する。かくしてコンクラーヴェが始まるが、枢機卿団の票が割れていく水面下では陰謀や差別、スキャンダルの数々が犇めいていた。裏で信仰に関する悩みを抱えるローレンスは、それらに苦悩を深めつつもコンクラーヴェを執行していくが―。
ジョン・リスゴー in「教皇選挙」(2024)/「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」(2023)
穏健保守派の教皇候補トランブレ枢機卿(この人も"問題あり"人物)役でジョン・リスゴーが出ていたのが嬉しいです(マーティン・スコセッシ監督の「
・モローと子役が亡くなるという、いわくつきの作品。スピルバーグらしいヒューマンな感動(第2話)や、ダンテの
過剰なまでにシュールな映像(第3話)など、それぞれの原点や個性が窺えますが、第4話の「2万フィートの戦慄」が最も面白かったです。高所恐怖症の男が嫌々に乗った飛行機で、窓の外に見たものは翼を齧るゴブリン風の生き物(ジョー・ダンテっぽい((笑))。恐怖に駆られ男は近くの席に座っていた警官の拳銃を奪い、窓超しに生き物めがけて発砲。破れた窓から吸い出されそうになり、上半身を機体の外へ突き出し―。この男を演じているのがジョン・リスゴーで、神経質な飛行機恐怖症の男を見事に演じていました。
「トワイライトゾーン 超次元の体験」の元になっているのは往年のTVシリーズ「トワイライトゾーン (ミステリーゾーン)」(原題: The Twilight Zone、CBS 1959~64)ですが、ジョン・リスゴーは、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮を務めた、80年代の同じく一話完結のTVシリーズ「世にも不思議なアメージング・ストーリー」(原題: Amazing Stories、NBC 1985~87)のシーズン1・第22話「愛の人形」(原題: The Doll、1986)に出ていて、こちらは、ジョン・リスゴー演じる孤独な独身男性が手に入れた精巧な人形に魅了され、やがてその人形のモデルとなった実在の女性の悲劇的な運命を知るファンタジー・サスペンスでした。人形に宿るモデルの魂か、あるいは男の狂気か。人形とモデルの女性の過去が交錯し、不思議で切ない結末でしたが、幻想的で少し不気味な雰囲気でもありました。脚本はスティーヴン・スピルバーグ監督の「激突!」('72年/米)の原作・脚本のリチャード・マシスン。ジョン・リスゴーはこの作品で「エミー賞」を受賞しています。
「世にも不思議なアメージング・ストーリー」の第1話は製作総指揮を務めたスティーブン・スピルバーグ自身が監督した「ゴースト・トレイン」です。アイオワ州の田舎町の線路沿いの古い家に住むポーランド移民パパ・オストロウスキー(バーナード・ヒューズ)は、昔幼い頃に列車の脱線事故に偶然居合わせ、列車が橋の崩落で沼に沈み、乗客がは全員死亡したという事故だったが、その列車がいつか自分を迎えに来ることを確信しており、息子夫婦には相手にされないが、幼い孫息子クリンカに対し「列車が来たら、パパはもういない」と伝えていた。するとある夜、家が揺れ始め、霧の中から「幽霊列車」が現れるーというもの(このセット、どうやって撮った?)。主人公の名はパパですが、もい一人の主人公である孫のクリンカから見れば祖父にあたり、「列車に乗る」=「死出の旅」ということなのでしょう。「ゴースト・トレイン」というのが宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のようで(あの列車にもタイタニック号で亡くなった人が乗ってくる場面がある)、家の中に列車が入ってくるのはつげ義春の「ねじ式」みたいでした。「未知との遭遇」や「E.T.」などのスピルバーグ作品を彷彿させるシーンが多々あるのが興味深いです。
2話「真夜中の呪文」の3エピソードを纏めたものが1987年7月に「世にも不思議なアメージング・ストーリー」として劇場公開されています。「最後のミッション(原題: The Mission)」はこれもスティーブン・スピルバーグ自身
の監督作。第二次世界大戦中、爆撃機の中で腹部銃座に閉じ込められた若きガンナー(射撃手)が、車輪が故障して着陸できない状況で取った驚くべき方法とは...。緊張感とファンタジーが融合した作品。「パパはミイラ(原題: Mummy Daddy)」はウィリアム・ディア監督作。ミイラの着ぐるみを着たまま撮影所から帰宅した父親が、そのままの姿で子供と交流する、微笑ましくも少し奇妙な物語。選ばれただけに、共に人気が高いエピソードです。 
良き父親として、理想的な人物として周囲の信頼を得ているアーサー(その殺戮衝動は、幼い頃、衝撃的な出来事によって、次々と家族を失ったことに起因していた)。ジョン・リスゴーはこのアーサー役で、「エミー賞ドラマシリーズ ゲスト男優賞受賞」(80年代、90年代、00年代とエミー賞を受賞したことになる)、「ゴールデングローブ賞ドラマシリーズ 助演男優賞受賞」を受賞しています。
「トワイライトゾーン 超次元の体験」(1983)「クリフハンガー」(1993)
一方で、メジャー大作の方では、「
じていました(スタローンは高所恐怖症をおして奮闘。セット撮影やCG合成もあるが、断崖に引っかかったヘリでの死闘などは「
と思ったら、同じ1993年公開の、魔性の女を巡り2人の男の愛憎と欲望が交錯する犯罪計画の顛末を、二転三転するプロットの中に描いたサスペンス・スリラー「完全犯罪」('93年/米、元々はTVムービー)では、メッチェン・アミック
(メッチェン・アミックは2人の男を相手にするのは「
そう言えば善良に見えて実は何かを隠しているような雰囲気はありました。多彩な役をこなし(1作品の中でさえ!)、まさにカメレオン俳優と呼ばれるに相応しい俳優だと思います。この1993年には、「
「ペリカン文書」('93年)
「教皇選挙」●原題:CONCLAVEE●制作年:2024年●監督:エドワード・ベルガー●製作:テッサ・ロス/ジュリエット・ハウエル/マイケル・A・ジャックマン/アリス・ドーソン/ロバート・ハリス●脚本:ピーター・ストローハン●撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ●音楽:フォルカー・ベルテルマン●原作:ロバート・ハリス●時間:120分●出演:レイフ・ファインズ/スタンリー・トゥッチ/ジョン・リスゴー/セルジオ・カステリット/ルシアン・ムサマティ/カルロス・ディエス/メラーブ・ニニッゼ/ブライアン・F・オバーン/イザベラ・ロッセリーニ●日本公開:2025/03●配給:キノフィルムズ●最初に観た場所:TOHOシネマズ池袋(25-04-24)(評価:★★★☆)
「トワイライトゾーン 超次元の体験」●原題:THE TWILIGHT ZONE:THE MOVIE●制作年:1983年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ランディス/スティーヴン・スピルバーグ/ジョー・ダンテ/ジョージ・ミラー●製作:スティーヴン・スピルバーグ/ジョン・ランディス●脚本:ジョン・ランディス/ジョージ・クレイトン・ジョンソン/リチャード・マシスン/メリッサ・マシスン●撮影:ティーブン・ラーナー/アレン・ダヴィオー/ジョン・ホラ●音楽:ジェリー・ゴールドスミス●時間:101分●出演:(ナレーター)バージェス・メレディス/(プロローグ)ダン・エイクロイド/アルバート・ブルックス/(第1話)ヴィック・モロー/チャールズ・ハラハン/(第2話)スキャットマン・クローザース/(第3話)キャスリーン・クインラン/ウィリアム・シャラート/パトリシア・バリー/ケヴィン・マッカーシー/ナンシー・カートライト/ディック・ミラー(第4話)ジョン・リスゴー●日本公開:1984/02●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:自由ヶ丘武蔵野推理(84-09-04)(評価:★★★☆)





DISC1
「世にも不思議なアメージング・ストーリー(第22話)/愛の人形(愛しのドール)(S1 E22 #22)」●原題:Amazing Storie-The Doll●制作国:アメリカ●本国放映:1986/05/04●監督:フィル・ジョアノー●脚本:リチャード・マシスン●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●時間:25分●出演:ジョン・リスゴー/アン・ヘルム/アルバート・ヘイグ/レイン・フェニックス●日本放映:●日本公開:劇場未公開●発売元:ビクターエンタテインメント●発売日:1988/07/22【VHS】(評価★★★☆)
DISC.5/「魔法の鳥のベビー・シッター」監督:ジョーン・ダーリング/主演:メイベル・キング/「英雄になった男」監督:レスリー・リンカ・グラッター/主演:チャーリー・シーン/「最後の一杯」監督:トーマス・カーター/主演:ダグラス・シール/DISC.6/「夢のガラクタ」監督:ノーマン・レイノルズ/主演:マーク・ハミル/「いないいないバア!」監督:ジョー・ダンテ/主演:エディ・ブラッケン/「二人だけの霊界」監督:トーマス・カーター/主演:ジョー・セネカ/DISC.7/「鏡よ鏡...」監督:マーティン・スコセッシ/主演:サム・ウォーターストン/「シークレット・シネマ」監督:ポール・バイテル/主演:ペニー・パイザー/「地獄のかつら」監督:アーヴィン・カーシュナー/主演:トニー・キーニッツ/DISC.8/「愛の人形」監督:フィル・ジョアノー/主演:ジョン・リスゴー/「ワタシは何でも知っている...」監督:レスリー・リンカ・グラッター/主演:レオ・ペン/「想い出のラブ・ソング」監督:ティモシー・ハットン/主演:アンドリュー・マッカーシー
「世にも不思議なアメージング・ストーリー(第1話)/「ゴースト・トレイン(S1 E1 #1)」●原題:Amazing Storie-Ghost Train●制作国:アメリカ●本国放映:1985/09/29●監督・脚本・原案:スティーブン・スピルバーグ●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:25分●出演:ロバーツ・ブロッサム/ルーカス・ハース/ゲイル・エドワーズ/スコット・ポーリン●本国放映:●日本公開:劇場未公開●発売元:ビクターエンタテインメント●発売日:1988/07/22【VHS】(評価★★★☆)
DISC.1「ゴースト・トレイン」監督:スティーブン・スピルバーグ/主演:ロバーツ・ブロッサム/「愛と哀しみの磁石男」監督:マシュー・ロビンス/主演:ジョン・スコット・クロウ/「タイムトラベル少年」監督:マイケル・D・ムーア/主演:ケリー・レノ/DISC.2「パパはミイラ」監督:ウィリアム・ディア/主演:トム・ハリソン/「最後のミッション」監督:スティーブン・スピルバーグ/主演:ケビン・コスナー/「超魔術師と殺人オペラ」監督:ピーター・ハイアムズ /主演:グレゴリー・ハインズ/DISC.3「宇宙のTVオタク」監督:ボブ・バラバン/主演:マシュー・ラボートー/「最後のマジック」監督:ドナルド・ペトリ/主演:シド・シーザー/「こんな天使でよかったら...」監督:バート・レイノルズ/主演:ドム・デルイーズ/DISC.4「リモコン親父の逆襲」監督:ボブ・クラーク/主演:シドニー・ラシック/「52年目のXマスプレゼント」監督:フィル・ジョアノー/主演:ダグラス・シール/「亡き妻の肖像...魂が棲む画」監督:クリント・イーストウッド/主演:ハーヴェイ・カイテル
「クリフハンガー」●原題:CLIFFHANGER●制作年:1993年●制作国:アメリカ・フランス・」伊ラリア。日本●監督:レニー・ハーリン●製作:レニー・ハーリン/アラン・マーシャル●脚本:マイケル・フランス/シルヴェスター・スタローン●撮影:アレックス・トムソン/ノーマン・ケント●音楽:トレヴァー・ジョーンズ●時間:113分●出演:シルヴェスター・スタローン/ジョン・リスゴー/マイケル・ルーカー/ジャニーン・ターナー/レックス・リン/キャロライン・グッドール/クレイグ・フェアブラス/グレゴリー・スコット・カミンズ/デニス・フォレスト/ミシェル・ジョイナー/マックス・パーリック/ポール・ウィンフィールド/ラルフ・ウェイト/トレイ・ブロウネル/ザック・グルニエ/ヴィト・ルギニス/スコット・ホクスビー/ジョン・フィン/ブルース・マッギル/キム・ロビラード●日本公開:1993/12●配給:東宝東和(評価:★★★☆)
「完全犯罪」●原題:LOVE,CHEAT&STEAL●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ウィリアム・カラン●製作:ブラッド・クレボイ/スティーヴ・ステイブラー●撮影:ケント・ウェイクフォード●音楽:プレイ・フォー・レイン●時間:106分●出演:メッチェン・アミック/エリック・ロバーツ/ジョン・リスゴー/デビッド・アクロイド/ダン・オハーリー/ドナルド・モファット/ジェイソン・ワークマン●日本公
開:1994/06●配給:松竹富士(評価:★★★☆)
ヨハネ・パウロ2世(教皇就任:1978年10月16日・教皇離任:2005年4月2日)は、1981年5月13日のトルコ人メフメト・アリ・アジャから銃撃された事件で奇跡的に一命をとりとめるが、その後、1983年に狙撃犯人のアジャが収監されている刑務所を訪れ、彼を許したというのがスゴイと思った。


1991年、ストリート育ちの青年ラウ(アンディ・ラウ)は香港マフィアに入ってすぐ、その優秀さに目を付けたボスによって警察学校に送り込まれる。一方、警察学校で優秀な成績を収めていた青年ヤン(トニー・レオン)は突然退学となる。彼は、警視に能力を見込まれマフィアへの潜入を命じられたのだった。やがて2人の青年は、それぞれの組織で台頭していく。そして10年後、警察はヤンから大きな麻薬取引の情報を受け取る。しかし警察の包囲網はラウによってマフィア側に筒抜けとなっていた。検挙も取引も失敗に終わったことで、警察、マフィア双方がスパイの存在に気づいてしまうのだった―(「インファナル・アフェア」)。
1991年公開の警察とマフィアにそれぞれ潜入した2人の男の生き様を描いた香港ノワール(マフィアに潜入するヤンをトニー・レオン、警察に潜入するラウをアンディ・ラウが演じた)。その後、主人公2人の若き日を描く「インファナル・アフェア 無間序曲」('03年)、本作のその後を描く「インファナル・アフェアIII」('03年)も製作され3部作となっています(2023年、日本公開20周年を記念して4K版でシリーズ3部作がリバイバル公開)。2006年にマーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ主演で「ディパーテッド」としてハリウッドリメイクされ、アカデミー作品賞などを受賞していますが、それでも、オリジナルを超えるに至っていないというのが世評のようです。
中国・汪兆銘政権の政治保衛部に所属するフー(トニー・レオン)は、中国共産党の秘密工作員だった男ジャン(ホアン・レイ)の身辺調査を行う。フーは中国国民党に転向するというジャンから共産党幹部の情報を聞き出すことに成功する。1941年、上海に駐在する日本軍スパイのトップ・渡部(森博之)は、政治保衛部の主任となったフーやその上司タン(ダー・ポン)と日本料理店で戦局について話す。フーの部下として働くイエ(ワン・イーボー)は、友人ワン(エリック・ワン)とともに諜報活動に従事していたが―(「無名」)。
そう言えば、韓国映画で「シュリ」('99年)というスパイ映画も面白かったです。ミステリー、アクションなどさまざまな要素を効果的に使い、南北分断という民族的悲劇を、韓国の情報機関員(ハン・ソッキュ)と、北朝鮮の敏腕女性スナイパー(キム・ユンジン)との悲恋物語にしています。女性を意識してか、誰にでも理解しやすいエピソードを通じて描いています(タイトルは、朝鮮半島にだけ生息する淡水魚の名前で、映画のなかでも「ある部分」で使われており、心ニクイ演出)。韓国では、シュリを観なければ仲間はずれになる、というほどの人気だったそうです。
冒頭シーン北朝鮮のスナイパー養成のための特殊部隊の過酷な訓練シーンは圧巻です。一方で、"恋人"同士の切なく淡いキスシーンがあったりして(ハニートラップのつもりが本当に愛してしまうというのは、ウォン・アン・リー(李安)監督監督の「
「インファナル・アフェア」●原題:無間道(英題:INFERNAL AFFAIRS)●制作年:2002年●制作国:香港●監督:アンドリュー・ラウ(劉偉強)/アラン・マック(麦兆輝)●脚本:アラン・マック/フェリックス・チョン●撮影:ライ・イウファイ/アンドリュー・ラウ●音楽:コンフォート・チャン(陳光栄)●時間:102分●出演:アンディ・ラウ(劉徳華)/トニー・レオン(梁朝偉)/アンソニー・ウォン(黄秋生)/エリック・ツァン(曾志偉)/ケリー・チャン(曾志偉)/サミー・チェン(鄭秀文)/ショーン・ユー(余文楽)/エディソン・チャン(陳冠希)/チャップマン・トウ(杜汶澤)/ラム・カート(林 家棟)/エルヴァ・シャオ(蕭亜軒)●日本公開:2003/10●配給:コムストック●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-08-29)(評価:★★★★☆) font>
「無名」●原題:无名(英題: HIDDEN BLADE)●制作年:2023年●制作国:中国●監督・脚本:程耳(チェン・アル)●製作:ウー・ナ/曲吉小江●撮影:ツァイ・タオ/廖拟●音楽:ロディオン・ファラフォントフロクサーヌ・S/ボリス・セバスチャノフ/リー・チャオフイ(主題歌:「無名」ワン・イーボー(王一博))●時間:128分●出演:トニー・レオン(梁朝偉)/ワン・イーボー(王一博)/ジョウ・シュン(周迅)/ホアン・レイ(黄磊)/森博之/ダー・ポン(大鹏)/エリック・ワン(王傳君)/ジャン・シューイン(江疏影)/チャン・ジンイー(張婧儀)●日本公開:2024/05●配給:アンプラグド●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-08-29)(評価:★★★☆) font>
「シュリ」●原題:쉬리●制作年:1999年●制作国:韓国●監督・脚本:カン・ジェギュ●製作:イ・グァナク/ピョン・ムリム●撮影:キム・ソンボク●音楽:イ・ドンジュン●時間:124分●出演:ハン・ソッキュ/キム・ユンジン/チェ・ミンシク/ソン・ガンホ/パク・ヨンウ/ユン・ジュサン/ソン・ホギュン/ナム・ミョンニョル/ハ・ドクソン/チョ・ドッキョン/パク・チョンムン/チョン・ジノ/キム・スロ/キム・サンミ/パク
・キサン/チョン・ジンス/ソン・ヨンテ/キム・ジョンミン/パク・チイル/チェ・ウジョン/チェ・ソンウ/ホ・ギホ/チョン・ギルムク/チャン・ヒョンソン/ファン・ジョンミン/イ・チャニョン/チェ・セフン●日本公開:2000/01●配給:シネカノン=アミューズ●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-01-31)(評価:★★★★)


【1日目】新進演出家のバーディ(王也民(ワン・イエミン))は新作舞台が有名小説の盗作だと騒がれ、カルチャー企業経営者のモーリー(倪淑君(ニー・シューチン))に泣きつく。問題の小説は彼女の義兄の作品なのだ。バーディ、モーリー、その右腕で親友でもあるチチ(陳湘琪(チェン・シャンチー))、チチの恋人で公務員のミン(王維明(ワン・ウェイミン))の4人は学生時代からの友人。モーリーの婚約者アキン(王柏森(ワン・ポーセン))は大陸へビジネスの勉強に行っていたが、彼女の悪い噂を聞きつけ台北に帰ってくる。彼は投資コンサルタントの友人ラリー(鄧安寧(ダニー・ドン))に相談するが、ラリーはモーリーの会社で働く若い美人フォン(李芹(リチー・リー))と不倫関係にあり、モーリーに事実を追及され、モーリーの会社の経営悪化につけ込もうとしていたところがやむなく退散。チチはミンから転職先を紹介されるが気乗りせず
、曖昧な返事をする。ミンは人当たりの良すぎる彼女の気持ちが分からなくなり、モーリーを槍玉に挙げると、チチと口論になる。 チチが帰宅するとモーリーから呼び出しを受ける。夜更けのプールサイドで2人は語らうが、チチは周囲から優等生ぶっていると言われるのが不満だと打ち明け、モーリーにも昔のように悩みを話してと訴える。【2日目】アキンはモーリーに、結婚の時期についてそれとなく探りを入れるが気のない返事。そんな折、彼はラリーに「モーリーとバーディが浮気している」と吹き込まれ激怒、乗り込んでいったTV局でバーディと乱闘を演じることに。モーリーはミンに昼食に誘われるが、チチが転職したがっていることを知り困惑、オ
フィスでチチを激しくなじり、チチは自分の意向を無視したミンと絶交状態に。女優志望のフォンはチチの紹介でバーディの稽古場へ。そこでバーディから口説かれるが、彼がモーリーに呼び出された隙に、乗り込んできたラリーと鉢合わせ。同行してきたアキンは、モーリーとバーディの喧嘩の場面に遭遇して誤解が解け、バーディとも意気投合。自分の不手際で同僚を退職に追い込んでしまい落ち込んで帰宅したミン。すると家の前にはモーリーが待っていた。チチへのとり成しを頼もうとしたが、ミンは誰とも話す気は無いと無愛想に答え、2人は口論し、取っ組み合いの喧嘩に。ところが、成り行きでベッドインしてしまう。関係を急ぐモーリーを冷静に諭すミン。互いの感情は行き違う。チチはモーリーの義兄で、バーディが争っている作家(閻鴻亜(イエン・ホンヤー))の許へ。彼はかつて恋愛小説を書いていたが、今は厭世感に満ちた小説を上梓しようとしている。チチはそこで、「誰も私のことを分かってくれない」と泣き出し、作家から助言を受けるが、作家の妻であるモーリーの姉(陳立美(チェン・リーメイ))に追い出される。モーリーの姉と作家は仮面夫婦状態。TVキャスターの妻の方は仲を繋ぎ留めようと必死だが、夫はそんな状況に疲れ、反射的にチチに愛の希望を見いだし、タクシーに乗った彼女を追いかけるが、衝突して倒れてしまう。しかしそれが啓示になったのか、「深刻ぶらず、誠実に生きればいい。僕は間違っていた。」と、来た道を戻っていった。その言葉に考えさせられるチチ。そして【3日目】の朝がやってくる―(「エドワード・ヤンの恋愛時代」)。
バブル経済終期の台北に生きる4人の少年たち。リーダー格のレッドフィッシュ(唐従聖(タン・ツォンシェン))、二枚目の女たらしホンコン(張震(チャン・チェン))、口達者なトゥースペイスト(王啓讃(ワン・チーザン))、新入りのルンルン(柯宇綸(クー・ユールン))。悪徳実業家を父に持つレッドフィッシュの号令のもと、
詐欺まがいの荒稼ぎをしたり、一人の女の子を「共有」したりと、アパートの一室で無軌道で気ままな生活をしていた。 ある日、イギリス人の元恋人マーカス(ニック・エリクソン)を追ってきたフランス娘マルト(ヴィルジニー・ルドワイヤン)が彼らの前に現れる。レッドフィッシュは、右も左も分からない彼女を言葉巧みに誘い入れ、売春組織に売り飛ばそうと企むが、根は純情なルンルンがマルトを実家の屋根裏に匿い、レッドフィッシュの企みは水泡に帰す。悪名高い父親を疎ましく思いつつも、その冷酷な人生哲学に倣って生きるレッドフィッシュは、かつて父を破産に追い込んだ女アンジェラ(呉家麗(キャリー・ン))に対する復讐計画を練る。ホンコンに彼女を誘惑するよう仕向け、またトゥースペイストを占い師として彼女の許に送り込み、金を騙し取ろうとする。レッドフィッシュの父は失踪中で、暗黒街の組織は息子のレッドフィッシュを人質にとっておびき出そうとするが、組織の間抜けなヒットマンの2人は(呉念眞(ウー・ニェンチェン)/王柏森(ワン・ポーセン))は勘違いして、ルン
ルンとマルトを誘拐、しかしマルトが機転を利かせて2人は脱出に成功。レッドフィッシュは逆にヒットマンを手中にとり、父(張国柱(チャン・クオチュー))の隠れ家に案内するが、人生に疲れた父は愛人(葉全真(イエ・チュエンチェン))と共に心中した後だった。レッドフィッシュは、冷酷さそのものだった父が隠し持っていた弱さを初めて知る。ルンルンはマルトに想いを伝えるが、彼女は自分を危ない目に合わせた彼に怒りをぶつけ、一旦はマーカスに引き取られていく―(「カップルズ」)。
「PASSION」は、東京大学文学部を卒業後、新設された東京藝術大学大学院映像研究科に改めて入学し、映画作りを学んだ濱口監督が、その修了作品として発表した恋愛群像劇。長年恋人同士だった一組のカップルが婚約を発表したのを機に、2人やその周囲の男
女の間でもつれた恋愛感情が一気に顕在化する、そんな彼らの激しく揺れ動く恋心を、緻密な会話劇や驚異的な長回し撮影を通じて描写いた作品です。一院生の卒業制作でありながら、第56回「サン・セバスチャン国際映画祭」や第9回「東京フィルメックス」にも出品され、濱口監督の名前と才能が国内外に広く知られる出世作となりましたが、早くからエドワード・ヤン監督の影響を受けていたのだなあと。
90年代の台北と現代の東京(郊外)と背景こそ異なりますが、両作とも、親密な関係にあるカップルや友人グループが、嘘、裏切り、隠された欲望によって崩壊していく過程を描いていて、エドワード・ヤン監督は「カップルズ」を「危険な」映画と位置づけ、濱口監督もまた、男女の恋愛における「PASSION(情熱)」が抱える危うさを容赦なく描き出しています。多少ネタバレになりますが、「カップルズ」では、リーダー格のレッドフィッシュが何を指針に生きればいいのかを虚無の中に見失ったまま終わるのに対し、最も純粋な心を持つルンルンがフランス人女性マルテと一時は危機的な状況になりながらも愛を貫くことで、周囲の空気が少しずつ浄化されていく流れです。「PASSION」も、主人公の男女カップル(省吾と果歩)は、同級生の結婚を祝うパーティーで、省吾の過去の浮気が発覚したことで激しい衝突を起こり、他のカップルにも同様の摩擦が生じて一時はカップルの組み換え状況になりはするものの、結局は元の鞘に収まりますが、しかしながらカップルの関係はこれまでとは同じものではなく、愛情の矢印が一致しない気まずい状況を浮き彫りにしたまま幕を閉じるという、こちらも、ハッピーエンドとやバッドエンドを混ぜたような終わり方です。(濱口監督がヤン監督作の影響を受けたのだろうが)濱口監督作品との共通点が多く見られるのが興味深いエドワード・ヤン監督の2作でした。
「エドワード・ヤンの恋愛時代」●原題:獨立時代(英題: A CONFUCIAN CONFUSION)●制作年:1994年●制作国:台湾●監督・脚本:楊徳昌(エドワード・ヤン)●製作:余為彦(ユー・ウェイエン●音楽:林強(リン・チャン).●撮影:黄岳泰(アーサー・ウォン)/張展(チャン・チャン)/李龍禹(リー・ロンユー)/洪武秀(ホン・ウーショウ)●時間:127分/129分(4Kレストア版)●出演:陳湘琪(チェン・シャンチー)/倪淑君(ニー・シューチン)/王維明(ワン・ウェイミン)/王柏森(ワン・ポーセン)/鄧安寧(ダニー・ドン)/(李芹(リチー・リー))/(閻鴻亜(イエン・ホンヤー)/陳立美(チェン・リーメイ)●日本公開:1995/07/2023/08(4Kレストア版)●配給:シネカノン/ビターズ・エンド(4Kレストア版)●最初に観た場所:シネマート新宿(スクリーン2)(25-04-22)(評価:★★★★)
「カップルズ」●原題:麻將(英題:MAHJONG)●制作年:1996年●制作国:台湾●監督・脚本:楊徳昌(エドワード・ヤン)●製作:余為彦(ユー・ウェイエン●音楽:林強(リン・チャン).●撮影:李以須(リー・イーシュー)●時間:121分●出演
:ヴィルジニー・ルドワイヤン/唐従聖(タン・ツォンシェン)/柯宇綸(クー・ユールン)/張震(チャン・チェン)/王啓讃(ワン・チーザン)/陳欣慧(アイビー・チェン)/呉念眞(ウー・ニェンチェン)/王柏森(ワン・ポーセン)/張国柱(チャン・クオチュー)/葉全真(イエ・チュエンチェン)/呉家麗(キャリー・ン)/ニック・エリクソン/ダイアナ・デュピス/林海象(特別出演)●日本公開:1996/12/2025/04(4Kレストア版)●配給:シネカノン/ビターズ・エンド(4Kレストア版)●最初に観た場所:シネマート新宿(スクリーン1)(25-04-22)(評価:★★★★)



「PASSION」●制作年:2008年●監督・脚本:濱口竜介●プロデューサー:藤井智●撮影:湯澤祐一●時間:115分●出演:河井青葉/岡本竜汰/占部房子/岡部尚/渋川清彦●公開:2008/03●発表:東京藝術大学大学院映像研究科・第二期生修了制作展●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-05-09)(評価:★★★★)

1953年、カルカッタ。ニュー・バーラット銀行のしがない行員であるシュブラト・ムジャンダー(ハレン・チャタージー)は途方に暮れていた。妹のバニの授業料は2ヵ月たまっており、元校長だった父親のプリヤゴパル(ハラドン・バナージー)は老眼鏡が必要だと言い、母親は十日ごとにカギタバコを買わなければならない。こう出費が重なっては、1ヵ月250ルピーという薄給の身ではどうしようもない。夫の友人が夫婦共稼ぎをしていることを知った妻アラチ(マドビ・ムカージー)は働きに出る気になった。求職先も決まったが、これを知った父親は驚いて大反対した。シュブラトが時勢は変わったと説得しても受け入れない。しかし、アラチはやがて勤めに出るようになる。上流家庭を訪問してまわる編物機の外交販売だ。月給はわずか100ルピーでも仕事はけっこう楽しかったし、英国人二世の若い女性エディスとは特に親しくなった。一方、父親は彼なりに金を得る道を考え出した。昔の教え子の中から名を成した人を訪ねあて、謝恩金をせびることにしたのである。老眼鏡も眼科医となっている教え子に無料で作ってもらった。アラチの会社の社長ムカジー(ハレン・チャタージー)はなかなかの切れ者で、アラチがすっかり気に入り月給の他に売り上げの歩合も出すようになった。おかげで家計は楽になったが、シュブラトは夫としての立場上、面白くなかった。家庭以外のことにも
急に興味をもち始め身なりも派手になり、子供のピントゥも病気のとき母がいないのを淋しがった。彼は友人にアルバイトの口を頼み、妻に勤めを辞めるように宣告した。翌日、アラチは辞職届けを持って、重い足どりで会社に向かった。しかし、それを提出する前にシュブラトから電話がかかってきた。銀行が閉鎖になり失職したから仕事を辞めないでくれという。この日か
ら、アラチは一家のただ一人の稼ぎ手となった。さらに不幸は続いた。父親が階段から落ちて家に担ぎ込まれたのだ。だが、アラチの仕事ぶりを気に入っていたムカジーは、失業中のシュブラトにも会社で働くよう勧めてくれた。折りも折り、前からムカジーに気に入られていなかったエディスが突然クビにされた。高熱で欠勤し、顧客との約束を破ったのを、仕事不熱心と断定されたのである。泣き悲しむ親友のエディスにすっかり同情したアラチは、ムカジーの措置に憤慨して、何のためらいもなく辞職届けを叩きつけた。彼女からこのことを聞いて、シュブラトは妻の勇気に驚いた。しがない銀行員だった彼には到底できないことだった。彼は妻をたしなめるどころか、正しいと信ずることを通す勇気を讃えたが、さてこれから先、一家はどうやって暮らしていくのだろう―(「ビッグ・シティ」)。
サタジット・レイが1963年に発表した彼の代表作のひとつで、大都会カルカッタを舞台に共働き夫婦の暮らしを描いたドラマ。1964年・第14回 「ベルリン国際映画祭」で「銀熊賞(監督賞)」を受賞。日本では「大都会」のタイトルで'76年に岩波ホールで公開(その時は観に行けなかったが、個人的には「大都会」のタイトルの方が馴染みがある)。2015年9月、レイ監督のデビュー60周年を記念した特集上映「Season of Ray シーズン・オブ・レイ」でリバイバル公開(この時「ビッグ・シティ」と改題された)。昨年['25年]7月にレイ監督のデビュー70周年を記念した特集上映「サタジット・レイ レトロスペクティブ2025」で、再度リバイバル公開されました。
サタジット・レイ監督作の中でも「女性の活躍・自立」という観点から現代にも通じるテーマを扱っている作品です。急速な時代の変化の中で、伝統と近代、西洋と東洋が複雑に交差している独立後間もない1950年代のコルカタ。そこで主人公の女性アロティが初めて職場で給料を受け取ります。給料を手にし、社会的に認められ金銭を手にした自分を鏡越しに見て、思わず笑みをこぼすアロティが実に印象的です。
治新聞の編集長兼経営者として多忙な毎日を送っていた。当時のインドはイギリスの統治下にあり、彼はその植民地支配を批判する進歩的な論陣に健筆をふるっていた。そのブパチの美しい妻チャルラータ(ショイレン・ムカージー)は、当時のインドの女性の常として一日中家に閉じ込められたまま、あり余る時間を刺繍と読書にあてていた。ある日、ブパチは仕事口を頼んできていた妻の兄ウマパダ(シャモル・ゴサル)とその妻マンダキニ(ギタリ・ロイ)を呼び寄せ、ウマパダには「センチネル」紙の経理を担当させ、マンダキニにはチャルラータの話相手をさせることにした。ところが、マンダキニはガサツで無学な女で、チャルラータとは何一つ話が合わない。そこへ文学専攻のブパチの従弟アマル(ショーミットロ・チャタージ)が大学の休暇で訪ねてきた。文学のことなら何でも知っているアマルの出現で、チャルラータの孤独感は癒えた。二人は時の経つのも忘れて文学の話しに熱中した。そんなとき、アマルに富豪の娘との縁談が持ち込まれた。承知すればイギリスに留学させてやるというのだ。しかし、アマルはチャルラータのために断わる。ある日、事件が起きた。経理担当のウマパダが、会社の金を持ち逃げしたのだ。親類だからと信頼していた彼のショックは大きく、悲歎のう
ちに信頼するアマルにだけこの事件を告げた。アマルは悩んだ。自分もまた、チャルラータとの間にブパチの知らない裏切りをしているのではないか。自分がこのままこの家にいれば、いつか彼女の上に不幸が襲う。その夜遅く、アマルは置き手紙を残して、そっと家を出た。翌朝、アマルが家を出たことを知ったチャルラータは、耐えがたいショックを夫の手前懸命に隠し通した。そんなことは何も知らないブパチは心機一転を図るために、チャルラータと共に海岸で休暇を過ごした。カルカッタに戻ると、アマルからの手紙が届いていた。何とか消そうと努めてきたチャルラータの恋が激しく燃え上がった。激しく泣き崩れる彼女の背後にブパチが音もなく近づく。チャルラータの真実を見たブパチは、ショックのあまり家を飛び出した。妻のあの悲しみは、仕事の忙しさにかまけて相手にしなかった自分自身にも責任があるのではないだろうか。イギリスの圧政を批判し、インドの将来を論じることも重要だが、人間にはもっと大切なことがある筈だ。冷静になった彼は、家庭の再建を誓い、再びわが家の門をくぐった―(「チャルラータ」)。
サタジット・レイの中期の代表作で、同国の文豪で1913年にノーベル文学賞を受賞した(これはアジア人に与えられた初のノーベル賞だった)ラビンドラナート・タゴール(1861-1941)の短編小説「壊れた巣」を自身の脚本と音楽で映画化し、1965年の「ベルリン国際映画祭」で前年受賞の「ビッグ・シティ(大都会)」('63年)に続いて「銀熊賞(監督賞)」を受賞した作品(日本での公開はこの「チャルラータ」が先)。2015年9月、こちらも、レイ監督のデビュー60周年を記念した特集上映「Season of Ray シーズン・オブ・レイ」でリバイバル公開。昨年['25年]7月にレイ監督のデビュー70周年を記念した特集上映「サタジット・レイ レトロスペクティブ2025」で再度リバイバル公開されました。
「ビッグ・シティ」と同じく夫婦の関係を軸に描いていますが、「ビッグ・シティ」がリアリズムに徹した現代劇で、社会派ドラマであったのに対し、こちらは19世紀末のイギリス植民地時代のベンガルを舞台にした、詩的で内省的な時代劇であり、新聞編集者の裕福な夫に顧みられない孤独な妻が、訪れた従弟に淡い恋心を抱く、人間の心理と内面的な孤独を描いた心理ドラマとなっています。邸宅という閉鎖的な空間の中で、オペラグラス越しに見える風景や、窓から眺める外の世界など、カメラワークや映像美を通じて主人公の妻の「閉じ込められた状況」や内面の変化を繊細に描写しているように思いました。家の中で閉じ込められていた女性が自由になる瞬間を、心情に寄り沿った丁寧なカメラワークで鮮やかに切り取っています。
「ビッグ・シティ(大都会)」●原題:চারুলতা(英題:MAHANAGAR)●制作年:1963 年●制作国:インド●監督・脚本:サタジット・
レイ●製作:R・D・バンサル●撮影:スブラタ・ミットラ●原作:ナレンドラナート・ミットラ●時間:131分●出演:マドビ・ムカージー/アニル・チャタージー/ハレン・チャタージー/シェファリカ・デビ/ジャヤー・バードゥリー/プロシェンジト・ショルカル/ハラドン・バナルジ/ビッキー・レッドウッド●日本公開:1976/04●配給:エキプ・ド・シネマ●最初に観た場所: Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(25-07-22)(評価:★★★★) font>
「チャルラータ」●原題:চারুলতা(英題:CHARULATA)●制作年:1964 年●制作国:インド●監督・脚本:サタジット・レイ●製作:R・D・バンサル●撮影:スブラタ・ミットラ●原作:ラビンドラナート・タゴール「壊れた巣」●時間:119分●出演:マドビ・ムカージー/ショウミットロ・チャタルジー/ジョイレン・ムカージー/シャマル・ゴーシャル/ギタリ・ロイ●日本公開:1975/11●配給:エキプ・ド・シネマ●最初に観た場所: Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(25-07-22)(評価:★★★★) font>

結婚をきっかけに売春から足を洗ったバーバラ(スーザン
・ヘイワード)。数年後、子どもを抱え夫の麻薬中毒と貧困に苦しむ彼女は、生活のため再び売春を始めてしまう。
そんな中、独り身の老婦人が殺害される強盗殺人事件が起こり、2ヵ月後、札付きの前科者エメットとジャックが逮捕される。そしてまた、容疑者の男たちと一緒にいた彼女も共犯を疑われ逮捕されてしまう。彼女にも売春や偽証の前科があったことか
ら警察はバーバラを犯人と決めてかかる。事件の夜、彼女は夫と激しい口論をしていた。しかし、それを証明する夫は、その夜家を飛び出したきり行方知れず。バーバラは、無実を主張するも信じてもらえず、結局八方塞がりのまま―。
「
ローブ賞 主演女優賞(ドラマ部門)」、第24回「ニューヨーク映画批評家協会賞 主演女優賞」など数々の映画賞に輝きました(特集企画「新宿ハードコア傑作選」(2025年7月18日~9月4日/シネマート新宿)上映作品)。
強盗罪と殺人罪で死刑宣告を受けながらも最期まで無実を訴え、1955年に死刑に処せられたバーバラ・グレアム(1923-1955)の話を、その3年後に映画化したわけで、処刑から比較的年数が無かったことになります。映画では、サンフランシスコ・エグザミナーの記者エドモンド・モンゴメリーの記事、裁判記録、往復書簡、調査報告、インタヴュー、そしてバーバラ自身の手記に基づく真実の物語(FACTURAL STORY)であると紹介されています。
バーバラは当初から一貫して犯行を否認し無罪を主張し続けますが、かつて犯した売春や保護観察規定違反、偽証罪などさまざまな不法行為のためマスメディアにもスキャンダラスに取り上げられ、挙句に司法取引に応じた囚人の計略に嵌められるなどして陪審員の悪印象を招き、死刑を宣告されます(囮捜査に引っ掛かったのは史実らしい。今なら違法捜査になる可能性が高い)。
バーバラは判決の無効を訴えたものの失敗し、刑の執行を待つためにサン・クエンティン州立刑務所へ移送されますが、史実も映画同様で、1955年6月3日午前10時にガス室へ送られる予定だったのが、執行は10時45分まで延期されて、さらに10時43分に、再度11時30分まで執行が延期され、疲れきったバーバラは、「どうして私を苦しませるの?私は10時には用意ができていたのに」と言ったそうです。午前11時28分に、バーバラは独房から連れ出されガス室に移されますが、そこでバーバラは立会人の姿を見なくても済むように、目隠しを要請したとのこと、映画でも女看守のアイマスクを借りています。
「私は死にたくない」●原題:I WANT TO LIVE!●制作年:1958年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・ワイズ●製作:ウォルター・ウェンジャー●脚本:ネルソン・ギディング/ドン・マンキーウィッツ●撮影:ライオネル・リンドン●音楽:ジョニー・マンデル●
時間:120分●出演:スーザン・ヘイワード/サイモン・オークランド/ヴァージニア・ヴィンセント/セオドア・ビケル/マリオン・マーシャル●日本公開:1959/03●配給:ユナイテッド・アーティスツ=松竹●最初に観た場所:シネマート新宿(25-08-13)(評価:★★★★☆) font>

