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「1on1」と「今どきの職場の若者像」。リジッドだが、読み易い。

静かに退職する若者たち2.jpg静かに退職する若者たち.jpg
静かに退職する若者たち 部下との1on1の前に知っておいてほしいこと』['24年]

 本書によれば、1on1ミーティングを実施する企業が増えている一方で、笑顔で1on1ミーティングをしたばかりの若者が、何の前触れもなくその翌週に会社を辞め、しかもそれが上司を通さず人事部経由であったり、退職代行サービスを使った退職であったりするということが、最近少なからずあるとのことです。

 本書は、そうした状況を踏まえ、「若者との1on1の前に読む本」とのコンセプトのもと、1on1を核とした世代間コミュニケーションの問題を切り口に、職場の若者を多面的に分析し、今どきの「職場の若者像」に迫ったものです。

 第1部「1on1の前に知っておきたいこと」では、日本企業の現場で1on1が求められている理由を探り(第1章)、1on1の基本原則とそのパターンや、見落とされがちな課題を整理した上で(第2章)、1on1に求められるスキルやコーチングとの違いを解説し(第3章)、さらに、1on1を若者たちはどう捉えているのか、その受けめ方を6つのタイプに分類しています。

そして、その中でも特徴的な3つのタイプ――活用を望む〈積極志向〉、やらされている感がある〈表面志向〉、やりたがらない〈回避志向〉――について、その対応方法を解説しています。〈積極志向〉だからといって良いことづくめではなく、それに応えるべく「上司としてできる限りの行動」をとらないと、逆に部下から見透かされてしまうというのは、鋭い指摘だと思いました。

 第2部「なぜ、若者は突然会社を辞めるのか?」では、退職代行サービスを使って辞める若者たちの考え方や(第5章)、「別の会社で通用しなくなる」と考えて辞める若者(いわゆる「ゆるブラック」を理由とする退職)の心理を探り(第6章)、アメリカで見られる「静かな退職」と言われる現象との比較で、日本の今の若者が会社を辞める理由を4つ挙げています(第7章)。

また、その背後にある今どきの「職場の若者像」に迫り、とにかく早く正解を教えてもらおうとする姿勢が特徴であることを指摘するとともに(第8章)、今の若者にとっての「理想の上司・先輩像」を、調査データから探っています(第9章)。また、社内新人研修がテンプレート化しているという問題も指摘しています(第10章)。

 第3部「提案:これからも若者たちと共に前に進むために」では、上司や先輩が何よりも優先して鍛えるべきスキルは「フィードバック」スキルであるとし、その理論と、効果的なフィードバックを行うための5つの原則を示しています。そして終章では、「上司・先輩世代に向けた5個の提案」をしています。

 構成はしっかりしていて、データの裏付けもあります。一方で、非常に分かりやすく書かれていて、時に砕けた表現などもあり、肩が凝らずに読めます。帯に「職場のわかり合えないを乗り越える処方箋」とあるように、実践に供することを狙いとして書かれていることが窺えました。

 そちらかと言うと、第1部の「1on1」についての方がテキスト的で、第2部の「今どきの職場の若者像」の方が興味深く読めたでしょうか。ただし、1on1を上司・部下の「双方の学びの場」としているのには共感されられ、コーチングとの違いなどもわかりやすかったです。

 絶対解は存在しないとの前提の下、お互いが理解を深め、楽しみながら寄り添える現場をどう作るか、読者と共に考えていきたいという姿勢が謙虚であると思いました。


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分析A、ネーミングS、提案B、総合評価はAといったところか。

罰ゲーム化する管理職.jpg罰ゲーム化する管理職 2024.jpg  『リスキリングは経営課題.jpg
罰ゲーム化する管理職 バグだらけの職場の修正法 (インターナショナル新書) 』['24年] 『リスキリングは経営課題~日本企業の「学びとキャリア」考 (光文社新書) 』['23年]

 高い自殺率、縮む給与差、育たぬ後任、辞めていく女性と若手―日本の管理職の異常な「罰ゲーム化」をデータで示し、解決策を提案した本です(著者はパーソル総合研究所の研究員。前著に『リスキリングは経営課題』がある)。

 第1章の【理解編】では、管理職になることが「罰ゲーム化」してしまった現状を概観しています。業務量の増加、リソース不足、新しい素子課題への対応増、部下マネジメントの困難などのため管理職の負担感は増し、一方で、管理職の人数と賃金は減り続けていることをデータで示しています。また、海外で「日本では一般職より管理職の方が死亡率が高い」と報じられたことを自社データで裏付けし、管理職は時に死に至るものだが、このように「罰ゲーム化」しても管理職のなり手が現れるのは、日本社会における大きなジェンダーギャップのせいだとしています(「覚悟」する男性、「避妊」する女性。ただし、日本では女性の方がハードルが高くて先に抜けていくため、男性が残る)。

 第2章の【解決編】では、「管理職の何がそんなに大変なのか」という点について、データを分析しながら、職場のバグを解剖しています。管理職の負荷はロング・トレンドで上がり続けていて、そこには組織のフラット化など組織レベルの負荷トレンドもあるとしています。さらには、ハラスメント防止法が「回避型」上司を量産し、働き方改革によってメンバー層は保護されるも、管理職は優先順位が低く、加えて、「年上部下」マネジメントなどで頭を悩ますようになると。そうしたことの積み重ねで、このような管理職負荷の「インフレ・スパイラル」が起きているとしています。

 第3章の【構造編】では、「罰ゲーム化」がなぜ発生し、なぜ放置されるのかという問題を考えています。まず、「入り口問題」として、いつの間にか管理職候補にされてしまうという「オプトアウト」方式の昇進の仕組みが日本の場合あって(海外は「オプトイン」方式が一般的)、新入社員をデフォルトで出世競争に巻き込んできた経緯があり、その側面が最も分かりやすく見られるのが、このレースから「女性」が徐々に抜けていくということであるとしています。また、「管理職になると転職できなくなる」という謎について、管理職キャリアが「ジョブ」にならないという日本の特質を挙げ、その結果、「管理職になると市場価値が低下する」という事態が生じると。さらには、「出口問題」として「役職定年」を挙げ、総じて「勝手に参加させられ、勝手に降ろされる雑用係」という世界でも極めて奇妙な姿をしているのが、日本の管理職だとしています。

 第4章の【修正編】では、バグを修正し、「罰ゲーム化」を止めるための処方箋が示されています。ここでは、修正の方向性として、
  ①フォロワーシップ・アプローチ
  ②ワークシェアリング・アプローチ
  ③ネットワーク・アプローチ
  ④キャリア・アプローチ
の4つのアプローチを示し、それぞれ解説しています。「フォロワーシップ・アプローチ」とはメンバー層のトレーニングであり、「ワークシェアリング・アプローチ」とは、エンパワーメントとデリケーションの促進です。「ネットワーク・アプローチ」は管理職同士の「ネットワーク構築」の施策で、「キャリア・アプローチ」は、「健全なえこひいき」(次世代リーダー候補の早期絞り込み)と「行ったり来たり」(非幹部層の管理職のジョブローテーションの範囲を狭め、専門領域の管理職にキャリアシフトさせる)の組み合わせになります。

 第5章の【攻略編】では、管理職は「罰ゲーム」をどう生き残るか、そのための処方箋が説かれています。ここでは、先に挙げた4つの修正アプローチを現場で実践することを説き、それぞれを解説しています。その際に大原則となるポイントとして、積極的に「やらない」上司を目指す(「アクション過剰」を抑える)ことを提唱しており、「自分を許す」ことができる管理職になれと説いています。

 著者が調査会社の所属であるため、分析はなかなか鋭く、「罰ゲーム化」というキーワードのネーミングも上手いと思いました。一方で、解決策の方は、論理的にはキレイですが、どこかのファームが提唱しているようなことにも思え、インパクトがやや弱く、ほわっとした感じ。分析A、ネーミングS、提案B、総合評価はAといったところでしょうか。

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"ジジイの壁"問題と言うより、「働く」ということについて改めて考えさせる本。

働かないニッポン2.jpg働かないニッポン.jpg働かないニッポン (日経プレミアシリーズ)』['24年]

 本書によれば、「仕事に意欲を持っている社員は5%しかおらず、世界145位中最下位」であるとのこと。何が日本人から働く意欲を奪っているのか? 本書は、健康社会学者である著者が「働かないニッポン」の構造的な問題を、統計や会社員へのインタビューをもとに解き明かしたものです。

 第1章では、若者に焦点を当て、早々に「窓際族」を目指す新入社員や、「できれば仕事したくない」という20代後半から30代前半の社員が増えていることを、統計などから指摘しています。そして、若者が意欲をなくす背景には、彼らが社会構造を「頑張り損」ととらえていることや、「無難」に埋没したがることを挙げ、自分への「身分偏差値」に敏感になるあまり、"群衆の中に消えようとする"傾向が見られるとしています。

 第2章では、中高年に焦点を当て、いわゆる「働かないおじさん」を作った張本人は、大企業で社内競争に勝ち残った「スーパー昭和おじさん」ではないかとしています。彼らは、ジジイ化しやすく、ジジイとは、組織内で権力を持ち、その権力を組織のためでなく自分のために使う人たちの総称であり、その"ジジイの壁"が、中高年にとっての「働き損社会」の影にあるとしています。

 第3章では、なぜ働く意欲を失ってしまうのかを考察しています。そして、そこには、世界に類を見ない強固な階層主義のもと、「日本的マゾヒズム」という、上からの命令で、無理難題を押し付けられても、次第に理不尽が理不尽でなくなってしまい、逆にそれを望んでしまうような心理状態があるとしています。

 第4章では、その日本的マゾヒズムの呪縛からどう逃れるかを説いています。こでは、生きる力=幸せになる力としての「SOC」(Sense of Coherence=首尾一貫感覚)というものに注目し、SOCは個人だけでなく集団にもあって、それを高めることで相互に向上を促進するとしています。また、SOCは、「把握可能感」「処理可能感」「有意味感」という3つの感覚で構成されることを解説しています。

 第5章では、脱「働かないニッポン」のためにできることとして、有意味感を強くするための6カ条(1.普通を疑う、2.仕事は金のためだと考えない、3.仕事にやりがいを求めない、4.年齢を言い訳にしない、5.信頼されようとしない、6.愛をケチらない)をまとめています。

 「働かないニッポン」の背後にある日本的マゾヒズム、長いものには巻かれろ的思考、批判的精神を封じる階層主義など、ひとつひとつの指摘は目新しいものではないですが、読んでいて、働く人が将来に希望が持てないのも無理からぬことかと改めて思ってしまいました。多くの人が自身のコスパ・タイパだけを重視して、あたかも働いているフリをし、「死んだままの月曜から金曜」状態で仕事に埋没する人も少なからずいるというのが、タイトルの由来でしょう。

 "ジジイの壁"は高いながらも、そのジジイからの逃走を果たした会社員の例を引き合いに「労働」を止めて「働く」ことを提唱し、健康社会学という視点から「SOC」という概念を紹介しています。その第一歩として、「半径3メートル世界」への働きかけから始めてみようという結語は、多分に啓発的であるように思いました。

 Amazonのレビューを見ると、ストーリーに一貫性はなく、何を言いたい本なのかよくわからない、読んでいて頭が混乱するという評があり、多くの人がそれに賛同していました。自分も最初は、とっ散らかった感じで何が言いたいのかよく分からなかったです("ジジイの壁"というところに目がいってしまうというのもあった)。でも繰り返して読むと、"ジジイの壁"問題と言うより、「働く」ということについて改めて考えさせる本だったように思います。

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「ブルシット・ジョブ」という禁忌を正面切って論じたものとして意義深い。

『ブルシット・ジョブ―1.jpg ブルシット・ジョブ.jpg 『ブルシット・ジョブ―3.jpg
ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』['20年]デヴィッド・グレーバー(文化人類学者)

『ブルシット・ジョブ.jpg 1930年、ケインズは、20世紀末までに、テクノロジーの進歩によって週15時間労働が達成されるだろうと予測し、テクノロジーの観点からすればそれは達成可能だったはずが、実際には達成されなかったのはなぜなのか――本書は、こうした疑問からスタートし、それは、実質的に無意味な仕事=「ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)」が蔓延したからだとしています。

 第1章では、ブルシット・ジョブを、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」であると定義し、とはゆえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わねばならないように感じているとしています。

 第2章では、ブルシット・ジョブの5つの類型として、①取り巻き:誰かを偉そうにみせたり、偉そうな気分を味わわせたりするためだけの仕事、②脅し屋:雇用主のために他人を脅したり欺いたりし、そのことに意味が感じられない仕事、③尻ぬぐい:組織に存在してはならない欠陥を取り繕うためだけの仕事、④書類穴埋め人:組織が実際にはやっていないことを、やっていると主張するための仕事、⑤タスクマスター:他人への仕事の割り当てだけを行う仕事、を挙げています。

 第3章、第4章では、ブルシット・ジョブによる精神的暴力について考察しています。例えば、意味のない仕事は、その仕事に従事する人を惨めな気持ちにさせるだけでなく、時には脳に損傷を起こすほどのダメージを与えるとしています。人は、自分の行動が何かに影響を与えて結果が得られるという広い意味での「仕事」に根源的な悦びを感じるように出来ていて、ブルシット・ジョブは、人からその喜びを取り上げる精神的暴力だとしています。

『ブルシット・ジョブ―クソどうでもいい仕事』.jpg 第5章では、ブルシット・ジョブが増殖するのには、個人的な次元、社会的・経済的な次元、文化的・政治的な次元の、それぞれの次元の理由があるとしています。例えば社会的・経済的な次元では、近年の金融資本の増大に伴い、金融や情報関連の(ブルシット・ジョブに発展しやすい)仕事が増加したこと、「雇用創出」は良いものとされ、無駄な仕事であっても雇用を減らすような大胆な政策を選択しにくいことが、理由として挙げられるとしています。

 第6章では、なぜ我々は無意味な雇用の増大に反対しないのかを、特に仕事の「価値」に注目して考察しています。社会的価値の低いブルシット・ジョブが高給であったりする一方、社会的価値の高いエッセンシャルワーカーの給料が低いという問題があり、奇妙なことに、労働の社会的価値が高まるほどその仕事の経済的価値が下がっているようであると。その考えられる理由の一つとして、世間にはどこか、教師などの社会的価値が高く尊い仕事は、お金目当ての人間が行うのはふさわしくないと考える風潮があり、これは言い換えれば、社会的価値の高い仕事に就き、社会に便益を与えていることを自覚し喜びを感じている人は、より多くの報酬を期待する権利はなく、反対に自分の仕事は有害で無意味だという認識に苛まれている人は、まさにこの理由によって、より多くの報酬を受け取ってもよいという感覚が存在しているためだとしています。

 最終章の第7章では、ブルシット・ジョブの政治的影響について、また、それを脱出する一つの方法について考察しています。ブルシット・ジョブの存在は、仕事に意味を求める人間の性質にも、合理性を追求する経済の原則にも反しており、つまるところ、ブルシット・ジョブの存在を許す現代の労働状況がこのような形になっているのは、政治的な力なのだとしています。そして、これまで指摘してきたジレンマを終結させるには、「普遍的ベーシック・インカムの導入しかない」とし、つまり「労働と報酬を切り離す」ことで、労働本来がもたらす楽しみややりがいに応じ、人が職業を選ぶ社会に転換させることを提案しています。

 本書は、現代の資本主義社会において、あるわけないという思い込み故に、(薄々気付いている人はいたものの)これまでほとんど言われなかった(禁忌とされてきた)「ブルシット・ジョブ」というものを正面切って論じたものとして意義深く、また、コロナ禍に見舞われ、AIへの期待と不安が大きい現代において、今後の仕事というものを考えるにあたり、この本が示唆するものは大きいと思います。本書を読み、周囲を見回してみて、仕事というものについて再考するのもよいかと思います。

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なぜ辞める? 若手社員のワーク・エンゲージメントに必要な「キャリア安全性」。

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ゆるい職場-若者の不安の知られざる理由 (中公新書ラクレ 781) 』['22年]

 本書によれば、2010年代後半からの法改革などにより、日本企業の労働環境は「働きやすい」ものへと変わりつつある一方で、若手社員の離職率はむしろ上がっているとのことです。本書は、若者はなぜ「働きやすい会社」を辞めてしまうのか、企業や日本社会が抱えるこの課題と解決策について、データと実例を示しながら解説したものです。

 第1章、第2章では、職場環境改善のための法整備などによって、負荷も高くなく、叱られることもない、居心地のいい職場、いわば「ゆるい職場」が登場したが、若年層の会社への意識や退職に関するデータを分析した結果、会社のことは好きだが、キャリアが不安で辞めるという、つまり「職場がゆるくて辞める」という若者が増えていることが明らかになったとしています。

 第3章では、最近の若者たちの変化を分析し、仕事志向かプライベート志向かといった志向性が多様化しているとのこと、さらに入社前の社会的経験の量の差により"大人化"している若者とそうでない若者がいて、前者は入社後も活躍するが離職率が高く、後者は、辞めないが成長できにくくなっている傾向があるとしています。

 第4章では、若者のキャリア観の中には、「ありのままの自分でいたい」という意識と、「何者かになりたい」というそれとは矛盾する意識があり、両者の間にある無数のグラデーションの中で、自分の最適解を見つけるために情報過多に陥っているのではないかとしています。その上で、情報だけ多くても展望は開けず、行動することが自律的キャリアをつくるとし、「小さな行動」(スモールステップ)というものを起こすことを提唱しています。

 第5章では、これからの若者と職場の関係について考察し、「人材の囲い込み」的なリテンション施策に疑念を呈し、社外活動の効用を説くとともに、若者側の新しいキャリアチェンジ方法として、A社からB社へすぱっと「転職」するのではなく、現在の所属組織に対するコミットメント比率を下げて別の活動にコミットし、その後にコミットの割合を移す、「コミットメントシフト」とでも呼ぶべきものを提唱し、そのメリットを説いています。

 第6章では、「ゆるい職場」時代の2つの難問を論じています。1つは、人間関係の負荷を上げずに質的負荷を上げるにはどうすればよいか、もう1つは、自律的でパフォーマンスの高い若者ほど辞めていくのにはどう対処すればよいかということです。前者については、若手のみのチームを作るなど、横の関係で育てることを、後者については、社内・職場内だけでなく「外側の世界」を経験させることなどを提唱しています。

 第7章では、社会人生活の助走としての学校生活の在り方に言及し、学校を変えなくては優秀な若者は採用できないとしています。第8章では、ゆるい職場とこれからの日本の関係について考察し、これまでは大企業が若手人材を育てていたが、ジョブ型雇用が進んだ場合に今後直面する課題として、「誰が若手を育てるのか」問題があるとしています。

 若者たちは「不満」により会社を辞めるのではなく、「不安」により会社を辞めるのだという指摘は興味深いものでした。「心理的安全性」が高い企業ほど、優秀な若手の社員の早期離職率が高くなる"皮肉"ととれなくもないですが、むしろ、その職場で働いていて、自分のキャリアの選択権を持ち続けられるかという「キャリア安全性」が、心理的安全性と同様に若手社員のワーク・エンゲージメントに影響を与えるというように捉えるべきなのでしょう。

 個人的には、最近読んだ浜田敬子氏の『男性中心企業の終焉』('22年/文春新書)で、多くの企業が女性社員を対象に導入した両立支援施策が逆に女性にマミートラックと呼ばれる道を歩ませ、性別役割分業を固定化させたという指摘を思い出しました。「両立支援」だけでもダメ(均等待遇促進が必要)、「心理的安全性」だけでもダメ
(「キャリア安全性」が必要)、結構難しいです。

《読書MEMO》
●目次
はじめに――若者はなぜ会社を辞めるのか。古くて、全く新しい問題
第一章 注目すべきは「若者のゆるさ」ではなく「ゆるい職場」
1 若者の早期離職状況 
日本の若者就労の特徴/3割の退職者/大手企業だけが上がっている
2 これだけ変わった日本の職場運営ルール
「職場運営法」改革/すべてはブラック企業批判から始まった/若者が求める職場環境の条件/日本の職場を変えた3本の法律/ほかにもある職場運営法改革/後押しするマーケット/「ゆるい職場」の登場
第二章 若者はなぜ会社を辞めるのか
1 グレートリセットされた日本の職場
不可逆的な変化/新卒社員の労働時間/負荷の低下/叱責されたことがない/職場環境の好転/リアリティショックの縮小
2 好きなのになぜ辞めるのか
高まる若者の不安/転職できなくなるんじゃないか
3 若者の「不安」の正体
なぜ職場環境が良くなっているのに不安なのか/不満型転職から不安型転職へ/不安をどうマネジメントするか/ロールモデルになりえない上司・先輩/世界でも起こる若者と職場の関係変化
第三章 「ゆるい職場」時代の若者たち
1 二層化する若者
「最近の若者」論の限界/コスパ志向/異なる2つの姿勢
2 "白紙"でなくなる新入社員たち
入社時点ですでに違う/学生時代の活動/社会的経験の量/世代間での大きな差/「社会的経験」がもたらすもの/「不安」を感じる新入社員/新入社員の"大人化"
3 「過去の育て方が通用しない」を科学する
10年前の新卒社員と比べる/2016年卒という転機/難問の浮上
第四章 「ありのままで」、でも「なにものか」になりたい。入社後の若者に起こること
1 "優秀な若者"の研究
若者の悩みと希望/矛盾する2つのキャリア観/情報だけが多くても展望は開けない/行動がキャリアをつくる/4つの実像
2 スモールステップで動き出す若者たち
育成の主語の転換/小さな行動から始める/スモールステップの特徴/アクションと性質/実践5要素/ゆるい職場とスモールステップ
第五章 若者と職場の新たな関係
1 定着させることが本当の目的なのか
離れ小島に囲い込む/社外活動の効用/転職がなくなるとき
2 「コミットメントシフト」がもたらす新しい関係
関係社員を増やす/新しい関係の成立/ハイパー・メンバーシップ型
第六章 若手育成最大の難問への対処
1「ゆるい職場」時代の解決不能な問題
2つの難問/成長した若手ほど辞める
2 第一の難問に対処する
いかに関係負荷なくストレッチな仕事をさせるか/横の関係で育てる
3 第二の難問に対処する
自律的でパフォーマンスの高い若者/仕事外の新たな使い方/社内・職場内の「外側の世界」/開示しやすい空気/不安をマネジメントする
第七章 助走としての学校生活
1 若者を育てるスタートライン
学校を変えなくては優秀な若者は採用できない/動機なき学校選択
2 学びの動機はどうつくられるか
外側にしか学校生活の動機は存在しない/学びの選択が自由な国
第八章 ゆるい職場と新しい日本
1 キャリア選択が世界一自由な国をつくる
自由の二重奏/行動と動機の好循環を巻き起こす/企業の新しいメンバーシップ/余白を活かすキャリアづくり/あらゆる経験が活きる
2 日本が今後直面する課題「誰が若手を育てるのか」問題/自律なき自由/はびこるパターナリズム/遅い選択の問題
おわりに

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両立支援が性別役割分業を固定化、「変わらない」企業はフリーライドしている。

男性中心企業の終焉2.jpg男性中心企業の終焉.jpg    浜田敬子氏.jpg
男性中心企業の終焉 (文春新書 1383)』['22年] 浜田 敬子 氏

 朝日新聞で『AERA』で女性初の編集長を務め、今は報道番組のコメンテーターとしても活躍する著者が、自身が長年にわたり取り組んできたジェンダーギャップの問題について、現状とその解消策を論じた本です。

 第1章では、男子的なテクノロジー業界でD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)企業に舵を切ったメルカリの事例が紹介されています。経営者が私財30億円を投じて理科系女子向け奨学金制度をつくるなど、むしろⅠT企業ならではないかとも思わせられましたが、2021年の「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」と言った森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の発言問題が、逆に追い風になったというのはナルホドと思いました。

 第2章では、均等法施行以降の30年を振り返りながら、依然ジェンダー指数が万年最下位にある日本の現況を掘り下げています。興味深かったのは、資生堂やベネッセといった両立支援の先進企業が企業内保育や育休期間の延長を実施し、また多くの企業が短時間勤務制度などを導入したが、こうした施策が逆に女性にマミートラックと呼ばれる道を歩ませ、性別役割分業を固定化させることにも繋がったとしている点です。2014年の"資生堂ショック"などもその延長線上にあることになります。

 第3章では、新型コロナによるリモートワークの普及により、女性たちの発言は活発化し、働き方への満足度も上がったものの、企業によって取り組みに差があるため、企業間の「オンライン格差」は拡大しており、また一方で企業内でも、ハイブリッド型の職場で出社している人とリモートを続ける人との間で格差が生じてきているとしています。

 第4章では、政府が2003年から、政治家や企業の経営層・管理職など指導的立場における女性の比率を30%にする 「202030」という目標を掲げていたものの、 2020年になってもその目標は一向に達成されず、あっさりと達成時期は 「2020年代のできるだけ早い時期に」と延期されたこと取り上げ、なぜうまくいかなかったのか、こうした数値目標は逆差別なのか、「女性優遇」という反発にどう挑戦していくべきかを論じています。

 第5章では、経営戦略としてダイバーシティを進める経営者たちを紹介し、第6章では、女性たちの間で世代間のギャップがあることからくる「ロールモデル不在」問題にどう向き合うべきかを提言しています。第7章では、最後の壁は家庭にあり、コロナによって家庭での男性と女性の家事育児時間の格差はむしろ拡大しており、今後は、男性育休の段階的な義務化が、この問題を解くカギになるとしています。

 第7章の最後に、ジェンダーギャップが解消しない背景には、先進的な取り組みをする企業がある一方で、「変わることを拒んでいる企業」があるためだとし、改革を進める企業は「変わらない」企業にフリーライドされていて、「変わらない」企業はいずれ若い世代から見放されていくにしても、フリーライドが続いている期間、タダ乗りされている職場は楽ではないとしている点は、個人的には新たな視点でした。

 取材で得た証言や事例などだけでなく、著者自身の経験も(ずっと正社員として好きな仕事をやってこられたことを恵まれていたと自覚しながらも)盛り込まれていて、読みやすいです。個人的には、分析に啓発的な視点が見られ(両立支援が性別役割分業を固定化、にはナルホドと、「変わらない」企業がフリーライドしているというのは、「ブラック企業」問題と相似形だと思った)、やや漠たる面はあるもののの、解決策も提言されていてよかったと思います。
《読書MEMO》
●目次
第1章 男子的なテクノロジー業界でD&I企業に舵を切ったメルカリ
第2章 日本の「ジェンダー失われた30年」と加速する世界の動き
第3章 リモートワークが変えた意識。阻んでいた「出社マスト」
第4章 数値目標は逆差別か。「女性優遇」という反発への挑戦
第5章 経営戦略として本気でダイバーシティを進める経営者たち
第6章 ロールモデル不在と女性たちの世代間ギャップ
第7章 最後の壁は家庭と夫の家事育児進出

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越境学習によって得られる「冒険する力」が「変革」を成し遂げると。

越境学習入門2.jpg越境学習入門3.jpg   定年前と定年後の働き方2.jpg 定年前と定年後の働き方.jpg
越境学習入門 組織を強くする「冒険人材」の育て方』['22年]/『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考 (光文社新書 1255)』['23年]

 本書は、長年にわたり越境学習について研究してきた著者らが、越境学習によって得られる「冒険する力」が、「新しいこと」「変革」を成し遂げる原動力になるとして、その全体像を解説するとともに、企業と個人が越境学習を開始・実践する方法を提案したものです。

 第1章では、越境学習とは、個人にとって居心地のよい慣れた場所であるホームと、居心地が悪く慣れない場所だがその分刺激に満ちているアウェイとを往還する(行き来する)ことによる学びのことであると定義し、その学問的成り立ちや、なぜ「越境」が働く人にとっての「学習」につながるのか、その背景となる理論を解説しています。

 第2章では、なぜ今、働く人の学びとしての越境学習が注目されるようになってきたのかを、働き方改革、キャリア自律のベースとなる「ニューキャリア理論」、イノベーション人材の育成、新しいタイプのリーダーシップ開発などとの関係で述べるとともに、個人における越境学習のポイントと、企業主導の越境学習の試みがどのような形で広がっているのかを紹介しています。

 第3章では、越境学習のプロセスを「越境前」「越境中」「越境後」の3段階に分け、各段階で越境学習がどのように行われるかを解説しています。また、この中で、インタビュー調査の結果、「越境中」(アウェイにいるとき)以上に「越境後」(ホームに戻ってから)の葛藤と衝撃が大きいことが判明したとして、それぞれの葛藤が本人にどのような変化をもたらすか考察しています。

 第4章では、どうすれば「越境の学び」を企業における人材育成の一部に位置づけていけるのか、そのための人事部門や上司の役割や導入と運用の手順を解説するとともに、越境先から戻ってからの「迫害」や「風化」を避けるにはどうすればよいかを説いています。

 第5章では、ケーススタディとして、海外出張から戻ってからの違和感が主体的な行動発揮の原動力になった例や、ベンチャー企業への"レンタル移籍"によって、経営目線で会社全体の成果を考えるようになったり、リスクマネジメント志向からリスクテイキング志向へ変わった事例など、4つの例を紹介しています。


 越境学習を推進する上で人事部門に求められることは、「経営者、現場の事業部門、越境学習者本人、越境学習事業者のハブとなり、その調整を行う」ことだとしています。可能なら人事部門担当者にも越境学習を自ら体験してもらうことが肝要だとしていて、それはいいことだと思いました。

 4つの事例紹介のうち3つが"レンタル移籍"という越境学習プログラムによるもので、そうしたプログラムが会社にあるに越したことはないですが、著者もあとがきで述べているように、これによって越境学習の考え方を限定的にとらえない方がいいように思います。

 本書冒頭の「人は誰もが越境学習者」という考えに立ち返れば、すべての人にとって啓発的な本であるかもしれません。第3章の「越境学習のプロセス」の部分は越境学習者のいわば心理的ステップですが、会社主導の人事異動であれポスティング型の人事異動であれ、実施後の経過と成果を検証し、その人材の活用を検討する上で、人事パーソンには参考になるように思いました。

 因みに、著者の一人である石山恒貴氏の近著に『定年前と定年後の働き方~サードエイジを生きる思考』('23年/光文社新書)という本があり、こちらは、これからの中高年(シニア)の働き方を理論研究と実例から捉え直したもの。この本もお薦めですが、この中でシニアに対しても越境学習の勧めを説き、その事例なども紹介しています。新書ですが、理論の部分はかなりリジッドな本になります。

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テレワークが生み出すたくさんのメリット(啓発的)。テレワーク課題の克服法(実践的)。

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テレワーク本質論 企業・働く人・社会が幸せであり続ける「日本型テレワーク」のあり方』['22年]

 テレワーク専門のコンサルティング会社の設立者である著者によれば、感染防止のために多くの企業がテレワークを実施し、企業も働く側もそのメリットを実感したものの、コミュニケーションやマネジメント、生産性の低下などの課題にぶつかり、後戻りする企業が増え始めていて、一方で、課題を克服し、さらにテレワークを推し進め、大きく成長していく企業もあり、テレワーク推進はいま岐路にあるとのことです。

 第1章では、会社のテレワークが、コミュニケーションが取れない、マネジメントができない、生産性が上がらないといった課題にぶつかっているのならば、それは、テレワークに対する先入観や思い込みから「間違ったテレワーク」を実施したためであるとして、12の「間違ったテレワーク」の類型とその問題点を挙げ、この問題に向き合わずしてテレワークの成功はないとしています。

 第2章では、テレワークは、企業にとっては生産性向上、人材確保、働く人にとってはワーク・ライフ・バランス向上、さらには日本における労働力確保、少子化対策、地方創生など、数多くのメリットを生み出すものであるとしています。さらに、そうしたテレワークがなぜ日本では普及しにくいのか、その理由を考察し、欧米の真似でない日本型のテレワークの実現を訴えています。

 第3章では、適切なテレワークを導入するための考え方や方向性を、「仕事が限られると思い込むなかれ」「一緒に仕事をしている感を大切にせよ」「雑談してしまう〈場〉をつくれ」「ホウレンソウをデジタル化せよ」など「テレワークを成功に導く心得十か条」としてまとめ、それぞれを解説しています。

 第4章では、テレワークのコミュニケーションをよりリアルに近づけるための重要な要素として、①リアルタイムの会話、②話しかけるきっかけ、③チームの業務遂行、④インフォーマルな会話、⑤チームの一体感、の5つを挙げています。また、オンライン会議を活性化したり、オンラインとオフラインの人が混在する ハイブリッド会議をフェアに行うためのヒントや、雑談しやすい「場」と「雰囲気」のつくり方、「ホウレンソウ」をデジタル化する際のコツなどを説いています。

 第5章では、テ レワークでのマネジメント実践のポイントとして、通常の労働時間制度、フレックスタイム制、みなし労働時間制などのパターンを示し、テレワーク時の労働時間管理の方法と就業規則・運用ルールについて解説するとともに、自社で開発した、社員が「いつ」「どこで」「どんな仕事」をしているかを確認できるツールを紹介し、時間あたりの成果をどう把握するかを解説しています。

 第6章では、テレワークの広がりによるオフィスの変化やワーケーションへの関心の高まり、まちづくりへの活用や障がい者雇用の促進などの可能性を挙げ、日本型テレワークが企業・働く人・社会全体のウェルビーイングを実現するとして、本書を締めくくっています。

 テレワークは単なる「感染防止のための在宅勤務」ではなく、企業にとっても、働く人にとっても多くのメリットとがあるものであり、さらに社会にとっても、労働力確保、少子化対策、地方創生など多くのメリットを生み出すものであって、企業、働く人、社会全体を幸せにするとしている点が啓発的です。

 一方で、第4章における「テレワークでのコミュニケーション実践のポイント」などはたいへん具体的であり、オンライン会議を企画したりファシリテーターを務める人にはすぐにでも使える配慮や工夫などもあって、参考になるかと思います。

そうした人に限らず、テレワークに課題を抱える人やテレワークを進めたい人にお薦めですが、著者が本当に読んでほしいのは、テレワークの必要性に疑問を感じている人なのもしれません。


労働問題・人事マネジメント・仕事術

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ブラック企業を辞められない人に再考を促す本だが、人事パーソンにとっても極めて啓発的。

ブラック職場があなたを殺す.jpg ブラック職場があなたを殺す2.jpg  社員が病む職場、幸せになる職場.jpg   Dying for a Paycheck.jpg
ブラック職場があなたを殺す』['19年]『社員が病む職場、幸せになる職場 スタンフォードMBA教授の警告』['21年]『Dying for a Paycheck: How Modern Management Harms Employee Health and Company Performance―and What We Can Do About It』['18年]
社員が病む職場、幸せになる職場3.jpg 本書は、スタンフォード大学ビジネススクール教授で、『人材を活かす企業』などの著作で知られる著者が、職場のストレスはどうやって解決できるかという問題に取り組んだものです(原題:Dying for a Paycheck「給料のために死ぬ」)。2021年には『社員が病む職場、幸せになる職場―スタンフォードMBA教授の警告』と改題されて文庫化されました。

 第1章では、健康な行動は健康な職場から生まれるとし、経営者には選択肢があって、それは、従業員の心身の健康と幸福を重視する方針を掲げ、それによって従業員の医療費、欠勤、労災を減らし、労働意欲や生産性を高める選択肢と、従業員を病気や死に追いやる職場環境を、意図的または無知ゆえに創出または放置すろ選択肢だとしています。

 第2章では、解雇、無保険、シフト勤務、長時間労働、雇用の不安定など10種類の職場ストレス要因を挙げるとともに、それらストレス要因が超過死亡数や医療費に及ぼす影響を統計的に分析しています。この中で「無保険」が、解雇や雇用不安定を上回って超過死亡数の最重要要因となっているのは、米国ならではでしょう。

 第3章では、解雇や雇用不安定が健康に及ぼす影響を分析し、人員削減で企業業績が上向くという統計的証拠はなく、企業は安易に人員削減やレイオフをするべきではないとしており、このあたりの著者の主張は、『人材を活かす企業』から一貫しています。

 第4章では、長時間労働、仕事と家庭の両立困難などについて考察しています。ここでは、日本における「過労死」に言及し、長時間労働が起きる要因を労働者側と企業側の双方から分析しています。また、仕事と家庭の両立が困難となる原因を分析する一方、ワーク・ライフ・バランスに配慮している企業例を紹介しています(米国は日本より両立のプレッシャーが強いのかも)。

 第5章では、健康な職場を支える二大要素として、「仕事の裁量性」と「ソーシャルサポート(困ったときに周囲の助けを得られること)」を挙げています。仕事の裁量性が健康に影響するのは、それが仕事満足度に繋がるためであるとし、また、ソーシャルサポートが自然に生まれる環境づくりをしている企業は、社員を大切にする文化を育んでいるとして、その事例を紹介しています。

第6章では、健康によくない職場で働く人々が、そうとわかっていて辞められない理由を分析し、生計維持のため、有名企業であること、辞める気力が残っていないこと、力不足だと思われたくないことなどを挙げており、 そうしているうちに異常がいつしか正常になってしまう危険性を説いています。

 第7章では、まとめとして、変えられること、変えるべきことは何かを考察し、企業や社会は産業心理学などの手法を活用して従業員の健康と幸福を計測し、社会は「社会的公害企業」を公表する一方、好ましい企業は表彰するなどすべきであるとしています。

 本書に一貫しているのは、従業員の健康と企業の利益は両立するという考えであり、人間の健康と幸福は企業経営においても最も重視されるべきものであるという主張です。直接的には、ブラックな職場だとわかっていながら会社を辞められない人に再考を促す本と言えますが、実証的・理論的であり(とりわけ心理学的側面からの分析に説得力がある)、人事パーソンにとっても少なからず啓発される要素の多い本だと思います。

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「ジョブ型雇用」について理解でき、「同一労働同一賃金ガイドライン」の謎も解明。

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ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書 新赤版 1894)』['21年]

 著者の前著『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』(2009年/岩波新書)で提起された「ジョブ型」という言葉は、今や世に広く使われるようになりました。しかしながら著者は、昨今きわめていい加減な「ジョブ型」論がはびこっているとして、本書では、改めて「ジョブ型」「メンバーシップ型」とは何かを解説するとともに、日本の雇用システムの問題点を浮かび上がらせています

 序章で、世に氾濫するおかしなジョブ型論を取り上げ、とりわけ、ジョブ型を成果主義と結びつける考え方の誤りを指摘しています。第1章では、ジョブ型とメンバーシップ型の「基礎の基礎」を解説し、続いて第2章から第6章にかけて、採用と退職、賃金、労働時間、非正規雇用、集団的労使関係という各領域ごとに、メンバーシップ型の矛盾がどのように現れているかを分析し、解決の方向性を探っています。

 特に印象に残ったのは、第2章の「採用」のところで、日本型雇用システムにおいて採用差別という概念が成立しにくいのは、それだけメンバーシップ型の採用が自由度が高いためであり、それをジョブ型の採用にすると日本型の採用の自由を捨てることになるが、ジョブ型をもてはやしている人の中に、その覚悟がある人がいるようには思えないとしている点でした。

 また、第3章の「賃金」のところで、1990年代から2000年代にかけてブームになったものの失敗に終わった成果主義を、もう一度今度は成果を測定するジョブを明確化することで再チャレンジしようとしているのが2020年以来の日本版ジョブ型ブームではないかとし、その目的は成果主義によって中高年の不当な高給を是正することにあり、本来のジョブ型を実践する気は毛頭ないのだとしているのもナルホドと思わされました。

 さらに著者は、同一労働同一賃金の政策過程の裏側を探り、日本版同一労働同一賃金を"虚構"であると言い切っています。安倍政権の政策に携わる中で、それを日本でも可能だとした労働法学者・水町勇一郎氏(東大教授)の真意は、正社員の職能給をすべて職務給に入れ替えるのではなく(それにはかなり困難)、せめて非正規労働者の(職務給的)賃金を正社員の職能給に統一しようとしたのではないかとしています(確かに「同一労働同一賃金ガイドライン」は能力給、成果給、年功給のケースを書いているが、職務給については触れていない)。

 しかし、結局は、ガイドライン策定の過程段階で、基本給の項の最後に、雇用形態によって賃金制度が異なることを前提とした「注」付け加えられることになり、実はこの「注」の部分こそが、圧倒的多数の企業に関わりがあるとしています。この点については、学習院大学の今野浩一郎名誉教授も、『同一労働同一賃金を活かす人事管理>』(2012年/日本経済新聞出版)の中で、ガイドラインの中で最も重要なのはこの「注」であり、先にこれをもってくるべだとしていました。

 今野教授は「ジョブ型雇用の亡霊」がまた現れたといった表現をしていましたが、本書はどちらかというと「ジョブ型」を正しく読者に理解してもらうことに注力しているように思いました。「ジョブ型」というものに対して人事の現場が何となく抱いている疑念を整理し、すっきりさせてくれる本であり(ついでに「同一労働同一賃金ガイドライン」の「謎」(笑)も解明してくれる)、人事パーソンにお薦めします。


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「男性育休」は、啓発だけでは限界があり、少子化対策には「義務化」が必要と。

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男性の育休 家族・企業・経済はこう変わる (PHP新書) 』['20年]

 若手男性社員の多くが取得を希望しているという男性の育休ですが、その希望とは裏腹に、取得率は7%台と横ばいを続けています。少子化による人口減少の突破口としても期待されている男性育休ですが、それにもかかわらず普及しないのはなぜか、「男性育休義務化」が注目される背景は何なのか―本書は、自民党有志議員による「男性の育休『義務化』を目指す議員連盟」の民間アドバイザーである著者2人が、豊富なデータや具体的事例をもとに詳説したものです。

 第1章では、男性育休にまつわるよくある誤解について解説しています。育休期間中は収入がなくなる、共働きでないと取得できない、男性育休の制度がある大企業でないと取れない、といったことがいずれも誤解であることは、人事パーソンであれば常識かと思いますが、意外と経営幹部や一般社員には、そうした誤った思い込みがまだ一部にあるかもしれないと思いました。

 第2章では、男性育休の現状を豊富なデータから分析してその課題を探るとともに、結婚・出産・子育てをしたがらない若者が多くなっているのはなぜか、その背景を探っています。調査では、女子学生の9割が将来の夫に育休の取得を希望し、さらに、新入社員男性の8割、男性中堅社員の9割が育休取得を希望するものの、詰まるところ、育休を取得しづらい「職場の雰囲気」が大きな壁になっていることが事実として判明したとしています。

 第3章では、男性育休を企業が推進するメリットを説いています。男性育休は人材不足解決の切り札になるとし、男性育休の取得率を100%にすることで、残業ゼロで採用もうまくいった中小企業の事例を取り上げ、さらに、男性就活生に人気の企業は、男性育休の取得率が高いといったデータを紹介しています。そして、男性育休がもたらす変化として、①時間当たりの生産性の向上、②エンゲージメントとロイヤリティの向上、③周囲の社員や部下の成長機会になる、④上司のマネジメント力の向上、を挙げています。

 第4章では、男性育休を「義務化」することを提唱し、その理由を述べています。少子化対策には企業への働きかけが急務であるが、啓発するだけでは限界があり、少子化対策を加速させるためには、義務化が必要であるとしています。平成は"女性活躍時代"の時代だったが、それは「女性のスーパーウーマン化」によって支えられたものであり、令和は、"男性の家庭活躍の時代"にしなければならないとも述べています。

 第5章は、具体的にどのようにして男性育休を「義務化」するかについて、①企業の周知行動の報告の義務化、②取得率に応じたペナルティやインセンティブの整備、③有価証券報告書に「男性育休取得率」を記載、④育休の一カ月前申請を柔軟に、⑤男性の産休を新設し、産休期間中の給付金を実質100%へ、⑥半休制度の柔軟な運用、⑦育休を有効に活用するための「父親学級」支援策、の7つの提言をしています。

 男性育休について知るためのテキスト的要素もある本でしたが、それ以上に、男性育休を「義務化」することを提唱している本でした(だから、一般向け新書なのか。ナルホド)。企業の人事部には、男性で育休を取った前例が少なく、育休を取る人が出ないので、「いっそ、全員が取得することを義務付けてくれたらいいのに」との声も多いとのことです。先進諸国の例でも、取得が義務化されていたり、取得に対するインセンティブが用意されていたりした上での、高い男性育休取得率になっていることが窺えます(義務やインセンティブ条件を満たしてしまえば、すぐに職場復帰する傾向もみられる)。

 コロナ禍によるテレワークの浸透などで、企業における業務の生産性についても見直される機会の多い昨今、効率性の概念が弱く、社員に果てしなく残業をさせるような職場は「問題」とされ、これから企業には、生産性高く効率的に働いて、早く帰り家族に会いたいと思う社員自身の欲求を満たすことが求められるのでしょう。一般向けの新書ではありますが、男性の育休取得促進は、企業にとって経営戦略として位置付けられるとの思いを抱かされました。

 因みに、2022年の育児・介護休業法の改正により、男性の育休取得推進が義務化されています。これは、男性労働者に対して育休の取得を義務づけたものではなく、使用者に対して男性従業員の育休取得を促進することが義務づけられたというものでり、これだと「義務化」と言っても実質「努力規定」に留まっていることになってしまいます。法律は少しずつ改正されていますが、その歩みはあまりに小刻みすぎる気がします。

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性別役割分業意識よりむしろ〈仕事優先〉の時間意識に原因が。

男性育休の困難.jpg 『男性育休の困難 取得を阻む「職場の雰囲気」』['20年]

 本書では、男性が育児休業を取得しようとする際に感じる、何となく取得を言い出せない「職場の雰囲気」はどこからくるのか、育児と仕事を両立することがなぜ困難なのかなどを、育児休業を取得した男性社員だけでなく、長時間労働の経験をもつ男性社員や女性社員たちへのインタビューの語りを通して分析しています。

 第1章では、育児休業を取得した男性へのインタビューから、職場には性別役割分業意識があり、育休と取得する男性はそれを超えるために、自らが置かれている状況が特別であることを上司にアピールする交渉力を発揮しなければならず、また、たとえ育休が取れたとしても、職場には「なんかいやーな感じ」の潜在化した批判が残ることが多いとしています。

 第2章では、男性が育児休業を取ったことで、男性の認識がどのように変化するかをインタビューを通して分析していますが、その間「仕事から離れた」ことはそれほど否定的に捉えられることはなく、性別役割分業意識よりむしろ、〈仕事優先〉の時間意識を自分が持っていたことへの気づきや、〈仕事優先〉の時間意識から〈仕事も育児も〉の時間意識への変化があったとしています。

 第3章では、育児休業を取らなかった男性や、育児をしながら働いた女性に、育児と仕事の時間配分はどうだったかを聞いていますが、労働時間を短縮しなかったケース、労働時間を短縮したケース、仕事を辞めて転職したケースがあり、いずれのケースも男女とも、育児に携わりながらも、そこには〈仕事優先〉の時間意識があったとしています。

 第4章では、正社員として働く人たちの時間意識を、長時間労働や私生活の時間に対する考えを聞くことで探り、入社当初から長時間労働をしてきた正社員は、無意識に〈仕事優先〉の時間意識を持つようになり、その結果、労働時間が私生活の時間をコントロールするようになっているという実態があるとしています。一方、残業ゼロの職場で働く人は、私生活で多彩な活動をしていることを確認しています。

 第5章では、〈仕事優先〉の時間意識と〈仕事も育児も〉の時間意識は、職場でどのような位置づけにあり、これらの時間意識が明らかにする育児の特殊性はどのようなものかを考察しています。そして、従来の「望ましい労働者」像は、〈仕事優先〉の時間意識を持ち、それを実践している労働者である一方、育児は、(柔軟に減らすことができる自由時間と違って)仕事時間を規定する硬直性を持つ(育児の時間が仕事の時間を決める)という特殊性があるため、そこで葛藤が生じるとしています。

 第6章では、これまでの分析を踏まえた上で、なぜ男性は育児休業制度の利用が難しいのかを分析し、性別役割分業意識よりも深層にある〈仕事優先〉の時間意識が、①常に〈仕事優先〉の働き方を要請するとともに、②「どちらかを選択しなければならない」と思わせ、③性別役割分業の実態に沿って、男は仕事、女性は家事・育児を「選択」するよう迫られるためだとしています。

 終章で、男性育休の困難を解消するためにどうすればよいかを述べており、まず「ジェンダー視点をカッコに入れる」ことを提案しています。なぜならば、〈仕事優先〉の時間意識=男性的価値観とは言い難い面があるためです。〈仕事優先〉の時間意識を積極的に受け容れる女性もいれば、育児休業を取得したことで仕事優先〉の時間意識から〈仕事も育児も〉の時間意識への変化する男性もいるためです。その上で、ワーク・ライフ・バランス論を組織文化論に位置づけ、新しい両立研究として進化させていくことの可能性を示唆しています。また、組織成員の相互作用を視野に入れること、さらに、第1章で、変化の可能性の1つに同僚の賛同を動員する事例を示していますが、交渉当事者を拡大すること(育休を取得する男性を増やすこと)を提唱しています。

 本書に出てくるインタビュー対象者は、男女を問わず、会社に入社した時からかなり猛烈に仕事をしてきた人が多いように思いました。そして、そういう人たちの多くは無意識のうちに〈仕事優先〉の時間意識を受け容れており、育児と仕事の両立の困難を抱える当事者に限らず、(人事パーソンも含め)組織の全員が、まず、そのことに気づき、見直してみることが、これからの望ましい働き方を探るうえで必要であると思わされる本でした。

《読書MEMO》
●目次
序 章 「職場の雰囲気」に着目する理由
 1 男性にとっての育児休業制度
 2 男性の育児休業と職場の雰囲気
 3 本書の課題
 4 調査対象
第1章 育休男性と職場のコンフリクト
 1 職場の性別役割分業意識――「お母さんじゃだめなの?」「休めるんだから仕事頼むよ」
 2 手続きの確実さと育児の不確実さ――「いつから休むのかちゃんと出して」
 3 交渉力の発揮――「特別だからできる」
 4 潜在化する批判――「なんかいやーな感じ」
第2章 育休男性の新しい意識
 1 育休取得前――稼ぎ手役割の委譲
 2 育休取得経験で顕在化する意識
 3 育休取得後――意識化される〈時間帯〉
第3章 育児・仕事の時間配分の三つの様相
 1 労働時間を短縮せず、育児に関わる
 2 労働時間を短縮して、育児をする
 3 仕事を辞める
第4章 仕事/私生活をめぐる時間意識
 1 長時間労働に対する認識
 2 私生活の時間に対する認識
 3 コントロールできない労働時間が私生活の時間をコントロールする
 4 残業ゼロと多彩な活動
第5章 「望ましい労働者」像と育児の特殊性
 1 二つの時間意識――〈仕事優先〉と〈仕事も育児も〉
 2 男性が育休取得をためらうのはなぜか
 3 職場の「望ましさ」と育児の特殊性
第6章 なぜ男性育休は困難か
 1 〈仕事優先〉の時間意識に内在する「しかけ」
 2 性別役割分業意識の作動
 3 なぜ男性は育児休業制度の利用が難しいのか
終 章 男性育休の困難を解消するために
 1 ジェンダー視点を「カッコに入れる」とは
 2 組織成員の相互作用を視野に入れる
 3 交渉当事者を拡大する
あとがき

