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大佛次郎の原作小説をベースに考えればオーソドックス(?)なオールスター映画。

赤穂浪士 1961 .jpg赤穂浪士 1961 87.jpg 赤穂浪士 kataoka .jpg
赤穂浪士 [DVD]」 片岡千恵蔵(大石内蔵助)

赤穂浪士 1961dL.jpg 五代将軍綱吉治下、江戸市内に立てられた高札の「賄賂は厳禁のこと」の項が墨黒々と消され、犯人とおぼしき浪人・堀田隼人(大友柳太朗)が目明し金助(田中春男)に追われるが、堀部安兵衛(東千代之介)に救われる。赤穂五万石の当主・浅野内匠頭(大川橋蔵)は、勅使饗応役を命ぜらるが、作法指南役の吉良上野介(月形龍之介)は、内匠頭が賄賂赤穂浪士 1961  ookawa1.jpgを贈らないため事毎に意地の悪い仕打ちをする。勅使登城当日、度重なる屈辱に耐えかね、松の廊下で上野介に刃傷に及ぶ。内匠頭は命により即日切腹、浅野家は改易に。赤穂城代・大石内蔵助(片岡千恵蔵)のかつての親友で、上野介の長子・綱憲(里見浩太朗)を当主とする上杉家の家老・千坂兵部(市川右太衛門)は、上野介お構いなしとの片手落ちの幕府の処断に心痛する。兵部は清水一角(近衛十四郎)に命じ、腕ききの浪人者を集め、上野介の身辺を守らせ、隼人も附人の一人となる。兵部は妹の仙(丘さとみ)に内蔵助らの動静をさぐることを命じ、隼人も赤穂に赴く。内蔵助は、同志に仇討ちの意志を赤穂浪士さくら千恵蔵.jpg伝えて城を明け渡すと、京都山科に居を構えて祇園一力で遊蕩の日々を送り、妻子とも離別する。世の誹りの中、兵部だけは内蔵助の心中を知る。内蔵助は立花左近を名乗って東下りするが、三島の宿で本物の立花左近(大河内傳次郎)と鉢合わせになり、左近の情ある計らいで事無きを得る。内蔵助は討入り前に瑶泉院(大川恵子)を訪れ、言外に今生の別れを告げると、元禄14年12月14日雪の中、本所松坂町の吉良邸に討入る―。

赤穂浪士 1961 ookawa .jpg 松田定次監督による1961年の東映創立10周年記念作品。東映は同監督の1956年製作の東映創立5周年記念作品「赤穂浪士 天の巻・地の巻」、1959年製作の"東映発展感謝記念"「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」に続くオールスター・キャストの忠臣蔵映画であり、「赤穗浪士 天の巻・地の巻」などと同じく、大佛次郎(1897-1973/享年75)の、昭和初期に「東京日日新聞」に連載、1928年改造社より刊行の小説『赤穗浪士』(新潮文庫など)を原作としています(5周年記念の後にまた"東映発展感謝記念"作や10周年記念作を作ったのは、その間に大映が長谷川一夫主演のオールスター映画「忠臣蔵」('58年/大映)を作っていることへの対抗意識もあったようだ)。5周年記念「赤穗浪士 天の巻・地の巻」の時の脚本が新藤兼人であっ赤穂浪士 東.jpgたのに対し、こちらは小国英雄の脚本。「赤穗浪士 天の巻・地の巻」の時は大石内蔵助を市川右太衛門が、浅野内匠頭を東千代之介が、立花左近を片岡千恵蔵、堀部安兵衛を堀雄二が演じていたのに対し、こちらは大石内蔵助を3年前の「忠臣蔵 櫻花の巻・菊花の巻」の時と同じく片岡千恵蔵が(片岡千恵蔵は「忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活)では浅野内匠頭と立花左近の1人2役を演じている。この時の大石内蔵助役は坂東妻三郎)、浅野内匠頭を大川橋蔵が、立花左近を大河内傳次郎が、堀部安兵衛を東千代之介が演じています。また、この作品では、内蔵助の心情を知る上杉家の家老・千坂兵部の存在が大きく取り上げられていて、それを市川右太衛門が演じているほか、原作小説の主人公的存在で、千坂兵部の命により赤穂浪士の動向を探る浪人・堀田隼人という架空大友柳太朗赤穂浪士38.jpgの人物を、「赤穗浪士 天の巻・地の巻」の時に続いて赤穂浪士 月形.jpg赤穂浪士 1961 es.jpg演じています(この役は過去に大河内傳次郎や片岡千恵蔵も演じている)。因みに吉良上野介も、「赤穗浪士 天の巻・地の巻」の時に続いて月形龍之介が演じています。
大河内傳次郎(立花左近)・片岡千恵蔵(大石内蔵助)...「大石東下り」の場面

赤穂浪士0.gif 豪華俳優陣がそれぞれに相応しい役を演じているという印象を受け、オーソドックスに作られたものの中では完成度はまずまず高いのではないでしょうか。まあ、大友柳太朗が演じる堀田隼人は完全に架空の人物であるし、千坂兵部(実在)も赤穂事件の2年前(1700年)に既に没していたことが後に判明しているため、"オーソドックス"というのはあくまでも大佛次郎の小説『赤穗浪士』をベースとして考えた場合ということになり、マキノ正博/池田富保監督の「忠臣蔵 天の巻・地の巻」('38年/日活京都)などの"古典"と比べればいじりまくっているということにはなりますが...。因みに、立花左近は「実録忠臣蔵」('21年)でマキノ省三監督がこしらえた架空キャラクターで、モデルは垣見五郎兵衛(実在)という人ですが、大石内蔵助とは鉢合わせするどころか、実際には会ってもおらず、大佛次郎の原作にも登場しません。マキノ省三監督が「勧進帳」の要素を「忠臣蔵」に取り込み、それを受け継いだのでしょう(つまり、監督による"いじり"はそれまでも絶えず行われていたということか)。今や「大石東下り」として定番的な名場面となっています。

 まあ、あまり史実にこだわり出すと、そもそも吉良上野介は本当に浅野内匠頭に意地悪したのかも怪しくなり、浅野内匠頭に対する取り調べの記録なども確かな史料は無いため、結局は多くが推測の域を出ないことになってしまうというのもあるかと思います。だからこそフィクションが成り立つとも言え、フィクションはフィクションとして楽しむべきなのかもしれません。

赤穂浪士 大友.jpg この大佛次郎原作・松田定次監督版の場合、やはり何と言っても大友柳太朗が演じる堀田隼人の存在が特徴的で、「賄賂は厳禁のこと」と書かれた立札に落書きし(この話は原作には無い)、賄賂を受け取っている吉良上野介を揶揄することで、浅野内匠頭の吉良上野介への怒りを単なる"私憤"の域に止めず"公憤"の域にまで引き上げ、観客が浅野内匠頭に同情しやすい状況を作り出す役割を果たしているように思います。でも、結局隼人自身は、浪士たちに共感を覚えながらも自らを浪士たちに同化しきれないことを悟って、スパイ同士の関係から恋仲になった仙の下へ戻って行きます。映画からは隼人が自らが抱える虚無を克服できなかったことが窺えますが、原作では後日譚として隼人と仙は心中したとなっています(原作では仙は兵部の妹でも何でもない非血縁者)。

赤穂浪士 中村.jpg あとは目立ったのは、浅野内匠頭のことを心配していた中村錦之助(萬屋錦之介)演じる脇坂淡路守。吉良上野介ごときで命を落とすのは惜しいと内匠頭に辛抱を説き、浅野家臣には上野介への付け届をもう少し配慮しろとの実践的アドバイスをしています(この人の言うことを聞いていれば赤穂事件は起きなかった?但しこの話も原作には無い)。しかし、遂に刃傷事件が起きてしまって悔しがり、松の廊下を搬送される吉良にわざと(?)ぶつかって「我が家の紋所を不浄の血でけがすとはなにごとぞ!無礼者!」と言って吉良上野介を扇子でしたたか打ち据えます(この話も原作には無い)。でもこれはまあ立花左近の"勧進帳"(大石東下り)と併せて定番と言えば赤穂浪士 市川.jpg定番です。むしろ、市川右太衛門演じる上杉家の家老・千坂兵部赤穂浪士 里見.jpg後半の目立ちぶりが顕著だったかも。千坂兵部は内蔵助と旧知の関係になっていて(原作には無い設定)、なぜか内蔵助が立花左近と鉢合わせになった三島の宿にまで出没し、内蔵助と目と目だけの"会話"。最後は、父親の危機に馳せ参じようとする上野介の長子・綱憲(里見浩太朗)を上杉家のためだと言って(世間は皆、赤穂浪士側を支持していますとの殆ど観客向けのような説明の仕方がスゴイけれど)命を張って押しとどめます(原作では赤穂浪士討ち入りの時点で千坂兵部は国元に戻されているため、この場面も無い)。

赤穂浪士 松方.jpg 松方弘樹(1942年生まれ、デビュー2作目で当時18歳)が大石内蔵助の息子・大石主税役で出ていて、討ち入り前に元服しますが(実在の大石主税は当時15歳ぐらいか)、討ち入った先に近衛十四郎(松方弘樹の実父)が演じる二刀流の剣豪・清水一角がいるという取り合わせが興味深いです(清水一角は歌舞伎で使われた名前で、本名は清水一学(実在))。"親子出演"で、親子を敵味方にしてしまったのだなあ。近衛十四郎の剣戟がちらっと見られるのはいいです(松方弘樹の方はまだ、ただ出ているだけ程度の存在か)。

