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全体として東洋的。マインドフルネスという言葉を考える上では一定の示唆は得られた。

『スタンフォード大学 いのちと死の授業』['24年]

本書は、心理学者である著者がスタンフォードの学生たちに行った授業の内容と実際に経験したことについて書かれています。著者はスタンフォード大学でマインドフルネスやEQ(感情知能)に関する教育を行っています。この授業では、学生たちが死を身近に感じるレッスンを通して、自身の体験や思いを語り、変化していく様子が描かれています。
第1講「私は死につつあります」では、死を意識するからこそ、生きることを真摯に考えることができると説きます。また、マインドフルネスに基づくもので、各個人のウェルビーイングを超えて他者への慈しみや奉仕へと向かう、著者が「ハートフルネス」と呼ぶところの生き方を提唱しています(12p)。人々がコミュニティを求め集う小さなグループにおいて、ホスピタリティを提供することが自分のミッションであるとも述べています(40p)。
第2講「私は息ができます」では、喪失ということについて考えていきます。喪失とは、ビギナーズマインド(初心)を受け入れる機会であり、私たちは、コンパッション(思いやり、慈愛)を抱き自身を受け入れながら、より良い人間になろうと励むことができ、これが、ハートフルネス、すなわちコンパッ
ションと責任を同時に備えたマインドフルネスであるとしています(47-48p)。七転び八起きという言葉、座頭市の戦い方(戦わないことを強みとしながらも、どうしても戦わねばばらなくなった時に吐く「やるからには、後には引きませんよ」というセリフ)についての学生たちの議論、仕方がないという言葉など、日本的要素がふんだんに織り込まれています。
第3講「生まれてきてよかった」では、人生でもっとも素晴らしいことは何かを考えます。そして、マインドフルネスは、自分という存在の現実、人間としての生の尊さに目を開くことであり、マインドフルネスが感謝の意識へと広がった状態をハートフルネスと呼ぶとしています(91p)。
第4講「ありのままのあなたが好き」では、今を生きること今が最高と思えることの大切さを説きます。直接書名・著者名を挙げてはいませんが、日本でもベストセラーとなった『スタンフォードの自分を変える教室』に(「変える」ということに関して)懐疑的であるのが興味深いです(146p)。一方で、日本の伝統工芸の「金継ぎ」をレジリエンスのメタファーと捉えていて(154p)、これもまた興味深いです。
第5講「生きることに価値はありますか」では、自殺の問題を取り上げ、オリンピックのマラソンランナーだった円谷幸吉の例が紹介されていますが、同じくオリンピックのマラソンランナーで、「自分を自分で誉めたい」と言った有森裕子の名を対比的に挙げているのが興味深いです(168-169p)(そっかあ、「自分を自分で誉めたい」というのはセルフコンパッションに該当するのかあ)。
第6講「傷ついた心の癒し方」では、失うことは生きることの代償であるとして、大きな存在をその死によって失った際に、それをどう受け入れるかを説いています。ここでもやはり、金継ぎは傷ついた心を治す方法として役立つという話が出てきます(230p)。
第7章「愛こそが死の解毒剤」は、引き続き、喪失の哀しみからどう甦るかを説きます。また、自分自身の死にどう向き合うか、ALSで死期が近いと思われる女性の「私たちは身体だけではないのよ」という言葉が出てきます(262p)。著者は、その強さは、肉体の死後も生き続ける魂への確信にあるように思えるとしています。
第8章「今日が人生最後の日だとしたら」では、故スティーブ・ジョブズの言葉を引用し、自分の心に従うこと、自分は人生でまだ何ができるかを考えることを説いています。また、死ぬことを学ぶことで生きることを学ぶことができるとしています(296p)。黒澤明の「生きる」が紹介されています(309p)。
第9章「すべてうまくいくから」では、著者が祖母の臨終に立ち会って、死は恐れるものではないと悟ったことが述べられています。死にゆく大勢の人々が、神に安らぎを見出すとし、どんな小さなこともすべてうまくいくとしています(324p)。
第10講「私たちの物語」では、最後の授業として、生徒たちが自分の物語をクリエイティブな作品(文章)にしたものが3つ紹介されています。個人的には、自分を死んだペットに置き換えて、そこから人生はギフトであることを示唆した冒頭の作品が印象に残りました。
全体として東洋的と言うか、スピリチュアルな面も強調されていますが、死後の世界(霊魂)というところまではいっておらず、あくまでも生きている側にいる人たちのマインドフルネス、ハートフルネスに重きを置いているように思えました(ある意味、心理学本だが、著者は哲学者ではなく心理学者であるので当然の帰結か。ただ、この人、"導師"的な雰囲気もある)。
講義をそのまま本にした印象もあり、本として読むとやや散漫な印象も受けなくもありません。しかしながら、マインドフルネスという言葉を考える上では一定の示唆は得られました(著者の場合、「ハートフルネス」ということになるが)。ただ、それでもまだこのマインドフルネスというのが自分にはよく分かっていません。そのため、やや中途半端な評価になりました。



