2006年9月 Archives

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伝わる時代の雰囲気、キャラクターやイカサマ対決の面白さ。

麻雀放浪記1.bmp 麻雀放浪記2.bmp 麻雀放浪記3.bmp 麻雀放浪記.bmp 麻雀放浪記.jpg 阿佐田哲也.jpg
 『麻雀放浪記』 (全4巻)/『麻雀放浪記』 角川文庫(全4巻) (表紙イラスト:黒鉄ヒロシ)/阿佐田哲也

麻雀放浪記  .jpg '69年に「週刊大衆」で連載が始まった阿佐田哲也(1929‐1989/享年60)のギャンブル小説ですが、「青春編」「風雲編」「激闘編」「番外編」と続き、彼の代表作となりました。この作品のヒットのお陰で、当時倒産の危機にあった双葉社は経営が持ち直して新社屋を建てたというから、昭和40年代って麻雀ブームだったんだなあと、改めて思いました。

 しかしこの小説で描かれているのは昭和40年代ではなく、終戦後まもなくの時代。上野のドヤ街をはじめ、その時代の情景やそこに生きた人々の息吹が、麻雀という勝負事を通して、圧倒的シズル感をもって伝わってきます。さすが、後に「色川武大」の本名で直木賞をとることだけはある筆力!

 ギャンブル小説なのでほとんど全編ヤクザな世界を描いたものなのですが、同時に、(明らかに阿佐田哲也がモデルであるところの)〈坊や哲〉の子どもから大人への成長物語にもなっています。〈坊や哲〉以外にも、〈ドサ健〉、〈上州虎〉、〈出目徳〉といった魅力的なキダブル役満(小四喜・字一色).jpgャラが多く登場し、随所で紹介されるイカサマ技も面白かったです。最初から、お互いにイカサマで最高の手で上がることしか考えていない麻雀とか、自分の情婦から果ては自宅の権利書まで賭けて、何と死人が出ても続けている麻雀って、「ちょっとスゴ過ぎ」という感じでした(個人的には、麻雀ゲームでダブル役満とか上がった経験はあるが、この小説の登場人物が狙う最高の手「天和」で上がる確率は、まともにやった場合およそ33万分の1で、毎日半荘5回ずつ打ったとしても61年に一度しか和了できない計算になるそうだ。因みに天和は、役満の複合を認めるルールで親なら96000点、子なら64000点で、要するに点数的にはダブル役満と同じ)。

麻雀.bmp麻雀放浪記2.jpg麻雀放浪記3.jpg イラストレーターの和田誠氏の監督により'84年に映画化されましたが、配役がまずまずハマっていて、白黒で撮影したのも成功していたと思います(和田誠氏の初監督作品とよく言われるが、和田氏は60年代に「殺人 MURDER!」('64年)という短篇アニメーション映画を自主制作・監督している)。
映画「麻雀放浪記」('84年/東映)(映画パンフ :和田誠

高品格.jpg 〈ドサ健〉の鹿賀丈史も悪くなかったのですが、〈出目徳〉の高品格が特に良かったです(麻雀をしていて九蓮宝燈を和了ったまま死んでしまうのはこの〈出目徳〉)。「大都会」などのドラマに刑事役で多く出演した俳優で、俳優になる前はプロボクサーを目指していたらしいですが、味のあるバイプレーヤーでした。

『麻雀放浪記』(1984)2.jpg『麻雀放浪記』(1984).jpg「麻雀放浪記」●制作年:1984年●製作:角川春樹事務所●監督:和田誠●脚本:和田誠/澤井信一郎●撮影:安藤庄平●原作:阿佐田哲也(色川武麻雀放浪記06.jpg大)●時間:109分●出演麻雀放浪記49.jpg:真田広之/鹿賀丈史/高品格/加藤健一/名古屋章/大竹しのぶ/加賀まりこ/内藤陳/天本英世/笹野高史/篠原勝之/城春樹/佐川二郎/村添豊徳/木村修/鹿内孝/山田光一/逗子とんぼ/宮城健太郎●劇場公開:1984/10●配給:東映(評価★★★★)

加賀まりこ(オックスクラブのママ・八代ゆき)/加藤健一(女衒の達)
麻雀放浪記 kaga.jpg麻雀放浪記 加藤.jpg麻雀放浪記1 青春篇.jpg
麻雀放浪記 1 青春篇 (1) (文春文庫)』['07年]

田中小実昌・色川武大(阿佐田哲也)・殿山泰司
田中小実昌 色川武大 殿山泰司 .jpg

【1979年文庫化[角川文庫(全4巻)]/2007年再文庫化[文春文庫(全4巻)]】

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面白く読めることは読めるが、"オヤジ泣かせ"のあざとさがミエミエではないかと...。
浅田次郎 『壬生義士伝 (上)』.bmp 壬生義士伝  2.jpg  壬生義士伝 上.jpg 壬生義士伝 下.jpg  壬生義士伝m2.jpg
壬生義士伝〈上〉〈下〉』(題字:榊莫山)/文春文庫(上・下) 2003年映画化(松竹/監督: 滝田洋二郎)

 2000(平成12)年度・第13回「柴田錬三郎賞」受賞作。

 貧しさゆえ盛岡の南部藩を脱藩し、壬生浪(みぶろ)と蔑称された新撰組隊士となった吉村貫一郎は、鳥羽伏見の戦に破れ、傷だらけのまま大坂・南部藩蔵屋敷にたどり着き、妻子のいる故郷盛岡への帰還を望むが、大坂屋敷の差配で貫一郎のかつての幼馴染である大野次郎右衛門は、彼に今すぐに腹を切るよう命じる―。

 明治維新からから半世紀を経た頃、記者らしき人物が貫一郎ゆかりの人たちを訪ねて回り、貫一郎をめぐる彼らの思い出話を聞き書きするという"取材記"スタイルをベースに、今まさに切腹に追い込まれた貫一郎の南部弁の独白が挿入されているという構成です。

 そうした回想スタイルが最初はまどろっこしいけれど、極度の倹約のため守銭奴と蔑まれた貫一郎が、実は"人斬り貫一"と怖れられる剣の使い手であったというこのギャップがアクセントになっており、新撰組の近藤、土方、沖田といった隊士たちの作者なりの描き方も興味深く、どんどんハマっていく感じでしょうか。中でも中盤の、新撰組随一の剣豪として知られた斎藤一の、自身と貫一郎をめぐる回想が、剣豪小説として面白く読めました(斎藤一による竜馬暗殺説にはビックリ)。

 しかし個人的に良かったのは中盤までで、なぜ旧友の大野が貫一郎に切腹を命じたのかという謎で一応は後半に引っぱっていくものの、その答えはまあ大方予想がつくものであり、また何よりも、貫一郎の南部弁の独白がベタで、これが"浅田調"なのだろうけれども、泣ける前に少し白けてしまいました。後に五稜郭に馳せ参じた貫一郎の息子の生き方も、果たしてこれが父の望むところだったか、疑問を抱いてしまいます。

 この小説は、普段は時代小説を読まない人にも多く読まれた一方で、時代小説ファンの間でも評価が高いようですが、"オヤジ泣かせ"のテクニックのあざとさがミエミエではないかと...。

 「もう一つの武士道」って言っても、結局はフツーの家族愛のことになってしまっているような気がしました(その"フツー"さが普遍性となって読者に受けるのかも)。

 史実では吉村貫一郎は鳥羽伏見の戦で行方不明になっていて、うまいところに虚構の糸口を見つけたなあという感じはしますが、子母澤寛の『新選組物語-新選組三部作』(「隊士絶命記」)を参照していることは本人も認めており、そうすると、この聞き書きの主の職業は新聞記者ということなのだろうか(子母澤寛は新聞記者として新選組ゆかりの人たちを取材してまわり、昭和3年に「新選組三部作」の第1部『新選組始末記』を書いている)。

 '03年に滝田洋二郎監督によって映画化されましたが(貫一郎役は中井貴一)、この監督、比較的原作に忠実に作るタイプなのか、主人公の語りが冗長になった感は否めませんでした。
 これは、原作を読んでクドイと思った自分の感性の問題で(中井貴一は日本アカデミー賞の最優秀主演男優賞受賞)、映画化される前の'02年に、テレビ東京の「新春ワイド10時間ドラマ」として放映されているのですが(貫一郎役は渡辺謙)、こちらも概ね好評だったようです。好きな人は好きなのだろうし、正月なので腰を落ち着けて観るというのもあるんだろうなあ。

2003年映画化(松竹/監督: 滝田洋二郎)
壬生義士伝(DVD).jpg壬生義士伝m.jpg「壬生義士伝」●制作年:2003年●監督:滝田洋二郎●製作:松竹/テレビ東京/テレビ大阪/電通/衛星劇場●脚本:中島丈博●撮影:浜田毅●音楽:久石譲●時間:137分●出演:中井貴一/佐藤浩市/夏川結衣/中谷美紀/山田辰夫/三宅裕司/塩見三省/野村祐人/堺雅人/斎藤歩/比留間由哲/神田山陽/堀部圭亮/津田寛治/加瀬亮/木下ほうか/村田雄浩/伊藤淳史/藤間宇宙/大平奈津美●公開:2003/01●配給:東宝 (評価:★★☆)

 【2002年文庫化[文春文庫(上・下)]】

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遺棄され埋められた経験を持つ主人公。読後感は悪くないが、無難な起承転結に収まった?

土の中の子供.jpg  『土の中の子供』 (2005/07 新潮社)

 2005(平成17)年上半期・第133回「芥川賞」受賞作。

 幼い頃に養父母に虐待され、遺棄されて土に埋められた経験を持つ主人公の青年は、わざと暴走族に袋叩きになる状況に身を置いたり、執拗に高い所から落ちるイメージに固執し、それを実行しようとしたりする―。

 読み始めは『ハリガネムシ』や『蛇にピアス』を思い出し、「また"自虐"か」という感じも。芥川賞って何か選択式の「お題」でもあるのだろうか? まさか。

 ただ読み進むと、文章が特に修飾的なわけではないけれど、均質の緊張感が維持されていて、AC(アダルトチルドレン)を素材とした通俗的センセーショナリズムの作為は感じられず、著者が真摯に主人公の内面世界を描こうとしているのが感じられました("純文学"感、あります)。

 虐待を受けた子が大人になったときの心象風景や自らの存在の希薄感がどのようなものなのか、自分に本当のところはわかりませんが、一般に言う「高い所の恐怖」というのは、サルトル流に言えば、「高い所に上ると自ら飛び降りるのではないかという不安」であり、主人公の志向も、「落ちる」こと自体より、それを「確認する」ことに重きがあるような気がしました。
 ただし、ここまで心象を「言語化」しているということは、既に「対象化」しているということでもあり、リアルタイムな感じがあまりしないのです。

 偶然の出来事がその「確認」と「再生」の契機となりますが、精神分析でいう「対面法」によるトラウマの克服と同じサイコ・ダイナミックスに見えました。
 カウチ(長椅子)の上でのイメージ想起によってではなく、現実体験(もっと現実的には、これも小説家によるイメージなのですが)を通してそれが起きたというだけでは。
 結果、読後感は悪くないのですが、無難な、どこかで見たことあるような起承転結に収まった気もして、"芥川賞作品"としてどうなんだろうかとも。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

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別に「家族介護」の問題を社会提起しようとしたのではなく...。

介護入門.jpg 『介護入門』 (2004/08 文藝春秋)       モブ・ノリオ.jpg モブ・ノリオ氏

 2004(平成16)年度上・第98回「文學界新人賞」、2004(平成16)年上半期・第131回「芥川賞」受賞作。

 「家族介護」の現場をリアルに描いていて、加えて主人公が元マリファナ中毒だったり、文体が"ラップ調"だったりする取り合わせでも話題になった作品ですが、読み始めてすぐに町田康の"パンク調"とか"ビート調"と言われる文体の小説を連想しました。
 著者が語っているのをどこかで読んだ記憶がありますが、影響を受けた作家に町田氏の名も挙げていて、バンド活動をしていた点でも通じるせいか、町田氏のことを「町田町蔵さん」と呼んでいました。

 この小説の主人公が世間に悪態をつきながらも、自身は経済力のある親にパラサイト的に保護されている点も、町田氏の芥川賞受賞作『きれぎれ』の主人公と似ている。
 別に「家族介護」の問題を社会に提起しようとしたのが狙いではなく、『きれぎれ』と同じく、閉塞状況の中で何とか自分自身を取り戻そうとしている1個の人間の思念を描いているのだと思いましたが、それとは別に、主人公の祖母に対する愛情みたいなものが逆説的にじわ〜と伝わってくるのが、この作品の妙でしょうか。

 確かにリズムをつけて読んだ方が読みやすい感じもしますが、非常に計算してと言うかむしろ苦心して文体を作っているぎこちなさも感じました。
 "ラップ調"と言っても必ずしも韻を踏んでいるわけではないので、 読んでいて単なる「棒読み」みたくなってしまう。"YO、朋輩(ニガー)"とか出てくるたびに、「そうそう、ラップ調だった、ラップ調」と我に返るのですが...。

 さほど長くない作品なのに途中で横滑りしていてような中だるみ感もありましたが、一定の力量とひたむきさのようなものが感じられ、この作品は自分の体験に近いところで書いているようですが、今後どういう方向にいくのかなあという点での関心は持てました。

 【2007年文庫化[文春文庫]】

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初めは「アンダルシアの犬」と同じ狙いかと...。後半がっかり。

蛇にピアス.jpg  『蛇にピアス』 (2004/01 集英社)  アンダルシアの犬.jpg 「アンダルシアの犬 [DVD]

 2003(平成15)年・第27回「すばる文学賞」、2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 主人公の19歳のルイは、刺青やピアス、更には少しずつ舌を裂いていくスプリットタンなどの身体改造に興味を示し、自分の舌にもピアスを入れる―。

 著者はお酒を飲みながらこの小説を書いたそうですが、それは、この小説の全編に漂う現実からの浮遊感みたいなものと関係しているでしょうか。ただし文章はうまいのではないかと思いました。
 かなり刺激的な場面を抑制の効いた、というか他人事のような冷静な筆致で綴ることで、逆に舌にピアスの穴を空ける痛みとかがよく伝わってきます。

Buñuel.jpgアンダルシアの犬3.jpg 読んでいて初めのうちは、目玉を剃刀で切るシーンで有名なルイス・ブニュエルの実験映画「アンダルシアの犬」と同じ狙いかと思いました。

The opening scene, just before Buñuel slits the woman's eye with a razor.

アンダルシアの犬(1928 仏).jpg 「アンダルシアの犬」 ['90年/大陸書房](絶版)

アンダルシアの犬4.jpg 「アンダルシアの犬」は、ルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの共同脚本からなるシュールレアリズムの世界を端的に描いた実験映画ですが、女性が目を切られるシーンの他にも掌を蟻が食い破るシーンや子供が人間の手首を転がしているシーンなどショッキングな場面が続き(目を切るシーンはブニュエルの見た夢が、掌を食い破る蟻のシーンはダリの夢がもとになっているらしい)、ストーリーや表現自体に意味があるかと言えば、意味があるとも思えず(シュールレアリズムってそんなものかも)、むしろ、たかがスクリーンに映し出されているに過ぎないものに、人間の心理がどこまで感応するかを試しているような作品に思えました(因みに目玉が切られ水晶体が流れ出すシーンは、死んだ牛の目玉を使ったとのこと。これが女性のシーンと繋がって観る者を驚かせるというのは、まさにモンタージュ技法の典型効果と言える)。

 『蛇にピアス』の場合、映像ではなく活字でどこまで感覚を伝えることが可能かという実験のようにも思えたのですが、そうであるならば、途中までは成功しているのではないかと。

 ただ、「アンダルシアの犬」が、モンタージュなどの技法により最後まで実験的姿勢を保持しているのに対し、この小説は、後半は何だかショボくれた恋愛ドラマみたいになってしまい、少しがっかりしました。
 作者は以前、父親に「もっと恥ずかしいものを書け」と言われたそうですが、父親に言われている間はこのあたりが限界ではないかと思います。

アンダルシアの犬2.png「アンダルシアの犬」●原題:UN CHIEN ANDALOU●制作年:1928年●制作国:フランス●監督・製作:ルイス・ブニュエル●脚本:ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●時間:17分●出演:ピエール・バチェフ/シモーヌ・マルイヌ/ルイス・ブニュエル/サルバドール・ダリ●公開(パリ):1929/06●最初に観た場所:アートビレッジ新宿 (79-03-02)●2回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-05-23)●3回目:カトル・ド・シネマ上映会 (81-09-05) (評価:★★★?)●併映:(1回目)「詩人の血」(ジャン・コクトー)/「忘れられた人々」(ルイス・ブニュエル)/(2回目):「去年マリエンバートで」(アラン・ㇾネ)/(3回目):「ワン・プラス・ワン」(ジャン=リュック・ゴダール)

 【2006年文庫化[集英社文庫]】

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女子高生のオタク少年への関心と攻撃性。作品としては纏まっているのでは。

蹴りたい背中.jpg蹴りたい背中2.jpg 
蹴りたい背中』 (2003/08 河出書房新社)

 2003(平成15)年下半期・第130回「芥川賞」受賞作。

 クラス仲間のグループになんとなく溶け込めない高校1年生の〈ハツ〉は、同じくクラスの"余り者"である〈にな川〉に関心を持つが、彼はファッション雑誌モデル〈オリチャン〉のオタク的なファンだった―。

 執筆時19歳の著者が高校1年生の主人公を一人称で描いていて、その中に中学時代の出来事の話なども出てきて、その"適度な時間間隔"のせいか違和感なく読め、文章はウマいともヘタとも言えないような文章ですが、作品としては纏まっているのでないかと思いました(ただし、ストーリー的な期待しすぎた読者は肩透かしを食った気分になるかも知れませんが)。

 いろいろな読み方はあるでしょうが、〈ハツ〉が〈にな川〉に関心を持った理由は、自分と同じ"余り者"的存在であるということが1つあるでしょう。
 そうした〈にな川〉に対して、その背中を蹴りたいという攻撃性に駆られるというのも、何となくわかるような気がしました。
 〈にな川〉が特段に異常なオタクではなく、どこにでもいそうな現代の若者であり、読み進むにつれて、大人びた面もそれなりに見せてくる―、そのことに対して主人公が、またさらに蹴りたいという攻撃性に駆られているように思えました。

 主人公のその時々の意識を主としたやや軽めの心理描写で、さらに背景としての女子高校生の日常やその中にある仲間意識、連帯感,のようなもの、あるいはそれらと一定の距離を置こうとする主人公の気持ちなどをさらっと描いていて、その辺りで関心を持つ人、懐かしさのようなものを覚える人もいれば、希薄感のようなものを感じる人、ついていけないと思う人もいるのかも。

 【2007年文庫化[河出文庫]】

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フツーの人にとっても堕ちていくのは難しいことではないと思った。

ハリガネムシ.jpg  『ハリガネムシ』 ['03年]  ハリガネムシ2.jpg 『ハリガネムシ (文春文庫)』 ['06年]

 2003(平成15)年上半期・第129回「芥川賞」受賞作。

 平凡な中流階級出身の主人公は、新任教師として赴任した高校で不良少女などに手を焼きながらも単調な生活を送っていたが、ある日ソープランドでサチコという暴力と貧困の中で暮らし堕落しきったような女性と出会ったことから、生活が急に堕落の道へ転がり出す―。

 この小説に描かれている暴力シーン自体は、さほど刺激はありませんでした。
 芥川賞選考委員の村上龍氏は、「まるでスラップスティックムービーを見ているようで、切実さがなかった。ソープ嬢の手首の傷を主人公が縫うシーンがあるが、痛みが伝わってこなかった」と評しています。
 しかし、一般にはそうした暴力シーンやちょっと気色悪い場面が話題になり、読者の嫌悪の分かれ目にもなっているきらいはありました。

 ただ、主人公にちらちらと表れる反社会的な意識や猥雑な心理などを丁寧に描いていると思いました。
 フツーの人の誰にでもこうした心のゆらぎはあるのでは。
 
 彼が一定の冷静さと思考力を持ちながら、こうした心のゆらぎを増幅させ、自らの欲求に無抵抗になり、結果として社会的立場をどんどん失っていく過程には何か被虐的な嗜好を思わせるものがあり、そちらの方がむしろ人間の心の闇を照射していると感じました。

 トータルの人格として意志的に堕落への道を選択しているのではなく、小市民的臆病さを持ちながら、堕落を絵に描いたような女性に引きずられるように堕ちていくため、気づいてみたらソートーなどん底状況になっているという...。
 
 村上氏と同じく芥川賞選考委員である山田詠美氏は、この作品を読んで、「ぐれるって難しいよね」と頷いてしまったとのことですが、個人的には逆の感想を抱きました。
 人はこの主人公を"異常者"とか"妖怪"とか呼ぶかもしれませんが、彼にとって堕ちていくことはそれほど難しいことではなく、それは彼に限ったことではないのだろうと...。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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30代女性と60代男性の恋愛? リアリティはあったように思うが、何を書きたかったのか?

しょっぱいドライブ.jpg『しょっぱいドライブ』 .JPGしょっぱいドライブ 文庫.jpg      単行本しょっぱいドライブ.jpg
しょっぱいドライブ (文春文庫 (た58-2))』〔'06年〕 『しょっぱいドライブ』〔'03年〕

 2002(平成14)年下半期・第128回「芥川賞」受賞作。

 港町に暮らす34歳の独身女性「わたし」が、既婚60代男性の「九十九さん」とデートして同棲に至るまでの話に、「わたし」が以前に30歳にして初めて付き合った男性である小劇団を主宰する「遊さん」の話が挿入されています。

  "へなちょこ"の痩せ老人「九十九さん」を筆頭に登場人物が地味で、なりゆきに任せているような生き方にもメリハリが無く、物語としても、クライマックスが意図的に回避されているかのようにだらだらと流れていく感じがしました。

 村上龍に「私の元気を奪った」と評されたのも無理からぬところかと思いましたが、普通は小説の主人公などになり得ないような人たちを描いて、叙述を簡素化した性描写や男女の会話などにはかえってリアリティがあったように思えます(それなりに筆力はあるということか)。

 30代女性と60代男性の恋愛?ということで、川上弘美の『センセイの鞄』('01年/平凡社)の裏バージョンみたいですが、この小説の主人公の方が覚めている感じ。
 個人的には、冒頭のわたしと九十九さんの海辺のデート(ドライブ)から、ずっと昔の芥川賞作品『三匹の蟹』(大庭みな子)などを連想しました(舞台となった土地も状況設定も全然異なるが)。
 
 でも、『センセイの鞄』ほどの「癒し感」も『三匹の蟹』ほどの「閉塞感」も、この小説は無いのではないだろうか。
 「しょっぱい」と言うより「しょぼい」感じがしないでもない...。作品自体が。

 何を書きたかったのかよくわからないまま、 九十九さんの「幻想」とわたしの「打算」のギャップだけが結構心に引っ掛かる...。
 登場人物に対する作者の悪意のようなものさえ感じられその中に「わたし」も含まれている、しいて言えばそれが「しょっぱい」感じかなあ。

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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相手に立ち入り過ぎない"やさしさ"? "何も起こらない小説"なりの物足りない読後感。

パーク・ライフ.jpg  『パーク・ライフ (文春文庫)』  〔'04年〕
日比谷公園.bmp
 2002(平成14)年上半期・第127回「芥川賞」受賞作。

 主人公の「ぼく」は日比谷線の中で、間違って話しかけた見知らぬ女性と知り合うが、2人が会うのは平日に共に立ち寄ることが多い日比谷公園においてだった。「ぼく」とその名も知らない年上の女性は、特別に親密になることも遠ざかることもなく、言葉のみを交わす―。

 TVドラマの恋愛の始まりみたいなシチュエーションですが、結局、出来事らしい出来事は起きず、これって所謂"何も起こらない小説"ってやつかなと。

 文章に飾り気が無く、淡々と日常ふと見たり感じたり、思ったり考えたりしたことを描写していて、人間って生きている時間の大部分はこうして流れていくのかなというようなリアリティがあります。
 ただし「ぼく」と女性の会話は(村上春樹の初期作品っぽい感じ)、そこだけ少し世離れした感じを受けました。

 相手に対してこうした一定の距離を置く関係性というのは、他者に立ち入り過ぎないことが"やさしさ"であるみたいなものが横溢する時代のムードを反映しているのかもしれないとも思い、そうした人間の微妙な面白さを描こうとしているのかもしれませんが、小説というよりエッセイを読んでいるようでした。(★★★)

 表題作に比べると、同録の「flowers」の方がより小説的で、かなり変わった人物、つまり今度は、人と距離を保つタイプの逆で、人との距離感がよく分からないような人物が登場し、事件もいろいろ起きる分面白いけれども、これだと事件が起きた上でそこそこに面白いのであって、まあフツーの小説という感じ。(★★★)

 一方の"何も起こらない"小説である表題作に、三浦哲郎の評したような「隅々にまで小説のうまみが詰まっている」という印象は、残念ながら持てませんでした。

 【2004年文庫化[文春文庫]】

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表題作よりは、併録の「サイドカーに犬」の方が若干好みだが...。

猛スピードで母は 単行本.jpg 猛スピードで母は.jpg  サイドカーに犬.jpg サイドカーに犬  文學界.jpg
猛スピードで母は』〔'02年〕『猛スピードで母は (文春文庫)』〔'05年〕 「サイドカーに犬 [DVD]」〔'07年〕

 2001(平成13)年下半期・第126回「芥川賞」受賞作。併録の「サイドカーに犬」は、2001(平成13)年度上・第91回「文學界新人賞」受賞作。

 表題作「猛スピードで母は」は、北海道M市に暮らす母子家庭の話で、母親は結婚に失敗して地元に戻り、市の貸与金の返済督促の仕事をしていますが、過去に恋人のような男は何人かいたものの再婚には至っていない、そうした母親を小学校高学年の息子の目線で、息子自身の学校生活のことなども交えながら淡々と描いています。

 母親の粗野な口ぶりや態度と、息子の醒めた感情を通して、逆に両者の家族的"絆"のようなものが感じられ、センチメンタルと言うか時にパセティックだけど、子どもの内面的成長と平衡を保っているため暗くならないでいる。(★★★☆)
 芥川賞の選評で、村上龍が「家族の求心力が失われている時代に、勇気を与えてくれる重要な作品」(褒め過ぎ?,)としたのに対し、石原慎太郎は「文学の魅力の絶対条件としてのカタルシスがいっこうにありはしない」(身も蓋も無い?)と否定的でした。

 併録の「サイドカーに犬」は、それまでコラム活動などもしていた著者の文壇デビュー作(文學界新人賞・芥川賞候補作)で、父親の無節操のため母親が家出し、代わりに、残された小学4年の姉とその弟のもとに父の愛人がやって来た際の話を、大人になった姉の振り返り視点から描いていますが、飾り気のない文章で、その分描かれる状況にどんどん吸い込まれるように読めました。(★★★★)

 「猛スピードで...」が母親の逞しさを描いているとすれば、「サイドカー...」は、愛人も母親も併せた女性の強さのようなものが感じられ、小説の終わり方もより締まっている感じがしました(これをカタルシスと言って良いのかどうか、わかりませんが)。

サイドカーに犬 2.jpgサイドカーに犬 1シーン.jpg 表題作よりは「サイドカーに犬」の方が若干好みですが(と思ったら、表題作ではなく「サイドカーに犬」の方が2007年に根岸吉太郎監督、竹内結子・ミムラ主演で映画化された)、両方の作品とも力量を感じる一方で(特に、「サイドカー...」の女性目線へのなり切りぶりは秀逸)、芥川賞とは少し合わないような気もしました。

 【2005年文庫化[文春文庫]】

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野坂昭如ばりの文体と諧謔ぶり? 読んで何が残るか? 何れも今ひとつ。

きれぎれ.gifきれぎれ』 ['00年] きれぎれ.jpg  『きれぎれ』 文春文庫  町田康.png  町田 康 氏

 2000(平成12)年上半期・第123回「芥川賞」受賞作。

 さっぱり仕事をしない万年金欠男の日常を描いています。
 肉親や名ばかりの友人に金策に回らざるを得ない屈折した心理、元ランパブ嬢の妻への屈折した愛情などが、現実と妄想の中で展開していく―。

 芥川賞の選考では、宮本輝が猛反対し、石原慎太郎が強く推したようですが、わかる気がします。
 文体がユニークなことで「ビート派」とか言われる作家ですが、「きれぎれ」について言えば、かなり「メロディ」も重視し、計算して書いたように見えます。
 しかし文体も諧謔ぶりも、例えば、野坂昭如ばりとでも言うか、ただし、野坂昭如の初期作品などの強烈さには及ばないという気がします。

 日常生活における人間心理の闇の部分、常識化されていない部分を描くのが文学の役割の一つであるという「定式」があるのか、芥川賞受賞作にはいろいろな意味で極端な人物が登場したりしていて、その受け入れやすさで好きな人嫌いな人に分かれがちです(自分自身も、多分に登場人物の好き嫌いで作品を見ている部分はあります)。

 その点「きれぎれ」の主人公は、バブル崩壊後の世相を反映したキャラクターに思え、「勝ち組・負け組」で言えば「負け組」とわかりやすい方だと思います。
 攻撃的であるが屈折していて、そのくせ青空のように突き抜けたところがあるため、作品としては読み手に適度に受け入れられやすいのではないでしょうか。
 ただ読んで何が残るかというと、この作品については個人的には今ひとつでした。

 作者自身はパンクロックを「あらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽」(『群像』'01年5月号「人生の野坂昭如」)と定義していて、この小説もむしろ「音楽」や「詩」に近いのかも―と思ったりもしました。
 
 【2004年文庫化[文春文庫]】

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文学より家族心理学に話題を提供しそうな作品だと思った。

柳 美里 『家族シネマ』.jpg 家族シネマ.jpg 『家族シネマ』['97年]柳 美里  『家族シネマ』.jpg 『家族シネマ (講談社文庫)

 1996(平成8)年下半期・第116回「芥川賞」受賞作。

 両親の離婚でバラバラになった家族の再会を、"映画に撮る"という話―。
 "家族"を単に戯画化して描いているだけならばまた違った印象を持てたような気がしますが、その中に醒めた主人公が居ることで、"家族"の愚劣さみたいなものがどっと前面に出た感じでした。
 その主人公にしても、新しい関係性を求めてか、老芸術家と付き合うのですが、その内容も含め全体にかなり自虐的な匂いがします。
 結末で作者は逆説的に"家族"を肯定しているのかとも思いましたが、自分にはよく伝わってきませんでした。
 この辺りは好みの問題もあると思います。

 "映画に撮る"という設定は、今村昌平監督の「人間蒸発」などを想起させ、新鮮味はありませんでした。
 「書くしかなかった私」みたいな捉えられ方をされるのが作者にとっていいのかどうか分かりませんが、文学としてよりも、作者も含めたケーススタディとして家族心理学とかに話題を提供しそうな作品という印象。

文学の徴候.jpg 精神科臨床医の斎藤環氏は『文学の徴候』('04年/文藝春秋)の中で、デビュー作『石に泳ぐ魚』('94年発表)以降、「柳のほとんどの小説は、常に私小説として読まれるほかはなくなってしまった」ようであり、その後も「自らの生の物語化」を押し進めている傾向にあるとし、そこに境界例(境界性人格障害)の「病因論的ドライブ」がかかっていると見ています。
 今どき「病跡学」でもないでしょうけれど、この作家については斎藤氏の指摘があてはまるような気もします。

斎藤 環 『文学の徴候』 〔'04年/文藝春秋〕

家族シネマ movie.jpg家族シネマ  .jpg ちなみにこの作品は映画化されていて、DVDでも見ることができ、監督は韓国の朴哲洙 (パク・チョルス)、出演は、梁石日(ヤン・ソルギ、映画「月はどっちに出ている」('93年)、「血と骨」('04年)の原作者)、伊佐山ひろ子、柳愛里(ユウ・エリ、柳美里の妹)などです。

 柳愛里は、"AV女優をしている(主人公の)妹"の役ではなく、"主人公"の役で出ていますが、この映画での彼女の演技はぱっとしないように思いました(映画そのものがぱっとしない。他作品で見た彼女の演技は悪くなかった)。

映画「家族シネマ」 (1998年/韓国)

【1999年文庫化[講談社文庫]】 

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漱石の『夢十夜』に通じる雰囲気。深読みするよりは、表現のオリジナリティを買うべきか。

蛇を踏む.jpg 『蛇を踏む』 (1996/08 文芸春秋)  蛇を踏む 文庫.jpg 『蛇を踏む (文春文庫)』 ['99年]

 1996(平成8)年上半期・第115回「芥川賞」受賞作。

 教師を辞め、今は数珠屋に勤めるヒワ子は、ある日、藪の中で蛇を踏む。 
 「踏まれたので仕方ありません」と、人間の形になった蛇は、その日から部屋に住み着き、「ヒワ子ちゃんのお母さんよ」と言って毎日食事の用意をして待っている―。 

 芥川賞の選考では、宮本輝と石原慎太郎が反対したそうですが(この2人は、いつもは意見が割れることの方が多い)、宮本輝の「しょせん寓話に過ぎない」、石原慎太郎の「蛇がいったい何のメタファなのかさっぱりわからない」という批判は、ともにわかる気がします。

 第一義的には「蛇」は子を手放したくない母親であり、「蛇の世界はいいわよ」と言われて何となく自分からも親離れできない成人した子を描いているのだと思いました。
 その描き方がファンタジックで、同じく文学でメタファを駆使する村上春樹などと違って、サイエンス・ファンタジーっぽい感じがこの頃からあります。今あちらの世界にワープしました...といちいち説明しているような。

 では「蛇の世界」とは何なのか。やはり石原慎太郎氏が言うように「さっぱりわからない」のです(初めからソンナモノハナイということか)。
 
 「蛇」の幻想は、太宰治の『斜陽』などの有名文学作品にも登場しますが、ムード的には、この作品は夏目漱石の『夢十夜』に通じるものがあると思いました。
 「でも、死ぬんですもの、仕方がないわ」(「夢十夜」)の不条理性やトーン(文調)は、「踏まれたので仕方ありません」とほぼ同じような印象を受けますが、作者なりに自分のものにしているという感じはあります。    
  
 芥川賞受賞作家の中で、受賞後も継続的に一定の読者層を掴んでいる"実力派"だと思いますが、この作品に関して言えば、訴求力はあまり感じられず、表現のオリジナリティの方を買うべきだったのかなと思いました。

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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ホステスたちと南の島へ厄払いに。楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説。

豚の報い.jpg 『豚の報い』 (1996/02 文芸春秋)  豚の報い movie.jpg 1999年映画化 (監督:崔洋一)

 1995(平成7)年下半期・第114回「芥川賞」受賞作。

 大学生の正吉(しょうきち)は、沖縄・浦添のスナックのホステスたち3人と、生まれ故郷の真謝島にウガン(御願=祈祷)にいくことになる。
 それは、ある日スナックに闖入した豚のためにホステスの1人が失神してしまい、マブイ(魂)を落としたために、ユタ(霊能者)のことに詳しい正吉を伴って、島のウタキ(御獄=霊場)でその厄払いをしようというものだ。
 他の女たちもそれぞれに過去の問題を抱えて、まとめて皆で厄落としをしようというのだ。
 しかし、正吉にとってそれは、12年前に漁で亡くなり、島の風習で風葬された父の骨を拾いにいく旅でもあった―。

 ホステスたちがケバケバしくかつ騒々しく、そのうえ負っているものが重くて、読み始めはちょっと引いてしまいます。
 しかも、現地で豚の内臓料理を食べて全員下痢状態になってしまう―猥雑さに、さらに汚辱がプラスされる。
 でも逆に、このあたりから女たちの弱さや強さが見えてきて、みんな一生懸命生きているのだという健気さのようなものを感じるようになってきました。
 
 一方、正吉は父の遺骨と対面し、12年間海を見てきた骨を見て、父は神になったと感じ、ここを御獄(霊場)にしようとする―。その心理、なんとなく感覚的にわかりました。
 ホステスらに、行こうとしている霊場が父の遺骨の場所であることをつい正直に話してしまうが、彼女らもそれでいいという...。みんないい人たちなのだなあ。 
 ラストのユーモラスな掛け合いは、お祓いがうまくいくことを予感させます。

 著者のこの作品に限って言えば、沖縄文学というより、楽天的なパワーを感じる"亜熱帯"小説という印象を受けました。
 崔洋一監督・脚本、小澤征悦主演で映画化もされていますが、ビデオ化された後DVD化された途端に廃盤になったのは、評判の方が今一つだったためか?

 【1999年文庫化[文春文庫]】

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その後10年間隔で繰り返される日経新聞連載の"脱力"小説。

化身 上.jpg 化身 下.jpg    
化身〈上・下〉 (集英社文庫)』〔'89年〕 東陽一監督「化身」(1986)藤竜也/黒木瞳/阿木曜子
単行本(上・下)
化身 (上・下).jpg 妻と別れ独り身である中年の文芸評論家・秋葉は、銀座のクラブに勤める若いホステス・霧子を知ってから、次第に彼女を自分の好みの女に変身させることに夢中になっていく―。

 一種のピグマリオン小説で、田舎臭さが消えすっかり女に磨きがかかった霧子は、キャリア意識にも目覚め、当然の帰結として秋葉のもとを去っていくのですが、その結末に至るまでが、主人公の前の愛人・史子という女性をキーパーソンとして噛ませてミステリ調にしているものの、結構だらだらしていて、著者の初期作品のような緊張感が感じられませんでした。

 東京在住の主人公は、京都の大学の講師もしていて、月に何度か霧子を伴って京都に行ったり、仕舞いには文化評論の取材にかこつけて 彼女とヨーロッパを旅行する―。しゃれた宿に泊まって旨いもの食って...、合間に主人公の専門分野である世阿弥の話やフランス文学の講釈が入って、この"小洒落た"雰囲気は、中年男性向けハーレクインロマンスなのだろうか。霧子が鯖の味噌煮が好きだからと言って、それを銀座や赤坂で食べるということになると、「通」を気取っているようにしか思えない、と突っ込みを入れるとキリがなくなります。

東陽一監督、藤竜也、黒木瞳主演「化身」.jpg東陽一監督、藤竜也、黒木瞳主演「化身」ド.jpg 東陽一監督、藤竜也、黒木瞳主演で「化身」('86年/東映)として映画化されています。テレビで観たため印象が薄く、昼メロが映画になったようなイメージしかないのですが、黒木瞳(「黒木瞳」という芸名は同郷の五木寛之が命名した)は宝塚退団後の最初の映画出演で、この主演デビュー作で同年の日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞しています。原作小説は'85年に日本経済新聞に連載されたもので、'95年連載の『失楽園』、'05年連載の『愛の流刑地』に先行するパターンです(ちょうど10年間隔なんだなあ)。そして、『失楽園』も森田芳光監、役所広司、黒木瞳(11年を経て再登場)主演で映画化されています('97年/東映)。(『愛の流刑地』も、鶴橋康夫監督、豊川悦司、寺島しのぶ主演で映画化された('07年/東宝)。)

 日経の朝刊の最終面に「愛ルケ」(と略すらしい)が掲載されているのを見て、毎朝いつも軽い脱力感を覚えていた自分としては、読者の年齢層は同じでも、20年の歳月の間に読者そのものは入れ替わっているはずなのに何れもベストセラーになっていることを思うと、こうした小説に惹かれる男性の精神構造というのはあまり変わっていないのだなあという気がしました。

 【1989年文庫化[集英社文庫(上・下)]/1996年再文庫化[講談社文庫(上・下)]/1996年単行本[角川書店]/2009年再文庫化[集英社文庫(上・下)]】

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生と芸術、生と性の一体化した姿を鮮烈に描いた作品。

冬の花火 (1975年).jpg冬の花火.jpg
 冬の花火2.jpg  冬の花火2.jpg
冬の花火 (集英社文庫)』『冬の花火』文春文庫

冬の花火 (角川文庫)
冬の花火 (1975年)
冬の花火 (1975年) - obi.jpg 渡辺淳一と言えば最近は男女の性愛を描いた作品が目立ちますが、医師の目から見た人間の生死を描いた作品群があるほかに、日本で最初の新劇女優・松井須磨子をモデルとした長編『女優』('83年/集英社)などの伝記小説もあります。

中城ふみ子.jpg この作品も伝記小説の系譜で、「乳房喪失」の女性歌人で知られ、31歳で夭逝した中城ふみ子(1923-1954)をモデルにしたものです。

 乳がんに冒されながらも病床で、自らの命を削るかのように次々と、当時としてはセンセーショナルな愛の歌を詠んで世間に発表し続ける主人公...というと、何か悲劇的な話かとも思われますが、様々な男性遍歴を経てきたこの女主人公が、入院後も歌人や病院の医師を愛人とし、病室に連れ込んで交情する様はいささか呆れるほどで、それを描く作家の筆致は、最近の官能小説に通じるものもあります。しかし主人公の生き方は凄絶なものには違いなく、生と芸術、生と性の一体化した姿を鮮烈に描いた小説とも言えます。

 中条ふみ子が入院し亡くなったのは渡辺淳一氏の将来の職場となる札幌医大病院であり、当時渡辺氏は医学生でしたが、彼女が入院していた時にその病室を見たことはあるそうです。また、小説にも登場する彼女の恩師であり敬慕の対象であった歌人は中井英夫です(日本3大推理小説の1つ『虚無への供物』の作者としても知られている)。

 渡辺淳一は、初期作品で芥川賞候補になりながら最終的には直木賞をとりますが、初期作品で直木賞候補になりながら最終的には芥川賞をとった作家に松本清張がいます。松本清張の初期作品にも、「菊枕」('53年発表)という女流俳人の杉田久女をモデルにしたものがあったのを思い出しました。

 【1979年文庫化[角川文庫]/1983年再文庫化[集英社文庫]/1993年再文庫化[文春文庫]】

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医師という立場から人間の生と死を見つめた珠玉の名篇集。芥川賞候補作と直木賞候補作を収める。

死化粧.jpg死化粧』角川文庫['71年]死化粧 光と影.jpg死化粧 光と影』渡辺淳一全集 第1巻(角川書店)

渡辺 淳一 『死化粧』文春文庫.jpg角川文庫渡辺 淳一 『死化粧』.jpg 渡辺淳一の初期短編4篇を収めたもので、いずれも主人公は医師ですが、今でこそ"不倫小説の大御所"のように見られているこの作家が、医師という立場から人間の肉体や死を冷静に見ながらも、それだけでは割り切れない精神の問題を真摯に描くところからスタートした作家であることがわかります。

死化粧 (文春文庫)』['86年]/『死化粧 (角川文庫)』['18年]

 「死化粧」は、医師の母親の病気と死、それを巡る親戚たちなどを描いた作品で、「新潮新人賞」の前身である「同人雑誌賞」(1966年・第12回)を受賞しています(選考委員は伊藤整、井伏鱒二、大岡昇平、尾崎一雄、永井龍男、中山義秀、三島由紀夫、安岡章太郎)。主人公の医師が、絶望的な病状を呈す母親の、すでに除去不能となった脳腫瘍に思わずメスを入れようとする場面が印象的で、フォルマリン漬けの母親の脳を見ながら母を想う場面もこの作家ならではのものでした(芥川賞選考委員だった川端康成は、「刺戟の強い作品であった」「脳の手術など詳細に書き過ぎ」と評している)。

 「訪れ」では、末期ガンの小学校長が主人公に告知を迫る場面や、自らの死を悟った後の絶望がリアルに描かれていました。「死化粧」に比べると読者寄りで書いている感じもしますが、直木賞の選考で、源氏鶏太、海音寺潮五郎、水上勉といった選考委員らが、「直木賞より芥川賞向きではないか」と評しています。

 「ダブル・ハート」は、作者が作家を志す転機になったと言われる札幌医科大で行われた日本初の心臓移植手術に材を得たものですが、ドナーの配偶者の屈折した心理に焦点を当てている点では"小説的"ながらも、一方で医局の体質的問題などを浮き彫りにしていて、氏が自分の勤務している大学病院で行われた心臓移植手術に、当初から懐疑的であったことを窺わせます。

 「霙」は重症身障児病院に勤務する医師と看護婦や障害児の親を巡る話ですが、親にとって、また社会にとって重症身障児とはどういう存在なのかを、小説という手法で鋭く問題提起しているように思えました。

 「死化粧」が芥川賞候補作、「霙」「訪れ」が直木賞候補作と何れも珠玉の名篇ですが、個人的にはやはり、この頃の渡辺作品は芥川賞っぽい感じがします。結局、作者は、後に発表した「光と影」で直木賞を受賞し、芥川賞ではなく直木賞作家となり、更に直木賞選考委員となります(第91回(昭和59年/1984年上半期)から選考委員に。最終的には、第149回(平成25年/2013年上半期)まで通算30年・60回にわたり委員を務めた)。

 【1971年文庫化[角川文庫]/1986年再文庫化[文春文庫]/1996年単行本改編〔角川書店(『死化粧・光と影』)〕/2018年再文庫化[角川文庫]】

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本人なら自著にこんな大仰なタイトルはつけない(つけたのは宮城さん)。

失敗を恐れないのが若さの特権である.gif    宮城まり子/吉行淳之介.jpg 吉行淳之介/宮城まり子

失敗を恐れないのが若さの特権である―愛・結婚・人生 言葉の花束』(2000/03 海竜社)

「暗室」のなかで.jpg淳之介さんのこと.jpg淳之介の背中.jpg 吉行淳之介が没したのが'94年。まず愛人だったという大塚英子氏が『「暗室」のなかで』('95年)を、続いて同居人(パートナー?)だった宮城まり子氏が『淳之介さんのこと』('01年)、を、さらに本妻・吉行文枝氏が『淳之介の背中』('04年)を発表し、没後も賑やかです。

大塚英子『「暗室」のなかで―吉行淳之介と私が隠れた深い穴 (河出文庫)』 ['97年]/宮城まり子『淳之介さんのこと (文春文庫)』/吉行文枝『淳之介の背中

 本書は吉行淳之介のエッセイなどから愛・結婚・人生についての言葉を選んだ詞華集で、選んだのは上の3人のひとり、宮城まり子氏。彼女の『淳之介さんのこと』に先駆けて'00年出版されています。彼女が全面的に編集していて、彼女の筆による作家との思い出話もあるので、"共著"に近いくらいです(但し、相手の承諾は得てないわけだが)。

 吉行淳之介のエッセイの味わいが凝縮されていて、彼女が作家のよき理解者であったことが窺えるとともに、やはり彼女のフィルターがかかって、ちょっと"濾過"されちゃったかなと感じる面も多々ありました(少なくとも本人なら自著にこんな大仰なタイトルはつけないでしょう)。また、一部ですが、前後の脈絡のなかで捉えないと誤解を招きそうな文章もあります。

 ただ、フェニミズムが台頭する中で誤解されることも多い作家なので、こうしてその言葉を残していくということ自体はいいことかなと思います(本書の場合、"編集者"の作家との関係における立場の微妙さはありますが)。

《読書MEMO》
●本当の才能というものは必ず開花する(青春放浪記)
●ゴシップも選択さえ良ければ、人間性の核心に達する十分な手がかりになる(人間教室)
●権威に弱いというのは教養・教育とは関係ない
●僕は雑踏を愛し、都会を愛している。死ぬまで、花鳥風月の心境にはなれそうもない(軽薄派の発想)
●女の神経が材木だとすると男は絹糸である(無作法戦士)
●結婚とは忍耐ですよ(軽薄のすすめ)
●女は自分が世界の中心にいると考えている(女をめぐる断想)
●持病というものは飼いならして趣味にする...

