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個人的好みは「捨ててきた娘」。やや凝った通好みは「双子」と「黒い眼鏡」か。ヒッチコック劇場版は別物。
『バン、バン! はい死んだ』.jpg 『バン、バン  はい死んだ』.jpg ミュリエル・スパーク.jpg Muriel Spark(1918-2006/88歳没)
バン、バン! はい死んだ: ミュリエル・スパーク傑作短篇集』['13年]
『バン、バン! はい死んだ』3.jpg

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)の短編集で、1958年発表の「ポートペロー・ロード」ほか15編を収録。収録作品は、「ポートペロー・ロード」(1958)/「遺言執行者」(1983)/「捨ててきた娘」(1957)/「警察なんか嫌い」(1963)/「首吊り判事」(1994)/「双子」(1954)/「ハーパーとウィルトン」(1953)/「鐘の音」(1995)/「バン、バン! はい死んだ」(1961)/「占い師」(1983)/「人生の秘密を知った青年」(2000)/「上がったり、下がったり」(1994)/「ミス・ピンカートンの啓示」(1955)/「黒い眼鏡」(1961)/「クリスマス遁走曲」(2000)。(カバーの15のイラストが15の収録作品に対応したものとなっているのが楽しい。)

「ポートペロー・ロード」... 「私」(通称ニードル)は実は死者である。5年前に世を去ったが、いろいろとし残したことがあって、なかなかあの世でゆっくりもしていられない。そこで、週日は忙しく動き回り、土曜日にはポートベロー・ロードを歩いて気晴らしをしている。そんなある日、旧友の二人連れを見かけ、男の方に声を掛ける。「あら、ジョージ」と―。被害者が幽霊として殺人加害者に話し掛ける。その姿や声は、連れの妻には見えず聞こえない。罪に意識の成せる業ともとれるが、死者が語り手となっているところが面白い。

「遺言執行者」... 叔父の遺作を横取りした姪が、あの世から叔父(とその彼女)に責められる―。叔父からのメッセージが自分の行動を先取りしているのが怖さを増す。死者に監視されている生活は嫌だなあ。単なる怖さと言うより自分への後ろめたさでしょう。むしろ、その後ろめたさが為せる幻覚ともとれる。

「捨ててきた娘」... 仕事を終えてバスに乗り、帰宅しようとして「私」は仕事場に何かを忘れてきたような気がする。頭の中では雇い主のレターさんの吹く口笛の曲が鳴っている。いったい「私」は何を忘れてきたのだろう。バスの運賃を手に握り締めたまま、もういちど仕事場に戻った「私」がそこでみつけたものとは―。面白かった。アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」、フリオ・コルタサルの「正午の島」に通じるものがあった。主人公が「周囲の視線が私を突き抜けていくばかりか、歩行者が私の体を通り抜けていくような感覚があるのだ」というのが伏線か。短めだが本短編集で一番の好み。

「警察なんか嫌い」... 「警官嫌いを直すなら、警察に行くのがいちばんだよ」と叔母に言われた青年は、いやいやながら警察に行った。彼は警察が嫌いだった。ちょうど知り合いの女の子が「郵便局嫌い」だったのと同じように。青年が警察署に行くと、番号で呼ばれ、手錠を掛けられ、独房に入れられた。「言語を絶する事件」が起こり、彼はその犯人なのだという。かくして裁判が開かれ、青年は「言語を絶する罪」により裁かれる―。 「言語に絶する以上、言語にはできないゆえ、証言は認めることができない」という「不思議な国のアリス」などにも出てきそそうな不条理レトリック。有罪になった彼の警察嫌いが直らないのは当然か。

「首吊り判事」... 新聞は死刑の宣告を下したスタンリー判事の表情を。まるで幽霊を見たかのような顔であり、明らかに動揺を見せていた、と伝えた。死刑の宣告が重荷だったのではないか。死刑制度に疑義があるのではないか、と憶測が飛び交う―。実は。スタンリー判事が死刑の宣告をしたとき特別な表情を見せたのは、そのとき彼は勃起し、性的な絶頂に達してしまったからだったというのがすごい。それでも飽き足らないのか、彼がやがて殺人者となることが示唆されている。

「双子」... 「私」が学生時代の友人ジェニーを訪ねる。ジェニーはサイモンと結婚し、二人の間には双子の子供マージーとジェフがいる。幸せを絵に描いたような夫婦と愛くるしい女の子と男の子が暮らしている家だ。楽しい滞在になるはずだった。にもかかわらず、私は次第に微妙な違和感を、その家族に感じ始める―(続きは下段に)。個人的見解だが、この双子そのものはイノセントではないのか。「キッチンでパパと女の人が一緒にいたよ」とママに言ったのでは。夫婦のディスコミュニケーションの煽りを受けて、「私」が全部扇動していることにされてしまったということではないか。

