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直接的に死を語っている部分が面白かった。「生」への執着を素直に吐露する石原慎太郎。

死という最後の未来.jpg石原 慎太郎.gif 石原慎太郎 散骨.jpg
死という最後の未来』 石原 慎太郎(田園調布の自宅で2019年2月)[毎日新聞]/石原慎太郎の海上散骨式(2022年4月)[逗子葉山経済新聞]

 キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは―。(版元口上)

 石原慎太郎と彼より1つ年上の曽野綾子が死について語り合ったもので、2020年6月に単行本刊行、今年['22年]2月に文庫化されましたが、その石原慎太郎は2月1日に満89歳で亡くなっており、ものすごく好きな人物だったというわけではないですが、やはり寂しいものです(小説は初期の作品は面白いと思う)。

 「人は死んだらどうなるのか」といった直接的なテーマから、「コロナは単なる惨禍か警告か」といった社会的なテーマ、「悲しみは人生を深くしてくれる」といった亡くなった人の周囲の人の問題までいろいろ語り合っていますが、やはり直接的に死を語っている部分が面白かったです。

 特に石原慎太郎は、法華経を哲学とするも死後は基本的に「無」であり何も無いと考えているようであって、それでいて、それは「つまらない」と必死に抵抗している感じ。こうなると「生」に執着するしかないわけであって、そのジタバタぶりがストレートに伝わってくるのが良かったです。「生」に執着しない人なんてそういないと思いますが、「功なり名なりを成した人間」が、それを素直に吐露している点が興味深いです。

レニ・リーフェンシュタール.jpg 石原慎太郎にとっての生き方の理想となっているのは、レニ・リーフェンシュタールのような人のようです。彼女は1962年、旅行先のスーダンでヌバ族に出会い、10年間の取材を続け1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、70歳過ぎでスクーバダイビングのライセンスを取得して水中写真集をつくり、100歳を迎えた2002年に「ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海」で現役の映画監督として復帰し(世界最年長のダイバー記録も樹立)、その翌年の2003年、101歳で結婚しています。

レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)

 また、石原慎太郎は対談の中で「僕は生涯、書き続けたい」と述べていて、結局、これも対談の中で「完治した」と言っていた膵臓がんが2021年10月に再発し、「余命3か月」程度との宣告を受けているわけですが、この時の心情も含め、「死への道程」というのを書いていて、その通り最後まで書き続けたのだったなあと(これが絶筆となり、死去後の今年['22年]3月10日に発売された「文藝春秋」4月号に掲載されている)。

 先月['22年6月]には、65歳になる前から書き綴られた自伝『「私」という男の生涯』(幻冬舎)が、石原自身と妻・典子の没後を条件に刊行されています(典子夫人は石原慎太郎の死去後1カ月余りしか経ない3月8日に亡くなっている)。まあ、生涯、作家であったと言えるし、作家というのは引退のない職業だとも言えるのかも。

ホタル  2001es.jpg 因みに、石原慎太郎が話す、特攻隊の基地があった鹿児島・知覧の町で食堂をやっていた鳥濱トメさんから直接聞いた「自分の好きな蛍になって、きっと帰ってきます」といった隊員の話は、降旗康男監督、高倉健主演の映画「ホタル」('01年/東映)のモチーフにもなっていました。

映画「ホタル」('01年/東映)奈良岡朋子

【2022年文庫化[幻冬舎文庫]】

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ガン治療の最前線を追いかけながら、自身は検査・治療、リハビリを拒否、QOLの方を選んだ。

死はこわくない3.jpg死はこわくない.jpg   立花 隆 5.jpg          
死はこわくない』['15年]  立花 隆(1940-2021)

自殺、安楽死、脳死、臨死体験。 長きにわたり、人の死とは何かを思索し続けた〈知の巨人〉が、正面から生命の神秘に挑む。「死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験だから、いい夢を見ようという気持ちで自然に人間は死んでいくことができるんじゃないか」。 がん、心臓手術を乗り越えた立花隆が、現在の境地を率直に語る―。

 今年['21年]4月30日、急性冠症候群のため80歳で亡くなった(訃報は6月23日になって主要メディアで報じられた)立花隆による本です。

 第1章「死はこわくない」は、「週刊文春」に'14年10月から11月にかけて3回にわたり連載された編集者による訊き語りで、「死」を怖れていた若き日のことや、安楽死についてどう考えるか、「死後の世界」は存在するか、「死の瞬間」についての近年の知見、体外離脱や「神秘体験」はなぜ起こるのか、自らががんと心臓手術を乗り越えて今考える理想の死とは、といったようなことが語られています。

