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岩下志麻主演の2作。一人二役がいい「古都」。酔っ払いシーンが見ものの「暖春」。

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<あの頃映画> 古都 [DVD]
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「談春」
「古都」01.jpg 京都平安神宮の咲いたしだれ桜の下で、佐田千重子(岩下志麻)は幼な友達の水木真一(早川保)に突然「あたしは捨子どしたんえ」と言う。呉服問屋の一人娘として何不自由なく育ったが、自分は店の前の弁柄格子の下に捨てられていたのだと...。とは言え、親娘の愛は細やかだった。父の太吉郎(宮口精二)は名人気質の人で、ひとり嵯峨にこもって下絵に凝っていた。西陣の織屋の息子・大友秀男(長門裕之)は秘かに千重子を慕っており、見事な帯を織り上げて太吉郎を驚かした。ある日千重「古都」02.jpg子は、清滝川に沿って奥へ入った北山杉のある村を訪ねた。そして杉の丸太を磨いている女達の中に自分そっくりの顔を見い出す。夏が来た。祇園祭の谷山に賑う四条通を歩いていた千重子は北山杉の娘・苗子(岩下志麻、二役)に出会った。娘は「あんた姉さんや」と声をふるわせた。千重子と苗子は双子の姉妹だった。しかし父も母もすでにこの世にはいない、と告げると苗子は身分の違うことを思い雑踏に姿を消した。「古都」03.jpgその苗子を見た秀男が千重子と間違えて、帯を織らせてくれと頼む。一方自分の数奇な運命に沈む千重子は、四条大橋の上で真一に声をかけられ兄の竜助(吉田輝雄)を紹介された。8月の末、千重子は苗子を訪ねた。俄か「古都」05s.jpg雨の中で抱きあった二人の身体の中に姉妹の実感がひしひしと迫ってきた。秋が訪れる頃、秀男は千重子に約束した帯を苗子のもとに届け、時代祭の日に再会した苗子に結婚を申し込む。しかし、苗子は秀男が自分の中に千重子の面影を求めていることを知っていた。冬のある日、以前から千重子を愛していた竜助が太吉郎を訪ねて求婚し、翌日から経営の思わしくない店を手伝い始めた。その夜、苗子が泊りに来た。二階に並べた床の中で千重子は言う。「二人はどっちの幻でもあらしまへん、好きやったら結婚おしやす。私も結婚します」と―。

『古都』新潮文庫.jpg「古都」スチル.jpg 中村登(1913-1981/67歳没)監督の1963(昭和38)年公開作で、川端康成の同名小説を忠実に映画化した文芸ロマンス。原作は川端康成が「朝日新聞」に1961(昭和36)年10月から翌1962(昭和37年)年1月まで107回にわたって連載したもので、1962年6月新潮社刊。京都各地の名所や史蹟、年中行事が盛り込まれた作品で、国内より海外での評価が高く、ノーベル文学賞の授賞対象作とされる作品です。(1968(昭和43)年、川端康成は日本人として初めてノーベル文学賞を受賞する。しかしその当時、受賞対象の作品名は発表されず、50年間非公開となっていた。ようやく2016(平成28)年に受賞作品が公開され、スウェーデンアカデミーは、受賞対象は「古都」(The Old Capital)であり、「まさに傑作と呼ぶにふさわしい」と絶賛した。(2017.1.4 日本経済新聞))

「古都」川端康成.jpg「古都」二役.jpg 映画化に際し、原作者の川端康成が撮影現場に足を運び、指導監修を手掛けており、その結果、静謐で繊細、情緒的な川端の世界を忠実に再現した作品になっています。映画の方も四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、当時21歳の岩下志麻が二人の姉妹の二役を好演し、彼女の一人二役は自然かつ美しいと思いました。原作(読んだのはかなり前だが)の良さを(おそらく)損なっておらず、中村登監督の職人的な技量が感じられます。この作品は第36回米国「アカデミー賞外国語映画賞」にノミネートされています(後に1980年に市川崑監督、山口百恵主演で、2016年には Yuki Saito監督、松雪泰子主演でリメイク作品が撮られている)。

「古都」vhs.png 実は双子の姉妹だった千重子と苗子の生い立ちを比べると、千重子は呉服問屋の一人娘として何不自由なく育てられたお嬢さんで、一方の苗子は早くから北山杉の木場(製材所)における労働力として勤しみ苦労してきたはずなのに、二人が出会ってからずっと苗子の方が千重子に対して何か済まないような気持ちは抱いているのは、最初は身分差を感じて苗子が自分を卑下しているのかなと思ったりしましたが(確かに最初自ら千重子に会わないようにしたのはそのためだったが)、根っこのところでは、実親に捨てられたのが千重子の方で、実親の元に残されたのが自分だったからということだったのだなあ。

「古都」06w.jpg しっかり者の苗子に対して、お嬢さん育ちでおっとり気味の千重子でしたが、竜助(吉田輝雄)に店の番頭(田中春男)が不正を働いているのではと指摘され、少し変化が見られます。そして最後はしっかり番頭を問い詰めますが、この時の岩下志麻はちょっと「極妻」っぽかった、と言うか、それに繋がる雰囲気があり(当時まだ22)、「お嬢さん」と「強い女」の両方を演じられるところが、岩下志麻の強みと言うか、魅力だと思いました(一人二役だが、三役演じているみたい)。


「暖春」p.jpg 京都東山南禅寺に小料理屋「小笹」を出す佐々木せい(森光子)には、24歳になる娘・千鶴(岩下志麻)がいた。せいは、日頃親しくする西陣の織元・梅垣のぼん(長門裕之)との縁談を望んでいたが、千鶴は何か吹っ切れぬものを感じていた。そんな時、かつてせいが祇園の舞妓だった頃、せいのファンであった山口信吉(山形勲)が小笹を訪れた。大学教授だという山口を、格好の脱出先とみた千鶴は、母親の愚知を無視して、山口に連れられ上京した。途中、千鶴を連れて箱根に立寄った山口は、千鶴の亡父らと京大三人組と呼ばれた実業家の緒方(有島一郎)を紹介した。そこで緒方の秘書・長谷川一郎(川崎敬三)に紹介された千鶴は、洗錬された長谷川に好感を持つ。その晩千鶴のお酌で、学生時代に返った二人は、せいが千鶴の父と結婚した時に、既にせいのお腹の中には千鶴がおり、三人の内の誰の子供か判らないと冗談まじりに話した。その話は千鶴に秘かな母への不審を抱かせた。上京した千鶴は、山口や緒方の家に泊り、銀座で長谷川と飲み明かし、ますます長谷川に魅かれていった。ある日、結婚して上京している親友・金子三枝子(桑野みゆき)を訪れた千鶴は、ちょうど遊びに来ていたOLでかつての級友・長嶋節子(倍賞千恵子)に会って懐しい一日を過した。二人が自分の生活の範囲で、楽しく暮らしているのを知った千鶴は急に長谷川に会いたくなり、電話をしたが、長谷川にはすでに同棲している恋人・京子(宗方奈美)がいることを知り、千鶴はすっかり失望した。また緒方の浮気を目撃した千鶴は、東京でのめまぐるしい生活から、京都が懐しく思い出された。せいの心臓病発作で急拠京都へ帰った千鶴は、梅垣のぼんが店をきりもりする姿に、急に親しみを感じた。その夜、ぼんと結婚を決意した千鶴は、せいから出生の秘密を確かめると、初めて母娘の情愛が交流するのを感じた。大安吉日、千鶴は美しい花嫁姿でせいの前に立った―。

