【3342】 ○ 山田 陽子 『働く人のための感情資本論―パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』 (2019/10 青土社) ★★★★

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ビジネスパーソン、ワーママを取り巻く感情管理の膜の「しんどさ」への気づきを促す。

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働く人のための感情資本論―パワハラ・メンタルヘルス・ライフハックの社会学』['19年]

 職場のパワハラ、メンタルケアと産業保健、過労自殺とうつ病、ライフハックの現場、ワーママのため息。感情が管理され、生が査定される時代。私たちは、グッとこらえたこの心の揺らぎと、どう向き合えばいいのか。毎日の仕事は、社会問題とどうつながっているのか。現代に疲弊する、働く人びとのための社会学―(「BOOK」データベースより)。

 近年職場でのハラスメントや労働者のうつ病、自殺が社会問題化していますが、そこで問われているのは、職場の対人コミュニケーションであり、本書で著者が論じようとしているのは、(感情が組織によって抑圧されることによる人間疎外よりも)相互尊重的なコミュニケーションができることが社会人としての必須能力とされ、それによって職業上の能力や評価が決定される現象に伴う閉塞感についてです。コミュニカティブであることを推奨する職場環境の中で、感情という資本はどのように機能しているのか、感情的にならずに感情を表出することと、効率的なパフォーマンスを可能にすることとの関係を解きほぐしながら、ハラスメントやうつ病と自殺、時間管理、ワーク・ライフ・バランスといった現代的な課題について考察しています。

 第1章「感情という資本」では、「パワーハラスメント」を受けて「倍返しだ!」と言える人は稀であり、多くはなかなか嫌悪感を表明できないのはなぜかを、アメリカの社会学者A・R・ホックシールドの感情管理論と、E・イルーズの勘定資本主義の観点から考察しています。我々は、対人関係の中で感情を贈り物とて交換しあっているため、感情をその場のコードに沿って適切に管理し、表出できる能力(=感情資本)を持っているかどうかが、その場の状況や他者の反応を操作する権力を持つことにつながるが、空気を読み、ハラスメントにNOと言うことを難しくさせるのは、こうした自発的な管理とコミュニケーションを促す感情文化であるとしています。

 第2章「メンタルヘルスという投資」では、労働者を対象としたメンタルヘルス対策の中で、特にEAP(従業員支援プログラム)について取り上げ、インタビュー調査をもとに、EAPの考え方を明らかにすることで、「効率的な業務遂行」と「感情に向き合うこと」がどう結びつくのかを検討しています。従業員のメンタル不調は、事業主からすれば経営上のコストでありリスクであって、メンタルヘルスケアは、そうしたコストやリスクを軽減させるものとして位置づけられるとしています。

 第3章「自殺のリスク化と医療化」では、日本の労災保険制度における労働者の自殺の取り扱いの変化に注目し、従来は自殺は故意によるものとして保険事故の対象外だったのが、後に労働災害として補償対象に取り込まれた、このような変化がどのようにして生じたのかを、行政や裁判などから明らかにし、自殺は、精神障害(主にうつ病)の症状の一つとして位置づけられることで、病死=災害死となり、社会保障制度の救済対象となったとしています。

 第4章「自殺の意味論」では、労災申請や訴訟の中で、労働者の自殺がいかに「鑑定」され、解釈されるのかを、責任帰属の観点から検討しています。自殺が病死の一種とみなされるようになったことで、自殺者は免責される一方、事業主の安全配慮義務や遺族の自責がクローズアップされるようになったとし、また、第3章と第4章のまとめとして、自殺者を病死者とみなすのはなぜかを考察しています。

 第5章「「パワーハラスメント」の社会学」では、「パワーハラスメント」の詳細なケーススタディを通して、どのような状況が「パワーハラスメント」であると認識される/されないのかについて、E・ゴフマンの「フレーミング・アナリシス」の観点から検討するとともに、自殺をめぐる解釈が遺族や労働基準監督署の臨検や法廷において錯綜し、やがて「うつ病の結果」へと収斂していくプロセスと、それにより「パワーハラスメント」が不可視化される過程を分析しています。

 第6章「時は金なり、感情も金なり」では、SNSを介したライフハックや時間管理術の勉強会での参与観察やインタビューを通して、実践者たちの時間に関する感覚や意識を浮かび上がらせています。また、時間管理が感情管理と密接な関係にあること(時間をうまく使うことと感情をうまく使うことが職業人としてのアイデンティティや他者からの評価に関わっていること)を明らかにすることで、感情が資本であるということの意味について再考しています。

