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老い方、死に方を宗教者、科学者、地域エコノミスト、エッセイストと語る。

養老 孟司 『老い方、死に方』.jpg老い方、死に方2.jpg 南直哉氏.jpg
老い方、死に方 (PHP新書) 』['23年]南直哉氏(福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代)

 養老孟司氏が、禅僧の南直哉氏、生物学者の小林武彦氏、地域エコノミストの藻谷浩介氏、エッセイストの阿川佐和子氏の4氏と、老い方、死に方を語り合った対談集。

超越と実存.jpg 第1章の禅僧の南直哉氏は、脱サラして僧侶になり、永平寺で19年修業した後、恐山に行った人で、南氏との対談は、氏の『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史』('18年/新潮社)が「小林英雄賞」を受賞した際の選評を養老氏が書いたことが縁のようです。この対談でも、キリスト教と禅の比較や、「諸行無常」をどう考えるかといった宗教的な話になり、「解剖」は僧侶の修行のようなものという話になっていきます。そして最後に南氏は、死を受容する方法、生き方として、「自我を自分の外に向かって広げていく」こともよいとしています。「褒められたい」とか思わないで、ただ単に他人と関わるようにするのがコツで、褒められたいとか「損得」にとらわれると、自分と他人を峻別して自己に固執するようになるとしています(褒められたいと思わないことが、死を受容する方法に繋がるという発想が示唆的で興味深い)。

小林武彦の著書.jpg 第2章の生物学者の小林武彦氏は、『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになったゲノムの再生(若返り)機構を研究する学者で、当対談でも、生物には「老いて死ぬシステムがある」がDNAが壊れなければ、寿命は延びるとしています。老化のメカニズムについては、『なぜヒトだけが老いるのか』('23年/講談社現代新書)でも述べられている通りで、あの本は後半「シニア必要論」となって、やや社会学的色合いになったと個人的には感じたのですが、この対談でも同様の論を展開しています。

藻谷浩介 本2.jpg 第3章の地域エコノミストの藻谷浩介氏は、『里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く』('13年/角川新書)などの著書があり、養老氏との共著もある人ですが、日本総研の主席研究員で、平成大合併以前の約3200市町村のすべて、海外119カ国を私費で訪問したというスゴイ人です。この対談では、里山資本主義というものを唱え、「ヒト」「モノ(人工物)」「情報」の循環再生を説いています。少子化問題、環境問題、エネルギー問題と話は拡がっていきます。やや話が拡がり過ぎの印象もありますが、そう言えば養老氏は別の本で、都会で死ぬより田舎で死ぬ方が「土に返る」という感覚があっていいと言っていたなあ。

看る力.jpg 第4章のエッセイスト・作家の阿川佐和子氏は、佐和子氏が父・阿川弘之を看取り、母の介護をした時期があって、その経験を綴ったエッセイ本を出していることから対談の運びとなったと思われます。延命処置をせずに亡くなった父親の死について語る佐和子氏に対し、養老氏は、死んだ本人にしたら自分が死んだかわからないわけだから、「死ぬかもしれない」なんて恐れることはなく、「そのうち目が覚める」と思って死んでいけばいいと説いています。認知症や介護についても話題になっています。

 宗教者と根本的な思想の問題について、科学者と生物学的に見た老化について、地域エコノミストと社会的な老いと死について、エッセイスト・作家と肉親の死や介護について語り合っていることになり、養老氏は、「全体として目配りが非常にいいのは、編集者の西村健さんのおかげである」と感謝しています。しかしながら、確かによく言えば全方位的ですが、悪く言えば、ややテーマが拡散した印象もあったように思います(第1章の禅僧の南直哉氏の話がいちばんテーマに近かったように思う)。

 養老氏は、多くの自著で、「死は常に二人称」として存在するとし、なぜならば、一人称の死は自分の死なので見ることができず、三人称の死は自分に無関係なためとしていますが、阿川佐和子氏との対談の中で、愛猫の死を〈二人称の死〉としているのが、〈二人称の死〉とはどのようなものかを理解する上で分かりやすかったです。

養老 プレジデント.jpg養老 日本が心配.jpg また、養老氏は小林武彦氏との対談の中で「大地震が歴史を変える」としています。そう言えば、「プレジデント」2024年8/16号の「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という特集で、養老氏は「私が101歳まで生きたい理由」として、それまでに南海トラフ地震が起きる可能性が高いため、日本がどうなるか見たいからだと述べていました。

「週刊文春」2025年3月13日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」ゲスト・南 直哉
南直哉 週刊文春.jpg

《読書MEMO》
●「自己を開くことを繰り返していけば、自ずと死を迎えるための練習にもなるのではないかなという気がするんですね」(南直哉) 
●「DNAの修復能力は『寿命の壁』を突破する一つのカギだと考えています」(小林武彦) 
●「都会の高齢者ほど、老後の生活に必要なのは『お金』だけだと思い込んでいます。『自然資本』や『人的資本』に目が行かないのですね」(藻谷浩介) 
●「(母の)認知症がだいぶ進んでからは、母が頭のなかで思い描く世界に一緒に乗ることにしました。そのほうが介護する側も、される側もおもしろいし、イライラしないし」(阿川佐和子)
●「自分のことなんか、人に理解されなくて当たり前と思ってりゃいい」(養老孟司)


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「老い本」(おいぼん)の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供。

老いを読む 老いを書く.jpg酒井 順子 週刊文春.jpg「週刊文春」2021年4月29日号
老いを読む 老いを書く (講談社現代新書 2759) 』['24年]

 「老い本」(おいぼん)とは、人々の老後への不安と欲望に応えるべく書かれた本のことだそうで、本書では、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、トピック別に老い本を選んで、日本の老いの精神史を読み解いていきます。著者のべストセラー本に『負け犬の遠吠え』(2003年/講談社)があり、あの本は社会学的エッセイという感じでしたが、著者は今は「週刊文春」の交代制の書評ページ「私の読書日記」を担当するなどしており、本書も社会学的エッセイのスタイルをとりながらも、「本」を分析の素材にしたことで、読書案内にもなっています。

