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有酸素運動で脳細胞が増える。週3回30~40分のランニングを推奨。動機づけにはなるか。

The Real Happy Pill.jpg運動脳.jpg 一流の頭脳.jpg アンデシュ・ハンセン2.jpg
『The Real Happy Pill: Power Up Your Brain by Moving Your Body』『運動脳』['22年/サンマーク出版]アンダース・ハンセン『一流の頭脳』['18年/サンマーク出版] アンデシュ・ハンセン(Anders Hansen)
スマホ脳3.jpgスマホ脳 (新潮新書) 』['20年]『最強脳 ―『スマホ脳』ハンセン先生の特別授業― (新潮新書) 』['21年]『ストレス脳 (新潮新書)』['22年]『脱スマホ脳かんたんマニュアル (新潮文庫 ハ 60-1)』['23年]『メンタル脳 (新潮新書 1024)』['24年]

スマホ脳』('20年.jpg 『運動脳』は、スウェーデンの精神科医で、ベストセラーとなった『スマホ脳』('20年/新潮新書)の著者によるものですが、書かれたのは本書(原題:The Real Happy Pill(「最高の薬」): Power Up Your Brain by Moving Your Body)の方が先で、『一流の頭脳』('18年/サンマーク出版)として『スマホ脳』の2年前に訳出もされています(この時の著者名の表記は"アンダース・ハンセン")。『スマホ脳』がベストセラーになったので、旧著を加筆・再編集して再出版したようです(新潮新書の『スマホ脳』はタイトルの付け方が巧かったということか。ただ、『スマホ脳』の方は、スマホ依存への対症療法的な内容に思え、やや物足りないと思ったら、どちらかと言うと本書が先にあって、『スマホ脳』の方は各論だったということになるかも。因みに、『スマホ脳』の原題は、スウェーデン語で「Skärmhjärnan」といい、作者が作ったこれもまた造語で、英訳すると「shade brain」となり、「ぼやけ脳」「霞脳」などと訳すことができるそうだ)。

シニア運動1.jpg 本書『運動脳』は、全体としては、運動(有酸素運動)で脳細胞が増え、脳が活性化することを説いていて、第1章では、運動で脳が物理的に変えられることを先ず述べています。20分から30分ほどで十分効果があると。第2章では、脳からストレスを取り払うにはどうすればよいかを説いています。運動でストレス物質「コルチゾール」をコントロールでき、また、運動は海馬や前頭葉を強化するとし(「長時間1回」より「短時間複数回」がいいとも)、運動がおそらくストレスの最も優れた解毒剤であるとしています。ウォーキングとランニングでは、ランニングの方が有効であるようです。

ランニング イメージ.jpg 第3章では、「集中力」を高めるにはどうすればよいかを説いています。ここでは、集中物質「ドーパミン」を総動員せよとし、ドーパミンを増やすにも、ウォーキングよりランニングの方がやはりいいようです。第4章では、うつ病を防ぎ、モチベーションを高めるにはどうすればよいかを説いています。近年の研究で、うつ病を防ぐにに最も効果がある運動はランニングで、ウォーキングにもうつ病を防ぐ効果があることが明らかになったそうです。また、運動で「海馬の細胞数」が増え、「性格」も変わるとのことです。30~40分のランニングを週に3回行うこと、その活動を3週間以上は続けることを推奨しています。

 第5章では、「記憶力」を高めるにはどうすればよいかを説き、持久系のトレーニングは海馬を大きくする効果があることが実験で判ったとしています。第6章では、頭の中から「アイデア」を出すのにも運動は効果的あるとしています(例として村上春樹が出てくる)。第7章では、「学力」を伸ばすにも運動は効果的であるとしています。

 第8章では、「健康脳」を維持するにはどうすればよいかを説き、やはり運動が効果的であると。第9章では「移動」することの効用を説き、「脱・スマホ脳」のプランを示しています。第10章では、どんな運動をどれくらいやればよいかを説いていますが、ランニングを週に3回、45分以上行うのが良いと。

 運動が脳にいいというのは以前から言われていたし、運動によってストレスが解消されるというのは多くの人が体験していることではないかと思います。分かりやすく書かれていて、納得させられることも多いですが、何となく感覚的に分かっていることもありました(ウォーキングよりランニングの方が有効であるとか)。やや「ある調査によると」的な根拠不明の表現が多かったでしょうか。後半にいくと、前半部分との重複も多かった気がします。

スマホ脳2.jpg 「本国スウェーデンで最も売れた本!」「人口1000万人のスウェーデンで驚異の67万部超え!」という触れ込みです(『スマホ脳』より売れたとうことか)。『スマホ脳』は(読みやすく書かれているが)先に述べたようにどちらかと言うと各論で、先に読むとしたら「健康脳」という意味で総論的なこちらかもしれません。運動をしていない人は「明日から運動しよう」、している人は「このまま続けよう」「頻度を増やそう」という動機づけにはなる、そうした意味では「いい本」かもしれません。自分自身にとってもそう運動脳3.jpgした要素はあったので、敢えて△とはせず○にしました。

 しかし、「○○脳」というタイトルの本、著者のものに限らず増えているなあ。漢字3文字の造語タイトルも増えているみたい(『食欲人』(著者はデイヴィッド・ローベンハイマー、スティーヴン・J・シンプソン他)とか『熟睡者』(著者はクリスティアン・ベネディクト、ミンナ・トゥーンベリエル他)とか)。

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「●「老い」を考える」の インデックッスへ 「●講談社現代新書」の インデックッスへ 「●「新書大賞」(第10位まで)」の インデックッスへ(『生物はなぜ死ぬのか』)

前半は生物学だったのが、後半は社会学的エッセイ(シニア応援歌)になってしまったが、楽しく読めた。
『なぜヒトだけが老いるのか』.jpg『なぜヒトだけが老いるのか』2.jpg 『生物はなぜ死ぬのか』.jpg
なぜヒトだけが老いるのか (講談社現代新書)』['23年]
生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書 2615)』['21年]
 『生物はなぜ死ぬのか』('21年/講談社現代新書)がベストセラーになった著者の第2弾(第1弾の『生物はなぜ死ぬのか』の内容は、この『なぜヒトだけが老いるのか』の第1章に集約されているので、ここでは詳しく取り上げない)。因みに著者は、生命の連続性を支えるゲノムの再生(若返り)機構を解き明かすべく日夜研究に励む学者であるとのことです。

 第1章「そもそも生命はなぜ死ぬのか」は、前著『生物はなぜ死ぬのか』のおさらいで、「なぜ死ぬのか」ではなく、死ぬものだけが進化できて、今存在しているのだとしています。我々は死ぬようにプログラムされて生まれてきたのだと。ここから、死の前段階としての老化の生物学的意味と、幸福に老年期を過ごす方法を考えていきます。

 第2章「ヒト以外の生物は老いずに死ぬ」では、サケが産卵・放精後に急速に老化して死ぬことに代表されるように、野生の生き物は基本的に老化せず、長寿で知られるハダカデバネズミにも老化期間は無く、また、ヒト以外の陸上哺乳類で最も寿命が長いゾウも、ガンにもならないし、傷ついたDNAを持つ細胞を排除する能力があって、結果的に「老いたゾウ」はいないと。

 第3章「老化はどうやって起こるのか」では、老化の原因は、その傷ついたDNAを持つ細胞が居座り続けるからであると。著者は、ヒトの寿命は本来55歳くらいで、それよりも30年程度生きるのは、例外的なことであるとしています。

