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「スポーツマン金太郎」の始まり部分を知った。寺田は面倒見の良さと人間嫌いの両面の人か。
『少年のころの思い出漫画劇場 寺田ヒロオの世界』['09年]
寺田ヒロオのスポーツマンガがよみがえる。スポーツマン金太郎、背番号0、暗闇五段などをエッセンスで掲載。「トキワ荘」のリーダー格で、通称「テラさん」の知られざる素顔を多数の資料から探究する―(版元口上)。第1章から第3章で、寺田ヒロオのスポーツ漫画の代表作「背番号0」「スポーツマン金太郎」「暗闇五段」を抜粋掲載。第4章でその他主要作品を紹介し、第5章は「寺田ヒロオの世界」として、梶井純、寺田ヒロオ自身、手塚治虫、藤子不二雄Ⓐ、鈴木伸一らの文章で寺田の素顔に迫る内容となっています。
読む人の年齢によっても思い入れのある作品は異なってくるかもしれませんが、個人的にはやはり「スポーツマン金太郎」でしょうか。'59(昭和34)年3月17日、「週刊少年サンデー」創刊号(4月5日号)から連載を開始し、'63(昭和38)年まで239回続いた、寺田ヒロオ作品の代表作中の代表作です('09年にマンガショップより「少年サンデー」に連載された全239話と別冊に掲載された読み切り全12話を収録した初の完全版(全9巻)が復刊された)。
個人的にも「懐かしい」と言いたいところですが、自分がリアルタイムで読んだのは、学年誌「小学四・五・六年生」に'65(昭和40)年4月号から'68(昭和43)年3月号まで36回にわたって連載された、「少年サンデー」掲載作のダイジェスト作品でした。さらにその後、「小学二年生・三年生」に '69(昭和44)年から'70(昭和45)年まで13回連載された児童向けに改変された作品(球団名が「東京ゴールド」といった架空のものとなっている)があり、こちららは'12年にマンガショップより学年誌版(「寺田ヒロオ全集10」)として復刊されています。
『スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【上】 (マンガショップシリーズ 294)』『スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【中】 (マンガショップシリーズ 295) 』『スポーツマン金太郎〔完全版〕 第一章【下】 (マンガショップシリーズ 296) 』['09年]『スポーツマン金太郎 学年誌版―寺田ヒロオ全集10 (マンガショップシリーズ 454) 』['12年]
本書にエッセンスが掲載されている「週刊少年サンデー」版は、地元(おとぎの国?)で桃太郎のチームを相手に草野球をしていた金太郎が、プロ野球選手になるために上京するところが描かれていて興味深かったです。この後、後楽園球場で川上コーチに出合って入団テストをしてもらい、巨人の選手になったということのようです(巨人軍入団の経緯は学年誌版にもあったかもしれないが、記憶に無い)。
一方、桃太郎はグランド・ボーイとして西鉄に入り、三原監督の入団テストを受けて西鉄ライオンズの登録選手となり、初試合でリリーフ登板し、相手を三者凡退に打ち取って投手デビューを果たします。同じ日、金太郎は、阪神の新人投手・村山からフェンス直撃のランニングホームランを打つといった具合に、この漫画は長嶋・王を含め実名選手が出てくるのが特徴です。
寺田ヒロオが最も活躍したのは30年代からこの頃ぐらいまででしょうか。ただし、「トキワ荘」のリーダー格として、後に大家となる漫画家たちの無名時代を支えたという功績も大きいと思います。この点は、石ノ森章太郎の『章説 トキワ荘の青春』や、市川準監督(原案:梶井純)の映画「トキワ荘の青春」('96年)でも知ることができます(寺田ヒロオは本木雅弘が演じた)。
しかし、寺田ヒロオ自身は作品面で、正統派児童漫画だけ書き続ける作風が、時流から取り残される形になり(映画「トキワ荘の青春」でも、本木雅弘演じる寺田が、藤子や石ノ森、赤塚らの後輩を年長者としてサポートしていく中、徐々に時流から取り残されていく姿が描写されている)、どんどん寡作となっていき、1973年には漫画業そのものから完全に引退、引退後は、トキワ荘時代の仲間とすらほとんど会わなくなって、晩年は一人自宅の離れに住み、母屋に住む家族ともほとんど顔を合わせることはなかったそうです
朝から酒を飲み、奥さんが食事を日に3度届ける生活を続けていましたが、1992年9月24日に朝食が手つかずに置かれたままになっているのを奥さんが不審に思い、部屋の中に入ったところ、既に息絶えているのが発見されたとのこと。藤子不二雄Ⓐは寺田の死を別のところで「緩慢な自殺」と形容していました。
このことは、本書における藤子不二雄Ⓐの文章にも表れていて、寺田が亡くなる2年前、藤子・F・不二雄、鈴木伸一、石ノ森章太郎と4人で寺田の自宅に行き、歓待されて宴会となったが、終了後、去ってゆく仲間たちにいつまでも手を振り続け、あとで奥さんから聞いた話では「もう思い残すことは無い」と家族に話したとのこと。翌日、礼を伝えるため、寺田宅に電話をかけると、奥さんが出て「今日かぎり寺田はいっさい電話に出ないし、人にも会わない、といってます」と。
非情に面倒見がいい側面と人間嫌いな側面の両方を持った人だったのでしょうか。