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「労働者3部作」第3作。希望の無い終わり方だが、個人的にはこれはこれで良かった。

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「マッチ工場の少女」カティ・オウティネン
マッチ工場の少女01.jpg イリス(カティ・オウティネン)は母(エリナ・サロ)と継父(エスコ・ニッカリ)と暮らす冴えない独身女性。マッチ工場に勤めるが、両親は彼女の収入をあてにして働かず、家事までさせる始末。質素な身なりゆえか男性との出会いもなく、味気ない日マッチ工場の少女04.jpg々を送るイリス。ある給料日、イリスはショーウィマッチ工場の少女034.jpgンドーで見かけた派手なドレスを衝動買いする。両親に咎められ返品を命じられるが、かまわずドレスを着てディスコに行くと、アールネ(ヴェサ・ヴィエリッコ)という男に声をかけられる。一流企業に勤める彼の豪華なアパートで一夜を共にする二人。アールネに惚れ、さらなるデートを取り付けようとするイリス。自宅へ招き両親にまで会わせるが、あの夜のことは遊びだったとアールネは告げる。後日、妊娠していたことをマッチ工場の少女03.png知ったイリスは、一緒に子供を育てるようアールネに手紙を書く。しかし返事は小切手と、中絶を求める短い言葉だけ。放心して町へ彷徨い出たイリスは、クルマに撥ねられ流産する。さらに追い打ちをかけるように、母に心労をかけたとマッチ工場の少女058.jpgして継父から勘当される。兄(シル・セッパラ)のアパートに転がり込み、悲嘆に暮れるイリス。やがて意を決した彼女は、薬局で殺鼠剤を購入し、水に溶かして「毒」を作りボトルに入れてハンドバッグにしまう。アールネのアパートを訪ねると女が出てくる。入れ違うように中に入り、「お酒」と言うとアールネが二人分持ってくる。「氷も」と言い、アールネが取りに行っている間、彼のグラスに毒を注ぐ。「お別れに来マッチ工場の少女054.jpgたの。もうご心配要らないわ」小切手を返しマッチ工場の少女06.jpgイリスは去る。安心したアールネは酒を飲み干す。帰りにイリスがバーに寄りビールを飲みながら本を読んでいると、酔った男がナンパしてくる。イリスは微笑みかけ、彼のグラスに毒を注ぐ。翌日、イリスは実家に行き、母と継父に食事を用意する。ウォッカのボトルに残りの毒を全部入れ、自分は隣の部屋で一服しながら音楽を聴く。両親が死んだのを確認して家を出る。翌日工場で働いていると、二人の刑事がやってくる―。

 1990年公開のアキ・カウリスマキ監督の、「労働者(プロレタリアート)3部作」の「パラダイスの夕暮れ」('86年)、「真夜中の虹」('88年)に続く第3作。ベルリン国際映画祭「インターフィルム賞」受賞作。

マッチ工場の少女05.jpg 主演は「パラダイスの夕暮れ」に続いてカティ・オウティネン。ただし、「パラダイスの夕暮れ」「真夜中の虹」のような主人公たちの先行マッチ工場の少女02.pngきに希望を持たせるような話でもなく、むしろ、主人公のイリスがシリアルキラーみたになってしまうため(4人殺害した?)、後味の悪い作品と言えるかもしれません。こうした救いに無い終わり方をする作品は、カウリスマキ監督作では珍しいと言えます。したがって一般にはウケないかもしれませんが、個人的には、こうしたハッピーエンドではない作品も好きです。

 カウリスマキ監督が敬愛する小津安二郎の作品で言えば、主人公が終盤一気に自滅の道へ突き進んで行く「東京暮色」('57年)みたいな位置づけになるでしょうか。(「東京暮色」は1957年度「キネマ旬報ベストテン」で第19位と低位だったが、笠智衆によれば、小津安二郎自身がそのことを自虐を込めて語っていたようだ)。

 ハッピーエンドしか撮らない監督というのもまた面白味がないし、この作品の場合、確かに後味はよくないですが、主人公の内面では行為が完結したものとなっており(落とし前をつけた形で終わる)、しっかりとした芯が感じられる作品でした(ハッピーエンドとは別の意味でのカタルシスがある)。イリスの逮捕で映画は終わりますが、それがイリスにとっては納得済みで、むしろ的な終幕だったと言えます(因みに、フィンランドには死刑制度は無い)。

マッチ工場の少女061.jpg 主人公が唯一の理解者であると思われる兄の家に駆け込むと、室内にジュークボックスやビリヤード台がある洒落た感じの佇まいで、彼は意外と器用に生きているのかも(このシル・セッパラ演じる兄のキャラクターは、アキ・カウリスマキの兄ミカ・カウリスマキ監督、シル・セッパラ主演の「ゾンビ・アンド・ザ・ゴースト・トレイン」('91年/フィンランド)という作品に引き継がれているようだ)。家族の中で彼女だけが割食っている感じで、男女格差というのもモチーフとしてあるように思われます。簡単に女を捨てる男、娘に生活の糧をアテにする義父―こうした輩への批判が込められているのは勿論で、その意味では、フェニミズム映画とも言えるかと思います。

マッチ工場の少女v.jpgマッチ工場の少女p.jpg「マッチ工場の少女」●原題:TULITIKKUTEHTAAN TYTTO(英: THE MATCH FACTORY GIRL)●制作年:1990年●制作国:フィンランド●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:アキ・カウリスマキ/クラス・オロフソン/カティンカ・ファラーゴ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:69分●出演:カティ・オウティネン/ヴェサ・ヴィエリッコ/エリナ・サロ/エスコ・ニッカリ/シル・セッパラ●日本公開:1991/03●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-11-23)((評価:★★★★)
 
   
  
 
マッチ工場の少女 [VHS]
 

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「労働者3部作」第2作。ハードボイルドロマン? 切なさと希望の映画。

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「真夜中の虹」トゥロ・パヤラ/スサンナ・ハーヴィスト/マッティ・ペロンパー
「真夜中の虹」00.jpg「真夜中の虹」01.jpg 北国の炭鉱が閉山し失業したカスリネン(トゥロ・パヤラ)。「南へ行け」と父からキャデラックのコンバーチブルを譲り受けた。父は拳銃自殺した。旅の途中二人組の強盗から有り金を全部奪われてしまう。辿り着いた港で日雇い労働者として働き出す。駐車監視員のイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)から違反を見逃してもらったかわりに食事をご馳走した。その夜彼女の家でベッドを共にした。翌朝寝ていると息子のリキ(エートゥ・ヒルカモ)に起こされ「仕事に行かないの?」と尋ねられる。シングルマザーのイルメリはいくつかのバイトを掛け持ちしていた。カスリネンは街に出て仕事を捜すがなかなか見つからない。安く泊まれる「教会宿泊所」を追い出され、やむを得ず父の車を売る。駅でシケモクを拾って火をつけようとしていたら強盗の一人を見つける。追い詰めたらナイフを出してきた。そ「真夜中の虹」04.jpgれを奪って床に押さえつけたところで警察が来た。強盗殺人未遂、凶器所持、公務執行妨害でカスリネンに1年11か月の懲役刑が下る。駅には不当逮捕を裏付けるであろう監視カメラがあったのに。イルメリと息子が刑務所に面会に来る。出所したら結婚しようと約束する。イルメリのことで侮辱してきた「真夜中の虹」05.jpg看守を殴り懲罰房に入れられる。イルメリとリキから差し入れのケーキが届く。ケーキの中には金鋸が入っていた。それを使い、同室者のミッコネン(マッティ・ペロンパー)と共に脱獄に成功する。売った車を取り戻し、イルメリを迎えに行き結婚式をあげる。カスリネン、ミッコネンは闇の業者に国外逃亡のための偽造パスポートを依頼する。業者から銃と車を借り、銀行強盗をして資金を調達する。ミッコネンが金のことで業者とトラブルになり刺される。それをみたカスリネンは業者二人を撃つ。ミッコネンを埋葬したあと、カスリネン、イルメリ、リキの3人は真夜中の港に停泊する貨物船アリエル号でメキシコをめざす―。

 1988年公開の、アキ・カウリスマキ監督の長編5作目で、「労働者(プロレタリアート)3部作」の第2作。仕事も家もお金も何もかも失った男が希望を求めて南へと向かう波乱万丈の旅を、カウリスマキ節というべき淡々としたタッチで綴っています(それでもカウリスマキ作品にしては"波乱万丈")。

「真夜中の虹」06.jpg 「ハードボイルドロマン」という触れ込みもあり、確かに「脱獄」を描いた箇所もありますが、誰かが言っていたように、ティム・ロビンスの用意周到さも(「ショーシャンクの空に」('94年/米))、スティーブ・マックイーンの華麗さや過酷さも(「大脱走」('63年/米)、「パピヨン」('73年))、クリント・イーストウッドの執念も(「アルカトラズからの脱出」('79年/米))、その何れも無い緩~い感じの脱獄でした(笑)。これがまたアキ・カウリスマキ監督らしいのですが、でも「レザボア・ドッグス」('92年/米)みたいなところもあって、一応、ハードボイルドなのかも(主人公はほとんど表情を変えず淡々としている点でもハードボイルド? だとしたら、カウリスマキ作品はどれもハードボイルドだとうことになってしまうが)。

「真夜中の虹」03.jpg カウリスマキ監督作品の常連マッティ・ペロンパーが演じる、主人公と刑務所で同室の男ミッコネンが良かったです(主人公が監房に入ったとたんに彼がいて、マッティ・ペロンパー、どんな役でもやるなあと(笑))。最初は不愛想で脱獄にも乗り気でなかったように見えましたが、実は同じような思いを秘めていた。共に脱獄した後は、カスリネンとイルメリの結婚式の立会人を務めたりもします。もう一人の立会人がそこらの警備員か何かなのが可笑しいですが(こうしたユーモアがカウリスマキ監督らしい)。
真夜中の虹 [VHS]
「真夜中の虹」v.jpg そのミッコネン、最後は、偽造パスポートの闇業者がカネを総獲りしようとしたことに抗って刺されてしまい、貨物船「アリエル号」で逃避行にタ旅立とうとするカスリネンらに対し、(自分の死体を)ごみ捨て場に埋めてくれと言うのがあまりに切な過ぎました。〈自由〉の夢はカスリネンら3人に託したということでしょう。

 カスリネンらが港について初めて船の行き先がメキシコであることを知るというのも、彼らの計画がかなり大雑把であったことを物語っていますが、「メキシコ」というのは、中盤のミッコネンがカスリネンに話した逃亡先の候補の中にありました。理想的だが行くのに金がかかると(物語としてはちゃんと伏線とオチになっているわけだ)。

 ラストに流れる「オズの魔法使い」('39年/米)のテーマ「虹の彼方に」が、映像的にもテーマ的にも作品にマッチしていて、アキ・カウリスマキ監督の音楽センスの良さを感じました(ウォン・カーウァイ監督が「欲望の翼」('90年/香港)でロス・インディオス・タバハラスやザビア・クガートの曲を使ったのを想起した)。原題は「アリエル」ですが、「真夜中の虹」という邦題は上手い付け方だと思います。

 イルメリの息子リキは賢くて強い子でした。幼い頃にこうした経験をした子は、メキシコの地でどんな大人になるかなあ。母親を支え続けるのは間違いないでしょう。切なさと希望の映画でした。

「真夜中の虹」●原題:ARIEL●制作年:1988年●制作国:フィンランド●監督・脚本・製作:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●音楽:ヨウコ・ルッメ●時間:73分●出演:トゥロ・パヤラ/スサンナ・ハーヴィスト/マッティ・ペロンパー/ エートゥ・ヒルカモ/エスコ・ニッカリ●日本公開:1990/09●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-11-19)(評価:★★★★☆)

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「労働者3部作」第1作。カウリスマキ映画の作風の雛形が出来上がった作品。

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パラダイスの夕暮れ (字幕版)」[Prime Video]マッティ・ペロンパー/カティ・オウティネン

パラダイスの夕暮れ103.jpg ニカンデル(マッティ・ペロンパー)はゴミの収集人。相棒と二人、収集車に乗ってゴミを集めて回る。仕事帰りにスーパーで買い物をしていると手首から血が出ていた。レジ係の女性イロナ(カティ・オウティネン)が親切に手当してくれた。ニカンデルは彼女に一目惚れする。年配の同僚(エスコ・ニッカリ)から「俺は独立してのし上がるつもりだ。一緒にやろう。」と誘われ、その気になったが、同僚は仕事中に急死してしまう。ショックを受けたニカンデルはバーで酔って暴れ、留置所に入れられた。そこで出会ったメラルティン(サカリ・クオスマネン)という失業中の男に自分の会社を紹介し、一緒に働くことになる。仕事中にパラダイスの夕暮れ104.jpg偶然イロパラダイスの夕暮れ105.jpgナに再会し、デートに誘う。ビンゴホールに連れて行ったら「わたしたちうまくいかない」と振られてしまう。イロナはスーパーの店長(ペッカ・ライホ)からクビを言い渡される。悔しくて事務所の手提げ金庫を盗んだ。帰り道、ニカンデルを見つけドライブをねだった。二人は郊外のホテルに泊まりゆっパラダイスの夕暮れ106.jpgくり話をした。翌朝、海を見ながら初めてキスをした。イロナがアパートに帰ると刑事が待っていた。彼女が取り調べを受けている間、ニカンデルはこっそりと金庫をスーパーの事務所に戻す。ニカンデルがイロナのアパートに行くとルームメイト(キッリ・ケンゲス)しかいなかった。彼女は荷物を纏めて出て行ったらしい。ニカンデルは車で探し回ったが見つからない。イロナはホテルが満室だったのでベンチで夜を明かし、朝になってニカンデルの部屋のベルを鳴らした。ニカンデルはコーヒーを出した。彼が仕事をしている間、イロナは彼のベッドで眠った。同棲が始まり、イロナは衣料品店で働き出したが、二人の心はすれ違う。夕食後、イロナが「散歩に行きたい」と言うのでニカンデルが「一緒に行こう」と言うと「独りがいいの」パラダイスの夕暮れ107.jpgと答える。メラルティン夫婦と一緒に4人で映画を観て、酒を飲もうと約束をしたのにイロナはすっぽかす。寂しく情けない思いをしたニカンデルはヘソをまげ、彼女をアパートから追い出す。レコードを聴いたり、パブで酒を飲んで自分を慰めたが、どうしても彼女に会いたかった。イロナは勤め先の店長(ユッカ=ペッカ・パロ)と高級レストランで食事をしていたが、気分が乗らず「帰るわ。ご馳走さま」と中座し、ニカンデルの部屋へ行き、留守だったが彼のレコードを聴きながら寝入ってしまった。その頃ニカンデルはパブの帰り道、暴漢におそわれてケガをして倒れていた。翌日、搬送された病院にメラルティンが見舞いに来た。やっぱりイロナに会いたい。病院を抜け出して彼女の店に行った。「迎えに来た。新婚旅行に行こう」「いいわね」二人をメラルティンは港まで送った―。

パラダイスの夕暮れ109.jpg 1986年公開の、アキ・カウリスマキ監督の、長編3作目で、「労働者(プロレタリアート)3部作」第1作。今に見られるカウリスマキ映画の独特の作風の雛形が出来上がった作品とされ、さらに、既にそれは完成形と言えるものになっています。また、アキ・カウリスマキ監督作の常連となるマッティ・ペロンパーとカティ・オウティネンの初共演作でもあります(ただし、マッティ・ペロンパーの方は、アキ・カウリスマキ監督と親交のあるジム・ジャームッシュ監督のオムニバス映画「ナイト・オン・ザ・プラネット」('91年/米)のヘルシンキ編にも出たりしていたが、残念ながら44歳で早逝した)。

マッティ・ペロンパー(1951-1995/44歳没)
 
 「労働者3部作」の第1作の主人公がゴミの収集人というのも象徴的です。因みに、労働者3部作のあとの2作(「真夜中の虹」「マッチ工場の少女」)はそれぞれ失業者、女工を主人公にしています。徹底して社会の片隅に生きる人々(少し貧しいが、心は優しい)を主人公にし続けているとこころが、ある意味凄いと思います(小津安二郎などの影響も受けているようだが、小津は途中から中流以上の家庭を舞台にするようになった)。

 この作品を観て、経済的に裕福ではない人を主人公に据えるとともに、彼らは、現状では幸福感が得られていないと言うか、幸福とは何か、自分が不幸だということにも気づかないでいるような状況で登場するのも特徴であると改めていました。イロナに「なぜ私といるの?」と訊かれたニカンデルが、「俺には理由なんてない。あるのはただ、この名前と、ゴミ集めの制服、虫歯に病気の肝臓、慢性胃炎...いちいち理由をつける贅沢なんて俺にはない」と、ちょっとハードボイルドっぽく返しますが(この男、時々ハードボイルドを気取るところもある)、自虐的と言うか達観してしまっている印象も受けます。二人は急接近したと思ったら離反したりしますが、最後はハッピーエンドに。でも、この先この二人、大丈夫かなという気もします(結構、発作的に行動する傾向が二人ともある)。

 ニカンデルの友人となるメラルティンを演じたサカリ・クオスマネンがいい味出していて、演じているメラルティンというのも実はいい男でした。ラスト、2人がソ連船でエストニアのタリンに新婚旅行で旅立つときに見送る姿が何とも言えませんでした(因みに、カウリスマキ監督は、旅立つ二人を映さず、見送る友人だけを撮っている)。この人もアキ・カウリスマキ監督作の常連で、「過去のない男」('02年)では悪徳警官を演じていました。強面の悪(ワル)の方が風貌的に似合うため、この映画での意外性が効いています。

 ビンゴホールというのがあるんだね。まあ、フツー、デートするような場所ではないけれど(笑)。カウリスマキ監督自身もホテルのフロント係として出演しています。フィンランドの地元のムード歌謡曲などが使われているのも、カウリスマキ監督作の特徴。あと無いのは、「犬」の演技だけでしょうか。

パラダイスの夕暮れ f.jpgパラダイスの夕暮れ108.jpg「パラダイスの夕暮れ」●原題:VARJOJA PARATIISISSA(英: SHADOWS IN PARADAISE)●制作年:1986年●制作国:フィンランド●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミカ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:78分●出演:マッティ・ペロンパー/カティ・オウティネン/サカリ・クオスマネン/エスコ・ニッカリ/キッリ・ケンゲス/ペッカ・ライホ/ユッカ=ペッカ・パロ/ヴァンテ・コルキアコスキ/マリ・ランタシラ/ アキ・カウリスマキ(カメオ出演)●日本公開:2000/04●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-10-10)(評価:★★★☆)

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アニメ映画化のメリットが大きい。監督は長崎に住む親戚を原爆で亡くしている日系アメリカ人。
風が吹くとき 1986.jpg 風が吹くとき1.jpg 風が吹くとき2.jpg 風が吹くとき 絵本.jpg
風が吹くとき デジタルリマスター版 [DVD]」/『風が吹くとき』['98年](さくま ゆみこ:訳)(上)/『風が吹くとき』['82年](小林忠夫:訳)(下右)
風が吹くとき 絵本1.jpg風が吹くとき 2.jpg イギリスの片田舎で平穏に暮らすジムとヒルダの夫婦は、二度の世界大戦をくぐり抜け、子どもも育て上げ、いまは老境に差し掛かっている。そんなある日、2人は近く新たな世界大戦が起こり、核爆弾が落ちてくるという知らせを聞く。ジムは政府が配ったパンフレットに従ってシェルターを作り備えるが、ほどなくして凄まじい爆風に襲われる。周囲が瓦礫になった中で生き延びた2人は、政府の教えに従ってシェルターでの生活を始めるが―。

ジェームズ・T・ムラカミ
風が吹くとき 1.jpg風が吹くとき 監督.jpg 1986年のジェームズ・T・ムラカミ監督作。原作は、「スノーマン」「さむがりやのサンタ」で知られるイギリスの作家・イラストレーターのレイモンド・ブリッグズが1982年に発表した、核戦争に際した初老の夫婦ブロッグス夫妻を主人公にした絵本で(原題:When the Wind Blows)、彼らが参考にする政府が発行したパンフレットは、イギリス政府が実際に刊行した手引書 "Protect and Survive" (『防護と生存(英語版)』)の内容を踏まえているとのことです。日本語版は1982年に小林忠夫の訳で篠崎書林から出版され、1998年にはさくまゆみこの訳であすなろ書房から出版されています(小林忠夫はあとがきで、作者は本書を現代のエリートたちへの警告の書として描いたとしている)。

風が吹くとき 3.jpg イギリス映画ですが、監督のジェームズ・T・ムラカミは、長崎に住む親戚を原爆で亡くしているという日系アメリカ人。音楽はロジャー・ウォーターズで、主題歌はデビッド・ボウイの英国人コンビ。日本語吹替え版は大島渚が監修し、ジムとヒルダの声を森繁久彌と加藤治子が担当。1987年7月に日本初公開。2008年7月、デジタルリマスター版が公開。2024年8月にも吹き替え版でリバイバル公開されましたが、個人的には字幕版で観ました。

風が吹くとき 4.jpg 夫婦が孤立の中、マニュアルを参照しながらも、時に無知や思い込みからくる誤った行動をとってしまうことなどから(日光浴をしたり、雨水を飲んだり...)、次第に"被曝死"への道を辿っていく様は恐ろしいものであり、夫婦が最後まで政府の助けが来ることを信じているのも、それが心情的には"救い"であると言うよりは、むしろ見ていて歯がゆくなる思いがします。でも、実際に身近に核爆弾が落ちたら、中途半端な知識なんか役に立たないんだろなあ。政府も何かしてくれるわけでもないし、そもそも何もできないでしょう。

ペーパーバック(1986)/ハードカバー(1987)
風が吹くとき 洋書.jpg風が吹くとき 本2.jpg 原作の絵本は、そうした会話部分は細かく区切られたコマ漫画になっていて、それがほとんどを占め、それだけ夫婦間で交わされる会話が重要であるということでしょう。ただし、必ずしも読みやすいというものではありません(小林忠夫は「大人が子どもに読んで聞かせる絵本」としている)。それをアニメ映画にすることで、会話と情景描写を同時に味わえるため、誰もが鑑賞しやすくなっており、映画化のメリットは大きいと思いました(原作者レイモンド・ブリッグズが脚本を担当))。

サクリファイス ニーチェ.jpg 因みに、核戦争が起きたと想定した映画では、この映画と同じ年に公開されたアンドレイ・タルコフスキー監督の「サクリファイス」('86年/スウェーデン・英・仏)があります。ハンガリーのタル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」('11年ハンガリー・仏・スイス・独)もそうでした。ただ、いずれも、この「風が吹くとき」と同じく、核爆発や核攻撃の直接的な場面はありません(ただし、この「風が吹くとき」では、タイトル通り夫婦の家を凄まじい爆風が襲う場面はある)。

 「サクリファイス」では、世界の終りの危機が核戦争勃発によってもたらされたことが、登場人物がテレビでそのニュースを聴く場面があることから具体的に示されているのに対し(したがって「風が吹くとき」に近い形)、「ニーチェの馬」では、風吹きすさぶ中、父と娘が暮らす一軒家に立ち寄った男が、町は風で駄目になった」と言うだけです。ただし、2人きりで孤立して死を待つほかないとう状況は、「風が吹くとき」に似ているとも言えます。これらを見比べてみるのもよいかと思います。

風が吹くとき 本1.jpg風が吹くとき d.jpg「風が吹くとき」●原題:WHEN THE WIND BLOWS●制作年:1986年●制作国:イギリス●監督:ジェームズ・T・ムラカミ(日本語吹き替え版監督:大島渚)●製作:ジョン・コーツ●脚本:レイモンド・ブリッグズ●絵コンテ:ジミー・T・ムラカミ●音楽:ロジャー・ウォーターズ(主題歌:デビッド・ボウイ)●原作:レイモンド・ブリッグズ●時間:85分●出演:ジョン・ミルズ/ペギー・アシュクロフト/(日本語版)森繁久彌/加藤治子/田中秀幸●日本公開:1987/07●配給:ヘラルド・エース=日本ヘラルド映画(評価:★★★★)

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南北戦争、スペクタクルシーンもあったが、やや冗長。それを一気に締めるラストの三つ巴決闘。

続・夕陽のガンマン b.jpg続・夕陽のガンマンp.jpg続・夕陽のガンマン0.jpg
クリント・イーストウッド/リー・ヴァン・クリーフ/イーライ・ウォラック

続・夕陽のガンマン/地獄の決斗 [Blu-ray]
続・夕陽のガンマン 特別版 [DVD]
続・夕陽のガンマンdvd.jpg 3人の賞金稼ぎが酒場に入った途端に銃撃戦となり、一人の男が店の窓を破って飛び出してきた。そして店内には3人の死体が。悪事を積み重ね2000ドルの賞金が懸かったその男の名前はテュコ<卑劣漢>(イーライ・ウォラック)。不敵な笑みを浮かべた一人の殺し屋の男が荒野の一家を訪れた。殺し屋はある兵士を追っており、その名前が知りたいという。名前を告げた一家の主は、金は倍額出すから依頼を破棄して代わりにその雇い主を殺してくれと頼むが、雇い主からの依頼は反故にできないが、追加で依頼を受ける分には構わないと言う。殺し屋は一家の父子を射殺し、別の雇い主に依頼を遂げたと告げ、雇い主も葬る。その男の名前はエンジェル<悪玉>(リー・ヴァン・クリーフ)。賞金稼ぎの待ち伏せに遭い包囲されるテュコ、とその場に金髪で長身のガンマンが現れ、3人の賞金稼ぎを早撃ちで斃す。金髪の男は賞金首のお尋ね者であるテュコ本人を売って賞金を受け取り、縛り首される寸前の縛り縄を長距離から狙撃で切断してテュコを逃走させては後で賞金を山分けする商売を繰り返していたが、テュコの賞金首の額が上限に達したため、商売に見切りをつけ荒野の真ん中でテュコを置き去りにして去る、その金髪の男の名前はブロンディ<善玉>(クリント・イーストウッド)。野垂れ死に寸前で町に到着したテュコは報復のためブロンディを嬲り殺しにしようとする。その砂漠の道中、死にかけた兵士を乗せた馬車に遭遇、その兵士こそエンジェルが追っている兵士だったが既に致命傷を負い、息も絶え絶えの中ブロンディに大金の在り処を伝えて事切れる。南北戦争の戦場を横目に3人の男達は、裏切り、痛めつけ、時には共闘し、時には互いに出し抜こうとし、隠された20万ドル相当の硬貨の在り処を目指す。大金が眠る墓場に到着した3人は、大金を総取りできる決闘で決着をつけようとする―。

続・夕陽のガンマンp3.jpg 1966年のセルジオ・レオーネ監督作で、「荒野の用心棒」('64年)と「夕陽のガンマン」('65年)に続く所謂「ドル箱三部作」(正確にはドル三部作)の第3作目であるとされている作品(ただし、年代的には一番古いとされている)。原題の Il buono, il brutto, il cattivo を直訳すると「善玉、卑劣漢、悪玉」ですが、英題(The Good, the Bad and the Ugly)では順番が変わって「善玉、悪玉、卑劣漢」となっています(前2作の英題がA Fistful of Dollars(荒野の用心棒)、For a Few Dollars More(夕陽のガンマン)なのに対し、この作品だけタイトルに「ドル」が無い)。日本で初めて劇場公開されたときには、「続・夕陽のガンマン/地獄の決斗」でしたが、ビデオ販売時に「続・夕陽のガンマン」になったようです。

 南北戦争が背景で、1500人の地方兵をエキストラに使い、60トンの爆薬を使用し、160万ドルで製作されていて(ただし、当時のハリウッド映画としてはむしろ低予算だそうだ)、橋の爆破シーンなど、壮大なスペクタクルシーンもあります。南北戦争を舞台にした映画には「風と共に去りぬ」などがありますが、戦闘の模様を描いた作品はあまり観る機会がないかもしれません。実際には、戦争映画ではないのですが、イーストウッド演じるブロンディが戦争の虚しさを示唆するような場面もあります(彼は橋を爆破して無駄な戦いを回避することで多くの人命を救ったことになり、その意味で確かに<善玉>と言えるかも)。

 ただ、南北戦争という舞台背景に、3人の主人公の金を巡る駆け引きを織り交ぜて描いているのが、却ってテンポを悪くして大味になっている印象もあります。戦争映画と言うより、前2作の続編として観ているということもあり、その流れで観てしまうと、3時間のは長さはやや冗長の感がありました(一方で、リー・ヴァン・クリーフ演じるエンジェルがいつも唐突に現れるなど、ストーリーが飛ぶような箇所もあった)。

続・夕陽のガンマン三つ巴.jpg それが、ラストの三つ巴の決闘で、それまでの「減点」を一気に取り戻した感じがします。ここまで来るとある種「様式美」です。映画撮影用に造られたスペインのサッドヒル(墓地)は、5000基の墓標が円形に配置された巨大オープンセットで、撮影の49年後にこの映画のファンの有志の人たちが、草や土に埋もれたままのサッドヒルを掘り返して2000基を復元し、このプロジェクトは「サッドヒルを掘り返せ」('17年/スペイン)という記録映画になっています。

 「ドル箱三部作」は後の方になればなるほどいいとの評価があります。例えばIMDbの評価を見ると、「荒野の用心棒」('64年)[7.9]<「夕陽のガンマン」('65年)[8.2]<「続・夕陽のガンマン」('66年)[8.8]とだんだん高い評価になっています。続編の方が本編より評価が高い映画というのは時々ありますが、第3作が最も高い評価であるケースというのは少ないかもしれません。特に、米国ではこの「続・夕陽のガンマン」の評価が高いようですが、日本でも3部作ではこれが一番という人が最近は多数派ではないでしょうか(公開当初はそうでもなかった)。

続・夕陽のガンマン り.jpg続・夕陽のガンマン9.jpg 個人的には、前2作と質的にやや異なる映画になっているため比べるのは難しいですが、先に述べた通り、後半"挽回"しているので(シリーズの流れに"回帰"しているとも言える)、前2作と同じく★★★★の評価です。リー・ヴァン・クリーフは前作「夕陽のガンマン」の方が好みだったかも(悪そうに見えて実はワケアリ)。「夕陽のガンマン」は、クリント・イーストウッドではなくリー・ヴァン・クリーフの映画でしたが、こっちはイーライ・ウォラックの映画になっているという印象です(3人の内、セリフが圧倒的に多いのがこの人)。

 因みに、IMDbではセルジオ・レオーネが生涯に監督した7作品のうち、「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」「続・夕陽のガンマン」「ウエスタン」「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の5作品が2015年7月現在のユーザーの選んだTop250のリストにランクインしています。特にこの「続・夕陽のガンマン」は黒澤明監督の「七人の侍」などを凌ぎ、ハリウッド以外で製作された映画の中で最高の順位を獲得(当時)、根強い人気があることを窺わせます。

音楽:エンニオ・モリコーネ

続・夕陽のガンマp.jpg続・夕陽のガンマン09.jpg「続・夕陽のガンマン(続・夕陽のガンマン/地獄の決斗)」●原題: Il BUONO, Il BRUTTO, Il CATTIVO(英:THE GOOD, THE BAD AND THE UGLY●制作年:1966年●制作国:イタリア・西ドイツ・スぺイン・アメリカ●監督:セルジオ・レオーネ●製作:アルベルト・グリマルディ●脚本:フリオ・スカルペッリ/セルジオ・レオーネ/ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニ●撮影:トニーノ・デリ・コリ●音楽:エンニオ・モリコーネ新文芸坐241011.jpg●時間:178分(完全版)・162分(国際版)●出演:クリント・イーストウッド/リー・ヴァン・クリーフ/イーライ・ウォラック/マリオ・ブレガ/ルイジ・ピスティッリ/アルド・ジュフレ/アントニオ・カサール/クラウディオ・スカラチリ/サンドロ・スカラチリ/リヴィオ・ロレンゾン/ラダ・ラシモフ●日本公開:1967/12●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所(再見):池袋・新文芸坐(24-10-11)(評価:★★★★)

新文芸坐で無料配布されていた「続・夕陽のガンマン」ポストカード
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暴力と弱さの間で葛藤する人間。ハーベイ・カイテルが怪演。宗教的テーマか。

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バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト 無修正 HDリマスター版
「バッド・ルーテナント」2.jpg 1988年、ニューヨークのブロンクス。警部補LT(ハーヴェイ・カイテル)は今朝も車中から二人の息子を見送りながら、目覚めのコカインを吸う。今日最初の事件は被害者二名の殺人事件。現場を離れコーヒーを買いに行くと、駐車場泥棒を見かけるが無視。次の事件は薬物売人グループの追跡。LTは売人をアパートの上階に追い詰めるふりをして、別の事件で入手した薬物を与え、自分のために取っておいた薬物を吸う。売人は数日内に薬物を売却し、売上金の一部をLTに渡すことを約束する。その頃、修道女(フランキー・ソーン)が教会で二人の若い不良からレイプされる事件があり、犯人逮捕の賞金は5万ドルとされる。LTは病院で医師の診断を受ける修道女を覗き見るが、彼女は犯人を恨まないとし、事件により神のご加護を受ける機会を得たと語る。翌朝、LTはテレビでメッツvs.ドジャースのリーグチャンピオンシップシリバッド・ルーテナント01.jpgーズで、自分が賭けていたドジャースが負けたのを見てがっくりするが、次の試合で掛金を倍にして取り戻そうとする。メッツは最初三連敗し、彼はドジャースの勝利を確信していのだ。今度の掛金は持ち金以上の3万ドル。彼の薬物使用および飲酒はさらにひどくなり、行動は制御不能に。他の事件現場で薬物を見つけてスーツのポケットに隠す。しかし注意力減退により薬物を路上に落とし、同僚は訝るが、彼は証拠として提出するつもりだったと嘘をつく。彼は掛金をさらに倍の6万ドルにする。ノミ屋は忠告するが、LTはこれまで三連敗したチームが優勝したことはないと言う。彼の犯罪行為は悪化し、親の車でクラブに行こうとした若い女性二人を路肩停車させ、猥褻行為を強要する。メッツが勝ち、彼は掛金をさらに倍にしようするが、ノミ屋はLTが胴元から殺害される恐れがあるとし、12万ドルの掛金は自殺行為だとして拒否、LTは胴元に掛金を告げる。飲酒運転をしながら試合結果を聴バッド・ルーテナント03.jpgくが、ドジャースが負け、カーラジオを銃で撃つ。やがて、売人から売上金のうち3万ドルを回収する。彼は修道女がレイプされた教会へ行くと、彼女が祭壇の前で跪いて祈っていた。彼は、もし彼女が犯人が誰か知っているのであれば、代わりに彼らを殺すと言うが、彼女はもう忘れたと繰り返し、祭壇の前に跪く、LTを残して去り、、LTは精神的に不安定になる。彼は祭壇の十字架に貼られたキリストを見て涙しながら罵声を浴びせ、最終的に自分の弱さを懺悔して罪の許しを請う。キリストの足元に這っていき、血まみれの足にキスをして顔を上げると、それはキリストではなく聖杯を持った近所の黒人女性だった。彼女は、LTに、夫の質店に二人のレイプ犯が聖杯を質入れしたのだと語る。LTはレイプ犯二人を追跡して発見し、二人を手錠で繋ぐ。彼らに銃口を向けつつ、メッツが歴史的大逆転をし優勝するところをテレビで見ながら三人で次々とコカインを吸う。そして、彼らをバスターミナルに連れて行き、二度とニューヨークに戻ってくるなと語り、3万ドルが入ったシガーボックスを持たせてバスに乗せる。二人をバスで逃がした後、泣きながら車を走らせ、道路で止まると、別の車が横づけし「おい、警官」と声を掛け、雑踏の中に銃声が二発響く。LTの車の周りに人が群がっていく―。

「バッド・ルーテナント」3.jpg アメリカ・インディーズ映画界の鬼才と言われるアベル・フェラーラの1992年公開作で、ニューヨークを舞台に、暴力と弱さのあいだで葛藤する人間と都市の暗部を描いた人間ドラマです。1992年のカンヌ国際映画祭で上映されるも、ショッキングな描写や内容から賛否を呼んだそうです。2024年に本邦でリバイバル上映されました。

バッド・ルーテナント03.gif 「ルーテナント(Lieutenant)」=「副官」「補佐官」はここでは警部補の意味であり、「バッド・ルーテナント」は悪徳刑事ということですが、そえを絵に描いたような堕落した主人公LTを、「ピアノ・レッスン」(墺・ニュージーランド・仏)、「スモーク」('95年/米)のハーベイ・カイテルが怪演しており、特に素っ裸でラリっているシーンは強烈な印象を残しました。

 しかしながら、内容的には哲学的とも言える問い掛けがあるものになっています。ハーベイ・カイテル演じる主人公が、酒とドラッグの日常に溺れながらも、最後に信仰らしきものを持つ(犯罪者に"赦し"を与える)のは、それなりに説得力があったように思います(主人公は、自分がカトリックであることを認めており、子供たちもカトリック系の学校 に通わせていた。ただし、今は信仰とは程遠い生活ぶりだった)。主人公は存在となる最後の信仰に辿り着いたことでキリスト者になり得たのか。でも、あっさり殺されてしまう。それが、彼の贖罪だったのか。

 公式リーフレットによると、そもそもこの映画は1982年にスパニッシュ・ハーレムで起きた尼僧強姦事件と、その事件解決のために教会だけでなく一般市民からも懸賞金の寄付が募られ、犯人がすぐ捕まったという出来事からインスパイアされたもので、共にカトリック教徒であるアベル・フェラーラ監督と女優のゾーイ・ルンドの共同脚本です(実質彼女が脚本の殆どを書き、撮影現場でもリライトをしながら出演していたようだ)。

 アベル・フェラーラ監督はその後仏教徒になったそうですが、それを聞くと、親鸞の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉がこの映画から思い出されます。

ゾーイ・ルンド.jpgバッド・ルーテナント02.jpg 一方のゾーイ・ルンドは、ミュージシャン、モデル、女優、作家、脚本家、政治活動家、プロデューサーと多彩な活動をしながらも、1999年にパリで麻薬中毒による心不全で37歳で死去しています。この映画でハーベイ・カイテルがラリっているシーンが強烈な印象を残すのは、脚本家にそうしたバックグラウンドがあったからというのもあるかもしれません。

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「バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト」●原題:BAD LIEUTENANT●制作年:1992年●制作国:アメリカ●監督:アベル・フェラーラ●製作:エドワード・R・プレスマン/マリー・ケイン●脚本:ジゾーイ・ルンド/アベル・フェラーラ●撮影:ケン・ケルシュ●音楽:ジョー・デリア●時間:96分●出演:ハーヴェイ・カイテル/ゾーイ・ルンド/フランキー・ソーン/ヴィクター・アルゴ/ポール・カルデロン/ レナード・トーマス/ロビン・バロウズ /ヴィクトリア・バステル●日本公開:1994/06●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:早稲田松竹(24-05-28)((評価:★★★☆)併映:「レザボア・ドッグス」(クエンティン・タランティーノ)
 
 
 

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最初は「取り引き」の関係だったのが、途中から本当の恋愛関係になっていく。

「ピアノ・レッスン」000.jpg
ピアノ・レッスン DVD HDリマスター版」ホリー・ハンター/ハーヴェイ・カイテル
ピアノ・レッスン01.jpg 1800年代半ば、主人公エイダ(ホリー・ハンター)は娘フローラ(アンナ・パキン)とピアノを伴い、スコットランドから未開の地ニュージーランドへ旅立った。現地では彼女の結婚相手スチュアート(サム・ニール)が迎えたが、彼は重いピアノを自宅へ運ぶことを拒み、ピアノを浜辺に置き去りにした。話すことができないエイダにとって、ピアノはかけがえのないものであり、エイダは娘を連れて何度も浜辺にピアノを弾きに訪れた。その姿とピアノに惹きつけられピアノ・レッスン02.jpgたベインズ(ハーヴェイ・カイテル)はピアノをスチュアートから自分の土地と交換して手に入れる。エイダに「黒鍵の数だけ自分にレッスンをしてくれたら、ピアノを返す」と約束すピアノ・レッスン04.jpgる。初めはベインズを嫌ったエイダだったが、レッスンを重ねるごとに気持ちが傾く。2人の秘密のレッスンを知ったスチュアートはエイダにベインズと会うことを禁じる。彼女は鍵盤にメッセージを書き、フローラにベインズへ届けるように託すが、情事を覗き見していたフローラは、スチュアートに鍵盤を渡して密告。スチュアートは逆上し、エイダの人指し指を切り落とす。だが、彼女の瞳にベインズへの思慕を読み取り、ベインズに2人で島を去るがいいと言う―。

ピアノ・レッスン03.jpgピアノ・レッスン 1993.jpgピアノ・レッスン v.jpg 1993年に公開されたジェーン・カンピオン監督作で(原題:The Piano)、ジェーン・カンピオン監督のオリジナル脚本であり、ノベライズ版が新潮文庫にもあります(ノーベル文学賞作家のアリス・マンローに「ピアノ・レッスン」という短編があるが(原題:Dance of the Happy Shades(幸せな木陰たちのダンス?))、あれはまったくの別作品)。「ピアノ・レッスン」は個人的には90年代のレンタルビデオ全盛期にビデオで観て、ああ、これ劇場で観てもよかったかなと思った作品の1本でしたが、「TOHOシネマズシャンテ」で4K版でリバイバル上映されることになり、最近そうした昔の作品を劇場で4K版で観る機会がよくあるのはありがたいです。

ピアノ・レッスン カイテル1.jpgピアノ・レッスン kaiteru 2.jpg ハーヴェイ・カイテル演じるマオリ族の男ベインズとホリー・ハンター演じる女エイダの関係は、最初は「取り引き」の関係であったのが、途中から本当の恋愛関係になっていく、その描き方が巧みです。果たしてエイダの行為は、純粋にピアノを取り戻すためだけのものだったのか。おそらく最初はそうだっただろうが...。今回観直してみて、エイダがベインズとの愛と官能の炎を燃え上がらせていく、そこに至るまでの過程を再確認するような感覚がありました。

 女性監督として初、またニュージーランド出身の映画監督として初となる「カンヌ国際映画祭パルム・ドール」を受賞した作品で、米アカデミー賞でも主演女優賞(ジェーン・カンピオン)、助演女優賞(アンナ・パキン)などを受賞しています(因みに、「オーストラリア映画協会賞」では、作品賞、監督賞、主演女優賞、主演男優賞、撮影賞、衣装デザイン賞、編集賞、作曲賞、美術賞、脚本賞、音響賞の11部門を受賞)。

 「アカデミー主演女優賞」のホリー・ハンターは(「カンヌ国際映画祭女優賞」「ゴールデングローブ賞主演女優賞(ドラマ部門)」なども受賞)、エイダ役に惚れこんでジェーン・カンピオン監督に熱心に売り込み、当初シガニー・ウィーバーをイメージしていたカンピオン監督を翻意させ、エイダ役を得たとのこと。ピアノ演奏の重要なシーンは本人が演奏しています。

ピアノ・レッスン07.jpg また、エイダの娘フローラを演じて「アカデミー助演女優賞」を受賞したアンナ・パキンは、当時11歳での受賞で、これは「ペーパー・ムーン」('73年)でのテータム・オニール(当時10歳)に次ぐ史上2番目の若さだとのことです。スチュアートが海岸に置き去りにしたピアノをエイダが弾き、フローラがバレイを踊るシーンは有名になりましたが、ニュージーランド北島の西海岸、ムリワイビーチ(カツオドリの群生地として有名)でロケされたそうです(ロジャー・ドナルドソン監督、アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」('05年/ニュージーランド・米)もこのビーチをロケ地にしている)。

 マオリ族の男ベインズを演じたハーヴェイ・カイテルは、ギャング役などのイメージがある俳優ですが、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」('76年)で売春宿のポン引き役を演じて注目され、フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」('79年)の主役ウィラード大尉役に抜擢されましたが、監督のフランシス・フォード・コッポラとの意見の相違と契約書の文面を巡って撮影開始わずか2週間後に降板(代役はマーティン・シーン)し、これが映画会社との間で「俳優の都合による契約違反」とされたためにハリウッドにおいて敬遠されるようになり、以後徐々に端役しか与えられなくなりました。そのため、活動の拠点をヨーロッパの映画に移し、リドリー・スコット監督らの作品に出演を重ねて復活のチャンスを地道に待ち(この頃もギャング役が多かったようだ)、同監督の「テルマ&ルイーズ」('91年)で義理人情に厚い刑事を演じて復活、同年公開の「バグジー」でアカデミー助演男優賞にノミネートされています。「ピアノ・レッスン」は完全復活を証明しただけでなく、演技の幅を見せた作品でもあったように思います。

 19世紀の半ば、英国は開拓者として1万人以上の労働者をニュージーランドに送り込みましたが、その時代は入植者とマオリ族間で土地問題や人種差別問題で争いが絶えなかったようです。この作品にも入植者とマオリ族の諍いは描かれており、ヨーロッパ女性とマオリ男性との道ならぬ恋は、いといろな意味で話題となる背景だったのだろうと思われます。

 因みに、マオリ族はタヒチ島周辺を父祖とするポリネシア系民族で「ハワイキ」(マオリ語で故郷)からカヌーで来たとの伝説があり「ハワイ」を含む単語が物語るように、ハワイ原住民と同民族になります(ポリネシアンは数千キロをカヌーで移動している)。一方、古代の木造住居や入れ墨、お歯黒などの習慣は日本との共通性もある民族です。

ピアノ・レッスン05.jpg「ピアノ・レッスン」●原題:THE PIANO●制作年:1993年●制作国:オーストラリア/ニュージーランド/仏●監督・脚本:ジェーン・カンピオン●製作:ジェーン・チャップマン●撮影:スチュアート・ドライバーグ●音楽:マイケル・ナイマン●時間:121分●出演:ホリー・ハンター/ハーヴェイ・カイテル/サム・ニール/アンナ・パキン/ケリー・ウォーカー/ジュヌヴィエーヴ・レモン/トゥンギア・ベイカー/イアン・ミューン●日本公開:1994/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所(再見):TOHOシネマズシャンテ(24-04-08)((評価:★★★★)


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原作者のポール・オースターらしさが活かされた映画。

「スモーク」01.jpg「スモーク」02.jpg
スモーク デジタルリマスター版 [Blu-ray]
ハーヴェイ・カイテル/ウィリアム・ハート(1950-2022)
スモーク 4.jpg ブルックリンの街角で小さな煙草店を営むオーギー・レン(ハーヴェイ・カイテル)は、10年以上毎日同じ時刻の同じ場所で写真を撮影していた。煙草屋の常連で、オーギーの親友でもあるポール・ベンジャミン(ウィリアム・ハート)は、作家であるが数年前に銀行強盗の流れ弾で妻を亡くして以来、仕事が手につかず悩んでいた。閉店間際の店に駆け込んだポールは、見せてもらったオーギーの写真集から亡き妻のありし姿を見つけ号泣する。ポールはボンヤリとして自動車に轢かれそうになったのを助けられ、ラシード(ハロルド・ペリノー・ジュニア)と出会う。その怪しい少年に感謝し、ポールは彼を自分の家に泊めてやる。2晩泊まった後にラシードは家を出て行ったが、その数日後にラシードの叔母を名乗る女性が現れた。ラシードの本名はトーマス・コールといい、偽名を使って各地を転々としていたのだ。その頃トーマスは生き別れた父親のサイラス(フォレスト・ウィテカー)に会いに、サイラスが営む小さなガレージを訪れた。トーマスはサイラスのガレージのスケッチをしているが、追い払われても退かず、そこでトーマスは以前世話になったポールの名前を偽名として用い、無理やり雇わせる。後日、トーマスはポールの元を再訪。ポールは先日トーマスの叔母が自分の元を訪れた経緯を述べ、本名を問い詰める。トーマスを追うギャングに押し入られ、ポールはトーマスのヤバさを知る。ルビー(ストッカード・チャニング)は戦争中、オーギーを裏切り他の男と結婚したが、娘がピンチだと金の工面に訪れる。ポールはトーマスの隠した6000ドルを自宅で見つけるが、その金はトーマスがタバコ屋のバイトでドジした賠償に当てられ、さらにルビーに渡される。トーマスはサイラスに本当の名を名乗り、息子であることを伝えるが、混乱から乱闘になる。オーギーは作家に昼食をとりながら過去にあったクリスマスの話をする。昔、万引き犯を追いかけるが逃げられ、落としていった財布には写真だけがあった。家を訪ねるとそこには盲目のおばあさんが一人で住んでいて、自分のことを孫だと思い込んだ。だから話を合わせて一緒にクリスマスを過ごしてきたという。それにポールは「本当にいいことをしたな。人を幸せにした。生きていることの価値だ」と言う。オーギーはその言葉に心から満足する。ポールはその話の原稿を書き始める―。

ポール・オースター.jpgウェイン・ワン.jpg 香港出身のウェイン・ワン監督の1995年公開作で、同年・第45回 「ベルリン国際映画祭」の銀熊賞(審査員特別賞)受賞作。原作は今年['24年]4月30日に77歳で没したポール・オースターが、ニューヨーク・タイムズ紙から依頼されて書いた短編小説。ポール・オースターは、事実を載せるはずの新聞に虚構を書けというアイデアが気に入って引き受けたそうで、そのタイムズ紙を読んでウェイン・ワン監督が感激して映画化をポール・オースターに持ちかけたということだったようです。ポール・オースターはウェイン・ワン監督と親交を深め、映画「スモーク」の脚本を書き下ろし、ハーヴェイ・カイテルやフォレスト・ウィテカーなどのキャストの選定もポール・オースターが行ったそうです。

スモーク p.jpg オーギーがポールにクリスマス・ストーリー(盲目のおばあさんとの話)を語る店は実在する惣菜屋で、この店での撮影に3日間もかかり、ポール・オースターはハーヴェイ・カイテルにセリフの一字一句変えることを禁じたとのこと。結果、このクリスマス・ストーリーを語るシーンが、ハーヴェイ・カイテルの演技の見せ処となったように思います。

 ラストで回想でそのオーギーの最後の話が演じられますが、実はおばあさんは声を聞いてすぐに別人だと分かっていたことは、オーギーの話の中で明かされていて、要するに、二人は互いに演技し合っていたということになります。また、オーギーがタバコ屋の前で撮影しているカメラは、そのとき去り際に盗んだものだった(箱に「キヤノンAE-1」とあった)という、ちょっと「オチ」っぽい終わり方で、このあたりはオースターらしいです。映画全体を通しても、原作者のポール・オースターらしさが活かされた映画と言えるかもしれません。

映画パンフレット(タバコ店の店名は「Brooklin CIGAR CO.」とある)

 「スモーク」を撮り終えた頃、余ったフィルムでスピンオフ作「ブルー・イン・ザ・フェイス」が即興で撮られ、6日間で撮り終えられたこの作品には、「スモーク」に出演したハーヴェイ・カイテル(同じく煙草屋の役)はもとより数多くの俳優が集まり、その中にはルー・リード、マイケル・J・フォックス、マドンナなどがいます(ポール・オースターはこの作品の脚本執筆&副監督を務めている)。

オーギー・レンのクリスマス・ストーリー00.jpg また、ポール・オースターが1987年の『ニューヨーク三部作』(City of Glass, Ghosts, The Locked Room)の発表から5年後の1992年に発表した原作(Auggie Wren's Christmas Story)は、柴田元幸訳、タダジュン絵で『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』('21年/スイッチパブリッシング)としオーギー・レンのクリスマス・ストーリー2.jpgて翻訳されています(絵本だが、原文は全部生かしている)。タダジュン氏のモノクロの絵がいい感じです。原作はポールの視点で描かれており、ニューヨーク・タイムズからクリスマスの朝刊に載せる短編を書かないかといわれ引き受けたものの、「クリスマス・スートリー」なんて書けないと悩んでいたという、作家ポール・オースター自身の経験を裏返しにして活かしています。「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」とかはもちろん"脚本家ポール・オースター"としての創作ですが。原作では「銀行強盗の流れ弾で妻を亡くした」という話そのものが無く、これは映画のオリジナルです(ラシード少年の話なども原作には無い話で、原作では少年そのものが登場しない)。

オーギー・レンのクリスマス・ストーリー3.jpg 物語の中で、最後は、ポールはオーギーの盲目のおばあさんとの話は全部でっち上げではないかとも思いますが、彼の話を信じることにし、「誰か一人でも信じる人間がいる限り、本当でないない物語などありはしないのだ」として、小説のネタをくれたオーギーに感謝します。ある意味、「虚構」が入れ子構造になっているとも言え、「虚構の中にこそ真実がある」という作家のメッセージのように思いました。

翻訳夜話.jpg村上柴田.jpg 因みに、村上春樹氏・柴田元幸氏の共著の『翻訳夜話』('00年/文春新書)に、訳者によって翻訳がどう変わってくるかという見本として、両者それぞれの翻訳による「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の抜粋とその原文が収録されているので、村上春樹訳と比べてみるのもいいかと思います。

村上春樹氏・柴田元幸氏

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「スモーク」●原題:SMOKE●制作年:1995年●制作国:アメリカ・日本・ドイツ●監督:ウェイン・ワン(王穎)●製作:ピーター・ニューマン/グレッグ・ジョンソン/黒岩久美/堀越謙三●脚本:ポール・オースター●撮影:アダム・ホレンダー●音楽:レイチェル・ポートマン●原作:ポール・オースター『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』●時間:113分●出演:ハーヴェイ・カイテル/ウィリアム・ハート/ハロルド・ペリノー・ジュニア/スモーク 2.jpgフォレスト・ウィテカー/ストッカード・チャニング/アシュレイ・ジャッド/エリカ・ギンペル/ジャレッド・ハリス/ヴィクター・アルゴ●日本公開:1995/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-06-05)((評価:★★★★)

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出てくる人が皆 "過剰"で、予想のつかないことが次から次へと起きる。テーマ的には家族の絆か。

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ルナ・パパ [DVD]」チュルパン・ハマートヴァ
「ルナ・パパ」0.jpg 満月の夜、女優を夢見るマムラカット(チュルパン・ハマートヴァ)は森で舞台俳優と名乗る男に声をかけられて互いに結ばれ「ルナ・パパ」1.jpgる。その後体の変調に気づいたマムラカットは村の医師を訪ねたものの、医師は流れ弾に当たって死ぬ。仕方なく父親(アト・ムハメドシャノフ)に妊娠を打ち明けるが、激怒した父親は戦争で精神を病んだ息子ナスレディン(モーリッツ・ブライプトロイ「ルナ・パパ」64.jpg)と彼女を引き連れて相手の男捜しに東奔西走。道中、困窮した状況を察したマムラカットは、売血を試みるが、ひょんなことから何もせずに金を貰えることに。村に帰ると、父親がわからない子を妊娠した彼女への村人からの罵倒が絶えず、一人村を出て列車に乗り込むマムラカットは、車内で売血の際に会った男と再会する。将来を悲観したマムラカットにその男は結婚を申し「ルナ・パパ」6.jpg出る。そして結婚式。だが晴れの舞台は一転し、新郎と父親の頭上に何故か空から牛が降ってきて直「ルナ・パパ」7.jpg撃、二人は湖にら落下して溺死するという悲劇に。後に月夜の男が判明。しかし、その男は、飛行機から牛を突き落とした男でもあった。怒ったマムラカットがその男に銃口を向けると、男は恐怖のあまり昏睡状態になる。兄ナスレディンは村人たちの怒号に追い詰められた妹のマムラカットを石垣の上に建つ家に逃す。するとその家の天井についた扇風機がプロペラとなり―。

「ルナ・パパ」監督.jpg 「ルナ・パパ」は、バフティヤル・フドイナザーロフ監督による1999年公開のファンタジックなドラマ。1999年の東京国際映画祭で上映され、「最優秀芸術貢献賞」を受賞した作品です。キルギス、タジキスタン、ウズベキスタンの三か国の国境が接する地域(グーグルマップで見ると、この辺りは国境が入り組んでいて、確かに作品に出てきた大きな湖もある)に3.5キロメートルにも及ぶ広大なセット建てて撮られた作品そうで、吹きさらしの荒野、西部劇みたいな舞台は、無声映画時代の(「グリード」('24年/米)に出てくるような)ハリウッドの砂漠のようでもあります。

バフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)

「ルナ・パパ」4.jpg「ルナ・パパ」2.jpg 出てくる人びとが皆何かにつけて"過剰"で、予想だにつかないことが次から次へと起き、まったく先が読めない展開で飽きさせませんでした。終盤は、風刺の色合いを強めるとともに、一気にファンタジスティックな展開へ。でも、一方で、そ「ルナ・パパ」668.jpgこまでにリアリズムを積み上げているから、それだけファンタジーの効果があるのでしょう。ラスト、「心の狭い人たちよ、さようなら」と語り手の「(母親の胎内にいる)ボク」は言い残して、「家」は、「天空の城 ラピュタ」の如く舞い上がります。

 今まで観たことのないタイプの作風の映画でしたが(テーマ的には家族の絆の要素が濃いか)、強いて言えばユーゴスラビアのサラエヴォ(現在はボスニア・ヘルツェゴビナの首都)出身のエミール・クリトリッツァ監督の「アンダーグラウンド」('95年/仏・独・ハンガリー・ユーゴスラビア・ブルガリア)や「黒猫・白猫」('98年/仏・独・ユーゴスラビア)などに通じるものがあるかなと勝手に思ったりもしました(ユーゴスラビアとタジキスタン、地理的には少し遠いが)。ネットで見たら、同じ印象を持った人がいたようです。

「ルナ・パパ」66.jpg「ルナ・パパ」42.jpg 真摯なヒロインのマムラカット(「大地」「祖国」という意味らしい)を演じたソビエト連邦生まれのロシアの女「ルナ・パパ」67.jpgチュルパン・ハマートヴァが良く、彼女はその後、ヴォルフガング・ベッカー監督の「グッバイ、レーニン!」('03年/独)や、2021年のカンヌ国際映画祭に出品されたキリル・セレブレニコフ監督の「インフル病みのペトロフ家」(露・仏・スイス・独)などにも出演。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した際にはラトビアに滞在しており、戦争に反対する請願に署名。その後ロシアへの帰国を断念し、3月20日に亡命を決断したことを公表しています。

「ルナ・パパ」s.jpg「ルナ・パパ」●原題:LUNA PAPA●制作年:1999年●制作国:ドイツ・オーストリア・日本●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●製作:カール・バウムガートナー/ ヘインツ・ストゥサック/ イーゴリ・トルストノフ/トマス・コーファー/フィリップ・アブリル●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/イラー・クリナザーロフ●撮影:マーティン・グシュラハト/ドゥシャン・ヨクシモビッチ/ロスチスラフ・ピルーモフ●「ルナ・パパ」sb.jpg音楽:ダーレル・ナザーロフ●時間:108分●出演:チュルパン・ハマートヴァ/モーリッツ・ブラウプトロイ/アト・ムハメドシャノフ/ポリーナ・ライキナ/メラーブ・ミニッゼ●日本公開:200/07●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-04)((評価:★★★★)
 

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タジキスタン内戦下での恋愛。ロープウェイでのデート。"愛は時や場所を選ばず"。

「コシュ・バ・コシュ」000.jpg
「コシュ・バ・コシュ」パウリーナ・ガルベス/ダレル・マジダフ
「コシュ・バ・コシュ」1.jpg 内戦状態にある中央アジア・タジキスタンの首都ドゥシャンベで、ロープウェイの操縦士として働く青年ダレル(ダレル・マジダフ)。一方、モスクワから久々にドゥシャンベに帰ってきた女性ミラ(パウリーナ・ガルベス)は、父が「コシュ・バ・コシュ」3.jpg賭博で作った借金のかたにされてしまう。街で銃声が鳴り響く中、都会的なミラに一目惚れしたダレルは彼女の愛を獲得するべく突き進むが―。

バフティヤル・フドイナザーロフ.jpg 1993年公開のタジキスタンのバフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)作で、長編デビュー作「少年、機関車に乗る」('91年/タジキスタン・ソ連)で国際的に注目された同監督の長編第2作であり、内戦下のタジキスタンを舞台に若い男女の不器用な恋の行方を綴ったラブストーリー。1993年・第50回「ヴェネツィア国際映画祭」で銀獅子賞を受賞しています。

バフティヤル・フドイナザーロフ監督(1965-2015/49歳没)

「コシュ・バ・コシュ」v.jpg 因みにタジキスタンは、1991年のソ連の崩壊でタジキスタン共和国として独立したのですが、独立直後から共産党勢力とイスラム勢力の内戦状態が長く続き、最終和平合意が成立したのは1997年6月で、この間、内戦により約6万人が死亡したと言われています。

「コシュ・バ・コシュ」6.jpg タイトルの「コシュ・バ・コシュ」は、タジクの賭博用語で"勝ち負けなし"という意味だそうで、ここでは主人公の青年の恋模様を象徴していると思われます。一方の、主人公の女性は「コシュ・バ・コシュ」7.jpg、最後に「父の死」という哀しい思いをすることになりますが、気づいてみれば、そうした辛いことばかりではなかったことが示唆されています(彼女にとっても"勝ち負けなし"か)。ということで、一応はアンハッピーエンドな面もありながら、ハッピーエンドでもあると言えるのですが、実態としては結局父親の負債は、それを肩代わりした青年に引き継がれているだけなので、これから先も二人は大変だなあと(この青年もギャンブルで取り返そうと考えているところからすると依存症? かつての賭博仲間が誰も相手にしてくれないのは、誰もがトラブルに巻き込まれたくないからか)。

「コシュ・バ・コシュ」4.jpg 冒頭の女性の父親らが賭けをやる場面が迫真の演技で、この監督の演出力にただならぬものを感じました。青年の飄々とした雰囲気も良かったです。でも、将来がちょっと心配(笑)。砲火の音が響く一方で(実際に撮影の後半は内戦が激化した時期だったとのこと)、淡々と続く人々の生活を牧歌的なムードの中に描き、戦時下での恋、ロープウェイでのデートと、"愛は時や場所を選ばず"という主題を上手く浮き彫りにしていたように思います。

「コシュ・バ・コシュ」2.jpg 撮影に使われたロープウェイは、グーグルマップで検索すると今もあるみたいですが、観光用で使われているのかどうかはよくわかりません(そう言えば、この映画では、ロープウェイで干し草とか運んでいたけれど、観光客らしきはまったく出てこなかった)。個人的には、前エントリーで取り上げた「ある一生」('23年/独・墺)と併せて「ロープウェイが出てくる映画(アクション映画を除く)」のベスト5に入れておきたい作品です。
 
「コシュ・バ・コシュ」5.jpg「コシュ・バ・コシュ 恋はロープウェイに乗って」●原題:KOSH BA KOSH●制作年:1993年●制作国:タジキスタン●監督:バフティヤル・フドイナザーロフ●脚本:バフティヤル・フドイナザーロフ/レオニード・マフカーモフ●撮影:ゲオルギー・ザラーエフ●音楽:アフマド・バカエフ●時間:96分●出演:パウリーナ・ガルベス/ダレル・マジダフ/ボホドゥル・ジュラバエフ/アルバルジ・バヒロワ/ナビ・ベグムロドフ/ラジャブ・フセイノフ/ズィーズィデン・ヌーロフ●日本公開:1994/08●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-04-02)((評価:★★★★)

「コシュ・バ・コシュ」sb.jpg

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自分の人生の重要シーンを10挙げるとすれば何と何が来るか考えさせられた。

ある一生 映画.jpg ある一生1.jpg ある一生 原作.jpg
「ある一生」ポスター/シュテファン・ゴルスキー/『ある一生 (Shinchosha CREST BOOKS)』['19年]
ある一生 子供時代.jpg 1900年頃のオーストリア・アルプス。孤児の少年アンドレアス・エッガー(イヴァン・グスタフィク)は渓谷に住む、遠い親戚クランツシュトッカー(アンドレアス・ルスト)の農場にやってきた。しかし、農場主にとって、孤児は安価な働き手に過ぎず、虐げられた彼にとってのある一生2.jpg心の支えは老婆のアーンル(マリアンヌ・ゼーゲブレヒト)だけだった。彼女が亡くなると、成長したエッガー(シュテファン・ゴルスキー)を引き留めるものは何もなく、農場を出て、日雇い労働者として生計を立てる。その後、渓谷に電気ある一生3.jpgと観光客をもたらすロープウェーの建設作業員になると、最愛の人マリー(ユリア・フランツ・リヒター)と出会い、山奥の木造小屋で充実した結婚生活を送り始める。しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。第二次世界大戦が勃発し、エッガーも戦地に召集されたもののソ連軍の捕虜となり、何年も経ってから、ようやく谷に戻ることができた。そして、時代は過ぎ、観光客で溢れた渓谷で、人生の終焉を迎えたエッガー(アウグスト・ツィルナー)は過去の出来事がフラッシュバックし、アルプスを目の前に立ち尽くす―。

ある一生5.jpg 「アンネの日記」('16年/独)のハンス・シュタインビッヒラー監督の2023年作。原作であるオーストリアの作家ローベルト・ゼーターラーの同名小説は、2014年に刊行されるや読書界の話題をさらい、世界40カ国以上で翻訳され160万部以上発行、ブッカー賞最終候補にもなった作品だそうです。この原作を美しい情景と共に映画化し、激動の時代に翻弄されながら過酷な人生を歩んだ男の一生を描いたヒューマンドラマになっています(主人公の8歳の時をイヴァン・グスタフィク、18歳から47歳をシュテファン・ゴルスキー、60歳から80歳をアウグスト・ツィルナーが演じている)。

 「週刊文春」の映画評で、芝山幹郎氏(翻訳家)などはこの作品を褒めているのではないかと思ったら、「苦手な臭いを感じた」とのことで5つ星満点評価で★★★と抑えめの評価で(「過大評価したくない」とまで言っている)、中野翠氏(コラムニスト)の方がむしろ「一見淡々とした評価だが、胸の奥深くに滲みる」として★★★★とより高い評価だったのが意外でした。でも、言われてみれば、確かにあまりにストレートな造型で、芝山幹郎氏の気持ちも分からなくないです。

 戦争に行った以外は、山で生き、山で死んでいった無名の男エッガーの人生。個人的には、ラスト近くで、バスから降りた老エッガーに、それまでの人生の思い出がフラッシュバックして甦ってくるシーンが、彼の人生を集約しているようで良かったです。記憶の"結晶化"作用ではないですが、苦難に満ちたかに思えた彼の人生は、愛と幸福に満ちた人生でもあったのだなあと思ったのと、人生って集約すると、10前後の主だったシーンに纏まってしまうのかもしれないなあと思いました(自分の人生の重要シーンを10挙げるとすれば何と何が来るだろうかと考えさせられた)。

新湯 ある一生.jpg 原作はどんな大河小説なのかと思って手にしてみたら、150ページほどのやや長めの中編といった感じの本でした。映画は原作に忠実に作られているのを感じましたが、映画はエッガーの一生を時系列で追っているのに対し、原作の方は人生を俯瞰するような描き方で、時に時系列が入れ替わったりします。

ローベルト・ゼーターラー 『ある一生 (Shinchosha CREST BOOKS) 』['19年]2025.6.7 蓼科親湯温泉にて

 例えば、映画の中盤にある、エッガーが山小屋で見つけた瀕死のヤギ飼い〈ヤギハネス〉を背負って山を下ろうとするも、エッガーは片脚が不自由なうえ、折りからの吹雪に足を滑らせて身動きが取れないでいると、ヤギハネスは、死は氷の女が魂を奪っていくのだと語り、雪の中へ駆けて消えていく―というシーンは、原作では冒頭に来ています(そして、マリーとの出会いがその次に来る)。

ある一生老.jpg また、映画では、エッガーが亡くなるシーンがラストで、その前に、前述のそれまでの人生の思い出がフラッシュバックするシーンがありますが、原作では、順番が逆転し、エッガーが亡くなったという記述の後に、彼がバスに乗り、さらにバスから降るシーンがあります。映画におけるフラッシュバックシーンは、原作では「ひとつひとつの記憶が蘇ってきた」となっています。そして「まだそのときじゃない」とエッガーは小声で言います(つまり、今はまだ死なないと)。原作は最も重要な場面を最初と最後に持ってきているとも言えます。主人公は哲学者でも何でもなく、山に生きる無骨な男ですが、映画には常に「生」と密接した「死」の雰囲気があります。そうしたことが作品テーマであることは、原作の構成が、生と死を巡る重要シーンを冒頭と最後に持ってきていることからも窺えるように思いました。単に無名の男の生涯を描いた"感動作"ということではなく、観る側に人生とは何かを考えさせる作品ともとれます(「評価する」か、芝山幹郎氏が言うところの「過大評価しない」かの分かれ目はこの点だろう)。

『バグダッド・カフェ』(1987)2.jpg 中野翠氏が「親代わりの老婆と、妻という救い」があったとしていますが、虐げられた少年にとっての心の支えとなった老婆アーンルを演じたのはマリアンヌ・ゼーゲブレヒト。パーシー・アドロン監督の「バグダッド・カフェ」 ('87年/西独)で、ジャック・パランス演じる老画家が恋心を抱くおデブの女性ジャスミンを演じていた女優で、あまり喋らないですが、存在感があってその印象は強烈でした。あれから36年、まだ現役なのだなあ(痩せた?)。

「バグダッド・カフェ」 ('87年/西独)
マリアンヌ・ゼーゲブレヒト/ジャック・パランス


ある一生4.jpg「ある一生」●原題:EIN GANZES LEBEN●制作年:2023年●制作国:ドイツ・オーストリア●監督:ハンス・シュタインビッヒラー●製作:ヤーコプ・ポホラトコ/ディエター・ポホラトコ/ティム・オーバーベラント /テオドール・グリンゲル/トビアス・アレクサンダー・サイファート/スカディ・リス●脚本:ウルリッヒ・リマー●撮影:アルミン・フランゼン●音楽:マシアス・ウェバー●原作:ローベルト・ゼーターラー●時間:115分●出演:シュテファン・ゴルスキー/アウグスト・ツィルナー/イバン・グスタフィク/アンドレアス・ルスト/ユリア・フランツ・リヒター/ロバート・スタッドローバー/トーマス・シューベルト/ルーカス・ウォルヒャー/マリアンネ・ゼーゲブレヒト/マリア・ホーフステッター/ペーター・ミッタールッツナー●日本公開:2024/07●配給:アットエンタテインメント●最初に観た場所:新宿武蔵野館(24-08-25)(評価:★★★★)
新宿武蔵野館
ある一生 m.jpg

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文学的・哲学的色合いの濃いエッセイ集。三島作品をちゃんと読み込んでいる。

三島由紀夫の死 ミラー.jpgヘンリー・ミラー・コレクション(16).jpgヘンリー・ミラー.jpg 三島由紀夫自決.jpg
ヘンリー・ミラー(1891-1980) 三島由紀夫(1925-1975)
ヘンリー・ミラー・コレクション15 三島由紀夫の死』['17年]『ヘンリー・ミラー・コレクション16 対話/インタヴュー集成』['16年]
ヘンリー・ミラー1-10.jpg ヘンリー・ミラー(1891-1980)によるエッセイ集。白水社の2010年に完結した《ヘンリー・ミラー・コレクション全10巻》の、2013年12月から刊行が始まった第2シリーズ(2019年完結)の内の1冊で、通巻で第15巻になります(最終第16巻は対談・インタビュー集)。ヘンリー・ミラーが三島由紀夫自決の翌年1971年に発表したのが表題作「三島由紀夫の死」で、その他に、映画監督ブニュエルを称賛する「黄金時代」、写真家ブラッサイを語る「パリの眼」をはじめ10編のエッセイや書簡などを収録、テーマごとに5つにジャンルに分けています。
ヘンリーミラーコレクション 10冊 水声社 』[第1シリーズ]

 まず最初の「自己を語る」の章に収められた「自伝的覚書」が、自身の出自や来歴を語っていて興味深いです。「自分にとって作品を書く目的は、大いなる現実を打ち立てることにある」とし、「自分は写実主義や自然主義の作家ではない。人生を捉えようとしており、文学において、それは夢や象徴の使用によってはじめて達成できるように思われるのだ」としています(深い!)。

 この「自伝的覚書」を初め、以下に続くエッセイにも、エッセイでありながら哲学的であったり、或いは文学的な表現が多く見られ、彼の小説のようにシュールレアリズムっぽい表現もありますが、先に挙げたその言葉によれば作家自身は「現実」を希求しており、その結果がこの作家の場合はそうした表現になるものと思われました。

 「映像の領域」の章の「黄金時代」で、このルイス・ブニュエ監督の1930年作を絶賛しており、また、その他に自分が素晴らしいと思った作品を挙げているのが興味深いですが(かなり古い映画が多い)、その中で「「三本の日本の映画」(それぞれ古代、中世、近代の日本を扱ったもの)」としながら、「タイトルは忘れてしまった」というのが残念です。

ヘンリー・ミラー ブラッサイ.jpg 「パリの眼」で写真家のブラッサイとの出会いのことを語っていますが、ブラッサイにも『作家の誕生ヘンリー・ミラー』('79年/みすず書房)という、作家ではない人物が書いたとは思えない著書があります(ブラッサイの写真集『夜のパリ』('88年/みすず書房)でヘンリー・ミラーは被写体になっている。個人的には『ブラッサイ写真集成』('00年原著刊行、'05年/岩波書店)で見た)。

作家の誕生ヘンリー・ミラー (1979年)』『ブラッサイ著/ヘンリー・ミラーとの対話(Henry Miller, Happy Rock)』表紙:ヘンリー・ミラー、撮影:ブラッサイ


ヘンリー・ミラー、ホキ徳田.jpg ずっと文学的・哲学的なエッセイが続いて、それが最後の「三島由紀夫の死」だけがオーソドックスな評論スタイルであるので、逆に意外に思ってしまいました。「週刊ポスト」に1971年10月29日号から5週に渡って連載されたものですが(当時ヘンリー・ミラーの知名度はどれぐらいだったのか)、日本人に向けてこうした文章を書くのは、作家の当時の妻が日本人のホキ徳田(1937- 、ヘンリー・ミラーの8人目の妻として知られる)であることも関係していると、自らも書いています。

 ただし、『太陽と鉄』『金閣寺』など三島のカギとなる作品をちゃんと見込んでいるようで、その上で、所謂"三島事件"(三島が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、憲法改正と自衛隊の決起を訴えた演説(呼びかけ)を行い、その直後に割腹自殺を遂げた出来事)について、こう語っています。

「三島は高度の知性に恵まれていた。その三島ともあろう人が、大衆の心を変えようと試みても無駄だということを認識していなかったのだろうか」

「かつて大衆の意識変革に成功した人はひとりもいない。アレクサンドロス大王も、ナポレオンも、仏陀も、イエスも、ソクラテスも、マルキオンも、その他ぼくの知るかぎりだれひとりとして、それには成功しなかった。人類の大多数は惰眠を貪っている。あらゆる歴史を通じて眠ってきたし、おそらく原子爆弾が人類を全滅させるときにもまだ眠ったままだろう」

「彼らを目ざめさせることはできない。大衆にむかって、知的に、平和的に、美しく生きよと命じても、無駄に終るだけだ」

 三島の文学を評価しながらも、その死に対してネガティブな評価をしているのは、川端康成などに通じるものがあるように思いました(その川端もまた、三島の死から2年後に自ら命を絶った)。

 この「三島由紀夫の死」はパートⅠとパートⅡに分かれていて、後半にいけばいくほど文学的・哲学的になっていきます。個人的には全編を通して、ヘンリー・ミラーの小説が持つ独特の文学的・哲学的世界観を、これらのエッセイを通しても感じることができて(久しぶりにヘンリー・ミラーの文章に触れて嬉しかったというだけのことかもしれないが)良かったです。

《読書MEMO》
三島由紀夫の死 ミラー 大.jpg●目次
自己を語る
自伝的覚書(1939)/ブルックリン橋(1936)
生の哲学
心の知恵(1939)
映像の領域
黄金時代(1938)/パリの眼(1937)
友人との対話
ハムレット―ある書簡(1935--38)/若きベトナム詩人への手紙(1972)
同時代の文学・芸術運動との対決
いたるところにいるシュルレアリストへの公開状(1938)
アラブ・極東への眼差し
アルベール・コスリーの小説(1945)/三島由紀夫の死(1971)
解題
ヘンリー・ミラーのエッセイについて 松田憲次郎


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出版後40年を経て自身が作者であることを認めた才女ドミニク・オーリー。

『完訳Oの物語』.jpgO嬢の物語 講談社.jpg O嬢の物語 角川.jpg
完訳Oの物語』['09年]『O嬢の物語 (講談社文庫 れ 2-1)』(鈴木 豊:訳)['74年]『O嬢の物語 ポーリーヌ・レアージュ 澁澤龍彦/訳 (角川文庫)』['75年]『O嬢の物語 (角川文庫)』[Kindle版]
O嬢の物語 河出.jpg  O嬢の物語 旧訳.jpg
『O嬢の物語』(澁澤龍彦:訳/金子國義:挿画/河出書房新社)['76年]『O嬢の物語 (河出文庫 レ 1-1)』['10年] 『O嬢の物語』(清水正二郎(胡桃沢耕史):訳/浪速書房)['64年]/(清水正二郎:訳/戸山書房)['72年]

 女流ファッション写真家のOは、ある日恋人ルネにとある城館へ連れて来られ、複数の男の共有性的玩弄物となるよう、鞭打やその他肉体を蹂躙する手段をもって心身共に調教される。一ヶ月ほど後、城館を後にしたOは、ルネからステファン卿なる人物を紹介され、卿の求めに従ってルネから卿に譲り渡される。ステファン卿の持ち物となったOは凌辱と鞭打とを繰り返され、さらに卿の持ち物である証として尻に烙印を押され、性器に鉄の輪と鎖を付けられる。そしてある夜会で、梟の仮面を被せられ、陰部を脱毛されたOは衆目に晒されることになる―。

 1954年6月にジャン=ジャック・ポーヴェール書店より刊行された作品で、1955年にはフランスの前衛的な文学賞「ドゥー・マゴ賞」を受賞。本邦では、鈴木豊訳『O嬢の物語』が'74年に講談社文庫から(2015年Kindle版)、澁澤龍彦訳(矢川澄子が下訳)『O嬢の物語』が'75年に角川文庫から(2012年Kindle版)、'92年に河出O嬢の物語 漫画.jpg書房から(2010年河出文庫所収)刊行されていますが(そのほかにも、清水正二郎(胡桃沢耕史)訳『O嬢の物語』('61年新流社)などがある)、個人的には、高遠弘美訳『完訳Oの物語』('09年/学研プラス)で読みました(解説で澁澤龍彦訳、鈴木豊訳と自身の訳を比較したりしている)。グイド・クレパックス作画、巖谷國士訳のコミック版『O嬢の物語(全2巻)』('96年/リブロポート、'07年/エディシオン・トレヴィル)というのもあります。
O嬢の物語 1』['96年]

「O嬢の物語」vjsヌ.jpg「O嬢の物語」 .jpg 「エマニエル夫人」('74年/仏)のジュスト・ジャカン監督により、コリンヌ・クレリー、ウド・キア出演「O嬢の物語」('75年/仏)として映画化されていますが('78年に三鷹東映で、「ラストタンゴ・イン・パリ」(ベルナルド・ベルトリッチ)、「スキャンダル」(サルバトーレ・サ)との3本立てで観た)、焼きゴテが熱そうで、あまり文学の香りはしなかった(笑)。コリンヌ・クレリーはその後「ホテル」('77年/伊・西独)などへの出演を経て、「007 ムーンレイカー」('79年/英)に出ますが、歴代で最もセクシーなボンド・ガールだったとの声も一部にあるようです。

ジャン・ポーラン
ジャン・ポーラン1.jpgジャン・ポーラン2.gif 話を小説の方に戻して、作者のポーリーヌ・レアージュ(Pauline Réage)は女性名ですが、匿名で、発表当時から世界中で本当の作者は誰か話題が沸騰しました。書き手は男で(アルベール・カミュなどはそう確信していた)、本作に長い序文を寄せている言語学者で作家で文芸評論家であるジャン・ポーラン(1884-1968/83歳没)自身ではないかと言われ、一方で彼自身は序文で、「作者が女であるということには、ほとんど疑問の余地はあるまい」と書いていますが、この言は信用がならないと言われていました。

ドミニク・オーリー
ドミニク・オーリー.jpg ところが1994年、フランスの著名な女性編集者のドミニク・オーリー(1907-1998/90歳没)が自身が作者であることを認めたとの報道がありました(当時86歳)。彼女は以前から創作に関与しているのではないかと言われていたものの、それを否定し続けていましたが、40年を経て自分が作者であることを認めたことになります。彼女はソルボンヌ大学を卒業後ジャーナリストとして働き、ガリマール社に編集者として参加したりもしていました。

ジャン=ジャック・ポーヴェール
ジャン=ジャック・ポーヴェール.jpg 因みに、この作品は当初、ガリマール社に出版を断られた後、ジャン・ポーランが、1950年代初頭にマルキ・ド・サドの作品を出版したことで有名で、後に自身の作品『生きているサド』で「ドゥー・マゴ賞」を受賞するジャン・ジャック・ポーヴェールが経営するポーヴェール出版社に話を持ち掛けて出版に漕ぎつけています。ただし、オーリーが作者であることは、ポーラン、ポーヴェールとオーリー本人の3人だけの秘密であったようです。

 ドミニク・オーリーにとってジャン・ポーランは雇い主である同時に恋人であり、女性は性愛文学を書くことができないというポーランの考えが間違っているということを証明するために、この作品を書いたとのことです。また、ポーランより23歳年下ではあるものの、もう若くなく(当時ポーラン70歳、彼女は47歳ぐらいか)、ポーランを失うことを恐れていたオーリーは、彼の気を引くために「恋文として」この物語を書いたとも述べています(「若くもなくかわいくもない自分には、他の武器が必要であった」と説明している)。

 そうした前提でこの物語を読むと、延々たる性描写(ただし、卑猥な言葉は一切使われていない)なども何となく納得がいく気がし、確かに、彼女がポーランに宛てた膨大かつ蠱惑的なラブレターのようにも思えなくありません。ただし、第二部については、ドミニク・オーリーが書いたという説と、ジャン・ポーランが書いたという説があります(ジャン・ポーランが書いたとすれば、ラブレターの返し文みたいなものか)。

 以前、このブログで沼正三の『家畜人ヤプー』を"評価不能"としましたが、雑誌「奇譚クラブ」に掲載された作者の「沼正三」は正体不明の作家で、当時現職エリート判事だったK氏が作者だという説が有力です。個人の性的嗜好をそのまま表現したものが、文学表現的に優れていても「文学」としてはどうかなというのもあり、評価に迷ったというのがあります。

 この『Oの物語』の作者ドミニク・オーリーもたいへんな才女であり、社会的地位も高い点で少し似ているようなところがあるように思いました。"出版後40年を経て自身が作者であることを認めた才女"って、ちょっと劇的であるし、名乗らなかったのは、現代とは異なる当時の時代背景もあったことは想像に難くないでしょう。ただ、書いた動機はさることながら、女性の性の解放を謳っているともとれ(という言い方をするとまたフェミニストから批判があるが)、星4つ評価としました。でも、『家畜人ヤプー』同様、評価するのが難しいというのが本音です。

O嬢の物語 劇場版 ヘア完全解禁 HDリマスター版 [DVD]
「O嬢の物語」1975.jpg「O嬢の物語」コリンヌ.jpg「O嬢の物語」●原題:HISTOIRE D'O●制作年:1975年●制作国:フランス●監督:ジュスト・ジャカン●製作:エリック・ローシャ●脚本:セバスチャン・ジャプリゾ●撮影:ロベール・フレース●音楽:ピエール・バシュレ●原作:ポーリーヌ・レアージュ●時間:105分●出演:コリンヌ・クレリー/ウド・キア/アンソニー・スティール/ジャン・ギャバン/クリスチアーヌ・ミナッツォリ/マルティーヌ・ケリー/リ・セルグリーン/アラン・ヌーリー●日本公開:1976/03●配給:東宝東和●最初に観た場所:三鷹東映(78-02-04)(評価:★★)●併映:「ラストタンゴ・イン・パリ」(ベルナルド・ベルトリッチ)/「スキャンダル」(サルバトーレ・サンペリ)

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前半の「プール小説」の部分が面白かった(かなり)。人称の切り替わりが巧妙。

The Swimmers.jpg スイマーズ (Shinchosha CREST BOOKS)2.jpg ジュリー・オオツカ
The Swimmers: A novel』['22年]『スイマーズ (新潮クレスト・ブックス) 』['24年]

【第1章】「地下のプール」の語り手は、ある都市の安価な会員制公共地下プールに通い詰める私たち。描かれるのはプールでの水泳が生き甲斐の個性的なスイマーたち。地上の「現実生活」の装飾を外した裸の平等な付き合いに魅せられ、ここを「涅槃」と呼ぶ者もいる。その中には元検査技師のアリスという女性もいる。【第2章】「ひび」はプールの排水溝近くにできた細いひびがスイマーたちに及ぼす不安の波紋を描く。暫く何事もなく忘れかけた頃、ひびは複雑に広がり始め、同様の現象が、アメリカ中だけでなく、東京(ホテルニューオータニ)、ドバイ、フランス等でも起きていると報じられる。定期点検補修期間が何度か延長され、最後にプールの閉鎖が決定。常連たちはスイミング抜きの新生活設計に頭を悩ます。【第3章】「Diem Perdidi(ディエム・ペルディディ)」は三人称で、登場人物は彼女(アリス)とあなた(40代後半のアリスの娘)。アリスと娘の共通の思い出(娘の生まれる前を含めて)について、アリスが何を覚えていて、何を覚えていないかが、美しい言葉で綴られていく。【第4章】「ベラヴィスタ」は、営利型メモリー・レジデンス(認知症高齢者介護施設)(その施設名が「ベラヴェスタ」)の担当者が、入所してきた「あなた」(アリス)に施設の内容や生活、注意点など説明する内容で構成されている。【第5章】「ユーロニューロ」では、2人称の「あなた」で綴られ(「あなた」はアリスではなく、アリスの娘に変わっている)、彼女の夫が現れる―。

 2002年発表の『天皇が神だった頃』(邦訳2002年)と2011年発表の『屋根裏の仏様』(邦訳2016年)で評価を得た作者の2022年発表作。米カーネギー文学賞を受賞しています。

 冒頭の第1章、第2章だけでもプール小説(そんなジャンルがあるのか?)として楽しく読めましたが(黙々とプールに通う常連を一種のコミュニティとして捉えている)、第3章で話はがらっと変わり、「彼女」と呼ばれる老齢女性が「あなた」と呼ぶ娘に語る回想記になっていて、この彼女が、どうやら、第1章でプールに通っていた元検査技師のアリスの今現在の姿らしいです。老女は認知症が進行して昔のことは覚えているが最近の記憶は不確かで、ただし、35年以上前に通ったスイミングクラブの記憶はあるのです。

 彼女は50年前に女児を産んだが直ぐ亡くなり、その後に妹(あなた)と二人の弟を授かった。「あなた」が小学5年の時、一家は日本人強制収容所に送られたらしい。戦後父母は離婚、母娘は白人家庭のメイドで生活費を稼いだ。「あなた」は性的虐待を受けたらしい。母は独身で通し、娘は初婚に失敗し現在に至る。すっと弟たちとは疎遠―といろいろ苦難の道を経た家族のようです。

 第4章で、老人介護施設に入ることになった彼女は、入所日に施設側の入居説明を聞きますが、語られるのは「あなたは回復の望みはなく症状が進むだけ、退所はかなわない」ということで、つまり、ここで「生を終える」ということであり、日本の老人ホームの入居説明などと随分違うなあと。

 そして最後の第5章で、彼女の夫が登場(再婚していたのだ!)。夫は「研鑽の積んだエンジニア」で現在は退職した数学教授と明かされ、そう言えば、彼女も元検査技師でした(結婚後に夫の影響で検査技師になったのだろう)。娘である「あなた」は大学を出て作家になったようだ(コレ、作者だろう)。夫の献身と優しさに守られ、彼女の後半生は幸せだったようで、典型的な認知症の経過を辿って静かに亡くなると、毎日病院を訪れていた夫は、妻の脳を解剖に付すことを了解する(理系男子だから?)。そして妻を失った彼も静かに老いてゆく―。

 全体としては、親切で世話好きで前向きな母の一代記であり、娘から見た母の記録ですが(ノンフィクションっぽい)、読み始めた時には、まさか構成的にこんな展開になるとは思いませんでした。内容的にはやはり、前半の「プール小説」の部分が面白かったです(かなり)。地下プールでは、地上の世界では画家になれない人や、人員削減の憂き目に遭った広告マンや、仕事にあぶれた俳優たちが、見事にエネルギッシュな泳ぎを見せ、68往復泳ぐのがノルマという人もいたりします。「わたしたち」はスイミング愛によって結ばれていて、この地下プールは、心の癒しと尊厳の場であり(マインドフルネスの場とも言える)、一時の避難所であり、連帯感の在り処でもあるということです。自分、も毎月プールで15㎞泳ぎますが、このタイプの小説に初めて出会いました。

 テクニカルな部分で言えば、3章のうちの第1章、第2章が「わたしたち」という一人称複数で書かれていて、それが第3章で、主語が一人称複数から三人称単数の「彼女」に切り替わり、第4章では「わたしたち」は営利目的の介護施設の職員になっていて、第5章で「あなた」という二人称単数主語にスイッチしますが、この「あなた」とはアリスの娘(第3章の「あなた」と同じ)のことになります。こうしたテクニックが巧妙で、作品の完成度に寄与しているのは確か。昨年['24年]のノーベル文学書を受賞した韓江(ハンガン)の『すべての、白いものたちの』に通じるものを少しだけ感じました(こういうの、流行っているのか)。

