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悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられる「愛と死」は、作者の真骨頂か。

愛と死 (新潮文庫)2.jpg愛と死 (新潮文庫).jpg  愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫).jpg  若き日の思い出 (新潮文庫).jpg
愛と死 (1952年) (新潮文庫〈第423〉)』『愛と死 (新潮文庫)』『愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫)』『若き日の思い出 (新潮文庫)

友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 小説家の端くれである村岡は、尊敬する小説家であり、友人となった野々村の元へ訪問するようになる。そこで野々村の妹である夏子と知り合う。ある時、野々村の誕生日会の余興の席で夏子に窮地を救われてから、二人の関係が始まる。文芸会の出し物や手紙のやり取りで距離を縮めていき、最終的に村岡の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になる。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活に希望を抱いていたが、帰国する船の中で、電報によって夏子の急死が知らされる。帰国後、深い悲しみを負いながら野々村との墓参り、帰国の歓迎会で村岡は「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という無常を悟る。21年の時を経てもその考えは彼にとっての慰めとなっている―。

 「愛と死」は、武者小路実篤(1885-1976)が1939(昭和14)年7月に「日本評論」に発表した長編小説であり(ただし、文庫で100ページほどだが)、「友情」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、1919(大正8)年発表の「友情」から20年を経て書かれており、「友情」執筆当時34歳だった作者は、54歳にななっていたということになります。ただし、主人公の村岡が、21年前の出来事を回顧する形になっているので、「友情」とある種"連作"関係にあると見做されるのではないでしょうか。

「愛と死」('71年/松竹)監督:中村登/脚本:山田太一/出演:栗原小巻・新克利・横内正・芦田伸介
愛と死 映画 栗原.jpg「愛と死」('71年/松竹)b.jpg「愛と死」('71年/松竹)cf.jpg これも「友情」と並んで人気の高い作品で、1959年に八千草薫主演でドラマ化され、1971年には栗原小巻主演で映画化されています。栗原小巻主演の映画版は、時代を現代に置き換え、「愛と死」と「友情」の両方を原作としています(原作における夏子の死因は流行性感冒(スペイン風邪と思われる)だったが、映画で栗原小巻演じる夏子は爆発事故で亡くなる)。

 まさに、原作の「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」との主人公の想いに無常を感じますが、さらに、この無常を乗り越えるためによりよく生きようという主人公の意思が、個人的には感じられました。このあたりは「友情」と同じく、悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられ、やはりこの辺が白樺派・武者小路実篤の真骨頂ではないかと思います。

 作者・武者小路実篤は、さらに61歳の時に「陸輸新報」という鉄道関係の業界新聞に、1945(昭和20)年5月から10月まで『母の面影』という題で、戦中戦後を通して全103回にわたり連載、それらを集め改稿したものが翌1946(昭和21)年4月に座右宝刊行会より単行本『若き日の思い出』として刊行されました。

 「若き日の思い出」のストーリーは、長年母の庇護の下にあった主人公「私」(野島厚行)が、療養のためにK海岸へ一人旅に出かけ、そこで同級生の宮津とその妹正子に出会い、さらに、それをきっかけに様々な人物との交流を通して「私」は成長し、また、正子との恋をも成就させるというものです。

 「友情」と少し似ているところもありますが、「友情」と違って、主要登場人物のほとんどが、主人公の恋愛の媒介者として、その恋愛が成就する方向に作用します。また、元々が「母の面影」というタイトルであったことからも窺えるように、作者の「母思う記」的要素も含んでいます。因みに、谷崎潤一郎から井上靖、山口瞳まで多くの作家の作品の中に、この種の作品があります(近年ではリリー・フランキーかな)。

 作品が象徴性の高い文体で描かれており、典型的な予定調和型の物語展開であるため、研究者によっては「大人の童話」として位置付けられることもある作品ですが、「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の中でこの作品が最も好きな読者も結構いるようです。

 個人的には、気持ちよく読める作品ですが、「友情」「愛と死」と劇的な内容であるだけに、ちょっと地味な印象も(映画にはしにくい(笑))。ただし、「青春三部作」という捉え方をするのならば、最後を締めるには相応しい作品と言うことになるのかもしれません。

 「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の「青春三部作」のうち、「友情」は作者が30代の時の作品で、後の2作は、それぞれ50代と60代の時に書かれて作品であることを意識して読んでみるのもいいのではないでしょうか。