 第4章「なぜ人は老いるようになったのか」では、人生の40%は生物学的には「老後」だが、ゴリラやチンパンジーにさえ「老後」は無く、哺乳類では、クジラの仲間のシャチやゴンドウクジラだけ例外的に「老後」があると。ヒトに「老い」があるのは、「シニア」がいる集団は有利は有利だったためで、「老い」が死を意識させ、公共性を目覚めさせるのではないかとしています。

 第5章「そもそもなぜシニアが必要か」では、シニアまでの「競争→共存→公共」を後押しするのが「老化」であり、長い余生は、自分がのんびり過ごすためだけにあるのではなく、世の中をうまくまとめる役目もあると。

 第6章「「老い」を老いずに生きる」では、生物学的に考えると、人の社会は、若者が活躍する「学びと遊びの部分(クリエィティブ層)」とシニアが重要な役割を担う「社会の基盤を支える部分(ベース層)」の2層構造になっており、社会に対してシニアしかできないこともあるし、シニアが社会の中で存在感を示せば、「生きていればいいことがある」と思えるかもしれないと。

老年的超越.jpg 第7章「人は最後に老年的超越を目指す」では、老年的超越の心理的特徴(宇宙的・超越的・非合理的な世界観、感謝、利他、肯定)を紹介し、その生物学的な意味を考察し、そこに至る70歳~80歳くらいが人生で一番きついかも、としています。

 純粋に生物学の本かと思って読み始めたけれど、前半は生物学でしたが、後半は社会学的エッセイ(もっと言えばシニア応援歌)になってしまったような気がしました。本書にも出てくる「おばあちゃん仮説」の拡張版みたいな感じもしました。しかしながら、全体を通して楽しく読めました。


「●国際(海外)問題」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3504】 岩波ジュニア新書編集部 『10代が考えるウクライナ戦争
「●こ 小泉 悠」の インデックッスへ 「●ちくま新書」の インデックッスへ 「●「新書大賞」(第10位まで)」の インデックッスへ

今回の戦争を俯瞰するには良い。「古い戦争」であるとの指摘がユニーク。

ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697).jpg小泉悠.jpg 小泉 悠 氏 講演中の小泉 悠 氏.jpg 講演・質疑応答中の小泉氏('24.7.10 学士会館)講演テーマ「ロシア・ウクライナ戦争と日本の安全保障」
ウクライナ戦争 (ちくま新書 1697)』['22年]

 2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、ウクライナ戦争が始まりました。同年11月刊行の本書は、今やマスコミ・講演会等で引っ張りだこの軍事研究者(自分も来月['24年7月]その講演を聴きに行く予定)が、このウクライナ戦争について'22年末に書き下ろしたものです(本書では、2014年3月のロシアによるクリミア侵攻を「第一次ウクライナ戦争」とし、今回の侵攻を「第二次ウクライナ戦争」としている)。2024(令和6)年・第17回 「新書大賞」第8位。

 第1章(2021年1月~5月)で2021年春の軍事的危機を扱い、第2章(2021年9月~2022年2月21日)で開戦前夜の状況を振り返って、戦争への道がどのように展開していったかを解説しています。

 第3章(2022年2月24日~7月)で開戦からロシアの「特別軍事作戦」がどのように進行したかを、第4章(2022年8月~)で本書脱稿の2022年9月末まで、戦況がどのように推移していったか、そこで鍵を握った要素は何であったかを分析しています。

 そして第5章では、この戦争をどう理解すべきか、この戦争の原因なども含め考察しています。

 このように、開戦前の状況を含め、開戦から半年後までのウクライナ情勢が良くまとめられており、開戦から2年強を経た今見返すと、今回の戦争というものをある程度〈体系的〉に把握できます。今回の戦争を俯瞰するには良い本だと思います。

プーチン.jpg 読んでみて思ったのは、これはやはりプーチンが起こした戦争であるということ、また、いろいろな不確定要素(特にアメリカの姿勢など)があり、先を読むのが難しいということです。

 興味深いのは、世間ではこの戦争は、戦場での戦いと「戦場の外部」をめぐる戦い(非正規戦、サイバー戦、情報戦)が組み合わさった「ハイブリッド戦争」であると言われているが、戦争自体は、極めて古典的な様相を呈する「古い戦争」であるとしている点です。

 無人航空機などのハイテク技術は使われているものの、戦争全体の趨勢に大きな影響を及ぼしたのは、侵略に対するウクライナ国民の抗戦意識、兵力の動員能力、火力の多寡といった古典的要素だとしています。

 そうなると、なおさらのこと、NATOやアメリカの、この戦争に対する関わり方というのがかなり今後の戦況に影響を及ぼすのではないかとも思います(結局、「戦場の外部」の概念を拡げれば、広い意味での「ハイブリッド戦争」ということにもなるか)。

ドナルド・トランプ.jpg 因みに、ドナルド・トランプは、今年['24年]11月のアメリカ大統領選に向けたテレビ討論会では、「これは決して始まってはならなかった戦争だ」と言い、ロシアのプーチン大統領の尊敬される「本物の米大統領」がいれば、プーチン氏は開戦しなかったとして、ウクライナ危機はバイデン氏の責任だとする一方、ウクライナのゼレンスキー大統領を「史上最高のセールスマン」と述べ、米国はウクライナに巨額の資金を費やしすぎだとし、自らが当選すれば、大統領に就任する前に、戦争を止めてみせると豪語しています(これまた大風呂敷のように思える)。

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「ジョブ型雇用」について理解でき、「同一労働同一賃金ガイドライン」の謎も解明。

ジョブ型雇用社会とは何か1.jpgジョブ型雇用社会とは何か0.jpgジョブ型雇用社会とは何か.jpg
ジョブ型雇用社会とは何か: 正社員体制の矛盾と転機 (岩波新書 新赤版 1894)』['21年]

 著者の前著『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ』(2009年/岩波新書)で提起された「ジョブ型」という言葉は、今や世に広く使われるようになりました。しかしながら著者は、昨今きわめていい加減な「ジョブ型」論がはびこっているとして、本書では、改めて「ジョブ型」「メンバーシップ型」とは何かを解説するとともに、日本の雇用システムの問題点を浮かび上がらせています(2022(令和4)年・第15回 「新書大賞」第6位)。

 序章で、世に氾濫するおかしなジョブ型論を取り上げ、とりわけ、ジョブ型を成果主義と結びつける考え方の誤りを指摘しています。第1章では、ジョブ型とメンバーシップ型の「基礎の基礎」を解説し、続いて第2章から第6章にかけて、採用と退職、賃金、労働時間、非正規雇用、集団的労使関係という各領域ごとに、メンバーシップ型の矛盾がどのように現れているかを分析し、解決の方向性を探っています。

 特に印象に残ったのは、第2章の「採用」のところで、日本型雇用システムにおいて採用差別という概念が成立しにくいのは、それだけメンバーシップ型の採用が自由度が高いためであり、それをジョブ型の採用にすると日本型の採用の自由を捨てることになるが、ジョブ型をもてはやしている人の中に、その覚悟がある人がいるようには思えないとしている点でした。

 また、第3章の「賃金」のところで、1990年代から2000年代にかけてブームになったものの失敗に終わった成果主義を、もう一度今度は成果を測定するジョブを明確化することで再チャレンジしようとしているのが2020年以来の日本版ジョブ型ブームではないかとし、その目的は成果主義によって中高年の不当な高給を是正することにあり、本来のジョブ型を実践する気は毛頭ないのだとしているのもナルホドと思わされました。

