【919】 ○ 小池 壮彦 『心霊写真 (2000/02 宝島社新書) ★★★★

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第一級資料を丹念に参照した社会文化史。読み物としても楽しめる内容。

心霊写真.jpg 『心霊写真 (宝島社新書)』 ['00年] 心霊写真―不思議をめぐる事件史.jpg 小池 壮彦 『心霊写真 不思議をめぐる事件史 (宝島社文庫)』 ['05年]
心霊写真は語る (写真叢書)
心霊写真は語る.jpg 「心霊写真」について"多角的"に論じた『心霊写真は語る(写真叢書)』(一柳廣孝・編/'04年/青弓社)は、8章から成る分筆で、執筆陣の殆どは大学教員、その人たちの専門は社会学や文化人類学、心理学や精神医学であり、「心霊写真」というのは、今や学問的には、主として社会心理学、文化社会学、社会文化史などの対象となっているのだということがわかります。

 写真は豊富ですが、内容的には論文集のような寄せ集め的印象で、但し、作家の小池壮彦氏が受け持った最終章が全体を締めるとともに、学者ではないせいもありますが、「心霊写真」ブームに対する愛着のようなものが文章に滲み出ていたように思いました。

 その小池氏の肩書きは、本書『心霊写真』では「怪談史研究家」となっており、内容的にも本書は、日本近代史を「心霊写真」に関する話題で振り返ったものとなっています。

 「心霊」という言葉は、"news"を「新聞」とした名訳で知られる中村正直が、"intellect"を「心霊」と訳したことに始まるそうで、当時、「心霊」とは「心理」のことだったとか(今で言う「心霊」は、当時は「神霊」だった)。ところが、あの西周が(彼は"intellect"を「智」と訳している)、"Psychology"を「心理学」と訳し、これが学問分野として成立する過程で、「心霊」の方は、今日の「超心理」に当たる語として使われるようになったとのこと。それ以前は、「心霊写真」は「幽霊写真」と呼ばれていたそうですが、「霊魂不滅説」は認めないが「念写」を認めるといった人もいたりするため、大正時代頃から「心霊写真」と呼ばれるようになったとのこと(だから、霊の存在を必ずしも前提としない)。

 要するに、それ以前の明治時代から「心霊写真(事件)」自体はあったわけで、それが大正時代にはブームとなり、いっそこれをエンタテインメントとして楽しもうという風潮さえあったとのこと。つまり、その頃には、写真師が為す作為的な「心霊写真」のカラクリなどは殆ど解明されていたのに、一方で、巧みな「物語的」尾ひれがついて、日本人の心性と結びつく「慰安哲学」のようなものが、そこにはあったのでしょう、それは昭和になっても続き(戦前のブームは、敢えて取り締まることをしない国策的放任の影響もあったらしい)、写真に写る「幽霊」の正体が、現像ミスやトリックの産物であることは、戦前までには明らかになっていたにも関わらず、戦後も常に"ゾンビ"のようにブームは復活して、'70年代の「心霊ブーム」は、大正時代のそれと変わらないものであったというから(また、新聞が面白おかしくそれらを伝えている)、人間というのは時代を経ても変わらないものだなあと思いました(「心霊テレビ」とか「心霊ビデオ」とか、相手方の"ゾンビ"も生き残りをかけてメディアを選んでいて、なかなかしぶとい)。

 著者は、こうした「まがい物」であればあるほど流布するという「心霊ブーム」を、どことなく楽しんでいるようですが、グルのような人物とそれに帰依する集団が誕生するような状況に対しては、一線を越えたものとして、人一倍の危惧の念を抱いていることがわかります。宮崎勤死刑囚.jpgそれと、'89年に発覚した「宮崎勤事件」の時の雑誌報道にあったような、「彼の写真の背後に殺害された少女の姿が...」といった(どう見てもそんなものは写ってなかった)騒ぎに対しても、怒りを露わにしています。'80年代以降の「心霊写真」ブーム特徴として、それまでのような文学性(物語性)が排除されて、単なる投稿写真ネタになってしまったとのことで、そろそろ、こうしたブームは終わるべき時がきたのではないか、としています(本当に、コレ、"ゾンビ"のように終わらないものなのかも知れないが)。

 実質的には「超心理学」の本と言うより、「文化社会学」の本(記録)ですが、第一級資料を丹念に参照していて、かつ、読み物としても楽しめる内容に仕上がっています。

 【2005年文庫化[宝島社文庫(『心霊写真―不思議をめぐる事件史』)]】

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