著者プロフィル
齋藤 早苗(サイトウ サナエ)
東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。会社員、団体職員として約20年働き、2度の育児休業を経験。その後、大学院に進学。調査報告に「親はどのような保育を求めているのか――株式会社立保育所に着目して」(「相関社会科学」第24号)、「育児休業取得をめぐる父親の意識とその変化」(「大原社会問題研究所雑誌」2012年9・10月号)など。

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パワハラ境界線ばかり気にするのではなく、働きやすい職場、良好な人間関係づくりをめざせと。

『最新パワハラ対策完全ガイド』2020.jpg 『最新パワハラ対策完全ガイド【付録】厚生労働省パワハラガイドライン全文』['20年]

 本書は、令和2年6月から、大企業に対して、改正労働施策総合推進法(いわゆるパワハラ防止法)が施行されるのに合わせて刊行されたもので、企業のパワハラへの対応の義務化に際して、人事や窓口担当者、管理職が留意すべき対応のポイントは何かを、わかりやすく解説しています。

 第1章では、企業におけるパワハラ対策の必要性と意義を説いています。パワハラは今や企業不祥事となっており、パワハラ防止は組織を挙げて取り組むべき課題であるとし、また、パワハラ防止対策は、健康で健全な経営につながるとしています。

 第2章では、パワハラの定義と構成要件を整理しています。パワハラの法的責任が問われるケースを判例から説明するとともに、人によってパワハラと感じる範囲にズレがあるため、現場レベルでパワハラであるかないかを議論しない方がよく、判断基準にとらわれるとかえって問題がこじれるとしています。

 第3章では、管理職のパワハラリスクとその対処法を説いています。パワハラが起きる背景には「役割期待」のズレがあるとし、管理職に対し、いくら指導に熱心でも一線を越えてはならず、部下の受信力に合わせた発信をし、「役割期待」のズレを解消するよう説いています。

 第4章では、パワハラの被害を受けないようにするにはどうすればよいかを説いています。上司からマイナスの目で見られないために報連相をこまめに行うこと、「やりにくい上司」というネガティブな見方をリフレーミングという手法で変えること、「内的キャリア」を育て、仕事の意味を明確化すること、セルフリファー力(周囲や専門家に相談する力)を高めること、などを挙げています。

 第5章では、一人ひとりの「パワハラを許さない」という意識がパワハラを防ぐとしています。パワハラは当事者と人事部だけで解決する問題ではなく、第三者もパワハラの「見える化」に協力し、日ごろから周囲の人に関心を持つこと、気になることがあれば声かけをし、悩みを聞いてあげるだけでもサポートになるし、相談窓口につなぐのも第三者の役割であるとしています。

 第6章では、パワハラの相談を受ける技術を紹介しています。ハラスメントの担当者になったら留意すべきこと、被害者面談の進め方と注意点などをまとめています。

 第7章では、パワハラ対策の実効性を高めるにはどうすればよいかを説いています。人事に求められるプロジェクトをパワハラを中心に一本化することを推奨し、予防と再発防止を重視した取り組みを行い、「小さな芽」を摘むことを心がけるよう説いています。

 人事部、上司、部下、それ以外の第三者のいずれにとっても啓発的であるととも実践的な内容です。わかりやすく書かれていて、個人的には特に、第3章で、パワハラには、相手に意識が集中してしまう「ロックオン」とでもいう前段階があり、これによってマイナスエネルギー(ストレスやネガティブ感情)が溜まり、そのマイナスエネルギーが放出されるとパワハラになるという説明は腑に落ちました。
 
 パワハラかどうかの境界線ばかり気にするのではなく、「働きやすい職場」「良好な人間関係づくり」という前向きなアプローチの方が、パワハラを生まない職場づくりの近道になることを説いた、啓発的かつ実践的な良書だと思います。

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ビジネスパーソン、ワーママを取り巻く感情管理の膜の「しんどさ」への気づきを促す。

働く人のための感情資本論0.jpg働く人のための感情資本論.jpg
働く人のための感情資本論―パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』['19年]

 職場のパワハラ、メンタルケアと産業保健、過労自殺とうつ病、ライフハックの現場、ワーママのため息。感情が管理され、生が査定される時代。私たちは、グッとこらえたこの心の揺らぎと、どう向き合えばいいのか。毎日の仕事は、社会問題とどうつながっているのか。現代に疲弊する、働く人びとのための社会学―(「BOOK」データベースより)。

 近年職場でのハラスメントや労働者のうつ病、自殺が社会問題化していますが、そこで問われているのは、職場の対人コミュニケーションであり、本書で著者が論じようとしているのは、(感情が組織によって抑圧されることによる人間疎外よりも)相互尊重的なコミュニケーションができることが社会人としての必須能力とされ、それによって職業上の能力や評価が決定される現象に伴う閉塞感についてです。コミュニカティブであることを推奨する職場環境の中で、感情という資本はどのように機能しているのか、感情的にならずに感情を表出することと、効率的なパフォーマンスを可能にすることとの関係を解きほぐしながら、ハラスメントやうつ病と自殺、時間管理、ワーク・ライフ・バランスといった現代的な課題について考察しています。

 第1章「感情という資本」では、「パワーハラスメント」を受けて「倍返しだ!」と言える人は稀であり、多くはなかなか嫌悪感を表明できないのはなぜかを、アメリカの社会学者A・R・ホックシールドの感情管理論と、E・イルーズの勘定資本主義の観点から考察しています。我々は、対人関係の中で感情を贈り物とて交換しあっているため、感情をその場のコードに沿って適切に管理し、表出できる能力(=感情資本)を持っているかどうかが、その場の状況や他者の反応を操作する権力を持つことにつながるが、空気を読み、ハラスメントにNOと言うことを難しくさせるのは、こうした自発的な管理とコミュニケーションを促す感情文化であるとしています。

 第2章「メンタルヘルスという投資」では、労働者を対象としたメンタルヘルス対策の中で、特にEAP(従業員支援プログラム)について取り上げ、インタビュー調査をもとに、EAPの考え方を明らかにすることで、「効率的な業務遂行」と「感情に向き合うこと」がどう結びつくのかを検討しています。従業員のメンタル不調は、事業主からすれば経営上のコストでありリスクであって、メンタルヘルスケアは、そうしたコストやリスクを軽減させるものとして位置づけられるとしています。

 第3章「自殺のリスク化と医療化」では、日本の労災保険制度における労働者の自殺の取り扱いの変化に注目し、従来は自殺は故意によるものとして保険事故の対象外だったのが、後に労働災害として補償対象に取り込まれた、このような変化がどのようにして生じたのかを、行政や裁判などから明らかにし、自殺は、精神障害(主にうつ病)の症状の一つとして位置づけられることで、病死=災害死となり、社会保障制度の救済対象となったとしています。

 第4章「自殺の意味論」では、労災申請や訴訟の中で、労働者の自殺がいかに「鑑定」され、解釈されるのかを、責任帰属の観点から検討しています。自殺が病死の一種とみなされるようになったことで、自殺者は免責される一方、事業主の安全配慮義務や遺族の自責がクローズアップされるようになったとし、また、第3章と第4章のまとめとして、自殺者を病死者とみなすのはなぜかを考察しています。

 第5章「「パワーハラスメント」の社会学」では、「パワーハラスメント」の詳細なケーススタディを通して、どのような状況が「パワーハラスメント」であると認識される/されないのかについて、E・ゴフマンの「フレーミング・アナリシス」の観点から検討するとともに、自殺をめぐる解釈が遺族や労働基準監督署の臨検や法廷において錯綜し、やがて「うつ病の結果」へと収斂していくプロセスと、それにより「パワーハラスメント」が不可視化される過程を分析しています。

 第6章「時は金なり、感情も金なり」では、SNSを介したライフハックや時間管理術の勉強会での参与観察やインタビューを通して、実践者たちの時間に関する感覚や意識を浮かび上がらせています。また、時間管理が感情管理と密接な関係にあること(時間をうまく使うことと感情をうまく使うことが職業人としてのアイデンティティや他者からの評価に関わっていること)を明らかにすることで、感情が資本であるということの意味について再考しています。

 第7章「ワーキング・マザーの「長時間労働」」では、ワーキング・マザーが、職場での「ファースト・シフト」の後、帰宅しての家事育児に携わる「セカンド・シフト」をこなし、さらに深夜や早朝に「残業」をするような「長時間労働」の状態にあることを示し、家庭という領域での生活の効率化や合理化と、それに伴うワーキング・マザーの感情労働と働き過ぎの問題を、ワーキング・マザーの事例から考察しています。

 これまで「感情労働」という概念は、主に顧客に対するサービスの文脈で使われることが多かったですが、本書では、感情の管理が組織内の同僚や上司に対しても必要になっているとされる状況に注視し、職場が実施する「メンタルヘルスケア」、自分で行う様々な「ライフハック」(仕事効率化のテクニック)にも感情管理という要素が組み込まれているとしています。

 職場のトラブルがもたらす最悪の帰結としての自殺が、かつては自責行為だったのが、今は「精神障害による病死」とみなされることで労働災害と位置づけられるようになった―それはそれで進展ではあるが、精神障害が明確に確認されなくとも、ハラスメントによって尊厳や誇り、すなわち感情がひどく傷つけられた場合には自殺のトリガーになり得るとしています。

 また、感情管理は職場だけでなく、ワーキング・マザーは帰宅すれば子ども向けの「菩薩(ぼさつ)モード」に感情を切り替え、子どもが寝た後や早朝に、持ち帰った仕事をし、休日でさえそれは続き、子どもの先生や保護者間の付き合いでも場面に応じた感情管理が求められると。

 本書は、ビジネスパーソン、ワーキング・マザーを取り巻く感情管理の膜から抜け出す方法を必ずしも示したものではありませんが(ややもやっとした感じの読後感があるのは否めない)、働く人がごく普通に置かれている「ありふれたしんどさ」に事業主も上司も同僚もまず気づくことから始める必要があるかもしれず、本書はそうした気づきを促す一助となるものかもしれません。

《読書MEMO》
●目次
はじめに―働く人のための感情資本論
第1章 感情という資本―職場でコミュニカティブであること
 1 はじめに―「倍返しだ!」とは言えない人々
 2 「パワーハラスメント」と感情管理
 3 ホモ・コミュニカンスの出現
 4 むすびに代えて
第2章 メンタルヘルスという投資―メンタル不調=リスク=コスト
 1 はじめに―人的資源管理の医療化
 2 働く人々のメンタルヘルスケアをめぐる専門職
 3 メンタルヘルスケアの商品化
 4 メンタル不調=リスク=コスト
 5 むすびに代えて
第3章 自殺のリスク化と医療化―労働者の自殺はいつ、どのようにして「労働災害」になったのか
 1 はじめに―「うつ病」の症状としての自殺
 2 「業務上疾病」としての自殺
 3 労災保険における自殺のリスク化
 4 自殺の医療化
 5 健康問題としての労働問題―労働者の自殺の医療化を促進するエンジン
 6 自殺の医療化、社会保険への接続
 7 むすびに代えて
第4章 自殺の意味論―労働者の死をめぐる語り
 1 はじめに―いかに「鑑定」され、解釈されるか
 2 死者の診断と鑑定
 3 自殺の医療化と遺族
 4 自殺の責任の外在化
 5 自殺を病死者ととらえることについて
 6 むすびに代えて
第5章 「パワーハラスメント」の社会学―「業務」と「うつ病」のフレーム・アナリシス
 1 はじめに―「パワーハラスメント」の社会問題化
 2 ある「パワハラ」の風景
 3 「パワーハラスメント」のフレーム・アナリシス
 4 自殺の「動機の語彙」と「うつ病」フレーム
 5 自殺の「動機の語彙」の確定
 6 むすびに代えて―次世代への影響
第6章 時は金なり、感情も金なり―ライフハックの現場から
 1 はじめに―時間管理の自己目的化
 2 ライフハック
 3 頭をからっぽにする
 4 ライフハックの伝播、ライフハックを介したつながりの創出
 5 ライフハックの社会的機能
 6 時間管理と感情管理
 7 むすびに代えて
第7章 ワーキング・マザーの「長時間労働」―「ワーク・ライフ・過労死?」
 1 はじめに―働く千手観音
 2 ワーキング・マザーの「長時間労働」
 3 時間管理と感情管理―回し続けるジャグリング
 4 むすびに代えて―「ワーク・ライフ・過労死」を避けるために
あとがき

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前著同様、事例が強烈でリアリティがあった。自分ならどう対処するか考えながら読みたい。

モンスター部下.jpg 『モンスター部下』['19年] あなたの隣のモンスター社員.jpgあなたの隣のモンスター社員 (文春新書)』['15年]

 気に入らない新任上司を「逆パワハラ」でうつ病に追い込む古株社員、カラ領収書を使ってキャバクラ代をせしめる社員、仕事のえり好みをして指示に従わない意識高い系社員、ダブル不倫に敗れセクハラ告発する女性社員、育児をタテにサボりを繰り返す仮面イクメン......本書では、これまであり得なかったようなトラブルを起こす「モンスター部下」が昨今増殖し、管理職の頭を悩ませているとして、彼らの実態とタイプ分類、その対処法について解説しています。

 第1章は「自己中心モンスター」のケース紹介となっていて、①謎の欠勤を繰り返し、突然、退職代行業者を使って去っていく部下、②育児を理由に周囲に仕事を押し付け、注意したら「マタハラです!」、③SNSにトンデモ動画、会社の誹謗中傷をアップしまくる20代社員、④「働き方改革」を伝家の宝刀に、やりたい放題の仮面イクメン部下、⑤「成長できる仕事」しかやらない意識高い系モンスター、⑥一方的に異性を追いかけ、歯止めがきかないストーカー社員、の6つのケースが取り上げられています。

 第2章では、こうしたモンスター部下はなぜ"量産"されるのか、その社会的メカニズムを分析し、モンスター部下のタイプとしては、第1章で紹介した「自己中心的で幼稚なタイプ」と、「そもそもモラルが非常に低いタイプ」がいるとしています。

 第3章は「低モラルモンスター」のケース紹介となっていて、①内緒の副業に経費不正、そして脱税まで?「闇収入」モンスター、②客先の男性と不倫関係に陥る、モラル欠如型モンスター、③カラ領収書で経費をせしめ、キャバ嬢に貢ぐ部下、④デイトレーダー?? 業務時間に会社のパソコンで株取引をする部下、⑤社内ダブル不倫がセクハラに? 振られた腹いせ(?)をする女性モンスター、⑦お風呂に入らず、周囲に悪臭をまき散らす「スメハラ」部下、の7つのケースが取り上げられています。

 第4章は、これも最近多い"高齢部下"の問題、「シニアモンスター」のケース紹介となっていて、①若手社員を手下につけて上司をシカトする"半グレ"シニア社員、②転職先でマウンティングし、同僚をバカにする大手出身モンスター、③舌打ちに書類投げ......成果を出さず不機嫌をまき散らす50代部下、④「俺のことをバカにしているのか!? キレる60代部下の背景に......、の4つのケースが取り上げられています。

 第5章では、モンスター部下とどう対峙すべきかを説いています。ここでは、まず、モンスター部下のタイプを知ることが肝要であるとして、モンスター部下の類型として、第2章からさらに進んで、「嘘つきモンスター」「自己愛型モンスター」「モラル低下モンスター」などを挙げ、より詳しく解説しています。

 例えば「嘘つきモンスター」は、ミスを隠蔽したり自分を優位に保つために、巧妙に嘘をつくタイプで、「自己愛型モンスター」は、女性に多い"悲劇のヒロイン"と化して、周囲の関心を得ようとするタイプや、男性に多い周囲を無能扱いすることで自分を誇示するタイプであり、「モラル低下モンスター」は、善悪よりも自分がいかに得をするかで動き、自分の過ちを他者のせいにするタイプがこれに当たるとのことです。

 また、職場のハラスメントというと、「セクシャルハラスメント」「パワーハラスメント」が問題になるケースが多かったのが、昨今は「アルコールハラスメント」「カラオケハラスメント」「マタニティハラスメント」など様々なハラスメント問題が取り上げられており、その一方で、ハラスメントに該当する事実がないのに被害者を装い、会社に被害を訴える「偽装ハラスメント」型モンスターも多くなっているとのこと。モンスター部下のタイプによっては、承認欲求が満たされず問題行動を起こしているケースもあるが、そうした部下への対応は難しいとし、理不尽な要求を突き付けてくる部下にどう対処するのがよいか説いています。

 それらは"方法論"と言うより"向き合い方"といった感じでしょうか。また、そうしてモンスター部下と真摯に向き合っても、場合によってはやむを得ず辞めさせなくてはいけない場面も出てくるだろうとして、解雇を実施する場合の留意点を挙げています。ただし、個人的には、その前に、退職勧奨なりそれを示唆するアクションなりを実施する方が、リスクが少なく現実的ではないかという気がしました。実際、本書のケーススタディで取り上げられているものは、当事者であるモンスター部下の方から辞めていったことで問題が沈静化した例が少なからずあります。

あなたの職場のイヤな奴1.jpg アメリカでベストセラーになったロバート・I・サットンの『あなたの職場のイヤな奴』('08年/講談社)によると、グーグルには「クソッタレ撲滅ルール」があり、「悪しきことはするな」というモットーのもと、クソッタレは出世できない環境を整備しているとのことです。その本では、一時的にクソッタレになってしまった人を、何か嫌なことがあったのだろうと気遣いしてやることは必要だが、よく見守った末、たえず嫌なことをする「鑑定書つきのクソッタレ」であることが分かったならば、その時は皆で結託して追い出すべきだとしています。

 著者の前著『あなたの隣のモンスター社員』('15年/文春新書)同様に、ケーススタディが強烈でリアリティがありました(これからこんな社員がどんどん出てくるのか? ちょっとウンザリ?)。これらを読みながら、自分ならばどう対処するか、頭の中で思考実験してみるのもいいのではないでしょうか。また、「たまたま辞めてくれて助かった」で終わらせるのではなく、適正な排除機能が働く、社内健全化のための組織風土づくりというのも必要なのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●目次
はじめに 部下がモンスター化する時代
第1章 台頭する自己中心モンスター 
第2章 モンスター量産のメカニズム
第3章 低モラル社員の暴走は止まらない 
第4章 逆襲のシニア・モンスター
第5章 モンスター部下とどう対峙するか

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「終身雇用の時代に戻れない」中での雇用主と社員との新たな信頼関係を提唱。

ALLIANCE アライアンス.jpg 『ALLIANCE アライアンス―――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用』['19年]

 本書は、終身雇用の時代にも戻れず、現状維持もできない今こそ、雇用主と社員の関係を見直す時ではないだろうかとし、会社と社員を雇用というよりは信頼関係で結ぶ「アライアンス」という、シリコンバレーで導入されている新たな雇用形態の考えを考えを紹介している本です。

 第1章では、米国においても一昔前の雇用モデルは終身雇用であり、それは、当時の安定した時代には合っていたが、世の中は変わり、株主資本主義の台頭により、会社は株価を上げるための短期的な財務目標の達成を優先するようになり、終身雇用という雇用モデルは硬直的すぎるため、組織の柔軟性を高めようとした結果、社員も仕事内容も、短期間で取り換えが可能になったとしています。

 こうした随意雇用(一方的に契約が破棄できる雇用契約)になると、働く人は自らを「フリーエージェント」だと考えよう、と吹聴されるようになり、自分を高めるチャンスを常に追い求め、より良い仕事に誘われたらいつでも転職するようになり、企業と個人が忠誠心で結ばれていた時代には引き返せないところまで、世界は変わってしまったとのことです。

 終身雇用の時代にも戻れず、現状維持もできないならば、今こそ雇用主と社員の関係を見直す時ではないか。いずれも起業家である著者らはそう述べ、雇用を「アライアンス」であると考えてみようと提案してます。アライアンスとは、互いのメリットを得ようと、期間を明確に定めて結ぶ提携関係のことであり、この関係は、雇用主と社員が「どのような価値を相手にもたらすか」に基づいてつくられるとしています。

 著者らは、社員との間に「帰属意識を持てる一生の関係」を築きたいと願い、自社を「家族的」と表現するCEOがいるが、この言葉は、誤解を生みやすいとしています。本当の家族なら、我が子の働きぶりが悪いからといってクビにすることはないが、自社を家族だと表現した後でレイオフを行うCEOは後を絶たないと。これと対照的なのが「チーム」であり、プロスポーツのチームは終身雇用を前提としていないにもかかわらず、相互信頼と相互投資、そして互恵の原則が機能しており、個人の栄光よりもチームの勝利を優先するほどメンバー同士の信頼が強い時、チームは勝つ―逆説的だが、こうしてチームとして勝つことがメンバーの個人的成功の近道になるとしています。

 第2章では、アライアンスの関係を築く場合、まず、「コミットメント期間(ツアー・オブ・デューティ)」を定める必要があるとしています。「ツアー・オブ・デューティ」はもともと軍隊用語で、任務や配置の割り当て一回分を意味し、そこには「ミッションを期間内に成し遂げることに専念し、そこに個人の信用をかけている」という考えであるとのことです。コミットメント期間には、「ローテーション型」「変革型」「基盤型」の三つのタイプがあるとし、ローテーション型は会社に「規模拡大」をもたらし、変革型は会社に「適応力」を与えてくれ、基盤型は会社に「継続性」をもたらすとしています。

 第3章では、コミットメント関係で大切なものとして、社員と会社の目標および価値観をそろえる「整合性」を挙げ、どの程度の整合性が必要なのかは、コミットメント期間のタイプによって違ってくるとしています。そして、整合性の構築の3つのステップとして、①会社の核となるミッションと価値観を打ち立て、それを広める、②社員の大切にしている価値観とありたい姿を知る、③社員、上司、会社間の整合性を目指し協力する、の3つを掲げています。

 第4章では、変革型コミット期間を導入する際に、それをうまく活用する4つのステップとして、①対話を開始し、コミットメントの目標を設定する、②双方が定期的にフィードバックし合う仕組みをつくる、③コミットメント期間の終了前に次の期間の設計に着手する、④想定外の事態に対処する(コミットメント期間の途中での変化)の4つを挙げ、それぞれについて解説しています。

 第5章では、会社が社員に仕事上のネットワークを広げる機会をつくって彼らのキャリアをサポートし、社員は、自分のネットワークを使って会社を変革する手助けをする、会社と社員の連携関係の構築を推奨しています。社員の「ネットワーク情報収集力」は、組織が外部とかかわり合い、そこから学ぶのに最も効率的な方法であるとしています。さらに、ネットワーク情報収集力の4つの役目について解説しています。

 第6章では、そうした社員のネットワーク情報収集力を育てるための、社員の人脈を伸ばすコツと戦術を挙げています。それは、①ネットワーク力のある人材を採用する、②会話とソーシャルメディアを駆使して情報を掘り出す手法を教える、③個人のネットワーク構築を支援するプログラムと方策を全社展開する、④社員が得た情報を会社に還元させる、の4つであるとのことです。

 第7章では、会社が「卒業生」(自社の元社員)のネットワークをつくり、生涯にわたって個人と会社のアライアンス関係を続けていくことを推奨しています。「卒業生」ネットワークに投資する理由として、①優れた人材の獲得に役立つ、②有力な情報が得られる、③顧客を紹介してくれる、④「卒業生」はブランド・アンバサダーである、の4つを挙げています。

 第8章では、「卒業生」ネットワークを活かすには、効果的に導入するためのコツとテクニックがあるとして、①「卒業生」ネットワークの参加者を決める、②ギブ・アンド・テイクの中身をはっきり示す、③退職手続きを見直す、④現役社員と「卒業生」を繋げる、の4つについて解説しています。

 著者の一人リード・ホフマンは世界最大級のビジネス特化型ソーシャル・ネットワーキング・サービス会社「リンクトイン」を2002年に創業しており(現会長)、本書の中での事例の多くはそのリンクトインで実際に取られた施策となっています(よって「アライアンス」とは、シリコンバレーで導入されている新たな雇用形態ともいえる)。その分、監訳者がまえがきで述べているように、本書の内容がそのまますぐに適用できる日本企業や職場はそう多くないかもしれません。それでも、将来に向けての視点で本書を読めば、「市場にある人的資源をどう活かすか、どうやって社員のキャリア形成をサポートし、会社との間に信頼を醸成するか」、「雇用慣行などの彼我の差をおいても得るところが多いのではないか」と自分も思いました。


《読書MEMO》
(監訳者によるMEMO)
●忠誠心を得られない企業は、長期的思考ができない企業である。長期的思考ができない企業は、将来に向けた投資のできない企業である。そして、明日のチャンスと技術に投資しない企業は、すでに死に向っている企業なのだ。(25p)
●変革型コミットメント期間の核心は、その社員が自分のキャリアと会社の両方を大きく変革させるような機会を得るという約束である。(53p)
●「本人とその成長のために投資するのです。ここで身につけるさまざまな能力を、どこで活かしてもよいのです。結果的のそのキャリアパスがマクドナルドの社内でも社外でもかまいません。」(63p)
●具体的なコミットメント期間について上司と話し合う中で、そのコミットメント期間における本人の「向上」が何をさすのか、上司の助けを借りて明らかにすればいい。(87p)
●(アライアンスの)中心にあるのは道義であって、法律ではない。そしてコミットメント期間も、公式な契約ではない。大切な関係を尊重し守るための、自発的な合意だ。(107p)
●終身雇用では、マネジャーも社員も社内に集中することがよしとされた。(略)今や、会社も社員も社外に目を向け、自分がどのような環境の中で仕事をしているのか全体像をつかんでおく必要がある。(118p)
●このような守りの姿勢の前提となるのは「どうせ社員には『非公開』と『機密』の違いが理解できない」という認識だ。その考え方には問題がある。(131p)
●アライアンスの基本理念を思い出してほしい。「会社はあなたのキャリアを一変させる手助けをする。あなたは会社を変革させ、より環境に適応できるよう力を貸してほしい」(144p)
●「『卒業生』ネットワークの集りには、経営幹部が誰か一人は必ず出席します。その幹部は通常30分から40分の『アスク・ミー・エニシング(何でもきいて)』コーナーを設け、ハブスポットに関するあらゆる質問に答えるのです。『今一番心配なことは何ですか?』とか『顧客は離れていっていませんか?』なんて質問もあります」(172p)
●職場という小宇宙での人間関係を改善することは、社会全体に大きなインパクトを与える可能性がある。プロジェクトからプロジェクトへ、部署から部署へ、会社から会社へ、とその影響は波及していく。(略)しかし、この(アライアンスのような)「小さなこと」は誰もが今日から取り入れることができ、いずれ積み重なって大きなリターンを我々にもたらしてくれるはずだ。(176p)
8 「卒業生」ネットワークを活かすには―効果的に導入するためのコツとテクニック

●目次
1 ネットワーク時代の新しい雇用―職場に信頼と忠誠を取り戻す「アライアンス」とは
2 コミットメント期間を設定しよう―アライアンスは仕事の内容と期間を定める
3 コミットメント期間で大切なもの―社員と会社の目標および価値観をそろえる
4 変革型コミットメント期間を導入する
5 社員にネットワーク情報収集力を求める―社員を通して世界を自社内に取り込む
6 ネットワーク情報収集力を育てるには―社員の人脈を伸ばすコツと戦術
7 会社は「卒業生」ネットワークをつくろう―生涯続く個人と会社のアライアンス関係

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非正社員問題や同一労働同一賃金の議論の根底にあるものを見つめ直すのによい。

『非正社員改革』1.jpg『非正社員改革』.jpg 『非正社員改革』['19年]

 労働法学者である著者による本書では、「非正社員(非正規労働者)とは、不安定な雇用環境や賃金格差にさらされる可哀そうな労働者である」というイメージがマスコミ等により誇張されすぎているのではないか、そうした中で打ち出された同一労働同一賃金の原則は、一見正しいようでどこか落とし穴があるのではないか、という疑問を投げかけています。

 全4編8章から成る第1編「日本型雇用システムと正社員」の第1章では、なぜ法律には非正社員の定義がないのかを考察し、法律上は正社員と非正社員の格差はなく、パートタイムや有期は労働条件の一つにすぎないとしています。第2章では、統計調査の数字などから非正社員の実像を描き出し、企業はなぜ非正社員を活用するのか、労働者はなぜ非正社員として働くのかを考察、非自発的非正社員は言われているほどに多くはないが、彼らが不満を抱いているのも事実であるとしています。そして、日本型雇用システムの下では、非正社員は正社員の地位を補完する機能として存在してきたとしています。

 第2編「非正社員をめぐる立法の変遷」では、第3章で、日本型雇用システムは労使自治の産物であり、正社員の地位と非正社員の地位は労使が自主的に形成してきたものであるとしたうえで、私的自治を制限するための法律としての労基法の制定と、以降の、法律の足りない部分を補充する判例法理の形成や、私的自治を重視する見解や均等待遇を志向する見解などの学説の動向を振り返っています。第4章では、「消極的介入の時代」として、政府の構造改革政策や労働者派遣の自由化など、労使自治への介入を消極化(緩和)した諸策と、それによってワーキング・プアが増加し社会問題化したこと、2007年のパート労働法改正などにより公正な待遇の確保が求められるようになったこと、偽装請負などで労働者派遣に厳しい目線がそそがれるようになったこと、などの経緯を追っています。第5章では、「積極的介入の時代」として、2012年の派遣労働法改正で、派遣労働者の雇用の安定をはかるために規制が強化され、同年の労契法の改正では有期労働契約も規制がかって無期転換ルールなどが定められるなどし、さらに2018年のパート・有期労働法の制定などもあって、企業の採用の自由は否定され、私的自治の制限が近年は強化されているとしています。

 第3編「非正社員を論理的・政策的に考える」では、第6章で、採用の自由はどこまで制約してよいのかを考察し、2012年の労契法の改正は労働契約の締結強制にまで踏み込んだとし、有期労働契約の無期転換について、海外の法律ではそれを正当化するロジックがあるが、日本の場合はそういたロジックのない政策立法であったとして、その政策的妥当性を検証しています。そして、非自発的非正社員を減らすために、正社員を増やそうと企業に働きかけるという方向性そのものに再考が求められるとし、具体的には、正社員として採用されるに適した人材を育成するという、労働者側に着目した教育訓練を展開していくこと必要であるとしています。さらに第7章で、法は契約内容にどこまで介入してよいのかを考察しています。ここでは同一労働同一賃金について、日本型雇用システムにおける賃金決定のあり方は、同一(価値)労働に対して同一賃金を支払うものでないことを考慮すると、日本において、これを法的な原則として導入するという議論は、もとから的外れだった可能性が高いとしています。

 第4編「真の格差問題とは」では、第8章で、非正社員改革として必要なのは、企業の権限や自由を制限することではなく、非正社員と正社員の格差をもたらす原因である能力の格差をいかに縮めるかが重要なのだとしています。つまり、企業ではなく、労働者に働きかけて、格差が生じないように予防する政策こそが非正社員改革の肝となるとしています。また、第4次産業革命のなかで生じる格差も、新しい技術と共生する能力の違いから生じる可能性があり、デジタル技術を使いこなせるかどうかの格差が、今後の格差問題の中心になっていくかもしれないとしています。

 本書の特徴は、非正社員を日本型雇用システムの構成要素と位置づけたうえで、改革のための法政策の方向性を検討したところにあります。正社員と非正社員の格差は日本型雇用システムにおける労使自治の産物であり、また、契約自由の範囲内で生じたとしています。その意味で、法がそれに介入するのは望ましくないし、非正社員の問題に取り組むとしても、それは労使の手によって日本型雇用システムをトータルにみながら進められるべきものだったとしている点です。著者自身が述べているように、これまでの著者の本が、立法の不活動を打破するために、解雇の金銭的解決やホワイトカラー・エグザンプションなどの改革案を示したものであったのと比べると、立法の「過活動」を抑えるために、なぜ立法介入が必要なのか問い直しているという点で、ベクトルがこれまで逆向きであるのも特徴的です。

 個人的には、正社員と非正社員について、賃金格差よりも教育格差を問題視していることに共感しました。やや気になったのは、企業性善説に立っているように思われた点でしょうか。何れにせよ、非正社員問題や同一労働同一賃金の議論の根底にあるものを見つめ直すという意味で、人事パーソンが手にするにはいいのではないかと思います。

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AI時代の新しい働き方を予測し、その課題、何をしなければならないかを考察。

『会社員が消える』.jpg 『会社員が消える 働き方の未来図 (文春新書 1207) 』['19年]

 近年、副業解禁や解雇規制の緩和といった議論が進み、就職協定の廃止、高度プロフェッショナル制度導入などが進んでいます。また、近い将来AIが多くの業務を担うようになり、雇用が激減するのではないかとの見方もあります。本書は、こうした一連の流れを背景に、これからの雇用はどうなるのかを、労働法学者である著者が予測し、さらに現状の課題を指摘した本です。

 第1章では、技術革新はビジネスモデルを変えるとともに、仕事も変えるとしています。会社員の「棚卸し」が始まり、定型作業はAIに代替され、人間に残された仕事は創造的で独創的なものとなり、そうしたスキルを持つプロ人材と機械の協働の時代になるとしています。その結果、多くの雇用を抱える大企業は生まれにくくなり、企業中心の社会から、プロ人材がネットワークでつながる個人中心の社会になると予測しています。

 第2章では、そうした中、これまでの働き方の常識は通用しなくなり、日本型雇用システムも変わらざるを得ないだろうとしつつ、そもそも日本型雇用システムとは何かを振り返り、正社員の雇用はなぜ守られてきたのかを説明しています。さらに、プロ人材になるとはどういうことかを考察し、雇用は自分で守らなければならなくなり、個人に求められるのは、自分の能力を発揮できる転職先を見つける力であるとしています。

 第3章では、働き方の未来を予測しています。テレワークは、場所や時間にとらわれない柔軟な働き方で、生産性が高まるメリットは大きいが、なかなか普及しない背景には法制度の壁があることを指摘しています。また、テクノロジーで従業員の健康状況を把握する"健康テック"にもメリット、デメリットがあるとし、さらに、人事にAIを導入する"HRテック"のメリット、デメリット、将来性などについても考察し、先端技術を活用してフリーで働くのが理想的な働き方になるためには何が必要か、問いを投げかけています。

 第4章では、会社員と個人自営業者の間には、たとえばクラウドワーカーらが厳しい就労状況に置かれているなど、現状ではさまざまな格差があり、企業に帰属しない働き方をサポートするための新たなセーフティネットが求められるとし、自助を支える公助や共助としてどのようなものが考えられるかを考察・提案しています。

 第5章では、人生100年時代に必要なスキルとは何か、副業という視点からの適職探しを勧めるとともに、学ぶとはどういうことか、創造性とは何かを考察しています。この章は主として若い読者向けに書かれた章とも言えるのではないかと思います。

 「AIが雇用を奪う」「10年後の仕事はどうなる」的な内容の本は昨今かなり刊行されており、個人的にも何冊か読みましたが、いずれもトレンドウォッチング的で、新聞や週刊誌、ビジネス誌の記事をまとめ読みしたような印象でした。将来の予測となると(ざっくり言って大規模な"ワーク・シフト"が起きるのは間違いないが)時期や分野など細かい点はかなり不確定要素が多いように思いました。

 その点、本書は(本書もまた「いつか」という表現を使い、「いつか」がいつ来てもいいように備えよ、という言い方にはなっているが)、労働法学者として視点が一本の軸としてあって、その上で、新しい働き方が拡がるには何が課題としてあるか、何をしなければならないかを、自助・公助・共助のそれぞれの観点から分析・提案しており、これからの個人と企業の関係の在り方を探っていくうえでも示唆に富むものでした。しいて言えば、プロ人材になり切れなかった人はどうすればいいのか、そのあたりが見えないのが難点でしょうか(とりあえず今のところあらゆる可能性に満ちている若い人に向けて書かれているということか)。

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体験談中心だがその体験談がシズル感があった。新人弁護士に限らずお薦め。

労働事件21のメソッド.jpg 『こんなところでつまずかない! 労働事件21のメソッド』['19年]

 本シリーズは、新人や若手で経験の浅い弁護士がつまずきやすい事柄を、先輩弁護士が「21のメソッド」として示唆したものです。新人・若手の弁護士が事前に注意すべき事柄を理解し、その分野についての苦手意識・不安を軽減することを意図したもので、本書はその第7弾となる「労働事件」対応編です。

 タイトルに「21のメソッド」とあるように、労働者性、就業規則の不利益変更、休職規程、残業代計算、労働時間の把握、監督者、固定残業代といった係争になりやすいテーマと解決のポイントを21メソッド(章)にわたり取り上げていますが、それぞれ冒頭の概説は基本知識や留意点、判例などを簡潔にまとめ、続いて各テーマについて先輩弁護士の2~3の体験談を、全体では15名の弁護士が50近い体験談を寄せています。

 この体験談の中には、使用者側の相談に応じたものと労働者側の相談に応じたものがそれぞれあり、裁判になったものありますが、労働審判や話し合い等の裁判外での解決例も多く含まれています。さらに、上手く決着したものもあれば、やや不本意な結果に終わったものもあり、こうすればよかったという率直な反省などもあって、非常にシズル感のあるものとなっています。また、体験談の中で振り返りも行われていますが、加えて各章の終わりに、留意すべき点が「ワンポイントアドバイス」としてまとめられているが親切であり、それらが体験から導き出されているので説得力があります。

 解雇権濫用法理についての章がありますが、その前に、ハラスメントについて、ここだけ使用者側の立場からと労働者側の立場からとで各1章を割いているのが、昨今の労働事件の情勢を反映しているように思いました。使用者側に立つ場合は「甘い調査には辛い助言を」、労働者側に立つ場合は「裁判だけが能じゃない」と、アドバイスもシンプルに的を絞ったものになっているのがいいです。

 実際の労働事件は、裁判で勝つか負けるかではなく、話し合いなどを通じて双方が合意できる落としどころをどのように探るかが非常に重要になってくるということを改めて感じました。弁護士に相談が寄せられた案件ですらそうですから、この考え方は、現場で生じる個別労使紛争に広く通じると思われます。ただ、その落としどころの"相場感"というものは、裁判となった事例の判例集は多くあっても、裁判外で解決した事例を集めたものはあまりないため(本書でも紹介されている濱口桂一郎氏の執筆による『日本の雇用終了―労働局あっせん事例から』(2012年/労働政策研究・研修機構)があるが)、そうした"相場感"をつかむ上でも、本書は貴重であるように思いました。

 体験談を主とした構成であるため、物語を読むように読めますが、同時に多くの示唆を含んでいるように思いました。冒頭に紹介したように、先輩弁護士たちが労働分野での経験が浅い後輩弁護士のために書いた本ですが、弁護士の体験を追体験できるという意味では、企業内で労務に携わる人や社会保険労務士などコンサルタントが、労働事件(予防も含め)に対峙する際の知識・センスを身に着けるうえでも参考になる本であり、一読をお薦めしたいと思います。

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コンビニ外国人へのインタビュー等を通じて日本の外国人労働者の実態を浮き彫りに。

コンビニ外国人.jpg コンビニ外国人2.jpg 芹澤 健介.jpg 芹澤 健介 氏
コンビニ外国人 (新潮新書)』['18年]    右下図:「東洋経済オンライン」(2018-11-19)より

特定技能2.jpg コンビニで外国人が働いている光景は今や全く珍しいものではなく、都市部などではコンビニのスタッフに占める外国人の方が日本人よりも多い店もあります。本書はそうしたコンビニで働く外国人を取材したものですが、コンビニ店員に止まらず、技能実習生、その他の奨学生、さらには在留外国人全般にわたる幅広い視野で、日本の外国人労働者の今の実態を浮き彫りにしています。

 第1章では、彼らがコンビニで働く理由を探っています。外国人のほとんどは、日本語学校や大学で学びながら原則「週28時間」の範囲で労働する私費留学生であり、中国・韓国・ベトナム・ネパール・スリランカ・ウズベキスタンなど、様々な国からやってきた人々で、とりわけベトナム人、ネパール人が急増中とのこと。ベトナムは今や日本語ブームだそうです。

 第2章では、留学生と移民と難民の違いを今一度整理し、さらに、政府の外国人受け入れ制度にどのようなものがあるかを纏め、それらを諸外国と比較しています。「移民」の定義は外国と日本で異なり、日本における「移民」の定義というのは非常に限定的なものになっていることが分ります(安倍晋三首相も「いわゆる移民政策は取らない」と今も言い続けているが、2019(平成31)年度から在留資格「特定技能1号・2号」が新設されたことにより、これまでの政府の「移民政策は取らない」という方針は名目(言葉の定義)上のものとなり、実質的には方針転換されたことになる)。

 第3章では、コンビニ外国人を取材したもので、東大院生から日本語学校生までさまざまな人たちがいます。著者が直接インタビュー取材しているため、非常にシズル感があります。

 第4章では、技能実習生の実態を報道記事などから追っています。因みに、日本はコンビニにおける外国人労働者の雇用において、「技能実習生」は対象外で、コンビニ店員の外国人労働者は「留学生のアルバイト」で賄われている状況ですが、本書にもあるように、「日本フランチャイズチェーン協会」が、外国人技能実習制度の対象として「コンビニの運営業務」を加えるよう、国に申し入れています。しかしながら、本書刊行後の'18年11月の段階で既に技能実習対象の「職種」からコンビニ業務は漏れています(新たに設けられた「特定技能」の対象として「建設業」「外食業」「介護」など14の「業種」があるが、こちらにも入っていない)。

 第5章では、「日本語学校の闇」と題して、乱立急増している留学生を対象とした日本語学校に多く見受けられるブラックな実態を追っています。結局、コンビニなどで働くには「留学生」という資格が必要で(「留学生」という東京福祉大学 外国人.jpg資格を得た上で「資格外活動」としてコンビニで働く)、その「留学生」という資格を得るがために日本語学校に入学するという方法を採るため、そこに現地のブローカー的な組織も含めた連鎖的なビジネスが発生しているのだなあと。本書には書かれていませんが、この「鎖」の一環に日本語学校どころか大学まで実態として噛んでいたと考えられることが、今年['19年]3月にあった東京福祉大学の、「1年間で700人近い留学生が除籍や退学、所在不明となった」という報道などから明らかになっています。

TBS「JNN NEWS」(2019-03-15)

 第6章では、コンビニなどで働きながら、ジャパニーズ・ドリームを思い描いて起業に向けて頑張っている外国人の若者たちを紹介、第7章では、自治体の外国人活用に向けた取り組みや、地方で地場の産業や地域活性化を支えている外国人と住民たちの共生の工夫等を紹介しています。

 書かれていることは報道などからも少なからず知っていたものもありましたが、こうして現場のインタビューを切り口に全体を俯瞰するような纏め方をした本に触れたのは、それなりに良かった思います。

 第4章の技能実習の制度も、劣悪な労働条件や(かつては3年間最低賃金の適用はなかった)、行方不明者・不法就労などこれまで多くの問題を生み出してきたし、今回の新たに「特定技能」を設けた法改正も、違法な実態があるものの元には戻せないため、法律の方をどんどん適用拡大せざるを得なくなっているというのが実情ではないでしょうか。

 さらに、本書でも「日本語学校の闇」と題された問題は、先述の通り、専門学校だけでなく大学までがこの言わば"入学金ビジネス"に参入していて、これはこれで新たな大問題だと思います。

改正入管法 外国人労働者 image1.jpg ただし、本書を読んでも感じることですが、日本における外国人労働者は増え続けるのだろなあと。今回「特定技能」の対象となった農業・漁業、建設業、外食業などをはじめ、外国人労働力無しには既に成り立たなくなっている業界があるわけだし。中国人と日本人の所得格差が小さくなり中国から人が来なくなれば、今度はべトナムからやって来るし、ベトナム人が最初は労働者として扱ってくれない日本よりも最初から労働者として扱ってもらえる台湾に流れ始めると、今度はネパールやスリランカから来るといった感じでしょうか。この流れは当面続くと個人的には思います(まだ「アフリカ」というのが残っているし)。

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AIを巡って今起きていることを知るにはいい。将来の予測は難しい?

