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ケーススタディに実在の人物を持ち出すことの良し悪しはあるが、興味深く読めたのは事実。

回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち.jpg回避性愛着障害 絆が稀薄な人たち (光文社新書)』['13年] 愛着障害  子ども時代を引きずる人々0.jpg愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』['11年]

 「愛着障害」とは、乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害です。著者は前著『愛着障害―子ども時代を引きずる人々』('11年/光文社新書)において、乳幼児は生後6カ月から大体3歳くらいまでにある特定の人物(通常は母親)と「愛着関係」を築き、その信頼関係を結んだ相手を「安全基地」として少しずつ自分の世界を広げていくが、それが旨くいかなかった場合、他人を信頼することや他人と上手くやっていくことなど、人間関係において適切な関係を築くことができにくくなるとしていました(但し、それを克服した例として、夏目漱石やヘルマン・ヘッセ、ミヒャエル・エンデなど多くの作家や有名人の例が紹介されている)。

 著者の分類によれば、愛着障害は安定型と不安定型に分類され、更に不安定型は不安型(とらわれ型。子どもでは両価型と呼ぶ)と回避型(愛着軽視型)に分けられるとし、不安型と回避型の両方が重なった、恐れ・回避型(子どもでは混乱型)や、愛着の傷を生々しく引きずる未解決型と呼ばれるタイプもあるとしています(ややこしい!)。本書は、その中でも回避型を、とりわけ、健常レベルの「回避型」が社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害を扱っていることになります。

 前著『愛着障害』より対象が絞られて、分かりよくなっている印象も受けますが、一方で、例えばパーソナリティ障害のタイプごとに、回避性愛着障害の現れ方が次のように多岐に及んでくるとのことで、これだけでもかなりの人が当て嵌まってしまうのではないかという気がします。
 ①回避性パーソナリティ・タイプ ... 嫌われるという不安が強い
 ②依存性パーソナリティ・タイプ ... 顔色に敏感で、ノーが言えない
 ③強迫性パーソナリティ・タイプ ... 勤勉で、責任感の強すぎる努力家
 ④自己愛性パーソナリティ・タイプ ... 自分しか愛せない唯我独尊の人
 ⑤反社会性パーソナリティ・タイプ ... 冷酷に他人を搾取する

 但し、健常レベルの「回避型」と社会適応に支障をきたすレベルとなった「回避性」の愛着障害の違いは、元々は程度の差の問題であり、また、パーソナリティのタイプが何であれ、愛着スタイルが安定すれば、生きづらさや社会に対する不適応はやわらげられるとのことですので、自分がそれに該当するかもしれないと思い込むのは別に構わないと思いますが、そもことによってあまり深刻になったり悲観したりはしない方が良いかと思います。

エリック・ホッファー.jpg種田山頭火7.jpg 著者の解説のいつもながらの特徴ですが、該当する作家や有名人の事例が出てきて、回避型愛着障害と養育要因の関係について述べた第2章では、エリック・ホッファーや種田山頭火、ヘルマン・ヘッセが、回避型の愛情と性生活について述べた第4章では、同じく山頭火やキルケゴールが、回避型の職業生活と人生について述べた第5章では、同じくエリック・ホッファーや『ハリー・ポッター』シリーズの作者J・K・ローリング、児童分析家エリク・エリクソン、井上靖らが、回避性の克服や愛着の修復について述べた第6章・第7章では、カール・ユング、書道家の武田双雲、『指輪物語』のジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン、養老孟司、マリー・キューリーなどが取り上げられています。

 実際に著者自身が直接診断したわけでもないのに憶測でこんなに取り上げてしまっていいのかという批判もあるかと思いますが、こうした実在の人物を「ケーススタディ」的に取り上げることで「愛着障害」というものが多少とも分かり易く感じられるのは事実かもしれません。それと、取り上げ方が上手であると言うか、それぞれの人に纏わる話をよく抽出してテーマと関連づけるものだと感心してしまいます。ある種"作家的"とでも言うべきか。そこがまた、批判の対象にならないこともないのですが。

 一方、回避性愛着障害の克服方法については、「自分の人生から逃げない」など、やや抽象的だったでしょうか。登場した実在の人物の歩んだ克服の道のりの話の方がよほど説得力があります。とれわけ、エリック・ホッファーと種田山頭火のエピソードは大変興味深く読めました。