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パレスチナの女性作家が描いたイスラエル兵の女性に対する「物(もの)化」。

とるに足りない細部.jpgとるに足りない細部2.jpg アダニーヤ・シブリー.jpg
とるに足りない細部』['24年]アダニーヤ・シブリー
とるに足りない細部3.jpg
【第一部】1949年8月13日。イスラエル独立戦争の翌年、戦闘で破壊されたキブツの跡地にイスラエル軍が駐屯を始める。駐屯軍の任務は、エジプトとの国境の策定と付近の安全確保だ。焼けつくネゲブ砂漠をパトロール中に藪の中に動きを発見。掃射後に見たのは死んだ6頭のラクダと黒い衣装の中で震えている少女だけ、男も武器もなかった。ベドウインの少女がラクダを連れ散歩していたのだったが、パトロール隊は少女を連行する―。

【第二部】25年後、語り手の女性は25年前のベドウイン少女レイプ虐殺事件を歴史の一頁として回顧したイスラエル記者の記事を読む。少女が殺された日付、1949年8月13日が自分の誕生日と同じと知って記者に連絡を取る。当惑気味の彼から現場付近の記念博物館などを聞き出す。レイプや虐殺はこの国では日常茶飯事に起きる「取るにたりない細部」に過ぎない。何故これほどまでに血が騒ぐのか彼女自身にも解らない―。

 1974年生まれのパレスチナ人の女性作家による作品で、2017年にアラビア語で発表されたのち各国語に翻訳され、全米図書賞翻訳部門最終候補(2020年)、国際ブッカー賞候補(20121年)になるなど高く評価されたたほか、2023年にはドイツの文学賞であるリベラトゥール賞を受賞。しかし同年10月、イスラエルによるガザへの攻撃が激化するなか、フランクフルト・ブックフェアで開催予定だった授賞式は同賞の主催団体によって中止され、ブックフェアは「イスラエル側に完全に連帯する」との声明を出し、この決定に対しては、作家や出版関係者を中心に世界中から抗議の声が上がったとのことです。

 上記のように、イスラエル駐屯軍の士官が語り手の第一部と、作者の分身とも思われる女性が語り手のに第二部に分れ、その間に25年の経過があって、第一部のイスラエル兵に集団レイプされ殺されたベドウイン少女の死亡日と、第二部の女性の語り手の誕生日が同日というだけの「取るにたりない」繋がりがあるとう構成です。

 第一部の少女が連行されてからの描写が凄まじいです。士官自身はもともと、ベドウインは植物を植えることを知らず、羊やラクダを連れて草の根まで食べさせて土地を荒らし、後は移動するだけなのに、自分たちはこの約束の地に家を建て、井戸を掘り砂漠を農地や牧場に変え、やがては工場や商店を呼び込んで繁栄するだろうと、自負心と差別意識が相俟っているような人物。毒雲に噛まれた傷跡が悪化し化膿して幻覚症状に陥りますが、彼にとっては蜘蛛もベドウインも排除すべき生き物ということでは同じです。

 連行した少女をベドウインの部落に戻すか、指令本部に連れて行くべきか士官は考えますが、結局、泣きわめくだけの、垢と悪臭まみれの娘を広場に連れ出し、服を脱がせ、体を洗わせ、乳房や陰部を見物の兵に晒した後、少女を飯炊き女として使うか、慰めものにするかと提案。隊長は次の日の朝まで少女への接触を禁じる命令を出し、少女を自分の小屋で犯した後、三日間兵士に与え、さらにその後、少女を撃ち、砂漠に予め用意した穴に埋める。本部には完全隠蔽。兵士に「極く些細な気晴らし」を与えたのだった―。

 第二部で、少女が殺された事情を探ろうとする語り手(パレスチナ人)は、ガザに住む友人に頼んで通行証を、男友達に頼んでレンタカーを借り、搭乗者に名前を追加してもらって検問所を突破。しかし、道に迷い、新たに出来た高速道路や入植地のアパート群に、この地の変わりように驚く。やっと事件の現場らしき場所へ行き着くと、博物館の人のいい管理人が、昔井戸に投げ込まれたベドウイン人の少女の死体を見たと話すが、アラブ人は挙動が怪しい人間を井戸に投げ込むことがあるという、史実と違う話になっている―。

 翌朝、廃墟の近くで、当時司令官が住み少女がレイプされた小屋に似ている小屋を見つけ近づくが「そこを動くな」の声で我に返る。彼女は知らないうちに軍事施設の中に入り込んでいたのだ。銃口が狙っているのが判り、何気なくポケットに手を入れた瞬間―。

 ストーリーは登場人物の内面に入り込むのを避け、出来事を淡々と述べるスタイルで進行していきますが、作者自身、余計な想念を働かせずに物語として読んでほしいと言っており、また、この物語を政治情勢と絡めて論じられることを忌避しているようです。個人的にも読んでいて、字も読めないベドウイン少女ともう一人の作者を想起させる知識人女性は、女性という「弱者としての性」で繋がっているように思いました。

 イスラエル兵によるその女性に対する「物(もの)化」は、イスラム社会における「男尊女卑」を超えているとも捉えることができます。その意味で、普遍性のある作品であると同時に、(史実と異なる伝承がされていることなども含め)政治的な読まれ方をされることがある程度避けられない作品でもあるように思いました。それでも佳作だと思います。

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黄色い雨0.jpg黄色い雨.jpg フリオ・リャマサーレス.jpg
黄色い雨』['05年]『黄色い雨 (河出文庫 リ 5-1)』['17年]フリオ・リャマサーレス(1955年生まれ)

 舞台はピレネー山脈麓の過疎村アイニェーリェ村。主人公の私の語りで物語は進む。村の住民が次々に離村していった。私の娘はたった四歳の時に病気で苦しみ抜いた末に死んだ。私の息子も一人はスペイン内戦の時に徴兵されて消息不明となり、もう一人の息子も家族を捨てて出て行ったきりである。結局、私と妻のサビーナ、そして飼っている雌犬のみが村に残された。そして、妻もやがて寂しさに耐えきれなくなって、首を括って死んだ。私は廃村になった村で雌犬と共に細々と命を繋いだが、ただ死を待ち受けているだけにも思えた。私はある日、毒蛇に噛まれて生死の境を彷徨った。そして、その頃から、私の前の死者たちが現れるようになった。まずは母親、そして親族。そしてある日、唯一かけがえのない友である雌犬に、死の象徴であるポプラの枯れ葉色の影が落ちていることに気づいた。いずれこの時が来ると覚悟していた私は、そのためにとっておいた銃弾で犬を撃ち殺して死者たちのもとへ送り出し、自分もベッドに横人って死の訪れを待った―。

La Lluvia Amarilla.jpg スペインの小説家、詩人フリオ・リャマサーレス(1955年生まれ)が1988年に発表した小説で(原題:La lluvia amarilla)、リャマサーレスはマドリッド大学の法学部に入学し、卒業後は弁護士を経てジャーナリストとして働く傍らで詩を書き続けていましたが、この作品で(法律やジャーナリズムとは対極にあるような幻想的な作品だが)世界的に知られるようになり、小説の執筆に活動の重点を移したとのことです。

La Lluvia Amarilla』(スペイン語版ペーパーバック)

 小説の舞台のアイニェーリェ村は実在することが小説の冒頭に書かれています。1970年に廃村になったものの、家々は徐々に崩れながらもまだ建っていると。そして主人公の「私」も、次々に崩壊していく家屋を眺めながら、過去の思い出について語り出す。村であった出来事、村を離れていく息子や近所の人々。村と共に生き、今は村と共に死に絶えようとしている「私」は決して死から目をそらすことなく、最後まで冷静に観察を続け、或いは見方によっては、もうすでに死んでいて、死者の世界から語り掛けているようにもとれます。

 ちょっと、ラテンアメリカ文学におけるマジックリアリズム的雰囲気も感じました。そう言えば、『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケスも、ジャーナリスト兼小説家(ジャーナリストが先で小説家が後から)でした。ただし、個人的に最も想起させられたのは、同じくラテンアメリカ文学で、1955年にメキシコの作家フアン・ルルフォが発表した『ペドロ・パラモ』(1979年/岩波現代選書)でした。

 『ペドロ・パラモ』の主人公「おれ」は、母親が亡くなる際に言い遺した、自分たちを見捨てた父親に会って償いをさせろという言葉に従い、顔も知らない父親ペドロ・パラモを捜しに、ある町に辿り着きますが、町には生きている者はなく、ただ、死者ばかりが過去を懐かしんで、蠢いているだけだった―というもの。この小説のスゴイところは、何と主人公も実は死んでいたということで(途中でそのことがわかるが。それまで自分が死んでいることに気づかない)、シュールなところが似ているように思いました。

 『黄色い雨』は、200ページ弱と中編と長編の間ぐらいの長さですが、物語の最初の方で妻が首を吊って死んでしまい、あとは傍にいるのは雌犬ただ一匹という孤独な〈私〉が、迫りくる死と向き合い、それを見つめ続けるという重苦しい描写が続きます。ただし、一方で、失われた多くのものへの美しいレクイエム的な感情も描かれています。

 結局、最期、人間は一人で死んでいくのだということでしょう。失われたものたちへの深い哀惜の念を抱きながら、やがて自分もいつかその一員となるという、死に対する怖れと、死を受け入れることによる安心。そうした思いを読む側に抱かせる不思議な作品でした。

【2017年文庫化[河出文庫]】

《読書MEMO》
●2025年11月29日(土)付の「朝日新聞」朝刊の読書面「気になる本 読みかえす本」で、ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル&ギターの(小説家でもある)尾崎世界観氏がこのフリオ・リャマサーレスの小説『黄色い雨』を紹介していた。コロナ禍の時の読んだとのこと。この記事は、朝日新聞社の関連サイト「好書好日」でも読める(「他者の存在から自分が見える 尾崎世界観」)。


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「賢く考えていながら愚かに行動するのが、人間の性」。やるせない話だった。

神々は渇く f.jpg
神々は渇く.jpg アナトール・フランス1921.jpg アナトール・フランス(1921)
神々は渇く (岩波文庫 赤 543-3)』['77年]

Les Dieux ont soi』['93年]

Les Dieux ont Soif, 19121.jpg 貧しくも正義感あふれる愛国的な青年画家エヴァリスト・ガムランは、あるきっかけで革命裁判所の陪審員になって権力を持ち、ジャコバン派の影響を受けたことで、「残虐非道な化物」と化して、元貴族、亡命を試みた者、無神論者、娼婦等を悉く死刑にするようになる。元貴族で今は屋根裏部屋で暮らす老人ブロトは、ルクレティウスを信奉する無神論者で、聡明な彼は、人命を脅かす革命裁判所を長く続かないとし、「革命裁判所には低劣な正義感と平板な平等意識とが支配しています。これがやがて革命裁判所を憎むべきもの嗤うべきものにし、万人に嫌悪を催させることになるでしょう」と予言する。そして、その思想ゆえに逮捕される―。

Les Dieux ont soif』['18年]ペーパーバック

 アナトール・フランスの、フランス革命期の恐怖政治とそれに巻き込まれる人々を描いた歴史小説で、1911年11月から1912年1月にかけて「パリ評論」誌に掲載され、1912年6月に単行本として刊行されました(原題:Les Dieux ont Soif)。多くの資料に基づいて組まれたそのプロットは老練で、緻密な風俗描写は、読む者を18世紀末の騒乱の体験者にしてしまうようなリアリティがあります。

Les Dieux ont Soif, 19122.jpg 主人公のエヴァリストは、恋人エロディが過去に付き合っていた男に嫉妬しており、それらしき貴族が逮捕されると、こいつに違いないと思い込み、エロディが否定するにもかかわらず、人違いで死刑を宣告してしまいます。また、革命裁判所の判事ルノダンに至っては、逮捕された貴族シャサーニュの愛人であるジュリ(エヴァリストの妹)からシャサーニュを救ってほしいと頼まれると、肉体交渉を迫り、その後で約束を破ります(藤沢周平原作、山田洋次監督の「隠し剣 鬼の爪」('04年/松竹)に出てくる悪徳家老みたい)。

 そして、ブロトが予言したように、民衆から「もうたくさんだ!」という声が上がり始め、所謂「テルミドールのクーデター」によってロベスピエールが失脚すると、エヴァリストたちはかつて貴族たちを罵っていた民衆に罵倒されながら革命広場の処刑場へと送られますが、彼は自分がしたことを悔やみはせず、もっと多くの人間を死刑にできなかった己の寛容さを悔みつつ断頭台の露と消えていく―という、もともと繊細な精神の画家で、母親思いの優しい男だったのが、どういう運命のいやずらでこうなったしまうのかという、スゴイと言うかやるせない話でした(ブロト老人のような人物の存在が唯一の救いか)。

Les Dieux ont Soif, 19123.jpg 作者は、老人ブロトにシンパシーを寄せていますが、エヴァリストを突き放しているわけではなく、この美貌の怪物は、飢えた母子にパンを恵み、農夫が小麦を刈るのを見て涙し、見知らぬ少年に銀貨を与え、初めて陪審員席に座った時は、騎兵隊の馬糧でひと儲けしようとした悪党を「証拠がない」と無罪にしたりもして、寛容さも見せています。そんな彼が「残虐非道な化物」になってからは、常に悪夢にうなされ、「自分は忌まわしい者とされて死ぬだろう」と自覚しており、それでも冷酷に徹するのは、王や貴族や彼らに与する者など「祖国の敵どものけがれた血」を流す大役を引き受けようとするヒロイックな愛国心ゆえです。

 しかしながら、例えば、「国王万歳!」と叫んで逮捕される娼婦には愛国心が無いとしてエヴァリストが彼女たちを憎むのは、実は個人的な感情に起因していて、「官能と精神との快楽を享受し、生きることが愉しかった時代に生きていた」者を嫌悪していためで、ただし、本人にはその自覚は無く、革命の混乱時において、誰かがやらねばならぬ仕事を愛国者として全うし、公安に寄与していると思い込んでいる一方で、自身の性生活はタガが外れたようになり、狂った男の血の匂いに興奮する恋人エロディの激しい愛撫によって快楽と癒しを得ているという、快楽を否定しながら、自身が快楽に嵌る矛盾に陥っています。

 エヴァリストのような人間を人でなしの化物として攻撃するのは簡単ですが、いざ狂熱の時代に投げ込まれ、同じ立場に身を置く羽目に陥った時、彼のようにならないと誰もが断言できるでしょうか。作者は「主人公ガムランは、ほとんど化物のような人物だ。しかし人間は徳の名において正義を行使するにはあまりにも不完全であること、されば人生の掟は寛容と仁慈とでなければならないことを、私は示したかったのだ」と語っています。

 人間の不完全さについては、エピクロスも『わが友の書』で「賢く考えていながら愚かに行動するのが、人間の性だ」と記しており、また、アナトール・フランスによる『エピクロスの園』に記された、「快楽は恐怖が混じっていてこそ人を陶酔させる」や「人間が真に人間としてとどまるのは憐れみによってである」という言葉は、『神々は渇く』にも貫かれています。

 エヴァリストは貧しい芸術家で、純粋で、弱き者に同情的で、無神論者に共感することもあったのが、ジャコバン派の集会に通い詰めるうちに、「清廉潔白の人」ロベスピエールの教えに染まり、その分身たらんとしたのですが。こういうタイプの人間はいつの時代にもいて、彼らは往々にして、新たに生まれ変わった自分をむやみに徹底させ、極端に走りたがるので、こうした人間が権力を持つとロクなことにならないということでしょう。その周囲にいて巻き添えを食らう人は堪らないし、結局は本人も破滅への道を歩むことになるのでしょう。

神々は渇く い.jpg 『神々は渇く』は歴史小説であるため面白く、革命裁判の様子は、臨場感満点です。史実がベースとなっているので、ストーリーの展開は周知のものですが、先にも述べた通り、その時代の目撃者になっている気持ちにさせられ、大河ドラマを観ているような印象もあり、その時代をくぐり抜けてきたような疑似体験ができます。

 結局、「人間は本能と感情とによって導かれる」ため、いざという時、自分の行動にそれを上手く生かすには、普段から自分を見つめ、統制し、訓練しておくことが必要なのでしょう。自分自身の哲学を持っておくことも必要でしょう。それでも、いざとなったらどうなるか、保証の限りではないですが(心許ないね)。

【1932年単行本[春陽堂(『血に飢えた神々』)]/1950年全集本[白水社(『アナトオル・フランス長篇小説全集』)]/1961年文庫化[角川文庫(根津憲三:訳)]/1977年再文庫化[岩波文庫(大塚幸男:訳)]】

「●か アルベール・カミュ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒「●か G・ガルシア=マルケス」 【1415】 ガブリエル・ガルシア=マルケス 『幸福な無名時代 
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画期的シチュエーション。多様な人物造型。自然主義文学と似ている点、新たな点。
カミュ  『ペスト』000.jpg
ペスト (新潮文庫) 』['69年]「プレイグ [VHS]」ウィリアム・ハート/ロバート・デュヴァル/ラウル・ジュリア
ペスト (岩波文庫)』['21年(三野博司:訳)]『ペスト (光文社古典新訳文庫) 』['21年(中条省平:訳)]
カミュ  『ペスト』岩波文庫.jpgカミュ  『ペスト』光文社古典新薬文庫.jpg 「四月十六日の朝、医師ベルナール・リウーは、診察室からでかけようとして、階段口のまんなかで、一匹の死んだ鼠につまずいた」―。アルベール・カミュが第二次大戦後まもない1947年に発表した小説で、194X年のアルジェリアの人口二十万人の港町オランが舞台(オランはアルジェリア北西部に位置する同国第二の人口(2008年現在683,000人)を持つ都市で、観光名所である)。大流行する感染症のペストに対して、人々が何の手も打てず、死者が増え続ける。絶望の淵で、思想も立場も異なる人たちが手を携え感染症という不条理に抗う様子を描いています。

カミュ  『ペスト』解説本.jpg このカミュの『ペスト』は、新型コロナウイルスが猛威を奮う中で空前のヒットとなった作品でもあります。新潮文庫版は2020年だけで過去の販売総数を超えてしまったといい、岩波文庫(三野博司:訳)や光文社古典新訳文庫(中条省平:訳)でも新訳が刊行され、中条省平氏監修の『NHK「100分de名著」ブックス アルベール・カミュ ペストー果てしなき不条理との闘い』('20年7月/NHK出版)や、哲学者、教育家、作家の大竹稽氏(1970年生まれ)が監修した『マンガ&あらすじでつかむ! 60分でわかる カミュの「ペスト」』('20年7月/あさ出版)、哲学者の小川仁志氏が監修した『まんがでわかるカミュ『ペスト』』('20年7月/宝島社)といったテキスト本やマンガも刊行されました。

 物語の主要登場人物は以下の10人です(語り手は0番とした)。
  ⓪ 語り手:その正体は最後になって明かされる。
  ① ベルナール・リウー:医師。
  ② ジャン・タルー:よそ者、彼の手帳がこの作品のもうひとつの語り手。
  ③ ジョセフ・グラン:作家志望の下級役人。
  ④ コタール:絶望に駆られた男、犯罪者。
  ⑤ カステル:老医師。
  ⑥ リシャール:市内で最も有力な医師の一人。医師会長。
  ⑦ パヌルー:博学かつ戦闘的なイエズス会の神父。
  ⑧ オトン氏:予審判事、「ふくろう男」。
  ⑨ レイモン・ランベール:新聞記者。
  ⑩ 喘息病みの爺さん:リウーの患者

 訳者・宮崎峰雄の文庫解説を参照すると、物語の記述者は結局①医師リウーであるが、もう1つ、②タルーの「手帳」があり、この2つの流れのほかに、③老吏グランの生涯とタルーの生活、⑩喘息病みの爺さんの生活、という3つの"小島"があるとのこと。登場人物はペストとの遭遇で大きく変貌する人と変わらない人に分かれ、前者に属するのが⑦司祭パヌルー(「神の正義」を代表)、⑧判事オトン(「社会の正義」を代表)、⑨新聞記者ランベール(「人間の正義」を代表)、④犯罪者コタール(それら正義、とりわけ社会正義に反抗する孤立者)で、後者が①医師リウー、②よそ者タルー、③下級役人グラン、⑩喘息病みの爺さん、⑤老医カステルなどであるとのことです(⑩の喘息病みの爺さん以外は、共同社会の連帯性に目覚めた「不条理人」であると)。

 ⑧オトン判事は、愛児の死によって慎ましい愛の奉仕者に変貌しますが、②よそ者のタルーと同じようにペストの終息直前に病に斃れることは、苦行者というものに対するカミュの考え方を暗示しているのかもしれないと。一方、④絶望に駆られた犯罪者コタールの変貌は、非常事態のため法の追求を逃れたことの喜び以上に、すべての人々がいわば自分と同じ境遇に陥り、社会的孤立から救われた喜びにあり、②第二の語り手タルーは「あの男の唯一の本当の罪は、子供たちた人々をしなせたところのものを、心の中で是認していたことだ」と言います。一方、①第一の語り手リウー医師はこの男にある種連帯感に似た苦痛を示しています。さらに、⑦パヌルー神父となると、最初ペストに神の懲罰を見、人々に改悛を説いていたところが、罪なき子の死に直面し、それに憤りたくはなるが「それはつまり、それがわれわれの尺度を超えたことだからです。しかし、おそらくわれわれは、自分たちに理解できないことを愛さねばならないのです」、つまり「不条理」ゆえに却って神を愛さねばならないという思いに至り、これが①リウー医師との際立った相違点になります。

 前作『異邦人』は、ムルソーというこれまでの小説に無かった新しいタイプの登場人物を産み出したことに大きな価値があったようように思いますが、この『ペスト』では、パンデミックというこれまでほとんど小説の背景として無かったシチュエーションを描いているの画期的です(エドガー・アラン・ポーがフランスでのコレラ流行とパニックをモデルにした短編を著している)。しかし、これが小説として面白く読めるのは、パニック小説だからではなく、以上延々述べたように、登場する様々な人物が、それぞれ様々な生き方や人生観の象徴としてあり、それらが互いに影響し合ったり変化したりしていることで、そこにまたリアリティもあるためでしょう。主要登場人物だけで10人ぐらいいて(このほかにリウー医師の母親などもいる)、読んでいて、バルザックやゾラの小説を読んでいるときのような気分になります。

 バルザックやゾラと言えばフランス自然主義文学ですが、人間が不条理な状況に直面した時の対応をテーマにしたこの作品は、ある意味、人間の行動を環境や遺伝子などの要因で決定されるとするフランス自然主義の流れを汲むともとれます(『ペスト』では、人間が自然災害に直面した時の無力感や絶望感が描かれているが、自然主義的な視点から見れば、これは自然の力に対する人間の無力さを表しているとも言える)。一方『ペスト』では、ペストに立ち向かうための反抗や連帯の姿が描かれていて、この点は、自然主義とは対照的に、人間は環境に抗うことができるというメッセージが込められていると思います。また、カミュは、世界は意味をなくし、不条理であるという考え方を重視していますが、自然主義は、人間の行動は環境や遺伝子によって決定されると捉え、不条理という概念を重視していません。そうした観点からみると、これまでの文学の流れを汲みながら、新しい枠組みを示した作品とも言えます。

白の闇 2008-4.jpg パンデミックを小説の背景としたという点で似たシチュエーションの作品で、ポルトガル初のノーベル文学賞作家(劇作家・ジャーナリストでもある)ジョゼ・サラマーゴ(1922-2010/87歳没)が1995年に発表した『白の闇』(2001年/日本放送出版協会)があります。急に目の前が白い闇状態になって見えなくなる伝染病が原因不明のまま次々と周囲に伝染していき、事態を重く見た政府が、感染患者らを、精神病院だった建物を収容所にしてそこへ隔離するが、介助者のいない収容所の中で人々は秩序を失い、やがて汚辱の世界にまみれていくというもの(『ペスト』以上にディストピア的か)。2008年にフェルナンド・メイレレス監督、ジュリアン・ムーア主演で「ブラインドネス」として映画化もされ、第61回カンヌ国際映画祭のオープニング作品でした。日本からも最初に感染する夫婦役で伊勢谷友介、木村佳乃が出演していますが、ほとんどパニック映画といったところでしょうか(全部観ていないので、ちゃんとした評価はできないが)。

カミュ  『ペスト』プレイグ 00.jpgカミュ  『ペスト』プレイグ 1.jpg このカミュの『ペスト』も、1992年に「プレイグ」(plague、ペストの英語表現)として映画化されています。舞台を現代の南米の架空の小都市(市の名前は原作と同じ)に移し、エイズをはじめとする時代状況の変化に即した新たな解釈が付け加えられていますが、原作にほぼ忠実に映像化されていると言えます。監督・脚本はアルゼンチン・ブエノスアイレス出身のルイス・プエンソ。音楽は、「炎のランナー」「ブレードランナー」などのヴァンゲリス。出演はウィリアム・ハート(リウー医師)、ロバート・デュヴァル(グランカミュ  『ペスト』プレイグ 2.jpgト老人・原作の喘息病みの爺さんに相当する役か)ほか、「グラン・ブルー」主演のジャン・マルク・バール(原作の新聞記者レイモン・ランベールに該当するテレビカメラマン役)、「仕立て屋の恋」のサンドリーヌ・ボネール(ニュースキャスターのマルティーヌ。原作に無いキャラで、しいて言えばレイモン・ランベールの分身か。「仕立て屋の恋」じゃないが、この映画でもウィリアム・ハート医師を誘惑するなどややファム・ファタールがかっている)、「蜘蛛女のキス」のラウル・ジュリア(暗黒街とつながりがあり、最後に無差別発砲をする男コタール役。「アダムス・ファミリー」シリーズでも知られたギョロ目俳優だが'94年に急逝してシリーズが「2」で終わってしまった。ホンダ・オデッセイのCMにも出ていた)と意外と豪華布陣。単なるパニック映画にしてしまわなかった点は評価されるべきかもしれませんが、演出のまずさから全体的にぼんやりとしまい、作品カミュ  『ペスト』プレイグ ウォリアムハート.jpgカミュ  『ペスト』プレイグ ロバートデュバル.jpgカミュ  『ペスト』プレイグ じゅりあ.jpgの意図した事が不明瞭なまま雰囲気だけ盛りたてて先に進んでしまう、かなり一人よがりな印象も。やはり、原作の不条理的テーマというのは映画では伝わりにくいものだったかもしれません(あらすじを再確認するにはまずまずだった)。

ウィリアム・ハート(リウー医師)/ロバート・デュヴァル(グラン老人)/ラウル・ジュリア(コタール)

カミュ  『ペスト』プレイグ 0.jpg「プレイグ」●原題:THE PLAGUE/LA PESTE●制作年:1992年●制作国:フランス・イギリス・アルゼンチン●監督・脚本:ルイス・プエンソ●製作:クリスチャン・チャレット/ジョン・ペッパー●撮影:フェリックス・モンティ●音楽:ヴァンゲリス●原作:アルベール・カミュ●時間:120分●出演:ウィリアム・ハート/ロバート・デュヴァル/ラウル・ジュリア/ジャン=マルク・バール/サンドリーヌ・ボネール/ヴィクトリア・テナント●日本公開:1995/02●配給:日本スカイウェイ(評価:★★★)

ラウル・ジュリア/ウィリアム・ハート/ロバート・デュヴァル

サンドリーヌ・ボネール.jpg サンドリーヌ・ボネール 


ラウル・ジュリア.jpg
ラウル・ジュリア(1940-1994)
ホンダ「オデッセイ」CM (1994)(出演:アンジェリカ・ヒューストン/ラウル・ジュリア)
アダムス・ファミリー [DVD]
アダムス・ファミリー 1991.jpgアダムス・ファミリー 19912.jpg「アダムス・ファミリー」●原題:THE ADDAMS FAMILY●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督:バリー・ソネンフェルド●製作:スコット・ルーディン●脚本:キャロライン・トンプソン/ラリー・ウィルソンソ●撮影:オーウェン・ロイズマン●音楽:マーク・シャイマン(主題歌:M.C.ハマー)●原作(キャラクター創造):チャールズ・アダムス●時間:100分●出演:アンジェリカ・ヒューストン/ラウル・ジュリア/クリストファー・ロイド/クリスティーナ・リッチ/ジュディス・マリナ/ダナ・アイヴィ/カレル・ストルイケン/ダン・ヘダヤ/ポール・ベネディクト/エリザベス・ウィルソン/ジョン・フランクリン●日本公開:1992/04●配給:COLTRI(コロンビア・トライスター映画)(評価:★★☆)

アダムス・ファミリー2 [DVD]
アダムス・ファミリー2 1993.jpgアダムス・ファミリー2 1993 2.jpg「アダムス・ファミリー2」●原題:THE ADDAMS FAMILY VALUES●制作年:1993年●制作国:アメリカ●監督:バリー・ソネンフェルド●製作:スコット・ルーディン●脚本:ポール・ラドニック●撮影:ドナルド・ピーターマン●音楽:マーク・シャイマン(主題歌:Addams Family (WHOOMP!))●原作(キャラクター創造):チャールズ・アダムス●時間:94分●出演:アンジェリカ・ヒューストン/ラウル・ジュリア/クリストファー・ロイド/ジョーン・キューザック/クリスティーナ・リッチ/キャロル・ケイン/ダナ・アイヴィ/ジョン・フランクリン/ジョーン・キューザック/メルセデス・マクナブ/デヴィッド・クラムホルツ/ピーター・マクニコル/クリスティーン・バランスキー/ネイサン・レイン/トニー・シャルーブ/シンシア・ニクソン/デヴィッド・ハイド・ピアース/バリー・ソネンフェルド●日本公開:1993/12●配給:ユナイテッド・インターナショナル・ピクチャーズ(評価:★★☆)


⦅「プレイグ」詳しいあらすじ⦆
カミュ  『ペスト』プレイグ 9.jpg南米の小都市オラン。政局が混乱し、特別警戒体制にあるこの地を取材すべく、フランスのテレビ局からカメラマンのタルー(ジャン=マルク・バール)とニュースキャスターのマルティーヌ(サンドリーヌ・ボネール)が訪れていた。マルティーヌはある時、ホテルのエレベーター内で鼠を見つけ、まもなく泡を吹いて死んだのを目撃する。やがて激しい悪寒と嘔吐の末に死ぬ人々が続出し、オランの街は静かな死の恐怖に包まれた。医師のリウー(ウィリアム・ハート)は、早くからそれをペストによるものだと判断。ペスト発生のニュースを隠すよう要請する市行政部の意見に真っ向から反対し、軍隊を呼んで街を閉鎖すべきだと主張する。街は完全に封鎖され、タルーは特ダネのチャンスだと意気込むが、恋人をパリに残すマルティーヌは街から脱出しようと決心する。彼女はその工作のため、暗黒街とつながりのある男コタール(ラウル・ジュリア)と接触する。その間にも犠牲者は増え続け、3人は罪なき聖歌隊の少年が、死の床で短い命を散らすところに立ち会った。教会で人々の改悛を説いていたパヌルー神父は、この不条理な死を受け入れがたく、苦悩した末にペスト患者の死体を埋葬する穴に赴き、自らの体を横たえる。さらにリウーの友人で気のいい老役人グラント(ロバート・カミュ  『ペスト』プレイグ 4.jpgデュヴァル)も病に倒れ、マルティーヌはベッドに横たわる瀕死の彼を見舞う。タルーとマルティーヌは街に残り、ボランティアとしてリウーに協力した。だが、マルティーヌは隔離所に収容されてしまい、タルーは自分がペストに罹ったことを知る。やがてペストの猛威も終息に向かう。グラントは一命を取り留め、タルーも快方に向かい、マルティーヌも隔離所から開放された。オランの人々が笑顔を取り戻した頃、狂気にとらわれたコタールが部屋に立て籠り、「ペストはまだ終わっていない、いつかまたやって来るぞ」と叫び、通りに向けて無差別に発砲した。リウーが説得に当たったが、群衆を守ろうとしたタルーが撃たれた。リウーは瀕死の彼を抱いて泣いた。

ウィリアム・ハート/サンドリーヌ・ボネール/ジャン=マルク・バール/ロバート・デュヴァル/ラウル・ジュリア

【1969年文庫化[新潮波文庫(宮崎嶺雄:訳)]/2021年再文庫化[岩波文庫(三野博司:訳)]/2021年再文庫化[光文社古典新訳文庫(中条省平:訳)]】

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「運転席」に座って主人公を"ドライブ"しているのは"狂気"か。今まで読んだことないタイプの話だった。
『運転席』.jpg  「運転席」vhs.jpg The Driver's Seat.jpg
運転席 (1972年) (ハヤカワ・ノヴェルズ)』/映画「サイコティック」エリザベス・テイラー/「The Driver's Seat/Impulse [DVD]」(ウィリアム・シャトナー主演「Impulse(「キラー・インパルス/殺しの日本刀」)」とセット)

 ヨーロッパのとある北の国で、会計事務所の事務員として働く女性リズは、4か国語を話す30代独身キャリアウーマンである。その彼女がとある南の国へ海外旅行に出かける。チンドン屋みたいにド派手な色合いの服を着て 練り歩き、店員、通行人、警察官、旅先で知りあった人たちに絡んでは、自分の臭跡を残していく。それはやがて起こる悲劇の伏線となる―。

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1970年に発表した小説で、原題もまさにThe Driver's Seat。リズは、旅行の目的地に向かう飛行機の機内においてから、両隣りに座った男性と噛み合わない会話をし、旅先でも出会った老女と何だかおかしい会話をしています。何のための旅行と思われるところがありますが、要は「運命の人」を探すのが旅の目的らしいということがわかってきます。

 ここからはネタバレになりますが、彼女は目的地に着いた翌日、現地の「公園のなかの空き別荘の庭で、手首をスカーフで、足首を男のネクタイで縛られたうえ、めった刺しにされた惨死体として」発見されることが、この作家独特のフラッシュフォワード(結末の先取り)として、早いうちに読者に知らされます。したがって、彼女はどうしてそんなことになったのか、物語はミステリの様相を帯びてきます。

 ところが、さらにここからネタバレになりますが、どうやら彼女が探していた「運命の人」というのは自分を殺してくれる男性だったようです。つまり、彼女は自分の死に向かってまっしぐらに突き進んでいるわけで、最終的にその目的を果たしたようです。

 なぜ彼女がそんなことになっているのかは、作者は直接語ろうとはしないため、彼女の行動、彼女の見るもの、彼女が接触する人物との遣り取りを通して推し測るしかないのですが、とても理解できるようなものではありません。「ホワイダニット」を探る読者に対して作者は「フーダニット」までは示しますが、「ホワイダニット」は読者が自ら考えるしかないのでしょう(作中にも「嬰q長調の"ホワイダニット"」との示唆がある)。

 「フーダニット」といっても、そうした性向を持った男性を探し当てたものの、いわば無理強いした嘱託殺人のようなもので、犯人も被害者のようなものかも。因みに「探し当てた男性」は偶然にも彼女が旅先で出会った老女の甥で、しかも、さらに偶然には、実は彼女がこの旅行の早い段階で会っていた!このオチは面白かったです。ある意味、確かに「運命の人」(実態は単なる〈神経症〉男なのだが)。フラッシュフォワード的記述が伏線になっていたましたが、見抜けませんでした。

 「運転席」というタイトルは、おそらく彼女の行動をドライブしている(駆り立てている)何者かを示唆しているのでしょう。自殺者が死に向かって突き進む話はありますが、自殺者は自分で死に向かって脚本を書くのに対し、リズの場合は誰かが書いた脚本をひたすら演じているようであり、ある種「解離性人格障害」のようにも思いました。

 「運転席」に座ってリズを"ドライブ"しているのは"狂気"でしょうか。今までまったく読んだことのないタイプの小説でした。


Driver's Seat (Identikit).jpg映画「運転席」.jpg この作品は「悦楽の闇」('75年/伊)のジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ監督により「サイコティック/Driver's Seat (Identikit)」('74年/伊)としてエリザベス・テイラー主演で映画化され、エリザベス・テイラーは、アガサ・クリスティの『鏡は横にひび割れて』の映画化作品でガイ・ハミルトン監督の「クリスタル殺人事件」('80年/英)など凖主役級(「クリスタル殺人事件」の場合、一応は主演は犯人役のエリザベス・テーラーではなくミス・マープル役のアンジェラ・ランズベリーということになる)の出演作はこの後にもありましたが、純粋な主演作品としては42裁で出演したこの映画が最後の作品になりました。

Driver's Seat (Identikit)0.jpg 映画は劇場未公開で、80年代に日Driver's Seat (Identikit)7.jpg本語ビデオが「パワースポーツ企画販売」という主としてグラビア系映像ソフトを手掛ける会社から「サイコティック」というタイトルで発売(年月不明)され、こうした会社からリリースされたのは、テイラーの乳首が透けて見えるカットがあるためでしょうか("色モノ"扱い?)。'20年5月にDVDの海外版が再リリーズ、'22年12月VOD(動画配信サービス)のU-NEXTで日本語字幕付きで配信されました。

 ある意味、原作通り映像化しているため、原作を知らない人にはわけが分からなかったのDriver's Seat (Identikit)4.jpgではないでしょうか。一部改変されていて、リズが当初からインターポールにマークされている設定になっていますが(ただしその理由は最後まで明かされない)、これは、映画の脚本にも参加したミュリエル・スパークがインターポールに勤務したことがあるという経歴の持ち主のためでしょうか(アンディ・ウォーホルが出演している)。

Driver's Seat (Identikit)3.jpg エリザベス・テイラーは体当たり的にこの難役に挑んでいますが、役が役だけに、また、ましてやオチが不条理オチだけに、評判はイマイチだったようです(彼女の生涯最悪の映画とも言われているらしい)。

 この映画のエリザベス・テイラーの演技を見ていると、すべては性的欲求不満が原因のように思えてきますが(彼女はそうした欲求不満の女性を演じるのが上手かった)、この主人公は性的交渉自体を望んでいるわけではありません。主人公が望むのはあくまで「死」であり、彼女がそこまで至ってしまうのは、当時の女性に対する社会的抑圧も誘因としてあったのかなという気がします。

Driver's Seat (Identikit)9.jpg また、「嘱託殺人」を選んだのは、主人公がカソリックで、自殺が禁じられていることも理由として考えられるように思いました(自分を殺す際に手足を縛ることまで要求したのは、あくまでも殺人だと印象付けるため)。

 先にも述べた通り、エリザベス・テイラーの長い映画キャリアの中で最も酷い作品とも評されていますが、原作を念頭に置けばそう酷評されるような作品ではなく、むしろよく出来ていると思います。撮影は「ラストエンペラー」のヴィットリオ・ストラーロ、音楽は「家族の肖像」のフランコ・マンニーノであることから、イタリアの製作陣はそれなりの人材を配したのではないでしょうか。イタリア語タイトルは"Smrt u Rimu"(「ローマの死」)。原作では「南の国」としか言われていませんが、いろいろな点で原作をイメージするのにうってつけの作品と言えます。

Driver's Seat (Identikit)2.jpgDriver's Seat (Identikit)5.jpg「サイコティック」●原題:IDENTIKIT(英:DRIVER'S SEAT/伊:SMRT U RIMU)●制作年:1974年●制作国:イタリア●監督:ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ●製作:フランコ・ロッセリーニ●脚本:ラファエル・ラ・カプリア/ジュゼッペ・パトローニ・グリッフィ/ミュリエル・スパーク●撮影:ヴィットリオ・ストラーロ●音楽:フランコ・マンニーノ●時間:105分●出演:エリザベス・テイラー/イアン・バネン/グイード・マンナリ/モナ・ウォッシュボーン/アンディ・ウォーホル●配信:2022/12●配信元:U-NEXT(評価:★★★★)

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自分にとってはストーリーよりも技巧(フラッシュフォワード)の小説だった。

『ミス・ブロウディの青春 (1973年)』.jpgミス・ブロウディの青春 (1973年).jpgミス・ブロディの青春 u.png 『ミス・ブロディの青春』3.jpg
ミス・ブロウディの青春 (1973年) 』『ミス・ブロウディの青春 (白水Uブックス 203 海外小説永遠の本棚)』['15年]『ブロディ先生の青春』['15年/河出書房新社]
映画「ミス・ブロウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」1.jpg
「ミス・ブロディの青春」('69年/英)マギー・スミス

 1930年代、エディンバラの寄宿制一貫女子学校での、風変わりな女性教師ブロウディ先生と生徒たちの物語。思い込みの激しいブロウディ先生は、自分の世界観に相応しい生徒を育てるために、サンディをはじめとす6名のブロウディ組と呼ばれる少数精鋭的生徒のグループを結成し独特の教育を進める。しかし、思春期の学生の変化は早く、かつてはブロウディに憧れた彼女らも16歳の時点では各々の道を進みたがるようになる―。、

 ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1961年に発表した小説(原題:The Prime of Miss Jean Brodie)で、英ガーディアン紙「必読小説1000冊決定版リスト」に「運転席」などと共に入っている作品(彼女の作品は5作も入っている)。物語はブロウディ先生とそれを囲む十代前半の生徒たちの話ということで、小説からは結構ガーリームービーっぽい雰囲気も感じました。

 それにしても、このブロウディ先生はちょっとやりすぎというかエキセントリックな感じが強くて、自意識としては正義感に満ちているのでしょうが、ブロウディ組の御しやすい生徒を自分の恋愛のために利用したり、あるいはその内の1人に自身の恋愛願望を代行させたりして(その結果、その娘はスペインで爆死することになる)、結構あざとくもあり、また結果として残酷でもあって、シンパシーが湧きにくい感じです。

 そもそも、ブロウディ先生は思想的にファシズムに傾倒してしてしまって、これを生徒に押しつけるのもどうかしています(自身がヒトラーやムッソリーニになってしまっている)。遂には生徒の裏切りに遭い、彼女は職を失うことになるのですが、あまり気の毒な気はしませんでした。

 むしろ、彼女の自身の信念に沿った行為がどんどん危険なものとなっていくという点で結構ブラックというか、ミステリではありませんが「いやミス」的でもあります。作者の本当の狙いも、実はそのあたりにあるのではないかと思われ、少なくとも、作者はブロウディ先生を突き放しているように思えます。

 ただし個人的には、ストーリーよりもその構成に特徴があるように思いました。所謂フラッシュフォワードと言うか、「将来」に起きることやその結末が、「現在」進行中の物語の合間合間に語られています。そのため、ブロウディ先生がやがて生徒に裏切られ、学校を去るということも、読んでいて早い段階から分かります(先に挙げた生徒の悲惨な最期も、実際にはずっと先の話なのだが、読んでいる途中で明かされてしまう)。

 あとは、生徒の内の誰がブロウディ先生を裏切ったかということがミステリ的ですが、これもおおよそ検討はつかなくもないです。作者は、ミス・ブロウディを通して、人間の思念の暴走とその成れの果ての悲惨を描き、そこに、作者が得意とするフラシュフォワード的な手法を織り込むことで「決定論」的な世界を構築してみせたものと思われます。ただ、どちらかと言えばやはりストーリーよりも技巧の小説でした(自分にとっては)。

「ミス・ブロディの青春」3.jpg この作品は、ロナルド・ニーム監督(「ポセイドン・アドベンチャー」('72年)、「オデッサ・ファイル」('74年))、マギー・スミス(「ナイル殺人事件」('78年)、「地中海殺人事件」('82年))主演で「ミス・ブロディの青春」('69年/英)として映画化され(邦題でブロウディ→ブロディに。そのブロディ組は6人から4人に圧縮されていた)、マギー・スミスが1969年・第23回「英国アカデミー賞」並びに1970年・第42回「アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞しています。

「ミス・ブロディの青春」2.jpg 1930年頃、スコットランドの首都エジンバラ。マーシア・ブレーンという名門女子高があった。先生たちは、みな地味だったが、一人ミス・ジーン・ブロディ(マギー・スミス)だけは違っていた。派手な服装、ウィットに富んだ会話そして自分はいま、青春のただ中にいると公言してはばからなかった。彼女に反感を持った生徒もいたが、逆に、彼女に惹かれ〈ブロディ一家〉と称する生徒たちもいた。サンディ(パメラ・フランクリン)、モニカ、ジェニー、メリーの四人組である。一方ブロディは、美術教師テディ(ロバート・スティーブンス)の恋人なのだが、彼の態度が煮えきらないので、音楽教師ゴードンに心を移した。こんな一件に生徒たちが関心を持たないはずがない。加えて学校側も攻撃に出る。ブロディの立場は少しずつ悪くなっていく。やがてゴードンが離れ、テディも離れていく。だがブロディはテディのことを忘れることが出来ない。テディとて同じこと。ブロディの代りにサンディをモデルにして絵を描いていたが、顔だけはブロディになってしまう。このことはサンディの心をいたく傷つけた。やがてブロディにとって進退きわまりない事件が持ちあがった。スペイン戦争を賛美した彼女の教えに、生徒の一人メリーが兄を訪ねて戦場に行ったのである。そして空爆に遭い死んでしまう。攻撃の矢は一斉にブロディに向けられ、ついに退職するところまで追い詰められた。頼みの生徒サンディも彼女に背を向ける。ここに来て初めて、ブロディは、自らの青春が終りを告げたことを知るのだった―。

「ミス・ブロディの青春」5.jpg 映画では、冒頭からマギー・スミス演じるブロディ先生は学校に新しい息吹をもたらすエースであるかのように颯爽と登場し、女性校長はそれを良く思わない頑固な守旧派のような形で始まって、この点では小説と同じですが、やがてすぐにブロウディ先生はどこかおかしいということが伝わってくるようになっています。それと、映像で見るせいか、性的抑圧が強い印象を受け(実際に複数の男性教師から誘惑される)、彼女の行動の根底にそうしたものがあることを原作以上に窺わせるものとなっていました(サンディって原作ではメガネかけていたっけ。美術教師テディの絵のヌードモデルになるのは原作と同じで、原作では愛人になる)。

 映画では小説のようなフラシュフォワード的な手法は使われておらず、ブロウディ先生が生徒の裏切りに遭って学校を追われるまでが描かれていますが、学校の授業で、ムッソリー率いる黒シャツ隊の映像を生徒に見せて賛美するのはやはりマズいでしょう。ミス・ブロウディというキャラクターの歪みを分かりやすく描いていましたが、それが画一的な描かれ方にはなっておらず、一定のリアリティを保っているところは、マギー・スミスの演技力によると思われます。

「ミス・ブロディの青春」34.jpg 美術教師テディが最初ブロディの代りにサンディとは別の女生徒をモデルに絵を描くも、目がマギー・スミスになっていて女生徒とは似ておらず、彼が描く少年少女や、果ては犬までもがマギー・スミスの目になっているのがご愛敬でした(行き詰ってヌード画家に転身した?)。

ミス・ブロディの青春 [DVD]
「ミス・ブロディの青春」6.jpg「ミス・ブウディの青春」.jpg「ミス・ブロディの青春」●原題:THE PRIME OF MISS JEAN BRODIE●制作年:1969年●制作国:イギリス●監督:ロナルド・ニーム●製作:ロバート・フライアー●脚本:ジェイ・プレッソン・アレン●撮影:テッド・ムーア●音楽:ロッド・マッキューン●時間:102分●出演:マギー・スミス/ロバート・スティーブンス/パメラ・フランクリン/ゴードン・ジャクソン/ジェーン・カー/セリア・ジョンソン/シャーリー・スティードマン/ダイアン・グレイソン●日本公開:1969/11●配給:20世紀フォックス((評価:★★★☆)

【2015年叢書化[白水社Uブックス(岡 照雄:訳)/2015年単行本[河出書房新社(『ブロディ先生の青春』木村政則:訳)]】

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登場人物ほぼ全員70歳以上の「笑劇」&「いやミス」。怪電話の主は「死神」?

死を忘れるな(ミュリエル・スパーク.jpg『死を忘れるな』2.jpg 『死を忘れるな』白水.jpg
死を忘れるな』['13年]/『死を忘れるな (白水Uブックス) 』['15年]

 「死ぬ運命を忘れるな」と電話の声は言った。デイム・レティ(79歳)を悩ます正体不明の怪電話は、やがて彼女の知人たちの間にも広がっていく。犯人探しに躍起となり、疑心暗鬼にかられて遺言状を何度も書き直すデイム・レティ。かつての人気作家で現在は少々認知症気味のチャーミアン(85歳)は死の警告を悠然と受け流し、レティの兄でチャーミアンの夫ゴドフリー(87歳)は若き日の数々の不倫を妻に知られるのを恐れながら、新しい家政婦ミセス・ベティグルー(73歳)の脚が気になる模様。社会学者のアレック(79歳)は彼らの反応を観察して老年研究のデータ集めに余念がない。果たして謎の電話の主は誰なのか―。

Memento Mori』ペーパーバック(2014)『Memento Mori』ドイツ語版(2018)Muriel Spark
死を忘れるな  ミュリエル・スパーク.jpg死を忘れるな ミュリエル・スパーク.jpg死を忘れるな   ミュリエル・スパーク.jpg ミュリエル・スパーク(1918-2006)が1959年に発表した小説であり、原題もまさにMemento Mori(死を想え)。登場人物ほぼ全員70歳以上(レティの今の家政婦アンソニーはぎりぎり69歳だが)の入り組んだ人間模様を、辛辣なユーモアを交えて描き、ミステリの要素もありました。読み始めて最初の20ページいくかいかないかくらいで、病院の患者が1ダースいる老人病科(女性のみ)が舞台となり、あっという間に通算で十数人ぐらいの人物が登場したことになってしまったので、もう一度最初に戻って、人物相関図を作りながら読みました(笑)。

 突き放した視点で人間を描く作者らしく、登場人物は喰えない、共感できない人間ばかりで、「笑劇」であると同時に「いやミス」っぽい感じも。ただし、「ミステリの要素もある」としましたが、犯人(電話の主)は明かされておらず、その意味では、サスペンスフルでありながらも、ミステリとして完結しておらず、やや消化不良の感もありました(この作家にまだ慣れてなかったというのもある)。

 ただし、登場人物の中には懸命に事態を分析している人物もいて(まあ、するのが普通だが)、デイム・レティは、甥で売れない小説家のエリックか、かつて婚約を破棄した老社会学者のアレック(79歳)の 仕業ではないかと考え、チャーミアンの夫ゴドフリーはその電話は偏執狂か、または妹レティの敵の誰かの仕業ではないかと考え(結局誰かわからないということ(笑))、「老年」を研究課題としているアレックは、自身も謎の電話を受けた一人だが、一連の怪電話の説明に「集団ヒステリー」論を当て嵌めています。

 さらに、レティの昔の女中で今は老人病棟にいるミス・テイラー(82歳)は、この人は人間的にはまともなのですが(なにせ、"まともな人"はこの作品では少数派に属する(笑))、最初はアレックを疑っていましたが、最終的に出した結論は(おそらく自身の信仰という観点から)電話の正体は「死神」であると。ところが科学的捜査をしていたはずのモーティマー警部も、最後にはテイラーと同じ結論に至るので、これにはやや驚きました。

 この流れていくと、「死神」説は極めて有力(笑)。モーティマーがそうした結論に至ったのは、あらゆる科学的捜査を尽くした上で、尚もそれが解明されないならば、あとは超現実的なものしか残らないだろうということのようです。

 作者は、登場人物の会話と行動だけを主として描き、個々の思惟を深く描くことをしないので、結局のところ誰の意見にも加担しておらず、もともと犯人を特定していないようにも思えるし、テイラーとモーティマー警部が異なったアプローチから同一の結論に至っていることから、もしかしたら「死神」説を想定しているのかもしれない―とも思った次第です。

『死を忘れるな』tv.jpg 1996年にBBCでTVドラマ化されていて、ミュリエル・スパーク原作、ロナルド・ニーム監督の「ミス・ブロディの青春」('69年/英)で主役のミス・ブロディを演じ「英国アカデミー賞」と「米アカデミー賞」の主演女優賞をW受賞したマギー・スミスが、その縁からか準主役級の家政婦ミセス・ベティグルー役で出ています(原作ではこの人だけハッピーエンドなんだなあ。でも実は主人の遺言を書き換え遺産を独り占めした悪(ワル)だったのかも。ドラマでの描かれ方を知りたい)。

【1964年全集[白水社『新しい世界の文学〈第13〉死を忘れるな』/1981年単行本[東京新聞出版部(『不思議な電話―メメント・モーリ』今川憲次:訳)]/2015年叢書化[白水社Uブックス]

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個人的好みは「捨ててきた娘」。やや凝った通好みは「双子」と「黒い眼鏡」か。ヒッチコック劇場版は別原作。
『バン、バン! はい死んだ』3.jpg
(カバーの15のイラストが15の収録作品に対応したものとなっている)
バン、バン! はい死んだ: ミュリエル・スパーク傑作短篇集』['13年]Muriel Spark(1918-2006/88歳没)
『バン、バン! はい死んだ』.jpg『バン、バン  はい死んだ』.jpgミュリエル・スパーク.jpg ミュリエル・スパーク(1918-2006)の短編集で、1958年発表の「ポートペロー・ロード」ほか15編を収録。収録作品は、「ポートペロー・ロード」(1958)/「遺言執行者」(1983)/「捨ててきた娘」(1957)/「警察なんか嫌い」(1963)/「首吊り判事」(1994)/「双子」(1954)/「ハーパーとウィルトン」(1953)/「鐘の音」(1995)/「バン、バン! はい死んだ」(1961)/「占い師」(1983)/「人生の秘密を知った青年」(2000)/「上がったり、下がったり」(1994)/「ミス・ピンカートンの啓示」(1955)/「黒い眼鏡」(1961)/「クリスマス遁走曲」(2000)。

「ポートペロー・ロード」... 「私」(通称ニードル)は実は死者である。5年前に世を去ったが、いろいろとし残したことがあって、なかなかあの世でゆっくりもしていられない。そこで、週日は忙しく動き回り、土曜日にはポートベロー・ロードを歩いて気晴らしをしている。そんなある日、旧友の二人連れを見かけ、男の方に声を掛ける。「あら、ジョージ」と―。被害者が幽霊として殺人加害者に話し掛ける。その姿や声は、連れの妻には見えず聞こえない。罪に意識の成せる業ともとれるが、死者が語り手となっているところが面白い。

「遺言執行者」... 叔父の遺作を横取りした姪が、あの世から叔父(とその彼女)に責められる―。叔父からのメッセージが自分の行動を先取りしているのが怖さを増す。死者に監視されている生活は嫌だなあ。単なる怖さと言うより自分への後ろめたさでしょう。むしろ、その後ろめたさが為せる幻覚ともとれる。

棄ててきた女.jpg「捨ててきた娘」... 仕事を終えてバスに乗り、帰宅しようとして「私」は仕事場に何かを忘れてきたような気がする。頭の中では雇い主のレターさんの吹く口笛の曲が鳴っている。いったい「私」は何を忘れてきたのだろう。バスの運賃を手に握り締めたまま、もういちど仕事場に戻った「私」がそこでみつけたものとは―。面白かった。アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」、フリオ・コルタサルの「正午の島」に通じるものがあった。主人公が「周囲の視線が私を突き抜けていくばかりか、歩行者が私の体を通り抜けていくような感覚があるのだ」というのが伏線か。短めだが本短編集で一番の好み。

 因みに、この作品は、若島正編『棄ててきた女―異色作家短篇集19アンソロジー/イギリス篇』('07年/早川書房)にも表題作として所収されている(若島正:訳)。

棄ててきた女 アンソロジー/イギリス篇 (異色作家短篇集)』['07年]

「警察なんか嫌い」... 「警官嫌いを直すなら、警察に行くのがいちばんだよ」と叔母に言われた青年は、いやいやながら警察に行った。彼は警察が嫌いだった。ちょうど知り合いの女の子が「郵便局嫌い」だったのと同じように。青年が警察署に行くと、番号で呼ばれ、手錠を掛けられ、独房に入れられた。「言語を絶する事件」が起こり、彼はその犯人なのだという。かくして裁判が開かれ、青年は「言語を絶する罪」により裁かれる―。 「言語に絶する以上、言語にはできないゆえ、証言は認めることができない」という「不思議な国のアリス」などにも出てきそそうな不条理レトリック。有罪になった彼の警察嫌いが直らないのは当然か。

「首吊り判事」... 新聞は死刑の宣告を下したスタンリー判事の表情を。まるで幽霊を見たかのような顔であり、明らかに動揺を見せていた、と伝えた。死刑の宣告が重荷だったのではないか。死刑制度に疑義があるのではないか、と憶測が飛び交う―。実は。スタンリー判事が死刑の宣告をしたとき特別な表情を見せたのは、そのとき彼は勃起し、性的な絶頂に達してしまったからだったというのがすごい。それでも飽き足らないのか、彼がやがて殺人者となることが示唆されている。

現代イギリス女流短篇集.jpg「双子」... 「私」が学生時代の友人ジェニーを訪ねる。ジェニーはサイモンと結婚し、二人の間には双子の子供マージーとジェフがいる。幸せを絵に描いたような夫婦と愛くるしい女の子と男の子が暮らしている家だ。楽しい滞在になるはずだった。にもかかわらず、私は次第に微妙な違和感を、その家族に感じ始める―(続きは下段に)。個人的見解だが、この双子そのものはイノセントではないのか。「キッチンでパパと女の人が一緒にいたよ」とママに言ったのでは。夫婦のディスコミュニケーションの煽りを受けて、「私」が全部扇動していることにされてしまったということではないか。

因みに、この作品は、『現代イギリス女流短篇集―太陽選書25』('74 年/太陽社)にも所収されている(菅原時子:訳)。ミステリっぽい雰囲気もあるが、一応、純文学の系譜になるのか。

現代イギリス女流短篇集 (1974年) (太陽選書)

「ハーパーとウィルトン」... 作家である私を訪ねてきたのは、自分が書いた小説の登場人物たちだった―。ひと昔前が舞台だが、現代の基準に沿って自分たちの汚名をそそいでくれと要求する登場人物たち。作者は自らの作品の結末書き直すが、作者自身、座りの悪さを感じていたための出来事ではないか。"夢オチ"ともとれるが、"夢"と現実の両方をつなぐ人物(庭師)がいるのがミソ)。

「鐘の音」... 82歳のマシューズ老人が亡くなって3か月が経ったが、息子ハロルドが父親を殺したとの密告があり、遺体を掘り起こした結果、彼が殺害されたらしいことが判明。老人の息子や直前に老人と口論したフェル医師が容疑者として浮かんだが、彼らには完璧なアリバイが―。時間差トリックで、純粋ミステリに近く、こうしたスタンダードな作品もあるのだなあと。"夏時間"なんて〈後出しジャンケン〉ではないかと思う人もいるかもしれないが、11時50分に出産に立ち会って、帰宅したのが教会の時計が12時を告げた時、という時点でおかしいと思うべきだった。

「バン、バン! はい死んだ」... シビルの家の近所にシビルそっくりの女の子が引っ越してくる。容貌こそ似ていたが、シビルはデジルが好きになれなかった。泥棒ごっこのルールを無視して、いつもシビルだけにピストルを撃つまねをして「バン、バン!はい死んだ」とやるからだ。大人になったシビルは勤務先の南ローデシアで、再びデジルに出会う。農園主と結婚したデジルは、独り身のシビルを家に招待しては夫との熱熱ぶりを見せつける。頭の良さを鼻にかけるシビルに対するデジルの挑発だった。デジル夫婦とシビル、それにもう一人の男との間に仕組まれた愛憎劇。芝居がかった男女関係がこじれて事件は起きる―。「バン、バン!」という通り、犠牲者は二人ということか。最初から事件の起きそうな雰囲気。タイトルで「バン、バン」と2回あるのは、二人死んだからだろう。実はテッドとデジルはうまくいってなかった、そして、事件後、シビルがテッドと一緒になるのだろう。

「占い師」... トランプ占いをやる私がある夫人の占いをしてあげるが、何か夫人のカードを解読する力は自分より上であるように感じる―。占われた相手の夫人の方が占った側の私より人の運命を見る能力が上だったという話。相手は、実は私の将来を見通していて、こちらの占いの先回りをして将来を変えてしまう。つまり、今の夫を捨て、私が夫とすべき男性と一緒になるという皮肉譚だった。

「人生の秘密を知った青年」... 失業中の男の下に現れる幽霊。恋人と結婚できない彼に嫌味を言うが、一方で競馬の当たり馬券を予言し、男が勘で賭けても当たるように。男が一念発起して彼女を射止めると、幽霊は消える―。幸せになったことの引き換えに"超能力"が消えるというパターンの話と同類か。

「上がったり、下がったり」... 彼は21階からエレベーターに乗ってくる、と彼女は確かめた。同じように彼女は16階にある会社に勤めている、と彼は確認した。二人の男女はエレベーターの中で互いを意識する。その階のどの会社に勤めているのか、どこに住んでいるのか、髪の毛は染めているのか、独身なのか。ある日、彼は彼女をディナーに誘う。エレベーター以外の場所で二人が会うのはこれが初めてになる―。二人の男女のそれぞれの視点で交互に描かれていて、二人が口をきくまでに妄想を膨らませすぎているため、彼と彼女のそれぞれの相手に対する認識のズレがあるのが可笑しい。

「ミス・ピンカートンの啓示」... カップルの目の前に、茶碗の受け皿ほどの大きさの、回転する飛行物体が飛んでくるというミニSF譚。まさにフライング・ソーサ―なのだが、受け皿が空を飛んでいて、見る者によっては宇宙人が操縦しているところまで見えたということでマスコミも殺到するのに、当事者たちは、受け皿がどこのブランドなのかの方がさも重大事であるのが可笑しい。英国的なものへの風刺?

世界短篇文学全集〈第2〉.jpg「黒い眼鏡」... 「私」は、いま一緒にいる精神科医のグレイ医師が昔の知り合いだったことに気がついた。なぜグレイ医師は一般の開業医を辞め心理学を志すようになったのか―(続きは下段に)。ドロシーとバジルの姉弟が近親相関的関係にあったというグレイ医師の見方は間違いないところでしょう。グレイ医師は精神分析を学んでこの問題を克服したとしているが、そのことを語っている「私」自身がそこに関与している可能性があるため、何が真実なのか分からないとうのは、穿ち過ぎた見方だろうか。

 因みに、この作品は、先の『現代イギリス女流短篇集―太陽選書25』('74年/太陽社)に所収されているほか、『世界短篇文学全集〈第2〉イギリス文学 20世紀』('62年/太陽社)にもジョージ・オーウェル「象を撃つ」などとともに所収されている(工藤昭雄:訳)。これも「双子」同様、ミステリっぽい雰囲気もあるが、一応、純文学の系譜になるのかもしれない。

世界短篇文学全集〈第2〉イギリス文学 20世紀 (1962年)

「クリスマス遁走曲」... シンシアがクリスマス休暇でシドニーからロンドンに向かう飛行機で知り合った若さ溢れるパイロットのトム。親切にしてくれ、給油地のバンコクに着いた頃には互いに「忘れられない日になりそうだ」と。離婚協議中だという彼との将来の夢が膨らむ。目的地に着いて、航空会社に電話したら、そんな名のパイロットはウチにはいないと―。果たしてトムは実在したのか。ラストで呆然とする女性がいい。

 バラエティに富んだ15編でした。個人的好みはやはり、切れ味が印象に残った「捨ててきた娘」でした。やや凝った、通好みかなと思われるのは「双子」と「黒い眼鏡」でしょうか。


「バーン!もう死んだ」6.jpg 因みに、「新・ヒッチコック劇場」で「バーン!もう死んだ」というのを観たのですが、これはミュリエル・スパークのものとは全く別のお話(監督は「愛は静けさの中に」('86年/米)のランダ・ヘインズ)。アマンダは男の子たちと一緒に戦争ごっこがやりたいのだが、銃のおもちゃを持っていないため、仲間に入れてもらえない。そんな折、彼女のおじさんが内戦の続くアフリカから戻ってきた。お土産を探し、おじさんの鞄をあさっていると、アマンダは本物の銃を見つける。彼女はそれに弾をこめ、街へ遊びに出て行った―。これはこれで、ハラハラする話でした。旧「ヒッチコック劇場」(TBS版第1話「バァン!もう死んだ」)で男の子だったものを女の子に変え、ラストで狙われるのも家政婦から意地悪な男の子に変更したそうです。街中でわがままな女の子に狙いを定めては外し「運のいい野郎」だと捨て台詞をはくなど、細かい描写もがよく描けていました。

新・ヒッチコック劇場.jpg「バーン!もう死んだ」3.jpg「新・ヒッチコック劇場(第21話)/バーン!もう死んだ」●原題:Alfred Hitchcock Presents -P-3.BANG! YOU'RE DEAD●制作年:1985年●制作国:アメリカ●本国放映:1985/05/05●監督:ランダ・ヘインズ●脚本:ハロルド・スワントン/クリストファー・クロウ●原作:マージェリー・ボスパー●時間:24分●出演:ビル・マミー/ゲイル・ヤング/ライマン・ウォード/ジョナサン・ゴールドスミス/ケイル・ブラウン/アルフレッド・ヒッチコック(ストーリーテラー)●日本放映:1988/03●放映局:テレビ東京●日本放映(リバイバル):2007/07/29●放映局:NHK-BS2(評価★★★☆)
新・ヒッチコック劇場 7 日本語吹替版」(「惑星人テレビジャック」「処刑飛行」「バーン!もう死んだ」収録)

 
●やや詳しいあらすじ
「双子」...最初はマージーが自分にお金をくれ、と言ってきたことだ。女の子はその理由を言わなかったので、私が断ると、ジェニーがやってきてパン屋に支払う小銭がなかったので「そう言って」お金を借りてきてちょうだい、と娘に言ったのだという。そういう話だったのなら...と私はきちんと説明しなかったマージーを責めることもできず、ジェニーはジェニーで自分のことをケチだと思っているのかもしれない、と、どちらに転んでも妙な居心地悪さを私は感じる。男の子ジェフもマージーと同じような振る舞いをし、私は気まずい思いをする。数年後、私はジェニー家をパーティ出席のため再訪する。そこで私は前回以上の手の込んだ「仕打ち」を、その家族から被る。後から、そのパーティの際に、サイモンがその場にいた女友達とキッチンで不埒なまねをしていたという出鱈目をジェニーに言ったのが私だという手紙がサイモンから届いたのだ。悪いのは双子の子供たちか、それとも、ジェニーか―。

「黒い眼鏡」... 私が13歳の時近所の眼科医へ眼鏡をつくりにいったときのことだ。あの時眼科医のバジル・シモンズは私の肩に手をやり首筋に触れた。そのときバジルの姉のドロシーが検査室に入ってきた。バジルはすぐに手を引っ込めたがドロシーは何かを認めたはずだ─私はそう確信した。「弟を誘惑するな」とでも言っているようだった。私の祖母と叔母によれば、バジルとドロシーの姉弟には寝たきりの母親がいての母親にはかなりの財産があるらしい。また、ドロシー・バジルは片目が見えないことも祖母と叔母は私に知らせてくれた。二年後、私は眼鏡を壊してしまったので再びバジル・シモンズの店を訪れた。バジルは今でも私に関心を持っているようだった。その時もまた祖母と叔母は再び私にバジルとドロシーに関する情報を知らせてくれた。彼女たちによれば、母親の財産のほとんどは姉のドロシーに相続され、または、弟のバジルに委託されるらしい、と。私はバジル先生のことを思う。すると私はいつのまにかバジル先生の家の前に来ている。窓からバジル先生が書類を見て何かをしているのが見える。それは遺言書の偽造に違いない。私はそう確信した。次の日、眼鏡の調子が悪いとバジル・シモンズを訪ねた。検眼の最中に姉のドロシーが自分の目薬を取りに検査室に入って来た。探していた目薬を手に取りドロシーが二階に戻ると、悲鳴が聞こえた。目薬には毒物が入っており、ドロシーは失明した。これで両目が見えなくなった。その後ドロシーは気が狂ってしまったという。

バジル・シモンズはグレイ医師と結婚したが、しばらくして、姉と同じく精神を病んでしまった。グレイ医師は、私が誰で私が事の次第を知っていることを知らずに、自分の内面を私に聞かせる。性覚醒、エディプス転移といった「くだらない話」を私にする。グレイ医師は、夫のバジルの精神の病は、姉の失明の原因は自分にあると考えていることだと説明する。ドロシーは見てはならないものを見てしまったために、無意識のうちに自分を罰しようと目薬の調合を間違えた。夫のバジルは無意識に姉がそうなることを望んでいたため、自分に責任があると信じてしまった。グレイ医師は、そう読み解く。

それを聞いて私はゲームを始める。グレイ医師は、バジル姉弟は無意識の近親相姦だと言う。私は、そのことをバジルと結婚するとき知らなかったのですか? と尋ねる。グレイ先生は、そのときはまだ心理学を勉強していなかったと答える。何度かこういう遣り取りを繰り返した後、グレイ医師は私に告白する。私が精神科医になったのは、夫のバジルがあれこれ「妄想」を抱くようになったので、それを読み解くために心理学の勉強を始めた、と。効果はあった。なぜなら私は正気を保っているから。私が正気を保っているのは、私が正気を保てるよう、あの事件を読み解いたから。グレイ医師は言う。妻として見れば、夫は有罪──明らかに姉を失明させ、遺言書を偽造した。でも精神科医としては、夫は完全な無罪になる。「なぜご主人の告発を信じないのですか?」「私は精神科医よ。告白はめったに信じない」と―。

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短篇集第3弾。罪を犯した者たちが何らかの理由で刑罰を免れている。いい意味でも悪い意味でも。
フェルディナント・フォン・シーラッハ  刑罰 00.jpg
刑罰 (創元推理文庫 Mシ 15-5) 』['22年]      『刑罰』['19年]
フェルディナント・フォン・シーラッハ  2.jpg 短篇の名手が、罪と罰の在り方を問うた、デビュー作『犯罪』(2009年)、第2弾『罪悪』(2010年)に続く短編集としては第3弾(2018年3月の原著刊行。原題:Strafe)。「参審員」「逆さ」「青く晴れた日」「リュディア」「隣人」「小男」「ダイバー」「臭い魚」「湖畔邸」「奉仕活動(スボートニク)」「テニス」「友人」の12編を収録。12編の共通項は、作中で罪を犯した者たちが何らかの理由で刑罰を免れていることです(これはシリーズ共通のモチーフとも言える)。

「参審員」... 不幸な男遍歴を重ねてきたキャサリンが、政治団体を経てソフトウェア会社に就職する。ある日、彼女は参審員に任命されるのだったが、実は彼女は精神を病んでおり―。ドイツは参審員制度。日本の裁判員制度も同じ参審員制度だが、事件ごとに選出される日本の裁判員と異なり、ドイツの参審制は任期制となっている。両方に共通する難しさをこの作品は指摘しているように思えた。よく、参審員が被害者証人に感情移入し過ぎることを問題視されるが(そう言えば日本でも裁判員が下す死刑判決が多くなっている)、この作品もそう。ただし、そうした人物を参審員から外してしまった結果、罪人は重罰を免れ、被害者証人の身に何が起きたかという話になっている点が皮肉であり、また衝撃的でもあった。

「逆さ」... 弁護士シュレジンガーは、かつて無罪を勝ち取った依頼人がその後殺人に走ったという経験をきっかけに酒に溺れていた。そんな彼が、殺人事件の国選弁護人になる。被疑者である被害者の妻には動機も手段も証拠もあったが、本人は「殺していません」と言い続ける。そんな折、弁護士の許へ借金の取り立て屋のヤセルがやってきて、弁護士をボコボコにする―。このヤセルが事件解決の糸口をシュレジンガーに与えるというのが面白い。しかし、ヤセルは調書を見ただけで事件の真相がよく分かったなあ(ホームズか刑事コロンボ並み)。この事件が、アル中の弁護士シュレジンガーの復活の糸口にもなることを予感させる。ヤセルは弁護士にとって"恩人"になったということになる。だからシュレジンガーが彼を暴行罪で訴えることはないだろう。

「青く晴れた日」... 乳児を殺した罪で母親が有罪になり刑務所に収監される。出所して自宅に帰ると夫は平然とした態度をしており―。女は夫の身代わりとなることで3年半を棒に振った上に、子ども死の真相が今になって判ったわけで、夫の死は言わば因果応報ではあるけど、他殺死には違いない。でも、女に罪の意識が湧かないものも理解できる。裁判が結審した後で弁護士にすべて話すというのは、一事不再理の原則を下敷きにしてのことか。

「リュディア」... 離婚した男が寂しさを埋めるためにラブドールを買う。ラブドールにはリュディアと名前をつけた。男はリュディアと愛を育むが―。隣人が人形偏愛の変質者の"恋人"を"凌辱"し、その復讐でボコられてれてしまう話。この人形偏愛の男、禁固6カ月で執行猶予付きかあ。「そんなに悪くない」とにラブドールのリュディアに語る男。実質、無罪みたいなものだからなあ。

「隣人」... 24年間連れ添った妻を亡くしたブリンクマン。そんな矢先、隣の家に夫婦が引っ越してくる。ブリンクマンは夫婦の妻の方のアントニーアと親しくなる。アントニーアには亡き妻の面影があった。彼女の夫がクルマの下にもぐり込んでいる時、ブリンクマンは―。この話に出てくるアントニーアはセクシーで魅力的。愛と欲望が発作的犯行を後押しする。その愛ゆえに彼は後悔していないが、何年か後に弁護士にすべてを打ち明けるつもりらしい。これも、一事不再理原則を下敷きにしてのことか。

「小男」... 小男のシュトレーリッツは43歳独身。そんな彼がコカインの取引に手を染める。警察に逮捕されて裁判になるが―。自宅アパートの地下室で5キロのコカインを偶然見つけたことで"大物"犯罪者になる主人公。気分良くしていたら、犯行時に犯した酒気帯び運転の判決が先に下って、麻薬所持の方はその一環の事件と見做され、一事不再理の原則から裁かれないことに。折角"大物"気分でいたのに...(笑)。一事不再理、続くなあ。

「ダイバー」... 恋愛結婚した夫婦。ところが、夫が妻の出産を目の当たりにしてから変になり、彼は自分の首を締めながら自慰をする性癖にふけるようになる。ある日、教会から帰った妻が浴室に入るとに、浴室で自慰行為にふけっていた夫が首吊り状態で死んでいた―。夫がダイバースーツに身を包んでいるというのが、何かドイツっぽい。スキャンダルを恐れ、スーツを脱がせ遺体をベッドに寝かせるなどしたことが、結果的に妻が疑われる原因となった。優先すべきは「現場保存」だったが。妻がカトリック教徒であり、話が聖金曜日から始まり、復活祭の月曜に幕を閉じることから、浴室で首を括っていた夫を下す妻は、あたかもキリスト降架乃至聖母マリアによるピエタ像のようでもある。

「臭い魚」... 160の異なる民族がひしめき合う地区に暮らす11歳の少年トムは、仲間たちに肝試し的に強要されて、戦災に遭ったアパートに〈臭い魚〉とあだ名された老人を侮辱する。ところが、トムは老人の真実を知って後悔することに―。子供というのは、子供だけの世界が存在する分だけ残酷になり得る。トムに疑いがかかり、実際の老人に石を投げて重傷を負わせた連中は罪を逃れる理不尽。

「湖畔邸」... フェーリックス・アッシャーは火炎状母斑があったが、祖父だけは「あざは秘密の地図だ」と語ってくれた。その祖父が所有していたオーバーバイエルンの湖畔の邸に、彼は幼い頃よく遊びに行っていた。50代になって両親を亡くしたアッシャーは、退職して祖父の邸を入手し、そこに住む。ところが、別荘地開発によって地域の静寂が乱され、彼は人が変わってしまう。ある日、邸の地下の武器庫から銃を取り出し―。、結局アッシャーは裁かれなかったが、証拠が無いためなのか、精神異常と見做されたのか。疑わしきは罰せず、独白は個人のプライバシーであるため、自白とは見做されないということなのか。

「奉仕活動」... トルコ移民の娘セイマは、厳格な両親からイスラム教の規範を押し付けられていた。しかし、知的なセイマはそれを嫌がり、司法の道に進む。弁護士事務所に就職したセイマはある日、人身売買の刑事事件を担当することになり、ルーマニアから拉致されて男の相手をさせられていた女性が証言台に立つのだが―。セイマが弁護することになった男は、女性を騙して"奉仕活動"をさせる極悪人だった。セイマが弁護を拒否すると、裁判長に国選弁護人に指名されてしまう(国選って拒否できないのか)。そもそも、この裁判長が被告に証人の証言内容を喋ったのが悲劇の素だが、駆け出し弁護士に降りかかる理想と現実のギャップが痛々しい。それでも、法の世界に背を向けず、なんとか踏みとどまろうとするセイマの苦い心の内。

「テニス」... フォトジャーナリストの女(36歳)。その夫(57歳)はテニスを嗜んでいたが、同時に浮気もしていた。女は浮気の証拠である別の女のネックレスを目立つ場所に置いた後、ロシアに出張する―。妻はそこまで狙ったわけではいが、夫はネックレスに足を滑らせ、大怪我を負う(因果応報?)。テニスクラブで負けることのなかった夫が、現在は車椅子で会話すらできず、同じクラブで今は女がテニスしてる。犯罪ではないが、女の潜在意識が現実化した感じ。夫の介護費用は大丈夫?かと思うが、女は"バリキャリ"のようで心配無さそう。彼女がこれから性を満喫することを予感させるラスト。一緒に暮らし続けることの方が、むしろ怖い。

「友人」...「私」の幼馴染リヒャルトは金持ちの子弟だった。長じてからは一族の財産を管理する銀行に就職し、やがて妻も娶る。ところが、そこから彼は薬物依存となり身持ちを崩す。2年後、リヒャルトからのメールで彼に会ってみると―。子供が授かれないことからくる夫婦の相剋。外へジョギングに出た妻は暴漢に遭って死んでしまい、犯人は殺人罪となったが、妻の運命を変えられたかもしれないという思いがリヒャルトを打ちのめしているということ。事件の犯人は裁かれるが、被害者の夫が、罪は犯してないのに罰を受けているような状況にあるという独自のパターン。最後に、語り手がこの事件をきっかけに、事件簿を記し始めたことが示唆されている。

 冒頭に述べたように、基本形は、罪を犯した者たちが何らかの理由で刑罰を免れているというものですが、それが裁判や法律の限界を示しやるせなさやもどかしさを感じさせるものと、裁かれないことが却って"救い"となっているものがあるのが興味深いです。「悪い意味でもいい意味でも」と言うか、「法律」の限界と「法」の幅とでも言ったらいいのでしょうか。

 作者8年ぶりの短編集ですが、力が落ちていないと言うか、デビュー作『犯罪』(2009年)の切れ味に戻っているように思いました。

【2022年文庫化[創元推理文庫]】


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安楽死(自殺幇助)問題を扱った戯曲。議論の〈拮抗〉から「死ぬ権利」が宗教的な壁を乗り越えつつあると見て取れる。
フェルディナント・フォン・シーラッハ 神.jpgフェルディナント・フォン・シーラッハ 2.jpg フェルディナント・フォン・シーラッハ
』['23年]

 78歳の元建築家ゲルトナーは、医師に薬剤を用いた自死の幇助を求めている。彼は肉体的にも精神的にも健康な状態だ。ただ、愛する妻を亡くし、これ以上生きる意味はないと考えている。ドイツ倫理委員会主催の討論会が開催され、法学、医学、神学の各分野から参考人を招いて、彼の主張について議論することになった。「死にたい」という彼の意志を尊重し、致死薬を与えるべきか? ゲルトナーのホームドクターや顧問弁護士も意見を述べ、活発な議論が展開される。だが、最終的な結論をくだすのは―観客の「あなた」だ―。

 2012年(第9回)「本屋大賞」で初めて「翻訳小説部門」が設けられ、その時に第1位をとったのが、刑事事件弁護士であった著者が2009年に発表したでデビュー作『犯罪』('11年/東京創元社)であり、それから10作目にあたるのが、2020年発表のこの戯曲(原題:Gott)です。作者はミステリ作家ですが、本作について言えば、純文学に近かったです。

「すべてうまくいきますように」2021.jpg 本書にも出てきますが、ドイツでは2015年に連邦議会が自死の介助を医師が行うことを処罰する法律を制定しましたが、2020年に連邦憲法裁判所がこれを違憲無効としています。フランソワ・オゾン監督の「すべてうまくいきますように」('21年/仏・ベルギー)という、安楽死を望む父親を、娘(ソフィー・マルソー)たちがスイスの合法的安楽死協会にフランス当局の追手を振り切って送り届けるという映画がありましたが、今ドイツは安楽死についてはスイスと同様にリベラルなものとなっているようです。この戯曲では、そうした安楽死を巡って揺れ動くドイツ国内さらには国外の情勢を同時並行的背景としながら、安楽死(自殺幇助)の是非についての倫理的議論が展開されていきます。

死ぬということ-医学的に、実務的に、文学的に.jpg 安楽死(医師の臨死介助)を整理すると、①消極的臨死介助(延命医療の中止)、②間接的臨死介助(緩和ケアの投薬で死期を早める)は日本でも容認されていますが、③自死を希望する者に安楽死用の薬剤を投与する自死介助まで容認できるのかどうかが国によって違ってきます(因みに、黒木登志夫『死ぬということ―医学的に、実務的に、文学的に』 ('24 年/中公新書) では、「延命治療拒否(消極的安楽死)」は死に直接介入しないため「安楽死」の概念から外し、「自殺幇助」も「安楽死」から外し、「安楽死」(積極的安楽死)を「延命治療拒否」と「自殺幇助」の中間にあるものと位置づけ、さらにそれを「間接的臨死介助」と「直接的介助」に分けている)。

 この2幕構成の戯曲は、解説の宮下洋一氏も書いているように、第1幕の前半は「目と耳で捉えることができた科学的な世界」でしたが、後半は「神という非科学的世界」であり、難しく感じられ、「この後者の世界を閑却して安楽死を語ることは、欧米人にとって意味を持たない」ということなのだろうなあと思いました。

 宮下氏は、「日本人が『神』から推察できることは何か。それはおそらく、西洋諸国が捉える「死ぬ権利」について、日本人が同じ土俵で語ることは難しいという現実ではないだろうか。現代の西洋的な価値観と宗教観に基づくのであれば、安楽死は必ずしも否定されるべきではないのかもしれない」とも述べています。「彼らは、公然と「死ぬ権利」を主張するように、個が尊重される社会で生きている」「それに対し日本は、自己決定そのものが難しい社会だ」と。

 因みに、2015年から現在(2022年)まで7年間にわたり世界の安楽死を取材してきた宮下氏によると、取材を開始した当初は、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグを始め、アメリカの一部の州のみが、安楽死を容認する代表的な国や州であったのに対し、2016年以降、カナダ、ニュージーランド、スペイン、オーストラリア、イタリア、ドイツと西洋諸国は次々と安楽死の法制化を実現し、フランスも2023年まで安楽死法の可決を目指しているとのことです(2024年12月現在、まだ"議論中"だが、「医師支援による自殺」をフランス人の約9割が支持しているという調査結果もあるようだ)。こうした背景には先進国の少子高齢化などがあるようですが、だからと言って日本もすぐにそうなるかというと、そう簡単にはいかないでしょう。

 この作品を読んで思ったのは、西洋の場合、「安楽死」を巡る問題がそのまま、命とは誰のものか(神が与えてくださったものではないか)という議論に直結するということで(『神』というタイトルに納得)、そうした中で、この作品では安楽死の是非が〈拮抗〉した議論となっています。西洋社会の現況としても、先に述べたように安楽死容認の動きが進んでおり、この作品における〈拮抗〉も、「死ぬ権利」が宗教的な壁を乗り越えつつあることの反映と見て取れるように思いました。ただし、日本ではこの種の葛藤自体が無いため、宮下氏が言うように、日本人は日本人で、独自の死生観を構築していかざるを得ないのでしょう。

《読書MEMO》
世界の安楽死の現状:(医師による自殺幇助は除く)
世界の安楽死の現状.jpg

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短篇集第2弾。時にユニークに、時に衝撃を持って描かれた"事件簿"。

シーラッハ 『罪悪』.jpg シーラッハ 罪悪.jpg  シーラッハ 罪悪2.jpg
罪悪 (創元推理文庫) 』['16年]           『罪悪』['12年]

 2012年より「本屋大賞」で新設された翻訳部門で第1位となった短編集『犯罪』(2009年の原著刊行)に続く短篇集第2弾で(2010年原の著刊行、原題:Schuld)、「ふるさと祭り」「遺伝子」「イルミナティ」「子どもたち」「解剖学」「間男」「アタッシュケース」「欲求」「雪」「鍵」「寂しさ」「司法当局」「清算」「家族」「秘密」の15編が収録されています。本自体の厚さは200ページ前後と前作とほとんど変わりませんが、前作と比べて収録短編の数が少し多く、その分、1作当たりが短めでしょうか。

すなわち前作に比べて短い短編も収録されているというわ

「ふるさと祭り」... 小さな町の六百年祭。町の住人たちからなるブラスバンドの男たちは、みな白粉に口紅、つけ髭で扮装をしていた。転んでビールを浴びた給仕の娘の裸がTシャツに浮かび上がると、突然皆で襲い始めて―。語り手の弁護士としての初仕事が、暴漢たち(といっても元は普通の市民だったはずだが)の弁護かあ。しかも、裁判に勝ってしまう。娘の父親の痛々しさ。弁護士が罪を犯した気分になるのがわかる。

「遺伝子」... 家を出て乞食をしている17歳の少女ニーナと、同じく駅で暮らしていて知り合った24歳の青年トーマス。60歳から65歳くらいの老人に、家に誘われるが、ふとしたはずみで殺してしまい―。好色老人は強姦魔になるまでには至らなかったわけで、後からそれを知ったトーマスがまずいと思ったわけだ。19年(時効成立の1年前か)平穏に暮らしていたのになあ。捜査方法なので、「遺伝子」と言うより、原題通り「DNA」でいいと思う。

「イルミナティ」... 人付き合いの苦手なヘンリーは寄宿学校で出会った60代の美術の女性教師に絵の才能を認めてもらう。ところが秘密結社イルミナティを名乗るグループに目をつけられ、陰惨ないじめのターゲットになってしまう―。男子寄宿学校生らの"生け贄"の生徒へのいじめが引き起こす悲劇。裁かれるべき者が充分に裁かれないもどかしさ。

「子どもたち」... 妻ミリアム(29歳)と幸せな家庭を築いていたホールブレヒト(38歳)。しかし「24件の児童虐待」容疑(24件中にミリアムの学校の教え子もいた)で捕まってしまったことでホールブレヒトの人生は一変。3年半の禁錮刑の判決が下される―。女の子の嫉妬は怖い。過去の事件が冤罪であった場合、真犯人が少女であったにせよ、マスコミ報道を敢えてしないということがあるのだろうか。

「解剖学」... 勇気を振り絞って声を掛けたのに「タイプじゃないわ」と冷たくあしらわれ恨みに思った男は、女の殺害計画を立てる。解剖道具などすべての準備を整え(サイコパスか)、計画を実行に移すばかりだったが―。まさにこれからとき事故に遭うわけで、相手は過失致死罪なのだが結果として殺人を未遂に終わらせたわけで、1年半の執行猶予付き有罪判決というのは、軽くて済んだということか。

「間男」... 高級紳士服店を経営する48歳のパウスルベルクと弁護士である36歳の妻。サウナでのある出来事を契機に2人はいつしか妻が他の男と関係することに興奮を覚えるようになっておりその秘密の楽しみはうまくいっていたが―。匿名の関係性の中に知っている人間が入ってくると、微妙な変則的(変態的)関係が崩れて、おかしくなってしまうのか。

「アタッシュケース」... ベルリンの環状高速道路で見回りをしていた婦警が、一台の車のトランクを調べると、死体の写真が18枚入ったアタッシュケースが見つかる。運転手は自分は運ぶよう頼まれただけだと言って―。この人の作品はたまにこういう完全迷宮入り事件があるが、「作者の事件簿」という触れ込みにリアリティを持たせるため?

「欲求」...幸せな家庭を築いているもののいつしか自分をからっぽだと思うようになった彼女は、ストッキング売場の棚の前で30分も立ちつくし。やがて一足をコートに押し込んで、レジを通り抜けたが―。不要なものを万引きするのは病気だろう。本当に問題解決したか怪しい。

「雪」... 特別出動コマンド(SEK)に突入され麻薬密売の容疑で捕まった老人。老人は確かに千ユーロで、ブツを小分けしたい密売人に部屋を貸していたのだ。やがて見知らぬ若い女性が面会にやって来て―。老人、女、その恋人。売人を巡る掟は厳しい。老人の女への思い遣りが唯一の救いか。

「鍵」... フランクとアトリスはクスリで儲けるためにロシア人と取引しようとしていた。金を入れた駅のコインロッカーの鍵を預かるのがアトリスの係だったが、飼い犬バディが鍵を飲み込んでしまって―。"鍵"を巡るドタバタ劇。墟リスは間抜けそうに見えて、意外としっかりしていたのかも。

「寂しさ」... 14歳のラリッサは、隣のアパートに住む父の友人のラックなーに脅され、無理やりに乱暴されてしまう。やがてラリッサは体調が悪くなり、吐き気やめまい、腹痛を感じるようになり―。望まない妊娠に至る事件。赤ん坊は死産だったから、殺人ではなく死体遺棄だと思うが、証明しようがないね。一応ハッピーエンドだが、最後に覗く女性の想い。自らの"腹を痛めた子"には違いないか。

「司法当局」... 飼い犬同士の争いがケンカに発展し、相手の犬を蹴った加害者と思しきタュランが逮捕されるが、彼は犬も飼っておらず、そもそも彼は生まれつき脚が悪い。しかしトゥランは何も行動しようとせず―。「事件簿」らしい誤認逮捕の例。

「清算」... アレクサンドラは優しい夫との間にザスキアという娘が生まれ、幸せに暮らしていた。しかし、やがて夫は酔うと彼女に暴力をふるうようになる。ザスキアを連れて逃げ出すが―。DV回避のための夫殺し。裁判長は理解ある人物で、正当防衛が成立。しかし、本当に彼女が殺したのか。ラストの一文が答え。

「家族」... 日本の僧院で修業し、日本の自動車メーカーで働き、退社後は株で儲けてバイエルンの湖近くに豪邸を建てたヴァラー。やがて父親違いの弟フリッツ・マイネリングがブラジルで犯罪で捕まると、助けてやろうするが―。異父兄弟でありながら、片や努力して成功を勝ち取った男と、片や更生できない根っからの犯罪者。ヴァラーの父も喧嘩や泥棒の常習犯だったのだが、その気質が血の繋がりの無い方に引き継がれていた?