「AI失業」前夜ド.jpg『AI失業」前夜』.JPG「AI失業」前夜.jpg
「AI失業」前夜―これから5年、職場で起きること (PHPビジネス新書)』['18年]
「月刊 人事マネジメント」2018年5月号
月刊 人事マネジメント  2018年5号.JPG 人事マネジメント系の雑誌でも、「AI人材の育て方」といった特集が組まれたりする昨今ですが、本書は、「AIが引き起こす労働環境の大変化はすでに始まっている。特にホワイトカラーは今後5年で残酷な変化に襲われることになる」と言います。前半部分で、現在の労働市場にAI(人工知能)が起こしている諸問題の構造を解明し、後半部分では、この後、どのようなことが我々の社会に起きるのかを論じています。後半部分は、著者の前著『仕事消滅―AIの時代を生き抜くために、いま私たちにできること』('17年/講談社+α新書)で現在から2045年の未来までカバーしたテーマの改訂版で、今回は20年先ではなく、5年から10年先の未来に絞って予測したものであるとのことです。

 AIの普及による「仕事の消滅」の問題についても最近ビジネス誌などでもよく特集されるようになってきましたが、こちらの方はいずれも数ページばかりで、内容も"八卦見"みたいな印象で今一つのものが多かったのが、こうしてまとめて1冊の本として読むと、おおまかなトレンドが掴めて(掴めた気分になって?)、その点では良かったです。

 今、AIを巡って起きていることを知るにはいい本だと思います。ただし、将来何が起きるかはいろいろ予測できるにしても、それらがどのような順番でどの程度起きるのかということを厳密に予測するのは難しいようで、結局、ビジネス誌の記事をまとめ読みしたような印象になってしまったのも否めません。

 本書によれば、日本が開発したスーパーコンピュータ「京」は、開発時は世界最速で、また、世界初の「人間の脳の情報処理速度を超える」コンピュータでしたが、今は世界で10番目までランクが落ちているそうです。ただし、逆に言えば、「人間の脳を超える」コンピュータはまだ世界に10台しかないわけで、何にそれが使われているかと言うと、弁護士や行政書士の仕事を代替するにはマーケットが小さすぎて意味がなく、投資効率の大きい市場にそれは投入されていて、その市場とは、セルフドライビングカー(自動運転車)市場とフィンテックだそうです(次に進行しているのが医療のようだ)。

 それでも、いつか今のスーパーコンピュータと同性能のものが10万円程度で買えるようになれば、多くの分野でAIは活用され、遅かれ早かれ、人類の仕事の量は半分以下になるとのことです。ただし、本書の後半の方に出てきますが、人間の「手」の機能をAI化するのはかなり難しいということと、人間の脳を完全にシュミレートするようなニューロコンピュータの開発が5年後には見込まれるものの、実際それが、人間と同等の仕事を100%こなす汎用コンピュータとなるのは2035年以降だと言われているそうです。

 急速にコンピュータによる自動化が進んでいる様々な産業分野を紹介しつつ、一方で、このようにまだまだの部分もあって、読む側としては安心したり焦ったり、また安心したりですが、やはり今の若い人は、そうしたAI社会を見据えて自分のキャリアを構築した方がいいようです。その点についても著者は助言をしていて、ジャンル的には、①AIを使った事業開発、 ②コミュニケーション力を生かした仕事 、③メカトロ系の頭と身体を同時に使う仕事の3つが有望であるとのことです。

 著者は、仕事が消滅してもAI失業を起こさない策として、仕事が減ってGDPが減少すると予想される170兆円分と同じ額を、国がベーシックインカムとして国民に提供することを提案していて、そのためにAIと人間を「同一労働、同一賃金」にすること、つまり、AIが労働者の賃金を奪った分だけ、国は企業から徴収し、それを国民に提供するベーシックインカムの財源に充てるとよいとしています。本書で最も"提案的"な部分ですが、どれくらい実現可能性があるのか、個人的にはやや疑問でした。

 全体としてはやはり、トレンドウォッチング的な本だったでしょう。AIを巡って今起きていることを概観するにはいいですが、将来の予測となると(ざっくり言って大規模な"ワーク・シフト"が起きるのは間違いないが)時期や分野など細かい点はかなり不確定要素が多いように思いました。まあ、未来を知るには今何が起きているかを知らなければならないわけですが、それでも未来予測って難しい。むしろ、何が起きても大丈夫なように備えよ、という啓発書的な本であったように思います。

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タイトルの疑問に答えるブラック・アンド・ホワイト企業論。「日本企業論」として説得力はあった。

「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が.JPG「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が?.jpg 電通事件.jpg
「優良企業」でなぜ過労死・過労自殺が?:「ブラック・アンド・ホワイト企業」としての日本企業 (シリーズ・現代経済学)』(2018/08 ミネルヴァ書房)「電通事件」産経ニュース

 ブラック企業に関する多くの本が出版されていますが、ブラック企業とは、ブラック企業被害対策弁護団の定義によれば、「新興産業において、若者を大量に採用し、過重労働・違法労働によって使い潰し、次々と離職に追い込む成長大企業」であるとのこと。しかし、従業員を過労死・過労自殺まで追い込む企業はこうした企業だけではなく、例えば、世間に大きな衝撃を与えた女性新入社員の過労自殺事件があった大手広告代理店(電通)は、権威ある人気企業であって狭義のブラック企業に当たらず、それ以外にも、過労死・過労自殺が発生する現場は多くの一流企業であるとのこと。こうした状況を捉え、本書では「ブラック・アンド・ホワイト企業」という概念を提起しています。

 著者によれば、世間体が良くて高給だけれども労働条件が劣悪であるという、ブラックな部分とホワイトな部分の両面を持つ企業がブラック・アンド・ホワイト企業の範疇に入り、実は日本の多くの企業は白か黒かという二分法で分類できるものではなく、大手企業の大半はこのブラック・アンド・ホワイト企業に当てはまるとのことです。そこで本書は、なぜ世間で一流とされている企業の多くも、こうしたブラック企業的特性を持たざるを得なくなったのかを考察しています。

 第1章では、日本企業独特の定期採用について、第2章では入社式と新入社員研修について文献等から考察し、それらが諸外国との比較において極めて特異な性質を帯びたものであることを指摘しています。そして、第3章において、日本企業は共同体(ゲマインシャフト)的上部構造と利益組織(ゲゼルシャフト)的土台から成り、ブラック・アンド・ホワイト企業は共同体的上部構造を利用しながら利益組織という本質を実現しようとしているとしています。

 さらに第4章では、日本企業の労働組合の多くは、戦後に始動したときは実は労働組合ではなく、会社の一部としての「従業員組合」あり、それは今も変わらず、組織率と活力が長期低落するのは必然だったと、この従業員組合について歴史的に俯瞰し、経営と相対的に未分化な従業員組合が、共同体的上部構造が支配的なものとなる要因となったとしています。続く第5章では、その結果として、会社が従業員の全時間を掌握することになり、その行きつく先がブラック・アンド・ホワイト企業であると指摘しています。

 つまり、ブラック・アンド・ホワイト企業が求めるものは「24時間の企業人」であり、その入り口が定期採用であり、会社への従属感は入社式・新入社員研修で決定的となるとのこと。「24時間の企業人」になれば、その人の主体的行動が自ずから会社の利益組織的土台と共同体的上部構造に寄与することになり、社風を内面化した従業員にとっては会社はいい会社(ホワイト企業)であるが、「24時間の企業人」になってしまえば、不払い残業も含めた労働時間は無限になり、限界の手前で止まれず、過労死・過労自殺が起きる―これが、大半の従業員によってホワイト企業と思われていた会社で過労死・過労自殺が起きる、ブラック・アンド・ホワイト企業の論理であるとことです。

 なぜ会社への従属感が形作られ、社風は内面化されてしまうのか。「24時間の企業人」が、会社を責めるのではなく、自らの至らなさを遺書に書いて自殺するような異常な事態の背景には、日本の社会と会社の相互関係から生み出されたブラック・アンド・ホワイト企業が、日本社会の旧来の価値観と慣行を再生産しているということがあり、さらに、会社人間を「企業戦士」と呼ぶような、日本における異常なまでの精神主義にも問題があるとしています。

 著者は、過労死の防止では罰則規定の整備などの法改正を進めるべきだとしつつ、一方で、法改正が進んでも現実の改善はゆっくりとしか進まないだろうとしています。それは、本書で詳しく述べられている、日本の会社や社会が有する歴史的体質のためであり、やや悲観的な見方でもありますが、まず、そうした歴史的見地から日本企業の在り方を見直してみるのも必要なことではないかと思いました。「日本企業論」としては説得力はありました。

《読書MEMO》
●目次
序 章 ブラック企業論への疑問
第1章 特異な日本の採用・就職
 「定期採用」と「中途採用」
 ウソがまかり通る定期採用の世界
 採用スケジュール
 「初任給」
 学歴フィルター
 採用差別
 過剰な自己PRの強要
 1990年代以降のいっそうの苛酷化
 身元保証という江戸時代からの悪習
 定期採用の本質
第2章 入社式と新入社員研修
 入社式
 戦前の新入社員
 ドーアによる新入社員研修の観察
 ローレンによる新入社員研修の観察
 「ウエダ銀行」の新入行員研修
 伊藤忠商事の新入社員研修
 ローレンによる日米比較
 新入社員研修の日本的特色
 会社の修養主義
第3章 会社の共同体的上部構造
 ゲマインシャフトとゲゼルシャフト
 共同体的上部構造と利益組織的土台
 共同体的上部構造としての「社風」
 松下電器産業と本田技研工業の交流研修会
 尾高邦雄の日本的経営=共同体論
 「経営家族主義」の「実証的」根拠
 戦前における「終身雇用制」?
 経営家族主義イデオロギーの不存在
 高度成長期における「終身雇用制」の成立
 戦前の会社身分制
 俸給と賃金
 身分制下の目に見える差別
第4章 従業員組合----「非常に非常識」な「労働組合」
 敗戦後における従業員の急速な組織化
 戦後に結成された組合を何と呼ぶべきか
 従業員組合の特徴
 従業員組合の成立根拠にかんする二村説
 従業員組合の原形
 末弘厳太郎による観察
 藤林敬三による観察
 従業員組合の自然な感情
 労働組合として「非常に非常識」な行動様式
 争議中の賃金の後払い
 改正労組法と従業員組合への利益供与・便宜供与
 従業員組合の本質
 従業員組合による共同体的上部構造の形成
 従業員組合の興隆と衰退
 「労働組合」の重層的定義
 会社による共同体的上部構造の維持・展開
 トヨタにおける「労使宣言」
第5章 会社による従業員の全時間掌握
 利益組織的土台に奉仕する共同体的上部構造
 労働時間とは何か
 戦前における工場労働者の労働時間
 ILO条約と8時間労働制
 トマス・スミスの指摘
 官吏の執務時間
 社員の執務時間
 労働時間をめぐる戦前の負の遺産
 社員の執務時間と労働者の労働時間の「統一」
 軟式労働時間制
 執務時間と労働時間の融合
 長時間の不払労働
 「自主的な」QCサークル
 低い有給休暇の取得率
 トヨタ過労死事件
 名古屋地裁の判決
 会社による共同体的上部構造把握の行きつく先
 過労死・過労自殺とジェンダー
終 章 自己変革できないブラック・アンド・ホワイト企業
 ブラック企業の指標
 ブラック・アンド・ホワイト企業への道

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パワハラについて分かりやすくまとまっている。職場の上司には読み(読ませ)やすい本。

パワーハラスメント 〈第2版〉.jpg岡田 康子.jpg 岡田 康子 氏 パワーハラスメント イメージ.jpg image
パワーハラスメント〈第2版〉 (日経文庫)

 本書は、コンサルティング会社の代表で、「パワーハラスメント」という言葉を生み出し、厚生労働省・パワハラ防止対策検討会の委員も務めた著者によるもので、2011年に刊行された第1版を、厚生労働省の報告書や最近の裁判例など、直近の状況を踏まえて全体的に見直し改定した第2版です。

 第1章では、近年パワハラ相談は急増し、労災認定されて会社の責任が認められるケースも多くなっていることをデータで示しています。背景には、パワハラという言葉が普及したことで、何でもパワハラにする部下もでてきたりしたこともあり、一方で裁判例を見ると、加害者だけでなく企業にも責任が問われるケースも増えており、パワハラは今や社会問題化しているとしています。

 第2章では。パワハラとはそもそも何か、厚生労働省・パワハラ防止対策検討会の討議などを経て定められた定義を改めて詳しく説明するとともに、実際に職場でのどのような言動がパワハラとされているのか、自社の調査結果をもとに分析しています。著者は、パワハラは、特別の人が起こす特別な問題ではなく、仕事熱心な上司が結果的にパワハラをしてしまうことが多いとして、指導がパワハラへとエスカレートするステップを示すとともに、パワハラが起きる心理的メカニズムから、そうした行動を変えるヒントを探っています。また、パワハラが起きやすい職場として、閉鎖的な職場、忙しすぎる(暇すぎる)職場、マネジメントが徹底されていない職場を挙げています。

 第3章では、セクシュアルハラスメント、モラルハラスメント、マタニティハラスメント、ジェンダーハラスメントなど、職場で起きるさまざまなハラスメントを整理しています。そして、これらのうち、モラルハラスメントはパワハラと同じ意味であるとしています。また、これらの職場で起きるハラスメントに見られる共通点として、①NOと言えない力関係がある、②侮辱された感覚をともなう、③だれもが被害者にも加害者にもなる、④エスカレートする、⑤言語と非言語で行われる、といった特徴があるとしています。

 第4章では、パワハラと指導の違いはどこにあるのかを、判例をもとに創作したケースや新聞報道などから、11のケースについて考察しています。著者は、各ケースに共通する部分を見ていくと、裁判においてパワハラかどうかを判断する決め手としては、「加害者の行動が、客観的に見て指導の範囲を逸脱しているかどうか」が最も重視されているとしています。

 第5章では、パワハラ問題への対象法を考察しています。まず、必ず対処すべきレベルのパワハラ問題(レベル1:犯罪行為にあたる、レベル2:労働法にからむ問題がある、レベル3:社員がメンタル不全になる)と、会社や部門によって対応が異なるレベル(レベル4:排除―嫌悪や怒りを部下にぶつけてしまう、レベル5:過大要求、レベル6:誘発―部下側の問題から誘発されるパワハラ)に分け、それぞれについての対処法を示すとともに、常識のない部下をどう指導するかを説いています。

 最終章である第6章では、パワハラにならないコミュニケーション術について考察しています。ここでは、効果的なコミュニケーション法について書かれていて、メールやLINEなどで叱責を伴う指導をしないこと、部下への指示が「業務上必要なのか」を常に問うことを説き、どのような言葉で伝えたらいいのかを解説しています。さらに、言葉以外のメッセージも重要であることなどを説いています。

 「やってはいけない行為を列挙するようなパワハラ防止対策」には限界があるとし、また、上司と部下の関係もが変わってきており、「叱る」ということが有効かどうかも検討してみる必要があるとしているのが、個人的には印象に残りました。

職場のハラスメント 中公新書.jpg 以前に『職場のハラスメント』(2018/02 中公新書)を読みましたが、そこでは「パワハラ」という言葉の問題点(コンサルタンタントの造語が普及し、厚生労働省がそれに便乗するような形で意味づけしたため、世界基準である「ハラスメント」とは別の日本独自の概念になってしまっているということ)を指摘し、「ハラスメント」という包括的な概念を用いることを提案していました。その「パワハラ」という言葉を生み出したのが本書の著者である岡田康子氏です。

 ただし、本書においては、第3章の「モラルハラスメント」の説明の所で、著者らは、モラルハラスメントという概念を提唱したフランスの精神科医マリー=フランス・イルゴイエンヌと2004年に会談し、パワハラとモラハラは、職場に限定して考えると、ほとんど同じことを言っていると合意したとのこと。この辺りは、学者と実務者の違いもあるかもしれません。

 『職場のハラスメント』も本書も啓発書としてはオーソドックスであり、またハラスメントの事例も豊富で、類型整理などもよくまとまっている点では同じですが、『職場のハラスメント』の方が"教養系"の色合いがやや濃いように思われたのに対し、こちらはより実践的で、かつ分かり易く書かれていて、職場の上司である人が手に取って読み易いものとなっています。もちろん人事パーソンも一読しておいて損はないかと思います。

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働き方の未来を明るいものとするための3つのシフト。"意識高い" 系だが、示唆に富む。

ワーク・シフト   .jpgワーク・シフト ―00_.jpg ワークシフト2.jpg ワークシフト3.jpg
ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉

ワークシフト1.jpg 2025年、われわれはどんなふうに働いているのか? ロンドンビジネススクール教授であり、経営組織論の世界的権威で働くことについて研究し続けてきた著者(英タイムズ紙の選ぶ「世界のトップビジネス思想家15人」のひとりでもある)が、「働き方に大きく影響する『五つの要因(32の要素)』」を基に、2025年を想定した働き方の未来を予測した本です。

 序章において、未来を理解し、未来ストーリーを描いて自分の選択の手掛かりにし、職業生活に関するいくつかの常識を根本から〈シフト〉させれば、より好ましい未来を迎える確率を高められるとして、働き方を変える三つの〈シフト〉を提唱しています。

 第1部「なにが働き方の未来を変えるのか」(第1章)では、働き方の未来を形づくる五つの要因として、①テクノロジーの進化、②グローバル化の進化、③人口構成の変化と長寿化、④社会の変化、⑤エネルギー・環境問題の深刻化、を挙げて、それぞれ解説しています。

 第2部と第3部では、これら五つの要因の組み合わせを基に、2025年の人々の働き方の予測シナリオを架空の人物ストーリーとして描いています。

 第2部「『漫然と迎える未来』の暗い現実」(第2章~第4章)では、暗い未来予測図として5人のストーリーがあり、3分間隔でいつも時間に追われ続ける未来(第2章)、人とのつながりが断ち切られ、孤独にさいなまれる未来(第3章)、繁栄から締め出された新たな貧困層が生まれる未来(第4章)が描かれています。

 第3部「『主体的に築く未来』の明るい日々」(第5章~第7章)では、明るい未来予測図として7人のストーリーがあり、みんなの力で大きな仕事をやり遂げるコ・クリエーションの未来(第5章)、積極的に社会と関わることで共感とバランスのある人生を送ることができる未来(第3章)、ミニ起業家が活躍し、創造的な人生を切り開く未来(第4章)が描かれています。

 第4部「働き方を〈シフト〉する」(第8章~第10章)では、冒頭に示した第一のシフトとして、ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ(第8章)、第二のシフトとして、孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ(第9章)、第三のシフトとして、大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ(第10章)という三つのシフトについて解説しています。

 第8章「第一のシフト―ゼネラリストから『連続スペシャリスト』へ」では、なぜ、「広く浅く」ではだめなのか? 高い価値をもつ専門技能の三条件とは何か、未来に押しつぶされないキャリアと専門技能とは何かを解説し、あくまでも「好きな仕事」を選ぶこと、移動と脱皮で専門分野を広げること、セルフマーケティングを通して、カリヨン・ツリー型のキャリアを築くことの重要性を説いています。つまり、1つの企業でしか通用しない技能で満足せず、高度な専門技術を磨き、他者との差別化をするために「自分ブランド」を築くことが肝要であるということです。

 第9章「第二のシフト―孤独な競争から『協力して起こすイノベーション』へ」では、未来に必要となる三種類の人的ネットワークを掲げ、ポッセを築くこと、ビッグアイデア・クラウドを築くこと、自己再生のコミュニティを築くことを勧めています。難しい問題に取り組む上で頼りになる少人数の「同志(ポッセ)」グループとイノベーションの源泉となるバラエティに富んだ大勢のネットワーク(ビックアイデア・クラウド)と打算のない友人関係(自己再生のコミュニティ)という三種類のネットワークを構築することが求められるということです。

 第10章「第三のシフト―大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ」では、なぜ、私たちはお金と消費が好きになったのかを考察し、消費より経験に価値を置く生き方へシフトすることを説いています。経済・消費第一優先から、家族や趣味、社会との絆といった創造的経験を重んじる生き方に転換することになります。

 ある種「未来学」ではありますが、データの裏付けがあって説得力があり、また、働き方の未来図を人物ストーリーとして描いているために分かり易いです。一方で、著者が提唱する〈シフト〉は、あまりに"意識高い"系であり、ついていけないと感じる読者もいるかもしれません。しかし、世の中は次第に著者の描く未来図に近づいていくのではないでしょうか。それを「明るい未来」とするにはどうすればよいか考える上で多くの示唆を含んだ本であり、働き方のこれからやキャリアというもの考えるにあたって欠かせない1冊であることは間違いないと考えます。

【2298】 ○ 水野 俊哉 『明日使える世界のビジネス書をあらすじで読む』 (2014/04 ティー・オーエンタテインメント) 
【2794】 ○ 日本経済新聞社 (編) 『プロがすすめるベストセラー経営書』 (2018/06 日経文庫)

ワーク・シフト LIFE SHIFT.JPG ライフ・シフト2.jpg リンダ・グラットン 来日1.jpgリンダ・グラットン 2016年10月来日『LIFE SHIFT』発売記念講演「100年時代の人生戦略」

《読書MEMO》
●未来を形づくる5つの要因と32の要
要因1.テクノロジーの進化
①テクノロジーが飛躍的に発展する。
②世界の50億人がインターネットで結ばれる。
③地球上のいたるところで「クラウド」を利用できるようになる。
④生産性が向上し続ける。
⑤「ソーシャルな」参加が活発になる。
⑥知識のデジタル化が進む。
⑦メガ企業とミニ起業家が台頭する。
⑧バーチャル空間で働き、「アバタ―」を利用することが当たり前になる。
⑨「人工知能アシスタント」が普及する。
⑩テクノロジーが人間の労働者に取って代わる
要因2.グローバル化の進展
①24時間・週7日休まないグローバルな世界が出現した。
②新興国が台頭した。
③中国とインドの経済が目覚ましく成長した。
④倹約型イノベーションの道が開けた。
⑤新たな人材輩出大国が登場しつつある。
⑥世界中で都市化が進行する。
⑦バブルの形成と崩壊が繰り返される。
⑧世界のさまざまな地域に貧困層が出現する。
要因3.人口構成の変化と長寿化
①Y世代の影響力が拡大する。
②寿命が長くなる。
③ベビーブーム世代の一部が貧しい老後を迎える。
④国境を越えた移住が活発になる。
要因4.社会の変化
①家族のあり方が変わる。
②自分を見つめ直す人が増える。
③女性の力が強くなる。
④バランス重視の生き方を選ぶ男性が増える。
⑤大企業や政府に対する不信感が強まる。
⑥幸福感が弱まる。
⑦余暇時間が増える。
要因5.エネルギー・環境問題の深刻化
①エネルギー価格が上昇する。
②環境上の惨事が原因で住居を追われる人が現れる。
③持続可能性を重んじる文化が形成されはじめる。

●ワーク・シフト:3つのシフト
第一のシフト:ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ
•ゼネラリスト的な技能から専門技能の連続的習得へシフト
•資本:知的資本
•資質:①専門技能の連続的習得、②セルフマーケティング
•対応:広く浅い知識を持つのではなく、いくつかの専門技能を連続的に習得する。そのためには、時間とエネルギーをつぎ込む覚悟をする。
•高い価値を持つ専門技能の条件
①価値を生み出す、②希少性がある、③模倣されにくい。
•いくつもの小さな釣り鐘が連なって職業人生を形作る「カリヨン・ツリー型」のキャリアが主流となる。
第二のシフト:孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ
・個人主義、競争原理から人間同士の結びつき、コラボレーション、人的ネットワークへシフト
・資本:人間関係資本、人的ネットワークの強さと幅広さ
・対応:高度な専門知識と技能を持つ人たちと繋がり合って、イノベーションを成し遂げることを目指す姿勢に転換する。仕事とそれ以外の要素のバランスを取り、新たに重要となる活動に時間を割く。
・人的ネットワーク
①ボッセ:同じ志を持ち、頼りになり、長期にわたる互恵的な関係(少人数)
②ビックアイデア・クラウド:大きなアイデアの源となる群衆
③自己再生のコミュニティ:頻繁に会い、リラックスしできる人達
第三のシフト:大量消費から「情熱を傾けられる経験」へ
・貪欲に大量のモノを消費し続けるライフスタイルから質の高い経験と人生のバランスを重んじる姿勢へシフト
・資本:情緒的資本、自分の選択について深く考える能力、勇気ある行動を取るための強靭な精神を育む能力
•対応:際限ない消費に終始する生活をやめ、情熱を持って何かを生み出す生活に転換する。やりがいとバランスのとれた働き方に転換する。
・「お金のためだけに働く」という古い考えでなく、「働くのは、充実した経験をするためで、それが幸せの土台」となる。自分の生き方と選択に責任と理解を持つ。
自分の未来予想図を描くためのプロセス
1.不要な要素を捨てる。
2.重要な要素に肉づけをする。
3.足りない要素を探す。
4.集めた要素を分類し直す。
5.一つの図柄を見いだす。
未来に押しつぶされないキャリアと専門技能
1.今後価値が高まりそうなキャリアの道筋
・草の根の市民活動
・社会起業家
・ミニ起業家
2.特に重要性を増す専門技能
・生命科学・健康関連
・再生可能エネルギー関連
・創造性・イノベーション関連
・コーチング・ケア関連
第二のシフトは、難しい問題に取り組む上で頼りになる少人数の「同志(ポッセ)」グループとイノベーションの源泉となるバラエティに富んだ大勢のネットワーク(ビックアイデア・クラウド)と打算のない友人関係(自己再生のコミュニティ)という三種類のネットワークを構築すること。
第三のシフトは家族や趣味、社会との絆といった創造的経験を重んじる生き方に転換すること。

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フリーエージェントになった人が読んで、フリーエージェントになって良かったと思える本。

フリーエージェント社会の到来 kyu.jpg  フリーエージェント社会の到来  sin.jpg フリーエージェント社会の到来7.jpg
フリーエージェント社会の到来―「雇われない生き方」は何を変えるか』['02年]『フリーエージェント社会の到来 新装版---組織に雇われない新しい働き方』['14年]

フリーエージェント社会の到来 旧版.JPGFree Agent.JPG 本書は、米国クリントン政権下で労働長官の補佐官、ゴア副大統領の首席スピーチライターを務めた著者が、その後、ホワイトハウスを出て(自らが"フリーエージェント"となって退路を断って)1年間にわたり全米をヒアリング調査して纏めた現代社会論であり、高度成長期に王道とされた「大企業に所属する」という働き方を捨て、組織に頼ることなく、自分の知恵を頼りに独立して働く"フリーエージェント"が増えている実態を明らかにしています(2001年原著刊行)。

 第Ⅰ部では、企業に所属して働く「組織人間(オーガニゼーション・マン)」の時代は終わり、フリーエージェント時代が幕を開けたとしています(第1章)。フリーエージェントにはフリーランス、臨時社員、ミニ起業家の3タイプがあり、本書が書かれた時点で既に全米の労働人口の4人に1人にあたる3,300万人の人たちがフリーエージェントとして働いているとし(第2章)、今後も、コンピュータが安価になり携帯型端末が普及したおかげで、誰もがどこにいても働ける「デジタル・マルクス主義」が拡がるとしています(第3章)。

 第Ⅱ部では、働き方の新たな常識を問うています。フリーエージェントにとって重要なのは安定より自由であり(第4章)、フリーエージェントたちは、自分の人的資源を1つの会社に全てつぎ込むのではなく、仕事のポートフォリオと分散投資を考えるとしています(第5章)。また、フリーエージェントによって、午前九時から午後五時までの八時間労働は、臨機応変な労働時間に取って変わられ、フリーエージェントは、労働時間をそれぞれの志向に合わせて分配するとしています(第6章)。

 第Ⅲ部では、誰もが組織に縛られない生き方ができるとしています。フリーエージェントたちは、孤独に耐えるのではなく、人との新しい結びつき方を見出し(第7章)、利他主義によって互いに恩恵を受けることができるとしています(第8章)。巷にはオフィスに代わる「サードプレイス(第3の場所)」が生まれており(第9章)、フリーエージェントに役立つ仲介業者やエージェント、コーチなどの新ビジネスも盛んになっているため(第10章)、フリーエージェントたちは、仕事と家庭のバランスを取りながら、「自分サイズ」のライフスタイルをみつけることが可能になってきているとしています(第11章)。

 第Ⅳ部では、フリーエージェントを妨げる制度や習慣は変わるかを考察しています。確かに医療保険や税制面などでフリーエージェントが不利を被ることはあり、そうした 古い制度と現実のギャップはまだ大きく(第12章)、薄給で退屈な仕事をし将来の保証もない「テンプ・スレーブ」と呼ばれる臨時社員の惨状はマスコミなどでも報じられているものの、最近では、そうした労働者の間でも自発的な新しい労働運動の始まりが見られるとしています(第13章)。

 第Ⅴ部では、未来の社会はどう変わるのかを考察しています。著者によれば、 「定年退職」という概念は既に過去のものになっており(第14章)、教育はテイラーメードできるようになり(第15章)、生活空間と仕事場は緩やかに融合していくだろうと(第16章)。更に、個人が株式を発行する時代が訪れ(第17章)、ジャスト・イン・タイム政治が始まって(第18章)、このようにフリーエージェントで未来は大きく変わるだろうとしています(19章)。

 本書は、副大統領の首席スピーチライターとして多忙を極めていた著者が、過労のため、ホワイトハウス内の飾り瓶(デンマーク女王からの贈り物)の中に延々と嘔吐し、離職を決意したというエピソードから始まります。著者はその後、本書の他に『ハイ・コンセプト』(三笠書房)や『モチベーション3.0』(講談社)などの自己啓発色の強い著作を発表し、実際フリーエージェントとして単に成功しただけでなく、世界的に注目される存在となっていますが、スピーチ原稿の達人は、自己啓発書の達人でもあり、プレゼンの達人でもあるのだなあと思いました。

 そうしたことを踏まえ本書を読むと、本書の中にも多分に著者が仕掛けた啓発的要素があるかと思われますが、基本的には本書は、統計データやフリーエージェントとして働く人への取材などをもとに書かれていて、また、フリーエージェントとなることを闇雲に推奨するわけではなく、フリーエージェントの危険性もしっかり指摘しています。

 解説の玄田有史氏も指摘しているように、日本の労働社会の仕組みやルールは「正社員」を前提に作られており、今後そうした(低賃金の非正規雇用という意味ではなく)豊かな職業人生に繋がるプラスの意味でのフリーエージェントとしての働き方がどの程度拡がっていくか未知数の部分も多いかと思います。

 しかしながら、日本でも最近は"ノマドワーカー"などといった新しいワーキングスタイルが注目されていたりもし、また、本書では、リタイア年齢を過ぎてもインターネットを駆使してフリーエージェントとして働くことを「eリタイヤ」と呼んでいますが、こうした働き方は、高年齢者の働き方の選択肢の1つとして、日本でも現実的なものとなってきているようにも思います。

 アメリカで起きたことの全てがそのまま日本でも起きるとは限りませんが、アメリカで見られたことの多くがその後何年かして日本でも見られるようになるというのは傾向としてあることであり、本書は、初版から10年以上経過した今改めて読んでみても、今後の日本人の働き方や生き方を考えるうえで多くの示唆に富んでいるように思いました(そうしたこともあってか、2014年にソフトカバー新装版が刊行された)。

 自らの実感も含めて率直に言えば、フリーエージェントになって何年か経った人が読んで、フリーエージェントになって本当に良かったと思える本ではないでしょうか。企業内で人事に携わる人にとっても、人事パーソンとして掴んでおきたい今後の人々の働き方のトレンドを示した本であると言えますが、これ読んで、読んだ人自身がフリーエージェント志向になっても全然不思議ではない本でもあります。

【2298】 ○ 水野 俊哉 『明日使える世界のビジネス書をあらすじで読む』 (2014/04 ティー・オーエンタテインメント) 

《読書会》
■2019年09月17日 第29回「人事の名著を読む会」ダニエル・ピンク 『フリーエージェント社会の到来』
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働く人々の人生観や仕事観が今後多様化していくであろうことを新たな視点で説明。

ライフ・シフト2.jpg LIFE SHIFT   .jpg リンダ・グラットン 来日1.jpg リンダ・グラットン 来日2.jpg
LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』['16年]リンダ・グラットン 2016年10月来日『LIFE SHIFT』発売記念講演「100年時代の人生戦略」
ライフ・シフト0.JPGThe 100-Year Life.jpg イギリスの心理学者リンダ・グラットン(前著『ワーク・シフト』はベストセラー)と経済学者アンドリュー・スコットによる共著で、先進国の寿命が伸び、人生100年時代が現実となってきた今、人々はどう人生設計すべきかを考察した本です(本書もベストセラーとなり「ライフシフト」という言葉は人事専門誌などでも使われるようになった)

 本書の日本語版への序文によれば、100歳以上の人をセンテナリアンと呼び、日本は現在6万人以上のセンテナリアンがいるとのことすが、国連の推計によれば、2050年には日本のセンテナリアンは100万人を突破、2007年に日本で生まれた子どもの半分は、107年以上生きることが予想されるとのことです(個人的にはそこまでの実感はないが...)。

「月刊 人事マネジメント」2018年12月号
「月刊 人事マネジメント」2018年12月号.JPG 人が長く生きるようになれば、職業生活に関する考え方も変わらざるをえず、人生が短かった時代は、「教育→仕事→引退」という3ステージの生き方で問題はなかったのが、寿命が延びれば2番目の仕事のステージが長くなり、引退年齢が70~80歳になって、長い期間働くようになる。すると、人々は生涯にもっと多くのステージを経験するようになるだろうとしています。

 著者らは、このような時代には、選択肢を狭めずに幅広い針路を検討する「エクスプローラー(探求者)」、自由と柔軟性を重んじて小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」、さまざまな仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」が登場すると予測しています。

 本書では、1945年生まれのジャック(3ステージの人生の世代)、1971年生まれのジミー(3ステージの人生が軋む世代)、1998年生まれのジェーン(3ステージの人生が壊れる世代)という3人のモデルを想定し、雇用の未来を見据えつつ、3人の人生と仕事のシナリオを描いていきます。

 また、その際に、人生の資産はマイホーム、貯蓄などの「有形資産」だけでなく、「無形資産」も重要な役割を果たすとして、その無形資産を1.生産性資産(知識、職業上の人脈、評判)、2.活力資産(健康、人生のバランス、自己再生の友人関係)、3.変身資産(多様な人的ネットワーク、自分についての知識)の3つに分類し、ジャック、ジミー、ジェーンの人生と仕事のシナリオを、これら有形・無形資産の増減と併せて描いています(これ、なかなか興味深い)。

 そして、その結果、あとの世代なればなるほど、長くなった仕事人生の間にいくつものステージが現れることが考えられるとし、それが、エクスプローラーであり、インディペンデント・プロデューサーであり、ポートフォリオ・ワーカーであって、それだけ、人々にとって人生の選択肢は多様化するであろうとしています。

 こうした、人生で多くの移行を経験し、多くのステージを生きる時代には、新しいスキルを身につけるための投資(生産性資産への投資)、新しいライフスタイルを築くための投資(活力資産への投資)、新しい役割に合わせて自分のアイデンティティを変えるための投資(変身資産への投資)を怠ってはならないということを説いており、さらに、新しいお金の考え方、新しい時間の使い方、未来の人間関係についても述べており、そうした意味では、自己啓発的な内容であるとも言えます。

 但し、それだけではなく終章では企業の課題についても論じています、企業には、①従業員の無形資産にも目を向けること、②従業員の人生で経験する移行を支援すること、③キャリアに関する制度や手続きを見直し、従来の3ステージの人生を前提にしたものからマルチステージを前提にしたものに改めること、④仕事と家庭の関係の変化を理解すること、⑤(難しいだろうが)年齢を基準にすることをやめること、⑥実験を容認・評価することを提案し、これらを実践しようとすれば、人事の一大改革が必要であるとしています。

ワーク・シフト   .jpg 著者の1人リンダ・グラットンの前著『ワーク・シフト─孤独と貧困から自由になる働き方の未来図<2025>』('12年/プレジデント社)は、2025年を想定ワーク・シフト LIFE SHIFT.JPGした働き方の未来をシナリオ風に予測した本でした。そこでは、「働き方」の〈シフト〉として、①ゼネラリストから「連続スペシャリスト」へ、②孤独な競争から「協力して起こすイノベーション」へ、③大量消費から「情熱を傾けられる経験」へという3つのシフトを提唱していましたが、データの裏付け等があって説得力がありました。本書も同様にある種「未来学」であり、同じくシナリオ仕立てなので小説を読むように読めますが、働く人々の人生観や仕事観が今度どんどん多様化していくであろうことを体系的に説明しており、新たな視点を提供して説得力を持っているように思いました。読む世代によっても受け止め方は異なるかもしれません。今のところ "教養系"(実務系ではない)ということになるかと思いますが、人事パーソンにはお薦めです。

《読書MEMO》
●選択肢を狭めずに幅広い針路を検討する「エクスプローラー(探検者)」のステージを経験する人が出てくるだろう。自由と柔軟性を重んじて小さなビジネスを起こす「インディペンデント・プロデューサー(独立生産者)」のステージを生きる人もいるだろう。さまざまな仕事や活動に同時並行で携わる「ポートフォリオ・ワーカー」のステージを実践する人もいるかもしれない(5p)。
●人生で多くの移行を経験し、多くのステージを生きる時代には、投資を怠ってはならない。新しい役割に合わせて自分のアイデンティティを変えるための投資、新しいライフスタイルを築くための投資、新しいスキルを身につけるための投資が必要だ(27p)。
●エイジとステージが一致しなくなれば、異なる年齢層の人たちが同一のステージを生きるようになって、世代を越えた交友が多く生まれる(31p)。
●アイデンティティ、選択、リスクは、長い人生の生き方を考えるうえで中核的な要素になるだろう(37p)。
●無形の資産の3分類(127p)
1.生産性資産 2.活力資産 3.変身資産
●落とし穴にはまっていない人は、以下の三つのことを実践している。
まず、リスク分散のために、投資対象を分散させ、ファンドの運営会社もいくつかにわけている。次に、高齢になると損失を取り返す時間があまりないことを理解していて、引退が近づくとポートフォリオのリスクを減らしはじめる。そして、資金計画を立てるとき、資産の市場価値を最大化させることよりも、引退後に安定した収入を確保することを重んじる(276p)。
●平均寿命が延び、無形の資産への投資が多く求められるようになれば、(中楽)レクリエーション(=娯楽)ではなく、自分のリ・クリエーション(=再創造)に時間を使うようになるのだ(312p)。

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「パワハラ」という和製英語では、職場に起きるハラスメント全体には対応できないと主張。

I職場のハラスメント.JPG職場のハラスメント 中公新書.jpg 『職場のハラスメント なぜ起こり、どう対処すべきか (中公新書)』['18年]

 職場のいじめを、企業の構造的な問題として捉え、「ハラスメント」という包括的な概念に基づき問い直すことを喚起し、実効的な規則と救済の制度を確立することを提唱してきた著者による本です。

 第1章では、職場におけるハラスメントがかつて「いじめ」や「嫌がらせ」と表現されていた中で、ハラスメントという主張が登場した経過を振り返るとともに、セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどのさまざまなハラスメント概念が氾濫している現状を分析しています。

 また、実効的なハラスメント対策を実施するうえでの問題点の1つとして、パワー・ハラスメントという概念が日本独自のものであることを挙げています。パワー・ハラスメントという言葉は、2001年に人事コンサルタントによって提唱された概念で和製英語であり、その言葉が世間に普及したため、厚生労働省も2012年にパワハラ概念による規制政策を提言したとのことです。

 しかしながら、厚生労働省が定義するパワハラ概念は、その認定において「職場内の優位性を背景に」と「業務の適正な範囲を超えて」の2つの要件を課しているため(しかも、セクシャル・ハラスメントはパワハラとは異なる定義がされているため)、パワハラという用語がさまざまなハラスメント行為の一部を表しても、職場に起きるハラスメント全体には対応できず、職場のハラスメントの解決にとってこのパワハラという用語は不適切であるとしています。

 著者によれば、そもそも「ハラスメントにならない指導や叱り方」という発想は、使用者と労働者との関係について、労働契約関係は合意に基づく対等・平等であるという原則を無視しているとのことです。また、パワハラの考え方が、部下に対する上司の「権力」を前提としていることも、使用者と従業員との間の自由な意思に基づく契約関係、すなわち対等・平等な関係を無視することであるとしています。

 第2章では、職場のハラスメントの実態をさまざまな調査結果から探り、ハラスメントが起きる構造を探るとともに、メンタルヘルス不調や長時間労働などに起因する隠れたハラスメント問題も取り上げています。

 第3章では、通常の業務を通じて行われる業務型ハラスメントをはじめ、労務管理型、個人攻撃型などのハラスメントの類型と、またその中にどういったタイプのハラスメントがあるのかを、170件以上もの裁判例を通じて紹介しています。

 第4章では、ハラスメント規制の先進国のEU諸国がどのように規制を行っているかを紹介し、被害者を救済するにはどうすればよいか、使用者や管理者の責務、労働者の責務、外部組織の役割、規制立法の役割を述べています。

 また、巻末には、被害者と企業のための「ハラスメント対策の10か条」集が付されていて、この中には、「企業におけるハラスメント防止のための事前措置10か条」「企業内でのハラスメント事後対応の10か条(使用者と人事管理部門の役割)」「企業内の相談担当者のための10か条」「ハラスメント調査のための10か条」など、企業内の担当者がチェックリストとして参照できるものが含まれています。

 本書の最大の特徴はやはり、「パワハラ」という言葉の問題点を指摘し、「ハラスメント」という包括的な概念を用いることを提案している点にあるでしょう。それ以外は、啓発書としてはオーソドックスであり、またハラスメントの事例も豊富で、類型整理などもよくまとまっていますが、「ハラスメント対策の10か条」も含め"マニュアル的"というよりは"啓発書"的であり、全体としても"教養系"の色合いがやや濃いように思いました(「中公新書」らしいと言えばそうなるが)。

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〈頑張りたくても頑張れない時代〉を生き抜くヒントを示した〈実証的〉啓発書。
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誰が「働き方改革」を邪魔するのか (光文社新書)』['17年]

 本書によれば、少子高齢化で労働力が減少する中、働き方改革による労働力の多様化戦略として打ち出されたのがダイバーシティであるが、それはなかなか浸透してはいないとのことです。著者は、この問題の解決において必要なのは、「頑張りたくても頑張れない人」の活用であるとしています。本書では、なぜ「頑張れない人」が生み出されるのか、その背景にも迫りながら打開策を探り、働く人のこれから生き方を模索しています。

 第1章では、改善どころか悪化の一途をたどる非正規雇用の実態などから、"景気好転"の実感がないまま"取り残された層"は増え続けていると指摘しています。一方で、"一度頑張れなくなったけれども苦境を乗り越えてきた人たち"を取り上げ、そのことを通して、「何が頑張りたい人を頑張れなくしているのか」を考察し、そこには、未だはびこる男性至上主義社会や、人の心に宿る妬み嫉みの問題などがあることを指摘しています。

 第2章では、ダイバーシティ推進を邪魔するものとして、日本社会が長い年月をかけて培ってきた「社会人の一般常識」と、右にならうやり方をなすために用意された"罰則"や"恐怖"の縛りから生じる「心に潜む制動力」を取り上げています。企業の変わらない体質と、働く側の心に潜む"恐れ"が、ダイバーシティ推進の見えない壁となっているとのことです。

 第3章では、そうした「ダイバーシティ推進後発組」を尻目に、独自の施策をいち早く打ち出している「ダイバーシティ推進先行企業」もあるが、そうした先駆"社"といえども、推進の道は容易ではないとし、そうした企業が、どのような取り組みを行っているのかを紹介しています。

 第4章では、従業員の立場から、いかに新しい時代に即した意識を獲得していくかについて述べています。会社が用意した人生のレールの上だけを走るというのがダイバーシティ以前の会社人間の生き方だったのが、ダイバーシティの潮流が日本社会に入り込んだことで、企業は従業員を"庇護する対象"から"自立体"として対峙しようとしている―つまり、「自律的社会人」というのが時代の潮流であるが、「自分は自分」であるとして、その自分をどう育てるかがこれからの個々の課題となってくるとのことです。ここで著者が、「エゴイスト」という言葉をキーワードとして用いているのが興味深いです。「社会がよくなれば、私もよくなる」のであり、「私が欲する正義」をエゴイスティックに突き詰めることは、その扉を開けることであるとしています。

 第5章では、ダイバーシティを俯瞰的にとらえる試みを通して、ダイバーシティによって日本が向かう新しい社会の姿を考察しています。そして、個人が働き方を決め、責任を負う社会になっていくうえで、他者との違いが否定されない「心理的安全性」が、個性的な働き方を生産性向上につなげる補助要因になるとしています。また、「心理的安全性」は、個々人の心掛けだけでは実現せず、企業の理解と体制づくりが必要であるとしています。

 最後の第5章で、「自分の生き方をふだんから積み上げておく」「隣の芝生が青いかどうかは問題ではない」「自律的に生きる」と述べられてるように、〈頑張りたくても頑張れない時代〉を生き抜くにはどうすればよいか、社会分析や先進事例を織り込みながら、働く人に向けてそのヒントを示した〈実証的〉啓発書とでも言うべき内容となっています。一方で、経営に携わる人の覚悟ひとつで、悪循環を繰り返すか、そこから抜け出す一手を打つかの違いになるともしており、経営者や人事パーソンにとっても、啓発的要素はある本かと思います。

 但し、第2章で、ダイバーシティ推進を邪魔するものとして、「社会人の一般常識」と「心に潜む制動力」を取り上げていて、意識の問題は確かに大きいとは思いますが、この辺りからややもやっとした展開になったのは否めないようにも思いました(第4章での「エゴイスト」という言葉をキーワードとした議論の展開などは興味深かった)。

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"現代若手社員像"分析は体系的に整理されている。施策提言部分も、啓発的ではあるが...。

なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?7.JPGなぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか?.jpg
なぜ若手社員は「指示待ち」を選ぶのか? 職場での成長を放棄する若者たち (PHPビジネス新書 376)』['17年]

 本書の構成は、第1章から第3章までがタイトルに沿った若手社員の現状およびその背景の分析、並びにその要因となる課題の抽出であり、第4章がマネジャーによる課題解決の方向性と施策、第5章が若手自身による課題解決の方向性と施策となっています。

 第1章では、現代の若手社員は職場においてどのような状況なのか現状分析し、その行動特性や思考特性として、まじめで優秀、自己実現志向、社会志向を持ち、自分の時間を大切にし、フラットなヨコのネットワークを駆使する自己充実型の若手社員―こんなに意識と意欲の高い、前向きさを持っている人たちが、一方では、報告や相談ができず、個性や欲求がなく、打たれ弱く、リスク回避志向が高く、待ちの姿勢であるとも指摘されるとしています。

 第2章では、現代の若手社員がそのような行動特性や思考特性を持つようになった背景を、彼らが生きてきた社会状況、教育現場の環境などの変化に着目して分析し、その節目は1991年と2004年にあって、今の若手社員は、詰め込み教育によって高度なインプット能力を携えた"91年前"世代とも、キャリアアップ志向を携えた"04年前"世代とも異なる存在であり、今の会社での仕事を生き生きとしている、という状況ではないとしています。

 第3章では、若手の成長を阻み、彼らが会社で生き生きと仕事できないでいる要因として、業務の高度化や細分化などがもたらした仕事上の「タスク完結性」「自律性」「フィードバック」の低さが、彼らに仕事に対する違和感を抱かせ、モチベーションを下げていて、若手社員はいま「成長の危機」にあるとしています。

 第4章では、従来のOJTなどによる経験学習モデルが、さまざまな環境の変化によって機能しなくなり、そうした「環境適応性」の揺らぎが経験学習を阻んでいるとしたうえで、こうした状況に対してのマネジャーの処方箋として、環境適応性を引き出す「問いかけ」が効果的であるとしています。具合的には、彼・彼女はどのようにしてこの会社と出会い、どのような好感を持ち、どのようなことができると思い入社したのか、その時の彼・彼女の経験、気づき、思いを聞き出す「キャリアインタビュー」を行うことなどを提唱しています。

 第5章では、若手社員自身がどのような行動をとることで状況を打開できるか、周囲にどのような働きかけをすればよいかを説いています。まず、「天職探し」という考えを捨て、とにかく行動すること、「外に出る」「仲間を得る」「視野を拡大する」「目の前の仕事に対して事を起こす」という4つのポイントに沿って、社外での学習機会を活用したり、ボランティア活動によって当事者意識を育んだりすることなどを推奨しています。

 全体として、第1章から第3章までは、著者の前著『若手社員が育たない。―「ゆとり世代」以降の人材育成論』 ('15年/ちくま新書)からさらに体系的に整理された"現代若手社員像"の分析となっているように思いました。第4章のマネジャーにとっての処方箋の部分も、それまでの分析を受けていて啓発的ではあるものの、例えばキャリアインタビューなどは、前提となる相互の信頼関係や、聞く側に相応の技量があることが条件となるようにも思いました(自身がある人は、部下に対してキャリアインタビューしてもいいと思うが、人事サイドで、「マネジャーの皆さん、部下にキャリアインタビューをしてください」ということにはならないだろう)。むしろ第5章の若手社員に対する提言部分の方が、若手に限らず、かなり幅広い層に受け入れられる啓発であるように思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 前向き、なのに頑張らない―若手社員の矛盾に満ちた実態
第2章 「新能力」「新学力」がもたらした大転換
第3章 「えもいわれぬ違和感」の正体
第4章 マネジャーへの処方箋―環境適応性を引き出す「問いかけ」の力
第5章 若手社員への処方箋―「天職探し」を捨てよ、外に出よう

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「●中原 淳」の インデックッスへ 「●光文社新書」の インデックッスへ

「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ移行と、その仕事上のメリットを説く。

育児は仕事の役に立つ5.JPG育児は仕事の役に立つ.jpg
育児は仕事の役に立つ 「ワンオペ育児」から「チーム育児」へ (光文社新書)』['17年]

 二人の識者の対話形式で成る本書は、書名がそのまま主張になっていて、①「育児をする経験」は、ビジネスパーソンの業務能力発達につながること、その際の育児は、②夫婦のうちのどちらかがひとりで抱えこむ「ワンオペ育児」ではなく、夫婦を中心とする「チーム」として育児を行う「チーム育児」であることを主張しています。本書での「育児をする経験」とは、「共働き世帯における夫婦で取り組む育児」をさしています。

 第1章「『専業主婦』は少数派になる?」では、「共働き家庭」が増加していることの社会的背景を探るとともに、共働き家庭における役割分担の負担が男女で均等になっていないこと、そこには日本の労働慣行や長時間労働の問題が横たわっていることを確認しています。

 第2章「『ワンオペ育児』から『チーム育児』へ」では、共働きしながら育児をする人が増加する中で、母親がひとりで抱え込む「ワンオペ育児」から、父親と母親、さらには祖父母、親戚、保育園などさまざまなサポートを得て行う「チーム育児」に移行することが必要であるとしています。

 第3章「チーム育児でリーダーシップを身につける」では、その「チーム育児」は、実は育児以外にも大きなメリットを持つことを紹介しています。チーム育児を通して、30代を中心とする子育て期の社員にとって、仕事の現場で求められるリーダーシップ行動が高まるという研究成果を示し、なぜリーダーシップ行動が高まるのか、チーム育児がリーダーシップ以外の仕事上の能力向上に与える効果についても考察しています。

 第4章「ママが管理職になると『いいこと』もある」では、第3章に引き続き、チーム育児のメリットとして、チーム育児を行うことをきっかけに、人はマネジメントに魅力を感じはじめるという研究知見を紹介しています。さらに、チーム育児は、親の人間的な成長をもたらすことも紹介しています。

 第5章「なぜママは「助けてほしい」と言えないのか」では、チーム育児が進まない原因のひとつとして、育児を妻かがひとりで抱えこむ「ワンオペ化」があるが、そこには企業の長時間労働の問題のほかに、妻自身が「育児を他に任せてはいけない」「他人に援助やサポートを求めてはならない」と思い込んでいるという心理的要因もあるとし、他人に助けを求めることを肯定的に捉える「ヘルプシーキング」という発想について対話しています。

 第6章「日本の働き方は、共働き世帯が変えていく」では、チーム育児を円滑に進めていくための「3ステップモデル」というものを紹介、最後に、共働き育児は今後どうなっていくのか、将来、人々の働き方や企業、社会、個人はどう変わっていくべきかを論じています。

 大括りすると、第1、第2章でチーム育児が必要となる社会的背景、第3、第4章でチーム育児の仕事への効果と親としての成長へのつながり、第5、第6章で「ヘルプシーキング」という発想と「3ステップモデル」について語られていることになりますが、人事パーソンへの啓発という意味では、第3、第4章が読みどころではないかと思います(同じく提案部分である第6章は、ややもやっとした印象か)。

 全編が対話形式であり、調査データや研究知見を織り込みながらも、それに呼応する対話者自身の経験談もふんだんに出てくるため、読みやすく、また内容がイメージしやすいものとなっているので(夫婦とも正社員で、子どもが2人以上いるケースを対象モデルとした対話になっている)、手にしてみるのもいいのではないかと思います。

 ひとつ意地悪な見方をすれば、「チーム育児」を通してリーダーシップや仕事上の能力向上ができる人は、もともとそうした素養がある人ではないかという気もしなくはありません。女性たちの間で、「育児経験が仕事に活きる」という幻想であり"今できないこと"は産んでもできないとの論もあり、男性についても同じこと("今できないこと"は産まれてもできない)が言えなくもない? 但し、全てを個人の資質論に還元してしまうと、世の中は何も変わらないというのもあるだろうなあ。要するに、どちらから論じるかの違いだけかもしれません。

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同一労働同一賃金の意義は、それが新しい働き方ポートフォリオの実現に不可欠な公正な報酬決定基準につながること。

同一労働同一賃金の衝撃s.jpg同一労働同一賃金の衝撃.JPG
同一労働同一賃金の衝撃 「働き方改革」のカギを握る新ルール』(2017/02 日本経済新聞出版社)

 政府が「働き方改革」における目玉政策として掲げ、わが国の職場に導入しようとしているのが「同一労働同一賃金」というルールですが、本書は、そもそも政府が同一労働同一賃金を導入する狙いはどこにあるのか、そして、わが国でそれが根づいてこなかったのはなぜか、といった様々な疑問を明らかにすべく、歴史的経緯や欧州諸国の実態を踏まえ、同一労働同一賃金について多角的観点から解説しています。

 第1章「ハードルは何か」では、わが国で同一労働同一賃金を導入するにあたっての様々なハードルについて考察し、わが国で同一賃金同一労働が成立してこなかったのは、人基準の雇用システムと、その結果としてのメンバーとしての正社員と有期契約の非正規労働者という、システムの二元性に原因があると分析しています。

 第2章「欧州の実態」では、同一労働同一賃金の本家家元である欧州諸国の実態を概観し、その根底には人権保障にかかわる均等待遇原則があるが、それは必ずしも所得格差を是正するのに十分な効果を持つものではなく、実際に欧州での所得格差は拡大傾向にあり、同一労働同一賃金の所得格差の是正に対する効果を過大評価すべきではないとしています。

 第3章「公平さを実現するには」では、わが国の処遇格差の実態をデータで確認し、必ずしも所得格差が拡大しているわけではないとしたうえで、客観的な格差と不公平感を区別することの必要性を指摘し、働く人のキャリア形成という視点から、人材形成や手続きの公正性といった、多角的な公平性への取り組みが必要になるとしています。

 第4章「企業は活性化するか」では、同一労働同一賃金が、経済活性化と両立できるものか考察し、正社員の硬直性こそが、正規・非正規間の格差問題の背景にあり、その意味で、正社員の在り方の見直しこそ、同一労働同一賃金などの格差是正政策と経済活性化との両立の鍵となるとしています。

 第5章「『日本型』実現の可能性」では、こらめでの考察を踏まえ、日本の特性を生かした「日本型・同一労働同一賃金」を実現するためには、企業や政府がどのような認識を持ったうえで、具体的にどのような取り組みをしていく必要があるかを考察しています。

 この第5章と、エピローグ「社会改革の方向性」が具体的な提言部分になっており、とりわけ第5章では、同一労働同一賃金の実現のためのポイントを整理したうえで、30歳代までの時期は、全ての労働者にメンバーシップ型雇用で働く経験を与え、40歳代以降については様々な選択肢を用意する「ハイブリッド型人事制度」というもの提唱し、そこから、ライフステージに応じた、多様性のある新しい働き方ポートフォリオのイメージを描いています。

 同一労働同一賃金の意義は、それがこうしたポートフォリオを実現するにあたって不可欠な公正な報酬決定基準につながるとし、本来の同一労働同一賃金の意義を実現するためには、トータルな働き方改革に同時に取り組まなければならないというのが本書のスタンスです。