 江戸っ子の畳職人・伝吉を演じた中村賀津雄(中村嘉葎雄)(こちらは中村錦之助と"兄弟出演")とその棟梁を演じた吉田義夫(いつもは悪役が多い)、内匠頭の一の側近・片岡源吾右衛門(史料では無言であることを条件に内匠頭の切腹への立ち合いを許されたとある)を演じた山形勲(この人も普段は悪役が多片岡源五右衛門(山形勲)f.jpgく、後に吉良上野介も演じるがここでは忠義の家臣)も良かったです。オールスター映画ですが、ストーリーは概ね定番です(但し、改めて振り返ると、大佛次郎の原作と比べても細部においては「無い無い尽くし」であるため、「(原作をベースに考えれば)オーソドックス」の"オーソドックス"には?マークがつくが)。そうした意味では、個々の役者を楽しむ映画かもしれません。長谷川一夫主演の「忠臣蔵」('58年/大映)と観比べてみるのも面白いかと思います。

山形勲(片岡源五右衛門)

【新企画】二大大型時代劇映画「忠臣蔵1958」「赤穂浪士1961」を見比べてみた。(個人ブログ「映画と感想」)

赤穂浪士1961 _0.jpg「赤穂浪士」●制作年:1961年●監督:松田定次●製作:大川博●脚本:小国英雄●撮影:川崎新太郎●音楽:富永三郎●原作:大佛次郎「赤穂浪士」●時間:150分●出演:片岡千恵蔵/中村錦之助(萬屋錦之介)/東千代之介/大川橋蔵/丘さとみ/桜町弘子/三原有美子/藤田佳子/花園ひろみ/大川恵子/中村賀津雄(中村嘉葎雄)/松方弘樹/里見浩太郎/柳永二郎/宇佐美淳也/堺駿二/田中春男/多々良純/尾上鯉之助/徳大寺伸/香川良介/小柴幹治/片岡栄二郎/堀正夫/高松錦之助/有馬宏治/楠本健二/月形哲之介/瀬川路三郎/団徳麿/小田部通麿/潮路章/有川正治/南方英二(後のチャンバラトリオ)/遠山金次郎/尾上華丈/大前均/中村錦司/赤木春恵/上代悠司/国一太奈良東映赤穂浪士超満員昭和36年.jpg郎/水野浩/中村時之介/北龍二/明石潮/清川荘司/吉田義夫/星十郎/沢村宗之助/戸上城太郎/阿部九洲男/加賀邦男/長谷川裕見子/花柳小菊/青山京子/千原しのぶ/木暮実千代/大赤穂浪士 およね(木暮実千代).jpg河内傳次郎/近衛十四郎/山形勲/薄田研二/進藤英太郎/大友柳太朗/月形龍之介/市川右太衛門●公開:1961/03●配給:東映(評価:★★★☆)

木暮実千代(およね)

「赤穂浪士」封切時(奈良東映・昭和36年)写真:谷井氏

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唯一の阪妻版「丹下左膳」。単独で観ればそれなりに面白いが、他と比べると...。

丹下左膳 1952 dvd.jpg丹下左膳 [DVD]」 丹下左膳 (1952年、日本).jpg 淡島千景・阪東妻三郎

丹下左膳 (1952年)_1.jpg 徳川八代将軍吉宗(夏川大二郎)は、日光東照宮の改修工事を柳生藩に下命した。小藩の柳生家ではその費用に困窮したが、藩の生き字引の百余歳の一風宗匠が、柳生家では非常時のために莫大な埋蔵金があり、その在り処の地図は「こけ猿の茶壷」に納めてあると言う。その壷は、柳生家の息子・源三郎(高田浩吉)が、江戸に道場を持つ司馬一刀斎の娘・萩乃(喜多川千鶴)の許への婿入りの引出物に持って行っており、源三郎を道場に入れまいとする師範代・峰丹波(大友柳太朗)と一刀斎の後妻お蓮(村田知栄子)は、こそ泥・鼓の与吉(三井弘次)に源三郎から壷丹下左膳 (1952年、2).jpgを盗ませる。壺を盗んだ与吉は柳生の侍らに追われて、トコロテン売りの小僧ちょび安(かつら五郎)にそれを渡す。ちょび安は丹下左膳(阪東妻三郎)と櫛卷お藤(淡島千景)の夫婦に可愛がられ養子になる。その時ちょび安の持っていた壷は、長屋に住む浪人・蒲生泰軒に盗まれるが、左膳は泰軒を斬ってそれを取り戻す。更に幕府の隠密の総師・愚樂(菅井一郎)により再び盗み去られるが、盗まれた壷は偽物で、本物の壷は与吉によってお蓮の許へ運ばれていた。司馬道場へ婿入りした源三郎だが、お蓮に川船に誘い出され無理に口説かれる。源三郎が靡かないと見ると、船の底に穴をあけ船を沈められる。泳ぎが不得手の源三郎を助けるため左膳が川に跳び込むが、源三郎も左膳もこけ猿の壷もろとも水門へと流される。長屋の住人らは二人の葬式を挙げるが、実は二人は何とか生きていて壷も無事だった。そこで丹波はちょび安を誘拐し、左膳をおびき出して騙し討ちにしようとする―。

丹下左膳 百万両の壺 101.jpg 1952年公開の松田定次監督、阪東妻三郎主演作。戦前の山中貞雄監督、大河内傳次郎主演の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」('35年/日活)と同じく、林不忘(1900-1935/享年35)の『丹下左膳・こけ猿の巻』が原作であり、おそらくこちらの方が原作に近いのでしょう。"こけ猿の壷"を巡って、柳生家、峰丹波一味、幕府隠密、鼓の与吉とお連などが四ツ巴の争奪戦を繰り広げ、しかも最後にちょび安の意外な出自が明かされるという、いわば何でもありの(林不忘らしい?)ストーリーです。

大河内傳次郎「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」('35年/日活)

 と言うことで、この作品単独で観れば相当に面白いのですが、どうしても山中貞雄・大河内傳次郎版「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」と比べてしまい、そうなると、出身地の豊前訛りで「シェイハタンゲ、ナハシャゼン」と名乗る大河内傳次郎の左膳のアクの強さに比べると、「姓は丹下、名は左膳」と正しい滑舌で名乗る阪東妻三郎の左膳はややキャラ的に弱かったかも。「無法松の一生」「王将」的な庶民肌のところは充分に出ていますが、昭和初期、「サイレント映画では、虚無的な浪人者をやらせては妻三郎の右に出るものなし」と謳われた、そのニヒルさは影を潜めてしまっているように思います。

 阪東妻三郎の殺陣の腕前は、同じく剣戟スターだった市川右太衛門、月形竜之介などよりも一段上だったようで、松竹が阪東妻三郎で丹下左膳を撮ることになった時、大河内傳次郎側が「丹下左膳は自分の作品だから、やめてほしい」と松竹に抗議したそうですが、大河内傳次郎もバンツマのカリスマ性に脅威を感じていたのでしょうか。

魔像 dvd 1952.jpg ところが、この作品での阪東妻三郎の殺陣はイマイチで、最後の刀を持たずに出向いた峰丹波(大友柳太朗)一派の所での決闘でも、追って刀を届けたお藤(淡島千景)から刀をなかなか受け取れずやきもきさせますが、これってわざとコメディ調に作っているのでしょうか。50歳を過ぎて年齢的にキツイ殺陣は出来なくなっていたの説もありますが、同年の大曾根辰夫監督の「魔像」('52年/松竹/原作:林不忘)では、かなり鋭い剣戟を見せています。

丹下左膳 大友.jpg 残念ながら、阪東妻三郎は本作の翌年(1953年)51歳で脳内出血により急死し、阪東妻三郎の丹下左膳はこの1作のみです。逆に大河内傳次郎がマキノ雅弘監督の「丹下左膳」('53年/大映)にて55歳で左膳役に復帰し、「続・丹下左膳」('53年/大映)、「丹下左膳 こけ猿の壺」('53年/大映)まで3作を撮っているほか、この作品で悪役の峰丹波を演じた大友柳太朗が、松田定次監督「丹下左膳」('58年/東映)に主演、「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」('62年/東映)まで5作で左膳役を演じています。

大友柳太朗「丹下左膳」('53年/大映)(左は松島トモ子)

 山中貞雄監督、大河内傳次郎主演の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」('35年/日活)は、それまでの怪異的存在であった丹下左膳像をモダンな明るい作風にパロディ化してしまったため、原作者の林不忘が、これは左膳ではないと怒ってしまったことからタイトルに「餘話」とあるそうですが、林不忘がその年に35歳で早逝したため、そうしたことを言う人がいなくなって(山中貞雄監督の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」以降の作品の左膳は全て好人物になってしまったらしい)、そのためどこまでが本物でどこまでがパロディなのか分からなくなったような気もします

 そうした意味では、「丹下左膳」('58年/東映)で豪放磊落な丹下左膳を演じた大友柳太朗の戦略は賭けの要素はあったものの結果的に「当たり」で、それに比べるとこの阪東妻三郎版「丹下左膳」('52年/松竹)は、同じ松田定次監督作でありながら、(あくまでも他と比べてだが)ちょっと中途半端だったかもしれません(繰り返すが、この作品そのものはそれなりに面白い)。

