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「転身力」を身につける方法をエッセイ風に論考・解説。味わい深かった。

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転身力-「新しい自分」の見つけ方、育て方 (中公新書 2704) 』['22年]

 本書では、人生100年時代とも言われ、誰もが人生二毛作、三毛作を楽しめる可能性のある時代において求められるのは、自分を変えるための「転身力」を身につけることであるとし、自らの道筋を変えるポイントやその際の課題について、豊富な実例をもとにエッセイ風に論考しています。

 第1章では、俳優として何度も復活した藤田まことなどを例に挙げて、複数の世界を経験することで人生は豊かになるとしています。また、著者自身が取材した多くの事例から、転身にはさまざまなキャリアチェンジのパターンがあり、中高年以降の転身は、年齢と自己実現との関係からますます注目されるようになっているとしています。

 第2章では、転身の条件として、①実行、行動できる、②自分を語ることができる、③大義名分を持つ、の3つを挙げ、それらは具体的にはどういうことなのかを解説しています。

 第3章では、企業に在籍しながら取材・執筆・講演をしていた著者自身の経験などを踏まえ、転身においてはそこに至るプロセスが大切であり、会社勤めにもメリットはあるし、会社に勤務する傍ら、起業だけではなく趣味も含め、自分なりの本業を"予行演習"的に育てていく道もあるとしています。

 第4章では、転身の際には個人事業主としての商売感覚、自分にとっての幸せの定義づけ、自分の顧客は誰かという見極めが必要であるということを、著者自身の失敗した例、うまくいった例を引き合いにしながら説いています。

 第5章では、野球選手の「再生工場」と言われた野村克也監督や、月亭八方にに弟子入りして芸人から落語家・月亭邦正に転じた山崎邦正の例を引くなどして、転身においては師匠やメンターの存在が大きな役割を果たすとし、ではどうすれば師匠やメンターが見つかるのか、そのポイントを解説しています。

 第6章では、カメラマンから作家になり、さらに時代小説に特化した佐伯泰英の例などを紹介し、人間万事塞翁が馬と言われるように、挫折や不遇は実はチャンスなのだとしています。

 第7章では、伊能忠敬の生き方を例に引くなどして、好きを極めてこそ人生であり、好奇心が転身を支えるとしています。また、移住という転身もあれば、地元愛や故郷愛を全うし、地域に貢献するという転身もあるとしています。

 多くの転身の事例が紹介されており(ここに挙げたのはごく一部)、その中には著者自身が取材したものも多く、また、自身の経験も織り込まれていて、味わい深く、説得力もありました。自分自身の転身を考える上でも、読んでみる価値はあるかと思います(本書によれば、人事パーソンはあまり転身しないようだが)。

 かつて企業がキャリア研修などで中高年社員に転身を呼びかけるときには、どこかに中高年社員に会社を辞めて欲しいという気持ちが見え隠れしたこともあったように思います。今後は、社員のキャリアに真に寄り添うことが、企業に求められる役割になってくると思われ、社員が「新しい自分」を見つけたり育てたりすることを企業がサポートでできれば、それがベストなのだろうと思いました。

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人間を主人公として書かれた防災史。身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢。

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天災から日本史を読みなおす - 先人に学ぶ防災 (中公新書)

 2015(平成27)年・第63回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作。

 映画化もされた『武士の家計簿―「加賀藩御算用者」の幕末維新』('03年/新潮新書)の著者が、「天災」という観点から史料を調べ上げ、日本において過去に甚大な被害をもたらした「災い」の実態と、そこから読み取れる災害から命を守る先人の知恵を探ったものです(朝日新聞「be」で「磯田道史の備える歴史学」として2013年4月から2014年9月まで連載していたものを書籍化)。

 やはり日本における天災と言えば最初に来るのは地震であり、最初の2章は地震について割かれ、第3章では土砂崩れ・高潮を取り上げています。第4章では、災害が幕末史に及ぼした影響を考察し、第5章では、津波から生き延びるための先人の知恵を紹介し、最終第6章では、本書が書かれた時点で3年前の出来事であった東日本大震災からどのような教訓が得られるかを考察しています。

 第1章では、豊臣政権を揺るがした二度の大地震として、天正地震(1586年)と伏見地震(1596年)にフォーカスして、史料から何が読み取れるか探り、地震が豊臣から徳川へと人心が映りはじめる切っ掛けになったとしています。専門家の間でどれくらい論じられているのかわかりませんが、これって、なかなかユニークな視点なのではないでしょうか。

 第2章では、やや下って、江戸時代1707(宝永4)年の富士山大噴火と地震の連動性を探り、宝永地震(1707年)の余震が富士山大噴火の引き金になったのではないかと推論しています。本震により全国を襲った宝永津波の高さを様々な史料から最大5メートル超と推測し、さらに余震に関する史料まで当たっているのがスゴイですが、それを富士山大噴火に結びつけるとなると殆ど地震学者並み?(笑)。

 第3章では、安政地震(1857年)後の「山崩れ」や、江戸時代にあった台風による高潮被害などの史料を読み解き、その実態に迫っています。中でも、1680(延宝8)年の台風による高潮は、最大で3メートルを超えるものだったとのこと、因みに、国内観測史上最大の高潮は、伊勢湾台風(1959年)の際の名古屋港の潮位3.89メートルとのことですが(伊勢湾台風の死者・行方不明は5098人で、これも国内観測史上最大)、それに匹敵するものだったことになります。

 全体を通して、過去の天災の記録から、身を守るため教訓を引き出そうとする姿勢が貫かれており、後になるほどそのことに多くのページに書かれています。個人の遺した記録には生々しいものがあり、人間を主人公として書かれた防災史と言えます。一方で、天災に関する公式な記録は意外と少ないのか、それとも、著者が敢えて政治史的要素の強いもの(災害のシズル感の無いもの)は取り上げなかったのか、そのあたりはよく分かりません。

 2011年の東日本大震災が本書執筆の契機となっているかと思われます。ただし、著者の母親は、二歳の時に昭和南海津波に遭って、大人子供を問わず多くの犠牲者が出るなか助かったとのこと、しかも避難途中に一人はぐれて独力で生き延びたというのは二歳児としては奇跡的であり(そこで著者の母親が亡くなっていれば本書も無かったと)、そうしたこともあって災害史はかなり以前から著者の関心テーマであったようです。

 このような歴史学者による研究書が「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作になるのかと思う人もいるかもしれませんが(自分自身も若干そう思う)、過去には同じく歴史学者で今年['20年]亡くなった山本博文(1957-2020)氏の『江戸お留守居役の日記』('91年/読売新聞社、'94年/講談社学術文庫)が同賞を受賞しており(そちらの方が本書よりもっと堅い)、また、岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』('08年)や『裁判の非情と人情』('08年)といった本も受賞しているので、中公新書である本書の受賞もありなのでしょう(前述のような個人的思い入れが込められて、またその理由が書かれていることもあるし)。

 最近、テレビでの露出が多く、分かりやすい解説が定評の著者ですが、文章も読みやすかったです。

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定年後をイキイキとで過ごすためにはどうすればよいのかをエッセイ風に指南。

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定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書)

 定年後をイキイキとで過ごすためにはどうすればよいのか、定年後に待ち受ける「現実」を著者自身の経験を踏まえ、また統計や取材等を通して明らかにし、真に豊かに生きるためのヒントを占めした、エッセイ風「指南書」といった感じの本です。著者のこれまでの人事関連の本に比べるとターゲットが広がっているし、また、多くのビジネスパーソンの関心事でもあるので、結構売れたようです。

 前半部分(第1章~第3章)では、取材を通して定年後もイキイキとした人生を送っている人を紹介しながらも、一方で、テレビのチャンネルを手放せず、妻から粗大ゴミ扱いされている人もいるなど、定年後でもイキイキと暮らしている人は2割未満(?)というのが現実ではないかという暗澹たる事実を提示しています。定年後の男性の人生の危機というのは(本書によれば女性より男性が危ないらしい)、本書で紹介されているように、定年が無いと言われるアメリカでも、ジャック・ニコルソン主演の「アバウト・シュミット」(2002年公開)という定年後の危機をテーマにした映画がありましたから、世界共通なのかもしれません。

 ただし、中盤以降(第4章~第6章)は、60歳から75歳までを「黄金の15年」として前向きに捉え、この15年を輝かせるにはどうすればよいかということを論じています。そうした中でとりわけ、社会とどうつながるか(第5章)、また、自分の居場所をどう探すか(第6章)ということについてそれぞれ具体的に検討しています。新聞記事からの引用であるとのことですが、定年になったシニアが、在職中の経験や人脈を生かして、短時間だけビジネスの相談に乗る「スポットコンサルティング」が増えているとのことで、そう言えば、最近テレビでもやっていたような。また、そうした需要と供給を仲介するビジネスも、あちこちで起こってきているようです。

定年後 image.jpg 最終章(第7章)「『死』から逆算してみる」では、定年後の目標は日々「いい顔」で過ごすことであり、人は「良い顔」で死ぬために生きているのだと。「定年学」っぽい切り口から始まって、殆ど人生論的エッセイみたいな終わり方になっていますが、これはこれで良かったのではないでしょうか。でも「定年」って日本的な、しかしながらずっと当たり前のように考えられてきた制度であるせいか、多くの人に関わりがあることであるにしては、あまり「学」として確立されておらず、そちらの方向でもっと突き詰めて書いてもらっても良かったようにも思います。但し、「学」として捉えると、あまりに扱うべき問題が多すぎて、茫漠とした論文になって終わってしまうので、それを避けて、わざとエッセイ調にしたのかも。

 まあ、本書はもともとすべてのビジネスパーソンを対象としているわけではなく、第1章で、36年間同じ会社で務め上げて定年退職した著者の経験が書かれているように、大企業をある意味「昭和的」な定年退職の仕方で辞め、再雇用の道を選ばなかったシニア層や(その内、社員が定年退職する日に皆の前で挨拶するような慣習も稀少になるのではないか)、或いは、これから60歳定年を迎えるが、同じ職場で同じ条件で再雇用される見通しが薄く、そのままリタイアメントまたは独自に転身することを考えている中高年をターゲットにしているフシはあります(大企業の方が小企業より定年再雇用への道のりは厳しいとも言われているし)。

 文章がこなれていて読みやすかったし、60歳から75歳までを「黄金の15年」としていることに励まされる人も多いのでは。一部、ナルホドなあと思わされた部分はあったものの、全体的には"情報"の面ではさほど目新しさは感じられませんでしたが、"啓発"の面ではまずまずでなかったでしょうか。

《読書MEMO》
●「アバウト・シュミット」(2002年公開、ジャック・ニコルソン主演)(62p)
●「空気を読むためには、微妙なニュアンスを把握する必要があるので、常に仲間の輪に入っていなければならない。この共有の場は、各社員が互いに助け合うという機能を持っているが、社員が会社から離れて何か物事をなそうとするときには大きな制約になる。(中略)この共有の場で身につけた受け身の姿勢が、定年後に新たな働き方や生き方を求めることも難しくしてしまうのである。(77p)

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「パワハラ」という和製英語では、職場に起きるハラスメント全体には対応できないと主張。

I職場のハラスメント.JPG職場のハラスメント 中公新書.jpg 『職場のハラスメント なぜ起こり、どう対処すべきか (中公新書)』['18年]

 職場のいじめを、企業の構造的な問題として捉え、「ハラスメント」という包括的な概念に基づき問い直すことを喚起し、実効的な規則と救済の制度を確立することを提唱してきた著者による本です。

 第1章では、職場におけるハラスメントがかつて「いじめ」や「嫌がらせ」と表現されていた中で、ハラスメントという主張が登場した経過を振り返るとともに、セクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントなどのさまざまなハラスメント概念が氾濫している現状を分析しています。

 また、実効的なハラスメント対策を実施するうえでの問題点の1つとして、パワー・ハラスメントという概念が日本独自のものであることを挙げています。パワー・ハラスメントという言葉は、2001年に人事コンサルタントによって提唱された概念で和製英語であり、その言葉が世間に普及したため、厚生労働省も2012年にパワハラ概念による規制政策を提言したとのことです。

 しかしながら、厚生労働省が定義するパワハラ概念は、その認定において「職場内の優位性を背景に」と「業務の適正な範囲を超えて」の2つの要件を課しているため(しかも、セクシャル・ハラスメントはパワハラとは異なる定義がされているため)、パワハラという用語がさまざまなハラスメント行為の一部を表しても、職場に起きるハラスメント全体には対応できず、職場のハラスメントの解決にとってこのパワハラという用語は不適切であるとしています。

 著者によれば、そもそも「ハラスメントにならない指導や叱り方」という発想は、使用者と労働者との関係について、労働契約関係は合意に基づく対等・平等であるという原則を無視しているとのことです。また、パワハラの考え方が、部下に対する上司の「権力」を前提としていることも、使用者と従業員との間の自由な意思に基づく契約関係、すなわち対等・平等な関係を無視することであるとしています。

 第2章では、職場のハラスメントの実態をさまざまな調査結果から探り、ハラスメントが起きる構造を探るとともに、メンタルヘルス不調や長時間労働などに起因する隠れたハラスメント問題も取り上げています。

 第3章では、通常の業務を通じて行われる業務型ハラスメントをはじめ、労務管理型、個人攻撃型などのハラスメントの類型と、またその中にどういったタイプのハラスメントがあるのかを、170件以上もの裁判例を通じて紹介しています。

 第4章では、ハラスメント規制の先進国のEU諸国がどのように規制を行っているかを紹介し、被害者を救済するにはどうすればよいか、使用者や管理者の責務、労働者の責務、外部組織の役割、規制立法の役割を述べています。

 また、巻末には、被害者と企業のための「ハラスメント対策の10か条」集が付されていて、この中には、「企業におけるハラスメント防止のための事前措置10か条」「企業内でのハラスメント事後対応の10か条(使用者と人事管理部門の役割)」「企業内の相談担当者のための10か条」「ハラスメント調査のための10か条」など、企業内の担当者がチェックリストとして参照できるものが含まれています。

 本書の最大の特徴はやはり、「パワハラ」という言葉の問題点を指摘し、「ハラスメント」という包括的な概念を用いることを提案している点にあるでしょう。それ以外は、啓発書としてはオーソドックスであり、またハラスメントの事例も豊富で、類型整理などもよくまとまっていますが、「ハラスメント対策の10か条」も含め"マニュアル的"というよりは"啓発書"的であり、全体としても"教養系"の色合いがやや濃いように思いました(「中公新書」らしいと言えばそうなるが)。

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「左遷」を通して日本企業の組織風土的な特質を分析。附落ちする分、既知感もあり。

左遷論73.JPG左遷論.jpg     楠木 新.jpg 楠木 新 氏
左遷論 - 組織の論理、個人の心理 (中公新書)』['16年]

 著者は、これまで『人事部は見ている』('11年/日経プレミアシリーズ)、『働かないオジサンの給料はなぜ高いか』('14年/新潮新書)、『知らないと危ない、会社の裏ルール』('15年/日経プレミアシリーズ)などで、日本的人事の仕組みを分かりやすく解説してきましが、本書では「左遷」という視点から"日本的人事"なるものを分かりやすく解説するとともに、そのベースにある日本企業の組織風土的な特質を分析しています。

 菅原道真の大宰府転任や森鷗外の「小倉左遷」からはじまって、企業小説に見られる左遷や、著者が取材したビジネスパーソンの経験した生々しい左遷の体験談などを数多く取り上げていて、(テーマがテーマだけに?)読み物を読むように読み進むことができます。

 著者は、当人にとって不本意で、理不尽と思える人事も、組織の論理からすれば筋が通っている場合は少なくないとし、そうした意識が生じる背景に、人は誰しも自分を高めに評価し、客観視は難しいという側面があることを指摘しています。

 また、定期異動日には大騒ぎになる日本企業と、左遷という概念そのものが無い欧米企業―という対比から、左遷を生み出す仕組みを企業組織の中で考えていくと、終身雇用(長期安定雇用)、年次別一括管理、年功制賃金といった日本独自の雇用慣行が浮かび上がってくるとしています。

 但し、左遷は世代によっても異なり、同質的な構成員の中での競争を基礎とした旧来型の左遷(代表例として江坂彰氏の企業小説『冬の火花』(1983年)が何度も出てくる)と、経営の効率化によって生まれる新型の左遷があって、ただ、旧来型の左遷が一気に消滅するわけではなく、新型の左遷も企業によってその進み方は大いに異なるようだとしています。

 終盤では、NHKを辞めてフリーのジャーナリストとして活躍中の池上彰氏など、"左遷"をチャンスに変えた人の例を取り上げています。「お任せする」「空気を読む」といった組織の均衡を保つための態度が暗黙の了解となっていて、また、40歳以降になると自力での敗者復活が難しい日本の伝統的な企業において、自ら「会社を降りる」ことも難しいとしながらも、一方で、組織の枠組みを外し、あるいは会社や上司との関係を見直すことで、左遷をチャンスに変えた人も多くいて、そうした人々に通底するのは、自己への執着や他者への関心であったとしています(病気をしたことが転機になった人も含む)。

 また、終章においては、「道草休暇」という、育児休業、介護休業のような目的のある休暇ではなく、理由のいらない休暇を提唱しています。人事異動や配置転換、出向などは会社の業務命令で、正当な理由なく拒むことが出来ないとはどこの企業の就業規則にも書かれていることで、実質的に強制力を持っているわけですが、とは言え、企業の立場から、今後の人事制度や人事評価は、一律対応から個別対応に向かい、「選択と個別交渉」がキーワードになるとしています。

 日本の組織において、先に述べた「お任せする」「空気を読む」といった態度が生じやすいのは、誰かがそうした雰囲気を作っているのではなく、自然と出来上がっているものなので、自分で払拭するのは難しく、ならば働く個人の立場からは、、そこから離れてもう一人の自分が個性を発揮する場所を探すべきであるとし、また、その「もう一人の自分」の形は多様であって、もう一人の自分が社外でイキイキできれば、社内の自分もイキイキできるとしています。著者は昨年('15年)36年間勤めた生保会社を定年退職したとのこと。会社勤めと著述業の二足の草鞋(わらじ)を履いた著者らしい言葉とも言えるかと思います。

 全体としては、人事パーソンにとっては腑に落ちる内容と言うか、本書にもありますが、人事上オフィシャルには左遷というものは無いことになっており、本人がそう思っているだけで、会社は本人の将来を考えて幅広い能力を身につけさせようとして配置転換させたのが、専門性を高めるために今のキャリアを継続したいと思っていた社員にはそう映りがちであるというのが大概のところではないでしょうか。

 附落ちする分、既知感があり、それだけインパクトは弱かったかもしれません。但し、左遷されたと思っている社員への対応として、感情的なケアが一番効果的であるというのは、確かにその通りだと改めて思った次第です。

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世界遺産となったインカ道。更にスケールが大きくなった著者のインカ探訪。

カラー版インカ帝国.jpg 『カラー版 インカ帝国―大街道を行く (中公新書)』['13年] マチュピチュ 天空の聖殿.jpgカラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)』['09年]

 同じく中公新書にある著者の『カラー版 アマゾンの森と川を行く』('08年)、『カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿』('09年)に続く第3弾で、この後『カラー版 新大陸が生んだ食物―トウモロコシ・ジャガイモ・トウガラシ』('15年)という近著が中公新書にありますが、とりあえず前著『カラー版 マチュピチュ』が良かったので、本書を手にしました。

 インカ道を歩くという意味では、岩波新書にある『カラー版 インカを歩く』('01年)に近い感じもしますが、それから12年、今回スケールはぐっと大きくなって、北はコロンビア南端、南はチリ、アルゼンチン中部まで、総延長3万キロにも及ぶカパック・ニャンと称される、帝国が張り巡らせた王道をフィーチャーしています(因みに「インカ道」は、本書刊行の翌年['14年]。にユネスコ世界遺産に認定されている)。

 海岸地方の砂漠や鬱蒼とした森林地帯、荒涼たる原野などを街道が貫いている様は壮大で、且つ、古代へのロマンを感じさせます(インカ道が"舗装"されたのは15世紀頃)。また、こんな場所に石畳や石垣でもってよく道を引いたものだという驚きもありました。著者は、実際にそうした街道を自ら歩いて、マチュピチュをはじめとした街道沿いの遺跡や、谷間に刻まれた大昔に作られ現在も使われている段々畑、その他多くの美しい自然の風景などをカメラに収めているわけですが、今もそうした道を歩けるというのもスゴイと思われ、広大なインカが求心力を保った「帝国」と足りえたのは、まさにこの「街道」のお蔭ではなかったのかと思ったりもしました("インカ"という言葉そのものが「帝国」という意味であるようだが)。

 巻頭にインカ道の地図がありますが、難を言えば、あまりにスケールが大きすぎて、文章を読んでいて今どの辺りのことを言っているのかがやや把握しづらかった箇所もあったので、もう少し地図があってもいいように思いました。また、インカの歴史などは、もう少し図や年譜を用いた解説があってもよいように思いましたが、新書という限られた枠の中で、写真の方を優先させたのでしょうか。実際、小さな写真にも美しいものがありました。

 文章も美しく、格調が高いように思われ、この人、写真家と言うより、だんだん学者みたいになっていくなあという印象も持ちましたが、実際に自分でインカ道を歩き、写真を撮っているという意味では、やはり写真家なのだろなあ。

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南半球の砂漠に1年の一時期だけ姿を現す見渡す限りの花園。写真も文章も楽しめる。

カラー版 世界の四大花園を行く.jpgカラー版 世界の四大花園を行く―砂漠が生み出す奇跡 (中公新書 2182)』['12年]

パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地.jpg 同じく中公新書にある著者の前著『カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地』('11年)がすごく良くて、今南米旅行はパタゴニアに行くのが流行りとなっていますが、その火付け役となったのではないかと思われるくらい当地の魅力を伝えていたように思いました。そして、その翌年('12年)に刊行された本書もAmazon.comのレビューなどを見ると高評価であり、今度は秘境に花園を見に行く旅が流行るのかと思ったりもしましたが、まだそこまではいっていないか。
カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)』['11年]

 世界の「四大花園」に該当するものが何処にあるか議論はあるかもしれませんが、著者が巡った(著者が言うところの)「四大花園」とは、南米のペルー、南アフリカのナマクワランド、西オーストラリアのパース周辺、チリの4つの地域にあり、何れも南半球にあって、通常は砂漠地帯であって、それが春など1年のある一時期だけ姿を現し、見渡す限りの花園になるといった特徴があります。

 咲いている花も、何となく日本の高山植物にもありそうなものから、いかにも南半球の固有種らしい特徴的なものまで多種多様で、風景なども併せ、それら250点以上の豊富で美しい写真が200ページほどの新書にてんこ盛りに盛り込まれています。従って、写真だけ観ていても楽しいのですが、この著者が文章の面でも優れた素質を持っていることは、既に前著『パタゴニアを行く』で個人的には確認済みです。写真を撮るだけでなく、その土地の人々との触れ合いなども描かれている点も前著からの引き続きであり、文章も楽しめました。

 著者はまずペルーの季節限定で表れる花園に驚嘆し、その地で「ここよりもすごい花園が南アフリカにあるみただぞ」といった話を聞きつけて南アフリカに向かうと言った感じで、読んでいる方もわくわくさせられます。

カラー版 世界の四大花園を行く2.jpg 4つの花園の中では、甘い香りを振りまくという瑠璃色の花が大地を埋め尽くすペルーの花園も、オーストラリアの1万2000種もの植物が爆発的に花開く花園も、真紅の花が断崖絶壁に咲き誇るチリの花園もそれぞれが魅力的ですが、個人的にはやはり、南アフリカのナマクワランドの600キロにも及ぶ花道が圧巻でしょうか。花々も何か個性的な印象を与えるものが多いように感じました。

 南米パタゴニアの魅力に憑りつかれ南米チリに移住した著者。今度は、南アフリカのナマクワランドの魅力に憑りつかれ、2011年にこの地に移住して写真を撮り続けたとのこと。その後も各地を転々としており、その様子は著者の公式ホームページ「地球の息吹」で知ることが出来ます。大体活動範囲は南半球が多いようですが、南極に行ったりエチオピアに行ったりと、或いは北欧に行ったり東南アジアに入ったりと、う~ん、なかなかアクティブだなあ。

南アフリカ・ナマクワランド
本書表紙となった地点から撮った写真(著者ホームページより)

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世界史上の先人らの生きざまに思いを馳せる本とでも言うべきか。

世界史の叡智.jpg 世界史の叡智2.jpg世界史の叡智 - 勇気、寛容、先見性の51人に学ぶ (中公新書)』『世界史の叡智 悪役・名脇役篇 - 辣腕、無私、洞察力の51人に学ぶ (中公新書)

 著者は東京大学名誉教授で、『ローマ人の愛と性』『馬の世界史』(何れも講談社現代新書)など一般向け著書も多い歴史学者(ローマ史)。本書は、古今東西の歴史上の人物についてその功績や人生、エピソードなどをエッセイ風に紹介したもので、2012年4月から週1回のペースで2年間に渡り「産経新聞」に連載されたものを(連載時のタイトルは「世界史の遺風」)、それぞれ前半と後半の51人ずつが終わった段階で新書化したものです。

 連載の後半部分を纏めた方には「悪役・名脇役」とありますが、前半にも"脇役"級は出てくるし、後半の方にも"主役"級は出てくるので、あまりこのサブタイトルは関係無かったかな。それにしても、著者はローマ史が専門ですが、古今東西、歴史上の人物を幅広く取り上げていることには感心します。西洋に限らず東洋も、更には東洋でも中国や日本に限らず、例えばアジア諸国で言えば、インド、ベトナム、フィリピンなどの歴史上の人物を取り上げています。

 なかなか頭には残らないかもしれませんが、読んでいてそこそこ楽しかったです。各冊の中で、連載で取り上げた順からその人物の歴史上の登場順に並べ変えてあってあって、体系的とまでは言えませんが、歴史の流れの中で読み進むことが出来るようになっています(途中で世界史地図を開きたくなる場面があったかなあ)。

 一方で、エッセイ風ということで、執筆時の政局時評なども枕や結語に織り込まれていて、最初はちょっと邪魔な感じもしましたが、慣れてくると、書かれて時の時局が窺えるのもそう悪くないかなあとも。大した時評でもないのですが(失礼)、これが新聞連載であったことを思い起こさせるうえで多少のシズル感はありました。

 "主役"級の知らざれざるエピソードも悪くないですが、殆ど名前しか聞いたことのないような、或いは存在自体を初めて知る"脇役"的人物のエピソードもなかなか楽しいです。但し、そうした中には歴史的ポジショニングが3ぺージ半程度の文章の中で充分に掴み切れない人物もいて、これは自らの知識の無さによるものでしょうが、さりげなく読者を選んでいるような印象も。

 殆どの人物解説においてその人物の肖像画やポートレートを掲載しているのは親切です。それぞれのまえがきが、51人の名前を織り込んで世界史を俯瞰する文章になっているのは、やや強引なところもありましたが、これが一番苦心したのではないかなと思ってしまいました。

 世界史の試験に絶対出なさそうな人が結構多いし、それだけに、読んで他人に薀蓄を垂れるようなものでもなく、一人、世界史上の先人らの生きざまに思いを馳せる本とでも言うべきでしょうか。

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「心配性で淋しがり、心やさしい泣き虫」だった黒澤。「家庭ではいいパパだった」的トーンか。

回想 黒澤明.jpg 黒澤和子.jpg 黒澤 明 「夢」1.jpg
回想 黒澤明 (中公新書)』北海道で「夢」の撮影中の黒澤明と黒澤和子(映画衣装デザイナー)「夢 [DVD]

黒澤明2.jpg 黒澤明(1910-1998/享年88)の長女である著者が、『黒澤明の食卓』('01年/小学館文庫)、『パパ、黒澤明』('00年/文藝春秋、'04年/文春文庫)に続いて、父の没後6年目を経て刊行した3冊目の"黒澤本"で、「選択する」「反抗する」「感じる」「食べる」「着る」「倒れる」など24の動詞を枕として父・黒澤明に纏わる思い出がエッセイ風に綴られています。

 本書によれば、外では「黒澤天皇」として恐れられていた父であるけれども、実はそういう呼ばれ方をするのを本人は最も嫌っていて、気難しい面もあるけれど、「人間くさくて一直線、心配性で淋しがり、心やさしい泣き虫」だったとのこと。孫と接するとなると大甘のおじいちゃんで、相好を崩して幸せそうだったとか、実の娘によるものであるということもあって、「家庭ではいいパパだった」的なトーンで貫かれている印象も受けなくもありません。微笑ましくはありますが、まあ、男親ってそんなものかなとも(著者が意図しているかどうかはともかく、読む側としてはそれほど意外性を感じない)。

 でも、宮崎駿監督の「魔女の宅急便」('89年/東映)を夜中に観て、翌日、目を腫らして、「すごく泣いちゃったんだ。身につまされたよ」と、ポツリと言っていたとかいう話などは、娘ならではエピソードかもしれません。晩年、小津安二郎監督の作品をビデオで繰り返し見ていたとのことで、肉体的な労力を減らして、良い作品を撮ろうと勉強していたのではないかとのことです。

 著者自身、「夢」('90年/黒澤プロ)以降、衣装(デザイナー)として黒澤作品や小泉堯史、山田洋次、北野武、是枝和裕などそれ以外の監督の作品の仕事をしていて、黒澤の晩年の作品に限られますが、家庭内だけでなく、撮影の現場や仕事仲間の間での娘の目から見た黒澤監督のことも描かれており、役者やスタッフを怒鳴り散らしてばかりいるようなイメージがあるけれども、実は結構気を使っていたのだなあと(役者の躰に触れてまでの演技指導をすることはなかったという。役者のプライドを尊重していた)。ただ、これも、著者の父に対する世間の「天皇」的イメージを払拭したいとの思いも半ば込められているのかも。

黒澤 明 「夢」2.jpg黒澤 明 「夢」3.jpg 著者が最初にアシスタントとして衣装に関わった「夢」は(衣装の主担当はワダエミ)、黒澤明80歳の時の作品で、「影武者」('80年)、「乱」('85年)とタイプ的にはがらっと変わった作品で比較するのは難しいですが、初めて観た時はそうでもなかったけれど、今観るとそれらよりは面白いように思います。80歳の黒澤明が少年時代からそれまでに自分の見た夢を、見た順に、「日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨黒澤 夢 01.jpg士」「鬼哭」「水車のある村」の8つのエピソードとして描いたオムニバス形式で、オムニバス映画というのは個々のエピソードが時間と共に弱い印象となる弱点も孕んでいる一方で(「赤ひげ」('65年)などもオムニバスの類だが)、観直して観るとまた最初に観た時と違った印黒澤 明 「夢」水車2.jpg象が残るエピソードがあったりするのが面白いです(小説で言うアンソロジーのようなものか)。個人的には、前半の少年期の夢が良かったように思われ、後になるほどメッセージ性が見え隠れし、やや後半に教訓めいた話が多かったように思われました。全体として絵画的であるとともに、幾つかのエピソードに非常に土俗的なものを感じましたが、最初の"狐の嫁入り"をモチーフとした「日照り雨」は、これを見た時に丁度『聊齋志異』を読んだところで、「狐に騙される」というのは日本だけの話ではないんだよなあみたいな印象が、観ながらどこかにあったのを記憶しています。

 黒澤明はその後、「八月の狂詩曲」('91年)「まあだだよ」('93年)を撮りますが、85歳の時に転倒してから3年半は寝たきりで、結局そのまま逝ってしまったとのこと(老人に転倒は禁物だなあ)。黒澤作品って、「どですかでん」('70年)以降あまり面白くなくなったと言われますが(そうした評価に対する、自分は自分の年齢に相応しいものを撮っていうのだという黒澤自身の考えも本書に出てくる)、晩年に作風の変化が見られただけに、もう何本か撮って欲しかった気もします。