「ハーパーとウィルトン」... 作家である私を訪ねてきたのは、自分が書いた小説の登場人物たちだった―。ひと昔前が舞台だが、現代の基準に沿って自分たちの汚名をそそいでくれと要求する登場人物たち。作者は自らの作品の結末書き直すが、作者自身、座りの悪さを感じていたための出来事ではないか。"夢オチ"ともとれるが、"夢"と現実の両方をつなぐ人物(庭師)がいるのがミソ)。

「鐘の音」... 82歳のマシューズ老人が亡くなって3か月が経ったが、息子ハロルドが父親を殺したとの密告があり、遺体を掘り起こした結果、彼が殺害されたらしいことが判明。老人の息子や直前に老人と口論したフェル医師が容疑者として浮かんだが、彼らには完璧なアリバイが―。時間差トリックで、純粋ミステリに近く、こうしたスタンダードな作品もあるのだなあと。"夏時間"なんて〈後出しジャンケン〉ではないかと思う人もいるかもしれないが、11時50分に出産に立ち会って、帰宅したのが教会の時計が12時を告げた時、という時点でおかしいと思うべきだった。

「バン、バン! はい死んだ」... シビルの家の近所にシビルそっくりの女の子が引っ越してくる。容貌こそ似ていたが、シビルはデジルが好きになれなかった。泥棒ごっこのルールを無視して、いつもシビルだけにピストルを撃つまねをして「バン、バン!はい死んだ」とやるからだ。大人になったシビルは勤務先の南ローデシアで、再びデジルに出会う。農園主と結婚したデジルは、独り身のシビルを家に招待しては夫との熱熱ぶりを見せつける。頭の良さを鼻にかけるシビルに対するデジルの挑発だった。デジル夫婦とシビル、それにもう一人の男との間に仕組まれた愛憎劇。芝居がかった男女関係がこじれて事件は起きる―。「バン、バン!」という通り、犠牲者は二人ということか。最初から事件の起きそうな雰囲気。タイトルで「バン、バン」と2回あるのは、二人死んだからだろう。実はテッドとデジルはうまくいってなかった、そして、事件後、シビルがテッドと一緒になるのだろう。

「占い師」... トランプ占いをやる私がある夫人の占いをしてあげるが、何か夫人のカードを解読する力は自分より上であるように感じる―。占われた相手の夫人の方が占った側の私より人の運命を見る能力が上だったという話。相手は、実は私の将来を見通していて、こちらの占いの先回りをして将来を変えてしまう。つまり、今の夫を捨て、私が夫とすべき男性と一緒になるという皮肉譚だった。

「人生の秘密を知った青年」... 失業中の男の下に現れる幽霊。恋人と結婚できない彼に嫌味を言うが、一方で競馬の当たり馬券を予言し、男が勘で賭けても当たるように。男が一念発起して彼女を射止めると、幽霊は消える―。幸せになったことの引き換えに"超能力"が消えるというパターンの話と同類か。

「上がったり、下がったり」... 彼は21階からエレベーターに乗ってくる、と彼女は確かめた。同じように彼女は16階にある会社に勤めている、と彼は確認した。二人の男女はエレベーターの中で互いを意識する。その階のどの会社に勤めているのか、どこに住んでいるのか、髪の毛は染めているのか、独身なのか。ある日、彼は彼女をディナーに誘う。エレベーター以外の場所で二人が会うのはこれが初めてになる―。二人の男女のそれぞれの視点で交互に描かれていて、二人が口をきくまでに妄想を膨らませすぎているため、彼と彼女のそれぞれの相手に対する認識のズレがあるのが可笑しい。

「ミス・ピンカートンの啓示」... カップルの目の前に、茶碗の受け皿ほどの大きさの、回転する飛行物体が飛んでくるというミニSF譚。まさにフライング・ソーサ―なのだが、受け皿が空を飛んでいて、見る者によっては宇宙人が操縦しているところまで見えたということでマスコミも殺到するのに、当事者たちは、受け皿がどこのブランドなのかの方がさも重大事であるのが可笑しい。英国的なものへの風刺?