Elisabeth Kübler-Ross.gif 第2章「看護学生に語る『生と死』」は、これから患者の死に立ち会うであろう看護学生に向けてリアルな医療の現場を語った'10年の講演録で、人は死ぬ瞬間に何を思うか、難しいがん患者のケア、長期療養病棟の現実、尊厳死とどう向き合うか、などについて述べています。また、その中で、キューブラー=ロスの『死ぬ瞬間』など、人間の死や終末医療に関する本を紹介しています。

Elisabeth Kübler--Ross

 第3章「脳についてわかったこと」は、月刊『文藝春秋』'15年4月号に掲載された「脳についてわかったすごいこと」を加筆・修正したもので、NHKの科学番組のディレクターの岡田朋敏氏との脳研究に関する対談になっています。

 というわけで、寄せ集め感はありますが、第1章は「死」に対する現在の自身の心境(すでに死はそう遠くないうちに訪れると達観している感じ)が中心に語られ、延命治療はいらないとか、自分の遺体は「樹木葬」あたりがいいとか言っています。章末に「ぼくは密林の象のごとく死にたい」という'05年に『文藝春秋』の「理想の死に方」特集に寄港したエッセイが付されていますが、このエッセイと本編の間に約10年の歳月があり、より死が身近なものになっている印象を受けます。

臨死体験.jpg臨死体験 下.jpg 第2章の看護学生に向けての講演も、第1章に劣らす本書の中核を成すものですが、内容的には著者の『臨死体験』('94年/文芸春秋)をぐっと圧縮してかみ砕いた感じだったでしょうか。ただ、その中で、検事総長だった伊藤栄樹(1925-1988)の『人は死ねばゴミになる―私のがんとの闘い』('88年/新潮社)といった本などの紹介しています。学術分野で言えば、第2章は脳科学であるのに対し、第3章は大脳生理学といったところでしょうか(著者は、'87年にノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進へのインタビュー『精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか』['90年/文藝春秋]など早くからこの分野にも関わっている)。

I死は怖くないtukushi.jpg また、この中で、「NEWS23」のキャスターで73歳でガンで亡くなっただった筑紫哲也(1935-2008)のことに触れられていて、ガン治療に専念するといって番組を休んだ後、ほぼ治ったと(Good PR)いうことで復帰したものの、2か月後に再発して再度番組を休み、結局帰らぬ人となったことについて(当時まだ亡くなって2年しか経っていないので聴く側も記憶に新しかったと思うが)、「Good PR」はガンの病巣が縮小しただけで、まだガンは残っている状態であり、これを「ほぼ治った」と筑紫さんは理解してしまったのだとしています。かつては、病名告知も予後告知もどちらも家族にするのが原則でしたが、最近は本人に言うのが原則で、ただし、予後告知とか、どこまで本人がきちんと理解できるような形でお行われているのか、或いは、詳しくは言わない方がいいという医師の判断が働いていたりするのか、考えさせられました。

 それにしても、著者は、こうしたガン治療の最前線を追いかけながら、自分自身は大学病院に再度院したものの、検査や治療、リハビリを拒否し、「病状の回復を積極的な治療で目指すのではなく、少しでも全身状態を平穏で、苦痛がない毎日であるように維持する」との(QOL優先)方針の別の病院に転院しています。病状が急変したとき、看護師のみで医師が不在だったらしく、その辺りがどうかなあというのはありますが、あくまでも本人の希望がそういうことだったならば...(これも本人の希望に沿って、樹木葬で埋葬された)。
 
 このことから思うのは、著者の〈知〉の対象は、あくまでも〈対象〉であって、その中に著者自身は取り込まれていない印象を受けます。もちろん「QOL優先」については、テレビ番組の取材などを通して放射線や抗ガン剤治療が患者のQOLを下げた上に、結局その患者は亡くなってしまったといった例も見てきただろうから、その影響を受けている可能性はあるし、「QOL優先」自体が「たガン治療の最前線」のトレンドと言えなくもないですが。

 かつての『田中角栄研究』にしても、当時は「巨悪を暴いた」みたいな印象がありましたが、本人は田中角栄という人物の編み出した金権構造に、システムとしての関心があったのではないかと思います。だから、『脳死』とか『サル学の現在』とか、別のテーマにすっと入っていけたのではないかと、勝手に推測しています。

【2018年文庫化[文春文庫]】

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「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が新鮮だった。

「死」とは何か 完訳版1___.jpg『「死」とは何か 完全翻訳版』.jpg「死」とは何か.jpg 
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

 イェール大学で20年以上続いている著者の「死」をテーマにした講義を書籍化したもので、2018年10月に384ページの「縮約版」が刊行され、翌2019年7月にそのほぼ倍の769ページに及ぶ「完訳版」が刊行されています。本書は前半が、「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートになっており、後半が、「死」にどう向き合うかという「人生哲学」的とでも言うべき内容になっていますが、縮約版では、

『「死」とは何か 完全翻訳版』2.jpg  第1講 「死」について考える
  第2講 二元論と物理主義
  第3講 「魂」は存在するか?
  第4講 デカルトの主張
  第5講 「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
  第6講 「人格の同一性」について
  第7講 魂説、身体説、人格説――どの説を選ぶか?