丹下左膳 (1952 松竹)s.jpg丹下左膳 (1952年)5.jpg丹下左膳 (1952年) .jpg「丹下左膳」●制作年:1952年●監督:松田定次●製作:小倉浩一郎●脚本:菊島隆三/成澤昌茂●撮影:川崎新太郎●音楽:深井史郎●原作:林不忘●時間:91分(現存90分)●出演:阪東妻三郎/淡島千景/つら五郎/三井弘次/高田浩吉/加賀邦男/富本民平/藤間林太郎/海江田譲二/戸上城太郎/喜多川千鶴/村田知栄子/大友柳太朗/夏川大二郎/菅井一郎●公開:1952/08●配給:松竹(評価:★★★☆)

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市川右太衛門、大友柳太朗、大川橋蔵、東千代之介という俳優の格付順がよく分かる。

大江戸七人衆 1958 poster.jpg大江戸七人衆 [Seven from Edo].jpg大江戸七人衆 1958 dvd.jpg   大江戸七人衆3.jpg
ポスター/「大江戸七人衆 [DVD]」 花柳小菊・市川右太衛門
 
大江戸七人衆 dvd3.jpg 旗本一派の大黒柱・勝川縫之助(市川右太衛門)、彼の元に集う小身旗本や冷や飯食いたちは、たつきの道を得るため顔役・相模屋太兵衛(志村喬)の手伝いをしていたが、鬼留一家の上席旗本・松平帯刀(たてわき)(山形勲)から、一家が浅草の縄張りを狙っていることもあり、また帯刀が執心の浅草芸者・染吉(花柳小菊)が勝川に惚れていて靡かないこともあって嫌がらせを受けている。勝川は、単身帯刀邸に乗り込み穏やかに話をつけようとするが、帯刀はこれを強請として老中に訴え、勝川は甲府勤番として江戸を追われることに。勝川が江戸を去ると帯刀一味の嫌がらせは増長し、妻に先立たれて乳飲児を抱えた旗本・村瀬(東千代之介)が長屋を追い出される。村瀬が旗本・平原(大友柳太朗)の家に身を寄せたその夜に子供が発熱、貧乏旗本に高価な薬を買う金は無く、旗本・秋月(大川橋蔵)は帯刀の賭場に乗り込む。そこに居た大江戸七人衆6.jpg御後室の蓮月院(千原しのぶ)との差しの一本勝負となるが、蓮月院は火消しの辰造の娘の頃、秋月に惚れていた女だった。二十両の金を手に入れた秋月は、蓮月院が故意に負けたのを見抜いて「恩にきる」と言って去る。帯刀邸を出た秋月に、帯刀邸の腰元おいち(桜町弘子)が助けを求める。帯刀の御意見番・間部老人(薄田研二)の毒牙を逃れて屋敷を逃げ出したのだ。一方、染吉は勝川の江戸帰りを願って帯刀の下へ自ら出向くが、帯刀は染吉を捕縛し幽閉、そこで平原が単身で帯刀邸に出向く。平原は蓮月院に染吉の居場所を教えられ、染吉を救って更に蓮月院を助けに戻ろうとした時に不意を衝かれ、染吉に勝川の元へ出立するよう言い遺して大立ち回りの末に斃れる。更に平原邸の秋月、村瀬らに帯刀から果し状が届くが、指定の場所に出向くもその姿は無く、留守にした平原邸に戻るとおいちと村瀬の乳飲児を奪われていた。秋月、村瀬らはすぐさま帯刀邸に向かい、帯刀邸で激闘となるも多勢に追われて伝通院の森に後退する。その頃、駕篭で江戸の町に入った勝川と染吉は、もぬけの殻の平原邸から事態の異変に気付く―。
「大江戸七人衆」(スチール写真)市川右太衛門・大友柳太朗
「大江戸七人衆」(パンフレット)大川橋蔵・市川右太衛門・大友柳太朗
大江戸七人衆パンフレット04.jpg大江戸七人衆1_m.jpg「大江戸七人衆」8.jpg 1958(昭和33)年公開の松田定次監督の"豪華"時代劇ということで(冒頭に「総天然色東映スコープ」と出る)、善玉悪玉がはっきりしている単純明快な娯楽作品です。

 主演の七人衆の大黒柱は市川右太衛門が演じた勝川縫之助ですが、残る6人は、旗本の若い衆のリーダー平原(大友柳太朗)、その弟分で独り身の秋月(大川橋蔵)、子持ち寡夫の村瀬(東千代之介)、旗本の次男、三男の若手・新田(尾上鯉之助)、相原(伏見扇太郎)、それに勝川に助けられたことがある人気役者の村山又三郎(南郷京之助)ということになります(ずっと1人足りないと思って観ていたが、役者の村山又三郎も人数に入っていた)。

i-「大江戸七人衆」.jpg主演:市川右太衛門、大友柳太朗、大川橋蔵、東千代之介、伏見扇太郎、尾上鯉之助、南郷京之助

 平原が帯刀らに殺られて、最後大黒柱の勝川が出て来るところは、実大江戸七人衆61.jpg質的に仇討ちになっていて、清水次郎長ものやヤクザ映画のパターンと似てなくもないですが、その市川右太衛門演じる勝川の再登場を出来るだけ後に伸ばして、勝川が甲府詰めになっている間を若手旗本の動きを中心に描いているのがこの映画の作りの特徴でしょうか。ただ、最後は山形勲との剣戟を見せた市川右太衛門がいい所を全部持っていってしまう印象もありますが。

大江戸七人衆62.jpg 「7大スター勢揃い」との触れ込みですが、残る6人のポジションには明らかに差があって、大友柳太朗演じる、酒好きのすこぶる明るいキャラ(大友柳太朗は73歳で自殺し、伊丹十三監督の「タンポポ」('85年/東宝)が遺作となったが、この頃はとても自殺するような人には見えない)の平原が若手の取り纏め役であり、単身悪の巣窟に乗り込んで討ち果てるという悲劇のヒーローでもあります。次に来るのが、大川橋蔵演じるその弟分の独り身の秋月で、これもキップがいい男前。その次に来るのが東千代之介演じる子持ち寡夫の村瀬で、乳呑児を抱えておたおたしているシーンがやや目立ちました。更に、それ以外の3人(旗本2人に役者1人)はそれほど目立っておらず、むしろ女優陣も方が目立っていました(俳優の格付けが分かる映画でもある)。

千原しのぶ.jpg花柳小菊.jpg大江戸七人衆syu.jpg その女優陣では、浅草芸者・染吉を演じた花柳小菊と蓮月院を演じた千原しのぶが7人衆の"残り3人"より確実に目立ちます。特に、乳呑児の薬代を稼ぎに賭場に来た秋月を博打でわざと勝たせ、身を挺して平原を染吉の囚われている場所に導き命を落とした千原しのぶの蓮月院は"おいしい"役どころだったかも(貢献度は平原以上?)。帯刀邸の腰元おいちを演じたのは桜町弘子、平原を慕う茶屋の娘おせんを演じたのは花園ひろみ(後に東映同期入社の山城新伍と結婚する)。この頃の東映にはお姫様女優、町娘女優のような人が結構いました。おせんが平原の墓に酒を手向ける場面は泣けますが、やや演技がスローモーか。普段は明るい秋川が黙って蓮月院の墓標に対峙する場面の方が胸を打ちました。
花柳小菊(1921-2011/享年89)
千原しのぶ(1931-2009/享年78)

鬼畜―松本清張短編全集〈7〉 (カッパ・ノベルス)1.jpg 甲府勤番については、松本清張に「甲府在藩」('56年発表、『鬼畜―松本清張短編全集〈7〉』('64年/カッパ・ノベルス)所収)という甲府城に流謫された旗本の話を書いた短編があり、甲府流しにされるのは江戸で遊蕩三昧に耽った不良旗本が多かったとのことです(但し、この短編の主人公は訳あって志願して甲府に赴任する)。甲府はそれでも江戸時代は甲州街道の宿場町として栄えたようですが、現在['16年10月]の甲府市は人口は約19.2万人で、全国の県庁所在地の中では人口が最も少ない市となっています。

大江戸七人衆94.jpg桜町弘子(1937- )/花園ひろみ(1940- )
桜町弘子2.jpg花園ひろみ.jpg「大江戸七人衆」●制作年:1958年●監督:松田定次●製作:大川博●脚本:比佐芳武●撮影:川崎新太郎●音楽:深井史郎●時間:92分●出演:市川右太衛門/大友柳太朗/大川橋蔵/東千代之介/伏見扇太郎/尾上鯉之助/南郷京之助/花柳小菊/千原しのぶ/桜町弘子/花園ひろみ/薄田研二/志村喬/宇佐美淳也/山形勲/原健策/加賀邦男/阿部九洲男/吉田義夫/杉狂児/清川荘司/香川良介/伊東亮英/明石潮/松浦築枝/吉野登洋子/赤木春恵●公開:1958/04●配給:東映(評価:★★★☆)


「阿波おどり 鳴門の海賊」('57年/東映)大友柳太朗・千原しのぶ/「仇討崇禅寺馬場」('57年/東映)大友柳太朗・千原しのぶ
阿波おどり 鳴門の海賊.jpg仇討崇禅寺馬場 千原 大友.jpg

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嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」として、個人的には原点的作品。

鞍馬天狗 角兵衛獅子2.png鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS].jpg 鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻.jpg 嵐 寛寿郎
鞍馬天狗 角兵衛獅子 [VHS]」1938(昭和13)年日活版「鞍馬天狗」 