米国との国境近くにあるメキシコ・マタモロスの小学校。子どもたちは麻薬や殺人といった犯罪と隣りあわせの環境で育ち、教育設備は不足し、教員は意欲のない者ばかりで、学力は国内最底辺だった。6年生の半数以上が卒業を危ぶまれる中、出産のため辞職した8年生の担任の代役として、マタモロス出身の教師フアレス(エウヘニオ・デルベ
ス)が赴任してくる。子どもたちはフアレスのユニークで型破りな授業を通して探究する喜びを知り、それぞれの興味や才能を開花させていく。数学の得意な女子生徒パロマ(ジェニファー・トレホ)は宇宙工学者への夢を募らせ、哲学に興味を持った女子生徒ルペ(ミア・フェルナンダ・ソリス)は英国の哲学者ジョン・スチュアート・ミルの著作を読み始める。また兄のギャング仲間に入ろうとしていた男子生徒ニコ(ダニーロ・グアルディオラ)は、フアレスの授業の面白さに惹かれ、もう少し学校に通いたいと自ら進言する―(「型破りな教室」)。
クリストファー・ザラ監督の2023年作で、原題は「RADICAL(過激)」。アカデミー賞受賞作であるシアン・ヘダー監督の「コーダ あいのうた
」('21年/米・仏・カナダ)の音楽教師役で注目を集めたメキシコシティ出身の俳優エウヘニオ・デルベスが、主人公の熱血教師フアレスを演じています(2023年サンダンス映画祭にてフェスティバル・フェイバリット賞(映画祭観客賞)を受賞)。
逆境の中で生徒の才能を見出し伸ばしていく教師の話で、教育格差がテーマになっている点で、カンヌ国際映画祭 で最高賞のパルム・ドールを受賞作したローラン・カンテ 監督の「
フアレスが校長とビールを飲みながら対話する場面で、メキシコの教育について、「学校は100年前から変わっていない。ベルを鳴らし制服を着せて、「静かに」「整列しろ」「手を挙げろ」を命じる。子供たちを国という機械を動かすただの歯車にする教育だ」と言うのは、今の日本にも通じる話かもしれません。
実話がベースになっているというのは強いなあと。ストレートに感動しました。それまでの壊滅的な学力の状態から、クラスの中の10人が全国上位0.1%の成績に食い込んだという事実にも驚かされます。映画の中で熱血教師フアレスに数学の才能を見出された、廃品回収業の父を持ちヤングケアラーである女生徒パロマのモデルになったのはパロマ・ノヨラという女性で、ジャーナリストのジョシュア・デイヴィスが2013年に雑誌「WI
RED」で記事として取り上げた事がきっかけになり、映画化の企画が立ち上がったとのこと(ジョシュア・デイヴィスは製作にも名を連ねる)。本人が、哲学に興味を持った女生徒を書架に案内する図書館司書の役で出ているのは粋な演出でした。
2006年。長年国民から愛された国王の退位によって、ブータンは民主化へ転換を図る。初めての選挙を目指して、模擬選挙が実施されることに。山に囲まれた村で報せを聞いた高僧は、なぜか弟子の僧侶タシ(タンディン・ワンチュク)に「銃を2丁手に入れてくれ」と頼む。一方、お宝があると聞きつけた銃収集家のロン(ハリー・アインホーン)が村にやってきた―(「お坊さまと鉄砲」)。
第1作「ブータン 山の教室」(19年/ブータン)がブータン映画史上初となる、第94回「アカデミー賞で国際長編映画賞」ノミネート作になったパオ・チョニン・ドルジ監督(Pawo Choyning Dorji、ブータン人の名前は、基本的に「姓(ファミリーネーム)」がなく、複数の「名(個人名)」を並べる形が一般的で、日本で同監督を短く呼ぶ際は「パオ監督」と呼ばれることが多く、ここでは「は行の監督」とした)の、第96回「アカデミー賞国際長編映画賞」ブータン代表としての出品作。2006年のブータンを舞台に、国王の退位にともなう初めての選挙を控えた村の騒動をユーモラスに描いています。
なぜ山に籠っていた高僧が出てきて、いきなり弟子に銃を入手するよう命じたのか、その理由が分からないまま外国人
の銃収集家などが絡んで話としては気を持たせますが、オチは大したことなかったかも。このほのぼのとした結末も悪くはないですが、高僧が弟子に銃が要る理由を明かさなかったのはどうしてなのか、別に、こうこうこうだからと説明しても良かったでは。でも、それを言ってしまうと、お話的には面白みが無くなってしまうからでしょう。
日経新聞の映画評で「楽しく民主主義を考える」とありましたが、新聞社的にはそうなのでしょう。個人的にはむしろ、ブータンの人たちの生活ぶりや風俗・習慣、さらには文化・価値観までもが垣間見られることの方が興味深く、また面白かったかもしれません。
「型破りな教室」●原題: RADICAL●制作年:2023年●制作国:メキシコ●監督・脚本:クリストファー・ザラ●製作:ベン・オデル/エウヘニオ・デルベス/ジョシュア・デイビス●撮影:マテオ・ロンドノ●音楽:パスクアル・レイエス/フアン・パブロ・ビラ●時間:123分●出演:エウヘニオ・デルベス/ダニエル・ハダッド/ジェニファー・トレホ/ヒルベルト・バラーサ/ミア・フェルナンダ・ソリス/ダニーロ・グアルディオラ●日本公開:2024/12●配給:アットエンタテインメント●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-12-24)(評価:★★★★)
「お坊さまと鉄砲」●原題: THE MONK AND THE GUN●制作年:2023年●制作国:ブータン・仏・米・台湾●監督・脚本:パオ・チョニン・ドルジ●製作:シュー・フォン/ステファニー・ライ/ジャン=クリストフ・サイモン●撮影:ジグメ・テンジン●時間:112分●出演:タンディン
・ワンチュク/ケルサン・チョジェ/タンディン・ソナム/デキ・ラモ/ペマ・ザンモ・シェルパ/ハリー・アインホーン/チョイン・ジャツォ/タンディン・プブ/ウゲン・ドルジ/ユペル・レンドゥップ・セルデン●日本公開:2024/12●配給:マクザム=ザジフィルムズ●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-12-24)(評価:★★★★)
1920年代の中国、 19歳の女学生・頌蓮(スンリェン)(鞏俐(コン・リー))は、父親が亡くなった後実家が没落したため、陳佐千(馬精武(マー・チンウー))という富豪の第四夫人として嫁ぐことを余儀なくされた。
彼の大邸宅に嫁入りした際には王室の様な待遇で、気持ちの良い足マッサージを受けた。屋敷の主人は、夜になり彼女の部屋に泊まる時門前に赤い提灯を掲げた。しかし頌蓮はすぐに全ての妾たちが同様の贅沢な待遇を受けていることに気づいた。主人は毎日どの妾の家で夜を過ごすかを決めるとその家の前に赤い提灯を灯し、その妾は足マッサージを受け、食事を決定したり、下僕達の尊敬と服従を得ることができたのだ。やがて、友情を築いたと思っていた第二夫人・卓雲(ヅォユン)(曹翠芬(ツァオ・ツイフェン))からの裏切りや、屋敷に出入りする医者と不倫をしていた第三夫人・梅珊(メイサン)(何賽飛(ホー・ツァイフェイ))への凄惨な罰を目の当たりにし、主人の寵愛を巡る戦いの中で憔悴した頌蓮は次第に正気を失い、常軌を逸した行動に出るようになる―。
「
25歳で19歳の学生を演じているコン・リーが違和感なく奇麗です。彼女が正気を失っていく様は痛々しいですが、ストーリーや時代背景は今とあまりに差がありすぎるため、個人的には、「時代に抑圧された女性を描いた映画」的視点と言うよりは、背景部分は男尊女卑の"象徴"として捉え、単に女性たちの物語として映画を観ました。確かに、封建制度下における女性に対する抑圧を可視化した作品ではありますが、例えばこの「赤い提灯」のシステムは、原作である蘇童(スー・トン)の小説『妻妾成群』には無く、張芸謀監督の創作であるようです。監督は当時のインタビューで、中国の家父長制の深刻さを訴えており、本作は中国国内で上映禁止の措置を受けています。それだけ今日的・普遍的問題を示唆しているということなのでしょう。
単に女性たちの物語として観たと書きましたが、人物の悲劇的運命の造形は多角的に行われいて、各人の諸要素が互いに呼応し合うことで、作品全体の悲劇的雰囲気が高められているように思いました。とりわけ、元名妓であった第三夫人・梅珊(メイサン)の末路は悲惨で、気晴らしに屋上でかつて馴染んだ戯曲を歌っていた、その屋上で処刑されてしまったというのは皮肉です(ほとんどホラー)。これが主人公・頌蓮(スンリェン)に与えた衝撃は大きく、スンリェンの精神崩壊の火付けとなったように思われました。悲劇を美しく視覚化する張芸謀監督の美学的設計無くしては、なかなか味わおうという気にはなれない作品かもしれません。女学生から女へと変貌していくコン・リーの美しさも堪能でき、物語的には悲惨ですが、美的には張藝謀作品の頂点にある作品かもしれません(この頃の張芸謀はスゴかった)。
中国の大河・長江の三峡では、三峡ダム建設計画が進められていて、周辺の多くの町が湖底に沈みゆく運命にある。 山西省で炭鉱夫をする韓三明(ハン・サンミン)(韓三明(ハン・サンミン))は、16年前に別れた妻幺妹 (ヤオメイ)(馬礼珍(マー・リーチェン))と娘を探すために三峡の街・奉節(ほうせつ)にやってくる。知り得た住所を訪ねると、そこは既に湖底に沈んでいた。ヤオメイの兄を訪ねると、彼女は南の方で働いているがこの地にいればいずれ会えると言われ、その言葉を信じてこの街に留まることにする。仕事は、沈む街の建物解体作業で、その作業場で気の良いチンピラのと小馬哥(マーク)(周林(チョウ・リン))。と親しくなる。 時を同じくして、沈紅(シェン・ホン)(趙濤(チャオ・タオ))という看護師の女性が奉節の港に降り立つ。山西省から来た彼女は、三峡の工場に働きに出たまま2年も音信がない夫・郭斌(グォ・ビン)(李竹斌(リー・チュ
ウビン))を探している。 シェン・ホンは、夫グォ・ビンの友人の王東明(ワン・トンミン)(王宏偉(ワン・ホンウェイ))を訪ね、夫の今の職場に案内されるが夫は不在で、住民の立ち退きを強制する仕事をしているらしい。そして女性経営者といい仲らしいとの情報を得る。夫が経営しているという社交ダンス場に出向くと、そこは長江に架かる大橋が一望できる場所だった。 翌朝、シェン・ホンはグォ・ビンと再会を果たすが、夫の不倫に怒り心頭の彼女は夫を無視し、挙句「好きな人が出来て、その人と上海に行く」と言って離婚を切り出し、独り船に乗って三峡を離れる。 一方その頃、奉節で建物解体の仕事をしているサンミンは、親友のマークを解体現場の事故で失い遺体を長江に見送る。 その直後、サンミンは義兄からヤオメイの居場所が分かったという連絡を受け会いに行く。しかし、ヤオメイは義兄が作った多額の借金のカタとして、義兄に金を貸した船主の元で働かされているという。その船主の男に会い、連れて帰りたいと伝えるが、船主はそれなら貸した金を返せと要求する。サンミンは金を作るため山西省に戻って再び炭鉱で働くことを決意して、奉節の町を去る―。
賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の2006年作で、第63回「ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞(グランプリ)」受賞作。審査員長を務めたカトリーヌ・ドヌーヴは「金獅子賞を決めるのに時間はかからなかった」と述べています。また、その他にも、「
物語の主人公は、山西省から奉節へやって来た2人の男女ですが、この2人は映画では互いに関係すること無く、全く別の2つの物語が展開していきます。1つは、16年前に別れた妻・幺妹 (ヤオメイ)(馬礼珍(マー・リーチェン))を捜すため奉節にやって来た山西省の炭鉱
労働者・ 韓三明(ハン・サンミン)(韓三明(ハン・サンミン)=役名と同じ)の物語で、もう1つは、同じく山西省から、2年間音信不通となっている夫・ 郭斌(グォ・ビン)(李竹斌(リー・チュウビン))を捜すため奉節にやって来た 沈紅(シェン・ホン)(趙濤(チャオ・タオ))の物語です。この全く無関係な2つの物語を、同じ奉節を舞台として展開させていくことによって、三峡ダムの建設で沈んでいく街における人間の営みの儚さが伝わってきまし。また、古来より山水画の題材として描かれてきた壮大な長江の風景が、背景としてたびたび出てくるのが、その儚さを醸す上で効いています。
主人公たちが探す家族は、対照的な人生を歩んでいて、サンミンの妻子の実家はすでに水没し、彼女たちは、変貌する世界の末端に追いやられ、厳しい生活を強いられています。一方、シェン・ホンの夫は、大事業に強引に食い込んで利権を手にし、贅沢三昧の生活を送り、人が変わっています。多分あちことちで見られたであろう現実が映画の中に入り込んで、フィクションが掘り下げられているといった印象でした(当初はドキュメンタリー映画を撮るつもりだったようだ)。
北京の「世界公園」でダンサーとして働くタオ(趙濤(チャオ・タオ)は、同僚たちから姐さんと慕われている26歳。公園の守衛主任であるタイシェン(成泰燊(チェン・タイシェン))という恋人がいる。タオの元恋人リャンズー(梁景東(リャン・チントン))がモンゴルへ旅立つというので、2人は彼を見送りに行く。その帰りに立ち寄った汚い安ホテルで、タイシェンはタオに迫るが、タオは拒む。タオはホテルを出て一人で世界公園に戻るが、その後、写真館でDVDを撮っているうち、いつもの親密さが2人に戻ってくる。タイシェンは、先輩から紹介されたチュンと共に、借金を抱えているチュンの弟に会いに、太原へ出発する。ブランド品模造アトリエを経営するチュンは既婚者だが、夫は10年前ベルヴィル(パリ)に行ったきり連絡がない。言葉を交わすうちに、タイシェンとチュンは惹かれてゆくが、彼女は最後は彼の誘いをかわす。一方、タオは、ロシアから来たダンサーのアンナとの間に友情を築くが、カラオケバーでアンナが娼婦として働いていることを知り、涙を流す。タイシェンの幼馴染のサンライ(王宏偉(ワン・ホンウェイ))が、まだ若いアークーニャンとともに、北京の建設現場に出稼ぎに来るが、アークーニャンは過労と事故が重なり、病院に担ぎ込まれる。病院のベッドに横たわった彼が記すメモには、今まで自分に金を貸してくれた人の名前と金額が書いてあり、それを読んだサンライは慟哭する。アークーニャンの死後、その両親と兄が北京に上京し、補償金を受け取る。タオの後輩ダンサーのウェイ(ジン・ジュエ)は、嫉妬深い恋人のニュウ(蒋中偉(チャン・チョンウェイ))に堪忍袋の緒が切れ、別れを宣言するも、結局は結婚することを決意する。ある日の散歩中、タオはダンサーのヨウヨウ(シャン・ワン)と親会社の重役の不倫現場を目撃。そのあとヨウヨウは新しい団長に抜擢される。タオはタイシェンに自分たちの結婚の話を持ち掛けてみるが、彼は何も答えない。2人の結婚式の日、タイシェンの携帯電話には、フランスに旅立つチュンから「あなたに会えてよかった」とのメールが届く。それを読んだタオは、タイシェンの裏切りを知る。タオは、タイシェンを避け、新婚旅行に出ているウェイの新居のアパートで寝泊まりする。そこへタイシェンが現れるが...。深夜の三河鎮で、一酸化炭素中毒で1組の男女が倒れるという騒ぎが起きる。近隣住民によって中庭に運びだされたタオとタイシェンの上に、今年の初雪がちらちらと降り始める。暗闇の中、タオとタイシェンの声が響く。「俺たち、死んだのか」「いいえ、これは新しい始まりよ」―。
2004年公開のジャ・ジャンクー監督作。舞台になっているのは、北京に居ながらにして世界を回れる「世界公園」で(1993年開園)、そこには、ピラミッド、エッフェル塔、マンハッタンの摩天楼など、世界の名所旧跡が10分の1に縮小され、再現されています(日本で言えば栃木県の「東武ワールドスクウェア」のようなものか。ただし、東京ドーム約1.6個分の広さの東武ワールドスクウェアに対し、世界公園はその約6倍の面積を有している)。世界を身近に体験できるテーマパークは、改革開放以後の中国の象徴とも言え、ドラマは、その「世界公園」に所属するダンサーのタオと彼女の恋人で公園の守衛主任のタイシェンを中心に、彼らを取り巻く人々の様々なエピソードを交えながら展開していきます。
タオは、タイシェンの裏切りに傷つきますが、外部の世界に憧れ、彼女を閉じ込める世界で傷つきながらも、彼女を待っている人間がいるのは、結局は外部ではなく目の前の世界であることを認識しているようでした。ただし、未遂に終わったものの、無理心中(?)という選択はどうだったのかとは思いました。タオの気質にそぐわない気もするし、ネットのレビューを見ると、やはりラストへの収斂の仕方が気に食わない人もいるようです。個人的にもイマイチでした。
脚本:賈樟柯(ジャ・ジャンクー)●製作:吉田多喜男/市山尚三●撮影:余力為(ユー・リクウァイ)●音楽:林強(リン・チャン)●時間:133分●出演:趙濤(チャオ・タオ)/成泰燊(チェン・タイシェン)/王宏偉(ワン・ホンウェイ)/蒋中偉(チャン・チョンウェイ)/梁景東(リャン・チントン)●日本公開:2005/10●配給:ビターズ・エンド=オフィス北野●最初に観た場所:シネマ ブルースタジオ(25-08-10)(評価:★★★☆) font>

小学校を卒業し終えた冬冬(トントン)(王啓光(ワン・チークァン))は、妹の婷婷(ティンティン)(李淑楨(リー・ジュジェン))と一緒に入院する母(丁乃竺(ティン・ナイチュー))を見舞った後、父(楊徳昌(エドワード・ヤン))が看病に忙しいので、叔父の昌民(陳博正(チェン・ボーチョン))に連れられ、母方の祖父がいる銅羅に夏休みを過ごしに行く。途中の駅で冬冬と妹は叔父と離れ離れになってしまうが、なんとか銅羅駅に到着する。駅前で叔父を待つ間、冬冬は村の子供・阿正國(顔正國(イエン・チョンクオ))らと知り合う。叔父・叔母とは無事会い、医師である厳格な祖父(古軍(グー・ジュン))のいる診療所に辿り着く。村の子供たちと川に泳ぎに行くが、婷婷は男の子ばかりの仲間には入れてもらえず、怒って近くに脱ぎ捨ててあった彼らの服を川に流してしまう。少年たちは裸で家に帰る羽目になったが、裸のまま飼牛を追った阿正國が行方不明になる。冬冬らが木登りしていると、風変わりな女、寒子(ハンズ)(楊麗音(ヤン・リーイン))に出会う。昆虫採集に出掛けた時に昼寝の男を襲う強盗二人組を目撃してしまう。ある日、昌民は恋人の碧雲(林秀玲(リン・シウリン))が妊娠したことで祖父に叱られ、家を飛び出す。男の子たちから仲間はずれにされた婷婷は列車に轢かれそうになったところを寒子に助けられ、彼女を慕うようになる。寒子は雀捕りの男に孕まされ、村人は彼女が子供を生むことに反対するが、彼女の父親は生ませたがった。ひっそりと結婚した昌民と碧雲の住まいを訪れた冬冬はそこで以前の強盗事件の犯人に会う。通報によって犯人を匿った昌民が警察に捕まる。祭の日、入院中の母の容態が悪いと知らせが入る。祖父は祖母(梅芳(メイ・ファン))と母のいる台北に行こうとするが、そんな時、寒子は婷婷が拾った小鳥を巣に戻そうとして、木から落ち意識を失う。台北行きを取り止め看病に当たる祖父。翌日、寒子は意識を取り戻す。母の容態も良くなったとの知らせも入ってくる。祖父は勘当していた昌民を許す。台北から迎えに来た父と一緒に、冬冬は阿正國らに、婷婷は寒子に別れを告げて村を出て行く―。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の1984年作で、1984年・第6回「
祖母を演じた梅芳(メイ・ファン)は侯孝賢作品の常連で、「
「冬冬(トントン)の夏休み」●原題:(英題:A SUMMER AT GRANDPA`S)●制作年:1984 年●制作国:台湾●監督・脚本:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)●製作:張華坤(ジャン・ホアクン)●撮影:陳坤厚(チェン・クンホウ)●原作・脚本:朱天文(チュー・ティエンウェン)●時間:98分●出演:王啓光(ワン・チークァン)/李淑楨(リー・ジュジェン)/古軍(グー・ジュン)/梅芳(メイ・ファン)/陳博正(チェン・ボーチョン)/林秀玲(リン・シウリン)/楊麗音(ヤン・リーイン)/顔正國(イエン・チョンクオ)/丁乃竺(ティン・ナイチュー)/楊徳昌(エドワード・ヤン)●日本公開:1990/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:新宿武蔵野館(25-08-19)(評価:★★★★) font>


1973年、ベトナム戦争からテキサス州サンアントニオへ帰還した空軍将校レーン少佐(ウィリアム・ディヴェイン)と部下のジョニー伍長(トミー・リー・ジョーンズ)は、地元で英雄として大歓迎される。しかしハノイでの7年間の捕虜生活での凄惨な拷問により、レーンの精神は傷ついていた。町の歓迎式典はレーンの功労を労い、「捕虜生活を1日1枚ずつ換算した高額な銀貨」と「州の誇りを象徴したベル」、「キャデラック」が贈呈されたが、周囲の歓迎と裏腹にレーンの表情は醒めていた。その様子をベルを手渡したリンダ(リンダ・ヘインズ)だけが気づく。レーン戻った家庭は変わっていた。妻ジャネット(リサ・リチャーズ)は夫の出兵中の寂しさから州警官クリフ(ローラソン・ドリスコル)と親しい
関係を築いてしまい、赤ん坊だった愛息のマークも成長しクリフへ懐いている。レーンにはどうする事もできず、家族やクリフにはレーンの心中を理解できない。クリフはジャネットとの関係も含めてレーンと新たな関係を築こうとするが、レーンは妻の事には無頓着な様で、唯一、息子を「チビ」と呼ぶなとクリフに告げる。数日後、レーン家に強盗が入る。強盗一味は歓迎式典での銀貨贈呈をTVで観たメキシコ人の徒党だった。彼らはレーンを脅し痛めつけるが、レーンは頑なに口を開かない。終にはディスポーザーでレーンの右手を破砕したところへ妻子が帰宅、マークは躊躇なく銀貨を渡すが、強盗たちは母子を射殺し、レーンをも撃って逃走。一命を取り留め病院で療養するレーンは、失った片腕に義手を取り付ける。息子を亡くした失意を静かな怒りへ変えた彼は、金属製の爪が装着された義手を巧みに操れるようリバビリを重ねる、銃弾を拾い装填できるようになると退院する。レーンに惹かれるリンダは病院に見舞いに行き、彼と接し始める。警察に強盗の詳細を話さずにいたレーンは、一味の会話から凡その居所を察し、リンダを連れてメキシコへと向かう。レーンの動向に気付いたクリフは警察の捜査網を使ってレーンに先回りしようとするが、強盗たちに返り討ちに遭う。強盗一味を探す道中で、リンダはレーンの孤独に共感し、共に生きたいと望む。しかしレーンはリンダをモーテルに残し、エルパソで暮らすかつての盟友ジョニー伍長の許へ向かう。そして、強盗一味の潜伏先を特定する。帰郷した町に居場所の無さを感じていたジョニーは、レーンと共に強盗一味を殲滅すべく、直ちに銃器を用意する。軍服に身を包んだ二人はキャデラックに乗り込み、強盗一味の根城である売春宿へ向かう―。
ジョン・フリン監督の1977年公開作。「新宿ハードコア傑作選」(2025年7月18日~9月4日/シネマート新宿)で同年8月15日からリバイバル上映されました。個人的には日本公開の翌年の'79(昭和54)年2月に池袋文芸坐にて最初に観ました。その時の併映が
マーティン・スコセッシ監督の「
ポール・シュレイダーは「タクシードライバー」の前に、シドニー・ポラック監督、ロバート・ミッチャム・高倉健W主演の「
し、阿鼻叫喚のなか、一味を射殺していく様や、頭数の多さに手こずり、二人とも被弾するもひるまずに応戦し、最後には一味を殲滅するのも、ヤクザ映画の殴り込みと同じパターン。二人共深手を負ったものの、お互いを支えながら戦場のようになった血まみれの売春宿を後にするのは、「ザ・ヤクザ」と同じパターンでしょうか(「昭和残侠伝」シリーズの場合、池部良は生還できないパターンが殆どだが)。
昔観たときは、バイオレンスがやや空回りしている印象も受けましたが、今観ると、強盗に襲われたレーンが片手を台所のディスポーザー(昔観た時は何だかわからなかった)に入れられても頑なに口を開かないのは、拷問のPTSDで耐えることが"習い"になってしまっているためなのだなあと。捕虜生活での拷問体験がフラッシュバックしていることから窺え、その前の戦地で受けた拷問をクリフに話し、憑かれたように再現してみせる振る舞いも、その伏線になっていました。
それと、主人公のレーン少佐を演じたウィリアム・ディヴェインも良かったですが、レーンの盟友ジョニー伍長をトミー・リー・ジョーンズが演じていたのは、改めて映画館で観るまで気づきませんでした。80年代はテレビ出演が主で、映画は出演しても脇役だったようです。でも、こういう役、合っています。再鑑賞の収穫でした。
「
「ローリング・サンダー」●原題:ROLLING THUNDER●制作年:1977 年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・フリン●製作:ノーマン・T・ハーマン●脚本:ポール・シュレイダー/ヘイウッド・グールド●撮影: ジョーダン・クローネンウェス●音楽:バリー・デ・ヴォーゾン●原
案:ポール・シュレイダー●時間:95分●出演:ウィリアム・ディヴェイン/トミー・リー・ジョーンズ/リンダ・ヘインズ/ジェームズ・ベスト/リサ・リチャーズ/ローラソン・ドリスコル/ダブニー・コールマン/ジェームズ・ヴィクター/キャシー・イェーツ/ルーク・アスキュー●日本公開:1978/05●配給:松竹・富士映画●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-02-11)●2回目:新宿武蔵野館(25-08-19)(評価:★★★★)●併映(1回目):「タクシードライバー」(マーティン・スコセッシ) font>


戦争で夫を失った45歳のジャンヌ(デルフィーヌ・セイリグ)は、ブリュッセルのアパートで16歳の息子と暮らし、日常の行動を規則正しく管理している優秀な主婦。息子が学校へ行っている間に部屋の掃除や料理を完璧に こなし、さらにその合間に客を取って自宅で売春を行っていた。だが、そんな空虚なルーティーンを繰り返しているうちに、少しずつ綻びが生じていく。そしてある日、ジャンヌは自分でも思いもよらぬ反日常的な行動に走る―。
1975年、ベルギー出身の映画監督シャンタル・アケルマン(1950-2015/65歳没、死因はうつ病による自殺だっとと報道されている)が25歳で発表し、世界中に衝撃を与えた傑作とのこと。子育ての合間に売春を行う主婦の日常(と言いうより、売春を日常とする主婦)を、アパート内の固定カメラによる長回しで延々と映し、少しずつ生じていく心の歪みを淡々と描いています。英国映画協会が世界各国の研究者・批評家からの回答をもとに10年ごとに集計している「オールタイムベスト100選」では、2022年末に初ランクインで第1位に選出。2位のA・ヒッチコック監督「めまい」、3位のO・ウェルズ監督「市民ケーン」、4位の小津安二郎監督「東京物語」という錚々たる名作を抑えての第1位で、発表後じわじわとカルト的な人気を博し、現在では史上最高の映画の一つとされているとのことです(「東京物語」が第1位となった英BBC「最も偉大な外国語映画100本(2018年)」では14位にランクインしていた)。
アケルマンの狙いは、当時の世界で女性の大半が人生の多くの時間を割いている「家事」というものの核心が、単純作業の退屈さとその果てしない反復にあるにもかかわらず、従来の映画撮影手法では、それらがすべて編集でカット・圧縮されてしまい女性の世界を適切に表現していない、という事態を転覆させることにあったそうです。そのため、フェミニズム映画の金字塔などとも称されているようですが、主人公が時間をかけて家事をして買い物をし、或いは子どもが起きる前に靴を磨いたりしますが、これらの家庭内の女性の仕事は、アンペイドワーク、シャドウワークであり、彼女は生活のために客をとるのであって、家事と売春はもともと主婦&女性の仕事であり、女性はそれ以外に経済力はなく、女性が性的にも窮屈にも今なお抑圧されているということのようです(社会学的観点からの作品として面白い)。
永遠に続くと思われた日常の歯車は徐々に狂い始め、取り返しのつかない事態を自らの手で引き起こしてしまいますが、その契機は何だったのか。彼女が日常から逸脱しておかしくなっていくのは2日目の客を取った後からですが、その変化の理由を監督は、主人公がオルガスムを知ったからだと述べているとのことです。ただし、他にもルーティンを狂わせる変化の予兆は幾つかあり、息子青年との就寝前の会話で、母親が売春をしていることを知っている息子から、「好きでもない相手とよく寝ることができるね」といった言葉を吐かれたことを、心理的要因として指摘する人もいます。
「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」●原題:JEANNE DIELMAN, 23, QUAI DU COMMERCE, 1080 BRUXELLES●制作年:1975年●制作国:ベルギー/フランス●監督・脚本:シャンタル・アケルマン●撮影:バベット・マンゴルト●時間:201分●出演:デルフィーヌ・セイリグ/ジャン・ドゥコルト/アンリ・ストルク/ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ●日本公開:1996/12/2022/04(4Kレストア版)●配給:シネカノン/ビターズ・エンド(4Kレストア版)●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(7F)(25-05-05)(評価:★★★★☆)

50歳の誕生日を迎えた元人気女優のエリザベス(デミ・ムーア)は、容姿の衰えによって仕事が減っていくことを気に病み、若さと美しさと完璧な自分が得られるという、「サブスタンス」という違法薬品に手を出すことに。薬品を注射するやいなやエリザベスの背が破け、「スー」(マーガレット・クアリー)という若い自分が現れる。若さと美貌に加え、これまでのエリザベスの経験を持つスーは、いわばエリザベスの上位互換とも言える存在で、たちまちスターダムを駆け上がっていく。エリザベスとスーには、「1週間ごとに入れ替わらなければならない」という絶対的なルールがあったが、スーが次第にルールを破りはじめ―。
フランスの女性映画監督コラリー・ファルジャの2024年作のSFホラー映画。2024年・第77回「カンヌ国際映画祭」で絶賛されたとのことで、第75回「アカデミー賞」では作品賞のほか計5部門にノミネートされ、メイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞。エリザベス役を怪演したデミ・ムーアはキャリア初となる「ゴールデングローブ賞の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)」にノミネート&受賞を果たし、アカデミー賞でも主演女優賞にノミネートされました。45年近いキャリアを持つ彼女ですが、オスカーの候補者として演技が評価されたのはこれが初めてで、演技者として一皮むけたということかもしれません。
確かに、途中まではデミ・ムーアの演技が悪くなく、また、身体を張って演技している印象でしたが(62歳で50歳のインストラクター役を演じているが、肉体年齢はさらに若そう)、「ボディホラー映画」の触れ込みに沿って本領を発揮するはずだった終盤は、メイクはデヴィッド・リンチ監督の「
('80年/英)のマネであるし、ラストで首が這っていくのもジョン・カーペンター監督の「
ただし、デミ・ムーアが「女優として新たな復活を果たした」との世評は、先にも述べたように、分からなくもないという感じでしょうか。「ゴースト/ニューヨークの幻」('90年/米)のヒットで有名になって、「ゴールデングローブ賞」の主演女優賞(ミュージカル/コメディ部門)」にもノミネートされましたが、あれから34年経ったのかと思うと感慨深いです。ぞの間、不名誉なゴールデンラズベリー賞を4回も受賞していますが、バリー・レヴィンソン監督の「
「ゴースト/ニューヨークの幻」は、レンタルビデオが普及し始めた'91年にビデオで観ましたが、いんちき霊媒師オダ・メイを演じたウーピー・ゴールドバークの快演(怪演)の方が印象に残ったでしょうか。デビ・ムーアと共演のパトリック・スウェイジ(1952-2009)は、57歳で膵臓癌で亡くなってしまいました。デミ・ムーアの当時の夫は、同時期公開の「
デミ・ムーア
「サブスタンス」●原題:THE SUBSTANCE●制作年:2024年●制作国:フランス/イギリス/アメリカ●監督・脚本:コラリー・ファルジャ●製作:コラリー・ファルジャ/ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー●撮影:ベンジャミン・クラカン●音楽:ラファティ●時間:142分●出演:デミ・ムーア/マーガレット・クアリー/デニス・クエイド/エドワード・ハミルトン=クラーク/ゴア・エイブラムス/オスカー・ルサージュ/クリスチャン・エリクソン/ロビン・グリア/トム・モートン/ウーゴ・ディエゴ・ガルシア/ヤン・ビーン●日本公開:2025/05●配給:ギャガ●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(25-05-29)(評価:★★★)
「ゴースト/ニューヨークの幻」●原題:GHOST●制作年:1990年●制作国:アメリカ●監督:ジェリー・ザッカー●製作:リサ・ウィンスタイン●脚本:ブルース・ジョエル・ルービン●撮影:アダム・グリーンバーグ●音楽:モーリス・ジャール●時間:128分●出演:パトリック・スウェイジ/デミ・ムーア/ウーピー・ゴールドバーグ/トニー・ゴールドウィン/リック・アビレス/ヴィンセント・スキャヴェリ/フィル・リーズ/アンジェリカ・エストラーダ/アルメリア・マックィーン/ゲイル・ボグス/スティーヴン・ルート/ローラ・ドレイク●日本公開:1990/09●配給:パラマウント映画=UIP(評価:★★★)
「ディスクロージャー」●原題:DISCLOSURE●制作年:1994年●制作国:アメリカ●監督:バリー・レヴィンソン●製作:バリー・レヴィンソン/マイケル・クライトン●脚本:ポール・アタナシオ●撮影:アンソニー・ピアース=ロバーツ●音楽:エンニオ・モリコーネ●原作:マイケル・クライトン●時間:128分●出演:マイケル・ダグラス/デミ・ムーア/ドナルド・サザーランド/キャロライン・グッドオール/デニス・ミラー/ロマ・マフィア>ニコラス・サドラー/ローズマリー・フォーサイス/ディラン・ベイカー/ジャクリーン・キム/ドナル・ローグ/アラン・リッチ/ スージー・プラクソン●日本公開:1995/02●配給:ワーナー・ブラザース (評価★★★)
売れっ子作家のイングリッド(ジュリアン・ムーア)は、かつて若い頃に同じ雑誌社で働き疎遠になっていた、親友で元戦場ジャーナリストのマーサ(ティルダ・スウィントン)が末期ガンを患っている
ことを聞く。彼女はマーサと久しぶりに再会し、会っていない年月を埋めるように病室で語らう日々を過ごす。治療を拒み自らの意志で安楽死を望むマーサは、人
の気配を感じながら最期を迎えたいと願い、"その日"が来る時に隣の部屋にいてほしいとイングリッドに頼む。悩んだ末に彼女に寄り添うことを決めたイングリッドは、マーサが借りた森の中の小さな家で暮らし始める。そして、マーサは「ドアを開けて寝るけれど もしドアが閉まっていたら私はもうこの世にはいない」と言い、最期を迎える彼女との短くかけがえのない日々が始まるのだった―。
「神経衰弱ぎりぎりの女たち」('87年/スペイン)、「オール・アバウト・マイ・マザー」('99年/スペイン)など、独特な映画をずっと発表してきた ペドロ・アルモドバル監督の2024年公開の監督初の英語長編映画作品で、ジュリアン・ムーア(世界三大映画祭のすべての女優賞を受賞した女優で、「ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)」「アカデミー主演女優賞」の受賞歴もある)とティルダ・スウィントン(こちらも、「ヴェネツィア国際映画祭 女優賞」と「アカデミー助演女優賞」の受賞歴がある)が主演し、2024年・第81回「ヴェネツィア国際映画祭」の「金獅子賞」を受賞しました。
原作『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』は、ニューヨーク生まれで、母親はドイツから、父親はパナマからの中国系移民という作家シーグリッド・ヌーネスが2020年に発表したもので、原題は"What Are You Going Through"(あなたはどんな思いをしているの)。映画が金獅子賞を受賞し、日本で映画公開されることになったのに合わせて訳出されたようです。
ただし、原作及び映画における"主観"はあくまで看取る側である、映画ではジュリアン・ムーアが演じるイングリッドにあり、死を選ぶことを選んだマーサに寄り添うイングリッドの側の苦しさに焦点を置いているとも言えます。そう言えば、「週刊文春」の「シネマチャート」で、翻訳家の芝山幹郎氏や映画評論家の森直人氏が5つ星評価だったのに対し、作家の斎藤綾子氏が「友に欲望を押し付ける重病人の厚かましさに辟易」したとして星2つ評価でしたが、その気持ちも分からなくもないです(翻訳解説によると、原作者シーグリッド・ヌーネス自身もインタビューで「友人には不遜なユーモアが感じられる」と言っており(確信犯?)、「お前の冒険心はどこにいった?」と軽口をたたいたり、「できるだけ楽しい時間にするね」と約束したりする場面がある)。でも、個人的には、死に逝く人のエゴっていうのも分かる気がして、敢えて美化せずにそれを描いているのが、この原作並びに映画の良さではないかと思います。
ただし、緊張感こそありましたが、映画そのものは暗い感じはせず(原作もけっして暗くはないが、それは登場人たちのインテリジェンスによるところが大きいかも)、死への覚悟を決めているマーサにも、その部屋にも、どこかにはっとする鮮やかさがあり、そこに引き付けられます(つまり映画ではインテリジェンスの部分をデザインに置き換えているとも言え、全体として視覚的に美しく撮っている。ただし、マーサが分厚い本を手にして残された時間が無いことを嘆くなど、インテリとしての苦悩も描いている)。森の中の小さな家で死んでいくというのも、〈自然に還る〉ような感覚で良いです(最後、マーサは一人で死んで逝くことで、イングリッドにある種の優しさを見せたか)。
「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」●原題:THE ROOM NEXT DOOR/LA HABITACION DE AL LADO●制作年:2024年●制作国:スペイン/アメリカ●監督・脚本:ペドロ・アルモドバル●製作:アグスティン・アルモドバル/エステル・ガルシア●撮影:エドゥアルド・グラウ●音楽:アルベルト・イグレシアス●時間:107分●出演:ティルダ・スウィントン/ジュリアン・ムーア/ジョン・タトゥーロ/アレッサンドロ・ニヴォラ/ラウール・アレバロ/ファン・ディエゴ・ボト/エスター・マクレガー●日本公開:2025/01●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(9F)(25-02-18)(評価:★★★★☆)



