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意外とオーソドックスな評伝&作品解説の岩波新書版。ビジュアル充実の別冊太陽。

三島由紀夫―悲劇への欲動.jpg  三島由紀夫―別冊太陽.jpg 三島由紀夫―別冊太陽2.jpg
三島由紀夫 悲劇への欲動 (岩波新書 新赤版 1852) 』['20年] 『新版 三島由紀夫 (320) (別冊太陽 日本のこころ)』['25年]
 岩波新書版は、三島由紀夫の衝撃的な自決から50年を経て、第一人者が作家と作品に迫ったもの。サブタイトルにあるように、三島由紀夫には「悲劇的なもの」への憧憬と渇仰があり、それは三島由紀夫にとって存在の深部から湧出する抑えがたい欲動であったとする「前意味論的欲動」論を唱えています。

 冒頭にこの論が出てくるため、少し読むのにしんどいかなと思いましたが、読んでみると、事本的には、作品ごとに追っていく比較的オーソドックスな流れの評伝&作品解説でした(因みに著者は、近畿大学文芸学部教授(現名誉教授)で、山中湖にある「三島由紀夫文学館」館長。1955年生まれで、1970年11月25日の時点で15歳だった)。

 章立ては以下の通り。
  序 章 前意味論的欲動
  第一章 禁欲の楽園――幼少年期
  第二章 乱世に貫く美意識――二十歳前後
  第三章 死の領域に残す遺書――二十代、三十一歳まで
  第四章 特殊性を越えて――三十代の活動
  第五章 文武両道の切っ先――四十代の始末
  終 章 欲望の完結

 全体的にはそう難しくないですが、第5章は、作品論を離れて、「英霊の声」とか「文化防衛論」を論じてはいますが(これらも"作品"と言えばそうなる)、三島にとっての天皇論になっていて難しいのと、三島が皇居突入計画を(「観念の内で」)目論んでいた!という、かなり先鋭的な論になっていて、やや馴染めなかったです。ただ、その他の作品解説または作品論の部分は、比較的"穏当"(笑)で良かったです。

 ただし、『豊穣の海』を論じた第6章も少し難しかったかもしれません。『豊穣の海』は、第1巻『春の雪』から輪廻転生をモチーフとして後に繋がっていくものの、第4巻の『暁の寺』のラストで輪廻転生が否定され、それまでの流れが覆ってしまうことが、この作品における謎として知られていますが、これは主人公の本多が唯識の理論に到達したためであるとしていて、う~ん、この辺りもよく分からない。

 個人的に面白かったのは、『仮面の告白』を、当時は、異性愛者/同性愛者の対立構造のもと同性愛小説として切り分けようとしたため、主人公の心情の解釈に無理があったのであって(主人公は自らの性癖を吐露しながら、女性にも恋をしている)、今はLGBTの社会的認知が進んだことで、『仮面の告白』のセクシュアリティはより明瞭になったとしている点で、ナルホドと思いました。『仮面の告白』という作品は、時代とともに読まれ方が変わってくる可能性があるのかも。

三島 由紀夫 (別冊太陽 日本のこころ)』['10年]
三島由紀夫―別冊太陽 旧版.jpg三島由紀夫―別冊太陽3.jpg 因みに、今年['25年]は三島由紀夫の生誕100年にあたり、多くの「三島本」が刊行され、ムックである「別冊太陽」も、15年前に刊行の「三島由紀夫」特集(2010年10月刊)の「新版」を出しました。監修は旧版と同じく「三島由紀夫文学館」顧問の松本徹・元近畿大学教授(1933年生まれ)ですが、松本徹氏の弟子方である著者(佐藤秀明氏)が、三島の生涯と作品の俯瞰から「英霊の声」「豊穣の海」など個々の作品解説まで9本と最も多い寄稿をしています。

 こちらも、生涯と作品を同時並行的に追っていて、作品解説の方は本書とダブる部分もありますが、昭和21年ごろに書かれた「会計日記」といった生活の外面的記録もあります(発表を意図しない日記で、これまで見つかった唯一のもので、この部分も著者が解説している)。

 例えば、岩波文庫版の36ページに、三島の学習院中等科・高等科での成績の話が出てきますが(「教練」は「上」であり、三島は45歳になってもそのことを得意がってたという)、別冊太陽版の30ページに高等科卒業時の通知表が掲載されています(卒業時も「教練」は「上」。全体の席次は24人中1位)。

 また、そうした資料のみならず、表紙を初めとして、「高貴な被写体」とされた三島の写真も多くあり、ビジュアルが充実していて楽しめます。
新版 三島由紀夫(別冊太陽.jpg

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このシリーズ、持ち運びができていい。日常の一コマが芸術になる妙。

ポケットフォト - コピー.jpgアンリ・カルティエ=ブレッソン (ポケットフォト)01.jpg
アンリ・カルティエ=ブレッソン(ポケットフォト) (POCKET PHOTO)』['10年]
 写真家の代表作ほか、解説文や年譜、参考文献といった資料的な情報をハンディサイズに収めた創元社の「ポケットフォト」シリーズの1冊で、このシリーズは本書の他に、ウォーカー・エヴァンス(米国出身の記録写真家)、マン・レイ(米国出身の写真家・画家・彫刻家・映画監督)、ヘルムート・ニュートン(ドイツ出身の写真家)、ロバート・キャパ(ハンガリー出身の報道写真家)、ドン・マッカラン(英国出身の報道写真家)、マグナム・フォト(写真家集団)、荒木経惟(日本からただ一人)、ルイス・キャロル(あの『不思議な国のアリス』の)、ビル・ブラント(ドイツ出身の英国の写真家)、アンドレ・ケルテス(ハンガリー出身の写真家)、サラ・ムーン(フランス出身の女流写真家)の全12冊あり、アンリ・カルティエ=ブレッソンからヘルムート・ンユートンまでの4冊が第1期です(トータルディレクションは、サラ・ムーンの夫で、巨匠たちからの信頼も厚いとされるディレクター、ロベール・デルピール)。

アンリ・カルティエ=ブレッソン (ポケットフォト)04.jpg アンリ・カルティエ=ブレッソン(1899-1984)は、激変する世界の国々を訪れ、その歴史的な「決定的瞬間」をカメラに収めたの写真家です。他の写真家の写真集もそうですが、アンリ・カルティエ=ブレッソンの写真集も大判のものが多く、それに対して本書は、手軽に持ち運びができていいです。63点を所収し、右ページを写真に使い、左ページは余白になっていて、下部左にタイトルや撮られた場所、撮影年が記されています。点数自体はそう多くはないですが、「決定的瞬間」の象徴的作品である「サン=ラザール駅裏」など代表的写真を収め、アンリ・カルティエ=ブレッソンのエッセンスが詰まっているとも言えます。

アンリ・カルティエ=ブレッソン (ポケットフォト)05.jpg それと、前の方はパリを始め、フランスやスペイン、ヨーロッパ各地で撮られた写真が多アンリ・カルティエ=ブレッソン (ポケットフォト)06.jpgいですが、後半になると、中国やインド、アメリカやメキシコなどで撮られたものもあり、世界の国々を訪ねた痕跡が見られます。日本で撮られたものも一葉あり、東京で開かれた自身の写真展で来日した際に撮ったものと思われ、タイトルは「歌舞役者の葬儀」(1965)。この時5カ月くらい日本に滞在していたらしいですが、葬儀の写真が選ばれているのが興味深く思われました(選んだのはロベール・デルピールか)。
  
 アンリ・カルティエ=ブレッソンは小型カメラのライカを手に街中を歩きまわって、日常の一コマを撮影していたそうで、被写体にポーズを取らせて撮影したり、写真のために作り上げた対象を撮影したりするというスタイルではないのです。それでいて、そうして撮られた写真が完璧な構図になっているのがまさに「決定的瞬間」であり、普段の暮らしや日常の一瞬を切り取っただけのものが芸術となるところに作品の妙があるのではないかと思います。

ポケットフォト - コピー.jpg

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全生涯にわたる作品から1000点を収録したまさに決定版。太宰治のあの写真は偶然撮られた。

林忠彦写真全集01.jpg林忠彦写真全集0.jpg
林忠彦写真全集』['92年]350mm × 263mm 650ページ函
林忠彦 2.jpg林忠彦.jpg 林忠彦(1918-1990/享年72)は日本写真界の重鎮として「木村伊兵衛写真賞」「土門拳写真賞」と並んで「林忠彦賞」として日本の三大写真賞にその名を連ねる写真家ですが、その全生涯にわたる作品から1000点を収録した決定版とでも言うべき写真集です。戦前の写真から晩年までを年代順に網羅し、林忠彦の写真家人生を総括した一冊と言え、ページ数 650ペ―ジ、厚さ5.5センチのボリュームになります。

 全4部構成で第1部が「戦時下の日本 昭和16年~20年」、第2部が「甦った平和 昭和21年~25年」、第3部が「新しい時代の幕あけ 昭和26年~36年」、第4部が「繁栄の時代 昭和39年~平成2年」となっており、貴重な時代の記録にもなっています。また、文章も書ける写真家なので、当時の時代背景や写真が撮られた際の状況が詳しく解説されています。

林忠彦写真全集001.jpg 第1部の戦時下では、松戸飛行場の哨戒出動前の航空兵たちや、昭和17年のシンガポール陥落時の街の賑わい、秋田で材木運搬に携わる女性たちの写真などがあります。

林忠彦写真全集002.gif 第2部の戦後間もない頃の写真には、復員兵・引揚者・戦災孤児の写真や、占領下で復興していく日本の様子を写した写真に続いて、最後に「無頼派の作家たち」として、太宰治や坂口安吾、織田作之助などを撮った、よく知られている写真があります。太宰治を撮ったのは、銀座の酒場「ルパン」に織田作之助を撮りに行ったら、反対側で坂口安吾と並んで「おい、俺も撮れよ」とわめいたベロベロに酔った男がいて、「あの男はいったい何者ですか」と人に訊くと太宰治だったということで、あの写真、"偶然の産物"だったのかあ(太宰が写っている写真の右手前は坂口安吾の背中)。

林忠彦写真全集 三島・石原.jpg 第3部の昭和26年~36年の写真では、冒頭に三島由紀夫など戦後文学の旗手たちの写真があり(後の方に石原慎太郎も裕次郎とともに出てく林忠彦写真全集 川端.jpgる)、長嶋茂雄、力道山といったスポーツ界のスターの写真もあります。さらに賑わう街の裏表を映した写真があって、サブリナスタイルで街を闊歩する八頭身美人の写真もあれば、ヌード劇場、女相撲、SMショーなどの写真も。しかし、昭和29年に撮られた帰省者で溢れる上野って、当時まだこんな感じかと。都会ばかりでなく地方の農村・漁村の当時の風俗を撮った写真も多数あり林忠彦写真全集003.jpgます(昭和28年の復帰時の奄美大島の写真などは貴重)。さらには、昭和30年に渡米した際に撮られた写真も。東海道を撮った写真に続いて第3部の後半には、谷崎潤一郎、川端康成、志賀直哉をはじめ、数多くの作家が登場、「婦人公論」の企画として撮られた小説作品の舞台を探訪した写真群を復刻編集したものがあり、さらに、女優、映画監督、俳優、さまざまな分野の芸術家の写真があり、この有名人の写真の部分だけで140ページほどもあります。

林忠彦写真全集004.jpg 第4部の昭和39年以降についても、変わりゆく日本の姿を追う一方で、日本の著名な画家や経営者の写真があり、この辺りからカラー写真になってきます。高林庵(奈良慈光院の茶室) など全国の有名な茶室の写真があり、家元を撮った写真も。また、五百羅漢像の写真、旅先で撮った世界中の美しい写真、日本各地の懐かしい風景写真、長崎の海と十字架をモチーフとした写真、維新の英傑・西郷隆盛の跡を追ったや若き英傑の跡を追った長州路の写真、第3部でもあった東海道の写真(箱根杉並木の写真がいい)等々です。

 没後2年後に刊行されたため、ある意味〈追悼特集〉とも言え、巻末に多くの人がその人柄を懐かしむ文章を寄せる一方、「林忠彦論」も4編あり、最後は在りし日の林忠彦を偲ぶアルバム集と、生涯を辿る年譜となっています。冒頭にも述べましたが、まさに決定版と言えるものです。

林忠彦写真全集007.jpg

林忠彦 3冊.jpg文士の時代 (中公文庫 は 67-1) 』['14年]/『時代を語る 林忠彦の仕事』['18年]/『林忠彦 昭和を駆け抜ける』['18年]

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民俗学的記録を超える写真表現を追求した「雪国」「裏日本」を堪能した。

写真家・濱谷浩00.jpg
生誕100年 写真家・濱谷浩』['15年](26.5 x 19.5 x 2.2cm)
写真家・濱谷浩2.jpg写真家・濱谷浩m.jpg 濱谷浩(1915-1999/83歳没)の先に取り上げた『濱谷浩写真集 市の音―一九三〇年代・東京』('09年/河出書房新社)は濱谷浩の没後10年目の記念写真集でしたが、2015年刊行のこちらは生誕100年の記念写真集です(戦後70年の節目でもある)。民俗学への傾倒とともに人間と風土を見つめ続けた代表作『雪国』、『裏日本』からの抜粋をはじめ、1930年代の写真家としての出発点から1960年代の安保闘争までの国内で撮影された主要なモノクローム作品までの200点を通して、写真家・濱谷浩の足跡を辿ります。
写真家・濱谷浩y.jpg
 第1章「モダン東京」、第2章「雪国」、第3章「裏日本」、第4章「戦後昭和」、第5章「學藝諸家」という章立てです。時期的には「雪国」と「學藝諸家」が自身で区分するところの第1期(1930-1950)で、「裏日本」が第2期(1951-1970)になり、第3期(1970‐)の作品は取り上げていません。

 活動前半期にあたる1930年代から60年代の仕事に注目している一方、1960年代で区切られていて、以降の後期の作品が収められていないのは、解説にもあるように、2015年に新潟県立近代美術館で開催された「生誕100年 写真家・濱谷浩―人間とは何か、日本人とは何か 1930s-1960s」がこの写真集のベースになっているためです。

写真家・濱谷浩う.jpg ではなぜその写真展が濱谷浩の前中期の作品まで取り上げ、後期作品を取り上げなかったかというと、全部取り上げて散漫になるより、ある程度時期を絞った方がいいとキュレーターが考えたからとのことです。また、戦時中に新潟県高田市に疎開しており(代表作の1つに、1945年8月15日に疎開先の新潟県高田で撮影した《終戦の日の太陽》がある)、「雪国」「裏日本」といった作品に重きを置いた方が、新潟の人たちには親しみやすいということもあったのでしょう。

写真家・濱谷浩5.jpg 従って、生涯の作品傾向の推移を網羅的にカバーしたものではないというとは踏まえておいて、「雪国」や「裏日本」といったテーマに沿った写真群を眺めると、それはそれで味わい深いものがあり、「全部取り上げて散漫になるより、ある程度時期を絞った方がいい」と考えたキュレーターの意図に、写真集を通して嵌りました。特に、民俗学的記録を超える写真表現を追求した「雪国」「裏日本」を堪能しました(個人的に、自分が昭和30年代に雪国・裏日本に住んでいたということもある)。実際のところ、写真集『雪国』(毎日新聞社)は1956年、『裏日本』(新潮社)1957年の刊行で、今では入手が難しくなっており、「雪国」「裏日本」にフォーカスした本写真集は貴重です。

 一方でこの人には、『辺境の町ウルムチ』('57年/平凡社)、『見てきた中国』('58年/河出書房新社)など、早い時期に海外で撮った写真を収めた写真集などもありますが、こちらも入手困難です。本写真集の第1章の「モダン東京」も、「雪国」や「裏日本」とう写真家・濱谷浩4.jpgって変わって洒落ていて、まさにモダンないい感じです。この人のさらに別の写真集も見てみたくなりました。
  
《読書MEMO》
●目次:
時代の渦/濱谷浩
あいさつにかえて―濱谷浩氏と歩いた街角/酒井忠康
地域に文化の芽をまく―高田の濱谷浩/德永健一
一貫した真摯な姿勢/野町和嘉
第1章 モダン東京
第2章 雪国
第3章 裏日本
第4章 戦後昭和
第5章 學藝諸家
濱谷浩の半世紀―『潜像残像』から読み解く「写真家・濱谷浩」/藤田裕彦
福縁そして陽の名残り/多田亞生
年譜/加藤絢
主要文献/多田亞生、片野恵介

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1939年の写真が中心。テキヤ・辻売りの写真が豊富。民俗学的記録を超える写真表現。

濱谷浩写真集 市の音1.jpg濱谷浩 市の音.jpg 濱谷浩.jpg
濱谷浩写真集 市の音 一九三〇年代・東京』['09年] 濱谷 浩(1915-1999/享年83)

 濱谷浩(1915-1999/83歳没)の没後10年目の記念的写真集。民俗学者・渋沢敬三(渋沢栄一の孫で渋沢当主の実業家、財界人でありながら柳田國男との出会いから民俗学に傾倒し、漁業史の分野で功績を残した。本書のあとがきに紹介されている濱谷浩の自著にもあるように、濱谷浩が最も敬愛した人物)の示唆によって撮影した写真を含む当時の東京風景など、当時未発表の写真を多数掲載しているとのことです。

濱谷浩写真集 市の音2.jpg 日本に残る風俗写真、日常の生活写真を撮ることで、民俗学的記録を超える写真表現を追求した写真家であり、「一九三〇年代・東京」とサブタイルをつけたれた本書も、「浅草歳の市」「世田谷ボロ市」「葛飾八幡宮農具市」「辻売りと看板」という全5章の章立てで分類されています。百数十点ある写真の内、1939年に撮られた写真が多数を占め、今となってはなかなか見ることのできない珍しい写真ばかりですが、民俗学的記録としても価値があるのではないかと思われます。

 また、本写真集は、テキヤの写真が豊富なのが特徴的でしょうか。あとは"辻売り"(表紙写真は辻売りだが、売っているのは「読売新聞」!)。「浅草歳の市」のしめ縄売り(ほとんど特集的に撮っている)、日用雑貨売り、じゃがいも売り、お札売り、金太郎飴、「世田谷ボロ市」の箪笥・スコップ売り(なぜこの2つを一緒に売る?)、法被売り、長靴、下駄・草履売り、子守しながら古着を売る人、仏具やアイロンを売る人、「葛飾八幡宮農具市」のまな板など台所用具を売る人や衣濱谷浩写真集 市の音3.jpg類を売る人、農具を売る人、独楽回しの実演販売、唐傘売り、綿飴売り、かき氷屋、家相方位を説く香具師(ヤシ)、「辻売りと看板」における、先にも出た新聞売り、家の門前で芸能を演じて金品を貰う「門付」の三味線女(1937年に銀座5丁目で撮られたとある)、二輪車を引くうどん売り、同じく二輪車を押すはんぺん売り、天秤棒を担ぐ川魚売り、ほうずき売り、天秤棒を担ぐ豆腐売り(豆腐は昭和30年代までまだリアカーなどで売りに来ていたのではないか)、自転車にリアカーをつないでくるほうき売り、そして旗屋・納豆屋・酒屋・印鑑屋・小間物問屋などの看板等々見ていて飽きません。

 テキヤについては、厚香苗氏の『テキヤはどこからやってくるのか?―露店商いの近現代を辿る』('14年/光文社新書)によると、現代のテキヤの多くは地元の自営業者だそうですが、この頃のテキヤはまだ行商(集団または個人の移動生活者)が主流だったのではないでしょうか。そうした人たちとその家族がどういった生活を送っていたのか推し量るのは難しいですが、この写真集を見ていると、そうした人の生活の息吹が伝わってくる気もします。そうした意味では確かに「民俗学的記録を超える写真表現」と言えると思います。

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「東京人」で「都電」をメインに据えて特集した2冊。写真が充実。

東京人 1997年1月号都電01.jpg 東京人 昭和30年代、都電のゆく.jpg   どですかでん 1970.jpg 海に降る雪 1984.jpg
『東京人 1997年1月号「都電のゆく町」』/『東京人 2007年5月号「昭和30年代、都電のゆく町」』「どですかでん[東宝DVD名作セレクション]」頭師佳孝「海に降る雪 [VHS]」和由布子

 月刊「東京人」で「都電」をメインに据えて特集したのが、1997年1月号「都電のゆく町」と2007年5月号「昭和30年代、都電のゆく町」であり、この2冊は古書市場などでもセットになって出品されていたりします(純粋に「都電」に限定しなければ、2000年7月号特集「路面電車の走る街 都電荒川線と東急世田谷線」などといったものはある)。

1997年1月号都電目次.jpg東京人 1997年1月号都電02.jpg 1997年1月号「都電のゆく町」の方は、赤瀬川凖、安西水丸、浅田次郎といった人たち9氏が、消えた東京人 1997年1月号都電03.jpg懐かしの路線についてのそれぞれの思いの丈を綴っていますが、何よりも良かったのが、池内紀、南伸坊、田中小実昌の3氏による、唯一現存する都電荒川線のリレー紀行で、実際に改めて都電に乗ってみて、駅ごとに乗り降りして書いているのでシズル感がありました。
 
図説 なつかしの遊園地・動物園あらかわ遊園.jpg田中小実昌2.jpg 中でも、「王子駅前」から「三ノ輪橋」までの15駅区間を担当した田中小実昌の「終点は飲み屋の入り口。」というエッセイが面白かったです。荒川遊園地前で降りて、荒川遊園地で、頭上のレールを、ペダルをこいで走るスクーターみたいのが面白かったと(自分も昔に子どもを連れて乗った)。遊園地の河の手が隅田川の遊覧船の発着場所になっているのを見て、「隅田川も遊覧船が行き来するなど、セーヌ川なみになってきた」(笑)と。そして最後は、三ノ輪橋で降りて、酒場「中里」で煮込みを堪能する―(「中ざと」は、多分同じ店だと思うが、どちらかというと日比谷線の三ノ輪駅に近い場所に今もある)。

東京人 1997年1月号都電路線図.jpg 写真も充実して、付録で都電の大判路線図(「電車案内図」)が八ツ折で付いていますが(コレ、貴重!)、かつては都内を網の目のように都電が走っていたのだなあと改めて思わされます。この路線図は、2007年5月号では見開きページで(4分の1くらいの大きさになってしまったが)掲載されています。今残っているのは都電荒川線だけかあ。

 でも、1997年の都電荒川線と今の都電荒川線の車両や停車駅など見るとあまり変わっていないなあとも思ました。車両は今はいろいろなモダンなデザインのものが走っていますが、昔からの東京都カラーのも敢えて残しているのでしょう。駅が変わらないのは、スペースが狭くて変えようがない?

東京人 1997年1月号都電04.jpg 
 
2007年 05月号 都電目次.jpg東京人 2007年 05月号 都電01.jpg 2007年5月号「昭和30年代、都電のゆく町」の方は、昭和30年代という時代がコンセプトになっているようで、こちらも貴重な写真が多く、漫画家のつげ忠男氏などが文章を寄せていて、前の特集の二番煎じになっていないのがいいです(使いまわしが無く、重なっているのはまさにその「電車案内図」ぐらいか)。
 
東京人 2007年 05月号 都電02.jpg 目玉は、小林信彦氏と荒木経惟氏の対談で、でも実質4ページ足らずなので、やや物足りない感じ。その代わり写真が豊富で、また、都電が乗り物絵本でどのように描かれてきたかといった興味深い図版も10点ぐらいあります。都電の車両図鑑などもあって(都電の鉄道オタク向け?)ある意味マニアックです。

 映画評論家の浦崎浩實氏による、都電が出てくる映画なども紹介されています。中上健次原作の「十九歳の地図」('79年)の主人公は、「飛鳥山」あたりから都電で予備校に通っていたと。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「珈琲時光」 ('04年)にも荒川線が出てくると(あの映画、JRや東京メトロも出てくる)。黒澤明の初のカラー作品「どですかでん」('70年)は、映画スチールも紹介されどですかでん02.jpgているけれど、"電車バカ"(頭師佳孝)が運転するのは"空想の路面電車"で、原作者の山本周五郎の経歴からすれば、横浜市電がモデルらしいです(本作は興行的には失敗し、黒澤明は大きな借金を抱えることになった。だだし、第44回「キネマ旬報ベスト・テン」では第3位に選ばれ、井川比佐志が男優賞を受賞した)。
「どですかでん」('70年/東宝)頭師佳孝/菅井きん

海に降る雪  1984.jpg 個人的には、畑山博原作、中田新一監督、和由布子主演の「海に降る雪」('84年)がここに出てこないのが残念。故郷を飛び出した男女が同棲するのが、まさに都電が軒をかすめるように通るアパートではなかったか(と思うのだが、都電ではなかったのか。コレ、DVD化されていないなあ)。因みに、小説発表後、女優の出演希望や企画申し込みが殺到し、一時は原田美枝子主演・監督で製作に入ったというエピソードもあります。体当たり演技の和由布子は、渡辺淳一原作、池広一夫監督の「化粧」('84年)で松坂慶子、池上季実子と京都の老舗料亭の三姉妹を演じたのが映画デビュー作で、この作品が映画出演第2作で初主演でした。1989年に五木ひろしと結婚して女優を引退しています。新高輪プリンスでのゴージャスな結婚式はバブル期を象徴するものでしたが、この映画のアパートで同棲する主人公とイメージと合わないなあと思った記憶があります。

都電さくらトラム.jpg 最後に「都電」の話に戻って、都電荒川線には2017年から「東京さくらトラム」という愛称が付けられていますが、都電に乗らない人にはあまり定着していないのではないでしょうか。逆に、都電によく乗る人の間では、「東京さくらトラム」が正式名称だと思われているフシがありますが、正式名称は「都電荒川線」のまま変わっていません。


 どですかでんc.jpg「どですかでん」●制作年:1970年●監督:黒澤明●脚本:黒澤明/小国英雄/橋本忍●撮影:斎藤孝雄/福沢康道●音楽:武満徹●原作:山本周五郎『季節のない街』●時間:140分●出演:頭師佳孝/菅井きん/三波伸介/楠侑子/伴淳三郎/丹下キヨ子/日野道夫/下川辰平/古山桂治/田中邦衛/吉村実子/井川比佐志/沖山秀子/松村達雄/辻伊万里/山崎知子/亀谷雅彦/芥川比呂志/奈良岡朋子/三谷昇/川瀬裕之/根岸明美/江角英明/高島稔/加藤和夫/荒木道子/塩沢とき/桑山正一/寄山弘/三井弘次/ジェリー藤尾/谷村昌彦/渡辺篤/藤原釜足/小島三児/園佳也子●公開:1970/10●配給:東宝●最初に観た場所:池袋・文芸地下(81-01-31)(評価:★★★)●併映:「白痴」(黒澤明)
     田中邦衛/井川比佐志        渡辺篤/藤原釜足
どですかでん03.jpg
         伴淳三郎             三波伸介
どですかでん 伴淳 三波.jpg
  
海に降る雪s1.jpg「海に降る雪」●制作年:1984年●監督:中田新一●製作:相澤徹/北川義浩●脚本:石倉保志/中田新一●撮影:姫田真佐久●音楽:木森敏之●原作:畑山博●時間:105分●出演:和由布子/田中隆三/奥田瑛二/美保純/風間杜夫/井川比佐志/鈴木瑞穂/浦辺粂子/前田吟/橋本功/矢野宣●公開:1984/11●配給:東宝●最初に観た場所:新宿・ビレッジ2(84-11-25)(評価:★★★)●併映:「チ・ン・ピ・ラ」(川島透)
海に降る雪 7.jpg 海に降る雪 6.jpg海に降る雪s2.jpg 

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率直に面白かった。「ゴジラ-1.0」は高評価。"虚構"と"現実"、戦争の本質は変わらない―。

ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」01.jpgゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」02.jpg ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」03.jpg 紅の豚 宮崎.jpg
ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」 (文春新書 1480)』['25年]「紅の豚 [DVD]
小泉悠氏/高橋杉雄氏/太田啓之氏/マライ・メントライン氏
ゴジラvs.自衛隊 アニメの「戦争論」04.jpg 東京大学先端科学技術研究センター准教授の小泉悠氏(1982年生まれ)、防衛研究所防衛政策研究室長の高橋杉雄氏(1972年生まれ)、朝日新聞記者の太田啓之氏(1964年生まれ)、独テレビ東京支局プロデューサーで「職業はドイツ人」を自称するマライ・メントライン氏(1982年生まれ)という4人がアニメ・特撮を語ったもの。今、小泉悠氏と高橋杉雄氏の対談と言えば、小泉氏の『終わらない戦争』('23年/文春新書)や高橋氏の『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』('23年/文春新書)に見るようにウクライナ戦争になるわけですが、軍事の専門家に往々にして見られるように二人とも軍事・アニメオタクで、ここは忌憚なく自分の好きなん分野のことを語っているのがいいです(率直に面白かった)。

「ゴジラ-1.0」[.jpg 個人的には、小泉氏、高橋氏、太田氏の第2章「ゴジラvs.自衛隊」が読みどころでした。この章だけはアニメ論というよりゴジラ論ですが、タイトルの前半分を占めるだけのことはあります。3人とも「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」('23年/東宝) の評価が高いですが、冒頭に出てくる零戦の脚の開き方だけで興奮してOK出ししているのが面白いです。ただし、「ゴジラ-1.0」に関しては、ドラマ部分の分析・評価も、そこらの中途半端な映画評論より深いです。話は、なぜ米ソはゴジラと戦わず、相手はいつも自衛隊なのかといった国際政治論から、ゴジラを倒すにはどうしたらよいかといった戦術論にまで及び、こういった対戦や戦いが観たいという希望もどんどん入ってきます。そして最後は、ゴジラはなぜ「畏きあたり」を狙わないのかと。確かに!(小泉氏の「朕・ゴジラ」には笑った。言われてみれば、確かにゴジラはいつも皇居をよけて通る)。

On Your Mark0.jpg 小泉氏、高橋氏、太田氏の第1章「アニメの戦争と兵器」で、太田氏が宮崎駿監督のセリフ無しの約6分半の短編アニメ「On Your Mark」('95年/東宝)を取り上げていますが、「95年年7月公開なのに、ほとんどオウムみたいな新興宗教のアジトに警官隊が乗り込んで、虐殺するってところから始まりますから。宮崎さんこんなやばいの作るんだ」と思ったと。まさに時代を反映していたのだなあ。結末が翼を持つ妖精っぽい少女が救われるものだったので、あまり前の方の暗いイメージが残らなかったけれど、今思えばあの少女は《教団二世》で、テーマは彼女の《真の救済》だったということでしょうか。紅の豚5.jpg宮崎アニメについては、第4章「宮崎駿のメカ偏愛」でも触れていますが、個人的には「紅の豚」('92年/東宝)とかをもっと語って欲しかったけれども、あれは飛行機乗りの話だけれども戦争アニメではないということでしょう。「ルパン三世~カリオストロの城」('79年/東宝)、「風の谷のナウシカ」('84年/東宝)などでアニメ映画界の頂点に立った宮崎駿監督の6本目の長編アニメ作品で、個人的には宮崎駿監督作品の中でも好きな方なのですが(久石譲のピアノがいい。声優の森山周一郎、加藤登紀子らも。評価は★★★★)、宮崎駿監督はあの映画を「疲れて脳細胞が豆腐になった中紅の豚6.jpg年男のためのマンガ映画」と定義しています(自分が観たのは中年になりかけの頃か(笑))。因みに、Wikipediaによれば、脚本家の會川昇、映画監督でアニメーション演出家の押井守、おたく評論家の岡田斗司夫の3氏ともこの作品に対して批判的です(會川昇氏が指摘するように、最後はキャラクター同士に殴り合いさせることで戦争を回避しているともとれる。確かに甘いっちゃ甘いが、観ている側の方の"疲れて豆腐になった脳細胞"にはちょうど良かったかもしれず(笑)個人的評価は変えないでおく)。
 
新世紀エヴァンゲリオン1.jpg 共に80年代生まれの小泉氏とマライ・メントライン氏が第3章「日独『エヴァンゲリオン』オタク対決」で対決し、さらに第5章「『エヴァンゲリオン』の戦争論」で高橋氏、太田氏が加わって、全体として「機動戦士ガンダム」より「新世紀エヴァンゲリオン」の方がやや比重がかかっているでしょうか(もちろん「宇宙戦艦ヤマト」なども出てくるが、「ヤマト・ガンダム世代」は太田氏のみか)。第6章「佐藤大輔とドローンの戦争」がある意味いちばん戦争論っぽいですが、佐藤大輔ってどれぐらい読まれているのでしょう。この辺りは狭く深いです。

 ということで、マニアック過ぎてついていけない部分もありましたが、版元の口上にもあるように、"虚構"と"現実"、戦争の本質は変わらない―ということを感じさせてくれる本でした。

SFアニメと戦争.jpgSFアニメと戦争.jpg 因みに、高橋杉雄氏は『SFアニメと戦争』('24年/辰巳出版)という本も出しており、その中で「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」「新世紀エヴァンゲリオン」などを取り上げながらも「機動戦士ガンダム」の富野由悠季監督との対談もあったりして、こっちでは相対的に「機動戦士ガンダム」に比重がかかっているのでしょうか? 読んでみようかな。


SFアニメと戦争』['24年]


 

「ゴジラ-1.0」2023.jpg「ゴジラ-1.0」1.jpg「ゴジラ-1.0(マイナスワン)」●英題:GODZILLA MINUS ONE●制作年:2023年●監督・脚本:山崎貴●監督・特技監督:山田兼司/岸田一晃/阿部豪/守屋圭一郎●撮影:柴崎幸三●音楽:佐藤直紀/伊福部昭●時間:125分●出演:神木隆之介/浜辺美波/山田裕貴/田中美央/遠藤雄弥/飯田基祐/永谷咲笑/須田邦裕/谷口翔太/鰐渕将市/三濃川陽介/日下部千太郎/赤妻洋貴/千葉誠太郎/持永雄恵/市川大貴/吉岡秀隆/藤田啓介/苅田裕介/松本誠/伊藤亜斗武/保里ゴメス/阿部翔平/仲城煎時/青木崇高/安藤サクラ/佐々木蔵之介●公開:2023/11●配給:東宝●最初に観た場所:TOHOシネマズ日本橋(23-12-20)(評価:★★★★)

宮崎駿監督作品 On Your Mark CHAGE&ASKA[][Laser Disc]
On Your Mark.jpgOn Your Mark3.jpgOn Your Mark1.jpg「On Your Mark」●制作年:1995年●監督・脚本・原作:宮崎駿●製作:Real Cast Inc.(制作はスタジオジブリ)●撮影:奥井敦●音楽:飛鳥涼(主題歌:CHAGE&ASKA「On Your Mark」●時間:6分48秒●公開:1995/07●配給:東宝(評価:★★★☆)

ジブリがいっぱいショートショート.jpgジブリがいっぱいSPECIAL ショートショート 1992-2016 [DVD]

紅の豚 [DVD]
紅の豚 宮崎.jpg紅の豚 宮崎01.jpg紅の豚 宮崎05.jpg「紅の豚」●制作年:1992年●監督・脚本・原作:宮崎駿●製作:鈴木敏夫●撮影:奥井敦●音楽:久石譲(主題歌:加藤登紀子「さくらんぼの実る頃」)●時間:93分●出演(声):森山周一郎/古本新之輔/加藤登紀子/岡村明美/桂三枝/上條恒彦/大塚明夫/関弘子/稲垣雅之●公開:1992/07●配給:東宝(評価:★★★★)

《読書MEMO》
●目次
はじめに 小泉悠
第1章 アニメの戦争と兵器
小泉悠(東京大学准教授) 
高橋杉雄(防衛研究所防衛政策研究室長) 
太田啓之(朝日新聞記者)
 『宇宙戦艦ヤマト』の多層式空母と空母「赤城」/ザクしか出すつもりがなかった『ガンダム』のリアリティ/冷戦期のソ連の設計局は仲が悪いだけ/『パトレイバー2』のGCIとの通信シーンのリアル/トルメキアのバカガラスはMe-321ギガント/「イングラム」ナンバープレートとペイントの日常との地続き感/軍が民間人を守る話の魅力/「バカメと言ってやれ!」はバストーニュの「Nuts!」がモデル/『新世紀エヴァンゲリオン』のソ連の存在感/『エヴァ』と終末論/『この世界の片隅に』の片渕須直と宮崎駿/『王立宇宙軍』を子どもに観せたら奥さんに怒られた
第2章 ゴジラvs.自衛隊 
小泉悠 高橋杉雄 太田啓之
 零戦の脚だけで大興奮/16インチ砲ならゴジラに勝てるのか!?/ゴジラを生き物としてリアルに描くと怖くなくなっていく/ゴジラは水圧で死ぬようなタマじゃない/ゴジラ対戦艦「大和」/震電の脱出装置にオタクはみんな気づいていた!?/「高雄」型重巡4隻で巡洋艦戦隊を組んでゴジラに勝つ/ファンタジーに向かう段取りが「リアル」を生む/無人在来線爆弾とソ連原潜の戦略的共通点/アメリカはどんな悪役にしてもOK?/ゴジラは榴弾砲でアウトレンジして倒すべし
第3章 日独『エヴァンゲリオン』オタク対決
小泉悠 マライ・メントライン(職業はドイツ人)
 『エヴァ』は両親に見られたらマズい!?/ロシア人は「早くエヴァに乗れや!」と銃を突きつける/「脳内ドイツ」を生ドイツ人に肯定してもらう/じつはドイツ語をしゃべれなかったアスカ/ゼンガーの宇宙爆撃機のガンギマっている感じ/ソ連萌えと人類補完計画/『新劇場版』でアスカがドイツ語をしゃべってくれない!?/ショルツ首相の黒い眼帯は中二病/アスカのドイツ語はかなり変
第4章 宮崎駿のメカ偏愛
小泉悠 高橋杉雄 太田啓之 ゲスト 大森記詩(彫刻家)
 宮崎駿は黄海海戦を映像化したかった/「ガンシップ」の燃料は水!?/「車輪が付いた飛行機出さねぇぞ」みたいな謎のこだわり/機体は汚れているほうがかっこいい/「鳥」は宮崎駿の飛行機の原点/宮崎作品とタバコとロシア人の倫理観/80年前のナチスドイツの超技術/アメリカ人には「連続モノアニメ」という概念がなかった/「トゥールハンマー」「グランドキャノン」「ソーラ・レイ」......巨砲兵器の戦場/宇宙ではチョークポイントがないと戦争が発生しない
第5章 『エヴァンゲリオン』の戦争論
小泉悠 高橋杉雄 太田啓之 マライ・メントライン ゲスト 神島大輔(マライの夫)
 宮崎駿の『雑想ノート』でデートの約束/『エヴァ』が嫌いで大好き/日本の国歌『残酷な天使のテーゼ』/パパと一緒に「松」型駆逐艦を作ろう/小泉さんはアスカがお好き/『エヴァ』の兵器の使い方は特撮/『ゴジラ−1.0』と『シン・ゴジラ』のフェチの差/アスカがリアルヨーロッパ人だったら?/ドイツ人は効率重視で人類補完計画に賛同する!?
第6章 佐藤大輔とドローンの戦争
小泉悠 高橋杉雄
 佐藤大輔『遙かなる星』は完結している!?/"冷戦"に持っていた憧憬/佐藤大輔とアメリカとバブル日本/『クレヨンしんちゃん』の自衛隊考証がすごい/二足歩行ロボットは格闘戦で使うべし/『ガンダム』世界の階級は  テキトー!?/今のXのトレンドが、まるで90年代アニメみたい/自衛隊が反乱する可能性/ ChatGPT の哲学的ゾンビ問題/プーチンの補佐官が書いた小説で見えた未来
おわりに 小泉悠

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フランス行き同行記&インタビュー。原画掲載7作はほぼ最強のラインアップ。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行.jpgつげ義春ー名作原画とフランス紀行2.jpg
つげ義春 名作原画とフランス紀行 (とんぼの本)』['22年]

 つげ義春は、2017年に本書の第1弾に当たる『つげ義春―夢と旅の世界(とんぼの本)』('14年/新潮社)と一連の作品で第46回「日本漫画家協会賞」の「大賞」を受賞し、2020年には第47回「アンつげ義春ー名作原画とフランス紀行4.jpgグレーム国際漫画祭」で「特別栄誉賞」を受賞しています。いま、世界がようやく「つげ義春」を発見しつつあるといったところでしょうか(本人はとっくに描くのをやめているのだが)。

 本書は、82歳になるこれまで海外に旅行したことがない作家本人が、直前までアングレーム国際漫画祭での授賞式に参加するかどうかわからなかったものの、アングレーム側から航空チケットの予約済み連絡があり、関係者さえ直前に蒸発するのではと半信半疑ながらも(日本漫画家協会賞の授賞式の時に蒸発した"実績"がある)何とか現地入りした、その全旅程に密着取材した同行記を主とする「つげ義春、フランスを行く」(「芸術新潮」2020年4月号の同題特集を増補・再編集し、仏誌「ZOOM JAPAN」のインタビューを加えたもの)が前30ぺージで、残り160ページが、1965年から70年にかけて「月刊漫画ガロ」に掲載された作品より7作を選び、原画をフルカラースキャンした「原画で読む七つの名作」になります。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行1.jpg 「つげ義春、フランスを行く」の部分は、渡仏の前年に「ZOOM JAPAN」に掲載されたインタビューが興味深く、今まで作家が語ってこなかったようなことがここでは随分と語られているように思いました。水木しげるの助手をしていたことは知られていますが、「ゲゲゲの鬼太郎」において「鬼太郎以外、キャラクターをほとんど描いていました」との発言にはびっくり(背景専門ではなかったのか)。自身の作品のほとんどは想像であるのに、実際の経験を描いていると勘違いする読者もいて、「無能の人」を描いた時に、水木しげるからも「多摩川の石を売っているんだって?」と言われたとか。

 フランス紀行の本体に部分は、そのインタビューでも同席・サポートした浅川満寛氏による同行記になっていますが(ほかに息子のつげ正助氏も同行)、精力的にいろいろいろな所を観て回るというほどでもなく、むしろ年齢的なものかやや疲れ気味な印象も。それでも授賞式では壇上で笑顔で手を振っています。帰国後の浅川氏によるインタビューで、授賞式に出て、壇上に上がって何百人もの観客に手を振るなんて、「自分で意外でした(笑)」「ずうずうしくなったのかな」と。座右の銘が「いて、いない」「目立ちたくない」ということで通ってきたからなあ、この人。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行3.jpg 「原画で読む七つの名作」は、「ガロ」'66年2月号掲載の「沼」、'68年6月号掲載の「ほんやら洞のべんさん」、'68年1月号掲載の「長八の宿」、'68年8月号掲載の「もっきり屋の少女」、'67年6月号掲載の「李さん一家」、'70年2、3月号分載の「やなぎや主人」、'67年9月号掲載の「海辺の叙景」の代表作7作品を所収。同じく代表作である「赤い花」('67年10月号)、「ねじ式」('68年6月号)、「ゲンセンカン主人」('68年2月号)の原画は、『つげ義春 夢と旅の世界(とんぼの本)』('14年/新潮社)に掲載済みのため、本書にはありませんが、それでも第1弾同様、密度の濃い(ほぼ最強と言っていい)ラインアップだと思います。定期的にその作品を読み直したくなる稀有な作家ですが、それでも原画で読むとことでまた味わいが深まった気がします(この「原画で読む七つの名作」に関して言えば評価は◎)。

つげ義春ー名作原画とフランス紀行6.jpg 本書はサブタイトルに「名作原画」とあるため、原画が掲載されていると知れますが、第1弾の『つげ義春 夢と旅の世界 (とんぼの本)』は、なぜ表紙の「ねじ式」の絵が薄茶けているのか分からないのではないでしょうか。第2弾が刊行されたというのは、「芸術新潮」の特集の使い回し感があるものの、たまたまそうしたフランス行きという契機があったということで、それはそれで良かったと思います。


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名作「ねじ式」「赤い花」「ゲンセンカン主人」の原画と4時間のロング・インタヴューが良い。

つげ義春 夢と旅の世界.jpgつげ義春 夢と旅の世界01.jpg つげ義春 夢と旅の世界3.jpg
つげ義春: 夢と旅の世界 (とんぼの本)』['14年]

つげ義春 夢と旅の世界。.jpg つげ義春の作品で「月刊刊漫画ガロ」の1968年臨時増刊号に掲載され、従来のマンガの常識を打ち破ったとセンセーションを引き起こした「ねじ式」を始め、1968年12月の「夢日記」をベースとした「外のふくらみ」、「ガロ」の1967年10月号に掲載された名作「赤い花」、同じく1967年7月号に掲載された「ゲンセンカン主人」の4作を原画で掲載。さらに山下裕二氏による作者へのインタビューや山下裕二氏自身へのインタビュー、作者自身による作品解説の付いた略年譜や、作者自身が全国各地の鄙びた温泉地で撮った、失われた侘しい日本が滲み出る写真など、密度濃く盛りだくさんです。

 本書は、2017年度・第46回「日本漫画家協会賞」の「大賞」を受賞していますが、個人的にも、「ねじ式」「赤い花」「ゲンセンカン主人」がつげ義春 夢と旅の世界02.jpg原画で掲載されているというだけで◎評価になってしまうなあ(笑)。表紙とタイトルだけ見ると、名作が原画で掲載されているということが分からないのがやや惜しいです(本が汚れていると思った図書館員がいる)。作者のアングレーム国際漫画祭での授賞式参加のための初の海外旅行を機に、2022年に刊行された第2弾は、『つげ義春 名作原画とフランス紀行(とんぼの本)』というタイトルになっています(編者も同じことを思ったか)。

 記事部分では、明治学院大学教授の美術史家で、「日本の美術史上いちばん好きな作家は誰ですか」と聞かれると躊躇なく「つげ義春」と答えるという山下裕二氏による作家本人への4時間のロング・インタヴューが充実しています。このインタヴューの時点で、作家は25年以上もの休筆状態にあり、作家からの貴重な発信と言えます。

つげ義春 夢と旅の世界s.jpg その中で、リアリズムとシュルレアリスムの一致点についてかなり形而上学的な議論を展開しているのが興味を引きます(個人手にはヘンリー・ミラーのシュヘンリー・ミラー.jpgルㇾアリスム論を想起させられた。ミラーはリアリズムもシュルレアリスムも着地点は同じだとしている)。一方で、好きな映画・音楽談義や身近な生活上の話もあり、いちばん好きな映画を聞映画 居酒屋.jpgかれてルネ・クレマンの「居酒屋」を挙げ、それに対し山下氏が「原作はゾラだからまさにリアリズムだ」と言うと、次にビットリオ・デ・シーカの「自転車泥棒」を挙げ、「こっちはネオリアリズモ」と突っ込まれているのが可笑しかったです。

ルネ・クレマン「居酒屋」

 山下氏が長らく隠棲状態にある作家から、深い話、興味深いをいろいろ引き出している、このインタビューを読むと、「日本漫画家協会賞」の「大賞」受賞も頷けます。「この本は買っても買わなくても後悔するでしょう」(つげ義春)というキャッチが面白いですが、つげ義春の作品のうち名作とされるものは、何回も読み返せる魅力があるので、買って後悔はしないかと思います(笑)。

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「境界知能」という概念を本書で初めて知った。厳密な定義は難しい?

ケーキが切れない非行少年たち0.jpgケーキの切れない非行少年たち 0.jpgケーキが切れない非行少年たち.jpg
ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書) 』['19年]/『どうしても頑張れない人たち~ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書) 』['21年]/『歪んだ幸せを求める人たち:ケーキの切れない非行少年たち3 (新潮新書 1050)』['24年]
境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)帯
境界知能の子どもたちお.jpg 児童精神科医である著者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づいたといいます。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたと。しかし、それは普通の学校でも同じで、十数%そうした子どもたちがいて、それらは「境界知能」の領域にいるとされるそうです。そうした少年たちが描いた、課題に沿った図の写し取り図や、ケーキの図の分け方の図が衝撃的で、この本は結構話題になりました(2020年「新書大賞」第2位)。

 著者は、こうした非行少年に共通する特徴を"非行少年の特徴5点セット」+1"としてまとめており、それらは、①認知機能の弱さ、②感情統制の弱さ、③融通の利かなさ、④不適切な自己評価、⑤対人スキルの乏しさ、+1として、身体的不器用さ、であるとのことです。

 こうした子どもの特質は気づかれないことが多く、また、大人になると忘れられてしまうことが多いため、なおさら健常人と区別がつきにくいとのことです。著者は、こうした子らは褒めるだけの教育では問題の解決にならないとして、認知機能に着目した新しい治療教育とその具体例を紹介しています。

 発達障害や人格障害とは違った難しさがあるのだなあと思った次第ですが、潜在的にかなり高い比率で多くのそうした子どもがいるにも関わらず、今まであまり「境界知能」というものが巷で話題になっていなかったのが不思議で、本書が話題になったのも、その辺りの反動かと思います。

 '21年刊行の第2弾『どうしても頑張れない人たち』では、認知機能の弱さから、"頑張ってもできない"子どもたちがいることを指摘し、そうした子どもらはサボっているわけではなく、頑張り方がわからず、苦しんでいるのだとして、そうした子どもらをどう支援していくべきかを説いています。

 '24 年刊行の第3弾『歪んだ幸せを求める人たち』では、誰でも幸せになりたいと思う中で"歪んだ幸せを求める人たち"がいて、その例を5つの歪み(怒りの歪み・嫉妬の歪み・自己愛の歪み・所有欲の歪み・判断の歪み)に沿って紹介し、そうした歪んだ幸せを求める背景を、心理的観点から考察しています。


 第3弾に来て、ちょっと話が拡がりすぎた気もしなくもなかったです。「おばあちゃんを悲しませたくないので殺そうと思いました」というのは、認知障害と言えば確かにそうだが、統合失調症ではないかなあ。火事場で愛犬を助けるために、甥っ子に火の中に飛び込めと言ったという叔母の例も、付帯条件が多すぎて、例としてはあまり良くないように思います。他にも、認知の歪みというだけで説明するのはどうかという事例がいくつかあったように思われました。

 もともと第1弾から、境界知能と学習障害や軽度知的障害を一緒くたに論じる傾向も見られたましたが、そうした傾向が第3弾に来てからばーっと拡がった印象も。児童福祉・障害福祉の実務者の中にも、本書の説明は実際にそぐわないと感じる人がいるようで、トラウマ反応、愛着形成や情動調整の未熟さ、性格など考慮すべき視点があり、認知の歪みだけでは説明することはできないとの意見もあるようです。

境界知能の子どもたち.jpg この間に著者は『境界知能の子どもたち―「IQ70以上85未満」の生きづらさ』('23年/SB新書)を出しており、ここでは「境界知能」をサブタイトルにあるように 「IQ70以上85未満」という定義を全面に出しており、一方で、「「普通」の子に見えるのに、「普通」ができない―これは、境界知能の子だけではなく、軽度知的障害の子にも当てはまる場合がある」としており、「境界知能」の延長線上に「軽度知的障害」があって、両者の違いは知能指数の数値の相違にすぎないともとれるようになっているようです。まだ読んでいないので、機会があればそちらに読み進みたいと思います。

 「境界知能」という概念を本書(第1弾)で初めて知りました。支援もたいへんかと思いますが、その在り方を丁寧に解説していて、何よりも、そうした子どもたちが大勢いることを指摘したことが大きいと思います。「こんな子、いるいる」という感じで一方で腑に落ちた読者も多かったのではないかと思われますが、第3弾にちょっとケチをつけさせてもらったように、その厳密な定義となると、結構難しい面もあるように思いました。
 
  

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「光免疫療法」という「第5の療法」ががん治療に革命をもたらす!

光免疫療法.jpg
光免疫療法 光文社新書.jpg   がんの消滅.jpg
がんを瞬時に破壊する光免疫療法 身体にやさしい新治療が医療を変える (光文社新書)』['21年]『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法 (新潮新書) 』['23年]
がん「だけ」死滅、光免疫療法 開発の道程と治療のいま」(朝日新聞)
光免疫療法図1.jpg 「光免疫療法」という人体に無害な近赤外線を照射してがん細胞を消滅させる、がんの新しい治療法が注目を集めています。2020年9月には、光免疫療法で使われる新薬「アキャルックス点滴静注」が世界に先駆けて日本で正式に薬事承認され、事業が本格化しています。本書は、この療法の開発者である、アメリカ国立衛生研究所(NIH)の主任研究員である日本人開発者が、光免疫療法とはどのような治療法なのか。身体への負担や副作用はあるのか。転移・再発の可能性はあるのかなどを述べたものです。

 第1章で光免疫療法とは何かを解説していますが、抗体にIR700という薬剤を搭載して、静脈注射で体内に注入、ガン細胞まで送り届け、そこで近赤外光(テレビのリモコンで使っているのと同じ見えない光)を当てると、IR700が反応して水溶性から不溶性になり、取りついているがん細胞の抗原を物理的に引っこ抜き、がん細胞を傷つけるが、さらにその穴から水分ががん細胞内に浸透し、すると内圧が高まって今度はがん細胞が破裂、がん細胞内部のこれまでは免疫を免れていた抗原が免疫系に認識されるようになり、治療箇所以外のがん細胞も免疫療法的に追跡してやっつけるというもの。

 獲得免疫であるから効果は永続し、がん再発や転移を防止する効果も期待されるそうです。しかも使われている薬が安く、何よりも究極のピンポイント療法であり、この方法であれば、放射線治療のように周囲の細胞をも破壊する恐れもないとのこと。米鵜国元大統領のバラク・オバマが一般教書演説で「米国の偉大な研究成果」と世界に誇ったことでも知られるます(開発者は日本人だが、所属が米国国立衛生研究所などでこうした紹介のされ方をする)。

 『コンビニ外国人』('18年/新潮新書)などの著書もあるノンフィクションライターの芹澤健介氏の『がんの消滅:天才医師が挑む光免疫療法』('23年/新潮新書)も、この辺りのメカニズムをわかりやすく解説していてて良かったです。「3割」の人にしか効かないと言われる「がん免疫療法」に対して理論上、「9割のがんに効く」とされるそうで、これが既存のがん療法(手術、放射線、化学、免疫療法)に対して「第5の療法」と言われ、がん治療に革命をもたらすとされる所以です。

 当該療法の誕生秘話や小林久隆氏の経歴、人となりについては、芹澤氏の新潮新書版の方が詳しく書かれていたかもしれません。その天才を強調し、「ノーベル賞級」と称えすぎているきらいはありますが、実際そうなのでしょう。本庶佑氏の「がん免疫療法」との違いも分かりやすく書かれています。というか、まったくアプローチの異なる療法なのですが、どうしてこうした紛らわしいネーミングになったのだろう。

光免疫療法の仕組み(先進医療.net)
光免疫療法の仕組み図1.jpg

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PD-1をPD-1抗体で壊す「がん免疫療法」を解説。生命科学論(幸福論)にも言及。

がん免疫療法とは何か .jpg 幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 ['21年]
がん免疫療法とは何か (岩波新書)』['19年]

 PD-1抗体による免疫療法は,がん治療の考え方を根本から変えた。偶然の発見を画期的治療法の開発へと導いた著者の研究の歩みを辿りながら、生命現象の不思議、未知の世界に挑むサイエンスの醍醐味、そして「いのち」の思想から日本の医療の未来まで幅広く論じる―(版元口上)。

 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による2019年4月刊の本書は、著者が以前に執筆した『いのちとは何か―幸福・ゲノム・病』('09年/岩波書店)と、『PD-1抗体でがんは治る-新薬ニボルマブの誕生』('16年/岩波書店、電子書籍のみの刊行)をベースとしており、全5章から成る内、『いのちとは何か』の一部を第3章「いのちとは何か」として収録、『PD-1抗体でがんは治る』の全編を、第2章「PD―1抗体でがんは治る」に収録し、全編を加筆修正したとのことです(第1章、第4章、第5章は書き下ろし)。岩波新書は、ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本を受賞後早くに出す傾向にあり、本書もその流れと言えるでしょう。

 第1章で、そもそも免疫とは何かを解説し、本書のキモは、続く第2章でのPD―1抗体によるがん治療=がん免疫療法の解説と、第3章の著者自身の生命科学論(幸福論)になるかと思います。この構成は、個人的には先に読んだ『幸福感に関する生物学的随想』('20年/祥伝社新書)と順番は異なるものの内容的には似ており、第2章のがん免疫療法の解説は、祥伝社新書の方がより平易に書かれているので、読む順番として逆になってちょうど良かったかも。

がん免疫療法「第4の道」手術・投薬・放射線に続き
[日本経済新聞社2018年10月2日]
がん免疫療法とは何か 4.jpgがん免疫療法とは何か ぅ.jpg その第2章ですが、がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、PD-1抗体よる免疫療法は後者で、がん細胞を攻撃するキラー・リンパ球(T細胞)の活動を抑え込むブレーキ=PD-1(著者らが1992年に発見した。免疫過剰を防ぐ機能がある。ただし、その心証を得たのは1996年)をPD-1抗体で壊すことで、キラー・リンパ球のがん細胞に対する本来の攻撃を活性化させるというものであるとのことです(24p)。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言え、これにより、今までうまくいかなかった治療が目覚ましく進展したと。そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、PD-1は偶然の発見だったという「幸運」もあったのことです(因みに、免疫薬(オプジーボ)が承認取得し、初めて発売されたのは2014年。本書ではその名は出てこない)。

 第3章は、著者自身の生命科学論(幸福論)になっていて、本書のタイトルからこうした内容は予測していなかった読者もいるかもしれませんが、個人的には『幸福感に関する生物学的随想』を先に読んでいたので、ああ、やっぱり(笑)と思いました。著者は、欲望の充足だけでは真の幸福感は得られず、不安を除去することが幸福感を得るためには必要で、人類が不安を除去するためにした最大の発明が宗教であるとしています。つまり、幸福感には「欲望充足型」の幸福感と「不安除去型」の幸福感があることから、幸福感が永続的に得られる道は、おそらく安らぎと、時折の快感刺激の混在であるとしています(85p)。

 この章では、章題の通り、生命論も述べており、生・老・病・死とはなぜあるのか、がんとは何か(細胞と個体の関係とは)、心とは何か、といったことを深く論じ、生命科学の未来を展望しています。著者が最も強調したかった生命の思想は、「生命は遺伝子を基礎とした独自の枠組みの中で、限られた遺伝子を用いながら驚くべき多様性を発揮できるということ、またその遺伝子そのものがダイナミックに変化し、環境との相互作用のなかで今日の生物種が生み出されてきたという進化の原理である」とのこと、「メンデルの法則とダーウィンの法則を遺伝子レベルでしっかり理解することが「生命の思想」の理解への一番の近道である」(158p)とも。

 第4章では、STAP細胞事件とそれを巡る報道を取り上げ、日本の科学マスメディアの閉鎖的な性格や国際性の欠如、・科学的な判断の欠如を批判し、優良な科学ジャーナリストの育成の必要性を説いているのが印象に残りました(180p)。全体としてはやはり、『幸福感に関する生物学的随想』よりはちょっと難しかったでしょうか。でも、(順序が逆だが)おさらいになりました。

《読書MEMO》
目次
はじめに
第1章 免疫の不思議
 生命システムの一般則/多細胞生物体の特徴/免疫のしくみ/獲得免疫の原理/特異性と制御/免疫の全体統御
第2章 PD―1抗体でがんは治る
 1 革新的がん免疫療法の誕生
 2 免疫学の発展とがん免疫療法のたどった道
 3 PD―1抗体治療の研究・開発の歴史
 4 PD―1抗体治療の今後の課題
 5 基礎研究の重要性――アカデミアと企業の関係を考える
第3章 いのちとは何か
 1 幸福感の生物学
 2 ゲノム帝国主義
 3 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅠ――流動性
 4 有限のゲノムの壁を超えるしくみⅡ――時空間の階層性
 5 ゲノムに刻まれる免疫系の〈記憶〉
 6 内なる無限――増え続ける生物種
 7 生・老・病・死
 8 がん,細胞と個体の悩ましき相克
 9 心の理解への長い道
 10 生命科学の未来
第4章 社会のなかの生命医科学研究
 1 現代の生命科学の置かれた位置/生命科学と医療のあいだ/医療・生命科学の社会実装/医学研究への投資/生命医科学研究における競争/国民の生命医科学への理解を深める
第5章 日本の医療の未来を考える
 世紀医療フォーラム/国民皆保険制度の維持に向けて/医療をめぐる環境変化と課題/医師不足は本当か/終末期医療と死生観/治療から予防へ
参考文献
ノーベル生理学医学賞受賞晩餐会スピーチ
おわりに
世紀医療フォーラムについて(阪田英也)

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キャラクター別・作品別データベースとして読める。「オールスター忠臣蔵」映画が廃れた理由は...カネ。
忠臣蔵入門.jpg忠臣蔵入門 春日太一 l.jpg

臣蔵入門 映像で読み解く物語の魅力 (角川新書)』['21年]

 浄瑠璃や歌舞伎にはじまり、1910年の映画化以降、何度も何度も作られ続ける「忠臣蔵」。実は時代によってその描かれ方は変化しており、忠臣蔵の歴史を読み解けば、日本映像の歴史と、作品に投影された世相が見えてくると、映画史研究家である著者は言います(こちらも、前に取り上げた山本博文『東大教授の「忠臣蔵」講義』(角川新書)と同じく12月刊行(笑))。

 第1章で、「忠臣蔵」の概要です。6つの見せ場(①松の廊下、②大評定、祇園一刀茶屋、④大石東下り、⑤南部坂雪の別れ、⑥討ち入り)や三大キャラクター(①大石内蔵助、②吉良上野介、③浅野内匠頭)について、映像作品において感動的なドラマとして描く際のポイントなども含め解説、さらに、「忠臣蔵」が愛された理由を、①役者の番付、②関係性萌え、③風刺性、④群像劇として、の4つの点から述べています。

大河ドラマ「赤穂浪士」('64年/NHK)
赤穂浪士」(NHK大河ドラマ図1.jpg 第2章では、「忠臣蔵」が世につれどのように変遷してきたかを、①江戸時代=庶民たちの反逆、②国家のために利用される「忠君」、③「義士」から「浪士」へ~『赤穂浪士』(大佛次郎)、④GHQの禁令と戦後の「忠臣蔵」~「赤穂城」「続・赤穂城」('52年/東映)、⑤東映の「赤穂浪士」('56年/東映)、⑥大河ドラマ「赤穂浪士」('64年/NHK)、⑦悪役を主役に!~「元禄太平記」('64年/NHK)('75年/NHK)、⑧悩める大石~「峠の群像」('82年/NHK)、⑨ドロドロの人間模様~「元禄繚乱」('99年/NHK)、⑩TBSの三作~「女たちの忠臣蔵」「忠臣蔵・女たち・愛」('87年/TBS、橋田壽賀子脚本)、「忠臣蔵」('90年/TBS、池端俊作脚本)、⑪「決算!忠臣蔵」('19年/松竹)という流れで追っています。

 第3章は「忠臣蔵」のキャラキター名鑑で、どのようなキャラクターをどいった役者たちが演じてきたかが紹介されれいます。A.四十七士の中からは、堀部安兵衛(剣豪)、不破数右衛門(豪傑)、赤垣源蔵(飲んだくれ)、岡野金右衛門(誠実な二枚目)など9名、B.脱落者として、大野九郎兵衛ら4名、C.脇役として、立花右近、脇坂淡路守ら6名、吉良方として、千坂兵部ら4名、女性たちとして、大石りくら4名が取り上げられています。
忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活)
忠臣蔵 天の巻・地の巻p.jpg 第4章は、「オールスター忠臣蔵」の系譜を辿っています。A.戦前編で「忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活)や「元禄忠臣蔵 前編・後編」('41年・'42年/松竹)など3作を、B.「東映三部作」として、「赤穂浪士 天の巻・地の巻」('56年/東映)、「赤穂浪士」('61年/東映)などを3作を、C.松竹、大映、東宝の動向として、「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」('54年/松竹)、「忠臣蔵」('58年/大映)、「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」('62年/東宝)など4作を紹介、さらに、D.その後の2本として、70年代に作られた「赤穂城断絶」('78年/東映)、90年代に作られた「四十七人の刺客」('94年/東宝)を紹介、章の最後、E.として、「赤穂浪士」('64年/NHK)から始まるテレビの動向を追い、「大忠臣蔵」('71年/NET(現・テレビ朝日))など9作を取り上げています。

元禄忠臣蔵 前編・後編」('41年・'42年/松竹)/「忠臣蔵」('58年/大映)/「赤穂浪士」('61年/東映)
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大忠臣蔵」('71年/NET(現・テレビ朝日))
大忠臣蔵三船.jpg

 第5章では「外伝の魅力」として、A.「外伝名作五選」として「薄桜記」('59年/大映)などテレビドラマを含め5作を挙げ、さらに、B.「後日談」として、「最後の忠臣蔵」('04年/NHK、'10年/ワーナーブラザーズ)など3作を紹介しています(このあたりは、取り上げていくとキリがないのではないか。自分が観た範囲内でも、「韋駄天数右衛門」('33年/宝塚)や「赤垣源蔵」('38年/日活)のような一人の義士をフューチャーしたものや、「珍説忠臣蔵」('53年/新東宝)のようなパロディなども昔からあったし)。

 「物語の見所、監督、俳優、名作ほか、これ一冊で『忠臣蔵』のすべてがわかる」というキャッチですが、確かに、という感じ。第3章がキャラクター別にどういう役者がその役を演じたか、第4章が作品別にどういう役者が出ていたか、という、両方で言わばクロスデータベースになっていて、それがコンパクトに纏まっているのがいいです(今まで意外とこの手の本は無かったのでは)。

「元禄繚乱  99.jpg 映像における「忠臣蔵」の"盛衰記"ともとれますが、「オールスター忠臣蔵」映画って、先に挙げた高倉健主演の「四十七人の刺客」('94年/東宝))が最後なのだなあ(第4章)。ドラマも、大河ドラマでは五代目中村勘九郎主演の「元禄繚乱」('99年/NHK)が今のところ最後で(第2章)、ドラマ全体では田村正和主演の「忠臣蔵 その男 大石内蔵助」('10年/テレビ朝日)が、「オールスター忠臣蔵」ドラマとしては、今のところ最後だそうです(第4章)。

 かつては「勧進帳」と並ぶ"国民的ネタバレ映画"であり、また確実に観客動員数(&視聴率)を見込めるキラーコンテンツであった「忠臣蔵」ですが、そんな「忠臣蔵」がなぜ廃れてしまったのかというと、「忠臣蔵」を作るというのはかなりの大プロジェクトであり、今作られなくなった大きな理由はまさにそこに在って、作る力(カネ)がない、つまり、「忠臣蔵」が廃れたのではなく、「忠臣蔵」を撮れる力が映画会社が無くなったということだとのことで、納得しました! (観たいと思っている人は多くいるのでは)。巻末に作品名、俳優名などの索引が付いているのは親切です。

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「事実は事実として知っておき、物語は物語として愉しめば良いのではないか。

東大教授の「忠臣蔵」講義.jpg東大教授の「忠臣蔵」講義3.jpg「忠臣蔵」の決算書 新書3.JPG「忠臣蔵」の決算書 (新潮新書)』['12年]
東大教授の「忠臣蔵」講義 (角川新書) 』['17年]

 「忠臣蔵」について、時代劇や小説に埋もれた真実を、故・山本博文(1957-2020/63歳没)東京大学史料編纂所教授が、ライブ講義形式で解説したもの。著者の『忠臣蔵のことが面白いほどわかる本―確かな史料に基づいた、最も事実に近い本当の忠臣蔵!』('03年/中経出版)を全面改稿したもので、2017年12月の刊行は「忠臣蔵」シーズンに合わせたものと思われます。

 根拠となる史料を丁寧に引きながら、事件の発端から切腹までの流れを、その背景や当時の常識、史料に残された証言、浪士たちが遺した手紙、間取り図や地図なども多数紹介しながら紐解いていきます。

 刃傷松の廊下から吉良邸討ち入り、切腹にいたるまでの事件の経緯は、各章の冒頭で、囲み記事的に簡潔に纏められていて、それに関するいろいろな問題点・疑問点は、質問者が山本教授に問うQ&A方式であるため、新書で300ページとやや厚めではありますが、たいへん読み易くなっています。

忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言.jpg 史料によって伝えることが大きく違うのが赤穂事件であり、その結果どうなるかと言うと、我々が知る「忠臣蔵」の様々なエピソードのかなりの部分は事実と違っていたりするわけで、例えば、浅野内匠頭の有名な辞世の句は検死役の多門伝八郎の創作らしいとか。この多門伝八郎の件は、先に取り上げた 中島康夫『忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言』('02年/青春出版社PLAYBOOKS INTELLIGENCE)の1人目としても取り上げられていました。内匠頭の家臣・片岡源五右衛門を多門伝八郎の取り成しで主君の切腹前に目通しを許可させたそうですが、『忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言』で中島康夫氏は、典拠が『多門伝八郎覚書』であり、多門伝八郎自身のことをよく書いているのではないかとの批判もあるとしていましたが、本書でも、そうした批判があることが、研究者名を挙げて紹介されています。
 
南部坂雪の別れ .jpg また、「南部坂雪の別れ」で、搖泉院はその日南部坂の屋敷には居なかったとか(ただし、上京した際に挨拶には行っている)。大石内蔵助が屋敷内に冠者がいるのを察して、義士たちの血判状を携えるも、搖泉院には真意を明かさず、逆に西国への士官を仄めかして怒りを買って屋敷を去り、後で内蔵助の携えたものが血判状であったことが判明して、搖泉院が内蔵助を追いやったことを悔いるというお決まりのシーンが創作であることは想像に難くないですが、そもそも居なかったとは...。

「南部坂雪の別れ」

 あれこれ真相を知ってしまうと芝居がつまらなくなるというのは確かにあるかもしれないし、Amazonのレビューなどを見ると、「(作者らはいかに)読者を楽しませるか、想像力をフル回転させ物語を創っている。彼らの努力あっての忠臣蔵である。学者には他人を楽しませる努力も、想像力も無い」との批評もありましたが、事実は事実として知っておき(概ねそうであったろうということも含め)、物語は物語として、目くじら立てずに愉しめば良いのではないでしょうか(トータル的に見て著者の最も言いたいことは、それはこれまでの著者の本でも述べられているが、赤穂浪士は忠義のために討ち入りしたのではないということのようだ)。

 当時の時間の数え方、元禄の知行(1500石は年収いくらか)、貨幣や容積の単位といった知識が随所に盛り込まれていて、吉良上野介がどこからどこへ引っ越したのかとか、吉良邸の偵察要員だった神崎与五郎の店と吉良邸の位置関係が現在の地図で何処になるのか、といったことが確認できていいです。

 何よりも興味深いのは、討ち入りに向けた諸費用の内訳が円グラフで示されていることで(江戸―上方間の旅費、浅野内匠頭仏事費、江戸借宅の家賃が3大支出)、この部分にフォーカスしたものが著者の前著『「忠臣蔵」の決算書 (新潮新書)』('12年/新潮新書)であり、されにそれが後に、中村義洋監督、堤真一、岡村隆史W主演の映画「決算!忠臣蔵」('19年/松竹)の原作となっています(『「忠臣蔵」の決算書』の方が財政に特化している分、ちょっと面白かったかな。最後に、詳細な索引が最後に付いているのは親切)。

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「忠臣蔵」の裏エピソード、乃至はサイドストーリー集。面白かった。

忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言.jpg忠臣蔵 討ち入りを支えた八人の証言2.jpg  大忠臣蔵三船.jpg
忠臣蔵討ち入りを支えた八人の証言 (PLAY BOOKS INTELLIGENCE 42) 』['02年] 「大忠臣蔵」('71年/NET[現テレビ朝日])三船敏郎

 映画・芝居等でお馴染みの元禄討入事件で深く関り、事実を記録し、事後の処理をした8人の「義」人たちの史料に基づく記録です。「忠臣蔵」の裏エピソード、乃至はサイドストーリーといったところでしょうか。ああ、色んな人たちが義士に思い入れをし、支えたのだなあと改めて感じ入りました。史料準拠ですが読みやすく、読み物としても面白かったです。

 取り上げているのは、1人目が、武士の情けを地で行く検察官・多門伝八郎、2人目が、浪士を援助した未亡人・瑤泉院、3人目が、義商綿屋善右衛門、4人目が.口上書の監修をした学者・細井広沢、5人目が、吉良邸の情報を提供した国学者・荷田春満、6人目が、討ち入り従軍記を記した佐藤條右衛門、7人目が、義に配慮した大目付・仙石伯耆守(せんこくほうきのかみ)、そして8人目が、細川家預りとなった赤穂義士達にきめ細かな世話を行い切腹当日までの証言を記録し晩年まで亡くなった義士の為に動いた堀内伝右衛門です。

 1人目の検察官・多門伝八郎は、殿中刃傷の後、吉良はどうなるのか聞きすが浅野内匠頭に、老人なので長くは持たないと言って思いやったとのこと。更に切腹に際し、正検死役の庄田下総守が大名の切腹の場に相応しくない庭先でやらせようとしたのに対して、多門ともう一人の副検死役・大久保権左衛門がその処置に抗議し、また、最期に一目と望む内匠頭の家臣・片岡源五右衛門を自分の取り成しで主君に目通しを許可させたそうです。う~ん。この人がいなかったら、映画やドラマの忠臣蔵のあの片岡源五右衛門の最期の接見シーンもなかったのかあ(個人的には「赤穂浪士」(松田定次監督、'61年/東映)の山形勲の片岡源五右衛門が、忠臣蔵八人の証言1.jpg山形勲は悪役が多いだけに却って印象的。この時の多門伝八郎役は悪役が多い進藤英太郎で、これも意外な配役)。ただし、典拠が『多門伝八郎覚書』であり、多門伝八郎自身のことをよく書いているのではないかとの批判もあるようです。そのため創作性が強い思われてきたようですが、著者は複数の史料から、多門伝八郎は実際に「義の人」であったとみているようです(著者自身の"思い入れ"は影響していないのかな)。

