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面白かったが重厚さはさほどなかった。映画化でますます浅くなった感じがした『人間の証明』。

『人間の証明』1976単行本.jpg 『人間の証明』1977角川文庫.jpg 『人間の証明』1997カッパノベルズ.jpg 『人間の証明』講談社文庫.jpg.png
『人間の証明』2004.jpg 『人間の証明』20047カッパノベルズ.jpg 『人間の証明』2015.jpg 「人間の証明」dvd.jpg 「人間の証明」b.jpg
『人間の証明』['76年/角川書店]/['77年/角川文庫]/['83年/講談社文庫]/['97年/カッパ・ノベルズ]『新装版 人間の証明 (角川文庫)』['04年]『人間の証明 (カッパ・ノベルス) 』['04年]『人間の証明 (角川文庫)』['15年]「人間の証明 角川映画 THE BEST [DVD]」「人間の証明 角川映画 THE BEST [Blu-ray]
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 東京・赤坂にある「東京ロイヤルホテル」のエレベーター内で、胸部を刺されたまま乗り込んできた黒人青年ジョニー・ヘイワードが死亡した。麹町署の棟居弘一良刑事らは、ジョニーを清水谷公園から東京ロイヤルホテルまで乗せたタクシー運転手の証言から、車中で彼が「ストウハ」という謎の言葉を発していたことを突き止める。さらに羽田空港から彼が滞在していた「東京ビジネスマンホテル」まで乗せた別のタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われる恐ろしく古びた『西條八十詩集』が発見された。一方、バーに勤めていたとある女性が行方不明になる。夫の小山田は独自に捜索をし、妻・文枝の浮気相手である新見を突き止めるが文枝の居場所は分からなかった。文枝はこの時点で轢死しており、犯人は政治家郡陽平とその妻の家庭問題評論家・八杉恭子の息子・郡恭平だった。恭平は車の運転中、スピンを起こし文枝をはねてしまったのだ。発覚を怖れた恭平は同棲相手の路子と共に遺体を東京都西多摩郡の山林へ隠す。その後路子の勧めで身を隠すため、路子を伴ってニューヨークへ渡った。棟居刑事は「ストウハ」がストローハット(麦わら帽子)を意味すると推理した。また、事件現場であるホテルの回転ラウンジの照明が遠目には麦わら帽子のように見えるため、ジョニーがそれを見て現場に向かったのだと解釈した。また、タクシーから発見された詩集の中の一編の詩が「麦わら帽子と霧積(きりづみ)という地名」を題材としていたことと、ジョニーがニューヨークを去る際に残した「キスミー」という言葉から、捜査陣は群馬県の霧積温泉を割り出した。棟居らが現地に向かうと、ジョニーの情報を知っているであろう中山種という老婆がダムの堰堤から転落死していた。群馬県警は転落による事故と考えていたが棟居らは殺人事件と主張する。棟居らは中山種の本籍のある富山県八尾町へ向かう。そして捜査の中で、八杉が八尾出身であることを偶然発見する。更にアメリカ側からの捜査により、ハーレムに住むジョニーの父親が資産家アダムズの車に飛び込み示談金を得て、ジョニーの渡航費を捻出したことがわかる。父親はその後死亡した。新見によるひき逃げ事件の捜査も進み、現場に残されていた熊のぬいぐるみの所持者が恭平であること、ぬいぐるみに付着していた血液が文枝のものであることが明らかになると、新見は単身ニューヨークへ飛び、恭平からひき逃げと死体遺棄を白状させた。同じ頃、文枝の遺体がハイカーの大学生アベックに山中で発見され、その現場に恭平のコンタクトケースが落ちていたことで、犯人は恭平と断定された。新見から、恭平と路子の身柄が警察へ引き渡された。八杉とジョニーは生き別れた母子だった。ジョニーの父親は八杉と恋人同士であったが、当時は米国軍人と正式な結婚をすることが出来ず、親子3人で霧積温泉へ旅行した後、父親は二歳になるジョニーを連れて米国へ帰国し、日本に残された八杉は勧められるままに郡と見合結婚をした。ジョニーの存在が世間に知れ渡り、過去に黒人と関係を持っていた事実が露見することを恐れた恭子は自分に会いに来日したジョニーを殺害し、事情を知っている中山種も殺していた―。

 作者が、1975年に父を引き継ぎ角川書店社長に就任した角川春樹から、「作家の証明書になるような作品を書いてもらいたい」と依頼されて書いた作品で、1975年に旧「野性時代」(角川書店)で連載されました。1976年・第3回「角川小説賞」受賞作。

 映画監督の押井守氏が対談で、「『人間の証明』というのは松本清張みたいな話じゃん。『ゼロの焦点』とかあの辺の話だよね。戦後に暗い過去があって混血児を生んだ女が、いまはセレブになってるんだけどその息子が会いに来て、結局殺しちゃいましたというさ。これってまるっきり松本清張だよ」と言っていましたが、まさにそうだと思いました(「ストウハ」がストローハット(麦わら帽子)を意味したというところなどは、『砂の器』の「亀田」が「亀嵩」だったというのを想起させる)。

 テンポよく読めて面白く、様々な伏線もちゃんと繋がっていて、文庫の解説で横溝正史が評価し、帯で宮部みゆき氏が推薦しているのも分かります。ただ、松本清張作品ほどの重厚さは感じられなかったでしょうか。戦後の闇市で強姦されかけていた恭子を助けた棟居の父は、米軍兵士たちに袋叩きにあって命を落としていますが、その米軍兵の一人がケン・シュフタン刑事だったというのも、あまりに偶然が過ぎて、ご都合主義的な気がしました(一方で、ケン・シュフタン刑事が混血だったと最後に出てくるが、途中どこにもその説明が無かったのが不可解)。

「人間の証明」03.jpg 1977年、角川春樹事務所製作の第2弾として映画化され、八杉恭子を演じた岡田茉莉子は、角川春樹と作者で直接を出演依頼し、松田優作、ジョージ・ケネディらが日本映画で初めて本格的なニューヨークロケをしたとのこと。映画は途中までは原作に比較的近いですが、原作では棟居とケン・シュフタンの刑事同士接触はなく、棟居(松田優作)がアメリカに行ってケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ)に会う辺りから急激に原作を外れてしまいます。作者自身は「映像化にOKを出した時点で、嫁に出すようなもの。好きに料理してくれ、という考えです」と言い、原作にはない米国ロケでアクションを繰り広げた松田優作にも感謝していたそうですが...。

「人間の証明」松田ハナ.jpg それにしても原作から外れすぎ、と言うか、いろいろ付け加えすぎて、ますます浅くなった感じ。八杉恭子の息子・恭平(岩城滉一)は 、ヘイワード殺しの犯人を追っていたはずのニューヨーク市警ケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ)に射殺されるし、息子の死の知らせを受けた八杉恭子は、授賞式の舞台で「あの子は私の生きがいです。 あの子は私の麦わら帽子だったんです。 私はすでに一つの麦わら帽子を失っています。 だからもう一つの麦わら帽子を失いたくなかったんです」という、黒人の息子より恭平の方が大事だったみたいな演説をぶって、最後は霧積まで行って『ゼロの焦点』よろしく自殺するし―。

「人間の証明」岡田.jpg 莫大な宣伝費をかけたメディアミックス戦略の効果で映画はヒットし、実際、観た人の中には感動したという人も少なくなかったようですが、映画評論家からは酷評されました(第51回「キネマ旬報ベスト・テン」では第50位、読者選出では第8位)。「山本寛斎のファッションショーが延々と長すぎる」「松田優作が、テレビドラマのジーパン刑事そのままで何とも異様」等々。小森和子は雑誌の映画評で「日米合作としては違和感のない出来上がり。ただすべてが唐突な筋立て」と述べたように、滅多に悪く批判しない映画評論家までが映画作品としての密度の希薄さを指摘し、特に大黒東洋士と白井佳夫の批判がキツ過ぎ、この二人は角川関連の試写会をボイコットされたそうです。出演した鶴田浩二も映画誌で、「製作に12億かけて宣伝に14億かけるなんて武士の商法じゃない。本来、宣伝費は製作費の1割5分か2割でしょう。これは外道の商法です」と角川商法を批判しました。

「人間の証明」松田.jpg 批判の多さに原作者の森村誠一自身が激怒し、「作品中のリアリティと現実を混同したり、輪舞形式をとった設定をご都合主義と評したりするのは筋違いの批評...映画評論家は悪口書いて、金をもらっている気楽な稼業。マスコミ寄生人間の失業対策事業で、マスコミのダニ」などと映画評論家を猛烈に批判したとのことです。

 いずれにせよ、メディアミックス戦略等で映画業界に1つ革新をもたらしたのは事実だと思いますが、そうしたビジネス上の功績と併せて、角川映画ってこんなものだという質的評価は、良くも悪くも映画「人間の証明」で定まってしまったように思います。

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野性の証明 単行本.jpg「野性の証明」図3.jpg 作者は、『人間の証明』の発表翌年に『野性の証明』を発表、東北の寒村で大量虐殺事件が起き、その生き残りの少女と、訓練中、偶然虐殺現場に遭遇した自衛の二人を主人公に、東北地方のある都市を舞台にした巨大な陰謀を描いた作品でした。こちらも発表翌年に高倉健、薬師丸ひろ子主演で映画化されましたが、大掛かりな分、多分に大味な映画になっていました。結局、高倉健演じる自衛隊の特殊部隊の隊員(味沢岳史)がある集落でたまたま正当防衛的に住民を殺してしまい、いろいろな経緯があって、薬師丸ひろ子演じる集落の生き残りの少女を守りながら、三國連太郎演じる日本のある地方を牛耳ってるボスと戦うというわけのわからない話である上に、映画では誰もが簡単に人を殺し、味沢もまたその例外ではなく、ラストも原作の味沢が細菌に侵されて狂人になってしまうというものではなく、異なる結末になっていました。まあ、とことん駄作にしてしまった感じ。結局は高倉健のカッコ良さも空回りしていて、お金をかけてこうした映画を撮る監督(どちらかと言うと製作者?)の気が知れないです。

「人間の証明」d.jpg「人間の証明」三船.jpg「人間の証明」●英題:PROOF OF THE MAN●制作年:1977年●監督:佐藤純彌●製作:角川春樹/吉田達/サイモン・ツェー●脚本:松山善三●撮影:姫田真佐久●音楽:大野雄二(主題歌:ジョー山中「人間の証明のテーマ」)●原作:森村誠一●時間:133分●出演:岡田茉莉子/松田優作/ジョージ・ケネディ/ハナ肇/鶴田浩二/三船敏郎/ジョー山中/岩城滉一「人間の証明」長門夏八木勲范文雀.jpg/高沢順子/夏八木勲/范文雀/長門裕之/地井武男/鈴木瑞穂/峰岸徹/ブロデリック・クロフォード/和田浩治/田村順子/鈴木ヒロミツ/シェリー/竹下景子/北林谷栄/大滝秀治/佐藤蛾次郎/伴淳「人間の証明」09.jpg三郎/近藤宏/室田日出男/小林稔侍(ノンクレジット)/西川峰子(仁支川峰子)/小川宏/露木茂/坂口良子/リック・ジェイソン/ジャネット八田/小川宏/露木茂/三上彩子/姫田真佐久/今野雄二/E・H・エリック/深作欣二/角川春樹/森村誠一●公開:1977/12●配給:東映(評価:★★★)

坂口良子(おでん屋の女将)/大滝秀治(おでん屋の客A)・佐藤蛾次郎(おでん屋の客B)
「人間の証明」m」.jpg「人間の証明」八田.jpg 「人間の証明」深作.jpg 「人間の証明」長門.jpg
森村誠一(ロイヤルホテル チーフ・フロントマネージャー)/ジャネット八田(ハーレムで写真屋を営む女性・三島雪子...写真提供:吉田ルイ子)/深作欣二(渋江警部補)・長門裕之(なおみ(范文雀)の夫・小山田武夫)

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「野性の証明」●制作年:1978年●監督:佐藤純彌●製作:角川春樹/坂上順/遠藤雅也●脚本:高田宏治●撮影:姫田真佐久●音楽:大野雄二(主題歌:町田「野性の証明」高倉.jpg義人「戦士の休息」)●原作:森村誠一●時間:143分●出演:高倉健/薬師丸ひろ子/中野良子/夏木勲 /三國連太郎(特別出演)/成田三樹夫/舘ひろし/田「野性の証明」[図3.jpg村高廣/松方弘樹/リチャード・アンダーソン/鈴木瑞穂/丹波哲郎/大滝秀治/角川春樹/ジョー山中/ハナ肇/中丸忠雄/渡辺文雄/北村和夫/山本圭/梅宮辰夫/成田三樹夫/寺田農/金子信雄/北林谷栄/絵沢萠子/田中邦衛/殿山泰司/寺田「野性の証明」3.jpg農/芦田伸介(特別出演)/角川春樹野性の証明 芦田.jpg/ジョー山中●公開:1978/10●配給:日本へラルド映画=東映(評価:★★)

田中邦衛(八戸市のバーのマスター)/殿山泰司(八戸市のおでん屋台の主人)
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『人間の証明』... 【1977年3月文庫化[角川文庫]/1977年3月新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 人間の証明』)]/1983年再文庫化[講談社文庫]/1997年再文庫化[ハルキ文庫]/2004年再文庫化[角川文庫(『新装版 人間の証明』) ]/2004年再新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 人間の証明』)]/2015年再文庫化[角川文庫(2004年角川文庫版に「永遠のマフラー」を併録)]】
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2025.6.5 蓼科新湯温泉にて
新湯『野生の証明』.jpg『野性の証明』2.jpg
『野生の証明』... 【1978年3月文庫化[角川文庫]/1978年3月新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 野生の証明』)]/2004年再文庫化[角川文庫(『新装版 野生の証明』) ]/2015年再文庫化[角川文庫(2004年角川文庫版に「深海の隠れ家」を併録)]】   
森村 誠一(1933年1月2日 - 2023年7月24日/90歳没)
   
『野性の証明『』.jpg『野性にの証明』文庫.jpg
 
 
  
 
 
 
 
 
 

 

 
 
吉田ルイ子(1934年または1938年7月10日 - 2024年5月31日/89歳没2024年5月31日、老衰のため都内の介護施設で死去。89歳。
吉田ルイ子1.jpg吉田ルイ子2.jpg

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推理小説か、女性小説か。「若い女性向け」仕様? でも、面白く読めた。

『波の塔』ノベルズ.jpg『波の塔』文庫.jpg 「波の塔」1960.jpg
波の塔―長編小説 (カッパ・ノベルス (11-3))』『新装版 波の塔 上下巻 セット』 映画「波の塔
2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
波の塔 新湯.jpg0松本 清張 『波の塔』2.jpg 司法修習生の小野木喬夫は、観劇中に隣席の女性が気分を悪くしているのに気づき、医務室へ連れて行く。周囲にその女性の同伴者と思われているうちに、小野木は彼女をタクシーで送ることになり、そのまま縁が切れるのを惜しむ気持ちになる。一週間ほど経ち、小野木のもとに、名刺を渡した彼女―結城頼子から電話が来て、夕食の誘いを受ける。検事になった小野木は、その後も自分を誘ってくれた結城頼子を愛するようになるが、彼女からは自分の住所や生活は何も知らされないでいた。彼女の落ちついた動作や身につけている着物は贅沢な環境と人妻であることを推察させ、小野木は何度か頼子の境遇を聞こうとしたが果たせない。一方、小野木の所属する東京地検特捜部は密告からR省の汚職事件を掴んだ。内偵を進める小野木は、思わぬ場面で頼子の素性を知る―。

波の塔―長編小説.jpg10松本 清張 『波の塔』.jpg 松本清張が週刊誌「女性自身」の1959年5月29日号から1960年6月15日号にかけて連載した長編小説で、1960年6月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行されています。政界推理小説でありながら、「ミステリ」的要素よりも「女性小説」的要素の方が濃くなっていて、ちゃんと読者ターゲットに合わせているなあという印象です。

 小野木喬夫と結城頼子の恋愛劇に絡めて、女子大を卒業して一人旅の最中、諏訪湖近くの古代遺跡で小野木に会い、以後小野木のことが気になってゆく田沢輪香子と、輪香子の親友の京橋の呉服屋の娘で、人見知りせず思いつくとすぐに行動する佐々木和子という二人組が登場し、この辺りも「若い女性向け」仕様といった感じです。

 本作の連載中、「女性自身」の部数は急上昇し、更には主人公と自分を同一視する読者まで出てきたのか、カッパ・ノベルス刊行後、青木ヶ原樹海に入って自殺する女性が増加し、そのたびに編集部と作者宅に警察から連絡が入ったとのこと、1974年には樹海内で本作を枕にした女性の白骨死体が発見され、自殺者はその後も相次いだそうです。

 結末に関しては、「頼子の自己満足ではないか」「小野木は社会的な指弾も受け職も投げ打ったのに、生きながらの骸ではないか」との批判もあったようですが、作者は「非情に描かなければだめなんだ」と答えたそうです。ただし、ミステリとしても面白く読め、文春文庫では、松本清張記念館監修「松本清張生誕百年記念・長編ミステリー傑作選」の全10作の1つとしてラインアップされています。

「波の塔」01.jpg 中村登監督により1960年に映画化され、結城頼子を有馬稲子、小野木喬夫を津川雅彦、田沢輪香子を桑野みゆきが演じています。

中村 登 「波の塔」 (1960/10 松竹) ★★★☆

 また、テレビドラマとしては、2012年にテレビ朝日系で「松本清張没後20年特別企画 ドラマスペシャル 波の塔」として沢村一樹、羽田美智子主演で放映されましたが、それが8度目のドラマ化でした。90年代以降は単発2時間ドラマとして放映されていますが、それ以前に、60年代・70年代に連ドラとして4回ドラマ化されています(確かに「昼メロ」枠でやりそうな感じ)。

1961年版「波の塔」フジテレビ系列「スリラー劇場」1月9日 - 4月24日・全16回(主演:池内淳子・井上孝雄)
1964年版「波の塔」NETテレビ系列「ポーラ名作劇場」8月24日 - 11月2日・全13回(主演:村松英子・早川保)
1970年版「波の塔」TBS系列「花王 愛の劇場」8月31日 - 10月30日・全45回(主演:桜町弘子・明石勤)
1973年版「波の塔」NHK「銀河テレビ小説」4月2日 - 5月11日・全30回(主演:加賀まりこ・浜畑賢吉・山口いづみ)
1983年版「松本清張シリーズ 波の塔」NHK「土曜ドラマ」10月15日 - 10月29日・全3回(主演:佐久間良子・山﨑努)
1991年版「松本清張作家活動40年記念 波の塔」フジテレビ系列「金曜エンタテイメント」5月24日・全1回(主演:池上季実子・神田正輝)
2006年版「松本清張ドラマスペシャル 波の塔」TBS系列 12月27日・全1回(主演:麻生祐未・小泉孝太郎)
2012年版「松本清張没後20年特別企画 波の塔」テレビ朝日 6月23日・全1回(主演:沢村一樹・羽田美智子)
「波の塔」tv0.jpg 「波の塔」tv1.jpg

「波の塔」tv2.jpg「波の塔」tv3.jpg

【1960年ノベルズ版[光文社カッパ・ノベルス]/2009年文庫化[文春文庫]】

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〈パリ解放〉を描いた作品。多くの有名俳優が出ているが、主人公は独軍のパリ占領軍司令官か。

「パリは燃えているか」1966.jpg「パリは燃えているか」19662.jpg 「パリは燃えているか」2.jpg
パリは燃えているか [DVD]」「吹替シネマ2021 パリは燃えているか-HDリマスター版- [Blu-ray]」ジャン=ポール・ベルモンド/マリー・ヴェルシニ/アラン・ドロン
「パリは燃えているか」01.jpg 1944年8月、第2次世界大戦の連合軍の反撃作戦が始まっていた頃、フランスの装甲師団とアメリカの第4師団がパリ進撃を開始する命令を待っていた。独軍下のパリでは地下組織に潜ってレジスタンスを指導するドゴール将軍の幕僚デルマ(アラン・ドロン)と自由フランス軍=FFIの首領ロル大佐(ブリュノ・クレメール)が会見、パリ防衛について意見を闘わしていた。左翼のFFIは武器弾薬が手に入りしだい決起すると主張、ドゴール派は連合軍到着まで待つという意見だった。パリをワルシャワのように廃墟にしたくなかったからだ。一方独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍(ゲルト・フレーベ)は連合軍の進攻と同時に、パリを破壊せよという総統命令を受けていた。将軍は工作隊に命じて、工場、記念碑、橋梁、地下水道など、ありとあらゆる建造物に対して地雷を敷設させていた。このような時に、イギリス軍諜報部から"連合軍はパリを迂回して進攻する"というメッセージがレジスタンス派に届いた。ロル大佐は自力でパリを奪回しようと決意し、これを知ったデルマは、これをやめさせる人間は政治犯として独軍に捕らえられているラベしかないと考え、ラベの妻フランソワーズ(レスリー・キャロン)とスウェーデン領事ノルドリンク(オーソン・ウェルズ)を動かして、ラベ救出を図ったが失敗、結局、ドゴール派と左翼派の会議の結果、決起が決まった。ドゴール派は市の要所を占領し、市街戦が始まった。パリ占領司令部は、独軍総司令部からパリを廃墟にせよという命令を受けていた上、市「パリは燃えているか」 ウェルズ.jpg街戦が長びけば爆撃機が出動すると告げられていた。コルティッツ将軍は、すでにドイツ敗戦を予想していて、パリを破壊することは全く無用なことと思っていた。そこでノルドリンク領事を呼び、一時休戦をしてパリを爆撃から守り、その間に連合軍を呼べと遠回しに謎をかける。ノルドリンクから事情を知ったデルマは、ガロア少佐(ピエー新湯 パリは燃えているか〔新版〕.png.jpgル・ヴァネック)を連合軍司令部に送った。ガロアはパリを脱出、ノルマンディの米軍司令部に到着した。パットン将軍(カーク・ダグラス)はパリ解放は米軍の任務ではないと告げ、ガロアを最前線のルクレク将軍(クロード・リッシュ)に送る。ルクレク将軍は事態の急を知ってシーバート将軍(ロバート・スタック)を動かし、ブラドリー将軍(グレン・フォード)を説いた。ブラドリーは全軍にパリ進攻を命令した。8月25日、ヒットラーの専用電話はパリにかかっていて"パリは燃えているか"と叫び続けていた―。

パリは燃えているか?〔新版〕(上) (ハヤカワ文庫 NF 455) 』['16年]2025.6.7 蓼科新湯温泉にて

「パリは燃えているか」d1.jpg 1966年の米・仏合作のオールスターキャスト戦争映画で、原作はラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエールによるレジスタンスとパリの解放を描いたノンフィクション作品。「禁じられた遊び」('52年/仏)、「居酒屋」('56年/仏)のルネ・クレマンが監督し、「ゴッドファーザーPARTⅡ」('74年/米)、「地獄の黙示録」('79年/米)のフランシス・フォード・コッポラが脚本を担当しています。

 この映画がモノクロ映画になったのは、撮影のためナチスの卍旗を、公共の建物に掲げることにフランス当局からの許可が出ず、本来の赤い部分を緑に変色させたものを使ったためだとも言われていますが、どちらかと言うと、後半の市街戦を中心に本編の劇とパリ解放当時の実際の映像を大量にモンタージュしてシームレスに当時の状況を再現していて、このためだったのではないかと思います。本編の方も記録映像に合わせてわざと画素を荒くしたりしており、記録映像とうまく融合するようになっています。

「パリは燃えているか」02.jpg

 オールスター映画と言っても、多くの有名俳優がちょっとずつ出ているという感じで、コルティッツ将軍にパリの街を守ることを進言するスウェーデン領事を演じたオーソン・ウェルズなどは前半かなり出づっぱりだったし、ジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンが一つの枠に収まっているシーンなどもありますが、パットン将軍のカーク・ダグラスなどはほぼ1シーンだけだし、タンク(戦車)隊のGI役のジョージ・チャキリスなどは一瞬のカメオ出演といった感じ。まだ、同じGI役のアンソニー・パーキンスの方がチャキリスよりはよく出ていました(珍しく明るい役だと思ったら、パリ進攻直後に敵軍撃破で歓喜に湧いて祝杯を挙げた直後に、敵の弾に当たってあっさり戦死してしまったが)。

「パリは燃えているか」1.jpg 群像劇の中で誰が主人公か敢えて言えば、ゲルト・フレーベが演じた"独軍のパリ占領軍司令官コルティッツ将軍だったかも。ヒトラーの信任が厚い人物ながら、パリの破壊と市民の人命を救うべく、ナチ親衛隊の命令を聞き流すなど面従腹背の腹芸をしたことが描かれています。ラストの方で、フランス軍の中尉が降伏要求と身柄確保に乗り込んで来るシーンがありますが、伝わるところでは、仏軍中尉は、司令官室に乗り込むと緊張のあまり「ドイツ語を話せるか」とドイツ語で叫んでしまい、それに対してコルティッツ将軍は「貴官よりいくらか上手だと思う」と余裕で答えたそうです。ただし、この逸話は映画では描かれていませんでした(代わりに、中尉が自分が敵将軍を逮捕するまでの人間になったと親に電話で報告する場面が描かれている)。

 史実では、パリの状況に苛立ったヒトラーが、パリ廃墟命令が実施されているか、最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードル大将に質問した上で、「Brennt Paris?(パリは燃えているか?)」と3回にわたって問うたそうで、それがコルティッツ将軍が降伏する10分ほど前だったそうですが、それをヒトラーからコルティッツ将軍への彼の降伏直後の電話(したがって誰も出ない)に置き換えてラストシーンとし、さらに映画のタイトルにしたわけです。

 演出もドキュメンタリータッチで、過剰な演出はありませんが(したがって地味と言えば地味な映画)、しかしながらこれだけ有名な俳優が出ていると、それがどこでどういう役で出ているのか見るだけでも楽しめます。また、屋根の上などから見たパリの街の俯瞰が時折入るところはルネ・クレマンらしいいと言うか、フランス映画の伝統なのかも。因みに、NHKスペシャル「映像の世紀」「新・映像の世紀」のメインテーマ曲「パリは燃えているか」は、加古隆がこの映画にインスパイアされて作曲したものです(こも映画のテーマ曲ではない)。

