【832】 ○ メアリー・ファウラー 『手のつけられない子 それはADHDのせいだった (1999/12 扶桑社) ★★★★

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専門家の意見を参照しつつ、ADHDの息子を育ててきた経験から、その対応を示唆。

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手のつけられない子 それはADHDのせいだった』 〔'99年〕 "Maybe You Know My Kid: A Parent's Guide to Identifying, Understanding, and Helping Your Child With Attention Deficit Hyperactivity Disorder"

 著者は、ADHD(注意欠陥多動性障害)である自分の息子を育ててきた経験から、ADHDを持つ子どもや大人を支援する団体のメンバーとして啓蒙活動をしている人。原著の初版は'90年とやや古いですが、その後何度か改版されていて、本書は'99年版(第4版)の訳書であり、医学情報や用語の定義なども'99年時のものに改定されています。

 自らの療育経験や専門家の意見をもとに、症状の発見や診断後の対処、実生活での適応のさせ方などがわかりやすく書かれていますが、とりわけ、ADHDの子どもの幼児期にみられる特徴について、1歳まで、1歳から3歳まで、3歳から5歳までに区分して事細かに記されています。

 著者は息子がかなり変った子どもであることに早くから気づいていましたが、医者にも相手にされなかったりして、ADHDであると診断されたのは5歳になってから(息子の幼児期が'80年代前半だったことを考えれば無理もないか)。
 気が散る、衝動的、落ち着きがない、というのがADHDの特徴ですが、こうした症状は3歳ぐらいから目立ち始め、それ以前においても充分見つけることが可能であることを、著者は示唆しています。

 成長の過程において本人の自尊心を大切にすることを強調する一方、就学問題や学校に入ってからの教育的配慮、青年期・成人期に入ってからの問題など、現実問題への具体的対応の仕方も書いてあり、障害児教育が進んでいるという米国でさえ、当時は教育機関などにADHDというものが理解されず苦労したことが窺えます。

 それでも米国では、当時からスクール・カウンセラーのような人がいて、現在ではその質もより向上していると思われます。
 一方、日本では、付録の「日本の事情」に18歳の子どもの3〜5%がADHDであると言われていると書かれているにも関わらず(「教室でじっとしていられない子」は学校現場では単に"わがままな子"として扱われている感じだが、その相当部分はADHDではないかと個人的には思う)、ADHDの相談に乗っている機関は、病院に限って言えば首都圏でも5つぐらいしかないという状況。

 ADHD児の受け入れや支援に関しては、先行している自治体も一部にはありますが、今後は、国・医療機関を含めたトータルな支援が求められるのではないかと思われます。

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