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結論には共感したが、インパクトが弱い。『「甘え」の構造』がなぜ参考文献リストに無い?
『羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)』 〔'05年〕 菅原 健介 氏 (聖心女子大教授)
駅や車内などで座り込むジベタリアン、人前キス、車内化粧などの横溢―現代の若者は羞恥心を無くしたのか? そうした疑問を取っ掛かりに、「恥」の感情を研究している心理学者が、羞恥心というものを社会心理学、進化心理学の観点で分析・考察した本。
社会的生き物である人間は、社会や集団から排除されると生活できなくなるが、羞恥心は、人間が社会規範から孤立しないようにするための「警報装置」としての役割を持っているとのこと。それは、単なる自己顕示欲や虚栄心といった世俗的なプライドを守る道具ではなく、生きていくために必要なもので、進化心理学の視点で考えると、敏感な羞恥心を持たない人物は、社会から排斥されその形質を後世に伝えられなかっただろうと。
「恥の文化ニッポン」と言われますが、国・社会によって「恥」の基準は大きく異なり、日本の場合、伝統的には、血縁などを基準にした「ミウチ」、地域社会などを基準にした「セケン」、それ以外の「タニン」の何れに対するかにより羞恥心を感じる度合いが異なり、「セケン」に対して、が最も恥ずかしいと感じると言うことです。しかし、「セケン」に該当した地域社会が「タニン」化した現代においては、一歩外に出ればそこは「タニン」の世界で、羞恥心が働かないため、「ジブン」本位が台頭し、駅や車内などで座り込もうと化粧しようと、周囲とは"関係なし状態"に。
しかし一方では、従来の「セケン」に代わって「せまいセケン」というものが乱立し、若者の行動はそこに準拠することになる、つまり、平然と車内化粧する女子高生も、例えば、仲間がみんなルーズソックスを穿いている間は、自分だけ穿かないでいるのは「恥ずかしい」ことになり、結局、その間は帰属集団と同じ行動をとった、というのが著者の分析です。
さらっと読める本ですが、前半部分の分析が、わかりきったことも多かったのと(ジベタリアンへのアンケート結果なども含め)、ポイントとなる「ミウチ・セケン・タニン」論は、30年以上も前に土居健郎氏などが言っていること(『「甘え」の構造』、どうして参考文献のリストに無い?)と内容が同じことであるのとで、インパクトが弱かったです。
最後の方の、今まで「セケン」に該当していたものが「タニン」化し、「せまいセケン」が乱立しているという結論には、改めてそれなりに共感はしましたが、これも一般感覚としては大方が認識済みのことともとれるのでは。