 実務家にとってのやはり読みどころは第5章でしょうか。同一労働同一賃金の実現に必要な職務評価制度の整備や、予想される弊害への対応、個別企業が検討すべきポイントなどの諸課題が整理されれているとともに、先進企業例も紹介されています。もう少し第5章を膨らませて欲しかった気もしますが、同一労働同一賃金を実現することと働き方改革を推進することの関係が理解できるという意味では(同一労働同一賃金の実現には、働き方改革に同時に取り組む必要があるというこ必要があるというのは政府(諮問会議)も言っていることだが、それが"腑に落ちる"説明になっているという意味で)、啓発的な本であると思いました。

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関係者に改めて取材した「丸子警報器事件」の事例にシズル感があり、本書一番の読み所。

女性活躍「不可能」社会ニッポン5.jpg女性活躍「不可能」社会ニッポン.jpg 丸子警報器.jpg 丸子警報器
女性活躍「不可能」社会ニッポン 原点は「丸子警報器主婦パート事件」にあった!』['16年]

 労働ジャーナリストによる著書で、著者は、雑誌「労旬」に「たたかう主婦パート」(2013年)、「たたかう主婦パートたち」(2015年)を連載するなどしており、「非正規問題」の"震源地"は主婦パートにあるとしてきた人。本書においても、冒頭、主婦パートを知らずして「非正規問題」は語れないとして、そのメカニズムや実態を分析並びに紹介しています(第1章~第3章)。そして、本書の大部分を占める第4章と第5章がそれぞれ「たたかう主婦パートのリアル」と題された著者自らが新たに取材した事例編になっています。

 第4章では、名古屋銀行パート団交で銀行側と闘い、女性ユニオン名古屋の執行委員長を経て'09年に衆議院銀議員選挙に立候補した坂喜代子氏の、名古屋銀行に入社して退職するまで、職業病の労災認定、パート労働法を活用した女性ユニオンを軸にした団体交渉、裁判準備と断念、選挙に立候補という波乱万丈の生きざまが、リアルに描かれています。

 第5章では、主婦パートの労働条件の改善を求めパートタイマー自らが会社側と裁判で争い、原告側が勝訴した裁判例として有名な丸子警報器事件の原告団について、当時の関係者に新たに取材し、なぜ、労働組合が主婦パートを組織化することが重要と考えたか、賃金差別裁判をどうやって戦い抜けたのか、その生の声を伝えています。

 結果的に、問題提起した後は、「事例」が大きな比重を占める作りとなっていますが、その事例に足で回って取材したシズル感があり、事例を通して現在に通じる非正規の問題(パート問題)の真相を浮かび上がらせるという著者の試みはある程度成功しているように思えます。とりわけ、これまで個人的には判例集などでしか知ることのなかった(本書サブタイトルにもある)丸子警報器事件について、当時の当事者が置かれていた実情などが著者の取材によって明らかになったり(既存の従業員労組と会社側との間で結ばれていた労働協約が「争議行為は行わない」「争議行為を行った者はに対して会社は懲戒解雇その他懲戒処分位に処することができる」といった会社側の要求が一方的に盛り込まれたものだったとか)、その当事者(当時に労働者)の口から語られるのには、得るものが多くあったように思います。

 新たに知ったことしては、1990年にパートタイマーを組織化した丸子警報器の労働組合ができ、1999年に高裁で、解雇裁判、賃金差別裁判とも労働者側が勝利したたわけですが、そのずっと前の70年代から会社との間で伏線となる労使の遣り取り(労働条件を巡る争い)はあったということと、女性パートが自発的に集まって組合を作った面もあるのはあるが、その契機となる1人の男性社員がいて、その人がリーダーとして皆を引っ張っていったということです。

 まるで、山崎豊子の『沈まぬ太陽』に出てくる「国民航空」の労働組合委員「恩地元」(モデルは小倉寛太郎)みたいな話でした。会社による組合潰しなどの話もよく似ていて、かなりドラマチックですが、本当にそうしたことがあったのだなあと改めて驚かされ、本書一番の読み所でした(丸子警報器事件の'実際'を知っておくというだけの目的で本書を読んでも、それなりに得るものはある)。

丸子警報器.jpg丸子警報器 map.jpg 丸子警報器事件という会社自体は長野県上田市に今もあり(真田家の支城・丸子城があった地)、裁判当時は従業員200名ほどでしたが今は(2014年取材時)は90名ほど。但し、裁判時に原告団だった28名のパートタイマーの中には今も勤めている人がいるそうです。正社員には定年があるが、パートタイマーには定年が無くなっているとのことで、これは裁判時に裁判官が実地検証したらしいですが、パートタイマーの不良製品を峻別する技能は、その経験値から正社員のそれを遥かに超えているとのこと、別に、裁判に勝ったからといって'逆差別'状態になっているわけではなく、スキルがエンプロイアビリティとして評価されているということなどだと思いました。

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「マタハラ問題」の総括。啓発的要素を含むとともに、テキストとしても読める。

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マタハラ問題 (ちくま新書)』['16年]

世界の勇気ある女性賞.jpg 働く女性が妊娠・出産・育児を理由に退職を迫られたり、嫌がらせを受けたりする「マタニティハラスメント(マタハラ)」が、いま大きな問題となっており、労働局へのマタハラに関する相談は急増しているとのことです。本書は、「NPO法人マタハラNet」の代表者による「マタハラ問題」の総括であり、著者は2015年に、アメリカ国務省が主催する「世界の勇気ある女性賞」を日本人で初めて受賞しています。

 第1章では、著者自身が職場で受けたマタハラ体験について綴られていますが、複数の上司からの執拗な退職強要や嫌がらせに遭い、二度の流産を経てついに会社と闘おうと決意するに至るまでの経緯は、ドキュメントとして読み応えがありました。

 第2章では、マタハラを大きく個人型と組織型に分け、個人型としての「昭和の価値観押しつけ型」「いじめ型」、組織型としての「パワハラ型」「追い出し型」の4類型を示すとともに、それぞれのケースに該当する12の実例を紹介しています。

 第3章では、マタハラNetが行った日本で初めてマタハラ被害実態調査「マタハラ白書」から何がわかるかを分析しています。これを見ると、マタハラは社員規模にかかわらず発生し、相談すればするほど連鎖する傾向があることがわかります。また、先進諸国とのデータ比較を通して、マタハラは単なる女性問題ではなく、日本の少子化と経済難を直撃する経済問題であるとしています。

 第4章では、働く側が、マタハラをなくすために何ができるかについて述べています。第5章では、企業が、経済問題であるマタハラを経営問題として捉え、経営戦略として"主婦人材"を活用したり"子連れ出勤"を実践したり、選択可能な多様なワークスタイルを用意したり、職場の風通しをよくするための工夫をしたりしているケースを5社紹介しています。

 一般に、セクハラ、パワハラ、マタハラで三大ハラスメントとしてまとめられますが、本書では、マタハラがセクハラ、パワハラと一線を画すのは、それが経済問題、経営問題と呼べる点であると強調しているのが特徴でしょうか。

 マタハラは、三大ハラスメントのほかに、パタハラ(パタニティハラスメント(育児男性に対するハラスメント))、ケアハラ(ケアハラスメント(介護従事者に対するハラスメント)といったファミリーハラスメントの一角も成すことでハラスメントの中心に位置し、企業はマタハラ問題を絶対に無視できないとしています。

 第1章にある著者自身のマタハラ体験で、人事部も含め4人の上司や管理者が4人ともマタハラ行動をとってしまうというのは、人の資質の問題もさることながら、組織体質、職場風土の問題でしょう。マタハラをしている側に、してはならないことをしているという、そうした意識そのものが希薄であるように思われ、管理者や従業員の意識教育の大切さも感じました。

 そうしたリスクマネジメント的観点も含め、多分に啓発的要素を含んだ本であるとともに、「マタハラ問題」のテキストとしても読める本です。

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働く「女子」が「活躍」できない現況は、雇用システム(日本型雇用の歴史)に原因がある。

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働く女子の運命 ((文春新書))』['15年]

 社会進出における男女格差を示す「ジェンダーギャップ指数2015」では、日本は145か国中101位という低い数字であるとのこと。女性の「活用」は叫ばれて久しいのに、欧米社会に比べ日本の女性はなぜ「活躍」できないのか? 著者はその要因を、雇用システムの違いにあるとしています。

 つまり、欧米社会は、企業の労働を職務(ジョブ)として切り出し、その職務を遂行する技能(スキル)に対して賃金を払う「ジョブ型社会」であるのに対し、日本社会は、企業は職務の束ではなく社員(メンバー)の束であり、数十年にわたって企業に忠誠心を持って働き続けられるかという「能力」と、どんな長時間労働でもどんな遠方への転勤でも喜んで受け入れられるかという「態度」が査定される「メンバーシップ型社会」であるため、結婚や育児の「リスク」がある女性は、重要な業務から外され続けてきたとしています。

 本書では、こうした日本型雇用システムの形成、確立、変容の過程を歴史的にたどっています。会社にとって女子という身分はどのような位置づけであったのか(第1章)、日本独自の「生活給」思想や「知的熟練」論、「同一価値労働」論はどのように形成されたのか(第2章)、日本型の'男女平等'はどこにねじれがあったのか(第3章)、均等世代から育休世代へと移りゆく中でどのようなことが起きたのか(第4章)、それらをその時代の当事者の証言や資料をもとに丁寧に検証し、日本の女性が「活躍」できない理由が日本型雇用の歴史にあることを炙り出しています。

 上野千鶴子氏が帯で'絶賛'しているのは、この'炙り出し'の絶妙さに対してではないでしょうか。法制度の成立過程などは、硬い話になりがちなところを、一般読者に向けて分かり易く噛み砕いて書かれており、個人的には、労働基準法の男女同一賃金や均等法の成立までの道程とその後の影響、海外では、ポジティブ・アクションの起こりなどが興味深く読めました。

 そして著者は、過去20年間の規制緩和路線は、中核に位置する正社員に対する雇用保障の引き替えの職務・労働時間・勤務場所が無限定の労働義務には全く手をつけず、もっぱら周辺部の非正規労働者を拡大する方向で展開されてきたため、さらに今は、総合職女性はグローバル化の掛け声でますますハードワークを求められて仕事と家庭の両立に疲弊し、非正規女性は低処遇不安定雇用のまま、その仕事内容はかつての正社員並みの水準を求められるようになっているとしています。

 日本型雇用を補助線にして女性労働を論じた本であり、前著『若者と労働』(中公新書ラクレ)、『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)に続く三部作の完結編とみれば、今回は女性労働を起点にして日本型雇用を論じたとも言えます。あとがきで著者が予め断っているように、女性の非正規労働者についてあまり触れられていないとの声もあるようですが、タイトルに「女性」ではなく「女子」という言葉を用いていることからも、単に男性労働者の対語としての「女性」労働者ということではなく、「中核に位置する正社員」に含まれていない「女子」という意味で、歴史的にも今日的にもそこに入り込めない(或いははじき出されてしまう)「女子」の問題に照準を当てた本と言えるのではないでしょうか。

 最後に、働く女性にとってのマタニティという女性独自の難題をどういう解決方向に導いていけばよいのかということについて、海老原嗣生氏の、「中高年」社員の活用等に関して自らが提案している、日本型(メンバーシップ型)雇用に欧米型(ジョブ型)雇用を"接ぎ木"するハイブリッド型雇用(「入り口は日本型メンバーシップ型のままで、35歳くらいからジョブ型に着地させるという雇用モデル」)を、海老原氏自身がこの働く女性の問題に当て嵌め、「30代後半から40代前半で子供を生んでいいではないか」「結婚は35歳まで、出産は40歳までとひとまず常識をアップデートしてほしい」としていることに対し、著者は、高齢出産に「解」を求めているともとれるとして慎重な姿勢をみせています(ネットで本書の評を見ると海老原氏の考えに賛同する向きも見られた)。どう考えるかは人それぞれですが、個人的には、この考えにもっとはっきりダメ出ししても良かったのではないかと思いました。

 かつて女性の初産年齢が早かった時代は、その後、第2子、第3子を生んで育てるゆとりがありました。海老原氏の考えには、例えば、子供を生むならば2人欲しい、でも今から2人生んで育てるのはたいへんだから、子供はあきらめよう(或いは1人にしておこう)という考え方をする人が実際に結構いることは、殆ど反映されていないように思えました(第1子が生めるかどうかしか念頭に置いていない。統計を読み取るプロのはずではなかったのか)。

 海老原氏の考えに賛同する人でも、キャリアを築いてから35歳以上の高齢出産をするのか、子育てではなくキャリアを優先させるのかは女性個々の選択であり、社会が介入すべき事柄ではないとしていたりもします。女性の社会進出を推進するには、働きながら(しかも一定のポジショニングを維持しながら)子育てができる環境を整えることが第一優先で、今の医学では高齢になってからでも生むことができると説くのは本末転倒。本書への直接の評からは逸れますが(この本自体はお薦め)海老原氏、ちょっとおかしな方向に行っている気がしました。

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労働社会の現況問題を俯瞰し、今後の方向性を考えるうえではよく纏まっている。

雇用身分社会 岩波新書89.png雇用身分社会 岩波新書3.jpg 森岡 孝二.jpg 森岡 孝二(1944-2018/74歳没)
雇用身分社会 (岩波新書)
2019年2月追悼シンポジウム開催
森岡 孝二 2.jpg 今年[2018年]8月に心不全でに亡くなった経済学者・森岡孝二の著者。著者によれば、「過労死」という言葉が急速に広まったのは1980年代末であるが、2005年頃からは「格差社会」という言葉も使われるようになったとのことです。日本ではここ30年ほど、経済界も政府も「雇用形態の多様化」を進めてきたが、90年代に入ると、女性ばかりでなく男性のパート社員化も進み、その過程でアルバイト、派遣、契約社員も大幅に増え、労働者の大多数が正社員・正職員であった時代は終わったとのことです。そして、あたかも企業内の雇用の階層構造を社会全体に押し広げたかのように、働く人々が総合職正社員、一般職正社員、限定正社員、嘱託社員、パート・アルバイト、派遣労働者のいずれかの身分に引き裂かれた「雇用身分社会」が出現したとしています。

 本書では、こうした現代日本の労働社会の深部の変化から生じた「雇用身分社会」を取り上げ、どういう経済的、政治的、歴史的事情が多様な雇用身分に引き裂かれた社会をもたらしたのかを明らかにするとともに、どうすればまともな働き方が再建できるのかを考察しています。

 第1章「戦前の雇用身分制度」では、明治末期から昭和初期の紡績工場や製糸工場における女工の雇用関係や長時間労働を概観し、今日の「ブラック企業」の原型が、多くの過労死・過労自殺を生んだ戦前の暗黒工場にあることを指摘しています。言い換えれば、今日の日本では、戦前の酷い働かせ方が気づかないうちに息を吹き返してきているということです。

 第2章「派遣で戦前の働き方が復活」では、戦後における労働者供給事業の復活を、1980年代半ば以降の雇用の規制緩和と重ねて振り返り、労働者派遣制度の解禁と自由化によって、戦前の女工身分のようなまともな雇用とはいえない雇用身分が復活したとしています。つまり、雇用関係が間接的である点で、今日の派遣労働はかつての女工たちに近い存在であるということです。

 第3章「パートは差別された雇用の代名詞」では、1960年代前後まで遡って、パートタイム労働者は、性別・雇用形態に差別された雇用身分として誕生したとし、今日ではそのパートの間で過重労働と貧困が広がっているとしています。パートタイム労働者は、雇用調整の容易な低賃金労働者であるにもかかわらず、基幹労働力の有力な部隊として以前にもましてハードワークを強いられるようになっているとともに、パートでしか働けないシングルマザーの貧困化が深刻な問題になっているとしています。

 第4章「正社員の誕生と消滅」では、長時間労働と不可分の正社員という身分が一般的になったのは1980年前後であるとし、やがて過労死が社会問題化し、さらに、社員の多様化による一般職・限定正社員の低賃金化、総合職正社員のいっそうの長時間労働化、そして今日「正社員の消滅」が語られるようになるまでの過程を追っています。

 第5章「雇用身分社会と格差・貧困」では、格差社会は雇用身分社会から生まれたという観点から、ワーキングプアの増加を問題にし、労働者階級の階層分解が低所得層の拡大と貧困化を招いており、特に若年層に低賃金労働者が占める割合が著しく高まってきたこと、それと対比して株主資本主義の隆盛で潤う大企業の経営者と株主にも焦点を当て、近年の株主資本主義の台頭は、企業はコスト削減による利潤の増大を求め、その結果リストラや賃金の切り下げや、労働時間の延長などを促す傾向がある一方で、企業の内部留保は増大し、株主配当や役員報酬は増えていることなどを指摘しています。

 第6章「政府は貧困の改善を怠った」では、雇用形態の多様化は雇用の非正規化と身分化を通して所得分布を階層化したことを確認し、官製ワーキングプアの創出や生活保護の切り下げなどにみる政府の責任を追及しています。政府の雇用・労働分野の規制緩和政策の立案にあたっては、経済界の利益が優先されたとし、その結果、近年の日本の相対的貧困率は高まる一方だとしています。

 終章「まともな働き方の実現に向けて」では、雇用身分社会から抜け出す鍵として、(1)労働者派遣制度の見直し、(2)非正規労働者率の引き下げ、(3)規制緩和との決別、(4)最低賃金の引き上げ、(5)八時間労働制の確立、(6)性別賃金格差の解消を掲げています。

 著者は30年ほど日本の労働社会の変化を追いかけてきた専門家です。こうした問題については、結論の導き方(意図的に意見を差し控えているような箇所もあった)や提言の部分については読者それぞれに意見はあろうかと思われますが、日本の労働社会の現況問題を俯瞰し、今後のあるべき方向性を考えるうえでは総体的によく纏まっているテキストとして読めるように思いました。それにしても何となく気が重くなる...。

 「雇用身分社会」の「身分」という言葉は、労働基準法では「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」(第3条)と定められていますが、判例法理では、「身分」とは「生来のもの、自らの力では変えられないものを指すとされているため、非正規社員が正社員と賃金が異なるのは、「身分」による差別にはならないとなっています。なぜならば、自分の力で正社員になれる可能性があるからです。

 本書では、法的な意味ではなく「社会における人々の地位や職業の序列」という意味でこの「身分」という言葉を用いていますが、先の判例法理のイメージからすると、いよいよ、個人の力ではどうしようもなくなってきているのかなあと思った次第です。

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就活エリートの迷走』から更に踏み込んだ分析と、より広角的な提案ではあったが...。

若手社員が育たない。.jpg       豊田 義博 『就活エリートの迷走』.jpg 『就活エリートの迷走 (ちくま新書)['10年]』
若手社員が育たない。: 「ゆとり世代」以降の人材育成論 (ちくま新書)』['15年]

 著者は、本書の5年前に著した『就活エリートの迷走』('10年/ちくま新書)で、明確にやりたいことがあって高いコミュニケーション能力があり、エントリーシートや面接対策も完璧、いくつもの企業から内定を取るなど就職活動を真面目に行い、意中の企業に入社しながら社会人としてのスタートに失敗、戦力外の烙印を押される人たちがなぜ生まれたのかを分析し、採用手法と採用市場を変革する必要性を説いていました。

 今回、全6章で構成されている本書の第1章で、今どきの若手社員の特徴について分析していますが、"困った若手社員"と指摘される人材像として、10年以上前から存在が指摘されている、挨拶が出来ない、指示待ち、すぐ辞める、自分には無理と仕事を拒否するといった「後ろ向き型」、『就活エリートの迷走』に登場する、志望職種や自身が描くキャリアビジョン、成長シナリオにこだわりすぎて迷走する「キャリア迷走型」に加えて、「キャリア迷走型」の迷走のあり方が変わり、次のモードにシフトした「自己充実型」を3つ目のパターンとして挙げています。

 「自己充実型」とは、上昇志向が弱く、リスクを回避し、保守的で、自己の人生を充実したものにするため自分の時間を大切にするタイプですが、この"第3の困った若手社員"は「何をしたらいいかも薄々わかっていながら、そしてそれをする能力もありながら、取り組まない」という失敗するリスクを回避しているだけなのだとし(著者はこれを「成長する自由からの逃走」と呼ぶ)、これは30代後半から上の世代にはなかなか理解出来ない感覚だろうとしています。

 続く第2章では、仕事の特性が変化したこと、そして仕事環境の変質といった状況が若手を育ちにくくしていることについての考察し、これまで日本企業は高度成長期に形成された、新卒を一括採用して新人研修や職場で実務を経験させ、知識や技能を身につけさせるOJTなどを通じて若手を育成してきた。それを本書では「個社完結型『採用・育成』システム」と呼んでいるが、このシステムの寿命は尽きかかっており、今の時代に即した「社会協働型『育成・活用』システム」への移行が急務だとしています。

 第3章では、社会に適応し、成長しようとする若手が紹介されています。会社の採用担当者の多くは「入社後の適応・活躍は、大学時代の経験と密接な関係がある」と確信しているそうだが、そうした若手は大学生活で以下の「5つの経験」をしているとのことです。
●社会人、教員など、自分と「異なる価値観」を有する人たちと、深く交流していた。
●自身が主体者として「PDS(Plan-Do-See 計画・実行・検証)サイクル」を繰り返し回していた。学園祭などのハレの舞台での経験ではなく、日常生活において小さな創意工夫を重ね、そこからの気づきから、やり方や考え方を変えてきた。
●自身にとって負荷がかかること、やりたいわけではないことを、自身の「試練・修行」の場として継続して行っていた。
●自身の思い通りにならず、「挫折」したり「敗北」感を味わったり、他者からの手厳しい「洗礼」を受けていた。
●前記を通じて、自身の「志向・適性の発見」をしていた。他者から指摘されるケースも多い。

 第4章では、大学時代にこうした機会に恵まれなかった人はどうすればいいのかを考察し、それには自分に合った「人が育つ職場」に身を置くことや、OJTの機会を活かすなどの手段があるが、若手の希薄な危機意識やリスク回避などもありなかなか難しく、そんな中、自身のキャリアに不安意識のある若手が参加しているのが、社外で様々な人が集まって行う「勉強会」であるとして、今どきの勉強会の在り様を紹介しつつ、若手人材育成のための代替手段・機能のひとつとして「勉強会」というのは有望なのではないかと推察しています。

 第5章では、目指すべき姿は、「個社完結型『採用・育成』システム」から離脱した「社会協働型『育成・活用』システム」であるとの考え方から(第2章)、大学での教育の重要性について述べています。若者"再生"のカギは「大学での学び」にあるとし、社会に出る前の大学時代における学習経験にあり、社会人になった後にも、自社内にとどまらずに異質な価値観と出会う「越境学習」の機会が必要であるとしています。

 第6章では、同じような考え方からの、企業に向けた提案となっています。これらの効果を高める上で企業には、大卒者全員を基幹人材として採用する考えを一度リセットして「専門コース」「幹部コース」といった具合に「キャリア・コースを複線化」すること(欧米ではこうした区分がスタンダードである)と、多忙を極める管理職の職務を整理、再編することが求められる(マネジャーが、部下の面倒を見ながら自分も業績を上げないといけない"プレイングマネージャー化"している現状を改める)と主張しています。

 全体として『就活エリートの迷走』の続編との印象もありますが、そこから更に進んだ"現代若者像"の分析となっていて興味深く読めたし、また、前著以上に提案部分に力を入れているように思われ、第4章の「勉強会」への参加は、当事者である若者に対して、第5章は大学へ向けて、第6章は企業へ向けてと、提案の対象も(課題に沿って)広角的になっている印象を受けました。

 但し、版元の紹介にも"渾身のリポート"とありましたが、やはり分析や情報提供が提案に勝っているかなという印象も受けました。提案部分では、第4章の「勉強会」の部分はリアルに現況をリポートしており、第5章の「大学教育」の部分も同様に大学で実際に行われている先進的な取り組みを紹介しているのに対し、第6章の「企業」に対する提案はややもやっとした感じでしょうか。企業に対する期待が、今一つ琴線に触れてこない...(実務者ではないから仕方がないのか)。

 例として挙げられている「ユニクロ」にしても、「コース型人事」はこれまで表立って謳っていなかっただけで(誰もが自分が将来幹部になれる可能性があるものと思って入社していた時期があった)、実際の人材登用はこれまでも欧米型でやってきているでしょう。ショップの店員がいきなり本社の経営戦略や企画・マーケティング部門へ異動になるなどということはあり得ず、そうした基幹部署の要員は、コンサルティングファームやシンクタンクなどから"引っこ抜き"採用してきたでしょう。

 企業において、コア人材のためのキャリア・コースを設けるというのは何年か前から言われていることで、その割には導入が進んでいないような気がしますが、著者の言うように、企業のキャリア・コースの分化は傾向としては進んでいくことが考えられます。その意味で、著者の言うことを全否定するつもりは毛頭ないですが、「ユニクロ」は、事例として挙げるには不適切だったように思いました。

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法改正によって派遣法が「常用代替防止」という概念から解き放たれたという考えは賛同できる。

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派遣新時代 ~派遣が変わる、派遣が変える~ (幻冬舎ルネッサンス新書)』['15年]

 2014年に2度国会で廃案となり、2015年の国会でも議論が紛糾した労働者派遣法の改正案は、衆議院で可決(強行採決)されたものの、その約2ヵ月を経た現在も参議院厚生労働委員会での審議は終わらず、当初9月1日としていた施行日を9月30日に修正したいと与党側が提案するに至っています。こうした背景には、野党側の反対だけでなく、改正案では、専門26業務の区分が廃止され、すべての派遣労働者の受け入れ期間が個人単位で最長3年までになることから、雇用を不安定にするという不安が世論的にも根強くあることが窺えます。

 一方、派遣会社の経営者による本書は、今回の改正を歓迎する立場で書かれています。第1章「ようやくわかりやすくなる派遣の働き方」では、派遣で働くときは1か所で原則3年までになるといった改正案のポイントを解説するとともに、はじめて派遣社員の継続雇用に目配りがいった改正案であり、派遣先への直接雇用を後押しするものであるとしています。

 第2章「なぜ派遣労働は誤解されてきたのか」では、派遣という言葉にはネガティブなイメージが色濃く刻まれているが、「派遣社員=カワイソウ」という方向でばかり物事を見ていると現実を見誤ることになり、積極的に派遣という働き方を望む労働者の声も無視してはならないとしています。但し、「消極型派遣労働者」が置かれている厳しい状況は楽観できるものではなく、彼らを漂流させたままにしてきた派遣業界にも責任はあるだろうが、ディーセント・ワークの提供など、日本の派遣も変化しなければならない段階にきているとしています。

 第3章「派遣社員と正社員ではここが違う」では、派遣の仕組みを説明するとともに、派遣会社は何のためにあるのかを改めて考察し、派遣労働者が「非正規」というカゴから飛び出したくても飛び出せないのは、その問題を放置したまま"増改築"を繰り返して複雑化した法律にも問題があったとしています。

 第4章「派遣と偽装請負の危ない関係」では、派遣が問題となる背景には、違法派遣や偽装請負が横行してきた実態があるとして、派遣と請負の違いを解説しています。

 第5章「派遣のルーツを探る」では、「派遣」というものが英文タイピストの不足から生まれ、政令26業務のネガティブリスト化によって複雑化し、一方、業務請負は、製造派遣禁止の代替として成長したとしています。

 第6章「長妻プランと民主党政権下での混乱」では、2009年に誕生した民主党政権化で、それまでの労働者供給事業の規制緩和路線が一転して規制強化に向かい、その象徴が「専門26業務」のうちの「事務用機器操作の業務」と「ファイリングの業務」を実態を顧みずに狙い撃ちした"長妻プラン"であり、これにより多くの派遣社員が職を失ったとしています。本章では、「離職後1年以内の派遣受け入れ禁止」なども、実態にそぐわないものとして見直すべきだとしています。

 第7章「『正社員のため』から『派遣労働者のため』へ」では、2015年改正の派遣法は、はじめてできた派遣労働者を守るための法律であり、「業務内容」によって決められていた派遣期間が「人」を基準とするようになるというのが大きな変更点であるとともに、従来の特定労働者派遣・一般労働者派遣の区別が撤廃され、すべてが許可制になることがポイントであるとしています。更に、「常用代替防止」というあたかも派遣法のコンセプトのように用いられてきたる考え方は、もはやその意義を喪失しているとしています。

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事例が豊富で「働き方改革」を(問題点を含め)具体的にイメージするうえで示唆的。

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御社の働き方改革、ここが間違ってます! 残業削減で伸びるすごい会社 (PHP新書)

 政府の働き方改革実現会議で有識者議員を務めた著者は、「見せかけの働き方改革では社員は疲弊し、生産性は落ち、人が辞めていく」とし、真の働き方改革とは言わば「会社の魅力化プロジェクト」であって、それは経営改革であり、「昭和の活躍モデル」からの脱却なのだとしています。

 第1章「働き方改革はどうすれば成功するのか」では、今「働き方改革」が叫ばれている背景を探るとともに、いち早く働き方改革に着手した企業の成功の要因を分析し、働き方改革とは実は企業が生き残るための競争戦略であり、イノベーションの源泉なのだとしています。

 第2章「先端事例に『働き方改革』実際を学ぶ」では、働き方改革先進企業では、改革を経てどのような変化が起きたのか、大和証券における子育て社員の活躍、アクセンチュアにおける職場の雰囲気改善と業績アップ、サイボウズにおける「働き方を選べる」制度による離職率の低下、リクルートによるテレワーク導入による仕事の質の向上、カルビーにおけるダイバシティ経営戦略による低迷商品の売上V字回復などの事例を紹介しています。

 第3章「現場から働き方をこう変える!」では、テレワークやITを使ったスケジュール・タスク共有、イクボス宣言など、現場で実践できる働き方改革の試みを紹介しています。アンケート調査の結果、効果があった効率性の高い施策の第1位が「PC強制シャットダウン」で効果率は100%、一方、ほとんど効果がなかった施策の第1位が「社内パンフレット、イントラ、掲示物による長時間労働是正の啓発」で効果率5%だったなど、大事なのは「強制」で、「啓蒙」だけでは効果がないことを具体的に示しているのが示唆的です。

 第4章「なぜ『実力主義』の職場はこれから破綻するのか」では、第1部で、霞が関の官僚たちが働き方改革に立ちあがったことを紹介し、第2部で、大手マスコミは働き方を変えられるかを、テレビ局と新聞社に勤務する4人の女性記者たちの覆面座談会形式で論じています。とりわけ後者の座談会から、マスコミの現状は旧態依然としたものであることが窺えましたが(TVのワイドショーで働くママの企画を出すと「おばあちゃんたちは働く女の人が嫌いだから」とはねられ、こうして「子育ては女性がするもの」と言う固定観念が番組を通じて広まっていくというのにはナルホドなあと)、こうした霞が関やマスコミのこれまでの「(長時間労働できる人のみの)実力主義」はこれからなぜ破綻するのかを探っています。

 第5章「『女性に優しい働き方』は失敗する運命にある」では、働き方改革で、子育て中の「制約社員」が活躍できる環境を整えても、やはり女性社員が辞めていくのはなぜか、なぜ管理職になりたがらないのかについて、「資生堂ショック」「マミートラック」問題についての考察と併せて分析し、女性リーダー育成のためのユニークな試みを紹介しています。

 第6章「社会課題としての長時間労働」では、長時間労働の是正で少子化に歯止めがかかると考えられることを統計的に示し、さらには、父親の育児参加で国の競争力も上がるとしています。また、地方企業や中小企業も、働き方改革で驚くほど人材が集まるとしています。働き方改革が少子化改善や地方創生にも効果を発揮することが分かってきたということ、つまり、働き方改革は社会も変えるというのが著者の考えです。

 最終の第7章「実録・残業上限の衝撃 『働き方改革実現会議』で目にした上限規制までの道のり」では、著者が参画してきた「働き方改革実現会議」の実態をレポートしています。

 安倍首相の私的諮問機関である「働き方改革実現会議」のメンバーであるジャーナリストによる著書ということになると、先進事例に傾きがちで綺麗ごとばかりの内容ではないか(?)との危惧も無きにしも非ずでしたが、働き方改革が進まない風土についても、目をそらすことなく取り上げています。働き方改革を、第1次均等法(女性のみ)、両立支援(女性のみ)に次ぐ、女性活躍推進の第3ステージ(男女)として捉えている点が、特徴的であるとともに、たいへん示唆的であるように思いました。「働き方改革」というものについて、キャッチ先行で具体的なイメージが今一つ湧かないというビジネスパーソンも少なからずいるかもしれませんが、本書は施策や制度について多くの事例が挙げられているため、そうした漠たる状態から一歩抜け出すにはいい本だと思います。

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読んでいて気が滅入るルポだが、知っておくべき日本の労働現場の一面。

中高年ブラック派遣.jpg中高年ブラック派遣 講談社現代新書.jpg 中沢 彰吾.jpg 中沢 彰吾 氏 [Yahoo ニュース これではまるで「人間キャッチボール」!安倍官邸が推し進める規制緩和の弊害と人材派遣業界の闇

中高年ブラック派遣 人材派遣業界の闇 (講談社現代新書)

 ノンフィクションライターによる日雇い派遣業の実態の体験的ルポルタージュですが、甘い言葉(労働条件・待遇)を示して中高年を勧誘し、それが仕事場に行ってみれば年長者であることに配慮するどころか、ヒトをヒトとしてではなく単なる労働力として扱い、反抗すれば恫喝し、気に入らなければ切り捨てていくという、まさに著者が言うところの「奴隷労働」市場のような状況が業界内において蔓延していることが窺える内容でした。

ブラック企業1.jpg 「大佛次郎論壇賞」を受賞した今野晴貴氏の『ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪』('12年/文春新書)で、「ブラック企業」の特徴として、正社員を大量に採用して労働基準法ぎりぎりのラインで酷使、消耗、スポイルしてはまた新たな採用を繰り返していることが指摘され、「非正規」ではなく「正社員」が、また、「基準法違反」ではなく「基準法ぎりぎり」というのが新たな着眼点としてクローズアップされましたが、一方で非正規雇用労働者を酷使、消耗する"ブラック企業"も現に多くあるわけであり、同著者の『ブラック企業2―「虐待型管理」の真相』('12年/文春新書)では「ブラックバイト」という言葉が使われています。

 そして、非正規雇用のもう1つの柱である派遣労働者について取り上げたのが本書です。といっても、日雇い派遣の実態が社会問題化され始めたころから、こうした実態を問題視する声はあったように思われますが、本書の場合、その中でも「中高年」にフォーカスしている点が1つの大きな特徴だと思います。

 著者は東京大学卒業後、毎日放送(MBS)に入社し、アナウンサーや記者として勤務した後、身内の介護のために退職し、著述業に転じた人。58歳にして体験した派遣労働の現場では、自分の息子のような年齢の若者に、「ほんとにおまえは馬鹿だな」「いい年して、どうして人並みのことができないんだ!」「いったいここへ何しに来てんだ」「もう来るなよ。てめえみたいなじじい、いらねえから」などと口汚く罵詈雑言を浴びせられたこともあたっということです。

 ここまで言われたら、企業名を出してもいいのではないかという気もしますが、暴露ジャーナリズムとは一線を画すつもりなのか、業界内の特定の1社2社に限ったことではないことを示唆するためか、新聞記事になったような超有名どころのブラック企業はともかく、自らが潜入した"ブラック派遣"会社の名前は明かしていません(再潜入するつもり?)。

 派遣法の改正案が国会で審議される折でもあり、改正のドラフトとしては、労働政策審議会(職業安定分科会労働力需給制度部会)が昨年('14年)に報告(建議)した、専門26業務の撤廃、新しい期間制限(個人単位と事業所単位)、派遣先の事業所単位の期間制限(3年、組合等の意見聴取で延長可)などが骨子としてあり、その中にも幾つかのパターン案があって最終的にどうかなるか、そもそも法案そのものが可決されかどうかも分かりませんが['15年5月末現在]、何れにせよ、政府は経済界の意向を受け、規制緩和の方向へ舵を切ろうとしているのは違いありません。

 今回の改正に関しては、賛否両論ありますが、民主党政権下で、非正規労働者の雇用を安定させようと制定された「無期転換ルール」が平成25年春に施行され、一方が申入れをしただけで本来は合意の上になりたつべきである「契約」が成立してしまうということの方が、個人的には、労働契約の本筋からしてむしろどうだったかなという思いがあります。それさえも早期の契約打ち切りを招いて雇用が不安定になる危険性を孕んでいるとの指摘がありましたが、今回も同様の指摘があり、規制強化路線の揺り戻しであるかのように派遣法を改正するというのは、非正規労働者の問題を政府は本気になって取り組もうとはしていないのではないかという「労側」の声もあります。個人的には、今回の改正案は、派遣労働者の保護よりも派遣先の常用労働者の保護を重視する「常用代替防止」思想からやっと抜け出すと共に、「専門26業務」というとっくに使えなくなっているフレームからも脱却出来るという意味で、法改正の趣旨そのものには肯定的に捉えています。あとは、人材派遣業の業界内の各企業の質のバラツキの問題と、派遣労働者を使う企業側の質のバラツキの問題かなあと。

塩崎恭久厚生労働大臣.jpg 塩崎恭久厚生労働大臣が全国の労働局長にブラック企業の公表を指示したというニュースが最近ありましたが(2015年5月18日)、一方で、働く側も派遣などの「多様な働き方」を望んでいるとしており、そうなると、本書にあるブッラク派遣の実態は企業名の公表で対処出来るような業界内での極めて局所的・例外的実態ということなのでしょうか。個人的にはそうは思えず、人材派遣業界のある一定数の企業は、こうした再就職難の中高年を更にスポイルし消耗するという構造の上に成り立っているように思えます。たとえそのことを糾弾されても、そうした企業は、自分たちが再就職難の中高年の受け皿になっているのだとかいった理屈を捏ねるんだろなあ。

 読んでいて気が滅入るルポですが、知っておくべき日本の労働現場の一面でしょう。

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「問題社員」レベルを遥かに超絶した「モンスター社員」の事例が"強烈"。

あなたの隣のモンスター社員.jpgあなたの隣のモンスター社員 (文春新書)

 社会保険労務士による本ですが、全6章構成の第1章「本当にあったモンスター社員事件簿」に出てくる、"ファイルNO.1 見事な演技力で同僚をセクハラ加害者に仕立て上げた清楚な女性社員"をはじめとする5つの事例がどれも"強烈"で、著者の言う「モンスター社員」というのが、一般的に「問題社員」と呼ばれるもののレベルを遥かに超絶した、企業や職場にとって極めてやっかいな存在であることを再認識させられます。この5つの事例だけで本書の前半部分を割いていますが、それだけの意義はあるように思いました。

 著者によると、モンスター社員の特徴は、「社会人としてのモラルが低く、ルールも無視、注意を受けると逆切れする」「対人関係や精神状態が不安定で、常に周囲とトラブルを引き起こす」「平気で嘘をつき、良心や倫理観が欠如している」「自己愛が異常に強く、虚言や自慢話で周囲を振り回す」というようなもので、このような特異な存在を類型化できるのかという気もしますが、第2章「タイプ別モンスター社員の特徴とその対処法」で、「A.親、配偶者がモンスター化している社員」「B.演技力で周囲を掻き回す社員」「タイプC.モラル低下型社員」「タイプD.職場環境を悪化させるハラスメント社員」「タイプE.常に注目を浴びたい自己愛型モンスター社員」に分類し、それぞれについての対処法を述べています。

 第3章「職場のモンスターの仮面の下」で、ほとんどのモンスターは第一印象がいいが、実は仮面の下に、歪んだ自己愛や自身の無さ、コンプレックス、嫉妬、不満・怒り、傷つきやすさ、依存心などがその心理としてあり、それが会社を批判したり、部下や同僚をいじめたり、自分の事を自慢したりする行動にどう結びついていくのかを解説しています。

 第4章「モンスターの見分け方」で、こうしたモンスター社員であってもクビにするのはそう簡単ではないため、それではどうしたら採用の際に見抜けるかをアドバイスし、第5章「モンスター社員への対処方法」では、それでも実際に入ってしまったからモンスターだと分かった際の対処法を示していますが、この辺りはまあオーソドックスな解説と言えるでしょうか。

 やはり、第1章の事例編が"強烈"であり、こんな人格障害そのもののような相手に対して普通の対処法で解決できるのかなあという気もしました。実際、事例の中にも、対処策を講じきれないうちに、時間が何となく解決してしまったような例もあったかと思います(注:著者が事の発端から最後まで関与していた事例ばかりとは限らない)。

 一方で、その中には、パワハラをした社員を辞めさせるのに金銭的解決を持ちかけ、「金を払って」辞めてもらった例もあり、従来の発想だと、経営者は「どうしてそんなヤツに金を払わなければならないんだ」「周りに示しがつかない」的な発想になりがちですが、モンスター社員のことで経営者や管理者が費やす時間と労力の無駄を考えると、こうした対象方法も場合によってはありかなと思いました(後の方の事例で、一度金を払ったがためにその後も金を請求されるという事例も出てくるように、1回でケリをつけることが肝要か)。

 こうしたモンスター社員は、経営者や管理者が頭を悩ますだけでなく、どの職場に行っても周囲の人たちが大いに疲弊させられ、そのことの損失もこれまた大きいように思います。病気ならば治る可能性はありますが、人格障害的なものはそう簡単には変わらないため、やはり早期に対応し、周囲が迷惑を受ける期間を出来るだけ圧縮することが望ましいかと思います。

 第6章「モンスターを生まない会社へ」にあるように、会社に共有ビジョンが無かったり、コンプライアンス意識が欠けていることによって、普通の社員がモンスター化していくことも確かにあるでしょうが、むしろ、元々潜在的に"モンスター資質"を持った人が、そうした環境の中でその"資質"部分を触発され、自己アピールの場として職場に固執したり、自分の居場所として会社に居ついてしまうといったこともあったりするのではないでしょうか。

 その分、退職を勧奨したり、異動を命じたりすることは難しかったりしますが(本書は、社会保険労務士による本であるため、必要に応じて法的な留意点についても触れられている)、但し、放置しておくと職場のモラールに影響し、最悪の場合は「割れ窓の論理」で同じような話があちこちで起きてくる可能性もあるように思います。そうした意味では、「モンスター社員」問題は、個人の人格の問題に近い要素と、組織の問題との複合問題でもあるように思いました。

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「1」ほどインパクトはないが、より深く問題に斬り込み、重層的に考察を進めている「2」。

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ブラック企業2 「虐待型管理」の真相 (文春新書)』  渡辺 輝人 著『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? ナベテル弁護士が教える残業代のカラクリ

 「大佛次郎論壇賞」を受賞した『ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪』('12年/文春新書)の第2弾で、前著のサブタイトルも凄かったけれど(著者が考えたのか、はたまた編集者が考えたのか)、今回もなかなかという感じ。でも、「虐待型管理」というのは、確かに本書に書かれている「ブラック企業」の実態を表していると言えるかも。

 前著では、「ブラック企業」の第一の問題は、若くて有益な人材を使い潰していることであり、その特徴は、正社員を大量に採用して労働基準法ぎりぎりのラインで酷使、消耗、スポイルしてはまた新たな採用を繰り返していることであり、そうした新卒の「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われていることに問題あるとしていました。

 このように、単なる告発ジャーナリズムとは一線を画す姿勢を取り(但しサブタイトルはややその気を感じさせなくもないが)、従来の「ブラック企業」という言葉の、非正規社員が労働基準法違反の処遇条件で酷使されているというイメージに対し、正社員採用された労働者が、労基法に明確に違反するのではなく、「ぎりぎりで合法」乃至「違法と合法の間」のグレーゾーンで働かされているのがその実態であると指摘したのは画期的だったかもしれません(一方で、非正規も酷使されている実態があり、本書「2」では「ブラックバイト」という言葉が出てきてややこしいが)。

 今回は、こうした「ブラック企業」問題が依然解決されておらず、過労死や過労自殺が後を絶たない実態を踏まえ、どうして解っていてもそうした会社に入ってしまうのか(第1章)、どうして死ぬまで辞められないのか(第2章)といった働く側の心理面に実際にあった事例から迫り、それに呼応したブラック企業側の絡め取り搾りつくす手法を解析(第3章)、ブラック企業は国家戦略をも侵略しつつあるとし(第4章)、ではなぜそれらを取り締まれないのかを考察(第5章)しています。更に、規制緩和でブラック企業が無くなるといった「雇用改革論」を"奇想天外"であると非難し(第6章)、ブラック企業対策として親・教師・支援者がなすべきことを提案(第7章)しています。

 「ブラック企業」の定義にパラダイム転換をもたらした前著ほどのインパクトがあるかどうかはともかく、より深く問題に斬り込み、重層的に考察を進めていることは窺えるのではないでしょうか。前著に匹敵する力作である(単なる告発ジャーナリズムとは一線を画す姿勢は維持されている)と思う一方で、丁寧に紹介されている数々の過労自殺や過労死の事例には胸が蓋ぎます(社員をうつにして辞めさせる手法などについても、前著より詳しく紹介されている。コレ、かつて高度経済成長期に流行った感受性訓練(ST)の変形悪用だなあ)。

ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか? 帯.jpg 本書の著者である今野氏が帯に推薦文を書いている本に、『ワタミの初任給はなぜ日銀より高いのか?』('14年/旬報社)がありましたが(著者は日本労働弁護団等で活躍する弁護士とのこと)、固定残業制のカラクリなどは『ブラック企業』で既に紹介済みで、事例企業が「大庄(日本海庄や)」から「ワタミ」に替わっただけか。但し、その仕組みの説明の仕方が分かりにくく(今野氏の推薦文には「残業代のプロフェッショナル」とあるのだが)、普通の人が読んでも時間外割増と深夜割増の違いなんて分からないのではないかと思ったりもしました(老婆心ながら、『ブラック企業』で言っている「大庄」の例と本書で言っている「ワタミ」の例を大まかに図示してみた)。

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by HUREC

 「ワタミ」の例で著者は、深夜割増相当分を全部使い切る試算をしているため(「深夜手当」3万円を時給相当額の2割5分で除している)、通常割増分(月45時間分)より深夜割増分(月128時間)の方が当該時間数が圧倒的に多くなっていますが、こうしたことは深夜勤務主体でないと起こり得ず、その前提がどこにも書かれていないのは不親切かも(一応、著者の説明に沿って図を作ったが、深夜手当を0.25でなく1.25で割って計算する方が、"相対的に見て"ノーマルなのだろう)。ワタミの酷さを「天狗」と比較しているけれど、「天狗」の実態をきちんと調べた形跡も無し。相対的にマシならばそれでいいとするならば、80時間の残業に満たないと固定残業代が一切払われなかった「大庄(日本海庄や)」に比べれば、「ワタミ」はまだマシということにもなってしまうのではないでしょうか。

 更には、残業を巡る未払い賃金の相談は、社会保険労務士ではダメで弁護士にしなさいと書いていますが、弁護士だって色々でしょう。社労士を一括りにして相談すべき相手ではないとしているのもどうかと思うし、自らが開発に関わったという残業代自動計算ソフト(「給与第一」)の話なども含め、未払い賃金(未払い残業代)請求という「自らのビジネス」への誘引を促すという目的が前面に出てしまった本であり、その割には、先にも述べたように、解説は親切ではないように思いました(「ナベテル弁護士」の事務所に相談に来てもらえれば、じっくり説明するということか)。

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エグゼンプションという切り口で「日本型雇用」を変える「構造」を提案している。

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いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる (PHP新書)』['14年]『雇用の常識 決着版: 「本当に見えるウソ」 (ちくま文庫)』['12年]

 2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」』(プレジデント社、'12年/ちくま文庫)が注目され、その後も『「若アベノミクスで「雇用」はどうなる.jpg者はかわいそう」論のウソ』('10年/扶桑社新書)、『就職、絶望期』('11年/扶桑社新書)、『女子のキャリア―"男社会"のしくみ、教えます』('12年/ちくまプリマー新書)、『日本で働くのは本当に損なのか』('13年/PHPビジネス新書)などを多くの著書を発表している著者(元リクルート ワークス研究所勤務)による本です(先に取り上げた(エントリー№2284)経済学者の安藤至大氏と「ニコ生」に出ていたこともあった)。この他にもいくつもの著書があってそれらの内容が重複しているきらいが無きしもあらずですが、 本書は単独でそれなりに読みでがありました。

「ニコ生×BLOGOS」"アベノミクスで「雇用」はどうなる"(2013年)海老原嗣生氏&安藤至大氏(経済学者)

 ホワイトカラーエグゼンプションを巡る議論が再び活発化している昨今ですが、残業代の不支給と、その対象となる年収について議論が費やされてきたという経緯は、これまでとあまり変わっていないようです。これについて、本書では、今回のエグゼンプション論議は、「定期昇給・昇級・残業代の廃止」という経営都合の日本型の変更のみが念頭に置かれているとしています。

 そして、そこには、もう一つの日本型の問題――残業代を払い続け、定期昇給を維持する分、長時間労働や単身赴任で疲弊し、働く人のキャリアや家庭生活の面にもマイナス寄与しているという問題――をも取り除くという視点が欠如しているといいます。つまり、エグゼンプションを契機として、給与・生活・キャリアの三位一体の改革をすべきであるとしています。

 著者は、エグゼンプションの本質に迫ると、多くの企業に根ざす「日本型雇用」の綻(ほころ)びが見えてくるといいます。例えば、日本企業はこれまで全員を幹部候補として採用し、年功昇給によって処遇してきたため、企業の熟年非役職者が高収入となって、そのため転職が困難になっているとしています。そこで、エグゼンプション導入を機に、「同一職務=同一給与=同一査定」「職務の自律性・固定制」「習熟に応じた時短」といった「欧米型」雇用の本質も、同時に実現すべきであるとしています。

 但しし、すべての階層を一時(いちどき)に「欧米型」に移行させるのではなく、「欧米型雇用」と「日本型雇用」の強み・弱みをそれぞれ吟味し、日本人と欧米人の「仕事観」の違いや、欧米企業における人事異動のベースとなっている「ポスト雇用」という考え方を分かりやすく説明したうえで、まず、習熟を積んだキャリア中盤期以降を「欧米型」のポスト雇用に切り替えていくことを提案しています。

 エグゼンプションは、その「日本型」と「欧米型」の"接ぎ木"のつなぎ目として機能するものであり、キャリア中盤期以降は、時間管理ではなく成果見合いの職務給制となる一方、エグゼンプション導入の際には、労働時間のインターバル規制や異動・配転の事前同意制、休日の半日取得などの措置がとられるべきであるとしています。ここには、エグゼンプションにまつわる「制約」によって、「全員が階段を昇る」日本型の人事管理を終わらせるということも、狙いとして込められているようです。

 エグゼンプションという切り口で「日本型雇用」を変える(終わらせる)ことを提案していて、しかも、従来よくあった「日本型全否定」ではなく「途中まで日本型肯定」のハイブリッド型になっているのが興味深く、また現実味を感じさせるところですが、入り口が日本型のままであることによって生じる諸問題についての解決策も提示されています。

 個人的には、論旨が「中高年問題」にターゲティングされていることを強く感じましたが、つまるところ、「日本型雇用」の最大の問題はそこにあるということになるのでしょうか。エグゼンプションというテーマからすると、業態などによっても読者によって受け止め方の違いはあるかもしれません。但し、「ジョブ型社員」「限定社員」といった最近話題の人事テーマに関して、従来の議論から踏み込んで具体的な「構造」を提案しているという点で、これからの議論や制度設計の一定の足掛かり乃至は思考の補助線となるものと思われます。

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入門書として分かり易く、また全体にバランスよく纏まっている。将来予測は興味深かった。

これだけは知っておきたい働き方の教科書.jpg
  あんどう・むねとも.jpg 安藤至大(あんどう・むねとも)氏[from ダイヤモンド・オンライン
これだけは知っておきたい働き方の教科書 (ちくま新書)

 NHK(Eテレ)の経済学番組「オイコノミア」やBSジャパン「日経みんなの経済教室」などにも出演している新進気鋭(だと思うが)の経済学者・安藤至大氏による「働き方」の入門解説書。1976年生まれの安藤氏は、法政大学から東京大学の大学院に進み、現在は日本大学の准教授ですが、最近はネットなどで見かけることも多く、売出し中という感じでしょうか。

 第1章で、「なぜ働くのか?」「なぜ人と協力して働くのか?」「なぜ雇われて働くのか?」といった基本的な疑問に答え、第2章で、「働き方の現状とルールはどうなっているのか?」「正社員とは何か?」「長時間労働はなぜ生じるのか?」「ブラック企業とは何か?」といった日本の「働き方の現在」を巡る問題を取り上げ、第3章で「働き方の未来」についての予見を示し、最終第4章で今自分たちにできることは何かを説いています。

 経済学者として経済学の視点から「労働」及びそれに纏わる今日的課題を分かり易く説明するとともに、労働法関係の解説も織り交ぜて解説しており(この点においては濱口桂一郎氏の著作を想起させられる)、これから社会人となる人や既に働いている若手の労働者の人が知っておいて無駄にはならないことが書かれているように思いました。

 まさに「教科書」として分かり易く書かれていて、Amazon.comのレビューに、「教科書のように当たり前なことの表面だけが書かれていて退屈だった」というものがありましたが、それはちょっと著者に気の毒な評価ではないかと。元々入門解説書として書いているわけであって、評者の視点の方がズレているのではないでしょうか。個人的には悪くなかった言うか、むしろ、たいへん説明上手で良かったように思います。

 例えば「正規雇用」の3条件とは「無期雇用」「直接雇用」「フルタイム雇用」であり、それら3条件を満たさないものが「非正規雇用」であるといったことは基本事項ですが、本書自体が入門解説的な教科書という位置づけであるならばこれでいいのでは。労働時間における資源制約とトレードオフや、年功賃金と長期雇用の関係などの説明も明快です。

 第2章「働き方の現在を知る」では、こうした基本的知識を踏まえ、日本的雇用とは何かを考察しています。ここでは、「終身雇用」は、高度成長期の人手不足のもとでのみ合理的だったと思われがちだが、業績変動のリスクを会社側が一手に引き受けることにより、平均的にはより低い賃金の支払いで労働者を雇うことができ、その企業に特有な知識や技能を労働者に身につけさせるという点においても有効であったとしています。また、法制度の知識も踏まえつつ、解雇はどこまでできるか、ブラック企業とは何かといったテーマに踏み込んでいます(著者は、解雇規制は緩和する前に知らしめることの方が重要としている)。

 更に第3章「働き方の未来を知る」では、著者の考えに沿って、まさに「働き方の未来」が予測されており、この部分は結構"大胆予測"という感じで、興味深く読めました。

 そこでは、少子高齢社会の到来によって近い将来、労働力不足が深刻化し、高齢者は働けるうちは働き続けるのが当たり前になると予測しています。更に、妻や夫が専業主婦(夫)をしているというのはとても贅沢なことになるとも。一方で、労働力不足への対処として外国人労働者や移民の受け入れが議論されるようにはなるが、諸外国の経験も踏まえて議論はなかなか進まないだろうともしています。

 また、機械によって人間の仕事が失われる可能性が今より高くはなるが、仕事の減少よりも人口の減少の方が相対的にスピードが速く、やはり、労働力を維持する対策が必要になるとしています。

 雇用形態は多様化し、安藤至大 (あんどうむねとも) (@munetomoando).jpg限定正社員は一般化して、非正規雇用も働き方の1つの選択肢として考えられ、また、社会保障については、企業ではなく国の責任で行われる方向へ進み、職能給や年功給は減少して職務給で雇われる限定正社員が増えるなどの変化が起きる一方で、新卒一括採用は、採用時の選別が比較的容易で教育コストなども抑えられることから、今後もなくならないだろうとしています。

 入門書の体裁をとりながらも、第3章には著者の考え方が織り込まれているように感じられましたが、若い人に向けて、今だけではなく、これからについて書いているというのはたいへん良いことだと思います。個別には異論を差し挟む余地が全く無い訳では無いですが、全体としてはバランスよく纏まっており、巻末に労働法や労働経済に関するブックガイドが付されているのも親切です(「機械によって人間の仕事が失われる」という事態を考察したエリク・ブリニョルフソン、 アンドリュー・マカフィー著『機械との競争』('13年/日経BP社)って最近結構あちこちで取り上げられているなあ)。
安藤至大 (あんどうむねとも) (@munetomoando)

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第1章 働き方の仕組みを知る
1 私たちはなぜ働くのか?
生活のために働く
稼得能力を向上させるために働く
仕事を通じた自己実現のために働く
2 なぜ人と協力して働くのか?
自給自足には限界がある
分業と交換の重要性
比較優位の原理
比較優位の原理と使い方
「すべての人に出番がある」ということ
3 なぜ雇われて働くのか?
なぜ雇われて働くのか
他人のために働くということ
法律における雇用契約
雇われて働くことのメリットとデメリット
4 なぜ長期的関係を築くのか?
市場で取引相手を探す
長期的関係を築く
5 一日にどのくらいの長さ働くのか?
「収入-費用」を最大化
資源制約とトレードオフ
限界収入と限界費用が一致する点
6 給料はどう決まるのか?
競争的で短期雇用の場合
長期雇用ならば年功賃金の場合もある
取り替えがきかない存在の場合
給料を上げるためには
コラム:労働は商品ではない?