「黒い眼鏡」... 「私」は、いま一緒にいる精神科医のグレイ医師が昔の知り合いだったことに気がついた。なぜグレイ医師は一般の開業医を辞め心理学を志すようになったのか―(続きは下段に)。ドロシーとバジルの姉弟が近親相関的関係にあったというグレイ医師の見方は間違いないところでしょう。グレイ医師は精神分析を学んでこの問題を克服したとしているが、そのことを語っている「私」自身がそこに関与している可能性があるため、何が真実なのか分からないとうのは、穿ち過ぎた見方だろうか。

「クリスマス遁走曲」... シンシアがクリスマス休暇でシドニーからロンドンに向かう飛行機で知り合った若さ溢れるパイロットのトム。親切にしてくれ、給油地のバンコクに着いた頃には互いに「忘れられない日になりそうだ」と。離婚協議中だという彼との将来の夢が膨らむ。目的地に着いて、航空会社に電話したら、そんな名のパイロットはウチにはいないと―。果たしてトムは実在したのか。ラストで呆然とする女性がいい。

 バラエティに富んだ15編でした。個人的好みはやはり、切れ味が印象に残った「捨ててきた娘」でした。やや凝った通好みは「双子」と「黒い眼鏡」でしょうか。


「バーン!もう死んだ」2.jpg「バーン!もう死んだ」6.jpg 因みに、「新・ヒッチコック劇場」で「バーン!もう死んだ」というのを観たのですが、これはミュリエル・スパークのものとは全く別のお話(監督は「愛は静けさの中に」('86年/米)のランダ・ヘインズ)。アマンダは男の子たちと一緒に戦争ごっこがやりたいのだが、銃のおもちゃを持っていないため、仲間に入れてもらえない。そんな折、彼女のおじさんが内戦の続くアフリカから戻ってきた。お土産を探し、おじさんの鞄をあさっていると、アマンダは本物の銃を見つける。彼女はそれに弾をこめ、街へ遊びに出て行った―。これはこれで、ハラハラする話でした。旧「ヒッチコック劇場」(TBS版第1話「バァン!もう死んだ」)で男の子だったものを女の子に変え、ラストで狙われるのも家政婦から意地悪な男の子に変更したそうです。街中でわがままな女の子に狙いを定めては外し「運のいい野郎」だと捨て台詞をはくなど、細かい描写もがよく描けていました。

「バーン!もう死んだ」3.jpg「新・ヒッチコック劇場(第21話)/バーン!もう死んだ」●原題:Alfred Hitchcock Presents -P-3.BANG! YOU'RE DEAD●制作年:1985年●制作国:アメリカ●本国放映:1985/05/05●監督:ランダ・ヘインズ●脚本:ハロルド・スワントン/クリストファー・クロウ●原作:マージェリー・ボスパー●時間:24分●出演:ビル・マミー/ゲイル・ヤング/ライマン・ウォード/ジョナサン・ゴールドスミス/ケイル・ブラウン/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1988/03●放映局:テレビ東京●日本放映(リバイバル):2007/07/29●放映局:NHK-BS2(評価★★★☆)


●やや詳しいあらすじ
「双子」...最初はマージーが自分にお金をくれ、と言ってきたことだ。女の子はその理由を言わなかったので、私が断ると、ジェニーがやってきてパン屋に支払う小銭がなかったので「そう言って」お金を借りてきてちょうだい、と娘に言ったのだという。そういう話だったのなら...と私はきちんと説明しなかったマージーを責めることもできず、ジェニーはジェニーで自分のことをケチだと思っているのかもしれない、と、どちらに転んでも妙な居心地悪さを私は感じる。男の子ジェフもマージーと同じような振る舞いをし、私は気まずい思いをする。数年後、私はジェニー家をパーティ出席のため再訪する。そこで私は前回以上の手の込んだ「仕打ち」を、その家族から被る。後から、そのパーティの際に、サイモンがその場にいた女友達とキッチンで不埒なまねをしていたという出鱈目をジェニーに言ったのが私だという手紙がサイモンから届いたのだ。悪いのは双子の子供たちか、それとも、ジェニーか―。

