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本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨がある。

「鯨人」.bmp   海人 石川梵.jpg 海人図1.png
鯨人 (集英社新書)』['11年] 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』['97年](37 x 26.8 x 2 cm)

海人1.JPG 『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』('97年/新潮社)は、インドネシア東部レンバタ島のラマレラ村の人々の、銛一本で鯨を仕留める伝統捕鯨の様子を撮った写真集ですI(定価4,700円だが、絶版のためプレミア価格になっている)。

 大判の上に見開き写真が多く、人間とマッコウクジラの壮絶な闘いは迫力満点、鯨を仕留めた後の村人総出での解体作業や、遠く海を見つめるかつて名人と言われた古老の眼差しなども印象深く、日本写真家協会新人賞、講談社出版文化賞写真賞などを受賞した作品です。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人3.JPG 巻末の《取材データ》に、「取材期間1991 -97、延べ滞在期間11カ月、出漁回数200回超、最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)」とあり、写真家のプロフィールには「ラマレラでの最初の4年間を鯨漁に、次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす。海と鯨とラマファ(鯨人)を愛し、30代のほとんどすべてをラマレラの撮影に捧げた写真家」とありました。

 写真集『海人』から13年半を経て、「集英社新書ノンフィクション」(カラー版の「集英社新書ヴィジュアル版」ではなく、文章中心に編集されている)として刊行された本書『鯨人(くじらびと)』は、同写真家によるラマレラにおける鯨漁撮影のドキュメントであり、鯨漁にまつわる現地の伝承・逸話や村の人々の暮らしぶりなどもよく伝え、民族学的にも価値のあるものになっていると思いました。

 90年代に著者が取材した際には外国人のフォトジャーナリストも取材に来ており、日本のNHKも'92年にNHKスペシャル「人間は何を食べてきたか~海と川の狩人たち~」という全4集のドキュメンタリーの第1集で、「灼熱の海にクジラを追う ~インドネシア・ロンバタ島』を放送('92年1月19日)しています(写真集が出された後では、TBSなども著者をガイドとした取材に行っているようだ)。

 但し、本書にはテレビ番組では味わえない長期取材の効用が滲み出ており、まず、お目当てのマッコウクジラとなかなか巡り会えず、写真集に"最初に鯨が捕れるまでの海上待ち時間1190時間(4年間)"と書かれていた、その時間の長さをより実感できるかと思います。

 更にその間、毎年のように村を訪れ、村の多くの人と出会い、彼らとの交流を通じて様々な昔話などを訊き出していて、これがたいへん興味深かったです。

 マッコウクジラは彼らにとってもそうそう眼の前に現れるものではなく(村人たちは、ヒゲクジラは伝承神話の上で"恩人"とされているため捕獲しない)、マッコウクジラが獲れない間は、ジンベイザメとかシャチとかマンタ(イトマキエイ)を獲ったりしているようですが、これらとて大型の海洋生物であり、銛一本で仕留めるのはたいへんなこと、マンタは比較的よく獲れるようですが食べられる部分が少なく、マッコウクジラ1頭はマンタ何百頭分にも相当するようです。

海人図2.png 70年代に国連のFAO(国連食糧農業機関)がラマレラの食糧事情を改善しようとノルウェーから捕鯨船を送り込み、その結果、砲台による捕鯨は鯨の捕獲頭数を増やしたものの、鯨肉が供給過剰となったためにFAOは途中で操業をやめ、プロジェクトが終わったら今度はさっぱり鯨が獲れなくなったそうです。

 ここ10年の捕獲数は年間10頭を切るぐらいだそうで、著者もなかなか鯨に巡り合えず、村人たちに「ボンが来ると鯨が現れない」とまで噂されてしまったとのこと。

『海人―THE LAST WHALE HUNTERS』より

海人図3.jpg 彼らの捕鯨は、鯨油のみを目的とした先進国のかつての捕鯨とは異なり、一頭の鯨の骨から皮まで全てを利用する日本古来の捕鯨に近く、IWC(国際捕鯨委員会)が認めている「生存(のための)捕鯨」であることには違いないですが、同時に、鯨が獲れた際には鯨肉を市場での物々交換で売りさばき、干肉にして保存した分も最終的には市場に流通させていることから、「商業捕鯨」の定義にも当て嵌ってしまうとのこと。