パリよ、永遠に.jpg ドイツの監督が作ったパリ解放映画では、「ブリキの太鼓」('79年/西独)のフォルカー・シュレンドルフ監督の「パリよ、永遠に」('14年/仏・独)があり、ドイツ軍のコルティッツ大将と、「パリは燃えているか」でオーソン・ウェルズが演じたスウェーデン総領事ノルドリンクのやり取りでほとんどが構成されているようです。

 こちらの方は観てませんが、ナチス・ドイツ崩壊後、コルティッツは以前のセヴァストポリ包囲戦での行動が原因で2年間の獄中生活を送ることになり、ノルドリングの方はパリでコルティッツを説得したことで勲章を授与されますが、本当の英雄はコルティッツだと認め、彼に勲章を渡す―という終わり方になっているようです。

パリよ、永遠に [レンタル落ち]
ニエル・アレストリュプ(コルティッツ将軍)/アンドレ・デュソリエ(ノルドリング総領事)
  
[パリは燃えているか.jpg「パリは燃えているか」きゅけい.jpg「パリは燃えているか」●原題:PARIS BRULE-T-IL ?/IS PARIS BURNING?●制作年: 1966年●制作国:アメリカ・フランス●監督:ルネ・クレマン●製作:ポール・グレッツ●脚本:ゴア・ヴィダル/フランシス・フォード・コッポラ●撮影:マルセル・グリニヨン●音楽:モーリス・ジャール●原作:ラリー・コリンズ/ドミニク・ラピエール●時間:173分●出演:ジャン・ポール・ベルモンド/シャルル・ボワイエ/アラン・ドロン/ジャン=ピエール・カッセル/ブリュノ・クレメール/ゲルト・フレーベ/ダニエル・ジェラン/レスリー・キャロン/オーソン・ウェルズ/ピエール・ヴァネック/カーク・ダグラス/クロード・リッシュ/ロバート・スタック/グレン・フォード/イヴ・モンタン/アンソニー・パーキンス/ミシェル・ピコリ/ヴォルフガング・プライス/シモーヌ・シニョレ/ジャン=ルイ・トランティニャン/ジョージ・チャキリス/マリー・ヴェルシニ/ギュンター・マイスナー/マイケル・ロンズデール●日本公開:1966/12●配給:パラマウント映画(評価:★★★★)

《読書MEMO》
●NHK 総合 2023/11/27「映像の世紀バタフライエフェクト#52―パリは燃えているか」
「映像の世紀パリは燃えているか」.jpg
この番組のテーマ音楽「パリは燃えているか」は、ヒトラーが第二次大戦末期に発した言葉に由来する。しかし、パリは燃えなかった。パリを治めるドイツ軍司令官がヒトラーの破壊命令に背いたのだ。ナチス占領下のパリで何があったのか。亡命先から市民に徹底抗戦を呼びかけたドゴール、ドイツの監視の中、創作を続けたピカソ、シャネルはナチスの協力者となった。「パリ燃え」のメロディーに乗せて贈る、パリ百年の不屈の物語。

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主人公が "彼女の秘密"に気づく場面はミステリの謎が明かされるようで白眉。

愛を読むひとdvd 2008.jpg 愛を読むひと .jpg 朗読者 新潮文庫.jpg タイタニック bvd.jpg
愛を読むひと<完全無修正版> [DVD]」ケイト・ウィンスレット ベルンハルト・シュリンク『朗読者 (新潮文庫)』「タイタニック(2枚組) [AmazonDVDコレクション]
愛を読むひと 01.jpg 第二次世界大戦後のドイツ。15歳のマイケル(ダフィット・クロス)は、体調が優れず気分が悪かった自分を偶然助けてくれた21歳も年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)と知り合う。猩紅熱にかかったマイケルは、回復後に毎日のように彼女のアパートに通い、いつしか彼女と男女の関係になる。ハンナはマイケ愛を読むひと 03 2.jpgルが本を沢山読む子だと知り、本の朗読を頼むようになる。彼はハンナのために『オデュッセイア』や『犬を連れた奥さん』などを朗読する。ある日、ハンナは働いていた市鉄での働きぶりを評価され、事務職への昇進を言い渡されると、マイケルの前から姿を消愛を読むひと80.jpgしてしまう。理由がわからずにハンナに捨てられて8年が経ったある日、ハイデルベルク大学法学部生となったマイケルは、ロール教授(ブルーノ・ガンツ)のゼミ研究のためにナチスの戦犯を裁くアウシュビッツ裁判を傍聴し、被告席の一つにハンナの姿を見つける。彼女は第二次世界大戦中に強制収容所で看守をしていたのである。裁判はハンナに不利に進み、彼女は無期懲役の判決を受ける―。
 
Der Vorleser(ドイツ語paperback)/Bernhard Schlink
Der Vorleser.jpgベルンハルト・シュリンク.jpg 2008年のアメリカ・ドイツ合作映画で、監督は英国人のスティーブン・ダルドリー、原作は1995年に出版されたベルンハルト・シュリンク(Bernhard Schlink)の長編小説『朗読者』('00年/新潮社、原題:Der Vorleser/The Reader)です。映画は(終盤に主人公がニューヨークへ行く場面を除き)ドイツで撮影されていますが、英語による製作であるため、主人公の名前も、原作のミヒャエルからマイケルになっています。但し、少年時代のマイケルを演じたダフィット・クロスはドイツの俳優、母親を演じたズザンネ・ロータもドイツ人女優、法学部のロール教授はスイス出身のブルーノ・ガンツが演じていてます。ハンナ役のケイト・ウィンスレットは英国人女優、成人してからのマイケルを演じたレイフ・ファインズも英国人俳優、アウシュヴィッツの生存者母子ローゼ・マーターとイラーナ・マーターの二役を演じたレナ・オリンはスウェーデン出身、若き日のイラーナを演じたアレクサンドラ・マリア・ララはルーマニア人、成人したマイケルの娘を演じたハンナー・ヘルツシュプルングは、これまたドイツ人女優です(アメリカ人、いないね)。

愛を読むひとes.jpg 先に原作を読みましたが、かつて齋藤美奈子氏が「包茎小説」と呼んでいたのを思い出しました。15歳のミヒャエルと21歳年上のハンナが出会い、男女の関係を持って別れるまでを描いた第1章だけならば、確かに"筆おろし"小説と言えなくもなく、元判事で法学部教授である作者がこういうの書くのが興味深いと思いました。しかし、第2章の裁判の場面はまさにキャリアに裏打ちされたもので、作品に深みを与えることにも繋がっているように思いました。小説はこれに、裁判以降の主人公とハンナの話を描いた第3章を加えた3つの章から成ります。

レイフ・ファインズ(現在のマイケル)/ダフィット・クロス(少年時代のマイケル)
愛を読むひとralph_fiennes_in_the_reader.jpg愛を読むひと kurosu.jpg 一方の映画の方は、1995年の主人公マイケルの「現在」を軸に、1958年の15歳の時にハンナと出会った少年期、1966年のハンナの裁判を偶然傍聴することになった法学部生愛をよむ人 s.jpg時代、1976年のマイケルが本を朗読しテープに録音して、それを獄中のハンナに送ることを思いついた時期、1980年のハンナから届いた短い文章の礼状にマイケルが感動した出来事、1988年の20年の刑に減刑されたハンナが釈放されることが決まった時などとの愛を読むひと ブルーノ・ガンツ.jpg間を行き来する形をとっていますが、概ね原作に忠実であるといっていいでしょう(マイケルが離婚して娘となかなか会えないでいるといった現況は映画のオリジナル。あとは、ブルーノ・ガンツ演じる教授のウェイトが原作より大きくなって、主人公に精神的に導き支えるという点で、原作における主人公の父親である哲学教授の役割を一部代替していたりする)。

ブルーノ・ガンツ(後ろ)

愛を読む人aioyomu.jpg 原作でも言えるのは、ハンナが幾つか謎を抱えている女性であるという点であり、①なぜマイケルと交わるようになったのか?(単なる気まぐれ?)、②なぜ裁判で不利になることを承知で自らの"秘密"を明かさなかったのか?(主人公がその"秘密"に気づく場面は、ミステリの謎が明かされるようで、原作でも映画でも白眉)、③そして最後に彼女がとった行動の理由は?―等々。映画を観て、①の理由は、マイケルが彼女にとっての癒しとなる"朗読者"であり、自らを成長させるパートナーであったことが窺えましたが心と響き合う読書案内2.jpg新潮文庫 20世紀の100冊.jpg、②については、映画を観てもまだ解らない部分が残りました。小川洋子氏は、「彼女は疲れ切っていたに違いない。彼女は裁判で闘っていただけではなかった。彼女は常に闘っていたのだ。何ができるかを見せるためではなく、何ができないかを隠すために」としています(『心に響き合う読書案内』('09年/PHP新書)。この原作は、関川夏央氏の『新潮文庫20世紀の100冊』('09年/新潮新書)にも取り上げられている)。

愛を読む人 ウィンスレット.jpg こうした"秘密"を持つ女性を演じるのは難しいだろうなあと思いますが、それだけ魅力的でもあり、ケイト・ウィンスレット(1975年生まれ)はそこに上手く嵌ったように思います(ニコール・キッドマンが妊娠で降板し、当初の候補だったケイト・ウィンスレットが結局演じることになった)。ケイト・ウィンスレットは、この作品で「タイタニック」('97年)以来4度目のアカデミー賞主演女優賞ノミネート(「助演賞」ノミネートを含むと6度目)にして、初の受賞を果たしています。「タイタニック」で共演したレオナルド・ディカプリオ(1974年生まれ)も、「レヴェナント:蘇えりし者」('15年)で4度目のアカデミー賞主演男優賞ノミネート(「助演賞」ノミネートを含むと5度目)にして初受賞していますが、若い頃から演技の天才などと呼ばれたレオナルド・デカプリオよりもケイト・ウィンスレットの方が受賞は7年早かったことになります。
  
タイタニック vhs.jpgタイタニック.jpg 「タイタニック」でケイト・ウィンスレット演じるローズは1等客室の客、レオナルド・ディカプリオ演じるジャックは3等客室の客でした。「船」って階層社会の縮図だなあと思いました(それは現在の豪華クルーズ船の旅などでも同じかも)。階級差を超えた恋という定番の設定ですが、意外と感情移入できたのは、振り返ってみれば二人の演技がしっかりしていたのかもしれません。個人的には、昔、八戸と苫小牧間のフェリーで1等の個室部屋がとれなくて2等の部屋に雑魚寝部屋にいったん入ったのを思い出しました。すぐに1等のキャンセル待ちに並んで、窓ありの個室部屋に移りましたが、やはり天と地の差があったなあ(笑)。学生時代は、雑魚寝部屋で伊豆大島に行ったりしていましたが、その頃は全然抵抗なかったけれど...。

 「タイタニック」の興行収入は、全米で6.6億ドル、日本で262.0億円(配給収入160.0億円)、全世界で21.9億ドルに達し、「ジュラシック・パーク」('93年)を抜いて当時の世界最高興行収入を記録し、この記録は同じジェームズ・キャメロン監督作品の「アバター」('09年)に抜かれるまで保持され、日本でも「もののけ姫」('97年)を抜いて日本歴代興行収入記録を更新し、「千と千尋の神隠し」('01年)に抜かれるまで記録を保持していました。逆に、これほどヒットすると劇場に観に行かなかったりして、結「アビス」00.jpg局ビデオで観てしまいましたが、「タイタニック」の監督と言うより「アビス」('89年)の監督によるCG映画だと思って軽く見ていました(「アビス」は海洋SFだが、夫婦愛がテーマのひとつになっている。なのに、キャメロン監督はこの映画の撮影中に、製作者で妻でもあるゲイル・アン・ハードと離婚したという皮肉。'89年公開作に30分の未公開部分を付加した完全版も観たが、話題になっていた大津波来襲のSFXはイマイチ。メッセージ性が前面に出た分だけ説教臭くなったし、いずれにせよ、異星人の船は海底から浮上させない方が良かった)。

アバター.jpg それが、さほど期待していなかった「アバター」を実際観てみると、結構ドラマ部分もしっかりしていて、事前の予想よりも良かったです。主人公のジェイク・サリー(サム・ワーシントン)は、アバターと一体化し、先住民族であるナヴィの一員として彼らの地パンドラで生きることを選びますが、ああ、これって、ケビン・コスナーが監督し、自身で主演した「ダンス・ウィズ・ウルブズ」('90年)年と同じで、「こちら側」にいた人間が「あちら側」の世界と接し、最後はあちら側に行く話だなあと思いました。ネットで調べたら、大筋には共通点があるとの見方が幾つか見ダンス・ウィズ・ウルブズ 1990.jpgダンス・ウィズ・ウルブズ22.jpg受けられ、「『アバター』では,『ダンス・ウィズ・ウルブズ』と同様の方法によって観客の評価や解釈が誘導されます」とする大学の先生の論考(神戸市外国語大学・山口治彦教授「談話研究室にようこそ―第56回 『アバター』における観客の誘導」)もあって、自らも納得しました。「ダンス・ウィズ・ウルブズ」もいい映画ですので(「アカデミー作品賞」「ゴールデングローブ賞(ドラマ部門)」「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞」の各「作品賞」などを受賞)、未見の人は観比べてみるのもいいかと思います(「アバター」162分、「ダンス・ウィズ・ウルブズ」181分(オリジナル版)とそれぞれやや長めだが)。
  
  
愛を読むひig.jpg「愛を読むひと」●原題:THE READER●制作年:2008年●制作国:アメリカ・ドイツ●監督:スティーブン・ダルドリー●製作:アンソニー・ミンゲラ/シドニー・ポラック/ドナ・ジグリオッティ/レッドモンド・モリス●脚本:デヴィッド・ヘアー●撮影:クリス・メンゲス●音楽:ニコ・マーリー●原作:ベルンハルト・シュリンク「朗読者」●時間:124分●出演:ケイト・ウィンスレット/レイフ・ファインズ/ダフィット・クロス/ブルーノ・ガンツ/レナ・オリン/アレクサンドラ・マリア・ララ/ハンナー・ヘルツシュプルング/ズザンネ・ロータ●日本公開:2009/06●配給:ショウゲート●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(17-09-19)(評価★★★★)

ブルーノ・ガンツ in「ヒトラー~最期の12日間~」('04年)/「愛を読むひと」('08年)
「ヒトラー」ガンツ.gif ガンツ the reader.jpg

タイタニック (1997年3.jpgタイタニック (1997年0.jpg「タイタニック」●原題:TITANIC●制作年:1997年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジェームズ・キャメロン●製作:ジェームズ・キャメロン/ジョン・ランドー●撮影:ラッセタイタニック (1997年2.jpgル・カーペンター●音楽:ジェームズ・ホーナー(主題歌:セリーヌ・ディオン「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」●時間:194分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ケイト・ウィンスレット/ビリー・ゼイン /デビッド・ワーナー/フランシス・フィッシャー/ダニー・ヌッチ/ジェイソン・ベリタイタニック (1997年1.jpgー/エイミー・ガイバ/ビル・パクストン/グロリア・スチュアータイタニック3.jpgト/スージー・エイミス/ルイス・アバナシー/キャシー・ベイツ/バーナード・ヒル /ジョナサン・ハイド/ヴィクター・ガーバー/マーク・リンゼイ・チャップマン/ヨアン・グリフィズ/エドワード・フレッチャー /エリック・ブレーデン/マイケル・エンサイン/バーナード・フォックス●日本公開:1997/12●配給:20世紀フォックス(評価★★★★)
ケイト・ウィンスレット in「いつか晴れた日に」('95年)/「タイタニック」('97年)
いつか晴れた日に ケイト・ウィンスレット2.jpg 「タイタニック」デカプリオ・ウィンスレット.jpg

映画 アビス cg.jpg「アビス」●原題:THE ABYSS●制作エド・ハリス アビス.jpg年:1989年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ジェームズ・キャメロン●製作:ゲイル・アン・ハード●撮影:ミカエル・サロモン●音楽:アラン・シルヴェストリ●時間:140分(公開版)/171分(完全版)●出演:エド・ハリス/メアリー・エリザベス・マストラントニオ/マイケル・ビーン/レオ・バーメスター/トッド・グラフ//キ映画 アビス  last.jpgジョン・ベッドフォード・ロイド/J・C・クイン/キンバリー・スコッャプテン・キッド・ブリューワー/マイケル・ビーチ/ディック・ウォーロック/ジョージ・ロバート・クレック/クリス・エリオット/クリストファー・マーフィ/アダム・ネルスン/ジミー・レイ・ウィークス/J・ケネス・キャンベル/ケン・ジェンキンス/ピーター・ラトレイ/ジョー・ファーゴ●日本公開:1990/03●配給:20世紀フォックス映画(評価★★★)

アバター1.jpg「アバター」●原題:AVATAR●制作年:2009年●制作国:アメアバター2.jpgリカ●監督・脚本:ジェームズ・キャメロン●製作:ジェームズ・キャメロン/ジョン・ランドー●撮影:マウロ・フィオーレ●音楽:ジェームズ・ホーナー(主題歌:レオナ・ルイス「I See You」●時間:162分●出演:サム・ワーシントン/ゾーイ・サルダナ/シガニー・ウィーバー/ステアバター シガニーウィーバー.jpgアバター 2シガニーウィーバー.jpgィーヴン・ラング/ミシェル・ロドリゲス/ジョヴァンニ・リビシ/ジョエル・デヴィッド・ムーア/ディリープ・ラオ/ラズ・アロンソ/ウェス・ステュディ/CCH・パウンダー●日本公開:2009/12●配給:20世紀フォックス映画(評価★★★★)
シガニー・ウィーバー「アバター」(2009)(植物学者グレイス・オーガスティン博士)/「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」(2022)博士の娘キリ(14歳)、オーガスティン博士の2役

ダンス・ウィズ・ウルブズ 4.jpg「ダンス・ウィズ・ウルブズ」●原ダンス・ウィズ・ウルブズ 3.jpg題:DANCES WITH WOLVES●制作年:1990年●制作国:アメリカ●監督:ケビン・コスナー●製作:ケビン・コスナー/ジェイク・エバーツ●脚本:マイケル・ブレイク●撮影:ディーン・セムラー●音楽:ジョン・バリー●原作:マイケル・ブレイク●時間:181分(オリジナル版)/236分(完全版)●出演:ケビン・コスナー/メアリー・マクドネル/グラハム・グリーン/ロドニー・A・グラント/モーリー・チェイキン/ロバート・パストレリ/ラリー・ジョシュア/トム・エヴェレット●日本公開:1991/05●配給:東宝東和(評価★★★★)


朗読者 (Shinchosha CREST BOOKS)2.jpg新湯 朗読者.jpg朗読者 (Shinchosha CREST BOOKS).jpg
朗読者 (Shinchosha CREST BOOKS) 』['00年]
2025.6.7 蓼科新湯温泉にて

【2003年文庫化[新潮文庫]】

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前半は「忠臣蔵」的、後半は「逃亡劇」的であり、長編ながら最後まで飽きさせない。

桜田門外ノ変.jpg 桜田門外の変 文庫003.jpg 桜田門外ノ変 文庫S.jpg  桜田門外ノ変【DVD】.jpg
桜田門外ノ変』『桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)』『桜田門外ノ変〈下〉 (新潮文庫)』「桜田門外ノ変【DVD】
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯 桜田門外ノ変.jpg 安政7(1860)年3月3日、雪に煙る江戸城桜田門外に轟いた一発の銃声と激しい斬り合いが、幕末の日本に大きな転機をもたらした。安政の大獄、無勅許の開国等で独断専行する井伊大老を暗殺したこの事件を機に、水戸藩におこって幕政改革をめざした尊王攘夷思想は、倒幕運動へと変わっていく―。

 吉村昭(1927-2006)の歴史小説で、「秋田魁新報」(1988年10月11日から1989年8月15日)など地方紙各誌に連載された後、加筆改稿を経て1990年に新潮社から単行本刊行、江戸幕府大老・井伊直弼が暗殺された桜田門外の変とその前後の顛末を、襲撃を指揮した水戸藩士・関鉄之介の視点から描いています。また、作者はあとがきで、この井伊直弼暗殺事件を「二・二六事件」に極めて類似しているとしています。

 物語は安政4年(1857年)正月、水戸藩の門閥派の要人結城朝道の手足となって改革派と争っていた谷田部籐七郎が弟とともに捕縛され、水戸領内を護送されるところから始まり、遡って斉昭の藩主就任と藩政改革が描かれるとともに、大老井伊直弼による水戸藩への弾圧、それに対し水戸藩士が井伊暗殺を企て、暗殺を成就するまで、その暗殺の次第が克明に描かれています。

 井伊直弼の暗殺までが前半分強で、後は暗殺後の彦根藩と幕閣、水戸藩の対応、井伊暗殺に呼応して薩摩藩が兵を挙げて京都へ上る計画が成らず、暗殺を企てた水戸藩士たちが失意のうちに捕縛、自刃、潜伏逃亡する様が描かれ、物語は文久2(1862)年5月11日の関鉄之介の小伝馬町での斬首で終わり、その後のことが簡潔に記されて締めくくられています。

 前半部分は「暗殺計画」に向けた「忠臣蔵」のような展開で、また、そうした面白味があります。但し、大石内蔵助のような強力な1人のリーダーがいるわけではなく、水戸藩士を中心とした尊王攘夷派の若手志士らによる集団的リーダーシップが展開されているといった印象でしょうか。

 後半部分は、主人公の関鉄之介らの逃避行であり、『長英逃亡(上・下)』('84年/毎日新聞社)などの"逃亡もの"は、"脱獄もの""漂流もの"と並んでこの作家の十八番であり、抑制された筆致で事実を積み上げていきながらも、それが自ずとスリリングな展開になっているところはさすがです。

 単行本で500ページ強、文庫で750ページ強の長編でありながら飽きさせずに読めるのは、前半が「忠臣蔵」的、後半が「長英逃亡」的という具合に色合いが異なっていることも、その理由の1つなのかも。「忠臣蔵」的面白さ、というのは事が成就するまでのプロセスの面白さであり、最初は赤穂浪士みたいに彦根藩邸に"討ち入り"する計画だったのが、警護が堅いのと手勢が限られている関係で、井伊直弼が藩邸から桜田門まで登城する経路を襲ったようです。桜田門外で井伊直弼を襲ったのは水戸藩脱藩士17名、薩摩藩士1名の計18名で、その内、討死1名、自刃4、深傷による死亡3名、死罪7名の計15名がこの世を去り、3名が逃亡して明治まで生き延びています。主人公の関鉄之介も最終的には斬首されたわけですが、いったん逃亡したメンバーの中で一番最後に捕まっており、そこに至るまでに幾度も危機を乗り越えながらも、仲間が捕らえられ包囲網が次第に狭まっていく様は、「逃亡劇」的なスリルがありました。

桜田門外の変92.jpg この作品は佐藤純彌監督、大沢たかお主演で「桜田門外ノ変」('10年/東映)として映画化されており、映画では、井伊直弼暗殺事件のあった1860年を起点に、事件以前の背景と事件後の出来事がカットバック風に描かれていて、井伊直弼暗殺事件は映画が始まって30分ほどで起き、以降、次第に事件後の関鉄之介(大沢たかお)の逃亡劇が中心になっていきます。

桜田門外の変 映画36.jpeg 井伊直弼暗殺の場面はリアルに描かれていたように思います。藩邸を直接襲うのではなく、登城の行列への襲撃に切り替えたにしても、それでも彦根藩の行列は総勢60名ばかりいて、凄惨な斬り合いになったことは、こうして映像で見せられるとよく桜田門外の変 映画s2.jpg理解出来ます。水戸脱藩士側は、深手の傷を負った場合は自刃する約束事になっており、その自刃の様が壮絶。一方、彦根藩側で当日斬り死しなかった者も、後日警護不行届きの咎で切腹を命じられているため、彦根藩の方は井伊直弼の他にかなりの人数が亡くなっていることになります。

桜田門外ノ変 ド2.jpg この言わばクライマックスとも言える場面を映画開始後30分に持ってきたということで、後は「逃亡劇」的面白さを出そうとしたのかもしれませんが、結果的に地味な感じの映画になったという印象です。映画の方が面白いと言う人もいるし、確かに原作のテイストを損なわず、逃亡劇にウェイトを置いた後半もよく纏まっていると思いましたが、逃亡劇だけで200ページ費やしている原作に比べると、ややあっけない印象も残りました。原作には無い鉄之介と鳥取藩剣術指南との対決シーンなど入れたりしていますが、「逃亡劇」はもっと丹念に描けた気もするし、一方で、これが映画としての限界かなという気もします。
 
桜田門外の変 映画2.jpeg桜田門外ノ変es.jpg 映画では、鉄之助に中村ゆり演じる「愛人」がいて(坂本竜馬など革命家が潜伏先に愛人を設けるパターンか)、鉄之助の逃亡中に彼女が捕らえられて、石抱(いしだき)の拷問など受けた末に亡くなったことになっていますが、実際に捕らえられて石抱の拷問など受け亡くなったのは、映画で長谷川京子が演じた鉄之助の「妻」です。原作の中で数行しか触れられていませんが、作中で最も悲惨なエピソードであったように思われました(あまりに悲惨な話であるため、また、妻を犠牲にしたという負のイメージが伴うため、妻から愛人に改変した?)。

桜田門外ノ変 生瀬勝久.jpg桜田門外ノ変 柄本明.jpg また、井伊直弼襲撃の現場の指揮をしたのは鉄之助ですが、暗殺計画全体の主導者は生瀬勝久が演じた水戸藩奥右筆頭取・高橋多一郎と柄本明が演じた水戸藩南郡奉行・金子孫二郎です。高橋多一郎は幕吏に追い詰められて事件翌月の1960(万延元)年4月に息子と共に自刃(享年47)、金子孫二郎はその翌年に捕られて斬首されていますが(享年58)、共に明治維新後に正四位を贈位されていて、映画において大沢たかお演じた物語の主人公である関鉄之助も、維新後同様に従四位を贈位されています。こういう没後の公的措置としての名誉回復というのはよくあるパターンであり、事件の8年後(1968年)には時代は明治となっており、もしも命を永らえていればこれらの人々も"明治の元勲"となっていたのかも―。