「黒い眼鏡」... 私が13歳の時近所の眼科医へ眼鏡をつくりにいったときのことだ。あの時眼科医のバジル・シモンズは私の肩に手をやり首筋に触れた。そのときバジルの姉のドロシーが検査室に入ってきた。バジルはすぐに手を引っ込めたがドロシーは何かを認めたはずだ─私はそう確信した。「弟を誘惑するな」とでも言っているようだった。私の祖母と叔母によれば、バジルとドロシーの姉弟には寝たきりの母親がいての母親にはかなりの財産があるらしい。また、ドロシー・バジルは片目が見えないことも祖母と叔母は私に知らせてくれた。二年後、私は眼鏡を壊してしまったので再びバジル・シモンズの店を訪れた。バジルは今でも私に関心を持っているようだった。その時もまた祖母と叔母は再び私にバジルとドロシーに関する情報を知らせてくれた。彼女たちによれば、母親の財産のほとんどは姉のドロシーに相続され、または、弟のバジルに委託されるらしい、と。私はバジル先生のことを思う。すると私はいつのまにかバジル先生の家の前に来ている。窓からバジル先生が書類を見て何かをしているのが見える。それは遺言書の偽造に違いない。私はそう確信した。次の日、眼鏡の調子が悪いとバジル・シモンズを訪ねた。検眼の最中に姉のドロシーが自分の目薬を取りに検査室に入って来た。探していた目薬を手に取りドロシーが二階に戻ると、悲鳴が聞こえた。目薬には毒物が入っており、ドロシーは失明した。これで両目が見えなくなった。その後ドロシーは気が狂ってしまったという。
バジル・シモンズはグレイ医師と結婚したが、しばらくして、姉と同じく精神を病んでしまった。グレイ医師は、私が誰で私が事の次第を知っていることを知らずに、自分の内面を私に聞かせる。性覚醒、エディプス転移といった「くだらない話」を私にする。グレイ医師は、夫のバジルの精神の病は、姉の失明の原因は自分にあると考えていることだと説明する。ドロシーは見てはならないものを見てしまったために、無意識のうちに自分を罰しようと目薬の調合を間違えた。夫のバジルは無意識に姉がそうなることを望んでいたため、自分に責任があると信じてしまった。グレイ医師は、そう読み解く。
それを聞いて私はゲームを始める。グレイ医師は、バジル姉弟は無意識の近親相姦だと言う。私は、そのことをバジルと結婚するとき知らなかったのですか? と尋ねる。グレイ先生は、そのときはまだ心理学を勉強していなかったと答える。何度かこういう遣り取りを繰り返した後、グレイ医師は私に告白する。私が精神科医になったのは、夫のバジルがあれこれ「妄想」を抱くようになったので、それを読み解くために心理学の勉強を始めた、と。効果はあった。なぜなら私は正気を保っているから。私が正気を保っているのは、私が正気を保てるよう、あの事件を読み解いたから。グレイ医師は言う。妻として見れば、夫は有罪──明らかに姉を失明させ、遺言書を偽造した。でも精神科医としては、夫は完全な無罪になる。「なぜご主人の告発を信じないのですか?」「私は精神科医よ。告白はめったに信じない」と―。

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登場人物ほぼ全員70歳以上の「笑劇」&「いやミス」。怪電話の主は「死神」?

『死を忘れるな』.jpg『死を忘れるな』2.jpg 『死を忘れるな』白水.jpg
死を忘れるな』['13年]/『死を忘れるな (白水Uブックス) 』['15年]
「死ぬ運命を忘れるな」と電話の声は言った。デイム・レティ(79歳)を悩ます正体不明の怪電話は、やがて彼女の知人たちの間にも広がっていく。犯人探しに躍起となり、疑心暗鬼にかられて遺言状を何度も書き直すデイム・レティ。かつての人気作家で現在は少々認知症気味のチャーミアン(85歳)は死の警告を悠然と受け流し、レティの兄でチャーミアンの夫ゴドフリー(87歳)は若き日の数々の不倫を妻に知られるのを恐れながら、新しい家政婦ミセス・ベティグルー(73歳)の脚が気になる模様。社会学者のアレック(79歳)は彼らの反応を観察して老年研究のデータ集めに余念がない。果たして謎の電話の主は誰なのか―。

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1959年に発表した小説で、原題もまさにMemento Mori(死を想え)。登場人物ほぼ全員70歳以上(レティの今の家政婦アンソニーはぎりぎり69歳だが)の入り組んだ人間模様を、辛辣なユーモアを交えて描き、ミステリの要素もありました。読み始めて最初の20ページいくかいかないかくらいで、病院の患者が1ダースいる老人病科(女性のみ)が舞台となり、あっという間に通算で十数人ぐらいの人物が登場したことになってしまったので、もう一度最初に戻って、人物相関図を作りながら読みました(笑)。

 突き放した視点で人間を描く作者らしく、登場人物は喰えない、共感できない人間ばかりで、「笑劇」であると同時に「いやミス」っぽい感じも。ただし、「ミステリの要素もある」としましたが、犯人(電話の主)は明かされておらず、その意味では、サスペンスフルでありながらも、ミステリとして完結しておらず、やや消化不良の感もありました(この作家にまだ慣れてなかったというのもある)。