かなり昔にビデオで観たのを、新文芸坐で2Kレストア版で再鑑賞。内容をほとんど忘れていたということもあって、新鮮な気持ちで愉しめました。小津安二郎の没後20周年を記念して、小津安二郎を敬愛するヴィム・ヴェンダースが、小津やそのスタッフと作品に捧げたオマージュ映像であり、同時に旅日記作品となっています(ソフィア・コッポラ監督の「
パチンコ店やゴルフ練習場、食品サンプル工場など"
現代"日本をある意味象徴するような場所を巡り、興味深いと思いながらも(かなりひとつひとつを丹念に撮っている)、当初の目的に照らすと、そうした場所を訪ねれば訪ねるほど失望を深めたのではないかと思われます(「東京物語」が撮影されたのは1953年だから、そこからだと30年経っていることになる。無理もないか)。
さらにラストの方では小津組のカメラマン厚田雄春を訪ね、小津映画における撮影手法を
映画の後半の方では、出来たばかりの東京ディズニーランドに行こうと思ったけれど、日本に来てわざわざアメリカのコピーを観にいくこともないと引き返したところ、都内でもアメリカ人になりたがっている若者たちがいたと。それが「竹の子族」で(これもかなり丹念に撮っている)、そっか、あの頃なのかと。崔洋一(1949-2022)監督の「
谷中霊園でスーツ姿で花見をする人たち、ホテルで観るテレビに流れる日本の番組やコマーシャル、工事中の有楽町マリオン(1984年完成)、(朝方?の)歌舞伎町のゴールデン街(今、ここ外国人が結構多いが、ヴェンダースもここで朝まで呑んだ?)、路地裏で三角ベースボールに興じる半ズボンの子どもたち―と懐かしい映像が流れ、そっか、小津安二郎の没後20年と言っても、そこから更に、その倍以上の年月がまた流れたのだなあと。

今の時代に改めて観ると、この映画自体が一時代の東京を表すレトロスペクティブとなっていて(今登るならば東京タワーではなくスカイツリーだろう)、そこから来る懐かしさや伝わってくる当時の活気が快く、それがこの映画を愉しめた大きな要因だったかもしれません。
「東京画」●制作年:1985年●製作国:アメリカ・西ドイツ●監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース●製作:クリス・ジーヴァニッヒ●撮影:エド・ラッハマン●音楽:ローリー・ペッチガンド●時間:93分●出演:ヴィム・ヴェンダース(ナレーション)/笠智衆/ヴェルナー・ヘルツォーク/厚田雄春●公開:1989/06●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):池袋・新文芸坐(25-02-13)(評価:★★★★)

夜のマルホランド・ドライブ道路で自動車事故が起こる。事故現場から一人生き延びた黒髪の女性(ローラ・ハリング)は、助けを求めにハリウッドまで辿り着く。女性が偶然潜り込んだ家は、有名な女優の家だった。女優の姪である女優志望のベティ(ナオミ・ワッツ)に見つかった黒髪の女性は、部屋に貼られていた女優リタ・ヘイワースのポスターを見て、反射的に「リタ」と名乗った。彼女はベティに自分が事故で記憶喪失になっていると打ち明ける。リタのバッグには大金と青い鍵。ベティはリタの失った記憶を取り戻すことに協力する―。
デイヴィッド・リンチ監督による2001年の映画で、もともとは「
デイヴィッド・リンチ監督は本作品により「ハリウッドのダークサイドを描きたい」と述べており、この映画は同じくハリウッドを舞台にした1950年の映画「
ただし、作品の雰囲気は「ツイン・ピークス」や同じくデイヴィッド・リンチ監督の「ブルーベルベット」('86年/米)などに近く、「ツイン・ピークス」の小人役のマイケル・J・アンダーソンをはじめ、他のリンチ監督作に出ていた俳優も出てました。一方で、"タップの女王"と呼ばれた「踊る大紐育」('49年/米)のマドンナ、アン・ミラーが、夢と現実世界の二役(役名はともにココ)で出ていたりもします(そう言えば、リー・グラント(「
よく、「マルホランド・ドライブ」と「ブルーベルベット」('86年/米)とどちらが傑作か、或いはどちらを先に観るべきかといった議論がありますが、個人的には'89年に「ブルーベルベット」をレンタルビデオで観てしまいました。田舎町
の裏側に潜むグロテスクかつミステリアスな人間たち(久
々に映画界メジャー復帰のデニス・ホッパーが演じるサディストの麻薬密売人はとりわけ異常な雰囲気)の織り成す人間模様は、「ツイン・ピクース」につながるデイヴィッド・リンチ監督ならではの世界でしたが、TVドラマ版「ツイン・ピクース」を観ると、「ブルーベルベット」は「ツイン・ピクース」への助走だったような気もします(その間にカイル・マクラクランの演技が熟成した)。一方、「マルホランド・ドライブ」はきらびやか夢の街ハリウッドが舞台ですが、一見すると思いやりがあってまともに見える人間の行為の裏に深い闇が隠れているというテーマ乃至モチーフは共通します。また、描き方として、夢(理想)と現実を曖昧に混在させている点は同じですが、「マルホランド・ドライブ」は、主人公が現実の悲劇的な状況を理想化された夢の物語に投影するという心理的な境界線の上にドラマの大部分が成り立っていて、そのことを観客に予め知らしめないことで観客まで意図的に混沌に巻き込んでおり(推理小説風に言えば"叙述トリック"とでも言うか)、その意味では「ブルーベルベット」からまた進化を遂げているとも言えるように思いました(主人公の夢を追体験するという点では、先に挙げた「エターナル・サンシ

「マルホランド・ドライブ」●原題:MULHOLLAND DRIVE/MULHOLLAND DR.●制作年:2001年●制作国:アメリカ・フランス●監督・脚本:デイヴィッド・リンチ●製作:ニール・エデルスタイン/ジョイス・エライアソン/トニー・クランツ/マイケル・ポレール/アラン・サルド/メアリー・スウィーニー●撮影:ピーター・デミング●音楽:アンジェロ・バダラメンティ●時間:145分●出演:ナオミ・ワッツ/ローラ・ハリング/ジャスティン・セロー/アン・ミラー/ダン・ヘダヤ/ジェームズ・カレン/ャド・エヴェレット/リチャード・グリーン/ブレント・ブリスコー/ロバート・フォスター/マイケル・J・アンダーソン/リー・グラント●日本公開:2002/02●配給:コムストック●最初に観た場所:新宿ピカデリー(24-10-03)(評価:★★★★)

「ブルーベルベット」●原題:BLUE VELVET●制作年:1986年●制作国:アメリカ●監督・脚本:デイヴィッド・リンチ●製作:フレッド・カルーソ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:アンジェロ・バダラメンティ●時間:121分●出演:カイル・マクラクラン/イザベラ・ロッセリーニ/デニス・ホッパー/ローラ・ダーン/ジョージ・ディッカーソン/ディーン・ストックウェル/ホープ・ラング●日本公開:1987/05●配給:松竹富士クラシック(評価:★★★★)




ジョーン・バエズ
ジャニス・ジョプリン「
ドイツ人のベストセラー作家サンドラ(サンドラ・ヒュラー)は自宅で学生からインタビューを受けていた。屋根裏部屋のリフォームをしていた夫のサミュエル(サミュエル・タイス)が大音量で音楽をかけ始める。サンドラは取材を中断し、また別の機会を、と学生を帰らせる。サミュエルが生まれ育ったフランスの人里離れた雪山に佇む山荘で、サンドラは、教師の仕事をしながら作家を目指す夫サミュエル、11歳の息子ダニエル、愛犬スヌープの家族3人と1匹で暮らしている。事件が発覚したのは、ダニエルがスヌープの散歩から戻った時。山荘前の雪上で頭から血を流し横たわる父親がいたのだ。ダニエルの叫び声を聞いたサンドラが駆けつけると、すでにサミュエルの息は止まっていた。検視の結果、死因は事故または第三者の殴打による頭部の外
傷だと報告される。事故か自殺か他殺か―殺人ならば、状況から容疑者はサンドラしかいない。サンドラはかつて交流があった弁護士のヴァンサン(スワン・アルロー)に連絡を取り、山荘にやって来たヴァンサンは、「サミュエルは窓から落下して物置の屋根に頭部をぶつけた」と申し立てることに決める。さらに窓枠の位置の高さから、事故ではなく「自殺」だと主張するしかないと説明する。サンドラは「息子の目の前で自殺するはずがない」と異を唱えるが、半年ほど前、夫が嘔吐した際、吐瀉物に白い錠剤が混じっていたことを思い出す。捜査が進み、検察はサンドラを起訴する決断を下す。ヴァンサンは起訴理由を聞いて驚き、サンドラに「なぜ僕に黙っていたのか」と詰め寄る。サミュエルの死の前日、夫婦が激しく口論し殴り合う音声が、サミュエルのUSBメモリに残されていたのだ。法廷で夫婦喧嘩の録音が再生される。サミュエルはサンドラを「お前のせいで自分には執筆する時間がない」「自分の小説の構想を奪われた」「ダニエルが事故で失明しセックスレスになった時、お前は他の女性と不倫していた」「話し合いにも応じてくれない」と批判する。サンドラは「執筆時間は家事の合間にも作れる」「小説のアイデアをもらうことも不倫もあなたの了承済だった」「書けないことを私のせいにしないで」と激しく反論、激高して壁に物を投げつけ、サミュエルを殴打したのだった。裁判が始まると証人や検事から次々と夫婦の秘密や嘘が暴露される。審理は混沌を極め、真相が見えない中、一度は証言を終えた息子のダニエルが「もう一度証言したい」と申し出る―。
ジュスティーヌ・トリエ監督の2023年作で、第76回「カンヌ国際映画祭」で「パルム・ドール」と「パルム・ドッグ賞」(視覚障害を持つ少年の愛犬「スヌープ」役のボーダーコリーのメッシは"好演"だった)を受賞した作品(主演のザンドラ・ヒュラーは、自らが主演のジョナサン・グレイザー監督の「関心領域」('23年)が同映画祭同年の「グランプリ」を受賞したため、同一映画祭における上位2つの賞を受賞した作品に主演したことになる)。そのほかに、「ナショナル・ボード・オブ・レビュー外国語映画賞」「ゴールデングローブ賞外国語映画賞(最優秀非英語映画賞)」なども受賞しています(「アカデミー国際映画賞」は「関心領域」が獲った)。
スリラー映画とかいう触れ込みでしたが、サンドラの視点で描かれているので、観ている側には(叙述トリックでもない限り)サンドラは殺人を犯してはいないだろうという前提で観ることになるのでは。そうした意味では純粋ミステリではないですが、ではどうして夫サミュエルは死んだのかという、別のミステリ的な「謎」が残り、一方で、サンドラの立場は舌鋒鋭い検事(アントワーヌ・レナルツ)に追い込まれ、周囲から見れば嫌疑が深まることになり、これはこれでミステリ的謎で引っ張るドラマで、ミステリと言うより「法廷劇」でした(そう言えば2024年のアカデミー作品賞の「
同じ作家同士である夫婦間の溝が明らかになっていく様はリアルでした。監督・脚本のジュスティーヌ・トリエと共同脚本のアルチュール・アラリはパートナー同士の関係で、アルチュール・アラリにも、ルバング島での旧日本軍少尉・小野田寛郎の孤独な戦いを描いた「ONODA 一万夜を越えて」('21年)など監督作があり、このあたりは、夫婦が作家同士である映画に重なります(映画では夫婦間で創作活動を巡って関係が険悪になったことが窺えるが、こうした話を書くことができるということは、ジュスティーヌ・トリエとアルチュール・アラリのパートナー関係は良好なのではないか)。
ザンドラ・ヒュラーが演じる主人公の名がサンドラ("サ"は濁らない)、サミュエル・タイスが演じる夫の名がサミュエル。ザンドラ・ヒュラーは作中でフランス語を話したいと考えたが、ジュスティーヌ・トリエ監督はその考えを却下し、「彼女が英語を話し、フランス語を話そうと挑戦しているドイツ人であるという事実が、多くの仮面を作り出し、問題を曖昧にし、彼女が何者なのかさらなる混乱を生み出す」と語ったそうです。撮影現場でザンドラ・ヒュラーは、自分の役が有罪なのか無罪なのかを繰り返し尋ねたがトリエ監督は答えなかったそうで、なるほど、そうしたことも演出面で、「謎」で引っ張ることの効果に繋がっていたのかもしれません。ザンドラ・ヒュラー自身は演じていて不安になったのではとも思ったりしますが、彼女はこの演技で2度目の「ヨーロッパ映画賞女優賞」受賞を果たし、「アカデミー賞主演女優賞」と「ゴールデングローブ賞主演女優賞」にノミネートされています。「アカデミー賞主演女優賞」は「
物語的には、主人公がぼろぼろになりながらも、最後はハッピーエンドだったのではないでしょうか。弁護士も有能でしたが、息子の証言が決定的でした。賢い子だったなあ。父親が、犬のスヌープのことではなく自分(父親自身)のことを言っていたのだと気づくというのは、父親の自殺願望を察したとも言えるわけで、11歳にしては相当に大人びた洞察ではないでしょうか。フランスは「陪審制」ではなく裁判官も加わる「参審制」の国ですが(ドイツ、イタリアなどもそう)、裁判員だけでなく裁判官もあの証言で(子どもの証言であるにかかわらず)一気に確信を得たのでしょうね。
そう言えば、ダイアン・クルーガーが「カンヌ映画祭女優賞」を受賞したファティ・アキン監督の「
高校生の時に観てラストシーンに衝撃を受け(友人に「観ろ」と言われて観たので、事前に何も知らないで観たかもしれない)、観た後ずっとトラウマになっていたのを、最近約半世紀ぶりに観直しましたが、改めて「法廷劇」であったことに思い当たりました(淀川長治が「結末から始まる映画」というようなことを言っていた記憶があるが、言い得ている。トラウマ克復も含め、観直した意義があった)。この「落下の解剖学」の検事を見ていて、被告を最初から犯人と決めてかかるところは、「死刑台のメロディ」に出てくる検事と同じだなあと思いました。ただし、「死刑台のメロディ」の場合は、裁判官も含め、あたかも裁判所ごと被告らを犯人と決めつけており、その中で弁護士が孤軍奮闘するも被告らを救えなかった...。
「死刑台のメロディ」の音楽はエンニオ・モリコーネで、ラストで流れるジョーン・バエズ歌唱のテーマ「勝利への讃歌(Here's To You)」が印象に残ります(邦題も、不条理な死刑という結末に向かう状況を、ジョーン・バエズの歌声が「死刑台のメロディ」として切なく表現していることに由来する)。ジョーン・バエズは、マイケル・ウォドレー監督のコンサート・フェスティバル記録映画「ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間」('70年/米)でも歌っていた、"Joe Hill"や"Swing Low Sweet Chariot"も有名であり、さらには「勝利を我らに(We shall overcome)」という公民権運動の象徴となった有名曲もありますが、この「勝利への讃歌」もいい曲です。
ジョーン・バエズ
サッコとバンゼッティは死刑になり、その場所(マサチューセッツ州ボストン郊外の刑務所)は「死の館」と呼ばれ、アメリカ史の恥辱の象徴となっているのに、なぜ「勝利への讃歌」なのか。それは、ヴァンゼッティが獄中で、ジャーナリストのインタビューに答えた次の言葉があるとのことです。やや長くなりますが引用しておきます。
因みに、ウッドストック・フェスティバル は、1969年8月15日(金)から17日(日)までの3日間にフォーク&ロックの有名アーティスト達と約40万人の若者を集めて行われた大コンサートで、ジミ・ヘンドリックス、サンタナ、ザ・フー、ジョー・コッカー、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、ジョーン・バエズ、ジャニス・ジョプリンなど30組以上のロック・フォークアーティストが演奏を繰り広げ、コンサート期間中に死者3人、負傷者5000人、出産2人を記録したそうです。映画「ウッドス
トック 愛と平和と音楽の三日間」はその記録映画で、とりわけ、このコンサートの翌年の1970年の9月18日に27歳で謎の死(薬物死?)を遂げたジミ・ヘンドリックスの最高のステージの映像としても知られていますが、短期間だが彼と恋愛関係にあったと報道されたジャニス・ジョプリンも印象的でした。日曜深夜(実質17日)のステージに登場し、圧倒的なソウルフルな歌声で「Work Me, Lord」を歌いました(実際には遅延と疲労の中、「Summertime」や「Ball And Chain」なども含め1時間ほど熱唱し、約40万人の観客を魅了したという)。まさにキャリアのハイライトでしたが、彼女もジミ・ヘンドリックスと同じく1970年の10月4日に、これまた27歳で亡くなっています(ヘロイン摂取が致死量を超えたことが死因であるとされている)。酒と麻薬に溺れながらも歌いつづけたジャニス・ジョプリンをモデルとして描いたマーク・ライ
デル監督の「ローズ」('79年/米)では、主人公のメアリー・ローズ・フォスター(架空の女性シンガーだが、ほぼジャニス・ジョプリンの人生をなぞっている)を演じたベット・ミドラーが、麻薬と酒でボロボロになって死んだロッ
クの女王ジャニスになりきって熱演、歌唱力もすごく、歌手かと思いましたが実はコメディ映画の出身、ただしシリアスもこなせる女優であり、女優としては3度のエミー賞、4度のゴールデングローブ賞、2度のトニー賞を受賞、歌手としても3度のグラミー賞を受賞していて、歌った主題歌の「ローズ」は、現在までに数多くの歌手がカバーし、スタンダード・ナンバーになっています(ジャニス・ジョプリンの伝記ドキュメンタリーはハワード・オーク監督の「ジャニス」('74年/米)があるが、近年ではエイミー・バーグ監督のドキュメンタリー映画「リトル・ガール・ブルー」('15年/米)が最も決定的な伝記作品とされる)。「
「落下の解剖学」●原題:ANATOMIE D'UNE CHUTE(英:ANATOMY OF A FALL)●制作年:2023年●制作国:フランス●監督:ジュスティーヌ・トリエ●製作:マリー=アンジュ・ルシアーニ/ダヴィド・ティオン●脚本:ジュスティーヌ・トリエ/アルチュール・アラリ●撮影:シモン・ボーフィス●時間:152分●出演:ザンドラ・ヒュラー/スワン・アルロー/ミロ・マシャド・グラネール/アントワーヌ・レナルツ/サミュエル・タイス/ジェニー・ベス/サーディア・ベンタイブ/カミーユ・ラザフォード/アン・ロトジェ/ソフィ・フィリエール/メッシ(犬)●日本公開:2024/02●配給:ギャガ●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-09-19)(評価:★★★★)
「死刑台のメロディ」●原題:SACCO E VANZETTI(英:SACCO AND VANZETT)●制作年:1971年●制作国:イタリア・フランス●監督:ジュリアーノ・モンタルド●脚本:ジュリアーノ・モンタルド/ファブリッツィオ・オノフリ●撮影:シルヴァーノ・イッポリティ●音楽:エンニオ・モリコーネ●時間:133分●出演:ジャン・マリア・ヴォロンテ/リカルド・クッチョーラ/シリル・キューザック/ミロ・オーシャ/ジェフリー・キーン/ウィリアム・プリンス/ロザンナ・フラテッロ●日本公開:1972/05●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所(再見):新宿武蔵野館(24-05-21)(評価:★★★★)
「ウッドストック 愛と平和と音楽の三日間」●原題:WOODSTOCK●制作年:1970年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・ウォドレー●製作:ボブ・モーリス●撮影:マイケル・ウォドレー/デヴィッド・マイヤーズ/リチャード・ピアース/ドン・レンザー●時間:184分/225分(ディレクターズ・カット版)●出演:ジミ・ヘンドリックス/サンタナ/ザ・フー/ジョー・コッカー/クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング/ジョーン・バエズ/ジャニス・ジョプリン●日本公開:1970/07●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:飯田橋・ギンレイホール(78-01-16)(評価:★★★★)●併映:「
「
「ローズ」●原題:THE ROSE●制作年:1979年●制作国:アメリカ●監督:マーク・ライデル●製作:マーヴィン・ワース/アーロン・ルッソ●脚本:ビル・カービイ/ボー・ゴールドマン●撮影:ヴィルモス・スィグモンド●音楽:ポール・A・ロスチャイルド●時間:135分●出演:ベット・ミドラー/アラン・ベイツ/フレデリック・フォレスト/ハリー・ディーン・スタントン/バリー・プリマス/デヴィッド・キース/サンドラ・マッケイブ/ウィル・ヘアー/ルディ・ボンド/ドン・カルファ/ジェームズ・キーン/ドリス・ロバーツ●日本公開:1980/11●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:吉祥寺・テアトル吉祥寺(81-04-19)(評価:★★★★)●併映:「ヘアー」(ミロシュ・フォアマン)
第二次世界大戦下、アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。これに参加した J・ロバート・オッペンハイマー(キリアン・マーフィー)は優秀な科学者たちを率いて世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。しかし原爆が実戦で投下されると、その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、オッペンハイマーは飲まれていく―。
「
日本の原爆開発を背景に時代に翻弄された若者たちの姿を描いた作品「太陽の子」のテレビ版('20年/NHK)・映画版('21年/イオンエンターテイメント)を撮った黒崎博監督は、「批判的な意見もあるが、知らないよりは知るべきだ」としています。原爆開発における、ナチに先んじるという大義名分がナチの降伏で消えたにもかかわらず、開発を止められなかった、そこを避けずに描いていることを評価していました(「日本が降伏しないから」との説明も入れているが、"広島"で思い知らしめ、"長崎"で諦めさせる―という発想であったことも作品の中で示されている)。
因みに、NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」の「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」('24年2月19日放送)は、原爆を開発した天才科学者オッペンハイマーの葛藤、水爆開発への反対、そして赤狩りによる公職追放という激動の人生を描いた回であり、映画「オッペンハイマー」への理解を深めることができるドキュメンタリーでした。この番組と映画を観て、映画についてやや不満に思ったのは、先にも述べたように映画の後半はほぼ政治劇なのですが、オッペンハイマーが当局の尋問を受けるのは、妻が共産主義者であり、また、彼が水爆開発に協力しな
いということだけが原因のように見えてしまうことです。それもありますが、聴聞会でスパイ容疑をかけられたのは、オッペンハイマーの下、原子爆弾の研究・開発に最年少の18歳で参加した(18歳でハーバード大学を卒業した)天才物理学者テッド・ホールのように、マンハッタン計画で米国の原子爆弾開発に貢献しながら、その傍らスパイとして核情報をソ連へ流出させていた人物が実際に複数いたためであり、そうした背景があまり説明的には描かれていなかったような気がしました(ただ、セオドア・ホール
に関しては、1951年にFBIによる尋問を受けているが、その時は証拠不十分で告発されることはなかったため、原爆開発計画に関する情報のほとんどはクラウス・フックスやローゼンバーグ夫妻によって流出したと考えられてきた)。
因みに、オッペンハイマーに関しては、映画化に合わせて刊行されたこの映画の原作である評伝『オッペンハイマー(上・中・下)』(カイ・バード&マーティン・J・シャーウィン、河邉俊彦訳、山崎詩郎監訳、ハヤカワ文庫)があり(2006年ピュリッツァー賞受賞作品『オッペンハ
イマーー「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇(上・下)』('07年/PHPP研究所)の文庫化)、監訳者の山崎詩郎氏は、NHK・Eテレの「すイエんサー」や「天才てれびくん」などでもお馴染みの気鋭の若手物理学者です。


女優カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)と脚本家ポール・ジャヴァル(ミシェル・ピッコリ)は夫婦である。夜、二人のアパルトマンの寝室での会話は無意味だが、夫婦らしいものでもあった。翌朝、ポールは米国から来た映画プロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。ジェレミーはフリッツ・ラング(本人)が現在撮影中の映画「オデュッセイア」があまりにも難解だとし、脚本のリライトをポールに発注してきた。昼になって、カミーユが現れ、夫妻はジェレミーに自宅に誘われた。自宅でジェレミーは、カミーユをカプリ島でのロケ撮影に来ないかと言う。それは夫が決めること、とカミーユは答える。アパルトマンに帰った後のポールとカミーユは、なぜかしっくりこない。夜、ふたりは別々の部屋で寝ることになる。ジェレミーから再び、カミーユへのロケのオファーの電話があった。ポールはポールで、本人次第だと答えてしまう。電話の後で激したカミーユは、ポールを軽蔑すると言い放つ。ジェレミーの誘いで映画館に行った後、カミーユはオファーを承諾した。カプリ島。ここにはジェレミーの別荘がある。撮影現場でラング監督とはやはりうまくいかないジェレミーは、カミーユに別荘へ戻ろうと言う。カミーユはポールを一瞥するが、ポールは、カミーユがジェレミーと別荘に帰ることを軽く承諾した。ポールは、それよりも、ラング監督との映画「オデュッセイア」の問題について議論を続けたいのだ。遅れて別荘に着いたポールは、
カミーユに、あの日ポールに言い放った「軽蔑」という言葉の真意を問いただす。答えは無かった。翌朝、ポールにカミーユからの手紙が届き、ジェレミーとローマへ発つと書かれていた。同じ頃、ハイウェイで派手な衝突事故が起きていた。大型車にぶつかり大破したスポーツカーには、ジェレミーとカミーユの血まみれの死体があった―。
1963年公開のゴダールの長篇劇映画第6作です。イタリアの作家アルベルト・モラヴィアの同名小説を原作に、当時、2年前に結婚したばかりの妻アンナ・カリーナとの愛の問題に苦悩したゴダールが、自己を投影し、愛の不可能性を描いたとされている作品です。60周年を記念した4Kレストア版が、2023年カンヌ国際映画祭のクラシック部門で上映されました。個人的には、ずっと昔に『
からっとしたカプリ島の太陽の下で、じめっとした愛憎劇が繰り広げられるこの対比は、やはり映像化された作品を実際に観て初めて分かるように思いました。室内シーンも少なからずありますが、こちらもポップアート調でカラフルな「デザイナーズマンション」のような別荘だったりします(デザイナーズマンションの先駆とも言われるカプリ島にある「マラパルテ邸」を使用)。こうしたことも含め、重苦しいテーマの中にも、ゴダールのセンスや遊び心さえも感じられる作品です。
ブリジット・バルドー演じるカミーユがミシェル・ピッコリ演じる夫ポールに軽蔑の気持ちを抱いた決定的瞬間の1つはやはり、米国から来た映画プロデューサーが自分のアメ車に彼女を乗せる
のを、「じゃあ先に帰っていてくれ」とでも言わんばかりに制止する様子が無かった時だろうなあ。脚本のリライトのことで頭がいっぱいだったのは分かるけれど、女性には男性に毅然とした態度をとって欲しいという気持ちがあるのだろうなあ。なぜ、カミーユが夫を軽蔑するようになったのか分からないという人がいるけれど、個人的には、ゴダール作品の中ではかなり分かりやすい部類ではないかと思います(先にシナリオを読んでいたせいもあるかもしれないが)。昔観た「
その米国から来た映画プロデューサーを演じているのは、あの「
それに呼応するように、ドイツのサイレント映画の巨匠で、戦後アメリカのB級映画作家となったフリッツ・ラングが本人役で出演し、ただし、愛の問題にも映画産業の問題にも的確な言説を吐いています。アメリカ人プロデューサーとの撮影が頓挫するフリッツ・ラングは、現実世界では1920年代には「
夫婦が不仲になるという設定と古代ギリシャ時代の彫刻のコピーの石膏像が作品に頻繁に出てくるのは、作中にそれを上映している映画館が出てくるロベルト・ロッセリーニの「イタリア旅行」('54年/伊・仏)へのオマージュであるとのこと(ロッセリーニもこの時、当時の妻イングリット・バーグマンの不仲に悩んでいた)。ただし「イタリア旅行」の夫婦はラストで劇的に和解するのですが、本作は和解はナシ。それどころか、最後にカミーユとジェレミーが事故死するのは(ロッセリーニはこの結末に不満だったらしい)、ポールの怨念から来る"念力"の結果? と言うことで、最後、役の上では死んじゃうけれど、ブリジッド・バルドーを最も美しく撮っている映画の1つです。


「軽蔑」●原題:LE MEPRIS(英:CONTEMPT)●制作年:1963年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール●製作:ジョルジュ・ドゥ・ボールガー/カルロ・ポンティ/ジョーゼフ・E・レヴィーン●撮影:ラウール・クタール●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:アルベルト・モラヴィア●時間:102分●出演:ブリジット・バルドー/ミシェル・ピコリ/ジャック・パランス/ジョルジア・モル/フリッツ・ラング/ジャン=リュック・ゴダール/ラウール・クタール/リンダ・ベラス●日本公開:1964/11●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-08-13)(評価:★★★★) font>
1日目〈出逢い〉。陽気に騒ぐアメリカの水兵で賑う港町ナント。全てにうんざりしたローラン(マルク・ミシェル)は自由を求めて旅に出たいと思っていた。水兵フランキー(アラン・スコット)は仲間と共にキャバレー「エル・ドラド」に繰り出す。目当ては踊り子のローラだ。ローランは書店でデノワイエ夫人(エリナ・ラブールデット)と娘のセシ
ル(アニー・デュペルー)と知り合い、娘と同じ名の幼馴染みのことを思い出す。ローランは紹介された仕事先でローラことセシル(アヌーク・
エーメ)と短かい再会をする。彼はそこでヨハネスブルグに行く仕事を引き受けた。デノワイエ夫人はローランの訪問を喜んでいたが、ローラとの約束が迫っているローランは慌しく辞去する。翌日のセシルの誕生日にまた来ると言い残して。ローランとローラは久し振りに2人だけの時を過ごす。彼女は14歳の初恋を語り始めた。祭で出逢
ったアメリカの水兵ミシェル。一目惚れ。数年後の再会。そして、息子イヴォンを宿したこと。妊娠を知り姿を消した彼。7年経っても彼を待つ彼女。ローランは夜が明けるまで独りで歩き続けた。 2日目〈14歳初恋〉。ローランはローラを愛している自分を知る。フランキーと一緒にいる彼女を見つけ後をつける。ローランはカフェでローラに愛を打ち明ける。優しく微笑むローラだったが、彼女が愛しているのはミシェルだけだった。ローランはフランキーのことでローラを責め、2人は喧嘩別れする。明日シェルブールへ旅立つフランキーはローラに別れを告げに来る。帰り道、フランキーは少女セシ
ルに出逢い、祭りで賑う街で2人は短く楽しい時間を過ごす。夕刻、ローランはセシルの誕生祝いに訪れる。彼もまた明日旅立たねばならない。 3日目〈旅立ち〉。ローランは雇い主が密売で逮捕されたことを知る。そして、そこに現れたローラと和解し、2人は別れる。ローランはデノワイエ夫人から、セシルが実父の住むシェルブールへ家出したことを聞かされる。夫人も娘の後を追い旅立った。待てど来ぬ恋人を諦めたローラ
は、「エル・ドラド」の踊り子たちに別れを告げていた。そこへ、キャデラックに乗ったミシェルが現れる。熱い抱擁を交す2人。走る車の中からローラが目にしたのは、港に急ぐローランの姿だった―。
話はフランス西部の港町ナントが舞台で、初恋の男性を待ち続ける踊り子ローラを中心に繰り広げられる恋愛物語です。かつて出逢った一人の男、ミシェルの帰りを7年待ち続けている踊り子ローラが、ある日幼なじみのローランと10年ぶりに再会するという話ですが、視点としては、ローランが主人公で、ローラに偶然再会して恋に落ちるという流れで、最後にローランにとってはほろ苦いと言うか、やや残酷とも言える結末が待っていました、
ローラを演じるアヌーク・エーメの魅力が全開で、港町ナントの光と影の映像とミシェル・ルグランの美しい旋律の音楽にマッチしていたように思います(当初は音楽が無く、ジャック・ドゥミが音楽家を探してレコード店に入ると、ミシェル・ルグランのレコードを勧められたという)。ジャック・ドゥミは、この作品と「シェルブールの雨傘」の間にジャンヌ・モロー主演の「
助けた運転手のアンリ・フォルタン(ジャン=ピエール・ベルモンド)が状況証拠から伯爵殺害の嫌疑を受け、有罪になる。フォルタンの妻カトリーヌ(クレマンティーヌ・セラリエ)と幼い息子アンリはノルマンディーの海岸にある居酒屋でなんとか職を得る。彼女は吝嗇で残酷な主人ギヨーム(ルフュ)にこき使われながら夫の再審のため懸命に金を稼ぎ、ギヨームの手引きで売春までするが、アンリは脱獄に失敗して命を落とす。彼女は夫の後を追って自殺し、息子のアンリだけが遺される。1918年、成長したアンリはボクシングのチャンピオンになり、養父ギヨーム
から独立した。彼はその後1931年までチャンピオンの地位を守り、引退してトラック運送屋になった。同じ1931年、バレリーナのエリーズ(アレサンドラ・マルティネス)は弁護士の卵アンドレ・ジマン(ミシェル・ブジューナー)と結婚した。1939年、第2次世界大戦でパリはドイツの占領下になり、ユダヤ人のジマン夫妻はノルマンディーに引っ越す。その運送屋がアンリ・フォルタン(ベ
ルモンド=二役)だった。ノルマンディーも安全でないと知った夫妻は、アンリにスイス国境まで運んでくれるよう頼む。道中、非識字者のアンリはセーヌ川の古本屋(ダリー・カウル)から買った『レ・ミゼラブル』を読んでくれるようアンドレに頼む。力持ちの彼は、まるでジャン・ヴァルジャンだとよく人に言われていたのだ。前
科者ジャン・ヴァルジャン(ベルモンド=三役)が田舎の司教(ジャン・マレー)の慈愛に触れて人間らしさを取り戻す物語を聞いたこの日から、アンリ・フォルタンは小説のヴァルジャンのように、自分でなく人間愛のため
に生きていくことを決意する。アンリはジマンの娘サロメ(サロメ・ルルーシュ)をカトリックの寄宿学校に預ける。修道院長(ミシュリーヌ・プレール)は、サロメがユダヤ人と見抜きつつも彼女を庇護する。アンリのお蔭で国境にたどり着いたジマン夫妻だが、逃がし屋が独軍に通じており、亡命ユダヤ人たちは虐殺される。アンドレは重傷を負うが、近所の農家の夫婦もの(アニー・ジラルド、フィリップ・レオタール)に匿われる。一方捕虜になったエリーズは、独軍の慰安婦になることを拒否し、ドイツの強制収容所へ。アンリはペタン派の刑事(フィリップ・コルサン)に捕らえられ拷問に遭うが、同じ房にいた強盗団(ティッキー・オルガドほか)に助けられ脱走。強盗団はゲシュタポから情報を得て、空襲警報中の邸宅に盗みに入るのが仕事。アンリは助けられた義理から嫌々ながら手を貸す。そこへ連合軍上陸作戦の噂が入り、一同は早速レジスタンスに鞍替えする。ノルマンディーにあるギヨームの居酒屋は、今では息子(ルフュ=三役)が経営しているが、その海岸こそ連合軍の上陸地点だった。一同が居酒屋に着いた翌朝に作戦が始まり、アンリは居酒屋の裏手にあるトーチカを爆破して英雄になる。やがてパリも解放され、仲間と別れたアンリは、ギヨームの店で働いていた青年マリウスと共に、パリ郊外にリゾート風のレストランを買う。ジマン夫妻は未だ行方不明で、アンリがサロメを引き取る。実はアンドレはまだ地下に籠もったままだった。匿ってくれた夫婦の妻の方が彼に恋し、嫉妬しながらも妻から離れられない夫が、ドイツ軍の勝利という
嘘を吹き込んで彼を引き止めていたのだ。アンリは福祉などに力を尽くして地域の尊敬を集め、市長から自分の後任にと頼まれる。強制収容所で生き残ったエリーズ・ジマンが戻り、サロメと親子の再会を果たす。だがそこへアンリの昔の仲間が匿ってくれと言って現れ、彼らを追ってかつてアンリを拷問した元ペタン派の刑事もやって来る。アンリは血に飢えた昔の仲間が許せず、最後には逮捕に協力すらするが、逮捕される。刑事はアンリを裁判にかければ自分の対独協力も白日のもとに晒されると悟り、いったんはアンリを殺そうとするが、アンリの善良さに自らを恥じて自殺する。しかしアンリは刑事殺しの濡れ衣まで着せられそうになる。そのころスイス国境の山中ではアンドレ・ジマンを匿っていた夫婦がついに殺し合い、アンドレは初めて戦争が終わっていたことを知る。アンリの留守中にその店を支えるエリーズと、それにサロメと再会したアンドレは、一家の大恩人アンリの弁護を引き受ける。無罪を勝ち取って数年後、市長になったアンリは、美しく成長したサロメとマリウスの結婚式を執り行うのだった―。
1995年公開のクロード・ルルーシュの製作・監督・脚本作で、主演は「あの愛をふたたび」「ライオンと呼ばれた男」以来ルルーシュと3度目のタッグとなったジャン=ポール・ベルモンド。ヴィクトル・ユーゴーの原作を大幅にアレンジし、その物語にソックリの人生を送る男が主人公で、20世紀の激動の時代を舞台に描いた大河ロマン(第2次大戦前後に時代設定され、ドイツ軍のユダヤ人狩りにかなりの時間が割かれている。因みにクロード・ルルーシュはユダヤ人である)。1996年・第17回「ロンドン映画批評家協会賞 外国語映画賞」、同年・第53回「ゴールデングローブ賞 外国語映画賞」受賞作。
本邦では1997年にVHS版とレーザーディスク版が「レ・ミゼラブル 輝く光の中で」というタイトルでリリースされて以来ソフト化されておらず、ずっと観る機会がありませんでした。それが、昨年['24年]、ベルモンド主演作をリマスター版で上映する「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選グランドフィナーレ(第4弾)」('24年6月28日~東京・新宿武蔵野館ほか)にて28年ぶりに劇場公開され、本作としての初日それを観ましたが、期待に違わず楽しめた3時間が短く感じられる作品で、2日目にまた観にいきました(その2日目が、仏文学者・翻訳家の野崎歓氏のトーク・イベント付きだった)。


◎ クロード・ルルーシュ 監督、ジャン=ポール・ベルモンド主演 「レ・ミゼラブル」 ('95年/仏・伊)(175分) ★★★★☆


フランソワ・メルラン(ジャン・ポール・ベルモンド)は、007ばりのスパイ・シリーズで人気の冒険小説作家だ。毎月、編集者のシャロン(ヴィットリオ・カプリオーリ)に新しいスパイものを提出し、目下メキシコを舞台にしてスパイ小説を執筆中。彼はアパートの窓越しに見染めた クリスティーヌ(ジャクリーン・ビセット)をヒロインとし、スーパーマンである秘密諜報員ボブ・セント・クレア(ベルモンド二役)がヒーローになって大
活躍する白日夢に浸ってしまう。夢の中での事件の発端はメキシコの港町で、米国諜報員が殺されたことから始まる。この事件究明のため、中近東にい たボブがアカプルコに派遣され、メキシコ諜報部の連絡員タチアナ(ジャクリーン・ビセット二役)と連絡をとる。アカプルコではボブとタチアナの命を狙うカルポフ(カプリオーリ二役)一味のために次々に危険が降りかかるが、ボブの大活躍によって何とか脱出する。カルポフはボブに一大仕掛けで挑戦してくる。それは海岸沿いのハイウェイに鏡の巨大な壁を築き、ドライ ブ中のボブを錯覚させようというものだ。ボブはハンドルを切りそこねて鏡の壁に大衝突。絶壁から海へと投げ飛ばされる。しかし 彼は...。そこでフランソワはヒーローを殺すわけにはいかないと我に返る。やがて、クリスチィーヌがフランソワの部屋にやって来るようになる。彼女は女子大生で社会心理学を専攻しているのだが、フランソワの小説を偶然読んだことから、なぜ彼の創造したスーパーマンが大衆に受ける のかを分析し、論文を書こうとしていた。そのクリスチィーヌが、編集者のシャロンと付き合い出したことを知って、フランソワは気が気でない。いっ そのことボブをアンチ・ヒーローにしやらどうなるか―。最後の仕上げを急ぐフランソワは、ボブを徹底してズッコケ三枚目にしてタチアナとのラブ・アフェ アを面白おかしく書き出した。フランソワはやっと書き上げた原稿を、窓からシャロンに投げつけた。そしてクリスチィーヌを抱きしめ、やっと自分のものにした―。
1973年のフィリップ・ド・ブロカ監督作で、「
「おかしなおかしな大冒険」●原題:LE MAGNIFIQUE●制作年:1973年●制作国:フランス/イタリア●監督・脚本:フィリップ・ド・ブロカ●製作:アレクサンドル・ムヌーシュキン/ジョルジュ・ダンシジェール●撮影:ルネ・マテラン●音楽:クロード・ボリング●時間:94分●出演:ジャン・ポール・ベルモンド/ジャクリーン・ビセット/ヴィットリオ・カプリオーリ/レイモン・ジェローム/ハンス・メイヤー/モニーク・タルベ/マリオ・ダヴィッド/ブルーノ・ガルサン/ジャン・ルフェーブルン●日本公開:1974/06●配給:エデン●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-07-02)((評価:★★★☆)