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「重厚コワモテ」に対する「軽薄さ」。軽妙でみずみずしい語り口。

軽薄派の発想.jpg  『軽薄派の発想 (1966年)』 芳賀書店 軽薄のすすめ.jpg 軽薄のすすめ2.jpg 『軽薄のすすめ』 角川文庫 〔'73年〕 (表紙イラスト:和田 誠/松野のぼる)

 エッセイ・対談の名手でもあった吉行淳之介(1924‐1994)ですが、本書は'66(昭和41)年刊行の単行本『軽薄派の発想』(芳賀書店)を元本として、'73(昭和48)年に角川文庫として刊行されたもので、さらにこの角川文庫版は、新装セミハードカバー版として'04(平成6)年に角川書店から刊行されています(山口瞳の解説を含む)。

吉行淳之介.jpg 新装版の冒頭に著者により書き加えられた前書きがあり(これを書いた翌月に著者は70歳でその生涯を終えるのですが)、「軽薄短小」の時代が来たなどと言われるなかで、著者の言う「軽薄」は、硬直・滑稽・愚直、さらには"軽薄"という要素も含む(戦時中からの)「重厚」に対する対立概念であることが示されています。ただし、単にユーモアと解してもらってもよいと...。

 久しぶりに読み直してみて、このあたりのニュアンスがよくわかりました。「重厚コワモテ」に対し「軽薄さ」が批判力、破壊力を持ち得ることを、ダダイズムなどを引き合いに説き、"戦中少数派"としての 戦死者に対する独自の"犬死論"を展開する部分もあります。自伝的要素もかなりあり、父エイスケ氏(NHKの朝の連ドラ「あぐり」で野村萬斎が演じたのが印象的だった)との関係などに触れた部分は興味深いものでした。

 もちろんユーモラスな話も多く、冒頭の、俳句の下の句に「根岸の里の侘住い」とつければ上の句は何がきてもOKという話や、遠藤周作ら「第三の新人」仲間とのエピソードなどはおかしい。さらには十八番の男女の機微についての話や、創作に関する話、スポーツ観戦記など内容は盛りだくさんで、軽妙で、今もってみずみずしい語り口でいずれも飽きさせません。

 因みに'73(昭和48)年は、吉行のエッセイ・対談集の文庫化ブームの年で、1月に角川文庫で『軽薄のすすめ』が出たのを皮切りに、3月に 『不作法のすすめ』、8月に 『面白半分のすすめ』...といった具合に立て続けに刊行されていて、対談集も7月に『軽薄対談』が、同じ月に講談社文庫でも『面白半分対談』が刊行されるなど、それまでの彼の文学ファン以外の読者からも多く注目を集めた年だったわけです。

 【1966年単行本[芳賀書店]/1973年文庫化[角川文庫]/1994年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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「●「新潮社文学賞」受賞作」の インデックッスへ(「不意の出来事」)

短篇には、同時代の他の作家の追随を許さない透明感と深みがある。

『娼婦の部屋・不意の出来事』.JPG娼婦の部屋・不意の出来事.jpg  娼婦の部屋.jpg 吉行 『不意の出来事』.jpg
娼婦の部屋・不意の出来事 (新潮文庫)』〔改訂版〕『娼婦の部屋 (1959年)』『不意の出来事 (1965年)

吉行淳之介 .jpg 「短篇の名手」と言われ、まさに短編でその力を発揮するのが吉行淳之介(1924‐1994)で、この短篇集は、表題作をはじめ13篇を収めていますが、うまいなあと思わせる部分、あるいは奥深いと思わせる部分が多々あり、また、読む側に一定の緊張感や感受する集中力を求めている感じもします。

 「娼婦の部屋」('58年発表、'59年単行本(文藝春秋新社)刊行)は、会社の仕事で精神的に疲弊した25歳の主人公が娼街の特定の女の下へ通う話で、女の側から見て毎度「毛をむしられた鶏のようになって」来るが男が、帰るときには「人間」に近くなっているというのが面白かったです。

吉行淳之介(1924~94)。68年、東京都墨田区【朝日デジタルより】

 娼婦はパトロンによって堅気の仕事に就いたりしますが、結局うまくいかずに元の街に舞い戻り、一方男の方は会社が隆盛となり(高度成長期の入り口の頃の話か)、社内の雰囲気も良くなる...そうなると、2人の男女の関係は(娼婦とその客という関係だが)変容していく、そうした "精神的"な関係性のダイナミズムを描いてうまいと思いました(いろいろなケースで、これ、当て嵌まるなあと思った)。

 第12回「新潮社文学賞」受賞作の「不意の出来事」('65年)は、主人公のサラリーマン(三流週刊誌の記者)が、自分が付き合っている女にヤクザの情夫がいたことがわかり、そのヤクザに脅される話ですが、このヤクザ、会って話してみるとどこか気の弱さが窺えるという...。女との交情なども描いているわりには乾いた感じで、ヤクザが主人公の勤め先に押しかけた際に〈応接室もない会社〉に勤めているのかと同情されたりして、3者関係の歪みの中にも何だかユーモアも漂う作品。

 そのほか、幻想的な作品や童話のような作品などもありますが、作中人物の心理などを比較的さらっとした描写で、それでいて深く抉りなながらも、基本的には作者は対象に一定の距離を置いている感じがします(病気した人でないと書けないような作品などもあるが、それらにしてもそう)。

吉行淳之介『娼婦の部屋』.gif そうした中、「鳥獣虫魚」という身体に異形を持つ女性との交わりを描いた作品は、女優のM・Mがモデルとなっているではないかと思われますが、作家自身の優しさや生への肯定感が比較的すんなり出ていてる感じがします。

 娼婦を多く描いていることもあり、好みで評価が割れる作家ですが、このころの短篇作品には、同時代の他の作家の追随を許さない透明感と深みがあると個人的には思っています。

娼婦の部屋 (1963年)』 講談社ロマン・ブックス

短編集『娼婦の部屋』...【1959年単行本[文藝春秋新社]・1963年単行本[講談社ロマン・ブックス]】
短編集『不意の出来事』...【1965年単行本[新潮社]】
短編集『娼婦の部屋・不意の出来事』...【1966年文庫化・2002年改訂版[新潮文庫]】

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主テーマは性の探求とその先の虚無か。

砂の上の植物群 1964.jpg    砂の上の植物群2.jpg   砂の上の植物群.jpg
砂の上の植物群 (1964年)』/『砂の上の植物群 (1965年) (ポケット文春)』/ 『砂の上の植物群 (新潮文庫)

 吉行淳之介(1924‐1994)のベストセラー小説と言えば、後半期のもので『夕暮まで』('78年/新潮社)がありますが、前半期のものでは、'63年を通して雑誌「文学界」に連載され、'64年3月に単行本刊行された、この作品でしょう。

 既婚中年男性の伊木は、ある姉妹を通して性への(複数相姦)への傾斜を強めていきますが、それはほとんど実験に対する科学者の情熱のようなものさえ感じるほどです。

砂の上の植物群m.jpg 根本は心理小説ですが、表面的には、今で言えば、3P、SM、コスプレ、援助交際などの言葉に置き換えられる状況設定が描かれていて、発表当時としては、かなり際どい風俗を描いたものとして大いにセンセーショナルだったと思われます。単行本刊行の年('64年)には映画化されていることを見ても、話題を呼んだことが窺えますが、作者も後に、その辺りの"受け"をある程度予め計算に入れたと語っています。
('64年/日活)

 この小説について、作家の父・吉行エイスケ(ダダイズムの作家。もの凄く遊び人で、34歳で亡くなった)に対するコンプレックスがひとつの執筆動機になっていて、文庫版に併録の「樹々は緑か」(表題作の習作とされている)にもその気配はあり、また作家自身も、この作品には、「亡父からの卒業論文のような気持ちも含まれている」と述べています。また、この作品を書いて、「私は完全にふっきれた」とエッセイにも書いています。

 しかし、この作品にみえる父親の影は作品の厚みを増す効果は果たしているものの、父を超えるという動機だけでここまで書くだろうかという気もします。作家の池澤夏樹氏(彼の父は福永武彦)も以前どこかで似たような疑問を表していましたが、やはりこの作品は性に対する探求とその先の虚無を(あるいは虚無を見据えたうえでも性を探求する人間の哀しさを)描いたものではないかと思います。

 【1964年単行本[文芸春秋新社]/1966年文庫化[新潮文庫]

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「●「芥川賞」受賞作」の インデックッスへ

女性の心理と生理の複雑さ、不思議を前に驚き困惑する男性。

原色の街2.jpg驟雨.jpg原色の街・驟雨.jpg 吉行 淳之介.jpg 吉行 淳之介(1924--1994/享年70)
原色の街 (1956年)』『驟雨 (1954年)』『原色の街・驟雨 (新潮文庫)』〔'65年〕

 「原色の街」('56年1月、新潮社より単行本刊行)は、娼婦でありながら精神性を捨てきれないあけみという女性を、彼女が想いを寄せる元木英夫という男性を通して、その婚約者で良家の令嬢だが娼婦的な瑠璃子という女性や、彼女と同じ"職場"の様々なタイプの女たちとの対比で描いています。

 '51年に同人誌「世代」に発表したものを大幅に加筆修正したものですが、読み直してみると意外に長編で、作中の出来事も多かった...。娼家での殺人事件や最後に破局的な無理心中の未遂事件などがありますが、基本的には娼婦となったあけみの精神構造の変化を描くための計算されたつくした舞台装置という感じで、加えて、随所にみられる男女の心の襞の描写には、この作家ならでの巧みさと情感があります。

 「驟雨」('54年2月「文学界」発表、同年10月、新潮社より単行本刊行)は主人公の名前が山村英夫ということからも察せられるとおり「原色の街」を('51年に同人誌に発表済みであったものを加筆修正する際に)原型となった作品で、最初は捌け口として捉えていた娼婦に恋愛をしてしまった男の切なさを描いた散文的な心理小説です。'54(昭和29)年の第31回芥川賞受賞作ですが、もう100回以上(つまり50年以上)も前のことか...。「原色の街」に比べ短い分、文章はカミソリのように鋭いように思われます。

 この作品に登場する道子という娼婦は、「原色の街」のあけみと同じタイプ。つまり、娼婦でありながら精神性を捨てきれない女性ということになるかと思います。一見、性風俗を描いているようで、実はかなり精神的なものがメインにあり、これも、ほぼ心理小説と言っていいのでは。

 一方、同録の「薔薇販売人」('50年)は作家の同人誌時代の作品ですが、人妻だが娼婦性を持つ瑠璃子と同じタイプの女性が出てきます。
 
 「夏の休暇」('55年)は、少年が父とその愛人と海に遊ぶ話で、このモチーフは他の作品にもあり、作家の実体験に基づくものと推察され、父とのライバル心にも似た確執が窺えて興味深かったです。

 これら初期作品は、いずれも女性の心理と生理の複雑さ、不思議さを描いていて、男性はその前で驚き逡巡し困惑するしかない存在であり(それは著者自身とも重なり)、この作家に付与されがちな性の探求者、オーソリティという"勇ましい"イメージがないのが特徴でしょうか。 
 
向島百花園から吾妻橋.jpg 因みに「原色の街」の舞台となる娼家は「隅田川東北の街」にあるとなっていて、〈吉原〉ではなく〈玉の井〉付近であることが窺え、永井荷風の『濹東綺譚』に通じるところがありますが、厳密には、空襲で焼け出された〈玉の井〉の娼館が現在の鳩の街商店街.gif鳩の街通り商店街」(東向島1丁目)に移転してきた、その辺りが舞台のようです。 
 小説の冒頭に出てくる「隅田川に架けられた長い橋」は〈吾妻橋〉で、向島百花園から吾妻橋に向けての散策途中で偶然商店街の入り口を見つけて透り抜けてみましたが、何となく昭和レトロ風の懐かしさを覚える商店街であるものの、娼街の面影は無かったです(観察力不足?)。

向島・鳩の街通り商店街
向島・鳩の街通り商店街.jpg 向島・鳩の街通り商店街2.jpg

 【『驟雨』1954年・『原色の街』1956年単行本[新潮社]/1965年文庫化[新潮文庫]】

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「ある意味では神様っていいな、と思うこともある」と言っているのが一番のホンネかも。

死の壁.jpg 死の壁2.jpg死の壁 (新潮新書)』〔'04年〕 バカの壁1.jpg 『バカの壁』新潮新書

 テーマが拡散的だった『バカの壁』('03年/新潮新書)に比べると、テーマを「死」に絞っているだけわかりやすく、"語り下ろし"形態からくる論理飛躍みたいな部分は依然あるものの、前著より良かったと思います。ただし本書で主に扱っているのは、著者が言うところの「一人称」「二人称」「三人称」の死のうち、解剖死体に代表される「三人称」の死と、身近な人の死に代表される「二人称」の死ということになるでしょう。

 情報化社会における「人間は変わらない」という錯覚や、死というものが隠蔽される都市化のシステムについての言及は、本書が『バカの壁』の続編であることを示しています(そんなこと、タイトルを見れば一目瞭然か)。

 日本人の死生観に見られる「死んだら皆、神様」のような意識を「村の共同体」原理で説明しています。このことから、靖国問題や死刑制度へ言及するところが著者らしいと思いました。確かに中国の故事には、墓を暴いて死者に鞭打ったという話があります(戦国時代に呉の伍子胥が平王の墓を暴いて死体を粉々になるまで鞭打った)。日本の場合、生死がコミュニティへの入会・脱会にあたり、全員が「あんな奴はいない方がいい」となれば村八分は成立しやすく、死刑廃止論者は少数派となると。大学なども、こうしたコミュニティの相似形で、入るのが難しいのに出るのは簡単。それでも○○卒という学歴が生涯つきまといます。

 人体の細胞の新陳代謝を、毎年新入生が入って卒業生が出て行く「学校」に喩えているのがしっくりきました。「私」というのも、こうしたシステムの表象に過ぎず、移ろっていくのだ...と思い読み進むうちに、著者自身の幼年時の父の死に対する心情推移の精神分析的解釈があり(ここで精神分析が出てくるのがそれまでの流れから見て唐突な印象でしたが)、自身にとっての「二人称」の死に対する思いが吐露されています。「ある意味では神様っていいな、と思うこともある」と言っているのが一番のホンネかも。

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自らの人生の節目となった経験と併せて語る分、わかりやすい。

運のつき.jpg 『運のつき 死からはじめる逆向き人生論』['04年/マガジンハウス] 運のつき 新潮文庫.jpg運のつき』新潮文庫['07年]

 『死の壁』('03年/新潮新書)とほぼ同時期に刊行された人生論的エッセイですが、個人史を現在から遡りつつ、「死」や「世間」について語っていています。自らの思考方法の形成過程を、人生の節目となった経験と併せて述べているのがわかりやすく("内容"より"人物"がわかったということかも知れませんが)、『バカの壁』『死の壁』を読み解く上で参考になる部分もありました。

 東大助手時代に起きた大学紛争に戦争中の雰囲気を感じ、全共闘の闘士のその後の変遷に対して、紛争後も自分なりに総括しようとした立場から、厳しい批判をしています。戦争(非日常)か飯(日常)か、という選択で、著者は「飯」を選ぶ。それは、「死体の引き取り」ということに象徴される、平凡な方法を積み重ねることを重視する考え方でもあります。

 科学者がデカルトの心身二元論を批判するのに対し、自分も二元論者であるとして一元論の危うさを説き、「我思う、ゆえに我あり」とは、自己意識そのものを指していているのだと。自分の考え方が仏教の唯識論に近いと認めています。

 自らの人生を「所の得ない」人生だったとしています。氏は、本書刊行後のあるインタビューでは、「自分が宇宙人みたいでね」と言って『火星の人類学者』という本の自閉症者に自分を準えていました。
 
 哲学者サルトルは、子どもの頃から世の中が"借り物"のような気がいつもしていたそうで、それは父親を2歳で失ったことに起因するのではと自己分析していますが、氏の「世間」というものに対する感受性も、同じようなところに起因するのではないかと思ったりしました。

 【2007年文庫化[新潮文庫〕】

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「バカの壁」のベースにある著者のスタンスのようなものは窺える。

まともな人.jpg 『まともな人 (中公新書)』〔'03年〕こまった人.jpgこまった人 (中公新書)』〔'05年〕

 雑誌「中央公論」に連載された養老氏の時評エッセイ「鎌倉傘張り日記」の2001年1月号〜2003年9月号の掲載文を収録したものです。氏の好きな昆虫標本作りを浪人の「傘張り」に喩え、こうした「日記」の先達として兼好法師を挙げていますが、半分隠居した身で、世評風の日記を"諦念"を滲ませながら書いているところは通じるところがあるかも知れません。

 「時評」と言っても、世の中で「あたりまえ」とされている固定観念の根拠の脆弱さを具体的に解き明かすために、三題噺のネタのような感じで世事をとりあげているので、批評の対象は「社会」ではなく、むしろ「社会」を受け入れている現代人のものの考え方にあるようです。ですから「社会批評」を期待して読むと肩透かしを食いますが、ベストセラーとなった『バカの壁』('03年/新潮新書)のベースにある著者のスタンスのようなものは窺えるかと思います。

 本書自体は『バカの壁』より後の刊行ですが、掲載文の大半は『バカの壁』の爆発的ヒットの前に書かれたものです。本書の続編『こまった人』('05年/中公新書)が「中央公論」2003年6月号〜2005年10月号掲載文を収録しているということで、ほぼ"『バカの壁』以後"という見方ができるかと思いますが、『こまった人』においても特に著者のスタンスに変化はなく、しいて言えば『こまった人』の方が、自分が過去に受けた処遇に対する恨み節や、世間に対するシニカルな見方、老境における諦念のようなものが強くなってきていて、「そんなことはどうだっていいか」みたいな締めで終わる文書も多く、より"自分寄り"な感じがします。

 そのためか、本書は最初、中公新書のジャンル分けで「哲学・思想」に入っていたのに、『こまった人』が刊行されると、"好評「養老哲学」第2弾"と銘打ちながらも、両方とも「エッセイ」にジャンル分けされているようです。

 『まともな人』...【2007年文庫化[中公文庫〕】/『こまった人』...【2009年文庫化[中公文庫〕】

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わかったような、わからないようなという印象。だから、次々と"続編"に手をだしてしまうのか?

バカの壁1.jpg バカの壁2.jpgバカの壁 (新潮新書)』〔'03年〕唯脳論 (ちくま学芸文庫).jpg唯脳論 (ちくま学芸文庫)』〔'98年〕

 2003(平成15)年・第57回「毎日出版文化賞」(特別賞)受賞作。

 まえがきで数学という学問を引き合いに、誰もが最後にはこれ以上はわからないという壁にぶつかり、それが言わば「自分の脳」であると。つまり「バカの壁」は万人の頭の中にあるということを述べています(フムフム)。一方、本文は、これに呼応するように、「話せばわかる」というのは大嘘であるという話で始まりますが(もう諦めろ、放っておけ、ってことか?)、こうした切り口の鮮やかさが、上司など自分の身近にいる人とのコミュニケーションの齟齬にイライラしている人に受けたのかも知れません。でも、このまえがきと本文の繋げ方は、所謂 over-generalization(過度の一般化)気味のような気がし、この本は、こうした切り口の鮮やかさで論理を韜晦させているのではないかと思われる部分も、結構あるように思いました。
 
 話題は認知心理学や脳科学、教育論や日本人論と駆け巡り、個々の論点はまあまあ面白かったのですが、著者の他のエッセイなどで既に述べられていることも多いです。最後は再び、「話せばわかる」といった姿勢は一元論にはまり、強固な壁の中に住むことになるという警句で終っています。

 認知心理学的な話から「唯識論」的な話へいくのかと思いきや、途中から、一種の「教養論」を展開しているようにも思え、論旨が掴みにくいのですが、簡単に言ってしまえば、この「バカの壁」を意識するということは、ソクラテスの「無知の知」とほぼ同じではないかという気もしました。そう考えると、特に目新しい『唯脳論』.JPGことを言ってるわけではないと..。特に、以前に著者の『唯脳論』を読んだ経験からすると(硬軟の差はあるが、話の展開自体はやや似ている)。本書の結語的に著者が批判している一元論や原理主義というのは、「無知の知」の「知」が欠落し、要するに「無知」の状態にあるということ。ただし自分たちはそのことに気付かないということなのでしょう。

 著者の『唯脳論』では、この世界を理解しようとする際には、必ず"自分の脳"というものが介在するのであって、相対性理論のような科学的理論でさえも脳が作ったものであり、「脳はそれを世界に押しつけようと試みる。脳はその法則を自然から引き出すのではなく、その脳の法則を自然に押しつけるのである」といったことが説かれていて、なるほどなあと思わされました。つまり、真理は外部にあるのではなく、脳の中にあるということであって、「われわれの外部にはある規則性がある。その規則性をわれわれに理解できる言葉、すなわち脳の規則性に合致した表現で表したものを真理と呼ぶ」と。

 心は脳の構造作用であり機能なのであるが、人間が「構造」と「機能」を分けて考えること自体が、我々の脳がそのような見方をとるように構築されているからである、という見方はなかなか面白かったですが、なぜ脳という"構造"から"意識"という機能が生まれるのか、ということよりも、脳が脳について考えるということはどういうことなのか、を考察した本と言えたかも。但し、個人的には、そのあたりが若干もやっとしたまま、後半の文明について触れている箇所に読み進むことになってしまいました。そして最後は、文明とは脳化であり、脳化した社会は身体を禁忌とするが、脳も身体の一部であるのに、脳から身体性を排除するという極端なことが現在の日本では起きているという結語に至って、やや社会批評風の結末だったかなあと。

 本書については、「語り下ろし」であるということでの、そのあたりのもやもや感をある程度スッキリさせてくれるかと期待しましたが、読みやすさほどには、内容そのものはわかりやすくはないという感じがしました。個人的には『唯脳論』の前半から中盤にかけてのテーマを掘り下げないうちに、社会批評に行ってしまっている感じがするとともに、『唯脳論』を読んだ際に感じた論理の飛躍のようなものが、本書では「語り下ろし」というスタイルを取ったがために、より甚だしくなっている印象も。結果的に、正直、本書についても、わかったような、わからなかったような、という部分が多く心に残ったという感じ。だから、次々と出される"続編"に手をだしてしまうのか? 或いは、『唯脳論』が完全に理解できないと、あとは著者のこの手の本を何冊読んでも、完全な理解はできないということなのか(本書自体も『唯脳論』の続編乃至は解説編と言えるかも)。
 
 『唯脳論』...【1998年文庫化[ちくま学芸文庫]】

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読後の感動はあった。モデルはモデル、小説は小説として読むべきか。

不毛地帯 1.jpg 不毛地帯 2.jpg 不毛地帯 3.jpg 不毛地帯 4.jpg  不毛地帯ー.png
『不毛地帯』 新潮文庫[旧版](全4巻)   映画「不毛地帯」('76年/東宝) 仲代達矢・丹波哲郎

不毛地帯 映画.jpg 『白い巨塔』('65年/新潮社)、『華麗なる一族』(73年/新潮社)が、それぞれ映画も含め力作だったのに対し、この『不毛地帯』の仲代達矢主演の"映画"の方は、配役は豪華だけれど個人的には今ひとつでした(テレビで観たため、平幹二朗主演のテレビ版と記憶がごっちゃになっている)。そもそも、181分という長尺でありながらも、原作の4分の1程度しか扱っておらず、原作が連載中であった事もありますが次期戦闘機決定をめぐる攻防部分だけを映像化したと言ってもよく、結果として壱岐正という主人公の生き方に深みが出てこない...。

 ただし"原作"だけでみると、自分が最初に読んだ当時の読後の感動はこれが一番で、もともと映画に納まり切らない部分が多すぎたか? それと、こうした複雑な話が映画化された時によくありがちな傾向で、愛憎劇中心になってしまった感じもしました。

 この原作の方は、以前は商社マンを目指す人はみなこぞって読んで、そして感動したという話も聞きます。しかし今改めて読むと、作品に描かれる総合商社の体質は今も変わらないのかもしれませんが、産業構造の変化などで商社の仕事自体はずいぶん変わっているのではないかという気がします(その点、一番変わっていないのは『白い巨塔』で描かれた大学附属病院かもしれない)。

 国の二次防主力戦闘機の受注をめぐって、交渉相手の防衛庁の部長に戦時中の命の恩人である元陸軍中佐・壱岐正をぶつけるという商社の戦略が凄いと思いましたが、戦後60年以上を経た今現在、こうした"命の恩人"みたいな関係がどれだけあるのか、またそれがビジネスで成り立つかと考えると、かなり特異な状況を描いているようにも思えました。

 そうしたこともあり、良くも悪くも、モデルとされている瀬島龍三氏のイメージとどうしても切り離せません。
 小説の主人公はラストの身の引き方は美しいが、瀬島氏は商社マンとして一線を退いた後も中曽根内閣の臨調委員として政治"参謀"ぶりを発揮し(結局こういう「ひとかどの人物」は在野にいても声がかかる?)、90歳を超えてなお中曽根氏の個人的ブレーンの1人となっている...。

 著者は「これは架空の物語である。実在する人物、出来事と類似していても偶然に過ぎない」と言っています。
 『白い巨塔』と並ぶ著者の代表作であり傑作であることには違いなく、モデルはモデル、小説は小説として読むべきなのかも知れません(同一作者の後の作品『沈まぬ太陽』では、同一モデルであるはずのこの人物の描き方が、「国士」から単なる「策士」へと変化している)。

瀬島龍三(せじま・りゅうぞう)
瀬島龍三.jpg伊藤忠商事元会長。富山県松沢村(現小矢部市)出身。1938年12月陸軍大学校卒、大本営陸軍参謀として太平洋戦争を中枢部で指揮をとる。満州で終戦を迎えたが、旧ソ連軍の捕虜となり、11年間シベリアに抑留され、1956年に帰国。1958年、伊藤忠に入社し、主に航空機畑を歩いた。1968年専務に就き、いすゞ自動車と米ゼネラル・モーターズ(GM)との提携を仲介。戦前、戦中、戦後を通じて政、財界の参謀としての道を歩んだ。(2007年9月4日死去/享年95)

不毛地帯 映画.jpg不毛地帯 丹波哲郎.jpg「不毛地帯」●制作年:1976年●監督:山本薩夫●製作:佐藤一郎/市川喜一/宮古とく子●脚本:山田信夫●音楽:佐藤勝●原作:山崎豊子●時間:181分●出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲/神山繁/滝田裕介/山口崇/日下武史/仲谷昇/山本圭/北大路欣也/小沢栄太郎/田宮二郎/久米明/大滝秀治/高橋悦史/井川比佐志/中谷一郎/八千草薫/秋吉久美子/藤村志保/志村喬/高城淳一/秋本羊介/岩崎信忠/石浜朗/内田朝雄/小松方正/加藤嘉/中津川衛/辻萬長/高杉哲平/杉田俊也/神田隆/永井智不毛地帯 dvd.jpg不毛地帯相関図.jpg不毛地帯久松経済企画庁長官  1.jpg雄/嵯峨善兵/伊沢一郎/青木義朗/アンドリュー・ヒューズ/デヴィット・シャピロ/●劇場公開:1976/08●配給:東宝(評価★★★) 
不毛地帯 [DVD]
丹波哲郎(防衛庁・川又空将補)/加藤嘉(防衛庁・原田空幕長)/大滝秀治(経済企画庁長官・久松清蔵)
川又空将補 - 丹波哲郎.jpg 原田空幕長 - 加藤嘉.jpg 久松経済企画庁長官 - 大滝秀治.jpg
小沢栄太郎(貝塚官房長)
不毛地帯b-b014d3c5e38d.jpg「不毛地帯」 小沢栄太郎.jpg不毛地帯12f9.jpg

 【1983年文庫化[新潮文庫(全4巻)]・2009年改訂[新潮文庫(全5巻)]】

不毛地帯〔'76年/東宝〕監督:山本薩夫/製作:佐藤一郎/脚本:山田信夫/出演:仲代達矢/丹波哲郎/山形勲
不毛地帯 映画.jpg

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「華麗なる一族」1974年.jpg 古さを感じさせない。政財界にわたっての丹念な取材の跡が窺える。

山崎豊子 華麗なる一族.jpg  華麗なる一族 上巻.jpg 華麗なる一族 中巻.jpg 華麗なる一族 下巻.jpg 
華麗なる一族 (1980年) (新潮文庫)』 /新潮文庫(上・中・下)〔改訂版〕/映画「華麗なる一族」('74年/東宝)

華麗なる一族 dvd.jpg華麗なる一族.jpg 万俵財閥の当主で阪神銀行頭取の万俵大介の野望を軸に、それに翻弄される一族の姿を金融業界の内幕に絡めて描いた作品で、'73(昭和48)年の発表ですが、「金融再編」に伴う「銀行の合併問題」がモチーフになっているため、あまり古さを感じさせません。

 小説の冒頭は、志摩半島の英虞湾を望む一流ホテルでの主人公一族の豪奢な正月晩餐会から始まりますが、作者は舞台のモデルにした「志摩観光ホテル」のレストランから夕陽がどう見えるかまで取材しに行ったそうで、そうした丹念な取材は、銀行内部のみでなく、政治家や大蔵省など政財界に広く及んでいて、物語にリアルな厚みを増しています。 
華麗なる一族 [DVD]」/映画パンフレット                  

 大介の野望は、上位銀行の専務と結託してその銀行を併呑する、所謂「小が大を呑む」というもので(かつて神戸銀行が太陽銀行を吸収合併し、"名"前だけ「太陽神戸」として"実"の方をとった出来事がベースになっている)、大介の政財界への働きかけは、「政財癒着は良くない」という綺麗事のレベルを遥かに凌駕する凄まじさで、目的のためには親友も、長男さえも切り捨てる―。

 タイトルの「華麗なる一族」という言葉が、政界との癒着強化のための閨閥づくりを指すとともに、長男・鉄平の暗い過去の出生の秘密を表す反語にもなっています。

 同じ山崎豊子原作の映画化作品「白い巨塔」が大ヒットしたためか、この作品は豪華キャストで映画化されましたが('74年・山本薩夫((1910-1983))監華麗なる一族 仲代.jpg督)、オールキャストとは言え、その中で圧倒的に存在感を際立たせているのは佐分利信であり、その佐分利演じる万俵大介と鉄平(仲代達矢)の"暗い血"にまつわる確執に重きが華麗なる一族 田宮二郎.jpg置かれていたような感じもしました。また、鉄平の最期が、大介の女婿を演じた田宮二郎の実人生での自殺方法と同じだったことに思い当たりますが、鉄平役は実は田宮二郎がやりたかった役だったそうです。

華麗なる一族 目黒.jpg華麗なる一族 佐分利.jpg どうしても、こういう複雑なストーリーの話が映画化されると、情緒的な方向に重きがいってしまったりセンセーショナルな部分が強調されるのは仕方がありませんが(大介の「妻妾同衾」シーンなども当時話題になった)、それなりの力作でした。"いい人"がとにかく苛められる(相手方銀行の頭取の二谷英明とか)点で「白い巨塔」に共通するものを改めて感じたのと、農家の預金獲得のために、ワイシャツ姿で終日稲刈りまでする銀行員なども描いていて「銀行員って意外と泥臭いなあ」と思わされたりもしました。
                    映画「華麗なる一族 [VHS]」 ビデオ(上・下)
華麗なる一族2.gif華麗なる一族 ビデオ.jpg「華麗なる一族」●制作年:1974年●製作:芸苑社●監督:山本薩夫●製作:佐藤一郎/市川喜一/森岡道夫●脚本:山田信夫●音楽:佐藤勝●原作:山崎豊子●時間:210分●出演:佐分利信仲代達矢/月丘夢路/京マチ子/酒井和歌子/目黒祐樹/田宮二郎/二谷英明/香川京子/山本陽子/中山麻里/小沢栄太郎/滝沢修/河津清三郎/大空真弓/北大路欣也/志村喬中村伸郎加藤嘉/神山繁/平田昭彦/細川俊夫/大滝秀治/北林谷栄/西村晃/金田龍之介/小林昭二/花沢徳衛/鈴木瑞穂(ナレーション華麗なる一族 京マチ子 .pngも担当)/嵯峨善兵/荒木道子/小夜福子/中村哲/武内亨/梅野泰靖/浜田寅彦/花布辰男/下川辰平/伊東光一/田武謙三/若宮大祐/青木富夫/五藤雅博/生井健夫/白井鋭/夏木章/笠井一彦/守田比呂也/華麗なる一族 京マチ子.jpg鳥居功靖/堺美紀子/横田楊子/川口節子/森三平太/千田隼生/金親保雄/南治/麻里とも恵/木島一郎/坂巻祥子/隅田一男/久遠利三/鈴木昭生/記平佳枝/東静子/加納桂●劇場公開:1974/01●配給:東宝●最初に観た場所:渋谷・東急名画座(山本薩夫監督追悼特集) (84-01-08) (評価★★★☆) 京マチ子(万俵大介の愛人・高須相子)
華麗なる一族 saburi.jpg滝沢修 華麗なる一族.jpg 大滝秀治 華麗なる一族.jpg 中村 伸郎 華麗なる一族.jpg 華麗なる一族 志村.jpg
佐分利信(阪神銀行頭取・万俵大介)/滝沢修(長期開発銀行頭取・宮本之三)/大滝秀治(社民党代議士・荒尾留七)/中村伸郎(日銀総裁・松平公之)/志村喬(大華麗なる一族 小沢栄太郎.jpg華麗なる一族 (1974東宝)katou .jpg阪重工社長・安田太左衛門)/小沢栄太郎(永田大蔵大臣)/仲代達矢(阪神特殊鋼専務・万俵鉄平)/加藤嘉(阪神特殊鋼常務・銭高)

華麗なる一族3.jpg月丘夢路(万俵大介の妻・万俵寧子)/香川京子(長女・美馬一子)/京マチ子(家庭教師・高須相子)/山本陽子(長男鉄平の妻・万俵早苗)/中山麻理(次男銀平の妻)/酒井和歌子(次女・万俵二子)


 【1973年単行本・1979年改訂[新潮社(上・中・下)]/1980年文庫化・2003年改訂[新潮文庫(上・中・下)]】

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医学界の権力構造の図式を鮮やかに浮かびあがらせた傑作。もとは財前の勝利で終わる話だった。
白い巨塔 1965.jpg 白い巨塔 1.jpg 白い巨塔 2.jpg 白い巨塔 3.jpg kyotou2.jpg 白い巨塔 1シーン.jpg
白い巨塔 (1965年)』 『新潮文庫「白い巨塔 全5巻セット」』  映画「白い巨塔 [DVD]」['66年]
映画「白い巨塔」('66年/大映) 田宮二郎・田村高廣
映画「白い巨塔」('66年/大映).jpg この作品は何度かテレビドラマ化ざれ、佐藤慶('67年/テレビ朝日系/全26回)、田宮二郎('78年/フジテレビ系/全31回)、村上弘明(90年/テレビ朝日系/全2回)などが主役の財前五郎を演じています。更に最近では、'03年にフジテレビ系で唐沢寿明主演のもの(全21回)がありましたが、断トツの視聴率だったのは記憶に新しいところ(唐沢寿明版の最終回の視聴率32.1%で、'78年の田宮二郎版の最終回31.4%を上回る数字だった)。
                   
白い巨塔 66.jpg銀座シネパトス.jpg しかしながら個人的には、やっぱりテレビ版よりは、原作を読む前に観た山本薩夫(1910-1983)監督による映画化作品(田宮二郎主演)が鮮烈な印象として残っており、また観たいと思っていたら、'04年にニュープリント版が銀座シネパトス(東銀座・三原橋の地下にあるこの映画館は、しばしば昔の貴重な作品を上映する。2013年3月31日閉館)で公開されたため、約20年ぶりに劇場で観ることができました。これも全て今回の唐沢寿明版のヒットのお蔭でしょうか。

映画 「白い巨塔」('66年/モノクロ)

白い巨塔」(テレビ 1978.jpg田宮二郎自殺.jpg田宮二郎.jpg 田宮二郎(1935-1978/享年43)は、31歳の時にこの小説と巡り会って主人公・財前五郎に惚れ込み、作者の山崎豊子氏に懇願してその役を得たとのこと。その演技が原作者に認められ、それがテレビでも財前医師を演じることに繋がっていますが、テレビドラマの方も好評を博し、撮影終盤の頃、ドラマでの愛人役の太地喜和子(1943‐1992/享年48)との対談が週刊誌に掲載されていた記憶があります。それがまさか、ヘミングウェイと同じ方法でライフル自殺するとは思わなかった...。クイズ番組「タイム・ショック」の司会とかもやっていたのに(司会者は自殺しないなどという法則はないのだが)。

テレビドラマ版 「白い巨塔」('78~'79年/カラー)
 田宮二郎は30代前半の頃から躁うつ病を発症したらしく、テレビ版の撮影当初は躁状態で自らロケ地を探したりも田宮二郎 .jpgしていたそうです。それが終盤に入ってうつ状態になり、リハーサル中に泣き出すこともあったりしたのを、周囲が励ましながら撮影を進めたそうで、彼が自殺したのはテレビドラマの全収録が終わった日でした(実現が困難な事業に多額の投資をし、借金に追われて「俺はマフィアに命を狙われている」とか、あり得ない妄想を抱くようになっていた)。当時週刊誌で見た大地喜和子とのにこやかな対談は、実際に行われたものなのだろうか。

『続・白い巨塔』('69年/新潮社 )/『白い巨塔(全)』('94年/新潮社改版版)/映画「白い巨塔」('66年/大映)
白い巨塔 ラスト.jpg続白い巨塔.jpg白い巨塔1994.jpg
 もともとの『白い巨塔』('65年/新潮社)は、'63年から'65年にかけて「サンデー毎日」に連載されたもので、熾烈な教授選挙戦を征して教授になった財前五郎が、権力者の後ろ盾のもとに、彼の医療ミスを告発する里見医師らを駆逐するところで終わっています。映画('66年)も教授選をクライマックスに、主人公の財前が第一外科教授に昇進するまでを描いていて、原作・映画ともに、医学界の権威主義に対する強烈な風刺や批判となっていますが、権力志向の強い男のピカレスク・ロマンとしてもみることができます。しかしながら、こうした「悪が勝つ」終わり方に世間から批判があり、そのため『続・白い巨塔』('69年)が書かかれたということです('94年新装版では、正・続が2段組全1冊に収められている)。

白い巨塔 新潮文庫.jpg 文庫の方は、当初は正(上下2巻)・続に分かれていましたが、'93年の改定で「続」も含め『白い巨塔』として全3巻になり、更に'02年の改定で全5巻になっています(「続」という概念がある時期から消されているともとれる)。最近のテレビドラマもそれに準拠し、財前が亡くなるところまで撮り切っていますが、文庫で読むときは、もともとは今ある全5巻のうち、第3巻までで終わる話だったことを意識してみるのも良いのではないでしょうか。

 因みに、いくつかあるテレビ版で、原作の正編に相当する部分のみで終わっているのは、「続」が書かれる前にドラマ化された佐藤慶版('67年/テレビ朝日系/全26回)のみです。田宮二郎の主演のものも、テレビ版の方は唐沢寿明版と同じく、主人公が癌で亡くなるところまで撮っています。田宮二郎テレビ版では、田宮二郎自身が台本に自分で書いた遺書を挿入し、末期がんのがん患者になり切ったとのこと、ストレッチャーに乗る遺体役での演技をラッシュで確認して、本人は満足していたそうです(その場面が放送される前に自殺したわけだが)。

白い巨塔 .jpgkyotou1.jpg この小説は、続編も含め、単純な勧善懲悪物語にしていないところがこの著者の凄いところです。財前はむしろ、周囲に翻弄されるあやつり人形のような存在で(苦学生上がりで医師になったのに、才能を上司に認められないというのは辛いだろうなあ)、彼をとりまく人々の中に、医学界の権力構造の図式を鮮やかに浮かびあがらせている(読んでると、権力を持たなければ何も出来ないではないかという気にさえさせられる)一方、個々に「白い巨塔」小沢.jpgは、権力に憧れる気持ちと真実を追究し正義を全うしようという気持ちが入り混じっているような"普通の人"も多く出てきて、この辺りがこの小説の充実したリアリティに繋がっていると思います。 
山崎豊子(1924-2013
山崎豊子.png白い巨塔 東野.jpg白い巨塔 加藤嘉.jpg「白い巨塔」●制作年:1966年●製作:永田雅一(大映)●監督:山本薩夫●脚本:橋本忍●音楽:池野成●原作:山崎白い巨塔 船越 英二.jpg白い巨塔 滝沢修.jpg豊子●時間:150分●出演:田宮二郎/東野英治郎小沢栄太郎小川真由美/岸輝子/加藤嘉田村高廣船越英ニ滝沢修藤村志保/下条正巳/石山健二郎/加藤武/里見明凡太朗/鈴木瑞穂/清水将夫/下條正巳/須賀不二男/早白い巨塔 小川真由美.jpg白い巨塔 藤村志保  .jpg川雄三/高原駿雄/杉田康/夏木章/潮万太郎/北原義郎/長谷川待子/瀧花久子/平井岐代子/村田扶実子/竹村洋介/小山内淳/伊東光一/南方伸夫/河原侃二/山根圭一郎/浜世津子/白井玲子/天池仁美/岡崎夏子/赤沢未知子/福原真理子●劇場公開:1966/10●配給:大映●最初に観た場所:渋谷・東急名画座(山甦れ!東急名画座3.jpg甦れ!東急名画座1.jpg東急文化会館.jpg東急名画座 1.jpg本薩夫監督追悼特集) (83-12-05)●2回目:銀座シネパトス (04-05-02) (評価★★★★)
東急名画座 (東急文化会館6F、1986年〜渋谷東急2) 2003(平成15)年6月30日閉館

銀座シネパトス.jpg銀座東映.jpg銀座シネパトス.jpg銀座シネパトス 1952(昭和27)年、ニュース映画の専門館「テアトルニュース」開館、1954(昭和29)年「銀座東映」開館、1967(昭和42)年10月3日「テアトルニュース」跡地に「銀座地球座」開館、1968(昭和43)年9銀座シネパトスs.jpg月1日「銀座東映」跡地に「銀座名画座」開館、1988(昭和63)年7月1日「銀座地球座」→「銀座シネパトス1」、「銀座名画座」→「銀座シネパトス2」「銀座シネパトス3」に改装。2013(平成25)年3月31日閉館
     
              

白い巨塔」(テレビ 1978.jpgテレビドラマ 白い巨塔 田宮二郎  dvd.jpg白い巨塔 ドラマ 1.jpg「白い巨塔」(テレビ・田宮二郎版)●演出:小林俊一●制作:小林俊一●脚本:鈴木尚之●音楽:渡辺岳夫●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:田宮二郎/生田悦子/太地白い巨塔 大滝秀治2.jpgTV版「白い巨塔」中村伸郎.jpg喜和子/島田陽子/上村香子/高橋長英/中村伸郎/小沢栄太郎/河原崎長一郎/山本學/金子信雄/清水章吾/大滝秀治佐分利信加藤嘉/渡辺文雄/戸浦六宏/関川慎二/東恵美子/中村玉緒/井上孝雄/小松方正/西村晃/曽我廼家明蝶/渡辺文雄/米倉斉加年/岡田英次/中北千枝子/児玉清/北村和夫/小林昭二●放映:1978/06~1979/01(全31回)●放送局:フジテレビ
白い巨塔 佐分利 信.jpg白い巨塔 (1978年のテレビドラマ) 大河内 加藤.jpg白い巨塔 戸浦六宏.jpg中村伸郎(浪速大学医学部第一外科教授→近畿労災病院院長・東貞蔵)/大滝秀治(大阪地方裁判所裁判長)/佐分利信(東都大学医学部第一外科教授教授・船尾悟)/加藤嘉(浪速大学医学部病理学教授・大河内清作)/戸浦六宏(浪速大学医学部産婦人科教授・葉山優夫)/小沢栄太郎(浪速大学医学部第一内科教授、浪速大学医学部長・鵜飼雅一)
小沢栄太郎 白い巨塔tv.jpg『白い巨塔_1331.jpeg
    