科学雑誌「ニュートン」の2020年から刊行が続いている本格図鑑シリーズ「Newton大図鑑シリーズ」の第33弾(2024年までに33巻刊行)。心理学系は、『心理学大図鑑』に続いて2巻目ですが、図鑑に心理学系の本があること自体が「ニュートン」らしいかも。
Art5「集団にまつわるバイアス」では、勝ち馬に乗って自分も勝者になりたい「バンドワゴン効果」、出身地が同じということだけで贔屓してしまう「内集団バイアス」(出身地に限らずこれはある)、人がたくさんいると行動しなくなる「傍観者効果」etc.。

できる」ことを示した、誰でも分かる学術書、学問としての体系的幸福学の本であるとのことです。

マリー・マッキンタイヤー(ワークプレイス心理学者・キャリアコーチ)
『
善と悪の心理学などを研究テーマとしてきた心理学者が、悪事に直面すると人間は沈黙する、という人間の生来の性向の根底にある心理的要因を解説し、沈黙が悪事の継続にどれほど重要な役割を果たしているかを明らかにするとともに、道徳的な勇気を持つにはどうすればよいかを説いた本です。

![影響力の武器[新版].jpg](http://hurec.bz/book-movie/%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E5%8A%9B%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%99%A8%EF%BC%BB%E6%96%B0%E7%89%88%EF%BC%BD.jpg)
『

個人的には、幸福感の50%は「遺伝」によって決まり、「環境」は10%で、あとの40%は「意図した活動」である、というソニア・リュボミアスキーの研究が興味深かったです。また、「コントロール感」は、ストレス耐性を高め、攻撃性を弱める、というのも、大いに得心が行きました。
フレデリック・ハーズバーグ
因みに、フレデリック・ハーズバーグは、両親がリトアニア出身のユダヤ系米国人臨床心理学者であり(そう言えば


『

ポジティブ心理学を創始した心理学者マーティン・セリグマン((Martin E. P. Seligman、1942年- )の本(英題"Learned Optimizm")で、楽観主義者(オプティミスト)はうつ病になりにくく、諦めが悪く粘り強いので、悲観主義者(ペシミスト)よりもいい結果を残すことが多いとしています。3部構成の第1部はセリグマンの学習性無力感の研究の経緯やチェックリストがあり、第2部はオプティミストの利点、第3部はオプティミストになるための方法が書かれています。
J.D.クランボルツ(1928-2019)
オーブリー・ダニエルズ
アダム・グラント

(●アダム・グラントは「TEDトーク」で「人当たりの良いギバー」と「人当たりの悪いテイカ―」はすぐ分かるが、「人当たりの良いテイカ―」と「人当たりの悪いギバー」は見分けを誤ることがあると注意を促してる。「人当たりの悪いギバー」の例として「Dr.HOUSE」でヒュー・ローリーが演じたグレゴリー・ハウス医師を挙げているのが個人的には分かりやすかった。有能だが不愛想でいつも不機嫌に




第8回「山本周五郎賞」を受賞した『








「フロー理論」とは、1960年代に当時シカゴ大学の教授であったハンガリー出身のアメリカの心理学者ミハイ・チクセントミハイ(Mihaly.Csikszentmihalyi)が提唱したもので、人が喜びを感じるということを内観的に調べていくと、仕事、遊びにかかわらず何かに没頭している状態であるというものであり、本書("Flow: The Psychology of Optimal Experience"1990)は、その考えを体系的に纏め上げたものです(因みにハンガリー語に沿った名前の表記はチークセントミハーイ・ミハーイ(Csíkszentmihályi Mihály)。ハンガリー語は日本語と同じく姓、名の順になる)。
入門』や『フロー体験とグッドビジネス』に読み進む方が、結果として効率が良かったりするのではないでしょうか。