「暖春」01.jpg 中村登監督の1965年作で、里見弴と小津安二郎の原作を中村登が脚色・監督した青春もの。撮影は「夜の片鱗」の成島東一郎。岩下志麻が、嫁入り前の娘の心の揺らぎを演じており、中村登版「秋刀魚の味」('62年/松竹)といったところでしょうか

 里見弴と小津安二郎の原作だと、後期の小津作品の「嫁に行く・行かない」と似たような話にどうしてもなってしまうのだなあ。ヒロイン・千鶴の父親とその友人たちも、小津映画が「東大三人組」ならばこちらは「京大三人組」で状況設定がよく似ています。「秋刀魚の味」は笠智衆・中村伸郎・北竜二がかつて中学の同級だったという設定でしたが、こちらはヒロインの父親はすでに亡くなっていて、後の二人は山形勲と有島一郎です。

 森光子演じる千鶴の母親は元・祇園の芸妓で、千鶴を妊娠した頃「三人組」のいずれとも行き来があったらしく、千鶴は自分の本当の父親は誰なのか知りたく思い、結構彼女としては思い切った行動に出たりしますが、最後は「誰だっていいじゃない」ということでした。

「暖春」022.jpg 当時24歳の岩下志麻がキュートに酔っ払ってるシーンは見もの。考えてみれば岩下志麻は銀座生まれの吉祥寺育ちで、東京っ子の彼女が、京言葉をこなしてお御転婆な京娘を演じているわけで、やはりこの頃から演技力がありました。

倍賞千恵子/桑野みゆき/岩下志麻
 
 
 

岩下志麻(呉服問屋丸太屋の一人娘・佐田千重子(北山杉の村娘・苗子と一人二役))/長門裕之(帯織職人の息子・大友秀男)
「古都」p.jpg「古都」岩下 長門.jpg「古都」●制作年:1963年●監督・脚色:中村登●製作:桑田良太郎●脚本:権藤利英●撮影:成島東一郎●音楽:武満徹●原作:川端康成●時間:106 分●出演:岩下志麻/宮口精二「古都」sb.jpg/中村芳子/吉田輝雄/柳永二郎/長門裕之/環三千世/東野英治郎/浪花千栄子/田中春男/千之赫子●公開:1963/01●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-06-27)(評価:★★★★)
「古都」スチル2.jpg「古都」岩下・宮口.jpg 岩下志麻/宮口精二(呉服問屋丸太屋の主人・佐田太吉郎)
 
 
 
「暖春」●英題:SPRINGTIME●制作年:1965 年●監督・脚色:中村登●製作:佐々木孟●撮影:成島東一郎●音楽:山本直純●原作:里見弴/小津安二郎●時間:93分●出演:森光子/岩下志麻/山形勲/三宅邦子/太田博之/有島一郎/乙羽信子/早川保/桑野みゆき/倍賞千恵子/川崎敬三/宗方奈美/長門裕之/三ツ矢歌子/呉恵美子/岸洋子/志賀真津子●公開:1965 /12●配給:松竹●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-08-19)(評価:★★★)

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林芙美子の絶筆小説が原作。上原謙、原節子の演技がいい。結末には批判も。

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めし<東宝DVD名作セレクション>」上原謙/原節子

 「あなたは私の顔を見ると『お腹すいた』しか言わないのね」―恋愛結婚をした岡本初之輔(上原謙)と三千代(原節子)の夫婦も、大阪天神の森のささやかな横町に慎ましいサラリーマン生活に明け暮れしている間に、いつしか新婚の夢も色褪せ、些細な事で諍いを繰り返すようにさえなっていた。そこへ姪の里子(「めし」06.jpg島崎雪子)が家出して東京からやって来て、その華やいだ奔放な態度で家庭の空気を一層搔き乱す。三千代が同窓会で家を空けた日、初之輔と里子が家に居るにもかかわらず、階下の入口にあっ「めし」003.jpgた新調の靴が盗まれたり、二人が居たという二階には里子が寝ていたらしい毛布が敷かれていたりして、三千代の心に忌まわしい想像をさえ搔き立てる。そして里子が出入りの谷口のおばさん(浦辺粂子)の息子・芳太郎(大泉滉)と遊び回っていることを三千代はつい強く叱責したりもするのだった。家庭内のこうした重苦しい空気に堪えられず、三千代は里子を連れて東京へ立つ。三千代は再び初之輔の許へは帰らないつもりで、東京で職を探す気にもなっていたが、従兄の竹中一夫(二本柳寛)からそれとなく箱根へ誘われたりもする。その一夫と里子が親しく交際を始めたことを知った折、初之輔は三千代を迎えに東京へ出て来た―。

『めし』19511.jpg 1951(昭和26)年11月23日公開の成瀬巳喜男監督作で、原作は1951年4月1日から7月6日に「朝日新聞」に連載された林芙美子の同名長編小説(タイトルは冒頭の三千代の言葉にあるように、所謂"夫婦の最低限会話"とされる「飯、風呂、寝る」のメシからきている)。同年6月28日の作者の急死により絶筆となり、150回の予定を97回で連載終了(同年11月朝日新聞社より刊行林芙美子_01.jpg)、映画のラストは成瀬監督らによって付与されたものです(監修:川端康成)。後に「稲妻」('52年)、「浮雲」('55年)、「放浪記」('62年)などと続く、林芙美子原作・成瀬巳喜男監督による映画作品の1弾になります。

林 芙美子(1951年6月26日撮影。この夜、容態が急変して急逝した)

 第6回「毎日映画コンクール」日本映画大賞(小津安二郎監督の「麦秋」('51年)とともに受賞)・監督賞・撮影賞・録音賞・女優演技賞(原節子)受賞。第2回「ブルーリボン賞」作品賞・脚本賞(田中澄江)・主演女優賞(原節子)・助演女優賞(杉村春子)受賞。第25回「キネマ旬報ベスト・テン」第2位(同年の第1位は小津安二郎監督の「麦秋」)となっています。

「めし」カラーポスター.jpg「めし」002.jpg 興行的にも成功を収めましたが、やはり原作がいいのでしょう。それと、川端康成の監修によるアレンジが功を奏したとの見方もあるようですが、主演の上原謙、原節子の演技も高い評価を得ています。原節子は当時、一連の小津安二郎作品で「永遠の処女」と呼ばれ「めし」00すぎ」.jpgる神話性を持ったスター女優でしたが、この作品では市井の所帯やつれした女性を演じていて、それがまた良かったし(原節子はこの年に、黒澤明監督の「白痴」と小津安二郎監督の「麦秋」に出演したばかりで、同じ年に黒澤・小津・成瀬作品に主演したことになる)、上原謙の時にコミカルに見える演技も、杉村春子(三千代の母親役。「寝かしておいておやりよ 女はいつも眠たいもんなんだよ!」というセリフがいい)をはじめ脇役陣もみな良かったです。