白い巨塔 ドラマ 2003.jpg「白い巨塔」ドラマ  .jpg「白い巨塔」(テレビ・唐沢寿明版)●演出:西谷弘/河野圭太/村上正典/岩田和行●制作:大多亮●脚本:井上由美子●音楽:加古隆●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:唐沢寿明/江口洋介/西田敏行/佐々木蔵之介/上川隆也/伊藤英明/及川光博/石坂浩二/伊武雅刀/黒木瞳/矢田亜希子/水野真紀/高畑淳子/沢村一樹/片岡孝太郎/若村麻由美●放映:2003/10~2004/03(全21回)●放送局:フジテレビ

 【1965年単行本・1969年続編・1973年改訂・1994年新装版[新潮社]/1978年文庫化(上・下・続)・1993年改訂(全3巻)・2002年再改定(全5巻)[新潮文庫]】

《読書MEMO》
白い巨塔 岡田准一版.jpg白い巨塔 2019.jpg●2019年再ドラマ化 【感想】'78年の田宮二郎版の全31回、'03年の唐沢寿明版の全21回に対して今回の岡田准一版は全5回とドラマ版としては短く、盛り上がる間もなくあっという間に終わってしまった感じで、岡田准一は大役を演じきれてない印象を持った。最終回の視聴率が15.2%というのはそう悪い数字ではないが、田宮二郎版の31.4%、唐沢寿明版の32.1%と比べると平凡な数字に終わったのもむべなるかなと。

白い巨塔 キャスト.jpg白い巨塔 2019  01.jpg「白い巨塔(テレビ・岡田准一版)~テレビ朝日開局60周年記念5夜連続ドラマスペシャル」●監督:鶴橋康夫/常廣丈太●脚本:羽原大介/本村拓哉/小円真●音楽/兼松衆●原作:山崎豊子「白い巨塔」「続・白い巨塔」●出演:岡田准一/松山ケンイチ/寺尾聰/小林薫/松重豊/岸部一徳/沢尻エリカ/椎名桔平/夏帆/飯豊まりえ/斎藤工/向井康二/岸本加世子/柳葉敏郎/満島真之介/八嶋智人/山崎育三郎/高島礼子/市川実日子/美村里江/市毛良枝●放映:2019/05/22-26(全5回)●放送局:テレビ朝日

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未刊エッセイ2シリーズだが、期待したほどでもなかった。

会社の渡世.jpg 『会社の渡世』 (2005/07 河出書房新社)

山口瞳2.jpg 山口瞳(1926‐1995)の没後10周年企画として、単行本未収録エッセイを集めたもので、「山口瞳氏の生活と意見」と「山口瞳氏の一日社員」から成っています。

 「山口瞳氏の生活と意見」は'65(昭和40)年から翌年にかけて『漫画読本』に断続連載されたもので、'63(昭和38)年から連載がスタートした「男性自身」と雰囲気が似ていますが、漫画よりも野球に関するコメントが多いのが興味深かったです。著者はもともと野球少年でしたが、生涯スポーツマインドを持ち続けた人だったなあと。

 「山口瞳氏の一日社員」は、'64(昭和39)年に『オール讀物』に連載された氏の企業訪問記で、高度成長期の企業人や経営者のここまで来たことへの感慨と現在の自信、これからの夢と希望が感じられます。

 ただ、旅行記風に面白くしようとしていたりはしますが、本質部分ではPR記事のライターがよく書く文章に似ている感じがして(著者の出自のせいかも。「習い癖となる」...)、企業のことはよくわかっていいのだけれども、期待したほど面白いとは思いませんでした。

 村上春樹に『日出る国の工場』('87年/平凡社)という"工場"訪問記がありますが、この手のものはそういった"素"の人が書いたものの方が、雑誌のパブリシティなどを見慣れている読者には意外性があって面白いものになるのかも。
 
 全体として、単行本で購入するほどのものでもなかったかなと(文庫化されるかどうか知らないけれど)。

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ

作者の「母を恋うる記」であり、封印された一族の秘密を探る物語。

山口 瞳 『血族』.jpg血族.jpg        山口瞳.jpg 山口瞳 (1926‐1995/享年68)
血族 (文春文庫 や 3-4)』 〔'82年〕 
血族』 〔'79年〕 

 1979(昭和54)年・第27回「菊池寛賞」受賞作(「菊池寛賞」は作品ではなく個人や団体に対して授与されるものだが、この作品が受賞の契機となっており、実質的に本作が"受賞作"であると見ていいのではないか)

 山口瞳(1926‐1995)のこの小説は、野坂昭如が評したように作者の「母を恋うる記」であると言えます。その母は山口瞳に自らの出自を何ひとつ語らず、彼が33歳のときに亡くなってしまう...。母は一体どこで生まれ、どんな環境でどう育ったのか。

 自らの生年月日に対する疑念から始まるこの物語は、ミステリーのように読み手を惹きつけながら進行していきます。ただしその過程において、母親の気性や立ち振る舞いなどから多くのヒントを仄めかしています。これは、山口瞳自身がずっと感じていたある予感をも表していると言えるのではないでしょうか。
 
 前半部分で、複雑な血族関係にある様々な親類縁者が、母に関する思い出とともに重層的に描かれていて、こうしたクドイともとれる説明的な面が、家計図モノが苦手な自分にはちょうど読みやすいぐらいでしたです。

 それにしても、どうしても素性のよく分からない"縁者"たちがいる...、それらを含め、意図的に封印されたと思われる一族の秘密を解き明かす旅が、後半の主要な部分です。そして一族の深い哀しみの歴史と、「血縁以上に濃い血の塊」に行きつく...。

 山口瞳が『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞したのは30代半ば。この『血族』を書いたのは53歳。それまでにも間接的に母親について触れたものはありましたが、やはり作家としてどうしても、56歳で亡くなった自分の母のことを書き記しておきたかったのでしょう。

 【1982年文庫化[文春文庫]/2016年[小学館・P+D BOOKS]】

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時代のギャップも感じる反面、賞与や福利厚生に関しては先進的な考えが見られる。

新入社員諸君8.jpg新入社員諸君 文春.jpg 新入社員諸君 角川.jpg 新入社員諸君.jpg
ポケット文春 ['66年]/角川文庫 ['73年]
(表紙イラスト:柳原良平)/ソフトカバー新装版

新入社員諸君 文春.jpg

 本書を久しぶりに再読してみると、冒頭の「新入社員に関する12章」には「社会を甘くみるな」「学者になるな」「無意味に見える仕事も厭がるな」「出入りの商人に威張るな」「タダ酒を飲むな」「仕事の手順は自分で考えろ」「重役は馬鹿ではない」...etc.結構いいことが書いてありました。でも今になって思うに、こうしたことは、実際にしばらく仕事をしてみないと、実感としてはなかなかわからないかもなあとも。

新入社員諸君N.jpg 今回読んだのは、角川文庫版('73年)の復刻新装版。実際に書かれたのは、昭和39('64)年の東京オリンピックの後ぐらいで、'66年に単行本(ポケット版)刊行されています。意外と古かった...。'73(昭和53) 年から'95(平成7) 年まで、毎年1月15日(成人の日)と4月1日に掲載されたサントリーの新聞広告に書いていた新成人・新入社員向けエッセイと、印象がダブっている部分もあったかも知れません。自分が在籍した広告代理店では、入社式の日にこの広告を読んだか新入社員に訊き、読んでいないと雷を落とす役員がいました(ある種、教育的効果を狙ったパフォーマンスなのだが)。山口瞳が亡くなったのは'95年8月で、今は同じく作家の伊集院静氏が書いています。

 まだ、終身雇用が当然の時代で、長期雇用を前提にしているから、人間関係の大事さを力説することになるのではとも感じました(今も大事ですが)。一方で、BG(今のOL)に対しては厳しくなるのです。これは、結婚退社するから長期戦力にならないという、著者の不信感の表れともとれます。

 社員が上司などに対する不平不満を言いながらも会社に守られていた時代のもので、今は会社が自分たちの雇用を守ってくれるのか、社員の方が会社そのものに対して不安を抱く時代なので、その辺りに多少(テーマによっては「かなり」)ギャップがあるのではと思います。それでも、不況という言葉が何度も出てきて、「会社は潰れぬと考えるな」とかあるのは、東京オリンピック後にあった短期間の不況と、執筆時期が重なるからではないかと思いますが、新卒入社した河出書房が倒産して寿屋(現・サントリー)へ転職したという、著者自身の経験からもくるものかも。

 忘年会・新年会、社員旅行、社員割引きを会社の三大愚挙としていたり、賞与が実質生活給になっているのはおかしいとするなど、福利厚生や賃金・賞与制度については、かなり先進的な考えが展開されていたのが新たな発見でした。

 【1966年単行本[文藝春秋新社]/1973年文庫化[角川文庫]/1996年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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北の大地を流転した異能の持ち主と身寄りの無い少女の見えない心の絆。読後感がいい。

『白眼子』.JPG白眼子.jpg  白眼子2.jpg
白眼子』(2000/11 潮出版社) 『白眼子 (潮漫画文庫)』 ['06年]

 '00(平成12)年5月から9月に「月刊コミックトムプラス」に連載された作品で、昭和21年の北海道・小樽が舞台。戦災孤児となった少女・光子は、ある姉弟に拾われ一緒に暮らすことになるが、その弟の方は「白眼子」と呼ばれる「運命観相」を生業とする盲目の霊能者だった―。

 で、タイトルからしてホラー物かオカルト物という感じですが、ホラーではないですが確かにオカルティックなモチーフではあります。しかし、そうしたオカルト的関心を超えて、北の大地を転々とした異能の持ち主と、身寄りの無い少女の見えない心の絆を描いた、読後感の良い作品と言えるかと思います。

白眼子3.jpg ストイックで一見とっつきにくそうな「白眼子」に光子が徐々に信頼を寄せるようになる過程が、戦後間もない時代の北海道という背景とともに、うまく描かれていると思いました。途中で新聞記事が出てきて、「えっ、これ、実話?」と一瞬思わせますが、このような霊能力者は、作品の中にもあるように、戦地から帰らぬ出征者の行方を案ずる人や新たな商売や投機を始める人の需要に沿って、当時結構いたのではないだろうか。

 「人の幸・不幸は等しく同じ量」という達観したかのような「白眼子」の言葉が、この作品を読む過程では自然に受け容れることが出来、盲目の「白眼子」から光子がどう"見えた"かということが明かされるラストは、何かグッと心に沁み渡るものがありました。

 光子というコンプレックスの固まりみたいだった少女の成長物語にもなっていて、利己的で世俗的に見えた「白眼子」の姉も、本当のところはいい人だったみたいで、こうしたことも、読後感の良さに繋がっているのでしょう。

 【2006年文庫化[潮漫画文庫]】

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かなり自由に「卑弥呼」像を描いている。ヒミコと諸国の関係が掴め、勉強になる?

青青の時代0_.jpg青青(あお)の時代.jpg 『青青の時代』  潮漫画文庫(全3巻) ['04年]

 '98(平成10)年に雑誌『comicトムプラス』(潮出版社)で連載がスタートした作品(1998年5月号~2000年2月号)。南の島で気のふれた祖母を世話しながら暮らす10歳の少女・壱与(イヨ)のもとへ、ある日伊都国から四の王子・狗智日子(クチヒコ)がやってきて、祖母と少女を伊都国へ連れて帰る。伊都国には、「聞こえさま」と呼ばれる大和(ヤマタイ)の巫女王・日女子(ヒミコ)がいて神託で国を治めていたが、少女の祖母は日女(ヒルメ)といい、ヒミコの姉にあたるらしいことがわかる―。

 『日出処の天子』などと同じく古代史ものですが、この作品のヒミコは凋落期にあり、伊都国の方も、男王の死没で王位継承争いが起きていて(この人、こうした血肉の争いをわかりやすく面白く描くのは本当にうまい)、ヒミコは権力抗争の道具になっており、ヒミコはヒミコで、自らの巫女王としての座を守ることに汲々としているという感じ。

 かなり自由に「卑弥呼」像を描いているという感じですが、人間臭い分、『日出処の天子』の厩戸王子(聖徳太子)ほどの清澄な凄みは感じられず、ストーリー的にも、壱与がやがてその後継者となって国を治めるはずですが、壱与を(特殊な能力を持ちながらも)普通の少女のように描いていて、巫女王になるところまでは描かれていないので、やや物足りない感じもしました。

 ラストで壱与は13歳になっていますが、これは壱与が巫女王になった年齢ではないでしょうか。(「卑弥呼以て死す。(中略)更に男王を立てしも、國中服せず。更更相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の宗女壱与年十三なるを立てて王となし、國中遂に定まる」―『魏志倭人伝』より)。島(沖縄?)に帰っている場合じゃないのでは...。

 でも壱与を助けるクロヲトコ(死体埋葬人)のシビや、王位を狙う狗智日子などのキャラクターの描き方はなかなかよく、最後まで飽きさせず、それなりに厚みのあるストーリーにはなっているように思いました。
 
 一般に「邪馬台国の女王・卑弥呼」という言われ方をしますが、ヒミコは大和連合共通の巫女王であるものの、連合と言っても、統一されておらず、国同士で覇権争いしている、その中の1国である伊都国に居て、伊都国には男王もいるのですが、巫女であるヒミコが次第に権威を増し、伊都国の政治の決定権を握ってしまっているという構図になっています。ヒミコと諸国の関係が掴めるので勉強になる?

 【2004年文庫化[潮漫画文庫(全3巻)]】

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「スーパー歌舞伎」でお馴染みの原作のマンガ化。面白い。「古事記」が身近に。

ミラクルマスター7つの大冒険 パンフレット - コピー.jpg2コナン・ザ・グレート.jpgヤマトタケル1.jpgヤマトタケル2.jpg ヤマトタケル.jpg

ヤマトタケル』(1987/12 角川書店)/コミック版[あすかコミックス(上・下)]「コナン DVDスペシャルBOX」「映画パンフレット「ミラクルマスター-七つの大冒険-」

ス-パ-歌舞伎.jpg '86(昭和61)年末から翌年にかけて雑誌「ASUKA」に連載された、ヤマトタケルを主人公とした作者の古代史モノ作品の1つで、原作は、梅原猛が三代目市川猿之助の「スーパー歌舞伎」のために書き下ろしたものです。

スーパー歌舞伎 ―ものづくりノート (集英社新書)

 兄の大碓命(おおうすのみこと)を偶然殺してしまった小碓命(おうすのみこと)は、父天皇に疎まれ、熊襲(くまそ)討伐を命じられる。叔母から貰った「草薙の剣」を携え、熊襲を征した彼は、ヤマトタケルと呼ばれるようになる。さらに今度は蝦夷(えみし)討伐を命じられ、弟橘(おとたちばな)を妻としたタケルは、「草薙の剣」をもって蝦夷を征するが、途中で弟橘を失い、伊吹山で天皇の配下に追い詰められる―。

梅原 猛.jpg これぞまさに日本最古の悲劇的英雄を描く壮大な叙事詩といったところ。こうして見ると、ヤマトタケルの辿った運命はちょっと源義経と似たところがあるあなとか思いつつ、一気に最後まで読みました。ハードカバーに相応しい内容。面白いし、日本神話の勉強にもなります(梅原猛氏の歴史解釈は多分に恣意的であると思われるが)。

梅原 猛(1925-2019

ヤマトタケル (山岸凉子スペシャルセレクション 10) _.jpg この作者にしては珍しく、主人公のタケルがマッチョに描かれてる点が目を引きますが、アーノルド・シュワルツェネッガーとかシルヴェスター・スタローンの写真やビデオを参考にしたとのことです。アーノルド・シュワルツェネッガーの「コナン・ザ・グレート」('82/米)は絶対に参照しているなあ。

 ストーリーの方は、一応は梅原猛の原作を踏襲しながらも、タケルが女装して熊襲の頭領を欺く場面では、タケルの代わりに従者のタケヒコに女装させたりして(タケルをマッチョにしてしまった関係もあるのだろうが)、かなり柔軟に翻案されています。

ヤマトタケル (山岸凉子スペシャルセレクション 10)

 ヤマトタケルには戦争における軍神としてのイメージがあるし、弟橘を初めこの物語における女性の描き方が、男社会における男にとって都合のいい女性像ではないかとの指摘もあります。 弟橘は共同体のために犠牲になる個人、つまり人柱(ひとばしら)の象徴ともとれます。

 いろいろな見方はでき、個人的には梅原猛氏の歴史観そのものにも多々疑念を持っていますが(歴史家ではなく作家と見るべき)、こうして「古事記」を身近に感じることができるメリットというのはそれなりあると思いました。

アーノルド・シュワルツェネッガー コナン.jpgサンダール・バーグマン.png 「コナン・ザ・グレート」('82/米)は、アーノルド・シュワルツェネッガーの映画本格的デビュー作で(映画初出演作は「SF超人ヘラクレス」('69年)のヘラクレス役で、アーノルド・ストロングという名義でクレジットされている)、ジョン・ミリアスとオリバー・ストーンの共同脚本ですが、シュワちゃんは肉体は大いに披露するものの、まともなセリフは少ないです(似たような体格のスタントマンがいなかったため、スタントも自らこなすなどして頑張ったが、ラジー賞の"最低男優賞"になってしまった。一方、共演のサンダール・バーグマンは、ゴールデングローブ賞の年間最優秀新人賞に)。

アーノルド・シュワルツェネッガー(ジョン・ミリアス監督)「コナン・ザ・グレート」(1982)

 なぜ、あのアーノルド・シュワルツェネッガーの本格デビュー作がこのような作品になってしまったかというと、おそらく当時は演技力に関しては全く未知数であったということと(肉体美の方は確かだったが)、そもそも当時この手の古代冒険活劇譚とでも呼ぶべき映画が流行っていたということもあったのではないかと思われBeastmaster [Soundtrack].jpgBEASTMASTER.jpgます。「ジョーイ」('77年)のマーク・シンガー、「カリフォルニア・ドリーミング」('79年)のタニア・ロバーツ主演の「ミラクルマスター 七つの大冒険」('82年/米・伊)などもその類でした。コレ、「桃太郎の鬼退治」みたいな話だったなあ。最初のお供は雉ならぬ鷲と愛犬、途中からフェレットとか加わったりしたけれど。過去にビデオ化はされましたが、その後'06年現在DVD化されていないため、ある種カルト・ムービー化している作品かもしれません。

Beastmaster」[Soundtrack]


コナン・ザ・グレート2.jpgコナン・ザ・グレート3.jpg「コナン・ザ・グレート」●原題:CONAN THE BARBARIAN●制作年:1982年●制作国:アメリカ●監督:ジョン・ミリアス●製作:バズ・フェイシャンズ/ラファエラ・デ・ラウレンティス●脚本:ジョン・ミリアス/オリバー・ストーン●撮影:キャロル・ティモシー・オミーラ●音楽:ベイジル・ポールドゥリス●原作:ロバート・E・ハワード「英雄コナン」●時間:128分●出演:アーノルド・シュワルツェネッガー/ジェームズ・アール・ジョーンズ/サンダール・バーグマン/マックス・フォン・シドー/ベン・デイヴィッドスン/カサンドラ・ギャヴァ/ジェリー・ロペス/マコ岩松●日本公開:1982/07●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:新宿ローヤル(83-04-30)(評価:★★☆)コナン DVDスペシャルBOX

ミラクルマスター 七つの大冒険2.jpgミラクルマスター7つの大冒険 パンフレット.jpg「ミラクルマスター 七つの大冒険」●原題:BEASTMASTER●制作年:1982年●制作国:アメリカ・イタリア●監督・脚本:ドン・コスカレリ●製作:バズ・フェイシャンズ/ラファエラ・デ・ラウレンティス●脚本:ポール・ペパーマン/ シルヴィオ・タベット●撮影:ポール・ペパーマンth_068769983_vlcsnap_00171_123_577lo.jpg●音楽:リー・ホールドリッジ●原作:ロバート・E・ハワード「英雄コナン」●時間:118分●出演:マーク・シンガータニア・ロバーツ/リップ・トーン/ジョン・エイモス/ジョシュア・ミルラッド/ロッド・ルーミス/ベン・ハマー●日本公開:1983/10●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:新宿東急(83-10-16)(評価:★★☆)
映画パンフレット 「ミラクルマスター-七つの大冒険-」 出演 マーク・シンガー/タニア・ロバーツ

昭和31年完成の東急文化会館.jpg新宿東急 ミラノビル -2.jpg新宿東急.jpg新宿東急 1956年(昭和31年)12月、歌舞伎町「東急文化会館」(現・東急ミラノビル)地階にオープン(右写真:1960年ミラノ座新館開業時)→「新宿ミラノ2」2014(平成26)年12月31日閉館。

 【1991年コミック版[あすかコミックス(上・下)]/2011年潮出版社[山岸凉子スペシャルセレクション 10]】

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歴史小説ファンで、少女漫画(家)を軽く見ている人に是非読んでもらいたい作品。

日出処の天子 (全8巻).jpg日出処の天子 第1巻.jpg 日出処の天子7.jpg 『日出処の天子 全7巻 (漫画文庫)
日出処の天子/全巻全話1-8完結:山岸涼子全集(あすかコミックスペシャル)角川書店〔マーケットプレイスコミックセット〕

 '80(昭和55)年から'84(昭和59)年まで雑誌「LaLa」連載、'86年に全集に収められ、'94年に文庫化された著者の最大のベストセラーで、'83(昭和58)年度・第7回「講談社漫画賞」受賞作。

 聖徳太子=厩戸王子(うまやどのおうじ)は超能力者で、しょっちゅう体外離脱し、離れたところにいる者の心を操ったり、旱魃の時に高気圧を動かして!雨を降らせたりした。また彼には強烈なマザーコンプレックスがあって女性を愛することができず、蘇我馬子(そがのうまこ)の息子・蘇我毛人(そがのえみし)を同性愛的に愛していたが、毛人が布都姫(ふつひめ)という女性を愛したためにその愛は報われず、厩戸王子は虚無感から狂女を妻に娶る―というスゴイ設定の話。

 漫画史に残ると言われる厩戸王子の漂白されたような透明感のある線描も含め、よくぞ聖徳太子をここまで妖麗な中性的存在(見た目むしろ女性に近い)に描いて"山岸流"に料理したなあという感じです。

 しかし一方、政治ドラマとしてのストーリー展開の方は、政権に絡む複雑な家系の人々を緻密に網羅し、彼らが入り乱れての男社会の権力抗争、権謀術数を史実にほぼ忠実に描いいて、そんじょそこらの歴史時代小説を圧倒する重厚さです。この辺りが、厩戸王子のかなりキワドイ人物像の設定にもかかわらず、この漫画が男性も含め多くの愛読者を得ている所以でしょう。ホントこの作者は、歴史大河小説を書ける力量が充分にあるのではと思わせます。

日出処の天子 完全版 コミックセット_.jpg 厩戸王子のキャラ設定で好悪は分かれるかもしれませんし、池田理代子氏などはこの作品に対する反発から『聖徳太子』(全7巻)を手掛けたともされているようですが(まだそちらは読んでいない)、歴史小説ファンでありながら少女漫画というものを軽く見ている人などには読んでもらいたい作品です。

メディアファクトリー完全版 コミックセット(MFコミックス)

 【1994年文庫化[白泉社文庫(全7巻)]/2003年白泉社ムック版(全7巻)]/2011年メディアファクトリー完全版 コミックセット(MFコミックス)】

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著者の『濹東綺譚』への思い入れが伝わってくる文芸評論的エッセイ。

安岡 章太郎 『私の濹東綺譚』.jpg私の 東綺譚.jpg  ぼく東綺譚.jpg
『私の濹東綺譚』(1999/06 新潮社)/『私の濹東綺譚』新潮文庫〔'03年〕/永井荷風『濹東綺譚』新潮文庫

 安岡章太郎が永井荷風の『濹東綺譚』への想いを込めて書き綴った文芸評論的エッセイで、'97年から'98年にかけて「Web新潮」に連載されたものを単行本化したもの。

「墨東綺譚」の挿画(木村荘八).jpg 横光利一の『旅愁』の毎日新聞での連載がスタートしたのが昭和12年4月13日で、永井荷風の『濹東綺譚』は、その3日後に朝日新聞での連載が始まったのですが(作者自身は前年に脱稿していた)、鳴り物入りで連載スタートしたヨーロッパ紀行小説『旅愁』(挿画は藤田嗣治)が、玉の井の私娼屈を舞台にした『濹東綺譚』(挿画は木村荘八)の連載が始まるや立場が逆転し、読者も評論家も『濹東綺譚』の方を支持したというのが面白かったです(荷風にしても、欧米滞在経験があり、この作品以前に『ふらんす物語』『あめりか物語』を書いているわけですが)。横光は新聞社に『旅愁』の連載中断を申し入れたそうですが、これは事実上の敗北宣言でしょう。

朝日新聞連載の『濹東綺譚』の挿画(木村荘八).

 『濹東綺譚』連載時、安岡章太郎はまだ中学生で、初めてこの作品を読んだのが二十歳の時だったそうですが、安岡の資質から来るこの作品への親近感とは別に、安岡にとってこの作品が浅からぬ因縁のあるものであることがわかりました。

 『濹東綺譚』の〈お雪〉のモデル実在説に真っ向から反駁しているのが作家らしく(モデルがいたから書けたという、小説とはそんな単純なものではないということか)、なぜ玉の井を舞台にした作品は書いたのに吉原を舞台にした作品は書かなかったのか(荷風は吉原の"取材"は精力的にしていた)、『濹東綺譚』の最後にある「作者贅言」の成り立ちやその意味は?といった考察は興味深いものでした。

 挿入されている新聞連載時の木村荘八の挿画や当時の玉の井界隈の写真などが、何か懐かしさのようなものを誘うのもいいです。

 【2003年文庫化[新潮文庫]】

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吉行淳之介、遠藤周作に先立たれた77歳の作家の"生と死"を見つめる心境。

死との対面.jpg  『死との対面―瞬間を生きる』(1998/03 光文社) 安岡 章太郎.jpg 安岡 章太郎 氏

 安岡章太郎が編集者との何年かにわたる談話筆記に手を入れたもので、死生観、文学観から社会批評まで話題は広いのですが、平易な文語体のエッセイとして読みやすくまとまっていています。平成10年の出版ですが、77歳の作家の"生と死"を見つめる心境とみていいのではないでしょうか。

 前半部分では、南満州の戦地でのこと、復員後にカリエスという大病をし、その中で小説を書いたこと、最近亡くなった仲間たちのことなどが書かれていて、人の生死は「運」というものに左右されることを、経験的に述べています。彼は戦地で肺結核に罹り、やがて本国に送還されてしまうのですが、そのため南方戦線へ行かずに済んだわけです。とは言え、戦地の病院に入院したときに同室で亡くなった兵士もいたわけですが、憐憫の情が湧かなかったと言っています。戦場や病院では、自分のことを考えるのが精一杯で、退院していく人間に対して強い嫉妬を抱くこともあるというのは、戦争に行った人間の実感でしょう。

遠藤周作.bmp吉行 淳之介.jpg 平成6年に亡くなった吉行淳之介、平成8年に亡くなった遠藤周作の、亡くなる直前の様子などが、淡々と、時にユーモアを交え書かれていますが、やはり友人を失った寂しさのようなものが伝わってきます。著者を含め3人とも"病気のデパート"みたいな人たちだったわけですが、生き残った者の中にこそ「死」はあるという気がしました。

 安岡は66歳のときにカトリックの信者となっていて、その辺りの経緯が後半に書かれていますが、宗教というものを文化的に分析していて、自身は特に悟ったフリをするでもなく、むしろ自らの残りの人生の課題を見つめようとする真摯な姿勢が窺えました。

 '00年に『戦後文学放浪記』(岩波新書)という文壇遍歴を書いていますが、内容的には、全集の後書き的な『戦後文学放浪記』よりも、この『死との対面』の方がいい(『戦後文学放浪記』で一番面白かったのはやはり吉行淳之介について書いているところ)。岩波よりも光文社の方が、編集者が上手だったのか、よくわからないけれど...。ただし、この2冊を読むことで、戦中派文学の佳作とされる『海辺(かいへん)の光景』を再読してみる気になりました(アルツハイマーの母を看取るというかなり重いモチーフの作品です)。

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「なまけもの」とは何に対するアンチテーゼなのか考えながら読む。

ななけものの思想角川.png (表紙イラスト:山藤章二) 軟骨の精神 単行本.jpg 軟骨の精神.jpg(表紙装丁:田村義也)
なまけものの思想』 (1973/05 角川文庫)/ 『軟骨の精神 (1968年)』/ 講談社文庫

 同じ「第三の新人」のエッセイで、遠藤周作の"ユーモア"に対し、安岡章太郎のものには"エスプリ(機知)"があると言われますが、〈河盛好蔵〉流に言えば、"ユーモア"は自虐的な性格を持ち、"エスプリ"には軽い攻撃的要素があるとのこと。
 その"攻撃"するはずの安岡自身が、自らを「劣等生」「なまけもの」というように位置づけているので、構造的にやや複雑な感じがしますが、軽い読み物としても楽しく読めます。

 実際に安岡は、高校時代から不良学生で、大学受験にも何度か失敗し、「劣等生」としての生き方を早々と身につけてしまったような感じもしますが、軍隊でも落ちこぼれ、さらに脊椎カリエスという大病をしたことが、やはり彼の「なまけもの」思想を決定づけたのではないかと思います。

 安岡の言う「なまけもの」とは単に何もしない人間のことを言うのではなく、また、動かざること山のごとく、何があってもビクともしない自信家でもなく、では何かとなると、「それは心に期するところあって働きたがらぬ者、或いは、心に悩みつつも動かぬ者のことである」と。
 これって"ひきこもり"じゃないの? とも思われそうですが、吉行淳之介の「軽薄のすすめ」が"重厚"に対するアンチテーゼなら、安岡の「なまけものの思想」は何に対するアンチテーゼなのか、考えながら本書を読むと面白いと思います。

 遠藤、吉行、阿川弘之といった同世代の"悪友"たちとの交流をはじめ、他の作家の話も面白く描かれています。
 佐藤春夫や井伏鱒二が大先輩、五味康祐や柴田連三郎がやや先輩、安部公房がやや後輩、江藤淳、大江健三郎がだいぶ後輩になるといったところでしょうか。文壇での年季を感じます。

 本書は'73(昭和48)年に角川文庫で刊行され、同じ年に講談社文庫に収められた『軟骨の精神』('68年単行本初版)などと併せて楽しく読みました。'94年には文庫版を元本とした復刻新装版も出ていますが、このエッセイが実際に書かれたのは昭和30年代なので、男女のことや世相のことについて触れた部分に時代の隔たりを感じる面があるのは否めないかと思います。

 『なまけものの思想』...【1978年文庫化[角川文庫]/1994年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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いろなものを詰め込みすぎて、ワイドショー的な皮相のレベルに止まる。

希望の国のエクソダス.jpg  『希望の国のエクソダス』 (2000/07 講談社) 希望の国のエクソダス2.jpg 文春文庫 〔'02年〕

 2002年、失業率は7%を超え、円が150円まで下落した日本経済を背景に、パキスタンで地雷処理に従事する16歳の少年「ナマムギ」の存在を引き金にして、日本の中学生80万人がいっせいに不登校を始める―。

 '98年から'00年にかけて「文藝春秋」に連載されたもので、「近未来小説」ということになるのでしょうが、中学生たちのネットワークのリーダーが国会に参考人として招致され大人たちと渡り合ったり、ネットビジネスで巨万の富を得たり、自分たちの独立国に近いコミュニティを築き上げたりするところは、「近未来ファンタジー」といった感じではないでしょうか。

 自らのサイトで「今すぐに数十万を越える集団不登校が起これば、教育改革は実現する」と述べていた著者が、その考えを小説化したものともとれ、確かに導入部はかなり引き込まれ、単行本刊行時の評価も高かったように思います。

 しかし、フリージャーナリストの「おれ」を通して描かれる中学生たちは何か異星人のようで、各地で起こる騒動もニュース報道として描かれており、彼らがどうやって組織化されたのかもよくわからない。

 「おれ」が自分の彼女と懐石料理を食べる場面で、「おれ」に料理の蘊蓄を語らせ、彼女の口を借りて新聞記事から引き写してきたような経済解説をさせている場面には、少しシラけてしまいました(以下、様々な登場人物が、新聞やインターネットの様々な記事を模写的に語っているという感じの描写が多い)。

 作者は本当に教育の現状を憂えてはいるのでしょうけれど、金融・経済、IT、メディアといろいろなものを詰め込みすぎて、何れもワイドショー的な皮相のレベルに留まり(小説の中で語られる経済予測は、その後外れているものの方が多い)、小説としても、この国にとって「希望」とは何かを描いたものだとすれば、消化不良のまま終わっているような気がしました。

 【2002年文庫化[文春文庫]】

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「●「谷崎潤一郎賞」受賞作」の インデックッスへ

予言的? 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけた?

共生虫.jpg 『共生虫』 (2000/03 講談社) 共生虫2.jpg 『共生虫 (講談社文庫)』 ['03年]

 2000(平成12)年度・第36回「谷崎潤一郎賞」受賞作。 

 ある"長期ひきこもり"の青年が、インターネットにより偶然知った、女性ニュースキャスターのHPの裏サイト「インターバイオ」を通じて、絶滅をプログラミングされた「共生虫」というものを自らが宿しているという確信を持ち、凄惨な殺人へと駆り立てられていく―。

 '98年「群像」で連載開始、翌'99年10月に連載終了しましたが、その直後、"ひきこもり"的生活を送っていた青年による「京都"てるくはのる"児童殺害事件('99年12月)」や「新潟幼児長期監禁事件('00年1月)」が起き、精神科医・斎藤環氏の『社会的ひきこもり-終わらない思春期』('98年/PHP新書)とともに、"ひきこもり"事件やその社会問題化を予言したかのように注目を浴びました。

 本当にタイミング的には予言者みたいだと感心してしまいますが、「ひきこもり・インターネット・バイオレンス」の三題噺にテーマが後から付いて来る感じで、小説的には何が言いたいのか今ひとつ伝わってきませんでした(あとがきで、最終章を書いているときに「希望」について考えたとありますが、最初は何を考えていたのか?)。

 前半部分の第1の殺人は、神経症・統合失調的なシュールな描写が作者らしいのですが、マインド・コントロール的な組織「インターバイオ」とのやりとりは『電車男』('04年/新潮社)の裏バージョンみたいで(その点でも予言的?)、第2のリベンジ(?)的な殺人は、お話のために設定した殺人で、むしろこっちの方がリアリティが無いように思えました。

 社会問題的モチーフを並べて、無理矢理くっつけたという感じがする...。
 専門家である斎藤環氏は、「ひきこもり」と「インターネット」の結びつき相関が実は低いことを指摘していますが、これは作者にとって結構キツイ指摘ではないでしょうか。
 ただ、一般的なイメージは斎藤氏の言うのとは逆に、「ひきこもり」と「インターネット」を結びつける方向で形成されているように思われ、この小説もそのことに"貢献"したのかも。

 【2003年文庫化[講談社文庫]】

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「●「読売文学賞」受賞作」の インデックッスへ

"外部者の侵入"に耐えない脆弱な日本人? サイコミステリーっぽく、一気に読ませる。

イン ザ・ミソスープ.jpg  『イン ザ・ミソスープ』 (1997/09 読売新聞社) 村上龍.png 村上 龍 氏

 1997(平成9)年度・第49回「読売文学賞」受賞作。

 外国人向けの性風俗ガイドをしている20歳のケンジは、フランクと名乗るアメリカ人の依頼で、年末の夜の新宿の街を3晩、彼にアテンドすることになるが、フランクの人工皮膚を貼ったような顔は、なぜかケンジに、歌舞伎町で売春をしていた女子高生が惨殺されゴミ処理場に捨てられたという事件を思い起こさせた―。

 歌舞伎町の風俗産業の実態がよく取材されているようですが、そうしたものはこの作品の前後にも世に腐るほどあり、この作品でむしろ引き込まれるのは、フランクの異常性がちらちらと見え隠れして恐ろしい事件の勃発を予感させる、サイコミステリーっぽい仕立てにあることは間違いないでしょう。
 事件後もフランクと一緒にいるケンジの思考や行動にもリアリティがあり、最後のフランクの独白も重いものでした。
 
 "異常者"フランクの口から、自我の曖昧な日本人やぬるま湯のような日本社会に対する"まともな"批判がなされる、そのコントラストがひとつの妙と言えると思いますが、やや彼の口から語られ過ぎの感じも。
 ケンジの思考の中にも変に"オジさん"(作者自身?)っぽいものが入っていたりし、話題になった残虐な事件場面はややスプラッタ・ムービー調であるなど、瑕疵もそれなりに多い作品だという気がしますが、全体としてはフランク個人の眼を通して、日本人というものの脆弱さ、甘え、もたれあいといった精神性を投射していることが成功していると思いました。
 ぬるま湯状況の日本社会が"外部者の侵入"に晒されたら...という仮定において、後の、『半島を出よ』('05年/幻冬舎)などにも通じるところがありますが、話を広げ過ぎないことで、こっちの方がリアリティが保てていて怖い感じ。

 この小説で個人的に一番"買う"のは、「テンポ」の良さです。
 最近の著者の小説(『半島を出よ(上・下)』('05年/幻冬舎)など)のようなインターネットから引き写した如くの経済解説や時事ネタの挿入が少なく、3晩の出来事を筆一本で一気に押していくという感じで、これは新聞連載でちびちび読むタイプの小説ではないような気がしました(この小説は読売新聞に連載されたもので、連載終盤に神戸での児童連続殺傷事件('97年5月)が起きたことでも、予言的?であると話題になりましたが)。

 【1998年文庫化[幻冬舎文庫]】

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自伝的青春小説。エネルギッシュ・自己分裂的・反抗的・純情な青春の特質が描けている。

69 (sixty nine).jpg  『新装版 69 Sixty nine』 2004年新装版  69 文春文庫.jpg 文春文庫 〔'07年〕

 '69年の地方の高校を舞台に、17歳の"僕"を主人公にその周囲の仲間、大人たちを描いた著者の自伝的青春小説で、'84年から'85年にかけて女性誌「MORE」に連載。

 その直前に男性誌「BRUTUS」に連載していた『テニスボーイの憂鬱』('85年/集英社)が今ひとつ肌に合わず、そのイメージがあって本書にも長らく手をつけずにいたところ(長すぎ?)、本書は村上龍のファンにもとりわけ好評で映画化もされたということで、今回初めて読んでみたらなかなか良かったです。

 著者が30代前半で振り返った自らの高校時代ということになりますが、作中においては、著者は地方のやや田舎臭い地平にスンナリ降り切って17歳の主人公の目線になっています。
 一方で、自分の分身である"僕"を戯画化している部分もありますが、これが生き生きしていて、かつ著者の愛着がこもっている感じのものになっているように思えました。
 混沌とした時代の息吹と、自己矛盾に満ちた青春の葛藤がコミカルに描けていて、明るくてパワーがあり、青春小説に欠かせない甘さと切なさも、大人たちへの反抗もあります。

 "特大文字"の使用も効果的で、「というのは嘘で」という表現も、前段を全否定するのではなく、前段と後段がそれぞれに、考えることと出来ることの落差になっていているような感じで、同じく効果的。
 ギャップを抱えたまま存在する、自己分裂的な"青春"時代の特質を表していると言え、全体を通して、それをエンターテインメントに仕上げている。
 最後に登場人物のその後を記した、映画「アメリカン・グラフィティ」('73年/米)のエンディングのような終わり方にも、しみじみさせられます。、

 70年安保の時代の佐世保、進学校ながら多彩な生徒や教師のいる地方高校といった時間的・地域的特殊性があるのに、団塊世代だけでなく若い読者にも受けるのは、エネルギッシュで自己分裂的、反抗的で純情ひたむきな青春の普遍性が描けているからだと思いました。

 【1990年文庫化[集英社文庫]/2004年単行本新装版[集英社]/2007年再文庫化[文春文庫]】

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ファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインナップでは?

