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"大風呂敷"を拡げた分、欠点も多いが、エンタメとして一定水準には達している。

楽園のカンヴァス.jpg楽園のカンヴァス 単行本.jpg 新湯 楽園のカンヴァス.jpg
楽園のカンヴァス』['12年]2025.3.30 蓼科新湯温泉にて

 2012(平成24)年・第25回「山本周五郎賞」受賞作。2013(平成25)年・第10回「本屋大賞」第3位。

 ソルボンヌ大学院で博士号をコース最短の26歳で取得している早川織絵は、オリエ・ハヤカワとして国際美術史学会で注目を浴びるアンリ・ルソー研究者であるが、今は倉敷の大原美術館で「一介の監視員」となっている。ティム・W・ブラウンは、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) のアシスタント・キュレーターである。コレクターのコンラート・バイラ―は、スイスのバーゼルにある、自らが住む大邸宅に織絵とティムを招き、彼が所蔵する、ルソーが最晩年に描いた作品『夢』に酷似した作品『夢をみた』について、1週間以内に真作か贋作かを正しく判断した者に、その作品の取り扱い権利を譲ると宣言する―。

 「山本周五郎賞」選考の際は5人の選考委員の内 角田光代氏ら3人が強く推して受賞に至りましたが、「直木賞」の方は8人の内 強く推したのは宮部みゆき氏だけで、受賞に至りませんでした。スイスの大富豪とかインターポール(国際刑事警察機構)などが出てきて、雰囲気的には、ジェフリー・アーチャーの『ゴッホは欺く』やダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』みたいなスケールの大きいアート・ミステリという感じ。日本にもこうした作品の書き手が登場したかという印象がありましたが、"大風呂敷"を拡げた分、欠点も多い作品のようにも思いました。

 「山本周五郎賞」選考の際も、まったく欠点の指摘が無かったわけではなく、強く推した角田光代氏ですら、「気になるところはいくつかある。このミステリーに関わってくる多くが「偶然」あらわれる。バイラーの孫娘があらわれたときはさすがに鼻白んだ」と。でも、「欠点を承知しつつ、でもやっぱり面白かった、いい小説だったという感想で読み終えた」とのこと。佐々木譲氏は、「キュレーターだったという著者の専門知識が惜しみなく投入されている印象を受けた」とし、唯川恵氏も「この作品に、私は圧倒的な『情熱』を感じた。ルソーの創作に対する情熱、主人公たちのルソーに対する情熱、そして原田さんの作品に対する情熱が、行間から立ち昇ってくる。最後、涙した自分が嬉しかった」と。

 これが「直木賞」になると、宮部みゆき氏は「(良い意味で)大風呂敷を広げ、知的な興奮を与えてくれた」と推し、桐野夏生氏も「一気読みできるアイデアの面白さは評価したい」としながらも、「登場人物に深みがないため、どうしても物語全体が幼く感じられてしまう」と。その他の選考委員も、「ストーリーテールに追われていた印象の方が強く惜しい気がした」(伊集院静氏)、「ピカソの上にルソーが描いている絵のアイデアは、きわめてミステリー的であり、スリリングでさえあった。ただ、絵の周囲にいる人間たちが、そのアイデアを生かしきれていない」(北方謙三氏)など、やや厳しい意見が多くなっています。

 確かにピカソがルソーを見出し、叱咤激励したとうのは面白いアイデアですが、「文中の物語がやや幼稚で感動を呼ぶものとは思えなかった」(林真理子氏)というのは自分も感じた点でした(なんだか教科書的だった)。結局、「できは悪くないように感じられたが、それでも私は多少の疑問と物足りなさを覚えた」(宮城谷昌光)というあたりが押しなべての評価になってしまった感じです。

 でも、エンタメとして一定水準には達していると思います。この回の直木賞受賞作は、辻村深月『鍵のない夢を見る』でしたが、個人的にはこの『楽園のカンヴァス』の方が良かったでしょうか。ただ、この手の作品、好きな人は本当に好きなのでしょうが、自分はのめり込むほどでは。

 でも、ピカソの「鳥籠」の見方なども参考になりました(この絵は、同著者の短編集『〈あの絵〉のまえで』('20年/幻冬舎)にもモチーフとして出てくる)。ルソーの「夢」がMoMA(ニューヨーク近代美術館)にあることにも改めて思い当たったし(昔行ったんだけどなあ。情けないことに覚えていない)、モデルについても知ることが出来ました(勉強になった?)。

ピカソ「鳥籠」「アビニヨンの娘たち」
ピカソ 鳥籠.jpg ピカソ アヴィにオン.jpg
アンリ・ルソー「夢」
ルソー 夢.jpg
アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」
ルソー エッフェル塔.jpg

【2015年文庫化[新潮文庫]】

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"史実と創作とバランスの絶妙さ。スゴイ構想力・想像力だなあと。

新湯 たゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず』['17年]