  第8講 死の本質
  第9講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
  第10講 死はなぜ悪いのか
  第11講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
  第12講 死が教える「人生の価値」の測り方
  第13講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
  第14講 死に直面しながら生きる
  第15講 自殺

の全15講の内、第2講~第7講が割愛されていたようです。縮約版は結構話題になったものの、大幅な割愛に対する読者から不満もあったりして、完訳版の刊行となったようです。

 個人的には、後半の「人生哲学」的なパートも悪くなかったですが、結構ありきたりで、やはり前半の「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートが良かったです(実質的には第10講かその前ぐらいまでは、「形而上学」的な要素も結構含まれているとみることもできる)。この本の場合、「死」について考えることはそのまま、「心((魂)」とは何か、「自分」とは何かについて考えることに繋がっているように思いました。

 著者の立場としては、「人間=身体+心(魂)」であるという「二元論」を否定し、「人間=身体」であるという「物理主義」を支持しています。現代科学の趨勢からも、個人的にも、確かにそうだろうなあとは思います。つまり、「私」乃至「私の心」とは、ラジオ(身体)から流れてくる音楽(意識)のようなもの(宮城音弥『心とは何か』('81年/岩波新書))で、両者は一体であり、デカルトの言うように「身体」と「心」は別であるという「二元論」は成り立たないと。ただし、頭でそう思っても、無意識的に「二元論」的に自己を捉えている面があることも否定し得ないように思います。

 本書では(縮訳で割愛された部分だが)、デカルトの「二元論」や、プラトンの「魂の不滅性」に丁寧かつ慎重に反駁していくと共に、「人格の同一性」(=その同一なものこそが「私」であるという考え)について取り上げ、自分とは何かというテーマに深く入っていき、魂説、身体説、人格説のそれぞれを論理的に検証していきます。

 個人的に非常に興味深く思ったのは、魂説、身体説、人格説と並べれば、本書の流れからも身体説が有力であり、実際に本書では、「人格説への異論」を唱えることで「身体説」の有効性を手繰り寄せようとしていますが、同時に、身体説の限界についても考察している点です(第7講)。

 わかりやすく言えば、例えば誰かが他人から心臓移植を受けても、その人が「自分」であることは変わらないですが、脳の移植を受ければ、それは脳の持ち主が身体の持ち主になるということ。つまり、身体が滅んでも脳が生き延びれば「自分」は生き延びるということで、これがまさに「身体説」であるということかと思いますが(つまり、「自分」とは脳という「身体」の産物であるということ)、本書では、「脳を分けることができるとしたら?」という思考実験をしています。

 つまり(知人の子で、生後すぐに脳腫瘍の手術をして脳が片側しかない子がいて、それでも普通に生活しているが)、仮にある人の右脳と左脳をそれぞれ別の身体に移植したら、「人格」も「身体」も分裂できるのか?、その際に「魂」はどうなるのか?(ここで「魂」論が再び顔を出す)という問題を提起しており、ここから、「魂」も分裂できるのか?(この場合の「魂」は「意識」と言ってもいいのでは)、分裂できない場合、「魂」は誰のものか?、分裂できなければ魂なしの人間が生まれてしまうのか?、といった様々な難問が生じ、「魂」説はこの分裂の仮説に勝てず、さらに、圧倒的にまともに思えた「身体説」も同時に脆弱性を帯びてくるということです。

 個人的には、本書の中で、この「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が、今まで考えたことがなくて最も斬新に感じられ、それを考えさせてくれただけで、本書を読んだ価値はあったように思います。

 後半の「死」との向き合い方とでも言うか、死を通しての「人生の価値」の測り方(第12講)などは、どこかでこれまでも考えたことがあるような話であるし(「太く短く」がいいか「細く長く」がいいかとか、「終わり良ければすべて良し」なのかとかは、無意識的に誰もが考えているのでは)、死ぬまでに考えておくべきこと(第13講)、死と直面しながら生きるとはどういうことか(第14講)、自殺の問題(第15講)なども、ものすごく斬新な切り口というわけでもないように思いました。

 読者によっては、後半の方が「胸に響いた」という人がいてもおかしくないと思いますが、「余命宣告をされた学生が、"命をかけて"受けたいと願った」授業というキャッチコピーほどではないかも。既視感のある「人生哲学」よりも、やはり「形而上学」のパートがあってこその本書の面白さであり、その部分において新鮮な思考実験を示してくれていたので「◎」としました。
「死」とは何か 3.jpg