《読書MEMO》
愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)』より
愛着障害  .jpg●愛着パターンには安定型(60%、正常)、回避型(15-20%、安全基地を持たないのでストレスを感じても愛着行動を起こさない、児童養護施設育ちの子どもに多い、親の世話不足や放任、成長すると反抗や攻撃性の問題を起こしやすい)、両価型(10%、安全基地の機能不全により愛着行動が過剰に引き起こされている、親の関心と無関心の差が大きい場合、神経質で過干渉、厳格すぎる一方、思い道理にならないと突き放す。子どもを無条件に受け止めると言うより、良い子を求める。成長すると不安障害なりやすい。いじめられっ子)、混乱型(10%、回避型と両価型の混合、虐待被害者や精神が不安定な親の子どもに多い、将来境界型人格異常)がある(『愛着障害』37p)
●不安定型(回避型、両価型、混乱型)の場合、特有の方法によって周囲をコントロールしようとする。攻撃や罰、よい子に振る舞う、親を慰めるなどをして親をコントロールしようとする。不安定な愛着状態による心理的な不足感を補うために行われる(『愛着障害』38p)
●大人の愛着パターンには安定型、不安型(子どもの両価型に対応する)、回避型(愛着軽視型)がある。不安型と回避型を合わせて不安定型という(『愛着障害』45p)
●アメリカの診断基準では反応性愛着障害として、抑制性(誰にも愛着しない警戒心の強いタイプ、幼いときに養育放棄や虐待を受けたケースに多い)、脱抑制性(誰に対しても、見境無く愛着行動が見られる。不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交代によって、愛着不安が強まった状態)の2つがある(『愛着障害』46p)。
●比較的マイルドな愛着問題では、自立の圧力が高まる青春期以降に様々なトラブルとなって現れる。回避型では淡泊な対人関係を望む「草食系男子」や結婚に踏み切れない人の増加である。不安型では境界型人格障害や依存症や過食症にとなる(52p)
●愛着障害の7-8割は養育環境が原因。遺伝は2-3割である(53p)
●愛着障害の人は誰に対しても信頼も尊敬も出来ず、斜に構えた態度を取る一方で、相手の顔色に敏感であると言った矛盾した感情を持っている。それは小さいときに尊敬できない相手でも、それにすがらずに生きていけないからである(67p)
●親の愛着パターンが子どもに影響する。不安型の親からは不安型の子どもが育つ(81p)
●不安定型の愛着パターンを生む重要な要因の一つに、親から否定的な扱いや評価を受けて育つことである。たとえ子どもが人並みよりぬきんでた能力や長所を持っていても、親は否定的に育てることである(97p)
●愛着障害とは特定の人との愛着が形成されない状態であるので、誰にも全く愛着を持たないか、誰に対しても親しくなれることである。誰にでも愛着を持つと言うことは誰にも愛着を持たないことと同じである。実際問題でも、対人関係が移ろいやすい。恋愛感情でも誰に対しても同じ親しさで接すればトラブルの元になる。特定の人との信頼関係や愛情が長く維持されにくい(117p)
●回避型ではいつになっても対人関係が親密にならない。不安型では、距離を取るべき関係においても、すぐに親しくなり、恋愛感情や肉体関係になる。混合型では、最初はよそよそしいが、ちょっとしたことで急速に恋愛関係に陥る(120p)
●愛するパートナーを助けるために、自分の命を危険にさらせるのが、愛着が安定している人で、自分の価値観や信念のためなら死んでも良いと思っているのが愛着の不安定な人である(193p)
●不安定型の人は家族との関係が不安定で、支えられるどころか足を引っ張られることが多い(194p)
●回避型の人は、仕事上の問題よりも、同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、同僚に対して関心が乏しかったり、協調性に欠けたりするためである(195p)
●不安型の人の関心は対人関係であり、人からの承認や安心を得ることが極めて重要と考えている。回避型の人は対人関係よりも勉強や仕事や趣味に重きを置く。対人関係の煩わしさを避けるために、仕事や勉強に逃げ場を求めている。世間に向けて体裁を整えたり、社会的非難や家族からの要求を回避したりするために利用している。仕事と社交、レジャーとのバランスを取るのが苦手で、仕事に偏りがちである(196p)。
●回避型の人をパートナーに持つことは、いざというとき頼りにならないどころか、回避型の人にとって頼られることは面倒事であり、他人から面倒事を持ち込まれることは怒りを生むのである(225p)