村上 春樹 『東京奇譚集』.jpg 東京奇譚集.jpg    東京奇譚集2.jpg 
東京奇譚集』(2005/09 新潮社)/新潮文庫['07年]

 編集者で辛口批評家でもあった安原顕氏が、『ダンス・ダンス・ダンス』('88年/講談社)以降の村上春樹の小説を認めず、『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)なども初期作品に比べまったく駄目だと酷評していたのに、連作スタイルの『神の子どもたちはみな踊る』('00年/新潮社)が出た途端に、「どえらい傑作」「十数年ぶりの感動!」と、その書評集『「乱読」の極意』('00年/双葉社)において絶賛していました。『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)以降の著者の著者の小説(長編)に馴染めないでいる自分も、本書を読み始めて、その時の安原氏と同じような状況になるかなと一瞬期待感を持ったりしました(本書は長編小説ではなく、表題どおりアンソロジーですが...)。

 「偶然の旅人」、「ハナレイ・ベイ」、「どこであれそれが見つかりそうな場所で」、「日々移動する腎臓のかたちをした石」、「品川猿」の5編を収録していますが、エッセイ風の書き出しで始まる冒頭の「偶然の旅人」が良かったです。

 知人のピアノ調律士から聞いた話というスタイルで、ゲイである彼が1冊の海外小説を通して偶然知り会った女性がきっかけで、過去に 断ち切れたある絆を回復するのですが、ミステリアスで且つ味わいがあります。最後に著者の視点に戻って(つまりエッセイ風の視点で)「神様」という言葉が出てきますが、志賀直哉の「小僧の神様」について、作者こそ「神様」であることを示したのではないかという見方があることを思い出しました。

 「どこであれ...」はタイトルやスタイルに翻訳モノ(探偵小説)の味わいがあり、最後の「品川猿」も悪くない(「地下鉄銀座線における大猿の呪い」という著者のエッセイを思い出した)。

 '06年にオコナー賞を受賞した著者ですが、その対象となった英訳短編集にも収録されていたこの「品川猿」などを筆頭に、村上春樹のファンでも人によって作品ごとに好き嫌いがかなり割れそうなラインアップという感じがして、個人的にも、「日々移動する腎臓...」などは、全然イイとは思わなかったのですが、まだ短篇の方が長編小説よりも自分の肌に合うのか、アンソロジーを読むと、その中に幾つかアタリが確実にあるという感じでしょうか。

 【2007年文庫化[新潮文庫]】

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物語が物語として成立していないような気がした。

海辺のカフカ 上.gif 海辺のカフカ下.gif 海辺のカフカ 全2巻 完結セット _.jpg  アフターダーク.gif アフターダーク 文庫.jpg
『海辺のカフカ』 単行本(上・下) 『海辺のカフカ 全2巻 完結セット (新潮文庫)』  『アフターダーク』('04年/講談社) 『アフターダーク (講談社文庫)』(装丁:和田 誠/写真:稲越功一)

 15歳の少年カフカと猫と話ができる老人ナカタさんの話が並行して進んでいくあたりでは期待感を持って読んでいたのですが、ジョニー・ウォーカーやカーネル・サンダースが出てくると、これはステーブン・キングの本かと思ってしまうような雰囲気になり、空から魚が降ってくる場面に至っては、メタファーというより、ただ唐突な印象を受けました。

 大島さんという捉えどころの無い女性の対極に、ホシノさんという気のいいリアリティのある人物を配していたり、そのあたりがまた『源氏物語』に登場する生霊や夏目漱石の『坑夫』などのイメージとパラレルになっていたりする複雑な文学的伏線があるようで、"力作"という印象さえ受けるのですが、個人的には、まず物語(少年が大人になる話?)が物語として充分に成立していないのではないかという気がしました(大人になれたのかよくわからない)。

 本書出版直後に公式ホームページで読者とやりとりをした往復メールをネットで閲覧しましたが、自分なりに深読みして納得してくれる読者は大勢いるようです(この内容は『少年カフカ』('03年/新潮社)という本になって出版されています)。

となりのカフカ.jpg 一般読者だでけでなく、関川夏央、川上弘美といった読書子が'02年の文芸小説ベスト3に挙げていて、海外でも、今までのムラカミの小説同様、一般の読者の高い評価を得ているようです。一方で、「これを最後まで読むのは正直辛かった」とういう日本の評論家(川本三郎)もいますが、自分の感想もそれに近いものでした。

 『となりのカフカ』(池内紀著/'04年/光文社新書)という本に"海辺のカフカ"の写真があり、要するにフランツ・カフカが海水浴場にいるスナップ写真ですが、意外とこんなものがタイトル・モチーフになっていたりして...。
池内紀 『となりのカフカ (光文社新書)』 ['04年]

 
 本作の次の長編『アフターダーク』('04年/講談社)も読みましたが、こちらの方はメタファーを排して、カメラ目線で東京の夜を追った物語でしたが、こうなると今度は翻訳調の会話文以外は著者らしさも無くなってしまい、通俗(風俗?)小説のようになってしまう...(評価★★☆)。毎回、果敢に〈文学的実験〉を試みているのは立派かも知れませんが、それにファンもよくついていくなあと感心。自分としては、著者のエッセイは好きですが、「長編小説」に関してはある時期からずーっと、「村上春樹よ、どこに行く?」という感じがしています。

 『海辺のカフカ』...【2005年文庫化[新潮文庫(上・下)]】/『アフターダーク』...【2006年文庫化[講談社文庫]】

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楽しい珍道中もあり、熱い感動もあるシドニー・オリンピック取材記。

シドニー.gif  シドニー0.jpg シドニー1.jpg
シドニー!』('01年/文芸春秋)  講談社文庫 ()〔'04年〕

 雑誌「ナンバー」に連載した'00年のシドニー・オリンピックの取材記ですが、オリンピックというもの自体に懐疑的で、競技としては最初から〈マラソン〉と〈トライアスロン〉にしか興味が無い著者は、むしろ競技場の外で見聞きしたものに対する記述に余念がありません。

 わざわざシドニーから1,000キロも離れたブリスベンまで見に行ったサッカーにしても、試合そのものより往復の"珍道中"とでも言うエピソードを楽しく書いています。しかし、やはりこれだけの質と量のものを短期間に書き上げる筆力はさすがだと思いました(著者自身も初めてのことだったようですが)。

 オリンピック取材に行って、地元紙のオリンピックに全然関係ない三面記事に言及したり、コアラの生態のことを事細かく書く人もあまりいないと思いますが、オーストラリアという国の歴史や先住民族アボリジニーについて丹念に書いた人もあまりいなかったのではないでしょうか。

シドニー!0609.jpg 高橋尚子が優勝した女子マラソンの描写にはさすがに熱が入っていますが、アボリジニー出身の陸上選手キャシー・フリーマンの女子4百メートル決勝の描写では、それ以上に筆致が冴えわたり、読む者を感動させます。

 結果的には、スポーツ雑誌「ナンバー」のコンセプトに沿ったかたちになりましたが、むしろ著者自身のスポーツマインドから来る感動が熱い言葉となってほとばしったと見るべきでしょうか。この著者にしては珍しいと思いました。

 【2004年文庫化[文春文庫(「コアラ純情篇」・「ワラビー熱血篇」全2巻)]】

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のんびり読めるアメリカ学園都市滞在"絵日記"。

うずまき猫のみつけかた4.jpg うずまき猫のみつけかた 安西水丸.jpg  村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた (新潮文庫).jpg 
うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』['96年/新潮社]/新潮文庫
表紙絵・挿画/安西水丸

MA.gif 前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)に続く著者の〈アメリカ滞在記〉ですが、居所をプリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジ(人口10万ほどの都市で、学園都市として知られている)に移しています。

Tufts University.jpg 著者は'93年から2年間この地に滞在していて、タフツ大学での講義に際して漱石など日本の近代小説を読み直したり、英文小説を読んだり翻訳したり、また、自らの小説を書いたり、ボストンマラソンに出たりといろいろ精力的に活動しているのが窺えますが、滞在記としての文体そのものは、「村上朝日堂ジャーナル」と冠している通り、適度に軽いタッチ("ハルキ調")となっています。 Tufts University

うずまき猫のみつけかた0598.jpg エッセイとしては前々作である『遠い太鼓』('90年/講談社)でもそうですが、このあたりの軽妙さは同じ時期に書いていた長編小説と補完関係にあるようです(『ねじまき鳥クロニクル』の後半部を書いている時期だと思うのですが)。

mizumaruart2.jpg 村上氏の奥さん(村上陽子氏)撮影のケンブリッジ界隈や街のノラ猫を撮った写真(見ていると何だかのんびりした気分になる)と、安西水丸氏のイラストと、その両方を文章と合わせて楽しめます。
 奥さんとのコラボレーションは、大江健三郎氏のエッセイ(大江ゆかり氏の挿画が入ったもの)を想起させました。

 途中、中国モンゴルと千葉の千倉海岸を旅行していて、いきなり千倉海岸の海の家の写真が出てくるかと思えば、滞在中に足を伸ばしたジャマイカの海辺の写真があったりしますが、不思議と違和感がありません。

 初版本には"専用しおり"がついていましたが、そこにある水丸氏の絵は子どもの絵日記によくある絵のようにも見え、本全体のコンセプトも"絵日記"といったところでしょうか
 「車盗難事件」など小事件はあったものの、ケンブリッジは静けさに満たされた、本当に「学園都市」という感じで、著者も「のんびり読んで」とあとがきで言っています。
 こういうのを読んでいると、一方で長編小説と格闘している作家の姿は見えないし、見せないのがこの作家の基本スタイルなのでしょう。

うずまき猫のみつけかた3.bmp 村上朝日堂シリーズの1冊であるのに、安西水丸氏の名前が表紙にないのは何故? 2008年の単行本新装版では「村上朝日堂ジャーナル」という冠も外しているところからすると、前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)の系譜に連なるものとして再整理されたのではないでしょうか。

単行本新装版(2008年)

 【1999年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本新装版】

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吉行淳之介作品の"再翻訳"作業に見る「面白うて、やがて哀しき...」。

やがて哀しき外国語.jpg やがて哀しき外国語 2.jpgやがて哀しき外国語』〔'94年〕 やがて哀しき外国語2.jpgやがて哀しき外国語(講談社文庫)』〔'97年〕(表紙イラスト:安西水丸
NJ.gif
 前作『遠い太鼓』('90年/講談社)が旅行滞在記であったのに対し、このエッセイはニュージャージー州プリンストンに'91年から2年半腰を落ち着け(後半の1年はプリンストン大学で日本文学を教えるのですが)、アメリカの社会と文化の中での生活を描き、それらを通して、日本および日本人、さらには日本文学や日本語について考察したものになっています。と言っても基調にあるのは生活者の視点で、日々の出来事などが独特の文体で軽妙に綴られている部分も多く、楽しく読めます。

Princeton University.jpg プリンストン大学で日本文学を教えるにあたり"第三の新人"を選んだことに興味を持ちました(因みにプリンストン大学は、かつて江藤淳が留学して後に教鞭をを執った大学であり、また、村上春樹の後は大江健三郎も同大学の客員講師として招かれている)。

Princeton University

 吉行淳之介の「樹々は緑か」(「砂の上の植物群」の習作)の英訳版を読んで「クラシック音楽の古楽器演奏にも似た」面白みがあるとしています。さらにその英訳版を日本語に、「帰国子女的」に再翻訳して(ここでも面白がっている)、自らの訳文を原文と比較をしていますが、この作業を通して日本語と外国語の埋めようもない溝を浮き彫りにしています(やがて哀しき...か)。

 プリンストン滞在中に書かれた小説が『国境の南、太陽の西』('92年/講談社)『ねじまき鳥クロニクル』('94年/新潮社)などであり、プリンストン大学での講義内容は、『若い読者のための短編小説案内』('97年/文藝春秋)に反映されています。

 小説書きながらエッセイもしたため、大学で講義もし、またその内容を本にする...精力的かつ効率的だなあと感心させられます。こうしたペースを維持する場合、日本の大学で教えるよりは海外の大学で教えるのがいいのでしょう。夏目漱石が、早く小説書きに専念したくて、大学に何度も辞職願を出しながら、なかなか辞めさせてもらえなかったという話を思い出しました。春樹氏の方は、'05年から米国のハーバード大学で教えていますが、今度も同様、(講義をしながら執筆活動もする)「ライター・イン・レジデンス」という立場のようです(そう言えば、江藤淳もプリンストン大学で教鞭をとりつつ文筆活動を続けていた)。

 【1997年文庫化[講談社文庫]】

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ギリシャの鄙びた島々での暮らし、人々と触れ合いが楽しい。

遠い太鼓.jpg遠い太鼓1.jpg遠い太鼓』〔'90年〕遠い太鼓2.jpg遠い太鼓 (講談社文庫)』〔'93年〕

 村上春樹が37歳から40歳までの3年間を、イタリア、ギリシャの各所で過ごした際の旅行滞在記で、時期的にはちょうど『ノルウェイの森』('87年/講談社)などを書いていた頃と重なります。

 著者のエッセイの中で、個人的には特に良いと思った作品です。この旅行記における自らの立場を、観光的旅行者でも恒久的生活者でもなく、「常駐的旅行者」だったとしています。イタリア、ギリシャの各所を旅してそこで暮らすことで、当然様々な不便やトラブルに遭遇するわけですが、それらと向き合い対処していく様には、求道者的な姿勢さえ感じます。

遠い太鼓0602.jpg しかし全体としては軽妙な"ハルキ調"が随所に見られ、「地球の歩き方」の上級編、ユーモア版のようにも読めてしまうのです。とりわけ、ギリシャの鄙びた島々での暮らしや人々との著者なりの触れ合いなどが読んでいて楽しかったです。クレタの"酒盛りバス"の話とかは、結構、と言うかムチャクチャ笑えました。一見気儘に書いているように見えて、それらが巧まずして(或いは"巧みに")地に足の着いた異文化論にもなっています。

 作家が海外で暮らすということはそれなりに理由があるはずですが、著者はあえて「ある日突然、僕はどうしても長い旅に出たくなったのだ。それは旅に出る理由としては理想的であるように僕には思える」としています。このあたりに、著者のスタイルを感じました。

 【1993年文庫化[講談社文庫]】

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だらだらと気楽に読め、ときどきニンマリさせられるシリーズ。

『村上朝日堂はいほー!』.JPG村上朝日堂はいほー 文庫.jpg     村上朝日堂はいほー.jpg
新潮文庫(イラスト:安西水丸)『村上朝日堂はいほー!』['89年/文化出版局]

 著者のエッセイシリーズ「村上朝日堂」は、だらだらと(?)気楽に読め、ときどきニンマリさせられるようなことが書かれている点が好きなのですが、本書も、「白子さんと黒子さんはどこに行ったのか?」とか、「村上春樹のクールでワイルドな白日夢」など、まずタイトルからして引きつけられます。

 「村上朝日堂」シリーズを初期のものから刊行順に並べると、ざっと次のようになります(『日出る国の工場』('87年/平凡社)も「新潮文庫」では一応このシリーズに入っているようです)。

 ◆『村上朝日堂』('84年/若林出版企画)'82〜'84年「日刊アルバイトニュース」連載
 ◆『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社)'85〜'86年「週刊朝日」連載
 ◆『村上朝日堂はいほー!』('89年/文化出版局)「ハイファッション」連載のエッセイが中心('83〜'88年)
 ◆『うずまき猫のみつけかた-村上朝日堂ジャーナル』('96年/新潮社)'94〜'95年「SINRA」連載
 ◆『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』('97年/朝日新聞社)'95〜'96年「週刊朝日」連載

 これを見ると、「週刊朝日」の「週刊村上朝日堂」の連載には著者の海外移住のため約10年のブランクがあり、本書『はいほー!』は、最後に日本で書いたエッセイ集というところでしょうか。雑誌掲載の35編から23編を選んでそれに他誌に書いたものなど8編を加えた31編で構成されていますが、連載の途中から「海外生活」に入ることになり、出発前の"一挙7本書き"というのもやったらしいです。

 「『うさぎ亭』主人」のような、行きつけの定食屋さんでぜんまいの煮物を食べた話のすぐ後に、ビリー・ホリデーの話や「チャールストンの幽霊」みたいな話がくるのが、この時期らしく、また著者らしいです。

The scrap.jpg シリーズの他の本が最初から安西水丸氏とのタッグなのに対し、本書単行本のイラストは高橋常政氏で(新潮文庫版では安西水丸氏)、これだけでも他と雰囲気が違ってくるのが面白いですが、体裁も 『'THE SCRAP'―懐かしの1980年代』('87年/文藝春秋)などと同じペーパーバックス(B6縦長変形)サイズで、エッセイの中に英文タイトルのものもあり、多少、『THE SCRAP』の雰囲気的に重なる部分もあります。

'THE SCRAP'―懐かしの1980年代

 このシリーズ、『村上朝日堂 夢のサーフシティー』('97年/朝日新聞社)以降、自らのホームページのコンテンツをまとめたスタイルになって、あまりにファンクラブ的になりすぎたような気もします。

 【1992年文庫化[新潮文庫]】

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村上・安西コンビの「工場」見学記。楽しく気軽に読める。

日出(いず)る国の工場 大.jpg日出(いず)る国の工場.jpg         日出(いず)る国の工場.jpg  『日出る国の工場 (新潮文庫)
日出(いず)る国の工場』 単行本 ['87年]  

小岩井農場IMG_0597.jpg '86(昭和61)年に、村上春樹がイラストレーターの安西水丸を伴って行った工場見学の記録。

 訪問先として選んでいる「工場」というのが、人体標本を作る会社だったり結婚式場だったり消しゴム工場だったりするのが面白く、ほのぼのとした中にも意外性や素直な驚きがあり、それは多分読者も共感するところで、そういうのを引き出す点が実にうまいのですが、このころからこの人にはインタビュアーとしての才があったのかもしれないと思わせるものです。

日出(いず)る国の工場 irasuto.jpg その「素直な驚き」とは、ある種の合理性に対する驚きのようなもので、カツラだって流行のモードだって経済合理性のなかで作られているというのだという村上氏の醒めた目線が窺えた気もします。

 一番印象に残ったのは、「経済動物たちの午後」と題された「小岩井農場」見小岩井農場IMG_0595.jpg学記で、ホルンスタインというのは、生まれた仔牛が牡(オス)であれば一部種牛になるものを除いて生後20ヶ月ぐらいで加工肉となり、牝(メス)牛も乳の出が悪くなればすぐに加工肉となるので、寿命を全うすることは無く、まさに"経済動物"であるという...なんだか侘しいなあ。

 とは言え、安西水丸氏のどこかのんびりした挿画も楽しく、全体として気軽に読め、笑えるところも多いです。
 この本の前向きなタイトルからも察せられるとおり、この"明るさ"は、本書がバブル期の"いい時代"に出版されたものであるということもあるのでしょうけれど。
 さらに穿った見方をすれば、その中で著者は、"経済動物"に象徴される"消費される者の哀しさ"のようなものを見据えていたということでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

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バーチャルな読書空間を提供している安西水丸氏のイラスト。
ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸).jpgランゲルハンス島の午後2.jpg  『ランゲルハンス島の午後』.JPG ランゲルハンス島の午後.jpg
単行本['86年/光文社] 『ランゲルハンス島の午後 (新潮文庫)』 (イラスト:安西水丸) 

ランゲルハンス島の午後(村上春樹・安西水丸)1.jpg '84(昭和59)年6月より、雑誌「CLASSY.」の創刊号から2年間、イラストレーターの安西水丸氏とともに連載した「村上朝日堂画報」に、表題作を加えたもの。

 海外のポップカルチャーから日本の街角で見かけたことや学生時代の思い出まで話題の範囲は広いのですが、肩のこらないショートエッセイが'60年代に対する郷愁を滲ませたような安西水丸のイラストと相俟って、心地良い読後感を与えるものとなっています。

 エッセイのタイトルのつけ方も、「洗面所の中の悪夢」とか「地下鉄銀座線における大猿の呪い」といったものまで、ググッと惹きつけるうまさを感じます。
 著者の有名な?造語である「小確幸」というタイトルの一文もあります(ただしこの言葉は、レイモンド・カーヴァーの"A Small, Good Thing"というの小説のタイトルに由来しているのだろうと思いますが)。 

ランゲルハンス島の午後0604.jpg 因みに「ランゲルハンス島」というのは、海に浮かぶ島の名前ではなく、すい臓の中にある"島"なので、地理の教科書ではなく、生物の教科書に出てきます。 
 美学における美的要素の1つとして「異質なものの組み合わせ」というのがあるそうで、シュールレアリズム絵画などはその典型ですが、著者はそういったことをさりげなくやってみせているという感じがします。

 安西水丸氏の見開きイラストの多くは、「机の上の静物」をカラフルに描いたものですが、これが読者に、ハルキ氏のエッセイを読むのにマッチした「バーチャルな読書空間」を提供しているのではないか、と思ったりしたのですがどうでしょうか。

 【1990年文庫化[新潮文庫]】

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過ぎ去った"時"を思い遣る。不思議と印象に残る「午後の最後の芝生」。

中国行きのスロウ・ボート obi.jpg中国行きのスロウ・ボート 文庫.jpg
中国行きのスロウ・ボート.jpg中国行きのスロウ・ボート』['83年](表紙イラスト:安西水丸
中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)』['86年]

 '80(昭和55)年〜'82(昭和57)年発表の7つの短篇からなる著者の最初のアンソロジーで、この間に、長編の方は『羊をめぐる冒険』('82年/講談社)が発表されています。

 表題作の「中国行きのスロウ・ボート」は、今まで出会った3人の中国人のことが想い出話として語られているややエッセイ風の短篇ですが、2人目のアルバイト先で知り合った中国人の女の子を、送り際に誤って山手線の反対回りの電車に乗せてしまったことから、修復できない溝が2人の間に露わになる話が、何だか誰にでもありそうな話だけに、切ないノスタルジーが感じられます。しかしノスタルジックでありながらも、"誤謬"は逆説的な欲望なのかと今も自問していたりする「僕」がいる―。
 
 1人目の中国人小学校の先生の話は、著者が神戸で体験したカルチャーショックのようなものがモチーフになっているような気がしましたが、最後の百科事典を売り歩く中国人の旧友の話まで読んで、中国人というより"他者"とのコミュニケーションの難しさを感じさせる話だなあと、しみじみした気分にも。

 自分の背中に"貧乏な叔母さん"が貼りついたというシュールな展開の「貧乏な叔母さんの話」や、ホテルで知り合った女性から、以前に飼い犬を埋葬し、また掘り起こしたという"トラウマ"話を聞くことになる「土の中の彼女の小さな犬」など、後の作品にも繋がる独特のメタファーや"死"の雰囲気が感じられますが、さほど大仰に思惟的でなく、むしろ、さらっと叙情的なのがいい。

Lawn.jpg 表題作よりも印象の残ったとよく言われる作品が「午後の最後の芝生」で、学生時代に"芝刈り"のアルバイトで、ある中年女性宅を訪れた際のことを、30代になって振り返る話ですが、娘の部屋や衣装棚を見せてどんな女の子なのかを「僕」に想像させるというアル中気味の女性が謎深い。結局その中年女性とは大して出来事らしい出来事も無く、それでいて確かに不思議と印象に残る作品、強いて言えば、過ぎ去った"時"というものへの想いが感じられる作品でした。

 逆算すると昭和40年代前半という時期設定ということになりますが、"芝刈り"のアルバイトというのがアメリカの小説っぽいなあ。

『中国行きのスロウ・ボート』.JPG

 【1986年文庫化[中公文庫]】

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『ぼんくら2』。江戸市井の人情や風俗が楽しめるが、弓之助が少し活躍し過ぎでは。

『日暮らし (上・下)』0.JPG日暮らし 上.jpg 日暮らし 下.jpg  ぼんくら.jpg
『日暮らし(上・下)』講談社文庫/『日暮らし 上』/『ぼんくら』('00年/講談社)(表紙絵:村上 豊)

 同心・井筒平四郎が事件の解決にあたるぼんくら』('00年/講談社)の続編で、最初の方は前作同様、小事件を人情譚に絡めて描く連作短編のスタイルですが、それが途中から展開していくメインの事件の背景にもなっています。

 『ぼんくら』のストーリーをも受け継いでいるし、『ぼんくら』では長屋のシステムなどの説明もキッチリされていたので、やはり『ぼんくら』から読んだ方が楽しめるには違いないと思います。

 最初は、家庭内での夫婦の心の行き違いやストーカーを懲らしめる話など、事件としては小粒ながらもホロリとする話が続き、このまま人情譚でいくのかと思うと、メインとなる事件では犯人探しに焦点が集まるようになっていて、人の心に棲む鬼のような情念をしみじみと描くうまさは、やはり著者ならではのものです。

 おどろおどろしい事件ですが、その解決を通して人の心の温かさが伝わってくるのは『ぼんくら』や『あかんべえ』('02年/PHP研究所)と同様で、随所に描かれる江戸市井の人々の暮らしぶりや食べ物にまつわる話などの江戸風俗も楽しめました。

 楽しいし読みやすいけれども、どちらかと言えば上巻の方が面白い。本当は下巻にいくにつれて盛り上がるべきなのだろうけれど、オチもやや唐突な気がしましたし、天才美少年・弓之助少年が少し活躍し過ぎて、ここまでくるとジュブナイル小説のノリではないかと...。「名探偵コナン」とダブりました。前作と併せてラジオドラマ化もされましたが、弓之助の声は高山みなみさん(コナンの声優)が担当していたし...。

 【2008年文庫化[講談社文庫(上・中・下)]/2011年文庫新装版[講談社文庫(上・下)]】

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サクサク読めるが、登場人物、プロットとも、平凡な"2時間ドラマ"級という感じも。

『誰か Somebody』.JPG誰か2.jpg 誰か.jpg 誰か 3.jpg
カッパ・ノベルズ〔'05年〕『誰か ----Somebody』(2003/11 実業之日本社)

 ある企業の広報室に勤める私こと杉村三郎は、義父で自分が勤める企業グループの会長である今多から、自分の専属運転手だった梶田の2人の娘が、父親についての本を書きたいという話の相談にのってやってくれと頼まれる―。

 梶田はこの夏のある日、自宅から遠く離れた町のマンションの前で、何者かに自転車に跳ねられ亡くなったのだが、梶田の娘たちは、亡き父親についての本を書くことが、捕まらない轢き逃げ犯への呼びかけになると考えているようだった。しかし、父親の過去を探ることに対する2人の娘姉妹の考えにはギャップが―。

 ノベルズ版の帯に「宮部みゆきが丹念に描き上げた。現代ミステリーの佳作」とありますが、う〜ん、どうなんだろうか、サクサク読めてそれほど気にはならないけれど、やはり余分な描写が多すぎて、皮ばかり厚くて餡子の少ない饅頭みたいでした。

 何よりも、作者の現代ミステリーに特徴的な、現代社会の闇を抉るような社会性というものが希薄で、登場人物、プロットとも、平凡な"2時間ドラマ"級という感じ。

 一応、手馴れた筆の運びで、突っ掛かることなく最後まで読めてしまいますが、この作家は、同じ時期に書いている作品では、時代モノの方が面白くなってきているのではないかという気がしました。

 【2005年ノベルズ版[カッパ・ノベルズ]/2007年文庫化[文春文庫]】

《読書MEMO》
名もなき毒 tv.jpg・TBS系列「月曜ミステリーシアター」2013年TVドラマ化「名もなき毒」
 小泉孝太郎主演
 第1話~第5話「誰か Somebody」共演:深田恭子
 第6話~第11「名もなき毒」共演:真矢みき

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少女と幽霊たちの交流。「ファンタジー系」時代ミステリーの傑作。

宮部 みゆき 『あかんべえ』.jpg あかんべえ.jpg     あかんべえ 上.jpg あかんべえ下.jpg
あかんべえ』 単行本〔'02年〕(単行本カバー画:熊田正男)/『あかんべえ〈上〉 (新潮文庫)』『あかんべえ〈下〉 (新潮文庫)』〔'06年〕

 本所の賄い屋の庖丁人・太一郎と妻・多恵は、海辺大工町に料理屋を開くことになり、その準備に追われるある日、一人娘おりんが、高熱を出して生死の境を彷徨うことになった。おりんはなんとか三途の川から引き返してきたが、両親が開いた料理屋「ふね屋」のその宴席に、おどろ髪の幽霊が現れて刀を振り回す。しかしその姿はおりんにしか見えず、他の客には刀が宙を舞っていうようにしか見えない。おりんは、以後家の中で子どもや大人のお化けを目にし、彼らと話もできるようになる―。

 この作品は著者の「霊験お初シリーズ」から進化したものかなとも思いましたが、同じ超能力時代モノでも「お初シリーズ」が「ジュブナイル系」とすれば、主人公の年齢がお初17歳からおりん12歳に低年齢化したこちらは、言わば「ファンタジー系」でしょうか。

 ラストにミステリーとしての結末は用意されていますが、物語の白眉はおりんと5人の幽霊の秘密の交流です。子供と「異界」、子供と「秘密」といったテーマはファンタジーでよく扱われるテーマですが、この作品では子供の目から見た大人の世界というものが、"お化けさん"たちを通してよあかんべえ (PHP文芸文庫).jpgく描かれていて、大人が読んで深く味わえるものになっていると思います。

 ある意味、"やさしさ"や"思いやり"などといったテーマは、ファンタジーっぽい設定の方が描きやすい時代なのかも。時代ミステリーでそれをやってみせる作者の力量はすばらしいと思いました。

 また、賄い屋(弁当屋)の日常を通して、江戸の下町の情緒や料理の蘊蓄が楽しめるのも、大人の読者を満足させるポイント。海辺大工町は深川北部辺りで、江戸地誌に詳しい作者が最も得意とするテリトリーであるということもあります(この辺りは今でも昔風の割烹屋、仕出し屋が多い)。

あかんべえ (PHP文芸文庫)

 【2006年文庫化[新潮文庫(上・下)]/2014年再文庫化[PHP文芸文庫]】

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クライマックスがやや弱い、それと、少し長すぎる気もするが、それでもそこそこの力作。

模倣犯 上.jpg 模倣犯 The copy cat 下.jpg  模倣犯 上下.jpg   模倣犯.jpg
模倣犯〈上〉模倣犯〈下〉 style=』(単行本カバー画:大橋 歩)/新潮文庫(全5巻) 〔'05年〕

「模倣犯」.jpg 2001(平成13)年・第55回「毎日出版文化賞」(特別賞)並びに2002(平成14)年・第52回「芸術選奨」受賞作。2001 (平成13) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。2002 (平成14) 年「このミステリーがすごい!」(国内編)第1位。併せて、2002(平成14)年・第5回「司馬遼太郎賞」も受賞。

 ある日、公園のゴミ箱から女性の右腕が発見されるが、それは猟奇的な残虐さと比類なき知能を併せ持つ犯人からの宣戦布告であり、連続女性殺人事件のプロローグだった―。

模倣犯 ラスト.jpg模倣犯 movie.jpg SMAPの中居正広が初主演した映画で荒筋を知る人は多いと思いますが、映画でのあの「自爆シーン」の結末は何だったのでしょうか? 映画を観て原作の方は未読であるという人に、"正しい理解"のために原作を読むことをお勧めしたいようにも思います。とにかく大長編作品であるためにやや読むのに躊躇しますが、でも、やっぱり原作を読んで正しく評価していただきたいと思うぐらいに、映画の方は勝手に原作を改変して、しかもダメにしてしまっているように思えます(原作者が試写会の途中で席を立ってしまったというのもわかる)。

 小説そのものについては、『火車』('92年/双葉社)の素晴らしいラストや『理由』('98年/朝日新聞社)の冒頭の意外な展開に比べると、本書のクライマックスにおける犯人を激昂させるキー―この鍵で扉が簡単にバタンと開いてしまうところは、やはり今ひとつでしたが(今まで極めて冷静だった犯人が、あまりに脆く瓦解する)、でも読んでいる間はやはりハマりました。

 個人的には『火車』が星5つで、『理由』も星5つに近く、この作品もそれらに及ばずともそこそこの評価になってしまうのです。さすが宮部みゆき。それだけに、この作品ももっとまともに映像化されれば良かったのにと思ってしまいます(『火車』は'94年にテレビ朝日で"2時間ドラマ"化され、『理由』は'04年に大林宣彦監督により映画化されている)。

 全部読むのにかなり時間かかりました。それだけ長時間、宮部ワールドに浸れたということでもありますが、少し長すぎる気もします。けっこう残忍な場面とかがあったわりには、登場キャラの多いRPGゲームをやり終えたような読後感であるのは、この作家の作品の特徴と言うか、"作家体質"的なものではないかと思います(本人、RPGゲーム大好き人間らしいですが)。

模倣犯 2002.jpg「模倣犯」●制作年:2002年●製作:「模倣犯」製作委員会(東宝・小学館・博報堂DYメディアパートナーズ・毎日新聞社・日本テレビ放送網ほか)●監督:森田芳光●撮影:北信康●音楽:大島ミチル●原作:宮部 みゆき●時間:124分●出演:中居正広/山崎努/伊東美咲/木村佳乃/寺脇康文/藤井隆/津田寛治/田口淳之介/藤田陽子/小池栄子/平泉成/城戸真亜子/モロ模倣犯 文庫.jpg師岡/村井克行/角田ともみ/中村久美/小木茂光/由紀さおり/太田光/田中裕二/吉村由美/大貫亜美●劇場公開:2002/06●配給:東宝 (評価★☆)

 【2005年文庫化[新潮文庫(全5巻)]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「ぼんくら」)

時代人情モノとして堪能できるミステリー。

宮部 みゆき 『ぼんくら』.jpg ぼんくら.jpg      ぼんくら〈上〉.jpg ぼんくら〈下〉.jpg 
ぼんくら』['00年/講談社](装画・題字:村上 豊)/講談社文庫 (上・下) ['04年] 

 江戸・深川の長屋を舞台に繰り広げられる時代ミステリーです。主人公の「ぼんくら」と綽名される同心・平四郎と甥の超美少年・弓之介が、長屋で起きた殺人事件を、岡引や市井の人の助けを借りて解いていく―。

 幾つかの短編を併せて長編ミステリーを構成しているのですが、その短編を個々に見ると、ミステリーの1章というより、独立した江戸人情噺としての色合いが強いものがいくつもあります。

 長屋のシステムやルールなどが「霊験お初シリーズ」などの同じ時代推理に比べ丁寧に書き込んであり、そこに住む人々の生活や交わりなどもよく描かれていると思います。こうした長屋モノを得意としたのは山本周五郎ですが、作者は「山本周五郎賞」の方は、現代のカードローン地獄を描いた火車』('92年/双葉社)で早々と取っています。山本周五郎に"恩返し"というわけでもないでしょうが、この『ぼんくら』という作品には、山本周五郎オへのマージュ的なものも個人的には感じました。

 テープレコーダー少年?"おでこ"などの個性的な人物も多く登場しますが、事件に全くと言っていいほど関与しない人物も多く、途中で事件を忘れてしまいそうになります。そのあたりがミステリーファンにとってどうなのだろう、と思いながらも、自分自身は"時代人情モノ"として充分堪能しました。

 作者自身、この構成をどう自己評価したのか、続編日暮らしで答えを探ることにしたいと思いました。

 【2004年文庫化[講談社文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●2014年ドラマ化 【感想】 岸谷五朗はまずまずだが、久しぶりに見た松坂慶子って昔より演技が下手になってしまったのではないかと思った。好意的に解すれば、姐さん風からおばさん風に芸風をチェンジしたということか。これはこれで、女優としての生き残り戦略ととれなくもないが、映画「蒲田行進曲」の頃の彼女を知る者としてはやや複雑な思いもあった。

NHK ぼんくら1.jpgNHK ぼんくら2.jpg NHK木曜時代劇「ぼんくら」(2014年10月~12月[全10回])
演出:吉川一義/酒井信行/真鍋斎 脚本:尾西兼一 ほか
出演:岸谷五朗/奥貫薫/風間俊介/六平直政/志賀廣太郎/鶴見辰吾/大杉漣/松坂慶子/勝野雅奈恵ほか


                  

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ためになって、かつ明るく楽しい、時代物の背景となった土地巡り。

平成お徒歩日記.jpg平成お徒歩日記』 ['98年/新潮社] (表紙:松本 哉) 平成お徒歩日記2.jpg 『平成お徒歩日記 (新潮文庫)』 〔'01年〕 (カバー挿画:石丸千里)

 著者の初めてのエッセイで、時代小説の舞台となった地を歩いて巡るという雑誌の連載企画を本にまとめたもの([下右]2008年単行本新装版[新潮社])。

小塚原刑場跡.jpg平成お徒歩日記〈新装版〉.jpg 赤穂浪士が吉良邸(現在の両国・回向院付近)に討ち入りを果たした後、高輪・泉岳寺まで歩いた道のりを辿ったり(真夏に10キロ踏破!)、いわゆる江戸市中引き回しコースを、自らを"毒婦みゆき"と罪人になぞらえて巡り、鈴ヶ森(現在の南大井)・小塚原(現在の南千住)の各刑場跡を訪れたり、最後の方は「早駕籠」(=タクシー)を使ったりしていますが、歩く歩く...。 各章の冒頭に地図もあり、読むだけでも昔の人もそれだけ歩いたのだなあと実感できます。

小塚原刑場跡

 時代考証を交えながらも酔狂なノリで、あくまでも弾けるように明るく(同行のスタッフやカメラマンとのやりとりが滅茶苦茶コミカル)、「ためになる」というより「楽しい」という感じです(もちろん「ためにもなる」)。

 流人の足跡を辿って八丈島に行ったり、果てはお伊勢様参りまでしていますが、連載企画の前に池波正太郎の「剣客商売」の『浮沈』の舞台・深川を歩いていて、やはりこの辺りがこの人のルーツになるのだなあと思いました。

  【2001年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本 新装版[新潮社]】

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多くの読者を得る"理由"の1つは、社会への問題提起にあるのでは。

理由 単行本.jpg 理由2.jpg 理由.jpg  映画 理由 大林ード.jpg 理由3.jpg
単行本『理由』['98年]『理由 (朝日文庫)』〔'02年〕『理由 (新潮文庫)』〔'04年〕 映画「理由」(2004)

『理由』.JPG 1998(平成10)年下半期・第120回「直木賞」受賞作で、1998 (平成10) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。「日本冒険小説協会大賞」も併せて受賞。  

 東京・荒川区の超高層マンション「ヴァンダール千住北ニューシティー」で起きた殺人事件は、一家3人が殺され1人が飛び降り自殺するという奇怪なものだったが、被害者たちの身元を探っていくとそこには―。

 直木賞受賞作ですが、事件状況とその意外な展開という着想が素晴らしいと思いました。事件の解明を通して住宅ローン地獄や家族の崩壊という現代的テーマが浮き彫りになってきますが、そこにルポルタージュ的手法が効いています。

カバチタレ!3.jpg火車.jpg 『火車』('92年/双葉社)において、戸籍が本人であることを詐称することで簡単に書き換えられることをプロットに盛り込んだ著者は、この作品では「占有権」という一般の目には不可思議な面もある法的権利と、それを利用する「占有屋」という商売に注目していて、こうした着眼とその生かし方にも、著者の巧さを感じます。

 (「占有屋」は、後に『カバチタレ!』(青木雄二(監修)・田島隆(原作)・東風孝広(漫画))というコミックでもとりあげられ、テレビドラマ化された中でも紹介された、法の網目を潜った奇妙な商売。)

映画「理由」.jpg 作品の冒頭の特異な事件展開にはグンと引き込まれましたが、それに対し、事実がわかってしまえばそれほど驚くべき結末でもなかったのでは...みたいな感じもあります。

 しかし、ミステリーとしての面白さもさることながら、それ以上に、現代社会に対する鋭い問題提起が、この多才な作家の真骨頂の1つであり、幅広い世代にわたり多くの読者を獲得している"理由"は、そのあたりにあるのではないかと思いました(とりわけそれは、社会派推理の色合いが強い『火車』と『理由』の2作品に最も言えることではないか)。

宮部みゆき『理由』新潮文庫.jpg '04年に大林宣彦監督が映画化していますが、元々はWOWOWのドラマとしてその年のゴールデンウィークに放映されたものであったとのこと。

 関係者の証言を積み重ねていくドキュメンタリー的なアプローチは原作と同じで、出演者107人全員を主役と見做し("主要"登場人物に絞っても約40名!)、全員ノーメークで出演と頑張っているのですが、「キネマ旬報」に載った大林宣彦監督のインタビュー記事で、こうした作り方の意図するところを知りました。

 個人的には、原作に忠実である言うより(登場人物のウェイトのかけ方は若干原作と異なる)、原作のスタイルを損なわずにそのまま映像化したら(つまり、この作品における膨大な関係者証言の部分を、一切削らずに、「証言」のままの形で映像化したら)どのようになるかとという推理小説の映像化に際しての1つの実験のようにも思えました。

新潮文庫 映画タイアップカバー版

アクロシティタワーズ.jpg 但し、実際映像化されてみるとやや散漫な印象も。森田芳光監督の「模倣犯」みたいな"原作ぶち壊し"までいかなくとも、もっと違ったアプローチもあってよかったのではないかとも思いました。因みに、この小説の舞台となった荒川区の超高層マンション「ヴァンダール千住北ニューシティー」のモデルは「シティヌーブ北千住30」(足立区)だと思っていたけれど、どうやら南千住の「アクロシティタワーズ」(荒川区)みたいです(「千住北」という地名は存在せず、北千住は足立区になる)。[参照:宮部みゆき『理由』の舞台を歩く

理由 岸部.jpg「理由」●制作年:2004年●製作:WOWOW●監督・脚本:大林宣彦●音楽:山下康介/學草太郎●原作:宮部 みゆき●時間:160分●出演:岸部一徳/柄本明/古手川祐子/風吹ジュン/久本雅美/立川談志/永六輔/片岡鶴太郎/小林稔侍/高橋かおり/小林聡美/渡辺えり子/菅井きん/石橋蓮司/南田洋子/赤座美代子/麿赤兒/峰岸徹/宝生舞/松田洋治/根岸季衣/伊藤歩/宮崎あおい/裕木奈江/村田雄浩/山田辰夫/大和田伸也/松田美由紀/ベンガル/左時枝/入江若葉/山本晋也/渡辺裕之/嶋田久作/柳沢慎吾/島崎和歌子/中江有里/加瀬亮/勝野洋/多部未華子●劇場公開:2004/10●配給:アスミック・エース (評価★★★☆)
多部未華子/宮崎あおい/裕木奈江
理由 多部未華子.JPG 理由 宮崎あおい.JPG 理由 裕木奈江.JPG

 【2002年文庫化[朝日文庫]/2004年再文庫化[新潮文庫]】

●大林宣彦監督インタビュー(「キネマ旬報」(2004.1.下)
 「今回の『理由』は、WOWOWの企画で出発してるんですけど、実はその枠にははまらない。というのは、WOWOWの番組としての予算も枠も決まったシリーズの中の一本なんですけど、宮部みゆきさんの原作は、その枠に合わせて作るのが不可能な小説なんですよ。これまでも多くの人が映画化やテレビドラマ化を試みたんだけど、宮部さんは一度も首を縦に振らなかった。その理由は、ひとつの殺人事件にいかに多くの人が絡み合っているかという、ぼく流に言えば人間や家族の絆が失われた時代に、殺人事件がむしろ哀しき絆となったような人間群像の物語なので、ぼくのシナリオの中でも主要な人物だけで107人もいるんですよ。強引にまとめていけば、10人くらいの物語にはできる。普通の映画やテレビの場合では、そうやって作るんです。しかし、それでは宮部さんが試みた集団劇としての現代の人間の絆のありようが描ききれないんですね。つまりこれをやる以上は、107人総てを画面に出さなければいけない。
 宮部さんは、ぼくに監督をお願いしたとWOWOWから知らされた時点で、すべてぼくにお任せしますとおっしゃったんです。任された以上、ぼくは原作者が意図したものを映画にするのが礼節だと思います。ぼくはいつも原作ものを映画にするときは、作者がはじめからこの物語を映画に作ったら、どういうものになるだろうと考えるんですね。だから紙背にこめられた作者の願いを文学的にではなく映画的に表現したらこうなるよというものを作ろうという意味で、決して原作どおりではないんだけど、原作者の狙いや願いを映画にしようと」

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時代小説における新境地確立を思わせる一方、何かと既知感が...。

『天狗風.jpg天狗風.jpg  天狗風 霊験お初捕物控【二】[講談社文庫].png
天狗風―霊験お初捕物控 2』〔'97年〕(カバー画:熊田正男) 『天狗風―霊験お初捕物控〈2〉 (講談社文庫)』〔'01年〕

 『震える岩』('93年/新人物往来社)に続く「霊験お初捕物控」の第2弾で、今回は、嫁入り前の娘が次々と神隠しに遭ったかのように失踪する事件の謎を、前作同様、17歳のエスパー少女・お初が追うというもの。

 "死んでも消えない"女の怨念(この作家の典型的モチーフの1つ?)が描かれていますが、怖さよりも、「小袋」に妄念が宿ったという設定などに時代ものらしい風情を感じ、ミステリーとしてもそれなりに引き込まれました。

 同じ女の怨念を描いても、松本清張作品のようなリアルな湿り気のようなものがあまり感じられないのは、この作家の特質なのか、時代ものという枠組みのためか(『火車』などの現代ものの主人公には清張作品を想起させるものがありましたが)。

じゃりん子チエ 小鉄.jpg ジュブナイル系というか、ヤングアダルト系というか...、セリフを喋る猫の登場には(お初に猫とコミュニケートする能力があるということですが)、「じゃりん子チエ」という漫画の「小鉄」を思い出しました。

 作者の時代小説における新境地の確立を思わせる一方で、天狗との最終対決シーンなども含め、スティーブン・キングの小説やRPGゲームの時代ものへの翻案かなと思わせる感じもあり、小説が醸し出す雰囲気に何かと既知感がつきまとったというのが正直なところ。

 とは言え、テンポのいい快作であることには違いなく、江戸風情もよく描かれていて、読後感も心温まるものでした。

 【2001年文庫化[講談社文庫]】

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作者の現代推理小説の中では、「理由」「模倣犯」を凌ぐ傑作。

宮部 みゆき 『火車』.jpg火車.jpg 火車Jul.'92 双葉社.jpg 火車 All she was worth.jpg 火車 カード破産の女!1.jpg
火車 (新潮文庫)』 『火車』 ['92年/双葉社] ペーパーバック版 "火車―All she was worth"  テレビ朝日「火車 カード破産の女!」(1994)

 1992(平成4) 年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。1993(平成5)年度・第6回「山本周五郎賞」受賞作。(2008(平成20)年に、「このミステリーがすごい!」の賞創設から20年間のランキングでベスト20に入った作品のトータルで第1位にも輝いた。因みに、発表当時の1993(平成5)年の「このミステリーがすごい!」では『砂のクロニクル』(船戸与一)に次いで第2位だった。)

 休職中の刑事が遠縁の男に頼まれて、失踪した婚約者の女性を探すことになるが、彼女の過去は調べれば調べるほど闇に包まれている。なぜこの主人公の女性は「自分を消す」ということにこれだけ執着し、またそこにどんな落とし穴があったのか―。カード社会の犠牲ともいうべき自己破産者の凄惨な人生を描いた傑作です。

 宮部みゆき作品の中ではとりわけ社会派的色彩が濃いものですが、この作品で衝撃を受けたのは、主人公が最後の最後にしか現れず、セリフも一言もないという凝った造りであることです。それでいて、主人公の情念がじわ〜っと伝わってきます。著者の現代推理小説の中では『理由』('98年)、『模倣犯』('01年)と並ぶ傑作の部類で、むしろ『理由』も『模倣犯』もこの作品を超えていないかも知れないという気もします。

 ところがこの作品は直木賞をとっていないのです。『理由』で直木賞をとる前に、『龍は眠る』('91年)、『返事はいらない』('91年)、『火車』('92年)、『人質カノン』('96年)、『蒲生邸事件』('96年)と候補になりながら選にもれたものがありますが、個人的には、『火車』でとるべきだったと思います。『火車』の直木賞落選の「選評」で、「重要人物が描けていない」という批評にはガックリきたという感じ。明らかに主人公のことを指していますが、"自分を消した"女性が主人公なのだから...。

火車 last 1994.jpg '94年に"2時間ドラマ"化されていて、「火車 カード破産の女!」というタイトルで『土曜ワイド劇場』のテレビ朝日開局35周年特別企画として放映されていますが、主人公の新城喬子(関根彰子)役の財前直見は原作同様、ラストシーンを除いてほとんど出て来ず、それでいてドラマ全体を支配していました。原作の優れた点をよく生かしたドラマ化だったと思います。

 作家の倉橋由美子は、この小説を絶賛したうえで、ラストは「太陽がいっぱい」(パトリシア・ハイスミスの原作でなく、映画の方)に似ていると書いていますが(『偏愛文学館』('05年/講談社))、確かに。

「火車-カード破産の女!」 ラストシーン

財前直見  .jpg火車 1994.png「火車 カード破産の女!」●演出:池広一夫●制作:塙淳一●脚本:吉田剛●出演:三田村邦彦/財前直見/沢向要士/船越栄一郎(船越英一郎)/山口果林/角野卓造/森口瑤子/山下規介/大畑俊/吉野真弓/菅原あき/畠山久/奥野匡/小沢 象/たうみあきこ/加地健太郎/飯島洋美/舟戸敦子/沢向要士/角野卓造●放映:1994/02(全1回)●放送局:テレビ朝日   

「火車-カード破産の女!」 新城喬子(財前直見)
 
 【1998年文庫化[新潮文庫]】

「このミステリーがすごい!」ベスト・オブ・ベスト(2008年版までの20年間分のランキングでベスト20に入った作品が対象。アンケート結果は2008年2月刊行の『もっとすごい!! このミステリーがすごい!』で発表された。)
第1位 火車(宮部みゆき 1993年版 2位)
第2位 生ける屍の死(山口雅也 1989年版 8位)
第3位 魍魎の匣(京極夏彦 1996年版 4位)
第4位 私が殺した少女(原尞 1989年版 1位)
第5位 新宿鮫(大沢在昌 1991年版 1位)
第6位 ダック・コール(稲見一良 1992年版 3位)
第7位 空飛ぶ馬(北村薫 1989年版 2位)
第8位 双頭の悪魔(有栖川有栖 1993年版 6位)
第9位 レディ・ジョーカー(髙村薫 1999年版 1位)
第10位 白夜行(東野圭吾 2000年版 2位)
第11位 毒猿 新宿鮫II(大沢在昌 1992年版 2位)
第12位 男たちは北へ(風間一輝 1989年版 6位)
第13位 エトロフ発緊急電(佐々木譲 1989年版 4位)
第14位 不夜城(馳星周 1997年版 1位)
第15位 煙か土か食い物(舞城王太郎 2002年版 8位)
第16位 ガダラの豚(中島らも 1994年版 5位)
第17位 絡新婦の理(京極夏彦 1998年版 4位)
第18位 時計館の殺人(綾辻行人 1992年版 11位)
第19位 三月は深き紅の淵を(恩田陸 1998年版 9位)
第20位 模倣犯(宮部みゆき 2002年版 1位)

