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やや疑問を感じた「デュオ安楽死」。60代になったアンヘラ・モリーナの演技。

「両親が決めたこと」アルフレド・カストロ/アンヘラ・モリーナ

「欲望のあいまいな対象 [DVD]」フェルナンド・レイ/キャロル・ブーケ/アンヘラ・モリーナ
スペイン・バルセロナで暮らす80歳の舞台女優クラウディア(アンヘラ・モリーナ)は、末期がんに冒されている。がんは脳にまで転移し、錯乱や半身麻痺、さらに自我の喪失も近づくなか、彼女は安楽死を選択する。子育てよりも舞台優先で生きてきたクラウディアを支え続け、今なお愛してやまない夫フラビオ(アルフレド・カストロ)も彼女とともにスイスで安楽死することを決意し、3人の子どもたちに打ち明ける。子どもたちは戸惑い反発するが父の意志は固く、両親はデュオ安楽死に必要な手順を進め、ついに最後の旅へと出発するときがやって来る―(「両親が決めたこと」)。
カルロス・マルケス=マルセット監督の2004年公開作で、高齢夫婦のどちらかが病の終末期に安楽死する決意をしたときに、そのパートナーが自身は健康であっても伴侶と共に安楽死する道を選ぶ「デュオ安楽死」というもの(ヨーロッパで急増しているという)を題材にした家族ドラマ。デュオ安楽死を決めた両親と、その子どもたちの心の機微を、ユーモアをも交えながら描いています(妻が元ダンサーということで、時折挿入される芸術的な舞台シーンなどもテーマが重い故の緩衝材的効果を狙ったと思われる)。本作は、2024年・第49回「トロント国際映画祭」で、新たな挑戦作を評価する「プラットフォーム部門」の作品賞を受賞しています。
それにしても、終末期の病にある母親の安楽死に加え、父親まで一緒に死ぬと言い出したいう事態には、子どもらがびっくりするのも無理ないなあ。でも、最後は容認するとこところは、やはり個人主義的な欧米人の感覚のように思えました。日本だったら周囲が引き留めて、なかなかこうはいかないでしょう(スイスからも遠いというのもあるが)。
さすがに「デュオ」ではないけれど類似した設定である、フランソワ・オゾン監督の「すべてうまくいきますように」 ('21年/仏・ベルギー)にも、スイスの安楽死を請け負う機関が出てきましたが、この「両親が決めたこと」では実際にスイスのそうした施設を使って撮影し、安楽死の手順を映画内で再現し、施設内の様子や火葬して灰になるまでを描いています。あちらは「骨拾い(骨上げ)」という慣習が無く(あれは世界的に見ると非常に珍しい風習のようだ)、いきなり"灰"になってしまうのだなあ。
個人的には、病が終末期で自我の存続が難しい状態にある妻の安楽死の手助けは「尊厳死」として理解できるけれど、健全な躰を持つ夫に対しては完全な自殺幇助ではないかとの疑問を抱きました。最後に、夫の方がちょっと逡巡したように見えましたが、人間、何らかの未練はあるのでは。施設側は「いつでも止め
られる」としながらも、手順的には(後押しは必要なのかもしれないが)「さあ、死になさい」と言わんばかりで、観ていてちょっとキツイ感じがしました(先に夫の方が逝き、妻が後を追う形になったのには何か意味が込められているのか)。安楽死・尊厳死関連の作品では、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した、末期がんの女性の自死を描いたペドロ・アルモドバル監督 の「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」 ('24年年/スペイン・米)が、自分で死ぬタイミングを選ぶという点で、自分的には一番"しっくりくる死に方"(笑)でした。
アンヘラ・モリーナ in「両親(ふたり)が決めたこと」(2024)/「欲望のあいまいな対象」(1977)