「桜田門外ノ変」図.jpg

桜田門外ノ変 映画.jpg「桜田門外ノ変」●制作年:1940年●監督:佐藤純彌●脚本:江良至/佐藤純彌●撮影:川上皓市●音楽:長岡成貢(主題歌:alan「悲しみは雪に眠る」)●原作:吉村昭●時間:137分●出演:大沢たかお/長谷川京子/柄本明/生瀬勝久/渡辺裕之/加藤清史郎/中村ゆり/渡部豪太/須賀健太/本田博太/温水洋一/ユキリョウイチ/北村有起哉/田中要次/坂東巳之助/永澤俊/池内博之/榎木孝明/西村雅彦/伊武雅刀/北大路欣也●公開:2010/10●配給:東映(評価★★★☆)


【1995年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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故郷・台湾を舞台に描く青春ミステリ。面白い。 "日本語で書かれた台湾文学"という印象も。

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  東山 彰良.jpg 東山 彰良 氏
』(2015/05 講談社)
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて

 2015(平成27)年上半期・第153回「直木賞」受賞作。2015年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2016 (平成28)年「このミステリーがすごい」(国内編)第5位、2016年「ミステリが読みたい!」(早川書房主催)第4位、2016年・第13回「本屋大賞」第8位。

 国民党の総統・蒋介石が死去した1975年の台湾。かつて国民党に加担し、共産主義者を相手に大陸でひと暴れした後、敗走した台湾で暮らしていた葉尊麟(イエ・ヅゥンリン)が、ある日自分の店で殺され、それを発見したのは葉尊麟の孫である私こと葉秋生(イエ・チョウシェン)だった。誰が、なぜ祖父を殺したのか。台北の高等中学に通う当時17歳の私には、まだその意味はわからなかった。以後、無軌道な青春を重ねながら、思い出したように祖父の死の真相を追っていく―

 直木賞選考会で選考委員全員が「〇」をつけ、満票で「圧倒的に受賞作1作は決まってしまった」という作品(しかも、9人の選考委員の内8人が◎をつけた)。選定委員の桐野夏生氏が「文句なく面白かった」としていますが、実際、面白かったし、同じく選定委員の北方謙三氏が「根底から力がある、20年に1度の傑作」と評したように、作者の力量も感じました。

 作者の経歴を見ると、1968年中国人の両親のもと台湾で生まれ、5歳まで台北市で過ごした後日本へ移住し、9歳で台北の南門小学校に入学したが、その後日本に戻り福岡で育ったのこと。直木賞選考委員の一人、伊集院静氏との対談で、主人公の私こと葉尊麟のモデルは作者の父であることを明かしています。

 故郷・台湾を舞台に描いた青春ミステリと言えるかと思いますが、日本の小説と言うより、日本語で書かれた台湾の小説という印象を受けました。因みに、作者の本名は王震緒で、日本に帰化せず、中華民国台湾の国籍を保持しているとのことです(筆名の「東山」は祖父の出身地である中国山東省から、「彰良」は父親が暮らした地であり、母親の出身地でもある台湾の彰化からとっている)。読んでいる間、台湾の映画監督・侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の映画を観ているような、そんなエスニックな感覚がありました("日本語で書かれた台湾文学"という感じか)。

 ストーリーも骨太で、暗い歴史を背景に、青春小説の甘酸っぱさもあり、無頼の青春群像もある中で、祖父殺害の謎の予期しなかった結末への導き方は巧みであるに止まらず、そこから導かれる戦争の悲劇の実像は重いものでした。"英雄"と呼ばれている人物が本当にそうだったのか。"黒狗"と言われていた人物が本当に卑怯者だったのか。立場によって見方はいくらでも違ってくるけれども、歴史というものは、そうしたすべての見方を伝えるものではなく、どこか偏りがあるものだという思いにさせられました。

 また、話の舞台は終盤、中国大陸へと移りますが、ストーリーのスケールの大きさ(何十年がかりの復讐譚など)は大陸的なものが感じられたし、「WEB本の雑誌」の「作家の読書道」によると、作者はエルモア・レナードの大ファンであるとのことで、そうしたハードボイルドの影響も感じられたし、また、最近では南米文学に夢中になっているとのことで、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に通じるものもあるように思いました。

 直木賞候補作の中では群を抜いていたとのことですが、個人的には、そもそも(作者が抱えているバックグランドの違いから)質的に日本人が書く小説とは異なるという印象を受けました。その一方で、まぎれもなく日本語で書かれた作品であり、しかも、読んでいてぐいぐい引き込まれたのも事実です。日本人が読んで面白いということは、やはり、ストーリーテリングだけでなく、文章や表現力にも優れたものがあるということなのでしょう。

【2017年文庫化[講談社文庫]】

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小津の映画に対する姿勢や、小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちが伝わって来て良かった。

新湯 大船日記.jpg大船日記4.jpg小津安二郎先生の思い出.jpg
小津安二郎先生の思い出 (朝日文庫 り 2-2)

大船日記―小津安二郎先生の思い出

2025.3.30 蓼科新湯温泉にて

 笠智衆(1904-1993/享年88)のことを、生涯を通じて"大根役者"だったという人もいますが、確かにそういう見方も成り立つような気もします。その"大根"を逆手に取ったのが小津安二郎監督だったのかも。"演技派"などという言葉とは縁のない、素朴で味わいのある人間像を笠智衆という役者から引き出し、世間をして彼のことを"偉大なる大根役者"と言わしめたのは、ある意味、小津の戦略が功を奏した結果であったようにも思います。

笠智衆 軽井沢.jpg 本書はその笠智衆が小津安二郎の思い出を"書き下ろし"ならぬ"語り下ろしたもので、笠智衆が亡くなる2年前に刊行され、'07年に文庫化されています。笠智衆自身によるあとがきがありますが、本が出来上がるまで1年近くかかったとありますから、編集者は粘り強く、笠智衆の後半生の住み家のあった大船に通ったことになります。

 笠智衆はそのあとがきで、自分は台詞以外のことを喋るのは不得手で、編集者は苦労したのではないかというようなことを述べていますが、一度、NHKのフィルムアーカイブか何かで笠智衆のインタビューがあったのを観た時は、本書にもある、笠智衆が小津安二郎に重用され始めた頃、松竹の城戸四郎社長に「君は小津くんに可愛がられておかしなことになってるね」と言われたのが、山田洋次監督の「家族」('70年)に出た時は、同じ城戸社長に、「良かったよ」と言われたという話(この時初めて城戸社長から褒められたとのこと)と全く同じを、映画の台詞を話すような笠智衆独特のトーンで話していました。

撮影:蛭田有一氏

 こちらが「この人、もしかして"大根"じゃないかな」と思ったりする前に、自らが、自分は演技が下手で、小津安二郎監督から最もダメを出された俳優であると言っており、そうした話が何度も出てくるので、却って愛着を持ってしまうというか...。因みに、笠智衆にとっての「憧れの一発OK組」は新劇の俳優に多かったらしく、その代表格は杉村春子だったそうです(確かに抜群に上手かったと思う)。男優では佐分利信が一番で、NGが多かったのは、佐野周二、三井弘次、佐田啓二だったけれども、何れも小津先生と親しかったから先生が言いやすかったのだろうと。それに対し、自分はそれほど先生とは親しくなかったので、単にダメだったのだろうと、とことん謙虚。ここまで謙虚だと、"大根"じゃないかと思っても貶せなくなり、その内、実は本当は"上手い"ということにるのかなと思ったりもするから不思議です。

 小津映画の撮影に纏わる話も興味深く、「若き日」('29年)では、赤倉のロケでスキー場に1週間ほど行ったが、出番が殆ど無くて、スキーだけ上手くなって帰ってきたとのこと、スキー初心者だったのが、1週間の撮影が終わって帰る頃にはスキーの腕前も上達し、山の上から駅まで滑って帰ったとのことです。

笠智衆(当時25歳) in 「学生ロマンス 若き日」('29年)
             
大人の見る繪本 生れてはみたけれど 笠智衆.jpg 「生まれてはみたけれど」('32年)にも16ミリを映写する役でちょっとだけ出ていますが、NHKで放送されたものでは、自分の出演場面に「笠智衆」と出て、却って恥ずかしかったというのが可笑しいです(実際の映画では、タイトルロールに出てくる16名の出演者名の中に笠智衆の名は無く、ノンクレジット出演だった)。


「大人の見る繪本 生れてはみたけれど」('32年)
                      

父ありき%200.png 初めて主役を演じたのは「父ありき」('42年)で、笠智衆の長男・徹氏による文庫あとがきによれば、本書の中にある「私の代表作は『東京物語』です」という言葉は笠智衆の晩年の心境で、実はずーっとこの「父ありき」が好きだったようです(大部屋俳優の時期が長かっただけに、初主演作にはそれだけ思い入れがあったのかも)。

「父ありき」('42年)
                         
晩春 曾宮周吉2.jpg 小津安二郎の演出に対して「先生、それは出来ません」と答えた唯一のケースが、「晩春」('49年)のラストでの〈慟哭シーン〉だったことはよく知られていますが、主人公の笠智衆は、娘・原節子を嫁にやった日の夜、一人自宅でリンゴの皮を剥き、そこで<慟哭する>というのが小津監督の要求で、その時は、そこで<慟哭する>のは"なんぼ考えてもおかしい"と思ってそう言ったようですが、今考えるとやるべきだった、監督の言ったことはどんなことでもやるのが俳優の仕事だと言っているのが興味深いです(批評家に「眠っているみたいだ」と評されて憤りを感じたといったことも関係しているのか)。
「晩春」('49年)

秋刀魚の味 東野.jpg また、その「晩春」では、小料理屋でビールを飲むシーンで、本物のビールを飲んでしまい顔が真っ赤になって撮影が中断したというのも面白いです。それ以降、ビールを飲むシーンでは、笠智衆だけ麦茶を飲んでいるそうです(日本酒を飲むシーンは水を飲んでいたのか。本書によれば、中村伸郎が酒が好きで、そのため小津は本物の酒を用意したそうな。東野英治郎については、演技が上手いとは書いてあるが、本当に酔っぱらっていたとは書いてない。「秋刀魚の味」('62年)の笠智衆、中村伸郎、東野英治郎が一緒に酒を飲むシーンを観直してみたくなった)。

「秋刀魚の味」('62年)
    
 舞台裏の話も面白いですが、そうした話を通して、小津安二郎の映画づくりや俳優に対する姿勢が窺えるとともに、その小津を師と仰いだ笠智衆の気持ちなどが伝わって来て、なかなか良かったです。編集者の力なのか、笠智衆がそもそも語りが上手(ヘタウマ?)なのかよく判りませんが、NHK(?)の過去のインタビュー映像をちらったと観た感じでは、意外と後者のような気もします(笠智衆のインタビューは、本書の中でこの映画に出られたのも小津先生のお蔭と笠智衆が述べている、ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画「東京画(Tokyo-Ga)」('85年)の中でも観ることが可能) 。
Wenders and Chisyu Ryu from "TOKYO-GA(東京画)"

東京画笠智衆.jpg「東京画」●制作年:1985年●製作国:アメリカ・西ドイツ●監督・脚本:ヴィム・ヴェンダース●製作:クリス・ジーヴァニッヒ●撮影:エド・ラッハマン●音楽:ローリー・ペッチガンド●時間:93分●出演:ヴィム・ヴェンダース(ナレーション)/笠智衆/ヴェルナー・ヘルツォーク/厚田雄春●公開:1989/06●配給:フランス映画社(評価:★★★☆)

【2007年文庫化[朝日文庫(『小津安二郎先生の思い出』』)]】

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「インテレクチュアルな好奇心」(五木寛之)を満たす傑作。

点と線―長編推理小説 (1958年).jpg点と線29.JPG 点と線.png 点と線 映画1.jpg
カッパ・ノベルズ(1960/1973) 『点と線―長編推理小説 (カッパ・ノベルス)』映画「点と線」('58年/東映)
『点と線 』.jpg点と線―長編推理小説 (1958年)』[四六版]
    『点と線 (新潮文庫)

点と線 4.jpg松本 清張 『点と線』 新潮文庫.jpg 汚職事件の摘発が進行中の某省の課長補佐・佐山憲一(31)と、料理屋女中・お時(本名:桑山秀子)の死体が九州の香椎海岸で発見される。2人の死は情死との見解が強まるが、佐山の遺留品の中から、東京から九州方面へ向かう特急「あさかぜ」号の中で発行された「御一人様」の列車食堂のレシートが残っていたことに、地元警察のベテラン刑事・鳥飼重太郎が疑問を抱く。警視庁捜査2課の警部補・三原紀一も現地を訪れ、捜査が進む。実務者の佐山は汚職事件の鍵を握る人物であり、検察は佐山に確認したいことが多くあり、また、佐山の死で"利益を得る"上役官僚が複数いた。その中に、汚職事件の中心にある某省の部長・石田芳男(50)がおり、捜査線上に、某省に出入りする機会工具商・安田辰郎が上がる。佐山とお時の間の繋がりが認められず、三原は2人が青酸カリを飲んだ前後の安田の足取りを追う。すると、2人が青酸カリを飲んだ翌日の夜に、安田新湯 点と線.jpgが仕事で北海道の小樽に行き、そこで取引先の業者と会っていた。東京から青森へ向かう特急列車や、北海道へ渡る青函連絡船でも、安田がいたことの証言や、乗車記録が残っている。2人が青酸カリを飲んだ夜に安田が九州にいることは物理的に不可能に思えたが、航空機を利用すれば、安田が業者に会う前に九州から北海道に着くことが可能なことに三原は気付く。しかし、安田は該当する便に乗っておらず、乗客全員を当たって偽名などがないか裏付けを取るが、全員がその便に乗っていたことが判明し、捜査は難航する―。
2025.6.5 蓼科新湯温泉にて

点と線 旅.jpg 松本清張(1909‐1992)のあまりに有名な長編推理小説で、雑誌「旅」の1957(昭和32)年2月号から1958(昭和33)年1月号に連載され(挿絵は佐藤泰治)、加筆訂正の上、1958年2月に光文社から単行本刊行されていますが、連載当時は、同時期に「週刊読売」に連載されていた『眼の壁』に比べて反響は少なく、作者自身から「病気のため休載にしてほしい」との申し出が「旅」の編集者にあったのを、編集者が「休載するなら『眼の壁』など、他の全ての連載を休載にしてもらう」と迫ったため、結局休載することなく連載が続けられたとのことです。

東京駅の13番線ホームに立つ松本清張[朝日新聞デジタル]
松本清張00.jpg 東京から博多まで夜行列車で20時間ほどかかった時代の話であることを念頭に読む必要はありますが、安田が、自分が東京駅の13番線プラットフォームで料亭「小雪」の女中2人に見送られる際に、向かいの15番線プラットフォームにお時が男性と夜行特急列車時間の習俗 カッパノベルス.jpg「あさかぜ」に乗り込むところを見たという他の目撃者付き証言に対して、13番線から15番線に停まっている「あさかぜ」を見通せるのは17時57分から18時01分までの4分間しかないことが判り、三原は、逆にこの「空白の4分間の謎」から安田に対する嫌疑が確信に近いものとなり、安田が航空機を使ったのではないかというアリバイのトリックを思い立つ(この"移動"トリックは、'61年発表の『点と線』の姉妹編とも言える時間の習俗でも使われている)という展開は、すんなり腑に落ちるものでした(しかし、この後も多くの推理の壁が三原の前に立ちはだかる)。

点と線 カッパノベルズ2.JPG 今手元にあるのはカッパ・ノベルズの'73(昭和48)年発行版(162版)で、「香椎海岸」や「青函連絡船」など10枚の写真が収められていてシズル感を高めているほか、冒頭には「東京駅構内で取材する松本清張氏」の写真もあります。カッパ・ノベルズとしての刊行部数は92万部で、84万部を売り上げた『ゼロの焦点』と並んで、カッパ・ノベルズの初期の隆盛を支えたことになりますが(部数は1974年7月26日付「夏のカッパ祭り」の新聞広告より。最近までの累計では共に100万部を超える)、『点と線』は『ゼロの焦点』より先に発表されたものの、その時はまだカッパ・ノベルズ創刊前であったため、当初四六版で発行され、『ゼロの焦点』より後からカッパ・ノベルズに入れられています。

五木寛之.jpg また、巻末には、昭和44年に行われた、この作品を巡る荒正人・尾崎秀樹の2人の対談があり、その中で、作家の五木寛之氏が、「松本清張氏はプロレタリアート・インテリゲンチャとして成熟した稀有な例」だとし、「その文学はプロレタリアートの怨念とインテレクチュアルな好奇心をバネとしている」と言っていることを取り上げています(五木寛之氏の"プロレタリアート・インテリゲンチャ"という表現に対して荒正人・尾崎秀樹両氏の間で距離感の違いはあるようだが)。それにしても、当時発行部数7000万部だったカッパ・ノベルズの内1000万部が松本清張作品だったというのはスゴイことだと思いました(荒正人は、夏目漱石の本が明治・大正・昭和の時代をかけて1000万部読まれてきたのに対し、松本清張はこの数字に僅か10年で到達してしまったことを取り上げ、大衆社会の中で"米の飯"のような必需品のような読まれ方をしてきたと指摘している)。

点と線 ラスト.jpg この作品は、『ゼロの焦点』や『砂の器』などの作者の他の代表作に比べると、「インテレクチュアルな好奇心」を満たすウェイトの方が高いように思われ、その点では無駄が少なく、一方、作者が昭和30年代に初めて「社会派推理というジャンルを築いた」という説明の流れの中で紹介される作品としては、"社会派"の部分はやや希薄な印象も受けます。但し、作中で殆ど姿を見せない安田の妻・亮子(最終的には自らの死も心中に見せかけたと推察され、自らも含む2度の"心中偽装"を行ったことになる)の人物造型は、抑圧された女性の怨念を描いて巧みな後の清張作品の、ある種「原点」的な位置づけにあると言えるかもしれません。
映画「点と線」(1958) 監督:小林恒夫

テレビ朝日「点と線」(2007) 監督:石橋冠
点と線 ドラマ0.jpg この作品は、「テレビ朝日」開局50周年記念ドラマスペシャルとして2007年11月24日と25日2夜連続で放送されていますが(2009年には「点と線~松本清張生誕100年記念特別バージョン」として再放映された)、ビートたけしが鳥飼重太郎を演じることで、高橋克典が演じる三原より鳥飼の方が事件解明の中心になっていて、原作では三原は鳥飼から幾つかの示唆を得ながらも自分で事件を解明するのに対し、ドラマでは鳥飼が独断で東京に行き三原と共に、あるいは単独で捜査するよう改変されており、かな点と線 テレビ朝日 1シーン.jpgり原作とは異なった印象を受けました。これまで何度も映像化されているのであればこうした改変もあっていいのかもしれませんが、テレビドラマとしては初の映像化だったので、ストレートに原作をなぞって欲しかった気もします。上司からの捜査中止命令にその場では抵抗しない三原(高橋克典)に対して鳥飼(ビートたけし)が怒りをぶちまけ、両者が殴り合いになるのはやりすぎで(あまりに"ビートたけし"風)、終盤の鳥飼と安田の妻・亮子(夏川結衣)の"直接対決"もドラマのオリジナル。原作を読んでいない人は松本清張がそんな話を書いたのかと思ってしまうのではないかなあ(原作では、鳥飼が三原に捜査を諦めないよう手紙で激励するとともに捜査のヒントを与えるにとどまっているし、安田宅に出向いて安田の妻と直競対峙するといったこともない。完全に、ビートたけしを主役にするための改変である)。


点と線 チラシ.jpg 小林恒夫監督による映画化作品('58年/東映)は、高峰三枝子、山形勲、志村喬といったベテランはともかく、三原刑事役の南廣が映画初出演ということもあり(元々はジャズドラマーだった)、演技がややパターン化したものであったのが、最初に観たときにイマイチだった印象に繋がっています(当点と線.jpg時40歳の高峰三枝子に28歳の役をやらせたのもきつかったか)。また、映像でトリックを解明するとやや複雑に感じられてしまい、原作が『ゼロの焦点』以上にトリックの占めるウェイトが高いものであったことを改めて認識させられるものでした。

映画「点と線」(1958) 監督:小林恒夫/主演:高峰三枝子、山形勲

 しかし、最近DVDで改めて観て、三原刑事役の南廣はある種"語り手"的な役割も果たしているので、むしろ演技過剰にならなくてよかったのではないかとか、高峰三枝子の「女の情念」の演技はさすがで、若い頃貧しくて旅行に行けず、時刻表で"空想の旅"をしていたという松本清張の情念を反映していていたのではないかとか再評価したい面もあって、また汽車の長旅や青函連絡船などが出てくるレトロ感もあって、個人的評価を△から○に変更しました。ラストの方の、第二の心中事件現場に駆け付けた刑事たちの中に、原作では九州にいることになっている鳥飼刑事(加藤嘉)がいたりするなど、原作と異なる点はありますが、ビートたけしのテレビ版などと比べると、ほぼ原作に忠実に作られているように思いました。

点と線ges.jpg

点と線 映画2.jpg 点と線 映画3.jpg                                  
図1 「点と線」 .png図 2「点と線」 .png
   
図3 「点と線」 .png図4 「点と線」 .png

神保町シアター点と線.jpg  2025年5月27日 神保町シアター
                                
「点と線」 ポスター.jpg「点と線」 ポスター2.jpg「点と線」●制作年:1958年●監督:小林恒夫●企画:根津昇 ●脚本:井手雅人●撮影:藤井静●音楽:木下忠司●原作:松本清張「点と線」●時間:85分●出演:南廣/高峰三枝子/山形勲/加藤嘉志村喬点と線 志村喬.jpg点と線 加藤嘉.jpg点と線_m.jpg点と線 DVD.jpg三島雅夫/堀雄二/河野秋武/奈良あけみ映画 「点と線」(1958年/東映) .jpg/小宮光江/月丘千秋/光岡早苗/楠トシエ/風見章子/織田政雄/曽根秀介/永田靖/成瀬昌彦/神田隆/小宮光江/増田順二/奈良あけみ/花沢徳衛●劇場公開:1958/11●配給:東映●最初に観た場所:池袋文芸地下(88-01-23) (評価★★★☆)●併映:「黄色い風土」(石井輝男)/「黒い画集・あるサラリーマンの証言」(堀川弘通)


映画 「点と線 [DVD]」(1958年/東映) 

山形勲(安田商会・安田辰朗)/月丘千秋(「小雪」女中・八重子)/光岡早苗(同・とみ子)/志村喬(警視庁捜査二課係長・笠井警部)/河野秋武(警視庁捜査二課・土屋刑事)/加藤嘉(東福岡署・鳥飼重太郎刑事)     
点と線tentosen03.jpg 点と線tentosen09.jpg
 
 
点と線 ビートたけし6.jpg点と線 ビートたけし.jpg「松本清張 点と線」●監督:石橋冠●制作:五十嵐文郎●脚本:竹山洋●音楽:坂田晃一●原作:松本清張●時間:234分/【特別バージョン】138分●出演:ビートたけし/高橋克典/内山理名/小林稔侍/樹木希林/原沙知絵/大浦龍宇一/平泉成/本田博太郎/金児憲史/名高達男/大鶴義丹/竹中直点と線 テレビ朝日 2.jpg人/橋爪功/かたせ梨乃/坂口良子/小野武彦/高橋由美子/宇津井健/池内淳子/江守徹/市原悦子/夏川結衣/柳葉敏郎/(ナレーション・解説)石坂浩二●放映:2007/11(全2回)/【特別バージョン】2009/08(全1回)●放送局:テレビ朝日
ビートたけし×松本清張 点と線 [DVD]

週刊『松本清張』 1号 点と線 (デアゴスティーニコレクション)」 (2009/10)/『点と線―長篇ミステリー傑作選 (文春文庫)
週刊 松本清張 【創刊号】 点と線.jpg週刊松本清張 点と線.jpg点と線 文春文庫.jpg 【1958年単行本・1960年ノベルズ版・1968年カッパ・ノベルズ改版/1971年文庫化・1993年改版[新潮文庫]/2009年再文庫化[文春文庫]】

点と線 (新潮文庫)
点と線 (新潮文庫)1.jpg 点と線 (新潮文庫)2.jpg 点と線 (新潮文庫),200_.jpg

カッパ・ノベルズ(1973)
『点と線』2 .JPG

《読書MEMO》
● 桂 千穂 『カルトムービー本当に面白い日本映画 1945→1980』['13年/メディアックス]
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いろいろ批判や矛盾点はあるかもしれないけれど、「巧いなあ~」と。

沼田 ユリゴコロ1.png 沼田 ユリゴコロ 2.png   
ユリゴコロ』(2012/04 双葉社)「ユリゴコロ」2017年映画化(出演・吉高由里子・松坂桃李・松山ケンイチ)
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯 ユリゴコロ.jpg 2011(平成23)年・第14回「大藪春彦賞」受賞作。2012年・第9回「本屋大賞」第6位。

 不慮の事故で母親を失い、父親も末期の癌に侵されていることを知った亮介は、実家の押入れで「ユリゴコロ」と名付けられた古びたノートを偶然見つけるが、そこに記されていたのは、殺人に取り憑かれた人間の生々しい告白だった。創作なのか、或いは事実に基づく手記なのか、そして書いたのは誰なのか。謎のノートは亮介の人生を一変させる驚愕の事実を孕んでいた―。

 「本屋大賞」で6位かあ。巧いなあと思いました。途中で先が読めたという人もいるけれど、自分には、話が一旦は一段落したかのように思えた後の、最後の展開は全く予想がつきませんでした。

 手記の主が衝動殺人に至る動機が、描写からはよく伝わってこないとか色々と批判はあるかも知れませんが、まあこの辺りはどちらかと言えばホラーサスペンス系で、純文学じゃないんだし、個人的には、「道尾秀介」作品みたいに心理描写に凝らなくてもいいのではと思いました(むしろこの場合、あまり凝らない方がいいのではと)。

 主人公・亮介が、この手記は両親のどちらが書いた小説か何かだろうと考えつつ、内容が現在の自分の家族と通じる部分があり、更に、幼い頃に自分の母親が入れ替わってしまったような記憶があるために疑心暗鬼を深め、不安を駆り立てられる心情の描写などは、むしろ簡潔にして巧みと言えるのでは。

 一番気になったのは、最初の頃の殺人と最後の方の「必殺仕置人」的(?)な殺人が、あまりに質が異なり、繋がらなさ過ぎるという点で、まあ、そうした幾つかの矛盾点を抱えながらも、力技で「救い」のある結末に持っていき、それでいて「こんなの、ありか」と思わせる前に、「巧いなあ~」と思わせてしまうのは、やはり相当の力量なのかも。