 さらに著者は、同一労働同一賃金の政策過程の裏側を探り、日本版同一労働同一賃金を"虚構"であると言い切っています。安倍政権の政策に携わる中で、それを日本でも可能だとした労働法学者・水町勇一郎氏(東大教授)の真意は、正社員の職能給をすべて職務給に入れ替えるのではなく(それにはかなり困難)、せめて非正規労働者の(職務給的)賃金を正社員の職能給に統一しようとしたのではないかとしています(確かに「同一労働同一賃金ガイドライン」は能力給、成果給、年功給のケースを書いているが、職務給については触れていない)。

 しかし、結局は、ガイドライン策定の過程段階で、基本給の項の最後に、雇用形態によって賃金制度が異なることを前提とした「注」付け加えられることになり、実はこの「注」の部分こそが、圧倒的多数の企業に関わりがあるとしています。この点については、学習院大学の今野浩一郎名誉教授も、『同一労働同一賃金を活かす人事管理>』(2012年/日本経済新聞出版)の中で、ガイドラインの中で最も重要なのはこの「注」であり、先にこれをもってくるべだとしていました。

 今野教授は「ジョブ型雇用の亡霊」がまた現れたといった表現をしていましたが、本書はどちらかというと「ジョブ型」を正しく読者に理解してもらうことに注力しているように思いました。「ジョブ型」というものに対して人事の現場が何となく抱いている疑念を整理し、すっきりさせてくれる本であり(ついでに「同一労働同一賃金ガイドライン」の「謎」(笑)も解明してくれる)、人事パーソンにお薦めします。


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定年後をイキイキとで過ごすためにはどうすればよいのかをエッセイ風に指南。

定年後.jpg  定年 image.jpg
定年後 - 50歳からの生き方、終わり方 (中公新書)

 定年後をイキイキとで過ごすためにはどうすればよいのか、定年後に待ち受ける「現実」を著者自身の経験を踏まえ、また統計や取材等を通して明らかにし、真に豊かに生きるためのヒントを占めした、エッセイ風「指南書」といった感じの本です。著者のこれまでの人事関連の本に比べるとターゲットが広がっているし、また、多くのビジネスパーソンの関心事でもあるので、結構売れたようです(2018(平成30)年・第11回 「新書大賞」第5位))。

 前半部分(第1章~第3章)では、取材を通して定年後もイキイキとした人生を送っている人を紹介しながらも、一方で、テレビのチャンネルを手放せず、妻から粗大ゴミ扱いされている人もいるなど、定年後でもイキイキと暮らしている人は2割未満(?)というのが現実ではないかという暗澹たる事実を提示しています。定年後の男性の人生の危機というのは(本書によれば女性より男性が危ないらしい)、本書で紹介されているように、定年が無いと言われるアメリカでも、ジャック・ニコルソン主演の「アバウト・シュミット」(2002年公開)という定年後の危機をテーマにした映画がありましたから、世界共通なのかもしれません。

 ただし、中盤以降(第4章~第6章)は、60歳から75歳までを「黄金の15年」として前向きに捉え、この15年を輝かせるにはどうすればよいかということを論じています。そうした中でとりわけ、社会とどうつながるか(第5章)、また、自分の居場所をどう探すか(第6章)ということについてそれぞれ具体的に検討しています。新聞記事からの引用であるとのことですが、定年になったシニアが、在職中の経験や人脈を生かして、短時間だけビジネスの相談に乗る「スポットコンサルティング」が増えているとのことで、そう言えば、最近テレビでもやっていたような。また、そうした需要と供給を仲介するビジネスも、あちこちで起こってきているようです。

定年後 image.jpg 最終章(第7章)「『死』から逆算してみる」では、定年後の目標は日々「いい顔」で過ごすことであり、人は「良い顔」で死ぬために生きているのだと。「定年学」っぽい切り口から始まって、殆ど人生論的エッセイみたいな終わり方になっていますが、これはこれで良かったのではないでしょうか。でも「定年」って日本的な、しかしながらずっと当たり前のように考えられてきた制度であるせいか、多くの人に関わりがあることであるにしては、あまり「学」として確立されておらず、そちらの方向でもっと突き詰めて書いてもらっても良かったようにも思います。但し、「学」として捉えると、あまりに扱うべき問題が多すぎて、茫漠とした論文になって終わってしまうので、それを避けて、わざとエッセイ調にしたのかも。

 まあ、本書はもともとすべてのビジネスパーソンを対象としているわけではなく、第1章で、36年間同じ会社で務め上げて定年退職した著者の経験が書かれているように、大企業をある意味「昭和的」な定年退職の仕方で辞め、再雇用の道を選ばなかったシニア層や(その内、社員が定年退職する日に皆の前で挨拶するような慣習も稀少になるのではないか)、或いは、これから60歳定年を迎えるが、同じ職場で同じ条件で再雇用される見通しが薄く、そのままリタイアメントまたは独自に転身することを考えている中高年をターゲットにしているフシはあります(大企業の方が小企業より定年再雇用への道のりは厳しいとも言われているし)。

 文章がこなれていて読みやすかったし、60歳から75歳までを「黄金の15年」としていることに励まされる人も多いのでは。一部、ナルホドなあと思わされた部分はあったものの、全体的には"情報"の面ではさほど目新しさは感じられませんでしたが、"啓発"の面ではまずまずでなかったでしょうか。

《読書MEMO》
●「アバウト・シュミット」(2002年公開、ジャック・ニコルソン主演)(62p)
●「空気を読むためには、微妙なニュアンスを把握する必要があるので、常に仲間の輪に入っていなければならない。この共有の場は、各社員が互いに助け合うという機能を持っているが、社員が会社から離れて何か物事をなそうとするときには大きな制約になる。(中略)この共有の場で身につけた受け身の姿勢が、定年後に新たな働き方や生き方を求めることも難しくしてしまうのである。(77p)

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昆虫たちの驚くべき「戦略」。読み易さの『昆虫はすごい』、写真の『4億年を生き抜いた昆虫』。

昆虫はすごい1.jpg昆虫はすごい2.jpg  4億年を生き抜いた昆虫.jpg 4億年を生き抜いた昆虫_pop01(縮)-300x212.jpg
昆虫はすごい (光文社新書)』『4億年を生き抜いた昆虫 (ベスト新書)

 『昆虫はすごい』('14年/光文社新書)(2015(平成27)年・第8回 「新書大賞」第7位)は、人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事 は、狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして戦争から奴隷制、共生まで殆ど昆虫が先にやっていることを、不思議な昆虫の生態を紹介することで如実に示したものです。昆虫たちの、その「戦略」と言ってもいいようなやり方の精緻さ、巧みさにはただただ驚かされるばかりです。

 ゴキブリに毒を注入して半死半生のまま巣穴まで誘導し、そのゴキブリに産卵するエメラルドセナガアナバチの"ゾンビ"化戦略とか(p46)、同性に精子を注入して、その雄が雌と交尾を行う際に自らの精子をも託すというハナカメムシ科の一種の"同性愛"戦略とか(p84)、アブラムシに卵を産みつけ、そのアブラムシを狩りしたアリマキバチの巣の中で孵化してアブラムシを横取りして成長するエメラルドセナガアナバチ7.jpgハチの仲間ツヤセイボウの"トロイの木馬"戦略とか(p93)、その戦略はバラエティに富んでいます。カギバラバチに至っては、植物の葉に大量の卵を産み、その葉をイモムシが食べ、そのイモムシをスズメバチが幼虫に与え、そのスズメバチの幼虫に寄生するというから(p94)、あまりに遠回り過ぎる戦略で、人間界の事象に擬えた名付けのしようがない戦略といったところでしょうか。

