「●原発・放射能汚染問題」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3505】 吉田 千亜 『原発事故、ひとりひとりの記憶』
「強いられた犠牲を"美談"にせず、忘れないための記録」。
『孤塁 双葉郡消防士たちの3.11』['20年]『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11 (岩波現代文庫 社会333)』['22年]
2020年・第42回「講談社本田靖春ノンフィクション賞」、第63回「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」、 第8回「日隅一雄・情報流通促進賞(大賞)」受賞作。
原発が爆発・暴走する中、地震・津波被害者の救助や避難誘導、さらには原発構内での給水活動や火災対応にも当たった福島県双葉消防本部125名の消防士たちのその活動と葛藤を、消防士たちが初めて語ったものを集めています。岩波書店の雑誌「世界」連載中も大きな反響がありましたが、著者はさらに取材を続け、それを単行本に纏め上げたものです。
双葉消防本部の協力のもと、消防士たちから聴き取ったものを後で再構築していますが、原発事故ゆえ他県消防の応援も得られず、不眠不休で続けられた消化・復旧活動。自分たちは生きて戻れるのかという不安の中でも、危険に身を晒し、職務以上のことをこなした消防士たちに頭が下がります。
また、今そこで事態が目まぐるしく推移しているような臨場感があります。とりわけ、地震発生(3月11日)から4号機火災発生(3月16日)までの6日間が詳しく、表紙写真はその4号機火災現場への出動前の消防士たちですが、それまでにも、爆発しないと言われていたはずなのに1号機が爆発し(3月12日)、さらに爆発が予想される事態となった3号機構内での作業(3月13日)、そして3号機爆発(3月14日)と、重篤な事態は続いていきます。
3号機構内での作業は、すでに1号機が爆発した後なのに、放射線量も、ベントの可能性も、必要な情報は何も知らされかったということで、最も情報が必要な消防士たちにそうした命に関わる情報が知らされず、それでいて考える間もなく作業にあたらねばならないというのはキツイ。しかも、この情報不足の状況は、地震及び津波発生時からずっと続いており、自分たちは生きて戻れるのか?という不安のもと、家族に遺書を書いた消防士もいたとのことです。
ジャーナリストとして初のノーベル文学受賞した、スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り―未来の物語』を思い出しました。チェルノブイリ原発事故では、大量の放射線被曝による急性障害が200名あまりの原発職員と消防士に現れ、結局33人が死亡しました(そのうちの一人の悲惨な被曝死を追ったものが冒頭にある)。幸い福島原発事故では直接的な死者は出なかったものの、多くの消防士が放射線被曝の不安を抱え、その後の人生を送ることになりました。
スベトラーナ・アレクシエービッチ 『チェルノブイリの祈り―未来の物語』 (2011/06 岩波現代文庫)
2018年10月から双葉消防本部に1年ほど通い、原発事故当時に活動し、その時点でも活動を続けている66人から話を聴いたとのこと(事故当時活動していた125名のうち約半数は、原発避難に伴う家族との兼ね合いや定年などで退職していたという)。会議室や食堂、事務所内で、1人1時間半から長いと4時間、各人1回から3回ほど当時のことを聴き続け、その証言を時系列に並べたとのことで、労作です。
ただ、単に労作である(著者の思い入れもある)というだけでなく、著者が、「原発事故が"なかったこと"のように語られる現在こそ、知らなければならないと改めて感じています」と語っているように、「強いられた犠牲を"美談"にせず、忘れないための記録」(宇都宮大学教員・清水奈名子氏)であると思います。
2023年に文庫化された際に、「『孤高』その後」が加筆されています。また、10年間取材を重ねてきた著者は、あの日から今に続く日々を生きる18人の道のりを伝え、あの原発事故が何だったかを、浮き彫りにすることを試みた『原発事故、ひとりひとりの記憶―3.11から今に続くこと』('24年/岩波ジュニア新書)を上梓しています。
吉田 千亜 『原発事故、ひとりひとりの記憶―3.11から今に続くこと』 (2024/02 岩波ジュニア新書)
【2022年文庫化[岩波現代文庫]】