「めし」005.jpg ただし、この映画に付された独自の結末は(脚本は成瀬巳喜男監督作の常連の田中澄江)、林文学のファンなどからは批判を受けることもあるようです。「女性は好きな男性に寄り添って、それを支えていくことが一番の幸せ」みたいな終わり方になっているため無理も「めし」00大.jpgありません。初之輔が三千代を迎えに東京へ出て来くるところまでは原作もそうなっていますが、三千代がもとの大阪天神の森での生活に戻ることについては、「この夫婦は別れるべきだった」「林芙美子自身は夫婦の離別を結末として想定をしていた」などの意見があります(因みに、作者がどのような結末を想定していたかは不明とされている)。

「めし」10.jpg「めし」09.jpg 原作にも描かれている大阪の名所が数多く登場し、復興期の街の風景をちょっとしたタイムスリップ的観光案内として楽しむという味わい方も出来る作品でもあります(三千代が上京するため、東京の街の様子も見られる)。

「めし」004.jpg 三千代(原節子)の義弟を演じた小林桂樹は当時大映からのレンタルでしたが、翌'52年に東宝映画初代社長・藤本真澄の誘いで東宝と契約し、源氏鶏太原作の「三等重役」('52年)、「続三等重役」('52年)から、引き続き森繁久彌が主役を演ずる「社長シリーズ」('56年-'71年)の全てに秘書役などで出演することになりました(「放浪記」('62年)にも出演)。

小林桂樹(三千代(原節子)の義弟・村田信三)/杉葉子
  
「めし」スチール.jpg「めし」●制作年:1951年●監督:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●脚本:田中澄江/井手俊郎●撮影:玉井正夫●音楽:早坂文雄●原作:林芙美子●時間:97分●出演:上原謙/原節子/島崎雪子/杉葉子/風見章子/杉村春子/花井蘭子/二本柳寛/小林桂樹(大映)/大泉滉/清水一郎/田中春男/山村聡/中北千枝子/谷間小百合/立花満枝/音羽久米子/出雲八重子/長岡輝子/浦辺粂子/滝花久子●公開:1951/11●配給:東宝●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-04-20)(評価:★★★★)

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比較的原作に忠実に作られていた。久我美子が一番"キャラ立ち"している。
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女であること <東宝DVD名作セレクション>」美輪明宏 久我美子/原節子/香川京子『女であること (新潮文庫)

「女であること」3ni.jpg「女であること」9.21.jpeg 佐山家の主人・佐山貞次(森雅之)は弁護士、夫人・市子(原節子)は教養深い優雅な女性。結婚十年で未だ子供が無いが、佐山が担当する死刑囚の娘・妙子(香川京子)を引取って面倒をみている。ある日、市子の女学校時代の親友・音子(音羽久米子)の娘さかえ(久我美子)が、大阪から市子を頼って家出して来た。さかえは自由奔放で行動的。妙子は内向的な影のある娘で、父に面会に行くほかは、アルバイト学生・有田(石浜朗)との密かな恋に歓びを感じている。二人とも佐山夫妻に憧れているが、さかえは積極的、妙子は消極的。市子には結婚前、清野(三橋達也)という恋人があったが、ある時、佐山の親友の息子・光一(太刀川寛)から何年ぶりかの清野に紹介された。その後、佐山が過労で倒「女であること」kagawa1.jpegれた時、さかえは彼のために尽くし、急激に佐山を慕うようになる。全快した佐山と共に、さかえは彼の事務所に勤めることになり、市子の心は微妙にさやぐのだった。その頃、音子が上京し、清野のことも話題になったが、その彼女らの前に、佐山とさかえが清野の招きをうけ、彼に送られて帰宅するという一幕があった。一方、妙子は有田と同棲するために佐山家を出たが、妙子の心づくしにも拘らず、有田は彼女から去っていく。妙子の父の公判が開かれる前日、わがままを言って佐山に打(ぶ)たれたさかえは、その晩帰宅しなかった。市子は、佐山との生活での彼女の苦悩をはじめて夫に打明けたが、市子が思ったほど佐山はさかえに心を奪われてはいなかった。公判の日、妙子の父は佐山の努力で減刑になり、また、さかえは音子のいる宿で泊まったことが判り、市子は安堵する。が、それも束の間、佐山が交通事故で負傷する。幸いにも傷は軽くてほどなく退院した。退院祝いの日、多勢の見舞客のなかに、素直になったさかえを喜ぶ音子や、少年医療院への就職がきまった妙子もいた。だが何よりも佐山家にとっての喜びは、市子が身籠ったことだった。そこへ、京都の父の許へ行くというさかえが、別れを言いに来た。隣室の音子を呼ぼうとする市子をあとに、さかえは雨の中を逃げるように歩み去る―。

「女であること」ps.jpg 川島雄三の1958(昭和33)年監督作で、原作は川端康成が、朝日新聞の朝刊紙上に、1956(昭和31)年3月から同年11月まで251回にわたり連載した長編小説で、前半104回分が「女であること(一)」として1956(昭和31)年12月に新潮社から刊行され、後半は「女であること(二)」として翌年同社より刊行されています。

I『女であること』.jpg 田中澄江、井手俊郎、川島雄三の3人の共同脚色で、原作も会話が多く、名作ながら川端作品の中ではすらすら読めるタイプに属するものですが、ただし、文庫で680ぺージ近い長編、それをテンポ良く100分の映画に纏めたという感じです。ストーリー的にも、比較的原作に忠実に作られていたように思います(妙子の女友達が出てこなかったぐらいか)。

 森雅之演じる弁護士の佐山を巡って、原節子、久我美子、香川京子が演じる3人の女性のそれぞれの思惑が行き来しますが、映画では、久我美子演じるさかえの、周囲に波風を立てるお騒がせなキャラクターと、香川京子演じる妙子の、殺人犯の娘という宿命のもと何かと思いを内に秘めるキャラクターの、その両者の対比がより印象的でした。

「女であること」511.jpg「女であること」kiss.jpg  二人とも原節子(当時38歳くらいか)演じる市子に憧れていますが、とりわけ久我美子演じるさかえは、市子に同性愛的な思慕を抱いている風で(市子に接吻するシーンは原作通り)、それでいて佐山にも急速に接近していく、やや小悪魔的な面もある女性です(市子と彼女の昔の恋人・清野の再会の場もしっかり盗み見したうえで、光一に接近しているし)。