「秘密」... カルクマンと名乗る男が毎朝〈私〉の弁護士事務所を訪ねて来てCIA(中央情報局)とBND(ドイツ連邦情報庁)に追われているという話をする。〈私〉は彼を精神科医に連れて行くが―。短い話である分、ラストが効いている(笑った)。

 裁判所や弁護士の力で簡単に解決出来ない複雑な事件が、時にユニークに、時に衝撃を持って描かれた短編集。最初の方は暗い話が多かったけれども、読んでいくうちにいいバランスになっていった感じ。1作当たりが短めであるということもあってか、前作『犯罪』ほどのインパクトはないですが、それぞれの話が短い分読みやすく、また、楽しめる一冊になっています。

【2016年文庫化[創元推理文庫]】

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弁護士の事件簿といった感じ。社会の暗部をリアルに反映する一方で、暖か味も。

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犯罪 (創元推理文庫)』['15年]       Ferdinand von Schirach   『犯罪』['11年]
シーラッハ 犯罪01.jpgシーラッハ.jpg 弁護士である作者の2009年発表のデビュー作で(原題:Verbrechen)、自身の事務所が扱った事件をベースにしたという連作物語集。ただし、文庫解説の松山巖氏は、そう称していることも含めて純然たる創作であろうと述べていて、推測の根拠として守秘義務とその叙述手法を挙げています。ドイツ本国では「クライスト賞」ほか文学賞3冠を受賞。日本では「翻訳ミステリー大賞」にノミネートされたほか、「本屋大賞」で2012年より新設された翻訳部門で1位、「ミステリが読みたい!」(早川書房)、「週刊文春ミステリーベスト10」(文藝春秋)、「このミステリーがすごい!」(宝島社)でそれぞれ2位にランクインしています。所収作品は「フェーナー氏」「タナタ氏の茶盌」「チェロ」「ハリネズミ」「幸運」「サマータイム」「正当防衛」「緑」「棘」「愛情」「エチオピアの男」の11編です。

「フェーナー氏」... 開業医フェーナー氏は、今の妻と結婚する前、彼女に懇願されて生涯彼女を捨てないと誓った。その後、共に生活するようになってから彼女の本性が徐々に現れ、彼女から様々な嫌がらせを受ける。それを50年も我慢した氏だったが、遂に耐え切れなくなり、妻を殺める―。現代人にとって「誓う」という行為は何の意味もないとされているが、フェーナー氏は"現代人"ではなかったと作者は説明する。自分が立てた誓いに自分でがんじがらめになってしまったフェーナー氏。普通ならさっさと離婚すればいいのにと思うのだが、身近にもこうした夫婦はいそうで、しみじみとした気分にさせられる。

「タナタ氏の茶盌」... チンピラの若者たちが豪邸に押し入って金庫を奪う。中には現金と高級腕時計のほか、古い陶器が入っていた。彼らは陶器を30ユーロで売る。ところが、それはタナタ家に400年以上にわたって伝わる家宝だった―。ギャングがそのチンピラたちを締め上げて漁夫の利を得ようとするが、なぜかそのギャングらが次々と殺される。背後にいたのは金持ちの老人タナタ氏。非力な風采に似合わず、実はとても恐ろしい人でもあったということか。東洋的神秘主義的な雰囲気もある作品。

「チェロ」... 建設会社2代目のタックラーには、テレーザとレオンハルトという2人の子がいた。タックラーは妻を亡くした後、使用人を介して姉弟を厳しく躾ける。耐え切れなくなった2人は、テレーザが音楽大学に入学するという口実で、町を出る。ある日、レオンハルトが事故で記憶を失ってから悲劇は始まる―。ほとんど神話的な破滅の物語(近親相関)だった。結末からするに、父は父なりに子どもたちを愛していたということか。

「ハリネズミ」... カリムの一家はレバノン人の犯罪者の家系で、末っ子のカリムには8人の兄がおり、いずれも前科者。ところが、カリムだけは彼らと違って天才的頭脳を持つ優等生だった。「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはただ1つの大事なことだけ知っている」。周囲は誰もがキツネで自分だけハリネズミ。ただし、そのことを隠して二重生活を送るカリム。窃盗を犯した兄の法廷弁論で、彼は双子トリックの応用で裁判官や検事を煙に巻く―。その賢さを最後まで周囲に気取られないところが、人間的にもクレバー。

「幸運」... 東欧出身のイリーナは祖国で酷い目に遭ってドイツに不法移民し、今はベルリンで売春婦として働く。やがてイリーナはカレという心優しい男性と同居することになるが、ある日、イリーナと客との間に"事件"が起きる―。愛ゆえに自分が罪を被るというのはなかなか出来ない(恋人が罪を犯したと思ってしまったわけだが)。弁護士の導きもあったかと思うが、検察官はその愛の心意気を慮ったととれなくもない。

「サマータイム」... ベイルートの難民キャンプで生まれ育ったアッバスは、ドイツに渡って将来を賭ける。彼は麻薬密売人になり、シュテファニーという女性と恋仲になるが、そのシュテファニーが何者かに殺される―。タイトルがネタバレになっているではないかと思ってしまったが、実は、弁護士が、「写真の中の15時が夏時間に換算されるとすれば、実際には14時になるはずです」と堂々と主張している点がトリックであると、ネットで見て知った(正しくは。は16時になる)。論述トリックだったのか。すると犯人は誰?

「正当防衛」... 男が2人の暴漢にナイフと金属バットで襲われるも、あっさり返り討ちにして2人とも殺害する。逮捕された男は身元不明だった。正当防衛か、それとも過剰防衛か。男が黙秘を通すため、正体は判明しない―。武器を持った暴漢2人を返り討ちし、しかも急所を一撃してとどめを刺していることからして「特殊工作員」か何かとしか考えられないのでは(周辺で起きた事件との関係からみても)。供述も証拠もなければ釈放するしかない。弁護士の腕の見せ所もなく、そのむしゃくしゃした気持ちがラスト一行に表れていた。

「緑」... 伯爵の御曹司フィリップは最近羊を殺害してその目をくり抜くことを繰り返しているようだ。そんな折、彼が駅まで送った女の子が行方不明になる―。結局フィリップは妄想型統合失調症と診断される。殺人などはやっていないというのは、読んでいて大方見当がついた。だだ、人間や動物が数字に見えるという病状が興味深かった。

「棘」... 博物館に就職したフェルトマイヤーは「棘を抜く少年」という彫像に拘りを覚える。果たして少年は足の裏に刺さった棘を抜いたのか気になるのだが、確認するも棘が見当たらない。さらに、彼は他人の靴底に画鋲を仕込み、それを抜くところを見て快感を覚えるようになる―。これも、精神にやや異常をきたした人物の話。思えば、仕事のローテーションが行われなくなり、退職の日までひたすら「棘を抜く少年」の部屋で警備を続けることになってしまったのが、フェルトマイヤーの心がおかしくなっていった原因だろう。

「愛情」... 大学生のパトリックが恋人の背中をナイフで切りつける。その動機は彼が恋人を食べたいと思ったから―。精神異常の話が続くなあ。途中で佐川一政の名前が出てきて、彼は東京でレストラン評論家になってるとのこと。知らなかった。2022〈令和4〉年に73歳で亡くなっている。

「エチオピアの男」... 捨て子のミハルカは学生時代から周囲と上手くいかず、長じてからは身長197cmの大男になっていた。彼は衝動的に銀行強盗をし、その金を持ってエチオピアに飛ぶ。エチオピアで彼は村のために様々な献身をする。しかし、いつしか当局が―。精神異常の話が3つ続いたが、最後はいい人の話というか、メルヘンチックな話で締めた印象。ドイツでの犯罪をエチオピアでの善行で相殺―ドイツの検察は国際的に中立の立場を取るということか。

 ミステリと言っても純粋なミステリではなく、弁護士の事件簿といった感じで、今まであまり見ないタイプで新鮮でした。創作であるにしても、実際の事件からヒントを得たのでしょう。ドイツ社会の暗部や歪みがリアルに反映されています。一方で、客観的な描写スタイルをとりながらも、人間に対する暖かい眼が感じられました。(解説で知ったのだが)11篇のすべての作品には林檎が出てくるという遊びなども愉しめます。

【2015年文庫化[創元推理文庫]】

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独特の映像美。やはりこの監督の作品は高画質で観るに限ると改めて思った。

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ノスタルジア [DVD]
「ノスタルジア」1.jpg イタリア中部トスカーナ地方、朝露にけむる田園風景に男と女が到着する。モスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)と通訳のエウジュニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)。二人は、ロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を辿っていた。18世紀にイタリアを放浪し、農奴制が敷かれた故国に戻り自死したサスノフスキーを追う旅。その旅も終りに近づく中、アンドレイは病に冒されていた。古の温泉地バーニョ・ヴィニョーニで「ノスタルジア」2.jpg、二人はドメニコという男と出会う。彼は、世界の終末が訪れたと信じ、家族で7年間も家に閉じこもり、人々に狂信者と噂される男だった。ドメニコのあばら屋に入ったアンドレイは、彼に一途の希望を見る。ドメニコは、広場の温泉を蝋燭の火を消さずに渡り切れたなら世界はまだ救われると言うのだ。アンドレイが宿に帰ると、エウジェニ「ノスタルジア」3.gifアが恋人のいるローマに行くと言い残して旅立った。再びアンドレイの脳裏を故郷のイメージがよぎる。ローマに戻ったアンドレイは、エウジェニアからの電話で、ドメニコが命がけのデモンストレーションをしにローマに来ていることを知る。ローマのカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス皇帝の騎馬像に登って演説するドメニコ。一方、アンドレイはドメニコとの約束を果たしにバーニョ・ヴィニョーニに引き返し、蝋燭に火をつけて広場の温泉を渡り切ることに挑む決意をする。演説を終えたドメニコがガソリンを浴び火をつけて騎馬像から転落した頃、アンドレイは、火を消さないようにと、二度、三度と温泉を渡り切る試みを繰り返すのだった―。

 アンドレイ・タルコフスキーが1983年にイタリアで製作したイタリア、ソ連合作映画。1983年・第36回「カンヌ国際映画祭」創造映画大賞(「監督賞」相当)受賞作(「国際映画批評家連盟賞」「エキュメニック審査員賞」も併せて受賞)。ローマのチネテカ・ナチオナーレの協力で 4Kで 修復が行われ、「ノスタルジア」5.jpgボローニャ復元映画祭2022でワールドプレミア上映されたものが日本でもロードショー公開されたので観に行きました。そして、やはりこの監督の作品は独特の映像美が真骨頂であり、4Kで観るに限ると改めて思った作品でした。

 主人公のアンドレイには、その名の通り、祖国を追放になったタルコフスキー自身が反映されているし、彼がその足跡を辿る放浪詩人サスノフスキーにもそれは反映されているとみていいでしょう。彼の故郷の記憶が夢に甦る場面は、「惑星ソラリス」('72年)や「」('75年)にも通じるところがあるように思いました。哲学的なムードが漂いますが「ノスタルジア」という情緒的なタイトルのもと、映像詩として鑑賞すれば、意外とシンプルに伝わってくる作品ではないでしょうか。
  
「ノスタルジア」4.jpg タルコフスキー作品は、'80年に「岩波ホール」で「鏡」を観て、その今までどの映画でも観たことのない類の映像美に圧倒されました。3年後の'83年3月に「大井ロマン」で再見しましたが、その際に併映だった「ストーカー」('79年)は、観ていてSF仕立ての筋を追いすぎたせいか、逆にあまり頭に入ってきませんでした(結局何も起こらないので眠くなった(笑))。同年5月に「大井武蔵野館」で「惑星ソラリス」を観ましたが、これも同様、あまり頭に入ってこない。ところが'23年に「シネマブルースタジオ」で「惑星ソラリス」を再見して、こんな分かりやすい映画だったかと(クリストファー・ノーランの「インセプション」('10年/米)を観た時、おそらくそれに影響を与えたと思われるこの作品のあらすじを改めて確認していたというのもある)。そこで今回は、先述の通り、最初からタルコフスキー独自の映像詩としての美しさを堪能するつもりで、あらすじの方は事前に押さえた上で鑑賞しました。そしたら、いい具合に堪能できました(こうした作品は、そういった鑑賞法もあるかも)。

 今のところ、タルコフスキー映画の'72年以降5作の個人的評価は、評価の高い順位に、
 「」('75年)..................... ★★★★★
 「惑星ソラリス」('72年)....... ★★★★☆
 「ノスタルジア」('83年)....... ★★★★
 「サクリファイス」('76年).... ★★★☆
 「ストーカー」('79年)......... ★★★
とちょうど段階的になっている感じで、ただし、「ストーカー」なども観直してみたら「ソラリス」みたいに評価が変わるかもしれません。とにかく、寝不足で映画館に行かない方がいいのは確かです(笑)。

ノスタルジア [DVD]
「ノスタルジア」0.jpg「ノスタルジア」6.jpg「ノスタルジア」●原題:NOSTALGHIA(英:NOSTALGIA)●制作年:1983年●制作国:イタリア・ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●製作:レンツォ・ロッセリーニ/マノロ・ポロニーニ●脚本: アンドレイ・タルコフスキー/トニーノ・グエッラ●撮影:ジュゼッペ・ランチ●時間:126分●出演:オレーグ・ヤンコフスキー/エルランド・ヨセフソン/ドミツィアナ・ジョルダーノ/パトリツィア・テレーノ/ラウラ・デ・マルキ/デリア・ボッカルド/ミレナ・ヴコティッチ●日本公開:1984/03●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(24-02-13)(4K修復版)(23-02-08)(評価:★★★★)

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しっかり西部劇している「アウト・ウェスト」。ギミック中心、キートンが女装する「初舞台」。

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「ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ)」
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「デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台)」

 西部開拓時代、流れ者のファッティ(ロスコー・アーバックル)は、西部に向かう列車の貯水タンクに潜入するも、乗客の食べ物をかすめ取っていたのがバレて砂漠に放っぽり出される。喉の渇きを癒すため何とか湧き水に辿り着いたのもつかの間、インディアンに追アウト・ウェスト 名手.jpgわれる身に。一方、「ラストチャンス酒場」の経営者兼保安官のキートンは、ワイルド・ビル(アル・セント・ジョン)の盗賊一味に店を襲われ、バーテンダーが撃たれてしまう。そこへ偶然インディアンから逃れてやってきたファッティが実は拳銃の名手で、盗賊一味を一人で追っ払ってしまう。ファッティは新たにバーテンダーとしてキートンの店に雇われ、店を訪れたまたま皆に虐められていた黒人を救った優しい女性スー(アリス・レイク)と恋に落ちる。その彼女に、再び店を訪れたワイルド・ビルがしつこく言い寄るため、ファッティとキートンは協力して彼を追い出す。しかし、復讐の念に駆られたワイルド・ビルによってスーは攫われてしまう―。

 ロスコー・アーバックルが監督した1918年1月20日米国公開作。結構大掛かりなロケで、しっかり"西部劇"していたなあという印象。これもあくまでもロスコー・アーバックルが主演で、最後はワイルド・ビルからヒロインを奪う返して2人してハッピーエンドとなる一方、キートンの方はワイルド・ビルの手下たちと応戦し、援護している位置づけ。それでいて、ロケのスケールに相応しいアクションの部分は、ロスコー・アーバックルも崖から転がり落ちるなどして奮闘してはいるものの、やはりキートンが担っている部分が大でしょうか。

アウト・ウェスト 酒場.jpg キートンが酒場で、トランプでアウト・ウェスト 求人.jpgいかさまをした男をあっさり撃ち殺してしまうのは、彼が保安官でもあるからでしょうか。盗賊が襲って来て、バーテンダーが撃ち殺されると、ホールドアップしたたまま新たなバーテンダーの求人を出す―ハードボイルドと冷静さを気取っているキートンが可笑しいです。ただ、黒人いじめにファッティもキートンも加担しているのはいただけません。スーが現れ、彼らを反省させる伏線ともとれますが(スーは「救世軍」の女性という設定らしい)。

アウト・ウェスト 馬.jpg アル・セント・ジョン演じるワイルド・ビルの、フアウト・ウェスト 父.jpgァッティがビール瓶で頭を何度叩いても意に介さず女性に言い寄り続ける屈強ぶりがターミネーターみたいでスゴイというよりシュールです(ただし、くすぐりに弱い)。ファッティは客の馬に酒を飲ませて酔わせるといった悪戯好きですが、馬が酔っぱらう演技はどうやって撮ったのでしょう? キートンの父親のジョー・キートンが出ているようですが、冒頭のファッティの食べ物をかすめ取られる3人の乗客の中央の人物がそれでしょうか。


デブの舞台裏 提案.jpg ファッティ(ロスコー・アーバックル)、キートン、アル・セント・ジョンら3人は、劇場の舞台係(ステージハンド)として働いていた。舞台では次の公演に向けて準備が進んでいたが、強面の出演者、怪力男の"玉葱教授"(チャールズ・A・ポスト)たちが反抗してストライキを起こし、ショーをボイコットしたため、彼らは困り果てる。そこへモリー・マローン演じる、玉葱教授にこき使われて離反した助手(兼愛人?)がやって来て、自分たちでショーをやることを提案、3人はその決意をする。ショーが始まり、まずは助手によるヒロインの美女の妖艶な踊り。続いて彼女と入れ替わったキートンも女装で登場し、蝶のような踊りや手を使わない側転など、アクロバティックな演技を披露。エンディングでのファッティと自分の助手との濃厚なラブシーンを見て怒った玉葱教授は観客席から銃を発砲。その彼をキートンがブランコを使って舞台に引き摺り下ろし、無事制圧する―(「デブの舞台裏」)。

デブの舞台裏 壁.jpg ロスコー・アーバックルが監督した1919年9月7日米国公開作。こちらは室内劇なので、ギミック中心。キートン映画の特徴のひとつに、装置の仕掛けによる笑いがあり、特に「キートンの文化生活一週間 (マイホーム)」('21年)や「キートンの蒸気船」('28年)で見せた家の壁が壊れて倒れてくるものの、キートンはちょうど窓の位置で助かるというシーンが有名ですが、それと同じ仕掛けが、スケールは小さいですが、ロスコー・アーバックルが監督したこの作品でも見られます。

デブの舞台裏 女装1.jpgデブの舞台裏 女装.jpg あとは、舞台劇で(途中でモリー・マローン演じる助手とチェンジして)ヒロインを演じるキートンの女装が見られるのが珍しいでしょうか。アーバックルの方は「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」('17年)、「ファッティとキートンのコニー・アイランド」('17年)など他の幾つもの作品で女装していますが、キートンの方は、この作品以外では、「キートンの花婿(His Wedding Night)」('17年)で、配達員役でありながら、誤解からウェディングドレスのモデルになるシーンがあるのと、「キートンの即席百人芸」('21年)で、キートンが一人で何役も演じ分ける中に女装のキャラクターがちらっと出てくるぐらいでしょうか。

デブの舞台裏 ポスター.jpg 冒頭のファッティがショーの準備をする中で、壁の開演予告の一部だけ読んで("The Little Laundress"が"undress"に見えた)、ポルノショーと思い込んで急いでチケットを買う通行人も可笑しいです。バルコニー席に現れた彼は、作中で「不埒な目的を持った観客」として表され、王様役のアーバックルの腕の中に飛び込むところを誤ってバルコニー席に飛び込んでしまうキートンをまともに受け止めるという災難に見舞われることになります。

デブの舞台裏 大男.jpg 最後、客席から発砲する(殺人未遂じゃん)玉葱教授役のチャールズ・A・ポスト(1897-1952/55歳没)は当時まだ21歳。大柄ですが、キートンらとの絡みでしっかりアクションしているのは、若いからよく体が動くため? 身長198cmなので、「キートンの文化生活一週間」('20年)以降、後のキートン作品の大男役で常連のジョー・ロバーツ(1871-1923/52歳没)の身長191cmを上回ります。


「ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ)」●原題:OUT WEST●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ロスコー・アーバックル/ナタリー・タルマッジ●撮影:ジョージ・ピータース●時間:25分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク/ジョー・キートン●米国公開:1918/01(評価:★★★☆)

「デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台)」●原題:BACKSTAGE●制作年:1919年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ジャン・ハヴズ●撮影:エルギン・レスレー●時間:26分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/モリー・マローン/チャールズ・A・ポスト●米国公開:1919/09(評価:★★★☆)

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笑うキートンが見られる「コニー・アイランド」。表情も豊かな「自動車屋」。

ファッティとキートンのコニー・アイランド00.jpg
「ファッティとキートンのコニー・アイランド(キートンのコニー・アイランド/デブ君の浜遊び)」
デブの自動車屋 00.jpg
「デブの自動車屋」
ファッティとキートンのコニー・アイランド1.jpg 謝肉祭に沸くニューヨーク。コニー・アイランドの海岸で、恐妻とのデートに退屈したファッティ(ロスコー・アーバックル)は、砂浜に埋まって隠れ、何とか妻を撒くことに成功。一方、パレード見物を終えたキートンとガール・フレンドが遊園地にやって来た。彼女に一目惚れしたファッティは横恋慕を企んで、まんまと彼女を海水浴に誘い出すことに成功する。しかしファッティに合うサイズの貸し水着がなく、太ったおばさんの水着を盗み出す始末。女装して彼女と海水浴場へ繰り出すが―(「ファッティとキートンのコニー・アイランド」)。

ファッティとキートンのコニー・アイランド2.jpg ロスコー・アーバックルが監督した1917年10月29日米国公開作。一人の女性を巡って、ロスコー・アーバックルと彼の従兄弟のアル・セント・ジョン、そして、アーバックルにスカウトされて映画界入りした軽業師バスター・キートンの3人が奪い合いをするドタバタするコメディ。自分の女装姿にまんざらでもないファッティが可愛らしいです。アーバックルがあくまで主演で、この年に映画ファッティとキートンのコニー・アイランド3.jpg界入りしたバスター・キートンはまだ助演ですが、ゴーカートでの衝突やバック転など、鍛えぬかれた肉体の演技を披露しています。

大笑いするキートン

 スクリーンで笑わないことで知られるキートンですが、そんな彼が、間抜けな若者と髭の警官の2役を演じたこの映画では、笑う場面があることが注目点でしょう。「笑わぬ喜劇王」のキャラクターがまだ出来上がっていなかったことを表しています。自身監督した「キートンの文化生活一週間」('20年)以降、キートンという俳優は演技では本当に笑わないキャラクターに徹した人で、演技Buster Keaton/This is Your Life.jpgがだけでなくプライベート写真でもインタビュー・フィルムでも無表情を貫いています(普段はよく笑うが、カメラが回ると絶対に顔を崩さないよう徹底していたという妻の証言もあるが)。1957年に英BBCの「This is Your Life」という番組に出演した際も(最初は眼鏡をかけて登場する)、若い頃の自分のそっくりさんが出てきたりしてもニコリともせず、一方で、しれっとロスコー・アーバックルにまつわる(追慕を込めた)冗談をかましており、サービス精神はなおも旺盛、その放送分は米国で「Buster Keaton/This is Your Life」('57年/米)というDVDになっています(IMDb評価 7.6(初放映時の原版テープがYouTubeにあった。DVDでは削除されているCMが入っている))。この姿勢は70歳近くなった晩年に作られた「線路工夫(The Railrodder)」('65年/カナダ)という25分ほどの小品や、その撮影の椅子を記録した「キートン・ライズ・アゲイン」('65年/カナダ)でも踏襲されています。


デブの自動車屋 0.jpg 自動車屋で働くファッティとキートン。二人のドジで、ガレージはいつもてんやわんやの大騒ぎ。ある日、ガレージのオーナーの娘モリー(モリー・マローン)にしつこく言い寄ってくる求婚者ジム(ハリー・マッコイ)が、バラの花束を抱えてやって来た。ところが花束はファッティたちのおかげで油まみれになり、受け取ったモリーの顔は真っ黒に。そのせいでモリーに嫌われてしまったジムは、復讐のためにファッティたちに犬をけしかける。犬にお尻を噛まれてズボンが脱げてしまったキートンは、警官に追われる羽目に...。一方、ひょんなことからガレージに閉じ込められてしまったジムは、二人に気付かれる前に逃げ出そうと画策しているうちに、火事を起こしてしまう。激しい火の手が上がり、モリーとジムは逃げ遅れてしまう。消防士でもあるファッティとキートンは、懸命に消火活動にあたるが、穴が開いたホースから水が漏れてしまい、なかなか鎮火できない―(「デブの自動車屋」)。

デブの自動車屋 02.jpg こちらもロスコー・アーバックルが監督した1920年1月11日米国公開作。キートンの頭がちょこんと当たっただけで自動車が発進したり、ガソリンまみれの男の横で煙草に火をつけようとしたり、下着姿を隠す為にポスターからキルト・スカートを剥ぎ取ったりと趣向は盛沢山で、キートンのアクションも全開。後の「笑わぬ喜劇王」キートンは「無表情の喜劇王」キートンでもあるわけですが、ここでは表情も豊かです。

デブの自動車屋 01.jpg 自動車修理工の話で、皆オイルで顔が真っ黒になるのはコメディの常道。キートンとファッティがコンビネーション発揮して警察にバレないように歩くシーンが面白く、キートンはポールを逆立ちしながら昇ったして、その身体能力の高さを窺わせます。

 途中から消火活動の話になって、そっか、何故そうなのかよく分からないけれど、自動車屋は消防署でもあったのかと(後の「キートンの鍛冶屋」('22年)では鍛冶屋が自動車修理屋を兼ねていたが)。消火活動にあたる面々がランチタイムになるとまだ火が燃え盛っていて、美女が助けを求めているのに引き揚げてしまうのは何に対する皮肉でしょうか。


「ファッティとキートンのコニー・アイランド(キートンのコニー・アイランド/デブ君の浜遊び)」●原題:CONEY ISLAND●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:ジョージ・ピータース●時間:24 分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アリス・マン/アル・セント・ジョン●米国公開:1917/10●最初に観た場所:アートシアター新宿(84-05-27)(評価:★★★☆)●併映:「デブの自動車屋」「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートン・ライズ・アゲイン」

This Is Your Life [VHS]」「"This Is Your Life" Buster Keaton (TV Episode 1957)
This Is Your Life [VHS].jpg「Buster Keaton/This is Your Life(S5 E28)」●制作年:1957年●制作国:アメリカ●製作総指揮・司会:Buster Keaton/This is Your Life 1957.jpgラルフ・エドワード●演出:リチャード・ゴットリーブ●ゲスト出演:バスター・キートン/エディ・クライン/ドナルド・クリスプ/レッド・スケルトン/ドナルド・オコナー/エレノア・ノリス・キートン/ハリー・キートン/ルイーズ・キートン●米国放映:1957/04(評価:★★★☆)
  
  
   
 
「デブの自動車屋」●原題:THE GARAG●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ジャン・ハヴズ●撮影:エルジン・レスリー●時間:22分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/モリー・マローン/ハリー・マッコイ/リューク(犬)/アリス・レイク(ノンクレジット)●米国公開:1920/01●最初に観た場所:アートシアター新宿(84-05-27)(評価:★★★☆)●併映:「キートンのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートン・ライズ・アゲイン」


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キートンの映画デビュー作「おかしな肉屋」。アクションのピークを感じさせる「給仕」。
ファッティとキートンののおかしな肉屋.jpg  
ファッティとキートンののおかしな肉屋00.jpg
「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」

デブの給仕1918.jpgデブの給仕11.jpg
「デブの給仕」
   
ファッティとキートンののおかしな肉屋01.jpg 肉屋に勤めるファッティ(ロスコー・アーバックル)と客のキートン(バスター・キートン)。ファッティは、店主の娘アーモンダイン(アリス・レイク)と恋愛関係にある。娘が入っている寄宿学校に女装して侵入するファッティだが、恋敵のスリム(アル・セント・ジョン)も女装して侵入してきて鉢合わせ。ドタバタの末、ファッティと娘は2人で逃げ出し、結婚することになる―(「ファッティとキートンのおかしな肉屋」)。

ファッティとキートンののおかしな肉屋02.jpg ロスコー・アーバックルが監督した1917年4月23日米国公開作。アーバックルにスカウトされて1917年にニューヨークへ渡り映画界入りした軽業師バスター・キートンの映画初出演作ですが、主演はあくまでアーバックルで、キートンは、アーバックルの従兄弟のアル・セント・ジョンに次いで3番手ぐらいでしょうか。

ファッティとキートンののおかしな肉屋03.jpg 前半はお店でのドタバタでファッティの包丁捌きと肉のコントロールがなかなか凄く、勢いあるの小麦粉の投げ合いも完成度は高いです。キートンの動きもまさに現役軽業師のそれで、キレキレ。後半は寄宿学校でのドタバタで、アーバックルの女装に次いで恋敵役のアル・セント・ジョンも女装(客のキートンはなぜ彼について寄宿学校へ行った?)。思い切りの良いアクションが楽しい作品ですが、キートンは新人にして1度も撮り直し必要とせずに演じ切ったそうです。


デブの給仕12.jpg 高級なのに世界一サービスの悪いホテルで働くベル・ボーイの2人(ロスコー・アーバックル/バスター・キートン)。キートンは、同僚のファッティの恋を実らせるため、銀行強盗のフリをし、そこにファッティが駆けつけ事件を解決することで、彼女を振り向かせるというシナリオを練る。しかし、そこに本物の銀行強盗が現れて―(「デブ君の給仕」)。

 同じくロスコー・アーバックルが監督した1918年3月18日米国公開作。この作品もアーバックル主演ですが、キートンはアル・セント・ジョンを抑えて2番手の位置づけに来ていると言っていいのではないかと思います。

デブの給仕18.jpgデブの給仕13.jpg 前半は、アーバックルがベル・ボーイのほかに床屋も兼ね、客の髪や髭をいじるとその客がリンカーンになったりグラント将軍になったりという寄席芸っぽいギャグを披露。それが後半になると、相方キートン(「おかしな肉屋」の時の3番手から完全にアーバックルの相方に"昇進"している)のアクションが炸裂し、もしかしたらこの頃の彼のアクションが一番ピークだったのではないかと思わせるほどです。

デブの給仕17.jpg ホテルのエレベーターが、ボタンを押すとホテルの表の鈴が鳴り、それに合わせて馬がロープを引っ張り箱が昇降するという、まさに「1馬力エレベーター」の仕組みが可笑しいです(アル・セント・ジョンはこのエレベーター係(馬係?)に後退)。こうした後年のキートン作品の雰囲気も感じさせるメカニカルなギャグも冴えわたり、最後は銀行強盗にハイジャックされたトローリーカーが斜面を逆走してホテルのロビーに突っ込むという、「スピード」('92年/米)並みの大掛かりな仕掛けに。

 前半がコミカルなギャグで、その部分をアーバックルが主に担い、後半がアクションで、その部分はキートンが持ち分を発揮しているという点で、この2作は通じるところがあるように思いました。

ファッティとキートンののおかしな肉屋0.jpgファッティとキートンののおかしな肉屋000.jpg「ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)」●原題:THE BUTCHER BOY●制作年:1917年●制作国:アメリカ●監督:ロスコー・アーバックル●製作:ジョセフ・M・シェンク●脚本:ロスコー・アーバックル/ジョセフ・アンソニー・ローチ●撮影:フランク・D・ウィリアムズ●時間:30分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク/ルーク(犬)●米国公開:1917/04(評価:★★★☆)

「デブ君の給仕」●原題: THE BELL BOY●制作年:1918年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロスコー・アーバックル●撮影:エルジン・レスリー●時間:33分●出演:ロスコー・アーバックル/バスター・キートン/アル・セント・ジョン/アリス・レイク●米国公開:1918/03(評価:★★★☆)

BUSTER KEATON: SHORTS COLLECTION 1917-23 (5 DISCS)」(言語:英語)
BUSTER KEATON SHORTS COLLECTION 1917-23.jpgDisc1
ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)(The Butcher Boy , 1917)
デブ君の入婿 (The Rough House, 共同監督, 1917)
デブ君の結婚 (His Wedding Night, 1917)
デブ君の医者 (Oh Doctor, 1917)
ファッティとキートンのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び) (Coney Island, 1917)
ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ) (Out West, 1918)
Disc2
デブ君の給仕 (The Bell Boy, 1918)
デブ君の巌窟王 (Moonshine, 1918)
ファッティとキートンのグッドナイト・ナース(デブ君の入院) (Good Night, Nurse!, 1918)
デブのコック (The Cook, 1918)
デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台) (Back Stage, 1919)
飼葉の種 (The Hayseed, 1919)
デブの自動車屋 (The Garage, 1919)
Disc3
キートンのハイ・サイン (The High Sign, 共同監督, 1921)
文化生活一週間(キートンのマイホーム) (One Week, 共同監督, 1920)
キートンの囚人13号(ゴルフ狂の夢) (Convict 13, 1920)
キートンの案山子(スケアクロウ) (The Scarecrow, 共同監督, 1920)
キートンの隣同士 (Neighbors, 共同監督, 1920)
キートンの化物屋敷 (The Haunted House, 共同監督, 1921)
キートンのハード・ラック(悪運) (Hard Luck, 共同監督, 1921)
Disc4
キートンの強盗騒動(悪太郎) (The Goat, 1921)
キートンの即席百人芸(キートンの一人百役) (The Playhouse, 共同監督, 1921)
キートンの船出(漂流) (The Boat,兼脚本, 共同監督, 1921)[18]
キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長) (The Paleface, 共同監督, 1922)
キートンの警官騒動 (Cops, 1922)
キートン半殺し(キートンの猛妻一族、キートンの飴ン棒、キートンの華麗なる一族) (My Wife's Relations, 1922)
Disc5
キートンの鍛冶屋 (The Blacksmith, 1922)
キートンの北極無宿 (The Frozen North, 共同監督, 1922)
成功成功(キートンの白日夢) (Day Dreams, 共同監督, 1922)
キートンの電気屋敷(電気館) (The Electric House, 共同監督, 1922)
キートンの空中結婚(キートンの昇天) (The Balloonatic, 1923)
捨小舟 (The Love Nest, 共同監督, 1923)
ファッティとキートンのおかしな肉屋(デブ君の女装)(The Butcher Boy , 1917)
デブ君の入婿 (The Rough House, 共同監督, 1917)
デブ君の結婚 (His Wedding Night, 1917)
デブ君の医者 (Oh Doctor, 1917)
ファッティとキートンのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び) (Coney Island, 1917)
ファッティとキートンのアウト・ウェスト(デブ君の出稼ぎ) (Out West, 1918)

Disc2
デブ君の給仕 (The Bell Boy, 1918)
デブ君の巌窟王 (Moonshine, 1918)
ファッティとキートンのグッドナイト・ナース(デブ君の入院) (Good Night, Nurse!, 1918)
デブのコック (The Cook, 1918)
デブの舞台裏(ファッティとキートンの初舞台) (Back Stage, 1919)
飼葉の種 (The Hayseed, 1919)
デブの自動車屋 (The Garage, 1919)

Disc3
キートンのハイ・サイン (The High Sign, 共同監督, 1921)
文化生活一週間(キートンのマイホーム) (One Week, 共同監督, 1920)
キートンの囚人13号(ゴルフ狂の夢) (Convict 13, 1920)
キートンの案山子(スケアクロウ) (The Scarecrow, 共同監督, 1920)
キートンの隣同士 (Neighbors, 共同監督, 1920)
キートンの化物屋敷 (The Haunted House, 共同監督, 1921)
キートンのハード・ラック(悪運) (Hard Luck, 共同監督, 1921)

Disc4
キートンの強盗騒動(悪太郎) (The Goat, 1921)
キートンの即席百人芸(キートンの一人百役) (The Playhouse, 共同監督, 1921)
キートンの船出(漂流) (The Boat,兼脚本, 共同監督, 1921)[18]
キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長) (The Paleface, 共同監督, 1922)
キートンの警官騒動 (Cops, 1922)
キートン半殺し(キートンの猛妻一族、キートンの飴ン棒、キートンの華麗なる一族) (My Wife's Relations, 1922)

Disc5
キートンの鍛冶屋 (The Blacksmith, 1922)
キートンの北極無宿 (The Frozen North, 共同監督, 1922)
成功成功(キートンの白日夢) (Day Dreams, 共同監督, 1922)
キートンの電気屋敷(電気館) (The Electric House, 共同監督, 1922)
キートンの空中結婚(キートンの昇天) (The Balloonatic, 1923)
捨小舟 (The Love Nest, 共同監督, 1923)

 

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都会的要素が入り交ざりシュールな「北極無宿」。キートンのギミック趣味が満載「電気屋敷」。

キートンの北極無宿00.jpg
「キートンの北極無宿」
キートンの電気屋敷00.jpg
「キートンの電気屋敷」
キートン dvd4.jpgバスター・キートン傑作集(4) [DVD]」(「北極無宿」「電気屋敷」「成功成功」「空中結婚」「捨小舟」所収)

キートンの北極無宿01.jpg 大雪原の真ん中に地下鉄の駅がある。その出口から出てきたバスターの出で立ちは、西部劇スターのウィリアム・S・ハートのカナダの騎馬警官隊員役を演じる時風だった。雪原を歩いて通りかかった酒場は、窓から覗くと酒あり博打あり踊り子ありのいかにもなウェスタン酒場。バスターはなぜか無性にキートンの北極無宿02.jpg西部劇でよくあるような強盗をしたくなり、実行に移すが結局うまく行かず、わが家に帰ることにする。家に入ると、暖炉の前で妻が男と愛を囁いている。最愛の妻の裏切りに涙するも、哀しみの感情はやがて憎しみに変わり、二人を撃ち殺してしまう。しかしよく見たら自分の家じゃない。「こりゃまた失礼」とその場を後に。本物のわが家では、本物の妻が愛情たっぷりに迎えてくれるが、バスターは冷たくあしらう。妻は泣き叫び、取りすがった十字架が頭に落ちて卒倒する。女の叫び声を不審に思った警官が様子を見に来るが、抜け目なくごまかすバスター。狡猾で好色な人間になりきっているバスターは、今度は隣の若奥さんに目を着ける。隣の家では夫が単身で出張する予定だったが「バスターのようなのがいる限り安心できない」と二人で出発することにした。犬橇で目的地に向かった二人の後をバスターが追う、その嫌らしい執念深さは、まるで「愚かなる妻」のエーリッヒ・フォン・シュトロハイムのようだった―(「キートンの北極無宿」)。

キートンの北極無宿07.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第15作(米国公開日:1922年8月28日)】。キートンには珍しいパロディのオンパレードで、当時人気の西部劇スター、ウィリアム・S・ハートの出で立ちで登場するキートン。ハートが必ず一作中に見せる男涙をギャグにしたため、この後しばらくハートから断交されたという逸話もあるそうですが、コレ、キートンの盟友ロスコー・アーバックルに殺人の容疑がかけられた事件の際に、ハートがアーバックルが有罪であるような主張をしたというのが因縁としてあり、それでキートンは彼を徹底的にパロディ化して糾弾したようです。

キートンの北極無宿03.jpg テーマは同年にヒットした、カナダ北部で暮らすイヌイットの文化・習俗を記録したドキュメンタリー「極北の怪異」(1922)か取られており、舞台は"北極"と言うよりイメージ的にはアラスカでしょうか(シロクマはなく黒い熊が出てくる)。ただし、実際のロケ地は米カリフォルニア州のトラッキー郊外にあるダナー湖だそうです(ここは「チャップリンの黄金狂時代」('25年)のロケ地にもなったが、あの作品も舞台はアラスカを想定している)。何れにせよ、雪原に地下鉄の駅の出口があったり、「タクシー」と言って馬橇を止めたりと、都会的要素が入り交ざるシュールでキッチュな展開は「極北の怪異」にはないオリジナルでしょう(笑)。

 キートンは珍しく悪役ですが、ここまで鬼畜に徹していると、これは何かありそうだなと思ったら、映画のラストにオチが用意されていました。劇中のバスターが見せる軍服姿のロシア将校は、これも同年の「愚かなる妻」(1922)のエリッヒ・フォン・シュトロハイムのモノマネですが、こちらのパロディはシュトロハイムは好意的に受け止めたらしいです。


キートンの電気屋敷01.jpg 今日は州立大学の卒業式。植物学の博士号を得たバスターだったが、ちょっとしたアクシデントにより、電気工学の学位取得を証明する卒業証書を手にしていた。そのおかげで、新しもの好きの大金持ちに、大邸宅の電気技師として雇われることになる。主人たちが休暇の間に邸宅を電気仕掛けに大改造。その結果は主人も満足、何でも自動でやってくれると大好評。それも束の間、雇ってもらえず悔しい思いをした本物の電気工学士が、復讐のためにその館に忍び込むのであった―(「キートンの電気屋敷」)。

 キートン・プロのキートン監督・出演作の【第17作(米国公開日:1922年10月16日)】。前年に製作開始となったが、撮影中のケガで改めて撮り直されたという作品。キートン個人のギミック趣味がふんだんに見られます。

ヴァージニア・フォックス
キートンの電気屋敷07.jpgキートンの電気屋敷02.jpg 階段はエスカレーターのようで、食卓は回転寿司風("流れ寿司"というのに近いか)。食器洗い機まで出てきて...。エスカレーターは当時すでにあったにしても、いろいろな点で予見的。ただし現代の科学水準では少々幼児的にも見え、それが映画全体を幼稚的に見えるものにしているかもしれず、評価は微妙なところでしょうか。

 ただし、キートンはこうしたギミックだけでなく、ケガからに復帰直後にもかかわらずアクションもしっかり見せていて、その点は偉いです。△にするには忍びなく、○としました。


キートンの北極無宿 .jpgキートンの北極無宿04.jpg「キートンの北極無宿」●原題:THE FROZEN NORTH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:17 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/08(評価:★★★☆) バスター・キートン/シビル・シーリー


「キートンの電気屋敷(電気館)」●原題:THE ELECTRIC HOUSE●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:20 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス/マイラ・キートン●米国公開:1922/10(評価:★★★☆)
キートンの電気屋敷03.jpg

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私生活における妻の親族へのあてつけ?「半殺し」。ドタバタ喜劇ながらも実験的な「鍛冶屋」。

キートンの半殺し000.jpg
「キートンの半殺し」
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「キートンの鍛冶屋」
バスター・キートン傑作集3.jpgバスター・キートン傑作集(3) [DVD]」(「酋長」「警官騒動」「キートン半殺し」「鍛冶屋」所収)

キートンの半殺し01.jpg 様々な言語が飛び交い、住民同士の誤解も絶えない外国人街。ポーランド人のカップルが電話で「そこでは婚姻届の手続きがポーランド語でできますか」と確認、判事は「ええ私はポーランド語以外は話せません」と答える。その判事の職場の向いにバスターが職人をしているパン屋(?)があった。バスターがパン生地をこねているときに入ってきた郵便屋は、バスターのせいで郵便物をぶちまけてしまう。靴の裏に付着した一枚の手紙をバスターは返そうかとも思うが、怒った相手が物を投げてくるので、手紙をポケットにしまい逃げ出す。通りの角でアイリッシュ系の大女ケイトとぶつかる。向かいの窓が割れたのはバスターのせいだと勘違いしたケイトは彼を判事のもとに引っキートンの半殺し02.jpg張っていく。ところが判事もこの二人は先程の電話のカップルに違いないと勘違いし、婚姻の手続きをしてしまう。意外な展開にもケイトは喜び、配偶者を強引に家まで連れていった。妻の家の同居人は父親と四兄弟。その貧しくともアグレッシブな一族は、新しい家族の一員をぞんざいに扱ったが、彼のポケットに「あなたは近々大金を相続できます」という弁護士からの手紙が入っているのを見つけると、態度を一変。早速バスターに舞込むはずの遺産をあてにして多額の借金をし、広々とした高級マンションを購入、豪勢な暮らしを始めるが―(「キートンの半殺し」)。

キートンの半殺し04.jpgキートンの半殺し p.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第13 作(米国公開日:1922年5月6日)】。本邦公開当時、冒頭の「パン作り」を"キャンディ・カンパニー"という店のディスプレイ文字から「飴作り」と解釈して、「キートンの飴ン棒」といったタイトルも付けられたりしました。確かにバスターが練っているのは"飴"っぽい感じもしますが、終盤でイースト菌を使ったギミックが出てくるので、やはり「パン」なのかなとも。ただし、イースト酵母を使用した飴は日本でも「酵母飴」などとして市販されており、やはり飴でいいのかも(この辺りは自分にはよくわからない)。

キートンの半殺し03.jpg 外国人との言葉や習慣の違いをネタにしたギャグが幾つかあり、たとえば、妻の家の食卓でなかなか肉にありつけないバスターが、カレンダーを破って家族に金曜日と思わせることで、肉にありつくギャグ(金曜日に肉を食べない習慣は主にカトリック教会系)などがそれ。これまでのキートンの作品には文化の違いによるギャグはあまりなかったので珍しいです(第11作の「キートンの白人酋長」('22年)に戯画化されたネイティブ・アメリカンは登場したが)。

 製作当時のキートンの私生活に潜む彼の妻の親戚一族へのあてつけをカリカチュアしたとの説があり、そうであるならば「半殺し」のタイトルは的を得ていることにはなりますが、「猛妻一族」の方が説明的ではあるかも。ただ、何れにせよ、そうした要因からか、前半は文化的ギャップを描いてアクションの方は抑え気味で、終盤になってようやっと一気に動き出したという感じでしょうか。後の長編作品に繋がるストーリー性の強い作品でもあります。


キートンの鍛冶屋01.jpg バスターは、鍛冶屋の下働き。主人のジョーは、怒ると前後の見境がなくなる乱暴者。ハンマーや車輪が看板にしている磁石に吸い寄せられてしまったのにも気づかず、無くなったのはバスターのせいだと勘違いして突き飛ばす。その様子を通りから見ていた村のシェリフが、二人の間に入って「暴力はいかんよ」とジョーを諭す。その間に署長のバッジやピストルが、磁石のせいで紛失。ジョーが奪ったと勘違いした署長は「そこまでするなら逮捕だな」と仲間をキートンの鍛冶屋02.jpg助っ人にして連行しようとするが、村一番の怪力男は5人がかりでも手に余る。ところが、意外にもバスターのおかげで何とか逮捕に至る。自由に仕事が出来るようになったバスター。しかし、失敗の連続。蹄鉄の好みがうるさい白馬には、車のオイルで黒い跡を付けてしまうし、柔らかな鞍をお望みの女性には、サスペンション効きすぎの鞍を売ってしまう。仕舞いには新品同然の高級車に壊滅的損害を与えてしまう。ここまでやってしまったからには逃げるしかない。一方、例の白馬の持ち主の女性ヴァージニアは家に帰り着き、家族の出迎えを受けるが、母親が愛馬に付いている黒い跡を見て悲鳴を上げる。驚いた白馬は、ヴァージニアを乗せたまま暴走する―(「キートンの鍛冶屋」)。

キートンの鍛冶屋03.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第14作(米国公開日:1922年7月21日)】。典型的ドタバタ喜劇ながらも、遠方より顔のアップまでワンカットで迫る奇異なショットから、ラストのオチに繋がるキートンの空間的ギャグの完結法など、短編作品らしからぬ奥行きがあり、実験映画のようにアヴァンギャルドな価値観、ラディカル・ポップな展開が横溢する作品です。

キートンの鍛冶屋04.jpg 最後には蒸気機関車も出てきて、乗り物好きのキートンらしい一作。この映画において鍛冶屋は鍛冶屋でもあり、自動車修理屋でもあるのでしょうか。考えてみれば、馬も自動車も乗り物なので、馬が動力として使われなくなったときに、鍛冶屋が自動車修理工へと移行していくのも自然な成り行きとも言えるかも。1920年代と言えばフォード・モーター社がT型フォードをより大量供給する生産システムの革新にひたすら邁進した時期になります。そんな歴史の流れを知ることのできる作品でした。
  
キートンの半殺し07.jpg「キートンの半殺し(キートンの猛妻一族、キートンの飴ン棒、キートンの華麗なる一族)」●原題:MY WIFE`S RELATIONS●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/ケイト・プライス/ジョー・ロバーツ/モンティ・コリンズ/ウィーザー・デル●米国公開:1922/05(評価:★★★☆)

バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス
キートンの鍛冶屋07.jpg「キートンの鍛冶屋」●原題:THE BLACKSMITH●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/マルコム・セント・クレア●撮影:エルジン・レスリー●時間:20分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ヴァージニア・フォックス●米国公開:1922/07●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの船出」「キートンの空中結婚」(評価:★★★☆)

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ホーム・コメディ&特撮パニック映画「船出」。米暗黒史を取り上げている点で評価されるべき「白人酋長」。
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「キートンの船出(漂流)」バスター・キートン/シビル・シーリー
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「キートンの白人酋長」バスター・キートン/ジョー・ロバーツ
バスター・キートン傑作集2.jpgバスター・キートン傑作集3.jpgバスター・キートン傑作集(2) [DVD]」(「ハード・ラック」「ザ・ハイ・サイン」「悪太郎」「即席百人芸」「漂流」所収)
バスター・キートン傑作集(3) [DVD]」(「酋長」「警官騒動」「キートン半殺し」「鍛冶屋」所収)

キートンの船出10.jpgキートンの船出11.jpg マイホームパパのバスターは、家族とマリンレジャーを楽しむために、クルーザーをハンドメイドし、この度ようやく完成した。その船を運び出すのにクルマで牽引しようとするが、建造作業場だった一階のガレージの出口が狭くて苦労する。無理な牽引の結果、家は全壊するが、バスターは、船を「DAMFINO(damned if I know=知るもんか)」号と名付け、家はキートンの船出4.jpgそのままにしてマリーナに向かう。運河に面したマリーナでの進水式は、船の構造に問題があったのか、進水ならぬ浸水式になってしまうが、家族みんなで修復していよいよ出航、海に向かって運河を下っていく。橋の下をくぐる時にはマストや煙突が引っかからないよう寝かせられる工夫がされていた。河口で一休みの後、大海に乗り出す頃には、夕闇が訪れていた。夜も更けて、あとは寝るだけという時刻、海は嵐で大荒れに。一枚の枯れ葉のように波に翻弄される「知るもんか号」、バスターは救難信号を他の船に送って、助けを求めるが―(「キートンの船出」)。

キートンの船出12.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第10作(米国公開日:1921年11月10日)】。50年代に旧キートン邸よりフィルムが大量発見されたことで今日のリバイバル上映が可能となった作品の1つですが、本作がそれらフィルムの中で最も危篤状態にあったと言われています。キートン・プロ第1作の「キートンの文化生活一週間」('20年)の続編とも言うべき作品で、サイレント期キートン唯一のホーム・コメディで、「文化生活一週間」の時は新郎新婦でまだ子どもはいなかったですが、今度は妻と二人の息子を連れての外航記となっています。世評では、映画的完成度は同時代のキートン自身の作品も含めて、数多くの喜劇の中でも極めて高いものとされているようです。

キートンの船出18.jpg 一家の乗った小船が嵐に見舞われ、笹の葉のように荒波に揉まれるわけで、ちょっと怖いというか、ある種パニック映画的です。船体がぐるぐる回転するシーンなどは、セットと模型でうまく撮っているなあと(今風に言えば"特撮"だが、完成度が高い)。奥さん役のシビル・シーリー(Sybil Seely、当時21歳)は、「キートンの文化生活一週間」でバスターの新妻役を、「キートンの囚人13号」('20年)や「キートンの案山子」('20年)でバスターの憧れの恋人を演じていましたが、その彼女も今度は子役共々に水浸しの熱演で、コレ、撮る方も撮られる方も撮影が大変だったろうなあ。

 最後、家もクルマも船も失って流れ着いた場所は一体どこか―船の名前がラストのオチになっていますが、生きていればそれで良しとする究極の楽観主義というか、そこに家族の絆の強さが見い出せる作品でもありました。


キートンの白人酋長 192201.jpgキートンの白人酋長18.jpg アメリカ中西部、インディアンの一族が居留地で平和に暮らしている。ところがその近くに事務所を構える悪賢い石油業者が手先を使い、居留地の権利証を奪い取ってしまった。石油業者から立退き要求の通知を受けとり、怒ったインディアンの酋長は一族全員に命ずる、「ここに最初に入ってきた白人を殺せ」。するとその時も知らないバスターが入口から入ってきた、捕虫網を持ち、蝶々を追って。バスターはインディアンたちに捕まり火刑柱にくくり付けられてしまうが、一旦は逃げ出すことに成功する。執拗な追跡をかわし、避難したあばら屋でバスターはアスベスト材を見つけ、それで下着を作り着用した。結局は、再び捕まってしまい、火あぶりの刑が執行される。しかし、火あぶりでも死なないバスターは、今までとは逆に一族の崇敬を受け酋長に祭り上げられる。そして土地問題を知ると、一族を引き連れ石油業者に談判しに向かうことに―(「キートンの白人酋長」)。

キートンの白人酋長11.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第11作(米国公開日:1922年1月15日)】。斜面から転がり落ちたり、毛布をパラシュートみたいにして崖から飛び降りたり、吊り橋アクションやら、驚キートンの白人酋長12.jpgきのスタントの連続。特に、斜面から転がり落ちるシーンは、後の「キートンのセブン・チャンス」('25年)を想起させます。キートンにしては珍しくハッピーエンドな作品。インディアンのために土地の権利を勝ち取ったキートンは、酋長の娘(ヴァージニア・フォックス)に求婚する。熱烈に接吻する二人。「2年後」のテロップの後に画面が戻ると、二人はまだ接吻し続けている―要するに、一瞬にして恋に落ちたが、それは一瞬にして覚めるような恋ではなかったということが言いたいのでしょう。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」2023.jpgキラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」.jpg 「キートンの船出」と比べ、アクションのスケールは大きいけれど、「船出」の特撮級のギミックには負けるでしょうか。しかしながら、マーティン・スコセッシ監督、レオナルド・ディカプリオ、ロバート・デ・ニーロ主演の 「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」 (2023年/米)ではないですが、石油業者がインディアンを騙して土地を奪おうとして画策したアメリカの暗黒史を取り上げているという点で、評価されるべきかと思います(「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の場合は、連続殺人事件までもが絡んでくるが)。

●ヴァージニア・フォックス出演のキートン映画
キートンの隣同士17.jpg1920 キートンの隣同士      Neighbors        The Bride
1921 キートンの化物屋敷     The Haunted House     Bank President's Daughter
1921 キートンのハード・ラック   Hard Luck       Virginia
1921 キートンの強盗騒動     The Goat        Chief's daughter
1921 キートンの即席百人芸    The Playhouse       Twin  Uncredited
1922 キートンの白人酋長     The Paleface     Indian Maiden   Uncredited
1922 キートンの警官騒動     Cops         Mayor's Daughter
1922 キートンの鍛冶屋      The Blacksmith       Horsewoman
1922 キートンの電気屋敷     The Electric House       Girl  Uncredited
1923 捨小舟          The Love Nest        The Girl


キートンの船出0000.jpgキートンの船出19.jpg「キートンの船出(漂流)」●原題:THE BOAT●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:22 分●出演:バスター・キートン/シビル・シーリー/エドワード・F・クライン●米国公開:1921/10●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(84-01-15)●併映:「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」「キートンの強盗騒動(悪太郎)」「キートンの警官騒動」「キートンの鍛冶屋」「キートンの空中結婚」(評価:★★★★)
  
キートンの白人酋長19.jpg「キートンの白人酋長(キートンの酋長、キートンのハッタリ酋長)」●原題:THE PALEFACE●制作年:1922年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:21 分●出演:バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/エドワード・F・クライン●米国公開:1922/01(評価:★★★★)
  
バスター・キートン短編集 新訳版 [DVD]」収録:「キートンの鍛冶屋」「キートンの船出」「キートンの酋長」「キートンの白昼夢」
バスター・キートン短編集 新訳版 [DVD].jpg

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ストーリー性の強い「ハイ・サイン」。トリック優先の「即席百人芸」。

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「キートンのハイ・サイン」
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「キートンの即席百人芸」
バスター・キートン傑作集(2) [DVD]」(「ハード・ラック」「ザ・ハイ・サイン」「悪太郎」「即席百人芸」「漂流」所収)
キートンのハイ・サイン01.jpgバスター・キートン傑作集2.jpg 無賃乗車のバスターが列車から放り出された所は遊園地の近く。メリーゴーランドを楽しんでいる人のポケットから新聞をかすめ取り、求人広告欄を探す。銃の射的場で客集めのために射的のエキスパートを募集しているのを見つけ、広告の住所を頼りにその射的場=タイニイ(ちっちゃな)・ティムの店を訪ねてみることにした。その途中、無警戒な警官から拳銃をせしめて射的の練習をするが、腕のせいか拳銃のせいか狙った的に命中させられないバスターであった。射的場では、キートンのハイ・サイン02.jpgタイニイ・ティムがバスターを迎え、命中のしるしの鐘を鳴らせるようになったら雇う旨を言い残して席を外し、地下の別室に向かう。実力では鐘を鳴らせないことが判ったバスターは、的に命中しなくても鐘だけは鳴る仕掛けを考えつき、ティムの居ない間にその備えつけを完了する。店の地下室は、ティムが率いるギャング団"ブリンキング・バザーズ"のアジトだった。一味は裕福な実業家から1万ドルを脅し取ろうとしていたが、期限を過ぎても金を渡そうとしないので「ええキートンのハイ・サイン03.jpgい面倒だ、殺っちまおう」と相談していた。標的にされた実業家の方でも身の危険を感じ、自宅を改造するなどギャング団の襲撃に備えていた。ティムが一旦店に戻りバスターの様子を見に行くと、百発百中で鐘を鳴らしている。これは殺し屋として使えると閃いたティムは一味にその案を教えるために再び地下室に降りた。その間にその店に立ち寄った実業家父娘もまたバスターの銃の腕前に惚れ込み、ボディガードを依頼した。娘に切願されたバスターは断らなかった。ギャング団の計画がまとまるとバスターは地下室に連れて行かれた。そこで入団を強要され、実業家の殺しを命令されたバスターは、実業家の自宅へ向かう―。(「キートンのハイ・サイン」)

 キートン・プロのキートン監督・出演作の【第7作(米国公開日:1921年4月12日)】。射撃の実力皆無のバスターが、ひょんなことから射撃の名人と勘違いされ、ギャング団に無理やり入れられて、実業家の殺しの実行役を命じられてしまう一方で、当の実業家からもその娘とともに腕を見込まれ、彼のボディガードを依頼されるという、これまでの作品に比べて一段とストーリー性の高い内容です。

キートンのハイ・サイン04.jpg 同時にギミックも満載で、冒頭のかすめ取った新聞を広げていくとどんどん大きくなっていく(こんな新聞どうやって印刷するのか)小ネタから始まって、ラストは仕掛けだらけの屋敷を悪党どもに追われて1階から2階、1階から1階へと駆け巡る、その様子を屋敷ごと断面図的に見せます。

 1989年のカリフォルニアの古典映画発掘作業にて蘇生した幻の作品の1つで、そうした作品が今、DVDなどで観ることができるのは有難いです。1921年4月に米国で公開されていますが、1920年に撮影されたキートンの初単独監督作品です。ただし、キートン本人が気に入らずその年は公開が見送られ(同年、キートンの監督作品である「文化生活一週間(マイホーム)」 が公開されている)、完成後1年を経てやっと公開されましたが、その間に編集が入ったため、複数のバージョンがあるようです。
  
  
キートンの即席百人芸01.jpg 今夜のオペラ劇場の出し物は、歌や踊りやお喋りを黒人的なノリで白人が演じるミンストレルショー。序曲を奏でるのは、半分ジャズバンド風の管弦楽団。幕が上がって役者が揃う、「ブラウン君この辺りの竜巻はすごいらしいね」「そうなんでさぁご主人様、そいつにやられると、1ドル銀貨が四つに割れて25セント玉になっちまうんでさぁ」...と、とぼけた台詞。そして、このショーが他の何より秀逸なのは、演ずる人もスタッフも、見る人までもが皆バスター・キートン、という趣向。第二幕、二人組のタップダンスが鮮やかで、もっと見ていたいなあ、というところで、バスターは夢から醒めた。現実のバスターは舞台の裏方=雑用係。大道具の片付けやキートンの即席百人芸02.jpgら、新入りを楽屋に案内するのやら、地味な仕事を一人で何役もこなさなければならない。今度の新入りは、手品師のアシスタントガール。てっきり一人の女の子だと思ったら、双子の姉妹。鏡の効果で四人に見える。これは一体夢の続きか?!、とバスターは混乱してしまう。我侭な劇場支配人ジョーから言われる難題にも、バスターはそれなりに巧く対応する。兵隊役が一度に5、6人辞めた穴埋めを今すぐ何とかしろ、と命じられれば、近くの工事現場から人足を集めてきたり...。ところが、支配人のアゴ髭に着いたタバコの火を消すために、消化作業用の斧を用いて支配人をノックアウトしてしまう。怒りをかったバスターは劇場内を逃げ回ることに―。(「キートンの即席百人芸」)

キートンの即席百人芸03.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第9作(米国公開日:1921年10月6日)】。キートンの映画的好奇心=トリックが昇華した作品です。動きのタイミングを計るために、知人のバンジョー奏者にリズムを取らせてカメラを廻したとのことです。ヴォードヴィル時代に演じたと技の名残りがが多く見られる、キートン本人のアイデアを知るには最良のテキストです。

 見どころは、まさに「一人百役」。多重露出の手法を用いて、出演者からオーケストラ、観客に至るまですべてバスター・キートンという夢のような劇場を作り上げています(オチとして実際に夢だったわけだが)。ただ、その分そうしたトリックが優先されていて、後からストーリーを考えついた様な構成に感じられ、【第7作】「キートンのハイ・サイン」や【第8作】「キートンの強盗騒動」など比べるとやや後退した印象も受けなく、それらの評価より星半分マイナスにしました。

キートン全短編集-4枚組- [DVD]
キートン全短編集-4枚組.jpg「キートンのハイ・サイン(悪運)」●原題:THE HIGH SIGN●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:18 分●出演:バスター・キートン/バーテイン・バーケット・ゼイン/アル・セント・ジョン●米国公開:1921/04(評価:★★★★)

「キートンの即席百人芸(キートンの一人百役)」●原題:THE PLAYHOUSE●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:20 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ●米国公開:1921/10(評価:★★★☆)

●収録内容
・キートン全短編集(1) 99分 
1.ザ・ハイサイン (1920)
2.文化生活一週間 (1920)
3.ゴルフ狂の夢 (1920)
4.案山子 (1920)
おまけ デブ君の浜遊び (1917)
・キートン全短編集(2) 103分 
5.隣同志 (1920)
6.化物屋敷 (1921)
7.ハード・ラック (1921)
8.悪太郎 (1921)
9.即席百人芸 (1921)
・キートン全短編集(3) 102分
10. 漂流 (1921)
11. 酋長 (1921)
12. 警官騒動 (1922)
13. 華麗なる一族 (1922)
14.キートンの鍛冶屋 (1922)
・キートン全短編集(4) 95分   
15. 北極無宿 (1922)          
16. 成功々々(1922)
17. 電気館 (1922)
18. 空中結婚 (1922)
19. 捨小舟 (1923)

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キートン流喜劇論が認識できる。やはりラストの"復活"があってこその喜劇。

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「キートンのハード・ラック(悪運)」
バスター・キートン傑作集(2) [DVD]」(「ハード・ラック」「ザ・ハイ・サイン」「悪太郎」「即席百人芸」「漂流」所収)
キートンのハード・ラック(悪運)p.jpgバスター・キートン傑作集2.jpg 「なんて、ついてないんだろう。仕事はクビになるし、彼女には振られる。しょうがないから靴磨きでも、と思って我慢して磨いてやったらそいつは金も払おうとしない。もうこの世の中がほとほと嫌になった」と、バスターは自殺を決意。いろいろと試みるが、やはり、ついてない。電車に轢かれたくても、電車が手前で止まって折り返し運転してしまうし、公園で首を吊ろうとしても、目撃者が警察に通報して邪魔されるし。一体どうすれば望みどおり死ねるんだろうと考えながら通りかかったレストランの裏窓、棚の上に「毒」がある。これだ!とばかり服毒するが、いっこうに死なない。実は毒というのはラベルだけ、中身はウィスキーだった。酔っぱらって気分が良くなったバスタキートンのハード・ラック(悪運)02.jpgーは隣室で行われている動物園長主催の会合に出席。園長の「アルマジロを捕獲できる者にたんまりと賞金を出す」という一声に、自分がやる、と名乗り出る。野生動物を捕獲するのは、自然のなかでの気の長い勝負。まずは腹ごしらえ、と釣りを始めるバスター。次第に大きくなる獲物にいよいよツキが回ってきたかと、しばし思う。釣りを終えて、歩いていると目の前をアルマジロらしき動物が横切る。今だ、とばかりライフルをぶっ放すが、構えが逆だった。近くのカントリークラブ、紳士淑女が狐狩りへ出かけるところ。騎乗できずに困っているお嬢様風のヴァージニアを見かけたバスターは、これは出会いのチャンスかも、と手伝うことにする。案の定、ライフル持参のバスターは狐狩りに誘われた。途中で、はぐれて一人遅れて戻ってくると、クラブハウスは"トカゲのルーク"率いる盗賊団に襲撃されていた。バスターはヴァージニア救出に見事成功。その勢いを借って彼女に求婚することにした―。

キートンのハード・ラック(悪運)01.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第6作(米国公開日:1921年3月16日)】。キートン本人が最も気に入っていた短編といわれていますが、仕事を失い、恋人にも捨てられたキートンは、冒頭から自殺を試みるという、これまたブラックな展開で、こういうのが自分でも好きだったのでしょうか。野生動物の捕獲に出掛ける前に釣りに行くというのは唐突感がありますが(「まずは腹ごしらえ」しようとしたのか)、釣った魚を餌により大きな魚を釣るというのが可笑しく、十分な大魚を釣り上げてまだまだ続ける...コレを見せたかったのかあと。アルマジロは結局出てこなかったけれど(「巻物」とか訳されていたりもする)、馬と間違えて水牛に飛び乗ったり、熊に追いかけられたりと、動物との危険な絡みはどうやって撮ったのでしょうか。

ジョー・ロバーツ
キートンのハード・ラック ジョー・ロバーツ.jpg 大男のジョー・ロバーツ、今回は盗賊団の頭目"トカゲのルーク"でした(ヴァージニア・フォックスにセクハラしまくる)。ヴァージニア救出を成し遂げたにもかかわらず、その新たな恋にも破れキートンのハード・ラック(悪運)09.gifたキートンは、プールの飛び込み台から飛び降りて(コレ、相当高い)、地面に激突(どうやって撮った?)、あっさりと死んでしまい、結局は自殺を果たした―と思いきや、何年か後に復活、家族を連れてまた地上に。チャイナ帽を被っているので、「チャイナ・シンドローム」('79年/米)ではないけれど、中国まで突き抜けていったのでしょうか。

 公開当時の記録以外は、ネガ、プリントともに長期間失われていた作品。1980年代後半、偶然に東欧でプリントが発見され、映画史家のケヴィン・ブラウンローとサミュエル・ジルが当時のスクリプトを基に復刻を果たし、今日の再見に至っています。発見されたプリントはラストの約3分間が修復不可能なために、説明的な字幕とスチールによって再構成されているそうですが、粗悪な画調の中でも一貫したキートン流の喜劇論は認識できる佳作です(これ、やはりラストの"復活"が無いと喜劇にならないからなあ)。

「キートンのハード・ラック(悪運)」●原題:HARD LUCK●制作年:1921年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:19 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ●米国公開:1921/03(評価:★★★★)

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キートン版(長屋小噺的)ロミオとジュリエット。アクションはまるでアニメの実写化。

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「キートンの隣同士」バスター・キートン/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン(キートンの父)/ヴァージニア・フォックス
バスター・キートン傑作集(1) [DVD]
バスター・キートン傑作集1.jpgキートンの隣同士01.jpg キートン一家のアパートとヴァージニア一家のアパートは、塀一枚で隔てられた隣同士。バスターとヴァージニアは、その塀を媒介にして想いを伝え合う恋人同士。ところがふたりの親同士は仲が悪い。娘が隣の息子と付き合うなんて論外。ヴァージニアの父親はバスターにとって塀より高い結婚の障害物。その障害物にキートンは徹底抗戦。両アキートンの隣同士 09.jpgパート間にあって利用できるものは何でも利用する。物干しロープや電線は逃走に、細工し蠅叩きみたいになった塀は闘争に、電柱は監視塔にといった具合。しかし、誤って通りがかりの警官を巻き込んでしまう。きりきり舞いの警察は、両家の主人とバスターを連行することで事態を収拾した。家庭裁判所で「もう喧嘩はしません、仲良くします」という宣誓書にサインする両家の主人。こうなるともうバスターとヴァージニアの仲を邪魔するものは何もない。判事の媒酌のもと、二人は晴れて結ばれる運びに。ところが結婚式当日、花嫁の父がバスターの用意した安物の指輪に腹を立てて、式は中止に追い込まれ―。

キートンの隣同士02.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第4作(米国公開日:1920年12月22日)】。親同士がいがみ合うも、隣家の娘ヴァージニアと恋仲のキートン。同じアパートの友人と共謀して彼女を連れさる作戦を―。ストーリー自体は「ロメオとジュリエット」と言うより落語に通底する定石的な長屋小噺ながらも、パントマイムとアクションが炸裂し、一気に見せキートンの隣同士05.jpgます。キートンの父親を演じているのは実の父親のジョー・キートン。結構出ずっぱりで、しっかりアクションもしています(お父さんがキートンの考案した跳ね板で飛ばされて、宙高く一回転して地面に落下するシーンがあるが、キートンの両親はもともと舞台芸人で、キートンがまだ4歳の頃、彼の身体を逆さに持ち上げてぶんぶん振り回す「人間モップ」という、荒っぽいギャグを売り物とし、キートンは泣き顔一つせず演じていたという話がある)。

キートンの隣同士 03.jpg空を舞うジョー・キートン
  
 最大の見どころは、3階の部屋に閉じ込められたキートンが、やはり向かいの3階にいるヴァージニアと駆け落ちするため、2人の友人に頼んで、その肩に立って空中を移動するシーンでしょうか。バレそうになると、1段目の友人は1階の窓に、2段目の友人は2階の窓に、そしてキートンは3階の窓に飛び込む―これを何往復もして、最終的にはキートンがヴァージニアを担いで、肩車のまま小走りで逃げるという、まるでアニメを強引に実写化したかのようなアクションでした。キートン一人で派手なアクションをするシーンは多々ありますが、これはヴァージニア・フォックスの加えた4人によるものなので珍しいです。
  
キートンの隣同士04.jpg キートンが警官から逃れる際に野球場の塀の隙間から試合を観ていると、ホームランボールが警官を直撃。活動弁士が「ベーブ・ルースはやっぱりスゴイな」というセリフをアテていましたが、ニューヨーク・ヤンキースのベーブ・ルースはこの映画の公開の前年の2020年、それまでの自己最多だった年間29本を大きく上回る54本のホームランを打ち、その翌年(つまりこの映画の公開年。映画は3月に公開されている)のシーズンでは、59本の本塁打を打ち、457塁打というMLB記録を打ち立てています。やはり、ベーブ・ルースの打ったホームランボールとの設定だったのでしょうか。

キートンの隣同士(Neighbors)図2.jpg「キートンの隣同士」●原題:NEIGHBORS●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/ヴァージニア・フォックス/ジョー・ロバーツ/ジョー・キートン●米国公開:1920/12(評価:★★★★)

  
 
  

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2作とも後期の長編より面白い。それにしても、アクションがシュール過ぎる(笑)。

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バスター・キートン傑作集(1) [DVD]」「キートンの囚人13号」バスター・キートン/ジョー・ロバーツ
(「文化生活一週間」「ゴルフ狂」「案山子」「隣同志」「化物屋敷」所収)
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「キートンの案山子」

キートンの囚人13号01.jpg ゴルフ場でも珍プレー続出のバスターは、打ったボールが茶店の壁に当たり、自分の頭に跳ね返ってきたために気絶してしまう。そこに現れた脱獄囚13号、自分の囚人服とバスターの服を取替えて、まんまとずらかる。意識を取り戻したバスターは、自分が囚人服を着ていることに気がつかないままプレイを続けようとするが、脱獄囚13号を追ってきた刑務所の看守たちに取り囲まれて、ようやく気づき、慌てて逃げ出す。何とか看守たちを巻いて、安全な場所に辿り着いたと思いホっとしたのも束の間、周りをよく見渡してみるとそこは刑務所の中。しかもその日の死刑執行対象者は、13号だった! 絞首台に上るバスター、絶体絶命のピンチ!(「キートンの囚人13号」)

エドワード・F・クライン
キートンの囚人13号02.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第2作(米国公開日:1920年10月27日)】。ゴルフでボール一つが思い通りにならず、苦闘するキートン。でも、空振りしてひっくり返るアクションからもう人間離れしているという感じ。池ポチャのボールを打つというのもスゴイね(クラブをオールに使えるのか?)。間違って刑務所に送られてからはアクションがさらにヒートアップし、それも畳みかけるようなテンポで続きます。エドワード・F・クラインは、「死刑執行人チャンピオン」。何だ、それ?。一方の、ジョー・ロバーツ演じる極悪囚人は人間離れした力を見せます。しかし、それもキートンの奇想天外なアクションを前にしては敵わない。キートンの本領発揮作品。無理に夢落ちにする必要もなかったかもしれませんが(「ゴルフ狂の夢」という邦題もある)、アクションがシュール過ぎることや「死刑執行人チャンピオン」がいることの説明にはなっている? 絞首刑にされそうになったキートンの首吊りロープがゴムにすり替えられていて、キートンがピョンピョン跳ねるシーンなどはブラックユーモア的であり(死ねない分、逆に苦しいのでは(笑))、そうしてこともあって夢落ちにした?

バスター・キートン/ジョー・ロバーツ
キートンの案山子02.jpg バスターとジョーは部屋が一つしかない一軒家で共同生活をしている。歯痛に悩むバスターの傍らで身だしなみを整えるジョー、鏡を裏返すとそこにはシビルの肖像写真が貼ってある。それに向かってジョーが愛情表現するのを見たバスターはそれを取り上げて「彼女がどう思ってるかわからないけど、結婚するのは僕だよ」と歯痛も忘れて熱く主張する。歯を抜いてから、いつものとおり、朝食の準備。バスターは料理ジョーはテーブルセッティング。母親がいなくても家事が円滑に運ぶように、室内には様々な工夫が凝らされていた。後片付けを迅速かつ完璧に終えてからお出掛け。 外に出てみるとタイミング良く隣のお嬢さんシビル登場。彼女を巡って二人は争奪戦を繰り広げる。そキートンの案山子03.jpgの様子を見たシビルの父親はシビルに家に戻るよう戒める。面白くないシビルは、父親に仕返ししようと、胃にもたれるようなクリームたっぷりのパイを焼いた。それを窓辺に置いて冷ましている間、庭先に出てダンサーズ組合で習った踊りを母親に披露するシビル。たまたまジョーが通りかかり踊りのお相手を務めることに。後から来たバスターは仲の良さそうな二人を見て、ハートブレイク。力なく窓辺に寄り掛かる。と、そこにはこってりしたパイを食べて興奮した犬がいた。それを狂犬だと勘違いしたバスターは逃げる。逃げるから犬は追っかけてきて、高い塀の上までついてくる。追い詰められたキートンだったが―(「キートンの案山子」)。

デブ君の給仕」(1918年) ロスコー・アーバックル
デブ君の給仕.jpg キートン・プロのキートン監督・出演作の【第3作(米国公開日:1920年11月17日)】。天井から調味料セットは出てくるは、風呂とソファー兼用、本棚の背後に冷蔵庫...etc.  バスターとジョーの家のセットの仕掛けがスゴすぎ! 前半丁寧に家のギミックを見せ、中盤から犬との追い駆けっこになって爆走、終盤は案山子にもなって、ハッピーエンドまで走り切ったという感じでした。キートンが以前に一緒に仕事していたロスコー・アーバックル(「キートンとファッティのコニー・アイランド(デブ君の浜遊び)」('17年)キートンの案山子01.jpgなどの監督・脚本家兼俳優で、それ以前に「両夫婦」('14年)などチャップリンの作品にも出ていたが、1920年当時の彼はすでにパラマウント社へ移籍していた。1921年、女優ヴァージニア・ラッペへの強姦殺人容疑で起訴され、映画界を追放されるが、後に冤罪であったことが証明されている)との共作期のリズムとテンポを踏襲しているのは間違いありません。滅茶苦茶"演技"しまくっている犬"ルーク・ザ・ドッグ"は、そのアーバックルの飼い犬だそうです。シビル・シーリーって「キートンの文化生活一週間(マイホーム)」('20年)にも出ていましたが、こうして観ると今風に可愛いね。なぜ、ダンサーズ組合員だと、笛が鳴るまで踊りをストップできないのか、よく分からなかったけれど。

 2作とも、後期のキートンがMGMに移ってからの長編などよりは動きがキレキレで、その分面白いです。それにしても、アクションがシュール過ぎます(笑)。

「キートンの囚人13号(ゴルフ狂の夢)」●原題:CONVICT 13●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:17分●出演:バスター・キートン/シビル・シーリー/ジョー・ロバーツ/エドワード・F・クライン●米国公開:1920/10(評価:★★★★)

キートンの案山子 ドッグ.jpg「キートンの案山子(スケアクロウ)」●原題:THE SCARECROW●制作年:1920年●制作国:アメリカ●監督・脚本:バスター・キートン/エドワード・F・クライン●製作:ジョセフ・M・シェンク●撮影:エルジン・レスリー●時間:16 分●出演:バスター・キートン/エドワード・F・クライン/ジョー・ロバーツ/ジョセフ・M・シェンク/ルーク・ザ・ドッグ●米国公開:1920/11(評価:★★★★)

ルーク・ザ・ドッグ


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フランス風の笑い(エスプリ)を体現したような作品。

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ぼくの伯父さん [DVD]」「ぼくの伯父さん HDマスター版 [DVD]」['24年]「ぼくの伯父さん」[Prime Video]
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ぼくの伯父さんの休暇 [DVD]」『ぼくの伯父さんの休暇 (中公文庫 カ 3-1)』(小説化作品)['08年]

 パリの古い下町に住む「ぼくの伯父さん」ことユロ氏(ジャック・タチ)が、自動化されアメリカナイズされたモダンな住宅やプラスチック工場で悪戦苦闘するコメディ「ぼくの伯父さん(Mon Oncle)」は、ジャック・タチ(1907-1982)監督の長編第2作「ぼくの伯父さんの休暇(Les Vacances de Monsieur Hulot))」('53年/仏)に続く長編第3作で、日本ではこちらの方が早く公開されています(タチが演じるユロ伯父さんが登場するのは「ぼくの伯父さんの休暇」と同じだが、直接のストーリー関係はない)。爆笑を誘うような場面はほとんど無いですが、知らず知らずのうちにくすっと笑っていて、観終えてからどこで笑ったか考え、またそこで思い出し笑いするといった、フランス風の笑いぼくの伯父さん Mon Oncle .jpg(エスプリ)を体現したような作品。1958年・第11回「カンヌ国際映画祭 審査員特別賞」を受賞したほか、米国で1958年・第31回「アカデミー賞外国語映画賞」を受賞していますが、この作品ではそのモダンな住宅のセットも話題になり、ジャック・タチのモダニスト的な資質も注目されました(映画は小説化されていて、文庫化もされている)。
「ぼくの伯父さん」の1シーンとセットのレプリカ(パリ)
ジャック・タチ「ぼくの伯父さんの休暇」【DVD】
ぼくの伯父さんの休暇d.jpgぼくの伯父さんの休暇01.jpg 一方、「ぼくの伯父さんの休暇)」は、海辺の避暑地にやって来てバカンスを楽しむユロ氏が、行く先々で珍妙な騒動を巻き起こすというもので、ストーリーらしいストーリーは存在せず、いわゆる「スケッチ・コメディー」(ポートレイト・ムービー形式のコメディ)に仕立てていますが、こちらもフランス人らしいエスプリの効いたコメディ作品であり、「ぼくの伯父さん」以前にジャック・タチのスタイルが出来上がっていたことを窺わせます。「ぼくの伯父さん」と違ってモノクロ映画ですが、これはこれで強い印象がありました。この作品は、1953年度の「ルイ・デリュック賞」を受賞していますが、コメディでは初のことと思われます。原題を直訳すると「ユロ氏の休暇」となり、伯父さんとの表現は出て来ませんが(本編中にもそのような言及は無い)、邦題がこのようになったのは、長編3作目「ぼくの伯父さん」の方が日本では先に公開されたためです(こちらも小説化されていて、文庫化もされている)。

ピエール・エテックス ヨーヨー.jpgピエール・エテックス.jpg 先にピエール・エテックスの「ヨーヨー」('62年/仏)などの作品を取り上げましたが、ピエール・エテックスはジャック・タチのもとで映画作りの方法を学んでいます。少ないセリフや立ち振る舞い、街の人々を巻き込みながら起こる不運や偶然にニヤリとしてしまう感覚は両者の作品に共通するものであり、ピエール・エテックスがジャック・タチ作品からさまざまな要素を吸収しているのが、彼の映画から見て取れます。日本語版Wikipediaによると、彼は「ぼくの伯父さん」にも出演していたとあります(もちろん、この作品のユロ伯父さんを演じるのはジャック・タチであり、ピエールぼくの伯父さん Mon Oncle2.jpgジャック・タチ.jpg・エテックスはどこに出ていたか思い出せない。また、英語版Wikipediaでは出演確認ができない)。まあ、ジャック・タチ監督の"弟子筋"といったとことろでしょうか。

Tati as M. Hulot(ジャック・タチ in「ぼくの伯父さん」('58年/仏))

  「ぼくの伯父さん」「ぼくの伯父さんの休暇」とも、初めて観た際の評価は★★★でしたが、ネットで再見して、懐かしさのあまり(笑)★1つ加えました(初見の際には気づかなかったジャック・タチの洗練されたセンスも評価修正の要因)。

ぼくの伯父さんp.jpgぼくの伯父さん000.jpg「ぼくの伯父さん」●原題:MON ONCLE(英題:My Uncle)●制作年:1958年●制作国:フランス・イタリア●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:ジャン・ブールゴワン●音楽:アラン・ロマン/フランク・バルチェッリーニ●時間:120分●出演:ジャック・ぼくの伯父さん d.jpgタチ/アラン・ベクール/ジャン=ピエール・ゾラ/アドリアンヌ・セルヴァンティ/ドミニク・マリー/ルシアン・フレジス/ベティ・シュナイダー/イヴォンヌ・アルノー/ピエール・エテックス(?)●日本公開1958/12:●配給:新外映●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)

ぼくの伯父さんの休暇02.jpg「ぼくの伯父さんの休暇」●原題:LES VACANCES DE MONSIEUR HULOT(英題:Monsieur Hulot's Holiday, Mr. Hulot's Holiday)●制作ぼくの伯父さんの休暇009.jpg年:1953年●制作国:フランス●監督・製作・脚本:ジャック・タチ●撮影:フレッド・オラン/ジャック・タチ●音楽:アラン・ロマン●時間:88分●出演:ジャック・タチ/ナタリー・パスコー/ルイ・ペロー/アンドレ・デュボワ●日本公開:1963/08●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:日仏学院(82-09-25)(評価:★★★★)

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野外をクルマみたいに移動するベッドが愉しかった「大恋愛」。アカデミー短編映画賞受賞作「幸福な結婚記念日」。
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大恋愛 HDレストア版 [DVD]」【映像特典】短編「幸福な結婚記念日」

大恋愛 02.jpg 工場経営者の娘と結婚したピエール(エテックス)は、義父から仕事を任され妻フロランス(アニー・フラテリーニ)と悠々自適な暮らしを送りながらも、どこか満たされない思いを抱えていた。そんなある日、彼は秘書として入社してきた18歳の魅力的な女性アグネス(ニコール・カルファン)に心を奪われ、妄想をエスカレートさせていく―(「大恋愛」)。

大恋愛 03.jpg 「大恋愛」はピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)初のカラー長編映画。男(エテックス)の夢想で繰り広げられる恋の身悶えが伝わってきますが(ニコール・カルファンが可愛いい。彼女に限らず、エテックス映画には美女がよく出てくる)、ラスト、意外とあっさり覚めて元の鞘に収まった感じ(ビリー・ワイルダーの「七年目の浮気」('55年/米)みたいだね)。

大恋愛 01.jpg 実は、妻フロランスを演じたアニー・フラテリーニは、後に本当にエテックスと結婚しています。アニー・フラテリニは元サーカス芸人で、エテックスは彼女と共にアニー・フラテリニサーカス学校を設立しています(1997年に死別)。

 野外をクルマみたいに移動するベッドが愉しかったです(この辺り、すべて男の夢想世界なのだが)。誰かが、「面白さとしては、『健康でさえあれば』('65年)よりは上、『ヨーヨー』('64年)よりは下」と言っていましたが、個人にはほぼそれに近い評価です。一応、「ヨーヨー」...★★★★、「健康でさえあれば」...★★★☆ に対して、本作は「健康でさえあれば」と同じ★★★☆としました(IMDb評価は7.5で、こちらも評価は7.5の「ヨーヨー」と拮抗している)。

 
幸福な結婚記念日 1.jpg 結婚記念日を妻と自宅で祝うため、プレゼントやワインを買い込んで家路を急ぐ男。しかしパリの交通渋滞などのトラブルに次から次へと巻き込まれ、なかなか家に辿り着くことができず―(「幸福な結婚記念日」)。

幸福な結婚記念日 2.jpg 「幸福な結婚記念日」は短編で、主人公の男が結婚記念日に妻の待つ我が家に帰宅しようとするも、渋滞などに巻き込まれ、なかなか帰宅できない様を描いたもの(「健康でさえあれば」にも渋滞コメディがあったなあ)。現代人のストレス感を主人公が象徴的に代弁している感じ。そうしたこともあってか、1963年・第35回「アカデミー賞」で「最優秀短編実写映画賞」を受賞しています。

 パリの街並みと石畳を走ってるクルマが絵になっています。タイトルの「幸福な」は反語表現なわけだなあ。

大恋愛[評価 7.5]
大恋愛 04.jpg大恋愛 00.jpg「大恋愛」●原題:LE GRAND AMOUR(英:THE GREAT LOVE)●制作年:1968 年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●●時間:87分●出演:ピエール・エテックス/アニー・フラテリーニ/ニコール・カルファン●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-22)(評価:★★★☆)


Heureux anniversaire[評価 7.2]
幸福な結婚記念日 0.jpg幸福な結婚記念日 4.jpg「幸福な結婚記念日」●原題:HEUREUX ANNIVERSAIRE(英:HAPPY ANNIVERSARY)●制作年:1962 年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●製作:ポール・クロードン●撮影:ピエール・ルバン●音楽:クロード・スティエルマンス●時間:13分●出演:ピエール・エテックス/ジョルジュ・ロリオット/ノノ・ザミット/ルシアン・フレジス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-22)(評価:★★★☆)

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爆笑を誘うというよりは、クスっと笑えるところがエテックスらしい。

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健康でさえあれば HDレストア版 [DVD]」【映像特典】短編「絶好調」/「健康でさえあれば」「絶好調」

ピエール・エテックス.jpg健康でさえあれば01.jpg ピエール・エテックス(1928-2016/87歳没)の「健康でさえあれば」は、「不眠症」「シネマトグラフ」「健康でさえあれば」「もう森へなんか行かない」の4話のオムニバス映画。1965年に一本の長編として仕上げられたものを1971年に再編集し、もともと一部を構成していた「絶好調」を独立させ、お蔵入りにしていた「もう森へなんか行かない」を第4話に入れたとのことです。
 
健康でさえあれば 不眠症.jpg 「不眠症」... 夜なかなか寝付けない男(エテックス)は、時間を潰そうとしてドラキュラ小説を読み始めるが―。ベッドで小説を読む男のいる健康でさえあれば 不眠症2.jpg現実世界(カラー)と、ドラキュラ小説の世界(モノクロ)を行き来し、やがて両方が交錯する展開が面白かったです。ドラキュラ小説の世界は重厚にしっかり描かれていて、トッド・ブラウニング の 「魔人ドラキュラ」('31年/米)をも想起させますが、そのドラキュラ伯爵を演じているのは名優ベラ・ルゴシならぬエテックス本人であるというのが可笑しいです(ドラキュラに追われている少女役の女優が綺麗)。
 
健康でさえあれば 2.jpg 「シネマトグラフ」... 男(エテックス)は映画館にいたはずだったのだが、幕間に流れるCM の奇妙な世界へ入り込んでしまう―。序盤は映画館の客たちのマナーの悪さが面白おかしく描かれ、映画が始まる前にTVコマーシャルっぽいCMが入るのですが、そのトーンがどこか変てこで、CMタレントたちが商品の効果を訴える相手がいつの間にかエテックスが演じる男になってしまっています。現実と仮想が交錯すると言う点で第1話「不眠症」に似ていますが、こちらは主人公が完全にCMの世界に入り込んでしまう感じ。"一滴垂らすだけで水を牛乳に変えるエキス"とか"車から髪の毛からサラダまで使える万能オイル"とか、完全に誇大広告の皮肉。シュールな小ネタの数々が楽しいです。
 
健康でさえあれば 3.png 「健康でさえあれば」... 近代化が進む都市。誰もがストレスを抱えて精神科を訪ねるが、ひときわストレスを抱えているのは精神科医本人だった。そこへ一人の男(エテックス)が訪ねて来る―。工事現場の騒音、交通渋滞といった現代ストレスの元凶が描かれ、バックには常にドリルを穿つような音が流れる中、話は展開していきます。と言っても脈絡が」あるような話でもなく、ナンセンスギャグの連続という感じ。込み合ったレストランで男の隣に席移動した薬剤師が、誤って男の薬かなんかを食べてしまうコント風のギャグが可笑しかったです(精神科のグラマーな受付嬢はベラ・バルモントか)。
 
健康でさえあれば もう森へなんか行かない.jpg 「もう森へなんか行かない」... 都会の喧騒から打って変わって、小鳥のさえずる田園が舞台。森に狩りにきた下手糞ハンター(エテックス)、境界柵の杭打ち作業をする農夫(管理人?)、ピクニックに来た中年夫婦が織りなすカリカチュア―。お互いに干渉し合ってお互いに目標が達成できないという状況を、ドリフターズのコントの連続のような形で描き出しています。4話の中では、比較的オーソドックスなコメディかも。第3話「健康でさえあれば」と突き合わせると、都会も嫌だけれど、田舎も楽しいことは無いということになる?
 