1960年にアメリカの心理学者ダグラス・マクレガー(またはマグレガー、Douglas McGregor、1906-1964)が、発表した著書で(原題:The Human Side Of Enterprise)、モチベーション理論としての「X理論-Y理論」を提唱したことで知られています。
第1部「経営に関する理論的考察」では、まず、伝統的な科学的管理法に基づく「権限による人の統制」に対する批判が続きますが、こうした命令系統による人の動かし方を、彼は「X理論」によるものであるとしています。これまでの経営者や管理職は、従業員に対して「権限に基づく適切な命令」を与えることが自らの重要な職務であると考えてきた経緯があり、その根底には、よく働く従業員には報酬を与え、怠ける従業員には罰則を与えることで、従業員の労働意欲を高め、仕事へのモチベーションを維持することが出来るという「X理論」の見解があると―。従業員を積極的に働かせて生産性と効率性を高めるには、道具的条件付け的な報酬と罰則の強化子(刺激)が必要であると考えられてきたということです。



「完璧主義」の病理を説いた第1章で出てくるのは、何事においても完璧を求め努力した三島由紀夫(その完璧主義が彼自身を追い詰めることになった)を筆頭に、映画「ブラック・スワン」の主人公、東電OL殺人事件の被害者、極端な潔癖主義だったマハトマ・ガンジー(父の最期の時に肉欲に溺れていたことへの罪の意識から過剰に禁欲的になったという) 、ピアニストのグレン・グールドなど。


「敵」を作り出す心のメカニズムについて説いた第3章では、ドストエフスキーや夏目漱石などの文豪のエピソードが取り上げられており、幻聴や神経衰弱に悩まされたカール・グスタフ・ユングや、生涯にわたって女癖がひどかったというバートランド・ラッセル(平和活動家としての名声が高まるとともに、活動を共にする取り巻き女性をハーレム化していったという)の話も紹介されています。

人形(ドール)しか愛せないという異形愛が、幼児期に母親から捨てられたという思いか原因であるとする第6章では、ショーペンハウアーや、同性愛の方へ傾斜したオスカー・ワイルド、そして再び三島由紀夫のことが出てきて、罪悪感は強すぎて自己否定の奈落に陥ってしまうことを解説した最後第7章では、幼い頃の父親の死と厳格な母親の教育の重みによって施された心の纏足から自らを解き放とうとして「神を殺した」ニーチェ、スランプと飲酒の悪循環でうつ病になったヘミングウェイが―。


「政治家のイメージも暗示で作られる」としているのは、最近言われる「ポピュリズム政治」をある意味先取りしており、リーダーを「父親型」と「母親型」に分類していて、"最近のわが国の政治家"の例としてそれぞれ、'68年の参議院議員選挙の全国区でトップ当選した石原慎太郎と、'67年に東京都知事選挙で勝利した美濃部亮吉を挙げているのが興味深く、また、時代を感じさせます(宗教界の父親型リーダーに創価学会の池田大作、母親型リーダーとして立正佼成会の庭野日敬を挙げており、集団の性格は、リーダーのタイプによって象徴されるとしている)。
Dr. Theodore Millon
冒頭で著者によって取り上げられているタレント(山口美江(1960-2012/享年51))などは、言われてみれば確かにミロンが、「サディスティック・パーソナリティ障害」のサブタイプの1つに挙げている「キレるサディスト-癇癪持ち」にピッタリ嵌まります(ような気がする)。



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/成瀬悟策(なるせ・ごさく) 九州大学名誉教授
40年代に再ブームが到来したときも同様で、そうした本を書いている人がテレビ番組などに出演するなどして催眠ブーム(催眠への認知)を広げたということもあるが)。自己催眠に関するものでは、東京大学の平井富雄教授(1927-1993、執筆時は東大講師)の『自己催眠術』('67年/カッパブックス)は。やはり「術」とはつきますが、良かったというか、真っ当な内容であったように思います(書かれていることは学術的言い方をするならば「自律訓練法」のことなのだが)。