ゴキブリ(左)にエメラルドセナガアナバチ(右)が針を刺し麻痺させ、半死半生のゾンビ化させ、巣に連れて行き、ゴキブリの体内に産卵する。子が産まれたらそのゴキブリを食べる。

 こうしてみると、ハチの仲間には奇主を媒介として育つものが結構いるのだなあと。それに対し、アリの仲間には、キノコシロアリやハキリアリのようにキノコを"栽培"をするアリや(p144)、アブラムシを"牧畜"するアリなどもいる一方で(p154)、サムライアリを筆頭に、別種のアリを"奴隷"化してしまうものあり(p173)、メストゲアリ7.jpgいわば、平和を好む"農牧派"と戦闘及び侵略を指向する"野戦派"といったところでしょうか。トビイロケアリのように、別種の働きアリを襲ってその匂いを獲得して女王アリに近づき、今度は女王アリを襲ってその匂いを獲得して女王に成り代わってしまう(p178)(トゲアリもクロオオアリに対して同じ習性を持つ)という、社会的寄生を成す種もあり(但し、いつも成功するとは限らない)、アリはハチから進化したと言われていますが、その分、アリの方が複雑なのか?(因みにシロアリは、ゴキブリに近い生き物)。
クロオオアリの女王アリ(左)に挑みかかるトゲアリの雌(右)。クロオオアリの働きアリに噛み付き、匂いを付けて巣に潜入。女王アリを殺し、自分が女王アリに成り代わる。

 著者の専門はアリやシロアリと共生する昆虫の多様性解明で、本書は専門外の分野であるとのことですが、ただ珍しい昆虫の生態を紹介するだけでなく、それらの特徴が体系化されていて、それぞれの生態系におけるその意味合いにまで考察が及んでいるのがいいです。そのことによって、知識がぶつ切りにならずに済んでおり、誰もがセンス・オブ・ワンダーを感じながら楽しく読み進むことができるようになっているように思います。

4億年を生き抜いた昆虫_pop0.jpg 『4億年を生き抜いた昆虫』('15年/ベスト新書)は、カラー写真が豊富なのが魅力。本文見開き2ページとカラー写真見開き2ページが交互にきて、やはり写真の力は大きいと思いました。

 『昆虫はすごい』と同じく、昆虫とは何か(第1章)ということから説き起こし、第2章で昆虫の驚くべき特殊能力を、第3章で昆虫の生態を種類別に解説していますが、第3章が網羅的であるのに対し、第2章が、奇妙な造形の昆虫や、人間顔負けの社会性を持つ昆虫、"一芸に秀でた"昆虫にフォーカスしており、この第2章が『昆虫はすごい』とほぼ同じ趣旨のアプローチであるとも言えます。その中には、「クロヤマアリを奴隷化するサムライアリ」(p69)とか「ゴキブリをゾンビ化するエメラルドセナガアナバチ」(p92)など、『昆虫はすごい』でもフューチャーされていたものもありますが、意外と重複は少なく、この世界の奥の深さを感じさせます。

 著者は昆虫学、生物多様性・分類、形態・構造が専門ということで、『昆虫はすごい』の著者に近い感じでしょうか。『昆虫はすごい』の著者によれば、昆虫に関する研究も最近は細分化していて、「昆虫を研究している」という人でも、現在では昆虫全般に興味の幅を広げている人は少ないとのこと。いても、自分の専門分野に関係するものに対象を絞っている場合が殆どで、中には「事象に興味があっても虫には興味が無い」と浅学を開き直る学者もいるそうな。そうした中、"虫好き"の精神とでも言うか心意気とでも言うか、センス・オブ・ワンダーをたっぷり味あわせてくれる本が世に出るのは喜ばしいことだと思います。

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事件そのものの重さ、その背景にあるものの複雑さなどからいろいろと考えさせられる1冊。

ルポ 虐待2.jpg ルポ 虐待s.jpgルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)

大阪二児置き去り死事件1.jpg 2010年夏、3歳の女児と1歳9カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢で、子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた―。

 本書は新書にしては珍しく、この「大阪二児置き去り死事件」のみに絞ってその経緯と背景を追った(単行本型?)ルポルタージュです(2014(平成26)年・第7回 「新書大賞」第7位)。事件発覚時にはその母親の行動から多くの批判が集まり、懲役30年という重い判決が下されて世間は溜飲を下げたかのように見えた事件ですが、本書では、なぜ2人の幼い子は命を落とさなければならなかったのかを、改めて深く探っています。

 その探求の特徴の1つは、母親の成育歴を、その両親の夫婦関係まで遡って調べ上げている点で、そこから、この母親自身が虐待(ネグレクト)を受けて育ったこと、その結果としての解離性障害と考えられる行動傾向が見られること、更には、加害女性が「女性は良き母親であるべき」という社会的規範に強く縛られていたことなどを導き出しています。

 こうした"解釈"については賛否があるとも思われ、このケースの場合、所謂"虐待の連鎖"に該当すると考えられますが、だからといってその罪が軽減されるものでもなく、また、他の虐待の事例において無暗に"虐待の連鎖"による説明を準用するべきものでもないと思います。更には、解離性障害についても、正常と異常の間に様々なレベルのスペクトラムがあり、また、母親が子どもを放置して男と遊び回っていたといったことが、そうした"障害"よってその罪を免れるものでもないでしょう。

 但し、本書を読むにつれて、この事件の背景には、母親個人の問題だけでなく、児童相談所の介入の失敗など(おそらくこの事例は事前に情報が殆どなく、児童相談所としてもどうしようもなかったのではないかとは思うが)、子ども達の危機的な状況を見抜けなかった行政機関の問題や、(離婚の原因が母親の浮気であったにせよ)殆ど親子を見捨てるような感じですらあった、離婚した父親及びその親族の問題などがあったことを知るこができました。

 とりわけ、裁判で父親側の遺族が母親に極刑を望んだというのは、虐待死事件において珍しいケースではないでしょうか。これまでの多くの虐待死事件では、遺族側も決して重い刑を望んではいないといった状況が大半で、家族間の殺人における卑属殺人は処罰感情の希薄さから刑が軽くなる傾向があったように思われ、一方、こうした加害女性本人と遺族側の対立というのはどちらかというと少数で、このこともこの事件の特徴をよく表しているように思います

 裁判では、検察側は、母親が最後に家を出た際に子ども2人の衰弱を目の当たりにしていたなどの点を挙げ、母親に殺意があったとして、無期懲役を求刑したのに対し、弁護側は「被告も育児放棄を受けた影響があった」として子どもに対する殺意はなく保護責任者遺棄致死罪に留まるとして、その主張には大きな隔たりがありましたが、結局、大阪地裁は、母親は子供に対する「未必の殺意」があったと認定、懲役30年の実刑判決を下し(本書にもある通り、二分した精神鑑定結果の"解離性障害"の方は採り上げなかった)、この判決及び判旨は最高裁まで変わることがありませんでした。

 個人的には、25歳の女性に懲役30年という判決は重いものの、被告はそれ相応の罪を犯したものと考えます。ただ、気になるのは、判決に応報感情が大きく反映されたのではないかという点であり(それは、判決によって事件を終わらせたいという遺族感情でもあるが、本書の狙いの1つは、被告個人に全てを押し付けてしまっていいのかという疑問の投げかけにあるように見える)、国家刑罰権は被害者(遺族)感情のみによって根拠づけられるものではないことは自明であるものの、実際にこの事件では、裁判官がより遺族感情に応えようとしたのではないかという気もします。