 以上が「健康でさえあれば」の全4話。続いて「絶好調」。

絶好調2.jpg絶好調1.jpg 「絶好調」... 田舎でソロキャンプをしていた青年(エテックス)は、管理の行き届いたキャンプ場へ行くよう警官に指示される。仕方なくキャンプ場へ移動したものの、そこは有刺鉄線で囲われた強制収容所(キャンプ)のような場所だった―。序盤のソロキャンプでいつまでも珈琲が沸かせないエテックスは、短編「破局」の手紙をなかなか書けないエテックスに通じます。中盤以降は、管理社会を皮肉ったものですが、次第に別の意味でのキャンプ=強制収容所のパロディになっていくところがブラック。最後は「大脱走」よろしくトンネルで脱出‼

 「ヨーヨー」('64年)の公開当時の評判がイマイチで(今観るとよく出来ていると思うが)、もっと面白いものをとの要請で作られたとのことですが、それぞれに面白いものの、やや方向性に一貫したものがなく(無理やり1つの作品にした印象も)、ギャグの積み重ねであるという印象は拭えません(「ヨーヨー」を超えてはいない)。ただ、爆笑を誘うというよりは、クスっと笑えるところがエテックスらしく、○としました。

Tant qu'on a la santé[評価 7.0]
健康でさえあれば08.jpg健康でさえあれば 004.jpg「健康でさえあれば」●原題:TANT QU'ON A LA SANTE(英題:AS LONG AS YOU'VE GOT YOUR HEALTH)●制作年:1965 年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:67分●出演:ピエール・エテックス/デニース・ペロンヌ/サヴィーヌ・サン/ベラ・バルモント/ロジェ・トラップ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)
健康でさえあれば02.jpg 健康でさえあれば」.jpg

En pleine forme[評価 6.7]
絶好調」.jpg絶好調3.jpg「絶好調」●原題:EN PLEINE FORME(英題:FEELING GOOD)●制作年:1965年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ジャン・パイヨー●時間:14分●出演:ピエール・エテックス/ロジェ・トラップ /プレストン/ロベルト・ブロメ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-20)(評価:★★★☆)

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「●フェデリコ・フェリーニ監督作品」の インデックッスへ 「●ニーノ・ロータ音楽作品」の インデックッスへ(「フェリーニの道化師」)「●TV-M (その他)」のインデックッスへ(「フェリーニの道化師」)「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ

「サーカス愛」に溢れるコメディ映画。大富豪シーンは圧巻。エンディングもいい。

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ピエール・エテックス Blu-ray BOX Ⅰ」「ヨーヨー」
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映画チラシ フェリーニの道化師 フェデリコ・フェリーニ監督」「フェリーニの道化師 [DVD]

yoyo0.jpgyoyo .jpg 世界恐慌で破産した大富豪(ピエール・エテックス)は、元恋人であるサーカスの曲馬師と再会し、その存在を知らなかった幼い息子との3人での地方巡業の旅に出る。やがて成長した息子はヨーヨー(ピエール・エテックス二役)という人気クラウンになり、第2次世界大戦が終わると、かつて父が暮らしていた城を再建するべく奔走する。空中ブランコ乗りのイゾリーナ(クローディーヌ・オージェ)に恋したヨーヨーは、興行プロデューサーとして成功するが―。

ヨーヨー2.jpg 世界恐慌までを字幕付きのサイレントで、その後をトーキーで描いています。エテックスの盟友で後に「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」などを手がける脚本家ジャン=クロード・カリエールが共同脚本を担当。日本では「ピエール・エテックス レトロスペクティブ」(2022年12月24日~2023年1月20日、東京・シアター・イメージフォーラム)で劇場初公開されました。

ピエール・エテックスヨーヨー 9.jpg 最初の方の大豪邸における大富豪の暮らしぶりから圧巻。就寝するだけのことに何人の執事らが関わるのか数えきれす、楽団が来てセレナーデか何か奏でたり、大勢の女性たちが体をほぐすに来たりと、一体この邸宅で何人雇っているのでしょうか。立派な岩風呂にこれから自分が入るのかと思ったら、飼い犬用だったというのには笑いました。でも、大富豪自身はどこか虚無的。曲馬師の娘に恋することで人生の喜びに目覚める―。

ヨーヨー4.jpg やがて世界恐慌。ビルの屋上から自殺者が降ってくるので気をつけなければならない。富豪も破産し、女性と再び出会うが、彼女の傍にいたのは自分の息子だった。そして3人でサーカスの旅へ。ライバルのサーカス一行が「ザンパノとジェルソミーナ」(フェデリコ・フェリーニの 「」('54年)へのオマージュ)、時代の動きを表すカール・マルクスの肖像の後からなぜかグルーチョ・マルクス像が続き、ヒトラーは壁に向かって歩き、なにかもぞもぞしていると思ったら、振り向くとチャップリンに変身していた(チャップリンの「独裁者」('40年)へのオマージュ)―と、この辺りは映画愛満載でした。

ヨーヨー1.jpg やがて、主役は富豪からクラウンとして有名になった息子にバトンタッチされます(言ってもどちらもエテックスが演じているだが)。彼は子供時代に父の屋敷に入り込んで彷徨い(そのシーンはベルイマン映画のよう)、その時の憧れから父の屋敷を取り戻そうと頑張り、クラウンとして稼ぎをすべて屋敷の修復に費やします。その間、人気スターゆえの煩わしさや、製作者としての何かとままらない気持ちも描かれます(前年公開のフェリーニの「81/2」('63年)を想起させられる)。

ヨーヨー3.jpg そして、遂に屋敷を完全修復し、大勢を招いてお披露目パーティーを。離れて暮らす両親(画面に顔は出てこない)を呼び寄せ、屋敷の中を見るよう言いますが、両親は中には入らず去っていきます。そのことで、華やかだが空疎な豪邸を後に、ヨーヨー自身も象に乗って去っていく―やはり、ヨーヨーはサーカスの世界に帰っていくということでしょう。ちょっと寂しいけれど、いいエンディングでした。

 トリュフォーが絶賛し、ゴダールがその年のベストテンに選んだという作品。日本公開まで半世紀以上もかかってしまいましたが、もっと注目されていい作品。キートンの「大列車強盗」('26年)からチャップリンの「独裁者」('40年)、フェデリコ・フェリーニの 「道」('54年)、イングマール・ベルイマン「沈黙」('63年)まで、さまざまな映画へのオマージュが見られます。

フェリーニの道化師 フェデリコ・フェリーニ Blu-ray
フェリーニの道化師 br.jpgフェリーニの道化師」01.jpg さらに、そうした「映画愛」以上に「サーカス愛」に溢れるコメディ映画で、ピエール・エテックスもこの5年後、フェデリコ・フェリーニ監督の「フェリーニの道化師」('70年・伊)に出演します。かつての名道化師を追いかけていたフェリーニが、彼らの演技を収めたフィルムのある家を訪ねます。そのフィルムを持っていたのが、名フェリーニの道化師」02.jpgフェリーニの道化師 エテックス.jpgコメディアンで映画監督でもあったピエール・エテックス(「道化師」に関しては本邦ではピエール・エテの表記)だったと(部屋のバックに「ヨーヨー」のポスターが見える)。

ピエール・エテックス in「フェリーニの道化師」(本人役)[当時42歳]

 この作品はフェリーニの道化師」08.jpg、フェリーニ監督がイタリア国営放送のために制作したドキュメンタリー風テレビ映画で、実際にはドキュメンタリーに見える部分も演出されているようです(実在の道化師たちの談話がフェリーニ率いる虚実混淆の"撮影隊"によってフィルムに収められる様子が描かれることで、映画は幻想と現実が幾重にも入り組んだ複雑な様相を呈している)。1970年の12月25日(クリスマスの日)にテレビ放映され、同月27日から劇場公開されていますが、傑作との評判に7年後の1976年12月に日本でも公開の運びとなっています。サーカスやピエロといった消えゆく文化への惜別の念と再興への希望という点で、「ヨーヨー」「道化師」の両作品は通底しているように思いました。


 因みに、ピエール・エテックスはジャック・タチ(1907-1982)のもとで映画作りの方法を学び、そこからさまざまな要素を吸収しているのが、彼の映画から見て取れます。少ないセリフや立ち振る舞い、街の人々を巻き込みながら起こる不運や偶然に、ニヤリとしてしまうあの感覚は間違いなく見覚えがあるのですが、それだけではありません。ジャック・タチだけでなく、チャップリンやキートンといったコメディ映画の巨匠たち、フェリーニやブニュエルなど、その他さまざまな映画監督たちの作風をピエール・エテックス監督作は想起させます。日本語版Wikipediaによると、彼は、フェリーニ監督の「フェリーニの道化師」('70年/伊)のずっと前に、ジャック・タチ監督の「ぼくの伯父さん」('58年/仏)にも出演していたとあります(もちろん、この作品のユロ伯父さんを演じるのはジャック・タチであり、ピエール・エテックスはどこに出ていたか思い出せない。また、英語版Wikipediaではぼくの伯父さん Mon Oncle2.jpgジャック・タチ.jpg出演確認ができない)。まあ、ジャック・タチ監督の"弟子筋"といったとことろでしょうか。「ぼくの伯父さん」は、1958年・第11回「カンヌ国際映画祭 審査員特別賞」を受賞したほか、米国で1959年・第31回「アカデミー賞外国語映画賞」を受賞します。

ジャック・タチ in「ぼくの伯父さん」('58年/仏)

    
ルアーヴルの靴みがき」(医師役)[当時82歳]/「皆さま、ごきげんよう」(ホームレス役)[当時86歳]
「ルアーヴルの靴みがき」11.jpg皆さま、ごきげんよう.jpg ピエール・エテックスはこのほかに自身の監督作以外に10数本の映画に出演していて、映画を撮ることは早くにやめてしまいましたが(1971製作のヴァカンスに出かけるフランス人たちを辛辣ともいえる視線で捉え(「ぼくの伯父さんの休暇」へのオマージュか)、ビュルレスク的に構成した初のドキュメンタリー「桃源郷」(Pays de cocagne(英題:Land of Milk and Honey))がそのキャリアに終止符を打つことになった問題作だったとされ(個人的には、意図が伝わりにくい作品だと思った)、また、その後、1986年にラ・ヴィレットのオムニマックスのための最初の作品(「私は宇宙で書く」(J'écris dans l'espace)の演出をオファーされるも、この作品の失敗により、エテックスは映画製作に対する情熱を完全に失ったとも言う)、一方で映画への出演の方は晩年にも見られ、アキ・カウリスマキ監督の「ルアーヴルの靴みがき」('11年/フィンランド・仏・独)などもその1つ。2016年10月14日(87歳没)に没する前年にも、タール・イオセリアーニ監督の「皆さま、ごきげんよう」('15年/仏・ジョージア)に出ています。

「桃源郷」(Pays de cocagne(英題:Land of Milk and Honey))1971
桃源郷」(Pays de cocagn.jpg

エテックス 桃源郷.jpgエテックス 桃源郷2.jpg
・THE SUITOR(「恋する男(女はコワイです)」1962)
・YOYO(「ヨーヨー」1964)
・AS LONG AS YOU'VE GOT YOUR HEALTH(「健康でさえあれば」1965)
・RUPTURE(「破局」1961)
・HAPPY ANNIVERSARY(「幸福な結婚記念日」1962)
・LE GRAND AMOUR(「大恋愛」1968)
・FEELING GOOD(「絶好調」1965)
・Land of Milk and Honey(「桃源郷」1971)

 
フェリーニの道化師 [DVD]
フェリーニの道化師dvd.jpg⦅「フェリーニの道化師」あらすじ⦆
 少年は寝室の窓から外を見ると巨大なテント小屋が張られていた。翌朝少年は母親に「あれは何」と聞くと母は「サーカスよ。悪い子は連れて行かれるよ」と答えた。そして夜になると母に連れられてサーカスを見に行った。爆弾を空に舞わせて背中で受ける芸、小さなシーソーに葉巻を乗せて飛ばし、口でくわえる芸、二人の道化師の一人が怒り一方の頭に斧を打ち込む芸、小人の丸焼きを模した芸、怪力女性の決闘、インド人の生きたままの埋葬、人魚やシャムの双生児などの見世物。そんな道化師たちの芸が始まる。道化師たちはみな目茶苦茶で不恰好な衣装と白塗りのふざけた化粧の顔で、躍動感と活気、猥雑と喧騒、度肝を抜くような奇抜な仕掛けで、見物人を驚かす。そんな道化師の芸を見ていた少年は、道化師に恐怖を感じて泣き出す。母は「何を泣いているの。家に帰ったらお灸だよ」と叱られた。少年は「判読しがたい無表情な白い顔。酔っ払いのゆがんだ顔。叫び声。異常な笑い。バカげた冗談。どこの田舎にもいる風変わりで落ち着きの無い人達を思い出させた」と回想する。助平で冗談好きのジョバンニ爺さん。また1.3メートルの身長の尼さんは、自分だけが聖人に信じられていると呟き、修道院と精神病院を往復する。怠け者の夫を罵る妻。ムッソリーニの演説を諳んじている傷痍軍人。喧嘩ばかりする駅馬車の御者。戦争映画を見て翌日壁に向かって突進した男、などなど。
フェリーニの道化師 アニタ.jpg 現在、道化師はどうなったか。フェリーニ監督は「恐怖を誘う強烈な喜劇性と大騒ぎの楽しさ。彼らの属していた世界はない。サーカス小屋はグランドだ。観客に子どもらしい単純さはない」と現状を調べようと取材チームを組み各地を取材する。イタリアのオルフェイサーカスを訪ねた(サーカスではアニタ・エクバーグと偶然会う)。座長は「現代の道化師は、長いものは喜ばれない。笑いは10分でいい」「昔の道化師は終わった。今は扮装も変わった」と語る。オーギュストという道化師は、酒びたりで病院に入院したが、ヌーボーサーカスの道化を見るため病院を抜け出し、芸を見ながら亡くなった。パリの「冬」サーカス場は、全盛は終わり観客が子どもだけ、そこにいるバプティストやチャップリンの娘はフランス巡業を夢見ている。スペインの道化師リベルは道化師の学校を作れと主張。ピエール・エテ監督は道化師の記録映画を持っていたが、フイルムが焼けて見られない。ロリオ、バリオなどはアルバムを見せ過去を語るだけ。そしてクライマックスの道化師の死をテーマにした大掛かりな道化師を結集した圧巻の芸が展開される。やがて終演し、道化師たちは退場して消灯される。その中で一人の道化師はトランペットで「引き潮」を吹き鳴らし、死んだ仲間の存在を確かめまる。すると死んだ仲間が現れ、一緒に舞台で演奏し合い静かに楽屋へ去る

Yoyo[評価 7.5]
ヨーヨーYoyo.jpgヨーヨー cb.jpg「ヨーヨー」●原題:YOYO●制作年:1964年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ジャン・ボフティ●時間:98分●出演:ピエール・エテックス/リュス・クランクローディーヌ・オージェ●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-08-06)(評価:★★★★)
 


映画パンフレット 「フェリーニの道化師」 監督/出演 フェデリコ・フェリーニ 出演 アニタ・エクバーグ/ピエール・エテ/アニイ・フラッテリーニ/グスターブ・フラッテリーニ/リアナ/トリスタン・ルミイ/フランコ・ミグリオリーニ」 
フェリーニの道化師 i.jpg「フェリーニの道化師」1970年.jpg「フェリーニの道化師」●原題:FELLINI:I CROWNS●制作年:1970年●制作国:イタリア●監督:フェデリコ・フェリーニ●製作:エリオ・スカルダマーリャ/ウーゴ・グエッラ●脚本:フフェリーニの道化師 12.jpgェデリコ・フェリーニ/ベルナルディーノ・ザッポーニ●撮影:ダリオ・ディ・パルマ●音楽:ニーノ・ロータ●時間:110分●出演:フェデリコ・フェリーニ/アニタ・エクバフェリーニの道化師 p.jpgーグピエール・エテックス/ジョセフィン・チャップリン/グスターブ・フラッテリーニ/バティスト/アニイ・フラッテリーニ/リアナ/トリスタン・ルミイ/フランコ・ミグリオリーニ●日本公開:1976/12●配給:東宝東和●最初に観た場所:池袋・文芸坐(78-02-07)(評価:★★★★)●併映:「フェリーニのアマルコルド」(フェデリコ・フェリーニ)
「エキプ・ド・シネマ」3周年(1974.02-1976.12)記念カタログ(フェリーニ特集)
フェリーニの道化師」アニタ.jpg

桃源郷 8.jpg「桃源郷」●原題:PAYS DE COCAGNE(英題:Land of Milk and Honey)●制作年:1971年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●製作:ポール・クロードン●脚本:ピエール・エテックス●撮影:ジャン・ボフティ●音楽:ホセ・パディーヤ●時間:80分●ドキュメンタリー●日本公開:2022/12●配給:東京日仏学院[自主上映](「フレンチタッチ・コメディ!〜30年から現在までのフランス映画のコメディ特集」(15-11-20))(評価:★★★?)


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エテックス監督の長編デビュー作&短編。共に軽妙で、軽くブラック・コメディ的。

「恋する男」「破局」.jpg
恋する男 HDレストア版 [DVD]」【映像特典】短編「破局」/「恋する男(女はコワイです)」「破局」

ピエール・エテックス 恋する男4.jpg 天文学の趣味に没頭してばかりの不器用な三十男(ピエール・エテックス)。ある日、父親(クロード・マッソ)から結婚を命じられ、色々な女性を求めて町恋する男(1962)1.jpgを歩いたが、この純情青年に振り向く女性はなかった。この家に下宿していたスウェーデンの美少女(カリン・ベズレー)にもプロポーズしたが、仏語のわからない彼女にはさっぱり。男は遂にナイトクラブでローレンス(ローランス・リニェール)という女と知りあったが、この女、大酒のみで困った性格だが、それでも優しく親切であった。とこ恋する男(1962)3.jpgろが、テレビの中で悩ましく歌う歌手(フランス・アルネル)を見て、彼はたちまちノボセる。部屋中を彼女のブロマイピエール・エテックス 恋する男3.jpgドで飾りたて、等身大の立看板まで持ち込む執心ぶり。この有様を見たスウェーデン娘の哀しみが彼に理解出来るワケもなく、苦心惨憺ようやく歌手の楽屋を訪ね、その夢と現実のあまりの差異に男は初めて大声で快活に笑った。スウェーデン娘が淋し恋する男(1962)2.jpgくパリを後にするとき、彼女こそ、彼の純情を理解した真実人生の伴侶にふさわしい女性であったことに彼は気づき後を追う―。

ピエール・エテックス 恋する男5.jpg 映画監督・俳優・イラストレーター・道化師など多彩に活躍したフランスのマルチアーティスト、ピエール・エテックス(1918-2016/87歳没)監督の1962年の長編監督デビュー作(原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR))。フランス本国で大ピエール・エテックス 恋する男8.jpgヒットし、喜劇映画ではジャック・タチの「ぼくの伯父さんの休暇」('53年/仏)以来恋する男(1962)ルイ・デリュック賞.jpgとなる「ルイ・デリュック賞」(毎年最高のフランス映画に与えられる、フランス映画界最古の映画賞)を受賞しています。

2022年12月24日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国にて開催の〈ピエール・エテックス レトロスペクティブ〉で公開された7作品の内の1つで、この作品のみが'63年に本邦公開済みで(当時の邦題は「女はコワイです」だった)、他の作品は"本邦初公開"でした(ただし、2015年11月13日(金)~ 12月20日(日)の約1ヶ月間、飯田橋にある東京日仏学院(アンスティチュ・フランセ東京)にて開催された「フレンチタッチ・コメディ!〜30年から現在までのフランス映画のコメディ特集」で、11月20日(金)に「幸福な記念日」('62年/12分)、「恋する男」('62年/83分)、「絶好調」('65年/13分)、「桃源郷」('71年/74分)が、12月6日(日)に「破局」('61年/11分)、「健康である限りは」('65年/80分)が、12月11日(金)に「ヨーヨー」('64年/99分)、「大恋愛」('68年/85分)が上映されているほか、同年11月21日(土)~29日(日)の第16回「東京フィルメックス映画祭」でも、在日フランス大使館とアンスティチュ・フランセ日本の共催で「特集上映ピエール・エテックス」が開催され、「ヨーヨー」「大恋愛」が上映されている。ただし、映画祭での上映であるため、ここでは'63年本邦公開の「恋する男(女はコワイです)」以外は、劇場公開されていない「桃源郷」を除き、「映画.com」に沿って2022年12月"本邦初公開"とした)。

恋する男(1962)4.jpg恋する男(1962)ル.jpg 非モテ系青年が結婚を決意し、女性と付き合おうとするも次々と失敗するコメディ。引き籠りの天文学オタクだけれども、女性には夢想的憧れを抱いているという、主人公の性格を如実に知らしめる演出が冒頭から巧みで、リアルさとオーバーにならない喜劇的演技のバランスがほど良かったように思います。

 たまたま主人公に近づいてきた女性は、美人だけれども厄介な女性で(ほぼ酔っ払い)、その女性とのやりとりが軽妙で笑え、そこから今度はテレビに登場した女性歌手に一目惚れしてしまって、妄想に浸るとまたオタク的気質全開。妄想がエスカレートして病んでいく展開は、ブラックユーモア的でもあります。

 最後、自分にとって大事な女性が実は一番身近にいたことに気づいたみたい。思いが通じ合ったのか、その辺りをぼかしているのが洒落ていると言えば洒落ているのかもしれないけれど、ストレートにハッピーエンドにしても良かったようにも思えました(一応、ほぼほぼハッピーエンドっぽいが)。


ピエール・エテックス 破局1.jpg 恋人から手紙を受け取った男。中には破かれた自分の写真が同封されていた!こちらも負けじと別れの手紙を書こうと奮闘するが、万年筆、インク、便箋、切手、デスク...なぜか翻弄されてどうしても返事を書くことができない―(「破局」)。

ピエール・エテックス 破局4.jpg ジャン=クロード・カリエールとの共同監督・脚本作ですが、セリフがなく、音を使ったギャグが冴える作品でした。何をやろうとしてもうまくいかない、こんなことって日常でもあるかも。ここまでそれが連続することはないにしても...。危ない、危ないと思わせて、実際そうなるところが上手いです。ただ、転落するラストは予想外でした。軽くブラック・コメディ的で、これは両作品に言えることかもしれません。

Le Soupirant[評価 7.2]
恋する男図1.jpgピエール・エテックス 恋する男cb.jpg「恋する男(女はコワイです)」●原題:LE SOUPIRANT(英:THE SUITOR)●制作年:1962年●制作国:フランス●監督:ピエール・エテックス●脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:84分●出演:ピエール・エテックス/クロード・マッソ/デニース・ペロンヌ/ローレンス・リニエール/フランス・アルネル/カリン・ヴェスリ●日本公開:1963/11●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)(評価:★★★☆)●併映:「破局」(ピエール・エテックス)

Rupture[評価 6.9]
破局020.jpgピエール・エテックス 破局5.jpg「破局」●原題:RUPTURE●制作年:1961年●制作国:フランス●監督・脚本:ピエール・エテックス/ジャン=クロード・カリエール●撮影:ピエール・ルバン●音楽:ジャン・パイヨー●時間:12分●出演:ピエール・エテックス●日本公開:2022/12●配給:ザジフィルムズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-07-23)((評価:★★★☆)●併映:「恋する男」(ピエール・エテックス)


●「ルイ・デリュック賞」(1937年創設)これまでの受賞作
1937年 - 1949年
 1937年 どん底 Les Bas-fonds、ジャン・ルノワール
 1938年 Le Puritain、ジェフ・ムッソ (Jeff Musso)
 1939年 霧の波止場 Le Quai des brumes、マルセル・カルネ
 1940年(該当作なし)
 1941年(該当作なし)
 1942年(該当作なし)
 1943年(該当作なし)
 1944年(該当作なし)
 1945年 希望 Espoir, sierra de Teruel、アンドレ・マルロー
 1946年 美女と野獣 La Belle et la Bête、ジャン・コクトー
 1947年 パリ1900年 Paris 1900、ニコル・ヴェドレス
 1948年 Les Casse-pieds、ジャン・ドレヴィル (Jean Dréville)
 1949年 七月のランデヴー Rendez-vous de juillet、ジャック・ベッケル

1950年代
 1950年 田舎司祭の日記 Journal d'un curé de campagne、ロベール・ブレッソン
 1951年(該当作なし)
 1952年 恋ざんげ Le Rideau cramoisi、アレクサンドル・アストリュック
 1953年 ぼくの伯父さんの休暇 Les Vacances de monsieur Hulot、ジャック・タチ
 1954年 悪魔のような女 Les Diaboliques、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
 1955年 夜の騎士道 Les Grandes Manœuvres、ルネ・クレール
 1956年 赤い風船 Le Ballon rouge、アルベール・ラモリス (Albert Lamorisse)
 1957年 死刑台のエレベーター Ascenseur pour l'échafaud、ルイ・マル
 1958年 僕は黒人 Moi un noir、ジャン・ルーシュ
 1959年 日曜には埋葬しない On n'enterre pas le dimanche、ミシェル・ドラック (Michel Drach)

1960年代
 1960年 かくも長き不在 Une aussi longue absence、アンリ・コルピ
 1961年 Un cœur gros comme ça、フランソワ・レシャンバック
 1962年 不滅の女 L'Immortelle、アラン・ロブ=グリエ
     女はコワイです Le Soupirant、ピエール・エテックス
 1963年 シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg、ジャック・ドゥミ
 1964年 幸福 Le Bonheur、アニエス・ヴァルダ
 1965年 城の生活 La Vie de château、ジャン=ポール・ラプノー
 1966年 戦争は終った La guerre est finie、アラン・レネ(1回目)
 1967年 めざめ Benjamin、ミシェル・ドヴィル
 1968年 夜霧の恋人たち Baisers volés、フランソワ・トリュフォー
 1969年 すぎ去りし日の... Les Choses de la vie、クロード・ソーテ(1回目)

1970年代
 1970年 クレールの膝 Le Genou de Claire、エリック・ロメール
 1971年 Rendez-vous à Bray、アンドレ・デルヴォー (André Delvaux)
 1972年 戒厳令 État de siège、コスタ=ガヴラス
 1973年 サン・ポールの時計屋 L'Horloger de Saint-Paul、ベルトラン・タヴェルニエ
 1974年 平手打ち La Gifle、クロード・ピノトー (Claude Pinoteau)
 1975年 さよならの微笑 Cousin, cousine、ジャン=シャルル・タケラ
 1976年 判事ファイヤールあだ名はシェリフ Le Juge Fayard dit Le Shériff、イヴ・ボワッセ (Yves Boisset)
 1977年 ディアボロ・マント Diabolo menthe、ディアーヌ・キュリス (Diane Kurys)
 1978年 銀行 L'Argent des autres、クリスチャン・ド・シャロンジュ (Christian de Chalonge)
 1979年 王と鳥 Le Roi et l'oiseau、ポール・グリモー

1980年代
 1980年 Un étrange voyage、アラン・カヴァリエ (Alain Cavalier)
 1981年 Une étrange affaire、ピエール・グラニエ=ドフェール (Pierre Granier-Deferre)
 1982年 ダントン Danton、アンジェイ・ワイダ
 1983年 愛の記念に À nos amours、モーリス・ピアラ
 1984年 La Diagonale du fou、リシャール・ダンボ (Richard Dembo)
 1985年 なまいきシャルロット L'Effrontée、クロード・ミレール
 1986年 汚れた血 Mauvais Sang、レオス・カラックス
 1987年 右側に気をつけろ Soigne ta droite、ジャン=リュック・ゴダール
     さよなら子供たち Au revoir les enfants、ルイ・マル(2回目)
 1988年 読書する女 La Lectrice、ミシェル・ドヴィル(2回目)
 1989年 愛さずにいられない Un monde sans pitié、エリック・ロシャン

1990年代
 1990年 ピストルと少年 Le Petit Criminel、ジャック・ドワイヨン
     髪結いの亭主 Le Mari de la coiffeuse、パトリス・ルコント
 1991年 めぐり逢う朝 Tous les matins du monde、アラン・コルノー
 1992年 小さな王子が言いました Le petit prince a dit、クリスティーヌ・パスカル (Christine Pascal)
 1993年 スモーキング / ノー・スモーキング Smoking / No Smoking、アラン・レネ(2回目)
 1994年 野性の葦 Les Roseaux sauvages、アンドレ・テシネ
 1995年 とまどい Nelly et M. Arnaud、クロード・ソーテ(2回目)
 1996年 クリスマスに雪は降るの? Y aura-t-il de la neige à Noël?、サンドリーヌ・ヴェッセ (Sandrine Veysset)
 1997年 恋するシャンソン On connaît la chanson、アラン・レネ(3回目)
     マルセイユの恋 Marius et Jeannette、ロベール・ゲディギャン
 1998年 倦怠 L'Ennui、セドリック・カーン
 1999年 素敵な歌と舟はゆく Adieu, plancher des vaches !、オタール・イオセリアーニ

2000年代
 2000年 ココアをありがとう Merci pour le chocolat、クロード・シャブロル
 2001年 インティマシー/親密 Intimité、パトリス・シェロー
 2002年 ぼくの好きな先生 Être et avoir、ニコラ・フィリベール (Nicolas Philibert)
 2003年 ベルヴォー三部作 その一:素敵な夫婦 Un couple épatant / その二:逃亡 Cavale / その三:その後 Après la vie、リュカ・ベルヴォー (Lucas Belvaux)
     Les Sentiments、ノエミ・ルヴォフスキー (Noémie Lvovsky)
 2004年 キングス&クイーン Rois et reine、アルノー・デプレシャン
 2005年 恋人たちの失われた革命 Les Amants réguliers、フィリップ・ガレル
 2006年 レディ・チャタレイ Lady Chatterley、パスカル・フェラン
 2007年 La Graine et le Mulet、アブデラティフ・ケシシュ
 2008年 La Vie moderne、レイモン・ドゥパルドン
 2009年 預言者 Un prophète、ジャック・オーディアール (Jacques Audiard)

2010年代
 2010年 ミステリーズ 運命のリスボン Mystères de Lisbonne、ラウル・ルイス
 2011年 ル・アーヴルの靴みがき Le Havre、アキ・カウリスマキ
 2012年 マリー・アントワネットに別れをつげて Les Adieux à la reine、ブノワ・ジャコ
 2013年 アデル、ブルーは熱い色 La Vie d'Adèle、アブデラティフ・ケシシュ(2回目)
 2014年 アクトレス〜女たちの舞台〜Sils Maria、オリヴィエ・アサヤス


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これもまた、濱口竜介監督作との類似性の点で興味深かった(特に第1話)。

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パリのランデブー [DVD]」第1話:「7時のランデブー」/第2話:「パリのベンチ」/第3話:「母と子1907年」

 エリック・ロメール監督が3話構成のオムニバスで描く恋愛コメディ(1994年製作・1995年公開)。

パリのランデブー1-1.jpg〈第1話:7時のランデブー〉法学部の学生エステル(クララ・ベラール)は試験を控えているが、恋人のオラス(アントワーヌ・バズレル)が自分に会わない日の7時ごろにカフェで別の女の子とデートしているという話パリのランデブー1-2.jpgを聞かされて勉強も手につかない。朝、市場で買い物中のクララは見知らぬ男に愛を告白され、ふと思いついてオラスがデートしていたという例のカフェに夜7時に来るように言う。その直後彼女は財布がないのに気づき、さてはあの男にスラれたと思う。夕方、アリシー(ジュディット・シャンセル)という女の子が財布を拾って届けてくれた。彼女は7時に例のカフェで待ち合わせがあるというので、エステールも件のスリとの待ち合わせの話をして一緒に行く。予想どおり、アリシーのデートの相手はオラスだった。エステルは彼に愛想が尽きる。アリシーも事態を察して去ると、そのテーブルに朝の市場の青年が腰掛け、人を待つ風でビールを注文する―。

パリのランデブー1-3.jpg 「偶然と想像」('21年)で「ベルリン国際映画祭銀熊賞」を受賞した濱口竜介監督は、同作をエリック・ロメールの作品、特に「パリのランデブー」に触発されて作ったとのことです。「あれも偶然がテーマになっていますが、構成も含めて参考にしています」と語っていますが、中でも「偶然と想像」の第1話「魔法(よりもっと不確か)」は、この作品の第1話「7時のランデブー」を色濃く反映していたように思います(「偶然」の設定がほぼ同じ)。男の身勝手が描かれていますが、ラストで再登場した青年の方は、スリではなかったのかあ。ちょっと気の毒。でも、このユーモラスな結末は、このエピソードの救いにもなっています。3話の中でも人気の高いエピソードであることに納得です。


パリのランデブー2-1.jpg〈第2話:パリのベンチ〉彼(セルジュ・レンコ)は郊外に住む文学教師、彼女(オロール・ローシェール)は同棲中の恋人が別にいるらしい。9月から11月にかけて、二人はパリの随所にある公園でデートを重ねる。彼は彼女パリのランデブー2-2.jpgを自宅に連れていきたいが、彼女は貴方の同居人がいやといって断る。彼女の恋人が親類の結婚式で留守にするとかで、彼女は観光客になったつもりでホテルに泊まろうと提案する。いざ目的のホテル前で、彼女は恋人が別の女とホテルに入るのを見る。別れるのは今がチャンスという彼に、彼女は「恋人がいなければあなたなんて必要ないわ」と言う―。

パリのランデブー2-3.jpg 第1話と対照的に第2話は完全に女性上位。主人公の彼女の好みで、デートの場所はいつも外で、場所も彼女が指定するのですが、それが、9月30日 サン=ヴァンサン墓地、10月14日 ベルヴィル公園、10月21日 ヴィレット公園、11月12日 モンスリ公園、11月18日 トロカデロ庭園、11月25日 オートゥイユ庭園...といった具合に日記風に展開されていき、映画自体がパリの公園巡りみたいになっています(笑)。ラストに決定的な女性のエゴを見せつけられた気がしますが、第1話と違って、この女性が嫌になると言うより(好きにもならないが)、男女の関係というものの複雑さを感じさせ、意外と深いエピソードだったようにも思います。


パリのランデブー3-1.jpg〈第3話:母と子1907年〉ピカソ美術館の近くに住む画家(ミカエル・クラフト)は、知人からスウェーデン人女性(ヴェロニカ・ヨハンソン)を紹介されていた。彼は自分を訪ねて来た彼女をピカソ美術館に連れていく。自分は美術館に入らず、8時に会う約束をしてアトリエに帰るその途中、彼は若い女(ベネディクト・ロワイヤン)とすれ違い、彼女を追って美術館に入る。彼女は「母と子1907年」の前に座る。彼はスウェーデン女性と合流し、そパリのランデブー3-2.jpgの名画の前で例の女性にわざと聞こえるように絵の講釈を始める。彼女が席を立ち、彼は慌てて別れを告げて女を追って美術館を出て、道で声をかける。彼女は自分は新婚で夫は出版業者、今度出る画集の色を原画と比べに来たのだという。彼はめげず、彼女も興味を覚えて彼の絵を見にアトリエに行く。二人は絵画談義を交わし、結局何もないまま女は去る。画家はしばし絵筆を取って作品に手を加え、スウェーデン女性との待ち合わせの場所に行く。だが時間が過ぎても女は現れない。家に帰った画家は絵の中の人物を一人完成させ、呟く。「それでも今日一日まったく無駄ではなかった」と―。

パリのランデブー3-3.jpg ベネディクト・ロワイヤンの《美術女》ぶりがいいですが、元々は人気モデルで、映画出演はあまりないみたい。スウェーデン人女性=のヴェロニカ・ヨハンソンも同じくモデル系でしょうか(皆が振り返るような振るには勿体ない美人だと思ったら、最後は女の方が男を振ったのか)。こうした演技経験の浅い人を使うところがエリック・ロメールらしく、先に挙げた濱口竜介監督はそうした部分においてもこれに倣っていて、「ハッピーアワー」('15年)で主演した演技経験の無い4人の女性に、第68回「ロカルノ国際映画祭最優秀女優賞」をもたらしています。

パリのランデブー4-1.jpg 各話の頭にアコーディオン弾きと歌い手の2人組が出てくるのは、ルネ・クレール監督の「巴里の屋根の下」へのオマージュでしょう。各話を繋いでいく辺りも演出方法そうですが、エリック・ロメール監督自身、先駆者の影響を受けているのだなあと改めて思いました。

濱口竜介.jpg 濱口竜介監督は演出においてひたすら「本読み」をやることで知られていますが、エリック・ロメール監督がそうであり、さらに遡るとジャン・ルノワール監督もそう。濱口監督によれば、エリック・ロメールは演技経験のない人とそれをやることを好み、ジャン・ルノワールはプロフェッショナルの役者とそれをやることを好んだそうです。濱口監督の場合、経験のない人とは「親密さ」('12年)で実際に「本読み」をやり、プロの役者とは米アカデミー国際長編映画賞などを受賞した「ドライブ・マイ・カー」('21年)の《映画ワークショップ》の場面としてそれを見せていました。

waveオープン 1983-11-18.gifシネヴィヴァン六本木.jpgシネヴィヴァン六本木2.jpg 今回シネマブルースタジオで観た、「飛行士の妻」('80年)、「美しき結婚」('81年)、「満月の夜」('84年)、「緑の光線」('86年)、「友だちの恋人」('87年)、「レネットとミラベル/四つの冒険」('87年)、「木と市長と文化会館/または七つの偶然」('93年)、そしてこの「パリのランデブー」('95年)はすべて'84年設立のシネセゾンの配給で、日本での初公開は'83年11月オープンの「WAVEビル」内に出来たシネヴィヴァン六本木でした。
 
  
パリのランデブー4-2.jpgパリのランデブー4-3.jpg シネヴィヴァンは独自に映画パンフレットを作っていて、ロベール・ブレッソン監督の「ラルジャン」 ('83年/仏・スイス)やフレディ・M・ムーラ監督の「山の焚火」('85年/スイス)、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の「童年往時/時の流れ」('85年/台湾)などはシネヴィヴァンで観ましたが、エリック・ロメール作品は当時見逃してしまいました。そうこうしている内に、シネセゾンそのものが'98年6月にその活動を終え、シネヴィヴァン六本木も'99年12月25日閉館となりました。

 シネマブルースタジオの今回のシリーズ上映は有難いですが、この手の映画って、観ることができる時に観ておかないと次はいつ観られるかわからない、と改めて思わされました。

「パリのランデブー」●原題:LES RENDEZ-VOUS DE PARIS(英:RENDEZ-VOUS IN PARIS)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:(第1話)クララ・ベラール/アントワーヌ・バズレル/ジュディット・シャンセル/(第2話)セルジュ・レンコ/オロール・ローシェール/(第3話)ミカエル・クラフト/ヴェロニカ・ヨハンソン/ベネディクト・ロワイヤン●日本公開:1993/11●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-03-13)(評価:★★★★)

 
 
 

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濱口竜介監督が影響を受けていることを窺わせるという点で興味深かった。

「木と市長と文化会館」93年.jpg「木と市長と文化会館」03.jpg
木と市長と文化会館 または七つの偶然」[Prime Video]

「木と市長と文化会館」01.jpg パリの南西部ヴァンデ県サン=ジュイールの市長ジュリアン(パスカル・グレゴリー)は、村の原っぱに、図書館とCD・ビデオのライブラリー、野外劇場、プールを備えた総合文化センターを建設しようと考えていた。だが、この計画は周囲の賛同を得られないでいる。ジュリアンの恋人で、根っからのパリっ子である小説家のベレニス(アリエル・ドンバール)も「文化会館なんて必要かしら」と少々懐疑的「木と市長と文化会館」02.jpg。村のエコロジストの小学校教師マルク(ファブリス・ルキーニ)は、烈火のごとく怒る。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌ(クレマンティーヌ・アムルー)のルポは編集長(フランソワ・マリー・バニエ)の独断で、マルクを中心としたエコロジー特集になってしまう。そんなある日、偶然にマルクの娘ゾエ(ギャラクシー・バルブット)とジュリアンの娘ヴェガ(ジェシカ・シュウィング)が出会って友達となり、ゾエは市長に「文化会館よりみんなが集まって楽しめる広場がいいわ」と訴える。結局、予定地の地盤が弱いことが判明し、建設は中止となった。代わりにジュリアンは広大な土地を開放し、そこは人々の憩いの広場となった―。

 エリック・ロメール監督の'93年公開作で、第三の連作「四季の物語」の撮影の合間に16ミリで撮ったのがこの作品とこれに続く「パリのランデブー」('95年)。物語の通り、パリの南西部ヴァンデ県の人口425名の村サン=ジュイール・ションジヨンで'92年の3月、6月、9月の3回に分けて撮影が行われ、3,4人のスタッフでハンディカメラで撮ったそうです。マスコミ向けの試写も宣伝もなく、'93年3月にパリで突然封切られましたが、フランス総選挙の2か月前というタイミングもあって、22週で75万人を動員するヒットとなったそうです。

 ただし、政治ドラマとしては饒舌な割にはなかなか話が進まない感じで(文化会館もあってもいいのではと思ったけどね)、個人的には政治的な話の中身もさることながら、ドキュメンタリー風のレポートドラマ的スタイルに関心がいきました。どこまで脚本があったのか(もし脚本があり全部セリフがあったとしても正確に憶えるのは無理だろう)、どこまでその場で本当に議論しているのかよく分からないところが興味深かったです。

濱口竜介.jpg 「ドライブ・マイ・カー」('21年)でカンヌ国際映画祭監督賞やアカデミー国際長編映画賞などを受賞した濱口竜介監督は、エリック・ロメール監督作の影響を受けており、この作品や(他のロメール監督作にも部分的にドキュメンタリータッチで撮っているものがあるが、この作品は全編がそう)、続く「パリのランデブー」('95年)からの影響を受けて、ベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞することになったオムニバス映画「偶然と想像」('21年)を構想したとのことで(「偶然と想像」にも第1話「魔法(よりもっと不確か)」で女子二人のタクシー内での延々と続く会話が冒頭からある)、「偶然と想像」は3話から成っていますがもともと全7話の想定あり、タイトルもこの作品から影響を受けているとのことのことです。

 そう言えば、映画の中で出演者が意見を述べたり議論したりする濱口竜介監督の「親密さ」('12年)なども、こうした作品の影響を受けているのではないでしょうか。濱口竜介監督が早くからエリック・ロメール作品の影響を受けていることを窺わせます。

「木と市長と文化会館」04.jpg アリエル・ドンバールをたっぷり観られる映画でもあります。市長ジュリアン役のパスカル・グレゴリーは、「海辺のポリーヌ」('83年)ではアリエル・ドンバールに袖にされる役でしたが、10年後のこの作品では恋人同士の役。パスカル・グレゴリーは、最近では婁燁(ロウ・イエ)監督の 「サタデー・フィクション」 ('19年/中国)にスパイ役の鞏俐(コン・リー)に指示を出すフランスの老諜報員役で出ていました(この映画からさらにまた26年かあ。歳をとるのも無理はない)。

パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー

ファブリス・ルキーニ 「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)/「木と市長と文化会館 または七つの偶然」('93年)
「木と市長と文化会館」f.jpg 文化会館設立反対派の教師マルクを演じたのはファブリス・ルキーニで、「レネットとミラベル 四つの冒険」('87年)の第4話「絵の売買」の画廊の主人役などエリック・ロメール監督の常連。最近ではフランソワ・オゾン監督のコメディ映画「私がやりました」('23年/仏)に判事役で出ています。ジュリアンにインタビューした女性ジャーナリストのブランディーヌを演じたクレマンティーヌ・アムルーは、エリック・ロメール監督の「聖杯伝説」('78年)の頃からファブリス・ルキーニ共にロメール監督作に出ている女優でした。

パスカル・グレゴリー「木と市長と文化会館 または七つの偶然」('93年)/「サタデー・フィクション」('19年/中国)
「木と市長と文化会館」07.jpgパスカル・グレゴリー.jpg 


「木と市長と文化会館」05.jpg「木と市長と文化会館 または七つの偶然」●原題:L'ARBRE, LE MAIRE ET LA MEDIATHEQUE OU LES HASARDS(英:THE TREE, THE MAYOR AND THE MEDIATHEQUE)●制作年:1993年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:フランソワーズ・エチュガレー●撮影:ディアーヌ・バラティエ●音楽:エリック・ロメール●時間:105分●出演:パスカル・グレゴリー/アリエル・ドンバール/ファブリス・ルキーニ/クレマンティーヌ・アムルー/フランソワ・マリー・バニエ/ジャン・パルヴュレスコ/フランソワーズ・エチュガレー/ギャラクシー・バルブット/ジェシカ・シュウィング/レイモンド・ファロ/マヌエラ・ヘッセ●日本公開:1994/04●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-28)((評価:★★★☆)

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「友だちの恋人」の撮影の合間に撮られた作品。まったく性格の異なる都会の娘と田舎の娘の共同生活。
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レネットとミラベルの四つの冒険/コーヒーを飲んで (エリック・ロメール コレクション) [DVD]」ジョエル・ミケル/ジェシカ・フォルド
 エリック・ロメール監督による1987年公開作「友だちの恋人」の撮影の合間に撮られたのが、レネットとミラベルの同一主人公らによる「青い時間」「カフェのボーイ」「物乞い 窃盗常習犯 女詐欺師」「絵の売買」の4つの短編から成るこのオムニバス映画で、ロメール監督は田舎の娘レネット役のジョエル・ミケルの体験談に着想を得て本作を企画し、少人数のスタッフと16ミリフィルムで撮影を敢行したそうです。
1話「青い時間」.jpg 自転車のパンクをきっかけにミラベル(ジェシカ・フォルド)は、ある田舎道で、この町の納屋のような家に一人で住み、絵を描いて暮らしているレネット(ジョエル・ミケル)と出会う。彼女はミラベルに、夜明け前に1分間だけ音のない世界になる"青の時間"を体験させようと家に泊まるよう誘うが、せっかくのチャンスが車の音で失敗に終わる。落胆するレネットに、ミラベルはもう1晩泊まることを告げ、二人はその昼間に田舎の生活と自然を満喫する。そして2泊目の夜明け、二人は"青い時間"を味わい 感動する―。(第1話「青い時間」)

1話「青い時間」2.jpg 同監督の「緑の光線」に似ているように思いました。シリーズ第5作「緑の光線」('86年)は、孤独なヒロインがバカンスの最後の日に知り合った若者と一緒に、日没前に一瞬だけ見えるという太陽の「緑の光線」を見に行くという話でしたが、「青い時間」では、それぞれ田舎と都会に住む若い女性同士の組み合わせ。二人の出会いから、性格の全く異なる二人が打ち解けていく様ががごく自然に描かれていていました。自然も美しいし(「緑の光線」と同じく、チーズで有名なブリー地方が舞台)、レネットの住まいも悪くなかったです。でもパリで絵の勉強をするために、彼女はミラベルのアパートへ―。

2話「カフェのボーイ」.jpg 秋になり、パリのミラベルのアパートで同居し、美術学校に通うレネットは、ある日ミラベルと待ち合わせしたモンパルナスのカフェで、奇妙なボーイ(フィリップ・ロダンバッシュ)と出会う。小銭を持っていないミラベルがコーヒー代に200フラン札を出すと、ボーイは「どうせ友だちなんか来ないんだろう。飲み逃げしようとしてもそうはいかない。おつりが出せないから小銭で払え」と無理難題を言う そこにミラベルがやってきて、彼女は500フラン札を出してボーイと押し問答が続くが、ボーイが席を離れた隙に二人はお金を払わず逃げてしまう しかし、レネットは翌朝、代金を払いにカフェに行く―。(第2話「カフェのボーイ」)

 レネットがモンパルナスのカフェに行く道を尋ねた行きずりの男性たちも変な連中だったけれど、それ以上に可笑しいのがボーイで(客であるレネットからすれば頭にくる相手だが)、翌日、レネットがカフェに金を払いに行った時、「昨日のボーイは?」と訊くと、「彼はアルバイトだから、もういない」と言われます。馘首になったのかなあ。イマイチ、釈然としない...。
 
ヤスミナ・アウリー(万引き犯)/マリー・リヴィエール(女詐欺師)
3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」.jpg 物乞いに小銭をやるレネットに影響を受けたミラベルは、ある日、スーパーで万引きする女(ヤスミナ・アウリー)を見つけ、彼女を助ける行為をするが、成り行きから女が万引きした商品はミラベルの手に残ってしまう 帰宅後、二人は彼女の行為について議論する 。ある日 レネットは、駅で小銭をせびる女(マリー・リヴィエール)に会い、彼女に小銭を与えたため電車に乗り遅れてしまう。 電話をしようとするが小銭がないので、彼女も通行人に小銭をせびるがうまくいかない。 すると、先ほどの女がまた通行人から小銭をせびっているのを見つけ、彼女に金を返すように詰め寄るが、彼女が泣き出してしまい 諦める―。(第3話「物乞い、窃盗常習犯、女詐欺師」)

 レネットは、ミラベルが万引き女を助けたと聞き、その理由が「彼女が捕まって懲役になったら可哀そうだから」とのことで、ミラベルを咎めます。ミラベルのやったことは犯罪の幇助であり、それを非難するレネットに分があるでしょう。二人の性格の違いもあるでしょうが、ちょっとミラベルの社会道徳観が心配です(この先、大丈夫か)。女詐欺師を演じたのはロメール監督の「飛行士の妻」「緑の光線」でそれぞれ主役を演じたマリー・リビエールでした。それにしても、3作とも全然タイプの異なる役だなあ。さらに、スーパーの万引き監視員を演じているのは、「美しき結婚」('81年)主演のベアトリス・ロマン! こうなるとカメオ出演に近いでしょうか。。

ファブリス・ルキーニ(画廊の主人)
4話「絵の売買」.jpg レネットは、今月家賃を払う番だったが、金が無く、 二人はレネットが描いた絵を画廊に売ることにする。 レネットは言葉が話せないふりをして画廊の主人(ファブリス・ルキーニ)と交渉するがうまくいかない。しかし、他の客が画廊に入って来たのを契機に、ミラベルが機転を発揮し二人は大金を手にする―。(第4話「絵の売買」

 これは第2話、第3話に比べて落ちがはっきりしていて面白かったです。画廊の主人を演じたのは、「満月の夜」('84年)で、パスカル・オジェ演じる主人公ルイーズから振られる男性オクターブを演じたファブリス・キーニでした。エリック・ロメール作品に多く出演したほか、フランソワ・オゾン監督の「危険なプロット」(2012年)で主演するなどし、セザール賞に6回ノミネートされた、今やフランスが誇る名優であるとのことです。

「レネットとミラベル」p.jpg1話「青い時間」23.jpg 4話の中では第1話が★★★★、第4話が★★★☆、あと第2話と第3話が★★★といったところでしょうか。どれもユーモアを交えた軽快なタッチで描かれていて、「喜劇と格言劇」シリーズの作品と比べてもより軽いかも。「喜劇と格言劇」シリーズが男女の恋愛模様を中心に描いているのに対して、女性同士のからっとした感じの友情を描いており、そうした男女の情が絡まない分、軽くなっているのかもしれません。

「レネットとミラベル 四つの冒険」●原題:QUATRE AVENTURES DE REINETTE ET MIRABELLE(英:FOUR ADVENTURES OF REINETTE AND MIRABELLE)●制作年:1986年製作(公開は1987年)●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ロナン・ジレ/ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:99分●出演:ジョエル・ミケル/ジェシカ・フォルド/フィリップ・ロダンバッシュ/ヤスミナ・アウリー/マリー・リヴィエール/ベアトリス・ロマン/ファブリス・ルキーニ●日本公開:1989/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-18)(評価:★★★☆)

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「喜劇と格言劇」シリーズ第6作(最終作)。男女二組の恋愛を描く。

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「友だちの恋人」 (1987) 映画パンフレット CINE VIVANT No.28 ソフィー・ルノワール/エマニュエル・ショーレ

「友だちの恋人」1.jpg パリ近郊の新都市セルジー・ポントワーズで市役所に勤めるブランシュ(エマニュエル・ショーレ)は、職員食堂で最後の夏休みを迎えた学生レア(ソフィー・ルノワール)と出会い意気投合する。恋人ファビアン(エリック・ビエラード)の好きな水泳が苦手というレアのため、ブランシュは水泳の手ほどきをすることに。そして二人がプー「友だちの恋人」8.jpgルにいたところへ、ファビアンの友人アレクサンドル(フランソワ・エリック・ゲンドロン)が現れる。ブランシュはたちまちアレクサンドルに恋してしまうが、好きな相手に対して臆病になってしまう性格のため打ち解けられない。ファビアンは卒業を機に、最近ウマが合わないファビアンを捨て、パリを去ろうとする。運命の悪戯でブランシュはファビアンと親しくなり、一夜を共にする。ところが、休暇旅行から帰ってきたレアがファビアンと仲直りしたとブランシュに告げる。一方、レアはアレクサンドルに口説かれる―。

「友だちの恋人」9.jpg「友だちの恋人」2.jpg 「友だちの恋人」(副題は「友だちの友だちは友だち」)は、エリック・ロメール監督による1987年公開作品。同監督の「喜劇と格言劇」シリーズ第6作で、これがシリーズ最終作になります。パリ郊外のニュータウンを舞台に、4人の男女が繰り広げる恋愛模様を軽快なタッチで描いていて、これまでのシリーズ作が一人の女性が主人公だったのが、今回は一応ヒロインに焦点を合わせながらも、主人公とその女友達の恋愛も描いていて、相互に"反応"し合う男女2×2の恋物語になっている点が特徴的です。

「友だちの恋人」3.jpg 主要登場人物4人の関係がどんどん移り変わって、観ている方も混乱しますが、仕舞いには、登場人物であるブランシュとレアも互いに勘違いしたりして(笑)。ラストは友だちの恋人09.jpgハッピーエンドでしたが、ブランシュは周囲に振り回されている印象も。これがハッピーエンドでなかったら、あまり好きになれない映画だったかもしれません。この二組、この先大丈夫かなあというのもあります(特にアレクサンドルはプレイボーイだし)。

 マニュエル・ショーレットは本作が映画初出演で、あとはジョン・ジョスト監督の「ニューヨークのすべてのフェルメール(All the Vermeers in New York)」('90年/米)という作品に主演として出ているようです。

 ソフィー・ルノワールは、印象派の画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの曾孫、「フレンチ・カンカン」('54年/仏)のジャン・ルノワール監督の孫にあたり、ソフィー・ルノワール2.jpgソフィー・ルノワール.jpgロメール監督の「美しき結婚」('81年/仏)でベアトリス・ロマンの妹役を演じるなどし、また現在は写真家として活動していて、'22年には銀座で個展を開いています。色彩・映像センスは血筋か(写真はいずれも「家庭画報.com」より)。

友だちの恋人 [DVD]
「友だちの恋人」4.jpg「友だちの恋人」5.jpg「友だちの恋人」●原題:L'AMI DE MON AMIE(英:BOYFRIENDS AND GIRLFRIENDS)●制作年:1987年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ベルナール・リュティック●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:102分●出演:エマニュエル・ショーレ/ソフィー・ルノワール/エリック・ヴィラール/フランソワ・エリック・ジェンドロン/アン=ロール・マーリー●日本公開:1988/07●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(24-02-04)(評価:★★★☆)

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アンハッピーエンドのはずが...。やっぱり"一筋縄ではいかない"アニエス・ヴァルダ。

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5時から7時までのクレオ 19622.jpg5時から7時までのクレオ1.jpg
5時から7時までのクレオ アニエス・ヴァルダ HDマスター [DVD]
「5時から7時までのクレオ」ポスター 
5時から7時までのクレオp.jpg5時から7時までのクレオ0.jpg クレオ(コリーヌ・マルシャン)は売り出し中のポップシンガー。午後7時に、2日前に受けた精密検査の結果を聞くことになっている彼女は、自分がガンではないかと怯えつつ、占い師にタロットで自分の未来を占ってもらう。占い師は、身近な未亡人が面倒を見てくれていること、寛大な恋人がいるがなかなか会えずにいること、音楽の才能があることなど、クレオの過去と現在の状況を正しく言い当て、未来については、病気の兆候があることを告げるものの、そのことについては口を濁して、これから調子のいい若者に出逢うだろうと告げる。しかし、クレオが部屋を出ると占い師は同居の男に「あの子はガンよ。もうだめだわ」と。一方クレオは、カフェで中年女性のアンジェール(ドミニク・ダヴレー)と落ち合う。アンジェー5時から7時までのクレオ4.jpgルはクレオの生活を管理するマネージャーのような女性。占いの結果を告げて泣くクレオをアンジェールが慰め、気持ちを落ち着けたクレオは帽子店に寄り帽子を選んでいるうちにすっかり機嫌をよくし、アンジェールと共にタクシーで帰路に。車中のラジオからはクレオの歌が流れる。帰宅するとやがて年上の恋人がやってくるが、仕事が忙しいからとすぐに帰ってしまう。入れ替わりにやってきた若い作曲家のボブ(ミッシェル・ルグラン)と作詞家。二人はクレオの新曲について相談とレッスンをしに来たのだった。陽気な二人と楽しそうにしていたク5時から7時までのクレオ3.jpgレオだったが、二人が持ち込んだ新曲「恋の叫び」の暗い曲調と歌詞に心を掻き乱され、レッスンを中断して部屋を出て行ってしまう。クレオはパリの街を彷徨うが心落ち着けることができず、友人のドロテ(ドロテ・ブラン)に会いに行く。美術学校のヌードモデルの仕事を終えたドロテとクレオは、ドロテの恋人ラウルの車で出掛け、クレオは病気への不安をドロテに打ち明ける。二人はラウルが映写技師として働く映画館に行き、映写室の小窓から無声映画のコメディを見て楽しむ。しかし、映画館を出たクレオは5時から7時までのクレオ2.jpg、バッグの鏡を落として割れたのが不吉だとまた不安になる。ドロテと別れたクレオはタクシーでモンスリ公園に向かう。園内を散策していると、アントワーヌという若い男(アントワーヌ・ブルセイエ)が馴れ馴れしく声を掛けてくる。最初鬱陶しく思っていたクレオだったが、次第に話をするようになる。彼は休暇中の兵士で、今夜軍隊に戻り、アルジェリアに向かうという。病気についての不安を打ち明けたクレオが、検査の結果を面と向かって聴くのは怖いので医師に電話をするつもりだと言うと、アントワーヌは一緒に行こうとクレオを誘い、ピティエ=サルペトリエール病院に向かう。病院の受付でクレオは、担当医のヴァリノは既に帰ったと告げられる。クレオとアントワーヌは病院の広い庭を手を繋いで歩き、やがてベンチに腰をかける。そこに一台の車がやってきて二人の前で止まる。運転していたのは帰宅したはずのヴァリノ医師で、彼は「放射線治療は少々きついが必ず治るから心配は要らない。あす11時に来て下さい」と手早く告げると去って行く―。

 アニエス・ヴァルダ監督による1962年作品で、「フランス映画批評家協会賞 作品賞」受賞作。モノクロ作品ですが、冒頭、タロット占いのシーンのみカラーです。タイトル通り、クレオのある日の5時から7時までをほぼリアルタイム(映画の長さは90分)で描写しています(思えば、占い師の予言は全部当たっていたなあ)。

 ラストで、「放射線治療は...」と医師に言われたのが実質「ガン宣告」になるかと思います。従ってアンハッピーエンドのはずなのですが、あれほどガンに怯えてイライラし通しだったはずのクレオの宣告された際の反応が、「私もう怖くないようよ、何か幸福な感じよ」といった感じで明るいので、ええーっと思ってしまいました(この作品を、結局彼女はガンではなかったと勘違いして記憶している人がいたぐらい)。

 「幸福(しあわせ)」('65年)もそうですが、観終わった後、もう一度振り返ってみないと経緯が呑み込めない、いわば「一筋縄ではいかない」アニエス・ヴァルダの"本領発揮"(?)といったところでしょうか(自分がただ鈍いだけかもしれないが)。

5時から7時までのクレオ5.jpg 振り返れば、終盤で戦地アルジェリアに行く青年と出会ったことで彼女の心境に変化があったことは間違いなく、その際の会話を顧みると、以下のような感じでした。
  クレオ「今の大きな恐怖は死なの」
  兵士「アルジェリアは恐怖でいっぱいです。(中略)無駄死にはしたくない。戦死なんて情けない。僕は女のため、恋のために死にたい」
 クレオは、自分以上に切実に死に直面しているかもしれない若い兵士に会ったことで、自身も自らの運命と向き合う決意を固めたとも解せられ、病院からの電話を待つのではなく、直接結果を訊きに(兵士と共に)病院に赴くというその後の行動も、それに符合します。そして、最後は、前向きに病気と闘う決意を表明したといったとことろでしょうか。

5時から7時までのクレオ ルグラン.jpg 音楽のミシェル・ルグランは、クレオに曲を提供する作曲家役でも登場(若い!)、ピアノを弾き、達者な歌も聴かせています(検査結果が気が気でないクレオは、その彼に当り散らすのだが)。

ミシェル・ルグラン

5時から7時までのクレオ カリ.jpg クレオが訪ねる友人の映像作家が作った無声映画の登場人物として、当時結婚して間もないジャン・リュック・ゴダールとアンナ・カリーナが登場、ただし、アンナ・カリーナは白塗りにしていて、ゴダールも若すぎるため、言われなければアンナ・カリーナとゴダールとは分かりません。因みにこゴダールとアンナ・カリーナが結婚していた時期は、1961年3月から1964年12月です。

5時から7時までのクレオ 5.jpg「5時から7時までのクレオ」●原題:CLEO DE 5 A 7(英:CLEO FROM 5 TO 7)●制作年:1962年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:アニエス・ヴァルダ●製作:ジョルジュ・ド・ボールガール/カルロ・ポンティ●撮影:ジャン・ラビエ●音楽:ミシェル・ルグラン(主題歌:作詞アニエス・ヴァルダ/作曲ミシェル・ルグラン)●時間:90分●出演:コリーヌ・マルシャン/アントワーヌ・ブルセイエ/ドミニク・ダヴレー/ドロテ・ブラン/ミシェル・ルグラン/(サイレント映画のなかの登場人物)ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ「5時から7時までのクレオ」s.jpg/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ/ジョルジュ・ドゥ・ボールガール●日本公開:1963/05●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(21-01-19)(評価:★★★★)

ジャン=リュック・ゴダール/アンナ・カリーナ/エディ・コンスタンティーヌ/ジャン=クロード・ブリアリ

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カタルシス効果は弱いが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュ。

「花の影」000.jpgポスター 「花の影 [DVD]」張國榮(レスリー・チャン)(香港)/鞏俐(コン・リー)(中国)/林健華(リン・チェンホア)(台湾)
「花の影」1.jpg「花の影」2.jpg「花の影」3.jpg 富豪に嫁いだ姉を頼り、蘇州にやってきた少年・忠良(チョンリァン)。そこでは当主の愛娘・如意(ルーイー)を始め、皆が阿片「花の影」コンり―.jpgに酔いしれていた。退廃した空気の中、最愛の姉に弄ばれ絶望した忠良は屋敷を飛びだす。時は過ぎ、1920年代の魔都・上海。心に傷を負って女性を愛せなくなった忠良(張国栄(レスリー・チャン))は、人妻を誘惑して金品を巻き上げる上海マフィア配下のジゴロとなっていた。そんな彼に、マフィアのボスが故郷の女富豪を誘惑する様に命令を下す。彼女こそ、美しく成長した如意(鞏俐(コン・リー))だった。様々な思惑を交差させながら、二人はいつしか本気で愛し合うようになるが―。
花の影 [Blu-ray]
「花の影」00.jpg「花の影」9.jpg 1996年公開作で、陳凱歌(チェン・カイコー)監督のもと、「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年/中国)に続いて張国栄(レスリー・チャン)と鞏俐(コン・リー)が再び組んだメロドラマ。1920年代の上海と蘇州を舞台に退廃的で破滅的な男女の愛を描いています。

 「さらば、わが愛/覇王別姫」に比べ、政治が背景に後退し、恋愛メロドラマ的要素が前面に出ています。「さらば、わが愛/覇王別姫」で一人の男性を巡って愛を争ったレスリー・チャンとコン・リーが、今度は愛し合う関係になっていますが、と言っても陳凱歌なので一筋縄ではいきません。レスリー・チャン演じる忠良は、幼い頃に姉夫婦に性的虐待を受け、「心が死んでいて」人を愛せない性質になってしまっています。

 最後はコン・リー演じる如意にそのことをズバリと言われ、彼女は別の男と結婚することに。そこで忠良とった行動は―。う~ん、ちょっとやり過ぎという感じ。他人のモノになるならいっそ自分が...ということでしょうが、彼の愛が結局はエゴでしかないことをよく表していると言えばそうだけれども、後味があまりよくない(結局、姉の夫、つまり如意の父親も彼がヒ素を使って廃人にしたのか)。

「花の影」4.jpg というわけでカタルシス効果は弱いですが、デカダンスな雰囲気を醸す映像はスタイリッシュでもあります。室内シーンが多いせいか、クリストファー・ドイルっぽくはなかったかもしれませんが、この映像美を味わうだけでも価値はあるように思いました。

 考えてみれば、香港のレスリー・チャンと中国のコン・リーと、如意の家に養子に行く端午(ドァンウー)を演じた台湾の林健華(リン・チェンホア=ケビン・リン)の3か国スター"揃い踏み"。その中でも端午の変貌が興味深く、特にラストは"大変貌"を遂げていました。まさか頼りない雰囲気だった彼が最後に〇〇になるとは(苦笑)。血統主義の中国らしいと言えばそうだが(端午は自身はもともと血族ではなく姻族だが)。

鞏俐(コン・リー)/周迅(ジョウ・シュン)
鞏俐 風月.jpg周迅 風月.jpg周迅(ジョウ・シュン).png 当時30歳のコン・リーが奇麗。忠良が行くナイトクラブの垢抜けない少女(アヘン中毒者?)は周迅(ジョウ・シュン)だったのかあ。婁燁(ロウ・イエ)監督の 「ふたりの人魚(蘇州河)」(1998年撮影)の2年前、22歳の頃ということになりますが、全然分からなかったです。

「花の影」1.jpg「花の影」5.jpg「花の影」●原題:風月(英:TEMPTRESS MOON)●制作年:1996年●制作国:香港・中国●監督:陳凱歌(チェン・カイコー)●製作:湯君年(タン・チュンニェン)/徐楓(シュー・フォン)●脚本:舒琪(シュウ・チー)●撮影: クリストファー・ドイル(杜可風)●音楽: 趙季平(チャオ・チーピン)●原案: 陳凱歌/王安憶(ワン・アンイー)●時間:128分●出演:張國榮(レスリー・チャン)/鞏俐(コン・リー)/林健華(リン・チェンホア)/何賽飛(ホー・サイ新文芸坐2024年02月26日.jpgフェイ)/呉大維(デヴィッド・ウー)/謝添(シェ・ティェン)/周野芒(ジョウ・イェマン)/周潔(ジョウ・ジェ)/葛香亭(コー・シャンホン)/周迅(ジョウ・シュン)●日本公開:1996/12●配給:日本ヘラルド映画(評価:★★★☆)●最初に観た場所[4K版]:池袋・新文芸坐(24-02-26)
新文芸坐(2024年2月26日撮影)

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ゴチック・ムービー×フェミニズム映画。エマ・ストーンの熱演&怪演に尽きる。

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哀れなるものたち ブルーレイ+DVDセット [Blu-ray]」エマ・ストーン

哀れなるものたち3.jpg 医学生のマックス・マッキャンドルス(ラミー・ユセフ)は、外科医で研究者のゴドウィン・バクスター(通称ゴッド)(ウィレム・デフォー)の助手に選ばれる。ゴッドはベラ・バクスター(エマ・ストーン)という知能が未発達の成人女性の研究をしてお哀れなるものたち2.jpgり、マックスはベラが覚えた言葉や食べた物を記録する仕事を引き受ける。ベラはゴッドの家の中に閉じ込められ、日々多くの語彙や感情を覚え、次第には性の歓びをも覚えていく。マックスは近くで観察する時間を過ごす中で、ベラに好意を抱くようになる。ベラの正体をゴッドに問い詰めたマックスは、次のよ哀れなるものたち5.jpgうな事実を知らされる。ある時、ヴィクトリア(エマ・ストーン、二役)という妊婦が橋から飛哀れなるものたち4.jpgび降り自殺をし、その遺体を発見したゴッドが、生存していた胎児の脳を妊婦に移殖して生き返らせたのだという。ゴッドの励ましを受け、マックスはベラに結婚を申し込み、ベラもそれを受け入れた。しかし、知性が急速に発達していったベラは自然と外の世界に興味を持ち始め、結婚の契約のために家に上がり込んだ放蕩者の弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)に誘われて大陸横断の旅に出る。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていく―。

哀れなるものたち1.jpg ヨルゴス・ランティモス監督の2023年作で、「女王陛下のお気に入り」('18年/英・アイルランド・米)の時のエマ・ストーンと再びタッグを組み、スコットランドの作家アラスター・グレイの同名ゴシック小説を映画化したもの。2023年・第80回「ベネチア国際映画祭 金獅子賞」を受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞、助演男優賞、脚色賞ほか計11部門にノミネートされ、主演女優賞、衣装デザイン賞、美術賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞の4部門で受賞しました。

 2023年10月28日には全世界での劇場公開に先駆け東京国際映画祭で上映され、2024年1月、R18+指定作品としては異例の約330スクリーンという大規模で公開、Dolby Atmos版も同時上映され、個人的にはそれを観ました。

哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫 ク 7-1 epi111)』['23年9月]カバーイラスト:アラスター・グレイ(作者)
哀れなるものたち表紙絵.jpg哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫).jpg 原作は1992年に発表されたアラスター・グレイ(自作の挿画や表紙絵を自分で手掛けることで知られる)の同名小説('23年/ハヤカワepi文庫)で、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818年)などをルーツとするゴチック小説並びにゴチック・ムービーの系譜と見ていいのではないでしょうか(最近自分が観た中では、テリー・ギリアム監督の「Dr.パルナサスの鏡」 ('09年/英・カナダ)などもゴチック・ムービーと言えるか)。同時に、ポジティブで、パワフルなフェミニズム映画にもなっています。

哀れなるものたち6.jpg哀れなるものたち7.jpg 「ラ・ラ・ランド」('16年/米)で2016年・第73回「ベネチア国際映画祭 女優賞」、第74回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメデアカデミー賞 2024 エマ・ストーン.jpgィ部門)」、第89回「アカデミー賞アカデミー主演女優賞」受賞のエマ・ストーンが、この作品でも2024年・第81回「ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)」、第96回「アカデミー主演女優賞」を受賞しました。

 「アカデミー主演女優賞」では、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」('23年/米)のリリー・グラッドストーンが対抗馬とされていましたが、リリー・グラッドストーンは受け身的な演技が多かったため、ここまでエマ・ストーンに熱演&怪演されると、エマ・ストーンに賞を持っていかれるのは仕方がないかなという感じです。

[哀れなるものたちp.jpg 最後に、ベラが母であるヴィクトリアの自殺の原因が暴力的で残虐な夫・アルフィー(クリストファー・アボット)にあったことを突き止め、医者としてゴッドの研究を引き継ぐことを決意したベラが、(手始めに?)アルフィーにヤギの脳を移殖したという、言わば復讐劇的なオチでした。

 ただし、ベラ=ヴィクトリアの関係において、母ヴィクトリアの躰に胎児ベラの脳を移植した場合、ベラがヴィクトリアの身体を支配するという、それが可能かどうかはともかく、至極"科学的"な前提で物語が進んでいるのに、最後にアルフィーがヤギになったような終わり方(クリス・ウェイラス監督の「ザ・フライ2 二世誕生」 ('88年/米)がこのパターンだった)になっていて、そこに矛盾を感じました。

 「ザ・フライ2 二世誕生」の場合は、悪玉の科学者がハエ男にされてしまうという"因果応報"的結末でしたが、この映画では、ベラ=ヴィクトリアの関係に準じれば、ヤギがアルフィーの躰を支配していることになり、アルフィーとしての意識は無いため、"因果応報"になっていないように思います。面白かったし、衣装や美術、特撮も見応えがあっただけに、そこのみ残念でした。

 原作はもっと凝ったメタ物語の構成になってますが(枠組みとしてはゴッドの手記になっている)、映画のラストに相当する部分(アルフィーへのヤギの脳の移植)は無く、アルフィー・ブレシントン将軍は後日自殺して果てることになっています。

「哀れなるものたち」●原題:POOR THINGS●制作年:2023年●制作国:イギリス・アメリカ・アイルランド●監督:ヨルゴス・ランティモス●製作:エド・ギニー/アンドリュー・ロウ/ヨルゴス・「哀れなるものたち」ハンナ・シグラ.jpgランティモス/エマ・ストーン●脚本:トニー・マクナマラ●撮影:ロビー・ライアン●音楽:イェルスキン・フェンドリックス●時間:141分●出演:エマ・ストーン/マーク・ラファロ/ウィレム・デフォー/ラミー・ユセフ/クリストファー・アボット/キャサリン・ハンター/ジェロッド・カーマイケル/マーガレット・クアリー/ハンナ・シグラ●日本公開:2024/01●配給:ディズニー●最初に観た場所:TOHOシネマズ日比谷(スクリーン5・デジタルTCX DOLBYATMOS上映)(23-02-08)((評価:★★★★)
ハンナ・シグラ(ベラがその影響を受け、生きる道筋を見出だす老婦人マーサ・フォン・カーツロック)

TOHOシネマズ日比谷スクリーン5・デジタルTCX DOLBYATMOS
TOHOシネマズ日比谷 スクリーン5.jpg

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面白い。もう再現不可能な、結構贅沢かつ貴重な俳優陣並びに配役ではなかったか。

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ナイト・オン・ザ・プラネット [DVD]」ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/マッティ・ペロンパー

 ロサンゼルス、ニューヨーク、パリ、ローマ、ヘルシンキを舞台に、タクシードライバーと乗客の人間模様を描く、1991年のジム・ジャームッシュ監督のオムニバス映画です。

ナイト・オン・ザ・プラネット1-1.jpgロサンゼルス 若い女性タクシー運転手コーキー(ウィノナ・ライダー)は、空港で出会ったビバリーヒルズへ行こうとしている中年女性ヴィクトリア(ジーナ・ローランズ)を乗せる。映画のキャスティング・ディレクターであるヴィクトリアは、新作に出演する女優を探し出すのに手を焼いていた。口は汚いがチャーミングなコーキーに可能性を感じたヴィクトリアはある提案をする―。

ナイト・オン・ザ・プラネット1-2.jpg ウィノナ・ライダー(当時19歳)がいい。こうした役を演じつつ、2年後のマーティン・スコセッシ監督の「エイジ・オブ・イノセンス/汚れなき情事」('93年/米)で伝統主義的な貴族の娘を演じて「ゴールデングローブ賞助演女優賞」を受賞しているからスゴイ。2001年に窃盗罪で逮捕され有罪となりキャリアが途切れかかったが、何とかつながった(10代の頃に境界性パーソナリティ障害を患っていたということと関係しているのか)。ジーナ・ローランズが佇むラストの余韻もいい。

ナイト・オン・ザ・プラネット2-1.jpgニューヨーク 寒い街角で、黒人の男ヨーヨー(ジャンカルロ・エスポジート)はブルックリンへ帰るためタクシーを拾おうとするが、なかなか捕まらない。ようやく捕まえたタクシーを運転していたのは、東ドイツからやってきたばかりのヘルムート(アーミン・ミューラー=スタール)。しかし彼は英語がうまく話せず、その上オートマ車の運転もろくにできない。降りようにも降りられないヨーヨーは、自分でタクシーナイト・オン・ザ・プラネット2-2.jpgを運転する―。

 面白かった。タクシー運転手役のアーミン・ミューラー=スタールは元々東ドイツの俳優で、政府によりブラックリストに載せられたため、1980年、西ドイツに逃亡する形で移住、反体制運動に加担しキャリアを断たれてから2年後、俳優業を再開し、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督の「ベロニカ・フォスのあこがれ」('82年/西独)で完全復活している。映画では、ラストはちょっと心許ないヘルムートだった。
  
ナイト・オン・ザ・プラネット3-1.jpgパリ 大使に会いに行くという黒人の乗客2人の態度に腹を立てたコートジボワール移民のタクシー運転手(イザック・ド・バンコレ)は、我慢ならず途中下車させてしまう。そこに若い盲目の女(ベアトリス・ダル)が乗車する。当初、運転手は気が強く態度の大きい女に苛立っていたが。だが、彼は晴眼者のナイト・オン・ザ・プラネット3-2.jpg自分以上に鋭い感覚を持つ女には物事の本質が的確に見えているように思え、何とも言い難い強い印象を受ける―。

 ジャン=ジャック・ベネックス監督の「ベティ・ブルー/愛と激情の日々」('86年/仏)でデビューしたベアトリス・ダルがいい。ラストで風を受けて川べりを歩くシーンが特に。

ナイト・オン・ザ・プラネット4-1.jpgローマ 1人で無線相手にうるさく話しかけるタクシー運転手ジーノ(ロベルト・ベニーニ)は神父(パオロ・ボナチェリ)を乗せる。そして、せっかく神父を乗せたのだからと勝手に懺悔し始めるが、その内容は傍から見ればハレンチな艶笑話ばかり。神父は心臓が悪く薬を飲もうとするが、ジーノの乱暴な運転のせいで薬を落としてしまう。仕方なく神父は、我慢してジーノの"懺悔"を聞き続ける―。

ナイト・オン・ザ・プラネット4-2.jpg ロベルト・ベニーニが可笑しい。ジム・ジャームッシュ監督の「ダウン・バイ・ロー」('86年/米・西独)に続くこの作品で注目を集め、自身が監督・脚本・主演を務めた「ライフ・イズ・ビューティフル」('97年/伊)は「アカデミー賞」では本命のトム・ハンクス(「プライベート・ライアン」)を押しのけて主演男優賞を受賞した。彼にとっては、そうしたステップアップの基となった作品。
     
ナイト・オン・ザ・プラネット5-1.jpgヘルシンキ 凍りついた街で無線連絡を受けたタクシー運転手ミカ(マッティ・ペロンパー)。待っていたのは酔っ払って動かない3人の労働者風の男。その中の1人アキは酔い潰れていて車に乗ってからも眠っているが、残る2人はミカに、今日がアキにとってどれほど不幸な1日かを高らかに語り始める。しかし、ミカは今、アキとは比べ物にならないほどに不幸であるがために、彼らの話に動じることはナイト・オン・ザ・プラネット5-2.jpgなかった―。

 タクシー運転手ミカ役のマッティ・ペロンパーは俳優兼ミュージシャンで、フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督の「パラダイスの夕暮」('86年/フィンランド)などに主演している。酔っ払い役を演じた他の俳優らも、ミュージシャンでもあったり、アキ・カウリスマキ監督の作品に出ていたりするようだ。アキ・カウリスマキ監督と同じような俳優の使い方をしているのが興味深い。


 90年代のレンタルビデオ全盛期にビデオショップで借りて「拾い物」だった作品です(最近この手の作品がデジタルリマスター版で再上映されることがあり、喜ばしい)。自主制作映画なのですが、今こうして振り返ると、もう再現不可能な、結構贅沢かつ貴重な俳優陣並びに配役ではなかったでしょうか。


ナイト・オン・ザ・プラネットv.jpgナイト・オン・ザ・プラネット0.jpg「ナイト・オン・ザ・プラネット」●原題:NIGHT ON EARTH●制作年:1991年●制作国:アメリカ●監督・製作・脚本:ジム・ジャームッシュ●撮影:フレデリック・エルムス●音楽:トム・ウェイツ●時間:129分●出演:(ロサンゼルス)ウィノナ・ライダー/ジーナ・ローランズ/(ニューヨーク)アーミン・ミューラー=スタール/ジャンカルロ・エスポジート/アンジェラ - ロージー・ペレス/(パリ) イザック・ド・バシネマート新宿(「ナイト・オン・ザ・プラネット」).jpgンコレ/ベアトリス・ダル/(ローマ)ロベルト・ベニーニ/パオロ・ボナチェリ/(ヘルシンキ) マッティ・ペロンパー/カリ・ヴァーナネン/サカリ・クオスマネン/トミ・サルミラ●日本公開:1992/04●配給:フランス映画社(評価:★★★★)●最初に観た場所[再見]:シネマート新宿(スクリーン2)(24-03-08)

シネマート新宿(24-03-08)

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長さを感じさせなかった。「グッドフェローズ」に通じる娯楽性。まさに米国の暗黒史!

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」2023.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」01.jpg
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン (2023) [DVD]」リリー・グラッドストーン/レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」02オセージ.jpg 20世紀初頭のアメリカ。先住民のオセージ族は石油を発見し、莫大な富を手に入れていた。一方、列車で彼らの土地にやってきた白人たちは、富を奪おうとオセージ族を巧妙に操り、殺人に手を染める―。第一次世界「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」03.jpg大戦の帰還兵アーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)は、地元の有力者である叔父のウィリアム・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってオクラホマへ移り住む。そして、先住民族オセージ族の女性モリー・カイル(リリー・グラッドストーン)と恋に落ち夫婦となるが、2人の周囲で不可解な連続殺人事件が起き始める。町が混乱と暴力に包まれる中、ワシントンD.C.から派遣された捜査官が調査に乗り出すが、この事件の裏には驚愕の真実が隠されていた―。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」原作.jpg マーティン・スコセッシ監督の2023年作で、原題は"Killers of the Flower Moon"。主演はレオナルド・ディカプリオで、共演はロバート・デ・ニーロ、ジェシー・プレモンス、リリー・グラッドストーンら。デイヴィッド・グランによるノンフィクション・ノベル『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』を映画化したサスペンスです。2023年「ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 作品賞」を受賞していますが、アカデミー賞では無冠でした(スコセッシもディカプリオもデニーロも既に受賞歴があるし、同じ骨太歴史大作「オッペンハイマー」に票が流れたのか)。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」04.jpg タイトルの由来は、4月に咲いた小さな花が5月に生えてきた大きな草や花によって駆逐されてしまうので、オセージ族は5月を「フラワー・キ「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」05.jpgラー・ムーン(花殺し月)」と呼ぶことから。比喩的には、先住インディオが「4月に咲いた小さな花」で、後からやってきた白人が、それらを"駆除"する「5月に生えてきた大きな草や花」ということなのでしょう。

レオナルド・ディカプリオ(アーネスト・バークハート)/ジェシー・プレモンス(トム・ホワイト捜査官)
  
 マーティン・スコセッシ監督はレオナルド・ディカプリオと6回目のコンビ、ロバート・デ・ニーロとは10回目のコンビですが、この3者のタッグは初。ディカプリオは当初、原作の主人公である司法省捜査局(後のFBI)のトム・ホワイト捜査官役の予定でしたが、デ・ニーロ演じる敵役ヘイルの甥アーネスト・バークハート役を熱望したため、彼がアーネストを演じることになり、トム・ホワイト捜査官役はジェシー・プレモンスになったようです(その結果、2年間かけて書かれた脚本が大幅変更となった)。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」デ・ニーロ.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」ディカプリオ.jpg ディカプリオとデ・ニーロの競演が楽しいし、ストーリーも面白いので、3時間半近い上映時間があまり長く感じられませんでした。主人公のアーネストは、妻モリーを愛しながらもヘイルの企みに協力することになり、事件の真相が明るみになった際もヘイルを守る動きを見せるが、自身の子リトル・アナの死を受け真相を告白する―。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」11.jpg 米国史の暗部を抉るだけでなく、エンタテインメントとしても人間ドラマとしても良くできており、マーティン・スコセッシ監督のいまだ衰えぬ力量を感じました。 デ・ニーロが演じる叔父の"キング"が、表向きオーセージ族の理解者・支援者であるに反して、実は本性は怖い男であるという構図は、(娯楽性という面で)早稲田松竹で同時期に同じく1本立て上映された「グッドフェローズ」('90年)に通じるものがあるように思いました。

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」06.jpg

 因みに、実際には悪いのは一部の白人だけではなく、石油によって大きな富がオーセージ族に生れたために、多くの白人がその人頭権、ロイヤルティ、土地を奪おうとして画策し、60人の部族員が殺されたと推計されているそうです。FBIは、オーセージ族の女性を妻にした(映画におけるアーネストのような)白人男性数人が、部族員の殺害を命じた首謀者であると見做して捜査・起訴したようで、他にも無節操な白人が彼らの権利を騙し取ったりして、ある場合では、オーセージ族に対する「保護者」として裁判所から指名された弁護士や事業家がその実行者だったりしたそうです(告発され有罪になったのは3名のみだそうで、それにキングとアーネストのモデルが含まれるということか。映画では、キングとアーネストはともに終身刑となるも早期仮釈放となったことが、ラジオのショー番組の形でに示されていた)。まさに米国の暗黒史!