 でも、振り返って日本の場合を見れば、「調査捕鯨」の名のもとに「商業捕鯨」が行われているわけで、IWCに異を唱えて「商業捕鯨」を貫こうとしているノルウェーのような毅然とした姿勢をとれないところが、国際社会における発言力の弱さの現れでしょうか。

 ラマレラでは、過去に鯨漁で亡くなった人や事故に遭った人も多くいて、著者は鯨漁を人と鯨の互いの死力を尽くした闘いと見る一方、ラマファ(鯨人)を撮るだけでなく、獲られる側の鯨も撮影しなければとの思いからダイビングライセンスを取得し、とりわけ、断末魔に置かれた鯨の眼を撮ることに執着し、それが、写真集に「次の3年間を鯨の眼を撮ることに費やす」とあった記述となります(この"眼"の撮影に成功した場面もよく描けている)。

 更にエピローグとして、一連の取材を終えた13年後の'10年に村を再訪した際のことも書かれており、村の各戸に電気が通っていたり、漁船にエンジンが付いていたり、反捕鯨団体が鯨の観光資源への転嫁などの宥和策を持ちかけていたりと、いろいろ時代は流れていますが(一方で、報道によれば、今年('12年)1月に、島で10歳の少女がワニに食べられるという事故もあったが)、かつて名人として鳴らしたラマファの古老など、著者が取材した何人かが亡くなっていたのがやはり寂しい。

 写真集『海人』の写真は、「ライフ」をはじめ世界の主要写真集のグラビアを飾りましたが、著者にとっては、ラマレラで鯨人たちと過ごした濃密な7年間こそ人生の宝物であり、それに比べれば、写真家として栄誉を得たことは副産物にすぎないかもしれないといったことを「あとがき」で述べています。

 本書『鯨人』を読んでから写真集『海人』を眺めると、また違った、より深い感慨があります。

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記録写真としてだけでなく、芸術写真としても見事。見せ方の"戦略"に時代背景を感じる。

男の海 鯨の海 市原0.JPG 鯨の海・男の海.jpg
鯨の海・男の海―市原基写真集』['86年]
(34 x 27.2 x 2.8 cm)

 1979(昭和54)年、折しもピークを迎えた世界的な反捕鯨の声に、クジラを食べる日本人としてその現場を見る必要があると感じて、企業・政府等各種団体に捕鯨船への同乗取材を交渉し始めた写真家が、'82(昭和57)年にようやっと南氷洋捕鯨船へ乗り込む許可を得て、'82年12月から翌年3月にかけてと、'83年10月から翌年4月にかけて、南氷洋と小笠原の捕鯨を取材した写真集で、写真家の全乗船距離は8万キロにも及んだとのことです。

男の海 鯨の海 市原6.JPG 日本の伝統産業の1つである捕鯨業が存続の危機にあるということが取材の契機であるわけですが、ただそうしたトピックを追って記録としての意味合いから写真を撮ったというレベルを超えて、海で働く男達の勇壮な仕事ぶりをよく伝えるとともに、南氷洋の美しい自然の様を見事にフィルムに収めており、芸術的にも素晴らしい出来映えではないかと思います。

 キャッチャー・ボートに乗り込んで撮った銛打ちの写真は圧巻で、母船に上がったミンククジラは、ヒゲクジラの中では平均体長8.5メートルと小型ですが、それでもデカそうだなあと。

 海面すれすれに海中を泳ぐミンククジラや体長14メートルのニタリクジラを撮った写真は、まるでこれから浮上しようする巨大潜水艦のようで、こんなのがぬっと目の前に現れたら、初めて見た人はびっくりするだろうなあとか、これがシロナガスクジラだったらニタリクジラの倍の大きさになるわけで、一体どのように見えるのだろうかと―。

 C・W・ニコル氏などが巻末に寄稿文を載せているほか(ニコル氏もまた捕鯨船団に乗り込み南氷洋に同行した経験を持つが、本稿では捕鯨擁護の立場から日本の国際的発言力の弱さを批判している)、著者自身も取材の模様を8ページにわたってドキュメント風に纏めており、併せて、捕鯨問題の(当時の)状況を解説しています。