 佐山がそんなさかえを打(ぶ)つシーンは、原作では帰りの坂道を二人で歩いていて、さかえの暴言に怒った佐山が平手打ちをして、すぐに謝って彼女を抱き上げる風になっていますが、映画では、帰りのクルマ内で(原作では佐山は運転をしないことになっているのだが)、佐山にかまってもらえないさかえが勝手にブレーキを踏んでクルマを止め、川原へ逃げていくのを、追いついた佐山が、さかえに暴言を吐かれて彼女を平手打ちに。その後、河原で彼女に覆い被さるようになって―河原だからこうなるのだろなあ。因みに、森雅之と久我美子は前年の五所平之助監督「挽歌」('57年/松竹)では不倫関係の男女を演じています(当然、キスシーン有り)。

 さかえは(わがまま娘にありがちだが)佐山に打(ぶ)たれたことで、彼への思いは逆に頂点に。でも、市子のことも好きなので、佐山に打たれた瞬間に、「小父さまも、小母さまも好き...二人とも好きな時の自分は嫌い...」というアンビバレントな心情を吐露するに至ったのでしょう(原作はここまで"解説的"ではないのだが)。

「女であること」21.jpg 終盤に市子が身籠ったというのは、「雨降って地固まる」といったところでしょうか。ただし、原作もそうですが、映画もプロセスにおいてそうなることを示唆する描写がないので、何かしっくりこない気もします。とは言え、夫婦も危機を乗り越え(もともと、三橋達也よりは森雅之の方が渋いと思うけれどね。作者が川端であることを思うと、森雅之と久我美子の方が危なかった?)、香川京子演じる妙子も将来が見えて落ち着いたのかと思うと、後は、その団欒の輪に入れないのは、久我美子演じるさかえのみです。「違ったところで、違った自分を探し出したい」と言って駆け出していく彼女は、最後まで自分探しを続ける予感がします(ただし、最後のこのセリフも映画のオリジナル。原作は、ただ父に会いに行くと言っているだけで、映画はやや親切過ぎるくらい説明過剰か)。

「女であること」久我美子   1.jpg「女であること」kugao1.jpg キャラクターとしては、久我美子演じるさかえが一番"キャラ立ち"していたでしょうか。溝口健二監督の「噂の女」('54年/大映)で「日本のオードリー・ヘプバーン」と言われた彼女ですが(「ローマの休日」が1954年4月に日本で公開されるや、一躍ショートカット、所謂ヘプバーンカットが大流行した)、その4年後のこの「女であること」でも、ヘプバーンを意識して模しているように思いました。そのヘプバーンが大阪弁を喋るので、否が応でも久我美子は印象に残ります。

IMG_morimasauki.jpg「女であること」yokop.jpg「女であること」●制作年:1958年●監督:川島雄三●製作:滝村和男/永島一朗●脚本:田中澄江/井手俊郎/川島雄三●撮影:飯村正●音楽:黛敏郎●原作:川端康成●時間:100分●出演:原節子/森雅之/久我美子/香川京子/三橋達也/石浜朗/太刀川洋一/中北千枝子/芦田伸介/菅井きん/丹阿弥谷津子/荒木道子/音羽久米子/南美江/山本学/美輪明宏●公開:1958/01●配給:東宝●最初に観た神保町シアター(「生誕110年 森雅之」特集)(21-04-22)(評価:★★★☆)

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屈折を含んだ"エロス"によって、対比的に"死"が浮き彫りにされている。

『眠れる美女』.JPG眠れる美女 川端.jpg 片腕.jpg  わが悲しき娼婦たちの思い出.jpg
眠れる美女 (新潮文庫)』['67年]『川端康成集 片腕―文豪怪談傑作選 (ちくま文庫)』 G・ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出 (2004)』新潮社(2006)/英語版(2005)

 1962(昭和37)年・第16回「毎日出版文化賞」(文学・芸術部門)受賞作。

若く美しい娘たちが強い薬で眠らされており、「安心できるお客さま」である老人たちが、彼女たちと添い寝をするためだけに宿を訪れるという「眠れる美女」の秘密の宿に通う主人公の江口老人は、若い娘の横で、自らの人生、そして自らの老醜さと死を想う―。

 三島由紀夫が「熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品」と絶賛した作品ですが(そのフレーズがそのまま文庫の口上になっている)、いいなあ、この退廃的、反道徳的雰囲気。こんなの、高校生の時に読んで、この先どうなるのだろうと、その時思ったか思わなかったは憶えていませんが、まあ、今は何とかなっている?

 江口老人は"まだ男でなくなってはいない"が、人生を振り返ることが多くなっている67歳ということで、では作者はこの作品を何歳の時に書いたのかとういうと、1960(昭和35)年に発表された作品で、書き始め当時は60歳だったことになります(やっぱり、何か"節目"のようなものを感じたのか)。

 宿に眠らせれている娘は決して眼を覚まさないため、老人は一方的に娘の肢体を凝視し、放たれる香りを嗅ぎ、自らの慰めとする―そうしたことへの羞恥を抱かずに済むため、妄想や追憶が自由に許されるという、いわば究極の極私的空間において、だんだんと老人の現実と回想が混濁していくような感じがしました。

 江口老人はこの秘密の宿に5度通いますが、様々なタイプの6人の娘達(5回目は2人いた)の描写が興味深く(作者の"少女嗜好"がよく表れているように思える)、また、このリフレイン構造が、作品に物語的なリズムを醸しているように思います。
 文豪が書いた"エロ小説"ともとれますが、娘達は最初から裸でいるので、これは"エロ"にはならないのだなあと。

 野坂昭如氏が"エロ"は文化が伴うから解るが、"エロス"は芸術だから解りづらいということを以前言っていましたが、これは屈折を含んだ"エロス"に近いように思えます(三島由紀夫は「死体愛好症的」と言っているが、確かに)。

 だから、より、対比的に"死"というものが浮き彫りにされるのではないでしょうか。主人公の性的幻想に常に嫌悪感が織り込まれているのも、そのためでしょう。

眠れる美女 映画.jpg眠れる美女ド.jpg コロンビア出身のノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスが'04年に発表した『わが悲しき娼婦たちの思い出』はこの作品にインスパイアされたものであり、また、'05年には、ドイツのヴァディム・グロウナ監督が映画化するなど、国際的にも注目された作品。でも、ドイツなんかには、こんな秘密クラブが実際にありそうな気がしないでもない...。
Das Haus Der Schlafenden Schonen(House of the Sleeping Beauties)ヴァディム・グロウナ監督 2005年/独

映画 眠れる美女 1968.jpg眠れる美女 大西結花.jpeg眠れる美女 横山博人.jpg 因みに、日本では、'68年に吉村公三郎監督により田村高廣主演で、'95年に横山博人監督により原田芳雄、大西結花主演で映像化されていますが、後者は『山の音』と融合させたストーリーのようです(右:横山博人版ビデオカバー)。

吉村公三郎監督、新藤兼人脚本「眠れる美女」1968年/田村高廣、香山美子、殿山泰司、中原早苗、松岡きっこ、山岡久乃

1949(昭和24)年頃 川端康成.jpg 新潮文庫には「片腕」(昭和38年発表)と「散りぬるを」(昭和8年発表)が併録されていますが、「片腕」はちくま文庫の『川端康成集―文豪怪談傑作選』の表題作でもあります。