 逆の見方をすれば、今までの虐待死事件の判決が、逆の意味で「事件に蓋をしてしまおう」という遺族感情に応えてしまった結果、あまりにも軽いのではないかと―。勿論、量刑を重くすれば児童虐待が無くなるというものでもないでしょうが、全く抑止力にはならないとも言い切れないでしょうし、量刑の公平性の観点から見て、これまでの諸事件の初判決がおかしかったように感じます。

 教育機関や児童相談所の介入の失敗など例も、この事件に限らず、何度も繰り返されています。個人的には、児童虐待に特化したソーシャルワーカー制度を作って、プロを養成した方が良いように思います。米国などでは、ソーシャルワーカーのステイタス(社会的地位)は高く、その分、「介入」に失敗し、虐待やその再発を見抜けなかった場合は資格を失うなど(州によるが)、かなりのオブリゲーションを負っています。

 全体を通して真摯なルポであり、著者の見方の(主張と言うより、ルポを通じての問題提起となっているわけだが)その全てに賛同するというものでもないですが、これだけ調べ上げたというだけでも立派。事件そのものの重さもそうであるし、その背景にあるものの複雑さ、難しさからも、いろいろと考えさせられる1冊でした。

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「聞く力」というよりインタビュー術、更にはインタビューの裏話的エッセイといった印象も。

聞く力1.jpg 聞く力2.jpg 阿川 佐和子 菊池寛賞.jpg
聞く力―心をひらく35のヒント (文春新書)阿川佐和子氏(第62回(2014年)菊池寛賞受賞)[文藝春秋BOOKS]

阿川 佐和子 『聞く力―心をひらく35のヒント』130.jpg 本書は昨年('12年)1月20日に刊行され12月10日に発行部数100万部を突破したベストセラー本で、昨年は12月に入った時点でミリオンセラーがなく、「20年ぶりのミリオンゼロ」(出版科学研究所)になる可能性があったのが回避されたのこと。今年に入ってもその部数を伸ばし、5月には135万部を、9月13日には150万部を突破したとのことで、村上春樹氏の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が発売後7日で発行部数100万部に達したのとは比べようもないですが、今年('13年)上半期集計でも村上氏の新刊本に次ぐ売れ行きです(2013(平成25)年・第6回 「新書大賞」第5位)。

プロカウンセラーの聞く技術3.jpg 内容は主に、「週刊文春」で'93年5月から20年、900回以上続いている連載インタビュー「この人に会いたい」での経験がベースになっているため、「聞く力」というより「インタビュー術」という印象でしょうか。勿論、日常生活における対人コミュニケーションでの「聞く力」に応用できるテクニックもあって、その辺りは抜かりの無い著者であり、エッセイストとしてのキャリアも実績もあって、文章も楽しく読めるものとなっています。

 ただ、対談の裏話的なものがどうしても印象に残ってしまい(それも誰もが知っている有名人の話ばかりだし)、タイトルからくるイメージよりもずっとエッセイっぽいものになっている印象(裏話集という意味ではタレント本に近い印象も)。「聞く力」を本当に磨きたければ、著者自身が別のところで推薦している東山紘久著『プロカウンセラーの聞く技術』(`00年/創元社)を読まれることをお勧めします。もしかしたら、本書『聞く力』のテクニカルな部分の典拠はこの本ではないかと思われるフシもあります。
プロカウンセラーの聞く技術

 因みに、昨年、その年のベストセラーの発表があった時点ではまだ本書の発行部数は85万部だったのが、同年4月に文藝春秋に新設されていた「出版プロモーション部」が、この本が増刷をかけた直後にリリースしたニュース情報が有効に購入層にリーチして一気に100万部に到達、この「出版プロモーション」の成果は村上氏の新刊本『色彩を持たない...』にも応用され、インターネット広告や新刊カウントダウンイベントなどの新たな試みも加わって、『色彩を持たない...』の「7日で100万部達成」に繋がったとのことです。

 本もプロモーションをかけないと売れない時代なのかなあ。ただ、こうしたやり方ばかりだと、更に「一極(一作)集中」が進みそうな気もします。まあ、この本は、村上春樹氏の新刊本とは異なり、発刊以降、地道に販売部数を重ねてきたものでもあり、プロモーションだけのお蔭でベストセラーになった訳でもないとは思いますが。

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分かれば分かるほど、分からないことが増える。「宇宙論」って奥が深い。

宇宙は何でできているのか1.jpg宇宙は何でできているのか2.jpg 宇宙は何でできているのか3.jpg  野本 陽代 ベテルギウスの超新星爆発.jpg  宇宙論入門 佐藤勝彦.jpg
宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)』 野本 陽代 『ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)』 佐藤 勝彦 『宇宙論入門―誕生から未来へ (岩波新書)

 村山斉氏の『宇宙は何でできているのか―素粒子物理学で解く宇宙の謎』は、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」「宇宙はこれからどうなるのか」という誰もが抱く素朴な疑問を、素粒子物理学者が現代宇宙物理学の世界で解明出来ている範囲で分かり易く解説したもので、本も売れたし、2011年の第4回「新書大賞」の第1位(大賞)にも輝きました。

 分かり易さの素は「朝日カルチャーセンター」での講義が下敷きになっているというのがあるのでしょう。但し、最初は「岩波ジュニア新書」みたいなトーンで、それが章が進むにつれて、「ラザフォード実験」とか「クォークの3世代」とかの説明に入ったくらいから素粒子物理学の中核に入っていき(小林・益川理論の基本を理解するにはいい本)、結構突っ込んだ解説がされています。

 その辺りの踏み込み具合も、読者の知的好奇心に十分応えるものとして、高い評価に繋がったのではないかと思われますが、一般には聞きなれない言葉が出てくると、「やけに難しそうな専門用語が出てきましたが」と前フリして、「喩えて言えば次のようなことなのです」みたいな解説の仕方をしているところが、読者を難解さにめげさせることなく、最後まで引っ張るのだろうなあと。

 本書によれば、原子以外のものが宇宙の96%を占めているというのが分かったのが2003年。「暗黒物質」が23%で「暗黒エネルギー」が73%というところまで分かっているが、暗黒物質はまだ謎が多いし、暗黒エネルギーについては全く「正体不明」で、「ある」ことだけが分かっていると―。

 分からないのはそれらだけでなく、物質の質量を生み出すと考えられている「ヒグス粒子」というものがあると予言されていて、予想される量は宇宙全体のエネルギーの10%の62乗―著者は「意味がさっぱり分かりませんね」と読者に寄り添い、今のところ、それが何であるか全て謎だとしています。

 しかしながらつい最近、報道で「ヒッグス粒子」(表記が撥音になっている)の存在が確認されたとあり、早くも今世紀最大の発見と言われていて、この世界、日進月歩なのだなあと。

 小林・益川理論は粒子と反粒子のPC対称性の破れを理論的に明らかにしたもので、それがどうしたと思いたくもなりますが、物質が宇宙に存在するのは、宇宙生成の最初の段階で反物質よりも物質の方が10億分の2だけ多かったためで、このことが無ければ宇宙には「物質」そのものが存在しなかったわけです(但し、それがなぜ「10億分の2」なのかは、小林・益川理論でも説明できていないという)。

 本書はどちらかというと「宇宙」よりも「素粒子」の方にウェイトが置かれていますが(著者の次著『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門 (ブルーバックス)』('11年)の方が全体としてはより"宇宙論"的)、最後はまた宇宙の話に戻って、宇宙はこれからどうなるかを述べています。