『恍惚の人』.jpg 第1章「老いの名作は老いない」では、『楢山節考』『恍惚の人』『いじわるばあさん』、そして、古典である『竹取物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』などを取り上げています。『楢山節考』が提示した高齢者の問題は、今現実味を帯びてきていると著者は言います(『恍惚の人』には、「老人ホームに親を送り込むっていうのは気の毒ですねえ」という台詞があるんだあ。当時は「老人ホーム=姥捨て山」の発想だったのか)。『恍惚の人』は「耄碌」が「痴呆症」という病として認識される契機になった本であるとのこと(そして今「認知症は病気ではない」という揺り戻しが来ている)。『方丈記』を読むと、「何歳になってもギンギンで!」という風潮が、自然の摂理に反したものに思えてくると。

日野原重明 本.jpg 第2章「老いをどう生きるか」では、「百歳老人」が加速的に増えたことで、百歳人は神的な存在ではなくなったとしています(代表例がずっと現役医師だった日野原重明。105歳までに出した多くの「老い本」の表紙が白衣もしくはジャケット姿)。「定年クライシス」問題にも触れ、源氏鶏太の『停年退職』(1962年)(昔は「停年」と書いた)から重松清の『定年ゴジラ』(1998年)、内館牧子の 『終わった人』(2015年)を取り上げ、その変遷を見ています。60代は「老人界のフレッシュマン」だとし、また「乙女老女」は未来志向だとしています(黒柳徹子は老い本を書かない。彼女に続いて出てくるには、角野栄子、田辺聖子、そしてラスボス・森茉莉)。

佐藤愛子 本.jpg 第3章「老いのライフスタイル」では、30年間「老い本」を書き続け百歳になった佐藤愛子、シニアファッションのカリスマ・草笛光子、昭和のお洒落なオイスター・幸田文と白洲正子、家事得意の明治女・沢村貞子などを取り上げていますが、やりり女性は男性より強いという感じです。また、田舎に移住することの良し悪しも考察しています。

 第4章「老いの重大問題」では、老後不安のもとになる問題として、老後資金の問題(金は足りるのか)、配偶者(特に妻)に先立たれた場合の問題(江藤淳『妻と私』(1999年)、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(2008年)など)、「死」との向き合い方(永六輔『大往生』(1994年)、石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』(2020年))など取り上げ、さらに「死」との向き合い方について、さらに「老人と性」の問題に触れています(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962年)、川端康成『眠れる美女』、松井久子『疼く人』など)。

死という最後の未来.jpg 多くの本が取り上げられていますが、だからと言って一つ一つがそう浅いわけではなく、例えば石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』における石原慎太郎の、余命宣告を受けても男性機能の保持を誇示するという、死に直面した狼狽とその反動からくる"男らしさ"のアピールを看破している点などは鋭いと思いました。

石原 慎太郎/曽野 綾子 『死という最後の未来』(2020/06 幻冬舎/'22年 幻冬舎文庫)


『老いの読書』.jpg 読書案内にもなっていると書きましたが、例えば前田速雄『老いの読書』('22年/新潮選書)のような「死ぬ前に読むべき本」を紹介しているものとは異なる趣旨の本であることは言うまでもなく、「老い本」の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供している本であったように思います(この本自体が「生き方」本であるわけでもなく、あとは自分で考えろということか)。

老年の読書(新潮選書)』['22年]

 
 
 
《読書MEMO》
●目次
はじめに 「老い本」大国ニッポン
第一章 老いの名作は老いない
 一 迷惑をかけたくない──『楢山節考』
 二 いつか、自分も──『恍惚の人』
 三 マンガが見つめる孤独──『いじわるばあさん』
 四 古典の老いと理想──『竹取物語』 『枕草子』 『徒然草』 『方丈記』
第二章 老いをどう生きるか
 一 百歳の人間宣言
 二 定年クライシス
 三 六十代──老人界のフレッシュマン
 四 「乙女老女」は未来志向
 コラム 老い本ブームの先陣を切った二冊の「新しさ」
第三章 老いのライフスタイル
 一 一人暮らし
 二 おしゃれの伝承
 三 おばあさんと料理
 四 田舎への移住
 コラム 高齢者の「迷惑恐怖」を煽る終活本
第四章 老いの重大問題
 一 金は足りるのか
 二 配偶者に先立たれる
 三 「死」との向き合い方
 四 老人と性
おわりに 老い本は不安と希望のしるし──ぴんころ地蔵と姨捨山を訪ねて
老い本年表

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「老い」の生き方。前向きであり、そうあるための方法論も書かれている。

老いる意味 森村誠一2.jpg森村誠一.jpg
老いる意味-うつ、勇気、夢 (中公新書ラクレ 718) 』['21年] 森村 誠一(1933-2023/90歳没)

 2023(令和5)年7月に肺炎のため満90歳で亡くなった著者が88歳の時に著した「老い」に関するエッセイ。老人性うつ病を克服した著者が、老いの生き方はどうあるべきかを綴っています。

 第1章「私の老人性うつ病との闘い」では、老人性うつ病というものがどういったものか分かりました。うつ状態を脱するための4カ条として①楽しいものを探す、②のんびりする、③おいしいものを食べて、ゆっくり寝る、④趣味をみつける、だそうで、著者は①人と会う、②喫茶店やレストランに行く、③
電車に乗って、美しい場所、珍しい場所へ行く、④人を招くことをやったと。

また、著者は認知症も患ったようで、書けなくなった作家は「化石」として、脳からこぼれた言葉を拾っていくため、様々な言葉や単語を紙に書き続けるなどの努力をしたこと、その間、主治医への心理的依存度が非常に高かったことなどを明かしていますが、やがて努力の成果が現れ、詩作などを通していつもの状態に戻っていくことが出来、「道」が続いている限り歩みは止めず頑張ろうという気になったと。