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短い余命宣告で奈落に落ちた人が、立ち直るにはどうすればよいかを真摯に考察。

がんを生きる 佐々木常雄.gif 佐々木 常雄 『がんを生きる』.jpg
がんを生きる (講談社現代新書)』 ['09年]

 がんの拠点病院(がん・感染センター都立駒込病院)の院長が書いた本ですが、制がん治療について書かれたものではなく、「もう治療法がない」と言われ、短い余命を宣告されて奈落に落とされた人が、立ち直るようにするにはどうしたらよいかということを真摯に考察したものです。

 本書によれば、'85年頃までは、医師は患者にがん告知をしなかった時代で、それ以降も'00年頃までは、告知しても予後は告げない時代だったとのこと、それが、今世紀に入り、「真実を医師が話し、患者が知る」時代となり、自らの余命が3ヵ月しかない、或いは1ヵ月しかないということを患者自身が知るようになった―そうした状況において、死の淵にある患者の側に立った緩和ケアはいかにあるべきかというのは、極めて難しいテーマだと思いました。

 著者自らが経験した数多くのがん患者の"看取り"から、19のエピソードを紹介していますが、中には担当医から「余命1週間」(エピソード5)と宣告された人もいて、著者自身、個々の患者への対応の在り方は本当にそれで良かったのだろうかと煩悶している様が窺えます。

 端的に言えば、如何にして突如目前に迫った死の恐怖を乗り越えるかという問題なのですが、著者の扱った終末期の患者のエピソードに勝手に解釈を加え、患者が死を受容し精神の高み達したかのように「美談仕立て」にした輩に著者は憤りを表す一方で、多くの書物や先人の言葉を引いて、そこから緩和ケアの糸口になるものを見出そうとしています。

 親鸞などの仏教者や哲学者、或いは、比較的最近の、宗教系大学の学長や高名な精神科医の言葉なども紹介していますが、それらを相対比較しながらも、あまりに宗教色の強いものや、俗念を離脱して人格の高みに達しているかのようなものには、自分自身がそうはなれないとして、素直に懐疑の念を示しています。

 結局、著者自身、本書で絶対的な"解決策"というものを明確に打ち出しているわけではなく、著者の挙げたエピソードの中の患者も殆どが失意や無念さの内に亡くなっているというのが現実かと思いますが、それでも、エピソードの紹介が進むつれて、その中に幾つかに、患者が心安らかになる手掛かりとなるようなものもあったように思います。
 
 例えば、毎年恒例となっている病棟の桜の花見会に、末期の患者をその希望に沿ってストレッチャーに乗せて連れていった時、その患者が見せた喜びの表情(エピソード2)、独身男性患者に、亡くなっていく人の心が何らかのかたちで残される人に伝わることを話す看護師の努力(エピソード13)、日々の新聞のコラム記事の切り抜きに没頭する、その切抜きを後で見直す機会は持たない女性患者(エピソード15)、お世話になった人への挨拶など、死に向かう"けじめ"の手続きをこなす余命3ヵ月の元大学教授(エピソード16)、病を得たのをきっかけに亡くなった友人のことを思い出したことで安寧な心を得たように思われる歌人(エピソード16)、余命1ヵ月と聞かされショックを受けた後、今度は急に仕事への意欲が湧いてきた"五嶋さん"という男性(エピソード19)等々(この"五嶋さん"は、余命1週間と言われ、1週間後に著者に挨拶に来て、その2日後に亡くなったエピソード5の人と同人物)。

 最後の"五嶋さん"のエピソードは、同じく余命1ヵ月の病床で、何も出来ず生きていても意味がないと思っていたら、夫から「君が生きていればそれでいい」と言われ、夫が後で見てくれるようにと"家事ノート"を作り始めた"秋葉さん"の話(エピソード1)にも繋がっているように思えました。

 そうしたことを通して末期の患者らの死の恐怖が緩和され、安寧を得たかどうかについても、著者は慎重な見方はしているものの、ただ不可知論で本書を終わらせるのではなく、奈落から這い上がるヒントとなると思われる項目を、「人は誰でも、心の奥に安心できる心を持っているのだ」「生きていて、まだ役に立つことがあると思える人は、奈落から早く這い上がる可能性が高い」など8つ挙げ、また、終章を「短い命の宣告で心が辛い状況にある方へ―奈落から這い上がる具体的方法」とし、その方法を示しています(①気持ちの整理、とりあえず書いてみる、②泣ける、話せる相手を見つける)。

 人間は死が近づいても心の中に安寧でいられる要素を持っているという著者の信念(生物学的仮説)に共感する一方、宗教を信じていない状況で、「あなたの余命は3ヵ月です」などと言われるようなことは医療の歴史では嘗て無かったわけで、心理面での緩和ケアの在り方が、今後のターミナルケアの大きな課題になるように思いました。