第1話「日照り雨」(倍賞美津子(私の母))/第2話「トンネル」
黒澤 夢 倍賞1.jpg 黒澤 夢 4話1.jpg
黒澤 明 「夢」水車.jpg第5話「鴉」(マーティン・スコセッシ(ゴッホ))/第8話「水車のある村」笠智衆(老人)
「夢」●制作年:1990年●制作国:日黒澤明 夢 0.jpgマーティン・スコセッシ 「夢」11.jpg本・アメリカ●監督・脚本:黒澤明●製作総指揮:スティ夢 倍賞y1.pngーヴン・スピルバーグ●製作:黒澤久雄/井上芳男●製作会社:黒澤プロ●撮影:斎藤孝雄/上田正治●音楽:池辺晋一郎●時間:119分●出演:寺尾聰/中野聡彦/倍賞美津子/伊崎充則/建みさと/鈴木美恵/原田美枝子/油井昌由樹/頭師佳孝/山下哲生黒澤明 夢 dvd.jpgマーティン・スコセッシ井川比佐志/根岸季衣黒澤明「夢」1.jpgいかりや長介笠智衆/常田富士男/木田三千雄/本間文子/東郷晴子/七尾伶子/外野村晋/東静子/夏木順平/加藤茂雄/門脇三郎/川口節子/音羽久米子/牧よし子/堺左千夫●公開:1990/05●配給:ワーナー・ブラザーズ(評価:★★★☆)
 
第7話「鬼哭」いかりや長介(鬼)/寺尾聰(私)「夢 [DVD]

第4話「雪あらし」原田美枝子(雪女)
原田美枝子 夢 雪女4.jpg原田美枝子 夢 雪女1.jpg
    
第6話「赤富士」井川比佐志(発電所の男)・寺尾聰(私)
黒澤 夢 011Z.jpg「夢」井川.gif 

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マヤ文明入門の新旧2冊。マヤ文明に関心がある人にはどちらもお薦め。

マヤ文明 青山和夫 岩波新書.jpg  青山和夫.jpg 青山和夫氏  石田英一郎 マヤ文明―世界史に残る謎.jpg  石田英一郎.jpg 石田英一郎(1903-1968)
マヤ文明―密林に栄えた石器文化 (岩波新書)』['12年] 『マヤ文明―世界史に残る謎 (中公新書 127)』['63年]

 『マヤ文明―密林に栄えた石器文化』は('12年/岩波新書)、2008(平成20)年3月に「古典期マヤ人の日常生活と政治経済組織の研究」で第4回(平成19年度)日本学士院学術奨励賞を受賞した青山和夫・茨城大学教授の著書ですが、近年のマヤ考古学の成果から、その時代に生きていた人々の暮らしがどのようなものであったかを探るとともに、マヤ文字の解読などから、王や貴族の事績や戦争などの王朝史を解き明かしています。

マヤ文明の謎.jpg 個人的には、青木晴夫『マヤ文明の謎』('84年/講談社現代新書)以来のマヤ学の本であったため、知識をリフレッシュするのに役立ちましたが、本書の前半部分では、著者とマヤ文明との出会いから始まって、マヤ文明に対する世間一般の偏見や誤謬を、憤りをもって指摘しており、読み物としても興味深いものでした。

人類大移動 アフリカからイースター島へ.jpg マヤ人はどこから来たかというと、1万2000年以上前の氷河期にアジア大陸から無人のアメリカ大陸に到達したモンゴロイドの狩猟採集民が祖先であるとのこと(この辺りは、印東道子・編『人類大移動―アフリカからイースター島へ』('12年/朝日新書)の中の関雄二「最初のアメリカ人の探求―最初のアメリカ人」に詳しい)、従って、コロンブスがアメリカ大陸を「発見」したのではないと。

 コロンブスがアメリカ大陸をインドだと思い込んだためにこの地を「インディアス」(東洋)と呼び、この地の住民をスペイン語で「インディオ」、英語で「インディアン」と呼ぶようになったわけで、これはヨーロッパ人が誤解して名付けた差別的用語であるとのことです。

 著者によれば、マヤ文明をはじめとするメソアメリカ(メキシコと中央アメリカ北部)と南米のアンデスというアメリカの二大文明は、旧大陸の「四大文明」(メソポタミア、エジプト、インダス、黄河)と共に何も無いところから発した一次文明であり、「四大文明」史観は時代遅れで、「六大文明」とするのが正しいと(マヤとアステカ・インカを一纏めにすることも認めていない)。

吉田洋一『零の発見』.jpg マヤ文明では、文字、暦、算術、天文学が発達し、6世紀の古代インドに先立って人類史上最初にゼロを発見しており、算術は二十進法が基本、また、マヤ暦は様々な周期の暦を組み合わせたもので、長期暦は暦元が前3114年で、2012年12月23日で一巡したことになり、この長期暦の「バクトゥン」という5125年の単位が最も大きいスパンを表すとされていた(吉田洋一『零の発見』('49年/岩波新書)にもそうあった)ために、ここから、映画「2012」('09年/米)のモチーフにもなった「マヤ文明の終末予言」なるものが取り沙汰されたわけですが、実際にはマヤには長期暦よりもそれぞれ20倍、400倍、8000倍、16万倍の長さの周期の4つの暦があることが判っており、16万倍だと6312万年周期になりますが、更にこの上に19もの二十進法の単位(200兆年×兆倍)があり、2京8000千兆年×兆倍の循環暦も見つかったとのことです(ちょっと凄すぎる)。従って、2012年で暦が終わるので世界も終末を迎える―などという話はまったくの捏造映画「2012」.jpgであり、こうした捏造されたマヤ文明観がオカルトブーム、商業主義と相まって横行していることに対して著者は憤りを露わにしています。

映画「2012」('09年/米)

クリスタルスカルの魔宮.jpg 映画「インディー・ジョーンズ」シリーズの「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」('08年/米)などに出てくる"クリスタルスカル"のモチーフとなった"マヤの水晶の髑髏"も19世紀にドイツで作られたものと判っているそうで、東京ディズニーシーのアトラクション「クリスタルスカルの魔宮」も、その名からしてマヤ文明への正確な理解を妨げるものということになるようです。

 因みに、マヤ人というのも別に滅んだわけではなく、今もグアテマラなどに多数生活しているわけで、但し、「マヤ人」を一つの民族として規定すること自体が誤りであるようです。第1章でこうしたマヤ文明への誤った理解にも言及したうえで、第2章以下第6章まで、ホンジュラスでの世界遺産コバン遺跡発掘調査のレポートと考察(マヤ文明の衰退の主因は森林伐採による環境破壊説が有力だが、コバン衰退の原因は戦争だったようだ)、マヤ文明における国家・諸王・貴族たち(インカなどとは異なり、諸王朝が遠距離交換ネットワークを通して様々な文化要素を共有しながら共存した)、農民の暮らし(社会の構成員の9割以上が被支配層で、その大部分が農民だった。トウモロコシは前7000年頃にマヤ人が栽培化し、品種改良を重ねた)、宮廷の日常生活などについての解説がなされています。

 それらの記述に比べると、むしろマヤについて多くの人が関心を持つ文字、算術、暦などに関する記述は第1章に織り込まれていて、相対的には軽く触れられているだけのような印象も受けますが、それは著者が石器研究を専門とする考古学者であることとも関係しているのかもしれないものの、自分が最初に読んだマヤ学の本である石田英一郎の『マヤ文明―世界史に残る謎』('67年/中公新書)に立ち返ると、既に当時の時点で、マヤ文字やマヤの算術、暦学、天文学などについてはかなりのことが判っていたことが窺えます(よって本書は、専ら近年の新たな知見にフォーカスした本であるとも言える)。

『マヤ文明―世界史に残る謎』.jpg 石田英一郎(1903-1968)は考古学者ではなく"桃太郎"研究などで知られる文化人類学者であり、中公新書版のこの本を書くにあたって、「これは専門家のための専門書でもなければ、また専門家によって書かれた通俗書でもない」と断っていますが、1953年と63年の2度に渡ってマヤ地帯を旅した経験をも踏まえ、マヤ文明に関する当時のスタンダード且つ最新の知識を紹介するとともに、それを人類文化史の中に位置付ける構成になっており、文字、算術、暦などに関する解説はもとより、文化人類学者の視点から宗教等に関するかなり専門的な記述も見られます。
それは、最初の"謙遜"っぽい断りが専門家に対する若干の嫌味に思えるくらいであり、但し、当時"マヤ学者"と呼ばれるほどにマヤに特化した専門家は殆ど皆無だったようですが、そうした背景があるにしても、昔の学者は、自らの専門に固執せず、どんどん未開拓の分野へ踏み込んでいったのだなあと(本書は第21回(1967年)毎日出版文化賞[人文・社会部門]受賞)。

 また、第1章は、著者個人のマヤへの想いが迸ったエッセイ風の記述になっており(冒頭の、スペイン船の乗組員で船が難破してマヤの捕虜となり、マヤの酋長に仕えるうちにマヤの習慣に同化した男の話が興味深い)、そうしたことも含め、青山和夫氏の新著に共通するものを感じました。

 新旧両著とも新書の割には図版が豊富で読み易く、マヤ文明に関心がある人にはどちらもお薦めです。

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写真の構成は「岩波版」より上か。よりマチュピチュにフィーチャーした内容。

マチュピチュ 天空の聖殿.jpgカラー版 マチュピチュ―天空の聖殿 (中公新書)』['09年] カラー版 インカ帝国―大街道を行く.jpgカラー版 インカ帝国―大街道を行く (中公新書)』['13年]

マチュピチュ 天空の聖殿 01.jpg 30年間の間に30回以上にわたってマチュピチュに通ったという著者による写文集で、インカの始祖誕生伝説、山岳インカ道、マチュピチュをはじめとする数々の神殿や儀礼石、周辺の山や谷、花、ハイラム・ビンガムの発見以前の歴史などが豊富な写真と文で紹介されています。

インカを歩く.jpg 著者の前著『カラー版 インカを歩く』('01年/岩波新書)では、世界遺産である「天空の都市」マチュピチュや、インカ道のチョケキラウという「パノラマ都市」を紹介するとともに、古い年代の遺跡が眠る北ペルーペルーや、南部のインカ帝国の首都があったクスコ周辺、更にはもっとアンデスを下った地域まで紹介していました。

カラー版 インカを歩く (岩波新書)』['01年]

 本書『カラー版 マチュピチュ―天空の聖殿』は、『カラー版アマゾンの森と川を行く』('08年/中公新書)、そして今年刊行された『カラー版 インカ帝国―大街道を行く』('13年/中公新書)の中公新書3部作の一冊という位置づけ(?)のためか、他書と同様に旅行記の形をとりながらもよりマチュピチュにフィーチャーした内容となっており、マチュピチュに繋がる山岳地のインカ道を歩み、その道程にある遺跡の数々を紹介しながら、マチュピチュの都市そのものへと話が進んでいく形をとっています。

 同じく写文集である柳谷杞一郎氏の『マチュピチュ―写真でわかる謎への旅』('00年/雷鳥社)によれば、マチュピチュの建造目的には、アマゾンの反抗部族に対する備えとしての要塞都市、特別な宗教施設、皇帝に仕える女性たちを住まわせる後宮、避暑のための別荘地的王宮、等々の諸説あるようですが、どの説もそれだけでは説明しきれない部分があるとのことです。

マチュピチュ 天空の聖殿 03.jpg 本書も、同じような見解を取りつつも、マチュピチュがどのような性格を持つ城であったのか、インカは何を求めて建設したのかを改めて考察するとともに、そこで実際にどのような生活があったのかを探っていて、とりわけ個人的には、様々な遺跡にそれぞれ宗教的・祭祀的意味合いがあったことを強く印象づけられました。

 マチュピチュがインカにとってどのような存在であったかをインカの世界観や死生観、自然観などと結びつけて語る著者の語り口は、前著同様に第一級の文章となっており、更に、写真の美しさ、壮大さは岩波版を上回るものであって、著者のフォト・ライブラリーの更なる充実ぶりを窺わせます(そもそも"カラー版"は、「岩波新書」より「中公新書」の方が"一日の長"があるのか。写真の配置や構成がダイナミック)。

 巻頭のクスコからマチュピチュへ至る折り返しカラー地図などからもそうした印象を受けましたが、ただ、折角2種類折り込んだ通常版とレリーフ版の地図が縮小サイズがさほど変わらず、マチュピチュ付近がごちゃごちゃした感じになっているのがやや残念。

マチュピチュの空撮写真(本書より)

 インカの人々の生活や文化、宗教を実地的に深く探る一方で、最後の皇帝アタワルパの悲劇や王族トゥパク・アマルの叛乱といったその滅亡の歴史については、前著との重複を避けるためか、必要な範囲内での解説にとどめているため(ある意味、概略は周知であることを前提とした"上級編"とも言える)、紀行ガイドとして読めば本書だけも十分ですが、歴史的経緯も知りたければ、他書と併せ読むことをお勧めします。

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突っ込んだ科学的解説だがカラー図説で分かりやすく、当事者ドキメントとしてのシズル感も味わえる。

カラー版 小惑星探査機はやぶさ.jpg   小惑星探査機はやぶさ.jpg はやぶさ/小惑星イトカワ     川口淳一郎『「はやぶさ」式思考法』.jpg
カラー版 小惑星探査機はやぶさ ―「玉手箱」は開かれた (中公新書)』['10年] 『「はやぶさ」式思考法 日本を復活させる24の提言』['11年]

 2003(平成15)年5月に打ち上げられ、2005(平成17)年夏に小惑星イトカワに到達し、2010(平成22)年6月に地球に大気圏再突入した小惑星探査機「はやぶさ」の企画、研究開発から帰還までをドキュメント風に追ったもので、著者は「はやぶさ」計画のプロジェクトマネージャーを務めていた人。

 「はやぶさ」の偉業のスゴさが脚光を浴び、世間に浸透するにつれ、その技術解説、宣伝・広報の「顔」的な存在となり、その後も『「はやぶさ」式思考法-日本を復活させる24の提言』('11年2月/飛鳥新社)など著者の名の下に多くの本が刊行されていますが(今年('12年)とうとうJAXAの事務局に異動になった?)、そうした中では最も早く刊行された部類の本であるとともに、「中公新書」らしく、新書にしてはある程度の専門レベルにまで踏み込んだ内容かと思われます(一般向け新書の中で科学・技術面の解説が最も詳しくなされているのは、著者監修の『小惑星探査機「はやぶさ」の超技術―プロジェクト立ち上げから帰還までの全記録』('11年3月/講談社ブルーバックス))。

 本書は、手抜きしていない分やや難しかった面もありましたが、カラー版ということで、図説や写真も多く、素人でもシズル感を感じつつ読み進むことができ、また、著者の「はやぶさ」への思い入れが随所に滲み出ているというか、目一杯表されている点でも、自ずと感情移入しながら読めました(本書の後に多く出された「はやぶさ」関連本は、上記2冊を含め著者による「監修本」が殆どだが、本書は純粋に著者の「単著」と言える)。

 著者によれば、人類の作ったものが地球の引力圏外まで行って着陸し、再び戻ってきたのは、「はやぶさ」が有史以来初とのこと。アポロ司令船は月面着陸したのではなく、40万キロメートル先まで行って戻ってきただけで、一方、「はやぶさ」カプセルは、イトカワの表面に着陸し、片道30億キロ、往復60億キロの旅をして戻ってきたわけだなあ。読んでみて、とにかくトラブル続きで不測事態の連続だったことを改めて知りました。

 以前、アイザック・アシモフの本で、「冥王星に直接行こうとすれば47年かかるが、木星経由だと25年ですむ」(宇宙船が木星の引力で加速される)というのを読みましたが、これが「スウィングバイ」の原理。本書の前の方にその解説がありますが、著者は、科学衛星ミッションにおけるスウィングバイのスペシャリストであるともに、「はやぶさ」ミッションにおいて電気(プラズマ)推進の特性を生かした航法を考案したのも著者。こうした複数の専門性を有する人がやはりリーダーになるのでしょう。

 「はやぶさ」は、当然のことながら、打ち上げに成功してから命名されたわけですが、「イトカワ」は、さらにその後に命名されたとは知りませんでした。

 ラッコに似た形のイトカワに目鼻を書き加えて「イトカワラッコ」と呼んだり、帰還する「はやぶさ」がカプセルを切り離した後、本体は大気圏再突入の際に燃え尽きてしまうことについて「はやぶさ、そうまでして君は」という文章を寄せるなど、思い入れたっぷりですが、これだけの長期に渡って一つのプロジェクトに携わり、しかもその過程が平坦なもので無いとすれば、こうした著者の思い入れも分かろうというもの。

 サンプルリターンにこだわり抜いて「玉手箱」を開けたら見た目はカラだったため、キュレーション(試料取り出し・分配・保管)担当が真っ青になったというのは分かるなあ(微粒子レベルでの試料採取に成功していたことが分かったのは帰還の翌月)。

 因みに、この「はやぶさ」帰還の物語は、「はやぶさ/HAYABUSA」('11年・20世紀フォックス/竹内結子主演)、「はやぶさ 遥かなる帰還」('12年・東映/渡辺謙主演)、「おかえり、はやぶさ」('12年・松竹/藤原竜也)と立て続けに3本の映画になりましたが、観客動員数は今一つ伸びなかったみたい...。やはり、似たようなのが3作もあるとなあ。

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国際的に普遍か。いじめには四者のプレーヤーがいる。「イタリアの懲罰事件」は興味深い事例。

森田 洋司 『いじめとは何か』.jpgいじめとは何か―教室の問題、社会の問題(中公新書)』['10年] 森田 洋司.png 森田洋司 氏(略歴下記)

大津市中学生いじめ自殺事件.jpg 昨年('11年)10月、滋賀県大津市で市立中学2年の少年が自殺した事件が、今年になって事件の概要が明るみに出て日本中が心を痛めていますが、加害者側の少年たちやその保護者らの無反省な態度や、責任逃れの発言を続ける学校側や教育委員会の対応に、国民感情は悲しみかが怒りに変化しつつあるといった様相でしょうか。確かに、大津市教育長の一連の記者会見、学校長もそうですが、この市教育長の自らの責任の回避ぶりは目に余ってひどいあなと。これで責任をとって辞めるでもなく、任期満了まで教育長の座に居座り続けるつもりのようですが。

鹿川裕史君自殺事件.png 本書によれば、日本でいじめ問題が最初に社会問題化したのは80年代半ばで、特に'85年は14名がいじめによって自殺したとされ、翌年'86年には、この時期の代表的ないじめ事例として知られる「葬式ごっこ」による鹿川裕史君自殺事件が発生しています。

 一方、本書によれば、世界で初めて子どもたちの「いじめ」問題に気付き、研究を始めたのはスウェーデンの学校医ハイネマンだとされ、60年代から70年代のことで、それがノルウェーとデンマークでも関心を呼び(ノルウェーでは'82年に3人の少年が同一加害者グループのいじめにより相次いで自殺する事件が発生し、社会問題化した。日本とノルウェーはいじめ問題の先進国だそうだ)、更にいじめ問題への関心はイギリスに飛び火し、90年代半ばにヨーロッパ全域に広がる一方、その頃アメリカでもいじめ自殺が多発して、重大な社会問題とみなされるようになったとのこと('99年に発生した、多くの生徒が犠牲になったコロンバイン高校銃撃事件は、背景にいじめがあったとされている)、本書ではそういたいじめ問題に対する各国の対応と日本のそれを国際比較的に解説していますが、結局、いじめ問題というのは国際的に一定の普遍性を有するものなのだなあと。

大河内清輝君自殺事件.jpg 日本では1994年に、愛知県の大河内清輝君自殺事件を契機に、いじめによる深刻な被害が再びクローズアップされ、社会問題化するという「第二の波」が訪れ、更に、2005年、2006年にいじめ自殺が相次いで「第三の波」が発生したとのこと。本書では、そうした「波」ごとの国や社会の対応を社会学的見地も交え分析していますが、そこからは、理想と現実のギャップが窺えるように個人的には思いました(現実が理想通りに運べば、第二、第三の波、或いは今回の(第四の波を起こしている?)大津市の事件のようなことは起きないはず)。

大河内清輝君自殺事件で鹿川裕史君の父親・鹿川雅弘氏(青少年育成連合会副理事長)が大河内家を弔問(1994) 

 日本におけるいじめ問題への対応は、全体を通して一つの流れとして、加害者側の行為責任を問うべきとする意見が早くからあったにも関わらず、大河内清輝君の事件ぐらいまでは、報道も被害者の状況に向けられ、2000年代になってやっと「社会的責任能力」の育成や「学校の抱え込み」の問題などが具体的に検討されるに至っているようです。

 こうした流れで見ると、今回の大津市の事件は、被害者の氏名は伏され、一方、アクシデントによるものとは言え、加害者側の氏名はネットに流出し、バッシング現象を引き起こしていて、国民感情がこの流れを先取りしている観はあります。

 本書後半は、いじめとは何かを社会学的に分析し(著者の専門は教育社会学、犯罪社会学、社会病理学。評論的な発言をする社会学者と違って、「いじめ問題」が専門の学者と言える)、その解決の糸口を探っていますが、内外の研究者の見解や諸外国の取り組みなども紹介しながら中立・客観的立場で論を進めており、同じ中公新書に池田由子氏の『児童虐待―ゆがんだ親子関係』('87年)という「児童虐待」に関する準古典的テキストがありますが、本書は「いじめ問題」において同様なポジショニングを占める本であると言えるかもしれません(共に中公新書らしいかっちりした内容)。


 本書によれば、いじめにおいては「加害者」「被害者」「傍観者」「観衆」の四者のプレーヤーがいて、「傍観者」は見て見ぬふりをする者で、「観衆」は面白がって観ている者であり、ここに「仲裁者」が出てくれば「被害者」は救われるが、「傍観者」や「観衆」は、「仲裁者」が出にくい環境を作ったり、「加害者」を容認したりすることがあり、かなり影響力を持つとのことです。

 また、いじめを見て見ぬふりする「傍観者」は、ヨーロッパの国々でも日本と同じように小学校の学年が上がるごとに増え続けますが、中1・中2あたりを境にして減り始め、いじめの仲裁しようとする「仲裁者」が増え始めるのに対し、日本では中学生になっても、一貫して「仲裁者」は減り続け、「傍観者」が増えつづける傾向があるとのことです。


 紹介されている海外の事例の中に、新聞記事(日経)からの引用ですが「イタリアの懲罰事件」というのがあって、イタリアで2006年に子どもの自殺を契機にいじめが社会問題化する中、中学校で同級生の男子生徒を「ゲイ」呼ばわりして男子トイレに入れさせなかった生徒に、罰として「僕は馬鹿だ」とノートに100回書かせた女性教員を、父親が「過剰懲罰」だと告訴、2万5000ユーロの賠償請求をしたのに対し、検察庁は教員に懲役2ヵ月を求刑したが、裁判所は無罪の判決を下したとのこと。

 この時イタリアの新聞には「親に『私は馬鹿だ』と一万回書かせろ」「この親にしてこの子あり」という教員に同情的な投書が相次いだとのことで、著者は、「保護者は養育の第一義的責任を負う主体であると、社会から常に期待されている」「教師へ無罪判決が下されたのは、教師の責任と主体性を尊重する判決が示されたことを意味する」としています。

 著者は、事件には固有の背景があり、そのまま一般化するには慎重を要すとしながらも、「権限と義務、さらに責任についての意識が希薄になりがちな日本の教育現場にとっては、参考にすべき点が多い」としていますが、今回の大津市の事件を通して見ると、まさにその通りだと言える、興味深い事例のように思いました。

大津いじめ・民事訴訟第2回口頭弁論.png

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森田洋司(1941年8月7日- )社会学者、大阪市立大学名誉教授。専門は社会学(教育社会学、犯罪社会学、社会病理学、生徒指導論)、特にいじめ問題。日本生徒指導学会会長、日本社会病理学会会長、日本被害者学会理事。

《読書MEMO》
●大津市中2いじめ自殺事件、元同級生の加害者2人に約3,700万円の賠償命令(2019年2月19日Yahoo!ニュース)
大津市中2いじめ自殺事件1.jpg大津市中2いじめ自殺事件2.jpg 2011年10月に大津市の市立中2年の男子生徒=当時(13)=が自殺したのはいじめが原因だとして、遺族が加害者側の元同級生3人と保護者に慰謝料など計約3,850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大津地裁(西岡繁靖裁判長)は19日「いじめが自殺の原因になった」と判断し、元同級生2人に請求のほぼ全額となる計約3,750万円の支払いを命じた。

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「世界でもっとも美しい大地」というサブタイトルは誇張ではないと思った。

パタゴニアを行く 地図.bmpパタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地.jpg      PATAGONIA―野村哲也写真集.bmp
カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)』['11年]『PATAGONIA―野村哲也写真集』['10年]

 パタゴニアというのは、南米大陸のチリとアルゼンチンの両国の南緯40度以南を指すそうです(緯度で区切られていたのか)。

 本書は、パタゴニアに魅せられた新進気鋭の写真家が、'97年にかの地に移住し、その自然の美とそこに暮らす人々を取材したもので、パタゴニアを北西、北東、南西、南東、極南の5つの地域に分けて紹介した写文集です(文中、章ごとに、今どの辺りにいるか緯度で示しているため分かり易い)。

パタゴニアを行く1.jpg 既に著者は'10年に、『PATAGONIA―野村哲也写真集』(風媒社)という大判の写真集を発表しており、こちらの新書の方は、写文集とはいえ写真はそう数はないかと思ったら、相当数の写真が掲載されていて、写真集としても十分堪能出来て、これで千円以下というのは相当お得ではないかと思いました。

 写真はどれも美しく、本書表紙にもなっている、冬にだけ現れる湖に「チリ富士」と呼ばれるその姿を映すオソルノ山、そのオソルノ山をプエルト・パラスの町から眺めた遠景、城塞のようなセロ・カスティーヨ山、海に落ち込むサンラファエル氷河のグレイシャーブルーの輝き、夕陽を背景にテールアップするバルデス半島のクジラ、朝日で深紅に染まるパイネ山のセントラル塔、写真集の表紙にもなっている、湖に鏡のようにその姿を映す尖鋒フィッツロイ―いずれもため息が出そうなものばかりです。

 こうした写真がそう簡単に撮れるものではなく、シャッターチャンスを求めての苦心譚もあれば、地元の人々との交流も描かかれていて(文章も上手だなあ)、更には、地誌、歴史(人類史含む)に関する解説も織り込まれています。

 また、近年、「南米のスイス」と言われ、マチュピチュと並ぶ南米の観光地として注目を浴びていることから、観光ルートなども紹介されていて、氷河のトレッキングツアーなどが組まれているんだなあと(著者もそうしたツアーを利用したりもしている)。

 最後は、グレイト・ジャーニーと呼ばれる人類の旅の最終地点フェゴ島で、先住モンゴロイド系民族の最後の末裔である姉妹と会うところで旅を締め括っていて、地理的にも雄大ですが、時空的にも壮大な旅となているように思いました。

 サブタイトルの「世界でもっとも美しい大地」は著者が心底そう思っていることが窺え、個人的にもこれらの写真を見ていて、けっして大袈裟な表現ではないと思いました。

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電磁波についての解説が詳しい。「天文学」も宇宙論の話に行き着くのかなあと。

宇宙を読む.jpg 『カラー版 宇宙を読む (中公新書)』 ['06年]

 著者が天文学者であるため、まえがきで「天文」の語源の説明("空の文様")から入り、著者なりに、それを「天からの文(ふみ)」と解しているのはロマンチックですが、カラー版と言っても内容的には、文章をしっかり読ませる中公新書らしい"かっちり"したもので、中級者向けの入門書と言えるのではないでしょうか

 肉眼で見える星について、太陽、月、惑星、星(恒星)、星団、星座、星雲、銀河、流星、彗星、新星(超新星)の順に概説した上で、星が放つ光は、赤外線や紫外線など、全ての波長帯の電磁波に及ぶため、可視光線だけではなく、それらをも読み解くことが、宇宙の謎に迫ることに繋がるとしています(電磁波についての解説と併せて、「エックス線宇宙天文台」や「赤外線宇宙天文台」といったものも写真で紹介されている)。

 その上で改めて、太陽から始まって惑星、星(恒星)、星雲、銀河等について、天体物理学的な視点も織り交ぜながら解説し、ハッブル宇宙望遠鏡が捉えた様々な天体写真も併せて掲載しています。

 最終章で、宇宙の歴史について、星や惑星がどのように誕生したかというところから始めて、最後にビッグバンについての解説や、ダークマター、ダークエネルギーの話が出てくるといった流れで、一般的な「宇宙学」の入門書と解説の順番が少し異なる(近くから遠くへ、近い過去から遠い過去へ)のが興味深いですが、結局は「天文学」も宇宙論の話に行き着くのかなあと。

 宇宙や天体から送られてくる放射線のスペクトル分析など電磁波についての解説が詳しく、この部分が"中級者向け"と言えばそういうことになるのかも。
 天文学者って今はこうした研究(目に見えない電磁波の分析)を主にしているのかと認識を新たにさせられ、また「宇宙を読む」という本書のタイトルの意味を改めて理解しましたが、本書については「宇宙学」の一般的な入門書の内容も一通り網羅しているように思いました。

 カラー写真の点数は多いのですが、基本的には文章の解説を補足するものとなっています。
 それぞれがやや小さく、結果として情報量としては"詰まった"内容となっているのですが、ビジュアルを楽しみたいと思った読者には、やや物足りないかも。

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庄内藩・酒田の足軽目付(地方警察)の活躍を『御用帳』から抽出。

足軽目付犯科帳.jpg 『足軽目付犯科帳―近世酒田湊の事件簿 (中公新書)』 ['05年]

 本書によれば、江戸時代に海運都市として栄えた庄内藩・酒田は、徳川氏の三河以来の重臣である酒井家の所領で、町政の拠点・亀ヶ崎城は城内の敷地に30人前後の町奉行や御徒目付など武士が、城下に足軽たちが住んでそうですが、足軽の小頭(小リーダー)から更に抜きん出た者が足軽目付となったそうです。

 足軽目付は藩政における下級ライン管理職みたいなもので、それでも7石前後の微禄に1石の御役手当が付き、成績次第では加増の望みもあったとのこと(「役職手当」ってこの頃からあったんだあ)、仕事内容は現在の巡査長と市役所職員を兼ねたようものので、本書は、時代小説作家である著者が、古戸道具屋の店先に10冊積まれていた『亀ヶ崎足軽目付御用帳』をたまたま掘り出したことを契機に、この、足軽目付が残した当時の「地方警察の事件簿」にあたるような史料から、当時の足軽目付たちの活躍ぶりを抜き出したものです。

伊予小松藩会所日記.jpg 本書の前に読んだ、増川宏一氏の『伊予小松藩会所日記』('01年/集英社新書)も地方都市の事件簿的要素があり、こういうのが時代小説のネタ本になるのだろうなあと思いました。
 本書は、著者自身が、「時代小説の作者とって、ネタ本を公開することは、自らの首を絞めるようなものだ」と書いていて、まさにそうした中身であり、盗難・殺人・詐欺・汚職といった犯罪事件から見世物興業を巡る騒動や女性が絡む醜聞事件まで、内容はバラエティに富んでいます。