2023年5月、第76回「カンヌ国際映画祭」アウト・オブ・コンペティション部門プレミア上映
「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」12.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」●原題:KILLERS OF THE FLOWER MOON●制作年:2023年●制作国:アメリカ●監督:マーティン・スコセッシ●製作:ダン・フリードキン/マーティン・スコセッシ/ブラッドリー・トーマス/ダニエル・ルピ●脚本:エリック・ロス/マーティン・スコセッシ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:ロビー・ロバートソン●原作:デイヴィッド・グラン『花殺し月の殺人―インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』●時間:206分●出演:レオナルド・ディカプリオ/ロバート・デ・ニーロ/リリー・グラッドストーン/ジェシー・プレモンス/ブレンダン・フレイザー/タントゥー・カーディナル/モリソン - ルイス・キャンセルミ/ジェイソン・イズベル/カーラ・ジェイド・メイヤーズ/ジャネー・コリンズ/ジリアン・ディオン/ウィリアム・ベロー/スタージル・シンプソン/タタンカ・ミーンズ/マイケル・アボット・Jr/パット・ヒーリー/ スコット・シェパード/ゲイリー・バサラバ/スティーヴ・イースティン/ジョン・リスゴー/マーティン・スコセッシ●日本公開:2023/10●配給:東和ピクチャーズBrendan Fraser KILLERS OF THE FLOWER MOON.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」j.jpg「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」スコセッシ.jpg●最初に観た場所:早稲田松竹(24-01-26)(評価:★★★★)

ブレンダン・フレイザー(キングの代理人ハミルトン弁護士)/ジョン・リスゴー(キングの裁判を執り行うポラック判事)/マーティン・スコセッシ(ラジオのショー番組のプロデューサー兼司会)


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「労働者3部作」に続くシリーズ第4作。「格差の最も無い国」にある"格差"。競争社会の外にいる人々への暖かい視線。
「枯れ葉」2023.jpg「枯れ葉」03.jpg 「枯れ葉」01.jpg
枯れ葉 [DVD]」アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン
「枯れ葉」04.jpg アンサ(アルマ・ポウスティ)はヘルシンキのスーパーマーケットで働く独身女性、ホラッパ(ユッシ・バタネン)は酒に溺れながらも、どうにか産廃工事で働いている独身男性。ある夜、アンサは友人のリーサ(ヌップ・コイブ)とカラオケバーへ行き、そこへ同僚のフオタリ(ヤンネ・フーティアイネン)に誘われたホラッパがとやって来る。フオタリがリーサを口説こうとする中、アンサとホラッパは、互いの名前も知らぬまま惹かれ合う。アンサは、スーパーの廃棄食品を持ち帰ろうとしたとして事前通告無しで馘を言い渡され、上司の理不尽な通告に怒り、リーサと共にスーパーを辞める。アンサはパブの皿洗いの仕事に就くが、給料日にオーナーが麻薬の密売で警察に捕まってしまう。「枯れ葉」06.jpg偶然そこにホラッパがやってきて、カフェでコーヒーを飲み、その後2人は映画館に行くことに。映画館でゾンビ映画を観て、帰り際ホラッパは「また会いたい」と言う。名前は今度教えると言い、アンサは電話番号をメモした紙をホラッパに渡して頬にキスをするが、ホラッパはそのメモを失くしてしまう。ホラッパは帰ってからメモが無いことに気づくが、探そうにも名前も分からず途方に暮れる。その上飲酒がバレて仕事もクビに「枯れ葉」05.jpgなってしまう。同僚のフタリオに「再会して結婚しかけた」と話すが、連絡しようにも彼女の連絡先を知らないことを言い嘆く。一方アンサも、ホラッパから電話がないことにヤキモキする。しかし2人は偶然映画館の前で再会し、アンサはホラッパをディナーに招待する。穏やかに食事をしていたが、隠れて酒を飲むホラッパに対し、アンサは「アル中はご免よ」と言い、父と兄がお酒によって死に、母はそれを嘆いて死んだと話す。するとホラッパは「指図されるのはご免だ」と言って出ていく。不運な偶然と現実の過酷さが、彼らをささやかな幸福から遠ざける中、果たして2人は、無事に再会を果たし、想いを通い合わせることができるのか―。

アキ・カウリスマキ監督の『Fallen Leaves』がカンヌ審査員賞を受賞 - Nord News
「枯れ葉」がカンヌ審査員賞.jpg アキ・カウリスマキ監督が「希望のかなた」(2017)で監督引退宣言してから6年経を経て、引退を撤回して撮ったラブストーリーで、2023年・第76回「カンヌ国際映画祭」で「審査員賞」を受賞し(受賞ニュースが伝えられた時の邦訳は原題直訳の「落ち葉」だったが、音楽にシャンソンの名曲「枯葉」が使われているため、このタイトルになったと思われる)、「タイム」誌はこの映画が「静かな傑作」であり、カウリスマキの最高傑作かもしれないと評しています。当初3部作として構想され完結していた「労働者」シリーズの「パラダイスの夕暮れ」(2002)、「真夜中の虹」(1990)、「マッチ工場の少女」(1991)に続く4作目として、厳しい現実を描きながらも、ささやかな幸せを信じ生きる人々を優しく描いています。

 フィンランドは「世界の幸福度ランキング」で2022年・2023年と連続して第1位で、「最も格差の少ない国」とされていますが、そうした国フィンランドを舞台に、実在する"格差社会"の底辺にいる人々を描き続けているのが特徴的です(アキ・カウリスマキ監督自身もサンドブラスト、製紙工場、病院の清掃業などで働いていた経歴を持つ)。この映画のアンサも、最後は女性でありながら工場で働く肉体労働者となり、ホラッパに至っては鋳造所で働くようになったものの、アル中がたたって住むところすら無くなり、安ホステルで寝泊まりするようになります(しかし、タルデンヌ兄弟や是枝裕和ではないが、こうした"格差社会"ものはカンヌで強いね)。

 かつてアキ・カウリスマキ監督は、小津安二郎監督生誕90年(没後30年)を記念して世界中の映画作家が小津安二郎を語った「小津と語る」(1993)の中で、「あなたのレベルに到達できないことを納得するまでは、死んでも死にきれません」という言葉を残していますが、この映画にも小津の影響が見られるのでしょうか。無表情と棒読みのセリフは、役者に「演技をさせない」という意味で、日本の濱口竜介監督の作品などにも通じるものがあるように思いました。

「枯れ葉」07.jpg アンサもホラッパも厳しい現実の中にいますが、それぞれに自分のことを気にかけてくれる同僚(二人とも解雇されるので"元同僚"になるが)の友人がいるのが救いでした(最後の方でホラッパが入院する病院の看護師も優しかった)。アキ・カウリスマキ監督の、競争社会ではない、普通の社会(競争社会の外)に生きる人々への温かい視線を感じます。

「枯れ葉」poster.jpg 映画館にはブリジット・バルドーの映画ポスターがあったり、アラン・ドロンの「若者のすべて」(1960)やジャン=ポール・ベルモンドの「気狂いピエロ」(1965)などポスターもあったりして(ロベール・ブレッソン監督の「ラルジャン」(1983)[左]もあった)、そのほかの場面でも背景に映画やレビューのポスターを映り込ませており、この辺りも小津が古い作品でよくやったことであり、小津作品へのオマージュでしょうか。

 2人がデートで観たゾンビ映画は、アキ・カウリスマキ監督と親交のあるジャームッシュ監督の「デッド・ドント・ダイ」(2019)。観終わって映画館を真っ先に出てきたシネフィルと思われる中年男たちが、(ゾンビ映画だったのに)この映画はロベール・ブレッソンの「田舎司祭の日記」(1950)に似ている、いやジャン=リュック・ゴダールの「はなればなれに」(1964)だ、と激論を交わす姿が笑いを誘います(この後、アンサとホラッパの2人は本当の離れ離れになってしまう。この映画は「悲喜劇」だとされているようだ)。

「枯れ葉」アルマ・ポウスティ.jpg また、主演のアルマ・ポウスティは、来日時のインタビューで「この映画は荷物を抱えた孤独な人々が人生の後半で出会う物語だ。人生の後半で恋に落ちるのは勇気がいる」と説明しています。演出はフリーではなく考え抜かれており、「とにかくセリフを覚えてこい。でも練習するな」と指示されるそう。またほとんどのシーンがワンテイクで撮影されているため、ポウスティは「俳優としては怖い」と吐露。さらにカウリスマキが現場でモニタを使わないことにも触れ、「一度カメラをのぞいて照明や小道具の位置を自分でチェックしたら、カメラの横に座ってワンテイクで撮る。あとからモニタはチェックしない。何が撮れているのかわかっているからです」と説明しています。

「枯れ葉」band.jpg ヘルシンキ在住のアンナ&カイサ・カルヤライネン姉妹によるバンド「MAUSTETYTÖT(マウステテュトット)」も出演し、劇中歌として「Syntynyt suruun ja puettu pettymyksin(悲しみに生まれ、失望を身にまとう)」という歌が歌われていますが、無口な主人公の気持ちを代弁しているような歌で、こうした地元のミュージシャンの劇中での起用は「ルアーヴルの靴みがき」(2011)など他のほとんどの作品でもやっています。

「枯れ葉」dog.jpg 「ルアーヴルの靴みがき」では、カウリスマキ監督の愛犬〈ライカ〉が登場し、カンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞「パルム・ドッグ賞」の「審査員特別賞」を受賞していますが、この作品でも、〈アルマ〉という犬が、アンサが殺処分されそうだったのを拾ってやった犬として登場し、ちゃんと演技していて(笑)、「パルム・ドッグ賞」の「審査員大賞」を受賞しています。アンサが犬に付けた名前は「チャップリン」。ラストでアンサがホラッパと画面の奥へ歩いて行くシーンは、「モダン・タイムス」(1936)へのオマージュになっていました(こちらは「男女」+「犬」だったけれど)。

 因みに、映画の時代設定は不明確であり、映画の中に映っている壁掛けカレンダーは、まだ来ていない2024年秋を示している一方、ラジオでナレーションされているニュースは2022年のロシアのウクライナ侵攻の初期の出来事であって、そのため、別の現実が舞台になっているとも言われているようです(メタ―バース流行り?)。

「枯れ葉」d2.jpg「枯れ葉」02.jpg「枯れ葉」●原題:KUOLLEET LEHDET(英:FALLEN LEAVES)●制作年:2023年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・脚本:アキ・カウリスマキ●製作:ミーシャ・ヤーリ/アキ・カウリスマキ/マーク・ルオフ/アルマ(犬)●撮影:ティモ・サルミネン●時間:81分●出演:アルマ・ポウスティ/ユッシ・バタネン/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイブ/マッティ・オンニスマー/アルマ(犬のチャップリン)●日本公開:2023/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(スクリーン1)(24-01-24)(評価:★★★★☆)

アルマ(犬のチャップリン)

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"恐怖の子ども"は主人公の幻想。許される範囲内での「映像のウソ」。

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<あの頃映画> 影の車 [DVD]
松本清張傑作映画ベスト10 10 影の車 (小学館DVD BOOK)」藤剛/岩下志麻/小川真由美
影の車 db.jpg影の車001.jpg 浜島幸雄(加藤剛)はある日、幼馴染の小磯泰子(岩下志麻)の呼びかけに振り返る。それは、平凡な男の生涯を根底からゆさぶる運命の声だった。浜島は旅行案内所に勤続12年の係長で、妻の啓子(小川真由美)は万事に社交好きで影の車003.jpg陽気だ。毎日が会社と団地の往復、生活も仕事も単調で味気ない浜島は、泰子に会って同じバスに乗っただけで軽い興奮があった。二度目に泰子に会った時、勧められるままに泰子の家を訪ねる。4年前に夫に死なれた泰子は6歳の健一(岡本久人)と二人暮し。保険の集金と勧誘での慎ましい生活だ。健一は父親が無いためか、孤独癖のある無口な子供だった。夢多き思春期の共通の追憶に話が弾み、浜島の泰子への傾斜は急だった。やがて、狭い泰子の家では、健一の眼が浜島には苦痛になった。だが、自然影の車002.jpgの成り行きで二人は結ばれる。初夜のように白無垢の長襦袢で浜島を迎える泰子がいた。浜島は健一を手なづけようと心を砕くが、その都度失敗する。浜島にも幼い日に夫を失った母(岩崎加根子)と伯父(滝田裕介)との間に立たされた忘れ得ぬ記憶があったため、健一の反感がこたえた。そして、健一が自分を殺そうとしている幻想に悩まされ始めた。一度は妻と別れて泰子と結婚しようと決心しながら、健一のことを考えると、また泰子を諦らめようかと思い迷った。一方、空閨を癒やされた泰子は、啓子への後ろめたさも、浜島を見る健一の白い目にも心を向けず、ひたすら愛欲の歓びに溺れた。紅葉のころ、浜島苦心のドライブ旅行も小さな健一の本能的な反発を食う。浜島は再び幻影の虜になった。宿命というには、余りにも似かよった浜島自身の幼年期の体験。あの時のように俺は健一に殺される。泰子は浜島のノイローゼを満ちたりた笑いで一蹴した。しかし、恐るべき運命の符合は、悪魔の悪戯か、結末が逆になった―。

影の車 d.jpg 野村芳太郎監督、橋本忍脚本の1970年公開作で、原作は、松本清張の「婦人公論」1961(昭和36)年1月号から8月号まで連載され、同年8月、中央公論社より単行本が刊行された連作短編集『影の車』の内の1つ「潜在光景」。ただし、この"潜在光景"というタイトルに符合する結末が最後になってみないと分からないためか、それとも逆にネタバレ的なタイトルとも言えるせいか、短編集のタイトルが映画化作品のタイトルになっています。

影の車 j.jpg 加藤剛が主人公の不倫する男を演じていますが、彼が岩下志麻演じる不倫相手の子どもに対して抱く恐怖はおそらく幻想であり、それは、今自分は不倫をしているという罪の意識と、かつて幼い自分が母の不倫相手に対して殺意を抱いたという原体験からくるものでしょう。子どもの所作の一つひとつが自分を批判しているように見え、仕舞いには凶器でもって自分を殺害しようとしているように見えてきます。

 映像的にも、子どもの顔に影が差すように撮ったり、持っている道具がこれから凶行に及ぶための凶器に見えるように撮ったりしています。見方によっては、ヒッチコックがサスペンス映画において"禁じ手"とした「映像のウソ」であるとも言えますが、ここは、"恐怖の子ども"は加藤剛演じる主人公の心象を映像化したものであることが明らかであり、許される範囲内での「映像のウソ」ではないかと思いました。

「影の車」ドラマ.jpg「影の車」ドラマ1.jpg 因みに、これまで3度テレビドラマ化されていて、2001年の「松本清張特別企画・影の車」(TBS)(風間杜夫・原田美枝子・浅田美代子版)を観ましたが、これも悪くなかったです。この作品の場合、主人公の男性は真面目そうな人間であればあるほど良く、それは罪の意識が浮き彫りにされるためで、風間杜夫もその要件を満たしていましたが、加藤剛はそれ以上で、まさにピッタリでした。

 ・1971年「影の車」(フジテレビ)日色ともゑ・園井啓介・岡本久人・橋爪功
 ・1988年「松本清張サスペンス・潜在光景」(関テレ・フジテレビ) 水谷豊・大谷直子
 ・2001年「松本清張特別企画・影の車」(TBS)風間杜夫・原田美枝子・浅田美代子

影の車 w.jpg影の車 岩下.jpg「影の車」●英題:THE SHADOW WITHIN●制作年:1970年●監督:野村芳太郎●製作:三嶋与四治●脚本:橋本忍●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●時間:98 分●出演:加藤剛/岩下志麻/小川真由美/岩崎加根子/滝田裕介/近藤洋介/岡本久人/小山梓/芦田伸介/稲葉義男/長谷川哲夫●公開:1970/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-13)(評価:★★★★)

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ドラマとは異なり、ほぼ原作通りの「悪が勝つ」結末で満足!?

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けものみち [DVD]」池内淳子/池部良/小沢栄太郎/小林桂樹/伊藤雄之助
けものみちp.jpgけものみち1.jpg 中風で寝たきりの夫・寛次(森塚敏)を女中勤めで養っている成沢民子(池内淳子)は、客のホテル支配人・小滝(池部良)に誘われ、事故死を装い、夫の寛次を焼き殺した。そして民子は翌日、小滝の紹介で弁護士・秦野(伊藤雄之助)と共に鬼頭洪太(小沢栄太郎)の邸を訪れた。中風で身体の不自由な老人・鬼頭の世話をするため民子は選ばれたのだ。金に任せた華けものみち2.jpg美な生活、民子は鬼頭に身体を任せながら、いつか小滝が忘れられない人となる。一方焼死事件に不審を抱いた警視庁捜査一課の久恒刑事(小林桂樹)は、当日現場付近にけものみち3.jpg民子らしい女がいたことを聞き込みながら、民子のアリバイを崩せず、次第に民子の美しさに職業を逸脱した淫らな行為を迫るのだった。久恒の調査で、鬼頭は元満州浪人で、戦後莫大な金を手にし、政治けものみち4.gifを裏から動かし、右翼団体を握っている人物であり、秦野とは、かつて鬼頭のもとで働いていた鉱夫の偽名で、本物の弁護士・秦野は満州で行方不明となっていた。また小滝は左翼くずれで、満州から古美術を盗み秦野らに近づいて、一つのラインを形成していることが判明した。その頃政界では、ある殺人事件にまきこれた高速道路公団総裁・香川(千田是也)が辞職し、新しい総裁が椅子についた。鬼頭のさ<しがねであることは当然ながら、確証がつかめず久恒は苛立つ。だが鬼頭の手は久恒にも伸びた。知りすぎた久恒は退職を勧告され呆然とする。そして数日後、久恒は鬼頭の用心棒・黒谷(黒部進)に殺害された。事件は複雑な人間関係を見せた頃、鬼頭が死亡、通夜の鬼頭邸で秦野が殺害される。民子は今さらながら、自分の置かれた立場に恐怖を感じた。小滝を訪ねた民子は、ある安宿に逢瀬を楽しんだが、入浴中、不意に乱入した黒部の手で石油をかぶり火だるまとなって死ぬ。だがその黒部も、浴室の戸をいち早く閉めてニヒルな笑いを浮かべる小滝の策に自ら滅んでゆくのだった―。

けものみち (新潮文庫).jpg 須川栄三(1930-1998/68歳没)監督の1970年作で、原作は、松本清張が「週刊新潮」に'62(昭和37)年1月から翌年12月にかけて連載したもので、'64(昭和39)年5月、新潮社から単行本として刊行されています。この映画化作品のほか、過去3度テレビドラマ化されています。
 
 •1982年「松本清張シリーズ・けものみち」[全3回]名取裕子・山崎努(NHK)
 •1991年「松本清張作家活動40年記念・けものみち」[全3回]十朱幸代・草刈正雄(NHK)
 •2006年「松本清張 けものみち」[全9回]米倉涼子・佐藤浩市(テレビ朝日)

「けものみち」1982.01 .jpg「けものみち」19822.jpgkemonomichi.jpg この中で、'82年の名取裕子・山崎努版の民子役の名取裕子はピッタリだと思いましたが、その上をいく映画における池内淳子という感じ。ジェームス三木脚本、和田勉演出の'82年のドラマ版も錚々たる配役ですが、やはり全体的にみても映画版の方が上でしょうか('06年ドラマ版はかなり落ちる)。

  役名  '65年映画'82年ドラマ'06年ドラマ
  民子  池内淳子 / 名取裕子 (米倉涼子)
  小滝  池部 良 / 山崎努  (佐藤浩市)
  鬼頭  小沢栄太郎/ 西村晃  (平幹二朗)
  秦野  伊藤雄之助/ 永井智雄 (吹越 満)
  久恒  小林桂樹  /伊東四朗 (仲村トオル)
  米子  大塚道子  /加賀まりこ(若村麻由美)

「けものみち」道行.jpg  '82年のドラマ版では、原作よりも、名取裕子演じる民子を中心に描いていて、原作と結末を変えて、民子が、最後は山崎努演じる小滝との逃避行を図るかたちになっており、"道行(みちゆき)物"のような印象があって(小滝が最後に民子に心底惚れた)、小滝を完全な悪者にしていないところがテレビ的であると思えましたが、これはこれで良かったです(評価★★★★)。
【3133】 ○ 和田 勉 (原作:松本清張) 「松本清張シリーズ・けものみち」 (1982/01 NHK) ★★★★

けものみちd.jpg「けものみち」池内2.jpg 一方、この池内淳子の映画版は、ラストで民子が辿る運命は原作と同じで、ちょっと残酷ですが、これも夫殺しの原罪の報いということでしょうか。まあ、原作は民子ではなく小滝が主人公であり、その彼のピカレスク小説と解するのがオーソドックスであると思われます。

 こうしたピカレスク小説は、原作は「悪が勝つ」といった終わり方になっていても、映画化される際にはその「悪」も最後は滅びるといった改変がされることが清張作品においても少なからずありますが(「黒い画集 ある遭難」('61年/東宝)などはその典型)、この映画は、黒谷(黒部進)という原作には無い殺し屋が登場するなど途中一部改変はあるものの、ほぼ原作通りの「悪が勝つ」結末で満足(!?)でした。ただし、最後に小滝が見せるニヒルな笑いは、泣き笑いともつかぬ表情ともとれます。(評価はこちらも★★★★)。

 その池部良演じる「悪」を体現している小滝が、ずっとニヒルで(前年の「乾いた花」('64年/松竹)で演じたヤクザ・村木に近いイメージ)、これちょっとカッコ良すぎるのではと思ってしまうのは、小滝のモデルが当時ホテルニュージャパンのオーナー兼社長だった横井英樹(1913-1998)であると言われていて、落差イメージが念頭にあるためかもしれません。

けものみち図1.jpgけものみち5.jpg「けものみち」●英題:BEAST ALLEY●制作年:1965年●監督:須川栄三●製作:藤本真澄/金子正且●脚本:白坂依志夫/須川栄三●撮影:福沢康道●音楽:武満徹●時間:150分●出演:池内淳子/池部良/小沢栄太郎/小林桂樹/伊藤雄之助/森塚敏/大塚道子/黒部進/千田是也/菅井きん/矢野宣/土屋嘉男/中丸忠雄/小松方正/稲葉義男●公開:1965/09●配給:東宝●最初に観た場所:神田・神保町シアター(25-05-11)(評価:★★★★) 
 

「けものみち」ばんせn.jpgkemonomichi.jpg「松本清張シリーズ・けものみち」●演出:和田勉●脚本:ジェームス三木●音楽:(オープニング)ムソルグスキー「交響詩 禿山の一夜」/(劇中音楽)ムソルグスキー「組曲 展覧会の絵」(ラヴェル編曲)●原作:松本清張●出演:名取裕子/山崎努/西村晃/伊東四朗/永井智雄/加賀まりこ/石橋蓮司/中村伸郎/久米明/加藤和夫/勝部演之/林昭夫/塩見三省/松崎真/高森和子/原知佐子/矢吹二朗/林ゆたか/奥野匡/野村信次/西村淳二/松本マツエ/増田順司/大森義夫/山崎満/松村彦次郎/入江正徳/小坂明央/小林かおり/永六輔●放送日:1982/01/09~23●放送局:NHK(評価:★★★★)
 

「けものみち」米倉[.jpg「けものみち」平 米倉.jpg「松本清張 けものみち」●演出:松田秀知/藤田明二/福本義人●プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日)/伊賀宣子(共同テレビ)●脚本:寺田敏雄●音楽:(エンディング)中島みゆき「帰れない者たちへ」●原作:松本清張●出演:米倉涼子/佐藤浩市/仲村トオル/若村麻由美/平幹二朗●放映:2006/01/12~03/09(全9回)●放送局:テレビ朝日

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松本清張と野村芳太郎が決別する契機となった作品と言われているが...。

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「迷走地図」勝新太郎/岩下志麻/松坂慶子/渡瀬恒彦/伊丹十三/芦田伸介
「キネマ旬報」1983年10月下旬号
迷走地図 キネ旬.jpg 政権を握る改憲党内第二派閥領袖・寺西正毅(勝新太郎)は、現首相、桂重信(芦田伸介)から政権の禅譲を受け、この秋に首相の座に就くのがほぼ既定路線だった。寺西を裏で支えているのは、夫人の文子(岩下志麻)と秘書の外浦卓郎(渡瀬恒彦)だ。外浦は財界の世話役である和久宏(内田朝雄)に、寺西派とのパイプ役として送りこまれ、4年前から寺西の私設秘書となっていた。寺西邸から政治献金のバックペイの金を、和久のもとへ届ける使者として立てられた銀座のクラブ「オリベ」のママ・織部里子(松坂慶子)が、その金を自転車の男(平田満)に奪われるという事故を起こした時、警察に手を回して闇から闇に葬ったのも外浦の力であった。前首相・入江宏文が急死し、政局は秋の総裁選に向け、俄かに動き始める。桂迷走地図 4.jpgがひき続き政権を担当する意思を見せたのを受けて、外浦と和久、そして和久に囲われている里子は京都へ飛び、関西財界の有力者、望月稲右衛門(宇野重吉)から20億の融資を引き出した。第三派閥板倉派抱き込みのための工作資金である。桂派と寺西派になる政権争いが日ごと激しさを増す中、外浦が和久の経営する東南アジアの会社に招かれたとの理由で突然辞意を表明した。出発間際東大の後輩にあたり、政治家相手の代筆業をしている土井伸行(寺尾聰)を訪ねた外浦は、土井に個人名義の貸金庫の管理を依頼し、自分にもしものことがあったら、中身は自由に使えと告げる。外浦が外地で自動車事故死したことを新聞で知った土井は、すぐに貸金庫を開けた。中身は、文子と外浦の2年間に及ぶ不倫の恋の記録、文子自筆のラブレターの束であった。板倉派が、次第に奇妙な動きを見せ始める。川村正明(津川雅彦)率いる「革新クラブ」に照準を合わせ、かねてから川村が熱を上げていた里子を使って川村を自派の傘下におさめたのだ。土井が自宅において惨殺死体で発見された。新聞に過激派の犯行声明が載り、警察は内ゲバ殺人としてこの事件を処理するが、裏で板倉派が動いていた。桂派に寝返った板倉(伊丹十三)から「あと一期待たないか」ともちかけられた寺西が見せられたのは、例のラブレターだった。帰宅した寺西は文子を責めるが、後日、桂を支持することを発表する。第二次桂内閣誕生の日、寺西邸では、少数の記者を相手に怪気炎を上げている寺西の姿があった―。

迷走地図上下.jpg 野村芳太郎監督の1983年10月公開作で、原作は、松本清張が「朝日新聞」に1982年2月から 1983年5月まで連載した長編小説(1983年8月に新潮社から単行本刊行)。1970年代から1980年代にかけての自民党派閥政治の生態を窺うことができる"ポリティカル・フィクション"です。松本清張と野村芳太郎がタッグを組んだ最後の作品で、松本清張と野村芳太郎が決別する契機となった作品とも言われています。

 群像劇となっているため、主役の勝新太郎が演じる党内第二派閥領袖で次期総裁の有力候補・寺西も、外地歴訪などで出番はそう多くなく、渡瀬恒彦が演じる秘書の外浦卓郎が物語の進行役のような役割を果たすのは原作と同じなのですが、その外浦も外地で事故死し(おそらく自殺)、その役割を寺尾聰が演じるライターの土井に引き継ぐため、やや焦点(視点)が定まりにくい印象も。 一方で、松坂慶子が演じる銀座のクラブ「オリベ」のママ・里子の後ろ盾は誰なのかというのが、原作における数少ないミステリ的要素なのですが、これも映画では最初から既定事実として明らかにされてしまっている感じです。

 それでも愉しめたのは、オールスター映画とも言える豪華な配役のお陰でしょうか。とりわけ女優陣がよく、プレイボーイの政治家・津川雅彦を軽くいなす松坂慶子、勝新太郎に(アドリブで)顔にお茶をぶっかけられても屹然と対峙する岩下志麻、その岩下志麻が夫・渡瀬恒彦の不倫相手であることを察して凛然と詰め寄るいしだあゆみと、見どころはそれなりにあったと思います。

 脇も堅く、津川雅彦演じる節操のない川村に振り回される秘書の鍋屋に加藤武、寺西の盟友である警察OBの法務大臣に大滝秀治、京都の謎の高利貸しに宇野重吉(寺尾聡と親子出演になる)、里子のバッグをひったくるも怖くなって落とし物として届ける男に平田満、土井の秘書に片桐夕子など。

迷走地図 伊丹.jpg 加藤武演じる鍋屋が川村に愛想をつかして辞め、朝丘雪路が演じるタレント議員のもとに転じるも、高慢な彼女からコケにされるというのは、津川雅彦と朝丘雪路が実生活で夫婦であることも相俟って可笑しいです。松坂慶子演じるクラブ「オリベ」のママ・里子が、実は同クラブのホステス早乙女愛と同性愛だったという原作には無いオチも。でも、いちばん"遊んで"いるのは、政調会長の板倉を演じた伊丹十三の演技が、終始田中角栄のモノマネになっていることでしょうか。

津川雅彦(二世代議士・党内最小派閥「革新クラブ」リーダー・川村正明)/伊丹十三(党政調会長・「板倉派」領袖・板倉退介)

迷走地図 スチール.jpg 野村芳太郎監督は何本も松本清張作品を監督しましたが、清張はこの映画を気に入らず、この作品に限っては、清張の原作と野村の映画の「方向性」が、全く噛みあわなかったと言われ、以後、清張と野村の関係は疎遠となったとのこと(清張が封印したのか、ビデオ・DVD化されていない)。

 しかしながら、ストーリーを原作から大きく変えているわけではなく、どこが気に入らなかったのか、よく分かりませんでした。もしあるとすれば、こうした戯画的な描き方が、"お遊び"の度が過ぎると思われたのかもしれません(全体的にも軽さが目立つと言われればそうかも)。

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迷走地図・岩下志麻松坂慶子.jpg迷走地図  c.jpg「迷走地図」●制作年:1983年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/杉崎重美/小坂一雄●脚本:野村芳太郎/古田求●撮影:川又昂●音楽:甲斐正人●原作:松本清張●時間:136分●出演:勝新太郎/岩下志麻/松坂慶子/早乙女愛/津川雅彦/加藤武/渡瀬恒彦/いしだあゆみ/寺尾聰/片桐夕子/内田朝雄/中島ゆたか/朝丘雪路/伊丹十三/大滝秀治/芦田伸介/宇野重吉●公開:1983/10●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-04)(評価:★★★☆)

岩下志麻/松坂慶子

新文芸坐「監督・野村芳太郎 が描く、作家・松本清張 の世界」(2025)
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国会議員秘書の生態を通して、駆け引きに没頭する永田町の「政界」を描く。

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迷走地図 (文庫.jpg
迷走地図 上』『迷走地図 (1983年)』['83年]/『迷走地図 上 (新潮文庫 ま 1-52)』『迷走地図 下 (新潮文庫 ま 1-53) 』['86年]
映画「迷走地図」('83年/松竹)/ドラマ「迷走地図」('92年/TBS)
迷走地図  映画1.jpg迷走地図 ドラマ 1.jpg 国会議員から院内紙記者に至るまで、多種多様な人種が、利権・利得を求めて蠢く永田町界隈。与党・政憲党内では、最大派閥の領袖で現総裁の桂重信から、第2派閥である寺西派の領袖・寺西正毅への政権禅譲が噂されていた。党内の政策集団「革新クラブ」のホープと目され、女性ファンも多い二世議員の川村正明は、パーティ中の演説で、「老害よ、即刻に去れ」と政権のたらい回しを痛烈に批判する。しかしスピーチの台本は、川村の私設秘書・鍋屋健三が、政治家の著書の代作屋の土井信行に注文して作らせたものであった。女性問題の発覚を切り抜けた川村は、パーティに顔を見せた高級クラブ「オリベ」のママ・織部佐登子に目をつけ、フランス製の高級ハンドバッグを餌に攻略を狙う。しかし、知られざる使命を帯びていた佐登子は、寺西正毅の邸宅で、寺西夫人・文子と秘書・外浦卓郎の介在する中、川村の贈ったハンドバッグを使い、大金を受領していた。その後、外浦は寺西の秘書を辞し、大学の後輩である土井に貸金庫のキーを託し、南米・チリへ去ったが―。

 松本清張の「朝日新聞」に1982年2月から 1983年5月まで連載され長編小説(1983年8月に新潮社から単行本刊行)。貸金庫に隠された物の正体は何か?事件の背後にある政界関係者の思惑は? 議員秘書など主に裏方の視点から、永田町に棲む人々の生態を描いた"ポリティカル・フィクション"(Wikipedia)です。

 作者自身は「いわゆる政治小説ではない」と朝日新聞('83年5月12日)で述べています。政治小説ではないからモデルもいないということで、登場する保守党のリーダーの名前が桂重信(桂太郎と大隈重信の合成)、板倉退助(板垣退助のもじり)などとなっています。描きたかったのは、国会議員の秘書の生態であるとのこと。ただし、読者に訴えたかったのは、政党間や政治家同士の駆け引きに没頭する永田町の「政界」は、いったい日本の政治をどこへ持っていこうとしているのかということであり、国民のためを思う真剣さがあるのかという問いがテーマであるとのことです。であるため、広い意味ではやはり政治小説ということになるのではないでしょうか。

 ただし、政治ミステリーまでは言えず、結末も(匂わせてはいるが)それほどはっきりしていません。そのため、カタルシス効果は弱いかもしれませんが、作者は、話にオチをつけるよりは、こうしたことが延々と繰り返されていくということを言いたかったのではないかと思います。

迷走地図 1983.png迷走地図  1983.jpg 野村芳太郎監督、勝新太郎主演で映画化されましたが(「迷走地図」('83年/松竹))、原作者の松本清張はこの映画を気に入らず、この作品に限っては、清張の原作と野村芳太郎の映画の「方向性」が、全く噛みあわなかったと言われ、以後、清張と野村芳太郎の関係は疎遠となったとのこと。このため、'92年に松本清張の作家活動40年記念としてTBSでテレビドラマ化されることになった際には、担当の市川哲夫プロデューサーは清張の意向を受け入れ、作家本人が納得する作品を仕上げたとのことです。


迷走地図 ドラマ v.jpg 個人的には、映画もそれほど原作を外れているようには思いませんでしたが、テレビも同様でした(清張が気に入らなかったのは。あらすじ云々より映画における人物の描き方か?)。映画で渡瀬恒彦が演じた寺西の秘書・外浦を、TBSの元ニュースキャスターでラジオパーソナリティの森本毅郎が演じ、勝新太郎が演じた寺西を二谷英明が、岩下志麻が演じたその妻を若尾文子が、寺尾聡が演じた代作屋の土井を世良公則が、松坂慶子が演じた「オリベ」のママを小柳ルミ子が演じています(ドラマは若尾文子が主演のようだ)。

 映画が寺西役の勝新太郎を主演に据えながらも、渡瀬恒彦演じる秘書・外浦に視点を置きつつ、全体としては群像劇の色合いが濃かったのに対し、ドラマの方は、クレジット上の主役は若尾文子ですが、実際の物語は映画同様、森本毅郎が演じるの秘書・外浦を中心に展開し、やはり群像劇の様相を呈しています(資金貸しの望月稲右衛門を演じた若山富三郎は、放送の3日後に62歳で亡くなり、本作が遺作となった)。

 細かいことを言えば、原作における寺西夫人・文子のラブレターがドラマで画カセット録音に置き換えられているほか、その恋の相手である外浦卓郎はチリではなく経由地のロサンゼルスで事故死(現地ロケしている)、その遺志を継いだ土井信行を葬った黒幕が、原作では寺西派の手先ではなく、さらに上手の黒幕がいたことを匂わせていますが、ドラマではそこまでは捻っていません。

 ドラマを観て、映画のどの部分を原作者が気に入らなかったのか分からなかったので、もう一度、映画を観直してみようと思いましたが、ドラマの方は、ビデオ化されたもののDVD化はされなかったのに対し、映画の方はソフト化さえされていない状況です。それが池袋の新文芸坐で掛かるということで観にいきました(次エントリー)。

迷走地図 ドラマ 2.jpg「松本清張作家活動40年記念・迷走地図」●演出:坂崎彰●プロデュー:市川哲夫●脚本:重森孝子●音楽:大野克夫●原作:松本清張●出演:若尾文子/森本毅郎/木内みどり/内田朝雄/世良公則/久米明/小柳ルミ子/山内明/若山富三郎/有森也実/目黒祐樹/佐野浅夫/村上里佳子/戸浦六宏/上田耕一/井上昭文/角野卓造/島田正吾/石堂淑朗/二谷英明/(ナレーション)鈴木瑞穂●放映:1992/03/30(全1回)●放送局:TBS(「月曜ドラマスペシャル」枠)

若尾文子(寺西の妻)/木内みどり(外浦の妻)


⦅ドラマの詳しいあらすじ⦆
迷走地図 ドラマ c.jpg今から約10年前のこと、一人の元過激派の男が殺された。時を同じくして内閣改造が与党・政憲党の内部抗争を経て行われていた。その時点から遡ること3ヶ月。次期総理が有力視されている寺西正毅(二谷英明)の邸宅では早朝から派閥の有力代議士達が集まり、政権取りの秘策を錬っていた。現総理・桂重信(内田朝雄)を速やかにその座から引き下ろすために話し合い、その実行者は寺西の懐刀・外浦卓郎(森本毅郎)と決められた。外浦は東大卒の敏腕な新聞記者上がりのキレ者で、寺西夫人・文子(若尾文子)の信任も厚かった。その外浦の仕掛けた桂派の金権スキャンダル記事で、永田町は騒然となる。永田町のアダムスホテルには様々な政治業界の人間が集まっている。元東大全共闘出身で、政治家のゴースト・ライターをしている土井信行(世良公則)も、そこに事務所を構えていた。その彼と外浦は先輩後輩関にあり、政治家のパーティーで久しぶりに再会して心を通じ合う。外浦が桂派の罠に嵌って主人の寺西の不興を買い、チリに長期出張を命ぜられることになった時、土井は彼からある依頼を受ける。それは外浦所有の秘書貸金庫の管理であった。間もなく外浦はロサンゼルス経由でチリへ飛び立つが、ロスから外浦が交通事故で急死したという急報が飛び込む。土井は衝撃を受け、貸金庫の鍵を開ける。そこにあったものは、次期政権を狙う寺西正毅の夫人・文子との情事を記録した秘密録音テープであった。外浦は「それを君がどう利用しても良い」という遺言を残していた。その頃、政憲党内部の対立抗争はますます激化し、寺西派は京都の謎の高利貸し(若山富三郎)に20億の献金を依頼。その使者は財界の大物・石井庫造(久米明)とその愛人・銀座の高級クラブのママ佐登子(小柳ルミ子)であった。土井が抱え込んだ秘密テープの存在はやがて寺西派のNo.2で警察OBの政治家・三原伝六(山内明)の知るところとなり、土井は公安関係者の標的となる。そしてある夜、遂に権力の怒りの制裁が加えられる―。

【1986年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

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松本清張の真骨頂という感じの作品。映画よりドラマの方が原作に忠実。

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内海の輪 (カッパ・ノベルス)』['69年]『内海の輪 (角川文庫)』['74年]『内海の輪 新装版 (角川文庫) 』['23年]「<あの頃映画> 内海の輪 [DVD]」岩下志麻「火曜サスペンス劇場 松本清張スペシャル 内海の輪 [DVD]」中村雅俊
2025.3.30 蓼科親湯温泉にて
新湯 内海の輪.jpg 東京のZ大学に勤務する考古学者・江村宗三は、愛媛県松山の洋品店主の妻である西田美奈子と不倫関係になっていた。14年前、美奈子は宗三の兄嫁であった。美奈子の現在の夫・慶太郎は不能な老人となって久しい。落ち合った宗三と美奈子は、広島県の尾道で宿泊したが、火の点いた美奈子は、自分が松山の家を出ることを主張し始める。スキャンダルで考古学会から葬られることを恐れる宗三。有馬温泉に移ると、美奈子は宗三に妊娠を告げる。「もう松山には戻れないわ。あなたなしには生きてゆかれなくなったわ」と、宗三の子を産むと宣言、それは宗三の学界からの追放を意味し、絶望に落ちた宗三は美奈子の殺害を計画するが―。(「内海の輪」)

 「内海の輪」は、松本清張が「黒の様式」第6話として「週刊朝日」'68(昭和43)年2月16日号~10月25日号に連載し(連載時のタイトルは「霧笛の町」)、'69(昭和44)年5月に中編集『内海の輪』収録の表題作として、光文社(カッパ・ノベルス)から刊行された作品(併録「死んだ馬」)。
 
 ミステリ要素よりは女性の欲望と情念が前面に出た作品で、松本清張の真骨頂という感じの作品。やはり恋愛では、女性の方が一途なのか、老舗洋品店の妻としての安定した生活を捨てても恋を貫こうとする美奈子に対し、宗三は、美奈子を愛しているものの、考古学者としての野心もあり、女の一途さ、情の深さにそれに翻弄され、追い詰められて犯行に至ります。

 「ボタンが決め手」というのがプロット的に弱いとみたのか、宗三が東京で乗ったタクシーの運転手が旅先で乗ったタクシーの運転手と偶然同じだったことから証言が得られるという展開が最後にあり、偶然に依拠し過ぎとの批判もあるようですが、このパターンは清張の作品にもあり、「本格推理」でもないので、これはこれで「ボタン」を補うという点でいいのではないでしょうか。

「内海の輪」dvd2.jpg「内海の輪」がけ.jpg '71年に斎藤耕一監督により映画化されており、主演の岩下志麻は、「お話があって早速読みましたが推理小説というより愛のドラマのように感じました。女のサガとでもいいましょうか、女の愛の一つのタイプのもので一生懸命演じてみたいと思います」と話したというから、自分と同じ印象を持ったということか。

「内海の輪」04.jpg 映画の出来について淀川長治は、「岩下志麻はもはやカトリーヌ・ドヌーブ級のうまさ。問題は青年のエゴと弱さをさらけだす宗三役の中尾彬。これが弱さのかげをもっと深く見せねばならなかった。難役ゆえに惜しい」「しかし日本映画もこれほど上等になってきた」などと評しましたが、前半は個人的にも同意見です。

「内海の輪」03.jpg 原作では場面的には登場しない、美奈子の不能夫を三國連太郎が演じており、冒頭から岩下志麻との濡れ場シーンがあったり(しかもその夫と女中の関係も描かれる)、倒叙型で先に女性の死体が見つかった場面があったりと(しかも原作のように白骨死体で見つかるのは別の事件の話になっている)、ところどころ部分的に原作を変えていますが、岩下志麻の演技力でぐいぐい引っ張っていく感じでした(そっか、物語の主人公役は中尾彬だが、主演は完全に岩下志麻だった)。

「内海の輪」09.jpg ところが、女が男の自分への殺意に気づき、最後は誤って自ら断崖から足を滑らせ...と、ここで原作と大きく異なってしまい、これって事故であり、原作の殺人事件にならないじゃないかと。男の殺意も実行に移さなければ女の思い込みともとれるし、逃げるのが得策ではなかったのにその場から逃げてしまった男は、「殺人」の嫌疑はかけられても仕方がないですが、実情は「死体遺棄」といったところでしょうか。男の出世にも関係する、原作の石器の発見の話も端折られていて、原作者は何も言わなかったのかなあ(脚本家はクレームをつけたらしい)。

「内海の輪」ドラマ1.jpg「内海の輪」ドラマ2.jpg これまで、'82年のTBS「ザ・サスペンス」の〈滝田栄・宇津宮雅代版〉と、2001年の日本テレビ「火曜サスペンス劇場」の〈中村雅俊・十朱幸代版〉の2度テレビドラマ化されていて、〈中村雅俊・十朱幸代版〉を観ましたが、こちらの方が映画よりずっと原作に忠実でした。女は不倫旅行のるんるん気分の内に殺害されるし、男には明確な殺意がありました(あくまで中村雅俊が主演)。死体は白骨死体で見つかり、その付近での石器の発見の話も活かされていました。ラストの犯行の決め手になる小道具だけが、ボタンからメガネに変更されていましたが、これなら、タクシー運転手の証言を借りずとも男が犯人であることが立証でき、完璧と言えるかと思います。

火曜サスペンス劇場「松本清張スペシャル 内海の輪」(2001年/日本テレビ)中村雅俊/十朱幸代/紺野美沙子/石橋蓮司


 銀座裏のバーのマダム・石上三沙子は、店を開いて3年後、和風建築家の池野典也と出会う。池野が当代一流の建築設計家で、相当の財産を持っているらしいことを聞いた三沙子は、再度の来店時に池野を誘い出した。病妻を失った63歳の池野は、33歳の三沙子と再婚した。三沙子は夫の設計事務所の経理主任・樋渡忠造を味方に付け、夫の収入の実体を把握したが、二年ほど経つと、池野の肉体的能力の衰退とともに、設計の才能が枯渇してきたことに気づく。夫が死んだ後も設計事務所を維持し、自分の名声を高めたい三沙子は、事務所員のなかでも飛び抜けて優秀な秋岡辰夫に近づく。三沙子はバーで培った技巧を駆使し、女性経験のなかった秋岡は三沙子の術中にはまる―(「死んだ馬」)。
   
 併録の「死んだ馬」は、「小説宝石」'69(昭和44)年3月号に掲載された文庫で70ページほどの中編で、今度は三沙子という女性に翻弄される男の話。愛人の愛情と仕事上の名声の両方を手に入れようとしてしている点で「内海の輪」の主人公と似ていますが、女のために(自分自身のためでもあるが)殺人まで犯してしまい、しかし、女が自分を愛してはおらず利用しただけだったと後から気づき、女に殺意を抱くという、この辺りの流れが、これまた松本清張ならではの旨さでした。

 松本清張の作品が長編に限らず中短編も数多く映像化されているのは(その点ではアガサ・クリスティやコナン・ドイルに匹敵するのでは)、こうした長編にもなりそうな素材を中短編にうまく凝縮しているというのもあるのではないでしょうか。実際、この作品も2度ドラマ化されており、'81年のテレビ朝日「土曜ワイド劇場」の〈小川真由美・山本亘版〉と、2002年のTBSの〈かたせ梨・萩原聖人版〉がありますが、どちらも未見。機会があれば観てみたいと思います。

「松本清張の死んだ馬 殺人設計図」(1981年/テレビ朝日)小川真由美・山本亘・山形勲・山田吾一
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「松本清張没後10年特別企画 死んだ馬・殺意の接点」(2002年/TBS)かたせ梨・萩原聖人・神山繁・蟹江敬三
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「内海の輪」0m.jpg「内海の輪」06.jpg「内海の輪」●制作年:1971年●監督:斎藤耕一●製作:三嶋与四治●脚本:山田信夫/宮内婦貴子●撮影:竹村博●音楽:服部克久●原作:松本清張「内海の輪」●時間:103分●出演:岩下志麻/中尾彬/三國連太郎/滝沢修/富永美沙子/入川保則/水上竜子/加藤嘉/北城真記子/赤座美代子/夏八木勲/高木信夫/高原駿雄●公開:1971/02●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(24-07-23)(評価:★★☆)<.font>


「内海の輪」ドラマ.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」t.jpg「松本清張スペシャル 内海の輪」●監督:三村晴彦●脚本:那須真知子●音楽:佐藤允彦●原作:松本清張「内海の輪」●出演:中村雅俊/十朱幸代/紺野美沙内海の輪 石橋蓮司.jpg子/石橋蓮司/西田健/塩見三省/丸岡奨詞/野村昇史/柳川慶子/廣田行生/勝部演之/伊藤昌一/小久保丈二●放映:2001/03/27(全1回)●放送局:日本テレビ(火曜サスペンス劇場)

石橋蓮司(西田美奈子(十朱幸代)の夫・西田啓太郎)

【1969年ノベルズ版[カッパ・ノベルス]/1974年文庫化・2023年新装版[角川文庫]】

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映画を先に観たが、原作を読むと主人公の"冤罪"的要素がより浮き彫りになってくる。

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わるいやつら カッパ.jpgわるいやつら 文庫1.jpg
わるいやつら (1961年)』['61年]『わるいやつら 全一冊決定版 (カッパ・ノベルス) 』['70年]『わるいやつら(上) (新潮文庫)』['66年]『わるいやつら 下 (新潮文庫 ま 1-9) 』['66年]『わるいやつら 上下2冊セット 松本清張 新潮文庫』]                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
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 戸谷信一はある総合病院の院長だが、病院の経営には無関心で、もっぱら骨董品収集と漁色に明け暮れている。そのため病院の経営は苦しく、赤字は毎月増えるばかりであったが、妻・慶子との別居中に作った二人の愛人、銀座の高級洋品店「パウゼ」の経営者の藤島チセと、大きな家具店の妻女・横武たつ子から、金を巻き上げては赤字の穴埋めに充てていた。最近新たに若くして銀座で一流洋装店を経営する美貌のデザイナー槙村隆子を知った戸谷は、彼女に強い興味を持ち、結婚に持ち込みたいと思うようになった。そのためさらに多額の金が必要になったが、その金も愛人から絞り取ることで乗り切れると戸谷は考えていた。しかし、愛人の一人である横武たつ子の病夫の急死に、これもまた自分の愛人である看護婦長の寺島トヨと思わぬ関わりを持ったことから、戸谷とその周囲の人間の運命は狂い出す―。
  
わるいやつら 1980.jpgわるいやつら文庫12.jpg 松本清張が「週刊新潮」に1960(昭和35)年1月から 1961(昭和36)年6月まで連載した長編小説(加筆修正のもと1961年10月に新潮社から単行本刊行)。医者の社会的権威を利用して犯罪に手を染めてゆく医師と、その人間関係を描くピカレスク・サスペンスで、野村芳太郎監督によって1980年に松竹で映画化されたほか、これまでに1985年・2001年・2007年・2014年の4度テレビドラマ化されています(ただし、2007年版は、米倉涼子演じる看護師・寺島豊美(寺島トヨ)が主人公になっている)。
<あの頃映画> わるいやつら [DVD]

わるいやつら1980.jpg 映画を観たり原作を読む前から、病院長・戸谷信一が次々に人を殺害する物語であるということは知っていました。ただ、冷徹な主人公が頭脳的・計画的に愛人を殺していくのかと思ったら、ボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。それでも、その方がりアリティがあって面白かったです。
「わるいやつら」('80年/松竹)片岡孝夫/宮下順子

 本作執筆のきっかけとして、作者の母が1955年に亡くなった際、埋葬許可証を発行する区役所の手続きが非常に簡単で、係員が死亡診断書を発行した医者に問い合わせることをせず、診断書の記載がそのまま形式的に通過していくことに驚き、創作のヒントを得たと作者は述べています。ただし、本作は、そうした診断者や医師の問題がどうのこうのと言うより、1人の人間のキャラクターを描くことで、人間の弱さを描いているように思え、そこが良かったです。カッパ・ノベルズで二段組500ページありますが、追い詰められていく主人公の心理にフォーカスされていて、ラストまですんずん読めました。

 先に野村芳太郎監督による映画化作品を観たのですが、原作を読んでみて改めて旨いなあと思ったのは、(以下、ネタバレ)無期懲役の戸谷に比べ、寺島トヨと藤島チセとの二人は殺人幇助ということで、刑期はずっと短かかったという結末になっている点です。戸谷が突発的ながらも殺意をもって殺そうとしたのは看護婦長の寺島トヨのみで、ただし、彼女は実は死んでいなかったわけです。一方、横武たつ子の病夫の死や横武たつ子自身の死には寺島トヨが強く関与している疑いがあり、また、藤島チセの夫の死には藤島チセ自身が関与している疑いがあるのですが、結局、主犯はすべて戸谷であるというような罪状になっているということです。つまり、ここにある種、寺島トヨと藤島チセという捨てられた愛人同士が結託した、別の女・槙村隆子に走った戸谷に対する復讐劇が成り立っている点です。

 映画を観た時は、その辺りを意識せず観ていましたが、原作を読むと、そうした"冤罪"的要素(とまで言えるかどうかはともかく)がより浮き彫りになってきます。映画も一応その線で作られていますが、ややアピールが弱かったでしょうか。その当たりを意識してか、女もしたたかということを強調したかったのか、原作に無い事件をラストに加えていますが(おそらく、この結末の方が原作より知られていると思う)、これはやや無理があったかと思います。

わるいやつら 32.jpg 映画のラストの方で、渡瀬恒彦が演じる戸谷の弁護士と、佐分利信が演じる戸谷に判決を言い渡す裁判官を佐分利信がそれぞれ1シーンずつ出てきますが、原作では「戸谷は弁護士を雇ったが、あまり有能な弁護士でもなさそうだった」とあり、確かに、渡瀬恒彦が演じる弁護士などは最初から「期待されては困る」的な雰囲気でした。弁護士も裁判官も当てにならなかったということでしょう。だから、佐分利信みたいな大物俳優が出て来ても、さらっと突き放すように判決を言い渡す1シーン限りだったのだなあと、改めて思い当たった次第です。一方、これはあまりに穿った見方かもしれませんが、緒形拳演じる刑事は、ヤリ手であるには違いないですが、戸谷により深い罪を負わせようとする女性たちのタッグをバックアップするような役回りになっていると解せなくもないように思いました。

【1962年新書化[新潮社ポケット・ライブラリ]/1966年文庫化[新潮文庫(上・下)]/1970年ノベルズ版[カッパ・ノベルズ]】

《読書MEMO》
わるいやつら 文庫8.jpgわるいやつら 文庫9.jpg●新潮文庫版下巻(1966年)の裏表紙(および新潮社ホームページ)では、「(戸谷は)横武たつ子の病夫を殺したあげく、邪魔になった彼女をも殺害し」と記述されている(2025年現在)が、小説の内容としては明らかに不正確な記述である(第一章第4節参照)。カッパ・ノベルズ版では、「横武たつ子が夫猿害の疑いで財産を失うと、戸谷は婦長の寺島と共謀、彼女を殺害」とあり、こちらの方が実態に近いが、それでもまだ、横武たつ子猿害が「共謀」と言えるか疑義が残る。

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金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され...。役者の演技が愉しめる。

わるいやつら 1980.jpgわるいやつら03.jpg
<あの頃映画> わるいやつら [DVD]」片岡孝夫/宮下順子/梶芽衣子/松坂慶子

わるいやつら片岡松坂.jpg 総合病院の院長・戸谷信一(片岡孝夫)は名医と言われた父の死後漁色にあけくれ、病院の赤字を女たちから巻き上げた金で埋めていた。戸谷は妻の慶子(神崎愛)と別居中で、横武たつ子(藤真利子)、藤島チセ(梶芽衣子)の二人の金ずるの愛人がいる。また彼は槙村隆子(松坂慶子)という独身で美貌のファッションデザイナーに夢中になっている。戸谷は友人の経理士・下見沢(藤田まこと)に妻との離婚の金銭問題やその他の悪事を任せていた。愛人たつ子は深川の材木商のおかみで、親ほど歳の違う夫(米倉斉加年)は、長く病床にあり、彼女が店をきりもりしていた。彼女は戸谷に金を貢ぎながら、夫を毒殺しようとする。戸谷の協力で、たつ子の計画は成功するがわるいやつらpp.jpg、家族の疑いで彼女は店の金を自由に使えなくなる。戸谷は結婚を迫る金のないたつ子を、かつての父の二号で、自分も関係した婦長の寺島トヨ(宮下順子)と共謀して殺害する。一方の愛人、藤島チセも東京と京都にある料亭を切りまわす女傑で、戸谷の最大の資金源だった。チセも夫(山谷初男)を疎ましがっており、戸谷はたつ子のときと同じ方法で殺害する。二度とも、医師として信用のある戸谷の書いた死亡診断書は何の疑いも持たれなかった。戸谷は秘密を知るトヨの存在が次第に邪魔になり、モーテルで絞殺、死体を林の中に投げ捨てた。戸谷はすべての情熱を隆子に注いだ。一方、トヨの死体発見の記事はいつまでも報道されなかった。ある日、警察が戸谷をわるいやつら緒形拳.jpg訪れた。たつ子とチセの夫の死因に不審な点があると言う。さらに、下見沢が戸谷の預金を下して行方をくらませたことが判明する。絶望した戸谷は殺人で逮捕される。井上警部(緒形拳)に追いつめられる戸谷。そして、殺したはずのトヨとチセが逮まった。トヨは息絶えておらず、逃げてチセと組んだのだ。無期懲役の戸谷に比べ、二人は殺人幇助ということで、刑期はずっと短かかった。数日後、隆子のファッション・ショーが開かれていた。それは下見沢のプロデュースによるものだった。そして、ナイフを隠しもった下見沢が隆子に襲いかかった。刑務所に送られる戸谷の足もとに風に舞う新聞が絡みついた。そこには「血ぬられたファッション・ショー・デザイナー重傷、中年男の悲恋」の見出がた―。

わるいやつら カッパ.jpgわるいやつら-2.jpg 野村芳太郎監督の1980年6月公開作で、原作『わるいやつら』は、松本清張が「週刊新潮」に1960年1月から 1961年6月まで連載した長編小説(加筆修正のもと1961年10月に新潮社から単行本刊行)。松竹・霧プロダクションの第1回提携作品で、英語題名は"Bad Sorts"です。

 原作を読んでなくて映画を観ましたが(これまで原作を読んでないがために映画も観なかった)、原作が、松本清張によるピカレスク・サスペンスであり、病院長・戸谷信一が次々に人を殺害する物語であるということは知っていました。ただ、冷徹な主人公が頭脳的・計画的に愛人を殺していくのかと思ったら、わるいやつらv.jpgボンボンで自堕落プレイボーイの二代目病院長が、金目当てに愛人にした女たちに逆に自身が翻弄され、安易に犯行を計画して半ば共犯的に殺人を犯し、最後には心底惚れ込んだ女に裏切られるという話でした。

わるいやつら片岡.jpg 内容的には2時間ドラマの方が似合うような中身なのですが、片岡孝夫の演技がこのショボいと言うか薄っぺらな主人公に微妙にマッチしていて、そこそこリアリティあるものとなっていたのが悪くなかったです(この人、今は人間国宝の「片岡仁左衛門」となっているが、今もって「片岡孝夫」のイメージがある)。

わるいやつら松坂.jpg 女優陣は、松坂慶子、梶芽衣子、宮下順子、藤真利子、神埼愛と なかなか布陣です(ポスターもそれをアピールしたものとなっている)。ただし、松坂慶子(当時28歳)は主演ということですが、高級ブティック経営者兼ファッションデザイナーという役柄にせいかわるいやつら宮下2.jpg、パターナルな演技でやや印象が薄く(2年前の大岡昇平原作、野村芳太郎監督の「事件」('78年/松竹)の時の方が"毒"があって良かった)、それは料亭の女将を演じた梶芽衣子(当時33歳)についても言え、着物姿を見せることが最大目的化している?印象も。むしろ病院の婦長で"父親の代からの愛人"を演じた宮下順子(当時31歳)が、日活ロマンポルノの看板女優として淫靡で湿った女の性を演じてきた分、ここでも日陰の女の凄みを見せつけていたように思います(「赫い髪の女」('79年/にっかつ)に出たのが前年かあ)。

わるいやつら藤田.jpgわるいやつら緒形渡瀬佐分利.jpg 片岡孝夫以外の男優陣は、藤田まこと、緒形拳、渡瀬恒彦、佐分利信など。藤田まことの経理士(税理士みたいなものか。原作では弁護士になっていた)は、とぼけた味があって良かったです。それだけに、最後の(原作には無い)槙村隆子に襲いかかるシーンは要らなわるいやつらラスト.jpgかったようにも思います(槙村隆子も男を利用するだけ利用して捨てる"悪女"であったことを強調し、"神の鉄槌"を下した?)。緒形拳の刑わるいやつら緒形.jpg事は、出演時間は短いけれど、時に余裕の笑みを浮かべ、時に激高しながらも戸谷を追い詰めていく演技はさすが圧巻(「鬼畜」('78年/松竹)の気弱男とはうって変わった演技)。渡瀬恒彦わるいやつら松本清張傑作映画ベスト10 7.jpgの弁護士、佐分利信の裁判官は、ほとんど一場面のみの登場で、友情出演みたいな感じですが、原作を読んだ後で改めて気づいたのですが、要するに、共に"頼りにならない"弁護士と裁判官という位置づけだったわけか。

 ということで、後で原作を読んで分かったこともあり、また、原作の面白さに助けられている面もあって評価は難しいのですが、小学館DVD BOOKの「松本清張傑作映画ベスト10」にも収められているし、少なくとも失敗作ではなく、むしろ成功していると見てよく、役者の演技も愉しめるので、評価は★★★★としました。

松本清張傑作映画ベスト10 7 わるいやつら (小学館DVD BOOK)』['10年]

わるいやつらp2」」.jpgわるいやつらキャスト.jpg「わるいやつら」●制作年:1980年●監督:野村芳太郎●製作:野村芳太郎/野村芳樹●脚本:井手雅人●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:129分●出演:片岡孝夫/松坂慶子/梶芽衣子/藤真利子/宮下順子/わるいやつら小林稔侍.jpg神崎愛/藤田まこと/緒形拳/渡瀬恒彦/米倉斉加年/山谷初男/梅野泰靖/小林稔侍/稲葉義男/関川慎二/神山寛/滝田裕介/西田珠美/雪江由記/香山くにか/なつきれい/小沢栄太郎/佐分利信●公開:1980/06●配給:松竹●最初に観た場所:池袋・新文芸坐(25-03-06)(評価:★★★★)
  
小林稔侍(刑事)/片岡孝夫(戸谷)

片岡仁左衛門.jpg 十五代目 片岡仁左衛門(片岡孝夫)(2015年、人間国宝)

新文芸坐「監督・野村芳太郎 が描く、作家・松本清張 の世界」(2025)
清張原作映画文芸坐」2025.jpg

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各エピソードが丁寧に描かれていた。どこまでが「看取り」でどこからが「介護」か。でも、応援のつもりで◎。
「みとりし」2019.jpg 『私は、看取り士。』.jpg
私は、看取り士。わがままな最期を支えます』['18年/佼成出版社]
みとりし [DVD]」 出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太

「みとりし」01.jpg
つみきみほ/宇梶剛士
「みとりし」001.jpg 交通事故で娘を亡くした定年間際のビジネスマン・柴久生(榎木孝明)。家族ともバラバラになり、喪失感から自殺を図ろうとした彼の耳に聞こえた「生きろ」の声。それは切磋琢磨して一緒に仕事に励んだ友人・川島(宇梶剛士)の最期の声だったと、彼の"看取り士"だったという女性(つみきみほ)から聞かされる。看取り士という職業に興味を持った柴は彼女に訊ね、「医者から余命告知を受けた人が最期をできるだけ安らかに旅立つことが出来るよう手伝いすること」が看取り士の仕事だと知る。5年後、早期退職後セカンドライフの仕事として看取り士を選んだ柴の姿が、岡山県高梁市にあった。地元の唯一の診療所の清原医師(斉藤暁)と連携しながら、小さな看取りステーション「あかね雲」でボランティアスタッフたちと最期の時を迎える患者たちを支えている。そんなある日、新任の医者・早川奏太(高崎翔太)、23才の新人看取り士・高村みのり (村上穂乃佳)が着任してくる。みのりは、9歳の時に母を亡くしたという経験からこの職業を選ぶが、経験が浅く、緊張しながら最初の患者を柴と共に担当する。最初の患者は、「もう病院に戻りたくない」という希望を持つ83才の清水キヨ(大方緋紗「みとりし」02.jpg子)。息子 の洋一(仁科貴)は、嫁・千春(みかん)が義母の面倒を見ないということで、柴たちへ依頼をしてきた。日々弱っていくキヨに寄り添う洋一、そして柴とみのり。キヨの最期、柴は洋一を促し母の背中を支えさせるが、みのりは見守ることしかできなかった。みのりは、腎機能が低下して別の病院に転院しなければならないという東條勝治(石濱朗)を初めて一人で担当すること になる。息子は東京で仕事をしているので看護できないが、勝治は「家に帰りたい」と訴えていた。みのりは懸命にケアをし、心を通い合わせるが、ある日クスリの量を間違え、勝治は不眠でベッドから落ちる。自信喪失のみのりに、柴は「ただ黙って聞いて。そして優しく触れて気持ちを受け止めるんだよ」とアドバイスをする。勝治の最期、東京から駆けつけた 息子は「父さんの子供で良かったと思ってるよ」と父に語り掛ける。みのりが初めて看取り士として命のバトンを渡せた瞬間でもあった。乳がんの再発と肺への転移で清原病院に入院している山本良子(櫻井淳子)は、3人の子を持つ母親である。余命いくばく ない彼女の希望もやはり、自宅に帰ることだった。夫・幸平(藤重正孝)は、子3人の面倒を見ながら、妻・良子を献身的に看護していたが、子育てと看護の大変さから柴たちへ相談をしてきた。柴の指導の元、みのりが山本家の母親の最期と向き合う日々が始まる―。

「みとりし」03.jpg 白羽弥仁(しらは みつひと)監督による2019年9月13日公開作で、「おくりびと」('08年)のようなブームになってもおかしくない作品ですが、閉館前の有楽町スバル座(2019年10月20閉館)でのロード公開の後、不運にも間もなくコロナ禍となり、広がりをみせないままになってしまった作品です。最近は関係者の努力により、地域の看取り師などと連携して市区町村での上映会を繰り返しているようで、個人的にも区の施設での上映会で観ました。

「みとりし」エノキ.jpg 柴田久美子・日本看取り士会会長の著書『私は、看取り士』(佼成出版社)がベースとなっており、かねてより柴田氏と親交のあった俳優の榎木孝明が(二人は十数年前に島根県の離島であり、柴田氏が「看取りの家」を開設した隠岐諸島・知夫里島で邂逅したそうだ)、柴田氏のガン告知を受け、彼女の27年間の看取り士としての集大成をしようと決意したことが映画製作のきっかけだとのこと(従って榎木孝明は企画段階から本作に参加してている)。

 柴田久美子の直接的なモデルはつみきみほ演じる看取り士と思われますが、榎木孝明が演じる主人公の柴久生という名前から柴田久美子が反映されていることが窺えます(さらに、主人公はラストでがん告知を受けたことが示唆されている)。

 「入退院を繰り返しててきた老母」「孤独死した老人男性」「人工透析をやめ自宅に戻った父親」「若くして乳がんとなった3人の子を持つ母」の4つのエピソードの1つ1つが丁寧に描かれ、それらの看取り経験を通して新人看取り士のみのりや新任医師の奏太が成長していくのがいいです。

 4つのケースは、当人が病院で死ぬより自宅で死にたいと思っている点で共通しており、実際、病院にいた時より自宅に戻った時の方が元気に。家族と一緒にいられればなおさらのことで、2番目のケースだけ孤独死なのでそうではなかったですが、それ以外のケースでの別れの会話「お母ちゃんありがとう」「お父さんの子供でよかった」「ママ起きて」といった言葉には泣かさます(2番目のような悲惨なケースも敢えて描いているのも意義があると思う)。

「みとりし」04.jpg 主演の1人、村上穂乃佳はオーディション選考1200人の中から選ばれたそうですが、良かったと思うし(その後、奥田裕介監督の「誰かの花」('21年)でも主役の介護ヘルパー役を務めることに。この作品もミニシアター系でしか上映されなかった)、つみきみほ、宇梶剛士などのちらっとしか出てこない俳優の演技もしっかりしていました。劇場で上映しないのかなあ。

 因みに、「看取り士」の仕事は、具体的には、どこでどのように最期を迎えるのか、葬儀や墓のことなど、本人の相談に応じ、医療保険、介護保険などの社会資源を充分に使えるようサポートするのが役割で、それに対し「看取り」とは、具体的に死が避けられない状況の人に対し、最期を迎えるそのときまで、食事や排せつの介護といった日常生活のケアをすることで、点滴を打つような医療行為や治療による延命は含まれないものの、「介護」は入ってくるようです(この映画では「本来の意味での看取り士は介護はしない」との前置きのもと、描き方としては「看取り士」に一部「介護」を含め、広く「看取り」の役割を負わせていたように思います。

 であるので、どこまでが「看取り」でどこからが「介護」かわかりづらいという問題は孕んでいますが、応援するつもりで◎評価にしました。

「みとりし」009.jpg「みとりし」19.jpg「みとりし」●制作年:2019年●監督・脚本:白羽弥仁●製作:高瀬博行/柴田久美子(企画)/榎木孝明(企画)/嶋田豪(企画)●撮影:藍河兼一●音楽:妹尾武●原案:柴田久美子『私は、看取り士』●時間:110分●出演:榎木孝明/村上穂乃佳/高崎翔太/斉藤暁/つみきみほ/宇梶剛士/杉本有美/松永渚/大地泰仁/白石糸/大方斐紗子/仁科貴/みかん/堀田眞三/片桐夕子/石濱朗/西澤仁太/金山一彦/藤重政孝/櫻井淳子●公開:2019/09●配給:アイエス・フィールド●最初に観た場所:サンパール荒川(23-11-23)(評価:★★★★☆)

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ラストはバツだが、片岡・秋吉の演技や夏の下町の風物の描かれ方などがいい。

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「異人たちとの夏」ポスター/「あの頃映画 「異人たちとの夏」 [DVD]」風間杜夫/秋吉久美子/片岡鶴太郎

異人たちとの夏0p.jpg異人たちとの夏0n.jpg 40歳の人気シナリオライターの原田(風間杜夫)は妻子と別れ、マンションに一人暮らししている。ある晩、若いケイ(名取裕子)という女性が飲みかけのシャンパンを手に部屋を訪ねてきた。「飲みきれないから」という同じマンションの住人である彼女を、原田は冷たく追い返す。数日後、原田は幼い頃に住んでいた浅草で、彼が12歳のときに交通事故死した父(片岡鶴太郎)と母(秋吉久美子)に出会う。二人はなぜかその時の年齢のまま、浅草に住んでいた。原田異人たちとの夏18.jpgは早くに死に別れた両親が懐かしく、少年の頃のように両親の元異人たちとの夏17.jpgへ通い出し、父の「ランニングになりな」、母の「言ってる先からこぼして」などという言葉に甘える。原田はまた、あるきっかけから再びケイこと藤野桂とも会うようになる。チーズ占いで木炭の灰をまぶしたヤギのチーズを選ぶと、「傲慢な性格」だと彼女に言われる。不思議な女性だと感じながらも、やがて彼女と愛し合うようになる。両親を失ってから一度も泣いたことはなく、強がって生きてきた原田だったが、浅草で父とキャッチボールをしたり、母の手作りアイスを食べたりして、徐々に素直さを取り戻して行く。しかし両親とケイとの二つの出会いと共に、原田はみるみる衰弱していく。ケイは、もう両親には会うなという。異人(幽霊)と近異人たちとの夏21.jpgづくと、それだけ自分の体は衰弱し、死に近づくのだ。原田はようやく両親と別れる決心をし、浅草にあるすき焼き屋で親子水いらず別れの宴を開いた。暖かい両親の愛情に接し、原田が涙ながらに別れを告げると、二人の姿は消えていった。しかし、原田の衰弱は止まらない。実は、ケイも異人だったのだ。男にふられ原田にもすげなくされたケイは、ずっと以前に自殺していたのだった。愛と憎しみに狂った異人は原田に迫ったが、友人・間宮(永島敏行)の機転で原田は助けられた。その後、体調の回復した原田は両親のもとに花と線香を手向け、静かな夏の日の不思議な体験を回想するのだった―。

異人たちとの夏 文庫.jpg 1988年公開の大林宣彦監督作。原作は一昨年['23年]亡くなった山田太一の同名小説で、昨年['24年]、同じ原作を元に「異人たち」(原題:All of Us Strangers)のタイトルでアンドリュー・ヘイ監督による再映画化されています。

異人たちとの夏 3.jpg 大林監督が白羽の矢を立てた片岡鶴太郎(当時は太っていて、原作の山田太一に「あんな太った奴に父親役はやらせられない」と言われ減量した)、当初は名取裕子が演じた役をやる予定だったのを大林監督が変更させ異人たちとの夏 下.jpg秋吉久美子(母親役だがセクシーだった)―この二人の夫婦役がよく(二人とも「ブルーリボン賞」や「キネマ旬報賞」の助演賞を受賞している)、また、大林監督が日本の昭和30年代の懐かしい夏の風景を描きたいと言っていた、その試みも成功しているように思いました。

異人たちとの夏l.jpg ただし、最後のケイこと藤野桂(名取裕子)が宙に浮き形相が変わるシーンでは、500万円を費やしてハ異人たちとの夏 名取3.jpgイビジョンが使用されたとのことですが、原作に無いものを足して原作の雰囲気を壊してしまった印象も。「HOUSE ハウス」('77年/東宝)(この映画は海外にもマニアックなファンが多いらしい)の監督だからこうなるのかと思ったけれど、これは、松竹からの大林監督への元々の発注が、〈夏に観客をぞっとさせるゾンビ映画〉だったそうで、エンディングのCGはその名残りだったようです。

異人たちとの夏 シティロード.jpg 当時の雑誌「シティロード」(1988年9月号(表紙:「シュワルツェネッガー/レッドブル」))の評価(コレ、毎月読んでいた)は、満点は5つ星で、以下の通り評価は少し割れています。

川口敦子「あちらとこちらと思っていたらこちらもやっぱりあちらだった、という設定は"どんな顔""こんな顔"と安心がたちまち突き崩されるあの"むじな"話的大逆転があってこそ生きてくるんだと思う、とすればびんびんに作り上げたあちらの世界に対し、こちらの世界の自然さがいまひとつで自然でないのがウラメシ~、とはいうものの片岡、秋吉の夏姿はなかなか素敵」(★★★)。

中野 翠「地下鉄から奇怪体験に滑り込んでいくところジャック・フィニイの「レベル3」で、あとは「ゲイルズバーグの春を愛す」みたいだ。私はこういうアイデアのある映画や小説がすごく好き。秋吉久美子が昔風の安っぽい花柄ワンピースが妙に似合っていた。名取裕子のシーンはかったるいですね。あの役は小林麻美でしょ」(★★★★)。

異人たちとの夏20.jpg松田政男「本年度ベストワンに推すべきか、それともワーストワンなのか。ベッドシーンも濃厚な大林宣彦の大変身を目の当たりにして、迷いに迷っている最中だ。主人公の風間を誘い込む鶴太郎=久美子は善霊、裕子は悪霊という二分法に異和が残り、その異和こそが一篇の主題とも見えて〈異人たち〉の側に思い入れれば入れるほど跳ね返えされる構造になっているからだろう」(★★★★★)。

利重 剛「この映画、期待している人ってほとんどいないんじゃない? だからその分だけ"案外面白かった"と思う人が多いんじゃないかな、ひどい言い方だけど」(★★★)。

異人たちとの夏 名取.jpg異人たちとの夏0n2.jpg 確かに、名取裕子はユーレイにしては肉感的過ぎでした(笑)。原作の良さに乗っかっている面があり、個人的評価は松田政男(1933-2020/87歳没)同様に迷いますが、ラストのCGはグロテスクでいただけないものの、片岡・秋吉の演技や夏の下町の風物の描かれ方など、それを補って余りある要素が多く、★★★★としました。
名取裕子 
  
異人たちとの夏 あの.jpg異人たちとの夏01p.jpg「異人たちとの夏」●英題:THE DISCARNATES●制作年:1986年●監督:大林宣彦●製作:杉崎重美●脚本:市川森一●撮影:阪本善尚●音楽:篠崎正嗣●原作:山田太一●時間:110分●出演:風間杜夫/片岡鶴太郎/秋吉久美子/名取異人たちとの夏 キャスト.jpg裕子/永島敏行/栩野幸知/草薙良一/ベンガル/笹野高史/本多猪四郎/(奇術師)北見マキ/(高座の落語家)桂米丸/柳家さん吉/(TVドラマのキャスト)竹内力/峰岸徹/入江若葉●公開:1988/09●配給:松竹●最初に観た場所:神保町シアター(24-04-17)(評価:★★★★)
あの頃映画 「異人たちとの夏」 [DVD]

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「●「山本周五郎賞」受賞作」の インデックッスへ

「死んだものは生きている者に対して大いなる力を持つが...」。

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異人たちとの夏』['87年]『異人たちとの夏(新潮文庫)』['91年](カバー絵:榎 俊幸)

 1988(昭和63)年・第1回「山本周五郎賞」受賞作品。

 壮年のシナリオライターである原田は妻子と別れ、マンションに一人暮らし。ある日、幼い頃に住んでいた浅草で、12歳のときに交通事故死した両親に出会う。原田は早くに死に別れた両親が懐かしく、少年だった頃のように二人の元へ通い出す。そして、同じマンションに住む桂という女性にも出会い、不思議な女性だと感じながら彼女と愛し合うようになる。しかし、二つの出会いとともに原田の身体はみるみる衰弱していく―。

『異人たちとの夏』.jpg 一昨年['23年]11月に89歳で亡くなった山田太一(1934-2023)の小説で、「小説新潮」'87(昭和62)年1月号に発表され、同年12月に新潮社より刊行。'91年11月に新潮文庫に収録され、解説を田辺聖子が担当しています。因みに、主人公は40歳ぐらいですが、作者54歳ごろの作品ということになります。単行本刊行から1年を置かず1988年秋に市川森一脚本、大林宜彦監督でタイトルのまま「異人たちとの夏」として映画公開され、さらに、2023年に「異人たち」(原題:All of Us Strangers)のタイトルで、アンドリュー・ヘイ監督による2度目の映画化がなされています。

 スタイル的にはある種"幽霊譚"ですが、文庫解説の田辺聖子は、「私はこの物語を、お化け小説ともSFとも思わず、素直に一篇の小説として読めた」としており、「浅草をさまよい歩いて出会う若い父母も、無人のビルで知り合った寂しい女、ケイも、小説のなかでは重いリアリティがあった」としていて、まったく同感です。

 テレビドラマのシナリオライターである主人公が、ついドラマのセリフのようなつまらない口をきいてしまって苦々しく思うなんて(文庫21p)、実際にありそう。亡くなったはずの両親を目の前にして、「ここにいる父と母は昔の両親ではなく、私の頭の中の産物であり、本当の死んだ父と母は、どうあがいても帰ってはこないのだ。こんな自慰行為は打ち切らなければならない」と主人公が思うのも(文庫108p)、ごくリアルな心理反応でしょう。

 主人公が行く仕事場近くの高層ホテルの最上階のバーは、「赤坂プリンスホテル」の最上階にあったカクテルラウンジ「トップ オブ アカサカ」か。浅草国際通りに面する最近建ったホテルとは、1985年開業の「浅草ビューホテル」、両親と行くすき焼き屋は「浅草今半」でしょう。因みに、作者の山田太一は浅草出身で、小学校3年(9歳ぐらいか)のとき、強制疎開で伊豆の湯河原町に家族ごと疎開しているので、12歳までの記憶を辿る主人公と重なることになります。

 因みに、山田太一は小学校5年生(11歳くらいか)のときに母親を亡くしており、疎開先で父親から「お前のことを本当に心配しているのは、お父ちゃんと死んだお母ちゃんだけだ。そのことを忘れちゃいけない。世間っていうのはそういうもんだ」と言われ、「父は疎開先で心を許せる人がいない自分の孤独を語ったんだと思います。僕は、それはすごくリアリティがある言葉だなと思いました」と語っています(2014年5月雑誌「AERA」でのラストレーターの山藤章二との対談)。

 文庫解説の田辺聖子に戻ると、「亡父母を恋うのは、男にも女にもある感情だろうが、男の場合は女より逃げ道がないだけ、より切実なものがあるのではなかろうか。女は、夫、子供、恋人、そのほか、かなりの広範なもので、喪失感を補填できるところがあるが、男は、自分をいつくしんでくれた亡父母の記憶にとって代わるものは何もなく、そこは空洞になっている」としており、頷かされるものがありました。

 山田太一が脚本を書き、中村登が監督した「愛と死」('71年/松竹)の武者小路実篤の原作『愛と死』の中に、「死んだものは生きている者に対して大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という言葉ありますが、この作品にもこの言葉に通じるものがあったように思います。

【1991年文庫化[新潮文庫]】

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「赤線地帯」の男と女を描いた短編集。映画「赤線地帯」にも反映されている。

洲崎パラダイス (ちくま文庫)2.jpg洲崎パラダイス (ちくま文庫).jpg 洲崎パラダイス (集英社文庫).jpg 「赤線地帯」1960.jpg
洲崎パラダイス (ちくま文庫 し-57-1) 』['23年] 『洲崎パラダイス (集英社文庫)』['94年]「赤線地帯 4K デジタル修復版 Blu-ray」京マチ子

 芝木好子(1914-1991/77歳没)が戦後江東区の水の町〈洲崎〉(現・木場駅付近)にあった「洲崎パラダイス」、所謂"赤線地帯"の男と女を描いた短編集(1955年12月講談社刊)。表題作「洲崎パラダイス」は1953(昭和28)年発表作で、川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」('56年/日活)の原作として知られていますが、売春防止法の公布が1956年、施行が1957(昭和32)年4月ですから、原作も映画もほぼリアルタイムということになります。原作が書かれた翌年1954(昭和29)年に〈洲崎〉は、カフェ220軒が従業婦800人を擁し、合法的に営業をしていたとのことで、〈吉原〉を上回る規模だったとのことです。

州崎パラダイス .jpg「洲崎パラダイス 赤信号」01.jpg「洲崎パラダイス」... 深川・木場の洲崎遊郭入口前に流れ着いた義治と蔦枝。二人は仕事も金もない。ほどなく蔦枝は遊郭入口前の吞み屋に雇われ、義治は蕎麦屋の出前になる。義治の生活力の無さを嘆きながら離れられない蔦枝。酔客と戯れる蔦枝を疑い、狂ったように行方を捜す義治。蔦枝はパトロンを見つけるが、義治はそれに自棄を起こし洲崎から消えてしまう。蔦枝はせいせいした風を装うが、男にきちんと別れを告げると文句を言いながら、男の許へ行く―。

「洲崎パラダイス 赤信号」芦川.jpg 先に川島雄三監督の「洲崎パラダイス 赤信号」('56年/日活)を観ていました。芦川いづみが演じた、義治が勤めたそば屋の同僚店員・玉子は、映画のオリジナルだったのかあ。原作では、蔦枝が勤めた飲み屋の"女将さん"は行きかう男女をすべてを見通した上で見送るだけの位置づけですが、映画では呑み屋「千草」の女将(轟夕起子が演じた役名は"お徳")は蔦枝を義治と別れさせようとし(義治は玉子とくっつけさせようとする)、さらには、何年も前に女と出奔した彼女の夫が戻ってきて、それで元の鞘に収まったと思いきや...。原作を改変してダメにしてしまう映画監督は多いですが、付け足して原作の雰囲気を損なわず、起承転結の話が出来たのはさすが川島監督。原作の雰囲気は、豊田四郎監督 (原作:織田作之助)の「夫婦善哉」('55年/東宝)にも通じるような気がしました。

「洲崎パラダイス」千草.jpg「黒い炎」... かつて特飲街傍の呑み屋「千草」この作品以降、店の名前が「千草」、女将の名が「徳子」と特定されている。前述のとおり映画「洲崎パラダイス 赤信号」の舞台となる店の名は「千草」、女将の名は「お徳」である)に勤め、店の客だった正造が今の夫である京子。彼女の許へ、婚家で虐待された挙げ句、放火した京子の姉・久子が3年ぶりに出所し、自分(京子)を頼りに上京して来て、逃げた夫・千尋の消息を求め東京の下町を探し回る―。

 探し回る先が、蒲田、板橋、十条、千住、上野...とスゴイね、ほとんど刑事ドラマの聞き込み捜査みたいだと思ったら、最後は亀有の占い師の所へ(笑)。過去を捨てきれない姉と、姉のために附近の火事で出た焼材木を使ってでも普請をしようとする現実に前向きな妹が対照的でした。

「洲崎界隈」... 特飲街の建物を手に入れようと金策に思いを巡らす菊代。頼りない亭主をよそに、場末の役者に色目を使い、金満家に金を出させようと接触を図る。呑み屋の女将・徳子はそんな彼女を「なんでも二つ欲しい人だからね」と―。

「橋を渡ったら、お終いよ。あそこは女の人生のおしまいなんだから」。デスパレイトな雰囲気の漂う特飲街で、生命力溢れる生き様の女主人公・菊代。彼女は26,7歳とまだ若いですが、それまでにたいへんな苦労をしているということか。雰囲気的には、成瀬巳喜男監督(原作:林芙美子)の「晩菊」('54年/東宝)で杉村春子が演じた、元芸妓で今は金貸しに精を出す主人公を想起しました。

「歓楽の町」... 夫とこじれて離れ、実家へも戻れない恵子は、特飲街傍の店にいる女学校時代の親友・徳子に厄介になるが―。これって、カルチャーショックというのでしょうか。堕ちるのは簡単。堅気でいられるならば、夫との関係修復に力を注いだ方が良い。

「蝶になるまで」... 北陸から出てきた16歳の鈴子を、女中を求めた「千草」のおかみさん・徳子は気に入り、「身をひさぐ」という言葉の意味も分からない彼女を娼婦から遠ざけようと気配りするが―。「娼婦に負けるものか」と叫ぶ彼女の行く末はどうなるのでしょう。おかみさんの意と逆になる可能性大です。

「洲崎の女」... 本書の中で唯一特飲街の内側の様子を描いたこの物語は、子どもの凄惨な溺死から始まる。満洲帰りの登代は、一人息子の満夫を満州で行方不明になった夫の実家に預けて働く「中年の娼婦」だが、年増女である上に精神を病んでいるため、思うように客が付かない。登代は、上京した満夫に冷たくされた後、かつて満夫を連れて空襲の中を逃げ回った記憶に囚われながら入水する―。

 ちくま文庫解説の水留真由美氏は、「洲崎の女」はいささか湿っぽく、同じく戦争の被害を受けながらも登代とは対照的な生き方をする「洲崎界隈」の菊代の方が「本書の真骨頂だという気がする」としていますが、フェニミズム的にはそうなるのかなあ。個人的には、「洲崎の女」の方が好みです。

 川島雄三監督の「洲崎パラダイス」より4か月早く公開された溝口健二監督の「赤線地帯」('56年/大映)に登場するゆめ子(三益愛子)は、映画のクレジットに「洲崎の女」よりとあるように、登代をモデルにしています(舞台は〈洲崎〉から〈吉原〉に置き換えられ、ロケを多用している「洲崎パラダイス」に対し、こちらはオールセット撮影となっている)。ゆめ子は、愛する息子に自分の仕事(売春であるわけだが)を完全否定されて発狂します。

赤線地帯 やすみ.jpg 因みに、「洲崎界隈」の菊代は、頼る者は自分しかないと、職を転々とした上で特飲街に入り、その後、自力で家を建て、夫を得て特飲街から足を洗い、男性を手段とみなし、近代的な物件に触手を動かしますが、これは「赤線地帯」におけるやすみ(若尾文子)には反映されているようにも見えます。仲間の娼婦に金貸しを行って更に貯金を増やしていたやすみは、馴染みの客の貸布団屋の主人から金をむしり取りって夜逃げに追い込み、最後は貸布団屋の女主人に収まります。ただし、自分に貢ぐために横領した客に殺されかけるなど危ない目にも遭います。

 このほかに、ミッキー(京マチ子)のような、享楽のために(?)特飲街に居続ける女性もいて、自分を連れ戻しに来た父親を、その女癖の悪さを責めて追い返しています。一方で、ハナエ(木暮実千代)のように、病気の夫と幼子を抱えて一家の家計を支えるために特飲街で働く女性もいて、四者四様で、群像劇でありながら、この描き分けにおいて新旧の女性像が浮き彫りにされてた、優れた映画でした(やすみ・ミッキーが「新」、ゆめ子・ハナエが「旧」ということになるか)。

「洲崎パラダイス 赤信号」p.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」03.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」●制作年:1956年●監督:川「洲崎パラダイス 赤信s.jpg島雄三●製作:坂上静翁●脚本:井手俊郎/寺田信義●撮影:高村倉太郎●音楽:眞鍋理一郎●原作:芝木好子●時間:81分●出演:新珠三千代/三橋達也/轟夕起子/植村謙二郎/平沼徹/松本薫/芦川いづみ/牧真介/津田朝子/河津清三郎●公開:1956/07●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-01)(評価:★★★★☆)


赤線地帯 出演者.jpg赤線地帯00.jpg「赤線地帯」●制作年:1956年●監督:溝口健二●製作:永田雅一●脚本:成澤昌茂●撮影:宮川一夫●音楽:黛敏郎●原作:芝木好子(一部)●時間:86分●出演:若尾文子/三益愛子/町田博子/京マチ子/木暮実千代/川上康子/進藤英太郎/沢村貞子/浦辺粂子/十朱久雄/加東大介/多々良純/田中春男●公開:1956/03●配給:大映●最初に観た場所:国立映画アーカイブ(24-05-26(評価:★★★★☆)

前列左より京マチ子、溝口健二監督、後列左より町田博子、宮川一夫、若尾文子、木暮実千代、三益愛子

赤線地帯 9.jpg赤線地帯 1.jpg

京マチ子
赤線地帯ps.jpg


【1994年再文庫化[集英社文庫]/2023年再文庫化[ちくま文庫]】

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女性映画。新珠三千代のエロチシズムも見どころだし、街の風景や風俗も見どころ。

「洲崎パラダイス 赤信号」 00.jpg
日活100周年邦画クラシック GREAT20 洲崎パラダイス 赤信号 HDリマスター版 [DVD]」芦川いづみ・新珠三千代/三橋達也
「洲崎パラダイス 赤信号」01.jpg 売春防止法施行直前の東京。義治(三橋達也)と蔦枝(新珠三千代)は、故郷を駆け落ち同然に飛び出してから生活が安定せず、東京中を彷徨っていた。財布の金も尽きかけたある日、蔦枝は、勝鬨橋で、追いかけてバスに飛び乗り、義治に何も言わず、「洲崎弁天町」のバス停で降りる。洲崎川の橋を渡ったすぐ先は赤線地帯「洲崎パラダイス」だった。蔦枝はかつて洲崎で娼婦をしていた過去があり、義治は「橋を渡ったら、昔「洲崎パラダイス 赤信号」0a.jpgのお前に逆戻りじゃないか」と言う。二人は、赤線の「外側」の橋の袂の居酒屋兼貸しボート屋「千草」に入る。「千草」の女主人お徳(轟夕起子)は、女手一つで幼い息子ふたりを育てているため住み込み店員を求めており、蔦枝はその晩から仕事を始める。翌日、義治はその近所のそば屋「だまされ屋」で住み込みの仕事を得る。蔦枝は人あしらいのうまさで、赤線を行き帰りする寄り道客の人気を得、やがて神田(秋葉原)のラジオ商の落合(河津清三郎)に気に入られて和服やアパ「洲崎パラダイス 赤信号」06.jpgートを与えられるようになり、いつの間にか「千草」から去った。義治は怒りのあまり歩いて神田へ出向くも、不慣れな地理や暑さと空腹のために倒れ、落合と会えず仕舞いに。そんな中、洲崎の女と共に行方を眩ませていたお徳の夫・伝七(植村謙二郎)が姿を現し、お徳は何も言わず伝七を家に招き入れる。数日後、蔦枝は落合のアパートを引き払い、洲崎に戻ってきた。「千草」を訊ねた蔦枝に、お徳は、「義治をいずれ『だまされ屋』の同僚店員・玉子(芦川いづみ)と一緒にさせたい」と言う。蔦枝は「千草」を飛び出し、「だまされ屋」に向かう。お徳は義治と蔦枝を会わせないよう、出前帰りの義治を日暮れまで「千草」に釘付けにする。伝七は店に帰る義治に付き合って外出し、「遅まきながら、なんとかいい親父になろうと思っている」と心境の変化を吐露し、途中で別れる。いつまでも「だまされ屋」に戻らない義治を探して洲崎を歩き回る蔦枝は、「千草」の常連客で顔馴染みの信夫(牧真介)と橋で出会う。信夫は、ある女を足抜けさせるために毎晩赤線に通っていたが、その女が消えたことを話す。蔦枝は慰めるつもりで「吉原か鳩の街で、今頃誰かといいことしてるわよ。それより私と......」と言うが、「売春防止法なんかできたって、どうにもなりはしないんだ」と叫ぶ信夫に平手打ちを食わされる。義治が「だまされ屋」に戻ると、玉子から蔦枝がさっきまで待っていたことを告げられ、義治は仕事を放り出し、雨の中を傘も持たずに飛び出す―。