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「心理学的」立場、「病跡学的」アプローチから、多様な異常心理に通底するものを探る。

あなたの中の異常心理 (幻冬舎新書).jpgあなたの中の異常心理 (幻冬舎新書)』〔'12年〕異常の心理学.jpg相場均 『異常の心理学』〔'69年〕

 著者は、「異常心理についてこれまで書かれたものは、明白な異常性をもった状態にばかり注目していると思う」「中身は、そっくりそのまま精神医学の病名の羅列とその解説になっているということが多い」としていますが、確かに、ここ何年もそうした傾向が続いているように思われ、一方「心理学」を冠した一般書は、対人関係のテクニック、困った性格の人との接し方といった実用書的なものが多くを占めるようになってしまっている印象を受けます。

 本書では、「異常心理」は精神障害に限ったものではなく、誰の心にでも潜んでいるものであるとし、健康な顔と異常な顔は一つの連続体として繋がっているとしたうえで、異常心理の原因、それらの根底に通じるものについて書いています。

 こうした切り口の本は、かつては、『異常の心理学』('69年/講談社現代新書)を著した相場均(1924‐1976)や、多くの心理学の啓蒙書を著した宮城音弥(1908-2005)など、書き手が結構いたように思いますが、臨床重視の傾向にある最近では、このタイプの精神医学の素養を持った「心理学」者はあまりいないのではないかと...(著者は東大哲学科を中退し京大医学部で精神医学を学んでいるが、宮城音弥は、京大哲学科卒業後にフランス留学し精神医学を学んでいる)。

 著者の得意とする著名人や文学作品・映画の主人公の生き方を引く方法で、異常心理を7つの類型で分かり易く解説しており、精神科医兼作家が書いた、いわば「文系心理学」の本かと(著者は小笠原慧のペンネームで書いた小説「DZ」で横溝賞を受賞している)。

yukio mishima2.jpgマハトマ・ガンジー.jpg 「完璧主義」の病理を説いた第1章で出てくるのは、何事においても完璧を求め努力した三島由紀夫(その完璧主義が彼自身を追い詰めることになった)を筆頭に、映画「ブラック・スワン」の主人公、東電OL殺人事件の被害者、極端な潔癖主義だったマハトマ・ガンジー(父の最期の時に肉欲に溺れていたことへの罪の意識から過剰に禁欲的になったという) 、ピアニストのグレン・グールドなど。

 誰にでもある「悪の快感」が、いじめや虐待、過食症や万引き癖、更には異常性愛に繋がることを説いた第2章では、悪の哲学者ジョルジュ・バタイユと、倒錯と嗜虐性をテーマにした作品を多く残したマルキ・ド・サドの違いを、その生い立ちや生涯から考察するなどしています。

1ドストエフスキー.jpg1夏目漱石.jpgバートランド・ラッセル.jpgjung.jpg 「敵」を作り出す心のメカニズムについて説いた第3章では、ドストエフスキーや夏目漱石などの文豪のエピソードが取り上げられており、幻聴や神経衰弱に悩まされたカール・グスタフ・ユングや、生涯にわたって女癖がひどかったというバートランド・ラッセル(平和活動家としての名声が高まるとともに、活動を共にする取り巻き女性をハーレム化していったという)の話も紹介されています。

 人間が正反対の気持ちを同時に持ち得る「アンビバレント」を解説した第4章に登場するのはシェークスピアの「リア王」で、自分の中にもう一人の自分がいる気がする「解離」などについて説いた第5章では、精神分析、心理分析の歴史を追って主要な先人たちの業績を紹介し、またまたユング登場。

オスカー・ワイルド.jpgニーチェ2.jpgHemingway.bmp 人形(ドール)しか愛せないという異形愛が、幼児期に母親から捨てられたという思いか原因であるとする第6章では、ショーペンハウアーや、同性愛の方へ傾斜したオスカー・ワイルド、そして再び三島由紀夫のことが出てきて、罪悪感は強すぎて自己否定の奈落に陥ってしまうことを解説した最後第7章では、幼い頃の父親の死と厳格な母親の教育の重みによって施された心の纏足から自らを解き放とうとして「神を殺した」ニーチェ、スランプと飲酒の悪循環でうつ病になったヘミングウェイが―。