「両親(ふたり)が決めたこと」ではアンヘラ・モリーナが、60代後半の実年齢で80歳の元舞台女優の妻クラウディアを演じています。アンヘラ・モリーナは、あの「自由の幻想」('74年/仏)のルイス・ブニュエル監督の遺作である「欲望のあいまいな対象」('77年/仏・スぺイン)で知られるようになった女優ですが、この作品を観たシネマリス (神保町)では、その「欲望のあいまいな対象」も掛かっていて、公式xでは、「1955年生まれのアンヘラ・モリーナの20代、60代の演技を続けてご覧頂けます」との触れ込みでした。
テロの危険に満ちたセビリア。初老の紳士(フェルナンド・レイ)は、発車間際の電車に乗り込もうとしてきた1人の女にバケツの水を被せる。驚く相客の男女らに、彼は女が悪魔であることを語り始める、その娘コンチータ(キャロル・ブーケ)のことを。初老の紳士マチューがコンチータに会ったのは、従兄の判事エドワール(ジュリアン・ベルトー)を食事に招いた日のこと。その日雇われた新しい小間使がコンチータだったのだ。その初々しい姿にすっかり魅せられたマチューは、夜コンチータを呼んだ。しかしコンチータはその部屋を逃げ去り、翌朝、マチューの家を出て行った。彼女を忘れられないマチューはローザンヌのレ
マン湖畔で偶然彼女と再会する。演劇仲間といっしょの彼女は、興行主に騙され無一文だと言う。そんな彼女に金を握らせるマチュー。彼はそれがきっかけで、パリに帰ってからもコンチータのアパートを訪れた。アパートでは、彼女(アンヘラ・モリーナ)は、母と二人で貧しい生活を送っていた。マチューは、母親に大金を渡し、コンチータを自分の邸に引き取ろうとするが、コンチータは、そんなやり方のマチューに怒り、手紙を残して彼の許を去ってしまう。夜も眠れぬマチュー。再びとあるバーで偶然コンチータを見かけた彼は、今度こそは離すまいと、郊外の別荘に連れてゆく。ところが、ベッドの中でマチューが手にしたものは、なんと彼女を守る貞操帯だ。マチューの欲望は一向に満たされない―(「「欲望のあいまいな対象」)。
「欲望のあいまいな対象」は「アンダルシアの犬」('28年/仏)、「<自由の幻想」('74年/仏)のルイス・ブニュエル監督の遺作で、主人公の男性がのめり込むヒロイン・コンチータを、フランス人で映画初出演のキャロル・ブーケ(ヒロインの無垢な少女の面の担当?)とスペイン人女優のアンヘラ・モリーナ(ヒロインの妖艶な悪女の面の担当?)の二人の女優が演じるという「二人一役」の演出がなされていましたが、特にアンヘラ・モリーナの美貌とエロティックな肢体は目を惹きます。
列車の中で主人公が語る話が映画のメインストーリーですが、その列車にバケツで水をぶっかけられたコンチータも乗っているわけで、彼女もお返しに主人公にバケツで水をぶっかける―ところが、主人公の話が終わって、映画もこれで終わりという時に2人は...。"想定外の結末"との世評ですが、全体を振り返ってみると、やっぱりという気もしないではない、と言うか、この結末しかないのではないかという気もします(この主人公は「病膏肓に入る」だなあ)。エンディングに爆発に象徴されるように、テロによる政情不安というのも背景にあるのでしょうか。個人的にはその辺りの関連はあまりよく分からなかったけれど。

「両親(ふたり)が決めたこと」●原題:POLVO SERAN(英題:THEY WILL BE DUST)●制作年:2024年●制作国:スペイン・イタリア・スイス●監督:カルロス・マルケス=マルセット●製作:トノ・フォルゲラ/アリアドナ・ドット/ジョバンニ・ポンピリ/オイゲニア・ムーメンターラー/ダービト・エピナイ●脚本:カルロス・マルケス=マルセット/クララ・ロケ/コーラル・クルス●撮影:ガブリエル・サンドル●音楽:マリア・アルナル●時間:106分●出演:アンヘラ・モリーナ/アルフレド・カストロ/モニカ・アルミラル・バテット/パトリシア・バルガロ/アルバン・プラド/マヌエラ・ビーダーマン●日本公開:2026/02●配給:百道浜ピクチャーズ●最初に観た場所:神保町・シネマリス(26-02-17)●同日上映:「欲望のあいまいな対象」(ルイス・ブニュエル) font>
「欲望のあいまいな対象」[Prime Video]「映画パンフレット★『欲望のあいまいな対象』/ルイス・ブニュエル監督、フェルナンド・レイ、キャロル・ブーケ」