元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世.jpg目明し金十郎の生涯.jpg 中公新書には、『目明し金十郎の生涯-江戸時代庶民生活の実像』(阿部善雄/'81年)『元禄御畳奉行の日記-尾張藩士の見た浮世』(神坂次郎/'84年)など、以前からこうした藩の記録や個人の日記を読み解く趣意の本が何冊かあります。
 特に、本書と同じく時代小説作家が著わした後者は、かつてベストセラーになりましたが、本書も、『御用帳』に書かれている内容を解り易く解説するとともに、作家としての技量でシズル感を損なわないように書かれているように思いました。

 但し、事件の犯人が捕まったかどうかとか事後談的な話は、『御用帳』に記録のない限り、「どうなったかという報告はない」といった一言で済ませていて、ある意味、本書を書くにあたって小説家と言うよりは歴史家(史料研究者)の立場として臨んだとも言えます。

 しかし、そのために、1つ1つの事件が点描写になってしまって、話同士の線的な繋がりが弱いきらいもあり、膨大な史料から、「天明」期の小久保彦兵衛という"頑固親父"的な足軽目付が扱ったものを軸に事件を抽出するなどの工夫はなされていますが、『元禄御畳奉行の日記』や『目明し金十郎の生涯』が共に一気に読めてしまうような流れとインパクトだったのと比べると、こちらは個人的には、流れはやや滞り気味でインパクトも弱かったかも。

 とは言え、酒井湊の当時の賑わいが聞こえてくるような内容で、本書自体が貴重な参考資料であることには違いないと思います。

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新書らしくコンパクトにまとまった戦国史、人物列伝。また、著者の小説が読みたくなる。

孟嘗君と戦国時代.jpg孟嘗君と戦国時代 (中公新書)』['09年]宮城谷昌光(孟嘗君と戦国時代).jpg NHK教育テレビ「知るを楽しむ」

NHK知るを楽しむ 孟嘗君と戦国時代.jpg 著者が出演したNHK教育テレビの「知るを楽しむ」('08年10月から11月放送・全8回)のテキストを踏まえ、加筆修正したもので、テレビ番組を一部観て、著者の語りも悪くないなあと思いましたが、こうして本になったものを見ると、著者の小説のトーンに近いように思え、また、小説同様に、或いはそれ以上に読み易く感じました。
この人この世界 2008年10-11月 (NHK知るを楽しむ/月)

孟嘗君 1.jpg 著者の小説『孟嘗君(全5巻)』('95年/講談社)は、単行本で1500ページほどありますが、前半部分はその育ての親で任侠の快男児・風洪(後の大商人「白圭」)を中心に展開され、風洪の義弟で秦の法治国家としての礎を築いた公孫鞅(商鞅)や、天才的軍師で田文(孟嘗君)が師と仰ぐ孫臏(孫子)の活躍が描かれ、田文が活躍し始めるのは第3巻の中盤ぐらいから、つまり後半からです。

 一方、全8章から成る本書も、第1章で春秋時代と戦国時代の違いや戦国時代初期の魏の文候と孟嘗君以外の戦国の四君に触れ、第2章から第4章にかけて春秋時代からの斉の歴史を、管仲や孫臏の活躍を織り交ぜながら解説し、第5章で田文の父・田嬰に触れ、第6章では稷下を賑わした諸子百家に触れ...といった感じで、孟嘗君田文の活躍が始まるのが第7章、鶏鳴狗盗の故事が出てくるのは最終の第8章です。

 でも、これはこれで、斉を中心とした戦国時代史として読め、また、新書らしくコンパクトに纏まった人物列伝でもあり、とりわけ、第6章の諸子百家の解説は、儒家と墨家、道家と法家、名家と縦横家などの思想の違いが、それぞれの代表的人物を通して分かり易く把握できるものになっています。

 田嬰が、妾に産ませたわが子(田文)を殺すように命じ、困った田文の母が邸外で密かに育てたという話は、小説では、田文の母・青欄がその子を庭師の僕延に託し、僕延は反体制派の警察長官・射弥(えきや)にその子を託し、そこには別に女の赤ん坊もいたが、僕延が射弥宅を再訪したときは射弥は殺され、赤ん坊は2人とも消えており、2人の赤ん坊のうち、「文」という刺青のある男児の方は、没落貴族の末裔で隊商用心棒・風洪(白圭)に救われて自分の子として育てられ、十数年後に父に見え認知されるとともに、かつて射弥宅に一緒にいた女児の成人となった女性とも再会するという壮大なストーリー展開なのでが、本書では、『史記』の記事からは「誰がどのように育てたかがわからない」とあっさりしていて、次はいきなり田文が父に謁見する場面になっています(う〜ん、どこまでがあの小説の著者の"創作"なのだろうか)。

 『孟嘗君』を読んだ人には、手軽な振り返りとして楽しめ、また、読んでいない人も含め、著者の中国戦国時代小説を読みたくなる本です。

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考古学的手法に加え、史料、他諸科学の現代技術も駆使して、チンギスの実像に迫る。

ジンギス・カン 白石典之.jpgチンギス・カン―"蒼き狼"の実像 (中公新書)』['06年] チンギス・カン.jpg チンギス・カン

 著者は考古学者で、チンギス・カンはこれまで考古学の対象になったことがないにも関わらず、自ら「チンギす・カン考古学」を看板にしている、"自称"異端の研究者であるとのことです(実際は、国際的評価を得ているホープ的存在なのだが)。本書では、チンギス・カンの本当の姿に迫るために、「元朝秘史」などの史料に拠りながらも、考古学の手法で物証により史実を検証していて、更には、人工衛星によるリモートセンシングなど地理学や地質学、土中の花粉から年代分析するなどその他諸科学の現代技術をも駆使し、"蒼き狼"を巡る多くの謎について実証または考察しています。

 そもそも「チンギス・カン(王)」と「チンギス・ハーン(皇帝)」では意味合いが異なり、「ハーン」と呼ばれるようになったのは後のことで、生前は「カン」と呼ばれていたというところから始まりますが、前半部分で特に興味を惹いたのは、鉄鉱石の産出が乏しいモンゴル高原で、彼がいかにしてそれを調達し、富国強兵を進めたのかという点で、中国北部にあった「金」への征服軍が、なぜ首都を素通りして、現在の山東省に向かったのかという疑問から答えを導き出しています(そこに鉄鉱山があったから)。ただ戦いに(戦術的に)強かっただけでなく、その根底には用意周到な(戦略的な)軍備拡張計画があったのだなあと。各王子に対する分封を交通路との関係で整理しているのも、チンギスの統治戦略を理解するうえで分かり易く、そもそも、モンゴル人のウルドの感覚は、我々の持つ国家や領土のイメージとはやや異なるもののようです。
チンギス・カンの霊廟 
チンギス・カンの霊廟.jpg 「元朝秘史」を手繰りながらの解説は、版図拡大の勢いを物語り、壮大な歴史ロマンを感じさせますが、一方で、製鉄所の場所が、長年謎とされてきた居所や霊廟のあった場所と重なってくるという展開は、ミステリー風でもあります。更には、どのような建物に住み、4人の后妃との生活はどのようなものであったか、実際にどのようなものを食していたのか、などの解説は、著者自身による発掘調査の進展や現地で得られた知見と併行してなされているため、説得力を感じました。後代のカーンに比べ、意外と王らしくない素朴な暮らしをしていたというのが興味深いです。晩年は、始皇帝よろしく不老長寿の秘薬を求めたものの、結局、養生するしか長生きの方法は無いと悟ったが、狩猟での落馬が死を早める原因となったとのこと。

中国・モンゴル・内蒙古.gif 本書には、前世紀から今世紀にかけての比較的最新の考古学的発見や研究成果が織り込まれていますが、チンギスに纏わる最大の謎は、その墓がどこにあるかということで、これだけはまだ謎のままのようです。調査が進まない要因の1つとして、政治的問題もあるようですが、本書の最後の方で語られている、内モンゴルと外モンゴルの国境線による分断(これには、中国、ソ連、そして満州国を建立した日本が深く関わっているのだが)などのモンゴル現代史は、内モンゴル自治区が、近年特に政治的に不安定な新疆ウイグル自治区と同じく、中国民族問題の火種を宿していることを示唆しているように思えました。

 著者によれば、本書は、考古資料を中心に、"実証的"スタンスで執筆を始めたが、途中でそれではあまりに無味乾燥な話になってしまうことに気づき、チンギスの個性のわかるエピソードや伝説の類を織り込んだとのこと、また考古学に関する部分でも、検証を先取りするようなかたちで書いた部分もあるとのことで、歴史学者はこうしたやり方を批判するかも知れませんが、一読者としては、お陰で楽しく読めました。

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著者の厳格な姿勢が貫かれた「中公」版。推理小説を読むような面白さがある「岩波」版。

元朝秘史 中公新書.jpg 岩村 忍 『元朝秘史―チンギス・ハン実録 (中公新書 18)』 ['63年] 元朝秘史 岩波新書.jpg 小澤 重男 『元朝秘史 (岩波新書)』 ['94年]

 中公新書版『元朝秘史』は、東洋史学者・中央アジア探検家で、ヘディンの『さまよえる湖』の翻訳などでも知られた岩村忍(1905-1988)による、チンギス=ハンに関する唯一の原史料「元朝秘史」の読み解きで、「元朝秘史」は元朝全体の史料ではなく、モンゴル帝国の始祖チンギス=ハンからオゴタイ=ハンまでの歴史伝承の写本であり、主要な部分が書かれたのは1240年頃とのこと(最初ウイグル文字で書かれ、後に漢字を音に充てて書き直された)。フビライ=ハンによる元朝の成立は1271年ですから、元朝成立前で話は終わっていることになります。

 なぜ「秘史」というかというと、チンギス=ハンの行ったことを非行も含め忠実に記録してあるため、正史である「元史」のように美化されておらず、あまり広く知られるとチンギス=ハンのカリスマ性を損なう可能性があったのと、チンギス=ハンの息子の中に、チンギス=ハンの妻が他国で囚われの身であった時に孕んだ子がいて、後継者の血統問題に差し障りがあるためだったらしいです。
 著者によれば、この「秘史」は、「ローランの歌」「アーサー王の死」など中世文学に比べても劣るロマンチシズムとリリシズムを湛え、関心を惹いた学者の数は日本の「古事記」どころか「史記」も及ばないとのことです。

 内容的には、"蒼き狼"と言われるあのチンギス=ハンが、いかにして人心を掌握してモンゴル族のリーダーになり、更に他のアジアのタタール族やキルギス族、ナイマン族(中央アジアにはモンゴル族だけがいたわけではない)などの部族を傘下に収めていくかが描かれていますが、登場人物の名前が似たり寄ったりのカタカナが多くて結構読むのが大変なため(原著の翻訳を見ると、ちょっと旧約聖書と似ているような感じも)、なかなか"血湧き、肉踊る"みたいな感じでは読み進めなかったというのが正直な感想。

 但し、ジャムハというチンギス=ハンの盟友で、後にチンギス=ハンと競うことになる人物がいて、著者はチンギス=ハンをドン=キホーテ型、ジャムハをハムレット型としていますが、こうした主要人物を念頭に置きつつ読むと、比較的読み易いかも知れません。

 史料の章変わりのところで、歴史的背景やどういうことがこの章で書かれているかが小文字で解説されていて、その上で本文に入っていく方法がとられていて、著者自身の考察は、この小文字の部分に織り込まれています。

 これは、読者の理解を助けるというより(それもあるが)、この「秘史」にも元々の語り手がいたわけで、例えばジャムハに対しては、同じくチンギス=ハンと競った他の部族の王や族長よりも好意的に伝承されており、そうした元の物語に入りこんでいる主観と、著者の主観を区分けするためだったと思われます。
 
 そのために「秘史」本文の方が、説明不足で読みにくい部分があり、これは著者の主観が入り込まないように翻訳した結果だと思いますが、ここまで史料と自らの主観を峻別しておいて、なおかつ、これは単なる翻訳ではなく、「わたくしの元朝秘史」だとしています。

歴史とh何か.jpg 著者の『歴史とは何か』('72年/中公新書)を読むと、歴史を文学や社会諸科学と対比させ、同じ史料を扱うにしても、歴史家は歴史家としての客観性を保持しなければならないとし、考証学者などに見られる「批判的歴史研究法」を"批判"していて(白石典之氏の『チンギス・カン―"蒼き狼"の実像』('06年/中公新書)などもこの手法で書かれているのだが、「秘史」にも多くを拠っている)、ましてや歴史小説家などは勝手に面白く「物語」を書いているにすぎないといった感じです。

岩村 忍 『歴史とは何か (1972年) (中公新書)

 歴史家はそんな自由に史料に自分の思想を織り込める立場にあるものではなく、例えば、森鷗外の歴史小説における史料の記述は、その文体において冷静客観を"装っている"が、彼が「歴史」と思っていたものはドイツ的実証主義の踏襲に過ぎない云々と手厳しいです。

 「事実を事実のまま記した」部分が多いと認められる司馬遷の「史記」に対する著者の評価は高く、一方、宋代に書かれた司馬光の「資治通鑑」に対する史書としての評価はそれに比べて落ち、但し、「すべての歴史は現代史である」と言われるように、「史記」にも、書かれた時代の「現代史」的要素が入り混じっていることに注意すべきだと。
 「個人的には、ここまで言うかなあと思う部分もありましたが、今の歴史家にも当てはまるのだろうか、この厳格姿勢は。
 この人は、「司馬史観」とか「清張史観」なんてものは認めなかったのだろうなあ、きっと。(評価★★★☆)

『元朝秘史』.jpg 尚、本書では冒頭に記したように、「元朝秘史」の主要な部分が書かれたのは1240年頃とのこととしていますが、「元朝秘史」がいつ書かれたのかについては諸説あり、言語学者でモンゴル語学が専門の小澤重男氏は『元朝秘史』('94年/岩波新書)で、これまである諸説の内の2説を選び、その両方を支持する(1228年と1258年の2度に渡って編纂されたという)説を提唱しています。
 
 「元朝秘史」の元のモンゴル語のタイトルは何だったのか、作者が誰なのかということも謎のようですが、これらについても小澤氏は大胆かつ興味深い考察をしていて、前者については「タイトルは無かった」(!)というのが正解であるとし、後者については、主要部分の「正集十巻」はオゴタイ=ハンに近い重臣が書いたのではなかという独自の考察をしています。 
 
 小澤氏は「元朝秘史」全巻の翻訳者でもあるモンゴル語学の碩学ですが、言語学の手法を駆使しての考察などには、この本の見かけの"硬さ"とは裏腹に、推理小説を読むような面白さがありました。
 
 但し、この本を読む前に、先に岩波文庫版の翻訳とまでもいかなくとも、岩波新書(岩村忍)版の『元朝秘史』や中公新書(白石典之)版の『チンギス・カン―"蒼き狼"の実像』などを読んで、その大まかな内容を掴んで(或いは、感じて)おいた方が、より本書を楽しく読めるかも知れません。 
 
元朝秘史(モンゴルン・ニウチャ・トブチャァン)」)...明初の漢字音訳本のみ現存する。中央下に「蒼色狼」との漢語訳がみえる。

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昆虫の「微小脳」の世界の奥の深さに、ただただ驚くばかり。

昆虫 驚異の微小脳.jpg 『昆虫―驚異の微小脳 (中公新書)』 ['06年]

 ヒトなどの哺乳類とは全く違う方向に進化し、「陸の王者」として人類と共に進化の双璧を成す昆虫―本書では、昆虫の小さな脳を「微小脳」と呼び、哺乳類の大きな脳「巨大脳」と対比させつつ、その1立方ミリメートルに満たない昆虫の脳の特徴や行動の秘密を解き明かそうとしていますが、着想から5年、執筆を始めてからでも3年をかけての上梓とのことで、並みの新書のレベルを超える充実した内容となっています。

 視覚(複眼・単眼)の仕組みから始まって、飛翔、嗅覚、記憶と学習、情報伝達、方向感覚などのメカニズムを、現代生物学の最先端の研究成果をもとに解説しており、著者の最初の研究テーマは昆虫の「視覚」であり、そこから「嗅覚」にいき、更に「記憶と学習」へと向かっていったようで、とりわけそれらについて詳しく解されていて、内容の専門性も高いように思われました。

 特にニューロンなど伝達系統の話には難解な箇所も少なくありませんでしたが、全体を通して書かれている内容がまさに「驚異」の連続であり、また、文章自体も一般向けに平易な表現を用い、更に重要なポイントは太字で示すなどの配慮もされているため、興味を途切れさせずに最後まで読めます。

 例えば、教科書によく出ていた(国語の教科書だったが)「ミツバチの8の字ダンス」の話なども詳しく解説されていて、餌場の在り処を仲間に伝えるメカニズムだけでなく、それでは方向や距離はどうやって記憶したのかといったことまで書かれていて、そうだよなあ、覚えていなければ伝えられないし、その覚えるということ自体が、「微小脳」のもと、どういうメカニズムが働いているのか不思議と言えば不思議。
 本書はそうした謎も解き明かしてくれ、ミツバチが「方向」を太陽の位置で見定めているのは知っていましたが、「距離」についてはビックリ(実験による検証方法も興味深い)、更に、太陽の位置だって時間と共に変わるだろうと疑問に思っていましたが、これに対する答えもビックリと、まさに"ビックリ"の連続でした。

 ヒトの脳をスーパーコンピュータに喩えれば、昆虫の脳はまさに超高機能の集積回路、どちらが優れているとは必ずしも言い切れないのだなあと。
 しかし、ゴキブリの脳手術をして、記憶をつかさどる部分がどこにあるのかテストするとか、何だか気の遠くなるような実験を繰り返してここまでいろいろなことが解り、それでもまだ解らないことが多くあるということで、昆虫の「微小脳」の世界の奥の深さには、ただただ驚くばかりでした。

《読書MEMO》
●複眼の視力はヒトの眼より何十分の1と劣るが、動いているものを捉える時間分解能は数倍も高い。蛍光灯が1秒間に100回点滅するのをヒトは気づかないが、ハエには蛍光灯が点滅して見える。映画のフィルムのつなぎ目にヒトは気づかないが、ハエには1コマ1コマ止まって見える(8p)
●解像力でみれば複眼は進化の失敗作(45p)
(但し)時間的解像度が高い(48p)
オプティカルフロー(画像の流れ)のパターンを捉えることで、高速アクロバット飛行の制御を実現している(66p)
ミツバチもヒトと同じ錯視を示す(69p)
単眼は空と大地の(明暗の)コントラストを検知している(76p)
●雄の蚕蛾は、嗅覚器官である触覚にわずか数分子が当たっただけで性フェロモンを検知できる(125p)
ゴキブリはヒトに匹敵するほどの優れた匂い識別能力をもつ(130p)
●ゴキブリにはゴールの周囲の景色を記憶する能力がある(163p)
●コオロギの匂い学習能力は、ラットやマウスなどの哺乳類の学習能力にひけを取らない(193p)
●(ミツバチの距離の把握は)オプティカルフロー(働きバチが経験した像の流れ)の量が距離の見積りに使われている(235p)、ミツバチは陳述記憶をもつ(239-241p)
●ハチやアリは、1日の時間を知り、その時刻の太陽の位置を覚えている(245p)

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文章はやや物足りないが写真はピカイチ。曇天の写真がもっとあってもいいのでは。

エーゲ海 青と白が誘う52島.jpg 『エーゲ海 青と白が誘う52島』 カラー版 ギリシャを巡る.jpg 『カラー版 ギリシャを巡る (中公新書)

遠い太鼓1.jpg 写真家の萩野矢慶記氏がエーゲ海の島々を獲った写文集で、以前に村上春樹氏が『遠い太鼓』('90年/講談社)にギリシャとイタリアの島々に滞在していた時のことを書いたものを読んでエーゲ海の島々に関心を持ち、この著者の『カラー版ギリシャを巡る』('04年/中公新書)を読んだのですが、ギリシャ本土とエーゲ海、イオニア海の島々を網羅していて、その分、取り上げている島の数は多いが、1つ1つの島の写真や解説はほぼ1ページに収められてしまったため、コンパクトではあるが視覚的にも内容的にも物足りなかった...。
 文章も紀行文というより解説文に近い感じで、何だか観光ガイドか観光データベースみたいな感じがしました(そうした目的で使用するならそれでもいいが、そうならば新書に入れる必要があるかと)。

 今回の写文集はエーゲ海に焦点を絞っていて、本の体裁が大判ではないものの新書サイズよりはゆったりしていて写真が大きめであるため、風光明媚なエーゲ海の島々の様子を堪能でき、そこで暮らす人々の様子なども多く取り上げられているため、1つ1つの島の個性のようなものが浮かび上がってきます。
 但し、紀行文や写真に添えられたコメントは相変わらず観光ガイド調で(JTB系の出版社ということもあるのか)、やはりこの人は、「文章」よりも「写真」の人なのでしょうか。

 エーゲ海に限ったと言ってもやはり相当数の島々があるわけで(52島)、村上春樹氏が滞在したスベツェス島なども結局は僅か1ページの写真と解説になってしまっていて、これはもう仕方の無いことなのか...、こんなに島だらけなら。
 村上氏はシーズンオフにこの島を訪れ、他の島やギリシャ本土も含め、地中海性気候の冬の降雨期や春先の微妙な気候の変化を経験していますが、こうした写真集に出てくるギリシャ及びその島々というのは、いつも抜けるような青空の下にある、つまり一般にイメージされているそれであって、この辺りも、もう少しいろいろな天候を織り込んでも良かったのではないかと(取材の都合でそうなってしまったのかも知れないが)。

萩野矢慶記.jpg とは言え、写真の腕はピカイチ。萩野矢慶記氏は1938年生まれで、車両機器メーカーの営業一筋で16年間勤務した後、'83年に写真家に転進したという人。結果として、70歳を迎えて今も「現役」、と言うか「第一線」にいます。
 別の所で、定年後の時間の使い方に悩む人に「趣味でも何でも、とにかく徹底的に挑戦したら新たな人生が開けるのではないでしょうか」とアドバイスをしていますが、自分自身は44歳で独立しているんですよね。
 個人的には、第2の人生をスタートさせるなら、やはり40代ぐらいがいいのかなあと思った次第。

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取得率向上には、やはり法的強制力を持たせないとダメか?

男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット.jpg 『男性の育児休業―社員のニーズ、会社のメリット (中公新書)』 ['04年] 佐藤 博樹.jpg 佐藤 博樹 氏 (略歴下記)

子ども.jpg 本書のデータによると、日本における女性労働者が出産した場合の育児休業の取得率は64.0%、それに対し男性は0.33%、取得者の男女比は女性98.1%、男性1.9%とのことで('02年調査)、ほぼ同時期の調査における欧米諸国の育児休業取得率は、アメリカが女性16.0%、男性13.9%、スウェーデンが女性はほぼ完全取得で、取得者の男女比は64:36、ドイツが有資格者の95%が取得しているが父親は2.4%、イギリスでは男女とも12%が取得しているということで、国によってバラツキはありますが、男性の育児休業取得率が日本は特に低いことがわかります。

 本書は、前半やや硬いデータ分析や法令の解説が続くものの、それらの現状を踏まえたうえで、男性が育児休業を取得することの企業にとってのメリットや可能性を指摘し、例えば、休業中の職場の対応方法を講じることは、企業にとって単なるコストではなく、活性化や風土改革にもつながる可能性があることを説き、また近年言われる「個人の尊重」「ワークライフバランス」に先駆けて、働く者の自由な選択を尊重する考え方を提唱していて、ビジネスマンが「子供と触れ合える機会」を一定期間持つことの公私にわたる効用を説いている点などは、とりわけ個人的には説得力を感じました。
 男性が取る育児休業って、自分の生き方やキャリアを振り返るいい機会だと思うのですが、本書での報告例が、読売や毎日の記者のものだったりして―結局、"記事ネタ"としての育児休業取得になっている?)。

 それと、日本における男性の育児休業の取得率の低さの原因の1つに、育児休業法自体に少し問題があるのではないかという気がしました。
 育休法に従うと、1年間の育休を男女で分担して取得することは可能ですが、産後休業のときに男性が育休を取ると、通常、女性は「産休」明けから「育休」に入るので、その後男性は「育休」を取れない、つまり分割取得が出来ないようになっていて、これでは法自体が、男に「育休」を取るなと言っているみたいなものではないかと(その後、法改正でこの部分は見直された)。

 先のデータにあるように、北欧諸国は男性の育児休業取得率が高いですが、これは本書によると、ノルウェースやウェーデンでは「パパ・クォータ」とか「パパの月」などと言って、法律で、育児休業中の一定期間は父親が「育休」を取らないと、日本で言う育児休業手当がその間は支給されなくなるようになっているとのこと、つまり法に一定の強制力を持たせていることがわかります。
 その割り当て期間分の「育休」を終えると、北欧のお父さん達も殆どが仕事に復帰しているわけで、彼らが日本人の男性よりもフェミニストであるとか、子育てに熱心であるとか、少なくともデータをみる限りは、特にそういうことではないみたいです。
_________________________________________________
【佐藤博樹氏 プロフィール】
東京大学 社会科学研究所 教授
◆兼職
内閣府・男女共同参画会議議員、ワーク・ライフ・バランス推進官民トップ会議委員
厚生労働省 労働政策審議会分科会委員、仕事と生活の調和推進委員会委員長
経済産業省 ジョブカフェ評価委員 他
人を活かす企業が伸びる.jpg◆主な著書(編著・共著を含む)
『人事管理入門』(共著、日本経済新聞社)
『男性の育児休業:社員のニーズ、会社のメリット』(共著、中公新書)
『ワーク・ライフ・バランス:仕事と子育ての両立支援』(編著、ぎょうせい)
『人を活かす企業が伸びる:人事戦略としてのワーク・ライフ・バランス』(編著,勁草書房) 他
(2009年3月現在)

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社会時評らしくなってきた分、面白みを欠く。 書評に読みどころがあったのが救い。

『まともな人』『こまった人』『ぼちぼち結論』.jpgぼちぼち結論.jpg 『ぼちぼち結論 (中公新書 1919)』 ['07年]

 自分にとっては、解ったような 解らなかったような所があって、読み直すのも何だから次の本を買って読んでみる―といった感じもある養老氏の本ですが、本書は「中央公論」連載の時評エッセイ「鎌倉傘張り日記」の2005年11月号〜2007年6月号の掲載文を収録したもので、『まともな人』・『こまった人』('03年・'05年/共に中公新書)に続く第3弾で、7年間の連載の完結篇。

 小泉首相の靖国神社参拝やイラク戦争の戦後処理問題に対する言及など、だんだん社会時評らしくなってきましたが、そうなればなるほど、イマイチ面白みに欠けるような気も...。この人、やはり、生命論とか自然科学寄りの話の方が面白い、とういう気が個人的にはするのですが。

 話の内容としては、納得できるものもあれば論理の飛躍を感じるものもありましたが、「結論」ということを特に意識した書き方でもないように思え、アメリカが言う「テロに対する正義の戦い」というのは見せかけで、石油供給の安全性確保が強迫観念となっているために米軍はイラクから引き揚げない(或いはサウジに駐留してビン・ラディンを怒らせる)というのは尤もだと―、でもこれが本書の結論とも思えないし。

ウェブ進化論.jpg 文中や章の間に挿入されている書評に面白いものがあり(これが本書の救いと言えば救い)、例えば、梅田望夫氏が『ウェブ進化論』('06年/ちくま新書)でネットの世界を「あちら側」、リアルの世界を「こちら側」として対比させ、既成の世界にいる人はグーグルなど「あちら側」で起きていることが理解できないとしたことを、養老氏自身は既成の世界でのアナロジーでこれを語ったとし(『バカの壁』のことか?)、自らを、「こちら側」の既成の人たちから放逐されている「あちら側」に属する人間だとしています。

 氏にとっての「あちら側」の世界とは「虫の世界」で、この本にある「ロングテール現象」の説明にも痛く感じ入った模様で、虫を「知られている順」に並べると同じくロングテールとなり、氏が指向しているのは、その尾っぽの先の(或いは裏の)まだ情報化されていない世界のようです(これが結論? 相変わらず、よくわからん)。

 【2011年文庫化[中公文庫〕】

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自らの病を通して人間本性に潜む病(不条理)を示したという解釈に共感。

永遠のドストエフスキー.jpg 『永遠のドストエフスキー―病いという才能 (中公新書)』 ['04年]

 ドストエフスキーと言えば偉大な作家であり、深遠で観念的な人物像が浮かび上がりがちですが、本書はそうした既成のイメージを排して、そのパーソナリティの特徴は病であると断定し、ドストエフスキーの文学世界を理解するということは、ドストエフスキーという病気の人間を通して人間の病を理解することであるという立場に立っています。

 彼は、病的人物たちの活躍する小説を書いただけでなく、自らが心の病を持ち、病的な想像をする人間であると自覚し、実際に、社会や世間の病的な事件に強い関心を示したということ。また、ドストエフスキーの夫人アンナは、夫の異常なまでの心配性や被害妄想に「奇妙な人」(彼女の日記より)であるとの印象を持ち、夫の感情に巻き込まれないようにすることで、何とか自分を保ったということらしいです。

 「貧しい人たち」や「永遠の夫」に見られる、若い女性に対する男性側の被虐的とも思える立場には、そうした彼の意識が反映されていると思われますが、著者は、彼自身がそこに男女関係の理想を見出していたフシがあるとしています(両作品の男性主人公は共にマゾ的だが、これは作者の嗜好であるということか。ドストエフスキーはアンナへの懺悔の手紙で、自分を「永遠の夫」と呼び、アンナはこれを嫌ったという)。

 ドストエフスキーを語る上で「てんかん」は欠かせないものですが、この心配性や被害妄想はもっと若い頃からのもので、「統合失調症」による誇大妄想からくるものであると著者は推察していて(彼には「離人症」の傾向もあった)、迫害妄想は晩年まで治らなかったようですが、それがある種、願望的なかたちで作品に反映されていたということでしょうか。

 更に、本書で興味深い指摘だと思ったのは、理不尽に犠牲となる幼い子供が繰り返し作品に登場したり、嗜虐的と言っていい酷たらしい光景が作中に少なくなかったりする点において、ドストエフスキーには嗜虐傾向も強く見られるということで、彼は社会や市井で起きた弱者が虐待されるような事件に、激しく感応したという証言があるということ。

 ドストエフスキーには、嗜虐的な人物、被虐的な人物の両方に自分を重ねて夢想することが出来る資質があり(著者はこれを「なりすます才能」「腹話術師」などと呼んでいる)、著者の論に従えば、その人物になりきって残虐な場面を夢想し、或いは、迫害妄想や服従願望をリアルに描いた―ということになりますが、彼の作品のトーンや登場人物の病的な心理描写のリアルさ(かなり異常であったり極端に非常識だったりするのに、どこかでそした人を見たような感じもある)からみて、かなり説得力のある見方であるように思えました。

 「今時、病跡学?」「ドストエフスキーの偉大さを冒涜してる」等々の批判も聞かれそうですが、個人的には著者の考え方に大いに頷かされ、ドストエフスキー作品に触れてこれまで自分が抱いていた感触に裏づけを与えるが如く符号するものであるとともに、人間というものが普遍的に持つ暗部の深さについて考えさてくれる本でした(本書前書きにもそうした記述があるが、そうした人間の持つ不条理性を見事に描き切っている点が、ドストエフスキー作品が時代を超えて読まれる理由であると、著者は言いたかったのはないか)。

 但し、別々に発表したものをベースにした奇数章と、新たに書き下ろした偶数章という合体構成になっているため、各章の繋がりが必ずしも滑らかでない(あるいは重複が見られる)ように思えるのが、やや残念。