 「片腕を一晩お貸ししてもいいわ。」と娘は言った。―という書き出しで始まる、女の片腕を借りた男の寓話「片腕」は、ちくま文庫のタイトル通り、怪談的味わいのある傑作です。

 作家の誰かがこの作品を絶賛していたように思え、もう一度調べてみたら小川洋子氏でした(『心と響き合う読書案内』('09年/PHP新書))。小川洋子氏は、「貴方なら、ご自分のどこを男に貸しますか?」というキャッチを付けていますが、う~ん、男性作家ならばこういう発想はしないだろうなあ(「男」を「女」に置き換えたとしても)。女性作家ならではのキャッチのように思いました。

「芸術新潮」2007年2月号(鎌倉の自宅でロダンの彫刻に見入る川端康成)

川端康成の前衛的作品「片腕」を映像化した落合正幸監督.bmp 因みに、この「片腕」は、文豪たちが残した怪談作品のドラマ化シリーズの1作として、NHK BSハイビジョンで、つい一昨日('10年8月23日)に放送されましたが(落合正幸監督)、放映後に知ったため観ることができず残念...。

「片腕」(落合正幸監督)出演:芦名星(写真)(1983-2020(自殺死))、平田満ほか(NHK BSハイビジョン 2010年8月23日放送)
 
 【1967年文庫化[新潮文庫]】 

《読書MEMO》
●新潮文庫2019年プレミアムカバー
眠れる美女 .jpg2019 プレミアカバー - コピー.jpg

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ストーカー行為を「男女共犯説」的に捉えていたのかなあ、この作家は。
川端 康成 『みづうみ』.jpg
みずうみ 川端.jpg 『みずうみ (新潮文庫)』(カバー絵:平山郁夫) 
新潮文庫旧カバー

川端 康成 『みづうみ』 (1955 新潮社).bmp 桃井銀平は東京で中学の国語教師をしていたが、女とすれ違った瞬間に理性を失い、いつの間にかその女のあとをつけているという性分のために、教え子との間で恋愛事件を起こして教職を追われ、更に、道で出会った女をつけ、抵抗した女の所持金を奪ってしまったことから、信州へと逃げ込む―。

 物語は、女の告発を恐れた銀平が軽井沢の場末のトルコ風呂を訪れ、湯女に体をあずけながら、自分が今までにあとをつけまわした女たちを回想するところから始まり、彼の女性に対する情念を"意識の流れ"として描写した作品として知られています。

川端 康成 『みづうみ』(1955 新潮社)

 この作品は、『山の音』の翌年にあたる1955(昭和30)年に刊行されていて、前作に比べて一気にデカダンの色調を濃くしていますが、個人的にはこの作家の退廃的雰囲気はいいなあと思っています(この人、NHKの朝の連ドラ用の作品(「たまゆら」)も書いているくらいだからなあ)。

 今風に言えば、銀平は"ストーカー"なのですが、興味深いのは、銀平が信州に逃げ込むきっかけになった水木宮子は、男につけられることを、自分を囲っている老人に対する復讐として享楽しており、また、学校を追われるきっかけになった玉木久子も、つけられる快感から銀平に傾倒していったという経緯があるということで、川端康成は、ストーカー行為を男女共犯説的に捉えていたのかなあ。

 水木宮子は、自分の女性としての魅力と言うよりも、魔性のようなものが男を惹き付けると自覚していて、それは、彼女の家政婦や自分を囲っている老人との会話の中で示されていますが、この部分は、主人公の"意識の流れ"の外なので、そのあたりの不統一性が、個人的にはやや気になりました。

 最後に銀平が見つけた女は、それまでの女性とは異なる無垢な少女であり、そのことは同時に、この作家の文学上の少女嗜好(ほぼロリコンと言っていい?)を如実に窺わせ、『伊豆の踊子』から始まって『眠れる美女』へと繋がるものを感じさせますが、作品としては『眠れる美女』の方が上かなあ。

 『山の音』の主人公は、薄幸の可憐な嫁に憐憫の情を抱きますが、この作品の主人公は、もう女性に感情移入するのはやめて、ただただ純粋な女性を求めて魔界に迷い込んでいくという感じ。それが『眠れる美女』になると、もう「人形愛」みたいになっていくから、ホント、行くところまで行くなあ。 

 作者・川端康成は、'48(昭和23)年に第4代日本ペンクラブ会長になり、'65年まで務めています。その間、'57(昭和32)年には、国際ペンクラブ副会長として、国際ペンクラブ大会の日本での開催に尽力、その功績により'58(昭和33)年、第6回「菊池寛賞」受賞しています。日本ペンクラブ及び国際ペンクラブの仕事には自殺した'71年まで関与していたようで、結構公私にわたって忙しかったみたい。でも、その一方で、創作の世界においては、社会派小説なんて書いたりはせず、自分の性向、じゃなくて(それは不可知の領域か)、作品のモチーフの性質(異常性愛)を貫き通しているなあと思いました。
 
 【1960年文庫化[新潮文庫(『みずうみ』)]/1961年再文庫化[角川文庫]】 

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主人公にとっては、嫁が不憫であるとともに、老境の光明にもなっているような。

川端 康成 『山の音』  .jpg2川端 康成 『山の音』新潮文庫.jpg川端 康成 『山の音』sinntyoubunnko .jpg  山の音 dvd.bmp    たまゆら2.jpg
山の音 (新潮文庫)』['57年]/「山の音 [DVD]」/連続テレビ小説「たまゆら」
川端康成肖像(昭和25-26年頃).jpg 1954(昭和29)年・第7回「野間文芸賞」受賞作。

 鎌倉に居を構える一家の家長・尾形信吾(62歳)は、夜中にふと感じた「山の音」に、自分の死期を予告されたような恐怖感を抱き、迫り来る老いや死を実感しながらも、息子・修一の嫁・菊子に、青春期にこの世を去った美しい憧れの女性の面影とを重ね、淡い恋心に似た気持ちを抱く―。

 1935(昭和10)年、東京の谷中から鎌倉に住まいを移した川端康成(1899- 1972)は、終生この地に住み、鎌倉を舞台とした作品を幾つか書きましたが、この『山の音』もその一つで、同じく鎌倉を舞台とした『千羽鶴』と同時期(昭和24年‐29年)に並行して連載発表され、1951(昭和26)年度日本芸術院賞を授与されています(受賞年は1952年。この賞は"作品"ではなく"人"が対象だが、この2作が実質的な受賞対象作か)。

『山の音』 (1954 筑摩書房).jpg川端康成(1950(昭和25)-1951(昭和26)年頃)

 『山の音』は、「改造文芸」の1949(昭和24)年9月号に「山の音」として掲載したのを皮切りに、「群像」「新潮」「世界川端康成 1949.jpg春秋」などに「雲の炎」「栗の実」「島の夢」「冬桜」「朝の水」「「夜の声」「春の鐘」などといった題名で書き継がれて、1954年に完結、同年4月に単行本『山の音』として筑摩書房から刊行されたもので、作家の50歳から55歳にかけての作品ということになりますが、山本健吉の文庫解説によれば、「川端氏の傑作であるばかりでなく、戦後日本文学の最高峰に位するものである」と。