鞍馬天狗 角兵衛獅子3.png 節分祭で賑わう壬生寺の境内の人波の中、子供角兵衛獅子の杉作(宗春太郎)と新吉(旗桃太郎)は財布を落としてしまう。角兵衛獅子の元締めで御用聞き(岡っ引き)隼の長七(瀬川路三郎)の所へ戻れば厳しい折檻を受けるのは明らかで、松月院の寺門の前で途方に暮れていると、通りがかった覆面の侍が二人に一両を恵んでくれた。子供達のその金を見た長七は子供達を問い詰め、その松月院の和尚(藤川三之祐)の所に居る倉田典膳を名乗る侍こそ、かねがね新撰組の近藤勇(河部五郎)、土方歳三(尾上華丈)らから居所を探るよう言われていた鞍馬天狗(嵐寛寿郎)だと確信する。長七はこれを近藤らに告げ、一味は松月院を襲撃する。敵をかわし、炎に包まれた松月院から脱出した天狗は、杉作と新吉を西郷吉之助(志村喬)の居る薩摩屋敷へ預ける。しかし子供達は長七らに捕らえられ、大坂城代屋敷の牢に入れられる。折しも大坂の浪士の手入れが迫っており、天狗は子供達を救うべく、また、浪士の人別帳を奪うべく、罠と知りながら大坂城代屋敷へ乗り込む―。

 松田定次監督の日活入社第1作で(マキノ正博と共同監督)、嵐寛寿郎の日活入社第1作でもあります。1938(昭和13)年に「鞍馬天狗」のタイトルで公開され、戦後「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」と改題されています。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子L.jpg 大佛次郎(1897-1973)原作の「鞍馬天狗」の映画版は、1924(大正13)年の實川延笑主演の「女人地獄」(フィルム現存せず)に始まり、1965(昭和40)年の市川雷蔵主演の「新 鞍馬天狗 五条坂の決闘」まで延べ60本近く製作されています。その間、最も多く鞍馬天狗を演じたのが嵐寛寿郎(1902-1980)であり、嵐寛寿郎本人によると46本の鞍馬天狗映画に出演したとのこと。手元の資料で見るとその内分かっているのは40作で、この作品は嵐寛寿郎のシリーズを全40作とした場合の第18作になります(同じ俳優が主演のシリーズの本数としては、「男はつらいよ」(1969~95年/松竹)の全48作に抜かれるまで日本映画の最多記録だった)。

鞍馬天狗〈1〉角兵衛獅子 (小学館文庫―時代・歴史傑作シリーズ)

 大佛次郎の原作シリーズ中最も人気が高かったのが、少年向けの作品として「少年倶楽部」1927(昭和2)年3月号~ 1928(昭和3)年5月号に連載された「角兵衛獅子」であり、角兵衛獅子は越後獅子とも言い、小さな獅子頭(ししがしら)を被って曲芸を行なう大道芸の少年のことです。嵐寛寿郎の映画デビュー作も「角兵衛獅子」を原作とした山口哲平監督によるマキノ版「鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子」('27年)であり(現存せず)、アラカン(この時の芸名は嵐長三郎)は撮る前からこの作品のヒットを確信していたと後に語っています。そのデビュー作からこの「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻('38年/日活)の前までに少なくとも17作の鞍馬天狗映画に出演していて、この後にも、1951年に松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」が大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演で作られるなど、1956年までに22作の鞍馬天狗映画に出ています。

 その1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」は、当時14歳の美空ひばり(1937-89)が杉作少年を演じて人気を博し、美空ひばりは続く大曾根辰夫監督、嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗 鞍馬の火祭り」('51年/松竹)、「鞍馬天狗 天狗廻状」('52年/松竹)にも杉作役で出演しています(角兵衛獅子は美空ひばりのお蔭で一気に知名度が増したという)。個人的には、美空ひばりも悪くないですが、やや男の子には見え難いというのはあります。その点、この1938年日活版は男の子の演技もまずまずで、全体的にも自然な印象を受けます。

原駒子.jpg また、鞍馬天狗のことを仇だと誤解して新撰組の手先になって天狗を付け狙うものの、天狗に命を救われたことで最後は天狗に惹かれていく女性(この作品では"暗闇のお兼")を原駒子(1910-68)が演じていて(当時28歳)、これも雰囲気があって悪くなかったです。鞍馬天狗異聞 角兵衛獅子 .jpg1951年松竹版ではこの女性に相当する役("礫のお喜代")を山田五十鈴(1917-2012)が演じていますが、14歳の美空ひばり演じる杉作が34歳の山田五十鈴に天狗との関係において嫉妬心を覚える場面があります(あくまでも少年としての嫉妬心として描かれているが、もともと美空ひばり自体が若干"おませさん"に見えるため、そうした原作にはないニュアンスを盛り込んだのではないか)。

1951年松竹版「鞍馬天狗 角兵衛獅子」(大曾根辰夫監督)
山田五十鈴/嵐寛寿郎/美空ひばり

1928年嵐寛寿郎プロダクション版「鞍馬天狗」(山口哲平監督)
『鞍馬天狗』   1928年作品.jpg 嵐寛寿郎の鞍馬天狗は、この1938年日活版の時に既にスタイルは完成されているように見えますが(刀を突きつけるだけで相手を後ずさりさせる迫力はピカイチ)、その後のシリーズの経過とともに、嵐寛寿郎の天狗も少しずつ変わってきているのも確かです。では、最初はどうだったのか。現在観ることの出来る最も古い「鞍馬天狗」は1928年の嵐寛寿郎プロダクションの第1作「鞍馬天狗」ですが(この頃はまだ無声映画)、天狗や杉作などはどのように描かれているのでしょうか。DVD化されていますが未見であり、個人的には今の時点ではこの1938年日活版が嵐寛寿郎版「鞍馬天狗」の原点的作品です。

 薩長など勤皇は善で、それに対する新撰組などの佐幕は悪という単純な割り切り方で、逸失部分が7分間ありちょっと話が飛んだかと思われる部分もあったりしますが混乱することはありません。志村喬演じる西郷吉之助(隆盛)などもトリビアな見所かもしれません(出てきた時は一瞬"悪役"かと思った)。

鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻1938.jpg「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」●制作年:1938年●監督:マキノ正博/松田定次●脚本:比佐芳武●撮影:宮川一夫/松井鴻●音楽:高橋半●原作:大仏次郎●時間:66分(現存53分)●出演:嵐寛寿郎/原健作/瀬川路三郎/香川良介/藤川三之祐/尾上華丈/志村喬/団徳麿/阪東国太郎/宗春太郎(香川良介の息子)/旗桃太郎/深水藤子/原駒子/沢村国太郎/河部五郎●公開:1938/03/15●配給:日活京都(評価:★★★☆) 嵐寛寿郎・原駒子 in「鞍馬天狗 角兵衛獅子の巻」('38年)
『韋駄天数右衛門』.jpg

原駒子 in「韋駄天数右衛門」('33年) with 羅門光三郎

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前半から中盤にかけて抑えに抑えている分、ラストのカタルシス効果は大きい。

国定忠治 (1946)v.jpg国定忠治 (1946) dvd.jpg  国定忠治005.jpg 国定忠治 阪東 .jpg
中国語字幕DVD     飯塚敏子(お町)/阪東妻三郎(忠治)
国定忠治 [VHS]
国定忠治Kunisada Chuji (1946).jpg国定忠治 (1946)81 .JPG 天保八年、上州一帯は大旱魃に見舞われ、このままでは大凶作になる状況。国定村をはじめ二十個村の農民は必死の雨乞を続けるが一点の雲も出ない。農民達は「粕川の水門を切れば二十個村の新田を潤せる」と水門に押しかけようとするが、国定村の忠治(阪東妻三郎)はそれを止め、粕川水門を預る博徒・島村の伊三郎(光岡竜三郎)に懇願するも聞き入れられない。忠治は農民達の困苦を見るに忍びず、江戸に出て繭買上げ助成金下附の運動に成功、その祝宴の席で代官・松井軍兵衛(市川小文治)から伊勢崎の芸者・お町(飯塚敏子)を所望国定忠治Kunisada Chuji (1946)2.jpgされる。お町はかねてから忠治を慕い、松井の手を拒んで忠治の家に押しかけ女房に入ったが二人の間は純潔だった。農民達の糧となるべき繭買上げ助成金は代官と問屋筋の共同工作によって巻き上げられ、忠治の努力も水泡に帰す。途方にくれた農民達の窓先から天狗の面を被った男が二三枚の小判を投げ込んで歩く。忠治は全財産を農民達に分け与えるなどして尽くすが、菩提寺の和尚(小川隆)から「百姓の味方になるなら百姓になれ」と教えられる。代官・松井は配下の島村の伊三郎に命じてお町を忠治の手から取り返そうとする。忠治はお町に苦衷を打ち明け、水門を開くのと引き替えにお町を渡す国定忠治83.jpg約束をし、お町は進んで代官屋敷に行く。忠治の子分・浅太郎(尾上菊五郎)はお町が変心したものと誤解し、お町を斬ろうとしてその本心を知るが、松井に斬られる。浅太郎は重傷に屈せず忠治の下に帰り、農民達の難儀を救うため天狗の面の夜盗になったことを告白。忠治一家は、代官と伊三郎の約束不履行を知り事を起こそうするが、忠治はそれを押し止め自ら代官屋敷に行って掛け合う。代官は天狗強盗の張本人として忠治を捕らえ投獄する。忠治と亡き妻との間に出来た寅次(島田照夫)という若者が水戸の農家に養われていたが、父を慕って国定村に入り忠治の身辺を見守っていた。寅次は牢獄に忍んで忠治を救おうとし、忠治の兄弟分・日光の円蔵(羅門光三郎)も来て忠治を救出、農民達のために最後の力を尽くしてくれと懇願、忠治は遂に起ち、邪魔者を蹴散らして粕川水門に駈けつける。農民もまた押し寄せ、水門を守る伊三郎等と争う。忠治は悪党等を打ち払って水門を破り、水が田を潤して農民達は歓喜する。忠治は全てをわが身一つに引き受け捕吏の手を待つべく赤城山に向かい、円蔵、お町もそれに続く。寅次も共に従いたいと乞うが、忠治は「お前は良い百姓になれ」と優しく追い返す―。