 第2章「老人は、余生に寄り添う」では、人の余生は長くなったが、余生と切り離せないのが老いであり、眉毛が伸びてきてショックを受けたと。ただ、未来に目を向ければ今の自分が「いちばん若い」わけで、最先端を追い続けている限り、自分も不変なのだと。人生は「仕込みの時代」「現役時代」「老後」の「三つの期」に分けられ、老後は「人生の決算期」であると。余生まで倹約を続ける必要はなく、「いい意味でのあきらめ」も必要であると。また、「条件付きの健康」で良しとせよと説いています。「楽隠居」なんて実は楽ではなく、生きている意味を見出すよう努めるべきだと。また、田舎の老人は「生涯現役」でいやすく、都会の老人は「自由を謳歌しやすい」とし、「老人たちよ、大志を抱け」としています。

 第3章「老人は、死に寄り添う」では、ネコからさえ死のあり方を教えられてきたとし、また、妻に先立たれる可能性もあるが、男は妻に依存していることが多いので女房なしでは「男はつらいよ」と。一方で、離婚を切り出される可能性もあると(内館牧子の『終わった人』だね)。

 長生きすれば肉親の死にも立ち会うことになるし、別れも辛いが自分自身も生き辛くなると。「お荷物老人」にならないこと、バリアフリーに甘えていると尊敬されないとも。また、今の世は孤独死が増えており、孤独死、孤立死を防ぐには、寂しさに耐える覚悟が必要だと。ともかく、家庭でも社会でも、「お荷物」にならないことだとしています。「仕事の定年」と「人生の定年」は異なり、仕事はやめても、生きていく緊張感は必要、「生きがい」と「居心地の良さ」は別物であるとしています。また、心や脳を衰えさせないためにはどうすればよいかを述べ、「老人社会」に現役時代を持ち込めば居場所がなくなる、70代が曲がり角で、80年代に入れば身辺整理、歳を重ねれば仲間は去っていくものだと。

 第4章「老人は、健康に寄り添う」では、著者は散歩を日課にしているが、散歩コースに医院を入れるのも良いと。スケジュールが無くなると人間は無気力になるもので、自分の行動パターンを決め、「バイオリズム」を掴んだ上で、1日の予定はアバウトなところから始めるのがよいと。老いるに従い「現状維持」を考え、楽しみながらボケを阻止せよと。

 短くても「人間的な眠り」を大切にすること、糖尿病予防のため風呂にはゆっくりつかること、癌や新型コロナウィルスとの向き合い方などを説き、諦めずに病気と向き合う姿勢が大切だと説いています。

 第5章「老人は、明日に向かって夢を見る」では、老いを加速させるかどうかは自分次第だとして、「人」「文化」「場所」との出会いを大切にしたいものだと。茶者は「写真俳句」にハマって、これは楽しいと。また、配偶者とは「つかず離れず」で、時にデートもいいと。男はスタイルにこだわり、いくつになっても「武装」していたいと。また、異性との交流、シニアラブもあっていいと。さらに。シニア世代になってこそ「自由な読書」が楽しめるとしています。

 老齢だからといって退屈している場合ではなく、また、誰かの役に立つことは、心の筋肉をほぐすとも。「気配り」「心配り」「目配り」を忘れるなと。

 作家という職業のせいもありますが、いつまでも仕事をし続けることが目標になっている印象を受けました。そのため、すべてにおいて前向きであり(実際、読んでいて励まされる)、また、前向きであるための方法論も書かれていて、そのことが本書がベストセラーとなった要因の1つでしょう。平易な文章で書かれていて読み易く、また節ごとの小見出しが的確に内容を表しているというのもあるかもしれません。

 帯に「私は百歳まで現役を続けるつもりだ」とあります。残念ながら90歳で亡くなってしまいましたが、晩年もやる気に満ちていたとが窺え、それは著者にとっても良かったのではないでしょうか。うつ病と闘い克服したという自信と自負も大きく作用したのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 私の老人性うつ病との闘い
第2章 老人は、余生に寄り添う
第3章 老人は、死に寄り添う
第4章 老人は、健康に寄り添う
第5章 老人は、明日に向かって夢を見る

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江戸時代の武士には介護休職制度が、さらにそれより古くから高齢者介護はあった。

武士の介護休暇2.jpg武士の介護休暇.jpg
武士の介護休暇: 日本は老いと介護にどう向きあってきたか (河出新書) 』['24年]帯装画:岡添健介

 医療が未発達であった昔、日本ではどのように高齢者介護に取り組んできたのか? 本書は、武士の介護休暇制度があった江戸時代を中心に、近世以前のわが国の介護の歴史を解き明かした本です。

 第1章では江戸時代の高齢者介護を取り上げており、冒頭では介護休暇を取って親を介護していた武士の例が出てきます。江戸幕府は「看病断(かんびょうことわり)」という介護休業制度を整備しており、多くの藩でも同様の制度があったとのことです。また、親への孝心は当時の武士の持つべき徳目とされており、女性ではなく男性が介護の中心的役割を担ったそうです。

 江戸時代の介護については武士・非武士を問わず史料が比較的充実しており、それは、当時の善行とされた行為に「孝行」や「忠孝」が含まれ、親や雇い主を介護したケースが表彰の対象として『孝義録』といった史料に残されているためであるとのことで、それはまた、統治者にとっては、治安が上手くいっていることのアピールでもあったようです。

 第2章では、江戸時代の「老い」の捉え方を見ていきます。概ね江戸期を通して幕府は70歳以上を隠居年齢にしており(今より高い水準とも言える)、94歳まで働いた武士もいたそうです。一方、井原西鶴などによれば、町民における望ましい人生は、50代後半頃の隠居が成功者の理想で、40代あるいはもっと若くして隠居するケースもあったようです(江戸時代版「FIRE」か)。