 「湊かなえ」作品のように、出てくる人が誰も彼も悪意に満ちているといったこともなく、むしろ"感動物語"と言えるかどうかはともかく、ほっとさせられるような結末になっていて、そうなると今度は、最初に殺された子どもやその親は報われないんじゃないかという見方もあるかも知れませんが、こうしたお話で倫理とか道徳とか言い始めると、楽しめないんだろうなあ。

 概ね気持ち良く騙されたということで、星4つ、としたいところですが、やはり、まるで別人格になった人間が、「平然と人を殺せる」という特質だけ保持していることの不自然さから、星半個マイナス。

【2014年文庫化[双葉文庫]】

「●か G・ガルシア=マルケス」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1427】 ガブリエル・ガルシア=マルケス 『エレンディラ
○ノーベル文学賞受賞者(ガブリエル・ガルシア=マルケス)「○ラテンアメリカ文学 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

「男系/女系/非嫡子系」複合の家系小説? 構成力と無数の挿話が醸す不思議な力に圧倒された。

百年の孤独 新潮社.jpg百年の孤独 改訳版.jpg 百年の孤独 2006.jpgガルシア=マルケス  『百年の孤独』    .jpg  Gabriel GarciaMarquez.jpg
百年の孤独 (新潮・現代世界の文学)』['72年]『百年の孤独』['99年]『百年の孤独』['06年]Gabriel Jose Garcia Marquez(ガブリエル・ガルシア=マルケス)第一姓(父方の姓)はガルシア、第二姓(母方の姓)はマルケス
百年の孤独』新潮文庫(2024)
『百年の孤独』文庫.jpg百年の孤独 1976.jpg 1967年に発表されたコロンビア出身の作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928年生まれ)の代表的長編小説で、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの夫婦を始祖とするブエンディア一族が蜃気楼の村マコンドを創設し、隆盛を迎えながらも、やがて滅亡するまでの100年間を描いています。

"Cien Años de Soledad"(1967)『百年の孤独』スペイン語版 初刊原書

寺山修司1.jpg 寺山修司(1935-1983)が「旅芸人の記録」('75年/ギリシャ)の監督テオ・アンゲロプロス(1935-2012)との対談で、この小説を話題にして2人で盛り上がっていた記憶があり、「旅芸人の記録」の日本公開が1979年ですから、多分その頃のことだと思います(或いは、1975年・第28回「カンヌ国際映画祭」で寺山修司監督作「田園に死す」('74年)がコンペティション部門に出品される一方、「旅芸人の記録」が「FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞」を受賞しているので、その頃か)。

 松岡正剛氏は、寺山修司からこれを読まないかぎりは絶交しかねないという勢いで読むことを勧められていたものの手つかずでいたのが、後になって読んでみてもっと早く読むべきだったと思ったそうです。
 今回が初読であった自分も、同様の後悔をしました(圧倒されるような海外文学作品に新たに出会えたという点では、ある意味で僥倖とも言えるが)。

『百年の孤独』スペイン.jpg 「マコンド」は作者が創作した架空の村ですが(時折出てくる実在の地名からすると、コロンビアでもカリブ海よりの方か)、こうした設定は、作者が影響を受けた作家の1人であるというフォークナーが、『八月の光』などで「ジェファソン」という架空の町を舞台にストーリーを展開しているのと似ています。

 様々な出来事が、しかもその一片で1つの小説になりそうな話がどのページにもぎっしり詰まっていて、その中には、ジプシーが村に持ち込んだ空飛ぶ絨毯とか、洗濯物のシーツと一緒に風で飛ばされて昇天してしまった美人娘とか、死者と会話する子とか、かなりシュールな挿話も多く含まれています。

 この作品は、マコンドの100年を描いたという以上に、7世代に渡るブエンディア一族の物語であるように思われ、新開地での村の創設を思い立ったホセ・アルカディオ・ブエンディア(個人的には、セルバンテスのドン・キ・ホーテと少し似ているところがあるような気がした。妄想癖だけでなく、実行力がある点がキ・ホーテと異なるが)を皮切りに、次々と個性的な人々が登場します。

『百年の孤独』スペイン語版ハードカバー(2007)

百年の孤独 ペーパーバック.bmp そして、その息子兄弟であるホセ・アルカディオとアウレリャノ・ブエンディア大佐(「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになった」と冒頭にあり、『予告された殺人の記録』と似たような書き出しなのだが...)に代表されるように、マッチョで粗暴な一面と革命家としてのヒロイック資質が、更には一部に学究者または職人的執着心が、同じくアルカディオ乃至アウレリャノと名付けられる子孫たちにそれぞれ引き継がれていきます。

『百年の孤独』スペイン語版ペーパーバック(2006)

 となると、一見「男系小説」のようですが、一族の男たちは、放蕩の旅に出て、或いは革命の英雄となって村に戻ってくるものの、晩年は抜け殻のような余生を生きることになるというのが1つのパターンとしてあり、一方、ウルスラを初めとする女性たちは、その子アマランタにしても、更に2世代下った姻族に当たるフェルナンダしても、むしろこちらの方が一族を仕切る大黒柱であるかのように家族の中で存在感を示し、その資質もまた、ウルスラ乃至アマランタという名とともに引き継がれていきます。

 ウルスラが120歳ぐらいまで生きて、一族の歴史に常に君臨しており、そうした意味ではむしろ「女系小説」言えるかも知れませんが、更に、ピラル・テルネラというホセ・アルカディオとアウレリャノ・ブエンディアの第2世代の兄弟両方と関係して一族の家系に絡む女性がいて、この女性もウルスラと同じくらい長生きします。

 同じように第4世代のセグンド兄弟と関係するペトラ・コテスという女性が出てきますが(兄弟の兄の名はホセ・アルカディオ、弟の名はアウレリャノということで、ややこしいったらありゃしないと言いたくなるが)、ここにも一定のフラクタル構造がみてとれます(「非嫡子系」とでも言うべきか)。

 村に文明の利器を持ち込んだジプシー、メルキアデスの「一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる」という予言が当たったことを第6世代のアウレリャノ・バビロニアが知ったとき―。

 いやあ、凄い構成力。作者は、本書出版後に、「42の矛盾」を見つけたが再販でも修正せず、「6つの重大な誤り」については、誰一人それを指摘する人がいなかったと言っていますが、この辺りの言い草は、作者のユーモアある茶目っ気ではないかなあと(それを探そうとするフリークがいるかも知れないが)。

One Hundred Years of Solitude.jpg 細部の構成力もさることながら、ちょうどエミール・ゾラの『居酒屋』、『ナナ』、『ジェルミナール』などの作品群がルーゴン家、マッカール家など3つの家系に纏わる5世代の話として位置づけられる「ルーゴン・マッカール双書」のようなものが、『百年の孤独』という一作品に集約されているような密度とスケールを感じます(運命論的なところもゾラと似ている。ゾラの場合、彼自身が信じていた遺伝子的決定論の色が濃いが)

"One Hundred Years of Solitude"『百年の孤独』英語版ハードカバー

 よくもまあ、こんなにどんどこどんどこ奇妙な話が出てくるものだと感嘆させられますが、それらの1つ1つに執着せず、どんどん先に進んでいく―そのことによって、壮大な小宇宙を形成しているような作品とでも言うべきか。

『百年の孤独』50.jpgガルシア・マルケス.jpg 神話的または伝承説話的な雰囲気を醸しつつも、それでいて読みやすく、人の生き死にとはどういったものか、一族とは何か(大家族を扱っている点では、近代日本文学とダブる面もある?)といったことを身近に感じさせ考えさせてくれる、不思議な力を持った作品でもあるように思いました。

ガルシア・マルケス

 
 
 
 
 
 
『百年の孤独』スペイン語版ハードカバー50周年記念版(2017)
 
 
  
「文庫化したら世界が滅びる!? ノーベル賞作家の傑作 『百年の孤独』ついに文庫化」(「東京新聞」2024年6月25日)
百年の孤独文庫化 .jpg

2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯 百年のこ孤独.jpg

 【1972年単行本・1999年改訳版・2006年改装版[新潮社]/2024年文庫化[新潮文庫]】 

 

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部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがある。主人公は「ストーカー」且つ「ロリコン」?

『伊豆の踊子』.JPG
伊豆の踊子 新潮文庫 旧版.jpg 伊豆の踊子 新潮文庫.gif   伊豆の踊子 集英社文庫.jpg
新潮文庫新版・旧版『伊豆の踊子 (新潮文庫)』『伊豆の踊子 (集英社文庫)』(カバー絵:荒木飛呂彦)
1927(昭和2)年『伊豆の踊子』金星堂['85年復刻版] 2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
川端 康成2.jpg初版本複刻 伊豆の踊子.jpg新湯 伊豆の踊子.jpg 1926(大正15)年、川端康成(1899- 1972)が26歳の時に発表された作品で、主人公は数え年二十歳の旧制一高生ですが、実際に作者が、1918(大正7)年の旧制第一高2年(19歳)当時、湯ヶ島から天城峠を越え、湯ヶ野を経由して下田に至る4泊5日の伊豆旅行の行程で、旅芸人一座と道連れになった経験に着想を得ているそうです。

 個人的には最初にこの作品を読んだのは高校生の時で、川端作品では『掌の小説』や『眠れる美女』なども読んでいましたが、この作品については何となく手にするのが気恥ずかしいような気がして、それらより読むのが若干ですがあとになったのではなかったかと思います。当時は中高生の国語の教科書などにもよく取り上げられていた作品で、既にさわりの部分を授業で読んでしまっていたというのもあったかも知れません。

オーディオブック(CD) 伊豆の踊子.jpg この作品について、作者は三島由紀夫との座談の中で、「作品は非常に幼稚ですけれどもね、(中略)うまく書こうというような野心もなく、書いていますね。文章のちょっと意味不明なところもありますし、第一、景色がちょっとも書けていない。(中略)あれは後でもう少しきれいに書いて、書き直そうと思ったけれども、もう出来ないんですよ」と言っていますが、全体構成においての完成度はともかく、部分部分の描写に研ぎ澄まされたものがあり、やはり傑作ではないかと。
[オーディオブックCD] 川端康成 著 「伊豆の踊り子」(CD1枚)

 一高生の踊子に対する目線が「上から」だなどといった批判もありますが、むしろ、関川夏央氏が、この小説は「純愛小説」と認識されているが、今の時代に読み返すと、ずいぶん性的である、主人公の「私」は、踊子を追いかけるストーカーの一種である、というようなことを書いていたのが、言い得ているように思いました(主人公と旅芸人や旅館の人達との触れ合いもあるが、彼の夢想のターゲットは踊子一人に集中していてるように思う)。

 読後、長らくの間、踊子は17歳くらいの年齢だといつの間にか勘違いしていましたが、主人公が共同浴場に入浴していて、踊子が裸で手を振るのを見るという有名な場面で(この場面、かつて教科書ではカットされていた)、主人公自身が、踊子がそれまで17歳ぐらいだと思っていたのが意外と幼く、実は14歳ぐらいだったと知るのでした(「14歳」は数えだから、満年齢で言うと13歳、う~ん、ストーカー気味であると同時にロリコン気味か?)。

 日本で一番映画化された回数の多い(6回)文芸作品としても知られていますが、戦後作られた「伊豆の踊子」は計5本で(戦後だけでみると三島由紀夫の「潮騒」も5回映画化されている。また、海外も含めると谷崎潤一郎の「」も戦後5回映画化されている)、主演女優はそれぞれ美空ひばり('54年/松竹)、鰐淵晴子('60年/松竹)、吉永小百合('63年/日活)、内藤洋子('67年/東宝)、山口百恵('74/東宝)です。

  1933(昭和8)年 松竹・五所平之助 監督/田中絹代・大日方伝
  1954(昭和29)年 松竹・野村芳太郎 監督/美空ひばり・石浜朗
  1960(昭和35)年 松竹・川頭義郎 監督/鰐淵晴子・津川雅彦
  1963(昭和38)年 日活・西河克己 監督/吉永小百合・高橋英樹(a)
  1967(昭和42)年 東宝・恩地日出夫 監督/内藤洋子・黒沢年男
  1974(昭和49)年 東宝・西河克己 監督/山口百恵・三浦友和(b)

 今年('10年)4月に亡くなった西河克己監督の山口百恵・三浦友和主演のもの('74年/東宝)以降、今のところ映画化されておらず、自分が映画館でしっかり観たのは、同じ西河監督の吉永小百合・高橋英樹主演のもの('63年/日活)。この2つの作品の間隔が11年しかないのが意外ですが、山口百恵出演時は15歳(映画初主演)だったのに対し、吉永小百合は18歳 (主演10作目)でした(つまり、2人の年齢差は14歳ということか)。

伊豆の踊子 1963.jpg(a) 伊豆の踊子 1974.jpg(b)

伊豆の踊子 吉永小百合.jpg伊豆の踊子 吉永小百合主演 ポスター.jpg 吉永小百合(1945年生まれ)・高橋英樹版は、宇野重吉扮する大学教授が過去を回想するという形で始まります(つまり、高橋英樹が齢を重ねて宇野重吉になったということか。冒頭とラストでこの教授の教え子(浜田光夫)のガールフレンド役で、吉永小百合が二役演じている)。

伊豆の踊子 十朱幸代.jpg 踊子の兄で旅芸人一座のリーダー役の大坂志郎がいい味を出しているほか、新潮文庫に同録の「温泉宿」(昭和4年発表)のモチーフが織り込まれていて、肺の病を得て床に伏す湯ケ野の酌婦・お清を当時20歳の十朱幸代(1942年生まれ)が演じており、こちらは、吉永小百合との対比で、こうした流浪の生活を送る人々の蔭の部分を象徴しているともとれます。西河監督の弱者を思いやる眼差しが感じられる作りでもありました。

0バス通り裏toayuki1.jpgバス通り裏.jpg「バス通り裏」岩下・十朱.jpg 因みに、十朱幸代のデビューはNHKの「バス通り裏」で当時15歳でしたが、番組が終わる時には20歳になっていました。また、岩下志麻(1941年生まれ)も'58年に十朱幸代の友人役としてこの番組でデビューしています。

      
「バス通り裏」岩下志麻 / 米倉斉加年・十朱幸代・岩下志麻 / 十朱幸代
バス通り裏_-岩下志麻2.jpg バス通り裏 米倉・十朱.jpg バス通り裏 十朱幸代.jpg

「バス通り裏」テーマソング.jpg 「バス通り裏」テーマソングレコード

「サンデー毎日」1963(昭和38)年1月6日号 「伊豆の踊子 [DVD]
正月(昭和38年)▷「サンデー毎日」の正月.jpg伊豆の踊子 (吉永小百合主演).jpg「伊豆の踊子」●制作年:1963年●監督:西河克己●脚本:三木克己/西河克己●撮影:横山実●音楽:池田正義●原作:川端康成●時間:87分●出演:高橋英樹/吉永小百合/大川端康成 伊豆の踊子 吉永小百合58.jpg坂志郎/桂小金治/井上昭文/土方弘/郷鍈治/堀恭子/安田千永子/深見泰三/福田トヨ/峰三平/小峰千代子/浪花千栄子/茂手木かすみ/十朱幸代/南田洋子/澄川透/新井麗子/三船好重/大倉節美/高山千草/伊豆見雄/瀬山孝司/森重孝/松岡高史/渡辺節子/若葉めぐみ/青柳真美/高橋玲子/豊澄清子/飯島美知秀/奥園誠/大野茂樹/花柳一輔/峰三平/宇野重吉/浜田光夫●公開:1963/06●配給:日活●最初に観た場所:池袋・文芸地下(85-01-19)(評価:★★★☆)●併映:「潮騒」(森永健次郎)
川端&吉永.jpg川端&吉永2.jpg
映画「伊豆の踊子」の撮影現場を訪ねた川端康成。川端康成は自作の映画化の撮影現場をよく訪ね、とりわけ「伊豆の踊子」の吉永小百合がお気に入りだったという。
伊豆の踊子 宇野.jpg 宇野重吉(主人公の40年後の今・某大学の教授)

バス通り裏.jpgバス通り裏2.jpg「バス通り裏」●演出:館野昌夫/辻真先/三浦清/河野宏●脚本:筒井敬介/須藤出穂ほか●音楽:服部正(主題歌:ダーク・ダックス)●出演:小栗一也/十朱幸代/織賀邦江/谷川勝巳/武内文平/露原千草/佐藤英夫/岩下志麻/田中邦衛/米倉斉加年/水島普/島田屯/宮崎恭子/本郷淳/大森暁美/木内三枝子/幸田宗丸/荒木一郎/伊藤政子/長浜『グラフNHK』創刊号の表紙.jpg藤夫/浅茅しのバス通り裏 yonekura iwashita.jpgぶ/高島稔/永井百合子/鈴木清子/初井言栄/佐藤英夫/松野二葉/溝井哲夫/津山英二/西章子/稲垣隆史/山本一郎/大森義夫/鈴木瑞穂/三木美知子/原昴二/蔵悦子/高橋エマ/網本昌子/常田富士男●放映:1958/04~1963/03(全1395回)●放送局:NHK

米倉斉加年/岩下志麻

十朱幸代「グラフNHK」1960(昭和35)年5月1日号(創刊号)

『伊豆の踊子』 (新潮文庫) 川端 康成.jpg伊豆の踊子・禽獣 (角川文庫クラシックス) 川端康成.jpg 【1950年文庫化・2003年改版[新潮文庫]/1951年再文庫化[角川文庫(『伊豆の踊子・禽獣』)]/1952年再文庫化・2003年改版[岩波文庫(『伊豆の踊子・温泉宿 他四篇』)]/1951年再文庫化[三笠文庫]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『伊豆の踊子・花のワルツ―他二編』)]/1972年再文庫化[講談社文庫(『伊豆の踊子、十六歳の日記 ほか3編』)]/1977年再文庫[集英社文庫]/1980年再文庫[ポプラ社文庫]/1994年再文庫[ポプラ社日本の名作文庫]/1999年再文庫化[講談社学芸文庫(『伊豆の踊子・骨拾い』)]/2013年再文庫化[角川文庫]】

伊豆の踊子・禽獣 (1968年) (角川文庫)
伊豆の踊子 (新潮文庫)

伊豆の踊子 [VHS]木村拓哉.jpg日本名作ドラマ『伊豆の踊子』(TX)
1993年(平成5年)6月14日、21日(全2回) 月曜日 21:00 - 21:54
脚本:井手俊郎、恩地日出夫/演出:恩地日出夫/制作会社:東北新社クリエイツ、TX
出演:早勢美里(早瀬美里)、木村拓哉、加賀まりこ、柳沢慎吾、飯塚雅弓、大城英司、石橋蓮司

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登場人物と等距離を置きながらも突き放してはいない。新人離れした力量。
新湯 告白.jpg告白 湊かなえ.jpg 湊かなえ 告白3.jpg 映画「告白」.jpg 
告白』(2008/08 双葉社)/2010年映画化(東宝)出演:松たか子/岡田将生/木村佳乃
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
文庫単独300万部突破記念カバー(2024年11月3日・くまざわ書店アリオ西新井店)
湊かなえ 告白.jpg 2009(平成21)年・第6回「本屋大賞」の大賞(1位)受賞作で、単行本デビュー作での大賞受賞は同賞では初めて(他に、「週刊文春」2008年度ミステリーベスト10(国内部門)で第1位)。

 愛娘を校内のプールで亡くした公立中学の女性教師は、終業式の日のホーム・ルームでクラスの教え子の中に事件の犯人がいることを仄めかし、犯人である少年A及び少年Bに対して恐ろしい置き土産をしたことを告げ、教壇を去っていく―。

 「小説推理新人賞」(双葉社の短編推理小説を対象とした公募新人文学賞)を受賞した第1章の「聖職者」は女性教師の告白体をとっていますが、これだけでもかなり衝撃的な内容。その後も同じくモノローグ形式で、犯人の級友、犯人の家族、犯人の少年達と繋いで1つの事件を多角的に捉え物語に厚みを持たせる一方、話は第2、第3の事件へと展開していきます。

 「本屋大賞」において、貴志祐介、天童荒太、東野圭吾、伊坂幸太郎ら先輩推理作家の候補作を押しのけての堂々の受賞であるのも関わらず、Amazon.comなどで見る評価は(ベストセラーにありがちなことだが)結構割れているみたいでした。ネガティブ評価の理由の1つには、読後感が良くない、登場人物に共感できず"救い"が見えないといったものがあり、もう1つにはプロットに現実性が乏しいといったところでしょうか。

 「登場人物に共感できない」云々という感想については、「聖職者」「殉教者」「慈愛者」といった章タイトルがそれぞれに反語的意味合いを持っていることからすれば、当然のことかも。それぞれの章の「語り手」乃至「その対象となっている人物」(第3章の「慈愛者」などは「語り手」と「対象人物」の入籠構造となっている)に対し、作者は等距離を置いているように思いました。

 それらの何れをも否定しきってしまうのではなく、内面に寄り添って描いている部分がそれぞれにあって、そのために、最初に誰かに過剰に感情移入して読んでしまった読者との間には、齟齬が出来るのではないかと。
 
 個人的には、そうした登場人物の描き方は、登場人物への読者の過度の感情移入も制限する一方で、通り一遍に拒絶するわけにもいかない思いを抱かせ、物語に重層的効果を持たせることに繋がっていて、「読後感は最悪」という「本屋大賞」に絡めた帯キャッチも、賛辞として外れていないように思えました。

 プロットに関しても、重いテーマを扱った作品は往々にして問題提起に重点が行き、エンタテイメントとしてはそう面白くなかったりすることがあるのに対し、この作品の作者はストーリーテラーとしての役割をよく果たしているように思えました。

 但し、プロット自体はともかく、モノローグ形式を貫いたがために、なぜ最後に登場する語り手が全てお見通しなのか、どうして病いの身にある、しかも有名人が、学校に忍び込んで易々と事を成し遂げることが出来るのか等々に対する状況説明部分が弱く(そこに至るまでも幾つか突っ込み所が無いわけではない)、自分としてはその点での物足りなさが残り、星1つマイナス。しかしながら新人にしては手慣れているというか、作品の持つ吸引力のようなものは新人離れしていると言っていいのでは。
Kokuhaku (2010)
Kokuhaku (2010).jpg
告白 映画.jpg(●2010年6月に中島哲也監督、松たか子主演で映画化され、キネマ旬報「2010年度日本映画ベストテン」第2位、第34回日本アカデミー賞では最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀脚本賞・最優秀編集賞を受賞した一方、『映画芸術』誌選出の「2010年度日本映画ベストテン&ワーストテン」ではワースト1位に選出された。章ごとに語り手が、森口悠子(第1章「聖職者」)、北原美月(第2章「殉教者」)、下村優子(第3章「慈愛者」)、下村直樹(第4章「求道者」)、渡辺修哉(第5章「信奉者」)、最後再び森口悠子(第6章「伝道者」)と変わっていく原作のスタイルを緩やかに踏襲していている。全体としてイメージビデオ風の作りになっていて、時系列もやや原作と異なるが、もともと原作そのものが映画「羅生門」のようなカットバック方式なので、その点はあまり気にならなかった。原作は、主人公の独白である第1章「聖職者」はともかく、第2章以降、日記が小説風に書かれているなどの"お約束事"告白 映画 木村佳乃.jpgがあるが、映画ではそうした不自然さはむしろ解消されている。原作について、ラストの大学での爆破は実際にあったのかどうかという議論があるが、映画のラストシーンはロケ上の都合でCG撮影となったそうで、このことが、「実際には爆破はなく、修哉のイメージの世界での"出来事"に過ぎなかった」説を補強することになったようにも思う。主演の松たか子の演技より、助演の木村佳乃(ブルーリボン賞助演女優賞受賞)の演技の方が印象に残った。彼女が演じたモンスター・ペアレントは湊かなえ作品におけるある種の特徴的なキャラを体現していたように思う。
中島哲也監督/木村佳乃/松たか子/岡田将生
「告白」3.jpg告白 【DVD特別価格版】 [DVD]
告白 dvd.jpg告白 .jpg「告白」●制作年:2010年●監督・脚本:中島哲也●製作:島告白 能年玲奈 橋本愛.jpg谷能成/百武弘二 ほか●撮影:阿藤正一/尾澤篤史●音楽:金橋豊彦(主題歌:レディオヘッド「ラスト・フラワーズ」)●時間:106分●出演:松たか子/岡田将生/木村佳乃/芦田愛菜/山口馬木也/高橋努/新井浩文/黒田育世/山田キヌヲ/ 鈴木惣一朗/金井勇太/二宮弘子/ヘイデル龍生/山野井仁/(以下、B組の生徒(一部))《男子》大倉裕真/中島広稀/清水尚弥/前田輝/藤原薫/草川拓弥/樺澤力也/三村和敬/井之脇海/西井幸人/《女子》知花/伊藤優衣/橋本愛能年玲奈/栗城亜衣/三吉彩花/山谷花純/岩田宙/斉藤みのり/吉永アユリ/奏音/野本ほたる/刈谷友衣子●公開:2010/06●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷・CINE QUINTO(シネクイント)(10-06-30)(評価:★★★☆) 
橋本愛 能年玲奈 in「あまちゃん」(2013年/NHK)
橋本愛 能年玲奈 あまちゃん.jpg あまちゃん.jpg
パルコスペース Part3.jpg渋谷シネクイント劇場内.jpgCINE QUINTO tizu.jpgCINE QUINTO(シネクイント) 1981(昭和56)年9月22日、演劇、映画、ライヴパフォーマンスなどの多目的スペースとして、「PARCO PART3」8階に「PARCO SPACE PART3」オープン。1999年7月~映画館「CINE QUINTO(シネクイント)」。 2016(平成28)年8月7日閉館。

 【2010年文庫化[双葉文庫]】

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犯人決めつけ的な導入を"お約束事"として諒解してしまえば、『点と線』同様に楽しめるかも。

