【931】 △ 見田 宗介 『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来』 (1996/10 岩波新書) ★★★

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情報化・消費化社会がもたらす環境・資源問題は既にグローバル化した"常識問題"に。
やや古く、解決糸口も見えにくい。

現代社会の理論.jpg 『現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)』 ['96年]

 我々が生きる「現代社会」とはどんな社会か? その基本的な特質は何か? 本書は、社会学の方法を用いてその問題に迫った"名著"とされている本―ですが、自分との相性はイマイチだったかも。

 著者は、現代社会を「情報化/消費化社会」として特徴づけていて、例えば、我々が商品を購入する場合に、商品の機能や性能より、デザインやイメージから選択することがあるが、そうしたイメージはテレビCMなどで植えつけられたものであり、情報を通して欲望が喚起されたともとれ、情報は無限性を持つため、消費も無限に生み出される、そして、それに応えるようにモノも生産される―、その意味においては、現代の「情報化/消費化社会」システムが社会主義システムよりも相対的に優秀かつ魅力的だったことは確かであるが(ここまでは、計画経済の限界を説いた経済学者の先行理論と変わらない)、一方で、このシステムは、「大量採取」と「大量廃棄」を伴うために、環境・公害問題、資源・エネルギー問題、貧困・飢餓問題などの危機的な矛盾と欠陥を孕む、と言っています。

 「大量生産→大量消費」という現代社会の図式は、実は「大量採取→大量生産→大量消費→大量廃棄」という全体図になっているのに、その始めと終わりの部分は我々の目には見えにくく、その"盲点"を指摘した点が、本書が"名著"とされている理由の1つでしょうが、本書の書かれた'96年時点では、本書に取り上げている「南北問題」とかで、「採取」と「廃棄」はそうした見えない地域へ押しやられて我々の目に触れにくかったということだろうか(個人的には、今現在ほど「環境/資源問題」がグローバルな問題になっていなかったにしても、当時においてもそれなりに問題視されていたように思うが)。

 後半部に、この「環境/資源問題」をどう乗り越えるかがテーマとして取り上げられていますが、バタイユなどを引くうちにだんだん抽象的な学術論文みたいになってきて、あまり具体的な解決案というものが、読んでも見えてきませんでした(結局、「モノからココロへ」ということが言いたかったのか?)。
 後半部では、スーザン・ジョージ『なぜ世界の半分が飢えるのか』 ('80年/朝日新聞社・'84年/朝日選書)から例証・反駁したゼネラル・ミルズ社のトウモロコシ原料商品「ココア・パフ」の話が唯一面白かったですが、読み物としては面白いけれど、あまりに楽観的すぎる気もして、こうした楽観性は、本書の随所に見られたような...。

 広告が商品に付加価値を付けることがやたら強調されていますが、広告があるがゆえに単一商品に対する(大量需要が生じて)大量消費が可能となり、それに応えるための大量生産が可能となり、よって商品の単価が下がるのであり(コマーシャルが流れると苦々しくテレビのチャンネルを切り替える人も多いと思うが、そうした人だって新聞の書籍広告には目を通したりする)、こうした伝達機能がなければ、商品はどれもプレミア商品にならざるを得ず、出版物の多くは稀覯本になってしまう―、本書では、広告のそうした「商品の単価を下げる」というベーシックな機能には、あまり目がいってないように思えました。

《読書MEMO》
(スーザン・ジョージ著『なぜ世界の半分が飢えるのか』より) 「私は週末に大スーパーに買い物に出かけ、ゼネラル・ミルズ社が、トウモロコシを1ブッシェル当たり75ドル4セントで売っているのを知りました(商品名は「ココア・パフ」)。先月のトウモロコシの1ブッシェル当たり生産者価格は平均2ドル95セントでしたから、消費者の手に届くまでに生産者価格の25倍になったわけです。(中略)トウモロコシ1ブッシェルを消費者に75ドル4セントで買わせるということについては、あきれた社会的な無駄使いであると申しあげたい。」(中略)
 ジョージが付記しているとおり、「アメリカの食料需給システムは、量的な消費をうながすという面ではほぼ限界に達している。だが、とるべき道としては、拡大か、あるいは停滞から崩壊に至るかしかないから、とにかくたべものの、「価格」を上げるほかはない。」というわけである。(中略)実際に、「豊かな」諸社会の食料需給が「量的な消費をうながすという面ではほぼ限界に達し」、市場的「価値」を上げるためには「おいしさ」の差異を競合するビジネスとなり、(中略)貧しい国の土地利用の形態を変え、家畜やその飼料のための土地を設定し拡大するために、人間のための(中略)土地を侵食し、「自然の災害」にさらされやすい辺地に追いやり、数億という人々の飢えの主要な原因の1つとなっている...(中略)
 この文脈自体はまったく正当なものであるが、「ココア・パフ」の事例自体には、この論理の文脈には収まりきらない部分があって、(中略)ゼネラル・ミルズ社は、この当時ブッシェル2ドル95セントであったというトウモロコシを、75ドル4セントで、25倍以上の価格で売ることに成功している。秘密の核心は、第一に(中略)食品デザインのマージナルな差異化であり、第二に、「ココア・パフ」というネーミング自体にあったはずである。「ココア・パフ」を買った世代は、「トウモロコシ」の栄養をでなく、「パフ」の楽しさを買ったはずである。「おいしいもの」のイメージを買ったのである。(中略)
 基本的に情報によって創り出されたイメージが、「ココア・パフ」の市場的価格の根幹を形成している。
 ゼネラル・ミルズ社が同じブッシェルのトウモロコシから25倍の売上を得たということは、逆にいえば、同じ売上を得るために、25分の1のトウモロコシしか消費していないということである。つまり、この場合、飢えた人びとのからの収奪はそれだけ少ないということである。(中略)情報化/消費化社会というこのメカニズムが、必ずしもその原理として不可避的に、資源収奪的なものである必要もないし、他民族収奪的なものである必要もないということ、このような出口の一つのありかを、この事例は逆に示唆しているということである。(143p‐145p)

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This page contains a single entry by wada published on 2008年6月21日 23:49.

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