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パレスチナの女性作家が描いたイスラエル兵の女性に対する「物(もの)化」。


『とるに足りない細部』['24年]アダニーヤ・シブリー

【第一部】1949年8月13日。イスラエル独立戦争の翌年、戦闘で破壊されたキブツの跡地にイスラエル軍が駐屯を始める。駐屯軍の任務は、エジプトとの国境の策定と付近の安全確保だ。焼けつくネゲブ砂漠をパトロール中に藪の中に動きを発見。掃射後に見たのは死んだ6頭のラクダと黒い衣装の中で震えている少女だけ、男も武器もなかった。ベドウインの少女がラクダを連れ散歩していたのだったが、パトロール隊は少女を連行する―。
【第二部】25年後、語り手の女性は25年前のベドウイン少女レイプ虐殺事件を歴史の一頁として回顧したイスラエル記者の記事を読む。少女が殺された日付、1949年8月13日が自分の誕生日と同じと知って記者に連絡を取る。当惑気味の彼から現場付近の記念博物館などを聞き出す。レイプや虐殺はこの国では日常茶飯事に起きる「取るにたりない細部」に過ぎない。何故これほどまでに血が騒ぐのか彼女自身にも解らない―。
1974年生まれのパレスチナ人の女性作家による作品で、2017年にアラビア語で発表されたのち各国語に翻訳され、全米図書賞翻訳部門最終候補(2020年)、国際ブッカー賞候補(20121年)になるなど高く評価されたたほか、2023年にはドイツの文学賞であるリベラトゥール賞を受賞。しかし同年10月、イスラエルによるガザへの攻撃が激化するなか、フランクフルト・ブックフェアで開催予定だった授賞式は同賞の主催団体によって中止され、ブックフェアは「イスラエル側に完全に連帯する」との声明を出し、この決定に対しては、作家や出版関係者を中心に世界中から抗議の声が上がったとのことです。
上記のように、イスラエル駐屯軍の士官が語り手の第一部と、作者の分身とも思われる女性が語り手のに第二部に分れ、その間に25年の経過があって、第一部のイスラエル兵に集団レイプされ殺されたベドウイン少女の死亡日と、第二部の女性の語り手の誕生日が同日というだけの「取るにたりない」繋がりがあるとう構成です。
第一部の少女が連行されてからの描写が凄まじいです。士官自身はもともと、ベドウインは植物を植えることを知らず、羊やラクダを連れて草の根まで食べさせて土地を荒らし、後は移動するだけなのに、自分たちはこの約束の地に家を建て、井戸を掘り砂漠を農地や牧場に変え、やがては工場や商店を呼び込んで繁栄するだろうと、自負心と差別意識が相俟っているような人物。毒雲に噛まれた傷跡が悪化し化膿して幻覚症状に陥りますが、彼にとっては蜘蛛もベドウインも排除すべき生き物ということでは同じです。
連行した少女をベドウインの部落に戻すか、指令本部に連れて行くべきか士官は考えますが、結局、泣きわめくだけの、垢と悪臭まみれの娘を広場に連れ出し、服を脱がせ、体を洗わせ、乳房や陰部を見物の兵に晒した後、少女を飯炊き女として使うか、慰めものにするかと提案。隊長は次の日の朝まで少女への接触を禁じる命令を出し、少女を自分の小屋で犯した後、三日間兵士に与え、さらにその後、少女を撃ち、砂漠に予め用意した穴に埋める。本部には完全隠蔽。兵士に「極く些細な気晴らし」を与えたのだった―。
第二部で、少女が殺された事情を探ろうとする語り手(パレスチナ人)は、ガザに住む友人に頼んで通行証を、男友達に頼んでレンタカーを借り、搭乗者に名前を追加してもらって検問所を突破。しかし、道に迷い、新たに出来た高速道路や入植地のアパート群に、この地の変わりように驚く。やっと事件の現場らしき場所へ行き着くと、博物館の人のいい管理人が、昔井戸に投げ込まれたベドウイン人の少女の死体を見たと話すが、アラブ人は挙動が怪しい人間を井戸に投げ込むことがあるという、史実と違う話になっている―。
翌朝、廃墟の近くで、当時司令官が住み少女がレイプされた小屋に似ている小屋を見つけ近づくが「そこを動くな」の声で我に返る。彼女は知らないうちに軍事施設の中に入り込んでいたのだ。銃口が狙っているのが判り、何気なくポケットに手を入れた瞬間―。
ストーリーは登場人物の内面に入り込むのを避け、出来事を淡々と述べるスタイルで進行していきますが、作者自身、余計な想念を働かせずに物語として読んでほしいと言っており、また、この物語を政治情勢と絡めて論じられることを忌避しているようです。個人的にも読んでいて、字も読めないベドウイン少女ともう一人の作者を想起させる知識人女性は、女性という「弱者としての性」で繋がっているように思いました。
イスラエル兵によるその女性に対する「物(もの)化」は、イスラム社会における「男尊女卑」を超えているとも捉えることができます。その意味で、普遍性のある作品であると同時に、(史実と異なる伝承がされていることなども含め)政治的な読まれ方をされることがある程度避けられない作品でもあるように思いました。それでも佳作だと思います。