 ただし、登場人物の中には懸命に事態を分析している人物もいて(まあ、するのが普通だが)、デイム・レティは、甥で売れない小説家のエリックか、かつて婚約を破棄した老社会学者のアレック(79歳)の 仕業ではないかと考え、チャーミアンの夫ゴドフリーはその電話は偏執狂か、または妹レティの敵の誰かの仕業ではないかと考え(結局誰かわからないということ(笑))、「老年」を研究課題としているアレックは、自身も謎の電話を受けた一人だが、一連の怪電話の説明に「集団ヒステリー」論を当て嵌めています。

 さらに、レティの昔の女中で今は老人病棟にいるミス・テイラー(82歳)は、この人は人間的にはまともなのですが(なにせ、"まともな人"はこの作品では少数派に属する(笑))、最初はアレックを疑っていましたが、最終的に出した決論は(おそらく自身の信仰という観点から)電話の正体は「死神」であると。ところが科学的捜査をしていたはずのモーティマー警部も、最後にはテイラーと同じ結論に至るので、これにはやや驚きました。

 この流れていくと、「死神」説は極めて有力(笑)。モーティマーがそうした結論に至ったのは、あらゆる科学的捜査を尽くした上で、尚もそれが解明されないならば、あとは超現実的なものしか残らないだろうということのようです。

 作者は、登場人物の会話と行動だけを主として描き、個々の思惟を深く描くことをしないので、結局のところ誰の意見にも加担しておらず、もともと犯人を特定していないようにも思えるし、テイラーとモーティマー警部が異なったアプローチから同一の結論に至っていることから、もしかしたら「死神」説を想定しているのかもしれない―とも思った次第です。

『死を忘れるな』tv.jpg 1996年にBBCでTVドラマ化されていて、ミュリエル・スパーク原作、ロナルド・ニーム監督の「ミス・ブロディの青春」('69年/英)で主役のミス・ブロディを演じ「英国アカデミー賞」と「米アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞したマギー・スミスが、その縁からか準主役級の家政婦ミセス・ベティグルー役で出ています(原作ではこの人だけハッピーエンドなんだなあ。でも実は主人の遺言を書き換え遺産を独り占めした悪(ワル)だったのかも。ドラマでの描かれ方を知りたい)。

【1964年全集[白水社『新しい世界の文学〈第13〉死を忘れるな』/1981年単行本[東京新聞出版部(『不思議な電話―メメント・モーリ』今川憲次:訳)]/2015年叢書化[白水社Uブックス]

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自分にとってはストーリーよりも技巧(フラッシュフォワード)の小説だった。

『ミス・ブロウディの青春 (1973年)』.jpgミス・ブロウディの青春 (1973年).jpgミス・ブロディの青春 u.png 『ミス・ブロディの青春』3.jpg
ミス・ブロウディの青春 (1973年) 』『ミス・ブロウディの青春 (白水Uブックス 203 海外小説永遠の本棚)』['15年]『ブロディ先生の青春』['15年/河出書房新社]
映画「ミス・ブロウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」1.jpg
「ミス・ブロディの青春」('69年/英)マギー・スミス

 1930年代、エディンバラの寄宿制一貫女子学校での、風変わりな女性教師ブロウディ先生と生徒たちの物語。思い込みの激しいブロウディ先生は、自分の世界観に相応しい生徒を育てるために、サンディをはじめとす6名のブロウディ組と呼ばれる少数精鋭的生徒のグループを結成し独特の教育を進める。しかし、思春期の学生の変化は早く、かつてはブロウディに憧れた彼女らも16歳の時点では各々の道を進みたがるようになる―。、

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1961年に発表した小説(原題:The Prime of Miss Jean Brodie)で、英ガーディアン紙「必読小説1000冊決定版リスト」に「運転席」などと共に入っている作品(彼女の作品は5作も入っている)。物語はブロウディ先生とそれを囲む十代前半の生徒たちの話ということで、小説からは結構ガーリームービーっぽい雰囲気も感じました。

 それにしても、このブロウディ先生はちょっとやりすぎというかエキセントリックな感じが強くて、自意識としては正義感に満ちているのでしょうが、ブロウディ組の御しやすい生徒を自分の恋愛のために利用したり、あるいはその内の1人に自身の恋愛願望を代行させたりして(その結果、その娘はスペインで爆死することになる)、結構あざとくもあり、また結果として残酷でもあって、シンパシーが湧きにくい感じです。