《読書MEMO》
火車 ドラマ   ド.jpg宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車 上川 terawaki .jpg●2011年再ドラマ化 【感想】 本間(上川達也)は新城喬子(佐々木希)より本物の関根彰子(田畑智子)を追っているような印象にもなってしまったが、佐々木希のセリフが最後まで一言も無かったのは正攻法と言える。原作の良さにも助けられているものの、やはり'94年の財前直美版には及ばない(特にラストシーンは'94年版の素晴らしさには遠く及ばない)。
   

火車 ドラマ00.jpg火車 ドラマ03.jpg「宮部みゆき原作 ドラマスペシャル 火車」●演出:橋本一●脚本:森下直●原作:宮部みゆき●出演:上川隆也/佐々木希/寺脇康文/田畑火車 ドラマ5b.jpg火車 ドラマ5e.jpg火車 ドラマc03.jpg智子/ゴリ(ガレッジセール)/渡辺大/鈴木浩介/高橋一生/井上和香/前田亜季/藤真利子/美保純/金田明夫/笹野高史/茅島成美/山崎竜太郎/ちすん/上間美緒/長谷川朝晴/谷口高史●放映:2011/11/05(全1回)●放送局:テレビ朝日

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「物語」そのものになろうとする三島の意志を感じた。

三島由紀夫 豊饒の海1 春の雪.jpg奔馬 豊饒の海2.jpg『豊饒の海』/三島由紀夫1.jpg春の雪.jpg 『豊饒の海』/三島由紀夫2.jpg奔馬.jpg
春の雪 (新潮文庫―豊饒の海)』『奔馬 (新潮文庫―豊饒の海)
「豊饒の海」(全4巻)第1部 『春の雪 (1969年)』 「豊饒の海」(全4巻)第2部 『奔馬 (1969年)

 維新の功臣を祖父にもつ侯爵家の若き嫡子松枝清顕と、伯爵家の美貌の令嬢綾倉聡子のついに結ばれることのない恋。矜り高い青年が、〈禁じられた恋〉に生命を賭して求めたものは何であったか?―大正初期の貴族社会を舞台に、破滅へと運命づけられた悲劇的な愛を優雅絢爛たる筆に描く―。(『春の雪』―「豊饒の海」第1部)

 今や控訴院判事となった本多繁邦の前に、松枝清顕の生まれ変わりである飯沼勲が現れる。昭和の神風連を志す彼は、腐敗した政治・疲弊した社会を改革せんと蹶起を計画する。しかしその企ては密告によってあえなく潰える... 。彼が目指し、青春の情熱を滾らせたものは幻に過ぎなかったのか?若者の純粋な〈行動〉を描く―。(『奔馬』―「豊饒の海」第2部)

 「豊饒の海」は'65(昭和40)年9月から『新潮』に連載された三島由紀夫の長編小説で、'69~'71年新潮社刊。「豊饒の海」4部作の中では、思弁的な後半2部「暁の寺」「天人五衰」より、より小説らしい「春の雪」「奔馬」の方が親しみやすかったです。三島自身が述べているように、「春の雪」は「たわやめぶり」を、「奔馬」は「ますらをぶり」を描いた作品と言えますが、「春の雪」の完成度が高く、これだけ読んでも充分堪能できます。ただし、ここで終ってしまうと、「今、夢を見てゐた。又、会うぜ。きつと会う。滝の下で」という松枝清顕の言葉が、単なる謎で終ってしまいます。

 「奔馬」に読み進むことで、初めて「転生」というテーマが見えてきますが、同時に、本多繁邦の「見る者」としての視点が「春の雪」に遡及して意識され、更に、両作を通しての作者の視座(感情移入・登場人物との自己同化)の推移が窺える気がしました。

春の雪・奔馬.jpg つまり、「春の雪」では作者は、理知的な本多繁邦(観察者)の視座にいて、「奔馬」では飯沼勲(行為者)に同化しようとしているように思われます。ただし「春の雪」での聡子と一体になる前までの清顕は三島自身でもあり、その後の清顕は、三島がなりたかったけれどもなれなかった「物語」の人物だと思います。

春の雪 新潮文庫  .jpg 傍目には強引とも思える飯沼勲と松枝清顕の繋がりは、三島自身が転生を信じていたわけではなく(三島が「三島由紀夫」以外の者になることを果たして望むだろうか)、むしろそこに、二重の意味で時間を超越し(つまり、過去の欠落を補償し、限られた生を超えて)「完璧な物語」そのものになろうとする三島の意志を感じました。別な言い方をすれば、結局、三島はこの作品で、自分(「作品化された自分」)のことしか書いていないとも言えるかと思います。

 「春の雪」は'05年に行定勲監督によって映画化されており、翌'06年には、「ベルサイユのばら」の池田理代子女史の脚本・構成で劇画化されています。

「春の雪」(2005年)監督:行定勲/主演:妻夫木聡/竹内結子
春の雪 映画.jpg春の雪 映画2.jpg 「春の雪」だけ映画化しても、「原作もさぞかし耽美主義の美しい作品なんだろうなあ」で終わってしまって、四部作を通しての思想的なものは伝わらないのではないかと思いましたが、それまでも何度か「春の雪」単独で舞台化されています。実際、映画を観てみるとまずまずの出来栄えだったように思います(行定勲監督は、三島由紀夫と縁深かった美輪明宏による評価を恐れていたが、美輪明宏に完成した映画を見せたところ絶賛され、何よりもそれが一番嬉しかったと述べている)。勿論、美文調の三島の文体は映画では再現できませんが、李屏賓(リー・ピンビン)のカメラが情感溢れる映像美を演出しています。それと、妻夫木聡や竹内結子は華族を演じるには弱いけれども、若尾文子、岸田今日子、大楠道代といったベテラン女優が脇を固めていたのも効いていたように思います。ただし、150分の長尺でも話を全て収めるのはきつかったようで、松枝家の書生・飯沼を登場させていません(飯沼のキャラを本多に吸収させてしまっている)。

春の雪 (中公文庫)
春の雪 池田.jpg春の雪 20.JPG 劇画版('08年文庫化[中公文庫])の方は、池田理代子氏が「劇画では、清顕や親友の本多などの登場人物の心理描写に文字を使うことができるので、その点においては映画よりわかりやすいかもしれません」と述べていて、確かにそうした利点を生かした構成になっていました。第二部「奔馬」のことを考慮し、飯沼を「けっこう気合を入れて」描いたとのことで、映画公開の直後ということもあってか、映画に対する対抗意識が見られます。三島の美文を高く評価する人の中には映像化されたものに悉くダメ出しする人もいるようですが、個人的には、原作、映画、劇画を比べてみるのも面白いように思います。

 因みに「奔馬」は、「ザ・ヤクザ」('74年/米)、「タクシードライバー」('76年/米)の脚本家ポール・シュレイダーの監督作「MISHIMA:A LIFE IN FOUR CHAPTERS」('85年/米・日)の中の1話として映像化されていますが、この作品そのものが三島家側から日本での公開許諾が得られていないため、現時点['06年]ではなかなか観るのが難しい状況にあります。

春の雪 2005.jpg春の雪1.png「春の雪」●制作年:2005年●監督:行定勲●脚本:伊藤ちひろ/佐藤信介●撮影:李屏賓/福本淳●音楽:岩代太郎(主題歌:宇多田ヒカル「Be My Last」)●原作:三島由紀夫「豊饒の海 第一巻・春の雪」●時間:150分●出演:妻夫木聡/竹内結子/高岡蒼佑/及川光博/榎木孝明/真野響子/石丸謙二郎/宮崎美子/大楠道代/岸田今日子/田口トモロヲ/山本圭/高畑淳子/中原丈雄/石橋蓮司/若尾文子●公開:2005/10●配給:東宝(評価:★★★☆)
竹内結子(綾倉聡子)/若尾文子(月修寺門跡)/岸田今日子(松枝清顕の祖母)/大楠道代(綾倉家侍女・蓼科)
harunoyuki7.jpg 25日春の雪1.png 30日春の雪 .png 40春の雪 .png

 【1968年単行本・1990年単行本改訂[新潮社]/1973年全集・2001年全集決定版〔新潮社〕/1977年文庫化・2002年改版[新潮文庫]】


《読書MEMO》
決定版 三島由紀夫全集〈13〉長編小説(13)』(「春の雪」「奔馬」所収)
豊饒の海.jpg〈全集巻末付録・執筆過程における新聞インタビューより〉
『豊饒の海』/三島由紀夫.jpg●「〈春の雪〉の第一巻は僕の依然の傾向と同じ作品だ。貴族のみやびやかな恋愛...そういうものが主題だが、第二巻では昭和七年の神風連ともいうべき青年が登場し、(中略)筋はつぶれてもこれだけは入れたいと思う。」(昭和41年8月)
●「一巻ごとに主人公が、違う人物に生まれ変わるんですよ。転生によって時間がジャンプできるから、年代記的な手法を使わなくて済みますしね」(昭和42年7月)
●「...〈春の雪〉は絵巻き物風の王朝文学の再現ですから、初期の〈花ざかりの森〉や〈盗賊〉の系列の延長線上にあるものです。そのあとの〈奔馬〉はいわゆる行動文学で〈英霊の声〉や〈剣〉の集大成。...」(昭和43年12月)
●「私は「豊饒の海」四巻を構成し、第一巻「春の雪」は王朝風の恋愛小説で、いはば「たわやめぶり」あるいは「和魂」の小説、第二巻「奔馬」は激越な行動小説で、「ますらをぶり」あるいは「荒魂」の小説、第三巻「暁の寺」はエキゾティックな色彩的な心理小説で、いはば「奇魂」、第四巻(題未定)は、それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取り込んだ追跡小説で、「幸魂」へみちびかれゆきもの、という風に配列し...(昭和44年2月)  

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午後の曳航 dvd.jpg午後の曳航3.jpg
しっかりした心理・情景描写で、「通俗」を描いて飽きさせない。

午後の曳航0.jpg    午後の曳航 (新潮文庫) 新カバー.jpg午後の曳航 本.jpg  
単行本 〔'63年〕  『午後の曳航』新潮文庫(新旧カバー) 映画「午後の曳航」パンフレット「午後の曳航 [DVD]」 

 三島由紀夫が30代に書いた作品には、それぞれに三島独自の美意識や世界観が反映されているものの、外枠は「通俗」的に見えるメロドラマ風の作品が結構あるように思うのですが、 '63(昭和38)年(三島38歳)発表のこの作品は、そうした"メロドラマ風"作品群の中でも完成度の高い傑作とされているようです。

 前半部分の、少年の母で「陸(おか)の女」である横浜のブティックの女主人・房子と、少年が憧れる「海の男」二等航海士・竜二の、〈フランス・レストラン〉や〈港の見える丘公園〉などを舞台にした恋の描写に、「通俗」を描いて飽きさせない技術の高さを感じました。

 心理描写だけでなく、例えば房子が竜二の乗る船〈洛陽丸〉を初めて訪れた場面なども、船の内部の描写などが専門用語を交えしっかりしていて、「名詞を知らないことは描写において致命的である」というようなことを三島がどこかに書いていたのを思い出しました。

 13歳の少年の「大人」に対する屈折した感情を描いた青春小説という読み方も出来て(むしろそれがスジかも)、実際、少年とその仲間たちが為す、「海を捨てた船乗り」に対する"制裁"が後半のヤマですが、その前段としてある少年グループによる"猫殺し"は、猫を殺して次に人間をと...神戸の少年犯罪を連想させるものがありました(事象の類似もさることながら、その特異な加虐的心理の描写において)。

 そうした予見的?な面もある作品ですが、やはり全体としては、圧倒的な描写力そのものに、最も三島らしさを感じました。それと、横浜というちょっとハイカラーなバックグランド、これは谷崎潤一郎に通じるものがあるかも。

午後の曳航1.jpg この作品が海外でも評価を得たというのは、ジョン・ネイスンの名訳によって海外に紹介されたというのも大きいと思われますが、ギリシャ神話と重なるモチーフ(エディプス・コンプレックス)であるため、比較的分かり易かったというのもあるのではないでしょうか。

 ルイス・ジョン・カリーノ監督により映画化された「午後の曳航」('76年)は、原作に忠実に作られており、原作へのリスペクトが感じられました。一応イギリス映画ですが、日米英3か国の合作で、舞台は英国、主演のサラ・マイルズ(「ライアンの娘」('70年))は英国人でクリス・クリストファーソン(「アリスの恋」('74年)、「スター誕生」('76年))は米国人です(日本人は出てこない)。エディプス・コンプレックスがモチーフだと思って観ると、むしろこのように海外に舞台を置き換えた方が、われわれ日本人にとってもすんなり受け入れられ易いものに感じられるのかも。

 サラ・マイルズは好演。クリス・クリストファーソンは原作の船乗り・竜二よりやや線が細い感じでしょうか。クリス・クリストファーソンとサラ・マイルズが浜辺を歩く場面が印象的でしたが、作中の船乗り・竜二は身長165cmぐらいのがっしりした男で(三島自身は身長163cm)、この辺りはちょっとイメージが違うような感じがしました。「午後の曳航」 パンフレット

午後の曳航 チラシ.jpg062z.jpg「午後の曳航」 チラシ/サントラ盤(廃盤)
午後の曳航 サントラ盤.jpg

「午後の曳航」●原題:THE SAILOR WHO FELL FROM GRACE WITH THE SEA●制作年:1976年●制作国:イギリス●監督・脚本:ルイス・ジョン・カリーノ●製作:マーティン・ポール●撮影:ダグラス・スローカム●音楽:ジョン・マンデル●原作:三島由紀夫「午後の曳航」●時間:105分●出演:サラ・マイルズ/クリス・クリストファーソン/ジョナサン・カーン/マルゴ・カニンガム/アール・ローデス/ ポール・トロピア/ ゲイリー・ロック●日本公松竹セントトラル 銀座ロキシー.jpg松竹シネサロン.jpg開:1976/08●配給:日本ヘラルド映画●最初に観た場所:銀座ロキシー(79-12-16)(評価:★★★☆)●併映:「候補者ビル・マッケイ」(マイケル・リッチー)
松竹セントラル・銀座松竹・銀座ロキシ-(→松竹セントラル・銀座松竹・松竹シネサロン→松竹セントラル1・2・) 1952年9月、築地・松竹会館にオープン。1999年2月11日閉館。

 【1963年単行本[講談社]/1968年文庫化[新潮文庫]】

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自分の4つの「ペルソナ」を通して描いた自らの「ニヒリズム研究」。

三島 由紀夫 『鏡子の家 (全2巻)』.jpg    鏡子の家 文庫2.jpg鏡子の家.jpg 
鏡子の家 第一部・第二部 (1959年)』/『鏡子の家 (新潮文庫)』 (全1巻) 〔'64年〕

 鏡子という巫女的な女性を軸に、そのサロンに集うサラリーマンの清一郎、ボクサーの峻吉、俳優の収、画家の夏雄という4人の青年の虚無を描いた、30代前半の作者初の長編書下ろし小説。

 '58(昭和33)年3月に起稿し、翌年6月に脱稿していますが、物語は'54年に彼らが勝鬨橋を見に行くところから始まる2年間の出来事で、ほとんど東京とニューヨークだけを舞台とした"現代"小説であるとともに、「芸術的完成度を捨てて、できるだけラフなものにした」と作者自身が述べたように、読みやすいものになっています。

 4人は何れも徹頭徹尾、人生の虚無や世界の破滅の予感に囚われていて、物語の中盤までにおいて、清一郎は恵まれた結婚と将来の嘱望を、俊吉はボクシング王座を、収はボディビルによる鋼の肉体を、夏雄は画壇での名声を手に入れます。
 しかし彼らのニヒリズムには信念に近いものがあり、そうした彼らのうち誰がどういった破滅への道を辿るのかという小説的な関心も引きますが、作者自身は、この小説を自らの「ニヒリズム研究」だとしており(『裸体と衣装』)、まさにそうだと思います。

 発表当時は批評家から酷評され、三島ファンの中でも好き嫌いが極端に割れる作品ですが、個人的には好きな作品です。
 エリート清一郎の何も信じないシニカルぶりや、収の肉体改造による変化、夏雄が神秘主義にはまったのちに芸術に回帰する一方、峻吉は最後は制服に身を包む右翼結社の一員になっていることなどから、4人が作者の分身であることは明らかで、「人工小説」であると割り切って読むと、「三島」という人物を探る上で大変興味深く読めるのです。
 このことが自分がこの小説が好きな理由の1つかも知れず、三島に興味が無い人は、この小説にも関心が湧かないかも知れない。

 「鏡子の家」のモデルはあるそうで(故ロイ・ジェームス夫人のサロン)、実際そこには、文化芸能人から野球選手、ゲイボーイ、寿司屋の店主までいろいろな人が出入りしてたらしく、この小説を読むと、その中にいる三島が何となく思い浮かびます。
 
 今回再読して思ったのは、気高くかつ退廃的で時に母性的な「鏡子」は、魅力的というよりは実在し得ない人物像に近く、自己愛型の三島が真に描きたかったのは、自分の4つの「ペルソナ」であるということで(4人ともナルシストだし)、そう考えると「鏡子」には、その取り纏め的な狂言回しの役割を負わせているようにも思えてきました。

 【1959年単行本[新潮社(全2巻)]/1964年文庫化[新潮文庫]】

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「●「菊池寛賞」受賞者作」の インデックッスへ(挿画:横山 泰三)

30代前半で既に「遊ぶ」余裕をみせる三島の洒脱なエッセイ。

不道徳教育講座 三島由紀夫.png  『不道徳教育講座』.jpg   不道徳教育講座2.jpg  不道徳教育講座.jpg
不道徳教育講座』['69年/中央公論社](表紙デザイン:横尾忠則/撮影:篠山紀信、本文イラスト:横山泰三)/['67年/角川文庫(旧版)](表紙イラスト:横山泰三)/『不道徳教育講座』 角川文庫(改訂版)

 その小説において優雅かつ華麗で、時に高邁、貴族的な"近寄り難さ"さえ見せる三島由紀夫(1925‐1970)ですが、より幅広い読者に向けた"近寄りやすい"洒脱なエッセイも書いていて、本書はその代表的なものです。

 '59(昭和33)年に「週刊明星」に連載されたものですが、『仮面の告白』や『禁色』など"特殊"な性愛を描いていた時代を経て、『潮騒』『永すぎた春』『美徳のよろめき』など"普通"の恋愛小説で流行作家となる一方、ボディビルで新たな肉体を獲得し、心身ともに自信を得た30代前半の彼の筆は、既に「遊ぶ」余裕を見せています。

 時代を経て、対象として描かれている風俗などの毒気は薄くなりましたが、世間の薄っぺらな道徳観や倫理観を、鋭い人間観察と精巧な論理で以って覆していく鮮やかさは、今読んでも卓越しているなあと思います。

 「醜聞を利用すべし」「痴漢を歓迎すべし」「うんとお節介を焼くべし」「できるだけ己惚れよ」「「殺っちゃえ」と叫ぶべし」「スープは音を立てて吸うべし」「人の不幸を喜ぶべし」等々、ユーモア満載です。

ジャネット・リン.jpg 「桃色の定義」などは、「舞台に転倒したバレリーナのむきだしになったお尻に、突然ワイセツがあらわれるのです」といった表現で、サルトルの『存在と無』の肝に当たる部分を分かりやすく説いています。フィギアスケーターなんてどうなんだろう、しょっちゅう転ぶけれども。札幌五輪のジャネット・リンみたいに、転んだことで"妖精"になった選手もいたし(勿論、その転んだ後も笑顔で滑って、メダルを獲得したということが好感を得た要因ではあるのだろうが)。

 他にも、この論駁法ってどっかにあったような、と思うとソクラテスだったり...。この人、ある意味、教養や倫理を大事にしている。勿論、肉体も。

不道徳教育講座3.jpg不道徳教育2.jpg 単行本の初版は'59(昭和34)年で、ハードカバー2段組み。角川から、文庫版に準拠したソフトカバー新装版が出ています。横山泰三.jpg単行本の装填デザインは最初は佐野繁次郎で、'69(昭和44)年版で横尾忠則(撮影:篠山紀信)に。本文の挿画は朝日新聞の「社会戯評」でお馴染みの横山泰三(1917-2007、「フクちゃん」の横山隆一の弟。1950年から毎日新聞で漫画「プーサン」を描いて注目され、'54年に菊池寛賞受賞。朝日の「社会戯評」は'54年から'92年末まで1万3561回、ほとんど休みなく連載を続けた)。
横山泰三

 横尾忠則氏の毒気のある装丁も悪くないですが、「プーサン」の漫画家・横山泰三の人を喰ったような軽妙な挿画が文書とうまくマッチしているような気がします(横尾忠則の表紙デザイン、横山泰三の挿画とも、1995年刊行の角川書店ソフトカバー新装版にはないのが残念)。

 【1959年単行本・1969年改装版[中央公論社]/1967年文庫化[角川文庫]/1995年ソフトカバー新装版[角川書店]】

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自らのシニシズムをモデルを介することで、より"自由に"書いている。

青の時代0.jpg青の時代 (1950年)青の時代 (新潮文庫) 新カバー.jpg青の時代.jpg青の時代 (新潮文庫)』新旧カバー

昭和24年11月26日付 朝日新聞記事
光クラブ事件.jpg 東大生起業家・山崎晃嗣による"アプレゲール犯罪"と呼ばれた「光クラブ事件」に材を得て、'51(昭和25)年、三島由紀夫が25歳のときに発表した長編小説で、同じく東大在籍時に起業した堀江貴文氏の「ライブドア事件」の際に、この事件がよく引き合いにされました。

 この小説が発表されたのは、『仮面の告白』('49年)、『愛の渇き』('50年)の発表の後、『禁色』('51年)の発表前の時期にあたりますが、その割には三島独特の文学的修辞や哲学的思弁が少なく、読みやすい作品ではあります。

 光クラブは金融業でしたが、ライブドアも主に利益を得ていたのはIT事業ではなくファイナンス事業だったこと、光クラブは直接ファンドですがライブドアも株主ファンド的性格であったこと、一方は蛸足配当、もう一方は粉飾決算...と、確かに通じる点は多いかも。
 実際に山崎晃嗣がどういう人物だったのか、自著はあるものの、自分の本質を人に見せないようにしていたという面もあってよくわかりませんが、東大法学部でも成績優秀で、徹底した合理主義者でもあったようです。
 育った家庭は裕福でしたが、子供の頃いじめられて、軍隊でもいじめられ、人間不信、人間性悪説論者になり、更に、自身が闇金融の詐欺に遭って、但し、その時は、その詐欺の手法に感心したらしく、自ら「闇金」を起こしたら、一時的には大成功を収めました。
 何しろ、契約しか信じないという人間だったから、取立ては厳しかったらしく、返せない人が苦しむのを見ても、もともと人間性悪説だから、彼自身はこたえなかったようです(そのように振舞っていただけかも知れないが)。
 でも、資金繰りに行き詰って、結局、返済期限の前日に服毒自殺しますが、青酸カリによるこの自殺は、「貸借(カリ)を清算する」というシャレらしいです。

 三島にとっては事件そのものよりも、その自死による事件の幕の引き方も含めた「山崎」の人物イメージが、自らのシニシズム、つまり、「それが嘘であることを知っているからこそ、それを信じるふりを止められない」 という機械的な観念を投射するのにお誂え向きだったではないでしょうか。

 前半分の山崎の子供時代から大学入学の頃までを描いた部分は、まさにそのシニシズムの形成過程が「仮面の告白」的に描かれていて、主人公にとって友情も恋愛も演技であり、友の前で見せる演技は太宰治の「人間失格」を髣髴させるものであり、それが恋愛においては「女が自分を愛したときに女を捨てる」ことに喜びを見出すという屈折した感情になり、社会に対しては「目的のない金儲け」へ向かわせる―。
 子供時代の父親への反発なども含め、"フィクション"という枠の中で「仮面の告白」よりも"自由に"書いているのが興味深いです。

 その分、三島自身が「尻すぼまりの失敗作」であると言うように、金融業者としての主人公を描いた後半部分は、金融業者や闇金のシステムに関する取材は一応はされているものの、三島らしい文学性があまり発揮されておらず、物足りない感じがします。

 【1950年単行本[新潮社]/1971年文庫化[新潮文庫]】

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「素面」は察するしかないという精緻かつ巧妙なレトリック。

假面の告白 単行本.jpg『仮面の告白』.JPG仮面の告白.jpg  仮面の告白  初版本完全復刻版.jpg
単行本初版['49年7月5日刊行/河出書房]『仮面の告白』 新潮文庫/初版本完全復刻版 〔'96年]

 「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた」-本文中のこの文章の「このころ」というのが何時なのか、前後の文脈から探ると、何と7歳ごろであることがわかり驚かされます。

 しかし、何というレトリックなんだろう。芸術とはすべて仮面の告白であり、自分自身を「詩(芸術)そのもの」と規定する三島の考えに符合し、三島の「素面」を示す文章です。

 それが「小説」の中で(つまりフィクションとして)語られることにより、それすらも「仮面」に収斂していく仕組み。「このころ」とは三島が創作した自己年譜ともとれるのではないでしょうか。こうしたことは、この作品に描かれていることのすべてについて言えるわけで...。

yukio mishima.jpg 三島由紀夫(1925‐1970)の写真集の中には、この作品でも触れられている「聖セバスチャン」を模して裸で縛られているものがあります。

 「ああ、やっぱり真性のホモセクシュアルだ」と思っても、この文章に照らすと、「演技だ」ということになり、さらに「芸術そのものになろうとする」意志の表れであり、「素面」は察するしかないということになるのです。

澁澤龍彦編集『血と薔薇』創刊号('68年) 「聖セバスチャンの殉教」(篠山紀信撮影)

 この「自己」を「創作」し、創造されたものが自分になるという指向は、三島が「あなたは嫌いです」と言った太宰治の作品にも通じるもので、『人間失格』('48年)が発表された翌年にこの作品が発表されていることと考えあわせると興味深いです。

 '96年に河出書房新社から〈初版本完全復刻版〉というのが出ましたが、'49年刊行の初版本を本文・カバー・表紙・扉・帯まで完全復刻したもので、表紙タイトルも旧字ならば本文も旧字旧かな、奥付も再現されていて「三島」の検印があって「定價 貳百圓」となっており、河出書房の月報(三島自身の「『假面の告白』ノート」という短文を掲載)まで添付されている凝りようです。

 三島の本を旧字旧かなで読むと、よりロマン主義的な香りが強く感じられますが、如何せん少し読みにくい。最近の全集などは、新字旧かなで統一しているようです。

 【1949年単行本・1996年完全復刻版[河出書房新社]/1950年文庫化・1967年改訂・1987年改訂[新潮文庫]】

《読書MEMO》
●「私は自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った」(28p、文庫'67年版23p)
●「人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという欲求の表れであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解はじめていた」(31p、文庫'67年版26p)

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宮部みゆきの読書ガイドが親切。拾いものがかなりあった。

宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (上).jpg松本清張傑作短篇コレクション 上.jpg 宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (中).jpg松本清張傑作短篇コレクション 中.jpg 宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短篇コレクション (下).jpg松本清張傑作短篇コレクション 下.jpg  『松本清張傑作短篇コレクション〈上〉 (文春文庫)』 『松本清張傑作短篇コレクション〈中〉 (文春文庫)』 『松本清張傑作短篇コレクション〈下〉 (文春文庫)』 〔'04年〕

 「宮部みゆき責任編集」となっていますが、「責任編集」とはまさにこういうことを指すのだなあという感じ。
 8つのテーマというか視点別に数作ずつ、全部で26作品を選んでいますが、テーマごとの冒頭に宮部氏の口上があり、これが適切な読書ガイドになっています。 
 いろいろな年代の作品から万遍なく選ぶような配慮もされているようです。個人的には、拾い物が結構ありました。

【1.巨匠の出発点】
 ◆『或る「小倉日記」伝』...名作!
 ◆『恐喝者』...今で言えばストーカー
【2.マイ・フェイバリット】
 ◆『一年半待て』...夫殺しと「一事不再理」
 ◆『地方紙を買う女』...巻末に横山秀夫の翻案
 ◆『理外の理』...喰違門での首縊り
 ◆『削除の復元』...森鴎外の隠し子疑惑?
【3.歌が聴こえる、絵が見える】
 ◆『捜査圏外の条件』...上海帰りのリルが好きだった妹
 ◆『真贋の森』...贋作作戦?
【4.「日本の黒い霧」は晴れたか】                   
 ◆『昭和史発掘-二・二六事件』                    
 ◆『追放』
【5.淋しい女たちの肖像】
 ◆『遠くからの声』...姉婿から離れていく妹
 ◆『巻頭句の女』...死期が近い俳人を引き取って...
 ◆『書道教授』...(中篇)スケベ男の勘違いと顛末       
 ◆『式場の微笑』...ラブホテルでの着付けのアルバイト
カルネアデスの舟板 角川.jpg【6.不機嫌な男たちの肖像】                      
 ◆『共犯者』...自分を追ってくる共犯者と思いきや、共犯者の調査を依頼した男だった       
 ◆『カルネアデスの舟板』...大学教授間の覇権争い
 ◆『空白の意匠』...地方紙の広告部長の焦燥と憤り、奔走の末の安心と急転直下の悲哀。巧い。
【7.タイトルの妙】
 ◆『支払い過ぎた縁談』...結婚詐欺の話。ショートショートみたい!
 ◆『生けるパスカル』(中篇)...挿入話『死せるパスカル』(フロイト『ヒステリー研究』の引用の仕方が巧い)
 ◆『骨壺の風景』
【8.権力は敵か】
 ◆『帝銀事件の謎-「日本の黒い霧」より』...S.23年の帝銀事件の幕引きの黒幕は元731部隊員を使っていたGHQ?
 ◆『鴉(からす)』...組合の委員長を殺した男の話、鴉で...
【9.松本清張賞受賞作家に聞きました】

 調べてみたら、「一年半待て」や「地方紙を買う女」などは、テレビで何度もドラマ化されていました。

《読書MEMO》
 ●「一年半待て」のテレビドラマ化
 •1960年「黒い断層~一年半待て(KR)」淡島千景・南原宏治・土屋嘉男
 •1961年「一年半待て(ABC)」斎藤美和、久松保夫・溝田繁
 •1962年「一年半待て(NHK)」斎藤美和・大滝秀治・南美江
 •1968年「一年半待て(CX)」森光子・根上淳・稲野和子
一年半待て BSTBS.jpg •1976年「一年半待て(NTV)」市原悦子・唐沢英二・緑魔子
 •1978年「一年半待て(NHK)」香山美子・早川保・南風洋子
 •1984年「一年半待て(NTV)」小柳ルミ子・勝野洋・樹木希林
 •1991年「一年半待て(ANB)」多岐川裕美・小川真由美・篠田三郎
 •2002年「一年半待て(NTV)」浅野ゆう子・布施博・丘みつ子
 •2010年「一年半待て(BS-TBS)」夏川結衣・清水美沙・市原悦子

BS-TBS「松本清張特別企画~一年半待て」2010年12月8日放映(夏川結衣・清水美沙・市原悦子)

●「地方紙を買う女」のテレビドラマ化
 •1957年「地方紙を買う女(NHK)」大森義夫・藤野節子・千秋みつる
 •1960年「黒い断層~一地方紙を買う女(KR)」堀雄二・池内淳子・杉裕之
 •1966年「地方紙を買う女(KTV)」岡田茉莉子・高松英郎・戸浦六宏
 •1973年「地方紙を買う女(CX)」夏圭子・山本圭・井川比佐志
 •1981年「地方紙を買う女 昇仙峡囮心中(ANB)」安奈淳・田村高廣・室田日出男
地方紙を買う女.jpg松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女.jpg•1987年「地方紙を買う女(CX)」小柳ルミ子・篠田三郎・露口茂
•2007年「地方紙を買う女(NTV)」内田有紀・高嶋政伸・秋野暢子
•2016年「地方紙を買う女(TVA)」田村正和・広末涼子・水川あさみ

日本テレビ系「火曜ドラマゴールド〜地方紙を買う女」2007年1月30日放映(内田有紀・高嶋政伸)/テレビ朝日系「松本清張ドラマスペシャル・地方紙を買う女〜作家・杉本隆治の推理」2016年3月12日放映(田村正和・広末涼子)

●「書道教授」のテレビドラマ化
松本清張の「書道教授」.jpg書道教授.jpg•1982年「書道教授(ANB)」近藤正臣・生田悦子
•1995年「書道教授(ANB)」風間杜夫・多岐川裕美
•2010年3月23日「書道教授(NTV)」船越英一郎・杉本彩

日本テレビ系「火曜サスペンス劇場〜書道教授」2010年3月23日放映(船越英一郎・杉本彩)

テレビ朝日系「土曜ワイド劇場 松本清張の書道教授・消えた死体」1982年1月16日放送(近藤正臣・生田悦子)

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映画を見てドラマを見て再読して、"本格派" 推理小説だったと...。

砂の器 カッパ.jpg 砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9).jpg 砂の器.jpg 砂の器 下.jpg  砂の器 dvd.jpg 砂の器 unnmei.jpg
砂の器 (カッパ・ノベルス 11-9)』『砂の器〈上〉 (新潮文庫)』 『砂の器〈下〉 (新潮文庫)』〔'06年改版版〕「砂の器 デジタルリマスター版 [DVD]

sunanoutuwa12.jpg この作品は、'60(昭和35)年5月から翌年4月にかけて「読売新聞」夕刊に掲載され、カッパ・ノベルスで'61(昭和36)年7月刊行、'74年に映画化されたほか、'04年には中居正広主演でTVドラマ化されているので、ストーリーを知る人は多いと思います。

 映画館で映画を観て、「宿命」という言葉(または"曲の演奏")が頭にこびりついてしまい、パセティックな作品とのイメージを持っていましたが、もう一度原作にあたってみると、刑事たちに視点を置いて犯人を地道に追う"本格派" 推理小説の色合いが強いという印象を受けました(中居正広主演のテレビ版は最初から犯人を明かす倒叙型だったので、ミステリとしての面白さは半減。脇役陣は手堅いが、主演の中居正広の演技下手が目立つのも痛い)。

 好みは人それぞれだと思いますが、小説における、推理を通して徐々に、間接的に"犯人像"を浮き彫りにして行く描き方の方が、主人公の"業"のようなものがじわ〜っと感じられる気もします(元々テレビ版の配役で「人間の業」のようなものの描出を期待する方が無理がある?)。

映画「砂の器」.jpg 野村芳太郎(1919‐2005)監督、橋本忍・山田洋次脚本による映画化作品('74年/松竹)は、他の野村監督作品と比較しても、また同じ時期に映画化された他の松本清張原作のものと比べても比較的良い出来だったと思います(個人的には同監督の「鬼畜」('78年/松竹)の方が若干上かなという気がするが、松本清張自身はこの映画化作品を気に入っていたらしい。世間的な評価も「砂の器」の方が上か)。

「砂の器」3.jpg 加藤剛が演じた〈和賀英良〉は、「飢餓海峡」('64年/東映)で三國連太郎が演じた〈犬飼多吉(樽見京一郎)〉や「白い巨塔」('66年/大映)で田宮二郎が演じた〈財前五郎〉と並んで、恵まれない境遇から「成り上がる男」を体現していたと思われ、また、刑事役の丹波哲郎の演技も光るものがありました(その部下役を森田健作が演じている)。

『砂の器』(1974).jpg ただし、幼児期の暗い記憶や、自分をいじめた社会に対しての見返してやるという登場人物のリベンジ・ファクターが清張作品ならではのものだと思うのですが、どこまで映像で表現されていただろうかという気もします。テレビ版では「ハンセン病」というファクターを抜いてしまっているので、なおさらに原作とのギャップを感じざるを得ませんでした。

砂の器 チラシ.bmp『砂の器』(1974)21.jpg  個人的には、この小説が今まで読んだ清張作品の中で一番だとは思わないし、「ハンセン病」に対する偏見を助長したという批判までありますが、作者の代表的な傑作作品であることに異存はなく、結末を知ったうえでも原作を読む価値はあると思います。

映画「砂の器」チラシ
Suna no utsuwa (1974)         
Suna no utsuwa (1974).jpg砂の器  1.jpg「砂の器」●制作年:1974年●製作:橋本プロ・松竹●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍/山田洋次●音楽:芥川也寸志●原作:松本清張●時間:143分●出演:丹波哲郎/森田健作/加藤剛/加藤嘉/緒形拳/山口果林/島田陽子/佐分利信渥美清笠智衆/夏純子/松山省二/内藤武敏/春川ますみ/花沢徳衛/浜村純/穂積隆信/山谷初男/菅井砂の器sunanoutuwa 1.jpg砂の器 丹波哲郎s.jpgきん/殿山泰司/加藤健一/春田和秀/稲葉義男/信欣三/松本克平/ふじたあさや/野村昭子/今井和子/猪俣光世/高瀬ゆり/後藤陽吉/森三平太/今橋恒/櫻片達雄/瀬良明/久保砂の器 (映画) 丹波 .jpg砂の器 丹波.jpg晶/中本維年/松田明/西島悌四郎/土田桂司/丹古母鬼馬二●劇場公開:1974/10●配給:松竹●最丹波哲郎 .jpg初に観た場所:池袋文芸地下(84-02-19) (評価★★★★)●併映:「球形の荒野」(貞永方久)
丹波哲郎 2006年9月24日没

加藤嘉(本浦千代吉(和賀英良(本名・本浦秀夫)の父))
砂の器 (映画) 加藤嘉 .jpg 砂の器 加藤嘉.jpg
緒形拳(亀嵩駐在所巡査・三木謙一)/佐分利信(前大蔵大臣・田所重喜)
緒方拳 砂の器.jpg 佐分利信 砂の器.jpg

渥美清(伊勢の映画館「ひかり座」支配人)/笠智衆(亀嵩算盤・桐原小十郎)
渥美清 砂の器.jpg 笠智衆 砂の器.jpg

殿山泰司(通天閣前の商店街の飲食店組合長)/丹波哲郎(警視庁捜査一課警部補・今西栄太郎)
砂の器 殿山泰司.jpg

池袋文芸地下 地図.jpg文芸坐.jpg

 
池袋・文芸地下 1997(平成9)年3月6日閉館。



「砂の器」 2004.jpeg砂の器 中居版.jpg「砂の器」(TVドラマ版)●演出:福澤克雄/金子文紀●脚本:龍居由佳里●音楽:千住明●出演:中居正広/松雪泰子/渡辺謙/武田真治/京野ことみ/永井大/夏八木勲/赤井英和/原田芳雄/市村正親/かとうかずこ/佐藤仁美/佐藤二朗/森口瑤子/松岡俊介●放映:2004/01~03(全11回)●放送局:TBS

 
  【1961年ノベルズ版[光文社]/1973年文庫化・2006年改版版[新潮文庫]】

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黒い画集  寒流                 .jpg "映画化率""ドラマ化率"の高い短編集。映像と比べるのも面白い。

黒い画集 松本 清張.jpg 黒い画集 新潮文庫.jpg 黒い画集.jpg 黒い画集 あるサラリーマンの証言 dvd.jpg証言32.bmp
黒い画集―全一冊決定版 (1960年) (カッパ・ノベルス)』 『黒い画集 (新潮文庫)』 「黒い画集 あるサラリーマンの証言 [DVD]」(出演:小林桂樹/原佐和子) 映画「黒い画集 第二話 寒流」(出演:池部良/新珠三千代)
黒い画集 全三集』(2005年12月刊行(1959年刊行の復刻版))
黒い画集 00_.jpg黒い画集2.png黒い画集3.png『黒い画集』 .JPG 光文社カッパ・ノベルズの「全一冊決定版」は、'59(昭和34)年4月から翌年7月にかけて光文社から刊行された『黒い画集』第1巻から第3巻の中からの抜粋であり、珠玉の名編集と言えるかと思います(新潮文庫版『黒い画集』に同じラインアップで移植されている)。「遭難」「証言」「天城越え」「寒流」「凶器」「紐」「坂道の家」の所収7作中、自分の知る限りでは「証言」などの4作が黒い画集 あるサラリーマンの証言 ポスター.jpg証言1.bmp黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg映画化されており、"映画化率"の高い短編集ではないでしょうか。また、この短編集の中には何度もテレビドラマ化されているものもいくつもあります。

映画黒い画集 あるサラリーマンの証言('60年/東宝)主演:小林桂樹 


映画黒い画集 ある遭難('61年/東宝)出演:伊藤久哉/児玉清/香川京子/土屋嘉男
黒い画集 ある遭難 ポスタード.jpg黒い画集%20ある遭難3_033.jpg黒い画集%20ある遭難.jpg黒い画集 ある遭難0_.jpg 「遭難」の映画化作品('61年映画化・杉江敏男監督「黒い画集 ある遭難」)は脚本は石井輝男で、児玉清が被害者役、伊藤久哉が犯人役、土屋嘉男が犯人の犯罪を暴く役でしたが、最後だけ「悪」(ワル)」が勝って終わってしまう原作を少し変えています。「証言」の映画化作品('60年映画化・堀川弘通監督「黒い画集 あるサラリーマンの証言」)は小林桂樹が好演、黒い画集 第二話 寒流.jpg黒い画集 第二話 寒流 ps1.jpg黒い画集 第二話 寒流 ps2.jpgこちらも、原作の後日譚を膨らませ、映画オリジナルの話が付け加わっています。「寒流」の映画化作品('61年映画化・鈴木英夫監督黒い画集 第二話 寒流)は池部良と新珠三千代の共演で、銀行員である主人公(池部良)が仕事上のきっかけで美人女将(新珠三千代)と知り合い、いい関係になったまではともかく、そこに主人公の上司である好色の常務(平田昭彦)が割り込んできて、主人公の仕事人生をも狂わせてしまうというものですが、主人公は原作と違って踏んだり蹴ったりの散々な目に遭うだけ遭って終わってしまう結末になっています。

映画「黒い画集 第二章 寒流」('61年/東宝)出演:池部良/新珠三千代
黒い画集 寒流01.jpg黒い画集 寒流03.jpg 「寒流」の原作でも主人公は踏んだり蹴ったりの目に遭いますが、主人公を陥れた常務に対して主人公が逆転劇を演じるのに対し、映画ではその逆転劇を前にもってきて、そこから二転三転して結局は主人公状況が絶望的な状況鈴木英夫監督.jpgに陥るところで終わります。映画化する際に原作の毒を薄めることはよくありますが、最後「悪」が勝つように原作を改変しているのが和製フィルム・ノワールの名手と言われた鈴木英夫(1916-2002/享年85)監督なら松本清張作品「黒い画集 第二話 寒流」.jpgではという気もします。銀行本店には昭和27年までGHQが総司令部を置いていた旧第一生命ビルが使われていて、いかにも大銀行の本店という感じがします。池部良演じる銀行員は原作以上に真面目そうに描かれていて、新珠三千代演じる女将に対しても最初は銀行員らしくかなり慎重に接しています。2人に割って入る平田明彦演じる常務のほかに、その常務の行内でのライバルの副頭取に中村伸郎、主人公が常務と女将の密偵を依頼する探偵社の男に宮口精二、味方かと思ったらとんでもない食わせ者だった総会屋に志村喬、常務が自分を陥れようとする主人公を脅すため差し向けたヤクザの親分に丹波哲郎―といった配役も楽しめました。
寒流 志村.jpg 寒流 丹波.jpg

 「天城越え」の映画化作品('83年/松竹)は田中裕子の演技が高く評価された作品です(「天城越え」は'78年にNHKで大谷直子主演で、'98年にTBSで田中美佐子主演でテレビドラマ化もされている)。「天城越え」は、川端康成の『伊豆の踊子』に対する清張流の挑戦だという説もありますが(「踊り子を自分より下の弱い存在と見る東大生」vs.「旅の女性を憧憬のまなざしで見上げる少年」という対照的構図)、個人的にはこの説がある程度の説得力を持って感じられました。

天城越え05.jpgamagigoe.jpg 映画化作品は、テレビで途中から観ることになってしまったため評価を避けますが、田中裕子演じる件(くだん)の酌婦・大塚ハナが派出所で少年の弁明をするという、小説には無い場面があったのではなかったかと(これが先駆けとなってか、以降の映像化作品ではこうしたハナが尋問を受ける場面が必ずあるように思う)。'78年のテレビ版(大谷直子主演)ともしかしたら記憶がごっちゃになっているかもしれませんが(映画をテレビで観て、しかも別にあるテレビ版作品も観てしまうとこういうことになりがち)、警官の尋問中にハナがこらえ切れず失禁するシーンを、田中裕子が自らの申し出により仕掛け無しの体当たり演技でやったという逸話が知られているから、やっぱり映画の方をテレビで観たのでしょう。田中裕子はこの作品でモントリオール世界映画祭主演女優賞を受賞しています。
天城越え [DVD]」 ('83年/松竹)

天城越え 田中美佐子版 01.jpg「天城越え」●.jpg  更に、'98 年の田中美佐子主演のテレビ版では、少年(二宮和也)が大人(長塚京三)になってから大塚ハナと再会天城越え 田中美佐子版 dvd.jpgするという、原作にも他の映像化作品にはない独自の創作部分がありましたが、全体の出来としては悪くなく、ギャラクシー賞優秀賞などを受賞していることから一般の評価も高かったようです。この作品の翌年に「嵐」としてデビューした二宮和也のドラマ初出演作であり(当時、作中の「少年」と同じ14歳だった)、その演技が後々も話題になりますが、個人的には、田島刑事役を演じた蟹江敬三が(彼だけが同一人物の過去と現在の両方を演じているわけだが)渋みがあって良かったと思いました。 「天城越え [DVD]」('98年/TBS)