時間の習俗 カッパノベルズ.jpg時間の習俗 新潮文庫.jpg 時間の習俗2.jpg 点と線.png 松本清張スペシャル 時間の習俗2.jpg松本清張スペシャル 時間の習俗.jpg
時間の習俗 (1962年) (カッパ・ノベルス)』『時間の習俗 (新潮文庫)』 [旧版/新版])『点と線―長編推理小説 (カッパ・ノベルス (11-4))』 「時間の習俗」['14年/フジテレビ]内野聖陽/津川雅彦
2025.3.30 蓼科新湯温泉にて   関門海峡を望む和布刈神社/旧正月の和布刈神事 [共同通信社]
新湯 時間の習俗.jpgMekari Shrine.jpg和布刈神事.jpg 神奈川県・相模湖畔で運送業の業界紙の社長が、女性とカップルで旅館を訪れた後に死体で発見されるが、同伴の女性の行方は杳として知れず、容疑者であるタクシー会社の専務には、丁度その時刻、北九州・門司の和布刈神社で毎年旧正月深夜に行われる「和布刈神事」を参観し、その様子をカメラに収めているという完璧なアリバイがあった―。

『時間の習俗』「旅」誌.jpg 『点と線』('57(昭和32)年発表)が掲載されたのと同じ「旅」誌の'61(昭和36)年5月号から翌年11号にかけて連載された作品で、『点と線』と同じように東京の三原警部補と博多の鳥飼刑事のコンビが、容疑者の完璧なアリバイに臨むもの。因みに、松本清張の残した膨大な作品の中で、「シリーズもの」の小説はこの作品だけと言われています(むしろ「姉妹作」と呼ぶべきか)。

『時間の習俗』.JPG 『点と線』は『ゼロの焦点』と並ぶ作者の代表作ですが、社会派的色彩の強い『ゼロの焦点』に比べ、『点と線』の方が謎解きのウェイトが高いように思え、それでも『点と線』もまた犯人の動機から「社会派推理小説」と呼ばれるわけですが、その続編とも言うべきこの作品は(事件自体は全く別物)、完全にアリバイ崩しに焦点を合わせた純粋ミステリになっています。

 三原警部補の頭の中が完全に「点と線」モードになっていて、一番完璧なアリバイを持っているように見える、考えられる容疑者の中で事件から最も遠そうな人物に最初からターゲットを絞り込んでおり(殆ど「刑事コロンボ」のような倒叙法に近いと言える)、この点が不自然と言えば不自然かも知れませんが、その分アリバイ崩しに"効率良く"没頭することが出来、結果として、"完璧過ぎる"アリバイや崩しても崩しても現れる新たなアリバイに、ここまで周到にやるからには犯人はこいつしかないと誰もが思うだろうと...途中から納得。

 終盤の畳み掛けるようなアリバイ崩しの展開がテンポ良く、作家の力量を窺わせますが、「犯人決めつけ」的な導入を"お約束事"として諒解してしまえば、トータルで見て『点と線』と同様に楽しめるのではないかとも思いました(写真トリック等には時代を感じるが、それも昭和ノスタルジーとして味わえばいいか)。

時間の習俗(TBS).jpg時間の習俗 ドラマ.jpg と言いつつ、何十年ぶりかの再読で相当に中身を忘れてしまっていて、幸か不幸か殆ど初読のような感じで読めましたが、こうした「推理」主体のものは、時々読み返したり映画化されたりしたものを観たりしないと、結構どんな話だったか忘れるなあと思った次第です(この作品は映画化はされていないが、下記の通り2度ばかりドラマ化はされている)。
 •1963年「時間の習俗(NHK)」大木実・冨田浩太郎・中村栄二
 •1982年「時間の習俗(TBS)」萩原健一・藤真利子・井川比佐志

「時間の習俗」(1982年、TBS)

 【1962年ノベルズ版[光文社]/1972年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●2014年再ドラマ化 【感想】 原作の精緻なトリックは端折って、サイドストーリーをBL小説風に拡大した感じか。三原警部補のキャラクターも原作のクールな印象からかなり粗野な感じに改変されていた。3度目のドラマ化なので何か新味を持たせようとしたのだろうが、32年ぶりのドラマ化でもあり、原作通りでいって欲しかった。

時間の習俗 フジテレビ0.jpg時間の習俗 フジテレビ2.jpg時間の習俗 フジテレビ3.jpg「松本清張スペシャル 時間の習俗~フジテレビ開局55周年特別番組」●演出:光野道夫●脚本:浅野妙子●原作:松本清張●出演:内野聖陽/津川雅彦/加藤雅也/木南晴夏/田村亮/片岡信和/橋本じゅん/酒井若菜/千葉雄大/梅沢昌代/小須田康人/伊藤正之/井上肇/やべけんじ/山地健仁●放映:2014/04/10(全1回)●放送局:フジテレビ

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「●「ロンドン映画批評家協会賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ(「眺めのいい部屋」)「●「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」受賞作」の インデックッスへ(「眺めのいい部屋」)「●「ヴェネツィア国際映画祭 銀獅子賞」受賞作」の インデックッスへ(「モーリス」)「●「ヴェネツィア国際映画祭 男優賞」受賞作」の インデックッスへ(ジェームズ・ウィルビー/ヒュー・グラント「モーリス」)「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「○都内の主な閉館映画館」の インデックッスへ(池袋文芸坐2) 「●い カズオ・イシグロ」の インデックッスへ

イギリス映画らしい上品さを保ちつつ、階級間の価値観の対立を抉った「眺めのいい部屋」。

眺めのいい部屋 room_with_view.jpg眺めのいい部屋.jpg モーリス チラシ.jpg ジェームズ・アイヴォリー 「モーリス」.jpg  日の名残り.jpg
「眺めのいい部屋」('86年)チラシ/「眺めのいい部屋 完全版 [DVD]」/「モーリス」('87年)チラシ ヒュー・グラント/ジェームズ・ウィルビー/「日の名残り [DVD]

眺めのいい部屋 A Room with a View.jpg ヒロイン・ルーシー(ヘレナ・ボナム・カーター)は、年配の従姉(マギー・スミス)に付き添われイタリアを旅行する中、フィレンツェの宿で景色の良くない部屋に当たってしまうが、風変わりなエマソン父子と知り合い、眺めいい部屋と交換してもらうことになる。言葉数は少ないが自分の気持ちに正眺めのいい部屋2.jpg直な青年ジョージ・エマソン(ジュリアン・サンズ)はルーシーに恋をし、ピクニック先の草原でルーシーに情熱的なキスをする。従姉によって引き離されるように帰途についたルRoom with a View, A (1986).jpgーシーは、イギリスでの日常生活に戻ると上流階級のインテリのシシル(ダニエル・デイ・ルイス)と婚約をし、彼女にとってジョージとの出来事は旅の思い出に留まるはずだったのが、何とエマソン父子が近所に越してきてしまう―。

 「眺めのいい部屋」('86年/英)は、英国アカデミー賞で作品賞、主演女優(マギー・スミス)、助演女優(ジュディ・デンチ)、衣装デザイン賞、美術の5部門を獲得した作品(ロンドン映画批評家協会賞の作品賞も受賞)。イギリス映画らしい上品さに溢れた映画でありながら、中流に属する女性の恋と結婚を通して、階級間の価値観の対立という構図を抉ってみせています。主人公の婚約者が最上流ということになるのでしょうが、ダニエル・ディ・ルイスがそのスノッブぶりを好演していて、主人公の年配の従姉は上流を気取る中流といったところでしょうか。その年配の従姉を演じるマギー・スミスは、最近はハリー・ポッター・シリーズでお馴染みですが、この頃から今みたいな感じ。一方のヘレナ・ボナム・カーターは、こちらはハリー・ポッター・シリーズに出るようになって魔女づいてすっかりイメージ変わってしまいましたが、彼女の曾祖父は第一次世界大戦開戦時のイギリス首相というマギー・スミス 眺めのいい部屋.jpg「眺めのいい部屋」5.jpgヘレナ・ボナム=カーター ハリー・ポッター.jpg血筋あり、彼女自身ケンブリッジ大学に合格したインテリです。

マギー・スミス in 「眺めのいい部屋」/ヘレナ・ボナム・カーター in 「眺めのいい部屋」「ハリー・ポッターと死の秘宝」

 彼らの対極にいるのが、階級では彼らより下層の自由主義者のエマソン父子で、主人公が、父子の息子への恋を通して、自らを覆っていた欺瞞の皮を1枚ずつ剥いでいく様が、丹念に描かれているように思えました。そんなにストーリー的にインパクトがあるものではないのですが、格調高いセットや衣装と透明感あふれる映像はまさにイギリス映画を見たという感じ、但し、監督のジェームズ・アイヴォリーはアメリカ人、製作のイスマイール・マーチャントはインド人です(米アカデミー賞では脚色賞、衣装賞、美術賞の3部門を受賞)。 

E.M.フォースター著作集 2 眺めのいい部屋』['93年/みずず書房]2025.6.6 蓼科新湯温泉にて/「モーリス」('87年)
新湯 眺めのいい部屋.jpgFilm Stills from Maurice.bmp 原作はE・M・フォースター(1879-1970)の同名小説で、ジェームズ・アイヴォリー監督の作品では、「インドへの道」('84年)、「モーリス」('87年)、「ハワーズ・エンド」('92年)もフォースターの原作ですが、いかにもイギリス映画という感じでありながら、異文化要素が織り込まれており(「モーリス」は、地理的な異文化ではなく、ホモ・セクシュアルという異文化だが)、いずれの作品も複数の文化を相対化する視点のもと、貴族社会(即ち"世俗的なもの")に対する批判や皮肉が込められているように思います(因みに、E・M・フォースター自身ゲイだったそうで、「モーリス」を観ると彼自身がそのことで苦悩したことが窺える)。

 「モーリス」でヒュー・グラントが演じた、ジェームズ・ウィルビー演じる主人公とは対照的な生き方をする若者の演技は絶品でした。人を"その道"に引き摺り込んでおいて、自分は...(ヴェネツィア国際映画祭「銀獅子賞」受賞作。ヒュー・グラントはジェームズ・ウィルビーと共に同映画祭「男優賞」を受賞)。彼が演じた政治家が現実の誰かと重なったのかどうかは知りませんが、この作品は社会問題にもなったそうです。ヒュー・グラントが「フォー・ウェディング」('94年)のようなロマンティック・コメディに出ているのは、「モーリス」のイメージを払拭するためではないかと思ったぐらいです。 

「日の名残り」('93年)
村上春樹 09.jpgRemains of the Day.gif あの村上春樹も「カズオ・イシグロのような同時代作家を持つこと」を幸せだとインタビューで述べている、そのカズオ・イシグロが原作の「日の名残り」('93年)も含め、ジェームズ・アイヴォリー監督の撮る作品にあまりハズレがないように思われ、「眺めのいい部屋」でのダニエル・ディ・ルイスや「モーリス」でのヒュー・グラント、「日の名残り」でのアンソニー・ホプキンスなど、既に良く知られている役者の使い方も、この監督の手にかかるとまた別な味が出てくるという気がします。

 とりわけ、イギリスの名門家に仕えてきた老執事が自分の半生を回想し、仕事のために犠牲にしてしまった愛を確かめる様を描いた「日の名残り」においては、アンソニー・ホプキンスを老執事に配し、その演技の魅力を大いに引き出していたように思います(この執事を見ていると『葉隠』の"忍ぶ羊たちの沈黙 アンソニー・ホプキンスs.jpg恋"を想起させられる)。尤も、アンソニー・ホプキンス(「羊たちの沈黙」('91年/米)でハンニバル・レクターを演じアカデミー賞主演男優賞を受賞した)という俳優は、「台本至上主義」「台本絶対主義」で知られる役者で、撮影に入る前にはもう台本上の役の人物になり切っているそうですが。

アンソニー・ホプキンス in「羊たちの沈黙」('91年/米)

「眺めのいい部屋」.jpg「眺めのいい部屋」●原題:A ROOM WITH A VIEW●制作年:1986年●制作国:イギリス●監督: ジェームズ・アイヴォリー●製作:イスマイール・マーチャント●脚色:ルース・プラヴァー・ジャブヴァーラ●撮影:トニー・眺めのいい部屋 ダニエル・デイ=ルイス.jpgピアース・ロバーツ●音楽:リチャード・ロビンズ●原作:E・M・フォースター●時間:114分●出演:ヘレナ・ボナム・カーター/ジュリアン・サンズ/マギー・スミス/ダニエル・ディ・ルイス/デナム・エリオット●日本公開:1987/07●配給:シネマテン●最初に観た場所:池袋文芸坐2 (88-09-15)(評価:★★★★)●併映:「モーリス」(ジェームズ・アイヴォリー)
文芸坐2-1.jpg文芸坐2 (池袋文芸地下) 1988年に「文芸地下」を「文芸坐2」と名称変更。1997(平成9)年3月6日閉館

モーリス.jpg「モーリス」●原題:MAURICE●制作年:1987年●制作国:アメリカ●監督: ジェームズ・アイヴォリー●製作:イスマイール・マーチャント●脚本:キット・ヘスケス・ハーヴェイ/ジェームズ・アイヴォリー●撮影:ピエール・ロム●音楽:リチャード・ロビンズ●原作:E・M・フォースター●時間:140分●出演:ジェームズ・ウィルビー/ヒュー・グラント/ルパート・グレイヴス/デンホルム・エリオット/サイモン・カロウ●日本公開:1988/01●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:池袋文芸坐2 (88-09-15)(評価:★★★★)●併映:「眺めのいい部屋」(ジェームズ・アイヴォリー)

日の名残り07.jpg「日の名残り」●原題:REMAINS OF THE DAY●制作年:1993年●制作国:イギリス●監督: ジェームズ・アイヴォリー●製作:マイク・ニコルズ/ジョン・キャリー/イスマイール・マーチャント●脚色:ルース・プラヴァー・ジャブヴァーラ●撮影:トニー・ピアース・ロバーツ●音楽:リチャード・ロビンス●原作:カズオ・イシグロ 「日の名残り」●時間:134分●出演:アンソニー・ホプキンズ/エマ・トンプソン/ジェームズ・フォックス/クリストファー・リーヴ/ヒュー・グラント●日本公開:1994/03●配給:コロムビア映画(評価:★★★★)

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従来の文学作品の類型の何れにも属さず、かつ小説的濃密さを持つムルソーの人物造型。

異邦人 単行本(1951).jpg 異邦人 1984.jpg 異邦人1.jpg 異邦人 1999.jpg   異邦人ポスター.jpg
異邦人 (新潮文庫)』['84年]['99年]/企画タイアップカバー['09年]映画「異邦人」(1967)ポスター
単行本['51年/新潮社]
異邦人 新潮文庫 1.jpgAlbert Camus.jpg 1942年6月に刊行されたアルベール・カミュ(Albert Camus、1913‐1960/享年46)の人間社会の不条理を描いたとされる作品で、「きょう、ママンが死んだ」で始まる窪田啓作訳(新潮文庫版)は読み易く、経年疲労しない名訳と言えるかも(新潮社が仏・ガリマール社の版権を独占しているため、他社から新訳が出ないという状況はあるが)。

Albert Camus
異邦人 (新潮文庫)』['54年]

 養老院に預けていた母の葬式に参加した主人公の「私」は、涙を流すことも特に感情を露わにすることもしなかった―そのことが、彼が後に起こす、殆ど出会い頭の事故のような殺人事件の裁判での彼の立場を悪くし、加えて、葬式の次の日の休みに、遊びに出た先で出会った旧知の女性と情事にふけるなどしたことが判事の心証を悪くして、彼は断頭台による死刑を宣告される―。

L'Etranger.png 仏・ガリマール社からの刊行時カミュは29歳でしたが、この小説が実際に執筆されたのは26歳から27歳にかけてであり(若い!)、アルジェリアで育ちパリ中央文壇から遠い所にいたために認知されるまでに若干タイムラグがあったということでしょうか。但し、この作品がフランスで刊行されるや大きな反響を呼び、確かに、自分の生死が懸かった裁判を他人事のように感じ、最後には、「私の処刑の日に大勢の見物人が集まり、憎悪の叫びをあげて、私を迎えることだけ」を望むようになるムルソーという人物の造型は、それまでの文学作品の登場人物の類型の何れにも属さないものだと言えるのでは。1957年、カミュが43歳の若さでノーベル文学賞を受賞したのは、この作品によるところが大きいと言われています。
  
Gallimard版(1982)

新湯 バンド・デシネ 異邦人.jpg カフカ的不条理とも異なり、第一ムルソーは自らの欲望に逆らわず行動する男であり(ムルソーにはモデルがいるそうだが、この小説の執筆期間中、カミュ自身が2人の女性と共同生活を送っていたというのは小説とやや似たシチュエーションか)、また、公判中に自分がインテリであると思われていることに彼自身は違和感を覚えており(カミュ自身、自らが実存主義者と見られることを拒んだ)、最後の自らの死に向けての"積極"姿勢などは、むしろカフカの"不安感"などとは真逆とも言えます。

バンド・デシネ 異邦人』['18年](ジャック・フェランデス:イラスト/青柳悦子:訳)2025.3.30 蓼科新湯温泉にて

サルトル .jpg サルトルは「不条理の光に照らしてみても、その光の及ばない固有の曖昧さをムルソーは保っている」とし、これがムルソーの人物造型において小説的濃密さを高めているとしていますが、このことは、『嘔吐』でマロニエの樹を見て気分が悪くなるロカンタンという主人公の"小説的濃密さ"の欠如を認めているようにも思えなくもないものの、『嘔吐』と比較をしないまでも、第1部の殺人事件が起きるまでと第2部の裁判場面の呼応関係など、小説としてよく出来ているように思いました。
 
The Stranger 1967.jpg異邦人QP.jpg ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti、1906‐1976/享年69)監督がマルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni、1924‐1996/享年72)を主演としてこの『異邦人』を映画にしていますが('67年)、テーマがテーマである上に、小説の殆どはムルソーの内的独白(それも、だらだらしたものでなく、ハードボイルドチックな)とでも言うべきもので占められていて、情景描写などはかなり削ぎ落とされており(アルジェリアの養老院ってどんなのだTHE STRANGER (LO STRANIERO)s.jpgろうか、殆ど情景描写がない)、映画にするのは難しい作品であるという気がしなくもありませんでした。それでもルキノ・ヴィスコンティ監督は果敢に映像化を試みており、当初映画化を拒み続けていたカミュ夫人が原作に忠実に作ることを条件として要求したこともありますが、文庫本に置き換異邦人パンフレット.jpgえるとほぼ1ページも飛ばすことなく映像化していると言えます。第2部の裁判描写はともかく、第1部での主人公とさまざまな登場人物とのやりとりが第2部の裁判場面の伏線となっている面もあり、その第1部のさまざまな場面状況が具体的に掴めるのが有難いです(そう言えばこの作品、かつて日本語吹き替え版がテレビ放映されたこともあるのに、なぜかDVD化されていないなあ)。

映画プレミアパンフレット 「異邦人(A4/紺背景版)」 監督 ルキノ・ビスコンティ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ/アンナ・カリーナ/ベルナール・ブリエ/ジョルジュ・ウィルソン/ブルノ・クレメール/ピエール・バルタン/ジャック・エラン/マルク・ローラン/ジョルジュ・ジレー

The Stranger 1967  2.jpgルキノ・ヴィスコンティ監督の『異邦人』.jpg 松岡正剛氏はこの映画を観て、ヴィスコンティはムルソーを「ゲームに参加しない男」として描ききったなという感想を持ったそうで、これは言い得ているのではないかという気がします。原作にも、「被告席の腰掛の上でさえも、自分についての話を聞くのは、やっぱり興味深いものだ」という、主人公の冷めた心理描写があります。一方で、ラストのムルソーの司祭とのやりとりを通して感じられる彼の「抵抗」とその根拠みたいなものは映画ではやや伝わってきにくかったように思われ、映像化することで抜け落ちてしまう部分はどうしてもあるような気がしました。だだ、そのことを考慮しても、ルキノ・ヴィスコンティ監督の挑戦は一定の評価を得てもいいのではないかとも思いました。

映画異邦人2.jpg この世の全てのものを虚しく感じるムルソーは、自らが処刑されることにそうした虚しさからの自己の解放を見出したともとれますが、ああ、やっぱり死刑はイヤだなあとか単純に思ったりして...(小説は獄中での主人公の決意にも似た思いで終わっている)。ムルソーが母親の葬儀の翌日に女友達と海へ水遊びに行ったのは、彼が養老院の遺体安置所の「死」の雰囲気から抜け出し、自らの心身に「生」の息吹を獲り込もうとした所為であるという見方があるようです。映画を観ると、その見方がすんなり受け入れられるように思いました。

映画「異邦人(Lo straniero)」より

lo_straniero1.jpg ママンの出棺を見るムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)
lo_straniero2.jpg 葬儀の翌日、海辺で女友達(アンナ・カリーナ)に声をかける
lo_straniero3.jpg アラブ人達と共同房にて(死刑確定後は独房に移される)

映画 異邦人.jpg映画 「異邦人」.jpg異邦人 .jpg「異邦人」●原題:THE STRANGER (LO STRANIERO/L'ÉTRANGER)●制作年:1967年●制作国:イタリア・フランス・アルジェリア●監督:ルキノ・ヴィスコンティ●製作:ディノ・デ・ラウレンティス●脚本:スーゾ・チェッキ・ダミーコ/エマニュエル・ロブレー/ジョルジュ・コンション●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ピエロ・ピッチオーニ●原作:アルベール・カミュ「異邦人」●時間:104分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ(ムルソー)/アンナ・カリーナ(マリー・カルドナ)/映画チラシ 「異邦人」 岩波シネサロン 8.jpg映画チラシ 「異邦人」 岩波シネサロン 1.jpgジョルジュ・ウイルソン(予審判事)/ベルナール・ブリエ(弁護人)/ジャック・エルラン(養老院の院長)/ジョルジェ・ジュレ(レイモン)/ジャン・ピエール・ゾラ(事務所の所長)/ブリュノ・クレメール(神父)/アルフレード・アダン(検事)/アンジェラ・ルーチェ(マッソン夫人)/ミンモ・パルマラ(マッソン)/ヴィットリオ・ドォーゼ(弁護士)●日本公開:1968/09●配給:岩波ホールビル.jpgパラマウント●最初に観た場所:岩波シネサロン(80-07-13)●2回目:池袋文芸座ル・ピリエ(81-06-06)(評価:★★★★)●併映(2回目):「処女の泉」(イングマル・ベルイマン)
岩波シネサロン(岩波ホール9F)

「岩波ホール」閉館(2022.7.29)「異邦人」上から2段目/右から8番目
「岩波ホール」閉館.jpg

Ihôjin (1967)
Ihôjin (1967).jpg
IMG_4920.JPG異邦人 新潮文庫.jpg   
    
新潮文庫 旧版・新装版
 
 【1954年文庫化[新潮文庫〕】

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下層社会に暮らす少年の鬱屈と抵抗を、自らの体験に近いところで描くリアリティ。だが、文学作品の映画化は難しい。
『長距離走者の孤独』  .JPG長距離走者の孤独.jpg  長距離ランナーの孤独.jpg Alan Sillitoe.jpg Alan Sillitoe
長距離走者の孤独 (新潮文庫)』/映画「長距ランナーの孤独」('62年)
カバー:池田満寿夫

「長距離走者の孤独」.jpg 新潮文庫版は、1958年に発表された「長距離走者の孤独」(The Loneliness of the Long Distance Runner)をはじめ、アラン・シリトー(Alan Sillitoe、1928‐2010の8編の中短編を収めていますが、貧しい家庭で育ち、盗みを働いて感化院に送られた少年の独白体で綴られた表題作が、内容的にも表現的にも群を抜いています。

 アラン・シリトーにはこの他にも、『土曜の夜と日曜の朝』といった代表作がありますが、それらと比べても印象に残LonelinessLongRunner.jpg長距離ランナーの孤独1.jpgっているし、トニー・リチャードソン(Tony Richardson、1928-1991)監督の映画化作品「長距離ランナーの孤独」('62年/英)も有名です。主人公を演じたのはトム・コートネイで、舞台出身ですが、映画はこの作品が実質初出演で初主演でした(後に、「魚が出てきた日」('67年)、「イワン・デニーソヴィチの一日」('74年)などで主演することになる)。
"Loneliness of Long Distance Runner" (1962/UK)/日本版VHS(絶版)

 もともと原作が手記形式なので、映画で主人公が長距離走において遅れてゴールした後ニヤリと笑うなど、映像での表現上やや説明的にならざるを得ないのはいたし方ないか(原作では、他人からは泣きそうになっているように見えるだろうが、実はこれ、"勝利の嬉し泣き"をこらえていたのだ、ということになっている。映画脚本はシリトー自身)。

ホテル・ニューハンプシャー 1.jpgホテル・ニューハンプシャー 0.jpg トニー・リチャードソンは、文芸作品の映画化の名手で、ジョン・アーヴィング原作の映画化作品「ホテル・ニューハンプシャー」('84年/米・英・カナダ) もこの監督によるものであり、これはホテルを経営する家族の物語ですが、ジョディーフォスター、ロブ・ロウ、ナスターシャ・キンスキーという取り合わせが今思ホテル・ニューハンプシャー 01.jpgえば豪華。少なくとも1人(J・フォスター演じるフラニー)乃至2人(N・キンスキー演じる"熊のスージー")の女性登場人物がレイプされて心の傷を負っており、また家族が次々と死んでいく話なのに、観終わった印象は暗くないという、不思議な映画でした(「ガープの世界」もそうだが、ジョン・アーヴィング作品の登場人物は、何かにつけてモーレツと言うか極端な人が多い)。

マドモアゼル [DVD]」Tony Richardson/with Vanessa Redgrave on the set of the 1967 film The Sailor from Gibraltar
マドモアゼル DVD2.jpgトニー・リチャードソン.jpgVanessa Redgrave and Tony Richardson.jpg トニー・リチャードソンは、女優のヴァネッサ・レッドグレイヴと結婚し、2人の娘がいましたが、「二十四時間の情事」('59年/日・仏)、「かくも長き不在」('61年/仏)の原作者でもあるマルグリット・デュラス原作の「マドモアゼル」('66年/仏)の撮影でジャンヌ・モローと恋に落ち、1967年にレッドグレイヴと離婚しています。彼はバイセクシュアルで、1991年、エイズによる合併症のため亡くなっていますが、その死を看取ったのはジャンヌ・モローでした。シーラ・ディレーニーの『蜜の味』などの文芸作品も映画化していますが、「マドモアゼル」の翌年に撮られたマルグリット・デュラス原作の「ジブラルタルの追想」('67年/英)と、ウラジミール・ナボコフが原作の「悪魔のような恋人」('69年/英)を名画座ジブラルタルの追想2.pngで二本立てで観ました。