愛と死 武者小路sim.jpg「愛と死」新潮文庫.jpg「愛と死」...【1952年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『愛と死』)]/1955年再文庫化[角川文庫(『愛と死』)/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)/1972年再文庫化[講談社文庫(『愛と死』)/1980年再文庫化[ポプラ社文庫(『愛と死』)]】

角川文庫『友情・愛と死』.jpg「若き日の思い出」...【1955年文庫化[角川文庫(『若き日の思ひ出』)/1957年再文庫化・1968年改版[新潮文庫(『友情』)/1966年再文庫化[旺文社文庫]】

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武者小路実篤 友情 以文社.jpg
武者小路実篤 友情 2.jpg友情 (新潮文庫).jpg  友情 (岩波文庫).jpg
友情 (1949年) (新潮文庫)』(改装版・新装版)『友情 (岩波文庫)
『友情』(1920/04 以文社)

"高次の友情"を支えるものは何か。
旧装派(カバー・題字:武者小路実篤)
友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 脚本家の野島は、作家の大宮と尊敬し合い、仕事に磨きをかけている。実績は大宮のほうがやや上だが、大宮はいつも野島を尊敬し、勇気づけてくれる。ある日、野島は友人の仲田の妹・杉子に恋をする。堅い友情で結ばれた大宮に包み隠さず打ち明けると、やはり大宮は親身になってくれた。杉子会いたさに仲田の家へ大宮と連れだって行くと、杉子はいつでも自分たちに無邪気な笑顔を向けてくる。野島は、杉子に大切にされている感覚を覚えた。しかし、大宮は杉子にはいつも冷淡だった。突然、大宮が「ヨーロッパに旅立つ」と野島に告げる。野島は友人と別れる寂しさと杉子を一人占めできる安心感とに悩む。それ以来、杉子とはあまり遊ばなくなる。大宮が西洋へ旅立って約1年後、思い切ってプロポーズをしたが断られる。さらに1年程後、杉子は突如ヨーロッパへ旅立ち、その後、大宮からは一通の手紙が届く。そこには「自分の書いた小説を見てくれればわかる」とあった。その小説は、大宮と杉子が抱き続けていた恋心と野島への思いを明かす内容だった―。

「友情」発表100年 作中の言葉をおみくじに.jpg 武者小路実篤(1885-1976)が1919(大正8)年10月から12月に「大阪毎日新聞」に連載した作品で、1920(大正9)年4月には以文社より単行本が刊行されています。後に書かれる「愛と死」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、特にこの「友情」は「恋する人はすべからく読むべし」とまで言われるほど根強い人気があるようで、調布市にある武者小路実篤記念館では、昨年['19年]に「友情」の発表100年を記念して、作中の言葉を記した「おみくじ」を作成し、来館者に配布したくらいです。

武者小路実篤の「友情」と記念館が配布したおみくじ(毎日新聞 2019年8月17日 地方版)

 結論から言うと、大宮は野島との友情と引き換えに愛する人・杉子を得たが、野島は愛する人・杉子と友人・野島を一度に失ってしまうという話で、二人とも友を失っている話であるのに「友情」というタイトルであるのが興味深いです。

 大宮などは、杉子が自分のことを好きになり、野島のことは彼女は前から好いていなかったことを小説として描いて同人誌に発表したくらいで、大宮なりに悩んだのでしょうが、見方によっては野島に対して非常に惨酷な仕打ちをしていることになります。

 どうしてこの話が「友情」というタイトルになるかということを考えてみるに、この作品の趣意とする"友情"は、一般的なそれよりもひと際高いレベルにある(ということを作者が言いたい)ためではないかと思います。

 その証拠に、恋に破れた野島は、大宮への手紙の中で、「君よ、仕事の上で決闘しよう。君の惨酷な荒療治は僕の決心をかためてくれた。之は僕にとってよかった」と書いていて、この失恋も自分の成長の糧にしようという非常にポジティブな姿勢が窺え、むしろ野島の仕打ちに感謝すらしているように見えます。これは、やっぱり"高次の友情"ということになるのではないでしょうか。

 こうした"友情"を支えているものは何かというと、野島の大宮に宛てた手紙からも窺えるように、自分たちがこれからの文学界を引っ張っていくのだという気概のようなものではないかと個人的には思います。これを、一高的教養主義というか、(自分は世の中に資する仕事をすべき人間であり、世の中のために成長していかなければならないという)ある種エリート思想とみるのも、あながち全くの誤りではないように思います。