《読書メモ》
●ドストエフスキーの「考える」という能力は、感覚と想像を本体としていたと言えるだろう。いや、言葉による表現力はすぐれていたが、実はあまり「考える」ということはしていなかったのではないか。トルストイは、「ドストエフスキーはたくさんのことを感じた。しかし考えるのはだめだった」と言っている。理論はドストエフスキーにとっていわば下位にある。上位にある力は光景とイメージ」であり、かれの心身に植えつけられている異常に敏感で強い感覚が、それにふれて反応する。(114p)

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文豪の創作の秘密を、"てんかん"という持病を軸に、病跡学的観点から解明。

加賀 乙彦 『ドストエフスキイ』.jpgドストエフスキイ 加賀乙彦.jpg 『ドストエフスキイ (中公新書 338)』['73年]嫌われるのが怖い 精神医学講義.jpg 『嫌われるのが怖い―精神医学講義 (1981年)』 朝日出版社(朝日レクチャーブックス)

 作家であり精神科医でもある著者が、文豪ドストエフスキーの創作の秘密を、彼の癲癇という持病を軸に、病跡学的観点から解き明かしたもの。
 何せ、ドストエフスキーの『死の家の記録』を読んで、医師としてのキャリアを刑務所の監察医からスタートすることを決心したぐらいドストエフスキーに入れ込んだ人であり、精神医学の大家・笠原嘉氏との対談『嫌われるのが怖い-精神医学講座』('81年/朝日出版社)の中でも、「病跡学にもし存在価値があるとするならば、ドストエフスキーとてんかんとの関係を文学創造の核に据えて考察することこそ、大事だと思います」と繰り返しています。

死刑囚の記録2.jpg また、監察医としての経験を通して書かれた『死刑囚の記録』('80年/中公新書)の中では、「死刑囚」と「無期囚」で拘禁ノイローゼの現れ方が、「死刑囚」には躁状態や爆発発作となって現れ、「無期囚」には拘禁ボケが見られるとしていますが、その前に書かれた本書('73年)で既に、ドストエフスキーの癲癇発作の前に異常な生命力の高揚と発作後の無気力を、それぞれ死刑囚の心理、無期囚の心理に似ているとしています。

 ドストエフスキーが18歳の時に、潜在的に期待していた父の死が実際に起こったことが、彼の癲癇発症の引き金となったとするフロイト説を、卓見としながらも一部批判していますが、結局、彼が若い頃から癲癇気質を示していたのか、何歳の時に最初の発作を経験したのか、といったことはよくわからないわけで、この辺りが、既に亡くなっている天才の病理を研究する病跡学の限界なのか、その後も病跡学というのは精神医学の中で亜流の位置づけをされているような気がします。

永遠のドストエフスキー.jpg 自分自身、本書を最初に読んだときは、ドストエフスキーの天才性の秘密に触れた気がして目からウロコの思いでしたが、その後、精神医学者ではなく文学者である中村健之介氏が、『永遠のドストエフスキー』('04年/中公新書)の中で、癲癇もさることながらドストエフスキーの異常なまでの心配性や被害妄想に着目しており、こちらの方がより説得力があるようにも思えました。

 但し、今回本書を読み直してみると、後半は病理としての癲癇にばかり執着するのではなく、性格学的なトータルな分析がされていて、また、登場人物と作者との関係性においても、作家らしい考察がなされていることを再認識しました(ドストエフスキーには登場人物に自分を投影させているという意識はなかったと、著者は考えているのが興味深い)。

 また本書の中でも、「私は病的な現象がすべて深遠で神聖だなどと言おうとしているのではない。癲癇者でありながら何一つ自分の体験から深い人間的意味をひきだすことのできぬ人も世には大勢いる。と言うよりほとんどの癲癇者はそうである。それに反して、ただ一人ドストエフスキイだけが癲癇という病的現象から深い透徹した人間的意味を発見し、それを文学に形象化することに成功した」(52p)のだとしています。

 これは、最近注目されているサバン症候群などにも当て嵌まる気がし、極めて稀な例ですが、異常なまでに高い言語能力を有するマルチ・リンガルのサバン症候群の人が、実は若い頃に側頭葉癲癇を発症し、「共感覚」という特殊な能力を獲得していたらしいことが、最近の脳科学の臨床例などでわかっている―。これとて、その患者が文学作品を編み出す素因には全くならないわけですが、やっぱり、癲癇という病気はその人の言語能力に何らかの影響を与えることがあるのではないかと思わせる話である気がします。

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素材が"ごちゃまぜ"で、結果として、読後感の薄いものに...。

もしもあなたが猫だったら?.jpg 『もしもあなたが猫だったら?―「思考実験」が判断力をみがく (中公新書 1924)』 ['07年]

 同著者の『99・9%は仮説』('06年/光文社新書)が結構売れたのは、光文社ならではのタイトルの付け方の妙もあったかと思いますが、言っていることは割合まともで、実のところ、ある種の「科学エッセイ」に過ぎないと捉えたのですが、本書は、「思考実験」ということをテーマにしながらも、よりエッセイっぽくなっている感じがしました。

 学術的ないしマニアックな傾向にある「中公新書」にしては、まるで「岩波ジュニア新書」のような語り口で(文字も少し大きい)、この辺りから出版社サイドの「2匹目のドジョウ」狙いの意図が窺えなくもないのですが、読んでいくうちに、結構、著者の専門領域である物理学のテクニカル・タームも出てきて、ああ、やはり「中公新書」かと...。

 要するに、1週7日間に区切った構成で、後にいくほどレベルを上げているのでした(第6日に"マックスウェルの悪魔"、第7日に"アインシュタインの相対性理論"を取り上げている)。

 但し、間々に科学哲学的な話がエッセイ風に挿入され、それはそれで楽しいのですが、取り上げられている「思考実験」が、「重力がニュートンの逆二乗則からズレると宇宙はどうなるか?」「なぜ、この宇宙は、"6つの魔法数"がすべてうまく微調整されているのか?」といった物理学寄りのものと、「現代日本で親子を分離して教育したらどうなるだろうか?」「プラトンと共産主義が似ているのはなぜだろうか?」といった社会科学や哲学寄りのものが混在しているのが、ちょっと自分の肌には合いませんでした(単体では、それなりに面白い部分もありましたが)。

 こうしたテーマの並存(と言うか"ごちゃまぜ")は、前著『99・9%は仮説』でも見られたもので、著者の頭の中ではキチンと繋がっているのだろうけれども、自分自身は頭が硬いせいもあるのかも知れませんが、全体に統一がとれていないように思えてしまい、結果として、読後感も薄いものにならざるを得ませんでした。

 著者の書いたものや対談集は『99・9%は仮説』以前にも読んだことがあり、個人的には好みのサイエンス作家。ベストセラーの後に量産体制に入って、そのために1冊当たりの密度が落ちるということは、ファンとしては避けて欲しいものです。

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「ゲットー」→「強制収容所」→「絶滅収容所」という流れと痕跡を消された収容所。

ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌.jpg  ロシア・ウクライナ・1942.jpg ナチ部隊のウクライナでの虐殺行為(1942年)(トルーマン大統領図書館)
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書 (1943))』 ['08年]

 ヒトラー政権下でナチ・ドイツにより行われたユダヤ人大量虐殺=ホロコーストの全貌を、広範な史料をもとに、丹念に時間軸に沿って検証した労作。

 本書を読むと、ナチ・ドイツはポーランド占領('39年)までは、ユダヤ人の「追放」を考え、それまでの過渡期として「ゲットー」(ユダヤ人強制居住区)に彼らを押し込め、将来の移送先としてソ連を想定していたのことです(当初は"マダガスカル"という案もあったが)。

 それが、独ソ戦において一旦はレニングラードまで侵攻したしたものの(この間にも、バルト3国やロシアでは多くのユダヤ人や共産主義者がナチにより射殺されている(右写真=本書より))、このロシア戦線が膠着状態に入ると、「最終解決策」として強制収容所のユダヤ人を虐殺することに方針転換していったことがわかります(最後まで「追放」を主張したナチ将校もいた)。 

ベルゲン=ベルゼン(Bergen-Belsen)強制収容所の死体埋立て場の一つ(トルーマン大統領図書館 Truman Library,Acc.jpg また、「強制収容所」とは建前はユダヤ人を強制労働させるものであったものですが、それでも、ベルゲン・ベルゼンなど基幹13収容所だけで100万人近くものユダヤ人が病気などで命を落としたとのこと。
ベルゲン・ベルゼン強制収容所の死体埋立場 (トルーマン大統領図書館)

 一方、大量殺戮に方針転換してからヘウムノに最初に設けられた('41年)「絶滅収容所」は、まさにユダヤ人の殺害のみを目的としたもので、こうした「絶滅収容所」としては、犠牲者110万人と見積もられるアウシュヴィッツが有名ですが、アウシュヴィッツと同時期に設けられたベウジェッツ、ソビブル、トレブリンカの3つ「絶滅収容所」の犠牲者数の合計は175万名とアウシュヴィッツでの犠牲者数を上回っていること、これら3収容所は、ナチがユダヤ人労務者に解体させ、最後に彼らも殺害したため、ほとんど痕跡が消されてしまっていること、こうした収容所の多くは現在のポーランドにあり、ドイツ系ではなくポーランド系のユダヤ人が最も多く犠牲になったことなどを初めて知りました(3つの「絶滅収容所」を設けたラインハルト計画は、記録映画「SHOAH」('85年)で世に知られるようになった)。

 ナチの政策史だけでなく、ナチの個々の将校や収容所長などの施策の違いや、収容所内での人々の様子、大量殺戮の模様なども、戦犯裁判などの史料や生存者の証言などをもとに丹念に調べていて、努めて冷静に事実のみを追っている分、逆に一気に読ませるものがあるとともに、繰り返される虐殺の犠牲者数の多さには、「一人の死は悲劇だが、数百人の死は統計でしかない」という言葉さえも思い出されました。

アドルフ・アイヒマン.jpg 最後にホロコーストの研究史が概説されていて、ユダヤ人を大量殺戮することがいつどのように決定されたのか、ホロコーストを推進した中心は何だったのかについてのこれまでの論議の歴史的推移が紹介されており、後者の問題については、ヒトラー個人のイデオロギーに帰する「意図派」と、当時のナチ体制の機能・構造から大量殺戮がユダヤ人問題の「最終解決」になったとする「機能派・構造派」が元々あったのが、後に、ナチ体制の官僚制を、組織や規律の下での課題解決に専念することに傾斜する近代技術官僚的な「絶滅機構」だったとする捉え方が有力視されるようになったとのこと。
アドルフ・アイヒマン (1906-1962)

 個人的には、この見方を最も体現したのが、戦後アルゼンチンに脱走し、'60年にモサドに捕まり、イェルサレム裁判で死刑判決を受けたアイヒマンではなかったかと思いました。先の「一人の死は...」はアイヒマンの言葉。彼は、典型的なテクノラート(言い換えれば「有能な官吏」)だったと言われているとのことです。 

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なぜ、返せなくなるような人たちに貸したのかを、アメリカの社会構造から分析しているのが興味深い。
サブプライム問題の正しい考え方.jpgサブプライム問題の正しい考え方2.jpg
サブプライム問題の正しい考え方 (中公新書 1941)』['08年]

 '07年末から'08年にかけて世界経済を混乱に陥れたサブプライムローン問題については、すぐさま何冊かの関連書籍が刊行され、'07年11月には『サブプライム問題とは何か』(春山昇華 著/宝島社新書)といった新書も出ており、'08年4月での本書の刊行は、必ずしも早いものではないかもしれませんが、但し、さすが中公新書というか、経済学者(建設省OB)と実務家(住宅金融支援機構の研究員)という2人のプロが組んで、カッチリした解説を施したものとなっています。

subprime lending.jpg とりわけ、サブプライムローンの破綻原因を、お金を返せない人(必ずしも低所得者のことを指すわけではない)に貸したのがそもそもの誤りだったと断定し、なぜそんなことになったのかを、アメリカの人種問題なども含めた社会構造の分析にまで踏み込んで解説しているのが、本書の特長と言えます。

 サブプライムというのは、「プライム(優良)」に及ばないという意味で、過去に延滞履歴があるような信用度が低い人向けのローンであり、アメリカの通常の住宅ローンの大部分が、金利を長期固定したものであるのに対し、サブプライムは、殆どが最初の数年だけ固定金利で、あとは変動金利で返済額が急増するリスクがあるというもので、それを信販会社の延滞者ブラックリストに載ったことのあるような人に融資するわけですから、安易に選ばれて返済不能に陥る危険を回避するために、予め金利が高めに設定されていたとのこと。                                                  

 それが、2000年代に入り、ITバブル崩壊や同時多発テロなどで米国内の景気後退懸念が高まり、FRBが金利引き下げ策をとったため、ローン金利も下がって借り易くなってしまい、金融リテラシーの低い黒人やヒスパニックなどの利用がどっと増えたとのことで、証券化され世界中の投資機関の投資対象先になっていたことも、影響がグローバルに及んだ(特に欧州)原因のようです。

 サブプライムローンの主な借り手(返せなくなった人たち)は、住宅価格の高騰とその後のバブル崩壊の影響が大きかったフロリダのヒスパニック層、'05年にハリケーン被害を受けたルイジアナやミシシッピの黒人層、自動車産業の低迷で景気が沈滞しているミシガンやオハイオなど五大湖周辺都市の白人ブルーカラーなどで、ロケーション毎にアメリカの社会問題が反映されているような感じです。

 個人的には、こうした前半部分が興味深く読め、中盤の国際金融問題との関連を論じた部分はかなり専門的(一般の読者はここまで知る必要もないのでは)、後半の日本の住宅金融システムへの示唆なども、この時期に刊行するならばここまで論じておかねばという意欲が感じられるものの、金融リテラシー問題や"サブプライムに似たもの探し"において日米同列で論じるのはやや強引な気もし、証券化の技術問題は、まあこれからといった感じでしょうか。

 今後、日本がすべきこととして、内需拡大、給与水準引き上げ、高所得者の税負担の強化と一般の社会保障負担の抑制などを挙げているのには、ほぼ賛成です。

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良くまとまってはいるが、その分「教科書」の域を出ない。

日本の経済.jpg 『日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書 1896)』 ['07年]

 多分に「教科書」的な本であり、前半部分は経済史で、戦後復興期から高度経済成長期、更に70年代のニクソンショック・第一次オイルショックによる停滞期から80年代バブル期までを、データ等を駆使しながら要領良く纏めていて、中盤から後半にかけて、90年代のバブル期及びそれ以降の問題の検証に入り、国際経済関係を含む日本の経済の現状分析だけでなく、日本企業における組織風土の問題や雇用問題、財政・社会保障問題まで言及されています。

 バブル期の問題分析において、「投機は価格の安い時に買い、高い時に売るのだから価格安定機能がある」というフリードマンの命題に対し、これは、「価格の波が、投機家の行動とは別個に、事前に決まっている」という想定に基づくもので、「値が上がるから買い、買うから値が上がる」という"買い上がり"の投機行動が数年にわたる価格上昇をつくり、逆に下降局面では、「カラ売りして値を下げ、安くなったところで買い戻して差益を得る」という"売り叩き"の投機が値崩れを生むといったように、「価格の波」以外の過程では投機は波を促進・拡大するとして、フリードマン理論の論理的急所を突き、投機が社会に破壊的作用を及ぼす危険を帯びることを指摘している(129p)のが解り易く、では何故その時に政府や日銀は金融引き締めに入れなかったということについては、「資産価格は狂乱状態にある一方で、一般価格はまったく落ち着いていたこと」を第一の理由に挙げています(133p)。
 著者が言うように、バブルにおいては、さほど必要ないところに国・企業・個人のカネが投資され、結局、個人ベースで見た場合、バブルの乗り切り方(回収率)の違いで、所得格差は拡大したのだろうなあと。

 この辺りから、経済史の講義は終わり持論の展開が主となるのかなと思いましたが、その後の不況の二番底('97〜'02年)や小泉内閣による構造改革の分析などは、比較的オーソドックスであるように思え、後に来る日本的企業経営、雇用と職場、社会保障の問題なども、時折思いつきみたいな私論が挟まれることはあるが(事務職の給与を全額、手当にしてはどうかとか)、全体としてテキストとしての体裁を維持しようとしているのか、論点整理に止まっているものが多いような気がしました。

 例えば、少子化問題への対策を個人の問題ではなく政府の問題とするような論調も、年金などの社会保障の税負担化論も既出のものの域を出ておらず、やはりありきたり(因みに、国民年金は、保険料納付率が上がればそれだけ受給権者が増え、より赤字になる構造なのだけどなあ)。
 最後の「金融政策をめぐる論点」(岩田規久男氏 vs. 翁邦雄氏・吉田暁氏)も、これまでと同様よく纏まっていますが、ここに来てやっとこの著者の立場を知り(読み手である自分自身が鈍いのか、紙背への読み込みが足りないせいもあるが)、最初から旗幟鮮明にしてくれた方が有難かったかも(「教科書」だから、それはマズイのか?)。

《読書MEMO》
●貨幣供給の原理についての理解では、内生説(翁邦雄氏・吉田暁氏)が正しい。外生説(岩田規久男氏)は、マネーサプライはベースマネーの何倍かになる(結果的にはそうなる)という「信用乗数論」の初級教科書での説明用であって、それが現実だと思ったら大間違いである(287p)

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絶賛している人も多い本だが、素朴な疑問も。

不況のメカニズム.jpg 『不況のメカニズム―ケインズ「一般理論」から新たな「不況動学」へ (中公新書)』 ['07年]

 経済学における「ケインズ派」と「新古典派」の論争はいつまで続くのやらという感じですが、本書は、サブタイトルにあるように、ケインズの『一般理論』を解体し、新たな「不況動学」を構築するのが目的であり、「新古典派」の唱える「市場原理主義」については、不況下に苦しむ人びとをさらに苦境に追い込むとしてハナから批判していますが、一方、ケインズの『一般理論』にも誤りがあったとしています。

 新古典派によれば、不況は供給側の原因(生産力の低さや価格・賃金調整の不備)で起こるのであり、生産力が低いままで、更に物価や賃金が下がらなければ、商品は売れず雇用は増えない。だから、不況から脱出するには、生産力を上げると同時に、価格と賃金を下げることが必要になってくる―と。

 これに対しケインズ派は、不況は需要側の原因で起こり、需要不足の下では価格や賃金が調整されても売れ残りや非自発的失業は残るため、企業が効率化や人員整理を進めれば、需要は更に減り、不況が深刻化する、そこでケインズ派は「人為的に需要を作って余った労働力に少しでも働く場を確保すること」が不況からの脱出策になる―と。

 著者は新古典派の考えには与せず、一方でケインズを、「需要不足の可能性に注目することによって、不況における政策の考え方に重要な示唆を与えたことにある」と評価しながらも、「結局ケインズは、物価や貨幣賃金が調整されても発生する需要不足を論証することには、必ずしも成功しなかった。さらに消費の限界を設定するために安易に導入した消費関数がケインズ経済学の中心的な位置を占め、無意味な乗数効果が導かれ濫用されて、金額だけを問題にする財政出動の根拠となった」と批判しています。

 著者によれば、ケインズの、「民間が行う消費や投資の決定に任せていては需要不足の解消は不可能であり、政府の介入によって投資を増やすしかない」という不況対策理論は、初めから需要不足を前提とする仮説に基づいている点で論理的欠陥があり、だったら本当に失業手当よりも公共事業の方がいいのか(「災害でも戦争でもいいから」とケインズは言ったらしいが)、投資が次々と連鎖的に新たな所得を生み出すというのは幻想ではないかとしています。

 ケインズ理論の誤謬検証を通じての新たな「不況動学」論として、著者の理論の展開は論理的にはカッチリしていますが(本書を絶賛している人は多いし、著者自身も「不況システム」の分析にかけては絶対的な自信がある模様)、机上論のような感じも...(この部分は専門的でやや難解。正しいのかどうかよく判らず、その意味では、自分には評価不能な面も)。
 公共事業は、失業という人的資本の無駄を減らすだけではなく、実際に有意義な物やサービスを生んだ場合にのみ意味を持つというのが著者の結論であり、「良い公共事業とよくない公共事業」論とでも言えるでしょうか。

 著者は、リフレ派のインフレ・ターゲット論を、「どのようにして人々にインフレ期待を持たせるかという肝心の点については、明確な方法がわからない」と批判していますが、著者の論についても「どのような公共事業が"良い公共事業"と言えるのか明確にわからない」ということが言えるのではないでしょうか。

 基本的には、『景気と経済政策』('98年/岩波新書)の続きみたいな感じで、その間に、小泉純一郎内閣('01‐'06年)の「構造改革」路線があったわけですが、"聖域"があり過ぎて、「構造改革」論の正誤を検証できるところまでいかなかった気がします。
 だから、こうして「ケインズ派」と「新古典派」の論争は続くのだなあ。

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実感できる全国試験の過酷さ。試験にまつわる幽霊譚などの説話的な話が面白い。
 
科挙―中国の試験地獄.jpg          科挙 中公文庫BIBLIO.jpg     宮崎市定.bmp  宮崎 市定(1901- 1995/享年93)
科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))』['63年]/『科挙―中国の試験地獄 (中公文庫BIBLIO)』['03年]

 中国で隋の時代(587年)から清代(1904年)まで続いた科挙制度(元代に一時廃止)について、特に、それまでの「郷試」「会試」に加えて、天子自らが試験を行うという名目の「殿試」が行われるようになり、制度的に最も完成した(複雑化した)清朝の末期の制度の仕組みを中心に解説しています。

  「郷試」の前にも「科試」というものがあり、明代からはその前に「県試」「府試」「院試」「歳試」という学校入学試験(学校試)が設けられていて、まさにサブタイトルにある "試験地獄"ですが、その凄まじさは、本書にある「郷試」「会試」の実施手順を読むと、より実感します。
 「郷試」「会試」ともそれぞれ続けて3回試験があり、全国試験である「会試」の場合、試験前日から会場に入り、1回について2日かけて答案を作成するという作業が9日間続くので、殆ど監禁されている状態が何日も続くといった感じです。 

 試験科目が四書五経など儒学一本、それも暗記したものを書き写すのが主なので、近代化の時代と共に終わる運命にあった制度ですが、幅広い階層のほぼ誰もが受験出来て官吏への登用機会があるという点では、著者の言うようにそれなりの意義はあったと思えます。
 隋代の昔に制度化されていることを思うと尚更で、官吏養成システムである科挙は、「文民制度」の始まりとも言えるようです(著者によれば、中国で宋代以降、殆ど軍事クーデターが無かったのは、科挙による文民統治的な官僚制度が整備されていたためとのこと)。

 本書で大変面白かったのは試験や採点に纏わる説話的な話で、試験場に女の幽霊が現れて、昔自分を捨てた男が試験に集中出来ないように邪魔をするとか、試験官がたいしたことのない答案であるために落とそうとしたら「だめだ」という声が聴こえて落とせず、実はその答案を書いた男は善行の礼として若い女性から肉体提供の申し出を受けたが「だめだ」と自分に言い聞かせて勉強にうち込んだマジメな男だったとか、その逆に、いいと思って○にしたら夢に閻魔様が現れ×にしろと、そこで×をつけたが、やはりいい答案なので○に改めようとしたが×を書いた墨が落ちず結局落第させたが、その答案の主は素行の悪いことで評判の男だったことが後で判ったとか...。

 こうした話が生まれるのは、著者も考察しているように、試験が試験官の主観に左右される記述試験で、かなり"裏口"などの不正も行われていたようで、なぜあの人が落ちるのか、なぜアイツが受かるのか、みたいな話があって、そのことを「天網恢恢疎にして漏らさず」的発想(これは儒家ではなく老子)で合理化しているようにも思え、体制側から発生した面もあったかも。

 でも、そうした話が面白かった―。受験生の前に女幽霊が現れて合格を予言し、「あなたに地元の知事になってもらって自分を殺した男の罪を暴いてほしい」と言ったのが、実際その通り郷試・会試とも合格し、知事になった彼は過去の事件を暴いて女の怨みを晴らし、地元民からは名代官と言われたたとか(『聊斎志異』ではないが、何だか人間臭い幽霊譚が好きなのだなあ、中国人は)、試験に合格して喜びのあまり一時的に気の触れたヤサ男を正気に戻すために、普段彼を苛めていた乱暴者に頼んで(頼まれた男も、既に挙人となった男を乱暴に扱うことを最初は渋ったが)とりあえず一撃してもらったら正気を取り戻したとか(これは落語みたいな話)、大いに楽しめてしまいました。

 【1984年文庫化[中公文庫]/2003年再文庫化[中公文庫BIBULIO]】

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現代の官僚的組織に照らすと示唆に富む点は多いが、その前にまず読み物として面白い。

宦官―側近政治の構造.jpg 『宦官―側近政治の構造 (中公文庫BIBLIO)』 ['03年] 宦官2.jpg 『宦官―側近政治の構造 (中公新書 (7))』 ['63年]

アンリ・カルティエ=ブレッソン 宦官 1949.jpg 中国の歴史に不可視の闇のように影を落とす「宦官」―中国史の本を読んでも、宦官自体がどういうものであって、何故そうしたものが中国にいたのかということについてはあまり書かれていないことが多いですが、三田村泰助(1909‐1989)による本書は、そうした宦官という不思議な存在を知る上では、まさに「基本書」と言えるもの(1963(昭和38)年・第17回「毎日出版文化賞」受賞)。

 前半は、この「作られた第三の性」について、その起源(宦官は殷の時代からあったが、中国だけのものではなく、古代エジプトやイスラム国家にもいた)から去勢の仕方(死亡する者も多かった)や生態、後宮の管理者、官吏としての役割、その隆盛と興亡などが史料をもとに解説され、最初、刑罰としてあったものが出世の手立てとしてのものに変遷していく様が語られています。

 アンリ・カルティエ=ブレッソン 「宦官」 1949 (本書扉写真)

 この部分は、"文化人類学" 的であるとともに"中国性愛史"的要素もあって大いに興味を引かれますが、宦官は、若い頃は美貌でも、「年をとってくると、その風貌が痛ましくおどけたようになってきて、(中略)ちょうど男の仮装をした老婦人とそっくりになる」「大方のものは年をとるにしたがって肉が落ち、急激にたくさんの皺がよってくる。実際肥満しているものは少ない。40歳でも60歳くらいに見えるのはそのためである」とのこと、扉にあるカルティエ=ブレッソンの宦官を撮った写真がこれにピッタリあてはまるように思えました(しかし、楊貴妃を処刑した高力士や大遠征した鄭和は、何となくこうした"お婆さん"イメージには沿わないなあ)。

 後半は、宦官勢力が政治に大きな影響を及ぼした前漢・後漢、唐、明の3期の政治史を辿り、宦官の政治への関わり方や皇帝に及ぼした影響を解説していますが、著者が、漢の高祖が晩年の孤独の癒しを宦官に求めたことを例に、「これまでの歴史では、宦官が君主の心身を柔らかくさせるソファのような存在であったことを、不当に無視してきたきらいがある」(新書92p)と言っているのは興味深く、皇帝というのは孤独であり、それゆえに宦官に依存したり傾斜したりするのだなあと。

 しかし、大体、宦官が政治に関わりすぎると、民政はともかく権力上層部は混迷するようで、唐代に君主が2人も宦官に謀殺されていることはよく知られている通りです。
 あとがきでは、著者は、宦官を企業の秘書室に喩えていて、まあ、労働基準法的に言えば、「機密の事務を取り扱う者」といったところでしょうか、「機密事務取扱者」が直接政治に関わり始めると「側近政治」となり、ろくなことがないようです。
 宦官同士の連帯というものが共通の被差別意識により非常に強固なものであったこと、皇帝が2人も宦官に殺された唐代は、中国史においても行政機構が精緻化を1つ極めた時代であったことなどを、現代の官僚的組織に照らして考えると、示唆に富む点は多いように思いました。

 それ以前に先ず、読み物として前半・後半ともにそれぞれ極めて面白かったのですが。

 【1983年文庫化[中公文庫]/2003年再文庫化[中公文庫BIBULIO]】

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メインタイトルに呼応した"エッセイ"とサブタイトルに呼応した"論文"。

経済学的思考のセンス.jpg 『経済学的思考のセンス―お金がない人を助けるには (中公新書)』 ['05年] 大竹文雄.jpg 大竹文雄・大阪大学教授 (自身のホームページより)

 著者は、今年['08年6月]、「日本の不平等」研究で、47歳で第96回日本学士院賞を受賞した経済学者。前半部分は気軽に読める経済エッセイで、第1章では「女性はなぜ、背の高い男性を好むのか?」、「美男美女は本当に得か?」「イイ男は結婚しているのか?」といったことを、第2章では「プロ野球における戦力均衡(チームが強ければ強いほど儲かるのか?)」「プロ野球監督の能力(監督効果ランキング)」などの身近なテーマを取り上げ、俗説の真偽を統計学的に検証しています。

 「16歳の時の身長が成人してからの賃金に影響している」とか、「重役に美男美女度が高いほど企業の業績がいい」とか、統計的相関が認められるものもあるようですが、統計に含まれていない要素をも考察し、「相関関係」がイコール「因果関係」となるもではないことを示していて、どちらかと言うと、「経済学的思考」と言うより「統計学的な考え方」を示している感じがしました(こうした考え方を経済学では用いる、という意味では、「経済学的思考」に繋がるのかもしれないが)。

 個人的には、第2章の、大学教授を任期制にすべしとの論(自分自身もこの意見に今まで賛成だった)に対してその弊害を考察している部分が興味深く、任期制にすると新任者を選ぶ側が自分より劣っている者しか採用しなくなる恐れがあると(優秀な後継が入ってくると、自分の任期満了時に契約が更新されなくなると危惧するため。そんなものかも)。
 「オリンピックのメダル獲得予想がなぜ外れたか」などといった話も含め、このあたりは、「インセンティブ理論」に繋がるテーマになっています。

 第3章・第4章では、少し調子が変わって著者の専門である労働経済学の論文的な内容になり、第3章では「公的年金は"ねずみ講なのか"?(世代間扶養に問題があるのか)」「ワークシェアリングが広まらない理由」「成果主義が失敗する理由」などを考察し、年功賃金や成果主義の問題を、第4章では、所得格差の問題など論じています(年功賃金が好まれる理由を統計分析しているのが興味深い)。

 もともと別々に発表したものを新書として合体させたものであるとのことで、第1章・第2章と比べると文章が硬めで、最初はいかにも"くっつけた"という感じがしましたが、読んでいるうちに、エッセイ部分の統計学的な考え方やインセンティブ理論が考察の所々で応用されているのがわかるようになっていて、よく考えられた構成なのかもしれない...。

 但し、年功賃金、成果主義、所得格差、所得再配分、小さな政府、といったことを論じるには、少しページが不足気味で、所得格差の問題は「機会の不平等や階層が固定的な社会を前提として所得の平等化を進めるべきか、機会均等を目指して所得の不平等を気にしない社会を目指すかの意思決定の問題である」という著者の結論には賛同できますが、そこに至る考察が、要約されすぎている感じも(悪く言えば、プロセスの突っ込みが浅い)。

 本全体としては、「経済学的思考のセンス」がメインタイトル、「お金をない人を助けるには」がサブタイトルにきていることと、呼応してはいますが...。

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国境の「駆け落ち婚」の村は、今や結婚産業の町。イギリスという国の複雑さ感じさせる面も。
イギリス式結婚狂騒曲.jpg 9イギリス式結婚狂騒曲.jpg プライドと偏見.jpg
イギリス式結婚狂騒曲―駆け落ちは馬車に乗って (中公新書)』 映画「プライドと偏見」('05年/英)

グレトナ・グリーン.jpgGretna Green 鍛冶屋.jpg 本書によれば、18世紀イングランドでは、婚姻が成立する要件として、父母の同意や教会の牧師の前における儀式などが必要とされ、一方、隣地スコットランドでは、当事者の合意のみで成立するとされていたため、イングランドの恋人同士が結婚について親からの同意が得られそうもない場合に、イングランドからスコットランドに入ってすぐの場所にあるグレトナ・グリーン(Gretna Green)村の鍛冶屋で結婚式を挙げ、形だけでも同衾して、婚姻証明書を取得し夫婦になるという駆け落ち婚が行われたとのことで、これをグレトナ・グリーン婚と言うそうです。[写真:グレトナ・グリーンの「鍛冶屋」

Gretna Green3.jpgGretna Green.jpg  「式を挙げてしまえば勝ち」みたいなのも凄いですが、そうはさせまいと親が放った追っ手が迫る―などという状況がスリリングで、オペラや演劇の題材にもなり、19世紀まで結構こうした駆け落ち婚はあったようで、また20世紀に入ってからは、このグレトナ・グリーンは、そうした歴史から結婚産業の町となり(「鍛冶屋」と「ホテル」の本家争いの話が、商魂逞しくて面白い)、今も、多くのカップルがこの地で式を挙げるとのこと。[写真: グレトナ・グリーンのポスター写真

 グレトナ・グリーン婚にまつわる話が、近年映画化されたオースティンの『高慢と偏見』("Pride and Prejudice")などのイギリス文学や、ハーレクイン系のロマンス小説のモチーフとして、当時から今に至るまで度々登場することを著者は紹介していますが、女性が憧れるのが制服の似合う「士官タイプ」の美男子という具合にパターン化しているのが可笑しく、女性の方は金持ちの令嬢だったりし、何頭建てかの馬車を誂えて彼の地へ向かうわけで、日本の駆け落ちとはかなりイメージ差がある?