「赤穂浪士」('61年/東映)山形勲(片岡源五右衛門)

 2人目の未亡人・瑤泉院は、映画などでも義士たちを支援していたのが描かれたものがありました。ただし、大石内蔵助が南部坂でそのための密談しているのは知りませんでした(ちゃんと決算報告もしている!)。映画などにおける「南部坂雪の別れ」忠臣蔵八人の証言3.jpgのように、内蔵助が邸内に冠者が居るのを察して、瑤泉院の前で「さる西国の大名に召抱えられることになりました」と討ち入りする気など毛頭無いような素振りを見せ、瑤泉院を嘆かせ、戸田局を怒らせ(実はこれ、西国=浄土という暗喩だったのだが)、後で義士たちの血判状が見つかって、瑤泉院が内蔵助を邪険に追い返したことを悔いるシーンが有名ですが(個人的には「忠臣蔵」(渡辺邦男監督、'58年/大映)の山本富士子の瑤泉院が印象的)、そういったドラマは無かったようです(笑)。

「忠臣蔵」('58年/大映)山本富士子(瑤泉院)

 3人目の義士たちの潜伏生活を支えた義商・綿屋善右衛門好時は、『仮名手本忠臣蔵』では名を変えて「天川屋義平は男でござる」のセリフで知られ、映画では「天野屋利兵衛は男でござる」などのセリフで有名(ものによっては天野屋利兵衛が家族ともども拷問に遭うものもあるが、個人的には忠臣蔵のコメディ版「珍説忠臣蔵」(斎藤寅次郎監督、'53年/新東宝)の花菱アチャコの「天野屋利兵衛は男でござる」ならぬ「何言うてまんねん。(天野屋)亜茶兵衛は男でござる」という口ぶりが、忠臣蔵八人の証言2.jpg陰惨さが無くて良かった)。義商のモデルは、歌舞伎の天川屋義平はまったく架空の人物で、映画の天野屋利兵衛は実在の人物がいたものの、大石内蔵助らとの交流は無かったとのこと。その上で、綿屋善右衛門という実際に赤穂浪士を支援した人物がいたことを、史料から導き出しています(Wikipediaでは「義商天野屋利兵衛」のモデルとして、綿屋善右衛門説と天川屋利兵衛説の両方を挙げている)。

「珍説忠臣蔵」('53年/新東宝)花菱アチャコ(天野屋亜茶兵衛)・古川緑波(大石内蔵助)

『赤穂義士討入り従軍記―佐藤條右衛門覚書』(中島康夫ほか/㈶中央義士会(初版平成14年・第2版平成25年発行)/「大忠臣蔵」('71年/NET)田中春男(佐藤條右衛門)
赤穂義士討入り従軍記.jpg佐藤条右衛門を田中春男.jpg そのほかには、討ち入りに同行し、討ち入りを終えたばかりの義士たちに聴き取りをした佐藤條右衛門とか(本書にもあるように、平成になって見つかった目撃談「佐藤條右衛門一敞覚書」は、当夜の四十七士のことやその親類縁者のことがいろいろ書かれており、奇跡の大発見と言われて発見当時ニュースにもなった。さらに、本書刊行年である平成14年の1月に全文が初めて活字化され、より一層その資料的価値が着目されるようになった。ただし、佐藤條右衛門の存在は以前から知られており、三船敏郎が大石内蔵助を演じた民放初の大河ドラマ「大忠臣蔵」('71年/NET[現テレビ朝日])では、既にその佐藤條右衛門を田中春男が演じており、渡哲也が演じるその従兄にあたる堀部安兵衛と別れの盃を交わしている)赤穂義士講談 堀内伝右衛門物語.jpg17名の義士が預かりとなった肥後細川家で、甲斐甲斐しく義士たちの世話をしながら、彼らの証言を自身の日記に書いた堀内伝右衛門とか(「堀内伝右衛門物語」として赤穂義士講談の1つになっていて、若林鶴雲の講談は感涙ものである。堀内伝右衛門は後年出家し、堀内伝右衛門 志村喬.jpg故郷山鹿の日輪寺に赤穂義士遺髪塔を建立。生涯、義士の供養を行ったという。民放大河ドラマ「大忠臣蔵」では志村喬が堀内伝右衛門を演じた)とか。

「大忠臣蔵」('71年/NET)志村喬(堀内伝右衛門)

 このように、まるでインタビュアー&取材記者、或いはノンフィクション作家のような役割を果たした人物がいたというのが興味深いです。そうした人たちのお陰で、赤穂義士のことが広く世に語り継がれ、また多くの物語にもなったのですが、当時としては、「後世に残す」というのもさることながら、人々の「知りたい」という欲求・要請が強くあり、それに応えてのそうした行為だったという面もあったかと思います。

大忠臣蔵」[Prime Video]三船敏郎(大石内蔵助)・佐久間良子(瑤泉院)・尾上菊五郎(浅野内匠頭)・市川中車(吉良上野介)
大忠臣蔵pv2.jpg大忠臣蔵pv.jpg「大忠臣蔵」●監督:土居通芳/村山三男/西山正輝/古川卓己/柴英三郎●脚本:高岩肇/土居通芳/宮川一郎/池田一朗/柴英三郎●プロデューサー:勝田康三(NET)/西川善男●音楽:冨田勲●撮影:浅斎藤孝雄/佐藤正●出演:三船敏郎/尾上菊之助/河原崎建三/長澄修/司葉子/中原剛/斉藤里花/佐久間良子/辰巳柳太郎/竜崎勝/伊藤雄之助/島田景一郎/渡哲也/有島一郎/赤座美代子/堀越節子/浜村大忠臣蔵p1.jpg純/矢吹寿子/新克利/伊藤榮子/中丸忠雄/河野秋武/石田太郎/田村正和/加藤嘉/露原千草/平林利香/平林美香/御木本伸介/江原真二郎/原知佐子/香川良介/伴淳三郎/夏川静枝/中村伸郎/柴田侊彦/三上真一郎/フランキー堺/長谷川明男/音羽久米子/和崎俊哉/砂塚秀夫/左右田一平/金井由美/横森久/島かおり/河原崎長一郎/中村賀津雄/鮎川いずみ/早川保/牧紀子/寺田農/島田順司/宗方勝巳/工藤堅太郎/野々村潔/蜷川幸雄/若林豪/田中浩/小林昭二/石坂浩二/山本陽子/菅井一郎/浦辺粂子/村井国夫/田村高廣/堀雄二/珠めぐみ/清水将夫/北竜二/玉川伊佐男/高橋悦史(平幹二郎の代役)/中山仁/河津清三郎/大出俊/美川陽一郎/丹羽又三郎/井川比佐志/岩本多代/福田豊土/田島義文/勝部演之/地井武男/田村亮/真屋順子/小林千登勢/園千雅子/中野良子/北川美佳/中村光輝/西尾恵美子/桜町弘子/中村玉緒/林成年/山崎亮一/徳大寺伸/柴田美保大忠臣蔵p2.jpg子/東郷晴子/木村博人/宮浩之/田口計/浅野進治郎/小栗一也/本郷淳/永井秀明/矢野宣/信欣三/徳永礼子/川野耕司/近藤準/湊俊一/川口節子/鈴木治夫/伊藤清美/市川中車(急逝に伴い吉良上野介役を実弟の小太夫に交代)/市川小太夫/丹波哲郎/中村米吉/芦田伸介/天知茂/長谷川峯子/天田俊明/池田秀一/神田隆/大友柳太朗/梓英子/橘公子/村上冬樹/戸上城太郎/睦五朗/今井健二/奥野匡/富田仲次郎/北城寿太郎/久富惟晴/青木義朗/小笠原弘/大里健太郎/原田力/仲村絋一/北村晃一/藤森達雄/高橋昌也/神山繁/高杉早苗/中村錦之助/市村竹之丞/仲谷昇/佐藤慶/北上弥太郎/細川俊夫/明石潮/岡部正/中吉卓郎/土屋嘉男/稲葉義男/中村竹弥/山大忠臣蔵00.jpg本耕一/佐々木孝丸/清水一郎/山崎直樹/宇佐美淳也/見明凡太郎/上月晃/高松英郎/堀田真三/相原巨典/原鉄/加藤武/加賀邦男/夏川大二郎/露口茂/上野山功一/滝川潤/天本英世/大木正司/二本柳敏恵/石橋雅史/内田勝正/永山一夫/山本清/山形勲/津島恵子/千波丈太郎/川合伸旺/長島隆一/宮口二郎/田中志幸/中村梅之助/北原義郎/伊達三郎/田川恒夫/広田竜治/武内亨/松尾文人/幸田宗丸/西田昭市/宮口精二/伊沢一郎/近藤準/湊俊一/北沢彪/真弓田一夫/永井玄哉/加地健太郎/小山源喜/織本順吉/滝田裕介/高木二朗/木村博人/沢村昌之助/多田幸雄/森山周一郎/松枝錦治/笠原弘孝/柿木香二/金内喜久夫/池田忠夫/木村元/弘松三郎/牧田正嗣/柄沢英二/小林亘/吉頂寺晃/緒方燐作/立川雄三/大木史朗/松本幸四郎/勝新太郎/中村翫右衛門/曾我廼家五郎八/池内淳子/花柳小菊/志村喬/曾我廼家明蝶/桂小金治/京塚昌子/堺正章/島田正吾/小杉勇/東千代之介/原保美/岡田英次/十朱幸代/小山明子/十朱久雄/平田昭彦/三島雅夫/尾上菊蔵/安部徹/田崎潤/夏川大二郎/柳谷寛/坂上二郎(コント55号)/萩本欽一(コント55号)/関敬六/玉川スミ/堺左千夫/小川安三/田武謙三/高桐真/内田朝雄/佐伯徹/清水元/宮川洋一/磯野洋子/江原達怡/人見きよし/大泉滉/小松方正/:花沢徳衛/二木てるみ/香川秀人/清水美佐子/村田芙実子/黒木進/永田靖/西尾恵美子/小林勝彦/三角八朗/住吉正博/桂小かん/田中春男/杉山渥典/小瀬格/溝井哲夫/河村弘二/中原成男/石井宏明/ケーシー高峰/宮城けんじ(Wけんじ)/東けんじ(Wけんじ)/島田洋介/今喜多代/正司玲児(正司敏江・玲児)/正司敏江(正司敏江・玲児)/雷門助六/鮎川浩/池田忠夫/青沼三郎/土方弘/利根はる恵/菅沼赫/穂積隆信/天草四郎/浜田寅彦/水原麻紀/渡辺明/左奈田恒夫/上田忠好/里木左甫良/矢野目がん/中村是好/石浜祐次郎/桜川ぴん助/伊東ひでみ/西山真砂/奈美悦子/八代万智子/赤木春恵/三井弘次/木田三千雄/向井淳一郎/丘寵児/小松紀子/三島新太郎/藤本三重子/瀬良明/立岡晃/山本郷一/大前亘/飯沼慧/岡本隆/藤江リカ/田中浩/永井譲滋/松山照久/中井啓輔/森本景武/霧島八千代/沼田曜一/工藤明子/牧伸二/岡田可愛/稲吉靖/沢田雅美/藤里まゆみ/小畑通子/村上不二夫/吉永倫子/福山象三/北九州男/南川直/田村保/森脇邦浩/山波宏/中村公三郎/和田幾子/桂淳平/瀬川新蔵/鈴木慎/刈谷潤/深町稜子/市川祥之助/河合憲/江藤潤/高瀬美樹/中村上治/間島純/池田生二/小高まさる/日恵野晃/佐田豊/藤木卓/稲川善一/鈴木志郎/本庄和子/辻伊万里/高松政雄/藤田漸/東洋健児●放映:1971/04~12(全52回)●放送局:NETテレビ[現テレビ朝日]

大忠臣蔵12.jpg大忠臣蔵 003.jpg大忠臣蔵 田村.jpg[1段目]中村錦之助(脇坂淡路守)/渡哲也(堀部安兵衛)/江原真二郎(片岡源五右衛門)/伊藤雄之助(大野九郎兵衛)/加藤嘉(矢頭長助)/フランキー堺(赤埴源蔵)/[2段目]勝新太郎(俵星玄蕃)/中村伸郎(吉田忠左衛門)/平田昭彦(堀内源太左衛門)/芦田伸介(小林平八郎)/天知茂(清水一學)/蜷川幸雄(間十次郎)/[3段目]佐藤慶(松平駿河守)/山形勲(滝立仙)/丹波哲郎(千坂兵部)/ 田村高廣(高田郡兵衛)
大忠臣蔵」p.jpg

大忠臣d.jpg 「大忠臣蔵」DVD 全13巻

《読書MEMO》
●目次
第1章 内匠頭を見届けた正義漢―多門伝八郎重共
第2章 浪士を援助した決意の未亡人―瑤泉院
第3章 潜伏生活を支えた義商―綿屋善右衛門好時
第4章 旧主に背いて味方した学者―細井広沢知慎
第5章 吉良邸の情報提供役―荷田春満
第6章 討ち入りの全記録者―佐藤条右衛門一敞
第7章 義士を逃がした大目付―仙石伯耆守久尚
第8章 義士の日記を書いた男―堀内伝右衛門勝重

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レトロ感、懐かしさを覚える。資料としても第一級。遊園地は家族との記憶と結びつく。

図説 なつかしの遊園地・動物園1.jpg図説 なつかしの遊園地・動物園.jpg  ロスト・モダン・トウキョウ.jpg   
図説 なつかしの遊園地・動物園 (ふくろうの本)』['22年]『ロスト・モダン・トウキョウ』('12年/集英社新書)

 昭和戦前から1970年代までの遊園地・動物園に関する絵葉書、パンフレット、入園切符、地図など紹介し、「あの頃の憧れ」を探ったものです。著者は絵葉書のコレクター・研究家として知られており、膨大な量の絵葉書のコレクションの一部は、先に取り上げた『ロスト・モダン・トウキョウ』('12年/集英社新書)などでも見ることができます。

 本書は、第1章が「東京の三大遊園地」、第2章が「東日本の遊園地・動物園」、第3章が「西日本の遊園地・動物園」、第4章が「東京の遊園地・動物園」、そして第5章で「47都道府県の遊園地・動物園事情」となっています(一応、47都道府県を網羅しているのがいい)。
図説 なつかしの遊園地・動物園2としまえん.jpg 第1章の「東京の三大遊園地」で取り上げられているは、豊島園、浅草花やしき、後楽園遊園地(現:東京ドームシティアトラクションズ)の3つですが、この内、「豊島園」(10p)(後に「としまえん」)は、本書にもあるように、「東京ディズニーランド」という強敵が現れ、レジャーが多様化して多くの遊園地が閉園する中で、昭和・平成の時代を生き残り、2020(令和2)に閉園しています。開園170年図説 なつかしの遊園地・動物園ハリーポッター.jpg超えの浅草花やしき(1853(嘉永6)年開園)ほどではないですが、ここも1926(大正15)年開園と90年以上の歴史があったのだなあと。本書刊行後、2023年に跡地にハリー・ポッターの屋内型テーマ施設「ワーナーブラザース スタジオツアー東京―メイキング・オブ・ハリー・ポッター」がオープンしましたが、このことは、遊園地からテーマパークへという時代の流れを象徴しているように思います。

図説 なつかしの遊園地・動物園金沢ヘルス.jpg 個人的に懐かしかったのは、「金沢ヘルスセンター」(47p)でしょうか。小学校低学年の時に金沢に住んでいて、卯辰山にあったヘルスセンターは動物園が併設されていたということもあり、子どもの自分にとって、家族とそこへ行くのがこの無い楽しみでした。本書によれば、1958(昭和33)年オープンで、「金沢サニーランド」に名称変更した後、1993(平成5)年に閉園、動物園部分は「県立いしかわ動物園」として独立、その後、1999(平成11)年に能美(のみ)郡辰口町(現・能美市)に移転したとのこと手取遊園.jpgです(「いしかわ動物園」HP)。

 そう言えば、第5章の「47都道府県の遊園地・動物園事情」で紹介されている、白山市に北陸鉄道が作った遊園地「手取遊園」(122p)も懐かしいです(観覧車に乗ったなあ)。1955(昭和30)年オープンで、1970(昭和45)年まで営業していたとあります(現在、能美市にある「手取フィッシュランド」とは別のもの)。本書では紹介だけで、写真が無いのが残念でした(右写真はネットで見つけたパンフレットの表紙写真。「アースウェイブ」という回転ジャングルジムのジャンボ版のような形の遊戯施設が見える)。
 
 巻頭の年表「日本における遊園地・動物園 主なできごと(1972年まで)」(6p)にも出てくる、「奈良ドリームランド」(82p)(ここも図説 なつかしの遊園地・動物園横浜ドリームランド.jpg科学雑誌の表紙になるなどして、子どもの頃に憧れた)が1961(昭和36)年開業、2006年閉園、「横浜ドリームランド」(38p)が1964(昭和39)年開業、2002年閉園。ディズニーランドの日本版を目指していたが(今なら"常識"だが)その名を名乗ることが出来ず「ドリームランド」になったとのことですが、1983(昭和58)年の本家本元の「東京ディズニーランド」の開園以降、こうした遊園地は徐々に閉園に追い込まれていったことが窺えます。

二子玉川園.jpg 「二子玉川園」(100p)の閉園は1985(昭和60)年だったのかあ(右写真:1985年3月31日二子玉川園最終営業日[フォートラベル])。1909(明治42)年に瀬田4丁目に前身の「玉川遊園地」が開園した歴史ある遊園地だったのだなあ。1982年に当時同じく瀬田4丁目の環八沿いにできたスポーツクラブ「ザ・スポーツコネクション」の会員になったため、閉園まで100回以上「二子玉川園」駅で降りましたが、閉園後も駅名は二子玉川園駅のままだったので、あまり閉園したという意識がありませんでした(「二子玉川園」駅は2000年に「二子玉二子東急 1990.jpg川」駅に改称)。「二子東急」という古い映画館が傍にあって、ここで「ブレードランナー」('82年/米)などを観ました(こちらは 1991(平成3)年1月まで営業)。東急ストアがあって、さらに後からできた東急ハンズがあり、休みの日などは賑わっていたように記憶しています(今あの辺りは東急グループの複合施設「二子玉川ライズ」になっている)。

 他にも、自分が生まれる前になくなってしまった施設も多く紹介されていますが(「粟津遊園」(48p)などは金沢人にとっては"伝説"だった)、こうした施設がいつ開園し、いつ閉園したかということが、本文中だけでなく、巻末にある「日本の遊園地・動物園リスト」にも記されていて、たいへん親切であり、資料としても第一級です。図版的には、データベース的な最終5章以外に、第3章で一部カラーでないページがあるのが惜しいですが(この中に「宝塚ファンミーランド」(78p)や前述の「奈良ドリームランド」が含まれていたりする)、個人的評価は◎です。

 遊園地や動物園の歴史は明治に遡るわけですが(厳密に言えば「浅草花やしき」(14p)のようにそれ以前)、戦後の高度成長期から万博(1970(昭和45)年)あたりまで隆盛を極め、それ以降は大型テーマパークが徐々に台頭してきて、閉園に追いやられていき、人々の記憶にのみ残るものとなっていったのではないでしょうか。だから、「花やしき」がその典型ですが、現存する遊園地を見てもレトロ感というか、懐かしさを感じるのでしょう。

東京人 1997年1月号.jpg図説 なつかしの遊園地・動物園あらかわ遊園.jpg田中小実昌2.jpg 「あらかわ遊園」(112p)などもそう。本書で引用紹介されている、田中小実昌が「頭上のレールを、ペダルこいではしるスクーターみたいなものがおもしろかった」と雑誌「東京人」の特集「都電のゆく町」(1997年)に書いた「スカイサイクル」に、自分も子どもと乗ったのを思い出しました。

 著者があとがきでも触れているように、遊園地は家族との記憶と結びつくものであり、それは「親との記憶」と「子との記憶」の両方があると改めて思いました(もちろん親子だけではなく「恋人との記憶」や「友との記憶」もあって然り)。

《読書MEMO》
●目次
第1章 東京の三大遊園地(豊島園;浅草花やしき;後楽園遊園地―東京ドームシティアトラクションズ)
第2章 東日本の遊園地・動物園(札幌市円山動物園・中島公園子供の国;オタモイ遊園地;桐生が丘公園・分福ヘルスセンター ほか)
第3章 西日本の遊園地・動物園(京都市動物園;愛宕山遊園地;京都パラダイス・市岡パラダイス ほか)
第4章 東京の遊園地・動物園(恩賜上野動物園;玉川遊園地・二子玉川園;多摩川園 ほか)
第5章 47都道府県の遊園地・動物園事情

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長く続く雑誌の創刊時の姿を知る上で貴重か。

東京人 1986年創刊号1.jpg
季刊 東京人 no.1 1986年創刊号』写真:篠山紀信「皇居初参賀」
東京人 1986年創刊号g1.jpg 雑誌「東京人」の1986年創刊号で、創刊当初は1、4、7、10月発行の季刊で、その後1987年9月号以降月刊になっています。創刊時、発行は財団法人東京都文化振興会、発売は教育出版株式会社(現在は都市出版が発行)。創刊時の発行人は貫洞哲夫、編集人は粕谷一希。

東京人 1986年創刊号g2.jpg 創刊号の巻頭は、篠山紀信(1940-2024/83歳没)によるグラビア「千の貌(かお)をもつ巨人」で、皇居初参賀、明治神宮・初詣、原宿駅前、浅草寺の羽子板市、新宿西口、上野アメヤ横丁、秋葉原電気街...と昔も今も東京を代表する街角を切り抜いています。また、巻末には建築評論家の松葉一清(1953-2020/67歳没)の文、写真家・村井修(1928-2016/88歳没)の写真によるグラビア「水晶楽園―超高層ビルの吹き抜け空間」があります。

東京人 1986年創刊号目次.jpg 写真はこの巻頭と巻末だけで、あとはイラストなどが多少はあるものの、基本的に全部文章であり、今のイラストや写真の間に文章が挟まっているような雑誌の作りとはかなり異なっていて、中身的には文芸誌っぽい印象さえあります。

 創刊号の特集は東京の象徴「隅田川」で、隅田川に纏わる小木新造のエッセイや磯田光一の文学史的考察の次に来る、吉本隆明と小林信彦に対談「大川いまむかし」が目を引きます。また、特集以外では、山本健吉が「緑と神輿と」という随想を寄せているほか、「はじめての東京」というお題のもと、野坂昭如、五木東京人 1986年創刊号イラスト.jpg寛之、白石かずこ、西部邁、金井美恵子、武田百合子が短文を寄せているほか、川本三郎、佐野真一といった錚々たる人たちが文章を寄せています(俳優の中尾彬(2024年5月16日没)が「上野たこ久なじみ酒」という文章をイラスト付きで寄せていたりもする)。

 巻頭座談会が、「住みにくいから面白い東京」というテーマで、芦原義信、高階秀爾(2024年10月17日没)、芳賀徹の鼎談。後の方には、村上春樹によるポール・セルーの短編小説の翻訳(その年の季刊10月号(創刊第4号)まで続いた)や、吉村昭にとる短編小説があって、米老舗誌「ザ・ニューヨーカー」に向こうを張って「東京人」という雑誌ができないものかとの構想のもと創刊されたという(編集後記)だけのことはあります(道理で文芸誌っぽい中身)。

千住大橋、素盞雄神社.jpg 個人的には、民俗学者の宮田登(1936-200/63歳)の「隅田川のフォークロア」という、千住大橋周辺、素盞雄神社などを巡る考察が興味深かったです。

 長く続く雑誌の創刊時の姿を知る上で貴重と言えるかもしれません。
 

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老い方、死に方を宗教者、科学者、地域エコノミスト、エッセイストと語る。

養老 孟司 『老い方、死に方』.jpg老い方、死に方2.jpg 南直哉氏.jpg
老い方、死に方 (PHP新書) 』['23年]南直哉氏(福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代)

 養老孟司氏が、禅僧の南直哉氏、生物学者の小林武彦氏、地域エコノミストの藻谷浩介氏、エッセイストの阿川佐和子氏の4氏と、老い方、死に方を語り合った対談集。

超越と実存.jpg 第1章の禅僧の南直哉氏は、脱サラして僧侶になり、永平寺で19年修業した後、恐山に行った人で、南氏との対談は、氏の『超越と実存―「無常」をめぐる仏教史』('18年/新潮社)が「小林英雄賞」を受賞した際の選評を養老氏が書いたことが縁のようです。この対談でも、キリスト教と禅の比較や、「諸行無常」をどう考えるかといった宗教的な話になり、「解剖」は僧侶の修行のようなものという話になっていきます。そして最後に南氏は、死を受容する方法、生き方として、「自我を自分の外に向かって広げていく」こともよいとしています。「褒められたい」とか思わないで、ただ単に他人と関わるようにするのがコツで、褒められたいとか「損得」にとらわれると、自分と他人を峻別して自己に固執するようになるとしています(褒められたいと思わないことが、死を受容する方法に繋がるという発想が示唆的で興味深い)。

小林武彦の著書.jpg 第2章の生物学者の小林武彦氏は、『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになったゲノムの再生(若返り)機構を研究する学者で、当対談でも、生物には「老いて死ぬシステムがある」がDNAが壊れなければ、寿命は延びるとしています。老化のメカニズムについては、『なぜヒトだけが老いるのか』('23年/講談社現代新書)でも述べられている通りで、あの本は後半「シニア必要論」となって、やや社会学的色合いになったと個人的には感じたのですが、この対談でも同様の論を展開しています。

藻谷浩介 本2.jpg 第3章の地域エコノミストの藻谷浩介氏は、『里山資本主義ー日本経済は「安心の原理」で動く』('13年/角川新書)などの著書があり、養老氏との共著もある人ですが、日本総研の主席研究員で、平成大合併以前の約3200市町村のすべて、海外119カ国を私費で訪問したというスゴイ人です。この対談では、里山資本主義というものを唱え、「ヒト」「モノ(人工物)」「情報」の循環再生を説いています。少子化問題、環境問題、エネルギー問題と話は拡がっていきます。やや話が拡がり過ぎの印象もありますが、そう言えば養老氏は別の本で、都会で死ぬより田舎で死ぬ方が「土に返る」という感覚があっていいと言っていたなあ。

看る力.jpg 第4章のエッセイスト・作家の阿川佐和子氏は、佐和子氏が父・阿川弘之を看取り、母の介護をした時期があって、その経験を綴ったエッセイ本を出していることから対談の運びとなったと思われます。延命処置をせずに亡くなった父親の死について語る佐和子氏に対し、養老氏は、死んだ本人にしたら自分が死んだかわからないわけだから、「死ぬかもしれない」なんて恐れることはなく、「そのうち目が覚める」と思って死んでいけばいいと説いています。認知症や介護についても話題になっています。

 宗教者と根本的な思想の問題について、科学者と生物学的に見た老化について、地域エコノミストと社会的な老いと死について、エッセイスト・作家と肉親の死や介護について語り合っていることになり、養老氏は、「全体として目配りが非常にいいのは、編集者の西村健さんのおかげである」と感謝しています。しかしながら、確かによく言えば全方位的ですが、悪く言えば、ややテーマが拡散した印象もあったように思います(第1章の禅僧の南直哉氏の話がいちばんテーマに近かったように思う)。

 養老氏は、多くの自著で、「死は常に二人称」として存在するとし、なぜならば、一人称の死は自分の死なので見ることができず、三人称の死は自分に無関係なためとしていますが、阿川佐和子氏との対談の中で、愛猫の死を〈二人称の死〉としているのが、〈二人称の死〉とはどのようなものかを理解する上で分かりやすかったです。

養老 プレジデント.jpg養老 日本が心配.jpg また、養老氏は小林武彦氏との対談の中で「大地震が歴史を変える」としています。そう言えば、「プレジデント」2024年8/16号の「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」という特集で、養老氏は「私が101歳まで生きたい理由」として、それまでに南海トラフ地震が起きる可能性が高いため、日本がどうなるか見たいからだと述べていました。

「週刊文春」2025年3月13日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」ゲスト・南 直哉
南直哉 週刊文春.jpg

《読書MEMO》
●「自己を開くことを繰り返していけば、自ずと死を迎えるための練習にもなるのではないかなという気がするんですね」(南直哉) 
●「DNAの修復能力は『寿命の壁』を突破する一つのカギだと考えています」(小林武彦) 
●「都会の高齢者ほど、老後の生活に必要なのは『お金』だけだと思い込んでいます。『自然資本』や『人的資本』に目が行かないのですね」(藻谷浩介) 
●「(母の)認知症がだいぶ進んでからは、母が頭のなかで思い描く世界に一緒に乗ることにしました。そのほうが介護する側も、される側もおもしろいし、イライラしないし」(阿川佐和子)
●「自分のことなんか、人に理解されなくて当たり前と思ってりゃいい」(養老孟司)


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自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じか。

死を受け入れること 養老・小堀.jpg 死を受け入れること2.jpg
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー』['20年]

 「3000体の死体を観察してきた解剖学者と400人以上を看取ってきた訪問診療医。死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義」と帯にあります。

 小堀鴎一郎医師は森鴎外の孫で、母は『森鷗外 妻への手紙』('38年/岩波新書)を編纂した小堀杏奴(アンヌ)。かつては東大病院の外科医として活躍しましたが、定年後、患者の看取りまで担う在宅医となり、今は「人生の最期をわが家で」という願いを叶えるために在宅医療に奔走されている方です。NHKスペシャルなどでその活動が紹介されたのが印象的で(個人的に強く印象に残ったのはケアを受けて亡くなった人の方だったが)、今回、養老孟司氏との「生と死をめぐる対話」であるとのことで手にしました。

 第1章の「「死ぬ」とはどういうことですか?」において、死のガイドラインは必要か、在宅死は理想の死か、終末期の医療の難しさといった問題を扱っていて、この第1章がテーマ的には最も密度が濃かったように思います。

 養老氏は、他の本でも述べていますが、「死は常に二人称」として存在すると。つまり、一人称の死は自分の死であり、見ることができず、三人称の死は、自分と関係ない人の死で、死体を「もの」として扱うことができるため、死が自分に影響を与えるのは二人称の死だけという考え方です。養老氏は「気がついたら死んでいた」というのが理想だとしています。

 第2章が「解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?」、第3章が 「東大医学部」ってどんなところでしたか?」というテーマで、両氏のこれまでやってきた仕事の話や、東大医学部に入るまでと入ってからの話になり、両氏のキャリアとその人となりがどう形成されたかを知るには良かったですが、「死を受け入れること」というテーマからは少し外れた印象も。

 第4章「これからの日本はどうなりますか?」で、自殺、終末期医療を巡る問題に触れ、小堀氏は「命を終えるための医療」という考えを提唱しており、これは、テレビで見た氏の看取り活動と重なりました。また「老い」とはどういうことか、長生きの秘訣、健康診断は必要か(小堀氏は75歳以降は検診をやめたと)といったことに触れています。

 養老氏によれば、余命宣告については、それがどんどん短くなっていて、それは、1年と言って6カ月で死んだらヤブ医者だと思われるからだそうです。

 最後に82歳になった小堀氏は「死を怖れず、死にあこがれず」との考えを述べています。「それぞれに人生があって、それぞれに望む死に方があって、それが面白い」とも。また、養老氏は、「どこで死ぬか」と予め考えることで、自分は変われるとしています(別の本で、田舎で死ぬのが「土に返る」という感覚があっていいと言っていた)。

 生死の境を何度も見てきた両氏だからこそ達観できているという面もあるかと思います。自分はちょっとまだそこまで行けていないなあという感じでしょうか。第2章、第3章で(両氏のことが色々わかっていいのだが)ややタイトルテーマから外れた印象もあり、評価としては△にしました。

《読書MEMO》
●目次
はじめに 養老孟司
第一章 「死ぬ」とはどういうことですか?
・在宅死が当たり前ではなくなった
・死んだら人間ではなくなるのか?
・自分の「死」について考えますか?
・インタビュー 養老孟司
第二章 解剖学者と外科医はどんな仕事ですか?
・解剖学者、外科医としてやってきたこと
・臨床医にならなかった理由
・インタビュー 小堀鷗一郎
第三章 「東大医学部」ってどんなところでしたか?
・二人が同じ「東大医学部」を目指した理由とは?
・教授選......出世競争は大変でしたか?
第四章 これからの日本はどうなりますか?
・自殺、終末期医療......死をめぐるさまざまな問題
・「老い」とはどういうことですか?
・医者の仕事って何だろう?
おわりに 小堀鷗一郎

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「老い本」(おいぼん)の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供。

老いを読む 老いを書く.jpg酒井 順子 週刊文春.jpg「週刊文春」2021年4月29日号
老いを読む 老いを書く (講談社現代新書 2759) 』['24年]

 「老い本」(おいぼん)とは、人々の老後への不安と欲望に応えるべく書かれた本のことだそうで、本書では、昭和史に残る名作から近年のベストセラーまで、トピック別に老い本を選んで、日本の老いの精神史を読み解いていきます。著者のべストセラー本に『負け犬の遠吠え』(2003年/講談社)があり、あの本は社会学的エッセイという感じでしたが、著者は今は「週刊文春」の交代制の書評ページ「私の読書日記」を担当するなどしており、本書も社会学的エッセイのスタイルをとりながらも、「本」を分析の素材にしたことで、読書案内にもなっています。

『恍惚の人』.jpg 第1章「老いの名作は老いない」では、『楢山節考』『恍惚の人』『いじわるばあさん』、そして、古典である『竹取物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』などを取り上げています。『楢山節考』が提示した高齢者の問題は、今現実味を帯びてきていると著者は言います(『恍惚の人』には、「老人ホームに親を送り込むっていうのは気の毒ですねえ」という台詞があるんだあ。当時は「老人ホーム=姥捨て山」の発想だったのか)。『恍惚の人』は「耄碌」が「痴呆症」という病として認識される契機になった本であるとのこと(そして今「認知症は病気ではない」という揺り戻しが来ている)。『方丈記』を読むと、「何歳になってもギンギンで!」という風潮が、自然の摂理に反したものに思えてくると。

日野原重明 本.jpg 第2章「老いをどう生きるか」では、「百歳老人」が加速的に増えたことで、百歳人は神的な存在ではなくなったとしています(代表例がずっと現役医師だった日野原重明。105歳までに出した多くの「老い本」の表紙が白衣もしくはジャケット姿)。「定年クライシス」問題にも触れ、源氏鶏太の『停年退職』(1962年)(昔は「停年」と書いた)から重松清の『定年ゴジラ』(1998年)、内館牧子の 『終わった人』(2015年)を取り上げ、その変遷を見ています。60代は「老人界のフレッシュマン」だとし、また「乙女老女」は未来志向だとしています(黒柳徹子は老い本を書かない。彼女に続いて出てくるには、角野栄子、田辺聖子、そしてラスボス・森茉莉)。

佐藤愛子 本.jpg 第3章「老いのライフスタイル」では、30年間「老い本」を書き続け百歳になった佐藤愛子、シニアファッションのカリスマ・草笛光子、昭和のお洒落なオイスター・幸田文と白洲正子、家事得意の明治女・沢村貞子などを取り上げていますが、やりり女性は男性より強いという感じです。また、田舎に移住することの良し悪しも考察しています。

 第4章「老いの重大問題」では、老後不安のもとになる問題として、老後資金の問題(金は足りるのか)、配偶者(特に妻)に先立たれた場合の問題(江藤淳『妻と私』(1999年)、城山三郎『そうか、もう君はいないのか』(2008年)など)、「死」との向き合い方(永六輔『大往生』(1994年)、石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』(2020年))など取り上げ、さらに「死」との向き合い方について、さらに「老人と性」の問題に触れています(谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』(1962年)、川端康成『眠れる美女』、松井久子『疼く人』など)。

死という最後の未来.jpg 多くの本が取り上げられていますが、だからと言って一つ一つがそう浅いわけではなく、例えば石原慎太郎・曽野綾子対談『死という最後の未来』における石原慎太郎の、余命宣告を受けても男性機能の保持を誇示するという、死に直面した狼狽とその反動からくる"男らしさ"のアピールを看破している点などは鋭いと思いました。

石原 慎太郎/曽野 綾子 『死という最後の未来』(2020/06 幻冬舎/'22年 幻冬舎文庫)


『老いの読書』.jpg 読書案内にもなっていると書きましたが、例えば前田速雄『老いの読書』('22年/新潮選書)のような「死ぬ前に読むべき本」を紹介しているものとは異なる趣旨の本であることは言うまでもなく、「老い本」の変遷を通してこれからの「老い」を考えるヒントを提供している本であったように思います(この本自体が「生き方」本であるわけでもなく、あとは自分で考えろということか)。

老年の読書(新潮選書)』['22年]

 
 
 
《読書MEMO》
●目次
はじめに 「老い本」大国ニッポン
第一章 老いの名作は老いない
 一 迷惑をかけたくない──『楢山節考』
 二 いつか、自分も──『恍惚の人』
 三 マンガが見つめる孤独──『いじわるばあさん』
 四 古典の老いと理想──『竹取物語』 『枕草子』 『徒然草』 『方丈記』
第二章 老いをどう生きるか
 一 百歳の人間宣言
 二 定年クライシス
 三 六十代──老人界のフレッシュマン
 四 「乙女老女」は未来志向
 コラム 老い本ブームの先陣を切った二冊の「新しさ」
第三章 老いのライフスタイル
 一 一人暮らし
 二 おしゃれの伝承
 三 おばあさんと料理
 四 田舎への移住
 コラム 高齢者の「迷惑恐怖」を煽る終活本
第四章 老いの重大問題
 一 金は足りるのか
 二 配偶者に先立たれる
 三 「死」との向き合い方
 四 老人と性
おわりに 老い本は不安と希望のしるし──ぴんころ地蔵と姨捨山を訪ねて
老い本年表

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医学者によって書かれた初の医学的生死論。オーソドックス且つユニーク(?)。「ピンピン ごろり」と死ぬこと。
死ぬということ 黒木.jpg死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に .jpg  黒木 登志夫.jpg 黒木登志夫・東京大学名誉教授(略歴下記)
死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に (中公新書 2819)』['24年]

 本書は、哲学、宗教の立場からの本が占めている生死というテーマに医学者(臨床医ではない)が挑んだ、医学者によって書かれた初めての医学的生死論であるとのこと(医者によって書かれた生死論という意味では他にもあると思うが)。内容は分かりやすく、短歌、文学、映画とユーモアを交える一方、健康法など実用的な情報にも触れています。

 第1章「人はみな、老いて死んでいく」では、生まれるのは偶然、死ぬのは必然であることを説いています。生まれる確率は、23の染色体の組み合わせから、70兆分の1と計算しています。また、人はみな老いて死んでいくが、どんな病気で死ぬのか、もし老化しなかったらどうなるか、老化のメカニズムとはどのようなものかを解説しています。

 第2章「世界最長寿国、日本」では、長寿国の日本ではあるが、同時に日本人は低出生率による"絶滅危惧種"であり、対策として婚外子を認めるべきだと。また、江戸時代の寿命統計から、女性の厄年には意味があるとしています。

 第3章 「ピンピンと長生きする」では、毎年1回は健康診断を受けよと。さらに、タバコはやめ、酒は飲み過ぎないこと、メタボに注意すること、運動をすることを医学的見地から推奨しています。

 第4章「半数以上の人が罹るがん」では、がんの症例を紹介し、がんのリスクを説明する一方、告知の義務化でがんの受け止め方が大きく変わったとし、がんについての最小限の知識をまとめています。さらに、がんの診断と治療、高齢者のがん治療について述べています。

 第5章「突然死が恐ろしい循環器疾患」では、その症例を紹介し、循環器病(不整脈・虚血性心疾患・脳卒中)の基礎知識を解説、循環器疾患は突然死が多く、環器疾患のリスク要因として(1)高血圧と(2)高脂血症(動脈硬化)があるとしています。

 第6章「合併症が怖い糖尿病」では、その症例を紹介し、実は世界の人口の10%が糖尿病なのだと。糖尿病が本当に恐ろしいのは合併症なのだとしています。

 第7章「受け入れざるを得ない認知症」では、認知症の症例を紹介し、認知症は神経細胞の変性による病気であるとして、アルツハイマー病など代表的な5つの認知症を示し、症状を解説しています。そして、われわれは認知症を受け入れざるを得ないのだと(和田秀樹『ぼけの壁』に対して"優しい"と肯定的、『80歳の壁』に対してて"優しすぎる"と否定的)。

 第8章「老衰死、自然な死」では、老衰死は増えているが、なぜ老衰死が増えたのか(介護保険が背景にあると)、なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか(WHOなども診断基準がないとして認めていない)を考察しています。

 第9章「在宅死、孤独死、安楽死」では、様々な死に方について述べています。「在宅死」に関しては、死に場所として病院・自宅・老人ホームのうち、最近は病院死が減って、自宅・老人ホームでの死が増えているようです(ただし、在宅看取りには覚悟が必要と)。また、高齢者施設(サ高住やグループホームを含む)の種類を解説しています。

 「孤独死」については、始末が大変なことがあると(上野千鶴子『在宅ひとり死のススメ』は困った本だと。

 「安楽死」については、「延命治療拒否(消極的安楽死)」は死に直接介入しないため「安楽死」の概念から外し、「自殺幇助」も「安楽死」から外し、「安楽死」(積極的安楽死)を「延命治療拒否」と「自殺幇助」の中間にあるものと位置づけ、さらにそれを「間接的臨死介助」と「直接的介助」に分けています。オランダの死因の4.2%は安楽死だそうです。

 第10章「最期の日々」では、終末期を迎えたとき人はどうなるのか、延命治療はどこまですべきか(胃ろうをやてちるのは日本だけらしい)、痛みや苦しみはどう抑えるのか、延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示すことの重要性などを説いています。

 第11章「遺された人、残された物」では、遺された人の悲しみや死の不条理性に触れ、グリーフから立ち直るための方法を説いています。死んでも人は心のなかで生き続けるとのこと、ということは、私が死ぬと、私の中で生きてきた人も死ぬと。また、遺品(デジタル遺産)の問題にも触れています。

 第12章「理想的な死に方」では、死の考えは大きく変わったこと(死が日常化した)、ムリして生きることに意義を求めないこと(健康に長生きし、人に迷惑をかけず一生を終えるのが理想)、理想的な死に方とは「ピンピン」と生きて「コロリ」とは死なず「ごろり」と死ぬことで、そのために病気をよく理解すること、リビング・ウィルを決めておくことなどを挙げています。

 終章「人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死」で、なぜ寿命が尽きて死ぬのか、なぜ病気で死ぬのかを解説しています。

 新書ながら12章にわたり、かなり幅広いテーマを網羅して、それぞれの密度も濃いと思いました。一方で、敢えて宗教や哲学には触れず、「死後の世界」も「死の瞬間」もテーマから外しています。数多くの短歌、文学、映画を交えて読みやすく、医学的に見れば内容はオーソドックスですが、生死論としてはユニークであり(全体としては「オーソドックス且つユニーク(?)」ということになるか)、「医学者によって書かれた初めての医学的生死論」を標榜するのも納得できる気がしました。時々読み返したい本。お薦めです。

黒木登志夫・東京大学名誉教授
1936年生まれの「末期高齢者」(88歳)、東京生まれ、開成高校卒。1960年東北大学医学部卒業。3カ国(日米仏)の5つの研究所でがんの基礎研究をおこなう(東北大学、東京大学、ウィスコンシン大学、WHO国際がん研究機関、昭和大学)。しかし、患者さんを治したことのない「経験なき医師団」。日本癌学会会長、岐阜大学学長を経て、現在日本学術振興会学術システム研究センター顧問。著書に『健康・老化・寿命』、『知的文章とプレゼンテーション』『研究不正』『新型コロナの科学』『変異ウィルスとの闘い』(いずれも中公新書)など。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
第1章 人はみな、老いて死んでいく
1 生まれるのは偶然、死ぬのは必然
2 人はみな老いて死ぬ
3 もしも老化しなかったら、もし死ななかったら
4 老化と寿命のメカニズム
第2章 世界最長寿国、日本
1 長寿国日本
2 日本人は絶滅危惧種
3 江戸時代の寿命とライフサイクル
第3章 ピンピンと長生きする
1 健康を維持する
(1)毎年1回は健康診断を受ける
(2)タバコをやめる
(3)酒は飲み過ぎない
(4)メタボリック・シンドロームにご用心
(5)運動をする
2 サプリメントをとるべきか
第4章 半数以上の人が罹るがん
1 症例
2 がんのリスク
3 がんの受け止め方は大きく変わった
[コラム4-1] セカンド・オピニオン
4 がんを知る
5 がんの診断と治療
6 高齢者のがん
第5章 突然死が恐ろしい循環器疾患
1 症例
2 循環器病を知る
(1)不整脈:期外収縮、心房細動、心室細動
(2)虚血性心疾患:狭心症と心筋梗塞
(3)脳卒中
3 循環器疾患は突然死が多い
4 循環器疾患のリスク要因
(1)高血圧
(2)高脂血症(動脈硬化)
第6章 合併症が怖い糖尿病
1 症例
2 世界の10%が糖尿病
3 糖尿病を知る
(1)インスリン製造細胞が死んでしまった1型糖尿病
(2)2型糖尿病
[コラム6-1] インスリンの発見
4 糖尿病が恐ろしいのは合併症
5 糖尿病の経過
[コラム6-2] 糖尿病という名前が嫌いな糖尿病専門家
第7章 受け入れざるを得ない認知症
1 症例
2 認知症を知る
[コラム7-1] アルツハイマーの生家
3 認知症の中核症状と周辺症状
[コラム7-2] 記憶力テスト
4 認知症の予防と治療
(1)認知症の予防
(2)認知症の治療
5 認知症の進行
6 われわれは認知症を受け入れざるを得ない
第8章 老衰死、自然な死
1 症例
2 老衰死を知る
3 なぜ老衰死が増えたのか
4 なぜ老衰死は世界で全く認められていないのか
[コラム8-1] 誤嚥性肺炎はなぜ高齢者に多いのか
[コラム8-2] 骨折
第9章 在宅死、孤独死、安楽死
1 在宅の死
2 高齢者施設
3 孤独死
[コラム9-1] 孤独死数をめぐる混乱
4 安楽死 
(1)B.間接的死介入(延命装置の取り外しによる安楽死)
(2)C.直接的死介入(薬物などによる安楽死)
(3)警察の介入
(4)オランダの死因の4・2%は安楽死
(5)自殺幇助
第10章 最期の日々
1 終末期を迎えたとき
2 延命治療
3 痛みと苦しみを抑える
4 延命治療について自分の意思(リビング・ウィル)を明確に示す
[コラム10-1] マーラー交響曲9番
第11章 遺された人、残された物
1遺された人
2 不条理な死
3 グリーフから立ち直るため
4 死んでも心のなかで生き続ける
5 残された物
第12章 理想的な死に方
1 死の考えは大きく変わった
2 生きることに意義を求めない
3 理想的な死に方
終章 人はなぜ死ぬのか―寿命死と病死
1 なぜ寿命が尽きて死ぬのか
2 なぜ病気で死ぬのか
おわりに

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「老い」の生き方。前向きであり、そうあるための方法論も書かれている。

老いる意味 森村誠一2.jpg森村誠一.jpg
老いる意味-うつ、勇気、夢 (中公新書ラクレ 718) 』['21年] 森村 誠一(1933-2023/90歳没)

 2023(令和5)年7月に肺炎のため満90歳で亡くなった著者が88歳の時に著した「老い」に関するエッセイ。老人性うつ病を克服した著者が、老いの生き方はどうあるべきかを綴っています。

 第1章「私の老人性うつ病との闘い」では、老人性うつ病というものがどういったものか分かりました。うつ状態を脱するための4カ条として①楽しいものを探す、②のんびりする、③おいしいものを食べて、ゆっくり寝る、④趣味をみつける、だそうで、著者は①人と会う、②喫茶店やレストランに行く、③
電車に乗って、美しい場所、珍しい場所へ行く、④人を招くことをやったと。

また、著者は認知症も患ったようで、書けなくなった作家は「化石」として、脳からこぼれた言葉を拾っていくため、様々な言葉や単語を紙に書き続けるなどの努力をしたこと、その間、主治医への心理的依存度が非常に高かったことなどを明かしていますが、やがて努力の成果が現れ、詩作などを通していつもの状態に戻っていくことが出来、「道」が続いている限り歩みは止めず頑張ろうという気になったと。

 第2章「老人は、余生に寄り添う」では、人の余生は長くなったが、余生と切り離せないのが老いであり、眉毛が伸びてきてショックを受けたと。ただ、未来に目を向ければ今の自分が「いちばん若い」わけで、最先端を追い続けている限り、自分も不変なのだと。人生は「仕込みの時代」「現役時代」「老後」の「三つの期」に分けられ、老後は「人生の決算期」であると。余生まで倹約を続ける必要はなく、「いい意味でのあきらめ」も必要であると。また、「条件付きの健康」で良しとせよと説いています。「楽隠居」なんて実は楽ではなく、生きている意味を見出すよう努めるべきだと。また、田舎の老人は「生涯現役」でいやすく、都会の老人は「自由を謳歌しやすい」とし、「老人たちよ、大志を抱け」としています。

 第3章「老人は、死に寄り添う」では、ネコからさえ死のあり方を教えられてきたとし、また、妻に先立たれる可能性もあるが、男は妻に依存していることが多いので女房なしでは「男はつらいよ」と。一方で、離婚を切り出される可能性もあると(内館牧子の『終わった人』だね)。

 長生きすれば肉親の死にも立ち会うことになるし、別れも辛いが自分自身も生き辛くなると。「お荷物老人」にならないこと、バリアフリーに甘えていると尊敬されないとも。また、今の世は孤独死が増えており、孤独死、孤立死を防ぐには、寂しさに耐える覚悟が必要だと。ともかく、家庭でも社会でも、「お荷物」にならないことだとしています。「仕事の定年」と「人生の定年」は異なり、仕事はやめても、生きていく緊張感は必要、「生きがい」と「居心地の良さ」は別物であるとしています。また、心や脳を衰えさせないためにはどうすればよいかを述べ、「老人社会」に現役時代を持ち込めば居場所がなくなる、70代が曲がり角で、80年代に入れば身辺整理、歳を重ねれば仲間は去っていくものだと。

 第4章「老人は、健康に寄り添う」では、著者は散歩を日課にしているが、散歩コースに医院を入れるのも良いと。スケジュールが無くなると人間は無気力になるもので、自分の行動パターンを決め、「バイオリズム」を掴んだ上で、1日の予定はアバウトなところから始めるのがよいと。老いるに従い「現状維持」を考え、楽しみながらボケを阻止せよと。

 短くても「人間的な眠り」を大切にすること、糖尿病予防のため風呂にはゆっくりつかること、癌や新型コロナウィルスとの向き合い方などを説き、諦めずに病気と向き合う姿勢が大切だと説いています。

 第5章「老人は、明日に向かって夢を見る」では、老いを加速させるかどうかは自分次第だとして、「人」「文化」「場所」との出会いを大切にしたいものだと。茶者は「写真俳句」にハマって、これは楽しいと。また、配偶者とは「つかず離れず」で、時にデートもいいと。男はスタイルにこだわり、いくつになっても「武装」していたいと。また、異性との交流、シニアラブもあっていいと。さらに。シニア世代になってこそ「自由な読書」が楽しめるとしています。

 老齢だからといって退屈している場合ではなく、また、誰かの役に立つことは、心の筋肉をほぐすとも。「気配り」「心配り」「目配り」を忘れるなと。

 作家という職業のせいもありますが、いつまでも仕事をし続けることが目標になっている印象を受けました。そのため、すべてにおいて前向きであり(実際、読んでいて励まされる)、また、前向きであるための方法論も書かれていて、そのことが本書がベストセラーとなった要因の1つでしょう。平易な文章で書かれていて読み易く、また節ごとの小見出しが的確に内容を表しているというのもあるかもしれません。

 帯に「私は百歳まで現役を続けるつもりだ」とあります。残念ながら90歳で亡くなってしまいましたが、晩年もやる気に満ちていたとが窺え、それは著者にとっても良かったのではないでしょうか。うつ病と闘い克服したという自信と自負も大きく作用したのではないかと思いました。

《読書MEMO》
●目次
第1章 私の老人性うつ病との闘い
第2章 老人は、余生に寄り添う
第3章 老人は、死に寄り添う
第4章 老人は、健康に寄り添う
第5章 老人は、明日に向かって夢を見る

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実際問題として認知症の施設介護にどう取り組むかを指南。前著に続いてお薦め。

マンガ認知症【施設介護編】.jpgマンガ認知症2.jpg
マンガ認知症【施設介護編】』['24年]『マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]

マンガ認知症【施設介護編】pop.jpg 大好きな祖母が認知症になってしまい、母と二人で介護に取り組むマンガ家、ニコ。在宅介護が限界を迎えて施設に入居してもらったものの、祖母の認知症の症状がみるみる悪化していった。二人はしょっちゅう呼び出され、かかる費用は月40万円―。

 ベストセラーとなった『マンガ認知症』('20年/ちくま新書)の続編で、今回はより実際的な問題として、認知症の施設介護にどう取り組むかを、認知症の心理学と介護の仕組みの両面から取り上げています(各章の冒頭に体験的マンガがあって、その後に解説がくるスタイルは前著と同じ)。

 今回は、「介護事業を立ち上げ現場を見続けて30年」という「暮らしネットえん」の小島美里代表理事も執筆チームに加わっています(マンガでは若々しいが、経歴的にはベテラン。そう言えば、佐藤眞一先生もマンガでは若々しいが、いつの間にか大学の教授から名誉教授になっている。敢えて若く描いて"権威主義"的な色合いを出さないようにする配慮か)。

 施設介護の最初に来る大事な選択は、「どの老人ホームのどれを選ぶか」ということであり、老人ホームの種類には7種類あり、「民間型にすまい」としての①有料老人ホーム(介護付き・住宅型)、②(サービス付き)高齢者向け住宅、③グループホーム、そして「公共型のすまい」としての④ケアハウス(一般型・介護型)、さらに「公共型の施設」としての⑤特別養護老人ホーム、⑥介護老人保健施設、⑦介護医療院、があるとしています。

特養.jpg それぞれの入居金や月額費用、入居条件、さらには認知症の度合いなども示されていますが、認知症の人には「グループホーム」と「特別養護老人ホーム(「特養」)」が向いているとしています。ただし、「特養」は要介護3以上が入居要件であり、したがって、特に大きい病気がなく要介護1・2レベルであれば、「グループホーム」が第1の選択肢になるとにことです。

サ高住.jpg 最近注目されている「(サービス付き)高齢者向け住宅(サ高住)」は、ここで言う「サービス」というのは介護ではなく「安否確認と相談」のことなので、小島美里氏らは「サービスなし高齢者住宅」と呼んでいるとか(各部屋にトイレや水回りがあるのは魅力的だが、認知症に限らず、年を重ねて体の具合が悪くなって要介護度が高くなると、住み続けることが難しくなる場合もある。さらに、費用の支払いが維持できなくなる怖れがあるとういう問題も)。

グループホーム.jpg 小島氏が代表理事を務める「えん」は「グループホーム」ですが、最近はグループホームでも「終身」(看取り)が可のところも増えている一方で、グループホームに向かない人もいて、認知症以外の病気が重い人は看護師が常駐する介護医院のような施設の方がいいとしています。また、グループホームは住民票がその地に無いと入居できず、満床のこともあるとのことです。

介護付き有料老人ホーム.jpg そのため、第二の選択肢として「介護付き有料老人ホーム」が考えられると。介護付き有料にするメリットは、この金額の中に介護費用もセットになっていることで、「サ高住」に比べて費用は高く見えますが、サ高住のようにそれ以外の費用が天井知らずになることは避けられるとしています(結局「サ高住」って、サービスは部分はほとんど別途持ち出しになるので、何もしなければ普通に何もサービスを受けず暮らしているのとあまり変わらないことになる。「サ高住」の費用の問題は最近よく指摘されることが多い(「サ高住はなぜ失敗するのか?」))。

 本書は、そんな「サ高住」がなぜ高いのかといったことを始め、制度の問題点をも指摘しており、詰まるところ、介護保険制度をはじめとする国の介護福祉政策への批判の本にもなっていますが、そうした姿勢を衒わなくとも、現場の声を拾い上げていくと自ずとそうなるでしょう。思えば、こうした問題提起的な要素は前著『マンガ認知症』にもあり、この辺りも一般の入門書とは異なる点であると思います(小島氏は、利用者負担割合と補足給付の見直しによって、介護サービスが使えない人が増加していることに警鐘を鳴らしている)。

 前著『マンガ認知症』に続き、佐藤眞一先生による心理学的な側面からの認知症の解説もされています。例えば、施設入所して無気力になって寝てばかりという人の場合には、「学習性無力感」の可能性も考えなければならないといった指摘もなされていて、この辺りは丁寧です。

 前著『マンガ認知症』の復習的な解説も随所でされている一方で、番外編として、「レピー小体型認知症」の解説もその分野の専門家(樋口直美氏)によってされいます(マンガ部分は樋口氏が自身の母親がこの病に見舞われた際の体験談になっている)。「高齢者では発症していなくても3人に1人はレビー小体が認められる」というのは驚きでした。

 認知症について介護と医療の両面から分かりやすく学べるという点で、前著に続いてお薦めです。

《読書MEMO》
●老人ホーム・介護施設の種類ごとの特徴を比較する(「みんなの介護」)
老人ホーム種類.jpg

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分かりやすく読める工夫がされていて、認知症患者の心理面の解説が充実してる。

マンガ 認知症3.jpgマンガ認知症2.jpg マンガ認知症.jpg
マンガ 認知症 (ちくま新書) 』['20年]『マンガ認知症【施設介護編】』['24年]

マンガ 認知症4.jpg 大好きな祖母(婆ル)が認知症になってしまい、母(母ル)と二人で介護に取り組むマンガ家ニコ。人が変わってしまったかのような祖母との生活に疲れ果てたニコたちの前に、認知症の心理学の専門家サトー先生が現れて―。

 ベストセラーになった本ということで、やや遅ればせながら購読しましたが、各章ごとにあるマンガが漫画家自身の体験をベースにしていることもあって、物語を読むように読めて分かりやすく、ベストセラーとなる要素が詰まった本のように思いました。

 一般の「マンガ〇〇」といった類の入門書と異なるには、「マンガ」と謳いながら、基本的には「文章」による入門書であること。これだけならそう珍しくはないですが、「マンガ」部分が実体験ベースなので、シズル感とでも言うか切迫感・切実感があることです(ただし、このことも必ずしも珍しいことではないかも知れないが)。

 加えて他の本と比べて良かったのは、「マンガ」部分がケースの紹介だけで終わるのではなく、「マンガ」の中でも理解のためのポイントを整理していて(サトー先生が頻繁に登場する)、さらにその後の「文章」で詳説されるため、「文章」が解説と復習を兼ねていて、理解を深めやすい点です。分かりやすく読める工夫がされていると言えるかと思います。

 あとは、ケーススタディとしてのマンガを各章の冒頭に置いていることに沿って、章題も「「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?」「何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?」というように具体的な現象面から入って、その対処法を述べていることで、これについては賛否もあるかもしれませんが、学術的・体系的な解説もちゃんと出てくるので、これはこれでいいのではないかと思いました。

 親が急に認知機能が低下して介護しなければならなくなった人などには、学術的・体系的な解説から入る入門書よりも(本書でも勿論なぜそうなるかといった原因は解説されているが、分からないこともまだ多いようだ)、本書のようなスタイルの本の方が実際には役に立つかもしれません(認知症の症状は多様であり、すべてがこのマンガのケースのようになるとは限らないということは前提にしつつだが)。

 特に、サトー先生こと佐藤眞一教授が認知症心理学の専門家であることもあって、認知症患者の心理面(認知症の人の心の中)についての解説が充実しており、さらに介護をする人の気持ちの負担軽減にまで配慮しているのがいいです。

 マンガのストーリーも、ニコさんや母ルさんが「なんでやねん!」を解決するために奮闘し、婆ルさんと3人で心の安らぎに少しずつ近づいていく物語になっているのが、読む側に希望を持たせてくれていいです。知識面での理解だけでなく、介護で疲れて落ち込んだら、また本書を読んで元気を取り戻すという使い方もあるかなと思いました。続編とも言える『』('24年/ちくま新書)と併せてお薦めです。

《読書MEMO》
●目次
序章 認知症ってなんですか?
認知症を心理学的に研究するということ/認知症とはなにか/予備軍も含めれば日本に一〇〇〇万人/認知・認知機能とはなにか/原因疾患と認知機能障害の関係/老化による物忘れと認知症の違い/ 「おかしいな」と思ったら
第1章 「お金を盗られた」「強盗にあった」と言うのはなぜ?
中核症状と周辺症状/物盗られ妄想の原因/自己防衛としての物盗られ妄想/身近な人を疑う理由/認知症と薬/薬をやめてみる
第2章 同じことを何度も聞いてくるのはなぜ?
さまざまな記憶の種類/短期記憶と長期記憶―陳述記憶のプロセス/エピソード記憶障害の原因/符号化、貯蔵、検索―記憶のモデル/未来の予定がわからないことの不安/何度でも同じことを聞く理由/なんのための介護か
第3章 何度注意してもお米を大量に炊いてしまうのはなぜ?
陳述記憶と非陳述記憶/手続き的記憶が残る理由/繰り返される行動には、その人のアイデンティティが現われる/同じものを大量に買ってしまうときは
第4章 突然怒りだすのはどうして?
前頭葉障害で、行動のコントロールが難しく/注意機能が低下し、気が散りやすくなる/前頭側頭型認知症の場合/夕暮れ症候群/偶然見つけたヒント/会話が重要/ときには放っておくことも有効
第5章 高齢者の車の事故はなぜ起きるの?
シニアカーがぶつかってきた/有効視野の低下/自分が今まで何をしていたのかわからない/注意機能の衰え/選択的注意機能と有効視野/一度に二つ以上のことができなくなる/認知症に限らず失敗しやすい「注意の切り替え」/家族の同乗がかえってよくないこともある/運転が苦手になるのは、認知症の人に限らない
第6章 介護者につきまとうのはどうして? ?
遂行(実行)機能障害/目標・計画・実行のどこができないのか/できない自分に傷ついている/押し売りに引っかかってしまうのは?/見当識障害という問題/過去と現在と未来をつなげる/実行機能と遂行機能
第7章 家にいるのに「帰りたい」と言うのはなぜ?
見当識とはなにか/記憶の低下との関係/幼児期の記憶のあり方と似ている/婆ルさんはどこに帰りたいのか
第8章 これってもしかして「徘徊」ですか?
目的もなくうろついているわけではない/ 「徘徊」はなぜ起きるのか/頭の中の地図がつくれなくなる/建物と自分の位置関係がわからなくなる/鏡の不思議/徘徊が出てきたら、どうしたらいいのか/徘徊がおさまるのはいいことか
第9章 排泄を失敗してしまうのはなぜ?
排泄の失敗が増える理由/失敗を認めることは、プライドが許さない/弄便で自宅介護が限界に/なぜ食べられないものを口に入れてしまうのか/本人のプライドを傷つけないために
第10章 介護に疲れ果てました。どうしたらいいですか?
人間関係はギブ&テイク/ 「思いどおりにならない」はコントロールのはじまり/「なぜこんなことをするのか」?と考える/心がすれ違うことで、ケアがコントロールに陥る/社会的認知機能の低下と「心の理論」/まずは話を聞くことから/介護を生きがいにしない
番外編 なんでお尻を触るんですかコラー‼
衝動を抑制できない/性欲以外が原因のことも/優しさが逆効果になることも/高齢者の性欲を認める/家族で認知症について話し合える関係に

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俗流心理学を脳科学に置き換えたエセ脳科学。「脳科学」における「竹内久美子」。

脳の闇(新潮新書)5.jpg脳の闇(新潮新書)2.jpg そんなバカな 竹内久美子.jpg
脳の闇 (新潮新書) 』['23年]竹内 久美子『そんなバカな: 遺伝子と神について』['91年]

 自身の人生と脳科学の知見を通して、現代社会の病理と私たち人間の脳に備わる深い闇を鮮やかに解き明かす。5年にわたる思索のエッセンスを一冊に凝縮した、衝撃の人間論!(版元口上)

 「しばしば、ファンですという方からメッセージをいただく」という文章から始まるように、この著者の固定ファンは多いようです。個人的にはずっと著者の本は手にしていなかったのですが、テレビでのコメンテーターとしてのその発言に違和感を感じ、どんなこと書いている人なのかと思い、読んでみました。

 読んでいて、「(こうした作用は)前頭葉の前頭前野が行っていることが実験によって明らかになっている」といったような記述ばかりで、踏み込んだ科学的説明がほどんど無いまま、あとは「人はそういうふうにできているのだ」と決めつけているような表現ばかりだったように思いました。学術的根拠を詳しく解明せずに結論を言い切っているところが、読者にとってある意味"楽"であり、一部の読者には受けるのかもしれませんが、俗流心理学を脳科学に置き換えているだけの「エセ脳科学」のように感じられ、これって純粋には科学とは言えないのではと思いました(読み物としても脳科学系というより心理学系か)。

男が学ぶ「女脳」の医学.jpg 何でもセロトニンとか脳内物質で説明してしまうところは、文芸評論家の斎藤美奈子氏が"ア本"(アキレタ本)認定した米山公啓氏の『男が学ぶ「女脳」の医学』('03年/ちくま新書)を想起させられました。そんなバカな 竹内.jpgさらには、脳科学とはジャンルは異なり進化学ですが、個人的評価が星1つであるため当時この読書ブログでは単独では取り上げなかった『そんなバカな!―遺伝子と神について』('91年/ちくま新書)の竹内久美子氏をも思い出しました(竹内久美子氏は後に「睾丸のサイズによって日本人が日本型リベラルになるかどうかが左右される」「睾丸の小さい男は子の世話をよくし、イクメン度が高い」という「睾丸決定論」を唱えた御仁)。

進化論という考えかた.jpg 『そんなバカな!』は「講談社出版文化賞」(講談社科学出版賞)を受賞しましたが(「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」の第1位にも選ばれている)、進化生物学者の佐倉統氏は『進化論という考えかた』('02年/講談社現代新書)の中で、竹内久美子氏を"俗流"進化生物学と批判しました(佐倉統氏は神経科学者の澤口俊之氏も同様に批判している)。竹内久美子氏に似たものを、本書の著者にも感じます。著者の「不倫遺伝子論」は、もともとそういうことをする遺伝子を持った人がいるという説で、竹内久美子氏の「同性愛遺伝子論」とよく似ているように思います(まさに「竹内久美子」の脳科学版。誰か小保方晴子さんになぞらえていた人もいた(「小保方感ある脳科学者・中野信子さん」))。

 精神科医の岩波明氏は『精神医療の現実』('23年/角川新書)の中で、「脳科学という言葉が世の中に浸透するようになったのは、1990年代ころのことだと思われる(中略)。現在では、「脳科学者」を名乗っている人が、テレビ番組のコメンテーターなどに登場することはまれなことではなくなっている。それでは脳科学とは何かというと、そもそも日本の医学部に「脳科学科」という名称の部門は存在していない」としています。大学において、脳に関する研究をしているのは、基礎医学の部門に加えて、神経内科、脳外科、精神科が相当しているが、いずれの部門も、世の中に浸透している「脳科学」のイメージとはピッタリ一致していないとのこと。この読書ブログでは「脳科学」というカテゴリーを設けていますが、岩波氏の論でいけば、要するに「脳科学者」を標榜する人はやや似非(エセ)臭い要素があるかもしれないということでしょうか(となると、先ほど用いた「エセ脳科学」という言葉も微妙になってくるが)。ネットで「脳科学者」で検索すると、著者の名が真っ先にで出てきて、それに続くのが茂木健一郎氏と澤口俊之氏でした。

中野 信子k.jpg 岩波明氏は、"脳科学者"の茂木健一郎氏も批判の対象としていますが、茂木健一郎氏はその論がやや浮いていたりすることがあって、だんだん茂木氏がどんな人か皆分かってきた(笑)印象があります。これに対し、この著者は、本書『脳の闇』を出した2023年には単著7冊、共著3冊を出していて(ほぼ〈作家〉業。〈研究〉などしている"暇"は無いのでは)、おそらくこの辺りがピークであろうとは思いますが、まだ現時点ではコアなファンが多くいると思われます。読み物として読むのならばどうぞお好きにという感じですが、まさか科学的に正しいと信じて読まれているのではないだろうなあと、少し気になります。

『そんなバカな!―遺伝子と神について』...【1994年文庫化[文春文庫]】

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「あるある」オンパレード。どんな認知バイアスがあるかを知っておくことは大事なのかも。

バイアス大図鑑.jpgバイアス大図鑑2.jpg
大図鑑シリーズ バイアス大図鑑 (Newton大図鑑シリーズ) 』['24年]

Newton大図鑑シリーズ2.jpgNewton大図鑑シリーズ.jpg 科学雑誌「ニュートン」の2020年から刊行が続いている本格図鑑シリーズ「Newton大図鑑シリーズ」の第33弾(2024年までに33巻刊行)。心理学系は、『心理学大図鑑』に続いて2巻目ですが、図鑑に心理学系の本があること自体が「ニュートン」らしいかも。

 「認知バイアス」という言葉が注目を集めている昨今ですが(ジャンル的には心理学だが、プロスペクト理論とか行動経済学などの分野との関係も深い)、認知バイアスを場面に応じて大きく6つに分類し、実験や調査などのエビデンスとともに、イラストと図で分かりやすく解説しています。

 どれも「あるある」という感じで、まさに「あるある」のオンパレードです。その理由として書かれていることにも大体は以前から見当がついていたように思えましたが、それぞれにちゃんと名前がついているのだということが興味深かったです。

 Part1「知覚にまつわるバイアス」では、広告などを何度も見ると好きになっていく「単純接触効果」、A型は几帳面だと根拠なく信じてしまう「確証バイアス」、占いが当たっていると感じる「バーナム効果」、日頃の習慣や知識が固定観念となって新たな発想を妨げる「機能的固着」、ドキドキしただけでもっともらしい原因があると取り違えて好きになる「誤帰属」、効き目のない偽薬で症状が改善する「プラセボ効果」(これはよく知られている)、幸せや悲しみは実際よりも長く続くと思う「インパクト・バイアス」、すべては計画通りに進むと思い込む「計画錯誤」、無意識に辻褄を合わせようとする「認知的不協和」(フェスティンガーが提唱したこれも有名)etc.。

 Part2「記憶にまつわるバイアス」では、思い出を後から作る「偽記憶」、記憶が言葉一つで変わってしまう「事後情報効果」、昔の出来事を最近のことのように感じる「圧縮効果」、10代から20代の出来事ばかり思い出す「レミニセンス・バンプ」、今よりも昔の方がよく見える「バラ色の回顧」、完了された内容よりも中断された内容を覚えているツァイガルニック効果」、「後出し」で記憶を都合よく修正する「後知恵バイアス」、過去から未来までずっと人は変わらないと思い込む「一貫性バイアス」よい印象より悪い印象の方が残りやすい「ネガティビティ・バイアス」etc.。

 Part3「判断・意思決定にまつわるバイアス」では、数値を示されると尤もらしいと思ってしまう「アンカリング」、質問の仕方で答えが変わる「フレーミング効果」、損が気になって挑戦できない「現状維持バイアス」(この辺りはプロスペクト理論か)、過去の投資が勿体なく無駄な投資を続ける「サンクコスト効果」(コンコルドの写真が出ている)、明日得られる利益よりも今日得られる利益を大切にする「現在志向バイアス」、どうせ失敗するなら何もしない方を選ぶ「不作為バイアス」、レアものや限定品が魅力的に感じる「希少性バイアス」、選択肢が多いとかえって選べない「択肢過多効果」、手間をかけたものに価値を感じる「イケア効果」(家具などを購入者自らが組み立てる)etc.。

 Part4「対人関係にまつわるバイアス」では、見た目良ければすべて良しとなる「ハロー効果」(代表的な考課者錯誤として有名)、期待をかけられると成果が出る「ピグマリオン効果」、実力不足だと自分の実力より過大評価する「ダニング・クルーガー効果」、自分と意見が合わないと相手が間違っていると考える「ナイーブ・リアリズム」、他の人も自分と同じように考えているだろうと思い込む「フォールス・コンセンサス」、自分が思っているほど他人は自分に興味がないことに気づかない「スポットライト効果」、否定されるとよけいに自分が正しいと思う「バックファイア効果」etc.。

バイアス大図鑑3.jpg Art5「集団にまつわるバイアス」では、勝ち馬に乗って自分も勝者になりたい「バンドワゴン効果」、出身地が同じということだけで贔屓してしまう「内集団バイアス」(出身地に限らずこれはある)、人がたくさんいると行動しなくなる「傍観者効果」etc.。Part6「数にまつわるバイアス」では、アイスが売れると水難事故が増えるといった「疑似相関」、連続で黒が出たら次は赤が出る確率が高くなると思う「ギャンブラー錯誤」(ドストエフスキーなら黒に賭け続ける(『賭博者』))etc.。

 見て分かるように、認知バイアスは様々な場面で見られますが,自分ではなかなか気づかないもので、それゆえに「バイアス」として在るのだろうし、だからといって「自分はいつも正しい」と開き直るのではなく(これこそが最大のバイアスかも)、本書が言うように、どんな認知バイアスがあるかを知っておくことで、いざというとき、バイアスにうまく対処することができるのでしょう。