黒い画集・紐1.jpg紐.jpg '05年にテレビ東京で「紐」を放映しました。絞殺死体を巡って保険金殺人の疑いがあるものの、容疑者には完璧なアリバイがあるという話で、「サスペンス劇場」とか「愛と女のミステリー」で今も清張作品をとりあげているというのは、「清張」というネームバリューだけでなく、面白さに普遍性があるということだと思います。

松本清張スペシャル「黒い画集・紐」 ('05年/BSジャパン・テレビ東京)

 「紐」の過去のテレビドラマ化
 •1960年「紐(KR)」芦田伸介・北村和夫・千石規子
 •1979年「紐(ANB)」酒井和歌子・宇津宮雅代(宇都宮雅代)・中山仁
 •1985年「松本清張の黒い画集 紐(CX)」浅丘ルリ子・近藤正臣・佐藤允
 •1996年「紐(TBS)」名取裕子・内藤剛志・風間杜夫
 •2005年「黒い画集~紐(BSジャパン)」余貴美子・大地康雄・内藤剛志

 原作が短編なあなたに似た人 (ミステリ文庫.jpgので、それをどう脚色して映画や2時間ドラマにしているのか見比べるのも面白いです。

 映画化されていませんが、「凶器」という刑事が凶器として使われた"餅"を、そうとは気づかず犯人にご馳走になってしまう話も味があって好きです(この作品は、ロアルド・ダールの「おとなしい凶器」(『あなたに似た人』('76年/ハヤカワ・ミステリ文庫)に所収)を作者が日本風にアレンジしたものである)。

「黒い画集・証言」('92年/TBS)渡瀬恒彦・有森也実・岡江久美子
黒い画集・証言289e.jpg 「証言」は'84年には柳生博主演でテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」で、'94年には渡瀬恒彦主演でTBSでテレビドラマ化もされていますが、'92年版の方を観ました。渡瀬恒彦は刑事ドラマにおける犯人を追いつめる「刑事」役のイメージが強いですが、こうしたドラマの追いつめられる側の「犯人」役をやらせてもうまいと思いました。

 原作と、映画やテレビドラマなどで映像化されたものとを比べてみるのも面白いかと思います。

証言0.bmp証言1.bmp「黒い画集 あるサラリーマンの証言」 (1960/03 東宝) ★★★☆


   


 
黒い画集 ある遭難 title.jpg黒い画集 ある遭難40.jpg「黒い画集 ある遭難」 (1961/06 東宝) ★★★☆

    

黒い画集 寒流 ド.jpg黒い画集 寒流02.jpg「黒い画集 第二話 寒流」 (1961/11 東宝) ★★★☆
       
    

   
  
 

黒い画集 あるサラリーマンの証言.jpg「黒い画集 あるサラリーマンの証言」(映画)●制作年:1960年●監督:堀川弘通●製作:大塚和/高島幸夫●脚本:橋本忍●証言2.jpg撮影:中井朝一●原作:松本清張黒い画集 あるサラリーマンの証言      .jpg「証言」●時間:95分●出演:小林桂樹/中北千枝子/平山瑛子/依田宣/原佐和子/江原達治/中丸忠雄/西村晃/平田昭彦/小池朝雄/織田政雄/菅井きん/小西瑠美/児玉清/中村伸郎/小栗一也/佐田豊/三津田健●公開:1960/03●配給:東宝●最初に観た場所:池袋文芸地下 (88-01-23)(評価★★★☆)
小林桂樹/原佐和子

黒い画集 ある遭難m.jpg黒い画集 ある遭難55.jpg黒い画集 ある遭難15.jpg「黒い画集 ある遭難」(映画)●制作年:1961年●監督:杉江敏男●製作:永島一朗●脚本:石井輝男●黒い画集 ある遭難43.jpg撮影:黒田徳三●音楽:神津善行●原作:松本清志「遭難」●時間:87分●出演:伊藤久哉/和田孝/児玉清/香川京子/土屋嘉男/松下砂稚子/天津敏/那智恵美子/塚田美子●公開:1961/06●配給:東宝(評価:★★★☆) 
香川京子/伊藤久哉/土屋嘉男

池部良/新珠三千代/平田昭彦
黒い画集 寒流 title.jpg黒い画集 寒流00.jpg「黒い画集 第二話 寒流(黒い画集 寒流)」(映画)●制作年:1961年●監督:鈴木英夫●製作:三輪礼二●脚本:若尾徳平●撮影:逢沢譲●音楽:斎藤一郎●原作:松本清志「寒流」●時間:96分●出演:池部良(沖野一郎)/荒木道子(沖野淳子)/吉岡恵子(沖野美佐子)/多田道男(沖野明黒い画集 寒流_0.jpg)/新珠三千代(前川奈美)/平田昭彦(桑山英己常務)/小川虎之助(安井銀行頭取)/中村伸郎(小西副頭取)/小栗一也(田島宇都宮支店長)/松本染升(渡辺重役)/宮口精二(伊牟田博助・探偵)/志村喬(福光喜太郎・総会屋)/北川町子(喜太郎の情婦)/丹波哲黒い画集 第二話 寒流12.jpg郎(山本甚造)/田島義文(久保田謙治)/中山豊(榎本正吉)/広瀬正一(鍛冶久一)/梅野公子(女中頭・お時)/池田正二(宇都宮支店次長)/宇野晃司(山崎池袋支店長代理)/西条康彦(探偵社事務員)/堤康久(比良野の板前)/加代キミ子(桑山の情婦A)/飛鳥みさ子(桑山の情婦B)/上村幸之(本店行員A)/浜村純(医師)/西條竜介(組幹部A)/坂本晴哉(桜井忠助)/岡部正(パトカーの警官)/草川直也(本店行員B)/大前亘(宇都宮支店行員A)/由起卓也(比良野の従業員)/山田圭介(銀行重役A)/吉頂寺晃(銀行重役B)/伊藤実(比良野の得意先)/勝本圭一郎/松本光男/加藤茂雄(宇都宮支店行員B)/細川隆一/大川秀子/山本青位●公開:1961/11●配給:東宝(評価:★★★☆)


黒い画集・証言119eb.jpg松本清張サスペンス「黒い画集・証言」.jpg「黒い画集・証言」(TV)●演出:松原信吾●制作:斎藤守恒/浜井誠/林悦子●脚本:大藪郁子●音楽:茶畑三男●原作:松本清張「証言―黒い画集」●出演:渡瀬恒彦/岡江久美子/有森也実/佐藤B作/段田安則/高樹澪/山口健次/高松いく/志水季里子/渡辺いっけい/須藤雅宏/高山千草/住若博之/宮崎達也/小林勝彦/布施木昌之/梶周平/太田敦之/中江沙樹/児玉頼信/森富士夫/三上剛仙/安威宗治/桝田徳寿/武田俊彦/岩永茂/小林賢二/下川真理子/黒田国彦●放映:1992/10(全1回)●放送局:TBS

008005001360.jpg天城越え03.png「天城越え」(TV)●演出:大岡進●脚本:金子成人●原作:松本清張「天城越え」●出演: 田中美佐子/蟹江敬三/二宮和也/風間杜夫/室天城越え ドラマ 田中美佐子5.jpg田日出男/柳沢慎吾/余貴美子/斉藤洋介/寺島しのぶ/長塚京三/松金よね子/六平直政/遠藤憲一/不破万作/松蔭晴香/中丸新将/佐戸井けん太/温水洋一/河原さぶ/佐久間哲/都家歌六●放映:1998/1(全1回)●放送局:TBS

黒い画集・紐2.png黒い画集 紐.jpg「黒い画集~紐」(TV)●演出:松原信吾●制作:小川治彦●脚本:田中晶子●音楽:川崎真弘●出演:余貴美子/大地康雄/内藤剛志/真野響子/石橋蓮司/萩原流行/山田純大/小沢真珠/田中隆三/根岸季衣●放映:2005/01(全1回)●放送局:BSジャパン/テレビ東京

 【1959年単行本・2005年新装版[光文社]/1960年ノベルズ版[光文社]/1971年文庫化・2003年改版[新潮文庫]】

《読書MEMO》
黒い画集 00_.jpg黒い画集2.png黒い画集3.png 『黒い画集』 .JPG
『黒い画集1』
・遭難(「黒い画集」第1話)→『黒い画集』第1話
・坂道の家 (「黒い画集」第3話)→『黒い画集』第7話
『黒い画集2』
・紐 (「黒い画集」第5話)→『黒い画集』第6話
・天城越え (「黒い画集」第4話)→『黒い画集』第3話
・証言 (「黒い画集」第2話)→『黒い画集』第2話
・寒流 (「黒い画集」第6話)→『黒い画集』第4話
『黒い画集3』
・凶器 (「黒い画集」第7話)→『黒い画集』第5話
・濁った陽 (「黒い画集」第8話)
・草 (「黒い画集」第9話)

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社会ドラマとしての人間がしっかり描かれている初期代表作。

松本清張「ゼロの焦点」.jpg ゼロの焦点.jpg ゼロの焦点2.jpg 『ゼロの焦点』(1961)3.jpg 『ゼロの焦点』(1961).jpg 「ゼロの焦点」真野あずさ・林隆三 vhs - コピー.jpg
ゼロの焦点―長編推理小説 (カッパ・ノベルス)』['59年]/『ゼロの焦点 (新潮文庫)』/野村芳太郎 監督「ゼロの焦点 [DVD]」(1961年)/新藤兼人脚本「ゼロの焦点 [VHS]」(1991年)
『ゼロの焦点』昭和34年初版.jpgカッパ・ノベルス『ゼロの焦点』昭和34年初版
『ゼロの焦点』昭和34年初版2.jpg 板根禎子は、広告代理店に勤める鵜原憲一と見合い結婚、信州から木曾を巡る新婚旅行を終えた。その7日後、東京へ転勤になったばかりだった憲一は、仕事の引継ぎをしてくると言い前勤務地の金沢へ出張へ旅立つが、予定を過ぎても帰京しない―。やがて禎子のもとに、憲一が北陸で行方不明になったという勤務先からの知らせがある。禎子は単身捜査に乗り出すが、その過程で夫の知られざる過去が浮かび上がる―。

点と線.png 『ゼロの焦点』('58年発表)は、松本清張(1909‐1992)が点と線の翌年に発表したものですが(『ゼロの焦点』は1959年刊行のカッパ・ノベルスの創刊ラインアップの1冊となり、『点と線』はその翌年にカッパ・ノベルスに加わった)、最初読んだ時は、時刻表トリックにハマって『点と線』の方が面白く感じたものの、時間が経つにつれ、『ゼロの焦点』も好きな作品になってきました(『点と線』のトリックは時代を経ても色褪せたという印象は無く、むしろ、見合いだけで相手のことをよく知らないで結婚する―という設定においては、『ゼロの焦点』の方がよりクラシカルな雰囲気の背景設定とも言えるかも)。
点と線―長編推理小説 (カッパ・ノベルス (11-4))』['60年]

松本清張1.jpg この『ゼロの焦点』が書かれた時点で"社会派"推理小説というジャンル分けは確立していなかったと思いますが、この辺りがその始まりではないでしょうか。ミステリーとしては瑕疵が多いとの指摘もありますが、社会ドラマとしての人間がしっかり描かれて、これがこの作家の大きな魅力でしょう。また、清張の推理小説作品の中でも、風景の描写などに文学的な細やかさがあり、『点と線』と並んで"旅情ミステリー"のハシリとも言えるのではないでしょうか。冒頭部分だったかが国語の試験問題に出されたのを覚えています。

『ゼロの焦点』1.jpgzero1b.jpg 映画化された「点と線」('58年・カラー)「ゼロの焦点」('61年・モノクロ)をそれぞれ観ましたが、「ゼロの焦点」の方が、白黒の画面が"裏日本"北陸の寒々とした気候風土に合った感じがして良かったです(松本清張がヒッチコックばりにちらっと出演していますが、どこで出てくるかは見てのお楽しみ)。
映画「ゼロの焦点 [DVD]」(1961年/松竹)
      
「ゼロの焦点」●vhs.jpg野村 芳太郎『ゼロの焦点』(1961)2.jpg 多くのサスペンスドラマの典型モデルとなった、日本海の荒波を背に崖っぷちで犯人が告白するというラストシーンなど、橋本忍の脚本の運びを原作と比べてみるもの面白いかと思います(橋本忍脚本の犯人の長台詞は、込み入った原作の背景を1時ゼロの焦点9.jpg間半の映画に収めようとした結果の「苦肉の策」としてのものだったともとれるのだが)。

 この映画作品が発表された後、作品の舞台周辺への観光客が増加し、一方、能登金剛・ヤセの断崖(映画の舞台)での投身自殺が急増したとのことです。自分も行ったことがありますが、「早まるな」と書いた立て札があったように思います。

 因みに、「ゼロの焦点」は、調べた限りでは60年代から90年代にかけて6回テレビドラマ化されていますが、「点と線」は1回もドラマ化されていないようです。(「点と線」はその後、2007年にビートたけし主演でドラマ化された。)
ゼロの焦点 1991.jpg •1961年「ゼロの焦点(CX)」野沢雅子・河内桃子
 •1971年「ゼロの焦点(NHK)」十朱幸代・露口茂
 •1976年「ゼロの焦点(NTV)」土田早苗・北村総一朗
 •1983年「松本清張のゼロの焦点(TBS)」星野知子・竹下景子
 •1991年「ゼロの焦点(NTV)」真野あずさ・林隆
 •1994年「ゼロの焦点(NHK BS-2)」斉藤由貴・萩尾みどり

「ゼロの焦点」真野あずさ・林隆三.jpg この中で印象に残っているのは'91年の鷹森立一監督の日テレ版で、眞野あずさ (板根禎子)、林隆三(北村警部補)、芦川よしみ(田沼久子)、増田恵子(室田佐知子)といった布陣ですが、原作者・松本清張の指名を受けた新藤兼人(1912‐2012/享年100)が脚本を手掛けています。個人的には、主役の真野あずさ、林隆三(1943‐2014/享年70)とも良かったように思います。眞野あずさ 演じる板根禎子が、パンパン上が「ゼロの焦点」真野あずさ.jpgりのふりをして増田恵子(元ピンク・レディー!)演じる室田佐知子に探りを入れるというのが素人にそこまで演技が出来るかと思うとちょっとどうだったか。ラストの犯人が海上に小舟を漕ぎ出すシーンの撮影に関しては新藤兼人の発案ではなく、原作者である松本清張の希望により脚本に導入され、むしろ新藤は難色を示したものの、その方向で撮影が行われたとのこと(原作も一応そうなっているのだが)。おそらく松本清張は、このTV版のロケの時期が初夏になったことで、部分的に趣向を変えてみてもいいかなと考えたのではないでしょうか。すでに5回目のTVドラマ化であったというのもあるかと思います。

Zero no shôten (1961)
Zero no shôten (1961) .jpg「ゼロの焦点」●制作年:1961年●監督:野村芳太郎●脚本:橋本忍/山田洋次●撮影:川又昂●音楽:芥川 也寸志●原作:松本清張●時間:95分●出演:久我美子/高千穂ひづる/『ゼロの焦点』2.jpg有馬稲子/南原宏治/西村晃/加藤嘉/穂積隆信/野々浩介/十朱ゼロの焦点 加藤嘉.jpg久雄/高橋とよ/沢村貞子/磯野秋雄/織田政雄/永井達郎/桜むつ子/北龍二/稲川善一/山田修吾/山本幸栄/高木信夫/今井健太郎/遠山文雄●劇場公開:1961/03●配給:松竹(評価★★★☆)
 

「ゼロの焦点」真野あずさ・林隆三 vhs.jpg「ゼロの焦点―松本清張作家活動40年記念スペシャル」●監督:鷹森立一● プロデュー増田恵子.jpgサー:嶋村正敏(日本テレビ)/赤司学文(近代映画協会)/坂梨港●脚本:新藤兼人●音楽:大谷和夫●原作:松本清張●出演:眞野あずさ/林隆三/増田恵子(元ピンク・レディー)/芦川よしみ/藤堂新二/並木史朗/岸部一徳/神山繁/音無真喜子/乙羽信子/平野稔/金田明夫●放映:1991/07/09(全1回)●放送局:日本テレビゼロの焦点 [VHS]」 

ゼロの焦点 ブルーレイ.jpg『あの頃映画 the BEST 松竹ブルーレイ・コレクション ゼロの焦点』 [Blu-ray]ゼロの焦点 [VHS]/(2009年再映画化)新潮文庫・映画タイアップカバー 
映画「ゼロの焦点」(1961) vhs.jpg ゼロの焦点 新潮文庫.jpg
   
ゼロの焦点0.jpgゼロの焦点 2009.jpgゼロの焦点 2009 03.jpg犬童 一心 「ゼロの焦点」 (2009/11 東宝) ★★★

【1959年ノベルズ版・2009年カッパ・ノベルス創刊50周年特別版[光文社]/1971年文庫改版[新潮文庫]】 

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芥川賞作家としての松本清張の作品。「火の記憶」もよかった。

或る「小倉日記」伝 65.jpg或る「小倉日記」伝.jpg  『或る「小倉日記」傳』.jpg    「或る『小倉日記』伝」.jpg
或る「小倉日記」伝』 新潮文庫['65年/旧版]['97年/改版]/『或る「小倉日記」伝―他五篇 (1958年) (角川文庫)』/松本清張一周忌特別企画「或る『小倉日記』伝」('93年TBS/出演:筒井道隆、国生さゆり)

 松本清張(1909‐1992)の初期12作を所収。表題作「或る『小倉日記』伝」は'52(昭和27)年下半期・第28回「芥川賞」受賞作で、同じ期の直木賞候補作品にもなっています(まず直木賞候補となり、その後直木賞選考委員会から芥川賞選考委員会へ廻された)。結果的に芥川賞の方を受賞しましたが、歴代の「芥川賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは松本清張だと言われています(歴代の「直木賞作家」で最も多くの読者を獲得したのは司馬遼太郎だと言われている。「菊池寛賞」を、司馬遼太郎は『竜馬がゆく』『国盗り物語』などの功績により'66年に、松本清張は『昭和史発掘』などの功績により'70年にそれぞれ受賞している)。

 「或る『小倉日記』伝」の主人公である脳性麻痺の郷土史家・田上耕作は実在の人物ですが、作者は見事な創作に昇華しています。失われたとされる鷗外の「小倉日記」を再構築しようとする主人公の熱意。何が彼をそこまで駆きたて、また、その追跡努力に意義はあったのか?という大きな問いかけが主テーマだと思いますが、主人公に限らず、何らかの形で自らがこの世に存在したことの証を示したいという思いは誰にでも共通にあるものであり、それゆえに主人公のひたむきさが胸を打ちます。伝記的なスタイルをとりながらも、叙情溢れる表現が随所に見られ、また、主人公の母親の子に対する愛情の深さには胸が熱くなりました(確かに、「芥川賞」と「直木賞」の両方の要件を満たすものをこの作品は持っているかも)。

 '93(平成5)年に「松本清張一周忌特別企画」としてTBSでドラマ化されましたが、主演の筒井道隆は頑張っていたという感じ(この俳優は映画デビュー作の「バタアシ金魚」から観ている)。多くの賞を受賞しましたが、原作はミステリと言うより文芸作品に近いものだからなあ。原作の微妙な情感がどこまで表現されていたかと言うと微妙なところ。

 同録のものでは、同じく純文学的色彩の濃い「火の記憶」が好きです。この作品の"ボタ山の炎の記憶"と『或る「小倉日記」伝』の"鈴の音の記憶"は、ともに作品の重要なファクターとなっていますが、登場人物の幼い頃の記憶であるにも関わらず、読む側にも不思議な郷愁、幼児期の記憶を呼び起こさせるものがありました。

「或る「小倉日記」伝」●演出:堀川とんこう●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●原作:松本清張●出演:松坂慶子/筒井道隆/蟹江敬三/国生さゆり/大森嘉之/佐戸井けん太/今福将雄/松村達雄/西村淳二●放映:1993/08(全1回)●放送局:TBS

《読書MEMO》 
「新潮文庫」版 収録順
●或る「小倉日記」伝★★★★★.
●菊枕...狂った女流俳人ぬい(杉田久女がモデル、遺族の訴えで名誉毀損に)
●火の記憶★★★★★...ボタ山の炎の記憶、警官と母の不倫
●断牌...代用教員上がりの異端考古学者・木村卓司(森本六爾がモデル)
●壺笛...女で身を滅ぼした考古学者
●赤いくじ...朝鮮での軍医と参謀長の女性を巡る確執
●父系の指...自伝的要素の強い作品だが、清張は創作だと言っていた
●その他に「石の骨」「青のある断層」「喪失」「弱味」「箱根心中」を収録

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松本清張の短編集に手をつけてみたい人には最もオススメできる1冊。

西郷札.jpg  松本 清張 『西郷札』.jpg  「西郷札」.jpg
西郷札-松本清張短編全集〈1〉 (カッパ・ノベルス)』〔'63年〕/『西郷札―松本清張短編全集〈01〉 (光文社文庫)』/「松本清張作家活動四十年記念ドラマスペシャル「西郷札」【TBSオンデマンド】」('91年TBS/出演:緒形直人、仙道敦子)

 表題作の「西郷札(さつ)」とは、西南戦争中に薩軍が発行した軍票(兌換紙幣)のこと。薩軍にいた主人公・樋村雄吾はその造幣に携わるが、敗戦後は人力車夫となる。そしてある日、かつて思いを寄せていた義妹と偶然に再会するが、彼女は政府要人・塚村圭太郎の妻になっていた。ふたりは逢引を重ねるが、雄吾はふとしたことから西郷札の政府買い上げ運動の協力をある人物から要請され、義妹を通して塚村に会う。塚村の「充分(政府が西郷札を買い上げる)見込みがある」という言葉に、雄吾は自分自身のために西郷札の買占めに奔走するが―。

 『週刊朝日』が'50(昭和25)年に募集した小説コンクールに松本清張(1909‐1992)が応募し、「3等」に入選したデビュー作ですが、ホントは実力的には「1等」の評価だったようです。しかしながら、作者が朝日新聞の校正部に勤めていることが判明し、慌てて「3等」にしたわけで、現にこの作品は直木賞候補になっています。

 それにしても歴史から題材を得るのがうまい(このうまさに三島由紀夫が嫉妬して、文学全集編纂のとき松本清張を外したという話もある)。多分、明治初期のキャリア官僚で、出世コースび乗りながら後世に名を残していない人物がいることから、こうした物語を構想したのではないかと言われています。

 '91(平成3)年に松本清張の作家活動40周年記念としてTBSでドラマ化され(NHKに次いで2回目)、緒形直人、仙道敦子が主演、この2人は共演の2年後に結婚しました。

西郷札―松本清張短編全集1.jpg カッパ・ノベルズの松本清張短編全集は'63(昭和38)年に刊行されましたが、'77年と'02年に改訂が行われていて、02年改訂は「没後10周年企画」として行われました。全11巻あり、この第1巻には初期の作品が8作収められて、「くるま宿」「或る『小倉日記』伝」「火の記憶」などの名作が並び、「啾々吟」「戦国権謀」「白梅の香」といった歴史小説もあります。個人的には最後の、阿蘇で自殺しそこなった人を助けるという変わったことをしている親父から聞いた話を裏返して書いた「情死傍観」が拾い物でした。清張の短編集に手をつけてみたい人には最もオススメできる1冊です。

「西郷札」●演出:大岡進●制作:堀川とんこう●脚本:金子成人●音楽:奥慶一●原作:松本清張「西郷札」●出演:緒形直人/仙道敦子/蟹江敬三/川谷拓三/中田喜子/柳沢慎吾/前田吟/大滝秀治/風間杜夫●放映:1991/04/08(全1回)●放送局:TBS

 【1963年ノベルズ版・2002年第3版[光文社]/1965年文庫化[新潮文庫]/2008年再文庫化[光文社文庫]】

東京高山書院版(1955/11)
松本清張『 西郷札 』高山書院 - コピー.jpg 松本清張『 西郷札 』高山書院.jpg

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隠れた剣客というだけではなく、自分なりの価値観を持つ男たち。

たそがれ清兵衛 映画タイアップカバー.jpgたそがれ清兵衛2.jpg たそがれ清兵衛 dvd.jpg m020937a.jpg
たそがれ清兵衛』 単行本新装改訂版 ['02年] 「たそがれ清兵衛 [DVD]」 (松竹/監督:山田 洋次/出演:真田広之, 宮沢りえ)
たそがれ清兵衛 (新潮文庫)』(カバー:村上 豊)  Tasogare Seibei (2002)
Tasogare Seibei (2002).JPG

 表題作「たそがれ清兵衛」のほか、「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」の全8編を収録。

 一見すると情けないほど貧相だったり頼りなさげだったりするため普段は侮られているのだけれど、いざという時には毅然とした行動をとる男たちの話。彼らは何れも、しがない宮仕えの下級武士なのですが、実は知られざる(知る人ぞ知る)凄腕の剣客なのである―こうした「スーパーヒーロー」と言うよりむしろ「アンチヒーロー」達による剣豪小説は、サラリーマンの心をくすぐるものがあるのかも知れません。

 表題作「たそがれ清兵衛」のように、意図せずに上意討ちの討ち手に選ばれてしまうといった話が多いのですが、命令には従い、そしてやり遂げる。しかし、そのことを足掛かりに出世しようなどという気は毛頭ない―。 "逆刺客"を倒した直後も番所へ届けず、とっとと家路を急ぐ主人公の姿に、夫婦愛というより、自分なりの価値観を持った人間が描かれていると思いました。

 「うらなり与右衛門」「日和見与次郎」などは義憤による敵討ちの話で、外見や日頃の立ち振る舞いでは窺えない主人公の心意気が伝わってきます。風呂敷包みに隠されていた"うらなり"与右衛門のしたたかさ、黒幕を絶対に許さない"日和見"与次郎の徹底ぶりが、"うらなり"や"日和見"といった外見とは対照的であり、強く印象に残りました。 

たそがれ清兵衛 0.jpg 「たそがれ清兵衛」は2002年に山田洋次監督によって映画化され、山田監督はこれが初の時代劇でしたが、第76回キネマ旬報ベスト・テンの第1位に選ばれました。元が短編であるだけに、他と短編と組み合わせて話を膨らませている部分があり、真田広之演じる清兵衛は、最近妻に死なれ、認知症の母と幼い娘2人を抱えており、残業しないのも無理はないという感じで(しようと思っても出来ない)、 宮沢りえ演じるヒロインの朋江は、夫の家庭内暴力で出戻りとなった親友の妹という設定になっています(何だか現代的)。
宮沢りえ(朋江)/真田広之(清兵衛)
田中泯(一刀流の使い手・余吾善右衛門)/真田広之
たそがれ清兵衛 殺陣.jpg 清兵衛と朋江の相互の切ない想いの描き方は感動的でしたが、原作はもっと軽い感じだったという印象。但し、意図せずに上意討ちの討ち手に選ばれてしまうというのは原作通りで、真田広之と田中泯の殺陣シーンはなかなかリアリティがありました。こうした、テレビ時代劇などにある従来のお決まりの殺陣シーンとは違った演出ばかりでなく、時代考証も細部に行き届いているようで、山田洋次監督の初時代劇作品への意気込みが感じられ、真田広之、宮沢りえの演技も悪くなかったです(それぞれ日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞・女優賞を受賞)。
   
丹波哲郎(清兵衛の本家の叔父・井口藤左衛門)/岸恵子(清兵衛の娘・井口以登(壮齢期))
たそがれ清兵衛 丹波哲郎.pngたそがれ清兵衛 岸恵子.jpg でも、恋愛を描いたことで、完全に原作とは別物の作品になった印象もありました。話の枠組みを岸恵子(壮齢となった清兵衛の娘)の語りにする必要もなかったし(岸恵子は「男はつらいよ 私の寅さん」('73年/松竹)以来の山田洋次監督作品への出演)、その語りによるエピローグで清兵衛を戊辰戦争で死なせる必要も無かった―更に言えば、どうせここまで改変するならば、2人を結婚させず悲恋物語にしても良かったように思います。
     
たそがれ清兵衛 01.jpg「たそがれ清兵衛」●制作年:2002年●製作:大谷信義/萩原敏雄/岡素之/宮川たそがれ清兵衛 丹波哲郎.jpg智雄/菅徹夫/石川富康●監督:山田洋次●脚本:山田洋次/朝間義隆●撮影:長沼六男●音楽:冨田勲●原作:藤沢周平「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」●時間:129分●出演:真田広之/宮沢りえ/田中泯/小林稔侍/大杉漣/吹越満/深浦加奈子/神戸浩/伊藤未希/橋口恵莉奈/草村礼子/嵐圭たそがれ清兵衛   .jpg史/岸惠子/中村梅雀/赤塚真人/佐藤正宏/桜井センリ/北山雅康/尾美としのり/中村信二郎/丹波哲郎たそがれ清兵衛   .jpg/佐藤正宏/水野貴以●劇場公開:2002/11●配給:松竹 (評価★★★☆)
[右写真]小林稔侍/宮沢りえ/山田洋次監督/真田広之/丹波哲郎

 【1988年単行本・2002年新装版[新潮社]/1991年文庫化・2006年改版[新潮文庫]】

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恋するキャリアウーマン。職探しの侘しさとユーモア。人物の描き方の幅。

刺客 単行本.jpg 『刺客―用心棒日月抄』(1983年) 刺客.jpg刺客 用心棒日月抄.jpg 『刺客―用心棒日月抄(じつげつしょう) (新潮文庫)』(カバー:村上 豊) 

 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説シリーズ「用心棒日月抄」の第3弾で、「小説新潮」に'81年から'83年にかけて断続連載された作品。
 主人公の青江又八郎は、お家乗っ取りを画策する黒幕から、陰の組織「嗅足組」を壊滅するため江戸に放たれた5人の刺客を倒すべく、3度目の脱藩をし用心棒稼業をしながらその機を窺う―。

 藩士の非違を探る「嗅足組」の女首領・佐知は、本シリーズの第2の弾「孤剣」では又八郎と対決したこともありましたが、最後には又八郎の危機を救った女性。
 本作では、又八郎の陰となり活躍しつつ、又三郎に想いを寄せる姿が切ない。職場の男性に恋したキャリアウーマンといったところでしょうか。

 又八郎の用心棒暮らしの侘しさや、用心棒仲間の浪人・細谷とのユーモラスなやりとりが、親近感を抱かせます。
 2人は"口入れ屋"を通して用心棒の仕事を探しますが、今で言う人材派遣業者への登録か(ただし、又三郎も細谷も腕が立つので口入れ屋の二枚看板になっている)。

 又八郎は基本的にはストイックなのですが、妻子持ちでありながら佐知と交情するなど、決して聖人君主ではありません。この辺りに作者の人物の描き方の幅を感じました。

 「用心棒日月抄」「孤剣」「刺客」、そして少し後に書かれた「凶刀」と進むにつれて、一話完結スタイルから長編小説のような構成に推移していますが、この「刺客」あたりが、既に説明的な記述はあまり要しなくなっていて、又八郎のキャラクターも確立されていて、一番切れ味鋭いというか無駄がないように感じました。

 「用心棒日月抄」が「腕におぼえあり」(村上弘明・渡辺徹主演)としてNHKでドラマ化されて人気を博し、2003年にシリーズ4冊とも単行本が新装改訂されています。

腕におぼえあり DVD.jpg腕におぼえあり nhk.jpg「腕におぼえあり(1)~(3)」●演出:大原誠ほか●制作:一柳邦久●脚本:中島丈博/金子成人●音楽:近藤等則●原作:藤沢周平「用心棒日月抄」●出演:村上弘明/渡邊徹/清水美沙/坂上二郎/北林谷栄/香取慎吾/刺客―用心棒日月抄―.jpg小田茜●放映:1992/04~19993/03(全35回)[(1)1992/04~06(全12回)/(2)1992/09~11(全13回)/(3)1993/01~03(全10回)]●放送局:NHK        村上弘明/渡邊徹

刺客―用心棒日月抄』 単行本新装改訂版 ['03年] 

 【1983年単行本・2003年新装改訂〔新潮社〕/1987年文庫化[新潮文庫]】

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彫師伊之助のキャラクターを確立した快作時代推理(時代人情)物。

漆黒の霧の中で 単行本.jpg  『漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え』.JPG
漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え』(1982年) 『漆黒の霧の中で―彫師伊之助捕物覚え (新潮文庫)』(カバー:蓬田やすひろ)

 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説のシリーズものでは、「用心棒日月抄」「獄医立花登手控え」「隠し剣」などと並ぶのがこの「彫師伊之助捕物覚え」です。
 主人公の伊之助は、元は凄腕の岡っ引でしたが、妻が他の男と無理心中したことから岡っ引を辞め、今は木彫り職人としてある意味むしろ気ままに働いています。
 しかしかつての彼の実力を知る同心からなんやかやで要請を受け、昔とった杵柄で難事件を解決する―。

 本作はシリーズの第1弾「消えた女」に続く第2弾で、連続殺人事件を扱っているものの、ミステリーとしての色合いよりも江戸の市井の人々の人情話的要素がふんだんに盛り込またものとなっています。
 「彫師伊之助」は過去を引きずった翳のある人物ですが、職人としての一見平凡な日常、事故死に見せかけた殺人を見抜く鋭さ、女性に対するやさしい一面などを含め、そのハードボイルド風のキャラが本作において確立したとも言えます。
 
 職場では自分の過去や事件捜査をしていることを隠して"定時退社"しているところなど、サラリーマンの「俺には皆に言えない別の顔があるのだ」みたいな、何かそんなものが自分にもあればカッコいいかなというイマジネーションを刺激するのかも知れません。
 
 推理小説としてどうかという部分は多少ありますが(むしろ人情物?)、全編通して会話が多く、テンポよく読める快作です。

 【1986年文庫化[新潮文庫]】

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秀吉vs.家康、兼続vs.三成、忍者の世界の3階層にわたり楽しめる。

密謀 上巻 [単行本].jpg 密謀 上下.png  『密謀 (上)』.JPG  密謀下.jpg
密謀 上巻』『密謀 下巻』['82年/毎日新聞社]/『密謀 (上巻) (新潮文庫)』『密謀 (下) (新潮文庫 (ふ-11-13))

直江兼続.jpg 時代小説、時代推理作家というイメージが強い著者ですが、これは豊臣から徳川にかけての時代の転換期を描いた「歴史小説」です(と言っても時代小説と歴史小説を区別することに藤沢周平は疑念があったようですが)。
 主人公は、上杉景勝の若き参謀・直江兼続(かねつぐ)ですが、物語は兼続と豊臣方の石田三成との参謀同士の駆け引きを軸に、その「上部構造」として秀吉と家康の駆け引き、「下部構造」として兼続が擁する草(忍びの者)の活躍を描いています。
直江兼続 (なおえ かねつぐ)

 当然「上部構造」は史実に則りつつ、秀吉と家康のそれぞれの智略家ぶりを、司馬遼太郎などとはまた違ったタッチで描いていて、著者が歴史小説家としても充分な力量があったことを表しています。

 中核となる兼続と三成の関係においては、両者の間に果たされなかった〈密約〉があったのではないかという著者の考察を含め、互いを認め合った両者の友情にも似た感情と、上杉に仕える身である兼続の立場や心情がよく描けています。

密謀.jpg 「下部構造」の忍びの者の世界の話は創作的要素が大きいわけですが、静四郎という兼続に拾われた青年を軸に、"時代小説っぽく"描かれています。

 ある意味、3階層にわたり楽しめる長編作品。1982年の刊行ですが、1997年に単行本の新装版(全1巻)が出たことでもその人気が窺える作品です。

密謀』 '97年新装版[毎日新聞社(全1巻)]

  '09年に直江兼続を主人公としたNHK大河ドラマ「天地人」が放映されたけれども、妻夫木聡演じる直江兼続、ちょっと若すぎるのでは...。全然、貫禄ないなあ。

2009(平成21)年度・NHK大河ドラマ「天地人」(原作:火坂雅志)直江兼続役:妻夫木 聡
天地人1.jpg天地人2.jpg天地人3.jpg「天地人」●演出:片岡敬司/高橋陽一郎/一木正恵/野田雄介●制作:内藤愼介●脚本:小松江里●音楽:大島ミチル●原作:火坂雅志●出演:妻夫木聡/常盤貴子/北村一輝/阿部寛/松方弘樹/吉川晃司/小栗旬/高嶋政伸/相武紗季/玉山鉄二/長澤まさみ/宍戸錠/萬田久子/笹野高史/山本圭/加藤武/高島礼子/鶴見辰吾/深田恭子●放映:2009/01~12(全47回)●放送局:NHK

 【1982年単行本[毎日新聞社(上・下)]/1985年文庫化[新潮文庫(上・下)]/1997年新装版[毎日新聞社(全1巻)]】 

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青春・恋愛小説的要素もあり、犯罪が生活と隣合わせの暗部も描く。

風雪の檻.jpg 風雪の檻2.jpg     獄医立花登手控え1.jpg 獄医立花登手控え3.jpg 獄医立花登手控え4.jpg
新装版 風雪の檻―獄医立花登手控え〈2〉 (講談社文庫)』 〔文庫新版/旧版〕 『新装版 春秋の檻 獄医立花登手控え(一) (講談社文庫)』『新装版 愛憎の檻 獄医立花登手控え(三) (講談社文庫)』『新装版 人間の檻 獄医立花登手控え(四) (講談社文庫)

 藤沢周平(1927‐1997)の時代小説シリーズ「獄医立花登手控え」の第2弾。このシリーズは若き医師・立花登が主人公ですが、この主人公は希望に燃えて上京したもの居候先の叔父の家で叔母と娘にアゴで使われて、少し可哀想な感じ。医師である叔父に手伝わされて牢医者もやることになるが、それをきっかけに色々な事件に巻き込まれる―。

 本シリーズは「春秋の檻」「風雪の檻」「愛憎の檻」「人間の檻」の4作で完結していて、それぞれが著者得意の捕り物短編集になっています(昭和54年から昭和58年まで「小説現代」に断続的に連載。最初は「青年医立花登」というシリーズ名だった)。

風雪の檻―獄医立花登手控え.jpg 主人公が若いせいか、青春小説、恋愛小説的要素もありますが、ストレートなそれではなく、翳があるというわけではないけれど立場上少し屈折している主人公の心理描写に、著者らしさを感じます。

 このシリーズ作品で描かれている江戸時代の刑罰の制度なども興味深いものです。そうしたことも含め、市井の生活の情緒的な部分だけでなく、犯罪が生活と隣合わせにある暗部も描いています。

 主人公が柔術を得意とするところは、「彫師伊之助捕物覚え」の主人公と同じ。市井の職人であるために剣を使わない伊之助と異なり、この主人公は下級藩士の息子だけれども、剣術の方は苦手だったというのが何となく面白く、親近感を覚えます。

(1981年 単行本)

立花登・青春手控え.jpg この「獄医立花登手控え」シリーズは'82(昭和57)年にNHKで「立花登・青春手控え」としてTVドラマ化され、4月から9月まで23話が放送されています。立花登を演じた中井貴一(1961年生まれ)は初の時代劇でしかも主演、しかし、佐田啓二の息子であるわりには評判になった記憶は個人的には薄く、その名が広く知られるようになったのは翌'83年にTBS系列で放送された山田太一脚本の「ふぞろいの林檎たち」以降ではないかと思われます。 

立花登・青春手控え dvd.jpg「立花登・青春手控え」●演出:宮沢俊樹/加藤郁雄/佐藤幹夫/松橋隆/吉村文孝/若園昌己/竹内豊/田島照●脚本:福田善之/石松愛弘/神波史男/武末勝/大久保昌一良/丸山昇一/富田康明/奥田成二/市川靖/松島利昭/長田紀生/金子成人●音楽:坂田晃一●原作:藤沢周平●出演:中井貴一/宮崎美子/中原ひとみ/高松英郎/篠田三郎/地井武男/ケーシー高峰/山咲千里/宮下順子●放映:1982/04~09(全23回)●放送局:NHK
立花登 青春手控え 選集 BOX [DVD]

 【1983年文庫化・2002年改訂[講談社文庫]】

 

《読書MEMO》
立花登青春手控えド.jpgNHK BSプレミアム「BS時代劇」(2016年5月13日から7月1日)出演:溝端淳平/平祐奈/宮崎美子/マキタスポーツ/正名僕蔵/高畑裕太/波岡一喜/鷲尾真知子/石黒賢/古谷一行

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少年法と復讐殺人。テーマのための人物造形とプロットになった?

