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短篇を読む契機となった。戦地にて銃弾で喉を貫かれた経験があることを初めて知った。
Eric Blair (pen name, George Orwell)
『ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌 (岩波新書 新赤版 1837) 』['20年]
『一九八四年』などの作品で知られるジョージ・オーウェル(本名:エリック・アーサー・ブレア、1903-1950/46歳没)の少年時代から晩年までの生涯と作品を辿り、その思想の根源を探った評伝です。生涯を年譜的に追っているオーソドックスな内容ですが、合間合間にターニングポイントとなった作品の冒頭部分が紹介されていて、個人的には、それまで『動物農場』と『一九八四年』しか読んでなかったオーウェルの、その幾つかの短編を読む契機となりました。
Burma Provincial Police Training School, Mandalay, 1923
Eric Blair is the third standing tram the left
オーウェルは19歳から5年間、当時イギリスの支配下にあったビルマ(現在のミャンマー)で警官として過ごしており、ビルマを舞台とした短篇「象を撃つ」はビルマ赴任を終えて約10年近く経て書かれたものですが、ビルマ時代を描いた作品の中でも代表的なものの一つに数えられているとのこと。ただし、1945年に出版された『動物農場』で作家として一気にその名を高めることになった、その9年前の作品ということになるので、注目されるようになったのは『動物農場』がベストセラーになった以降のようです。
オーウェルは当初「反ソ・反共」作家のイメージであったのが、時代とともに「監視社会化」に警鐘を鳴らした人物へと、受容のされ方も変化してきた作家であるとのこと。若かりし頃は社会主義者で、1936年12月にスペイン内戦で無政府主義者らに感化されて、翌1937年初頭に民兵組織マルクス主義統一労働者党という共和派の義勇兵に加わったものの、「トロツキー主義者」と見られスターリン指導下の共産党による粛清開始で危機一髪のところでフランスに脱出(『カタロニア讃歌』)、共通の敵だと思っていたファシスト(フランコ政権側)より味方であるはずのソ連・スターリニストの方が悪辣だったことを体感して、ソ連の「粛清」を嫌悪する民主社会主義者となっています。
この彼の経歴自体は、『動物農場』のさらに4年後の1949年に『一九八四年』が出版された時にはよく知られており、そのため『一九八四年』は、自らに経験をもとに、当時の西側諸国の反スターリニズム(反共産主義)・反ファシズムという流れの中で生まれた一過性で終わる作品と見られていたということのようです。「監視社会」という概念はもっと後からでてきたもので、作品が時代に先行していたということでしょう。
それではオーウェルをどう理解すれば良いのかというと、オーウェルは、反帝国主義・反全体主義・反社会主義の思想家であり、反帝国主義に関しては、オーウェルは警察官としてイギリスのインド統治を経験し、イギリス政府によるインド人への不当な抑圧行為を目の当たりにしたためで、反全体主義に関しては、スペイン義勇兵としての体験が基礎になっており、反共産主義・反社会主義に関しては共産主義国のソ連に裏切られ、幻滅させられため、ということになるようです。いずれにせよ、オーウェルが理想とする国家とは、民主主義を擁護する政治的社会(民主国家)であり、そこには、人種や民族、宗教や習俗の違いを越えた普遍性が含まれているわけで、そう考えると、ますます今日的な作家であるように思えてきます。。
本書を読んで初めて知ったのは、スペイン内戦に参戦した際に前線で咽喉部に貫通銃創を受け、まさに紙一重で死の淵から生還しているとのことです(オーエルは非常に背が高く、塹壕に潜んでいても他の兵士より頭1つ出ている分、真っ先に敵の銃弾を受けやすかったようだ)。銃弾がもう何センチか或いは何ミリかずれていれば、我々は『動物農場』も『一九八四年』も読むことは無かったのだなあと。また、こういう経験は、何らかの形でその後の作家の人生や作品に影響を与えているのだろうなあと思います。
読んでみて色々な経験をした人なのだなあと思いましたが、やっぱり戦地にて銃弾で喉を貫かれた経験を持つというのが、(知っている人は知っているのだろうけれど)これまでそのことを知らなかった自分としては最も衝撃的だったかもしれません。