 第7章「ワーキング・マザーの「長時間労働」」では、ワーキング・マザーが、職場での「ファースト・シフト」の後、帰宅しての家事育児に携わる「セカンド・シフト」をこなし、さらに深夜や早朝に「残業」をするような「長時間労働」の状態にあることを示し、家庭という領域での生活の効率化や合理化と、それに伴うワーキング・マザーの感情労働と働き過ぎの問題を、ワーキング・マザーの事例から考察しています。

 これまで「感情労働」という概念は、主に顧客に対するサービスの文脈で使われることが多かったですが、本書では、感情の管理が組織内の同僚や上司に対しても必要になっているとされる状況に注視し、職場が実施する「メンタルヘルスケア」、自分で行う様々な「ライフハック」(仕事効率化のテクニック)にも感情管理という要素が組み込まれているとしています。

 職場のトラブルがもたらす最悪の帰結としての自殺が、かつては自責行為だったのが、今は「精神障害による病死」とみなされることで労働災害と位置づけられるようになった―それはそれで進展ではあるが、精神障害が明確に確認されなくとも、ハラスメントによって尊厳や誇り、すなわち感情がひどく傷つけられた場合には自殺のトリガーになり得るとしています。

 また、感情管理は職場だけでなく、ワーキング・マザーは帰宅すれば子ども向けの「菩薩(ぼさつ)モード」に感情を切り替え、子どもが寝た後や早朝に、持ち帰った仕事をし、休日でさえそれは続き、子どもの先生や保護者間の付き合いでも場面に応じた感情管理が求められると。

 本書は、ビジネスパーソン、ワーキング・マザーを取り巻く感情管理の膜から抜け出す方法を必ずしも示したものではありませんが(ややもやっとした感じの読後感があるのは否めない)、働く人がごく普通に置かれている「ありふれたしんどさ」に事業主も上司も同僚もまず気づくことから始める必要があるかもしれず、本書はそうした気づきを促す一助となるものかもしれません。

《読書MEMO》
●目次
はじめに―働く人のための感情資本論
第1章 感情という資本―職場でコミュニカティブであること
 1 はじめに―「倍返しだ!」とは言えない人々
 2 「パワーハラスメント」と感情管理
 3 ホモ・コミュニカンスの出現
 4 むすびに代えて
第2章 メンタルヘルスという投資―メンタル不調=リスク=コスト
 1 はじめに―人的資源管理の医療化
 2 働く人々のメンタルヘルスケアをめぐる専門職
 3 メンタルヘルスケアの商品化
 4 メンタル不調=リスク=コスト
 5 むすびに代えて
第3章 自殺のリスク化と医療化―労働者の自殺はいつ、どのようにして「労働災害」になったのか
 1 はじめに―「うつ病」の症状としての自殺
 2 「業務上疾病」としての自殺
 3 労災保険における自殺のリスク化
 4 自殺の医療化
 5 健康問題としての労働問題―労働者の自殺の医療化を促進するエンジン
 6 自殺の医療化、社会保険への接続
 7 むすびに代えて
第4章 自殺の意味論―労働者の死をめぐる語り
 1 はじめに―いかに「鑑定」され、解釈されるか
 2 死者の診断と鑑定
 3 自殺の医療化と遺族
 4 自殺の責任の外在化
 5 自殺を病死者ととらえることについて
 6 むすびに代えて
第5章 「パワーハラスメント」の社会学―「業務」と「うつ病」のフレーム・アナリシス
 1 はじめに―「パワーハラスメント」の社会問題化
 2 ある「パワハラ」の風景
 3 「パワーハラスメント」のフレーム・アナリシス
 4 自殺の「動機の語彙」と「うつ病」フレーム
 5 自殺の「動機の語彙」の確定
 6 むすびに代えて―次世代への影響
第6章 時は金なり、感情も金なり―ライフハックの現場から
 1 はじめに―時間管理の自己目的化
 2 ライフハック
 3 頭をからっぽにする
 4 ライフハックの伝播、ライフハックを介したつながりの創出
 5 ライフハックの社会的機能
 6 時間管理と感情管理
 7 むすびに代えて
第7章 ワーキング・マザーの「長時間労働」―「ワーク・ライフ・過労死?」
 1 はじめに―働く千手観音
 2 ワーキング・マザーの「長時間労働」
 3 時間管理と感情管理―回し続けるジャグリング
 4 むすびに代えて―「ワーク・ライフ・過労死」を避けるために
あとがき

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