さまよう刃.jpg さまよう刃 文庫ド.jpg   ロサンゼルス.jpg チャールズ・ブロンソン「ロサンゼルス」.jpg
さまよう刃』(2004/12 集英社) 『さまよう刃 (角川文庫)』 映画「ロサンゼルス」('82年/米) チャールズ・ブロンソン
新潮文庫 映画タイアップカバー(2009年映画化)
さまよう刃 映画.jpg 花火大会の夜、長峰は一人娘の絵摩の帰りを待っていた。同じ頃、中井誠はアツヤとカイジの命令で父の車を運転していたが、浴衣姿で独り歩いている娘に目をつけた2人は、娘にクロロホルムを嗅がせて車に引き摺り込む。中井は、車を返せという父からの電話で自宅へ帰る。数日後、長峰の元に刑事が来て荒川に浮かんでいた死体を確認してくれと言われ、それは娘の無惨な姿だった。悶絶する長峰の元に、「絵摩さんはトモザキアツヤとスガノカイジの2人に殺されました」という密告電話が入り、アツヤの住所と合鍵の場所も教える。長峰はそのマンションに向かい、部屋に忍び込みアツヤにレイプされた絵摩の映像を見つける。絵摩はレイプ後、覚醒剤の大量摂取で死んだのだ。長峰は、マンションに帰ってきたアツヤを近くにあった包丁で泣きながら何度も刺し、彼の死に際に、相棒のカイジが長野のペンションに逃げていると聞き出すと、今度はカイジの行方を追うために長野に向かう。自分が逮捕されることを厭わない長峰は、警察に思いの丈をぶつけた手紙を送り、それはニュースでも報道され、世間と警察を大きく揺るがすことになった―。

  娘をレイプされ殺された父親が、犯人の1人の少年を殺害し、残りの1人を追う―。「少年法」の保護により重い裁きを免れるだろう彼を生かしてはおけないという父親の行動と、「復讐殺人」に対する世間やマスコミの賛否のなかで、逃亡する少年と父親の双方を追う刑事たち―という構図です。以前読んだ同作者の『手紙』('03年/毎日新聞社)が犯罪加害者の家族の視点から書かれたものであったのに対し、こちらは犯罪被害者の家族を中心に据えたものと言えます。

DeathWish21982.jpgロサンゼルス ポスター.jpg 昔、チャールズ・ブロンソン主演の映画で「ロサンゼルス」('82年/米)という、愚連隊(ちょっと言葉が旧いか)に娘をレイプされ殺された父親が、単独で犯人達に復讐を図るというものがありましたが、彼こそ「自衛市民」だと世間の評判が高まり警察が苦慮するところなども少し似ていて、つい思い出しました。

 本書もテーマは重いのですが、登場人物の描き方にやや厚みがなく、テーマを浮き立たせるために単純化しちゃったのかなあという感じでした。長編ですが、何のひっかかりもなくスラスラ読めるのは、文体が平易簡潔なだけでなく、先の行動が読めてしまうということもあったかも。

 それでも終盤で緊迫した見せ場をつくりところは、やはり東野作品であり、また密告電話の主は誰なのかということでも関心を引きます。しかしラストは、読者のカタルシスよりもテーマを重視したという感じで、総じて「少年法」「復讐殺人」というテーマのために用意された登場人物とプロットだったという印象です。

DEATH WISH 2.jpg 因みに映画「ロサンゼルス」の方は、犯人が次々とブロンソンおやじに殺されていきますが、1人だけは警察によって逮捕され精神鑑定で無罪になります。しかしブロンソンは諦めず、医者に化けて精神病院に潜入し、最後の1人を射殺するというものでした(カタルシス重視でいくならば、ここまでやっちゃっていいのかも)。同じ「復讐に憑かれた男」でも、肉食動物と草食動物ぐらい違いますが、途中で警官が犯人に殺られて、死に際にブロンソンに「必ずお前が奴を殺れ」みたいなことを言っており、ここが『さまよう刃』と一番違う点だったかも知れません(強いて言えば、密告電話の主がこれに近いか。映画自体は、冒頭の娘が殺される場面があまりに残虐で、評価△)。
 
 この映画「ロサンゼルス」(原題:Death Wish II)は「狼よさらば」('74年、原題:Death Wish)の続編にあたり、前作でもブロンソン演じる主人公は、妻を殺害され、娘を凌辱され、犯罪者を見つけ次第自らの手で処刑する「一人自警団」となっていきます(Death Wishシリーズは全5編作られたことから、一定の人気があったことが窺える)。
Charles Bronson
Charles Bronson.jpgチャールズ・ブロンソン/マンダム.jpg チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson、1921‐2003/享年81)はリトアニア系移民の子として生まれ、タタール人の血をひく俳優であり(確かにアジア系っぽい感じも少しある)、家庭は貧しくて、少年の頃から炭鉱夫として働いていたこともある苦労人でした。

 ジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」(60年/米)の7人のガンマンの1人として売り出し、日本では映画の他に、男性用化粧品「マンダム」のCMでも知名度が上がり(「う〜ん、マンダム」というのが決め台詞丹頂チック.jpgのこのCMのディレクターは、現在は映大林宣彦.jpg画監督として活躍している大林宣彦)、CM並びに商品のヒットにより、「丹頂」という社名だった化粧品会社(代表的商品に「丹頂チック」があり、今もレトロ商品として販売されている)が、自社名を一商品名にすぎなかった「マンダム」に改めた(1972年)という経緯もありました。

DeathWish2_B2-1-500x693.jpg「ロサンゼルス」●原題:DEATH WISH 2●制作年:1981年●制作国:アメリカ●監督:マイケル・ウィナー●製作:メナハム・ゴーラン/ヨーラン・グローバス●脚本:デヴィッド・エンゲルバック/マイケル・ウィナー●撮影:リチャード・H・クライン●音楽:Jill Ireland DEATH WISH 2.gifジミ-・ペイジ●時間:92分●出演:チャールズ・ブロンソン/ジル・アイランド/ビンセント・ガーディア/マイケル・プリンス/ベン・フランク/ロビン・シャーウッド/アンソニー・フランシオサ/J・D・キャノン/ケヴィン・メイジャー・ハワード/新宿西口パレス3.jpgラリー・フィッシュバーン(ローレンス・フィッシュバーン)●日本公開:1982/03●配給:コロムビア映画●最初に観た場所:新宿西口パレス新宿三葉ビル.bmp(82-09-18)(評価★★★)●併映「シャーキーズマシーン」(バート・レイノルズ)
新宿(西口)パレス 新宿西口小田急ハルクそば「新宿三葉ビル(三葉興行ビル〈現・三葉興業本社ビル〉)」内。1986(昭和61)年11月閉館。

 【2008年文庫化[角川文庫]】

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殺人犯を兄に持つ弟が受ける偏見を描く。読者ツボは心得ている感じ。
手紙.jpg   手紙2.jpg    
手紙』 (2003/03 毎日新聞社)『手紙 (文春文庫)』 〔'06年〕 映画「手紙」(2006 『手紙』 製作委員会) 監督:生野慈朗 出演:山田孝之/玉山鉄二/沢尻エリカ/吹石一恵

 弟の大学進学のための金欲しさに空き巣に入った武島剛志は、思いがけず老婦人を殺してしまい懲役15年の刑に服することになる。突然独りぼっちになり、途方に暮れる高校生の武島直貴だったが、謝罪するつもりで訪れた被害者の家の前で、遺族の姿を見かけただけで逃げ出してしまう。高校の卒業式の2日前の直貴の元に、獄中の兄から初めての手紙が届く。それから月に一度、手紙が届くことになる。 獄中の兄の平穏な日々とは裏腹に、進学、就職、音楽、恋愛、結婚と、直貴が幸せをつかもうとするたびに、彼の前には「強盗殺人犯の弟」というレッテルが立ちはだかる。それでも、理解してくれる由実子と結婚して一時期、幸せが訪れるが、娘の実紀が仲間はずれにされ、正々堂々と生きて行く意味を考えてしまう。そして―。

繋がれた明日.jpg 犯罪者の肉親の立場から、兄が殺人犯であるということで社会的偏見を受ける苦しみを描いていて、犯罪者が仮釈放されたときに受ける社会的偏見を描いた真保裕一の『繫がれた明日』('03年/朝日新聞社)と同時期に、ともに直木賞候補になりましたが、テーマがダブったせいか?どちらも受賞を逃しました(受賞は石田衣良と村山由佳)。

 テーマがダブると言っても、犯罪者自身とその肉親とでは描く視点が大いに違ってく来るので、あまり比較しても仕方がないかなという感じですが...。ただし、『繋がれた明日』の方がシリアスな状況を描いてリアリズムに徹しようとして、逆に個々のキャラクターはどこかで見た映画の登場人物のような人物造詣になっているのに対し、『手紙』の方は、自分の場合は最初から"ストーリーテラー・東野圭吾"という文脈で読んでしまうせいなのか、「ウソ臭い」のに作品としては違和感がないという、ある意味皮肉な結果になりました。

映画版「手紙」.jpg エンターテインメントとしての手順をきっちり踏んでいて、読者を主人公の味方にし、考えさせながら感動もさせる...技巧派というか手馴れているなあという感じで、このあたりが逆に、直木賞選考委員にはアザトいと見られたのかなという気もします。それでも、作者なりにひとつの考え方を、"手紙"という小説における小道具を使って示していて、それはある意味逆説的で意表を突くものであり、すべてのケースでこの考え方が当てはまるなどと安易には言えないでしょうが、なるほどなあと思わせる部分はありました。
映画「手紙」(2006 『手紙』 製作委員会) 監督:生野慈朗 出演:山田孝之/玉山鉄二/沢尻エリカ/吹石一恵

 【2006年文庫化[文春文庫]】

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ラストは一方で哀しく、一方でさらに惹かれるような魔性を帯びて見える。

白夜行 単行本.gif白夜行(東野圭吾).gif 白夜行2.jpg白夜行.jpg 野圭吾 白夜行 文庫.jpg
白夜行』['99年]『白夜行 (集英社文庫)』['02年〕映画タイアップカバー['11年]

 1999(平成11)年度「週刊文春ミステリー ベスト10」(国内部門)第1位。

 1973年、大阪の建設途中で放置された廃ビルで、質屋の主人・桐原の刺殺死体を、そこを遊び場にしていた小学生で桐原の息子・亮司が発見。捜査にあたった刑事・笹垣は、当日の桐原の足取りを追うが、容疑者は、桐原の年齢に釣り合わない派手な妻、一癖ありそうな店長の松浦と次々に変わり、やがて、桐原の客の西本文代に疑いの目が向けられ、小学生の娘・雪穂と貧しい暮らしをしていた彼女には、桐原の愛人として彼と最後に会っていた疑いがあった。しかしアリバイが認められ、代わりにその文代の勤めるうどん屋にしばしば顔を見せていた寺崎という男が容疑者として浮上するが、寺崎は交通事故で死亡、文代も自宅のアパートでガス中毒死を遂げ、事件は迷宮入りに―。

 文代の娘・雪穂は母の死の後、裕福な親戚の養女となり、大学のダンス部で知り合った東西電装株式会社のエリート社員と結婚し、離婚後は自分で高級ブティックを経営して大成功させ、大金持ちの後妻に、一方、桐原の息子・亮司は、高校生時代に売春斡旋まがいのことをし、海賊版パソコンソフトで荒稼ぎをし、人を騙し、殺し、金を稼ぐ、雪穂とは対照的な裏街道を歩いていた。美しく品のある雪穂は男性を操りながら自分の才を発揮していき、亮司もその特異な才能を生かしつつ、しかし徐々に世間の表舞台から姿を隠すようになる。しかし、亮司と雪穂が成長していく過程で、様々な犯罪が起きていることの気付いた笹垣により、約15年前の事件の真相が少しずつ明らかになる―。

 デーモニッシュな人物が登場するミステリーは多くありますが、これだけ犯人の登場と内面描写を抑え、出来事の状況だけでその魔性を描いた作品というのは少ないのではないでしょうか。宮部みゆきの『火車』('92年/双葉社)を一瞬想起しましたが、『白夜行』の方は、亮司と雪穂という2人を書き分けているからさらにスゴイ。

 亮司と雪穂が直接に接触するシーンはなく、この2人の男女の話が別々に進行していくという字縄(あざなわ)を縫うような展開です。ただし、ミステリーとしての構築力もさることながら(犯人推理、あるいはトリックを見破る類のミステリーではなく、主人公2人の関係そのものが"謎"であると言えますが)、不思議なのは2人の関係が徐々に浮き彫りになるにつれ、読むうちに2人をどこか応援しているような気分になることです。それだけにラストは一方で哀しく、一方でさらに惹かれるような魔性を帯びて見えるのです。

 この小説は、東野作品では今のところ最高傑作の部類に入るのではないかと思いますが、直木賞の選考で、積極的に推したのが田辺聖子氏だけだったというのが不可解。個人的な評価は、田辺聖子氏の選評(「これまた快作、そして怪作であった。」「周到な伏線が張りめぐらされ、読んでいるあいだは、これまた息もつかせず面白かった。しかし読後感のあと味わるさも相当なもの。これは人間の邪気が全篇を掩っているので、それに負けてしまう、ということであろう。」)とほぼ一致するのですが、他の選考委員が、「人間が描けていない」という理由で落としてしまった...(同じく前面に姿を見せない主人公を描いた宮部みゆきの『火車』のときもそうだった)。

 直木賞に選ばれなかった理由を他に推察すれば、主人公たちの救いの無さでというのもあったかも。しかし、まず"善人"であるとは言い難く、しかもなかなか表に出てこない主人公に対し、読んでいて相当にシンパシーを感じるということ自体が、この作品の力を示しているように思います。
 
白夜行 TBS.jpg白夜行(ドラマ).jpg 宮部みゆきの『火車』は、'94年にテレビで2時間ドラマとして放映されていますが、ラストシーン以外は主人公が出てくる場面はほとんどなく、原作の持ち味を生かしていたのに対し、'06年に連続ドラマ化された『白夜行』は、かなり早い段階で亮司と雪穂の関係性を明らかにしてしまっていて、読者の関心は原作とは違う方向へ行かざるを得ず、その段階で原作とはまったく別の物になったように思いました。主演の山田孝之、綾瀬はるかも、亮司、雪穂のイメージとはちょっとずれているような気がしました。
「白夜行」●演出:小林俊一●制作:石丸彰彦●脚本:森下佳子●音楽:河野伸●原作:東野圭吾●出演:山田孝之/綾瀬はるか/渡部篤郎/柏原崇/西田尚美/田中幸太朗/小出恵介/八千草薫/武田鉄矢●放映:2006/01~03(全11回)●放送局:TBS
 
白夜行 映画ポスター.jpg
映画「白夜行」日本版(2011年1月)主演:堀北真希/高良健吾

 【2002年文庫化[集英社文庫]】

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"感動ストーリー"だが、色々考えさせられるという意味で面白かった。

秘密.jpg 映画 秘密.jpg 秘密DVD.jpg 天国から来たチャンピオンL.jpg
秘密』(1998/09 文藝春秋) 1999年映画化(監督:滝田洋二郎、主演:広末涼子/小林薫)「秘密 [DVD]」「天国から来たチャンピオン [DVD]

 1999(平成11)年度・第52回「日本推理作家協会賞」受賞作。 

 愛する妻と11歳の娘に囲まれ満ち足りた生活を送る杉田平介。だがある日、 妻・直子と娘・藻奈美が乗ったスキーバスが崖から転落する。妻は亡くなってしまうが、意識を取り戻した娘の方に妻の意識が宿ってしまい、残された平介は「娘の姿をした妻」と生活することになる―。

 某編集者の結婚披露宴の挨拶で、自らのことを「キャリアは20年だが、14年間売れなかった」と言ったという作者の、そうした状況を脱する契機となったとされる出世作。主人公は、世間に対しては「娘が実は妻であること」は伏せていて、そのことがまずこの物語の第一の「秘密」。そして、第二の「秘密」は―。

天国から来たチャンピオン.jpgゴースト ニューヨークの幻.jpg これ以上は何を書いてもネタバレになってしまいますが、アメリカ映画の「天国から来たチャンピオン」('79年)や「ゴースト/ニューヨークの幻」('90年)などのスピリチュアル・ファンタジーの系譜と同種のプロットかと思って読んでいました。
天国から来たチャンピオン [DVD]」/「ゴースト ニューヨークの幻 [DVD]

 そうしたら「憑依」という言葉が出てきて、この作品では心霊学的な「憑依」ではなく、超心理学的な「憑依現象」(心理学的には「多重人格」)としてのそれが扱われているので、「娘の姿をした妻」は実は「妻の意識を持った娘」であることがはっきりします。

 それでも読者を、「妻の人格」に感情移入させて読ませるところが、著者の力量でしょうか。夫の妻に対する想いを描き、「妻」の夫に対する想いを描きますが、後者は「娘の人格により投射された妻の像」であるはず。娘と妻の関係を直接的には描写せず、更に夫をセンチメンタリズムの中に埋没させ事実を直視させないことで、"科学的"ファンタージーとして成立しているように思えました。

 作者はそれでも不充分だと思ったのか、最後に"指輪"を巡る第二の「秘密」を用意していましたが、それさえも、「霊」を持ち出さなくとも超心理学的には説明できてしまうことだと思います(ただしこの辺りにくると、真実はもうどうでもよくなっているような感じ)。

 亡くなった人の自我や個性が別の人の脳にコピーされた場合、その「別の人」が「亡くなった人」になり、状況的には「亡くなった人」が生きているというのと同じことになるのでしょうか。妻が娘にかけた、自分が死んだときに自動起動する「後催眠暗示」というふうにとれなくもないし、娘がそれを逆手にとって、夫の心の中での妻の座を占めようとしているようにとれなくもないない場面もあるからややこしい。

 "感動ストーリー"仕立てですが、著映画「秘密」.jpg者は当初、コメディ仕立てでいこうかと考えたとのこと、自分にとっては、色々な見方ができて考えさせられるという意味での"面白さ"がありました。

滝田洋二郎 秘密.jpg 映画化もされましたが、話が途中から始まっているし、設定も細部において異なっているものの(娘の事故当時の年齢設定が11歳から17歳に引き上げられている)、物語の本筋の部分は生かされていたように思います。 映画「秘密」(1999年・東宝)

 ベテランの役者陣が周りをしっかり固めているということもありましたが、広末涼子の演技も悪くなかったです(う~ん、この演技力でワセダにAO入学したわけか。中退しちゃったけれど)。

幽霊紐育を歩く.jpg 因みに、先にあげた「天国か天国から来たチャンピオン23.jpgら来たチャンピオン(Heaven Can Wait)」は、「幽霊紐育を歩く(Here Comes Mr. Jordan)」('41年)のリメイク作品で、前途有望なプロ・フットボール選手(ウォーレン・ベイティ)が交通事故で即死するが、それは天使のミスによるものだったため、困った天界は彼の魂を殺されたばかりの若き実業家の中に送り込み、その結果全く新しい人物となった彼は、再びフットボールの世界に乗り出す―というもの。

天国から来たチャンピオン  ジェット機.jpg ボクシングのチャンピオンだった男を主人公としたオリジナルのリメイク作品だと分かるように、わざわざ邦題に"チャンピオン"と入れたのでしょうか(アメフトで個人を指してチャンピオンとはあまり言わないのでは)。今観ると、天国へ行く人々が乗るジェット機が〈コンコルド〉風だったりして時代を感じさせますが、「感動作」であることには違いなく、"自分とは何か"を考えさせられる部分もありました。

天国から来たチャンピオン2.jpg 一方で個人的に今ひとつノリ切れなかったのは、映像上のウソがあるためで、つまり、死んだウォーレン・ベイティの魂が身体を借りた実業家兼フットボール選手を、やはりウォーレン・ベイティが演じているという点。これは致し方ないことであり、あまりこだわる人もいないのかも知れませんが、このウソを克服しないと映画が楽しめないような気もしました(オリジナル作品では、ボクシング選手の魂が実業家にのり移るのだがそれなりに実業家に見える。その点、ウォーレン・ベイティはどこから見てもウォーレン・ベイティにしか見えない)。                                 

 これに比べると、映画「秘密」は、こうした「お約束」を観る者に強いるほどではない分、その点に関して言えば旨く出来ているようにも思いました(原作がいいということか)。 

秘密ド.jpg映画 秘密3.jpg「秘密」●制作年:1999年●監督:滝田洋二郎●製作:児玉守弘/田上節郎/進藤淳一●脚本:斉藤ひろし●撮影:栢野直樹●音楽:宇崎竜童●原作:東野圭吾●時間:119分●出演:広末涼子/小林薫/岸本加世子/金子賢/石田ゆり子/伊藤英明/大杉漣/山谷初男/篠原ともえ/柴田理恵/斉藤暁/螢雪次朗/國村隼/徳井優/並樹史朗/浅見れいな/柴田秀一●劇場公開:1999/09●配給:東宝 (評価★★★☆)
     
天国から来たチャンピオン チラシ.jpg天国から来たチャンピオン  .jpg「天国から来たチャンピオン」●原題:HEAVEN CAN WAIT●制作年:1978年●制作国:アメリカ●監督:ウォーレン・ベイティ/バック・ヘンリー●製作:ウォーレン・ベイティ●脚本:エレイン・メイ/ウォーレン・ベイティ●撮影:ウィリアム・A・フレイカー●音楽:デーヴ・グルーシン●原作:i-img600x446-1546386106i9p1zj197656.jpgハリー・シーガル●時間:101分●出演:ウォーレン・ベイティ/ジュリー・クリスティ/ジェームズ・メイソン/ジャック・ウォーデン/チャールズ・グローディン/ダイアン・キャノン/R・G・アームストロング/ヴィンセント・ジェームズ・メイソン 天国から来たチャンピオン.jpgガーディニア●日本公開:1979/01●配給:パラマウント映画●最初に観た場所:新宿パレス(83-02-04)(評価:★★★☆)

ジェームズ・メイソン

 【2001年文庫化[文春文庫]】

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"その後のロミオとジュリエット"。夫婦の関係についての表現と描かれている実態に謎の落差。

『門』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg門.jpg門 (新潮文庫)』(カバー:安野光雄) ことのはブック「門」.jpg アイ文庫オーディオブック「門」

 1910(明治43)年、夏目漱石(1967‐1916)が43歳のときに発表された長編小説。個人的には、前期3部作のうちの読み残していた作品で、今回が初読でしたが、『三四郎』とはもちろんのこと『それから』と比べても暗いし、何よりも地味〜っという感じでした。

門 漱石  .jpg 親友の安井の妻と駆け落ちし結ばれた宗助とその相方・御米との、世間との関わりを極力断ったかのような夫婦生活の日常を淡々と描いています。言わば「ロミオとジュリエット」みたいな出来事があって、その出来事そのものは描かず、その後の2人の地味な市井生活を書いているといった感じでしょうか。

 ロミオとジュリエットのように死んでしまったわけではなく、2人は生きているわけで、しかもその結ばれ方が略奪婚であったために、宗助は親族はもちろん学校、社会からも制裁を受けて神経衰弱に陥り、無気力体質になってしまって、勤め先の役所と平屋の自宅を往復するだけの、誰とも遭遇しない無為な毎日を送る人間になってしまっています。
夏目漱石 『門』春陽堂 1911(明治44)年1月刊

 この小説には、そうした宗助夫婦を形容する表現と、そこに描かれている実態に矛盾というか、謎のような落差がある気がしました。
 確かに2人は和合した夫婦であるに違いなく、2人の関係は「一つの有機体」のようであり、「二人の精神を組み立てる神経系は、最後の繊維に至るまで、互に抱き合って出来上がっていた」と表現されています。
 しかし一方で、宗助は旧友・安井の再登場に一人煩悶し、心の平安を求め妻に内緒で禅寺へ行ったりする、片や御米も、安井の弟のわが家への居候を快く思っていないようだが夫には打ち明けず、また自分に子供が出来ないことに対して個人的な原罪意識を抱いている―。

 谷崎潤一郎や江藤淳は「理想的な夫婦像」としてこの作品を読んだらしいですが、この作品に描かれている"その後のロミオとジュリエット"は、融和し得ない個々の世界を、それぞれに少しずつ膨らませつつあるように感じます。
 何でも互いに話せれば"理想の夫婦"である、ということにもならないでしょうが、やはり2人の関係の微妙な変化を描いているのは事実で、そうなると「一つの有機体」と断定的に表現されているその意味は、自分が当初抱いたイメージよりもっと広く捉えられるべきものなのでしょうか。自分自身が抱いている「理想的な夫婦像」のイメージがあまりに狭すぎるのかもしれませんが、個人的には消化不良気味の作品でした。おそらく、自分の読み方が谷崎潤一郎や江藤淳ほど深くないのだろうなあ。

 【1948年文庫化・1978改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫]/2011年再文庫化[文春文庫(『それから 門』)]】

《読書MEMO》
●「門」...1910(明治43)年発表

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前期3部作の1つと言うより『猫』『坊ちゃん』に続く作品。青春小説として読めて楽しい。

『三四郎』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg  夏目漱石 「三四郎」角川.jpg    三四郎 春陽堂.jpg    第02回 「三四郎」.jpg
三四郎 (新潮文庫)』(カバー:安野光雄)/角川文庫(カバー:わたせせいぞう)/春陽堂(1909年5月)/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:大沢健/井出薫/北島道太

 1908(明治41)年9月から12月にかけて新聞連載された夏目漱石(1967‐1916)の本作品は、漱石の『吾輩は猫である』('05年)、『坊ちゃん』('06年)などに続く初期代表作で、地方の高校を卒業し東京の大学で学ぶために上京してきた小川三四郎が、都会で学友や先輩、若い女性たちと接触して、日露戦争を経た日本の「新しい空気」に触れ、戸惑いながらも成長していく様が描かれています。

 三四郎が、自分が繋がっている世界を、母がいる熊本の古いが安らぎのある「田舎の世界」、世俗と意識的に交渉を絶って生きる野々宮(寺田寅彦がモデル)や広田先生がいる「学問の世界」、上流階級に属する美禰子(平塚雷鳥がモデル)らがいる「華やかな世界」の3つの世界に整理区分しているのがわかり、三四郎は最後の「華やかな世界」にどうしても憧れてしまう...。

 トリックスターのように動き回る学友の与次郎に対し、三四郎は常に受動的で内省的あり(ある意味、知識人(予備軍)の一典型とも言える)、結局、美禰子に翻弄され続けるのですが、果たして、先進的な女性と思われる美禰子が三四郎より自由な世界にいたのかというと、そうでもないという気にさせられます。

 また、三四郎が「学問の世界(学ぶ世界)」を大学(東大ですが)の授業ではなく、学外に見出すのも現代に通じるとことがあるかと思われ、学生の尊敬を集めながらも教授職に就かず「偉大なる暗闇」と呼ばれている広田先生に傾倒するのもわかる気がします。
 「学問の世界」グループの男性は皆独身で、三四郎を除いては美禰子のことをあまり好きでないらしく、警戒気味なのも面白い。

 漱石の女性に対する観察眼の鋭さには驚かされますが、美禰子における「無意識の偽善」というのが以降の作品でもテーマになっており、ではこの作品の主人公は美禰子なのかと言うと、それでは今ひとつしっくりしない気が...。

 この作品は漱石の前期3部作の最初の作品とされていますが、『猫』、『坊ちゃん』に続くものという色合いも感じられ(田舎に行った坊ちゃんと、上京した三四郎とで、方向的には逆ですが)、個人的には、三四郎を主人公にした青春小説として読みました。
 23歳と今の新入学生よりは年齢は若干上ですが、そうした青春小説としての読み方が出来る分、楽しいです。

 当時の東大生は現在の東大生に比べると、エリートとしての"希少価値"は比較にならないぐらい高かったようで(by 石原千秋)、こんなこと言うと当の三四郎に失礼になるかも知れませんが、高橋留美子の『めぞん一刻』を思い出した...(『めぞん一刻』の主人公・五代裕作は三流大学の学生)。

 【1948年文庫化・1986改訂[新潮文庫]/1950年再文庫化・1990改訂[岩波文庫]/1951年再文庫化[角川文庫]/1966年再文庫化[旺文社文庫]/1972年再文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[ちくま文庫]/1991年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[ポプラ社文庫]】

《読書MEMO》
●「三四郎」...1908(明治41)年9月発表

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「文鳥」の描写力、幻想的な「夢十夜」、臨死体験?「思い出す事など」。

『文鳥・夢十夜』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg文鳥・夢十夜・永日小品.jpg   夢十夜.jpg   第15回 「夢十夜」.jpg
文鳥・夢十夜』新潮文庫〔改版版〕/『文鳥・夢十夜・永日小品 (角川文庫クラシックス)』 ['91年]/アイ文庫オーディオブック/「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:真島啓/宝生舞/後藤久美

文鳥 挿画.jpg 新潮文庫版は、「文鳥」「夢十夜」「永日小品」「思い出す事など」「ケーベル先生」「変な音」「手紙」の7編を収録。

 1908(明治41)年6月13日から6月21日まで大阪朝日新聞に9回にわたって毎日連載された「文鳥」はエッセイ風の掌編であり、淡々と描かれる文鳥の描写において(文豪が小鳥と向き合っている図も微笑ましいが)、その細やかな筆致に、観察眼の鋭さで定評がある漱石の「女性描写」の上手さと同種のものを感じました。と思ったら、やっぱり途中で文鳥が女性のメタファーのようになったりして...。この作品の結末には、漱石のやるせなさや孤独感が滲み出ていると思いました。

「文鳥」挿画:市川禎男

夏目 漱石 『四編』  春陽堂.jpg 同じ1908年(明治41)年の7月25日から8月5日まで朝日新聞で連載された幻想的な夢記述群「夢十夜」は、「第三夜」の盲目の子を負ぶっていたらと...いう夢が伊藤整の解釈ぐらいでしか知られていなかったのが、近年特に注目の作品となり映像化もされていたりもします。フロイト流に解釈すると、ほぼ全部の夢が「精力減退の不安」に繋がるそうですが、作者が生きていればこれには反論があるのではないでしょうか。

『四篇』明治43年〔1913年〕5月15日発行(文鳥・夢十夜・永日小品・満韓ところどころを収載)

 個人的には、「第一夜」の死んだ女の転生を墓の前で百年待つ話が好きで、これが「時間の圧縮」であれば、「第七夜」の船から海に落ちる話は「時間の拡大」で、「第三夜」はタイムパラドックスか(ビアスの短編集を思い出しました)。「第六夜」の運慶の話を教科書で読んだ記憶がありますが、いまだに結末の意味がわからない(フロイト流に解釈すると、これも「精力減退不安」になるらしいけれど)。

 同録の「永日小品」は漱石の日常が窺えるエッセイと小説の中間的作品群で、「思い出す事など」は連続した1つのエッセイですが、後者は1910(明治43)年8月24日の修善寺「菊屋旅館」での大喀血(所謂「修善寺の大患」)後のもので、修善寺での体験が描かれていて、雰囲気は「死」を意識してやや重くなっています。

 「菊屋旅館」に宿泊したことがありますが、古色蒼然とした、いかにも〈文豪の宿〉という雰囲気で、廊下などは薄暗菊屋旅館.jpg湯回廊 菊屋.pngくて夜は幽霊が出そうな感じでした。しかし、老朽化が進んだためその後全面改装され、「漱石の間」は修善寺の「夏目漱石記念館」に移設されてしまいました(旅館の方は今年['06年]7月、「湯回廊 菊屋」としてリニューアルオープン。廊下なども明るくなったようだ)。
「修善寺の大患」の「菊屋旅館」/'06年7月にリニューアルオープンした「湯回廊 菊屋」

 「思い出す事など」では、吐血時の臨死状態?での「記憶脱落」や、その後の「幽体離脱」体験が書かれていて、ドストエフスキーの極限体験を考察したりしつつも自分の体験と峻別し、むしろプラグマティズムの哲学者ウィリアム・ジェームズの書物に共感する様が見て取れ興味深かったです。

 【1956年文庫化[角川文庫(『文鳥・夢十夜・永日小品』)]・1991年改版[角川文庫クラシックス]/1976年文庫化・2002年改版[新潮文庫]/1986年再文庫化[岩波文庫(『夢十夜 他二篇』)/1992年再文庫化[集英社文庫(『夢十夜・草枕』)]】

《読書MEMO》
●「文鳥」...1908(明治41)年6月発表★★★★
●「夢十夜」...1908(明治41)年7月発表★★★★
●「永日小品」...1909(明治42)年1月発表★★★
●「思い出す事など」...1910(明治43)年10月発表★★★★
その他「ケーベル先生」「変な音」「手紙」収録
(「文鳥」以下、すべて朝日新聞掲載)

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前半部分は「アンチノベル」、後半部分は「教養小説」。

『坑夫』 (新潮文庫) 夏目 漱石.jpg坑夫』 新潮文庫〔2004年改版版〕 夏目 漱石 『坑夫』 角川文庫.jpg 『坑夫 (1954年) (角川文庫)

 自殺を思い立った19歳の若者が出奔し、ポン引きに誘われ坑夫になるために銅山へ行き、そこで今までの書生のような生活とは雲泥の差の"地獄的"体験をする話ですが、結局彼は「坑夫」にもなり切れず、また自殺することをも踏みとどまる―。

夏目 漱石 『坑夫』連載.jpg 1908(明治41)年1月から4月にかけて大阪朝日新聞に連載(全96回)された夏目漱石(1967‐1916)の『坑夫』は、前年、朝日新聞社に専属作家として入社して最初に書いた『虞美人草』に続く連載作品で、次の連載執筆予定者だった島崎藤村の"遅筆"のためのピンチヒッター的登場だったようです。野田九甫がを担当した連載の挿絵は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えでしたが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっています。

夏目漱石 草合 初版 明治41年 春陽堂 『坑夫』・『野分』2.jpg 漱石のところへ自分の経験を小説にして欲しいと持ち込んだ青年がいて、その体験談を本人の許諾を得て、急遽書かなければならなくなった連載小説の素材にしたようですが、主人公が出奔した理由は漱石風にアレンジされているようで、「坑夫(堀子)」の生活などの実態部分を主に青年の話から抽出したようです。

 若者が分別をわきまえた中年になって自らの体験を振り返るかたちをとっていますが、前半部分の銅山(足尾)に向かうまでの記述は、リアリティをもって若者の意識の流れを追っていて、逆に小説的な構想や作為をことさら排しているように思えました(読み物としてはやや退屈だった)。

夏目漱石『草合』初版 明治41年 春陽堂 (「坑夫」・「野分」)

 鉱山に着いてからの後半部分も基本スタンスは変わらないものの、極限的な坑夫の生活を若者の眼から描く筆致が良く(読み物としても面白い)、"哲人"乃至は"メンター"のようにも思える先輩坑夫「安さん」の登場で、若者の成長を描いた「教養小説」のような趣を呈しています(しかし、最後に語り手の口を借りて、これは事実を書いたもので小説ではないというようなことを念押し?している)。

 漱石の作品の中でも異色のモチーフのものだと思いますが、前半部分は従来の「小説」の通念を超えようした「アンチノベル」で、後半部分は、朝日新聞の読者に向けた「教養小説」になっているという感じがし、個人的に面白かったのは後半部分ですが、漱石が本当にやりたかったのは前半部分の"実験的"試みではなかったかという気がしました。

 【1954年文庫化・1969年改版[角川文庫]/1976年再文庫化[新潮文庫]/1978年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『夏目漱石全集〈4〉』)]/2014年再文庫化[岩波文庫]】

《読書MEMO》
●「坑夫」...1908(明治41)年1月発表

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「●「日本推理作家協会賞」受賞作」の インデックッスへ

充実したホラー・サスペンス・ミステリー。第3部で評価は分かれるかも。

ガダラの豚.jpg ガダラの豚2.jpg ガダラの豚3.jpg  『ガダラの豚〈1〉 (集英社文庫)』『ガダラの豚〈2〉 (集英社文庫)』『ガダラの豚〈3〉 (集英社文庫)』(全3巻)〔'96年〕

 1994(平成6)年度・第47回「日本推理作家協会賞」受賞作。 

 全体3部構成の本書の第1部は、主人公の民俗学が専門の"タレント教授"(超能力番組のコメンテータをして何とか調査費稼ぎをしている)が、新興宗教にはまった妻を奪回すべく、マジシャンの助けを借りて教祖の超能力と呼ばれるもののトリック破りしていく話で、どこかで見たことあるような状況設定に引き込まれるとともに、読者を一定の「見解」へ導いているように思えました。
 アフリカ呪術の話など民族学とオカルトを組み合わせたような話も多く出てきますが、それが第2部では実際に舞台をアフリカに移し、思わぬ展開になっていく―。

 コメディタッチで随所笑えますが、全体として〈ホラー・サスペンス・ミステリー〉として充実しているのは、民族学やオカルト、超能力トリックについての蘊蓄(うんちく)や、実際に著者が現地に取材したアフリカ・ケニアの街や自然、習俗などの詳細な記述もさることながら、超能力青年、マジシャン、女性精神科医、TVマンなどの多彩な登場人物の描写や会話が生き生きとしていているためだと思います。

中島らも.jpg まったく先が読めないハラハラさせられるストーリー展開ですが、最終章の第3部に至ってスラップスティックの様相を呈しているような感じもして、オカルティックなものに対する好みよりも、この極端な「壊れ感」みたいな部分で評価は割れるかも知れないなあと(個人的にも、第3部は、読後感をやや軽くしてしまった感じがすると思う)。

 とは言え、この作家の"鬱(うつ)気質"から言えば、もっともっとカタストロフ的な結末もあったかも知れないと思ったりもし、また、2段組み600ページ近くを一気に読ませるエンターテインメントに仕上げたストーリーテラーとしての力量は、やはり並々ならぬものであると認めないわけにはいかないと思います。

 【1996年文庫化[集英社文庫(全3巻)]】

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モチーフ選択範囲を人体の部位に限定し、これだけのお話を作るのは大したもの。

中島 らも 『人体模型の夜』.jpg人体模型の夜.jpg 『人体模型の夜』 (1991/11 集英社)

 「邪眼」「セルフィネの血」「はなびえ」「耳飢え」など12篇を収めたアンソロジーで、著者最初の直木賞候補作(その後2度候補になるも受賞に至らず、'04年に転落事故死)。
 人体の構成要素がそれぞれの作品のモチーフになっていることがわかりますが、ラストの"戦慄"に至るストーリーテリングの巧みさはさすがです。

メクラウナギ.jpg 「セルフィネの血」は、「楽園」を求め南の島に夫婦で移り住んで間もない男の話で、その島はどういうわけか住民は男性より女性の方が圧倒的に多いのだけど、平和で暮らしやすく、島の人々も親切で何の憂いも無くのんびり生活しているようで、まさにこの島こそ「楽園」に思えると村の長老に話したところ、思わぬ返事が返ってくる―。エキゾチックな状況設定に作風の幅を感じました(この作品で問題になっている〈メクラウナギ〉って実際いるのですね)。

 「耳飢え」は盗聴魔の話で、新たな盗聴先を求め転居を繰り返す男がいて、ある日巡りあった盗聴相手の隣り部屋の女性が、毎晩夫婦の会話らしきをことしているが、女性の声しか聞こえず、夫がいるらしき気配は無い―。
 作者は、読者が考えそうな結末を先に挙げてしまうので、読者はそれ以外の結末を推察しなければならず、その分ワクワクさせられ、ラストは期待を裏切らない"戦慄"でした。

 「邪眼」は、地理的差異を背景に、日常から非日常へ横に広がっていく感じが個人的にはいいと思いました。
 それに比べると、連載の最初の方で発表された「膝」「ピラミッドのヘソ」なども悪くないけれど、SF的シュールというか縦に突き抜けた感じで、オチは落語の小話のような感じも。
 その辺りの不統一感がやや気になるものの、モチーフの選択範囲を限定したうえで、これだけのお話を作ってみせるのはやはり大したものです。

 【1995年文庫化[集英社文庫]】

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いい味出していて思わず笑わされ、人と組織を見通す理性も感じる。

ビジネス・ナンセンス事典.jpg  ビジネス・ナンセンス事典 (集英社文庫).jpg   中島 らも 2.jpg 中島らも(1952‐2004/享年52)
ビジネス・ナンセンス事典』('93年新装版)イラスト:ひさうちみちお 『ビジネス・ナンセンス事典 (集英社文庫)

 中島らも(1952‐2004)のエッセイ風作品で、最初リクルート版で、今回は講談社版で読みましたが、いい味出ているなあと思います。

 愛、阿諛追従、慰留、陰謀...というように五十音順で出てくる90語のテーマごとに書かれていますが、ある程度「お題」を決めて書いていると思われる点が、コピーライター出身の作者らしいと思いました。

啓蒙かまぼこ新聞.jpg 昔見た「啓蒙かまぼこ新聞」という、黒メガネかけてワルそうな〈てっちゃん〉が出てくる漫画シリーズは、これって企業に対する「悪意」? もしかして「広告」なの?とグッと引きつけるものでしたが(実は「かねてつ食品」の広告だった)、作者のクリエイターとしての非凡さが窺えるものでした(この時の作品群は、そのまま『啓蒙かまぼこ新聞』('87年/ビレッジプレス)という本になっている)。

 でもこの人、灘中→灘高→大阪芸大という学歴もさることながら、広告代理店で企画・制作業務につく前に、印刷会社で「営業」の仕事をしているのですね。本書は、その経験がかなり生かされているようで、特別に特殊な体験が語られているわけではないですが、その辺りが逆に読者に身近な共感を呼ぶのかも。

 1話3ページの話の中にはショートショート風仕立てのものも多く、ベースとしてはエッセイ集であるのに、それぞれの展開やオチを楽しみながら読めます(書く方は大変だろうけれど、そういう意味では大したサービス精神!)。
 僻地の事業所からの営業報告書の形態をとった「左遷」のような話には、今回も思わず笑わされました。

 ダメな会社、部下に好かれない上司というものがどういうものであるかが、会社人間になり切ることの哀しさのようなものとともに伝わってくる面もあり、作者の営業時代のルサンチマンをやや感じますが、今現在頑張っているビジネスパーソンへのやさしい応援歌ともとれます。
 営業経験とか独自の感性とか全部ひっくるめて、作者の人と組織を見通す理性的な力になっている気がしました(ビジネス書としても読めます)。

 【1993新装版[講談社]/1998年文庫化[集英社文庫]】

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罪と罰 1970 ちらし.jpgミステリとしても味わえ、現代に繋がるテーマもふんだんに。

パンフレット.jpgカラマーゾフの兄弟.jpg カラマーゾフの兄弟 中巻.jpg カラマーゾフの兄弟 下巻.jpg
カラマーゾフの兄弟 上 新潮文庫 ト 1-9』『カラマーゾフの兄弟〈中〉 (新潮文庫)』『カラマーゾフの兄弟 下  新潮文庫 ト 1-11』「罪と罰(1970) [DVD]」 ('70年/ソ連)チラシ

映画「カラマーゾフの兄弟 [DVD]」('68年/ソ連)パンフレット['07年]                                    

Братья Карамазовы.jpg  1880年、ドストエフスキーが59歳の時に完結したこの小説は、ドストエフスキー作品自体が最近の若者に読まれなくなったとよく言われる中、かつて作家の村上春樹 09.jpg村上春樹氏が自らのサイトフォーラムで「全日本『カラマーゾフの兄弟』読了クラブ」(後にバー「スメルジャコフ」と改称)なるものを立ち上げ、読了者に〈会員番号〉を発行しますと宣言すると若い人のレスポンスが結構たくさんあって、そういうのを見ると結構読まれているのかなあという気もします(寄せられた感想が『海辺のカフカ』などの感想文と同じトーンなのがちょっと面白かった)。[右:ロシア語版ペーパーバックス]

 しかし、村上氏自身は結構真面目なのかも。 と言うのは、読者からの、オウム真理教に入るような人達も『カラマーゾフの兄弟』を一度読んでいたらオウムに入らなかったかもという感想に対し、「『カラマーゾフ』を読み通せる人の数は極めて限られている。一度でも読めば確かにオウムに入ろうとする人たちの大部分を阻止することはできるだろうけれど、とにかく『カラマーゾフ』は難しすぎるし長すぎる。自分がいつか成し遂げたいと思っていることは、もっとやさしくて読みやすい現代の『カラマーゾフ』を書くことだ。それは途方もなく難しいのだが」と答えていたから。

電子書籍版(グーテンベルグ21)
karamazov1.jpg 個人的には、ミステリの要素があり、しかも最後は泣ける(?)ので、精神的に構えて読む必要は全然ないのではとも思うのですが、時間的・体力的には準備が必要かもしれません。

 この大長編小説の前半3分の2ぐらいまでが僅か数日の間に起きた出来事であり、それは従来の歴年的文学長編と異なる特徴の1つだと思うのですが、加えて、挿話やカットバックが多く、それらが1つ1つの物語になっています(ほとんど"爆発的"に脇道へ逸れていく)。
 神の不在を問うた「大審問官」もその1つと見ることができますが、同時に主テーマの1つでもあり、また、その中に幼児虐待の問題が出てくるなど、常に現代と繋がる何かがあります。
 '06年からは亀山郁夫氏による新訳の刊行も始まり、まだまだ読まれ続けられるであろう作品だと思います。

 この作品は、作者であるドストエフスキーが時間(締め切り)に追われつつ書いた雑誌連載小説であり、確か、妻アンナ・ドストエフスカヤの回想記に書いてあったのではないかと思いますが、原稿を出版社に渡した後でストーリーが破綻していることに気づいて、慌てて印刷のストップをかけるなどし(間に合わないこともあった)、ドストエフスキーは自らを何度も罵倒したりしていたそうです。

カラマーゾフの兄弟 ロシア版ポスター.jpg 映画や芝居でも観ましたが、イワン・プィリエフ(Ivan Pyryev)監督の「カラマーゾフの兄弟」('68年)は堂々たる本場モノで、4時間近い上映時間の長さを感じさせないものでした。
 リチャード・ブルックス監督のアメリカ版「カラマーゾフの兄弟」('57年)もあり、テレビで一部だけ観ましたが、ユル・ブリンナーがドミートリイ、マリア・シェルがグルーシェニカという異色の取り合わせで、何だか国籍不明映画みたいな感じでした。

 但し、本場物であればいいというものではなく、トルストイの小説の映画化作品である「復活」('61年・ミハイル・シヴァイツェル監督)「アンア・カレーニナ」('67年・アレクサンドル・ザルヒ監督)は、何となくメロドラマみたいになってしまっています(「アンア・カレーニナ」のタチアナ・サモイロワはいい女優なのだが...)。
映画「カラマーゾフの兄弟」輸入版ポスター

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 1.jpg プィリエフの「カラマーゾフ」にもそのキライが無いわけではないですが、「復活」や「アンナ...」と比べると骨太であると思いました。ストーリー的には原作を読んでいないとキツイかもしれませんが、ミステリとしても成立していて、キャスティングも原作のイメージにほぼ沿ったものでした(この映画の撮影中にプィリエフ監督は急死し、ドミトリ役のミハエル・ウリャーノフらが監督の遺志を引き継いで映画を完成させた)。

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 2.jpgカラマーゾフの兄弟  dvd.jpg ただ1つ難を言えば、ドミートリーなどを演じている俳優が若干老けて見えることで、ロシア人が髭などのせいで大体そう見えてしまうのか、それとも、この物語で主役級を演じようとすると、相当に役者としての年季を踏まなければならないということだったのかなどと、色々憶測していますが、それも許容範囲内か。
Directed by: Ivan Pyr'ev, Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov Cast: Mikhail Ulyanov, Kirill Lavrov, Andrei Myagkov Mark Prudkin, Olga Kobeleva, Viktor Kolpakov
カラマーゾフの兄弟 [DVD]」 ['07年]

罪と罰 1970 dvd.jpg 因みに、ドストエフスキー作品を映画化したもの中で原作の雰囲気をよく伝えているものと言えば、個人的にはレフ・クリジャーノフ 脚本・監督のソビエト映画「罪と罰」('70年)ではないかと思います。こちらも3時間40分もの長尺ですが、その分本格的です。倒叙型ミステリとも言え(ドストエフスキーの長編は全て現代に繋がるテーマを孕むとともに、ミステリの形態を模しているとも言われる)、ゲPRESTUPLENIE I NAKAZANIE 1.jpgオルギー・タラトルキン(当時新人)のラスコーリニコもタチアナ・ベドーワのソーニャも良かったように思います(ソーニャはマルメラードフ老人の前妻の子で、家計を助けるために躰を売っているのだが、どう見ても娼婦には見えない。それだけに痛々しさはある)。
罪と罰(1970) [DVD]

 ラスコーリニコフと、老婆殺人事件担当の予審判事ポルフィーリ(インノケンティ・スモクトノフスキー)との神の存在めぐる論戦は、舌鋒鋭い禿頭ポルフィーリが優勢でしょうか。漠然とした神学論争ではなく、ちゃんと事件に被せた議論になっています。ラスコーリニコフの妹PRESTUPLENIE I NAKAZANIE 2.jpgドゥーニャ(ヴィクトリア・フョードロワ)に執拗に迫るスビドリガイロフ(エフィム・コベリヤン)のぎらついた感じも生々しく、最後にドゥーニャが涙を流しながらスビドリガイロフに拳銃を向ける場面はややメロドラマ調ですが(この2人の話のウェイトが2部構成の第2部のかなりを占め、原作より比重が重い)、これもまあヴィクトリア・フョードロワの美しさで許してしまおうかという感じ。
 公開されて暫くのうちに観て、その後ずっと記憶の上ではかなり古い映画だと勘違いしていたのですが、その割にはスローモーションとか使って映像が洗練されていたなあと思ったら、意外と新しい作品でした。この作品の場合、敢えてモノクロで撮っているのが成功しているように思えます。

THE BRATYA KARAMAZOVY 1968 iwan.jpg『カラマーゾフの兄弟・完全版』.jpg「カラマーゾフの兄弟」●原題:THE BRATYA KARAMAZOVY●制作年:1968年●制作国:ソ連●監督:イワン・プィリエフ●撮影:セルゲイ・ウルセフスキー●原作:: フェードル・M・ドストエフスキー●時間:227分●出演:ミハエル・ウリャーノフ/リオネラ・プイリエフ/マルク・プルードキン/ワレンチン・ニクーリン/スベトラーナ・コルコーシコ ●日本公開:1969/07●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(79-11-21) (評価★★★★☆)