1949(昭和24)年頃。鎌倉・長谷の自宅にてロダンの彫刻に見入る。

 夫婦二世代で同じ家に住み、父親と息子が同じ会社に通っているなどというのは、当時は珍しいことではなかったのでしょう(小津安二郎など昔の日本映画にありそうだし、「サザエさん」もそうだなあ)。当時は55歳定年制が一般的であったことを考えれば、60歳過ぎても、会社に行けばお付きの女性秘書(事務員と兼務?)もいるというのは、信吾は所謂「高級サラリーマン」の類でしょうか。その事務員・英子と盛り場(ダンスホール)探訪などしたりもして。そうした信吾ですが、妻がいながらにして外に愛人を持つ息子・修一や、子連れで嫁先から出戻ってすっかり怠惰になった娘のために、老妻との穏やかな老後というわけにはいかず、その心境は、常に鬱々とした寂寥感が漂っています。

 そうした日常において、可憐な菊子の存在は信吾の心の窓となっていて、何だかこれも小津安二郎の映画にありそうな設定だなあと。但し、そこは川端康成の作品、舅と嫁の関係が表向きは不倫なものには至らないものの、昔の恋人に菊子を重ねる自分に、結婚する前の菊子を自分は愛したかったのではないかと信吾は自問しており、ついつい菊子の身体に向けられる仔細な観察眼には、かなり性的な要素もあります。

 しかし、現実に信吾が菊子にしてやれることは何も無く、修一と愛人を別れさせようという試みも空振りに終わり(この試みが信吾本人ではなく英子主導なのがミソなのだが)、ドラマチックなことは何も起こらずに、季節だけが虚しく過ぎて行く―信吾の住む鎌倉の四季の移いを背景に、そこに日本的な諦観が織り込まれたような感じで、その繊細なしっとり感が、この作品の持ち味なのでしょう。

 ただ、この菊子という女性はどうなのだろう。老人の「心境小説」の登場人物の1人の生き方を云々するのも何ですが、身籠った子を中絶したのが、「夫に愛人がいる間は夫の子を産まない」という彼女のある種の"潔癖"によるもの乃至は夫への"反抗"だとすれば(共に修一の解釈)、現代の女性たちから見てどれぐらい共感を得られるか。

山の音 スチール.jpg この作品は映画化されていて('54年/東宝)、個人的にはCS放送であまり集中できない環境でしか観ていないので十分な評価は出来ないのですが(一応星3つ半)、監督は小津安二郎ではなく成瀬巳喜男ということもあり、それなりにどろっとしていました(小津安二郎の作品も実はどろっとしているのだという見方もあるが)。

山の音4_v.jpg 62歳の信吾を演じた山村聰(1910‐2000)は当時44歳ですから、「東京物語」の笠智衆(当時49歳)以上の老け役。息子・修一役の上原謙(1909‐1991)が当時45歳ですから、実年齢では息子役の上原謙の方が1つ上です。
山村聰
山村聰 「山の音」.jpg山の音05_v.jpg そのためもあってか、原節子(1920‐2015)演じる菊子が舅と仲が良すぎるのを嫉妬して修一が浮気に奔り、また、菊子を苛めているともとれるような、それで、ますます信吾が菊子を不憫に思うようになる...という作りになっているように思いました(菊子が中絶しなければ、夫婦関係の流れは変わった山の音39.jpg並木道o.JPGように思うが、それでは全然違った物語になってしまうのだろう)。映画のラストの、信吾と菊子が新宿御苑の並木道を歩くシーンを観てもそうだし(キャロル・リード監督「第三の男」('49年/英)のラストシーンと構図が似ている)、原作についても、信吾と菊子が信吾の郷里に紅葉を観に行くという「書かれざる章」があったのではと山本健吉も想像しているように、信吾と菊子の関係はこのまま続くのだろうなあ。それが、また、信吾の潜在的願望であるということなのでしょう。

たまゆら 川端康成.jpg この作家は、こうした家族物はおたまゆら 朝ドラ.jpg手のものだったのではないかという気もします。「たまゆら」という1965年度のNHKの連続テレビ小説(朝の連ドラ)(平均視聴率は33.6%、最高視聴率は44.7%)の原作(『たまゆら』('55年/角川小説新書))も書き下ろしていたし...(ノーベル文学賞作家が以前にこういうの書いていたというのが、ちょっと面白いけれど)。

「たまゆら」番宣用カラー絵ハガキ

 「たまゆら」は、会社を引退した老人(笠智衆、テレビ初出演)が、第二の人生の門出に『古事記』を手に旅に出るという、朝ドラにしては珍しく男性が主人公の話ですが、この老人には嫁に行ったり嫁入り前だったりの3人の娘がいて、基本的には"家庭内"ドラマ(要するに"ホームドラマ")。NHKの連続テレビ小説の第5作として「うず潮」(林芙美子原作)と「おはなはん」の間の年('65(昭和40)年)に放送され、川端康成自身が通行人役でカメオ出演していました(職業は「サザエさん」のいささか先生みたいな作家ではなかったか)。


日本映画傑作全集 山の音.jpg山の音92.jpg「山の音」●制作年:1954年●監督:成瀬巳喜男●製作:小林一三●脚本:水木洋子●撮影:玉井正夫●音楽:斉藤一郎●原作:川端康成「山の音」●時間:94分●出演:原節子/上原謙/山村聡/長岡輝子/杉葉子/丹阿弥谷津子/中北千枝子/金子信雄/角梨枝子/十朱久雄/北川町子/斎藤史子/馬野都留代●公開:1954/01●配給:東宝●評価:★★★☆   
 
 
たまゆら2.jpgたまゆら.jpgたまゆら2.jpg「たまゆら」●演出:畑中庸生●脚本:山田豊/尾崎甫●音楽:崎出伍一●原作:川端康成●出演:笠智衆/加藤道子/佐竹明夫/扇千景/直木晶子/亀井光代/勝呂誉/武内亨/川端康成/光本幸子/長浜藤夫/鳳八千代●放映:1965/04~1966/04(全310回)●放送局:NHK

 【1957年文庫化[新潮文庫]/1957年再文庫化[岩波文庫]/1957年再文庫化[角川文庫]/1967年再文庫化[旺文社文庫]】

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書き進むうちに、「物語」から「ルポルタージュ」に変質していった?