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ストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちたものでありながら、「素直な絶望」の記録でもある。
わたし、ガンです ある精神科医の耐病記.gif 『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記 (文春新書)』['01年]頼藤 和寛.jpg 頼藤和寛(よりふじ かずひろ)神戸女学院大学・人間科学科教授 (2001年4月8日没/享年53/略歴下記)

 精神科医である著者に直腸がんが見つかったのが'99(平成11)年晩夏で、入院・手術が'00(平成12)年6月、本書は主にその年の夏から秋にかけて書かれ、'01(平成13)年4月、丁度著者が亡くなった月に刊行されています。

 冒頭で、従来の「涙なみだの家族愛」的な闘病記や「私は○○で助かった」的な生還記となることを拒み、現代医学や医療への遠慮をすることもなく、だからと言って、現代医療の問題を告発する「良心的な医師」にもならず、がん患者やその家族を安心させることを目的ともせず、"やぶれかぶれの一患者"として「素直に絶望すること」を試みた記録とあります。

がんと向き合って 上野創.jpg 「闘病」ではなく「耐病」という言葉を用いているのは、実際に闘ったのは治療に伴う副作用に対してであり、がんそのものに対し、「闘う」というイメージは持てなかったためであるとのこと。抗がん剤治療の副作用の苦痛は、上野創 著 『がんと向き合って』('01年/文藝春秋)でも、比較的ポジティブな性格の著者が自殺を考えるまでの欝状態に追い込まれたことが記されていました。

 精神科医とは言え、さすがは医師、中盤部分は、がんという病やその治療に関する医学的な考察が多く織り込まれていて、がんの原因の不確実性、『患者よ、がんと闘うな』('96年/文藝春秋)近藤誠氏に対する共感と一部批判、アガリスクなどの代替医療や精神神経免疫学などに対する考察は、非常に冷静なものであるように思えました。

 "やぶれかぶれ"と言っても、現実と願望を混同せず、常に「認識の鬼」であろうとするその姿勢は、終盤の、いつ生を終えるかもわからない状況になってからの、自らの死生観の変化の検証、考察にも表れていているように思います。

 読者に阿ることなく(同病の読者にさえも不用意に同調・同感しないようにと注意を促している)死について冷徹に考察し、自らの50余年の生を振り返り、人間存在の意味を限られた時間の中で、既存宗教への帰依によることなく探る様は、独自の永劫回帰的想念に到達する一方で、「ちょっとお先に失礼しなければならない」という表現にも見られるように、ある種の諦念に収斂されていったかのようにも思えました。

 ノンフィクション作家の柳田邦男氏が、自分ががんになったら、達観したかのように振舞うのではなく、素直に絶望を吐露するといったことを言っていましたが、本書は、がん患者の記録としては、最もストイックな姿勢が貫かれ知的な考察に満ちた類のものでありながら、それでいて「素直な絶望」の記録でもあると言えます。
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頼藤和寛の人生応援団.jpg頼藤和寛(よりふじ かずひろ)
昭和22(1947)年、大阪市生まれ。昭和47年、大阪大学医学部卒業。麻酔科、外科を経て、精神医学を専攻。昭和50年、堺浅香山病院精神科勤務。昭和54年より阪大病院精神神経科に勤務。昭和61年より大阪府中央児童相談所(現・中央子ども家庭センター)主幹、大阪大学医学部非常勤講師を経て、平成10年より神戸女学院大学人間科学部教授。医学博士。

 産経新聞に平成3年2月より、人生相談「家族診ます(のちに人生応援団に改題)」を連載。
達意の文章とニヒルな人間洞察に支えられた30冊以上の著書を残す。(扶桑社ホームページより)

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同じ苦しみを抱えた患者やその家族への(押付けがましさのない)「励ましの書」として読み得る。
がんと向き合って 上野創.jpg上野 創 『がんと向き合って』.jpg がんと向き合って 上野創 文庫.jpg 上野 創.jpg
がんと向き合って』['02年]『がんと向き合って (朝日文庫)』['07年] 上野 創 氏

 朝日新聞の若き記者のがん闘病記で、'03(平成15)年・第51回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。著者は朝日新聞横浜支局勤務の'97年、26歳の時に睾丸腫瘍になり、肺にも数え切れないぐらいの転移があったということ、そうした告知を受けた時のショックがストレートに、且つ、記者らしく客観的な視点から綴られています。

 そして、同僚記者である恋人からの、彼ががんであることを知ったうえでのプロポーズと結婚、初めてのがん闘病生活と退院復帰、1年遅れで挙げた結婚式とがんの再発、そして再々発―。