武者小路実篤 志賀直哉.jpg この小説のモデルは、野島が武者小路実篤自身で、大宮が志賀直哉だと言われています。実生活では、志賀直哉は武者小路実篤より2歳年上ですが、二人とも初等科から学習院に通っていて、武者小路実篤が中等科6年、17歳の時、二回落第した志賀が同級になったことから、以後親しくなっています。志賀直哉はビリから6番目、武者小路実篤はビリから4番目の成績で学習院を卒業し、揃って東京帝国大学に入学しています(成績の悪い者同士で仲が良かった?)。ただし、武者小路実篤と志賀直哉が一人の女性を巡って恋敵同士のような関係になったという事実は無いようです(若い頃の風貌を見ると、志賀直哉の方がモテそうだが)。

画:周剣石・清華大学美術学院副教授

 杉子に対する野島の恋心の一途さが非常に上手く描かれていて、野島が真実を把握できていなかった、いわば"恋は盲目"状態にあったということが、腑に落ちます。杉子が大宮にぐぐっと傾倒したのは、ピンポンでそれまで男たちを打ち負かしていた杉子が、大宮にはこてんぱに打ち負かされた時からではないでしょうか。大宮は、野島が杉子とピンポンの手合わせしなければならなくなった状況で、杉子や皆の前で野島に恥をかかせまいとして助太刀したのに、と思うと実に皮肉なことで、この辺りも上手いと思いました。随所に恋に落ちた者の心情の的確な描写があり、「おみくじ」になるのも分かる気がします(笑)。

【1947年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『友情』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)]/1970年再文庫化[ポプラ社文庫(『友情』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『友情・初恋』)]/2003年再文庫化[岩波文庫(『友情』)]】

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『友情』『愛と死』が原作。『友情』の主体の入れ替えにやや混乱。栗原小巻は魅力全開。

愛と死 映画 栗原.jpg「愛と死」('71年/松竹)b.jpg「愛と死」('71年/松竹)cf.jpg
「愛と死」('71年/松竹)監督:中村登/脚本:山田太一/出演:栗原小巻・新克利・横内正・芦田伸介

「愛と死」02.jpg 水産研究所の研究員・大宮雄二(新克利)は、長かった四国の勤務を終えて横浜に帰ってきた。そして高校時代からの親友・野島進(横内正)の恋人・仲田夏子(栗原小巻)と、テニスを通じて知り合った。ある日、大宮は夏子の誕生パーティーに招待され、無意識のうちに夏子に魅せられている自分に気づき愕然とする。大宮はその時から夏子を避けようと努めたが、野島から満たされないものを感じていた夏子は、積極的に大宮に愛を打ち明けた。大宮は、友情で結ばれた野島を思うと、自然と夏子へ傾きかける自分の気持を許すことができなかった。大宮は、八戸の研究所へ2カ月間勤務することを申し出た。その夜、大宮のアパートに夏子が訪れ、彼女は野島には「愛と死」01.jpg愛情を感じていなかったと言う。二人が歩く姿を野島に目撃されたのを契機に、大宮の心は激しく夏子を求めるようになる。夏子への愛は、野島との友情さえも断ち切ってしまうほど強くなっていった。八戸に出発する日が近づいたある日、大宮は夏子の両親に会い、夏子との結婚の許しを得る。大宮は、その足で野島に会い、自分の不義を詫びた。野島は何も言わず大宮を殴り倒した。出発の日、大宮は、自分の両親に引き会わせるため夏子を連れ秋田へと向かった。2人は大宮家で2カ月間の別れを惜しんだ。独り東京に帰った夏子は、一日も欠かさず大宮に手紙を書き、2カ月間の時間が経つのを祈った。八戸に向った大宮も同じ気持だった。手紙は毎日書くという別れ際の約束も破られる事なく時間は流れていった。そしてあと2日で会えるという日、大宮のもとに夏子の父・修造(芦田伸介)から、ある電報が届く―。

愛と死 (新潮文庫)3.jpg武者小路実篤 友情 2.jpg 1971年公開作で、監督は中村登、脚本は昨年[(23年]11月に亡くなった山田太一。原作者は武者小路実篤ですが、『愛と死』だけではなく『友情』も原作にしていて、両者を合体させて時代を現代(70年代)にもってきているので、まさに脚本家の腕の見せ所といった感じでしょうか。