《読書MEMO》
●目次
Part1 知覚にまつわるバイアス
錯視/見落としの錯覚/単純接触効果/真実性の錯覚/確証バイアス/バーナム効果/機能的固着/誤帰属/プラセボ効果(偽薬効果)/妥当性の錯覚/インパクト・バイアス/計画錯誤/COLUMN 認知的不協和
Part2 記憶にまつわるバイアス
虚記憶(偽りの記憶)/事後情報効果/ラベリング効果/圧縮効果/レミニセンス・バンプ/バラ色の回顧/ツァイガルニック効果/皮肉なリバウンド効果/後知恵バイアス/一貫性バイアス/ピーク・エンドの法則/ネガティビティ・バイアス/気分一致効果/COLUMN 有名性効果
Part3 判断・意思決定にまつわるバイアス
代表性ヒューリスティック/利用可能性ヒューリスティック/アンカリング/フレーミング効果/正常性バイアス/現状維持バイアス/サンクコスト効果/デフォルト効果/現在志向バイアス/不作為バイアス/ゼロサム・バイアス/COLUMN 利用可能性カスケード/おとり効果/希少性バイアス/選択肢過多効果/メンタル・アカウンティング/保有効果/イケア効果/単位バイアス/曖昧さ回避/身元のわかる犠牲者効果/モラル・ライセンシング/COLUMN リスク補償
Part4 対人関係にまつわるバイアス
ハロー効果/ステレオタイプ/ピグマリオン効果/平均以上効果/ダニング・クルーガー効果/自己奉仕バイアス(セルフ・サービング・バイアス)/楽観性バイアス/ナイーブ・リアリズム/フォールス・コンセンサス/知識の呪縛/貢献度の過大視/スポットライト効果/透明性の錯覚/公正世界仮説・被害者非難/システム正当化/敵意的メディア認知/バックファイア効果/COLUMN 第三者効果
Part5 集団にまつわるバイアス
同調バイアス/集団への同調/少数派への同調/バンドワゴン効果/集団極性化/権威バイアス/外集団同質性バイアス/内集団バイアス(内集団びいき)/究極的な帰属の誤り/錯誤相関/COLUMN 傍観者効果
Part6 数にまつわるバイアス
ナンセンスな数式効果/平均値の誤謬/生存者バイアス/相関分析の落とし穴/シンプソンのパラドックス/擬似相関/回帰の誤謬/ギャンブラー錯誤/モンティ・ホール問題/確率の誤謬/COLUMN 確実性効果

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「幸福」を学問的に捉えているのがユニークで、説得力もあった。

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幸せのメカニズム 実践・幸福学入門 (講談社現代新書 2238) 』['13年]

 本書は、脳・ロボット学者である著者が、個人の幸福追求、幸せにつながるビジネスのために「幸福」の仕組みを解き明かし、「幸せはコントロール幸せのメカニズム1.jpgできる」ことを示した、誰でも分かる学術書、学問としての体系的幸福学の本であるとのことです。

 第1章では、前提知識として、幸福の定義、測り方、世界的な研究動向、および幸福に影響することがら、主に心理学の分野で行われてきた幸福研究の成果とその限界」について述べてます。

 第2章では、著者らのグループが行った幸福学の研究成果に的を絞って、幸福の因子分析をした結果、次の幸せの4つの因子が得られたとしています。

 ・「やってみよう!」因子(自己実現と成長の因子)
 ・「ありがとう!」因子(つながりと感謝の因子)
 ・「なんとかなる!」因子(前向きと楽観の因子)
 ・「あなたらしく!」因子(独立とマイペースの因子)

 著者はこれらを「幸せの四葉のクローバー」としています。

 「やってみよう!」因子は、コンピテンス、社会の要請、個人的成長、自己実現に関係した因子。自分の得意なことを伸ばす楽しみ。オタク・天才・達人を目指せ!としています。

 「ありがとう!」因子は、人を喜ばせる、愛情、感謝、親切などの要素から成りたち、たくさんの友人より多様な友人を持てと。さらに、人を幸せにすると自分も幸せになるとしています。

 「なんとかなる!」因子は、楽観性、気持ちの切り替え、積極的な他者関係、自己受容に関連した因子。「そこそこで満足する人」が幸せであるとしています。

 「あなたらしく!」因子は、社会的比較のなさ、制約の知覚のなさ、自己概念の明確傾向、最大効果の研究に関係し、人の目なんて気にせず、マイペースな自分を、と。また、「満喫」する態度を持つと幸せになれるとしています。

 第3章は応用編で、第2章で得た4つの因子から見て、世の中はどうなっていくのか、どうすべきかを考察しています。

 この本はある読書会の課題本として読んだもので、個人的には、これまであまり「(幸福を学問として捉える)幸福学」というものを意識してきませんでしたが、第1章の冒頭で、「幸福」「幸せ」(両者は同意だとしている)と「happiness」「well-being」の違いなどを解説しているのは興味深かったです(「happy」と「幸福」は、時間的スパンにおいて違うのだとしている)。

 「幸せって何だろう」的な本は、それをテーマにしたエッセイなどのも含めると結構出ていますが、「幸福」を学問的に解明しようとしてる本である点がユニークであったし(前からこの分野は存在していたと思うが、自分にとっては目新しかっった)、科学的・統計的手法を駆使しているため説得力もあったように思います。

 ジャンル的には心理学に近いと思うけれど、学問的な心理学の範疇ではないので、逆に、脳・ロボット学者である著者のように学際的な観点を持つ人が参入してくるのでしょう。海外などは、心理学者が経営学にどんどん参入したりしているけれど、そういうのも日本ではあまりないなあ、と思った次第です。

《同著者の本》
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・前野 隆司『実践 ポジティブ心理学―幸せのサイエンス』(2017/08 PHP新書)
・前野 隆司『幸せな職場の経営学―「働きたくてたまらないチーム」の作り方』(2019/05 小学館)
・前野 隆司/前野 マドカ『ウェルビーイング』(2022/03 日経文庫)
・前野 隆司/太田 雄介『実践!ウェルビーイング診断』(2023/05 ビジネス社)
・前野 隆司『幸せに働くための30の習慣―社員の幸せを追求すれば、会社の業績は伸びる』(2023/12 ぱる出版

《読書MEMO》
●幸福と相関が高いもの...健康、信仰、結婚(58p)
●ダニエル・カーネマンの「フォーカス・イリュージョン」(63p)
「人は所得など特定の価値を得ることが必ずしも幸福に直結しないにもかかわらず、それらを過大評価してしまう傾向がある」
●ネッシィ「地位財と非地位財のバランスを取れ!」(70--74p)
●自由時間の長さは幸福に結びつかない(78p)
●「プロスぺクト理論」(87p)
●幸せは間接的にやってくる(91p)

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「蔦重」と作家・画家らとの人間模様を描く学術文庫。「吉原」の解説が詳しい別冊太陽。
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新版 蔦屋重三郎 江戸芸術の演出者 (講談社学術文庫 2840) 』['24年]『蔦屋重三郎: 江戸芸術の演出者』['88年]『蔦屋重三郎: 江戸芸術の演出者 (講談社学術文庫 1563)』['02年]/『蔦屋重三郎: 時代を変えた江戸の本屋 (319) (別冊太陽) 』['24年]/NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」横浜流星

蔦屋重三郎1.jpg 講談社学術文庫版の新版で、今年['25年]のNHK大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」の主人公・蔦屋重三郎(1750-1797/47歳没)について、日本美術史と出版文化の研究者が解説したものです。'88年に日本経済新聞社から刊行され「サントリー学芸賞(芸術・文学部門)」を受賞(著者は当時、東京都美術館学芸員)、'02年に講談社学術文庫として刊行され、今回のドラマ化を機に、巻末に池田芙美氏(サントリー美術館学芸員)の解説を加えて「新版」として刊行されました。

蔦屋重三郎 新版.jpg 当時の社会を背景に(江戸時代という平和なイメージがあるが、浅間山の噴火と大飢饉、田沼意次と松平定信の抗争など色々あった)、蔦屋重三郎と作家、画家、版元仲間らの様々の人間模様を描き、天明・寛政期に戯作文芸や浮世絵の黄金期を創出した奇才の波瀾の生涯を文化史的・社会史的に捉えた本であり、「単なる出版「業者」ではない「江戸芸術の演出者」としての蔦重の歴史的役割を明らかにしてみせた」(高階秀爾「サントリー学芸賞」選評)との評価を受け、今もって蔦屋重三郎を知るための「必読の定番書」とされている本です。

江戸新吉原耕書堂.jpg 最初、新吉原大門(しんよしわらおおもん)前で書店「耕書堂(こうしょどう)」を創業しますが、"吉原外交"を駆使するなどして作家のパトロンとなり、事業拡大に合わせて当時有名版元が軒を連ねていた日本橋通油町(とおりあぶらちょう(現・日本橋大伝馬町))に進出、"黄表紙出版で興隆するも、政治風刺の筆禍事件で身上半減の処分を受けたりもしています。

江戸新吉原耕書堂(蔦屋重三郎が新吉原の大門前に開業した「耕書堂」を模した施設)台東区千束・2025年4月6日撮影

 作家や絵師の才能を見抜く眼力と、独創的企画力を併せ持ち、まず獲得した作家が山東京伝で(山東京伝に関しては、当初は重三郎はその文才よりも浮世絵師としての才能の方を買っていたと本書にある)、さらには滝沢馬琴も育てます。次に喜多川歌麿を獲得して美人画を制覇し、東洲斎写楽を獲得して役者絵制覇の野望を果たします。まさに、江戸時代のメディア王と言っていいでしょう。斬新なアイデアと並々ならぬバイタリティ、打たれ強さを備えた人物の成功物語でもあり、楽しく読めます。

蔦屋重三郎 別冊太陽1.jpg蔦屋重三郎 別冊太陽0.jpg それにしても、最初のベストセラーは、〈吉原ガイド〉だったわけだなあ。別冊太陽版の方は、なぜか当時の吉原についての解説にかなり重点が置かれて、詳しく解説されています(「遊女の一日」とか)。だだ、講談社学術文庫版では細かすぎる吉原細見などが大きな図版で見ることができるのは有難いです。

蔦屋重三郎の仕事.jpg 監修は、近世書籍文学史が専門で、講談社学術文庫版にもしばしばその著書からの引用のある中央大学の鈴木俊幸教授(大河ドラマ「べらぼう」の版元考証もしており、一般読者に分かりやすく各書き下ろした『蔦屋重三郎』('24年/平凡社新書)という入門書もある)、また、蔦屋重三郎の人的ネットワークについては、『別冊太陽 蔦屋重三郎の仕事』('95年)掲載の法政大学の田中優子教授(現総長)の原稿「蔦屋重三郎のネットワーク」が再掲載されています。それとは別に、蔦屋重三郎に関係する主要人物10名ほどの解説があり、巻末には歌麿、写楽の解説と大判の浮世絵作品もあって、これはこれで、吉原や蔦屋重三郎が関係した人物・作品について知ることができるものとなっています。
別冊 太陽 蔦屋重三郎の仕事』['95年]

 講談社学術文庫版を「蔦屋重三郎と作家、画家、版元仲間らの様々の人間模様を描いた」としましたが、蔦屋重三郎が人気作家・浮世絵師らを獲得していった経緯には不明の部分も多いようです。大河ドラマでは主演男優がインタビューで「あまり知られていない人物だから自由に演じられる」と言っていましたが、脚本家からすれば、「自由に書ける」というのはあるかも(脚本は「おんな城主 直虎」('17年)の森下佳子氏だが、「直虎」もかなり"自由"だった)。

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蔦屋重三郎 べらぼう.jpg「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」●脚本:森下佳子●演出:大原拓/深川貴志/小谷高義/新田真三/大嶋慧介●時代考証:山村竜也●版元考証:鈴木俊幸●音楽:ジョン・グべらぼう図1.jpgラム●出演:横浜流星/高橋克実/飯島直子/中村蒼/六平直政/水沢林太郎/渡邉斗翔/小芝風花/正名僕蔵/水野美紀/小野花梨/久保田紗友/珠城りょう/安達祐実/山路和弘/伊藤淳史/山村紅葉/かたせ梨乃/愛希れいか/中島瑠菜/東野絢香/里見浩太朗/片岡愛之助/三浦りょう太/徳井優/風間俊介/西村まさ彦/芹澤興人/安田顕/井之脇海/木村了/市原隼人/尾美としのり/前野朋哉/橋本淳/鉄拳/冨永愛/真島秀和/奥智哉/高梨臨/生田斗真/寺田心/花總まり/映美くらら/渡辺謙/宮沢氷魚/中村隼人/原田泰造/吉沢悠/石坂浩二/相島一之/矢本悠馬/綾瀬はるか●放映:2024/01~2024/12(全50回)●放送局:NHK

(●NHK「首都圏情報ネタドリ!」(2025.1.10)「蔦屋重三郎とTSUTAYA(ツタヤ)の関係は? 大河ドラマ時代考証担当・鈴木俊幸さんが語る主人公の魅力」)
「彼の広告戦略は現代とも通じるところがあります。例えば吉原細見の一つにしても、その序文を当時の著名人・平賀源内に依頼するなど、箔(はく)をつけて売り出していきました。ただ宣伝するだけでなく、ブランディングがうまかった。そうした彼の出版物には、"粋"でおしゃれなかっこよさ、江戸っ子が好む演出がなされており、流行の発信地としての吉原のイメージを確立、人々が憧れをいだき、買い求めるように仕向けていきました」
「ドラマでもこれから描かれていくかもしれませんが、出版人として蔦屋重三郎は必ずしも順風満帆というわけではありませんでした。政治状況の変化や大衆のニーズの移り変わりなどで多くのピンチにも見舞われます。そうした状況の中でも、大衆が次に求めるものは何かと思案を続け、本の内容や売り方などを工夫し、手を変え出版業を続けていきました。現在の状況にとらわれず、常に先を見続ける力があったからこそ、前向きに新たな手を打ち、数々の功績に繋がっていきます」
「吉原は江戸時代において特殊な場所で、多種多様な人材が集まる数少ない街でした。当時の武家社会では、武家は武家、商人は商人といった形で、全く違う生活スタイルや価値観の中で生きており、交わることも多くなかったと思います。吉原は異なる人種が集まる場所であり、当時の一流の文化人やクリエーターなども多く通う文化サロンといった面もありました。そこで蔦重の個性やセンスが磨かれつつ、かつ自身の後ろ盾となる人脈を広げていったのではないかと思います」
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江戸新吉原耕書堂(蔦屋重三郎が新吉原の大門前に開業した「耕書堂」を模した施設)台東区千束・2025年4月6日撮影
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観光協会専務理事・不破利郎さん(台東区千束・ホテル「座みかさ」にて)2025年4月6日撮影
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不破利郎さん(ホテル「座みかさ」オーナー)
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「世界一美しい楽しい古生物図鑑」。子どもから大人まで楽しめる。

古生物大図鑑.jpg古生物大図鑑1.jpg
Newton大図鑑シリーズ 古生物大図鑑』['21年]「Newton大図鑑シリーズ」33
Newton大図鑑シリーズ2.jpgNewton大図鑑シリーズ.jpg 科学雑誌「ニュートン」の2020年から刊行が続いている本格図鑑シリーズ「Newton大図鑑シリーズ」の第17弾(2024年までに33巻刊行)。このシリーズは版元の口上によれば、「子供から大人まで誰でも楽しめる!」「美しいビジュアルでワクワクが止まらない!」「やさしい文章で。どんどんわかる!」とのことで、本書の謳い文句は「世界一美しい楽しい古生物図鑑」となっていますが、これらの言葉が必ずしも大袈裟ではないように思います。

 本書では地球の歴史から始まって、魅力あふれる古生物たちを紹介していますが、それらのイラスト描写が精緻であり、背景の植物の葉まできっちり描かれていたりします。大人もそうですが、子どもなどは大いにイマジネーションを掻き立てられるのではないでしょうか(Amazonのレビューに5歳の息子のために買ったとかいうのがあったが、4,5歳くらいから楽しめるのではないか)。

 解説も分かり良い言葉で書かれており、内容的にはかなり専門的なことまでも書かれているので、これは大人にとっても有難いことではないかと思います。

 冒頭に「ビジュアル年表」があり、そこでの年代区分は、「原生代」(エディアカラ紀)、「古生代(節足動物と魚類の時代)」(カンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀・デボン紀・石炭紀・ペルム紀)、「中生代(恐竜たちの時代)」(三畳紀・ジュラ紀・白亜紀)「新生代(哺乳類の時代)」(古第三紀・新第三紀・第四紀)となっていて、ページ№ が振ってあります。その後に目次がありますが、この「ビジュアル年表」の方をもう1つの"目次"として参照するといいと思います。

EVOLUTION 生命の進化史.jpg生物の進化大図鑑.jpg 「古生物図鑑」「進化学図鑑」のこれまでの個人的ベストは、ダグラス・パーマー『EVOLUTION 生命の進化史』('10年/ソフトバンククリエイティブ)、マイケル・J・ベントン他『生物の進化 大図鑑』('10年/河出書房新社)あたりなのですが、「古生物図鑑」や「恐竜図鑑」に共通する弱点は、どんどん新発見があって内容が古くなっていくことであり、本書も今世紀に入ってからの発見が多く含まれている一方で、まだ分からないがいずれ明らかになるであろうことも多いことが示唆されています。ただし、それでも暫くは、本書もまた最良の古生物図鑑の1つであり続けるのではないでしょうか。

恐竜大図鑑 ニュートン.jpg このシリーズはほとんどが日本人の学者による監修となっています。本書の監修者は国立科学博物館・地学研究部の生命進化史研究グループ長の甲能直樹氏です。「NHKスペシャル 恐竜超世界」で知られる小林快次氏の監修による、このシリーズの『恐竜大図鑑』('21年)も機会があれば手にしてみたいと思います。

Newton大図鑑シリーズ 恐竜大図鑑』['21年]

古生物大図鑑2.jpg

《読書MEMO》
●目次
Part1 地球の誕生(先カンブリア時代)
地球/海/生命の誕生/シアノバクテリア/全球凍結・大酸化イベント/オゾン層/地磁気/超大陸/エディアカラ生物群
Part2 古生代(カンブリア紀〜シルル紀)
カンブリア爆発/バージェス頁岩/バージェス頁岩動物群/ケンブリッジプロジェクト/アノマロカリス/奇妙奇天烈動物群/澄江動物群/ミロクンミンギア/微小硬骨格化石群/三葉虫/イアペタス海/棘皮動物/植物の上陸/ウミサソリ/ヘレフォードシャー微化石群
COLUMN 眼の誕生説/カイメン
Part3 古生代(デボン紀〜ペルム紀)
魚類の台頭/無顎類・棘魚類・板皮類/ダンクルオステウス/軟骨魚類/脊椎動物の上陸/オウムガイ・アンモナイト/植物大繁栄/爬虫類・昆虫/メゾンクリーク生物群/単弓類/P/T境界絶滅事件
Part4 恐竜たちの時代(中生代)
中生代の幕開け/主竜類/竜脚形類/獣脚類/装盾類/ティラノサウルス/鳥脚類/周飾頭類/魚竜類/クビナガリュウ類/モササウルス類/カメ類/ニッポニテス/翼竜類/白亜紀と温暖化/K/Pg境界絶滅事件
COLUMN カモノハシ
Part5 哺乳類の時代(新生代)
多様化した哺乳類/古第三紀の動物/インドリコテリウム/クジラ類/鰭脚類/新第三紀の動物/フォルスラコス/南アメリカ大陸/デスモスチルス/メガロドン/第四紀の動物/マンモス/人類の登場
COLUMN エベレスト/イヌとネコの祖先

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「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本(南部陽一郎)

複数のノーベル賞理論のベースとなった理論を生んだ天才にも挫折の時があった。

南部陽一郎物語2.jpg南部陽一郎物語.jpg  南部 クォーク.jpg
早すぎた男 南部陽一郎物語 時代は彼に追いついたか (ブルーバックス 2183) 』['21年]/『クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]『クォーク 第2版 (ブルーバックス)』['98年]

 「素粒子物理学および原子核物理学における自発的対称性の破れの機構の発見」により2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎(1921-2015/94歳没)の、生誕100年の節目に初めての本格的伝記。科学ライターによるもので、併せて素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を辿るものにもなっています。

 本書には、「理論物理学の巨人」南部理論の前では、2012年に発見され「質量の起源」として喝采を浴びたヒッグス粒子も、巨象にひれ伏す小さなアリでしかない―とあります。ただし、彼の途方もなく大きな才能は、常人には理解しがたく、そのため、彼の生涯最高傑作「自発的対称性の破れ」にノーベル物理学賞が授けられたのは発表後50年近くがたってからだったともことです。

 幼い頃から神童と目され、エリートコースを歩み続けた天才のその道のりが平坦であったかというとそうではなく、「成功と失敗が交錯」したのが南部陽一郎の生涯であったと。素粒子物理を志していたのに、物性物理の講座しかない東大にうっかり入学してしまったが、そのことも含め「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を生み出すベースになったとか、

 最大の苦境に陥ったのは、プリンストン高等研究所に留学した2年間。ここはかつて湯川秀樹も朝永振一郎も在籍した場所で、南部が留学した当時の所長はあのオッペンハイマーで、オッペンハイマーの客人の立場でアインシュタインがいました(クリストファー・ノーラン監督映画「オッペンハイマー」.jpgの映画「オッペンハイマー」('23年/米)でもプリンストン高等研究所の庭での二人の"接触が"が描かれていた)。南部はアインシュタインの"追っかけ"のような志向があり、オッペンハイマーに無断でアインシュタインに会いに行ったりして(散策するアインシュタインを車から隠し撮りしたりしている)、当時研究所員からも畏怖されていたオッペンハイマーの機嫌を損ねるといったことがあったようです。

「オッペンハイマー」('23年/米)

 そのプリンストン高等研究所での2年間、南部は成果が出せず、研究所が超競争社会であったことも相俟って絶望状態に陥ったことで神経衰弱となり、さすがにオッペンハイマーも心配し、シアトルに行くことなどを勧めましたが、結局、(日本では教授職にあったのに)「ポスドク」扱いでシカゴ大学に移ることになります。シカゴ大学で出会った物性物理の新理論が気に入らず、そこで生まれたのが「自発的対称性の破れ」の理論で、そこから先にも述べた「南部マジック」と呼ばれる数々の新理論を打ち出すことになります。

2008年10月8日付「朝日新聞」
ノーベル物理学賞 日本人3氏 .jpg 1991年に70歳で定年、シカゴ大学の名誉教授となりますが、驚くのは、1999年と2004年に、それぞれ南部が生み出した「自発的対称性の破れ」の理論および「量子色力学」の理論をベースとした研究でノーベル物理学賞が授与されているとのことで、南部の2008年の授賞は遅すぎたかもしれません(これも南部がその理論に影響を与えた益川敏英、小林誠との共南部陽一郎2.jpg同授賞)。生きている間に受賞できたのは良かったですが、奥さんの健康上の理由と自身の体力の問題で授賞式に出られなかったのは残念でした(シカゴ大学にて授与され、記念講演も行った。そう言えば、本書にも出てくる南部の恩師で'65年に物理学賞を受賞した朝永振一郎は、酒で酩酊し風呂場で転んで骨折したため(朝永自身、エッセイに書いている)在日本スウェーデン大使館で賞状とメダルを受け取ったということがあった)。
贈られたメダルを見せる南部陽一郎(2008年12月11日付「朝日新聞デジタル」米シカゴ、シカゴ大提供)本書p274

 90歳になっても、宇宙を記述する理論として流体力学に関心を寄せ、その研究に情熱を傾けていたとのこと、1970年に、海外の学会に出かけて帰ってきた際の出張理由を当局に報告する負担から解放されるために米国籍を取得していましたが(ノーベル賞受賞当時、既に米国籍であったことは多くの人の記憶にあるのでは。新聞に「ノーベル賞日本人3氏」とあったが、南部については国籍上は米国人ということになる)、晩年は妻の地元である大阪府豊中市の自宅で暮らしていたとのことです。

クォーク―素粒子物理の最前線.jpg 本書は、冒頭にも述べたように、南部陽一郎の生涯の「物語」と並行して、素粒子物理学および原子核物理学の発展の歴史を様々な理論を解説しながら辿るものになっていますが、南部洋一郎自身が素粒子について一般向けに書いたものとしては、同じくブルーバックスに『クォーク―素粒子物理の最前線』('81年)があり、素粒子物理学が過去50年間にどう発展し、現在何がわかっているか、物理学者がどんな考え方を辿ってその理論に到達したのかを、相対性理論との関係などを説明しながら、具体的かつ系統的に解説しています。その17年後には、同じくブルーバックで本書の第2版にあたる『クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか』('98年)も刊行されています。

クォーク: 素粒子物理の最前線 (ブルーバックス 480) 』['81年]

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「●日本の主な写真家」の インデックッスへ

生涯を通して出生地を拠点にしながら、海外にまで知られるようになった写真家。

吹き抜ける風01.jpg吹き抜ける風02.jpg 植田正治のつくりかた00.jpg 植田正治と妻.jpg
吹き抜ける風: 植田正治写真集』['05年]/『植田正治のつくりかた』['13年]植田正治と妻 (1949年撮影)
吹き抜ける風03.jpg植田 正治(しょうじ).jpg 植田正治(うえだ しょうじ、1913-2000/87歳没)は、出生地である鳥取県境港市を拠点に70年近く活動した写真家で、数ある作品の中でも、鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよ植田正治写真集:吹き抜ける風図2.jpgく知られています。人物をオブジェのように配する構図や、逆に物を擬人化するなどの特徴を持ち、土門拳や名取洋之助の時代以降の主観や演出を重視した日本の写真傾向と合致したとのこと(Wikipediaより)。この人の写真を見ていると70年代頃に「アサヒカメラ」(2008年廃刊)などに掲載されていた写真を想起させられます。
 
吹き抜ける風04.jpg 一方、その後に大きく興隆する広告写真、ファッション写真とも親近性があったこともあり、広く注目されるようになります。個人的にも、作品の中にはバブル期のサントリーの広告を思い出させるものがあったように思います(最近では上田義彦氏のサント吹き抜ける風f.jpgリー・ウーロン茶の広告を想起させる)。また、1994年には福山雅治のシングル「HELLO」のCDジャケットを手がけています。その間も次第に評価は高まり、その評価はヨーロッパやアメリカにも及びました。海外の写真家で言うと、アンリ・カルティエ=ブレッソンなどと似ている点もあるように思います(絵画まで範囲を拡げれば、キリコの画風が最も近いかも)。
吹き抜ける風06.jpg

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植田正治のつくりかた0.jpg植田正治のつくりかた01.jpg 故郷の鳥取県伯耆町に植田正治写真美術館がありますが、何回か東京でも写真展が開かれたことがあり、東京ステーションギャラリーが1993 年に生前最大規模となる回顧展「植田正治の写真」を開催し、さらに没後の2005年12月から2006年2月にかけて東京都写真美術館が開館10周年記念として写真展を開催しています。そして再び東京ステーションギャラリーにて、2013年10月から2014年1月にかけて「生誕100年!植田正治のつくりかた」と銘打った写真展が開催し、公式カタログとして『植田正治のつくりかた』('13年9月/青幻舎)が刊行されています。

植田正治のつくりかた02.jpg "公式カタログ"と言っても実質的には大型書籍と言えるもので、『吹き抜ける風:植田正治写真集』が163ページであるのに対し、こちらは224ページとそれを上回るページ数になっています(何れもソフトカバー)。『吹き抜ける風』が刊行された時点で植田正治はすでに亡くなっているため、網羅している写真のうち代表的な作品は重なりますが、『植田正治のつくりかた』の方が「砂丘シリーズ」以外の多様な写真を載せているように思われます(他界する直前に撮られた写真をフィルムから現像したものもある)。

 『植田正治のつくりかた』の解説文で興味深かったのが、しばしば砂丘の写真として説明される「少女四態」も、「パパとママとコドモたち」を中心植田正治のつくりかた03.jpgとする一連の「綴り方・私の家族」シリーズも、ともに植田の自宅からほど近い弓ヶ浜海岸で撮影されたということで、それを評論家が砂丘と勘違いしてしまったのですが、その勘違いの元となったのは、植田自身がそれらを収めた写真集を「砂丘」のタイトルで一括りにしたことにあるということです。
 
 ある意味、自分で自分をプロデュースする方法であったのかもしれないし、金子隆一氏(東京都写真美術館学芸員)の解説文にあるように、写真家の内部では砂と空があればすべて「砂丘」ということだったのかもしれません。でも、生涯を通して出生地を拠点にしながら、海外にまでその名を知られるようになったという意味では、稀有な写真家であるには違いないでしょう。

佐野史郎が語る植田正治.jpg 因みに、俳優の佐野史郎が植田正治のファンであり、「もう、作品がいい悪いだけじゃないんですよね。植田さんの才能、技術だけじゃなく、お人柄までも含めて、全てが写真に出ている感じがします」と語っています。佐野史郎は妖怪、ゴジラ、ドラキュラなどのマニアックなファンとしても有名ですが(ゴジラ映画に登場する博士役に憧れて俳優を志した)、かつて画家を目指して美術大学を受験したりした人で、ダリ、マグリットなどのシュールレアリスムの画家が大好きで、漫画家のつげ義春にも造詣が深く、写真家への関心も同じ視覚芸術としての流れでしょうか。

佐野史郎が語る、終生モダニズムを貫いた写真家・植田正治の魅力

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「●写真集」の インデックッスへ

個人的に懐かしい金沢の昔の風景。土塀と用水に挟まれた道を歩いて学校に通った。

金沢1953.jpg
金沢 (岩波写真文庫 復刻ワイド版 (68)―シリーズ 都会の記録 1952〜1957)』『岩波写真文庫[復刻ワイド版]シリーズ都会の記録 1952~1957[6冊セット]』['88年]/『金沢(岩波写真文庫93)』(1953/05 岩波書店)
能登1954.jpg  金沢・能登.jpg
『能登 (岩波写真文庫 復刻ワイド版 (64)―シリーズ 日本人の暮らしの記録 1952〜1958) 』『岩波写真文庫 復刻ワイド版(6冊セット)日本人の暮らしの記録 2 山村・漁村』['88年]/『能登(岩波写真文庫133)』(1954/12 岩波書店)

 岩波写真文庫は、岩波書店が1950年代に出版していたテーマ別写真集叢書(すべてモノクロ写真)で、1950(昭和25)年6月から1958(昭和33)年)12月20日まで286巻が出版されています(1冊100円)。従来この種の出版は成功が困難とされていましたが、このシリーズは経済的にも成功し、1953(昭和28)年には菊池寛賞を受賞しています。1987(昭和62)年から1990(平成2)年にかけて、総計114巻が復刻ワイド版(判型をB6判からA5判に改めた)として出版され、本書はそのうちの1冊になります。

金沢1.jpg 「金沢」は、自分が2歳から小学校2年までと、小学校6年から高校1年まで金沢に住んでいたため、昭和30年代、40年代の金沢を知る身であり、懐かしく写真を見ました。目次が、地理的位置、樺沢の歴史、加賀気質、工芸と伝統、明日への問題、となっているように、シリーズの企画意図が視覚教育の要望に応えようとしたものだったらしく、観光より生活(社会)に視点が置かれていて、暮らしに近い写真が多く収められています。

金沢2.jpg 兼六園や金沢城、尾山神社なども懐かしいことは懐かしいですが、小学校、中学校に通う際にそれに沿って歩いた長い「土塀」の写真がことさら懐かしいです(小学校は今は無き「長土塀小学校」で、「長土塀」という町名は今もある。ただし、土塀は「長町」にもよく見られ、上の左右の写真はいずれも長町にある武家屋敷と土塀)。

 また、尾山神社の手前にあった中学校(今は無き「高岡町中学校」で、移転して「高岡中学校」となった)に通う際に通った長町の「用水」も懐かしいです(用水は長土塀にも見られた。結局、土塀と用水に挟まれた道を歩いて自分は小学校や中学に通ったわけだ)。昭和40年代だから、もうその頃には用水で洗濯をしている人はいなかったかもしれませが。

 東廓の写真もありますが、廓などはさすがに行ってないので記憶が薄いですけれど、小学校の遠足が卯辰山だったから、その前ぐらいは通っているかもしれません。昼間はお稽古時間だったのかあ。三味線の音が流れるのは五木寛之の紀行文なのでありそうですが、直接的にはそこまでの記憶は無いなあ。

能登1.jpg 金沢と言えば次は能登。能登半島沖地震からちょうど1年ですが、復興の遅れが心配です(阪神淡路大震災における神戸の復興の目覚ましいスピードなどと比べるとあまりに遅い)。

 個人的には、父親の趣味が釣りで、その父に連れられて能登島などに行くことがあったので懐かしいです(さすがに祭りの日にはぶつかっていないが)。能登金剛も行きまし『ゼロの焦点』(1961).jpgた。ヤセの断崖は、映画「ゼロの焦点」('61年)のラストで主人公(久我美子)と犯人(高千穂ひづる)が対峙し、犯人が罪を告白するシーンとして登場しているのが有名です(アレ、福井県の東尋坊と勘違いしていた人がいたなあ)。あの映画には、和倉温泉の「おもてなし日本一」で知られる「加賀屋」も出てきました(松本清張はこの旅館で作品を書いたという)。

能登加賀屋新館.gif 因みに加賀屋は、震災以降現在も休業が続いていますが、1週間ほど前['24年12月25日]、'26年冬に営業を再開するとの発表がありました。被災した現在の4棟(全233室)は再建せず、敷地内の別の場所に、新しく5階建ての新館を建てるとしています。デザインは建築家の隈研吾氏で、部屋数は50室、部屋は全室オーシャンビューで、温泉の露天風呂や半露天風呂つきを計画していているとのこと。行ってみたいけれど、庶民には簡単に泊まれる宿泊料金帯ではないかもしれません(外国人観光客で埋まりそう)。金沢の懐かしい場所の写真の話から、加賀屋の新館の話になってしまいました。

《読書MEMO》
●【石川さゆり】「能登半島」復興への願いを込めて【紅白】|NHK(2024.12.31)
出場者の中で最多出場回数記録保持者(47回)であるし、トリでも良かったように思った。この人、演技面でも活躍しているなあ。

石川さゆり 紅白.jpg

麒麟がくる(2020年) - 牧.jpg石川さゆり PERFECT DAYS.jpg
PERFECT DAYS」(2023年、監督・ヴィム・ヴェンダース) - 居酒屋のママ





NHK大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年) - 牧(明智光秀の母)

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「●雑学・クイズ・パズル」の インデックッスへ

雑学系の読み物として楽しめた。

辞書には載っていない⁉ 日本語.jpg 辞書には載っていない⁉ 日本語2.jpg
辞書には載っていない⁉ 日本語 (青春新書プレイブックス P 1213)』['24年]

 すし屋にいる「兄貴」と「弟」って誰のこと? 警察が使う「こんにゃく」「レンガ」って? 「タヌキ」な宿泊客の正体とは? 日本語の中には、隠語や業界用語、洒落言葉など、仲間内だけで通じる合い言葉のようなものがたくさんあります。そんな日本人も意外と知らない日本語の由来を紐解くと、言葉の面白さ、奥深さが見えてきます。つい人に話したくなるネタが満載の一冊(版元口上)。

鮨屋のお茶.jpg 全5章構成の第1章は、お客には知られたくない飲食店の隠語。「アニキ」というのは先に仕入れた食材のことだそうですが、鮨屋なんかで聞いたことないなあ。「ヤマ、カワ」がそれぞれ品切れ、おすすめ品の隠語であるというのも知らなかった。「出花、あがり」は何となく分かる。最初に出すお茶とあとで出すお茶のこと。ただし、「出花」はともかく、「あがり」は客もよく使う言葉ではないか。「ショッカー」が覆面調査員を指すとはね。

札束.jpg 第2章は、"中の人"だけに通じる言葉(隠語という意味ではみなそうだけど)。「川中さん」が百貨店で万引きがあったときの隠語で、「買わなかった」からだそうですが、実際にそういう名前の人が客にいるかもしれないなあ。「天ぷら」は外見と中身が異なること、「ネギ」は客からの苦情で、九条ネギに懸けたらしい。「タヌキ」が素泊まりの客を指すのは「夕(食)抜き」だから。「こんにゃく、レンガ、座布団」は警察が使う札束用語。座布団、1億円かあ。

ぼたん肉.jpg 第3章は、密かに楽しむために編み出された言葉。「もみじ、ぼたん、さくら」が鹿肉、猪肉、馬肉。もみじは花札にも「もみじに鹿」がある。猪肉が「ぼたん」を指す理由は定かでないが、肉を皿に並べた様子がぼたんの花に似ているからではないかとのこと(それしか考えられないのでは)。「鉄砲」がフグを指すのはあたるからで、「てっちり」も「鉄砲のちり鍋」の略。「たこあげ」はもともと「いかのぼり」または「いかあげ」だったそうだ。大人が熱中しすぎて事故が起き、「いかのぼり禁止」となったため「たこあげ」と称したと。お坊さんも好きな「水鳥(すいちょう)は「氵(さんずい)」+「酉(とり)」で...。

ありの実.jpg 第4章は、「ゲン担ぎ」から生まれた言葉。「あたりめ」がするめである由来が博打(擦る・当たる)なのは結構知られているのでは。「ありの実」が梨、「ヨシ」が葦(あし)なのも同じ理屈。ヨシという植物があるが、アシもヨシも同じ植物だそうだ。「卯の花」がおからであるのは、辞書にも載っているのでは。「から=空」を忌避したらしい。「お開き」が終わり、解散を指すのも「終わる」を忌避したわけか。

商売益々繁盛.jpg 第5章は、知っていると一目置かれる言葉。「十三里」がサツマイモを指すのは栗(九里)よりうまいから。「春夏冬中二升五合」が「商いますます繁盛」(そう言えば「二升五合 (にしょうごんごう)」という居酒屋がある)、「キセル」が中抜け不正乗車、「薩摩守」が無賃乗車を指すのもよく知られているところ。「ゲラ」は、組んだ活字の保管箱がガレー船に似ていることに由来するのかあ。「ノンブル」はナンバーのフランス語読み。臨場感あふれることを表す「シズル」は食材を焼いたときに出る音から。


朝日新聞デジタル連載「街のB級言葉図鑑」(2023年10月21日)春夏冬二升五合 飯間浩明
 
つばなれ.jpg 第6章は、ちょっと使ってみたくなる言葉。「つばなれ」は人数が10人を超えたことを指すが(1から9まではひとつ、ふたつと「つ」がつくが10はつかないため)、「うちの子はようやく『つばなれ』しました」というと10歳になったことを示すとのこと(でも、このセリフを聞いたことがないなあ)。「ケツカッチン」なんて普通に使っているのでは。由来は映画などで使うカチンコ。「金星」も誰もが知る角界用語でしょう。

 軽い雑学系の読み物として楽しめました。ちょっと物足りない感じもありますが、あまりたくさんあったところで頭に入らないかも。「つい人に話したくなる」というのは確かにそうかもしれません。

《読書MEMO》
●個室居酒屋「二升五合 (にしょうごんごう)」
二升五合.jpg

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93歳で挑戦し続けている「虹のアーティスト」の原点的作品集。

靉嘔1.jpg靉嘔2.jpg
虹―靉嘔版画全作品集 1954-1979 (1979年)』(サイズ:29.5cm x 22.5cm)
靉嘔(あい おう、本名:飯島孝雄)
靉嘔3.jpg靉嘔.jpg 「虹のアーティスト」として知られる靉嘔(あいおう、本名:飯島孝雄)の個展が、東京・千駄木のギャラリー五辻で今月['24年12月]中旬まで開かれているようで、1960年代の作品から、今年制作した作品まで22点が並ぶとのこと。2012年に東京都現代美術館で個展がありましたが、気づいたときには終わっていて(3か月もやっていたのに)、今回も行けるかどうか分からないので、取り敢えず図書館で過去の作品集である本書を借りました。

 靉嘔は1931年茨城県生まれで、シルクスクリーン版画で1971年のサンパウロ・ビエンナーレはじめ各国際展で次々と受賞するようになり、全ての物体、イメージを虹色で分解し再構築した独特の作品で世界的な評価を受けるようになります。その彼が、今93歳でなお現役であるというからスゴイなあと思います(1979年の刊行時点で帯に「日本のゴーギャン」とある)。

靉嘔4.jpg 本書はその1954年から1979年の作品を収めたもので、23歳から48歳の頃の作品になりますが、このアーティストの原点を知ることができるように思いました。一目で虹=靉嘔とわかるほど、その作風は昔から独創的でオリジナリティは強烈ですが、特に初期作品は、抽象的にストレートに虹色を押し出す作品が多いように思いました。これが1980年代に入って「ルソーに捧ぐ」のようなアンリ・ルソーの作品をモチーフにしたものなど、具体的なオリジナルがあってそれを虹色化した作品が見られるようになりますが、引き続きアブストラクトな作品も並行して生み出しています。

靉嘔5.png さらに、今回の個展でも展示されている2002年の作品(無題)は、虹のように七色を配置するのではなく、それぞれの色のインクを飛び散らせるようにして描いたりもしており、90歳を過ぎて新しい画風に挑戦し続けているというのもスゴイことだと思います。

虹・虹.jpg靉嘔 『虹.jpg 結果的に、今のところ(本書を含め)どの作品集を見ても、靉嘔というアーティストが辿ってきた道のり全てを1冊で網羅したものはなく、これは現役アーティストであるからには仕方のないことでしょう(だから、個展に行って最新作を観る意味があるのだろう)。ただし、この靉嘔に関しては、2000年に阿部出版より本書とほぼ同様の体裁で、第2弾とでも言うべき1982年から2000年までの全版画作品438点をオールカラーで収録した『虹・虹―靉嘔版画全作品集 1982-2000』が刊行されています。
虹・虹: 靉嘔版画全作品集 1982-2000』['00年](サイズ:30.8cm x 23.5cm)

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「古典期」前後(先古典期・後古典期)も解説。多くのピラミッドの詳しい説明も。

図説 マヤ文明2.jpg
図説 マヤ文明.jpg
図説 マヤ文明 (ふくろうの本/世界の歴史)』['20年]

 巨大ピラミッド群や特異な世界観を持つマヤ文明の国家、都市、生活、宗教や経済を解説したもの。時代区分に沿って解説され、「ふくろうの本」であるため図版も豊富です。章立てに沿っての時代区分は大体以下の通り(因みに、マヤとは同系の言語を話す「王国」の集団であり、マヤという国家があったわけではない。本書では一部、「メソアメリカ文明」といった言い方をしている)。

  第1章 古代メソアメリカ文明(人類の米大陸入植~前2000頃)
  第2章 古代都市の誕生―先古典期
          先古典期前期(前2000頃~前1200/1000年)
          先古典期中期(前1200/1000年~前400年)
  先古典期後期(前400~後250年)
  第3章 王たちの台頭―古典期(後250~950年)
  第4章 つながる世界―後古典期
          古典期終末期(後800~950年)
          後古典期前期(後950~1250年)
          後古典期後期(後1250~スペイン入植前)
以下、
  第5章 マヤの戦争―計算された戦い
  第6章 ピラミッドを掘る
と続きます。

 古代メソアメリカ文明については、人類がアジアからベーリング海峡を渡って移動してくるところから説き起こしています(従来考えられていた、約1万3000年前に北米大陸の無氷回廊から徒歩で渡って来たという「陸路説」に加え、北海道から千歳列島、カムチャッカ半島、アリューシャン諸島経由で来たという「海路説」を挙げている)。

 そのことはともかく、古代都市が誕生した先古典期から古典期を経て後古典期までを幅広く取り上げ、各期ごとに丁寧に解説しているのが本書の特徴であり、「古典期」に重点が置かれがちな従来の解説書に対するアンチテーゼとも言える構成になっています。また、その間に様々な国が乱立し、戦国時代のような政治・戦争・文化交流・貿易や貴族の台頭などの中で、国々が栄え、宗教や建築など様々な要素が各国に広まり相互的に文明が発展していったことが窺えます。

 もう一つは、章末でそれぞれに時代の遺跡(ピラミッド)を紹介していて(先古典期1、古典期4、後古典期6)、その説明がかなり詳しくなされているのが特徴です。今まで大体同じように見えていたピラミッドが、時代や場所によってかなりバラエティに富んでいることを知りました。

 因みに、マヤ文明の滅亡の原因は諸説あってよく分かっていないというのを以前に何冊かの本で読みましたが、ここで言うと時期的には「古典期」マヤ文明の「崩壊」ということになります。ただし、一般的に言う「古典期マヤ文明の崩壊」とは、低地南部の衰退を指し、マヤ高地や低地北部は含まれないそうです(含まれるならば「後古典期マヤ文明」は存立しなくなる)。

 そして、古典期におけるマヤ低地南部の衰退の原因は、人口増加による食生活の過密化や、頻繁な戦争による政治の不安定、土地が見放されたことによる荒廃、民衆が王を信頼しなくなったことなど、どれか1つの原因ではなく、これらが複合的な因子となったと考えるのが一般的であるとしています(個人的には、ずっと「謎」だと思っていたので、少しスッキリした)。

 前述の通り、図版が豊富でカラー写真も多いので、それらを楽しみながら読める本でもありました。

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ビジュアル天文学史。天文学と美術の合体。半分「美術書」? しかし文章も良い。

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人.jpg 宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人 .jpg ブルック゠ヒッチング.jpg
宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人 世界があこがれた空の地図』['20年]Edward Brooke-Hitching

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人1.jpg 主な著者に『世界をまどわせた地図』『世界をおどらせた地図』(日経ナショナル ジオグラフィック社)がある、英国王立地理学協会フェローにして「不治の域に達した地図偏愛家」であるという著者が、今度は、星図、観測機、絵画、古文書などの美しい図版で天文学の歴史を解説しています。ビジュアル天文学史といったところでしょうか。

 もともと古美術コレクターである著者が、博物館やコレクターが所蔵する数々の美麗な図版を紹介しながら、古代から現代までの天文学の歴史を「古代の空」「中世の空」「科学の空」「近代の空」の4章にわたって語っていきますが、著者は天文学者ではないため専門上どうThe Sky Atlas.jpgなのかなと最初は思いましたが、読んでいくうちに引き込まれました。

 解説そのものは内容的にはオーソドックスですが、天空図をはじめ図説と並行した解説に特徴があり、また、読ませる文章でした。翻訳も良かったのかもしれません(原著タイトルは「The Sky Atlas(「空の地図」)」(サブタイトル「The Greatest Maps, Myths and Discoveries of the Universe」)であり、それを「宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人」をタイトルとし、サブタイトルとして「空の地図」の前に「世界があこがれた」と入れたわけだ)。
The Sky Atlas: The Greatest Maps, Myths and Discoveries of the Universe』['19年]

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人11.jpg宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人1-2.jpg 「古代の空」では、先史時代の天文学から始まって、古代バビロニア、古代中国、古代エジプト、古代ギリシャのそれぞれの天文学を解説した上で、天球説やプトレマイオスの宇宙論に入っていきます(普通の本は空想に満ちた古代の宇宙論は回避し、あるいは軽く触れただけで、ここから始まるのが多いが)。

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人1-3.jpg 「中世の空」では、イスラム天文学が台頭し、それがヨーロッパの天文学の土台となったことが分かりやすく解説されています。また、ここでも、「天上の海」など当時の人々が思い描いた様々な宇宙像を図説で紹介しています(本書の表紙に使われる16世紀のフレスコ画などもその1つ)。

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人2-1.jpg 「科学の空」では、コペルニクス、ティコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラー、ガリレオ・ガリレイといった現代天文学の礎を築いた超有名な先人たちが登場する一方、月の地図を作ったヨハネス・ヘヴェリウスの業績なども紹介されていて、「空の地図」というテーマに沿ったものとなっています。

宇宙を回す天使、月を飛び回る怪人2-3.jpg 「近代の空」では、観測の鉄人ウィリアム・ハーシェルが登場しますが、彼を支えた妹のカロリン・ハーシェルのことは初めて知りました。その息子ジョン・ハーシェルは、月の生命体がいると確信していたのかあ。これも初めて知ったし、パーシヴァル・ローウェルという人は火星人の存在を信じていたようです。こうした真実と異なる方向に行ってしまった先人も取り上げているのも、本書の特徴です。海王星や冥王星の発見の話は、物語的で面白いです。

 そして、アインシュタイン、ルメートル、ハッブルが登場しますが、ハッブルが宇宙膨張の概念を発表する2年前に、ルメートルが提唱し、さらに、今で言うビッグバン理論に当たる「原始的原子の仮説」も提唱しています、このことは多くの天文学入門書でも書かれていて、先に読んだ物理学者の三田一郎氏(素粒子物理学)の 『科学者はなぜ神を信じるのか―コペルニクスからホーキングまで』('18年/講談社ブルーバックス)でも触れていました(ルメートルは名声に頓着しなかった。ルメートルも三田一郎氏も聖職者である)。

 全体を通して、〈天文学と美術の合体〉とでも言うか、大袈裟に言えば半分「美術書」といっても差し支えないような本です。でも、文章も良い(少なくとも難しくはない)ので、是非読んでみてほしいと思います。

《読書MEMO》
●目次
はじめに
古代の空 先史時代の天文学/古代バビロニア/古代中国の天文観測/古代エジプトの天文学/古代ギリシャ/天球説の登場/プトレマイオスの宇宙論/ジャイナ教の宇宙観
中世の空 イスラム天文学の台頭/アストロラーベの発明/イスラム天文学がヨーロッパに広まる/ヨーロッパの天文学/天文学の新時代/天上の海/宇宙をこの手に:ぜんまい仕掛けと印刷技術/天文現象:その1 メソアメリカ
科学の空 コペルニクスが起こした革命/ティコ・ブラーエ/ヨハネス・ケプラー/ガリレオ・ガリレイ/デカルトの渦動説/月の地図を作ったヨハネス・ヘヴェリウス/ニュートンの物理学/ハレー彗星
近代の空 ウィリアム・ハーシェルとカロリン・ハーシェル/小惑星の名付け親/ジョン・ハーシェルと月の生命体/海王星の発見/まぼろしの惑星ヴァルカン/分光法と宇宙物理学の幕開け/天文現象:その2 パーシヴァル・ローウェルが火星の生命を探る/惑星Xの探索と冥王星の発見/星の分類で活躍したピッカリングの女性チーム/新たな宇宙像:アインシュタイン、ルメートル、ハッブル/20世紀の画期的大発見と未来
あとがき/主な参考文献/索引/謝辞/図版・地図クレジット

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今見ても「未来的」。見ていて楽しいし、資料としても貴重。

真鍋博 本の本』.jpg真鍋博 本の本2.jpg 真鍋 博  .jpg
真鍋博 本の本』['22年](21 x 14.8 x 3.3 cm) 真鍋 博(『S-Fマガジン』1963年8月号(早川書房)より)
 イラストレーター・エッセイストとして活躍した真鍋博(1932-2000/68歳没)による、星新一や筒井康隆らの小説をはじめとする書籍装幀から雑誌の表紙まで、974点を収めたものです。 作家・担当編集者による貴重な証言も掲載されています(筒井康隆、豊田有恒、最果タヒ、榎本俊二らが寄稿)。2022年に生誕90周年を迎えたことを記念しての刊行のようです。全484ページ。「書籍 第一部」「「書籍 第二部」「教科書・教材」「雑誌」「業界紙・広報誌」「真鍋博自著」の6章構成となっています。

 第1章と第2章の「書籍 第一部」「書籍 第二部」で全体のおおよそ3分の2を占めます。「書籍 第一部」には、早川書房、新潮社、東京創元社など13の版元の本の、真鍋博が手掛けた表紙が紹介されていいて、名を挙げた3社分だけで100ページ以上になります。第2章の「書籍 第二部」では、角川書店や文藝春秋など30余社の版元の本が紹介されてます。このように版元別になっているので、整理がついて分かりやすいです。

真鍋博 本の本3ハヤカワ.jpg 早川書房が点数が多いのは、「ハヤカワ・ミステリ文庫」のアガサ・クリスティー作品の表紙をほぼ全部手掛けていることが大きいと思われ(観音開きの状態で全冊88冊を一覧できるようレイアウトされている)、加えてコナン・ドイル作品なども手掛けています。さらに、ポケットサイズの「ハヤカワ・SF・シリーズ」で、レイ・ブラッドベリの『火星年代記』、フィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』ハヤカワ・ノヴェルズ  『時計じかけのオレンジ』真鍋.jpg真鍋博装幀画稿「ティンカー、...」2 - コピー.jpgや、小松左京、星新一、筒井康隆作品などを、また、単行本の「ハヤカワ・ノヴェルズ」でアントニイ・バージェスの『時計じかけのオレンジ』やジョン・ル・カレの『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の表紙なども手掛けています。

真鍋博 本の本4新潮.jpg真鍋博 本の本4新潮2.jpg 新潮社は、「新潮文庫」での星新一や筒井康隆作品の表紙が懐かしいです。掲載されている新潮文庫の表紙デザインは、この二人の作家の本で占められています。筒井康隆作品は、中央公論社の単行本でも表紙を手掛けており、星新一との結びつきの強い真鍋博 本の本5中公2.jpgイメージの下に隠れがちですが、筒井康隆との縁の深さを感じます。小松左京なども含めSF作家の作品の表紙を手掛けることが多かったのは、筒井康隆がその画風を「未来的」と評していることからも分かりますが、今見ても「未来的」であるのがスゴイと思います。

真鍋博 本の本6創元推理.jpg 東京創元社は、やはり「創元推理文庫」で、エラリー・クィーン、ヴァン・ダイン作品はほぼすべて手掛けているほか、アーサー・C・クラークやレイ・ブラッドベリの作品の表紙も手掛けています。

 「雑誌」で手掛けている点数として多いのはやはり「ミステリマガジン」の表紙でしょうか。このあたりまでは大体知っていましたが、後の方になると、こんなのも手掛けてていたのかと、意外だったものもありました。

 見ていて楽しいし、資料としても貴重だと思います。こうして見ると、絵柄だけでなく、全体のデザインが計算されているように思われます。真鍋博による本の表紙絵をたっぷり堪能できる本です。

真鍋博 本の本 ミステリマガジン.jpg

真鍋博 本の本4クリスティ.jpg

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科学史(物理学史)の本として分かりやすい。表題に関してはややもやっとした感じか。

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学者はなぜ神を信じるのか さんだ.jpg
科学者はなぜ神を信じるのか コペルニクスからホーキングまで (ブルーバックス 2061) 』['18年]

 宇宙や物質の究極のなりたちを追究している物理学者が、なぜ万物の創造主としての「神」を信じられるのか? それは矛盾ではないのか? 物理学史に偉大な業績を残したコペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタイン、ボーア、ディラック、ホーキングらが神をどう考えていたのかを手掛かりに、科学者にとって神とはなにかを考えた本です。

 因みに著者の三田一郎氏は、あの2008年のノーベル物理学賞の受賞に繋がった「小林・益川理論」(2003年)の実証に貢献する論文をその22年前の1981年発表したした素粒子物理学者であるとともに、カトリック教会の助祭、つまり聖職者でもあります。

 科学史、とりわけ物理学を中心にその発展の歴史が分かりやすく解説されていて、宇宙論も含めた話であるため、コペルニクスどころか、ピタゴラスやアリストテレスから話は始まり、ガリレオやニュートンへと進んでいきます。その間に、天動説を唱え、裁判にかけられたガリレオ、同じく天動説を唱え、自説を曲げず火あぶりの刑に処せたれたブルーノなども出てきて、科学の進歩が神の存在そのものを危うくしていく時代に入っていきますが、それでもュートンなどは、神だけが彼にとって信じ得る絶対的なものであったといいます。

 そして、アインシュタイン。その相対性理論を分かりやすく解説するとともに、コペルニクス、ガリレオ、ニュートンも宗教者であったが、アインシュタインもそうであったと。ただし、彼にとっての神は、ほかのすべての根底にある「第一原因」のことをいい、自然法則を創り、それに沿って世界と人間を導くものであったようです。

 アインシュタインに続くボーア、ハイゼンベルグ、ディラックらの業績も紹介するとともに、彼らの宗教観にもそうした傾向が見られることを指摘し、最後に、著者が本書を執筆中になくなったホーキングの業績が紹介されていますが、彼についても同様です。彼らの内部では矛盾はないのかもしれませんが、一般的なキリスト教などの神のイメージとは異なる宗教観に思われます。

 著者の信仰からか、冒頭でユダヤ教とキリスト教について説明し、ユダヤ教とキリスト教の神を「神」とするとする前提でスタートしたかに見えましたが、読み終えてみれば、「創造主たる神」として「神」をもっと広義に捉えているようにように感じました(そうしないと、アインシュタイン以降はみんな無神論者になってしまうからか)。

 全体としては科学史のテキストとして読める分、宗教に関する部分はコラム的な括りになっていて量的にあまり多くなかったし、記述が少ない分、科学者が「なぜ」神を信じるのかについては、もやっとした感じになってしまったように思えました。(自分の中での)結論的には、科学者が信じる神は、創造主たる神であり、人格神ではないということでしょう。

 科学者が創造主たる神を信じる理由は、原因と結果の連鎖のメカニズムはわかっても、なぜそうしたメカニズムが存在するのか、原因と結果の連鎖の「存在理由」を巡る疑問が残るためであり、現代の叡智をもっても答えられない点については、「神がそのように世界を作ったのだろう」と考えたり、ある人は「世界の原初こそが神であろう」と考えたりした結果、科学者の多くが創造主たる神の存在を必要としたのではないかと思います。

小柴 昌俊.jpg益川敏英00.jpg 最終章で、著者自身の信仰について述べるとともに、2002年に超新星爆発による宇宙ニュートリノの検出でノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊氏(2020年に亡くなった)に「三田君、宗教がないほうが世界は平和だよ」と言われたことや、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英氏(この人も2021年に亡くなった)が、「神を信じている者は、自然現象に対して疑問を持ち、説明しようとすることを放棄している」という「積極的無宗教」であったことも紹介しています。

 このように、自身が聖職者でありながら、また、この本のタイトルが「科学者はなぜ神を信じるのか」でありながらも、さまざまな考え方の科学者がいることに触れているのは公平感がありました。その上で、「科学と神は矛盾しない」というのが著者の結論です。個人的にはセンス・オブ・ワンダーという言葉を想起しましたが、神的な存在を信じながらその説明を目指した科学者らによって現代の科学の基礎が築かれたのは間違いのないことで、本書が科学史のテキストのような体裁をとることは「むべなるかな」といったところでしょうか。

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「スポーツマン金太郎」の始まり部分を知った。寺田は面倒見の良さと人間嫌いの両面の人か。

『寺田ヒロオの世界.jpg寺田ヒロオの世界.jpg
少年のころの思い出漫画劇場 寺田ヒロオの世界』['09年]

 寺田ヒロオのスポーツマンガがよみがえる。スポーツマン金太郎、背番号0、暗闇五段などをエッセンスで掲載。「トキワ荘」のリーダー格で、通称「テラさん」の知られざる素顔を多数の資料から探究する―(版元口上)。第1章から第3章で、寺田ヒロオのスポーツ漫画の代表作「背番号0」「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」を抜粋掲載。第4章でその他主要作品を紹介し、第5章は「寺田ヒロオの世界」として、梶井純、寺田ヒロオ自身、手塚治虫、藤子不二雄Ⓐ、鈴木伸一らの文章で寺田の素顔に迫る内容となっています。

スポーツマン金太郎1-9.jpg 読む人の年齢によっても思い入れのある作品は異なってくるかもしれませんが、個人的にはやはり「スポーツマン金太郎」でしょうか。'59(昭和34)年3月17日、「週刊少年サンデー」創刊号(4月5日号)から連載を開始し、'63(昭和38)年まで239回続いた、寺田ヒロオ作品の代表作中の代表作です('09年にマンガショップより「少年サンデー」に連載された全239話と別冊に掲載された読み切り全12話を収録した初の完全版(全9巻)が復刊された)。

 個人的にも「懐かしい」と言いたいところですが、自分がリアルタイムで読んだのは、学年誌「小学四・五・六年生」に'65(昭和40)年4月号から'68(昭和43)年3月号まで36回にわたって連載された、「少年サンデー」掲載作のダイジェスト作品でした。さらにその後、「小学二年生・三年生」に '69(昭和44)年から'70(昭和45)年まで13回連載された児童向けに改変された作品(球団名が「東京ゴールド」といった架空のものとなっている)があり、こちららは'12年にマンガショップより学スポーツマン金太郎9.jpg年誌版(「寺田ヒロオ全集10」)として復刊されています。
スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【上】 (マンガショップシリーズ 294)』『スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【中】 (マンガショップシリーズ 295) 』『スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【下】 (マンガショップシリーズ 296) 』['09年]『スポーツマン金太郎 学年誌版―寺田ヒロオ全集10 (マンガショップシリーズ 454) 』['12年]

 本書にエッセンスが掲載されている「週刊少年サンデー」版は、地元(おとぎの国?)で桃太郎のチームを相手に草野球をしていた金太郎が、プロ野球選手になるために上京するところが描かれていて興味深かったです。この後、後楽園球場で川上コーチに出合って入団テストをしてもらい、巨人の選手になったということのようです(巨人軍入団の経緯は学年誌版にもあったかもしれないが、記憶に無い)。

 一方、桃太郎はグランド・ボーイとして西鉄に入り、三原監督の入団テストを受けて西鉄ライオンズの登録選手となり、初試合でリリーフ登板し、相手を三者凡退に打ち取って投手デビューを果たします。同じ日、金太郎は、阪神の新人投手・村山からフェンス直撃のランニングホームランを打つといった具合に、この漫画は長嶋・王を含め実名選手が出てくるのが特徴です。

章説 トキワ荘の青春 .jpg「トキワ荘の青春」p0.jpg 寺田ヒロオが最も活躍したのは30年代からこの頃ぐらいまででしょうか。ただし、「トキワ荘」のリーダー格として、後に大家となる漫画家たちの無名時代を支えたという功績も大きいと思います。この点は、石ノ森章太郎の『章説 トキワ荘の青春』や、市川準監督(原案:梶井純)の映画「トキワ荘の青春」('96年)でも知ることができます(寺田ヒロオは本木雅弘が演じた)。

 しかし、寺田ヒロオ自身は作品面で、正統派児童漫画だけ書き続ける作風が、時流から取り残される形になり(映画「トキワ荘の青春」でも、本木雅弘演じる寺田が、藤子や石ノ森、赤塚らの後輩を年長者としてサポートしていく中、徐々に時流から取り残されていく姿が描写されている)、どんどん寡作となっていき、1973年には漫画業そのものから完全に引退、引退後は、トキワ荘時代の仲間とすらほとんど会わなくなって、晩年は一人自宅の離れに住み、母屋に住む家族ともほとんど顔を合わせることはなかったそうです

 朝から酒を飲み、奥さんが食事を日に3度届ける生活を続けていましたが、1992年9月24日に朝食が手つかずに置かれたままになっているのを奥さんが不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見されたとのこと。藤子不二雄Ⓐは寺田の死を別のところで「緩慢な自殺」と形容していました。

 このことは、本書における藤子不二雄Ⓐの文章にも表れていて、寺田が亡くなる2年前、藤子・F・不二雄、鈴木伸一、石ノ森章太郎と4人で寺田の自宅に行き、歓待されて宴会となったが、終了後、去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け、あとで奥さんから聞いた話では「もう思い残すことは無い」と家族に話したとのこと。翌日、礼を伝えるため、寺田宅に電話をかけると、奥さんが出て「今日かぎり寺田はいっさい電話に出ないし、人にも会わない、といってます」と。

 非情に面倒見がいい側面と人間嫌いな側面の両方を持った人だったのでしょうか。

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リアルで美しい絵と分かりやすい解説。最後にちょっとだけ遊び。

絶滅生物図誌0.jpg絶滅生物図誌.jpg 絶滅生物図誌2.jpg
絶滅生物図誌』['18年]
チョーヒカル氏
チョーヒカル jwave.jpg 本書は、古代から現代までの絶滅生物70種を「水の生き物」「有翼の生き物」「陸の生き物」の3つに分け、リアルで美しい絵と分かりやすい解説で見開きごとに1種ずつ紹介した図鑑です。つい最近まで生存していた生き物も多く含まれており、「古生物図鑑」と「絶滅生物図鑑」をミックスしたような感じでしょうか。絵はチョーヒカル氏、文は森乃おと氏になります。

チョーヒカル 作品.jpg チョーヒカル(趙燁)氏は2016年、武蔵野美術大学を卒業。人体などにスーパーリアルなペイントをする作品で注目され、海外でも話題になっている人物で、先月['24年10月]20日にも、J-waveの女優の吉岡里帆がパーソナリティーを務める「UR LIFESTYLE COLLEGE」にゲストで出ていました。本書ではシュールリアリズムではなく(笑)リアリズムで描いています。2018年かあ。彼女は2019年から留学のためアメリカ・ニューヨークに引っ越し、以来、ニューヨークが創作拠点になっています。今だったら多忙過ぎて受けられない仕事かもしれません。

絶滅生物図誌3.jpg 森乃おと氏の本職は俳人ですが、動植物、自然などを中心に研究もしているとのこと。それぞれの生き物のキャッチコピーが分かりやすく、また、愉しいです。
  
 第Ⅰ部「水の生き物」編では「カンブリア紀の絶対王者」アノマロカリスや「5つの眼(まなこ)と象の鼻」オパビニア、「トンガリ帽子の肉食ハンター」カメロケラス、「海を支配した鉄仮面」ダンクレオステウス、「神秘の美しきら船体」アンモナイト、「優しい獣は、はやく死ぬ」ステラ―ダイカイギュウ、などが紹介されています。

絶滅生物図誌6.jpg絶滅生物図誌4.jpg 第Ⅱ部「有翼の生き物」編では、開翅70cmの大トンボ「メガネウラ」、狩りつくされた史上最大の鳥」ジャイアントモア、「不思議な国のノロマな鳥」ドードー、「50億羽から0羽になったハト」リョコウバト、「まるで夢のような青い蝶」セーシェルアゲハ、などが紹介されています。

 第Ⅲ部「陸の生き物」編では、「3mもある古代ムカデ」アースロプレウラ、「羽毛の生えた恐竜王」ティラノサウルス、「ワニを呑み込む巨大ヘビ」ティタノボア、「立て......!立つんだ、ルーシー!」アウストラロピテクス、「人類が狩った、毛むくじゃらのゾウ」ウーリーマンモス、「家ほど大きなナマケモノ」メガテリウム、「独立軍の旗印になったクマ」カリフォルニアハイイイログマ、「嫌われ者もなった奇妙な「オオカミ」」フクロオオカミ、などが紹介されています。

 本を手した人はキャッチだけで文章を読みたくなるし、本を手にしていない人は、チョーヒカルの絵を見たくなるのではないでしょうか。

絶滅生物図誌5.jpg 第Ⅳ部はコラムとして、「絶滅危惧種」を10種紹介するほか(チンパンジーやアカウミガメがこれに含まれる)、「化石」「絶滅植物」もそれぞれ10種紹介しています。そして、さらにここから8ページほど、チョーヒカルによる"遊び"的なコーナーになっており、「絶滅生物の料理レシピ」(絶滅生物を素材とした料理)10種と「絶滅生物のファッション雑貨」(絶滅生物を材料とした装身具や鞄、衣類など)10種といった具合に、「妄想逞しい」世界に入っていきます。
  
SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』['15年/雷鳥社]趙燁(著)/ 佐藤克秋(写真)
超閃光ガールズ1.jpg超閃光ガールズ2.jpg 随分と真面目に描いているなあと思ったら最後にちょっとだけそうした遊びがあり、これも悪くなかったです。そう言えば、チョーヒカルが「ボディーペイント、トリックアートを中心に活躍する、人気の現役女子大生アーティスト」として注目され始めた頃、最初の作品集『SUPER FLASH GIRLS 超閃光ガールズ』('15年)を刊行したのが本書と同じ雷鳴社であり、版元とは気心が知れているのかもしれません。

『絶滅生物図誌』原画展(2018 調布市・手紙舎)
絶滅生物図誌図1.jpg
絶滅生物図誌t1.jpg絶滅生物図誌ステラーダイカイギュウのミルクシェイ.jpg絶滅生物図誌 アンモナイトのロールケーキ.jpg
ステラーダイカイギュウのミルクシェイク/アンモナイトのロールケーキ
  
   
   
  
《読書MEMO》
●目次
はじめに Prologue
絶滅と進化の歴史

I 水の生き物 AQUATIC ANIMALS
アノマロカリス......カンブリア紀の絶対王者
オパビニア......5つの眼とゾウの鼻
オットイア......悪食なのにキレイ好き?
ハルキゲニア......カンブリアの海の幻
ピカイア......芯を通して生きてゆく
カメロケラス......トンガリ帽子の肉食ハンター
アランダスピス......カブトを被った最初の魚
ダンクレオステウス......海を支配した鉄仮面
ヘリコプリオン......ミステリアスな渦巻く歯
サンヨウチュウ......3億年を生き抜く世渡り上手
ディプロカウルス......川底のブーメラン頭
ヘノドゥス......私はカメではありません
クロノサウルス......大アゴの海のティラノサウルス
アンモナイト......神秘の美しき螺旋体
パキケトゥス......ヒヅメを持ったクジラの祖先
ステラーダイカイギュウ......優しい獣ははやく死ぬ
チチカカオレスティア......聖なる湖の黄金の魚
イブクロコモリガエル......可愛いわが子は胃袋の中で
オレンジヒキガエル......消えたコスタリカの宝石
ヨウスコウカワイルカ......長江の女神を探せ

II 有翼の生き物 WINGED ANIMALS
ミクロラプトル・グイ......4枚の翼をもつ羽毛恐竜
ディアトリマ......恐鳥の束の間の栄光
ジャイアントモア......狩りつくされた史上最大の鳥
ハーストイーグル......時速80㎞で急降下するハンター
エピオルニス......飛べなかったロック鳥
ドードー......不思議の国のノロマな鳥
タヒチシギ......南洋の島での静かな絶滅
オオウミガラス......元祖ペンギン最後の日
セーシェルアゲハ......まるで夢のような青い蝶
スティーブンイワサザイ......猫に発見され猫に滅ぼされた小鳥
ホオダレムクドリ......ファッショントレンドになった神聖な鳥
リョコウバト......50億羽から0羽になったハト
ワライフクロウ......夜の森に響く怪しい高笑い
カロライナインコ......羽飾りにされた北米のインコ
ゴクラクインコ......美しさは悲劇のはじまり
ヒースヘン......アンラッキーなソウゲンライチョウ
バライロガモ......愛されピンクは罪のいろ
グアムオオコウモリ......業深き名物グルメ

III 陸の生き物
アースロプレウラ......3mもある古代ムカデ
コティロリンクス......でっぷり太って小顔はキープ
ティラノサウルス......羽毛の生えた恐竜王
コリフォドン......でっぷり太って小顔をキープ
ティタノボア......ワニを呑み込む巨大ヘビ
アンドリューサルクス......手がかりは史上最大の上アゴ
カリコテリウム......ウマの顔してナックルウォーク
プラティベロドン......顔面シャベルのへんてこゾウ
アウストラロピテクス......立て...! ...立つんだ、ルーシー!
マクラウケニア......ダーウィンを悩ませた不思議な生き物
ジャイアントバイソン......角幅2m! 筋骨隆々のバッファロー
スミロドン......剣のような牙をもつ「古代トラ」
ウーリーマンモス......人類が狩った、長い毛の生えたゾウ
ケブカサイ......マンモスの忠実なる友
グリプトドン......徹頭徹尾の鉄壁ガード
メガテリウム......家ほど大きなナマケモノ
ディプロトドン......巨大すぎるコアラの先祖
メガラダピス......ゴリラのようなキツネザル
オーロックス......ラスコー洞窟に描かれた野生ウシ
ブルーバック......輝く青き毛並みをもつ獣
クアッガ......馬車をひいた半身シマウマ
カリフォルニアハイイログマ......独立軍の旗印になったクマ
フクロオオカミ......嫌われ者になった奇妙な「オオカミ」
ウサギワラビー......ハイ・ジャンプならおまかせ
ブタアシバンディクート......変な足をした喧嘩好き
ボリエリアボア......楽園に棲んでいたヘビの受難
ピレネーアイベックス......絶滅からのクローン再生第一号
シフゾウ......隠されていた皇帝の神獣
索引

IV コラム COLUMNS
絶滅危惧種
化石
絶滅植物
絶滅生物の料理レシピ
絶滅生物のファッション雑貨
大きさ比べ

絶滅をめぐる6つのキーワード
おわりに Epilogue
参考文献

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NHKスペシャルの書籍化。番組で知ったことの復習・深耕になって良かった。

NHKスペシャル恐竜超世界.jpg NHKスペシャル 恐竜超世界 d.jpg  NHKスペシャル恐竜超世界2.jpg
NHKスペシャル 恐竜超世界』['19年]「NHKスペシャル 恐竜超世界 BOX [DVD]」『NHKスペシャル 恐竜超世界2』['23年]
NHKスペシャル「恐竜超世界」(出演:上白石萌音)2019年7月[全2回]
NHKスペシャル「恐竜超世界」.jpg 2019年7月放送のNHKスペシャル「恐竜超世界」(全2回)の内容を書籍化したもので、最新の研究で新たに明らかになった恐竜の生態を、高精細な4KCGを基にした豊富なビジュアルで再現しています。監修は、陸編が人気の恐竜学者・小林快次氏、海編がモササウルスの専門家・小西卓哉氏です。内容的には「陸編」「海編」「日本編」に分かれています。

「恐竜超世界」 デイノケイルス.jpg「陸編」では、恐竜界の聖地と言われるモンゴルの恐竜たちや、モンゴルでその巨大な全身骨格の化石が見つかったデイノケイルス(全長11m)を取り上げています。この恐竜には歯が無く、食べ物は植物で、ただし、手で魚を獲ったともされています。また、その卵の化石は見つかっていないものの、母親は最大で45㎝にもなる卵を30個から40個産み、3か月にわたって温め続けたとされてて、卵を奇麗に円形に並べた様子はテレビでもやっていました(にわとりは卵を温めるがトカゲは卵を温めない。鳥に近いのか)。また、デイノケイルスには羽毛があり、羽毛は恐竜にとて恐竜大躍進の原動力となり、羽毛のお陰で北極圏へも進出したとしています。