 第3章から第5章にかけては、江戸時代より前、古代~中世期の介護の実情に迫っています。昔から高齢者は一定割合でいたことが判っていますが、7世紀の終わりに導入が進められた律令制度のもとでは、61歳以上が高齢者に該当し、若い人ほどの労働力がないと見なされる一方、高齢者は尊敬の対象でもあったとのことです(第3章)。

聖徳太子.jpg 第4章では、古代~中世期の要介護の要因となった病気として、認知症、脳卒中などの例を史料・物語で紹介しています(これは現代の要介護の二大要因と同じ)。ちなみに、高齢者以外も含めた要援護者に対する公的なケアの始まりは、西暦593年に聖徳太子が大阪・四天王寺に置いた今で言う病院・福祉施設(療病院と悲田院を含む「四箇院(しかいん)」。他に寺院そのものである敬田院、療病院は薬局にあたる施薬院から成る)が最初とされるとのことで、今から1400年も前に、ささやかながらも公的なケア・サービスが存在したことに驚かされます。一方で、身寄りのない高齢者の介護・看取りやその最期の悲惨な例も紹介されています。

 第5章では、古代~中世期の数ある「姥捨て物語」の類型を示して、姥捨てという介護放棄が実際にあったのかどうかを考察し、なかったとは言いきれないものの、物語としては孝行物語として帰結しているものが多いとしています。その上で、当時の人々が高齢者ケアに向かう考え方や価値観=倫理を探り、そうした倫理が作用しなかったときに、高齢者が見放される事態が生じたとしています。

 最終の第6章では、引き続き江戸時代についてもこうした考察を試み、江戸時代に身寄りのない高齢者はどう介護されたかを述べ、「五人組」などの地域で高齢の要介護者を支える制度や、幕藩による高齢者の救済制度が紹介されています。結論として、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観として、①老親や主人への「情」の論理、②まずは家の中で対応する「家」の論理、③家で対応できない場合の「地域」の論理、④幕府の儒教・朱子学強化施策を背景とした「儒」の論理を挙げています。

 江戸時代、さらにはそれより古くから高齢者介護というものはあったということを知ることができたとともに、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観には(介護放棄につながる要因も含め)、現代にも通じるものがあることを感じました。たいへん面白く読めました。

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「GLS―1阻害薬」は万能? まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も。

老化は治療できる!宝島社新書.jpg老化は治療できる! (宝島社新書) 』['21年]

 本書は、著者ら東京大学医科学研究所などの研究チームがマウス実験から「老い」の原因となる「老化細胞」を除去する薬として2021年に発見した「GLS―1阻害薬」というものを紹介した本。この薬には老化した人間の肉体も若返させる可能性があるとし、研究チームの東大の先生が、老化のメカニズムと「アンチエイジング治療薬」の可能性を解説しています。

 まず前提として人間の寿命は最長120歳ほどで、これは変わらないだろうとし、ただし、「GLS―1阻害薬」にとって老化細胞が除去されることで老化は抑えられ、さらにはがんの治療に役立つ可能性もあるとのことです。マウスに投与すると老化細胞が死んで、加齢性疾患が改善することが分かっており、有効ながん治療薬として臨床試験が進められています。

 確かに、長生きはしたいけれど、老いの苦しみを味わうのは嫌だという思いは誰しも抱いていると思われるし、こうした「老化を治療する」薬の発見は喜ばしいことだと思います。120歳まで30歳のまま生きれるのならば、こんないいことはないです。ただ、あくまでもまだ研究段階なので、あまり喜びすぎるのもどうかと思いました。

ライフスパン.jpg 「老化は治療できる」という考え方は、『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授で、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と言っている)、あの本では「NMN」という物質が万能薬のように書かれていました(そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴は時期尚早だと反対している)。

LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 本書は若干「GLS―1阻害薬」が万能であるというトーンが強いように思いました。開発者としては、それぐらいの希望を持って研究することでモチベーションは上がるだろうし、世間も大きな期待を寄せるかと思いますが、まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も受けました(タイトルから、今すぐ出来る「老化を治療する方法」があるのだと思った人もいたのでは)。

 ただし、国内外でこの「GLS―1阻害薬」は現在も進行中のようで、本書刊行後も、経口薬が開発され、安価で供給できる見通しが立ったとの情報もあるようです。でも、その前に、国内で認可を得て治験を積み重ねていくことがカギとなるのではないでしょうか。

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「アンチエイジング」本ではなく「死」を受け入れよという趣旨の本。

健康の分かれ道-死ねない時代に老いる.jpg「後悔しない死に方」.jpg
講演中の久坂部羊氏('24.4.10 学士会館/夕食会&講演会)講演テーマ「後悔しない死に方」
健康の分かれ道 死ねない時代に老いる (角川新書) 』['24年]

 本書では、老いれば健康の維持が難しくなるのは当然で、老いて健康を追い求めるのは、どんどん足が速くなる動物を追いかけるようなものであり、予防医学にはキリがなく、医療には限界があるとしています。その上で、絶対的な安心はないが、過剰医療を避け、穏やかな最期を迎えるためにはどうすればよいかを説いています。

 第1章では、「健康」は何かを考察してます。こここでは、健康の種類として、身体的健康、精神的健康のほかに、社会的健康や、さらには霊的健康というものを挙げているのが、個人的には興味深かったです。この健康の定義は、本書全体を通して意味深いと思います。

 第2章では、健康センターに勤めた経験もある著者が、健康診断で何が分かるのかを解説、ある意味、健康診断は健康人を病人に誘うシステムであるとしています(因みに、著者は受けていないと)。

 第3章では、メタボ検診の功罪を問うています。診断基準に対する疑問を呈し、メタボ判定を逃れる裏技として、腹式呼吸すれば息を吐いたときに腹がへこむので引っ掛からないとのこと、自分で腹を膨らませたときとへこませたときの差を測ったら13㎝あったとのことです。