国定忠治_.jpg 1946(昭和21)年9月公開の松田定次監督作品で、阪東妻三郎(1901-1953/享年51)は丸根賛太郎監督の「狐の呉れた赤ん坊」('45年/大映京都)に続く戦後第2作(お町役は「淑女と髯」('31年/松竹蒲田)、「刺青判官」('33年/松竹シネマ)の飯塚敏子)。GHQによってチャンバラ時代劇が禁止状態にあり、片岡千恵蔵や市川右太衛門ら戦前の剣戟スターが、髷鬘に代えてソフト帽など被ってGメンものやギャングものに出ていた頃ですが(この作品と同じ松田定次監督による片岡千恵蔵主演の多羅尾伴内シリーズの第1作「七つの顔」('46年12月公開/大映)もこの頃の公開)、そんな中、"剣戟王"阪東妻三郎はこの作品で最後しっかりチャンバラをしているのが興味深いです。GHQは必ずしも全面的にチャンバラ劇を排したのではなく、農民達のために悪代官をやっつける義賊ということで、戦後民主主義の流れに沿うものとして、刀を使うのもOKとしたのでしょうか(この作品の2年後に公開された、森一生監督の股旅もの「おしどり笠」(1948/01 大映)における片岡千恵蔵さえも、刀を使わず棒で闘っているのだが)。

国定忠治 (1958).jpg 国定忠治を主人公とした映画は戦前からかなり作られていて、主なものでは、大河内傳次郎(伊藤大輔監督「忠次旅日記」('27年/日活)、山中貞雄監督「国定忠治」('35年/日活))、片岡千恵蔵(稲垣浩監督「国定忠治」('33年/千恵蔵プロ))、月形龍之介(稲垣浩監督「國定忠治 信州子守唄」('36年/マキノトーキー製作所))がそれぞれ主演したものなどがあり、阪東妻三郎自身も戦前に国定忠治を演じています(マキノ正博監督「国定忠治」('37年/日活))。戦後もこの作品のほかに何作かあって、小沢茂弘監督、片岡千恵蔵主演のもの(「国定忠治」('58年/東映)、谷口千吉監督、三船敏郎主演のもの(「国定忠治」('58年/東映))などがあります。

「国定忠治」(1958)小沢茂弘:監督/片岡千恵蔵:主演

 他の「忠治もの」があまり観る機会がなくて何とも比較できないのですが、この作品は、阪東妻三郎が畢生の名作「無法松の一生」('43年/大映京都)に出演してから3年後の作品であり、まだその勢いが続いているという印象であり、実際に大ヒットしたようです。ストーリー的にも、前半から中盤にかけて主人公である忠治はずーっと抑えるだけ抑えて交渉役に廻り、しかし結局悪代官らが約束事を守らないため、最後の最後に起ち上って悪漢どもを打ち砕くという、定番ながらもカタルシス効果の大きい作りとなっています。

国定忠治 岩波新書.jpg 映画がヒットした一方で、批評家からは歴史的リアリズムを逸脱しているとの批判があったようですが、国定忠治(本名:長岡忠次郎、1810-1850)における歴史的リアリズムというと、どこまでのことを言うのかなあ(この映画では忠治が赤城山に向かうところで終わっているため、「赤城の山も今宵限り」という場面は無い)。伊三郎の一派と諍いがあったのは史実ですが(忠治と島村の伊三郎の子孫らは「忠治だんべ会」の仲裁により'07(平成19)年の手打ち式で170年越しに和解している)、単なるやくざ同士の抗争ということにしてしまうと物語にならなくなる―ただ、実際、忠治はひとかどの人物であったようで、羽倉外記という国定村の代官も務め、水野忠邦の天保の改革に重用された役人は忠治とは対極にいた幕吏でしたが、その外記が『劇盗忠二伝』(『赤城録』)を著して、忠治が天保飢饉の際に私財を投じて飢民を救済したこと、最終的には忠治は大戸処刑場(群馬県吾妻郡)で磔刑に処せられますが、実に壮絶で見事な最期だったことなどを理由に、忠治を凡盗にあらずして劇盗と評しています(高橋敏『国定忠治』('00年/岩波新書))。
国定忠治 (岩波新書 新赤版 (685))

 長岡忠次郎が磔の刑にあってから18年後に徳川政権は崩壊し、明治維新となります。2010年に伊勢崎市で生誕200周年記念イベントが「忠治だんべ会」により企画されましたが、市長が「忠治は歴史的に評価が分かれている」と開催に難色を示し(おそらく市民からクレームがあったのだろう)、イベントは中止となっています。別に中止にまですることはないと思うけれどね。無形文化財みたいなものでしょ。むしろ、講談などで脚色されている部分も含め(そのことを織り込み済みの上)語り継いでいった方がいいのではないかという気がします。

「国定忠治」1946年.jpg国定忠治85.JPG「国定忠治」●制作年:1946年●監督:松田定次●脚本:小川記正●撮影:川崎新太郎●音楽:西梧郎●時間:71分●出演:阪東妻三郎/羅門光三郎/尾上菊五郎/原聖四郎/桜春太郎/福井隆次/島田照夫/飯塚敏子/小川隆/市川小文治/堀井幸夫/光岡竜三郎/香川良介/ 水野浩/葉山富之輔/牧竜介/猿若三吾/芝田総二/若松文雄/三浦志郎●公開:1946/09●配給:大映(京都撮影所)(評価:★★★☆)
阪東妻三郎傑作選 DVD-BOX.jpg阪東妻三郎傑作選 DVD-BOX
収録内容:
●無法松の一生(1943年/モノクロ・スタンダード/80 分)
●王将(1948年/モノクロ・スタンダード/93分)
●伊賀の水月(剣雲三十六騎)(1942年/モノクロ・スタンダード/83分)
●富士に立つ影(1942年/モノクロ・スタンダード/82分)
●剣風練兵館(1944年/モノクロ・スタンダード/87分)
●狐の呉れた赤ん坊(1945年/モノクロ・スタンダード/85 分)
●国定忠治(1946年/モノクロ・スタンダード/72分)
●月の出の決闘(1947年/モノクロ・スタンダード/78分)
●素浪人罷通る(1947年/モノクロ・スタンダード/81分)
●木曾の天狗(1948年/モノクロ・スタンダード/83分)

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市川右太衛門の豪快で大らかキャラクターが存分に発揮され、後藤又兵衛像を演じるにぴったり。

乞食大将 1952 vhs.jpg乞食大将 1952 dvd.jpg 乞食大将(1945年)2.jpg
VHS/「乞食大将 [DVD]」羅門光三郎(宇都宮鎮房)/市川右太衛門(後藤又兵衛)

乞食大将 1952 dvd2.jpg 豊前中津の城主・黒田長政(月形龍之介)は、領下の豪族・宇都宮鎮房(羅門光三郎)と戦い大敗するが、その臣・後藤又兵衛(市川右太衛門)の夜討ちが効を奏して形成逆転、宇都宮勢を破って鎮房の妹・鶴姫(中村芳子)と鎮房の子・花若(澤村マサヒコ)を人質とする。更に和議を結んだ相手である鎮房を騙し討ちにしようとし、長政はその役目を又兵衛に託そうとするが、又兵衛は日頃から鎮房と一騎打ちの勝負をしたいと願っていて、騙し討ちは御免だと断る。しかし、長政の謀に嵌って追い詰められた鎮房と廊下で鉢合せになり、結局、他の者に討たせるよりはと一対一で刀と槍を交え鎮房を討ち取ることとなる。又兵衛は、その功により鶴姫と花若の命乞いをした上で、長政の下を去る。時は流れ、又兵衛は自分に従う家来たちを引き連れ、時に乞食のような生活をしながらも諸国を流れ歩いていた。鶴姫は剃髪をして尼になり、花若は立派な若武者なっていた。慶長19(1614)年、徳川家康(藤野秀夫)と豊臣秀頼が大坂城で最後の一戦を交えようとしたとき、徳川家臣・本多正信(嵐徳三郎)から頼まれてやってきた又兵衛旧知の京都相国寺の僧・堤西堂(見明凡太朗)は、又兵衛が徳川方につけば播磨国を賜るとの家康からの話をもちかけるが、又兵衛はそうした徳川の招きをふり切って敗色濃い秀頼方につくと言う。又兵衛が堤西堂を通して花若の徳川方大名への士官に尽力したことを知った鶴姫は、別れを言いに来た又兵衛に鎮房遺愛の兜を手向ける。又兵衛は、「父の仇」と気色ばむ花若に、この兜を目印に自分の首を取って手柄とするよう言い残してその場を去る―。
乞食大将 (1952年) (角川文庫〈第482〉)
大佛次郎『乞食大将』角川文庫 昭和30年.jpg大佛次郎_UY250_.jpg 朝日新聞に連載された大佛次郎の歴史小説を松田定次監督により映画化したもので、終戦間際の1945年秋に完成しましたが、黒澤明監督の「虎の尾を踏む男達」(1945/09 完成/1952/02 公開)などと同様、GHQの検問で上映禁止となり、その後、民間情報局教育局による禁止映画再審査によって第1回に解除された劇映画8本のうちの1本であるとのことです。因みに、GHQによって、映画会社各社の倉庫にあった過去の作品のフィルムのうち227作品が、"反民主主義的"であるとして焼却されています。「虎の尾を踏む男達」同様、この映画のどこが"反民主主義的"とされたのか不明ですが、おそらく武士道精神のようなものがモチーフになっているのは当時"アウト"だったでしょう(フィルムが焼却処分されなかっただけでも良しとするべきか)。