「洲崎パラダイス 赤信号」p2.jpg 1956(昭和31)年7月公開の川島雄三監督作。原作は芝木好子(1914-1991/77歳没)が1953(昭和28)年に発表した「洲崎パラダイス」で、売春防止法の公布が1956年、施行が1957(昭和32)年4月ですから、原作も映画もほぼリアルタイムということになります。原作が書かれた翌年1954(昭和29)年に〈洲崎〉(現・木場駅付近)には、カフェ220軒が従業婦800人を擁し、合法的に営業をしていたとのことで、〈吉原〉を上回る規模でしょうか。三浦哲郎の「忍ぶ川」のヒロイン・志乃も「洲崎パラダイス」にある射的屋の娘でした(因みに、蔦枝のセリフに出てくる〈鳩の街〉は、吉行 淳之介 の「原色の街」の舞台である〈玉の井〉あたり(現・曳舟駅付近)。

「洲崎パラダイス 赤信号」02.jpg 新珠三千代(脱がないのにすごくエロチック)と三橋達也が演じる、別れた方がいいのに別れられない男女、義治と蔦枝。周囲にいくら止められようと、磁石のように引き合ってしまう腐れ縁といった感じで、樋口一葉の「にごりえ」や織田作之助の原作「夫婦善哉」の系譜のようにも思いました。そんな男女とそれを取り巻く人間模様が、〈橋〉に始まり〈橋〉に終わる物語として描き出されています。ただし、冒頭でバスに飛び乗ったのが蔦枝で、義治は慌ててそれについていくだけだったのに、ラストでは義治の方が自ら駆け出してバスに飛び乗るという―最初のうちはいじけてばかりいた義治の変化を、こうした対比で見せているのが上手いと思いました。

「洲崎パラダイス 赤信号」芦川.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」小沢.jpg 一方、轟夕起子が演じるお徳は、夫・伝七が戻ってきてせっかくいい親父になろうと思っていたところに、その夫が別れた女に殺されることになり、実に気の毒でした(その事件現場で、義治と蔦枝が再会するというのも何か運命的)。こうした悲劇もありましたが、義治が働いた蕎麦屋「だまされ屋」の女店員・玉子を演じた芦川いづみの可憐さ 先輩店員・三吉を演じた小沢昭一のユーモラスな味わいなど、いろんな要素が盛り込まれた群像劇になっていました。

「洲崎パラダイス」千草.jpg 現在は埋め立てられてしまっている洲崎川や船着き場など、もうこの映画でしか見られない風情ある風景も、時代の記録として貴重です。ボンネット型のバス車両には車掌がいて、「次は〜洲崎〜洲崎弁天町」とアナウンスをしています(都バスでは1965年からワンマンバスが運行されている)。

「洲崎パラダイス 赤信号」05.jpg バスの車窓からは、材木を保管している貯木場が見え、これは、荒川の河口に近い沖合の埋立地に1969年、新たな貯木場、新木場が建設される前のものです(大島渚監督「青春残酷物語」('60年)の冒頭にも使われていた)。義治がラジオ商の落合を訪ねて彷徨う神田・秋葉原の当時の風景も貴重映像ではないかと思います。

「洲崎パラダイス 赤信号」08.jpg 川島雄二監督の「とんかつ大将」('52年)から連なる市井の人々を描いた人情物であると同時に、赤線に墜ちるか堅気を通せるかという境界線にある女性を描いた、後の「女は二度生まれる」('61年)などに連なる川島雄三監督ならではの「女性映画」でもあったように思います。ごく自然な所作の中にちらりと肌を見せる新珠三千代のエロチシズムも見どころだし(エロチックだからこそ境界線上を彷徨っている危うさを感じさせる)、街の風景や風俗も見どころの映画でした。

新珠三千代/三橋達也/轟夕起子


「洲崎パラダイス 赤信号」p.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」03.jpg「洲崎パラダイス 赤信号」●制作年:1956年●監督:川「洲崎パラダイス 赤信s.jpg島雄三●製作:坂上静翁●脚本:井手俊郎/寺田信義●撮影:高村倉太郎●音楽:眞鍋理一郎●原作:芝木好子●時間:81分●出演:新珠三千代/三橋達也/轟夕起子/植村謙二郎/平沼徹/松本薫/芦川いづみ/牧真介/津田朝子/河津清三郎●公開:1956/07●配給:日活●最初に観た場所:神保町シアター(24-02-01)(評価:★★★★☆)


洲崎神社(2024.4.27撮影、以下同じ)
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「特飲街」の面影を残す店々
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「洲崎橋跡地」の碑
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映画「洲崎パラダイス」における居酒屋「千草」のあった場所(写真手前:現在は不動産屋)
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不動産屋の隣の「特飲街」の面影を残す店
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神保町シアター(24-02-01)
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三橋達也 in「洲崎パラダイス赤信号」('56年)/「ガス人間第1号」('60年)/「天国と地獄」('63年)
「洲崎パラダイス赤信号」 三橋達也.jpg「ガス人間第1号」 三橋達也.jpg「天国と地獄号」 三橋達也.jpg

NHK「連想ゲーム」('69年4月-'91年3月)白組1枠レギュラー解答者・三橋達也('73年4月-'79年3月)「グラフNHK」'73年8月号
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小説の面白さを味わせてくれる。サラリーマン怪談風の第2話が印象に残った。

青い壺 .jpg
青い壺』['77年]『新装版 青い壺 (文春文庫) 』['11年]有吉佐和子(1931-1984/53歳没)

青い壺2.jpg ある陶芸家が焼いた青い壺を巡る13のストーリー。

 第1話 ... 牧田省吾は、デパートや寺の配り物の陶器を焼いている。死んだ父は、名声がある陶工だった。その反発から、名を売るのは避けて、一家四人が食べていけるだけの陶器を焼いている。が、ある日のこと。自分でも驚くような出来栄えの青磁の壺が焼けた。道具屋の安原から、壺に古色をつけるよう依頼されるが、省吾はその青い色を気に入っていた、しかしながら壺は、省吾が留守をしている間に、妻の治子が独断でデパートの担当者の片岡に売り渡してしまう(「古色をつける」こと自体は必ずしもインチキとは言えないのでしょう。いい壺が出来たと玉露を亭主に出す妻がいい)

青い壺 本.jpg 第2話 ... 68歳まで勤め上げ退職した元会社員・山田寅三の妻・千枝は、夫がずっと家に居続けるストレスに耐えられないでいる。彼女は、夫が世話になった副社長へお礼の品を持っていくことを提案、デパートで2万円にて青い壺を買う。寅三は壺を持って会社に年下の副社長を訪ね、お礼として壺を贈答。その後寅三は、元の部署の席に座ってルーチンにしていた承認印の業務を始め、最初は周囲の社員も冗談かと思っていたが、延々とそれを続ける。昼になり、いなくなったと思ったら、今度は屋上で体操をしていた寅三。とまれ、壺は副社長に(ストレートにサラリーマン怪談風。滑稽かつ悲壮で残酷。全編で最も印象に残ったエピソード。『恍惚の人』の奔りか)

2024年12月26日池袋東武・旭屋書店 

 第3話 ... 副社長はうれしくもなかったが、一応は壺を家に持ち帰る。副社長夫人の芳江がその壼に花を活ける。夫の部下の女性と、甥っ子を見合いさせるため二人を自宅に呼んだ芳江は、今どきの人たちに呆然とする(若者は向田邦子の小説の登場人物などとダブったりもするが、こちらの方がより今風というか先鋭的合理主義かも。この小説が1970年代の発表で、向田邦子の家庭小説の方がもっと古い時代のものが多いせいもあるか)

 第4話 ... 青い壺に美しく花を生けようと奮闘する芳江。孫を連れた娘の雅子が急に帰ってきて、婚家の醜い遺産争いを愚痴る。娘も夫と自分の家の相続について話し合っているらしく、皆が自分の死ぬのを待っているみたいで、厭世的な気分になる。帰宅した夫夫に話をすると、それなら生きているうちに家も売って貯金も使い果たしてしまい、子供には一銭も残さないと言い、それで多少安心してしまう自分。夫は青い壺を見るのも嫌い、芳江は夫に言われた通りに、壺を誰かに譲り渡すことにする(老後の話と財産分与の話は昔も今もセットみたいなものか)

 第5話 ...  緑内障で目が見えなくなった母キヨを、兄嫁から独身の自分に押しつけられたと思いながらも東京の狭いマンションに引き取った千代子。千代子が上司から貰った青い壺に、香が良い花を挿して母の気を紛らわせている。キヨは片方の目が白内障と分かり手術することになったが、手術は成功し、東京都の老人福祉施策で医療費も只。目が見えて家事もできるようになり千代子も助かる。ただ、母からは兄に目が見えるようになったとは言わないで欲しいと懇願される。キヨが病院へのお礼をと言うので、千代子は青い壺を贈ることにする(老人医療無料化に「済まない」を繰り返す母―今の時代なら奇特な存在か。娘は母を病院に入院させている間に、飼っていた文鳥を死なせてしまい、別の文鳥を買ってくるのだが、母が文鳥の声を毎日聴いていたため、入れ替わったのを察知するというのがありそうな話)

 第6話 ... 夫婦ふたりで、戦後の焼け跡から始めた銀座の外れの小さなバー。バーの中では常連客がたわいもない話をしている。海軍大尉は「ダイイ」と呼ぶか「タイイ」と呼ぶかで意地になった客が大論争。これが落ち着けば若者グループがギターを弾きながら軍歌を歌うが、これが反戦歌か戦争を鼓舞する歌かでまた揉める。客である元海軍の石田医師が、帰るとき忘れ物をしていく。中を開けると桐箱に入った「青い壺」だった。箱ごと受け取った石田は、ウィスキーだと勘違いして置いていったらしい(若者グループが軍歌をフォークギターで歌うというのが時代を感じさせる。昭和20年代終わり頃か。だとしたら、このエピソードだけ、時間がずれている印象も)

 第7話 ... バーのマダムは、忘れ物として自宅まで届けた。それを受け取った医師の母は、箱を開けて一目で壺が気に入る。彼女のかつての自宅は空襲に遭い、高貴な容器や飾り物などすべて焼けてしまったのだが、その中に同じような青い壺が含まれていたのだった。老婦人は、戦時中の外務官僚だった亡き夫との思い出が甦り、饒舌に語る(戦時中の貧しい食卓を、想像の中で豪華なディナーに変えて味わった記憶―。このエピソードはすべて医師の母親のセリフになっている!また、この母親は、第8話での「亡くなった姑」ということになる)

 第8話 ... 厚子は長女が嫁いで空き部屋になったところの整理をしていた。長男は留学、姑は他界、だれも居なくなった部屋で寂しくなった。医師の夫から突然増上寺前のレストランへ食事に誘われた。夫から日頃の労いの気持ちからだろう。粧飾品をウキウキしながら選び、髪は美容院に行って仕上げた。当日夫とその店で待ち合わせ、思った以上のメニューに満足して帰宅。ところが家が荒らされ、泥棒に入られたことが一目で分かった。青い壺もが無くなっていることに気づく(また、息子である医師の代の話に。装飾品は身につけてレストランに行ったのが不幸中の幸いで、金目のものは結局無かったという、見方によってハッピーエンド。果たしてどれだけいっぱい身に着けていったのか(笑))

 第9話 ... 弓香は、50年ぶりの女学校の同窓会が京都で行われることになり、何を着ていこうか、何を持っていこうかとそわそわ落ち着きが無い。旧友が京都の集合場所にどんどん集まってくるが女性同士の目は鋭い。あの人ずいぶん老けたわねとか言いたい放題。幹事が1泊3食付き1400円のコースを申し込むが、夜の宴会に出てくる料理は家の晩メシより質素で評判は散々。京都観光も何度も行っているので旅館で休養することにした友もいて、香は小遣いに30万円も用意したのにそれほど楽しくない旅行になったと嘆く。東寺境内の出店を覗いて歩くと、高安まちまちの陶器を売っており、30万円も持ってきたのでここで使わねばと思っていたら、桐に入った壺が5万円は吹っかけられると思ったら3000円とのこと、安い買い物をしたと弓子は買うことにした(50年ぶりの女学校の同窓会の様子。まあ、こんなものだろうなあ)。 

 第10話 ... ミッションスクールで学校給食の栄養士として悠子は働いていた.子供たちに緑黄色を出すと残すことが多い。ある日、人参を潰してカレーライスに入れたら全部食べてくれた。これを良いことに、残すとこの多いほうれん草を潰してスープとして出したら、ほとんど食べずに返された。ほうれん草が化学反応を起こして黒色に変色しまったためだ。これにすっかり悠子は気落ちしてしまった。これを見かねてシスター(学校長)が失敗は誰にでもあると慰めてくれた。この時悠子は不意に祖母にもらった青い壺を思い出した。どうしてここで青い壺を思い出すのか―(第9話の弓香が3千円で手に入れた壺は、孫娘に渡ったということか。また、だんだん年代が分からなくなってきた)

第11話 ... ある日スペイン人シスターが母親の危篤で母国へ一時帰国すると悠子は聞いた。ならば土産にと思ってシスターに青い壺を渡す(修道院でお世話になったシスターの感謝の気持ちとして壺がプレゼントされたということだが、これで壺が海外に渡ることとなり、いよいよ壺は時空を超えた?)

第12話 ... ある日本人がスペイン旅行中に骨董品店で掘り出し物を見つけたとして青い壺を購入。ところが急性肺炎になり、そのままみやげ物として日本に持ち帰った。病院で清掃業務をしている老婆シメは、スペインから帰国し、肺炎患者として入院している患者がスペイン風邪に罹患しているのでは無いかと気になっていたが、単なる肺炎と聞いて安心。ところがある日その病室でしおれそうなバラを捨てようと花瓶ごと持ち上げようとしたら、患者に「触るな!」と大声で叱られる。大事な壺であるようで妻が来たとき処理すると言う(スペインで、第13話にある美術鑑定家の先生が、宋時代の青磁の壺を骨董屋で発見したと、自分ではそのつもりになっているということ(笑))

 第13話 ... 肺炎で入院していたのは高名な美術評論家だった。陶芸家・牧田省造を東京の自宅に呼び、バルセロナで見つけた「12世紀初頭」の掘り出しものとして青い壺を見せる。ところが省造がこれを見るなり、自分が10余年前に作った壺だと。一方、評論家は、南宋浙江省の竜泉窯だと主張。省造が再度自分の作ったものだと言っても聞く耳を持たない。評論家は自分が見い出した価値が崩れるのが嫌で、嘘でも信じたいのだろう。省造は帰路、今後自分が焼いた陶芸品には名を刻むことは止めようと思う(十数年他人の手に次ぎ次ぎと渡ると色も変化し、違った感じになるということ。自分の名を彫らないと決めたことは、運命を受け容れることに繋がる?)

青い壺 文庫2.jpg 有吉佐和子(1931-1984/53歳没)が1976(昭和51)年から1977(昭和52)年にかけて発表した作品で、1977(昭和52)年4月単行本刊。文庫化されたものが一度絶版になりましたが、2011年に復刊されると、初版を超える勢いで発行部数を伸ばし、累計50万部を突破。特に注目を集めたのが昨年[2024年]で、10万部以上発行されています。

青い壺 (文春文庫)』['80年]

 「青い壺」は中国の青磁に似せて作られたものですが(模造品というわけではないようだが)、その青い壺が盥回しにされて、それぞれの家庭を覗くという構成は巧みです。人によって青い壺の価値がどんどん変わるのも、壺が人それぞれの生き方を映し出しているからであるとも言えます。小説の面白さを味わせてくれる作品でした。

【1980年文庫化・2011年再文庫化(新装版)[文春文庫]】

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新シリーズは「意外性」という共通項で結ばれる作品群。やや作り過ぎ?

可燃物.jpg 可燃物 1.jpg 可燃物 2.jpg
可燃物』['23年]

 2023(令和5)年「週刊文春ミステリーベスト10」(国内部門)第1位、2024 (令和6)年「このミステリーがすごい!」(別冊宝島)(国内編)第1位、2024年「ミステリが読みたい!」(早川書房)(国内部門)第1位の「3冠」達成作。因みに、2024年「本格ミステリ・ベスト10」(探偵小説研究会)は第2位、、2024年「本格ミステリ大賞」(本格ミステリ作家クラブ)も次点。群馬県警本部の刑事部捜査第一課の葛(かつら)警部が不可解な事件に挑む短編集で、新シリーズということになりますが、相変わらずベストテンに強い作家です。


可燃物01.jpg「崖の下」... 群馬県のスキー場で5人連れのスキー客のうち、4人と連絡が取れないことが分かった。遭難者のうち男性2人が、スキー場のコースから約300メートル離れた崖の下で発見された。1人は意識不明の重体で救急搬送され、もう1人は頸動脈を刺されたことによる失血死であった。状況的に犯人は救急搬送された男性だと葛警部は考えたが、凶器が見当たらなかった―。

 犯人はどうやって、殺害したのか? これ、みんな「つらら」が凶器だと思うのでは。その裏をかいている点は旨いけれど、本人も苦痛に喘いでいるはずで、そうした状況でそんな考え浮かぶなあ。ちょっと意外過ぎ。


可燃物02.jpg「ねむけ」... 強盗傷害事件の容疑者がいるが、物証が無いため逮捕できない。その容疑者の運転するワゴン車が、深夜の交差点で軽自動車と衝突事故を起こす。過失運転で容疑者を検挙できないか。葛たちの聞き込みの結果、深夜の事故にも関わらず4件の目撃証言があった。葛は目撃者の4人には何らかの繋がりがあるはずだと考えるが―。

 タイトルがネタばれ気味だが、それは読後に振り返って思うことであって、目撃者の4人には何らかの繋がりがあるはずだと考える、その繋がりがなんであるかという点で、読者の一般的な予想を裏切ってみせる。違った意味での共通点はあったわけだけど、偶然過ぎる気も。

可燃物03.jpg「命の恩」... 榛名山で人間の右上腕部が発見され、警察による捜査が行われ、バラバラの遺体が次々に見つかった。遺体にはいくつかの不審な点があった。そして、なぜ家族連れで賑わう場所にバラバラにした遺体を捨てたのか―。

 収録作品の中でも複雑な構造を持つ作品。 中盤で犯人が逮捕されるが、実はそこからが本番。ただし、フツーの人間が恩義のためにここまでやるだろうかという疑問も。行為自体は極めて猟奇的で、まともな神経では実行できないと思った。
 
 
可燃物04.jpg「可燃物」... ゴミ集積所にあった可燃物のゴミが、連続で放火されるという事件が発生した。葛たちが捜査を始めると、容疑者が特定される前に犯行がピタリと止まった。犯行の動機は何か? なぜ放火は止まったのか? 犯人の姿が像を結ばず捜査は行き詰まるかに見えたが―。

 犯人が放火をした目的が、途中から見当はついたものの、あまりに意外だった。生ゴミだから燃えにくい、風が弱いからと大火事にならないというのはあくまで蓋然性の話ではないか。
 
 
可燃物05.jpg「本物か」... ファミリーレストランで立て籠もり事件が発生した。店内の状況が分からない中、葛は店から逃げてきた客やスタッフから話を聞くが、証言がどこか噛み合わない―。

 なかなか面白いオチだった。葛がどの時点で"真相"に気づいたかというと、かなり早い時点から少なくとも何か変だと感じていたことは、読み直してみてわかるという、そんな楽しみ方もできる作品だった。
  

 
 「意外性」という共通項で結ばれる作品群で、思い込みに囚われず真相に迫る葛警部にうってつけの事件群でもありました。ただ、「意外性」にこだわった分、作り過ぎている印象もあったでしょうか。

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死刑という重いテーマにミステリも絡めるが、ラストはもやっとした感じになった。

柚木麻子 教誨0.jpg柚木麻子 教誨1.jpg柚木麻子 教誨.jpg
教誨』['22年]
教誨 (小学館文庫 ゆ 8-1)』['25年]

 吉沢香純と母の静江は、遠縁の死刑囚・三原響子から身柄引受人に指名され、刑の執行後に東京拘置所で遺骨と遺品を受け取った。響子は十年前、我が子も含む女児二人を殺めたとされた。香純は、響子の遺骨を三原家の墓に納めてもらうため、菩提寺がある青森県相野町を単身訪れる。香純は、響子が最期に遺した言葉の真意を探るため、事件を知る関係者と面会を重ねてゆく―。

 主人公の香純が幼い頃に一度だけ出会ったことのある死刑囚・響子の遺骨を実家の墓に納めてもらおうする中、刑の立会人から聞いた「約束は守ったよ、褒めて」という響子の最期に遺した言葉の意味を探る流れと、刑務所において、受刑者としての響子の刑が執行されるまでの教誨師の交流を通しての人間の心の奥底にある葛藤や再生を、交互に描いた物語となっています。

秋田「連続」児童殺人事件.jpg畠山鈴香.jpg 自分の娘を川で死なせ、他人の子も殺めたと思われる事件の枠組みは、2006(平成18)年の4月から5月にかけて起きた「秋田連続児童殺人事件」を下敷きにしていると思われますが、作品そのものは実話に基づいた作品ではなく、あくまで小説でありフィクションです(因みに「秋田連続児童殺人事件」の畠山鈴香被告は無期刑が確定している)。

 ただし、『教誨師』で第1回「城山三郎賞」を受賞したノンフィクション作家・堀川惠子氏が文庫解説を書いていることからも窺えるように、死刑という命や倫理に深くかかわる問題を深く扱っています。個人的には、自分の死を受け入れる境地に至っていた響子が、これから処刑されることを告知された際に腰が抜けて立てず、失禁までしてしまったというのが、非常にリアルに感じました。これが死刑執行の際の実態に近いのではないかと思われます。

 一方で、主人公の香純から見た、「約束は守ったよ、褒めて」という響子の最期に遺した言葉の意味は何だったのかを探る旅は、ミステリの様相を帯びていますが、結局、響子は母親の呪縛から解放されなかった(或いは、自らをその呪縛の中に閉じ込めた)ということだったのでしょうか。

 ただ、それが「真実」であるにしても「事実」は変わらず、その辺りがミステリとしては弱いと思います。重たいテーマやモチーフに対して、ミステリの部分が中途半端になるのは『慈雨』や『盤上の向日葵』にも見られた傾向ですが、今回は「死刑」という重いテーマを扱っただけに、ミステリの部分が添え物的になった印象がありました。もともと力量のある作家だと思われるので、やや肩透かしを喰った気もします。

 堀川惠子氏の文庫解説が、死刑囚・三原響子の生い立ちを死刑囚・永山則夫のそれと被せて書いているため、「環境要因論」的な印象を受けなくもないですが、「元々の悪人はいない」ということを言いたかったのでしょうか。それにしても(響く人には響くのだろうけれども)自分としては響子が母親の呪縛から逃れられない理由がよく分からず、もやっとした感じのラストだったように思います(ミステリ的要素を絡めたのが果たして良かったのか)。

【2025年文庫化[小学館文庫]】

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病気と向き合い時間に追われながらも、読みやすく中身の濃い本に。天晴れ!

がん闘病日記.jpg 森長卓郎 2.jpgがん闘病日記2.jpg
がん闘病日記』['24年]森永卓郎(1957-2025/67歳没)

森長卓郎 r.jpg 今年[2025年]1月28日に67歳で亡くなった経済アナリスト・森永卓郎(1957年生まれ)の"がん闘病日記"。「来春のサクラが咲くのを見ることはできないと思いますよ」と医師から告げられたのが2023年11月で、それが余命4カ月の通告だったとのこと。その時は、なんの自覚症状もなく、朝から晩までフル稼働で仕事をし、食事もモリモリ食べていたとのこと。しかし、突然の余命宣告で自身の死と向き合わざるを得なくなった著者は、そこからモーレツに本を書き、ラジオやYouTubeで様々な発信をしたことは多くの人の記憶に新しいのではないでしょうか。個人的には、著者のエコノミストとしての本にはやや疑問符が付くのですが、その人生最期の追い込みの凄まじさは、ある意味鮮やかというか、見事でもありました。

 本書は、2024年に入って書き始めたようで、同年7月刊ですから、闘病生活に入って亡くなるまでの時間的にはちょうど中間点ぐらいの時期に刊行されたことになります。「がん闘病日記」と謳っていて、第1章で突然のがん宣告を受けた際のことが書かれ(マスメディアへの公表は2023年12月27日)、以降、治療法の選択やがんとお金のこと、死生観などが書かれているものの、日記というスタイルはとっていません。

 第2章では、著者のもとに殺到した「がんの治し方」を紹介。精神論(お守りを有難かったとしている)、飲食物(①水、②ビタミン、③キノコ、④種子系、⑤穀物や野菜、⑥海藻、⑦乳酸菌などの菌系、⑧キチン・キトサン)、体を温める、イベルメクチン、名医がいるクリニック―と様々。でも、著者を広告塔として利用しょうとしているものもあれば、がん治療ビジネスもあって、本当の効果はわからないとしています。

 第3章は経済アナリストらしく「がん治療とお金」です。ここでは、標準治療と自由治療、高額療養費制度のことを解説し、著者自身は、オプジーボを使った保険診療に加え、少なくとも半年は延命したかったため、自由診療(「血液免疫療法」)をも選択しています。その上で、延命しなければならないことが想定される場合は、お金をある程度貯めておくか、がん保険の加入を検討しておくことが必要だろうと(著者自身はがん保険に入ったことがないと公言していたが、会社が本人の知らないところで保険を掛けていたとのこと)。そのほか、投資資産の有意義な使い方や、障害年金の解説などがされています、

 第4章「私の選択」では、「血液免疫療法」とはどのようなものであり、自分はなぜそれを選んだかが書かれています。原発がわからない状況で、抗がん剤を散発銃のように打つ治療に疑問を抱いたようです。

森永 卓郎 主計課.jpg 第5章「いまやる、すぐやる、好きなようにやる」では、自分のやってきた仕事の歩みを振り返っていて、著者の半生とそのバックグラウンドを知ることができますが、その中で、好きなことをすぐやるというポリシーを貫いてきたことが窺えます。

専売公社主計課予算第二係時代

 第6章「素敵な仕事、自由な人生」では、自分が何になりたかったかを述べています。著者は、歌人になりたい、歌手になりたい。童話作家になりたいなどと思ったとのことで、著者の手による創作童話が挿入されています。

 著者の最期の1年間の本のタイトルを見ると、ジャニーズ、財務省、日航機、投資(NISA)の真相など、自分が言い残したと思うことがないように、ひたすら精力的に書き残していたという印象です。ただし、本書を読む限り、自身の病気と向き合い、時間に追われながらも、誰にでも読みやすく、またいっぱい詰め込んで中身の濃い本になっており、その点は天晴れと言いたいと思います。

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残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイ。覚悟の問題か。

IMG_8164.JPG山本文緒 無人島のふたり 2.jpg 山本文緒 無人島のふたり1.jpg
無人島のふたり:120日以上生きなくちゃ日記 (新潮文庫 や 66-3)』['24年] 『無人島のふた 120日以上生きなくちゃ日記』['22年]

山本文緒 無人島のふたり 3.jpg 2021年に膵臓がんで58歳で亡くなった山本文緒(1962-2021)の闘病日記。ある日突然にがんと診断され、コロナ禍の自宅でふたりきりで過ごす闘病生活が始まった―。

 2001年4月に膵臓がんと診断され、この時既にステージ4bで治療法はなく、抗がん剤で進行を遅らせることしか手は無かったとのこと。余命は4か月。著者は、抗がん剤治療で地獄のような体験をし、医師やカウンセラー、夫と話し合い、緩和ケアへの進むことにしたとのことです。

 日記は2021年5月から始まり、第1章が5月24日~6月21日、第2章が6月28日~8月26日、第3章が9月2日~9月21日、第4章が9月27日~となっています。第4章は10月4日が最後で(その前が9月29日とやや間隔が空いている)、著者は2021年10月13日に亡くなっているので、亡くなる9日前まで書き続けたことになります(最後は「明日また書けましたら、明日」という言葉で終わっている)。

 4月に余命120日と宣告されて、余命120日と言えば4カ月ですが、5月、6月、7月、8月、9月と日記を書き続け、目標の120日以上は生きたことになりますが、それでも、がん闘病日記としては残されていた月日はかなり短い部類であると思われます。

 その間、死への恐怖や気持ちの揺らぎはありますが、残された短い時間でやるべきことをこなしていく逞しさはスゴイと思いました。抗がん剤治療を拒否しれいること自体もそうですが、相当な覚悟を決めないとこうはいかないのではないでしょうか。こんな時、女性の方が男性より強いのかなとも思いました。男性の方が、やり残したことを悔やんで絶望に浸り、やけくそ気味のまま亡くなってしまうことが多いかも。

 7歳年上の唯川恵氏や4歳年下の角田光代氏など作家仲間の励ましも大きかっただろうと思いますが、やはり旦那さんの支えがいちばん大きかったのではないでしょうか。この旦那さん、日記にはさほど登場しませんが、タイトルがそのことを物語っているように思いました(タイトルは2021年8月12日時点での担当者打ち合わせで決まっていたとのこと。つまり、生前から決まっていたということだ)。

【2024年文庫化[新潮文庫]】

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闘病記であると同時に、キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋。

岸本 葉子 『がんから始まる』2.jpg 岸本 葉子.jpg
がんから始まる』['00年]『がんから始まる (文春文庫 き 18-7)』['06年] 岸本 葉子 氏

 エッセイストである著者は、40歳で虫垂がんと診断されます(しかもS状結腸に浸潤)。まず、その際の手術に至るまでの経緯が、本人の心境とともに詳細に描かれています。そして手術後、約2年が経ちますが、再発の不安はいつも頭から離れず、そうした明日をも知れぬ生活を余儀なくされたとき、人はどのように生き、何を考えるのか、そうした思惟がエッセイ風に綴られています。

 がんで亡くなってしまった人の闘病記などはそこそこ見かけますが、本書は第一部が闘病記であると同時に、第二部がキャンサーサバイバーの記録でもあります。手術後に治癒率30%と言われ、これは直後に50%と修正されますが、それでも再発率50パーセントになるわけです。そうした再発の不安に苛まれる中、心の危機からどのように脱するきっかけを掴んだかを、持ち前のユーモアを失わず、わかりやすい言葉で書いています。

 告知を受ける前は、パジャマ選びと病院探しの比重が同じだったのが可笑しいです。内視鏡検査で腸を空っぽにするために下剤を飲むたいへんさはよく伝わってきました(自分も大腸がん検査のために初めて下剤を飲んだ時は辛かったが、実際に大腸がんと診断されてから、検査、手術、定期検査と何度も飲むうちに慣れてしまった)。このあたりもユーモラスに描いています。

 術後に関しても、サポートグループに入会したことや、漢方、食事療法、行動療法などを実践したことなどの具体的な事柄が、心の軌跡と併せて書かれていて、食事療法に始まる日々の堅実な営みや、サポートグループへの参加は、心に開放感をもたらしたとのこと、自分が同じような状況に置かれたとき役立ちそうな内容でもあります(キャンサーサバイバーの心と生き方の処方箋と言っていい)。

 「がんから始まる」というタイトルにも、術後また再発するかもしれないがんと向き合う姿勢が感じられます。2003年に単行本刊行されていますが、2006年刊行の文庫版では、第三部として「四年を生きて」が付されており、がんが再発するかもしれないという状況をより客観的に、落ち着いた感じで受け止めているように思われました。この後も著者は2005年に『四十でがんになってから』、2006年に『がんから5年』を上梓しています。

 一方、2013年頃から俳句に関する著作が多くなり、今年['25年]に入っても俳句の入門書を出しています。勿論著者自身も句を読むわけですが、やはりその間ずっとがんの再発可能性と共に生きているということは、著者の俳句の作風にやはり何らかの影響があるのではないかと思います(著者の俳句関連本も読んでみようか)。

岸本 葉子 2.jpg
・岸本 葉子 『四十でがんになってから』(2006/01 講談社/2008/01 文春文庫)
・岸本 葉子 『がんから5年』(2007/09 文藝春秋/2010/11 文春文庫)
岸本 葉子 3.jpg
・岸本 葉子 『俳句、はじめました 吟行修業の巻』(2013/12 角川学芸出版)
・岸本 葉子 『俳句で夜遊び、はじめました』(2017/11 朔出版)
・岸本 葉子 『俳句、やめられません: 季節の言葉と暮らす幸せ』(2018/01 小学館)
・岸本 葉子 『NHK俳句 岸本葉子の「俳句の学び方」: NHK俳句』(2019/04 NHK出版)
・岸本 葉子 『毎日の暮らしが深くなる季語と俳句』(2024/02 笠間書院)
・岸本 葉子 『ゼロから俳句 いきなり句会: 毎日と人間関係がラクになる、「初めての人」の俳句入門』(2025/04 笠間書院)

【2006年文庫化[文春文庫]】


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「魂よ」「青春の健在」「電車の窓の外は」が良かった。"死の予行演習"的テキストとしても読める。
死の淵より1964函.jpg死の淵より1964.jpg  死の淵より講談社文庫.jpg 
死の淵より講談社文芸文庫2.jpg死の淵より 高見順 文芸文庫 1993年初版.jpg『詩集 死の淵より』['64年]『死の淵より: 詩集 (講談社文庫)』['71年]『死の淵より 高見順 文芸文庫 1993年初版』]『死の淵より (講談社文芸文庫 たH 4)』['13年]

 1964(昭和39)年・第17回「野間文芸賞」受賞作。

高見順.jpg "最後の文士"と謳われた高見順(1907-1965/58歳没)は、福井県知事が視察で三国を訪れた際に"夜伽"を務めた女性の子だったという出生に関わる暗い過去や、左翼からの転向体験を描いた『故旧忘れ得べき』で第1回芥川賞候補となった作家ですが、その高見順が食道がんの手術前後病床で記した詩63篇(文庫版)で、死に直面しながら自らの生を透徹した眼差しで見つめた詩集です。

高見恭子(63).jpg 1963(昭和38)年10月に食道がんと診断され、千葉大学附属病院に入院、すぐに手術を受け、11月に退院して自宅療養するものの、翌1964年6月、再度千葉大学附高見恭子.jpg属病院に入院し手術を受け、11月には千葉県稲毛の放射線医学総合研究所付属病院に入院・再手術、翌1965年3月に再々手術を受けましたが、8月17日同病院で亡くなっています(亡くなる直前の8月4日、自分と愛人との間にできた当時5歳の娘・小野田恭子を養女として入籍させ、それが後のタレント高見恭子(1959年生まれ)で、石川県知事・馳浩の妻。孫が北陸地方の知事の"愛人"ではなく、今度は"正妻"になったわけか。'22年5月に「クイズ!脳ベルSHOW」(BSフジ)に出ていた。その時点で63歳だから、父親の亡くなった年齢をすでに5歳上回っていたことになる)。

 「死の淵より」は、1964(昭和39)年8月に「群像」に発表され、10月に単行本刊行されましたが、3部構成となっており、第Ⅰ部は、1963年10月に千葉大附属病院で手術した後に病室で書いた"メモ"をもとに退院後書いたものであるとのこと(1964年6月17日、再入院の前日の本人記述より)。

 この第Ⅰ部の中では、「汽車は二度と来ない」に死を前にした孤独が滲み出ているように思えましたが、最後にある「魂よ」という詩が個人的にはいちばん良かったように思います("いい"と言うか"切実"感が溢れる)。

 「汽車は二度と来ない」―「わずかばかりの黙りこくった客を/ぬぐい去るように全部乗せて/暗い汽車は出て行った/すでに売店は片づけられ/ツバメの巣さえからっぽの/がらんとした夜のプラットホーム/電灯が消え/駅員ものこらず姿を消した/なぜか私ひとりがそこにいる/乾いた風が吹いてきて/まっくらなホームのほこりが舞いあがる/汽車はもう二度と来ないのだ/いくら待ってもむだなのだ/永久に来ないのだ/それを私は知っている/知っていて立ち去れない/死を知っておく必要があるのだ/死よりもいやな空虚のなかに私は立っている/レールが刃物のように光っている/しかし汽車はもはや来ないのであるから/レールに身を投げて死ぬことはできない」

 「魂よ」―「魂よ/この際だからほんとのことを言うが/おまえより食道のほうが/私にとってはずっと貴重だったのだ/食道が失われた今それがはっきり分った/今だったらどっちかを選べと言われたら/おまえ 魂を売り渡していたろう/第一 魂のほうがこの世間では高く売れる/食道はこっちから金をつけて人手に渡した/(中略)/魂よ/わが食道はおまえのように私を苦しめはしなかった/私の言うことに黙ってしたがってきた/おまえのようなやり方で私をあざむきはしなかった/卑怯とも違うがおまえは言うこととすることとが違うのだ/それを指摘するとおまえは肉体と違って魂は/言うことがすなわち行為なのであって/矛盾は元来ないのだとうまいことを言う/そう言うおまえは食道がガンになっても/ガンからも元来まぬかれている/魂とは全く結構な身分だ/食道は私を忠実に養ってくれたが/おまえは口さきで生命を云々するだけだった/魂よ/おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ/口さきばかりの魂をひとつひっとらえて/行為だけの世界に連れて来たい/そして魂をガンにして苦しめてやりたい/そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うだろう」 

 一方、第Ⅱ部は、入院の直前および手術直前に属するもので、本当はⅠの前に掲げるべきだがなぜ後にしたのか、自分でもわからないと(笑)。「詩のできがⅠの方がいいと思えるのでそれをさきに見てもらいたいという虚栄心からかもしれぬ」と。

 この第Ⅱ部の中では、最初にある「青春の健在」と「電車の窓の外は」という詩がいいです。

 「青春の健在」―「電車が川崎駅にとまる/さわやかな朝の光のふりそそぐホームに/電車からどっと客が降りる/十月の/朝のラッシュアワー/ほかのホームも/ここで降りて学校へ行く中学生や/職場へ出勤する人々でいっぱいだ/むんむんと活気にあふれている/私はこのまま乗って行って病院にはいるのだ/ホームを急ぐ中学生たちはかつての私のように/昔ながらのかばんを肩からかけている/(中略)/君らはかつての私だ/私の青春そのままの若者たちよ/私の青春がいまホームにあふれているのだ/私は君らに手をさしのべて握手したくなった/なつかしさだけではない/遅刻すまいとブリッジを駆けのぼって行く/若い労働者たちよ/さようなら/君たちともう二度と会えないだろう/私は病院へガンの手術を受けに行くのだ/こうした朝 君たちに会えたことはうれしい/見知らぬ君たちだが/君たちが元気なのがとてもうれしい/青春はいつも健在なのだ/さようなら/もう発車だ 死へともう出発だ/さようなら/青春よ/青春はいつも元気だ/さようなら/私の青春よ」

 「電車の窓の外は」―「電車の窓の外は/光りにみち/喜びにみち/いきいきといきづいている/この世ともうお別れかと思うと/見なれた景色が/急に新鮮に見えてきた/この世が/人間も自然も/幸福にみちみちている/だのに私は死なねばならぬ/だのにこの世は実にしあわせそうだ/それが私の心を悲しませないで/かえって私の悲しみを慰めてくれる/私の胸に感動があふれ/胸がつまって涙が出そうになる/団地のアパートのひとつひとつの窓に/ふりそそぐ暖い日ざし/楽しくさえずりながら/飛び交うスズメの群/光る風/喜ぶ川面/(中略)/電車の窓から見えるこれらすべては/生命あるもののごとくに/生きている/力にみち/生命にかがやいて見える/線路脇の道を/足ばやに行く出勤の人たちよ/おはよう諸君/みんな元気で働いている/安心だ 君たちがいれば大丈夫だ/さようなら/あとを頼むぜ/じゃ元気で――」

 残る第Ⅲ部は自宅に戻ってからの詩です。全3部に共通して言えるのは、テーマ的は重いものの、表現的は読みやすいものとなっていることでしょうか。作者は先に述べたように「詩のできがⅠの方がいいと思える」としていますが、「青春の健在」と「電車の窓の外は」の2篇で第Ⅱ部は第Ⅰ部に拮抗するように思いました。
 
 入院前の第Ⅱ部の方は、不安の中にも今目の前にある世界への愛惜の情に満ちていて、一方、入院中の第Ⅰ部の方は不安が切実な恐怖に変わり、死を前にした虚無感が漂っているともとれ、それは、例えば第Ⅱ部の「青春の健在」と、時間的にはこちらが後になる第Ⅰ部の「汽車は二度と来ない」と比べるとよくわかるように思いました。

 作者が死と向き合ってその気持ちを作品に昇華させており、"死の淵"にいる人間の側からのメッセージにもなっていて、ある意味"死の予行演習"的テキストとしても読める詩集です。亡くなる直前に娘を入籍させたその気持ちが分かる気もします。

【1971年文庫化[講談社文庫(『詩集 死の淵より』)]/1993年・2013年再文庫化[講談社文芸文庫(『死の淵より』)]】

《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 ‎ NHK出版)
こころをよむ 死に向き合って生きる.jpg
死に向き合って生きる5.jpg

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主人公・尾田高雄のハンセン病施設入所日を描く。佐柄木の人物像や哲学が強烈に印象に残った。

いのちの初夜00.jpg
いのちの初夜』['37年]『いのちの初夜 (角川文庫 緑 83-1)』['55年]『いのちの初夜 (角川文庫) 』['20年改版]北条民雄(1914-1937/23歳没)
 主人公・尾田高雄は、癩病を患ったために、入院すべく病院へ向かう。病気の宣告を受けてからの尾田は、癩病で死ぬくらいなら、病院に入るくらいなら、と事ある毎に自殺を試みるが、その度に何か別の心持ちがよぎり、思いとどまる。病院に着いた尾田は、佐柄木という癩病の患者に出会う。病院には尾田と佐柄木の他にも沢山の癩病の患者が入院しているが、その多くが重度の患者であるため、佐柄木は、まだ軽度の患者である尾田を格好の話し相手であると思ったのか、親交を深めようとしてくる。しかし尾田は、自身が癩病のため入院せざるを得ない現状を未だに受け入れられず、またしても自殺をはかる。それは未遂に終わるが、一連の出来事を目撃していた佐柄木は、尾田に「意志の大いさは絶望の大いさに正比する」と説く。病状が悪化しながらも生きる佐柄木と、「生きる態度」を定められずにいる尾田。しかし、尾田は佐柄木との会話を繰り返すうちに、「やはり生きてみることだ」という気持ちになる―(「いのちの初夜」)。

川端康成YO.jpg 川端康成など名だたる文豪からその才能を認められながらも、ハンセン病を患い若くしてこの世を去った北条民雄(1914-1937/23歳没)の作品集で、表題作「いのちの初夜」(1936(昭和11)年)は、ハンセン病の診断を受けた主人公・尾田が、療養施設に入所した日とその夜に起きた出来事及び主人公の心象を描いた小説(川端康成は「この小説を読むと、たいていの小説がポンコツに見える」と称賛した)。そのほかに「眼帯記」「癩院受胎」「癩院記録」「続癩院記録」「癩家族」「望郷歌」「吹雪の産声」の7作が収められており、いずれもハンセン病の隔離施設が舞台になっています。

いのちの初夜NHK.jpg 「いのちの初夜」は、社会的な生きる希望を失い、おのれの肉体も失われていく、それでも生きざるをえない、「生きる」意味を問い続けるハンセン病患者でなければ書けない作品で、文章も平明だけにストレートに心に響きます。この作品は2023年2月にNHK・Eテレの「100分de名著」で取り上げられ話題を呼びました(ゲストは、かつてアイドル・歌手・女優で、今は文筆家・テレビ番組のコメンテーターとしてメディアに登場する機会が多い中江有里氏)。
NHK 100分 de 名著 北條民雄『いのちの初夜』 2023年2月 (NHKテキスト)

 雑誌「文學界」(1936年2月号)に掲載され、原題は「最初の一夜」で、川端康成により「いのちの初夜」に改題され、第3回「芥川賞」の候補にもなりました。作品の冒頭でその施設の立地は「東京から二十マイルそこそこの」と記述されており、これは作者である北條民雄が入所した東京府北多摩郡東村山村の国立療養所多磨全生園(全生園)の位置とほぼ一致します。

 ただし、北條民雄は自分の作品が、「癩(らい)文学」と見なされることに強い拒否感を抱いており、「頃日雑記」の中で「私は癩文学などいうものがあろうとは思われぬが、しかし、よし癩文学というものがあるものとしても、決してそのようなものを書きたいとは思わない(中略)私はただ人間を書きたいと思っているのだ。癩など、単に、人間を書く上における一つの「場合」に過ぎぬ」と語っています。

 では、この作品をどう読めばいいのか。北條民雄の評伝である『火花 北条民雄の生涯』の作者で、ノンフィクション作家の髙山文彦氏はこう述べています。

 「もちろん、読者は作者の意図から離れて好きに読むべきです。しかし、重要なのは作中において、北條が常に健常者の視点を持ち続けていたという事実です。「いのちの初夜」を読むと、肉体的にも精神的にも、彼が健康体であり続けたことは明確です。病友の光岡良二は「彼はハンセン病の賭場口にも立っていなかった」と語っています。実際に北條の病状は非常に軽症で、重症患者を「化けもの」と表現することがありました。反して日記や書簡のなかには、病を受け入れようとする葛藤が表出しています。もちろん、彼自身、のちに日記が公表されるとは思っていなかったでしょう。作品の中では、生身の感情は押し殺していたのでしょうね」

 北條民雄が常に健常者の視点を持ち続けていたという指摘は的を射ており、特にこの「いのちの初夜」での主人公・尾田にはそれが感じられます(因みに、北條民雄は1934年に多磨全生園に入院し1937年に亡くなったが、死因は腸結核だった)。佐柄木の方がむしろ重度であり、それでいて達観している様は、最初はややデーモニッシュにさえ思われましたが、実は彼は彼なりに苦闘し、今は哲学的境地に達していることが窺えました。

 その佐柄木は、彼らを取り巻く重度の患者らを「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです」と尾田に言います。「あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう」と。そうした佐柄木の人物像や哲学の方が主人公の尾田より強烈に印象に残りました(モデルは文庫所収の「北条民雄の人と生活」を書いている前出の光岡良二(1911-1995)か。彼は東京帝国大学文学部哲学科2年修了時にハンセン病を発病、1933年に多磨全生園に入院、翌年入院してきた北条民雄と知り合った)。


「眼帯記」(1936)は失明への怖れを描いた作品で、ハンセン病の末期は目が見えなくなるのだと改めて知った次第。「癩院受胎」(1936)は病気と生きることへの考えが対照的なふたりの青年と妹、そして彼女に恋心を抱く主人公のさまざまな心情を描いた作品です。

「癩院記録」(1936)及び「続癩院記録」(1936)は、感情を排して院内の患者の生活をスケッチ風に描いた作品で、長閑さを感じる場面もあれば、凄惨な描写もありました。

「癩家族」(1936)は入院している父親、長男、長女の間の愛憎を細かに描いており、「望郷歌」(1937)は、心を閉ざした少年患者を描いた生前最後の作品、「吹雪の産声」(1937)は作者の死後に発表されたもので、死を迎える親友と、療養所内での出産で「生命の連続」を描いた作品です。

 何れも珠玉の作品ですが、これらの中ではいちばん最初に書かれた「いのちの初夜」がやはりいちばんの傑作のように思います。

【1955年文庫化[創元文庫]/1955年文庫化・2020年改版[角川文庫]】

《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 ‎ NHK出版)
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ヴェンダース生涯の傑作か。主人公を「悟りきった哲人」にしていないところがいい。

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Perfect Days」役所広司

PERFECT DAYS01.jpg 東京スカイツリー近くの古アパートで独り暮らす中年の寡黙な清掃作業員・平山(役所広司)は、毎朝薄暗いうちに起き、台所で顔を洗い、ワゴン車を運転して仕事場へ向かう。行き先は渋谷区内の公衆トイレ。それらを次々と回り、隅々まで手際よく磨き上げてゆく。一緒に働く清掃員タカPERFECT DAYS02.jpgシ(柄本時生)はどうせすぐ汚れるからと作業は適当にこなし、通っているガールズ・バーのアヤ(アオイヤマダ)と深い仲になりたいが金が無いとぼやいてばかりいる。平山は意に介さず、ただ一心に自分の持ち場を磨き上げる。誰からも見て見ぬふりをされるような仕事だが、平山はそれも気にせず仕事を続け、仕事中は殆ど言葉を発しない。それでも平山は日々の楽しみを数多く持っている。例えば、移動中の車で聴く古いカセットテープ。パティ・スミス、ルー・リード、キンクス、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとどれも少し前の音楽だ。PERFECT DAYs 2.jpg休憩時に神社の境内の隅に座りささやかな昼食をとる時は、境内の樹々を見上げる。木洩れ日を見て笑みを浮かべ、一時代前の小型フィルムカメラでモノクロ写真を撮る。街のPERFECT DAYS田中.jpg人々は平山をまったく無視して行き交うが、時折ホームレス風の老人(田中泯)が、平山と目を合わせてくれる。仕事が終わると近くの銭湯で身体を洗い、浅草地下商店街の定食屋で安い食事をする。休日には行きつけの小さな居酒屋で、客にせがまれて歌う女将(石川さゆり)の声に耳を傾けることもある。家に帰ると、四畳半の部屋で眠くなるまで本を読む。フォークナー『野生の棕櫚』、幸田文『木』等々...。眠りに落ちた平山の脳裏には、そのPERFECT DAYS05.jpg日に目にした映像の断片がゆらゆら閃き続けている。ある日、平山の若い姪・ニコ(中野有紗)がアパートへ押し掛けてくる。平山の妹ケイコ(麻生祐未)の娘で、家出してきたという。平山の妹は豊かな暮らしを送っていて、ニコに平山とは世界が違うのだから会ってはならぬと言い渡しているらしい。ニコは平山を説き伏せて仕事場へついてゆく。公衆トイレを一心に清掃してゆく平山の姿にニコは言葉を失うが、休憩時、公園で木洩れ日を見上げる平山の姿を見て、ニコにも笑顔が戻る。しかし平山の妹がニコを連れ戻しにやってくる―。

PERFECT DAYS0s1.jpg ヴィム・ヴェンダース監督の2023年公開作で、同年の第76回「カンヌ国際映画祭」で、役所広司が日本人俳優としては是枝裕和監督の「誰も知らない」('04年)の柳楽優弥以来19年ぶり2人目となる男優賞を受賞した作品です(同映画祭のエキュメニカル審査員賞も受賞)。そう言えば役所広司は、主演作である今村正平監督の「うなぎ」('97年)が第50回「カンヌ映画祭」で最高賞である「パルム・ドール」を受賞しています。

PERFECT DAYSt.jpg この映画の製作のきっかけは、世界で活躍する16人の建築家やデザイナーが参画して渋谷区内17か所の公共トイレを刷新したプロジェクト「THE TOKYO TOILET」の活動PRを目的とした短編オムニバス映画が当初の計画だったとのこと、撮影はたった15日間という短い期間だったそうです。

 カンヌ国際映画祭の審査員で台湾の批評家・王信(ワン・シン)は、ヴィム・ヴェンダース監督の代表作「パリ、テキサス」('84年/西独・仏)が、より成熟した高いレベルで日本を舞台に再び作り直されたかのようだとし、ヴェンダース生涯の傑作と呼ばれるだろうとしていますが、同感です。米国「バラエティ」誌も、映画の構造はごくシンプルで「ベルリン・天使の詩」('87年/西独・仏)のような哲学的な煩悶は登場しないが、同監督による劇映画としてはここ数十年でもっとも優れた作品になったと称賛、個人的にも「パリ、テキサス」「ベルリン・天使の詩」よりいいと思いました。

PERFECT DAYS10.jpg 主人公・平山(ヴェンダース監督が敬愛する小津安二郎監督の作品の主人公の名(例えば「東京物語」('53年)の平山周吉(笠智衆)、「彼岸花」('58年)の平山渉(佐分利信)、「秋刀魚の味」('62年)の平山周平(笠智衆))に由来しているのは明らか)の一見かわり映えの無い生活が12日間描かれています。主人公が毎日の昼休憩か何かの時間に空を見上げ、使い捨てカメラで木漏れ日を撮影して満足そうなのが印象的です。毎日同じようで、日ごと違って見えるのだろうなあ。それと同じように、毎日が同じようで、ちょっとずつ今までにない出来事や事件のようなものが起き、過去を捨てたはずの平山が、次第にその自分の過去に向き合わざるを得なくなるという作りになっています。

 行政のキャンペーンが製作のきっかけだったこともあり、主人公・平山にとっての「パーフェクトな生活(素晴らしい生活)」というのは「上から目線」での見方であり、(ラストの方の切実な展開もあってか)平山にとって本当にこの生活がパーフェクトなのか、平山はこのままでいいのかという批判もあるようです。でも、そうした批判は「パーフェクト」をどう捉えるかにもよるのではないかと思いました。

PERFECT DAYS20.jpg エンディングの平山の表情を映した長いショットで、最初笑っていた平山は、途中からやや泣き顔にも見える表情になったりもし、彼の人生への満足と後悔の両方が滲み出ていて、それらをひっくるめての「パーフェクト」という意味であり、少なくとも一般的な「完璧な生活」という意味合いとは異なるように思いました。「幸せ」というより「ハッピー」に近いかもしれません。さらに、平山の日々を見ていると、どこか禅僧の生活のメタファーのようでもありますが、それを「完全に悟りきった哲人」にしてしまっていないところが、平山という人物が身近に感じられていいです。
 
PERFECT DAYS04.jpg 居酒屋の女将が石川さゆりで、ほんとに映画の中で歌っていたなあ(自分がこの映画を観た大晦日の日に「NHK紅白歌合戦」でも歌っていた)。三浦友和が演じるその女将の元夫が現れ、平山は最初はその元夫の登場で女将に振られたと思い、この映画の中で初めて酒を飲みます(行きつけの定食屋でも居酒屋でもそれまで酒は飲んでいない)。しかし、元夫はガンで余命宣告を受けており、後を平山に託したことで、二人は女将を介して何となく気持ちが通じていました。一方で、麻生祐未が演じる平山の妹ケイコと平山は全然ダメでした。恋敵にもなり得る相手と気持ちが通じて、近しいはずの肉親と気持ちが通じないのも、人生の皮肉かも。小津安二郎の「東京物語」('53年)で、父親(笠智衆)と気持ちが通じ合うのが実の息子や娘ではなく、血の繋がりのない息子の嫁(原節子)だったのが想起させられました。

 因みに、写真屋の主人を翻訳家の柴田元幸が演じているほか、バーの常連客としてモロ師岡とあがた森魚、野良猫と遊ぶ女性に研ナオコ、駐車場係に松金よね子など、結構いろいろな人がカメオ出演していました。

アパートの平山の部屋のセット
PERFECT DAYS0部屋.jpg「PERFECT DAYS」●原題:PERFECT DAYS●制作年:2023年●制作国:日本・ドイツ●監督:ヴィム・ヴェンダース●製作:柳井康治●脚本:ヴィム・ヴェンダース/高崎卓馬●撮影:フランツ・ラスティグ●音楽:(劇中曲)ルー・リード「Perfect Day」ほか●時間:124分●出演:役所広司/柄本時生/アオイヤマダ/中野有紗/麻生祐未/石川さゆり/田中泯/三浦友和/田中都子/水間ロン/渋谷そらじ/岩崎蒼維/嶋崎希祐/川崎ゆり子/小林紋/原田文明/レイナ/三浦俊輔/古川がん/深沢敦/田村泰二郎/甲本雅裕/岡本牧子/松居大悟/高橋侃/さいとうなり/大下ヒロト/研ナオコ/長井短/牧口元美/松井功/吉田葵/柴田元幸/犬山イヌコ/モロ師岡/芹澤興人/松金よね子/安藤玉恵●公開:2023/12●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:シネ・リーブル神戸(23-12-31)(評価:★★★★☆)
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シネ・リーブル神戸(朝日ビルディングB1F)
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シネリーブル神戸2.jpgシネリーブル神戸内.jpg

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ラストは「参った」という感じ。読み終わった後に、もう一度読み返したくなった。

木挽町のあだ討ち1.jpg 木挽町のあだ討ち2.jpg木挽町のあだ討ち

 2023(平成5)年・第36回「山本周五郎賞」、2023(平成5)年上半期・第169回「直木賞」受賞作。

 ある雪の降る夜に芝居小屋のすぐそばで、美しい若衆・菊之助による仇討ちがみごとに成し遂げられた。父親を殺めた下男を斬り、その血まみれの首を高くかかげた快挙は多くの人々から賞賛された。二年の後、菊之助の縁者という若侍が、仇討ちの顛末を知りたいと芝居小屋を訪れ、木戸芸者の一八、立師の与三郎、衣装兼女形のほたる、小道具の久蔵、戯作者の篠田金治と聴き回る。一八は吉原の遊女を母に持ち、かつて幇間の仕事をしていた。役者への振り付けをする立師の与三郎は、元武士で、当時、ある事件を発端に人の道と仕え先や親への忠義の狭間で苦しんでいた。衣装係兼女形の吉澤ほたるは浅間山の大噴火後に孤児となり、火葬場で隠亡に育てられるが、縫物の才を見込まれて芝居衣装を仕立てるようになった。小道具役の久蔵爺さんは、木彫り職人だったが、長屋暮らしの妻との間にできた一人息子を亡くし、失意の底にあったところを看板役者に拾われる。戯作者の篠田金治は元旗本の次男で、芸者遊びが好きな放蕩者だが、芝居の筋書きに興味を持つようになる。彼には後に菊之助との接点となる十も離れた許嫁がいた。それぞれの来し方に辛酸、迷い、悲しみがあり、それを乗り越えてきた物語があり、聞き手の若侍は引き込まれるが―。

 面白かったです。菊之助による仇討ちを軸とした人情噺の連作かと思って読んでいましたが、ミステリー構造になっていたのだなあ。そのことを知らずに読んで、最終章までそれに気づかなかったので、その分、結果的に驚きがあったかもしれません。

 単行本の帯の惹句によっては、ミステリー的要素がある作品だと読む前に分かってしまうものもあり、それもどうかなとも。例えば「直木賞」受賞と帯にあるものには、「このあだ討の『真実』を、見破れますか?」とあり、この時点で半分ネタバレしている印象も受けます。ただ、この頃には、そうした構造の作品であることが人口に膾炙しているだろうとの前提に立っているのかもしれません(実際、このブログでも同じことをしていることになるわけだし)。

 直木賞の選評を見ると、選考委員の林真理子氏が「私は途中までこの仕掛けにまるで気づかなかった」とする一方、宮部みゆき氏は、「私だけでなく、すれっからしのミステリー・ファンなら、この「あだ討ち」の仕掛けと真相はすぐ見当がつきますが、それで全然かまわない」という言い方をしています。山本周五郎賞の選考の時も、伊坂幸太郎氏が「仇討ちの真相自体は読み始めてすぐに見当がついてしまい、どちらかと言えば、読みながら答え合わせをしていく感覚になったため、せっかくなのだから読者を驚かせるための工夫をしてもいいのではないか、ともどかしさはありましたが、それは僕がミステリーを好んで読む人間だからかもしれません」とコメントしています。

 ミステリー構造だと知らずに読んだ分驚きがあったと先に書きましたが、一般読者でも第4章あたりで判ったという人が結構いたようです(作者も意図的にこの辺で種明かししたのかも)。仮に自分がもう少し勘が働いて、これは裏に隠されたトリックがあるぞと見透かして読んだとしても、それはそれで愉しめる作品なのでしょう。その証拠に、読み終わった後に、もう一度読み返したくなりましたから。

 いずれにせよ、ラストは「参った」という感じで、「山本周五郎賞」と「直木賞」のW受賞は納得。タイトルの「仇討ち」の「仇」を平仮名にしているのも旨いです。

【2025年文庫化[新潮文庫]】

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演出もストーリーも自然な流れでよくできていた「緑の光線」。

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緑の光線 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]」(1986)「喜劇と格言劇」シリーズ第5作
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飛行士の妻 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]」(1980)「喜劇と格言劇」シリーズ第1作
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美しき結婚 (エリック・ロメール コレクション) [DVD]」(1981)「喜劇と格言劇」シリーズ第2作
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エリック・ロメール コレクション 満月の夜 [DVD]」(1984)「喜劇と格言劇」シリーズ第4作

「緑の光線」1.jpg オフィスで秘書をしているデルフィーヌ(マリー・リヴィエール)は、独りぼっちのヴァカンスを何とか実りあるものにしようとする。恋に恋する彼女の理想は高く、昔からの男友達も、新たに現われた男性もなんとなく拒んでしまう。ヴァカンスを前に胸をときめかせていた。7月に入って間もない頃、ギリシア行きのヴァカンスを約束していた女ともだちから、急にキャンセルの電話が入る。途方に暮れるデルフィーヌ。周囲の人がそんな彼女を優しく慰める。女ともだちのひとりが彼女をシェルブールに誘ってくれた。が、シェルブールでは独り、海ばかり見つめているデルフィーヌ。8月に入り山にでかけた彼女は、その後、再び海へ行った。そこで、彼女は、老婦人が話しているのを聞いた。ジュール・ヴェルヌ『緑の光線』の話で、太陽が沈む瞬間に放つ緑の光線は幸運の印だという。太陽が水平線に沈んだ瞬間、青い光線が最後まで残って、それがまわりの黄色と混ざって私たちの目に緑の光線として届き、それを見た者は幸福を得られるという。何もなく、パリに戻ることにした彼女、駅の待合室で、本を読むひとりの青年と知り合いになる。初めて他人と意気投合し、思いがけず、自分から青年を散歩に誘う。海辺を歩く二人の前で、太陽が沈む瞬間、緑の光線が放たれたのだった―。(「緑の光線」

「緑の光線」2.jpg エリック・ロメール監督による1986年のフランス映画。同監督の「喜劇と格言劇」シリーズ全6作の内の第5作にあたり、1986年「ヴェネツィア国際映画祭」金獅子賞受賞作品です。同監督は、「全編がシナリオなしの即興演出で撮られた『緑の光線』の場合は、毎朝その場で役者に台詞を渡して撮っていた」(『映画狂人のあの人に会いたい』蓮見重彦、河出書房新社(2002))と述べています。これまでの作品にもその傾向が見られましたが、このシーリーズの5作目にして、そのスタイルが非常に効果的な演出に繋がったように思います。個人的には、濱口竜介監督がその演出方法を参照・応用したとされていますが、確かに濱口監督の作品に通じるところがあります。

「緑の光線」(86年).jpg 演出もストーリーも自然な流れでよくできていると思いました。「緑の光線」は、ジュール・ヴェルヌの小説で、太陽が沈む最後の瞬間に放つ緑の光線を見ると"自分と他人の感情が分かる"という言い伝えがあることを知った女性の、緑の光を求める旅を描いた作品で、要するに「緑の光線」とは日没時にたまに見られるグリーン・フラッシュのことを指します(小学校の自由研究で日の出・日没観測をやったので見たことがある)。そのモチーフをうまく作品に織り込んでいるように思いました(スピリチュアルな印象もある一方で、なぜグリーン・フラッシュが起きるのか見知らぬオジさんが科学的に説明もしていたなあ)。よくある日没シーンですが、観ている側も思わず固唾を飲んで見つめてしまいます。主人公デルフィーヌの心情が観ている側に伝わっているから、美しく感動的なシーンになっているのでしょう。デルフィーヌ役のマリー・リヴィエールが好演していて、何よりもそのキャラクターに好感が持てるのが大きかったです。しかし、フランス人にとってバカンスをどう過ごすかは大問題なわけだなあ(評価は★★★★)。


「飛行士の妻」1.jpg 二十歳の法学部の学生フランソワ(フィリップ・マルロー)は、秘書として働く5歳年上のアンヌ(マリー・リヴィエール)と交際中。そんなある日、航空会社パイロットのクリスチャン(マチュー・カリエール)が以前から不倫関係にあったアンヌを訪ね、妻とヨリを戻したので関係を完全に終わらせようと申し出る。話を終えた2人が部屋から出ていくところをフランソワが偶然目撃し、2人の仲を疑う。動揺したフランソワがパリの街をさすらっていたところ、クリスチャンが別の女性といる姿を目撃し、衝動的に尾行する。途中のバスで彼はリュシー(アンヌ=マリー・ムーリー)と目が合う―。(「飛行士の妻」

「飛行士の妻」 (80年/仏).jpg 1980年発表の「喜劇と格言劇」シリーズ第1作。主人公の青年がある勘違いをしたため、交際中の年上の女性の不倫相手の妻(ややこしい!)が一体誰なのかというちょっとしたミステリ仕立てにもなっています。これ、後に続く作品の流れで行くと、フランソワはたまたまバスで乗り合わせ共に謎を探ったリュシー(ぱっと見、15歳に見えないくらい大人っぽいが、キャラクター的にはやは女子高生だった)と結ばれそうな気もしますが、結末はほろ苦いものとなっています。結局、この映画でマリー・リヴィエールが演じているアンヌというのは悪女に近いかなあ。フランソワは何だか人生を回り道しそうなタイプに見えました(評価は★★★☆)。


「美しき結婚」12.jpg「美しき結婚」 (81年/仏).jpg パリで美術史を学ぶサビーヌ(ベアトリス・ロマン)は画家で妻子持ちの愛人シモン(フェオドール・アトキン)との関係を清算し、結婚することを決意する。親友のクラリス(アリエル・ドンバール)は従兄弟で弁護士のエドモン(アンドレ・デュソリエ)を紹介する。サビーヌは彼との結婚を決意するのだが、多忙なエドモンがなかなか電話に出てくれない―。(「美しき結婚」

ベアトリス・ロマン/アリエル・ドンバール

「美しき結婚」22.jpg 1981年発表の「喜劇と箴言」シリーズの第2作目。第1作よりよりはわかりやすい面白さになりました。ただし、ベアトリス・ロマン演じるヒロインのサビーヌの猪突猛進的な暴走感もあったなあ。結婚を絶対視していて、しかも、「自分が相手を好きならば相手も自分を好きに違いない」的な思い込みが凄いです。思われた相手は迷惑しそう。エドモンが最後に付き合えない理由をやんわり傷つけないように言ってるのに、逆上して彼を罵倒する場面は、見ていて痛々しかったです。第1作より作りはいいのですが、ヒロインが好きになれない。最後は親友(アリエル・ドンバール、米国生まれだが、父親がフランスの駐メキシコ特命全権大使だっためにメキシコで育ち、フランス語とスペイン語を話す)にまで当たっていたからなあ。友達無くすタイプ(評価は第1作と同じく★★★☆)。


「満月の夜」01.jpg インテリア・デザイナーのルイーズ(パスカル・オジェ)は、仕事一筋の男性レミ(チェッキー・カリョ)とパリ郊外で同棲中。パーティ好きなルイーズと生真面目なレミは相容れない性格だが、縛られることを嫌うルイーズの自由気ままに対してレミは寛容に接しようとする。そんなある日、美しいゆえ常に誰かと交際し続けてきたルイーズは、孤独になりたくて新たに一人部屋を借りることに。ルイーズは妻帯者の親友オクターブ(ファブリス・ルキーニ)と遊び歩き、やがて彼から関係を求められるが、ルイーズは友だち以上の感情をもっていな い。あるパーティで、ルイーズはバスチアン(クリスチャン・ヴァデム)という美青年と知り合う。オクターヴの忠告も聞かずバスチアンの誘いにのるルイーズ―(「満月の夜」)。

「満月の夜」02 (1).jpg 1984年発表の「喜劇と箴言」シリーズの「喜劇と格言劇」シリーズ第4作。恋多き女性を個性的に演じて室内装飾も担当したパスカル・オジェが、遺作となった本作で1984年・第41回「ヴェネチア国際映画祭女優賞」を受賞しています(パスカル・オジェは「満月の夜」公開2か月後に心臓発作のため25歳で夭折した)。

クリスチャン・ヴァディム/パスカル・オジェ

「満月の夜」 パンフ.jpg 登場人物それぞれに恋人が複数いたり、お互い知り合いだったりして、性的交渉も含め自由奔放に生きているようで、それでいて息苦しさもあって、結局、冒頭の格言"二人の妻を持つ者は心をなくし、「満月の夜0.jpg二つの家を持つ者は分別をなくす"に帰結するような話だったように思います。パスカル・オジェ演じる男を切らしたことが無いというのが自慢の主人公ってあまり好きになれないなあ(キャラクターは嫌いだけれどファッションは好きという人も多いみたい)。野性味のある男が好きな彼女は〈満月の夜〉に彼氏とは別のそんな男(クリスチャン・ヴァディム、「アガサ・クリスティー 奥さまは名探偵 〜パディントン発4時50分〜」 ('08年/仏)にも出ていた)と寝てしまいますが(すぐ寝るね)、彼氏の方は彼氏の方で他の女性と恋に落ちていた! パスカル・オジェに賞が与えられたのは、追悼の意味もあったのではと思ったりもしましたが、受賞した後に急逝したようです(評価は★★★)。

 演出方法やカメラの撮り方など、技法論的に語られることの多い作品であったはずですが、ほとんど主人公(ヒロイン)のキャラクターの好き嫌いで観てしまいました。そうなってしまうのは、それだけキャラクター造型が画一的なものではなく、リアリティのあるものであるためではないかと思います(こんな人物が自分の身近にいたらどうだろうか...という思いでついつい観てしまう)。


「緑の光線」ds.jpg「緑の光線」●原題:LE RAYON VERT(英:THE GREEN RAY)●制作年:1986年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:ソフィー・マンティニュー●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:98 分●出演:マリー・リヴィエール/リサ・エレディア/ヴァンサン・ゴーティエ /ベアトリス・ロマン●日本公開:1987/04●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-12-26)(評価:★★★★)
   
「飛行士の妻」 (.jpg「飛行士の妻」99.jpg「飛行士の妻」●原題:LA FEMME DE L'AVIATEUR(英:THE AVIATOR`S WIFE)●制作年:1980年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴス●撮影:セシル・デキュシス●音楽:ジャン=ルイ・ヴァレロ●時間:107分●出演:フィリップ・マルロー/マリー・リヴィエール/アンヌ=マリー・ムーリー/マチュー・カリエール●日本公開:1996/03●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-11-20)(評価:★★★☆)

「美しき結婚」●.jpg「美しき結婚」23.jpg「美しき結婚」●原題:LE BEAU MARIAGE(英:THE GOOD MARRIAGE)●制作年:1981年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴズ●撮影:ベルナール・リュティック●時間:103分●出演:ベアトリス・ロマン/アンドレ・デュソリエ/アリエル・ドンバール/フェオドール・アトキン/ユゲット・ファジェ/ヴァンサン・ゴーティエ/タミラ・メツバ/ソフィー・ルノワール/パスカル・グレゴリー●日本公開:1996/03●配給:シネセゾン●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-11-28)(評価:★★★☆)
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アリエル・ドンバール.jpg アリエル・ドンバール

「満月の夜」sb.jpg「満月の夜」●原題:LES NUITS DE LA PLEINE LUNE(英:FULL MOON IN PARIS)●制作年:1984年●制作国:フランス●監督・脚本:エリック・ロメール●製作:マルガレット・メネゴズ●撮影:レナート・ベルタ●音楽:エリ&ジャクノ●時間:101分●出演:パスカル・オジェ/チェッキー・カリョ/ファブリス・ルキーニ/クリスチャン・ヴァディム/ラズロ・サボ●日本公開:1987/01●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-12-19)(評価:★★★)

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「法廷から男社会を刺す女の絆」。メッセージ性と娯楽性の両立。

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「私がやりました」

「私がやりました」01.jpg 有名映画プロデューサーがパリの大豪邸の自宅で殺された。容疑者は、売れない新人女優マドレーヌ(ナディア・テレスキウィッツ)。プロデューサーに襲われ、「自分の身を守るために撃った」と自供する彼女は、親友で駆け出しの弁護士ポー「私がやりました」02.jpgリーヌ(レベッカ・マルデール)と共に法廷へ。正当防衛を訴える鮮やかな弁論と感動的なスピーチで裁判官や大衆の心をつかみ、見事無罪を勝ち取る。それどころか、「悲劇のヒロイン」として一躍時の人となったマドレーヌは、大スターの座へと駆け上がっていく。ところが、そんなある日、二人の前にオデット(イザベル・ユペール)という女が現れる。彼女は二人に証拠を突き付け、プロデューサー殺しの真犯人は自分で、マドレーヌたちが手にした富も名声も、自分のものだと言うのだ。こんなに魅力的な"犯人の座"は渡せない─。
 
「私がやりました」3人.jpg フランソワ・オゾン監督の2023年公開作で、3人の女たちが繰り広げる犯罪ミステリ&コメディです。ナディア・テレスキウィッツ(1996年生まれ)が新人女優マドレーヌ、レベッカ・マルデール(1995年生まれ)が新米弁護士ポーリーヌ、この二人より40歳以上も年上のイザベル・ユペール(1953年生まれ)が落ちぶれた元大女優のオデットを演じています(イザベル・ユペールは「エキセントリックで常軌を逸したような役を演じるのはとても楽しい」とインタビューで答えている)。

ダニー・ブーン/ファブリス・ルキーニ/イザベル・ユペール
「私がやりました」04.jpg 30年代の戯曲をフランソワ・オゾン監督が脚色したもので、1930年代における女性の地位や差別撤廃にも言及する本作は、ドタバタ・コメディでありながら、フェミニズムや#MeTooムーブメントという現代的なテーマとも通底するメッセージを持っており、むしろ、それを敢えてドタバタコメディというスタイルで表現しているところに、この監督の才気煥発ぶりを感じます。

「私がやりました」05.jpg 最大の見せ場は、法廷で男性のみで構成された陪審員団に向けてナディア・テレスキウィッツ演じる新人女優が「嘘も真実となる」とばかり自分が犯人であるとの演説をし、それをレベッカ・マルデール演じる新米弁護士ポーリーヌが見守るシーンです(朝日新聞の批評子は「法廷から男社会を刺す女の絆」としていた)。

「私がやりました」03.jpg ナディア・テレスキウィッツも、「これはシスターフッドの物語。私とレベッカも出合ってすぐ、共に闘う共犯関係のようなもので結ばれました」と述べていますが、共演者同士の関係を映画と重なるように持っていくところに、フランソワ・オゾン監督の演出の旨さがあるのかもしれません。

 コメディですが、衣装が凝っていてセットもお金をかけて作っている感じ。コメディにこれだけお金をつぎ込むところがフランス映画らしいですが、クラシカルな味わいを持たせながらも、コメディとしてのテンポは維持しているところも上手だと思います。

 突然人気スターとなったマドレーヌのところに主演オファーが来て出た映画が「マリー・アントワネットの苦い涙」というもので、マドレーヌは断頭台で首を撥ねられるヒロインのマリー・アントワネット役(ややB級映画っぽい?)。フランソワ・オゾン監督の前作「苦い涙」('22年/仏)は、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 監督の「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」('72年/西独)をリメイクしたもので、これに懸けているところに監督の茶目っ気が窺えます。さらには、リドリー・スコット監督の「ナポレオン」('23年/米・英)が公開されたばかりですが、マリー・アントワネットが斬首刑に処されれるシーンが冒頭にあり、これにも懸けたと見るのは穿ち過ぎでしょうか(史実では、マリー・アントワネットは獄中で刈られた短髪で絞首台に登るが、リドリー・スコット版では、豊かな髪をたなびかせている。このフランソワ・オゾン版もマリー・アントワネットが髪を刈った痕跡は無い(笑))。

 メッセージ性がありながらも、コメディとしても楽しめる作品でした。

私がやりました
「私がやりました」imdb.jpg「私がやりました」シネリーブル.jpg「私がやりました」●原題:MON CRIME(英:THE CRIME IS MINE)●制作年:2023年●制作国:フランス●監督・脚本:フランソワ・オゾン●製作:エリック・アルトメイヤー /ニコラ・アルトメイヤー●撮影:マニュエル・ダコッセ●音楽:フィリップ・ロンビ●時間:103分●出演:ナディア・テレスキウィッツン/レベッカ・マルデール/イザベル・ユペール/ファブリス・ルキーニ/ダニー・ブーン/アンドレ・デュソリエ/エドゥアール・シュルピス●日本公開:2023/11●配給:ギャガ●最初に観た場所:シネ・リーブル池袋(スクリーン2)(20-11-14)(評価:★★★☆)●同日上映:「サタデー・フィクション」(婁燁(ロウ・イエ))

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刹那を懸命に生きた男女のドラマ。スタイリッシュなスパイ&アクション映画。

「サタデー・フィクション」2019.jpg「サタデー・フィクション」004.jpg
「サタデー・フィクション」鞏俐(コン・リー)/趙又廷(マーク・チャオ)/オダギリジョー/中島歩
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「サタデー・フィクション」01.jpg 日中欧の諜報員が暗躍する魔都・上海。真珠湾攻撃7日前の1941年12月1日、人気女優ユー・ジン(鞏俐(コン・リー))は新作舞台「サタデー・フィクション」に主演するため上海を訪れる。かつてフランスの諜報員ヒューバート(パスカル・グレゴリー)に孤児院から救われた過去を持つ彼女は、女優であると同時に諜報員という裏の顔をもっていた。ユー・ジンの到着から2日後、日本の暗号通信の専門家である海軍少佐・古谷三郎(オダギリジョー)が、暗号更新のため上海にやって来る。古谷の亡き妻によく似たユー・ジンは、古谷から太平洋戦争開戦の奇襲情報を得るためフランス諜報員が仕掛けた「マジックミラー計画」に身を投じていく―。

「サタデー・フィクション」02リー.jpg 中国の婁燁(ロウ・イエ)監督が、太平洋戦争直前の上海で繰り広げられる愛と謀略の行方をモノクロ映像で描いたスパイ映画。主人公ユー・ジンを鞏俐(コン・リー)、日本海軍少佐・古谷をオダギリジョーが演じ、中島歩、台湾の俳優・趙又廷(マーク・チャオ)、ドイツの俳優トム・ブラシア、フランスの俳優パスカル・グレゴリーらが共演。2019年の中国映画ですが、中国本国では2021年10月に、日本では2023年11月にそれぞれ公開されています。

白黒で、手持ちカメラを主とする映像が躍動感がありましたが、スペクタクルな遠景より、登場人物一人一人をしっかり撮っている印象で、ただし、背景説明が無いだけに、最初の方は人物相関がよく判りませんでした。途中でこれは雰囲気を感じる映画かなと開き直ると、次第に人物と人物の関係が分かってきたという感じでしょうか。

「サタデー・フィクション」002.jpg 婁燁(ロウ・イエ)監督が前半で見せようとしていたのは、手に汗握るスパイ戦ではなく、鞏俐(コン・リー)演じるスパイとしての使命を負ったユー・ジンが(そのことさえ最初観ているうちは判らないのだが)、かつての恋人だった舞台演出家やフランス諜報員、日本の海軍少佐らと接触することで、ユー・ジンとそれら登場人物との間に生まれる情感を描くことに重きが置かれているように思いました。

「サタデー・フィクション」03リー2.jpg コン・リーは、たまたま陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「さらば、わが愛/覇王別姫」('93年/中国)を観直したところでしたが、この「サタデー・フィクション」で最近の彼女をたっぷり観ることができて良かったです。2008年にシンガポール国籍を取得し、中国国籍ではなくなっていますが、コン・リーは何年経ってもやっぱりコン・リーという感じでしょうか(モノクロであるのも素であるのもかえって良かったかも)。

 映画は終盤になって一気に銃撃戦へとなだれ込み、そのコン・リーが派手なアクションをするのにはちょっとびっくりさせられました。ターミネーター並みに大勢を相手に撃ちまくり、中島歩が演じる射撃の名手・梶原をも一対一対決で撃ち斃し、まるでアンジェリーナ・ジョリー演じる「トゥームレイダー」シリーズのヒロイン・ララ・クロフトみたい。コン・リー(1965年生まれ)はアンジェリーナ・ジョリー(1975年生まれ)より10歳年上ですが、ジェニファー・ロペス(1969年生まれ)並みに鍛えているということなのかも。

「サタデー・フィクション」05.jpg この映画の良かった点は、この時代を描いた中国映画では珍しく、日本の軍人が悪や残虐性の権化として描かれていないということです。中島歩(「偶然と必然」('21年))が演じる梶原の暴力性は純粋にアクションとして描かれています。オダギリジョー(「FOUJITA」('15年))「サタデー・フィクション」04.jpg演じる海軍少佐・「サタデー・フィクション」中島歩.jpg古谷にも寄り添っているし(オダギリジョーは凖主演だが、役柄のせいかやや線が細い感じで、脇の中島歩の方が目立っていた)、一方で、中国人の舞台演出家は同胞に裏切られたりもし(中国人の中にも卑怯な人間がいたということ)、対等な視点で描かれているように思いました(観劇マナーも、中国人の方が日本兵以上に酷いものとして描かれている)。

 やや疑問に思った点は、負傷して自分たちの側の病院に運び込まれた古谷にユー・ジンが囁きかけて暗号を聞き出す(これが「マジックミラー作戦」の肝(きも))場面で、ユー・ジンは諜殺された(?)古谷の亡き妻と似ているということで、古谷が意識朦朧とする中、妻から話しかけられたと錯覚するのですが、ユー・ジンの日本語が中国語訛りなので、これを自分の妻と間違えるかなあと。

 この時、ハワイを意味する山桜という言葉を古谷は言ってしまいますが、暗号に個人的思いを込めるものなのか。その部分が録音されなかったのは、ユー・ジンがわざとそうしたのであって、二人の遣り取りは睦言のメタファーだったのか(だからマイクを切った?)―といろいろ考えてしまいます。

 ラストは哀愁と虚無が漂いますが、'41年12月初旬の上海(婁燁(ロウ・イエ)監督作品のいつもの舞台)、蘭心大劇院(今も観劇可能な劇場で、この映画の原題にもなっている)を時間的・地理的軸に、その刹那を懸命に生きた男女を描いた人間ドラマであり、スタイリッシュなスパイ&アクション映画でもありました。

「サタデー・フィクション」00.jpg「サタデー・フィクション」010.jpg「サタデー・フィクション」●原題:蘭心大劇院(英:SATURDAY FICTION)●制作年:2019年●制作国:中国●監督:婁燁(ロウ・イエ)●脚本:馬英力(マー・インリー)●製作:マー・インリー/チャン・ジーホン/ロウ・イエ/ドン・ペイウェン/ウー・イー●撮影:曾剑(ツォン・ジエン)●原作:虹影『上海の死』/横光利一『上海』●時間:126分●出演:鞏俐(コン・リー)/趙又廷(マーク・チャオ)/オダギリジョー/中「私がやりました」シネリーブル.jpg島歩/パスカル・グレゴリー/トム・ブラシア/黄湘麗(ホァン・シャンリー)/王傳君(ワン・チュアンジュン)/張頌文(チャン・ソンウェン)●日本公開:2023/11●配給:アップリンク●最初に観た場所:シネ・リーブル池袋(スクリーン2)(20-11-14)(評価:★★★★)●同日上映:「私がやりました」(フランソワ・オゾン)

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最初からエリオット・グールド風のマーロウになっていたが、なかなか良い(好みの問題)。

「ロング・グッドバイ」 1973.jpg「ロング・グッドバイ」 2.jpg
ロング・グッドバイ(テレビ吹替音声収録版) [DVD]スターリング・ヘイドン/エリオット・グールド
「ロング・グッドバイ」 3p.jpg「ロング・グッドバイ」 4.jpg 私立探偵フィリップ・マーロウ(エリオット・グールド)の家に、友人のテリー・レノックス(ジム・バウトン)が突然訪ねて来る。テリーは妻とケンカしたと話し、メキシコへ連れて行ってほしいとマーロウに頼む。テリーを車で送り帰宅したマーロウは、テリーの妻が殺されたことを知る。テリーを匿っていると疑われたマーロウは警察に留置場に入れられるが、テリーがメキシコで自殺したとの報せを受けて釈放される。「ロング・グッドバイ」 5.jpg「ロング・グッドバイ エリオット・グールド2.jpgそんな中、マーロウは有名作家ロジャー・ウェイド(スターリング・ヘイドン)の妻アイリーン(ニーナ・ヴァン・パラント)から、行方不明になった夫の捜索を依頼される。マーロウはアルコール中毒のウェイドを発見し、病院から連れ帰る。しかし、ウェイドはある日、深夜に自ら海に入っていき自殺してしまう。そして、テリーの件でチンピラのボス、マーティ・オーガスティン(マーク・ライデル)がマーロウを脅迫してくる。やがてマーロウは、テリーの妻殺害にアイリーンが関わっていることに気づく。テリーの死を確かめにマーロウはメキシコへ行く―。

「ロング・グッドバイ」 6.jpg ロバート・アルトマン監督がレイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説をアレンジして映画化したものですが、ストーリー的に原作とかなり違います。原作では作家のウェイドは、マーロウと妻アイリーンの目の前で入水自殺するのではなく、どこかで殺害死体が発見されるというものでした。誰が殺したかというと、実は妻のアイリーンで、彼女の忘れられない"亡くなった恋人"というのがテリー・レノックス。だから、テリーの殺しも、嫉妬したアイリーンによるもので、マーロウにそれらを事実として突き付けられた彼女は自殺するのではなかったかな。ただ、核となるマーロウと"友人"テリーとの関係変化と結末は原作と同じで、自分を裏切った友に対して「ロング・グッドバイ」ということです(まあ、ここを変えると「ロング・グッドバイ」というタイトルが成立しなくなる)。

「ロング・グッドバイ エリオット・グールド3.jpg「ロング・グッドバイ エリオット・グールド.jpg エリオット・グールドが、猫を愛する探偵フィリップ・マーロウを飄々とした演技で好演していますが、冒頭の猫の餌を買いに夜中に出かける話などは原作にはまったくなく、最初からエリオット・グールド風のマーロウになっています。ただ、これがなかなか良くて、松田優作などはドラマ「探偵物語」('78年-'79年/日本テレビ)の役作りで大いに参考にしたそうです(確かにこのマーロウ、私立探偵の工藤俊作っぽいけれど、松田優作の方がマネしたわけか)。

「ロング・グッドバイ エリオット・グールド5.jpg 原作とは大幅に異なる設定と結末を変えたことで、公開当時は賛否両論を呼んだようですが、長年にわたりカルト映画として愛されているのは事実でしょう。今回初めて観ましたが、個人的にも好きです。ただ、レイモン村上春樹 09.jpgド・チャンドラーの熱心なファンにはやり評判がよくないようです。村上春樹などは『カラマーゾフの兄弟』『グレート・ギャツビー』とこの原作『長いお別れ』を最も影響を受けた作品3作として挙げており、『長いお別れ』は自らも翻訳していますが(『ロング・グッドバイ』('07年/早川書房)、この映画に対する彼の評価はどうなのだろうか。おそらく、ダメだろうなあ。人それぞれ好みの問題だと思います。

「ロング・グッドバイ」 7しゅわ.jpg 当時ボディビルから俳優への転身を目指していたシュワルツェネッガーが、「アーノルド・シュワルツェネッガーのSF超人ヘラクレス」('70年/米)の主人公に抜擢されて以来の映画出演を果たし、オーガスティンの手下の一人として出演していましたが(「コナン・ザ・グレート」('82年/米)に出る約10年前か)、なぜかオーガスティンがその場にいる男連中に「皆、裸になれ」と言います。シュワルツェネッガーの肉体を見せるため? シュワちゃんは、ボディガードを通り越して完全にボディビルダーでした(笑)。
 
「ロング・グッドバイ」 p2.jpg「ロング・グッドバイ」●原題:THE LONG GOODBYE●制作年: 1973年●制作国:アメリカ●監督:ロバート・アルトマン●製作:ジェリー・ビ「ロング・グッドバイ エリオット・グールド7.jpgック●脚本:リー・ブラケット●撮影:ビルモス・ジグモンド●音楽:ジョン・ウィリアムズ●原作:レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』●時間:111分●出演:エリオット・グールド/ニーナ・ヴァン・パラント/スターリング・ヘイドン/ジム・バウトン/ヘンリー・ギブソン/マーク・ライデル/ウォーレン・バーリンジャー/ルターニャ・アルダ/ルターニャ・アルダ/デヴィッド・アーキン/アーノルド・シュワルツェネッガーロング・グッドバイ スターリング・ヘイドン.jpg●日本公開:1974/02●配給:ユナイテッド・アーティスツ●最初に観た場所:早稲田松竹(23-10-06)((評価:★★★★)●併映:「雨にぬれた舗道」「イメージズ」(ロバート・アルトマン)

スターリング・ヘイドン

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「女性映画3部作」の第1・第2作。少しずつ狂っていく女性の話と最初から少し狂っている女性の話。
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「雨にぬれた舗道」「That Cold Day in the Park [Blu-ray] (1969) [Import]」サンディ・デニス
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イメージズ [DVD]」スザンナ・ヨーク(原作も) [カンヌ国際映画祭 女優賞」受賞]

