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読み直してみて、鋭い指摘をしていたのではないかと...。
山本 七平(1921-1991/享年69)
『比較文化論の試み』講談社学術文庫〔'76年〕
往年のベストセラー『日本人とユダヤ人』('70年/山本書店)の著者〈イザヤ・ベンダサン〉が〈山本七平〉であったことは周知であり、'04年に「角川oneテーマ21」で出た新書版の方では著者名が「山本七平」になっていますが、やはり最初はダマされた気がした読者も多かったようです。
加えて生前は彼のユダヤ学や聖書学が誤謬だらけだという指摘があったり、左派系文化人との論争で押され気味だったりして、亡くなる前も'91年に亡くなった後も、意外と数多いこの人の著作を積極的に読むことはありませんでした。
しかし、最近本書を再読し、「文化的生存の道は、自らの文化を他文化と相対化することにより再把握することから始まる」ということを中心とした99ページしかない講演集ですが、なかなかの指摘だなあと感心した次第です。
「聖地」に臨在感を感じる民族もいれば、日本人のようにあまり感じない民族もいる。一方、「神棚」や「骨」には日本人は独自の臨在感を感じる―。
ここまでの指摘が個人的にははすごくわかる気がし、特に以前に読んだ作家・又吉栄喜氏の芥川賞受賞小説『豚の報い』('96年/文芸春秋)の中に、そのことを想起させる場面があったように思いました。
この小説の主人公は、海で死んだ父の骨を拾うことに執着していて、海で死んだ人間は、島のしきたりで12年間埋葬することが出来ず野ざらしにされているのを、12年目の年に彼は父の遺骨を風葬地に見つけ、そこにウタキ(御嶽)を作り、"神となった"父の「骨」としばしそこに佇むのですが、「御嶽」も「神棚」も神の家でしょうし、主人公の心情もわかる気がしました。
でも著者は、どうしてそう感じるか、その理由を考えないのが日本人であるとし、これが他の民族のことが理解できない理由でもあるとしており、その指摘には「ハッとさせられる」ものがあると思いました。
何か、この人、日本人を「ハッとさせる」名人みたいな感じもするのですが、まさに著者の真骨頂は、日本で常識とされているものをまず疑ってみるその切り口にあるわけで、そのために引用するユダヤ学などに多少の粗さがあっても、新たな視点を示して個々の硬直化しがちな思考を解きほぐす効用はあるかと。