映画プレスシート/ジャンヌ・モロー「ジブラルタルの追想」

「ジブラルタルの追想」.jpgジャンヌ・モロー2.png マルグリット・デュラスTHE SAILOR FROM GIBRALTAR PERFORMER.jpg原作の「ジブラルタルの追想」は、イタリア旅行中の青年がジブラルタルででアンナ(ジャンヌ・モロー)という女性と出会い、アランの方は彼女を真剣に愛し始めるが、アンナは楽しさだけでアランに身を任せている印象で、そんなジブラルタルの追想o.jpg折、アンナの行方知らずとなっていた恋人が現われたというニュースが飛び込んでくる-というストーリー。一部ミュージカル仕立てで、唄っているジャンヌ・モローが綺麗ですが映画自体は凡庸で(あくまでも個人的印象であって、女性映画の傑作とする人もいる)、やはり文学作品を映画化してその本質を損なわないようにするのは往々にして難しいのかと思いました(因みにジブラルタルはヨーロッパ大陸で唯一今も残る英国植民地で、ここからアフリカ大陸が見渡せるが、自分が旅行した頃は軍事基地があるという理由で近づけなかった。但し、今は観光地化して旅行者に比較的オープンになっている。アフリカ大陸はジブラルタルの手前からでも見渡せた)。
映画プレスシート ジャンヌ・モロー「ジブラルタルの追想」」 ('67年/英)

映画プレスシート/アンナ・カリーナ「悪魔のような恋人」
悪魔のような恋人3.jpg悪魔のような恋人9.jpg「悪魔のような恋人」 vhs.png 一方、ナボコフ原作の「悪魔のような恋人」は、金持ちの画商が小悪のような少「悪魔のような恋人」 カリーナ.jpg 女に破滅させられていく話なのですが、アンナ・カリーナの蠱惑的魅力を十分に引き出して佳作に仕上げており(この作品のアンナ・カリーナが演じる女性はかなり残忍でもある)、「ホテル・ニューハンプシャー」の成功に繋がる"文芸監督"の素地がこの頃からあったと―。

Alan Sillitoe
Alan Sillitoe2.jpg アラン・シリトー原作の『長距離走者の孤独』のストーリー自体はシンプルで、書けば"ネタばれ"になってしまうのですが(もう一部書いてしまったが、と言っても、広く知られているラストだが)、ラスト以外でのこの作品の優れた点は、主人公の少年コリンが友人と共にパン屋に強盗に入ったために捕まる場面で、刑事が自宅に捜索に来た時の主人公の心理などは、作者の体験談ではないかと思われるぐらい目いっぱいの臨場感があります。

 アラン・シリトーは、50年代に登場し偽善的な体制や権力者を糾弾した《怒れる若者たち》と呼ばれる作家グループの1人ですが、このグループに属するとされる『怒りをこめてふりかえれ』のジョン・オズボーンや『急いで駆け降りよ』のジョン・ウェインなどは、概ね一流大学出身で大学に教職を得た知識人であるのに対し、シリトーは、工場労働者の家庭の出身で、自らも熟練工員でした。

 結局、《怒れる若者たち》の作家達の作品群で、今世紀になっても最も読み継がれている作品を1つ挙げるとすれば『長距離走者の孤独』になるわけで、その理由として、シンプルだが象徴的な結末と併せて、下層社会に暮らす少年の鬱屈と抵抗を、自らの体験に近いところで描いていることからくるリアリティが挙げられるのではないかと思います。

長距離ランナーの孤独  .jpg「長距離ランナーの孤独」.jpg「長距離ランナーの孤独」●原題:THE LONELINESS OF THE LONG DISTANCE RUNNER●制作年:1962年●制作国:イギリス●監督・製作:トニー・リチャードソン●脚本:スタンリー・ワイザー/アラン・シリトー●撮影:ウォルター・ラサリー●音楽:ジョン・アディソン●原作:アラン・シリトー●時間:104分●出演:トム・コートネイ/マイケル・レッドグレイヴ/ピーター・マッデン/ウィリアム・フォックス/トプシー・ジェーン/ジュリア・フォスター/フランク・フィンレイ●日本公開:1964/06●配給:昭映(評価:★★★)

イワン・デニーソヴィチの一日0.jpgイワン・デニーソヴィチの一日 チラシ.jpg「イワン・デニーソヴィチの一日」●原題:ONE DAY IN THE LIFE OF IWAN DENISOVICH●制作年:1971年●制作国:イギリス●製作・監督:キャスパー・リード●音楽:アーン・ノーディム●原作:アレクサンドル・ソルジェニーツィン●時間:100分●出演:トム・コートネイ/アルフレッド・バーク/ジェームズ・マックスウェル/エリック・トンプソン/エスペン・スクジョンバーグ●日本公開:1974/06●配給:NCC●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-11-16) (評価★★★)●併映「エゴール・ブルイチョフ」(セルゲイ・ソロビヨフ)

「魚が出てきた日」●原題:THE DAY THE FISH COME OUT●制作年:1967年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:マイケル・カコヤニス●撮影:ウォルター・ラサリー●音楽:ミキス・テオドラキス●時魚が出てきた日ps3.jpgTHE DAY THE FISH COME OUT 1967 .jpgキャンディス・バーゲンM23.jpg間:110分●出演:トム・コートネイキャンディス・バーゲン/サム・ワナメーカー/コリン・ブレークリー/アイヴァン・オグルヴィ/ディミトリス・ニコライデス/ニコラス・アレクション●日本公開:1968/06●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:中野武蔵野館(78-02-24)(評価:★★★☆)●併映:「地球に落ちてきた男」(ニコラス・ローグ)

ホテル・ニューハンプシャー dvd.jpgホテル・ニューハンプシャー02.jpg「ホテル・ニューハンプシャー」●原題:THE HOTEL NEW HAMPSHIRE●制作年:1984年●制作国:アメリカ・イギリス・カナダ●監督:トニー・リチャードソン●製作:ニール・ハートレイ/ピーター・クルーネンバーグ/デヴィッド・J・パターソン●脚本:トニー・リチャードソン●撮影:デイヴィッド・ワトキン●音楽:レイモンド・レッパード●原作:ジョン・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」●時間:109分●出演:ジョディーフォスタ/ロブ・ロウ/ボー・ブリッジス/ナスターシャ・キンスキー/フィルフォード・ブリムリー/ポール・マクレーン/マシュー・モディン●日本公開:1986/07●配給:松竹富士●最初に観た場所:三軒茶屋東映(87-01-25)(評価:★★★★)●併映:「プレンティ」(フレッド・スケピシ)ホテル・ニューハンプシャー [DVD]

ジブラルタルの追想ド.jpgジブラルタルの追想-orson-welles-ジブラルタルの追想.jpg「ジブラルタルの追想」●原題:THE SAILOR FROM GIBRALTAR●制作年:1967年●制作国:イギリス●監督:トニー・リチャードソン●製作:オスカー・リュウェンスティン●脚本:クリストファー・イシャーウッド/ドン・マグナー/トニー・リチャードソン●撮影:ラウール・クタール●音楽:アントワーヌ・デュアメル●原作:マルグリット・デュラス「ジ新湯 ジブラルタルの水夫.jpgジブラルタルの水夫 (ハヤカワ文庫 NV 16).jpgブラルタルから来た水夫(ジブラルタルの水夫)」●時ジブラルタルの水夫.jpgIan Bannen & Vanessa Redgrave.jpg間:90分●出演:ジャンヌ・モロー/イアン・バネン/オーソン・ウェルズヴァネッサ・レッドグレーヴ/ヒュー・グリフィス/ウンベルト・オルシーニ/ジョン・ハート●日本公開:1967/11●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:大塚名画座(78-12-12)(評価:★★☆)●併映:「悪魔のような恋人」(トニー・リチャードソン)
マルグリット・デュラス『ジブラルタルの水夫』['67年/ハヤカワ・ノヴェルズ]2025.6.7 蓼科新湯温泉にて/『ジブラルタルの水夫 (ハヤカワ文庫 NV 16)』『ジブラルタルの水夫』[Kindle版] Ian Bannen & Vanessa Redgrave

「悪魔のような恋人」●原題:LAUGHTER IN THE DARK●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:トニー・リチャードソン●製作:ニール・ハートリー/エリオット・カストナー●脚本:エドワード・ボンド●撮影:ディック・ブッシュ●音楽:レイモンド・レパード●原作:ウラジミール・ナボコフ「欲望」●時間:104分●出演:ニコル・ウィリアムソ悪魔のような恋人8.jpgLaughter in the Dark2.jpgン/アンナ・カリーナジャン=クロード・ドルオ/ピーター・ボウルズ/シアン・フィリップス/セバスチャン・ブレイク/ケイト・オトゥール/エドワード・ガードナー/シーラ・バーレル/ウィロビー・ゴダード/バジル・ディグナム/フィリッパ・ウルクハート(●日本公開:1969/05●配給:ユナイテッド・アーチスツ●最初に観た場所:大塚名画座(78-12-12)(評価:★★★★)●併映:「ジブラルタルの追想」(トニー・リチャードソ大塚駅付近.jpg大塚名画座 予定表.jpg大塚名画座4.jpg大塚名画座.jpgン)
大塚名画座(鈴本キネマ)(大塚名画座のあった上階は現在は居酒屋「さくら水産」) 1987(昭和62)年6月14日閉館


 
  

『長距離走者の孤独』.JPG【1973年文庫化[新潮文庫]/1978年再文庫化[集英社文庫]】

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オタク(引きこもり)に繋がる先駆的モチーフであるとともに、「愛」を巡る実験小説。

箱男2 安部公房.jpg箱男 安部公房.jpg  箱男 安部公房.jpg箱男 安部.jpg 1dpラマ箱男.jpg
箱男』['73年/新潮社] 『箱男 (新潮文庫)』 [旧版/新版] 「文學ト云フ事 第10回『箱男』」('94年/フジテレビ)
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯 箱男.jpg安部 公房 『箱男』8.jpg 1973(昭和48)年に刊行された本作品の単行本は、200ページ足らずのものですが、「箱入り」装填。内容は、頭からすっぽりとダンボール箱を被って世間から自分を遮断し「箱男」となった男の視点で綴られる奇妙な物語です。男が箱を作ろうと思ったのは、別の「箱男」を見たのがきっかけということでそれ以上の説明は無く、むしろ、だんだんと「箱男」化していく様や箱の作り方などが丹念に書かれているのが何だか変なムードです。

箱男 ハードカバー_.jpg その「箱男」が、自分に関心を寄せる(結果として自分が関心を寄せることになる)葉子という女性が看護婦を務める病院で医者をしている「贋箱男」と出くわした辺りから、物語の主体(語り手)が時折入れ替わり、実はこの医者は贋医者で、本当の医者は葉子の夫で、これも今は「箱男」として自分の病院に入院している―ということで、ややこしい。

箱男』['87年/新潮社ハードカバー]

 彼らが交互に語り手となり、誰が本当の「箱男」なのかという問いかけがありますが、「贋箱男」も含めれば実はみ〜んな「箱男」なのであり、一見ストーリー破綻しているように思えるけれども、冒頭で箱作りに勤しんでいたのは「贋箱男」だったわけで、プロット的には予め計算され尽くしたものと言えるかと思います(つまり、出だしから、物語の主体は何度か入れ替わっていたということになる)。

 作者はこの作品について、「箱の中の男には実態というものがありません。ただ箱の内側から世界を覗き見るだけです。外の人々は彼のことをただの箱だと考えて、人間だとは思っていません。だからこそ、この作品では見られることと見ることの関係が重要なモチーフとなるのです」(「ユリイカ」1998.4再掲)と語っています。
 オタク(または"引きこもり")の行動特性に繋がるような先駆的なモチーフであるとともに(ある意味「世に出るのが早すぎた作品とも言える)、箱男、贋箱男、葉子(ハコとも読める)の3者間の「愛」を巡る実験小説であるとも言えます。

 それはまた、箱男と贋箱男との間での「書く者」と「書かれる者」との支配権闘争ともとれるもので、争っているうちに(読んでいくうちに)最後は誰が本当の「箱男」(書く者)なのか、登場人物も読者もおぼつかなくなってくる―。

 発表当時に評価が割れたせいか、この作品は「砂の女」のように映画化はされていませんが、かつて、フジテレビの深夜枠であった「文學ト云フ事」という文芸作品の映画予告篇だけを作る番組で映像化されていて(1994年6月28日放映)、そこでは最後、元祖「箱男」が贋医者に看護婦・葉子(緒川たまき)を好きにしていいと言われて箱を抜け出し、その間に医者は箱にその身を隠し「箱男」となる―というストーリーになっていました。

 また、作中に作者自身が撮影した「箱男」目線の写真が何枚か挿入されていますが、作者はこれを「挿入詩」のようなものと捉えているらしく(前出「ユリイカ」)、文庫新装版のカバーデザインにその中の1枚が使われています。

 【1982年文庫化[新潮文庫]】

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「笑いの効用」について、三者三様に語る。ちょっと、パンチ不足?

『人間性の心理学』.JPG新湯 笑いの力.jpg笑いの力.jpg  人間性の心理学.jpg
笑いの力』岩波書店['05年] 宮城音弥『人間性の心理学』〔'68年/岩波新書〕
2025.6.7 蓼科新湯温泉にて

 '04年に小樽で開催された「絵本・児童文学研究センター」主催の文化セミナー「笑い」の記録集で、河合隼雄氏の「児童文化のなかの笑い」、養老孟司氏の「脳と笑い」、筒井康隆氏の「文学と笑い」の3つの講演と、3氏に女優で落語家の三林京子氏が加わったシンポジウム「笑いの力」が収録されています。

 冒頭で河合氏が、児童文学を通して、笑いによるストレスの解除や心に与える余裕について語ると、養老氏が、明治以降の目標へ向かって「追いつけ、追い越せ」という風潮が、現代人が「笑いの力」を失っている原因に繋がっていると語り、併せて「一神教」の考え方を批判、このあたりは『バカの壁』('03年)の論旨の延長線上という感じで、筒井氏は、アンブローズ・ビアスなどを引いて、批判精神(サタイア)と笑いの関係について述べています。

 「笑い」について真面目に語ると結構つまらなくなりがちですが、そこはツワモノの3人で何れもまあまあ面白く、それでも、錚錚たる面子のわりにはややパンチ不足(?)と言った方が妥当かも。 トップバッターの河合氏が「これから話すことは笑えない」と言いながらも、河合・養老両氏の話が結構笑いをとっていたことを、ラストの筒井氏がわざわざ指摘しているのが、やや、互いの"褒め合戦"になっているきらいも。

 人はなぜ笑うのか、宮城音弥の『人間性の心理学』('68年/岩波新書)によると、エネルギー発散説(スペンサー)、優越感情説(ホッブス)、矛盾認知説(デュモン)から純粋知性説(ベルグソン)、抑圧解放説(フロイト)まで昔から諸説あるようですが(この本、喜怒哀楽などの様々な感情を心理学的に分析していて、なかなか面白い。但し、学説は多いけれど、どれが真実か分かっていないことが多いようだ)、河合氏、養老氏の話の中には、それぞれこれらの説に近いものがありました(ただし、本書はむしろ笑いの「原因」より「効用」の方に比重が置かれていると思われる)。

 好みにもよりますが、個人的には養老氏の話が講演においても鼎談においても一番面白く、それが人の「死」にまつわる話だったりするのですが、こうした話をさらっとしてみせることができるのは、職業柄、多くの死者と接してきたことも関係しているかも。

桂枝雀.jpg その養老氏が、面白いと買っているのが、桂枝雀の落語の枕の創作部分で、TVドラマ「ふたりっ子」で桂枝雀と共演した三林京子も桂枝雀と同じ米朝門下ですが、彼女の話から、桂枝雀の芸というのが考え抜かれたものであることが窺えました。桂枝雀は'99年に自死していますが(うつ病だったと言われている)、「笑い」と「死」の距離は意外と近い?

宮城 音弥 『』『精神分析入門』『神秘の世界』『心理学入門[第二版]』『人間性の心理学
宮城音弥 岩波.jpg

《読書MEMO》
養老氏の話―
●(元旦に遺体を病院からエレベーターで搬出しようとしたら婦長さんが来て)「元旦に死人が病院から出ていっちゃ困る」って言うんですよ。それでまた、四階まで戻されちゃいました。「どうすりゃいいんですか」って言ったら、「非常階段から降りてください」と言うんです。それで、運転手さんとこんど、外側についている非常階段を、長い棺をもって降りる。「これじゃ死体が増えちゃうよ」って言って。
●私の父親が死んだときに、お通夜のときですけれども、顔があまりにも白いから、死に化粧をしてやったほうがいいんじゃないかということになったんです。まず白粉をつけようとしたら、弟たちが持ってきた白粉を、顔の上にバッとひっくり返してしまった...
●心臓マッサージが主流になる前は長い針で心臓にじかにアドレナリンを注入していたんですね。病院でそれをやったお医者さんが結局だめで引き上げていったら、後ろから看病していた家族の方が追っかけてきて、「先生、最後に長い針で刺したのは、あれは止めを刺したんでしょうか」

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豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる。

李陵・山月記639.jpg 山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫).jpg 李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫).jpg 木乃伊(ミイラ).jpg
李陵・山月記 (新潮文庫)』(表紙版画:原田維夫)[山月記/名人伝/弟子/李陵]/『山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/文字禍/悟浄出世/悟浄歎異/環礁/牛人/狼疾記/斗南先生]/『李陵・山月記・弟子・名人伝 (角川文庫)』[李陵/弟子/名人伝/山月記/悟浄出世/悟浄歎異]/ [Kindle版]「木乃伊(ミイラ)~輪廻する「前世の記憶」を描く怪奇短編名作~(レトロ文庫004)
李陵・弟子・山月記―(他)名人伝・狐憑 (1967年) (旺文社文庫)
李陵・弟子・山月記 旺文社文庫.jpgNakajima_Atsushi.jpg 1943(昭和18)年発表の「李陵」は、中島敦(1909‐1942/享年33)のおそらく最後の作品と思われるもので(「李陵」というタイトルは、作者の死後、遺稿を受け取った深田久弥が最も無難な題名を選び命名したもの)、前漢・武帝の時代に匈奴と戦って敗れ虜囚となった李陵と、李陵を弁護して武帝の怒りを買い宮刑に処せられるも「史記」の編纂に情熱を注いだ司馬遷の生涯を併せて描いていて、淡々とした筆致の際にも、運命に翻弄された両者への作者の思い入れが切々と滲み出る作品です。

 とりわけ李陵について、同じく匈奴に囚われながらも祖国への忠節を貫いた武人・蘇武との対比において、最初は単于(匈奴の王)からの仕官の誘いを拒みつつも、誤報により祖国で裏切り者扱いにされて家族を殺され、やがて単于の娘を娶り左賢王となる彼の、蘇武のような傑人になれない自己に対する鬱屈が痛々しく、大方の人はこうした過酷な状況では蘇武のように生きるのは難しく、李陵のように中途半端な生き方をせざるを得ないのだろうけれど、これも紛れのない1つの人生なのだろうなあと思いました。

新湯 山月記.jpgキャット・ピープル.jpg変身.jpg 「山月記」は1942(昭和17)年)に発表された作者デビュー作で、同時におそらく作者の最も有名な小説であり、文体に無駄が無く美麗であることもあって国語教科書などでもよく採り上げられていますが、結構モチーフとしては幻想譚という感じで、作者はカフカの「変身」などを既に読んでいたそうですが(日本で最初にカフカを評価した作家だと言われている)、個人的には映画「キャットピープル」(リメイク版)などを思い出したりしました(詩人・李徴がトラに変身するところなどの描写は、簡潔だが生き生きしている)。

The Moon Over the Mountain and Other Stories』['11年]2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
  
 「弟子」は孔子と子路の交わりを人間臭く描いていて、一方「名人伝」も中国の古譚に材を得た作品ですが、名人同士が矢を放ってひじりがぶつかり合うなど、ここまでくるともうアニメの世界さえ超えている感じで(「HERO」('02年/中国・香港)など最近の特撮チャイニーズ・アクション映画みたい)、結末も含め少し笑えます。

『李陵・山月記』.JPG山月記・弟子・李陵ほか三編 講談社文庫 .jpg 新潮文庫版にはありませんが、この人には1942(昭和17)年に『古譚』として「山月記」と併せて発表された「文字禍」や「木乃伊」といった古代エジプトやアッシリアに材を得た作品もあり、「木乃伊」(かつて講談社文庫版(『山月記・弟子・李陵ほか三編』['73年])で読んだが絶版になり、その後、講談社文芸文庫版(『斗南先生・南島譚』['97年])、ちくま文庫版(『ちくま日本の文学12』['08年]))などに所収)は、前世の自分のミイラと遭遇してそのミイラの生きていた時に転生し、さらにそれがまた前世の自分のミイラと遭遇し...というタイムトラベルSFみたいな話で、奥深さと面白さを兼ねそえた作品でした。

講談社文庫『山月記・弟子・李陵ほか三編』['73年](表紙版画:原田維夫)

 豊かな知識に裏打ちされながらも、知に走ることなく読者をキッチリ堪能させる作品群であり、もっと長生きして欲しかったなあ、ホントに。(「山月記」「名人伝」「弟子」「李陵」で中島敦が原典をどうアレンジしたかについては、増子 和男/他『大人読み『山月記』』['09年/明治書院]に詳しい。)

角川文庫『李陵・弟子・名人伝』['52年]/『李陵・山月記・弟子・名人伝』['68年]
李陵・弟子・名人伝 .jpg李陵・山月記 弟子・名人伝.jpg 【1952年文庫化[角川文庫(『李陵・弟子・名人伝』)]/1967年再文庫化・1989年改版[旺文社文庫(『李陵・弟子・山月記』)]/1968年再文庫化[角川文庫(『李陵・山月記・弟子・名人伝』)]/1969年再文庫化[新潮文庫(『李陵・山月記』)]/1973年再文庫化[講談社文庫(『山月記・弟子・李陵ほか三編』)]/1993年再文庫化[集英社文庫(『山月記・李陵』)]/1994年再文庫化[岩波文庫(『李陵・山月記 他九篇』)]/1995年再文庫化・1999年改版[角川文庫(『李陵・山月記・弟子・名人伝』)]/2000年再文庫化[小学館文庫(『李陵・山月記』)]/2012年再文庫化[ハルキ文庫(『李陵・山月記』)]】

 
山月記 (ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ).jpgsanngetuki.jpg《読書MEMO》
●岩波文庫版所収
(発表順)
「山月記」「文字禍」..1942(昭和17)2月「文学界」
「牛人」..1942(昭和17)7月「政界往来」
「悟浄出世」「悟浄歎異」「環礁」「狼疾記」「斗南先生」..1942(昭和17)11月単行本『南島譚』
「名人伝」...1942(昭和17)12月「文学界」
「弟子」...1943(昭和18)年2月「中央公論」
「李陵」...1943(昭和18)年7月「文学界」
●その他
「木乃伊」...1942(昭和17)年7月発表


山月記 (ホーム社 MANGA BUNGOシリーズ) (ホーム社漫画文庫)』(2012)
同時収録:「悟浄出世」「悟浄歎異」

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「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ

読みやすい文章で、ミステリアスな味わいも。前年の豪雪地帯の取材がモチーフになっているのでは。

砂の女 1962.jpg
 07安部 公房 『砂の女』.jpg 砂の女 新潮文庫.jpg   砂の女es.jpg
砂の女』['62年/新潮社]  『砂の女』 新潮文庫 〔旧版/新版〕 勅使河原宏 監督「砂の女」('64年/東宝)

5砂の女 (日本語) 単行本.jpg新湯 砂の女.jpg 1962(昭和37)年・第14回「読売文学賞」受賞作。

 安部公房(1924‐1993)の作品の多くは、現代社会に生きる人間の孤独とそこからくる焦燥感をテーマにしており、社会への適応原理を見失った(或いはそうした状況に突然置かれた)人間が安定状態を回復しようとしてますます孤独の深みに嵌まっていくというものが多いような気がします。

2025.7.7 蓼科新湯温泉にて

 そのため安部公房の小説は、不条理の作家カフカの作品に模せられることが多く、代表作と呼ばれる作品には抽象的で難解なものが少なくないし、また「デンドロカカリア」の主人公の名が〈コモン君〉であったように、無国籍性というのも1つの特徴ではないかと思います。

 そうした中で、砂丘地帯の村落共同体に迷い込み、「砂の穴」からの脱出を図る主人公を描いたこの作品は、現代人の孤独と焦燥感という他の安部作品と共通するテーマを扱いながらも、主人公が置かれた「不条理な状況」というのが日本的な「村社会」の性格を強く反映したものであったり、或いは日常生活的なリアリティを排しながらも、その「村社会」に生きる女性の言動や性の描写に風土的なリアリティがあったりし、また他の代表作に比べて読みやすい文章で、更にはミステリアスな味わいもあり、不思議と親和感のようなものを感じます。

 満州の半砂漠的風土で幼年期を過ごした作者にとって、砂漠というのは割合イメージ的にリアルなものだったのではないかと推察できますが、「砂の穴」の上の世界と下の世界の断絶や、主人公が向き合うところとなる「砂の壁」のイメージは、この書き下ろし作品が発表された前年(昭和36年1月)に作者は新潟の豪雪を取材しており、その豪雪状況下での人々の暮らしがモチーフとして織り込まれたのではないかと個人的には思っています。

山口果林  .jpg また、この作品は、あまり言われてはいませんが、結婚の比喩であるとする見方もあるようです(小谷野敦説)。安部公房は、桐朋学園短大で教えていたとき、同大学の学生だった山口果林と知り合い、彼女を女優デビューさせる一方(「山口果林」という芸名の名付け親だった)、愛人としています(山口果林が後に上梓した著書『安部公房とわたし』('13年/講談社)では、安部公房との23年間にわたる愛人関係を明らかにし、1993年に安部公房が亡くなったの時に山口果林のところで亡くなったのではないか当時週刊誌に報道されたのを、「事実」だったと認めている)

山口果林/安部公房

 ラストでの主人公の心境の変化は、彼がこの「砂の穴」を脱出して「都会の砂漠」へ戻ることの必然性を見出せなくなっていることを示しており、これを成長と見ることも妥協と見ることもできる(妥協と言うべきか開き直りと言うべきか)という点でも問題を孕んだ意欲作だったと思います。