北大路欣也2.jpg乞食大将 1952 02.jpg 主演は市川右太衛門(1907-1999/享年92)で、市川右太衛門の次男は俳優の北大路欣也です。戦前・戦後期の時代劇スターとして活躍し、同時代の時代劇スターである阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、長谷川一夫とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれました。サイレント時代から昭和中期まで続いた「旗本退屈男シリーズ」(1930-1963)で、独立プロから松竹、東映と映画会社を変えながらも30作品で主役の早乙女主水之介(さおとめ もんどのすけ)を演じ、松田定次監督もシリーズ後期'50年から'60年にかけて作品のうち8作を監督しています。松田定次監督との相性はこの頃から良かったのか、この作品も、市川右太衛門の豪快かつ大らかキャラクターが存分に発揮されていると思いました。

 ちょうどNHKの今年['16年]の大河ドラマ「真田丸」の本日(10月16日)放映分(第41回「入城」)で、後に真田信繁(真田幸村)と共に「大坂牢人五人衆」と呼ばれる後藤基次(後藤又兵衛)、毛利勝永、長宗我部盛親、明石全登が続々と大坂城に集結し、最後に幸村が九度山を抜け出してこれに合流するところまでをやっていましたが、後藤又兵衛役も、多くの役者がやりたがる役だろなあと思います。

真田丸 哀川翔2.jpg哀川翔.jpg 今回の大河ドラマ「真田丸」の後藤又兵衛役は哀川翔です。大坂の陣で後藤又兵衛に近侍した長沢九郎兵衛が、大坂の陣の様子を書いた『長沢聞書』を遺していて、風呂で又兵乞食大将 1962.jpg衛の背中を流した際に、又兵衛の躰の刀傷を数えると53箇所あったとのこと。こうした傷だらけの猛将のイメージが"Ⅴシネマの帝王・哀川翔"とダブるとみた配役なのでしょうか。'14年の大河ドラマ「軍師官兵衛」で後藤又兵衛を演じた塚本高史よりは骨っぽい感じがしますが、この「乞食大将」の市川右太衛門をみてしまうと、哀川翔でさえも線が細く見えてしまいます(又兵衛の身長は六尺(180cm)を超え、肥満で巨漢だったと言う)。尚、この作品は'64年に勝新太郎主演でリメイクされており、脇ならばともかく後藤又兵衛を主人公として演じるとなると、やはりそれ相応のクラスの役者でなければならないということなのでしょう(ドラマの方は、主人公の真田幸村を演じる堺雅人とのバランスも考慮した?)。

 因みに、後藤又兵衛に関するエピソードには虚実様々ありますが、黒田家を去った又兵衛が他大名に士官するのを黒田長政がことごとく邪魔したというのは、多くの歴史家が事実と見做しているところです。一方で、又兵衛の方は、出奔して細川家にいた頃、細川忠興をはじめ細川家の諸人から、「黒田長政に多くの不満があって黒田家を立ち退いたというのに、古主を悪く言うように見えて、実は古主の武威を語っていた。忠義の厚い、見事な侍である」と称賛されたとのこと。武勇だけでなく、人間的にも立派な人だったのか。この作品の市川右太衛門は、そうした又兵衛像を演じてみせるにぴったりでした(三谷幸喜脚本の「真田丸」の後藤又兵衛はやや子供っぽい?)。
       
乞食大将 1952  001.jpg「乞食大将」●制作年:1945年●監督:松田定次●製作:浅野辰雄●脚本:八尋不二●撮影:川崎新太郎●音楽:白木義信●原作:大佛次郎「乞食大将」●時間:62分●出演:市川右太衛門/藤野秀夫/中村芳子/月形龍之介/羅門光三郎/嵐徳三郎/荒木忍/香川良介/葛木香一/小川隆/南部彰三/澤村マサヒコ(津川雅彦)/原聖四郎/水野浩/津島慶一郎●公開:1952/04●配給:大映(評価:★★★☆)
       
真田丸 title.jpg真田丸  dvd.jpg「真田丸」●演出:木村隆文/吉川邦夫/田中正/小林大児/土井祥平/渡辺哲也●制作:屋敷陽太郎/吉川邦夫●脚本:三谷幸喜●音楽:服部隆之●出演:堺雅人/大泉洋/草刈正雄/長澤まさみ/木村佳乃/平岳大/中原丈雄/藤井隆/迫田孝也/高木渉/高嶋政伸/遠藤憲一/榎木孝明/温水洋一/吉田鋼太郎/草笛光子/高畑淳子/内野聖陽/黒木華/藤本隆宏/斉藤由貴/寺島進/西村雅彦/段田安則/藤岡弘、/近藤正臣/小日向文世/鈴木京香/竹内結子/新納慎也/哀川翔●放映:2016/01~12(全50回)●放送局:NHK

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水中シーンもある、戦時中の異色の"水泳時代劇"であり、嵐寛寿郎の大映時代の代表作でもある。

河童大将 v.jpg  河童大将(1944年)2.jpg 羅門光三郎/嵐寛寿郎
「河童大将」スチール集
河童大将 スチル.jpg 海と川に囲まれた尼子氏の小城は、毛利軍に囲まれいつ攻め込まれ落城してもおかしくない状態にある。尼子氏の荒浪碇(いかり)之助(嵐寛寿郎)と早川鮎之助(羅門光三郎)は良きライバル関係にあり、敵の様子を探るため敵城への潜入を命じられるが、2人共敵に正体を見破られ、鮎之助は逃れるも、碇之助は捕らわれる。拷問のうえ緊縛されたまま水に投げ込まれた碇之助は、得意の泳法で何とか生還し、敵方の陣形を城主に伝える手柄を立て、足軽頭に出世する。新たに与えられた50人の配下と共に日夜泳法の訓練をする彼に、周囲は嘲笑するが、直属の家老だけは、周囲を水に囲まれているのだから、泳法に長けているのは重要と理解を示す。碇之助と鮎之助の幼馴染で家老の娘・小百合(橘公子)は、婚期を控え2人のライバルの狭間で気持ちが揺らいでいる。鮎之助は、敵城潜入の際に碇之助を置いて逃げたことでの周囲への負い目から、水練大会の競泳で扇り足(平泳ぎ)の日本式泳法の碇之助に対し、早抜き手(クロール)で碇之助に勝利して名誉挽回するも、鮎之助は、本当に必要な泳ぎはいかに体力を温存して水中の中にい続けることができるかだとして気に留めていない。しかし、そんな碇之助に煮え切らない思いの小百合の父は、娘の気持ちを無視して小百合の鮎之助への嫁入りを決めてしまう。やがて、敵陣からの攻勢がかかり、これに対処するには奇襲戦法しかないと、日頃鍛えた河童隊を二隊に分け、湖水を泳いで毛利軍を奇襲することに。碇之助の隊は平泳ぎ、鮎之助の隊はクロール似の早抜き手で進む。鮎之助の隊は、泳ぎは早いが水飛沫(しぶき)で敵に発見され攻撃を被る。一方、碇之助の隊は、泳ぎは遅いが静かに進むため発見されず、奇襲攻撃は成功して味方を勝利に導くとともに、手負いの鮎之助を救出する―。

 戦国時代を舞台に、水泳により水を渡り敵に奇襲をかける足軽頭の活躍を描く、水中シーンなども見られる戦時中の異色の"水泳時代劇"。1944年8月公開ということもあって、クロール隊が役に立たず、平泳ぎ(日本式泳法)隊が勝利に貢献するという設定は、日本が米英より優れていることを強調している映画とも考えられます。それにしても、毛利に攻め込まれ孤立状態となった尼子氏の城が舞台になっていることや、碇之助の、「勝とうと思えばいつでも勝てる」「負けて勝っているのだ」というセリフが、逆に当時日本軍の戦況の厳しさを物語っているようでもあり、"国策映画"としてはどうかなとも。

 山中貞夫氏によれば、"国民皆泳運動"というのが当時あって、その宣伝にも一役買っていたのではないかとのことですが(そうか、それが"水泳時代劇"が生まれるきっかけだったのか)、山中氏も、負けつつある国が奇襲戦法で勝つというストーリーは、日本人の願望を映し出しているようでもあるとしています。

 主人公・荒浪碇之助を演じた嵐寛寿郎(1902-1980)は、当時41歳。裸になるとがりがりで、まずまずのガタイの羅門光三郎(1901-没年不詳)に比べ見劣りしますが、水の中に入るとすいすいと素晴らしい泳ぎをみせます。また、剣戟においてもすごい眼光と俊敏な身のこなしでその往年のスターぶりを見せ、この作品は「海峡の風雲児」('43年/大映)と並んで彼の大映時代の代表作です。準主役の早川鮎之助を演じた羅門光三郎は戦後すぐに脇役に回りますが、嵐寛寿郎も大映から移籍した新東宝の倒産(1961年)後はどこにも所属しなかったため、晩年は殆ど脇役でした(その中でも、「網走番外地」('65年/東映)や「神々の深き欲望」('68年/日活)などでの演技が印象深い)。

