【319】 ◎ 秋山 賢三 『裁判官はなぜ誤るのか (2002/10 岩波新書) ★★★★☆

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一般からは見えにくい裁判官という「人間」に内側から踏み込んだ1冊。

裁判官はなぜ誤るのか.jpg 『裁判官はなぜ誤るのか (岩波新書)』 〔'02年〕 秋山賢三.bmp 秋山 賢三 氏 (弁護士)

 元判事である著者が、裁判官の置かれている状況をもとに、日本ではなぜ起訴された人間が無罪になる確率が諸外国に比べ低いのか、また、なぜ刑事裁判で冤罪事件が発生するのかなどを考察したもの。

 その生活が一般の市民生活から隔絶し、その結果エリート意識は強いが世間のことはよく知らず、ましてや公判まで直接面談することも無い被告人の犯罪に至る心情等には理解を寄せがたいこと、受動的な姿勢と形式マニュアル主義から、検察の調書を鵜呑みにしがちなことなどが指摘されています。

 一方で、絶対数が少ないため1人当たりの業務量は多く、仕事を自宅に持ち帰っての判決書きに追われ、結局こうした「過重労働」を回避するためには手抜きにならざるを得ず、また、身分保障されていると言っても有形無形の圧力があり、そうしたことから小役人化せざるを得ないとも。

 著者自身が関わったケースとして、再審・無罪が確定した「徳島ラジオ商殺し事件」('53年発生、被害者の内縁の妻だった被告女性はいったん懲役刑が確定したが、再審請求により'85年無罪判決。しかし当の女性はすでに亡くなっていた)、再審請求中の「袴田事件」('66年に発生した味噌製造会社の役員一家4人が殺され自宅が放火された事件で、従業員で元プロボクサーの袴田氏の死刑が、'80年に最高裁で確定)、最高裁へ上告した「長崎事件」を代表とする痴漢冤罪事件などが取り上げられています。

 誤審の背景には、裁判官の「罪を犯した者を逃がしていいのか?」という意識が 「疑わしきは被告人の利益に」という〈推定無罪〉の原則を凌駕してしまっている実態があるという著者の分析は、自身の経験からくるだけに説得力があるものです。

 司法改革はやらねばならないことだとは思いますが、弁護士の数を増やすことが裁判官の質の低下を招き、訴訟の迅速化を図ることが冤罪の多発を招く恐れもあることを考えると、なかなか制度だけですべての問題を解決するのは難しく、裁判官1人1人の人間性に依拠する部分は大きいと思いましたが、本書はまさに、一般からは見えにくい裁判官という「人間」に、内側から踏み込んだ1冊です。

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