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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ
野坂昭如ばりの文体と諧謔ぶり? 読んで何が残るか? 何れも今ひとつ。
『きれぎれ』 ['00年] 『きれぎれ』 文春文庫 町田 康 氏
2000(平成12)年上半期・第123回「芥川賞」受賞作。
さっぱり仕事をしない万年金欠男の日常を描いています。
肉親や名ばかりの友人に金策に回らざるを得ない屈折した心理、元ランパブ嬢の妻への屈折した愛情などが、現実と妄想の中で展開していく―。
芥川賞の選考では、宮本輝が猛反対し、石原慎太郎が強く推したようですが、わかる気がします。
文体がユニークなことで「ビート派」とか言われる作家ですが、「きれぎれ」について言えば、かなり「メロディ」も重視し、計算して書いたように見えます。
しかし文体も諧謔ぶりも、例えば、野坂昭如ばりとでも言うか、ただし、野坂昭如の初期作品などの強烈さには及ばないという気がします。
日常生活における人間心理の闇の部分、常識化されていない部分を描くのが文学の役割の一つであるという「定式」があるのか、芥川賞受賞作にはいろいろな意味で極端な人物が登場したりしていて、その受け入れやすさで好きな人嫌いな人に分かれがちです(自分自身も、多分に登場人物の好き嫌いで作品を見ている部分はあります)。
その点「きれぎれ」の主人公は、バブル崩壊後の世相を反映したキャラクターに思え、「勝ち組・負け組」で言えば「負け組」とわかりやすい方だと思います。
攻撃的であるが屈折していて、そのくせ青空のように突き抜けたところがあるため、作品としては読み手に適度に受け入れられやすいのではないでしょうか。
ただ読んで何が残るかというと、この作品については個人的には今ひとつでした。
作者自身はパンクロックを「あらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽」(『群像』'01年5月号「人生の野坂昭如」)と定義していて、この小説もむしろ「音楽」や「詩」に近いのかも―と思ったりもしました。
【2004年文庫化[文春文庫]】