「欲望のあいまいな対象」●原題:CET OBSCUR OBJET DU DESIR(英:THAT OBSCURE OBJECT OF DESIRE)●制作年:1977年●制作国:フランス・スペイン●監督:ルイス・ブニュエル●製作:セルジュ・シルベルマン●脚本:ルイス・ブニュエル/ジャン=クロード・カリエール●撮影:エドモン・リシャール●時間:99分●出演:フェルナンド・レイ/キャロル・ブーケ/アンヘラ・モリーナ/バレリー・ブランコ/エレン・バル/リタ・ラッチ・ペイロ/デイビッ ト・ロッチャ●日本公開:1984/11●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):神保町・シネマリス(26-02-17)●同日上映:「両親(ふたり)が決めたこと」(カルロス・マルケス=マルセット) font>




72歳のハリー(アート・カーニー)は、妻に先立たれ3人の子供達も独立しており、マンハッタンのアパートに愛猫トントとともに暮らしていた。しかし、区画整理のためにアパートから強制的に立ち退かざるを得なくなり、長男バート(フィル・ブランス)の家へ移り住むことになるも、そこに馴染むことができず、娘のシャーリー(エレン・バースティン)を尋ねる為、トントを連れてシカゴへ向かう決心をする。トントが原因で飛行機にもバスにも乗ることが出来なくなったが、中古車を買い旅を続けることで、様々な人と出会うことに―。
ポール・マザースキー監督の1974年公開作で、アート・カーニーが映画初主演で第47回「アカデミー主演男優賞」を受賞した作品。ポール・マザースキー監督はハリー役に有名俳優を起用したいと考え、ローレンス・オリヴィエ、既に引退したケイリー・グラントに出演依頼をしたがいずれも断られ、一方プロデューサー側は興行的に失敗する場合も想定してギャラの安いテレビ俳優を希望しており、そこでマザースキーの目に留まったのがたまたま鑑賞した舞台に出ていたアート・カーニーだったとのこと。カーニーは台本を気に入ったものの、72歳のハリーよりも16歳も年下なので断ろうとしたが、マザースキーは第二次大戦で負傷した彼の歩き方がこの役に合ってると思い彼を説得、カーニーは当時56歳で、息子役のラリー・ハグマンと13歳、娘役のエレン・バースティンと14歳しか離れていなかったそうです。
ニューヨークでアパートを立ち退かされた72歳の老人ハリーが、愛猫トントとともにアメリカ大陸を横断するロードムービーです。ハリーが家を追われ、子供たちの世話になれる状況でも、彼らの家庭の都合や空気に無理に合わせず、新しい旅に出るというのは強いなと思います。70代で車を運転し、新しい場所へ行き、様々な世代の人々(ヒッチハイカーの少女や先住民など)と心を通わせるハリーの姿は、冒険心に年齢制限がないことを表しています。旅の過程で、ハリーは家族や友人、そして愛猫トントとの別れを経験します。しかし、彼はその悲しみに押し潰されることなく、思い出を大切にしながら、前を向いて歩き続けます。
今回久しぶりに「NHK-BSプレミアムシネマ」で観直してみて気づいたのは、ハリーの旅の過程で女性との接触が多いことでした。ラスベガスへ向かう車の運転中に女性(実は売春婦)(バーバラ・ローズ)に声を掛けられ、一緒にひと時を過ごすことを誘われます。彼女から「少し人生を楽しんだら」と優しく働きかけられますが、ここはそれだけのエピソードで
終わっています。また、シカゴの老人介護施設にかつての恋人ジェシー・ストーン(ジェラルディン・フィッツジェラルド)を訪ね再会しますが、彼女は現在認知症を患っていました。ハリーを別の男と間違えるなど心痛な場面ですが、二人がかつて愛し合ったという背景が切なく描かれます。
これ以外にも、物語の初期、ヒッチハイカーの少女(メラニー・メイヤー)を車に乗せ、しばらく一緒に行動するシーンがあります。 少女から直接的な性的な誘いではありませんが、彼女が同宿したホテルで胸を露わにし、ハリーが動揺したかのように見えるシーンがあります(15歳くらいなのだが)。結局この娘は、ハリーが再会した元引き籠りの自分の孫と意気投合して、若者たちが共同生活を送るコミューンに行くことになりますが、ハリーは、社会の規範にとらわれない彼らの生き方に対し理解を示します。
一方で、オープニングシーンの都会の老人たちのショットの連続は、老人の社会的疎外を象徴しており、その後もハリーが老朽化したアパートから強制立ち退きに遭うシーンなどが続き、映画そのものも、高齢化社会の問題を先取りするようなものであったとも言えます(高齢化社会の問題は特にわが国において深刻なのだが)。
ハリーがアメリカ横断の旅をする中で、老インディアンと出会い、心を通わせるエピソードがありますが、この老インディアンを演じたチーフ・ダン・ジョージは、1969年に60歳を超えて俳優デビューし、アーサー・ペン監督の「小さな巨人」('70年/米)でアカデミー賞及びゴールデングローブ賞の助演男優賞にノミネートされ、「ニューヨーク映画批評家協会賞」「全米映画批評家協会賞」の男優賞を受賞しています。