 こうなると歴史上の人物の生涯を精神医学及び心理学的観点を追った、所謂「病跡学」の本かとの印象も受けますが、一方で、普通人で各パターンに当て嵌まる患者の症例なども紹介されていて、異常心理の底にある共通した要因を探る際に、その多くは幼児期や若い頃の体験などにあるため、成育歴が一般に知られている著名人をケーススタディの素材としているのかと思われます(読者の関心を引き易いというのもあるし、著者自身がそうした「病跡学」的アプローチが好みなのかとも思うが)。

 多くの異常心理から読み取れる人間の根源的欲求は、自己保存の欲求、他者からの承認欲求であり、それが損なわれると、端的な自己目的化や自己絶対視に陥って出口無しの自己追求に入り込むか、解離など自己分裂を起こすかでしか自己を保てなくなり、こうした閉鎖的回路に陥らない、或いは陥ったとしても、他者を介することでそこから脱出することが大切であるとしています。

 心理学のクラシカルなスタイルに立ち戻り(「病跡学」などは流行らなくなってもう何年も経つが、かつてはうつ病の先駆的権威である笠原嘉氏などもやっていた)、パーソナリティ障害など現代精神医学で使われる用語の使用を極力避けて書かれていて(「リビドー」など精神分析用語は出てくる)、久しぶりに「心理学」的立場から異常心理について書かれた本に出会ったという印象です。

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分かりやすい。しかし、境界性パーソナリティ障害と一口に言っても多種多様。

境界性パーソナリティ障害 岡田尊司1.jpg 境界性パーソナリティ障害 岡田尊司 2.jpg          ヘルマン・ヘッセ.jpg    中森明菜.jpg  飯島愛.jpg
境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)』     ヘルマン・ヘッセ/中森明菜/飯島愛(1972-2008/享年36)

 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』('04年/PHP新書)という分かり易い入門書がある著者ですが、本書は、パーソナリティ障害の中でも近年多くの人が悩む身近な問題となってきていると言われる「境界性パーソナリティ障害」にフォーカスした入門書で、こちらもたいへん分かり易く書かれています。

 なぜ現代人に増えているのか、心の中で何が起きていているのか、どのように接すればいいのか、どうすれば克服できるのかなど、それぞれについて、必要に応じて事例をあげ、新書にしては丁寧に解説されているように思いました。

 本書によれば、境界性パーソナリティ障害においては、元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったりと不可解な言動を繰り返し、時には場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあるとのこと、「わがままな性格」と誤解されることも多いが、幼い頃からの体験の積み重ねに最後の一撃が加わって、心がバランスを失ってしまった状態であるとのことです。

 解説内容は概ねオーソドックスかと思いますが、第5章の「ベースにある性格によってタイプが異なる」という部分が、境界性パーソナリティ障害の多種多様性を示しており、この部分は研究者によって分類方法が若干異なるかもしれません。

 著者は、①強迫性の強いタイプ、②依存性が強いタイプ、③失調症の傾向が強いタイプ、④回避性の強いタイプ、⑤自己愛性が強いタイプ、⑥演技性が強いタイプ、⑦反社会性が強いタイプ、⑧妄想性が強いタイプ、⑨未分化型パーソナリティのタイプ、⑩発達障害がベースにあるタイプ―の10タイプを挙げています(多いなあ)。

 DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)で定義された10個のパーソナリティ障害の類型の中に、境界性パーソナリティ障害と並列関係で、強迫性パーソナリティ障害、依存性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害などがあることは周知の通りで、そういうのも含めて全部「境界性パーソナリティ障害」として説明してしまっている印象もありますが、DSM‐Ⅳが精神疾患の原因ではなく症状(エピソード)を基準としているため、このあたりはスペクトラム(連続体)としてみるか、相対的強弱でみるべきなのだろなあ。例えば、前の方で、「境界性パーソナリティ障害を自己愛の視点から理解すると、境界性パーソナリティ障害は、自己愛障害の一つのタイプ、つまり自己愛が委縮したタイプの自己愛障害として理解される」とあります。

 それぞれのタイプの説明は分かり易く、実際の患者例と併せて、外国の作家や俳優、日本の有名人の例が出てきて(それまでにもランボーや太宰治のエピソードが出てくるが)、それが理解の助けになっており、例えば、「強迫性の強いタイプ」でヘルマン・ヘッセ、「失調症の傾向が強いタイプ」でヴァージニア・ウルフ、「反社会性が強いタイプ」でジェームズ・ディーンなどといった具合。ヘッセについては、パーソナリティ障害の人をどう支えるかを解説した章で、彼がそれをどう乗り越えたかが書かれていて、結構しっかりフォローされているなあと。