アイルランドの刑務所で生まれたマリー(ブリジット・バルドー)は、アナーキストの父のもとで幼い頃からテロ活動を続けてきた。中米での作戦中に父を亡くし、ひとりで逃亡生活を始めた彼女は、ある旅芸人一座に遭遇。一座の花形である歌手マリア(ジャンヌ・モロー)は、同じ名を持つコンビの相方を亡くしたばかりだった。一座はマリーをスペイン語式に「マリア」と呼んでペアを復活させ、2人はたちまち人気者となる。悪政に耐えかねた民衆の不満が高まるなか、一座は偶然にも革命軍を率いるフローレス(ジョージ・ハミルトン)と出会うが、やがてフローレスは銃弾に倒れてしまう。2人のマリアはフローレスの遺志を継ぎ、壮絶な戦いに身を投じていく―。
1965年公開の、ルイ・マル監督がブリジット・バルドーとジャンヌ・モローを主演とし、革命に揺れる20世紀初頭の中米を舞台に、同じマリアという名を持つ2人の女性の活躍をアクション映画や西部劇のパロディ満載で活写したコメディ。ルイ・マル監督による冒険活劇コメディというのが意外ですが、「
ブリジット・バルドー演じるマリーは元々はIRAの戦士みたいですが、ひょんなことから旅芸人の一座に加わり、ジャンヌ・モロー演じる踊り子マリアと共に、ストリッパーとして2人で客を沸かせるという流れは、当時31歳のブリジット・バルドーを迎え撃つ当時37歳ジャンヌ・モローという感じもしなくはないですが、16週間もの長く厳しい撮影期間を通して2人の間には戦友意識が生まれ、この作品で生涯の盟友となったそうです。
元々は戦いなどに興味のなかったジャンヌ・モローの演じるマリアが恋に落ち、いつの間にか立派な闘争集団のドンになる流れと、そこに手を貸す元バリバリの反体制派テロリストのブリジット・バルドー演じるマリア(元マリー)。女性の力が男性を凌駕するものとして描かれている作品であり(タイトルそのものが女性讃歌)、ルイ・マルらしいと言うよりジャンヌ・モローらしいと言えるかもしれません。ジャンヌ・モローはこの作品で「英国アカデミー賞海外女優賞」を受賞し、ブリジット・バルドーもノミネートされました。
も半端じゃないね。どうしてもルイ・マル監督作というイメージが湧かない(笑)。
「ビバ!マリア」●原題:VIVA MARIA!●制作年:1965年●制作国:フランス・イタリア●監督:ルイ・マル●製作:オスカル・ダンシヘルス●脚本:ルイ・マル/オスカル・ダンシヘルス●撮影:アンリ・ドカエ●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●時間:122分●出演:ジャンヌ・モロー/ブリジット・バルドー/ジョージ・ハミルトン/クラウディオ・ブルック/カルロス・ロペス・モクテズマ/ポーレット・デュボスト●日本公開:1966/04●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-10-01)(評価:★★★☆)
ヘルシンキの百貨店で夜間警備員を務める冴えない男コイスティネン(ヤンネ・フーティアイネン)は、魅力的な女性ミルヤ(マリア・ヤルヴェンヘルミ)と出会う。2人はデートをし、コイスティネンは恋に落ちた。人生に光が射したと思った彼は、起業のため銀行の融資を受けようとするが、まったく相手にされなかった。それでも恋している彼は幸せだった。
しかし、実は恋人は彼を騙していた。ミルヤは、宝石強盗を目論むリンドストロン(イルッカ・コイヴラ)の手先だった。まんまと利用されたコイスティネンだったが、惚れたミルヤを庇って服役する。リンドストロンはそこまで読んで、孤独な彼を狙ったの
だ。馴染みのソーセージ売りアイラ(マリア・ヘイスカネン)の彼への思いには気づかぬまま、粛々と刑期を終え社会復帰を目指すコイスティネン。だがある日、リンドストロンと一緒のミルヤと居合わせた彼は、そこで初めて自分が利用されていたに過ぎないことを悟る―。
2006年公開の、アキ・カウリスマキ監督の、「
コイスティネンを演じるヤンネ・フーティアイネンは、アキ・カウリスマキ作品では前作「過去のない男」などに脇役出演し、今回がカウリスマキ作品で初めての主演。恋人のいない寂しい男を演じるにはマルチェロ・マストロヤンニに似ていて男前過ぎる気もしましたが、その分、寂しそうな姿は絵になっていました(職場でも孤立し、男たちは彼のことを蔑んでいるのに、女性たちは同情的であるのはこのイケメンのせい?)。一方、アキ・カウリスマキ作品主役級常連のカティ・オウティネンは、スーパーのレジ係の役でカメオ出演していました。
「街のあかり」●原題:LAITAKAUPUNGIN VALOT(英:LIGHTS IN THE DUSK)●制作年:2006年●制作国:フィンランド・フランス・ドイツ●監督・脚本・製作・撮影:アキ・カウリスマキ●時間:78分●出演:ヤンネ・フーティアイネン/マリア・ヤルヴェンヘルミ/イルッ
カ・コイヴラ/マリア・ヘイスカネン/ヨーナス・タポラ/ペルッティ・スヴェホルム/メルローズ(バンド)/カティ・オウティネン(カメオ出演)/パユ(犬)●日本公開:2007/07●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-05-12)((評価:★★★☆)
フィンランドのヘルシンキに向かう列車の乗客の中にその男(マルック・ペルトラ)はいた。辿り着いた夜の公園で彼は一眠りしていたが、そこに現れた3人組の暴漢に身ぐるみ剥がれた上にバットで執拗に殴打され、半死半生の身で病院に搬送された。一時は死んだと診断された男だったが奇跡的に蘇生した。その後、港の岸辺で再び昏倒していた男を救ったのは、コンテナに住むニーミネン(ユハニ・ニユミラ)一家であった。徐々に回復していった彼であったが、一家の妻カイザ(カイヤ・パリカネン)
に何者か問われたときに、答えられなかった。彼は、頭を殴られたことにより、それまでの記憶、それまでの自分を失ってしまっていたのだ。そんな「過去を失った男」である彼に港町の人々は快く手を貸してくれる。コンテナ一家の主人は金曜日にスープを配給する救世軍の元に男を連れて
行き、「人生は後ろには進まない」と励ます。地元の悪徳警官アンティラ(サカリ・クオスマネン)は彼に空きコンテナを貸し与え、男はその前にじゃがいも畑を作り、拾ったジュークボックスを置いた。職安では身分がないという理由で門前払いされたが、救世軍の事務所で仕事を得ることが出来た。そして、そこに属する下士官の女性イルマ(カティ・オウティネン)と仲を深めながら、男は徐々に人間としての生活を取り戻していく―。
アキ・カウリスマキ監督の2002年公開作。「
コンテナで暮らすような貧しい暮らしをしている人々の方が役人などより、不遇の男に対してよほど親切だったなあ。そんな貧しい人が「ディナーに行く」といっておめかししているので、どんなレストランに行くのかと思ったら...(笑)。救世軍が貧しい人々のスープを配るというのは、現代でも同じなのか。神田神保町に日本本営があるけれど...。それにしても、救世軍の弁護士って年寄りだったけれど有能だったなあ。拘留された男の許にその弁護士を遣わして彼の身柄を救ったのもイルマだったという、この辺りは分かりやすかったです。
この年の「パルム・ドール」はロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」でしたが、優秀な演技を披露した犬に贈られる「
因みに、救世軍の女性を演じて「カンヌ国際映画祭女優賞」を受賞したカティ・オウティネンは「
「過去のない男」●原題:MIES VAILLA MENNEISYYTTA(仏:L'HOMME SANS PASSE、英:THE MAN WITHOUT A PAST)●制作年:2002年●制作国:フィンランド・ドイツ・フランス●監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●音楽:レーヴィ・マデトーヤ●時間:97分●出演:カティ・オウティネン/マルック・ペルトラ/アンニッキ・タハティ/マルコ・ハーヴィスト&ポウタハウカ(救世軍バンド)/ユハニ・ニユミラ/カイヤ・パリカネン/エリナ・サロ/サカリ・クオスマネン/アンネリ・サウリ/オウティ・マエンパー/ペルッティ・スヴェホルム/タハティ(犬のハンニバル)●日本公開:2003/03●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-29)((評価:★★★★)

伝統的スタイルのレストラン"ドゥブロヴニク"で給仕長を務めるイロナ(カティ・オウティネン)は、市電の運転士である夫ラウリ(カリ・ヴァーナネン)とつましく幸せに暮らしていた。しかし不況の影響でラウリは整理解雇、"ドゥブロヴニク"も大手チェーンに買収されイロナたち従業員は失職してしまう。働き盛りを過ぎた中年の夫婦は職探しに苦労する。イロナは場末の安食堂のコック兼給仕の仕事に就くが、税務調査のゴタゴタで給料がうやむやに。妻の給料を食堂経営者に請求しに行ったラウリは
、袋叩きにされ港に放り出される。安宿でしばらく静養したラウリが帰宅すると、家財は差し押さえられており、イロナはラウリの妹のもとに身を寄せていた。イロナの元同僚で"ドゥブロヴニク"のドアマンだったメラルティン(サカリ・クオスマネン)の紹介で仕事にありついたラウリは、彼にレストランの開業を提案される。夫婦は決意して事業計画を立てるが、資金を借してくれる銀行がない。ラウリはクルマを売った金をカジノで増やそうとするが
、全額スッてしまう。途方に暮れるイロナだったが、求職に訪れた美容院で偶然、"ドゥブロヴニク"の元経営者スヨホルム夫人(エリナ・サロ)と再会する。引退して生きがいを失っていた夫人は、イロナの計画を聞いて出資を申し出る。ラウリとメラルティンは、"ドゥブロヴニク"の元シェフでアルコール依存症のラユネン(マルク・ペルトラ)を探し出し、治療施設に送り込んで更生させる。"ドゥブロヴニク"の元従業員たちが揃い、イロナとラウリのレストラン"ワーク"が開店した。ランチタイムになっても客が入らず不安になるが―。
この作品、漫画家の吉野朔美(1950-2016/57歳没)の『こんな映画が、―吉野朔実のシネマガイド』('01年/PARCO)にも取り上げれていましたが、吉野朔美氏は、この監督は「間」を作るのが上手い人で、「......」の部分ばかりで出来上がっていてセリフが極めて少ないのが特徴であると。ナルホド(そう言えば、「孤高のグルメ」の俳優・松重豊がアキ・カウリスマキ監督の作品が大好きだという)。
一方で、元経営者に偶然出会い、彼女が引退して生きがいを失い、金の使い道を持て余していた(いつの間に蓄財した? 店を売却した金か)というのはややご都合主義とみる向きもあるかもしれません。この部分は寓話的と言うか、大人のメルヘンのようにも感じました。監督インタビューによると、結末はハッピーエンドにするしかなかったが、本当は結末をもっと非情なものにしたいと思っていたので、自身でも納得がいかないという気持ちもあったとのことです(これに対し、前作「
ラスㇳ、店を開店しランチタイムになっても客が入らず不安がる夫婦ですが、しばらくすると1人入り2人入り、やがて満員となった上、ディナーの団体予約まで入る―。喜びを噛みしめて店の前で一服し、空を見上げる夫婦の表情がいいです。吉野朔美氏は、「見終わった時、少し上向きな気分になっている気持ちの良い映画です。こうゆうのは作ろうと思ってもなかなかできない」と。何気ない小さなエピソードの積み重ねなのだなあ。吉野朔美はこの監督の上手さをよく見ていたと改めて思いました。偶然も重要だが、その機会を掴める心構え・準備が必要であるということ。『
「浮き雲」●原題:KAUAS PILVET KARKAAVAT(英語:DRIFTING CLOUDS)●制作年:1996年●制作国:フィンランド●監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ●撮影・音楽:ティモ・サルミネン●時間:98分●出演:カティ・オウティネン/カリ・ヴァーナネン/エリナ・サロ/サカリ・クオスマネン/マルク・ペルトラ/マッティ・オンニスマー/ピエタリ(犬)●日本公開:1997/07●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-12-07)(評価:★★★★)
イリス(カティ・オウティネン)は母(エリナ・サロ)と継父(エスコ・ニッカリ)と暮らす冴えない独身女性。マッチ工場に勤めるが、両親は彼女の収入をあてにして働かず、家事までさせる始末。質素な身なりゆえか男性との出会いもなく、味気ない日
々を送るイリス。ある給料日、イリスはショーウィ
ンドーで見かけた派手なドレスを衝動買いする。両親に咎められ返品を命じられるが、かまわずドレスを着てディスコに行くと、アールネ(ヴェサ・ヴィエリッコ)という男に声をかけられる。一流企業に勤める彼の豪華なアパートで一夜を共にする二人。アールネに惚れ、さらなるデートを取り付けようとするイリス。自宅へ招き両親にまで会わせるが、あの夜のことは遊びだったとアールネは告げる。後日、妊娠していたことを
知ったイリスは、一緒に子供を育てるようアールネに手紙を書く。しかし返事は小切手と、中絶を求める短い言葉だけ。放心して町へ彷徨い出たイリスは、クルマに撥ねられ流産する。さらに追い打ちをかけるように、母に心労をかけたと
して継父から勘当される。兄(シル・セッパラ)のアパートに転がり込み、悲嘆に暮れるイリス。やがて意を決した彼女は、薬局で殺鼠剤を購入し、水に溶かして「毒」を作りボトルに入れてハンドバッグにしまう。アールネのアパートを訪ねると女が出てくる。入れ違うように中に入り、「お酒」と言うとアールネが二人分持ってくる。「氷も」と言い、アールネが取りに行っている間、彼のグラスに毒を注ぐ。「お別れに来
たの。もうご心配要らないわ」小切手を返し
イリスは去る。安心したアールネは酒を飲み干す。帰りにイリスがバーに寄りビールを飲みながら本を読んでいると、酔った男がナンパしてくる。イリスは微笑みかけ、彼のグラスに毒を注ぐ。翌日、イリスは実家に行き、母と継父に食事を用意する。ウォッカのボトルに残りの毒を全部入れ、自分は隣の部屋で一服しながら音楽を聴く。両親が死んだのを確認して家を出る。翌日工場で働いていると、二人の刑事がやってくる―。
主演は「パラダイスの夕暮れ」に続いてカティ・オウティネン。ただし、「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」のような主人公たちの先行
きに希望を持たせるような話でもなく、むしろ、主人公のイリスがシリアルキラーみたになってしまうため(4人殺害した?)、後味の悪い作品と言えるかもしれません。こうした救いに無い終わり方をする作品は、カウリスマキ監督作では珍しいと言えます。したがって一般にはウケないかもしれませんが、個人的には、こうしたハッピーエンドではない作品も好きです。
主人公が唯一の理解者であると思われる兄の家に駆け込むと、室内にジュークボックスやビリヤード台がある洒落た感じの佇まいで、彼は意外と器用に生きているのかも(このシル・セッパラ演じる兄のキャラクターは、アキ・カウリスマキの兄ミカ・カウリスマキ監督、シル・セッパラ主演の「ゾンビ・アンド・ザ・ゴースト・トレイン」('91年/フィンランド)という作品に引き継がれているようだ)。家族の中で彼女だけが割食っている感じで、男女格差というのもモチーフとしてあるように思われます。簡単に女を捨てる男、娘に生活の糧をアテにする義父―こうした輩への批判が込められているのは勿論で、その意味では、フェニミズム映画とも言えるかと思います。
「マッチ工場の少女」●原題:TULITIKKUTEHTAAN TYTTO(英: THE MATCH FACTORY GIRL)●制作年:1990年●制作国:フィンランド●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:アキ・カウリスマキ/クラス・オロフソン/カティンカ・ファラーゴ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:69分●出演:カティ・オウティネン/ヴェサ・ヴィエリッコ/エリナ・サロ/エスコ・ニッカリ/シル・セッパラ●日本公開:1991/03●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-11-23)((評価:★★★★)

北国の炭鉱が閉山し失業したカスリネン(トゥロ・パヤラ)。「南へ行け」と父からキャデラックのコンバーチブルを譲り受けた。父は拳銃自殺した。旅の途中二人組の強盗から有り金を全部奪われてしまう。辿り着いた港で日雇い労働者として働き出す。駐車監視員のイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)から違反を見逃してもらったかわりに食事をご馳走した。その夜彼女の家でベッドを共にした。翌朝寝ていると息子のリキ(エートゥ・ヒルカモ)に起こされ「仕事に行かないの?」と尋ねられる。シングルマザーのイルメリはいくつかのバイトを掛け持ちしていた。カスリネンは街に出て仕事を捜すがなかなか見つからない。安く泊まれる「教会宿泊所」を追い出され、やむを得ず父の車を売る。駅でシケモクを拾って火をつけようとしていたら強盗の一人を見つける。追い詰めたらナイフを出してきた。そ
れを奪って床に押さえつけたところで警察が来た。強盗殺人未遂、凶器所持、公務執行妨害でカスリネンに1年11か月の懲役刑が下る。駅には不当逮捕を裏付けるであろう監視カメラがあったのに。イルメリと息子が刑務所に面会に来る。出所したら結婚しようと約束する。イルメリのことで侮辱してきた
看守を殴り懲罰房に入れられる。イルメリとリキから差し入れのケーキが届く。ケーキの中には金鋸が入っていた。それを使い、同室者のミッコネン(マッティ・ペロンパー)と共に脱獄に成功する。売った車を取り戻し、イルメリを迎えに行き結婚式をあげる。カスリネン、ミッコネンは闇の業者に国外逃亡のための偽造パスポートを依頼する。業者から銃と車を借り、銀行強盗をして資金を調達する。ミッコネンが金のことで業者とトラブルになり刺される。それをみたカスリネンは業者二人を撃つ。ミッコネンを埋葬したあと、カスリネン、イルメリ、リキの3人は真夜中の港に停泊する貨物船アリエル号でメキシコをめざす―。
「ハードボイルドロマン」という触れ込みもあり、確かに「脱獄」を描いた箇所もありますが、誰かが言っていたように、ティム・ロビンスの用意周到さも(「
カウリスマキ監督作品の常連マッティ・ペロンパーが演じる、主人公と刑務所で同室の男ミッコネンが良かったです(主人公が監房に入ったとたんに彼がいて、マッティ・ペロンパー、どんな役でもやるなあと(笑))。最初は不愛想で脱獄にも乗り気でなかったように見えましたが、実は同じような思いを秘めていた。共に脱獄した後は、カスリネンとイルメリの結婚式の立会人を務めたりもします。もう一人の立会人がそこらの警備員か何かなのが可笑しいですが(こうしたユーモアがカウリスマキ監督らしい)。
そのミッコネン、最後は、偽造パスポートの闇業者がカネを総獲りしようとしたことに抗って刺されてしまい、貨物船「アリエル号」で逃避行にタ旅立とうとするカスリネンらに対し、(自分の死体を)ごみ捨て場に埋めてくれと言うのがあまりに切な過ぎました。〈自由〉の夢はカスリネンら3人に託したということでしょう。

ニカンデル(マッティ・ペロンパー)はゴミの収集人。相棒と二人、収集車に乗ってゴミを集めて回る。仕事帰りにスーパーで買い物をしていると手首から血が出ていた。レジ係の女性イロナ(カティ・オウティネン)が親切に手当してくれた。ニカンデルは彼女に一目惚れする。年配の同僚(エスコ・ニッカリ)から「俺は独立してのし上がるつもりだ。一緒にやろう。」と誘われ、その気になったが、同僚は仕事中に急死してしまう。ショックを受けたニカンデルはバーで酔って暴れ、留置所に入れられた。そこで出会ったメラルティン(サカリ・クオスマネン)という失業中の男に自分の会社を紹介し、一緒に働くことになる。仕事中に
偶然イロ
ナに再会し、デートに誘う。ビンゴホールに連れて行ったら「わたしたちうまくいかない」と振られてしまう。イロナはスーパーの店長(ペッカ・ライホ)からクビを言い渡される。悔しくて事務所の手提げ金庫を盗んだ。帰り道、ニカンデルを見つけドライブをねだった。二人は郊外のホテルに泊まりゆっ
くり話をした。翌朝、海を見ながら初めてキスをした。イロナがアパートに帰ると刑事が待っていた。彼女が取り調べを受けている間、ニカンデルはこっそりと金庫をスーパーの事務所に戻す。ニカンデルがイロナのアパートに行くとルームメイト(キッリ・ケンゲス)しかいなかった。彼女は荷物を纏めて出て行ったらしい。ニカンデルは車で探し回ったが見つからない。イロナはホテルが満室だったのでベンチで夜を明かし、朝になってニカンデルの部屋のベルを鳴らした。ニカンデルはコーヒーを出した。彼が仕事をしている間、イロナは彼のベッドで眠った。同棲が始まり、イロナは衣料品店で働き出したが、二人の心はすれ違う。夕食後、イロナが「散歩に行きたい」と言うのでニカンデルが「一緒に行こう」と言うと「独りがいいの」
と答える。メラルティン夫婦と一緒に4人で映画を観て、酒を飲もうと約束をしたのにイロナはすっぽかす。寂しく情けない思いをしたニカンデルはヘソをまげ、彼女をアパートから追い出す。レコードを聴いたり、パブで酒を飲んで自分を慰めたが、どうしても彼女に会いたかった。イロナは勤め先の店長(ユッカ=ペッカ・パロ)と高級レストランで食事をしていたが、気分が乗らず「帰るわ。ご馳走さま」と中座し、ニカンデルの部屋へ行き、留守だったが彼のレコードを聴きながら寝入ってしまった。その頃ニカンデルはパブの帰り道、暴漢におそわれてケガをして倒れていた。翌日、搬送された病院にメラルティンが見舞いに来た。やっぱりイロナに会いたい。病院を抜け出して彼女の店に行った。「迎えに来た。新婚旅行に行こう」「いいわね」二人をメラルティンは港まで送った―。
1986年公開の、アキ・カウリスマキ監督の、長編3作目で、「労働者(プロレタリアート)3部作」第1作。今に見られるカウリスマキ映画の独特の作風の雛形が出来上がった作品とされ、さらに、既にそれは完成形と言えるものになっています。また、アキ・カウリスマキ監督作の常連となるマッティ・ペロンパーとカティ・オウティネンの初共演作でもあります(ただし、マッティ・ペロンパーの方は、アキ・カウリスマキ監督と親交のあるジム・ジャームッシュ監督のオムニバス映画「
「パラダイスの夕暮れ」●原題:VARJOJA PARATIISISSA(英: SHADOWS IN PARADAISE)●制作年:1986年●制作国:フィンランド●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミカ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:78分●出演:マッティ・ペロンパー/カティ・オウティネン/サカリ・クオスマネン/エスコ・ニッカリ/キッリ・ケンゲス/ペッカ・ライホ/ユッカ=ペッカ・パロ/ヴァンテ・コルキアコスキ/マリ・ランタシラ/ アキ・カウリスマキ(カメオ出演)●日本公開:2000/04●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-10-10)(評価:★★★☆)


イギリスの片田舎で平穏に暮らすジムとヒルダの夫婦は、二度の世界大戦をくぐり抜け、子どもも育て上げ、いまは老境に差し掛かっている。そんなある日、2人は近く新たな世界大戦が起こり、核爆弾が落ちてくるという知らせを聞く。ジムは政府が配ったパンフレットに従ってシェルターを作り備えるが、ほどなくして凄まじい爆風に襲われる。周囲が瓦礫になった中で生き延びた2人は、政府の教えに従ってシェルターでの生活を始めるが―。
1986年のジェームズ・T・ムラカミ監督作。原作は、「スノーマン」「さむがりやのサンタ」で知られるイギリスの作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズが1982年に発表した、核戦争に際した初老の夫婦ブロッグス夫妻を主人公にした絵本で(原題:When the Wind Blows)、彼らが参考にする政府が発行したパンフレットは、イギリス政府が実際に刊行した手引書 "Protect and Survive" (『防護と生存(英語版)』)の内容を踏まえているとのことです。日本語版は1982年に小林忠夫の訳で篠崎書林から出版され、1998年にはさくまゆみこの訳であすなろ書房から出版されています(小林忠夫はあとがきで、作者は本書を現代のエリートたちへの警告の書として描いたとしている)。
イギリス映画ですが、監督のジェームズ・T・ムラカミは、長崎に住む親戚を原爆で亡くしているという日系アメリカ人。音楽はロジャー・ウォーターズで、主題歌はデビッド・ボウイの英国人コンビ。日本語吹替え版は大島渚が監修し、ジムとヒルダの声を森繁久彌と加藤治子が担当。1987年7月に日本初公開。2008年7月、デジタルリマスター版が公開。2024年8月にも吹き替え版でリバイバル公開されましたが、個人的には字幕版で観ました。
夫婦が孤立の中、マニュアルを参照しながらも、時に無知や思い込みからくる誤った行動をとってしまうことなどから(日光浴をしたり、雨水を飲んだり...)、次第に"被曝死"への道を辿っていく様は恐ろしいものであり、夫婦が最後まで政府の助けが来ることを信じているのも、それが心情的には"救い"であると言うよりは、むしろ見ていて歯がゆくなる思いがします。でも、実際に身近に核爆弾が落ちたら、中途半端な知識なんか役に立たないんだろなあ。政府も何かしてくれるわけでもないし、そもそも何もできないでしょう。
原作の絵本は、そうした会話部分は細かく区切られたコマ漫画になっていて、それがほとんどを占め、それだけ夫婦間で交わされる会話が重要であるということでしょう。ただし、必ずしも読みやすいというものではありません(小林忠夫は「大人が子どもに読んで聞かせる絵本」としている)。それをアニメ映画にすることで、会話と情景描写を同時に味わえるため、誰もが鑑賞しやすくなっており、映画化のメリットは大きいと思いました(原作者レイモンド・ブリッグズが脚本を担当))。
因みに、核戦争が起きたと想定した映画では、この映画と同じ年に公開されたアンドレイ・タルコフスキー監督の「
「風が吹くとき」●原題:WHEN THE WIND BLOWS●制作年:1986年●制作国:イギリス●監督:ジェームズ・T・ムラカミ(日本語吹き替え版監督:


3人の賞金稼ぎが酒場に入った途端に銃撃戦となり、一人の男が店の窓を破って飛び出してきた。そして店内には3人の死体が。悪事を積み重ね2000ドルの賞金が懸かったその男の名前はテュコ<卑劣漢>(イーライ・ウォラック)。不敵な笑みを浮かべた一人の殺し屋の男が荒野の一家を訪れた。殺し屋はある兵士を追っており、その名前が知りたいという。名前を告げた一家の主は、金は倍額出すから依頼を破棄して代わりにその雇い主を殺してくれと頼むが、雇い主からの依頼は反故にできないが、追加で依頼を受ける分には構わないと言う。殺し屋は一家の父子を射殺し、別の雇い主に依頼を遂げたと告げ、雇い主も葬る。その男の名前はエンジェル<悪玉>(リー・ヴァン・クリーフ)。賞金稼ぎの待ち伏せに遭い包囲されるテュコ、とその場に金髪で長身のガンマンが現れ、3人の賞金稼ぎを早撃ちで斃す。金髪の男は賞金首のお尋ね者であるテュコ本人を売って賞金を受け取り、縛り首される寸前の縛り縄を長距離から狙撃で切断してテュコを逃走させては後で賞金を山分けする商売を繰り返していたが、テュコの賞金首の額が上限に達したため、商売に見切りをつけ荒野の真ん中でテュコを置き去りにして去る、その金髪の男の名前はブロンディ<善玉>(クリント・イーストウッド)。野垂れ死に寸前で町に到着したテュコは報復のためブロンディを嬲り殺しにしようとする。その砂漠の道中、死にかけた兵士を乗せた馬車に遭遇、その兵士こそエンジェルが追っている兵士だったが既に致命傷を負い、息も絶え絶えの中ブロンディに大金の在り処を伝えて事切れる。南北戦争の戦場を横目に3人の男達は、裏切り、痛めつけ、時には共闘し、時には互いに出し抜こうとし、隠された20万ドル相当の硬貨の在り処を目指す。大金が眠る墓場に到着した3人は、大金を総取りできる決闘で決着をつけようとする―。
1966年のセルジオ・レオーネ監督作で、「
それが、ラストの三つ巴の決闘で、それまでの「減点」を一気に取り戻した感じがします。ここまで来るとある種「様式美」です。映画撮影用に造られたスペインのサッドヒル(墓地)は、5000基の墓標が円形に配置された巨大オープンセットで、撮影の49年後にこの映画のファンの有志の人たちが、草や土に埋もれたままのサッドヒルを掘り返して2000基を復元し、このプロジェクトは「
個人的には、前2作と質的にやや異なる映画になっているため比べるのは難しいですが、先に述べた通り、後半"挽回"しているので(シリーズの流れに"回帰"しているとも言える)、前2作と同じく★★★★の評価です。リー・ヴァン・クリーフは前作「夕陽のガンマン」の方が好みだったかも(悪そうに見えて実はワケアリ)。「夕陽のガンマン」は、クリント・イーストウッドではなくリー・ヴァン・クリーフの映画でしたが、こっちはイーライ・ウォラックの映画になっているという印象です(3人の内、セリフが圧倒的に多いのがこの人)。
「続・夕陽のガンマン(続・夕陽のガンマン/地獄の決斗)」●原題: Il BUONO, Il BRUTTO, Il CATTIVO(英:THE GOOD, THE BAD AND THE UGLY●制作年:1966年●制作国:イタリア・西ドイツ・スぺイン・アメリカ●監督:セルジオ・レオーネ●製作:アルベルト・グリマルディ●脚本:フリオ・スカルペッリ/セルジオ・レオーネ/ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ●撮影:トニーノ・デリ・コリ●音楽:
●時間:178分(完全版)・162分(国際版)●出演:クリント・イーストウッド/リー・ヴァン・クリーフ/イーライ・ウォラック/マリオ・ブレガ/ルイジ・ピスティッリ/アルド・ジュフレ/アントニオ・カサール/クラウディオ・スカラチリ/サンドロ・スカラチリ/リヴィオ・ロレンゾン/ラダ・ラシモフ●日本公開:1967/12●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所(再見):池袋・新文芸坐(24-10-11)(評価:★★★★)

1988年、ニューヨークのブロンクス。警部補LT(ハーヴェイ・カイテル)は今朝も車中から二人の息子を見送りながら、目覚めのコカインを吸う。今日最初の事件は被害者二名の殺人事件。現場を離れコーヒーを買いに行くと、駐車場泥棒を見かけるが無視。次の事件は薬物売人グループの追跡。LTは売人をアパートの上階に追い詰めるふりをして、別の事件で入手した薬物を与え、自分のために取っておいた薬物を吸う。売人は数日内に薬物を売却し、売上金の一部をLTに渡すことを約束する。その頃、修道女(フランキー・ソーン)が教会で二人の若い不良からレイプされる事件があり、犯人逮捕の賞金は5万ドルとされる。LTは病院で医師の診断を受ける修道女を覗き見るが、彼女は犯人を恨まないとし、事件により神のご加護を受ける機会を得たと語る。翌朝、LTはテレビでメッツvs.ドジャースのリーグチャンピオンシップシリ
ーズで、自分が賭けていたドジャースが負けたのを見てがっくりするが、次の試合で掛金を倍にして取り戻そうとする。メッツは最初三連敗し、彼はドジャースの勝利を確信していのだ。今度の掛金は持ち金以上の3万ドル。彼の薬物使用および飲酒はさらにひどくなり、行動は制御不能に。他の事件現場で薬物を見つけてスーツのポケットに隠す。しかし注意力減退により薬物を路上に落とし、同僚は訝るが、彼は証拠として提出するつもりだったと嘘をつく。彼は掛金をさらに倍の6万ドルにする。ノミ屋は忠告するが、LTはこれまで三連敗したチームが優勝したことはないと言う。彼の犯罪行為は悪化し、親の車でクラブに行こうとした若い女性二人を路肩停車させ、猥褻行為を強要する。メッツが勝ち、彼は掛金をさらに倍にしようするが、ノミ屋はLTが胴元から殺害される恐れがあるとし、12万ドルの掛金は自殺行為だとして拒否、LTは胴元に掛金を告げる。飲酒運転をしながら試合結果を聴
くが、ドジャースが負け、カーラジオを銃で撃つ。やがて、売人から売上金のうち3万ドルを回収する。彼は修道女がレイプされた教会へ行くと、彼女が祭壇の前で跪いて祈っていた。彼は、もし彼女が犯人が誰か知っているのであれば、代わりに彼らを殺すと言うが、彼女はもう忘れたと繰り返し、祭壇の前に跪く、LTを残して去り、、LTは精神的に不安定になる。彼は祭壇の十字架に貼られたキリストを見て涙しながら罵声を浴びせ、最終的に自分の弱さを懺悔して罪の許しを請う。キリストの足元に這っていき、血まみれの足にキスをして顔を上げると、それはキリストではなく聖杯を持った近所の黒人女性だった。彼女は、LTに、夫の質店に二人のレイプ犯が聖杯を質入れしたのだと語る。LTはレイプ犯二人を追跡して発見し、二人を手錠で繋ぐ。彼らに銃口を向けつつ、メッツが歴史的大逆転をし優勝するところをテレビで見ながら三人で次々とコカインを吸う。そして、彼らをバスターミナルに連れて行き、二度とニューヨークに戻ってくるなと語り、3万ドルが入ったシガーボックスを持たせてバスに乗せる。二人をバスで逃がした後、泣きながら車を走らせ、道路で止まると、別の車が横づけし「おい、警官」と声を掛け、雑踏の中に銃声が二発響く。LTの車の周りに人が群がっていく―。
アメリカ・インディーズ映画界の鬼才と言われるアベル・フェラーラの1992年公開作で、ニューヨークを舞台に、暴力と弱さのあいだで葛藤する人間と都市の暗部を描いた人間ドラマです。1992年のカンヌ国際映画祭で上映されるも、ショッキングな描写や内容から賛否を呼んだそうです。2024年に本邦でリバイバル上映されました。
「ルーテナント(Lieutenant)」=「副官」「補佐官」はここでは警部補の意味であり、「バッド・ルーテナント」は悪徳刑事ということですが、そえを絵に描いたような堕落した主人公LTを、「
一方のゾーイ・ルンドは、ミュージシャン、モデル、女優、作家、脚本家、政治活動家、プロデューサーと多彩な活動をしながらも、1999年にパリで麻薬中毒による心不全で37歳で死去しています。この映画でハーベイ・カイテルがラリっているシーンが強烈な印象を残すのは、脚本家にそうしたバックグラウンドがあったからというのもあるかもしれません。

1800年代半ば、主人公エイダ(ホリー・ハンター)は娘フローラ(アンナ・パキン)とピアノを伴い、スコットランドから未開の地ニュージーランドへ旅立った。現地では彼女の結婚相手スチュアート(サム・ニール)が迎えたが、彼は重いピアノを自宅へ運ぶことを拒み、ピアノを浜辺に置き去りにした。話すことができないエイダにとって、ピアノはかけがえのないものであり、エイダは娘を連れて何度も浜辺にピアノを弾きに訪れた。その姿とピアノに惹きつけられ
たベインズ(ハーヴェイ・カイテル)はピアノをスチュアートから自分の土地と交換して手に入れる。エイダに「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束す
る。初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾く。2人の秘密のレッスンを知ったスチュアートはエイダにベインズと会うことを禁じる。彼女は鍵盤にメッセージを書き、フローラにベインズへ届けるように託すが、情事を覗き見していたフローラは、スチュアートに鍵盤を渡して密告。スチュアートは逆上し、エイダの人指し指を切り落とす。だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取り、ベインズに2人で島を去るがいいと言う―。

1993年に公開されたジェーン・カンピオン監督作で(原題:The Piano)、ジェーン・カンピオン監督のオリジナル脚本であり、ノベライズ版が新潮文庫にもあります(ノーベル文学賞作家のアリス・マンローに「ピアノ・レッスン」という短編があるが(原題:Dance of the Happy Shades(幸せな木陰たちのダンス?))、あれはまったくの別作品)。「ピアノ・レッスン」は個人的には90年代のレンタルビデオ全盛期にビデオで観て、ああ、これ劇場で観てもよかったかなと思った作品の1本でしたが、「TOHOシネマズシャンテ」で4K版でリバイバル上映されることになり、最近そうした昔の作品を劇場で4K版で観る機会がよくあるのはありがたいです。
ハーヴェイ・カイテル演じるマオリ族の男ベインズとホリー・ハンター演じる女エイダの関係は、最初は「取り引き」の関係であったのが、途中から本当の恋愛関係になっていく、その描き方が巧みです。果たしてエイダの行為は、純粋にピアノを取り戻すためだけのものだったのか。おそらく最初はそうだっただろうが...。今回観直してみて、エイダがベインズとの愛と官能の炎を燃え上がらせていく、そこに至るまでの過程を再確認するような感覚がありました。
また、エイダの娘フローラを演じて「アカデミー助演女優賞」を受賞したアンナ・パキンは、当時11歳での受賞で、これは「
19世紀の半ば、英国は開拓者として1万人以上の労働者をニュージーランドに送り込みましたが、その時代は入植者とマオリ族間で土地問題や人種差別問題で争いが絶えなかったようです。この作品にも入植者とマオリ族の諍いは描かれており、ヨーロッパ女性とマオリ男性との道ならぬ恋は、いといろな意味で話題となる背景だったのだろうと思われます。