 結局、こうした2度の再発と苛烈な苦痛を伴う抗がん治療を乗り越え、31歳を迎えたところで単行本('02年刊行)の方は終わっていますが、文庫版('07年刊行)で、記者としての社会人生活を続ける中、3度目の再発を怖れながらも自分なりの死生観を育みつつある様子が、飾らないトーンで語られています。

 冒頭から状況はかなり悲観的なものであるにも関わらず、強いなあ、この人と思いました。抗がん剤の副作用の苦しみの中で、自殺を考えたり、鬱状態にはなっていますが、そうした壁を乗り越えるたびに人間的に大きくなっていくような感じで、でも、自分がひとかどの人物であるような語り口ではなく、むしろ、周囲への感謝の念が深まっていくことで謙虚さを増しているような印象、その謙虚さは、自然や人間の生死に対する感じ方、考え方にも敷衍されているような印象を受けました。

 やはり、奥さんの「彼にとって死はいつも一人称だ。しかし、私が考える『死』はいつも二人称だ」という言葉からもわかるように、彼女の支えが大きいように思われ、文庫解説の鎌田實医師の「病気との闘いの中で彼女は夫の死を一・五人称ぐらいにした」という表現が、簡にして要を得ているように思います。

 がん闘病記は少なからず世にあるのに、本書が「日本エッセイスト・クラブ賞」を受賞したのは、文章が洗練されているからといった理由ではなく、同じ苦しみを抱えた患者やその家族への「励ましの書」として読み得るからでしょう(感動の"押付けがましさ"のようなものが感じられない点がいい)。

米原 万里(よねはらまり)エッセイスト・日ロ同時通訳.jpg絵門ゆう子.jpg 本書は、'00年秋の朝日新聞神奈川版での連載がベースになっていますが、エッセイストの絵門ゆう子氏(元NHKアナウンサー池田裕子氏)が、進行した乳がんと闘いながら、朝日新聞東京本社版に「がんとゆっくり日記」を連載していた際には、著者はその連載担当であったとのこと、絵門さんは帰らぬ人となりましたが('06年4月3日没/享年49)、以前、米原万里氏の書評エッセイで、免疫学者の多田富雄氏が脳梗塞で倒れたことを気にかけていたところ、米原さん自身が卵巣がんになり、絵門さんに続くように不帰の人となったことを思い出し('06年5月25日没/享年56)、人の運命とはわからないものだなあと(自分も含めて、そうなのだが)。
 
 【2007年文庫化[朝日文庫]】

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医学が進んでも、難治性がんは残る。進行がんへの向き合い方、さらには人生について考えさせられる本。

がんとどう向き合うか.jpg 『がんとどう向き合うか』(2007/05 岩波新書) 額田 勲.jpg 額田 勲 医師 (経歴下記)

 著者は長年地方医療に携わり、多くのがん患者と接してきた経験豊富な医師で、がん専門医ではないですが、がんという病の本質や特徴をよくとらえている本だと思いました。

 がん細胞というのは"倍々ゲーム"的に増殖していくわけですが、本書によれば、最初のがん細胞が分裂するのに1週間から1年を要し、その後次第に分裂速度が速まるということで(「ダブリング・タイム」)、1グラム程度になるまでかなり時間がかかり、その後は10回ぐらいの分裂で1キロもの巨大腫瘍になる、その間に症状が見つかることが殆どだとのこと。

 細胞のがん化の開始が30代40代だとしても数十年単位の時間をかけてがん細胞は増殖することになり、つまり、がんというのは潜伏期間が数十年ぐらいと長い病気で、早期発見とか予防というのが元来難しく、長生きすればするほどがん発生率は高まるとのことです。

 以前には今世紀中にがんはなくなるといった予測もあり、実際胃がんなどは近年激減していますが、一方で膵臓がんはその性質上依然として難治性の高いがんであり、またC型肝炎から肝臓がんに移行するケースや、転移が見つかったが原発巣が不明のがんの治療の難しさについても触れられています。

 こうした難治性のものも含め、"がんと向き合う"ということの難しさを、中野孝次、吉村昭といった著名人から、著者自らが接した患者まで(ああすればよかったという反省も含め)とりあげ、更に自らのがん発症経験を(医師としてのインサイダー的優位を自覚しながら)赤裸々に語っています。

 医学的に手の打ち様がない患者の場合は、対処療法的な所謂「姑息的な手術」が行われることがあるが、それによって死期までのQOL(Quality of Life)を高めることができる場合もあり、抗がん剤の投与についても、「生存期間×QOL」が評価の基準になりつつあるとのこと。