 それによると、10年ばかり前までは、減速しながらも膨張し続けているという考えが主流だったのが(その中でも、膨張がストップすると収縮が始まる、減速しながらも永遠に膨張が続く、「永遠のちょっと手前」で膨張が止まり収縮もしない、という3通りの考えがあった)、宇宙膨張は減速せず、加速し続けていることが10年前に明らかになり、そのことが分かったのは超新星の観測からだといいます(この辺りの経緯は、野本陽代氏の『ベテルギウスの超新星爆発-加速膨張する宇宙の発見』('11年/幻冬舎新書)にも書かれている)。

 加速膨張しているということは、膨張しているのにエネルギーが薄まっていないということで、この不思議なエネルギー(宇宙の膨張を後押ししているエネルギー)が「暗黒エネルギー」であり、その正体は何も分かっていないので、宇宙の将来を巡る仮説は、今は「何でもアリ」の状況だそうです。

 分かれば分かるほど、分からないことが増える―それも、細部においてと言うより、全体が―。「宇宙論」って奥が深いね(当然と言えば当然なのかもしれないけれど)。

 そこで、更に、著者が言うところのこの「何でもアリ」の宇宙論が今どうなっているかについて書かれたものはと言うと、本書の2年前に刊行された、佐藤勝彦氏の『宇宙論入門―誕生から未来へ (岩波新書)』('08年)があります。

佐藤 勝彦.jpg この本では、素粒子論にも触れていますが(『宇宙は何でできているのか』の冒頭に出てくる、自分の尻尾を飲み込もうとしている蛇の図「ウロボロスのたとえ」は、『宇宙論入門』第2章「素粒子と宇宙」の冒頭にも同じ図がある)、どちらかというとタイトル通り、宇宙論そのものに比重がかかっており、その中で、著者自身が提唱した宇宙の始まりにおける「インフレーション理論」などもより詳しく紹介されており、個人的にも、本書により、インフレーション理論が幾つかのパターンに改変されものが近年提唱されていることを知りました(著者は「加速的宇宙膨張理論の研究」で、2010年に第100回日本学士院賞を受賞)。
佐藤 勝彦

  第4章「宇宙の未来」では、星の一生をたどる中で「超新星爆発」についても解説されており、最後の第5章「マルチバースと生命」では、多元宇宙論と宇宙における生命の存在を扱っており、このテーマは、村山斉氏の『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門』とも重なるものとなっています(佐藤氏自身、『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった (PHP文庫)』('01年)という著者もある)。

 『宇宙論入門』は、『宇宙は何でできているのか』よりやや難解な部分もありますが、宇宙論の歴史から始まって幅広く宇宙論の現況を開設しており、現時点でのオーソドックスな宇宙論入門書と言えるのではないかと思います。

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原子力科学者の立場から、原発の危険性を解説。分かり易くコンパクトに纏まっている。

原発のウソ.jpg 『原発のウソ (扶桑社新書)原発のウソ2.jpg

 原子力学術界における「反原発」の旗手的存在である著者の、『放射能汚染の現実を超えて』('11年5月/ 河出書房新社)に続く福島第一原発事故後の単著で、新書という体裁もあって手軽に読め、且つ、原発の危険性を知る上での入門書としても、たいへん分かり易くコンパクトに纏まっています(2012年・第5回「新書大賞」(中央公論新社主催)第7位)。

 まず第1章で、当時、発生して間もなかった福島第一原発の事故が、どこに重大な問題点があって今後どうなっていくのかを見通し、以降、第2章から第7章にかけて、放射能とは何か、放射能汚染から身を守るにはどうすればよいかが解説され、更に、国や電力会社が言うところの原発の"常識"は"非常識"であるということ、原子力が「未来のエネルギー」であるとされているのは疑問であること、地震列島・日本に原発を建ててはいけないということ、結論として、原子力に未来はないということが説かれています。

 解明されつつある低レベル被曝の危険性に着目し(御用学者達が「修復効果説」や「ホルミンス効果説」を唱え、50ミリシーベルト以下の低レベル被曝は何ら問題無しとしているのに対し、「低線量での被曝は、高線量での被曝に比べて単位線量あたりの危険度がむしろ高くなる」という近年の研究結果を紹介している)、更に、チェルノブイリ原発事故の放射能物質観測データを基に、風と雨が汚染を拡大することを示すと共に、放射能被曝を受けた場合の年齢別危険性(20~30歳代の大人に比べ、赤ん坊の放射線感受性は4倍)を示して、乳幼児や子ども達への放射能の影響を危惧しています。

 また、原発事故が起きても電力会社が補償責任を取らないシステムについても言及し(米国でも同じことのようだ)、結局そのツケは国民に回されると述べているのは、原子力損害賠償支援機構法(東電の経営と原発の運営を支援する法律?)の成立や東電の国有化検討で、まさにその通りになりつつあります。

 原発を造れば造るだけ電力会社は儲かってきた背景には、資産の何%かを利潤に上乗せしていいという「レートベース」というものが法律で決められていて、資産を増やすために電力会社は原発を造り続ける―では、その費用はどうなるかと言うと、電力利用者が払う電気料金に上乗せされているわけで、結局、日本は世界で一番電気代の高い国になっているというのは、原子力発電がスタートした際の、将来「電気料金は2000分の1になる」とか言っていていた宣伝文句が全くの出鱈目であったことを思い知らされます。

 このように原発は決してコストの安い電力源ではないばかりでなく、原発が「エコ・クリーン」であるというのもウソで、発電時に二酸化炭素を排出しないとはいうものの、そこに至るまでの資材やエネルギーの投入過程で莫大な二酸化炭素が排出されているとのこと、更には、発生した熱エネルギーの3分の2は海に放出されているため、地球温暖化に多大に"寄与"しているとのことです。

 やがて石油資源が枯渇するから原子力発電の推進を―という国の謳い文句もウソだったようで、石油より先にウランが枯渇するとのこと、原子力を牽引してきたフランスにすら新たな原発建設計画は無く、それなのに日本が原子力を捨てることができないのは、電力会社だけでなく、三菱、日立、東芝といった巨大企業が群がって利益を得ているからだとしています。

 日本は、国際公約上、余剰プルトニウムを保持できない国であり、「プルトニウム消費のために原発を造る」という発想のもとで造られた高速増殖炉でも事故が頻発していることからしても核燃料サイクル自体が破綻しているにも関わらず、使用済み核燃料の再処理工場がある青森県六ヶ所村近くにMOX原発・大間原子力発電所を造ろうとしていますが、大間原発の安全面での危険性はかなり高いとのことで、今回の震災で計画の行方がどうなるか注目されるところです。

 そもそも、地震地帯に原発を建てているのは日本だけで、それが54基もあって、浜岡原発などは「地震の巣」の真上に立っており、更に原発より危険なのが使用済み核燃料をため込んでいる再処理工場で、ここが震災に遭ったらどうなるかと思うと空恐ろしい気がします。

 著者の言うように、原発は末期状態にあり、原発を止めても電力供給に軽微な影響しかないのならば、もう原発は止めにすべきではないかと個人的にも思いますが、原発を廃炉にしても、巨大な「核のゴミ」がそこに残り、放射性廃棄物は何百年も監視が必要で、それは誰にも管理できる保証はない―こうなると、何故こんなもの造ってしまったのかとつくづく思いますが、高度経済成長期において、「原子力=夢のエネルギー」という幻想に日本全体が浮かされたのかなあ(手塚治虫が生前に、自作「鉄腕アトム」は原子力などの科学的将来に対してあまりに楽天的で、自分の作品を顧みて一番好きだとは思わないといった発言をしていたのを思い出した)。

 本書を読んで、自分達の子孫のためにも、原発の廃絶を訴えていかなければならないのだろうと思いました。

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社員同士の協力関係を、役割構造、評価情報、インセンティブの3つで捉える。