本書でも紹介されている、子犬を絞め殺した夢を見た女性のフロイトによる分析の話は有名ですが、こうした憎しみの「転移」は、夢の中で自分に嘘をついているとも言え、本書を読むと、人間というのは、夢に限らず現実においても嘘をつくようにできているということになります。但し、自己中心的な嘘をつき続ける人は、やはり虚言症と呼ばれる病気であり、クレペリンの調べでは、虚言症者の43%は自殺を図っているそうです(周囲の誰かが病気だということに気づいてあげないと危険な状況になるかも)。
こうした記憶喪失は映画などのモチーフしても扱われており、よく知られているのがマーヴィン・ルロイ監督の「心の旅路」(原題:Random Harvest、'42年/米)です(原作は『チップス先生、さようなら』『失われた地平線』などの作者ジェームズ・ヒルトン)。
第1次世界大戦の後遺症で記憶を失ったスミシィ(仮称)という男が、入院先を逃げ出し彷徨っているところを、踊り子ポーラにに助けられ、2人は結婚し田舎で安穏と暮らすが、出張先で転倒したスミシィは、自分がレイナーという実業家の息子であった記憶喪失以前の記憶を取り戻し、逆に、ポーラと過ごした記憶喪失以後の3年間のことは忘れてしまう―。
「心の旅路」●原題:RANDOM HARVEST●制作年:1942年●制作国:アメリカ●監督:マーヴィン・ルロイ●製作:シドニー・フランクリン ●脚本:クローディン・ウェスト/ジョージ・フローシェル/アーサー・ウィンペリス●撮影:ジョセフ・ルッテンバーグ ●音楽:ハーバート・ストサート●原作:ジェームズ・ヒルトン「心の旅路」●時間:124分●出演: ロナルド・コールマン/グリア・ガーソン/フィリップ・ドーン/スーザン・ピータース/ヘンリー・トラヴァース/レジナルド・オーウェン/ライス・オコナー●日本公開:1947/07●配給:MGM=セントラル●最初に観た場所:高田馬場ACTミニシアター(84-12-23)(評価:★★★★)●併映「舞踏会の手帖」(ジュリアン・デュビビエ)


「死体」は"秘密"の象徴である(だから、夢に死体が現れる場合は、何とかしてそれを隠そうとしている場合が多い)とか、「トイレ」に行くことは"情事"を表す(どの戸を叩いても使用中だというのは、自分が知っている異性はみな結婚していたり恋人がいて、相手にしてくれないという失望感を表す)とか、結構、当時は面白いと思って読んだ部分がありました。
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土居健郎 氏
菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)
駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。
「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは"関係なし状態"に。



この著者には、同じ文春新書で『人と接するのがつらい―人間関係の自我心理学』('99年)という本もあり、自我心理学が専門だと思いますが、人間関係など社会生活で悩んでいる人への思いやりが感じられ、本書もまた、ブックレビューなどを読むと好評のようです。

村上宣寛(むらかみよしひろ)・富山大学教授 〔性格心理学、教育測定学〕
高名な学者の言っていることが、比較的簡単な実験でその論拠が大きく揺らいでしまうのが面白く、特にロールシャッハは、権威者3名の同一テストに対する分析がバラバラで、しかも実態から大きく外れているという結果に。YG、内田クレペリンは、学生時代に自ら被験者になり、また結果分析もしたことがあるので身近に感じましたが、その当時から信憑性に疑義があり、今時こんなの使っているのかなという気もしました(実際には、批判も多い一方で、精神科や心療内科などで根強く用いられているようだが)。


その養老氏が、面白いと買っているのが、桂枝雀の落語の枕の創作部分で、TVドラマ「ふたりっ子」で桂枝雀と共演した三林京子も桂枝雀と同じ米朝門下ですが、彼女の話から、桂枝雀の芸というのが考え抜かれたものであることが窺えました。桂枝雀は'99年に自死していますが(うつ病だったと言われている)、「笑い」と「死」の距離は意外と近い?

香山 リカ 氏 (精神科医)


第1章と第3章が「対話のためのユング心理学」「病者との対話」となっていて、「対話」というキーワードを切り口にコンプレックス、元型論(アニマとアニムスなど)、集合的無意識といった概念や、夢分析、箱庭療法などの心理療法についての解説がされています。