第2章 働き方の現在を知る
1 働き方の現状とルールはどうなっているか?
正規雇用と非正規雇用
正規雇用の三条件
7種類ある非正規雇用
非正規雇用の増加
2 正社員とはなにか?
正規雇用ならば幸せなのか
正社員を雇う理由
正規雇用はどのくらい減ったのか
3 長時間労働はなぜ生じるのか?
長時間労働の規制
長時間労働と健康被害の実態
なぜ長時間労働が行われるのか
一部の労働者に仕事が片寄る理由
4 日本型雇用とはなにか?
定年までの長期雇用
年功的な賃金体系
企業別の労働組合
職能給と職務給
中小企業には広がらなかった日本型雇用
5 解雇はどこまでできるのか?
雇用関係の終了と解雇
できる解雇とできない解雇
日本の解雇規制は厳しいのか
仕事ができる人、できない人
6 ブラック企業とはなにか?
ブラック企業はどこが問題なのか
なぜブラック企業はなくならないのか
どうすればブラック企業を減らせるのか
コラム:日本型雇用についての誤解

第3章 働き方の未来を知る
1 少子高齢社会が到来する
生産年齢人口の減少
働くことができる人を増やす
生産性を向上させる
2 働き方が変わる
機械により失われる仕事
人口の減少と仕事の減少
「雇用の安定」と失業なき労働移動
3 雇用形態は多様化する
無限定正社員と限定正社員
働き方のステップアップとステップダウン
非正規雇用という働き方
社会保障の負担
4 変わらない要素も重要
日本型雇用と年功賃金
新卒一括採用
コラム:予見可能性を高めるために

第4章 いま私たちにできることを知る
1 「労働者の正義」と「会社の正義」がある
「専門家」の言うことを鵜呑みにしない
目的と手段を分けて考える
会社を悪者あつかいしない
2 正しい情報を持つ
雇用契約を理解する
労働法の知識を得る
誰に相談すればよいのかを知る
3 変化の方向性を知る
働き方は変わる
失われる仕事について考える
「機械との競争」をしない
4 変化に備える
いま自分にできることは何か
これからどんな仕事をするか
普通に働くということ

おわりに

ブックガイド:「働くこと」についてさらに知るために

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長期的な雇用関係(オールドディール)を捨てニューディールに移行した米国企業が直面した課題を精緻に分析。
The New Deal at Work.jpg雇用の未来 キャペリ.jpg雇用の未来 P・キャペリ.JPG  Peter Cappelli.jpg
雇用の未来』['01年/日本経済新聞社] Peter Cappelli
"The New Deal at Work: Managing the Market-Driven Workforce"

 終身雇用(長期的な雇用)は日本企業独自のものであって、米国企業にはそうした雇用慣行は無かったかのように思われているフシもにありますが、実は米国でも1970年代くらいまでは終身雇用をベースにした企業が殆どだったと言われています。それが、1980年代に米国は深刻な不況に陥り、企業は人員削減の必要に迫られ、従業員が企業に貢献できる限りは雇用するが、そうでなくなれば雇用は保証しないという新たな雇用スタイルに移行したとされています。

 1999年にピーター・キャペリ(Peter Cappelli)が著した本書(原題:"The New Deal at Work")は、米国企業が雇用においてそうした旧来型の長期的な雇用関係(オールドディール)をどのような経緯と理由で捨て、雇用者と労働者が雇用契約の内容を状況に応じて書き改めるオープン型の新たな関係(ニューディール)に移行したか、また、その結果としてどのような問題が生じ、それをどう乗り越えようとしているか(したか)が書かれています。

 第1章「雇用のニューディール」では、職場における「ニューディール」の概略を紹介し、企業は社員との暗黙の了解をいかに書き改めたのかを概説するとともに、それによって進行した社員の離職や無断欠勤の増加などの行動変化により経営者が抱えるようになった問題の領域―コア社員の維持、コミットメント、スキル開発―について解説しています。

雇用の未来  キャペリ.jpg 第2章「置き去りにされてきた雇用契約」では、米国における雇用慣行の歴史を遡ることで、「伝統的」だと考えられている長期的な雇用関係は、実はある経済状態に応じて比較的最近に出現し70年代末期から80年代初頭にかけて一層活発化したものであること、そしてそれがその後10年もしないうちに終焉を迎えることになったことを示しています(「オールドディール」以前には「ニューディール」に近い状態があったというのが興味深い)。

 第3章「何が雇用のリストラクチャリングを引き起こしたのか」では、長期的な雇用関係を徐々に崩壊させたその原因の多くは経済全体に関わるものであるが、最も重要な圧力は経営のイノベーションに関わるものであったとし、それゆえに、リストラクチャリングは継続的な変化を意味し、そのことは同時に、雇用主と労働者が相互にコミットメントし合う長期的な雇用関係の終焉を意味するとしています(つまり、長期的な雇用関係にはもう戻れないというのが著者の考えとみてよい)。

 第4章「変化の大きさ」では、こうした圧力が実際にはどの程度のものであったのか、雇用関係や社員自身にどのような影響を与えたかを、職場における変化の具体的な事例を取り上げながら解説しています。この中では特に、企業が新入社員に対する人材育成投資を手控えるようになったことに注目しています(今後は、企業が教育訓練に投じてもよいと考える額は、外部市場からの採用がどの程度困難かよって決まるだろうとしている)。

 第5章「市場原理に基づく雇用関係―外部労働市場はどう機能するか」では、以前からニューディール的な雇用関係が成立している業界や職種に着目し(航空パイロット、高等教育機関、シリコンバレーなど)、雇用・人事面の問題を克服するために必要となった調整手段について概説しています(例えばシリコンバレーの外部人材開発の事例では、様々な社員の評価を共有する情報ネットワークなど、外部インフラが自然発生的に出来あがったことに着眼している)。

 第6章「ニューディールが突きつけた課題にどう対処するか」では、コア社員の維持、コミットメント、スキル開発の問題を企業がどのような調整をもって克服しようとしたかを取り上げています。そして、ニューディールの下では、社員の組織に対するコミットメントは、今後ますます外部要因によって左右されるようになるとしています(社員のモラール維持に努めコミットメントの向上を意図した施策を講じても、労働市場が逼迫し、人材の引き抜きが盛んになれば、社員のコミットメントは低下せざるを得ないということ)。

 第7章「雇用の未来」では、社員に対して以前よりも多くの決断やリスクを迫る新しい雇用関係が個人や社会全体に与える影響など、マクロ的観点から考察しています。ニューディールがもたらす社会的影響については、就業に向けた万全の準備を学生たちに求める圧力が強まることなどを挙げています。
 ニューディールがもたらす結果について多くの人は不平等の拡大の問題を懸念するが、「市場性」の高い社員は、就職や昇進の見通しが明るくなる―、雇用の変動性と人材の内部育成に対する企業能力の低下が相俟って、個人が自分で自分のスキルを磨くことが求められる―こうした変化を「よい」とするかどうかは「よい」をどう定義するかによって答えが違ってくるわけであり、良し悪しの枠組みで議論するには限界があるとしています(良し悪しは別として企業や個人が対応しなければならない問題だということか)。
 著者は、ニューディールもいずれは過去のものとなるかもしれず、長期的な見方をすることをニューディールに関する最後の忠告として本書を結んでいます。

 バブル崩壊後、「失われた10年」と言われた平成不況に入った日本企業は、まさに本書にある米国のニューディールを追いかけたと言えるでしょう。リストラの嵐が吹き荒れ、成果主義賃金が叫ばれる中で、終わってみれば今もって「働かないオジさんの給料はなぜ高いか」などと言われているくらいですから、それは必ずしもオールドディールを全面的にひっくり返すほどではなかったかもしれませんが、一方で、人材の流動化や雇用形態の多様化、全労働者に占める非正規社員の比率の増大などは、当初の予想を超えて大幅に進行したと言えるかと思います。

 80年代、日本より10年先行してニューディールに移行した米国企業でも、90年代に入って雇用保障や内部人材の教育・育成の重要性が見直され、実際そうした「人材を活かす企業」こそがいち早く構造不況を脱したといったフェッファー(Jeffrey Pfeffer)などの研究報告もあります(『人材を生かす企業―経営者はなぜ社員を大事にしないのか?』(1998年/トッパン)。このいち早く構造不況を脱した企業の中にアメリカ・トヨタなども入っている)。そして、日本企業でも、2000年代に入って人材の重視が再び言われるようになり、2010年代に入ってそれがモチベーションアップなどのための様々な施策として具現化されてきているよう思います。

 日本と米国の雇用環境の決定的な違いは、人材の外部市場(人材情報の外部インフラ)の形成という面で日本が決定的に遅れているということでしょう。この差はすぐに埋まるものではなく、そうした所与の条件が違う中で、全てにおいて米国型を追っかけるのは無理があるし、その必要もないですが、多少の揺り戻しがあっても、当面は本書にあるニューディール自体がグローバルな流れであることは、見据えておく必要があるように思われます。その意味で本書は、これからの雇用のあり方、経営者と社員の関係のあり方を探る上で参考になる点が多いかと思います(一応断っておくと、書かれていることは「未来」ではなく、書かれた当時の「現在」なのだが)。

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この問題に対する著者の真摯な姿勢が感じられる。「労側」の弁護士が書いた本との捉え方は意味をなさない。

過労自殺 第二版.jpg『過労自殺 第二版』.jpg過労自殺 第二版 (岩波新書)』['14年]過労自殺 .jpg過労自殺 (岩波新書)』['98年] 

 同著者の1998年刊行の『過労自殺』の16年ぶりの全面改訂版であり、第1章では事例をすべて書き換え、著者が直接裁判などを担当して調査を行った資料を中心に、過労自殺の実態を具体的に示しています。
 それらの事例と、続く第2章の統計から、20代や30代の若者や女性たちの間にも、仕事による過労・ストレスが原因と思われる自殺が拡大していることがわかり、そのことはたいへん危惧すべきことであるように思いました。また、旧版『過労自殺』にもそうした事例はありましたが、パワハラが絡んでいるものが少なからずあるということと、こうした事件がよく名前の知られた大企業またはその系列会社で起きているということも非常に気になりました。

 第2章では、新しい統計・研究を組み込んで、過労自殺の特徴・原因・背景・歴史を考察しています。旧版『過労自殺』によれば、1995~1997年度の過労自殺の労災申請は、それぞれ10件、11件、22件で、それに対し労災認定件数は各0件、1件、2件しかなかったとありました(有名な「電通事件」裁判も、労災申請を認めなかった労基署の判断が退けられたという形をとっている)。
 それが、本書によれば、2007~2012年度の間では毎年度63~93件の自殺労災認定があったとのこと。しかし、これは厚労省労働基準局統計による数字であって、警察庁・内閣府統計では、2007~2012年の間「勤務問題」が原因・動機の自殺が毎年2,500件前後あったとなっており、著者が過労自殺の被災者は実質的には年間2,000人以上になるとしているのは、必ずしも大袈裟とは言えないように思いました。

 第3章では、そうした実態も踏まえ、過労自殺と労災補償の関係を整理し、具体的にQ&A式で説明しています。基本的には労働者や被災者とその家族向けに書かれていますが、企業の人事労務担当者が基礎知識として知っておくべきことも含まれています。

 第4章では、今年成立した過労死等防止対策推進法(略称・過労死防止法)などの情勢の進展を踏まえ、過労自殺をなくすにはどうすればよいかについて、職場に時間的なゆとりを持たせることや、精神的なゆとりを持たせることなど、いくつかの観点から提言を行っています。個人的には、「義理を欠くことの大切さ」を説いているのが興味深かったです(版元のウェブサイトの自著の紹介でも、著者は、女優の小雪さんが語りかける「風邪?のど痛い?明日休めないんでしょ?」というCMを見て、風邪気味でのどが痛くとも、熱っぽい状態であっても、仕事を休まずに出勤することを前提にしていることに違和感を感じたとしている)。

 過労自殺はあってはならないというこの問題に対する著者の真摯な姿勢が感じられるとともに、この問題は企業と働く側の双方で(それと社会とで)解決していかなければならない問題であるとの思いを改めて抱きました(本書では、元トリンプ・インターナショナル・ジャパン社長の吉越浩一郎氏の『「残業ゼロ」の仕事力』(2007年/日本能率協会マネジメントセンター)や株式会社ワークライフバランス社長の小室淑恵氏の『6時に帰る チーム術』(2008年/日本能率協会マネジメントセンター)などの著書からの肯定的な引用もある)。
 ともすると、「労(働者)側」の弁護士が書いた本だと捉えられがちですが、著者は実際には企業のコンプライアンス委員会などにも関与しており、過労自殺を予防するといった観点からは、「労(働者)側」「使(用者)側」という見方はあまり意味を成さないのかもしれません。
 人事労務担当者としては押さえておきたい1冊です。

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日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起。第5編の提案部分の更なる深耕に期待。

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日本の雇用と中高年 (ちくま新書)』『若者と労働 「入社」の仕組みから解きほぐす (中公新書ラクレ)』濱口 桂一郎 氏(社会保険労務士稲門会「講演と懇親の夕べ」2012.12.1講演テーマ「日本の雇用終了-労働局あっせん事例の分析」)

 同著者の『新しい労働社会』(岩波新書)、『日本の雇用と労働法』(日経文庫)、『若者と労働』(中公新書ラクレ)に続く新書第4弾であり、日本の雇用社会は仕事に人を割り振る「ジョブ型」ではなく、人に仕事を割り振る「メンバーシップ型」であって、それが時代の変化とともに歪みを生じさせているとの現状認識が出発点となっている点はこれまでと同様です。その意味ではこれまでの著書の「続編」との印象もありますが、著者の場合、意識して一作ごとに分析の切り口やフォーカスする論点の比重のかけ方を変えているようです。

 前著『若者と労働』では日本の若者労働問題を取り上げ、国際比較と歴史的分析をもとにその本質的構造を解き明かしてみせたのに対し、今回は、日本の雇用問題の中心である中高年問題、つまり、日本の中高年労働者がその人件費の高さゆえに企業から排出されやすく、排出されると再就職しにくいという問題を取り上げ、戦後日本の雇用システムと雇用政策の流れを概観しています。

 第1章から第4章において、日本の中高年問題の文脈を雇用システムの歴史的変遷に探り、続いて、日本型雇用において労働法や判例法理がどのように確立しどのような高齢者政策がとられてきたのか、また、年齢差別禁止政策という観点からはどのような歴史的変遷を辿ってきたのかを解説するとともに、「管理職」問題、中高年を狙い撃ちした成果主義や最近また議論が再燃しているホワイトカラー・エグゼンプションなど近年のトピカルな問題にまで言及しています。

 著者は、中高年や若者を巡る雇用問題を「中高年vs.若者」という対立軸で捉えてどちらが損か得かで論じることは不毛であり、雇用問題は雇用システム改革の問題として捉えることが肝要だとしており、ここまでに書かれている歴史的変遷も、それ自体「人事の教養」として知っておいて無駄ではないかと思いますが、ここでは、日本型雇用システムの歴史を探ることでその本質や特徴を浮き彫りにするという意図のもとに、これだけの紙数を割いているようです。

 そして、最終章である第5章において、前著『若者と労働』で若者雇用問題への処方箋として提示した「ジョブ型正社員」というコンセプトが、本書のテーマである中高年の救済策にもなるとしています。「ジョブ型正社員」の是非を巡る労使間の議論が、解雇規制緩和への期待や懸念が背景となってしまっている現状の議論の水準を超えて、労使双方にとって有意義な雇用システム改革という新展望の上に展開されているという点では、本書にも紹介されている1995年の日経連の『新時代の「日本的経営」』にも匹敵する、日本的雇用の在り方に影響力を持ち得る視座を提起しているように思われました。

 一方で、「ジョブ」の概念が明確でないのが日本の雇用社会の特質であるとしてきた著者のこれまでの論調の中で、「ジョブ型正社員」というものを今後どう構築していくかという課題は、その実現においてクリアにしなければならない多くの問題を孕んでいるようにも思えました。例えば、経団連の「人事賃金センター」は、かつて日経連時代には「職務分析センター」と呼ばれていたが、そうした名称が用いられなくなったこと自体が、「ジョブ」を規定しそれを日本的雇用の中で活用していくことの"挫折"とその困難を物語っているのではないかと。著者ももちろん、その困難さはよく解ったうえで、問題提起しているわけですが...。

 問題解決の一つの視点として、戦後の日本型雇用システムが企業内で労働者とその家族の生活をまかなうことを追求した結果、公的社会保障制度としてまかなわれるべきものが「メンバーシップ型」正社員の処遇制度の中に織り込まれ、それが中高年の年功賃金につながった―つまり、労働も福祉も一緒くたにして企業が負うことになったことを挙げており、これはなかなか穿った見方であるように思いました。個人的には、企業の福祉からの撤退を訴えた橘木俊詔氏の『企業福祉の終焉―格差の時代にどう対応すべきか』(2005/04 中公新書)を想起しました。橘木氏は、報酬比例の保険料徴収及び給付方式となっている厚生年金保険など国の制度も含め、企業福祉に社会的格差の拡大原因を認めています。

 しかし、終身雇用をベースにした長期決済型の年功制を維持している間も、生産性に見合わない高給取りの中高年が真っ先にリストラ対象となった折も、そうした本質の部分について議論されることが無かった(能力主義であるとか現状において生産性に比べて賃金が割高であるとかいう理屈の上に韜晦されてしまった)のは、「メンバーシップ型」という概念が概念として対象化されず、それでいて企業が、何よりも人事部を中心にその(メンバーシップ型という考え方の)中にどっぷり浸り切っていたためであり、こうして「メンバーシップ型」として概念化し対象化すること自体、意義のあることのように思います。

 では、今後の施策面を考えるとどうでしょうか。企業における中高年の人事施策において、専門職制度の導入というのが一時流行り、今でも多くの企業がその制度を維持しています。これが建前としては、今言っているところの「ジョブ型」でありながら、実態としては単なる「非ライン(管理職)」の処遇の仕方であったことは間違いないかと思われます。こうした実態がある中での「ジョブ型正社員」の新たな位置づけというのはどのようになっていくのか、これは、企業によっては「専門職」が(かつてサラリーマン漫画に描かれたような「窓際族」はすでに実態として多くの企業ではほぼ"絶滅"しているとみるにしても)、一般職の延長での仕事しかしていない「エキスパート」が主なのか、その中に相当数の「スペシャリスト」「プロフェッショナル」と呼ぶべき、企業にとって付加価値貢献度の高い、企業経営を存続させていくべきで必要欠くべからざる人材が含まれているのかによっても違ってくるように思われます。

 日本の若者雇用問題の解決策として、入り口のところで、「ジョブ型正社員」をスタンダードとしてみてはという提案は、それがどれぐらいのスピードで定着していくかは分かりませんが、かつて牧野昇(1921-2007)が『新・雇用革命』(1999/11 経済界)で指摘した、日本のサラリーマンが「社長レースからだれも降りない理由」は「負けても失うものが意外に少ないから」との指摘―つまり、「ゼネラリストとして成功しないより、スペシャリストとして成功した方が、それは幸福だろう。しかし、ゼネラリストとして成功しないことと、スペシャリストとして成功しないことの間には、大きな格差がある。だからスペシャリストを志向することはリスクなのである。少なくとも今まではそうであった」という、その「今まで」の在り方を見直すことにつながっていくでしょう。それに先立つこと12年前に津田眞澂(1926-2005)は『人事革命』(1987/05 ごま書房)において、「専門職能を持たない従来型のゼネラリストは不要になる」と予言しています。

 「ジョブ型正社員」を若者雇用に適用するにしても、従来の新卒採用面接の考え方のパラダイム変換が求められたりはするでしょうが(実際殆どの企業がそうしたパラダイム変換を経ることなく今日に至っているのではないか)、それでも処方箋としては中高年問題の解決において「ジョブ型正社員」の考え方を採り入れるよりはシンプルなように思われ、逆に言えば、それだけ、中高年の方は問題が複雑ではないかという気がします。

 その意味では、本書第5章を深耕した著者の次著を期待したいと思いますが、こうした期待は本来著者一人に委ねるものではなく、実務者も含めた様々な人々の議論の活性化を期待すべきものなのでしょう。そうした議論に加わる切っ掛けとして、企業内の人事パーソンを初め実務に携わる人が本書を手にするのもいいのではないでしょうか。

若者と労働s.jpg また、本書は著者の新書シリーズ第4弾ですが、第3弾にあたる『若者と労働』(中公新書ラクレ)もお薦めです。若者向けにブラック企業問題などにも触れていますが、それはとっかかりにすぎず、むしろ「新卒一括採用」という我々が当たり前に考えている仕組みが、グローバルな視点でみるといかに特殊なのものであるか分かるとともに、この「新卒一括採用」が日本型雇用システムの根底を形作っていることがよく理解できる本です。当たり前とみられすぎて再検証されにくい分、「新卒一括採用」の方が「中高年」の問題より根が深いかも―と思ったりもしました。

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「一見、労働者の保護のためになりそうな政策が逆効果となるおそれがある」。

雇用改革の真実3.jpg大内 伸哉 『雇用改革の真実』2.jpg大内 伸哉 『雇用改革の真実』.jpg雇用改革の真実 (日経プレミアシリーズ)

 労働法の研究者による本書は、解雇、限定正社員、有期雇用、派遣、賃金、労働時間、ワークライフバランス、高齢者という8つのトピックを取り上げ、政府がどのように雇用政策を進めようとしているのか、それについてどう評価すべきなのか、また、それらが働く人の今後の働き方にどのように影響するのかを読み解いていくことを目的として書かれています。

雇用社会の25の疑問.jpg 本書の特徴として、政府の様々な雇用施策がかえって労働者の利益を損ねたり企業の自発的努力を阻害したりし、また、労使自治を揺るがすことにもなりかねないという懸念を表明している点が挙げられます。こうした考え方は、同著者の『雇用社会の25の疑問―労働法再入門』(2007年/ 弘文堂)においてもすでに示されていましたが、前著が入門書の形をとりつつ、こうした問題に対する多角的な視点を提示したものであったのに対し、今回は、近年の法改正の動きや雇用施策を巡る論議を踏まえ、トピカルなテーマについてのさらに踏み込んだ論考となっています。

 例えば、労働契約法における無期転換制度について、一般には、本来は無期雇用で働くべき労働者が使用者による有期雇用制限によって不利益を受けていた状況が、この制度により改善が図られると評価されていますが、著者は、この制度は企業に対して無期転換が起こらないように短期に雇用を打ち切るという行動を誘発する危険があるとして批判的に「再評価」しています。個人的には、この章はたいへん説得力があるように思えました(第3章「有期雇用を規制しても正社員は増えない」)。

 このほかに、それぞれのテーマに絡めて、「解雇しやすくなれば働くチャンスが広がる」「政府が賃上げをさせても労働者は豊かにならない」といった刺激的な章タイトルが並びますが、各章を読んでみれば、概ねナルホドと思える論考になっているように思えました。「ホワイトカラー・エグゼンプションは悪法ではない」という章もあれば(実は自分自身も、相当以前からホワイトカラー・エグゼンプションは悪法ではないと思っているのだが)、「育児休業の充実は女性にとって朗報か」という章などもあり、一方的に政府の雇用施策を非難したりまたは受け容れたりするのではなく、テーマごとに著者の考えを示しています。従って読者も、著者の問題提起を受け、自分なりに「再評価」を試みる読み方になるかと思います。

濱口桂一郎 日本の雇用終了.jpg『日本の雇用終了―労働局あっせん事例から』(2012年)などを読むと、中小企業における労働紛争の解決策として、実態的にはすでに行われているようにも思いました。ただし、著者は、法制度として解雇の金銭的解決が認められた場合の効果という視点から論じており、政府の雇用流動化施策やセーフティネットの拡充ということを付帯条件として挙げています。ただし、この付帯条件の部分が現実にはなかなか難しいのではないかという思いもしなくはありませんでした。

 「一見、労働者の保護のためになりそうな政策が逆効果となるおそれがある」という視点を提示している点では、著者の本を初めて読む読者には章タイトルに相応の"刺激的"な内容であり、実務者にとってただただ法改正を追いかけるのではなく、いったん自身でその意義と問題点を考えてみる契機となる本かと思います。その意味で人事パーソンを初め労働法の実務に携わる人にとっては「教養」とし押さえておきたい本です。

 以前、別のところで本書の書評を書いて、『雇用社会の25の疑問』をはじめ著者の本を何冊か読みつけている読者からすれば、「新機軸」と言うよりは「続編」といったという印象も受けるとしたところ、著者のブログの中で、著者が同じであるという意味では続編であるけれども、「『雇用改革の真実』はもっぱら政策論で、著者としては『雇用社会の25の疑問』とはかなり異なるテイストの本だと思っている」とのコメントがあり、言われてみれば確かにその通りであると思いました(タイトルの示す通りでもある)。

 この「日経プレミアシリーズ」は、「プレミア」を「プライマリー」ととれば丁度それに当て嵌まるラインアップという感じがじなくもありません。本書はそうした中では、読み易いばかりでなく鋭く本質をついており、重いテーマを突き付けてきます。著者の本を読んだことがある人にも、まだ読んだことが無い人にもお薦めです。

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従業員を辞めさせない「新ブラック企業」の実態について、企業だけでなく、働く側の心理、社会的・経済的背景にまで言及。

辞めたくても、辞められない!.jpg辞めたくても、辞められない! (廣済堂新書)』(2014/02 廣済堂新書)

 一般的に「ブラック企業=従業員を辞めさせる(辞めさせたい)」という構図があると思われますが、本書では、それとは真逆の、最近増えてきていると思われる「従業員を辞めさせない」企業(「新ブラック企業」とでも呼べばいいか)の実態を取り上げています。

 「従業員を辞めさせない」企業の実例を紹介し、その遣り口をタイプ別に分類した上で、本書では「従業員を辞めさせない」企業の特徴として、その背景に、独裁的経営者の下での「低賃金・重労働・人手不足」という3つの要素があるとしており、本質的には「辞めさせない企業」は「使い捨て企業」と表裏一体であると看破しています。

 更にそうした背景とは別に(或いはあたかもそれに呼応するように)、働く若者の側に、会社の「言いなり」になる心理構造がみられ、「素直で誠実」「自罰的傾向(自分が悪いと考える傾向)」「社会性の希薄」「働くルールの基礎知識の欠如」などがみられるとのことです。

 「従業員を辞めさせない」企業というのも詰まる所ブラック企業であり、本書では最後にブラック経営者から身を守るにはどうすればよいかを指南していますが、個人的にはそんな会社はとっとと辞めればいいのにと思ってしまうものの、実際には、従業員を巧妙に辞めさせない会社、辞められないという心理に陥ってしまう労働者、今のところ法的措置は考えていない政府、といった構造的な問題があり、そう簡単に解決が図れることでもないようです。著者は、働く者は身を守るために「武装」する必要があると言っています。

 労働問題・労働経済分野において多くの著書、ルポルタージュがある著者による本であり、本書は新書で200ページ弱のさらっと読める内容ですが、その限られた紙数の中で、単にこうした「従業員を辞めさせない企業」=「新ブラック企業」の実態を暴くだけに止まらず、その背景にあるものを、ブラック経営者の思惑だけでなく、労働者個人の心理から社会的・経済的背景にまで言及・分析している点はさすがかと思います。

 一方で、さらっと読める分、そうした企業があることをある程度実態として知っている人にとっては、こうしたことへの「言及」は状況の再確認になるものの、「分析」そのものは特段ユニークと思われるものは無かったかも(オーソドックスな「新ブラック企業」入門という感じ)。
 とは言え、景気回復基調に浮かれるアベノミックスの裏で、労働者は疲弊し、職場自体も病んでいる―そうした実態を改めて知らしめる1冊ではありました。

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基本的には教養書だが、その範疇にとどまらず今後の賃金のあり方を考えるうえでの示唆を含む。

日本の賃金を歴史から考える.jpg日本の賃金を歴史から考える』['13年/旬報社] 金子良事.jpg 金子良事 氏 

 著者によれば、高齢化社会における介護の問題など、労働者の生活問題の範囲が広がる中で、賃金は必ずしも生活問題の筆頭にあがらなくなってきたが、だからといって賃金の重要性が減じたわけではないとのこと。本書は、今、賃金の重要性を再認識するためにはどうすればよいのか、その答えを歴史のなかに求める一つの試みであるとのことです。

 確かに、人事労務の専門誌の特集テーマを見ても、ここ10年で賃金制度を取り上げている回数はかなり減っているし、企業担当者の間でも、賃金制度の策定に携わった経験のない人事パーソンが増えているのは事実ではないでしょうか。本書は、そうした人々をはじめ、働く人、労働組合関係者、賃金コンサルタント、近い将来賃金を生活の糧として働く学生など、なんらかのかたちで賃金に関心のある人を広く対象として書いたとのことです。

 したがって、初学者にも通読できるようにするため敢えて学術論文のスタイルはとらず、図表も全編を通してたった1つあるだけで、それ以外は統計表もなく、すべて地の文となっており、そのかわり、賃金そのものの多様な考え方をできるだけ多く紹介し、さらに、その背景にある社会の歴史の説明に多くを割いています。

 著者の意図は、日本の賃金の歴史研究を通して現状の実践的問題に対する意識を高め、賃金についての議論を再び活性化させることにあるようですが、単純に歴史的関心から読み始めても面白く読める本ではないでしょうか。身元保証人制度のルーツは、江戸時代の期間奉公にあり、当時、奉公人の衣食住を保証する一方で、貨幣的な報酬は保証人に支払われていた―とか(「被用者の従属制と生活の保障」)。

 報酬には、感謝報恩と受取権利という2つの考え方があり、これを現代に置き換えれば、前者が「給与」、後者が「賃金」となり、それぞれ、英語の「salary」「wage」に対応するというのも興味深いです(「報酬の考え方としての感謝報恩と受取権利」)。「賞与金(ボーナス)」の系譜、「社員」という呼称の始まり、「人事部」の登場、科学的管理法の登場などの解説も興味深く読めました。

 さらに、「日本的賃金」というものがどのように形成されていったのか、基本給を中心とした賃金体系の形成というミクロの視点から解き明かすとともに、賃金政策と賃金決定機構、社会生活における賃金のあり方といったマクロの視点まで幅広く論考されているため、社会政策、社会福祉などに関心をもつ読者にも応えるものとなっています。

 一般書であるとはしながらも研究者も読者対象としているようであり、"手加減"はされていないとの印象を受ける一方で、一般の読者には難解な箇所があれば読み飛ばしてもいいとしています。

 基本的には教養書であり、自分自身も、現状およびこれからの賃金問題を考えるといった大上段に構えるのではなく、単純に歴史的関心から読み始めたのですが、そもそも、こうした本があまり刊行されていないだけに貴重であるように思われました(本書を読むと解るが、テーマによっては歴史的資料が充分でない面があり、体系立てて歴史的変遷を探るのは結構大変そう)。

 但し、その上で、単に教養書の範疇にとどまらず、これからの賃金のあり方を考えるうえで、多くの示唆を含んだ労作であるように思いました(hamacanこと労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏がオビの推薦文を。ブログでも絶賛していたなあ)。
 
《読書MEMO》 
●主な目次
 第1章 二つの賃金
 第2章 工場労働者によって形成される雇用社会
 第3章 第一次世界大戦と賃金制度を決める主要プレイヤーの登場
 第4章 日本的賃金の誕生
 第5章 基本給を中心とした賃金体系
 第6章 雇用類型と組織
 第7章 賃金政策と賃金決定機構
 第8章 社会生活のなかの賃金
●出版社からのコメント
 推薦 濱口桂一郎氏(労働政策研究・研修機構 労使関係部門統括研究員)
  このタイトルは過小広告!
  賃金だけでなく日本の雇用の全体像を歴史を軸に描き出した名著

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統計データから「正社員」の現在を分析。悲観的ではあるが、一定の説得力を持った現実的所見。

「正社員」の研究.jpg「正社員」の研究』 小倉 一哉.jpg 小倉 一哉 早稲田大学商学学術院准教授(略歴下記)

 長引いた不況とその後の景気回復の遅れによって、全雇用者数に占める非正規社員の割合は3分の1を超える現在ですが、それでも、依然として残り約3分の2の雇用労働者は「正社員」であるわけです。労働研究の分野では、トレンドとして「非正社員」に関する研究は目立つものの、「正社員」の研究は多くはなかった―そこで、企業における「正社員」の位置づけと役割は今どうなっているかを考察したのが本書です。

 バブル崩壊後の「失われた20年」で「正社員」の姿は変わったと言われていますが、研究書としての性格が強い本書では、「正社員」についての様々な研究蓄積や多くの統計データから、「正社員」及びそれを取り巻く環境の変化を分析し、事実確認並びに考察と検討を行っています。

 第1章では、「正社員」とは何かを考察していますが、そもそも「正社員」の厳密な定義は存在せず、統計調査においても省庁間や時期の違いによって微妙なニュアンスの差があるようです。また、新聞記事などに「正社員」という言葉が徐々に登場し始めたのは1980年代で、それがほぼ毎日のように紙面に登場するようになったのは2000年代になってからとのことだそうです。しかし、それまでにも当然のことながら、現在の「正社員」に該当する労働者はいたわけであり(単に「社員」「職員」などと呼ばれていた)、本書では、多くの会社に存在する「正社員」のイメージと大きく異ならない範囲で、これらを研究対象として取り上げることを予め断っています。

 以降の章で、「正社員」の雇用の安定、転職と定着、人事評価、賃金と福利厚生、労働時間などの側面を取り上げていますが、そうした分析を通して、例えば雇用や賃金については、2000年代以降、「正社員」の平均勤続年数は短くなり、賃金は低下し、一部の「正社員」に関しては、賃金カーブもフラットになってきていることなどが明らかにされています。正社員が雇用不安を感じる要因は、現在の家計を維持しなければならない正社員が、会社の経営状況などに危機感を持っている場合が多いとのことです。

 大方は、本書が読者対象として想定している「労働市場の動向に関心を持っているすべての人」が感じているだろうと思われることを裏付けるものとなっていますが、雇用不安や転職志向、あるいは会社を辞めない理由など、働く人の心理面にまで踏み込んだ調査についても取り上げ、詳細に分析されている点は丁寧であるように思いました。

 こうした分析が本書の"本体部分"ですが、最終章において、データ等から得られた事実発見をもとに、これからの正社員について考察がなされています。

 それによれば、まず、「正社員」はいなくなるのかいうことについてですが、企業の中核的な人材は、定着してきている成果主義的な人事評価によって、ますます厳しい状態に置かれているように感じるとしながらも、今さら牧歌的な職能資格制度に戻る気配はなく、これからも改良型の成果主義が、人事評価、処遇の中心に据えられるだろうとし、また、(長期的には「正社員」と「非正社員」の間にある壁が取り払われる日がくるかもしれないが)冷静に考えれば企業の中核を支える屋台骨的な「正社員」が消滅するはずはなく、但し、何十年も後には、ごく少数の「正社員」とその他大勢の「その他社員」などという括りになっているかもしれないとしています。

 また、「正社員」の特徴の一つである長時間労働については、恒常的な残業と引き替えに「正社員」の雇用が守られているうちは、「正社員」の労働時間が長期的にみて短くなることはないだろうとしています。日本の正社員はまじめであり、「どこが100点かわからないのに、100点を目指して働いている」人が多いと感じるとも。まじめな「正社員」が多くいることは、それだけ労働時間が短くなる可能性は低くなるということであるとしています。

 著者は、「正社員」が守られ過ぎているという主張に対し、確かに「非正社員」と比較すれば、「正社員」は多くの点で恵まれているが、だからと言って、「正社員」という「身分」を撤廃せよとの主張に対しては、これまでの「正社員」が享受していた職業能力の向上機会が減ることに繋がるのではないかと疑念を呈しています。

 また著者は、本書で検討した「正社員」の現状は、「正社員」にまつわる不安をさらに強めることになってしまったとも述べています。本書から導かれた結論が、「やはり正社員の相対的価値が高まっている」「正社員は今後も枠が狭められるだろう」「成果主義、仕事のきつさ、長時間労働という正社員の厳しい特徴も緩和される気配がない」という(執筆前から予想がついた)悲観的な結論で筆を置かねばならないのが残念であるとしていますが、これだけの研究蓄積や多くの統計データを分析してきた上での所感であるだけに、一定の説得力を持った、現実的な"所見"となっているように思われました。
_____________________________________________________
小倉 一哉(おぐら・かずや)/早稲田大学商学学術院准教授
 1965年東京生まれ
 明治大学商学部卒業
 早稲田大学大学院商学研究科博士課程修了。博士(商学)
 1993年より2011年まで労働政策研究・研修機構に勤務
 専門分野は労働経済・労使関係
著書(単著)
  『エンドレス・ワーカーズ 働きすぎ日本人の実像』日本経済新聞出版社、2007年、
 『会社が教えてくれない働き方の授業』中経出版、2010年 など。

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一般向けとしては纏まっているが、人事部目線だと常識の範囲内? タイトルがちょっと...。

非情の常時リストラ.jpg非情の常時リストラ~1.JPG非情の常時リストラ (文春新書 916)

 ソニー2000人、パナソニック3500人、シャープ3000人、NEC2400人―2012年度にリストラを行った大手電機メーカーとその人員削減人数だそうで、ソニーはグループ企業も含めると1万人に及ぶそうです。

 長年にわたり日本企業の人事部を取材してきたジャーナリストで、人事専門誌等ではお馴染みの著者が、日本の雇用・解雇の現況をレポートしたもので、第1章の「『常時リストラ』時代に突入」では、今や企業は競争に打ち勝つためには何時でもリストラを行う心づもりが準備がされていることを示しています。

 実際に企業はどのようにしてリストラを行うのか、最近の情勢を、解雇マニュアルの実態やリストラ計画の発案から発表までの根回し、対象となる社員の選別方法など、事例を交えて伝えており、一般のビジネスパーソンには生々しく感じられるかもしれません。

 但し、企業内で人事に携わっている人から見れば、「希望退職」と併せて退職勧奨を行うのは常套法であり、「希望退職」を募る前にすでに辞めさせたい標的人材は絞られているとか、担当者には、労務トラブルに発展しないようにしつつ面談者をどう退職に導くかが入念に書かれたマニュアルが配られているとかいうのも、まあ、「希望退職」を実施する際の常識と言えば常識かも。

 むしろ、そうしたことがマニュアル化・常態化されているというのが本書の主題なのでしょう。最近では、景気や会社の経営状況に関係なく、新聞の話題にも上らないような小規模のリストラを「常時」少しずつやっているケースなども増えているそうですが、外資系企業などはこの手ものが以前から多いように思います(ある日、何の前触れもなく、個別に耳打ちされるとか...)。

 「追い出し部屋」や「座敷牢」なども今に始まったことではないけれど、確かに解雇規制が厳しいとされる日本企業(外資系企業の日本法人を含む)において発展してきた手法ではあるかも。でも、中小・零細企業では、そんなの面倒とばかり、能力不足や態度不良を理由に簡単に解雇してしまっているけどね。

 第2章「学歴はどこまで有効か」では、「新卒一括採用方式」に崩壊が見られる一方で、学歴不問を掲げながらも実は学歴重視はまだ根強い傾向としてあることなどを、第3章「富裕社員と貧困社員」では、同じ企業に勤める人の給与格差が大きくなってきていることなどを、第4章「選別される社員」では、ポスト不足に伴い"無役社員"が増えてきていることなどを、第5章「解雇規制緩和への流れ」では、安倍政権の下での"産業競争力会議"や"規制改革会議"の動向を踏まえつつ、解雇規制緩和が進むとすれば、それはどのような形で行われ、働く側にとってはどのような影響があるかを見通しています。

 労働市場の現況を踏まえつつ、企業の現場に密着したレポートになっており、そうしたものを概観するにはいいですが、1冊の新書にこれだけ盛り込むと、1つ1つが浅くなって、週刊誌記事を纏め読みしているような印象も(手軽と言えば手軽なのだが)。

溝上 憲文 『非情の常時リストラ』.jpg タイトルの「非情の常時リストラ」に直接呼応しているのは第1章のみでしょうか。これ、編集者がつけたタイトルなんだろなあ。内容を読めば、必ずしも"煽り気味"のタイトルではないということになるのかもしれないけれど、"非情の"はねえ(天知茂の「非情のライセンス」からきているとの説もあるが、あの番組を熱心に見ていた世代というのは、もう定年再雇用期に入っているか、その雇用契約も終わってリタイアしている世代がメインではないか)。

 本書の内容を包括するようなタイトルはなかなかつけるのが難しく、また、それでは本が売れないことからこうした1点に絞ったタイトルになったと思われますが、その分、本書全体の内容との間ではズレがあるようにも思いました(先に読んだ岩崎日出俊氏の『65歳定年制の罠』(ベスト新書)も、読んでみたら"定年起業"がメインテーマだった。最近、こういうことが多い)。

 本書は、労働ジャーナリストらが選ぶ「2013年度日本労働ペンクラブ賞」を受賞しました。

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自分が会社からやらされていることが、実はパワハラであるとの認識が無い人こそが読むべき本。

解雇最前線.png


東京管理職ユニオン 鈴木剛.jpg 東京管理職ユニオン 鈴木剛・書記長
解雇最前線 PIP襲来』(2012/11 旬報社)

 東京管理職ユニオンの書記長による本で、企業が従業員を退職に追い込むために用いるようになった、解雇・リストラの新手法 PIP(業績改善計画=パフォーマンス・インプルーブメント・プラン)について書かれています。

Performance Improvement Plan.jpg PIPは、従来の整理解雇、退職勧奨を伴う普通解雇とは異なり、業務命令として、または「あなたのためだから」と思いやりのあるふりをして、達成不可能なノルマや無意味な課題を与え、自主的な退職に追い込んでいくやり方で、従来型の退職勧奨はせず、「業績改善計画」の未達成を理由に、本人に退職届を書かせる方向へ持っていく、或いは、精神的・肉体的に追い詰め、休職→退職へと持っていくやり方です。

 以前からこうしたことは一部企業で行われていたのではないかと思いますが、アメリカ企業にも「PIP」という同様のプログラムを用いている例が少なからずあり、最近とみに目立つようになった日本国内でのこうしたケースに「PIP」という言葉を当て嵌め、「業績改善計画」と "直訳"したような印象でしょうか。

 実際、外資系企業などでは、"米国生まれ"の「PIP」のプログラムを入れているところもあるかと思いますが、今日本企業で行われているこうしたやり方のすべてが「PIP」に準拠しているとは思われず、サブタイトルの"襲来"という言葉にはやや違和感を覚えました。

 但し、こうした手法の中身自体は日米でそう変わるものではなく、本書ではそのパターンとして、「過大な課題を課す手口」「過小な課題を課す手口」「キャリアコンサルタント会社を使う手口」があることを紹介しています。このやり方はパワハラの一種であると言え、これによってうつ病などの精神疾患に陥る労働者が増えており、更に、復職しようとしても会社側からの拒否に遭うケースも多いとのことです。

 最後に、PIPは今の日本の縮図であり、雇用問題と私生活上の問題が「複雑骨折」状態で絡み合っていて、この問題を解決するには、法律家・医師との連携や労働組合の活用を通して、社会包括的な対応が求められるとしています。

 PIPのような労働現場で行われていることを、労働問題として認識している人は少なからずいると思いますが、問題の一つは、労働者側の当事者として、「業績改善計画」の名のもとに、自分が会社からやらされていることが、実はパワハラであり、法違反の可能性が高いものである(少なくとも適法と言えるものではない)ということ自体が今一つ分かっていない人がいることだろうなあ(そうした人に限って、目標が達成できないのは自分の頑張りが足りないからだと本気で悩んだりする)。

 そうした人こそが最も読むべき本ではないかと思いますが、その割には、分かり易くしたつもりのタイトルが、意外と分かりにくいものであるかも。

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ブラック企業の実態と併せ、その社会的損害を指摘。なくすための政策提示もされている。

ブラック企業―日本を食いつぶす妖怪.jpg        POSSEの今野晴貴.jpg POSSE代表・今野 晴貴 氏
ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』['12年] 

個別労働相談件数.jpg 違法な労働条件で若者を働かせては「使い捨て」にする、いわゆる「ブラック企業」の実態を、一橋大学に学部生として在学中からNPO法人POSSE代表として若者の労働相談に関わってきた、労働政策、労働社会学専攻の大学院生が著した本です。

 著者は、「ブラック企業」という問題を考える際には、若者が個人として被害に遭う側面と、社会問題としての側面があるとし、本書では、個人から社会へと視野を広げることで、告発ジャーナリズムとは一線を画しているようです。