不機嫌な職場5.jpg不機嫌な職場―2044.jpg
不機嫌な職場~なぜ社員同士で協力できないのか (講談社現代新書)』['08年]

 なかなか惹きつけるタイトルで、こういう場合、読んでみたら通り一遍のことしか書いてない紋切り型の"啓蒙書"だったりしてガッカリさせられることがままありますが、この本は悪くなかったです。但し、やはり基本的には(いい意味での)"啓蒙書"であり、読んで終わってしまってはダメで、書かれていることで自分が納得したことを、常に意識し、実践しなければならないのでしょう。

 社員同士での協力関係が生まれないために、職場がギスギスして、生産性も向上せず、ヤル気のある人から辞めていく―こうした協力関係阻害の要因を、役割構造、評価情報、インセンティブという3つのフレームで捉えた第2章(ワトソンワイアット・永田稔氏執筆)が、特にわかり易く、また、頷ける点が多かったです。

 特に、「役割構造」の変化について、従来の日本企業の特徴であった、会社で仕事をする際に決められる「仕事の範囲」の「緩さ・曖昧さ」が協力行動を促すことにも繋がっていたことを指摘しているのには頷けて(但し、フリーライド、つまり、仕事してないのに仕事しているように見せる"ただ乗り"を許すことにも繋がっていた)、それが、成果主義が導入されると、今度は、個々は自分の仕事のことしか考えず、外からは、誰が何をしているのかよくわからなくなって、仕事が「タコツボ化」していると―。

 それが、組織力の弱体化に繋がるとしているわけですが、これは、成果主義の弊害としてよく言われることであるものの、併せて、個々の仕事が高度化していることも、仕事が「タコツボ化」する要因として挙げているのには、確かにその通りかもしれないと思いました。

 このことは、続く、インフォーマル・コミユニケーションを通じての社員同士の「評価情報」の共有化がもたらす効果や、金銭的報酬以外の、社内や仕事仲間の間での承認願望の充足がもたらす「インセンティブ」効果という話に、スムーズに繋がっているように思えました。

 「仕事の高度化」ということで言えば、IT企業などは正にそうでしょうが、第4章で、組織活性化に成功している企業の事例が3社あり、その内2社は、グーグルとサイバーエージェントです。
 両社の組織活性化施策は、人事専門誌などでは、もうお馴染みの事例となっていますが、本書におけるそれまでの繋がりの中で読んでみると、改めて新鮮でした。

 ワトソンワイアットは、外資系の中では日本企業の人事制度構築に定評のあるファームですが、日本での強さのベースには、組織心理学に重きを置いている点にあるのかも。

《読書MEMO》
●八重洲ブックセンター八重洲本店 公式Twitterより(2018年5月21日)
【1階】講談社現代新書『不機嫌な職場』あなたの職場がギスギスしている本当の理由。社内の人間関係を改善する具体的な方法をグーグルなどの事例もあげて解説。
不機嫌な職場』se.jpg

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新自由主義政策の弊害を「民営化」という視点で。前半のリアルな着眼点と、後半のアプリオリな視座。

ルポ貧困大国アメリカ.jpg ルポ 貧困大国アメリカ.jpg 『ルポ貧困大国アメリカ (岩波新書 新赤版 1112)』 ['08年]

 '08(平成20)年度・第56回「日本エッセイスト・クラブ賞」受賞作で、'08年上期のベストセラーとなった本('09(平成21)年度・第2回「新書大賞」も受賞)。

obesity_poverty.jpg 前半、第1章で、なぜアメリカの貧困児童に「肥満」児が多いかという問題を取材していて、公立小学校の給食のメニューが出ていますが、これは肥って当然だなあと言う中身。貧困地域ほど学校給食の普及率は高いとのことで、これを供給しているのは巨大ファーストフード・チェーンであり、同じく成人に関しても、貧困家庭へ配給される「フードスタンプ」はマクドナルドの食事チケットであったりして、結果として、肥満の人が州人口に占める比率が高いのは、ルイジアナ、ミシシッピなど低所得者の多い州ということになっているらしいです。

Illustration from geographyalltheway.com

 第3章で取り上げている「医療」の問題も切実で、国民の4人に1人は医療保険に加入しておらず、加えて病院は効率化経営を推し進めており、妊婦が出産したその日に退院させられるようなことが恒常化しているとのこと、こうした状況の背後には、巨大病院チェーンによる医療ビジネスの寡占化があるようです。

 中盤、第4章では、若者の進路が産業構造の変化や経済的事情で狭められている傾向にあることを取り上げていて、ここにつけ込んでいるのが国防総省のリクルーター活動であり、兵役との引き換え条件での学費補助や、第2章で取り上げている「移民」問題とも関係しますが、兵役との交換条件で(それがあれば就職に有利となる)選挙権を不法移民に与えるといったことが行われているとのこと。

 本書執筆のきっかけとなったのは、こうした学費補助の約束などが実態はかなりいい加減なものであることに対する著者の憤りからのようで、後半では、貧困労働者を殆ど詐欺まがいのような勧誘で雇い入れ、「民間人」として戦場に送り込む人材派遣会社のやり口の実態と、実際にイラクに行かされ放射能に汚染されて白血病になったトラック運転手の事例が描かれています。

 全体を通して、9.11以降アメリカ政府が推し進める「新自由主義政策」が生んだ弊害を、「民営化」というキーワードで捉え、ワーキングプアが「民営化された戦争」を支えているという第5章の結論へと導いているようですが、後半にいけばいくほど著者の(「岩波」の)リベラルなイデオロギーが強く出ていて(「あとがき」は特に)、「だから米国政府にとっては、格差社会である方が好都合なのだ」的な決めつけも感じられるのがやや気になりました(本書にある「世界個人情報機関」の職員の言葉がまさにそうであり、こうした見方さえ"結果論"的には成り立つという意味では、そのこと自体を個人的に否定はしないが)。

 著者は9.11テロ遭遇を転機にジャーナリストに転じた人ですが、本書が「○○ジャーナリスト賞」とか「○○ノンフィクション賞」とかでなく(まだこれから受賞する可能性もあるが)、その前に「エッセイスト・クラブ賞」を得たのは、文章の読み易さだけでなく、前半のリアルな着眼点と、後半のアプリオリな視座によるためではないかと。

《読書MEMO》
●「世界個人情報機関」スタッフ、パメラ・ディクソンの言葉
「もはや徴兵制など必要ないのです」「政府は格差を拡大する政策を次々に打ち出すだけでいいのです。経済的に追いつめられた国民は、黙っていてもイデオロギーのためではなく生活苦から戦争に行ってくれますから。ある者は兵士として、またある者は戦争請負会社の派遣社員として、巨大な利益を生み出す戦争ビジネスを支えてくれるのです。大企業は潤い、政府の中枢にいる人間たちをその資金力でバックアップする。これは国境を超えた巨大なゲームなのです」(177-178p)

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人間は日々作り替えられているのだ...。読み易く、わかり易い(藤原正彦の本と少しだぶった)。

生物と無生物のあいだ sin.jpg生物と無生物のあいだ_2.jpg生物と無生物のあいだ.gif  福岡伸一.jpg 福岡 伸一 氏 (略歴下記)
生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)』 ['07年]

 2007(平成19)年度「サントリー学芸賞」(社会・風俗部門)受賞作であり(同賞には「政治・経済」部門、「芸術・文学」部門、「社会・風俗」部門、「思想・歴史」部門の4部門があるが、元々人文・社会科学を対象としているため、「自然科学」部門はない)、また、今年(2008年)に創設された、書店員、書評家、各社新書編集部、新聞記者にお薦めの新書を挙げてもらいポイント化して上位20傑を決めるという「新書大賞」(中央公論新社主催)の第1回「大賞」受賞作(第1位)でもあります。