山中鹿之介f.jpg 原健作演じる山中鹿之助(山中幸盛、1545?-1578)や荒木忍演じる横道兵庫助(横道秀綱、生年不詳-1570)をはじめ、吉川将監、尼子勝久あたりまでは歴史上実在した人物であり、山中鹿之助は「尼子十勇士」の筆頭であり、尼子家再興のために「願わくば我に七難八苦(艱難辛苦)を与えたまえ」と三日月に祈った逸話で知られ、横道兵庫助も「尼子十勇士」の1人とされていますが、この「尼子十勇士」の中に「荒浪碇介」「早川鮎介」などがいます。但し、このあたりになると「真田十勇士」のようなもので、架空の人物の公算が高いようです。「落ちそうで落ちない城」を舞台にしたものでは、忍城(おしじょう)を舞台にした和田竜原作「のぼう城」('12年/東宝)があり、モチーフ的には通じるものがあるように思いました。

 見た目、それほど"国策映画"っぽくないのは、娯楽映画であることに加え、主人公・荒浪碇之助の「友情」と「恋愛」の板挟みが描かれているせいでもあるかと思います。「友情」はともかく、「恋愛」の方は戦時下で基本的には"御法度"だったと思われますが、「時代劇」という背景と「水練」という国策運動に繋がるネタのもと、上手くお話の中に織り込んでしまったところに、制作陣のしたたかさが感じられました。

「河童大将」●制作年:1944年●監督:松田定次●製作:山口哲平●脚本:八尋不二●撮影:川崎新太郎●音楽:佐野顕雄●時間:64分●出演:嵐寛寿郎/羅門光三郎/橘公子/藤原鶏太/原健作/山口勇/荒木忍/嵐徳三郎/環歌子●公開:1944/08●配給:大映(京都)(評価:★★★☆)

嵐 寛寿郎 in「網走番外地」('65年/東映)/「神々の深き欲望」('68年/日活)網走番外地 嵐寛寿郎.jpg 神々の深き欲望.jpg

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シリーズ第4作。前作「二十二の指紋」よりやや落ちるが、個々の役者を見ていくと興味深い。

三十三の足跡poter.jpg多羅尾伴内 三十三の足跡vhs3.jpg 多羅尾伴内 三十三の足跡1 2 - コピー.png
「多羅尾伴内 三十三の足跡」[vhs]  片岡千恵蔵/木暮実千代/喜多川千鶴

三十三の足跡to.jpg 正月興行を間近に控えた太陽劇場に鶴十郎の幽霊が出たという騒ぎが起きる。十年前、人気役者・嵐鶴十郎は芸道の事で当時の劇場主・中谷から意見されたのを恨んで三階の楽屋で自殺をした。その幽霊が出たという。中谷もその鶴十郎の幽霊に悩まされて縊死しており、現在の劇場の権利は木塚専三(進藤英太郎)の手にあった。元旦が初日で舞台稽古に張り切っていた"こまどり座"の中に中谷の娘よし子(木暮実千代)・あつ子(喜多川千鶴)姉妹もいて、かつての父の劇場での初舞台を楽しみにしていた。その姉妹に大道具係・後映画パンフ 三十三の足跡.jpg藤宗吉(山本礼三郎)は、お父さんは自殺ではないと謎の言葉を囁く。一方劇場には先日背景係をクビになった多羅尾伴内(片岡千恵蔵)が、今度は建築技師となって劇場の視察に乗り込んでいた。舞台稽古が始められるが舞台の床板が落ちて一座のみや子(暁テル子)がケガをする。楽屋にはどこからともなく人の足音が聞こえたり、笑い声やらうめき声が聞こえたりして奇怪な事が続く。一座の演出家・川上敏夫(月形龍之介)は宗吉を犯人と睨むが、その宗吉はロープで首を縊り、伴内の医者が乗り込んだ時には既に死んでいた。翌日、中谷姉妹の許へ伴内の公証人が現れてこの劇場は近くあなた達のものになると告げて帰っていく。それから程なく伴内は、私立探偵として宗吉の死因調査に劇場に現れた―。

「三十三の足跡」映画パンフ

二十一の指紋_dvd.jpg 松田定次(1906-2003)監督による1948(昭和23)年公開の大映映画で、多羅尾伴内シリーズの「七つの顔」('46年)、「十三の眼」('47年)、「二十一の指紋」('48年)に続く第4作。'48年末封切の正月作品ですが、封切時には片岡千恵蔵(1903-1983)は既に大映を退社しており、大映での最後の多羅尾伴内シリーズとなりました(大映4作の中では最後のこの「三十三の足跡」だけがDVD化されていない)。

二十一の指紋」('48年)

 映画評論家・山根貞夫氏によれば、片岡千恵蔵の大映退社の事の起こりは、'48年の秋、大映の永田雅一社長が映画館主の集まりで、"役者はカーテンと同じで何度でも取り替えられる"という趣旨の発言をやってのけたのが発端で、片岡千恵蔵がこれに怒って、大映との契約が切れるのを機に契約更新しないで大映を辞めたそうです。片岡千恵蔵はその後、監督・松片目の魔王.jpg田定次、脚本家・比佐芳武らと組んで、連合映画作家協会を設立、自由民権運動を描いた「白虎」('49年/松竹(配給))を自主製作しますが(月形龍之介、喜多川千鶴らも出演している)、この連合映画作家協会に東横映画の撮影所長・マキノ満男も参加しており、東横映画が大映との関係が切れる契機となったとのこと。片岡千恵蔵の方は東横映画に俳優兼重役として入社し、その東横映画が大泉映画などを合併して'51年に東映が創立され、2年後には多羅尾伴内シリーズ第5作「片目の魔王」('51年/東映)が作られ、シリーズ第11作「七つの顔の男だぜ」('51年/東映)まで続きました。
片目の魔王 [VHS]

 この「三十三の足跡」でも多羅尾伴内は、①劇場の背景係(新米の絵描きでペンキ缶をひっくり返してクビになる)、②建築技師(パリ・オペラ座を模したという劇場の構造に関心を寄せる)、③"通りがかりの"医師(大道具係の宗吉の縊死を検視する)、④公証人(中谷よし子・あつ子姉妹に劇場の所有権があることを伝える)、最後に、⑤私立探偵・多羅尾伴内、⑥正義の人・藤村大造と多彩ですが、これでも前作「二十一の指紋」('48年)の7役より1つ少ない...。しかも最後、決めゼリフを吐かないで書き置きして消え、書割りみたいな背景の中を去っていくところで終わるのがこれまでと異なる趣と言えばそう言えるものの、定番はやはり定番通りやった方が良かったのではないでしょうか。

 前半はむしろ、演出家・川上敏夫役の月形龍之介(1902-1970)の方が目立っていたなあ。黒澤明の初監督作品「姿三四郎」('43年/東宝)で、敵役の檜垣源之助を演じるなど、脇役・敵役のイメージがありましたが(「宮本武蔵」('40年/日活)では佐々木小次郎を演じた。その時の武蔵役が片岡千恵蔵)、この「三十三の足跡」では至極まともな理性人である演出家・川上敏夫を演じ、怪異騒動を最初から人為的なものと踏んで独自に犯人推理し(予想は違っていたが)、また、よし子・あつ子姉妹を解雇しようとする劇場主を諌めて2人が舞台に出られるようにするなど、完全にヒーロー風です。多羅尾伴内扮する背景係のうだつの上がらなさとの対比でこうした描き方になっているのでしょうが、ストレートに正義漢役も演じられる人なのだなあと。

三面鏡の恐怖 vhs.jpg木々高太郎「三面鏡の恐怖」.jpgお茶漬けの味.jpgお茶漬の味000.jpg その他では、亡霊騒ぎに巻き込まれる中谷よし子役の木暮実千代(1918-1990)は、同年の久松静児監督の「三面鏡の恐怖」('48年/大映)では、上原謙の主人公を驚かす方の役で出ていましたが今回は怯えさせられる役でした(この人は小津安二郎監督の「お茶漬の味」('52年/松竹)などホームドラマっぽい作品にも主演で出ている)。

 また、「二十一の指紋」に笠原警部役で出ていた大友柳太郎(1912-1985)が劇団関係者の笠原という役で出ていますが、悪玉の劇場主を演じた進藤英太郎(1899-1977)などに比べると当時はまだ若輩の部類だったのでしょうか。暗~い感じの大道具係・後藤宗吉を演じた山本礼三郎(1902-1964)は、この作品と同年、黒澤明監督の「醉いどれ天使」('48年/東宝)では、三船敏郎演じるヤクザの松永と最後死闘を繰り広げる松永の元親分のヤクザ・酔いどれ天使_5.jpg醉いどれ天使  20.jpg岡田を演じ(因みに木暮実千代はその岡田の元情婦で、今は松永の情婦だが松永を裏切る役で出ている)、「野良犬」('49年/東宝)では、拳銃の闇ブローカー・本多を演じています。