2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
 日本国内では、瀬戸物の包み紙程度の認識しかなかった日本の浮世絵。これが海外に持ち出された時、その画に芸術的価値を見いだしたのは、後に印象派と呼ばれる名もなき若く貧しい画家たちだった。パリ・グーピル商会で働く若き画商テオは、金を散財するくせに、書いた画を一枚も売れずにいる画家の兄フィンセントに頭を悩ませている。兄を疫病神のように嫌う一方で、彼の描く画に魅せられ、また高く評価もしていた。行き詰まりを感じている兄に、その自由な画風が若き芸術家の間で評判となっている浮世絵を見せたいがため、テオは同じパリで美術商をしている林忠正や加納重吉との交流を深めてゆく。テオから紹介されたフィンセントにただならぬ才能を感じた林は、彼が描く最高の一枚を手に入れるため、ある閃きから、アルルへの移住を薦めるが、それはゴッホ兄弟にとって悲劇の始まりだった―。

 ゴッホ兄弟とパリで活躍した日本人画商の交流の物語です(2018(平成30)年・第15回本屋大賞「本屋大賞」第5位)。自分の作風に時代が追いつかずに苦悩する画家・兄フィンセント、本当に売りたい作品を売れずに苦悩する画商・弟テオのゴッホ兄弟が苦しみながらも、己が信じる人生を歩んでいく姿が題名に重なります。パリで画商を営むアヤシこと林忠正と、その許で働くシゲこと加納重吉が彼らと出会うことで触媒効果のようなものが生まれ、それがゴッホを世に出す契機になるとともに、悲劇の始まりにもなります。

 ポール・ゴーギャン(1848-1903)をはじめ、実在した人物も多く登場し、史実と創作とバランスの絶妙さを愉しめました。主要登場人物である林忠正(1853-1906)、加納重吉、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、テオドルス・ファン・ゴッホ(1857-1891)の4人のうち、加納重吉は架空の人物で物語に進行役のような役割です。林忠正が浮世絵からヒントを得て、新しい絵画を創りつつあった印象派の画家たちと親交を結び、日本に初めて印象派の作品を紹介した人物であることは事実ですが、エドゥアール・マネ(1832-1883)などとは親しんだものの、ゴッホ兄弟と交流したという記録は無いらしいです。

 でも、同じ時期にゴッホ兄弟と林忠正がパリにいたことは事実で、そこからゴッホが浮世絵に影響を受けて新境地を切り開いていく様や、コッホ兄弟の微妙に複雑な関係を描いていく、その構想力・想像力はスゴイと思いました。文庫解説の美術史家の圀府寺司氏は、解説の冒頭で「いいなあ...話がつくれて...」と書いていますが、ミステリとしての要素は『楽園のカンヴァス』や『リボルバー』に比べて薄いですが、物語全体が事実と虚構とを織り交ぜた"ファクション"になっている作品だと思いました。

 敢えてミステリ的に史実を改変している箇所に言及するならば、この作品によれば、フィンセント・ファン・ゴッホが自らを撃ったリボルバーは、弟テオがフィンセントとの諍いがあった時のために所有していたもので(兄が何か過激な行動に出た際に、自殺を仄めかすことで抑止するため)、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていたのを、その鞄を借りることになったゴッホが偶然リボルバーの存在を知り、後で鞄だけテオに返却して、リボルバーは手元に置いていたということになります。

 通説では、リボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴァー亭」の経営者が所持した物で、それをゴッホが持ち出し、麦畑で自らを撃ち(ただし、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張や、子供たちとじゃれ合っていて暴発したという説もある)、数年経って農家によって偶然ゴッホが自らを撃ったとされる畑の中で発見されたとされています(口径は遺体から回収された銃弾と一致している。銃弾については当時、医師が記録に残していた。科学的な調査の結果、銃が1890年代から地中に埋まっていたことも判明している)。

 フィンセント・ファン・ゴッホが起こした「耳切り事件」や、その後も引き続いた発作の原因については、てんかん説、統合失調症説、梅毒性麻痺説、メニエール病説、アブサン中毒説など数多くの仮説がありますが(数え方により100を超えるそうだ)、個人的には、統合失調症ではないかと思います(統合失調症患者に銃を持たせることは、自殺の機会を与えるようなもの)。また、記憶や想像によって描くことができない画家であり、900点近くの油絵作品(いったい毎月何作描いたのか!)のほとんどが、静物、人物か風景であり、眼前のモデルの写生であるそうです。

 後日談として、テオの妻ヨーはテオの死後、画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルク(1873-1912)と再婚しましたが、1914年、テオの遺骨をフランスのオーヴェール=シュル=オワーズにあるフィンセントの墓の隣に改葬し、フィンセントとテオの墓石が並ぶようにし、また夫人と息子フィンセント(義父と同じ名前)は長年かけゴッホ書簡の編纂・出版を行っています。