「ハリーとトント」●原題:HARRY AND TONTO●制作年:1974年●制作国:アメリカ●監督・製作:ポール・マザースキー●脚本:ジョシュ・グリーンフェルド/ポール・マザースキー●撮影:マイケル・バトラー●音楽:ビル・コンティ●時間:115分●出演:アート・カーニー/エレン・バースティン/ジェラルディン・フィッツジェラルド/ラリー・ハグマン/アーサー・ハニカット/フィル・ブランス/クリフ・デ・ヤング/チーフ・ダン・ジョージ/バーバラ・ローズ/メラニー・メイヤー●日本公開:1975/12●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:高田馬場・パール座(79-10-01)(評価:★★★★)●併映:「これからの人生」(モーシェ・ミズラヒ) font>


第1章の禅僧の南直哉氏は、脱サラして僧侶になり、永平寺で19年修業した後、恐山に行った人で、南氏との対談は、氏の『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史』('18年/新潮社)が「小林英雄賞」を受賞した際の選評を養老氏が書いたことが縁のようです。この対談でも、キリスト教と禅の比較や、「諸行無常」をどう考えるかといった宗教的な話になり、「解剖」は僧侶の修行のようなものという話になっていきます。そして最後に南氏は、死を受容する方法、生き方として、「自我を自分の外に向かって広げていく」こともよいとしています。「褒められたい」とか思わないで、ただ単に他人と関わるようにするのがコツで、褒められたいとか「損得」にとらわれると、自分と他人を峻別して自己に固執するようになるとしています(褒められたいと思わないことが、死を受容する方法に繋がるという発想が示唆的で興味深い)。
第3章の地域エコノミストの藻谷浩介氏は、『
第4章のエッセイスト・作家の阿川佐和子氏は、佐和子氏が父・阿川弘之を看取り、母の介護をした時期があって、その経験を綴ったエッセイ本を出していることから対談の運びとなったと思われます。延命処置をせずに亡くなった父親の死について語る佐和子氏に対し、養老氏は、死んだ本人にしたら自分が死んだかわからないわけだから、「死ぬかもしれない」なんて恐れることはなく、「そのうち目が覚める」と思って死んでいけばいいと説いています。認知症や介護についても話題になっています。
また、養老氏は小林武彦氏との対談の中で「大地震が歴史を変える」としています。そう言えば、「プレジデント」2024年8/16号の「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という特集で、養老氏は「私が101歳まで生きたい理由」として、それまでに南海トラフ地震が起きる可能性が高いため、日本がどうなるか見たいからだと述べていました。