 更に、巻末には全掲載写真の縮小写真とキャプションが付されていて、このあたりは、最近刊行された小関与四郎氏の写真集 『クジラ解体』('11年/春風社)もそうでしたが、親切な配慮と言えます。

  '86(昭和61)年に房総の和田浦港で撮られたマッコウクジラの解体の模様の写真などを収めた小関与四郎氏の写真集がモノクロなのに対し、この写真集はすべてカラー。但し、母船でのクジラの解体写真だけはモノクロです(しかも見開き写真も多いこの写真集の中で半ページを使ったものが1枚あるだけ)。

鯨の海・男の海1.jpg やはり、反捕鯨運動を意識してのことでしょうか(小関氏のマッコウクジラの解体写真も、撮影して写真集になるまでに25年かかっている)―その分を、南氷洋の美しい光景を撮った写真がカバーしていて、ある意味、戦略的といえば戦略的な面も。

マーメイドラグーンのクジラ.jpg 巻末の写真ごとのキャプションはたいへん丁寧に、また時にエッセイ風に書かれていて、確かに、引き上げられたミンククジラの凛々しく済んだ目には、"人間社会のゴタゴタもすべて見透かされている"ような印象を受けるとともに、ちょっぴり哀感を覚えたのも正直なところです(直径20センチ!ディズニーシーのマーメイド・ラグーンのクジラの目を思い出した)。

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「クジラは絶滅の危機寸前」というのは誤解。種によっては捕獲した方が共存共栄に通じる。

クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係.jpg  クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係 2.bmp 『クジラと日本人―食べてこそ共存できる人間と海の関係 (プレイブックス・インテリジェンス)』 (下図:IWC下関会議推進協議会パンフレットより/下段に拡大図)

ミンククジラ/シロナガスクジラ.jpg 商業捕鯨の再開推進の立場からの捕鯨問題についての入門書で、10年ほど前に刊行された本ですが、クジラを捕って食べて良い理由を懇切丁寧に解説したもので、かっちりした内容であり、「クジラは絶滅の危機寸前」といった言説が誤解であることなど、この問題についての自らの認識を改めさせてくれた本でした。

 さまざまな種類のクジラの生態と棲息の実態、世界及び日本の捕鯨の歴史、日本人とクジラの文化的関わりなどを解説し、クジラが資源として枯渇状況にあるわけではなく、むしろ適量の捕獲を行うことがクジラを守ることにも繋がること、IWCが捕鯨禁止を決定した経緯と、その見直しが先延ばしされている矛盾、捕鯨禁止運動の内実や捕鯨禁止の科学的根拠のなさなどが説かれています。

 著者は捕鯨やマグロ漁業の国際交渉の担当する水産庁幹事官で、IWC(国際捕鯨委員会)にも日本代表代理として参加している人であり、商業捕鯨の再開を訴える背景には、日本の経済的権益を守るという立場からの見方が当然のことながら織り込まれているわけですが、その是非はともかく、国際会議における日本の発言力の弱さというものも考えさせられました。

 しかしながら最近では、クジラが人間が海からとる海産物の3倍から5倍もの量を捕食していること、ミンククジラをはじめ多くのクジラの生息数が急増していることなどの科学的調査結果が公表され、新たにIWCに加入した途上国を中心に、捕鯨賛成諸国も増えてきているようです。

 シロナガスクジラは1900年頃に20万頭いたのが今は2千頭に減ってしまったようですが(原因は、鯨油を採ることのみを目的とした欧州諸国の乱獲)、現在調査捕鯨の対象として認められているミンククジラは南氷洋に76万頭いるとのことで(内、調査捕鯨として捕獲しているのは年間440頭のみ)、更に北西太平洋にはミンククジラが2万5千頭(調査捕鯨上限は年間100頭)、ニタリクジラが2万2千頭(同年間50頭)、マッコウクジラは10万2千頭(同年間10頭)いると推定されるそうです(データは何れも2001年度)。

 440/760,000、100/25,000、50/22,000、10/102,000―こうして見ると、あまりにも異常な捕獲制限枠の在り様ではないでしょうか―ミンククジラの増えすぎ(「76万頭」という数字はIWCの科学委員会によって算出・認定された数)、が、シロナガスクジラ等のえさ不足にも繋がって、ますますシロナガスクジラを絶滅の危機に追いやっているという事実もあるようです。

