「●江戸時代」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ [●明智光秀・本能寺の変]【234】 藤田 達生 『謎とき本能寺の変』
「●日本史」の インデックッスへ 「●「老い」を考える」の インデックッスへ
江戸時代の武士には介護休職制度が、さらにそれより古くから高齢者介護はあった。
『武士の介護休暇: 日本は老いと介護にどう向きあってきたか (河出新書) 』['24年]帯装画:岡添健介
医療が未発達であった昔、日本ではどのように高齢者介護に取り組んできたのか? 本書は、武士の介護休暇制度があった江戸時代を中心に、近世以前のわが国の介護の歴史を解き明かした本です。
第1章では江戸時代の高齢者介護を取り上げており、冒頭では介護休暇を取って親を介護していた武士の例が出てきます。江戸幕府は「看病断(かんびょうことわり)」という介護休業制度を整備しており、多くの藩でも同様の制度があったとのことです。また、親への孝心は当時の武士の持つべき徳目とされており、女性ではなく男性が介護の中心的役割を担ったそうです。
江戸時代の介護については武士・非武士を問わず史料が比較的充実しており、それは、当時の善行とされた行為に「孝行」や「忠孝」が含まれ、親や雇い主を介護したケースが表彰の対象として『孝義録』といった史料に残されているためであるとのことで、それはまた、統治者にとっては、治安が上手くいっていることのアピールでもあったようです。
第2章では、江戸時代の「老い」の捉え方を見ていきます。概ね江戸期を通して幕府は70歳以上を隠居年齢にしており(今より高い水準とも言える)、94歳まで働いた武士もいたそうです。一方、井原西鶴などによれば、町民における望ましい人生は、50代後半頃の隠居が成功者の理想で、40代あるいはもっと若くして隠居するケースもあったようです(江戸時代版「FIRE」か)。
第3章から第5章にかけては、江戸時代より前、古代~中世期の介護の実情に迫っています。昔から高齢者は一定割合でいたことが判っていますが、7世紀の終わりに導入が進められた律令制度のもとでは、61歳以上が高齢者に該当し、若い人ほどの労働力がないと見なされる一方、高齢者は尊敬の対象でもあったとのことです(第3章)。
第4章では、古代~中世期の要介護の要因となった病気として、認知症、脳卒中などの例を史料・物語で紹介しています(これは現代の要介護の二大要因と同じ)。ちなみに、高齢者以外も含めた要援護者に対する公的なケアの始まりは、西暦593年に聖徳太子が大阪・四天王寺に置いた今で言う病院・福祉施設(療病院と悲田院を含む「四箇院(しかいん)」。他に寺院そのものである敬田院、療病院は薬局にあたる施薬院から成る)が最初とされるとのことで、今から1400年も前に、ささやかながらも公的なケア・サービスが存在したことに驚かされます。一方で、身寄りのない高齢者の介護・看取りやその最期の悲惨な例も紹介されています。
第5章では、古代~中世期の数ある「姥捨て物語」の類型を示して、姥捨てという介護放棄が実際にあったのかどうかを考察し、なかったとは言いきれないものの、物語としては孝行物語として帰結しているものが多いとしています。その上で、当時の人々が高齢者ケアに向かう考え方や価値観=倫理を探り、そうした倫理が作用しなかったときに、高齢者が見放される事態が生じたとしています。
最終の第6章では、引き続き江戸時代についてもこうした考察を試み、江戸時代に身寄りのない高齢者はどう介護されたかを述べ、「五人組」などの地域で高齢の要介護者を支える制度や、幕藩による高齢者の救済制度が紹介されています。結論として、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観として、①老親や主人への「情」の論理、②まずは家の中で対応する「家」の論理、③家で対応できない場合の「地域」の論理、④幕府の儒教・朱子学強化施策を背景とした「儒」の論理を挙げています。
江戸時代、さらにはそれより古くから高齢者介護というものはあったということを知ることができたとともに、当時の人々を高齢者ケアに向かわせた価値観には(介護放棄につながる要因も含め)、現代にも通じるものがあることを感じました。たいへん面白く読めました。