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「境界知能」という概念を本書で初めて知った。厳密な定義は難しい?
『ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書) 』['19年]/『どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書) 』['21年]/『歪んだ幸せを求める人たち:ケーキの切れない非行少年たち3 (新潮新書 1050)』['24年]
『境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)帯
児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づいたといいます。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたと。しかし、それは普通の学校でも同じで、十数%そうした子どもたちがいて、それらは「境界知能」の領域にいるとされるそうです。そうした少年たちが描いた、課題に沿った図の写し取り図や、ケーキの図の分け方の図が衝撃的で、この本は結構話題になりました(2020年「新書大賞」第2位)。
著者は、こうした非行少年に共通する特徴を"非行少年の特徴5点セット」+1"としてまとめており、それらは、①認知機能の弱さ、②感情統制の弱さ、③融通の利かなさ、④不適切な自己評価、⑤対人スキルの乏しさ、+1として、身体的不器用さ、であるとのことです。
こうした子どもの特質は気づかれないことが多く、また、大人になると忘れられてしまうことが多いため、なおさら健常人と区別がつきにくいとのことです。著者は、こうした子らは褒めるだけの教育では問題の解決にならないとして、認知機能に着目した新しい治療教育とその具体例を紹介しています。
発達障害や人格障害とは違った難しさがあるのだなあと思った次第ですが、潜在的にかなり高い比率で多くのそうした子どもがいるにも関わらず、今まであまり「境界知能」というものが巷で話題になっていなかったのが不思議で、本書が話題になったのも、その辺りの反動かと思います。
'21年刊行の第2弾『どうしても頑張れない人たち』では、認知機能の弱さから、"頑張ってもできない"子どもたちがいることを指摘し、そうした子どもらはサボっているわけではなく、頑張り方がわからず、苦しんでいるのだとして、そうした子どもらをどう支援していくべきかを説いています。
'24 年刊行の第3弾『歪んだ幸せを求める人たち』では、誰でも幸せになりたいと思う中で"歪んだ幸せを求める人たち"がいて、その例を5つの歪み(怒りの歪み・嫉妬の歪み・自己愛の歪み・所有欲の歪み・判断の歪み)に沿って紹介し、そうした歪んだ幸せを求める背景を、心理的観点から考察しています。
第3弾に来て、ちょっと話が拡がりすぎた気もしなくもなかったです。「おばあちゃんを悲しませたくないので殺そうと思いました」というのは、認知障害と言えば確かにそうだが、統合失調症ではないかなあ。火事場で愛犬を助けるために、甥っ子に火の中に飛び込めと言ったという叔母の例も、付帯条件が多すぎて、例としてはあまり良くないように思います。他にも、認知の歪みというだけで説明するのはどうかという事例がいくつかあったように思われました。
もともと第1弾から、境界知能と学習障害や軽度知的障害を一緒くたに論じる傾向も見られたましたが、そうした傾向が第3弾に来てからばーっと拡がった印象も。児童福祉・障害福祉の実務者の中にも、本書の説明は実際にそぐわないと感じる人がいるようで、トラウマ反応、愛着形成や情動調整の未熟さ、性格など考慮すべき視点があり、認知の歪みだけでは説明することはできないとの意見もあるようです。
この間に著者は『境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)を出しており、ここでは「境界知能」をサブタイトルにあるように 「IQ70以上85未満」という定義を全面に出しており、一方で、「「普通」の子に見えるのに、「普通」ができない―これは、境界知能の子だけではなく、軽度知的障害の子にも当てはまる場合がある」としており、「境界知能」の延長線上に「軽度知的障害」があって、両者の違いは知能指数の数値の相違にすぎないともとれるようになっているようです。まだ読んでいないので、機会があればそちらに読み進みたいと思います。
「境界知能」という概念を本書(第1弾)で初めて知りました。支援もたいへんかと思いますが、その在り方を丁寧に解説していて、何よりも、そうした子どもたちが大勢いることを指摘したことが大きいと思います。「こんな子、いるいる」という感じで一方で腑に落ちた読者も多かったのではないかと思われますが、第3弾にちょっとケチをつけさせてもらったように、その厳密な定義となると、結構難しい面もあるように思いました。