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「●原発・放射能汚染問題」の インデックッスへ
新たな角度から我々に考えさせるものを投げかけているように思った。
『フクシマ 2011-2017 FUKUSHIMA 2011-2017』(30.4 x 30.2 x 2.4 cm)
写真家が、2011年3月11日の東日本大震災の後、同年6月に川内村、葛尾村、飯舘村に入って2日の撮影をし、以降2018年1月までの6年半の間に120回現地に足を運んで撮った写真を集めたもので、そうして撮った5万点のなかから190点が選ばれています。
解説の木下直之・東大教授(文化資源学)もあとがきで述べているように、まず、訪ねた地の多くは一般住民は避難を余儀なくされているため、人がいるべき場所に人がいないという不気味さがあります。
一方で、同じ場所に何度もカメラを据えて定点観測的に風景などを撮っているため、季節の移り変わりの美しい様などが見られ、つい、「ああ、日本の四季っていいなあ」とも思ってしまいます。
そんな中、今までごく普通の自然の風景であったところへ、フレコンバックと呼ばれる、汚染された廃棄物や大地から剥ぎ取った土が入った黒い袋が、地表を覆い隠すようにずらっと並ぶ光景がみられる写真がいくつも出てくると(そのうちのいくつかはドローンを使って撮影されている)、これはこれで、人がいない不気味さとはまた違った不気味さがあります。
これらの多くは、廃棄物の仮置き場(大体が高いフェンスに囲まれていているため、あまりマスコミなどで報じられることもない)に入りきらない分を、「仮々置き場」として置いているものだそうで、最終処分地が決まらないままに除染をし続けた(しかも、その"除染"も便宜上そう称してやっているだけのものという指摘もある)、そのツケが回ってきているとも言えます。
フクシマの人を撮った写真集は結構ありますが(本書の中にも除染作業員を撮ったものがある)、自然を中心に撮ったこの写真集は、また新たな角度から我々に考えさせるものを投げかけているように思いました。
《読書MEMO》
●本書収載「この地に生じたとてつもない何か」((木下直之・東京大学大学院教授・芸術資源論))より
「土田ヒロミが福島でなくフクシマとしたのは、これまで40年にわたって広島ではなくヒロシマを撮ってきたからだ。人類史上のこれからもどこにでも起こりうる出来事として語りつぎたいという思いが込められている。......福島に、複雑怪奇だといいたくなる変化がじわじわ進行している」