【1757】 ◎ 鎌田 慧 『ドキュメント屠場 (1998/06 岩波新書) ★★★★☆

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屠場の仕事とそこで働く人たちをルポ。差別問題に偏り過ぎず、食文化の根源を見つめ直すうえでも好著。

『ドキュメント屠場』.jpgドキュメント 屠場 (岩波新書)』['98年] 本橋成一写真展「屠場」.jpg 本橋成一『屠場』['11年]

鎌田慧  .jpg 『自動車絶望工場』『日本の原発地帯』『原発列島を行く』の鎌田慧氏が、東京・芝浦屠場、横浜屠場、大阪・南港屠場などで働く人びとを取材したもので、そうすると何だか「暗い職場」だというイメージを抱きかねませんが、全然違います。皆、職人気質で明るい!
 
 鎌田氏自身、本橋成一氏の写真集『屠場』('11年/平凡社)に寄せて、「機械化される前の職人の熟練とプライドの世界」「屠殺は生き物を相手にする労働であって、自動車工場のように、画一化された部品に支配された労働ではない。たとえ機械化されたにしても、労働の細分化と単純化は不可能である」と書いています。

 屠場で働く人たちが、プライドを持って活き活きと仕事する様、牛や豚の解体作業の技術的高度さ、職人たちの仕事にかける心意気などが伝わってくるとともに、こうした仕事に対する差別の歴史と、それを彼らが乗り越えてきたか、若い職人たちは自分たちの仕事をどう考えているかなどが分かります。

 更に、歴史記録に遡って屠殺(食肉加工)のルーツを辿るとともに(牛などの肉食文化は基本的には明治以降に外国人が入ってきてから一般化したわけだが、江戸時代にもあったことはあった)、日本書紀の時代からある「殺生禁断」(殺生戒)の思想や「穢れ感」が部落差別と結びついて、こうした仕事を「賤業」と見做す風潮が今にも続いていることを分析しています。

 確かに職人には伝統的に被差別部落出身者が多いようですが、全てを部落差別に結び付けて考えるのも事実誤認かも知れず、それまでの仕事よりも給料がいいから転職してきたという人もいるようです。

 それぞれの取材先でのインタビューに加えて、職人同士の座談会などもあって、精神的な差別よりも、ちょっと前の昔まで、雇用形態が安定していなかったことの方がたいへんだったみたいで(今で言えば、偽装請負で働かされているようなもの)、それが組合運動等で随分と改善されたとのこと。

 横浜屠場の取材では、若い職人たちの座談会も組まれていて、これがなかなか興味深く、2代目・3代目が多いのですが、現実に差別に遭いそれと闘ってきた親の代と違って、親の職業により差別を受けた人もいれば、差別を何となく感じながらも、この仕事に就いた後で、あれが差別だったのだなあと振り返って再認識したという人もいます。

 自らの仕事にプライドを持ち、自分の技術を少しでも高めることを目標にしている点では皆同じで、先輩に少しでも追いつこう、後輩に負けまいと切磋琢磨していて、その意味ではスペシャリスト同士の競争の場ですが、元々公私にわたって職場の仲間同士の繋がりが強いうえに、今は協働化が進みつつある、そんな職場のようです(機械化が進んでも、機械の方が人間より上手に処理するとは限らないとのこと。そうした意味では、職人の技は、ある意味"伝統技能"と言える)。

 「屠場」は「屠殺場」の略語のようなもので、この言葉自体は差別用語ではないようですが、小説などで「戦場は屠殺場のようだった」というような"差別的意味合い"を込めて使われていることが縷々あるわけなのだなあ(岩波書店の刊行物の中にもあったそうだ)。

 使われ方が差別的であるために、言葉自体が"差別用語"だと思われてしまうという(だから、「食肉市場」とか名称を変えても根本解決にはなっていない)―こうした事例は外にもあるね。

 但し本書は、「差別」の問題を丹念に取り上げながらもそこに偏り過ぎず、食肉加工の工程なども細かく紹介されており、興味深く読めるとともに、人間の食文化の根源にあるものを見つめ直してみるうえでも好著です。

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