ブルックリンの街角で小さな煙草店を営むオーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル)は、10年以上毎日同じ時刻の同じ場所で写真を撮影していた。煙草屋の常連で、オーギーの親友でもあるポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)は、作家であるが数年前に銀行強盗の流れ弾で妻を亡くして以来、仕事が手につかず悩んでいた。閉店間際の店に駆け込んだポールは、見せてもらったオーギーの写真集から亡き妻のありし姿を見つけ号泣する。ポールはボンヤリとして自動車に轢かれそうになったのを助けられ、ラシード(ハロルド・ペリノー・ジュニア)と出会う。その怪しい少年に感謝し、ポールは彼を自分の家に泊めてやる。2晩泊まった後にラシードは家を出て行ったが、その数日後にラシードの叔母を名乗る女性が現れた。ラシードの本名はトーマス・コールといい、偽名を使って各地を転々としていたのだ。その頃トーマスは生き別れた父親のサイラス(フォレスト・ウィテカー)に会いに、サイラスが営む小さなガレージを訪れた。トーマスはサイラスのガレージのスケッチをしているが、追い払われても退かず、そこでトーマスは以前世話になったポールの名前を偽名として用い、無理やり雇わせる。後日、トーマスはポールの元を再訪。ポールは先日トーマスの叔母が自分の元を訪れた経緯を述べ、本名を問い詰める。トーマスを追うギャングに押し入られ、ポールはトーマスのヤバさを知る。ルビー(ストッカード・チャニング)は戦争中、オーギーを裏切り他の男と結婚したが、娘がピンチだと金の工面に訪れる。ポールはトーマスの隠した6000ドルを自宅で見つけるが、その金はトーマスがタバコ屋のバイトでドジした賠償に当てられ、さらにルビーに渡される。トーマスはサイラスに本当の名を名乗り、息子であることを伝えるが、混乱から乱闘になる。オーギーは作家に昼食をとりながら過去にあったクリスマスの話をする。昔、万引き犯を追いかけるが逃げられ、落としていった財布には写真だけがあった。家を訪ねるとそこには盲目のおばあさんが一人で住んでいて、自分のことを孫だと思い込んだ。だから話を合わせて一緒にクリスマスを過ごしてきたという。それにポールは「本当にいいことをしたな。人を幸せにした。生きていることの価値だ」と言う。オーギーはその言葉に心から満足する。ポールはその話の原稿を書き始める―。
香港出身のウェイン・ワン監督の1995年公開作で、同年・第45回 「ベルリン国際映画祭」の銀熊賞(審査員特別賞)受賞作。原作は今年['24年]4月30日に77歳で没したポール・オースターが、ニューヨーク・タイムズ紙から依頼されて書いた短編小説。ポール・オースターは、事実を載せるはずの新聞に虚構を書けというアイデアが気に入って引き受けたそうで、そのタイムズ紙を読んでウェイン・ワン監督が感激して映画化をポール・オースターに持ちかけたということだったようです。ポール・オースターはウェイン・ワン監督と親交を深め、映画「スモーク」の脚本を書き下ろし、ハーヴェイ・カイテルやフォレスト・ウィテカーなどのキャストの選定もポール・オースターが行ったそうです。
オーギーがポールにクリスマス・ストーリー(盲目のおばあさんとの話)を語る店は実在する惣菜屋で、この店での撮影に3日間もかかり、ポール・オースターはハーヴェイ・カイテルにセリフの一字一句変えることを禁じたとのこと。結果、このクリスマス・ストーリーを語るシーンが、ハーヴェイ・カイテルの演技の見せ処となったように思います。
また、ポール・オースターが1987年の『ニューヨーク三部作』(City of Glass, Ghosts, The Locked Room)の発表から5年後の1992年に発表した原作(Auggie Wren's Christmas Story)は、柴田元幸訳、タダジュン絵で『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』('21年/スイッチパブリッシング)とし
て翻訳されています(絵本だが、原文は全部生かしている)。タダジュン氏のモノクロの絵がいい感じです。原作はポールの視点で描かれており、ニューヨーク・タイムズからクリスマスの朝刊に載せる短編を書かないかといわれ引き受けたものの、「クリスマス・スートリー」なんて書けないと悩んでいたという、作家ポール・オースター自身の経験を裏返しにして活かしています。「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」とかはもちろん"脚本家ポール・オースター"としての創作ですが。原作では「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」という話そのものが無く、これは映画のオリジナルです(ラシード少年の話なども原作には無い話で、原作では少年そのものが登場しない)。
物語の中で、最後は、ポールはオーギーの盲目のおばあさんとの話は全部でっち上げではないかとも思いますが、彼の話を信じることにし、「誰か一人でも信じる人間がいる限り、本当でないない物語などありはしないのだ」として、小説のネタをくれたオーギーに感謝します。ある意味、「虚構」が入れ子構造になっているとも言え、「虚構の中にこそ真実がある」という作家のメッセージのように思いました。
因みに、村上春樹氏・柴田元幸氏の共著の『
フォレスト・ウィテカー/ストッカード・チャニング/アシュレイ・ジャッド/エリカ・ギンペル/ジャレッド・ハリス/ヴィクター・アルゴ●日本公開:1995/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-06-05)((評価:★★★★)
満月の夜、女優を夢見るマムラカット(チュルパン・ハマートヴァ)は森で舞台俳優と名乗る男に声をかけられて互いに結ばれ
る。その後体の変調に気づいたマムラカットは村の医師を訪ねたものの、医師は流れ弾に当たって死ぬ。仕方なく父親(アト・ムハメドシャノフ)に妊娠を打ち明けるが、激怒した父親は戦争で精神を病んだ息子ナスレディン(モーリッツ・ブライプトロイ
)と彼女を引き連れて相手の男捜しに東奔西走。道中、困窮した状況を察したマムラカットは、売血を試みるが、ひょんなことから何もせずに金を貰えることに。村に帰ると、父親がわからない子を妊娠した彼女への村人からの罵倒が絶えず、一人村を出て列車に乗り込むマムラカットは、車内で売血の際に会った男と再会する。将来を悲観したマムラカットにその男は結婚を申し
出る。そして結婚式。だが晴れの舞台は一転し、新郎と父親の頭上に何故か空から牛が降ってきて直
撃、二人は湖にら落下して溺死するという悲劇に。後に月夜の男が判明。しかし、その男は、飛行機から牛を突き落とした男でもあった。怒ったマムラカットがその男に銃口を向けると、男は恐怖のあまり昏睡状態になる。兄ナスレディンは村人たちの怒号に追い詰められた妹のマムラカットを石垣の上に建つ家に逃す。するとその家の天井についた扇風機がプロペラとなり―。
「ルナ・パパ」は、バフティヤル・フドイナザーロフ監督による1999年公開のファンタジックなドラマ。1999年の東京国際映画祭で上映され、「最優秀芸術貢献賞」を受賞した作品です。キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの三か国の国境が接する地域(グーグルマップで見ると、この辺りは国境が入り組んでいて、確かに作品に出てきた大きな湖もある)に3.5キロメートルにも及ぶ広大なセット建てて撮られた作品そうで、吹きさらしの荒野、西部劇みたいな舞台は、無声映画時代の(「
出てくる人びとが皆何かにつけて"過剰"で、予想だにつかないことが次から次へと起き、まったく先が読めない展開で飽きさせませんでした。終盤は、風刺の色合いを強めるとともに、一気にファンタジスティックな展開へ。でも、一方で、そ
こまでにリアリズムを積み上げているから、それだけファンタジーの効果があるのでしょう。ラスト、「心の狭い人たちよ、さようなら」と語り手の「(母親の胎内にいる)ボク」は言い残して、「家」は、「天空の城 ラピュタ」の如く舞い上がります。
真摯なヒロインのマムラカット(「大地」「祖国」という意味らしい)を演じたソビエト連邦生まれのロシアの女
優チュルパン・ハマートヴァが良く、彼女はその後、ヴォルフガング・ベッカー監督の「グッバイ、レーニン!」('03年/独)や、2021年のカンヌ国際映画祭に出品されたキリル・セレブレニコフ監督の「インフル病みのペトロフ家」(露・仏・スイス・独)などにも出演。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した際にはラトビアに滞在しており、戦争に反対する請願に署名。その後ロシアへの帰国を断念し、3月20日に亡命を決断したことを公表しています。
「ルナ・パパ」●原題:LUNA PAPA●制作年:1999年●制作国:ドイツ・オーストリア・日本●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●製作:カール・バウムガートナー/ ヘインツ・ストゥサック/ イーゴリ・トルストノフ/トマス・コーファー/フィリップ・アブリル●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/イラー・クリナザーロフ●撮影:マーティン・グシュラハト/ドゥシャン・ヨクシモビッチ/ロスチスラフ・ピルーモフ●
音楽:ダーレル・ナザーロフ●時間:108分●出演:チュルパン・ハマートヴァ/モーリッツ・ブラウプトロイ/アト・ムハメドシャノフ/ポリーナ・ライキナ/メラーブ・ミニッゼ●日本公開:200/07●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-04)((評価:★★★★)
内戦状態にある中央アジア・タジキスタンの首都ドゥシャンベで、ロープウェイの操縦士として働く青年ダレル(ダレル・マジダフ)。一方、モスクワから久々にドゥシャンベに帰ってきた女性ミラ(パウリーナ・ガルベス)は、父が
賭博で作った借金のかたにされてしまう。街で銃声が鳴り響く中、都会的なミラに一目惚れしたダレルは彼女の愛を獲得するべく突き進むが―。
1993年公開のタジキスタンのバフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)作で、長編デビュー作「少年、機関車に乗る」('91年/タジキスタン・ソ連)で国際的に注目された同監督の長編第2作であり、内戦下のタジキスタンを舞台に若い男女の不器用な恋の行方を綴ったラブストーリー。1993年・第50回「ヴェネツィア国際映画祭」で銀獅子賞を受賞しています。
因みにタジキスタンは、1991年のソ連の崩壊でタジキスタン共和国として独立したのですが、独立直後から共産党勢力とイスラム勢力の内戦状態が長く続き、最終和平合意が成立したのは1997年6月で、この間、内戦により約6万人が死亡したと言われています。
タイトルの「コシュ・バ・コシュ」は、タジクの賭博用語で"勝ち負けなし"という意味だそうで、ここでは主人公の青年の恋模様を象徴していると思われます。一方の、主人公の女性は
、最後に「父の死」という哀しい思いをすることになりますが、気づいてみれば、そうした辛いことばかりではなかったことが示唆されています(彼女にとっても"勝ち負けなし"か)。ということで、一応はアンハッピーエンドな面もありながら、ハッピーエンドでもあると言えるのですが、実態としては結局父親の負債は、それを肩代わりした青年に引き継がれているだけなので、これから先も二人は大変だなあと(この青年もギャンブルで取り返そうと考えているところからすると依存症? かつての賭博仲間が誰も相手にしてくれないのは、誰もがトラブルに巻き込まれたくないからか)。
冒頭の女性の父親らが賭けをやる場面が迫真の演技で、この監督の演出力にただならぬものを感じました。青年の飄々とした雰囲気も良かったです。でも、将来がちょっと心配(笑)。砲火の音が響く一方で(実際に撮影の後半は内戦が激化した時期だったとのこと)、淡々と続く人々の生活を牧歌的なムードの中に描き、戦時下での恋、ロープウェイでのデートと、"愛は時や場所を選ばず"という主題を上手く浮き彫りにしていたように思います。
撮影に使われたロープウェイは、グーグルマップで検索すると今もあるみたいですが、観光用で使われているのかどうかはよくわかりません(そう言えば、この映画では、ロープウェイで干し草とか運んでいたけれど、観光客らしきはまったく出てこなかった)。個人的には、前エントリーで取り上げた「
「コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って」●原題:KOSH BA KOSH●制作年:1993年●制作国:タジキスタン●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/レオニード・マフカーモフ●撮影:ゲオルギー・ザラーエフ●音楽:アフマド・バカエフ●時間:96分●出演:パウリーナ・ガルベス/ダレル・マジダフ/ボホドゥル・ジュラバエフ/アルバルジ・バヒロワ/ナビ・ベグムロドフ/ラジャブ・フセイノフ/ズィーズィデン・ヌーロフ●日本公開:1994/08●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-02)((評価:★★★★)

1900年頃のオーストリア・アルプス。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)は渓谷に住む、遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場にやってきた。しかし、農場主にとって、孤児は安価な働き手に過ぎず、虐げられた彼にとっての
心の支えは老婆のアーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)だけだった。彼女が亡くなると、成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)を引き留めるものは何もなく、農場を出て、日雇い労働者として生計を立てる。その後、渓谷に電気
と観光客をもたらすロープウェーの建設作業員になると、最愛の人マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、山奥の木造小屋で充実した結婚生活を送り始める。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。第二次世界大戦が勃発し、エッガーも戦地に召集されたもののソ連軍の捕虜となり、何年も経ってから、ようやく谷に戻ることができた。そして、時代は過ぎ、観光客で溢れた渓谷で、人生の終焉を迎えたエッガー(アウグスト・ツィルナー)は過去の出来事がフラッシュバックし、アルプスを目の前に立ち尽くす―。
「アンネの日記」('16年/独)のハンス・シュタインビッヒラー監督の2023年作。原作であるオーストリアの作家ローベルト・ゼーターラー(1966年、ウィーン生まれ。俳優として数々の舞台や映像作品に出演後、2006年『ビーネとクルト』で作家デビュー)の同名小説は、2014年に刊行されるや読書界の話題をさらい、世界40カ国以上で翻訳され160万部以上発行、ブッカー賞最終候補にもなった作品だそうです(2018年刊行の『野原』も「シュピーゲル」誌のベストセラーリスト1位を獲得している)。この原作を美しい情景と共に映画化し、激動の時代に翻弄されながら過酷な人生を歩んだ男の一生を描いたヒューマンドラマになっています(主人公の8歳の時をイヴァン・グスタフィク、18歳から47歳をシュテファン・ゴルスキー、60歳から80歳をアウグスト・ツィルナーが演じている)。
原作はどんな大河小説なのかと思って手にしてみたら、150ページほどのやや長めの中編といった感じの本でした。映画は原作に忠実に作られているのを感じましたが、映画はエッガーの一生を時系列で追っているのに対し、原作の方は人生を俯瞰するような描き方で、時に時系列が入れ替わったりします。
また、映画では、エッガーが亡くなるシーンがラストで、その前に、前述のそれまでの人生の思い出がフラッシュバックするシーンがありますが、原作では、順番が逆転し、エッガーが亡くなったという記述の後に、彼がバスに乗り、さらにバスから降るシーンがあります。映画におけるフラッシュバックシーンは、原作では「ひとつひとつの記憶が蘇ってきた」となっています。そして「まだそのときじゃない」とエッガーは小声で言います(つまり、今はまだ死なないと)。原作は最も重要な場面を最初と最後に持ってきているとも言えます。主人公は哲学者でも何でもなく、山に生きる無骨な男ですが、映画には常に「生」と密接した「死」の雰囲気があります。そうしたことが作品テーマであることは、原作の構成が、生と死を巡る重要シーンを冒頭と最後に持ってきていることからも窺えるように思いました。単に無名の男の生涯を描いた"感動作"ということではなく、観る側に人生とは何かを考えさせる作品ともとれます(「評価する」か、芝山幹郎氏が言うところの「過大評価しない」かの分かれ目はこの点だろう)。
中野翠氏が「親代わりの老婆と、妻という救い」があったとしていますが、虐げられた少年にとっての心の支えとなった老婆アーンルを演じたのはマリアンヌ・ゼーゲブレヒト。パーシー・アドロン監督の「
「ある一生」●原題:EIN GANZES LEBEN●制作年:2023年●制作国:ドイツ・オーストリア●監督:ハンス・シュタインビッヒラー●製作:ヤーコプ・ポホラトコ/ディエター・ポホラトコ/ティム・オーバーベラント /テオドール・グリンゲル/トビアス・アレクサンダー・サイファート/スカディ・リス●脚本:ウルリッヒ・リマー●撮影:アルミン・フランゼン●音楽:マシアス・ウェバー●原作:ローベルト・ゼーターラー●時間:115分●出演:シュテファン・ゴルスキー/アウグスト・ツィルナー/イバン・グスタフィク/アンドレアス・ルスト/ユリア・フランツ・リヒター/ロバート・スタッドローバー/トーマス・シューベルト/ルーカス・ウォルヒャー/マリアンネ・ゼーゲブレヒト/マリア・ホーフステッター/ペーター・ミッタールッツナー●日本公開:2024/07●配給:アットエンタテインメント●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-08-25)(評価:★★★★)



ヘンリー・ミラー(1891-1980)によるエッセイ集。白水社の2010年に完結した《ヘンリー・ミラー・コレクション全10巻》の、2013年12月から刊行が始まった第2シリーズ(2019年完結)の内の1冊で、通巻で第15巻になります(最終第16巻は対談・インタビュー集)。ヘンリー・ミラーが三島由紀夫自決の翌年1971年に発表したのが表題作「三島由紀夫の死」で、その他に、映画監督ブニュエルを称賛する「黄金時代」、写真家ブラッサイを語る「パリの眼」をはじめ10編のエッセイや書簡などを収録、テーマごとに5つにジャンルに分けています。
「パリの眼」で写真家のブラッサイとの出会いのことを語っていますが、ブラッサイにも『作家の誕生ヘンリー・ミラー』('79年/みすず書房)という、作家ではない人物が書いたとは思えない著書があります(ブラッサイの写真集『夜のパリ』('88年/みすず書房)でヘンリー・ミラーは被写体になっている。個人的には『
ずっと文学的・哲学的なエッセイが続いて、それが最後の「三島由紀夫の死」だけがオーソドックスな評論スタイルであるので、逆に意外に思ってしまいました。「週刊ポスト」に1971年10月29日号から5週に渡って連載されたものですが(当時ヘンリー・ミラーの知名度はどれぐらいだったのか)、日本人に向けてこうした文章を書くのは、作家の当時の妻が日本人のホキ徳田(1937- 、ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる)であることも関係していると、自らも書いています。
●目次


書房から(2010年河出文庫所収)刊行されていますが(そのほかにも、清水正二郎(胡桃沢耕史)訳『O嬢の物語』('61年新流社)などがある)、個人的には、高遠弘美訳『完訳Oの物語』('09年/学研プラス)で読みました(解説で澁澤龍彦訳、鈴木豊訳と自身の訳を比較したりしている)。グイド・クレパックス作画、巖谷國士訳のコミック版『O嬢の物語(全2巻)』('96年/リブロポート、'07年/エディシオン・トレヴィル)というのもあります。
「
話を小説の方に戻して、作者のポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage)は女性名ですが、匿名で、発表当時から世界中で本当の作者は誰か話題が沸騰しました。書き手は男で(アルベール・カミュなどはそう確信していた)、本作に長い序文を寄せている言語学者で作家で文芸評論家であるジャン・ポーラン(1884-1968/83歳没)自身ではないかと言われ、一方で彼自身は序文で、「作者が女であるということには、ほとんど疑問の余地はあるまい」と書いていますが、この言は信用がならないと言われていました。
ところが1994年、フランスの著名な女性編集者のドミニク・オーリー(1907-1998/90歳没)が自身が作者であることを認めたとの報道がありました(当時86歳)。彼女は以前から創作に関与しているのではないかと言われていたものの、それを否定し続けていましたが、40年を経て自分が作者であることを認めたことになります。彼女はソルボンヌ大学を卒業後ジャーナリストとして働き、ガリマール社に編集者として参加したりもしていました。
因みに、この作品は当初、ガリマール社に出版を断られた後、ジャン・ポーランが、1950年代初頭にマルキ・ド・サドの作品を出版したことで有名で、後に自身の作品『生きているサド』で「ドゥー・マゴ賞」を受賞するジャン・ジャック・ポーヴェールが経営するポーヴェール出版社に話を持ち掛けて出版に漕ぎつけています。ただし、オーリーが作者であることは、ポーラン、ポーヴェールとオーリー本人の3人だけの秘密であったようです。
「O嬢の物語」●原題:HISTOIRE D'O●制作年:1975年●制作国:フランス●監督:ジュスト・ジャカン●製作:エリック・ローシャ●脚本:セバスチャン・ジャプリゾ●撮影:ロベール・フレース●音楽:ピエール・バシュレ●原作:ポーリーヌ・レアージュ●時間:105分●出演:コリンヌ・クレリー/ウド・キア/アンソニー・スティール/ジャン・ギャバン/クリスチアーヌ・ミナッツォリ/マルティーヌ・ケリー/リ・セルグリーン/アラン・ヌーリー●日本公開:1976/03●配給:東宝東和●最初に観た場所:三鷹東映(78-02-04)(評価:★★)●併映:「ラストタンゴ・イン・パリ」(ベルナルド・ベルトリッチ)/「スキャンダル」(サルバトーレ・サンペリ)
ジュリー・オオツカ 


【第一部】1949年8月13日。イスラエル独立戦争の翌年、戦闘で破壊されたキブツの跡地にイスラエル軍が駐屯を始める。駐屯軍の任務は、エジプトとの国境の策定と付近の安全確保だ。焼けつくネゲブ砂漠をパトロール中に藪の中に動きを発見。掃射後に見たのは死んだ6頭のラクダと黒い衣装の中で震えている少女だけ、男も武器もなかった。ベドウインの少女がラクダを連れ散歩していたのだったが、パトロール隊は少女を連行する―。
1974年生まれのパレスチナ人の女性作家アダニーヤ・シブリーによる作品で、2017年にアラビア語で発表されたのち各国語に翻訳され、全米図書賞翻訳部門最終候補(2020年)、国際ブッカー賞候補(20121年)になるなど高く評価されたたほか、2023年にはドイツの文学賞であるリベラトゥール賞を受賞。しかし同年10月、イスラエルによるガザへの攻撃が激化するなか、フランクフルト・ブックフェアで開催予定だった授賞式は同賞の主催団体によって中止され、ブックフェアは「イスラエル側に完全に連帯する」との声明を出し、この決定に対しては、作家や出版関係者を中心に世界中から抗議の声が上がったとのことです。

スペインの小説家、詩人フリオ・リャマサーレス(1955年生まれ)が1988年に発表した小説で(原題:La lluvia amarilla)、リャマサーレスはマドリッド大学の法学部に入学し、卒業後は弁護士を経てジャーナリストとして働く傍らで詩を書き続けていましたが、この作品で(法律やジャーナリズムとは対極にあるような幻想的な作品だが)世界的に知られるようになり、小説の執筆に活動の重点を移したとのことです。
アナトール・フランス(1921)
貧しくも正義感あふれる愛国的な青年画家エヴァリスト・ガムランは、あるきっかけで革命裁判所の陪審員になって権力を持ち、ジャコバン派の影響を受けたことで、「残虐非道な化物」と化して、元貴族、亡命を試みた者、無神論者、娼婦等を悉く死刑にするようになる。元貴族で今は屋根裏部屋で暮らす老人ブロトは、ルクレティウスを信奉する無神論者で、聡明な彼は、人命を脅かす革命裁判所を長く続かないとし、「革命裁判所には低劣な正義感と平板な平等意識とが支配しています。これがやがて革命裁判所を憎むべきもの嗤うべきものにし、万人に嫌悪を催させることになるでしょう」と予言する。そして、その思想ゆえに逮捕される―。
主人公のエヴァリストは、恋人エロディが過去に付き合っていた男に嫉妬しており、それらしき貴族が逮捕されると、こいつに違いないと思い込み、エロディが否定するにもかかわらず、人違いで死刑を宣告してしまいます。また、革命裁判所の判事ルノダンに至っては、逮捕された貴族シャサーニュの愛人であるジュリ(エヴァリストの妹)からシャサーニュを救ってほしいと頼まれると、肉体交渉を迫り、その後で約束を破ります(藤沢周平原作、山田洋次監督の「
作者は、老人ブロトにシンパシーを寄せていますが、エヴァリストを突き放しているわけではなく、この美貌の怪物は、飢えた母子にパンを恵み、農夫が小麦を刈るのを見て涙し、見知らぬ少年に銀貨を与え、初めて陪審員席に座った時は、騎兵隊の馬糧でひと儲けしようとした悪党を「証拠がない」と無罪にしたりもして、寛容さも見せています。そんな彼が「残虐非道な化物」になってからは、常に悪夢にうなされ、「自分は忌まわしい者とされて死ぬだろう」と自覚しており、それでも冷酷に徹するのは、王や貴族や彼らに与する者など「祖国の敵どものけがれた血」を流す大役を引き受けようとするヒロイックな愛国心ゆえです。
『神々は渇く』は歴史小説であるため面白く、革命裁判の様子は、臨場感満点です。史実がベースとなっているので、ストーリーの展開は周知のものですが、先にも述べた通り、その時代の目撃者になっている気持ちにさせられ、大河ドラマを観ているような印象もあり、その時代をくぐり抜けてきたような疑似体験ができます。
アナトール・フランス
第二部「ジャンヌ・アレクサンドル」
因みに、1929年にフランスでアンドレ・ベルトミュー監督により無声映画化されていますが、現在ではあまり知られていません。また、カナダの映画監督のグザヴィエ・ドランが、この小説の一節を引用して映画製作への情熱を語るなど、文学作品として、また引用元として言及されることはあるようです。

「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室からでかけようとして、階段口のまんなかで、一匹の死んだ鼠につまずいた」―。アルベール・カミュが第二次大戦後まもない1947年に発表した小説で、194X年のアルジェリアの人口二十万人の港町オランが舞台(オランはアルジェリア北西部に位置する同国第二の人口(2008年現在683,000人)を持つ都市で、観光名所である)。大流行する感染症のペストに対して、人々が何の手も打てず、死者が増え続ける。絶望の淵で、思想も立場も異なる人たちが手を携え感染症という不条理に抗う様子を描いています。
このカミュの『ペスト』は、新型コロナウイルスが猛威を奮う中で空前のヒットとなった作品でもあります。新潮文庫版は2020年だけで過去の販売総数を超えてしまったといい、岩波文庫(三野博司:訳)や光文社古典新訳文庫(中条省平:訳)でも新訳が刊行され、中条省平氏監修の『

このカミュの『ペスト』も、1992年に「プレイグ」(plague、ペストの英語表現)として映画化されています。舞台を現代の南米の架空の小都市(市の名前は原作と同じ)に移し、エイズをはじめとする時代状況の変化に即した新たな解釈が付け加えられていますが、原作にほぼ忠実に映像化されていると言えます。監督・脚本はアルゼンチン・ブエノスアイレス出身のルイス・プエンソ。音楽は、「炎のランナー」「ブレードランナー」などのヴァンゲリス。出演はウィリアム・ハート(リウー医師)、ロバート・デュヴァル(グラン
ト老人・原作の喘息病みの爺さんに相当する役か)ほか、「

の意図した事が不明瞭なまま雰囲気だけ盛りたてて先に進んでしまう、かなり一人よがりな印象も。やはり、原作の不条理的テーマというのは映画では伝わりにくいものだったかもしれません(あらすじを再確認するにはまずまずだった)。
サンドリーヌ・ボネール 

「アダムス・ファミリー」●原題:THE ADDAMS FAMILY●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督:バリー・ソネンフェルド●製作:スコット・ルーディン●脚本:キャロライン・トンプソン/ラリー・ウィルソンソ●撮影:オーウェン・ロイズマン●音楽:マーク・シャイマン(主題歌:M.C.ハマー)●原作(キャラクター創造):チャールズ・アダムス●時間:100分●出演:アンジェリカ・ヒューストン/ラウル・ジュリア/クリストファー・ロイド/クリスティーナ・リッチ/ジュディス・マリナ/ダナ・アイヴィ/カレル・ストルイケン/ダン・ヘダヤ/ポール・ベネディクト/エリザベス・ウィルソン/ジョン・フランクリン●日本公開:1992/04●配給:COLTRI(コロンビア・トライスター映画)(評価:★★☆)
「アダムス・ファミリー2」●原題:THE ADDAMS FAMILY VALUES●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督:バリー・ソネンフェルド●製作:スコット・ルーディン●脚本:ポール・ラドニック●撮影:ドナルド・ピーターマン●音楽:マーク・シャイマン(主題歌:Addams Family (WHOOMP!))●原作(キャラクター創造):チャールズ・アダムス●時間:94分●出演:アンジェリカ・ヒューストン/ラウル・ジュリア/クリストファー・ロイド/ジョーン・キューザック/クリスティーナ・リッチ/キャロル・ケイン/ダナ・アイヴィ/ジョン・フランクリン/ジョーン・キューザック/メルセデス・マクナブ/デヴィッド・クラムホルツ/ピーター・マクニコル/クリスティーン・バランスキー/ネイサン・レイン/トニー・シャルーブ/シンシア・ニクソン/デヴィッド・ハイド・ピアース/バリー・ソネンフェルド●日本公開:1993/12●配給:ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ(評価:★★☆)
南米の小都市オラン。政局が混乱し、特別警戒体制にあるこの地を取材すべく、フランスのテレビ局からカメラマンのタルー(ジャン=マルク・バール)とニュースキャスターのマルティーヌ(サンドリーヌ・ボネール)が訪れていた。マルティーヌはある時、ホテルのエレベーター内で鼠を見つけ、まもなく泡を吹いて死んだのを目撃する。やがて激しい悪寒と嘔吐の末に死ぬ人々が続出し、オランの街は静かな死の恐怖に包まれた。医師のリウー(ウィリアム・ハート)は、早くからそれをペストによるものだと判断。ペスト発生のニュースを隠すよう要請する市行政部の意見に真っ向から反対し、軍隊を呼んで街を閉鎖すべきだと主張する。街は完全に封鎖され、タルーは特ダネのチャンスだと意気込むが、恋人をパリに残すマルティーヌは街から脱出しようと決心する。彼女はその工作のため、暗黒街とつながりのある男コタール(ラウル・ジュリア)と接触する。その間にも犠牲者は増え続け、3人は罪なき聖歌隊の少年が、死の床で短い命を散らすところに立ち会った。教会で人々の改悛を説いていたパヌルー神父は、この不条理な死を受け入れがたく、苦悩した末にペスト患者の死体を埋葬する穴に赴き、自らの体を横たえる。さらにリウーの友人で気のいい老役人グラント(ロバート・
デュヴァル)も病に倒れ、マルティーヌはベッドに横たわる瀕死の彼を見舞う。タルーとマルティーヌは街に残り、ボランティアとしてリウーに協力した。だが、マルティーヌは隔離所に収容されてしまい、タルーは自分がペストに罹ったことを知る。やがてペストの猛威も終息に向かう。グラントは一命を取り留め、タルーも快方に向かい、マルティーヌも隔離所から開放された。オランの人々が笑顔を取り戻した頃、狂気にとらわれたコタールが部屋に立て籠り、「ペストはまだ終わっていない、いつかまたやって来るぞ」と叫び、通りに向けて無差別に発砲した。リウーが説得に当たったが、群衆を守ろうとしたタルーが撃たれた。リウーは瀕死の彼を抱いて泣いた。


この作品は「
映画は劇場未公開で、80年代に日
本語ビデオが「パワースポーツ企画販売」という主としてグラビア系映像ソフトを手掛ける会社から「サイコティック」というタイトルで発売(年月不明)され、こうした会社からリリースされたのは、テイラーの乳首が透けて見えるカットがあるためでしょうか("色モノ"扱い?)。'20年5月にDVDの海外版が再リリーズ、'22年12月VOD(動画配信サービス)のU-NEXTで日本語字幕付きで配信されました。
ではないでしょうか。一部改変されていて、リズが当初からインターポールにマークされている設定になっていますが(ただしその理由は最後まで明かされない)、これは、映画の脚本にも参加したミュリエル・スパークがインターポールに勤務したことがあるという経歴の持ち主のためでしょうか(アンディ・ウォーホルが出演している)。
エリザベス・テイラーは体当たり的にこの難役に挑んでいますが、役が役だけに、また、ましてやオチが不条理オチだけに、評判はイマイチだったようです(彼女の生涯最悪の映画とも言われているらしい)。
また、「嘱託殺人」を選んだのは、主人公がカソリックで、自殺が禁じられていることも理由として考えられるように思いました(自分を殺す際に手足を縛ることまで要求したのは、あくまでも殺人だと印象付けるため)。
「サイコティック」●原題:IDENTIKIT(英:DRIVER'S SEAT/伊:SMRT U RIMU)●制作年:1974年●制作国:イタリア●監督:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ●製作:フランコ・ロッセリーニ●脚本:ラファエル・ラ・カプリア/ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ/ミュリエル・スパーク●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:フランコ・マンニーノ●時間:105分●出演:エリザベス・テイラー/イアン・バネン/グイード・マンナリ/モナ・ウォッシュボーン/アンディ・ウォーホル●配信:2022/12●配信元:U-NEXT(評価:★★★★)




この作品は、ロナルド・ニーム監督(「
1930年頃、スコットランドの首都エジンバラ。マーシア・ブレーンという名門女子高があった。先生たちは、みな地味だったが、一人ミス・ジーン・ブロディ(マギー・スミス)だけは違っていた。派手な服装、ウィットに富んだ会話そして自分はいま、青春のただ中にいると公言してはばからなかった。彼女に反感を持った生徒もいたが、逆に、彼女に惹かれ〈ブロディ一家〉と称する生徒たちもいた。サンディ(パメラ・フランクリン)、モニカ、ジェニー、メリーの四人組である。一方ブロディは、美術教師テディ(ロバート・スティーブンス)の恋人なのだが、彼の態度が煮えきらないので、音楽教師ゴードンに心を移した。こんな一件に生徒たちが関心を持たないはずがない。加えて学校側も攻撃に出る。ブロディの立場は少しずつ悪くなっていく。やがてゴードンが離れ、テディも離れていく。だがブロディはテディのことを忘れることが出来ない。テディとて同じこと。ブロディの代りにサンディをモデルにして絵を描いていたが、顔だけはブロディになってしまう。このことはサンディの心をいたく傷つけた。やがてブロディにとって進退きわまりない事件が持ちあがった。スペイン戦争を賛美した彼女の教えに、生徒の一人メリーが兄を訪ねて戦場に行ったのである。そして空爆に遭い死んでしまう。攻撃の矢は一斉にブロディに向けられ、ついに退職するところまで追い詰められた。頼みの生徒サンディも彼女に背を向ける。ここに来て初めて、ブロディは、自らの青春が終りを告げたことを知るのだった―。
映画では、冒頭からマギー・スミス演じるブロディ先生は学校に新しい息吹をもたらすエースであるかのように颯爽と登場し、女性校長はそれを良く思わない頑固な守旧派のような形で始まって、この点では小説と同じですが、やがてすぐにブロウディ先生はどこかおかしいということが伝わってくるようになっています。それと、映像で見るせいか、性的抑圧が強い印象を受け(実際に複数の男性教師から誘惑される)、彼女の行動の根底にそうしたものがあることを原作以上に窺わせるものとなっていました(サンディって原作ではメガネかけていたっけ。美術教師テディの絵のヌードモデルになるのは原作と同じで、原作では愛人になる)。
美術教師テディが最初ブロディの代りにサンディとは別の女生徒をモデルに絵を描くも、目がマギー・スミスになっていて女生徒とは似ておらず、彼が描く少年少女や、果ては犬までもがマギー・スミスの目になっているのがご愛敬でした(行き詰ってヌード画家に転身した?)。
「ミス・ブロディの青春」●原題:THE PRIME OF MISS JEAN BRODIE●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:ロナルド・ニーム●製作:ロバート・フライアー●脚本:ジェイ・プレッソン・アレン●撮影:テッド・ムーア●音楽:ロッド・マッキューン●時間:102分●出演:マギー・スミス/ロバート・スティーブンス/パメラ・フランクリン/ゴードン・ジャクソン/ジェーン・カー/セリア・ジョンソン/シャーリー・スティードマン/ダイアン・グレイソン●日本公開:1969/11●配給:20世紀フォックス((評価:★★★☆)



ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1959年に発表した小説であり、原題もまさにMemento Mori(死を想え)。登場人物ほぼ全員70歳以上(レティの今の家政婦アンソニーはぎりぎり69歳だが)の入り組んだ人間模様を、辛辣なユーモアを交えて描き、ミステリの要素もありました。読み始めて最初の20ページいくかいかないかくらいで、病院の患者が1ダースいる老人病科(女性のみ)が舞台となり、あっという間に通算で十数人ぐらいの人物が登場したことになってしまったので、もう一度最初に戻って、人物相関図を作りながら読みました(笑)。
1996年にBBCでTVドラマ化されていて、ミュリエル・スパーク原作、ロナルド・ニーム監督の「


ミュリエル・スパーク(1918-2006)の短編集で、1958年発表の「ポートペロー・ロード」ほか15編を収録。収録作品は、「ポートペロー・ロード」(1958)/「遺言執行者」(1983)/「捨ててきた娘」(1957)/「警察なんか嫌い」(1963)/「首吊り判事」(1994)/「双子」(1954)/「ハーパーとウィルトン」(1953)/「鐘の音」(1995)/「バン、バン! はい死んだ」(1961)/「占い師」(1983)/「人生の秘密を知った青年」(2000)/「上がったり、下がったり」(1994)/「ミス・ピンカートンの啓示」(1955)/「黒い眼鏡」(1961)/「クリスマス遁走曲」(2000)。
「捨ててきた娘」... 仕事を終えてバスに乗り、帰宅しようとして「私」は仕事場に何かを忘れてきたような気がする。頭の中では雇い主のレターさんの吹く口笛の曲が鳴っている。いったい「私」は何を忘れてきたのだろう。バスの運賃を手に握り締めたまま、もういちど仕事場に戻った「私」がそこでみつけたものとは―。面白かった。アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」、フリオ・コルタサルの「正午の島」に通じるものがあった。主人公が「周囲の視線が私を突き抜けていくばかりか、歩行者が私の体を通り抜けていくような感覚があるのだ」というのが伏線か。短めだが本短編集で一番の好み。
「双子」... 「私」が学生時代の友人ジェニーを訪ねる。ジェニーはサイモンと結婚し、二人の間には双子の子供マージーとジェフがいる。幸せを絵に描いたような夫婦と愛くるしい女の子と男の子が暮らしている家だ。楽しい滞在になるはずだった。にもかかわらず、私は次第に微妙な違和感を、その家族に感じ始める―(続きは下段に)。個人的見解だが、この双子そのものはイノセントではないのか。「キッチンでパパと女の人が一緒にいたよ」とママに言ったのでは。夫婦のディスコミュニケーションの煽りを受けて、「私」が全部扇動していることにされてしまったということではないか。
「黒い眼鏡」... 「私」は、いま一緒にいる精神科医のグレイ医師が昔の知り合いだったことに気がついた。なぜグレイ医師は一般の開業医を辞め心理学を志すようになったのか―(続きは下段に)。ドロシーとバジルの姉弟が近親相関的関係にあったというグレイ医師の見方は間違いないところでしょう。グレイ医師は精神分析を学んでこの問題を克服したとしているが、そのことを語っている「私」自身がそこに関与している可能性があるため、何が真実なのか分からないとうのは、穿ち過ぎた見方だろうか。
因みに、「新・ヒッチコック劇場」で「バーン!もう死んだ」というのを観たのですが、これはミュリエル・スパークのものとは全く別のお話(監督は「愛は静けさの中に」('86年/米)のランダ・ヘインズ)。アマンダは男の子たちと一緒に戦争ごっこがやりたいのだが、銃のおもちゃを持っていないため、仲間に入れてもらえない。そんな折、彼女のおじさんが内戦の続くアフリカから戻ってきた。お土産を探し、おじさんの鞄をあさっていると、アマンダは本物の銃を見つける。彼女はそれに弾をこめ、街へ遊びに出て行った―。これはこれで、ハラハラする話でした。旧「ヒッチコック劇場」(TBS版第1話「バァン!もう死んだ」)で男の子だったものを女の子に変え、ラストで狙われるのも家政婦から意地悪な男の子に変更したそうです。街中でわがままな女の子に狙いを定めては外し「運のいい野郎」だと捨て台詞をはくなど、細かい描写もがよく描けていました。
「新・ヒッチコック劇場(第21話)/バーン!もう死んだ」●原題:Alfred Hitchcock Presents -P-3.BANG! YOU'RE DEAD●制作年:1985年●制作国:アメリカ●本国放映:1985/05/05●監督:ランダ・ヘインズ●脚本:ハロルド・スワントン/クリストファー・クロウ●原作:マージェリー・ボスパー●時間:24分●出演:ビル・マミー/ゲイル・ヤング/ライマン・ウォード/ジョナサン・ゴールドスミス/ケイル・ブラウン/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1988/03●放映局:テレビ東京●日本放映(リバイバル):2007/07/29●放映局:NHK-BS2(評価★★★☆)
短篇の名手が、罪と罰の在り方を問うた、デビュー作『
フェルディナント・フォン・シーラッハ