 第4章では、現代の健康について解説しています。人々の健康観はメディアの力に大きく作用され、週刊誌情報を盲信する患者には医者も泣かされる一方、そうした怪しげな健康ビジネスがはびこっていると。また、日本はタバコに厳しく酒に緩いともしています。さらにがん検診にはメリットもあればデメリットもあるとしています。免疫療法は「溺れる者がすがるワラ」のようなものであるとし、PSA検査や線虫卯がん検査にも疑問を呈しています。また、認知症はその本態がまだ明らかになっておらず、近年開発されている"特効薬"も〈竹槍〉のようなものだと。

 第5章では。精神の健康とは何かを考察しています。年齢段階ごとにどのような精神的危機があるかを解説しています。また、「メンヘラ」「ヤンデレ」「インセル」といった言葉が拡がるのはレッテル貼りだと。さらに、「新型うつ」は病気なのか、また「代理ミュンヒハウゼン症候群」についても解説しています。

 第6章では、健康と老化について考察しています。老いを拒むとかえって苦しむとし、「アンチエイジング患」になり、「健康増進の落とし穴」に嵌る人の多いことを指摘し、また「ピンピンコロリ」という言葉には嘘があるとしています。さらに、誤嚥性肺炎が起きる理由を解説し、QOLの観点から最近はもう治療しないという選択もあると。生にしがみつくのは不幸で、認知症も早期に発見しない方が良かったりもするとしています。

 第7章では、健康を見失って見えるものとして、同じ難病でも心の持ちようで大差が出ることや、がんを敢えて治療しなかった医師の話、胃ろうやCVポートの問題点、現在非常に進化している人工肛門などについて解説した上で、健康にばかり気をとられていると、やるべきこでないこととしなければならないことに追われ、何のために生きているのか見失いがちになるとしています。

 第8章では、健康の「出口」としての死をどう考えるべきかを考察しています。そして、死に対して医療は無力であり、人生の残り時間をわずかでも伸ばすことに心を砕くより、有意義に使うことを考えた方が賢明であると。自分が「死の宣告」を受けたとシミュレーションしてみるのもいいし、好きなことをやって自分を甘やかすのも、死を迎える準備になるとしています。自分の人生を愛する「感謝力」「満足力」が大事であると。

 著者が「死」や「老い」について書いた本を何冊か読んできましたが、今回は「健康」という切り口でした。巷に溢れる「長生きする人がやっていること」といった「アンチエイジング」本ではなく、むしろ「死」を受け入れよという趣旨の本であり、結局最後は終章にあるように、健康の「出口」としての死というものに繋がってはいくのですが、これはこれで「死/老い」を包括するテーマであり、良かったです。

 これまで読んだものと重なる部分もあったし、体系的と言うよりエッセイ風に書かれている印象。ただし、、この著者のこの分野の本からは、知識を得ると言うより、考え方を学ぶという要素が大きいため、読み直すつもりで新刊にあたってみるのもいいかなと思いました。

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認知症・がんなどの実態を明かした上で、どう老いればよいかを説く。

『人はどう老いるのか』2.jpg『人はどう老いるのか』.jpg
人はどう老いるのか (講談社現代新書 2724)』['23年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本で、『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)の続編・姉妹版のような位置づけでしょうか。

 第1章では、「老いの不思議世界」として、高齢者における重症度と苦悩も深さは必ずしも一致しないことや、それまで死を恐れていたのが、90歳を超えると、ここまで生きればあとどれくらい生きるか楽しみだという心境になり、「早ようお迎えがこんか」という冗談も出るようになると。ただ、その前の段階では。死にたい願望に囚われることもあるとしています。また、死ぬ準備は不愉快かもしれないが、その準備ができてなくて悔いの残る死に方をした人が多いとしており、これなどは考えさせられます。

 第2章では、認知症高齢者について述べています。認知症の種類としてアルツハイマー型などがあるとし、一方、認知症の主なタイプとして、「多幸型」「不機嫌型」などがあり、そのほかに「怒り型」「泣き型」「情緒不安定型」には困惑させられ(酔っぱらいの種類みたい)、「笑い型」は楽しく、困るのは「意地悪型」だと。また高齢者の「俳諧」は無目的なものではないとし、その抑制方法を説いています。

 著者が自身の父親の老いと死を描いた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)で、老人認知症の肉親を持った家族の苦しみは測り知れないとしながら、本自体は暗さを感じさせない楽しい作りになっていたのは、著者の父親の場会、「笑い型」だったということで腑に落ちました。

 第3章は、認知症にだけはなりたくないという人に向けて書かれていて、認知症を恐れるのは、健康な時に認知症になった自分を思い浮かべるからであって、なってしまえば、死の恐怖も無くなり、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の主人公が最後「無理解の平安」に帰還したように、知的障害も必ずしも悪くないとしています。また、脳トレは、脳の老化を遅くするかもしれないが、認知症とは無関係であるとしています(元聖マリアンナ医科大学の教授で認知症研究の第一人者だった長谷川和夫氏(2021年没)が認知症になったという例もあった)。

 第4章では、医療幻想の不幸を説いています。日本人は医療万能の幻想を抱いていて、クリニックや病院でもCTスキャンやMRIなど高価な検査機器を入れなければ患者は来ないし、検査機器を入れただけでは収益を生まないので、過剰な検査をするとのことです。

 第5章では、新しいがんの対処法について述べています。ここでは、実はがんで死ぬには良い面もあり、医者の希望する死因の第1位はがんで(前著『人はどう死ぬか』にも書かれていた)、がん検診にはメリット・デメリットがあるとしています。