 著者は、がんについて「治る」「治らない」の二分法で医療を語る時代は過ぎたとし(最近のがん対策基本法に対しては、こうした旧来のコンセプトを引き摺っているとして批判している)、進行がん患者にはいずれ生と死についての「選択と決断」を本人しなければならず、それは人それぞれの人生観で違ったものとなってくることが実例をあげて述べられていて、医療のみならず人生について考えさせられる本です。
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糠田 勲 (ぬかだ・いさお)
1940年、神戸市灘区生まれ。京都大学薬学部、鹿児島大学医学部卒業。専門は内科。2003年、全国の保健医療分野で草の根的活動をする人を対象にした「若月賞」を受賞。著書に「孤独死―被災地神戸で考える人間の復興」(岩波書店)など。

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在宅終末医療に関わる現場医師の声。「自分の家」に敵う「ホスピス」はない。

自宅で死にたい.jpg 「下町往診ものがたり」.jpg ドキュメンタリー「下町往診ものがたり」('06年/テレビ朝日)出演の川人明医師
自宅で死にたい―老人往診3万回の医師が見つめる命 (祥伝社新書)』〔'05年〕

 足立区の千住・柳原地域で在宅医療(訪問診療)に20年以上関わってきた医師による本で、そう言えば昔の医者はよく「往診」というのをやっていたのに、最近は少ないなあと(その理由も本書に書かれていますが)。

 著者の場合、患者さんの多くはお年寄りで、訪問診療を希望した患者さんの平均余命は大体3年、ただし今日明日にも危ないという患者さんもいるとのことで、残された時間をいかに本人や家族の思い通りに過ごさせてあげるかということが大きな課題となるとのことですが、症状や家族環境が個々異なるので、綿密な対応が必要であることがわかります。

 本書を読むと、下町という地域性もありますが、多くの患者さんが自宅で最後を迎えたいと考えており、それでもガンの末期で最後の方は病院でという人もいて、こまめな意思確認というのも大事だと思いました。
 また、家族が在宅で看取る覚悟を決めていないと、体調が悪くなれば入院して結果的に病院で看取ることとにもなり、本人だけでなく家族にも理解と覚悟が必要なのだと。

 「苦痛を緩和する」ということも大きな課題となり、肺ガンの末期患者の例が出ていますが、終末期に大量のモルヒネを投与すれば、そのまま眠り続けて死に至る、そのことを本人に含み置いて、本人了解のもとに投与する場面には考えさせられます(著者もこれを罪に問われない範囲内での"安楽死"とみているようで、こうしたことは本書の例だけでなく広く行われているのかも)。

 基本的には、「自分の家」に敵う「ホスピス」はないという考えに貫かれていて、本書が指摘する問題点は、多くの地域に訪問診療の医療チームがいないということであり、在宅終末医療に熱意のある医療チームがいれば、より理想に近いターミナルケアが実現できるであろうと。

 多くの医者は在宅を勧めないし、逆に家族側には介護医療施設に一度預けたらもう引き取らない傾向があるという、そうした中に患者の意思と言うのはどれぐらい反映されているのだろうかと考えさせらずにはおれない本でした。

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〈生と時間〉、〈死と生命のつながり〉。奥が深く、不思議な読後感。

The Little River:Ann Rand/Feodor Rojankovsky.jpg1151520.gif 『川はながれる』 岩波書店 〔'78年〕 
"The Little River" Ann Rand Published by Harcourt, Brace & Company, 1959
   
The Little River1.jpgThe Little River2.jpg 1959年原著出版(原題は"The little river")の アメリカの絵本作家Ann Rand (アン・ランド)の作品で、'78年に邦訳出版後、いったん絶版になりましたが、「岩波の子どもの本」50周年記念で復刊した本です。

Rand, Ann; (illustrator) Rojankovsky, Feodor, Littlehampton Book Services Ltd; New版

 アン・ランドの夫は世界的なデザイナーのポール・ランドで、夫婦の共著も多くありますが、この本は、絵の方は、彼女と同じロシア生まれの画家 Feodor Rojankovsky (フョードル(もしくはフェードル、フィオドル)・ロジャンコフスキー)が画いています。

 川はどのように流れ何処へ行くのかを、そのことを知りたいと思っている子どもたちに語るというかたちで、森の中で生まれた「小さい川」を主人公に、海へ辿り着くまでの自然とのふれあいを、ロジャンコフスキーの生き生きとした絵で描いています(この人の動物画は天下一品)。

 「小さい川」は何処へ流れて行けばいいのかわからず、いろんな動物たちに行き先を尋ね、湖へ出たり町を抜けたりし、野原では水鳥たちに挨拶したり牛に水をやりながら進むうちに、やがて3日後にきらきら輝く海が見えてくる―。