「雨にぬれた舗道」p.jpg ある雨の日。30代の裕福な独身女性フランセス(サンディ・デニス)は、窓の外から見える青年(マイケル・バーンズ)が気になっていた。土砂降りの中、自宅の近くの公園のベンチでずぶ濡れになっているのだ。彼女はパーティを早めに切り上げると、その青年のもとへ行って声を掛け、自宅に連れ帰り、風呂に入れて食事を与え、レコードを一緒に聴く。不思議なことに、彼は一言も声を発せず、彼女の問いかけにも一切反応しない。それでもフランシスは彼に世話を焼き、青年は気が向くと彼女の家に立ち寄るようになる。かくして、二人の奇妙で不思議な関係が築かれていく―(「雨にぬれた舗道」)。
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 「雨にぬれた舗道」は、ロバート・アルトマン(1925-2006/81歳没)がキャリア初期に手がけた「女性映画3部作」の第1作で、元ハリウッド子役の作家リチャード・マイルズの長編小説を原作に、サンディ・デニス(1937-1992/54歳没)演じる、社交上の友人はいるが孤独なブルジョア女性と、見知らぬ青年の奇妙な関係を描いたスリラーで、1969年・第22回「カンヌ国際映画祭」の特別招待作品でした(ポスターによれば、主人公は34歳の処女で、青年は19歳という設定らしい)。

 物語はホームパーティを開くシーンから始まりますが、いつもの食事、ありきたりな会話に、おそ「雨にぬれた舗道」4.jpgらくフランセスは飽き飽きしていたのでは。それが、青年に出合い、心の底にしまっていた母性的感情が湧き上がり、さらにそれが青年に対しする女性としての愛情に変化していったのでしょう。青年を失う不安から、彼を囲い込もうとして少しずつおかしくなっていく主人公を、サンディ・デニスがリアルに演じていました。仕舞いには青年のために娼婦を連れてきたりして(本当は青年に抱かれたいのは自分なのだろう)、この時点でかなりおかしくなっていますが、最後に、突発的に狂気を爆発させます。

 監禁系ミステリーと言えば、蝶の熱心な蒐集家が女子大生を地下室に監禁する、ウィリアム・ワイラー監督の 「コレクター」 ('65年/英・米)がそうでしたが、フランセスに監禁された青年の側からすると、スティーヴン・キングが1987年に発表し、1990年には映画化された『ミザリー』の主人公にみたいな立場でしょうか。最後は狂気がその牙をむいたという感じ。でも、娼婦はどばっちりだったなあ。


「イメージズ」01.jpg ロンドンに住むキャスリン(スザンナ・ヨーク)は、夫が浮気しているという謎の女からの不気味な電話をきっかけに、幻聴や幻視にさいなまれるように。キャスリンは心配する夫に連れられて田舎で静養することになるが、幻覚はさらにエスカレートしていく―(「イメージズ」)。

 「イメージズ」は、ロバート・アルトマン監督の「女性映画3部作」の第2作で、幻覚に悩まされる女性の姿をエキセントリックな映像で描いたドラマ。原作「イメージズ」02.gifも手掛けた英国女優スザンナ・ヨーク(1939-2011/72歳没)が主人公キャスリンを演じ、1972年・第25回「カンヌ国際映画祭」で女優賞を受賞しています。

 亡くなった人間が見えてしまうというのは、フランソワ・オゾン監督、シャーロット・ランプリング主演の「まぼろし」('00年/仏)を想起しました。こちらの主人公は最初から幻影が見えているので、最初からどこか狂っているわけですが、こちらもそれが次第にエスカレートして、夫と前の愛人が瞬間的に入れ替わって見えたり、仕舞いには、自分の分身が見えるというドッペルゲンガー状態にまでいって...。

 ラストは、エドガー・アラン・ポー原作で、オムニバス映画「世にも怪奇な物語」('67年/仏・伊)の3話の内の1話としてルイ・マルが監督し、アラン・ドロンとブリジット・バルドーが主演した「影を殺した男」を思い出しました。

 ネタバレと言うか、個人的な解釈としては、自分の幻影を崖から突き落として自宅に戻った主人公は、実は自分が崖から飛び降りていたということなのでしょう。つまり、自分の幻影を突き落としてから後は、自分が死の直前の一瞬の間に見た幻影(所謂「夢の中での5分は現実世界の1時間に相当する」という現象)なのでしょう。

 最初から(器質的に)少し狂っている話である「イメージズ」よりも、(精神的に)少しずつおかしくなっていく「雨にぬれた舗道」の方が観ていて面白かったですが、「イメージズ」の方はラストで追いついたという感じ。「イメージズ」で最初に主人公に掛かってきた電話も実はこの主人公が掛けていた(或いは幻聴だった)―という伏線回収でいいのではないでしょうか。

「雨にぬれた舗道」m.jpgアルトマン傑作選.jpg「雨にぬれた舗道」●原題:THAT COLD DAY IN THE PARK●制作年: 1969年●制作国:アメリカ・カナダ●監督:ロバート・アルトマン●製作:ドナルド・ファクター/レオン・ミレル●脚本:ギリアン・フリーマン●撮影:ラズロ・コバックス●音楽:ジョニー・マンデル●原作:リチャード・マイルズ●時間:113分●出演:サンディ・デニス/マイケル・バーンズ/スザンヌ・ベントン/ジョン・ガーフィールド・Jr/ルアナ・アンダース●日本公開:1970/02●配給:松竹映配●最初に観た場所:早稲田松竹(23-10-06)(評価:★★★☆)●併映:「ロング・グッドバイ」「イメージズ」(ロバート・アルトマン)

「イメージズ」p.jpg「イメージズ(ロバート・アルトマンのイメージズ)」●原題: IMAGES●制作年:1972年●制作国:イギリス・アイルランド・アメリカ●監督・脚本:ロバート「イメージズ」03.jpg・アルトマン●製作:トミー・トンプソン●脚本:ギリアン・フリーマン●撮影:ビルモス・ジグモンド●音楽:ジョン・ウィリアムズ /ツトム・ヤマシタ●原作:スザンナ・ヨーク●時間:101分●出演:スザンナ・ヨーク/ルネ・オーベルジョノワ/マルセル・ボズフィ/ヒュー・ミレース/キャスリン・ハリソン●日本公開:2023/05●配給:コピアポア・フィルム●最初に観た場所:早稲田松竹(レイトショー)(23-10-06)(評価:★★★☆)●併映:「ロング・グッドバイ」「雨にぬれた舗道」(ロバート・アルトマン)

「●ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3190】 ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー 「ローラ
「●「ベルリン国際映画祭 銀熊賞(女優賞)」受賞作」の インデックッスへ(ハンナ・シグラ)「●さ行の外国映画の監督①」の インデックッスへ「●ミシェル・ルグラン音楽作品」の インデックッスへ(「真夜中の向こう側」)「●スーザン・サランドン 出演作品」の インデックッスへ(「真夜中の向こう側」) 「○外国映画 【制作年順】」のインデックッスへ

傑作だが、ラストははっきりした方がよかった「マリア・ブラウンの結婚」。

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マリア・ブラウンの結婚 [DVD]」ハンナ・シグラ
「マリア・ブラウンの結婚」p.jpg「マリア・ブラウンの結婚」11.jpg 1943年第二次世界大戦後期、混乱するベルリンでマリア(ハンナ・シグラ)とヘルマン(クラウス・レーヴィッチ))は爆撃下の戸籍登記所で略式の結婚式を上げた。しかし半日と一夜を共に過ごした後、ヘルマンは戦場へと向かってしまう。戦争が終わってもヘルマンは還ってこなかったがマリアは夫の生存を信じて尋ね人のプラカードを背負って駅に通う。闇市で物資を調達するだけでは足りず、マリアはアメリ「マリア・ブラウンの結婚」1.jpgカ占領軍のGIバーにホステスの職を得る。親友ベティ(エリザベト・トリッセナー)の夫ウィリー(ゴットフリート・ヨーン)は無事に戻ってくるが、ヘルマンは戦死したと告げられる。マリアは黒人兵ビル(ジョージ・バード)の愛を受け入れ妊娠する。ある日彼女のベッドに二人がいるところに、死んだと思われていたヘルマンが帰還してくる。ビルに立ち向かうヘルマンの姿を見て、マリアは放心状態のまま酒瓶でビルを殴り殺してしまう。米軍兵士殺害の罪でマリアの尋問が行われ、ヘルマンが彼女の罪を被っ「マリア・ブラウンの結婚」2.jpgてビル殺害を自白して投獄される。マリアは牢獄を訪れ、夫の出所を待ち、生活の基盤を準備するために働くことを誓う。子供は堕胎した。マリアは列車の中で繊維業者のオズワルト(イヴァン・デニ)と知り合い、英語を武器に秘書兼愛人として戦後復興の中を成り上がっていく。マリアはオズワルトとの関係も夫に報告する。しかしヘルマンのことを知らないオズワルトは、週末ごとに姿を消すマリアの行く先を突き止め、ヘルマンの存在を知る。そして彼らはマリアを巡ってある「マリア・ブラウンの結婚」4.jpg契約を交わす。突然ヘルマンの出所が決まり慌てるマリアだったが、夫は彼女の前には現れずに行方をくらませる。そして心臓に疾患を持っていたオズワルトもある日急死してしまう。一軒家を買い孤独に暮らすマリアの元へ夫が急に還ってくる。これでようやく二人の結婚生活が再開できると思われたその日、オズワルトの遺言が開封され、オズワルトとヘルマンは合意の上でマリアを共有していた事が明かされる。1954年ドイツは再軍備し、サッカーのワールドカップで世界チャンピオンになった日にマリアの結婚生活は、事故とも故意ともつかぬガス爆発で幕を閉じる―。

「マリア・ブラウンの結婚」3図1.jpg ライナー・ベルナー・ファスビンダー(1945-1982/37歳没)監督の1979年作で、1981年の「ローラ」、1982年の「ベロニカ・フォスのあこがれ」の3本でファスビンダーの「西ドイツ三部作」とも呼ばれ、その最初に当たる本作で、マリア・ブラウンを演じたハンナ・シグラが1979年・第29回「ベルリン国際映画祭」で「銀熊賞(女優賞)を受賞しています。

 最初に観た時は、ラストがマリアが事故死したような感じの終わり方で、かなり突然の展開に思え、衝撃とあっけ無さのようなものを覚えましたが、マリアはオズワルトとヘルマンが合意の上で自分を共有していたこと知り、愕然として自殺したとの解釈があるとのことで納得しました。

「マリア・ブラウンの結婚」3.jpg さらに言うと、マリアの元の夫が東ドイツ、新しい夫が当時のECやアメリカを象徴しているとの見方もあるのようで、そう言えば星条旗が背景に出てくる場面がありました。ハンナ・シグラの美しさばかりに目を奪われていたのかそこまで気がつかなかったですが、この映画がアメリカでも商業的に成功し、初めて100万ドル以上売り上げたドイツ映画となったという背景には、当時の彼女の美しさも貢献していたと思われます(当時35歳だった彼女も、フランソワ・オゾン監督の「すべてうまくいきますように」('21年/フランス・ベルギー)で見るとすっかり年季が入っていたが、77歳でまだ活躍していること自体が喜ばしい)。

「ライナー・ベルナー・ファスビンダー傑作選」.jpg「マリア・ブラウンの結婚」8「.jpg マリアは自殺だったのか不慮の事故死だったのか結末は気になるので、昨年['23年]実施された「ライナー・ベルナー・ファスビンダー傑作選」上映会で何十年ぶりかで観てみると、やっぱり偶然の事故死に見える(笑)。ファスビンダーの原案はマリアは「自殺」だったようですが(最初の脚本ではマリアは夫ヘルマンと一緒にドライヴに出て、ハンドルを恣意的に切って崖から落ちて自殺することになっていた)、マリアを演じたハンナ・シグラが、マリアはそんなことで自殺するような弱い女性ではないと反論したため、事故とも自殺ともとれる結末になったようです。

 そうした表現をとることによって作品に深みが出ることもありますが、この作品については、ファスビンダーの原案通り「自殺」と判るようにした方が良かったようにも思われ、しかしながら、どちらともとれるからこそ、長い間自分の中で印象に残ったというか、引っ掛かっていたのかもしれません(ファスビンダーの最高傑作の部類であるには違いない。個人的評価は初見も今回も★★★★。自殺と判るようにしていれば、初見の時の評価は星5つだったかも)。

「真夜中の向こう側」
「真夜中の向こう側」002.jpg「真夜中の向こう側」001.jpg 最初に池袋・文芸座で観た際の併映がチャールズ・ジャロット監督の「真夜中の向こう側」('77年/米)であり(原作は、シドニー・シェルダンが1973年に発表した『真夜中は別の顔』)、おそらく戦争にその運命を翻弄された女性を描いたという共通項での併映かと思われます。

 ただし、「真夜中の向こう側」(ビデオ化された際に原作と同じ「真夜中は別の顔」のタイトルになった)はストーリーが波乱万丈すぎて、ハーレクイン・ロマンスの"暗黒版"のような感じで、結末も過度の復讐心を戒めた勧善懲悪で判りやすいものでした(こちらは判りやすすぎ! つまりは"通俗")。当時、原作の版元の「アカデミー出版」というところが"超訳シリーズ"として大々的に新聞広告を出していてずっと気になっていたのですが、これなら映画だけで十分かという感じでした(当時の個人的評価は★★☆。配役はいいし、音楽はミッシェル・ルグランので、観直したら星半分くらい上乗せするかも。でも、その機会が無い)。

マリア・ブラウンの結婚 DVD
「マリア・ブラウンの結婚」1979.jpg「マリア・ブラウンの結婚」ハンナ・シグラ2.jpg「マリア・ブラウンの結婚」●原題:DIE EHE DER MARIA BRAUN (英:THE MARRIGE OF MARIA BRAUN)●制作年:1979年●制作国:西ドイツ●監督・原案:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー●脚本:ペーター・メルテスハイマ―/ペア・フレーリッヒ●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:ペール・ラーベン●時間:120分●出演:ハンナ・シグラ/クラウス・レーヴィッチ/「マリア・ブラウンの結婚(字幕版)」.jpgイヴァン・デニ/エリザベト・トリッセナー/ ゴットフリート・ヨーン/ジョージ・バード/ギゼラ・ウーレン/クラウス・ホルム●日本公開:1980/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:池袋・文芸座(80-06-29)●2回目:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(23-08-02)(評価:★★★★)●併映(1回目):「真夜中の向こう側」(チャールズ・ジャロット)●同日上映(2回目):「不安は魂を食いつくす」(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)

マリア・ブラウンの結婚(字幕版)」[Prime Video]
  

真夜中は別の顔 [DVD]
「真夜中は別の顔」.jpg「真夜中の向こう側」1977.jpg「真夜中の向こう側(真夜中は別の顔)」●原題:THE OTHERSIDE OF MIDNIGHT●制作年:1977年●制作国:アメリカ●監督:チャールズ・ジャロット●脚本:ハーマン・ローチャー/ダニエル・タラダッシュ●撮影:フレッド・コーネカンプ●音楽:ミシェル・ルグラン●原作:シドニー・シェルダン「真夜中は別の顔」●時間:165分●出演:マリー=フランス・ピジェ/ジョン・ベック/スーザン・サランドン/ラフ・バローネ/クルー「真夜中の向こう側」ぴじぇ・さらんどん.jpg・ギャラガー/クリスチャン・マルカン/マイケル・ラーナー/ソレル・ブーク/アンソニー・ポンジニ/ルイス・ゾリック/チャールズ・シオッフィ●日本公開:1978/03●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:池袋・文芸座(80-06-29)(評価:★★☆)●併映:「マリア・ブラウンの結婚」(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)
「真夜中は別の顔」v.jpg

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愛に起因する苦悩や残酷さと人種差別批判のダイレクトなメッセージを併せ持つ。

『不安は魂を食いつくす』000.jpg
不安は魂を食いつくす【DVD】
(不安と魂)01.jpg 掃除婦として働きながら一人暮らしをしている60代のドイツ人女性エミ(ブリギッテ・ミラ)は、雨宿りに入ったアラブ系のバーで20歳以上も年下のモロッコ人の自動車工アリ(エル・ヘディ・ベン・サレム)と出会う。ダンスをし、話をして意気(不安と魂)02.jpg投合した二人は一緒に暮らし始め、結婚する。外国人に対する偏見が強いその町で、アラブ人の外国人労働者と一緒にいることで、隣人、同僚、家族をはじ(不安と魂)03.jpgめ、行く先々の人々から差別と偏見に満ちた扱いを受ける。エミはアリを守り、アリはそうした人種差別者に対して寛容にふるまい、二人は幸せに暮らしていたが、ある日エミがアリの自尊心を傷つけるようなことをしたため、アリは家を出る。アリを求めてエミは二人が出会ったバーに行き、最初に踊ったダンスの曲をかける。二人はまたダンスを踊り始めるが、突然アリが腹痛で倒れ、病院に運ばれる。医師から、日常的な差別によるストレスからくる胃潰瘍であることを告げられたエミは横たわるアリに静かに寄り添う―。

 ニュー・ジャーマン・シネマを牽引したライナー・ベルナー・ファスビンダー(1945-1982/37歳没)監督の1974年作で、1955年製作のダグラス・サーク監督作「天はすべて許し給う」の物語を下敷きに、愛に起因する苦悩や残酷さを描いたドラマ。昨年['23年]全国的に実施された「ライナー・ベルナー・ファスビンダー傑作選」上映会での上映が日本初の劇場公開でした(この時、「天はすべて許し給う」も上映されている)。

(不安と魂)04.jpg 第27回カンヌ国際映画祭で「国際批評家連盟賞」「エキュメニカル審査員賞」を受賞しています。今から半世紀前ににこうした人種的偏見を批判するダイレクトなメッセージを持った映画を撮っていることもスゴイですが、それでちゃんと愛とそれに起因する苦悩の物語に仕上げているのはファスビンダーらしく、そのため押しつけがましい印象がないのがいいです(近年では、同じくゲイであることを公表しているフランソワ・オゾンジ監督の作品などがこの系譜ではないか)。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(左端)

(不安と魂)05.jpg 余談になりますが、モロッコ人移民アリを演じたエル・ヘディ・ベン・サレムは、当時のファスビンダーの同性愛パートナーです。モロッコ出身の彼をパリのゲイ向けサウナで見つけたファスビンダーは一目惚れしてミュンヘンへと連れ帰り、俳優でもなく、ドイツ語も話せない黒人男性を初めて自らの映画の主役級の役柄で出演させたのが本作です。

(不安と魂)06.jpg しかし、そのサレムには酒乱癖があり、本作完成後に酒場で酔って暴れ、3人の男性を次々に刺して指名手配され、逮捕を恐れファスビンダーに無断でフランスへと逃亡、結局フランス当局に逮捕され独房で自殺しています。後に彼の最期を知ったファスビンダーは強い衝撃を受け、遺作「ケレル」をサレムに捧げています。

 因みに、ファスビンダーはサレムに去られた1974年以降は、"ドイツの秋"の語源となった共作映画「秋のドイツ」(1978年公開)のファスビンダーの担当パートに出演したアルミン・マイアーと恋愛関係にありましたが、この新たな恋人のマイヤーも大量の睡眠薬を飲んで1978年5月に自殺しています。

(不安と魂)00.jpg 何だか、映画よりもファスビンダーに纏わる裏話の方がスゴそうですが、この話にはまだ続きがあり、かけがえのない友人でありパートナーを相次いで失ったショックから、ファスビンダーは徐々に麻薬へと手を染めていくようになり、1982年、コカインの過剰摂取により37歳で死去しています。それまでの16年間で44本の映画、14本の戯曲、6本の脚色戯曲、4本のラジオドラマを発表しており、もしもっと生きていたら何本映画を撮っただろうかとも考えてしまいますが、むしろ当時はオーバーワークが常態化していて、そのまま続けていてもどこかで限界にぶつかっていたようにも思います。

 作品の方に戻ると、多作にもかかわらす、この作品もカット割りとか構図などはしっかり計算されていて、さすが「マリア・ブラウンの結婚」と並ぶファスビンダー美学の極致と言われる作品だけあるなあと思いました。ただ、ややメロドラマ的なところが、個人的には好みに合わなかったとまではいかないですが、キレを欠いたようにも思えました。

「不安は魂を食いつくす((不安と魂))」●原題:ANGST ESSEN SEELE AUF●制作年:1974年●制作国:西ドイツ●監督・製作・脚本・音楽:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー●撮影:ユルゲン・ユルゲス●時間:95分●出演:ブリギッテ・ミラ/エル・ヘディ・ベン・サレム/バーバラ・ヴァレンティン/イルム・ヘルマン●日本公開:2023/07●配給:マーメイドフィルム=コピアポア・フィルム●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(23-08-02)(評価:★★★☆)●同日上映:「マリア・ブラウンの結婚」(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)

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凄まじい話ではあるが、どこまでが小説でどこまでが創作なのか気になった「死の棘」。

「死の棘 (1990年)」2.jpg「死の棘」02.jpg
死の棘」[Prime Video](1990年)松坂慶子/岸部一徳 「カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ」受賞作
「眠る男」000.jpg
眠る男」[Prime Video](1996年)役所広司/クリスティン・ハキム/アン・ソンギ
「埋もれ木」00.jpg
埋もれ木」[Prime Video](2005年)夏蓮/松川リン/榎木麻衣

「死の棘」03.jpg ミホ(松坂慶子)とトシオ(島尾敏雄)は結婚後10年の夫婦。第二次大戦末期の1944年、二人は奄美大島・加計呂麻島で出会った。トシオは海軍震洋特別攻撃隊の隊長として駐屯し、島の娘ミホと恋におちた。死を予告されている青年と出撃の時には自決して「死の棘」04.jpg共に死のうと決意していた娘との、それは神話のような恋だった。しかし、発動命令がおりたまま敗戦を迎え、死への出発は訪れなかったのだ。そして現在、二人の子供の両親となったミホとトシオの間に破綻がくる。トシオの浮気が発覚したのだった。ミホは次第に精神の激しい発作に見舞われる。トシオはその狂態の中に、かつてのあの死の危機を垣間見る。それは、あら「死の棘」05.jpgゆる意味での人間の危機だった。トシオはすべてを投げ出してミホに奉仕する。心を病むミホと二人の子を抱え、ある時は居を転じ、ある時は故郷の田舎に帰ろうと試み、様々な回復の手段を講じるトシオだったが、事態は好転せず、さらに浮気の相手・「死の棘」06.jpg邦子(木内みどり)の出現によって、心の病がくっきりし始めるのだった。トシオは二人の子をミホの故郷である南の島に送ってミホと共に精神科の病院に入り、付き添って共に同じ日々を送る。社会と隔絶した病院を住み家とすることで、やがて二人に緩やかな蘇りが訪れる―(「死の棘」)。

死の棘 カンヌ.jpg 第43 回カンヌ国際映画祭で「死の棘」が審査員特別賞を受賞した小栗康平監督(1990年05月21日) 【AFP時事】

『死の棘』 島尾敏雄 1960年10月初版』(芸術選奨)/『死の棘(1977年)』(読売文学賞・日本文学大賞)
『死の棘』 島尾敏雄 昭和35年10月初版.jpg『死の棘』単行本2.jpg 「死の棘」は小栗康平監督の'90年作で、1990年カンヌ国際映画祭「審査員グランプリ」受賞作。主演の松坂慶子、岸部一徳はそれぞれ、1990年度「キネマ旬報ベスト・テン」の主演女優賞・主演男優賞など多くの賞を受賞した作品です。島尾敏雄の原作は、'60(昭和35)年から'76(昭和51)年まで、「群像」「文学界」「新潮」などに短編の形で断続的に連載され、'77(昭和52)年に新潮社より全12章の長編小説として刊行(第1章「離脱」、第2章「死の棘」までを収録した'60年(昭和36)年刊の講談社版、 第3章「崖のふち」、第4章「日は日に」までを収録した'63(昭和38)年刊の角川文庫版も存在する)、1961年・第11回「芸術選奨」、1977年・第29回「読売文学賞」、1978年・第10回「日本文学大賞」を受賞しています。

『狂う人』.jpg 原作はスゴかったです。初めて読んだときは多分にドキュメントとして読んだため、ミホの狂気に圧倒されてしまいました。しかし、後に刊行された、ノンフィクション作家の梯久美子氏が膨大な資料・証言から真実を探った『狂うひと―死の棘の妻・島尾ミ三島由紀夫  2.jpgホ』('16年/新潮社)によると、原作には虚実がないまぜの部分があるようです(作者が妻にわざと自分の日記を読ませたとかは早くから言われていたが、妻が一部書き直したりして、夫婦合作的要素もあるらしい)。三島由紀夫が作者の作品について、「われわれはこれらの世にも怖ろしい作品群から、人間性を救ひ出したらよいのか、それとも芸術を救ひ出したらよいのか。私小説とはこのやうな絶望的な問ひかけを誘ひ出す厄介な存在であることを、これほど明らかに証明した作品はあるまい」と言っていますが、ある意味、こうした問題を予見していたようにもとれます(個人的にも評価し難い)。

 そうした「原作の問題」を置いておいて、映画だけで観ると、面白かったし、やはりスゴ木内みど.jpgかったです。トシオを演じた岸部一徳はこの作品で一皮むけたのではないかと思われます。松坂慶子も、突然「肺炎になってやる!」と叫び、胸をさらけ出しなど、体当たりの演技に挑戦していま「死の棘 木内.jpgす。トシオの浮気相手を演じた木内みどり(1950-2019)(「ゴンドラ」('97年)など)も、この作品が代表作ではないでしょうか。子役も上手く使っていて、その辺りはさすが「泥の河」('81年)の監督という感じです。ただ、ミホとトシオが今どういった状況に置かれているのか説明がやや足りず、この辺りの"説明不足"は「伽倻子のために」('84年)からすでに見られるこの監督の特徴でしょうか。


「眠る男」01.jpg 山あいの温泉町・一筋町。キヨジ(今福将雄)とフミ(野村昭子)の老夫婦の家には、山で事故に遭って以来、意識を失ったまま眠り続けている拓次(アン・ソンギ)という男がいた。フミは拓次を病院から引き取り、献身的な介護を続けている。拓次を毎日のように見舞うのは、知的障害を持つ青年・ワタル(小日向文世)だった。感受性豊かな彼は、事故に遭った拓次の第一発見者でもあり、人一倍彼のことを心配していた。水車小屋には傳次平(田村高廣)という老人がおり、自転車置き場と小さな食堂を経営するオモニ(八木昌子)に育てられている少年リュウ(太刀川寛明)は、傳次平から色々な話を聞くのを楽しみにしている。町では、南アジアの国からやってきた女たちがスナック「メナム」で働いていた。その一人であるティア(クリスティン・ハキム)は、故国の河でわが子を亡くした過去を持つ。ティアは町の人たちと接するうちに、次第に町の暮らしに馴染んでいった。拓次の幼友達である電気屋の上村は、最近になって、小さい頃、拓次とよく遊びに行った山の奥にある山家のことを思い出すようになった。そこに誰が住んでいて、それが本当にあったのかどうかも定かではなかったが、独り暮らしの老婆たけ(風見章子)から山家が本当にあったこと「眠る男」02.jpgを聞いた上村(役所広司)は、もう一度そこへ行ってみたくなった。冬が過ぎ、春が訪れ、やがて夏になり季節が巡ると、人々の生活にも少しずつ変化が見えた。寝たきりだった拓次はついに息を引きり、いんごう爺さん(瀬川哲也)の提案で"魂呼び"が試みられたが、それも空しい結果に終わった。しかしその後、神社で催された能芝居を観ていたティアが、森の中で死んだはずの拓次と再会する。不思議な体験をした彼女は、何かに導かれるように上村が探す山家へたどり着き、翌日、そこで上村と出会う。二人は、涸れていると言われていた井戸に水が涌きでていることを知る。上村はブロッケン現象の起こる山頂で、拓次に人間の命について問いかけるのだった―(「眠る男」)。

「眠る男」」0101.jpg 小栗康平監督の'96年作「眠る男」は、群馬県が人口200万人到達を記念して、地方自治体としては初めて製作した劇映画です。第20回モントリオール世界映画祭「審査員特別大賞」、第47回ベルリン映画祭「国際芸術映画連盟賞」を受賞。'96年度キネマ旬報ベストテン第3位で、小栗康平監督は2度目の監督賞を受賞しています。役所広司を主演に据え、韓国人、インドネシア人俳優の出演で国際色豊かな作品です(韓国の安聖基が演じる〈眠る男〉は主役ではなく映画のシンボルとして存在している)。ただ、こちらもいよいよもって説明不足で、登場人物の個の感情が前面に押し出されてはいますが、結局、実際のところは本人にしかわからないという印象を受けました。したがって、正直〈眠る男〉が何の象徴なのかもよく分かりませんでした。


「埋もれ木」3.jpg 山に近い小さな町。まち(夏蓮)ら三人の女子高生たちは、短い物語を作り、それをリレーして遊ぶことを思いつく。さっそく、町のペット屋がらくだを仕入れた、というエピソードをはじまりに、無邪気な夢物語が紡がれていく。次々と紡がれる物語は未来へと向かう夢なのか。一方、大人たちも慎ましやかにそれぞれの日々をいき続けている。そんなある日、大雨の影響で地中から"埋もれ木"と呼ばれる古代の樹木林が姿を現した。やがて町の人々は、そこでカーニバルを開催することを思いつく―(「埋もれ木」)。

「埋もれ木」お1.jpg 「埋もれ木」は小栗康平監督の'05年作品で、撮影は'04年の梅雨から夏の三重県で行われ、前作「眠る男」と同じく地元タイアップ的な作品。第58回「カンヌ国際映画祭」で特別上映され、国内外で注目されたのよ、主演の女子高生三人(夏蓮、松川リン、榎木麻衣)を7000人の一般公募者の中から選出したことでも話題になった作品でした(そう言えば前作「眠る男」にも、ごく普通の女子高生たちが登場した)。物語は、起承転結がないような思わせぶりな小さいエピソードの積み重ねであり、それはそれでいいのですが、これもまた説明不足であるため、落としどころが何なのかよく分かりませんでした(したがって話題が先行した割にはヒットしなかった)。

 この監督は、真摯に自分の撮りたい作品を撮り続けているように見える一方で、独りよがりとの批判を受けても仕方がない面もあるように思えます(コアなファンには受けるのだろうが)。また、「賞狙い」的な要素も感じられ、その極みが「FOUJITA」('15年)だったのではないかと思います(個人的評価★★☆)。「泥の河」(個人的評価★★★★☆)みたいな作品はもう撮らないのかなあ。

「死の棘 (1990年)」 (1).jpg「死の棘」●制作年:1990年●監督・脚本:小栗康平●撮影:安藤庄平●音楽:細川俊夫●原作:島尾敏雄●時間:115分●出演:松「死の棘」松坂岸部.gif坂慶子/岸部一徳/木内みどり/松村武典/近森有莉/山内明/中村美代子/平田満/浜村純/小林トシ江/嵐圭史/白川和子/安藤一夫/吉宮君子/野村昭子●公開:1990/04●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-09-12)(評価:★★★☆)
松坂慶子(ミホ) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、キネマ旬報主演女優賞、毎日映画コンクール主演女優賞、ブルーリボン賞主演女優賞、報知映画賞最優秀主演女優賞、日刊スポーツ映画大賞主演女優賞、山路ふみ子女優賞
岸部一徳(トシオ)日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、キネマ旬報賞主演男優賞、全国映連主演男優賞

「眠る男 (1996年)」.jpg「眠る男」●制作年:1996年●監督:小栗康「眠る男」010.jpg平●製作:小寺弘之●脚本:小栗康平/剣持潔●撮影:丸池納●音楽:細川俊夫●時間:103分●出演:役所広司/クリスティン・ハキム/安聖基 (アン・ソンギ)/左時枝/野村昭子/田村高廣/今福将雄/八木昌子/小日向文世/瀬川哲也/渡辺哲/岸部一徳/蟹江敬三/平田満/真田麻垂美/太刀川寛明/小林トシ江/中島ひろ子/藤真利子/高田敏江/浜村純/風見章子●公開:1996/02●配給:SPACE●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-03)(評価:★★★)

「埋もれ木」011.jpg「埋もれ木 (2005年)」.jpg「埋もれ木」●制作年:2005年●監督:小栗康平●製作:小栗康平/佐藤イサク/砂岡不二夫●脚本:小栗康平/佐々木伯●撮影:寺沼範雄●時間:93分●出演:夏蓮/松川リン/榎木麻衣/浅野忠信/坂田明/岸部一徳/坂本スミ子/田中裕子/平田満/左時枝/塩見三省/小林トシ江/草薙幸二郎/久保酎吉/湯川篤毅/代田勝久/松坂慶子(油状出演)●公開:2005/06●配給:ファントム・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-10-17)(評価:★★★)


『死の棘』文庫.jpg『死の棘』...【1981年文庫化[新潮文庫]】

《読書MEMO》
「死の棘」より(抜粋)
●『あなたの気持ちはどこにあるのかしら。どうなさるおつもり?あたしはあなたに不必要なんでしょ。
だってそうじゃないの。10年ものあいだ、そのように扱ってきたんじゃないの。
あたしはもうがまんはしませんよ。もうなんと言われてもできません。爆発しちゃったの。
もうからだがもちません。見てごらんなさい、こんなに骸骨のように痩せてしまって』

●『あなた、あたしがすきだったの、どうだったの、はっきり教えてちょうだい・・・・じゃ、
どうしてあなたはあんなことをしたんでしょう。ほんとにすきならあんなことするはずがない。
あなた、ごまかさなくていいのよ。きらいなんでしょ。きらいならきらいだと言ってくださいな。
きらいだっていいんですよ。それはあなたの自由ですもの。きらいにきまってるわ。
あなたはほんとのことを、あたしに言ってちょうだいな。このことだけじゃないんでしょう。
もっとあるんでしょ。いったいなんにんの女と交渉があったの?』

●「妻は私の肝をつつき、その非をついばむことに容赦しないが、私からもぎ取られてしまえば彼女は
生きて行くことができないことに気づいた私は、彼女を手放すことはできない。
はっきりどれか一つをえらび、そして家の中に閉じこもったとき、私は家の外をみきわめないままに放棄された。
だから外の方はがらんどうの暗黒となって残り、そちらからいざないと審きがかさねてやってきて
いつ襲いかかられるかわからない。」

●「自分の身のまわりに起こる事件が、最悪の状態にころがって行くことは、むしろ、ひりひりした正確さがあっていい、
とほんのしばらくそう思った。」

●「妻がふとんをかぶって紐で首を絞めると、私はそうさせまいとしたあげく、ふたりはくんづほぐれつ取っ組み合いになった。
一方が出て行けとどなっても、相手が出て行こうとするとそれを止めにかかり、どこまで落ちて行くのが見当がつかない。
・・・・・『オトウシャン、ジサツ、シュルノ?』・・・すさまじい荒れた気配が家のなかいっぱいで、
障子もふすまもぶつかって手を突っ込むからさんばらに破れ、ちゃぶ台に使っていた応接台も私がからだごとぶつけたとき、
台が抜けてこわれた。二時ごろだったろうか。どちらからともなく疲れて中休みのかたちになった。」

●「頬の肉こそ落ちたが、丸顔で広い顔の造作のせいか、眠りのなかのその顔のときの疑いを知らぬひたむきなそれが
あらわれてきて、今にもかたりかけてきそうな錯覚を覚えた。
・・・・・眠りのため妻の意識は潜んでいるから、反応を受けずに娘のときそうしたように唇をそっとかさねることもできた。
すると深夜に部隊を抜け出し、岬の峠を越えてたどりついた部落奥の、家の縁側で眠っていた彼女に唇を合わせたときの
感触がよみがえった。
なんだか犬ころに近づくときめきのなかで、小鳥のやわらかな頭を両手で抱き取っている感じがし、
彼女のにおいは、すべて起らぬ前のやさしい状態につれもどしてくれたかと思えた。」

●「『力が弱い。もういっぺん』
と妻がいえば、さからえず、おおげさな身ぶりで、もう一度平手打ちをした。女はさげすんだ目つきで私を見ていた。
『そんなことぐらいじゃ。あたしのキチガイがなおるものか』」

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在日朝鮮人を主人公とする困難な素材への取り組みは評価されるべき。ただ、やや説明不足か。

「伽耶子のために」dvd.jpg 「伽耶子のために」00.jpg
伽耶子のために」[Prime Video]南果歩

「伽倻子のために」夜.jpg 1958年の夏の終わり、大学生だった林相俊(イム・サンジュン)(呉昇一(オ・スンイル))は、北海道の森駅に降り立った。父の親友のジョン・スンチュン(通名・松本秋男)(浜村純)を訪ねるためである。樺太(サハリン)から引き揚げて十年ぶりの再会であった。松本はトシ(園佳也子)という日本人の女性を妻にして、縁日で玩具を売って生計を立てる貧しい暮らしをしていた。そこには、伽倻子(かやこ)(南果歩)という高校生の少女がいた。相俊は樺太での記憶をたどるが、その少女は知らなかった。伽倻子は本名を美和子といい、敗戦の混乱期に日本人の両親に棄てられた少女だ。日本人が棄て、朝鮮人の秋男が拾った少女は、伽倻琴(カヤグム)という朝鮮の琴の名をとって伽倻子と名づけられていた。相俊は解放(日本の敗戦)後、父の林奎洙(イム・キュス)(加藤武)、母の呉辛春(ク・シンチュン)(左時枝)、兄の林日俊(イム・イルジュン)(川谷拓三)らと日本に留まったが、渡日した一世世代と違い、自分が朝鮮人であることを自負するためには、さまざまな屈折を重ねなければならなかった。奎洙はそんな子供たちに絶えず苛立ち、怒鳴り散らすのだった。貧しい東京の下宿生活の中で相俊は、在日朝鮮人二世の存在矛盾と格闘しながら、伽倻子を思い出していた。翌年、早春の北海道で二人は互いに心を通わせた。その秋、突然伽倻子は家を出た。貧しさを嘆く義父、朝鮮人と一緒になったことを悔いる義母、そんな人工的な家庭の中で、伽倻子の混乱は深まる一方だった。ようやく探し当てた道東の小さな町で、相俊は伽倻子に言う。「戦争があちこち引きずりまわしてくれたおかげで、僕たちは出会えた」。そしてその夜、二人は結ばれる。東京での二人の夢のような生活が始まった―。
伽倻子のために』['70年]『伽倻子のために (新潮文庫 り 1-1)』['75年]
「伽倻子のために」単行本.jpg「伽倻子のために」文庫.jpg 原作は、李恢成の同名小説で、因みに李恢成は樺太生まれで、1945年の敗戦後、家族で日本人引揚者とともに樺太より脱出、長崎県大村市の収容所まで行き、朝鮮への帰還を図ったが果たせず、札幌市に住み(このとき、樺太に姉を残留させたことが、その後の作品内でもトラウマとして残っていたことが語られている)、札幌西高等学校から、早稲田大学第一文学部露文科に進学。早稲田大学時代は留学生運動の中で活動していたとのこと(したがって、この作品にも自伝的要素が反映されていることになる)。「泥の河」でデビューした小栗康平監督が、この在日朝鮮人を主人公とする困難な素材に取り組み、3年の歳月をかけて完成させた作品(日本人初のジョルジュ・サドゥール賞(仏)を受賞した作品とのこと)。劇団ひまわりの初の自主製作映画で、手作りの上映でとの監督と製作者からの要望を受けて、1984年11月、エキプ・ド・シネマ(高野悦子支配人)が岩波ホールで上映しました。

 戦後と朝鮮人と日本人と二世。そうしたモチーフに男女の物語を重ねています。結局、主人公の二人は若すぎたということなのでしょう(原作者の実体験?)。伽倻子の義父母に、社会人になり生活力が持てるまで伽倻子を返してくれと言われれば、相俊(サンジュン)は返す言葉もないということになります。それから十年の歳月が過ぎ、相俊が北海道に松本を訪ねたら、トシは悔恨のうちに死んだといい、伽倻子は他の男と結婚したという。松本の老いた姿を、相俊はただ見つめるしかなかったわけです(「知らん。ワシはお前が誰か知らん」と言うのは、わざと相俊を無視している?)。

「伽倻子のために」列車.jpg 打ちひしがれて帰ろうとする相俊は偶然、伽倻子の実家の近くで遊ぶ「伽耶子」という名前の少女に出会いますが、少女の名前が原作では「美和子」でした(映画のラストにあたるこの部分は、原作ではこの少女との出会いがプロローグとエピローグに分かれて出てきて、プロローグの後、1956年に相俊が北海道S市の実家に帰省した際に、父の用事で函館に近いR町を訪ね、そこでクナボジ(おじさん=松本)とその家族、つまり伽耶子と初めて会うところから第一章が始まる)。原作及び映画のラストに出てくる少女が伽倻子の娘であるとして、自分の娘につけた名前が「伽倻子」か「美和子」かで若干メッセージが変わってくると思いますが、自分の娘に自分の名前をつけたという映画の解釈もありかもしれません(「かつての自分の名前」ということか。でも、「伽倻子」の幼名は「美和子」なのでややこしい。最後に出てくる少女が伽倻子の娘であることをわかりやすくするために「伽倻子」という名にしたとも考えられる)。

 日本人として生まれて捨てられて、育ての父が在日コリアンで、育ての母が日本人である伽倻子が日本人と結婚するには、「美和子」として稼ぐしかなかったということでしょうか。確かに、在日コリアンの伽倻子の父も日本人の母も、娘を在日コリアンと結婚させたくなかったというのは原作でも明かされています。一方で、原作の通り少女の名が美和子だとしたら、伽倻子は「伽倻子」のなのまま日本人に稼ぎ、娘に幼名を与えたことになります。分かりやすそうに見えて、原作を一捻りしていることになりますが、原作・映画のどちらの解釈にしても、伽倻子はよその土地へ行ったのではなく、両親の家の近くにいることになるかと思います(映画ではそのことが示唆されているだけだが、原作では、伽倻子は毎日義父の家に身の回りの世話のため通っているとされている)。

 映画は、もう少し説明的であってもよかったのではないかと思います。原作を読んで、初めて知った歴史的事件(数万人の島民が虐殺された1948年の済州島人民蜂起など)や説話的な話(沈清の伝説など)もありました。映画の方はその辺りを端折っているし、原作を読んでいない人は、最初は人物相関を把握するのも難しいかもしれません。そもそも原作も、「美しい抒情と哀しいユーモアをもたたえる」(新潮文庫裏表紙解説)一方で、伽倻子が抱える秘密などのミステリアスな要素を含んでます。

「伽倻子のために」eki.jpg 映画の方は、原作が文芸作品ということを意識して抒情性を重視し、説明的になることを敢えて避けたのでしょうか。確かに、北海道の美しくも冷え切った、そして寂しげな風景は、登場事物の心象風景にも重なるようで、印象に残りました。ただ、原作者もこの作品を観て、これはあくまでも「小栗康平監督の『伽倻子のために』」だとの感想を述べたようですし、個人的にも、原作とは違い世界を見せられているうような印象を受けなくもありませんでした。


[伽耶子のために 発表会.jpg 伽倻子役の南果歩(1964年生まれ)は、桐朋学園短大演劇科在学中に「伽倻子のために」のヒロイン役オーディションに応募して2,200人の中から選ばれ、この作品が彼女のデビュー作となりましたが、小栗康平監督はオーディションで彼女を見て[伽耶子のために 南果歩.jpg「まだ高校生で素人だったが、在日朝鮮人夫婦に育てられる日本人少女伽椰子の設定にふさわしい雰囲気をもっていた。多分在日コリアンだろうと直感した」と後に語っています。

[左から]原作者・李恢成/小栗康平監督/南果歩[19歳]/呉昇一(オ・スンイル)/園佳也子/浜村純

 南果歩は、2007年放送のNHKの「スタジオパークからこんにちは」内で自身が在日3世であることを[ 南果歩.jpg告白、2012年NHKの「ファミリーヒストリー」に彼女が出演した際の話では、撮影当時、彼女は韓国籍から帰化した直後で、自分の出自について大きな過渡期に立っていたといい、「伽椰子のために」への出演はそれからの生き方を決定した瞬間だったといいます。この番組では、彼女のルーツは中国に1300年の歴史を持つ一族であったことが明かされています(前述のように、物語の設定では「伽倻子」は本名「美和子」という日本人なのだが)。南果歩はその後、乳がんの発見、夫・渡辺謙の不倫によるうつ病、二度目の離婚(最初は辻仁成と)といろいろありましたが、今は「乙女オバさん」をキャッチフレーズ(?)にして元気そうで何よりです。

「伽倻子のために」お.jpg 主人公・相俊を演じた呉昇一(オ・スンイル)は俳優ではなく在日韓国人の彫刻家で、現在はニューヨークで活動中。冒頭の列車内で主人公に語りかける男を演じる殿山泰司も味がありましたが、夜中に地中の音を聞いて回っている男(下水道局の人?)の蟹江敬三が不気味さとユーモラスな奇妙さを併せ持ち、何だか印象に残りました。
  
南果歩2.jpg「伽倻子のために」●制作年:1984年●監督:小栗康平●製作:砂岡不二夫●脚本:太田省吾/小栗康平●撮影:安藤庄平●音楽:毛利蔵人●原作:李恢成●時間:117分●出演:呉昇一(オ・スンイル)/南果歩/浜村純/園佳也子/加藤武/左時枝/川[伽耶子のために 南果歩3.jpg谷拓三/金福順/趙命善/白川和子/洪多美/ペイ平舜/姜優子/小林トシ江/吉宮君子/呉恵美子/殿山泰司/古尾谷雅人/蟹江敬三/田村高廣●公開:1984 /11●配給:劇団ひまわり.●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-08-29)(評価:★★★☆)

南果歩[1984年/20歳]

『伽倻子のために』...【1975年文庫化[新潮文庫]】
  
南果歩『乙女オバさん』(2022/02 小学館)表紙画像(撮影/野口貴司)[2021年/57歳]

李恢成 .jpg李恢成(り・かいせい、本名=イ・フェソン)
2025年1月5日、誤嚥性肺炎のため死去た。89歳。
ロシア・サハリン(旧樺太)生まれ。1947年、日本に引き揚げ、札幌市に定住した。早稲田大卒業後、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)系の朝鮮新報社を経て、69年に「またふたたびの道」で群像新人文学賞を受賞。72年には、亡き母との幼時の体験を基にした「砧をうつ女」で芥川賞を受けた。祖国が分断された民族の歴史を背景に、恋愛や、世代交代で薄れていく民族の自覚を描いた。中央アジアなどで同胞と交流し、海外に散ったコリアン全体の状況を作品に反映させた。

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桑野みゆきが娼婦に墜ちていく女、平幹二朗がヤクザのヒモ男を演じた異色作。

「夜の片鱗」1964.jpg「夜の片鱗」01.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション 夜の片鱗」平幹二朗/桑野みゆき/園井啓介

「夜の片鱗」03.jpg 野上芳江(桑野みゆき)は19歳。彼女はレコード会社の下請け工場で働く傍ら、夜は知り合いのマダム佳代(千石規子)から頼まれ、バーのホステスをしていた。北見英次(平幹二朗)は、芳江が働くバーのなじみ客だったが、二度、三度と会う瀬を重ねるうち急速に親しくなっていった。ある夜芳江は誘われるままにホテルにいき、英次に身体を許す。それからの芳江は次第に英次との情事に溺れ、両親に無断で英次とアパートで同棲するようになった。しかし、そんな頃から英次の態度が変り、たびたび芳江に金を無心するようになる。やがて英次は自らの正体を暴露した。英次はそこの盛り場を支配するヤクザだったのだ。英次は金のために芳江に売春を迫る。「夜の片鱗」04.jpg芳江はヤクザに対する恐怖と、行き場のない孤独から言われるままに客をとった。が、英次はさらに芳江に街に出て客をとることを強いる。さすがに耐えられなくなった芳江は、英次の手をふりきってアパートを逃げ出した。しかし数日後、芳江はその組のヤクザにつかまり残酷なリンチを受けた。事件後、芳江は放心したように夜毎街に出て客をとった。そんな客の一人に建築技師の藤井(園井啓介)がいた。藤井は熱心に芳江の元に通い、ある夜結婚を申し込む。そんな折も折、英次の組に縄張り争いが起り、英次は争いに巻き込まれ、下腹部にひどい打撲を受けて男としての機能を失った。それからというもの、芳江と英次との間には、穏やかな愛情が芽生えてきたが、事情を知らない藤井は芳江に駈け落ちを迫った―。

「夜の片鱗」p.jpg 1964(昭和39)年11月公開の中村登監督作で、室生犀星に認められてデビューした太田經子(おおた きょうこ1928-2008)の原作を、「古都」('63年/松竹)で中村登監督とコンビの権藤利英が脚色、撮影もコンビの成島東一郎です。この作品は2013年・第70回「ヴェネツィア国際映画祭」のクラシック部門に選出され、小津安二郎監督の「彼岸花」、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」とともに上映され、絶賛を浴びたとのこと。2014年・第64回「ベルリン国際映画祭」フォーラム部門でも上映され、ベルリンの地元紙ターゲスピーゲル紙では「生は暗く、死もまた暗い:心を描く名匠」と、マーラーの交響楽「大地の歌」の歌詞から引用した見出しを付けて絶賛されたそうです。

「夜の片鱗」図1.jpg 同じ中村登監督による前年作で川端康成原作・岩下志麻主演の「古都」('63年/松竹)などとはかなり雰囲気の異なる、どろっとした風俗ドラマ的作品(因みに原作者の太田經子は「小説宝石」などに官能小説を書いた人で(双葉社の「レディース文庫」などにその作品があった)で、中村登監督は良質なホームドラマの代名詞でもある"松竹大船調"の正統的な後継者として語られることが多いので、この作品は異色作と言えるかと思います。また、桑野みゆきが娼婦に墜ちていく女を、平幹二朗がヤクザのヒモ男を演じているという点でも異色作と言えるでしょう(東京オリンピックで世間が沸いた直後ぐらいの頃に、こんな重苦しい映画が公開されていたのかあ)。

 どうしようもないクズ男と知りつつ離れることができず、孤独という闇に取り憑かれ、底なしの沼に堕ちて行く女の複雑で繊細で狂おしいまでの情念を、桑野みゆきが圧倒的な心理描写で魅せてくれます。桑野みゆきが演じる芳江の激しく揺れ動く心を、巧みな色彩設計で映像として焼き付けてくる成島東一郎のカメラワークもいいです。

 結末のネタバレになりますが、結局、最後、無感動に慣れ切った芳江には、藤井の結婚の申し込みに応えることができず、ある日、彼女の下着や食事の後片付けを嬉々として担う平幹二郎演じる英次を見ていて心に狂おしい激情が走り、彼を刺します。虚脱して立ちつくす芳江の脳裏に、英次と過した盛り場の灯が懐かしく甦る―

 芳江が藤井の結婚の申し込みに応えることができないのは、いつかこんな暮らしから抜け出すと言っていた娼婦仲間のケイ子(広村芳子)が、ヤクザに追われ交通事故に見せかけて殺されたことから、藤井と一緒になっても逃げ切れず、藤井に迷惑をかけることになるだろうという思ったからでしょうか。英次との関係も含め、全てをリセットするために刑務所へ入るという選択になったのでしょう。オトシマエを付けたとも言え、無表情だった桑野みゆきの顔が夜叉のように変化する一瞬がすごいです。

 桑野みゆきは、大島渚監督の「青春残酷物語」('60年/松「暖春」022.jpg竹)に主演した年に、松本清張原作、中村登監督の「波の塔」('60年/松竹)や里見弴原作、小津安二郎監督の「秋日和」('60年/松竹)に〈お嬢さん〉的な役で出ていましたが、この映画の翌年公開の里見弴・小津安二郎原作、中村登監督の「暖春」('65年/松竹)でも、岩下志麻が演じる主人公の女友達を倍賞千恵子と一緒に演じていて、「夜の片鱗」とは180度異なる役柄でした(「松竹とハダが合わないんじゃないか」と悩み始め、1965年11月で松竹と契約が切れ、1967年に結婚して引退)。
「暖春」倍賞千恵子/桑野みゆき/岩下志麻

「夜の片鱗」
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 この映画では、芳江が自らの転落の歴史を語るモノローグが、芳江自身が×重苦しさを象徴していました。タイトルクレジットに「ナレーター・神山繁」とありましたが、ラストで芳江が法廷で証言しているときの弁護士の声でした(敢えて役柄を伏せた?)。

「夜の片鱗」09.jpg 来月['23年11月]、第14回「東京フィルメックス映画祭」の「生誕100年中村登」特集にて上映が決まっています。「王家衛の『花様年華』の先取り」とパンフレットにありますが、海外で評価されたことで、日本での再評価熱が高まっていることは確か。でも、「『花様年華』の先取り」はやや褒めすぎの感もあり、個人的評価は★★★☆としました(芳江のオトシマエの付け方に納得し切れていない自分がどこかにある)。

「夜の片鱗」0p.jpg「夜の片鱗」●英題: THE SHAPE OF NIGHT●制作年:1964年●監督:中村登●製作:島田昭彦●脚本:権藤利英●撮影:成島東一郎●音楽:日暮雅信●原作:太田經子●時間:106分●出演:桑野みゆき/平幹二朗/園井啓介/岩本多代/富永美沙子/広村芳子/松原浩二/田中晋二/千石規子/河野秋武/中村美代子/呉恵美子/吉野憲司/永井秀明/菅原文太/木村功/東京ぼん太/高丘一二三/逗子とんぼ/佐藤芳秀/(ナレーター)神山繁●公開:1964/11●配給:松竹●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-08-19)(評価:★★★☆)

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岩下志麻主演の2作。一人二役がいい「古都」。酔っ払いシーンが見ものの「暖春」。

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<あの頃映画> 古都 [DVD]
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「談春」
「古都」01.jpg 京都平安神宮の咲いたしだれ桜の下で、佐田千重子(岩下志麻)は幼な友達の水木真一(早川保)に突然「あたしは捨子どしたんえ」と言う。呉服問屋の一人娘として何不自由なく育ったが、自分は店の前の弁柄格子の下に捨てられていたのだと...。とは言え、親娘の愛は細やかだった。父の太吉郎(宮口精二)は名人気質の人で、ひとり嵯峨にこもって下絵に凝っていた。西陣の織屋の息子・大友秀男(長門裕之)は秘かに千重子を慕っており、見事な帯を織り上げて太吉郎を驚かした。ある日千重「古都」02.jpg子は、清滝川に沿って奥へ入った北山杉のある村を訪ねた。そして杉の丸太を磨いている女達の中に自分そっくりの顔を見い出す。夏が来た。祇園祭の谷山に賑う四条通を歩いていた千重子は北山杉の娘・苗子(岩下志麻、二役)に出会った。娘は「あんた姉さんや」と声をふるわせた。千重子と苗子は双子の姉妹だった。しかし父も母もすでにこの世にはいない、と告げると苗子は身分の違うことを思い雑踏に姿を消した。「古都」03.jpgその苗子を見た秀男が千重子と間違えて、帯を織らせてくれと頼む。一方自分の数奇な運命に沈む千重子は、四条大橋の上で真一に声をかけられ兄の竜助(吉田輝雄)を紹介された。8月の末、千重子は苗子を訪ねた。俄か「古都」05s.jpg雨の中で抱きあった二人の身体の中に姉妹の実感がひしひしと迫ってきた。秋が訪れる頃、秀男は千重子に約束した帯を苗子のもとに届け、時代祭の日に再会した苗子に結婚を申し込む。しかし、苗子は秀男が自分の中に千重子の面影を求めていることを知っていた。冬のある日、以前から千重子を愛していた竜助が太吉郎を訪ねて求婚し、翌日から経営の思わしくない店を手伝い始めた。その夜、苗子が泊りに来た。二階に並べた床の中で千重子は言う。「二人はどっちの幻でもあらしまへん、好きやったら結婚おしやす。私も結婚します」と―。

『古都』新潮文庫.jpg「古都」スチル.jpg 中村登(1913-1981/67歳没)監督の1963(昭和38)年公開作で、川端康成の同名小説を忠実に映画化した文芸ロマンス。原作は川端康成が「朝日新聞」に1961(昭和36)年10月から翌1962(昭和37年)年1月まで107回にわたって連載したもので、1962年6月新潮社刊。京都各地の名所や史蹟、年中行事が盛り込まれた作品で、国内より海外での評価が高く、ノーベル文学賞の授賞対象作とされる作品です。(1968(昭和43)年、川端康成は日本人として初めてノーベル文学賞を受賞する。しかしその当時、受賞対象の作品名は発表されず、50年間非公開となっていた。ようやく2016(平成28)年に受賞作品が公開され、スウェーデンアカデミーは、受賞対象は「古都」(The Old Capital)であり、「まさに傑作と呼ぶにふさわしい」と絶賛した。(2017.1.4 日本経済新聞))

「古都」川端康成.jpg「古都」二役.jpg 映画化に際し、原作者の川端康成が撮影現場に足を運び、指導監修を手掛けており、その結果、静謐で繊細、情緒的な川端の世界を忠実に再現した作品になっています。映画の方も四季折々の美しい風景や京都の伝統を背景に、当時21歳の岩下志麻が二人の姉妹の二役を好演し、彼女の一人二役は自然かつ美しいと思いました。原作(読んだのはかなり前だが)の良さを(おそらく)損なっておらず、中村登監督の職人的な技量が感じられます。この作品は第36回米国「アカデミー賞外国語映画賞」にノミネートされています(後に1980年に市川崑監督、山口百恵主演で、2016年には Yuki Saito監督、松雪泰子主演でリメイク作品が撮られている)。

「古都」vhs.png 実は双子の姉妹だった千重子と苗子の生い立ちを比べると、千重子は呉服問屋の一人娘として何不自由なく育てられたお嬢さんで、一方の苗子は早くから北山杉の木場(製材所)における労働力として勤しみ苦労してきたはずなのに、二人が出会ってからずっと苗子の方が千重子に対して何か済まないような気持ちは抱いているのは、最初は身分差を感じて苗子が自分を卑下しているのかなと思ったりしましたが(確かに最初自ら千重子に会わないようにしたのはそのためだったが)、根っこのところでは、実親に捨てられたのが千重子の方で、実親の元に残されたのが自分だったからということだったのだなあ。

「古都」06w.jpg しっかり者の苗子に対して、お嬢さん育ちでおっとり気味の千重子でしたが、竜助(吉田輝雄)に店の番頭(田中春男)が不正を働いているのではと指摘され、少し変化が見られます。そして最後はしっかり番頭を問い詰めますが、この時の岩下志麻はちょっと「極妻」っぽかった、と言うか、それに繋がる雰囲気があり(当時まだ22)、「お嬢さん」と「強い女」の両方を演じられるところが、岩下志麻の強みと言うか、魅力だと思いました(一人二役だが、三役演じているみたい)。


「暖春」p.jpg 京都東山南禅寺に小料理屋「小笹」を出す佐々木せい(森光子)には、24歳になる娘・千鶴(岩下志麻)がいた。せいは、日頃親しくする西陣の織元・梅垣のぼん(長門裕之)との縁談を望んでいたが、千鶴は何か吹っ切れぬものを感じていた。そんな時、かつてせいが祇園の舞妓だった頃、せいのファンであった山口信吉(山形勲)が小笹を訪れた。大学教授だという山口を、格好の脱出先とみた千鶴は、母親の愚知を無視して、山口に連れられ上京した。途中、千鶴を連れて箱根に立寄った山口は、千鶴の亡父らと京大三人組と呼ばれた実業家の緒方(有島一郎)を紹介した。そこで緒方の秘書・長谷川一郎(川崎敬三)に紹介された千鶴は、洗錬された長谷川に好感を持つ。その晩千鶴のお酌で、学生時代に返った二人は、せいが千鶴の父と結婚した時に、既にせいのお腹の中には千鶴がおり、三人の内の誰の子供か判らないと冗談まじりに話した。その話は千鶴に秘かな母への不審を抱かせた。上京した千鶴は、山口や緒方の家に泊り、銀座で長谷川と飲み明かし、ますます長谷川に魅かれていった。ある日、結婚して上京している親友・金子三枝子(桑野みゆき)を訪れた千鶴は、ちょうど遊びに来ていたOLでかつての級友・長嶋節子(倍賞千恵子)に会って懐しい一日を過した。二人が自分の生活の範囲で、楽しく暮らしているのを知った千鶴は急に長谷川に会いたくなり、電話をしたが、長谷川にはすでに同棲している恋人・京子(宗方奈美)がいることを知り、千鶴はすっかり失望した。また緒方の浮気を目撃した千鶴は、東京でのめまぐるしい生活から、京都が懐しく思い出された。せいの心臓病発作で急拠京都へ帰った千鶴は、梅垣のぼんが店をきりもりする姿に、急に親しみを感じた。その夜、ぼんと結婚を決意した千鶴は、せいから出生の秘密を確かめると、初めて母娘の情愛が交流するのを感じた。大安吉日、千鶴は美しい花嫁姿でせいの前に立った―。

「暖春」01.jpg 中村登監督の1965年作で、里見弴と小津安二郎の原作を中村登が脚色・監督した青春もの。撮影は「夜の片鱗」の成島東一郎。岩下志麻が、嫁入り前の娘の心の揺らぎを演じており、中村登版「秋刀魚の味」('62年/松竹)といったところでしょうか

 里見弴と小津安二郎の原作だと、後期の小津作品の「嫁に行く・行かない」と似たような話にどうしてもなってしまうのだなあ。ヒロイン・千鶴の父親とその友人たちも、小津映画が「東大三人組」ならばこちらは「京大三人組」で状況設定がよく似ています。「秋刀魚の味」は笠智衆・中村伸郎・北竜二がかつて中学の同級だったという設定でしたが、こちらはヒロインの父親はすでに亡くなっていて、後の二人は山形勲と有島一郎です。

 森光子演じる千鶴の母親は元・祇園の芸妓で、千鶴を妊娠した頃「三人組」のいずれとも行き来があったらしく、千鶴は自分の本当の父親は誰なのか知りたく思い、結構彼女としては思い切った行動に出たりしますが、最後は「誰だっていいじゃない」ということでした。

「暖春」022.jpg 当時24歳の岩下志麻がキュートに酔っ払ってるシーンは見もの。考えてみれば岩下志麻は銀座生まれの吉祥寺育ちで、東京っ子の彼女が、京言葉をこなしてお御転婆な京娘を演じているわけで、やはりこの頃から演技力がありました。

倍賞千恵子/桑野みゆき/岩下志麻
 
 
 

岩下志麻(呉服問屋丸太屋の一人娘・佐田千重子(北山杉の村娘・苗子と一人二役))/長門裕之(帯織職人の息子・大友秀男)
「古都」p.jpg「古都」岩下 長門.jpg「古都」●制作年:1963年●監督・脚色:中村登●製作:桑田良太郎●脚本:権藤利英●撮影:成島東一郎●音楽:武満徹●原作:川端康成●時間:106 分●出演:岩下志麻/宮口精二「古都」sb.jpg/中村芳子/吉田輝雄/柳永二郎/長門裕之/環三千世/東野英治郎/浪花千栄子/田中春男/千之赫子●公開:1963/01●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(23-06-27)(評価:★★★★)
「古都」スチル2.jpg「古都」岩下・宮口.jpg
岩下志麻/宮口精二(呉服問屋丸太屋の主人・佐田太吉郎)
長門裕之(西陣の織元・梅垣のぼん)  

シネマブルースタジオ 古都.jpg 

映画監督・中村登.jpg「暖春」●英題:SPRINGTIME●制作年:1965 年●監督・脚色:中村登●製作:佐々木孟●撮影:成島東一郎●音楽:山本直純●原作:里見弴/小津安二郎●時間:93分●出演:森光子/岩下志麻/山形勲/三宅邦子/太田博之/有島一郎/乙羽信子/早川保/桑野みゆき/倍賞千恵子/川崎敬三/宗方奈美/長門裕之/三ツ矢歌子/呉恵美子/岸洋子/志賀真津子●公開:1965 /12●配給:松竹●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-08-19)(評価:★★★)

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有馬稲子・津川雅彦2作。長編を上手く纏めた職人技の「波の塔」。日本初のゲイムービー(?)「惜春鳥」。
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<あの頃映画> 波の塔 [DVD]」有馬稲子/津川雅彦
惜春鳥 木下 1959.jpg 惜春鳥 木下 津川1.jpg 惜春鳥 木下 091.jpg
「惜春鳥」有馬稲子/津川雅彦/小坂一也

「波の塔」p.jpg 某省局長の娘・田沢輪香子(桑野みゆき)は、旅行先の上諏訪で一人「波の塔」桑野2.jpgの青年(津川雅彦)に知りあい、帰京して友人・佐々木和子(峯京子)と深大寺に出かけた時、美しい女性(有馬稲子)と同伴の彼に再会した。青年は小野木喬夫という東京地検の新任検事だった。連れの女性は結城頼子といい、小野木とは一昨年演舞場で知りあってから、逢瀬を重ねていた。小野木は頼子を「波の塔」13.jpg輪香子たちに紹介しなかった。輪香子は二人の間になにか暗い秘密の影を感じた。頼子の夫・結城庸雄(南原宏治)は政治ブローカーで、夫婦間は冷く、結城は家を空けることがしばしばだった。ある日、頼子と小野木は身延線の下部温泉へ旅行する。着くと間もなく台風に襲われ、帰りの中央線は不通、二人は東海道線に出るため山道を歩き、番小屋で一夜を明かす。そこで頼子は人妻であることを告白するが、喬夫の心は変らなかった。小野木は某官庁の汚職事件の担当になる。所用で新潟へ出張して帰京する小野木を頼子は駅で迎えた。それを結城の仲間・吉岡(佐野浅夫)が目撃し、結城に告げる。結城は妻の情事を察し、下部まで調べに出掛ける。一方、汚「波の塔」12.jpg職事件の捜査も着着と進んでいた。輪香子は頼子のことが気になり、家に出入りする新聞記者・辺見(石浜朗)に調査を頼む。頼子は汚職事件の中心人物・結城の妻で、自分の父(二本柳寛)も関係していると聞き呆然とする。結城は妾宅で検挙された。家宅捜査のため小野木は結城邸へ向う。そこで頼子と小野木は対面し、二人の心は驚きと悲しみで一杯になる。結城の弁護士・林(西村晃)は小野木と頼子の情事を調べ、司法界の長老を動かし事件の揉み消しにかかった。小野木は休職になった。彼は辞表を出し、頼子と二人だけの生活に入る決心をする。約束の夜、小野木は東京駅で待っていたが、その頃頼子は新宿発の列車に乗っていた―。
波の塔―長編小説 (カッパ・ノベルス (11-3))
『波の塔』ノベルズ.jpg「波の塔」vhs.jpg 中村登監督の1960年10月公開作。原作は、松本清張が週刊誌「女性自身」の1959年5月29日号から1960年6月15日号にかけて連載した長編小説で、1960年6月に光文社(カッパ・ノベルス)から刊行されています。政界推理小説でありながら、若い検事と被疑者の妻の恋愛物語であり、それに被疑者の夫の嫉妬も加わり、さらにそれらを検事に恋心を抱く若い女性の視点を取り入れて描いており、「ミステリ」的要素よりも「女性小説」的要素の方が濃くなっていて、ちゃんと読者ターゲットに合わせているというのが原作の印象です。そして、映画の方ですが、原作に忠実であり、長編を上手く纏めた職人技という感じです。

波の塔―長編小説.jpg 結城と離婚して自由の身になることも頼子には出来たわけですが、それは破滅に通じることも知っていて、小野木との約束を破ることが彼女の最後の愛の表現だったということでしょう。ラスト、富士の裾野、黒い樹海の中に吸いこまれるように入っていく頼子。今の若い世代から見れば、なぜこうならなければならないのかと思われるやや古風な結末ですが、そこが"昭和"なのでしょう。

 この松本清張の原作は、何度もテレビドラマ化されていますが、池内淳子、加賀まりこ、佐久間良子など錚々たる女優がこの頼子の役を演じています。直近では、2012年にテレビ朝日系で「松本清張没後20年特別企画 ドラマスペシャル 波の塔」として沢村一樹、羽田美智子主演で放映されましたが、それが8度目のドラマ化でした。90年代以降は単発2時間ドラマとして放映されていますが、それ以前に、60年代・70年代に連ドラとして4回ドラマ化されています。いかにも、かつての「昼メロ」枠でやりそうな感じですが、頼子役は女優がやってみたい役でもあるのかもしれません。

NHK「銀河テレビ小説」加賀まりこ版('73年)タイアップ帯

1961年版「波の塔」フジテレビ系列「スリラー劇場」1月9日 - 4月24日・全16回(主演:池内淳子・井上孝雄)
1964年版「波の塔」NETテレビ系列「ポーラ名作劇場」8月24日 - 11月2日・全13回(主演:村松英子・早川保)
1970年版「波の塔」TBS系列「花王 愛の劇場」8月31日 - 10月30日・全45回(主演:桜町弘子・明石勤)
1973年版「波の塔」NHK「銀河テレビ小説」4月2日 - 5月11日・全30回(主演:加賀まりこ浜畑賢吉・山口いづみ)
1983年版「松本清張シリーズ 波の塔」NHK「土曜ドラマ」10月15日 - 10月29日・全3回(主演:佐久間良子山﨑努
1991年版「松本清張作家活動40年記念 波の塔」フジテレビ系列「金曜エンタテイメント」5月24日・全1回(主演:池上季実子神田正輝
2006年版「松本清張ドラマスペシャル 波の塔」TBS系列 12月27日・全1回(主演:麻生祐未小泉孝太郎
2012年版「松本清張没後20年特別企画 波の塔」テレビ朝日 6月23日・全1回(主演:沢村一樹羽田美智子
「波の塔」tv0.jpg 「波の塔」tv1.jpg

「波の塔」tv2.jpg「波の塔」tv3.jpg

「惜春鳥」v.jpg 有馬稲子と津川雅彦は、前年の木下惠介監督作「惜春鳥」('59年/松竹)でも共演していました。「惜春鳥」は、福島県会津若松市を舞台に大人へと成長していく青年たちの友情を描いた作品で(詳しいあらすじは最下段の通り)、有馬稲子が演じるみどりの相手は津川雅彦が演じる康正ではなく、佐田啓二が演じる康正の叔父の英太郎であるわけで、津川雅彦演じる康正の相手は十朱幸代が演じる蓉子になるため"共演"したという印象が薄いかもしれません。

左から小坂一也・川津祐介・山本豊三・津川雅彦・石濱朗
「惜春鳥」01「.jpg 加えて、この「群像劇」的映画については、男女間の愛情よりも男性同士の親密な関係に着目した論考が少なくなく、例えば、映画評論家の 石原郁子氏が「木下はこの映画で一種捨身のカムアウ「惜春鳥」川津.jpgトとすら思えるほどに、はっきりとゲイの青年の心情を浮き彫りにする。邦画メジャーの中で、初めてゲイの青年が〈可視〉のものとなった、と言ってもいい」と述べているように、日本初の「ゲイムービー」とも言われているようです。故・ 長部日出雄も、「いま初めて観る人は、作中に描かれる男同士の愛情表現の強烈さに驚くだろう。(中略)ゲイ・フィルムであるかどうかは別として、作中の山本が川津を恋しているのは、間違いなくその通りだと思う」としています。冒頭の詩吟が「白虎隊」であることなども示唆的かもしれません。

「波の塔」津川有馬.jpg そうしたこともあって、有馬稲子と津川雅彦が出ていた男女の恋愛映画というと、やはり「波の塔」の方が思い浮かびます。

「波の塔」1.jpg「波の塔」●制作年:1960年●監督:中村登●製作:小松秀雄●脚本:沢村勉●撮影:平瀬静雄●音楽:鏑木創●原作:松本清張●時間:99分●出演:有馬稲子/津川雅彦/南原宏治/桑野みサスペンスな女たち.jpgゆき/岸田今日子/石浜朗/峯京子/二本柳寛/沢村貞子/西村晃/佐藤慶/佐野浅夫/石黒達也/佐々木孝丸/深見泰三/幾野道子/関千恵子/柴田葉子/平松淑美/高橋とよ/田村保●公開:1960/10●配給:松竹●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-06-30)(評価:★★★☆)

「波の塔」有馬稲子・桑野みゆき・峯京子
 
 
 
「惜春鳥」津川雅彦・川津祐介/石濱朗・十朱幸代
「惜春鳥」津川川津.jpg「惜春鳥」石浜十朱.jpg「惜春鳥」●制作年:1959年●監督・脚本:木下惠介●製作:小出孝/脇田茂●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●時間:102分●出演:津川雅彦/小坂一也/石濱朗/山本豊三/川津祐介/有馬稲子/佐田啓二/伴淳三郎/岸輝子/十朱幸代/藤間紫/村上記代/清川虹子/伊久美愛子/笠智衆/末永功/宮口精二/岡田和子/永田靖/桜むつ子●公開:1959/04●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-08-10)(評価:★★★)

「惜春鳥」004.jpg「惜春鳥」あらすじ... 会津の飯盛山、白虎隊の墓前で、一人の青年が吟ずる"少年白虎隊"の詩にあわせて4人の青年が剣舞を舞っていた。詩を吟じているのは会津塗りの下職のビッコの馬杉彰(山本豊三)、舞っているのは大滝旅館の息子・峯村卓也(小坂一也)、工場に働く手代木浩三(石濱朗)、"サロンX"の息子・牧田康正(津川雅彦)、それにアルバイトしながら東京の大学に通っている岩垣直治(川津祐介)の4人。岩垣の帰郷を機会に久しぶりに旧交を温める5人だったが、彼らの胸には幼き日の友情と、現在のそれぞれの境遇の変化からきた感情の食違いが複雑に流れていた。というのも岩垣は出資者・鬼塚(永田靖)の家の女中と変なことになって追い出されてきたのであり、そんな彼を手代木は冷く責め、「惜春鳥」佐田.jpg馬杉は庇っていた。康正の家にも東京から叔父の英太郎(佐田啓二)が転り込んできていた。彼は土地の芸者みどり(有馬稲子)と駈け落ちしたが、みどりは芸者屋の女将に連れ戻され、彼自身は胸を患っていた。康正の母・米子(藤間紫)は質屋の桃沢悠吉(伴淳三郎)の妾で、英太郎にいい顔をしなかったが、康正はこの叔父が好きで、芸者をしているみどりと再会させてやりたいと思った。が、みどりは近く鬼塚の妾になる身の上だった。そんなある日、桃沢家に、悠吉の妻・たね(岸輝子)の姪で養女にしていた蓉子(十朱幸代)に婿養子をもらう話が、鬼塚の肝入りで持ち上がった。相手に見込まれたのは手代木である。ところが蓉子は康正を慕っていた。康正は本妻と妾の子といった互いの関係から蓉子を諦めていたのだが...。手代木は蓉子と見合する前に、友達として康正に一言断りに来たが、康正は是認する外なかった。しかし、見合いの日、蓉子は「康正さんが好きです」と座を立つ。そんなところへ、鬼塚のもとへ電話があり、岩垣が詐欺犯として追われていることが判った。鬼塚は「惜春鳥」005.jpg岩垣の処置を、手代木ら4人との友情を考え、彼らに任せる。4人は岩垣を逃そうとした。が、岩垣が金に困った末、卓也の時計を盗んで逃げようとするを見た手代木は、怒って警察へ電話し、卓也がそれを止めようとしたが岩垣は警察に捕る。数日後、手代木の行動を友人として許せないと、馬杉は彼に決闘を申込む。手代木は、馬杉が待つ戸ノ口原へ向った。2人を心配して康正と卓也が戸ノ口原へ行こうとしたとき、英太郎とみどりが心中したという報せが来た。2人は悄然と戸ノ口原へ行く。馬杉と手代木は激しく格闘していた。そこへ康正が乗り出していった。「今度は俺が相手になろう、俺は蓉子を諦めないぞ」―康正は叔父の心中で、蓉子への気持ちを固めたのだ。康正と手代木は向い合った。それを卓也が止めた。「最後の友情じゃないか」と。4人は戸ノ口原を後にした―。

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映画的終わり方にしてしまい小説に比べインパクトが弱かったが、傑作には違いない。

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あの頃映画 「事件」 [DVD]」「あの頃映画 the Best 松竹ブルーレイ・コレクション 事件 [Blu-ray]

「事件」 キャスト.jpg 神奈川県の相模川沿いにある土田町の山林で、若い女性の刺殺死体が発見された。その女性はこの町の出身で、新宿でホステスをしていたが、一年程前から厚木の駅前でスナックを営んでいた坂井ハツ子(松坂慶子)だった。数日後、警察は19歳の造船所工員・上田宏(永島敏行)を犯人として逮捕する。宏はハツ子が殺害されたと推定される日の夕刻、現場付近の山道を自転車を押しながら下りてくるのを目撃されていた。警察の調べによると、宏はハツ子の妹・ヨシ子(大竹しのぶ)と恋仲であり、彼女はすでに妊娠3ヵ月であった。宏とヨシ子は家を出て横浜方面で暮らし、子供を産んで、二十歳になってから結婚しようと計画していた。しかし、ハツ子はこの秘密を知り、子供を中絶するようにと二人に迫った。ハツ子は宏を愛し、ヨシ子に嫉妬していた。その頃ハツ子には宮内(渡瀬恒彦)というやくざのヒモがいた。彼女は宮内と別れて、宏と結婚し、自分を立ち直らせたいと思っていたのだった。ハツ子が親に言いつけると宏に迫った時、彼はとっさに登山ナイフをかまえて彼女を威嚇した。宏が一瞬の悪夢から覚めて気がついた時、ハツ子は血まみれになって倒れていた。上田宏は逮捕され、検察側の殺人、死体遺棄の冒頭陳述から裁判が開始された―。

「事件」02.jpg 大岡昇平による原作を野村芳太郎監督、新藤兼人脚本で映画した1978年公開作。日本アカデミー賞「作品賞」、毎日映画コンクール「日本映画大賞」、「文化庁芸術選奨」(野村芳太郎、「鬼畜」とセット受賞)受賞。

 進行する裁判のシーンに回想が断片的に挿入され真実が明らかになると同時に、事件に潜む人間の虚実や姉妹の葛藤を浮き彫りにしていくという構図。ただし、奇を衒うような実験的表現は無く、いい意味で大衆目線の作り方になっています。

「事件」松坂・渡瀬.jpg「事件」渡瀬.jpg 清楚なイメージが定着していた松坂慶子が汚れ役に挑戦しているほ「事件」佐分利.jpgか、野村芳太郎監督をして天才と言わしめた大竹しのぶの演技も見もの(同年のドラマ版(1978/04 NHK)で同じ役を演じていた)。ヒモ男を演じた渡瀬恒彦や、そのほかの演技陣も充実しており、弁護人の丹波哲郎の、証言台に立つ北林谷栄や森繁久彌といった芸達者との掛け合いも愉しめます。その丹波哲郎演じる弁護士と芦田伸介演じる検事を前に、裁判長としての威厳と貫録を見せた佐分利信の演技はさすがでした。

 原作も映画も、つまりは「殺人」か「傷害致死」かを争うだけの話なので、裁判ものと言っても、E.S.ガードナーの「ペリー・メイスン」シリーズ及びそのドラマ化作品のようなミステリとはまったく趣を異にしますが、原作にはラストで思わぬ被告人の告白、言わば「大どんでん返し」があります(これは大岡昇平がラストを当初の構想から変えたことにより生まれたという)。

 映画は映像表現なので、「殺人」か「傷害致死」かということについてはどちらともとれる見せ方になっています。そして、ラスト。原作と同じく、永島敏行演じる元被告人はある告白をしますが、丹波哲郎演じる弁護士はそれを「罪悪感からくる思い込み」とあっさり片付けてしまっています。これは所謂「映画的」「検閲的」修正なのでしょうか。ここの所が原作の肝(キモ)ではなかったかと思うのですが。

 新藤兼人(1912年生まれ)は自分の脚本を勝手に直されると怒る脚本家として有名でしたが、野村芳太郎(1919年生まれ)だけには任せていたようです。よって、最後の丹波哲郎の軽いあしらい方はどちらの考えなのか分かりません。こうした終わり方となっているため、小説に比べインパクトが弱かったですが、映画としても傑作であるには違いないと思います。

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事件 映画 野村芳太郎.jpg事件(ポスター).jpg事件 映画 野村芳太郎v.jpg
「事件」●制作年:1978年●監督: 野村芳太郎●製作:野村芳太郎/織田明●脚本:新藤兼人●撮影:川又昂●音楽:芥川也寸志●原作:大岡昇平●時間:138分●出演:丹波哲郎/芦田伸介/大竹しのぶ/「事件」クレジット.jpg永島敏行/サスペンスな女たち.jpg松坂慶子/渡瀬恒彦/山本圭/夏純子/佐野浅夫/北林谷栄/乙羽信子/西村晃/佐分利信/森繁久彌/中野誠也/磯部勉/浜田寅彦/丹事件 芦田2.jpg古母鬼馬二/早川雄二/穂積隆信/山本一郎●公開:1978/06●配給:松竹●最初に観た場所(再見):神田・神保町シアター(23-06-30)(評価:★★★★) 芦田伸介(岡部検事)

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妻は夫に大きなものを遺したが、そうすることが彼女の最後の生きがいにもなったのでは。

「青いカフタンの仕立て屋」000.jpg「青いカフタンの仕立て屋」00.jpg
青いカフタンの仕立て屋(字幕版)」[Prime Video]

「青いカフタンの仕立て屋」01.jpg モロッコ海沿いの街サレ。旧市街の路地裏で、ミナ(ルブナ・アザバル)とハリム(サーレフ・バクリ)の夫婦は母から娘へと世代を超えて受け継がれる、カフタンドレスの仕立て屋を営んでいる。伝統を守る仕事を愛しながら、自分自身は伝統からはじかれた存在と苦悩するハリム。そんな夫を誰よりも理解し支えてきたミナは、病に侵され余命僅かである。そこにユーセフ(アイユーブ・ミシウィ)という若い職人が現れ、誰にも言えない孤独を抱えていた3人は、青いカフタン作りを通じて絆を深めていく。そして刻一刻とミナの最期の時が迫る―。

「青いカフタンの仕立て屋」02.jpgマリヤム・トゥザニ.jpg モロッコ出身の映画監督マリヤム・トゥザニの2022年作品。2022年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞。本作のタイトルにもあるカフタンとはモロッコの民族衣装で、結婚式や宗教行事など、フォーマルな席で着用するドレスのこと。コードや飾りボタンなどで華やかに刺繍を施し、完成に数カ月を費やすオーダーメイドの高級品となるものです。

「青いカフタンの仕立て屋」03.jpg 妻ミナと夫ハリムの間に25年間の結婚生活で築かれた愛情がある一方、芸術家乃至職人肌のハリムには世間知らずの子どものようなところもあり、実務家で現実家肌のミナが、独り立ちできない息子を助ける過保護な母親のようにも見えます。そうした二人の関係を、言葉や事件ではなく、その仕事などをする日常を描くことで観る側に伝えているのが旨いと思いました。

 二人の間にユーセフという若者が現れることで、ハリムの心の内に隠していた本来的性向である男性に対する愛情は刺激され、ミナは危惧と嫌悪感を抱きます。一方で、ミナ自身は病(原発は乳がん)のため日々痩せていき、観ていて先どうなるのかと...。

「青いカフタンの仕立て屋」04.jpg しかし、このミナという女性が強かった! 自らが余命いくばくもないことを悟るや、今で経験していなかったことを夫といろいろ経験しようとし、一方で、仕事にこだわりを持っているくせに、無茶を言うお客には抗えないという夫の性格を矯正し、自分がいなくても一人で仕事や店をマネジメントしていけるよう教育しています。

 そして、彼女は最後に大きな決断をします。当然のことながら夫の性向に嫌悪感を抱いていた彼女が、最後に夫に伝えた言葉「愛することを恐れないで」が強烈に心に残ります。これにより、夫は性的自我の不一致を乗り越え、それまで分裂していたアイデンティを回復するのです。

「青いカフタンの仕立て屋」002.jpg ミナは夫にすごく大きなものを遺したと思います。自分が亡くなった後も夫が自立して生活できるようにすることが、彼女の最後の生きがいであり、自らの病を嘆いている間もなくそのことに没頭したという意味では、彼女にとっても充実した最期の時間だったかもしれません。そして、その延長線上に、夫のアイデンティを回復を後押しする言葉があったのだと思います。

 ミナの死後にハリムが、客に引き渡すはずだった最高傑作の青いカフタンを、生前、一度でいいからこういうのを着てみたかったと言っていた妻の亡骸に着せ、ユーセフと共に担いで埋葬に向かうシーンも良かったです(「弔い」ということもテーマの1つだった)。

マリヤム・トゥザニ ルブナ・アザバルは.jpg ミナを演じたルブナ・アザバルは、マリヤム・トゥザニ監督の長編デビュー作「モロッコ、彼女たちの朝」('19年/モロッコ・仏・ベルギー)に続く主演で、ドゥニ・ヴィルヌーヴ 監督 「灼熱の魂」 ('10年/カナダ・仏)にも主演していましたが、今回は、乳がんの進行に合わせて期迫るミナを体現するために大幅に減量し、熱演を見せています。日本の映画でもガンになった登場人物はよく見られますが、首から上だけメイクして躰は布団に覆われていることなどが多いのに対し、この映画では実際に痩せ細った躰を見せていて、痛々しさが伝わってきました。

 タイトルは原題のまま「青いカフタン」で良かったように思います。やはりり「仕立て屋の恋」に倣って「仕立て屋」と入れたかったのか。だとしたら、いつも青ばかりを織っているわけではないので、「カフタンの仕立て屋」になるのではないでしょうか。

 マリヤム・トゥザニ監督は、今年['23年]のカンヌ映画祭ではコンペティション部門の審査員に選出されています。この監督はいつかカンヌ映画祭の最高賞「パルム・ドール」を獲るのではないかなという気がします。
   
カフタンを着たマリヤム・トゥザニ監督と主演のルブナ・アザバル(2022年カンヌ国際映画祭/左はトゥザニ監督の夫で映画監督・プロデューサー・作家のナビール・アユーシュ。この作品でも製作・脚本を務めた)

「青いカフタンの仕立て屋」05.jpg「青いカフタンの仕立て屋」●原題:LE BLEU DU CAFTAN●制作年:2022年●制作国:フランス/モロッコ/ベルギー/デンマーク●監督:マリヤム・トゥザニ●製作:ナビール・アユーシュ●脚本:マリヤム・トゥザニ/ナビール・アユーシュ●撮影:ビルジニー・スルデー●音楽:ナシム・ムナビーヒ●時間:122分●出演:ルブナ・アザバル/サーレフ・バクリ/アイユーブ・ミシウィ●日本公開:2023/06●配給:ロングライド●最初に観た場所:新宿武蔵野館(23-07-20)((評価:★★★★☆)
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「●マギー・チャン(張曼玉)出演作品」の インデックッスへ(「ラヴソング」「宋家の三姉妹」)「●ミシェル・ヨー(楊紫瓊)出演作品」の インデックッスへ(「宋家の三姉妹」)「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ ○映像の世紀バタフライエフェクト(「我が心のテレサ・テン」「中国 女たちの愛と野望」)

マギー・チャン出演2作。ラストがいい「ラヴソング」。勉強になった「宋家の三姉妹」。

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ラヴソング」マギー・チャン(張曼玉)/レオン・ライ(黎明)
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宋家の三姉妹」マギー・チャン(張曼玉)/ヴィヴィアン・ウー(鄔君梅)/ミシェル・ヨー(楊紫瓊)[左]

「ラヴソング」 01.jpg 1986年。故郷 天津に恋人シャオティン(小婷)(クリスティ・ヨン(楊恭如))を残し、シウクワン(小軍)(レオン・ライ(黎明))は香港へやって来る。シウクワンの夢は、香港で金を蓄えてシャオティンと結婚すること。しかし、広東語はチンプンカンプン、右も左も分からない香港では迷う事ばかり。そんなある日、初めて入ったハンバーガーショップで 店員のレイキウ(李翹)(マギー・チャン(張曼玉))に偶然助けられ、彼女と徐々に親しくなっていく。いくつも仕事を掛け持ちするシッカリ者のレイキウは、シウクワンにとって、香港で唯一頼れる友人に。ところが、何でも知っているように見えたレイキウもまた広州からやって来た大陸出身者であると判る。香港で孤独な二人はどんどん親密になり、1987年大晦日の晩、ついに一線を越えてしまう。それでも、お互いを"友人"と偽り続け、関係を続けるが、1990年、シウクワンは天津から呼び寄せたシャオティンと結婚、レイキウもまたパウ(豹哥)(エリック・ツァン(曾志偉))の援助で、実業家として成功していくのであった―(「ラヴソング」)。

 1996年(香港返還の前年)11月に公開されたピーター・チャン(陳可辛)監督作で、出演はマギー・チャン(張曼玉)、レオン・ライ(黎明)、エリック・ツァン(曾志偉)など。1998年・第16回「香港電影金像奨」で最優作品賞・最優秀主演女優賞・最優秀助演男優賞など9つの賞、「台湾映画金馬賞」最優秀脚本賞、米国の「シアトル国際映画祭」最優秀作品賞などを受賞し、「タイム」では同年度の世界での優秀な作品トップ10で2位に選ばれています。20世紀末で最も成功したラブストーリー映画とも称され、同作品のヒロイン、マギー・チャンは「ロアン・リンユィ 阮玲玉」('91年/香港)に続いて2回目の金像賞、金馬賞のダブル受賞を達成しています。