 第6章は、"死"を先取りして考えるということを説いています。上手に死ぬ準備はやはり必要だということです。胃ろうやCVポートで延ばされる命は、当人にとっても家族にとっても過酷なものであると。坂本龍一氏も享年71で早すぎる死と悼まれたが、あまり死に抵抗すると、無用の苦しみを強いられる危険があり、坂本龍一氏が最後「もう逝かせてくれ」と言ったというのは、そのことに気づいたからではないかとしています。尊厳死したゴダールの例を挙げ、著者自身も尊厳死に肯定的なようです。

 第7章は、「甘い誘惑の罠」として、長生きしたいという欲望につけ込むビジネスが横行しているとしています。よく取り上げられる「スーパー元気高齢者」なども、その罠の1つであるかもしれないと。

 第8章では、これからどう老いればよいかを説いています。著者がその死生観を称え、個人的にも印象に残ったのは水木しげるの言葉で、「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」というもの。だから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をした方がいいと。

 実は今がいちばん幸福なのだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむという著者の言葉も響きました。でも、考えるべき時には考えた方がいいのだろうなあ(著者自身は"隠居"するという考えを勧めている)。

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話題も豊富、文章も巧み、読んでいて楽しいが、総花的で1つ1つはやや浅いか。

Jellyfish Age Backwards.jpg寿命ハック1.jpg寿命ハック2.jpg
Nicklas Brendborg『Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity』『寿命ハック (新潮新書) 』['22年]

 アンチエイジングから不死に至るまで研究が隆盛を極める今日、「不老不死」はどこまで実現可能になっているのか。研究の最先端と未来を、デンマークの若手分子生物学者が、ユーモアを交えて分かりやすく解説し、実践的アドバイスも紹介した本です。全3部構成で印象に残ったのは―、

Quallen altern rückwärts.jpgベニクラゲ.jpg 第Ⅰ部「自然の驚異」(第1章~第4章)では、第1章「長寿の記録」で、自然界には、ストレスにさらされると種子のような休眠状態(芽胞)になるバクテリアや、成体の前のポリプ状態に若返るクラゲ(ベニクラゲ)などがいて(本書の原題は「Quallen altern rückwärts: Was wir von der Natur über ein langes Leben lernen können」、英題「Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity」)、寿命を延ばす巧妙なテクニックを進化させた生物(食料が足りなくなると自分を食べるプラナリアなど)がいることを紹介しているのが興味深かったです

 第2章「太陽とヤシの木と長寿」では、長寿の人が住む「ブルーゾーン」というものが世界に幾つかあり、その一つが沖縄県だとのことです。ただし、沖縄がブルーゾーンだったのは20世紀末までで、現在の沖縄はBMIは日本最高で、ハンバーガーの消費量も日本一で、長寿ランキングも男性は国内中位まで下がり、もうブルーゾーンとは言えないようです。

サウナ.jpg 第Ⅱ部「科学者の発見」(第5章~第17章)では、第5章「あなたを殺さないものは......」の「ホルミシス」効果(ストレスが生物を強くする現象)というのが興味深かったです。少量のヒ素などの毒物が線虫の生命力を強めるのも、ヒトが運動して鍛えられるのもホルミシス効果であると。逆境で耐久力(レジリエンス)が向上するようです。北欧文化にある「サウナ&寒中水泳」が健康にいいのもホルミシス効果ということのようです。

 第8章「すべてを結びつけるもの」で、ホルミシスには、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典教授の研究で知られる「オートファジー(細胞のゴミ収集車)」が重要な役割を果たしているとあり、オートファジーが適切に機能しなければ、ホルミシスは実験動物の寿命を延伸しなくなると。

 第13章「血液の驚異」によると、マウスの研究では、若い血を加えることよりも、古い血を抜くことのほうが若返りに効果があったそうで、継続的に献血する人は、献血しない人々より長生きするという研究結果もあるようです。

 第16章「長生きするためのデンタルフロス」で、歯周病はアルツハイマー病や老化と関係があるらしいというのは初めて知りました。

シニア インターバルトレーニング.jpg 第Ⅲ部「役立つアドバイス」(第18章~第24章)では、第18章「楽しく飢える」で、カロリーは摂り過ぎないのがよく、最も寿命が延びるのは飢餓状態であると(腹八分目は理にかなっている)。

 第23章「測定できるものは管理できる」では、高血圧になりにくい人は長生きすると(まあ、そうだろう)。それと、運動習慣は素晴らしいが、「時間がない」ことを運動できないことの理由にする人には、「高強度のインターバルトレーニング」を薦めています。また、筋肉の減少は長寿の阻害要因となり、長生きするには有酸素運動が最も重要だが、ウエイトリフティングを加えるとさらに効果的だとしています(筋トレをせよということか)。

 第24章「物質より心」では、プラセボ手術で変形性膝関節症での痛みが軽減した例や、プラセボ薬で過敏性腸症候群の患者の症状が改善した例が紹介されていて、プラセボ効果は心が体をコントロールしていることを示していると。また、人間関係が健康に影響するとしています。

 この他にも「テロメラーゼを作る遺伝子」(第10章)や、「ゾンビ細胞を標的にする薬(老化細胞除去薬)」(第11章)、「山中因子と多能性幹細胞で細胞をリプログラミングする」(第12章)など、さまざまな長寿研究が進んでいることが紹介されてました。

 アンチエイジングの現在を知るにはよく、話題も豊富で、文章も巧みで、読んでいて楽しいです。ただ、著者自身が何か提唱しているといったものではなく(著者は大学院博士課程在学中、といことはまだ学生!)、総花的で、一つ一つがやや浅い印象も受け、断片的な知識しか得られない気もました(学者といよりノンフィクション作家か科学ジャーナリストが書いた本のよう)。

 「長寿に関するフィールド調査で常に明らかになるのは、長寿の人々は意義と目的について意識が高く、いくつになっても熱心に社会参加しているということだ」とあり、この辺りが著者個人としての結論になるのかもしれません(訳者も自身のあとがきで、この言葉が印象に残ったとしている)。

