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全体の構成にはやや違和感を覚えたが、随所で考えさせられる点も。
『私家版・ユダヤ文化論 (文春新書)』 ['06年] J‐P.サルトル 『ユダヤ人 (岩波新書)』
2007(平成19)年度・第6回「小林秀雄賞」受賞作。
ユダヤ人問題の研究を永年続けてきた著者が、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」ということを論じたもので、第1章では「ユダヤ人」の定義をしていますが、「ユダヤ人はユダヤ教徒のことではない」としている時点で、「あっ、これ哲学系か」という感じでサルトルの『ユダヤ人』('56年/岩波新書)を思い出し、案の定、「ユダヤ人は反ユダヤ主義者が"創造"した」というサルトルの考えが紹介されていました(そっか、この人、"元・仏文学者"だった。今は、思想家? 評論家?)。
但し、「ユダヤ人とは『ユダヤ人』という呼称で呼ばれる人間のことである」という命題は、サルトルの言うほどに「単純な真理」ではないとし、レヴィナスの「神が『私の民』だと思っている人間」であるという"選び"の視点を示しています。
レヴィナスは読んでいないので、個人的には、(お手軽過ぎかも知れないが)いい"レヴィナス入門"になりました(冒頭で著者が、自らの「学問上の師はユダヤ人」としているのはそういうことだったのか)。
世界の人口の0.2%しかいないユダヤ人に何故、思想・哲学分野などで傑出した天才が多いのか、ノーベル賞科学系分野の受賞者数において高い率を占めるのか、といった興味深いテーマについても、サルトルとの対比で、レヴィナスの思惟を解答に持ってきていて、但し、こうしたサルトル vs.レヴィナスという形で結論めいたことが語られているのは終章においてであり、第2章から第3章にかけては、ユダヤ人陰謀史観が、「ペニー・ガム法」(自販機に硬貨を入れたらガムが出てくるのを見て「銅がガムに変化した」と短絡的に解釈してしまう考え方)に基づく歴史解釈であることを説明しています(ある種、情報リテラシーの問題がテーマであるとも言えるかも)。
具体的には、第2章では、『シオン賢者の議定書』という反ユダヤ主義文書が19世紀末から20世紀にかけての日本人の反ユダヤ主義者に与えた影響や、エドゥアール・ドリュモンというフランス人の書いた『ユダヤ的フランス』というかなり迷妄的な本、並びに、その本に影響を受けたモレス侯爵という19世紀の奇人の政治思想や活動が紹介されていて、さながら、奇書・奇行を巡る文献学のような様相も呈しており、ある意味、この「トンデモ本」研究の部分が、最も"私家版"的であるととる読者もいるかも(自分も、半分はそうした印象を持った。実際には、「あくまでも私見に基づいて論じる」という意味だが)。
全体の構成にはやや違和感を覚えましたが、随所にサルトル的な知性を感じ、その分既知感はあったものの、人間の嵌まり易い思考の陥弄を示しているようで、面白く読めました。
一方で、レヴィナスの言葉を引いての著者の、ユダヤ人は自らが「神から選ばれた民」であるがゆえに、幾多の不幸をあえて引き受ける責務を負うとの考えを集団的に有している、という言説には、旧約聖書に馴染みの薄い自分には、ちょっと及びもつかない部分があったことは確か。
本書は、学生への講義録がベースになっているそうで、「ユダヤ人が世界を支配している」というようなことを言う人間がいるが、そういう奇想天外な発想がどうして生成したかを論じるつもりが、「ユダヤ人が世界を支配しているとはこの講義を聞くまでは知りませんでした」というレポートを書いた学生が散見され、慌てて翌年に、文芸誌に「文化論」として整理し直して発表したものであるとのこと、そんな学生がいるのかなあ、神戸女学院には。