商業捕鯨を再開しなければならないほど今の日本は食糧難なのかという疑問は日本人にもあるかもしれませんが、商 業捕鯨が禁止されてから日本のマグロの輸入量が増え、それが現在の南洋黒マグロの資源量の問題に連なっています。

 日本は縄文時代からの捕鯨の歴史があり、クジラを資源として余すことなく利用し、かつ自然の恵みに対する畏敬と感謝の念を忘れずにきたとのことで、鯨油採取のためだけに捕鯨をしていた国々とは文化が異なり、これはある意味これは異価値・異文化許容性の問題でもあるなあと。

 IWCで最も頑なに商業捕鯨再開を拒んでいるのは米国であり、'90年に見直しするはずだった商業捕鯨禁止決定がそのままになっている―その米国は、一旦IWCを脱退した捕鯨国アイスランドが、捕鯨停止に対する決議を留保したままオブザーバーとしてIWCに再加入することに最後まで反対していますが、京都議定書や戦略核兵器制限交渉においては反対・保留の立場をとったまま参加しているわけで、強国のエゴというのがここにも見え隠れしている思いがします。

 1年間で「3万頭」増えるミンククジラの捕獲制限枠が僅か「2千頭」と言うのは、やはりどう見ても保護と捕獲のバランスを欠いているように思いました。

(IWC下関会議推進協議会パンフレットより)
syu-kujira.jpg
《読書MEMO》
●ミンククジラは、20世紀初頭の南氷洋には約8万頭しかいなかったが、今では76万頭にまで激増している。ミンククジラの増殖率は年間4~7%。76万頭の4%は3万頭。今後100年間で20万頭(1年で2000頭)捕獲しても資源に悪影響はないとIWCの科学員会でも認められている(24‐25p)
●北西太平洋での日本の調査では、ミンククジラ100頭、ニタリクジラ50頭、マッコウクジラ10頭を上限として捕獲しているが、北西太平洋には、ミンククジラは25,000頭、ニタリクジラは22,000頭、マッコウクジラは102,000頭いると推測されている(25p)
●シロナガスクジラは1900年ごろ、南氷洋には20万頭がいたといわれるが、ノルウェーが8万2000頭、イギリスが7万頭捕獲し、現在では南氷洋に2000頭程度しかいないといわれている(44p)
●シロナガスクジラの増加を促進するためには、ミンククジラを一定数間引くことが有効であるといわれている。少なくとも、ミンククジラが今のままの数でいる以上、シロナガスクジラの増加は見込めないようだ(55p)

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今となっては貴重なマッコウクジラ解体の写真。捕鯨論争の中、「事実は事実」の記録として...。

9小関 与四郎 『クジラ解体』.jpg
小関 与四郎 『クジラ解体』.jpg
 
クジラ解体』(31 x 22.2 x 2.8 cm) 装丁・レイアウト:和田 誠
  
9小関 与四郎 『クジラ解体』_s3.jpg 今となっては珍しい港でのクジラ解体の模様や、かつてクジラ漁が盛んであった地の、その「文化」「伝統」の名残をフィルムに収めた写真集です(昔、捕鯨船の甲板でクジラの解体をしている写真が教科書に載っていたような記憶があるのだが...。鯨肉の竜田揚げは学校給食の定番メニューでもあったし、鯨(鮫?)の肝油ドロップなんていうのもあった)。

 この写真集にある写真の内、クジラ解体の様子そのものを撮ったものは、1986年に房総の和田浦港で撮られたマッコウクジラの解体の模様と、2010年に宮城県の鮎川港で撮られたツチクジラの解体の模様のそれぞれ一連の写真群で、やはりこの両写真群が迫力あります。

9小関 与四郎 『クジラ解体』_s4.jpg とりわけ、和田浦港のマッコウクジラの解体の様子は大型のクジラであるだけに圧巻で、'86年当時、写真家は、近々マッコウクジラは大型捕鯨の規制対象となると聞き、今のうちに撮らねばとの思いから撮影したとのことですが、その後の反捕鯨運動の高まりで、これらの写真は写真集となることもなくお蔵入りしていたとのことです。