 とはいえ、前半のブラック企業の実態について書かれた部分にある、大量採用した正社員をきわめて劣悪な条件で働かせ、うつ病から離職へ追いこみ、平然と使い捨てにする企業のやり方には、改めてヒドイなあと思わされました(行政窓口への個別労働紛争相談件数で「パワハラ」が「解雇」を上回ったのも、2012年1月に厚生労働省が「パワハラ」の具体例を挙げて、「過大な要求」や「過小な要求」もそれに該当するとしたことに加えて、実際に世間ではこうしたやり口がかなり広く行われていることを示唆しているのではないか)。

ブラック企業1.jpg 過労死・過労自殺が発生したため裁判となったケースなどは、企業の実名を揚げて紹介しており(「ウェザーニューズ」、「ワタミ」、「大庄」(庄や・日本海庄や・やるき茶屋などを経営)、「shop99」)が実名で挙げられている)、中には初任給に80時間分の残業代が含まれていて(正社員として入社した若者たちは、そのことを入社後に知らされたわけだが)、それを除いた基本給部分を時給換算するとぴったり最低賃金になるといった例もあり、こういうのは「名ばかり正社員」といってもいいのではないかと。

 こうしたブラック企業から身を守るためにはどうしたらよいかを若者に向けて説いたうえで、本書の後半部分では、「社会問題」としてのブラック企業問題を考えるとともに、どのように問題を解決するべきかという提案もしています。

 そこでは、ブラック企業の第一の問題は、若くて有益な人材を使い潰していることであり、第二の社会問題は、新卒の「使い捨て」の過程が社会への費用転嫁として行われていることにあるとしており、ナルホド、労働社会学者を目指す人らしい視点だと思いました。

 うつ病に罹患した際の医療費のコスト、若年過労死のコスト、転職のコスト、労使の信頼関係を破壊したことのコスト、少子化のコスト、サービス劣化のコスト――こうしたものを外部に転嫁することのうえにブラック企業の成長が成り立っていると考えると、著者の「国滅びてブラック企業あり」という言葉もジョークでは済まなくなってくるように思いました。

 著者は、こうしたブラック企業は、終身雇用と年功賃金と引き換えに、企業が強い命令権を有するという「日本型雇用」の特徴を悪用し、命令の強さはそのままで、雇用保障などの「メンバーシップ」はない状態で、正社員を使い捨てては大量採用することを繰り返しているのだと。そして、労働市場の現況から見るに、すべての日本企業は「ブラック企業」になり得るとしています。

 実際、日本型雇用が必ずしも完全に成立していない中小企業に限らず、今日では大手新興企業が日本型雇用を放棄している状況であり、これまで日本型雇用を守ってきた従来型大手企業もそれに引きずられていると。

 こうした事態に対する対策として、著者は、国が進めている「キャリア教育」はブラック企業に入ってしまった人に諦めを生むことに繋がっており、むしろ、ブラック企業から身を守るための「ワークルール」(労働法規や労使の権利義務)を教えるべきであるとしています。

 また「トライアル雇用の拡充」も、ブラック企業によくみられる試用期間中の解雇をより促す危険性もあり、本当に必要な政策は、労働時間規制や使用者側の業務命令の規制を確立していくことであるとしています。

 こうした施策を通して、「普通の人が生きていけるモデル」を構築すべきであり、それは賃金を上げるということには限られず、むしろ賃金だけに依存すべきではないと。教育・医療・住居に関する適切な現物給付の福祉施策があれば、低賃金でもナショナルミニマムは確保可能であり、つまり目指すは、「低福祉+低賃金+高命令」というアンバランス状態から脱し、「高福祉+中賃金+低命令」であると。

 こうしたことの実現のために、若者たち自身にも「戦略的思考」を身につけ、たとえブラック企業の被害にあっても自分個人の問題で終わらせず、会社と争う必要があれば仲間をみつけ、ともに闘うことで、社会の問題へと波及させていくべきであるとしています。

 最後のまとめとして、ブラック企業をなくす社会的戦略として、労働組合やNPOの活用と労働法教育の確立・普及を挙げています。

 学生、社会のそれぞれに向けてバランスよく書かれているうえに、企業側の人にも読んでいただき、襟を正すところは正していただくとともに、「ブラック企業」問題が他人事ではないことの認識を持っていただく一助としてほしい本。

 最近、企業の新卒採用面接に立ち会って、シューカツ(就職活動)中の学生で、ほぼ全滅の中、かろうじて内定を得ている企業の名が同じだったりするのが気になりますが(概ね、いわゆる「ブラック企業」っぽい)、彼らも、自らの内定状況に満足していないからこそ、こうして、内定後も採用面接に足を運んでいるのでしょう。

 2013(平成25)年度・第13回「大佛次郎論壇賞」受賞作。

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真摯でバランスのとれたレポート及び考察だが、目新しさはない。

感情労働シンドローム.jpg     管理される心.jpg 感情労働k.jpg
感情労働シンドローム (PHP新書)』['12年]『管理される心―感情が商品になるとき』['00年]

感情労働 t.jpg これまで労働は大きく、肉体労働と頭脳労働に分けられてきましたが、本書でいう「感情労働」とは、仕事をするなかで心の負担にポイントを置いた労働のことであり、この概念は1970年代にアメリカで生まれ、社会学者による客室乗務員の調査研究で知られるようになったとのことです(A.R. ホックシールド (『管理される心―感情が商品になるとき 』('00年/世界思想社))。本書は、その感情労働に注目したレポートです。「感情労働」という言葉は最近週刊誌などでも見られるようになっています(「週刊 東洋経済」2012年 12/1号「感情労働の時代」など)。

 かつては、嫌悪や怒りなどマイナスの感情をコントロールし、笑顔のサービス提供を強いられる労働の典型モデルが客室乗務員や看護・介護職などであったのが、近年は、営業職や教師、さらには普通の若手社員、中高年社員らにも感情コントロールの負荷がのしかかっていると本書は報告しています。

 例えば営業職は、自らは必ずしも推奨したくない商品を売り込む矛盾や訪問先で拒絶される苦しさにあえぎ、それでも、ポジティブで爽やかな振る舞いをしなければならず、あるいは、「これは相手のメリットになる」と本心とは違っても念じなければいけない―その結果、そうした営業の仕事の先に何があるのかとの疑問を持つ若者が多くなっているとのことです。

 さらに顧客を相手にしない職場内においても、若者は若者で、今いる職場や仕事と自らのキャリア観との間のギャップや、現実の上司と理想像との間のギャップを感じてやる気を失い、また、そうした部下を持つ上司は、部下に尊敬されることなく、むしろ360度評価などによって"下からの逆攻撃"を受けてしまう―こうした相互の軋轢から、それぞれに違和感・不安感・緊張感が高まっていて、職場における感情問題は臨界寸前の状態にあると。

 本書では、こうした職場と感情労働の問題を、「新型うつ」「パワハラと逆パワハラ」「成果主義」の三本の柱を軸に考察するとともに、若者における感情労働の問題、ミドルエイジにおける感情労働の問題のそれぞれについても分析を行っています。

 各層へのインタビュー取材がベースになっており、真摯でバランスのとれたレポート及び考察になっていて、ある人にはショッキングなレポートに思えるかもしれませんが、現に職場内にいる人間にとっては、特に目新しいことが書かれているわけでもないようにも思いました。

 こうした状況をただ「仕方がない」と受けとめてしまうのではなく、分析的に捉える視点は必要であるし、経済産業省の打ち出した「社会人基礎力」の内容に疑問を呈している点などにも共感しましたが、著者自身の目から見た、こうした問題に対する処方箋が示されていない点が物足りませんでした(著者自身、解決策を示すのが本書の目的ではないと、あとがきで断ってはいるが)。

ホワイト・カラー―中流階級の生活探究_.jpg アメリカの社会学者ライト・ミルズは、『ホワイトカラー―中流階級の生活探究』(原著刊行1951年、1957年/創元社、1971年/東京創元社)の中で、ホワイトカラーの疲弊度が増す原因を、「賃金労働者とホワイトカラーの際立った違いの一つは、賃金労働者は彼の労働とエネルギーとスキルを売るが、ホワイトカラーは、多数の消費者、顧客、管理者に対して、自己の労働を売るだけでなく自己のパーソナリティを売る」ためであると書いています。

 ホワイトカラーの感情労働による自己疎外は、1950年代初頭に書かれたこのミルズの一文が、すでに核心を突いているのではないかと思います。

ホワイト・カラー―中流階級の生活探究 (現代社会科学叢書)』['71年/東京創元社]

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なるほどと思わされる点も多かった一方、どちらの見方もできるのではないか、という箇所も。

雇用の常識 決着版.jpg                     雇用の常識「本当に見えるウソ」.jpg
雇用の常識 決着版: 「本当に見えるウソ」 (ちくま文庫)』['12年] 『雇用の常識「本当に見えるウソ」』['09年]

 2009年に刊行された『雇用の常識「本当に見えるウソ」』(プレジデント社)の文庫化で、こうした労働問題・労働経済に関する本が文庫化されるということは、それだけ世間での反響が大きかったということではないでしょうか。

 文庫化にあたっては、データを直近のものに刷新するとともに、著者自身のその後の著書『「若者はかわいそう」論のウソ』(2010年/扶桑社新書)、『就職、絶望期』(2011年/扶桑社新書)などを反映させるかたちで、「就職氷河期は、企業に転嫁された」「女性の社会進出は、着実に進んでいる?」「定年延長が若者雇用を圧迫する、か?」など6章が加筆されており、新著に近い内容ともいえます。

 前著もそうでしたが、冒頭から、「終身雇用の崩壊」「転職の一般化」「若者の就職意識の変化」「成果主義の浸透」などといった一般に流布されている言説に対し、現実を反映したデータを駆使して、その「ウソ」を暴いてみせる様は、読んでみて「目からウロコ」の思いをする人も多いのではないでしょうか。前著から割愛されている章もありますが、それらは加筆された章にほぼ取り込まれており、著者の見方には一貫性があるように思いました。

 その見方の根柢にあるものとして、世間で識者と言われる人が語る主義主張には、例えば「小泉改革はよくなかった」とか「若者がかわいそう」といった自分の言いたいことが最初にあり、データの検証がないままそうしたことが喧宣され、「常識」としてまかり通ってしまっていることに対する憤りが感じられました(単に憤るだけでなく、その背景として、雇用問題が過剰に政治イデオロギーがしていて、純粋に労働経済の問題として扱うべきところが、論者のバイアスがかかってしまっている、と冷静に分析している)。

1雇用の常識 決着版.png 個人的にも、世間で言われていることと日々実際に感じていることのギャップ感に符合し、なるほどと思わされる箇所は多かったのですが、「常識」に対して「反証」することが目的化して、データの捉え方が著者自身やや我田引水ではないか、実際にはどちらの見方もできるのではないか、という箇所もありました。

 そのことは。著者自身が書いていることの中にも見られ、例えば終身雇用と転職率の問題についても、非正規雇用の増加の問題についても、どこに焦点を当てるか、どの対象を分母とするかによって数的結果が異なってくるわけで、ある部分、こうした見方もあるというスタンスで読んだ方がいいような箇所もあるように思われました(でも、それだとインパクトが弱くなるから、「反証」というかたちを敢えて取っているんだろうなあ)。

 著者自身が「常識」として世間に流布されているとしているものにも、若干の疑問があり、例えば、国民年金の未納率の「分母」に、厚生年金や共済年金など被用者年金の加入者、或いは専業主婦など第3号被保険者を含めて想定している人ってどれぐらいいるかな。それを含めた数字を基にして「国民年金未納者が四割」というのは「ウソ」だと言われても...。

 いろいろなことを気づかせてくれる本。但し、このように突っ込み所は少なからずある本ではなかったかと思われました。

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労働法から遠い世界にある雇用終了の実情? 判例規範とは別ルールが存する「あっせん」の場の実態を示す。

濱口桂一郎 日本の雇用終了.jpg  121201 講演と渾身の夕べ1 (2).JPG 濱口桂一郎氏 (社会保険労務士稲門会・第12回「講演と渾身の夕べ」 1212年12月1日/ホテル銀座ラフィナート)
日本の雇用終了―労働局あっせん事例から (JILPT第2期プロジェクト研究シリーズ)』[労働政策研究・研修機構]

 労働政策研究・研修機構の編集による本ですが、実質的には同機構統括研員の濱口桂一郎氏の執筆によるものです。労働局の個別労働紛争のあっせん事例の紹介が本書の大半を占めますが、今まであまり触れられることのなかった実証的な記録であるとともに、日本の雇用社会の実態が浮き彫りにされていて興味深く読みました。

 紹介されているあっせん事案の調査対象年度は2008年度で、この年の総合労働相談件数は約107万件、内、あっせんに至ったものは8,475件(1%未満)。その中から1,144件のあっせん事案を抽出して紹介・分析していますが、その多くは、解雇、雇止め、退職勧奨、自己都合退職などの雇用終了事案であり、そのため「日本の雇用終了」というタイトルになっているわけです。

 紹介されている事案の約7割が100人未満の中小企業におけるあっせんであると見込まれ(労働組合の組織率の低さが背景にあると考えられる)、著者はそれらの事案から、裁判に至らないこうしたあっせんの段階では、職場の暗黙のルールとしての法(「フォーク・レイバー・ロー」)が、司法上の「判例規範」とは別に存在しているということを指摘しています。

 その最たるものが「態度」が悪ければ雇用終了となるというルールであり、「能力」不足による解雇とされた事案であっても、「能力」の捉え方の主観・客観の判断区別が曖昧であることも相俟って、実は「態度」が悪いから解雇に至ったというような事案が多くみられます(コミュニケーション不全や職場仲間との協調を乱すことを含む)。

 興味深いのは、判例法理上は「態度」や「能力」だけを解雇理由とするのは認められ難いというのが一般論であるのに対し、あっせんの場では、そうしたことが企業側の主張にとどまらず、ひとつのア・プリオリな規範になっているということです。また、立法府によって2007年に成立した労働契約法において、法案審議過程で討議されることもあったものの最終的には条文に織り込まれなかった「金銭補償による雇用契約の終了」が、行政が主導するあっせんの場においては、少なくとも裁判例の数十倍もの規模でそのことが行われているという見方ができる点でも興味深いです。

 中小企業の実態と労働法や判例法理との乖離は、多くの中小企業が、経営不振という理由だけで極めて簡単に「整理解雇」を行っていて、真に経営上の理由であるかどうか疑わしいケースも中には含まれていると考えられる点についても言えます。

 しかしながら実際のあっせんの場では、そうしたことの正否よりも労働者側と会社側の合意とりつけに重きが置かれていること、日本は整理解雇に対する判例法理上の規制が強いという一般通念とは別の次元で、解決金という名の下に、金銭補償による雇用契約の終了が行われていることが、本書から如実に窺えます(あっせんという制度そのものがそうした性格を帯びているとも言える。弁護士などが行っているADRでも同じようなことはあると思うが、今それを行政が率先して行っている)。

 現行の労働法制の在り方、労働行政との乖離に対する問題提起にもなっており、こうした乖離の実態をどうすればよいかについては様々な論議があるかと思いますが、個人的に気になったのは、1,114件のあっせんの内、被申請人(企業側)の不参加によりあっせんが打ち切られたケースが42.7%と半数近くにのぼることです。

 労働審判と異なり、任意の制度として被申請人の不参加が認められている以上やむを得ないのかもしれませんが、実質的なあっせんの手続きにすら入ろうとしない企業が多いのはいかがなものかと(大企業・中堅企業でも、不参加企業がある)。

 こうした係争に費やす労務コストは少なからずのものがあるかと思いますが、解決金の額は平均水準ではそれほど高額にはなっておらず(10万円以上20万円未満が最も多い)、係争を長引かせ労働審判や裁判に持ち込まれるよりは(或いはユニオンに駈け込まれるよりは)、企業側もあっせんの場を"積極利用"して早期に決着した方が、代理人を立てた場合の費用なども含めトータルでは安く済むのではないでしょうか。

 企業側不参加の事案であっても、企業側が事前に「回答書」を提出するなどしているケースが多いため、必ずしも申請人(労働者側)の主張のみしか分からないというものばかりではありません。それらを併せ読むと、労使「相互被害者意識」のトラブルが多く、中には、申請人が所謂「モンスター社員」ではないかと疑われるケースもあります。こうした社員は、企業規模に関わらずどの会社にも一定割合でいるのではないでしょうか。企業側からすれば、「こんなヤツに解決金を払ったんじゃ他の社員に示しがつかない」ということで、あっせんそのものに乗り気でない(或いはあっせん内容に満足しない)ケースもあるではないかと思いました。そうした事情があったとしても、個人的には、これは企業側も大いに活用すべき制度であると考ます。

 濱口氏の本は、一般向けであっても堅めのものが多いのですが、本書は事例集なのでとっつき易く、また、著者なりの分析も簡潔明瞭で、企業規模を問わずお薦めです。

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自らが扱った事例が紹介されているため臨場感があり、労働審判や裁判の実際が伝わってくる。

1それ、パワハラです.png 笹山 尚人.jpg  パワハラimage.jpg image
笹山 尚人 弁護士
それ、パワハラです 何がアウトで、何がセーフか (光文社新書)』['12年]

 パワーハラスメントは、「職場において、地位や人間関係で有利にある立場の者が、弱い立場の者に対して、精神的又は身体的な苦痛を与えることによって働く権利を侵害し、職場環境を悪化させる行為」と一般的に定義されています。

 本書によれば、労働局に寄せられる「職場のいじめ・嫌がらせ」と分類される問題の相談件数は、平成23年度には約4万6千件に達し、この数は、解雇に関する相談に次ぐ相談件数であるとのことです。

 著者は、労働者の代理人として労働事件を扱っている弁護士ですが、全10章から成る本書の各章は、著者自身が扱った事例の紹介が中心となっています(著者自身、自分の体験をもとにした「パワーハラスメント事件簿」の色合いが濃いかもしれないとしている)。

 第1章・第2章に紹介されているのは「言葉の暴力」によるパワーハラスメントの事例で、これがパワハラ事例では最も多い、いわば典型例であるとことですが、こうした事例を取り上げながら、労働審判の仕組みやその特性、パワハラ判定の難しさや、何がその根拠となるかなどについても解説しています。

 さらに第3章で長時間労働を巡る問題を取り上げ(著者は、長時間労働は「過大な業務の強要」であり、パワハラであると捉えている)、第4章でパワハラ問題の基本的な視点や考え方について整理しています。

 第5章から第7章にかけてはパワハラのパターン例として、労働契約を結ぶ際の嫌がらせの事例と、再び言葉の暴力の事例を、さらに、従来の仕事をさせず、本人にふさわしくない仕事を強要した事例を取り上げ、これを受けて第8章では、「退職強要」をどう考えるかを考察しています。

 第9章では、パワーハラスメントに取り組む際の視点、方法、具体的なノウハウを、第10章ではそれを補う形で、精神疾患を発症した場合の労働災害の認定に関する近年の実務動向や注意点を述べています。

 以上に概観されるように、「典型例」を示す一方で幅広い事例を扱っていて、またそれらと併せて、基本概念の整理や知っておくべき実務知識にも触れている点がいいです。

 また、著者の前著『人が壊れてゆく職場―自分を守るために何が必要か』(2008年/光文社新書)も労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読めましたが、本書も、著者自身が扱った事例を取り上げているため、紛争として公然化するまでの経緯(相談者が相談に来てから労働審判などの申し立てをするまでの経緯)や、労働審判や裁判での裁判官の言葉や代理人としての著者の論述が具体的に書かれていて、臨場感をもって読み進むことができました。

 さらに、そうした事例を通して、代理人としてのどのような戦略で紛争解決や係争に臨み、何があっせんや判決の決め手となったかが分かるため、企業側の人間が読んでも参考になる部分は多く、また全体としても、労使の視点でパワハラ予防にどう取り組むべきかが説かれており、人事のヒトが読んでも、前著共々、読んでムダにはならないと思います。

◎ 著者プロフィール
笹山尚人(ささやまなおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年、中央大学法学部卒業。
2000年、弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。
弁護士登録以来、青年労働者や非正規雇用労働者の権利問題、労働事件や労働運動を中心に扱って活動している。
著書に、『人が壊れてゆく職場』(光文社新書)、『労働法はぼくらの味方! 』(岩波ジュニア新書)、
共著に、『仕事の悩み解決しよう! 』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
● 目 次
はじめに
第1章 言葉の暴力 ――― パワハラの典型例
第2章 パワハラ判定の難しさ ――― 「証拠」はどこにある?
第3章 長時間労働はパワハラか? ――― 「名ばかり管理職」事件
第4章 そもそも、「パワハラ」「いじめ」とは何か ――― 法の視点で考える
第5章 パワハラのパターンI ――― 労働契約を結ぶ際の嫌がらせ
第6章 パワハラのパターンII ――― 再び、言葉の暴力を考える
第7章 パワハラのパターンIII ――― 仕事の取り上げ、本人にふさわしくない仕事の強要と退職強要
第8章 「退職強要」をどう考えるか ――― 「見極め」が肝心
第9章 では、どうするか ――― 問題を二つに分けて考える
第10章 精神疾患を発症した場合の労災認定 ――― 文字に残すことの重要性
おわりに

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厳しい現況を概観するうえではよく纏まっている。企業側にも反省が求められるか。

森岡 孝二 『就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件』.JPG就職とは何か 森岡孝二.jpg               森岡孝二氏.jpg 森岡孝二氏
就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件 (岩波新書)』 

 学生の就職を巡る本は、ハウツー本が多く(所謂「就活本」)、なぜこうした厳しい就職環境になったのか、就職後にどのような状況が学生を待ち受けているかについて書かれた本は少なく、本書は、その空白を埋める試みであるとのこと。

 著者は『働きすぎ時代』('05年/岩波新書)、『貧困化するホワイトカラー』('09年/ちくま新書)などの著書がある労働経済学者であり、本書は主にこれから就職しようとする学生に向けて書かれたものですが、採用する側からみても、いろいろ考えさせられる面があったように思います。

 第1章「就職氷河期から新氷河期へ」では、大学生の就活スケジュールと内定までのおよその流れを説明するとともに、近年の内定率の悪化と長期的な採用減の実態を示し、大学のキャリア支援や就活ビジネスの動向を含む最近の就職事情を概観しています。
 労働経済学者らしく、本書全体を通して図表を多用し、統計データで議論の裏付けをしていますが、「失業率」と「就職 内定率」の算出方法、並びに、それぞれの実情との乖離などは、採用関係者にとっては既知のことであっても、それ以外の人にとっては、初めて知る事実かもしれません。

 第2章「就活ビジネスとルールなき新卒採用」では、就活ビジネスやインターンシップに言及するとともに、日本独特の定期採用制度の特徴を考察し、就職協定の発足から廃止に至る変遷を追いつつ、就活の早期化・長期化が学生・大学・企業にもたらす弊害と、その見直しの論議を行っています。
 人事部所属であっても採用業務を行ったことのない人や、採用の現場を離れて久しい人には、かつて自分が学生時代に就職活動したり、採用担当をしていたりした際の採用スケジュールと、現在の学生たちのそれが大きく異なっていることを確認するうえで、参考になるかと思います。
 「就職協定」に代わる日本経団連の「倫理憲章」で、3年生の12月から広報活動開始となっていても、これは自粛規定に過ぎず、多くの会員企業が大学3年10月からエントリーシートを受付け、12月から1月にかけて面接選考、3月から4月に「内々定」を出すというスケジュールであるため、4年生の4月までに内定を貰えなければ、5月には殆どの企業が内定通知を終了してしまっているというのが、現在の状況です。(これについては、今月('13年4月)、安倍晋三首相が経済3団体に対し、就職活動の解禁時期の後ろ倒しを要請し、2016年卒の大学生から就職活動の解禁時期が現在より3カ月遅い3年生の3月、面接などの企業の選考活動開始が4カ月遅い4年生の8月に、それぞれ変わる見通しとなった。これはこれで、中小企業にとっては大手の選考が一段落してから本格選考が始まるため、不利な立場に立たされるという問題点もあるとの指摘もある。
 
 第3章「雇われて働くということ」では、学生達を待ち受ける働き方にスポットをあて、学生が企業選択する際の一つの目安となる初任給の"記載"の問題、若者の労働組合意識の低下の問題、派遣労働の問題などを取り上げています。
 「正社員」という雇用身分が、70年代後半のパート社員の増加とともに定着し、同時期に労働組合の企業主義・協調主義路線が定まったという分析は興味深く、ユニオンショップ制が労働組合の組織率低下を緩慢に抑えた一方で(′09年の日本における組織率は18%台なのに対し、米国では組織率は12%台)、若者の労働組合への意識の低下の原因にもなっているとの考察にも頷かされるものがありました。

 第4章「時間に縛られて働くということ」では、正社員の働きすぎに焦点を絞り、最近言われる「社会的基礎力」に疑問を投げかけ、若者に広がる過労死・過労自殺の実態を示して、企業が新入社員にどんな働き方を求めているかを述べています。
 経済産業省が言うところの「社会的基礎力」というのが、残業推奨型の内容になっているというのにはやや驚き(これ、本省の若手キャリア官僚の働き方だなあと)。残業手当を組み込んだ「初任給」の事例は、"ブラック企業"に限られたケースとの印象を与えるかもしれませんが、個人的には、多くの企業でこうしたことが行われているとの印象があります。

 第5章「就職に求められる力と働き方」では、大学のキャリア教育から小中学校におけるキャリア教育に立ち帰り、それがひたすら「適応力」を育てることに狙いがあることを批判的に検証したうえで、採用に際して企業が学生に求める能力を検討しています。

 終章「<まともな働き方>を実現するために」では、<まともな働き方>の条件を賃金、労働時間、雇用、社会保障を柱に整理し、なぜ<まともな働き方>ができないのかを考察し、働き方改善策を提案しています。
 過労死(過労自殺)の件数の公式統計はないそうですが、過労死問題に取り組んできた川人博弁護士によると、犠牲者は年間1万人を超えるとのこと(過労からうつになり自殺に至ったケースも含めると、あながち大袈裟とは言えないのではないか)、三六協定の"ザル法"的性格を指摘しているのは妥当ですが、状況改善に向けての提案部分が、やや抽象的でインパクトが弱いのが、本書の難点かと(但し、全体としては、大学生の就職の厳しい現況と内包する問題を概観するうえで、よく纏まっている本)。

 ただ、人事担当者が、自分達の学生時代は、専門の勉強はそれなりにやった一方で、バイトして金貯めて海外旅行に行ったりもし、また仲間には留学して勉学と遊びの両方を海外で経験したヤツも多かったのに、今の若いのはガラパゴス化していてそうした海外経験が少ないなどボヤいていても、著者の言うように、そもそも3年生の半ばから就職戦線に赴かなければならないならば、専門の勉学を深めることも出来ないし、海外留学(従来は3年時に行くことが多かった)の機会も大いに失われるというもの。
 企業側も、若手のグローバル人材が不足していると言うばかりでなく、こうした事情を認識し、考えてみる(反省する)必要があるのではないかなあ。

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雇用システムの「現実的・漸進的改革の方向」を示す。読めば読むほど味が出てくる"スルメ"みたいな本。

新しい労働社会3047.JPG新しい労働社会 雇用システムの再構築へ.jpg        濱口桂一郎.jpg 濱口桂一郎 氏(労働政策研究・研修機構)
新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書)』['09年]

 「派遣切り」「名ばかり管理職」「ワーキングプア」「製造業への派遣」といった現在生じている労働問題をめぐる議論は、それぞれ案件ごとの規制緩和論と規制強化論の対立図式になりがちですが、本書は、そうした問題を個別的・表層的捉えるのではなく、国際比較と歴史的経緯という大きな構図の中で捉えようとしています。

 序章において、わが国おける雇用契約は、諸外国と異なり「職務(ジョブ)」ではなく「メンバーシップ」に基づくものであり、そのことが日本型雇用システムの特徴である長期雇用、年功賃金、企業内組合の形成要因となっていることを明快に説いています。

 個人的には「メンバーシップ」という表現及びこの部分の論旨がものすごく分かりよかったのですが(序章だけでも読んでおく価値あり!)、こうしたことを踏まえ、労働問題の各論へと進みます。

 第1章では働きすぎの正社員のワークライフバランス問題をとり上げ、「名ばかり管理職」「ホワイトカラーエグゼンプション」をめぐる議論においては、健康確保措置の問題が報酬問題にすり替えられたと指摘していますが、これは個人的にも同感。マクドナルド事件は、名ばかり管理職問題ではなく過重残業問題だったというのは、何人かの著名な弁護士(主に使用者側)などもそう指摘していたように思います。

 第2章では非正規労働者の問題をとり上げ、「偽装請負」「労働者派遣法」などに関する議論について歴史的経緯を踏まえて再整理していますが、「日雇い派遣」問題の本質は「偽装有期雇用」にあり、この「偽装有期雇用」こそが問題であるとの指摘には、目を見開かせられる思いをしました。

 第3章ではワーキングプア問題をとり上げ、メンバーシップ型正社員だけに手厚い生活給制度が適用されてきたという経緯の中、過去にもアルバイト等の非メンバーシップ労働者はいたものの、親の生活給賃金が子の生計を補填するといった構図で"日本的フレクシキュリティ(柔軟性+安定性)"が保たれていて、それが近年、非正規雇用労働者の増加により、そのフレクシキュリティが揺らいできたというのが、ワーキングプア問題の本質であるとしています。

 日本の法定の最低賃金の水準の低さは、最低賃金がアルバイトとパートという家計補助労働の対価を対象にしていることに起因としているとの指摘は卓見であり、こうした背景との繋がりがワーキングプア問題の基礎にあるということは、問題の案件をそれだけに絞って見てしまっていては見えてこないんだろうなあと。

 ここまでにも幾つかの提言はありますが、どちらかと言えば改革に繋げる前段階(下ごしらえ)の議論であり、それに対し第4章は、本書タイトルにより呼応した内容であり、非正規労働者も含めた労働組合再編など、集団的合意形成の新たな枠組みを提言するとともに、労働政策の決定に一部のステークスホルダーしか関与していないことなどを批判しています(そうなんだ。政労使三者構成というのが本来は、原則のはずなんだよなあ)。

 現行の労働法制の成立過程を追い、その矛盾や実態との乖離を指摘している点は参考になり、また、雇用システムというものが、法的、政治的、経済的、経営的、社会的などの様々な側面が一体となった社会システムであることを踏まえた上での論考は、「現実的・漸進的改革の方向」(著者)を示したものと言えるかと思います。

 労働法を学ぶ人にはブログなどでもお馴染みの論客ですが(大学のオープン講座で労働政策研究・研修機構のR・H先生の労働法の講義を聴いたときに、著者のブログを勧められた。個人的にも以前から読んでいたけれど)、この人、EUの労働法にも詳しかったりするけれど、労働経済学者なんだよね。労働法学と社会政策学の両方の分野を論じることができるのが著者の強みであり、かなりの希少価値ではないかと。

 新書という体裁上、コンパクトに纏まっていますが、読めば読むほど味が出てくる"スルメ"みたいな本です。
 評価で星半個減は、自分自身の理解が及ばなかった部分が若干あったためで、4章が、もやっとした感じ。自分の中に「労組=旧態然」というネガティブイメージがあるのもその一因かもしれません。

 折をみて再読したいと思いますが、ブログを読むよりは、ちょっと気合いを入れてかかる必要があるかも。そう思いつついたら、もう、本書の続編と言えるかどうかわからないけれど、『日本の雇用と労働法』('11年/日経文庫)というのが刊行されており、そちらも読み始めてしまった...。

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就活の現況を概観するにはいい。大学の新たな取り組みをもっと掘り下げて取材して欲しかった。

就職内定率の推移.gif就活地獄の真相.jpg 『就活地獄の真相 (ベスト新書)

 本書によれば、就職氷河期レベルと言われた2010年春の就職状況は、文部科学省の「学校基本調査」(2010年8月公表)によると、前年より5万3000人減の32万9000人と厳しいものだったが、2011年春は、より厳しい見通しにあるとあります(因みに就職率で言うと、本書には無いが、2011年春の最終数値は61.6%で、前年最終の数字との比較で0.8ポイント上昇したものの、ほぼ横ばいだったとみていいか)。

 また、厚生労働省の「就職内定状況調査」(年4回、10月、12月、2月、4月に調査)では、2011年春の内定状況は、2010年10月1日時点で57.6%と「氷河期」を下回る過去最悪となっているとあります(因みに、2011年4月の最終内定率は91.0%で、こちらは最終数値も過去最低だった)。

 大学ジャーナリストである著者は、その原因を、単にリーマン・ショック後の不況による求人減少のせいだとして片づけることはできないとし、そこには、「就活」をめぐっての大学側、国側、採用する企業側のさまざまなウソ・ゆがめられた真実があり、それらがいびつな就活構造を作り出し、学生を疲弊させるだけでなく、結局は採用企業にも大学にとっても不利益をもたらすという悪循環を生みだしているとしています。

 例えば、文部科学省・厚生労働省の「大学卒業(予定)者の就職内定率調査(前記:厚生労働省の「就職内定状況調査」と同じ)」(2010年5月公表)によれば、「10年4月1日時点での就職率(内定率)は91.8%」となっているとマスコミも伝えましたが、マスコミを通して発表される政府の就職内定率調査や、大学が公表している就職率は、現役学生だけを対象としたものであり、しかも、内定率というのはあくまで就職希望者に占める就職決定者の割合であって、厳しい就活に耐えられず途中で就職を諦めた学生などは分母に含まれていないそうです(2011年の「過去最低の数字」が、前述の通り「91.0%」だったというのは、確かに実感とずれているが、要因はここにある)。
 
 また、大学によっては、自大学が出資して派遣会社を設立し、就職が決まらない学生をとりあえずそこへ押し込むことによって、就職内定率の低下を表面上防ぐようなこと(水増し工作?)が行われているとのことです(個人的に知るところでは、早稲田大学なども「キャンパス」という名の100%出資の人材派遣会社を、随分以前から持っている。会社設立当初は、学内事務等の要員を、校風を知る自大学の出身者で賄おうというというのが狙いだったと思われるが)。
 
 こうした統計の"ウソ"を明らかにする一方で、企業側についても、学生に対して求める能力の評価基準が曖昧であることを、これもまた統計をもって明らかにし、その結果として、大学・学生・企業の間に相互不信が渦巻いているとしています(この「就職率」と「就職内定率」の30ポイントもの数字の開きは何とかならないものか。例えば、東京工業大学などは、大学院進学者が多いので「就職率」は落ちるが「就職内定率」は高い。そもそも、「就職内定状況」の調査対象は、国立大学を中心とする62校で、私立では、明治・青山・立教・法政などは除かれている)。
 
 また、「厳選採用」を求められながらも、理想の人材と現実の学生とのギャップに戸惑い、また、ネット・エントリーなどで母集団が拡大し、膨大な費用と労力を消費せざるを得ない、企業の採用現場の厳しい現状についても言及しています。
 結果として、大手企業などの場合、予め学校を有名校に絞る「ターゲット採用」などが行われているとのことです。

 更に、就職活動の早期化が「学生から学びの時間を奪っている」という実態が大学教育にもたらす悪影響についても述べていますが、早期化の根底には、「大学での勉強は仕事にはあまり役立たない」「日本の大学教育は米国などのように、自分の頭で考える力が身につく教育ではなく、単なる知識の習得に重点が置かれている」との考えがあるようだとしています。

 しかし一方で、著者によれば、最近では大学教育も変わりつつあり、「問題発見力、問題解決力を鍛える教育」に力を入れたり、文科省が学生が自分に合った仕事を見つけて卒業後に自立できる「就業力」の育成に取り組む大学・短大への支援を2010年から始めたのを受けて、独自の授業プログラムを実施している大学も増えているとのことです。

 そうした大学の新たな取り組みについても紹介していますが、東海大学の就職指導は「総戦力」であるという考えに基づく同窓会や保護者なども一体化した親身のサポート体制での対応、明治大学の学長主導による「就職情報懇談会」、「就職率100%」という秋田の国際教養大学(AIU)の「すべての授業を英語で行う」などの国際人を養成するという教育方針、立教大学経営学部の「BLP(ビジネス・リーダーシップ・プログラム)」による人材育成など、どれも興味深いものでした。

 企業側にも、新卒採用の早期化を見直したり、本格的なインターンシップを通して、時間をかけて能力適性を見極めるなど、新たな動きが出てきているようですが、今後もこうした取り組みが拡がっていくよう思います。

 著者は日経記者出身のベテランのジャーナリストであり、本書は「就活」の現状を把握するにはいい本ですが、現状分析がやや長過ぎて、大学の「就業力」を育成するプログラムの紹介に至るまでに紙数が尽きた感もあります。

 その分、全体を通して提案的な部分の比重が小さくなり、「大学が変われば、企業も動き、就活も変わる」というのが著者の考えなのですが、肝心の大学の取り組み状況の紹介がそれこそ新聞記事程度(コラム記事未満)のものであり、実際に現場を取材したシズル感のようなものが感じられず、詰まるところ「大学」ジャーナリストとしての著者の本領は活かされてないように思われたのが残念です。

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就活ゲームの中で形成される"即席アイデンティ"が、ミスマッチの原因との分析は興味深かったが...。
豊田 義博 『就活エリートの迷走』.jpg 就活 image.jpg
就活エリートの迷走 (ちくま新書)

『就活エリートの.jpg 本書を読むまで「就活エリート」とは何を指すのか分からなかったのですが、本書における「就活エリート」とは、エントリーシートを綿密に作り込み、面接対策をぬかりなく講じて、まるで受験勉強に勤しむような努力をして、超優良企業へと入社していく若者のことを指していました。著者によれば、こうした「就活エリート」が、会社に入社してから、多くの職場で戦力外の烙印を押されているという状況が今あるとのことです。

 なぜ彼らは、肝心の社会生活のスタートで躓いてしまうのか、著者は、その原因が「就活」という画一化、パッケージ化したゲームにあるとし、このゲームの抜本的なルールを改変し、或いはゲームであることを中止しない限り、同様の犠牲者は生まれ続けると警告しています。

 著者はリクルートワークス研究所の主任研究員であり、就職活動がいかにして「就活」というゲームになったのかを、データをもとに俯瞰的に分析している箇所は、採用担当者が読んで、頷かされる部分も多いのではないでしょうか。
 そうした分析を通して、「自己分析」の流行や「エントリーシート」の普及が、就職活動の画一化、パッケージ化を促した背景要因としてあるとしています。

 就活エリートたちは、「やりたいものは何ですか?」というエントリーシートの問いが求めるままに、「自己分析・やりたいこと探し」に熱中し、就職活動という短い期間に自身のアイデンティティを確立してしまうが、そのアイデンティティは本物ではなく"即席"のアイデンティにすぎず、その際に抱いた「スター願望」や、「ゴール志向」とでもいうべき偏狭なキャリア意識が、逆に、彼らが入社後に迷走する原因となっているとの分析は、興味深いものでした。

 もう1つの原因として、「面接」重視の傾向を挙げていて、企業側が「面接」を極端に重視するあまり、その場で「自分」を作り上げてしまう就活エリートとの間で、同様の「ゲーム」が繰り返され、「面接」は形骸化し、その意義を失いつつあると。

 更には、採用コミュニケーションの在り方についても問題提起しており、新入社員の中には、企業側の巧みなPRにより、入社した会社に「恋」をしてしまっているような人が多くいるが、その分、入社後の理想と現実のギャップは大きくなり、そのことも、就活エリートたちが入社後に迷走する原因になっていると。

 前段の就職活動の変遷はデータに裏付けられており、中盤の就活の在り方と若者のメンタリティについて論じた部分も興味深く読めましたが、就活エリートたちの入社後の迷走についての実態は、城繁幸『若者はなぜ3年で辞めるのか』('06年/光文社新書)から引用するなどに止まっていて、あまり突っ込んだ解説がなされていないのがやや不満でした。

 また、最終章では、こうした状況を打破するための「就活改革」のシナリオが示されていますが、「採用活動時期の分散化」「採用経路を多様化」「選考プロセスの多面化」といった提案の趣旨には概ね賛同できるものの(「採用活動時期の分散化」は、個人的には疑問符がつくが)、前段の分析部分に比べるとやはり具体性に乏しいように思われ、「分析に優れ、提案に弱い」というのは、研究所系の本に共通して見られる傾向なのかも。

 むしろ、読んでいてずっと気になったのは、リクルートグループこそ、こうした就職活動の画一化、パッケージ化を促した就職関連企業の筆頭ではなかったかと思われることで、適性試験「SPI」や就職情報サイト「リクナビ」でどれだけ利益を上げたのかは知りませんが、例えば「インターネット就活」の促進というのも、著者は学生に広く機会を与えるものとしているようですが、結果として就職活動の画一化に「寄与」してしまっているのではないかと。

 そうした想いは、本書を読む採用担当者の多くが抱くであろうことは想像に難くないところですが、本書では、学生ばかりが悪いのではなく、企業側もこれからの採用活動の在り方を見直さなければならないというスタンスをとりながら、自らが行ってきたことに関しては、「あとがき」で、「私にも就活エリートの迷走を生みだした責任の一端はあると思っている」との個人的感想一言で片付けられてしまっているのは、こりゃあんまりだという気がしなくもありませんでした。

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労働経済学者による社会哲学の本。自己啓発本にみたいな印象も。

希望のつくり方.jpg 『希望のつくり方 (岩波新書)

 労働経済学者で、『仕事の中の曖昧な不安』('01年/中央公論新社)などの著書のある著者の本ですが、『ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』('04年/幻冬舎、曲沼美恵氏と共著)で「ニート」論へ行き、今度は「希望学」とのこと。
 但し、いきなりということではなく、東京大学社会科学研究所で'05年度に「希望学プロジェクト」というものを立ち上げており、既に『希望学』(全4巻/東大出版会)という学術書も上梓されているとのことです。

 冒頭で、希望の有無は、年齢、収入、教育機会、健康が影響するといった統計分析をしていますが、この人の統計分析は、前著『ニート』において、フリーターでも失業者でもない人を「ニート」と呼ぶことで、求職中ではないが働く意欲はある「非求職型(就職希望型)」無業者(本質的にはフリーターや失業者(求職者)に近いはず)を、(働く予定や必要の無い)「非希望型」無業者と同じに扱ってしまい、それらに「ひきこもり」や「犯罪親和層」のイメージが拡大適用される原因を作ってしまったと、同門後輩の本田由紀氏から手厳しく非難された経緯があり、個人的には、やや不信感も。

 但し、本書では、そうした数値で割り切れない部分に多くの考察を割いており、希望を成立させるキーワードとして、Wish(気持ち)、Something(大切な何か)、Come True(実現)、Action(行動)の4つを見出し、「希望とは、行動によって何かを実現しようとする気持ち」(Hope is a Wish for Something to Come True by Action)だと定義づけています。

 更に、これに「他者との関係性」も加え、社会全体で希望を共有する方策を探ろうとしていて、個人の内面で完結すると思われがちな希望を、「社会」や「関係」によって影響を受けるものとして扱っているのが、著者の言う「希望学」の特色でしょう。

 学際的な試みではあるかと思われ、「希望の多くは失望に終わる」が、それでも「希望の修正を重ねることで、やりがいに出会える」という論旨は、労働経済学やキャリア学の本と言うより「社会哲学」の本と言う感じでしょうか。

 実際、主に、キャリアの入り口に立つ人や、10代・20代の若い層に向けた本であるようで、語りかけるような平易な言葉で書かれていて(但し、内容的には難解な箇所もある)、本書文中にもある、'10年4月にNHK教育テレビで「ハーバード白熱教室」として放送されたマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』('10年/早川書房)を意識した感もあります(あっちは「政治哲学」の話であり、ベストセラーになった翻訳本そのものは、そう易しい内容ではないように思ったが)。

 「希望は、後生大事に自分の中に抱え込んでいては生きてこない」「全開にはせずとも、ほんの少しだけでも、外へ開いておくべきだ」といった論調からは、啓蒙本、自己啓発本に近い印象も受け、『希望学』全3巻に目を通さずに論評するのはどうかというのもありますが、結局「希望学」というのが何なのか、もやっとした感じで、個人的にはよくわからなかったというのが正直な感想です。

 どちらかと言うと、中高生に向けて講演し、彼を元気づけるような、そんなトーンが感じられる本で、この人、労働経済学よりこっちの方面の方が向いているのではないかと思います。

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人事部の代弁者的? 特に目新しさは無く、やや物足りない。

文系・大卒30歳以上がクビになる.JPG文系大卒30歳以上がクビになる.jpg 『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる―大失業時代を生き抜く発想法 (新潮新書)』['09年]

 大手コンサルテリング会社勤務のコンサルタントによる本で、刊行時はよく売れた本だった記憶がありますが、当時社会問題化していた「派遣切り」の次に来るのは、かつてのエリート社員たち、つまり「文系・大卒・30歳以上」のホワイトカラーの大リストラであるとしています。

 なぜそうしたホワイトカラーがリストラ対象になるかというと、「ホワイトカラーの人数が多いから」であり、また、給料が高いため「リストラの効果が期待できるから」であるとしています。

 そのうえで(散々煽った上で?)、若手ビジネスパーソンに向けて、「大リストラ時代」に備え、常日頃から自分のやりたいこと、できることを意識しておくよう説いています。

 マクロ的な労働市場の動向や企業が抱えている余剰人員の問題については、概ね書かれている通りだと思われますが、ホワトカラー正社員リストラが進行するであろうという話はすでに報道、書籍等の多くが指摘しており、また実際にそのようなリストラ計画を巷に見聞するため、特に目新しさは感じられません。
 リストラに対する個々の対応策も、既に言い古されている(やや漠然とした)キャリア論に止まっているような。

 むしろ、本書が読まれた(支持された?)理由は、ホワイトカラーは、「本当は必要のない仕事」を自ら作り続けてきて水ぶくれし、企業組織内で「がん細胞」のようになってしまっているのであって、まず自らが「がん細胞」であることを自覚し、「万能細胞」に生まれ変われるよう努めなさいという、その言い方のわかりやすさゆえではないでしょうか。

 但し、"生産性の低い"ホワイトカラーを組織内にはびこらせてしまった企業側の責任については、触れられていないのが気になりました(人事部の代弁者?)。

 本書の中にある「人事部長M氏が見た」リストラの事例は、若手ビジネスパーソンには、「ああ、会社はこうやってリストラをするのだ」とリアルに感じられるのかもしれませんが、人事部的な視点から見ると、"事例"ではあっても、"モデル"と言えるものではないように思います。

 もし、本当に企業が雇用調整を行うのであれば、中期の経営計画に基づき、なぜ雇用調整を実施しなければならないのかをより明確に定義し、再構築後のビジョンと併せて社員に示す必要があるように思います。リ・ストラクチャリングなのですから。

 希望退職を3ヶ月間実施し、その結果目標の1割しか応募がなく、そこで追加募集を4ヶ月間実施し、更にその後でようやく退職勧奨をを行っているのも、随分と悠長な印象を受けます。
 企業にとどめておく人材と退職を勧奨する人材をあらかじめ区分し、希望退職の募集と併せてすぐさま後者に対し退職勧奨を行うのが、一般にとられている方法でしょう。
 本書のようなやり方では、半年以上にわたって希望退職を募ることになり、社員全般の士気に及ぼす影響もさることながら、場合によっては、応募者が、失業保険で優遇される「特定受給資格者」の資格要件を満たさないとされる恐れもあります。

 一般向けの本なのでこんなものかな、と思いますが、人事的な観点から見ると、煽り気味のタイトルの割には、かなり物足りないように思います。
 この本自体が、人事部の代弁者的視点で書かれているともとれなくはなく、人事に対して何か新しい視点や情報を提供するところまでは要求されていないとも言えますが。

 巻末に参考文献として、本書刊行年('09年)にこれまで刊行された労働問題に関する本が8冊挙げられていますが、「ホワイトカラー」の歴史と現況についてよりきちんと把握しようとするならば、『貧困化するホワイトカラー』(森岡孝二著・ちくま新書)がお奨めです。

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雇用不安の打開策を冷静な視座から提言。入門書としても読みやすい。

日本の雇用 ほんとうは何が問題なのか.jpg 『日本の雇用--ほんとうは何が問題なのか (講談社現代新書)』['09年]

 執筆時点('09年上期)での雇用問題を分析し、その背後にある雇用不安を意識しながら打開策を考察した本ですが、著者はリクルートワークス研究所の所長であり、さすがに現状分析はシャープです。

日本の雇用 図.png 20年前に比べ今は、正社員が減って非正規社員は増えているが常用雇用率は減っていない、つまり常用雇用に占める「常用・非正規社員」の割合が増えているのであり(正規・非正規2元論から「正社員」「常用・非正規社員」「臨時・非正規社員」の3層化への雇用構造の変化)、また、企業がそれら「常用・非正規社員」を解雇することは、生産性維持のうえでも法規制のうえでも難しくなってきているとしています。

資料出所: 雇用のあり方に関する研究会(座長=佐藤博樹)(2009)『正規・非正規2元論を超えて:雇用問題の残された課題』リクルートワークス研究所

 続いて、「雇用創出」「ワークシェアリング」といった雇用対策が日本の労働市場においてどこまで可能なのかその限界を指摘し、「新卒氷河期」という言葉の"ウソを暴く"一方(この部分については、個人的にはやや異論はある―やっぱり氷河期じゃないの?)、今の雇用不安の中、企業にできることは何か、マネジャーには何が求められるか、働く個人は自らのキャリアとどう向き合うべきかをそれぞれ説いています(著者はここ数年、キャリア形成に関する本を何冊か著している)。

 また、国の雇用対策の三本柱(雇用保険、職業訓練、雇用調整助成金)について、その内容と限界を解説し、著者なりの提案をしていますが、この部分は純粋にそれらについての入門書としても読めます。

 そして最後に、格差問題の根底にある「正社員」の処遇問題を指摘し、ミドル層とシニア層の働き方や処遇の見直しを提案する一方、派遣社員については、登録型から常用型へ切り替えることで、派遣を一つの働き方として位置づける方向性を示唆しています。

 著者には、マネジメントの立場から雇用問題を扱った編著『正社員時代の終焉』('06年/日経BP社)がありますが、現状分析に紙数を割きすぎ、非正社員のキャリア志向の類型やそのマネジメントの要点にも触れていたものの、非正社員の活用に悩む経営者の期待にこたえきれておらず、全体として物足りなさを感じました。

 本書も分析が鋭いわりには提案の部分はやや漠としている感が否めなくありませんが、前著に比べれば"提言度"が高く、また、その対象も企業ばかりでなく、国や社会、働く個々の人々に向けてのものとなっています。

 主張は(新卒採用支援、人材派遣等がリクルートの業務ドメインであることを念頭に置いても)ほぼ筋の通ったものと思われ、声高になりがちな、あるいは難しくなりがちな雇用問題を扱った本の中では、冷静な視点を保持し、かつ入門書としても読みやすいものに仕上がっています。そのことが、本書の一番の特長かもしれません。