ティラノ モサ.jpg 「海編」では、巨大生物が泳ぐ海の世界を再現しています。遊泳恐竜スピノサウルスは、あのティラノサウルスをも上回る史上最大級の肉食恐竜ですが(全長15m)、そのスピノサウルスが海で泳ぎだした途端、突如、巨大海生爬虫類プリオサウルス(首長竜)によって海の中に引き込まれ、抵抗を試みるも敵わない。さらに白亜紀も後期になると、パワー、知能、遊泳能力などあらゆる面で最強のハンター、モササウルスが現れる(テレビではティラノサウルスを狙うモササウルスをやっていた。迫力満点! 因みに、モササウルスは胎生である)。

 番組ディレクターの植田和貴氏が本書で紹介している、モササウルスの研究に没頭し、16歳の時に日本地質学会の小中高生の部で研究成果を発表して優秀賞を受賞するも17歳で癌で亡くなった宮内和也さんのエピソードが印象に残りました(これは初めて知った)。

 番組で知ったことの復習・深耕になって良かったですが、この後、昨年['23年]3月「恐竜超世界2」が放送され、『NHKスペシャル 恐竜超世界2』として書籍化されました。ティラノサウルスやトリケラトプスとは違った生態系を生み出した南半球、謎の大陸ゴンドワナの異形恐竜や巨大恐竜たちの生態と運命を、同じく高精細なCGを基にした豊富なビジュアルで再現しています。ゴンドワナは恐竜誕生の地との説もあり、隕石衝突を生き延びた恐竜の存在も示唆されています(監修は小林快次氏と地球惑星科学の杉田精司氏)。
 
Nスぺ 恐竜2.jpg 特に後半の、「恐竜絶滅」の定説とされる隕石説に対して、小林快次氏が「恐竜絶滅の謎は完全に解明されていない」と語っているのが興味深いです。杉田精司氏によれば、隕石は斜めに衝突し、火球が北米に進み、そこで暮らしていた恐竜は一瞬にして消滅したと。また、隕石でできた巨大クレーターに海水が入り込み、それが溢れて巨大津波となって北米南部・南米北部を襲い、さらに、巻き上げられた塵の再落下で森林火災も起きたと。ただし、小林氏はそれでも、恐竜には避難所があったのでないかとしています(例えば南極圏。当時、南極には植物があったという)。小林氏は世界的な恐竜学者であるだけに、この説には世界が注目しているようです。

NHKスペシャル 恐竜超世界japan.jpg この2冊の刊行の間に、'22年3月に放映された番組をベースとし、番組ディレクターの植田和貴氏が著し、小林快次氏らが監修した、『NHKスペシャル 恐竜超世界 IN JAPAN』('22年/日経ナショナル ジオグラフィック)という、日本の恐竜に特化した本もあり、こちらもお薦めです。恐竜王国と言えば福井ですが、福井以外にも恐竜の化石が見つかっているところが結構あるのを知りました(「丹波竜」で知られる兵庫県の丹波とか。立派な博物館もある)。

NHKスペシャル 恐竜超世界 IN JAPAN (NATIONAL GEOGRAPHIC)』['22年]

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読者の質問に3人の泰斗が答える『物理質問箱』、図説が豊富な『物理現象を読む』。

物理質問箱 物理現象を読む.jpg物理質問箱.jpg  物理現象を読む.jpg
物理質問箱: はて、なぜ、どうして (ブルーバックス 305)』['76年]/『物理現象を読む―身近な出来事を見直し、考えよう (1978年) (ブルーバックス)

 読者の質問に答える本。日常、当然だと見過ごしているような事柄に対して疑問をもち、探究してゆくことから科学がはじまる。「地球はなぜ丸いのか」「宇宙に果てはあるのだろうか」「ガラスはなぜ光を通すのか」「鏡にうつる像はなぜ左右だけ反対になるのか」「虹はどうして半円形になるのか」。素朴なだけに本質的でやっかいなこのような質問に、それぞれの専門家が回答する―。(『物理質問箱』版元口上)

 『物理質問箱』は、ブルーバックス編集部が読者に「科学に関する質問」を編集部に寄せるようお願いしたところ、それに応えて約1200名から総数およそ4000もの質問が寄せられ、その際に、物理関係に質問が特に集中したため、物理関係に絞って本にしたとのことです。96の質問を選んで、3人の専門家が回答しています。

 その3人とは、都筑卓司(1928年生まれ。東京文理大物理学科卒業。横浜市立大学物理学科教授。大学では一般物理と量子力学を講義。『四次元の世界』や『マックスウェルの悪魔』などの著書でブルーバックスの著書多し)、宮本正太郎(1912年生まれ。京都大学理学部宇宙物理学科卒業。京都大学理学部教授、同附属花山天文台台長を経て、京都大学名誉教授。専門は太陽物理学、惑星天文学、恒星分光学だが、特に月に関する研究では国際的に有名。ブルーバックス『宇宙とはなにか』ほか著書多数。1992年逝去)、飯田睦治郎(1920年生まれ。日本大学工業化学科卒業。気象研究所予報研究部主任研究官を経て、現在、(株)ウェザーニューズ気象研究センター所長。『気象の未来像』ほか著書多数)。

 天文関係を宮本正太郎、気象関係を飯田睦治郎。その他を都筑卓司という役割分担。宮本正太郎は国際的にも有名な学者で、飯田睦治郎は素人に対するわかりやすい解説には定評があり、都筑卓司も『四次元の世界』や『マックスウェルの悪魔』などのブルーバックスの著書が多い人。まさに「泰斗」3人が並んだ印象で、昔読んで解説が分かりよかった印象がありますが、それは今読んでもかわりません。

物理質問箱2.jpg 「まだ分かっていない」としていることも多いです。質問25で「地球の気候は今後熱くなるのですか、寒くなるのですか」との問いに、「熱くなるのか、寒くなるのかまったくわからない」というのが現状としています。「チコちゃんに叱られる!」図1.jpgまた、問28の「セメントはなぜ水を加えないとかたくならないのですか」との問いにも、「正直なところ、このことについては現在でもはっきりした説はないのである」としていますが、コレ、昨年['23年]12月9日放送のNHK「チコちゃんに叱られる!」でやっていたのではないでしょうか(あの番組は結構な割合で最近判明したことを紹介している)。

イラスト:ウノ・カマキリ

 『物理現象を読む』の方は、下に挙げた目次でも分かるように、またサブタイトル通り、「身近な物理現象」について解説してくれています。こちらも『物理質問箱』同様、一般の人にも分かりやすいようにと数式はほとんど使わず、その代わり、力学、波動(音・光学)、電磁気、原子などについて、その現象を説明するための簡単な実験とか身近な現象を豊富な写真や解説図付きで説明してくれています。

 著者は物理学者の藤井清(1922年生まれ。東京文理大物理学科卒業。和光大学の物理と情報科学の教授)と中込八郎(1921年生まれ。東京高等師範学校卒業。物理現象の写真を撮る専門家)。

物理現象を読む2.jpg カラーの折り込みを含め、ほとんどの見開きページに図説があり、実際に物理実験をする機会が無いような人(高校物理の授業を受講中の生徒や理科系の専門学生を除いては、ほとんどがそうではないか)には、大いに理解の助けになるかと思います。

 共に昭和50年代の前半の刊行という古い本ですが、「新書」版でありながら、今読んでも参考になる部分が多いというのは、ブルーバックスというレベールの質の高さを表しているとも言えます。

《読書MEMO》
●『物理現象を読む』目次
1 あなたは、アリストテレス派?それともガリレイ派? - 運動の法則の追求
2 基本的な運動の観察 - マルチストロボ写真の見方
3 静止衛星のからくり
4 身のまわりの力学問題を解こう
5 スポーツの科学
6 動物の動き四題
7 "目にもとまらぬ"現象を見る
8 水と空気
9 光の足跡を追う-幾何光学の話
10 光の正体-波動光学入門
11 色を見るページ
12 音の世界
13 静電気現象
14 電気と生活-磁気作用
15 原子の世界をさぐる

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江戸時代の武士には介護休職制度が、さらにそれより古くから高齢者介護はあった。

武士の介護休暇2.jpg武士の介護休暇.jpg
武士の介護休暇: 日本は老いと介護にどう向きあってきたか (河出新書) 』['24年]帯装画:岡添健介

 医療が未発達であった昔、日本ではどのように高齢者介護に取り組んできたのか? 本書は、武士の介護休暇制度があった江戸時代を中心に、近世以前のわが国の介護の歴史を解き明かした本です。

 第1章では江戸時代の高齢者介護を取り上げており、冒頭では介護休暇を取って親を介護していた武士の例が出てきます。江戸幕府は「看病断(かんびょうことわり)」という介護休業制度を整備しており、多くの藩でも同様の制度があったとのことです。また、親への孝心は当時の武士の持つべき徳目とされており、女性ではなく男性が介護の中心的役割を担ったそうです。

 江戸時代の介護については武士・非武士を問わず史料が比較的充実しており、それは、当時の善行とされた行為に「孝行」や「忠孝」が含まれ、親や雇い主を介護したケースが表彰の対象として『孝義録』といった史料に残されているためであるとのことで、それはまた、統治者にとっては、治安が上手くいっていることのアピールでもあったようです。

 第2章では、江戸時代の「老い」の捉え方を見ていきます。概ね江戸期を通して幕府は70歳以上を隠居年齢にしており(今より高い水準とも言える)、94歳まで働いた武士もいたそうです。一方、井原西鶴などによれば、町民における望ましい人生は、50代後半頃の隠居が成功者の理想で、40代あるいはもっと若くして隠居するケースもあったようです(江戸時代版「FIRE」か)。

 第3章から第5章にかけては、江戸時代より前、古代~中世期の介護の実情に迫っています。昔から高齢者は一定割合でいたことが判っていますが、7世紀の終わりに導入が進められた律令制度のもとでは、61歳以上が高齢者に該当し、若い人ほどの労働力がないと見なされる一方、高齢者は尊敬の対象でもあったとのことです(第3章)。

聖徳太子.jpg 第4章では、古代~中世期の要介護の要因となった病気として、認知症、脳卒中などの例を史料・物語で紹介しています(これは現代の要介護の二大要因と同じ)。ちなみに、高齢者以外も含めた要援護者に対する公的なケアの始まりは、西暦593年に聖徳太子が大阪・四天王寺に置いた今で言う病院・福祉施設(療病院と悲田院を含む「四箇院(しかいん)」。他に寺院そのものである敬田院、療病院は薬局にあたる施薬院から成る)が最初とされるとのことで、今から1400年も前に、ささやかながらも公的なケア・サービスが存在したことに驚かされます。一方で、身寄りのない高齢者の介護・看取りやその最期の悲惨な例も紹介されています。

 第5章では、古代~中世期の数ある「姥捨て物語」の類型を示して、姥捨てという介護放棄が実際にあったのかどうかを考察し、なかったとは言いきれないものの、物語としては孝行物語として帰結しているものが多いとしています。その上で、当時の人々が高齢者ケアに向かう考え方や価値観=倫理を探り、そうした倫理が作用しなかったときに、高齢者が見放される事態が生じたとしています。

 最終の第6章では、引き続き江戸時代についてもこうした考察を試み、江戸時代に身寄りのない高齢者はどう介護されたかを述べ、「五人組」などの地域で高齢の要介護者を支える制度や、幕藩による高齢者の救済制度が紹介されています。結論として、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観として、①老親や主人への「情」の論理、②まずは家の中で対応する「家」の論理、③家で対応できない場合の「地域」の論理、④幕府の儒教・朱子学強化施策を背景とした「儒」の論理を挙げています。

 江戸時代、さらにはそれより古くから高齢者介護というものはあったということを知ることができたとともに、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観には(介護放棄につながる要因も含め)、現代にも通じるものがあることを感じました。たいへん面白く読めました。

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余命宣告を受けた資産運用の専門家が説く、お金より大事なもの。

がんになってわかった お金と人生の本質.jpg
お金と人生の本質.jpg  がんになってわかった お金と人生の本質2.jpg
山崎 元(2024.1.1、65歳没)『がんになってわかった お金と人生の本質』['24年]
大江英樹(2024.1.1、71歳没)『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方 (光文社新書) 』['23年]

お金の賢い減らし方1.jpg 最後の1秒まで幸福は追求できる。その真実をつづった遺稿を特別収載。最期の時間でたどり着いた「人生の最終原理」とは―(版元口上)。2022年の夏に食道癌が見つかった経済評論家(専門は資産運用)の著者が、癌の各局面にあっての考え方や意思決定について述べたもの。お金よりも大事なことにどうやって気づくか、限られた時間をいかに生きるかを説いています。因みに著者は、先に取り上げた 『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』('23年/ 光文社新書)の著者の経済コラムニスト・大江英樹(1952-2024/71歳没)氏と同じく、今年['24年]1月1日に65歳で亡くなっています。

 第1章では、著者がステージⅢの食道癌を宣告されたときのことが書かれています。因みに、著者は、日頃から人間ドックに入ったり、健康診断を受けることをしてなかったそうですが、本書執筆時点では」「損得勘定だけでも検査は受けるべし」との考えになっています(ましてや著者の場合、食道癌を心配するに十分なだけの飲食習慣があった。ウィスキーをストレートで飲み続けると、それなりに食道癌のリスクは高まると、自分で書いている)。

 また、情報を拾うか捨てるか制限しないと、身が持たないともしています。利害関係にない好意的な医療専門家を探すこと、5年生存率の見当を付けること、治療方針を決めることが重要であるとしています。また、医師の話しぶりなどから「この医師は信頼できる」と思えたことは治療にもプラスだったが、自身の専門においては「そんなもの見ても役に立たないよ」と言ってきたことから「癌患者と投資初心者は似ている」としているのが面白いです。

 第2章では、がん保険には自分は入っていたが、振り返ってみれば、治療費は貯金で間に合い、高額療養費制度(+健保組合の上乗せ給付)があり、がん保険は要らなかったとしています。かかった分のほとんどは、自身のQOLのために払った1日4万円の差額ベッド代だけです。この点については、自分もまったく同じような経験をし、公立病院であったこともあり、差額ベッド代も1日1万円程度で、がん保険には入っていましたが、請求しませんでした(請求すれば「支出」より「収入」の方が多くなったのだが)。

 ただ、このがん保険不要論に関しては、いろいろと反論もあるようです。著者のような年収3000万円の人ならともかく貯えや収入の少ない人や無い人の場合はどうか、がんの種類によっては効果のある薬はあるが、薬価が日額で何万円もするほど高額で、経済的理由から治療を諦める患者が少なからずいること、若くでまだまだ生きて働きたい患者ならば、生きている間ずっと医療費がかかり続ける可能性あること、などがその理由です。ただし、著者も、がん保険を全否定しているわけでなく、安心ではなく、必要性で判断すべきだとしています。

 第3章では、癌になって癌になって分かった、どうでもいいことと大切なことについて書いています。頭髪が抜け落ちる問題については、悩ましい問題ではあるが、こだわりを捨てればコストが節約できる例だとしています。また、地位的競争から降りることの幸せを説いています。増え続けた持ち物もできるだけ減らし、衣類は、極論すれば夏冬一着だけでいいと。

 著者は、癌の再発で「持ち時間」というもの意識するようになったといいます。「仕事は10年に一度リニューアルせよ」と言っています。これが、癌の再発で、2年間の活動期間で何をすべきか、半年しか保障できないと森永卓郎2024.jpg言われてどうするか、このあたりはまさに著者の実体験であり、切迫感があります。仕事を減らしてばかりいては元気が出ないとしています。癌闘病中の経済アナリストの森永卓郎(1957年生まれ)氏(2025年1月逝去)などは、本を出したりYouTubeなどによく出ていたりして、この路線ではないでしょうか(そう言えば山崎元氏もYouTubeなどによく出ていた)。それから、自分が会いたい人だけに会うとも述べています(ご尤も)。

 第4章では「山崎式・終活のセオリー6箇条」を説いています。それを纏めると、①なるべく長く働く、②住居は縮小し、モノを減らしてシンプルに暮らす、③便利な場所に暮らす、④介護が必要になったら、施設へ、⑤相続は、本人のアタマがしっかりしているうちに、明確に決める、⑥お墓・お寺と縁を切って、弔いはシンプルに、の6つです。

DIE WITH ZERO2020.jpg 第4章では、お金より大事なものにどうやって気づくかを説いています。お金に関するアドバイス(お金に感情を振り回されない、運用に思い入れを持ち込まない、予想と希望を混同させない)などは、さすが専門家の金言とも言え、さらに、ビル・パーキンスの『DIE WITH ZERO』 ('20年/ダイヤモンド社)を引いて、お金は「増やし方」よりも「使い方」こそが大切だとしています(この本、『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方』でも参照されていた。影響力"大"!)。「FIRE」に対し"守銭奴"型であると疑念を呈し、「幸せになるには、他人の好かれる人間になるのが近道」と結論づけています。お金の損得よりも、自分が持っている「信用」の方が大切だとも言っています。

 この著者のこれまでの読者には、お金をどうやって増やすかという方法論的観点から著者の本を手にした人が多かったのではないでしょうか。その著者が最期にお金より大事なものにどうやって気づくかを説くことになったのは、自らが癌による余命宣告を受けたためとは言え、皮肉と言えば皮肉なこと。ただし、こうして本になって世に出たのは良かったと思います。

●著者プロフィール
山崎元(やまざき・はじめ)
山崎元(やまざき・はじめ).jpg経済評論家。専門は資産運用。1958 年北海道生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱商事に入社。野村投信、住友信託、メリルリンチ証券、楽天証券など12 回の転職経験を持つ。連載記事やテレビ出演多数。著書に『全面改訂 第3版 ほったらかし投資術』(水瀬ケンイチとの共著、朝日新書)、『超改訂版 難しいことはわかりませんが、お金の増やし方を教えてください!』(大橋弘祐との共著、文響社)、『経済評論家の父から息子への手紙――お金と人生と幸せについて』(Gakken)など。2024 年逝去。

《読書MEMO》
●本書の内容
第1章 癌患者と投資初心者は似ている
 ステージIII、「真面目な癌患者になろう」
 情報を、拾うか、捨てるか
 上機嫌な癌患者でありたい
第2章 がん保険はやっぱり要らなかった
 治療にかかったお金はいくら?
 「不安に対処する」ための保険は賢くない
 加入していい保険の条件
第3章 癌になって分かった、どうでもいいことと大切なこと
 悩ましい頭髪の問題
 わが物欲生活と身辺整理
 再発、意識する持ち時間
 癌患者には親切にしないで
第4章 山崎式・終活のセオリー6箇条
 最晩年の住まいと介護を考える
 お金を守る超合理的相続対策
 「墓なし・坊主なし」のわが家の弔いルール
第5章 お金より大事なものにどうやって気づくか
 〝善意の愉快犯〞として生ききる
 お金は「増やし方」より「使い方」こそ大切だ
 「幸福」を決めるたった一つの要素
 「お金より大事なもの」にどうやって気づくか
最終章 癌の記・裏日記

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90歳までに使い切ると思っても71歳で亡くなることも。使い切ることの難しさを考えさせられた。

お金の賢い減らし方1.jpg お金の賢い減らし方2.jpg お金の賢い減らし方 p.jpg
大江 英樹(2024.1.1、71歳没)『90歳までに使い切る お金の賢い減らし方 (光文社新書) 』['23年] 
山崎 元(2024.1.1、65歳没)『がんになってわかった お金と人生の本質』['24年]

がんになってわかった お金と人生の本質.jpg 今年['24年]1月1日に71歳亡くなった経済コラムニスト・大江英樹(1952-2024)氏の本。急性森永卓郎2024.jpg白血病の入院から退院しリハビリに励んでいることを公表していましたが...(奇しくも同じ日に、大江氏と並んで金融経済教育における二大巨頭ともされる経済評論家の山崎元(はじめ)(1958-2024)氏も食道がんにより65歳で亡くなっている。そう言えば、経済アナリストの森永卓郎氏(1957年生まれ)もがん闘病中である(2025年1月逝去)

DIE WITH ZERO2020.jpg 大江英樹氏は、大手証券会社で個人資産運用業務や企業年金制度のコンサルティングなどに従事して定年まで勤務し、2012年に独立後は「サラリーマンが退職後、幸せな生活を送れるように支援する」という理念のもと、資産運用やライフプラニング、行動経済学に関する講演・研修・執筆活動を行ってきたとのこと。本書は、日本版『DIE WITH ZERO』ともいえる本で、お金を貯め込んだって天国に持って行けるわけではなし、幸せのために生きているうちにお金を使わなくては意味がないということを伝えています。
  
 第1章でお金に対して人々が持っているタテマエとホンネ、勘違いを紐解くことかえら始めています。「投資の儲けは不労所得」という思い込みは一般にはあるだろうなあ。

 第2章では、お金の歴史とお金の持つ役割について解説しています。金融経済教育は著者の本分ですが、お金の役割は①取引と決済、②価値の尺度、③価値の保存、に加え、「感謝の表明」であるとしている点が著者らしいです。

 第3章では、お金を増やしたいという呪縛を解明していきます。お金を貯め込む理由として、漠然とした「老後不安」というのはやはりあるのでしょうが、著者はそれが"過剰"なのは良くないと。お金の価値を「死」から逆残して菅家よとして、人は死ぬ時にいちばんお金を持っているというデータを示し、イソップ寓話の「アリとキリギリス」の逆説的解釈を示していますが、この辺りは『DIE WITH ZERO』の流れとぴったり重なります。

 第4章では、お金の賢い減らし方として、①好きなことにお金を使う(何事にも受動的なサラリーマン脳を捨てよと)、②思い出にお金を使う(モノ消費よりコト消費。旅は人生そのもの)、③人にお金を使う(他人に投資する。偽善でも自己満足でもかまわない)、④価値にお金を使う(世の中に無駄なものなど何もないので、無駄使いしても構わない。でも、「見栄」や「義理」でお金を使うのはやめる)を挙げています。

 第5章では、お金に人生を支配されないようにするためにはどうすればよいかを説いています。ある意味、お金よりも大切なものは世の中のもすべてで、お金より優先すべきに事柄として、①時間、②信用、③健康、④幸福感の4つを挙げ、その理由を述べています。

 いい本ですが、個人的には『DIE WITH ZERO』を先に読んでしまったので、重なる部分が多い分、インパクトはやや弱かったかも。著者自身は、「自分が持っているお金は、なるべく90歳までに使い切ってしまおうと思っています」と書いていますが71歳で亡くなってしまった...。「使い切る」ことの難しさを考えさせられます。

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熊野三山巡りをすることになり読んだ。行く前に勉強になった。

IMG_20241110_095701.jpg熊野古道.jpg 
熊野古道 (岩波新書 新赤版 665)』['00年]
熊野古道(中辺路)大門坂(2024.11.10撮影)

 ゆたかな自然に懐深く抱かれた聖地,熊野.「蟻の熊野参り」という言葉どおり、人々は何かに引きつけられるように苦しい巡礼の旅を続けた。中世の記録から、上皇の御幸や一般庶民の参詣のようす、さらに熊野信仰の本質,王子社成立の謎等にせまり,長年の踏査経験をふまえて,この日本随一の古道の魅力を語り尽くす―(本書口上より)。

 グループで熊野三山巡りをすることになり本書を読みましたが、行く前に勉強になりました。全3部構成の第Ⅰ部で、中世からの熊野詣の変遷を歴史的に検証してその意味を考え、第Ⅱ部では、熊野詣の作法と組織を検討することにより、熊野信仰の解明を試み、第Ⅲ部では、著者自らが踏破した熊野古道を紹介しています(因みに、熊野古道ユネスコの世界遺産に登録されたのは2004年で、今年['24年]はその20周年にあたる)。

 第Ⅰ部では、熊野の中世史を扱っています。聖地である熊野に対する信仰は、平安時代には「熊野御幸(ごこう)」と呼ばれた上皇や女院の参詣によって脚光を浴びるようになったとのことです。因みに、熊野詣とは、熊野三山を参詣することを言い、熊野詣が盛んになる平安時代後期に、本宮・新宮・那智が一体化して熊野三山と呼ばれるようになりますが、古くは別々の神であったと考えられるようです。

 1088年に白河上皇が高野山へ参詣してから院政期に熊野詣は大流行し、上皇の熊野詣に際しては貴族が先達(道案内人)を務めたこともあって、当時の様子を伝える記録は結構残っているようです(その貴族の中にも自らも熱心に参詣する者がいて、その記録も残っている)。藤原定家が記した上皇の参詣の記録は、その代表的なものになります。

発心門王子.jpg 第Ⅱ部では、参詣の目的や作法について解説しています。熊野信仰の特徴は「神仏習合」(平安末期の浄土信仰の流行から明治政府による「神仏分離」政策の前まで)であり、参詣の目的は、病気の平癒など現世的なものと、極楽浄土に行きたいという来世的なものの両方があったようです。また、熊野古道の中辺路などに祠(ほこら)などのような形で多く見られ、その数の多さから九十九王子とも呼ばれる「王子」は一体何のためのものか、道中の休憩所だとか熊野三山を遙拝する場所だとか諸説あるようですが、著者は儀式を行う場ではないかとしています。「王子」は熊野権現の分身あるいは熊野権現の御子神とされていますが、その原型は、熊野詣が盛んになって王子が成立する以前からそこにあった道祖神のような神々だったのではないかとしています。
発心門王子(中辺路)

熊野詣.jpg また、参詣の数を競う傾向もあったようです。それにしても、後白河上皇の34回(本書ではこの回数を通説としている)というのはスゴイね。よほど極楽往生したかったのか、西暦1160年から1191年までほぼ毎年行っていたようです(そう言えば、今年['24年]ちょうどNHK大河ドラマで「光る君へ」をや本郷奏多「光る君へ」花山天皇.jpg「光る君へ」藤原道長役「柄本佑」.jpgっており、その中であったかどうかは知らないけれど、藤原道長が時の上皇・花山(かざん)法皇の熊野詣を、収納の時期であったこともあり、反対し中止になったという話もあったそうです(本書23p。西暦999年11月のことである)。

2024年NHK大河ドラマ「光る君へ」花山天皇(本郷奏多)/柄本佑(藤原道長)

 第Ⅲ部では、熊野古道の歩き方を、著者自身の経験をもとに指南しています。この辺りはガイドブックに任せた方がいいのではないかとの声も聞こえてきそうですが、著者の解説をガイドの話でも聞くように読むのも悪くないと思います。
 
 因みに、グループでの熊野三山巡りの大まかな旅程は以下の通り。3日間で三山(本宮・速玉・那智)を巡りますが、古道歩きは2日目の発心門王子~熊野本宮大社と、3日目の大門坂~熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝で、いずれも中辺路になります。

■第1日
東京    8:09発JRのぞみ
名古屋   9:45着
      10:01発JR南紀
新宮    13:37着
     13:46発バス
熊野本宮大社前  14:37着
熊野本宮大社 参詣
熊野本宮大社前  16:40発バス
中辺路 2.jpg 川湯温泉着 16:48着
 
■第2日 
川湯温泉 9:00ホテル発
熊野本宮大社前  バス
発心門王子
 古道(中辺路)を歩く(約3時間)
熊野本宮大社
熊野本宮大社前 12:15発バス
熊野速玉大社前  13:10着  
熊野速玉大社 参詣
熊野速玉大社前  14:45発
紀伊勝浦駅
勝浦温泉着
 
■第3日
大門坂 那智の滝.jpg 紀伊勝浦駅   9:05発
大門坂     9:24着
 古道(中辺路)を歩く(約2時間)
熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝 参詣
那智の滝駅前   14:34発バス
紀伊勝浦駅   14:58着
        15:35発リムジンバス
南紀白浜空港  17:30着
南紀白浜空港   18:20発JAL
羽田空港    19:30着

《読書MEMO》
■第1日 熊野本宮大社(2024.11.8)
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熊野本宮大社旧社地 大斎原へ向かう道
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■第2日 熊野古道(中辺路)発心門王子~本宮大社(2024.11.9)
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熊野速玉大社
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■第3日 熊野古道(中辺路)大門坂(2024.11.10)
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熊野那智の滝(ご神体に当たり、これにより三山を巡ったことに)
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2日目の「発心門王子~本宮大社」が「初級コース」、3日目の「大門坂~那智大社」が「中級コース」との触れ込みで、確かに大門坂から表参道にかけての階段はきつかったが、むしろ発心門王子~本宮大社間の前半の下りが、後から脚に効いてきたとの声もあった。

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今読み返しても色褪せていない。壮大なスケールの話を愉しめた。

一万年後 (カッパ・ブックス).jpg一万年後.jpg
一万年後 上 宇宙に移住する人類 (カッパ・ブックス)』『一万年後 下 惑星を改造する科学 (カッパ・ブックス)』['75年]カバーイラスト:石岡瑛子(西武美術館『ヌバ』展(1980)/「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」(1985))

一万年後3.jpg一万年後2.jpg 1万年後、人類はこの地球上に無事生存しているか? しているとすれば、科学、テクノロジーはどのような変貌を遂げているか? 人類が滅びることはないのか? こうした疑問に科学ジャーナリストが答えた本。原著・訳書とも'75(昭和50)年の刊行で、当時結構売れた本ですが、今読み返しても色褪せていません。

一万年後4.jpg 上巻の第1章では、いきなり「地球は滅びるか」で、人類は宇宙に飛び立つ前に内部から崩壊してしまうのではないかとの疑問に対する著者の結論は「滅びない」です(ただし、核戦争や環境破壊でいったん滅んで復活するというシナリオも)。原著・翻訳とも'75'(昭和50)年刊行で、すでに核戦争の不安が眼前に立ち現われていた時代ですが、核戦争が起きて大きな被害があっても40年程度で復興し、仮にそれが400年や4000年であっても、地球の寿命に比べればごく短い時間であると。さらに、男女50人の人類が生き残れば、文明は50万年という短期間で復興し、猿が生き残れば、数百万年後には文明社会ができるだろうとしています。

 第2章「限りない宇宙開発計画」から宇宙開拓の話に入っていきます。ここでは宇宙開発は、「月に始まり月に戻る」「人類は月面に永久基地を建設するだろうとしています('75年にアポロ計画が終わったことを踏まえながらも)。
一万年後5.jpg

 第3章「月の植民地」、第4章「月の住民たち」では、月世界での工場建設や生活の話をしています。酸化鉄や酸化チタンをタンクに入れて太陽を当てると、空気のない環境で高温を発し、酸化鉄・チタンから酸素が分離できて、後は地球から運んだ水素をくっつければ、水ができるとのこと。酸素と水があれば、後はエネルギーで、液体窒素をタンクに入れ、太陽光を当てて気化させ、それで、タービンを回し発電可能で、気化した窒素は冷めて、また液体窒素に戻ると。

 第5章「金星改造計画」で話は金星に。金星は原始地球と似た大気を持つと言われ、二酸化炭素が濃密で、温室効果により480℃の高温、100気圧の高圧の地獄のような状態ですが、金星も人間が住める環境に改造できるとのこと。二酸化炭素を分解するには光合成のできる生物を入れればよく、ただし、高温高圧に耐えうる生物であることが条件ですが、らん藻植物という単細胞植物は高温にも低温にも耐えて繁殖力も強いため、金星の環境に耐える種類を捜し、ロケットで金星大気中に打ち込めば、らん藻植物が光合成で二酸化炭素を酸素に変え、2~3年の内には、温室効果が少しずつ弱まり、雨が降って地表の温度が下がり、さらに多くの動植物を地球から移し、環境を改造していくことが可能だとしています。

『人類は宇宙のどこまで旅できるのか』.jpg 第6章「新天体を求めて」、下巻の第7章「ゆがんだ四次元空間」、第8章「亜空間飛行」では、所謂「恒星間飛行」を扱っており、四次元空間の利用、亜空間飛行も含め検討している点は、最近のレス・ジョンソン著『人類は宇宙のどこまで旅できるのか―これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー』('24年/東洋経済新報社)に通じるものがあったように思います(『一万年後』の方が半世紀早いが)。

 第9章「機械を生む機械」、第10章「空飛ぶ宇宙都市」では、今で言うところのAIや、未来小説に出てくる宇宙コロニーのような話になっています(小惑星などを分解して、地球と火星軌道の中間あたりに、太陽の周りをまわるように作る所謂「ダイソン環」)。ただ、「宇宙都市は21世紀までに建設されているだろう」としており、この点は現実においてはやや遅れているようにも思います(近未来予測については、本書全般に先走った傾向が見られる)。

一万年後7.jpg 第11章は「木星破壊計画」。小惑星だけでは「ダイソン環」の材料が足らなければ、木星を分解して、ダイソン環の材料にすればよいのだということ。小松左京の「さよならジュピター」の元ネタ(?)とも思える話ですが、これが本書の中では最もユニークな提案で、それで最後にもってきたのかもしれません(因みに、ダイソン環(球)自体は1960年にアメリカの物理学者フリーマン・ダイソンが提唱したものである)。

 結論として、終章で、人間の発展は無限であり、1万年後には、人間が銀河系の勝利者となっているだろうとしています。
 
 1975年頃と言えば、前年の1974年にインドが初めて核実験を実施しており、また、日本でも石油危機の煽りを受けて1974年には経済成長率は一気に落ち込み、戦後初のマイナス(-1.2%)を記録しています。こうした「未来予測本」が結構売れた背景には、そうした社会情勢への不安もあったのかも。ただし、読んでみればまだまだ先のことなので、しかも、人類が滅びることはないという楽観主義的貴重であるため、安心し、純粋に科学的好奇心から壮大なスケールの話を愉しめた本ではないかったでしょうか。

《読書MEMO》
●上巻の「著者の言葉」
わたしたちの文明を地球だけに限る必要はなく、太陽系のうちに押し込めておく必要もない。ローマ人が、かつて大西洋の広大さを見て恐れたように、われわれはこの恒星間の広大さを恐れることはないのだ。むしろ、銀河系にある数万にも及ぶ他の太陽系を、人類が支配できると考えよう。
●下巻の「著者の言葉」
この本のなかで予測された事件、あるいは、予測されたように見える重大な事柄は、遅かれ早かれ実現するであろう。数年というような短い単位の予測ではないから、それがいつ起きるか、正確には述べることができない。しかし、絶対の確信をもって、それが起こることだけは、断定できるのである」
●目次
序 章 文明は宇宙にひろがる
 第1章 地球は滅びるか
 第2章 限りない宇宙開発計画
 第3章 月の植民地
 第4章 月の住民たち
 第5章 金星改造計画
 第6章 新天体を求めて
 第7章 ゆがんだ四次元空間
 第8章 亜空間飛行
 第9章 機械を生む機械
 第10章 空飛ぶ宇宙都市
 第11章 木製破壊計画
 終 章 銀河系の勝利者

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最新の知見をわかりやすく(易しく)解説。併せ読むことで多角的・相互補完的に理解できる。

最強に面白い! ! 宇宙の終わり.jpg最強に面白い 宇宙の終わり.jpg   文系のための東大の先生が教える 宇宙の終わり.jpg
ニュートン式 超図解 最強に面白い! ! 宇宙の終わり』['22年]『ニュートン超図解新書 最強に面白い 宇宙の終わり』['24年]/『やさしくわかる! 文系のための東大の先生が教える 宇宙の終わり (文系シリーズ) 』['23年]

 2冊とも「宇宙の終わり」についてわかりやすく(と言うより易しく)解説した本で、監修者が同じであるため、ほぼ似たような流れと結論になっており、イラストを多く入れたり、対話形式で分りやすかったりするので、読みながら相互に知識を補完し合うとよいと思いました(『ニュートン式 超図解 最強に面白い! ! 宇宙の終わり』の方は今年['24年]「ニュートン超図解新書」('23年創刊)にて新書化された)。

最強に面白い! ! 宇宙の終わり2.jpg 『ニュートン式 超図解 最強に面白い! ! 宇宙の終わり』の方の流れで行くと、まず第1章で、「地球と太陽の死」について述べています(いきなりという感じだが)。60億年後に太陽は膨張を開始し、今の170倍の「赤色巨星」になりますが、その時太陽に飲み込まれるのは水星と金星までで、現在の地球の軌道までくるものの地球の軌道もその頃は大きくなっているため、その時には地球は飲み込まれないと。ただし、太陽はいったん現在の10倍程度の大きさまで戻った後、82年億後に太陽が再膨張し、現在の200倍から600倍の大きさになって、今度は地球も飲み込まれるとのことです。そして太陽もやがて小さくなって白色矮星となり、あとはゆっくり冷えて輝きを失った残骸となると。

 第2章では、「天体の時代の終わり」について述べています。天の川銀河は39億年後にアンドロメダ銀河と合体して1つの楕円銀河になり、これら銀河団に属する銀河は数百億年から1000億年以内に1つに纏まって球状の巨大天体になると。ただし、宇宙が膨張を続けるためその巨大天体は宇宙の中で孤立し、やがて新しい星も生まれなくなって10兆年後には銀河は暗くなり、宇宙は輝きを失うと。ただ、ブラックホールや中性子星はまだ残っていて、10の20乗年後に銀河の中心のブラックホールが巨大化し、すべての天体を飲み込むと。そのブラックホールも、10の100乗年後には飲み込むものが無くなって「蒸発」してしまうとのことです。

 第3章では、「宇宙の終わりと生まれ変わり」について述べています。宇宙の未来を決めるのはダークエネルギーですが、そのダークエネルギーがよく分かってないらしいです。宇宙の未来も不確定で、緩やかな膨張、膨張から収縮へ転じる、膨張がこれまでより加速する、の3パターンが考えられると。第2章までは「緩やかな膨張」を前提に書かれていて、これだと最後には宇宙は素粒子だけが飛び交うだけの世界になり、その素粒子も、ブラックホールが蒸発した10の100乗年後には密度がゼロに近づくと(「10の100乗年後」というのがなかなかイメージしづらいが)。そこから後は、宇宙が生まれ変わるとの説を主張する研究者もいるようです。以下、宇宙が収縮に転じた場合、膨張がこれまでより加速した場合についても予測していますが、いずれも終末を迎えるシナリオのようです。

 第4章では、宇宙が長い年月を経て終末を迎えるのではなく、「突然死」する可能性についてもみていきます。それは、10の数百乗年に1回の確率で起こると言われる「真空崩壊」という現象によるもので、このあたりになると完全に理論物理学の世界で、イメージするのも難しいです。解説自体は数式など使わず易しい言葉で書かれているのですが(笑)。


 『やさしくわかる! 文系のための東大の先生が教える 宇宙の終わり』の方は、先生と生徒の授業(対話)形式で進められ、第1章(1時間目)では宇宙の「はじまり」から説き起こしていますが、第2章(2時間目)で「天体時代の終わり」(「地球と太陽の死」を含む)、第3章(3時間目)で「宇宙の終わり」を扱い、流れとしてはほぼ同じで、第3章で真空崩壊まで解説しています。

ざっくりわかる宇宙論 s.jpg 先にも述べたように、流れは同じですが、それぞれ違った表現や図・イラストを用いているため、併せ読むことで多角的・相互補完的に理解できる取り合わせかと思います。個人的には、宇宙の終焉に関しては、竹内 薫 著『ざっくりわかる宇宙論』('12年/ちくま新書)以来の久しぶりの復習になりました(同書の宇宙の終焉の予測は宇宙が「加速膨張」する前提に立っているが、本書の「緩やかな膨張」論も「緩やかに加速膨張する」ことを意味しており、結末は基本的には本書と同じである)。

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「星間旅行」「系外惑星移住」。宇宙と人類の叡智に思いを馳せるロマン本。

『人類は宇宙のどこまで旅できるのか.jpg『人類は宇宙のどこまで旅できるのか』.jpg スペースシップ.jpg 恒星間宇宙船イメージ図
人類は宇宙のどこまで旅できるのか: これからの「遠い恒星への旅」の科学とテクノロジー』['24年]
「宇宙トラベルガイド」.jpg『人類は宇宙のどこまで旅できるのか』0.jpg 未来の「星間旅行」はどのようなものとなるのかをNASAテクノロジストの物理学者が考察した本です(原題は「宇宙トラベルガイド」)。読んでみて、星間旅は想像以上に困難だと思いましたが、想像しなければ実現もできないということでしょう。
Les Johnson『A Traveler's Guide to the Stars』['22年]

『人類は宇宙のどこまで旅できるのか』2.jpg まず、宇宙は想像以上に大きいことを思い知らされます。最も近い恒星ケンタウルス座アル『人類は宇宙のどこまで旅できるのか』1.jpgファ星に行くのに、高速の10分の1のスピードで行っても40年かかります(「距離」問題)。したがって「星間旅行」は数十年から数百年かかるミッションとならざるを得ず、そのことによって様々な課題が浮上します。電源をどう確保するか、通信手段はどうするか、といった問題もあると指摘しています。さらには、推力を得るためのエネルギーはどうするか(「エネルギー」問題)。星間旅行にかかる時間が人の一生よりはるかに長いという問題もあります(「時間」問題)。ただし、NASAの研究者グループの間では、星間旅行は「奇説」ではなくなっているとのことです。

 もう1つ、宇宙探査や星間旅行において浮上するのが倫理的な問題で、例えば、地球での人類の生存が危ぶまれる状況になって、自分たちの"ゆりかご"を地球外に拡げるにしても、そこで太陽以外の恒星を公転する系外惑星を見つけ、そこに開拓地を作ることは、その星に生息するすべての生物を支配することにもなりかねず、果たしてそうしたことが許されるのかという問題もあるとのことです(大航海時代の帝国の植民地支配に喩えられている)。

恒星間宇宙船.jpg 星間旅行はロボットに旅させる手もあるが、やはり人間が行かないと本来の目的は達成できない。そうすると巨大な「ワールドシップ宇宙船」での生活はどのようなものになるのか。1回の移住は1万人が妥当ではないかとしています。ワールドシップは円筒形で大きさは直径500~600メートル、長さは3~5キロメートル程度になると(もやっとした話ではなく、とことん具体的であるのが本書の良さ)。ただし、ワールドシップ内で生まれた子どもの権利の問題にも触れています(倫理で簡単に白黒つけられる問題ではないとしているが)。

 先に挙げた幾つかの問題の内、ロケットのエネルギーの問題はかなり大きな問題のようで、核エネルギー(分裂・融合)、電磁エネルギー、光子ロケットなど、さらには「反物質」まで、様々な可能性を探っています。例えば、太陽帆で推進する宇宙船というのは実現可能ですが、太陽からエネルギーを得る静電セイルなども同じですが、太陽から離れすぎるとやはり使えません。星間宇宙船の設計に関しても、先に挙げた電源確保や通信の問題、放射線被曝問題、水・酸素、食糧、重力など様々な問題があるとのことです。

 そこで、ここから先はSF的にもなりますが、「スター・トレック」みたいに(日本で言えば「宇宙戦艦ヤマト」みたいに)光より早く移動する(時空をワープする)「ワープ航法」というものも検討の俎上に上げています。コレ、数学的には可能だが物理学的にはわからないそうです。ワームホールを抜けていくというSF的な話も出てきますが、これも、物理学者である著者によれば、理論的には単純なことのようです(でも、それが可能かどうかは分かっていない)。

スペースコロニーのイメージ図(Wikipediaより)
スペースコロニーの概念図.jpg 本書の予測によれば、星間旅行をする最初の有人宇宙船を我々が打ち上げるのは西暦3000年以降になり、宇宙船1機が目的地に達するのに約500年かかるとすると(凍結した胎児を大量に搭載し、目的地に着いて解凍するということも考えられるという)、人間が近隣の多くの恒星系(系外惑星)に移住しているのは西暦10000年頃のことだろうと。ただし、これは、銀河の歴史からすれば"一瞬"であるとしています。

 最後に、宇宙人(地球外知的生命体)が地球に来ているとして、どうしてそれを発見できないかという疑問については、地球が進化し続けた46憶年のうち、我々が宇宙船を開発してまだ100年も経っておらず、相手にも同じことが言えるわけで、相手が先に星間宇宙船で地球に来ていたとしても、6500万年間栄えた恐竜の時代と、それに比べ極々短い人類繁栄の時代のどの時期に地球に辿り着くかという確率の比較からすると、今現在、異星人が地球に来ている可能性は低いとしています(この説は以前にもどこかで読んで納得した覚えがある)。

ざっくりわかる宇宙論 s.jpg ともあれ、面白かったです。宇宙のスケールの大きさや、人類の叡智の可能性に思いを馳せることができる、ロマンに満ちた本でした。以前読んだ、竹内 薫 著『ざっくりわかる宇宙論』('12年/ちくま新書)では、最も近いケンタウルス座アルファ星域に行くにしても光速で4年、マッハ30の宇宙船で光速の3万倍、12万年もかかるため、ワームホールでも見つけない限り難しいのではないかとしていましたが、NASAにはこうしたことを真剣に考えている(マッドではない)サイエンティストがいるのだなあ。

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「●橋本 忍 脚本作品」の インデックッスへ

力作。名作脚本成立の経緯を("藪の中"的なものを含め)興味深く知ることができた。

鬼の筆.jpg鬼の筆 戦後最大の脚本家・橋本忍の栄光と挫折』['23年]

 2024(令和6)年・第55回「大宅壮一ノンフィクション賞」受賞作。

 歴史的傑作とされる数々の映画作品のシナリオを生み出した脚本家・橋本忍 (1918-2018/享年100)の評伝。著者が生前に行った9回、十数時間にわたるインタビューと、関係者への取材、創作ノートをはじめ遺族から託された膨大な資料をもとに、映画人の「真実」に迫っていきます。

 もともとは新潮社の月刊誌「新潮45」に連載する目的で始まった橋本忍への取材が、橋本の体調不良などもあって休載している間に雑誌そのものが廃刊になり、ただし文藝春秋に引き継がれ雑誌「文藝春秋」に掲載、編集部の人事異動によって歴代9人の編集者を経て完成に日の目を見たもの。個人的には著者の文章はコラムで読むことが多いのですが、こうして評伝として纏まったもの(全480ページ)を読むと、改めてその筆力に打たれ、力作であると思うとともに、著者が日本大学大学院博士課程を修了した芸術学博士、つまり、かつて学究の徒であっことに思い当たります。

 ただし、難しいことが論文調に書いてあるのではなく、橋本忍が脚本を書き始めることになったきかっけから始まって(師匠は伊丹万作(1900-1946)だったのかあ。修行時代に会社勤めをしながら師事した)、最初の脚本作「羅生門」から、以下、作品ごとにその出来上がった経緯を事実に沿って解説しています。そしてこれが、世間にはほとんど知られていないと思われる驚くべきことの連続で、読み物としても興味深く、時に刺激的なものとなっています。

羅生門dvd.jpg 最初の「羅生門」('50年)は、橋本忍が、夏目漱石は何度も映画化されているが芥川龍之介は映画化されていないことに目を付けて、芥川の「藪の中」を脚本化したが(3日で書き上げたとのこと)、病気療養中の暇潰しに書いたもので、自分でも映画化されるとは思ってなかったとのことです。それが黒澤明の目にとまり、長さ的に足りなかったので「羅生門」と併せて尺を長くしたとのこと。ただ、このアイデアは、黒澤は自著『蝦蟇の油』で自分の発案としていますが、橋本忍の自著『複眼の映像』では、自分が「羅生門」を入れたらどうかと言ったら、黒澤はきょとんとして、じゃあ「羅生門」を入れてあんた書き直して、と言われたという、まさに「藪の中」のような話(笑)。以下、どの作品においても、このような「藪の中」的な食い違いが少なからず出てきます(それだけ、著者が丹念に記録や証言を追っているといことでもある)。

生きる 映画.jpg 同じく黒澤が監督した「生きる」('52年)についても、これは橋本と黒澤明・小国英雄と共同脚本になっていますが、小国はトルストイの『イワン・イリッチの死』が黒澤のアイデアの原点としていますが、橋本の書いた脚本はそこから大きく離れた内容となっていて、これも黒澤のアイデアなのか橋本の創作なのかよくわからないようです(アプローチは原作と異なるが、テーマは原作と通底している点は橋本らしいとも)。

「七人の侍」.jpg蜘蛛巣城 1957 (1).jpg切腹 1962 dvd.jpg張込み 映画 dvd.jpgzero1b.jpg黒い画集 あるサラリーマンの証言 ポスター.jpgsunanoutuwa12.jpg「日本沈没」1973.jpg八甲田山 1977.jpg 以下、黒澤の「七人の侍」('54年)や「蜘蛛巣城」('57 年)、小林正樹次監督の「切腹」('62年)、松本清張の原作作品の「張込み」('58年)、「ゼロの焦点」('61年)、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」('60年)、「砂の器」('60年)、超大作である「日本沈没」('73年)、「八甲田山」('77年)など、自分が観た映画に纏わる脚本成立の様々な裏話が興味深く読め、観ていない作品も見たくなりました。

 映画ではどうしても監督や役者に目がいきがちですが、作品の雰囲気のかなりの部分は脚本家が作り上げているとも言えるかもしれません。その割には、日本一の脚本家と言われる橋本忍でさえ、どの作品の脚本を書いたのかあまり知られなかったりするのではないでしょうか。そうした意味でも、脚本家に焦点を当てた本書は良かったと思います。

「鬼の筆」刊行記念 戦後最大の脚本家・橋本忍 名作選+春日太一トーク&サイン会(横川シネマ)
鬼の筆 トークサイン会.jpg

《読書MEMO》
●目次
序 鬼の詩
一 山の章
二 藪の章~『羅生門』
三 明の章~『生きる』『七人の侍』
四 離の章~『蜘蛛巣城』『夜の鼓』『女殺し油地獄』『風林火山』
五 裁の章~『真昼の暗黒』『私は貝になりたい』
六 冴の章~『切腹』『仇討』『侍』『日本のいちばん長い日』『上意討ち』『首』
七 血の章~『張込み』『ゼロの焦点』『人斬り』『黒い画集 あるサラリーマンの証言』『砂の器』
《特別インタビュー》山田洋次の語る、師・橋本忍との日々
八 計の章~『人間革命』
九 雪の章~『八甲田山』
十 犬の章~『八つ墓村』『幻の湖』
十一 鬼の章~『愛の陽炎』『旅路 村でいちばんの首吊りの木』『鉄砲とキリスト』『天武の夢』
橋本忍 脚本映画一覧

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「東京人」としては約30年ぶりの「映画館」特集。手元に置いておきたい。

東京映画館クロニクル01.jpg東京映画館クロニクル02.jpg
東京人2022年12月号 特集「東京映画館クロニクル」なつかしの名画座から令和のミニシアターまで』['22年]

東京映画館クロニクル04.jpg 月刊「東京人」は1986年に〈都市を味わい、都市を批評し、都市 を創る〉をキャッチフレーズに創刊された雑誌です。東京の歴史・文化・風俗・建築物・文学・風景など「東京」という舞台が生み出すさまざまな事象を、毎号の特集で探っていきましたが、この号の特集「東京映画館クロニクル」では、並木坐、日比谷映画劇場、大井武蔵野館、岩波ホールなど懐かしの映画館を貴重な写真とともに振り返るとともに、ラピュタ阿佐ヶ谷、シネマ・チュプキ・タバタ、ポレポレ東中野など現代の特色あるミニシアターの最前線を紹介しています。「東京人」における「映画館」の大特集はおよそ30年ぶりだそうです。

 図版では、銀座・新宿・渋谷・池袋といった4大エリア別「思い出の映画館イラストマップ」が良かったです。東京映画館クロニクル03.jpg今は無い映画館の写真も貴重です。また、川本三郎氏(過去に編集委員としてこの雑誌に係わっている)、青木圭一郎氏(『昭和の東京 映画は名画座』)をはじめ、"映画観愛"に溢れる人たちが文章を寄せています。川本氏が中学生の時いちばんよく行ったのが、家から歩いて5分ぐらいのところにあった阿佐ヶ谷オデヲン座だそうです。神保町シアターが好きで、近年では何と言っても「芦川いずみ特集」が大ヒットだとも述べています(芦川いずみは'23年にも再特集された)。

 この特集が組まれたきっかけは、2022年7月29日の岩波ホール閉館がひとつあるのではないかと思われます。閉館する月の中旬に映画館の写真集で知られる中馬聡氏が撮った写真と文が掲載されています。これまでの上映作品のフライヤー(チラシ)が壁面に並び、閉館が近いことを感じさせます。
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 その次に、正木香子氏の文と尾田信氏の写真で、ギンレイホールの手描き看板を描いていた菅原克也さんという職人さんが紹介されていますが、ギンレイホールもこの特集雑誌の刊行に合わせるかのように、11月27日に閉館することが決まっていました(記事では"一時閉館"となっており、ホームページでは"閉館"としながらも移転再開については交渉継続中となっていた)。最終上映日にここで「マリー・ミ―」「君を想い、バスに乗る」の二本立てを観ました。
東京映画館クロニクル06.jpg

 大井武蔵野館、中野武蔵野ホールにそれぞれ関係が深い人の取材記事も良かったです。以前、大井町に久しぶりに行きましたが、どこが映画跡地かよくわかりませんでした(今は、消えた映画館をマップで位置表示するサービスがあるので、それで分かるかも)。

 ムックではないため、保存版とまで言えるかどうかはともかく、手元に置いておきたい特集でした。

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「人は死ぬ」が霊魂は生き続けると考える方が、人生は豊かになるのではないかという本。

人は死なない.jpgおかげさまで生きる (幻冬舎文庫).jpgおかげさまで生きる (幻冬舎文庫)』['17年]

人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索』['11年] 

 現役のER医師である著者が、生と死が行き交う日々の中で、数々の不思議な体験を通して大いなる力や神・魂の存在について思索した本。

 第1章では、自身が医師になった理由や、生と死の現場を見て来て、人は必ずこの世を去るものだと実感しながらも、容態が急変して亡くなる人もいれば予想を超えて命を繋ぐ人もいること、現代医学に限界がある一方で、気功などの不思議な世界を自身も体験したことなどが綴られています。

 第2章では、神は在るかということを問うています。著者自身は医師として科学主義の道を歩んできたが、科学主義も万能ではなく、物質領域を扱う自然科学に対して、精神の領域を扱う知の領域として宗教があるとしています。以下、三大宗教をはじめとする世界の宗教や日本の宗教について考察し、さらには、生命の神秘、宇宙の神秘に想いを馳せ、宗教における「神」とは、人知を超えたすべてを知る「大きな力」であり、自身はそれを「節理」と呼ぶとしています。

 第3章では、著者自身の体験も含め、非日常的な事例、現在の自然科学では説明できない、言うならば霊的な領域に関する事例を紹介しています。ここでは、自分の中に他者が入り込んでしまった人や、自分の「死」を見つめる経験(所謂「体外離脱体験」)をした人の話、さらには著名な登山家メスナーの不思議な体験が紹介されたり、登山を趣味とする著者自身の墜落事故と二度目の滑落事故の際の不思議な体験が語られています。

 いずれも実に不思議な話ですが、極め付けは、著者の父親の晩年と母親の晩年、そして母親が亡くなった際の話(孤独死だった)に続く、母親との「再会」の話です。つまり、霊媒師のような人を通して、著者が亡くなった母親と対話(交霊)したという話で、「そちらでお父さんに会ったの?」「お父さんには会わないわ」とか、かなり具体的です。やはり実際にこうした経験をしたことが、著者が「霊性」というものに思索をめぐらす契機になったのでしょう。

 第4章では、過去に「霊」について研究した人々を紹介し、スピリチュアリズムとは何か、スピリチュアリズムにおける霊魂と体の概念や近代スピリチュアリズムの系譜などを解説しています。

 最後の第5章では「人は死なない」という章題のもと、人知を超えた大いなる力(節理)と生の連続性、そしてそれを認識した上で人はいかに生きるかを述べています。ここでは「現代の霊性」というものについて考察し、「利他」という考えに到達し、著者の仕事である救急医療における利他の実践を追求するとし、「人は死ぬ」が霊魂は生き続ける、という意味で「人は死なない」として、本書を締め括っています。

 読んでみて、「現代の霊性」というものを「生きるための知恵」として著者が捉えていることが窺えました。あとがきにもありますが、「人間の知識は微々たるものであること、節理と霊魂は存在するのではないかということ、人間は節理によって生かされ霊魂は永遠である、そのように考えれば日々の生活思想や社会の捉え方も変わるのではないか」というのが本書のモチーフです。

矢作 直樹.jpg Amazonのレビューに「本書の一番のポイントは、現役の東大医学部の教授の著者が「霊」の存在を確信し「人は死なない」と言い切った点にある」としたものがありましたが、「人は死なない」と声高に言っているのではなく、人はもっと自分が「死ぬ」という事実をしっかり見つめる必要があるとした上で、「人は死ぬ」が霊魂は生き続けると考える方が人生は豊かになるのではないかと投げかけている本であると、個人的にはそのように受けとめました。スピリチュアリズムって無碍に否定するものでもないと教えてくれる、その意味で得るところがあった本でした。


人は死なない-ある臨床医による摂理と霊性をめぐる思索-』['11年/バジリコ]
医師が考える死んだらどうなるのか?: 終わりではないよ、見守っているよ』['13年/PHP研究所]
悩まない---あるがままで今を生きる』['14年/ダイヤモンド社]
身軽に生きる』['20年/海竜社]

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「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」。だんだん「法話」みたいになってくる。

死は存在しない1.jpg死は存在しない 2022.jpg
死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)』['22年]

 本書では、最先端量子科学に基づくとされる「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」というものを紹介しています。それは、一言で述べるならば、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙すべての出来事のすべての情報が「記録」されているという仮説です。この説によれば、我々の意識などもすべてそこに記録されているということです。

 「以心伝心」「予感」「予知」「シンクロニティ」など現在の科学で証明できない「不思議な現象」も、すべてこの「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」で説明できるとのことで、フィールドに「ホログラム原理」で記録されている「すべての波動」は「部分の中に全体が宿る」ホログラム構造のため、そこにアクセスすることで情報を得ることができるとしています。「前世を記憶する子どもたち」といったような不思議な話も、彼らが何らかのかたちでに「ゼロ・ポイント・フィールド」にアクセスして情報を得ているからだろうと(誰かが「クラウド」と言っていたが、簡単に言えばそんな感じか。でも、どうやってアクセスしているのかが本書では書かれていない)。

 では、我々が死んだらどうなるのか。肉体の死後、「自我意識」はしばらくこの世を漂った後、ゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に移って生き続けていき、フィールド内では「自我」の意識が消えていき、苦しみも消失し、至福に満たされた世界に向かっていって、言わば「宇宙意識」のようなものに取り込まれていくらしいです。

 読み始めた時は科学的な話なのかなと思いましたが(著者は科学者である)、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」についてのそう突っ込んだ科学的な解説は無く、「仮説」でありながらも(まあ、すべての科学は仮説だと言えるが)、もう「ゼロ・ポイント・フィールド」があるものとして、話がどんどん進んでいっているように思いました。

 様々なメタファーや類似概念を用いて(「惑星ソラリス」のようなSF映画なども例に引き)説明していますが、これまで宗教家やスピリチュアリストらが語ってきたことをうまく科学と辻褄合わせをしているように読み取れなくもなく、これはこれで(「霊」という言葉の代わりに「意識」という言葉を用いた)ある種の宗教のようでもあり、少なくともスピリチュアルな話であるように思いました。

 興味深い話ではありましたが(最近「死」をテーマにした著作が多い、医師で作家の久坂部羊氏もそう述べていた)、後半にいけばいくほど、「祈り」の意味とか「裁き」の心を捨てることとか、どんどん「法話」みたいになっていって、最後は〈科学〉と〈宗教〉はやがて一つになると言っており、これが著者がいちばん言いたかったことなのかとも思いました(結局、〈宗教〉入ってる?)。

 「最先端量子科学が示す新たな仮説」というサブタイトルは嘘ではないでしょうが、あまり「最先端量子科学」という言葉に振り回されない方がいいかも。前著を見れば『運気を磨く―心を浄化する三つの技法』(光文社新書)とかあるので、まあ、その流れの言わば『「田坂」本』と思って読むと、それほど違和感ないのかもしれません。

死は存在しない ― 最先端量子科学が示す新たな仮説 (光文社新書)』['22年]/『運気を磨く 心を浄化する三つの技法 (光文社新書) 』['19年]/『人間を磨く 人間関係が好転する「こころの技法」 (光文社新書) 』['16年]/『教養を磨く 宇宙論、歴史観から、話術、人間力まで (光文社新書 1263) 』['23年]/『知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書) 』['14年]/『運気を引き寄せるリーダー 七つの心得 危機を好機に変える力とは (光文社新書) 』['14年]
死は存在しない2.jpg

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「GLS―1阻害薬」は万能? まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も。

老化は治療できる!宝島社新書.jpg老化は治療できる! (宝島社新書) 』['21年]

 本書は、著者ら東京大学医科学研究所などの研究チームがマウス実験から「老い」の原因となる「老化細胞」を除去する薬として2021年に発見した「GLS―1阻害薬」というものを紹介した本。この薬には老化した人間の肉体も若返させる可能性があるとし、研究チームの東大の先生が、老化のメカニズムと「アンチエイジング治療薬」の可能性を解説しています。

 まず前提として人間の寿命は最長120歳ほどで、これは変わらないだろうとし、ただし、「GLS―1阻害薬」にとって老化細胞が除去されることで老化は抑えられ、さらにはがんの治療に役立つ可能性もあるとのことです。マウスに投与すると老化細胞が死んで、加齢性疾患が改善することが分かっており、有効ながん治療薬として臨床試験が進められています。

 確かに、長生きはしたいけれど、老いの苦しみを味わうのは嫌だという思いは誰しも抱いていると思われるし、こうした「老化を治療する」薬の発見は喜ばしいことだと思います。120歳まで30歳のまま生きれるのならば、こんないいことはないです。ただ、あくまでもまだ研究段階なので、あまり喜びすぎるのもどうかと思いました。

ライフスパン.jpg 「老化は治療できる」という考え方は、『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授で、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と言っている)、あの本では「NMN」という物質が万能薬のように書かれていました(そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴は時期尚早だと反対している)。

LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 本書は若干「GLS―1阻害薬」が万能であるというトーンが強いように思いました。開発者としては、それぐらいの希望を持って研究することでモチベーションは上がるだろうし、世間も大きな期待を寄せるかと思いますが、まだ「可能性」の話であって、やや先走っている印象も受けました(タイトルから、今すぐ出来る「老化を治療する方法」があるのだと思った人もいたのでは)。

 ただし、国内外でこの「GLS―1阻害薬」は現在も進行中のようで、本書刊行後も、経口薬が開発され、安価で供給できる見通しが立ったとの情報もあるようです。でも、その前に、国内で認可を得て治験を積み重ねていくことがカギとなるのではないでしょうか。

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紹介されている種目が類書に比べ多い。石井直方先生のご逝去を悼む。

筋トレ 動き方・効かせ方パーフェクト事典1.jpg筋トレ 動き方・効かせ方パーフェクト事典.jpg 石井直方.png
筋トレ 動き方・効かせ方パーフェクト事典』['19年] 石井直方(1955-2024)

 本書は、バイオメカニクスに基づき、主要な筋トレ種目の動作を分析し、負荷のかかる範囲、最大負荷の位置を解説したものです。姿勢や負荷のかけ方を変えた多彩なバリエーション種目を紹介し、ひとつひとつの種目に「負荷のかかる範囲」「最大負荷の位置」を解説、筋トレの効果を最大限に得るために最適な種目選びが可能となるよう、理論と実践を紹介しています。

 筋トレは、各トレーニング種目の姿勢や負荷のかけ方を変えることで、鍛えられる部位や筋肉、トレーニング強度が変わってくるため、こうした知識は筋トレの効率を上げる上で欠かせないものと言えるでしょう。BIG3種目からフリーウエイト、自重種目、マシン種目までを網羅し、各種目の動作を写真で解説しているので、正しいポジションや動きを目で見て確認することができます。

 特長としてはやはり、紹介されている種目が類書に比べ多いことでしょう。その分、1種目当たりの解説が少なくなっているかというとそうでもなく、個人的には満足しています(あまり詳しすぎても頭に入らないのでちょうどいいくらい)。電子版が出れば、ジムなどで確認できるかと思うのですが、シリーズとして、電子版を出すことはしていないようです(図版ものなので、この先もずっと出ないかも)。

筋トレ 動き方・効かせ方パーフェクト事典図1.jpg

 2019年刊で、以前から持っていましたが、今回敢えて取り上げたのは、本書の監修者であり、"筋肉博士"として有名な、東京大学名誉教授の石井直方(いしい・なおかた)先生(1955年生まれ)が、今年['24年]8月20日に69歳で亡くなったこともあってです(ご逝去を悼みます)。東大生時代には「東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部」に所属し、1975年から関東学生パワーリフティング選手権で6連覇、1976年から全日本学生パワーリフティング選手権で2連覇、1977年に全日本学生ボディビル選手権で優勝するなど、輝かしい成績を残しています。癌を起因とする疾患が死因とのことで、ビルダーのイメージからしても、もっと長生きしてほしかったです。

谷本道哉.jpg 順天堂大学スポーツ健康科学部教授で、NHKの「みんなで筋肉体操」(今は「あさイチ」でやっている)でお馴染みの谷本道哉氏の恩師にあたる人でもありました。谷本氏はボディービルディングの専門誌で石井先生の記事を読み、「この人の元で学びたい」と東大大学院へ入るための勉強を始め、大学卒業後に就職した会社を辞め、ゴールドジムの正社員として働きながら勉強を続け、大学院の試験に合格、東大の石井直方研究室で修士と博士課程を修了しています(今年['24年]、順天堂大の先任准教授から教授になった)。

谷本道哉氏

ボディ・ビルダー入門.jpg窪田登.jpg 石井直方先生の前の時代のウェイトトレーニングの先達と言えば、早稲田大学名誉教授だった窪田登(くぼた・みのる、1930-2017/87歳)先生が思い浮かびます。いちばん最初に読んだのが窪田先生の『新ボディビル入門』('72年/スポーツ新書(ベースボール・マガジン社))で、その後、早稲田大学での体育の授業にウェイトトレーニングというのがあって、縁あって70年代後半に授業の助手のアルバイトをしたのが個人的には懐かしいです。
新ボディビル入門.jpg窪田登『新ボディビル入門 (スポーツ新書 174) 』['72年]

窪田登(くぼた・みのる、1930-2017)(「月刊ボディビルディング」1968年9月号)

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「アンチエイジング」本ではなく「死」を受け入れよという趣旨の本。

健康の分かれ道-死ねない時代に老いる.jpg「後悔しない死に方」.jpg
講演中の久坂部羊氏('24.4.10 学士会館/夕食会&講演会)講演テーマ「後悔しない死に方」
健康の分かれ道 死ねない時代に老いる (角川新書) 』['24年]

 本書では、老いれば健康の維持が難しくなるのは当然で、老いて健康を追い求めるのは、どんどん足が速くなる動物を追いかけるようなものであり、予防医学にはキリがなく、医療には限界があるとしています。その上で、絶対的な安心はないが、過剰医療を避け、穏やかな最期を迎えるためにはどうすればよいかを説いています。

 第1章では、「健康」は何かを考察してます。こここでは、健康の種類として、身体的健康、精神的健康のほかに、社会的健康や、さらには霊的健康というものを挙げているのが、個人的には興味深かったです。この健康の定義は、本書全体を通して意味深いと思います。

 第2章では、健康センターに勤めた経験もある著者が、健康診断で何が分かるのかを解説、ある意味、健康診断は健康人を病人に誘うシステムであるとしています(因みに、著者は受けていないと)。

 第3章では、メタボ検診の功罪を問うています。診断基準に対する疑問を呈し、メタボ判定を逃れる裏技として、腹式呼吸すれば息を吐いたときに腹がへこむので引っ掛からないとのこと、自分で腹を膨らませたときとへこませたときの差を測ったら13㎝あったとのことです。

 第4章では、現代の健康について解説しています。人々の健康観はメディアの力に大きく作用され、週刊誌情報を盲信する患者には医者も泣かされる一方、そうした怪しげな健康ビジネスがはびこっていると。また、日本はタバコに厳しく酒に緩いともしています。さらにがん検診にはメリットもあればデメリットもあるとしています。免疫療法は「溺れる者がすがるワラ」のようなものであるとし、PSA検査や線虫卯がん検査にも疑問を呈しています。また、認知症はその本態がまだ明らかになっておらず、近年開発されている"特効薬"も〈竹槍〉のようなものだと。

 第5章では。精神の健康とは何かを考察しています。年齢段階ごとにどのような精神的危機があるかを解説しています。また、「メンヘラ」「ヤンデレ」「インセル」といった言葉が拡がるのはレッテル貼りだと。さらに、「新型うつ」は病気なのか、また「代理ミュンヒハウゼン症候群」についても解説しています。

 第6章では、健康と老化について考察しています。老いを拒むとかえって苦しむとし、「アンチエイジング患」になり、「健康増進の落とし穴」に嵌る人の多いことを指摘し、また「ピンピンコロリ」という言葉には嘘があるとしています。さらに、誤嚥性肺炎が起きる理由を解説し、QOLの観点から最近はもう治療しないという選択もあると。生にしがみつくのは不幸で、認知症も早期に発見しない方が良かったりもするとしています。

 第7章では、健康を見失って見えるものとして、同じ難病でも心の持ちようで大差が出ることや、がんを敢えて治療しなかった医師の話、胃ろうやCVポートの問題点、現在非常に進化している人工肛門などについて解説した上で、健康にばかり気をとられていると、やるべきこでないこととしなければならないことに追われ、何のために生きているのか見失いがちになるとしています。

 第8章では、健康の「出口」としての死をどう考えるべきかを考察しています。そして、死に対して医療は無力であり、人生の残り時間をわずかでも伸ばすことに心を砕くより、有意義に使うことを考えた方が賢明であると。自分が「死の宣告」を受けたとシミュレーションしてみるのもいいし、好きなことをやって自分を甘やかすのも、死を迎える準備になるとしています。自分の人生を愛する「感謝力」「満足力」が大事であると。

 著者が「死」や「老い」について書いた本を何冊か読んできましたが、今回は「健康」という切り口でした。巷に溢れる「長生きする人がやっていること」といった「アンチエイジング」本ではなく、むしろ「死」を受け入れよという趣旨の本であり、結局最後は終章にあるように、健康の「出口」としての死というものに繋がってはいくのですが、これはこれで「死/老い」を包括するテーマであり、良かったです。

 これまで読んだものと重なる部分もあったし、体系的と言うよりエッセイ風に書かれている印象。ただし、、この著者のこの分野の本からは、知識を得ると言うより、考え方を学ぶという要素が大きいため、読み直すつもりで新刊にあたってみるのもいいかなと思いました。

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改題増補されて入手できたのは喜ばしい。それにしても、まだ観るべくして観ていない映画が多い。
映画の中の東京.jpg映画の中の東京2002.jpg 秋立ちぬ1960.jpg 「銀座化粧」1951.jpg 「赤線地帯」1960.jpg
映画の中の東京 (平凡社ライブラリー さ 8-1)』['02年]「秋立ちぬ<東宝DVD名作セレクション>」「銀座化粧 [DVD]」田中絹代 「赤線地帯 4K デジタル修復版 Blu-ray」京マチ子
東京という主役: 映画のなかの江戸・東京』['88年]
東京という主役.jpg佐藤忠男.jpg 日本映画には東京を描いた作品が多いのですが、本書は、一昨年['22年]に91歳で亡くなった映画評論家の佐藤忠男(1930-2022)が、映画における東京の風景の役割や意味、人々の暮らしぶり、監督論等を語ったもので、『東京という主役―映画のなかの江戸・東京』('88年/講談社)の改題増補版になります。
佐藤忠男(1930-2022)
東京物語111.jpg 第1章では、小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男の3人の監督の作品を取り上げていますが、まず何をもってもしても小津安二郎! 生涯に作った53本の作品の内、東京を舞台にしていない作品はせいぜい8本ぐらいしかないそうです。「東京物語」(53年)をはじめタイトルに東京という言葉がついている作品が5本あり、どの作品をとっても東京論になるといった感じ。

野良犬 1949 dvd.jpg野良犬 三船.jpg 黒澤明作品については、「野良犬」(49年)を「東京をかけめぐる映画」だとし、盛り場の描かれ方などに注目しています。そう言えば小林信彦氏が「週刊文春」のエッセイで、闇市の風景を一番忠実に描いているのは、黒澤明の「酔いどれ天使」と「野良犬」だと述べていました。

「はたらく一家」(38年).jpg 成瀬巳喜男作品では、ミルクホールを舞台にした「はたらく一家」(38年)に着眼していますが、個人的には未見。「ミルクホール」というものの起源が解説されているのが興味深かったです(ホテルニューオータニに「ミルクホール」という名のそう高くない洋食屋があって、コーヒーのみだが打ち合わせで等で50回近く利用した。また、時々利用する中伊豆・吉奈温泉にある旅館「東府やResort&Spa-Izu」にも「ミルクホール」というフリードリンクスペースがあり、数回行ったことがある)。

東府やResort&Spa-Izu「大正館」ラウンジ「ミルクホール」
東府やミルクホール.jpg

映画の中の東京  0.jpg 第2章では、江戸から東京への推移を写し出した作品を取り上げていて、山中貞雄監督の「人情紙風船」(37年)などは確かに江戸長屋をよく描いていました。「東京五人男」(46年)の熱の籠った解説がありますが、個人的にはこれも観よう観ようと思っていながらも未見。章の終わりの方では、黒澤明の「素晴らしき日曜日」(46年)や小津安二郎の「風の中の牝雞」(46年)を取り上げています。

 第3章は、山の手と下町の比較論で、下町ものとして、小津安二郎の「出来ごころ」(33年)、「東京の宿」(35年)などを挙げていますが、山の手ものと呼ばれる映画の分野はないとのこと。ナルホド。