山本礼三郎/木暮実千代 in「酔いどれ天使」('48年4月公開)with 三船敏郎

杉狂児.jpg みや子(暁テル子)の許婚を演じた杉狂児(1903-1975)は、女性の尻に敷かれる気弱な男ばかり演じていますが、映画監督の稲垣浩は杉狂児について、「日本の映画史に残る喜劇役者だと私は思う。いや、思うではなくいだおれ太郎.jpgく是非とも日本映画史に残さねばならぬ喜劇役者である」とし、「伴淳や森繁も個人の力はあるとしても、杉狂児の作ったレールを忘れてはならない」と喜劇人として高く評価しています(稲垣浩監督の「無法松の一生」('43年/大映)にも出ている。また、この人は、大阪・道頓堀の"くいだおれ太郎"の顔のモデルであるとも言われている)。

多羅尾伴内 三十三の足跡1 2.png 個々の役者を見ていくと興味深いのですが、プロットや全体の構成、テンポの良さという点では前作「二十一の指紋」の方が上でしょうか(前作でイメージが確立してしまったので、今回は変化球を意図した?)。

 亡霊が出てくるシーンで「オペラの怪人」のテーマが流れるけれど(そう言えば、作品のモチーフ自体が「オペラ座の怪人」に似ている点もある)、音楽著作権の方はどうなっているのだろうか。クラシックなら著作権切れですが、「オペラ座の怪人」の作家ガストン・ルルーの没年は1927年であり、日本基準(没後50年)でも欧州基準(没後70年)でも当時はまだ著作権は生きています。但し、それはあくまで現在の基準であって、著作権法そのものが当時まだ整備されていなかったから問題ないのだろうか?それとも、似たような別の曲なのか? いや。やはり同じ曲で、ちゃんと著作権料を払った?

「三十三の足跡(多羅尾伴内三十三の足跡)」●制作年:1948年●監督:松田定次●●脚本:比佐芳武●撮影:石本秀雄●音楽:深井史郎/服部良一●時間:75分●出演:片岡千恵蔵/小暮実千代/喜多川千鶴/月形龍之介/杉狂兒/大友柳太郎/服部富子/暁照子/藤井貢/山本礼三郎/服部富子/上代勇吉/村田宏寿/南部章三/戸上城太郎/岩田正/大美輝子/南春恵/由利道夫●公開:1948/12●配給:大映(評価:★★★)  

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シリーズ第3作。片岡千恵蔵演じる藤村大造(多羅尾伴内)のキャラが完全に確立された。

二十一の指紋vhs.jpg二十一の指紋_dvd.jpg多羅尾伴内 二十一の指紋36.jpg 二十一の指紋-300x214.jpg
                喜多川千鶴/片岡千恵蔵
多羅尾伴内二十一の指紋 FYK-174 [DVD]
二十一の指紋 [VHS]

多羅尾伴内-二十一の指紋e.jpg 運転手の藤村大造(片岡千恵蔵)は、波止場で泣いていた里見珠江(喜多川千鶴)という女をある屋敷に送り届け、その家で五十がらみの男の惨死体を発見、そこには珍しい形の短剣の鞘と様々の所に印された二十一の指紋があっ多羅尾伴内 二十一の指紋k.jpgた。翌日、笠原警部(大友柳太朗)を訪れた皆川弁護士(斎藤達雄)は何か落ち着かぬ様子。藤村は多羅尾伴内と変名して彼を追い、彼が里見珠江を探していることを探り出すと、水野刑事(上代勇吉)と現場に行き、モルヒネの注射液を発見する。今度は「日かげの街」という闇市でモヒを求めて行き倒れになった浮浪者を装い、同情した浮浪児の三吉を通して、ナナ舞踊団の時田ナナ(日高澄子)と知り合う。彼女の一座が飯島(高田稔)の邸に出入することを知った藤村は、飯島家の門前で里見珠江にそっくりの娘を見かけたため、土屋元伯爵と名乗り、飯島に近しい高原(小堀明男)の紹介で飯島邸に乗り込む。例の娘は重松きみ子(喜多川千鶴・二役)と名乗り、南方探検家・重松子爵の孫だったが、彼女は遺産の一部のみ相続したので、名刀タキン・ミヤについては知らないと言う。藤村は計略してきみ子を自らが運転する車に乗せ、「里見珠江は貴女だろう」と責めるが別人だった。その時になって藤村は、ナナ舞踊団の里見まゆみが里見珠江であることに思い当るが、モヒ患者として身を隠していた彼女に会うと、自分が老人殺害犯人だと認める始末だった。裏に麻薬密輸組織があるとみた藤村は、腹話術師に変装し、ナナ達と飯島邸のパーティーに出演、余興を装って人形の顔を飯島、きみ子、緒方、桜井、高原に押して貰い、指紋を警察に送る。皆川弁護士を訪れると妻(沢村貞子)しかおらず、彼は偽電話で誘われて出かけ殺害されており、一度釈放された珠江までが行方不明となる。藤村は、飯島一味との最後の対決に臨む―。

二十一の指紋6.jpg 1948(昭和23)年公開の松田定次(1906-2003/享年96)監督による大映映画で、多羅尾伴内シリーズの第3作にあたります。片岡千恵蔵主演のこのシリーズは、1946(昭和21)年から1948(昭和23)年まで大映で4作品が作られ、1953(昭和28)年から1960(昭和35)年まで東映で7作品が作られ、本作は、「七つの顔」('46年)、「十三の眼」('47年)に続くものであり、この後の「三十三の足跡」('48年)が大映での最後の作品となりました。やがて、片岡千恵蔵と縁の深い松田定次も東映に移籍し、引き続きこのシリーズを監督します(松田定次の異母弟のマキノ光雄が東横映画(東映)製作責任者だったという繋がりもある)。


多羅尾伴内 二十一の指紋 齋藤 - コピー.jpg多羅尾伴内 二十一の指紋82.jpg 片岡千恵蔵演じる藤村大造(多羅尾伴内)のキャラはここにきて完全に確立されているという感じで、クレジットでは片岡千恵蔵のところに、「多羅尾伴内/片眼の運転手/せむしの男/藤村大造/老浮浪者/土屋元伯爵/一楽亭ピカ一」と出ます("一楽亭ピカ一"は腹話術師としての名前)。一人七役で、まさに"七変化"です。

多羅尾伴内 二十一の指紋 喜多川千鶴.jpg 喜多川千鶴は「七つの顔」「十三の眼」からの共演で、この作品では里見珠江、重松きみ子の他に里見まゆみも演じているとすると、一人三役とも言えます。また、「淑女は何を忘れたか」('37年/松竹蒲田)など小津安二郎作品でもお馴染みの斎藤達雄多羅尾伴内 二十一の指紋 齋藤.jpg「十三の眼」からの共演、「大学は出たけれど」('29年/松竹蒲田)、「燃ゆる大空」('40年/東宝東京)、「加藤隼戦闘隊」('44年/映画配給社(東宝))の高田稔や、まだ売出し中の笠原警部役の大友柳太郎(渋い)、小堀明男、沢村貞子など、改めて観るといろんな人が出ていたなあという印象です。

 推理ありアクションあり、最後はカーチェイスあり撃ち合いありで楽しませてくれ、藤村大造には弾は絶対当たらないのがお約束事であり、最後に彼が変装をかなぐり捨てて颯爽と藤村大造としての正体を現し、二挺拳銃を構えて犯罪一味と銃撃戦になり、警察が駆けつけたころには、藤村大造が単独勝利を収めているというのもお約束事です(警察なのに犯人の車に追いつかない)。

 ウィキペディアによれば、このシリーズは興行的には大成功しつつも、映画批評家の間では散々な悪評であったそうで、その理由は、
 ・ストーリーは、幼稚なたわいない話が多く、荒唐無稽である。
 ・千恵蔵が七変化をするのが映画のポイントだが、どんなに化けても観客には千恵蔵本人であることが一目瞭然であり化ける意味が薄く、また事件の推理・捜査と大して関連してもいない。
といったところにあるらしく、ついに永田雅一・大映社長は「多羅尾伴内ものなど幕間のつなぎであって、わが社は今後、もっと芸術性の高いものを製作してゆく所存である」と言明、これに対して激怒した片岡千恵蔵が「わしは何も好き好んでこんな荒唐無稽の映画に出ているのではない。幸い興行的に当たっているので、大映の経営上のプラスになると思ってやっているのに社長の地位にあるものが幕間のつなぎの映画とは何事だ。大映との契約が切れたら再契約しない」と断言したため、途中で大映から東映に製作会社が移ったようです。

 内容的にはお気楽な予定調和と言えばそうかもしれませんが、特に大映での4作品は、戦後の復興期の期待感を反映した面もあるように思います。この作品でも、浮浪児や闇市が出てきたり(闇市を支配する若いヤクザを三船敏郎が演じた黒澤明の「醉いどれ天使」('48年/東宝)が同年4月に公開されている)、豪華なオープンカーによるカーチェイスの背景が瓦礫の原だったりするのが、再見して個人的には印象に残りました。昭和23年かあ。

多羅尾伴内 二十一の指紋  .jpg「二十一の指紋(多羅尾伴内 二十一の指紋)」●制作年:1948年●監督:松田定次●●脚本:比佐芳武●撮影:石本秀雄●音楽:白木義信●時間:84分●出演:片岡千恵蔵/喜多川千鶴/高田稔/斎藤達雄/大友柳太郎/日高澄子/見明凡太郎/小堀明男/沢村貞子/上代勇吉/近衛敏明/水野浩/清水明/伊達三郎●公開:1948/07●配給:大映(評価:★★★☆)
片岡千恵蔵(in「獄門島」(1949年)as 金田一耕助)

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