そもそも、思想的にファシズムに傾倒してしてしまって、これを生徒に押しつけるのもどうかしています(自身がヒトラーやムッソリーニになってしまっている)。遂には生徒の裏切りに遭い、彼女は職を失うことになるのですが、あまり気の毒な気はしませんでした。

 むしろ、彼女の自身の信念に沿った行為がどんどん危険なものとなっていくという点で結構ブラックというか、「いやミス」的でもあります。作者の本当の狙いも、実はそのあたりにあるのではないかと思われます。少なくとも、作者はブロウディ先生を突き放しているように思えます。

ただし個人的には、ストーリーよりもその構成に特徴があるように思いました。所謂フラッシュフォワードと言うか、「将来」に起きることやその結末が、「現在」進行中の物語の合間合間に語られています。そのため、ブロウディ先生がやがて生徒に裏切られ、学校を去るということも、読んでいて早い段階から分かります(先に挙げた生徒の悲惨な最期も、実際にはずっと先の話なのだが、読んでいる途中で明かされてしまう)。

 あとは、生徒の内の誰がブロウディ先生を裏切ったかということがミステリ的ですが、これもおおよそ検討はつかなくもないです。作者は、ミス・ブロウディを通して、人間の思念の暴走とその成れの果ての悲惨を描き、そこに、作者が得意とするフラシュフォワード的な手法を織り込むことで「決定論」的な世界を構築してみせたものと思われます。ただ、どちらかと言えばやはりストーリーよりも技巧の小説でした(自分にとっては)。

「ミス・ブロディの青春」3.jpg この作品は、ロナルド・ニーム監督(「ポセイドン・アドベンチャー」('72年)、「オデッサ・ファイル」('74年))、マギー・スミス(「ナイル殺人事件」('78年)、「地中海殺人事件」('82年))主演で「ミス・ブロディの青春」('69年/英)として映画化され(邦題でブロディ→ブロディに。そのブロディ組は6人から4人に圧縮されていた)、マギー・スミスが1969年・第23回「英国アカデミー賞」並びに1970年・第42回「アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞しています。

「ミス・ブロディの青春」2.jpg 1930年頃、スコットランドの首都エジンバラ。マーシア・ブレーンという名門女子高があった。先生たちは、みな地味だったが、一人ミス・ジーン・ブロディ(マギー・スミス)だけは違っていた。派手な服装、ウィットに富んだ会話そして自分はいま、青春のただ中にいると公言してはばからなかった。彼女に反感を持った生徒もいたが、逆に、彼女に惹かれ〈ブロディ一家〉と称する生徒たちもいた。サンディ(パメラ・フランクリン)、モニカ、ジェニー、メリーの四人組である。一方ブロディは、美術教師テディ(ロバート・スティーブンス)の恋人なのだが、彼の態度が煮えきらないので、音楽教師ゴードンに心を移した。こんな一件に生徒たちが関心を持たないはずがない。加えて学校側も攻撃に出る。ブロディの立場は少しずつ悪くなっていく。やがてゴードンが離れ、テディも離れていく。だがブロディはテディのことを忘れることが出来ない。テディとて同じこと。ブロディの代りにサンディをモデルにして絵を描いていたが、顔だけはブロディになってしまう。このことはサンディの心を、いたく傷つけた。やがてブロディにとって進退きわまりない事件が持ちあがった。スペイン戦争を賛美した彼女の教えに、生徒の一人メリーが兄を訪ねて戦場に行ったのである。そして空爆に遭い死んでしまった。攻撃の矢は、いっせいにブロディに向けられ、ついに退職するところまで追いつめられた。頼みの生徒サンディも彼女に背を向ける。ここに来て初めて、ブロディは、自らの青春が終りを告げたことを知るのだった―。

「ミス・ブロディの青春」5.jpg 映画では、冒頭からマギー・スミス演じるブロディ先生は学校に新しい息吹をもたらすエースであるかのように颯爽と登場し、女性校長はそれを良く思わない頑固な守旧派のような形で始まって、この点では小説と同じですが、やがてすぐにブロウディ先生はどこかおかしいということが伝わってくるようになっています。それと、映像で見るせいか、性的抑圧が強い印象を受け(実際に複数の男性教師から誘惑される)、彼女の行動の根底にそうしたものがあることを原作以上に窺わせるものとなっていました(サンディって原作ではメガネかけていたっけ。美術教師テディの絵のヌードモデルになるのは原作と同じで、原作では愛人に)。