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データの裏づけが十分にあり、一般にも読みやすいホワイトカラーの現状分析。

貧困化するホワイトカラー.jpg 『貧困化するホワイトカラー (ちくま新書)』 ['09年]   森岡孝二.jpg 森岡 孝二 氏

窒息するオフィス.jpg 労働経済学者による本で、第1章で、ホワイトカラーとは何かその原像をアメリカに探る一方、アメリカにおけるホワイトカラーの置かれている情況を、データを交え分析していますが、著者はジル・A・フレイザー『窒息するオフィス―仕事に強迫されるアメリカ人』('03年/岩波書店)の訳者でもあり、米国労働事情に対する造詣の深さを感じました。

 第2章、第3章では、日本のホワイトカラーの現状を、データを交えながら分析し、ホワイトカラーのこれまで以上に"搾られる"ようになっている現状と(ああ、アメリカと同じことになっているなあ)、過労死・過労自殺事件の判例から、その働かされ過ぎの実態を考察しています。

 第4章では、上場企業を中心に日本のサラリーマン社会における女性差別について考察、賃金差別撤廃などの裁判上のこれまでの女性たちの闘いを追い、第5章では、「ホワイトカラー・エグゼンプション」について、経済界と政府がいう「自由で自立的な働き方」とした説明の"嘘"を指摘しています。

働きすぎの時代.jpg 前著『働きすぎの時代』('05年/岩波新書)もそうでしたが、この著者の書くものはデータの裏づけが十分にあり、参考文献や資料の読み込みもしっかりして、それでいて、学術書然とせず、一般にも読みやすいものになっている点に感心させられます(ルポルタージュ的視点が織り込まれていることもあるが)。

 個人的には、ホワイトカラーというものの増加傾向が既に止まっていること、管理職の過労死・過労自殺発生率が高いこと、ホワイトカラーの方がブルーカラーより労働時間が長くなっていること、労働時間の性別二極化が進んでいること等々多くのこと知り、収穫がありました。

 「ホワイトカラー・エグゼンプション」については、すでに残業がつかない労働者が2割いて、その中には「名ばかり管理職」として実態適用されている人が相当数おり、裁判になれば企業が負ける―その危険を回避するために、経済界と政府が持ち出したものであると。

 偽装請負などについても同様のことをいつも思うのですが、裁判になれば企業側が負けているのに、法律自体は見直さずにきた(急に規制のみを強めた)立法府(及び行政)にも問題があるのではないかと思った次第です。
 本書では、トヨタ関連企業での過労死を労災認定しなかった豊田労基の例が紹介されていますが(後に行政訴訟で労基側が敗訴)、大企業の中には裏口であの手この手の労基署対策をやっているところもあるのは確か。

 労働側の学者が書いた本ということで、企業側の人にはあまり読まれないかも知れませんが、産業構造・労働実態の変化を俯瞰する上でも参考になり、「賃金労働者とホワイトカラーの際立った違いの一つは、賃金労働者は彼の労働とエネルギーとスキルを売るが、ホワイトカラーは、多数の消費者、顧客、管理者に対して、自己の労働を売るだけでなく自己のパーソナリティを売る」(C・W・ミルズ、1957)といった引用にも、だからホワイトカラーの疲弊度は増すのだなあと納得させられたりしました。

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オムニバス効果が見えず、寄せ集め感だけが印象に残った。

雇用崩壊.jpg 『雇用崩壊 (アスキー新書)』 ['09年]

 '09年4月刊行。未曾有の経済危機で、企業による「派遣切り」が横行し、「正社員リストラ」の兆しも見えるなど、日本の雇用のあり方が問われている中、「第一線の論客たち」7名にこの問題についての提言を求め、解決策を模索した本―と言っても、まあ、それぞれの立場の人がその立場での話を(勝手に?)書いているなあという感じで、あまり目新しさはなく、全体としての寄せ集め感だけが印象に残りました。
 日比谷公園の「年越し派遣村」('09年1月/共同通信)
日比谷公演に並ぶ「年越し派遣村」の失業者たち.jpg 冒頭の民主党国会議員への"SUPECIAL INTERVIEW"は国会答弁みたいだし、次に来る『若者はなぜ3年で辞めるのか?―年功序列が奪う日本の未来次に来る』(光文社新書)の著者・城繁幸氏のものは、これはインタビューに答えたもので、自著の内容のリフレインに過ぎず、その次の(労働側にとっては悪評高い)元「経済財政諮問会議」メンバーの八代尚宏氏の話も論筋があちこち飛んで(これもインタビュー?)、結局、「規制緩和」が雇用悪化の"犯人"ではないという弁解に聞こえなくもありません。

 一方、それに続くユニオンやマスコミの人の話は、事態の深刻さを訴えるばかりで(ちょうど年末年始にかけ「年越し派遣村」が話題になった頃に取材申し込みしたようで、そのことを使用者側も含め多くの人が取り上げている)その先がどうすればいいのかが見えにくく、最後のリクルートの元「とらばーゆ」編集長のものは自助努力論?(城繁幸氏のものもそうだが)

 雇用流動化への認識と、同一労働同一賃金であるべきという方向性については、多くの論者の見方がほぼ一致しているのに、なかなか議論が交わらないという感じを受けるのは、労と使、ミクロとマクロという面で、それぞれが向いている方向がばらばらであるためでしょうか。
 八代氏の話の次に、ユニオンの連合会の事務局長の話が来るので、この2つを読み比べると、そのことが鮮明になります。

雇用はなぜ壊れたのか.jpg 労働法学者の大内伸哉氏が『雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理』 (ちくま新書)の中で、「会社の論理」と「労働者の論理」の調整が難しい時代に今あることを指摘していましたが、お互いに実のところどうしたらいいのか解らないというのが本音であるような気もしないでもなく、八代氏の言うことにしても(個人的にはこの人の論を全否定はしないが)、「差別のない、多様な働き方ができる社会へ」とだけ言われてもねえ、みたいな印象は抱かざるを得ませんでした。

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「味方のように微笑む美女が、じつは悪魔であったということもある」ことを考えさせられた。

雇用はなぜ壊れたのか  .jpg大内 伸哉 『雇用はなぜ壊れたのか』.gif    大内 伸哉.jpg 大内 伸哉 氏(略歴下記)
雇用はなぜ壊れたのか―会社の論理vs.労働者の論理 (ちくま新書)

 雇用問題の中には、会社が利益を追求する「会社の論理」と、労働者が自らの権利を守る「労働者の論理」の2つの論理があり、経済の激変で両者の調整が一段と難しくなった今、どうすれば両者の論理を比較衡量し、調整が図れるかということを、セクハラ、長時間労働、内定取消、期間工の解雇、正社員リストラなど、雇用社会の根本に関わる11のテーマを取り上げ、それぞれについて対立軸を行き来しながら考察した本です。

 従って、表題の「雇用はなぜ壊れたのか?」というその原因を明らかにする内容ではなく、そのためミスリード気味のタイトルではないかということで、書評ブログなどでも評価が割れているようですが、個人的には、本書から、多くのことを考えさせられる契機を得られました(ブログなどでは、結論が明確でない、或いは立場が「会社の論理」に偏っているといった批判もあったようだが、そう簡単に結論が出せるような問題でもないし、考察の進め方は至極まっとうなものだと思う)。

 法学者らしくない柔らかめの文体で、但し、内容は労働法と雇用社会の関係を考察して深く、例えば、解雇規制を強めることや最低賃金を引き上げることは、それが労働者の権利を守ること繋がると言い切れるのか、といったことを解り易く問題提起しています。

 自分個人がかつて経験したこととして、ハローワークに営業職の求人を出したものの同業種経験者の採用はならず、異業種の若手営業経験者を採用内定した際に、内定後に、「示された給与額が求人票の額より下回っているのは違法だ」と言ってこられたことがありましたが、ハローワークに出した労働条件と実際の労働条件が異なることは必ずしも違法ではないと考え、本人に提示額の根拠説明をし、額の変更は行わなかったということがありました。
 もし、法規制が強化されて、こうしたことが即違法となるならば、企業は低い給与額の(給与額に幅のある)求人を出して対処するかも知れませんが、むしろこうしたケースでは、本命筋の採用は出来なかったということで諦める可能性が高く、仮に当時からそうだったとすれば、この営業職(今もその会社で正社員として元気に働いている)の入社は無かったでしょう。

 先述のように「会社の論理」に立っているとの批判もありますが、「使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」という労基法3条の「社会的身分」とはどこまでをいうのか、パートタイマーや非正社員の給与が正社員より低い場合は「均等待遇」原則に反しないかという問題について、「社会的身分」とは、自らの意志では離れることのできない「生来の身分」をいい(通達)、パートタイマーや非正社員といった雇用形態の違いは該当しないと解されていることに対し、これは詰まるところ「自己責任論」であり、疑問の余地があるとしています。

 本書では、「会社の論理」「労働者の論理」に加えてもう1つ「生活者の論理」というものを取り上げていて、著者によれば、日本人は少しでも豊かな生活をしたいという「生活者の論理」が「労働者の論理」に優先するという選択をしているとのことで(イタリア人などは逆)、但し「生活者の論理」が一方的に「労働者の論理」に優先するのではなく、その両者の均衡が日本的経営の強みだった(長時間労働もするが雇用は確保されている)とのこと。

 (著者自身は格差社会を是認しているわけでもないし、正社員と大きな賃金格差のある非正社員がいることは社会正義に反するとしている。その上で、)例えば、正社員と非正社員との均衡をとるということは、格差問題(貧困問題)の一時的な処方箋とはなり得るかもしれないが(実際、最低賃金法やパート労働法の改正はその流れに沿って行われてきた)、この「生活者の論理」と「労働者の論理」の間のバランスを壊すことになりかねないとしています。
 この辺りは、実際に本書を手にして読み込み、それぞれの読者が自ら考えていただきたいところですが、「味方のように微笑む美女が、じつは悪魔であったということもあるのである」(219p)と。
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大内 伸哉 (オオウチ シンヤ)
1963年生まれ。法学博士。専攻は労働法。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。現在、神戸大学大学院法学研究科教授。主な著書に『労働条件変更法理の再構成』『労働者代表法制に関する研究』(以上、有斐閣)、『雇用社会の25の疑問』『労働法学習帳』(以上、弘文堂)、『労働法実務講義』『就業規則からみた労働法』(以上、日本法令)、『どこまでやったらクビになるか』(新潮新書)など。

《読書MEMO》
●「ちくま 458号」 (筑摩書房)の一部を転載((神戸大学のサイトより)
「拙著『雇用はなぜ壊れたのか?-会社の論理vs.労働者の論理』は、実は、雇用が壊れた原因を明らかにしようとした本ではない。 むしろ、本書で描きかったのは、雇用が壊れる過程における、会社の論理と労働者の論理の関わり合いについてである。 これらの論理の関わり合いを明らかにすることを通して、筋の通った正しい政策はどのようなものかを模索していきたかったのである。 それは、必ずしも会社にも労働者にも「甘い」ものばかりではない。正義の女神は、剣をもっている。母のように「甘える」ことは危険なのである。」

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雇用労働問題の先駆的ルポ。「製造業復活」が非正規雇用により支えられていたということがよく解る。

雇用融解.jpg 『雇用融解―これが新しい「日本型雇用」なのか』 ['07年] 風間直樹氏.jpg 風間 直樹 氏 (週刊「東洋経済」記者)

 '07年の刊行。東洋経済新報社の記者が'02年から足掛け5年に渡って「新しい日本の雇用」の実態に関する取材をし、それを取り纏めたもので、この本の後に刊行された「偽装請負」や「ワーキングプア」等の労働・雇用を巡る諸問題を扱ったルポルタージュと比べても、カバーしている範囲とその切り込み度合いの深さにおいて出色のルポだったのではないでしょうか。

 まず第Ⅰ部では、「製造業復活」と言われる裏側で、現場ではどういったことが行われているかを取材しており、序章では、シャープ亀山工場「アクオス」製造現場における非正規雇用の実態(外国人労働者の優先的受け入れにより、企業誘致が地元の雇用創生に繋がっていないという"亀山パラドックス")を、第1章では、業務請負業「クリスタル」の実像とグッドウィルによる買収劇を、第2章では、松下プラズマディスプレイ(MPDP)茨木工場「VIERA」製造現場に派遣される請負労働者の実態と、MPDP社員の請負会社への出向(偽装請負)などを、第3章では、「外国人研修生」という名の下に奴隷のような労働条件を強いられる外国人労働者たちとその背後にある彼ら・彼女らをコーディネートする組織機構が取り上げられています。

 更に、第Ⅱ部では、「働き方の多様化」と言われるなか、フリーター、パートタイマー、個人請負といった人たちがどういった情況に置かれているかを、それぞれ第4、第5、第6章で取り上げており、統計分析から見えてくるもの、改正パート労働法の問題点、或いは、労働法"番外地"とでもいう情況にある業務委託社員の問題に触れながら、こちらも多くの企業とそこに働く労働者及び業務委託社員の置かれた苦境を現場取材しています。

 「雇用融解」と題した第Ⅲ部では、第7章でホワイトカラー・エグゼンプション問題、第8章で、医師(勤務医)・教師・介護士を蝕んでいる雇用環境の劣化を取り上げ、終章で、小泉内閣の構造改革・規制緩和路線が「雇用融解」を招いたことを分析・糾弾しています。

 著者は本書刊行時30歳、ということは25,6から雇用労働問題を追っていたということでしょうか、取材開始当時はどの新聞や雑誌にも「クリスタルグループ」や「偽装請負」に触れた記事は無かったそうで、暗中模索での取材に関わらず(東洋経済の多くの記者のサポートを受けたとしても、基本的には、取材対象ごとにアルパイン・スタイル=単独登頂スタイルが取られている)、内容的にはよく纏まっており、新聞社が掲載済みの連載を書籍化した際によく見られるような継ぎ接ぎ感、バラバラ感がありません。

 結局、製造業の復活などと言われたものが、劣悪な労働条件の非正規雇用の労働者によって支えられていたということが本書を読み直すとよく解り、章の終わりに、折口雅博グッドウィル会長(当時)や奥谷禮子ザ・アール社長などへのインタービューが挿入されていて、折口氏は「クリスタル」のオーナーとは一度も会うことなくその会社を買収したと言い、奥谷氏は、過労死は自己責任、労働省・労基署は要らないと言っている―これらも今読むとまた興味深いというか、改めてゲンナリさせられるものでした。

 因みに、奥谷禮子氏は、「規制改革会議」の元委員で、最近('09年6月時点)西川善文社長の留任人事で揺れている日本郵政の社外取締役でもあり('06年1月〜)、郵政公社から受注した「職員のマナー講習」の売上げは、これまでに7億円前後になるそうな。

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'07-'09年にかけての労働者の置かれている現場の状況を改めて俯瞰する。

ルポ雇用劣化不況.jpg 『ルポ 雇用劣化不況 (岩波新書)』 ['09年] 竹信 三恵子.jpg 竹信 三恵子 氏(朝日新聞編集委員)

 著者は朝日新聞の編集委員で、長年にわたり労働問題を追い続けている人ですが、本書は規制緩和の後押しを受け悪化する非正社員・正社員の労働環境の現場をルポルタージュしたもの。
 '08年3月から5月にかけて朝日新聞に9回に渡って連載された「現場が壊れる」という企画記事がベースになっていますが、1年後の'09年4月の刊行ということで、'08年9月に起きたリーマン・ブラザーズの破綻に端を発する金融恐慌と世界経済の衰退に伴う国内の雇用情勢の悪化に関することも加筆修正の際に織り込まれ、結果としてタイムリーな出版となっています。

 序章・終章を除いて6章の構成で、第1章にある「派遣切り」と言われる問題などは、まさにリーマン・ショック以降、顕著なものとして注目された問題ですが、本書によれば、以前から自動車メーカーにとって派遣労働は「人間のカンバン方式」と呼ばれていたとか。
 派遣労働者には携帯メールで登録した人も多く、派遣会社の所在地も知らず、雇用保険の手続きもままならない、それでいて住居を追い出されてホームレスになれば、住所不定で再就職も出来ないという情況を伝えています。

現場が壊れる.jpg 第2章で派遣・請負に伴ってありがちな「労災隠し」(労災飛ばし)の問題を、第3章で正社員の削減等により様々なしわ寄せを受けるパート・派遣労働者の労働環境の問題を扱っていますが、この辺りは以前からマスコミなどでよく報道されており、但し、旅行業界の添乗員は「美空ひばり」タイプより「モーニング娘。」タイプ-要するに細かいサービスが出来るベテランよりも入れ替え可能な臨時雇用が求められているという現況は新たに知りました(この部分は内容的にはほぼ新聞記事の再掲のようだが...)。

2008.3.21朝日新聞(朝刊)

 結局、こうしたことのツケは利用者に回っているのだとういうこの章での著者の指摘は、考えさせられるものがありました。

 第4章で扱っている非常勤公務員などの「官製ワーキングプア」問題や第5章の「名ばかり正社員」問題は多くの人にとって目新しいかも。 
 「名ばかり正社員」の問題は「名ばかり管理職」とパラレルなのですが、「非正社員=ワーキングプア」というイメージから逃れるため若年社員の間で広がっており、かつて正社員と言われた人ほどに雇用保障があるわけでもなく、一方で非正社員のリーダー役として利用されているという...ひどい話。

 第6章では労働組合の現況を取材していますが、企業内組合の中には「御用組合」化しているものもやはりあるのだなあと。これからは個人加入のユニオンなどが本来の組合的役割を担っていくのかなあという気がしました。

 同じ岩波新書の『ルポ解雇』(島本慈子著/'03年)、『働きすぎの時代』(森岡孝二著/'05年)、『労働ダンピング』(中野麻美著/'06年)、『反貧困』(湯浅誠著/'08年)などの流れにある本ですが、解決策を提示するよりもルポそのものに重点が置かれているため、'07-'09年にかけての労働問題、労働者の置かれている現場の状況などを改めて俯瞰するうえでは悪くないものの、新聞をまとめ読みしているような感じも。

 本書『ルポ雇用劣化不況』は、労働ジャーナリストらが選ぶ「2010年日本労働ペンクラブ賞」を受賞しました。

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またまたタイトルずれ? 特殊な人だけ拾っても...。

3年で辞めた若者はどこへ行ったのか.jpg 
若者はなぜ3年で辞めるのか?.jpg若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)』['06年]
3年で辞めた若者はどこへ行ったのか アウトサイダーの時代 (ちくま新書)』['08年]

 『若者はなぜ3年で辞めるのか』('06年/光文社新書)の続編と思われますが、今度は〈ちくま新書〉からの刊行で、〈webちくま〉の連載に加筆修正して新書化したものとのこと。

 前著では、「年功序列」を日本企業に未だにのさばる「昭和的価値観」としていて、そこから企業のとるべき施策が語られるのかと思いきや、働く側の若者に対し「昭和的価値観」からの脱却を呼びかけて終わっていましたが、本書では、実際にそうして企業を辞め、独立なり転職なりした、著者が言うところの「平成的価値観」で自らのキャリアを切り拓いた人達を取材しています。

 ですから、タイトルからすると労働問題の分析・指摘型の内容かと思われたのですが、後から書き加えたと思われる部分にそうした要素はあったものの、実際には、どちらかというと働き方、キャリアの問題を扱っていると言えるかも知れず、こちらも少しずつタイトルずれしているような気が...。

 紹介されている人の全てがそうだとも言えないけれど、(著者同様に)高学歴でもって世で一流と言われる企業に勤め、業界のトップの雰囲気や先端のノウハウに触れた上で起業なり独立なりを果たした人が中心的に取り上げられているような気がし、同じ「若者」といっても産業社会の下層で最初からそうしたものに触れる機会の無かった人のことは最初から眼中にないような印象を受けました。

 こうした特殊な人ばかり取り上げて(その方向性の散漫さも目につく)、「辞めた若者」の一般的な実態には迫っていないんじゃないかなという気がしますが、転職に失敗した人に対しては、前著『若者はなぜ3年で辞めるのか』にある"羊 vs.狼"論で、「彼ら"転職後悔組"に共通するのは、彼らが転職によって期待したものが、あくまでも『組織から与えられる役割』である点だ。言葉を換えるなら、『もっとマシな義務を与えてくれ』ということになる。動機の根元が内部ではなく外部に存在するという点で、彼らは狼たちと決定的に異なるのだ」と既にバッサリ斬ってしまっていたわけです。

 元々著者自身が、企業の中で学習機会に恵まれた環境のもと大事に育てられた人なわけで、この人が「キャリア塾」的な活動をするとすれば、対象としては大企業に今いて一応レールに乗っかっている人に限られるのではないかと思われ、個人的にはそうした活動よりも、企業向けのコンサルティング的提言をしていく方がこの人には向いているのではないかと、老婆心ながらも思いました(『内側から見た富士通-「成果主義」の崩壊』('04年/光文社ペーパーバックス)は悪い本ではなかった。むしろ、大いに勉強になった)。

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タイトルずれしている。分析・批判はともかく、著者の"立ち位置"がわかりにくい。

若者はなぜ3年で辞めるのか?.jpg 
3年で辞めた若者はどこへ行ったのか.jpg 『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか―アウトサイダーの時代 (ちくま新書)』['08年]
若者はなぜ3年で辞めるのか? 年功序列が奪う日本の未来 (光文社新書)』['06年]

 『日本型「成果主義」の可能性』('05年/東洋経済新報社)に続く著者の本でこのタイトルであったために、企業がとるべき人材引き止め策(リテンション戦略)について書かれたものだと思ってしまったのですが、「年功序列」を未だに日本企業の根底にのさばる「昭和的価値観」と規定したところで終わってしまっていて、何かそれに対する改善策が提示されているわけでないため、人材マネジメントに関する本ではなく、労働経済問題を社会学的な見地から指摘した類の本だったのかなと。

 それにしてはデータ的な裏付けがさほど無いままに著者の主観ばかりが先行しているようで、終わりの方では若者に向けて、そうした「昭和的価値観」に捉われている企業から脱出するように呼びかけているような内容であるため、著者の"立ち位置"というか、本書を通して何を言わんとしているのかが今ひとつ分りにくく、少なくともタイトルからは"肩透かし"的印象を抱かざるを得ませんでした。

 著者の言うように、年功序列のレールは90年代前半の時点で大方の企業で崩壊の兆しを見せており、成果主義の導入によってより顕著になったわけで、分析・批判そのものは必ずしも的を射ていないわけではないですが、平成不況下でも年功序列の負の遺産だけが残り、若者達にとっては企業に勤め続けても明るい未来は約束されていないというある種の閉塞状況があるという指摘や(それが本書ではやや端的に語られ過ぎている気がするが)、或いは「"席を譲らない老人"と"席に座れない若者"」といった世代間格差的な捉え方は、玄田有史氏の『仕事の中の曖昧な不安―揺れる若年の現在』('01年/中央公論新社)などとほぼ重なるように思えます(5年前に他の人が指摘済みのこととなると新味は薄い)。

 繰り返しになりますが、本書ではそこからの企業のとるべき施策が語られているわけではなく、働く側の若者に対し「昭和的価値観」からの脱却を呼びかけていて、そのためには自分なりの確固たる価値観を持たねばならないとかいった感じで、ああ、「キャリア塾」みたいなこと、やろうとしているのかな、この人は、と思った次第。
 続編の『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか』('08年/ちくま新書)は、そんな感じの内容らしいし...。

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年齢基準の「定年制」の方が能力基準よりマシという見解自体に異論は無いが...。

いつでもクビ切り社会2.jpgいつでもクビ切り社会―「エイジフリー」の罠 (文春新書)』['09年]森戸 英幸.jpg 森戸 英幸 氏

 「年齢差別から能力本位へ」という掛け声の下、「エイジフリー」の美名において「定年制廃止」を理想の雇用形態とするような議論が進んでいる事に対して、気鋭の労働法学者が疑問を呈した本、と言っても、肩肘張らず楽しみながら読める内容です。

企業年金の法と政策.jpg 著者の『企業年金の法と政策』('03年/有斐閣)は良書だったと思いますが、その中にもアメリカと日本の年金制度の違いが詳しく述べられていたように、本書においてもアメリカを始めとする欧米と日本の雇用及びその枠組みとなる社会の違いについて、時折ユーモアを交えて考察しています。

 途中まで「エイジフリー」社会の素晴らしさを讃えていますが、これが逆説的「前振り」であることは本のタイトルから容易に窺え、「いつ落とすか、いつ落とすか」という感じで読んでいました。
 その落としどころも、タイトルから解ってしまう訳で、推理小説ではないので、むしろ最初から著者の考えが解ってこの方がいいかも。

 玄田有史氏も『仕事のなかの曖昧な不安』('01年/中央公論新社)の中で「定年制廃止」に批判的でしたが(本書も参考文献を見る限りでは、慶応義塾大学の新塾長になった清家篤氏の「定年破壊」論がターゲットになっているようだ)、玄田氏はその理由として、定年制廃止が「既に雇われている人々の雇用機会を確保することにはなっても、新しく採用されようとする人から就業機会を奪うこと」になる怖れがあることを挙げており、一方、著者は本書において、定年が無くなれば解雇によってしか従業員を「退職させる」手段が無くなるため、人選の納得性などをどう担保するかが困難である点を指摘しています。

 この考え自体は、著者と同門である労働法学者の大内伸哉氏が『雇用社会の25の疑問』('07年/弘文館)でも言っていたような気がしますが、定年制という「制度」があるから人は納得して会社を去るのであり、「60歳になったらウチの会社ではまあ大体使い物にならないよね」という割り切りが対象者個々人に通じるかどうかという著者の投げかけは、大変解り易いものです。

 その上で、「エイジフリー」社会を目指すにはどうしなければならないか、「エイジフリー」社会が到来した際には働く側はどうしたらよいかといったことまで述べていますが、前半の欧米と日本の比較社会論のところでかなり「遊んだ」という感じ。

 その分楽しく読めたし、「エイジフリー」ということを考え直すという点では良かったのですが、肝心な結論の部分ではやはり、「年齢基準の方が能力基準よりマシである」という消極的選択の域を出ていないため、さほど新味は感じられませんでした(個人的にはその考えというか見通しそのものには異論は無いのだが)。

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面白かった。労働側弁護士の本だが、企業側が読んでもユニオン対策の参考書として使える?

人が壊れてゆく職場.jpg人が壊れてゆく職場 (光文社新書)』 ['08年] 笹山 尚人.jpg 笹山 尚人 氏 (弁護士/略歴下記)

人が壊れてゆく職場  .jpg 著者は1970年生まれの弁護士で、首都圏青年ユニオンの顧問でもあり、その著者が扱った案件の内から、名ばかり管理職の問題、給与の一方的減額、パワハラ、解雇、派遣社員の雇止めなどのテーマごとの典型的な事案を紹介し、相談者からどのような形で相談を受け、会社側とどのように交渉し、和解なり未払い賃金の回収なりに至ったかを書き記しています。

 要するに労働側弁護士が、ユニオンに寄せられた労働者の訴えを聞いて、ユニオンと協働してどのように企業側の横暴を暴いていったかというデモンストレーションの書ともとれなくもないですが、労働者はもっと労働組合を活用しようというのが本書の主たるメッセージの1つでもあり、こうした流れになるのは当然かも。

 労働者から相談を持ち込まれて、弁護士やユニオンがどのような対策をとるのか、その経緯や戦略がリアルに描かれているためかなり面白く読め、事実だから"リアル"なのは当然ですが、「よし、これはいける」とか「参ったな、これはまずいかも」などといった顧問弁護士として係争の見通しに対する感触が随所に吐露されているため、まるで小説を読んでいるみたいでした(顧問としての立場だから書ける部分もあり、ユニオンの人が書くとこうはならないのでは)。

 そうした点で、企業側が読んでも、ユニオン対策の参考書として使える部分もあるように思えたし(勿論、こうした事態に陥らないようにすることがそれ以前の話としては当然あるが)、労働法の趣旨や労働契約、就業規則の性質、労働審判の仕組み等についても、それぞれ係争の場面と照らしつつ具体的に解説されているので、実感を持って理解できるものとなっています。

 最初の方にある給与の一方的減額や上司が部下を殴り「顎に穴を空けた」(!)といったような事例は、会社側に非があることが自明の、且つ、かなり極端なケースにも思えましたが、係争案件として最も数の多いという「解雇」については、会社側の権利濫用を疎明するのが弁護士にとっても結構難しいケースもあることが窺え、労働者側が勤務期間を通じて完璧に清廉潔白であればともかく、中盤にある解雇の事例などもそうですが、訴える労働者側にも忠実義務に反する行為があったりすると、会社側はそこを突いてくる-そうした中で、いかに依頼人に有利な結果を導くかと言うのは弁護士の腕にかかっているのだなあと(何だかディベートの世界みたいだし、海外の法廷ドラマのようでもある)。

 ジョン・グリシャム原作の映画「依頼人」さながらに、1万円の着手金で派遣元から解雇された依頼人の仕事を受けた話などには著者の熱意を感じますが、これなども「感動物語」というより、和解に至る経緯とその事後譚が興味深かったです。

 一方、著者の言う労働組合活動の復興は、従来型の企業内組合ではなかなか難しいのではないかという気もし、結局はコミュニティ・ユニオンということになるのでしょうが、ユニオンの場合、労働者1人1人は、自らの案件が決着すると組合員であることを辞めるのが殆どのようで、その辺りはユニオンにとっても難しい問題ではないでしょうか(係争の間しか組合費が入らない)。
 結局、その結果ユニオンは、動いたなりの報酬を得なければというかなりタイトな経済原理のもとで活動している面があるように思われるのですが(その事は、労働者側の責に帰すべき部分が大きいと思われる場合には軽々しく介入しないということにも繋がっているのだが)。
 それは弁護士も同じかも。本書にある「着手金1万円」のケースも、解決金から報酬を得ればいいという見通しのもとで動いているわけで、こうした弁護士の本音に近い部分が書かれているという点でも、興味深い本でした。
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笹山 尚人 (ささやま なおと)
1970年北海道札幌市生まれ。1994年中央大学法学部卒業。2000年弁護士登録。第二東京弁護士会会員。東京法律事務所所属。弁護士登録以来、「ヨドバシカメラ事件」など、青年労働者、非正規雇用労働者の権利問題を中心に事件を担当している。共著に、『仕事の悩み解決しよう!』(新日本出版社)、『フリーターの法律相談室』(平凡社新書)などがある。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第一章  管理職と残業代 ---- マクドナルド判決に続け
第二章  給与の一方的減額は可能か? ---- 契約法の大原則
第三章  いじめとパワハラ ---- 現代日本社会の病巣
第四章  解雇とは? ---- 実は難しい判断
第五章  日本版「依頼人」 ---- ワーキング・プアの「雇い止め」
第六章  女性一人の訴え ---- 増える企業の「ユーザー感覚」
第七章  労働組合って何? ---- 団結の力を知る
第八章  アルバイトでも、パートでも ---- 一人一人の働く権利
終 章  貧困から抜け出すために ---- 法の定める権利の実現
おわりに

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ノラ猫ならぬ"ノラ博士"量産の背景。研究員や非常勤講師は大変なのだということはよく分かった。

高学歴ワーキングプア6.jpg高学歴ワーキングプア.jpg  水月昭道.jpg 水月昭道(みずき・しょうどう)氏
高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

 大学院卒という肩書きを持ちながら就職に苦労している人を過去に何人か見てきましたが、その背景として、大学がとった「大学院重点化」という施策による博士養成数の急激な拡大と、一方で、大学という彼らにとっての就職先そのものにポストがないという現実があることが、本書によりよく分かりました。

 著者によれば、「大学院重点化」と言うのは「文科省と東大法学部が知恵を出し合って練りに練った、成長後退期においてなおパイを失わんと執念を燃やす"既得権維持"のための秘策」だったとのこと、それが90年代半ばからの若年労働市場の縮小(つまり就職難)と相俟って、学生を「院」へ釣り上げる分には何の苦も無くそれを成し得たが、ほぼ終身雇用に近い大学教授のポストにそんなに空きが出るわけでもなく、結果としてノラ猫ならぬ"ノラ博士"を大量に生み出しているとのこと。

 文科省の「大学院重点化」施策に多くの大学が追従した背景には少子化問題があり、学生数の減少を大学院生の増大で補っているわけで(平成3年に約10万人だった院生が、平成16年には24万人余りに増えているとのこと)、大学にも経営をしていかなければならないという事情はあるとは言え、結果として博士号取得済みの無職者(教員へのエントリー待ち者)が1万2千人以上、博士号未取得の博士候補者(博論未提出、審査落ちなどの理由で博士号を授与されていない者)はその数倍いるという現状を生じせしめた、その責任は重いと思いました。

 本書ではそうした"ノラ博士"のフリーターと変わらない生活ぶりなどもリポートしていて(研究員や非常勤講師って、コンビニでバイトして生活費を稼ぎながら学会発表のための論文も書かなければならなかったりして大変なのだなあ)、一方で、"誤って"大学院に進学してしまい、現在就職において苦労しているような人達に対しても、専門にこだわらず発想の転換を促すようアドバイスをしていますが、この"やさしさ"は、著者自身が、そうした道を歩んできたことに由来するものなのでしょう。

 その分、既にベテランの教授職として象牙の塔にいる側に対する憤怒の念も感じられ、そのことが諸事の分析にバイアスがかかり気味になるキライを生んでいるようにも感じられます。
 実際、本書に対する評価はまちまちのようですが、個人的には、研究員や非常勤講師と呼ばれている人達が置かれている現状を知る上では大いに参考になりました(今までその方面の知識が殆ど無かったため)。

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労働規制緩和の流れと'06年以降の規制の強化傾向を解説するも、ブログ本の域を出ず。

労働再規制.jpg 『労働再規制―反転の構図を読みとく (ちくま新書)』 ['08年]

 '95年以降進められてきた労働規制の緩和政策が、'06年以降、労働規制の強化傾向に転じているその流れを、'08年9月の福田康夫首相の辞任表明など最近の政局を絡めて、或いはまた、その前の、経済財政諮問会議、総合規制改革会議などを軸とした小泉純一郎首相の「構造改革」路線、更にはずっと前、'95年の日経連「新時代の『日本的経営』」の成り立ち等も含めて解説しています。

 歴史的な変遷はわかり、また読んでいるうちに著者の"立ち位置"もわかってくるのですが、記述に先入観を持たれまいとするためか、敢えて自ら立場のことは前面に出していない―、このやり方が今ひとつ肌に合わなかったです(本書は、自らのブログ記事からの転用も多いが、ブログの中では、自分は「リベラル」以上の「左翼」であるとはっきり言っている)。

 経済界による「ホワイトカラー・エグゼンプション」導入の動きが国民的反発を招いたのは、「残業代ゼロ法案」というふうに表現されたことが「躓き石」だったとする経済界自身の"敗因分析"に対し、それが「労働実態を無視したまま」の議論だったことを真の原因として指摘していますが、そうした著者の論拠さえ、学者の言説を引いて思い入れのある側に軍配を上げているようにもとれなくもなく、すっきりとした解説になっているようには思えませんでした。

 個人的には、'95年の日経連の"その後の市場原理主義的な規制緩和を導いたとして悪名高い"「新時代の『日本的経営』」について、それを書いた日経連の小柳勝二郎賃金部長が、「雇用の柔軟化、流動化は人中心の経営を守る手段として出てきた。これが派遣社員などを増やす低コスト経営の口実としてつまみ食いされた気がする」(2007.5.19 朝日新聞)というコメントが興味深く、この「つまみ食い」論には同感です(「新時代の『日本的経営』」をちゃんと読んだ人がどれだけいるのか)。

 但し、これは「朝日新聞」の記事を引用したにすぎないもので、著者もこの内容自体は否定しておらず、「つまみ食いしたのは誰か」という話へと移っていっています。
 読んでいくと、「宮内」さんとか「牛尾」さんとかの名前が出てきてそこそこに面白いのですが、この人、政・財界ウォッチャーなの?(ブログでは、池田信夫氏と論争して優勢みたいだけれど、まあ2人の論争は"内ゲバ"みたいなものだなあ)

 こんな役割の人がいても別に構わないと思うけれど、こういう本は、読んでいる時の面白さほどには読後感が深まらないような気がしました(池田信夫氏がわざわざ「読んではいけない本」という言ほどの影響力のある本だとは思えないのだが)。

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ユニオンの監修だが、企業側担当者が意識面でのセルフチェック用に読める部分もあった。

偽装管理職 ポプラ社.jpg 『偽装管理職』 ['08年/ポプラ社]  マクドナルド訴訟:店長は非管理職 東京地裁が残業代認定.jpg マクドナルド訴訟:店長は非管理職。東京地裁が残業代認定―判決後に会見する高野広志さん('08年1月28日)[写真:毎日新聞社]

 「偽装管理職」の問題は、'08年1月28日の東京地裁の「マクドナルド判決」以降、一層、マスコミや社会の注目を集めるようになりましたが(NHKは「名ばかり管理職」問題という言葉を使っており、判決の3日後に予め特番を組んでいた)、本書の刊行もこの判決が1つの大きな契機となっているとのこと。

 第1章では、ユニオンなどに寄せられた相談事例が4件紹介されていますが、どれも企業側の社員に対する扱いや訴えられた後の問題への対応が呆れるほどひどいもので、無理矢理「管理職」に仕立て上げた社員に、仕事だけでなく責任まで押し付け、何かあれば退職を勧奨するなど、時間管理の問題だけでなく、品質管理、責任体制、更には事業戦略などの問題が絡んでいるように思えました。
マクドナルドのような大企業だから(また、訴訟を通して闘うことを決意した店長がいたから)世の話題になったのであって、これまでにも一部の中堅・中小零細企業では、こうしたことは日常茶飯に行われていたのではないかと思われます。

 労働者側から見れば、「労働審判制度」などにより係争などに持ち込み易くなったとは言え、ユニオンに相談を持ち込むことさえも相当の勇気がいることではないかと思われ、そうせずにはおれない感情を労働者に呼び起こすだけの仕打ちを、こうした企業はしているという見方も成り立つのでは。
本日より「時間外・退職金」なし.jpg マクドナルド問題もそうですが、「恒常的な100時間超の残業」というのは、「管理職」であるということが残業代不払いの名目として用いられているという点で法的な問題ではあるかも知れませんが、その分残業代を支払えば解決される問題でもなく、根本的な企業体質の問題でしょう(その点、マクドナルド問題については、田中幾太郎氏の『本日より「時間外・退職金」なし』('07年/光文社ペーパーバックス)の方が、本書よりずっと分析が深い)。

 法的問題ということで言えば、本書にも登場する日本労働弁護団の棗一郎弁護士が最近、残業時間の上限規制を法制化することを主張しているように、法制度そのものの問題かも(本書でも少し触れられているが、昭和30年代から、ファーストフード店店長など「名ばかり管理職」問題を巡る訴訟は約30件あって、9割方は企業側が敗訴している。訴訟になって初めて、法律が純粋適用されるという印象を受ける)。

 配置転換における不当な人事権の行使、パワハラ問題に端を発するメンタルヘルス疾患の問題など、本書で取り上げられているものは残業時間問題に限らないもので、極端な例が多いように思える一方で、企業側の対応には、どこの人事担当者も一瞬は考えそうな「臭いものには蓋をせよ」的な面もあり、企業側担当者が意識面でのセルフチェック用に読める部分もあったように思います。

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一見煽り気味だが、実は、相当に勉強した上で書かれているという感じ。

本日より「時間外・退職金」なし.jpg 『本日より「時間外・退職金」なし.jpg
本日より「時間外・退職金」なし (光文社ペーパーバックス)』 ['07年]

 '08年1月、日本マクドナルドが店長を管理職として扱い、残業代を支払わないのは違法だとして、現役店長が未払い残業代を求めた訴訟で、東京地裁は原告の訴えを認める判決を下しましたが(紳士服のコナカを巡っても同様の判決があった)、この判決に合わせるかのように外食だけでなく小売業などでも店長の処遇の見直しを迫られたり、また全産業的に「偽装管理職」問題ということがよく言われるようになったりしました。

藤田 田.jpg 本書は、「マクドナルド判決」の1年近く前に刊行されたものですが、前半部分では、日本マクドナルドが藤田田氏('04年没)のもと日本的な企業としてあったのが(マックは日本進出に際し敢えて大手と組むことはせず、藤田商店をパートナーにしたのだが、この藤田氏が思った以上にしたたかだった)、それが藤田氏が経営から身を引き完全に外資系企業となって以降、リストラや残業代・退職金の不支給など、いかに従業員を使い捨てにするような人事施策をしてきたかが描かれています。
 裁判に訴えた店長にも取材しており、本人が語るその勤務実態のあまりにひどさ(睡眠時間が3時間ぐらいで、不足分は職場で昼に仮眠をとるような生活の繰り返し)には呆れました。

 やや煽り気味に書かれている部分もありますが、後半部分では、法制化が一旦は見送られたホワイトカラー・エグゼンプションについて、海外ではどのようになっているのか(アメリカは従来の年収基準を引き上げた―ただし従来が最低賃金以下の基準だった)、また日本経団連の考え(年収400万円・700万円案)や、審議会答申を踏まえての厚生労働省案(900万円案)など、国内ではこれまでどのような論議がされてきたかがよく纏められています。

 表題にある退職金制度の見直し問題に絡む日本版401kや、改正された労基法・高齢者雇用安定法などについてもその問題点を指摘し、法令の今ある姿だけでなく、過去からの経緯や将来の見通しなどにも触れているので、読んでいて改めていい復習になりました(相当に勉強した上で書いている、という感じ)。

 個人的にはホワイトカラー・エグゼンプション導入に賛成であり、また、日本企業がグローバル競争に勝つためには抗えない流れだと考えます。
 もともと現行の労働基準法の規定するところに沿って厳密に解釈すると、部長クラスですら管理監督者とは言えなくなってしまうようなことになりかねず、その分、経営側から見ればホワイトカラー・エグゼンプション導入への期待は大きいのでしょうが、マクドナルドのようなひどいケースがこの流れが引き起こす問題の代表例とされてしまうのではたまらないといったところでは。

 しかも、マック側は'08年5月に直営店の店長や複数店の店長を兼ねるエリア店長には残業代を支払うことにしたものの、裁判そのものに関しては地裁判決を不服とし控訴を取り下げずにいたため、高裁や最高裁までいってこの判決が確定してしまうとまさにリーディングケースとなり、企業全般に与えるマイナス影響はさらに大きくなる一方だと個人的には懸念しておりました。

高野広志.jpg しかし、結局その後マックは、'08年8月以降は原告を含めた直営店の店長(約1700人)を正式に管理職から外して残業代を支払うこととし、更にこの係争については'09年3月に東京高裁の控訴審で和解が成立し、約4年半の残業代など約1000万円を原告に支払うことになりました。

 係争中でありながらも"名ばかり管理職"の「将来分」の残業問題を先に解消したことに対しては一定の評価できますが、こうした場合、原告以外の"名ばかり管理職"だった人も、訴訟を起こせば「過去分」が取り戻せるのではないでしょうか(この問題があるから、和解まで時間がかかった?)

マクドナルド訴訟で和解が成立し、記者会見する原告の高野広志 氏(2009年3月18日)[毎日新聞社]

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被害者・加害者の相談窓口とのやりとりをリアルに再現。男性側がひど過ぎ(人格障害?)。

壊れる男たち.jpg壊れる男たち―セクハラはなぜ繰り返されるのか (岩波新書)』['06年] 金子雅臣.jpg 金子雅臣 氏

 ルポライターである著者は、長年にわたり東京都の労働相談に従事していた人で、東京都は「セクハラ相談窓口」を早くから設け、解決に導く斡旋システムを作り、実績を残してきたとされる自治体ですが、本書では、どういった形でのセクハラ相談が「女性相談窓口」に持ち込まれ、役所命令で召喚された加害男性はどう抗弁し、それに対して彼自らに非があることをどのように認めさせ、斡旋に持ち込んだかが、会話のやりとりそのままに描かれています。

 とにかく、本書の大部分を占める5件の事例における、被害者、加害者と相談窓口とのやりとりが、秘密保持の関係で一部手直しされているとは言え、非常にリアルで(岩波新書っぽくない)、こうした当事者間の問題は、真相は「藪の中」ということになりがちなような気もしますが(実際、アンケート調査で用いた架空事例については、好意かセクハラか意見が分かれた)、本書で実際例として取り上げられているものは、何れもあまりにも男性の方がひどい、ひど過ぎる―。

 まず、セクハラの加害者としての意識がゼロで、被害者の気持ちを伝えると、今度は一生懸命、「藪の中」状況を作ろうとしていますが、すぐにメッキが剥がれ、それでも虚勢を張ったり、或いは、最後は会社を解雇されたり妻に離婚されたりでボロボロになってしまうケースも紹介されています。

 こうした問題に関連して最近よく発せられる、職場の男性は"壊れている"のか?という問い対し、著者は上野千鶴子氏から「男性はもともと壊れている」と言われ、著者自らが男性であるため、それではセクハラを「する男」と「しない男」の分岐点はどこにあるのかを検証してみようということで、本書を著したとのことです(と言うことは、自分はハナから「セクハラをしない男」に入っているということ? この辺がやや偽善系の感じもするが...)。

 加害者となった男性が「男の気持ちがわからない女性が悪い」「なぜ、その程度のことで大騒ぎするのだ」などと反論することがまま見られるように、著者の結論としては、男性の身勝手な性差別意識の問題を挙げていて、セクハラを「する男」には押しなべて男性優位の考えと甘え発想があり、実はセクハラは"女性問題"ではなく"男性問題"であると。

 著者は、「気になること」(198p)として、性的なトラブルなどに現れる男たちが「著しく他者への共感能力を欠いている」「相手の人格を否定してでも自らの欲望を遂げようとする」といった傾向にあることを指摘しています。
 男性の願望によって造られた性のイメージが巷に氾濫していることも、「意識」が歪められる一つの原因としてあるかと思いますが、もともと、こうして勝手に頭の中で相手とのラブストーリーを描いてしまい、相手の抵抗にあってもそれを好意の裏返し表現ととってしまう男性は、「人格」に障害があるのではないかという気がしました。

パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか.jpg 精神科医の岡田尊司氏は『パーソナリティ障害』('06年/PHP新書)の中で、自己愛性パーソナリティ障害の人は、あまりにも自分を特別な存在だと思って、自分を諭す存在などそもそも存在しないと思っているとしながらも、一方で、非難に弱く、或いは、非難を全く受け付けず、過ちを指摘されても、なかなか自分の非を受け入れようとはしない、としていますが、本書に登場する加害男性は、プライドは尊大だが非難には脆いという点で、共通してこれに当て嵌まるような気がしました。

岡田 尊司 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)

 「意識」の面ではともかく、「人格(性格)」自体は変わらないでしょう。セクハラを繰り返す人は、意外と仕事面でやり手だったりするけれども、どこかやはり人格面で問題があり、権勢を振るったとしても、立っている基盤は不安定なのでは。
 セクハラ事件で退職に追い込まれた部長に対し、会社としてもいい厄介払いができたと思っているフシも見られる事例があったのが印象的でした。

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取得率向上には、やはり法的強制力を持たせないとダメか?