 一方、「依存性が強いタイプ」で歌手の中森明菜の場合が、「演技性が強いタイプ」で'08年のクリスマス・イブに自宅マンションで孤独死しているところを発見された飯島愛の場合が取り上げられていて、実際に著者が診察したの?と異論も唱えたくなるものの、読んでみると結構これもまた"腑に落ちる"かどうかはともかく、ナルホドこういう見方もあるのかと―このあたりの作家性も含めた柔軟な解説が、著者の著書に固定読者がいる理由かも(最近、ちょっと量産し過ぎのような気もするが)。

 著者によれば、飯島愛は男性に裏切られ自殺寸前まで追い詰められた結果、もっとしたたかに生きようと、今度は逆に自分の魅力で男性を振り返らせ、手玉にとって、自分の尊厳を取り戻そうとしたのではないかと。したたかな生き方の内側には、拭いきれない寂しさや空虚感があって、明るさと影の対比が多くの人の共感を呼ぶのではないかとしています。

山口美江0.jpg 確かに、飯島愛のブログは亡くなって4年も経つのにいまだにコメントが付され続けていますが、う~ん、何となく共感する人が男性にも女性にも結構いるのかも。
 孤独死と言えば、元タレントの山口美江が今年('12年)3月に自宅で孤独死しているのが発見されたニュースを思い出しますが、何年か前に臨床心理士の矢幡洋氏が、彼女のことを「サディスティック・パーソナリティ障害」が疑われるとしていたのが印象に残っています。

 「サディスティック・パーソナリティ障害」は元ハーバード大学精神医学教授でDSM-Ⅲにおける人格障害部門の原案作成者セオドア・ミロンがパーソナリティ障害の1タイプとして入れていたもので、自己愛性パーソナリティ障害の攻撃が外に向かうタイプと変わらないとしてDSM‐Ⅳで削除されたもの。
 ミロンは、「反社会性パーソナリティ障害」に近いものとしていますが、実際、本によっては、「自己愛性」とグループ化しているものもあり、、矢幡洋氏の場合はそれをパーソナリティ障害の主要類型として「復活」させているわけです。

 DSMそのものも様々な変遷を経ており、その中の1タイプである境界性パーソナリティ障害だけで、著者の言うように10タイプあるとなると結構たいへんだなあと(尤も、パーソナリティ障害の中で境界性パーソナリティ障害がいちばん研究が進んでいるとのことだが)。

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入門書として分かり易く書かれているが、ちょっと「天才」たちの名前(&エピソード)を挙げ過ぎなのでは?

岡田 尊司 『アスペルガー症候群』  .JPGアスペルガー症候群 幻冬舎新書.jpg 『アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)』['09年]

 アスペルガー症候群の入門書として基本的な部分を網羅していて、記述内容も(一部、大脳生理学上の仮説にも踏み込んでいるが)概ねオーソドックス、既に何冊か関連の本を読んで一定の知識がある人には物足りないかもしれませんが、純粋に入門書として見るならば分かり易く書かれていると思いました。

 以前に著者の『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』('04年/PHP新書)を読んで、例えば「演技性パーソナリティ障害」では、チャップリン、ココ・シャネル、マーロン・ブランドの例を挙げるなど各種人格障害に該当すると思われる有名人を引き合いにして解説していたのが分かりよかったのです。

 ただ、今回気になったのは、読者がよりイメージしやすいようにとの思いからであると思われるものの、ビル・ゲイツ、ダーウィン、キルケゴール、ジョージ・ルーカス、本居宣長、チャーチル、アンデルセン、ウィトゲンシュタイン、アインシュタイン、エジソン、西田幾多郎、ヒッチコック...etc.と、ちょっと「天才」たちの名前(&エピソード)を挙げ過ぎなのではないかと。

 これも以前に読んだ、正高信男氏の『天才はなぜ生まれるか』('04年/ちくま新書)などは、ハナから、「天才」と呼ばれた人には広義の意味での学習障害(LD)があり、それが彼らの業績と密接な関係があったという主張であって、その論旨のもと、エジソン(注意欠陥障害)、アインシュタイン(LD)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(LD)、アンデルセン(LD)、グラハム・ベル(アスペルガー症候群)、ウォルト・ディズニー(多動症)といった偉人の事例が出てくるわけですが、本書は一応「入門書」という体裁を取りながらも、アスペルガー症候群に関して同種の論を唱えているようにも思われました。