弁護士である作者の2009年発表のデビュー作で(原題:Verbrechen)、自身の事務所が扱った事件をベースにしたという連作物語集。ただし、文庫解説の松山巖氏は、そう称していることも含めて純然たる創作であろうと述べていて、推測の根拠として守秘義務とその叙述手法を挙げています。ドイツ本国では「クライスト賞」ほか文学賞3冠を受賞。日本では「翻訳ミステリー大賞」にノミネートされたほか、「本屋大賞」で2012年より新設された翻訳部門で1位、「ミステリが読みたい!」(早川書房)、「週刊文春ミステリーベスト10」(文藝春秋)、「このミステリーがすごい!」(宝島社)でそれぞれ2位にランクインしています。所収作品は「フェーナー氏」「タナタ氏の茶盌」「チェロ」「ハリネズミ」「幸運」「サマータイム」「正当防衛」「緑」「棘」「愛情」「エチオピアの男」の11編です。
イタリア中部トスカーナ地方、朝露にけむる田園風景に男と女が到着する。モスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)と通訳のエウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)。二人は、ロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿っていた。18世紀にイタリアを放浪し、農奴制が敷かれた故国に戻り自死したサスノフスキーを追う旅。その旅も終りに近づく中、アンドレイは病に冒されていた。古の温泉地バーニョ・ヴィニョーニで
、二人はドメニコという男と出会う。彼は、世界の終末が訪れたと信じ、家族で7年間も家に閉じこもり、人々に狂信者と噂される男だった。ドメニコのあばら屋に入ったアンドレイは、彼に一途の希望を見る。ドメニコは、広場の温泉を蝋燭の火を消さずに渡り切れたなら世界はまだ救われると言うのだ。アンドレイが宿に帰ると、エウジェニ
アが恋人のいるローマに行くと言い残して旅立った。再びアンドレイの脳裏を故郷のイメージがよぎる。ローマに戻ったアンドレイは、エウジェニアからの電話で、ドメニコが命がけのデモンストレーションをしにローマに来ていることを知る。ローマのカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス皇帝の騎馬像に登って演説するドメニコ。一方、アンドレイはドメニコとの約束を果たしにバーニョ・ヴィニョーニに引き返し、蝋燭に火をつけて広場の温泉を渡り切ることに挑む決意をする。演説を終えたドメニコがガソリンを浴び火をつけて騎馬像から転落した頃、アンドレイは、火を消さないようにと、二度、三度と温泉を渡り切る試みを繰り返すのだった―。
ボローニャ復元映画祭2022でワールドプレミア上映されたものが日本でもロードショー公開されたので観に行きました。そして、やはりこの監督の作品は独特の映像美が真骨頂であり、4Kで観るに限ると改めて思った作品でした。
タルコフスキー作品は、'80年に「岩波ホール」で「鏡」を観て、その今までどの映画でも観たことのない類の映像美に圧倒されました。3年後の'83年3月に「大井ロマン」で再見しましたが、その際に併映だった「
「ノスタルジア」●原題:NOSTALGHIA(英:NOSTALGIA)●制作年:1983年●制作国:イタリア・ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●製作:レンツォ・ロッセリーニ/マノロ・ポロニーニ●脚本: アンドレイ・タルコフスキー/トニーノ・グエッラ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●時間:126分●出演:オレーグ・ヤンコフスキー/エルランド・ヨセフソン/ドミツィアナ・ジョルダーノ/パトリツィア・テレーノ/ラウラ・デ・マルキ/デリア・ボッカルド/ミレナ・ヴコティッチ●日本公開:1984/03●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(24-02-13)(4K修復版)(23-02-08)(評価:★★★★)

われる身に。一方、「ラストチャンス酒場」の経営者兼保安官のキートンは、ワイルド・ビル(アル・セント・ジョン)の盗賊一味に店を襲われ、バーテンダーが撃たれてしまう。そこへ偶然インディアンから逃れてやってきたファッティが実は拳銃の名手で、盗賊一味を一人で追っ払ってしまう。ファッティは新たにバーテンダーとしてキートンの店に雇われ、店を訪れたまたま皆に虐められていた黒人を救った優しい女性スー(アリス・レイク)と恋に落ちる。その彼女に、再び店を訪れたワイルド・ビルがしつこく言い寄るため、ファッティとキートンは協力して彼を追い出す。しかし、復讐の念に駆られたワイルド・ビルによってスーは攫われてしまう―。
キートンが酒場で、トランプで
いかさまをした男をあっさり撃ち殺してしまうのは、彼が保安官でもあるからでしょうか。盗賊が襲って来て、バーテンダーが撃ち殺されると、ホールドアップしたたまま新たなバーテンダーの求人を出す―ハードボイルドと冷静さを気取っているキートンが可笑しいです。ただ、黒人いじめにファッティもキートンも加担しているのはいただけません。スーが現れ、彼らを反省させる伏線ともとれますが(スーは「救世軍」の女性という設定らしい)。
アル・セント・ジョン演じるワイルド・ビルの、フ
ァッティがビール瓶で頭を何度叩いても意に介さず女性に言い寄り続ける屈強ぶりがターミネーターみたいでスゴイというよりシュールです(ただし、くすぐりに弱い)。ファッティは客の馬に酒を飲ませて酔わせるといった悪戯好きですが、馬が酔っぱらう演技はどうやって撮ったのでしょう? キートンの父親のジョー・キートンが出ているようですが、冒頭のファッティの食べ物をかすめ取られる3人の乗客の中央の人物がそれでしょうか。
ファッティ(ロスコー・アーバックル)、キートン、アル・セント・ジョンら3人は、劇場の舞台係(ステージハンド)として働いていた。舞台では次の公演に向けて準備が進んでいたが、強面の出演者、怪力男の"玉葱教授"(チャールズ・A・ポスト)たちが反抗してストライキを起こし、ショーをボイコットしたため、彼らは困り果てる。そこへモリー・マローン演じる、玉葱教授にこき使われて離反した助手(兼愛人?)がやって来て、自分たちでショーをやることを提案、3人はその決意をする。ショーが始まり、まずは助手によるヒロインの美女の妖艶な踊り。続いて彼女と入れ替わったキートンも女装で登場し、蝶のような踊りや手を使わない側転など、アクロバティックな演技を披露。エンディングでのファッティと自分の助手との濃厚なラブシーンを見て怒った玉葱教授は観客席から銃を発砲。その彼をキートンがブランコを使って舞台に引き摺り下ろし、無事制圧する―(「デブの舞台裏」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1919年9月7日米国公開作。こちらは室内劇なので、ギミック中心。キートン映画の特徴のひとつに、装置の仕掛けによる笑いがあり、特に「
あとは、舞台劇で(途中でモリー・マローン演じる助手とチェンジして)ヒロインを演じるキートンの女装が見られるのが珍しいでしょうか。アーバックルの方は「
冒頭のファッティがショーの準備をする中で、壁の開演予告の一部だけ読んで("The Little Laundress"が"undress"に見えた)、ポルノショーと思い込んで急いでチケットを買う通行人も可笑しいです。バルコニー席に現れた彼は、作中で「不埒な目的を持った観客」として表され、王様役のアーバックルの腕の中に飛び込むところを誤ってバルコニー席に飛び込んでしまうキートンをまともに受け止めるという災難に見舞われることになります。
最後、客席から発砲する(殺人未遂じゃん)玉葱教授役のチャールズ・A・ポスト(1897-1952/55歳没)は当時まだ21歳。大柄ですが、キートンらとの絡みでしっかりアクションしているのは、若いからよく体が動くため? 身長198cmなので、「

謝肉祭に沸くニューヨーク。コニー・アイランドの海岸で、恐妻とのデートに退屈したファッティ(ロスコー・アーバックル)は、砂浜に埋まって隠れ、何とか妻を撒くことに成功。一方、パレード見物を終えたキートンとガール・フレンドが遊園地にやって来た。彼女に一目惚れしたファッティは横恋慕を企んで、まんまと彼女を海水浴に誘い出すことに成功する。しかしファッティに合うサイズの貸し水着がなく、太ったおばさんの水着を盗み出す始末。女装して彼女と海水浴場へ繰り出すが―(「ファッティとキートンのコニー・アイランド」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1917年10月29日米国公開作。一人の女性を巡って、ロスコー・アーバックルと彼の従兄弟のアル・セント・ジョン、そして、アーバックルにスカウトされて映画界入りした軽業師バスター・キートンの3人が奪い合いをするドタバタするコメディ。自分の女装姿にまんざらでもないファッティが可愛らしいです。アーバックルがあくまで主演で、この年に映画
界入りしたバスター・キートンはまだ助演ですが、ゴーカートでの衝突やバック転など、鍛えぬかれた肉体の演技を披露しています。
がだけでなくプライベート写真でもインタビュー・フィルムでも無表情を貫いています(普段はよく笑うが、カメラが回ると絶対に顔を崩さないよう徹底していたという妻の証言もあるが)。1957年に英BBCの「This is Your Life」という番組に出演した際も(最初は眼鏡をかけて登場する)、若い頃の自分のそっくりさんが出てきたりしてもニコリともせず、一方で、
自動車屋で働くファッティとキートン。二人のドジで、ガレージはいつもてんやわんやの大騒ぎ。ある日、ガレージのオーナーの娘モリー(モリー・マローン)にしつこく言い寄ってくる求婚者ジム(ハリー・マッコイ)が、バラの花束を抱えてやって来た。ところが花束はファッティたちのおかげで油まみれになり、受け取ったモリーの顔は真っ黒に。そのせいでモリーに嫌われてしまったジムは、復讐のためにファッティたちに犬をけしかける。犬にお尻を噛まれてズボンが脱げてしまったキートンは、警官に追われる羽目に...。一方、ひょんなことからガレージに閉じ込められてしまったジムは、二人に気付かれる前に逃げ出そうと画策しているうちに、火事を起こしてしまう。激しい火の手が上がり、モリーとジムは逃げ遅れてしまう。消防士でもあるファッティとキートンは、懸命に消火活動にあたるが、穴が開いたホースから水が漏れてしまい、なかなか鎮火できない―(「デブの自動車屋」)。
こちらもロスコー・アーバックルが監督した1920年1月11日米国公開作。キートンの頭がちょこんと当たっただけで自動車が発進したり、ガソリンまみれの男の横で煙草に火をつけようとしたり、下着姿を隠す為にポスターからキルト・スカートを剥ぎ取ったりと趣向は盛沢山で、キートンのアクションも全開。後の「笑わぬ喜劇王」キートンは「無表情の喜劇王」キートンでもあるわけですが、ここでは表情も豊かです。
自動車修理工の話で、皆オイルで顔が真っ黒になるのはコメディの常道。キートンとファッティがコンビネーション発揮して警察にバレないように歩くシーンが面白く、キートンはポールを逆立ちしながら昇ったして、その身体能力の高さを窺わせます。
「ファッティとキートンのコニー・アイランド(キートンのコニー・アイランド/デブ君の浜遊び)」●原題:CONEY ISLAND●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:ジョージ・ピータース●時間:24 分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アリス・マン/アル・セント・ジョン●米国公開:1917/10●最初に観た場所:アートシアター新宿(84-05-27)(評価:★★★☆)●併映:「デブの自動車屋」「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートン・ライズ・アゲイン」
「Buster Keaton/This is Your Life(S5 E28)」●制作年:1957年●制作国:アメリカ●製作総指揮・司会:
ラルフ・エドワード●演出:リチャード・ゴットリーブ●ゲスト出演:バスター・キートン/エディ・クライン/ドナルド・クリスプ/レッド・スケルトン/ドナルド・オコナー/エレノア・ノリス・キートン/ハリー・キートン/ルイーズ・キートン●米国放映:1957/04(評価:★★★☆)



肉屋に勤めるファッティ(ロスコー・アーバックル)と客のキートン(バスター・キートン)。ファッティは、店主の娘アーモンダイン(アリス・レイク)と恋愛関係にある。娘が入っている寄宿学校に女装して侵入するファッティだが、恋敵のスリム(アル・セント・ジョン)も女装して侵入してきて鉢合わせ。ドタバタの末、ファッティと娘は2人で逃げ出し、結婚することになる―(「ファッティとキートンのおかしな肉屋」)。
ロスコー・アーバックルが監督した1917年4月23日米国公開作。アーバックルにスカウトされて1917年にニューヨークへ渡り映画界入りした軽業師バスター・キートンの映画初出演作ですが、主演はあくまでアーバックルで、キートンは、アーバックルの従兄弟のアル・セント・ジョンに次いで3番手ぐらいでしょうか。
前半はお店でのドタバタでファッティの包丁捌きと肉のコントロールがなかなか凄く、勢いあるの小麦粉の投げ合いも完成度は高いです。キートンの動きもまさに現役軽業師のそれで、キレキレ。後半は寄宿学校でのドタバタで、アーバックルの女装に次いで恋敵役のアル・セント・ジョンも女装(客のキートンはなぜ彼について寄宿学校へ行った?)。思い切りの良いアクションが楽しい作品ですが、キートンは新人にして1度も撮り直し必要とせずに演じ切ったそうです。
高級なのに世界一サービスの悪いホテルで働くベル・ボーイの2人(ロスコー・アーバックル/バスター・キートン)。キートンは、同僚のファッティの恋を実らせるため、銀行強盗のフリをし、そこにファッティが駆けつけ事件を解決することで、彼女を振り向かせるというシナリオを練る。しかし、そこに本物の銀行強盗が現れて―(「デブ君の給仕」)。
前半は、アーバックルがベル・ボーイのほかに床屋も兼ね、客の髪や髭をいじるとその客がリンカーンになったりグラント将軍になったりという寄席芸っぽいギャグを披露。それが後半になると、相方キートン(「おかしな肉屋」の時の3番手から完全にアーバックルの相方に"昇進"している)のアクションが炸裂し、もしかしたらこの頃の彼のアクションが一番ピークだったのではないかと思わせるほどです。
ホテルのエレベーターが、ボタンを押すとホテルの表の鈴が鳴り、それに合わせて馬がロープを引っ張り箱が昇降するという、まさに「1馬力エレベーター」の仕組みが可笑しいです(アル・セント・ジョンはこのエレベーター係(馬係?)に後退)。こうした後年のキートン作品の雰囲気も感じさせるメカニカルなギャグも冴えわたり、最後は銀行強盗にハイジャックされたトローリーカーが斜面を逆走してホテルのロビーに突っ込むという、「
「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」●原題:THE BUTCHER BOY●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ロスコー・アーバックル/ジョセフ・アンソニー・ローチ●撮影:フランク・D・ウィリアムズ●時間:30分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク/ルーク(犬)●米国公開:1917/04(評価:★★★☆)
Disc1

大雪原の真ん中に地下鉄の駅がある。その出口から出てきたバスターの出で立ちは、西部劇スターのウィリアム・S・ハートのカナダの騎馬警官隊員役を演じる時風だった。雪原を歩いて通りかかった酒場は、窓から覗くと酒あり博打あり踊り子ありのいかにもなウェスタン酒場。バスターはなぜか無性に
西部劇でよくあるような強盗をしたくなり、実行に移すが結局うまく行かず、わが家に帰ることにする。家に入ると、暖炉の前で妻が男と愛を囁いている。最愛の妻の裏切りに涙するも、哀しみの感情はやがて憎しみに変わり、二人を撃ち殺してしまう。しかしよく見たら自分の家じゃない。「こりゃまた失礼」とその場を後に。本物のわが家では、本物の妻が愛情たっぷりに迎えてくれるが、バスターは冷たくあしらう。妻は泣き叫び、取りすがった十字架が頭に落ちて卒倒する。女の叫び声を不審に思った警官が様子を見に来るが、抜け目なくごまかすバスター。狡猾で好色な人間になりきっているバスターは、今度は隣の若奥さんに目を着ける。隣の家では夫が単身で出張する予定だったが「バスターのようなのがいる限り安心できない」と二人で出発することにした。犬橇で目的地に向かった二人の後をバスターが追う、その嫌らしい執念深さは、まるで「愚かなる妻」のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムのようだった―(「キートンの北極無宿」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第15作(米国公開日:1922年8月28日)】。キートンには珍しいパロディのオンパレードで、当時人気の西部劇スター、ウィリアム・S・ハートの出で立ちで登場するキートン。ハートが必ず一作中に見せる男涙をギャグにしたため、この後しばらくハートから断交されたという逸話もあるそうですが、コレ、キートンの盟友ロスコー・アーバックルに殺人の容疑がかけられた事件の際に、ハートがアーバックルが有罪であるような主張をしたというのが因縁としてあり、それでキートンは彼を徹底的にパロディ化して糾弾したようです。
テーマは同年にヒットした、カナダ北部で暮らすイヌイットの文化・習俗を記録したドキュメンタリー「極北の怪異」(1922)か取られており、舞台は"北極"と言うよりイメージ的にはアラスカでしょうか(シロクマはなく黒い熊が出てくる)。ただし、実際のロケ地は米カリフォルニア州のトラッキー郊外にあるダナー湖だそうです(ここは「
今日は州立大学の卒業式。植物学の博士号を得たバスターだったが、ちょっとしたアクシデントにより、電気工学の学位取得を証明する卒業証書を手にしていた。そのおかげで、新しもの好きの大金持ちに、大邸宅の電気技師として雇われることになる。主人たちが休暇の間に邸宅を電気仕掛けに大改造。その結果は主人も満足、何でも自動でやってくれると大好評。それも束の間、雇ってもらえず悔しい思いをした本物の電気工学士が、復讐のためにその館に忍び込むのであった―(「キートンの電気屋敷」)。
階段はエスカレーターのようで、食卓は回転寿司風("流れ寿司"というのに近いか)。食器洗い機まで出てきて...。エスカレーターは当時すでにあったにしても、いろいろな点で予見的。ただし現代の科学水準では少々幼児的にも見え、それが映画全体を幼稚的に見えるものにしているかもしれず、評価は微妙なところでしょうか。
「キートンの北極無宿」●原題:THE FROZEN NORTH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:17 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/08(評価:★★★☆) バスター・キートン/シビル・シーリー


「
様々な言語が飛び交い、住民同士の誤解も絶えない外国人街。ポーランド人のカップルが電話で「そこでは婚姻届の手続きがポーランド語でできますか」と確認、判事は「ええ私はポーランド語以外は話せません」と答える。その判事の職場の向いにバスターが職人をしているパン屋(?)があった。バスターがパン生地をこねているときに入ってきた郵便屋は、バスターのせいで郵便物をぶちまけてしまう。靴の裏に付着した一枚の手紙をバスターは返そうかとも思うが、怒った相手が物を投げてくるので、手紙をポケットにしまい逃げ出す。通りの角でアイリッシュ系の大女ケイトとぶつかる。向かいの窓が割れたのはバスターのせいだと勘違いしたケイトは彼を判事のもとに引っ
張っていく。ところが判事もこの二人は先程の電話のカップルに違いないと勘違いし、婚姻の手続きをしてしまう。意外な展開にもケイトは喜び、配偶者を強引に家まで連れていった。妻の家の同居人は父親と四兄弟。その貧しくともアグレッシブな一族は、新しい家族の一員をぞんざいに扱ったが、彼のポケットに「あなたは近々大金を相続できます」という弁護士からの手紙が入っているのを見つけると、態度を一変。早速バスターに舞込むはずの遺産をあてにして多額の借金をし、広々とした高級マンションを購入、豪勢な暮らしを始めるが―(「キートンの半殺し」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第13 作(米国公開日:1922年5月6日)】。本邦公開当時、冒頭の「パン作り」を"キャンディ・カンパニー"という店のディスプレイ文字から「飴作り」と解釈して、「キートンの飴ン棒」といったタイトルも付けられたりしました。確かにバスターが練っているのは"飴"っぽい感じもしますが、終盤でイースト菌を使ったギミックが出てくるので、やはり「パン」なのかなとも。ただし、イースト酵母を使用した飴は日本でも「酵母飴」などとして市販されており、やはり飴でいいのかも(この辺りは自分にはよくわからない)。
外国人との言葉や習慣の違いをネタにしたギャグが幾つかあり、たとえば、妻の家の食卓でなかなか肉にありつけないバスターが、カレンダーを破って家族に金曜日と思わせることで、肉にありつくギャグ(金曜日に肉を食べない習慣は主にカトリック教会系)などがそれ。これまでのキートンの作品には文化の違いによるギャグはあまりなかったので珍しいです(第11作の「
バスターは、鍛冶屋の下働き。主人のジョーは、怒ると前後の見境がなくなる乱暴者。ハンマーや車輪が看板にしている磁石に吸い寄せられてしまったのにも気づかず、無くなったのはバスターのせいだと勘違いして突き飛ばす。その様子を通りから見ていた村のシェリフが、二人の間に入って「暴力はいかんよ」とジョーを諭す。その間に署長のバッジやピストルが、磁石のせいで紛失。ジョーが奪ったと勘違いした署長は「そこまでするなら逮捕だな」と仲間を
助っ人にして連行しようとするが、村一番の怪力男は5人がかりでも手に余る。ところが、意外にもバスターのおかげで何とか逮捕に至る。自由に仕事が出来るようになったバスター。しかし、失敗の連続。蹄鉄の好みがうるさい白馬には、車のオイルで黒い跡を付けてしまうし、柔らかな鞍をお望みの女性には、サスペンション効きすぎの鞍を売ってしまう。仕舞いには新品同然の高級車に壊滅的損害を与えてしまう。ここまでやってしまったからには逃げるしかない。一方、例の白馬の持ち主の女性ヴァージニアは家に帰り着き、家族の出迎えを受けるが、母親が愛馬に付いている黒い跡を見て悲鳴を上げる。驚いた白馬は、ヴァージニアを乗せたまま暴走する―(「キートンの鍛冶屋」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第14作(米国公開日:1922年7月21日)】。典型的ドタバタ喜劇ながらも、遠方より顔のアップまでワンカットで迫る奇異なショットから、ラストのオチに繋がるキートンの空間的ギャグの完結法など、短編作品らしからぬ奥行きがあり、実験映画のようにアヴァンギャルドな価値観、ラディカル・ポップな展開が横溢する作品です。
最後には蒸気機関車も出てきて、乗り物好きのキートンらしい一作。この映画において鍛冶屋は鍛冶屋でもあり、自動車修理屋でもあるのでしょうか。考えてみれば、馬も自動車も乗り物なので、馬が動力として使われなくなったときに、鍛冶屋が自動車修理工へと移行していくのも自然な成り行きとも言えるかも。1920年代と言えばフォード・モーター社がT型フォードをより大量供給する生産システムの革新にひたすら邁進した時期になります。そんな歴史の流れを知ることのできる作品でした。
「キートンの半殺し(キートンの猛妻一族、キートンの飴ン棒、キートンの華麗なる一族)」●原題:MY WIFE`S RELATIONS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/ケイト・プライス/ジョー・ロバーツ/モンティ・コリンズ/ウィーザー・デル●米国公開:1922/05(評価:★★★☆)
「キートンの鍛冶屋」●原題:THE BLACKSMITH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/マルコム・セント・クレア●撮影:エルジン・レスリー●時間:20分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス●米国公開:1922/07●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの船出」「キートンの空中結婚」(評価:★★★☆)



マイホームパパのバスターは、家族とマリンレジャーを楽しむために、クルーザーをハンドメイドし、この度ようやく完成した。その船を運び出すのにクルマで牽引しようとするが、建造作業場だった一階のガレージの出口が狭くて苦労する。無理な牽引の結果、家は全壊するが、バスターは、船を「DAMFINO(damned if I know=知るもんか)」号と名付け、家は
そのままにしてマリーナに向かう。運河に面したマリーナでの進水式は、船の構造に問題があったのか、進水ならぬ浸水式になってしまうが、家族みんなで修復していよいよ出航、海に向かって運河を下っていく。橋の下をくぐる時にはマストや煙突が引っかからないよう寝かせられる工夫がされていた。河口で一休みの後、大海に乗り出す頃には、夕闇が訪れていた。夜も更けて、あとは寝るだけという時刻、海は嵐で大荒れに。一枚の枯れ葉のように波に翻弄される「知るもんか号」、バスターは救難信号を他の船に送って、助けを求めるが―(「キートンの船出」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第10作(米国公開日:1921年11月10日)】。50年代に旧キートン邸よりフィルムが大量発見されたことで今日のリバイバル上映が可能となった作品の1つですが、本作がそれらフィルムの中で最も危篤状態にあったと言われています。キートン・プロ第1作の「
一家の乗った小船が嵐に見舞われ、笹の葉のように荒波に揉まれるわけで、ちょっと怖いというか、ある種パニック映画的です。船体がぐるぐる回転するシーンなどは、セットと模型でうまく撮っているなあと(今風に言えば"特撮"だが、完成度が高い)。奥さん役のシビル・シーリー(Sybil Seely、当時21歳)は、「
アメリカ中西部、インディアンの一族が居留地で平和に暮らしている。ところがその近くに事務所を構える悪賢い石油業者が手先を使い、居留地の権利証を奪い取ってしまった。石油業者から立退き要求の通知を受けとり、怒ったインディアンの酋長は一族全員に命ずる、「ここに最初に入ってきた白人を殺せ」。するとその時も知らないバスターが入口から入ってきた、捕虫網を持ち、蝶々を追って。バスターはインディアンたちに捕まり火刑柱にくくり付けられてしまうが、一旦は逃げ出すことに成功する。執拗な追跡をかわし、避難したあばら屋でバスターはアスベスト材を見つけ、それで下着を作り着用した。結局は、再び捕まってしまい、火あぶりの刑が執行される。しかし、火あぶりでも死なないバスターは、今までとは逆に一族の崇敬を受け酋長に祭り上げられる。そして土地問題を知ると、一族を引き連れ石油業者に談判しに向かうことに―(「キートンの白人酋長」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第11作(米国公開日:1922年1月15日)】。斜面から転がり落ちたり、毛布をパラシュートみたいにして崖から飛び降りたり、吊り橋アクションやら、驚
きのスタントの連続。特に、斜面から転がり落ちるシーンは、後の「



「キートンの船出(漂流)」●原題:THE BOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1921/10●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」(評価:★★★★)
「キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長)」●原題:THE PALEFACE●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:21 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/01(評価:★★★★)![バスター・キートン短編集 新訳版 [DVD].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E3%83%90%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%B3%E7%9F%AD%E7%B7%A8%E9%9B%86%20%E6%96%B0%E8%A8%B3%E7%89%88%20%5BDVD%5D.jpg)



タイニイ・ティムがバスターを迎え、命中のしるしの鐘を鳴らせるようになったら雇う旨を言い残して席を外し、地下の別室に向かう。実力では鐘を鳴らせないことが判ったバスターは、的に命中しなくても鐘だけは鳴る仕掛けを考えつき、ティムの居ない間にその備えつけを完了する。店の地下室は、ティムが率いるギャング団"ブリンキング・バザーズ"のアジトだった。一味は裕福な実業家から1万ドルを脅し取ろうとしていたが、期限を過ぎても金を渡そうとしないので「ええ
い面倒だ、殺っちまおう」と相談していた。標的にされた実業家の方でも身の危険を感じ、自宅を改造するなどギャング団の襲撃に備えていた。ティムが一旦店に戻りバスターの様子を見に行くと、百発百中で鐘を鳴らしている。これは殺し屋として使えると閃いたティムは一味にその案を教えるために再び地下室に降りた。その間にその店に立ち寄った実業家父娘もまたバスターの銃の腕前に惚れ込み、ボディガードを依頼した。娘に切願されたバスターは断らなかった。ギャング団の計画がまとまるとバスターは地下室に連れて行かれた。そこで入団を強要され、実業家の殺しを命令されたバスターは、実業家の自宅へ向かう―。(「キートンのハイ・サイン」)
同時にギミックも満載で、冒頭のかすめ取った新聞を広げていくとどんどん大きくなっていく(こんな新聞どうやって印刷するのか)小ネタから始まって、ラストは仕掛けだらけの屋敷を悪党どもに追われて1階から2階、1階から1階へと駆け巡る、その様子を屋敷ごと断面図的に見せます。
今夜のオペラ劇場の出し物は、歌や踊りやお喋りを黒人的なノリで白人が演じるミンストレルショー。序曲を奏でるのは、半分ジャズバンド風の管弦楽団。幕が上がって役者が揃う、「ブラウン君この辺りの竜巻はすごいらしいね」「そうなんでさぁご主人様、そいつにやられると、1ドル銀貨が四つに割れて25セント玉になっちまうんでさぁ」...と、とぼけた台詞。そして、このショーが他の何より秀逸なのは、演ずる人もスタッフも、見る人までもが皆バスター・キートン、という趣向。第二幕、二人組のタップダンスが鮮やかで、もっと見ていたいなあ、というところで、バスターは夢から醒めた。現実のバスターは舞台の裏方=雑用係。大道具の片付けや
ら、新入りを楽屋に案内するのやら、地味な仕事を一人で何役もこなさなければならない。今度の新入りは、手品師のアシスタントガール。てっきり一人の女の子だと思ったら、双子の姉妹。鏡の効果で四人に見える。これは一体夢の続きか?!、とバスターは混乱してしまう。我侭な劇場支配人ジョーから言われる難題にも、バスターはそれなりに巧く対応する。兵隊役が一度に5、6人辞めた穴埋めを今すぐ何とかしろ、と命じられれば、近くの工事現場から人足を集めてきたり...。ところが、支配人のアゴ髭に着いたタバコの火を消すために、消化作業用の斧を用いて支配人をノックアウトしてしまう。怒りをかったバスターは劇場内を逃げ回ることに―。(「キートンの即席百人芸」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第9作(米国公開日:1921年10月6日)】。キートンの映画的好奇心=トリックが昇華した作品です。動きのタイミングを計るために、知人のバンジョー奏者にリズムを取らせてカメラを廻したとのことです。ヴォードヴィル時代に演じたと技の名残りがが多く見られる、キートン本人のアイデアを知るには最良のテキストです。
「キートンのハイ・サイン(悪運)」●原題:THE HIGH SIGN●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:18 分●出演:バスター・キートン/バーテイン・バーケット・ゼイン/アル・セント・ジョン●米国公開:1921/04(評価:★★★★)

ーは隣室で行われている動物園長主催の会合に出席。園長の「アルマジロを捕獲できる者にたんまりと賞金を出す」という一声に、自分がやる、と名乗り出る。野生動物を捕獲するのは、自然のなかでの気の長い勝負。まずは腹ごしらえ、と釣りを始めるバスター。次第に大きくなる獲物にいよいよツキが回ってきたかと、しばし思う。釣りを終えて、歩いていると目の前をアルマジロらしき動物が横切る。今だ、とばかりライフルをぶっ放すが、構えが逆だった。近くのカントリークラブ、紳士淑女が狐狩りへ出かけるところ。騎乗できずに困っているお嬢様風のヴァージニアを見かけたバスターは、これは出会いのチャンスかも、と手伝うことにする。案の定、ライフル持参のバスターは狐狩りに誘われた。途中で、はぐれて一人遅れて戻ってくると、クラブハウスは"トカゲのルーク"率いる盗賊団に襲撃されていた。バスターはヴァージニア救出に見事成功。その勢いを借って彼女に求婚することにした―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第6作(米国公開日:1921年3月16日)】。キートン本人が最も気に入っていた短編といわれていますが、仕事を失い、恋人にも捨てられたキートンは、冒頭から自殺を試みるという、これまたブラックな展開で、こういうのが自分でも好きだったのでしょうか。野生動物の捕獲に出掛ける前に釣りに行くというのは唐突感がありますが(「まずは腹ごしらえ」しようとしたのか)、釣った魚を餌により大きな魚を釣るというのが可笑しく、十分な大魚を釣り上げてまだまだ続ける...コレを見せたかったのかあと。アルマジロは結局出てこなかったけれど(「巻物」とか訳されていたりもする)、馬と間違えて水牛に飛び乗ったり、熊に追いかけられたりと、動物との危険な絡みはどうやって撮ったのでしょうか。
大男のジョー・ロバーツ、今回は盗賊団の頭目"トカゲのルーク"でした(ヴァージニア・フォックスにセクハラしまくる)。ヴァージニア救出を成し遂げたにもかかわらず、その新たな恋にも破れ
たキートンは、プールの飛び込み台から飛び降りて(コレ、相当高い)、地面に激突(どうやって撮った?)、あっさりと死んでしまい、結局は自殺を果たした―と思いきや、何年か後に復活、家族を連れてまた地上に。チャイナ帽を被っているので、「チャイナ・シンドローム」('79年/米)ではないけれど、中国まで突き抜けていったのでしょうか。
キートン一家のアパートとヴァージニア一家のアパートは、塀一枚で隔てられた隣同士。バスターとヴァージニアは、その塀を媒介にして想いを伝え合う恋人同士。ところがふたりの親同士は仲が悪い。娘が隣の息子と付き合うなんて論外。ヴァージニアの父親はバスターにとって塀より高い結婚の障害物。その障害物にキートンは徹底抗戦。両ア
パート間にあって利用できるものは何でも利用する。物干しロープや電線は逃走に、細工し蠅叩きみたいになった塀は闘争に、電柱は監視塔にといった具合。しかし、誤って通りがかりの警官を巻き込んでしまう。きりきり舞いの警察は、両家の主人とバスターを連行することで事態を収拾した。家庭裁判所で「もう喧嘩はしません、仲良くします」という宣誓書にサインする両家の主人。こうなるともうバスターとヴァージニアの仲を邪魔するものは何もない。判事の媒酌のもと、二人は晴れて結ばれる運びに。ところが結婚式当日、花嫁の父がバスターの用意した安物の指輪に腹を立てて、式は中止に追い込まれ―。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第4作(米国公開日:1920年12月22日)】。親同士がいがみ合うも、隣家の娘ヴァージニアと恋仲のキートン。同じアパートの友人と共謀して彼女を連れさる作戦を―。ストーリー自体は「ロメオとジュリエット」と言うより落語に通底する定石的な長屋小噺ながらも、パントマイムとアクションが炸裂し、一気に見せます。キートンの父親を演じているのは実の父親のジョー・キートン。結構出ずっぱりで、しっかりアクションもしています(お父さんがキートンの考案した跳ね板で飛ばされて、宙高く一回転して地面に落下するシーンがあるが、キートンの両親はもともと舞台芸人で、キートンがまだ4歳の頃、彼の身体を逆さに持ち上げてぶんぶん振り回す「人間モップ」という、荒っぽいギャグを売り物とし、キートンは泣き顔一つせず演じていたという話がある)。
最大の見どころは、3階の部屋に閉じ込められたキートンが、やはり向かいの3階にいるヴァージニアと駆け落ちする
ため、2人の友人に頼んで、その肩に立って空中を移動するシーンでしょうか。バレそうになると、1段目の友人は1階の窓に、2段目の友人は2階の窓に、そしてキートンは3階の窓に飛び込む―これを何往復もして、最終的にはキートンがヴァージニアを担いで、肩車のまま小走りで逃げるという、まるでアニメを強引に実写化したかのようなアクションでした。キートン一人で派手なアクションをするシーンは多々ありますが、これはヴァージニア・フォックスの加えた4人によるものなので珍しいです。
キートンが警官から逃れる際に野球場の塀の隙間から試合を観ていると、ホームランボールが警官を直撃。活動弁士が「ベーブ・ルースはやっぱりスゴイな」というセリフをアテていましたが、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースはこの映画の公開の前年の2020年、それまでの自己最多だった年間29本を大きく上回る54本のホームランを打ち、その翌年(つまりこの映画の公開年。映画は3月に公開されている)のシーズンでは、59本の本塁打を打ち、457塁打というMLB記録を打ち立てています。やはり、ベーブ・ルースの打ったホームランボールとの設定だったのでしょうか。
「キートンの隣同士」●原題:NEIGHBORS●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン●米国公開:1920/12(評価:★★★★)

ゴルフ場でも珍プレー続出のバスターは、打ったボールが茶店の壁に当たり、自分の頭に跳ね返ってきたために気絶してしまう。そこに現れた脱獄囚13号、自分の囚人服とバスターの服を取替えて、まんまとずらかる。意識を取り戻したバスターは、自分が囚人服を着ていることに気がつかないままプレイを続けようとするが、脱獄囚13号を追ってきた刑務所の看守たちに取り囲まれて、ようやく気づき、慌てて逃げ出す。何とか看守たちを巻いて、安全な場所に辿り着いたと思いホっとしたのも束の間、周りをよく見渡してみるとそこは刑務所の中。しかもその日の死刑執行対象者は、13号だった! 絞首台に上るバスター、絶体絶命のピンチ!(「キートンの囚人13号」)
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第2作(米国公開日:1920年10月27日)】。ゴルフでボール一つが思い通りにならず、苦闘するキートン。でも、空振りしてひっくり返るアクションからもう人間離れしているという感じ。池ポチャのボールを打つというのもスゴイね(クラブをオールに使えるのか?)。間違って刑務所に送られてからはアクションがさらにヒートアップし、それも畳みかけるようなテンポで続きます。エドワード・F・クラインは、「死刑執行人チャンピオン」。何だ、それ?。一方の、ジョー・ロバーツ演じる極悪囚人は人間離れした力を見せます。しかし、それもキートンの奇想天外なアクションを前にしては敵わない。キートンの本領発揮作品。無理に夢落ちにする必要もなかったかもしれませんが(「ゴルフ狂の夢」という邦題もある)、アクションがシュール過ぎることや「死刑執行人チャンピオン」がいることの説明にはなっている? 絞首刑にされそうになったキートンの首吊りロープがゴムにすり替えられていて、キートンがピョンピョン跳ねるシーンなどはブラックユーモア的であり(死ねない分、逆に苦しいのでは(笑))、そうしてこともあって夢落ちにした?
バスターとジョーは部屋が一つしかない一軒家で共同生活をしている。歯痛に悩むバスターの傍らで身だしなみを整えるジョー、鏡を裏返すとそこにはシビルの肖像写真が貼ってある。それに向かってジョーが愛情表現するのを見たバスターはそれを取り上げて「彼女がどう思ってるかわからないけど、結婚するのは僕だよ」と歯痛も忘れて熱く主張する。歯を抜いてから、いつものとおり、朝食の準備。バスターは料理ジョーはテーブルセッティング。母親がいなくても家事が円滑に運ぶように、室内には様々な工夫が凝らされていた。後片付けを迅速かつ完璧に終えてからお出掛け。 外に出てみるとタイミング良く隣のお嬢さんシビル登場。彼女を巡って二人は争奪戦を繰り広げる。そ
の様子を見たシビルの父親はシビルに家に戻るよう戒める。面白くないシビルは、父親に仕返ししようと、胃にもたれるようなクリームたっぷりのパイを焼いた。それを窓辺に置いて冷ましている間、庭先に出てダンサーズ組合で習った踊りを母親に披露するシビル。たまたまジョーが通りかかり踊りのお相手を務めることに。後から来たバスターは仲の良さそうな二人を見て、ハートブレイク。力なく窓辺に寄り掛かる。と、そこにはこってりしたパイを食べて興奮した犬がいた。それを狂犬だと勘違いしたバスターは逃げる。逃げるから犬は追っかけてきて、高い塀の上までついてくる。追い詰められたキートンだったが―(「キートンの案山子」)。
キートン・プロのキートン監督・出演作の【第3作(米国公開日:1920年11月17日)】。天井から調味料セットは出てくるは、風呂とソファー兼用、本棚の背後に冷蔵庫...etc. バスターとジョーの家のセットの仕掛けがスゴすぎ! 前半丁寧に家のギミックを見せ、中盤から犬との追い駆けっこになって爆走、終盤は案山子にもなって、ハッピーエンドまで走り切ったという感じでした。キートンが以前に一緒に仕事していたロスコー・アーバックル(「キートンとファッティのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」('17年)
などの監督・脚本家兼俳優で、それ以前に「両夫婦」('14年)などチャップリンの作品にも出ていたが、1920年当時の彼はすでにパラマウント社へ移籍していた。1921年、女優ヴァージニア・ラッペへの強姦殺人容疑で起訴され、映画界を追放されるが、後に冤罪であったことが証明されている)との共作期のリズムとテンポを踏襲しているのは間違いありません。滅茶苦茶"演技"しまくっている犬"ルーク・ザ・ドッグ"は、そのアーバックルの飼い犬だそうです。シビル・シーリーって「
「キートンの案山子(スケアクロウ)」●原題:THE SCARECROW●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/エドワード・F・クライン/ジョー・ロバーツ/ジョセフ・M・シェンク/ルーク・ザ・ドッグ●米国公開:1920/11(評価:★★★★)

(ジョルジュ・メリエス賞)、1958年・第11回「カンヌ国際映画祭 審査員特別賞」を受賞したほか、米国で1958年・第31回「アカデミー賞外国語映画賞」を受賞していますが、この作品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、ジャック・タチのモダニスト的な資質も注目されました(映画は小説化されていて、文庫化もされている)。
一方、「ぼくの伯父さんの休暇)」は、海辺の避暑地にやって来てバカンスを楽しむユロ氏が、行く先々で珍妙な騒動を巻き起こすというもので、ストーリーらしいストーリーは存在せず、いわゆる「スケッチ・コメディー」(ポートレイト・ムービー形式のコメディ)に仕立てていますが、こちらもフランス人らしいエスプリの効いたコメディ作品であり、「ぼくの伯父さん」以前にジャック・タチのスタイルが出来上がっていたことを窺わせます。「ぼくの伯父さん」と違ってモノクロ映画ですが、これはこれで強い印象がありました。この作品は、1953年度の「