浅草紅団 (昭和5年).jpg 浅草紅団 s23.jpg  浅草紅団.gif 浅草紅団 2.jpg   浅草紅団 文芸文庫.bmp
浅草紅団 (昭和5年)』先進社/『浅草紅団 (1948年)』永晃社/『浅草紅団 (1953年)』装幀:吉田謙吉・挿絵:太田三郎 /『近代文学館〈特選 〔25〕〉浅草紅団―名著複刻全集 (1971年)』/『浅草紅団・浅草祭 (講談社文芸文庫)』 

浅草紅団 .jpg 昭和初期の浅草を舞台に、不良不良少年・少女のグループ「浅草紅団」の女リーダー・弓子に案内され、花屋敷や昆虫館、見世物小屋やカジノ・フォーリーと巡る"私"の眼に映った、浅草の路地に生きる人々の喜怒哀楽を描く―。

 '29(昭和4)年12月から'30(昭和5)年2月にかけて東京朝日新聞夕刊に連載され、'30(昭和5)年12月に先進社により単行本として出版された小説で、'71年に日本近代文学館より復刻版が出ています。また、久松静児監督、京マチ子主演で映画化されたりもしています(「浅草紅団」('52年/大映))。

 カジノ・フォーリーとは、浅草にあった水族館の2階で昭和4年に旗揚げしたレビューで、川端康成、武田麟太郎など、当時の新進作家が出入りしていたそうです。

浅草紅團(川端康成 著)- 日本近代文学館特選 25 名著複刻全集

梅園竜子.jpg浅草紅團(川端康成 著)3b.jpg 川端康成(1899-1972)の浅草への愛着は相当なもので、カジノ・フォーリーから当時15、6歳だった踊子・梅園竜子を引き抜き、バレリーナに育てようとしたこともあったそうです(梅園龍子はバレイ団に所属した後、映画女優となる)。それが「浅草紅団」連載から1、2年後の1931(昭和6)年、川端康成32歳ころのことです。

梅園竜子

 30歳ごろにこの小説を書き始めたことになりますが、言い回し(文体)が、文芸作品というより風俗小説のそれに近い躍動感があるのが興味深く、また、そうした飛び跳ねたようなトーンの中においても、浅草というカオスに満ちた街に対して、自らをあくまでもエトランゼ(異邦人)として冷静に位置づけているように思えます。弓子という男勝りの、それでいて男性に複雑な感情を抱く少女に対しても(ここにも作家の文学上の少女嗜好が窺えるが)、相手も"私"のことを悪く思っているわけではないのに一定の距離を置いていて、弓子自体がやがて多くの登場人物の中に埋没していくようです。

 後半に行くに連れて、人物よりも街を描くことが主になってきて(途中からルポルタージュへと変質している)、小説としてはどうかなと思う部分も多いですが、その分、当時の浅草の観光ガイドとしては楽しめます。この辺りは、直接取材だけでなく文献研究により書かれた部分も多いようです(今のアサヒビール本社付近に昔はサッポロビール本社があった。両社が国策により合併した時期があったため)。

 関東大震災から昭和恐慌にかけての衰退に向かう浅草に対する惜別の想いが感じられますが、この作品を脱稿して作家が久しぶりに浅草に出向いてみると、結構な賑わいぶりで、「先生の小説のお陰で街に活気が戻った」とレビューの踊子に言われたというエピソードを聞いたことがあります(浅草が本格的に衰退に向かうのは、昭和33年の売春防止法の施行以降)。
 
 講談社文芸文庫版には、本作の6年後に書かれた続編「浅草祭」が収められていますが、「浅草祭」の冒頭で、続編の予告に際して前作「浅草紅団」に触れ、「どんな文体であったかも、よく覚えていない。その一種勢いづいた気取りを六年後に真似ることは、嘔吐を催すほど厭であろうし、果たして可能かも疑わしい」と書いたことを引用しており、実際「浅草祭」の方は、風俗小説風の軽妙な文体は鳴りを潜め、弓子がどこかへ消えていなくなくなっている(大島の油売りになった)こともあってか、落ち着いた、祭りの後のような寂しいトーンになっています。

 「浅草紅団」の前半ぐらいまでは、作家は「物語」を書こうとしていたのではないでしょうか。それが次第と、風俗を描くことがメインになり、断片的なスケッチの繋ぎ合わせのような作品になってしまった―なぜ、物語として完成し得なかったかについても「浅草祭」で書いてはいますが、最後まで「物語」として貫き通していたらどんな作品になっていただろうかとの想像を、禁じざるを得ません。

 因みに「浅草紅団」は、1952年に久松静児監督、京マチ子主演で映画化されていて、個人的には未見でが、脚本の成沢昌茂が原作をかなり脚色したもののようです。

浅草紅団 [DVD]」(1952) (監督)久松静児  (出演) 京マチ子/乙羽信子/根上淳
浅草紅団 dvd.jpg浅草紅団 映画 dvd.jpg


 【1955年文庫化[新潮文庫]/1981年再文庫化[中公文庫]/1996年再文庫化[講談社文芸文庫(『浅草紅団・浅草祭』)]】

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部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがある。主人公は「ストーカー」且つ「ロリコン」?

『伊豆の踊子』.JPG伊豆の踊子 新潮文庫 旧版.jpg 伊豆の踊子 新潮文庫.gif   伊豆の踊子 集英社文庫.jpg
新潮文庫新版・旧版『伊豆の踊子 (新潮文庫)』『伊豆の踊子 (集英社文庫)』(カバー絵:荒木飛呂彦)


川端 康成2.jpg初版本複刻 伊豆の踊子.jpg 1926(大正15)年、川端康成(1899- 1972)が26歳の時に発表された作品で、主人公は数え年二十歳の旧制一高生ですが、実際に作者が、1918(大正7)年の旧制第一高2年(19歳)当時、湯ヶ島から天城峠を越え、湯ヶ野を経由して下田に至る4泊5日の伊豆旅行の行程で、旅芸人一座と道連れになった経験に着想を得ているそうです。

1927(昭和2)年『伊豆の踊子』金星堂['85年復刻版]

 個人的には最初にこの作品を読んだのは高校生の時で、川端作品では『掌の小説』や『眠れる美女』なども読んでいましたが、この作品については何となく手にするのが気恥ずかしいような気がして、それらより読むのが若干ですがあとになったのではなかったかと思います。当時は中高生の国語の教科書などにもよく取り上げられていた作品で、既にさわりの部分を授業で読んでしまっていたというのもあったかも知れません。

オーディオブック(CD) 伊豆の踊子.jpg この作品について、作者は三島由紀夫との座談の中で、「作品は非常に幼稚ですけれどもね、(中略)うまく書こうというような野心もなく、書いていますね。文章のちょっと意味不明なところもありますし、第一、景色がちょっとも書けていない。(中略)あれは後でもう少しきれいに書いて、書き直そうと思ったけれども、もう出来ないんですよ」と言っていますが、全体構成においての完成度はともかく、部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがあり、やはり傑作ではないかと。
[オーディオブックCD] 川端康成 著 「伊豆の踊り子」(CD1枚)

 一高生の踊子に対する目線が「上から」だなどといった批判もありますが、むしろ、関川夏央氏が、この小説は「純愛小説」と認識されているが、今の時代に読み返すと、ずいぶん性的である、主人公の「私」は、踊子を追いかけるストーカーの一種である、というようなことを書いていたのが、言い得ているように思いました(主人公と旅芸人や旅館の人達との触れ合いもあるが、彼の夢想のターゲットは踊子一人に集中していてるように思う)。