 勿論、アスペルガー症候群の子どもの強み、弱み共々に掲げ、強みを伸ばしてあげる一方で、社会性の獲得訓練などを通して弱みを補うことで、大人になって自立できるように養育していく努力の大切さを説いてはいるのですが、これだけ「天才」の名が挙がると、(話としては面白いのだが)読んだ人の中にはそっちの方に引っ張られて、子どもに過剰な期待し、現実と期待の差にもどかしさを感じるようになる―といったことにならないかなあ(まあ、養育経験者はまずそんなことにはならないだろうけれど、一般の人にはやや偏ったイメージを与えるかも)。

 自閉症やアスペルガー症候群などの広汎性発達障害の専門家や臨床医が書いた入門書や、或いはこの分野の権威とされる人が監修したガイドブックなどにもエジソン、アインシュタインなどはよく登場するわけですが、本書の場合、冒頭から「本書を読めば、テレビでよく見かける、頭がもじゃもじゃのあの先生も、今をときめく巨匠のあの先生も、ノーベル賞をとったあの先生も、このタイプの人だということがおわかり頂けるだろう」といったトーンです。

益川敏英.jpg 結局、この3人の内の最後の人などは、本文中に物理学者・益川敏英氏として登場し、アスペルガー症候群特有のエピソードが紹介されたりもしているのですが、確かに、あの人のノーベル賞受賞会見などを見て、ぴんとくる人はぴんときたのではないかと思います(その意味では、分かりよいと言えば分かりよいのだが...)。
 ただ、一方で、著者自身が直接益川氏を診たわけではなく、従って、メディアを通しての著者個人の"見立て"に過ぎないとも言えます(前著『境界性パーソナリティ障害』('09年/幻冬舎新書)では、「依存性パーソナリティ」の例として某有名歌手を取り上げるなどしていた)。

 解説部分がオーソッドクスなテキストである分、こうした事例の紹介部分は本書に"シズル感"をもたらしていますが、そこが著者の一番書きたかったことなのではないかな(この著者には、ある意味、"作家性"を感じる。同じようなことを感じる精神科医は前述の正高信男氏をはじめ、他にも多くいるが)。

 著者自身にもその自覚があるからこそ「アスペルガー症候群入門」とか「アスペルガー症候群とは何か」といったタイトルを使わず、本書を単に「アスペルガー症候群」というタイトルにしているのではないでしょうか。

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「入門書」としてお薦めで、「参考書」的にも使える。殆ど「実用書」のように読んでしまった。

岡田 尊司 『パーソナリティ障害―.jpgパーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか.jpg 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか (PHP新書)』 ['04年]

 米国精神医学会の診断基準「DSM-IV-TR」に沿った形で、10タイプのパーソナリティ障害を、境界性、自己愛性、演技性、反社会性、妄想性、失調型(スキゾタイパル)、シゾイド、回避性、依存性、強迫性の順に解説していますが、それぞれ「特徴と背景」「接し方のコツ」「克服のポイント」にわけて整理しているので、入門書としてもお薦めですが、後々も参考書的に使えるメリットがあります。

 必要に応じて、有名人の例なども挙げているのがわかりやすく、こうした説明方法は、特定人物に対するイメージに引っぱられる恐れもあるのですが、その前に各パーソナリティ障害の説明にそれなりに頁を割いているので、全体的にバランスがとれているように思えました。

Charlie Chaplin.jpg また、同じタイプの説明でも、例えば、「演技性パーソナリティ障害」では、チャップリン、ココ・シャネル、マーロン・ブランドの例を紹介していますが、この内、チャップリンが、他の2人と異なり、若いウーナとの結婚が相互補完的な作用をもたらし、実人生においても安寧を得たことから、人との出会いによって、パーソナリティ障害であっても人生の充実を得られることを示すなど、示唆に富む点も多かったです。

 個人的には、職場で見ている「問題社員」が、本書の「自己愛性パーソナリティ障害」の記述にピッタリ当て嵌まるので、その部分を"貪るように"読んでしまいました。
 こうした性格の人が上司や同僚であった場合の対処法としては、「賞賛する側に回る」ということが1つ示されていて、これが一番ラクなのかも(余計な仕事が増えたみたいな感じにもなるが)。
 その内、上司もかわるかも知れないし(性格ではなく部署が)。
 但し、同僚や年下の場合、ここまでやらなければならないの?という思いはあります(その点では、自分にとって満足のいくものではなかった。その「問題社員」は、職場の管理職ではなく、スタッフだったから)。