On the Way to Gretna Green.jpg 但し、『高慢と偏見』で駆け落ち婚を図る五女リディアは、旅費にも事欠く様であり、結局、彼女の駆け落ち婚は未遂に終わるのですが...(この作品の主人公は、映画でキーラ・ナイトレイが演じた次女エリザベスということになるのか。この家の姉妹が皆、将校好きなのが可笑しい)。

 あのダイアナ王妃も、こうしたロマンス小説(オースティンではなくハーレクイン系の方)を耽読したそうで、また、アメリカのロマンス小説にも『グレトナ・グリーンへの道』というのがあるとのこと。

イギリス式結婚狂騒曲.jpg小さな恋のメロディ.jpg  実際に今の時代に、そんな故事に憧れこの地で式を挙げる女性なんて、通俗ロマンス小説にどっぷり浸ったタイプかと思いきや、グレトナ・グリーンの「鍛冶屋」や「ホテル」を訪れるカップルは、自分たちの結婚が「恋愛結婚」であることの証しをその「小さな恋のメロディ」('71年.jpg地に求めているようであり、まだまだイギリスでは、結婚は家と家がするものという古いイメージが残っているということなのでしょうか(映画「小さな恋のメロディ」('71年/英)なども、そうしたものからの自由を求める系譜にあるらしい)。


  また、北アイルランドのベルファストを舞台に、それぞれカトリックとプロテスタントの家の出の恋人同士が駆け落ちする小説『ふたりの世界』('73年)が紹介されていますが、この2人が式を挙げるのがグレトナ・グリーン。イギリスという国の複雑さを感じさせるものがありました。

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中南米最古の黄金遺跡の「発掘物語」&博物館建設に向けた小村の「村興し物語」。

アンデスの黄金―クントゥル・ワシの神殿発掘記.jpgアンデスの黄金―クントゥル・ワシの神殿発掘記 (中公新書)』 ['00年] 大貫 良夫.jpg 大貫良夫 氏 (東大教授・文化人類学者)

クントゥル・ワシ.jpg 南米ペルーの北部高地にある前インカ文明の遺跡クントゥル・ワシを、東大古代アンデス文明調査団(代表:大貫良夫氏)が1988年から6回にわたり発掘調査した際の記録で、こうした発掘調査にはフィールドにおける地元の住民の協力が必要不可欠(労働力供給、宿泊・食事等)なのですが、とにかく、この遺跡のある村は貧しく、村人はみな遺跡のことは知っていてもいつの時代のものかも知らず、「約30年前」のものかと思っていたというのにはビックリ。この神殿遺跡の建設はイドロ期(紀元前1100-700)に始まるため、「30年」どころか「3000年」も前のものなのだから。

 発掘開始の翌年には、遺跡から黄金の冠などの多くの金製の副葬品を伴う墓が幾つも見つかり、そうなると今度は村人たちは、村が貧しいだけに、「金が出た」と色めきたつ一方で、出土品は国や大都市が召し上げ、当の村には何一つ残らないのではないかと疑心暗鬼になり(今までの国内での遺跡発掘が常にそうであった)、調査隊への協力を躊躇する―。
 そこで、大貫代表は村人たちの信頼を得るため、この村に「宝物」を展示するための博物館を建設しようと提案し、村人に募金を募りますが、集まったのはたったの4万円。
 そこで、更に大貫氏は、出土した黄金の冠などの「宝物」を日本へ持ち帰り、そこで展覧会をやって博物館建設のための資金にする、「宝物」は必ず地元に戻し、最終的には、これから建設する「クントゥル・ワシ博物館」に置くようにすることを提案します。

クントゥル・ワシ博物館.jpg こうした村民との粘り強い交渉の過程がリアルに描かれており(村人は何事も村の集会で決議する。それにしても度々集まるのには感心)、本書は、中南米最古の黄金文明遺跡の発掘記録であり、前インカ文明についての入門解説書であるとともに、博物館の開設に至るまでの"村興し運動"の記録でもある(こちらの方が内容的なウェイトが高い?)と言えます。
 調査団メンバーだった関雄二氏も、「住民の遺跡保護に対する関心を高まることで、地域社会の成員としてのアイデンティティも高まり、同時に遺跡保護も可能になるという、興味深い結果がもたらされた」と、述べています。
「クントゥル・ワシ博物館」-国立民族学博物館HPより

 NHKのディレクターの1人が大貫氏の大学時代の山岳仲間だった関係もあって、この「発掘&村興し物語」には途中からカメラが入り、「NHKスペシャル・アンデス黄金騒動記」として、'95年1月に放映されています。

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周辺学界にこそ柳田の後継者はいた。「現代風俗研究会」もその1つ?

民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち.jpg 『民俗学の熱き日々―柳田国男とその後継者たち (中公新書)』 ['04年] 柳田国男.jpg 柳田國男

 柳田國男(1875‐1962/享年87)は、ほぼ独力で日本の民俗学を開拓し、また思想家としても後世に多大の影響を及ぼしたとされる人ですが、その個人としての業績が燦然と屹立する一方で、山口昌男が「柳田に弟子なし」と指摘したように、その影響力が誰によって引き継がれたのかが不明であるという面もあり、本書では今一度、民俗学や思想面での彼の系譜がどこに見られるのかを、文献や資料をあたって検証しています。

 柳田の幼年期の祠での神秘体験とそれに関する記述の変容などは面白い(自ら脚色している!)ものの、本全体としてはタイトルの割には地味で、読んでいて柳田の学界内での保守的な姿勢を知るにつれ柳田が嫌いになりそうな気もし、山口昌男も指摘したように、彼は、分野を異にする「異邦人」を歓待する一方で傘下の弟子に「危険な遊戯」を禁じた(つまり、彼自身の学究分野や学説を超えることを禁じた)、その結果、独創的な継承者が育たなかったということのようです。

 但し、本書で「周辺の人々」「読者群像」として紹介されている、彼の人物や書物に触れて大きな影響を受けた人の中には、「周辺の人々」として今西錦司(1902‐92)、貝塚茂樹(1904‐87)、梅棹忠夫(1920‐)らがおり、「読者群像」として桑原武夫(1904‐88)、中野重治(1902‐79)、花田清輝(1909‐74)などがいて、そのビッグネームの連なりとジャンルの幅広さに改めて驚かされます。

 柳田の本に刺激されてニホンオオカミの絶滅に関する伝聞を地方に聞いて回った今西錦司の初期の仕事は、殆ど民俗学者のそれであり、今西は後に、『遠野物語』を自在に論考し、独自の生態学理論を打ち出すのですが、その今西から『遠野物語』を借りて読み、今西より遥かに早くそれについて言及したのが、仏文学者の桑原武夫だったとか、こうした柳田を軸に交錯した関係が興味深く、結局、著者の言わんとしているのは、柳田の影響は民俗学と言う分野だけでなく、むしろ周辺学界に大きな影響を与え、強いて言えば、それらの人々が「後継者」だということのようです。

 そう言えば、「現代風俗研究会」というのがあって、初代会長が桑原武夫、第2代会長は仏文学者・社会学者の多田道太郎(1924-2007)で、なぜフランス文学者が「風俗研究」なのかという不思議さもありましたが、何となく解ったような...。
 本書の著者の父親で、哲学者・評論家でマンガ評論でも知られてる鶴見俊輔氏も「現代風俗研究会」の草創期からのメンバーです。

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「アフリカを行く」と言うより、アフリカに「野生動物を撮りに行く」。撮影と"狩り"は似てる。

アフリカを行く.jpgカラー版 アフリカを行く.jpg
カラー版 アフリカを行く (中公新書)』 ['02年]

 本書にはアフリカの野生動物の、まさに野生で生きるままの姿を撮った写真が満載されていますが、著者は、もともと映画や本などを通して、アフリカの自然への憧憬を抱き、動物を描くイラストレーターを目指していたとのことで、写真家になってからも30年にわたりアフリカの自然を撮り続けている人です。

 文章がしっかりしていて、アフリカで野生動物と出くわした時の緊張感や、弱肉強食の世界を目の当たりにした時の衝撃、動物写真を撮るときの苦労などがよく伝わってきます。
 根底に古典的な「サファリ(狩猟)」感覚を感じるのは、著者が「ハタリ!」('61年)などの映画に影響を受けたことを告白しているせいもあるでしょうが、撮影というものが"狩り"とプロセスにおいて殆ど変わらないものであるからではないでしょうか(少なくとも、本書を読むとそう感じられる)。

 ビクトリア瀑布などの大自然、多様な現地部族、都市部の瀟洒な生活なども紹介されていますが、やはりメインは野生動物であり、撮影もケニアやタンザニアなどの自然公園でのものが主なので、書名から、アフリカ各地の歴史・地誌・文化を巡る旅を想起した人には、肩透かしのものとなっているかも知れません(写真集としても、新書版なので、野生動物写真を収めるにはちょっと迫力不足かも)。

カバ大集合.jpg NHKの「ダーウィンが来た!」で、アフリカで川が干上がり、僅かに残った水場に多数のカバが殺到した様子を撮った「壮絶1200頭!カバ大集合」というのを見て、"集合"と言うより、水場にカバを"敷き詰めた"みたいな感じでなかなか凄かったですが、どこかで見聞きしたことがあったなあと思ったら、この本の中であったことを思い出し、久しぶりに取り出してみた次第。
 NHKの番組ホームページ(撮影の裏話が面白い)で調べたら、撮影場所はタンザニアのカタビで、本書での撮影場所は、ボツワナのオカヴァンコ・デルタ、カタビは世界最大のカバ集合地、オカヴァンコ・デルタは世界最大の内陸デルタ地帯だそうです。

NHK「ダーウィンが来た!生きもの新伝説」'08年4月放送:「壮絶1200頭!カバ大集合」

 本書にもある、オカヴァンコ・デルタをモコロ(丸木舟)で行く旅は、地元の観光ツアー・コースになっていて、探検気分を味わいたい人には人気のようです(あまり、野生動物の生態に影響が出なければいいが)。

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日米のサポートに対する根本的な取り組み姿勢、発想の違いを痛感。

学習障害(LD)―理解とサポートのために.jpg 『学習障害(LD)―理解とサポートのために (中公新書)』['02年] アメリカ障害児教育の魅力―親が見て肌で感じた.jpg 佐藤恵利子 『アメリカ障害児教育の魅力―親が見て肌で感じた』 ['98年/学苑社]

学習障害.jpg 学習障害の子供に対する教育面でのサポートのあり方について書かれた本で、著者は障害児教育の専門家で、公立学校での教職経験もあり、またUCLAで教鞭をとったこともある人で、とりわけアメリカで行われている障害児教育の様々な取り組みが本書では紹介されています。

 以前に、『アメリカ障害児教育の魅力-親が見て肌で感じた』('98年/学苑社)という、自閉症の我が子を連れてアメリカに行き、ウィスコンシン州の地元の特殊学級で学ばせた佐藤恵利子さんという人の体験記を読み、日米の障害児教育の差に愕然としましたが、たまたま行ったところがそのような手厚いケアをする学校だったのではという思いもあったものの、本書を読むと、根本的にアメリカと日本では、障害児教育への取り組み方が違うように思えました。

 日本では、まず児童を学習障害の有る無しで区分し、障害のある子に特殊教育を施すという考え方ですが(結果として、「普通学級」に入れることが目的化しがちである)、アメリカでは、教科や学習内容ごとの得手不得手によって区分し、その子の不得手な教科について特殊教育を行うという考え方であり、学校の中にそうした「リソースルーム」という特殊学級があって、ある教科についての特別な教育的ニーズのある子は、その時間帯だけ、そこで授業を受ける―というのが、一般的なシステムのようです。

 一見、日本の「通級」システムと似ていますが、言語障害、情緒障害などのカテゴリー別の設置ではなく、あくまでもその科目を学習するのに困難を感じている子が利用できるものであり、校内に設置されている比率も日本とは全然違うし、そこで教えているのは障害児教育の資格を持った複数の教師であり、「リソースルーム」を巡回する教師も複数配置されていて、外部の専門家と連携してサポートを受けるようなシステムもあるということです。

 日本でも学習障害児に対するサポート体制は徐々に整いつつあるかと思われますが、根本的に、画一的教育というのが伝統的な日本の教育スタイルであっただけに、本書を読むと、その辺から発想の転換が求められるような気がし、但し、また、こうしたことを実現するには、行政レベルでの人的資源の投下が必要であるように思いました。

 学習障害の入門書としても読めなくはありませんが、サバン症候群などについてはそれほどの頻度で見られるものでもなく、むしろ、そうしたある分野について特殊な能力に恵まれている「ギフテッド」と呼ばれる子供たちを、どう社会に活かすかということをアメリカという国は考えていて、そのことが、子供たち個々のニーズに沿った教育をするという意味で、「リソースルーム」と同じ発想にある点に注目すべきでしょう。

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普段何気なく使っている漢字にこんな意味が込められていたのかとビックリ。

白川 静 『漢字百話』.jpg漢字百話.jpg  漢字百話2.jpg 白川 静.jpg 白川 静(1910‐2006/享年96)
漢字百話 (中公新書 (500))』['78年]『漢字百話 (中公文庫BIBLIO)』['02年]

 漢字の成り立ちについて10章×10話に纏めたもので、「百話」と言うより「百講」に近いですが、1話ごとにさらに幾つもの漢字の起源が紹介されていて、その数は膨大です(索引が欲しかった気もする)。しかし、単なる項目主義ではなく、漢字の成り立ちが「記号」「象徴」「宗教」「霊」「字形」「字音・字義」などといった観点から体系的に説明されているため、漢字学に学術的に迫りたい人をも満足させるものとなっています。

 一方で、雑学的関心でただただ"日めくりカレンダー"的に読んでも楽しい本で(自分はどちらかと言うとこの読み方)、末尾では漢字教育のあり方や漢字の将来についても論じていますが、個人的には、漢字の起源を呪術や宗教、霊との関連で説明した部分が興味深く、普段何気なく使っている漢字にこんな意味が込められていたのかとビックリさせられました。

 漢字のもとにあった金文や甲骨文字などの象形文字を、単なる図形でなく、シンボルとして捉えているのが白川漢字学の特徴と言えるかも―。

 「字」は家の中にいる子を表すが、この家は廟屋であり、氏族の子が祖霊に謁見し、生育の可否について承認を受ける儀礼を意味し、その時に幼名がつけられるので、字はアザナであるとのこと。

 「告」は、牛が人に何事か訴えかけるために口をすり寄せている形だとされているが、この字の上部は木の枝(榊)を表し、「口」はそれに繋げられた祝詞を入れる器を表すことから、神に告げ訴えることであるとのこと。

 かつて見る行為は呪術的なものであり、呪力を強めるために目の上を彩ったところから「眉」の字があり、呪術をなす巫女は「媚」と呼ばれ、戦さで敵方に勝つと、呪能を封じるため敵方の巫女は戈(ホコ)で殺され、それが軽蔑の「蔑」という字(上部は眉を表す)、「道」は異族の首を携えて往くことを意味するとのこと。

 「新」は斤(オノ)で切った木に辛(ハリ)が打ち込まれたもので、これを見ている形が「親」だが、この木は位牌を作るための神木で、これを見ているのは親を失ってこれを祀る子であるはずとのこと(この辺りの解釈が、いかにもこの人らしい)。

 こうした話が、ぎっちり詰まった本。最近では、『白川静さんに学ぶ漢字は楽しい』、『白川静さんに学ぶ漢字は怖い』('06年・'07年/共同通信社))といった本なども出版されていて、没後まだまだ続く「白川漢字学」ブームといったところですが、それらの本のソースも、大体この本に収められています。

【2002年文庫化[中公文庫BIBLIO]】

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ネロの生涯は「アグリッピナ・コンプレックス」との闘いだったという印象を持った。

ネロ暴君誕生の条件.jpgネロ―暴君誕生の条件 (中公新書 144)』['67年]Nero Claudius Drusus Germanicus.jpgNero (紀元37‐68/享年30)

 西洋史学者の秀村欣二(1912‐1997、東大名誉教授)が本書で描く"ネロ"像は、彼が"暴君"であったことを否定するものではありませんが、かなり彼に同情的な面もあるかも。

Agrippina with Nero.jpg 本書を読むと、母アグリッピナというのが(息子ネロに刺客を向けられ、「ここを突いて、さあ。ここからネロは生まれたのだから」と下腹を突き出したことで知られる)、これが美人だがかなりドロドロした女性で、叔父にあたる皇帝クラウディウスとの不倫関係を経て妃の座に就き、その夫を毒殺してネロを皇帝にしたわけで、それまでにも権謀術数の限りを尽くしてライバルを排除してきていて、結局そうした血はそのままネロに引き継がれたという感じです。
ネロ母子 (Agrippina with Nero)

 アグリッピナは息子ネロに対し愛人のように振舞うことで彼を操縦しようとしたから、これではネロもたまらない。母子相姦だったとの説もあるものの、最終的に母を拒絶すると、彼女はネロの義兄弟を帝位に就かせようと画策しますが、ネロはこれを謀殺、もうグチャグチャという感じで、妻をとっかえひっかえして、その度に前妻を駆逐したり謀殺したりする彼の行動には、エディプス・コンプレックスが強く滲んでいるように思え、結局、最後は母アグリッピナの殺害に至る―。

 ただ、ネロの統治の最初5年間ぐらいは評価されるべき部分もあると著者は言い、治世の面でも母親との確執はあったものの、政治家としての思い切りの良さなどはあったみたいです(補佐したセネカが、アレキサンダー大王を補佐したアリストテレスほどの大哲人ではなく、アグリッピナの顔色も窺いながらネロを助けていたようで、むしろこの中途半端さの方がイマイチだが)。

ルカ・ジョルダーノ「セネカの死」(1684-1685)/ピーテル・パウル・ルーベンス「セネカの死」(1612-1615)
ルーベンス - セネカの死.jpgジョルダーノ『セネカの死』.jpg ネロ自身は、母を亡き者にし、その呪縛から解かれたように見えたかのようでしたが、新たに迎えた妻の尻に敷かれたりしているうちに性的にもおかしくなって、美少年と結婚式を挙げたりし(周囲が「子宝」に恵まれるよう祝福の言葉を贈ったというのが、恐怖政治におけるブラック・ユーモアとでも言うべきか)、ローマ市民の歓心を得られると思ってやったキリスト教迫害においてその残忍性をむき出しにしたことで却って人心は離れ、母親殺しで兄弟殺しや妻殺しもやっていて、さらに師をも殺した者が帝位にいるのはおかしいと(セネカも自殺を命じられ、彼の非業の死はルネサンス期に多くの画家の作品モチーフとなった)周囲の反発から反乱が起き、遂にネロ自身が自死せざるを得ない状況に陥りますが、死を前にしてなかなか死にきれないでいるところなど、何だか人間味を感じてしまい、自業自得でありながらも妙に哀しかったです。

 著者に言わせれば、「英雄と暴君は紙一重」ということで(殺した人間の数ではアレキサンダーに比べればネロの方がずっと少ないという見方も)、暴君(タイラント)の語源が僭主(非合法に政権を奪取した者)に由来することからすれば多くの英雄がタイラントであり、ネロも"有能な独裁者"、ある種の英雄ではなかったかと(しかし、後世には、元首失格者・人間失格者として、ネガティブな意味での"暴君"像のみが浸透している)。

 個人的には、ネロの生涯はエディプス・コンプレックス(父親不在で母親の方が子離れ出来ないこのタイプを「アグリッピナ・コンプレックス」と呼ぶそうだが)との闘いだったという印象を強く抱き、何となく神話的人物に近いイメージを持ちましたが、本書に書かれていることは、タキトゥスの「年代記」や海外の研究などをもとに著者が概ね客観的立場から述べたものであり、神話や伝説の類ではなく史実であるということでしょう。

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努めて冷静に捕虜生活をふりえることで、記録文学的な効果と重み。

アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界.jpg アーロン収容所 西欧ヒューマニズムの限界.jpg                 アーロン収容所.jpg
アーロン収容所―西欧ヒューマニズムの限界 (中公新書 (3))』 ['62年]/『アーロン収容所 (中公文庫)』 ['72年]

 著者が終戦直後から1年9カ月を、ビルマで英軍捕虜として送った際のことを記したものですが、本書を読んで一番印象に残るのは、捕虜である日本兵(著者)が掃除のために英軍の女性兵士の部屋に入ったところ、女性兵士がたまたま裸でいても、こちらの存在を気にかけないでそのままでいるという場面ではないかと思います(ドアをノックすることを禁じられていたが、それは信頼されているからではなく無視されているからだった)。
 また、暴力こそ振るわないけれども捕虜を家畜のように扱う英軍に、牧畜民族としての歴史を持つ西欧人の、牧畜様式の捕虜への当て嵌めを著者が見出だすところも、ゾッとするものがありました。

 このような英軍の仕打ちの背景には、日本軍の英国人捕虜虐待に対する復讐としての面もありますが、復讐のやり方が、肉体的に痛めつけつけるよりも徹底的に人間としての尊厳を奪う精神的復讐となっているのが特徴的。
 一方で、親しい英軍士官に「戦争して悪かった。これからは仲良くしよう」と言うと、「君は奴隷か。自分の国を正しいと思って戦ったのではないか」、こんな相手と戦って死んだならば戦友が浮かばれないと不機嫌になったということで、その士官は騎士道精神を抱きつつ武士道精神に敬意を払ってるわけで、それに較べて日本人の変わり身の早さが気恥ずかしく思えてくる―この場面も印象的。

 こうした日本人の終戦による価値観の喪失(または、元来の個人の価値観の希薄さ)は、捕虜生活が続くと結局、戦争中の上下関係は消え、物品をどこからか調達することに長けている者が幅を利かせるようになったりすることにも現れているように思え、この辺は、大岡昇平の『俘虜記』などにも通じる記述があったかと思います。
 但し、すべてネガティブに捉えられるべきものでもなく、確かに、盗んだ素材を巧妙に加工し実用に供することにかけては、本書にある日本人捕虜たちは皆、逞しいほどだと言っていいぐらいです。

 読み直してみて、努めて冷静に当時を振り返っているように思え、歴史家としての考察を交えながらもあくまで事実を主体として書いており、更に時に意図的な(?)ユーモアを交えた記述も窺え(著者はその後約15年を経て40代後半になっているわけだから、相当の冷却期間はあったと見るべきか)、それらが記録文学的な効果を生み、却って当時の屈辱や望郷の念がよく伝わってきます。

 また、当時収容所内外にいたビルマ人、ネパール人、インド人などのこともよく書かれていることに改めて気づき、それぞれの行動パターンに民族の特徴が出ているのが面白く(その中でもまたある面では、個々人の振舞い方が異なるのだが)、「アジアは一つ」とか言っても、なかなかこれはこれで難しいなあと。

会田雄次(あいだゆうじ).jpg 著者はマキャベリ研究の大家であり、晩年はちょっと意固地な保守派論客という感じで馴染めない部分もありましたが、本書はやはり優れた著作だと思います。
 本書を「子どもっぽい愚痴だらけ」と評したイギリス贔屓の人もいましたが、自分が同じ体験をしたら、やはり西欧人を見る眼も全く違ったものになるだろうと、そう思わせるような強烈な体験が描かれた本です。

会田雄次 (1916‐1997/享年81)
【1973年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
●「その日、私は部屋に入り掃除をしようとしておどろいた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからである。ドアの音にうしろをふりむいたが、日本兵であることを知るとそのまま何事もなかったようにまた髪をくしけずりはじめた。部屋には二、三の女がいて、寝台に横になりながら『ライフ』か何かを読んでいる。なんの変化もおこらない。私はそのまま部屋を掃除し、床をふいた。裸の女は髪をすき終ると下着をつけ、そのまま寝台に横になってタバコを吸いはじめた。
 入って来たのがもし白人だったら、女たちはかなきり声をあげ大変な騒ぎになったことと思われる。しかし日本人だったので、彼女らはまったくその存在を無視していたのである」(新書39p)

「中公新書」創刊ラインナップ
桑原武夫編『日本の名著』
野々村一雄著『ソヴェト学入門』
会田雄次著『アーロン収容所』
林周二著『流通革命』
加藤一朗著『象形文字入門』

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学者の対談に一般人が加わる試み。「手話」や「双生児」を通して探る脳の話が興味深い。

カフェ・デ・サイエンス.jpg遺伝子・脳・言語.jpg 『遺伝子・脳・言語―サイエンス・カフェの愉しみ (中公新書 1887)』 ['07年]

 武田計測先端知財団が主催した「カフェ・デ・サイエンス」という、一般の人々が科学者と一緒に、科学的テーマを日常的な言葉で考える企画で、遺伝子研究の堀田凱樹氏と脳研究の酒田邦嘉氏を構師(対談者)として6回にわたって行われたものを本にしたもの。テーマは「脳」。

 第1回、第2回は、脳と遺伝子や環境との関係、脳と言語の関係、というテーマで講義が進められ、一般参加者が質問をしていくのですが、何だか質問の方向性やレベルがバラバラで、1つ1つのQ&Aは面白いことは面白いのですが、こんな「ぱらぱら」した感じで進んでいくのかなあと...(結構、こういうカフェに参加する人は、科学番組とか見ているんだろうなあと思わせるような、そんな"仕入れネタ"的質問が多かった)。

双生児の脳科学.jpg手話の脳科学.jpg そしたら、第3回で手話通訳者をゲストに迎え「手話の脳科学(脳と言語の関係)」を、第4回では一卵性双生児の学者の卵を迎え「双生児の脳科学(脳と遺伝子や環境との関係)」を、それぞれテーマとし実証的に(実例的に)討議していて、対象が絞れた分、内容も締まったという感じ。
                 
脳が生みだす科学.jpg脳とコンピューター.jpg 第5回では「脳とコンピュータ」というテーマで、フランス人のチェスの元日本チャンピオンを招いていますが、この辺りからどんどん参加者が質問するだけでなく活発に議論に参加するようになり、最終回では堀田・酒田両氏もファシリテーター的立場になっていて、司会をした財団のコーディネーターの方も、カフェの理想に近かったと自画自賛していますが、最後でまた、ややバラけた印象も。

 堀田・酒田両氏の話は、最先端の研究成果が盛り込まれている一方で、脳科学の本を何冊か読んでいる人には復習的部分も多かったのではないかとも思われますが、身近な話題を織り込んでいて気軽に読める点はいいと思いました。

 遺伝子学者の堀田氏は、昔"ラジオ少年"で、生物が苦手のまま医学部へ進み平滑筋の電気生理学など研究をしていたのが、もともと脳に興味があり、脳を知るには遺伝子を知らねばという思いからショウジョウバエの染色体研究へ転身したそうですが、そうした来歴が脳に関する話の内容にも現れていたと思いました。

 個人的には、手話のところで出た右利き・左利きのろう者の話や、双生児たち自身がシンクロニシティ経験の有無について語る部分などが特に興味深かったです。

 ゲストで招かれた双生児2人の出身校・東大附属中学には、脳研究の一環として双生児を"追跡"研究するための「双生児特別枠」が50年以上前からあるそうですが、初めて知りました。

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円熟期の湯川博士が科学の未来や宗教と科学について語る―「科学」と「老荘」の対談。

人間にとって科学とはなにか.jpg人間にとって科学とはなにか (中公新書132)』['67年] 湯川秀樹.jpg 湯川秀樹 (1907-1981/享年74)『J-46 人間にとって科学とはなにか (中公クラシックス)['12年]

人間にとって科学とはなにかc.bmp 湯川秀樹60歳、梅棹忠夫47歳頃の対談。物理学者と人類学者でかなり面持ちが異なる「大家」のとりあわせのようですが、梅棹忠夫氏は生物学から入って人類学に転じた人で、湯川氏も生物学への関心が高く、生物学と物理学の融合といった統一科学的な話にすんなり入り、科学と価値体系やヒューマニズとの関係の問題、宗教と科学の問題や、科学の未来はどうなるかといった話に、高い密度を保ったまま拡がっていきます。

 NHKのフィルムアーカイブで最晩年の湯川氏が世界平和を訴えているのを見たことがありますが、さすがに老いたという感じで(一応まだ70代前半なのだが、この人晩年は多病だった)、それに比べて、この対談の頃は、抽象的な問題を分かり易く論理的に説明したかと思うと、いきなり禅問答みたいにジャンプしたりして、それでいて、そのジャンプ先が元のテーマとしっかり繋がっており、こうした大きなテーマを扱うに相応しい、「知の巨人」ぶりを見せつけてくれます。

KAWADE夢ムック 梅棹忠夫.jpg 一方、この大科学者に伍する形であらゆるところからテーマを引っぱってくる梅棹氏も凄いけれども、やはり年齢差もあって、話しながらも基本的には聞き手であるといった感じがし、但し、京都学派の先達と後輩ということもあって知的土壌での共通項があるのか波長が合う感じがし、時々2人とも京都弁になるなどして読む側に対しても親近感を感じさせます。 『梅棹忠夫---地球時代の知の巨人 (文藝別冊)

 とは言え、碩学の2人の話は難しい部分もあり、禅問答のような部分まで含めて自分に全部出来たか、心もとなさも残りましたが、湯川氏が、「知」の世界に人でありながら「知」を否定する老荘思想との結びつきが強い自分というものを対象化して語っているのが興味深く、対談の終わりに行くほど老荘的な厭世的気分が発言に滲み出ているのを感じました。

はじめての超ひも理論.jpg 個人的にも、例えば最近の本で『はじめての"超ひも理論"―宇宙・力・時間の謎を解く』('05年/講談社現代新書)などを読むと、超ひも理論から導き出される多元宇宙論では、今我々がいる宇宙は50番目の宇宙で、このあと51番目があるか無いかはわからないという説が述べられていて、何だかますます「江月照らし 松風吹く 永夜清宵 何の所為ぞ」(意味は本書参照)という気分になっていたところです。
はじめての〈超ひも理論〉 (講談社現代新書)

 虚しいけれども、そうした虚無と日常的に向き合う物理科学者の葛藤は、常人の比ではないのかも。「神を持たない宗教」とも言える老荘思想に湯川氏が惹かれるのもわかるような気がしますが、湯川氏自身はこの対談を、自分たちを出汁(ダシ)にして「科学」と「老荘」が対談していたのではなかったか、と振り返っています。

《読書MEMO》
●湯川:量子論をつくりだした物理学者マックス・プランクが、繰り返し使った言葉に、「人間からの離脱」というのがある(5p)
●湯川:老子の最初に「道の道とすべきは常の道にあらず」とあるが、これを曲解すれば(あるいは正解かも知れないが)、20世紀の物理によくあてはまる(8p)
●湯川:物質とかエネルギーとかいう概念に入っていないものとして、重要なものがいろいろある。中でも、従来の物理学の領域に比較的近接しているもの、一番つながりがありそうなものは「情報」だ(17p)
●梅棹:(情報とは)可能性の選択的指定作用のこと(18p)情報というものの性質で一つ大事なことは、ジェネレーティブ generative だということ(生みだす力)(30p)。
●梅棹:科学は、一種の自己拡散の原理。自分自身をどこかへ拡散させてしまう。自分自身を臼のようなものの中に入れて、杵でこなごなに砕いて粒子にしてしまう。それを天空に向って宇宙にばらまくような、そういう作業(95p)
●梅棹:科学の直接の応用を問題にするのだとすれば、科学は本質的に無意味なものだという答を出さざるを得ないことになりかねない(98p)
●湯川:科学者をつき動かしているのは、これは、やはり執念(103p)
●湯川:科学はつねにわからんことを前提にして成り立っている。宗教は、原則としてわからんことがない。科学というのは常に疑惑にみちた思想の体系(.128p)
●湯川:生命の流れの中で、エネルギーを己の存在する一点に集積することで永劫の未来をとりこむ(=当為)、「当為」の方向→現在の時点でのエネルギーのピークをつくる(生命ボルテージを上げる)、「認識」の方向→ピークを両側にならす(生命ボルテージを下げる)。「認識」は科学の本質(.135p)
●湯川:「当為」は自己凝縮の原理、「認識」は自己拡散の原理(.136p)
●湯川:生き方の問題というのは主観の問題か、客観の問題か、難しい。人間は社会的な存在、主観だけですむかどうか知らないが、最後は主観が勝つのじゃないかと思う。心理的なものの方が強い。そこに一種の「絶対」が出てくる(.152p)

【2012年再新書化[中公クラシックス]】

梅棹 忠夫2.bmp  梅棹 忠夫3.bmp  梅棹 忠夫(うめさお ただお)2010年7月3日、老衰のため死去。90歳。

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戦国はヨーロッパ流の「食うか食われるか」の時代。マキャベリズムの実践者だった信長と秀吉。

敗者の条件2.jpg敗者の条件 改版 (中公文庫 あ 1-5)』文春文庫['07年改版版]敗者の条件.jpg敗者の条件―戦国時代を考える (中公新書 (62))』['65年] 
 
会田雄次(あいだゆうじ).jpg 西洋史学者・会田雄次(1916‐1997)が書いた日本史の本で、晩年は右派の論客として鳴らした人ですが、学者としても40代で既に専門分野の枠を超えていた?
 でも何故、イタリア・ルネッサンスの専門家が日本の戦国武将のことを書くのか?