 映画では小説のようなフラシュフォワード的な手法は使われておらず、ブロウディ先生が生徒の裏切りに遭って学校を追われるまでが描かれていますが、学校の授業で、ムッソリー率いる黒シャツ隊の映像を生徒に見せて賛美するのはやはりマズいでしょう。ミス・ブロウディというキャラクターの歪みを分かりやすく描いていましたが、それが画一的な描かれ方にはなっておらず、一定のリアリティを保っているところは、マギー・スミスの演技力によると思われます。

「ミス・ブロディの青春」34.jpg 美術教師テディが最初ブロディの代りにサンディとは別の女生徒をモデルに絵を描くも、目がマギー・スミスになっていて女生徒とは似ておらず、彼が描く少年少女や、果ては犬までもがマギー・スミスの目になっているのがご愛敬でした(行き詰ってヌード画家に転身した?)。

ミス・ブロディの青春 [DVD]
「ミス・ブロディの青春」6.jpg「ミス・ブウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」●原題:THE PRIME OF MISS JEAN BRODIE●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:ロナルド・ニーム●製作:ロバート・フライアー●脚本:ジェイ・プレッソン・アレン●撮影:テッド・ムーア●音楽:ロッド・マッキューン●時間:102分●出演:マギー・スミス/ロバート・スティーブンス/パメラ・フランクリン/ゴードン・ジャクソン/ジェーン・カー/セリア・ジョンソン/シャーリー・スティードマン/ダイアン・グレイソン●日本公開:1969/11●配給:20世紀フォックス((評価:★★★☆)

【2015年叢書化[白水社Uブックス(岡 照雄:訳)/2015年単行本[河出書房新社(『ブロディ先生の青春』木村政則:訳)]】

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「運転席」に座って主人公を"ドライブ"しているのは"狂気"か。今まで読んだことないタイプの話だった。
『運転席』.jpg  「運転席」vhs.jpg The Driver's Seat.jpg
運転席 (1972年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)』/映画「サイコティック」エリザベス・テイラー/「The Driver's Seat/Impulse [DVD]」(ウィリアム・シャトナー主演「Impulse(「キラー・インパルス/殺しの日本刀」)」とセット)

 ヨーロッパのとある北の国で、会計事務所の事務員として働く女性リズは、4か国語を話す30代独身キャリアウーマンである。その彼女がとある南の国へ海外旅行に出かける。チンドン屋みたいにド派手な色合いの服を着て 練り歩き、店員、通行人、警察官、旅先で知りあった人たちに絡んでは、自分の臭跡を残していく。それはやがて起こる悲劇の伏線となる―。

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1970年に発表した小説で、原題もまさにThe Driver's Seat。リズは、旅行の目的地に向かう飛行機の機内においてから、両隣りに座った男性と噛み合わない会話をし、旅先でも出会った老女と何だかおかしい会話をしています。何のための旅行と思われるところがありますが、要は「運命の人」を探すのが旅の目的らしいということがわかってきます。

 ここからはネタバレになりますが、彼女は目的地に着いた翌日、現地の「公園のなかの空き別荘の庭で、手首をスカーフで、足首を男のネクタイで縛られたうえ、めった刺しにされた惨死体として」発見されることが、この作家独特のフラッシュフォワード(結末の先取り)として、早いうちに読者に知らされます。したがって、彼女はどうしてそんなことになったのか、物語はミステリの様相を帯びてきます。

 ところが、さらにここからネタバレになりますが、どうやら彼女が探していた「運命の人」というのは自分を殺してくれる男性だったようです。つまり、彼女は自分の死に向かってまっしぐらに突き進んでいるわけで、最終的にその目的を果たしたようです。

 なぜ彼女がそんなことになっているのかは、作者は直接語ろうとはしないため、彼女の行動、彼女の見るもの、彼女が接触する人物との遣り取りを通して推し測るしかないのですが、とても理解できるようなものではありません。「ホワイダニット」を探る読者に対して作者は「フーダニット」までは示しますが、「ホワイダニット」は読者が自ら考えるしかないのでしょう(作中にも「嬰q長調の"ホワイダニット"」との示唆がある)。

 「フーダニット」といっても、そうした性向を持った男性を探し当てたものの、いわば無理強いした嘱託殺人のようなもので、犯人も被害者のようなものかも。因みに「探し当てた男性」は偶然にも彼女が旅先で出会った老女の甥で、しかも、さらに偶然には、実は彼女がこの旅行の早い段階で会っていた!このオチは面白かったです。ある意味、確かに「運命の人」(実態は単なる〈神経症〉男なのだが)。フラッシュフォワード的記述が伏線になっていたましたが、見抜けませんでした。