 殆ど、実用書を読むように読んでしまいました。

《読書MEMO》
●「自己愛性パーソナリティ障害の人は非難に弱い。あるいは、非難を全く受け付けない。ごく小さな過ちであれ、欠点を指摘されることは、彼にとっては、すべてを否定されるように思えるのだ。(中略)自己愛性パーソナリティ障害の人は、非難されると、耳を貸さずに怒り出す。なかなか自分の非を受け入れようとはしない」
 「自己愛性パーソナリティ障害の人は、人に教えられることが苦手である。彼はあまりにも自分を特別な存在だと思って、自分を教えることができる存在など、そもそも存在しないと思っている。ましてや、他人に、新米扱いされたり、叱られることは、彼の尊大なプライドが許さないのである」
  「過剰な自信とプライドとは裏腹に、現実生活においては子供のように無能」(104‐105p)
● 「自己愛性パーソナリティの人が、上司や同僚である場合、部下や周囲の者は何かと苦労することになる。自己愛性パーソナリティの人は、仕事の中身よりも、それが個人の手柄として、どう評価されるかばかり気にしているので、本当に改善を図っていこうと努力している人とは、ギャップが生じてしまう。自己愛性パーソナリティの人は、自分の手柄にならないことには無関心だし、得点にならない雑用は、できるだけ他人に押し付けて知らん顔している。おいしいところだけ取って、面倒な仕事や特にならない仕事には近寄ろうともしない」
 「ベラベラと調子のいい長口下を振るうが、機嫌が悪いと、些細なことでも、ヒステリニックに怒鳴り声を上げ、耳を疑うような言葉で罵ったり、見当はずれな説教をしたりするのである」
 「自己愛性パーソナリティの人にとっては、自分の都合が何よりも優先されて当然だと思っているので、周りの迷惑などお構いなし...」(119p)
●「自己愛性パーソナリティ障害の人には、二面性があり、日向と日陰の部分で、全く態度が違う。うまくやっていく秘訣の一つは、その人の日向側に身を置くということである。それは、つまり、相手の厭な側面のことは、いったん問題にせず、賞賛する側に回るということである。そうすると、彼は自分の中の、すばらしい部分をわかる人物として、あなたも、その二段階下くらいには、列せられるだろう。こうして、あなたが、すばらしい自分を映し出す、賞賛の鏡のような存在になると、あなたの言葉は、次第に特別な重みをなすようになる。あなたが、たまに彼の意志とは、多少異なる進言を付け加えても、彼は反発せずに耳を貸すだろう。ただ常に当人の偉大さを傷つけないように、言葉と態度を用いる必要がある」(120‐121p)

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『人格障害の時代』の前半は「人格障害」の入門書として読みやすい。後半は要注意?

人格障害の時代.jpg          自己愛型社会.jpg        岡田 尊司.jpg 岡田 尊司 氏 (略歴下記) 
人格障害の時代 (平凡社新書)』['04年]『自己愛型社会―ナルシスの時代の終焉 (平凡社新書)』['05年]

 本書の前半部分は、「人格障害」の入門書として読み易いものでした。
 DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)に定義される10タイプの人格障害について、いきなりそれらを個々述べるのではなく、「自己愛」や「傷つきやさ」、「両極端な思考」など、それらに共通する特徴を最初に纏めています。

 また「妄想・分裂」もその特徴であるとしていて、米国の精神医学者カーンバーグが、こうした「妄想・分裂」を特徴とする人格障害を、神経症レベルと精神病レベルの境界段階にある「境界性人格構造」として理論化したのですが、この考えに従えば、人格障害の多くがこの境界レベルにあると言えると(但し、狭義の"境界性"は、現在は、人格障害の1つのタイプとして位置づけられている)。