乙女ごころ三人姉妹.jpg秋立ちぬ1960.jpg「銀座化粧」1951.jpg 第4章では盛り場の変遷を浅草・銀座・新宿の順で取り上げ、浅草だと成瀬巳喜男の「乙女ごころ三人姉妹」(35年)、ただしこれも個人的は観れていないです。銀座はこれも成瀬巳喜男の「銀座化粧」(51年)と「秋立ちぬ」(60年)を取り上げていますが、片や酒場(女給バー)が舞台で片や八百屋が舞台だけれども、場所は同じ銀座でした。吉村公三郎の「夜の蝶」(57年)を"究極の銀座讃歌"としていますが、これも観れておらず。新宿のところで取り上げられている大島ロビンソンの庭1.jpg闇のカーニバル・ゴンドラ.jpg渚の「新宿泥棒日記」(69年)も未見。山本政志監督の「闇のカーニバル」(81年)は旧ユーロスペースで観ました。伊藤智生監督の「ゴンドラ」(86年)はラストに疑問が残るとしています。山本監督の「ロビンソンの庭」(87年)は「闇のカーニバル」に続く作品ですが、白黒映画から一転して、鮮やかな緑の溢れる映像美へ(主演は今回も本業ロック歌手の太田久美子)。これを「闇のカーニバル」の"もう一つの悪夢"としています(後に芥川賞作家となる町田康や、室井滋、田口トモロヲなども出ていた)。
 
東京画toukyouga 04.jpg 第5章は、外国映画の中の東京を取り上げ、ヴィム・ヴェンダース監督(「パリ、テキサス」('84年/西独・仏))の小津安二郎へのオマージュとも言える旅日記風ドキュメンタリー映画「東京画」(85年/米・西独)について、ヴェンダースが撮った東京は、高層ビルとネオンがPERFECT DAYS2023.jpg林立する、小津の映画とは似ても似つかぬ東京であり、彼は小津の時代は遠くに過ぎ去り、日本的なものが失われたと感じたと(映画の中では、東京タワーで落ち合った友人のヴェルナー・ヘルツォーク監督(「アギーレ/神の怒り」('72年/西独)、「フィツカラルド」 (82年/西独))も同様のことを述べている)。それでもヴィム・ヴェンダース監督は、笠智衆や小津作品のカメラマン原田雄春へのインタビューを通して、二人の人柄がまさしく小津映画そのものであることを発見して満足したようだと。そのヴェンダース監督が40年後に、渋谷近辺の公演のトイレ清掃を舞台とした「PERFECT DAYS」 (23年/日・独)を撮り、第76回「カンヌ国際映画祭」で日本人2人目の男優賞を受賞した役所広司を、「私の笠智衆」と称えることになります。

赤線地帯 09.jpg 第6章では、映画における"東京名所"を場所ごとに見ていきますが、吉原(浅草)のところで、溝口健二の遺作「赤線地帯」(56年)を取り上げています。吉原で働く女性たちを描いた群像劇ですが、映画のクレジットに芝木好子「洲崎の女」とあるように、芝木好子の短編集『洲崎パラダイス』の一部を原作にして、舞台は〈洲崎〉から〈吉原〉に置き換えられています。キャラクターの描き分けがよく出来た作品でした。

「赤線地帯」
 
 最終第7章は、映画を軸とした著者の半生の振り返りで、東京から地元の新潟へ戻っての映画論文の投稿家時代から、再上京し、映画雑誌の編集者になるまでの経緯が書かれています。人生の様々場面で映画に自身を照射させていたことが窺え、自ら言う"無学歴"でありながら、映画評論の泰斗となった著者の遍歴が窺え、興味深いものでした。

 文庫解説の川本三郎氏の文章もよく、巻末に地名・人名・映画題名の各索引があるのも親切。改題増補されて手にすることができたのは喜ばしいです。それにしても、まだ観るべくして観ていない映画が多く(まったくの個人的理由で著者には責任がないが)そこがやや残念だったでしょうか。というとで、今年['24年]になって観た、ともに成瀬巳喜男監督作で、あたかも「銀座」を定点観察したような関係になる2本「秋立ちぬ」「銀座化粧」と、溝口健二の遺作となった吉原を舞台とした「赤線地帯」を以下に取り上げます。

「秋立ちぬ」
「秋立ちぬ」000.jpg
秋立ちぬ<東宝DVD名作セレクション>
秋立ちぬ3.jpg ある真夏の午後、小学校6年生の秀男(大沢健三郎)は、母・深谷茂子(乙羽信子)に連れられて呆野から上京した。父を亡くし、銀座裏に八百屋を開くおじ山田常吉(藤原釜足)の店に身を寄せるためだった。挨拶もそこそこに、母の茂子は近所の旅館へ女中として勤め、秀男は長野から持って来たカブト虫秋立ちぬ6.jpgと淋しく遊ぶのだった。そんなある日、近所のいたずらっ子に誘われて、駐車場で野球をした秀男は、監視人につかまってバットを取られてしまう。遊び場もない都会の生活に馴染めぬ秀男の友秋立ちぬ4.jpg達は、気のいい従兄の昭太郎(夏木陽介)と、小学校4年生の順子(一木双葉)だった。順子は茂子の勤めている「三島」の一人娘、母の三島直代(藤間紫)は月に2、3回やって来る浅尾(河津清三郎)の二号だった。順子の宿題を見てやった秀男は、すっかり順子と仲よしになった。山育ちの秀男は順子と一緒に海を見に行ったが、デパートの屋上から見る海は遠く霞むばかりであった。しかもその帰り道、すっかり奇麗になった母に秋立ちぬ1q-.jpg会った秀男は、その喜びもつかの間、真珠商の富岡(加東大介)といそいそと行く母の後姿をいつまでも恨めし気に見なければならなかった。その上、順子にやる約束をしたカブト虫も箱から逃げてしまっていた。秋立ちぬ 260.jpgしかも、更に悲しいことに、母が富岡と駈け落ちして行方不明になる。傷心の秀男と順子は月島の埋立地に出掛ける。そこで見つけたキチキチバッタ、しかし、これも秀男がケガをしただけで逃げられてしまう。夏休みも終りに近づいたある日、秀男の田舎のおばあさんからリンゴが届く。箱の中に偶然カブト虫も。秀男は喜び勇んで家を飛び出し、順子の家へ走るが、浅尾の都合で「三島」は商売替えし、順子はいなかった。呆然とした秀男は、カブト虫を手に、かつて順子といっしょにいったデパートの展望台の上で、秋立つ風のなかをいつまでも立ちつくしていた―。

 成瀬巳喜男監督の1960(昭和35)年公開作。出演は大沢健二郎(子役)、一木双葉(子役)、乙羽信子、藤原鎌足、賀原夏子、夏木陽介、原知佐子、藤間紫、加東大介、河津清三郎など。

秋立ちぬ5.jpg 子どもを主人公に、その眼を通して大人たちを描いた作品ですが、ちゃんと子どもの心情を中心に据えていて、個人的には、成瀬巳喜男ってこういう作品も撮ることができたのかあとちょっと意外でした。少年のひと夏の出来事が切なく描かれており、これって傑作ではないでしょうか。感動させようと過度な感情を交えるようなことはせずに、淡々と描いているのが成功しています。銀座で、八百屋が舞台というのが独特(今ではちょっと考えられない)。そこの気のいいあんちゃんを夏木陽介が好演していました。


「銀座化粧」
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銀座化粧 [DVD]
銀座化粧4.jpg 銀座のバー「ベラミ」で女給をしている津路雪子(田中絹代)は5歳になる息子の春雄(西久保好汎)と暮らしているが、昔の愛人・藤村安蔵(三島雅夫)は今でも金の無心に来る。ある日雪子は昔の仲間・佐山静江から上京してきた資産家の息子・石川京介(堀雄二)の案内役を頼まれる。相手をしているうちに雪子は石川との結婚を夢見るが、春雄の行方が突然わからなくなってしまい、石川の相手を妹分の女給・京子(香川京子)に頼んで自分は帰宅する。春雄は見つかったが、その一夜の間に京子と石川は婚約してしまっていた。諦めた雪子は今日も銀座で働くのだった―(「銀座化粧」)。

 成瀬巳喜男監督の1951(昭和26)年公開作で、出演は田中絹代、花井蘭子、香川京子、堀雄二、柳永二郎、三島雅夫、東野英治郎など。

‌銀座化粧 堀.jpg 「秋立ちぬ」と同じく銀座を舞台にしています。ただし、遡ること9年、女給バーとかちょっとレトロな感じ(一応"高級バー"ということらしい)。雪子(田中絹代)が東京案内を頼まれた、お上りさんの資産家の息子を演じていたのは、後にドラマ「七人の刑事」('64年~'69年/TBS)でキャップの赤木係長を演じる堀雄二(1922-1979)ですが、若いなあ(まあ、「忘れられた子等」('49年/新東宝)や「宗方姉妹(むねかたきょうだい)」('50年/東宝)に出ていた時はさらに若かったのだが)。

 堀雄二については、私生活において前年に次のようなエピソードがあります。仕事で京都のある旅館に泊まっていた時、後に妻となるる甲斐はるみと偶々旅館が一緒で、堀のほうが先に仕事が終わり、その晩東京都に帰る時、「食事でもしましょう」と先斗町へ連れて行き、その時から親しくなったとのこと。本作との比較で面白い話ですが、当時堀には妻子がおり「女房と別れるから結婚してくれないか」とプロポーズしたというのは本作と大違い(笑)。

銀座化粧01.jpg 田中絹代演じる雪子は、堀雄二演じる石川との結婚銀座化粧057.jpgを夢見ますが、最初から"夢"で終わるのは見えていたのではないかな(それでも夢を見るのが女性というものなのか)。ましてや、香川京子演じる若い京子(満19歳で女給役を演じた)がライバルではかなわない(かえっ銀座化粧08.jpgて諦めがついたか)。京子が、石川が一晩同じ部屋にいて何もしなかったのでますます好きになるというのは、どうなんだろう(その結果、一晩で婚約を決める)。これって当時の女性の一般的な感覚なのだろうか。現代女性だったらどうだろうか―いろいろ気を揉んでしまいました。 


「赤線地帯」
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赤線地帯 [DVD]
「赤線地帯」dvd.jpg 売春防止法案が国会で審議されている頃、吉原の「夢の里」では娼婦たちがそれぞれの事情を負って生きていた。より江(町田博子)は普通の主婦に憧れている。ハナエ(木暮実千代)は病気の夫と幼子を抱えて一家の家計を支えている。ゆめ子(三益愛子)は一人息子との同居を夢見ている。やすみ(若尾文子)は客を騙して金を貯め、仲間の娼婦に金貸しを行って更に貯金を増やしていた。不良娘のミッキー(京マチ子)も加わり「夢の里」は華やぐが、結婚したより江は夫婦生活が破綻する。ハナエの夫は将来を悲観して自殺未遂を起こす。ミッキーは自分を連れ戻しに来た父親を、女癖の悪さを責めて追い返す。ゆめ子は愛する息子に自分の仕事を否定されて発狂する。やすみは自分に貢ぐために横領した客に殺されかける。ラジオが法案の流産を伝え、行き場のない彼女たちは今日も勤めに出る。しかしやすみだけは倒産して夜逃げした元客の貸布団屋を買い取って女主人に納まった。退職したやすみに変わって、下働きのしず子(川上康子)が店に出る事になる。着物を換え、蠱惑的な化粧を施されるしず子。女たちがあからさまに男たちの袖を引く中、ためらいながら、しず子は男に誘いかける―(「赤線地帯」)。

赤線地帯 9.jpg 溝口健二監督の1951(昭和26)年公開作で、出演は若尾文子、三益愛子、町田博子、京マチ子、木暮実千代、川上康子など。

 映画の一部が芝木好子の原作とされていて、実際タイトル隅に「洲崎の女」よりと出ますが(前述の通り、映画の舞台は〈洲崎〉から〈吉原〉に置き換えられている)、これは芝木好子の短編集『洲崎パラダイス』(川島雄三監督により映画化された表題作「洲崎パラダイス 赤信号」('56年/日活)が有名)の中で唯一、遊郭の中にいる人物を描いた作品。三益愛子演じる「ゆめ子」は(原作では「登代」)は、年増女であるため思うように客が付かず、さらに上京した息子に冷たくされて赤線地帯 京2.jpg発狂しますが、原作では最初から精神を少し病んでいて(それも客がつかない原因になっている)、息子のために働いてきたのにその息子に自分の仕事を非難され(これは映画と同じ)、かつて息赤線地帯 山.jpg子を連れて空襲の中を逃げ回った記憶に囚われながら入水自殺します(映画よりさらに悲惨!)。このほかに、ミッキー(京マチ子)のような、享楽のために(?)特飲街に居続ける女性もいて、自分を連れ戻しに来た父親を、その女癖の悪さを責めて追い返しています。さらには、やすみ(若尾文子)のよう赤線地帯 やすみ.jpgに客に貢がせて、最後はその客を破綻させ、自分が代わって経営者になるといったヤリ手も。一方で、ハナエ(木暮実千代)のように、病気の夫と幼子を抱えて一家の家計を支えるために特飲街で働く女性もいて、四者四様で、群像劇でありながら、この描き分けにおいて新旧の女性像が浮き彫りにされてた、優れた映画でした(やすみ・ミッキーが「新」、ゆめ子・ハナエが「旧」ということになるか)。実は、このやすみ・ミッキーに似たタイプの女性も短編集『洲崎パラダイス』にある作品に登場するので、おそらく溝口健二はそれらも参考にしたのではないかと思われます。
 
 
 
秋立ちぬ」[Prime Video]
秋立ちぬ19602.jpg秋立ちぬ あp.jpg秋立ちぬ7.jpg「秋立ちぬ」●制作年:1960年●監督・製作:成瀬巳喜男●脚本:笠原良三●撮影:安本淳●音楽:斎藤一郎●時間:80分●出演:大沢健三郎/一木双葉/乙羽信子/藤間紫/藤原釜足/夏木陽介/原知佐子/加東大介/河津清三郎/菅井きん●公開:1960/10●配給:東宝●最初に観た場所:神保町シアター(24-05-02)(評価:★★★★☆)

銀座化粧05.jpg‌銀座化粧 ddvd.png「銀座化粧」●制作年:1951年●監督:成瀬巳喜男●製作:伊藤基彦●脚本:岸松雄●撮影:三村明●音楽:鈴木静一●原作:井上友一郎●時間:87分●出演:田中絹代/西久保好汎/花井蘭子/小杉義男/東野英治郎/津路清子/香川京子/春山葉子/明美京子/落合富子/岡龍三/堀雄二/清川玉枝/柳永二郎/三島雅夫/竹中弘正/田中春男●公開:1951/04●配給:新東宝●最初に観た場所:神保町シアター(24-05-02)(評価:★★★☆)

ロビンソンの庭1987.jpgロビンソンの庭2.jpg「ロビンソンの庭」●制作年:1987年●監督:山本政志●製作:浅井隆●脚本:山本政志/山崎幹夫●撮影:トム・ディッチロ/苧野昇●音楽:JAGATARA/吉川洋一郎/ハムザ・エル・ディン●時間:119分●出演:太田久美子/町田町蔵(町田康)/上野裕子/CHEEBO/坂本みつわ/OTO/ZABA/横山SAKEV/溝口洋/利重剛/室井滋/田トモロヲ/江戸アケミ●公開:1987/10●配給:レイライン●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(88-07-09)(評価:★★★☆)


東京画笠智衆.jpg「東京画」●制作年:1985年●製作国:アメリカ・西ドイツ●監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース●製作:クリス・ジーヴァニッヒ●撮影:エド・ラッハマン●音楽:ローリー・ペッチガンド●時間:93分●出演:ヴィム・ヴェンダース(ナレーション)/笠智衆/ヴェルナー・ヘルツォーク/厚田雄春●公開:1989/06●配給:フランス映画社(評価:★★★☆)
東京タワーで語るヴェルナー・ヘルツォーク(「アギーレ/神の怒り」('72年/西独)、「フィツカラルド」 ('82年/西独))/ヴィム・ヴェンダース(「パリ、テキサス」('84年/西独・仏)、「PERFECT DAYS」 (23年/日・独))とヴェルナー・ヘルツォークのスナップ写真(映画ではヴェンダースはナレーションのみで姿は映らない)
 東京画 ヴェンダース ヘルツォーク.jpg


赤線地帯 出演者.jpg赤線地帯00.jpg「赤線地帯」●制作年:1956年●監督:溝口健二●製作:永田雅一●脚本:成澤昌茂●撮影:宮川一夫●音楽:黛敏郎●原作:芝木好子(一部)●時間:86分●出演:若尾文子/三益愛子/町田博子/京マチ子/木暮実千代/川上康子/進藤英太郎/沢村貞子/浦辺粂子/十朱久雄/加東大介/多々良純/田中春男●公開:1956/03●配給:大映●最初に観た場所:国立映画アーカイブ(24-05-26(評価:★★★★☆)
前列左より京マチ子、溝口健二監督、後列左より町田博子、宮川一夫、若尾文子、木暮実千代、三益愛子
赤線地帯 9.jpg赤線地帯 1.jpg

京マチ子
赤線地帯ps.jpg

進藤英太郎映画祭2.jpg「進藤英太郎映画祭」中野武蔵野ホール
進藤英太郎映画祭.jpg

《読書MEMO》
●目次
第1章 東京の顔--映画監督と東京
第2章 江戸から東京へ--時代と東京
第3章 山の手と下町--東京の都市構造と性格
第4章 盛り場の変遷--浅草・銀座・新宿
第5章 アジア的大都市TOKYO--外国映画の中の東京
第6章 映画の東京名所
第7章 出会いと感激の都--私と映画と東京と


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紀行スケッチ(挿絵)集。繊細な筆で描かれた絵が「水墨画」っぽく、味わいを出している。

中国の運河01.jpg 中国の市場01.jpg 安野光雅.jpg
中国の運河: 蘇州・杭州・紹興・上海』['86年]『中国の市場: 北京・大同・洛陽・西安』['86年]安野光雅
李杜の国で.jpg中国の運河・市場.jpg 安野光雅(1926-2020)『中国の運河』と『中国の市場』は共に1986(昭和61)年に刊行された「紀行スケッチ集」とでも言うべき画集です。もともとは、清岡卓行の朝日新聞連載小説『李杜の国で』('86年/朝日新聞社)の挿絵として描かれたものになります。

中国の運河02.jpg 『中国の運河』は、サブタイトル通り、蘇州・杭州・紹興・上海を巡って、40点のスケッチを収めていますが、蘇州が12点、杭州が4点、紹興が9点、上海が8点、他に、柯橋が6点などとなっています。この「柯橋」を安野氏は「東洋のベニス」としていますが、蘇州のことをそう呼ぶ人もいて、柯橋は地名としてあまり知られていないため、サブタイトルには入れなかったのかもしれません。上海も、埃っぽい街という印象が昔からありましたが、一方で、人々は川と一緒に暮らしているのだなあと。

ふたりの人魚 dvd.jpg そう言えば、「中国第6世代」映画監督の婁燁(ロウ・イエ)の長編第3作「ふたりの人魚」 ('00年/中国・独・日本)の原題は「蘇州河」でした(舞台はロウ・イエ監督の出身地である上海)。周迅(ジョウ・シュン)演じるヒロインは、蘇州河に高所から後ろ向きで飛び込むのだったなあ(泥川で結構大きい)。

中国の運河03.jpg

 運河以外の絵も多くありますが、やはり繊細な筆で描かれた水辺の絵が「水墨画」っぽく、いい味わいを出しています("自然"と"人工"が一体化した中国っぽい感じ)。

中国の市場02.jpg 『中国の市場』の方も同様に良く、サブタイトルに北京・大同・洛陽・西安とあるように、全40点のスケッチのうち、北京の風景が20点近く、大同が10点が近くを占め、洛陽が5点ぐらい、西安が2、3点ぐらいとなっていますが、あとがきによれば北京にいたのは5日間ということで、その間に20点近くとなると、かなり精力的に描いているのだなあと思いました。

 どちらも家の屋根瓦の描き方など精緻なところは精緻ですが、『旅の絵本』シリーズのかっちりした筆致ではなく、デッサンっぽいタッチであり、これはこれでいいなあと思いました。
  
フランスの道 安野光雅.png 福音館書店から刊行されている『旅の絵本』シリーズよりは、同じ朝日新聞社から刊行されている『フランスの道』('80年)などの"「世界の旅」シリーズ"に近い筆致で(それよりさらにラフか)、スケッチイラスト付きの紀行エッセイという体裁も同じ。ただし、新聞連載小説の挿絵として描かれたものであるということもあって、安野光雅自身の文章の量は添え書き程であってそう多くなく、『フランスの道』に比べ「イラスト(スケッチ・挿絵))集」の色合いがこちらの方は濃いと思われます。

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認知症・がんなどの実態を明かした上で、どう老いればよいかを説く。

『人はどう老いるのか』2.jpg『人はどう老いるのか』.jpg
人はどう老いるのか (講談社現代新書 2724)』['23年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本で、『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)の続編・姉妹版のような位置づけでしょうか。

 第1章では、「老いの不思議世界」として、高齢者における重症度と苦悩も深さは必ずしも一致しないことや、それまで死を恐れていたのが、90歳を超えると、ここまで生きればあとどれくらい生きるか楽しみだという心境になり、「早ようお迎えがこんか」という冗談も出るようになると。ただ、その前の段階では。死にたい願望に囚われることもあるとしています。また、死ぬ準備は不愉快かもしれないが、その準備ができてなくて悔いの残る死に方をした人が多いとしており、これなどは考えさせられます。

 第2章では、認知症高齢者について述べています。認知症の種類としてアルツハイマー型などがあるとし、一方、認知症の主なタイプとして、「多幸型」「不機嫌型」などがあり、そのほかに「怒り型」「泣き型」「情緒不安定型」には困惑させられ(酔っぱらいの種類みたい)、「笑い型」は楽しく、困るのは「意地悪型」だと。また高齢者の「俳諧」は無目的なものではないとし、その抑制方法を説いています。

 著者が自身の父親の老いと死を描いた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)で、老人認知症の肉親を持った家族の苦しみは測り知れないとしながら、本自体は暗さを感じさせない楽しい作りになっていたのは、著者の父親の場会、「笑い型」だったということで腑に落ちました。

 第3章は、認知症にだけはなりたくないという人に向けて書かれていて、認知症を恐れるのは、健康な時に認知症になった自分を思い浮かべるからであって、なってしまえば、死の恐怖も無くなり、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の主人公が最後「無理解の平安」に帰還したように、知的障害も必ずしも悪くないとしています。また、脳トレは、脳の老化を遅くするかもしれないが、認知症とは無関係であるとしています(元聖マリアンナ医科大学の教授で認知症研究の第一人者だった長谷川和夫氏(2021年没)が認知症になったという例もあった)。

 第4章では、医療幻想の不幸を説いています。日本人は医療万能の幻想を抱いていて、クリニックや病院でもCTスキャンやMRIなど高価な検査機器を入れなければ患者は来ないし、検査機器を入れただけでは収益を生まないので、過剰な検査をするとのことです。

 第5章では、新しいがんの対処法について述べています。ここでは、実はがんで死ぬには良い面もあり、医者の希望する死因の第1位はがんで(前著『人はどう死ぬか』にも書かれていた)、がん検診にはメリット・デメリットがあるとしています。

 第6章は、"死"を先取りして考えるということを説いています。上手に死ぬ準備はやはり必要だということです。胃ろうやCVポートで延ばされる命は、当人にとっても家族にとっても過酷なものであると。坂本龍一氏も享年71で早すぎる死と悼まれたが、あまり死に抵抗すると、無用の苦しみを強いられる危険があり、坂本龍一氏が最後「もう逝かせてくれ」と言ったというのは、そのことに気づいたからではないかとしています。尊厳死したゴダールの例を挙げ、著者自身も尊厳死に肯定的なようです。

 第7章は、「甘い誘惑の罠」として、長生きしたいという欲望につけ込むビジネスが横行しているとしています。よく取り上げられる「スーパー元気高齢者」なども、その罠の1つであるかもしれないと。

 第8章では、これからどう老いればよいかを説いています。著者がその死生観を称え、個人的にも印象に残ったのは水木しげるの言葉で、「名前なんて一万年もすればだいたい消えてしまうものだ」というもの。だから、有名になることに努力するより、自分の人生を充実させるための努力をした方がいいと。

 実は今がいちばん幸福なのだと気づけば、これからどう老いるべきかということも考えずにすむという著者の言葉も響きました。でも、考えるべき時には考えた方がいいのだろうなあ(著者自身は"隠居"するという考えを勧めている)。

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寿命が尽きる2年前、それは「今でしょ」、というつもりで生きる。

『寿命が尽きる2年前』2.jpg『寿命が尽きる2年前』.jpg寿命が尽きる2年前 (幻冬舎新書 669)』['22年]

 2年後に死ぬとわかったら何を想うか。うろたえ、嘆き続けるわけにもいかない。たった一度の人生を終えるのに際し、もっと大事なことがあるはず。人はみな自分の寿命を生きる。そもそも寿命とは何か。「死を受け入れるのはむずかしい」と人は言うが、その達人はいるのか、楽な方法はあるのか。悔いなき人生をまっとうするには? 本書は現役の医師で作家である著者が、こうした様々な問いに答えようとした本です。

 第1章では、「寿命」とは何かを考察しています。何が寿命を決めるのかについて、「テロメア説」や「心拍数説」などあるものの、十分なエビデンスは無いとし、70代で亡くなっても「老衰」とされることがあるように、「寿命」の範囲というものは特定されていないと。確かに平均寿命は延びてはいるが、むしろ「健康寿命」が大事であるとしています。

ライフスパン.jpg 第2章では、寿命を延ばす方法というものを、伝承や疑似科学から週刊誌の特集、さらには科学的な方法から拾う一方、ベストセラーとなったハーバード大学のデビッド・シンクレア教授の『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』における「死」は「病気」であり、NMNという治療薬で克服できるという論に対しては、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかというと疑問だとし、「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、皮肉を込めて批判しています。この章では、がんや心筋梗塞、脳血管障害などの寿命を縮める病気についても解説しています。

デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]

 第3章では、寿命に逆らうことの苦しみを説いています。老いを否定するのは負け戦となり、がんを最後まで治療するのもどうかと。ただ、業界的には老化を拒絶する傾向にあり、アンチエイジングで盛り上がってしまっていると。でも実際は、無益な延命治療をはじめ寿命に逆らうのは最悪の苦しみであり、逆らわない方が楽であるとしています。

 第4章では、表題にもある「2年後の死」は予測できるかという問題を扱っています。気品的には今は元気でも2年後は分からないということですが、分わからないのはいいことだと。でも、もしいつ死ぬか分かったら、死をシミュレーションするといいと(ただし、シミュレーションしていても、実際に自分の死が迫ったら冷静でいられるかは別問題であるとも)。また、ほぼ2年後の死が分かるケースとして〈がん〉があり、その意味で〈がん〉にはいい面もあると。ただし、それは死を受け入れている場合であって、生きることに執着している人にはきついと。黒澤明の「生きる」で志村喬が演じた主人公の話や、一年以内の死を予測して62歳で亡くなった内科医・丸山理一氏の話が出てきます。丸山氏は、がんで死ぬことをむしろ歓迎すべきではないかとし、死が近づくにつて、死の恐怖も鈍くなったという文章を遺しているとのことです。

CTスキャン.jpg 第5章では、現代日本は〈心配社会〉であるとしています(世界中のCTスキャンの約30%が日本にあるという)。日本人は健康診断の数値に惑わされ過ぎであると。しかしながら、がん検診もメリット・デメリットがあり、むしろデメリットが多く、著者は受けていないと(医者で受けていない人は、一般人より比率的に高いようだ)。検診を受けても不摂生していればどうしようもないわけで、検診より大事なことは、日常で健康的な生活を送ることであると。「安心は幻想、心配は妄想」としています。

 第6章では、医療の進歩が新たな不安をもたらしているという問題を取り上げています。気楽に60歳まで生きるにと、心配しながら80歳まで生きるのとどちらがいいのか疑問だと。治療すべきせざるべきか、予防的切除すべきか否か。拡大手術か温存手術か―どちらに転んでも悩ましい選択を迫られるのが現代医療であると。インフォームドコンセントも良し悪しで、医療は新興宗教みたいになってきてしまっていると。

レニ・リーフェンシュタール.jpg 第7章では、望ましい最期の迎え方について述べています。その例として、老いへの不安よりも新たな感動を求め続けたレニ・リーフェンシュタール氏(著者がパプアニューギニアに勤務していた時、94歳の彼女に実際に会ったという)や、著者が熱烈なファンであること自認する水木しげる氏、著者が所属していた同人誌の創始者の富士正晴氏の話などが紹介されています(レニ・リーフェンシュタールについては2022年に亡くなった石原慎太郎も、曽野綾子氏との対談『死という最後の未来』('20年/幻冬舎)の中で生き方の理想としていた)。

レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)

 第8章では、寿命が尽きる2年前にするべきことは何かを述べています。要は、あらかじめある年齢を超えたら、もう十分生きたと満足するこころづもりをしておくことということになります。それまでに具体的にしたらいいこととして、絵画旅行でも豪華船の旅でもいいし、映画好きならDVDを観まくるとか、何ならホームシアターを作ってもいいと。長年世話になった人に感謝の気持ちを伝えるとか、家族と過ごす時間の増やすとか。逆に、しなくていいこと、してはいけないことは、病院通いで時間をつぶすこと、酒・タバコをやめるといった身体的節制、貯金・節約、アンチエイジングも無意味であると。

 最後に、寿命が尽きる2年前、それはいつなのか、それが分からないから問題なのだと思っていましたが、著者は、それは「今でしょ」(林修先生か(笑))と。間違っていてもそう考えることで損はないはずだと。ナルホド!そういうつもりで生きれば、密度の濃い日々を送ることができるのだと納得しました。

『人間の死に方』2014.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg『人はどう老いるのか』.jpg 個人的には、今回は再読。著者のこのテーマの本の中では最初に読んだものであり、2つ前に取り上げた『人間の死に方―医者だった父の、多くを望まない最期』('14年/幻冬舎新書)、1つ前に取り上げた『人はどう死ぬのか』('22年/講談社現代新書)など著者の他の本を遡及して読む契機にもなった本であることもあって◎評価としました(次に取り上げる「老い」について述べた『人はどう老いるのか』('23年/講談社現代新書)を含め、この辺りは全部◎にしてもいいぐらい)。


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新たな知見も得られたし、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容だった。
『人はどう死ぬのか』2.jpg『人はどう死ぬのか』.jpg
人はどう死ぬのか (講談社現代新書 2655) 』['22年]

 在宅診療委として数々の死を看取ってきた小説家・久坂部羊氏による本。

 第1章では、死の実際を見ると、医療行為として行われているものの中には、死に際して行う"儀式"のようなものもあり、そこには。死にいくつかの種類(段階)があることが関係しているとしています。

 第2章では、さまざまな死のパターンを見ています。ここでは、延命治療は要らないという人には、助かる見込みがあっても病院に行かないとする覚悟が必要で、在宅での看取りを希望していたのが、間際になって家族によって全く反対の最期になる場合もあるとしています(ただし、それで奇跡的に回復することもある)。また、死を受け入れることの効用を、著者の父親を例に、道教的な「足るを知る」という考えを引いて、説いています。

 第3章では。著者がかつて外務省の医務官として赴任した、海外各地での"死"の扱われ方を紹介しています。サウジアラビア人医師の、「死を恐れるな。アッラーが永遠の魂を保証してくれる」という言葉に、宗教がある国の日本とは彼岸の差がある強さを感じたり、パプアニューギニアの死を受け入れやすい国民性に感心したりしていますが、ウィーンで開催されていた「死の肖像展」や、医学歴史博物館の蝋人形など、死をリアルに表現したものがあるというのが興味深かったです。

 第4章では、死の恐怖とは何かについてです。日常的に死に接している医者は、死体を見ても慣れてしまい、緊張しなくなるとのことです。また、よく「死ぬ時に苦しむのはゴメンだ」と言う人ほど苦しむのが人の死だとも述べています。死は、戦うより受け入れる気持ちになった方が楽だということです。

 第5章では、死に目に会うことの意味はあまりないとしています。むしろ、安らかに死のうとしているとこころを無理に覚醒させると、本人に苦痛を与えかねないし、エンゼルケアと呼ばれる死後処置も、実際にそのために遺体がどう扱われるか。それを見ると、あまりいいとは思えないとしています。

 第6章では、メディアは不愉快なことは伝えないため知られていないが、老衰死というのも、体の全機能が低下して悲惨な最期だったりするし、「ピンピンコロリ」も、理想の死に方のように言われるが、若い時から摂生している人ほどなかなか死ねず、コロリと死ぬのは不摂生してきた人だと。言われてみれば確かにそうかも。

 第7章では、がんに関する世間の誤解を述べています。ここでは、近藤誠氏の「がんもどき理論」も紹介されていて、良性のがんは治療せずとも転移しないし、悪性のがんは治療しても治らないので、結局がん治療は意味がないという話ですが、一理あるとしながらも、現実そうはいかないとも。また「生検」ががんを転移させる可能性を危惧しています。

 第8章では、安楽死・尊厳死について、その弊害や実際に国内外で起きた事件を取り上げながらも、本人が極度の苦しみを抱き、そこから逃れられない状況にあるときは、本人の意思を大事にすべきではないかとしています。

『ネガティブ・ケイパビリティ』1.jpg 第9章では、上手な最期を迎えるにはどうすればよいかを考察し、最後に「新・老人力」という考えを推奨し、また。同じく医師兼作家の帚木蓬生氏が着眼した「ネガティブ・ケイパビリティ」という言葉を紹介するとともに、詩人・翻訳家でタオイストだった加島祥造氏の「求めない」という発句で始まる詩を紹介しています。

 読んでいて、新たな知見も得られましたが、それ以上に、死とどう向き合うかをきちんと考えさせられる内容です。やはり、作家としての筆力が大きいということでしょうか。お薦め本です。

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ドキュメントとして引き込まれ、がん・認知症などについて新たな知見もあった。

人間の死に方2.jpg人間の死に方.jpg人間の死に方 医者だった父の、多くを望まない最期 (幻冬舎新書)』['14年]

 作家であり医師でもある著者が、2013年に87歳で亡くなった父親の「死に方」を書いたもの(2014年刊)。

 著者の父親は元医師でありながら医療否定主義者で、不摂生ぶりも医者に不養生どころではなく、若い頃に糖尿病をやって、それでも血糖値も測らず甘いものを食べ続け、自らが注射するインシュリンの量を増やして自然治癒させたともこと。極めつけは、前立腺がんを宣告されて「これで長生きせんですむ!」と治癒を拒否したというスゴイ人です。

 最初は、非常に特殊なキャラクターかとも思いましたが、読んでいくうちにQOLを実践しているようにも思ええてきて、作家としての筆力あるドキュメントタッチと相俟って引き込まれました。

 著者自身、「がん」は「いい死に方」との考えであり、ポックリ死だと、本人にも周囲にも何の準備もないで亡くなるのに対し(心筋梗塞や脳梗塞だと死ぬまでに少し時間があるため、その間やり残したことを後悔することになるという)、がんなら死ぬまでに結構時間があるので、やり残したことができるといいます(87p)。ただし、がんで上手に死ぬためには、ふだんからの心構えが必要で、それなしにがん宣告を受けて死ぬとなると、おいしいものを食べても味もわからないだろうと(88p)。

 著者の父親は、最期は「認知症」気味だったようですが、認知症に関する記述も印象に残りました。著者は、認知症の患者を抱えた家族の苦労は筆舌尽くしがたい(156p)として、その実際例を挙げながらも、自分の父親が認知症のおかげで、死の恐怖や家族に迷惑をかける申し訳なさを感じなかったようだとし、認知症は確かに多くの問題を孕んでいるが、不安や恐怖を消してくれるという一面もあり、自然の恵みのようにも思えるとしています(164p)

 また、「孤独死」は暗いイメージがありますが、著者は、よけいな医療を施されない分、死の苦しみが最低限で収まるという、よい面もあるとしており(215p)、なるほどと思いました。

 さらに、親の「死に目に会う」ことに人はこだわりがちだが、家族が死に目に会えたといってもそれは捏造された死に目であって、本当は前夜に亡くなっていたものを医療で強引に死を引き延ばしたところで本人には意識はなく、むしろ意識を取り戻したら人生の最期にとんでもない苦痛を味合わせることになると。

 このように、自身の親の死に方の記録であり、それを作家的視点と医師の視点の両面から描いているのがよく、さらに、それと並行して、先述のように「がん」「認知症」「孤独死」「死に目に会う」といったイシューについて新たな見方を提供してくれました。

 父親の死までの記録としては、「自宅における療養」と言っても著者自身が医師であることによって、結果的に自宅で専門的知見にもとづく医療・介護的ケアがなされる状況となっており、一般の人にはあまり参考にならないとの見方もあるかもしれません。ただ、家系的に子どもが皆医者の親で、子らが医者として手を尽くすので、"なかなか死なせてもらえなかった"と思わる例を見聞きしたことがあり、この親子の関係はそういうのとも違っているように思いました。

 新書本ですが、作家によるものであることもあり、読み応えのある随想とも言える本でした。

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宗教人類学的観点からの入門書としてよく纏まっている。進化してきた「輪廻転生」。

輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語.jpg輪廻転生―〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語.jpg  竹倉 史人.jpg 竹倉 史人 氏

輪廻転生 〈私〉をつなぐ生まれ変わりの物語 (講談社現代新書 2333)』['15年]

 本書によれば、日本人の4割以上が「生まれ変わりはある」と思っているそうです。そんなに多いかなあ。それはともかく、本書は、世界中の人々が少なくとも2500年以上も前から様々な形で信じてきた「生まれ変わり」の思想について、"正面から考えた類を見ない入門書"だそうです。著者は"新進気鋭の研究者"とのことで、東大卒業後に予備校講師を経て東工大の大学院に入り、本書を書いた時点で博士課程在籍中とのこと。専門は宗教人類学で、現代宗教やスピリチュアリティについて考察、とりわけ「輪廻転生」に注目しているそうです。

 本書では、輪廻転生の観念を、「再生型」「輪廻型」「リインカネーション型」の3つに分けて、第1章から第3章にかけて解説しています。

 「再生型」は、世界中の民俗文化に見られるもので(現在でもエスキモーやアフリカの部族で信じられている)、多くが祖霊祭祀や呪術の実践とともに保持されてきたもので、逆に言えば、「自然法則」によって起こるものではなく、儀礼や呪術を介することが必須で、また、地縁・血縁を基盤として成立しているため、死者が自分の家族の子孫として転生する〈同族転生〉が特徴だそうです(転生に要するのは"手続き"であり、生前に徳を積んだかといった倫理的なことは、次に述べる「輪廻型」と違って関係ない)。

 「輪廻型」は、古代インドで発明された転生思想で、戒律を遵守し、瞑想やヨーガを実践することで輪廻からの「解脱」が目指されるものであり、本書では、宗教哲学書であるウパニシャッドと、仏教の開祖ブッダの教説を中心に紹介しています。「再生型」が〈循環〉であるのに対し「輪廻型」は〈流転〉であり、〈私〉は繰り返し〈私〉であり 、ただし、その〈私〉は「輪廻の主体」ではなく、「輪廻の主体」は〈私〉を織りなす〈五蘊〉と、その〈五蘊〉が織りなす〈業(カルマ)〉の方であるとのことです(個人的には、プラトンのイデア論などと似ていると思った)。

 「リインカネーション型」は、19世紀にフランスから起こったもので(19世初頭にはテーブル・ターニングなどが流行った)、「霊魂の進捗」が強調され、来世の自分を意志で決定する、自己決定主義になるようです。近代版の生まれ変わり思想であり、現代のスピリチュアリズムにも深い影響を及ぼしているとのことす(本書ではプラトンをスピリチュアリズムの先駆者としている)。

前世を記憶する子どもたち (角川文庫).jpg 第4章では「前世を記憶している子どもたち」について、米国ヴァージニア大学医学部の付属機関DOPSで行われている、子どもたちが語る「前世の記憶」が客観的事実と一致しているかという研究を中心に考察しています。そもそも、大学付属でそうした研究機関があるのが驚きですが、精神科医で「生まれ変わり現象」研究で知られ、『前世を記憶する20人の子供』『前世を記憶する子どもたち』といった著書のあるイアン・スティーヴンソン(1918-2007)が創始者で、その研究を巨額の私財で支えたのが、世界で初めてゼログラフィー(コピー機の原理である技術)の開発で巨万の富を得たチェスター・カールソン(1906-1968)だそうです(大学側を、金出してくれるならいいだろという感じか)。

前世を記憶する子どもたち (角川文庫) 』['21年]

人はなぜエセ科学に騙されるのか.jpg人はなぜエセ科学に騙されるのか2.jpg この章では、「前世を記憶する子ども」の証言も紹介されており、またそれに対する意見なども紹介されていますが、アメリカの惑星学者カール・セーガン(1934-1996)が『人はなぜエセ科学に騙さされるのか』という本の中で、「前世ついて具体的に語る幼い子供が一部におり、それは調べてみると正確であることがわかり、生まれ変わり以外では知ることができなかったはずのことである」と述べていることです。セーガンも生まれ変わりは信じていないとしており(否定派)、でも「自分の考えがも違っている可能性もある」「真面目に調べてみるだけの価値はある」としているそうです。
人はなぜエセ科学に騙されるのか 上巻 (新潮文庫 セ 1-3)』『人はなぜエセ科学に騙されるのか 下巻 (新潮文庫 セ 1-4)』['00年]['00年]

「生まれ変わり」を科学する.jpg また、この章では、、「前世を記憶する子ども」について、言語学者の大門正幸(1963- )(肯定派)の発表した資料なども紹介されています(前世を記憶している子供たちがそれを語り始めるのは平均2歳からで、自分から話さなくなるのは平均7歳までということと、過去生の死から次の誕生までは平均4年5か月。前世を記憶しているのは、非業の死を遂げた場合が多いことなど)。
「生まれ変わり」を科学する―過去生記憶から紐解く「死」「輪廻転生」そして人生の真の意味』['21年/桜の花出版]

 著者自身は、どちらか一方に立ってもう一方を非難するといった立場はとっておらず、読者には、ひとりひとりが「裁判官」となって、そうした「証拠」を吟味してほしいと述べています。何かを「証明」するのではなく、自分にとって合理的な「事実認定」をし、「腑に落とす」作業をすることを推奨しているようです。

 最後の第5章では、日本における生まれ変わりの特徴について、「再生型」「輪廻型」「リインカネーション型」の3類型すべてがあることだとしています。「循環」の概念もあれば仏教的な「輪廻」もあり、また、「リインカネーション型」もあると。ここでは、江戸時代の学者・平田篤胤が、「前世を語る少年」に興味を持って、自分の家に招いて詳しい聞いた話を記した『勝五郎再生記聞』も紹介されていて、小泉八雲によって海外に紹介され、それを知ったイアン・スティーブンソン博士によって本格的な研究が始まったことでも知られる事例です。

 個人的には、主体としての「私」の死後の再生には否定的な立場ですが、本書はそもそも「肯定・否定」を論じようとするものではありませんでした。「輪廻転生」についての宗教(文化)人類学の観点からの入門書としてよく纏まっており、「輪廻転生」の考え方が"進化"してきていることが読み取れて興味深かったです。

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「STAP細胞」問題に偏り過ぎ。あれは"オカルト"ではなく単なる"不正"ではないか。

反オカルト論図1.jpg反オカルト論 (光文社新書) 』['16年] 「STAP細胞」事件.jpg

 占い、霊感商法に死後の世界...科学が発達した21世紀でさえ、「オカルト」は多様な姿で生き続けている。この「罠」に、大学生や社会的エリート、学問に携わる専門家でさえも陥ってしまうのはなぜか。現代社会にはびこる欺瞞に囚われないための科学的思考法を、わかりやすい対話方式で取り上げる―といういのが、版元の口上(実際、教授と助手の会話形式になっていて読みやすい)。

生まれ変わりを科学する.jpg 「週刊新潮」の連載がベースになっていますが、連載中には、「幸福の科学」がら、著者の大学に押しかける、職員に「抗議書」を手渡す、役職者に「面会依頼」を郵送する、ネットで名誉を毀損する等の「嫌がらせ」を受けたり、スピリチュアリズムの大家(?)大門正幸氏から「週刊新潮」宛てに抗議メールが届いて、それに対してネット上で反論したりと、いろいろあったようです。

「生まれ変わり」を科学する―過去生記憶から紐解く「死」「輪廻転生」そして人生の真の意味』['21年/桜の花出版]

 第1章は、大門正幸氏との論争(実際には大門氏は著者の議論に応えていないが)のネタの1つとなった、スピリチュアリズムの起源とされるフォックス姉妹の所業が実はイタズラで、後に彼女らもそれを認めているという話から始まり(大門氏はその"所業"を霊が存在することの証しとして自著で引用し、彼女たちが実はイタズラだったと告白したことには触れていない)、ちょっと期待しました。

小保方.jpg ところが、第2章に入って、なぜ人は妄信するのかということを論じるにあたって、「STAP細胞」事件に触れたと思ったら、どんどんそちらの方に行ってしまいました(連載が「STAP細胞」問題の発覚と時期的に近かったこともあるのかもしれないが)。確かに「人はなぜ騙されるのか」、という観点からすれば、プロセスにおいて繋がってくるのかもしれませんが、「STAP細胞」の事件そのものは"オカルト"と言うより"捏造"であり、単純に"不正"であるということの問題ではないでしょうか。いまだに当事者である女性研究者を信じている人はいるようなので("頑張れ!"的な取り巻き応援団は結構いるようだ)、完全には終っていない問題ではあるのでしょうが。

 著者には『新書100冊』('23年/光文社新書)や『天才の光と影―ノーベル賞受賞者23人の狂気』('24年/PHP研究所)といった著書があることから、もう少し広い観点からの「反オカルト論」を期待しましたが、「STAP細胞」問題に偏り過ぎで、その点は期待外れでした。著者の言っていること自体は間違っているわけではありません。ただ、オカルトに関する議論になっていないということです。

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モダンな画風で一世を風靡した画家・蕗谷虹児の画集。

蕗谷虹児 愛の抒情画集.jpg蕗谷虹児 増補改訂版.jpg蕗谷虹児 (らんぷの本 旧).jpg 蕗谷虹児 (らんぷの本 新).jpg
蕗谷虹児: 思い出の名作絵本 (らんぷの本) 』['01年]『蕗谷虹児 (らんぷの本)』['13年]
蕗谷虹児 増補改訂版 (らんぷの本)』['07年]
別冊太陽 蕗谷虹児 愛の抒情画集』['96年]

蕗谷虹児 愛の抒情画集1.jpg 蕗谷虹児 愛の抒情画集2.jpgモダンな画風で一世を風靡した蕗谷虹児(ふきや・こうじ、1898-1979)。「別冊太陽」の『蕗谷虹児 愛の抒情画集』は、大判での作品が鑑賞できて良かったです。この頃の「別冊太陽」は解説が少なくて、「愛の抒情画集」の名の通りほとんど「画集」という感じなのですが、この場合、それが却って良かったりします。「絵本名画館」というシリーズの一冊ですが、絵本に限らず、蕗谷虹児の作品を広く取り上げています。

蕗谷虹児 増補改訂版 (らんぷの本)1.jpg 「らんぷの本」の『蕗谷虹児 増補改訂版』は、同じく「らんぷの本」の『蕗谷虹児: 思い出の名作絵本』('21年)の増補版です(この後、新版『蕗谷虹児』('13年)が刊行されている)。雑誌「令女界」に表紙絵を描いていた時代のものや、詩画、パリ時代の作品、デザイナーっぽいものから絵本まで、テーマごとに作品を括って、解説を入れながら(解説はこちらの方が充実している)紹介しています(因みに表紙はどとらも「令女界」の表紙絵よりとっている)。
  
蕗谷虹児 増補改訂版 (らんぷの本)2.jpg ともに最後に蕗谷虹児の生涯についての詳しい記述があり、「別冊太陽」の方は詩人の花村奨(1911-1992)が二段組で9ページ、「らんぷの本」は磯辺勝氏(この人は元美術雑誌の編集者だった)が14ページ書いていて、これらを読むと蕗谷虹児という人がぐっと身近に感じられるようになるのでお奨めです。

蕗谷虹児 (.jpg 若い頃は樺太を漂浪したりしてかなり苦労したようですが、一方で才能を早くから開花させて(23歳の時に本郷・富士屋ホテルに竹久夢二を訪ねている)、やがて「抒情画」の旗手と呼ばれるようになり、26歳で渡仏、パリでは藤田嗣治らとも交流、日本に置いてきた長男が病没する悲劇に遭いながらも(最初の妻りんとは彼女が17歳の時に結婚)、パリで次男が生まれ、藤田嗣治から青瓊(せいぬ)という名を付けてもらったそうです。

蕗谷虹児 (らんぷの本・太陽).jpg ただし、虹児の絵は渡仏前から完成されていて、パリに行ったからといって大きく変わっていないようにも思えます(デビュー直後はアール・ヌーヴォーやビアズリーを思わせる作品を多く描いている)。一方で、パリ留学によってアール・デコを取り入れ、その画風がますます洗練されていったとの見方もあるようです。でもこれも、画風が大きく変わったということではないようです。
   
 「らんぷの本」の方は、巻頭に作家の津村節子氏が「私の蕗谷虹児」という一文を寄せているほか、巻末に、虹児が離婚後に再婚した妻・龍子(りょうこ蕗谷虹児記念館」.jpg、こちらも当時17歳)との間の子(三男)にあたり、虹児の郷里・新潟の新発田市の「蕗谷虹児記念館」(左写真)の名誉館長でもある蕗谷龍生氏が、"パパ"についての文章を寄せています(虹児は晩年は孫にも恵まれ、穏やかな余生だったようだ)。

蕗谷虹児 愛の抒情画集 アニメ.jpg ちょっと物足りないと思ったのは、1956(昭和31) 年、日本初の本格的アニメーションスタジオ「東映動画 (東映アニメーション)」の設立に際して虹児も招聘され、アニメーション映画「夢見童子」('58年)を監督(演出・原画・構成)していることについて、「別冊太陽」の方で作品だけ紹介するにとどまっていること。監督業だけでなく宣伝広告のデザイン、映画テーマ曲の作詞まで、一人何役も担当し、このマルチなプロデュース・スタイルは、後の宮崎駿のスタイルの先駆けとなり、高畑勲ら若いスタッフ達から「蕗谷先生」と呼ばれていたのですが、この辺りの後継者への影響が伝わってこないのが残念。「別冊太陽」は刊行が早すぎ、「らんぷの本」はページ数の関係か。

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個人的な思い出の記録でありながらも、記録・資料データが充実していた(貴重!)。

ミニシアター再訪.jpgミニシアター再訪〈リヴィジテッド〉.jpgミニシアター再訪〈リヴィジテッド〉2.jpg
ミニシアター再訪〈リヴィジテッド〉: 都市と映画の物語 1980-2023 』['24年]

 1980年代初頭に大きく花開いた「ミニシアター」を、同時代を並走してきた映画評論家が、劇場や配給会社など当時の関係者たちの証言を集め、彼らの情熱と映画への愛、数々の名画の記憶とともに、都市と映画の「物語」を辿ったもので、取材がしっかりしいて(映画買い付け時のエピソードなどがあり興味深い)、情報面でも充実していました。

「シネマスクエアとうきゅう」.jpg 第1章のミニシアターというものが未知数だった「80年代」のトップは新宿「シネマスクエアとうきゅう」(81年12月、歌舞伎町「東急ミラノビル」3Fにオープン)。企業系ミニシアターの第1号で、1席7万円の椅子が売り物でした。柳町光男のインディペンデント作品「さらば愛しき大地」(82)が成功を収め10週上映、自分もここで観ました。さらにフランソワ・トリュフォー監督の隣家同士に住む男女の情愛を描いた、彼が敬愛したヒッチコックの影響が強い作品「隣の女」(81)が82年に12週上映(個人的には「五反田TOEIシネマ」のフランソワ・トリュフォー監督特集で、映画撮影の裏側を製作の進行と作製中の映画のストーリーをシンクロさせて描き、さらにその映画の監督役をトリュフォーが自ら演じるという3重構造映画「アメリカの夜」(73)(「アカデミー外国語映画賞」受賞作)、「隣の女」の前年作で、同じくジェラール・ドパルデューが出ていて、こちらはカトリーヌ・ドヌーヴと共演した「終電車」(80)と併せて観た)、ショーン。コネリー主演の「薔薇の名前」(87)「シネマスクエアとうきゅう」8.jpgが16週上映(コピーは"中世は壮大なミステリー"。教養映画風だが実はエンタメ映画)、今で言うストーカーが主人公で、買い手がつかなかったのを買い取ったというパトリス・ルコントの「仕立て屋の恋」(89)が92年に16週上映、「青いパパイヤの香り」(93)が94年に14週上映だったと。個人的には、初期の頃にここで観た作品としては、本書にもある、カメラマン出身で「ベニスに死す」の監督ニコラス・ローグが、またもベニスを舞台に撮ったオカルト風サスペンの"幻の傑作"(本書。おそらく製作から本邦公開まで10年かかったからだろう)「赤い影」(74)(原作は「鳥」「レベッカ」などで知られるダフネ・デュ・モーリア)や、ケン・ラッセルの作曲家グスタフ・マーラーを題材にした「マーラー」(74)(この作品も製作から本邦公開まで10年以上の間がある。伝記映画だが内容はかなり恣意的解釈?)、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーのゲイ・ムービー「ファスビンダーのケレル」(82)(男色作家ジャン・ジュネの長編小説「ブレストの乱暴者」を、30歳代で他界したドイツの若手監督ファスビンダーが映画化した遺作。ヴェルナー・シュレーターやベルナルド・ベルトリッチもこの作品の映画化を企画したが実現しなかったという難解作で、個人的にも評価不能な面があった)などがあります。

「俳優座シネマテン」.jpg 六本木「俳優座シネマテン」(81年3月、「俳優座劇場」内にオープン)の「テン」は夜10時から映画上映するためだけでなく、ブレイク・エドワーズのコメディ「テン」(79)から「俳優座シネマテン」8.jpgとったとのこと。トリュフォーの、フランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーの次女アデルの狂気的な恋の情念を描いた「アデルの恋の物語」(75)はここでした。ルキノ・ヴィスコンティが看板監督で、「地獄に堕ちた勇者ども」(69)や「ベニスに死す」(79)のリバイバルもここでやり、ビデオが普及していない時代だったために成功、さらに「カッコーの巣の上で」(75)のリバイバルも。精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みる物語でした(ニコルソンが初めてオスカーを手にした作品。冷酷な婦長を演じたルイーズ・フレッチャーも主演女優賞を受賞)。同じ六本木で2年遅れて開館したシネ・ヴィヴァンがダニエル・シュミットの「ラ・パロマ」をかけたのに対し、こちらはファッショナブルで官能的な「ヘカテ」(82)を上映、そして、この劇場の最大のヒットとなったのが、ジェームズ・アイヴォリーの「眺めのいい部屋」(86)で、87年に10週間のロングランになったとのことです。個人的には、ニキータ・ミハルコフのソ連版西部劇(?)「光と影のバラード」(74)やゴンザロ・スアレスの「幻の城/バイロンとシェリー」(88)などもここで観ました。

「パルコ・スペース・パート3」.jpg 81年オープンのもう1館は、渋谷「パルコ・スペース・パート3」。ヴィスコンティの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(43)(ヴィスコンティの処女作。原作はアメリカのハードボイルド作家ジェームズ・M・ケイン。映画での舞台は北イタリア、ポー河沿いのドライブイン・レストランに。ファシスト政権下でオールロケ撮影を敢行した作品)、「若者のすべて」(60)、「イノセント」(76)などの上映で人気を博し、「若者のすべて」は九州から飛「パルコ・スペース・パート3」8.jpg行機でやってきて、ホテルに泊まり1週間通い詰めた人もいたとのこと。カルトムービーとインディーズのメッカでもあり、日本では長年オクラだった「ピンク・フラミンゴ」(72)は、86年に初めてここで正式上映されたとのこと、個人的には84年に「アートシアター新宿」で観ていましたが、その内容は正直、個人的理解を超えていました。99年に映画常設館「CINE QUINTO(シネクイント)」となり、これは第2章で「シネクイント」として取り上げられています。個人的には、初期の頃観た作品では、フランスの女流監督コリーヌ・セローの「彼女と彼たち-なぜ、いけないの-」(77)、チェコスロバキアのカレル・スミーチェクの「少女・少女たち」(79)、台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「坊やの人形」(83)、スイスのブルーノ・モールの「わが人生」(83)、韓国の李長鍋(イー・チャンホー)の「寡婦の舞」(84)、ニュージーランドのビンセント・ウォードの「ビジル」(84)などがあります(これだけでも国が多彩)。「彼女と彼たち」は、男2人女1人の3人組で、女が唯一の稼ぎ手で、男が家事を担当し、3人で一つのベッドに眠るというややアブノーマルな生活を、繊細な演出でごく自然に描いてみせた、パルコらしい上映作品であり佳作、「寡婦の舞」は、東京国際映画祭の一環としてパルコで上映された韓国映画で、生活苦など諸々の不幸から"踊る宗教"へ傾倒する未亡人を中心に、韓国の日常をユーモラスに描いた作品、「ビジル」は、ニュージーランドの辺境に両親・祖父と暮らす少女の無垢な感受性をナイーブな映像表現で伝えた作品でした(佳作だが、やや地味か)。

「シネヴィヴァン六本木」.jpg 「シネヴィヴァン六本木」(83年11月「WAVEビル」地下1階にオープン)は、オープン2本目でゴッドフリー・レジオ監督の「コヤニスカッティ」(82)を上映、アメリカの大都市やモニュメントバレーなどを映したイメージビデオ風ドキュメンタリー。コヤニスカッティとはホピ族の言葉で「平衡を失った世界」。延々と続いた早回しシーンがスローモーションに転じた途端に眠気に襲われました。アンドレイ・タルコフスキー監督の「ノスタルジア」(83)が84年に7週間上映、ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」(73)が製作から12年遅れの上映で、12週間上映のヒットに。フレディ・M・ムーラー「シネヴィヴァン六本木」8.jpg監督の「山の焚火」(85)も86年に7週間上映されたとのことで、個人的にもここで観ました。さらに、エリック・ロメール監督の「満月の夜」(84)(ユーロスペース配給)や「緑の光線」(86)(シネセゾン配給)など一連の作品の上映も注目を集めたとのことです。個人的には、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「童年往時-時の流れ-」(89)、ベルナルド・ベルトリッチの「暗殺の森」(70)、ピーター・グリーナウェイの「数に溺れて 悦楽の夫殺しゲーム」(88)などもここで観ました。ベルトリッチの「暗殺の森」は、「暗殺のオペラ」とほぼ同時期に作られましたが、日本での公開はこちらの方が先で、六本木シネヴィヴァンでの上映は「リバイバル上映」です。

「ユーロスペース」.jpg 「ユーロスペース」(82年、渋谷駅南口桜丘町「東武富士ビル」2Fにオープン)は、85年6月のデヴィッド・クローネンバーグ監督の「ヴィデオドローム」(82)の上映から映画だけ上映する常設館になったとのこと(その前から、キートンの映画などをよくここで観た。欧日協会の旅行代理店が入っていた)、並行してレイトショー公開されたルネ・ラルー監督の「ファンタスティック・プラネット」(73)もヒットし、クローネンバーグ監督が続いて撮ったが行き場を失っていたスティ「ユーロスペース」8.jpgーヴン・キング原作の「デッドゾーン」(83)もここで上映され、1か月強の限定公開にもかかわらず8000人を動員、個人的にも85年の6月と7月に、ここでそれぞれ「ヴィデオドローム」と「デッドゾーン」を観ました。でも何と言ってもこの劇場の名を世間に知らしめたのは、原一男の「ゆきゆきて、神軍」(87)で、26週間の記録的なロングランに。張藝謀(チャン・イーモウ)監督のデビュー作「紅いコーリャン」(87)を観たのもここでした。山口百恵の「赤い疑惑」が中国で大ヒットし、コン・リーが中国の"山口百恵"と呼ばれていた頃です。ここではそのほかに、本書でも紹介されている山本政志監督の「闇のカーニバル」(81)(「ロビンソンの庭」(87)の山本政志監督が高い評価を受けるきっかけとなったモノクロ16ミリの意欲作。子どもを男友達に預けて、夜の新宿をトリップする女性ロック歌手を演じた太田久美子は、本業もロック歌手。「ロビンソンの庭」の原点的なパアフル作品で、個人的にはユーロスペースでの5年後の再上映の際も観に行った)や「バグダッド・カフェ」(87)、奴隷狩りから逃れ、地球に不時着した異星人"ブラザー"がNYに辿り着くというところから話が始まる、ジョン・セイルズの「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」(84)などもここでした(ジョン・セイルズ監督自身が異星人を追う賞金稼ぎの異星人(白人に化けている)の1人の役で出演している)。

「シャンテ・シネ」.jpg 「シャンテ・シネ」(87年、日比谷映画跡地にオープン)は、今の「シャンテ・シネ」6.jpg「TOHOシネマズ シャンテ」。ここの大ヒット作は何と言っても88年公開の「ベルリン・天使の詩」(87)で、30週のロングランという単館ロード全体の記録を打ち立てたとのこと(動員数は16.6万人)。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の「悲情城市」(89)は90年に17週間上映され、シャンテの歴代興行第11位、ジム・ジャームッシュの「ナイト・オン・ザ・プラネット」(91)は92年に21週のロングランで歴代興行第4位、ジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」(93)は、公開30周年記念の4K版を今年[24年]ここで観ました。「ドゥ・ザ・ライト・シング」(89)も興行的に成功し、「日の名残り」(93)は94年に17週間上映で歴代興行第6位と、これもまた人気を呼んだとのことです。でも、2018年に東京ミッドタウン日比谷がオープンしてからここって「TOHOシネマズ日比谷」の付帯映画施設みたいなイメージになってるなあ、名称も「TOHOシネマズシャンテ」であるし。

「シネスイッチ銀座」.jpg 「シネスイッチ銀座」(87年にオープン)は、個人的には前身の「銀座文化劇場・銀座ニュー文化」さらに「銀座文化1・2」の頃から利用していましたが、"シネスイッチ"は、洋画と邦画の2チャンネルを持つという意味でのネーミングだそうで、ジェームズ・アイヴォリーの「モーリス」(87)や滝田洋二郎の「木村家の人々」(88)はここでした。「モーリス」は88年に15週のロングランを記録したそうですが、シネスイッチ銀座の歴代興行の金字塔は「ニュー・シネマ・パラダイス」(88)で、都内では1館だけ(東京に限って言えば"単館")で40週上映(観客動員26万人)、この記録はミニシアターの歴史上で破られていないとのことです。個人的には「運動靴と赤い金魚」(97)などもここで見ました。実は、地下1階の「銀座文化」が「シネスイッチ銀座」になったとき、3階の「銀座文化2」は「銀座文化劇場」の名に戻っていて(97年4月に「シネスイッチ銀座1・2」としてリニューアルするまで)、主に古い洋画のリバイバル上映をしていました。個人的には、例えば88年だけでも「サンセット大通り」(50)、「ヘッドライト」(56)、「避暑地の出来事」(59)、「酒とバラの日々」(62)、「シャレード」(63)をここで観ていますが、当時の館名に沿えば、「シネスイッチ」ではなく「銀座文化劇場」で観たことになります。「避暑地の出来事」は、マックス・スタイナー作曲のテーマ音楽をパーシー・フェイスがカバーし発売された「夏の日の恋(Theme from A Summer Place)」が有名、「酒とバラの日々」と「シャレード」はヘンリー・マンシーニの音楽で知られています。

「シネマライズ」.jpg 第2章のブームの到来の「90年代」のトップは渋谷「シネマライズ」(86年6月、渋谷 スペイン坂上「ライズビル」地下1階にオープン)。劇場の認知度を上げたのは86年7月公開のトニー・リチャードソンの「ホテル・ニューハンプシャー」(84)で、89年には「バグダッド・カフェ」(87)、93年には「レザボア・ドッグス」(92)がかっています。「レザボア・ドッグス」は公開当時は大コケだったそうです。「バグダッド・カフェ」は地下1階で観ましたが、「レザボア・ドッグス」はビデオで観て(ミニシアターブームの到来とビデオの普及時期が重なる)、最近、映画館(早稲田松竹)で観直しました。96年に、2階の劇場(元渋谷ピカデリー)もオープンし、オープニング作品は、エミール・クストリッツァ監督がカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞した快作(怪作?)「アンダーグラウンド」(95)。その後、ウォン・カーウァイの「ブエノスアイレス」(97)が26週上映、ジャン=ピエール・ジュネの「アメリ」(01)は35週上映で、シネマライズの歴代ナンバーワン興行収入作品となりました。さらには、ソフィア・コッポラ「ロスト・イン・トランスレーション」(03)(17週上映)、アン・リー「ブロークバック・マウンテン」(05)(15週上映)なども。第3章の方で出てきますが、「ロッキー・ホラー・ショー」(75)を80年代に本来の「観客体験型」ムービーとしてリバイバル上映したのもシネマライズでした(地下1階で、上映中結婚式の場面でライスシャワー、雨の場面で水シャワーがかけられた。あれ、あとの掃除が大変だったろうなあ)。

「シネセゾン渋谷」.jpg「シネセゾン渋谷」2.jpg 2011年に閉館した「シネセゾン渋谷」 (85年11月、渋谷道玄坂「ザ・プライム渋谷」6Fにオープン)はリバイバル上映に個性があり、市川崑の「黒い十人の女」(61)をレイトショーで97年11月から13週上映、その前、92年には、リュック・ベッソンの「グラン・ブルー」(88)(88年に英語版で上映された「グレート・ブルー」に48分の未公開シーン(変な日本人ダイビング・チームとかも出てくる)を加えて再編集した168分のフランス語版)が独占公開され、ヒットしています。

 「ル・シネマ」.jpg 「ル・シネマ」(89年9月、渋谷道玄坂・Bunkamura6階にオープン)の方は東急系で、92年にかけられたジャック・リヴェット監督(原作はバルザック)のフランス映画「美しき諍い女」(91)に代表されるヨーロッパ系の映画が強い劇場ですが、アジア系も強く、陳凱歌(チェン・カイコー)の「さらば、わが愛/覇王別姫」(93)を94年に26週上映、陳凱歌(チェン・カイコー)監督、レスリー・チャン、コン・リー 「ル・シネマ」5.jpg主演の「花の影」(96)も17週上映、今世紀に入ってからは、張藝謀(チャン・イーモウ)監督、チャン・ツィイー主演の「初恋のきた道」(99)を00年末から24週上映(歴代5位)していますが、個人的いちばんは、ウォン・カーウァイ監督の「花様年華」(00)です。ウォン・カーウァイ監督作は「ブエノスアイレス」などがシネマライズで上映されていましたが、「花様年華」は女性層狙いだったので、シネマライズから回ってきたそうです。近年では、休館前に濱口竜介監督の一連の作品を観ました。

「恵比寿ガーデンシネマ」.jpg 「恵比寿ガーデンシネマ」(94年10月、恵比寿ガーデンテラス弐番館内にオープン)は、ポール・オースター原作、ウェイン・ワン監督の、ニューヨークのタバコ屋の人間模様を描いた「スモーク」(95)のような渋い作品をやっていました。個人的には、ロイ・アンダーソンの「散歩する惑星」(00年)などをここで見観ました。本書にもある通り、11年1月28日をもって休館し、15年3月、今度はサッポロビールとユナイテッドシネマの共同経営で「YEBISU GARDEN CINEMA」として再オープンしています。

「岩波ホール」.jpg 第2章の最後は、「岩波ホール」(68年オープン、74年から映画常設館に)。サタジット・レイ「大樹のうた」(59)が本格オープン作で、ATGの「大河のうた」の興行成績が厳しく、次作上映ができなかったところへ、高野悦子総支配人が手をさしのべ、7「岩波ホール」16.jpg4年2月にロードショー。4週間後にホールは満席になったといいます(因みに、サタジット・レイの「大地のうた三部作」のうち「大河のうた」は結末がハッピーエンドでないため、インドでも興行上は振るわなかった)。その後も、75年にルネ・クレールの「そして誰もいなくなった」(45)、衣笠貞之助の「狂った一頁」(26)、76年に「フェリーニの道化師」(70)、77年にアンドレイ・タルコフスキーの「惑星ソラリス」(72)、78年にゲオルギー・シェンゲラーヤの「ピロスマニ」(69)などの上映がありましたが、78年から79年にかけてルキノ・ヴィスコンティの「家族の肖像」 (74)を上映したら10週間超満員が続く盛況ぶりだったとのこと(岩波ホールといえばコレという感じか)。79年にエルマンノ・オルミの「木靴の樹」(78)(北イタリアの貧しい農村の生活をエピソードを重ねながら丹念に描く、ネオレアリズモの継承者と呼ばれるにふさわしい佳作。カンヌ映画祭パルムドール受賞作)や、テオ・アンゲロプロスの「旅芸人の記録」(75)が上映され、80年にはヴィスコンティ の「ルートヴィヒ/神々の黄昏」(72)が。歴代興行第1位は、98年に封切られたメイベル・チャンの「宋家の三姉妹」(97)(高野悦子も三姉妹でこの作品にひかれたのではとのこと)、岩波ホール創立30周年記念作品でもあり、31週上映だったそうです(アンコール上映も併せると45週、18.7万人を動員)。アンジェイ・ワイダの「大理石の男」(77)(ワイダは初期作品の方がインパクトがあった)など、社会的テーマの作人も多く上映されました。個人的には、カール・テオドア・ドライヤー監督の「奇跡」(56)やジュールス・ダッシン監督の「女の叫び」(78)(「日曜日はダメよ」のメリナ・メルクーリと「アリスの恋」のエレン・バースティンの演技派女優の競演はバーンスティンに軍配を上げたい)、アンドレイ・タルコフスキーの「」(80)をここで観ましたが、ルキノ・ヴィスコンティ監督(アルベール・カミュ原作)の「異邦人」は、「岩波シネサロン」(岩波ホール9F)で観ました。

2022年2月7日朝日新聞デジタル「ミニシアターの道、開いた岩波ホール 54年の歴史、7月に幕 コロナ影響」
岩波ホール 54年の歴史.jpg

 第3章は変化する「2000年代」で、このあたりから映画観ごとより全体の流れを追っていく感じで、その中で「ミニシアター最後の日」として、13年の銀座テアトルシネマ、14年の吉祥寺バウスシアター、16年のシネマライズの最後の日を取材したものを載せています。銀座テアトルシネマは伝説的な映画館テアトル東京の跡地に87年オープン、吉祥寺バウスシアターは84年に前身の武蔵野映画劇場(吉祥寺ムサシノ)がアート系映画館に生まれ変わったものでした。86年オープンのシネマライズもそうですが、いずれも30年前後の歴史があり、その閉館は寂しいものです。ただし、今後のミニシアターの展望も含め、著者の12年間もの長期に及ぶ取材がしっかり纏められており、懐かしさを掻き立てられるだけでなく、資料としても第一級のものになっていると思います。

 
フランソワ・トリュフォー「隣の女」.jpg隣の女 .jpg「隣の女」●原題:LA FEMME DA'COTE(英:THE WOMAN NEXT DOOR)●制作年:1981年●制作国:フランス●監督:フランソワ・トリュフォー●製作:フランソワ・トリュフォー/シュザンヌ・シフマン●脚本:フランソワ・トリュフォー/シュザンヌ・シフマン/ジャン・オーレル●撮影:ウィリアム・ルプシャンスキー●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●時間:107分●出演:ジェラール・ドパルデュー/ファニー・アルダン/アンリ・ガルサン/ミシェル・ボートガルトネル/ヴェロニク・シルヴェール/ロジェ・ファン・ホール/オリヴィエ・ベッカール●日本公開:1982/12●配給:東映ユニバースフィルム●最初に観た場所:五反田TOEIシネマ(83-10-01)(評価:★★★)●併映:「アメリカの夜」(フランソワ・トリュフォー)/「終電車」(フランソワ・トリュフォー)

「アメリカの夜 1973.jpg「アメリカの夜 01.jpg「アメリカの夜(映画に愛をこめて アメリカの夜)」●原題:LA NUIT AMERICAINE(英:DAY FOR NIGHT)●制作年:1973年●制作国:フランス●監督・脚本:フランソワ・トリュフォー●製作:マルセル・ベルベール●撮影:ピエール=ウィリアム・グレン●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●時間:115分●出演:ジャクリーン・ビセット/ヴァレンティナ・コルテーゼ/ジャン=ピエール・オーモン/ジャン=ピエール・レオ/アレクサンドラ・スチュワルト/フランソワ・トリュフォー/ジャン・シャンピオン/ナタリー・バイ/ダニ/ベルナール・メネズ●日本公開:1974/09●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:五反田TOEIシネマ(83-10-01)(評価:★★★☆)●併映:「隣の女」(フランソワ・トリュフォー)/「終電車」(フランソワ・トリュフォー)

「終電車 1980.jpg「終電車 00.jpg「終電車」●原題:LE DERNIER METRO(英:THE LAST METRO)●制作年:1980年●制作国:フランス●監督:フランソワ・トリュフォー●製作:マルセル・ベルベール●脚本:フランソワ・トリュフォー/シュザンヌ・シフマン●撮影:ネストール・アルメンドロス●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●時間:134分●出演:カトリーヌ・ドヌーヴ/ジェラール・ドパルデュー/ジャン・ポワレ/ハインツ・ベネント/サビーヌ・オードパン/ジャン=ルイ・リシャール/アンドレア・フェレオル/モーリス・リッシュ/ポーレット・デュボスト/マルセル・ベルベール●日本公開:1982/04●配給:東宝東和●最初に観た場所:五反田TOEIシネマ(83-10-01)(評価:★★★)●併映:「アメリカの夜」(フランソワ・トリュフォー)/「終電車」(フランソワ・トリュフォー)

「薔薇の名前」.jpg薔薇の名前 c.jpg「薔薇の名前」●原題:LE NOM DE LA ROSE●制作年:1986年●制作国:フランス・イタリア・西ドイツ●監督:ジャン=ジャック・アノー●製作:ベルント・アイヒンガー●脚本:アンドリュー・バーキン●撮影:トニーノ・デリ・コリ●音楽:ジェームズ・ホーナー●原作:ウンベルト・エーコ●時間:132分●出演:ショーン・コネリー/クリスチャン・スレーター/F・マーリー・エイブラハム/ロン・パールマン/フェオドール・シャリアピン・ジュニア/エリヤ・バスキン/ヴォルカー・プレクテル/ミシェル・ロンスダール/ヴァレンティナ・ヴァルガス●日本公開:1987/12●配給:ヘラルド・エース●最初に観た場所(再見):新宿武蔵野館(23-04-18)(評価:★★★)

赤い影1973.jpg赤い影[.jpg「赤い影」●原題:DON'T LOOK NOW●制作年:1973年●制作国:イギリス・イタリア●監督: ニコラス・ローグ●製作:ピーター・カーツ●脚本:アラン・スコット/クリス・ブライアント●撮影:アンソニー・B・リッチモンド●音楽:ピノ・ドナッジオ●原作:ダフニ・デュ・モーリエ「いまは見てはだめ」●時間:110分●出演:ドナルド・サザーランドジュリー・クリスティ「赤い影」サザーランド・クリスティ.jpg/ヒラリー・メイソン/クレリア・マタニア/マッシモ・セラート/レナート・スカルパ/ジョルジョ・トレスティーニ/レオポルド・トリエステ●日本公開:1983/08●配給:ヘラルド・エース●最初に観た場所:新宿・シネマスクエアとうきゅう(83-09-11)(評価:★★★)

 
マーラー 19.jpgマーラー 1974.jpg「マーラー」●原題:MAHLER●制作年:1974年●制作国:イギリス●監督・脚本:ケン・ラッセル●製作:ロイ・ベアード●撮影:ディック・ブッシュ●音楽:グスタフ・マーラー/リヒャルト・ワーグナー/ダナ・ブラッドセル●時間:115分●出演:ロバート・パウエル/ジョージナ・ヘイル/リー・モンタギュー/ロザリー・クラチェリー●日本公開:1987/06●配給:俳優座シネマテン=フジテレビ●最初に観た場所:新宿・シネマスクエアとうきゅう(87-06-21)(評価:★★★)

ケレル(ファスヴィンダー)1982.jpg「ケレル(ファスビンダーのケレル)」.jpg「ケレル(ファスビンダーのケレル)」●原題:QUERELLE●制作年:1982年●制作国:西ドイツ/フランス●監督:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー●脚本:「ケレル(ファスビンダーのケレル)」0.jpgライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/ブルクハルト・ドリースト●撮影: クサファー・シュヴァルツェンベルガー/ヨーゼフ・バブラ●音楽:ペール・ラーベン●原作:ジャン・ジュネ『ブレストの乱暴者』●時間:108分●出演:ブラッド・デイヴィス/ジャンヌ・モロー/フランコ・ネロ/ギュンター・カウフマン/ハンノ・ポーシェル●日本公開:1985/05●配給:人力飛行機舎=デラ●最初に観た場所:新宿・シネマスクエアとうきゅう(88-05-28)(評価:★★★?)


