「●む 向田 邦子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【629】 向田 邦子 『あ・うん』
「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ
少ない紙数で鋭く描き切る筆力。かなり"ブラック"なものもある。
向田邦子(1929‐1981)
『思い出トランプ』新潮文庫 〔83年〕『男どき女どき (新潮文庫)』(表紙カット:風間 完)
『思い出トランプ (1980年)』
1980(昭和55)年上半期・第83回「直木賞」受賞作の「かわうそ」「犬小屋」「花の名前」を含む向田邦子(1929‐1981)の短編集。
雑誌連載中に直木賞を受賞した3作を含むこの「思い出トランプ」所収の13篇や、航空機事故のため絶筆となった「男どき女どき(おどきめどき)」の4編(新潮文庫『男どき女どき』に所収)は、昭和という時代の家族や家庭への郷愁を感じさせる一方で、日常生活にふと姿を現す、封印したはずの過去の思い出や後ろめたさのようなものが、うまく描かれています。
かなり"ブラック"なものもあり、冒頭の「かわうそ」もその1つだと思います。
定年後、家に自分の居場所のないような気分でいる夫に対して、生活場面や人付き合いにおいてどこか生き生きとしてくる妻。夫は最近に脳卒中で倒れたことがあり、発作の再発を恐れているが、そうした夫から見ると、生活上のイベントに奔走する妻が、獲物をコレクションするという"かわうそ"に、その風貌も習性も似て見えてくる。そしてある日、気付く。自分の病気という不幸さえも、妻から見れば...。
『男どき女どき』の冒頭の「鮒」もいいです。
42歳のサラリーマンで、妻と娘と息子のいる家庭人たる主人公の自宅の台所に、ある日突然何者かが一匹の鮒が入った盥を置いていくが、それは、以前は週一で通うほどに付き合っていたが今は別れた35歳の愛人女性と、まだ付き合っていた時分に飼うことにした鮒だった。息子は、家でその鮒を飼うと言って譲らない―。
主人公が鮒に向かって、愛人と鮒に名付けた「鮒吉」という名前で呼びかけた時、後ろに妻がいたというのが、結末から振り返ると、あたかもミステリの伏線のようでもあり、これもちょっと怖いなあ
今まで見えなかった夫婦や家族の位相のようなものが、あるとき突然に姿を現す―。
こうしたヒヤッとした感じに読者を陥れる人間心理への通暁ぶりといい、人生のテーマを少ない紙数で鋭く描き切る筆力といい、脱帽させられます。
直木賞受賞のとき選考委員だった山口瞳は、「選者よりうまい候補者に出会うのは驚きであり、かつ、いささか困ることでもある」と絶賛したそうです。
【1983年文庫化[新潮文庫]】