《読書MEMO》
●目次
プロローグ――若返りの泉
Ⅰ 自然の驚異
第1章 長寿の記録
第2章 太陽とヤシの木と長寿
第3章 過大評価される遺伝子
第4章 不老不死の弱点
Ⅱ 科学者の発見
第5章 あなたを殺さないものは......
第6章 サイズは重要か?
第7章 イースター島の秘密
第8章 すべてを結びつけるもの
第9章 高校で教わる生物学の誤り
第10章 不死への冒険
第11章 ゾンビ細胞とその退治法
第12章 生物時計のねじを巻く
第13章 血液の驚異
第14章 微生物との闘い
第15章 見えるところに隠れる
第16章 長生きするためのデンタルフロス
第17章 免疫の若返り
Ⅲ 役立つアドバイス
第18章 楽しく飢える
第19章 歴史ある習慣を見直す
第20章 カーゴカルトの栄養学
第21章 思索の糧 フード・オブ・ソート
第22章 中世の修道士から現代科学へ
第23章 測定できるものは管理できる
第24章 物質より心

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アンチエイジング研究の最前線を「俯瞰」乃至「概観」。

『老化は治療できるか』.jpg老化は治療できるか.jpg老化は治療できるか (文春新書 1432)』['23年]

 世界中のIT長者たちが老化制御ビジネスに巨額の資金を投じているが、果たして本当に老化は防げるのか? 若返りを可能にする物質はあるのか?-本書は、ノンフィクション作家が、アンチエイジングの最前線を追った本です。

 第1章では、人間の平均最大寿命は115歳とした論文を紹介する一方、平均寿命は延びているのに最大寿命はほとんど延びていないとしています。ゲノム編集によって伸ばす可能性もありますが、それを許すかどうかは社会が決めることだと。さらには、老化の原因とされる「老化細胞」を除去する研究も、ネズミのレベルでは行われていると。ただし、老化と死はプログラムされているとも。

 第2章「不老不死の生物の謎」では、老化しない動物「ハダカデバネズミ」や死なないクラゲ「ベニクラゲ」の謎を探っています。一方。老化というのは均質的に進行するのではなく、34歳、60歳、78歳の3つの段階で急激に進行し、このことからも、老化は遺伝的にプログラム化されているのではないかと。

ライフスパン.jpg 第3章「究極の「若返えり物質」を求めて」では、古来人はそうした物質を追い求めてきたが、ここでは、今アンチエイジング研究で話題になっている血液中の「NⅯN」という、老化によって衰える機能を活性化するという物質について述べています。ただし、老化を「病気」とした『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授)、そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴には反対しているとのこと、ただ、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と。
デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]
久坂部 羊 氏.jpg 因みに、文藝春秋より本書『LIFESPAN』の書評の依頼をされた作家の久坂部羊氏(この人はずっと、安易な長寿礼賛を批判し続けている)は、一般の読者には、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかということは些細な問題になってしまい、「希望にあふれた著者の主張を信じ、恍惚となるにちがいない」とし、最後に「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、かなり皮肉を込めて締め括っています(「週刊文春」2020年12月24日号)。

 第4章「問題は「脳」にある」では、110歳以上生きたスーパーセンチュリアンの頭脳は、認知機能が高く保たれていたとし、その謎はまだ解明されていないが、脳の細胞に可塑性が備わっていることが考えられるとしています。また、有酸素運動をしながら頭を使うといったデュアルタスク運動が、認知症予防にもなるという研究成果も。さらには、半導体に記憶をアップロードするというSFのような発想についての思考実験もあると(ただし、不老不死は楽園なのかという問題もある)。

 第5章「科学が解明した「長寿の生活習慣」」では、睡眠の大切さを説き、「レム睡眠」の減少は認知症リスクであるとか、体内時計の狂いで免疫力が低下するということが述べられています。最後に、「バランスの良い生活」をするための6要素として、「喫煙・受動喫煙」「飲酒」「食事」「体格」「身体活動」「感染症」を挙げ、「社会的つながり」が寿命を延ばすとしています。

 第6章「「長生きする老後」をどう生きるか?」では、運動で幸福度を上げるという考え方を紹介しています。軽く息切れする程度の運動を日々の生活の中で習慣化することだと。あとは多様性のあう食事と、「好きなこと」に熱中すること、重要なのは「主観的幸福感」であると。モチベーションを維持するには、もう一度「思春期」を取り戻すのがよいと。

『なぜヒトだけが老いるのか』2.jpg いろいろな研究者のいろいろな話を訊いて、やや総花的になった感じもあり(いきなり専門用語が出てくる傾向もあった)、また、先に読んだ小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)同様、最後は人生論的エッセイみたいなった印象も受けました。ただ、「老化抑制」研究の最前線を「俯瞰」乃至「概観」するという、科学ジャーナリスト的な役割は一応果たしているように思います。

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前半は生物学だったのが、後半は社会学的エッセイ(シニア応援歌)になってしまったが、楽しく読めた。
『なぜヒトだけが老いるのか』.jpg『なぜヒトだけが老いるのか』2.jpg 『生物はなぜ死ぬのか』.jpg
なぜヒトだけが老いるのか (講談社現代新書)』['23年]
生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書 2615)』['21年]
 『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになった著者の第2弾(第1弾の『生物はなぜ死ぬのか』の内容は、この『なぜヒトだけが老いるのか』の第1章に集約されているので、ここでは詳しく取り上げない)。因みに著者は、生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む学者であるとのことです。

 第1章「そもそも生命はなぜ死ぬのか」は、前著『生物はなぜ死ぬのか』のおさらいで、「なぜ死ぬのか」ではなく、死ぬものだけが進化できて、今存在しているのだとしています。我々は死ぬようにプログラムされて生まれてきたのだと。ここから、死の前段階としての老化の生物学的意味と、幸福に老年期を過ごす方法を考えていきます。