「アデルの恋の物語」1975 2.jpg「アデルの恋の物語」1975.jpg「アデルの恋の物語」●原題:L'HISTOIRE D'ADELE H.(英:THE STORY OF ADELE H.)●制作年:1975年●制作国:フランス●監督・製作:フランソワ・トリュフォー●脚本:フランソワ・トリュフォー/ジャン・グリュオー/シュザンヌ・シフマン●撮影:ネストール・アルメンドロス●音楽:モーリス・ジョベール●原作:フランセス・ヴァーノア・ギール『アデル・ユーゴーの日記』●時間:96分●出演:イザベル・アジャーニ/ブルース・ロビンソン/シルヴィア・マリオット/ジョゼフ・ブラッチリー/イヴリー・ギトリス●日本公開:1976/04●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:大塚名画座(78-12-08)(評価:★★★★)●併映:「二十歳の恋」(フランソワ・トリュフォー/ロベルト・ロッセリーニ/石原慎太郎/マックス・オフュルス/アンジェイ・ワイダ)

「地獄に堕ちた勇者ども」 (69年.jpg「地獄に堕ちた勇者ども」2.jpg「地獄に堕ちた勇者ども」●原題:THE DAMNED(独:Götterdämmerung)●制作年:1969年●制作国:イタリア・西ドイツ・スイス●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:アルフレッド・レヴィ/エヴェール・アギャッグ●脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/ニコラ・バダルッコ/エンリコ・メディオーリ●撮影:アルマンド・ナンヌッツィ/パスクァリーノ・デ・サンティス●「地獄に堕ちた勇者ども」1.jpg「地獄に堕ちた勇者ども」ランプリング.jpg音楽:モーリス・ジャール●時間:96分●出演:ダーク・ボガード/イングリッド・チューリン/ヘルムート・バーガー/ラインハルト・コルデホフ/ルノー・ヴェルレー/アルブレヒト・シェーンハルス/ウンベルト・オルシーニ/シャーロット・ランプリング/ヘルムート・グリーム/フロリンダ・ボルカン●日本公開:1970/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:大塚名画座(79-02-07)(評価:★★★★)●併映:「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ)

「カッコーの巣の上で」00.jpg「カッコーの巣の上で」●原題:ONE FLEW OVER THE CUCKOO'S NEST●制作年:1975年●制作国:アメリカ●監督:ミロス・フォアマン●製作:ソウル・ゼインツ/マイケル・ダグラス●脚本:ローレンス・ホーベン/ボー・ゴールドマン●撮影:ハスケル・ウェクスラー●音楽:ジャック・ニッチェ●原作:ケン・キージー『カッコウの巣の上で』●時間:133分●出演:「カッコーの巣の上で」012.jpgジャック・ニコルソンルイーズ・フレッチャー/マイケル・ベリーマン/ウィリアム・レッドフィールド/ブラッド・ドゥーリフ/クリストファー・ロイド/ダニー・デヴィート/ウィル・サンプソン●日本公開:1976/04●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:テアトル吉祥寺(82-03-13)(評価:★★★★)●併映:「ビッグ・ウェンズデー」(ジョン・ミリアス)

「光と影のバラード」1974.jpg「光と影のバラード」00.jpg「光と影のバラード」●原題:Свой среди чужих, чужой среди своих(英題:AT HOME AMONG STRANGERS)●制作年:1974年●制作国:ソ連●監督:ニキータ・ミハルコフ●脚本:エドゥアルド・ボロダルスキー/ニキータ・ミハルコフ●撮影:パーベル・レベシェフ●音楽:エドゥアルド・アルテミエフ●時間:95分●出演:ユーリー・ボガトィリョフ/アナトリー・ソロニーツィン/セルゲイ・シャクーロフ/アレクサンドル・ポロホフシコフ/ニコライ・パストゥーホフ/アレクサンドル・カイダノフスキー/ニキータ・ミハルコフ●日本公開:1982/10●配給:日本海映画●最初に観た場所:六本木・俳優座シネマテン(82-11-21)(評価:★★★☆)


「郵便配達は二度ベルを鳴らす」1943年.jpg郵便配達は二度ベルを鳴らす (1943年.jpg「郵便配達は二度ベルを鳴らす」●原題:OSSESSIONE●制作年:1943年●制作国:イタリア●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:カミッロ・パガーニ●脚本:ルキノ・ヴィスコンティ/マリオ・アリカータ/ジュゼッペ・デ・サンティス/ジャンニ・プッチーニ●撮影:アルド・トンティ/ドメニコ・スカーラ●音楽:ジュゼッペ・ロゼーティ●原作:ジェームズ・M・ケイン●時間:140分●出演:マッシモ・ジロッティ/クララ・カラマイ/ファン・デ・ランダ/ディーア・クリスティアーニ/エリオ・マルクッツォ/ヴィットリオ・ドゥーゼ●日本公開:1979/05●配給:インターナショナル・プロモーション●最初に観た場所:池袋・文芸坐(79-09-24)(評価:★★★★)●併映:「家族の肖像」(ルキノ・ヴィスコンティ)

「ピンク・フラミンゴ」(72).jpg「ピンク・フラミンゴ」(1972).jpg「ピンク・フラミンゴ」●原題:PINK FLAMINGOS●制作年:1972年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本・撮影:ジョン・ウォーターズ●時間:93分●出演:ディヴァイン/ディビッド・ロチャリー/メアリ・ヴィヴィアン・ピアス●日本公開:1986/06●配給:東映=ケイブルホーグ●最初に観た場所:渋谷・アートシアター新宿(84-08-01)(評価:★★★?)●併映:「フリークス・神の子ら(怪物団)」(トッド・ブラウニング)

「彼女と彼たち」 1977.jpg「彼女と彼たち」 2.jpg「彼女と彼たち-なぜ、いけないの-」●原題:POURQUOI PAS!●制作年:1977年●制作国:フランス●監督・脚本:コリーヌ・セロー●製作:ミシェル・ディミトリー●撮影:ジャン=フランソワ・ロバン●音楽:ジャン=ピエール・マス●時間:97分●出演:サミー・フレイ/クリスチーヌ・ミュリロ/マリオ・ゴンザレス/ニコル・ジャメ●日本公開:1980/11●配給:フランス映画社●最初に観た場所:渋谷・パルコスペース3(84-06-17)(評価:★★★★)

寡婦(やもめ)の舞 84.jpg寡婦(やもめ)の舞 1984.jpg「寡婦(やもめ)の舞」●原題:과부춤(英:WIDOW DANCING)●制作年:1984年●制作国:韓国●監督:李長鍋(イー・チャンホ)●脚本:李長鍋(イー・チャンホ)/李東哲(イ・ドンチョル)/イム・ジンテク●撮影:ソ・ジョンミン●原作:李東哲(イ・ドンチョル)『五人の寡婦』●時間:114 分●出演:イ・ボイ(李甫姫)/パク・ウォンスク(朴元淑)/パク・チョンジャ(朴正子)/キム・ミョンコン(金明坤)/パク・ソンヒ/チョン・ジヒ/ヒョン・ソク/クォン・ソンドク/ソ・ヨンファン/イ・ヒソン●日本公開:1985/09●配給:発見の会●最初に観た場所:渋谷・パルコスペース3(「東京国際映画祭」)(85-06-02)(評価:★★★☆)

ビジル(84年/ニュージーラン.jpgビジル(84年/ニュージーランド).jpg「ビジル」●原題:VIGIL●制作年:1984年●制作国:ニュージーランド●監督:ヴィンセント・ウォード●製作:ジョン・メイナード●脚本:ヴィンセント・ウォード/グレーム・テットリー●撮影:アルン・ボリンガー●音楽:ジャック・ボディ●時間:114 分●出演:ビル・カー/フィオナ・ケイ/ペネロープ・スチュアート/ゴードン・シールズ●日本公開:1988/02●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:渋谷・パルコスペース3(85-06-02)(評価:★★★☆)

コヤニスカッティ(82年.jpgコヤニスカッティ(82年).jpg「コヤニスカッティ(コヤニスカッツィ)」●原題:KOYANISQATSI●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:ゴッドフリー・レッジョ●製作:フランシス・フォード・コッポラ/ゴッドフリー・レッジョ●脚本:ロン・フリック/ゴッドフリー・レッジョ●撮影:ロン・フリッケ●音楽:フィリップ・グラス●時間:87分●日本公開:1984/01●配給:ヘラルド・エース●最初に観た場所:大森・キネカ大森(84-06-02)(評価:★★☆)

「ノスタルジア」(1983年) .jpgノスタルジア0.jpg「ノスタルジア」●原題:NOSTALGHIA●制作年:1983年●制作国:イタリア・ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●製作:レンツォ・ロッセリーニ/マノロ・ポロニーニ●脚本: アンドレイ・タルコフスキー/トニーノ・グエッラ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●時間:126分●出演:オレーグ・ヤンコフスキー/エルランド・ヨセフソン/ドミツィアナ・ジョルダーノ/パトリツィア・テレーノ/ラウラ・デ・マルキ/デリア・ボッカルド/ミレナ・ヴコティッチ●日本公開:1984/03●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(24-02-13)(4K修復版)(23-02-08)(評価:★★★★)

「暗殺の森」ベルトリッチ.jpg暗殺の森 00.jpg「暗殺の森」●原題:CONFORMISTA●制作年:1970年●制作国:イタリア・フランス・西ドイツ●監督・脚本:ベルナルド・ベルトリッチ●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:ジョルジュ・ドルリュー●原作:アルベルト・モラヴィア『孤独な青年』●時間:115分●出演:ジャン=ルイ・トランティニャン/ステファニア・サンドレッリ/ドミニク・サンダ/エンツォ・タラシオ●日本公開:1972/09●配給:パラマウント映画=CIC●最初に観た場所:シネヴィヴァン六本木(84-06-21)(評価:★★★☆)

「闇のカーニバル」 (1981.jpg「闇のカーニバル」 (1981. 2.jpg「闇のカーニバル」●制作年:1981年●●監督・脚本・撮影:山本政志●製作:伊地知徹生/山本政志●時間:118分●出演:太田久美子/桑原延亮/中島稔/太田行生/じゃがたら/遠藤ミチロウ/伊藤耕/中島稔/前田修/山口千枝●公開:1981/12●配給:CBC=斜眼帯●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(83-07-16)●2回目:渋谷・ユーロスペース(88-07-09)(評価:★★★★)
  
「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」84年.jpg「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」84.jpg「ブラザー・フロム・アナザー・プラネット」●原題:THE BROTHER FROM ANOTHER PLANET●制作年:1984年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジョン・セイルズ●製作:ペギー・ラジェスキー/マギー・レンジー●撮影:アーネスト・ディッカーソン●音楽:メイソン・ダーリング●時間:110分●出演:ジョー・モートン/ダリル・エドワーズ/スティーヴ・ジェームズ/レナード・ジャクソン/ジョン・セイルズ/キャロライン・アーロン/デヴィッド・ストラザーン●日本公開:1986/05●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:ユーロスペース(86-06-14)(評価:★★★★)

ナイト・オン・ザ・プラネットv.jpg「ナイト・オン・ザ・プラネット」●原題:NIGHT ON EARTH●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:ジム・ジャームッシュ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:トム・ウェイツ●時間:129分●出演:(ロサンゼルス)ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/(ニューヨーク)アーミン・ミューラー=スタール/ジャンカルロ・エスポジート/アンジェラ - ロージー・ペレス/(パリ) イザック・ド・バンコレ/ベアトリス・ダル/(ローマ)ロベルト・ベニーニ/パオロ・ボナチェリ/(ヘルシンキ) マッティ・ペロンパー/カリ・ヴァーナネン/サカリ・クオスマネン/トミ・サルミラ●日本公開:1992/04●配給:フランス映画社(評価:★★★★)●最初に観た場所(再見):シネマート新宿(スクリーン2)(24-03-08)
「ナイト・オン・ザ・プラネット」00.jpg
    
「ピアノ・レッスン」000.jpg「ピアノ・レッスン」●原題:OPPENHEIMER●制作年:1993年●制作国:オーストラリア/ニュージーランド/仏●監督・脚本:ジェーン・カンピオン●製作:ジェーン・チャップマン●撮影:スチュアート・ドライバーグ●音楽:マイケル・ナイマン●時間:121分●出演:ホリー・ハンターハーヴェイ・カイテル/サム・ニール/アンナ・パキン/ケリー・ウォーカー/ジュヌヴィエーヴ・レモン/トゥンギア・ベイカー/イアン・ミューン●日本公開:1994/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):TOHOシネマズシャンテ(24-04-08)(評価:★★★★)

「避暑地の出来事」1959年.jpg「避暑地の出来事」00.jpg「避暑地の出来事」●原題:A SUMMER PLACE●制作年:1959年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:デルマー・デイヴィス●撮影:ハリー・ストラドリング●音楽:マックス・銀座文化・シネスイッチ銀座.jpgスタイナー●原作:スローン・ウィルソン『避暑地の出来事』●時間:131分●出演:リチャード・イーガン/ドロシー・マクガイア/トロイ・ドナヒュー/ サンドラ・ディー/アーサー・ケネディ●日本公開:1960/04●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:銀座文化劇場(84-06-21)(評価:★★★☆)

「酒とバラの日々」00.jpg「酒とバラの日々」1962.jpg「酒とバラの日々」●原題:DAYS OF WINE AND ROSES●制作年:1962年●制作国:アメリカ●監督:ブレイク・エドワーズ●製作:マーティン・マヌリス●脚本:J・P・ミラー●撮影:フィル・ラスロップ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:117分●出演:ジャック・レモン/リー・レミック/チャールズ・ビックフォード/ジャック・クラグマン/アラン・ヒューイット●日本公開:1963/05●配給:ワーナー・ブラザース●最初に観た場所:銀座文化劇場(88-07-20)(評価:★★★★)
 
  
 
  
 
「シャレード」1963年.jpg「シャレード」1963 2.jpg「シャレード」●原題:CHARADE●制作年:1963年●制作国:アメリカ●監督:スタンリー・ドーネン●製作:マーティン・マヌリス●脚本:J・P・ミラー●撮影:フィル・ラスロップ●音楽:ヘンリー・マンシーニ●時間:117分●出演:ケイリー・グラントオードリ・ヘップバーン/ジェームズ・コバーン/ウォルタコバーン「シャレード」.jpgー・マッソー/ジョージ・ケネディ/ネッド・グラス●日本公開:1963/12●配給:ユニバーサル・ピクチャーズ●最初に観た場所:銀座文化劇場(88-04-16)(評価:★★★☆)
ジェームズ・コバーン/ジョージ・ケネディ
 
 

「レザボア・ドッグス」0.jpg「レザボア・ドッグス」dr.jpg「レザボア・ドッグス」dr2.jpg「レザボア・ドッグス」●原題:RESERVOIR DOGS●制作年:1992年●制作国:アメリカ●監督・脚本:クエンティン・タランティーノ●製作:ローレンス・ベンダー●撮影:アンジェイ・セクラ●音楽:カリン・ラクトマン●時間:100分●出演:ハーヴェイ・カイテル/ティム・ロス/マイケル・マドセン/クリス・ペン/スティーヴ・ブシェミ/ローレンス・ティアニー/クエンティン・タランティーノ●日本公開:1993/04●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所(再見):早稲田松竹(24-05-20)(評価:★★★★)●併映:「バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト」(アベル・フェラーラ)
「レザボア・ドッグス」早稲田松竹.jpg


「花の影」.jpg「花の影」0.jpg「花の影」●原題:風月(英: TEMPTRESS MOON)●制作年:1996年●制作国:香港・中国●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:湯君年(タン・チュンニェン)/徐楓(シュー・フォン)●脚本:舒琪(シュウ・チー)●撮影: クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽: 趙季平(チャオ・チーピン)●原案: 陳凱歌/王安憶(ワン・アンイー)●時間:128分●出演:張國榮(レスリー・チャン)鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)/何賽飛(ホー・サイフェイ)/呉大維(デヴィッド・ウー)/謝添(シェ・ティェン)/周野芒(ジョウ・イェマン)/周潔(ジョウ・ジェ)/葛香亭(コー・シャンホン)/周迅(ジョウ・シュン)●日本公開:1996/12●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★☆)●最初に観た場所[4K版]:池袋・新文芸坐(24-02-26)

「スモーク」01.jpg「スモーク」●原題:SMOKE●制作年:1995年●制作国:アメリカ・日本・ドイツ●監督:ウェイン・ワン●製作:ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン/黒岩久美/堀越謙三●脚本:ポール・オースター●撮影:アダム・ホレン「スモーク」02.jpgダー●音楽:レイチェル・ポートマン●原作:ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』●時間:113分●出演:ハーヴェイ・カイテルウィリアム・ハート/ハロルド・ペリノー・ジュニア/フォレスト・ウィテカー/ストッカード・チャニング/アシュレイ・ジャッド/エリカ・ギンペル/ジャレッド・ハリス/ヴィクター・アルゴ●日本公開:1995/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-06-05)((評価:★★★★)

「フェリーニの道化師」1970年.jpg「フェリーニの道化師」●原題:FELLINI:I CROWNS●制作年:1970年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:エリオ・スカルダマーリャ/ウーゴ・グエッラ●脚本:フェデリコ・フェリーニ/ベルナフェリーニの道化師」01.jpgフェリーニの道化師」02.jpgルディーノ・ザッポーニ●撮影:ダリオ・ディ・パルマ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:110分●出演:フェデリコ・フェリーニ/アニタ・エクバーグピエール・エテックス/ジョセフィン・チャップリン/グスターブ・フラッテリーニ/バティスト●日本公開:1976/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-02-07)(評価:★★★★)●併映:「フェリーニのアマルコルド」(フェデリコ・フェリーニ)

フェリーニの道化師」アニタ.jpg
    
「木靴の樹」1978.jpg「木靴の樹」00.jpg「木靴の樹」●原題:L'ALBERO DEGLI ZOCCOLI(米:THE TREE OF WOODEN CLOGS)●制作年:1978年●制作国:イタリア●監督・脚本・撮影:エルマンノ・オルミ●音楽:J・S・バッハ●時間:186分●出演:ルイジ・オルナーギ/フランチェスカ・モリッジ/オマール・ブリニョッリ/テレーザ・ブレシャニーニ/バティスタ・トレヴァイニ/ルチア・ベシォーリ●日本公開:1979/04●配給:フランス映画社●最初に観た場所:有楽町・スバル座(80-12-02)(評価:★★★★)

「大理石の男」 (77年/ポーランド.jpg「大理石の男」 1.jpg「大理石の男」●原題:CZLOWIEK Z MARMURU●制作年:1977年●制作国:ポーランド●監督:アンジェイ・ワイダ●製作:バルバラ・ペツ・シレシツカ●脚本:アレクサンドル・シチボ「大理石の男」 2.jpgル・リルスキ●撮影:エドワルド・クウォシンスキ●音楽:アンジェイ・コジンスキ●時間:165分●出演:イエジー・ラジヴィオヴィッチ/クリスティナ・ヤンダ/タデウシ・ウォムニツキ/ヤツェク・ウォムニツキ/ミハウ・タルコフスキ/ピョートル・チェシラク/ヴィエスワフ・ヴィチク/クリスティナ・ザフヴァトヴィッチ/マグダ・テレサ・ヴイチク/ボグスワフ・ソプチュク/レオナルド・ザヨンチコフスキ/イレナ・ラスコフスカ/スジスワフ・ラスコフスカ●日本公開:1980/09●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:飯田橋・佳作座(81-05-24)(評価:★★★☆)●併映:「水の中のナイフ」(ロマン・ポランスキー)
 
「女の叫び」1.jpg「女の叫び」1978年.jpg「女の叫び」1978.jpg「女の叫び」●原題:A DREAM OF PASSION●制作年:1978年●制作国:アメリカ・ギリシャ●監督・脚本:ジュールス・ダッシン●撮影:ヨルゴス・アルヴァニティズ●音楽:ヤアニス・マルコプロス●時間:110分●出演:メリナ・メルクーリ/エレン・バースティン/アンドレアス・ウツィーナス/デスポ・ディアマンティドゥ/ディミトリス・パパミカエル/ヤニス・ヴォグリス/フェドン・ヨルギツィス/ベティ・ヴァラッシ●日本公開:1979/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:岩波ホール(80-02-04)(評価:★★★★)

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代表作の図版が圧巻で、解説も深い。荒木村重の息子(&孫?)だったのかあ。

岩佐又兵衛 別冊太陽.jpg岩佐又兵衛01.jpg「山中常盤物語絵巻」九巻)
岩佐又兵衛:浮世絵の開祖が描いた奇想 (別冊太陽太陽 日本のこころ)』['17年]

 江戸初期の絵師・岩佐又兵衛(1578-1650)をフィーチャーした『別冊太陽』版。その口上は、「又兵衛を知らずして、日本美術を語るなかれ!「浮世又兵衛」と伝説化され、それまでの風俗画のありようを、根幹から変えた絵師がいた。生と死の鮮烈なイメージを与える絵巻、風俗画での笑いと活力、古典のモチーフを軽やかに換骨奪胎していく教養と感性、和漢の技法を巧みに操る筆さばき...。これまで描かれることのなかった絵を描き続けた江戸絵画史の最重要人物、岩佐又兵衛を見よ!」となっています。

「上瑠璃物語絵巻」四巻/九巻(部分)
岩佐又兵衛02.jpg岩佐又兵衛03.jpg 巻頭に代表作である「山中常盤物語絵巻」「上瑠璃物語絵巻」「洛中洛外図屏風」の図版が掲載されていて、これがまず圧巻です(「洛中洛外図屏風」は6ページを割いている)。全5章構成の第1章で、代表作である「山中常盤物語絵巻」(12巻)、「上(浄)瑠璃物語絵巻」(12巻)、「堀江物語絵巻」(12巻)、「小栗判官絵巻」(15巻)の4作品についてそれぞれ、あらすじを紹介するとともに、主要な場面がどのように描かれているかを見せていきます(「山中常盤物語絵巻」の図版は6ページを割いて掲載)。解説においてこれらを「絵巻に描いた恋と復讐」として括っているのが特徴でしょうか。

「洛中洛外図屏風」(舟木本)右隻
岩佐又兵衛04.jpg 第2章では、又兵衛の得意ジャンルの1つである「源氏物語」「伊勢物語」「歌仙画」など王朝物の作品群を紹介。第3章では、大和絵や水墨画、代表作「旧金谷屏風」を中心に、和漢の技法を操る円熟期の作品の数々を。第4章では、浮世絵のルーツと考えられ、後世に多大な影響を与えたとされる「洛中洛外図屏風」(舟木本)など、又兵衛の評価を決定的にした作品が紹介されています。第5章では、一時代を築いた岩佐派の作品群を改めて検討し、最後に岩佐又兵衛の生涯を探っています。
 
辻 唯雄 氏
辻 惟雄.jpg 執筆陣も錚々たるメンバーですが、中でも、第1部と第2部に分けて掲載されている、長年岩佐又兵衛を研究してきた東京大学名誉教授で、前多摩美術大学学長、MIHO MUSEUM館長の辻唯雄(のぶお)氏と、東京大学教授の佐藤康宏氏の対談が、「舟木屏風」が国宝に指定された経緯などの裏話もあって面白かったです(「舟木屏風」の馬の絵と「山中常盤物語絵巻」の馬の絵とを比較して、同じ画家の筆にとるものだと判別されたということを、実際に両方を示して解説している。辻氏は当初は、舟木屏風は又兵衛より一つ前の世代の有能な画家が描いたと考えていたとのことで、国宝指定が遅かったことについて「私がずいぶん足を引っ張っていたから(笑)」と)。

岩佐又兵衛(1578-1650)自画像
岩佐又兵衛.jpg また、巻末で東北大学大学院専門研究員の畠山浩一氏が、同時代の画家で「風神雷神図屛風」で知られる俵屋宗達などに比べ、その生涯に関する情報量が多いものの、それでも謎多い岩佐又兵衛の家系を探り、又兵衛が荒木村重の末子であるという説と、村重の長男村次の子であるという説の二説が有力だが、どちらも正しいのではないかと言っているのが興味深いです(家系図があって分かりやすい)。兄弟を養子にすれば、そういうことが起こるのかあ。

NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」('14年)岡田准一(黒田官兵衛)/田中哲司(荒木村重)
岩佐又兵衛05.jpg それにしても、解説にもあるように、荒木村重といえば織田信長の家臣でありながら信長に叛旗を翻し、有岡城に立て籠もった人物であり(NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」('14年)で岡田准一演じる黒田官兵衛が、田中哲司演じる荒木村重に謀叛を思いとどまるよう説得するため使者として単身有岡城に来城するも、村重は聞く耳を持たず、官兵衛を土牢に幽閉したのを思い出した)、何百人もの一族郎党が信長の命で処刑されたのは有名。ただし、村重は生き延び、後に茶人として復活するという数奇な運命を辿りますが、同じ頃、間違いなく村重の近親者である又兵衛が、本来ならば処刑されるところをどう生き延びたかというのも興味深かったです。

奇想の系譜.jpg 大判で絵図の鑑賞に適しているだけでなく、解説も深く掘り下げていていいです。辻唯雄氏が『奇想の系譜―又兵衛-国芳』('70年/美術出版社、'88年/ぺりかん社、'04年/ちくま学芸文庫)として又兵衛を取り上げたことで"奇想の絵師"とのイメージが定着しましたが、編集後記にもあるように、洗練と破壊、知性と享楽といった相反するものを一緒くたにしてしまうエネルギ―を感じ、これを「奇想」と言う言葉で片づけてしまっていいものかとも思ったりしました(本書のサブタイトルにもその言葉が入っているが)。本書の後にも岩佐又兵衛の関連本が続々と刊行されており、その評価が注目されます。

血と笑いとエロスの絵師 岩佐又兵衛B.jpg

《読書MEMO》
●主な執筆者
《主な執筆者》
・辻惟雄(東京大学名誉教授)
・佐藤康宏(東京大学教授)
・戸田浩之(福井県立美術館主任学芸員)
・黒田日出男(東京大学名誉教授)
・奥平俊六(大阪大学教授)
・河上繁樹(関西学院大学教授)
・安村敏信(萬美術家)
・廣海伸彦(出光美術館学芸員)
・畠山浩一(東北大学大学院専門研究員)


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素晴らしい写実絵画の数々。画家のアトリエが紹介されているのも興味深い。

写実絵画の画家たち.jpg写実絵画の画家たち02.jpg 写実絵画の新世紀2016.jpg 
島村信之「日射し」(2009)『写実絵画の新世紀: ホキ美術館コレクション (別冊太陽 日本のこころ 241) 』['16年]
写実絵画の画家たち ホキ美術館コレクション (別冊太陽 日本のこころ)』['20年]

「ホキ美術館」.jpg 千葉市の昭和の森に隣接する地にある、日本初の写実絵画専門美術館「ホキ美術館」(2010年開館)のコレクションをフィーチャーしたもので、『別冊太陽』のこの特集としては、『写実絵画の新世紀―ホキ美術館コレクション)』('16年)に続く第2弾になります。

青木敏郎「白デルフトと染付の焼き物の静物」(2012)
写実絵画の画家たち03.jpg 前回は、森本草介(1937-2015/78歳没)の追悼号の意味合いもありましたが、それでもほかに野田弘志、中山忠彦、羽田裕など25人ほどの画家の作品を紹介するものでした。こちもとトップにくるのは森本草介で(表紙も前回同様に森本作品)、以下、野田弘志をはじめ、中山忠彦、青木敏郎、五味文彦、生島浩、島村信之など、やはり同じくらいの人数の画家の作品が紹介されています。
  
野田弘志
写実絵画の画家たち0.jpg 画家ごとにプロフィール紹介や作品解説が丁寧にされているのは前回と同じですが、今回は画家自身のコメントが主となっており、また今回は、主だった画家の制作現場であるアトリエが紹介されているのが興味深いです。前回も石黒賢一郎のアトリエの紹介がありましたが、今回は十数人の画家について、基本的にまずアトリエ紹介から始まり、その後に作品がくる構成になっています。仕事場は(写実画家らしく?)整然としていて、画家のアトリエと言うよりデザイン事務所っぽいものも中にはあったように思いました。また、塩谷亮の「翠抄」などの制作過程が再現されており、写実絵画がどのような過程を経て描かれ、完成するのを知ることもできます。

生島浩「月隠り」(2011)/中山忠彦「トルコブルーの胸飾り」(1988)/五味文彦「飛行計画―南風の囁き(部分)」(2013)
写実絵画の画家たち04.jpg写実絵画の画家たち01.jpg五味文彦.jpg でも、やっぱり、掲載された写実絵画の緻密さ、素晴らしさがいちばんでしょうか。この点でも前回に劣るものではなく、観ていて飽きません。人物画、静物画、風景画、コラージュなど、それぞれの画家の得意とする分野も微妙に違っていて、バラエティに富んでいます。比較的近年に制作された作品が多いのも今回の特徴かと思います。前回との重複はほとんど無く、所蔵作品の豊富さを物語っています。ホキ美術館にはぜひ一度行ってみたいと思います。   
    
三重野慶画集 言葉にする前のそのまま』['21年] 三重野慶「言葉にする前にそのまま」(2017)
三重野慶画集.jpg三重野慶「言葉にする前にそのまま.jpg

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日本的人事の歴史的ルーツを探る。現代に通じるところがあって面白かった。

人事の日本史 (朝日新書)01.jpg人事の日本史 3.jpg
人事の日本史』['05年/毎日新聞社]『人事の日本史 (新潮文庫 や 51-51)』['08年]『日本史から学ぶ「人事」の教訓』['13年/宝島社]
人事の日本史 (朝日新書) 』['21年]

 本書は、経済誌「エコノミスト」に2003年から2004年にかけて連載されたものが、連載終了後の2005年に毎日新聞社から単行本として刊行され、さらに2008年に新潮文庫に収められものを新書化したものです(その間 2013年に、テーマ別に大幅に改訂し『日本史から学ぶ「人事」の教訓』として宝島社より単行本として刊行されているが、本書は新潮文庫版を底本として誤字や誤記を修正したものである)。

 3人のが歴史学者が、日本史を古代・中世・戦国・近世の4章にわたって振り返り、「人事」の面から、①歴史上重要な意味を持つ人事はどのように決まったか、②古人は人事をどう考え行動したか、③日本史に貫通するに日本的人事の論理はあるか、の3つの観点から追究したものです。

聖徳太子.jpg 古代編ではまず、聖徳太子・厩戸皇子は抜擢人事の本邦第一号であったとし、その背景には、推古天皇が実力主義の人事を行ったことがあるとしています。冠位十二階によって、我が国で初めて「人事権」と呼ぶべきものが成立したと言えるとし、服務規程とも言うべき憲法十七条の原型も、この時代に制定されされた可能性があるとしています。

 人事が論功行賞の色合いを強めたのは大化の改新以降の孝徳天皇の代であり、クーデター実行に貢献した豪族らへの成功報酬的役割を果たしたが、豪族たちを初めて本格的に「能力評価」で選別・再編したという点では、「人事」の日本史上、画期的な変革だったとしています。

天武天皇.jpg 天武天皇のもと、律令制が整備される中で、「官僚」の勤務評定(考課)や昇進はどのように行われたかも紹介されていて、考課要素である「功過行能」の「功過」は職務遂行状況であり、「行能」は行状と技能であるとのことで、今で言う人事考課の3要素(成績・情意・能力)または2要素(業績評価・行動評価(コンピテンシー評価))と似ているのが興味深いです。

菅原道真.jpg 外交使節・遣唐使の選抜の決め手は、能力よりも「和やかに話し合える」性格が決め手だったとのことで、これも今の時代の採用面接に通じるところがあります。894年に第20次件遣唐使を拝命した菅原道真が、その無益を主張して白紙に戻したのを思い出しました。学者から大臣になった菅原道真の失脚の原因は、他の「学閥」からの嫉妬や攻撃だったのではないかとしています。

源頼朝.jpg源義経.jpg 中世編では、平清盛のバランス感覚と先見性(共に今でもリーダーの要件か)、源頼朝の人心掌握の巧みさ(部下一人ひとりに「お前だけが頼りだ」と囁いていたそうだ)が取り上げられていて、それに比べ弟・源義経は、組織の一員としての自覚が欠け、個人プレーの人だったとしています。

徳川吉宗2.jpg 下って近世・江戸時代では、8代将軍・徳川吉宗は、「足高制」という「役職手当」を創設して人事を活性化したとのこと、田沼意次失脚後に権力者となった松平定信は、賄賂やコネでなく人柄や能力を重視したが、時代劇の鬼平こと火付盗賊改・長谷川平蔵については、能力は認めていたが「山師」的人物と見なして評価しておらず、平蔵は結局それ以上の出世はできなかったとのことです(上司とそりが合わなくてはどうしようもない、というのは今も同じか)。

 武家政権の担い手らは、朝廷から授かる官位と幕府内の役職を持っていた(徳川家康ならば「征夷大将軍」と「将軍」)というのが、今の会社組織の等級と役職という二重身分と同じであるというのが興味深いです。最初に位があって、それに役職がつくため、ある等級に達しないと、ある役職にもつけないというのは、まさに律令制における「官位相当制」であり、人事考課もそうですが、いろいろな意味で、日本的人事のルーツは律令制の時代にあるのだと思いました。

山本博文2.jpg 日本的人事の歴史的ルーツを探る、と言うか、別に大上段に構える必要もないのかもしれませんが、いろいろと現代に通じるところがあって面白かったです。著者の一人、山本博文氏は、Eテレの「先人たちの底力 知恵泉」などテレビでも活躍していましたが、'20年3月に63歳で亡くなっているのが惜しまれます。

山本博文 氏

Eテレ「先人たちの底力 知恵泉」
山本博文 eテレ 知恵泉.jpg山本 博文(東京大学史料編纂所 教授)(1957-2020/63歳没)
1990年、『幕藩制の成立と日本近世の国制』(校倉書房)により、東京大学より文学博士の学位を授与。1991年、『江戸お留守居役の日記』(読売新聞社)により第40回日本エッセイストクラブ賞受賞。江戸幕府の残した史料の外、日本国内の大名家史料を調査することによって、幕府政治の動きや外交政策における為政者の意図を明らかにしてきた。近年は、殉死や敵討ちなどを素材に武士身分に属する者たちの心性(mentality)の究明を主な課題としている。主な著書に、『徳川将軍と天皇』(中央公論新社)、『切腹』(光文社)、『江戸時代の国家・法・社会』(校倉書房)、『男の嫉妬』(筑摩書房)、『徳川将軍家の結婚』(文藝春秋社)『日本史の一級史料』(光文社)などがある。

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ブームの「金継ぎ」。単なる修復ではなく創作。ルーツを辿ると楽しい。

金継ぎと漆.jpg        継 金継ぎの美と心.jpg
金継ぎと漆 KINTSUGI & JAPAN』['21年]『継 金継ぎの美と心 The Spirituality of Kintsugi』['21年]

 ほぼ同時期に出た「金継」の本2冊で、どちらも、解説書、作品集、入門書を兼ねています。

 『金継ぎと漆―KINTSUGI & JAPAN』の方は、金継ぎの研究者であり、金継ぎ教室も主宰する著者が、金継ぎの歴史や基礎知識、「金継ぎ」が国際化している現況などを解説しています(因みに、"JAPAN"は「漆」)。

織田 信長.jpg 本書によれば、「金継ぎ」の歴史は、織田信長(1534-1582)が茶道を武家社会の中で欠くことのできないセレモニーとして位置付けたところから(これには織田信長主催の京の茶会を成功させた千利休(1522-1591)の貢献も大きい)、茶器が家臣への褒章となり、ただし茶器は壊れやすく、一方で殿様からいただいた茶器を破損したならば、国替えどころか、切腹ということにもなりかねない―そこで壊れたら修理して新たな価値を与える「金継ぎ」の技術が生まれたとのことです(現代の感覚だと、茶碗割って切腹では「冗談キツイ」という感じだが、名器は城一つに値するとも言われたから、冗談とも言えないのかも)。

馬蝗絆.jpg 「金継ぎ」の生みの親は、織田信長説のほかに、足利義政(1436-1490)説も有力説としてあり、義政が中国に壊れた青磁茶碗を送って替わりのものを求めたところ、同じ水準のものが中国に無いとのことで金継ぎして送り返されたという「青磁茶碗 銘 馬蝗絆(ばこうはん)」の写真があります。修復個所はイナゴ(蝗)に見えるとされてきましたが、実は「馬蝗」とは中国語でヒル(蛭)のことで、著者はヒルに例えた方が、ヒルの姿がホチキス針のように器をつなぎとめる「鎹」に似ているからいいのではないかと思うとし、ただし、ヒルは血を吸ってイメージが悪いので、誤りをそのままにしたのではないかという研究者の見解も紹介しています。

青磁茶碗 銘 馬蝗絆

 作品集として鑑賞できるとともに、やきもの修理の基礎知識(まったく別の陶磁器の破片で修理する「呼び継ぎ」というのが面白い)、「金継ぎ」の基礎知識(使う材料は貝殻や卵の殻まで多種多様) 、漆について天然の漆にこだわる理由や漆はいつから使われたのかなど、さらに、修理に見る日本と西洋の違いなど、幅広く解説しています、

 各章末にあるコラムも楽しく、第2章末の「こわれものハンター、3万3000円で名品を買う」での骨董屋さんとの遣り取りなどはほんわかした気分にさせられます(その時講入した器が本書の表紙に使われている)。

継 金継ぎの美と心2.jpg 『継―金継ぎの美と心 The Spirituality of Kintsugi』の方は、漆芸修復師として様々な分野の修復に携わりながら多くの外国人、会社経営者らに金継ぎの魅力を伝える講演会、ワークショップなどを行う著者が、国内外の人に向けて金継ぎの歴史、職人文化、美的感覚や感性が表現されたデザインのほか、海外で人気を博す理由を印象的なエピソードとともに紹介しています。

 全4章構成の第1章では、金継ぎとは何か、修復の工程や漆について解説し、今に伝わる繕いの名品を紹介しています(金継ぎのルーツと言われる「青磁茶碗 銘 馬蝗絆」の写真がこちらにもある)。第2章では、職人の世界がどのようなものであったか、第3章では、繕うということの精神性や文化について述べ、第4章で、著者自身の金継ぎの工程を詳しく紹介しています。

 なぜ金継ぎが世界に受け入れられ評価されるのか(今や「Kintsugi」という英単語になっているようだ。著者の工房にも様々な国の人が訪ねて来るし、著者も海外へ行く)、美しいだけではない金継ぎの魅力を知ることができる一冊であり、写真も楽しく見ることができます。全文英訳が付されており、外国人でも分かるようにしている点が、金継ぎというものの国際化を表していると思います。

東京パラ.jpg 『金継ぎと漆』の方にも、今「金継ぎ」が内外でブームであるといったような表現が出てきますが、ブームの1つのきかっけは、2021年開催のパラリンピック東京大会閉会式で、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長が閉会挨拶の中で、「金継ぎ」に言及したことにあるようです(パーソンズ会長は金継ぎについて「誰もが持つ不完全さを受け入れ、隠すのではなく大事にしようという考え方です」と紹介。その上で「スポーツの祭典の間、私たちは違いを認め、多様性の調和を見せました。私たちの旅をここで終わらせてはいけません」と訴えた)。

パラリンピック東京大会閉会式でパラリンピック旗を振るIPCのパーソンズ会長(左)2021年9月5日[中日スポーツ]

 個人的には、単に修復すると言うより、創作の要素が強くあること(破損してない箇所にも金継ぎを施すことも)を強く感じました。2冊を相対比較すると、『金継ぎと漆』の方は「お教室」的で、『継』は「工房」的という感じでしょうか。後者の方がちょっとハードルが高いかもしれません。

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「強いられた犠牲を"美談"にせず、忘れないための記録」。

孤塁 双葉郡消防士たちの3・11.jpg孤塁 双葉郡消防士たちの3・11 文庫.jpg
孤塁 双葉郡消防士たちの3.11』['20年]『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11 (岩波現代文庫 社会333)』['22年]

 2020年・第42回「講談社本田靖春ノンフィクション賞」、第63回「日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞」、 第8回「日隅一雄・情報流通促進賞(大賞)」受賞作。

 原発が爆発・暴走する中、地震・津波被害者の救助や避難誘導、さらには原発構内での給水活動や火災対応にも当たった福島県双葉消防本部125名の消防士たちのその活動と葛藤を、消防士たちが初めて語ったものを集めています。岩波書店の雑誌「世界」連載中も大きな反響がありましたが、著者はさらに取材を続け、それを単行本に纏め上げたものです。

 双葉消防本部の協力のもと、消防士たちから聴き取ったものを後で再構築していますが、原発事故ゆえ他県消防の応援も得られず、不眠不休で続けられた消化・復旧活動。自分たちは生きて戻れるのかという不安の中でも、危険に身を晒し、職務以上のことをこなした消防士たちに頭が下がります。

 また、今そこで事態が目まぐるしく推移しているような臨場感があります。とりわけ、地震発生(3月11日)から4号機火災発生(3月16日)までの6日間が詳しく、表紙写真はその4号機火災現場への出動前の消防士たちですが、それまでにも、爆発しないと言われていたはずなのに1号機が爆発し(3月12日)、さらに爆発が予想される事態となった3号機構内での作業(3月13日)、そして3号機爆発(3月14日)と、重篤な事態は続いていきます。

 3号機構内での作業は、すでに1号機が爆発した後なのに、放射線量も、ベントの可能性も、必要な情報は何も知らされかったということで、最も情報が必要な消防士たちにそうした命に関わる情報が知らされず、それでいて考える間もなく作業にあたらねばならないというのはキツイ。しかも、この情報不足の状況は、地震及び津波発生時からずっと続いており、自分たちは生きて戻れるのか?という不安のもと、家族に遺書を書いた消防士もいたとのことです。

チェルノブイリの祈り―未来の物語.jpg ジャーナリストとして初のノーベル文学受賞した、スベトラーナ・アレクシエービッチの『チェルノブイリの祈り―未来の物語』を思い出しました。チェルノブイリ原発事故では、大量の放射線被曝による急性障害が200名あまりの原発職員と消防士に現れ、結局33人が死亡しました(そのうちの一人の悲惨な被曝死を追ったものが冒頭にある)。幸い福島原発事故では直接的な死者は出なかったものの、多くの消防士が放射線被曝の不安を抱え、その後の人生を送ることになりました。
スベトラーナ・アレクシエービッチ 『チェルノブイリの祈り―未来の物語』 (2011/06 岩波現代文庫)

 2018年10月から双葉消防本部に1年ほど通い、原発事故当時に活動し、その時点でも活動を続けている66人から話を聴いたとのこと(事故当時活動していた125名のうち約半数は、原発避難に伴う家族との兼ね合いや定年などで退職していたという)。会議室や食堂、事務所内で、1人1時間半から長いと4時間、各人1回から3回ほど当時のことを聴き続け、その証言を時系列に並べたとのことで、労作です。

 ただ、単に労作である(著者の思い入れもある)というだけでなく、著者が、「原発事故が"なかったこと"のように語られる現在こそ、知らなければならないと改めて感じています」と語っているように、「強いられた犠牲を"美談"にせず、忘れないための記録」(宇都宮大学教員・清水奈名子氏)であると思います。

原発事故、ひとりひとりの記憶.jpg 2023年に文庫化された際に、「『孤高』その後」が加筆されています。また、10年間取材を重ねてきた著者は、あの日から今に続く日々を生きる18人の道のりを伝え、あの原発事故が何だったかを、浮き彫りにすることを試みた『原発事故、ひとりひとりの記憶―3.11から今に続くこと』('24年/岩波ジュニア新書)を上梓しています。
吉田 千亜 『原発事故、ひとりひとりの記憶―3.11から今に続くこと』 (2024/02 岩波ジュニア新書)

【2022年文庫化[岩波現代文庫]】

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虐待の後遺症の凄まじさ、「ファミリーホーム」による「育ち直し」支援。

誕生日を知らない女の子.jpg黒川 祥子  氏.jpg 黒川 祥子 氏
誕生日を知らない女の子 虐待――その後の子どもたち』['13年]

 2013年・第11回「開高健ノンフィクション賞」受賞作(『壁になった少女 虐待―子どもたちのその後』改題)。

 虐待を受けた子どもたちは、成長するにつれ、心身ともに障害を生じ、問題行動に苦しんでいた。そうした被虐待児が暮らす多人数養育施設「ファミリーホーム」を密着取材。心の傷と闘う子供たちと彼らを支える人々の現実と育ち直しの時を、あたたかく見つめる―。

 虐待を受け保護された子どもたちをて家庭に引き取り、生活を共にするファミリーホームや里親に取材し(基本的には「社会的養護」の場を取材)、心身に残る虐待の後遺症に苦しみながらも同じ境遇の子らや里親と暮らし、笑顔を取り戻していく「育ち直し」の時を生きる子らを追っています(文庫化の際には、3年後の子どたちの「今」を追加取材し、大幅加筆)。

  第1章「美由―壁になっていた女の子」は、親から受けた虐待の後遺症で「解離性障害」を抱える女の子のケースが紹介されています。この障害の症状としては、多重人格や」幻聴・幻覚などで、その凄まじさに驚かされるととも、それでも懸命に生きようとする女の子と、それを支える周囲の努力が胸をうちます。

 第2章「雅人―カーテンのお部屋」は、「愛着障害」を抱えるも、最初はそれが虐待の後遺症であると分からなかった男の子の例で、症状としてはADHDのような行動態様が見られ、虐待と発達障害が複雑に絡み合っていることが分かります(本書は、ただ保育士や里親が頑張っているという話だけでなく、こうした精神医学的知見も随所に織り込まれている)。

 第3章「拓海―「大人になるって、つらいことだろう」」は、「母親の養育困難」ということで保護された児童養護施設から、新たにファミリーホームにやって来たこども例で、児童養護施設が子どもを規則で縛ることに躍起で、家庭的な経験をする機会を奪っているケースもある(だだし、自分たちにはその認識がなく、子どもの受け渡しを拒否する)という問題もあることを知りました。

 第4章「明日香―「奴隷でもいいから、帰りたい」では、実親の許に戻ればまた虐待されることが明らかなのに、戻ることを希望する子どももいるという例で、実際に親元に戻ってから虐待死したという報道があったケースなども紹介されていて(これは今でも新聞などで時々見かける)、痛々しく思うと同時に、問題の難しさを感じます。

 第5章「沙織―「無条件で愛せますか」」は、大人になった「被虐待児」を取材したもので、父親の暴行や性的虐待、継母の精神的虐待に苦しんだ末に、何とか生き延び結婚もしたものの、子育ての際にフラッシュバックし、うつ病状態になったり、子どもに殺意を抱いたりする自分(自分の娘の誕生日を祝っている時、娘に対し憎しみや怒りが湧くという。自分は祝われたことはなかったと...)と今まさに闘っている女性の例。話を聴けるタイミングを図りつつ、かなり突っ込んだ取材になっています。

代理ミュンヒハウゼン症候群.jpg まえがきで紹介されている「代理ミュンヒハウゼン症候群」とは、子どもの世話をする人物(多くは母親)が、自らではなく「子どもを代理として」病気の状態を作り出し、それによって医療機関に留まろうとする虐待のことを指し、以前に読んだ、本書でも紹介されている南部さおり氏の『代理ミュンヒハウゼン症候群』は(氏は「代理ミュンヒハウゼン症候群」は精神状態ではなく「行為」を指し、その行為は虐待であって犯罪だと言う)海外の事例を主に扱っていましたが、今や日本でも珍しくなく(かなり前から珍しくなかったのかもしれないが)、表面化しているものも氷山の一角に過ぎないのだと思いました。
南部 さおり 『代理ミュンヒハウゼン症候群』 (2010/07 アスキー新書)

 こうした中、「被虐待児」の人間性回復において「家族体験」は重要で、「里親制度」というのはよく知られていますが、「ファミリーホーム」による「育ち直し」の支援というものが大きな役割を占めていることを知りました。

エンジェルフライト 国際霊柩送還士1.jpg 前年の第10回「開高健ノンフィクション賞」受賞作の佐々涼子氏の『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』('12年/集英社)が、著者が取材対象に入り込んで一体となっているのに対し、こちらは、取材対象との関わりはあるものの、基本的には距離を保ちつつ事象を一途に追っていく作りで、同じノンフィクションでもいろいろなスタンスがあるなあと思いました。

佐々 涼子 『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』 (2012/11 集英社)


 因みに本書の解説を、ネグレクトを扱った映画「誰も知らない」('04年)の是枝裕和監督が書いています。

【2015年文庫化[集英社文庫]】

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「●た 滝田 ゆう」の インデックッスへ

昭和迷走絵図.jpg
昭和迷走絵図01.jpg
滝田ゆうの私版昭和迷走絵図』['87年]
滝田ゆう.jpg昭和迷走絵図03.jpg 滝田ゆう(1932-1990/享年58)のイラスト画集(本人にしてみればこれも漫画なのだろう)。発刊時に書き下ろしたものもありますが、過去10年ほどの作品に加筆したものが多くを占めるとこと。「人情夢明かり」「遊情無情」「浮世巷譚」「赤猫タマのいる風景」「ぼくの空想旅行」昭和迷走絵図02.jpgという章の括りで、68作品が収められており、「人情夢明かり」から「浮世巷譚」までの51作品が単体カラーイラスト、「赤猫タマのいる風景」の9作品が2色刷りのイラスト+文章、「浮世巷譚」の8作品の内「キヨシの世界」だけが単体物モノクロ作品で、残り7作品が、1話見開きのコマ漫画という構成です。

 いずれも作者ならではの独特の味わいがあります。滝田ゆうの作品には普段コマ漫画で接することが多く、コマ漫画でもどこか絵画的なのですが、入手しやすいのは文庫だったりするので、細かい筆のタッチまで味わえなかったりします。その点、大判である本書は細部まで堪能でき、そうした"欲求不満"をしっかり解消してくれるような感じです(あの独特の吹昭和迷走絵図04.jpgき出しの中に小さく描かれているものもよく分かる)。

 それと、「キヨシの世界」に象徴される少年時代の思い出への懐かしさやや憬が随所にみられ、今は無き下町の情景が作者の心の中にはしっかり在り、またそこから新たな空想も拡がっていっているのだろうと思われます。「キヨシの世界」の前に、"空想"を巡るやや哲学的な思惟を綴った短文があります(最後、「一体全体、ぼくはなにを言おうとしているのでしょう。あーしんど...。」という言葉で締め括ってはいるが)。

ぼくの昭和ラプソディ.jpg 滝田ゆうは1990年、肝不全のため死去しましたが、58歳というのは勿体ない若さだったように思います。巻末に「ぼくの仕事場」というイラストがあり、張り紙風に「規則正しい食事と睡眠‼ 作品はその至極常識的な明け暮れの中から生まれる!」とありますが、「しかし、マンガの世界はひたすら人畜無害というわけにはいかない...」ともあり、さたに、タマと思しきネコに「...とカッコうけているわりには仕事はあまりはかどらない」と言わせています(しかし、どうして台所の片隅が仕事場なのだ?)。生前、入院中に作品の手直しとあとがきを手掛けた、本書と同じ画集形式の『ぼくの昭和ラプソディ』('91年/双葉社)が遺稿集となりました。やはり、良い作品をより多く残したいという気持ちは強かったのでしょう。
昭和迷走絵図お5.jpg
 

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有酸素運動で脳細胞が増える。週3回30~40分のランニングを推奨。動機づけにはなるか。

The Real Happy Pill.jpg運動脳.jpg 一流の頭脳.jpg アンデシュ・ハンセン2.jpg
『The Real Happy Pill: Power Up Your Brain by Moving Your Body』『運動脳』['22年/サンマーク出版]アンダース・ハンセン『一流の頭脳』['18年/サンマーク出版] アンデシュ・ハンセン(Anders Hansen)
スマホ脳3.jpgスマホ脳 (新潮新書) 』['20年]『最強脳 ―『スマホ脳』ハンセン先生の特別授業― (新潮新書) 』['21年]『ストレス脳 (新潮新書)』['22年]『脱スマホ脳かんたんマニュアル (新潮文庫 ハ 60-1)』['23年]『メンタル脳 (新潮新書 1024)』['24年]

スマホ脳』('20年.jpg 『運動脳』は、スウェーデンの精神科医で、ベストセラーとなった『スマホ脳』('20年/新潮新書)の著者によるものですが、書かれたのは本書(原題:The Real Happy Pill(「最高の薬」): Power Up Your Brain by Moving Your Body)の方が先で、『一流の頭脳』('18年/サンマーク出版)として『スマホ脳』の2年前に訳出もされています(この時の著者名の表記は"アンダース・ハンセン")。『スマホ脳』がベストセラーになったので、旧著を加筆・再編集して再出版したようです(新潮新書の『スマホ脳』はタイトルの付け方が巧かったということか。ただ、『スマホ脳』の方は、スマホ依存への対症療法的な内容に思え、やや物足りないと思ったら、どちらかと言うと本書が先にあって、『スマホ脳』の方は各論だったということになるかも。因みに、『スマホ脳』の原題は、スウェーデン語で「Skärmhjärnan」といい、作者が作ったこれもまた造語で、英訳すると「shade brain」となり、「ぼやけ脳」「霞脳」などと訳すことができるそうだ)。

シニア運動1.jpg 本書『運動脳』は、全体としては、運動(有酸素運動)で脳細胞が増え、脳が活性化することを説いていて、第1章では、運動で脳が物理的に変えられることを先ず述べています。20分から30分ほどで十分効果があると。第2章では、脳からストレスを取り払うにはどうすればよいかを説いています。運動でストレス物質「コルチゾール」をコントロールでき、また、運動は海馬や前頭葉を強化するとし(「長時間1回」より「短時間複数回」がいいとも)、運動がおそらくストレスの最も優れた解毒剤であるとしています。ウォーキングとランニングでは、ランニングの方が有効であるようです。

ランニング イメージ.jpg 第3章では、「集中力」を高めるにはどうすればよいかを説いています。ここでは、集中物質「ドーパミン」を総動員せよとし、ドーパミンを増やすにも、ウォーキングよりランニングの方がやはりいいようです。第4章では、うつ病を防ぎ、モチベーションを高めるにはどうすればよいかを説いています。近年の研究で、うつ病を防ぐにに最も効果がある運動はランニングで、ウォーキングにもうつ病を防ぐ効果があることが明らかになったそうです。また、運動で「海馬の細胞数」が増え、「性格」も変わるとのことです。30~40分のランニングを週に3回行うこと、その活動を3週間以上は続けることを推奨しています。

 第5章では、「記憶力」を高めるにはどうすればよいかを説き、持久系のトレーニングは海馬を大きくする効果があることが実験で判ったとしています。第6章では、頭の中から「アイデア」を出すのにも運動は効果的あるとしています(例として村上春樹が出てくる)。第7章では、「学力」を伸ばすにも運動は効果的であるとしています。

 第8章では、「健康脳」を維持するにはどうすればよいかを説き、やはり運動が効果的であると。第9章では「移動」することの効用を説き、「脱・スマホ脳」のプランを示しています。第10章では、どんな運動をどれくらいやればよいかを説いていますが、ランニングを週に3回、45分以上行うのが良いと。

 運動が脳にいいというのは以前から言われていたし、運動によってストレスが解消されるというのは多くの人が体験していることではないかと思います。分かりやすく書かれていて、納得させられることも多いですが、何となく感覚的に分かっていることもありました(ウォーキングよりランニングの方が有効であるとか)。やや「ある調査によると」的な根拠不明の表現が多かったでしょうか。後半にいくと、前半部分との重複も多かった気がします。

スマホ脳2.jpg 「本国スウェーデンで最も売れた本!」「人口1000万人のスウェーデンで驚異の67万部超え!」という触れ込みです(『スマホ脳』より売れたとうことか)。『スマホ脳』は(読みやすく書かれているが)先に述べたようにどちらかと言うと各論で、先に読むとしたら「健康脳」という意味で総論的なこちらかもしれません。運動をしていない人は「明日から運動しよう」、している人は「このまま続けよう」「頻度を増やそう」という動機づけにはなる、そうした意味では「いい本」かもしれません。自分自身にとってもそう運動脳3.jpgした要素はあったので、敢えて△とはせず○にしました。

 しかし、「○○脳」というタイトルの本、著者のものに限らず増えているなあ。漢字3文字の造語タイトルも増えているみたい(『食欲人』(著者はデイヴィッド・ローベンハイマー、スティーヴン・J・シンプソン他)とか『熟睡者』(著者はクリスティアン・ベネディクト、ミンナ・トゥーンベリエル他)とか)。

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〈暴走する〉イスラエルの現況を、歴史的背景から分かりやすく解き明かしている。

ガザ紛争の正体1.jpgガザ紛争の正体 宮田.jpg ガザ紛争の正体3.jpg JBpress
ガザ紛争の正体: 暴走するイスラエル極右思想と修正シオニズム (平凡社新書 1055)』['24年] 宮田 律(おさむ)現代イスラム研究センター理事長

中東 迷走の百年史.jpg イスラム研究者(学位は歴史学修士)である著者の本は、かなり以前に『中東 迷走の百年史』('04年/新潮新書) を読み、分かりよかったですが、今回も(と言っても刊行年に20年の隔たりはあるが)、〈暴走する〉イスラエルの複雑かつ特異な現況を、その歴史的背景から分かりやすく解き明かしています。

 第1章では、イスラエルの過激な行動の背景に、ナチによるユダヤ人迫害の歴史が強く影響を及ぼしていることが指摘されており、それは本書全体を通じての流れにもなっています。

 第2章から第4章では、現在イスラエルの政権を担うイスラエル極右と修正シオニズムの思想について解説し(第2章)、アメリカで生まれた、ラビ・メイル・カハネに由来する、「ユダヤのナチズム」と形容される「カハネ主義」がその源流で(第3章)、以降、「排除・殺戮の論理」を旨とするシオニズムというナショナリズムが、歴史的にどう展開されていったかが解説されています。また、ユダヤ教の本質は、現在のイスラエル極右の考えとは相容れないものであるともしています(第5章)。

 第6章では、意図的に民間人や病院・学校を攻撃するイスラエルの軍事ドクトリンの表向きの理由は、ハマスの戦闘員がそこに潜んでいるというものであるだけでなく、住民たちに多くの損害を与えることで「テロリスト」への支持を失わせるという理由もあるとのだとしています。

 第7章では、イスラエルが右傾化しているに対し、アメリカはリベラル化しているという両者の解離傾向を指摘し、第8章では、イスラエルの極右主義がは中東イスラーム世界にどういった大変動をもたらすかを考察、第9章で、パレスチナ和平に世界の世論の後押しが求められていると主張し、最後に、日本はイスラエルの極右政権に対して何をすべきなのかを述べています。

 著者は歴史研究が専門なだけに、ハマスとイスラエルの泥沼の戦争が何処から来たのか、歴史的経緯が説明されていてわかりやすいです。日常の新聞、ニュースなどの報道がどうしても歴史的な視点が抜け落ちて、今起きていることだけ報道されるので、こうした視点は大事だと思いました。

《読書MEMO》
●イスラエルは、エルサレムは古代ユダヤ王国の首都だったからイスラエルの首都であると主張する。しかし、アラブ・イスラーム勢力はエルサレムを1200年間にわたって支配したのに対して、ユダヤ支配は424年間にすぎない。(中略)古代に支配していたから自らの土地であるという理由は現在の国際社会の秩序を混乱に陥れるものだ。そのような主張を世界の多くの国が行うようになったら、さらに多くの地域紛争が発生することだろう。
スモトリッチ財務相.jpg●過激な修正シオニズムの流れを受け継ぐ極右カハネ主義者であるネタニヤフ政権のスモトリッチ財務相は、2023年3月、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区のフワーラ村(人口7000人)を「消滅させる必要がある」と発言し、同年6月、ベングビール国家治安相は、イスラエルの治安状況を安定させるために数十人、あるいは数百人、さらには数千人のパレスチナ人を殺害することがイスラエル政府の責務であると語った。
イスラエルのネタニヤフ首相とスモトリッチ財務相
●ネタニヤフ首相を頂点とするイスラエルの極右を含む政権は占領地であるヨルダン川西岸にさらに100万人のユダヤ人たちを住まわせることを考え、将来的にはヨルダン川西岸をイスラエルに併合するつもりである。

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なぜ長引くのか、終わらせることはできるのかを問うた対談集。

終わらない戦争.jpg 小泉 悠.jpg ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか.jpg
終わらない戦争 ウクライナから見える世界の未来 (文春新書 1419) 』['23年] 小泉 悠 氏(東京大学 先端科学技術研究センター准教授) 『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか デジタル時代の総力戦 (文春新書 1404)』['23年]
ウクライナ戦争の200日 (文春新書 1378) 』['22年]
ウクライナ戦争の200日.jpg ウクライナ戦争の情勢分析で定評があり、メディアへの露出も多い小泉悠氏の本ですが、前著『ウクライナ戦争の200日』('22年9月/文春新書)同様に対談集で、3人の識者との対談が6本収められています。2022年2月24日のロシアによるウクライナへの本格的な軍事侵攻から始まった戦争から200日を過ぎ、さらに500日が過ぎるまでの期間の対談集で、当初は『ウクライナ戦争の500日』というタイトルにするつもりだったのが、500日を過ぎても停戦の気配がないため、このようなタイトルになったようです。

小泉悠×千々和泰明が.jpg 第Ⅰ章「ウクライナ戦争を終わらせることはできるのか」は、防衛研究所の千々和泰明・主任研究官との、「文藝春秋ウェビナー」での対談「なぜ太平洋戦争の"終戦"は特殊だったのか」(2022年9月9日)を活字化したもの。朝鮮戦争など二十世紀以降の主要な戦争終結をヒントに、ウクライナ戦争の「出口戦略」を考えていますが、「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」という戦争終結の二つの極のどちらも困難さを孕むとし、「現在の犠牲」と「将来の危機」のどちらを取ってっも、双方はなかなか武器を置けないだろうと。また、日本の安全保障(これは小泉氏の継続的な講演テーマでもある)をどう考えるかにも言及しています。

プーチンと習近平.jpg 第Ⅱ章「プーチンと習近平の急所はどこにあるのか?」は、中国研究が専門の法政大学の熊倉潤教授との「中央公論」(2023年3月号)での対話で、戦争の長期化はプーチン政権に打撃を与えるのか、中露の権威主義体制の比較をもとに検討したもので、小泉氏が「今回の戦争で、仮にクーデターが起きてプーチンが排除されたとしても、それはあまり解決にならないと思っているんです。先に触れたように、プーチンはロシア社会の中から出てきた存在ですから、プーチンがいなくなっても今のロシアは変わらないと思います。」(p58)と述べているのが興味深いです。

小泉悠×高橋杉雄.jpg 第Ⅲ章「ウクライナ戦争「超精密解説」」、第Ⅳ章「逆襲のウクライナ」、第Ⅴ章「戦線は動くのか 反転攻勢のウクライナ、バイタリティ低下のプーチン」、第Ⅵ章「戦争の四年目が見えてきた」は、防衛研究所の高橋杉雄氏との対談で、2023年春から夏にかけて4回にわたり行われたもの(第Ⅲ章、第Ⅳ章、第Ⅴ章はそれぞれ「文藝春秋」2023年5月号7月号、8月号に掲載のものを加筆修正、第Ⅵ章は「文藝春秋ウェビナー」での対話「ウクライナ侵攻『超マニアック』戦場・戦術解説⑥」(2023年7月25日)を活字化したもの)。焦点化するバフムトの戦い、プリゴジンの存在感(ワグネルの反乱)、2023年6月に始まったウクライナの反攻など、この時期における戦争のタイムラインとして読め、「激しくも停滞した戦争」という印象は、現在(2024年7月)まで続いているように思います。

 因みに、本書刊行準備中の2023年8月23日、モスクワ北西部のトヴェリ州で墜落したビジネスジェットの乗客名簿にプリゴジンの名前があったことは周知の事実で、このことは、「プリゴジンは大衆人気が高いので、なかなか手が出せない」という小泉悠氏の言葉の後に「註」として付記されています(さすがに"暗殺"までは読めなかったか)。

Su-34.jpg あとがきに、自分は「我々が目指すべき秩序、とかいう話」よりは「シリアに派遣された『Su-34』は迷彩が褐色していてかっこいいですねグフフ」みたいなことばっかり言っている人間で「高邁な話には適任ではない」としていますが、こうした兵器オタク的な気質を隠さないところにも、この人の人気の秘密があるのかも(同じくオタク気質の高橋杉雄氏との対談で、パトレイバー、エヴァ、ナウシカ、ガンダム、ヤマトといったアニメや戦争の中の「戦争と兵器」を論じてもいる)。
ロシア軍Su-34戦闘爆撃機


小泉・高橋.jpg 『ウクライナ戦争の200日』からのメインの対談相手で、今回も対談の半分以上を占める高橋杉雄氏もメディアの露出が多いですが(二人ともBSフジの「プライムニュース」でよく見かけたが、高橋杉雄氏はその後防衛本省との併任となった関係でメディア露出を控えるようになり、小泉悠氏との対談もこれ(『終わらない戦』第Ⅵ章)が最後となった)、その高橋氏は本書に先行して『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか―デジタル時代の総力戦』('23年6月/文春新書)を出しており、こちらは共著で、下記の通り第2章から第4章はそれぞれ、笹川平和財団の福田純一・主任研究員、防衛研究所の福島康仁・主任研究官、中曽根康弘世界平和研究所の大澤淳・主任研究員が担当しています。

 第1章 ロシア・ウクライナ戦争はなぜ始まったのか 高橋杉雄
 第2章 ロシア・ウクライナ戦争―その抑止破綻から台湾海峡有事に何を学べるか 福田潤一
 第3章 宇宙領域からみたロシア・ウクライナ戦争 福島康仁
 第4章 新領域における戦い方の将来像―ロシア・ウクライナ戦争から見るハイブリッド戦争の新局面 大澤淳
 第5章 ロシア・ウクライナ戦争の終わらせ方 高橋杉雄
 終 章 日本人が考えるべきこと       高橋杉雄

 両著に共通しているのは、この戦争が「国家のアイデンティティーを巡る対立」であるということで、『ウクライナ戦争はなぜ終わらないのか』の方は、この戦争を「デジタル時代の総力戦」とし、ハイブリッド戦争として捉えている傾向が強いように思いました。ただ、その点は多くの論者が述べていることでもあり、むしろ小泉悠氏がこの戦争を「古い戦争」と捉えていることがユニークで、それがまた本質を突いているように思います(単なるオタクではない)。(●「古い戦争」であることを象徴するような報道があった。[下記])

《読書MEMO》
ロシア軍のオートバイ大集団が肉弾突撃、19台爆破され血の海に(2024.07.04 Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン) )
ロシア軍はウクライナで装甲車両を大量に失っており、その数はウクライナ国防省の発表に従えば戦車以外の装甲戦闘車両だけで1万6000両近くにのぼる。その補充に苦労しているロシア軍はこの春、窮余の一策として突撃部隊に安価なオフロードバイクを配備し始めた。
ロシアがウクライナで拡大して2年4カ月あまりたつ戦争のおよそ1000kmにおよぶ戦線で、ウクライナ側は小型の自爆ドローン(無人機)を1日に何千機と投入している。ロシア軍の思いついたアイデアは、兵士をオートバイですばやく移動させれば、自爆ドローンの攻撃を浴びる前に目的地点までたどり着けるのではないか、というものだった。
この戦術は功を奏することもある。ロシア軍は、5月9日にウクライナ北東部で始めた新たな攻勢では国境から数kmの小都市ボウチャンシクですぐに失速することになったが、この間、ほかのいくつかの正面では数km前進を遂げている。現在、ウクライナに展開しているロシア軍の兵力は50万人近くにのぼる。
しかし、たいていの場合、オートバイによる突撃はうまくいかない。これは、第一次大戦中や戦間期に突撃バイクを試験した欧州各国の軍隊にとっては驚くような結果ではないだろう。
オードバイ突撃はそれどころか、ロシア兵の血の海になることもある。6月28日、数十台規模とみられる突撃バイクの大集団が、ウクライナ東部ドネツク州南部の小都市ブフレダルでウクライナ軍の第72独立機械化旅団を攻撃した。
ロシアの戦争特派員アレクサンドル・スラドコフによれば、作戦の目的は、ウクライナ側の陣地の背後に回り込み、孤立化させることだった。攻撃前にスラドコフは「ウクライナ側に背後から、より正確に言えば後方から打撃を加えることが計画されている」と報告していた。
だが、それは実現しなかった。オートバイのほか、T-80戦車を含む装甲車両からなるロシア軍の車列をウクライナ側はドローンなどで攻撃した。ミサイルや大砲も使われたもようだ。地雷も破壊に一役買ったのかもしれない。
煙が晴れると、残されていたのは残骸と死体の山だった。第72旅団は、ロシア側の戦車16両、それ以外の戦闘車両34両、オートバイ19台などを撃破し、人員800人あまりを死傷させたと主張している。

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話題も豊富、文章も巧み、読んでいて楽しいが、総花的で1つ1つはやや浅いか。

Jellyfish Age Backwards.jpg寿命ハック1.jpg寿命ハック2.jpg
Nicklas Brendborg『Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity』『寿命ハック (新潮新書) 』['22年]

 アンチエイジングから不死に至るまで研究が隆盛を極める今日、「不老不死」はどこまで実現可能になっているのか。研究の最先端と未来を、デンマークの若手分子生物学者が、ユーモアを交えて分かりやすく解説し、実践的アドバイスも紹介した本です。全3部構成で印象に残ったのは―、

Quallen altern rückwärts.jpgベニクラゲ.jpg 第Ⅰ部「自然の驚異」(第1章~第4章)では、第1章「長寿の記録」で、自然界には、ストレスにさらされると種子のような休眠状態(芽胞)になるバクテリアや、成体の前のポリプ状態に若返るクラゲ(ベニクラゲ)などがいて(本書の原題は「Quallen altern rückwärts: Was wir von der Natur über ein langes Leben lernen können」、英題「Jellyfish Age Backwards: Nature's Secrets to Longevity」)、寿命を延ばす巧妙なテクニックを進化させた生物(食料が足りなくなると自分を食べるプラナリアなど)がいることを紹介しているのが興味深かったです

 第2章「太陽とヤシの木と長寿」では、長寿の人が住む「ブルーゾーン」というものが世界に幾つかあり、その一つが沖縄県だとのことです。ただし、沖縄がブルーゾーンだったのは20世紀末までで、現在の沖縄はBMIは日本最高で、ハンバーガーの消費量も日本一で、長寿ランキングも男性は国内中位まで下がり、もうブルーゾーンとは言えないようです。

サウナ.jpg 第Ⅱ部「科学者の発見」(第5章~第17章)では、第5章「あなたを殺さないものは......」の「ホルミシス」効果(ストレスが生物を強くする現象)というのが興味深かったです。少量のヒ素などの毒物が線虫の生命力を強めるのも、ヒトが運動して鍛えられるのもホルミシス効果であると。逆境で耐久力(レジリエンス)が向上するようです。北欧文化にある「サウナ&寒中水泳」が健康にいいのもホルミシス効果ということのようです。