「週刊文春」2021年4月29日号
第1章「老いの名作は老いない」では、『
第2章「老いをどう生きるか」では、「百歳老人」が加速的に増えたことで、百歳人は神的な存在ではなくなったとしています(代表例がずっと現役医師だった日野原重明。105歳までに出した多くの「老い本」の表紙が白衣もしくはジャケット姿である)。「定年クライシス」問題にも触れ、源氏鶏太の『停年退職』(1962年)(昔は「停年」と書いた)から重松清の『
第3章「老いのライフスタイル」では、30年間「老い本」を書き続け百歳になった
読書案内にもなっていると書きましたが、例えば前田速雄『老いの読書』('22年/新潮選書)のような「死ぬ前に読むべき本」を紹介しているものとは異なる趣旨の本であることは言うまでもなく、「老い本」の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供している本であったように思います(この本自体が「生き方」本であるわけでもなく、あとは自分で考えろということか)。



第4章では、古代~中世期の要介護の要因となった病気として、認知症、脳卒中などの例を史料・物語で紹介しています(これは現代の要介護の二大要因と同じ)。ちなみに、高齢者以外も含めた要援護者に対する公的なケアの始まりは、西暦593年に聖徳太子が大阪・四天王寺に置いた今で言う病院・福祉施設(療病院と悲田院を含む「四箇院(しかいん)」。他に寺院そのものである敬田院、療病院は薬局にあたる施薬院から成る)が最初とされるとのことで、今から1400年も前に、ささやかながらも公的なケア・サービスが存在したことに驚かされます。一方で、身寄りのない高齢者の介護・看取りやその最期の悲惨な例も紹介されています。
『
「老化は治療できる」という考え方は、『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授で、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と言っている)、あの本では「NMN」という物質が万能薬のように書かれていました(そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴は時期尚早だと反対している)。







第Ⅰ部「自然の驚異」(第1章~第4章)では、第1章「長寿の記録」で、自然界には、ストレスにさらされると種子のような休眠状態(芽胞)になるバクテリアや、成体の前のポリプ状態に若返るクラゲ(ベニクラゲ)などがいて(本書の原題は「Quallen altern rückwärts: Was wir von der Natur über ein langes Leben lernen können」、英題「Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity」)、寿命を延ばす巧妙なテクニックを進化させた生物(食料が足りなくなると自分を食べるプラナリアなど)がいることを紹介しているのが興味深かったです
第Ⅱ部「科学者の発見」(第5章~第17章)では、第5章「あなたを殺さないものは......」の「ホルミシス」効果(ストレスが生物を強くする現象)というのが興味深かったです。少量のヒ素などの毒物が線虫の生命力を強めるのも、ヒトが運動して鍛えられるのもホルミシス効果であると。逆境で耐久力(レジリエンス)が向上するようです。北欧文化にある「サウナ&寒中水泳」が健康にいいのもホルミシス効果ということのようです。
第Ⅲ部「役立つアドバイス」(第18章~第24章)では、第18章「楽しく飢える」で、カロリーは摂り過ぎないのがよく、最も寿命が延びるのは飢餓状態であると(腹八分目は理にかなっている)。
『
因みに、文藝春秋より本書『LIFESPAN』の書評の依頼をされた作家の久坂部羊氏(この人はずっと、安易な長寿礼賛を批判し続けている)は、一般の読者には、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかということは些細な問題になってしまい、「希望にあふれた著者の主張を信じ、恍惚となるにちがいない」とし、最後に「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、かなり皮肉を込めて締め括っています(「週刊文春」2020年12月24日号)。


第7章「人は最後に老年的超越を目指す」では、老年的超越の心理的特徴(宇宙的・超越的・非合理的な世界観、感謝、利他、肯定)を紹介し、その生物学的な意味を考察し、そこに至る70歳~80歳くらいが人生で一番きついかも、としています。