砂の女sunanoonna5.jpg砂の女s.jpg映画「砂の女」('64年/東宝)

監督:勅使河原宏
製作:市川喜一・大野 忠
脚本:安部公房
原作:安部公房
撮影:瀬川 浩
音楽:武満 徹
美術:平川透徹・山崎正雄
出演:岡田英次・岸田今日子・伊藤弘子 三井弘次・矢野宣・関口銀三・市原清彦・田村保・西田裕行

「砂の女」_7937.JPG

【1981年文庫化[新潮文庫]】

             

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"その後のロミオとジュリエット"。夫婦の関係についての表現と描かれている実態に謎の落差。

『門』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg 門.jpg  夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫).jpg  ことのはブック「門」.jpg
門 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅)/『夏目漱石全集〈6〉 (ちくま文庫)』(「門」「彼岸花」所収)/アイ文庫オーディオブック「門」

 1910(明治43)年、夏目漱石(1967‐1916)が43歳のときに発表された長編小説。個人的には、前期3部作のうちの読み残していた作品で、今回が初読でしたが、『三四郎』とはもちろんのこと『それから』と比べても暗いし、何よりも地味〜っという感じでした。

門 漱石  .jpg 親友の安井の妻と駆け落ちし結ばれた宗助とその相方・御米との、世間との関わりを極力断ったかのような夫婦生活の日常を淡々と描いています。言わば「ロミオとジュリエット」みたいな出来事があって、その出来事そのものは描かず、その後の2人の地味な市井生活を書いているといった感じでしょうか。

 ロミオとジュリエットのように死んでしまったわけではなく、2人は生きているわけで、しかもその結ばれ方が略奪婚であったために、宗助は親族はもちろん学校、社会からも制裁を受けて神経衰弱に陥り、無気力体質になってしまって、勤め先の役所と平屋の自宅を往復するだけの、誰とも遭遇しない無為な毎日を送る人間になってしまっています。
夏目漱石 『門』春陽堂 1911(明治44)年1月刊
IMG_20250707_124230.jpg この小説には、そうした宗助夫婦を形容する表現と、そこに描かれている実態に矛盾というか、謎のような落差がある気がしました。確かに2人は和合した夫婦であるに違いなく、2人の関係は「一つの有機体」のようであり、「二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上がっていた」と表現されています。しかし一方で、宗助は旧友・安井の再登場に一人煩悶し、心の平安を求め妻に内緒で禅寺へ行ったりする、片や御米も、安井の弟のわが家への居候を快く思っていないようだが夫には打ち明けず、また自分に子供が出来ないことに対して個人的な原罪意識を抱いている―。

2025.7.7 蓼科新湯温泉にて

門 新旧3.jpg 谷崎潤一郎や江藤淳は「理想的な夫婦像」としてこの作品を読んだらしいですが、この作品に描かれている"その後のロミオとジュリエット"は、融和し得ない個々の世界を、それぞれに少しずつ膨らませつつあるように感じます。
 何でも互いに話せれば"理想の夫婦"である、ということにもならないでしょうが、やはり2人の関係の微妙な変化を描いているのは事実で、そうなると「一つの有機体」と断定的に表現されているその意味は、自分が当初抱いたイメージよりもっと広く捉えられるべきものなのでしょうか。自分自身が抱いている「理想的な夫婦像」のイメージがあまりに狭すぎるのかもしれませんが、個人的には消化不良気味の作品でした。おそらく、自分の読み方が谷崎潤一郎や江藤淳ほど深くないのだろうなあ。

新潮文庫『門』(新旧カバー)表紙絵:安藤光雅

 【1948年文庫化・1978改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫]/2011年再文庫化[文春文庫(『それから 門』)]】

《読書MEMO》
●「門」...1910(明治43)年発表

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前期3部作の1つと言うより『猫』『坊ちゃん』に続く作品。青春小説として読めて楽しい。

『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg三四郎 春陽堂.jpg  夏目漱石 「三四郎」角川.jpg 夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫).jpg 第02回 「三四郎」.jpg
春陽堂(1909年5月)/角川文庫(カバー:わたせせいぞう)/『夏目漱石全集〈5〉 (ちくま文庫)』(「三四郎」「それから」所収)/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:大沢健/井出薫/北島道太
三四郎 (新潮文庫)』(カバー:安野光雅
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
IMG_20250707_124205.jpg 1908(明治41)年9月から12月にかけて新聞連載された夏目漱石(1967‐1916)の本作品は、漱石の『吾輩は猫である』('05年)、『坊ちゃん』('06年)などに続く初期代表作で、地方の高校を卒業し東京の大学で学ぶために上京してきた小川三四郎が、都会で学友や先輩、若い女性たちと接触して、日露戦争を経た日本の「新しい空気」に触れ、戸惑いながらも成長していく様が描かれています。

 三四郎が、自分が繋がっている世界を、母がいる熊本の古いが安らぎのある「田舎の世界」、世俗と意識的に交渉を絶って生きる野々宮(寺田寅彦がモデル)や広田先生がいる「学問の世界」、上流階級に属する美禰子(平塚雷鳥がモデル)らがいる「華やかな世界」の3つの世界に整理区分しているのがわかり、三四郎は最後の「華やかな世界」にどうしても憧れてしまう...。

 トリックスターのように動き回る学友の与次郎に対し、三四郎は常に受動的で内省的あり(ある意味、知識人(予備軍)の一典型とも言える)、結局、美禰子に翻弄され続けるのですが、果たして、先進的な女性と思われる美禰子が三四郎より自由な世界にいたのかというと、そうでもないという気にさせられます。

 また、三四郎が「学問の世界(学ぶ世界)」を大学(東大ですが)の授業ではなく、学外に見出すのも現代に通じるとことがあるかと思われ、学生の尊敬を集めながらも教授職に就かず「偉大なる暗闇」と呼ばれている広田先生に傾倒するのもわかる気がします。
 「学問の世界」グループの男性は皆独身で、三四郎を除いては美禰子のことをあまり好きでないらしく、警戒気味なのも面白い。

 漱石の女性に対する観察眼の鋭さには驚かされますが、美禰子における「無意識の偽善」というのが以降の作品でもテーマになっており、ではこの作品の主人公は美禰子なのかと言うと、それでは今ひとつしっくりしない気が...。

 この作品は漱石の前期3部作の最初の作品とされていますが、『猫』、『坊ちゃん』に続くものという色合いも感じられ(田舎に行った坊ちゃんと、上京した三四郎とで、方向的には逆ですが)、個人的には、三四郎を主人公にした青春小説として読みました。
 23歳と今の新入学生よりは年齢は若干上ですが、そうした青春小説としての読み方が出来る分、楽しいです。

 当時の東大生は現在の東大生に比べると、エリートとしての"希少価値"は比較にならないぐらい高かったようで(by 石原千秋)、こんなこと言うと当の三四郎に失礼になるかも知れませんが、高橋留美子の『めぞん一刻』を思い出した...(『めぞん一刻』の主人公・五代裕作は三流大学の学生)。

『三四郎』sinnkyuu.jpg 【1948年文庫化・1986改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[ちくま文庫]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[ポプラ社文庫]】

新潮文庫(カバー:安野光雅)新・旧

《読書MEMO》
●「三四郎」...1908(明治41)年9月発表

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屈折した人物像をリアリティをもって描き、自己疎外の1つの典型を示している。

永遠の良人.JPG
永遠の夫 0.png  新湯 永遠の良人.jpg
永遠の夫 (新潮文庫)』新訳版['79年/'06年(新装版)(千種堅:訳)]
永遠の良人 (1955年) (新潮文庫)』旧訳版['55年(米川正夫:訳)]『永遠の良人 (1948年) (創元選書〈第137〉)』(神西清:訳) 2025.6.6 蓼科新湯温泉にて

永遠の夫(岩波文庫).jpg かつて自分の妻を寝取られた中年男トルソーツキイが、妻の死後、その娘(実は彼の妻と不倫相手のヴェリチャーニノフとの間にできた子)を連れて、そのヴェリチャーニノフの住む町を訪れる―。

 1870年、ドストエフスキーが40代後半で発表した小説で、『白痴』と『悪霊』の間に2ヶ月ぐらいで書き上げられた中篇ですが、男女の三角関係をモチーフに、人間の自尊心と情念の絡み合いを描いた"小説らしい小説"に仕上がって、平易な語り口でストーリー性も充分あり、面白く読めます。

永遠の夫 (岩波文庫 赤 615-9)』(神西清:訳)

 物語はヴェリチャーニノフの視点から書かれていて、帽子に喪章をつけて彼をつけまわす男(トルソーツキイ)の存在は不気味ですが、出会ってみると不倫相手の亭主だったということで、にも関わらず、その男が自分に対して友愛の情を示そうとしていることに困惑させられ、かえって疲弊する―。

永遠の良人[角川文庫(米川正夫訳)].jpg 「永遠の"寝取られ亭主"」トルーソツキイがヴェリチャーニノフに抱くはずの復讐の念は、彼自身の自尊心によって無意識に封じ込められ、過去の6年間の妻の不倫の間、彼にとってヴェリチャーニノフは "親友"であったという尊敬の念に近いものに置き換えられています。

 自分のかなわないライバルが現れたとき、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為を無意識にとる、しかし卑屈とも思えるその行為の底には、無理やり蓋を被せられた復讐心が渦巻いている、こうした屈折した心理構造を持つ人物像を、リアリティをもって描いていると思いました。

永遠の良人 (1951年) (角川文庫〈第53〉)』(米川正夫:訳)

 普通に見れば、"寝取られ亭主"という立場を甘受し、妻を寝取った相手を尊敬さえしてしまうトルソーツキイという男は、一種のマゾヒストでしょう。しかし、その心理描写の妙だけでなく、それを通して、生身の人間の孕む自己矛盾を抉ってみせ、自己疎外の1つの典型を端的に示しているところが、巨匠の巨匠たる所以でしょうか。

 トルソーツキイが"復讐"を意識していなくても結果としてヴェリチャーニノフにとっては"復讐"を被っているかたちになっており、また、ヴェリチャーニノフがずるずるとトルソーツキイとの関わりを深めていってしまうところが、この小説の面白いところではないかと思いました。

個人主義の運命.jpg こうした両者の関係については、ルネ・ジラールの読み解きをベースにした社会学者・作田啓一氏の『個人主義の運命―近代小説と社会学』('81年/岩波新書)での解説が(それをどうとるかは個々に委ねられるものとして)非常に分かり易く面白いのでお薦めです。

作田啓一『個人主義の運命―近代小説と社会学 (岩波新書 黄版 171)

永遠のの良人・永遠夫.JPG 【1932年文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1938年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の夫』]/1951年再文庫化[角川文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1952年再文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1955年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1979年再文庫化[新潮文庫(千種堅:訳)]】

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それまでの作品と以降の作品の分岐点にある作品。今日性という点では...。

新湯 個人的な体験.jpg個人的な体験 単行本.jpg  個人的な体験.jpg
単行本['64年]/『個人的な体験』新潮文庫

2025.7.7 蓼科新湯温泉にて

 1965(昭和40)年・第11回「新潮社文学賞」受賞作。

 27歳の予備校講師バードは、アフリカ旅行を夢見る青年だが、生まれた子どもが頭に異常のある障害児だという知らせを受け、将来の可能性が奪われたと絶望し、アルコールと女友達に逃避する日々を送る―。

 この作品は'64年に発表された書き下ろし長編で、頭部に異常のある新生児として生まれてきた息子に触発されて書かれた点では著者自身の経験に根づいていますが、自身も後に述べているように、多分に文学的戦略を含んでいて、いわゆる伝統的な"私小説"ではないと言えます。

 しかし、それまで『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品を発表していた著者が、以降、家族をテーマとした作品を多く発表する転機となった作品でもあり、さらに『万延元年のフットボール』('67年)と併せてノーベル賞の受賞対象となった作品でもあります。

 どちらか1作だけを受賞対象とするには根拠が弱かったのではないかと思われたりもしますが、元来ノーベル文学賞は1つの作品に対して与えられるものではなく、その作家の作品、活動の全体に対して与えられる賞なので、複数の"受賞対象作"があるのがむしろスジです。ただ結果として、この『個人的な体験』が"受賞作"とされることで、著者のノーベル賞受賞には"家族受賞"というイメージがつきまとうことになった?

 そうした転機となった作品であると同時に、それまでの作品の流れを引く観念的な青春小説でもあると思いますが、そのわりには文章がそれまでの作品に比べ読みやすく、入りやすい作品だと思います。

 一方、主人公の予備校講師バードが逃避する女友達の「火見子」との関係には、ある時代(全共闘世代)の男女の友情のパターンのようなものが感じられ、こうした何か"政治的季節が過ぎ去った後"の感じは、今の若い読者にはどう受けとめられるのでしょうか。

 むしろ今日性という点では、出産前の胎児障害の発見・告知がより可能となった医療環境において、障害児が日本という社会で生まれてくることの社会的な難しさに、今に通じるものを感じました(日本人の平均寿命はなぜ高いのか、ということについて同様の観点から養老孟司氏が考察していたのを思い出した)。

 ラストの、2つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)の数ページは不要だったのではないかという批評がありますが、個人的にもそう思います。主人公が赤ん坊を生かすための手術を受けさせる決心をしたところで、そのまま終わっておいても良かったように思いました。

個人的な体験9.jpg(●2023年追記:2023年3月に作者が亡くなったのを機に再読した。かつて議論となった「二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)」の数ページは不要だったのではないかという問題に、作者自身が「文庫あとがき」(《かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。》というタイトルになっているが、これは二つのアスタリスクの前にある文章の引用である)で答えていたことを再認識した。つまり、多くの人が「かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた」でこの小説を終わらせた方が良く、エピローグは要らなかったと批判したことに対する作者の答えである。

 エピローグの要不要と言うより、この言わば三島由紀夫  2.jpgハッピーエンディング的な結末については三島由紀夫の批判が有名で、三島は「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが(略)」「暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか?」と述べている。

 一方、最近では、『ハンチバック』で障害者のリアルを描いて芥川賞を受賞した市川沙央氏が、雑誌『ユリイカ』の大江特集('23年7月臨時増刊号)に寄稿し、「日本文学における障碍者表象の実績に大江健三郎が負ってきた比重は大きく、そして孤高だった。(中略)私は『個人的な体験』の**語のハッピーエンドを、絶対に支持する」としている。)
 
 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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「わたしは良心を持っていない。持っているのは神経ばかりである」と。

侏儒の言葉 6.jpg侏儒の言葉.gif 侏儒の言葉.jpg  侏儒の言葉・西方の人.jpg
侏儒の言葉 (岩波文庫 緑 70-4)』旧版/『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』改定版/新潮文庫
『侏儒の言葉』 (1927(昭和2)年/文藝春秋社)
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
IMG_20250707_123242.jpg 1923(大正12)年に創刊された「文藝春秋」の創刊号から連載された芥川龍之介(1892-1927)の箴言集で、新潮文庫版では、3年間続いた連載の打ち切り後に死後発表された部分が〈遺稿〉として区切られています。

 「侏儒の言葉」は、以前読んだときには、芥川の思想が凝結されているような気がして、文学というのは贅肉をそぎ落としていくと最後は思想になっちゃうのかなと思ったりしたのですが、後世の文芸評論家のこの作品に対する評価は今ひとつのようで、「西方の人」と併録されている新潮文庫版の解説では、「西方の人」を買っているわりには「侏儒の言葉」に対しては、「断片的に捕らえられた"人生"とか"神"とかは、結局は言葉の問題に過ぎなくなっており、そこに芥川の晩年の問題が露呈されている」としています(岩波文庫の解説の中村真一郎は、そのことを踏まえながらも高い評価をしている)。

 「『侏儒の言葉』は必ずしもわたしの思想を伝えるものではない。ただわたしの思想の変化を時々窺わせるのに過ぎぬものである」と〈序〉にもあり、今思えば、断想集に近いものと言ってよかったのかも知れません。
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な (岩波文庫)』                                   
侏儒の言葉.jpg 「道徳は常に古着である」
 「忍従はロマンティックな卑屈である」
 「人間的な、余りに人間的なものは大抵は確かに動物的である」
 「我我は一体何の為に幼い子供を愛するのか? その理由の一半は少くとも幼い子供にだけは欺かれる心配のない為である」
 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」
 等々、逆説的な社会風刺と遊戯的なレトリックが入り混じった感じですが(有名な「人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うには莫迦々々しい。重大に扱わなければ危険である」などもそう)、もっと自分の感性をダイレクトに書いているようなのもあり、
 「モオパスサンは氷に似ている。もっともときには氷砂糖にも似ている」
 なんて言われてもちょっとねえという感じも。

 「わたしは良心を持っていない。わたしの持っているのは神経ばかりである」
 彼が最も信じていたのは自分の「神経」であり、最後にはこの言葉に帰結するのかもと思いましたが、普通の人間でも時としてこういう気分になることがあるかも。

 【1932年文庫化・1950年改版・1968年改版・2003年改版[岩波文庫(『侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な』)]/1968年再文庫化[新潮文庫(『侏儒の言葉・西方の人』)]/1969年再文庫化[角川文庫(『或阿呆の一生・侏儒の言葉』)]/1981年再文庫化[旺文社文庫(『羅生門、鼻、侏儒の言葉 他』)]】

《読書MEMO》
●「侏儒の言葉」...1923(大正12)年〜1927(昭和2)年発表

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ユング心理学の用語や分析家としての姿勢のニュアンスが、"対談"を通して語られることでよくわかる。

魂にメスはいらない2875.JPG魂にメスはいらない2.jpg   魂にメスはいらない.jpg
魂にメスはいらない―ユング心理学講義』朝日レクチャーブックス〔'79年〕『魂にメスはいらない―ユング心理学講義』講談社+α文庫〔'93年〕

河合隼雄・谷川駿太郎.jpg 本書は、詩人・谷川俊太郎が河合隼雄にユング心理学について話を聞くというスタイルになっています。河合氏によるユング研究所に学んだ時の話から始まり、夢分析などに見るユング心理学の考え方、箱庭療法の実際、分析家としての姿勢などが語られ、最後はイメージとシンボル、自我と自己の違いの話から、谷川氏との間での創作や世界観の話にまで話題が及び、内容的にも深いと思いました。

1魂にメスはいらない.jpg ユング心理学の用語や分析家としてのあるべき姿勢が、"対談"を通して語られることで、ニュアンスとしてよく伝わってきます。心理療法について体系的に理解したい人には、河合氏の『ユングと心理療法』('99年/講談社+α文庫)の併読をお薦めします。

 本書は「朝日レクチャーブックス」(朝日出版社)の1冊で、'79年に刊行されたものです('93年に「講談社+α文庫」の創刊ラインナップの1冊として文庫化)。この「朝日レクチャーブックス」のシリーズは全30冊あり、廣松渉←五木寛之、今西錦司←吉本隆明、岸田秀←伊丹十三など、学者に作家が話を聞くというパターンがほとんどですが、いずれも内容が濃いものばかりです(その割に文庫化されているものが少ないのが残念)。その中でも本書は、聞き手(谷川)のレベルが高く、語り手と聞き手が対等な立場となっている稀なケースだと思われます。

講談社+α文庫(新カバー版)

2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯 魂にメスはいらない0.jpg

 【1993年文庫化[講談社+α文庫]】

谷川俊太郎さん.jpg谷川俊太郎(詩人)
2024年11月13日午後10時5分、老衰のため東京都杉並区の病院で死去。92歳。東京都出身。親しみやすい言葉による詩や翻訳、エッセーで知られ、戦後日本を代表する詩人として海外でも評価された。

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「●か 河合 隼雄」の インデックッスへ

カウンセリングの入門書であり名著。ゆっくり読みたい。

カウンセリングを語 ソフィア.jpgカウンセリングを語る7.JPGカウンセリングを語る 上.jpg カウンセリングを語る 下.jpg
カウンセリングを語る〈上〉〈下〉』講談社+α文庫['99年](表紙絵:安野光雅
カウンセリングを語る (角川ソフィア文庫) 』['24年](全一冊)
『カウンセリングを語る (上・)』['85年/創元社]
2025.7.7 蓼科新湯温泉にて
新湯カウンセリングを語る (上・下).jpgカウンセリングを語る (下).jpgカウンセリングを語る 単行本.jpg 本書は、著者がかつて四天王寺人生相談所(お寺の付属機関)で毎年カウンセリングの話をした、その通算20回の講義内容がベースになっています。
 元本(単行本)は'85(昭和60)年に出版されたものですが、それまでに長年にわたって話した内容が全体として一貫性を持ち、しかも章を追うごとに深化していくのは見事です。入門書であり、名著でもあると思います。

 上巻では、学校や家庭での身近な問題から説きおこし、心を聴くとは? カウンセラーの人間観とは? 治るとは? カウンセリングの限界とは? 危険性は?といった切り口で、カウンセリングとは何かを語っています。
 さらに下巻では、カウンセリングにはなぜ「××派」などがあるのかという話からその多様な視点と日本的カウセリングを考察し、カウセリングを行う際の実際問題とその対し方を述べ、最後は死生観や人生観にまで突っ込んだ話となっています。

 著者はカウンセリングが宗教に通じるものがあることを肯定していますが、この本自体が"法話"のような趣があります。
 本書を読むことは、〈知識的〉読書というより〈体験的〉読書とでも言うべきでしょうか。
 文庫上・下巻で600ページを超えますが、ゆっくり読みたい本です。

 【1985年単行本[創元社 (上・下)]/1999年文庫化[講談社+α文庫 (上・下)]/2024年再文庫化[角川ソフィア文庫]】

「●ま 松本 清張」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3012】松本 清張 『証明
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松本清張の真骨頂という感じの作品。映画よりドラマの方が原作に忠実。

『内海の輪』000.jpg
内海の輪 (カッパ・ノベルス)』['69年]『内海の輪 (角川文庫)』['74年]『内海の輪 新装版 (角川文庫) 』['23年]「<あの頃映画> 内海の輪 [DVD]」岩下志麻「火曜サスペンス劇場 松本清張スペシャル 内海の輪 [DVD]」中村雅俊
2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
新湯 内海の輪.jpg 東京のZ大学に勤務する考古学者・江村宗三は、愛媛県松山の洋品店主の妻である西田美奈子と不倫関係になっていた。14年前、美奈子は宗三の兄嫁であった。美奈子の現在の夫・慶太郎は不能な老人となって久しい。落ち合った宗三と美奈子は、広島県の尾道で宿泊したが、火の点いた美奈子は、自分が松山の家を出ることを主張し始める。スキャンダルで考古学会から葬られることを恐れる宗三。有馬温泉に移ると、美奈子は宗三に妊娠を告げる。「もう松山には戻れないわ。あなたなしには生きてゆかれなくなったわ」と、宗三の子を産むと宣言、それは宗三の学界からの追放を意味し、絶望に落ちた宗三は美奈子の殺害を計画するが―。(「内海の輪」)

 「内海の輪」は、松本清張が「黒の様式」第6話として「週刊朝日」'68(昭和43)年2月16日号~10月25日号に連載し(連載時のタイトルは「霧笛の町」)、'69(昭和44)年5月に中編集『内海の輪』収録の表題作として、光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された作品(併録「死んだ馬」)。
 
 ミステリ要素よりは女性の欲望と情念が前面に出た作品で、松本清張の真骨頂という感じの作品。やはり恋愛では、女性の方が一途なのか、老舗洋品店の妻としての安定した生活を捨てても恋を貫こうとする美奈子に対し、宗三は、美奈子を愛しているものの、考古学者としての野心もあり、女の一途さ、情の深さにそれに翻弄され、追い詰められて犯行に至ります。

 「ボタンが決め手」というのがプロット的に弱いとみたのか、宗三が東京で乗ったタクシーの運転手が旅先で乗ったタクシーの運転手と偶然同じだったことから証言が得られるという展開が最後にあり、偶然に依拠し過ぎとの批判もあるようですが、このパターンは清張の作品にもあり、「本格推理」でもないので、これはこれで「ボタン」を補うという点でいいのではないでしょうか。

「内海の輪」dvd2.jpg「内海の輪」がけ.jpg '71年に斎藤耕一監督により映画化されており、主演の岩下志麻は、「お話があって早速読みましたが推理小説というより愛のドラマのように感じました。女のサガとでもいいましょうか、女の愛の一つのタイプのもので一生懸命演じてみたいと思います」と話したというから、自分と同じ印象を持ったということか。

「内海の輪」04.jpg 映画の出来について淀川長治は、「岩下志麻はもはやカトリーヌ・ドヌーブ級のうまさ。問題は青年のエゴと弱さをさらけだす宗三役の中尾彬。これが弱さのかげをもっと深く見せねばならなかった。難役ゆえに惜しい」「しかし日本映画もこれほど上等になってきた」などと評しましたが、前半は個人的にも同意見です。

「内海の輪」03.jpg 原作では場面的には登場しない、美奈子の不能夫を三國連太郎が演じており、冒頭から岩下志麻との濡れ場シーンがあったり(しかもその夫と女中の関係も描かれる)、倒叙型で先に女性の死体が見つかった場面があったりと(しかも原作のように白骨死体で見つかるのは別の事件の話になっている)、ところどころ部分的に原作を変えていますが、岩下志麻の演技力でぐいぐい引っ張っていく感じでした(そっか、物語の主人公役は中尾彬だが、主演は完全に岩下志麻だった)。

「内海の輪」09.jpg ところが、女が男の自分への殺意に気づき、最後は誤って自ら断崖から足を滑らせ...と、ここで原作と大きく異なってしまい、これって事故であり、原作の殺人事件にならないじゃないかと。男の殺意も実行に移さなければ女の思い込みともとれるし、逃げるのが得策ではなかったのにその場から逃げてしまった男は、「殺人」の嫌疑はかけられても仕方がないですが、実情は「死体遺棄」といったところでしょうか。男の出世にも関係する、原作の石器の発見の話も端折られていて、原作者は何も言わなかったのかなあ(脚本家はクレームをつけたらしい)。