 第8章「すべてを結びつけるもの」で、ホルミシスには、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典教授の研究で知られる「オートファジー(細胞のゴミ収集車)」が重要な役割を果たしているとあり、オートファジーが適切に機能しなければ、ホルミシスは実験動物の寿命を延伸しなくなると。

 第13章「血液の驚異」によると、マウスの研究では、若い血を加えることよりも、古い血を抜くことのほうが若返りに効果があったそうで、継続的に献血する人は、献血しない人々より長生きするという研究結果もあるようです。

 第16章「長生きするためのデンタルフロス」で、歯周病はアルツハイマー病や老化と関係があるらしいというのは初めて知りました。

シニア インターバルトレーニング.jpg 第Ⅲ部「役立つアドバイス」(第18章~第24章)では、第18章「楽しく飢える」で、カロリーは摂り過ぎないのがよく、最も寿命が延びるのは飢餓状態であると(腹八分目は理にかなっている)。

 第23章「測定できるものは管理できる」では、高血圧になりにくい人は長生きすると(まあ、そうだろう)。それと、運動習慣は素晴らしいが、「時間がない」ことを運動できないことの理由にする人には、「高強度のインターバルトレーニング」を薦めています。また、筋肉の減少は長寿の阻害要因となり、長生きするには有酸素運動が最も重要だが、ウエイトリフティングを加えるとさらに効果的だとしています(筋トレをせよということか)。

 第24章「物質より心」では、プラセボ手術で変形性膝関節症での痛みが軽減した例や、プラセボ薬で過敏性腸症候群の患者の症状が改善した例が紹介されていて、プラセボ効果は心が体をコントロールしていることを示していると。また、人間関係が健康に影響するとしています。

 この他にも「テロメラーゼを作る遺伝子」(第10章)や、「ゾンビ細胞を標的にする薬(老化細胞除去薬)」(第11章)、「山中因子と多能性幹細胞で細胞をリプログラミングする」(第12章)など、さまざまな長寿研究が進んでいることが紹介されてました。

 アンチエイジングの現在を知るにはよく、話題も豊富で、文章も巧みで、読んでいて楽しいです。ただ、著者自身が何か提唱しているといったものではなく(著者は大学院博士課程在学中、といことはまだ学生!)、総花的で、一つ一つがやや浅い印象も受け、断片的な知識しか得られない気もました(学者といよりノンフィクション作家か科学ジャーナリストが書いた本のよう)。

 「長寿に関するフィールド調査で常に明らかになるのは、長寿の人々は意義と目的について意識が高く、いくつになっても熱心に社会参加しているということだ」とあり、この辺りが著者個人としての結論になるのかもしれません(訳者も自身のあとがきで、この言葉が印象に残ったとしている)。

《読書MEMO》
●目次
プロローグ――若返りの泉
Ⅰ 自然の驚異
第1章 長寿の記録
第2章 太陽とヤシの木と長寿
第3章 過大評価される遺伝子
第4章 不老不死の弱点
Ⅱ 科学者の発見
第5章 あなたを殺さないものは......
第6章 サイズは重要か?
第7章 イースター島の秘密
第8章 すべてを結びつけるもの
第9章 高校で教わる生物学の誤り
第10章 不死への冒険
第11章 ゾンビ細胞とその退治法
第12章 生物時計のねじを巻く
第13章 血液の驚異
第14章 微生物との闘い
第15章 見えるところに隠れる
第16章 長生きするためのデンタルフロス
第17章 免疫の若返り
Ⅲ 役立つアドバイス
第18章 楽しく飢える
第19章 歴史ある習慣を見直す
第20章 カーゴカルトの栄養学
第21章 思索の糧 フード・オブ・ソート
第22章 中世の修道士から現代科学へ
第23章 測定できるものは管理できる
第24章 物質より心

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アンチエイジング研究の最前線を「俯瞰」乃至「概観」。

『老化は治療できるか』.jpg老化は治療できるか.jpg老化は治療できるか (文春新書 1432)』['23年]

 世界中のIT長者たちが老化制御ビジネスに巨額の資金を投じているが、果たして本当に老化は防げるのか? 若返りを可能にする物質はあるのか?-本書は、ノンフィクション作家が、アンチエイジングの最前線を追った本です。

 第1章では、人間の平均最大寿命は115歳とした論文を紹介する一方、平均寿命は延びているのに最大寿命はほとんど延びていないとしています。ゲノム編集によって伸ばす可能性もありますが、それを許すかどうかは社会が決めることだと。さらには、老化の原因とされる「老化細胞」を除去する研究も、ネズミのレベルでは行われていると。ただし、老化と死はプログラムされているとも。

 第2章「不老不死の生物の謎」では、老化しない動物「ハダカデバネズミ」や死なないクラゲ「ベニクラゲ」の謎を探っています。一方。老化というのは均質的に進行するのではなく、34歳、60歳、78歳の3つの段階で急激に進行し、このことからも、老化は遺伝的にプログラム化されているのではないかと。

ライフスパン.jpg 第3章「究極の「若返えり物質」を求めて」では、古来人はそうした物質を追い求めてきたが、ここでは、今アンチエイジング研究で話題になっている血液中の「NⅯN」という、老化によって衰える機能を活性化するという物質について述べています。ただし、老化を「病気」とした『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』の著者のハーバード大学のデビッド・シンクレア教授が急先鋒ですが(日本人ではワシントン大学の今井眞一郎教授)、そのシンクレア教授でさえ、その"特効薬"の点滴には反対しているとのこと、ただ、今井教授は、「100歳まで寝たきりにならず、120歳くらいまでには死ぬという社会は、10年、20年後には来ると思う」と。
デビッド・シンクレア『LIFESPAN(ライフスパン): 老いなき世界』['20年]
久坂部 羊 氏.jpg 因みに、文藝春秋より本書『LIFESPAN』の書評の依頼をされた作家の久坂部羊氏(この人はずっと、安易な長寿礼賛を批判し続けている)は、一般の読者には、酵母やマウスでの実験が人間にすぐに応用できるのかということは些細な問題になってしまい、「希望にあふれた著者の主張を信じ、恍惚となるにちがいない」とし、最後に「本書はどこにも嘘は書いていない。あるのは都合のいい事実と、楽観主義に貫かれた明るい見通しだ。万一、本書に書かれたことが実現するなら、この世はまちがいなくバラ色になる」と、かなり皮肉を込めて締め括っています(「週刊文春」2020年12月24日号)。

 第4章「問題は「脳」にある」では、110歳以上生きたスーパーセンチュリアンの頭脳は、認知機能が高く保たれていたとし、その謎はまだ解明されていないが、脳の細胞に可塑性が備わっていることが考えられるとしています。また、有酸素運動をしながら頭を使うといったデュアルタスク運動が、認知症予防にもなるという研究成果も。さらには、半導体に記憶をアップロードするというSFのような発想についての思考実験もあると(ただし、不老不死は楽園なのかという問題もある)。

 第5章「科学が解明した「長寿の生活習慣」」では、睡眠の大切さを説き、「レム睡眠」の減少は認知症リスクであるとか、体内時計の狂いで免疫力が低下するということが述べられています。最後に、「バランスの良い生活」をするための6要素として、「喫煙・受動喫煙」「飲酒」「食事」「体格」「身体活動」「感染症」を挙げ、「社会的つながり」が寿命を延ばすとしています。

 第6章「「長生きする老後」をどう生きるか?」では、運動で幸福度を上げるという考え方を紹介しています。軽く息切れする程度の運動を日々の生活の中で習慣化することだと。あとは多様性のあう食事と、「好きなこと」に熱中すること、重要なのは「主観的幸福感」であると。モチベーションを維持するには、もう一度「思春期」を取り戻すのがよいと。

『なぜヒトだけが老いるのか』2.jpg いろいろな研究者のいろいろな話を訊いて、やや総花的になった感じもあり(いきなり専門用語が出てくる傾向もあった)、また、先に読んだ小林武彦『なぜヒトだけが老いるのか』(講談社現代新書)同様、最後は人生論的エッセイみたいなった印象も受けました。ただ、「老化抑制」研究の最前線を「俯瞰」乃至「概観」するという、科学ジャーナリスト的な役割は一応果たしているように思います。

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前半は生物学だったのが、後半は社会学的エッセイ(シニア応援歌)になってしまったが、楽しく読めた。
『なぜヒトだけが老いるのか』.jpg『なぜヒトだけが老いるのか』2.jpg 『生物はなぜ死ぬのか』.jpg
なぜヒトだけが老いるのか (講談社現代新書)』['23年]
生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書 2615)』['21年]
 『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになった著者の第2弾(第1弾の『生物はなぜ死ぬのか』の内容は、この『なぜヒトだけが老いるのか』の第1章に集約されているので、ここでは詳しく取り上げない)。因みに著者は、生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む学者であるとのことです。

 第1章「そもそも生命はなぜ死ぬのか」は、前著『生物はなぜ死ぬのか』のおさらいで、「なぜ死ぬのか」ではなく、死ぬものだけが進化できて、今存在しているのだとしています。我々は死ぬようにプログラムされて生まれてきたのだと。ここから、死の前段階としての老化の生物学的意味と、幸福に老年期を過ごす方法を考えていきます。

 第2章「ヒト以外の生物は老いずに死ぬ」では、サケが産卵・放精後に急速に老化して死ぬことに代表されるように、野生の生き物は基本的に老化せず、長寿で知られるハダカデバネズミにも老化期間は無く、また、ヒト以外の陸上哺乳類で最も寿命が長いゾウも、ガンにもならないし、傷ついたDNAを持つ細胞を排除する能力があって、結果的に「老いたゾウ」はいないと。

 第3章「老化はどうやって起こるのか」では、老化の原因は、その傷ついたDNAを持つ細胞が居座り続けるからであると。著者は、ヒトの寿命は本来55歳くらいで、それよりも30年程度生きるのは、例外的なことであるとしています。

 第4章「なぜ人は老いるようになったのか」では、人生の40%は生物学的には「老後」だが、ゴリラやチンパンジーにさえ「老後」は無く、哺乳類では、クジラの仲間のシャチやゴンドウクジラだけ例外的に「老後」があると。ヒトに「老い」があるのは、「シニア」がいる集団は有利は有利だったためで、「老い」が死を意識させ、公共性を目覚めさせるのではないかとしています。

 第5章「そもそもなぜシニアが必要か」では、シニアまでの「競争→共存→公共」を後押しするのが「老化」であり、長い余生は、自分がのんびり過ごすためだけにあるのではなく、世の中をうまくまとめる役目もあると。

 第6章「「老い」を老いずに生きる」では、生物学的に考えると、人の社会は、若者が活躍する「学びと遊びの部分(クリエィティブ層)」とシニアが重要な役割を担う「社会の基盤を支える部分(ベース層)」の2層構造になっており、社会に対してシニアしかできないこともあるし、シニアが社会の中で存在感を示せば、「生きていればいいことがある」と思えるかもしれないと。

老年的超越.jpg 第7章「人は最後に老年的超越を目指す」では、老年的超越の心理的特徴(宇宙的・超越的・非合理的な世界観、感謝、利他、肯定)を紹介し、その生物学的な意味を考察し、そこに至る70歳~80歳くらいが人生で一番きついかも、としています。

 純粋に生物学の本かと思って読み始めたけれど、前半は生物学でしたが、後半は社会学的エッセイ(もっと言えばシニア応援歌)になってしまったような気がしました。本書にも出てくる「おばあちゃん仮説」の拡張版みたいな感じもしました。しかしながら、全体を通して楽しく読めました。


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吉田ルイ子のキャリアの原点的な写真集。

『ハーレム』.jpg吉田ルイ子1.jpg
ハーレム 黒い天使たち』['74年]吉田ルイ子(1934-2024)

吉田ルイ子2.jpg 先月['24年5月]31日に89歳で亡くなった写真家、ジャーナリストのハーレムの熱い日々 (ちくま文庫.jpg吉田ルイ子(1934-2024)の写真集で、ルポルタージュ『ハーレムの熱い日々』('72年/講談社)と並んで、初期の代表作です。(●没後2ヵ月して『ハーレムの熱い日々』はちくま文庫にて文庫化された。)

ハーレムの熱い日々 (ちくま文庫 よ-35-1)』['24年8月9日]

 北海道に生まれ、アイヌの差別を目の当たりにした幼少期がジャーナリストを志すきっかけとなり、慶應大学卒業後は、NHKそしてTBSのアナウンサーを経て渡米。コロンビア大学ではフォトジャーナリズムを専攻し、その頃から写真を撮り始め、ハーレムに居を構え(そう言えばコロンビア大学の東隣りがハーレムである)、愛らしい子供たちのスナップを皮切りに、差別・文化革命の真っ只中にあり、意識の変革にめざめていったハーレムの人々の日常や黒人運動を描写。その一連の記録をまとめた写真集が、1974年に初版が刊行された本書になります。

「ハーレム.jpg その後も、「人種差別」「子供」「女性」などを主なテーマとして、長年写真・テキストを織り交ぜた刊行物を発表してきた彼女でしたが、ニューヨーク在住中に、ハーレムで撮った写真が高く評価され、1968年に公共広告賞を受賞したのがフォトジャーナリストとしてのキャリアのスタートであり、やはりこの「ハーレム」という対象は、彼女の原点的なものと言えるでしょう。

 もともと本人の自意識は「写真家」であり、文章の方は、編集者の強い勧めがあって刊行したようですが、この写真集に添えられた短いテキストは、詩人の木島始(1928-2004)のもののようです。また、ア「ハーレム4.jpgフリカ系アメリカ人の男性と日系人女性との間に生まれた少年"Zulu"との出会いに始まり、少年の視点を織り交ぜながら一冊の写真集に仕上げているのも成功していると思います(Zulu とは長年にわたって手紙などで交流を続け、30数年ぶりに再会し、2012年の写真展「吉田ルイ子の世界」では、お祝いのメッセージが届いたという)。

「人間の証明3.jpg「人間の証明」八田.jpg そう言えば、森村誠一原作の角川映画「人間の証明」('77年/東映)の中で、ハーレムで写真屋を営む三島雪子という女性(演・ジャネット八田)が登場しますが、モデルは吉田ルイ子で(ジャネット八田は身長167㎝だが、吉田ルイ子は150㎝ぐらいと小柄だった)、その吉田ルイ子の撮った写真が背景ほかイメージ画像として使われていました。

ジャネット八田 in「人間の証明」('77年/東映)

【2010年復刻版[サンクチュアリ出版]】

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「葬送」ということについて、さらには「死」について色々考えさせられた。

エンジェルフライト 国際霊柩送還士1.jpg
エンジェルフライト 国際霊柩送還士2.jpg エンジェルフライト 国際霊柩送還士3.jpg 佐々涼子.jpg
エンジェルフライト 国際霊柩送還士』['12年]『エンジェルフライト 国際霊柩送還士 (集英社文庫)』['14年]ドラマ「エンジェルフライト 国際霊柩送還」タイアップカバー 佐々涼子氏(1968年-2024年9月1日/56歳没
2024年ドラマ放映(主演:米倉涼子)
エンジェルフライト 国際霊柩送還士ドラマ1.jpg 2012年・第10回「開高健ノンフィクション賞」受賞作。

 異境の地で亡くなった人の遺体を、国境を越えて故国へ送り届ける「国際霊柩送還士」の姿を通し、死のあり方を見つめるノンフィクション作品。やっていることは「エンバーミング」なのですが、「葬送」ということについて、さらには「死」についていろいろ考えさせられる内容でした。

 取材対象となった国際霊柩搬送業者エアハース・インターナショナルは、海外で亡くなった人の遺体の日本への帰国と、日本で亡くなった外国人の遺体を母国へ送還することを主に行っています。

 タイトルでも使用されている「エンジェルフライト」は、天使が霊柩(棺)を運んでいる図柄のエアハース社のシンボルマークで、「国際霊柩送還士」という言葉(公的資格などの名称ではない)と併せて、登録商標だそうです。今はどうか分からないですが、取材当時、きちんとした会社としてこうした仕事をしているのは日本ではこの会社だけで、よく知られている海外の事件などの犠牲者の多くを、この社が扱っていたことが本書から窺えます。

 著者は約1年かけて創業者や社員、遺族などへの取材を重ね、時には遺体搬送の現場に立ち会い、エアハース・インターナショナルが手がける国際霊柩送還士という仕事の本質に迫っています。ただし、最初は社長の木村利惠氏から「あなたに遺族の気持ちが分かるんですか。あなたに書けるんですか」と言われて断られ、取材の許可が下りたのは、取材を申し込んでから4年ぐらい経ってからだそうで、この粘りに感服します。

 会社設立は'03年で、本書を読むと、現場はいつも緊急事態の連続のような感じで、当初はとても取材など受ける状況ではなかったのと、木村利惠氏のこの仕事への思い入れから、中途半端な取材はされたくないという思いがあったのではないでしょうか。

 この著者の取材方法には、対象の中に自分自身が入っていくところがあって、自分自身の親の看取り体験などの話も出てきますが、著者自身も取材対象に入り込んでいくタイプだったのがこの場合良かったのかもしれません。

 本書は「開高健ノンフィクション賞」を受賞し、「国際霊柩搬送士」という仕事が世に広く知られるようになるましたが、さらに'23年3月17日からAmazon Primeにて、本作を原作とし、米倉涼子を主演とした配信ドラマ「エンジェルフライト 国際霊柩送還士」(全6話)が配信されました。そちらの方は今でも視聴可能なのですが、今月['24年6月]9日よりNHK BSプレミアム4KおよびNHK BS「プレミアムドラマ」枠でも放送されるので、テレビ版の方を観たいと思います(BSでの放送に際しては、プレミアムドラマの放送枠(50分)に合わせられるよう再編集されたとのこと)。

《読書MEMO》
「エンゼルフライト.jpg●2024年ドラマ化(テレビ放映)【感想】脚本はエピソード的にはオリジナルで、フィリピンなどでの海外ロケも含め、かなりしっかり作られている感じ。やや、泣かせっぽい感じもあり、一方でコミカルな要素も加わっているが、「エンゼルフライト2.jpgテレビドラマにするなら、こうした味付けも必要なのかも。米倉涼子が主演で、(エンバーミングの)施術シーンがあり、遠藤憲一まで出ているので、ついつい「ドクターX」を想起してしまい、米倉涼子の演技にも当初それっぽいものを感じた。ただ、「ドク「エンゼルフライト3.jpgターX」と異なるのは、米倉涼子がエンジェルフライト 国際霊柩送還士ドラマ2.jpg泣く場面が多いことで、彼女自身の後日談によれば、脚本上泣かなくてもよいシーンでも涙が出てきたとのこと。それは他の俳優陣も同様のようで、それだけ脚本が上手くできていたということにもなるのだろう。反響が当初の予想以上に大きいことを受け、続編の製作が決まったと聞く。

  
エンジェルフライト 国際霊柩送還士ドラマ3.jpgエンジェルフライト 国際霊柩送還士」●脚本:古沢良太/香坂隆史●監督:堀切園健太郎●音楽:遠藤浩二●原作:佐々涼子●時間:49分●出演:米倉涼子/松本穂香/城田優/矢本悠馬/野呂佳代/織山尚大(少年忍者・ジャニーズJr.)/鎌田英怜奈/徳井優/草刈民代/向井理/遠藤憲一●放映:2024/03~07(全6回)●放送局:NHK-BSプレミアム4K/NHK BS

エンジェルフライト 国際霊柩送還士 全6.jpg第1話「スラムに散った夢」(葉山奨之・麻生祐未)

第2話「テロに打ち砕かれた開発支援」(平田満・筒井真理子)


第3話「社葬VS食堂おかめ」(余貴美子・菅原大吉)

第4話「アニメに憧れたベトナム人技能実習生」(近藤芳正・濱津隆之)


第5話「那美VS究極の悪女」(松本若菜・二役)

第6話「母との最期の旅」 (草刈民代・飯田基祐)


【2014年文庫化[集英社文庫]】

●文庫Wカバー版
エンジェルフライト 国際霊柩送還士w.jpg

佐々 涼子2.jpg佐々涼子(ささ・りょうこ)
2024年9月1日、悪性脳腫瘍のため死去。56歳。
「エンジェルフライト」や「エンド・オブ・ライフ」など生と死をテーマにした作品で知られる。

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ベテランの日本軍事史研究家が、プーチン戦争の野望と誤算の全貌を解明。

ウクライナ戦争の軍事分析 (新潮新書).jpg
 秦郁彦.jpg 秦 郁彦 氏       なぜ日本は敗れたのか.jpg
ウクライナ戦争の軍事分析 (新潮新書) 』['23年]  『なぜ日本は敗れたのか―太平洋戦争六大決戦を検証する (洋泉社新書y) 』['01年]

 ベテランの軍事史研究家(専門は日本軍事史が専門)が、進行中のウクライナ戦争について、これを「プーチン戦争」と定義し、その野望と誤算の全貌の解明を試みた本です。

 著者は、ヒトラーやスターリンがそうだったように、プーチンといえども軍事作戦の行方を恣意的に操作できるものではなく、ウクライナ戦争の経緯を、「何が起きたのか、なぜそうなったにかを過不足なしに記述する」(ランケ)ことに徹したいと念じたとしています。

 全5章構成の第1章では、ウクライナ戦争がどのように始まったかを、侵攻初期のキーウ争奪戦を中心に分析し、プーチンの「特別軍事作戦」とその誤算について解説しています。

 第2章では、その前史である9世紀から21世紀までの歴史を辿り、第3章では、2022年末までのウクライナの東部と南部戦場の攻防を中心に扱っています。

 第4章では、分野別に、航空戦、海上戦、兵器と技術のほか、米国やNATOの対ウクライナ支援や対露制裁などを概観しています。

第5章では、2023年の年初から4月末に至る戦況を辿り、さらに、和平への道を展望しています。その中では、和平をめざすAからDまで4つのシナリオを示していて、どのシナリオならばの本が存在感を示せる機会があるかまで探っています。

 あとがきによれば、執筆は開戦から2か月ばかりして、リアルタイムで書いたものが、1年後に再読しても古びていないため、一字も直していないとのことです。

 また、この「論考」を、これまで30本以上を寄稿した産経新聞社の「正論」の編集部に送ったところ(著者は'14年に「正論大賞」を受賞している)、担当の論説委員から返事がなく、電話で確認したら「面白くないし、誰もが知っていることしか書いていない」と言われたとのこと、原稿をボツにするしないか、「ボツならば「正論大賞」は返上したい」「勝手もどうぞ」といった遣り取りまであったとのことです。

 新潮新書として日の目を見ることになってよかったですが、日本軍事史が専門の著者が(個人的には著者の『なぜ日本は敗れたのか―太平洋戦争六大決戦を検証する』('01年/洋泉社新書y)』などを読んだ)、90歳にして(著者は1932年12月生まれ)、畑違いとまでは言わないけれど、専門を超えてこうした本を出すというのは稀有なことだと思います。

《読書MEMO》
●目次
第一章 「プーチンの戦争」が始まった
挫折した空挺進攻  「私は首都にふみとどまる」  泥将軍と渋滞の車列  首都正面から退散したロシア軍 ◆コラム◆七二時間目の岐路
第二章 前史――九世紀から二一世紀まで
冷戦終結とソ連解体のサプライズ  クリミア併合の早業  ドンバス戦争の八年  プーチン対バイデン  ロシア軍の組織と敗因  BTGとハイブリッド戦略 ◆コラム◆「さっさと逃げるは......」
第三章 東部・南部ウクライナの争奪
ドンバスへの転進  ドネツ川岸の戦い  南部戦線の攻防  ウ軍反転攻勢の勝利  ロシアの四州併合と追加動員  ヘルソン撤退と「戦略爆撃」 ◆コラム◆「軍事的敗北と破産は突然やってくる」
第四章 ウクライナ戦争の諸相
航空戦と空挺  海上戦  「丸見え」の情報戦  兵器と技術(上)――戦車と重砲  兵器と技術(下)――ミサイルと無人機  ウクライナ援助の波  制裁と戦争犯  罪と避難民  ◆コラム◆「キーウの亡霊」伝説  ◆コラム◆戦車の時代は去ったのか?  ◆コラム◆あるドローン情報小隊の活動  ◆コラム◆使い捨てカイロを支援
第五章 最新の戦局と展望
膠着した塹壕戦の春 今後の戦局とシナリオ 平和への道程は ◆コラム◆ブフレダルの戦い ◆コラム◆ゼレンスキー(コメディアン)対プーチン(スパイ)

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ジュニア新書だが、原発事故とその後の実態は、大人でも読んで初めて知ることが多いのでは。

原発事故、ひとりひとりの記憶.jpg原発事故、ひとりひとりの記憶2024.jpg  母子避難.jpg 孤塁.jpg
原発事故、ひとりひとりの記憶 3.11から今に続くこと (岩波ジュニア新書 981) 』['24年]『ルポ 母子避難―消されゆく原発事故被害者 (岩波新書)』['16年]『孤塁 双葉郡消防士たちの3.11』['20年]『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11 (岩波現代文庫 社会333)』['23年]
吉田 千亜 氏
吉田 千亜.jpg 2011年3月11日の地震、津波、そして原発事故から10年余、その間、福島と東京を往復し、人々の声に耳を傾け、寄り添い、取材を重ねてきた著者が、あの日から今に続く日々を生きる18人の道のりを伝え、あの原発事故が何だったかを、浮き彫りにすることを試みた本です。

 第1章「原発から3kmの双葉町で」では、双葉町で牧畜を営んでいた人などに取材し、原発の近くにいた人ほど、逃げるためにいち早く知るべき情報が、まったく伝えられていなかったことが窺えます。

 第2章「原発から60kmの郡山市で」では、著者が『ルポ 母子避難―消されゆく原発事故被害者』('16年/岩波新書)でも扱った、当時母子のみで避難することになった人を追っていますが、そのことが離婚の原因となり、シングルマザーになってしまった人もいるのだなあ。

 第3章「原発から40kmの相馬市で」では、避難をせず、東電や国の責任を訴え裁判を闘った人を追っていますが、最高裁は「国の責任を認めない」との判決を言い渡し、国家賠償責任は退けた...。国策だった原発の事故なのにです。

 第4章「避難指示が出なかった地域で」では、住民たちが自分たちで放射線量を測定する組織を立ち上げた話を紹介。何せ、「ニコニコしていれば放射能は来ない」などと宣(のたま)う御用学者(山下俊一氏)がいたりしたからなあ。

 第5章「原発から20km圏内で」では、これも著者が『孤塁―双葉郡消防士たちの3.11』('20年/岩波新書、'23年/岩波現代文庫)でも扱った、原発事故発生当時、原発構内での給水活動や火災対応にもあたった双葉消防本部の消防士たちの証言を集めています。当時、職責以上のことをしていたのに公に知られることなく、そして今は被曝の後遺症の不安を抱え続けているという、何とも理不尽!

 第6章「あの原発事故は防げたかもしれなかった」では、津波は予見でき、対策をすれば原発事故は回避できたのではないかということが、東電内で「社員が津波対策を考えていた」ということからも窺えるとしながら、なのに裁判(最高裁判決)では、経営者側の「自分に責任はない」という言い分がと通ってしまったとしています。まさに「唖然」。最高裁は東電の味方なのだなあ。

 第7章・第8章では、原発事故当時子どもだった人々を取材して被曝後遺症の不安を聴くとともに、実際に甲状腺がんに罹患した子どもたちの声を集めています。第9章・第10章では、区域外避難者たちの苦難や、国の補助が限定的であったり、どんどん打ち切られたりしていることの問題を取り上げています。

 ジュニア新書ですが、本書にある原発事故とその後の実態は、大人だって本書を読んで初めて知ることが多いのではないかと思われます。こうして見ると(除染費用とか補償費用とか、住みたいところに住めないという経済的損失などから考えると)原発ほどコストのかかるエベルギー源はないように思います。それでも国としては、原発事故後に導入された運転期間を原則40年に制限する制度(40年ルール)を見直し、緩和する動きがすでに出ています。

原発推進のために、更なる税金が投入される...。喩えはおかしいかもしれませんが、負け賭博にどんどん金をつぎ込んだ人物を思い出してしまいました。

《読書MEMO》
●目次
1章 原発から3kmの双葉町で―「もう帰れないな」と思った
2章 原発から60kmの郡山市で―母子避難を経て
3章 原発から40kmの相馬市で―避難をせず、裁判を闘う
4章 避難指示が出なかった地域で―地元を測り続ける
5章 原発から20km圏内で―原発のすぐ近くで活動を続けた人たち
6章 あの原発事故は防げたかもしれなかった
7章 原発事故と子どもたち
8章 甲状腺がんに罹患した子どもたち―「誰にも言えずに」「当事者の声を聞いて」
9章 区域外避難者たちの苦難―住宅供与の打ち切り
10章 原発事故の被害の枠組みを広げる

●著者プロフィール
吉田千亜[ヨシダチア]
1977年生まれ。フリーライター。福島第一原発事故後、被害者・避難者の取材、サポートを続ける。著書に『孤塁 双葉郡消防士たちの3・11』(岩波書店)にて、本田靖春ノンフィクション賞(第42回)、日隅一雄・情報流通促進賞2020大賞、日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞を受賞。

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高校生による「ウクライナ戦争」についての座談会記録。取り組みは素晴らしい。

10代が考えるウクライナ戦争.jpg10代が考えるウクライナ戦争 (岩波ジュニア新書 963)』['23年]

 若い世代の感性が、この戦争をどう受け止めたかという生の声が聴けるのがいいです。みんなしっかりした意見を持っているなあと思いました。ただ、ファシリテーターの力量にもよるのかもしれませんが、やや整理しきれないまま拡散気味に討議が終わってしまった印象のものもあったように思います。良かったのは、最初の東京都立国際高校と、最後の玉川聖学院でしょうか。

 国際高校の場合、学校の性質上、10人ほどの討議参加者の中に、ウクライナから避難民として来た転入生や、さらに外国人やハーフの生徒もいて、個々の発想が多角的で、若い人の間にもさまざまな考え方があることに気づかされました。

 一方、玉川聖学院は女生徒5人ほどでの討議でしたが、ひとりひとりの知識と意識が深かったように思います(ここもメンバーのうち1人は外国人)。学校のホームページを見ると、教育の3つの柱として「かけがいのない私の発見」「違っているから素晴らし」といった言葉が見られました。

 巻末に、ロシア文学者の奈倉有里氏の「ウクライナ情勢をどう見るか―学問と文化の視点から」があり、さらに、ジャーナリストの池上彰氏の「21世紀の理不尽な戦争をどう考えるか」が付されていて、どちらも本書の要を得た解説になっています(また、最後に、「戦争と平和を考えるためのブックガイド」が付されおり、この中に『同志少女よ、敵を撃て』('21年/早川書房)などもある)。

池上彰.jpg 池上彰氏は、高校生諸君はいずれも優秀で(自分もそう思った)、さまざまな状況をしっかり把握しているが、戦争を理解する上での「正解」はなく、「正しい答え」を追い求める発想にとらわれているいうに感じたとしており、さすが池上氏だなあと。外国人が討議メンバーにいる高校と、日本人生徒のみの高校で、後者の方が参加者の意見が均質化しているように、個人的には思いました。

 ただ、こうした取り組みは素晴らしいことであり、直接こうした討議に参加する機会が無くとも、本書を通じて、この戦争についてより深く考える若い人が増えることも考えられるので、大変いいことではないかと思います。

《読書MEMO》
●目次より
はじめに
いま、私たちにできること.........東京都立国際高等学校
歴史を学ぶ、言葉を学ぶ.........早稲田佐賀高等学校
ウクライナ人少女との交流から.........愛知県立豊田南高等学校
この戦争とどう向き合うか.........渋谷教育学園渋谷中学高等学校
知ることが大事.........玉川聖学院高等部
ウクライナ情勢をどう見るか――学問と文化の視点から.........奈倉有里
二一世紀の理不尽な戦争をどう考えるか.........池上 彰

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今回の戦争を俯瞰するには良い。「古い戦争」であるとの指摘がユニーク。

ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697).jpg小泉悠.jpg 小泉 悠 氏 講演中の小泉 悠 氏.jpg 講演・質疑応答中の小泉氏('24.7.10 学士会館)講演テーマ「ロシア・ウクライナ戦争と日本の安全保障」
ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697)』['22年]

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナ戦争が始まりました。同年11月刊行の本書は、今やマスコミ・講演会等で引っ張りだこの軍事研究者(自分も来月['24年7月]その講演を聴きに行く予定)が、このウクライナ戦争について'22年末に書き下ろしたものです(本書では、2014年3月のロシアによるクリミア侵攻を「第一次ウクライナ戦争」とし、今回の侵攻を「第二次ウクライナ戦争」としている)。2024(令和6)年・第17回 「新書大賞」第8位。

 第1章(2021年1月~5月)で2021年春の軍事的危機を扱い、第2章(2021年9月~2022年2月21日)で開戦前夜の状況を振り返って、戦争への道がどのように展開していったかを解説しています。

 第3章(2022年2月24日~7月)で開戦からロシアの「特別軍事作戦」がどのように進行したかを、第4章(2022年8月~)で本書脱稿の2022年9月末まで、戦況がどのように推移していったか、そこで鍵を握った要素は何であったかを分析しています。

 そして第5章では、この戦争をどう理解すべきか、この戦争の原因なども含め考察しています。

 このように、開戦前の状況を含め、開戦から半年後までのウクライナ情勢が良くまとめられており、開戦から2年強を経た今見返すと、今回の戦争というものをある程度〈体系的〉に把握できます。今回の戦争を俯瞰するには良い本だと思います。

プーチン.jpg 読んでみて思ったのは、これはやはりプーチンが起こした戦争であるということ、また、いろいろな不確定要素(特にアメリカの姿勢など)があり、先を読むのが難しいということです。

 興味深いのは、世間ではこの戦争は、戦場での戦いと「戦場の外部」をめぐる戦い(非正規戦、サイバー戦、情報戦)が組み合わさった「ハイブリッド戦争」であると言われているが、戦争自体は、極めて古典的な様相を呈する「古い戦争」であるとしている点です。

 無人航空機などのハイテク技術は使われているものの、戦争全体の趨勢に大きな影響を及ぼしたのは、侵略に対するウクライナ国民の抗戦意識、兵力の動員能力、火力の多寡といった古典的要素だとしています。

 そうなると、なおさらのこと、NATOやアメリカの、この戦争に対する関わり方というのがかなり今後の戦況に影響を及ぼすのではないかとも思います(結局、「戦場の外部」の概念を拡げれば、広い意味での「ハイブリッド戦争」ということにもなるか)。

ドナルド・トランプ.jpg 因みに、ドナルド・トランプは、今年['24年]11月のアメリカ大統領選に向けたテレビ討論会では、「これは決して始まってはならなかった戦争だ」と言い、ロシアのプーチン大統領の尊敬される「本物の米大統領」がいれば、プーチン氏は開戦しなかったとして、ウクライナ危機はバイデン氏の責任だとする一方、ウクライナのゼレンスキー大統領を「史上最高のセールスマン」と述べ、米国はウクライナに巨額の資金を費やしすぎだとし、自らが当選すれば、大統領に就任する前に、戦争を止めてみせると豪語しています(これまた大風呂敷のように思える)。

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双葉社刊最終号。「ベスト映画」より「サイテー映画」特集の方が面白さで言えば面白い?

「映画秘宝」2205.jpg   東京暮色  1957.jpg 「ヨーロッパの解放 1970.jpg 「1941.jpg
東京暮色 デジタル修復版 [DVD]」「ヨーロッパの解放 HDマスター 1 <クルスク大戦車戦>(通常仕様) [DVD]」「1941 [DVD]
映画秘宝 2022年5月号 [雑誌]
映画秘宝 2205.jpg 双葉社刊の月刊「映画秘宝」の最終号です。このあと約2年の休刊期間を経て昨年['23年]12月、新たに設立された「合同会社秘宝新社」が雑誌の権利を取得し、今年['24]年1月19日発売の3月号から、月刊誌として約2年ぶりに「再々創刊」されていることは、これまでのこの雑誌の経緯と併せ、前エントリーに書きました。

 最終号が「サイテー映画」特集となるところがこの雑誌らしいです。因みに、1つ前の4月号が「映画猛者101人が選ぶ、2022年オールタイム映画ベストテン!」という特集なのですが、この「サイテー映画特集」でも「新世紀アメリカ・サイテー映画10傑」とか「日本のサイテー映画」といったジャンル別ランキング方式をとっていて、20以上の分野ごとのラインアップを、その分野にこだわりを持つ評論家が挙げており、思いもかけない映画が出てくるあたりは、こちらの方が、役に立つかどうかはともかく(笑)、面白さで言えば面白いかもしれません。
 
東京暮色157a.jpg10『東京暮色』.jpg 因みに、「日本のサイテー映画」(浦山珠夫)には、小津安二郎の「東京暮色」('57年/松竹)が入っていたりしますが、選者の浦山氏は、「サイテー映画の後始末」という視点で、「期待を裏切られてガッカリしたけど、改めて見るとなかなか」という映画を選んだとしています。「東京暮色」についても、主人公が鉄道自殺する、このやりきれなさが味わいなのだが、当時の評価では、「大人はわかってくれない」といった普遍的テーマを小津が扱ったことへの観客の違和感が、「失敗作」のレッテルにつながったとしています(前年にジェームズ・ディーン主演の「理由なき反抗」('55年/米)が日本公開されたりしているのだが)。個人的には小津は、キネ旬のランキングなんか気にせず(この映画は1957年度「キネマ旬報ベストテン」で第19位だったが、笠智衆によれば、小津安二郎自身がそのことを自虐を込めて語っていたようだ)、もっとこういう映画を撮って欲しかったです。評価は○
 
「ヨーロッパの解放.jpg「ヨーロッパの解放」2.jpg 「サイテー戦争映画」(大久保義信)では、4作挙げられているうちの1つが「ヨーロッパの解放」('70年~'71年)であり、これは全5部計468分の大作(7時間48分。観ていて、終いには、どれが何の戦いなのかわからなくなってくる(笑))。第1部は、史上最大の作戦と言われる1943年夏のロシア西部要衝クルクスの戦いがメイン、第2部はハリコフ奪回からドニエプル河渡河そしてウクライナ"解放"へ、第3部は1944年のベラルーシ"解放"戦。第4部はポーランドやチェコスロバキアの"解放"戦、第5部はベルリン戦から終戦へ―大久保氏に言わせると、これらが「史実の歪曲や無視、曲解のオンパレードで描かれる『これそ国策映画』」で、「これじゃ『ヨーロッパの侵略』だろう」としています。ただし、個人的には、初めて観た時はついていくのが精いっぱいで、あまりそこまで考えませんでしたプーチン.jpg評価は△(なるほど、ソ連の頃からロシアは変わっていない。プーチン大統領は「ヨーロッパをファシズムから解放した」ソ連の歴史と、後継国としてのロシアの国際的地位を強調することで、国内で政権への求心力を高めてきた。2022年2月のウクライナ侵攻も、ウクライナ政府はネオナチ思想に毒されており、ロシア系住民を迫害・虐殺しているとして、そのウクライナを「非ナチ化」するためとしてしていることは、次エントリーの小泉 悠『ウクライナ戦争』('22年/ちくま新書)などにも詳しい。)
 
「1941」.jpg「1941」3.jpg 「スティーブン・スピルバーグのダメ映画5選」(尾崎一男)で1位は「フック」('91年)、2位は「1941」('79年)になっています。選者の尾崎氏は、「1941」が駄作の筆頭のイメージがあるが、精緻なサンタモニカ公園のミニチュアや、それを攻撃する「1941」三船.jpg日本軍の奇襲攻撃シーンなどに見るべきところは多く、年を経るにつれてカルト的な評価を得て悪評も薄らいだ感があるとしています。ただし、本分であるコメディ演出は笑えないともしていて(三船敏郎はなぜこんな映画に出てしまったのか)、こちらは個人的には、世間評と同じくスピルバーグの一番の駄作であるように思われ、初めて観た時から評価は×

 「サイテー映画」とされていても、個人的な評価が必ずしも一致しないのは当然なことだし、カルト的人気で評価を挽回しているものもかなり含まれているように思いました。こうした特集にさえ取り上げられない「箸にも棒にも掛からない」映画もたくさんあるわけで、こうした特集に取り上げられるということは、それだけ観た人にインパクトを残したという面もあるように思います。


東京暮色 有馬稲子 .jpg東京暮色_640.jpg「東京暮色」●制作年:1954年●監督:小津安二郎●製作:山内静夫●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:140分●出演:原節子/有馬稲子/笠智衆/山田五十鈴/高橋貞二/田浦正巳/杉村春子/山村聰/信欣三/藤原釜足/中村伸郎/宮口精二/須賀不二夫/浦辺粂子/三好栄子/田中春男/山本和子/長岡輝子/櫻むつ子/増田順二/長谷部朋香/森教子/菅原通済(特別出演)/石山龍児●公開:1957/04●配給:松竹●最初に観た場所(再見):(18-06-28)((評価:★★★★)

「ヨーロッパの解放」03.jpg「ヨーロッパの解放(全5部)」●原題:ОСВОЬОЖЛЕНИЕ(OSVOBODZHDENIE)●制作年:1970-71年●制作国:ソ連●監督:ユーリー・オーゼロフ●製作:エマ・トーマス/チャールズ・ローヴェン/クリストファー・ノーラン●脚本:ユーリー・オーゼロフ/ユーリー・ボンダリョフ/オスカル・クルガーノフ●撮影: イーゴリ・スラブネヴィッチ●時間:468分●出演:ニコライ・オリャーリン/ラリーサ・ゴルーブキナ「ヨーロッパの解放」3.jpg/ミハイル・ウリヤーノフ/イヴォ・ガラーニ/フリッツ・ディッツ/スタニスラフ・ヤスケヴィッチ/ブフティ・ザカリアーゼ●日本公開:(第1部・第2部)1970/07/(第3部)1971/07/(第4部・第5部)1972/08●配給:松竹映配●最初に観た場所:三鷹オスカー(83-12-11)(評価:★★★)

「1941」2.jpg「1941」●原題:1941●制作年: 1979年●制作国:アメリカ●監督:スティーヴン・スピルバーグ●製作: バズ・フェイトシャンズ●脚本:ロバート・ゼメキス/ボブ・ゲイル●音楽:ジョン・ウィリアムズ●時間:118分●出演:ジョン・ベルーシ/ネッド・ビーティ/ダン・エイクロイド/ロレイン・ゲイリー/マーレイ・ハミルトン/クリストファー・リー/ティム・マシスン/三船敏郎/ウォーレン・オーツ/ナンシー・アレン/ジョン・キャンディ/エリシャ・クック/ジェームズ・カーン(クレジットなし)●日本公開:1980/03●配給:コロンビア ピクチャーズ●最初に観た場所:飯田橋・佳作座(80-07-08)(評価:★★)●併映:「ローラー・ブギ」(マーク・L・レスター)

《読書MEMO》
●1957年度キネマ旬報ベストテン
1.米
2.純愛物語
3.喜びも悲しみも幾年月
4.幕末太陽傳
4.蜘蛛巣城
6.気違い部落
7.どたんば
8.爆音と大地
9.異母兄弟
10.どん底
11.地上
12.あらくれ
13.雪国
14.南極大陸
15.メソポタミア
16.世界は恐怖する
17.風前の灯
18.大阪物語
19.東京暮色
20.正義派
20.くちづけ
22.満員電車
23.黄色いからす
24.殺したのは誰だ
25.糞尿譚
26.女体は哀しく
27.挽歌
27.倖せは俺等のねがい
27.土砂降り
30.明治天皇と日露大戦争

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休刊最終号の1つ前の号。いろいろあったが「再々創刊」された!

「映画秘宝」2204.jpg 映画秘宝 2024年 03 月号.jpg 「ブリット」1968.jpg 「ブリット」10.jpg
映画秘宝 2022年4月号 [雑誌]』(双葉社)『映画秘宝 2024年3月号 [雑誌] 』(秘宝新社)「ブリット」スティーブ・マックイーン
 月刊「映画秘宝」が、約2年の休刊期間を経て昨年['23年]12月、新たに設立された「合同会社秘宝新社」が雑誌の権利を取得し、今年['24]年1月19日発売の3月号から、月刊誌として約2年ぶりに「再々創刊」されています。

映画秘宝 エド・ウッドとサイテー映画の世界』['95年/洋泉社]『映画宝島 発進準備イチかバチか号』['90年/JICC出版局]
「映画秘宝」創刊.jpg「映画宝島」1990.jpg町山智浩.jpg 雑誌「映画秘宝」のあらましを辿ると、1995年に洋泉社で創刊、初代編集者は、今は映画評家として知られる町山智浩氏で、JICC(ジック)出版局(現・宝島社)に早稲田の学生バイトからそのまま入社した後に洋泉社に出向し、そこで「映画秘宝」の流れにつながる「映画宝島」('90年創刊)シリーズを企画しています。1996年に町山氏が退職し、田野辺尚人氏が2代目編集長として刊行を継続、田野辺氏は1993年に思潮社の編集者から洋泉社に転じた人です(このように洋泉社は宝島社との人的交流があったこともあり、1998年に宝島社の子会社となった)。

 「映画秘宝」は、当初「不定期刊」だったのが、1999年5月にA4版の「隔月刊」映画雑誌としてリニューアル、2009年から「月刊」化されています。2020年2月1日付で洋泉社が宝島社に吸収合併され解散するのに伴い、宝島社では継続発行せず、2020年3月号をもって休刊となり、その後、休刊時の編集長だった岩田和明氏が新たに発足させた「合同会社オフィス秘宝」が「映画秘宝」の商標権を取得、岩田氏が編集長として同社による編集、双葉社が発行する形で同年4月発売の6月号より復刊、ただし、それも、岩田氏の「恫喝DM問題」などを経て、2022年3月発売の5月号で、双葉社の刊行物としては休刊しています(休刊時の「合同会社オフィス秘宝」代表は田野辺氏、相談役は町山氏)。

「映画秘宝」2204.jpg「映画秘宝」22042.jpg 本誌2022年4月号は、その双葉社刊の最終号の1つ前の号となり、(表紙は'22年公開の「THE BATMAN-ザ・バットマン-」だが)特集名「映画猛者101人が選ぶ、2022年オールタイム映画ベストテン!」として、巻頭に町山智浩氏と平山夢明氏の「映画秘宝オールタイム・ベストテンを語る」という対談があり、メインで「深堀り!マイ・ベスト・オールターム映画」という特集を組んでいます。ここでは、「モダン・アメリカン・カルト映画マイ・ベスト」「日本のカルト映画マイベスト」「ヨーロッパのカルト映画ベストテン」といった感じで30ジャンルに渡って、それぞれのジャンルにこだわりを持つ評論家や識者などが選評しています。いきなりカルト映画がきて、その後に西部劇とか時代劇とやくざ映画とかがくるのが、この雑誌らしいかもしれません。


「ブリット」映画秘宝.jpg「ブリット」00.jpg 「モダン・アメリカン・カルト映画マイ・ベスト」で「パルプフィクション」などをベスト10に挙げていた町山智浩氏が、「カーチェイス映画オールタイムベスト10」で、ピーター・イェーツ監督の「ブリット」('68年)を挙げています。

「ブリット」040.jpg「ブリット」01.jpgブリット ロバート・ヴォーン.jpg サンフランシスコ市警察本部捜査課のブリット警部補(スティーブ・マックイーン)は、チャルマース上院議員(ロバート・ヴォーン)から裁判の重要証言者の保護を命じられる。その証言者とは、ジョー・ロスというマフィア組員。ロスは組の金を横領し、ヒットマンから狙われたために、司法取引によってマフィアを潰す証人となることで身の安全を図ったのだ。しかし、証人は何者かに、殺されもう一人の刑事も重傷を負ってしまう。ブリットは、証人が生きている、という偽の情報を流し、殺し屋を誘き寄せる作戦に出るが―。

 「ブリット」は、スティーブ・マックイーンが1968年式フォードムスタング・マッハワンで殺し屋の車を追ってサンフランシスコの旧坂を爆走して、ハリウッド映画にカーチェイス革命を起こしたとしています。この映画はジャクリーン・ビセットなども出てたりしますが、プロット的にも良かったのではないでしょうか。個人的にはカーチェイスは確かにすごいですが、改めて観ると、アクションだけの映画でなかったことに気づかされます(カーチェイスは「当時としては」革命的だったということだろう)。


「バニシングポイント」2.jpg それと、町山氏は「バニシング・ポイント」('71[「バニシングポイント」.jpg年)も挙げていますが、こちらの方がクルマ主体かも。1971年製「白」のダッチ・チャージャー(「ブリット」でカーチェイスの相手となった悪役がこれの1968年式「黒」に乗っていた)を陸送でコロラドからサンフランシスコに出来るだけ早く届ける賭けをした元レーサーのコワルスキー(ハリー・ニューマン)の話で、町山氏は「哲学映画」としています。個人的にはずっと観れないでいたのが、昨年['23年]4Kデジタルリマスター版を劇場で見ることが出来ました。
  
「ブリット」●原題:BULLITT●制作年: 1968年●制作国:アメリカ●監督:ピーター・イェーツ●製作:フィリップ・ダ「ブリット」000.jpgントーニ●脚本:アラン・R・トラストマン/ハリー・クライナー●撮影:ウィリアム・A・フレイカー●音楽:ラロ・シフリン●原作:ロバート・L・フィッシュ●時間:113分●出演:スティーブ・マックイー「ブリット」ビセット.jpgブリット ロバート・デュバル.jpgン/ジャクリーン・ビセット/ロバート・ヴォーン/ドン・ゴード/ロバート・デュヴァル/サイモン・オークランド/ノーマン・フェル/ジョーグ・スタンフォード・ブラウン●日本公開:1968/12●配給:ワーナー・ブラザース=セヴン・アーツ●最初に観た場所:池袋・文芸坐(80-07-16)●2回目:Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下(23-10-02)(評価:★★★★)●併映:1回目「華麗なる賭け」(ノーマン・ジュイソン)
ジャクリーン・ビセット ブリット.jpg
 
ワーナー・ブラザース創立100周年記念上映「35ミリで蘇る ワーナーフィルムコレクション」selected by ル・シネマ(2023)
ワーナーフィルムコレクション.jpg

 
「バニシング・ポイント」●原題:VANISHING POINT●制作年:1971年「バニシング・ポイント」00.jpg●制作国:アメリカ●「バニシング・ポイント」シネマート.png監督:リチャード・C・サラフィアン●製作:ノーマン・スペンサー●脚本:ギレルモ・ケイン(ギリェルモ・カブレラ=インファンテ)●撮影:ジョン・A・アロンゾ●時間:105分●出演:バリー・ニューマン/クリーヴォン・リトル/リー・ウィーバー/カール・スウェンソン/ディーン・ジャガー/スティーブン・ダーデン/ポール・コスロ/ボブ・ドナー/ティモシー・スコット/ギルダ・テクスター/アンソニー・ジェームズ/アーサー・マレット/ビクトリア・メドリン/シャーロット・ランプリング(イギリス公開版のみ)●日本公開:1971/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:シネマート新宿(スクリーン1)(23-04-04)((評価:★★★★)

シネマート新宿

 
 
 
 「日本の怪獣映画のベストテン」で切通理作氏(1964年生まれ)が、「ゴジラ」('54年)を第5位とし、その上に第4位で「モスラ」('61年)がきていて、さらに上に第2位で「モスラ対ゴジラ」('61年)がきているというのが分かる気がしました(「ゴジラ」の5位は、白黒作品のため70年代にあまりテレビ放映されず、やっと観たのが小学4年だったことに起因すると)。一方、「ゴジラ対へドラ」('71年)を第6位にしていますが、小2の時初めて観たゴジラ映画がこの作品だったとのこと。幼少期にリアルタイムで観たものの方が相対的に記憶に残るというのはあるなあと思いました。

ゴジラ ポスター.jpgゴジラ.jpg「ゴジラ」●制作年:1954年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚本:村田武雄/本多猪四郎●撮影:玉井正夫●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二ほか●原作:香山滋●時間:97分●出演:宝田明/河内桃子/平田昭彦/志村喬/堺左千夫/村上冬樹/山本廉/榊田敬二/鈴木豊明 /馬野都留子/菅井きん/笈川武夫/林幹/恩田清二郎/高堂国典/小川虎之助/手塚克巳/橘正晃/帯一郎/中島春雄/川合玉江/東静子/岡部正/鴨田清/今泉康/橘正晃/帯一郎●公開:1954/11●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿名画座ミラノ (83-08-06)●2回目:TOHOシネマズ 日比谷 (24-07-17)(評価:★★★☆→★★★★(再見し評価変更))●併映:「怪獣大戦争」(本多猪四郎)

「モスラ.jpgモスラ.jpg「モスラ」●制作年:1961年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:古関裕而●特殊技術:円谷英二●イメージボード:小松崎茂●原作:中村真一郎/福永武彦/堀田善衛「発光妖精とモスラ」●時間:101分●出演:フランキー堺/小泉博/香川京子/ジェリー伊藤/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/上原謙/志村喬/平田昭彦/佐原健二/河津清三郎/小杉義男/高木弘/田島義文/山本廉/加藤春哉/三島耕/中村哲/広瀬正一/桜井巨郎/堤康久●公開:1961/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):新宿シアターアプル (83-09-04)(評価:★★★☆)●併映:「三大怪獣 地球最大の決戦」(本多猪四郎)   

モスラ対ゴジラ.jpgモスラ対ゴジラ1964.jpg「モスラ対ゴジラ」●制作年:1964年●監督:本多猪四郎●製作:田中友幸●脚色:関沢新一●撮影:小泉一●音楽:伊福部昭●特殊技術:円谷英二●時間:89分●出演:宝田明/星由里子/小泉博>/ザ・ピーナッツ(伊藤エミ、伊藤ユミ)/藤木悠/田島義文/佐原健二/谷晃/木村千吉/中山豊/田武謙三/藤田進/八代美紀/小杉義男/田崎潤/沢村いき雄/佐田豊/山本廉/佐田豊/野村浩三/堤康久/津田光男/大友伸/大村千吉/岩本弘司/丘照美/大前亘●公開:1964/04●配給:東宝(評価:★★★☆)

「へドラ.jpg「ゴジラ対ヘドラ」1971p.jpg「ゴジラ対ヘドラ」●制作年:1971年●監督:坂野義光(水中撮影も兼任)●製作:田中友幸●脚本:馬淵薫/坂野義光●撮影:真野田陽一●音楽:眞鍋理一郎(主題歌:「かえせ! 太陽を」麻里圭子 with ハニー・ナイツ&ムーンドロップス)●特殊技術:中野昭慶●美術:井上泰幸(1922-2012)●時間:85分●出演:山内明/柴本俊夫(柴俊夫)/川瀬裕之/麻里圭子/木村俊恵/吉田義夫/中山剣吾(ヘドラ)/中島春雄/●公開:1971/07●配給:東宝●最初に観た場所(再見):神保町シアター(22-08-18)(評価:★★★☆)

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1,500円という価格はお得感がある講談社学術文庫版。参考書的にも使える。
若冲  講談社学術文庫.png 辻 惟雄.jpg  若冲  河出文庫.jpg 「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」.jpg
若冲 (講談社学術文庫)』['15年]辻 惟雄 氏/『若冲 (河出文庫)』['16年] NHKドラマ「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」中村七之助(伊藤若冲)/永山瑛太(大典顕常)['21年]
I若冲.jpg 伊藤若冲(いとう・じゃくちゅう、1917-1800)研究の第一人者で、日本美術史への多大な貢献により2016年度「朝日賞」を受賞している辻 惟雄(のぶお)氏による講談社学術文庫版『若冲』は、1974(昭和49)年に美術出版社から発売された『若冲』の文庫版で、原本は若冲の《動植綵絵》全30幅を原色版で最初に載せた大型本でしたが、若冲を知る人がまだ少なかった当時、出版は時期尚早で、発行部数も僅かであったところ、普及版として講談社学術文庫版より刊行され、40年以上を経て再び陽の目を見ることとなったものです。

 原本はカラー図版57図、モノクロ31図を載せた後、Ⅰ伝記と画歴、Ⅱ若冲画小論、Ⅲ印譜解説、Ⅳ若冲流について、の4章から成る本文が続き、それに図版解説、史料、文献、年譜が付いていますが、この文庫版でも、カラー図版、モノクロ図版ともにほとんど原本通りに採録されているとのことなので、原本の迫力には及ばないものの(原本は現在入手困難な稀覯本となっている)、文庫本としては豪華であり、1,500円という価格はお得感があります。

 《動植綵絵》全30幅をはじめ有名作品を網羅した図版数は150点以上となり、しかも文庫本で新たに増補されたものもあったりして、その代表格が、巻頭の口絵《動植綵絵》全30幅の前にある《象と鯨図屏風》で、何とこれがゾウとクジラが互いの大きさを誇示し合っているような画です。これが三つ折りの見開きで6ページ分使っていて、文庫の制約を超えんばかりの迫力です(若冲ってニワトリばかり描いていたわけではないのだ)。
象と鯨図屏風1.jpg 象と鯨図屏風2.jpg

Equncm4UYAAaKzV.jpg おおよそ全350ページのうち、青物問屋の若旦那から転じて画家になった若冲の生涯を画歴と併せて辿った第Ⅰ部までが本書の半分170ページ分を占め、第Ⅳ部まで230ページ、あとの100ページは収録図版の解説となっていますが、個人的な読みどころはやはり第Ⅰ部で、相国寺の僧・大典顕常が若冲の才覚を理解し庇護したことということが強く印象に残りました。

 図録としては、文庫サイズなのでやや迫力を欠きますが、《動植綵絵》全30幅をオールカラーで載せているだけでも貴重と言えます。稀覯本の文庫化だからこそとも言え、最初から文庫だったらこうはならなかったかもしれません。

河出文庫版『若冲』.jpg 河出文庫版『若冲』の方は、伊藤若冲の生誕300年を記念して出版されたもので、若冲について様々な分野の人が書いた文章が17編(16人)収められており、最初の辻惟雄氏のものなど2編は、"若冲専門家"による水先案内のような役割を果たしていまうsが、あとは、哲学者の梅原猛、フランス文学者の澁澤龍彦、作家の安岡章太郎、比較文学者の芳賀徹...etc.その分野は多岐にわたります。

 一人につき、長いもので20ページ弱、短いものだと3ページとコンパクトで、作家の安岡章太郎が若冲について書かれたものはもともと非常に少ないらしいとして代表的な研究者の論考を挙げていますが、本書では、研究者に限定しないものの、よくこれだけ若冲について書かれたものを探し当てたなあという気もします。

安岡 章太郎.jpg その安岡章太郎の文章「物について―日本的美の再発見」も13ページとこれらの中でも長い方ですが、坂崎乙郎の「伊藤若冲」は18ページほどあり、若冲をシュルレアリストと位置付けているのが興味深かったです。結局みんな自分の得意分野に引き付けて論考しているということなのかもしれませんが、それはそれでいいのではないでしょうか。

 安岡章太郎は、《動植綵絵》などは時代を超えて屹立し続ける傑作としながらも、展覧会では「虎図」に目を奪われたとし(これ、講談社学術文庫版の表紙になっている)、また、若冲の膨大な作品の中では晩年の「蝦蟇・鉄拐図」に最も感銘を受けたとしています。

 このように、どの人がどの作品をどう評価しているか、どう気に入っているかというのも本書を読む上で興味深い点になりますが、この河出文庫版は図録が無いので、それが難点。そこで、講談社学術文庫版『若冲』を手元に置いて読むといいかなとも思います。

 「虎図」はともかく、「蝦蟇・鉄拐図」あたりになるとフツーの若冲の画集本には載っていなかったりしますが、講談社学術文庫版『若冲』にはしっかり掲載されています。講談社学術文庫版は、参考書的使い方もできるということかもしれません。

《読書MEMO》
●2021年NHKでドラマ化(全1話「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」)。
ライジング若冲 天才 かく覚醒せり3.jpg【感想】伊藤若冲の実像を、その才能を目覚めさせた僧侶・大典顕常をはじめとする若冲を取り巻く芸術意識の高い京の人々との交流、代表作《動植綵絵》の誕生秘話を交えてドラマ。時代考証担当はNHKの大河ドラマの時代考証でよく大石学氏.jpgその名を目にする大石学氏だが、辻惟雄氏の本と符合する部分が多かった。中村七之助(伊藤若冲)と永山瑛太(大典顕常)のダブル主演で、そのほかに、中川大志(円山応挙)、池大雅(池大雅)、門脇麦(池玉瀾)、 石橋蓮司(売茶翁)。大典顕常が伊藤若冲を支援し続けたのは史実。売茶翁が81歳の時に売茶業を廃業し、愛用ライジング若冲1.jpgの茶道具を「私の死後、世間の俗物の手に渡り辱められたら、お前たちは私を恨むだろう。だから火葬にしてやろう」と焼却したのも事実のようだ。伊藤若冲、円山応挙、池大雅は在京都同時代の画家でライジング若冲2.jpgあるには違いないが、ドラマでは同世代のライバルのように描かれている。実際には、伊藤若冲は1716生まれ、池大雅は1723年生まれ、円山応挙は1733年生まれで、少しずつ年齢が離れている。これに対し、大典顕常は1719年生まれで実年齢で若冲に近い(ドラマでは若い二人の関係がボーイズラブを示唆するような描かれ方になっていた。BWブームに便乗したか)。池大雅の妻・玉蘭も画家だったことを今回初めて知った。

「ライジング若冲 天才 かく覚醒せり」●作・演出:源孝志●出演:中村七之助/永山瑛太/中川大志/大東駿介/門脇麦/渡辺大/市川猿弥/木村祐一/加藤虎ノ介/永島敏行/石橋蓮司●放映:2021/1/2(全1回)●放送局:NHK

中村七之助(伊藤若冲(1716-1800)/84歳没)/永山瑛太(大典顕常(1719-1801/82歳没))
ライジング若冲 若冲・大典.jpg
中川大志(円山応挙(1733-1795/62歳没))/大東駿介(池大雅(1723-1776/52歳没))
ライジング若冲 応挙・大雅.jpg
石橋蓮司(売茶翁[若冲:画](1675-1763/88歳没))/門脇麦(池玉瀾(1727-1784/57歳没))
ライジング若冲 売茶翁・玉蘭.jpg

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ベストセラー日本人論2冊。組織論的にも多くの示唆を含む『タテ社会の人間関係』。今一つ分からない『日本人とユダヤ人』。
タテ社会の人間関係1.jpg タテ社会の人間関係2.jpgタテ社会の人間関係★中根千枝.jpg タテ社会の人間関係3.jpg
タテ社会の人間関係―単一社会の理論 (1967年) (講談社現代新書)』『タテ社会の人間関係 (講談社現代新書)
日本人とユダヤ人1970.jpg 日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア).jpg 日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー).jpg 日本人とユダヤ人 oneテーマ21.jpg
日本人とユダヤ人』['70年]『日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)』['71年]『日本人とユダヤ人 (山本七平ライブラリー)』['97年]『日本人とユダヤ人 (角川oneテーマ21 (A-32))』['04年]
Iタテ社会の人間関係 日本人とユダヤ人.jpg 『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』は、社会人類学者の中根千枝氏が1967年に出版した日本論であり、半世紀以上を経た今も読み継がれているロングセラーです。よく「日本はタテ社会だ」と言われますが、その本質を、日本社会の構造、組織のあり方という観点から説明したものです。

 著者によれば、日本人の集団意識は「場」に置かれており、日本のように「場」を基盤とした社会集団には、異なる資格を持つ者が内包されているため、家や部落、企業組織、官僚組織といった強力かつ恒久的な枠が必要とされるとのことです。そこで、日本的集団は、構成員のエモーショナルな全面的参加により一体感を醸成し、集団の肥大化に伴い、「タテ」の組織を形成するのだとしています。

 著者は、社会集団を構成する要因は、「資格」と「場」の2つに大別されるとし、「資格」とは、氏や素性、学歴、地位、職業、経済的立場、男女といった属性を指して、こうした属性を基準に構成された社会集団を「資格による集団」と呼び(職業集団や父系血縁集団、カースト集団などがその例)、一方、「場による社会集団」とは、地域や所属機関のような一定の枠によって個人が集団を構成する場合を指すとのこと(例えば、「○○村の成員」、「○○大学の者」など)。資格と場のいずれの機能が優先されるかは、その社会の人々の価値観と密接に関係するが、例えば、インド人の集団意識はカーストに象徴されるように、「資格」によって規定されているのに対し、日本人の集団意識は「場」に置かれているとのことです。

 だから日本人は、職種(=資格)よりも、A社、B大学といった自分の属する職場(=場)を優先して、自分の社会的位置づけを説明するのだと。それはつまり、日本人にとっては、「場」=「会社・大学」という枠が、集団構成や集団認識において重要な役割を果たしているからであり、とりわけ、会社は個人が雇用契約を結んだ対象という認識ではなく、「私の会社・われわれの会社」というふうに、自己と切り離せない拠り所のように認識されているのだとしています。

 この特殊な集団認識を代表するのは、日本社会に浸透している「イエ(家)」の概念であり、著者の定義する「家」とは、家族成員と家族以外の成員を含んだ生活共同体・経営体という「枠」の設定によって作られる社会集団であるとのことですが、この「家」集団内における人間関係は、他の人間関係よりも優先され、例えば、他の家に嫁いだ娘・姉妹よりも、他の家から入ってきた嫁のほうが「家の者」として重視されるが、これは、同じ両親から生まれた兄弟姉妹という「資格」に基づいた関係が永続するインド社会とはかけ離れているとのことです。

 社会人類学というのは当時聞き馴れない領域でしたが、本書の目的は、人々のつき合い方や同一集団内における上下関係の意識といった、社会に内在する基本原理を抽象化した「社会構造」に着目し、日本社会の特徴を解き明かすことにあったとのことで、ある種、構造主義的人類学の手法に通じるものがあるように思いました。

 前記の通り、著者によれば、日本社会では、「場」、つまり会社や大学という枠が集団構成や集団認識において重要な役割を果たし、こうした社会では、「ウチの者」「ヨソ者」を差別する意識が強まり、親分・子分関係、官僚組織によって象徴される「タテ」の関係が発達し、序列偏重の組織を形成するとのこと。こうしたメカニズムは、年次や派閥がものをいう組織、前任者の顔色を窺って改革を断行できない経営者といった諸問題に繋がっていると言え、これは今も根本的に変わっていないように思います。組織論的に見ても、今の社会に通じる多くの示唆を含む名著であると思ます。

山本七平(1921-1991)
山本七平.jpg 『日本人とユダヤ人』はイザヤ・ベンダサン名義で1970年に山本書店より刊行された本で、ベストセラーという意味では『タテ社会の人間関係』以上に売れ、『日本人と○○人』といった題名の比較型日本人論が一時流行したほどですが、やがて著者は山本書店の店主で、ベンダサン名義の作品の日本語訳者と称してきた山本七平(1921-1991/享年69)であることが明らかになり、'04年に、今は無き新書レーベルの「角川oneテーマ21」には著者名「山本七平」として収められました(解説にも「イザヤは山本のペンネーム」という旨が明記されている)。

 内容は、ユダヤ人と対比することによって日本人というものを考察している日本人論であり、この中では著書のイザヤ・ベンダサンは日本育ちのユダヤ人ということになっています。

 著者が、ユダヤ人との対比において指摘する日本人の特性として、四季に追われた生活と農業とそこから生まれるなせばなるという哲学や、模範を選び、それを真似ることで生きてきた隣百姓の論理、大声をあげるほど無視され、沈黙のうちに進んでいく政治的天才、法律があっても、必ず拘束されるわけではない、それを超えて存在する法外の法に従うという実態などを挙げていて、それなりに説得力があるように思いました。

 ただ、著者はさらに突き進み、日本人の論理の中心に据えられた「人間」という概念を、そのような日本人の特徴をユダヤ人との対比で考察しながら、日本人は、決して無宗教ではなく、「人間」を中心とした一つの巨大な宗教集団なのだという結論を導き出しますが、このあたりから個人的にはよく分からなくなりました。

 著者は、日本人は、無宗教である人が多いと言われるが、実際にはそうではなく、自分自身の宗教をそれを意識すらしないほどに体に染み込ませているという意味で、日本教は世界中のどこよりも強い、強烈な一つの宗教なのだという著者の論理は、受け容れられる人とそうでない人で分かれるのではないかと思いました。

 著者の論理で言えば、キリスト教であっても、仏教であっても、それは全て日本教に組み込まれており、日本人はどんなに頑張っても結局、日本教徒でしかありえず、日本人の究極の概念は、神よりもまず人間であり、神を人間に近づける形でしか日本人は神を理解できないということです。

 普段意識しない日本人という枠組みを、本書によって考える機会を与えられたのは確かで、実際、多くの人がこの本に共感し、「山本学」という学問(?)まで流行ったくらいですが、個人的には「今一つ分からない」といった印象であり、それは当時も今も変わっていません(今振り返ると、随分と難しい本がベストセラーになったものだなあという気もする)。

51Aにせユダヤ人と日本人.jpg 本書に対する批判として、宗教学者、神学博士の浅見定雄氏の『にせユダヤ人と日本人』('83年)があり、それによれば、「ニューヨークの老ユダヤ人夫婦の高級ホテル暮らし」というエピソードは実際にはあり得ない話であり(英語版『日本人とユダヤ人』では完全にこのエピソードがカットされている)、「ユダヤ人は全員一致は無効」という話も、実は完全な嘘あるいは間違いであるとのことです。「日本人は安全と水を無料だと思っている」というベンダサンの警告は当時鮮烈でしたが、その対比としての、安全のために高級ホテル暮らしをするユダヤ人夫婦という話が「あり得ない話」ならば、説得力は落ちるのではないでしょうか。それとも、これも山本教徒にとってはどうでもいいことなのでしょうか(因みに本書は1971(昭和46)年・第2回「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞している)。
浅見定雄『にせユダヤ人と日本人 (1983年)
       
比較文化論の試み.jpg日本人の人生観.jpg 個人的には著者の書いたものを全否定するわけではなく、講談社学術文庫に収められた『比較文化論の試み』('75年)は多くの気づきを与えてくれて良かったし(この本は最初に読んだときはそうでもなかったが、読み直してみて、鋭い指摘をしているのではないかと思った)、『日本人の人生観』('78年)もまずまずでした(こちらは、ユダヤ・キリスト教文化圏の歴史観・人生観と日本人のそれを対比させている)。一方で、『日本人と中国人』などは、知識人、読書人で絶賛する人は多いですが、自分にはよく分かりませんでした。

 浅見定雄氏は、山本七平は、自分でもよくわかっていないことを、わからないまま書き連ね、収拾がつかなくなると決まって「読者にはおのずからお分かりいただけるだろう」というふうに書いて、よくわからないのは読者の頭が悪いからだと思わせるごまかしのテクニックを使っているとも指摘していますが、全てがそうでないにしても、『日本人と中国人』などは『日本人とユダヤ人』以上に自分にとってはその類でした。

 ただ、その『日本人と中国人』についても、内田樹氏などは、「決して体系的な記述ではないし、推敲も十分ではなく、完成度の高い書物とは言いがたい」としながらも、「随所に驚嘆すべき卓見がちりばめられていることは間違いない。何より、ここに書かれている山本の懸念のほとんどすべてが現代日本において現実化していることを知れば、読者はその炯眼に敬意を表する他ないだろう」としていて、こんな見方もあるのだなあと。自分が頭が悪いのか、はたまた、この人の場合、書いたものによって相性が良かったり悪かったりするのでしょうか。

『日本人とユダヤ人』...【1971年文庫化[角川ソフィア文庫]/1997年選書[山本七平ライブラリー]/2004年新書化[角川oneテーマ21]】

《読書MEMO》
●『タテ社会の人間関係』
・単一社会―頼りになる集団はただ1つ(p64)
・タテの関係は親分。子分関係、官僚組織によって象徴される(p71)
・リーダーは一人に限られ、交代が困難(p122)
・日本のリーダーの主要任務は和の維持(p162)
・論理を敬遠して感情を楽しむ(p181)

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中国の新型コロナウィルスの封じ込め戦略を紹介(政治的なことにはあまり触れず)。

新型コロナVS中国14億人.jpg中国・武漢市、全市民にPCR検査実施へ.jpg
中国・武漢市、全市民にPCR検査実施へ(日経電子版2020年5月12日)
新型コロナVS中国14億人(小学館新書)

武漢封鎖.jpg ネットメディアで活躍する筆者が、新型コロナウィルスの中国の戦い方をレポート的に紹介し、日本における対策との違いを明らかにしたもの。著者は、中国を「隠蔽で初動が遅れ、ウイルスをばらまいた国」という一面のみでとらえるべきではないと言い、「中国が嫌いな人にこそ本書を読んで欲しい」とも言ってます。実際、中国は、人権国家ならば到底出来ないような強硬な対応策を断行し、今年['20年]春節の前に武漢をロックダウンするなどして、中国全土で人の集まる場所を公共・民間を問わず閉鎖するなどしてきましたが、その結果、4月にはコロナの封じ込めに成功したと公表するに至っています。

武漢  病院.jpg 武漢に昼夜突貫工事の10日間の工期でベッド数1000床の巨大コンテナ病院が建設され、5Gを用いた通信システムにより遠隔診断し治療法が指示され、医療用ロボットが体温測定や消毒、医療品の運搬を行った―。スピーカーを搭載した5Gドローンが住宅地を巡回し、お喋りしている人やマスクをつけていない人を家に追い返したりし、仕舞には「ウィルスをばらまいたら死刑」になるという法律を作ったりとか、我々から見ればやり過ぎではないかと思われることもあったりしましたが、本書を読んで、全部が全部「共産党の一党独裁国家だからできたのだ」で片づけてしまうのも確かに知恵が無いように思われました。

アリババ CT画像から20秒で診断.jpg PCR検査なしでもCT画像からコロナを診断してもよいとされ、アリババ・グループのAI技術がCT画像から20秒で診断(その的中率は96%とのこと)、3月上旬までに中国の160の病院で採用されるなどし、それ以前、2月には、これもアリババ提供の行動監視アプリ「健康コード」が杭州で導入され、赤・黄・緑で表示され、緑であれば自由に行動ができ、黄は1週間、赤は2週間の自宅待機が要請されたとのこと。こうしたことから窺えるのは、政府が全体を統括してはいるものの、実質的なリーダーは医師と企業(IT企業)だったとのことです。さらに言うと、中国国民はそもそも政府をあまりあてにしておらず、自分自身を守るためにいち早く自ら動いたとのこと、タイトルはそのことをも意味しているのでしょう。

 こういうのを読むと、中国に比べて日本の場合は、リーダーは一体どこにいるのかと言っていい体たらくで(国も自治体も責任を取りたがらないのだろう。と言って、医師・専門家の言うことを素直に受け入れるわけでもない)、対応の遅さもありますが、加えて、著者の言うように、IT環境が中国と比べ周回遅れの状況であるなどといった根底的な問題も見えてきます。

 本書についてのAmazon.comのレビューを見ると、中立的な立場で書かれているという評価が多くみられる見られる一方で、一部に、あまりに中国寄りで、すべて「中国は正解」の立場からのレポートになってしまっているとの批判も見られました(「どちらに大きく味方するでない中立的文章が特徴です。いや、今回はちょっと中国よりか。」というのもあった(笑))。

 著者も、中国が最初は新型コロナウィルスの発生を隠蔽したように、この国は政治面で大きな問題を抱えており、それは今後も繰り返されるだろうと言っているし、中国政府の初動対応の失敗については中国人自身が誰よりも怒っている、としています。ただし、政治的なことはそれ以上にはあまり踏み込まず(著者は九州のブロック紙・西日本新聞の記者出身で、中国のエキスパートだが基本的には経済ジャーナリスㇳ)、中国の新型コロナウィルスの封じ込め戦略に重点を置いて、そちらの方を紹介する内容になっているので、「中国をアゲる」意図が無くても、ウェイト的にそういう見られ方をしてしまうのではないでしょうか。

 実は、個人的にも、その辺りが引っ掛かりました。中国が新型コロナウィルスの封じ込めにおいて為した多くの施策の中には、日本が学ぶべきことも多いかと思いますが、日本はなぜ同じことが出来ないのかを考える際に、政治的な背景をあまり考える必要がないものと、そこに引っ掛かるものとがあるように感じられました(評価は、ややどっちつかずだが星3つ半にした)。

《読書MEMO》
●その後の動向
・2020年9月8日:テレビ朝日/中国がコロナに勝利宣言 武漢残った日本人も招待
「新型コロナ拡大の責任」伏せて中国が事実上終息宣言.jpg

・2020年10月17日:テレビ朝日/中国・武漢で"コロナとの闘い"展覧会
中国・武漢でコロナとの闘い展覧会.jpg

・2020年12月9日:産経新聞/「ウイルスの発生源は中国ではない」と訴える中国政府の大キャンペーンが再び活発に
ウイルスの発生源は中国ではない」.jpg

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人間を主人公として書かれた防災史。身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢。

天災から日本史を読みなおす1.jpg天災から日本史を読みなおす2.jpg天災から日本史を読みなおす3.jpg 天災から日本史を読みなおす4.jpg
天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

 2015(平成27)年・第63回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。

 映画化もされた『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』('03年/新潮新書)の著者が、「天災」という観点から史料を調べ上げ、日本において過去に甚大な被害をもたらした「災い」の実態と、そこから読み取れる災害から命を守る先人の知恵を探ったものです(朝日新聞「be」で「磯田道史の備える歴史学」として2013年4月から2014年9月まで連載していたものを書籍化)。

 やはり日本における天災と言えば最初に来るのは地震であり、最初の2章は地震について割かれ、第3章では土砂崩れ・高潮を取り上げています。第4章では、災害が幕末史に及ぼした影響を考察し、第5章では、津波から生き延びるための先人の知恵を紹介し、最終第6章では、本書が書かれた時点で3年前の出来事であった東日本大震災からどのような教訓が得られるかを考察しています。

 第1章では、豊臣政権を揺るがした二度の大地震として、天正地震(1586年)と伏見地震(1596年)にフォーカスして、史料から何が読み取れるか探り、地震が豊臣から徳川へと人心が映りはじめる切っ掛けになったとしています。専門家の間でどれくらい論じられているのかわかりませんが、これって、なかなかユニークな視点なのではないでしょうか。

 第2章では、やや下って、江戸時代1707(宝永4)年の富士山大噴火と地震の連動性を探り、宝永地震(1707年)の余震が富士山大噴火の引き金になったのではないかと推論しています。本震により全国を襲った宝永津波の高さを様々な史料から最大5メートル超と推測し、さらに余震に関する史料まで当たっているのがスゴイですが、それを富士山大噴火に結びつけるとなると殆ど地震学者並み?(笑)。

 第3章では、安政地震(1857年)後の「山崩れ」や、江戸時代にあった台風による高潮被害などの史料を読み解き、その実態に迫っています。中でも、1680(延宝8)年の台風による高潮は、最大で3メートルを超えるものだったとのこと、因みに、国内観測史上最大の高潮は、伊勢湾台風(1959年)の際の名古屋港の潮位3.89メートルとのことですが(伊勢湾台風の死者・行方不明は5098人で、これも国内観測史上最大)、それに匹敵するものだったことになります。

 全体を通して、過去の天災の記録から、身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢が貫かれており、後になるほどそのことに多くのページに書かれています。個人の遺した記録には生々しいものがあり、人間を主人公として書かれた防災史と言えます。一方で、天災に関する公式な記録は意外と少ないのか、それとも、著者が敢えて政治史的要素の強いもの(災害のシズル感の無いもの)は取り上げなかったのか、そのあたりはよく分かりません。

 2011年の東日本大震災が本書執筆の契機となっているかと思われます。ただし、著者の母親は、二歳の時に昭和南海津波に遭って、大人子供を問わず多くの犠牲者が出るなか助かったとのこと、しかも避難途中に一人はぐれて独力で生き延びたというのは二歳児としては奇跡的であり(そこで著者の母親が亡くなっていれば本書も無かったと)、そうしたこともあって災害史はかなり以前から著者の関心テーマであったようです。

 このような歴史学者による研究書が「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作になるのかと思う人もいるかもしれませんが(自分自身も若干そう思う)、過去には同じく歴史学者で今年['20年]亡くなった山本博文(1957-2020)氏の『江戸お留守居役の日記』('91年/読売新聞社、'94年/講談社学術文庫)が同賞を受賞しており(そちらの方が本書よりもっと堅い)、また、岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』('08年)や『裁判の非情と人情』('08年)といった本も受賞しているので、中公新書である本書の受賞もありなのでしょう(前述のような個人的思い入れが込められて、またその理由が書かれていることもあるし)。

 最近、テレビでの露出が多く、分かりやすい解説が定評の著者ですが、文章も読みやすかったです。

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「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が新鮮だった。

「死」とは何か 完訳版1___.jpg『「死」とは何か 完全翻訳版』.jpg「死」とは何か.jpg 
「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 完全翻訳版

 イェール大学で20年以上続いている著者の「死」をテーマにした講義を書籍化したもので、2018年10月に384ページの「縮約版」が刊行され、翌2019年7月にそのほぼ倍の769ページに及ぶ「完訳版」が刊行されています。本書は前半が、「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートになっており、後半が、「死」にどう向き合うかという「人生哲学」的とでも言うべき内容になっていますが、縮約版では、

『「死」とは何か 完全翻訳版』2.jpg  第1講 「死」について考える
  第2講 二元論と物理主義
  第3講 「魂」は存在するか?
  第4講 デカルトの主張
  第5講 「魂の不滅性」についてのプラトンの見解
  第6講 「人格の同一性」について
  第7講 魂説、身体説、人格説――どの説を選ぶか?

