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著者と「同時代に同じ空気を吸っていた」先人たちの軌跡を通して、その「考える」スタイルを考察。
『考える人』['06年]「考える人 (新潮文庫)」['09年] 坪内 祐三(1958-2020(61歳没))
'02年の季刊誌「考える人」創刊に際して、著者が編集者から「考える人」という連載を頼まれたというのが事の始まりで、以降5年間16回の連載を纏めたのが本書。
著者が選んだ「考える人」16人は、小林秀雄、田中小実昌、中野重治、武田百合子、唐木順三、神谷美恵子、長谷川四郎、森有正、深代惇郎、幸田文、植草甚一、吉田健一、色川武大、吉行淳之介、須賀敦子、福田恆存となっていて(作家または文芸評論家ということになる)、著者なりに、これらの先人たちの軌跡を通して、彼らの「考える」スタイルを考察しているといったところでしょうか。
小林 秀雄 (1902-1983)
小林秀雄と福田恆存を最初と最後にもってきていることで、人選の性格づけがある程度窺える一方、中身はバラエティに富み、(植草甚一が「歩きながら考える人」であるというのは衆目の一致するところだが)武田百合子のような天性の人は、「見る人」であって「考える人」というイメージから外れるような気もしましたが、読んでみて納得、こうして見ると「考える」ということを既成の枠にとらわれず、むしろ自身の読書経験の流れにおいて、自らの思索と関わりの深かった人を取りあげているようでもあります。
福田 恆存 (1912-1994)
それは、1958年生まれの著者が読書体験に嵌まった時分には在命していて、今は故人となっているというのが、もう1つの人選基準になっていることでも窺えますが(後書きには「同時代に同じ空気を吸っていた人たち」とある)、結構、そのころの受験国語で取りあげられていた人が多いのも興味深く、小林秀雄、唐木順三、深代惇郎(天声人語)などは、著者と同世代の人は何度かその書いたものに遭遇しているはずです(吉行淳之介にエッセイから入っていったなどというのも世代を感じる)。
唐木 順三 (1904-1980)
田中小実昌と色川武大の近似と相違など、誰か論じる人はいないかなあと思っていたのですが(著者は編集者時代にまさに生身のその2人とその場にいたわけなのだが)、見事にそれをやっているし、吉行淳之介と芥川龍之介の対比なども面白かったです(この中で三島由紀夫が「考えない人」に分類されているのも、ある意味当たっていると思った)。
田中小実昌 (1925-2000)/色川 武大 (1929-1989)
季刊でありながら執筆に苦労したようで、締め切りギリギリまで作品を読みふけり、あとは思考の赴くまま筆を運んでいる感じもありますが、
―その軌跡そのものがすなわち「考えること」のあり方であり、私の好きな「考える人」たちは皆そのような意味で「考える人」であったはずなのだから
とし、単行本化にあたって殆ど手直しはしなかったとのこと。こうした姿勢は好ましく思えました(時間が無かっただけかも知れないが)。
【2009年文庫化[新潮文庫]】
坪内祐三(評論家()
2020年1月13日、急性心不全のため東京都内の病院で逝去。611歳。「週刊文春」では「文庫本を狙え!」、「文藝春秋」では「人声天語」を連載中で、亡くなる直前まで原稿を書き続けた。