 「運転席」というタイトルは、おそらく彼女の行動をドライブしている(駆り立てている)何者かを示唆しているのでしょう。自殺者が死に向かって突き進む話はありますが、自殺者は自分で死に向かって脚本を書くのに対し、リズの場合は誰かが書いた脚本をひたすら演じているようであり、ある種「解離性人格障害」のようにも思いました。

 「運転席」に座ってリズを"ドライブ"しているのは"狂気"でしょうか。今までまったく読んだことのないタイプの小説でした。


Driver's Seat (Identikit).jpg映画「運転席」.jpg この作品は「悦楽の闇」('75年/伊)のジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督により「サイコティック/Driver's Seat (Identikit)」('74年/伊)としてエリザベス・テイラー主演で映画化され、エリザベス・テイラーは、アガサ・クリスティの『鏡は横にひび割れて』の映画化作品でガイ・ハミルトン監督の「クリスタル殺人事件」('80年/英)など凖主役級(「クリスタル殺人事件」の場合、一応は主演は犯人役のエリザベス・テーラーではなくミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーということになる)の出演作はこの後にもありましたが、純粋な主演作品としては42裁で出演したこの映画が最後の作品になりました。

Driver's Seat (Identikit)0.jpg 映画は劇場未公開で、80年代に日Driver's Seat (Identikit)7.jpg本語ビデオが「パワースポーツ企画販売」という主としてグラビア系映像ソフトを手掛ける会社から「サイコティック」というタイトルで発売(年月不明)され、こうした会社からリリースされたのは、テイラーの乳首が透けて見えるカットがあるためでしょうか("色モノ"扱い?)。'20年5月にDVDの海外版が再リリーズ、'22年12月VOD(動画配信サービス)のU-NEXTで日本語字幕付きで配信されました。

 ある意味、原作通り映像化しているため、原作を知らない人にはわけが分からなかったのDriver's Seat (Identikit)4.jpgではないでしょうか。一部改変されていて、リズが当初からインターポールにマークされている設定になっていますが(ただしその理由は最後まで明かされない)、これは、映画の脚本にも参加したミュリエル・スパークがインターポールに勤務したことがあるという経歴の持ち主のためでしょうか(アンディ・ウォーホルが出演している)。

Driver's Seat (Identikit)3.jpg エリザベス・テイラーは体当たり的にこの難役に挑んでいますが、役が役だけに、また、ましてやオチが不条理オチだけに、評判はイマイチだったようです(彼女の生涯最悪の映画とも言われているらしい)。

 この映画のエリザベス・テイラーの演技を見ていると、すべては性的欲求不満が原因のように思えてきますが(彼女はそうした欲求不満の女性を演じるのが上手かった)、この主人公は性的交渉自体を望んでいるわけではありません。主人公が望むのはあくまで「死」であり、彼女がそこまで至ってしまうのは、当時の女性に対する社会的抑圧も誘因としてあったのかなという気がします。

Driver's Seat (Identikit)9.jpg また、「嘱託殺人」を選んだのは、主人公がカソリックで、自殺が禁じられていることも理由として考えられるように思いました(自分を殺す際に手足を縛ることまで要求したのは、あくまでも殺人だと印象付けるため)。

 先にも述べた通り、エリザベス・テイラーの長い映画キャリアの中で最も酷い作品とも評されていますが、原作を念頭に置けばそう酷評されるような作品ではなく、むしろよく出来ていると思います。撮影は「ラストエンペラー」のヴィットリオ・ストラーロ、音楽は「家族の肖像」のフランコ・マンニーノであることから、イタリアの製作陣はそれなりの人材を配したのではないでしょうか。イタリア語タイトルは"Smrt u Rimu"(「ローマの死」)。原作では「南の国」としか言われていませんが、いろいろな点で原作をイメージするのにうってつけの作品と言えます。

Driver's Seat (Identikit)2.jpgDriver's Seat (Identikit)5.jpg「サイコティック」●原題:IDENTIKIT(DRIVER'S SEAT/伊:SMRT U RIMU)●制作年:1974年●制作国:イタリア●監督:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ●製作:フランコ・ロッセリーニ●脚本:ラファエル・ラ・カプリア/ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ/ミュリエル・スパーク●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:フランコ・マンニーノ●時間:105分●出演:エリザベス・テイラー/イアン・バネン/グイード・マンナリ/モナ・ウォッシュボーン/アンディ・ウォーホル●配信:2022/12●配信元:U-NEXT(評価:★★★★)

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