ウィトゲンシュタイン2.jpg 引き続き、3群10タイプの人格障害を、妄想性、統合失調型(スキゾタイパル)、統合失調質(シゾイド)、自己愛性、演技性、境界性、反社会性、回避性、依存性、強迫性の順に、それぞれ典型的な臨床例を挙げて解説していますが、症例とは別に、ヴィトゲンシュタイン(シゾイド)、ワーグナー(自己愛性)、マドンナ(演技性)、ゲイリー・ギルモア死刑囚(反社会性)といった有名人に見られる人格障害の傾向を解説に織り込んでいたりして、興味深く読めます(但し、ヴィトゲンシュタインは、近しかった人による評伝を読んだ限りでは、個人的な印象は少し異なるのだが)。
ヴィトゲンシュタイン

MADONNA.gif 特にマドンナの"演技性人格障害"に関しては、「診断概念より、マドンナの方が、ずっと先をいっている」としています(『マドンナの真実』という本をもとにしているのだが)。
 彼女は厳格で保守的な家庭に生まれましたが、幼い頃に母が他界し、その頃から父親に対する執着が強まり父親を独占しようとしていたそうで、それが、彼女が9歳の時に父親が家政婦に来ていた女性と再婚したために、堅物だと思っていた父に裏切られたという思いから、性的放縦や非行に走るようになったとのこと。それでも学校の成績は良かったが(彼女のIQは140超だそうな)、失われた親の愛を性的誘惑によって取り戻したいという願望が彼女をスターの道に導き、スターになってからもあらゆる男性に対する誘惑行為を果てしなく繰り返すが満たされない―ということらしく、このタイプは、映像メディアの世界に多いそうです。
マドンナ

 著者は、「人格障害の角度から社会を眺めることは、現代社会のまったく新しい理解を提供すると思っている」(11p)とのことで、本書の後半は、うつ病や依存症などと人格障害との相関を述べていて、まだこの辺りはいいのですが、非行、引きこもり、児童虐待、幼児性愛などとの関連を述べつつ、これらの増加傾向が社会の変化と無関係ではないことを強調するあまり、恣意的な分析も入った哲学的・主観的な社会論になっているきらいも大いにあります。
 このことは、『人格障害の時代』という本書のタイトルからも充分に予想できたことですが、本書の後半は、自分なりの批評眼をもって読む必要があるかも。

 本書の翌年に刊行された『自己愛型社会-ナルシスの時代の終焉』('05年/平凡社新書)では、古代ローマ、オランダ、アメリカの各社会を自己愛の肥大した「自己愛型」社会として捉えていますが、個人の症候である「自己愛型人格障害」で使われる"自己愛型"という意味を、そのまま国家社会に当て嵌めて論じているのは、ややオーバーゼネラリゼーションであるような気がし、こうしたやや強引な点も、この著者にはあるのではないでしょうか。

 歴史蘊蓄を披瀝している部分は"勉強"になりましたが、歴史コンプッレックスのある人が読むとそのまま書かれていることの全てを真に受けてしまうのではないかと、老婆心ながら思った次第。
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岡田 尊司 (おかだ たかし)
 1960年香川県生まれ。精神科医。医学博士。東京大学哲学科中退、京都大学医学部卒業。同大学院高次脳科学講座神経生物学教室、脳病態生理学講座精神医学教室にて研究に従事。現在、京都医療少年院勤務。著書に『人格障害の時代』(平凡社新書)『パーソナリティ障害』(PHP新書)。心のエクササイズのため、小笠原慧のペンネームで小説を執筆。『DZ』『手のひらの蝶』(ともに角川書店)『サバイバー・ミッション』(文藝春秋)などの作品がある。

《読書MEMO》
●人格障害の共通項(32p)
 1.自分への強い執着(自己愛)/2.傷つきやさ・過剰反応/3.両極端な思考
●人格障害のタイプとケース
妄想性:信じられない病(ケース:夫になったストーカー)
統合失調型(スキゾタイパル):常識を超えた直感人(ケース:不思議な偶然に悩む女性)
統合失調質(シゾイド):無欲で孤独な人生(ケース:聖人君子)
自己愛性:賞賛以外はいらない(ケース:パニック発作に悩むワンマン経営者)
演技性:天性の誘惑者にして嘘つき(ケース:嘘で塗り固めた虚栄人生)
境界性:今その瞬間を生きる人(ケース:愛を貪る少女)
反社会性:冷酷なプレディター(ケース:反逆した教師の息子)
回避性:傷つきを恐れる消極派(ケース:冷たい女の正体)
依存性:他人任せの優柔不断タイプ(ケース:ローン地獄の女性)
強迫性:生真面目すぎる頑張り屋(ケース:女王蜂に見捨てられた働き蜂)

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