会田雄次 (1916‐1997/享年81)

アーロン収容所.jpg そのあたり、まず、『アーロン収容所』('62年/中公新書)にもあった自身の英軍捕虜体験の一端が本書でも紹介されていて、それは、英国人が、死刑判決を受けた日本人戦犯に対し、恩赦が下るという偽の噂を流して生きる望みを抱きかけたところで処刑を行うというもので、肉体だけでなく精神まで破壊しないと復讐をしたという気にはなれないという英国人(ヨーロッパ人)の、日本人には見られない復讐心の強さ、あるいは競争心の強さなどを指摘しています。

 著者の専門であるルネッサンス期のイタリアは、こうしたヨーロッパ人気質が最も顕著に現れた時代であり、小国乱立の中、芸術・文化の繁栄と権謀術数の渦巻く政治が併存していたのですが、ヨーロッパ史全体を俯瞰すればこうした状況の方がむしろ常態であり、それに比べると日本の歴史はぬるま湯のような時代が殆どを占める、その中で戦国時代というのは、ちょっと油断をすれば寝首を掻かれる特異な時代で、この時代に限れば、ヨーロッパ流の「食うか食われるか」という時代だったと。

 こうした観点のもとに、歴史の敗者となった人物が、どこでどういう過ちを犯してそうなったのかを、斎藤道三、武田信玄・勝頼、蒲生氏郷、松永秀久などの辿った道を追いながら検証していますが、彼らに共通するのは、肉親に対する思い入れや自分に対する過信、敵に対する見くびりなどが、ここ一番という時の判断を狂わせ、それが身の破滅に繋がったとしているとのことで、一方で、織田信長や豊臣秀吉など、世が平和であれば異常者とされたり卑賤とされたりするような人物が戦国の世において覇権を握ったのは、従来の日本人(あるいは武将)の価値規範や因習にとらわれず、また、ここぞという時に決断し、躊躇せず実行に移すだけの胆力があったという、その人間的器の違いに尽きるということのようです。

 信長や秀吉のしたことの中には、常軌を逸した非人道的な事柄も少なくありませんが、その行動指針は、著者が指摘するように、マキャベリの君主論に見事に重なっているように思え(例えば「一度叛いた人間には、けして最終的に信を置くな」といった法則)、途中で挿入されているヨーロッパ史上のやり手の君主の話や油断して殺された側の話が、これら日本の武将たちの明暗とダブり、より説得力をもって「敗者」と「勝者」の違いが理解できます。

 戦国モノなので、読んで面白いということが先ずありますが、1つ1つの史料に対してその真偽を吟味している点では歴史家のスタイルを保ちながら、本書で展開されている趣旨の中核部分が、ある種の精神論であるというのも興味深いです。

 【1983年文庫化・2007年改版[中公文庫]】

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検察官の仕事を如実に伝えるが、「国民の期待に応える」ということで考えさせられる点も。

ドキュメント検察官 揺れ動く「正義」.jpgドキュメント検察官 揺れ動く「正義」.jpg  東京地検特捜部.jpg
ドキュメント検察官―揺れ動く「正義」 (中公新書)』〔'06年〕

 「検察」と言えば政官界汚職事件などの不正に鋭く切り込んで脚光を浴びる"特捜部"をすぐイメージしがちですが、本書では、それだけでなく全国の地検などに取材し、我々が普段接することのない検察官の仕事の全貌を如実に伝えてくれています。

 そこには、"「秋霜烈日」の理想を胸に"と帯にあるように、犯罪被害者の代理人的立場で、彼らの無念を晴らそうと捜査に奔走する「正義」の実践者の姿もあれば、裁判員制度の施行に向けて、迅速で解りやすい審理のあり方を模索する姿、更には死刑執行の立会いにおいて(これも検察官の仕事)、これは国家による殺人ではないかと悩む姿などが見られます。捜査だけが彼らの仕事ではなく、選抜された幹部(候補)は、法務省において、法案の根回しといった国会対策や司法行政に絡む仕事もしているのです。

 検察が告訴した事件の99.9%が有罪となっていて、日本におけるこの数字は諸外国と比べても飛び抜けて高いとのことで、これは検察の優秀さ、確実に有罪であるとの見通しが無ければ告訴しないという慎重さの現れだと思いますが、一方で、裁判が始まると、あらかじめ想定した判決から遡及して事件を組み立ててしまう怖れもあるのではないかという気もしました。

 犯罪被害者が自らの無念を晴らそうとする際に、検事に期待するしかないという状況もあるかと思いますが、検事も被害者たちの期待に応えるべく奮闘するという図式がそこにはあり、その結果「遺族感情」と「正義」がダブってしまう―、このことが、政治的・社会的事件においても敷衍されていて、国民感情によって検察が積極的に動いたり、或いは消極的だったりすることがあるのではないかと、個人的には思いました(副題に"揺れ動く「正義」とあるが、これは、検察は今まで自らが信じてきた「正義」に則って行動してきたが、これからはそれだけでは国民の支持・理解は得られないのでは、という意味で使われているようだが...)。"

 中公新書の『ドキュメント弁護士』('00年)、『ドキュメント裁判官』('02年)に続く読売新聞連載シリーズの新書化で、前作から4年をぶりの刊行ということからも「検察」を取材することの大変さが窺えますが、1回に2,3の話を盛り込んだ連載をほぼ焼き写して新書化しているため、カバーしている領域は広いが、1冊の本として読んだ際に"細切れ感"が拭えないのが残念。

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この分野の一般向け「新書」としては、先駆けに位置する本。

池田 由子 『児童虐待―ゆがんだ親子関係』.jpg児童虐待 ゆがんだ親子関係.jpg
児童虐待―ゆがんだ親子関係 (中公新書)』〔'87年〕

 本書は'87(昭和62)年刊行で、児童虐待について書かれた一般向け「新書」としては、先駆けに位置するものではないでしょうか。

 児童虐待が実際にどれぐらい起きているのかは、家庭内の密室でのことであり、表に出ている数字は氷山の一角であると言われていますが、統計数字そのものは、本書の昭和48年に行われた調査の結果などを見ても、既に相当数の報告があったことがわかります(この調査はわが国初の全国調査で、コインロッカーに赤ん坊を遺棄する事件が当時頻発したために行われたものとのこと)。

  本書では児童虐待の種類を、身体的虐待、性的虐待、ネグレクトに大別して、実際例を挙げて解説するとともに、虐待する親たちの事情や「継子いじめの神話」の実態を、統計数字等から慎重に分析しています(虐待した継母が被害者的立場にあったケースが多いことを示唆している)。

 また、被虐待児がどのような成人になるか、そのゆくえを追うのは難しいとしながらも、近年よく聞く「虐待の連鎖」の問題を既に取り上げています(海外の報告例を見ても、児童虐待との相関が最も高いのは、経済的困窮であり、親から虐待を受けたというのはずっと下位の相関になるが、それぞれの母集団が異なるので、結局比較する意味が薄いと言える)。

 本書を読むと、虐待する家族は様々な問題を含むが、まず、親自身が、"自分の病を知らない病人"であることがわかり、こうした親を救済する組織やネッヨワークの確立が、米国などに比べ日本は立ち遅れているということがわかり、この状況は今日まで続いているように思えました。

《読書MEMO》
●章立て
第1部 被虐待児症候群(児童虐待とは何か;児童虐待の歴史;児童虐待の現状)
第2部 虐げられる子どもたち(身体的虐待;性的虐待;ネグレクト--保護の怠慢・拒否;虐待は再発する)
第3部 親と子と(虐待する親たち;継子いじめの神話;虐待された子ら;被虐待児のゆくえ)
第4部 子どもたちを守るもの(治療と援助;児童虐待の法律;声なきマイノリティ・グループのために)

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「さし腹」という怖〜い復讐方法。討つ者と討たれる者の心の闇に迫る"意欲作"?

かたき討ち―復讐の作法2.jpgかたき討ち―復讐の作法.jpg   仇討/Revenge.jpg 助太刀屋助六  2002.jpg
かたき討ち―復讐の作法 (中公新書 1883)』「仇討/ Revenge (Adauchi)[北米版 DVD リージョン1] [Import]」「助太刀屋助六 [DVD]

 先妻が後妻に対し、時として女性だけの集団で討ち入る「うらなり打」、遺族が仇敵の処刑を執行する「太刀取」、男色の愛と絆の証として武士道の華と賞賛されたという「衆道敵打」等々、江戸時代の「かたき討ち」という復讐の諸相を、多くの事例を上げて紹介しています。

 一番ぞっとしたのが、切腹の際に仇敵を指名する「さし腹」で、指名された方は、やはり腹を切らなければならないケースが多かったとか。死ぬことが復讐の手段になっているという構図には、やや唖然...。

 「かたき討ち」が、手続さえ踏めば法的に認められていたのは、ベースに「喧嘩両成敗」という発想があり、またその方が後々に禍根を残さずに済んだ、つまり、個別紛争解決の有効な手段と考えられていたようです。
 しかし実際には、仇敵を打った者は、今度は逆に自らが追われる「敵持ち」の立場になったりもし、これではキリが無いなあ。

 「敵持ち」であることはツワモノの証拠であり、結構、武家屋敷で囲われたらしく、これが「囲い者」という言葉の始まりだそうです("愛妾"ではなく"食客"を指す言葉なのだ)。
 しかし、江戸中期以降、「かたき討ち」は次第に演劇化し、実際に行われればそれなりに賞賛されるけれども、一方で、こうした「敵持ち」に駆け込まれた場合の「お引取りいただくためのマニュアル」のようなものができてしまう―。
 江戸前期と、中・後期では、「かたき討ち」のポジショニングがかなり違ってきたようです。

 戦国時代にはさほど無かった「かたき討ち」が江戸初期に急増したのは、失われつつあった戦士のアイデンティティを取り戻そうとする反動形成だったと著者は当初考えていて、仇敵を野放しにしておくことに対する世間からの評価に武士の面子が耐えられないということもあったでしょうが、それにしても、意地だけでここまでやるかと...。
 そこで著者は更に考えを進め、畳の上での死ではなく非命の死こそが本来の"自然死"だという死生観が、当時まだ残っていたためではないかとしています(個人的には少し納得。そうとでも考えないと、命の重さが現在よりもあまりに軽すぎる)。

 一方、「かたき討ち」を行う武士の内的価値観というのは、多分に制度や法によって作られた部分があるのではないかとも思いました。
 その証拠に、父や兄の仇を討つのは認められていましたが、子や妻の仇を討つことは認められておらず、そうすると、実際に子や妻の仇を討った事例も少ない。

 仇の仇を討つなどという場合は、相手が直接的には自分とあまり関係ない人物だったりして、このあたりの、討つ者と討たれる者の心の闇は、著者の言うように、現代人には測り知れないものがある、本書は、そうした闇に迫ろうとした"意欲作"ですが、著者自身がまだ探究途上にあるという印象も。

中村錦之助「仇討(あだうち)」('64年/東映)v.png 検分役が立ち会うような格式ばった「かたき討ち」を描いた映画で思い出す作品に、今井正監督、橋本忍脚本、中村錦之助(萬屋錦之介)主演の「仇討(あだうち)」('64年/東映)がありますが、些細な諍いから起きた決闘で上役を殺してしまった下級武士が主人公で、封建社会における家名尊重の理不尽を描いた今井正監督ならではの作りになっています(昔ビデオ化されていたが、どういうわけかその後、国内ではDVD化されていない)。

 また、最近では、岡本喜八(1924-2005)原案・脚本・監督の「助太刀屋助六」('02年/東宝)が仇討ちの助太刀を生業とする若者を描いた作品で、原作は生田大作の『助太刀屋』であり、"生田大作"は岡本喜八のペンネームであって、漫画として「漫画読本」1969年助太刀屋助六0.jpg4月号(文藝春秋刊)に発表されたものを基に、1969年にオムニバスドラマの一編としてテレビドラマ化され、2002年に真田広之主演で映画化されたものです。同監督の「ジャズ大名」('86年/大映)の系譜と思えるコメディタッチの時代劇に仕上がっていました。仲代達矢が仇討の対象の片助太刀屋助六1.jpg倉梅太郎役で出てきて、検分役のはずの岸部一徳が鉄砲をぶっ放して仲代はあっさり討ち死してしまうというかなり乱暴な流れ。これはあくまで助六を演じた真田広之の映画だったのだなあ。梅太郎が生き別れた実父だったことを知った助六は親の「助太刀屋助六」岸部.jpg仇を討とうとしますが、岸部一徳が演じる御検分役曰く「仇討の仇討」は御法度であるということで、ならばこれは助太刀であるとの助六の言い分も強引。真田広之演じる助六が24歳、鈴木京香演じるお仙はそれより若い「おぼこ」の役という設定もかなりきついです。でも、まあ肩の凝らない娯楽作ではありました。
岸部一徳(榊原織部)

「助太刀屋助六」ド.jpg「助太刀屋助六」●制作年:2001年●監督:岡本喜八●製作:豊忠雄/宮内正喜●脚本:生田大作(岡本喜八)●撮影:加藤雄大●音楽:山下洋『助太刀屋助六』.jpg輔●原作:生田大作(岡本喜八)●時間:88分●出演:真田広之/鈴木京香/村田雄浩/鶴見辰吾/風間トオル/本田博太郎/友居達彦/山本奈々/岸部一徳/岸田今日子(ナレーションも)/小林桂樹/仲代達矢/竹中直人/宇仁貫三/嶋田久作/田村奈巳/長森雅人/滝藤賢一/伊佐山ひろ子/佐藤允/天本英世●公開:2002/02●配給:東宝(評価:★★★☆)
 
鈴木京香/岡本喜八/真田広之

題字・ポスターイラスト:山藤章二
助太刀屋助六 yamahuji.jpg 小林桂樹 棺桶や.jpg 小林桂樹(棺桶屋)

「助太刀屋助六」VHSジャケット
「助太刀屋助六」VHSジャケット.jpg

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史料から浮かび上がる武士道の本質。武士こそ最も「世間」に左右されていた。

武士と世間 なぜ死に急ぐのか.jpg   武士道.jpg  山本 博文氏.jpg 山本博文 東京大学史料編纂所教授/略歴下記)
武士と世間 なぜ死に急ぐのか 中公新書 1703』〔'03年〕 新渡戸稲造 『武士道 (岩波文庫)』(矢内原忠雄訳)

 新渡戸稲造(1862-1933)の『武士道』に「サムライはなぜ、これほど強い精神力をもてたのか?」という副題をつけたのは歴史家の奈良本辰也(1913-2001)ですが、本書の著者によれば、『武士道』は、武士道の理想を語ることに偏りすぎているためその「?」に答えるものとなってはおらず、武士の高い倫理性や無私の精神は、実は「内面的な倫理観」よりもむしろ「武士の世間」からの強い圧力によって形成されたものであると―。本書では、多くの史料からそのことを明らかにしています。

 武士にとって戦場で手柄をあげることも討ち死にすることも同等に名誉なことであり、そのために、死ぬとわかって戦に臨むケースもあり、また、主君が亡くなったときに殉死するのは「名誉ある死」のチャンスであり、強く制止されたにも関わらず追い腹を切った下級武士も多くいたようです。

 赤穂浪士の例を見ても、少なくとも討ち入りメンバーに加わり最後まで残った志士たちは、死ぬことを当然と思い切っていたようですが、その根底においては、この場を逃れた場合は、家の面目は潰れ、自分も武士として生きていくことは出来ないという、忠誠心よりむしろ世間に対し面目を立てることの方が動機付けとなっていたことが窺えます。

 殉死すべきと思われる人物が殉死しなかった場合、世間から冷ややかな眼でみられたということで、武士というのもたいへんだなあという印象を受け、これでは、武士の「義理」ではなく世間体のために死ぬようなものではないかとも思いましたが、こうした感想も現代人の感覚に基づくものらしく、「義理」や「武士の一分」は内的な倫理意識としてあり、それが「世間」の評価と一致していたのだと。
 井原西鶴の小説に描かれる武士などを見ても、個人のメンタリティとしては、「武士としての義理」と「世間に対する義理」は未分化だったようです。

 「武士の一分」というのは、主従関係から離れた個人の面子みたいなものですが、やはり名誉意識であるには違いなく、面白いのは、西鶴の『武家義理物語』の中に、同じ内面的倫理観である「一分」と「義理」とが相克する仇討物があり、ここでは「義理」が上に格付けされているようです。

 赤穂の義士たちも、幕府の裁定に従うという「義理」に反して自らの「一分」を貫いたために切腹せざるを得なかったともとれますが、「義理」にしろ「一分」にしろ、「世間」の眼が背後にあったと本書は結論づけていて、強固な意志で自らの行動を律していたと思われる武士こそが、最も「世間」に左右されていたという本書の指摘は、ある意味刺激的なものでした。
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山本 博文 (東京大学史料編纂所 教授)
1990年、『幕藩制の成立と日本近世の国制』(校倉書房)により、東京大学より文学博士の学位を授与。1991年、『江戸お留守居役の日記』(読売新聞社)により第40回日本エッセイストクラブ賞受賞。
江戸幕府の残した史料の外、日本国内の大名家史料を調査することによって、幕府政治の動きや外交政策における為政者の意図を明らかにしてきた。近年は、殉死や敵討ちなどを素材に武士身分に属する者たちの心性(mentality)の究明を主な課題としている。
主な著書に、『徳川将軍と天皇』(中央公論新社)、『切腹』(光文社)、『江戸時代の国家・法・社会』(校倉書房)、『男の嫉妬』(筑摩書房)、『徳川将軍家の結婚』(文藝春秋社)『日本史の一級史料』(光文社)などがある。

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江戸前期の「忘れられた国際人」雨森芳洲の業績と思想、生き方に迫る。

雨森芳洲 元禄享保の国際人.jpg雨森芳洲―元禄享保の国際人 (中公新書)』〔'89年〕 雨森芳洲.jpg 『雨森芳洲―元禄享保の国際人 (講談社学術文庫)』 〔'05年〕

 1990(平成2)年度「サントリー学芸賞」(社会・風俗部門)受賞作。
 雨森芳洲(あめのもり・ほうしゅう、1668‐1755)は、対馬藩で対朝鮮外交に当たった儒者ですが、「忘れられた国際人」と呼ばれるに相応しいこの人物の業績と思想を、本書では丹念に掘り起こしています。

izuharamap.gif 芳洲には、①朝鮮語の語学者、②外交担当者、③民族対等の観点に立つ思想家、の3つの顔があり、また漢籍を能くし漢詩をこなす文人でもあります。
 もともと新井白石と同じ木下順庵門下として朱子学を学び、26歳で対馬藩に就職しますが、白石が5代将軍徳川綱吉のもと幕府中枢で活躍したのに対し、芳洲は88歳で没するまで62年間、対馬島の厳原(いずはら、現厳原町)が生活の本拠でした。
 同門の白石が政権の座についたことで、自身も幕府に引き立てられる望みを抱いていましたが、白石の失墜でそれも叶わぬ望みとなり、朝鮮外交で20年以上も活躍しましたが、54歳で現役を退いています。

 在任中に朝鮮の外交特使である朝鮮通信使の待遇問題などで白石と対立しますが、そこで論じられる両者の国体論などはなかなか面白い。
 考えてみれば、当時の日本というのは天皇と将軍がいて外国から見ればややこしかったわけですが、議論としては白石よりも芳洲の方が筋が通っている、それも、相手をやり込めるための議論ではなく、相手国・朝鮮の立場を尊重し、かつ日本の国体を、時勢によらず正しく捉えることで、国としての威信を損なわないようにしている、言わば辣腕家ではあるが、細心の配慮ができる人です(論争後も白石との友情は続いた)。

 朝鮮通信使が相対する日本側の儒者や政治家の教養や芸術的資質を重視し、詩作の競争などを通じて相手のレベルを測っていたというのが興味深いですが、芳洲に対する朝鮮通信使の評価は高く、また、人格面でも大概の通信史たちが惹かれたようです。
 それ以前に、まず、芳洲の中国語と韓国語の語学力に圧倒されたということで、確かに語学においてその才能を最も発揮した芳洲ですが、80歳を過ぎても自己研磨を怠らない努力家であったことを忘れてはならないでしょう。

 地方勤務で終わった窓際族のような感じも多少ありますが、早くに引退しその後長生きしたことで、自らの思索を深め、それを書物に残すことも出来、それによって我々も今こうして、江戸時代前半に「誠心」を外交の旨とするインターナショナルな思想家がいたということ(韓国側にも彼を讃える文献は多く残っていて、'90年に訪日した韓国・慮泰愚大統領は、挨拶の中で芳洲の「誠信外交」を称賛した)のみならず、その人生観まで知ることができるわけで、1つの生き方としても共感を覚えました。

朝鮮通信使と江戸時代の三都.gif 尚、江戸時代の朝鮮通信使の歴史や政治的意義については、仲尾宏氏の『朝鮮通信使-江戸日本の誠信外交』('07年/岩波新書)で知ることが出来、毎回数百名の通信使が来日し、その際には必ず大坂・京都を経て江戸へ向かったとのことですが、それを各都市ではどのように迎えたか、通信使の眼にこの3都市がどのように映ったかなどについては、同著者の『朝鮮通信使と江戸時代の三都』('93年/明石書店)が参考になりました。

 【2005文庫化[講談社学術文庫]】

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武士作法が、何のために、どのように形成され、武士社会にどんな影響をもたらしたかを探る。

江戸藩邸物語.jpg江戸藩邸物語―戦場から街角へ.jpg江戸藩邸物語―戦場から街角へ (中公新書)』〔'88年〕 増補版 江戸藩邸物語2.jpg 増補版 江戸藩邸物語 戦場から街角へ (角川ソフィア文庫)』['16年]

 "17世紀後半以降における武士社会の新しい作法"がどのように形成されたかを、福島・守山藩の江戸藩邸記録「守山御日記」や旗本・天野長重の教訓的備忘録「思忠志集」など多くの史料から辿っています。

江戸藩邸物語8.jpg 本書によれば、戦乱の時代が終わり徳川泰平の世を迎えても、自らの誇りが傷つけられれば恥辱を晴らすためには死をも厭わないという武士の意地は生きていて、ちょっとした揉め事や些細な喧嘩でも、斬り合いや切腹沙汰に発展してしまうことが多かったようです。

 しかし、例えば、道ですれ違いざまに刀鞘が触れたというだけで命の遣り取りになってしまう(所謂"鞘当て"の語源)というのではたまらないという訳で、そうしたトラブル防止策として江戸藩邸では、"辻で他藩の者とぶつかった場合の作法"など、武士としての礼儀作法のプロトコルを定め、藩士を教化したようです。

 それは、他藩や幕府との無用のトラブルを避けたいという藩邸の思惑でもあったわけですが、遅刻・欠勤の規約や水撒きの作法から(今で言えば"就業規則"か)、駆け込み人の断り方まで(いったん中に這入られてしまえば徹底して匿うというのはどこかの国の大使館と似ている)、何やかや仔細にわたり、そうした手続きやルールを遵守することが武士の武士たる所以のようになってきたようで、これは武士の官僚化と言ってもいいのかも(今の我々が職場マナーとか礼儀作法と呼んでいるもののルーツが窺えて興味深い)。

増補版 江戸藩邸物語.jpg 後半では、江戸の町に頻発した「火事」や悲喜劇の源であった「生類」憐れみの令が藩邸の閉鎖性・独立性を切り崩す契機になったという考察や、著者が造詣の深い当時の「男色」の流行とその衰退、また、当時「死(死体)」がどのように扱われていたのかなどの興味深い話があり、ただし、個別的エピソードを出来るだけ並べた本書の手法は、世相を鮮明に浮かび上がらせる効果を出す一方で、途中ちょっと食傷きみにも(もともと、多くのジャンルの話を1冊の新書に盛り込み過ぎ?)。

 天野長重の「武士道とは長生きすることと見つけたり」的な人生観が、マイナーでその後においても注目されることはなかったにせよ、江戸前期にこんな人もいたのだと思うと、少しほっとした気持ちになります。長重の時代には未だ、つまらない事で命の遣り取りをする―つまり「街角に戦場を持ち込んでいる」武士がそれだけ多くいたということだともとれますが。

増補版 江戸藩邸物語 戦場から街角へ (角川ソフィア文庫)』['16年]

【2016年文庫化[角川ソフィア文庫(『増補版 江戸藩邸物語―戦場から街角へ』)]】

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日本の法科大学院とは似て非なるもの。エリート生成過程を通して見えるアメリカ社会。

Iアメリカン・ロイヤーの誕生―7.JPGアメリカン・ロイヤーの誕生.jpgアメリカン・ロイヤーの誕生 2.jpg 阿川尚之.jpgThe Paper Chase (1973).jpg 
アメリカン・ロイヤーの誕生―ジョージタウン・ロー・スクール留学記 (中公新書)』 〔'86年〕阿川 尚之 氏(慶應義塾大学教授)/映画「ペーパーチェイス」('73年/米)

 著者は、大学を卒業してソニーに入社後、アメリカでの弁護士資格取得を思い立ち、休職願いを会社に受け入れてもらってジョージタウン・ロー・スクールに入学する―、本書はその留学3年間('81-'84年)の奮闘記。

 文章が生き生きしていて旨いのは、さすが作家・阿川弘之の息子だけあるということか(著者は、慶應義塾大学を中退、ジョージタウン大学の外国人枠で外交政策学部卒業した後、ソニーに入社したというのがそれまでの経歴)。

 アメリカでは、学部は専門教育の場とは考えられていないようで、ビジネス・スクール(履修期間2年)、ロー・スクール(同3年)、メディカル・スクール(同4年)などが別に設けられていて、'04年からスタートした日本の法科大学院は、ロー・スクールを参考に制度作りしたのは明らかですが(日本の場合、法学"未修"者は3年、"既修"者は2年)、あちらでは、そもそも"既修"という概念が無いし(全員が"未修"ということ)、"本家"のものは多くの面で日本のものとは似て非なるものという感じがしました。

 入学試験は一斉テストで、論理パズルのような問題。著者はハーバードなど8校に出願し4勝4敗、結局、高校時代に留学経験のあるジョージタウン大学のロー・スクールを選びますが、入ってからが大変です。

ペーパー・チェイス poster.jpgぺ―パーチェイス.jpg 本書でも引き合いにされてリンゼイ・ワグナーes.jpgいますが、まさにジェームズ・ブリッジス監督の映画「ペーパーチェイス」('73年/米)の世界です(原作('70年)はジョン・ジェイ・オズボーン・ジュニアが自らの体験を綴った同名小説、主演は「ジョニーは戦場へ行った」のティモシー・ボトムズと、後にTV番組「地上最強の美女バイオニック・ジェミー」の主役となるリンゼイ・ワグナー)。
ペーパー・チェイス [DVD]

 アメリカの司法は徹底した判例主義だけれど、州によって法律が違ったりするので尚更のこと大変そう。それと、映画同様、先生のタイプは様々ですが、全体としては実戦に近い形でのカリキュラムが多く組まれているようです。

 本書では、1年次の学年末試験と2年次のサマー・アソシエイト(事務所実習)が重点的に描かれていますが、それらの過程において学生たちは厳しい評価を受け、卒業後にどのランクのファームから引き合いがあるかが大体決まってしまうらしく、一方、卒業後に受ける司法試験は形式的なものに近いようです。

 学校の試験を受けるのに"ウェーバー"カードを提出しなければならなかったり(大リーグの選手移籍契約の時によく聞くが、要するに"訴権放棄"条項。落第しても文句がつけられない)、どの自主学習グループに入れるかが勝ち組・負け組となる重要な分かれ目だったりし、著者自身も「競争病」の徴候を自覚し、難所とされる最初の学年末試験を終えるまでは、出所を待つ刑務所の囚人のような気持ちだったとしています。

 著者がロー・スクールのJ.D.(法律博士)コースに入った'81年に比べれば、最近ではMBAブームほどでないにしても、あちらで弁護士資格を取る人も増えているようですし、日本にある外資系の法律事務所から留学している日本人弁護士もいますが、こうした場合はLL.M.と呼ばれる法学修士コース(履修期間1年)だったりすることが多いようで、やはり、ネイティブと同じ条件で3年学んだ体験は今でも貴重かも。