  第8講 死の本質
  第9講 当事者意識と孤独感――死を巡る2つの主張
  第10講 死はなぜ悪いのか
  第11講 不死――可能だとしたら、あなたは「不死」を手に入れたいか?
  第12講 死が教える「人生の価値」の測り方
  第13講 私たちが死ぬまでに考えておくべき、「死」にまつわる6つの問題
  第14講 死に直面しながら生きる
  第15講 自殺

の全15講の内、第2講~第7講が割愛されていたようです。縮約版は結構話題になったものの、大幅な割愛に対する読者から不満もあったりして、完訳版の刊行となったようです。

 個人的には、後半の「人生哲学」的なパートも悪くなかったですが、結構ありきたりで、やはり前半の「死」とは何かを考察する「形而上学」的なパートが良かったです(実質的には第10講かその前ぐらいまでは、「形而上学」的な要素も結構含まれているとみることもできる)。この本の場合、「死」について考えることはそのまま、「心((魂)」とは何か、「自分」とは何かについて考えることに繋がっているように思いました。

 著者の立場としては、「人間=身体+心(魂)」であるという「二元論」を否定し、「人間=身体」であるという「物理主義」を支持しています。現代科学の趨勢からも、個人的にも、確かにそうだろうなあとは思います。つまり、「私」乃至「私の心」とは、ラジオ(身体)から流れてくる音楽(意識)のようなもの(宮城音弥『心とは何か』('81年/岩波新書))で、両者は一体であり、デカルトの言うように「身体」と「心」は別であるという「二元論」は成り立たないと。ただし、頭でそう思っても、無意識的に「二元論」的に自己を捉えている面があることも否定し得ないように思います。

 本書では(縮訳で割愛された部分だが)、デカルトの「二元論」や、プラトンの「魂の不滅性」に丁寧かつ慎重に反駁していくと共に、「人格の同一性」(=その同一なものこそが「私」であるという考え)について取り上げ、自分とは何かというテーマに深く入っていき、魂説、身体説、人格説のそれぞれを論理的に検証していきます。

 個人的に非常に興味深く思ったのは、魂説、身体説、人格説と並べれば、本書の流れからも身体説が有力であり、実際に本書では、「人格説への異論」を唱えることで「身体説」の有効性を手繰り寄せようとしていますが、同時に、身体説の限界についても考察している点です(第7講)。

 わかりやすく言えば、例えば誰かが他人から心臓移植を受けても、その人が「自分」であることは変わらないですが、脳の移植を受ければ、それは脳の持ち主が身体の持ち主になるということ。つまり、身体が滅んでも脳が生き延びれば「自分」は生き延びるということで、これがまさに「身体説」であるということかと思いますが(つまり、「自分」とは脳という「身体」の産物であるということ)、本書では、「脳を分けることができるとしたら?」という思考実験をしています。

 つまり(知人の子で、生後すぐに脳腫瘍の手術をして脳が片側しかない子がいて、それでも普通に生活しているが)、仮にある人の右脳と左脳をそれぞれ別の身体に移植したら、「人格」も「身体」も分裂できるのか?、その際に「魂」はどうなるのか?(ここで「魂」論が再び顔を出す)という問題を提起しており、ここから、「魂」も分裂できるのか?(この場合の「魂」は「意識」と言ってもいいのでは)、分裂できない場合、「魂」は誰のものか?、分裂できなければ魂なしの人間が生まれてしまうのか?、といった様々な難問が生じ、「魂」説はこの分裂の仮説に勝てず、さらに、圧倒的にまともに思えた「身体説」も同時に脆弱性を帯びてくるということです。

 個人的には、本書の中で、この「脳を分けることができるなら?」という仮説を巡っての考察が、今まで考えたことがなくて最も斬新に感じられ、それを考えさせてくれただけで、本書を読んだ価値はあったように思います。

 後半の「死」との向き合い方とでも言うか、死を通しての「人生の価値」の測り方(第12講)などは、どこかでこれまでも考えたことがあるような話であるし(「太く短く」がいいか「細く長く」がいいかとか、「終わり良ければすべて良し」なのかとかは、無意識的に誰もが考えているのでは)、死ぬまでに考えておくべきこと(第13講)、死と直面しながら生きるとはどういうことか(第14講)、自殺の問題(第15講)なども、ものすごく斬新な切り口というわけでもないように思いました。

 読者によっては、後半の方が「胸に響いた」という人がいてもおかしくないと思いますが、「余命宣告をされた学生が、"命をかけて"受けたいと願った」授業というキャッチコピーほどではないかも。既視感のある「人生哲学」よりも、やはり「形而上学」のパートがあってこその本書の面白さであり、その部分において新鮮な思考実験を示してくれていたので「◎」としました。
「死」とは何か 3.jpg

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「●相対性理論・量子論」の インデックッスへ 「●講談社現代新書」の インデックッスへ ○日本人ノーベル賞受賞者(サイエンス系)の本(湯川秀樹) 「●岩波新書」の インデックッスへ

専門的な数式を避けて現代物理を解説『物理の世界』。アインシュタインの岩波版にも通じる。

物理の世界 講談社現代新書 旧カバー.jpg 物理の世界 講談社現代新書 新カバー.jpg 湯川秀樹 1949.jpg  物理学はいかに創られたか 上.jpg 物理学はいかに創られたか 下.jpg
物理の世界 (講談社現代新書)』['64年]湯川 秀樹/『物理学はいかに創られたか(上) (岩波新書)』『物理学はいかに創られたか(下) (岩波新書)』['39年]

物理の世界/物理学はいかに創られたか.JPG 『物理の世界』は1964年6月刊行で、執筆者に1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹(1907- 1981)博士の名があり、序文も湯川博士が書いていますが、当時は現役の京都大学教授でした(残り2人の著者、片山泰久(1926 - 1978)も当時京大教授で山田英二は助教授)。

物理の世界 真鍋.JPG 堅苦しい理論や専門的な数式を避けながら、現代物理の全体像とキー・ポイントを要領よく説いた入門書を創りたいという湯川博士の念願を実現したのが本書であるとのことで、そのためSFの手法を借りています(先に取り上げた相島 敏夫/丹羽小弥太 著『こんなことがまだわからない』('64年/ブルーバックス)と同じく、イラストは真鍋博)。

 例えば、全9話から成る本文のうち、第1話では、主人公たちの知る博士(SFに定番の所謂「ハカセ」)が、過去に存在した人間の脳を現代に呼び戻す装置を完成させたという前提のもと、アルキメデスやケプラー、プランクを呼び出して彼らに物理学の発見の歴史の話を訊くという設定で、第2話では、金星に向かう宇宙船の船内で、A氏とB氏が、主にニュートン力学に関する対話するといった具合です(A氏とかB氏という表現に真鍋博のイラストが似合う(笑))。こんな感じで最後までいき、最終章の第9話も、ギリシャのターレス、レウキッポス、ピタゴラスらを現代に呼び寄せて会話させるスタイルをとっていて、こうした会話部分は誰が書いたのでしょうか。話はニュートン力学からエネルギーとエントロピーの話になって、電波とは何か、分子・原子とは何かという話になり、相対性原理の話になって、最後は素粒子物理学の話になっていきます。

アルベルト・アインシュタイン.jpg これで思い出すのが、岩波新書のアインシュタインとインフェルトの共著『物理学はいかに創られたか(上・下)』で、1939年10月刊行という岩波新書が創刊された翌年に出た本ですが、こちらも、数式を一切使わずに、一般性相対理論や量子論まで展開される物理学の世界がコンパクトにまとめられています。

 話は古典力学から始まり(『物理の世界』もそうだった)、すべての現象は物体と物体との距離が決めるものであり、そこには引力や斥力が働く慣性の世界があるというニュートン力学の理論を第1章で解説し、第2章でその古典力学に反証を行い、第3章と第4章で、物理学を根本から覆してしまった相対性理論と量子力学を解説しています。

Albert Einstein converses with Leopold Infeld in Princeton.
Albert Einstein converses with Leopold Infeld.jpgレオポルト・インフェルト.jpg 共著者のレオポルト・インフェルト(1898-1968)はユダヤ系ポーランド人の物理学者で、アインシュタインはインフェルトのポーランドからの救出を米国に嘆願したものの、すでに何人ものユダヤ人の脱出を援助していたため効力が弱く、そこで、インフェルトとの共著でこの物理学の一般向けの本を書き、推薦書の代わりにしたとのことです。アメリカに渡ったインフェルトは1936年からプリンストン大学の教職に就き、アインシュタインの弟子となって、必ずしも数学が得意ではなかったアインシュタインに対して多くの数学的助言をしたとのことです(ブルーバックスに『アインシュタインの世界―物理学の革命』('75年)という著作がある)。

石原純 作品全集』Kindle版
石原純 作品全集.jpg また、翻訳者の石原純(1881-1947)は、理論物理学者であると同時に科学啓蒙家でもあり、西田幾多郎や九鬼周造にハイゼンベルクの不確定性原理をはじめとする当時最先端の物理学の知識を伝達したことでも知られている人で、科学雑誌の編集長をするなど一般の人向けにも啓発活動を行っており、 "科学ジャーナリスト"のはしりと言っていい人ではないかと思います。

 両著を比べると、『物理の世界』の方が相対論、量子論はさらっと流している印象で、相対論はやはり『物理学はいかに創られたか』の方が詳しいでしょうか(量子論の方は初歩的な解説して終わっている(笑))。ただ、同じ入門書でありながらも、『物理学はいかに創られたか』の方が、古い翻訳であるというのもあるかもしれませんが、少しだけ難解だったかもしれません。
 

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こんなことがまだわからない9.JPGこんなことがまだわからない01.jpgこんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ.jpg
こんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ (ブルーバックス 26)』['64年]
(本文イラスト:真鍋博

 科学ジャーナリストの相島敏夫(1905 - 1973)と科学評論家の丹羽小弥太(1917 - 1983)の共著で、1964年1月刊。ブルーバックスはその前年9月刊行の菊池誠『人工頭脳時代』が創刊第1号なので、同レーベルの中でもかなり初期にものとなります(刊行№は26)。取り上げられている科学の疑問は以下の24です。
 ・なぜ私たちはカゼをひくのか
 ・日本脳炎のウイルスは秋になるとどこへいくのか
こんなことがまだわからない20.JPG ・渡り鳥はなぜ渡る
 ・日本人はどこから来た
 ・太陽はなぜ熱いのか
 ・汗はなぜかく
 ・太陽の使者は私たちに何をもってくるか
 ・花はなぜ咲く
 ・何が雨をよぶのか
 ・海水から真水がとれないか
 ・泡にもナゾがある
 ・夢と眠りのふしぎ
 ・月世界はどんな所か
 ・宝石は合成できないか
 ・地震は予知できるのか
 ・地球の内部はのぞけないものか
 ・地球はほんとうにまるいのか
 ・知られざる塩
 ・どうして味や香りを感じるか
 ・アレルギーはどうしておこる
 ・ガンの正体はつきとめられたか
 ・内臓の交換はなぜむずかしいのか
 ・生きるということ

 「日常の科学」とでも言うか、生活に馴染みがある事象を多く取り上げていて、各テーマの中でも更に細分化されたテーマについて、わかっていることについては解説を、わからないことについてはどこまでがわかっていてどこまでがわかっていないかを丁寧に解説しています。

 何十年かぶりに読み返してみて、今でも依然わかっていないことの方が多いように思えました。大体、科学というものは、わかればわかっただけ、新たにわからないことが多くなるのだろうなあという気がします。

 両著者がそれぞれ「暮らしの手帖」と「婦人画報」に連載したものに加筆したもので、だから身近な事象を多く取り上げているのだとは思いますが、細分化されたテーマの解説などのなかにはかなり専門的な話もあり、密度が濃く、手抜きされてはいないという印象を受けます。昭和30年代から40年代にかけて、日本人の間に強い科学指向があったのではないかなと思います。

 2013年に版元がブルーバックスの刊行50周年を記念して「発行部数ランキング」を「創刊50年の通算ランキング ベスト20」と「21世紀のランキング ベスト10」に分けて発表していますが(本書は19位にランクインしている)、ベスト20のほとんどが60年代か70年代の刊行です(2017年に通算2000番突破を記念して新ランキングが発表されたが「21世紀のランキング ベスト10」の第10位以外は変わっていない)。

 う~ん、他にも「サイエンス・アイ新書」('06年創刊)のようなサイエンス系の新書レーベルが創刊されたりしたこともあったかもしれませんが、「PHPサイエンス・ワールド新書」('08年創刊)が休刊になったりするなど、全体のパイ自体がそれほど増えていない気がします。サイエンス系に関心を持つ生徒や学生の裾野が狭まっているようにも思えますが、どうなのでしょうか。

《読書MEMO》
●ブルーバックス創刊50年の通算ランキング ベスト20(2013年)
1 1998『子どもにウケる科学手品77』 後藤道夫
2 1975『ブラックホール』 ジョン・テイラー
3 1966『相対性理論の世界』 ジェームズ・A.コールマン
4 1968『四次元の世界』 都筑卓司
パズル・物理入門(旧).gif5 1967『パズル・物理学入門』 都筑卓司
6 1965『量子力学の世界』 片山泰久
7 1970『マックスウェルの悪魔』 都筑卓司
8 1965『計画の科学』 加藤昭吉
9 1968『統計でウソをつく法』 ダレル・ハフ
10 1969『電気に強くなる』 橋本尚
11 1971『タイムマシンの話』 都筑卓司
12 1978『相対論はいかにしてつくられたか』 リンカーン・バーネット
13 1974『相対論的宇宙論』 佐藤文隆/松田卓也
14 1972『新・パズル物理入門 都筑卓司
15 1970『不確定性原理』 都筑卓司
16 1968『確率の世界』 ダレル・ハフ
17 2001『記憶力を強くする』 池谷裕二(21世紀のランキング1位)
18 1968『推計学のすすめ』 佐藤 信
こんなことがまだわからない―科学を困らす24のナゾ.jpg19 1964『こんなことがまだわからない』 相島敏夫/丹羽小彌太
20 1977『マイ・コンピュータ入門』 安田寿明
●21世紀のランキング ベスト10(2013年)
1 2001『記憶力を強くする』 池谷裕二
分かりやすい説明の技術.jpg2 2002『「分かりやすい説明」の技術』 藤沢晃治
進化しすぎた脳 中高生と語る〈大脳生理学〉の最前線.jpg3 2007『進化しすぎた脳』 池谷裕二
4 2005『計算力を強くする』 鍵本 聡
5 2004『大人のための算数練習帳』 佐藤恒雄
6 2005『マニュアル不要のパソコン術』 朝日新聞be編集部
7 2001『化学・意表を突かれる身近な疑問』 日本化学会
8 2004『「分かりやすい文章」の技術』 藤沢晃治
村山斉 『宇宙は本当にひとつなのか』.jpg9 2011『宇宙は本当にひとつなのか』 村山 斉
算数パズル「出しっこ問題」傑作選.jpg10 2001『算数パズル「出しっこ問題」傑作選』 仲田紀夫

   
●2017年発表版

 2013年版との違いは、「21世紀」のランキングの第10位が入れ替わっているのみ
rekidai.jpg
rekidai2.png
創刊(1963年)〜90年代まで
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2000年代〜現在(2017年)まで
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楽しく読める『中国の名句・名言』。日本人論としても読める『日本の名句・名言』

中国の名句・名言 日本の名句・名言7.JPG中国の名句・名言 (講談社現代新書).jpg 日本の名句・名言 (講談社現代新書).jpg
中国の名句・名言 (講談社現代新書)』『日本の名句・名言 (講談社現代新書)

中国の名句名言_0413.JPG 中国文学者の村上哲見(1930- )東北大学名誉教授の56歳の頃の著書で、同じ講談社現代新書に姉妹書として同著者の『漢詩の名句・名吟』('90年)があります。また、これも講談社現代新書で、増原良彦氏の『日本の名句・名言』('88年)というのもあります。中国の名句・名言を、テーマに沿って取り上げ、わかりやすく解説しています。

 第1章「春・秋」では、『唐詩選』にある孟浩然の「春眠 暁を覚えず」、宋の詩人・蘇東坡(蘇軾)の「春宵一刻値千金」から始まって、これも『唐詩選』にある劉廷芝の「年年歳歳 花相似たり、歳歳年年 人同じからず」、張継の「月落ち鳥啼いて 霧 天に満つ」などが紹介されています。

楊貴妃.jpg西施.jpg 第2章「美人・白楽天二題」では、まずは「明眸皓歯」で、これは、杜甫が「哀江頭」において、玄宗皇帝の寵愛を受けながらも無残な最期を遂げた楊貴妃のことを悼んだもの。「顰に倣う」は「荘子』にあり、こちらは越王(勾践(こうせん)の復讐の道具として使われた悲劇のヒロインである西施(せいし)ですが、紀元前500年くらいの人なんだなあ(因みに、「中国四大美女」とは一般に、西施(春秋時代) · 王昭君(前漢) · 貂蝉(後漢) · 楊貴妃(唐)を指す)。

 第3章「項羽と劉邦・勝負」では、やはり項羽の「四面楚歌」が最初にきて、「虞や虞や 若を奈何せん」と、虞美人が登場。「背水の陣」を布いたのは、劉邦の麾下の韓信でした。垓下の包囲を脱出したものの、天命を悟って自刎した項羽でしたが、後に晩唐の詩人・杜牧に「題烏江亭」で「捲土重来」(まきかえし)が出来たかもしれないにと謳われます。「彼を知り己を知らば、百戦殆うからず」は『孫子』、「先んずれば人を制す」は『史記』でした。

中国の名句名言_0412.JPG 第4章「政治・戦争」では、「朝令暮改」「朝三暮四」「五十歩百歩」とお馴染みの故事成語が続きますが、やはり杜甫の「春望」の「国破れて山河在り」が有名。これ、『唐詩選』には入ってないそうですが、日本人に馴染みが深いのは、芭蕉が『おくのほそ道』で引用したのと、あと著者は、日本人の敗戦の時の心象と重なるからだと分析しています。ただし、安禄山が唐を破った(亡ぼした)わけではなく、この詩における「国破れて」は戦乱で首都・長安の一帯が破壊されたことをさすとのことです。

 第5章「人生・白髪・無常」では、杜甫の「人生七十 古来稀なり」から始まって、『唐詩選』の魏徴の詩「述懐」にある「人生意気に感ず」、李白の五言絶句「秋浦歌」の「白髪三千丈」、同じく唐の張九齢の「宿昔 青雲の志 蹉たたり 白髪の年」、陶淵明の「歳月 人を待たず」まどなど続きますが、後の二つは何だか侘しい。

 第6章「酒」で最初にくるのは「酒は百薬の長」で、班固の『漢書』にあるから古くから言われているのだなあと思ったら、漢の帝位を奪った王莽が、財政困難を脱するため酒を専売にした際のスローガンのようなものだったのかあ。「一杯 一杯 復た一杯」は李白でした。

 第7章「修養・『論語』より」では、『周易』の「君子豹変」(悪い意味で使われることが多いが、実は"立派になる"こと)から始まって、『大学』の「小人閑居して不善を為す」、『論語』の「巧言令色鮮なし仁」「過ちを改むるに憚ること勿れ」「過ぎたるはなほ及ばざるがごとし」「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」と、この辺り、いかにも論語らしいなあと。

 著者の個人的体験や世評風のコメントも織り交ぜ、エッセイ感覚で楽しく読めます。

日本の名句・名言0416.JPG 増原良彦(1936- )氏の『日本の名句・名言』も、同じような趣旨でまとめられていて、こちらも楽しく読めました。ただ、中国の故事成語のようにピタッと漢字四文字前後で"決まる"ものがほとんどなく、例えば「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とか、「何せうぞ、くすんで、一期は夢よ。ただ狂へ」とか、やや長めのものが多くなっています。

 『古今和歌集』から石川啄木、井伏鱒二まで広く日本の名句・名言を拾っていますが、良寛の「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候」や、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」、一休禅師の「門松は めいどのたびの一里づか 馬かごもなく とまりやもなし」のように、仏教の先人たちの言葉が散見されます。これは、増原氏のペンネームが「ひろさちや」であると言えば、「ああ、あの仏教の「ひろさちや」.jpgヒトか」ということで、多くの人が思い当たるのではないかと思います。

 ただ、本書に関して言えば、宗教臭さは無く、むしろ、ある種、日本人論としても読めるものとなっています。『論語』をはじめ、中国の影響を多分に受けていることが窺えますが、日本と中国で「忠」と「孝」の優先順位が逆転した(中国では「孝」が上、日本では「忠」が上)という論は興味深かったです(これ、中根千枝氏が『タテ社会の人間関係』('67年/講談社現代新書)で述べていることにも通じるかもしれない)。本名の増原良彦名義で同じ講談社現代新書に『説得術』('83年)、『タテマエとホンネ』('84年)という著作があります。

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「●岩波ジュニア新書」の インデックッスへ

タイトルに違わぬ、故事成句でたどる「楽しい中国史」。

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  井波 律子.jpg 井波律子氏(国際日本文化研究センター教授)
故事成句でたどる楽しい中国史 (岩波ジュニア新書)

 今年['20年]5月に亡くなった「三国志演義」など翻訳で知られる、国際日本文化研究センター名誉教授の井波律子氏の著書。死因は肺炎と報じられていますが、3月に京都市内の自宅で転倒して頭を打ち入院、誤嚥性肺炎を併発したようで、精力的に活動していただけに、76歳の死は惜しまれます。

 本書は、神話・伝説の時代から清王朝の滅亡に至るまでの歴史を、その時々に生まれた故事成句を紹介しながら解説したものです。別の見方をすれば、故事成句を繋いで歴史解説をしたような形になっているとも言え、それが可能だということは、いかに多くの故事成句が中国史の過程で生まれたかということになり、中国文化の一つの特徴を端的に示しているようにも思えます。全6章から成り、その時代を代表する故事成句が各章のタイトルにきています。

 第1章(五帝時代、亡国の君主たち)のタイトルは「覆水盆に返らず」で、これは太公望が自分が出世したら復縁を求めてきた元妻に言ったもの。そのほか、理想の君主・尭舜の時代の「鼓腹撃壌」や、妲己に溺れた紂王の「酒池肉林」など、優れた君主とダメ君主が交互に出てきて、故事成句の天と地の間を行ったり来たりしている印象です。

 第2章(春秋五覇、孔子の登場、戦国の群像、西方の大国・秦)のタイトルがあの超有名な「呉越同舟」で、そのほか、宮城谷昌光『管仲』('03年/角川書店)でも描かれた一度は敵味方になってしまった管仲と鮑叔の友情(二千七百年前の!)に由来する「管鮑の交わり」、かける必要のない情けをかけてしまった「宋襄の仁」、その他「恨み骨髄に入る」「屍に鞭うつ」と、春秋時代は戦さ絡みがとりわけ多く、「呉越同舟」もその類です。孔子が出てきて、「巧言令色、鮮し仁」とかやや道徳的になるものの、荘子になると「胡蝶の夢」とぐっと哲学的になります。時代は戦国に入って、秦が覇権を握るまで乱世は続きますが、これも宮城谷昌光の『孟嘗君』('95年/講談社)に出てくる「鶏鳴狗盗」とか、この辺りは日本の小説家でいえば宮城谷昌光氏の独壇場?

 第3章(秦の始皇帝、漢楚の戦い、前漢・後漢王朝)のタイトルは班超の「水清ければ魚棲まず」。司馬遼太郎の『項羽と劉邦』('80年/新潮社)にも描かれている項羽と劉邦の戦いにおいては、「鴻門の会」とかありましたが、これはむしろ出来事であり、負けるが勝ちを意味する「韓信の股くぐり」の方が故事成語っぽいでしょうか。「国士無双」「背水の陣」も韓信。一方の項羽が耳にした「四面楚歌」は有名(あれって劉邦の軍師・張良の策略ではなかったっけ)。そして、武勇で知られた韓信も、劉邦の妻・呂后の粛清に遭い、「狡兎死して走狗煮らる」と嘆くことに。その後に起こった漢も、最初は良かった武帝が晩年は「傾城・傾国」の美女に溺れてしまいます。そう言えば、後漢の班超は、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉も遺していました。

 第4章(三国分立、諸王朝の興亡)のタイトルは「破竹の勢い」「治世の能臣、乱世の奸雄」と言われた魏の曹操、「三顧の礼」で諸葛亮を迎え入れた蜀の劉備、そして、劉備と同盟し赤壁の戦いに曹操を破った呉の孫権と、まさに「三国志」の時代。「泣いて馬謖を斬る」ことで信賞必罰の規範を示した諸葛亮は、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とまで言われますが、その死とともに三国志の時代は終わります。「破竹の勢い」で西晋の全土統一に貢献したのは杜預ですが、統一とともに王朝の衰亡が始まるという典型例で、西晋滅亡後三百年も混乱と分断の時代は続きます。

 第5章(唐・三百年の王朝、士大夫文化の台頭)のタイトルは孟浩然の「春眠暁を覚えず」で、ちょっと落ち着いてきたか。それでも、安史の乱があり、安禄山軍に一時拘束された杜甫が「国破れて山河在り」と謳っているし、黄巣の乱では曹松が「一将 功成りて 万骨枯る」と。この辺りは、故事成語というより七言絶句などの故事成句が多く、蘇軾の「春宵一刻直千金」などもそう。時代は五代十国を経て北宋、南宋へ。

 第6章(耶律楚材と王陽明、最後の王朝)のタイトルは「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し」で、これ、明代の王陽明の言葉ですが、何だか日本の時代劇でも聞きそうな印象があります。この章は元・明・清の各代をカバーしてますが、太古の戦国の時代のような、短くバシッと決まった故事成語は少なくなってきた印象も受けます。

 以上、各章の故事成句をほんの一部だけ拾いましたが、全体としては陳舜臣の『小説十八史略』('77年/毎日新聞社)を圧縮して読んだような印象です。ジュニア新書でありながらも、こうした本が書けるということは、文学だけでなく歴史にも通暁している必要があり、著者自身は六朝文学が専門の研究者でありながら、その知識の裾野の広さは、ある種"学際的"と言ってもいいのかもしれません(同著者の『奇人と異才の中国史』('05年/岩波新書)にも同じことが言える)。

 昔はこうした、専門分野に限定されず本を書ける学者が多くいたような気がし、中国文学で言えば吉川幸次郎などはそうであったように思いますが、著者は吉川幸次郎に学んだ最後の高弟でもあります。小学生のころの自分を「耳年増(どしま)」と描写していて、京都・西陣の家に近い映画館街に通いつめ、中学に入る前に都合2千本も見たせいだといい、そうした専門分野に捉われない素養が早くから培われたのかもしれません。タイトルに違わぬ「楽しい中国史」でした。

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かなりマニアック? 観た映画があると嬉しいくらい、知らない映画が多かった。

日本映画隠れた名作-昭和30年代前後- 中公選書.jpg日本映画隠れた名作-昭和30年代前後- 中公選書 - コピー.jpg 秀子の応援団長 vhs.jpg
日本映画 隠れた名作 - 昭和30年代前後 (中公選書)』 「秀子の応援団長」高峰秀子/灰田勝彦

 サブタイトルに、「昭和30年前後」とあり、昭和19年生まれの川本三郎氏と、昭和23年生まれの筒井清忠氏の二人の対談形式で、しかも二人とも早くから映画を見始めているということもあって、自ずとそうなるのかもしれません。ただ、読んでみると、「昭和30年前後」の「前後」をかなり幅広い年代にわたって解釈している印象も受けました。かなりマニアック? と言うか、観たことがある映画があると嬉しいくらい、知らない映画が多かったです。

「魔像」(昭和27年)山田五十鈴/阪東妻三郎(二役)
魔像  1952jh.jpg 第1章(「ふたりの映画回想」)で、二人の個人的映画史を一気に振り返っています。川本氏が一番最初の頃に見た映画の一つに、坂東妻三郎の「魔像」(昭和27年)を挙げていて、怖かった覚えがあると述べていますが(坂東妻三郎が二役を演じた)、8歳頃でしょうか。自分も観たことがある映画が出てきて、一瞬ついて行けるかなと思いましたが、どんどんマニアックになっていきました。「二十四の瞳」(昭和29年)や「東京物語」(昭和28年)のような「隠れた名作」ならぬ超有名映画の話も出てきますが、これはあくまで「戦争」という話題に絡めてのことのようです。久松静児監督作は、川本氏が江戸川乱歩「心理試験」の映画化である「パレットナイフの殺人」(昭和21年)をビデオで観たそうで、筒井氏は同監督作では「三面鏡の恐怖愛よ星と共に 01.jpg(昭和23年)を挙げています。北海道つながりで、川本氏が小津安二郎監督の「東京暮色」(昭和32年)の中村伸郎と山田五十鈴が最後北海道に行くことを指摘、さらに、池部良、高峰秀子の「愛よ星と共に」(阿部豊監督、昭和22年)で、池部良が北海道にジャガイモの品種改良に行くと。当時「北海道に行けば何とかなる」という夢があったとのことですが、小津安二郎監督の「出来ごころ」(昭和9年)でも、坂本武が北海道に行く開拓民船(蟹工船?)に乗り込み金を工面しようとしたのではなかったでしょうか。

「愛よ星と共に」(昭和22年)高峰秀子

「黒い画集・寒流」(昭和36年)新玉三千代/池部良
黒い画集 寒流01.jpg 第2章以下は主に監督別に「隠れた名作」を振り返っていて、第2章(「戦後」の光景)では、家城巳代治、鈴木英夫、千葉泰樹、渋谷実、関川秀雄などが取り上げられています。この辺りの監督、あまり観ていないなあと思いつつも、川本氏が、池部良が出てくる清張ミステリーで、新玉三千代がファム・ファタルになる鈴木英夫監督の「黒い画集・寒流」(昭和36年)を忘れられないとし、筒井氏も、人間というのはこういうふうに裏切るんだということがわかる逸品としていて、確かにそう思います。千葉泰樹監督作では、川本氏が、高峰秀子、灰田勝彦共演の「秀子の応援団長」(昭和15年)で、実は二人が一緒の場面が無いことを指摘、川本氏が以前に高峰秀子にインタビューした時、彼女が「あの映画で私、灰本日休診_3.jpg田勝彦さんの顔を見ていないのよ」と言っていたそうで、ビデオジャケットでも共に並んで写っているだけにやや驚きました。筒井氏が戦前の映画とは思えず、戦後的であると言っているのにも納得です。渋谷実監督作は個人的には「本日休診」(昭和27年)しか観ていませんが、川本氏が、好きなのはこの作品くらいかなと言っています(笑)。


「本日休診」(昭和27年)岸恵子/柳永二郎

 第3章(「純真」をみつめて)では、清水宏、川頭義郎、村山新治、田坂具隆などの監督に触れています。ただ、個人的には、この中では清水宏などは〈巨匠〉と清水宏監督 『簪』 1941 .jpg呼ぶ人もいるのではないかなあと。しかしながら、世間一般の知名度で言うと、小津安二郎などよりはマイナーということになるのかもしれません。井伏鱒二「四つの湯槽」の映画化作品「」(昭和16年)を筒井氏が名作とし、川本氏もいいですよと言っています。温泉が舞台で、負傷兵の笠智衆が温泉で湯治いているところへ、田中絹代が身延山参りでやって来る話でしたが、井伏鱒二の定宿が下部温泉にあったそうですが、映画のロケはそこではやっていないそうです。斎藤達雄の大学教授は、あれはインテリ批判だったのかあ。川頭義郎監督は、俳優川津祐介の実兄ですが、早くに亡くなったなあ。

「簪」(昭和16年)田中絹代/笠智衆

「張り込み」(昭和33年)大木実/高峰秀子
『張込み』(1958)2.jpg張込み 1958汽車.png 第4章(「大衆」の獲得)では、滝沢英輔、野村芳太郎、堀川弘通、佐伯清、沢島忠、小杉勇などの監督を扱っています。この中で、川本氏も述べているように、松本清張作品と言えば野村芳太郎になるなあと。「張り込み」(昭和33年)では、アバンタイトル(タイトルが出る前のシーン)が12分もあったのかあ。当時としては珍しかったようです。でも、川本氏が証言2.bmp黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg言うように、宮口精二と大木実が夜行に乗り込んで、東海道本線、山陽本線を経由して、ようやっと佐賀についたところでタイトルが出るのですが、そこまで行くのに丸一日かかったというところに時代が感じられ、良かったです(あれを今の時代に再現するのは難しため、結局テレビでドラマ化されるとどれも今の時代に改変されてしまう)。筒井氏は「砂の器」(昭和49年)と共に大傑作としていますが、確かにそうだけれど、その分"隠れた名作"と言えるのかは疑問です。同じ清張原作でも、「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(昭和35年)は堀川弘通監督作でした。

「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(昭和35年)小林桂樹/原知佐子

エノケンの森の石松 yanagiya .jpg 第5章(「職人」の手さばき)では、中村登、大庭秀雄、丸山誠治、中川信夫、西河克己などに触れていますが、まさに職人というべき監督ばかりかも。中川信夫は「東海道四谷怪談」(昭和34年)が有名ですが、初期作品で「エノケンの森の石松」(昭和14年)というのがあり、あれも舞台は東海道でした(エノケンと柳家金語楼の「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」の掛け合いが)。西河克己は、吉永小百合の「伊豆の踊子」(昭和38年)を撮っていますが、山口百恵の「伊豆の踊子」(昭和49年)も撮っていました。筒井氏は吉永小百合の方が叙情性があると評価していますが、撮られた時代もあるのだろうなあ。

「エノケンの森の石松」(昭和14年)柳家金語楼/榎本健一

 ここにはあまり書きませんでしたが、知っている映画より知らない映画の方がずっと多く、興味をそそられたものが少なからずありました。ただ、そうした映画を今観るのがなかなか難しかったりするのではないかと思います。川本氏は90年代に東京・三軒茶屋にあったスタジオams(西友の5階にあった)に395秀子の応援団長.JPG407秀子の応援団長.JPG通ったそうですが今はもうないし、京橋フィルム・センターやシネマヴェーラ渋谷、ユジク阿佐ヶ谷がマニアックなプログラムを組むことがありますが、邦画に限っていないのでなかなか本書にあるような作品に巡り合わないです(ユジク阿佐ヶ谷は来月['20年8月]で休館する)。結局、筒井氏がCSの「日本映画専門チャンネル」などで殆ど観たと述べているように、そうしたものに加入するしかないのかも。最近、図書館で「日本映画傑作選集」の「秀子の応援団長」を借りて観ましたが、こうしたものを置いている図書館も少なくなってきているのかもしれません(VHSビデオだしなあ。個人的にはテレビデオで観ているが)。

hideo秀子の応援団長.jpg 「秀子の応援団長」(昭和15年)は、当時少女スターとして活躍していた高峰秀子が、弱少プロ野球球団アトラス軍の応援歌を作って見事チームを優勝へと導くという青春映画でした。アトラス軍は、かつて大黒柱だった大川投手が出征しているため、新人の人丸投手(灰田勝彦)が登板しますが、スタルヒンや水原を擁する巨人軍との力量の差は明らかでチームは最下位に甘んじ、アトラス軍の高島監督(千田是也)の家族達は憂い顔。高島家の祖母(清川玉枝)や娘の雪子(若原春江)と一緒に憂い顔なのが雪子の従妹で社長令嬢の女学生・秀子(高峰秀子)で、父親(小杉義男)は野球嫌い、教育熱心な母親(沢村貞子)には謡のお稽古をさせられるも、雪子と一緒にこっそりアトラス軍の練習場へ出かけて二人が作った応援歌を披露したり、謡の先生も野球好きと知り先生を説得して親に内緒で一緒に後楽園に応援に出かけたりするうちに、彼女達が応援に来た試合はアトラス軍面白いように勝ちはじめる―。

秀子の応援団長 0.jpg 高峰秀子と灰田勝彦は、会話シーンもればそのプレイを応援するシーンもあり、祝勝パーティで灰田勝彦がウクレレ片手に歌って高峰秀子も同席しているシーンもあったりしますが、あれ全部"別撮り"だったのかあ。そう言えば、冒頭のスタルヒンや水原らスター選手がいる巨人軍との試合も、本当に試合するはずもなく全部"別撮り"だというのは考えてみればすぐ分かります。秀子らが各球団の戦力偵察に行く設定なので、当時の主要球団の有力選手並びに戦前の後楽園球場、上井草球場?、西宮球場、甲子園球場なども見られ、スポーツ・フィルム史的にみて貴重です。太平洋戦争が始ま394秀子の応援団長.JPGる2年弱前に作られた作品にしては何と明るいこ千田是也.jpgとか(お気楽と言っていいくらいだが、コメディのツボは押さえていて、しかもラストは少し捻っている)。灰田勝彦がプロ球団の投手役というのも見ものですが、戦後、俳優座のリーダー的存在として活躍した千田是也(1904-1994)が、プロ野球の監督役というのが珍しいです。千田是也はテレビドラマへの出演はほとんど皆無ですが、1940年代から1970年代頃まで約100本の映画に出演していて、この作品はそのうちの最も初期のものとなります。
千田是也/若原春江/高峰秀子
秀子の應援團長 【東宝DVD名作セレクション】」2020年12月リリース
秀子の應援團長.jpg

魔像 19562.JPG魔像 dvd 19521.jpg「魔像」●制作年:1952年●監督:大曾根辰夫●脚本:鈴木兵吾●撮影:石本秀雄●音楽:鈴木静一●原作:林不忘●時間:98分●出演:阪東妻三郎/津島恵子/山田五十鈴/柳永二郎/三島雅夫/香川良介/小林重四郎/小堀誠/永田光男/海江田譲二/田中謙三/戸上城太郎●公開:1952/05●配給:松竹(評価:★★★☆)

二十四の瞳312.jpg「二十四の瞳」●制作年:1954年●監督・脚本:木下惠介●製作:桑田良太郎●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:壺井栄●時間:156分●出演:高峰秀子/天本英世/夏川静江/笠智衆/浦辺粂子/明石潮/高橋豊子/小林十九二/草香田鶴子/清川虹子/高原駿雄/浪花千栄子/田村高廣/三浦礼/渡辺四郎/戸井田康国/大槻義一/清水龍雄/月丘夢路/篠原都代子/井川邦子/小林トシ子/永井美子●公開:1954/09●配給:松竹●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(18-05-08)(評価:★★★★☆)

笠智衆/原節子/東山千榮子
東京物語 紀子のアパート.jpg東京物語 10.jpg「東京物語」●制作年:1953年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:136分●出演:笠智衆/東山千榮子/原節子/香川京子/三宅邦子/杉村春子/中村伸郎/山村聰/大坂志郎/十朱久雄/東野英治郎/長岡輝子/高橋豊子/桜むつ子/村瀬禪/安部徹/三谷幸子/毛利充宏/阿南純子/水木涼子/戸川美子/糸川和広●公開:1953/11●配給:松竹●最初に観た場所:三鷹オスカー(82-09-12)(評価:★★★★☆)●併映:「彼岸花」(小津安二郎)/「秋刀魚の味」(小津安二郎)

パレットナイフの殺人1.jpgパレットナイフの殺人22.jpgパレットナイフの殺人s.jpg「パレットナイフの殺人」●制作年:1946年●製作:大映(東京撮影所)●監督:久松静児●脚本:.高岩肇●撮影:高橋通夫●音楽:斎藤一郎●原作:江戸川乱歩●時間:71分(76分)●出演:宇佐美淳(宇佐美淳也)/植村謙二郎/小柴幹治(三条雅也)/小牧由紀子/松山金嶺/平井岐代子/西條秀子/若原初子/須藤恒子/上代勇吉/花布辰男/桂木輝夫●公開:1946/10●配給:大映(評価:★★★)

三面鏡の恐怖 vhs.jpg三面鏡の恐怖(1948)6.jpg三面鏡の恐怖06.jpg「三面鏡の恐怖」●制作年:1948年●監督:久松静児●●脚本:高岩肇/久松静児●撮影:高橋通夫●音楽:齋藤一郎●原作:木々高太郎「三面鏡の恐怖」●時間:82分●出演:木暮実千代/上原謙/新宮<信子/瀧花久子/水原洋一/宮崎準之助/船越英二/千明みゆき/上代勇吉●公開:1948/06●配給:大映(評価:★★★)

有馬稲子/山田五十鈴/原節子
東京暮色  1957.jpg 東京暮色 j.jpeg「東京暮色」●制作年:1954年●監督:小津安二郎●製作:山内静夫●脚本:野田高梧/小津安二郎●撮影:厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:140分●出演:原節子/有馬稲子/笠智衆/山田五十鈴/高橋貞二/田浦正巳/杉村春子/山村聰/信欣三/藤原釜足/中村伸郎/宮口精二/須賀不二夫/浦辺粂子/三好栄子/田中春男/山本和子/長岡輝子/櫻むつ子/増田順二/長谷部朋香/森教子/菅原通済(特別出演)/石山龍児●公開:1957/04●配給:松竹●最初に観た場所(再見):角川シネマ新宿(シネマ1・小津4K 巨匠が見つめた7つの家族)(18-06-28)((評価:★★★★)

愛よ星と共に vhs.jpg愛よ星と共に4.jpg「愛よ星と共に」●制作年:1947年●監督:阿部豊●製作:青柳信雄●製作会社:新東宝・映画芸術協会●脚本:八田尚之●撮影:小原譲治●音楽:早坂文雄●時間:95分●出演:高峰秀子/池部良/横山運平/浦辺粂子/川部守一/藤田進/逢初夢子/清川莊司/一の宮あつ子/田中春男/鳥羽陽之助/冬木京三/鬼頭善一郎/江川宇礼雄/山室耕/花岡菊子/條圭子/水島三千代●公開:1947/09●配給:東宝(評価:★★★)

「出来ごころ」vhs.jpg出来ごころ 1シーン.jpg「出来ごころ」●制作年:1933年●監督:小津安二郎●脚本:池田忠雄●撮影:杉本正二郎●原作:ジェームス槇(小津安二郎)●活弁:松田春翠●時間:100分●出演:坂本武/伏見信子/大日方傳/飯田蝶子/突貫小僧/谷麗光/西村青児/加藤清一/山田長正/石山隆嗣/笠智衆(ノンクレジット)●公開:1933/09●配給:松竹蒲田●最初に観た場所:ACTミニシアター(90-08-13)(評価:★★★)●併映:「浮草物語」(小津安二郎)

平田昭彦/新珠三千代/池部良
黒い画集 寒流03.jpg黒い画集 寒流 ド.jpg「黒い画集 第二話 寒流(黒い画集 寒流)」(映画)●制作年:1961年●監督:鈴木英夫●製作:三輪礼二●脚本:若尾徳平●撮影:逢沢譲●音楽:斎藤一郎●原作:松本清志「寒流」●時間:96分●出演:池部良/荒木道子/吉岡恵子/多田道男/新珠三千代/平田昭彦/小川虎之助/中村伸郎/小栗一也/松本染升/宮口精二/志村喬/北川町子/丹波哲郎/田島義文/中山豊/広瀬正一/梅野公子/池田正二/宇野晃司/西条康彦/堤康久/加代キミ子/飛鳥みさ子/上村幸之/浜村純/西條竜介/坂本晴哉/岡部正/草川直也/大前亘/由起卓也/山田圭介/吉頂寺晃/伊藤実/勝本圭一郎/松本光男/加藤茂雄/細川隆一/大川秀子/山本青位●公開:1961/11●配給:東宝(評価:★★★☆)

鶴田浩二/角梨枝子/淡島千景
『本日休診』スチル2.jpg本日休診 スチル.jpg「本日休診」●制作年:1939年●監督:渋谷実●脚本:斎藤良輔●撮影:長岡博之●音楽 吉沢博/奥村一●原作:井伏鱒二●時間:97分●出演:柳永二郎/淡島千景/鶴田浩二/角梨枝子/長岡輝子/三國連太郎/田村秋子/佐田啓二/岸恵子/市川紅梅(市川翠扇)/中村伸郎/十朱久雄/増田順司/望月優子/諸角啓二郎/紅沢葉子/山路義人/水上令子/稲川忠完/多々良純●公開:1952/02●配給:松竹(評価:★★★★)

斎藤達雄  
簪 齋藤.jpg簪 kanzashi 1941.jpg「簪(かんざし)」●制作年:1941年●監督・脚本:清水宏●製作:新井康之●撮影:猪飼助太郎●音楽:浅井挙曄●原作:井伏鱒二「かんざし(四つの湯槽)」●時間:75分●出演:田中絹代/笠智衆/斎藤達雄/川崎弘子/日守新一/坂本武/三村秀子/河原侃二/爆弾小僧/大塚正義/油井宗信/大杉恒夫/松本行司/寺田佳世子●公開:1941/08●配給:松竹(評価:★★★★)
      
大木実/宮口精二
大木実/宮口精二 張込み.jpg張込み 映画2.jpg「張込み」●制作年:1958年●製作:小倉武志(企画)●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍●撮影:井上晴二●音楽:黛敏郎●原作:松本清張「張張込み 1958汽車2.png込み」●時間:116分●出演:大木実/宮口精二/高峰秀子/田村高廣/高千穂ひづる/内田良平/菅井きん/藤原釜足/清水将夫/浦辺粂子/多々良純/芦田伸介●公開:1958/01●配給:松竹●最初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-22)(評価★★★☆)
Suna no utsuwa (1974)  丹波哲郎/森田健作        
Suna no utsuwa (1974).jpg砂の器sunanoutuwa 1.jpg「砂の器」●制作年:1974年●製作:橋本プロ・松竹●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍/山田洋次●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:143分●出演:丹波哲郎/森田健作/加藤砂の器 丹波哲郎s.jpg剛/加藤嘉/緒形拳/山口果林/島田陽子/佐分利信/渥美清/笠智衆/夏純子/松山省二/内藤武敏/春川ますみ/花沢徳衛/浜村純/穂積隆信/山谷初男/菅井きん/殿山泰司/加藤健一/春田和秀/稲葉義男/信欣三/松本克平/ふじたあさや/野村昭子/今井和子/猪俣光世/高瀬ゆり/後藤陽吉/森三平太/今橋恒/櫻片達雄/瀬良明/久保晶/中本維年/松田明/西島悌四郎/土田桂司/丹古母鬼馬二●公開:1974/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-19) (評価★★★★)●併映:「球形の荒野」(貞永方久)

小林桂樹/原知佐子
黒い画集 あるサラリーマンの証言      .jpg黒い画集 あるサラリーマンの証言    .jpg「黒い画集 あるサラリーマンの証言」●制作年:1960年●監督:堀川弘通●製作:大塚和/高島幸夫●脚本:橋本忍●撮影:中井朝一●原作:松本清張「証言」●時間:95分●出演:小林桂樹/中北千枝子/平山瑛子/依田宣/原知佐子/江原達治/中丸忠雄/西村晃/平田昭彦/小池朝雄/織田政雄/菅井きん/小西瑠美/児玉清/中村伸郎/小栗一也/佐田豊/三津田健●公開:1960/03●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸地下 (88-01-23)(評価★★★☆)

エノケンの森の石松 vhs1.jpg「エノケンの森の石松」●制作年:1939年●監督:中川信夫●脚本:小林正●撮影:唐沢弘光●音楽:栗原重一●口演:広沢虎造●原作:和田五雄●時間:72分(現存57分)●出演:榎本健一/鳥羽陽之助/浮田左武郎/松ノボル/木下国利/柳田貞一/北村武夫/小杉義男/斎藤勤/近藤登/梅村次郎/宏川光子/竹久千恵子/柳家金語楼●公開:1939/08●配給:東宝(評価:★★★)

伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)

秀子の応援団長 4.jpg秀子の応援団長ド.jpg「秀子の応援団長」●制作年:1940年●監督:千葉泰樹●脚本:山崎謙太●音楽:佐々木俊一●原作:高田保●時間:71分●出演:高峰秀子/灰田勝彦/千田是也/音羽久米子/若原春江/伊達里子/小杉義男/澤村貞子/清川玉枝●公開:1940/01●配給:東宝映画(評価★★★☆)
登場するプロ野球選手
【東京巨人軍】17 スタルヒン、19 水原茂、27 吉原正喜、3 中島治康【大阪タイガース】9松木謙次郎、18若林忠志、31堀尾文人、32森国五郎、36小林吉雄、6景浦将、27松広金一、29皆川定之、12田中義雄、38三輪八郎、17門前真佐人、35中田金一【セネタース】12佐藤武夫、19保手浜明、18野口ニ郎、5尾茂田叶、7浅岡三郎、14横沢七郎【阪急軍】6石井武夫、12日比野武、23土肥省三、14西村正夫、7下村豊、22重松道雄、24黒田健吾、5上田藤夫、16山下好一

主題歌「青春グラウンド」(唄:灰田勝彦(映画では高峰秀子)) 挿入歌「燦めく星座」(唄:灰田勝彦)
 

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成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、自らがそう認めている「幸運」が窺い知れる。

幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書).jpg本庶佑 ノーベル賞 授賞式.jpg  がん免疫療法とは何か (岩波新書).png
幸福感に関する生物学的随想 (祥伝社新書)』 『がん免疫療法とは何か (岩波新書)
本庶佑博士のノーベル賞受賞記念講演 2018年12月7日 カロリンスカ研究所
 2018年にノーベル生理学・医学賞を受賞した著者による本書は6編からなり、人間が幸福を感じる仕組みを生物学的に説いた論文「幸福感に関する生物学的随想」(1999年)と、2018年12月にストックホルムのカロリンスカ研究所で行ったノーベル賞の受賞記念講演(所謂ノーベルレクチャーと呼ばれるもので、ネットで視聴が可能)の後に正式な原稿にまとめてノーベル財団に提出した2つの英文稿の翻訳のうちの1つで、自身の半生を述べた「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」と、もう1つの英文稿の翻訳で、ノーベル賞の受賞理由である「免疫抑制の阻害によるがん治療法の発見」について書かれた英文稿の翻訳「獲得免疫の思いがけない幸運」、さらに、2019年1月に皇居で講書始(こうしょはじめ)の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」、そして、前述の英文稿2稿から成っています(165pまでが和文稿4編で、以降264pまでが英文稿2編、内容的には実質的4編ということになる)。

 冒頭の「幸福感に関する生物学的随想」は面白かったですが、不快感を経験し克服する過程に、不安感のない幸福感が得られるとしていて、自身の生活を厳しく律して生物学の研究に打ち込む著者の姿勢が窺えたように思います(ちょっと人生訓っぽい感じもするが)。

 「ひょうたんから駒を生んだ、私の幸せな人生」は自叙伝風ですが、後半からだんだん誰とどのような研究を積み重ねてきたという学究遍歴となっており、やや専門的に。「獲得免疫の思いがけない幸運」において専門性はさらに高まり、ただし、一緒に研究したかしないかに関わらず、がん免疫療法に貢献した日本及び外国の学者の名前や業績が平等に取り上げられていて、何だかとても律儀な人だなあという印象を受けました。

講書始の儀 本庶 佑2.jpg講書始の儀 本庶 佑1.jpg 結局、最後の、平成31年の講書始の儀での講義「免疫の力でがんを治せる時代」が一番分かりよかったかも。昭仁上皇が天皇在位中に行われた最後の講書始の儀となったものですが、簡潔ながらも、聴く方もそれなりに集中力がいるかも。ただ、このがん免疫療法というのは医学界でに注目度は高まっており、注目されるだけでなく実際にトレンド的と言っていいくらい多くのがん患者の治療に応用されているようです。

オプジーボとは.gif がん免疫療法は大きく2つの種類に分かれ、1つは、がん細胞を攻撃し、免疫応答を亢進する免疫細胞を活かした治療で、アクセルを踏むような治療法と言え、もう1つは、免疫応答を抑える分子の働きを妨げることによる治療で、いわばブレーキを外すような治療法であり、オプジーボなどは後者の代表格で、がん細胞を攻撃するT細胞(PD-1)にブレーキをかける分子の働きを阻害することで、T細胞のがん細胞に対する本来の攻撃性を取り戻させ、抗腫瘍効果を発揮させるということのようです。免疫のアクセルを踏むことばかりに集中するのではなく、がん細胞の免疫へのブレーキを外してやるという発想の転換がまさに〈発見〉的成果に繋がったと言えるかと思いますが、そうした成果に至るまでに並々ならぬ「努力」と、また、自らがそう認めている「幸運」があったのだなあと思いました。

(上)オプジーボとは(小野薬品ホームページより)
(下)ノーベル賞受賞記念講演をする著者(ANNニュースより)
「がんは持病レベルになる」本庶氏.jpg 著者は、「がんは持病レベルになる」とまで言い切っています。「がんの治療法を発見すればノーベル賞」という見方は一般の人の間でもずっと以前からありましたが、がん撲滅に向けて大きな進捗させる役割を果たしたという点で、まさにノーベル賞に相応しい功績です。ただ、本書について言えば、構成上、やや寄せ集め的な印象が無くもなく、論文の目的も違えば難易度も不統一なので、免疫療法についてもっと知りたいと思う人は他書に読み進むのもいいのではないでしょうか。

 岩波新書に著者の『がん免疫療法とは何か』('19年)があり、いつもならそちらを先に読んだかもしれませんが、ノーベル賞を受賞してからの急遽の刊行だったらしく、書下ろしと旧著からの引用が混在していて内容にダブりがあったりし、難易度的にもそう易しくないようなので、今回は「祥伝社新書」にしてみました(そう言えば、祥伝社新書の創刊第1冊が、平岩正樹医師による『抗癌剤―知らずに亡くなる年間30万人』だった。会社勤めしながら3か月間の勉強期間を経て東京大学理科三類に合格という平岩氏と、ノーベル賞をもらう人とでどちらが頭がいいかとか考えても意味ないか(笑))。

 余談ですが、著者は和装でノーベル賞授賞式に出席したことが話題となりましたが(日本人の和装は1968年に文学賞を受けた小説家の川端康成以来)、本来、ストックホルム・コンサートホールで行われる授賞式に出席する男性受賞者は、夜の正礼装である「燕尾服」がドレスコードとされるものの、「民族衣装」も公式に認められており、和装はこれに該当するようです。

ユニクロ柳井氏、京大に寄付.jpg 先月['20年6月]、京都大学が「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長から総額100億円の寄付を受けると発表、本庶佑特別教授が進める「がん免疫療法」の研究や、同じくノーベル医学生理学賞の受賞者である山中伸弥教授のiPS細胞を用いた研究に活用するとしており、柳井会長、本庶教授、山中教授の3人で記者会見に臨んでそのスリーショットが新聞に出ているくらいなので、両教授の研究分野への将来の期待の高さが窺えます。

ユニクロ柳井氏、京大に100億円寄付 本庶氏、山中氏の研究支援 - 2020年6月24日毎日新聞

 しかし、やはり、京大出身者は自然科学分野でのノーベル賞レース、強いね。

「京大ゆかりのノーベル賞受賞者は10人に 「自由な学風」が生み出す」(産経WEST 2018.10.2)
京大ゆかりのノーベル賞受賞者.jpg

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カラーイラストで紹介されていて解りやすい。解明されていないことも多いのだなあと。

超美麗イラスト図解世界の深海魚最驚50.jpg 超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚501.jpg 超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚502.jpg
超美麗イラスト図解 世界の深海魚 最驚50 目も口も頭も体も生き方も、すべて奇想天外!! (サイエンス・アイ新書)』['14年]

 本書は、世界各国の科学者の研究成果をもとに、驚くべき深海魚の姿形を著者自身のイラストで再現しつつ、その不可思議な生態を紹介したものです。半分図鑑で、半分解説といった感じでしょうか(解説はかなり専門的であるように思えた)。

 同じサイエンス・アイ新書に、同著者の『深海生物の謎―彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか』['07年]がありますが、そちらは写真で深海生物を紹介していて、形態が見にくいものには、同じ場所にイラストが添えてあるのというスタイルでしたが、本書は全部カラーイラストで紹介されていて、細部の形状などはこのイラスト版の方が解りやすいかと思います。著者のイラストでは、『深海生物ファイル―あなたの知らない暗黒世界の住人たち』['05年]にあるように白地にカラーで深海魚を描いたものもありますが、本書はバックがすべて黒で、実際に深海で観た場合はこんな感じなのでしょう。イラストがたいへん緻密に描かれているせいもあり、写真以上に効果的であるように思いました。

 紹介されている50種類の内訳は、ムネエソ科3種、ワニトカゲギス科8種、ヒメ科8種、アカマンボウ類1種、オピスソプロクツス科6種、キガントキプリス1種、頭足類6種。キロテウティス科5種、チョウチンアンコウ10種、オニアンコウ科7種と、実は50種を超えていますが、素人目にはどこが違うのか分からないような種もあるので、逆に50種もあったかなあという印象も(笑)。

 それでも、解説を読み進んでいくうちに、深海魚の多様性に触れることができ、特にバラエティに富んでいると思われたのが、目の構造と機能でした。やはり、深海において目は大事なのだなあと。望遠鏡のような構造の目は珍しいものではなく、中には目が4つあるものもあったりして、一方で、形だけあって殆ど目の機能を果たしていないものもあり、そうした種は代替機能のようなものがあったりします。ただ、なぜそういう構造や機能なのかよく解らなかったりするようです。

 また、何を食べているかは捕まえて腹を裂けばわからないことはないけれども、どうやって獲物を探して捕食しているのかとか、より生態学的なこととなると、解らないことも多いようです。それでも、分かっている範囲で、その不思議な生態を紹介しています。自分より体の大きな魚を食べる深海魚などもいて、ホントに不思議な世界です。あとは、これも確かにそうだろうなあと思いまうSが、生殖関係も不思議なことが多く、なぜそうなのか解っていないことが多いようです。

 本書刊行時点で、深海探査艇をもつ国はわずか6カ国で、そのため、そもそも深海で生きる生物たちの姿が写真や映像で撮られる機会は少なく、研究も十分に進んでいないのが実情であるとのことで、これから更に様々なことが少しずつ解明されていくであろう分野なのでしょう。未解明の部分が多いことも、この分野の魅力の一つかもしれませんが、おそらく、研究し尽くされてその魅力が失われるということは無く、研究が進めば進むほど、未解明の部分も多く出てくるように思います。

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体重と体温が、すべての生き物の代謝量、成長速度、そして時間濃度まで決める。

進化の法則は北極のサメが知っていた (河出新書).jpgニシオンデンザメと奇跡の機器回収.jpg
進化の法則は北極のサメが知っていた (河出新書)』 Webナショジオ「渡辺佑基/バイオロギングで海洋動物の真の姿に迫る」
ペンギンが教えてくれた 物理のはなし (河出ブックス)』['14年]
ペンギンが教えてくれた 物理のはなし.jpg 著者は生物学者で、バイオロギングという、野生動物の体に記録機器を貼り付けて、しばらく後に回収し(回収方法を著者自身が開発した)、動物がどこで何をしていたのかを知る方法を活用して動物の生態を研究しているのですが、そこから生物に普遍的な特性を見出すという、生態学と物理学の融合という新境地を、第68回毎日出版文化賞受賞(自然科学部門)を受賞した前著『ペンギンが教えてくれた 物理のはなし』('14年/河出ブックス)では描いています。本書もその流れなのですが、前著が個々の動物の生態調査のフィールドワーク中心で、バイオロギングの説明などにもかなりページを割いているのに対し、本書はより生態学と物理学の融合ということに直接的に踏み込んだものとなっています。と言っても小難しい話になるのではなく、全五章に自身のフィールドワークの話を面白おかしく織り交ぜながら、動物の体温というものを共通の切り口として話を進めていきます。

ニシオンデンザメ.jpgニシオンデンザメを小型ボートの横に固定.jpg 第1章では、北極の超低温の海に暮らすニシオンデンザメの自身の調査を紹介しつつ、動物における体温に意味を考察していきます。そもそも、このニシオンデンザメというのが、体長5メートルを超えるものでは推定寿命400歳くらいになり、成熟するだけで150年もかかるというトンデモナイ脊椎動物で、その事実だけでも引き込まれてしまいます(このニシオンデンザメについてのバイオロギング調査の様子は、ナショナル ジオグラフィックの日本版サイトにおける著者の連載でも写真で見ることができる)

 第2章では、南極に暮らすアデリーペンギンの自身の調査を紹介、哺乳類や鳥類がどのような体温維持をしているか、そのメカニズムを見ていき、この辺りから本格的な科学の話になっていきます。第3章では、オーストラリアのホオジロザメの自身の調査を紹介しながら、一部の魚類やウミガメが変温動物としての枠組みから外れ、高い体温を維持している、その特殊の能力の背景にあるメカニズムを見ていき、約6500万年前に絶滅した恐竜の体温はどうだったのかという論争に繋げています。

 そして、第4章では、イタチザメの代謝量を測定する自身のフィールドワークを紹介しながら、体温が生命活動に与える影響を包括する1つの理論を組み上げ、結論として、生命活動は化学反応の組み合わせであり、生物の生み出すエネルギー量は熱力学の法則で決定され、それは、サメも人間も、ゾウリムシさえ同じであるとしています。最後の第5章では。バイカル湖のバイカルアザラシの自身の調査を紹介し、全勝で見つけた理論を応用して、生物にとって時間とは何かを考えています。

 このように、目次だけみると、ニシオンデンザメ、アデリーペンギン、ホオジロザメ、イタチザメ、バイカルアザラシと海洋生物が続き、その中でも3つがサメであるため、この著者はサメの生態研究が得意分野なのかなくらいしか思わなかったのが、読んでみると各章が、生物全般に通じる理論への段階的布石とその検証になっていて思わぬ知的興奮が味わえたし、各章をオモシロ探検記的に読ませながら、そうした深淵な世界に読者を引きずり込んでいく語り口は巧いと思いました。

 第4章にある、「代謝量は体重とともに増えるが体重ほどには増えない」といういうのは、すべての動物の体重と代謝量には相関がある(ただし、グラフでは、4分の3乗の傾きで一直線に並ぶ(クライバー))ということです。そう考えると、第1章のニシオンデンザメが動きが極めてスローなのは巨大であるがゆえで、第2章のアデリーペンギンの動きが極めて速く、ハイペースで獲物を捕らえるのは体が小さいからということになります。でも、なぜ4分の3乗に比例して増えるのか。代謝量は体重ではなく、体表面積と比例するという説(ルブナー)もありますが、体表面積は体重の3分の2乗に比例するため、ここでも計算が合わず、結局、代謝量は体重と、あとは体表面積とは別の何かで決まることになると。そこで、体温を仮に補正し、例えば人間も他の動物も皆地球の平均温度である20℃が体温であったとすると、恒温動物や変温動物、単細胞生物も含むすべての生物の体重と代謝量が比例することになり(ブラウン)、つまり、生物の代謝量は体重と体温で決まるのであって、これは「人間もカンパチもゾウリムシも同じ」であるとのことでした。

ゾウの時間 ネズミの時間.jpg 代謝量は生物の成長速度、世代(交代)時間、寿命にも直接影響してくるわけで、第5章における「生物の時間」についての考察も興味深かったです。本書で"名著"とされている、本川達雄氏の『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』('92年/中公新書)にも、体の大きな動物ほど成長に時間がかかるとありました。本書でも、確かに例えば競走馬が3歳で成熟するように人間よりも大きな体を持ちながら早く成熟する動物も多くあるものの、ミジンコからシロスナガスクジラまでずらっと並べておおまかに言えば、生物の世代(交代)時間は体重の4分の1乗に比例して長くなるという式が導き出されるとしています。でもこれだけは、成長速度は、体重とも体表面積(体重の3分の2乗に比例)とも直接に比例しないわけで、そこに、先の代謝量は体重の4分の3乗に比例して増えるという公式を入れて初めて整合性がとれると。つまり、代謝量は体温に反映されるので、体の大きさが同じであれば代謝量が高い、つまる体温が高いほど、成長が早いということになるということです。

 これはおそらくそのまま「動物の時間」の速度に当て嵌まり、計算上、ネズミの感じている時間速度はニシオンデンザメより350倍も濃く、つまりネズミの1日はニシオンデンザメのほぼ1年に相当し、人間はその間にあってニシオンデンザメの47倍に相当、つまり、人間の1日はニシオンデンザメの1カ月半に相当するとのこと。私たちが大人になったときに感じる子どもの頃との時間濃度の差は、体重25キロの小学生と65キロの大人と比べると子どもの方が1.3倍濃いと(1日が大人の31時間あることになる)。また、大人になってからは、加齢とともに代謝が落ちていき、20代に比べ40代で10%、60代で15%基礎代謝が落ちるため、時間の重みがその分減っていくということのようです(だんだん"ニシオンデンザメ化"していくわけだ(笑))。

 最後に、各章を振り返りながら、これほど多様な生物が(例えば、世代時間8時間のゾウリムシから150年のニシオンデンザメまで)なぜ地球上に共存しているのかを考察していますが、第1章のニシオンデンザメは、巨大かつ低体温のニ省エネタイプで、その対極にあるのが、第2章のアデリーペンギンで、高体温で体の大きさの割に膨大なエネルギーを日々消費し、第3章のホオジロザメは、ニシオンデンザメとアデリーペンギンの中間にある体温の高い魚類(中温動物)となり...と、それぞれに適応への道、進化への道を歩んできた結果なのだなあと思いました。

 本書のコンセプトは「私が読者だったら読みたい本」とのことで、実際サービス過剰なくらい面白く書かれていて、それでいて巨視的な視点から生物を巡る法則を説き明かしてくれる本でした。『ゾウの時間 ネズミの時間』が、エネルギー消費量は体重の4分の1乗に反比例するというところで終わって、あとは大小の違いによる心臓の拍動数の話となり(この話は「ヒト」は例外となっている)、「大きいということは、それだけ環境に左右されにくく、自立性を保っていられるという利点がある。この安定性があだとなり、新しいものを生み出しにくい」といった動物進化に対するもやっとした仮説で終わっているのと比べると、考え方ではそれを超えている本ではないかと思います。

《読書MEMO》
●マグロ類やホオジロザメなどの中温性魚類は、同じ大きさの変温性魚類に比べて2.4倍も遊泳スピードが速い(195p)。中温性魚類は同じ大きさの変温性魚類に比べ、回遊距離が2.5倍も長い(197p)。
●体重60キロの人間と、同じく体重60キロのカンパチを比べると、人間の方が10倍ほど代謝量は高いが、それは単に体温が違うからだ。60キロのカンパチと、1マイクログラムのゾウリムシを比べると、カンパチの方が1億倍ほど代謝量が高いが、そえは単に体の大きさが違うからだ(250p)。

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