 第2章「ヒト以外の生物は老いずに死ぬ」では、サケが産卵・放精後に急速に老化して死ぬことに代表されるように、野生の生き物は基本的に老化せず、長寿で知られるハダカデバネズミにも老化期間は無く、また、ヒト以外の陸上哺乳類で最も寿命が長いゾウも、ガンにもならないし、傷ついたDNAを持つ細胞を排除する能力があって、結果的に「老いたゾウ」はいないと。

 第3章「老化はどうやって起こるのか」では、老化の原因は、その傷ついたDNAを持つ細胞が居座り続けるからであると。著者は、ヒトの寿命は本来55歳くらいで、それよりも30年程度生きるのは、例外的なことであるとしています。

 第4章「なぜ人は老いるようになったのか」では、人生の40%は生物学的には「老後」だが、ゴリラやチンパンジーにさえ「老後」は無く、哺乳類では、クジラの仲間のシャチやゴンドウクジラだけ例外的に「老後」があると。ヒトに「老い」があるのは、「シニア」がいる集団は有利は有利だったためで、「老い」が死を意識させ、公共性を目覚めさせるのではないかとしています。

 第5章「そもそもなぜシニアが必要か」では、シニアまでの「競争→共存→公共」を後押しするのが「老化」であり、長い余生は、自分がのんびり過ごすためだけにあるのではなく、世の中をうまくまとめる役目もあると。

 第6章「「老い」を老いずに生きる」では、生物学的に考えると、人の社会は、若者が活躍する「学びと遊びの部分(クリエィティブ層)」とシニアが重要な役割を担う「社会の基盤を支える部分(ベース層)」の2層構造になっており、社会に対してシニアしかできないこともあるし、シニアが社会の中で存在感を示せば、「生きていればいいことがある」と思えるかもしれないと。

老年的超越.jpg 第7章「人は最後に老年的超越を目指す」では、老年的超越の心理的特徴(宇宙的・超越的・非合理的な世界観、感謝、利他、肯定)を紹介し、その生物学的な意味を考察し、そこに至る70歳~80歳くらいが人生で一番きついかも、としています。

 純粋に生物学の本かと思って読み始めたけれど、前半は生物学でしたが、後半は社会学的エッセイ(もっと言えばシニア応援歌)になってしまったような気がしました。本書にも出てくる「おばあちゃん仮説」の拡張版みたいな感じもしました。しかしながら、全体を通して楽しく読めました。


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それぞれに興味深い、3人の"特別な"男たちの老境を紹介。

江戸人の老い (草思社文庫).jpg江戸人の老い.jpg  第8代将軍徳川吉宗.jpg 第8代将軍・徳川吉宗
江戸人の老い (PHP新書)』['01年]
文庫 江戸人の老い (草思社文庫)』['19年]

 「江戸人の」と言っても、著者自らが言うように、3人の"特別な"男たちの老いの風景を描出したもの。

「秋山記行」より.jpg 最初に出てくるのは、70歳で400字詰め原稿用紙に換算して175枚以上あろうという「遺書」を書いた鈴木儀三冶(ぎそうじ)という、中風(脳卒中)の後遺症に伏す隠居老人で、遺書の内容は、家族、とりわけ家業の質屋を老人の後に仕切る娘婿に対する愚痴が溢れているのですが、この、いかにもそこらにいそうな老人のどこが"特別"かというと、実は彼は俳詣・書道・絵画・漢詩などをたしなむ多才の文人で、「牧之」(ぼくし)という号で、各地を巡った記録を残している―。
 その表裏のギャップの意外性が興味深い鈴木牧之こと「儀三冶」、享年73。

鈴木牧之 「秋山記行」より「信越境秋山の図」(野島出版刊 複製版)

徳川吉宗.jpg 2番目の登場は、8代将軍・徳川吉宗で、ずば抜けた胆力と体力の持ち主であった"暴れん坊将軍"も、62歳で引退し大御所となった後は、中風の後遺症による半身麻痺と言語障害に苦しんでいて、1つ年下で側近中の側近である小笠原石見守政登は、将軍の介護をしつつ、長男の新将軍・家重とその弟・田安宗武との確執など悪い話は大御所の耳には入れまいとしますが―。
 石見守の介護により、大御所・吉宗が一時的に快方に向かうと、それはそれで、事実を大御所に報告していない石見守の心配の種が増え、政務日記の改竄にまで手を染めるという、役人の小心翼々ぶりが滑稽。
 吉宗、享年68(石見守は85歳まで生きた)。

『遊歴雑記』.jpg 最後に登場する、寺の住職を退き隠居の身にある十方庵こと大浄敬順は、前2人と違って老いても頗る元気、各地を散策し、68歳になるまでに957話の紀行エッセイを綴った風流人ですが、表向き女人嫌いなようで、実は結構生臭だったというのが面白いです。
 自作の歌や句を所構わず落書きする茶目っ気もありますが、実は透徹した批評眼を持ち、世に溢れる宗教ビジネスなどの偽物文化を戒め、本物の文化が失われていくのを嘆いています(よく歩く点も含め、永井荷風に似てるなあと思ったら、「あとがき」で著者もそれを指摘していた)。
 70を過ぎても郊外をめざして出歩いた敬順ですが、社交嫌いではなく、「孤独を愛する社交好き」という二面性を持っていたそうです。

大浄敬順『遊歴雑記』(写本・全15冊)
 
 それぞれに、鈴木牧之(ぼくし)こと鈴木儀三冶の『遺書』、小笠原石見守の『吉宗公御一代記』、大浄敬順の『遊歴雑記』という史料が残っているからこそわかる3人の老境の実像ですが、ちょっと彼らの境遇が異なり過ぎていて寄せ集め感もあるものの、まずまず面白かったです
 個人的に一番面白かったのは、著者の筆の運びに拠るところが大きいのですが鈴木牧之の話、自分も老いたならばこうありたいと思ったのは大浄敬順、といったところでしょうか。

【2019年文庫化[草思社文庫]】

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