男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット.jpg 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット (中公新書)』 ['04年] 佐藤 博樹.jpg 佐藤 博樹 氏 (略歴下記)

子ども.jpg 本書のデータによると、日本における女性労働者が出産した場合の育児休業の取得率は64.0%、それに対し男性は0.33%、取得者の男女比は女性98.1%、男性1.9%とのことで('02年調査)、ほぼ同時期の調査における欧米諸国の育児休業取得率は、アメリカが女性16.0%、男性13.9%、スウェーデンが女性はほぼ完全取得で、取得者の男女比は64:36、ドイツが有資格者の95%が取得しているが父親は2.4%、イギリスでは男女とも12%が取得しているということで、国によってバラツキはありますが、男性の育児休業取得率が日本は特に低いことがわかります。

 本書は、前半やや硬いデータ分析や法令の解説が続くものの、それらの現状を踏まえたうえで、男性が育児休業を取得することの企業にとってのメリットや可能性を指摘し、例えば、休業中の職場の対応方法を講じることは、企業にとって単なるコストではなく、活性化や風土改革にもつながる可能性があることを説き、また近年言われる「個人の尊重」「ワークライフバランス」に先駆けて、働く者の自由な選択を尊重する考え方を提唱していて、ビジネスマンが「子供と触れ合える機会」を一定期間持つことの公私にわたる効用を説いている点などは、とりわけ個人的には説得力を感じました。
 男性が取る育児休業って、自分の生き方やキャリアを振り返るいい機会だと思うのですが、本書での報告例が、読売や毎日の記者のものだったりして―結局、"記事ネタ"としての育児休業取得になっている?)。

 それと、日本における男性の育児休業の取得率の低さの原因の1つに、育児休業法自体に少し問題があるのではないかという気がしました。
 育休法に従うと、1年間の育休を男女で分担して取得することは可能ですが、産後休業のときに男性が育休を取ると、通常、女性は「産休」明けから「育休」に入るので、その後男性は「育休」を取れない、つまり分割取得が出来ないようになっていて、これでは法自体が、男に「育休」を取るなと言っているみたいなものではないかと(その後、法改正でこの部分は見直された)。

 先のデータにあるように、北欧諸国は男性の育児休業取得率が高いですが、これは本書によると、ノルウェースやウェーデンでは「パパ・クォータ」とか「パパの月」などと言って、法律で、育児休業中の一定期間は父親が「育休」を取らないと、日本で言う育児休業手当がその間は支給されなくなるようになっているとのこと、つまり法に一定の強制力を持たせていることがわかります。
 その割り当て期間分の「育休」を終えると、北欧のお父さん達も殆どが仕事に復帰しているわけで、彼らが日本人の男性よりもフェミニストであるとか、子育てに熱心であるとか、少なくともデータをみる限りは、特にそういうことではないみたいです。
_________________________________________________
【佐藤博樹氏 プロフィール】
東京大学 社会科学研究所 教授
◆兼職
内閣府・男女共同参画会議議員、ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議委員
厚生労働省 労働政策審議会分科会委員、仕事と生活の調和推進委員会委員長
経済産業省 ジョブカフェ評価委員 他
人を活かす企業が伸びる.jpg◆主な著書(編著・共著を含む)
『人事管理入門』(共著、日本経済新聞社)
『男性の育児休業:社員のニーズ、会社のメリット』(共著、中公新書)
『ワーク・ライフ・バランス:仕事と子育ての両立支援』(編著、ぎょうせい)
『人を活かす企業が伸びる:人事戦略としてのワーク・ライフ・バランス』(編著,勁草書房) 他
(2009年3月現在)

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メインタイトルに呼応した"エッセイ"とサブタイトルに呼応した"論文"。

経済学的思考のセンス.jpg 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)』 ['05年] 大竹文雄.jpg 大竹文雄・大阪大学教授 (自身のホームページより)

 著者は、今年['08年6月]、「日本の不平等」研究で、47歳で第96回日本学士院賞を受賞した経済学者。前半部分は気軽に読める経済エッセイで、第1章では「女性はなぜ、背の高い男性を好むのか?」、「美男美女は本当に得か?」「イイ男は結婚しているのか?」といったことを、第2章では「プロ野球における戦力均衡(チームが強ければ強いほど儲かるのか?)」「プロ野球監督の能力(監督効果ランキング)」などの身近なテーマを取り上げ、俗説の真偽を統計学的に検証しています。

 「16歳の時の身長が成人してからの賃金に影響している」とか、「重役に美男美女度が高いほど企業の業績がいい」とか、統計的相関が認められるものもあるようですが、統計に含まれていない要素をも考察し、「相関関係」がイコール「因果関係」となるもではないことを示していて、どちらかと言うと、「経済学的思考」と言うより「統計学的な考え方」を示している感じがしました(こうした考え方を経済学では用いる、という意味では、「経済学的思考」に繋がるのかもしれないが)。

 個人的には、第2章の、大学教授を任期制にすべしとの論(自分自身もこの意見に今まで賛成だった)に対してその弊害を考察している部分が興味深く、任期制にすると新任者を選ぶ側が自分より劣っている者しか採用しなくなる恐れがあると(優秀な後継が入ってくると、自分の任期満了時に契約が更新されなくなると危惧するため。そんなものかも)。
 「オリンピックのメダル獲得予想がなぜ外れたか」などといった話も含め、このあたりは、「インセンティブ理論」に繋がるテーマになっています。

 第3章・第4章では、少し調子が変わって著者の専門である労働経済学の論文的な内容になり、第3章では「公的年金は"ねずみ講なのか"?(世代間扶養に問題があるのか)」「ワークシェアリングが広まらない理由」「成果主義が失敗する理由」などを考察し、年功賃金や成果主義の問題を、第4章では、所得格差の問題など論じています(年功賃金が好まれる理由を統計分析しているのが興味深い)。

 もともと別々に発表したものを新書として合体させたものであるとのことで、第1章・第2章と比べると文章が硬めで、最初はいかにも"くっつけた"という感じがしましたが、読んでいるうちに、エッセイ部分の統計学的な考え方やインセンティブ理論が考察の所々で応用されているのがわかるようになっていて、よく考えられた構成なのかもしれない...。

 但し、年功賃金、成果主義、所得格差、所得再配分、小さな政府、といったことを論じるには、少しページが不足気味で、所得格差の問題は「機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として所得の平等化を進めるべきか、機会均等を目指して所得の不平等を気にしない社会を目指すかの意思決定の問題である」という著者の結論には賛同できますが、そこに至る考察が、要約されすぎている感じも(悪く言えば、プロセスの突っ込みが浅い)。

 本全体としては、「経済学的思考のセンス」がメインタイトル、「お金をない人を助けるには」がサブタイトルにきていることと、呼応してはいますが...。

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実践と学識に裏打ちされた、「自己責任論」の過剰に対する警鐘。

反貧困.jpg反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)』['08年]湯浅 誠.jpg 湯浅 誠 氏 (NHK教育「福祉ネットワーク」(2007.12.19)「この人と福祉を語ろう 見えない『貧困』に立ち向かう」より)

 著者が立ち上げたNPO法人自立生活サポートセンター〈もやい〉には、「10代から80代まで、男性も女性も、単身者も家族持ちや親子も、路上の人からアパートや自宅に暮らしている人まで、失業者も就労中の人も、実に多様な人々が相談に訪れ」、〈もやい〉では、こうした貧困状態に追いやられてしまった人々のために、アパートを借りられるように連帯保証人を紹介したり、生活保護の申請に同行したりするなどの活動をしているとのことです。
 本書には、その活動が具体例を以って報告されているとともに、こうした活動を通して著者は、日本社会は今、ちょっと足をすべらせただけでどん底まですべり落ちていってしまう「すべり台社会」化しているのではないかとしています。
ルポ貧困大国アメリカ.jpg 冒頭にある、生活困窮に陥ってネットカフェや簡易宿泊所を転々とすることになった夫婦の例が、その深刻さをよく物語っていますが、ネットカフェ難民自体は、既にマスコミがとりあげるようになった何年か前から急増していたとのこと。「帯」にあるように、本書でも参照している堤未果氏の『ルポ 貧困大国アメリカ 』('08年/岩波新書)に近い社会に、日本もなりつつあるのかも、と思わせるものがります。

 国の社会保障制度(雇用・社会保険・公的扶助の「3層のセーフティネット」)が綻んでいるのが明らかであるにも関わらず、個人の自助努力が足りないためだとする「自己責任論」を著者は批判していますが、一方で、「貧困」の当事者自身が、こうした「自己責任論」に囚われて単独で頑張りすぎてしまい、更に貧困のスパイラルに嵌ってしまうこともあるようです(「もやい(舫い)」〉というネーミングには、そうした事態を未然に防ぐための「互助」の精神が込められている)。
 著者は、こうした横行する「自己責任論」に対する反論として、個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスにおいて、親世代の貧困による子の「教育課程からの排除」、雇用ネットや社会保険から除かれる「企業福祉からの排除」、親が子を、子が親を頼れない「家族福祉からの排除」、福祉機関からはじき出される「公的福祉からの排除」、そして、何のために生き抜くのかが見えなくなる「自分自身からの排除」の「5重の排除構造」が存在すると指摘していて、とりわけ、最後の「自分自身からの排除」は、当事者の立場に立たないと見えにくい問題であるが、最も深刻な問題であるとしています。

グッドウィル・折口会長.jpg 個人的には、福祉事務所が生活保護の申請の受理を渋り、「仕事しなさい」の一言で相談者を追い返すようなことがままあるというのが腹立たしく、また、違法な人材派遣業などの所謂「貧困ビジネス」(グッドウィルがまさにそうだったが)が興隆しているというのにも、憤りを覚えました。
 折口雅博・グッドウィル・グループ(GWG)前会長

 著者自身、東大大学院在学中に日雇い派遣会社で働き、その凄まじいピンはねぶりを経験していますが、実体験に基づくルポや社会構造の変化に対する考察は、実践と学識の双方をベースにしているため、読む側に重みを持って迫るものがあります。

 結局、著者は博士課程単位取得後に大学院を辞め、〈もやい〉の活動に入っていくわけですが、今のところ学者でも評論家でもなく社会活動家であり、但し、今まではNPO活動の傍ら「生活保護申請マニュアル」のようなものを著していたのが、2007年10月には「反貧困ネットワーク」を発足させ、更に最近では本書のような(ルポルタージュの比重が高いものの)社会分析的な著作を上梓しており、今後、「反貧困」の活動家としても論客としても注目される存在になると予想されます。

(本書は2008(平成20)年度・第8回「大佛次郎論壇賞」受賞作。第14回「平和・協同ジャーナリスト賞」も併せて受賞)


《読書MEMO》
●「どんな理由があろうと、自殺はよくない」「生きていればそのうちいいことがある」と人は言う。しかし、「そのうちいいことがある」などとどうしても思えなくなったからこそ、人々は困難な自死を選択したのであり、そのことを考えなければ、たとえ何万回そのように唱えても無意味である。(65p)
●〈もやい〉の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。本人も望んでいるわけではないし、福祉事務所に歓迎されないこともわかっている。生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。そのためには雇用のセーフティネット、社会保険のセーフティネットをもっと強化する必要がある。(132‐133p)

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派遣社員の置かれている状況を知る上では手頃な1冊。会社側も取材して欲しかった。

派遣のリアル.jpg  『派遣のリアル-300万人の悲鳴が聞こえる (宝島社新書)』 〔'07年〕 門倉貴史.jpg 門倉貴史 氏(略歴下記)

ワーキングプア.jpg 民間エコノミストである著者の、『ワーキングプア―いくら働いても報われない時代が来る』('06年/宝島新書)に続く同新書2冊目の本で、今回は「派遣社員」の実態をつぶさにレポートしています。

 前半3分の2は、派遣の仕組みや派遣産業の歴史、女性派遣社員が抱える問題などを取り上げ、後半で、ネットカフェ難民化するスポット派遣労働者(ワンコール・ワーカー)について、さらに、派遣社員の今後を労働法改正との関連において考察しています。

 統計や図表をコンパクトに纏めて解説しつつ、各章の終わりに派遣社員に対するインタビューを載せていて、こうした構成は前著と同じですが、派遣社員の置かれている状況を知る上では手頃な1冊と言えます。

 "労働ダンピング"に苦しむ派遣社員の"悲鳴"を伝えるだけでなく、派遣期間に制限(正社員雇用の申し入れ義務)を設けた労働者派遣法の網目をかいくぐって、部署名を変えるだけで派遣期間を"半永久的"なものとする企業のやり口や、改正「パート労働法」で、正社員と差別することが禁じられる条件に該当するパート・アルバイトが、全体の数パーセントに過ぎないことなど、法律の粗さも指摘していています。
 また、企業を定年退職した団塊世代が派遣に回り、こうした"団塊派遣"の増加により、若年非正社員の賃金に下落圧力がかかるだろうという予測は、興味深いものでした。

 ただし、インタビューにおいて企業名が実名で出てこないためインパクトが欠けるのと、派遣社員ばかりではなく、それを使っている企業側や派遣している派遣会社の方も取材して欲しかったという点で、個人的にはやや不満が残ったように思います。

 派遣社員として本当に優秀な人も多くいるかと思いますが、そうした人材は企業側が労働条件を引き上げることにより抱え込んでいるのではないかと思われます(そうした人は、本書のインタビューにも登場しない)。
 一方で、「紹介予定派遣」という形で短い審査期間を経て正社員となりながら、派遣会社が当初示していたスペック(あまり良い言い方ではないかも知れないが)を満たしておらず、結局この仕組みが、新規学卒より簡単に正社員になれる抜け道として、労働者側で利用されているような印象もあります。
 企業側に見抜く力が無かったと言えばそれまでですが、派遣会社には紹介斡旋料が入るため損はしないようになっていて、大手企業の有能な派遣人材の抱え込みも含め、こうしたことに派遣会社も一枚噛んでいるように思えてなりません。
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門倉貴史 (かどくら・たかし)
1971年、神奈川県横須賀市生まれ。95年、慶應義塾大学経済学部卒業後、(株)浜銀総合研究所入社。99年、(杜)日本経済研究センターへ出向、シンガポールの東南アジア経済研究所(ISEAS)へ出向。2002年4月から05年6月まで(株)第一生命経済研究所経済調査部主任エコノミスト。05年7月からは、BRICs経済研究所のエコノミスト作家として講演・執筆活動に専念。専門は、日米経済、アジア経済、BRICs経済、地下経済と多岐にわたる。
著書は、『ワーキングプア〜いくら働いても報われない時代が来る』(宝島新書)『統計数字を疑う〜なぜ実感とズレるのか?』(光文社新書)『 BRICs富裕層』(東洋経済新報社)など。

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対象企業を絞り込んで(キヤノン・松下・クリスタル)まとめているため、問題の根深さがよくわかる。

偽装請負.jpg   『偽装請負―格差社会の労働現場』 ('07年/朝日新書) 偽装請負が大企業の工場で横行している実態を報じた朝日新聞の記事.jpg

 '06年7月31日に「偽装請負」追及のキャンペーン報道をスタートさせた朝日新聞の特別報道チームの8カ月の取材の集大成で、取材した企業の数はかなり多かったと思いますが、新書に纏めるにあたり対象企業を絞り込んでいるため、新聞連載の新書化にありがちな、総花的ではあるが1つ1つの事件についての突っ込みが浅くなるという欠点が回避されているように思えました。

1eacf628.jpg 全5章から成りますが、第1章で〈キヤノン〉、第2章で〈松下〉の偽装請負を、第3章で請負会社の実態として〈クリスタル〉を取り上げ、この3つの章が本書の中核となっています。

 〈キヤノン〉は、宇都宮光学機器事業所の請負社員の内部告発に端を発してあからさまになった恒常的な偽装請負が取材されていますが、「御手洗キヤノン」と呼ばれるほどの会社で、日本経団連会長・経済財政諮問会議メンバーの御手洗冨士夫会長の考えが、請負労働者や記者取材に対する会社の管理部門の対応に強く反映されているように感じました(悪く言えば、"開き直り"?)

b15cb69b.jpg 一方、〈松下〉の方は、松下プラズマディスプレイ㈱茨木工場で、偽装請負を形式上回避するために、請負会社に自社社員を大量出向させるという"奇策"で知られることになりましたが、このやり方を、請負会社は自分たちの発案だと言っているのに対し、松下PDP側は、大阪労働局の助言に従ったと主張している点が興味深いく(結局、このやり方が「クロ」であると判断したのも大阪労働局で、短い期間で行政の対応が変わった可能性もあるのではないだろうか)、いずれにせよ、尼崎への工場進出に際して助成金を受けるため、その審査機関だけ請負社員を派遣に切り替えるなど、〈松下〉のやり方は、"姑息"という感じがします(本書の書きぶりだと、兵庫県も一枚噛んでいる?)。

 また、請負会社〈クリスタル〉の業績発展の背後には(この会社は人の出し入れの速さが売りだったようですが)、グローバル化により安価な労働力が求められていることのほかに、工場で生産する商品のライフサイクルの短期化などが影響しているというのには、ちょっと考えさせられました。
 それにしても無茶苦茶な労働条件で労働者をこき使い、創業者は稼ぐだけ稼いで、〈グッドウィル〉に会社を売り渡してしまった(要するに売り抜けた)...。

 プロローグに、〈クリスタル〉系列の請負会社からニコン熊谷製作所に「派遣」され、半導体製造現場(所謂"クリーンルーム")に勤務し過労自殺した若者の話がありますが、母親が亡くなった息子のホームページを引き継いでいて、それを閲読すると、もうこんな事件はあってはならないとつくづく思うのですが、事件が起きたのが'99年だったことを考えると、まだその時点では"始まり"に過ぎなかったのか。

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巷間に溢れる「ニート」論のいい加減さと危険性を指摘。一読に値する。

二ートって言うな2998.JPG「ニート」って言うな!.jpg      本田由紀.jpg 本田 由紀 氏 (略歴下記)
「ニート」って言うな! (光文社新書)

 「ニート祭り」と言ってもいいほど盛況を極めた「ニート」論ブームを、教育社会学者の本田由紀氏をはじめとする3人の著者が "バッサリ"斬った本で、タイトルのから受ける印象よりはずっと真面目に、社会現象化した巷の「ニート」論を分析・批判しています。

ニート.gif とりわけ本田氏が執筆している第1章が明快で、「ニート」という概念を英国から輸入した玄田有史氏らが、その著書『ニート』('04年/幻冬舎)のサブタイトルにもあるように、フリーターでもなく失業者でもない人たちを「ニート」という言葉で安易に一括りに規定し、近年増加した(求職中ではないが働く意欲はある)「非求職型(就職希望型)」無業者を、ほとんど増えていない(働く予定や必要の無い)「非希望型」無業者と同じに扱ってしまったと。
 それにより、「非求職型」無業者というのは本来、同じく労働経済的要因で増加したフリーターや失業者(求職者)に近いはずなのに、それらと分断されて「働く必要のない人・働く意欲のない人」と同類に扱われ、さらには「ひきこもり」や「犯罪親和層」のイメージが拡大適用されてしまったとしています。
 このことは、結果として、労働経済問題である若年雇用の問題の咎を、失業者自身の「心の問題」や「家族」の問題、「教育」の問題にすりかえることになってしまったと。

 第2章では、社会学者の内藤氏が、「最近の若者は働く意欲を欠いている」「コミュニケーション能力に問題があり他者との関わりを苦手とする」「凶悪犯罪に走りやすい」といった根拠の希薄な「青少年ネガティブ・キャンペーン」と相俟って「ニート」が大衆の憎悪と不安の標的とされていることを指摘し、その背後にある大衆憎悪を醸成する社会心理のメカニズムと、「教育」的指導をしたがる危険な欲望について解説し、さらに第3章では、「俗流若者論批判」を展開している後藤和智氏が、「ニート」を巡るこれまでの言説を検証しています。

ニート.jpg 玄田氏の『ニート』を読んだときは、共著者・曲沼美恵氏の若者への真摯なインタビューなど共感する部分もありましたが、「ニート」の定義が粗削りのまま議論を展開していて(実は曲沼氏のインタビューを受けている人も「ニート」ではない)、最後は人生論みたいになってしまっているのに疑問を感じましたが、後藤氏のレポートを読むと、この「ニート」ブームに乗っかって牽強付会の言説を展開した学者・ジャーナリストがいかに多くいたかがよくわかり、危惧を覚えます。

 各章の繋がりやバランスがイマイチの部分もありますが、こうした言説が、政府の労働経済施策の無策ぶりに猶予を与え、国策教育など政治的に利用される怖れもあることを指摘しているという点では、多くの人にとって一読に値するものだと思いました。
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本田 由紀 (ほんだ・ゆき)
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。教育学博士。94年から日本労働研究機構(現労働政策研究・研修機構)研究員として数々の調査研究プロジェクトに従事。2001年東京大学社会科学研究所助教授を経て、2003年から東京大学大学院情報学環助教授。主な編共著に『女性の就業と親子関係―母親たちの階層戦略』(勁草書房)『学力の社会学―調査が示す学力の変化と学習の課題』(岩波書店)など。著書に『若者と仕事―「学校経由」の就職を超えて』(東京大学出版会)など。

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「過労自殺」に注目が集まる契機となった本。教訓としての「電通事件」。

過労自殺.jpg 『過労自殺 (岩波新書)』 〔'98年〕

Bridge、templateId=blob.jpg 本書刊行は'98年で、その頃「過労死」という言葉はすでに定着していましたが、「過労自殺」という言葉はまだ一般には浸透しておらず、本書は「過労自殺」というものに注目が集まる契機となった本と言ってもいいのではないかと思います。

 冒頭に何例か過労自殺事件が紹介されていますが、その中でも有名なのが、著者自身も弁護士として関わった「電通事件」でしょう。
 自殺した社員(24歳のラジオ部員)の残業時間が月平均で147時間(8カ月の平均)あったというのも異常ですが、会社ぐるみの残業隠蔽や、当人に対し、靴の中にビールを注いで無理やり飲ませるような陰湿ないじめがあったことが記されています。

 事件そのものの発生は'91(平成2)年で、電通の対応に不満を持った遺族が'93(平成5)年に2億2千万円の損害賠償請求訴訟を起こし(電通がきちんと誠意ある対応をしていれば訴訟にはならなかったと著者は言っている)、'96(平成8)年3月、東京地裁は電通側に1億2千万円の支払を命じていて、それが'97(平成9)年9月の東京高裁判決では3割の過失相殺を認め、約9千万円の支払命令となっています。

 本書105ページを見ると、'95〜'97年度の過労自殺の労災申請は、それぞれ10件、11件、22件で、それに対し認定件数は各0件、1件、2件しかなく、電通事件も労災申請を認めなかった労基署の判断が退けられたという形をとっていますが、それがそのまま損害賠償命令に直結したのがある意味画期的でした(しかも金額が大きい。因みに'06年度の「過労自殺」の労災認定件数は66件にも及んでいる)。

 さらに、本書刊行後の話ですが、'00(平成12)年の最高裁小法廷判決では、2審判決の(本人の自己管理能力欠如による)過失相殺を誤りとし、電通に対し約1億7千万円の支払い命令を下しており、上場を目前に控えた電通は、やっと法廷闘争を断念して判決を受け入れ、遺族との和解交渉へと移ります。

 企業が労務上の危機管理や事件に対する適切な初期対応を怠ると、いかに膨大な時間的・金銭的・対社会的損失を被るかということの、典型的な例だと思います。

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グローバル化による「市場個人主義」の台頭に、疑念を提示している。

働くということ グローバル化と労働の新しい意味.jpg 『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』〔'05年〕ロナルド・ドーア.bmp ロナルド・ドーア

 英国人である著者は50年来の日本研究家で(個人的には、江戸後期の寺子屋の教育レベルが当時の英国以上のものであったことを示した『徳川時代の教育』('65年)を鶴見俊輔が高く評価していたのを覚えている)、日本の社会や労働史、最近の労働法制の動向にも詳しく、また、日本企業の年功主義が「年=功」ではなく「年+功」であるとするなど、その本質を看過しているようです。

 自国でもこうした「日本型」志向が強まるのではと予測していたところへ新自由主義的な「サッチャー革命」が起き、官の仕事の民への移行、競争主義原理の導入、賃金制度での業績給の導入などを、官が民に先んじて行うなど予測と異なる事態になり、その結果、所得格差の拡大など様々な社会的変化が起きた―。

 著者から見れば、日本の小泉政権での官の仕事の民営化や市場競争原理の導入、あるいは企業でのリストラや成果主義導入が、20年遅れで英米と同じ"マラソン・コース"を走っているように見えるのはもっともで、それはまさに米国標準のグローバル化の道であり、そうした「改革」が、従来の日本社会の長所であった社会的連帯を衰退させ、格差拡大を招く恐れがあるという著者の言説は、先に自国で起きたことを見て語っているので説得力があります。

 著者は、こうした社会的変化の方向性を「市場個人主義」とし、不平等の拡大を"公正"化するような社会規範の変化とともに、「日本型」など従来の資本主義形態の多様性が失われ米国の文化的覇権が強まる動向や、「勝つためには人一倍働くことが求められる」といった単一価値観の社会の現出が、働く側にとって本当に良いことなのか疑念を抱いています。

 グローバル化が加速するなかで、「働くこと」の意味は今後どう変遷していくかを考察するとともに、日本は、これまでの日本的な良さを捨ててこの流れに追随するのか、またその方向性でしか選択肢はないのかを鋭く突いた警世の書と言えます。

 因みに、著者の日本研究は、第2次大戦終結の10年後、山梨県の南アルプス山麓の集落を訪ね、6週間泊まり込みで集落の家々をくまなく回り、聞き取り調査を行ったことに始まりますが、調査で威力を発揮した日本語を、彼は戦争中に学んでいます。

 開戦後、前線での無線傍受や捕虜の尋問ができる人材が足りないと感じた英国軍が、ロンドン大学に日本語特訓コースを作り、語学が得意な学生を集めた、その中の一人が著者だったわけで、このコースは多くの知日派を輩出することになり、著者もまた、今も自宅のあるイタリアと日本を行き来し、日本語で原稿を書き、日本を励まし続けています。


《読書MEMO》
●仕事の満足感...知的好奇心を満足させるもの、芸術的喜びが見出せるもの、競争・対抗の本能を満足させるもの、リーダーシップや指導力が行使できるもの...加えて、ヘッジファンドの運用者などに典型的に見られる「ギャンブラーの興奮」など(63p)
●渋沢栄一...『論語』注釈を通じて、企業家リスクと投機家リスクの道徳的違いを説く→「小学生に株を教えるのは悪くないアイデア」とする竹中平蔵教授には、企業家リスクと投機家リスクの道義的違いは無意味?(68p)
●日本人にとって大事なのは、日本がその(文化・倫理的伝統、民情、行動特性といった)特徴を維持すべきかどうか、維持できるかどうか(83p)
●経済学がますます新古典派的伝統によって支配されるようになるにつれて、市場志向への傾斜が促され、自由化措置を正当化する力が増してきた(104p)
●同質化の傾向は、グローバルなエリートを養成するアメリカのビジネス・スクールによって強化されている(176p)

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「働きすぎ」の原因を多様な観点から分析し、提言しているが...。

働きすぎの時代.jpg 『働きすぎの時代』 岩波新書 〔'05年〕  森岡孝二.jpg 森岡 孝二 氏(略歴下記)

business01.jpg わが国の労働の現場における「働きすぎ」の実態とその原因を、グローバル化、情報時代化、消費資本主義化、規制緩和など様々な観点から分析しています。

 働きすぎは日本に限らない。世界貿易センタービルがテロ攻撃を受けた際に、ビル内で「従業員は仕事に戻れ」というアナウンスが流れたという話はゾッとします。
 一方、アメリカではメールはPCでの利用がほとんどだが、日本人は携帯電話でのメールの使用も多く、旅行先などにも携帯電話を持っていくというのは、日本人のテクノ

 また、重大な列車事故の背後にある収益競争や、ネット書店で本を注文したら翌日には届くスピードの背後にある、アルバイトの厳しいノルマや宅配業運転手の超長時間労働についての指摘などは、我々が享受している"便利さ"のために犠牲になっているものを考えさせます。

 著者は、「労働基準」と「ワーク・ライフ・バランス」の観点から、36協定の実態のいい加減さを指摘したり、「スローライフ」「ダウンシフティング(減速への切り替え)」といった概念を紹介したたりしつつ、働きすぎにブレーキをかけるために施策をいくつか提案しています。
 
 「1日の残業の上限を原則2時間にする」などの提言は、〈一律型〉のワークシェアを提唱する熊沢明氏などの提言の具体版とも言えるかもしれませんが、著者が反対する「ホワイトカラー・エグゼンプション」にむしろ期待する経営側との溝はあまりに深いと言わざるを得ないのでは。
 こうした著者の主張がどこまで経営者の耳に届くか、"立場の違い"による平行線のままでは問題は改善されないだろうとも思いました。
_________________________________________________
森岡孝二(もりおか・こうじ)
1944年大分県生まれ。関西大学経済学部教授。株主オンブズマン代表。専門は、株式会社論、企業社会論、労働時間論。香川大学経済学部卒業、京都大学大学院経済学研究科博士課程退学。83年4月以降、現職。経済学博士。 著書は、『独占資本主義の解明』『企業中心社会の時間構造』『日本経済の選択』『粉飾決算』など多数。訳書に『働きすぎのアメリカ人』『浪費するアメリカ人』 『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』など。趣味はバード・ウォッチング。

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漠然とした福祉国家論が多い中では注目すべき「思考の補助線」ではないかと。

企業福祉の終焉―格差の時代にどう対応すべきか.jpg企業福祉の終焉 - 格差の時代にどう対応すべきか』 〔'05年〕 橘木 俊詔.jpg 橘木俊詔 氏(略歴下記)

 冒頭で企業は福祉から撤退すべしとしながらも、すぐには提言内容に入らず、本書前半分は、企業福祉の発展した理由と経緯、現状と意義についての記述になっていて、この部分は、企業福祉を歴史的・国際的視点からの概説したテキストとして纏まっていると思います(勉強になった!)。

 法定福利費の一定割合の企業負担の始まりなど、普段あまり考えなかったことについて知り得、同じ福祉国家でも、スウェーデンなどは財源を主に社会保険料に依存し、デンマークは税負担の福祉国家であるなどの違いがわかります。

 中盤以降は、企業福祉の現状に対する評価と、著者の持論展開に入っていきますが、考えのベースにあるのは、格差社会に対する危惧、福祉の普遍主義かと思います。

 社宅や保養所などの法定外福利については、バブル崩壊後どの企業も縮小しているのは明らかですが、企業スポーツなどを含め、そうしたものが既に役割を終えていることを論証し、また退職金制度は企業間格差が大きいゆえに労働移動を阻害しているとしています。
 法定福利費についても、社保未加入(または滞納)という形での企業の"撤退"が拡がっているのは指摘通りで、企業規模や雇用身分による受益格差は無視できないものでしょう。

 著者は、企業自体にもベネフィット感の薄い法定福利費の企業負担は止め(負担軽減分の行き先は企業の裁量になるが)、非法定福利は極力"賃金化"し、医療や健康保持、資格取得支援など、従業員のニーズに沿ったものに絞り込むべきとしていますが、国の社会保障制度としての財源はどうするかというと、「累進消費税」というものを提案しています。

 著者が殆ど触れていない徴収の問題(国民年金の保険料徴収不足を自動徴収の厚生年金が補っている現状)、高齢化社会の問題(国保・老人医療の赤字を健康保険が補っている現状)や制度移行時の問題など、疑問符は数多く付き、これでは給付の安定が保てないなど多くの反論があるかもしれませんが、著者自身も、こうした考え方をどこか頭に置いておくのもいいのではないかというスタンスのようです(そうすると"学者の空論"という批判がまたあるわけですが)。

 企業側にも受け入れられる要素が多く含まれている提言で、漠然とした福祉国家論が多い中では、むしろ「思考の補助線」になる得るものとして注目すべきではないかと思いました。

《読書MEMO》
●企業には、年金制度や健康保険制度に参加していない既婚女性を好んで採用したり(中略)する傾向がある。これらの制度が特定の労働者の優先的採用を促すのは避けられるべきである→制度は企業の採用活動に対し中立的であるべき(101p)
●「帰属家賃」→持家の人や社宅に住んでいる人は、(中略)家賃分に相当する付加的な所得を受けているとみなせる→大企業とそこで働く人が有利(104p)
●退職金制度 → 労働移動に中立的でない(企業間のポータビリティが未整備)(107p)
●法定福利費の企業負担の経緯
・労災・医療保険→企業が負担しやすい自然ななりゆき
・老齢年金→公的年金制度が労災・医療保険制度に遅れて整備されたことに理由(128-129p)
●「累進消費税」...高額商品には高税率、一般商品には低税率といったように、商品の種類によって税率に差を設ける(172p)
●ベネッセは福祉における創業者利益を得たが、(中略)次の企業が同じ施策を導入しても、同様に優秀な人材を集められる確立は低下する(186p)

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1943年、兵庫県西宮市生まれ。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程終了。著書「日本の経済格差」(岩波新書)はエコノミスト賞受賞。他に「家計から見る日本経済」、近刊「消費税15%による年金改革」(東洋経済新報社)は学生との共著。

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教授と学生の合作だが、解決案としての具体性に欠ける。

脱フリーター社会.jpg 『脱フリーター社会―大人たちにできること』 (2004/11 東洋経済新報社)

 増え続けるフリーターの問題に対しての、前半が著者の主張で、後半が著者のゼミの学生からの提言になっていますが、後半の学生の提言を前半で先生が補うというか、「長い前書き」のような感じです。

 学生の提言は、サービス残業の削減、割増賃金制度の見直し、さらにこれらによって生まれた追加雇用を若者の正規雇用に(例えばトライアル雇用制度を拡充するなどして)回すといった、主に企業に向けてのものであり、"先生"はこれに加えて、フリーターの親は子供を甘やかさず、高齢者は早期リタイアも考えてみるべきといった感じ。

 学校・公共機関等における職業教育の充実など、政策提案的なものも含まれていますが、全体に解決策としての具体性が乏しく、企業側が聞く耳を持たなければそれまででは、と思われる部分もありますし、新聞などの一部の書評子にも、本書はメッセージ部分が弱いと書かれていた記憶があります。
 
 学生が書いた部分の方がむしろ纏まってはいますが、ゼミ論のような構成や生硬な文章は、一般書としてそのまま出すのはどうかという気もしました。
 ただしこの点については養老孟司氏が、こうした「まとめ」を学生が書くのはたいへん良いことで、学生と自分のものを並べて書く"先生"はむしろ偉いと思うというようなことを書いていましたが...。
 
 養老氏はむしろ、学生の「自分に合った仕事」という表現にケチつけていました。「自分とは、仕事で規定される程度の安直なものではない」と。 
 でも、それをここで持ち出すのは、主観レベルと客観レベルの混同ではないかという気もするのですが...。

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ニートの背後にある職業観の"一端"を知る上で参考に。

ニート.jpg     仕事のなかの曖昧な不安.jpg 『仕事のなかの曖昧な不安―揺れる若年の現在

ニート―フリーターでもなく失業者でもなく』('04年/幻冬舎)

 『仕事の中の曖昧な不安』('01年/中央公論新社)の著者である労働経済学者・玄田有史氏が、今度はニート(NEET=Not in Education, Employment, or Training)に注目し書いた本。
 本書によればニートとは、副題にもあるようにフリーターや失業者のように働ける人ではなく「働くことができない人」を指し、所謂「ひきこもり」を包含するが、「かなりの数の少数派」として急速に拡大しているとのことです。
 著者はニートの背後にあるのが本人の甘えだけではなく、誰でもニートになる可能性があり、ニートの増加をくい止める"方法"はあると言っています。

 共著者である曲沼美恵氏が、14歳で全員が就労体験をする兵庫県の「トライやる・ウィーク」と富山県の「14歳の挑戦」を経験した若者をインタビュー取材していますが、本書はこのカリキュラムがその"方法"だと言い切っているわけではありません。
 しかし、インタビューを読んで、この両県の試みには多くの示唆を含まれているように思えました。
 こうしたカリキュラムに対する評価の低い若者や、中学卒業後にドロップアウトした若者まで取材している姿勢には好感が持てました。

 一方、ヤングジョブスポットなどの公共施設で"もとひきこもり"の若者などを取材していますが、ニートと呼ばれる人の就労意識のようなものも見えてきます。
 しかし、この人たちは求職活動をして(または訓練を受けて)いるのだから今はニートではない。
 それを踏まえたうえでのタイトルなのかも知れませんが、そう考えると、ニートの定義というのは存外に難しいのではないかとも思われます。

 『仕事の中の曖昧な不安』('01年/中央公論新社)での「若者の失業は中高年の雇用を維持する代償」という著者の言説は賛否両論を呼びましたが、本書はそうした労働経済学の視点とは別に、ニートという社会現象の背後にある若者の職業観の"一端"を知る上で参考になるのではないかと思いました。

 本書に対しては、具体的な解決策が何も提示されていないという批判もありましたが、最後は若者に対して呼びかける精神論みたいになってしまっているのも事実。
 でも、この本1冊にそこまで求めるのはどうかとも思います。

 【2006年文庫化[幻冬舎文庫]】

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真摯なルポルタージュだが、少し偏りもあるように感じた。

ルポ解雇―この国でいま起きていること.jpg  『ルポ解雇―この国でいま起きていること』 岩波新書 〔'03年〕

 解雇ルールをめぐる労働基準法改正(平成15年改正)の道程と、現社会で不当な解雇に対し労働者の権利主張がいかに困難かを同時に追ったルポです。

 本書によると、改正労基法の当初条文案の「使用者は(中略)解雇に関する権利が制限されている場合を除き、労働者を解雇することができる」という部分は野党の反対により削除されたわけですが、その理由は、要は"解雇できる"という言葉が一人歩きするからということです。

 それは確かに著者が強調する通りの(一般マスコミ・ジャーナリズムのレベルでの)論点だったわけですが、逆に著者の立場に立つならば、「わざわざ謳わなくても、もともと解雇権はあるのだ」という"譲歩"の裏にある経営者側の論理をもっと押さえるべきではないだろうかとも思ったりしました。

 関連してですが―、合理的理由を欠く解雇について、法律論上、立証責任は労働者側にありますが、著者も指摘の通り、裁判の現場においては使用者側が合理性の立証責任を負っています。
 著者は "解雇できる"という言葉が一人歩きした場合、裁判所が労働者側に立証責任を負わせることが多くなることを危惧していますが、そんなに裁判官は偏向しているのでしょうか(そうだと言う人もいるかもしれませんが)。
 
 全体としては、真摯なルポルタージュであることに違いなく、特にこうした国会等での審議過程の追跡は、今回以降の法改正にも影響してくることなのでその意義は大きいと思いますが、部分的に少し偏りもあるように感じました。

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生活者多数のニーズを凝視し、〈一律型〉のワークシェアを提唱。

リストラとワークシェアリング.jpg  『リストラとワークシェアリング』 岩波新書 〔'03年〕 .jpg 熊沢 誠 ・甲南大名誉教授

 著者はまず「労働をめぐる4つの現実」(深刻な失業・人べらしリストラ・長時間労働・パートタイマーの処遇差別)を実証的に指摘し、「ワークシェアリング」を「この現実の暗い労働世界に灯された希望の思想」とし、具体的解決策として〈一律型〉のワークシェアを提唱(これが本書の最大の特徴ですが)しています。

 一般にワークシェアには、◆緊急避難型、◆中高年対策型、◆雇用創出型、◆多様就業促進型の4タイプがあるとされていますが、緊急避難型や雇用創出型といった〈一律型〉のものは暫定措置であり、本来的には、多様就業促進型(オランダのモデルが有名)、つまり〈個人選択型〉を目指すべきであるというのが一般の論調(脇坂明『日本型ワークシェアリング』など)です。

 これに対し本書では、〈一律型〉ワークシェアさえなかなか普及していないのは企業の消極性に原因があるとし、その背後にある 経営者の、「精鋭」は黙っていてもサービス残業をしてくれるのに、わざわざ「精鋭」と「そこそこの人」の労働時間を一律削減して「そこそこの人」の雇用を確保することはないという論理を浮き彫りにし、成果主義の浸透は一般労働者にも「ワークシェアして使えない人物を残してもお荷物になる」というような意識を醸成していることを指摘ししています。
 しかし著者はそれでもなお、冒頭の「4つの現実」に照らし、生活者多数のニーズを凝視した場合、〈一律型〉ワークシェアを推進する必要があると説きます。

女性労働と企業社会.jpg 日本のワークシェアが難しいと認識しながらも、「同一職種同一賃金」による〈一律型〉ワークシェア(時短)のイメージのもと、男性正社員・女性正社員・女性パートの賃金格差を縮めることを実現可能な範囲で具体的に提示するなど、問題解決に向けた真摯な姿勢が窺えます
 女性のペイエクイティを高めることで、女性の場合、労働時間が減っても一定の収入が確保できる考えは、前著『女性労働と企業社会』('00年/岩波新書)の内容とも関連しているかと思います。

 著者は〈個人選択型〉を全否定しているわけではなく〈一律型〉と併せて進めるべきとしていますが、確かに、〈個人選択型〉ワークシェアが実態として「ワーキングマザー」に限定されたものにしか成り得ないならば、全体効果は限られたものとなるでしょう。
 その前に解決すべきは、こうしたサービス残業の放置や賃金格差の問題であり、これを克服しなければ、〈一律型〉だけでなく〈個人選択型〉も充分に浸透しないだろうということを、本書は的確に予見しているように思えました。

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オーソドックスな解説と雇用システム、人事制度に踏み込んだ提案。

日本型ワークシェアリング 2.gif 日本型ワークシェアリング.jpg  『日本型ワークシェアリング』 PHP新書 〔'02年〕

 本書ではワークシェアリングを4タイプに分けて解説していて、内容はオーソドックスですがそれもそのはず、著者は、厚生労働省の「ワークシェアリングに関する研究会」の学者メンバーとして、本書でも紹介されている調査研究報告書(2001年4月。インターネットでも概要の閲覧が可能)の作成に携わった労働経済が専門の人です。

 著者の主張は、失業増への対策としての「緊急避難型」ワークシェアリングは不可欠だが、長期的には「多様就業促進型」を見据えよ、というもので、現在それを阻害するものとして「残業の恒常化」と「パートと正社員の賃金格差」をあげています。

 単に問題点を指摘するだけでなく、先行企業の取り組み事例などを紹介し、「雇用システムの多元化」(正社員とパートの間に中間層を設けることなど)を提唱し、またワークライフバランスを考慮した「ファミリーフレンドリー」企業を目指すことを提案するとともに、育児休業の支援策などとして「短時間正社員」(パートとフルタイムを往来できる正社員)などの制度を具体的に提案しています。

 著者の人事制度に踏み込んだ提案に共感するとともに、やはり個人的には、パートと正社員の賃金格差が、現実問題として大きいのではという気がします。
 欧州ではパートと正社員の時間当たりの賃金格差が違法とされている国も多いということですが、日本ではどれだけ「私」を犠牲にして会社に貢献しているかが、賃金の時間単価にまで影響しているのではと思いました。
 厚労省は、この本の出版前から毎年「ファミリー・フレンドリー企業表彰」を実施していますが、こういうことも、まだ充分に知られていないのではないでしょうか。

《読書MEMO》
●ワークシェアリングの4つのタイプ
 ⅰ 雇用維持型(緊急避難型)...1人当たりの労働時間を減らして仕事を分け合い、雇用を維持していくタイプ。
 ⅱ 雇用維持型(中高年雇用維持型)...ⅰを中高年に限定し、定年後の雇用対策として行なうタイプ。
 ⅲ 雇用創出型...国または企業単位で労働時間を短縮し、マクロ経済全体として雇用を増やすタイプ。
 ⅳ 多様就業対応型...フルタイム以外に、多様なパターンの就業を可能にするタイプ。

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労働現場を見据えた鋭い分析で、過度の「能力主義」化に警鐘を鳴らす。

能力主義と企業社会.jpg能力主義と企業社会』 岩波新書 〔'97年〕 .jpg 熊沢 誠 ・甲南大名誉教授 (経歴下記)

 労働問題研究の第一人者で労働の現場に精通する著者が、日本企業の能力主義管理のこれまでと現在(1997年)を分析し、企業が強めようとしている能力主義管理によって職場や労働はどのように変わり、働く側(エリートだけでなく、ノンエリートの正社員、契約社員、パートタイマーを含む)にどのような問題が生じるかを指摘しています。
 そして、彼ら(彼女ら)の意識調査アンケートを踏まえつつ、過度の「能力主義」化傾向に警鐘を鳴らし、「ゆとり」「仲間」「決定権」というキーワードで問題解決の糸口を提示しています。

 著者は賃金制度のタイプを「集団・個人」と「顕在・潜在」という2軸で切り分けていて、結果それは、
 ◆実力(顕在能力)
 ◆職務
 ◆年功(年齢勤続)
 ◆職能(潜在能力)
 という4区分になるようです。
 従来の能力主義は、顕在能力よりも潜在能力を重視するものだったとし、それを"狭義の能力主義"とするとともに、本書で言う「能力主義」には「実力」主義を含めており、「能力主義」化傾向と言う場合には、むしろ業績に基づく「実力」主義化のことを指しているようです。
 本書では「成果主義」という言葉は使われていませんが、ほぼ現在言われる「成果主義」の問題点を指摘していると捉えてよいかと思います。

 米国は処遇格差の大きい「実力」主義で日本は年功型の横並びという"通念"に対し、米国は同一職務同一賃金の「職務」型で、日本では戦前から格差を容認する土壌があったものが戦後の労働組合の台頭で競争制限・平等処遇に傾き、今また格差容認の戦前型に戻ろうとしているという捉え方は興味深いものでした。
 その他にも、ノンエリートがそうした企業の「能力主義」化の方針に従う心理(要するにリストラさえされていなければ、俺のレースはまだ終っていない、とでもいう意識)など、実に鋭い分析が随所にありました。

 「横並び」の時代は終って「個人主義」「業績重視」「プロフェショナル」の時代へ、という"識者の大合唱"に対して、その日本のサラリーマンをみんなプロ野球の選手に仕立ててしまうような考え方が、協働型の業務スタイルの現状や、補助的業務従事者、契約社員、パートタイマーなどにも果たして当てはまるのかを冷静に分析しています。
 そうしたことを踏まえての提案部分は、主に労働組合に期待するところが大きいようですが、組合がそこまで機能するかどうかが問題だと思いました。
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熊沢 誠(くまざわ まこと)
1938年三重県に生れる.1961年京都大学経済学部卒業(1969年経済学博士).甲南大学教授などを経て,現在は甲南大学名誉教授,研究会「職場の人権」代表.専攻は労使関係論,社会政策論.
著書に『寡占体制と労働組合』(新評論,1970年),『労働のなかの復権』(三一書房,1972年),『国家のなかの国家』(日本評論社,1976年),『新編日本の労働者像』(ちくま学芸文庫,1993年),『日本的経営の明暗』(ちくま学芸文庫,1998年),『能力主義と企業社会』(岩波新書,1997年),『女性労働と企業社会』(岩波新書,2000年),『リストラとワークシェアリング』(岩波新書,2003年),『若者が働くとき』(ミネルヴァ書房,2006年)など.

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日本的雇用の概説としてはまとまっていて、多角的視点を示していた。

『日本の雇用―21世紀への再設計』3.jpg日本の雇用031.jpg simada.jpg 島田晴雄 氏(略歴下記)
日本の雇用―21世紀への再設計』ちくま新書〔'94年〕 

 本書は'94年に「ちくま新書」の創刊ラインアップの1冊として刊行されたものですが、「日本の雇用」の今までと今後を、国際経済・労働経済の観点から概説し、企業や社会が今後取り組むべき改革の方向性を提言しています。

koyo.jpg 平成不況で雇用リストラが進行し、「終身雇用」が崩れるというのが一般的な見方だとすれば、著者はまず「終身雇用」は法的にも制度的にも保障されていたものではない一種の〈幻想〉であるとし、さらに、不況のためと言うよりも、日本経済が成熟段階にきたこと、円高の進行、高齢化社会の到来などのメガトレンドが、従来の雇用システムの見直しを迫っているのだとしています。

 年功賃金のような「終身雇用」的な考えをベースした制度が従来果たしてきた役割を認めながらも、企業は今後、賃金制度を能力主義化したり、新卒一括採用を見直したり、中高年の能力開発や女性の活用を検討する必要があり、また国は雇用需要を創出するような規制緩和や産業政策が必要になると...。

 「終身雇用」に対する考え方などは今思えば独自のものではないけれど、日本的雇用の概説としては平易な記述でよくまとまっていて、また、賃金プロファイルを住宅ストックと関連づけるなど(要するに若いうちに持ち家が買えるようにすべきだという考え)、人事・賃金制度に対して多角的な視点を示していて、この本自体は入門書として悪くないと思います。

 本書を読むと、「新産業・雇用創出計画」は著者の当時から提言だとわかりますが、著者が「小泉構造改革」に深く関わるにつれて、一部の著作の内容が政策プロパガンダ的になっていった気がします。
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島田晴雄
1943年生まれ。慶應義塾大学教授。2000年より東京大学先端科学技術研究センター客員教授。2001年より経済財政諮問会議(内閣府)専門委員、内閣府特命顧問。2004年より富士通総研経済研究所所長。専攻は労働経済学。
[編集] 主な著書...『日本経済 勝利の方程式』講談社、『痛みの先に何があるのか―需要創出型の構造改革』東洋経済新報社、『住宅市場改革』東洋経済新報社、『ヒューマンウェアの経済学―アメリカのなかの日本企業』岩波書店

「●リストラクチャリング」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【067】 梅森 浩一 『「クビ!」論。
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リストラを検討する際に踏まえておいた方がいい基礎知識が整理されている。

雇用リストラ.jpg 『雇用リストラ―新たなルールづくりのために』 (2001/08 中公新書)

biz01.jpg 経営環境が悪くなり、会社の役員会で「リストラするしかない」「いや、ウチは終身雇用だから...」「じゃあ、退職勧奨ではどうか」などの会話が飛び交うとき、そもそもそうした雇用リストラに関するタームを、役員が共通した正しい認識で用いているかどうか、まず懸念される場合があります。

 本書では、雇用リストラの種類とそれがどう計画・実行されているのかを実態に沿って説明していますが、元・労働基準監督官が書いたものだからと言って「リストラ、いかん」という話ではなく、市場経済下ではどの企業も繁栄を保障されているわけではなく、雇用リスクの存在は必然的なものだとし、そうしたリスクを最小化するための社会ルール(例えば解雇制限法)の必要を訴えている本です。

 日本は"終身雇用"で欧米は"解雇自由"という一般認識の誤りを指摘していますが、確かに労基法にも就業規則にも"終身雇用"の文言は無いわけで、一方米国などでは、勤務期間に基づく先任権制があり、レイオフ順位がハンドブック(個人別の就業規則のようなもの)に明記されていたりします。

 また一般に雇用リストラは、採用の停止・抑制、賃金カット、希望退職、正社員解雇などの順序で行うとされていますが、解雇は最後になるべきだがその前段階は固定的な順序設定はないと―。そもそも、賃金カットは雇用に直接的に関係ないが、一方、希望退職は雇用者に選択権があるなど、質的に異なる―。

 雇用問題を扱った本ですが、企業リスクの最小化という観点に立っており、企業が雇用リストラを検討する際に踏まえておいた方がいい基礎知識(前提知識)的なものが整理されているため、一読の価値はあるかと思います。

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論旨に目的と手段の逆転が見られる。学者が描くユートピア的な発想という印象を受けた。

定年破壊.jpg 『定年破壊』 〔'00年〕  清家篤 (慶応大学教授).gif 清家 篤 氏 (略歴下記)

定年退職.jpg 著者は「生涯現役社会」の提唱者であり、本書でも定年制の非合理性とそれを廃止することのメリットを説いています。では定年制がなぜあるかというと、年功賃金での長期の収支勘定合わせのためにあり、また企業に雇用調整の自由度が少ないのもその理由であると。

  だから、こうした制度を変えて賃金をフラットにし、自らの選択による能力開発を可能にし、1社が雇用保障するのではなく労働市場を通じた雇用保障体制を築き、労働市場そのものを活性化すれば定年制は廃止でき、そのことがプロフェッショナルとしての職業人生を送ったり、早く引退することを選択したりして個人の手に人生設計を取り戻すことにつながると―。

 部分的には鋭い指摘もあると思いました。 しかし確かに著者の言うように、定年制には非合理的な面もあるだろうけれど、同じく著者の言うように、定年制を無くすためにはしなければならないことも随分あるわけです。
 
 定年制を無くすために賃金制度を見直すというのは、現実に即して考えると目的と手段が逆転しているともとれるし、定年を廃止した場合にどうなるか、ということについての考察があまりに楽天的で、学者が描くユートピアのような印象を受けました。

 玄田有史氏も『仕事のなかの曖昧な不安』('01年/中央公論新社)の中で「定年破壊」に批判的でしたが、問題は「それがすでに会社に雇われている人々の雇用機会を確保することにはなっても、新しく採用されようとする人から就業機会を奪うこと」にあると言っています。 企業の人を雇用する力が弱くなっている状況においては、そうしたことも考慮しなければならないでしょう。
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清家 篤
慶應義塾大学商学部教授。博士(商学)。専攻は労働経済学。1978 年、慶應義塾大学経済学部卒業後、同大学大学院商学研究科博士課程修了、同大学商学部助教授を経て、1992 年より現職。
この間、カリフォルニア大学客員研究員、日本労働研究機構特別研究員、経済企画庁経済研究所客員主任研究官等を歴任。
社会保障審議会委員(厚生労働省)、労働政策審議会委員(厚生労働省)、国民生活審議会委員(内閣府)、高齢社会対策の総合的な推進のための政策研究会座長(内閣府)、東京地方労働審議会会長(厚生労働省東京労働局)、日本銀行金融研究所顧問(日本銀行)などを兼務。
近著に『生涯現役社会の条件』中公新書(1998 年)、『人事と組織の経済学』(共訳)日本経済新聞社(1998 年)、『労働経済』東洋経済新報社(2002年)、『勝者の代償』(訳)東洋経済新報社(2002 年)、『生涯現役社会をめざして』日本放送出版協会(2003 年)、『高齢者就業の経済学』(共著)日本経済新聞社(2004年)などがある。

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