マーティン・スコセッシ 「夢」111.jpg黒澤 夢 01.jpg 文庫解説で圀府寺司氏が、この作品を黒澤明監督の「」('90年)の5番目のエピソードでマーティン・スコセッシ監督がファン・ゴッホ役を演じた「鴉」に絡めて論じているのが興味深かったです。
黒澤明監督「夢」寺尾聰/マーティン・スコセッシ

 読んでいて、有名な作品がタイトル名を敢えて出さず、物語の中に突然現れたり、今コッホによって描かれたばかり(或いは作成中)の作品として登場したりするので、どの作品か確認しながら読むのも愉しいと思います。

「星月夜」1889年6月/「ゴッホの寝室(第2バージョン)」1889年/「夜のカフェ」1888年9月
ゴッホ1.jpg
「ジャガイモを食べる人々」1885年/「タンギー爺さん」1887年夏・冬/「ファン・ゴッホの椅子」1888年11月/「ゴーギャンの肘掛け椅子」1888年11月
ゴッホ2.jpg

【2020年文庫化[幻冬舎文庫]】

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ミステリとしても愉しめるが、あまりミステリ、ミステリして読まない方がいい。

リボルバー.jpg ゴッホ オーヴェルの教会.jpg ゴッホの「星月夜」.jpg
リボルバー』['21年] ゴッホ「オーヴェルの教会」「星月夜」
  
2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
新湯 リボルバー.jpg パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠冴(たかとおさえ)は、小さなオークション会社CDC(キャビネ・ド・キュリオジテ)に勤務している。週一回のオークションで扱うのは、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかり。高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。ファン・ゴッホは、本当にピストル自殺をしたのか?―殺されたんじゃないのか?...あのリボルバーで、撃ち抜かれて―。

 ゴッホとゴーギャンという存命中はほとんど世に顧みられることのなかった二人の孤高の画家の関係に焦点を当て、ゴッホの自殺に使われた拳銃を巡るアート・ミステリっぽい話。プロのキュレーター資格を持つ作者(と言うより、キュレーターから作家になった)ですが、ゴッホ、ゴーギャンは特にこの人の得意な分野なのでしょうか。ゴッホを主人公の1人にした『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)という作品もあります(因みに、この作品『リボルバー』は、戯曲化することを前提にした原作小説として書かれ、実際戯曲化されている)。以下、ネタバレになります。

 ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。それを、ゴッホのかねてからの願いでアルルで共同生活を送ることになったゴーギャンに、テオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られます。しかしゴーギャンはそのことを知らずにその銃を、アルルを去った後タヒチにも持って行きます。

 ところが、タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンは、ゴッホから自殺を仄めかす手紙を受け取ったため、ゴッホの身を案じ、ゴッホの居るオーヴェール=シュル=オワーズにその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンは、ゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのコメカミに銃を当てます。弾を一つだけ装填されていると知るゴッホはゴーギャンの命を救おうと飛び掛かり、そして揉み合いから、ゴッホの脇腹に―。

 「ファン・ゴッホは、本当は殺されたんじゃないのか」という疑惑からスタートとしているので、映画「アマデウス」におけるモーツァルトとサリエリみたいなことになるかと思ったら"事故"だったということで、やや拍子抜けした面もあります。自分をすでに追い越していると思われるゴッホの才能をゴーギャンが感じ取り、より自分の才能を開花させるためにタヒチに行ったことは事実に近いのかもしれませんが、この物語では、再びゴッホを振り切るために狂言自殺を演じたら、不運なことになってしまったというこという作りになっています。

 そう言えば『たゆたえども沈まず』もゴッホの話で、リボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していたもので、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていたのを、その鞄を借りることになったゴッホが偶然リボルバーの存在を知り、後で鞄だけテオに返却して―という作りになっていました。

 通説では、リボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴァー亭」の経営者が所持した物で、それをゴッホが持ち出し、麦畑で自らを撃ち(ただし、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張や、子供たちとじゃれ合っていて暴発したという説もある)、数年経って農家によって偶然ゴッホが自らを撃ったとされる畑の中で発見され、元々の所有者であるラヴァー亭に返却され、店に一時展示されていたということのようです(小説に中でも、一般的理解はそうだとされている)。仮に小説の方が"真実"だとすると、オークションにかけられた約16万ユーロ(約2千万円)で落札された「ラヴァー亭」のリボルバーは、ゴッホが畑に落っことしただけのものということになる?

 ミステリとしても愉しめるものの、完全にミステリとして読んでしまうと穴も多いので、あまりミステリ、ミステリして読まない方がいいです(笑)。むしろ、ウィリアム・サマセット・モームの『月と六ペンス』など他の作品(著者の前作『たゆたえども沈まず』も含まれる)におけるゴッホやゴーギャンの描かれ方と比べながら読むと、こういう解釈もあるのかと多角的に見れて愉しめます。

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ゴーギャン「我々はどこから来たのか.jpg

【2023年文庫化[幻冬舎文庫]】

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