 読後、長らくの間、踊子は17歳くらいの年齢だといつの間にか勘違いしていましたが、主人公が共同浴場に入浴していて、踊子が裸で手を振るのを見るという有名な場面で(この場面、かつて教科書ではカットされていた)、主人公自身が、踊子がそれまで17歳ぐらいだと思っていたのが意外と幼く、実は14歳ぐらいだったと知るのでした(「14歳」は数えだから、満年齢で言うと13歳、う~ん、ストーカー気味であると同時にロリコン気味か?)。

 日本で一番映画化された回数の多い(6回)文芸作品としても知られていますが、戦後作られた「伊豆の踊子」は計5本で(戦後だけでみると三島由紀夫の「潮騒」も5回映画化されている。また、海外も含めると谷崎潤一郎の「」も戦後5回映画化されている)、主演女優はそれぞれ美空ひばり('54年/松竹)、鰐淵晴子('60年/松竹)、吉永小百合('63年/日活)、内藤洋子('67年/東宝)、山口百恵('74/東宝)です。

  1933(昭和8)年 松竹・五所平之助 監督/田中絹代・大日方伝
  1954(昭和29)年 松竹・野村芳太郎 監督/美空ひばり・石浜朗
  1960(昭和35)年 松竹・川頭義郎 監督/鰐淵晴子・津川雅彦
  1963(昭和38)年 日活・西河克己 監督/吉永小百合・高橋英樹(a)
  1967(昭和42)年 東宝・恩地日出夫 監督/内藤洋子・黒沢年男
  1974(昭和49)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和(b)

 今年('10年)4月に亡くなった西河克己監督の山口百恵・三浦友和主演のもの('74年/東宝)以降、今のところ映画化されておらず、自分が映画館でしっかり観たのは、同じ西河監督の吉永小百合・高橋英樹主演のもの('63年/日活)。この2つの作品の間隔が11年しかないのが意外ですが、山口百恵出演時は15歳(映画初主演)だったのに対し、吉永小百合は18歳 (主演10作目)でした(つまり、2人の年齢差は14歳ということか)。

伊豆の踊子 1963.jpg(a) 伊豆の踊子 1974.jpg(b)

伊豆の踊子 吉永小百合.jpg伊豆の踊子 吉永小百合主演 ポスター.jpg 吉永小百合(1945年生まれ)・高橋英樹版は、宇野重吉扮する大学教授が過去を回想するという形で始まります(つまり、高橋英樹が齢を重ねて宇野重吉になったということか。冒頭とラストでこの教授の教え子(浜田光夫)のガールフレンド役で、吉永小百合が二役演じている)。

伊豆の踊子 十朱幸代.jpg 踊子の兄で旅芸人一座のリーダー役の大坂志郎がいい味を出しているほか、新潮文庫に同録の「温泉宿」(昭和4年発表)のモチーフが織り込まれていて、肺の病を得て床に伏す湯ケ野の酌婦・お清を当時20歳の十朱幸代(1942年生まれ)が演じており、こちらは、吉永小百合との対比で、こうした流浪の生活を送る人々の蔭の部分を象徴しているともとれます。西河監督の弱者を思いやる眼差しが感じられる作りでもありました。

0バス通り裏toayuki1.jpgバス通り裏.jpg「バス通り裏」岩下・十朱.jpg 因みに、十朱幸代のデビューはNHKの「バス通り裏」で当時15歳でしたが、番組が終わる時には20歳になっていました。また、岩下志麻(1941年生まれ)も'58年に十朱幸代の友人役としてこの番組でデビューしています。

      
「バス通り裏」岩下志麻 / 米倉斉加年・十朱幸代・岩下志麻 / 十朱幸代
バス通り裏_-岩下志麻2.jpg バス通り裏 米倉・十朱.jpg バス通り裏 十朱幸代.jpg

「バス通り裏」テーマソング.jpg 「バス通り裏」テーマソングレコード

「サンデー毎日」1963(昭和38)年1月6日号 「伊豆の踊子 [DVD]
正月(昭和38年)▷「サンデー毎日」の正月.jpg伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)
川端&吉永.jpg川端&吉永2.jpg
映画「伊豆の踊子」の撮影現場を訪ねた川端康成。川端康成は自作の映画化の撮影現場をよく訪ね、とりわけ「伊豆の踊子」の吉永小百合がお気に入りだったという。

バス通り裏.jpgバス通り裏2.jpg「バス通り裏」●演出:館野昌夫/辻真先/三浦清/河野宏●脚本:筒井敬介/須藤出穂ほか●音楽:服部正(主題歌:ダーク・ダックス)●出演:小栗一也/十朱幸代/織賀邦江/谷川勝巳/武内文平/露原千草/佐藤英夫/岩下志麻/田中邦衛/米倉斉加年/水島普/島田屯/宮崎恭子/本郷淳/大森暁美/木内三枝子/幸田宗丸/荒木一郎/伊藤政子/長浜『グラフNHK』創刊号の表紙.jpg藤夫/浅茅しのバス通り裏 yonekura iwashita.jpgぶ/高島稔/永井百合子/鈴木清子/初井言栄/佐藤英夫/松野二葉/溝井哲夫/津山英二/西章子/稲垣隆史/山本一郎/大森義夫/鈴木瑞穂/三木美知子/原昴二/蔵悦子/高橋エマ/網本昌子/常田富士男●放映:1958/04~1963/03(全1395回)●放送局:NHK

米倉斉加年/岩下志麻

十朱幸代「グラフNHK」1960(昭和35)年5月1日号(創刊号)

『伊豆の踊子』 (新潮文庫) 川端 康成.jpg伊豆の踊子・禽獣 (角川文庫クラシックス) 川端康成.jpg 【1950年文庫化・2003年改版[新潮文庫]/1951年再文庫化[角川文庫(『伊豆の踊子・禽獣』)]/1952年再文庫化・2003年改版[岩波文庫(『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)]/1951年再文庫化[三笠文庫]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『伊豆の踊子・花のワルツ―他二編』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『伊豆の踊子、十六歳の日記 ほか3編』)]/1977年再文庫[集英社文庫]/1980年再文庫[ポプラ社文庫]/1994年再文庫[ポプラ社日本の名作文庫]/1999年再文庫化[講談社学芸文庫(『伊豆の踊子・骨拾い』)]/2013年再文庫化[角川文庫]】

伊豆の踊子・禽獣 (1968年) (角川文庫)
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 [VHS]木村拓哉.jpg日本名作ドラマ『伊豆の踊子』(TX)
1993年(平成5年)6月14日、21日(全2回) 月曜日 21:00 - 21:54
脚本:井手俊郎、恩地日出夫/演出:恩地日出夫/制作会社:東北新社クリエイツ、TX
出演:早勢美里(早瀬美里)、木村拓哉、加賀まりこ、柳沢慎吾、飯塚雅弓、大城英司、石橋蓮司

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