 前半部分は『友情』をベースにしているようですが、『友情』では「野島」は脚本家、「大宮」は作家で、ヒロインは「仲田杉子」という令嬢です。それが映画では、横内正が演じる「野島進」はCMディレクターという派手な職種で、新克利が演じる「大宮雄二」は魚類が専門の水産研究所の研究員とこちらは地味、栗原小巻が演じるヒロイン「仲田夏子」は、製薬会社の研究員となっています。ただ、原作と異なるのは、原作の主人公は「野島」であり、彼の視点で(つまり想い人を友人に奪われる側の視点で)物語が進むのに対し、映画では、新克利が演じる「大宮雄二」の視点で(つまり友人の恋人を結果的に奪う側の視点で)話が進んでいき、この辺りの主体の入れ替えが、最初観ていてやや混乱しました。

 後半は主に『愛と死』をベースにしていますが、「大宮」は罪悪感からしばしば「野島」のことを口にするという、漱石の『門』みたいな雰囲気も。因みに、『愛と死』の主人公は小説家の端くれである「村岡」で、これは、新克利が演じる「大宮雄二」に引き継がれています。『愛と死』のヒロインは、「村岡」が尊敬する小説家で友人の「野々村」の妹である「夏子」となっており、栗原小巻が演じるヒロイン「仲田夏子」は、苗字の「仲田」を『友情』から、名の「夏子」を『愛と死』からとってきていることになります。

 原作では、2人は、「村岡」の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になり、実質的に婚約へ(ただし、「大宮」が秋田県・角館の自分の実家に夏子を連れていったりする場面は映画のオリジナル)。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活にお互い希望を抱いていたが...となりますが、映画では洋行ではなく、先にも述べたように八戸への2か月の赴任になっていたものの、手紙で遣り取りするのは原作と同じ(映画では電話を使わないことを「互いに声を封印した」と説明)。しかし、ラストに悲劇が訪れ、原作ではそれが夏子がスペイン風邪=新型インフルエンザによる突然死ということになっていたのが、映画では、仕事場での実験中の同僚のミスによる爆発事故になっていました。

 原作のヒロインも利発で活発ですが、映画ではキャリアウーマン(仕事する女性)であることをより強調している感じです。一方で、友達の男女を10人ばかり自邸に呼んでゴーゴーダンスとか踊ったりして、(無理に)今風にしようとしているみたい。栗原小巻がミニスカでゴーゴーを踊る場面など、今観ると逆にレトロっぽいのですが、後半にかけて主人公が人間的に大人っぽっくなっていくため、その成長効果には繋がっていたかも。

 原作では、「村岡」は帰国後、深い悲しみを負いながら野々村との墓参りし、「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という人生の無常を悟りますが、映画では夏子の父親(芦田伸介)が語るセリフがそうした内容になっています(この中では芦田伸介でないと喋れないセリフかも。本作より先に映画化された1959年の石原裕次郎・浅丘ルリ子の日活版ではどうだったろうか)。

 全体としてメロドラマ風になるのは仕方がないでしょうか。栗原小巻は原作のような「可愛い」というイメージよりも「キレイ」という感じ。でも、その魅力は引き出していたと思います(むしろ「全開」と言っていいのでは)。

 新(あたらし)克利と横内正は俳優座養成所の第13期生、栗原小巻は第15期ですが、栗原小巻は在籍中に抜擢されて初舞台を踏んでいます。栗原小巻は、生年月日が1日違いの吉永小百合とアイドル的人気を二分し、吉永小百合が、オファーがあって出演したかったもののヌードシーンがあるために父親か出演を許さなかったという映画「忍ぶ川」('72年)に栗原小巻が出演して、多くの演技賞を獲ったといったこともありました。

 中年以降は吉永小百合が映画を主軸に据えているのに対し、栗原小巻は舞台を主軸としており、現在も活躍中です。そう言えば、「水戸黄門」の初代・格さんで知られた横内正も、シェイクスピア劇の出演者及び舞台演出家として活躍中。新克利も演劇界の重鎮として存命しているのは喜ばしいことです(3人とも俳優座出身のため、演劇に回帰していくのか)。

「愛と死」03.jpg「愛と死」●英題:LOVE AND DEATH●制作年:1971年●監督:中村登●製作:島津清/武藤三郎●脚本:山田太一●撮影:宮島義勇●音楽:服部克久●原作:武者小路実篤●時間:93分●出演::栗原小巻/新克利/横内正/芦田伸介/木村俊恵/野村昭子/伴淳三郎/東山千栄子/執行佐智子/三島雅夫/鶴田忍/中田耕二/江藤孝/加村赴雄/加島潤/河原崎次郎/茅淳子/田中幸四郎/前川哲男/山口博義/ザ・ウィンキーズ●公開:1971/06●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-03-27)(評価:★★★☆)<.font>

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