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働きざかりのミドルが家庭や社会の中で遭遇する様々な課題を心理学的に考察し、わかりやすく解説した本で、中心となるテーマは「中年の危機」。しかし、幅広い世代に対しての示唆に富む本だと思います。40歳から50歳の間に"思秋期"が来るという本書の考えのベースになっているのは、ユングの「人生の正午」という概念です。日常生活の人と人の繋がりにおける諸事象から、より根源的な心理学のテーマを抽出する著者の眼力は、この頃からすごかったのだなあと、改めて感じました(単行本は1981年刊)。 者論における、「場の倫理」に対する「個の倫理」という切り口などが、個人的にはとりわけ秀逸だと思えました。
また、主に年長者が重視するという「場の倫理」にも、微妙な側面があることを指摘しています。「場の倫理」というのは、日本は欧米に比べ企業などで特に強く働くのでしょうが(企業のトップなどは、それなりに年齢のいった人が多いということもある)、「場に対する忠誠心は、その場においては満場一致の絶対性を要求しながら、場が変わったときには態度の変更のあり得ることを認めるというのは不思議だ」と著者は述べています。確かに日本の場合、「決議は百パーセントは人を拘束せず」(山本七平)というのは、企業でよくあることではないかという気がしました。役員会での決定事項が簡単に覆ったりするのは、会議の後でそれぞれのメンバーはまた別の「場」へいくと、そちらの「場」の平衡を保つことがより重要事項となる―そこで役員会ともう1つの「場」との調整が再度図られるということなのでしょうか(自分の見た例だと、連日にわたり"最終決定"役員会を開いていた会社があった)。

本書は、詩人・谷川俊太郎が河合隼雄にユング心理学について話を聞くというスタイルになっています。河合氏によるユング研究所に学んだ時の話から始まり、夢分析などに見るユング心理学の考え方、箱庭療法の実際、分析家としての姿勢などが語られ、最後はイメージとシンボル、自我と自己の違いの話から、谷川氏との間での創作や世界観の話にまで話題が及び、内容的にも深いと思いました。
ユング心理学の用語や分析家としてのあるべき姿勢が、"対談"を通して語られることで、ニュアンスとしてよく伝わってきます。心理療法について体系的に理解したい人には、河合氏の『ユングと心理療法』('99年/講談社+α文庫)の併読をお薦めします。
谷川俊太郎(詩人)
大原 健士郎 氏 (略歴下記)


●「黄梁一炊(こうりょういっすい)の夢」「邯鄲の夢」...盧生(ろせい)が宿で栄華が思いの儘になるという枕で寝ると皇帝になって50年世を治め、さらに不老長寿の薬を得る夢を見るが、それは黄梁(粟飯)が炊ける間の事だった(34p)





物質文明に縛られた現代人にとって、"異常の真理"は、けっして無縁ではない。たとえ自分はどんなに健康だと思っても、異常な状態や環境におかれたりすると、自分の心を失って流されてしまう。合理性の背後に、不意にしのびこむ異常性――人種的偏見、政治的な憎しみ、群集心理などは、日常生活にも、しばしば顔をのぞかせる。本書は、われわれの心にひそむ異常性を、社会的な、文化的な、さらに歴史的な視野で把え、それが現代社会にどう反映しているかを解明する。――本書より


著者の相場均は、『孤独の考察』('73年/平凡社)などの名著がある心理学者で、エルンスト・クレッチメル(クレッチマー)の『体格と性格』('78年/文光堂)の訳者でもあります。
学生の前で、石原慎太郎・裕次郎兄弟の性格の違いを分析してみせたりもしていました。慎太郎氏がやたら瞬き(正確には"しばたき")することが多いのは、作家特有の神経症的気質からきていると...。素質的に豪放磊落な弟に比べると、実は兄貴の方はずっと神経質で防衛機制が強く働くタイプであると言っていましたが、当たっている?

興味深いのは、ラファエロのように、推定知能指数が110程度の「天才」もいることで、「天才」の1割は"正常"(?)だったという研究もあり、彼もその1人ということになるようです。ラファエロは14歳ですでに画家として有名でしたが、画風や仕事ぶりは職人(または親方)タイプだったそうです。「天才」グループに紛れ込んだ"偉大なる職人"とでも言うべきでしょうか。
宮城 音弥 (1908-2005/享年97)
'05年に97歳で逝去した心理学者・宮城音弥氏の著作。初版が1959年という古い本ですが、精神分析の入門書としてはオーソドックスな内容だと思います。






論理療法でいうイラショナル・ビリーフやABC理論(ABCDE理論)をわかりやすく説くために著者の経験やマンガを引いたりしていますが、内容的にはオーソドックスで、最後に「論理療法のまとめ」と「実践のためのアドバイス」を配しており、入門書として丁寧な構成になっています。