 単に"アメリカン・ロイヤーの誕生"と言うより、"アメリカン・エリートの生成"過程を通して、アメリカ社会が垣間見える好著ですが、自分自身が日本の法科大学院の実情をもっと知っていれば、より楽しめたかも。

ペーパーチェイス9.jpgTHE PAPER CHASE.jpg「ペーパーチェイス」●原題:THE PAPER CHASE●制作年:1973年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジェームズ・ブリッジス●製作:ロバート・C・トンLindsay-Wagner-and-Timothy-Bottoms-300x225.jpgプソン/ロドニック・ポール●撮影:ゴードン・ウィリス●音楽:ジョン・ウィリアムス●時間:118分●出演:ティモシー・ボトムズ/リンゼイ・ワグナー/ジョン・ハウスマン/グラハム・ベケル/エドワード・ハーマン/ボブ・リディアード/クレイグ・リチャード・ネルソン/ジェームズ・ノートン/レジーナ・バフ●日本公開:1974/03●配給:20世紀フォックス(評価:★★★☆)

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一度に2万人以上の命を奪った明治の大津波などを科学的視点で検証。どの話も凄まじい。

0海の壁―三陸沿岸大津波.jpg海の壁 三陸海岸大津波1.jpg     三陸海岸大津波2.jpg   三陸海岸大津波.jpg
海の壁―三陸沿岸大津波 (1970年)』『三陸海岸大津波 (中公文庫)』〔'84年〕『三陸海岸大津波 (文春文庫)』〔'04年〕

村昭『三陸海岸大津波』.jpg 過去に東北・三陸海岸を襲った津波のうち、とりわけ被害の大きかった明治29年の津波、昭和8年の津波、チリ地震津波(昭和35年)の3つについて、三陸地方を愛した作家・吉村昭(1927‐2006)がルポルタージュしたもので、最初に読んだ中公新書版『海の壁』は紐栞付きで160ページぐらい(一気に読めて紐栞は使わなかったと思う)。

 吉村氏は本書執筆当時40代前半で、村役場・気象台などの記録を精力的に収集し、イメージしにくい大津波の性質や実態を科学的視点で分析・検証し、一瞬にして肉親と生死を分かち生き残った人の証言などを交え、大津波のの模様を生々しく再現しています(カットバック手法は、著者の小説とも似ているが、文庫化にあたり改題したのは、ノンフィクションであることを強調したかったのか? 「海の壁」っていいタイトルだと思うけれど...)。 

海の壁 三陸海岸大津波2.jpg 3大津波のそれぞれの死者数は、1896(明治29)年の津波が26,360人、1933(昭和8)年が2,995人、1960(昭和35)年が105人で、災害記録としては、昭和8年津波のものが、親・兄弟を失った子供の作文などが多く紹介されていて胸が痛む箇所が多かったですが、スケールとしては、津波の高さ24.4mを記録し、多くの村を壊滅させ、2万人以上の人命を奪った明治29年の津波の話が、どれをとっても凄まじい。

 その中には、津波の中、刑務所から辛うじて脱出した囚人たちの中に、生存者の救出に尽力した者がいたというヒューマンな話から、風呂桶に入ったまま激浪とともに700mも流されたが助かった、という奇跡のような話までありますが、津波の波高記録が10m、20mだった所でも、皆一様に、それ以上の大津波だったと証言しています。
 事実、海抜50mにある民家を押し流していて、入り江に入ると津波は勢いを増すため、こうした波高記録は当てにならず(普通、人間の証言の方が大袈裟だと考えがちだが)明治の大津波の科学的解明は充分ではなかったと、著者は書いています(この大津波の波高記録の最高は、最終的には38.2mとなっているが、一説には50m以上とも)。

 明治の大津波と昭和8年の大津波では、大津波の前には沿岸漁村で大豊漁があるという、昔から言われている地震の"前兆"があり、また、津波が"発光"していたという証言が多々あるのも不思議で、これらの現象は今もって科学的に充分には解明されていないようです。

 一方、チリ地震の津波は、日本では地震の揺れは感知されず、しかも第1派と第2波の間隔がたいへん長いもので、このタイプはこのタイプで不気味ですが('06年のスマトラ沖地震を想起させる)、第2波が到来する前の対処の仕方が被害の明暗を分けるということが、本書でわかります。

津波を防ぐための水門「びゅうお」(静岡県・沼津港).jpg 先日、静岡・沼津の津波防災水門「びゅうお」を見てきましたが、あそこは立派。でも、こうした設備のある港は、日本でも僅かでしょう。

津波を防ぐための水門「びゅうお」(静岡県・沼津港)

 【1984年文庫化[中公文庫(『三陸海岸大津波』)]/2004年再文庫化[文春文庫(『三陸海岸大津波』)]】

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「●か 加賀 乙彦」の インデックッスへ 「●中公新書」の インデックッスへ

死刑囚の置かれた実態を知るとともに、死刑制度の是非について考えさせられた。

死刑囚の記録2.jpg加賀乙彦  『死刑囚の記録』.jpg 死刑囚の記録.jpg
死刑囚の記録 (中公新書 (565))』〔'80年〕

 著者は医学部を卒業後まもなく東京拘置所の医官となりましたが、本書は、著者が20代の後半に接した多くの死刑囚たちの記録であり、極限状況における彼らの言葉や行動、心理を精神科医の視点で淡々と記録する一方で、死刑囚との触れあい、心の交流も描かれていて、宗教に帰依した死刑囚が、執行の前日に著者に書き送った書簡などは心打つものがあります。

 しかし、こうした宗教者的悟りの境地で最期を迎える死刑囚は、本書で紹介されている中のほんの一握りで、多くの死刑囚が拘禁ノイローゼのような状況に陥っていて、症状には強度の被害妄想など幾つかのパターンはありますが、刑罰の目的の1つに犯罪者を悔悟させるということがあるとすれば、死刑制度についてはその機能を充分には果たさないように思えました。

 著者が拘置所に勤務する契機となったある死刑囚との面談で、著者はその死刑囚が語る真犯人説にすっかり騙されますが(そもそも、"真犯人"なるものが架空の存在だった)、そうした経験を糧にし、予断を交えないように慎重に対処しながらも、多くの死刑囚を見るうちに、その何人かについては免罪であるかもしれないという印象を拭いきれずにいます。

 また、拘置所内で暴発的行為を繰り返す死刑囚の中には、単なる拘禁ノイローゼではなく器質障害が疑われる者もいて、刑罰の理由である犯罪行為そのものが、それにより引き起こされた可能性も考えられることを示唆していて、実際に公判時の精神鑑定などを見ると、精神科医によって意見がまちまちであったりする、こうした曖昧な報告をもとに死刑が執行されることに対しての疑問も感じました。

 著者は、死刑は"執行に至るまでの過程において"残虐であるとして、制度そのものに異を唱えていますが、実際、毎日24時間の「生」しか保証されていないとすれば(死刑の執行は、かつては前日、今は当日の朝に告知される)、死刑囚の多くが、「改心」云々以前に躁鬱状態に陥るのは無理からぬことだと思いました。

 一方で、無期囚が起伏のない日々の中で躁鬱が欠落し「拘禁ボケ」状態に退行する傾向が見られるのに対し、死刑囚や重罪被告は、生への貪欲な執着を示し、却って密度の濃い日々を送る傾向が見られる(それが創作であったり妄想の構築あったり、再審請求準備であったりと対象は様々だが)という著者の報告は、興味深いものであると同時に、自らを振り返って、日々どれだけ「死」を想って密度の濃い日々を送ろうとしているだろうかと考えさせられるものでもありました。

死刑囚と無期囚の心理.bmp 尚、この死刑囚と無期囚の拘禁状態における心理変化の違いにについて著者は、本名「小木貞孝」名で上梓された『死刑囚と無期囚の心理』('74年/金剛出版)の中でも学術的見地から詳説されています(この本は'08年に同出版社から加賀乙彦名義で復刻刊行された)

死刑囚と無期囚の心理

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読みやすくはないが、死刑制度の歴史的意味合いを探るうえでは好著。

刑吏の社会史.jpg                   阿部謹也.jpg  阿部 謹也 (1935-2006/享年71)
刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活 (中公新書 (518))』〔'78年〕

 '06年に急逝したヨーロッパ中世史学の泰斗・阿部謹也(1935‐2006)の初期の著作で、「刑吏」の社会的位置づけの変遷を追うことで、中・近世ヨーロッパにおける都市の発展とそこにおける市民の誕生及びその意識生成を追っています。
 かつての盟友で、日本中世史学の雄であった網野善彦(1928‐2004)の『日本中世の民衆像-平民と職人』('80年/岩波新書)などを想起しましたが、「刑吏」という特殊な職業に焦点を当てているのが本書の特徴。

 もともと「処刑」というものは、犯罪によって生じた人力では修復不能な村社会の「傷を癒す」ための神聖な儀式であり、畏怖の対象でありながらも全員がそれを供犠として承認していた(よって、処刑は全社会的な参加型の儀式だった)とのこと。
 当初は原告が処刑人であったりしたのが、12・13世紀ヨーロッパにおいて「刑吏」が職業化し、キリスト教の普及によって「処刑」の"聖性"は失われ"怖れ"のみが残り、その結果、14・15世紀の都市において「刑吏」は賤民として蔑まれ、市民との結婚どころか酒場で同席することも汚らわしいとされ、18・19世紀までの長きに渡り市民権を持てなかった―らしいです。

 本書中盤においては、絞首、車裂き、斬首、水没、生き埋め、沼沢に沈める、投石、火刑、突き刺し、突き落とし、四つ裂き、釘の樽、内臓開きなど様々な処刑の様が解説されていて(後半では「拷問」の諸相が紹介されている)、かなりマニアックな雰囲気も漂う本ですが、例えば絞首には樫の木を使うとか処刑の手続が細かく規定されていたり、仮に罪人が死ななかった場合でもそこで執行はお終いになる(死に至らしめることが目的ではなく、あくまで一回性のものだった)といったことなどからも、「処刑」の「儀式性」が窺えて興味深かったです。

 必ずしも読みやすい構成の本ではないですが、「処刑」が、罪人の処罰よりも社会秩序の回復が目的であり、死刑囚に処刑前に豪華な食事を振舞う「刑吏による宴席」(食欲が無くても無理矢理食べさせた)などの慣習を見ても、都市の発展によりその目的は、特定の遺族や村人の癒しを目的としたものから市民(共同体)の癒しを目的としたものに変容しただけで、残された者の「癒し」を目的としたものであることに変わりはなく、そのため「儀式性」は長く保たれたことがわかります。
 何のために死刑制度があるのか、その歴史的意味合いを探るうえでは好著ではないかと思います。

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ヤクザ兼業の目明しの生涯。ヤクザと旅興行や"お寺"との歴史的な繋がりが見てとれる。

目明し金十郎の生涯―江戸時代庶民生活の実像   .jpg「目明し金十郎の生涯」.jpg目明し金十郎の生涯.jpg 『目明し金十郎の生涯―江戸時代庶民生活の実像 (中公新書 604)』 〔'81年〕

 江戸時代史研究者で東京大学資料編纂所教授だった阿部善雄(あべ よしお、1920-1986)が、奥州守山藩(現在の福島県郡山市)の陣屋(警察)日記『守山藩御用留帳』を読み解き、そこに登場する吉田金十郎という目明しの生涯と彼の関わった事件を通して、当時の地方の政治社会、庶民生活を浮き彫りにしたもの。

阿部善雄訃報.gif 金十郎が『守山藩御用留帳』に初めて登場するのが1724年で、その後推定70代で引退するまで46年間、彼は、殺傷事件の解明や逃亡犯の追跡、一揆の調査などに活躍するのですが、目明し(江戸でいう「岡引き」)というのはヤクザ上がりが多く、金十郎もヤクザ稼業との〈二足の草鞋〉を履いた目明しであり、藩から許可を得て旅芝居興行の仕切りをしたり、藩に隠れて自宅で賭場を開いたりしています。

 江戸でも、池波正太郎が「鬼平」のモデルにした長谷川平蔵がヤクザ上がりを岡引きとして使っていますが、守山藩というのは、藩としてそうした"人材登用"を積極的に行っていたことが特徴的であり、もう1つの守山藩の特色として、領地内の寺の多くが「欠入(かけいり)寺」になっていたことが挙げられます。

 「駈入(かけいり)寺」または「駈込(かけこみ)寺」と言えば、家庭内暴力に遭った女性が駆込む所をイメージしますが、ここで言う「欠入り(駈入り)」とは、DV被害女性のためのものと言うより、犯罪者や容疑をかけられた者が庇護を求めて寺に隠れたり、年貢を払えなくなった庶民が一家ごと逃げ込んだりすることを指しています。

 犯罪者やヤクザ者に駆け込まれた寺側が、彼らを匿った旨を陣屋に申告し、交渉の末「欠入り」が認められれば捜査は終了して沙汰止みになるというケースが本書では度々描かれていて(重罪犯の場合は欠入りが認められないこともある)、金十郎も、事件を落着させるために容疑者を強制的に欠入りさせるといったことまでしています。

阿部善雄の訃報(東京大学学内広報 1986.5.19)

 元ヤクザを目明しとして使うのも欠入りを認めているのも、藩統制のための戦略と言えるかと思いますが、ヤクザと旅興行、ヤクザと"お寺さん"との歴史的な繋がりというものが垣間見てとれるのが興味深かったです。

 著者は生涯を独身で通した歴史学者でしたが、『守山藩御用留帳』を自ら発掘して『駈入り農民史』('65年/至文堂)という本を著しています。

 この「御用留帳」は全143冊もありますが、本書はその中から、金十郎とライバル目明しの新兵衛(これが金十郎に輪をかけたようなヤクザ者、ただし金十郎より如才ない面もある)の2人に的を絞ってその活躍を追っていて、そのことが、新書版という体裁において成功しているように思えます。

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冒険小説・戦記小説的な面白さとともに文化・宗教の違いを浮き彫りに。

古代アステカ王国 征服された黄金の国.jpg 『古代アステカ王国―征服された黄金の国 (中公新書 6)』 〔'63年〕 増田義郎.jpg 増田 義郎 氏

 コルテスのアステカ王国征服を描いたもので、'64年刊行という中公新書でも初期の本ですが、たいへん生き生きとした記述で、まだ見ぬ国と国王を夢想するコルテス一行とともに異境を旅していうような気分になり、冒険小説や戦記小説を読むようにぐいぐい引き込まれます。

Tenochtitlan.jpg 栄華を極めたアステカ王国は、スペインの"残虐な征服者"コルテスにより一夜で滅ぼされたかのように思われていますが、コルテスがアステカ王国に入る前も、湖上に浮かぶ水上首府テノチティトラン入城後も、アステカ王モンテスマとの間で様々な交渉や駆け引きがあり、両軍が戦闘体制に入ってからは、コルテスが劣勢になり、命からがら敗走したこともあったことを本書で知りました。

水上都市 Tenochtitlan(テノチティトラン)

 コルテスというのは、若い頃は目立った才能もない単なる女たらしで、上官の許可を得ずに"黄金の国"を目指して出航するなどした人物ですが、メキシコに上陸してからは、本国から自分に向けられた討伐隊を懐柔するなどかなりの戦略戦術家ぶりで、アステカ王に対しても、いきなり戦いを挑むのではなく、心理戦から入っています。
 ただし、黄金が目当てだたとしても、彼自身のアステカ王を敬愛する気持ちや、キリスト教の布教にかける意気込みはホンモノだったようです。

 一方の、アステカ国王モンテスマは、占星術で軍神が復讐に来ると言われている年月日ぴったりにコルテスがやって来たため、戦う前から戦意喪失しているし、アステカ族は、極めて勇敢であるのはともかく、国を守るよりも、太陽神に捧げる生け贄の獲得のために戦っていて、ちょっと戦いに勝つと、国王ともども人身御供の儀式の方に勤しむ―。

 本書は、軍記物的な面白さを最後まで保ちながらも、異文化同士が初めて接触するときに想像もつかないようなことが起こるという面白さを描出しており、更には、回教徒との戦いなどを通じての経験からキリスト教と異教を二元対立で捉えるスペイン人コルテスと、狭い文化圏の中で"異教"という概念を持ちえず、征服者さえをも自らの宗教の体系内で軍神として運命論的に捉えてしまったアステカ王との、決定的な宗教観の違いを浮き彫りにしてみせています。

 著者30代半ばの著作ですが、この辺りの課題抽出を、読み物としての面白さを損なわずにやってみせるところがこの人の凄いところ。
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増田 義郎 (東京大学名誉教授)
1928年、東京生まれ。東京大学文学部卒。専門は文化人類学。
1959年以来、中南米で調査研究を行い、エスノヒストリー、政治人類学、生態人類学などの分野で多くの著書と論文を発表する。また、民族史資料として航海記の重要性に注目し、生田滋氏と協力して「大航海時代叢書」(52巻)の刊行を推進。その他の著書に、「新世界のユートピア」(中公文庫)、「古代アメリカ美術」(学習研究社)、「コロンブス」(岩波新書)、「大航海時代」(講談社)、「図説インカ帝国」(共著・小学館)などがある。

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俗説の誤謬を検証している点では「最強の書」か。

年金問題の正しい考え方 福祉国家は持続可能か.jpg 『年金問題の正しい考え方―福祉国家は持続可能か (中公新書 1901)』 〔'07年〕

 長年にわたり年金問題を研究してきた著者が(と言っても本来は社会階層論やリベラリズム研究など社会学が専門の東大教授)、公的年金の制度的問題を鋭く且つ緻密に説いた書。
 たまたま社保庁の年金記録問題に揺れる世情の中での刊行となりましたが、社保庁や年金制度に対するワイドショー的な批判や不信とは一線を画し、様々な角度から現行制度を数値的にシミュレーションすることで、巷に溢れる俗説や識者と言われる人たちの見解の誤謬を指摘し、中長期的に持続可能な制度の確立こそ重要であるとして、その方向性(と同時にその難しさ)を示しています。

 まず「年金は得か損か」という疑問に対して「個人ベースでは国民年金も厚生年金も得」ということを具体的シミュレーションで示し(年金というのは長生きするということに対する保険なのだなあと再認識)、では世代間格差がなぜ生じたのかを、現役世代の賃金上昇に合わせ年金支給額の計算基礎となる受給者の過去の賃金を再評価する「賃金再評価制」と、物価上昇に合わせて支給額を調整する「物価スライド制」が導入された1973年の改正が、そもそも「大盤振る舞いスキーム」だったとしています(「賦課方式」や「少子高齢化」が"犯人"ではないことを数値と計算式を以って明快に検証している)。

 一方、2004年改正のスキームについても、「マクロ経済スライド調整率」の導入に対し、一定の評価をしながらも政府が言う「100年安心」と呼ぶには程遠いことを示しています。

 巷で言われる国民年金の未納者の問題や保険料を支払わなくてよい3号被保険者(専業主婦)の問題については、実際には国民年金の未納が減れば年金収支は悪化し(要するに国民年金は構造的に赤字ということになる)、また、専業主婦は別に得をしているわけではないことを証明し、識者の唱える基礎年金の消費税化が世代間格差の是正には繋がらないことを(「民営化」することなどはもってのほか)、また、年金の一元化がそう簡単に出来るものではないことを論証しています。

 現行制度は経済成長の如何によって大きく左右されるが、経済成長があれば大丈夫というものでもなく、と言って安易な賦課方式批判や税方式導入論にも釘をさし、異なる世代間での"相対的"年金水準(これは著者独自のユニークな視点)を一定に保つことが年金制度存続の要としているように思えますが、では具体的にどうすればいいのか―、その点は考え方の方向性を示して終わっているような感じもします。

 でも、そうした考え方の基点を示しているだけでも良書だと言えるし、俗説の誤謬を「検証」している点では現時点で「最強の書」かもしれず、結構、目からウロコ...の思いをしました(数値と計算式が多いので、それらを理解するのにはまず公的年金制度全体の仕組みを大まかに知っておく必要があるように思える)。 

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年金制度のアウトラインをつかむうえで参考になった。

11年金の常識.png年金の常識.jpg        河村 健吉 『娘に語る年金の話』.jpg
年金の常識』 講談社現代新書   河村健吉 『娘に語る年金の話 (中公新書)』 〔01年〕

 年金とはそもそもどのようなものであり、保険料の納付から受給までの仕組みはどのようになっているのか、年金制度はどのような問題を抱えているのか、厚生年金や国民年金の仕組みはどうなっているかなどをわかりやすく説いた入門書で、自分がまだ年金の知識がさほどない時期に読んで、公的年金制度のアウトラインをつかむうえで参考になりました。

 今後の保険料の逓増と給付の逓減のスケジュールがわかりやすく示されていますが、それでも少子高齢化が進行する状況においては、相当の経済成長がない限り一定給付水準の維持は難しいとし、社会保障制度の横断的見直しを訴えています。

 著者は毎日新聞社の経済部長、論説委員などを経てフリーになった方ですが(本書刊行直後に亡くなった)、新書本で200ページ、表現も平易で図表もふんだんに生かされており、法改正により、一部の記述は現在ではあてはまらなくなっているため、必ずしも今読む本としてはお薦めできませんが、個人的には、年金制度の基礎を理解するうえでたいへんお世話になった本です。

 本書の最後に示された"リッチ老人"問題-老人に対する過剰投資の問題は考えさせられ、当時読んでやや憤りを覚えましたが、この部分では、高齢者の所得に応じた給付調整などの法改正が行われる一方で、そのお金が今までは次世代に回流していたという見方もあり(結局のところ現役世代の負担は変わらないことになる)、なかなか一筋縄ではいかない問題だと、今になって思います。

 このほかの年金問題を扱ったものとしては、信託銀行出身の年金コンサルタント・河村健吉氏の『娘に語る年金の話』('01年/中公新書)が、年金制度の歴史(生成・発展・変質)を知る上で参考になり、また、社会政策の観点から広く年金問題を分析していて、とりわけ雇用問題・雇用政策との関連について述べているのが興味深かったです(少子化問題の背後には女性などの雇用条件の問題があるという論点)。 

 片や制度に関する入門書、片や年金問題を扱ったものとしての色合いが強いですが、社会保障制度全体の横断的見直しが急務であるという点では論点が一致しています。

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カオス・シチリア物語2.jpg 村の掟を破った息子を銃殺する父。凄まじきかな、父性原理。

エトルリヤの壷2.JPG『エトルリヤの壷 他五編』.jpg Prosper Mérimée.jpg Prosper Mérimée(1803-1870)
岩波文庫改版版/『エトルリヤの壷―他五編 (1971年)』 パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ 「カオス・シチリア物語 [DVD]

『エトルリヤの壷 他五編』.JPG 1829年発表のフランスの作家プロスペル・メリメ(1803‐1870/享年66)の作品。メリメは『カルメン』の作者として知られる作家で、考古学者・美術史家・言語学者でもあり、元老院議員にまで出世する一方、社交界で浮名を流すなどした人で、フランス人でありながら、スペインやイタリアを舞台にした小説が多いのは、実際にそうした方面に旅行したことと、多言語を解する語学力によるところが大きいようです。

 本書『エトルリヤの壷』(岩波文庫の改版前の初版刊行は昭和3年と旧い)は、そのメリメの短篇6篇を集めたもので、うわさ話に振り回されて自分で自分を滅ぼしてしまう男を描いた表題作など、人間の心理的葛藤や人生の皮肉を端的に描いたものが多いです。

コルシカ紀行.jpg その中でも「マテオ・ファルコーネ」は、やや異彩を放つもので、19世紀のコルシカ島の村での話ですが、この話に衝撃を受けた作家の大岡昇平は、そのルーツを探るためにコルシカ島を訪れ、『コルシカ紀行』('72年/中公新書)を著しています(但し、コルシカ島の県庁所在地バスティア市の博物館で、探していた「コルシカの悲劇的歴史」に纏わる文献が、金庫が錆びていて開かなかっため閲覧できず、館長から後で贈るという約束を取り付けるも、結局は送ってこなかったなど、結構"空振り"の多い旅行になっている)。

大岡 昇平『コルシカ紀行 (中公新書 307)』['72年/中公新書]

マテオ・ファルコーネ05.jpgMateo Falcone (1829).bmp 若い頃から射撃に優れ、村人の人望もあった羊飼いマテオ・ファルコーネは、妻と3人の娘、そして最後に生まれた男の子とともに自活的な農牧生活を送っていた―。そんなある日、マテオ一家が留守中に、憲兵に追われ村に逃れてきたお尋ね者が家にやって来て、1人留守を預かっていた10歳の息子は、一旦は彼を隠すのですが(伝統的にその村には、官憲などに追われている人をかくまう「掟」があった)、憲兵の「居場所を教えれば時計をやる」という言葉に負けて、お尋ね者を隠した場所を教えてしまい、彼は捕えられます。そのとき家に戻ってきたマテオに向かって男は「ここは裏切り者の家だ!」と叫び、すべてを察したマテオは、自分の息子を窪地へ連れて行き、大きな石のそばに立たせ、お祈りするよう命じ、終わるや否や、泣いて命乞いする本人や妻の制止を振り切って息子を銃殺するという話。

 簡潔な写実と会話を連ねた飾り気のない文章ゆえにかえって凄惨な印象を受け、この話を西洋的な父性原理の象徴と見るむきもあれば(それにしても凄まじい!)、運命的悲劇との捉え方もあり、また小説とは言えないという見方もあるようですが、確かに一種の「説話」のような感じがしました(小説的良し悪しを言うのが難しい)。文庫で20ページしかない短篇のほとんどのあらすじを紹介してしまったので、ラストの父親の"決めゼリフ"だけは書かないでおきます。

カオス・シチリア物語1.jpg 尚、この短編集の表題作「エトルリアの壺」は、パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ監督のシチリアの説話を基にしたオムニバス映画「カオス・シチリア物語」('84年/伊)の中の一話「かめ(甕)」として映画化されています(翻案:ルイジ・ピランデッロ)。

カオス・シチリア物語 甕.jpg 欲しい物は全て手に入れたはずなのに、さらに多くを欲する大地主ドン・ロロがが購入した巨大なオリーブ油を入れる瓶-それは彼の権力の象徴であったが、そんな瓶が壊れてしまい、それをどうしても直したい彼は、瓶を修理することが出来る奇跡の技を持つ老職人を雇うが、職人は修理完了後に瓶の中から出られなくなる。ロロは瓶を壊すことを拒むが、職人は稼いだ金を使って村人達を集め、瓶を囲んでの宴会を繰り広げる。皆が職人を好いているように見えるのが気に入らないロロだったが、嫉妬が頂点に達した時、彼は遂に瓶を壊してしまう-。

「カオス・シチリア物語」.JPG ロロという人物にも、マテオ・ファルコーネに通じる男性原理が感じられる一方、人は所詮は全てを独占することなど出来ず、独占するのではなく共有することがいうことに価値があることを喩えとしてを教えているようにも思える作品であり(ここでは、男性原理のある種"限界性"が描かれているとも言える)、タヴィアーニ兄弟は、このメリメ原作の物語をはじめ、シチリアの"混沌"という意のカオス村(兄弟の生まれ故郷でもあるらしい)を舞台にした素朴な人間たちのドラマを、7つの挿話にわけて美しい映像のもと描いています。

ドン・ローロのつぼ02.jpgドン・ローロのつぼ01.jpg 因みに、この映画に触発されて、絵本作家の飯野和好氏が、この「壺」の寓話を、『ドン・ローロのつぼ』('99年/福音館書店(年少版 こどものとも)という絵本にしています。

              
                          

カオスシチリア物語.jpgカオス・シチリア物語KAOS 1984.jpg 「カオス・シチリア物語」●原題:KAOS●制作年:1984年●制作国:イタリア●監督・脚本:パオロ&ビットリオ・タヴィアーニ●製作:ジュリアーニ・G・デ・ネグリ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●音楽:ニコラ・ピオヴァーニ●原作:ルイジ・ピランデッロ●時間:187分●出演:マルガリータ・ロサーノ/オメロ・アントヌッタヴィアーニ兄弟.jpgティ/ミコル・グイデッリ/ノルマ・マルテッリ/クラウディオ・ビガリ/ミリアム・グイデッリ/レナータ・ザメンゴ/マッシモ・ボネッティ●日本公開:1985/08●配給:フランス映画社●最初に観た場所:高田馬場東映パラス(87-10-03)(評価:★★★★)

タヴィアーニ兄弟
弟:パオロ・タヴィアーニ、1931年11月8日 - 2024年2月29日/92歳没
兄:ヴィットリオ 1929年9月20日 - 2018年4月15日/88歳没

高田馬場a.jpg高田馬場・稲門ビル.jpg
高田馬場東映パラス 入り口.jpg
高田馬場東映パラス 高田馬場・稲門ビル4階(現・居酒屋「土風炉」)1975年10月4日オープン、1997(平成9)年9月23日閉館

①②高田馬場東映/高田馬場東映パラス/③高田馬場パール座/④早稲田松竹


 【1928年文庫化・1971年改版[岩波文庫]/1960年再文庫化[角川文庫(『マテオ・ファルコーネ-他五編』)]】

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「バカの壁」のベースにある著者のスタンスのようなものは窺えるが、「哲学」と言うより「エッセイ」か。
まともな人.jpg 『まともな人 (中公新書)』〔'03年〕こまった人.jpgこまった人 (中公新書)』〔'05年〕
イラスト:南伸坊
0 『まともな人』イラスト.jpg 雑誌「中央公論」に連載された養老氏の時評エッセイ「鎌倉傘張り日記」の2001年1月号〜2003年9月号の掲載文を収録したものです。氏の好きな昆虫標本作りを浪人の「傘張り」に喩え、こうした「日記」の先達として兼好法師を挙げていますが、半分隠居した身で、世評風の日記を"諦念"を滲ませながら書いているところは通じるところがあるかも知れません。

 「時評」と言っても、世の中で「あたりまえ」とされている固定観念の根拠の脆弱さを具体的に解き明かすために、三題噺のネタのような感じで世事をとりあげているので、批評の対象は「社会」ではなく、むしろ「社会」を受け入れている現代人のものの考え方にあるようです。ですから「社会批評」を期待して読むと肩透かしを食いますが、ベストセラーとなった『バカの壁』('03年/新潮新書)のベースにある著者のスタンスのようなものは窺えるかと思います。
  
 本書自体は『バカの壁』より後の刊行ですが、掲載文の大半は『バカの壁』の爆発的ヒットの前に書かれたものです。本書の続編『こまった人』('05年/中公新書)が「中央公論」2003年6月号〜2005年10月号掲載文を収録しているということで、こちらはほぼ"『バカの壁』以後"という見方ができるかと思いますが、その『こまった人』においても特に著者のスタンスに変化はなく、しいて言えば『こまった人』の方が、自分が過去に受けた処遇に対する恨み節や、世間に対するシニカルな見方、老境における諦念のようなものが強くなってきていて、「そんなことはどうだっていいか」みたいな締めで終わる文書も多く、より"自分寄り"な感じがします。

 そのためか、本書は最初、中公新書のジャンル分けで「哲学・思想」に入っていたのに、『こまった人』が刊行されると、"好評「養老哲学」第2弾"と銘打ちながらも、両方とも「エッセイ」にジャンル分けされているようです(確かに「哲学」と言うより「エッセイ」か)。

 『まともな人』...【2007年文庫化[中公文庫〕】/『こまった人』...【2009年文庫化[中公文庫〕】

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着眼点そのものはユニークだが、根拠は今ひとつ不明確。

『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』.jpgゾウの時間 ネズミの時間.jpg  絵ときゾウの時間とネズミの時間.jpg
ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 (中公新書)』 〔'92年〕 『絵ときゾウの時間とネズミの時間 (たくさんのふしぎ傑作集)』 〔'94年〕