「ラヴソング」 11.jpg 1986年から始まり、1995年までの主人公二人の10年に及ぶ心温まるラブストーリーで、特にラストがいいですが、ラストがいいと感じられるということは、そこまでのストーリーの積み上げ方が上手いのでしょう。テレサ・テンの歌をモチーフにしており、「ラヴソング」 12.jpg原題にもなっている「甜蜜蜜(ティェンミミ/ 蜜のように甘く)」という曲もその1つ。当時香港ではテレサ・テンのファンであることは 大陸出身であることを意味し、それを隠すためテレサ・テンのカセットは密かに買われていたようですが、 それまでいかにも香港人らしく振る舞っていたレイキウも実は大陸出身であることを告白し、他に親しい人のいない寂しい二人の仲は一気に 深まっていきます。

「ラヴソング」 l.jpg 二人が自転車に乗って「甜蜜蜜」を歌うのが、恋愛の始まりの高揚感を現していて良かったです(まさに「ラヴソング」)。テレサ・テンの曲では、その他に、「再見!我的愛人」(アン・ルイスの「グッドバイ・マイ・ラブ」)、「涙的小雨」(クールファイブの「長崎は今日も雨だった」)といったカバー曲も流れます。テレサ・テンが亡くなったのは1995年5月8日ですが、そのニュースが流れる場面が最後にあり、この映画で重要な役割を果たします。この映画はテレサ・テンが亡くなった翌年に作られているため、ラストシーンはほぼリアルタイムということになります。

「我が心のテレサ・テン」.jpg テレサ・テンについては、昨年['22年]8月にNHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」で"我が心のテレサ・テン"として取り上げていましたが、日本人が一般に抱く「台湾からやって来た歌手テレサ・テン」のイメージとは大違いであり、彼女は当時すでにアジアの歌姫であって、天安門事件(1989年)などに苦しむ中国の若者たちにとっては、政治的メッセージを発する自分たちのシンボル的な存在であったようでです(ただし、この映画では天安門事件などは描かず、そうした政治的メッセージを伏せている)。

「ラヴソング」 つあん.jpg エリック・ツァン(曾志偉)演じる、レイキュウがその愛人になってしまうヤクザ者のパウ(豹哥)も、実は見かけに「ラヴソング」 ドイル.jpgよらず人間味のあるいい男でした(エリック・ツァンはこの演技で「香港電影金像奨最優秀助演男優賞」を受賞)。ウォン・カーウァイ監督作品の撮影監督で知られるクリストファー・ドイルが、英語学校の酔いどれ不良講師役で出ていますが(その授業というのが、海賊映画を見せてその台詞を覚えさせるものだった)、これもまた見かけによらず優しい男であり、この辺りもラブロマンス的には良かったです。


「宋家の三姉妹」1997.jpg 1900年代の初頭。中国の大財閥の総帥チャーリー宋(チアン・ウェン(姜文))は、三姉妹のわが子を米国留学させた。長女の宋靄齢は14歳。三女の美齢はまだ9歳の時に。当時の中国は清朝打倒運動が盛んで、宋も密かに革命家の孫文(ウィンストン・チャオ(趙文瑄))を支援していた。やがて辛亥革命で清朝は滅亡、孫文は中華民国大統領に選出される。1910年、帰国して孫文の秘書となる長女の靄齢(ミシェル・ヨー(楊紫瓊))。だが、靄齢は程なく富豪の孔祥熙(ニウ・チェンホワ(牛振華))と結婚。代わって孫文の秘書となる次女の慶齢(マギー・チャン(張曼玉))。政争に破れた孫文が日本に亡命すると慶齢も渡日し、親の反対を押し切って親「宋家の三姉妹」01.jpg子ほど歳の離れた孫文と結婚。1922年、広東に革命政府を樹立した孫文は、味方であるはずの軍閥に急襲され、軍事顧問の蔣介石(ウー・シングォ(呉興国))により救出される。だが、妻・慶齢は脱出に苦労し、妊娠中の子を失う。1924年、孫文の抜擢で蒋介石は黄捕士官学校の校長となる。学校設立には、財閥である靄齢の夫・孔祥熙が深く関わっていた。蒋介石の出世を見越して、妹の美齢(ヴィヴィアン・ウー(鄔君梅))に結婚を勧める靄齢。1925年、「宋家の三姉妹」02.jpg孫文は総理在任中に「革命未だ成らず」と言い残して逝去。人々から孫文の思想の象徴と見なされる慶齢。政治的に孫文になり代わったのは総司令官の蒋介石だった。蒋家の権力、孔家の財力。孫家の名声が国を動かすと確信する靄齢。孫文が作り上げた中国国民党は彼の死後、権力争いで分裂。乱れた国民党を嫌って脱退する慶齢。混乱に乗じて権力拡大を画策する蒋介石。蒋介石を非難した慶齢は、美齢や靄齢と敵対する。美齢は既に蒋介石と婚約していたのだ。1927年、慶齢はソ連に渡り、美齢は国民革命軍の総司令官となった蒋介石と盛大な結婚式を挙げる。1931年。満洲事変が勃発するが、蒋介石の国民党は中国共産党の粛清を優先し、日本軍の侵攻を許す。ソ連から帰国し、蒋介石非難声明を発表する慶齢。慶齢が邪魔だが、義姉であり、英雄・孫文の妻である彼女を暗殺できない蒋介石。1936年、蒋介石が西安で張学良らに拉致・監禁される。国民党と共産党の内戦を停止し、対日戦線を開始せよと蒋介石に迫る張学良。蒋介石の救出に力を合わせる宗家の三姉妹。日本軍との戦いのために、共産党に働きかけて張学良らの暴走を止める慶齢。救い出された蒋介石は、挙国一致の抗日を宣言。兵士の慰問などで反日戦線の象徴となる三姉妹。だが、終戦を待たずに靄齢と夫は香港に、慶齢は上海に移住。中国では共産党が台頭し、蒋介石と美齢は国民党と共に台湾に去る。「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と言われた三姉妹が再び揃うことは無かった―(「宋家の三姉妹」)。

 「誰かがあなたを愛してる」('87年/香港)のメイベル・チャン 監督の1997年5月公開作(この年の7月に香港は英国から中国に返還された)。「誰かがあなたを愛してる」とはまったく作風の異なる作品で(「ラヴソング」の方が「誰かがあなたを愛してる」に近い)、伝記映画であるとともに壮大な時代劇ロマンです。1998年・第17回「香港電影金像奨」の最優秀主演女優賞(マギー・チャン)、最優秀助演男優賞(チアン・ウェン)、最優秀撮影賞(アーサー・ウォン)、最優秀衣装賞(ワダ・エミ)、最優秀音楽賞(喜多郎/ランディ・ミラー)を受賞しています(マギー・チャンは前年の「ラヴソング」に続いて2年連続の受賞)。

 三姉妹とその配役を整理すると、

「宋家の三姉妹」3姉妹.jpg  長女・宋靄齢(孔祥熙と結婚)... ミシェル・ヨー(楊紫瓊)
  次女・宋慶齢(孫文と結婚)... マギー・チャン(張曼玉)
  三女・宋美齢(蔣介石と結婚)... ヴィヴィアン・ウー(鄔君梅)

「宋家の三姉妹」3姉妹本.jpg 「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」いうこの映画のキャッチから、「宋靄齢は金を愛し、宋美齢は権力を愛し、宋慶齢は国を愛した」と評されるようになったそうです。宋三姉妹については、これもまた昨年['22年]8月にNHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」で"中国 女たちの愛と野望"として取り上げていたので、まったく知らないわけではありませんでしたが、映画は意外と説明的に作られていて、これはこれで勉強になりました。この映画によれば「国共合作」が成り立ったのは宋三姉妹の尽力によるものであり、中国の歴史を変えた三姉妹ということになるでしょうか。

 渋谷のBunkamuraが今年['23年]4月10日から休館したことに伴い、渋谷東映プラザ内「渋谷TOEI」跡地に6月16日に開業した「Bunkamura ル・シネマ 渋谷宮下」のこけら落としを飾ったのが、このマギー・チャン(1964年生まれ)の回顧上映「マギー・チャン レトロスペクティブ」でした(マギー・チャンに着眼するところがBunkamuraらしい?)。ミシェル・ヨー(1962年生まれ、マレーシア出身)が「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」('22年/米)でアジア人女優として初めてアカデミー主演女優賞にエントリーされ、受賞したことも影響しているのでしょうか。そのミシェル・ヨーとマギー・チャンを同時に観られるのが嬉しい作品です。

 ミシェル・ヨーはアカデミー賞受賞で、国際派女優としてこれまで以上に注目を集めるようになりましたが、マギー・チャンも1992年には「ロアン・リンユィ/阮玲玉」で香港女優初の「ベルリン映画祭主演女優賞」を獲得し、ベルリン国際映画祭(1997年)、ベネチア国際映画祭(1999年)、カンヌ国際映画祭(2007年)の審査員も務めるなどした香港を代表する国際派女優となりました。

「ラヴソング」 d.jpg「ラヴソング」●原題: 甜蜜蜜/(英)COMRADES, ALMOST A LOVE STORY●制作年:1996年●制作国:香港●監督:ピーター・チャン(陳可辛)●製作:ピーター・チャン/クローディ・チョン(製作総指揮:レイモンド・チョウ)●脚本:アイヴィ・ホー●撮影:ジングル・マー●音楽:チウ・ツァンヘイ(主題歌:テレサ・テン「甜蜜蜜」)●時間:118分●出演:マギー・チャン(張曼玉)/レオン・ライ(黎明)/エリック・ツァン(曾志偉)/クリストファー・ドイル(杜可風)/クリスティ・ヨン(楊恭如)/アイリーン・ツー●日本公開:1998/02●配給:BMGジャパン=ビターズ・エンド●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(23-07-10)(評価:★★★★☆)

「宋家の三姉妹」05.jpg「宋家の三姉妹」●原題:宋家皇朝/(英)THE SOONG SISTERS●制作年:1997年●制作国:香港・日本●監督:メイベル・チャン(張婉婷)●製作:ン・シーユエン●脚本:アレ「宋家の三姉妹」04.jpgックス・ロー●撮影:アーサー・ウォン(黄岳泰)●音楽:喜多郎/ランディ・ミラー●時間:145分●出演:マギー・「宋家の三姉妹」03.jpgチャン(張曼玉)/ミシェル・ヨー(楊紫瓊)/ヴィヴィアン・ウー(鄔君梅)/ウィンストン・チャオ(趙文瑄)/ウー・シングォ(呉興国)/チアン・ウェン(姜文)/エレイン・チン(金燕玲)/ニウ・チェンホワ(牛振華)●日本公開:1998/11●配給:東宝東和●最初に観た場所:Bunkamura ル・シネマ渋谷宮下(23-07-09)(評価:★★★★)

チアン・ウェン(姜文)in 「紅いコーリャン」('87年/中国)/「春桃(チュンタオ)」('88年/中国・香港)/「宋家の三姉妹」('97年/香港・日本)[「香港電影金像奨最優秀助演男優賞」受賞]
チアン・ウェン(姜文)1.jpg チアン・ウェン(姜文)3.jpg チアン・ウェン(姜文)2.jpg

《読書MEMO》
●NHK 総合 2022/05/30「映像の世紀バタフライエフェクト#8―我が心のテレサ・テン」
「わが心のテレサ・テン」.jpg
台湾出身のテレサ・テンの歌声は世界のチャイニーズの心を震わせ、テレサが一度も足を踏み入れたことのない中国本土にも彼女のカセットテープがあふれた。中国から台湾に亡命した空軍パイロットはテレサとの面会を真っ先に求め、台湾当局もテレサをプロパガンダに利用した。そして、テレサの歌声は天安門広場の民主化デモを支援し、香港の民主化運動でも歌われ続けている。歴史に翻弄されたアジアの歌姫の知られざる物語である。

●NHK 総合 2022/08/22「映像の世紀バタフライエフェクト#15―中国 女たちの愛と野望」
「中国 女たちの愛と野望」.jpg
中華人民共和国の建国式典に毛沢東と共に天安門に上る女性がいた。「革命の父」孫文の未亡人・宋慶齢である。中国の権力の攻防の陰にはいつも女性がいた。辛亥革命から権力者を支えてきた宋家の三姉妹、「一人は国を愛し、一人は権力を愛し、一人は富を愛した」と言われた。中国を恐怖に陥れた文化大革命を主導した江青、そのねらいはライバルの女性を失脚させることだった。権力の陰で繰り広げられた女性たちの愛と野望の物語。

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根底にはユーモアがあるものの、痛みが多く感じられる映画。監督の最高傑作とれながら、公開が遅れた。
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「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」

「ペトラ・フォン・カント01.jpg ドイツ・ブレーメン。女性ファッション・デザイナーのペトラ(マルギット・カルステンセン)は、2度の結婚に失敗していて、最初の夫との間には娘がいた。今の彼女は、アシスタントのマレーネ(イルム・ヘルマン)を下僕のように扱いながら、アトリエ兼アパルトマンの部屋で生活している。ある日、友人のシドニー(カトリン・シャーケ)が部屋を訪れ、彼女に若い女性カーリン(ハンナ・シグラ)を紹介する。ペトラは美しいカーリンに心奪われ、彼女と同棲を始めるが―。

「ペトラ・フォン・カント絵.jpg ニュー・ジャーマン・シネマの鬼才ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945-1982/37歳没)が1972年に手掛けた、女性同士の愛を描いたメロドラマ。1972年のドイツ映画賞で主演女優賞、助演女優賞、撮影賞を受賞。この映画の男性版リメイク作品である、フランソワ・オゾン監督の、男性の映画監督が野心的な青年に惚れ嫉妬に身を狂わせていくという「苦い涙」('22年/仏)が今年['23年]6月に公開されたのを機に公開されましたが、DVDは'18年に発売されていました(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督、フランソワ・オゾン監督ともにゲイである)。

「ペトラ・フォン・カント02.jpg 映画は主人公ペトラのアパルトマンの一室で終始、あたかも演劇のように展開され、部屋の美術装飾がちょっと過剰なぐらい凄まじいです。宗教画のような絵画に加えて、衣装や部屋を区切る窓や梁の独特な構図や、実験的演出が取り入れられています。

 2度目の夫と離婚したばかりのペトラは、自分の成功が夫を傷つけたと友人に語り、そこに突然カーリンが現れ、彼女はカーリンをスターにすることに情熱を注ぎますが、結局のところカーリンにとってペトラは成功の踏み台でしかなかった―。

「ペトラ・フォン・カント03.jpg でも結局カーリンは自堕落で奔放な女で、じきにペトラを見限り夫のもとへと戻ってしまったため、そのショックからペトラは常軌を逸してしまいますが、やがて彼女は、自分を支配しようとする男(過去の夫)たちに絶望していた自分が、結局は自分もカーリンを支配したがっていたことに気づき、それが「苦い涙」ということになるのでしょう。しかし、その時はしすでに時遅く、アシスタントのマレーネ(彼女の支配欲の対象であると同時に潜在的同性愛の対象?)も彼女の下を去っていきます。

 相手に依存し、同時に支配下に置きたがるという異性愛でよくあることを同性愛で描いた作品であり、自分が男優のギュンター・カウフマンと同性愛関係にあり、それを女性同士に置き換えたことで映画はより複雑になっています。さらに、それにペトラと娘の確執なども絡んできて(「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」 ('22年/米)か(笑))、映画の根底にはユーモアがあるものの、痛みが多く感じられる映画でした。そのキツさもあるし、ペトラの「支配したい願望」にもちょっと感情移入しにくかったかもしれません(ファスビンダー監督の最高傑作と評価されながら、公開が遅れたのもそのせいか)。 

 ペトラを演じたマルギット・カルステンセン(1940年生まれ)は「マルタ」('74年/西独)などファスビンダー作品の常連でしたが、今年['23年]6月、83歳で亡くなっています。一方、カーリンを演じたハンナ・シグラ(1943年生まれ)も「マリア・ブラウンの結婚」('79年/西独)などファスビンダー作品の常連で、今はフランソワ・オゾン監督の常連、同監督の「すべてうまくいきますように」 (21年/仏・ベルギー)やこの作品のリメイク作「苦い涙」('22年/仏)に出演しています。

「ペトラ・フォン・カント 1972.jpg「ペトラ・フォン・カントの苦い涙」●原題:DIE BITTEREN TRANEN DER PETRA VON KANT/(英)THE BITTER TEARS OF PETRA VON KANT●制作年:1972年●制作国:西ドイツ●監督・脚本・原作:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー●製作:ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー/ミハエル・フェングラー●撮影:ミヒャエル・バルハウス●音楽:プラターズ●時間:124分●出演:マルギット・カルステンセン/ハンナ・シグラ/カトリン・シャーケ/エーファ・マッテス/ギーゼラ・ファッケルディ/イルム・ヘルマン●日本公開:2023/06(DVD発売:2018/12)●配給:セテラ・インターナショナル●最初に観た場所:新宿武蔵野館(スクリーン2)(23-06-23)(評価:★★★☆)

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1世紀以上も前にこのような作品が作られていたことに驚かされる。

「死神の谷」1921.jpg「死神の谷」000.jpg
死神の谷
「死滅の谷」0 0.jpg 愛し合うカップルである彼女(リル・ダゴファー)とその婚約者(ワルター・ヤンセン)は、村に向かう途中、一人の黒衣の男(ベルンハルト・ゲッケ)を馬車に乗せる。2人は知らないが、その男は死神(死神)だった。村に着いた死神は墓地の近くの土地を借り受け、ドアも門もない高い壁に囲まれた館を建てる。恋人たちが居酒屋で睦まじく語らっているところに死神が現れる。彼女が席を外し、戻ってくると彼の姿が消えていた。彼女は恋人を探して村中を彷徨「死滅の谷」01.jpgう。死神の館の近くにきて、幽霊の行列に出くわす。そこに彼の姿もあった「死滅の谷」02.jpg。幽霊たちは壁の向こうに消える。彼女は毒を呷って死のうととる。その瞬間、彼女は死神の館へ運ばれる。彼女は恋人に会わせてほしいと死神に頼む。死神は彼女を蝋燭が無数にある部屋へ連れて行く。蝋燭は人の一生を表していて、灯火が消えるとその人間の運命は尽きる。死神は3本の蝋燭のうち1つでも救うことができれば恋人を返そうと約束する。「死滅の谷」03.jpg1本目の蝋燭は、中東バグダッドの恋人たち、ソベイデと西欧人。2本目の蝋燭は、17世紀ヴェネチアの恋人たち、フィアメッタとジョヴァン・フランチェスコ。3本目の蝋燭は、古代中国の恋人たち、チャオ・チェンとリャン。それぞれの物語が語られるが、すべては悲劇で幕を閉じ、蝋燭は3本とも消えてしまう。しかし、死神は最後の提案を持ちかける。1時間のうちに誰か別の人間の魂を差し出せば恋人を生き返らせようと。彼女は死期が近い老人たちに死んでくれるよう頼むが断られる。そこに火事が起きる。彼女は置き去りにされた赤ちゃんを彼の身代わりにしようとするが、悲しむ母親を見て思いとどまる。赤ちゃんを母親に手渡し、自分は燃え盛る炎の中に消える。死神の館で再会を遂げた恋人たちはともに死後の世界に旅立つ―。

「死滅の谷」死神.jpg 新宿武蔵野館での「カツベン映画祭」で鑑賞(弁士:澤登翠氏、ギター&フルート演奏付き)。フリッツ・ラング監督最初期の作品で、"現代"を含め4つの時代に渡ってオムニバス形式で描かれる雄大な幻想映画。「死滅の谷」という邦題は今一つピンと来ませんが、原題は「疲れ果てた死神」という意味だそうです(ヒロインの粘りに死神の方も結構疲れたということ? ヒロインが最後に死神に勝利したという解釈か)。すべてのエピソードで死神をベルンハルト・ゲッケ、恋人たちをリル・ダゴファーとワルター・ヤンセンが演じています。

 リル・ダゴファー演じるヒロインが死神と駆け引きするところは、後のイングマール・ベルイマン監督の「第七の封印」('57年/スウェーデン0第七の封印.jpg)を想起させられました。そして、「第七の封印」同様、人は死神に出し抜かれ、勝つことができません。この作品でも、ヒロインはそれぞれの時代で恋人を失います。「第七の封印」の救いは純朴な旅芸人でしたが、この映画ではラストでヒロインが自ら命を差し出すところが救いになっています(このヒロイン、直前まで死期が近い老人たちに死んでくれと頼んだり、赤ちゃんを身代わりにしようとしたりしているエゴイストぶりであったため、この急転換のがやや唐突だが)。

「死滅の谷」05.jpg「死滅の谷」絨毯2.jpg 時代を違え、アラブ、イタリア、中国で展開されるが3のエピソードのすべてで、恋人たちと死神を同じ俳優が演じているため、古代中国を舞台とした3つ目のエピソードでもドイツ人俳優が中国人に扮しているのが奇妙で、しかも、魔術師が空飛ぶ絨毯に乗って移動したりして、アラビアン・ナイト風であったりするのが可笑しいです(余談だが、NHKで黒柳徹子がやっていた「魔法のじゅうたん」('61-'63年)という番組を思い出した)。男女を象と寺院に変えてしまうなど、どこかインドっぽいイメージもありましたが、その結果、象が寺院をしょって歩いているというのが絵的にスゴイね。

 ただ、幻想的な物語の中に命の尊さを浮かび上がらせていく手法が見事で、死神の与えた最後の試練は重く、それでいて、全体にユーモラスでもあるという(どこまでが計算なのかよく分からないが)1世紀以上も前にこのような作品が作られていたことに驚かされます(ウィキペディアを見たら「ファンタジー映画・ロマンス映画・ホラー映画にカテゴライズされる」とあった)。89分(オリジナルは99分)の中に3つのエピソード("現代"を含め4つ)が織り込まれていて、活弁のお陰もあったと思いますが、観ていて飽きる隙が無かったという印象です。

「死滅の谷」09.jpg「死滅の谷」04.jpg「死滅の谷(死神の谷)」●原題:LE DER MUDE TOD/(英)THE WEARY DEATH/BETWEEN TWO WORLDS/DESTINY●制作年:1921年●制作国:ドイツ●監督:フリッツ・ラング●製作:エーリッヒ・ポマー●脚本:テア・フォン・ハルボウ/フリッツ・ラング●撮影:フリッツ・アルノ・ヴァグナー/エーリッヒ・ニッチェマン/ヘルマン・サールフランク●時間:89分(オリジナル99分)●出演:リル・ダゴファー(彼女/ゾベイデ/フィアメッタ/チャオ・チェン)/ヴァルター・ヤンセン(彼/西欧人/ジョヴァン・フランチェスコ/リヤン)/ベルンハルト・ゲッケ(死神/エル・モット/ムーア人/皇帝の射手)/ルドルフ・クライン=ロッゲ/カール・リュッケルト/マックス・アダルベルト/ヴィルヘルム・ディーゲルマン/エーリヒ・パブスト/カール・プラーテン/ヘルマン・ピヒャ/パウル・レーコッフ/マックス・フェイファー/ゲオルク・ヨーン/リディア・ポテキナ/グレーテ・ベルガー/エドゥアルト・フォン・ヴィンターシュタイン/エリカ・ウンルー/ルドルフ・クライン=ロッゲ/ルイス澤登翠2.jpg湯浅ジョウイチ 鈴木真紀子.jpg・/フザール・パフィー/パウル・ビーンスフェルト/パウル・ノイマン●日本公開:1923/03●配給:松竹●最初に観た場所:新宿武蔵野館(スクリーン1)(新宿東口映画祭2023提携企画「第三回カツベン映画祭」弁士:澤登翠/演奏:カラード・モノトーン・デュオ(作曲・編曲、ギター:湯浅ジョウイチ/フルート:鈴木真紀子))(23-06-02)(評価:★★★★)

「●アンドレイ・タルコフスキー監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1064】 アンドレイ・タルコフスキー 「
「●「カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ」受賞作」の インデックッスへ 「○外国映画 【制作年順】」の インデックッスへ

以前観て、難解だという印象があったが、今回はラストを観て大いに納得した。

惑星ソラリス dvd.jpg 「惑星ソラリス」ブルー.jpg
惑星ソラリス [DVD]」シネマブルースタジオ上映(2023)
「惑星ソラリス」001.jpg 海と雲に覆われた惑星ソラリスを探索中の宇宙ステーション「プロメテウス」からの通信が途切れ、地球の研究所で会議が開かれている。帰還した宇宙飛行士(アンリ・バートン)は、ソラリスの海の表面が複雑に変化し、街や赤ん坊の形になるのを見たと証言する。心理学者のク惑星ソラリス12.jpgリス・ケルヴィン(ドナタス・バニオニス)は豊かな自然に囲まれた一軒家で父母とともに暮らしているが、状況を調査するために呼び出され、ロケットでステーションへと向かう。ステーションの内部は閑散としており、科学者のスナウト(ユーリー・ヤルヴェト)とサルトリウス(アナトリー・ソロニーツィン)は自室に籠もっていてケルヴィンに状況を説明しようとはしない。また、ここにいるはずのない少「惑星ソラリス」0 11.jpg女が通路に姿を現し、スナウトの部屋からは小人は走り出てこようとしてスナウトに引き戻されたりしている。もうひとりの物理学者でケルヴィンの友人であったギバリャン(ソス・サルキシャン)はケルヴィンにビデオメッセージを残して自殺しており、その映像にも少女の姿が映っている。翌朝、ケルヴィンが眠っている部屋に、かつてケルヴィンとの諍いの果てに自殺したはずの妻ハリー(ナタリヤ・ボンダルチュク)が現れる。目覚めたケルヴィンは内心驚くが、ハリーは自然な態度でケルヴィンと会話する。ケルヴィンはステーションに搭載された小型ロケットにハリーを乗せて発射させ、ハリーを追い払ってしまうが、翌朝になるとやはりハリーはケルヴィンの部屋にいる。どうやらこの惑星を覆う海そのものが知性を持つ巨大な有機体であり、その海がステーションにいる人間の心の奥にあるものを読み取って、あたかも本物の人間であるかのような実体をもつも「惑星ソラリス」[.jpgのとしてステーションに送り込んでくるらしい。ハリー自身も自分がここに存在していることに悩み、液体酸素を飲んで自殺をはかるが、凍りついた身体がもとにもどると息を吹き返す。やがてケルヴィンはハリーが本当のハリーではない「惑星ソラリス」島.jpgことを理解しながらも彼女を愛するようになる。しかし、ソラリスの海の正体を調べるための照射実験が行われると、ハリーは姿を消してしまう。緑豊かな実家でゆったり過ごしているケルヴィン。しかし、彼がいるのは彼の記憶にもとづいてソラリスの海がその表面に作った小さな島の上だった―。

惑星ソラリス1.jpg「惑星ソラリス」0 12.jpg アンドレイ・タルコフスキーの1972年監督作で(原作はスタニスワフ・レムの小説『ソラリス』)、カンヌ映画祭に急遽出展され、審査員特別グランプリを受けています。ただ、ストーリーは追いにくくて難解と評され(タルコフスキー監督は後に、意図的に観客を退屈させるような作風を選んだと述べている)、最初に観た際にはよく分からないという印象を受けましたが、今回40年ぶりに再見する機会があり、予めストーリーを大筋押さえた上で観に行ったら、前より遥かに理解できた気がしました。ラストってこんな分かりやすかったっけ(評価を★★★☆→★★★★☆に修正)。

ナタリア・ボンダルチュク(「戦争と平和」の監督セルゲイ・ボンダルチュクの娘)とドナタス・バニオニス

惑星ソラリスSOLARIS 1972.jpg ソラリスに人間の記憶を再合成して物質化する(あたかも物質化するような)力があるため、その作用で主人公のケルヴィンの亡き妻ハリーがステーションに送り込まれてきますが、彼女は彼の本物の妻のように夫婦の過去のことを知っていて、一方で自分が何者か分からずに悩んでいるという設定が面白かったです(仕舞いには自殺まで図る)。目の前に現れた亡き妻が、単なる幻影ではなく、自らの存在の曖昧さに悩む一方で、ケルヴィンを愛してもいるという、自我を持った存在となっています。最初は幻影を振り払うかのように彼女を小型ロケットに乗せ追い払おうとしたケルヴィンも、次第に彼女への愛にのめり込んでいき、ステーションに前からいた既に半分心を病んでしまっているような科学者らに比べ、ずっと正常で強靭な精神力を持っていると思われた心理学者の彼が、最後には仮想現実世界の虜囚となってしまうことの伏線になっていました(だから、今回はラストを観て大いに納得した)。

 タルコフスキーよる宇宙ステーションでの物語は、もっぱら主人公と「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との関係に集中し、レムが、その「ソラリスが、主人公の記憶の中から再合成して送り出してきたかつて自殺した妻」との人間関係のほかに、それ以上の大きなテーマとして、「人間と、意思疎通ができない生命体との、ややこしい関係」について思弁的な物語を展開するのとは明確に異なるようです。

 そのため、レムとタルコフスキーとの間で大喧嘩が起き、レムは独自のSF観にそぐわない自作の映画化を批判し、芸術至上主義のタルコフスキーは自身の芸術観を展開し、激しい口論の末に、レムは最後に「お前は馬鹿だ!」と捨て台詞を吐いたと言われています。レムはこの映画について「タルコフスキーが作ったのはソラリスではなくて罪と罰だった」と語っていおり、一方、タルコフスキーは「ロケットだとか、宇宙ステーションの内部のセットを作るのは楽しかった。しかし、それは芸術とは関係の無いガラクタだった」と語っており、SF映画からの決別を宣言しています(後に撮った「ストーカー」('79年)はSF映画だが、宇宙船も機械類も特撮も一切無い)。

 この映画と比較されることの多い「2001年宇宙の旅」('68年)を公開直後にタルコフスキーは観ていますが、「最新科学技術の業績を見せる博物館に居るような人工的な感じがした」「キューブリックはそうしたこと(セットデザインや特殊効果)に酔いしれて、人間の道徳の問題を忘れている」とコメントしており、「惑星ソラリス」においても、人間の心の問題が解決されなければ科学の進歩など意味がないという台詞をスナウトに語らせています。

Solaris-Highway-Scene-Tokyo
「惑星ソラリス」首都高s.jpg 未来都市の風景として赤坂見附界隈の首都高速道路の立体交差が使われていますが、「タルコフスキー日記」によれば、この場面を日本万国博覧会会場で撮影することを計画していたものの当局からの許可がなかなか下りず、来日したときには既に万博は終わっており、仕方なしに東京で撮影したとのこと。ビル街の高架橋とトンネルが果てしなく連続する光景の超現実感にご満悦だったらしく、日記には「建築は疑いもなく日本は最先端だ」と手放しの賞賛が書き残されていたとのことです(再見して、首都高シーンがかなり長回しで撮られていたことを改めて再確認した)。

 人間の最後の救いって、「宗教」乃至それに近いものになるのかなあと改めて思いました。そうした意味では、ソラリスは「神」の役割を担っていたと言えるかも。

 因みに、黒澤明監督がタルコフスキー監督と親交があったことは知られていますが、黒澤監督のオムニバス映画「」('90年/日・米)の最後話「水車のある村」(笠智衆が出演)の中に「惑星ソラリス」の情景描写に似たシーンがあります(長野県安曇野市の大王わさび農場で撮影)。

タルコフスキー「惑星ソラリス」
タルコフスキー『惑星ソラリス』.jpg
黒澤明「夢」
黒澤明『夢』.jpg

2023年11月5日 長野安曇野・大王わさび園
20231105 大王わさび園.JPG
撮影:和田泰明
大王わさび園.jpg
撮影:杉山秀文氏

惑星ソラリス パンフレット.jpg「惑星ソラリス」●原題:SOLARIS●制作年:1972年●制作国:ソ連●監督:アンドレイ・タルコフスキー●脚本:アンドレイ・タルコフスキー/フリードリッヒ惑星ソラリス チラシ.jpg・ガレンシュテイン●撮影:ワジーム・ユーソフ●音楽:エドゥアルド・アルテミエフ●原作:スタニスワフ・レム「ソラリス」(「ソラリスの陽のもとに」)●時間:165分●出演:ナタリア・ボンダルチュク/ドナタス・バニオニス/ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー/アナトーリー・ソロニーツィン/ソス・サルキシャン/ユーリー・ヤルヴェト/ニコライ・グリニコ/タマーラ・オゴロドニコヴァ/オーリガ・キズィローヴァ●日本公開:1977/04●配給:日本海映画●最初に観た場所:大井武蔵野館(83-05-29)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(23-07-25)(評価:★★★★☆) 
「惑星ソラリス」1977年岩波ホール公開時ポスター[左]/パンフレット[右]

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犯人の無目的性がこの作品を面白く、深くしている。「新幹線大爆破」などよりずっといい。

太陽を盗んだ男00.jpg
太陽を盗んだ男
「「太陽を盗んだ男」01.jpg 中学校の理科教師の城戸誠(沢田研二)は、日頃から遅刻を繰り返す無気力教師。ある日、生徒たちを引率し原発の社会科見学を終え「「太陽を盗んだ男」伊藤.jpgた時、火器を持つ老人(伊藤雄之助)にバスジャックされる。彼の要求は「ただちに皇居へ向かい、天皇陛下に合わせろ」。事件を解決すべく、丸の内警察署捜査一課の山下警部(菅原文太)らによる犯人確保と人質救出作戦が始まる。山下は誠と協力し、生徒らを盾にしてバスを降りてきた老人を取り押さえる。この出来事に影響され、誠は変わる。休み時間に学校のネットをよじ登る、授業は学級崩壊を気にせず延々と原子力や原爆の作り方についての講義を行う等の奇行が始まった。だがこれは、彼がこれから起こす犯罪のための予「「太陽を盗んだ男」02.jpg習だった。ある日、誠は茨城県東海村の原発から液体プルトニウムを強奪し、アパートの自室で「「太陽を盗んだ男」03.jpg原爆を完成させる。そして、精製した金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置いて日本政府を脅迫、交渉相手として山下を指名する。誠の第一の要求は「プロ野球のナイターを試合の最後まで中継させろ」。電話を介しての山下との交渉の結果、その夜の巨人vs.大洋戦は急遽完全中継される。快哉を叫ぶ誠は山下に「俺は『9番』」と名乗る。第二の要求を何にするか思いつかずに迷う誠は、愛聴するラジオDJ・ゼロこと沢井零子(池上季実子)を巻き込む。「「太陽を盗んだ男」西田.jpg「「太陽を盗んだ男」04.jpg公開リクエストの結果、誠の決めた第二の要求は「ローリング・ストーンズ日本公演」。これにも従わざるを得ない山下だったが、原爆製造のため借金したサラ金業者(西田敏行)に返済を迫られた誠が出した第三の要求は「現金5億円」。山下は、逆探知時間を把握し、ギリギリまで電話で話す誠の性癖を逆手に、電電公社に電話の逆探知時間を短縮させる罠を仕掛ける。作戦は的中し、誠が東急デパート屋上から電話をしていることが判明、デパート出入口を警察が封鎖する。誠はトイレに駆け込むも、歯茎からの出血や吐き気などの被爆症状の進行を悟る。封鎖を突破することが困難とみた誠は、山下に原爆の在りかを教え、原爆のタイマー解除を交換条件として、用「「太陽を盗んだ男」s.jpg意した5億円を屋上からばら撒くことと封鎖を解くことを指示。万札が空から降ってきて大騒ぎになる街中を誠は逃げ切る。原爆を回収した山下らは、起爆装置を解除するも、解体作業は翌朝になる。誠は原爆が保管されているビルを襲い、原爆を奪取す「「太陽を盗んだ男」ss.jpgると車で逃走、追跡する警察とのカーチェイスの際に零子が事故の巻き添えになる。ローリング・ストーンズ公演の日、山下と誠は対峙する。ストーンズの来日はもともと予定されておらず、観客にわざと暴動を起こさせ全員まとめて逮捕、その中から犯人を洗い出すという作戦だった。誠は山下を、原爆を置いていたビルの屋上まで連れて行って銃で撃つが、銃弾を何発も身に受けながら、山下は誠を道連れにしようと屋上から転落する。山下は全身打撲で殉職、誠はどうにか生き長らえる。誠は被爆で弱った上に転落の怪我の流血が止まらないまま、原爆を持ちながら街を歩き、やがて30分が過ぎる―。

 長谷川和彦監督の'79年公開作(同監督の監督作は「青春の殺人者」('76年/ATG)とこれのみ)。「キネマ旬報 日本映画ベスト・テン」第2位(同読者選出日本映画ベスト・テン第1位)、「毎日映画コンクール」監督賞(長谷川和彦)、「報知映画賞」作品賞・主演男優賞(沢田研二)、「日本アカデミー賞」最優秀助演男優賞(菅原文太)などを受賞。

 脚本は当初は村上龍が予定されていたが、彼の仲介者だった長谷川和彦自身が村上案を没にし、'77年に渡米先で知り合ったレナード・シュレイダー(シドニー・ポラック監督・高倉健主演「ザ・ヤクザ」('74年/米)の原作者でもある)に依頼、レナード・シュレイダーはドストエフスキー張りの脚本を書き上げたとのこと。当初は中学教師・城戸が犯行に「新幹線大爆破」高倉.jpg及ぶ理由として、校長と喧嘩するとか色々と案はあったようですが、同じくパニック映画である「新幹線大爆破」('75年/東映)で高倉健が新幹線を爆破するにはそれなりに理由があるものの、それが映画をつまらなくしていると長谷川和彦は考えたため、主人公の家族の関係など全てカットし、都会で孤独に生きる中学校教師という人物造型にしたとのこと。この目論見は成功しており、犯人の無目的性がこの作品を「新幹線大爆破」などより面白く、また深くしています。

 山本又一朗プロデューサーは萩原健一を主役の中学教師役に想定していたようです。長谷川和彦は警部のイメージを「鬼警部」として描いていたため、高倉健に話を持って行ったら、高倉健から「原爆を作る方をやりたい」と言われ(「新幹線大爆破」でも犯人役を演じたから?)、長谷川和彦は原爆を作る中学教師はちゃらんぽらんな男として描きたかったため高倉健のイメージと合わず、結局は高倉健からも断られます。そこで、以前から新宿ゴールデン街の飲み友達だった菅原文太に出演依頼すると快諾を得、その菅原文太から「主役にはジュリーなんかどうなの?」との提案を受けて沢田研二になったそうです(長谷川和彦は沢田研二主演のTVドラマ「悪魔のようなあいつ」('75年/TBS、全」17話)の脚本を書いていた)。

 因みに、長谷川和彦は、石川達三原作・神代辰巳監督・萩原健一主演の「青春の蹉跌」('74年/東宝)で脚本を務め、主人公をアメフト選手にする原作には無い設定を入れ(長谷川和彦は東大アメフト部出身)、萩原健一演じる主人公が試合するシーンは、明大と東大のアメフト部員を動員して、長谷川和彦が自分でメガホンを取ったとのことで、萩原健一が主役を演じる可能性もかなりあったように思います。でも、この映画は沢田研二を使ったことで成功していると思うし、また、菅原文太も渋くて良かったです(長谷川和彦からヤクザ風の演技に何度もダメ出しされたのを、役者魂でよく耐えたとか)。

 犯罪映画としては、今村昌平監督の 「復讐するは我にあり」('79年/松竹)に迫る面白さです。途中、巻き添えであっさり死んでしまう池上季実子に対し、ラストで、何発撃たれても「新幹線大爆破」高2.jpgなかなか死なない菅原文太など、リアリティを外した場面もありましたが(没シーンも多かったようだ。主人公が小学校のプールにプルトニウムを撒いて多くの子供が死体となって浮き上がるシーンは、当初の"現実の出来事"の予定から"主人公の想像"に置き替わった)、「新幹線大爆破」で最後に射殺される主人公は高倉健のイメージにそぐわなかったのに対し、取り敢えずは生き延びるこの映画の主人公は、まずますジュリーのイメージに合っているのでは(「新幹線大爆破」の宇津井健演じる運転指令長運頼み的行動も疑問)。

「「太陽を盗んだ男」p.jpg「「太陽を盗んだ男」0ss.jpg ラストの沢田研二を羽交い絞めにし、一緒にビルの屋上から落ちようとする菅原文太の「行くぞ『9番』」というセリフは菅原文太の案で、元々は長谷川和彦自身が脚本でそう書いていたものの、ホモセクシュアルの暗示が露骨なため、「死ぬぞ『9番』」に変更していたところ、菅原文太から「行くぞ『9番』」でという提案があったそうで、菅原文太はこれがどんな映画かよく分かっていた?

 意外と原爆製造シーンが丹念に描かれていたし、誠が液体プルトニウム強奪のため東海村の原発に潜入するシーンは「ミッション:インポッシブル」('96年/米)みたい。冒頭の日本兵の軍装で皇居に突撃しようとするバスジャック犯を演じた特別出演の伊藤雄之助(1919-1980)は怪演。池上季実子は、演技はクサいけれども、ヘドロの東京湾に飛び込んで体を張っていました。当時の新宿や渋谷の街並みも懐かしく、貴重映像と言っていいくらい('79年夏公開の映画「スーパーマン」('78年/米・英)の看板があった)。突っ込みどころも多いけれど、長谷川和彦にもっと作品を撮って欲しかったと思わせる力作。なかなか劇場で観る機会が無かったというレア感なども加味して、評価は★★★★☆としました。

「「太陽を盗んだ男」ぽ.jpg「「太陽を盗んだ男」4.jpg「太陽を盗んだ男」●制作年:1979年●監督:長谷川和彦●製作:山本又一朗●脚本:長谷川和彦/レナード・シュレイダー●撮影:鈴木達夫●音楽:井上堯之/星勝●原作:レナード・シュレイダー●時間:147分●出演:沢田研二/菅原文太/池上季実子/北村和夫/神山繁/佐藤慶/伊藤雄之助(特別出演)/汐路章/市川好朗/石山雄大/森大河/樽仙三/中平哲仟/江角英明/風間杜夫/草薙幸二郎/小松方正/西田敏行/水谷豊●公開:1979/10●配給:東宝●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-07-19)(評価:★★★★☆)
  
西田敏行「太陽を盗んだ男」.jpg 太陽を盗んだ男 水谷2.jpg
西田敏行(サラ金の取り立て屋)/水谷豊(警官)・沢田研二(老人に扮して警官から拳銃を奪取する理科教師・城戸誠)

「新幹線大爆破」p.jpg「新幹線大爆破」●制作年:1975年●監督:佐藤純弥●脚本:小野竜之助/佐藤純弥●撮影:飯村雅彦/山沢義一/清水政郎●音楽:青山八郎●時間:152分●出演:高倉健/千葉真一/宇津井健/山本圭/郷鍈治/織田あきら/竜雷太/宇津宮雅代/藤田弓子/多岐川裕美/志穂美悦子/渡辺文雄/福田豊土/田坂都/十勝花子/片山由美子/風見章子/岩城滉一/小林稔侍/阿久津元/黒部進/河合絃司/志村喬/山内明/永井智雄/鈴木瑞穂/(以下、特別出演)丹波哲郎/北大路欣也/川地民夫/田中邦衛●公開:1975/05●配給:東映(評価:★★☆)

宇津井健(倉持運転指令長)/高倉健(主人公・沖田哲男)/山本圭(元過激派・古賀勝)
千葉真一(ひかり109号・青木運転士)/小林稔侍(ひかり109号・森本運転士)
「新幹線大爆破」001.jpg

丹波哲郎(特別出演:須永警察庁刑事部長)/北大路欣也(特別出演:空港で張り込む刑事)/田中邦衛(古賀勝(山本圭)の兄)
山内明(内閣官房長官)・永井智雄(国鉄新幹線総局長)・志村喬(国鉄総裁)/鈴木瑞穂(花村警察庁捜査第一課長)・渡辺文雄(宮下義典国鉄公安本部長)・青木義朗(千田刑事)
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爽快感があった「バニシング・ポイント」。「イージー・ライダー」より好みか。

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バニシング・ポイント
イージー・ライダー.jpg イージー・ライダー9.jpg イージー・ライダー3.jpg
イージー・ライダー
「バニシングポイント」2.jpg 1970年代のアメリカ、新車の陸送を仕事としている男コワルスキー(バリー・ニューマン)は、請け負った「白の1970年型ダッジ・チャレンジャー」の陸送で、翌日の午後3時までの15時間でコロラド州デンバーからサンフランシスコまで到着させるという賭けをすることになった。途中、スピード違反で警察に追いかけられ、派手に騒ぎを起こして振り切ったことを地方ラジオ局の盲目の黒人DJ・スーパー・ソウル(クリーヴォン・リトル)に放送されたこともあって、他愛のない賭けは思わぬ大騒動へと発展する。かつてベトナム戦争に従軍した退役アメリカ陸軍軍人であり、レースドライバーであり、警官であったこともあり、そして愛す[「バニシングポイント」.jpgる女を失った男であるコワルスキーは、数々の障害が降りかかろうと、道々に追跡してくる警察を蹴散らし、ただひたすら車を走らせ続ける。そんな彼に対して、スーパー・ソウルを始め、共感するものたちの輪が広がっていき、ある者は協力し、またある者は声援を送った。その有様を苦々しく思う警察は、威信にかけてコワルスキーを止めようと異常なまでの検問をひく。しかし、コワルスキーは自らの消失点(バニシング・ポイント)に向かうかのようにアクセルを踏み続けるのだった―。

「バニシングポイント」シャロ十.jpg この「バニシング・ポイント」('71年)という映画は、まずイギリスで公開され、シーンをカットしてからアメリカ、日本で公開されたために、イギリス公開版にのみ存在するシーンと出演者がいます(行きずりのヒッチハイカー役で出ているシャーロット・ランプリングなど)。公開当時の米国で興行的には奮いませんでしたが、日本では第45回(1971年度)キネマ旬報ベストテンで第5位に選ばれており、米国でもカルト的な人気がある作品です。今回4Kデジタルリマスター版を劇場で見ることが出来ました。

 コロラド州デンバーからサンフランシスコまでの2,000キロを不眠不休、15時間で⾛り切るというコワルスキーの姿を、体制も反体制も超越した乾ききった精神性で鮮烈に描いており、既存の体制や⽂化への反抗や、現実に敗北する主⼈公の姿を描いた多くのニューシネマとは⼀線を画し、何も求めない主⼈公の虚無感が全篇を貫いているように思われます。

 よく比較されるのが、アメリカン・ニューシネマの代表的映画とされる「イージー・ライダー」('69年)ですが、こちらは―、

「イージー・ライダー.jpg メキシコからロサンゼルスへのコカインの密輸で大金を得たワイアット(ニックネームはキャプテン・アメリカ)(ピーター・フォンダ)とビリー(デニス・ホッパー)が、金をフルカスタムされたハーレーダビッドソンのタンク内に隠し、カリフォルニアからマルディグラ(謝肉祭「イージー・ライダー」3.jpg)の行われるルイジアナ州ニューオーリンズを目指して旅に出るというもの。カトリック信者の農夫の家でランチをご馳走になったり、ヒッチハイクをしていたヒッピーを拾って彼らのコミューンへ立ち寄ったりと気ままな旅を続ける二人。旅の途中、無許可で祭りのパレードに参加したことを罵られ、留置場に入れられると、そこで若い弁護士ハンセン(ジャック・ニコルソン)と出会い意気投合。ハンセンの口利きで釈放された2人は、ハンセンと共にルイジアナ州ニューオーリンズに向けての旅を続けるが、「自由」を体現する彼らは行く先々で沿道の排他的な人々の思わぬ拒絶に遭い、ついには殺伐としたアメリカの現実に直面する―。

 クルマとバイクの違いはありますが、自由を求めて旅するロードムービーでありカウンターカルチャーを反映し、マリファナやコカインが出てきて反体制・反権力を象徴しているなど、共通点も多いです。ただ、個人的には「バニシング・ポイント」の方が好みでしょうか。

 両者の違いとしては、まず、「イージー・ライダー」は意外と"安全走行"(笑)しているのに対し、「バニシング・ポイント」にはスピードの魅力があります。これは、娯楽映画としては大きなポイントです。

 また、二人が行き当たりばったりの旅をする、脚本のないヌーヴェルヴァーグ的な作りの「イージー・ライダー」に対し(この点もアメリカン・ニューシネマの代表的映画とされる理由の1つか)、「バニシング・ポイント」の冒頭とラストは繋がっており、こちらは予めよく練られた脚本のように思われます。

 「バニシング・ポイント」の主人公のコワルスキーはずっと一人でいるため、リアルタイムでのセリフはほぼ無く、代わりに過去の出来事が何度もフラッシュバックされることで、主人公の内面が浮かび上がる(観る者に考えさせる)ようになっていて、これも自分の好みです。

 「イージー・ライダー」のラストが哀しいのに対し、「バニシング・ポイント」のラストは壮絶ながらも意思的であり、爽快感があったように思いました。もちろん「イージー・ライダー」は"哀しい"で済ませていい映画ではなく、社会の"違和感"を暴力で排除する時代を鋭く抉った、アメリカン・ニュー・シネマの代表作として歴史に残る作品ではありますが、両方を比べた場合は、観る人の好みで評価が分かれるのではではないでしょうかで。個人的には、「バニシング・ポイント」が「イージー・ライダー」ほどに知られていないことへの判官贔屓もあるかもしれません。

「バニシングポイント」シャロッと.jpg「バニシング・ポイント」1971.jpg「バニシング・ポイント」●原題:VANISHING POINT●制作年:1971年●制作国:アメリカ●監督: リチャード・C・サラフィアン●製作:ノーマン・スペンサー●脚本:ギレルモ・ケイン(ギリェルモ・カブレラ=インファンテ)●撮影:ジョン・A・アロンゾ●時間:105分●出演:バリー・ニューマン/クリーヴォン・リトル/リー・ウィーバー/カール・スウェンソン/ディーン・ジャガー/スティーブン・ダーデン/ポール・コスロ/ボブ・ドナー/ティモシー・スコット/ギルダ・テクスター/アンソニー・ジェームズ/アーサー・マレット/ビクトリア・メドリン/シャーロット・ランプリング(イギリス公開版のみ)●日本公開:1971/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:シネマート新宿(スクリーン1)(23-04-04)((評価:★★★★)

新宿シネマート .jpgシネマート新宿(新宿3丁目「新宿文化ビル」4・5階)スクリーン1(335席)・スクリーン2(62 席)。
2006(平成18)年12月9日、旧「文化シネマ2・3」が「シネマート新宿1・2」、「旧文化シネマ1・4」が「新宿ガーデンシネマ1・2」として、として再オープン、2008(平成20)年6月14日「新宿ガーデンシネマ1・2」が「角川シネマ新宿1・2」に改称。2018(平成30)年7月休館、同月「角川シネマ新宿1」はアニメ作品のみを上映する「EJアニメシアター新宿」に改称、角川シネマ新宿2」は「アニメギャラリー」としてリニューアルオープン。
「バニシング・ポイント」シネマート.png 2023年4月4日「シネマート新宿」

「イージー・ライダー」デニス.jpg「イージー・ライダー」●原題:EASY RIDER●制作年: 1969年●制作国:アメリカ●監督:デニス・ホッパー●製作:ピーター・フォンダ●脚本:デニス・ホッパー/ピーター・フォンダ/テリー・サザーン●撮影:ラズロ・コヴァックス●音楽:ザ・バンド/ザ・バーズ/ホーリー・モーダル・ラウンダーズ/ザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンス/ロジャー・マッギン/ステッペンウルフ●時間:94分●出演:ピーター・フォンダデニス・ホッパージャック・ニコルソン/アイージーライダー カレン&ジャック.jpgントニオ・メンドーサ/カレン・ブラック/ルーク・アスキュー/ロバート・ウォーカー・jr/ルアナ・アンダース /トニー・バジル/フィル・スペクター●日本公開:1970/01●配給:コロンビア映画●最初に観た場所(再見):早稲田松竹(17-05-07)(評価:★★★☆)●併映:「地獄の黙示録」(フランシス・フォード・コッポラ)

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面白かったが重厚さはさほどなかった。映画化でますます浅くなった感じがした『人間の証明』。

『人間の証明』1976単行本.jpg 『人間の証明』1977角川文庫.jpg 『人間の証明』1997カッパノベルズ.jpg 『人間の証明』講談社文庫.jpg.png
『人間の証明』2004.jpg 『人間の証明』20047カッパノベルズ.jpg 『人間の証明』2015.jpg 「人間の証明」dvd.jpg 「人間の証明」b.jpg
『人間の証明』['76年/角川書店]/['77年/角川文庫]/['83年/講談社文庫]/['97年/カッパ・ノベルズ]『新装版 人間の証明 (角川文庫)』['04年]『人間の証明 (カッパ・ノベルス) 』['04年]『人間の証明 (角川文庫)』['15年]「人間の証明 角川映画 THE BEST [DVD]」「人間の証明 角川映画 THE BEST [Blu-ray]
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 東京・赤坂にある「東京ロイヤルホテル」のエレベーター内で、胸部を刺されたまま乗り込んできた黒人青年ジョニー・ヘイワードが死亡した。麹町署の棟居弘一良刑事らは、ジョニーを清水谷公園から東京ロイヤルホテルまで乗せたタクシー運転手の証言から、車中で彼が「ストウハ」という謎の言葉を発していたことを突き止める。さらに羽田空港から彼が滞在していた「東京ビジネスマンホテル」まで乗せた別のタクシーの車内からは、ジョニーが忘れたと思われる恐ろしく古びた『西條八十詩集』が発見された。一方、バーに勤めていたとある女性が行方不明になる。夫の小山田は独自に捜索をし、妻・文枝の浮気相手である新見を突き止めるが文枝の居場所は分からなかった。文枝はこの時点で轢死しており、犯人は政治家郡陽平とその妻の家庭問題評論家・八杉恭子の息子・郡恭平だった。恭平は車の運転中、スピンを起こし文枝をはねてしまったのだ。発覚を怖れた恭平は同棲相手の路子と共に遺体を東京都西多摩郡の山林へ隠す。その後路子の勧めで身を隠すため、路子を伴ってニューヨークへ渡った。棟居刑事は「ストウハ」がストローハット(麦わら帽子)を意味すると推理した。また、事件現場であるホテルの回転ラウンジの照明が遠目には麦わら帽子のように見えるため、ジョニーがそれを見て現場に向かったのだと解釈した。また、タクシーから発見された詩集の中の一編の詩が「麦わら帽子と霧積(きりづみ)という地名」を題材としていたことと、ジョニーがニューヨークを去る際に残した「キスミー」という言葉から、捜査陣は群馬県の霧積温泉を割り出した。棟居らが現地に向かうと、ジョニーの情報を知っているであろう中山種という老婆がダムの堰堤から転落死していた。群馬県警は転落による事故と考えていたが棟居らは殺人事件と主張する。棟居らは中山種の本籍のある富山県八尾町へ向かう。そして捜査の中で、八杉が八尾出身であることを偶然発見する。更にアメリカ側からの捜査により、ハーレムに住むジョニーの父親が資産家アダムズの車に飛び込み示談金を得て、ジョニーの渡航費を捻出したことがわかる。父親はその後死亡した。新見によるひき逃げ事件の捜査も進み、現場に残されていた熊のぬいぐるみの所持者が恭平であること、ぬいぐるみに付着していた血液が文枝のものであることが明らかになると、新見は単身ニューヨークへ飛び、恭平からひき逃げと死体遺棄を白状させた。同じ頃、文枝の遺体がハイカーの大学生アベックに山中で発見され、その現場に恭平のコンタクトケースが落ちていたことで、犯人は恭平と断定された。新見から、恭平と路子の身柄が警察へ引き渡された。八杉とジョニーは生き別れた母子だった。ジョニーの父親は八杉と恋人同士であったが、当時は米国軍人と正式な結婚をすることが出来ず、親子3人で霧積温泉へ旅行した後、父親は二歳になるジョニーを連れて米国へ帰国し、日本に残された八杉は勧められるままに郡と見合結婚をした。ジョニーの存在が世間に知れ渡り、過去に黒人と関係を持っていた事実が露見することを恐れた恭子は自分に会いに来日したジョニーを殺害し、事情を知っている中山種も殺していた―。

 作者が、1975年に父を引き継ぎ角川書店社長に就任した角川春樹から、「作家の証明書になるような作品を書いてもらいたい」と依頼されて書いた作品で、1975年に旧「野性時代」(角川書店)で連載されました。1976年・第3回「角川小説賞」受賞作。

 映画監督の押井守氏が対談で、「『人間の証明』というのは松本清張みたいな話じゃん。『ゼロの焦点』とかあの辺の話だよね。戦後に暗い過去があって混血児を生んだ女が、いまはセレブになってるんだけどその息子が会いに来て、結局殺しちゃいましたというさ。これってまるっきり松本清張だよ」と言っていましたが、まさにそうだと思いました(「ストウハ」がストローハット(麦わら帽子)を意味したというところなどは、『砂の器』の「亀田」が「亀嵩」だったというのを想起させる)。

 テンポよく読めて面白く、様々な伏線もちゃんと繋がっていて、文庫の解説で横溝正史が評価し、帯で宮部みゆき氏が推薦しているのも分かります。ただ、松本清張作品ほどの重厚さは感じられなかったでしょうか。戦後の闇市で強姦されかけていた恭子を助けた棟居の父は、米軍兵士たちに袋叩きにあって命を落としていますが、その米軍兵の一人がケン・シュフタン刑事だったというのも、あまりに偶然が過ぎて、ご都合主義的な気がしました(一方で、ケン・シュフタン刑事が混血だったと最後に出てくるが、途中どこにもその説明が無かったのが不可解)。

「人間の証明」03.jpg 1977年、角川春樹事務所製作の第2弾として映画化され、八杉恭子を演じた岡田茉莉子は、角川春樹と作者で直接を出演依頼し、松田優作、ジョージ・ケネディらが日本映画で初めて本格的なニューヨークロケをしたとのこと。映画は途中までは原作に比較的近いですが、原作では棟居とケン・シュフタンの刑事同士接触はなく、棟居(松田優作)がアメリカに行ってケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ)に会う辺りから急激に原作を外れてしまいます。作者自身は「映像化にOKを出した時点で、嫁に出すようなもの。好きに料理してくれ、という考えです」と言い、原作にはない米国ロケでアクションを繰り広げた松田優作にも感謝していたそうですが...。

「人間の証明」松田ハナ.jpg それにしても原作から外れすぎ、と言うか、いろいろ付け加えすぎて、ますます浅くなった感じ。八杉恭子の息子・恭平(岩城滉一)は 、ヘイワード殺しの犯人を追っていたはずのニューヨーク市警ケン・シュフタン刑事(ジョージ・ケネディ)に射殺されるし、息子の死の知らせを受けた八杉恭子は、授賞式の舞台で「あの子は私の生きがいです。 あの子は私の麦わら帽子だったんです。 私はすでに一つの麦わら帽子を失っています。 だからもう一つの麦わら帽子を失いたくなかったんです」という、黒人の息子より恭平の方が大事だったみたいな演説をぶって、最後は霧積まで行って『ゼロの焦点』よろしく自殺するし―。

「人間の証明」岡田.jpg 莫大な宣伝費をかけたメディアミックス戦略の効果で映画はヒットし、実際、観た人の中には感動したという人も少なくなかったようですが、映画評論家からは酷評されました(第51回「キネマ旬報ベスト・テン」では第50位、読者選出では第8位)。「山本寛斎のファッションショーが延々と長すぎる」「松田優作が、テレビドラマのジーパン刑事そのままで何とも異様」等々。小森和子は雑誌の映画評で「日米合作としては違和感のない出来上がり。ただすべてが唐突な筋立て」と述べたように、滅多に悪く批判しない映画評論家までが映画作品としての密度の希薄さを指摘し、特に大黒東洋士と白井佳夫の批判がキツ過ぎ、この二人は角川関連の試写会をボイコットされたそうです。出演した鶴田浩二も映画誌で、「製作に12億かけて宣伝に14億かけるなんて武士の商法じゃない。本来、宣伝費は製作費の1割5分か2割でしょう。これは外道の商法です」と角川商法を批判しました。

「人間の証明」松田.jpg 批判の多さに原作者の森村誠一自身が激怒し、「作品中のリアリティと現実を混同したり、輪舞形式をとった設定をご都合主義と評したりするのは筋違いの批評...映画評論家は悪口書いて、金をもらっている気楽な稼業。マスコミ寄生人間の失業対策事業で、マスコミのダニ」などと映画評論家を猛烈に批判したとのことです。

 いずれにせよ、メディアミックス戦略等で映画業界に1つ革新をもたらしたのは事実だと思いますが、そうしたビジネス上の功績と併せて、角川映画ってこんなものだという質的評価は、良くも悪くも映画「人間の証明」で定まってしまったように思います。

「人間の証明」劇場.jpg

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野性の証明 単行本.jpg「野性の証明」図3.jpg 作者は、『人間の証明』の発表翌年に『野性の証明』を発表、東北の寒村で大量虐殺事件が起き、その生き残りの少女と、訓練中、偶然虐殺現場に遭遇した自衛の二人を主人公に、東北地方のある都市を舞台にした巨大な陰謀を描いた作品でした。こちらも発表翌年に高倉健、薬師丸ひろ子主演で映画化されましたが、大掛かりな分、多分に大味な映画になっていました。結局、高倉健演じる自衛隊の特殊部隊の隊員(味沢岳史)がある集落でたまたま正当防衛的に住民を殺してしまい、いろいろな経緯があって、薬師丸ひろ子演じる集落の生き残りの少女を守りながら、三國連太郎演じる日本のある地方を牛耳ってるボスと戦うというわけのわからない話である上に、映画では誰もが簡単に人を殺し、味沢もまたその例外ではなく、ラストも原作の味沢が細菌に侵されて狂人になってしまうというものではなく、異なる結末になっていました。まあ、とことん駄作にしてしまった感じ。結局は高倉健のカッコ良さも空回りしていて、お金をかけてこうした映画を撮る監督(どちらかと言うと製作者?)の気が知れないです。

「人間の証明」d.jpg「人間の証明」三船.jpg「人間の証明」●英題:PROOF OF THE MAN●制作年:1977年●監督:佐藤純彌●製作:角川春樹/吉田達/サイモン・ツェー●脚本:松山善三●撮影:姫田真佐久●音楽:大野雄二(主題歌:ジョー山中「人間の証明のテーマ」)●原作:森村誠一●時間:133分●出演:岡田茉莉子/松田優作/ジョージ・ケネディ/ハナ肇/鶴田浩二/三船敏郎/ジョー山中/岩城滉一「人間の証明」長門夏八木勲范文雀.jpg/高沢順子/夏八木勲/范文雀/長門裕之/地井武男/鈴木瑞穂/峰岸徹/ブロデリック・クロフォード/和田浩治/田村順子/鈴木ヒロミツ/シェリー/竹下景子/北林谷栄/大滝秀治/佐藤蛾次郎/伴淳「人間の証明」09.jpg三郎/近藤宏/室田日出男/小林稔侍(ノンクレジット)/西川峰子(仁支川峰子)/小川宏/露木茂/坂口良子/リック・ジェイソン/ジャネット八田/小川宏/露木茂/三上彩子/姫田真佐久/今野雄二/E・H・エリック/深作欣二/角川春樹/森村誠一●公開:1977/12●配給:東映(評価:★★★)

坂口良子(おでん屋の女将)/大滝秀治(おでん屋の客A)・佐藤蛾次郎(おでん屋の客B)
「人間の証明」m」.jpg「人間の証明」八田.jpg 「人間の証明」深作.jpg 「人間の証明」長門.jpg
森村誠一(ロイヤルホテル チーフ・フロントマネージャー)/ジャネット八田(ハーレムで写真屋を営む女性・三島雪子...写真提供:吉田ルイ子)/深作欣二(渋江警部補)・長門裕之(なおみ(范文雀)の夫・小山田武夫)

「人間の証明」出演者.jpg

「人間の証明」パンフ.jpg
   
「野性の証明」●制作年:1978年●監督:佐藤純彌●製作:角川春樹/坂上順/遠藤雅也●脚本:高田宏治●撮影:姫田真佐久●音楽:大野雄二(主題歌:町田「野性の証明」高倉.jpg義人「戦士の休息」)●原作:森村誠一●時間:143分●出演:高倉健/薬師丸ひろ子/中野良子/夏木勲 /三國連太郎(特別出演)/成田三樹夫/舘ひろし/田「野性の証明」[図3.jpg村高廣/松方弘樹/リチャード・アンダーソン/鈴木瑞穂/丹波哲郎/大滝秀治/角川春樹/ジョー山中/ハナ肇/中丸忠雄/渡辺文雄/北村和夫/山本圭/梅宮辰夫/成田三樹夫/寺田農/金子信雄/北林谷栄/絵沢萠子/田中邦衛/殿山泰司/寺田「野性の証明」3.jpg農/芦田伸介(特別出演)/角川春樹野性の証明 芦田.jpg/ジョー山中●公開:1978/10●配給:日本へラルド映画=東映(評価:★★)

田中邦衛(八戸市のバーのマスター)/殿山泰司(八戸市のおでん屋台の主人)
「野生の証明」パンフ.jpg

『人間の証明』... 【1977年3月文庫化[角川文庫]/1977年3月新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 人間の証明』)]/1983年再文庫化[講談社文庫]/1997年再文庫化[ハルキ文庫]/2004年再文庫化[角川文庫(『新装版 人間の証明』) ]/2004年再新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 人間の証明』)]/2015年再文庫化[角川文庫(2004年角川文庫版に「永遠のマフラー」を併録)]】
『人間の証明』s52.jpg


2025.6.5 蓼科親湯温泉にて
新湯『野生の証明』.jpg『野性の証明』2.jpg
『野生の証明』... 【1978年3月文庫化[角川文庫]/1978年3月新書化[カッパ・ノベルズ(『長編推理小説 野生の証明』)]/2004年再文庫化[角川文庫(『新装版 野生の証明』) ]/2015年再文庫化[角川文庫(2004年角川文庫版に「深海の隠れ家」を併録)]】   
森村 誠一(1933年1月2日 - 2023年7月24日/90歳没)
   
『野性の証明『』.jpg『野性にの証明』文庫.jpg
 
 
  
 
 
 
 
 
 

 

 
 
吉田ルイ子(1934年または1938年7月10日 - 2024年5月31日/89歳没2024年5月31日、老衰のため都内の介護施設で死去。89歳。
吉田ルイ子1.jpg吉田ルイ子2.jpg

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「作家生活を通して記念碑的な第一作」。若くして冷静に人を見る眼を持っていた。

『会社とつきあう法』0.jpg『悪徳セミナ―』.jpg 『悪徳セミナ―』文2.jpg
会社とつきあう法―サラリーマン悪徳セミナー (1977年) (ゴマブックス) 』['77年]/『サラリーマン悪徳セミナー―悪い奴ほど出世する! (1965年) (イケダ3Mブックス) 』['65年]/『サラリーマン悪徳セミナー (1980年) (角川文庫)

「森村誠一 死去」.jpg 先月['23年7月]24日に90歳で亡くなった森村誠一(1933-2033)の、本人が「私の作家生活を通して記念碑的な第一作」と言っていた著作。

 著者は1933(昭和8)年、埼玉・熊谷市生まれ。熊谷商工高等学校を卒業後、伯父の紹介で東芝系の自動車部品会社にいったん入社するも、そこを辞め、青山学院大学の文学部英米文学科に入学。大学卒業時は就職不況時代であったため、希望したマスコミ業界には就職できず、妻が新大阪ホテル(現リーガロイヤルホテル)の重役の姪だったこともあり、同ホテルに就職。1年後に東京の平河町にオープンした系列都市センターホテルに転勤するも、妻のコネという庇護から逃れるため、その頃オープンしたホテルニューオータニに自力で飛び込み転職、ホテル勤務は25歳から34歳まで通算9年に及んでいます。

 1959(昭和34)年26歳で都市センターホテルに移った際に、アパートの近くの貸本屋に内外の推理小説が集められていたのをきっかけに推理小説の世界に傾倒し、エラリー・クイーンに最も強い影響を受け、また、勤務先のホテルのすぐそば(紀尾井町)に文藝春秋の新社屋ができたことから、梶山季之、阿川弘之、笹沢左保など多くの売れっ子作家が来社するのに刺激を受け、自身も小説を書きたいという気持ちが強くなったそうです。

 1965(昭和40)年32歳で、同年4月から12月まで「総務課の実務」にサラリーマン向けのエッセイを雪代敬太郎の名義で連載(ホテルから副業は禁止されていた)、11月、それを再構成した『サラリーマン悪徳セミナー』('65年/池田書店)が刊行され、それが最初の著作であり、本書の基になっています(後に『サラリーマン悪徳セミナー』のタイトルのまま文庫化された('80年/角川文庫))。

横山白虹・松本清張.jpg 著者の公式サイトによれば、これをホテルの常連客であった元現代俳句協会会長・横山白虹氏に贈呈したところ、松本清張を紹介してもらうことになり、「その際、白虹氏に伴われて、5分間という約束で清張邸に赴いた私を、清張氏は一顧だにせず、白虹氏とばかり話していた。清張氏の注意を惹こうとして、私は清張氏のある作品のホテルの描写にミスがあると言ったところ、清張氏は初めてぎらりと眼鏡越しに私の方へ目を向けて、「どこがどうちがっているのか、言ってみたまえ」と言った。私がその箇所を説明すると、清張氏は奥さんにノートとペンを持参させ、「ホテルのフロントのシステムについて話してくれ」と言った。5分の約束が2時間の取材となって、辞去するとき、清張氏は上機嫌で、私の第1作に60字の推薦文を書いてくださった」とのこと。

横山白虹/松本清張(撮影:森村誠一)著者公式サイトより

 興味深い話です。本の内容はサラリーマン社会の本質を突いているため、現代でも通用するものであり、司馬遼太郎がサンケイ新聞社の記者時代に本名の福田定一名義で書いた『名言随筆 サラリーマン―ユーモア新論語』('55年/六月社、後に『ビジネスエリートの新論語』('16年/文春新書)として新書化)を想起させられました。

『会社とつきあう法』1.jpg ゴマブックスのカバー解説は作家の高木彬光で、「鋭い作家の眼と筆であらわしたサラリーマンの哀歓図、涙あり笑いあり怨念あり、千差万別の生態が見事に描き出されている」と称賛しています。個人的印象としては、非常にロジカルに分かりやすく書かれていると思われ、この作家はもともと文章力と理論構築力があったのだなあと感じたのと、32歳くらいでこれだけ人間を識別する眼を持っていたという、その冷静な洞察力に感心させられました(30代前半の人間が書いたようには思えない)。

 ベストセラー作家として順風満帆の人生を送ったわけではなく、晩年はうつ病になったり認知症を発症したりしていましたが、自分自身に起きたそれらのことをテーマに本を出したりして、ある意味最後まで「作家」だった人かもしれません。

【1980年文庫化[角川文庫(『サラリーマン悪徳セミナー』)]】

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切なく美しい物語。漫画であることによって入り込みやすかった。
『五色の舟』近藤.jpg 『五色の舟』宇野.jpg 『五色の舟』近藤・宇野6.jpg
五色の舟 (ビームコミックス)』['14年]『五色の舟』['23年]

 2014年・第18回「文化庁メディア芸術祭マンガ部門」大賞受賞作。

 先の見えない戦時にありながら、見世物小屋の一座として糊口をしのぐ、異形の者たちの家族がいた。未来を言い当てるという怪物「くだん」を一座に加えようとする家族を待つ運命とは―。

 昨年['22年]10月に亡くなった広島県出身の被爆二世作家・津原泰水(1964-2022/58歳没)の幻想短編「五色の舟」(『11 eleven』('11年/河出書房新社)所収)の漫画化作品。原作は、2014年「SFマガジン」700号記念企画「オールタイム・ベストSF」国内短篇部門で第1位となっています。

 切なく美しい物語です。原作者は、見世物一座の惨めさではなく、勇気凛々たる5人を描いたとしています。漫画であることによって入り込みやすかったかもしれません。作者は、「見えないものを捉え、可視化する力」が素晴らしい漫画作家とされていて、原作者もこの漫画化の話があった時はどうせ実現しないと思っていたのが、出来上がったものを見て絶賛しています。

 概ね原作に忠実である一方、終盤の「殺されていたはずの人々」「消し去られていたはずの街」は漫画のオリジナルですが、原作自体にもGHQの総司令官マッカーサーが片腕片脚であるなどのメタバース的要素があり、全体としては原作の雰囲気を損ねてはいないのでは(原作者もその部分について「綿密な調査に基づき活き活きと描かれていることに注目されたい。原作には無い、近藤さんの創意と熱意の賜物だ」としている)。

宇野亜喜良) 『五色の舟』.jpg 原作の所収本は文庫にもなっていますが、今年['23年]、原作者本人の企画立案により、宇野亞喜良氏が18点の挿画を描き下ろし、さらにToshiya Kamei氏による英訳(初訳)を対訳で収録した「ヴィジュアル版五色の舟」とも言える本が刊行されています(書店に並ぶ前に原作者が亡くなったのは惜しまれる)。宇野亞喜良のイメージに引っ張られる感はありますが、宇野亞喜良が好きな人にはいいと思います。

 因みに、昔、花園神社・酉の市の見世物小屋を観ましたが、おどろおどろしい〈蛇女〉とか〈牛女〉の幕絵の前でじりじり待たされる感じは何とも言えないものがありました。結局、〈蛇女〉は「五色の舟」の桜と同様、肌にウロコのペイントをし、細い小さな蛇を飲み込む"普通の人"で、〈牛女〉については、「五色の舟」の清子さん同様"逆関節"の人で、最後に実は「気の毒な身体障碍者です」的なアナウンスがありました。

 昭和50年代以後、未認可状態で身体障害者を舞台に出演させて見世物とする事などに対して取締りが行なわれるようになって見世物小屋が減少し、現在ある認可興行主は大寅興行社1社のみ。それが下記の通り、季節ごとに各地を巡業しているようです。
 5月 ― くらやみ祭(府中市/大國魂神社)
 6月 ― 札幌まつり(札幌市/中島公園)
 7月 ― みたままつり(千代田区/靖国神社)
 9月 ― 放生会(福岡市/筥崎宮)
 10月 ― 川越まつり(川越市/蓮馨寺)
 11月 ― 酉の市(新宿区/花園神社)
 12月 ― 十二日まち(さいたま市浦和区/調神社)。

 1社だけ残っているということは、"残している"ということなのでしょうか。〈角兵衛獅子〉などは、あれも元々は見世物興行的なものだったわけですが、「角兵衛獅子保存会」なんていうのがあったりしますが。

花園神社 酉の市.jpg

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当事者性問題を超えた力や巧みさがあった。ラストは評価が分かれるか。

Iハンチバック.jpg『ハンチバック』.jpg 市川 沙央.jpg 市川沙央 氏
ハンチバック

 2023(平成5)年・第128回「文學界新人賞」、2023(平成5)年上半期・第169回「芥川賞」受賞作。

 井沢釈華の背骨は右肺を押しつぶす形で極度に湾曲し、歩道に靴底を引きずって歩くことをしなくなって、もうすぐ30年になる。両親が終の棲家として遺したグループホームの、10畳ほどの部屋から釈華は、某有名私大の通信課程に通い、しがないコタツ記事を書いては収入の全額を寄付し、18禁TL小説をサイトに投稿し、Twitterの零細アカウントで「生まれ変わったら高級娼婦になりたい」とつぶやく。幼少期に「背骨の曲がらない正しい設計図に則った人生」の道から外れた釈華は、「普通の人間の女のように子どもを宿して中絶するのが私の夢」だと思う。釈華のもとには、ヘルパーが訪れていた。両親の配慮で、入浴介護は必ず同性のヘルパーが付き添うようにしていたが、コロナ禍の中どうしても人員調整ができず、釈華の了承のもと男性ヘルパーの田中が来るようになった。入浴介護は何事もなく終わったが、その後、急に田中から、釈華が運用しているTwitterの話題をされる。田中は釈華のTwitterアカウントを特定していたのだ。釈華の中絶への興味を知った田中は、そこから思わぬ行動に出て―。

 先天性ミオパチーによる側弯症の主人公は、作者も同様の境遇であり、当事者ということになります。選考員会での圧倒的な推挙を経ての芥川賞受賞です。特に、平野啓一郎、吉田修一、山田詠美、川上弘美の4氏が推しましたが、9人の選考委員の内これだけ◎評価の人がいれば、まあ「決まり!」という感じでしょう。実際、芥川賞受賞作にしては珍しく(笑)読ませる作品でした。

 選評で平野啓一郎氏は「難病当事者としての実人生が色濃く反映された作品だが、健常者優位主義の社会が『政治的に正しい』と信じる多様性に無事に包摂されることを願う、という態度とは根本的に異なり、障害者の立場から社会の欺瞞を批評し、解体して、再構成を促すような挑発に満ちている」とし(◎積極的賛成)、島田雅彦氏は「露悪を突き抜け、独特のヒューモアを醸し出し、悟りの境地にさえ達している」と評しています(○賛成)。一方、松浦寿輝氏は「フェラチオの挿話をはじめ、複雑な層をなしているはずの主人公の心象の、いちばん激しい部分を極端に誇張する露悪的な表現の連鎖には辟易としなくもない」とも(□消極的賛成)。

 こうした選評で少し気になるのは、「当事者小説」であることがどれぐらい議論されたかということですが、選委委員の最終的なコメントを見ると、そのあたりの議論はスルーされている印象も受けます。そうした当事者性問題を超えた力や巧みさがあったということでしょう。その点は個人的に異論は無いのですが、この作品に賞を与えるということが先に決まって、そのためにその議論を意図的にねぐってしまったような気がしなくもないです。

 作者が、「(障害の)当事者の作家がいなかったことを問題視してこの小説を書いた」とし、訴えたかったのは「障害者の場合、文化環境も教育環境も遅れている」ということだとして、「障害の当事者作家」と呼ばれること厭わないという態度表明をしていたことも影響があったのでは、という気もします。

 また、「文學界新人賞」の選考では、ラストシーンについて意見が別れたようで、どちらかというと否定的な意見が目立っていました。村田沙耶香氏は「この部分がなければもっとよかったという気持ちと、この部分がないこの小説に対して読み手が感じる良さはあまりに傲慢なのではないかという気持ち、両方に襲われ、何度読み返しても意見はまとまらなかった」とし、中村文則氏も「本編にあった明確な強度に対し、このわかりにくいラストでは合っていないと感じた」と。他の委員である金原ひとみ、青山七恵、阿部和重の3氏も、ラストには否定的な見解を述べています。

 普通、こうした話は、主人公が夢想するまでで、「そこから先」は行かないものが文芸小説では多い気がするのですが、この作品は「そこから先」に行っているところが衝撃的でした。一方で、ラストの部分は、これはやはり主人公のイマジネーションの世界なのでしょう。個人的には、ちょっと"戻ってしまった"感がありました。この部分を、主人公のさらなる"前進"と解するか、主人公の書く18禁TL小説の単なる延長に過ぎないと解するかで、評価が分かれるもしれません。個人的には露悪的な表現は気にならず(むしろ痛快)、このラストの曖昧さゆえに◎にしませんでした。

【2025年文庫化[文春文庫]】

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「荒地の家族」の方が好みか(女親より男親の方が感情移入しやすかった?)。

『荒地の家族』.jpg 『この世の喜びよ』.jpg 168回芥川賞3.png.jpg 佐藤厚志氏/井戸川射子氏
佐藤厚志『荒地の家族』 井戸川 射子『この世の喜びよ

 2022(平成4)年下半期・第168回「芥川賞」の「W受賞作」。

『荒地の家族』『この世の喜びよ』.jpg 厄災から12年が経った阿武隈川下流域の町・亘理町。一人親方として造園業を営む坂井祐治は、厄災の2年後に妻・晴美を病気で亡くし、再婚した妻・知加子は流産を経て自分から離れていき、今は自分と会うことを頑なに拒絶している。現在は母・和子と最初の妻との間の息子・啓太との3人暮らし。その息子は12歳、小学校6年生になった。時折甦る生々しい震災の記憶、いつまた暴れるかもしれない海と巨大な防潮堤、建物がなくなった広大な荒地。そして、亡くなった妻の幻影―「(荒地の家族」)。

 「荒地の家族」は、災厄後に妻を亡くし、再婚した妻ともうまくいかず、1人息子と母親の3人で海辺の町で一人親方の仕事(造園業)を営み暮らしている主人公の心情を淡々と描いた作品。主人公に絡むいろいろな登場人物がいますが、同級生の明夫の生き様が主人公と対称的で。印象に残ったでしょうか。芥川賞受賞作には過去にも沼田真佑の『影裏』(2017)など"震災小説"がありますが、『影裏』より良かったでしょうか。佐藤康志(名前が似ている)の『そこのみにて光輝く』(1989)などの小説と似た雰囲気を感じました。


 娘たちが幼い頃、よく一緒に過ごした近所のショッピングセンター。その喪服売り場で働く「あなた」は、フードコートの常連の中学3年生の少女と知り合い、仲良くなったその子を自分の娘のように扱う。少女と言葉を交わすうち「あなた」は、もう子育てを終えた自分の娘たちの幼少期を思い出したり、いつぞやの記憶に不意打ちされたりする―(「この世の喜びよ」)。

 「この世の喜びよ」は子育てを終えた母親が主人公で、その日常と思考が描かれており、子供(少女はヤング・ケアラーだったといことか)が親や大人に対する容赦ない厳しい視線が何とも悲しい一方、ラストは、"あなた"の過去と現在が一つに溶け合い、自己承認的な帰結へ。「この世の喜び」って、終えた子育てを振り返っての想いだとしたら結構ありきたりですが、芥川賞選考員の小川洋子氏が言うように「何も書かないままに、何かを書くという矛盾が、難なく成り立っている」のかも知れず、モチーフよりも技法をどう評価するかなのでしょう。


 その芥川賞選考では、選考委員の内、「荒地の家族」を強く推したのが山田詠美氏と吉田修一氏で、山田詠美氏は「震災を便利づかいしていない誠実さを感じた。そして、同時に、小説のセオリーを知り尽くした書き手だと思った」とし、吉田修一氏は「読後、胸に熱いものが込み上げてきた。フィクション/嘘が必死にもがいて掴みとった本当がここにはあった」としています。

 一方、「この世の喜びよ」を強く推したのは川上弘美氏と奥泉光氏で、川上弘美氏は「あらすじを説明しても、すぐには「すばらしい作品」とは予想できないような気がします」「ところが、いったん読み始めるや、わたしはこの小説の只事の中に引きこまれ、快楽をおぼえ、いつまでも読み終えたくなくなってしまったのです」とし、奥泉光氏は「受賞作たるに十分な技術の練磨があると考えた」としています。

 ともに二重丸が二人いたことから「W受賞」となったわけですが、興味深いのは、「荒地の家族」を強く推した選考委員は共に「この世の喜びよ」をさほど推しておらず、「この世の喜びよ」を強く推した選考委員は共に「こ荒地の家族」をさほど推していない点で、まあ、「非日常の中の日常」と「日常の中の非日常」、「徹底したリアリズム技法」と「意識の流れを二人称で描く技法」と、いろいろな意味で対照的な両作品であるため、むしろ評価が割れて当然なのかもしれません。

168回芥川賞.png
akutagawasyou2.jpg
 個人的には、「荒地の家族」の方が好みですが(女親より男親の方が感情移入しやすかったというのもあるかもしれない)、芥川賞選考委員の平野啓一郎氏が「荒地の家族」について、「候補作中、最も深い感銘を受けた。復興から零れ落ちた人々の生死を誠実なリアリズムで描く反面、スタイル的な新鮮さには乏しく、受賞に賛同したが、本作を第一には推さなかった」としているように、何となく昔読んだ作家の小説を読み返しているような印象がありました。

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原作短編を上手く処理。心理サスペンス映画としてまずまずの出来。

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密会」[Prime Video]伊藤孝雄/桂木洋子

「密会」3.jpg 大学教授・宮原雄一郎(宮口精二)の妻・紀久子(桂木洋子)は、14歳年上の堅苦しい学者生活を送る夫との結婚生活の味気無さから、毎月自宅で行われる法科学生の集りのメンバーの一人・川島郁夫(伊藤孝雄)と不倫関係に陥っていた。その夜も紀久子は、自宅の近くの林の中で郁夫の激しい抱擁に身を任せていた。その時、突然、二人の目前でタクシー強盗事件が起きる。雲間を漏れた月光に浮んだ被害者の無気味な姿。二人は現場から逃げる。目撃者として警察に出頭すれば二人の不倫も明るみに出る。二人の思考は目まぐるしく回転した。誰かに顔を見られなかったか。紀久子は不安な一夜を過ごす。翌朝、平静を装いつつ夫を送り出す。女中のさよ(千代侑子)が、昨夜の強盗事件を語り、紀久子は悔恨に涙した。一方、郁夫もラジオで強盗事件を知り、さらにテレビで被害者の家族の悲しみと悲惨な生活を知り、唯一の目撃者として捜査に協力すべきだという正義感に駆られる。しかし、紀久子の苦境を思うと、ただ焦躁に悩むだけ。外出から帰った妹の英子(峯品子)の「いま乗ってきたタクシーの運転手、顔にも頭にも傷痕があるの、去年、自動車強盗に遭ったんだって...」という話に、郁夫は堪らず飛び出して紀久子を訪ね、警察に届けようと話す。しかし、紀久子は、それを止まるよう懇願する。翌日、紀久子が郁夫の下宿を訪ねた。「夫に知れたら私は終りよ」―紀久子の言葉に郁夫は、自分との関係が戯れに過ぎなかったことを悟り、黙って外へ出る。小田急線のある駅のホームに立った郁夫を、追ってきた紀久子が認めた。その時、特急列車通過を知らせる駅のアナウンスが―。

 中平康監督の'59(昭和34)年公開作で、原作は、吉村昭の'58年発表の「密会」という10ページにも満たない非常に短い作品。吉村昭の初期作品にはこうした「男と女のはかない情炎をサスペンス仕立てで書いた小説集」(金田浩一呂)が幾つかあり、これもその1つ。状況設定が、これも「黒い画集 あるサラリーマンの証言」('60年/東宝)として映画化された松本清張の「証言」('58年)に似ていますが、こちらの方が原作発表も映画化もそれぞれ約半年早いです。

「密会」012.jpg 原作が短いため、70分くらいの映画とはいえ、じっくり作っている印象。脚本も中平康監督が自分で書き、いかにも小品らしい心理サスペンス映画としてまずまず成功している方だと思います。

 じっくり作っている"部分は、例えば 冒頭の、世田谷の高級住宅地にある熊野神社裏の二人の密会場面のねっとりとした長廻しで、7分くらいものワンカットの愛欲場面となっています(やや冗長か。日活ロマンポルノ的技法の奔り?)。

「密会」女中.jpg そのほか、話の膨らませ方としては、郁夫(伊藤孝雄)がテレビで、容疑者不明のままインタビューに答える遺族の姿を観たりして憔悴していく様を(こんなインタビューって当時あったのか? 今ならアウトだろう)、画学校に通う活発な妹(峯品子)との対比で表しています(加えてこの妹、タクシー強盗に遭ったという運転手の話をあっけらかんとする。当時そんなにタクシー強盗があちこちで横行していたのか?)。

千代侑子

「密会」2.jpg 紀久子(桂木洋子)の方も、無遠慮でがさつな(憎めないけれど)女中さよ(千代侑子)が、近所の野良犬の残酷な交通事故死の模様などを大げさに報告したりして、何ら悪気はなく無自覚に紀久子を心理的に追い詰めていきます。この辺りのプロセスも上手。

「密会」神保.jpg ラストは基本的に原作と同じですが、原作は、現場で電気工事をしていた男の紀久子への「見ていた」との言葉ですっぱり終わり、紀久子が連行されるような場面はありません。原作通りの終わり方でもよかったようにも思いますが、結末を最後まで見せるところは、シャープさがウリの短編小説と、大勢の観客が観る映画との違いでしょう。でも、原作の方がインパクトがありました。

宮口精二/桂木洋子
「密会」宮口.jpg もともと比較的原作に沿った撮り方をする監督が、原作が短いゆえに何か足さなけならないという条件下で、付け加えるとしたらどういったものを付け加えるかをみる上では興味深い作品かも。

サスペンスな女たち.jpg「密会」●制作年:1959年●監督・脚色:中平康●撮影:山崎善弘●音楽:黛敏郎●原作:吉村昭●時間:71 分●出演:桂木洋子/宮口精二/千代侑子/細川ちか子/伊藤孝雄/峯品子/鈴木瑞穂/高野誠二郎●公開:1959/11●配給:日活●最初に観た場所:神田・神保町シアター(23-06-20)(評価:★★★☆)
 
伊藤 孝雄.jpg伊藤 孝雄 
2024年8月14日、多臓器不全のため都内の自宅で亡くなっていたことが2025年1月9日、劇団民藝から発表された。87歳。
岩手県出身。1937年1月生まれ。1959年、大学在学中に日活の「密会」(中平康監督)でヒロイン役の桂木洋子の相手役として抜擢される(同年、早稲田大学法学部中退)。63年、俳優座養成所を卒業後、劇団民藝俳優教室に入所。65年、劇団員となる。67年、サルトル作「汚れた手」ユゴー役と木下順二作「白い夜の宴」一郎役で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞した。他に、「女体(1969年/大映・増村保造監督)」など。

「ゆいの森あらかわ」吉村昭記念文学館「開館記念企画展 映像化された吉村作品の世界」2017(平成29)年3月26日~7月23日
映像化された吉村作品の世界2.jpg

映像化された吉村作品の世界.jpg

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