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以前観て、難解だという印象があったが、今回はラストを観て大いに納得した。
「惑星ソラリス [DVD]」シネマブルースタジオ上映(2023)
海と雲に覆われた惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーション「プロメテウス」からの通信が途切れ、地球の研究所で会議が開かれている。帰還した宇宙飛行士(アンリ・バートン)は、ソラリスの海の表面が複雑に変化し、街や赤ん坊の形になるのを見たと証言する。心理学者のクリス・ケルヴィン(ドナタス・バニオニス)は豊かな自然に囲まれた一軒家で父母とともに暮らしているが、状況を調査するために呼び出され、ロケットでステーションへと向かう。ステーションの内部は閑散としており、科学者のスナウト(ユーリー・ヤルヴェト)とサルトリウス(アナトリー・ソロニーツィン)は自室に籠もっていてケルヴィンに状況を説明しようとはしない。また、ここにいるはずのない少女が通路に姿を現し、スナウトの部屋からは小人は走り出てこようとしてスナウトに引き戻されたりしている。もうひとりの物理学者でケルヴィンの友人であったギバリャン(ソス・サルキシャン)はケルヴィンにビデオメッセージを残して自殺しており、その映像にも少女の姿が映っている。翌朝、ケルヴィンが眠っている部屋に、かつてケルヴィンとの諍いの果てに自殺したはずの妻ハリー(ナタリヤ・ボンダルチュク)が現れる。目覚めたケルヴィンは内心驚くが、ハリーは自然な態度でケルヴィンと会話する。ケルヴィンはステーションに搭載された小型ロケットにハリーを乗せて発射させ、ハリーを追い払ってしまうが、翌朝になるとやはりハリーはケルヴィンの部屋にいる。どうやらこの惑星を覆う海そのものが知性を持つ巨大な有機体であり、その海がステーションにいる人間の心の奥にあるものを読み取って、あたかも本物の人間であるかのような実体をもつものとしてステーションに送り込んでくるらしい。ハリー自身も自分がここに存在していることに悩み、液体酸素を飲んで自殺をはかるが、凍りついた身体がもとにもどると息を吹き返す。やがてケルヴィンはハリーが本当のハリーではないことを理解しながらも彼女を愛するようになる。しかし、ソラリスの海の正体を調べるための照射実験が行われると、ハリーは姿を消してしまう。緑豊かな実家でゆったり過ごしているケルヴィン。しかし、彼がいるのは彼の記憶にもとづいてソラリスの海がその表面に作った小さな島の上だった―。
アンドレイ・タルコフスキーの1972年監督作で(原作はスタニスワフ・レムの小説『ソラリス』)、カンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けています。ただ、ストーリーは追いにくくて難解と評され(タルコフスキー監督は後に、意図的に観客を退屈させるような作風を選んだと述べている)、最初に観た際にはよく分からないという印象を受けましたが、今回40年ぶりに再見する機会があり、予めストーリーを大筋押さえた上で観に行ったら、前より遥かに理解できた気がしました。ラストってこんな分かりやすかったっけ(評価を★★★☆→★★★★☆に修正)。
ナタリア・ボンダルチュク(「戦争と平和」の監督セルゲイ・ボンダルチュクの娘)とドナタス・バニオニス
ソラリスに人間の記憶を再合成して物質化する(あたかも物質化するような)力があるため、その作用で主人公のケルヴィンの亡き妻ハリーがステーションに送り込まれてきますが、彼女は彼の本物の妻のように夫婦の過去のことを知っていて、一方で自分が何者か分からずに悩んでいるという設定が面白かったです(仕舞いには自殺まで図る)。目の前に現れた亡き妻が、単なる幻影ではなく、自らの存在の曖昧さに悩む一方で、ケルヴィンを愛してもいるという、自我を持った存在となっています。最初は幻影を振り払うかのように彼女を小型ロケットに乗せ追い払おうとしたケルヴィンも、次第に彼女への愛にのめり込んでいき、ステーションに前からいた既に半分心を病んでしまっているような科学者らに比べ、ずっと正常で強靭な精神力を持っていると思われた心理学者の彼が、最後には仮想現実世界の虜囚となってしまうことの伏線になっていました(だから、今回はラストを観て大いに納得した)。
タルコフスキーよる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中し、レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは明確に異なるようです。
そのため、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起き、レムは独自のSF観にそぐわない自作の映画化を批判し、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観を展開し、激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたと言われています。レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っていおり、一方、タルコフスキーは「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言しています(後に撮った「ストーカー」('79年)はSF映画だが、宇宙船も機械類も特撮も一切無い)。
この映画と比較されることの多い「2001年宇宙の旅」('68年)を公開直後にタルコフスキーは観ていますが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしており、「惑星ソラリス」においても、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせています。
Solaris-Highway-Scene-Tokyo
未来都市の風景として赤坂見附界隈の首都高速道路の立体交差が使われていますが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可がなかなか下りず、来日したときには既に万博は終わっており、仕方なしに東京で撮影したとのこと。ビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築は疑いもなく日本は最先端だ」と手放しの賞賛が書き残されていたとのことです(再見して、首都高シーンがかなり長回しで撮られていたことを改めて再確認した)。
人間の最後の救いって、「宗教」乃至それに近いものになるのかなあと改めて思いました。そうした意味では、ソラリスは「神」の役割を担っていたと言えるかも。
因みに、黒澤明監督がタルコフスキー監督と親交があったことは知られていますが、黒澤監督のオムニバス映画「夢」('90年/日・米)の最後話「水車のある村」(笠智衆が出演)の中に「惑星ソラリス」の情景描写に似たシーンがあります(長野県安曇野市の大王わさび農場で撮影)。
タルコフスキー「惑星ソラリス」
黒澤明「夢」
2023年11月5日 長野安曇野・大王わさび園
撮影:和田泰明
撮影:杉山秀文氏
「惑星ソラリス」●原題:SOLARIS●制作年:1972年●制作国:ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●脚本:アンドレイ・タルコフスキー/フリードリッヒ・ガレンシュテイン●撮影:ワジーム・ユーソフ●音楽:エドゥアルド・アルテミエフ●原作:スタニスワフ・レム「ソラリス」(「ソラリスの陽のもとに」)●時間:165分●出演:ナタリア・ボンダルチュク/ドナタス・バニオニス/ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー/アナトーリー・ソロニーツィン/ソス・サルキシャン/ユーリー・ヤルヴェト/ニコライ・グリニコ/タマーラ・オゴロドニコヴァ/オーリガ・キズィローヴァ●日本公開:1977/04●配給:日本海映画●最初に観た場所:大井武蔵野館(83-05-29)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(23-07-25)(評価:★★★★☆)
「惑星ソラリス」1977年岩波ホール公開時ポスター[左]/パンフレット[右]