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直接的に死を語っている部分が面白かった。「生」への執着を素直に吐露する石原慎太郎。
『死という最後の未来』 石原 慎太郎(田園調布の自宅で2019年2月)[毎日新聞]/石原慎太郎の海上散骨式(2022年4月)[逗子葉山経済新聞]
キリストの信仰を生きる曽野綾子。法華経を哲学とする石原慎太郎。対極の死生観をもつふたりが「老い」や「死」について赤裸々に語る。死に向き合うことで見える、人が生きる意味とは―。(版元口上)
石原慎太郎(1932-2022/89歳没)と彼より1つ年上の曽野綾子(1931-r2025/93歳没)が死について語り合ったもので、第1章の中で、石原氏は2013年に脳梗塞に見舞われ、2020年には初期の膵臓癌が見つかったことから、身近に「死」を感じるようになったと語っており、一方、曽野氏はシェーグレン症候群という一種の膠原病のような持病があり、時々だるくなり微熱が続くが致命的ではないと告白していて、そのあたりも対談の契機となったようです。2020年6月に単行本刊行、今年['22年]2月に文庫化されましたが、その石原慎太郎は今年['22年]2月1日に満89歳で亡くなっており、作家としては初期の作品は面白いと思うものの、ものすごく好きな人物だったというわけではないですが、やはり寂しいものです。
「人は死んだらどうなるのか」といった直接的なテーマから、「コロナは単なる惨禍か警告か」といった社会的なテーマ、「悲しみは人生を深くしてくれる」といった亡くなった人の周囲の人の問題までいろいろ語り合っていますが、やはり直接的に死を語っている部分が面白かったです。
特に石原慎太郎は、法華経を哲学とするも死後は基本的に「無」であり何も無いと考えているようであって、それでいて、それは「つまらない」と必死に抵抗している感じ。こうなると「生」に執着するしかないわけであって、そのジタバタぶりがストレートに伝わってくるのが良かったです。「生」に執着しない人なんてそういないと思いますが、「功なり名なりを成した人間」が、それを素直に吐露している点が興味深いです。
石原慎太郎にとっての生き方の理想となっているのは、レニ・リーフェンシュタールのような人のようです。彼女は1962年、旅行先のスーダンでヌバ族に出会い、10年間の取材を続け1973年に10カ国でその写真集『ヌバ』を出版、70歳過ぎでスクーバダイビングのライセンスを取得して水中写真集をつくり、100歳を迎えた2002年に「ワンダー・アンダー・ウォーター 原色の海」で現役の映画監督として復帰し(世界最年長のダイバー記録も樹立)、その翌年の2003年、101歳で結婚しています。
レニ・リーフェンシュタール(1902-2003)
また、石原慎太郎は対談の中で「僕は生涯、書き続けたい」と述べていて、結局、これも対談の中で「完治した」と言っていた膵臓がんが2021年10月に再発し、「余命3か月」程度との宣告を受けているわけですが、この時の心情も含め、「死への道程」というのを書いていて、その通り最後まで書き続けたのだったなあと(これが絶筆となり、死去後の今年['22年]3月10日に発売された「文藝春秋」4月号に掲載されている)。
先月['22年6月]には、65歳になる前から書き綴られた自伝『「私」という男の生涯』(幻冬舎)が、石原自身と妻・典子の没後を条件に刊行されています(典子夫人は石原慎太郎の死去後1カ月余りしか経ない3月8日に亡くなっている)。まあ、生涯、作家であったと言えるし、作家というのは引退のない職業だとも言えるのかも。
因みに、石原慎太郎が話す、特攻隊の基地があった鹿児島・知覧の町で食堂をやっていた鳥濱トメさんから直接聞いた「自分の好きな蛍になって、きっと帰ってきます」といった隊員の話は、降旗康男監督、高倉健主演の映画「ホタル」('01年/東映)のモチーフにもなっていました。
映画「ホタル」('01年/東映)奈良岡朋子
【2022年文庫化[幻冬舎文庫]】
曽野 綾子 作家
2025年2月28日老衰のため逝去。93歳。
キリスト教的倫理観に基づき、宗教や戦争、社会などを深く洞察した小説を数多く残した。
『誰のために愛するか』『神の汚れた手』など