第76刷新カバー['17年]

 1993(平成5)年・第9回「講談社出版文化賞」(科学出版賞)受賞作。

ゾウimages.jpg 生き物のサイズと時間について考えたことがある人は案外多いのではないでしょうか。本書によれば、哺乳類はどんな動物でも、一生の間に打つ心臓の鼓動は約20億回、一生の間にする呼吸は約5億回ということだそうです。

 ネズミはゾウよりもずっと短命ですがこういう結果になるのは、拍動や呼吸のピッチが全然違うためだということ。こうした時間を計り、体重との関係を考えてみると、動物は体重が重くなるにつれ、その時間はだいたいその4分の1乗に比例して長くなるとのこと。

 スッキリした「答え」の示し方が、本書がベストセラーになった要因の1つではないでしょうか。科学的好奇心を満たすだけでなく、同じ1秒でもネズミの1秒とゾウの1秒ではその意味が違うのだという感慨のようなものがあります。数式など用いて部分においては専門的なことに触れながらも、全体を通してこなれた文章で読者の関心を掴んで離さず、中高生向けの科学推薦図書として挙げられることが多いばかりでなく、しばしば国語の入試問題などの出典元にもなったようです。

 ただし、その後に繰り広げられる著者の論説は、エネルギー消費量は体重の4分の1乗に反比例するというといった点まではわかるものの、「大きいということは、それだけ環境に左右されにくく、自立性を保っていられるという利点がある。この安定性があだとなり、新しいものを生み出しにくい。ひとたび克服出来ないような大きな環境の変化に出会うと、新しい変異種を生み出すことも出来ずに絶滅してしまう」といった動物進化に対する考え方は、1つの仮説に過ぎないという気もします。いったんそうした目で本書を見ると、本書はすべてが著者の仮説・推論で構成されているような気がしてくるのです。着眼点そのものはユニークなのですが、根拠は今ひとつ明確に示されていないのではないかと...。

 それと少し気になるのは、最近著者は一生の間に打つ心臓の鼓動を「20億回」から「15億回」と修正していることです。そうすると、人間の寿命は長すぎるということに...(計算上は26.3年に)。そこで最近は、「縄文人の寿命は31歳ぐらいだった」とし、「生物学的寿命とは別の"おまけの人生"を我々は送っているのだ」ということを言っているけれども、なんだか人生論みたいになっていきます。

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実験に基づく興味深い考察に、著者の学際的視点が生きている。

子どもはことばをからだで覚える.jpg         正高.jpg 正高 信男 氏 (HPより)
子どもはことばをからだで覚える―メロディから意味の世界へ (中公新書)』  
                                                     
 子どもはどうやって言葉を獲得するのだろうか。著者によると、赤ん坊は母親の声から単語のまとまりを感じ取り、意味を理解し、やがて自ら用いることになうという。どうやって感じ取るかというと、協和音を生得的に好むからだそうです。
 つまり人間の声というのは和音なのです。だから、雑多な物音の中から母親の声だけを聞き分けることができる。
 赤ん坊がモーツァルトを聴くことを好むのは、モーツァルトの曲に和音が巧みに用いられているからのようです。

 そのほかにも、子どもの記憶、発声、指差しといった行動がどういうメカニズムで為されるのかを様々な実験を通して考察していて、最後に言葉の意味がどうやって理解されるのかを、近年注目を集めている「言語モジュール」論や「ワーキング・メモリー」の概念モデルから説いています。

 著者は京都大学霊長類研究所助教授で専攻は比較行動学ですが、『父親力』('02年/中公新書)や『ケータイを持ったサル』('03年/中公新書)など、専門を超え、社会学・心理学にまで踏み込んだ一般向け著書もあります。
 それらの内容については賛否があるようですが(特に『ケータイを持ったサル』は"問題書籍"というか"問題にすらならない本"ではないかと思うのですが)、本書に限って言えば、著者の専門領域をさほど超えない範囲で、その学際的視点が生きているように思えました。

《読書MEMO》
●胎児に聞こえるのは、母体の血液の流れや心拍の音と妊婦自身の声だけ(胎児にモーツァルトを聴かせても聞こえはしない)(3p)
●新生児はモーツァルトが好き(和音を好む。人間の声が和音で構成されているため、生得的にそうした嗜好になっている)(14p)

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政治経済を軸に平成不況を多角的分析。ただし将来予測は外れている部分が多い。

平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件 佐和隆光.png平成不況の政治経済学―成熟化社会への条件』 中公新書 〔'94年〕 佐和隆光.jpg 佐和隆光 氏

 本書は、'93(平成5)年末、つまりバブル崩壊後3年目で、ちょうど細川政権が誕生した頃に書かれたものですが、「政治経済」という視点を軸に平成不況を分析し、以後の経済政策のあり方を提示していています。
 また一方で、著者の多角的な観点のおかげで、経済というものをより幅広い視野で捉える眼を養ううえでの参考書としても読めます。
 ただしこの本を"参考書"として読む場合は、経済学には派閥があり、保守派とリベラル派に分けるならば、著者は「リベラル派」であることを踏まえておくことが必要でしょう。

 著者は平成不況の一因に日本が'90年代に成熟化社会に入ったことを挙げ、この閉塞状況の処方箋を書くには、従来の経済学の枠組みではなく、保守とリベラルという概念で状況を読み解く必要があるとしています。
 そしてリベラルな立場から"保守派"エコノミストの描く"ケインズ主義"的な財政金融政策に警鐘を鳴らし(著者の「保守/リベラル」観には「人間性」的なものがかなり入っているように思える)、生活の質を重視した社会の仕組づくりを提唱しています。

 到達地点の趣旨自体は賛同できますが、市場主義の流れは止まらないだろうし、インフレもその後10年以上生じておらず、むしろ超デフレが続きました。
 それに、著者が描いた政治構造の将来予測、つまり保守主義とリベラリズムの対立構造というものが、まず政党のパワーバランス予測が外れ、さらに政策区分さえかなり曖昧になってしまいました。

 政治と経済政策の関係を〈保守とリベラル〉という観点で読み解く参考書としては良書だと思いますが、経済予測だけでも難しいのに、それに政治が絡むと将来予測はさらに難しくなることを痛感させられる本でもありました。

《読書MEMO》
● 保守主義とは何か
「いまここに、一人の貧者がいたとする。もしもあなたが保守主義者ならば、次のようにいわれるであろう。彼または彼女が貧しくなったのは自助努力が足りなかったからである。もし政府が福祉政策によって彼または彼女を救済したりすれば、彼または彼女にとってはありがたいことかもしれないが、図らずも他の人々の自助努力をも阻害することになり、一国経済の生産性を低下させかねない。したがって過度の福祉政策は慎むべきである、と。」(13-14p)

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私的な日記のつもりが、300年後「元禄版ブログ」の如く多くに読まれているという感慨。
元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世.jpg 元禄御畳奉行の日記―尾張藩士の見た浮世.png  元禄御畳奉行の日記 上.jpg 元禄御畳奉行の日記 下.jpg 元禄御畳奉行の日記   .jpg
元禄御畳奉行の日記』中公新書『元禄御畳奉行の日記 上 (アイランドコミックスPRIMO)』 『元禄御畳奉行の日記 下 (アイランドコミックスPRIMO)』 横山光輝版 〔嶋中書店〕
元禄御畳奉行の日記 (中公文庫)』改版版['08年]
「元禄御畳奉行の日記」.jpg元禄御畳奉行の日記(げんろくおたたみぶぎょうのにっき).jpg 元禄(1688-1703年)の時代に生きた平凡な尾張藩士、朝日文左衛門が、18歳のときから書き始め、死の前年1717(享保2)年まで26年間にわたり綴った日記『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』を通して、その時代の生活や風俗、社会を読み解いていくものですが、とにかく面白かった。横山光輝などはこれをマンガ化しているぐらいです。

『元禄御畳奉行の日記(げんろくおたたみぶぎょうのにっき) 中公文庫 コミック版(全3巻) 横山 光輝 

 この文左衛門という人、武道はいろいろ志すもからきしダメ。特に仕事熱心なわけでもなく、家庭ではヒステリーの妻に悩まされ、そのぶん彼は趣味に没頭し、芝居好きで文学かぶれ、博打と酒が大好きという何となく愛すべき人柄です。そして、食事のおかずから、小屋で見た芝居の感想、三面記事的事件まで何でも書き記す"記録魔"なのです。

 刀を失くした武士が逐電したり、生類憐みの令で蚊を叩いた人が島流しになったりという話や、 "ワイドショーねた"的な情痴事件、当時流行った心中事件などの記録から、当時の社会的風潮や風俗が生き生きと伝わってきます。零落した仲間の武士が乞食までする様や、貧困のすえ自殺した農民の話など、爛熟した元禄時代の影の部分も窺えます。

 文左衛門自身はというと、さほど出世欲は無いけれど、まあ堅実なポジションを得るサラリーマンみたい(月に3日の宮仕えというのは随分と楽チンだが)。あるいは、業者の接待を気儘に受ける小役人というところか(出張してもほとんど仕事していない!)。女遊びもするが、酒好きの度がスゴイ。遂に体を壊して45歳で亡くなってしまいますが、極私的なものであるはずの日記が、300年後にこうして「元禄版ブログ」みたいな感じで我々の眼に触れているという事実は、彼の生きた証であり感慨深いものがあります。書いている間に本人はそういう意識が多少はあったのでしょうか。

 【1987年文庫化・2008年改版[中公文庫]】

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著者の「荘子」への思い入れを感じる。その分、一面的な捉え方も。

荘子-古代中国の実存主義.jpg荘子―古代中国の実存主義』中公新書 〔'64年〕 荘子(前369~前286).bmp 荘子(前369-前286).

福永 光司.jpg 道教思想研究の第一人者・福永光司(ふくなが・みつじ 1918‐2001)による本書は、初版出版が'64年で、中公新書の中でもロングセラーにあたります。
 荘子の生い立ちや時代背景をもとにその人間観を著者なりに描くとともに、「道」の哲学や「万物斉同」の考えなどをわかりやすく説明しています。

 「荘子」に見られる洞察の数々は、儒家批判から生じたとものだとしても、現代とそこに生きる我々に語りかけるかのようです。「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない、などといった言葉には、なるほどと頷かされます。

 不変の真理とは不変のものは無いということ、ならば生を善しとし死を善しとしようという「荘子」への著者の思い入れが感じられますが、そのぶん著者も認めているように「荘子」の理解に一面的な部分があるので、荘子哲学に関心がある方は他書も読まれることをお薦めします。

《読書MEMO》
●「平和」が「戦争」の対立概念としてある限り戦争はなくならない〔除無鬼篇〕(102p)
●知恵才覚のある人間は発揮の場がなければ意気消沈し、論争好きな人間は恰好の論題がなければ生きがいを失い、批評家はあら探しの種がなければ退屈する〔斉物論篇〕(110p)
●神を「アリ」「ナシ」と規定したところで、現象世界のレベルの話で意味はない〔則陽篇〕(110p)
●神がこの世を作ったとしても、その神を誰が作ったのか(自ずから生じたということになる)〔斉物論篇〕(133p)
●道は現実世界の中にあり、物とは存在の次元が違う〔知北遊篇〕(136p)
●道は通じて一となし、万物は道において斉(ひと)しい。真実在の世界においては、人間の心知(分別)に生じる差別と対立はその根源において本来一つ、一切存在はあるがままの姿において本来斉しい〔斉物論篇〕(144p)
●この世において不変の真理があるとすれば、それは一切が不変でない-一切が変化するという真理だけ〔則陽篇〕(153p)

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情報環境の急速な変化とともに読み方が変わらざるを得ない本。

「超」整理法 3  .JPG 「超」整理法 3.jpg 「超」整理法 2.jpg
「超」整理法〈3〉』中公新書 〔'99年〕『「超」整理法2 捨てる技術』中公文庫

 『「超」整理法』('93年/中公新書)からのシリーズ第3弾ですが、中公文庫版の方では本書が『「超」整理法2』となっているように、『「超」整理法』の「押し出しファイリング」論の続編のような内容です。
 
070112.jpg 「押し出しファイリング」で溜まってきた情報を捨てるノウハウとして、"とりあえず捨てる仕組み"である「バッファー・ボックス」を提唱しています。さらに「バッファー・ボックス」には、「受入れバッファー」と「廃棄バッファー」があると。
 本書の提案の中核である「廃棄バッファー」は、PCの「ごみ箱」にあたるとしていますが、多分、そのPCの「ごみ箱」から逆発想したのではないでしょうか。
 しかし以前は「ポケット一つの原則」を提唱していたのに、どんどんボックスが階層化してくるのは仕方ないことなのでしょうか。

 この本の通りやると、ボックス(箱)だらけになることはある程度覚悟する必要があるのではという気もしますし、個人で仕事している人などで、実際にそうなっている人もいます。
 でも、サーバーやハードディスクにある電子情報がマスターで、紙情報は大体の所在がわかればいいという人も多い。
 そうした人の中には、「本」についてもPC内に書庫データベースを持てば同様だと言い切る人もいます。
 著者のように、大量の蔵書や学生レポートなどを扱う大学教授などはそうはいかないのかも知れませんが...。
 
 本書は'99年の刊行ですが、すでに(著者の予見通り)PCの(ハードディスクの)"大容量時代"を迎え、情報環境が当時と変わってしまった部分もかなりあると思いました。

 【2003年文庫化[中公文庫(『「超」整理法2』)]】

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時代を感じる部分もあれば、今もって得るところがある部分もある。

「超」整理法 続.jpg続「超」整理法・時間編―タイム・マネジメントの新技法』中公新書 〔95年〕 「超」整理法3.jpg 『「超」整理法3―タイム・マネジメント』中公文庫

 前著『「超」整理法』(中公新書)が'93年、本書が'95年の刊行ですが、やはり前著の「押し出しファイリング」というのはある意味強烈だったなあと。
 それに比べると本書は、タイムマネジメント全般を扱っていて、「押し出しファイリング」の復習みたいな章もあり、やや焦点が定まっていない印象を受けます。
070100.jpg
 だだ、時間管理を軸とした仕事の進め方についての指摘などには鋭いものがあります。「中断しない時間帯を確保する」など。
 でも、実際の問題は、それができる状況かどうかということも大きいのではないでしょうか。「TO DOリストの作成」然りです(ん?これは意志力の問題かナ)。

 電子メールに関する当時としては慧眼だったその便利さの指摘も、今や誰もが当然のように享受しています。
 むしろ、ファックスの「受信紙にメモして送り返す」などの利用法は、今もって使える(だだし、電子メールでも同じことはできる)。
 
 また電話を「問題だらけの連絡手段」とこき下ろしていて、終章で携帯電話を使用する際のマナーの社会的ルールを確立せよと言っているのも、電車内で携帯電話を使うビジネスマンのCMが流れていた当時のことを考えると先駆的だったのかも知れません。

 【2003年文庫化[中公文庫(『「超」整理法3―タイム・マネジメント』)]】

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特に個人ワーカー、主婦などには最も適した整理法ではないか。

「超」整理法.jpg「超」整理法 』 中公新書 〔'93年〕 「超」整理法 1.jpg 中公文庫  野口 悠紀雄.jpg 野口悠紀雄 氏

 本書の刊行は'93年ですから随分前のことになりますが、刊行後10年を経て'03年に文庫化されたりもしており、ロングセラーと言ってよいかと思います。

 本書での提言の核は、何と言っても「押しだしファイリング」でしょう。
 書類を内容別に分類して格納するのではなく時間順に並べてしまう方式で、これは、内容に沿って分類して置き場所を決める「図書館方式」と対照を成すものであり、「整理」というとすぐにこの「図書館方式」や「五十音方式」を思い浮かべてしまいがちな人には、「分類する」という考え方自体から脱却したこのやり方は、発想のコペルニクス的転換を促すものでした。

 その他にも、電話を使うことよりも、パソコンで作成した文書をプリントアウトせずに電信ファックスする方法を推奨したりしていて、これなどは今で言う「仕事の連絡は電子メールで」という考え方と同じで、著者の先見性を窺わせるものでした。

 ただし本書にもあるように、「押しだしファイリング」は"個人用"であり、「時間順」という検索キーは個人の記憶に基づくものであるため、会社の一部署などで情報を共有する場合は、この方法では困難が生じるだろうと。

 個人的にも、電子ファイリングにおいてこの方式を採用してますが(ファイル名の冒頭にすべて作成年月日を入れるなどして)、ある時点で自分以外の人と情報共有することになったりすると「あのファイルはどこにありますか」といつも聞かれることに...。

 読み返して、この"留意点"を再認識した以外には特に新たな発見もなかったのですが、まだ読んでいない人には、今読んでもそれなりに示唆が得られる、そうした普遍性はあるのではないでしょうか。
 特に個人ワーカー、主婦などには最も適した整理法だと思います。

 【2003年文庫化[中公文庫]】

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内部告発と公益通報の違い。新法の条文内容を検証、問題点も指摘。

内部告発と公益通報.jpg  内部告発と公益通報,200_.jpg
内部告発と公益通報―会社のためか、社会のためか』 中公新書 〔'06年〕

 本書では、一般に言う〈内部告発〉と'06年4月施行の「公益通報者保護法」で言う〈公益通報〉は、どこが同じでどこが違うのかが、どのような場合が"保護"の対象になるのかなどが解説されています。

time.bmp 実際に起きた内部告発事件(エンロン・ワールドコム、牛肉偽装、警察公金不正流用、原発トラブル隠し、自動車クレーム隠しなど)の経緯が要領よく纏められていて、そうした事件を参照しながら、内部告発があった場合の企業側のとるべき対応手順などにも触れられています。

 また、今後はより微妙なケースも起きると考えられ、告発のための内部資料の持ち出しなどにおいて、「目的は手段を正当化するか」という難問が浮上することを示唆し、実際に企業側が報復手段としての懲戒処分を行い、懲戒の有効無効を争う裁判で、地裁と高裁でまったく逆の判決が出たケースなどが紹介されていて、この問題はなかなか難しいなあと思いました。
 さらにこれらを踏まえ、内部告発を行おうとする人への助言もなされています。

070114.jpg 「公益通報者保護法」は、通報先に優先順位(内部→行政機関→マスコミ等)が定められていて、保護対象も労働者に限られている(派遣労働者や取引先労働者も保護対象に含むが、取引先事業主などは含まない)ことなどから、内部告発を抑制するのではとの批判も多い法律ですが、著者は "公益"という前向きのネーミングを評価し、冷静に条文内容を検証してその意図を汲むとともに、曖昧部分などの問題点も指摘しています。

 著者は元労働基準監督官ですが、最後に、「日本の法律は守れるのか」という根本問題を、高速道路の制限速度やサービス残業を摘発する役所の残業の青天井ぶり(逆に残業しなくても残業代が"パー配分"されていたりもする)を例に提起し、もともとの法律が守れるかどうかの検証を欠いたコンプライアンスは成り立たないとしています。
 
 このことに関連して、現代社会には"義憤"需要のようなものがあり(また、それに応えるマスコミなどの義憤産業もある)、カタルシスのための義憤では内部告発も公益通報も単に義憤劇で終わってしまうと警告していて、大いに考えさせられました。

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コンプライアンス=「法令遵守」という訳語は不完全であると指摘。

コンプライアンスの考え方.jpg 『コンプライアンスの考え方―信頼される企業経営のために』 中公新書 〔'05年〕

 コンプライアンス=「法令遵守」、つまり「法令違反を犯さないこと」がコンプライアンスだと理解されがちですが、欧米で「コンプライアンス」と言えば、「法令遵守」だけでなく「企業倫理」も対象とするのが一般的であるとのこと。
 では「経営倫理」「企業倫理」とは何なのか、また「コーポレート・ガバナンス」「CSR」「リスク・マネジメント」といったものとはどういう関係にあるのかを解説し、さらに「コンプライアンス」への取り組み方や、どこから始めてどこまでやるべきかなどが書かれています。

 ただし全体としては、実務書と言うよりは、用語の定義的な話がかなりの比重を占め、これら外来語の背景にある法文化などにも触れていますが、何となく一般化した外来語が溢れる中、コンプライアンスの定義的位置づけを隣接概念と併せてを理解することも必要かと思われ、そうした意味では充実した解説がされている本です。

 「コンプライアンスは大事なこと」と理解しつつも、形式主義に陥ったり、意識教育がなされていないことで起きる事故や悲劇を例に挙げながら、コンプライアンス・プログラム(長期的な視野に立って会社の健全な活動を促すための総合的なプログラム)への主体的な取り組みを訴えています。

 自社に「コンプライアンス委員会」があるとすれば、まずメンバーがどのあたりまで「企業倫理」や「主体的取り組み」というものを意識しているか、「法令遵守」に汲々とし受身的になっていないか、本来のコンプライアンスの在り方との距離を測るうえでも、参考になるかと思います。

《読書MEMO》
●コンプライアンス=「法令遵守」という訳語は不完全、ややもすると誤ったとニュアンスを伝えてしまう危険性も(4p)
●「遵守」は最終的に個人→コンプライアンスの中心にあるのは「組織的な対応手法」(5p)
●コンプライアンスは法令だけでなく企業倫理(ビジネス・エシックス)も対象とする(7p)
●監査役がコンプライアンスの中心的な役割を担うと考えると、コンプライアンス・プログラムがカバーする領域が限定され、無理が生じる(監査役に業務執行権はなく、基本的には「適法性監査」をしていれば十分)(79p)
●コーポレート・ガバナンスの2つの狙い...1.コンプライアンス 2.経営パフォーマンス・業績向上(コーポレート・ガバナンスの一環としてコンプライアンスがある)(88p)
●CSR(corporate social responsibility)「企業の社会的責任」
・コンプライアンスもCSRも同じような価値観と狙いを持っている
・CSRはどちらかと言えば、ポジティブな目標を高く掲げ、「法的責任」よりも「社会的責任」に焦点をあてている(99p)。
● CSRは欧州でブーム、米国ではコンプライアンスが先行
● 法律の規制内容は何も変わっていないのに、その取締りが強化されるようになったものも少なくない(例えば、コンプライアンスの中で軽視されがちであった労働法の分野―サービス残業に対する塹壕手当の不払い解消に向けた厚生労働省の取り組み強化)(212p)

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グローバル化による「市場個人主義」の台頭に、疑念を提示している。

働くということ グローバル化と労働の新しい意味.jpg 『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』〔'05年〕ロナルド・ドーア.bmp ロナルド・ドーア

 英国人である著者は50年来の日本研究家で(個人的には、江戸後期の寺子屋の教育レベルが当時の英国以上のものであったことを示した『徳川時代の教育』('65年)を鶴見俊輔が高く評価していたのを覚えている)、日本の社会や労働史、最近の労働法制の動向にも詳しく、また、日本企業の年功主義が「年=功」ではなく「年+功」であるとするなど、その本質を看過しているようです。

 自国でもこうした「日本型」志向が強まるのではと予測していたところへ新自由主義的な「サッチャー革命」が起き、官の仕事の民への移行、競争主義原理の導入、賃金制度での業績給の導入などを、官が民に先んじて行うなど予測と異なる事態になり、その結果、所得格差の拡大など様々な社会的変化が起きた―。

 著者から見れば、日本の小泉政権での官の仕事の民営化や市場競争原理の導入、あるいは企業でのリストラや成果主義導入が、20年遅れで英米と同じ"マラソン・コース"を走っているように見えるのはもっともで、それはまさに米国標準のグローバル化の道であり、そうした「改革」が、従来の日本社会の長所であった社会的連帯を衰退させ、格差拡大を招く恐れがあるという著者の言説は、先に自国で起きたことを見て語っているので説得力があります。

 著者は、こうした社会的変化の方向性を「市場個人主義」とし、不平等の拡大を"公正"化するような社会規範の変化とともに、「日本型」など従来の資本主義形態の多様性が失われ米国の文化的覇権が強まる動向や、「勝つためには人一倍働くことが求められる」といった単一価値観の社会の現出が、働く側にとって本当に良いことなのか疑念を抱いています。

 グローバル化が加速するなかで、「働くこと」の意味は今後どう変遷していくかを考察するとともに、日本は、これまでの日本的な良さを捨ててこの流れに追随するのか、またその方向性でしか選択肢はないのかを鋭く突いた警世の書と言えます。

 因みに、著者の日本研究は、第2次大戦終結の10年後、山梨県の南アルプス山麓の集落を訪ね、6週間泊まり込みで集落の家々をくまなく回り、聞き取り調査を行ったことに始まりますが、調査で威力を発揮した日本語を、彼は戦争中に学んでいます。

 開戦後、前線での無線傍受や捕虜の尋問ができる人材が足りないと感じた英国軍が、ロンドン大学に日本語特訓コースを作り、語学が得意な学生を集めた、その中の一人が著者だったわけで、このコースは多くの知日派を輩出することになり、著者もまた、今も自宅のあるイタリアと日本を行き来し、日本語で原稿を書き、日本を励まし続けています。


《読書MEMO》
●仕事の満足感...知的好奇心を満足させるもの、芸術的喜びが見出せるもの、競争・対抗の本能を満足させるもの、リーダーシップや指導力が行使できるもの...加えて、ヘッジファンドの運用者などに典型的に見られる「ギャンブラーの興奮」など(63p)
●渋沢栄一...『論語』注釈を通じて、企業家リスクと投機家リスクの道徳的違いを説く→「小学生に株を教えるのは悪くないアイデア」とする竹中平蔵教授には、企業家リスクと投機家リスクの道義的違いは無意味?(68p)
●日本人にとって大事なのは、日本がその(文化・倫理的伝統、民情、行動特性といった)特徴を維持すべきかどうか、維持できるかどうか(83p)
●経済学がますます新古典派的伝統によって支配されるようになるにつれて、市場志向への傾斜が促され、自由化措置を正当化する力が増してきた(104p)
●同質化の傾向は、グローバルなエリートを養成するアメリカのビジネス・スクールによって強化されている(176p)

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漠然とした福祉国家論が多い中では注目すべき「思考の補助線」ではないかと。

企業福祉の終焉―格差の時代にどう対応すべきか.jpg企業福祉の終焉 - 格差の時代にどう対応すべきか』 〔'05年〕 橘木 俊詔.jpg 橘木俊詔 氏(略歴下記)

 冒頭で企業は福祉から撤退すべしとしながらも、すぐには提言内容に入らず、本書前半分は、企業福祉の発展した理由と経緯、現状と意義についての記述になっていて、この部分は、企業福祉を歴史的・国際的視点からの概説したテキストとして纏まっていると思います(勉強になった!)。

 法定福利費の一定割合の企業負担の始まりなど、普段あまり考えなかったことについて知り得、同じ福祉国家でも、スウェーデンなどは財源を主に社会保険料に依存し、デンマークは税負担の福祉国家であるなどの違いがわかります。

 中盤以降は、企業福祉の現状に対する評価と、著者の持論展開に入っていきますが、考えのベースにあるのは、格差社会に対する危惧、福祉の普遍主義かと思います。

 社宅や保養所などの法定外福利については、バブル崩壊後どの企業も縮小しているのは明らかですが、企業スポーツなどを含め、そうしたものが既に役割を終えていることを論証し、また退職金制度は企業間格差が大きいゆえに労働移動を阻害しているとしています。
 法定福利費についても、社保未加入(または滞納)という形での企業の"撤退"が拡がっているのは指摘通りで、企業規模や雇用身分による受益格差は無視できないものでしょう。

 著者は、企業自体にもベネフィット感の薄い法定福利費の企業負担は止め(負担軽減分の行き先は企業の裁量になるが)、非法定福利は極力"賃金化"し、医療や健康保持、資格取得支援など、従業員のニーズに沿ったものに絞り込むべきとしていますが、国の社会保障制度としての財源はどうするかというと、「累進消費税」というものを提案しています。

 著者が殆ど触れていない徴収の問題(国民年金の保険料徴収不足を自動徴収の厚生年金が補っている現状)、高齢化社会の問題(国保・老人医療の赤字を健康保険が補っている現状)や制度移行時の問題など、疑問符は数多く付き、これでは給付の安定が保てないなど多くの反論があるかもしれませんが、著者自身も、こうした考え方をどこか頭に置いておくのもいいのではないかというスタンスのようです(そうすると"学者の空論"という批判がまたあるわけですが)。

 企業側にも受け入れられる要素が多く含まれている提言で、漠然とした福祉国家論が多い中では、むしろ「思考の補助線」になる得るものとして注目すべきではないかと思いました。

《読書MEMO》
●企業には、年金制度や健康保険制度に参加していない既婚女性を好んで採用したり(中略)する傾向がある。これらの制度が特定の労働者の優先的採用を促すのは避けられるべきである→制度は企業の採用活動に対し中立的であるべき(101p)
●「帰属家賃」→持家の人や社宅に住んでいる人は、(中略)家賃分に相当する付加的な所得を受けているとみなせる→大企業とそこで働く人が有利(104p)
●退職金制度 → 労働移動に中立的でない(企業間のポータビリティが未整備)(107p)
●法定福利費の企業負担の経緯
・労災・医療保険→企業が負担しやすい自然ななりゆき
・老齢年金→公的年金制度が労災・医療保険制度に遅れて整備されたことに理由(128-129p)
●「累進消費税」...高額商品には高税率、一般商品には低税率といったように、商品の種類によって税率に差を設ける(172p)
●ベネッセは福祉における創業者利益を得たが、(中略)次の企業が同じ施策を導入しても、同様に優秀な人材を集められる確立は低下する(186p)

_________________________________________________
1943年、兵庫県西宮市生まれ。アメリカのジョンズ・ホプキンス大学大学院博士課程終了。著書「日本の経済格差」(岩波新書)はエコノミスト賞受賞。他に「家計から見る日本経済」、近刊「消費税15%による年金改革」(東洋経済新報社)は学生との共著。

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リストラを検討する際に踏まえておいた方がいい基礎知識が整理されている。

雇用リストラ.jpg 『雇用リストラ―新たなルールづくりのために』 (2001/08 中公新書)

biz01.jpg 経営環境が悪くなり、会社の役員会で「リストラするしかない」「いや、ウチは終身雇用だから...」「じゃあ、退職勧奨ではどうか」などの会話が飛び交うとき、そもそもそうした雇用リストラに関するタームを、役員が共通した正しい認識で用いているかどうか、まず懸念される場合があります。

 本書では、雇用リストラの種類とそれがどう計画・実行されているのかを実態に沿って説明していますが、元・労働基準監督官が書いたものだからと言って「リストラ、いかん」という話ではなく、市場経済下ではどの企業も繁栄を保障されているわけではなく、雇用リスクの存在は必然的なものだとし、そうしたリスクを最小化するための社会ルール(例えば解雇制限法)の必要を訴えている本です。

 日本は"終身雇用"で欧米は"解雇自由"という一般認識の誤りを指摘していますが、確かに労基法にも就業規則にも"終身雇用"の文言は無いわけで、一方米国などでは、勤務期間に基づく先任権制があり、レイオフ順位がハンドブック(個人別の就業規則のようなもの)に明記されていたりします。

 また一般に雇用リストラは、採用の停止・抑制、賃金カット、希望退職、正社員解雇などの順序で行うとされていますが、解雇は最後になるべきだがその前段階は固定的な順序設定はないと―。そもそも、賃金カットは雇用に直接的に関係ないが、一方、希望退職は雇用者に選択権があるなど、質的に異なる―。

 雇用問題を扱った本ですが、企業リスクの最小化という観点に立っており、企業が雇用リストラを検討する際に踏まえておいた方がいい基礎知識(前提知識)的なものが整理されているため、一読の価値はあるかと思います。

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