【3601】 ◎ 北條 民雄 「いのちの初夜」―『いのちの初夜』 (1955/09 角川文庫) 《『いのちの初夜』 (1937/01 創元社)》 ★★★★☆

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主人公・尾田高雄のハンセン病施設入所日を描く。佐柄木の人物像や哲学が強烈に印象に残った。

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いのちの初夜』['37年]『いのちの初夜 (角川文庫 緑 83-1)』['55年]『いのちの初夜 (角川文庫) 』['20年改版]北条民雄(1914-1937/23歳没)
 主人公・尾田高雄は、癩病を患ったために、入院すべく病院へ向かう。病気の宣告を受けてからの尾田は、癩病で死ぬくらいなら、病院に入るくらいなら、と事ある毎に自殺を試みるが、その度に何か別の心持ちがよぎり、思いとどまる。病院に着いた尾田は、佐柄木という癩病の患者に出会う。病院には尾田と佐柄木の他にも沢山の癩病の患者が入院しているが、その多くが重度の患者であるため、佐柄木は、まだ軽度の患者である尾田を格好の話し相手であると思ったのか、親交を深めようとしてくる。しかし尾田は、自身が癩病のため入院せざるを得ない現状を未だに受け入れられず、またしても自殺をはかる。それは未遂に終わるが、一連の出来事を目撃していた佐柄木は、尾田に「意志の大いさは絶望の大いさに正比する」と説く。病状が悪化しながらも生きる佐柄木と、「生きる態度」を定められずにいる尾田。しかし、尾田は佐柄木との会話を繰り返すうちに、「やはり生きてみることだ」という気持ちになる―(「いのちの初夜」)。

川端康成YO.jpg 川端康成など名だたる文豪からその才能を認められながらも、ハンセン病を患い若くしてこの世を去った北条民雄(1914-1937/23歳没)の作品集で、表題作「いのちの初夜」(1936(昭和11)年)は、ハンセン病の診断を受けた主人公・尾田が、療養施設に入所した日とその夜に起きた出来事及び主人公の心象を描いた小説(川端康成は「この小説を読むと、たいていの小説がポンコツに見える」と称賛した)。そのほかに「眼帯記」「癩院受胎」「癩院記録」「続癩院記録」「癩家族」「望郷歌」「吹雪の産声」の7作が収められており、いずれもハンセン病の隔離施設が舞台になっています。

いのちの初夜NHK.jpg 「いのちの初夜」は、社会的な生きる希望を失い、おのれの肉体も失われていく、それでも生きざるをえない、「生きる」意味を問い続けるハンセン病患者でなければ書けない作品で、文章も平明だけにストレートに心に響きます。この作品は2023年2月にNHK・Eテレの「100分de名著」で取り上げられ話題を呼びました(ゲストは、かつてアイドル・歌手・女優で、今は文筆家・テレビ番組のコメンテーターとしてメディアに登場する機会が多い中江有里氏)。
NHK 100分 de 名著 北條民雄『いのちの初夜』 2023年2月 (NHKテキスト)

 雑誌「文學界」(1936年2月号)に掲載され、原題は「最初の一夜」で、川端康成により「いのちの初夜」に改題され、第3回「芥川賞」の候補にもなりました。作品の冒頭でその施設の立地は「東京から二十マイルそこそこの」と記述されており、これは作者である北條民雄が入所した東京府北多摩郡東村山村の国立療養所多磨全生園(全生園)の位置とほぼ一致します。

 ただし、北條民雄は自分の作品が、「癩(らい)文学」と見なされることに強い拒否感を抱いており、「頃日雑記」の中で「私は癩文学などいうものがあろうとは思われぬが、しかし、よし癩文学というものがあるものとしても、決してそのようなものを書きたいとは思わない(中略)私はただ人間を書きたいと思っているのだ。癩など、単に、人間を書く上における一つの「場合」に過ぎぬ」と語っています。

 では、この作品をどう読めばいいのか。北條民雄の評伝である『火花 北条民雄の生涯』の作者で、ノンフィクション作家の髙山文彦氏はこう述べています。

 「もちろん、読者は作者の意図から離れて好きに読むべきです。しかし、重要なのは作中において、北條が常に健常者の視点を持ち続けていたという事実です。「いのちの初夜」を読むと、肉体的にも精神的にも、彼が健康体であり続けたことは明確です。病友の光岡良二は「彼はハンセン病の賭場口にも立っていなかった」と語っています。実際に北條の病状は非常に軽症で、重症患者を「化けもの」と表現することがありました。反して日記や書簡のなかには、病を受け入れようとする葛藤が表出しています。もちろん、彼自身、のちに日記が公表されるとは思っていなかったでしょう。作品の中では、生身の感情は押し殺していたのでしょうね」

 北條民雄が常に健常者の視点を持ち続けていたという指摘は的を射ており、特にこの「いのちの初夜」での主人公・尾田にはそれが感じられます(因みに、北條民雄は1934年に多磨全生園に入院し1937年に亡くなったが、死因は腸結核だった)。佐柄木の方がむしろ重度であり、それでいて達観している様は、最初はややデーモニッシュにさえ思われましたが、実は彼は彼なりに苦闘し、今は哲学的境地に達していることが窺えました。

 その佐柄木は、彼らを取り巻く重度の患者らを「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです」と尾田に言います。「あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしょう」と。そうした佐柄木の人物像や哲学の方が主人公の尾田より強烈に印象に残りました(モデルは文庫所収の「北条民雄の人と生活」を書いている前出の光岡良二(1911-1995)か。彼は東京帝国大学文学部哲学科2年修了時にハンセン病を発病、1933年に多磨全生園に入院、翌年入院してきた北条民雄と知り合った)。


「眼帯記」(1936)は失明への怖れを描いた作品で、ハンセン病の末期は目が見えなくなるのだと改めて知った次第。「癩院受胎」(1936)は病気と生きることへの考えが対照的なふたりの青年と妹、そして彼女に恋心を抱く主人公のさまざまな心情を描いた作品です。

「癩院記録」(1936)及び「続癩院記録」(1936)は、感情を排して院内の患者の生活をスケッチ風に描いた作品で、長閑さを感じる場面もあれば、凄惨な描写もありました。

「癩家族」(1936)は入院している父親、長男、長女の間の愛憎を細かに描いており、「望郷歌」(1937)は、心を閉ざした少年患者を描いた生前最後の作品、「吹雪の産声」(1937)は作者の死後に発表されたもので、死を迎える親友と、療養所内での出産で「生命の連続」を描いた作品です。

 何れも珠玉の作品ですが、これらの中ではいちばん最初に書かれた「いのちの初夜」がやはりいちばんの傑作のように思います。

【1955年文庫化[創元文庫]/1955年文庫化・2020年改版[角川文庫]】

《読書MEMO》
島薗 進 『死に向き合って生きる (NHKテキスト こころをよむ 2025年4月~6月)』(2025/03 ‎ NHK出版)
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