 その時「小さい川」は、このまま海に出ると自分はどうなるのか不安になりますが、海辺のカモメが「しんまいの川」に教えます。川は太陽や空気みたいなもので、同じときに、何処にでもいることができるのさ、と。
 「小さな川」は、これまで旅してきた何処にでも「自分」がいて、自分は森と海を行き来できるのだと悟ると明るい気持ちになる―。

 「川の一生」になぞらえて「人間の一生」を語っているともとれ、〈生と時間〉、〈死と生命のつながり〉といった哲学的テーマに触れているようにも思えます。

 4、5歳以上向けだそうですが、この話では、「小さい川」が河口まで辿り着いても「小さい川」のままであり、そこで短い一生を終えることになっているため、見方によっては「子どもの死」というものを想起することもできるのではないでしょうか。
 
 奥が深そうで、ちょっと不思議な読後感のある絵本です。

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並外れた精神力とジャーナリストとしての強い使命感に感銘。

『「死への準備」日記』 .jpg千葉2.jpg 千葉敦子2.jpg 千葉敦子(1940-1987)
「死への準備」日記』 朝日新聞社 ['87年]  『「死への準備」日記 (文春文庫)

 本書は、ニューヨーク在住のジャーナリストであった著者が、ガンで亡くなる'87年7月の前の年11月から亡くなる3日前までの間の、著者自身による記録です。

 3度目のガン再発で、著者の病状は刻々と悪化していきますが、その状況を客観的に記し、ただし決して希望を捨てず、片や残り少ない時間をいかに一日一日有意義に使うかということについて、まるで"実用書"を書くかのように淡々と綴る裏に、著者の並外れた精神力が感じられます。
 また読む側も、"今"という時間を大切に生きようという思いになります。

『乳ガンなんかに負けられない』.jpg 抗ガン剤の副作用に苦しみながらも、常に在住するアメリカ国内や世界の動向を注視し、少しでも体調が良ければ仕事をし、友人と会食し、映画や演劇を鑑賞する著者の生き方は、現代の日本の終末医療における患者さんたちの状況と比べても大きく差があるのではないかと思います。

 死の3日前の最後の稿にある、「体調が悪化し原稿が書けなくなりました。申し訳ありません」との言葉に、彼女のジャーナリストとしての強い使命感を感じました。

 【1989年文庫化[朝日文庫]/1991年再文庫化[中公文庫]】

《読書MEMO》
●善意の洪水に辟易する(29p)
●私は「死を見つめる」よりも、「死ぬまでにどう生きるか」のほうにずっと関心がある。死について考えろ、とあまり強要しないでほしい。(54p)
●死が遠くないと知ったら、寂しさや悲しさに襲われるはず、と決めてかかる人が多いが、これは迷惑だ。(55p)
●エンド―フィン(129p)

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「対決する文化」と「対決を避ける文化」の違いが現れる終末医療。

よく死ぬことは、よく生きることだ.jpgよく死ぬことは、よく生きることだ』 〔'87年〕 よく死ぬことは、よく生きることだ2.jpg 『よく死ぬことは、よく生きることだ (文春文庫)』 〔'90年〕 

 著者は1981年に乳ガンの手術をし、'83年にニューヨークへ転居、'87年にガンにより亡くなっていますが、その間ジャーナリストとして日米の働く男女の生き方の違いなどを取材し本にする一方で、精力的に自己の闘病の模様を雑誌等に連載し、この本は闘病記としては4冊目ぐらいにあたるのでしょうか、最後に書かれた『「死への準備」日記』('87年/朝日新聞社)の1つ前のもの、と言った方が、書かれた時の状況が把握し易いかも知れません。

 著者が亡くなる'78年7月の前年10月に上智大学に招かれて行った「死への準備」という講演と、3度目のガン再発後の闘病の記録を中心にまとめられ、亡くなる年の4月に出版されていますが、自身の病状や心境についての冷静なルポルタージュとなっています。

 特に前半は、現地のホスピス訪問の記録を中心に纏められていて、まるでO・ヘンリーの小説のような、或いは映画にでもなりそうな感動的なエピソードも盛り込まれていますが、あくまでもジャーナリストとしての視線で書かれているのが良くて、一方で、米国の終末医療全般の状況報告と日本の患者や医療への提言も多く、また、最近言われる「患者力」(何でも"力"をつければいいとは思いませんが)の先駆的な実践の記録としても読めます。

 病状について説明を求めるのはある意味「患者の責任」であり、ホスピスで周囲の人が死んでいくのを見ることは患者にとっての「死への準備」教育となる、という米国の医療のベースにある「対決する文化」と、患者は医師に従順で、医師は告知をためらいがちな「対決を避ける」日本の文化の違いがよくわかり、ジャーナリストとしての姿勢を貫き通した一女性の、稀有なルポルタージュだと思います。

 【1990年文庫化[中公文庫]】

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