ベルトラン・タヴェルニエ(Bertrand Tavernier、1941- )監督の初期作品で、第37回カンヌ国際映画祭監督賞作(原作は脚本家ピエール・ボストの遺作『ラドミラル氏はもうすぐ死んでしまう』)。ストーリー的にはただこれだけの話ですが、パリ郊外の田舎の風景の映像も美しく、何となくじわーっとくる作品です。こうした作品を飽きずに最後まで見せるのは、相当な力量ではないかと最初に観た当時思いましたが(途中で退屈になってしまう人もいておかしくない作品でもあるが)、この監督はその後も佳作を世に送り続けています。でも、自分が観たベルトラン・タヴェルニエの作品ではこれが一番かと。娘イレーヌ役のサビーヌ・アゼマは、1985年(第10回)セザール賞(フランスにおける映画賞で、同国における米アカデミー賞にあたる)の最優秀女優賞を受賞しています。
邸での些細な出来事の殆どが、老境の画家ラドミラル氏の視点から描かれているように思えますが、彼が数年前までは風景画を描いていたのが、最近はアトリエの中の椅子等のオブジェを描くように変わっているのが興味深いです。更に、娘イレーヌは、父のアトリエの屋根裏部屋で、美しいレースのショールと情熱的な画を見つけて感動しますが、これらも、老画家のこれまでの内面の精神的歩みを物語っているように思えました。
妻に先立たれたとはいえ、美しい田舎の邸に住まい、訪ねてきてくれる子どもも孫もいて、しかも自分には創作という"定年の無い仕事"があるという、ある意味、ラドミラル氏は充分に恵まれた老人なのかもしれません。それでも、全体として見れば、老いと人生の侘しさをしみじみと描いた作品であると言え(印象派絵画のように描かれる田舎の紅葉の光と影が主人公の老境にすごくマッチしている)、家族のこと(娘イレーヌの恋愛)が心配事に絡んでいる点など、小津安二郎の作品にも通じるものがあるように思いました。
しかし、最後に家族が去った後、新たな創作にとりかかろうとするラドミラル氏のその姿からは、非常に強い「個人」や「自我」というものが見て取れ、小津安二郎などの日本映画とはまた違った趣も感じられました。
「田舎の日曜日」●原題:UN DIMANCHE A LA CAMPAGHE●制作年:1984年●制作国:フランス●監督・製作・脚本:ベルトラン・タヴェルニエ●共同脚本:コロ・タヴェルニエ●撮影:ブルーノ・ド・ケイゼル●音楽:ガブリエル・フォーレ●原作:ピエール・ボスト「ラドミラル氏はもうすぐ死んでしまう」●時間:95分●出演:ルイ・デュクルー/サビーヌ・アゼマ/ミシェル・オーモン/ジュヌヴィエーヴ・ムニック/カティア・ボストリコフ●日本公開:1985/11●配給:フランス映画社●最初に観た場所:テアトル新宿(86-03-30)(評価:★★★★)●併映:「パリ、テキサス」(ヴィム・ヴェンダース)




第8代将軍・徳川吉宗
最初に出てくるのは、70歳で400字詰め原稿用紙に換算して175枚以上あろうという「遺書」を書いた鈴木儀三冶(ぎそうじ)という、中風(脳卒中)の後遺症に伏す隠居老人で、遺書の内容は、家族、とりわけ家業の質屋を老人の後に仕切る娘婿に対する愚痴が溢れているのですが、この、いかにもそこらにいそうな老人のどこが"特別"かというと、実は彼は俳詣・書道・絵画・漢詩などをたしなむ多才の文人で、「牧之」(ぼくし)という号で、各地を巡った記録を残している―。
2番目の登場は、8代将軍・徳川吉宗で、ずば抜けた胆力と体力の持ち主であった"暴れん坊将軍"も、62歳で引退し大御所となった後は、中風の後遺症による半身麻痺と言語障害に苦しんでいて、1つ年下で側近中の側近である小笠原石見守政登は、将軍の介護をしつつ、長男の新将軍・家重とその弟・田安宗武との確執など悪い話は大御所の耳には入れまいとしますが―。
最後に登場する、寺の住職を退き隠居の身にある十方庵こと大浄敬順は、前2人と違って老いても頗る元気、各地を散策し、68歳になるまでに957話の紀行エッセイを綴った風流人ですが、表向き女人嫌いなようで、実は結構生臭だったというのが面白いです。