 刊行後1年足らずで50万部以上売り上げた、この分野(分子生物学)では異例のベストセラーとか言うわりには、読み始めて途端に"ノックアウトマウス"の話とかが出てくるので、一瞬構えてしまいましたが、読み進むにつれて、ベストセラーになるべくしてなった本という気がしてきました。

Rudolf Schoenheimer (1898-1941).jpg プロローグで、表題に関するテーマ、「生物」とは何かということについて、「自己複製を行うシステム」であるというワトソン、クリックらがDNAの螺旋モデルで示した1つの解に対して、「動的な平衡状態」であるというルドルフ・シェ―ンハイマーの論が示唆されています。

Rudolf Schoenheimer (1898-1941)

 本編では、自らのニューヨークでの学究生活や、生命の謎を追究した世界的な科学者たちの道程が、エッセイ又は科学読み物風に書かれている部分が多くを占め(これがまた面白い)、その上で、DNAの仕組みをわかり易く解説したりなどもしつつ、元のテーマについても、それらの話と絡めながら導き、最後に結論をきっちり纏めていて、盛り込んでいるものが多いのに読むのが苦にならず、その上、読者の知的好奇心にも応えるようになっています。

 著者は、シェーンハイマーの考えをさらに推し進め、「生命とは動的平衡にある流れである」と再定義しています。
 ヒトの皮膚も臓器も、細部ごとに壊されまた再生されていて、一定期間ですっかり入れ替わってしまうものだとはよく言われることですが、本書にある、外部から取り込まれたタンパク質が身体のどの部位に蓄積されるかを示したシェーンハイマーの実験には、そのことの証左としての強いインパクトを受けました(歯も骨も脳細胞までも、常にその中身は壊され、作り替えられているということ)。

ダークレディと呼ばれて―二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実.jpgマリス博士の奇想天外な人生.jpg また、シェーンハイマーという自殺死した天才学者に注目したのもさることながら、科学者へのスポットの当て方がいずれも良く、ノーベル生理学・医学賞をとったワトソンやクリックよりも、無類の女性好きでサーフィン狂でもあり、ドライブ・デート中のひらめきからDNAの断片を増幅するPCR(ポメラーゼ連鎖反応)を発明したというキャリー・マリス博士(ワトソン、クリックらと同時にノーベル化学賞を受賞)や、ワトソン、クリックらの陰で、無名に終わった優秀な女性科学者ロザリンド・フランクリンの業績(本書によれば、ワトソンらの業績は、彼女の研究成果を盗用したようなものということになる)を丹念に追っている部分は、読み物としても面白く、また、こうした破天荒な博士や悲運な女性科学者もいたのかと感慨深いものがありました(著者は、キャリー・マリス、ロザリンド・フランクリンのそれぞれの自叙伝・伝記の翻訳者でもある)。 『マリス博士の奇想天外な人生 (ハヤカワ文庫 NF)』 『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実

野口英世.jpg若き数学者のアメリカ 文庫2.jpgワープする宇宙.jpg アメリカでスタートを切った学究生活やそこで巡り合った学者たちのこと、野口英世の話(彼の発表した研究成果には間違いが多く、現在まで生き残っている業績は殆ど無いそうだ。それでも、'04年科学者として初めて日本の紙幣に採用されたが...)のような、研究や発見に纏わる科学者の秘話などを、読者の関心を絶やさずエッセイ風に繋いでいく筆致は、海外の科学者が書くものでは珍しくなく、同じ頃に出た多元宇宙論を扱ったリサ・ランドール『ワープする宇宙』('07年/日本放送協会)などもそうでしたが、科学の"現場"の雰囲気がよく伝わってきます。 『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く
 日本では、こうした書き方が出来る人はあまりいないのでは。強いて言えば、数学者・藤原正彦氏の初期のもの(『若き数学者のアメリカ』『心は孤独な数学者』など)と少し似てるなという気がしました。 『若き数学者のアメリカ (新潮文庫)

 俗流生物学に当然のことながら批判的ですが、今度´08年5月から、その"代表格"竹内久美子氏が連載を掲載している「週刊文春」で、著者も連載をスタート、更に、脳科学者の池谷裕二氏も同時期に連載をスタートしました。どうなるのだろうか(心配することでもないが)。竹内久美子氏は、もう、連載を降りてもいいのでは。(その後、実際に降りた。)
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福岡 伸一(ふくおか・しんいち)
1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ロックフェラー大学およびハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授を経て、青山学院大学 理工学部化学・生命科学科教授。分子生物学専攻。研究テーマは、狂牛病 感染機構、細胞の分泌現象、細胞膜タンパク質解析など。専門分野で論文を発表するかたわら一般向け著作・翻訳も手がける。最近作に、生命とは何かをあらためて考察した『生物と無生物のあいだ』(講談社)がある。

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「男道」の伝統は武士から駕籠かきを経由してヤクザに引き継がれた?

サムライとヤクザ.png 『サムライとヤクザ―「男」の来た道 (ちくま新書 681)』 〔'07年〕

 本書によれば、戦国時代が終わり江戸時代にかけて、「男道」は次第に武士のものではなくなり、「かぶき者」と言われた男たちが戦国時代の余熱のような男気を見せていたのも一時のことで、「武士道」そのものは形式的な役人の作法のようなものに変質していったとのことです。

 では、誰が「男道」を継承したのかと言うと、藩邸が雇い入れた"駕籠かき"など町の男たちだったそうで("火消し"がそうであるというのはよく言われるが、著者は"駕籠かき"の男気を強調している)、こうした男たちの任侠的気質や勇猛果敢ぶりに、かつて武士のものであった「男道」を見出し、密かに賞賛を贈る人が武士階級にもいたようです。

 また、同様の観点から、鼠小僧次郎吉が捕えられた際の堂々とした態度に、平戸藩主・松浦(まつら)静山が『甲子(かっし)夜話』で賛辞を贈っているとも(松浦静山に限らず、同様の例は他にもある)。

 江戸初期に武士の間に流行った「衆道」(男色)の実態(多くがプラトニックラブだったらしいが、生々しい記録もある)についてや、17世紀後期には幕臣も藩士も殆どが、一生の間に抜刀して戦うことなく死を迎えたという話、松宮観山が書いた、"泰平ボケ"した武士のための非常時マニュアル『武備睫毛』とか、興味深い話が盛り沢山。

江戸藩邸物語―戦場から街角へ.jpg 但し、武士の「非戦闘化」、「役人化」を解説した点では、『江戸藩邸物語―戦場から街角へ』('88年/中公新書)の続きを読んでいるようで、本書のテーマはナンだったかなあと思ったところへ、最後の章で、ヤクザの歴史が出てきました。

 江戸史に限らずこちらでも、著者は歴史資料の読み解きに冴えを見せますが、なぜ今の世において政治家も企業家もヤクザに引け目を感じるのかを、松浦静山の鼠小僧次郎吉に対する賛辞のアナロジーで論じているということのようです、要するに。

 「男道」は武士から駕籠かきを経由してヤクザに引き継がれていたということで、政治家や企業家が彼らを利用するのは、武士が武威を他者に肩代わりさせてきたという歴史的素地があるためとする著者の考察は、面白い視点ではあるけれど、素人の感覚としては、やや強引な導き方という印象も。この考察をどう見るかで、本書の評価は分かれるのではないでしょうか(2008年・第1回「新書大賞」(中央公論新社主催)第8位)。

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