・エテックスはどこに出ていたか思い出せない。また、
「ぼくの伯父さん」●原題:MON ONCLE(英題:My Uncle)●制作年:1958年●制作国:フランス・イタリア●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:ジャン・ブールゴワン●音楽:アラン・ロマン/フランク・バルチェッリーニ●時間:120分●出演:ジャック・
タチ/アラン・ベクール/ジャン=ピエール・ゾラ/アドリアンヌ・セルヴァンティ/ドミニク・マリー/ルシアン・フレジス/ベティ・シュナイダー/イヴォンヌ・アルノー/ピエール・エテックス(?)●日本公開1958/12:●配給:新外映●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)
「ぼくの伯父さんの休暇」●原題:LES VACANCES DE MONSIEUR HULOT(英題:Monsieur Hulot's Holiday, Mr. Hulot's Holiday)●制作
年:1953年●制作国:フランス●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:フレッド・オラン/ジャック・タチ●音楽:アラン・ロマン●時間:88分●出演:ジャック・タチ/ナタリー・パスコー/ルイ・ペロー/アンドレ・デュボワ●日本公開:1963/08●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)
工場経営者の娘と結婚したピエール(エテックス)は、義父から仕事を任され妻フロランス(アニー・フラテリーニ)と悠々自適な暮らしを送りながらも、どこか満たされない思いを抱えていた。そんなある日、彼は秘書として入社してきた18歳の魅力的な女性アグネス(ニコール・カルファン)に心を奪われ、妄想をエスカレートさせていく―(「大恋愛」)。
「大恋愛」はピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)初のカラー長編映画。男(エテックス)の夢想で繰り広げられる恋の身悶えが伝わってきますが(ニコール・カルファンが可愛いい。彼女に限らず、エテックス映画には美女がよく出てくる)、ラスト、意外とあっさり覚めて元の鞘に収まった感じ(ビリー・ワイルダーの「
実は、妻フロランスを演じたアニー・フラテリーニは、後に本当にエテックスと結婚しています。アニー・フラテリニは元サーカス芸人で、エテックスは彼女と共にアニー・フラテリニサーカス学校を設立しています(1997年に死別)。
結婚記念日を妻と自宅で祝うため、プレゼントやワインを買い込んで家路を急ぐ男。しかしパリの交通渋滞などのトラブルに次から次へと巻き込まれ、なかなか家に辿り着くことができず―(「幸福な結婚記念日」)。
「幸福な結婚記念日」は短編で、主人公の男が結婚記念日に妻の待つ我が家に帰宅しようとするも、渋滞などに巻き込まれ、なかなか帰宅できない様を描いたもの(「健康でさえあれば」にも渋滞コメディがあったなあ)。現代人のストレス感を主人公が象徴的に代弁している感じ。そうしたこともあってか、1963年・第35回「アカデミー賞」で「最優秀短編実写映画賞」を受賞しています。


「幸福な結婚記念日」●原題:HEUREUX ANNIVERSAIRE(英:HAPPY ANNIVERSARY)●制作年:1962 年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●製作:ポール・クロードン●撮影:ピエール・ルバン●音楽:クロード・スティエルマンス●時間:13分●出演:ピエール・エテックス/ジョルジュ・ロリオット/ノノ・ザミット/ルシアン・フレジス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-27)(評価:★★★☆)
ピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)の「健康でさえあれば」は、「不眠症」「シネマトグラフ」「健康でさえあれば」「もう森へなんか行かない」の4話のオムニバス映画。1965年に一本の長編として仕上げられたものを1971年に再編集し、もともと一部を構成していた「絶好調」を独立させ、お蔵入りにしていた「もう森へなんか行かない」を第4話に入れたとのことです。
「不眠症」... 夜なかなか寝付けない男(エテックス)は、時間を潰そうとしてドラキュラ小説を読み始めるが―。ベッドで小説を読む男のいる
現実世界(カラー)と、ドラキュラ小説の世界(モノクロ)を行き来し、やがて両方が交錯する展開が面白かったです。ドラキュラ小説の世界は重厚にしっかり描かれていて、トッド・ブラウニング の 「
「シネマトグラフ」... 男(エテックス)は映画館にいたはずだったのだが、幕間に流れるCM の奇妙な世界へ入り込んでしまう―。序盤は映画館の客たちのマナーの悪さが面白おかしく描かれ、映画が始まる前にTVコマーシャルっぽいCMが入るのですが、そのトーンがどこか変てこで、CMタレントたちが商品の効果を訴える相手がいつの間にかエテックスが演じる男になってしまっています。現実と仮想が交錯すると言う点で第1話「不眠症」に似ていますが、こちらは主人公が完全にCMの世界に入り込んでしまう感じ。"一滴垂らすだけで水を牛乳に変えるエキス"とか"車から髪の毛からサラダまで使える万能オイル"とか、完全に誇大広告の皮肉。シュールな小ネタの数々が楽しいです。
「健康でさえあれば」... 近代化が進む都市。誰もがストレスを抱えて精神科を訪ねるが、ひときわストレスを抱えているのは精神科医本人だった。そこへ一人の男(エテックス)が訪ねて来る―。工事現場の騒音、交通渋滞といった現代ストレスの元凶が描かれ、バックには常にドリルを穿つような音が流れる中、話は展開していきます。と言っても脈絡が」あるような話でもなく、ナンセンスギャグの連続という感じ。込み合ったレストランで男の隣に席移動した薬剤師が、誤って男の薬かなんかを食べてしまうコント風のギャグが可笑しかったです(精神科のグラマーな受付嬢はベラ・バルモントか)。
「もう森へなんか行かない」... 都会の喧騒から打って変わって、小鳥のさえずる田園が舞台。森に狩りにきた下手糞ハンター(エテックス)、境界柵の杭打ち作業をする農夫(管理人?)、ピクニックに来た中年夫婦が織りなすカリカチュア―。お互いに干渉し合ってお互いに目標が達成できないという状況を、ドリフターズのコントの連続のような形で描き出しています。4話の中では、比較的オーソドックスなコメディかも。第3話「健康でさえあれば」と突き合わせると、都会も嫌だけれど、田舎も楽しいことは無いということになる?
「絶好調」... 田舎でソロキャンプをしていた青年(エテックス)は、管理の行き届いたキャンプ場へ行くよう警官に指示される。仕方なくキャンプ場へ移動したものの、そこは有刺鉄線で囲われた強制収容所(キャンプ)のような場所だった―。序盤のソロキャンプでいつまでも珈琲が沸かせないエテックスは、短編「
「健康でさえあれば」●原題:TANT QU'ON A LA SANTE(英題:AS LONG AS YOU'VE GOT YOUR HEALTH)●制作年:1965 年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:67分●出演:ピエール・エテックス/デニース・ペロンヌ/サヴィーヌ・サン/ベラ・バルモント/ロジェ・トラップ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)


「絶好調」●原題:EN PLEINE FORME(英題:FEELING GOOD)●制作年:1965年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:14分●出演:ピエール・エテックス/ロジェ・トラップ /プレストン/ロベルト・ブロメ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)


世界恐慌で破産した大富豪(ピエール・エテックス)は、元恋人であるサーカスの曲馬師と再会し、その存在を知らなかった幼い息子との3人での地方巡業の旅に出る。やがて成長した息子はヨーヨー(ピエール・エテックス二役)という人気クラウンになり、第2次世界大戦が終わると、かつて父が暮らしていた城を再建するべく奔走する。空中ブランコ乗りのイゾリーナ(クローディーヌ・オージェ)に恋したヨーヨーは、興行プロデューサーとして成功するが―。
世界恐慌までを字幕付きのサイレントで、その後をトーキーで描いています。エテックスの盟友で後に「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などを手がける脚本家ジャン=クロード・カリエールが共同脚本を担当。日本では「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」(2022年12月24日~2023年1月20日、東京・シアター・イメージフォーラム)で劇場初公開されました。
最初の方の大豪邸における大富豪の暮らしぶりから圧巻。就寝するだけのことに何人の執事らが関わるのか数えきれす、楽団が来てセレナーデか何か奏でたり、大勢の女性たちが体をほぐすに来たりと、一体この邸宅で何人雇っているのでしょうか。立派な岩風呂にこれから自分が入るのかと思ったら、飼い犬用だったというのには笑いました。でも、大富豪自身はどこか虚無的。曲馬師の娘に恋することで人生の喜びに目覚める―。
やがて世界恐慌。ビルの屋上から自殺者が降ってくるので気をつけなければならない。富豪も破産し、女性と再び出会うが、彼女の傍にいたのは自分の息子だった。そして3人でサーカスの旅へ。ライバルのサーカス一行が「ザンパノとジェルソミーナ」(フェデリコ・フェリーニの 「
やがて、主役は富豪からクラウンとして有名になった息子にバトンタッチされます(言ってもどちらもエテックスが演じているだが)。彼は子供時代に父の屋敷に入り込んで彷徨い(そのシーンはベルイマン映画のよう)、その時の憧れから父の屋敷を取り戻そうと頑張り、クラウンとして稼ぎをすべて屋敷の修復に費やします。その間、人気スターゆえの煩わしさや、製作者としての何かとままらない気持ちも描かれます(前年公開のフェリーニの「
そして、遂に屋敷を完全修復し、大勢を招いてお披露目パーティーを。離れて暮らす両親(画面に顔は出てこない)を呼び寄せ、屋敷の中を見るよう言いますが、両親は中には入らず去っていきます。そのことで、華やかだが空疎な豪邸を後に、ヨーヨー自身も象に乗って去っていく―やはり、ヨーヨーはサーカスの世界に帰っていくということでしょう。ちょっと寂しいけれど、いいエンディングでした。
さらに、そうした「映画愛」以上に「サーカス愛」に溢れるコメディ映画で、ピエール・エテックスもこの5年後、フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニの道化師」('70年・伊)に出演します。かつての名道化師を追いかけていたフェリーニが、彼らの演技を収めたフィルムのある家を訪ねます。そのフィルムを持っていたのが、名
コメディアンで映画監督でもあったピエール・エテックス(「道化師」に関しては本邦ではピエール・エテの表記)だったと(部屋のバックに「ヨーヨー」のポスターが見える)。
、フェリーニ監督がイタリア国営放送のために制作したドキュメンタリー風テレビ映画で、実際にはドキュメンタリーに見える部分も演出されているようです(実在の道化師たちの談話がフェリーニ率いる虚実混淆の"撮影隊"によってフィルムに収められる様子が描かれることで、映画は幻想と現実が幾重にも入り組んだ複雑な様相を呈している)。1970年の12月25日(クリスマスの日)にテレビ放映され、同月27日から劇場公開されていますが、傑作との評判に7年後の1976年12月に日本でも公開の運びとなっています。サーカスやピエロといった消えゆく文化への惜別の念と再興への希望という点で、「ヨーヨー」「道化師」の両作品は通底しているように思いました。
ピエール・エテックスはこのほかに自身の監督作以外に10数本の映画に出演していて、映画を撮ることは早くにやめてしまいましたが(1971製作のヴァカンスに出かけるフランス人たちを辛辣ともいえる視線で捉え(「ぼくの伯父さんの休暇」へのオマージュか)、ビュルレスク的に構成した初のドキュメンタリー「


⦅「フェリーニの道化師」あらすじ⦆
現在、道化師はどうなったか。フェリーニ監督は「恐怖を誘う強烈な喜劇性と大騒ぎの楽しさ。彼らの属していた世界はない。サーカス小屋はグランドだ。観客に子どもらしい単純さはない」と現状を調べようと取材チームを組み各地を取材する。イタリアのオルフェイサーカスを訪ねた(サーカスではアニタ・エクバーグと偶然会う)。座長は「現代の道化師は、長いものは喜ばれない。笑いは10分でいい」「昔の道化師は終わった。今は扮装も変わった」と語る。オーギュストという道化師は、酒びたりで病院に入院したが、ヌーボーサーカスの道化を見るため病院を抜け出し、芸を見ながら亡くなった。パリの「冬」サーカス場は、全盛は終わり観客が子どもだけ、そこにいるバプティストやチャップリンの娘はフランス巡業を夢見ている。スペインの道化師リベルは道化師の学校を作れと主張。ピエール・エテ監督は道化師の記録映画を持っていたが、フイルムが焼けて見られない。ロリオ、バリオなどはアルバムを見せ過去を語るだけ。そしてクライマックスの道化師の死をテーマにした大掛かりな道化師を結集した圧巻の芸が展開される。やがて終演し、道化師たちは退場して消灯される。その中で一人の道化師はトランペットで「引き潮」を吹き鳴らし、死んだ仲間の存在を確かめまる。すると死んだ仲間が現れ、一緒に舞台で演奏し合い静かに楽屋へ去る。
「ヨーヨー」●原題:YOYO●制作年:1964年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●時間:98分●出演:ピエール・エテックス/リュス・クランクローディーヌ・オージェ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-06)(評価:★★★★)
「フェリーニの道化師」●原題:FELLINI:I CROWNS●制作年:1970年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:エリオ・スカルダマーリャ/ウーゴ・グエッラ●脚本:フ
ェデリコ・フェリーニ/ベルナルディーノ・ザッポーニ●撮影:ダリオ・ディ・パルマ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:110分●出演:フェデリコ・フェリーニ/アニタ・エクバ
ーグ/ピエール・エテックス/ジョセフィン・チャップリン/グスターブ・フラッテリーニ/バティスト/アニイ・フラッテリーニ/リアナ/トリスタン・ルミイ/フランコ・ミグリオリーニ●日本公開:1976/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-02-07)(評価:★★★★)●併映:「フェリーニのアマルコルド」(フェデリコ・フェリーニ)
「桃源郷」●原題:PAYS DE COCAGNE(英題:Land of Milk and Honey)●制作年:1971年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ホセ・パディーヤ●時間:80分●ドキュメンタリー●日本公開:2022/12●配給:東京日仏学院[自主上映](「フレンチタッチ・コメディ!〜30年から現在までのフランス映画のコメディ特集」(15-11-20))(評価:★★★?)
天文学の趣味に没頭してばかりの不器用な三十男(ピエール・エテックス)。ある日、父親(クロード・マッソ)から結婚を命じられ、色々な女性を求めて町
を歩いたが、この純情青年に振り向く女性はなかった。この家に下宿していたスウェーデンの美少女(カリン・ベズレー)にもプロポーズしたが、仏語のわからない彼女にはさっぱり。男は遂にナイトクラブでローレンス(ローランス・リニェール)という女と知りあったが、この女、大酒のみで困った性格だが、それでも優しく親切であった。とこ
ろが、テレビの中で悩ましく歌う歌手(フランス・アルネル)を見て、彼はたちまちノボセる。部屋中を彼女のブロマイ
ドで飾りたて、等身大の立看板まで持ち込む執心ぶり。この有様を見たスウェーデン娘の哀しみが彼に理解出来るワケもなく、苦心惨憺ようやく歌手の楽屋を訪ね、その夢と現実のあまりの差異に男は初めて大声で快活に笑った。スウェーデン娘が淋し
くパリを後にするとき、彼女こそ、彼の純情を理解した真実人生の伴侶にふさわしい女性であったことに彼は気づき後を追う―。
映画監督・俳優・イラストレーター・道化師など多彩に活躍したフランスのマルチアーティスト、ピエール・エテックス(1918-2016/87歳没)監督の1962年の長編監督デビュー作(原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR))。フランス本国で大
ヒットし、喜劇映画ではジャック・タチの「
となる「
非モテ系青年が結婚を決意し、女性と付き合おうとするも次々と失敗するコメディ。引き籠りの天文学オタクだけれども、女性には夢想的憧れを抱いているという、主人公の性格を如実に知らしめる演出が冒頭から巧みで、リアルさとオーバーにならない喜劇的演技のバランスがほど良かったように思います。
恋人から手紙を受け取った男。中には破かれた自分の写真が同封されていた!こちらも負けじと別れの手紙を書こうと奮闘するが、万年筆、インク、便箋、切手、デスク...なぜか翻弄されてどうしても返事を書くことができない―(「破局」)。
ジャン=クロード・カリエールとの共同監督・脚本作ですが、セリフがなく、音を使ったギャグが冴える作品でした。何をやろうとしてもうまくいかない、こんなことって日常でもあるかも。ここまでそれが連続することはないにしても...。危ない、危ないと思わせて、実際そうなるところが上手いです。ただ、転落するラストは予想外でした。軽くブラック・コメディ的で、これは両作品に言えることかもしれません。
「恋する男(女はコワイです)」●原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR)●制作年:1962年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:84分●出演:ピエール・エテックス/クロード・マッソ/デニース・ペロンヌ/ローレンス・リニエール/フランス・アルネル/カリン・ヴェスリ●日本公開:1963/11●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)(評価:★★★☆)●併映:「破局」(ピエール・エテックス)
「破局」●原題:RUPTURE●制作年:1961年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:12分●出演:ピエール・エテックス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)((評価:★★★☆)●併映:「恋する男」(ピエール・エテックス)
〈第1話:7時のランデブー〉法学部の学生エステル(クララ・ベラール)は試験を控えているが、恋人のオラス(アントワーヌ・バズレル)が自分に会わない日の7時ごろにカフェで別の女の子とデートしているという話
を聞かされて勉強も手につかない。朝、市場で買い物中のクララは見知らぬ男に愛を告白され、ふと思いついてオラスがデートしていたという例のカフェに夜7時に来るように言う。その直後彼女は財布がないのに気づき、さてはあの男にスラれたと思う。夕方、アリシー(ジュディット・シャンセル)という女の子が財布を拾って届けてくれた。彼女は7時に例のカフェで待ち合わせがあるというので、エステールも件のスリとの待ち合わせの話をして一緒に行く。予想どおり、アリシーのデートの相手はオラスだった。エステルは彼に愛想が尽きる。アリシーも事態を察して去ると、そのテーブルに朝の市場の青年が腰掛け、人を待つ風でビールを注文する―。
「
〈第2話:パリのベンチ〉彼(セルジュ・レンコ)は郊外に住む文学教師、彼女(オロール・ローシェール)は同棲中の恋人が別にいるらしい。9月から11月にかけて、二人はパリの随所にある公園でデートを重ねる。彼は彼女
を自宅に連れていきたいが、彼女は貴方の同居人がいやといって断る。彼女の恋人が親類の結婚式で留守にするとかで、彼女は観光客になったつもりでホテルに泊まろうと提案する。いざ目的のホテル前で、彼女は恋人が別の女とホテルに入るのを見る。別れるのは今がチャンスという彼に、彼女は「恋人がいなければあなたなんて必要ないわ」と言う―。
第1話と対照的に第2話は完全に女性上位。主人公の彼女の好みで、デートの場所はいつも外で、場所も彼女が指定するのですが、それが、9月30日 サン=ヴァンサン墓地、10月14日 ベルヴィル公園、10月21日 ヴィレット公園、11月12日 モンスリ公園、11月18日 トロカデロ庭園、11月25日 オートゥイユ庭園...といった具合に日記風に展開されていき、映画自体がパリの公園巡りみたいになっています(笑)。ラストに決定的な女性のエゴを見せつけられた気がしますが、第1話と違って、この女性が嫌になると言うより(好きにもならないが)、男女の関係というものの複雑さを感じさせ、意外と深いエピソードだったようにも思います。
〈第3話:母と子1907年〉ピカソ美術館の近くに住む画家(ミカエル・クラフト)は、知人からスウェーデン人女性(ヴェロニカ・ヨハンソン)を紹介されていた。彼は自分を訪ねて来た彼女をピカソ美術館に連れていく。自分は美術館に入らず、8時に会う約束をしてアトリエに帰るその途中、彼は若い女(ベネディクト・ロワイヤン)とすれ違い、彼女を追って美術館に入る。彼女は「母と子1907年」の前に座る。彼はスウェーデン女性と合流し、そ
の名画の前で例の女性にわざと聞こえるように絵の講釈を始める。彼女が席を立ち、彼は慌てて別れを告げて女を追って美術館を出て、道で声をかける。彼女は自分は新婚で夫は出版業者、今度出る画集の色を原画と比べに来たのだという。彼はめげず、彼女も興味を覚えて彼の絵を見にアトリエに行く。二人は絵画談義を交わし、結局何もないまま女は去る。画家はしばし絵筆を取って作品に手を加え、スウェーデン女性との待ち合わせの場所に行く。だが時間が過ぎても女は現れない。家に帰った画家は絵の中の人物を一人完成させ、呟く。「それでも今日一日まったく無駄ではなかった」と―。
ベネディクト・ロワイヤンの《美術女》ぶりがいいですが、元々は人気モデルで、映画出演はあまりないみたい。スウェーデン人女性=のヴェロニカ・ヨハンソンも同じくモデル系でしょうか(皆が振り返るような振るには勿体ない美人だと思ったら、最後は女の方が男を振ったのか)。こうした演技経験の浅い人を使うところがエリック・ロメールらしく、先に挙げた濱口竜介監督はそうした部分においてもこれに倣っていて、「
各話の頭にアコーディオン弾きと歌い手の2人組が出てくるのは、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」へのオマージュでしょう。各話を繋いでいく辺りも演出方法そうですが、エリック・ロメール監督自身、先駆者の影響を受けているのだなあと改めて思いました。
濱口竜介監督は演出においてひたすら「本読み」をやることで知られていますが、エリック・ロメール監督がそうであり、さらに遡るとジャン・ルノワール監督もそう。濱口監督によれば、エリック・ロメールは演技経験のない人とそれをやることを好み、ジャン・ルノワールはプロフェッショナルの役者とそれをやることを好んだそうです。濱口監督の場合、経験のない人とは「



シネヴィヴァンは独自に映画パンフレットを作っていて、ロベール・ブレッソン監督の「

パリの南西部ヴァンデ県サン=ジュイールの市長ジュリアン(パスカル・グレゴリー)は、村の原っぱに、図書館とCD・ビデオのライブラリー、野外劇場、プールを備えた総合文化センターを建設しようと考えていた。だが、この計画は周囲の賛同を得られないでいる。ジュリアンの恋人で、根っからのパリっ子である小説家のベレニス(アリエル・ドンバール)も「文化会館なんて必要かしら」と少々懐疑的
。村のエコロジストの小学校教師マルク(ファブリス・ルキーニ)は、烈火のごとく怒る。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌ(クレマンティーヌ・アムルー)のルポは編集長(フランソワ・マリー・バニエ)の独断で、マルクを中心としたエコロジー特集になってしまう。そんなある日、偶然にマルクの娘ゾエ(ギャラクシー・バルブット)とジュリアンの娘ヴェガ(ジェシカ・シュウィング)が出会って友達となり、ゾエは市長に「文化会館よりみんなが集まって楽しめる広場がいいわ」と訴える。結局、予定地の地盤が弱いことが判明し、建設は中止となった。代わりにジュリアンは広大な土地を開放し、そこは人々の憩いの広場となった―。
アリエル・ドンバールをたっぷり観られる映画でもあります。市長ジュリアン役のパスカル・グレゴリーは、「海辺のポリーヌ」('83年)ではアリエル・ドンバールに袖にされる役でしたが、10年後のこの作品では恋人同士の役。パスカル・グレゴリーは、最近では婁燁(ロウ・イエ)監督の 「
文化会館設立反対派の教師マルクを演じたのはファブリス・ルキーニで、「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)の第4話「絵の売買」の画廊の主人役などエリック・ロメール監督の常連。最近ではフランソワ・オゾン監督のコメディ映画「
「木と市長と文化会館 または七つの偶然」●原題:L'ARBRE, LE MAIRE ET LA MEDIATHEQUE OU LES HASARDS(英:THE TREE, THE MAYOR AND THE MEDIATHEQUE)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー/フランソワ・マリー・バニエ/ジャン・パルヴュレスコ/フランソワーズ・エチュガレー/ギャラクシー・バルブット/ジェシカ・シュウィング/レイモンド・ファロ/マヌエラ・ヘッセ●日本公開:1994/04●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-28)((評価:★★★☆)
自転車のパンクをきっかけにミラベル(ジェシカ・フォルド)は、ある田舎道で、この町の納屋のような家に一人で住み、絵を描いて暮らしているレネット(ジョエル・ミケル)と出会う。彼女はミラベルに、夜明け前に1分間だけ音のない世界になる"青の時間"を体験させようと家に泊まるよう誘うが、せっかくのチャンスが車の音で失敗に終わる。落胆するレネットに、ミラベルはもう1晩泊まることを告げ、二人はその昼間に田舎の生活と自然を満喫する。そして2泊目の夜明け、二人は"青い時間"を味わい 感動する―。(第1話「青い時間」)
同監督の「緑の光線」に似ているように思いました。シリーズ第5作「緑の光線」('86年)は、孤独なヒロインがバカンスの最後の日に知り合った若者と一緒に、日没前に一瞬だけ見えるという太陽の「緑の光線」を見に行くという話でしたが、「青い時間」では、それぞれ田舎と都会に住む若い女性同士の組み合わせ。二人の出会いから、性格の全く異なる二人が打ち解けていく様ががごく自然に描かれていていました。自然も美しいし(「緑の光線」と同じく、チーズで有名なブリー地方が舞台)、レネットの住まいも悪くなかったです。でもパリで絵の勉強をするために、彼女はミラベルのアパートへ―。
秋になり、パリのミラベルのアパートで同居し、美術学校に通うレネットは、ある日ミラベルと待ち合わせしたモンパルナスのカフェで、奇妙なボーイ(フィリップ・ロダンバッシュ)と出会う。小銭を持っていないミラベルがコーヒー代に200フラン札を出すと、ボーイは「どうせ友だちなんか来ないんだろう。飲み逃げしようとしてもそうはいかない。おつりが出せないから小銭で払え」と無理難題を言う そこにミラベルがやってきて、彼女は500フラン札を出してボーイと押し問答が続くが、ボーイが席を離れた隙に二人はお金を払わず逃げてしまう しかし、レネットは翌朝、代金を払いにカフェに行く―。(第2話「カフェのボーイ」)
物乞いに小銭をやるレネットに影響を受けたミラベルは、ある日、スーパーで万引きする女(ヤスミナ・アウリー)を見つけ、彼女を助ける行為をするが、成り行きから女が万引きした商品はミラベルの手に残ってしまう 帰宅後、二人は彼女の行為について議論する 。ある日 レネットは、駅で小銭をせびる女(マリー・リヴィエール)に会い、彼女に小銭を与えたため電車に乗り遅れてしまう。 電話をしようとするが小銭がないので、彼女も通行人に小銭をせびるがうまくいかない。 すると、先ほどの女がまた通行人から小銭をせびっているのを見つけ、彼女に金を返すように詰め寄るが、彼女が泣き出してしまい 諦める―。(第3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」)
レネットは、今月家賃を払う番だったが、金が無く、 二人はレネットが描いた絵を画廊に売ることにする。 レネットは言葉が話せないふりをして画廊の主人(ファブリス・ルキーニ)と交渉するがうまくいかない。しかし、他の客が画廊に入って来たのを契機に、ミラベルが機転を発揮し二人は大金を手にする―。(第4話「絵の売買」)
4話の中では第1話が★★★★、第4話が★★★☆、あと第2話と第3話が★★★といったところでしょうか。どれもユーモアを交えた軽快なタッチで描かれていて、「喜劇と格言劇」シリーズの作品と比べてもより軽いかも。「喜劇と格言劇」シリーズが男女の恋愛模様を中心に描いているのに対して、女性同士のからっとした感じの友情を描いており、そうした男女の情が絡まない分、軽くなっているのかもしれません。
パリ近郊の新都市セルジー・ポントワーズで市役所に勤めるブランシュ(エマニュエル・ショーレ)は、職員食堂で最後の夏休みを迎えた学生レア(ソフィー・ルノワール)と出会い意気投合する。恋人ファビアン(エリック・ビエラード)の好きな水泳が苦手というレアのため、ブランシュは水泳の手ほどきをすることに。そして二人がプー
ルにいたところへ、ファビアンの友人アレクサンドル(フランソワ・エリック・ゲンドロン)が現れる。ブランシュはたちまちアレクサンドルに恋してしまうが、好きな相手に対して臆病になってしまう性格のため打ち解けられない。ファビアンは卒業を機に、最近ウマが合わないファビアンを捨て、パリを去ろうとする。運命の悪戯でブランシュはファビアンと親しくなり、一夜を共にする。ところが、休暇旅行から帰ってきたレアがファビアンと仲直りしたとブランシュに告げる。一方、レアはアレクサンドルに口説かれる―。
「友だちの恋人」(副題は「友だちの友だちは友だち」)は、エリック・ロメール監督による1987年公開作品。同監督の「喜劇と格言劇」シリーズ第6作で、これがシリーズ最終作になります。パリ郊外のニュータウンを舞台に、4人の男女が繰り広げる恋愛模様を軽快なタッチで描いていて、これまでのシリーズ作が一人の女性が主人公だったのが、今回は一応ヒロインに焦点を合わせながらも、主人公とその女友達の恋愛も描いていて、相互に"反応"し合う男女2×2の恋物語になっている点が特徴的です。
主要登場人物4人の関係がどんどん移り変わって、観ている方も混乱しますが、仕舞いには、登場人物であるブランシュとレアも互いに勘違いしたりして(笑)。ラストは
ハッピーエンドでしたが、ブランシュは周囲に振り回されている印象も。これがハッピーエンドでなかったら、あまり好きになれない映画だったかもしれません。この二組、この先大丈夫かなあというのもあります(特にアレクサンドルはプレイボーイだし)。
ロメール監督の「
「友だちの恋人」●原題:L'AMI DE MON AMIE(英:BOYFRIENDS AND GIRLFRIENDS)●制作年:1987年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:102分●出演:エマニュエル・ショーレ/ソフィー・ルノワール/エリック・ヴィラール/フランソワ・エリック・ジェンドロン/アン=ロール・マーリー●日本公開:1988/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-04)(評価:★★★☆)




クレオ(コリーヌ・マルシャン)は売り出し中のポップシンガー。午後7時に、2日前に受けた精密検査の結果を聞くことになっている彼女は、自分がガンではないかと怯えつつ、占い師にタロットで自分の未来を占ってもらう。占い師は、身近な未亡人が面倒を見てくれていること、寛大な恋人がいるがなかなか会えずにいること、音楽の才能があることなど、クレオの過去と現在の状況を正しく言い当て、未来については、病気の兆候があることを告げるものの、そのことについては口を濁して、これから調子のいい若者に出逢うだろうと告げる。しかし、クレオが部屋を出ると占い師は同居の男に「あの子はガンよ。もうだめだわ」と。一方クレオは、カフェで中年女性のアンジェール(ドミニク・ダヴレー)と落ち合う。アンジェー
ルはクレオの生活を管理するマネージャーのような女性。占いの結果を告げて泣くクレオをアンジェールが慰め、気持ちを落ち着けたクレオは帽子店に寄り帽子を選んでいるうちにすっかり機嫌をよくし、アンジェールと共にタクシーで帰路に。車中のラジオからはクレオの歌が流れる。帰宅するとやがて年上の恋人がやってくるが、仕事が忙しいからとすぐに帰ってしまう。入れ替わりにやってきた若い作曲家のボブ(ミッシェル・ルグラン)と作詞家。二人はクレオの新曲について相談とレッスンをしに来たのだった。陽気な二人と楽しそうにしていたク
レオだったが、二人が持ち込んだ新曲「恋の叫び」の暗い曲調と歌詞に心を掻き乱され、レッスンを中断して部屋を出て行ってしまう。クレオはパリの街を彷徨うが心落ち着けることができず、友人のドロテ(ドロテ・ブラン)に会いに行く。美術学校のヌードモデルの仕事を終えたドロテとクレオは、ドロテの恋人ラウルの車で出掛け、クレオは病気への不安をドロテに打ち明ける。二人はラウルが映写技師として働く映画館に行き、映写室の小窓から無声映画のコメディを見て楽しむ。しかし、映画館を出たクレオは
、バッグの鏡を落として割れたのが不吉だとまた不安になる。ドロテと別れたクレオはタクシーでモンスリ公園に向かう。園内を散策していると、アントワーヌという若い男(アントワーヌ・ブルセイエ)が馴れ馴れしく声を掛けてくる。最初鬱陶しく思っていたクレオだったが、次第に話をするようになる。彼は休暇中の兵士で、今夜軍隊に戻り、アルジェリアに向かうという。病気についての不安を打ち明けたクレオが、検査の結果を面と向かって聴くのは怖いので医師に電話をするつもりだと言うと、アントワーヌは一緒に行こうとクレオを誘い、ピティエ=サルペトリエール病院に向かう。病院の受付でクレオは、担当医のヴァリノは既に帰ったと告げられる。クレオとアントワーヌは病院の広い庭を手を繋いで歩き、やがてベンチに腰をかける。そこに一台の車がやってきて二人の前で止まる。運転していたのは帰宅したはずのヴァリノ医師で、彼は「放射線治療は少々きついが必ず治るから心配は要らない。あす11時に来て下さい」と手早く告げると去って行く―。
振り返れば、終盤で戦地アルジェリアに行く青年と出会ったことで彼女の心境に変化があったことは間違いなく、その際の会話を顧みると、以下のような感じでした。
音楽のミシェル・ルグランは、クレオに曲を提供する作曲家役でも登場(若い!)、ピアノを弾き、達者な歌も聴かせています(検査結果が気が気でないクレオは、その彼に当り散らすのだが)。
クレオが訪ねる友人の映像作家が作った無声映画の登場人物として、当時結婚して間もない
「5時から7時までのクレオ」●原題:CLEO DE 5 A 7(英:CLEO FROM 5 TO 7)●制作年:1962年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:アニエス・ヴァルダ●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール/カルロ・ポンティ●撮影:ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン(主題歌:作詞アニエス・ヴァルダ/作曲ミシェル・ルグラン)●時間:90分●出演:コリーヌ・マルシャン/アントワーヌ・ブルセイエ/ドミニク・ダヴレー/ドロテ・ブラン/ミシェル・ルグラン/(サイレント映画のなかの登場人物)ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ
/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ/ジョルジュ・ドゥ・ボールガール●日本公開:1963/05●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(21-01-19)(評価:★★★★)
ポスター 「

富豪に嫁いだ姉を頼り、蘇州にやってきた少年・忠良(チョンリァン)。そこでは当主の愛娘・如意(ルーイー)を始め、皆が阿片
に酔いしれていた。退廃した空気の中、最愛の姉に弄ばれ絶望した忠良は屋敷を飛びだす。時は過ぎ、1920年代の魔都・上海。心に傷を負って女性を愛せなくなった忠良(張国栄(レスリー・チャン))は、人妻を誘惑して金品を巻き上げる上海マフィア配下のジゴロとなっていた。そんな彼に、マフィアのボスが故郷の女富豪を誘惑する様に命令を下す。彼女こそ、美しく成長した如意(鞏俐(コン・リー))だった。様々な思惑を交差させながら、二人はいつしか本気で愛し合うようになるが―。
1996年公開作で、陳凱歌(チェン・カイコー)監督のもと、「
というわけでカタルシス効果は弱いですが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュでもあります。室内シーンが多いせいか、クリストファー・ドイルっぽくはなかったかもしれませんが、この映像美を味わうだけでも価値はあるように思いました。


「花の影」●原題:風月(英:TEMPTRESS MOON)●制作年:1996年●制作国:香港・中国●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:湯君年(タン・チュンニェン)/徐楓(シュー・フォン)●脚本:舒琪(シュウ・チー)●撮影: クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽: 趙季平(チャオ・チーピン)●原案: 陳凱歌/王安憶(ワン・アンイー)●時間:128分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)/何賽飛(ホー・サイ
フェイ)/呉大維(デヴィッド・ウー)/謝添(シェ・ティェン)/周野芒(ジョウ・イェマン)/周潔(ジョウ・ジェ)/葛香亭(コー・シャンホン)/周迅(ジョウ・シュン)●日本公開:1996/12●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★☆)●最初に観た場所[4K版]:池袋・新文芸坐(24-02-26)

医学生のマックス・マッキャンドルス(ラミー・ユセフ)は、外科医で研究者のゴドウィン・バクスター(通称ゴッド)(ウィレム・デフォー)の助手に選ばれる。ゴッドはベラ・バクスター(エマ・ストーン)という知能が未発達の成人女性の研究をしてお
り、マックスはベラが覚えた言葉や食べた物を記録する仕事を引き受ける。ベラはゴッドの家の中に閉じ込められ、日々多くの語彙や感情を覚え、次第には性の歓びをも覚えていく。マックスは近くで観察する時間を過ごす中で、ベラに好意を抱くようになる。ベラの正体をゴッドに問い詰めたマックスは、次のよ
うな事実を知らされる。ある時、ヴィクトリア(エマ・ストーン、二役)という妊婦が橋から飛
び降り自殺をし、その遺体を発見したゴッドが、生存していた胎児の脳を妊婦に移殖して生き返らせたのだという。ゴッドの励ましを受け、マックスはベラに結婚を申し込み、ベラもそれを受け入れた。しかし、知性が急速に発達していったベラは自然と外の世界に興味を持ち始め、結婚の契約のために家に上がり込んだ放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく―。
ヨルゴス・ランティモス監督の2023年作で、「女王陛下のお気に入り」('18年/英・アイルランド・米)の時のエマ・ストーンと再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化したもの。2023年・第80回「ベネチア国際映画祭 金獅子賞」を受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞ほか計11部門にノミネートされ、主演女優賞、衣装デザイン賞、美術賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門で受賞しました。
原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(自作の挿画や表紙絵を自分で手掛けることで知られる)の同名小説('23年/ハヤカワepi文庫)で、メアリー・シェリーの『
「ラ・ラ・ランド」('16年/米)で2016年・第73回「ベネチア国際映画祭 女優賞」、第74回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメデ
ィ部門)」、第89回「アカデミー賞アカデミー主演女優賞」受賞のエマ・ストーンが、この作品でも2024年・第81回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)」、第96回「アカデミー主演女優賞」を受賞しました。
最後に、ベラが母であるヴィクトリアの自殺の原因が暴力的で残虐な夫・アルフィー(クリストファー・アボット)にあったことを突き止め、医者としてゴッドの研究を引き継ぐことを決意したベラが、(手始めに?)アルフィーにヤギの脳を移殖したという、言わば復讐劇的なオチでした。
ランティモス/エマ・ストーン●脚本:トニー・マクナマラ●撮影:ロビー・ライアン●音楽:イェルスキン・フェンドリックス●時間:141分●出演:エマ・ストーン/マーク・ラファロ/ウィレム・デフォー/ラミー・ユセフ/クリストファー・アボット/キャサリン・ハンター/ジェロッド・カーマイケル/マーガレット・クアリー/ハンナ・シグラ●日本公開:2024/01●配給:ディズニー●最初に観た場所:TOHOシネマズ日比谷(スクリーン5・デジタルTCX DOLBYATMOS上映)(23-02-08)((評価:★★★★)