 しかしながら、捕鯨論争が加熱する中、「ありのままの姿を正面から見据えて記録する」との自らの信条に立ち返り、「事実は事実」の記録として残し伝えたいとの思いから、この「写真鯨録」の発表に至ったようです。

9小関 与四郎 『クジラ解体』_s5.jpg 和田浦港は、小型捕鯨に規制された今でも、解体の模様を一般の人が見ることができるようですが、一般人も解体を見ることができるのは全国でここだけで、この写真集で古式捕鯨の名残が紹介されている和歌山県の太地港や、実際にツチクジラの解体の模様が紹介されている宮城県の鮎川港でも、小型捕鯨は今も調査捕鯨の枠内で行われているものの、反捕鯨運動に配慮して、解体の模様は一般には公開していないとのことです。

 生態保護と食文化の相克―難しい問題。この写真集を見ると、単に食文化に止まらず、鯨漁を行っている港町にとっては伝統文化であり、生活文化でもあったようだし(これを「文化」と呼ぶこと自体、反捕鯨派は異論があるのだろうが)。

9小関 与四郎 『クジラ解体s2.jpg 装填は和田誠氏。栞(しおり)としてある「クジラ解体 刊行に寄せて」には、安西水丸(イラストレーター)、池内紀(独文学者)、海老沢勝二(元NHK会長)、加藤郁乎(俳人)、金子兜太(俳人)、紀田順一郎(評論家)から、地井武男(俳優)、中条省平(学習院大教授)、道場六三郎(料理家)、山本一力(作家)まで、各界16名の著名人が献辞しています。

 但し、その殆どが写真集の出来栄えを絶賛し、郷愁を述べたり貴重な文化記録であるとしたりするものの、一部の人が「記憶や記録にとどめておくだけでいいのか?」(地井武男)、「自然の恵みで最大のご馳走」(道場六三郎)など、食文化としての復活の期待を匂わせているだけで、大方は「考えさせられる」止まりのようです(反捕鯨派を意識してか?)。

9小関 与四郎 『クジラ解体』_s1.jpg でも、この写真集に献辞しているということは、大方は、「食文化としての復興支持」派なんだろうなあ。一番ストレートなのは、絵本作家の五味太郎氏で、「よい。とてもよい。鯨はよい。解体作業もよい。鯨肉もこれまたよい。まったく完璧だね。俺にも裾分けしなさい。何か問題あるの?」と―。

 一般的な日本人の意識としても、いろいろ考えさせられるにしても感覚的にはこれに近いんじゃないの?―「クジラ親子の写真集を微笑ましく見る人が、鯨料理屋で舌鼓を打つ」というのが人間ってものかも―でも、牛や豚が消費されるために生まれてくる"経済動物"であるのに対し、クジラは養殖しているわけではないから、自然保護の観点から見てその点が気になる...といった感じか?

 例えば、小松正之 著『クジラと日本人-食べてこそ共存できる人間と海の関係』('02年/青春新書プレイブックス・インテリジェンス)によると、シロナガスクジラはかつての人間による乱獲で20万頭から2千頭に減ってしまったようですが、現在調査捕鯨の対象として認められているミンククジラは南氷洋に76万頭いて(内、調査捕鯨として捕獲しているのは年間440頭のみ)、更に北大西洋にはミンククジラが2万5千頭(調査捕鯨上限は年間100頭)、ニタリクジラが2万2千頭(同年間50頭)、マッコウクジラは10万2千頭(同年間10頭)いると推定されるそうです(何れも'02年現在)。

 むしろ、あまり厳しい捕鯨制限枠をずっと続けていると、特定の種類のクジラが増えすぎて生態系を乱すことも考えられるわけですが(歯クジラが食べる魚の量は人間の漁獲量との比ではないくらい多い)、本書では敢えてそうしたデータ的ことは示していません。

 クジラの供養碑等の写真からは、日本人のクジラに対する感謝の念が感じ取れましたが、そうした写真も含め、これらの写真を見てどう感じるかはあくまで見る人に任せ、基本的には、純粋に「写真記録」として提示することに努めた編集となっているように思いました。

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