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フツーの人にとっても堕ちていくのは難しいことではないと思った。
『ハリガネムシ』 ['03年] 『ハリガネムシ (文春文庫)』 ['06年]
2003(平成15)年上半期・第129回「芥川賞」受賞作。
平凡な中流階級出身の主人公は、新任教師として赴任した高校で不良少女などに手を焼きながらも単調な生活を送っていたが、ある日ソープランドでサチコという暴力と貧困の中で暮らし堕落しきったような女性と出会ったことから、生活が急に堕落の道へ転がり出す―。
この小説に描かれている暴力シーン自体は、さほど刺激はありませんでした。
芥川賞選考委員の村上龍氏は、「まるでスラップスティックムービーを見ているようで、切実さがなかった。ソープ嬢の手首の傷を主人公が縫うシーンがあるが、痛みが伝わってこなかった」と評しています。
しかし、一般にはそうした暴力シーンやちょっと気色悪い場面が話題になり、読者の嫌悪の分かれ目にもなっているきらいはありました。
ただ、主人公にちらちらと表れる反社会的な意識や猥雑な心理などを丁寧に描いていると思いました。
フツーの人の誰にでもこうした心のゆらぎはあるのでは。
彼が一定の冷静さと思考力を持ちながら、こうした心のゆらぎを増幅させ、自らの欲求に無抵抗になり、結果として社会的立場をどんどん失っていく過程には何か被虐的な嗜好を思わせるものがあり、そちらの方がむしろ人間の心の闇を照射していると感じました。
トータルの人格として意志的に堕落への道を選択しているのではなく、小市民的臆病さを持ちながら、堕落を絵に描いたような女性に引きずられるように堕ちていくため、気づいてみたらソートーなどん底状況になっているという...。
村上氏と同じく芥川賞選考委員である山田詠美氏は、この作品を読んで、「ぐれるって難しいよね」と頷いてしまったとのことですが、個人的には逆の感想を抱きました。
人はこの主人公を"異常者"とか"妖怪"とか呼ぶかもしれませんが、彼にとって堕ちていくことはそれほど難しいことではなく、それは彼に限ったことではないのだろうと...。
【2006年文庫化[文春文庫]】