ロサンゼルス 若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で出会ったビバリーヒルズへ行こうとしている中年女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。映画のキャスティング・ディレクターであるヴィクトリアは、新作に出演する女優を探し出すのに手を焼いていた。口は汚いがチャーミングなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアはある提案をする―。
ウィノナ・ライダー(当時19歳)がいい。こうした役を演じつつ、2年後のマーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」('93年/米)で伝統主義的な貴族の娘を演じて「ゴールデングローブ賞助演女優賞」を受賞しているからスゴイ。2001年に窃盗罪で逮捕され有罪となりキャリアが途切れかかったが、何とかつながった(10代の頃に境界性パーソナリティ障害を患っていたということと関係しているのか)。ジーナ・ローランズが佇むラストの余韻もいい。
ニューヨーク 寒い街角で、黒人の男ヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーを拾おうとするが、なかなか捕まらない。ようやく捕まえたタクシーを運転していたのは、東ドイツからやってきたばかりのヘルムート(アーミン・ミューラー=スタール)。しかし彼は英語がうまく話せず、その上オートマ車の運転もろくにできない。降りようにも降りられないヨーヨーは、自分でタクシー
を運転する―。
パリ 大使に会いに行くという黒人の乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手(イザック・ド・バンコレ)は、我慢ならず途中下車させてしまう。そこに若い盲目の女(ベアトリス・ダル)が乗車する。当初、運転手は気が強く態度の大きい女に苛立っていたが。だが、彼は晴眼者の
自分以上に鋭い感覚を持つ女には物事の本質が的確に見えているように思え、何とも言い難い強い印象を受ける―。
ローマ 1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父(パオロ・ボナチェリ)を乗せる。そして、せっかく神父を乗せたのだからと勝手に懺悔し始めるが、その内容は傍から見ればハレンチな艶笑話ばかり。神父は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく神父は、我慢してジーノの"懺悔"を聞き続ける―。
ロベルト・ベニーニが可笑しい。ジム・ジャームッシュ監督の「
ヘルシンキ 凍りついた街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔っ払って動かない3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人はミカに、今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを高らかに語り始める。しかし、ミカは今、アキとは比べ物にならないほどに不幸であるがために、彼らの話に動じることは
なかった―。
「ナイト・オン・ザ・プラネット」●原題:NIGHT ON EARTH●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:ジム・ジャームッシュ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:トム・ウェイツ●時間:129分●出演:(ロサンゼルス)ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/(ニューヨーク)アーミン・ミューラー=スタール/ジャンカルロ・エスポジート/アンジェラ - ロージー・ペレス/(パリ) イザック・ド・バ
ンコレ/ベアトリス・ダル/(ローマ)ロベルト・ベニーニ/パオロ・ボナチェリ/(ヘルシンキ) マッティ・ペロンパー/カリ・ヴァーナネン/サカリ・クオスマネン/トミ・サルミラ●日本公開:1992/04●配給:フランス映画社(評価:★★★★)●最初に観た場所[再見]:シネマート新宿(スクリーン2)(24-03-08)

20世紀初頭のアメリカ。先住民のオセージ族は石油を発見し、莫大な富を手に入れていた。一方、列車で彼らの土地にやってきた白人たちは、富を奪おうとオセージ族を巧妙に操り、殺人に手を染める―。第一次世界
大戦の帰還兵アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、地元の有力者である叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってオクラホマへ移り住む。そして、先住民族オセージ族の女性モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち夫婦となるが、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていた―。
マーティン・スコセッシ監督の2023年作で、原題は"Killers of the Flower Moon"。主演はレオナルド・ディカプリオで、共演はロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら。デイヴィッド・グランによるノンフィクション・ノベル『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を映画化したサスペンスです。2023年「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」「ニューヨーク映画批評家協会賞 作品賞」を受賞していますが、アカデミー賞では無冠でした(スコセッシもディカプリオもデニーロも既に受賞歴があるし、同じ骨太歴史大作「オッペンハイマー」に票が流れたのか)。
タイトルの由来は、4月に咲いた小さな花が5月に生えてきた大きな草や花によって駆逐されてしまうので、オセージ族は5月を「フラワー・キ
ラー・ムーン(花殺し月)」と呼ぶことから。比喩的には、先住インディオが「4月に咲いた小さな花」で、後からやってきた白人が、それらを"駆除"する「5月に生えてきた大きな草や花」ということなのでしょう。
ディカプリオとデ・ニーロの競演が楽しいし、ストーリーも面白いので、3時間半近い上映時間があまり長く感じられませんでした。主人公のアーネストは、妻モリーを愛しながらもヘイルの企みに協力することになり、事件の真相が明るみになった際もヘイルを守る動きを見せるが、自身の子リトル・アナの死を受け真相を告白する―。
米国史の暗部を抉るだけでなく、エンタテインメントとしても人間ドラマとしても良くできており、マーティン・スコセッシ監督のいまだ衰えぬ力量を感じました。 デ・ニーロが演じる叔父の"キング"が、表向きオーセージ族の理解者・支援者であるに反して、実は本性は怖い男であるという構図は、(娯楽性という面で)早稲田松竹で同時期に同じく1本立て上映された「
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」●原題:KILLERS OF THE FLOWER MOON●制作年:2023年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ダン・フリードキン/マーティン・スコセッシ/ブラッドリー・トーマス/ダニエル・ルピ●脚本:エリック・ロス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:ロビー・ロバートソン●原作:デイヴィッド・グラン『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』●時間:206分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ/リリー・グラッドストーン/ジェシー・プレモンス/ブレンダン・フレイザー/タントゥー・カーディナル/モリソン - ルイス・キャンセルミ/ジェイソン・イズベル/カーラ・ジェイド・メイヤーズ/ジャネー・コリンズ/ジリアン・ディオン/ウィリアム・ベロー/スタージル・シンプソン/タタンカ・ミーンズ/マイケル・アボット・Jr/パット・ヒーリー/ スコット・シェパード/ゲイリー・バサラバ/スティーヴ・イースティン/ジョン・リスゴー/マーティン・スコセッシ●日本公開:2023/10●配給:東和ピクチャーズ
●最初に観た場所:早稲田松竹(24-01-26)(評価:★★★★)

アンサ(アルマ・ポウスティ)はヘルシンキのスーパーマーケットで働く独身女性、ホラッパ(ユッシ・バタネン)は酒に溺れながらも、どうにか産廃工事で働いている独身男性。ある夜、アンサは友人のリーサ(ヌップ・コイブ)とカラオケバーへ行き、そこへ同僚のフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に誘われたホラッパがとやって来る。フオタリがリーサを口説こうとする中、アンサとホラッパは、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。アンサは、スーパーの廃棄食品を持ち帰ろうとしたとして事前通告無しで馘を言い渡され、上司の理不尽な通告に怒り、リーサと共にスーパーを辞める。アンサはパブの皿洗いの仕事に就くが、給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまう。
偶然そこにホラッパがやってきて、カフェでコーヒーを飲み、その後2人は映画館に行くことに。映画館でゾンビ映画を観て、帰り際ホラッパは「また会いたい」と言う。名前は今度教えると言い、アンサは電話番号をメモした紙をホラッパに渡して頬にキスをするが、ホラッパはそのメモを失くしてしまう。ホラッパは帰ってからメモが無いことに気づくが、探そうにも名前も分からず途方に暮れる。その上飲酒がバレて仕事もクビに
なってしまう。同僚のフタリオに「再会して結婚しかけた」と話すが、連絡しようにも彼女の連絡先を知らないことを言い嘆く。一方アンサも、ホラッパから電話がないことにヤキモキする。しかし2人は偶然映画館の前で再会し、アンサはホラッパをディナーに招待する。穏やかに食事をしていたが、隠れて酒を飲むホラッパに対し、アンサは「アル中はご免よ」と言い、父と兄がお酒によって死に、母はそれを嘆いて死んだと話す。するとホラッパは「指図されるのはご免だ」と言って出ていく。不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける中、果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか―。
アキ・カウリスマキ監督が「
アンサもホラッパも厳しい現実の中にいますが、それぞれに自分のことを気にかけてくれる同僚(二人とも解雇されるので"元同僚"になるが)の友人がいるのが救いでした(最後の方でホラッパが入院する病院の看護師も優しかった)。アキ・カウリスマキ監督の、競争社会ではない、普通の社会(競争社会の外)に生きる人々への温かい視線を感じます。
映画館にはブリジット・バルドーの映画ポスターがあったり、アラン・ドロンの「
また、主演のアルマ・ポウスティは、来日時のインタビューで「この映画は荷物を抱えた孤独な人々が人生の後半で出会う物語だ。人生の後半で恋に落ちるのは勇気がいる」と説明しています。演出はフリーではなく考え抜かれており、「とにかくセリフを覚えてこい。でも練習するな」と指示されるそう。またほとんどのシーンがワンテイクで撮影されているため、ポウスティは「俳優としては怖い」と吐露。さらにカウリスマキが現場でモニタを使わないことにも触れ、「一度カメラをのぞいて照明や小道具の位置を自分でチェックしたら、カメラの横に座ってワンテイクで撮る。あとからモニタはチェックしない。何が撮れているのかわかっているからです」と説明しています。
ヘルシンキ在住のアンナ&カイサ・カルヤライネン姉妹によるバンド「MAUSTETYTÖT(マウステテュトット)」も出演し、劇中歌として「Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin(悲しみに生まれ、失望を身にまとう)」という歌が歌われていますが、無口な主人公の気持ちを代弁しているような歌で、こうした地元のミュージシャンの劇中での起用は「
「ルアーヴルの靴みがき」では、カウリスマキ監督の愛犬〈ライカ〉が登場し、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞「パルム・ドッグ賞」の「審査員特別賞」を受賞していますが、この作品でも、〈アルマ〉という犬が、アンサが殺処分されそうだったのを拾ってやった犬として登場し、ちゃんと演技していて(笑)、「パルム・ドッグ賞」の「審査員大賞」を受賞しています。アンサが犬に付けた名前は「チャップリン」。ラストでアンサがホラッパと画面の奥へ歩いて行くシーンは、「
「枯れ葉」●原題:KUOLLEET LEHDET(英:FALLEN LEAVES)●制作年:2023年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミーシャ・ヤーリ/アキ・カウリスマキ/マーク・ルオフ/アルマ(犬)●撮影:ティモ・サルミネン●時間:81分●出演:アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイブ/マッティ・オンニスマー/アルマ(犬のチャップリン)●日本公開:2023/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(スクリーン1)(24-01-24)(評価:★★★★☆)

浜島幸雄(加藤剛)はある日、幼馴染の小磯泰子(岩下志麻)の呼びかけに振り返る。それは、平凡な男の生涯を根底からゆさぶる運命の声だった。浜島は旅行案内所に勤続12年の係長で、妻の啓子(小川真由美)は万事に社交好きで
陽気だ。毎日が会社と団地の往復、生活も仕事も単調で味気ない浜島は、泰子に会って同じバスに乗っただけで軽い興奮があった。二度目に泰子に会った時、勧められるままに泰子の家を訪ねる。4年前に夫に死なれた泰子は6歳の健一(岡本久人)と二人暮し。保険の集金と勧誘での慎ましい生活だ。健一は父親が無いためか、孤独癖のある無口な子供だった。夢多き思春期の共通の追憶に話が弾み、浜島の泰子への傾斜は急だった。やがて、狭い泰子の家では、健一の眼が浜島には苦痛になった。だが、自然
の成り行きで二人は結ばれる。初夜のように白無垢の長襦袢で浜島を迎える泰子がいた。浜島は健一を手なづけようと心を砕くが、その都度失敗する。浜島にも幼い日に夫を失った母(岩崎加根子)と伯父(滝田裕介)との間に立たされた忘れ得ぬ記憶があったため、健一の反感がこたえた。そして、健一が自分を殺そうとしている幻想に悩まされ始めた。一度は妻と別れて泰子と結婚しようと決心しながら、健一のことを考えると、また泰子を諦らめようかと思い迷った。一方、空閨を癒やされた泰子は、啓子への後ろめたさも、浜島を見る健一の白い目にも心を向けず、ひたすら愛欲の歓びに溺れた。紅葉のころ、浜島苦心のドライブ旅行も小さな健一の本能的な反発を食う。浜島は再び幻影の虜になった。宿命というには、余りにも似かよった浜島自身の幼年期の体験。あの時のように俺は健一に殺される。泰子は浜島のノイローゼを満ちたりた笑いで一蹴した。しかし、恐るべき運命の符合は、悪魔の悪戯か、結末が逆になった―。
野村芳太郎監督、橋本忍脚本の1970年公開作で、
加藤剛が主人公の不倫する男を演じていますが、彼が岩下志麻演じる不倫相手の子どもに対して抱く恐怖はおそらく幻想であり、それは、今自分は不倫をしているという罪の意識と、かつて幼い自分が母の不倫相手に対して殺意を抱いたという原体験からくるものでしょう。子どもの所作の一つひとつが自分を批判しているように見え、仕舞いには凶器でもって自分を殺害しようとしているように見えてきます。


「影の車」●英題:THE SHADOW WITHIN●制作年:1970年●監督:野村芳太郎●製作:三嶋与四治●脚本:橋本忍●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●時間:98 分●出演:加藤剛/岩下志麻/小川真由美/岩崎加根子/滝田裕介/近藤洋介/岡本久人/小山梓/芦田伸介/稲葉義男/長谷川哲夫●公開:1970/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-13)(評価:★★★★) 


中風で寝たきりの夫・寛次(森塚敏)を女中勤めで養っている成沢民子(池内淳子)は、客のホテル支配人・小滝(池部良)に誘われ、事故死を装い、夫の寛次を焼き殺した。そして民子は翌日、小滝の紹介で弁護士・秦野(伊藤雄之助)と共に鬼頭洪太(小沢栄太郎)の邸を訪れた。中風で身体の不自由な老人・鬼頭の世話をするため民子は選ばれたのだ。金に任せた華
美な生活、民子は鬼頭に身体を任せながら、いつか小滝が忘れられない人となる。一方焼死事件に不審を抱いた警視庁捜査一課の久恒刑事(小林桂樹)は、当日現場付近に
民子らしい女がいたことを聞き込みながら、民子のアリバイを崩せず、次第に民子の美しさに職業を逸脱した淫らな行為を迫るのだった。久恒の調査で、鬼頭は元満州浪人で、戦後莫大な金を手にし、政治
を裏から動かし、右翼団体を握っている人物であり、秦野とは、かつて鬼頭のもとで働いていた鉱夫の偽名で、本物の弁護士・秦野は満州で行方不明となっていた。また小滝は左翼くずれで、満州から古美術を盗み秦野らに近づいて、一つのラインを形成していることが判明した。その頃政界では、ある殺人事件にまきこれた高速道路公団総裁・香川(千田是也)が辞職し、新しい総裁が椅子についた。鬼頭のさ<しがねであることは当然ながら、確証がつかめず久恒は苛立つ。だが鬼頭の手は久恒にも伸びた。知りすぎた久恒は退職を勧告され呆然とする。そして数日後、久恒は鬼頭の用心棒・黒谷(黒部進)に殺害された。事件は複雑な人間関係を見せた頃、鬼頭が死亡、通夜の鬼頭邸で秦野が殺害される。民子は今さらながら、自分の置かれた立場に恐怖を感じた。小滝を訪ねた民子は、ある安宿に逢瀬を楽しんだが、入浴中、不意に乱入した黒部の手で石油をかぶり火だるまとなって死ぬ。だがその黒部も、浴室の戸をいち早く閉めてニヒルな笑いを浮かべる小滝の策に自ら滅んでゆくのだった―。



'82年のドラマ版では、原作よりも、名取裕子演じる民子を中心に描いていて、原作と結末を変えて、民子が、最後は山崎努演じる小滝との逃避行を図るかたちになっており、"道行(みちゆき)物"のような印象があって(小滝が最後に民子に心底惚れた)、小滝を完全な悪者にしていないところがテレビ的であると思えましたが、これはこれで良かったです(評価★★★★)。
一方、この池内淳子の映画版は、ラストで民子が辿る運命は原作と同じで、ちょっと残酷ですが、これも夫殺しの原罪の報いということでしょうか。まあ、原作は民子ではなく小滝が主人公であり、その彼のピカレスク小説と解するのがオーソドックスであると思われます。
「けものみち」●英題:BEAST ALLEY●制作年:1965年●監督:須川栄三●製作:藤本真澄/金子正且●脚本:白坂依志夫/須川栄三●撮影:福沢康道●音楽:武満徹●時間:150分●出演:池内淳子/池部良/小沢栄太郎/小林桂樹/伊藤雄之助/森塚敏/大塚道子/黒部進/千田是也/菅井きん/矢野宣/土屋嘉男/中丸忠雄/小松方正/稲葉義男●公開:1965/09●配給:東宝●最初に観た場所:神田・神保町シアター(25-05-11)(評価:★★★★) 

「松本清張 けものみち」●演出:松田秀知/藤田明二/福本義人●プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日)/伊賀宣子(共同テレビ)●脚本:寺田敏雄●音楽:(エンディング)中島みゆき「帰れない者たちへ」●原作:松本清張●出演:米倉涼子/佐藤浩市/仲村トオル/若村麻由美/平幹二朗●放映:2006/01/12~03/09(全9回)●放送局:テレビ朝日
政権を握る改憲党内第二派閥領袖・寺西正毅(勝新太郎)は、現首相、桂重信(芦田伸介)から政権の禅譲を受け、この秋に首相の座に就くのがほぼ既定路線だった。寺西を裏で支えているのは、夫人の文子(岩下志麻)と秘書の外浦卓郎(渡瀬恒彦)だ。外浦は財界の世話役である和久宏(内田朝雄)に、寺西派とのパイプ役として送りこまれ、4年前から寺西の私設秘書となっていた。寺西邸から政治献金のバックペイの金を、和久のもとへ届ける使者として立てられた銀座のクラブ「オリベ」のママ・織部里子(松坂慶子)が、その金を自転車の男(平田満)に奪われるという事故を起こした時、警察に手を回して闇から闇に葬ったのも外浦の力であった。前首相・入江宏文が急死し、政局は秋の総裁選に向け、俄かに動き始める。桂
がひき続き政権を担当する意思を見せたのを受けて、外浦と和久、そして和久に囲われている里子は京都へ飛び、関西財界の有力者、望月稲右衛門(宇野重吉)から20億の融資を引き出した。第三派閥板倉派抱き込みのための工作資金である。桂派と寺西派になる政権争いが日ごと激しさを増す中、外浦が和久の経営する東南アジアの会社に招かれたとの理由で突然辞意を表明した。出発間際東大の後輩にあたり、政治家相手の代筆業をしている土井伸行(寺尾聰)を訪ねた外浦は、土井に個人名義の貸金庫の管理を依頼し、自分にもしものことがあったら、中身は自由に使えと告げる。外浦が外地で自動車事故死したことを新聞で知った土井は、すぐに貸金庫を開けた。中身は、文子と外浦の2年間に及ぶ不倫の恋の記録、文子自筆のラブレターの束であった。板倉派が、次第に奇妙な動きを見せ始める。川村正明(津川雅彦)率いる「革新クラブ」に照準を合わせ、かねてから川村が熱を上げていた里子を使って川村を自派の傘下におさめたのだ。土井が自宅において惨殺死体で発見された。新聞に過激派の犯行声明が載り、警察は内ゲバ殺人としてこの事件を処理するが、裏で板倉派が動いていた。桂派に寝返った板倉(伊丹十三)から「あと一期待たないか」ともちかけられた寺西が見せられたのは、例のラブレターだった。帰宅した寺西は文子を責めるが、後日、桂を支持することを発表する。第二次桂内閣誕生の日、寺西邸では、少数の記者を相手に怪気炎を上げている寺西の姿があった―。
加藤武演じる鍋屋が川村に愛想をつかして辞め、朝丘雪路が演じるタレント議員のもとに転じるも、高慢な彼女からコケにされるというのは、津川雅彦と朝丘雪路が実生活で夫婦であることも相俟って可笑しいです。松坂慶子演じるクラブ「オリベ」のママ・里子が、実は同クラブのホステス早乙女愛と同性愛だったという原作には無いオチも。でも、いちばん"遊んで"いるのは、政調会長の板倉を演じた伊丹十三の演技が、終始田中角栄のモノマネになっていることでしょうか。
野村芳太郎監督は何本も松本清張作品を監督しましたが、清張はこの映画を気に入らず、この作品に限っては、清張の原作と野村の映画の「方向性」が、全く噛みあわなかったと言われ、以後、清張と野村の関係は疎遠となったとのこと(清張が封印したのか、ビデオ・DVD化されていない)。



「迷走地図」●制作年:1983年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/杉崎重美/小坂一雄●脚本:野村芳太郎/古田求●撮影:川又昂●音楽:甲斐正人●原作:松本清張●時間:136分●出演:勝新太郎/岩下志麻/松坂慶子/早乙女愛/津川雅彦/加藤武/渡瀬恒彦/いしだあゆみ/寺尾聰/片桐夕子/内田朝雄/中島ゆたか/朝丘雪路/伊丹十三/大滝秀治/芦田伸介/宇野重吉●公開:1983/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-04)(評価:★★★☆)


国会議員から院内紙記者に至るまで、多種多様な人種が、利権・利得を求めて蠢く永田町界隈。与党・政憲党内では、最大派閥の領袖で現総裁の桂重信から、第2派閥である寺西派の領袖・寺西正毅への政権禅譲が噂されていた。党内の政策集団「革新クラブ」のホープと目され、女性ファンも多い二世議員の川村正明は、パーティ中の演説で、「老害よ、即刻に去れ」と政権のたらい回しを痛烈に批判する。しかしスピーチの台本は、川村の私設秘書・鍋屋健三が、政治家の著書の代作屋の土井信行に注文して作らせたものであった。女性問題の発覚を切り抜けた川村は、パーティに顔を見せた高級クラブ「オリベ」のママ・織部佐登子に目をつけ、フランス製の高級ハンドバッグを餌に攻略を狙う。しかし、知られざる使命を帯びていた佐登子は、寺西正毅の邸宅で、寺西夫人・文子と秘書・外浦卓郎の介在する中、川村の贈ったハンドバッグを使い、大金を受領していた。その後、外浦は寺西の秘書を辞し、大学の後輩である土井に貸金庫のキーを託し、南米・チリへ去ったが―。

個人的には、映画もそれほど原作を外れているようには思いませんでしたが、テレビも同様でした(清張が気に入らなかったのは。あらすじ云々より映画における人物の描き方か?)。映画で渡瀬恒彦が演じた寺西の秘書・外浦を、TBSの元ニュースキャスターでラジオパーソナリティの森本毅郎が演じ、勝新太郎が演じた寺西を二谷英明が、岩下志麻が演じたその妻を若尾文子が、寺尾聡が演じた代作屋の土井を世良公則が、松坂慶子が演じた「オリベ」のママを小柳ルミ子が演じています(ドラマは若尾文子が主演のようだ)。
「松本清張作家活動40年記念・迷走地図」●演出:坂崎彰●プロデュー:市川哲夫●脚本:重森孝子●音楽:大野克夫●原作:松本清張●出演:若尾文子/森本毅郎/木内みどり/内田朝雄/世良公則/久米明/小柳ルミ子/山内明/若山富三郎/有森也実/目黒祐樹/佐野浅夫/村上里佳子/戸浦六宏/上田耕一/井上昭文/角野卓造/島田正吾/石堂淑朗/二谷英明/(ナレーション)鈴木瑞穂●放映:1992/03/30(全1回)●放送局:TBS(「月曜ドラマスペシャル」枠)
今から約10年前のこと、一人の元過激派の男が殺された。時を同じくして内閣改造が与党・政憲党の内部抗争を経て行われていた。その時点から遡ること3ヶ月。次期総理が有力視されている寺西正毅(二谷英明)の邸宅では早朝から派閥の有力代議士達が集まり、政権取りの秘策を錬っていた。現総理・桂重信(内田朝雄)を速やかにその座から引き下ろすために話し合い、その実行者は寺西の懐刀・外浦卓郎(森本毅郎)と決められた。外浦は東大卒の敏腕な新聞記者上がりのキレ者で、寺西夫人・文子(若尾文子)の信任も厚かった。その外浦の仕掛けた桂派の金権スキャンダル記事で、永田町は騒然となる。永田町のアダムスホテルには様々な政治業界の人間が集まっている。元東大全共闘出身で、政治家のゴースト・ライターをしている土井信行(世良公則)も、そこに事務所を構えていた。その彼と外浦は先輩後輩関にあり、政治家のパーティーで久しぶりに再会して心を通じ合う。外浦が桂派の罠に嵌って主人の寺西の不興を買い、チリに長期出張を命ぜられることになった時、土井は彼からある依頼を受ける。それは外浦所有の秘書貸金庫の管理であった。間もなく外浦はロサンゼルス経由でチリへ飛び立つが、ロスから外浦が交通事故で急死したという急報が飛び込む。土井は衝撃を受け、貸金庫の鍵を開ける。そこにあったものは、次期政権を狙う寺西正毅の夫人・文子との情事を記録した秘密録音テープであった。外浦は「それを君がどう利用しても良い」という遺言を残していた。その頃、政憲党内部の対立抗争はますます激化し、寺西派は京都の謎の高利貸し(若山富三郎)に20億の献金を依頼。その使者は財界の大物・石井庫造(久米明)とその愛人・銀座の高級クラブのママ佐登子(小柳ルミ子)であった。土井が抱え込んだ秘密テープの存在はやがて寺西派のNo.2で警察OBの政治家・三原伝六(山内明)の知るところとなり、土井は公安関係者の標的となる。そしてある夜、遂に権力の怒りの制裁が加えられる―。
東京のZ大学に勤務する考古学者・江村宗三は、愛媛県松山の洋品店主の妻である西田美奈子と不倫関係になっていた。14年前、美奈子は宗三の兄嫁であった。美奈子の現在の夫・慶太郎は不能な老人となって久しい。落ち合った宗三と美奈子は、広島県の尾道で宿泊したが、火の点いた美奈子は、自分が松山の家を出ることを主張し始める。スキャンダルで考古学会から葬られることを恐れる宗三。有馬温泉に移ると、美奈子は宗三に妊娠を告げる。「もう松山には戻れないわ。あなたなしには生きてゆかれなくなったわ」と、宗三の子を産むと宣言、それは宗三の学界からの追放を意味し、絶望に落ちた宗三は美奈子の殺害を計画するが―。(「内海の輪」)
'71年に斎藤耕一監督により映画化されており、主演の岩下志麻は、「お話があって早速読みましたが推理小説というより愛のドラマのように感じました。女のサガとでもいいましょうか、女の愛の一つのタイプのもので一生懸命演じてみたいと思います」と話したというから、自分と同じ印象を持ったということか。
映画の出来について淀川長治は、「岩下志麻はもはやカトリーヌ・ドヌーブ級のうまさ。問題は青年のエゴと弱さをさらけだす宗三役の中尾彬。これが弱さのかげをもっと深く見せねばならなかった。難役ゆえに惜しい」「しかし日本映画もこれほど上等になってきた」などと評しましたが、前半は個人的にも同意見です。
原作では場面的には登場しない、美奈子の不能夫を三國連太郎が演じており、冒頭から岩下志麻との濡れ場シーンがあったり(しかもその夫と女中の関係も描かれる)、倒叙型で先に女性の死体が見つかった場面があったりと(しかも原作のように白骨死体で見つかるのは別の事件の話になっている)、ところどころ部分的に原作を変えていますが、岩下志麻の演技力でぐいぐい引っ張っていく感じでした(そっか、物語の主人公役は中尾彬だが、主演は完全に岩下志麻だった)。
ところが、女が男の自分への殺意に気づき、最後は誤って自ら断崖から足を滑らせ...と、ここで原作と大きく異なってしまい、これって事故であり、原作の殺人事件にならないじゃないかと。男の殺意も実行に移さなければ女の思い込みともとれるし、逃げるのが得策ではなかったのにその場から逃げてしまった男は、「殺人」の嫌疑はかけられても仕方がないですが、実情は「死体遺棄」といったところでしょうか。男の出世にも関係する、原作の石器の発見の話も端折られていて、原作者は何も言わなかったのかなあ(脚本家はクレームをつけたらしい)。
これまで、'82年のTBS「ザ・サスペンス」の〈滝田栄・宇津宮雅代版〉と、2001年の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の〈中村雅俊・十朱幸代版〉の2度テレビドラマ化されていて、〈中村雅俊・十朱幸代版〉を観ましたが、こちらの方が映画よりずっと原作に忠実でした。女は不倫旅行のるんるん気分の内に殺害されるし、男には明確な殺意がありました(あくまで中村雅俊が主演)。死体は白骨死体で見つかり、その付近での石器の発見の話も活かされていました。ラストの犯行の決め手になる小道具だけが、ボタンからメガネに変更されていましたが、これなら、タクシー運転手の証言を借りずとも男が犯人であることが立証でき、完璧と言えるかと思います。


「内海の輪」●制作年:1971年●監督:斎藤耕一●製作:三嶋与四治●脚本:山田信夫/宮内婦貴子●撮影:竹村博●音楽:服部克久●原作:松本清張「内海の輪」●時間:103分●出演:岩下志麻/中尾彬/三國連太郎/滝沢修/富永美沙子/入川保則/水上竜子/加藤嘉/北城真記子/赤座美代子/夏八木勲/高木信夫/高原駿雄●公開:1971/02●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-07-23)(評価:★★☆)<.font>


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松本清張が「週刊新潮」に1960(昭和35)年1月から 1961(昭和36)年6月まで連載した長編小説(加筆修正のもと1961年10月に新潮社から単行本刊行)。医者の社会的権威を利用して犯罪に手を染めてゆく医師と、その人間関係を描くピカレスク・サスペンスで、野村芳太郎監督によって1980年に松竹で映画化されたほか、これまでに1985年・2001年・2007年・2014年の4度テレビドラマ化されています(ただし、2007年版は、米倉涼子演じる看護師・寺島豊美(寺島トヨ)が主人公になっている)。
映画を観たり原作を読む前から、病院長・戸谷信一が次々に人を殺害する物語であるということは知っていました。ただ、冷徹な主人公が頭脳的・計画的に愛人を殺していくのかと思ったら、ボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。それでも、その方がりアリティがあって面白かったです。
映画のラストの方で、渡瀬恒彦が演じる戸谷の弁護士と、佐分利信が演じる戸谷に判決を言い渡す裁判官を佐分利信がそれぞれ1シーンずつ出てきますが、原作では「戸谷は弁護士を雇ったが、あまり有能な弁護士でもなさそうだった」とあり、確かに、渡瀬恒彦が演じる弁護士などは最初から「期待されては困る」的な雰囲気でした。弁護士も裁判官も当てにならなかったということでしょう。だから、佐分利信みたいな大物俳優が出て来ても、さらっと突き放すように判決を言い渡す1シーン限りだったのだなあと、改めて思い当たった次第です。一方、これはあまりに穿った見方かもしれませんが、緒形拳演じる刑事は、ヤリ手であるには違いないですが、戸谷により深い罪を負わせようとする女性たちのタッグをバックアップするような役回りになっていると解せなくもないように思いました。
●新潮文庫版下巻(1966年)の裏表紙(および新潮社ホームページ)では、「(戸谷は)横武たつ子の病夫を殺したあげく、邪魔になった彼女をも殺害し」と記述されている(2025年現在)が、小説の内容としては明らかに不正確な記述である(第一章第4節参照)。カッパ・ノベルズ版では、「横武たつ子が夫猿害の疑いで財産を失うと、戸谷は婦長の寺島と共謀、彼女を殺害」とあり、こちらの方が実態に近いが、それでもまだ、横武たつ子猿害が「共謀」と言えるか疑義が残る。
総合病院の院長・戸谷信一(片岡孝夫)は名医と言われた父の死後漁色にあけくれ、病院の赤字を女たちから巻き上げた金で埋めていた。戸谷は妻の慶子(神崎愛)と別居中で、横武たつ子(藤真利子)、藤島チセ(梶芽衣子)の二人の金ずるの愛人がいる。また彼は槙村隆子(松坂慶子)という独身で美貌のファッションデザイナーに夢中になっている。戸谷は友人の経理士・下見沢(藤田まこと)に妻との離婚の金銭問題やその他の悪事を任せていた。愛人たつ子は深川の材木商のおかみで、親ほど歳の違う夫(米倉斉加年)は、長く病床にあり、彼女が店をきりもりしていた。彼女は戸谷に金を貢ぎながら、夫を毒殺しようとする。戸谷の協力で、たつ子の計画は成功するが
、家族の疑いで彼女は店の金を自由に使えなくなる。戸谷は結婚を迫る金のないたつ子を、かつての父の二号で、自分も関係した婦長の寺島トヨ(宮下順子)と共謀して殺害する。一方の愛人、藤島チセも東京と京都にある料亭を切りまわす女傑で、戸谷の最大の資金源だった。チセも夫(山谷初男)を疎ましがっており、戸谷はたつ子のときと同じ方法で殺害する。二度とも、医師として信用のある戸谷の書いた死亡診断書は何の疑いも持たれなかった。戸谷は秘密を知るトヨの存在が次第に邪魔になり、モーテルで絞殺、死体を林の中に投げ捨てた。戸谷はすべての情熱を隆子に注いだ。一方、トヨの死体発見の記事はいつまでも報道されなかった。ある日、警察が戸谷を
訪れた。たつ子とチセの夫の死因に不審な点があると言う。さらに、下見沢が戸谷の預金を下して行方をくらませたことが判明する。絶望した戸谷は殺人で逮捕される。井上警部(緒形拳)に追いつめられる戸谷。そして、殺したはずのトヨとチセが逮まった。トヨは息絶えておらず、逃げてチセと組んだのだ。無期懲役の戸谷に比べ、二人は殺人幇助ということで、刑期はずっと短かかった。数日後、隆子のファッション・ショーが開かれていた。それは下見沢のプロデュースによるものだった。そして、ナイフを隠しもった下見沢が隆子に襲いかかった。刑務所に送られる戸谷の足もとに風に舞う新聞が絡みついた。そこには「血ぬられたファッション・ショー・デザイナー重傷、中年男の悲恋」の見出がた―。
野村芳太郎監督の1980年6月公開作で、原作『
ボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。
内容的には2時間ドラマの方が似合うような中身なのですが、片岡孝夫の演技がこのショボいと言うか薄っぺらな主人公に微妙にマッチしていて、そこそこリアリティあるものとなっていたのが悪くなかったです(この人、今は人間国宝の「片岡仁左衛門」となっているが、今もって「片岡孝夫」のイメージがある)。
女優陣は、松坂慶子、梶芽衣子、宮下順子、藤真利子、神埼愛と なかなか布陣です(ポスターもそれをアピールしたものとなっている)。ただし、松坂慶子(当時28歳)は主演ということですが、高級ブティック経営者兼ファッションデザイナーという役柄にせいか
、パターナルな演技でやや印象が薄く(2年前の大岡昇平原作、野村芳太郎監督の「
片岡孝夫以外の男優陣は、藤田まこと、緒形拳、渡瀬恒彦、佐分利信など。藤田まことの経理士(税理士みたいなものか。原作では弁護士になっていた)は、とぼけた味があって良かったです。それだけに、最後の(原作には無い)槙村隆子に襲いかかるシーンは要らな
かったようにも思います(槙村隆子も男を利用するだけ利用して捨てる"悪女"であったことを強調し、"神の鉄槌"を下した?)。緒形拳の刑
事は、出演時間は短いけれど、時に余裕の笑みを浮かべ、時に激高しながらも戸谷を追い詰めていく演技はさすが圧巻(「
の弁護士、佐分利信の裁判官は、ほとんど一場面のみの登場で、友情出演みたいな感じですが、原作を読んだ後で改めて気づいたのですが、要するに、共に"頼りにならない"弁護士と裁判官という位置づけだったわけか。
「わるいやつら」●制作年:1980年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/野村芳樹●脚本:井手雅人●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:129分●出演:片岡孝夫/松坂慶子/梶芽衣子/藤真利子/宮下順子/
神崎愛/藤田まこと/緒形拳/渡瀬恒彦/米倉斉加年/山谷初男/梅野泰靖/小林稔侍/稲葉義男/関川慎二/神山寛/滝田裕介/西田珠美/雪江由記/香山くにか/なつきれい/小沢栄太郎/佐分利信●公開:1980/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-06)(評価:★★★★)
十五代目 片岡仁左衛門(片岡孝夫)(2015年、人間国宝)


交通事故で娘を亡くした定年間際のビジネスマン・柴久生(榎木孝明)。家族ともバラバラになり、喪失感から自殺を図ろうとした彼の耳に聞こえた「生きろ」の声。それは切磋琢磨して一緒に仕事に励んだ友人・川島(宇梶剛士)の最期の声だったと、彼の"看取り士"だったという女性(つみきみほ)から聞かされる。看取り士という職業に興味を持った柴は彼女に訊ね、「医者から余命告知を受けた人が最期をできるだけ安らかに旅立つことが出来るよう手伝いすること」が看取り士の仕事だと知る。5年後、早期退職後セカンドライフの仕事として看取り士を選んだ柴の姿が、岡山県高梁市にあった。地元の唯一の診療所の清原医師(斉藤暁)と連携しながら、小さな看取りステーション「あかね雲」でボランティアスタッフたちと最期の時を迎える患者たちを支えている。そんなある日、新任の医者・早川奏太(高崎翔太)、23才の新人看取り士・高村みのり (村上穂乃佳)が着任してくる。みのりは、9歳の時に母を亡くしたという経験からこの職業を選ぶが、経験が浅く、緊張しながら最初の患者を柴と共に担当する。最初の患者は、「もう病院に戻りたくない」という希望を持つ83才の清水キヨ(大方緋紗
子)。息子 の洋一(仁科貴)は、嫁・千春(みかん)が義母の面倒を見ないということで、柴たちへ依頼をしてきた。日々弱っていくキヨに寄り添う洋一、そして柴とみのり。キヨの最期、柴は洋一を促し母の背中を支えさせるが、みのりは見守ることしかできなかった。みのりは、腎機能が低下して別の病院に転院しなければならないという東條勝治(石濱朗)を初めて一人で担当すること になる。息子は東京で仕事をしているので看護できないが、勝治は「家に帰りたい」と訴えていた。みのりは懸命にケアをし、心を通い合わせるが、ある日クスリの量を間違え、勝治は不眠でベッドから落ちる。自信喪失のみのりに、柴は「ただ黙って聞いて。そして優しく触れて気持ちを受け止めるんだよ」とアドバイスをする。勝治の最期、東京から駆けつけた 息子は「父さんの子供で良かったと思ってるよ」と父に語り掛ける。みのりが初めて看取り士として命のバトンを渡せた瞬間でもあった。乳がんの再発と肺への転移で清原病院に入院している山本良子(櫻井淳子)は、3人の子を持つ母親である。余命いくばく ない彼女の希望もやはり、自宅に帰ることだった。夫・幸平(藤重正孝)は、子3人の面倒を見ながら、妻・良子を献身的に看護していたが、子育てと看護の大変さから柴たちへ相談をしてきた。柴の指導の元、みのりが山本家の母親の最期と向き合う日々が始まる―。
白羽弥仁(しらは みつひと)監督による2019年9月13日公開作で、「おくりびと」('08年)のようなブームになってもおかしくない作品ですが、閉館前の有楽町スバル座(2019年10月20閉館)でのロード公開の後、不運にも間もなくコロナ禍となり、広がりをみせないままになってしまった作品です。最近は関係者の努力により、地域の看取り師などと連携して市区町村での上映会を繰り返しているようで、個人的にも区の施設での上映会で観ました。
柴田久美子・日本看取り士会会長の著書『私は、看取り士』(佼成出版社)がベースとなっており、かねてより柴田氏と親交のあった俳優の榎木孝明が(二人は十数年前に島根県の離島であり、柴田氏が「看取りの家」を開設した隠岐諸島・知夫里島で邂逅したそうだ)、柴田氏のガン告知を受け、彼女の27年間の看取り士としての集大成をしようと決意したことが映画製作のきっかけだとのこと(従って榎木孝明は企画段階から本作に参加してている)。
主演の1人、村上穂乃佳はオーディション選考1200人の中から選ばれたそうですが、良かったと思うし(その後、奥田裕介監督の「誰かの花」('21年)でも主役の介護ヘルパー役を務めることに。この作品もミニシアター系でしか上映されなかった)、つみきみほ、宇梶剛士などのちらっとしか出てこない俳優の演技もしっかりしていました。劇場で上映しないのかなあ。
「みとりし」●制作年:2019年●監督・脚本:白羽弥仁●製作:高瀬博行/柴田久美子(企画)/榎木孝明(企画)/嶋田豪(企画)●撮影:藍河兼一●音楽:妹尾武●原案:柴田久美子『私は、看取り士』●時間:110分●出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太/斉藤暁/つみきみほ/宇梶剛士/杉本有美/松永渚/大地泰仁/白石糸/大方斐紗子/仁科貴/みかん/堀田眞三/片桐夕子/石濱朗/西澤仁太/金山一彦/藤重政孝/櫻井淳子●公開:2019/09●配給:アイエス・フィールド●最初に観た場所:サンパール荒川(23-11-23)(評価:★★★★☆)