「内海の輪」ドラマ1.jpg「内海の輪」ドラマ2.jpg これまで、'82年のTBS「ザ・サスペンス」の〈滝田栄・宇津宮雅代版〉と、2001年の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の〈中村雅俊・十朱幸代版〉の2度テレビドラマ化されていて、〈中村雅俊・十朱幸代版〉を観ましたが、こちらの方が映画よりずっと原作に忠実でした。女は不倫旅行のるんるん気分の内に殺害されるし、男には明確な殺意がありました(あくまで中村雅俊が主演)。死体は白骨死体で見つかり、その付近での石器の発見の話も活かされていました。ラストの犯行の決め手になる小道具だけが、ボタンからメガネに変更されていましたが、これなら、タクシー運転手の証言を借りずとも男が犯人であることが立証でき、完璧と言えるかと思います。

火曜サスペンス劇場「松本清張スペシャル 内海の輪」(2001年/日本テレビ)中村雅俊/十朱幸代/紺野美沙子


 銀座裏のバーのマダム・石上三沙子は、店を開いて3年後、和風建築家の池野典也と出会う。池野が当代一流の建築設計家で、相当の財産を持っているらしいことを聞いた三沙子は、再度の来店時に池野を誘い出した。病妻を失った63歳の池野は、33歳の三沙子と再婚した。三沙子は夫の設計事務所の経理主任・樋渡忠造を味方に付け、夫の収入の実体を把握したが、二年ほど経つと、池野の肉体的能力の衰退とともに、設計の才能が枯渇してきたことに気づく。夫が死んだ後も設計事務所を維持し、自分の名声を高めたい三沙子は、事務所員のなかでも飛び抜けて優秀な秋岡辰夫に近づく。三沙子はバーで培った技巧を駆使し、女性経験のなかった秋岡は三沙子の術中にはまる―(「死んだ馬」)。

 併録の「死んだ馬」は、「小説宝石」'69(昭和44)年3月号に掲載された文庫で70ページほどの中編で、今度は三沙子という女性に翻弄される男の話。愛人の愛情と仕事上の名声の両方を手に入れようとしてしている点で「内海の輪」の主人公と似ていますが、女のために(自分自身のためでもあるが)殺人まで犯してしまい、しかし、女が自分を愛してはおらず利用しただけだったと後から気づき、女に殺意を抱くという、この辺りの流れが、これまた松本清張ならではの旨さでした。

 松本清張の作品が長編に限らず中短編も数多く映像化されているのは(その点ではアガサ・クリスティやコナン・ドイルに匹敵するのでは)、こうした長編にもなりそうな素材を中短編にうまく凝縮しているというのもあるのではないでしょうか。実際、この作品も2度ドラマ化されており、'81年のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」の〈小川真由美・山本亘版〉と、2002年のTBSの〈かたせ梨・萩原聖人版〉がありますが、どちらも未見。機会があれば観てみたいと思います。

「松本清張の死んだ馬 殺人設計図」(1981年/テレビ朝日)小川真由美・山本亘・山形勲・山田吾一
「死んだ馬」1.jpg
「松本清張没後10年特別企画 死んだ馬・殺意の接点」(2002年/TBS)かたせ梨・萩原聖人・神山繁・蟹江敬三
「死んだ馬」2.jpg
 
 
「内海の輪」0m.jpg「内海の輪」06.jpg「内海の輪」●制作年:1971年●監督:斎藤耕一●製作:三嶋与四治●脚本:山田信夫/宮内婦貴子●撮影:竹村博●音楽:服部克久●原作:松本清張「内海の輪」●時間:103分●出演:岩下志麻/中尾彬/三國連太郎/滝沢修/富永美沙子/入川保則/水上竜子/加藤嘉/北城真記子/赤座美代子/夏八木勲/高木信夫/高原駿雄●公開:1971/02●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-07-23)(評価:★★☆)<.font>


「内海の輪」ドラマ.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」t.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」●監督:三村晴彦●脚本:那須真知子●音楽:佐藤允彦●原作:松本清張「内海の輪」●出演:中村雅俊/十朱幸代/紺野美沙子/石橋蓮司/西田健/塩見三省/丸岡奨詞/野村昇史/柳川慶子/廣田行生/勝部演之/伊藤昌一/小久保丈二●放映:2001/03/27(全1回)●放送局:日本テレビ(火曜サスペンス劇場)

【1969年ノベルズ版[カッパ・ノベルス]/1974年文庫化・2023年新装版[角川文庫]】

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"大風呂敷"を拡げた分、欠点も多いが、エンタメとして一定水準には達している。

楽園のカンヴァス.jpg楽園のカンヴァス 単行本.jpg 新湯 楽園のカンヴァス.jpg
楽園のカンヴァス』['12年]2025.3.30 蓼科新湯温泉にて

 2012(平成24)年・第25回「山本周五郎賞」受賞作。2013(平成25)年・第10回「本屋大賞」第3位。

 ソルボンヌ大学院で博士号をコース最短の26歳で取得している早川織絵は、オリエ・ハヤカワとして国際美術史学会で注目を浴びるアンリ・ルソー研究者であるが、今は倉敷の大原美術館で「一介の監視員」となっている。ティム・W・ブラウンは、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) のアシスタント・キュレーターである。コレクターのコンラート・バイラ―は、スイスのバーゼルにある、自らが住む大邸宅に織絵とティムを招き、彼が所蔵する、ルソーが最晩年に描いた作品『夢』に酷似した作品『夢をみた』について、1週間以内に真作か贋作かを正しく判断した者に、その作品の取り扱い権利を譲ると宣言する―。

 「山本周五郎賞」選考の際は5人の選考委員の内 角田光代氏ら3人が強く推して受賞に至りましたが、「直木賞」の方は8人の内 強く推したのは宮部みゆき氏だけで、受賞に至りませんでした。スイスの大富豪とかインターポール(国際刑事警察機構)などが出てきて、雰囲気的には、ジェフリー・アーチャーの『ゴッホは欺く』やダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』みたいなスケールの大きいアート・ミステリという感じ。日本にもこうした作品の書き手が登場したかという印象がありましたが、"大風呂敷"を拡げた分、欠点も多い作品のようにも思いました。

 「山本周五郎賞」選考の際も、まったく欠点の指摘が無かったわけではなく、強く推した角田光代氏ですら、「気になるところはいくつかある。このミステリーに関わってくる多くが「偶然」あらわれる。バイラーの孫娘があらわれたときはさすがに鼻白んだ」と。でも、「欠点を承知しつつ、でもやっぱり面白かった、いい小説だったという感想で読み終えた」とのこと。佐々木譲氏は、「キュレーターだったという著者の専門知識が惜しみなく投入されている印象を受けた」とし、唯川恵氏も「この作品に、私は圧倒的な『情熱』を感じた。ルソーの創作に対する情熱、主人公たちのルソーに対する情熱、そして原田さんの作品に対する情熱が、行間から立ち昇ってくる。最後、涙した自分が嬉しかった」と。

 これが「直木賞」になると、宮部みゆき氏は「(良い意味で)大風呂敷を広げ、知的な興奮を与えてくれた」と推し、桐野夏生氏も「一気読みできるアイデアの面白さは評価したい」としながらも、「登場人物に深みがないため、どうしても物語全体が幼く感じられてしまう」と。その他の選考委員も、「ストーリーテールに追われていた印象の方が強く惜しい気がした」(伊集院静氏)、「ピカソの上にルソーが描いている絵のアイデアは、きわめてミステリー的であり、スリリングでさえあった。ただ、絵の周囲にいる人間たちが、そのアイデアを生かしきれていない」(北方謙三氏)など、やや厳しい意見が多くなっています。

 確かにピカソがルソーを見出し、叱咤激励したとうのは面白いアイデアですが、「文中の物語がやや幼稚で感動を呼ぶものとは思えなかった」(林真理子氏)というのは自分も感じた点でした(なんだか教科書的だった)。結局、「できは悪くないように感じられたが、それでも私は多少の疑問と物足りなさを覚えた」(宮城谷昌光)というあたりが押しなべての評価になってしまった感じです。

 でも、エンタメとして一定水準には達していると思います。この回の直木賞受賞作は、辻村深月『鍵のない夢を見る』でしたが、個人的にはこの『楽園のカンヴァス』の方が良かったでしょうか。ただ、この手の作品、好きな人は本当に好きなのでしょうが、自分はのめり込むほどでは。

 でも、ピカソの「鳥籠」の見方なども参考になりました(この絵は、同著者の短編集『〈あの絵〉のまえで』('20年/幻冬舎)にもモチーフとして出てくる)。ルソーの「夢」がMoMA(ニューヨーク近代美術館)にあることにも改めて思い当たったし(昔行ったんだけどなあ。情けないことに覚えていない)、モデルについても知ることが出来ました(勉強になった?)。

ピカソ「鳥籠」「アビニヨンの娘たち」
ピカソ 鳥籠.jpg ピカソ アヴィにオン.jpg
アンリ・ルソー「夢」
ルソー 夢.jpg
アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」
ルソー エッフェル塔.jpg

【2015年文庫化[新潮文庫]】

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"史実と創作とバランスの絶妙さ。スゴイ構想力・想像力だなあと。

新湯 たゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず.jpgたゆたえども沈まず』['17年]

2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
 日本国内では、瀬戸物の包み紙程度の認識しかなかった日本の浮世絵。これが海外に持ち出された時、その画に芸術的価値を見いだしたのは、後に印象派と呼ばれる名もなき若く貧しい画家たちだった。パリ・グーピル商会で働く若き画商テオは、金を散財するくせに、書いた画を一枚も売れずにいる画家の兄フィンセントに頭を悩ませている。兄を疫病神のように嫌う一方で、彼の描く画に魅せられ、また高く評価もしていた。行き詰まりを感じている兄に、その自由な画風が若き芸術家の間で評判となっている浮世絵を見せたいがため、テオは同じパリで美術商をしている林忠正や加納重吉との交流を深めてゆく。テオから紹介されたフィンセントにただならぬ才能を感じた林は、彼が描く最高の一枚を手に入れるため、ある閃きから、アルルへの移住を薦めるが、それはゴッホ兄弟にとって悲劇の始まりだった―。

 ゴッホ兄弟とパリで活躍した日本人画商の交流の物語です(2018(平成30)年・第15回本屋大賞「本屋大賞」第5位)。自分の作風に時代が追いつかずに苦悩する画家・兄フィンセント、本当に売りたい作品を売れずに苦悩する画商・弟テオのゴッホ兄弟が苦しみながらも、己が信じる人生を歩んでいく姿が題名に重なります。パリで画商を営むアヤシこと林忠正と、その許で働くシゲこと加納重吉が彼らと出会うことで触媒効果のようなものが生まれ、それがゴッホを世に出す契機になるとともに、悲劇の始まりにもなります。

 ポール・ゴーギャン(1848-1903)をはじめ、実在した人物も多く登場し、史実と創作とバランスの絶妙さを愉しめました。主要登場人物である林忠正(1853-1906)、加納重吉、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)、テオドルス・ファン・ゴッホ(1857-1891)の4人のうち、加納重吉は架空の人物で物語に進行役のような役割です。林忠正が浮世絵からヒントを得て、新しい絵画を創りつつあった印象派の画家たちと親交を結び、日本に初めて印象派の作品を紹介した人物であることは事実ですが、エドゥアール・マネ(1832-1883)などとは親しんだものの、ゴッホ兄弟と交流したという記録は無いらしいです。

 でも、同じ時期にゴッホ兄弟と林忠正がパリにいたことは事実で、そこからゴッホが浮世絵に影響を受けて新境地を切り開いていく様や、コッホ兄弟の微妙に複雑な関係を描いていく、その構想力・想像力はスゴイと思いました。文庫解説の美術史家の圀府寺司氏は、解説の冒頭で「いいなあ...話がつくれて...」と書いていますが、ミステリとしての要素は『楽園のカンヴァス』や『リボルバー』に比べて薄いですが、物語全体が事実と虚構とを織り交ぜた"ファクション"になっている作品だと思いました。

 敢えてミステリ的に史実を改変している箇所に言及するならば、この作品によれば、フィンセント・ファン・ゴッホが自らを撃ったリボルバーは、弟テオがフィンセントとの諍いがあった時のために所有していたもので(兄が何か過激な行動に出た際に、自殺を仄めかすことで抑止するため)、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていたのを、その鞄を借りることになったゴッホが偶然リボルバーの存在を知り、後で鞄だけテオに返却して、リボルバーは手元に置いていたということになります。

 通説では、リボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴァー亭」の経営者が所持した物で、それをゴッホが持ち出し、麦畑で自らを撃ち(ただし、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張や、子供たちとじゃれ合っていて暴発したという説もある)、数年経って農家によって偶然ゴッホが自らを撃ったとされる畑の中で発見されたとされています(口径は遺体から回収された銃弾と一致している。銃弾については当時、医師が記録に残していた。科学的な調査の結果、銃が1890年代から地中に埋まっていたことも判明している)。

 フィンセント・ファン・ゴッホが起こした「耳切り事件」や、その後も引き続いた発作の原因については、てんかん説、統合失調症説、梅毒性麻痺説、メニエール病説、アブサン中毒説など数多くの仮説がありますが(数え方により100を超えるそうだ)、個人的には、統合失調症ではないかと思います(統合失調症患者に銃を持たせることは、自殺の機会を与えるようなもの)。また、記憶や想像によって描くことができない画家であり、900点近くの油絵作品(いったい毎月何作描いたのか!)のほとんどが、静物、人物か風景であり、眼前のモデルの写生であるそうです。

 後日談として、テオの妻ヨーはテオの死後、画家ヨハン・コーヘン・ホッスハルク(1873-1912)と再婚しましたが、1914年、テオの遺骨をフランスのオーヴェール=シュル=オワーズにあるフィンセントの墓の隣に改葬し、フィンセントとテオの墓石が並ぶようにし、また夫人と息子フィンセント(義父と同じ名前)は長年かけゴッホ書簡の編纂・出版を行っています。

マーティン・スコセッシ 「夢」111.jpg黒澤 夢 01.jpg 文庫解説で圀府寺司氏が、この作品を黒澤明監督の「」('90年)の5番目のエピソードでマーティン・スコセッシ監督がファン・ゴッホ役を演じた「鴉」に絡めて論じているのが興味深かったです。
黒澤明監督「夢」寺尾聰/マーティン・スコセッシ

 読んでいて、有名な作品がタイトル名を敢えて出さず、物語の中に突然現れたり、今コッホによって描かれたばかり(或いは作成中)の作品として登場したりするので、どの作品か確認しながら読むのも愉しいと思います。

「星月夜」1889年6月/「ゴッホの寝室(第2バージョン)」1889年/「夜のカフェ」1888年9月
ゴッホ1.jpg
「ジャガイモを食べる人々」1885年/「タンギー爺さん」1887年夏・冬/「ファン・ゴッホの椅子」1888年11月/「ゴーギャンの肘掛け椅子」1888年11月
ゴッホ2.jpg

【2020年文庫化[幻冬舎文庫]】

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ミステリとしても愉しめるが、あまりミステリ、ミステリして読まない方がいい。

リボルバー.jpg ゴッホ オーヴェルの教会.jpg ゴッホの「星月夜」.jpg
リボルバー』['21年] ゴッホ「オーヴェルの教会」「星月夜」
  
2025.3.30 蓼科新湯温泉にて
新湯 リボルバー.jpg パリ大学で美術史の修士号を取得した高遠冴(たかとおさえ)は、小さなオークション会社CDC(キャビネ・ド・キュリオジテ)に勤務している。週一回のオークションで扱うのは、どこかのクローゼットに眠っていた誰かにとっての「お宝」ばかり。高額の絵画取引に携わりたいと願っていた冴の元にある日、錆びついた一丁のリボルバーが持ち込まれる。それはフィンセント・ファン・ゴッホの自殺に使われたものだという。ファン・ゴッホは、本当にピストル自殺をしたのか?―殺されたんじゃないのか?...あのリボルバーで、撃ち抜かれて―。

 ゴッホとゴーギャンという存命中はほとんど世に顧みられることのなかった二人の孤高の画家の関係に焦点を当て、ゴッホの自殺に使われた拳銃を巡るアート・ミステリっぽい話。プロのキュレーター資格を持つ作者(と言うより、キュレーターから作家になった)ですが、ゴッホ、ゴーギャンは特にこの人の得意な分野なのでしょうか。ゴッホを主人公の1人にした『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)という作品もあります(因みに、この作品『リボルバー』は、戯曲化することを前提にした原作小説として書かれ、実際戯曲化されている)。以下、ネタバレになります。

 ゴッホが自殺に使ったとされるリボルバーは、弟のテオがパリで護身用に所持していた銃という設定です。それを、ゴッホのかねてからの願いでアルルで共同生活を送ることになったゴーギャンに、テオがゴッホと何か諍いが起きた時の護身用として(弾は装填せずに)送ったのが、実はゴッホの依頼で弾を一つだけ装填してゴーギャンに郵便で送られます。しかしゴーギャンはそのことを知らずにその銃を、アルルを去った後タヒチにも持って行きます。

 ところが、タヒチから一度フランスに戻って来たゴーギャンは、ゴッホから自殺を仄めかす手紙を受け取ったため、ゴッホの身を案じ、ゴッホの居るオーヴェール=シュル=オワーズにその銃を持って訪れます。リボルバーに弾は装填されていないと信じていたゴーギャンは、ゴッホとの言い争いで自殺を装うように銃を自らのコメカミに銃を当てます。弾を一つだけ装填されていると知るゴッホはゴーギャンの命を救おうと飛び掛かり、そして揉み合いから、ゴッホの脇腹に―。

 「ファン・ゴッホは、本当は殺されたんじゃないのか」という疑惑からスタートとしているので、映画「アマデウス」におけるモーツァルトとサリエリみたいなことになるかと思ったら"事故"だったということで、やや拍子抜けした面もあります。自分をすでに追い越していると思われるゴッホの才能をゴーギャンが感じ取り、より自分の才能を開花させるためにタヒチに行ったことは事実に近いのかもしれませんが、この物語では、再びゴッホを振り切るために狂言自殺を演じたら、不運なことになってしまったというこという作りになっています。

 そう言えば『たゆたえども沈まず』もゴッホの話で、リボルバーはテオがゴッホとの諍いがあった時にと所有していたもので、ゴッホがパリからアルルに移ってしまった後は鞄に入れていたのをすっかり忘れていたのを、その鞄を借りることになったゴッホが偶然リボルバーの存在を知り、後で鞄だけテオに返却して―という作りになっていました。

 通説では、リボルバーはゴッホが終焉の地で寝泊まりしていた「ラヴァー亭」の経営者が所持した物で、それをゴッホが持ち出し、麦畑で自らを撃ち(ただし、現場を目撃した者はおらず、また、自らを撃ったにしては銃創や弾の入射角が不自然な位置にあるという主張や、子供たちとじゃれ合っていて暴発したという説もある)、数年経って農家によって偶然ゴッホが自らを撃ったとされる畑の中で発見され、元々の所有者であるラヴァー亭に返却され、店に一時展示されていたということのようです(小説に中でも、一般的理解はそうだとされている)。仮に小説の方が"真実"だとすると、オークションにかけられた約16万ユーロ(約2千万円)で落札された「ラヴァー亭」のリボルバーは、ゴッホが畑に落っことしただけのものということになる?

 ミステリとしても愉しめるものの、完全にミステリとして読んでしまうと穴も多いので、あまりミステリ、ミステリして読まない方がいいです(笑)。むしろ、ウィリアム・サマセット・モームの『月と六ペンス』など他の作品(著者の前作『たゆたえども沈まず』も含まれる)におけるゴッホやゴーギャンの描かれ方と比べながら読むと、こういう解釈もあるのかと多角的に見れて愉しめます。

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
ゴーギャン「我々はどこから来たのか.jpg

【2023年文庫化[幻冬舎文庫]】

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自分の人生の重要シーンを10挙げるとすれば何と何が来るか考えさせられた。

ある一生 映画.jpg ある一生1.jpg ある一生 原作.jpg
「ある一生」ポスター/シュテファン・ゴルスキー/『ある一生 (Shinchosha CREST BOOKS)』['19年]
ある一生 子供時代.jpg 1900年頃のオーストリア・アルプス。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)は渓谷に住む、遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場にやってきた。しかし、農場主にとって、孤児は安価な働き手に過ぎず、虐げられた彼にとってのある一生2.jpg心の支えは老婆のアーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)だけだった。彼女が亡くなると、成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)を引き留めるものは何もなく、農場を出て、日雇い労働者として生計を立てる。その後、渓谷に電気ある一生3.jpgと観光客をもたらすロープウェーの建設作業員になると、最愛の人マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、山奥の木造小屋で充実した結婚生活を送り始める。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。第二次世界大戦が勃発し、エッガーも戦地に召集されたもののソ連軍の捕虜となり、何年も経ってから、ようやく谷に戻ることができた。そして、時代は過ぎ、観光客で溢れた渓谷で、人生の終焉を迎えたエッガー(アウグスト・ツィルナー)は過去の出来事がフラッシュバックし、アルプスを目の前に立ち尽くす―。

ある一生5.jpg 「アンネの日記」('16年/独)のハンス・シュタインビッヒラー監督の2023年作。原作であるオーストリアの作家ローベルト・ゼーターラーの同名小説は、2014年に刊行されるや読書界の話題をさらい、世界40カ国以上で翻訳され160万部以上発行、ブッカー賞最終候補にもなった作品だそうです。この原作を美しい情景と共に映画化し、激動の時代に翻弄されながら過酷な人生を歩んだ男の一生を描いたヒューマンドラマになっています(主人公の8歳の時をイヴァン・グスタフィク、18歳から47歳をシュテファン・ゴルスキー、60歳から80歳をアウグスト・ツィルナーが演じている)。

 「週刊文春」の映画評で、芝山幹郎氏(翻訳家)などはこの作品を褒めているのではないかと思ったら、「苦手な臭いを感じた」とのことで5つ星満点評価で★★★と抑えめの評価で(「過大評価したくない」とまで言っている)、中野翠氏(コラムニスト)の方がむしろ「一見淡々とした評価だが、胸の奥深くに滲みる」として★★★★とより高い評価だったのが意外でした。でも、言われてみれば、確かにあまりにストレートな造型で、芝山幹郎氏の気持ちも分からなくないです。

 戦争に行った以外は、山で生き、山で死んでいった無名の男エッガーの人生。個人的には、ラスト近くで、バスから降りた老エッガーに、それまでの人生の思い出がフラッシュバックして甦ってくるシーンが、彼の人生を集約しているようで良かったです。記憶の"結晶化"作用ではないですが、苦難に満ちたかに思えた彼の人生は、愛と幸福に満ちた人生でもあったのだなあと思ったのと、人生って集約すると、10前後の主だったシーンに纏まってしまうのかもしれないなあと思いました(自分の人生の重要シーンを10挙げるとすれば何と何が来るだろうかと考えさせられた)。

新湯 ある一生.jpg 原作はどんな大河小説なのかと思って手にしてみたら、150ページほどのやや長めの中編といった感じの本でした。映画は原作に忠実に作られているのを感じましたが、映画はエッガーの一生を時系列で追っているのに対し、原作の方は人生を俯瞰するような描き方で、時に時系列が入れ替わったりします。

ローベルト・ゼーターラー 『ある一生 (Shinchosha CREST BOOKS) 』['19年]2025.6.7 蓼科新湯温泉にて

 例えば、映画の中盤にある、エッガーが山小屋で見つけた瀕死のヤギ飼い〈ヤギハネス〉を背負って山を下ろうとするも、エッガーは片脚が不自由なうえ、折りからの吹雪に足を滑らせて身動きが取れないでいると、ヤギハネスは、死は氷の女が魂を奪っていくのだと語り、雪の中へ駆けて消えていく―というシーンは、原作では冒頭に来ています(そして、マリーとの出会いがその次に来る)。

ある一生老.jpg また、映画では、エッガーが亡くなるシーンがラストで、その前に、前述のそれまでの人生の思い出がフラッシュバックするシーンがありますが、原作では、順番が逆転し、エッガーが亡くなったという記述の後に、彼がバスに乗り、さらにバスから降るシーンがあります。映画におけるフラッシュバックシーンは、原作では「ひとつひとつの記憶が蘇ってきた」となっています。そして「まだそのときじゃない」とエッガーは小声で言います(つまり、今はまだ死なないと)。原作は最も重要な場面を最初と最後に持ってきているとも言えます。主人公は哲学者でも何でもなく、山に生きる無骨な男ですが、映画には常に「生」と密接した「死」の雰囲気があります。そうしたことが作品テーマであることは、原作の構成が、生と死を巡る重要シーンを冒頭と最後に持ってきていることからも窺えるように思いました。単に無名の男の生涯を描いた"感動作"ということではなく、観る側に人生とは何かを考えさせる作品ともとれます(「評価する」か、芝山幹郎氏が言うところの「過大評価しない」かの分かれ目はこの点だろう)。

『バグダッド・カフェ』(1987)2.jpg 中野翠氏が「親代わりの老婆と、妻という救い」があったとしていますが、虐げられた少年にとっての心の支えとなった老婆アーンルを演じたのはマリアンヌ・ゼーゲブレヒト。パーシー・アドロン監督の「バグダッド・カフェ」 ('87年/西独)で、ジャック・パランス演じる老画家が恋心を抱くおデブの女性ジャスミンを演じていた女優で、あまり喋らないですが、存在感があってその印象は強烈でした。あれから36年、まだ現役なのだなあ(痩せた?)。

「バグダッド・カフェ」 ('87年/西独)
マリアンヌ・ゼーゲブレヒト/ジャック・パランス


ある一生4.jpg「ある一生」●原題:EIN GANZES LEBEN●制作年:2023年●制作国:ドイツ・オーストリア●監督:ハンス・シュタインビッヒラー●製作:ヤーコプ・ポホラトコ/ディエター・ポホラトコ/ティム・オーバーベラント /テオドール・グリンゲル/トビアス・アレクサンダー・サイファート/スカディ・リス●脚本:ウルリッヒ・リマー●撮影:アルミン・フランゼン●音楽:マシアス・ウェバー●原作:ローベルト・ゼーターラー●時間:115分●出演:シュテファン・ゴルスキー/アウグスト・ツィルナー/イバン・グスタフィク/アンドレアス・ルスト/ユリア・フランツ・リヒター/ロバート・スタッドローバー/トーマス・シューベルト/ルーカス・ウォルヒャー/マリアンネ・ゼーゲブレヒト/マリア・ホーフステッター/ペーター・ミッタールッツナー●日本公開:2024/07●配給:アットエンタテインメント●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-08-25)(評価:★★★★)
新宿武蔵野館
ある一生 m.jpg

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