復活 トルストイ dvd.jpgVoskresenie(復活).jpg「復活」●原題:VOSKRESENIE(Resurrection)●制作年:1961年●制作国:ソ連●監督:ミハイル・シヴァイツェル●撮影:エラ・サベリエフ/セルゲイ・ポルヤノフ●音楽:G・スビリドフ●原作:レフ・トルストイ●時間:208分●出演:タマーラ・ショーミナ/エフゲニー・マトベェフ/パウエル・マッサリスキー/ヴィ・クラコフ●日本公開:1965/03●配給:ATG●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「アンア・カレーニナ」(アレクサンドル・ザルヒ)復活 [DVD]」 ['03年]

アンナ・カレーニナ dvd.jpgアンナ・カレーニナ スチール.jpg「アンナ・カレーニナ」●原題:ANNA KARENINA●制作年:1967年●制作国:ソ連●監督・脚本:アレクサンドル・ザルヒ●撮影:レオニード・カラーシニコフ●音楽:ロジオン・シチェドリン/モスクワ室内オーケストラ●原作:レフ・トルストイ●時間:144分●出演:タチアナ・サモイロワ/ワシリー・ラノボイ/ニコライ・グリツェンコ/アナスタシア・ヴェルチンスカヤ/イヤ・サーヴィナ●日本公開:1968/05●配給:東和●最初に観た場所:池袋文芸坐(86-04-20) (評価★★★)●併映:「復活」(ミハイル・シヴァイツェル)アンナ・カレーニナ [DVD]」 ['04年]

「罪と罰」●原題:ПРЕСТУПЛЕНИЕ и НАКАЗАНИЕ(PRESTUPLENIE I NAKAZANIE)●制作年:1970年●制作国:ソ連●監督:レフ・クリジャーノフ●脚本:レフ・クリジャーノフ/ニコライ・フィグロフスキ罪と罰 tirasi.jpgー●撮影:ヴァチェスラフ・シュムスキー●音楽:ミハイル・ジフ ●原作:フョードル・ドストエフスキー●時間:219分●出演:ゲオル罪と罰 [DVD] 2.jpgギー・タラトルキン/タチアナ・ベドーワ/インノケンティ・スモクトゥノフスキー/ヴィクトリア・フョードロワ/アレクサンドル・パブロフ/エフィム・コベリヤン/エフゲニー・レベチェフ/ウラジミール・バソフ●日本公開:1971/03●配給:東和●最初に観た場所(再見):池袋文芸坐(79-11-11) (評価★★★★)●併映:「貴族の巣」(アンドレ・ミハルコフ=コンチャロフスキー)

罪と罰 [DVD]」 ['98年]

 【1927年文庫化・1957年改版版[岩波文庫(全4巻)(米川正夫:訳)]/1961年再文庫化[新潮文庫(『カラマアゾフの兄弟』(全5冊))(原久一郎:訳)]/1972年再文庫化[講談社文庫(全3冊))(北垣信行:訳)]/1978年再文庫化[新潮文庫(全3冊))(原卓也:訳)]/1978年再文庫化[中公文庫(『カラマゾフの兄弟』(全5冊))(池田健太郎:訳)]/2006年再文庫化[光文社古典新訳文庫(全4分冊)(亀山郁夫:訳)]】 

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屈折した人物像をリアリティをもって描き、自己疎外の1つの典型を示している。

永遠の良人.JPG
永遠の夫 0.png
永遠の夫 (新潮文庫)』新訳版['79年/'06年(新装版)(千種堅:訳)]
永遠の良人 (1955年) (新潮文庫)』旧訳版['55年(米川正夫:訳)]

永遠の夫(岩波文庫).jpg かつて自分の妻を寝取られた中年男トルソーツキイが、妻の死後、その娘(実は彼の妻と不倫相手のヴェリチャーニノフとの間にできた子)を連れて、そのヴェリチャーニノフの住む町を訪れる―。

 1870年、ドストエフスキーが40代後半で発表した小説で、『白痴』と『悪霊』の間に2ヶ月ぐらいで書き上げられた中篇ですが、男女の三角関係をモチーフに、人間の自尊心と情念の絡み合いを描いた"小説らしい小説"に仕上がって、平易な語り口でストーリー性も充分あり、面白く読めます。

永遠の夫 (岩波文庫 赤 615-9)』(神西清:訳)

 物語はヴェリチャーニノフの視点から書かれていて、帽子に喪章をつけて彼をつけまわす男(トルソーツキイ)の存在は不気味ですが、出会ってみると不倫相手の亭主だったということで、にも関わらず、その男が自分に対して友愛の情を示そうとしていることに困惑させられ、かえって疲弊する―。

永遠の良人[角川文庫(米川正夫訳)].jpg 「永遠の"寝取られ亭主"」トルーソツキイがヴェリチャーニノフに抱くはずの復讐の念は、彼自身の自尊心によって無意識に封じ込められ、過去の6年間の妻の不倫の間、彼にとってヴェリチャーニノフは "親友"であったという尊敬の念に近いものに置き換えられています。

 自分のかなわないライバルが現れたとき、自尊心を否定してライバルを尊敬しそれに同一化しようとする行為を無意識にとる、しかし卑屈とも思えるその行為の底には、無理やり蓋を被せられた復讐心が渦巻いている、こうした屈折した心理構造を持つ人物像を、リアリティをもって描いていると思いました。

永遠の良人 (1951年) (角川文庫〈第53〉)』(米川正夫:訳)

 普通に見れば、"寝取られ亭主"という立場を甘受し、妻を寝取った相手を尊敬さえしてしまうトルソーツキイという男は、一種のマゾヒストでしょう。しかし、その心理描写の妙だけでなく、それを通して、生身の人間の孕む自己矛盾を抉ってみせ、自己疎外の1つの典型を端的に示しているところが、巨匠の巨匠たる所以でしょうか。

 トルソーツキイが"復讐"を意識していなくても結果としてヴェリチャーニノフにとっては"復讐"を被っているかたちになっており、また、ヴェリチャーニノフがずるずるとトルソーツキイとの関わりを深めていってしまうところが、この小説の面白いところではないかと思いました。

個人主義の運命.jpg こうした両者の関係については、ルネ・ジラールの読み解きをベースにした社会学者・作田啓一氏の『個人主義の運命―近代小説と社会学』('81年/岩波新書)での解説が(それをどうとるかは個々に委ねられるものとして)非常に分かり易く面白いのでお薦めです。

作田啓一『個人主義の運命―近代小説と社会学 (岩波新書 黄版 171)

永遠のの良人・永遠夫.JPG 【1932年文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1938年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の夫』]/1951年再文庫化[角川文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1952年再文庫化[岩波文庫(神西清:訳)『永遠の夫』]/1955年再文庫化[新潮文庫(米川正夫:訳)『永遠の良人』]/1979年再文庫化[新潮文庫(千種堅:訳)]】

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ロマンチックで滑稽で切ない「白夜」。ヴィスコンティよりもブレッソンの映画が良かった。

白夜.jpg 白夜 [DVD]PL.jpg 白夜2.jpg 白夜 映画.jpg 白夜 ブレッソン ブルーレイ.jpg
白夜 (角川文庫クラシックス)』/ルキノ・ヴィスコンティ監督「白夜 [DVD]」/ロベール・ブレッソン監督「白夜」チラシ・パンフレット/「ロベール・ブレッソン監督『白夜』Blu-ray」(2016)

「白夜」挿画 (1922年).jpg 1848年、ドストエフスキーが20代後半に発表した初期短篇集で、後の作品群のような重々しいムードは無く、むしろ処女作『貧しき人びと』の系譜を引くヒューマンタッチの作品が主で、内容的にも読みやすいものばかりです。

 表題作の「白夜」も恋愛がテーマで、主人公は美しい恋愛を夢想するインテリ青年で、理想の女性を求め白夜の街を徘徊していたある日、橋の上で泣いている美しい女性に出会い、恋人に捨てられたらしい彼女の話を聞くうちに自分が恋に陥る―というものですが、ロマンチックだけれどもどこかコミカルでもあり、切ないと言うか、但し、ちょっと残酷でもあるお話です。

「白夜」挿画 (1922年)

 人生で絶対的なものなど希求した覚えがないという人でも、若かりし頃は"絶対の恋人"というものを夢見たことがあるのではないか、夢と現実の違いを知ることが大人になるということなのか、などと多少しみじみした気分に...。

 また、この主人公がとる、フィアンセがきっと帰ってくると彼女を勇気づける利他的とも思える行動は、『貧しき人びと』や、後の『永遠の夫』などにも通じるモチーフのように思えます。

 主人公は、愛する人の聞き役、相談役であることに充足していて、いつまでもその状態が続くことを欲しながらも、ライバルから彼女を奪い取ろうとはせず、結果的には彼女を失うための努力をしているような感じになっている...。

白夜4.jpg この作品は、ルキノ・ヴィスコンティ監督がマルチェロ・マストロヤンニ、マリア・シェル主演で映画化('57年/モノクロ)しているほか、「少女ムシェット」のロベール・ブレッソン監督がまったくの素人俳優を使って映画化('71年/カラー)していますが、個人的には後者の方が良かったです。  

白夜 ヴィスコンティ版1シーン.jpg ルキノ・ヴィスコンティ版「白夜」は、ペテルブルクからイタリアの港町に話の舞台を移し、但し、オールセットでこの作品を撮っていて(モノクロ)、主人公の孤独な青年にマルチェロ・マストロヤンニ、恋人に去られた女性に「居酒屋」のマリア・シェル、その恋人にジャン・マレーという錚々たる役者布陣であり、キャスト、スタッフ共に国際的です。

白夜 ルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル.jpg 「ヴェネツィア高裁映画祭・銀獅子賞」を受賞するなど、国際的にも高い評価を得た作品で、タイトルに象徴される幻想的な雰囲気を伝えてはいるものの、細部において小説から抱いたイメージと食い違い、個人的にはやや入り込めなかったという感じです。

 撮影に膨大な時間をかける傾向にあるヴィスコンティは、短時間、低予算でも映画を作ることができることを証明しようとしてこの作品を撮ったらしいですが、他のヴィスコンティ作品に比べると粗さが目立つ気もしました(ヴィスコンティはヴィスコンティらしく、金と時間をふんだんに使って映画を撮るべきということか。但し、これは個人的な見解であって、この作品に対する一般の評価は高い)。
      
ブレッソン 白夜 2.jpg白夜3.jpg 一方のロベール・ブレッソン版「白夜」は、舞台をパリに移し、青年はポン・ヌフの橋からセーヌ河に身投げしようとしている女性と出会うという地理的設定にしています。(1978年2月に「岩波ホール」で公開されて以来、34年ぶりとなる2012年10月に「渋谷ユーロスペース」にてリバイバル上映され、2016年5月に本邦初ソフト(Blu-ray)が販売された。この映画に惚れ込んだ人物が個人で会社を設立して、配給・ソフト発売にこぎつけたとのこと)。

映画:白夜.jpg 神経質そうでややストーカーっぽいとも思える青年(ギョーム・デ・フォレ)の、それでいて少白夜1シーン.bmpし滑稽で哀しい感じが原作を身近なものにしていて、恋人の名前をテープに吹き込んだりしている点などはオタク的であり、こんな青年は実際いるかもしれないなあと白夜1.jpg―。そうしたギョーム・デ・フォレの鬱屈した中にも飄々としたユーモアを漂わせた青年に加えて、イザベル・ヴェンガルテンの内に秘めた翳のある女性も良かったように思います(ギヨーム・デ・フォレ、イザベル・ヴェンガルテン共にこの作品に出演するまで演技経験が無かったというから、ブレッソンの演出力には舌を巻く)。

白夜 フランス版ポスター.jpgQUATRE NUITS D'UN REVEUR1.bmp 夜のセーヌ河をイルミネーションに飾られた水上観光バス(バトー・ムーシュ)がボサノヴァ調の曲を奏でながらクルージングする様を、橋上から情感たっぷりに撮った映像はため息がでるほど美しく、原作のロマンチシズムを極致の映像美にしたものでした。

 「白夜」という原作タイトルは邦訳の際のもので、ドストエフスキーがこの短編につけたタイトルは「「夢想者の4夜」です(右はブレッソン版ポスター)。

 どちらかと言えば、ヴィスコンティの作品の方を評価する人が多いのかも知れませんが、孤独な青年の繊細さ、情熱、詩情を中心に据えた物語だとすると、ジャン・マレー(元の恋人役)の存在はちょっと重すぎる感じもしました。最後に「元カレ」が現れる場面は共に原作通りですが、そもそも原作には、ヴィスコンティの作品のような離れ離れになる前の男女の遣り取りはなく、もっとシンプルです。いろいろな点で、個人的にはブレッソンの作品の方が勝っていると考えます。

ヴィスコンティ 白夜 .jpg「白夜」(ヴィスコンティ版).jpg「白夜」(ヴィスコンティ版)●原題:QUATER NUITS D'UN REVEUR●制作年:1957年●制作国:イタリア・フランス●監督・脚本:ルキノ・ヴィスコンティ●撮影:ジュゼッペ・ロトゥンノ●音楽:ニーノ・ロータ●原作:ドストエフスキー●時間:107分●出演:マルチェロ・マストロヤンニ/マリア・シェル/ジャン・マレー/クララ・カラマイ/マリア・ザノーリ/エレナ・ファンチェーラ●日本公開:1958/04●配給:イタリフィルム●最初に観た場所:高田馬場東映パラス(86-11-30)(評価★★★)●併映:「世にも怪奇な物語」(ロジェ・バディム/ルイ・マル/フェデリコ・フェリーニ)

QUATRE NUITS D'UN REVEUR 1971.bmp「白夜」(ブレッソン版)●原題:QUATRE NUITS D'UN REVEUR●制作年:1971年●制作国:フランス●監督・脚本:ロベール・ブレッソン●撮影:ピエール・ロム●音楽:ミシェル・マーニュ●原作:ドストエフスキー●時間:83分●出演:イザベル・ヴェンガルテン/ギョーム・デ・フォレ●日ルイ・マル ブレッソン『白夜 鬼火』半券.jpg本公開:1978/02●配給:フランス映画社●最初に観た場所:池袋文芸坐(78-06-22)●2回目:池袋文芸坐(78-06-23)●3回目:有楽シネマ(80-05-25) (評価★★★★★)●併映(1回目・2回目):「少女ムシェット」(ロベール・ブレッソン)●併映(3回目):「鬼火」(ルイ・マル)

 【1958年文庫化・1979年改訂[角川文庫(小沼文彦:訳)]】

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作家の処女作であり、読みやすいがいろいろな見方ができる問題作。

『貧しき人びと』.JPG貧しき人びと.jpg       貧しき人々.jpg
貧しき人びと (新潮文庫)』['69年/木村浩:訳]『貧しき人々 (岩波文庫)』['31年/原久一郎:訳]

Белые ночи. Бедные люди [Kindle版].jpg 1846年発表のドストエフスキー(1821‐1881)のデビュー作品。勤め先でも近所でも蔑まれている小心善良な小役人マカールと、出自はお嬢様だけれども今は薄幸の少女ワーレンカの往復書簡の体裁をとっています。ストエフスキーが兄に宛てた書簡によると、作者はこの小説を雑誌に発表する前に、すでに成功を確信していたそうです(実際に雑誌に連載が始まると、雑誌の価格が上がるほどの好評を博した)。
"Белые ночи. Бедные люди"[Kindle版]

 ドストエフスキー独特の饒舌体であるものの、1組の男女のダイヤローグ・スタイルは読みやすく、貧しさゆえに役所にもボロボロの服で出勤し、将来展望も無く自尊心も地に落ちた中年男マカールが、若いワーレンカに恋焦がれて彼女のことだけが生きがいとなっていく様や、一方ワーレンカの方は、マカールを気遣いつつも自分が貧困から抜け出す現実的選択を模索する、そうした過程の両者の心理状態が手紙文を通して克明に描かれていて、マカールの不幸が、彼の性格という個人的問題と貧困という社会の問題の相互作用としてあることがわかります。

 作者は、時に本当の問題から目をそらし自己欺瞞的とも思えるマカールを、同時に、純粋な美しい人間としても描いていているようで(この辺りがゴーゴリの『外套』などと異なる点)、それではこうした困窮に虐げられ自分の不幸の原因すらわからなくなっている男がいるのは、社会に問題があるからなのかというと、その答えが明示されているわけでもありません。何れにせよ、この場合、マカールにとっての第一義的な不幸、主観的な不幸は、"貧しさ"ではなくワーレンカに去られることなのだろうなあ。マカールはある人の金銭的な施しで急場を救われ、ワーレンカもまた―。何れも"金"によってしか両者の問題は解決されないのですが、マカールにとってはむしろカタストロフィ的な結末と言えるのでは。

 当時の大御所批評家のベリンスキーがこの作品を絶賛したとされていますが、『作家の日記』によると、ベリンスキーはドストエフスキー本人に対しては、「君の書いた哀れな役人は、役所勤めで身も心も擦り切れ、過失を重ねて自分自身を卑しめ、自分は不幸な人間だと考える元気も失っている(中略)これは恐ろしいことだ。悲劇じゃないか」と言ったといいます。こうしたベリンスキイの読み方を小林秀雄などは批判していますが、そういう風にも読めてしまうのがこの作品の微妙な点ではないでしょうか。

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫).jpg 【1931年文庫化・1960年改版版[岩波文庫(『貧しき人々』)(原久一郎:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『貧しき人々』)(中村白葉:訳)]/1951年再文庫化・1969年改版版[角川文庫(『貧しき人々』)(井上満:訳)]/1969年再文庫化・1993年改版版[新潮文庫(木村浩:訳)]/1970年再文庫化[旺文社文庫(『貧しき人々』)(北垣信行:訳)]//2010年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『貧しき人々』)(安岡治子 :訳)]】

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

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手塚治虫の歴史物の中では最高傑作。「伊武谷万二郎」のモデルは?
陽だまりの樹 (全8巻).jpg
陽だまりの樹.jpg
 陽だまりの樹1.jpg  陽だまりの樹2.jpg 
陽だまりの樹 全巻セット (小学館文庫)』 (全8巻) ['95年]/小学館ビックコミックス(全11巻) ['83年]/日本テレビ系列「陽だまりの樹」['00年]

陽だまりの樹001.jpg 1981(昭和56)年4月から1986(昭和61)年12月まで「ビッグコミック」に掲載の、幕末を舞台に、蘭学医・手塚良仙の息子の良庵と、府中藩士の伊武谷万二郎の2人の生き方を描いた手塚治虫後期の作品で1983(昭和58)年・第29回「小学館漫画賞」(青年一般部門)受賞作。手塚良庵(後の良仙)は実在の人物で作者の曽祖父にあたる人、主人公の伊武谷万二郎は一応架空の人物とされているようです。

伊佐新次郎.jpg 手塚治虫の歴史物の中では最高傑作の1つではないかと思います。しっかりした時代考証の上に生き生きとした創作を織り込むところは、司馬遼太郎の初期作品などを想起させます。

 米国総領事として下田に逗留したハリスと通訳のヒュースケンの周辺は相当詳しく調べたようです。「唐人お吉」は実在の人物ですが、お吉にハリスの侍妾として仕えるよう説得したのが下田奉行頭取の「伊佐新次郎」という人であるようです。

お吉を説得する下田奉行頭取・伊佐新次郎

陽だまりの樹002.jpg 主人公「伊武谷万二郎」はこの実在の人物をモデルにしたのではないかと思われます。「伊佐新次郎」という人は実際に熱血肌の人だったようです。お吉がハリスに仕えたのは僅かの期間ですが、その後の彼女の運命に大きな影響を与えました(個人的にはその辺りの経緯を、下田の観光バスガイドの話で初めて知った)。

 このシリーズを買うならば、講談社の全集のものより小学館文庫の方をお薦めします。小学館叢書として'88年に刊行された四六判 (全7巻)の文庫化ですが、セピア調の写真入りのカバーが良く、第2巻表紙のスフィンクス像の前での武士たちの記念写真なども珍しいものです。

 個人的には、文庫版第3巻の巻末解説で、横内謙介氏が手塚治虫と三島由紀夫を対比して、両者の共通点と相違点を述べているのがたいへん興味深かったです。

陽だまりの樹 dvd.jpg 尚、この作品は2000年4月から9月まで日本テレビ系で連続アニメドラマとして放送され(全25話)、第4回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門(テレビシリーズ・長編)で優秀賞を受賞していますが、午前1時近くから始まる深夜の放映だったので、どれだけの人の目に触れたかなあ(自分自身、全編を通して観たわけではないが、安易にストーリーをいじらず、ほぼ原作通りだったのではないか)。

陽だまりの樹(八) [DVD]

陽だまりの樹 アニメ.jpg「陽だまりの樹」●監督:杉井ギサブロー●脚本:高屋敷英夫/水上清資/川嶋澄乃/大久保智康●音楽:松居慶子●原作:手塚治虫●出演(声):山寺宏一/宮本充/折笠富美子/永井一郎/松本梨香/納谷六朗/大木民夫/堀越真己/幸田直子/三石琴乃/沢海陽子/根谷美智子/家中宏/関智一/郷里大輔/小形満/有本欽隆/くればやしたくみ/前田剛/志村和幸●ナレーション:中井貴一●放映:2000/04~2000/09(全25回)●放送局:日本テレビ

 【1983年コミックス版(全11巻)・1988年四六判(全7巻)・1999年ワイド判(全6巻)[小学館]/1993年全集[講談社(全11巻]/1995年文庫化[小学館文庫(全8巻)]/2008年ビックコミックスペシャル改装版(全6巻)[小学館]/2012年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集(全6巻)]】

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"手塚流ブッダ"と見るべき? 物語としてのエンタテインメント性を評価したい。

ブッダ (第1巻).jpgブッダ 第1巻.jpg ブッダ 第2巻.jpg ブッダ 第3巻.jpg ブッダ 第4巻.jpg ブッダ 第5巻.jpg ブッダ 第6巻.jpg ブッダ 第7巻.jpg ブッダ 第8巻.jpg
ブッダ [成人向け:コミックセット]』 潮出版新社(全8巻)['87年]
ブッダ《オリジナル版》復刻大全集 8』 復刊ドットコム (2014/8/15)
ブッダ《オリジナル版》復刻大全集.jpg '72(昭和47)年から'83(昭和58)年にかけて雑誌連載された、ゴータマ・シッダルタの生涯を描いた物語ですが、子どもにも読めるわかりやすさ、大人も満足できる叙事詩性やメッセージ性、そして誰もが引き込まれる展開の面白さ。ブッダを最後まで悩み苦しむ生身の人間として描いているので、ブッダが身近に感じられます。

 動物にのり移る能力を持つパリア(不可触賎民)出身の少年盗賊タッタ、最愛の母親と共に数奇かつ悲劇的運命を辿ることになるスードラ(賎民)の青年チャプラ、放浪のバラモン(僧)ナラダッタなど、冒頭から様々な人物が登場。中盤においても、予知能力があり自分の死期を知る子どもアッサジや、盗賊からブッダの弟子に転じるアナンダなど、魅力的な登場人物は挙げればキリがありません。作者の創作したキャラクターも多いものの、仏典を基にしたストーリーにうまく溶け込んでいます。

ブッダ.jpg 厳密に言えば、基本的には、"手塚治虫が描くところのブッダ"と見るべきなのかもしれません。悟りを開いたブッダに人々が帰依していく様が、超能力対決のようなエンタテインメント性を交えて描かれている一方、仏法の講釈の部分は、輪廻転生など手塚治虫的なものに集約されている気もしました。ナラダッタの贖罪などにも、作者の生命哲学が強く反映されていると思いました。一方で、解脱したはずのブッダが、なおも悩み続け、ブラフマンの導きを乞うている...でも"手塚治虫が描くところのブッダと見れば、これで良いのではと思います。

 完結まで10年を要した本作は、手塚作品の中で繋がった1ストーリーのものでは最長作品ですが、ストーリーテラーとしての作者の本領が遺憾なく発揮されていて、多くの人にお薦めしたいと思います。
 
『ブッダ (全14巻)』.jpg マンガがサブカルチャーとして注目・評価されるずっと以前に、本作や『火の鳥』が既にカルチャー(教養)の側に入っていた時代があったことを思い出しましたが、個人的にはあえて、物語としてのエンタテインメント性を高く評価したいと思います。

 【1974年コミックス版(全14巻)・1979年B5判(全6巻)・1987年四六判(全8巻)[潮出版社]/1983年全集[講談社(全14巻)]/1992年文庫化[潮ビジュアル文庫(全12巻)]/1998年B6判ソフトカバー[潮ライブラリー(全8巻)]/2011年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集BT(全7巻)]/2011年新装版[潮出版社(全14巻)]/2014年《オリジナル版》復刻大全集[復刊ドットコム(全8巻)]】

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「死と再生」のループ構造と、ロボットへの"人間"の投射の旨さ。

鉄腕アトム アトム誕生.JPG『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ.jpg     鉄腕アトム 1956.jpg     osamu_tezuka.jpg
『鉄腕アトム』 朝日ソノラマ〔'75年〕/光文社['56年]手塚治虫 (1928‐1989)

鉄人アトム.jpg鉄腕アトム 少年付録.jpg '51(昭和26)年4月から1年間にわたり雑誌「少年」(光文社)に掲載された「アトム大使」(第15巻)が"アトム"の初出とされていますが、ただしこれはアトムが脇役の話で、アトムを主人公とした連載は、それに続く「気体人間」からスタートしています(因みに、「アトム誕生」(第1巻)は、このサンコミックス版刊行('75(昭和50)年)に合わせた書き下ろしで、アトムの初出から24年を経ている)。

 「ロボットを主人公にした漫画を」というのは、手塚治虫自身の発想ではなく、編集者側からの要請だったとのことで(予告段階でのタイトルは「鉄腕アトム」ではなく「鉄人アトム」だった)、そうしたものが読者に受け入れられるかどうか、作者自身も疑心暗鬼だったようですが、読者の方はわっとこれに飛びついたというのが'52(昭和27)年のこと、以来、「鉄腕アトム」は作者自身も予期していなかった長期連載となります。

「鉄人アトム」予告 S.27 S.34.10「少年」付録

 雑誌連載で人気を博したアトムは、'63(昭和38)年にTVアニメになり、世界各国でも放映されるようになりますが、主たる"買付け国"であった米国のTV局からカラーの新アニメの要求があったため、アトムは核融合阻止装置を抱えて太陽に突っ込むという終わり方で放映を終えてしまいます。
 後番組は「悟空の大冒険」で、その1年前に米国のTV局のカラー版アニメの要求に応えるかたちで「ジャングル大帝」がスタートしています(この作品は、漫画としてのオリジナル版はアトムより古い)。

鉄腕アトム 1963.jpg「鉄腕アトム」●演出(総監督):手塚治虫●制作:岡田晋吉/中根敏雄/酒井知信●脚本:豊田有恒/本間文幸/柴山達雄/鈴木良武/辻真先/能加平/石津嵐/平見修二/鳥海尽三●音楽(主題歌):作詞・谷川俊太郎/作曲・高井達雄/歌・上高田少年合唱団●原作:手塚治虫●出演(声):清水マリ/勝田久/井上真樹夫/矢島正明/田口計/水垣洋子/坂本新兵/田上和枝/武藤礼子/芳川和子/小宮山清/和田文雄/千葉耕市/横森久/長門勇/渡辺篤史●放映:1963/01~1966/12(全210回)●放送局:フジテレビ

アトム今昔物語.jpg 一方、連載漫画の方は'67(昭和42)年1月から「サンケイ新聞」でもスタートしますが(この間に雑誌「少年」は突然の廃刊に)、アニメの続きを受け、太陽に突入し溶けたアトムがイナゴ星人に拾われ修理されて、ワープして20世紀半ば過ぎの地球に戻ってくるというものです。
 ただし、朝日ソノラマのコミックス版は、オリジナルである雑誌漫画に太陽突入シーンが無いので、不時着したイナゴ星人のロケットの爆発に巻き込まれてタイムスリップし、20世紀の東京に現れるという話になっています(第6〜8巻「アトム今昔物語」)。
 そうした部分的な改変はあるものの、後に刊行される講談社のコミック全集の「アトム今昔物語」(全3巻)よりは、「サンケイ新聞」で連載された方の「鉄腕アトム」のストーリー(これが後に「アトム今昔物語」に改題された)に比較的近いと言えるかと思われます。
 サンケイ新聞版は、朝日ソノラマのコミックス版や全集版とは別に『アトム今昔物語』('04年/メディアファクトリー)として復刻されており、「アトム今昔物語」は少なくとも3つあることになります。

鉄腕アトム.JPG 別巻は、「少年」「サンケイ新聞」連載以外の作品を集めていますが、そこには「アトム還る」('72(昭和47)年)などの太陽突入後のアトムの事後譚があったり、アトムが他の手塚漫画のキャラクターと共演する珍品があったりします(本編でも「アトム対ガロン」(第10巻)などがありますが)。

鉄腕アトム DVD.jpg 注目は「アトムの最後」('70(昭和45)年)で、傑作と評するファンも多いのですが、作者自身は、読み直して嫌な気分がするし、これがアトム作品の最後とは思っていないと言っています。
 「アトム今昔物語」でもアトムは途中で死にますが、それは物語が2003年のアトム誕生の年を迎え、アトムが生きていてはアトムが誕生しないというタイムパラドックスのためであり、「死と再生」のループ構造になっているわけです。

『鉄腕アトム (全21巻+別巻)』 (1975-76 朝日ソノラマ・サンコミックス)

 アニメのアトムは、今ではDVDやCS放送などでかなりを見ることができます。また、'80(昭和55)年と'03(平成5)年にカラー版で復活しましたが、"リアルロボット"にハマったガンダム世代には、あまりに"人間的"なロボットたちは子供心にも非現実的で、今ひとつ受けなかった?

鉄腕アトム 史上最大のロボット.JPG地上最大のロボット.bmp 漫画を読んで感じるのは、むしろある程度大人の方が、その辺りを割り切って見ることができる分、ロボットへの"人間的"なものの投射の仕方の旨さを味わえるのかも知れないと...(漫画自体や背後の世相に対する郷愁も大きいと思いますが)。
 手塚賞漫画家の浦沢直樹が「地上最大のロボット」('64(昭和39)年・第3巻)を翻案してみせたのも(『PLUTO』)、その表れの1つではと思います。・

『鉄腕アトム』 手塚治虫 光文社カッパ・コミックス .jpg【1956年単行本(全3巻)・1958年全集(全8巻)・1964年コミックス版(全32巻)〔光文社〕/1968年全集〔小学館(全20巻)〕/1975年コミックス版(全21巻+別巻)・1978年愛蔵版(全3巻)・1980年カラー版(全12巻)〔朝日ソノラマ〕/1979年全集(全18巻+別巻2)・1987年B6版(全7巻)・1992年コミックス版(全15巻)[講談社]/1995年文庫化〔光文社文庫コミックシリーズ(全15巻)〕/1999年コミックス版(全21巻+別巻2)[秋田書店]/2002年文庫化〔講談社漫画文庫(全13巻)〕/2009年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】
『鉄腕アトム』第1卷第1号 「アトム大使の巻・アトラスの巻」光文社カッパ・コミックス 1964(昭和39)年1月1日発行

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ドストエフスキー小説のような深み。科学的な仮説同士の対決というヤマ場が作者らしい。

きりひと讃歌 COM 上巻.jpg きりひと讃歌 COM 下.jpg きりひと讃歌 大都社ハードコミックス 全3巻.jpg きりひと讃歌 上巻.jpg きりひと讃歌下巻.jpg
['72年/虫プロ商事(上・下)]/['74年/大都社ハードコミックス(上・中・下)]/『きりひと讃歌 (上)』『きりひと讃歌 (下)』['86年/大都社ハードコミックス改訂(上・下)] 

きりひと讃歌 54.JPG '70(昭和45)年4月から翌年末にかけて「ビックコミック」('70年4月10日号〜'71年12月25日号)に連載されたかなりシリアスな作品で、白い巨塔、よろめき、万博、レオポンなどの作中の言葉に時代を感じますが、当時としての"現代モノ"です。

 主人公の「桐人(きりひと)」が"モンモウ病"で「犬男」になってしまうところから、当初は「バンパイヤ」の二番煎じではと言われたそうですが、彼が社会から抹殺されかけても「医師」であり続ける点では、2年後に連載開始した「ブラック・ジャック」に近いような気がします。

ode-to-kirihito1.bmp 医局を追われた桐人の逃避行を助ける「たづ」「麗花」など女性たちが犠牲的存在としてばかり描かれている点や、「万大人」「竜ケ浦」らが同じ病に罹るというややご都合主義的なストーリー展開などが気にならなくもありませんが、桐人の同僚「占部」の原罪的苦悩と贖罪や修道女「ヘレン・フリーズ」の献身などには、ドストエフスキー小説のような深みがあります。

 波乱万丈の物語の背景に一貫して、医師会の会長選挙を巡る権力抗争の話があり、物語全体の骨格を成していますが、教授会と医師会の違いこそあれ、'66年映画「白い巨塔」の影響を感じます(映画では原作以上に教授選挙に焦点を当てていた)。

 しかし、復讐のため最後の対決が、「正義vs.悪」というパターンを超えて、「ビールス説vs.風土病説」という科学的な「仮説」の真偽を決する対決として表されているところが、科学者らしい発想で作者らしいという気がしました。

"Ode to Kirihito" ペーパーバック版

 連続した1ストーリーで読み返すのにほどよい長さでありながら、充分な読了感が得られる作品だと思います。
                              
 【1972年コミック版[COMコミックス増刊(上・下)]/1974年コミックス版[大都社ハードコミックス(上・中・下)](1986年ハードコミックス改訂[大都社(上・下))]/1977年全集[講談社(全3巻)]/1989年叢書版(上・下)・2000年単行本(全5巻)・2003年単行本(上・中・下)[小学館]/1994年文庫化[小学館文庫(全3巻)]/2008年ビックコミックスペシャル改装版(全2巻)[小学館]/2010年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】

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大人でも解けない問題を子どもの前にシンプルな形で提示している。

ブラックジャック.JPGブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス) .jpg          ブラック・ジャック.jpg
ブラック・ジャック (1) (少年チャンピオン・コミックス)』['74年] 『ブラック・ジャック 1 [新装版] (1)』秋田書店 〔'04年〕
『ブラック・ジャック (全25巻)』(1974 /秋田書店・少年チャンピオン・コミックス)

 '73(昭和48)年11月から'83(昭和58)年10月まで約10年にわたり「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に連載された医療漫画の元祖で、今だこれを超える医療漫画はないとされている手塚治虫の代表作。'77(昭和52年)度・第1回「講談社漫画賞」を受賞しています。

 この作品を発表する前頃の作者は、少年誌の世界では既に古いタイプの漫画家とされ、'73年に自らが経営していた虫プロ商事が倒産、それに続いて虫プロダクション(既に経営者を退いていた)も倒産し、個人的にも巨額の借金を背負うことになったこともあって、「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)の壁村耐三編集長の「手塚の最期を看取ってやろう」という厚意で始まった連載だったそうですが、この作品で作者は起死回生の大復活を果たすことになります。

ブラック・ジャック2.jpg このマンガがスゴイなあと思うのは、大人でも解けないような問題を、子どもでも読めるシンプルな形で提示しているところで、例えば、第17話の「二度死んだ少年」で、ブラック・ジャックが命を救った少年が結局は死刑になるという話。これを読んだ子どもはどう考えるのでしょうか。「子どもの死刑」など、小説では成り立ちにくい設定かもしれませんが、その点はマンガの利点を活かしていると思います。でも、こうしたテーマに対する答えを出すのは大人にも難しいでしょう。

 テレビアニメ化されましたが、1話当たりが長くなっているため、原作の本筋は変えないものの、"装飾品"が多くなってしまっている感じがします。それと、何だかやたら明るいのです。原作のタッチはもっと暗いし、ストーリーもゲッというようなものもあります(少年チャンピオン・コミックスでも最初のうちは「恐怖コミックス」と銘打っていた)。

瞳の中の訪問者 映画チラシ.jpg瞳の中の訪問者.jpg瞳の中の訪問者 宍戸錠.jpg 後半にいくにつれヒューマンな色合いが強くなりますが、カルト的な楽しみも見出すことも出来ます。例えば第167話の「春一番」は、'77年に脚本・ジェームス三木、監督・大林宣彦で「瞳の中の訪問者」というタイトルで実写版映画化されていて片平なぎさ 新人_.jpg 、'77年に歌手デビューしたばかりのホリプロの"新人"片平なぎさを売り出すためのプロモーション映画ともとれるものでした(「ブラック・ジャック」の実写版は加山雄三と本木雅弘がそれぞれブラック・ジャックを演じたものが知られているが、この作品でブラック・ジャックを演じたのは宍戸錠)。
    
瞳の中の訪問者zj.jpg映画チラシ/DVD「瞳の中の訪問者」/サントラLP(廃盤)

 珍品というか、今では一種のカルトムービーのような評価になっているようです。原作との対比で見ると面白く、結構笑えます(原作の方がずっとマトモ)。

瞳の中の訪問者8.gif「瞳の中の訪問者」●制作年:1977年●監督:大林宣彦●製作:堀威夫/笹井英男●脚本:ジェームス三木●撮影:阪本善尚●音楽:宮崎尚志●原作:手塚治虫 「春一番(「ブラック・ジャック」)」●時間:100分●出演:片平なぎさ/宍戸錠/山本伸吾/志穂美悦子/峰岸徹/和田浩治●公開:1977/11●配給:ホリプロ=東宝(評価:★★★?)

ピノコ誕生.jpg この新書版(コミックス版全25巻)のほかに、講談社の全集 (全22巻)や秋田文庫(全17巻)などにもありますが、読者クレームなどのため途中で抜いた話もあるようです。ただ、第2巻から登場のピノコも、双子の片割れの「畸形膿腫(きけいのうしゅ)」だったわけで、この話はテレビアニメでも放送開始後1年経ってようやく「ピノコ誕生」というタイトルで放映されましたが...(BJによる"回想"というかたちで)。 

ブラック・ジャックdx.jpg 新書の新装版も刊行中ですが、さらに収録されない作品が出てくるかも。   
講談社 DX版 〔'04年〕

 ピノコについては、この物語を、BJとピノコの恋愛物語(ロリータ愛ということになる)と見る見方もあるようで、ナルホド、ピノコは本当は18歳(18年間、母体内にいた)、だけれども女性というよりは少女、むしろ幼児近い(「人工」の身体という意味では人形にも近い)、こうした女性に成りきらない「女の子」というのは、他の手塚作品でも結構いたことに思い当たります。

ブラック・ジャック 2004 2.jpgブラック・ジャック 2004_.jpg「ブラック・ジャック」●演出:手塚眞●制作:諏訪道彦●音楽:松本晃彦●原作:手塚治虫●出演(声):大塚明夫/水谷優子/富田耕生/川瀬晶子/阪口大助/江川央生/渋谷茂/山田義晴/滝沢ロコ/渡辺美佐/小形満/後藤史彦/佐藤ゆうこ●放映:2004/10~2006/03(全63回)●放送局:読売テレビ

 【1974年コミックス版(全24巻+1巻)・1987年四六判(全17巻)・2001年B6判(全24巻)・2004年新装コミックス版判(全17巻)[秋田書店]/1977年全集・2004年B6判(DX版)[講談社(全22巻)]/1993年文庫化[秋田文庫(全17巻)]/2010年再文庫化[講談社(手塚治虫文庫全集BT)]】

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'60年代作品の短篇集。突き抜けた面白さ、実験的要素もふんだんに。

筒井康隆 自選短篇集〈全6巻セット.jpgカメロイド文部省.jpg  わが愛の税務署.jpg
カメロイド文部省―自選短篇集〈5〉ブラック・ユーモア未来篇 (徳間文庫)』『わが愛の税務署―自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇 (徳間文庫)
『筒井康隆 自選短篇集〈全6巻)』

 筒井康隆の自選短編集が'02年から「新潮文庫」と「徳間文庫」でドドッと出ました。「徳間文庫」の方を読みましたが、ドタバタ篇、ショート・ショート篇、パロディ篇、ロマンチック篇、ブラック・ユーモア未来篇、ブラック・ユーモア現代篇の全6冊です。主に'60-'70年代の初期作品が収められていますが、個人的にはこの「ブラック・ユーモア未来篇」が一番楽しめました(その次が「ブラック・ユーモア現代篇」か。「ブラック・ユーモア篇」だけ分冊にしているだけのことはある)。

混乱列島.jpg 読心能力者の受難を滑稽に描いた「底流」や、ローマ時代のような階層社会を描いた「下の世界」(これがある意味一番SFチック)、SF名作『冷たい方程式』のパロディ「たぬきの方程式」(永井豪の筒井康隆の作品を漫画化したアンソロジー『混乱列島』で漫画にもなっている。筒井康隆を"永井豪テイスト"で愉しみたい人にはお奨め)のほか、露出狂の女性を描いた「脱ぐ」(仮に今この内容で新作として発表されればフェニミズム団体から猛抗議を喰うのでは)―など、"ブラック・ユーモア"とか"未来"という枠組みを突き抜けた面白さで、実験的要素もふんだんにあります(そのことは『わが愛の税務署-自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇』にも当てはまる)。

永井 豪 (原作:筒井康隆)『混乱列島 (1977年) (サンコミックス)(初出:1976年「週刊小説」4月26日号-9月13日号)
1. パチンコ必勝原理/2. 池猫/3. 地下鉄の笑い/ 4. 腸はどこへいった/ 5. きつね/ 6. たぬきの方程式/7. 姉弟/8. 超能力/9. 蝶/10. おれに関する噂/11.「私説博物誌」より/12. 自動ピアノ/13. 流行/14. 遠泳/15. 佇むひと

 「新潮文庫」の方は、もう少し後期の作品を中心にとり上げているようですが(ドタバタ傑作集とホラー傑作集が各2冊ずつとグロテスク傑作集の計5冊)、昔の短編がこうして再度世に出る作家というのも、SF・ユーモア作家では少ないのではないでしょうか。作者の作品は、衒学的・思念的なものよりも、個人的には気軽に読めるスラップスティック調のものが結構好きなので、初期作品の再刊・再収録はありがたいことです。

《読書MEMO》
『カメロイド文部省-自選短篇集〈5〉ブラック・ユーモア未来篇』・12作
◆脱ぐ('60年)/◆無限効果('61年)/◆二元論の家('61年)/◆底流('61年)/◆やぶれかぶれのオロ氏('62年)/◆下の世界('63年)/◆うるさがた('65年)/◆たぬきの方程式('70年)/◆マグロマル('66年)/◆カメロイド文部省('66年)/◆最高級有機質肥料('66年)/◆一万二千粒の錠剤('67年) 

『わが愛の税務署-自選短篇集〈6〉ブラック・ユーモア現代篇』・8作
◆融合家族...二組の夫婦の奇妙な同棲生活/◆コレラ/◆旗色不鮮明/◆公共伏魔殿/◆わが愛の税務署/◆地獄図日本海因果(だんまつまさいけのくろしお)...北朝鮮軍の発射したミサイルにより時空が大混乱する/◆普金太郎/◆廃塾令

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筒井、老いたか?ホラーとしてはヌルく、ミステリーとしてはユルい。

恐怖.jpg  『恐怖』 (2001/01 文藝春秋)  恐怖2.jpg  『恐怖 (文春文庫)』 〔'04年〕

 作家の「俺」こと村田勘市が住む姥坂市で、ある日、画家の町田美都が殺され、続いて建築評論家の南條郁雄が殺されるという連続殺人事件が起きるが、たまたま町田の他殺死体の第一発見者となった「俺」は、犯人の狙いはどうやら町に住む文化人を皆殺しにすることにあり、次に殺されるのは自分だという強迫観念に囚われ、その恐怖から次第に狂気へと追いつめられていく―。

 恐怖小説かと思って読んでいくと実は、それこそタイトル通り...、という感じなのですが、同時に恐怖小説としても読める。
 そのあたりを面白いと見るか中途半端と見るかで評価が割れるかもしれません。

 個人的にはやはり、往年の作者の少ない紙数でたたみかけ読者を奈落へ突き落とすような迫力を思い起こすと、この小説はホラーとしてはヌルく、ミステリーとしてはユルいという気がします。

 恐怖小説として成功しなければ、"メタ恐怖小説"としても成功しないのではないかと。
 そう言えばかつての筒井作品には、表立って二重構造にしなくとも、"メタ恐怖小説"になっていたものが多かったような...。

 【2004年文庫化[文春文庫]】

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少女と元ヤクザの祖父の交流を描く。ファンタジー(児童文学)の系譜。

わたしのグランパ 単行本.jpgわたしのグランパ.jpg     わたしのグランパL.jpg 0066_l.jpg
わたしのグランパ』['99年/文藝春秋] 『わたしのグランパ (文春文庫)』 〔'02年〕カバーイラスト/福井真一 「わたしのグランパ [DVD]」('03年映画化/'15年ニューリリーズ)監督:東陽一/出演:菅原文太、石原さとみ

 1999(平成11)年度・第51回「読売文学賞」受賞作。

 中学1年生の「わたし」の前に、15年の刑期を終えてある日突然現れた元ヤクザの祖父「グランパ」。2人の関係は最初ぎこちないが、グランパの活躍などを経て徐々に―。よくこなれた文章を通して、今までの筒井康隆にないぬくもりが伝わってきます。

 筒井作品としては、『時をかける少女』以来のジュブナイル小説と言われていますが、その間にも少女を主人公にしたものは幾つかあったはず。むしろ、少女と老人の精神的交流を描くファンタジーではないかと思いました。さらに大きく捉えれば、児童文学とも言えるのではないかと思います。

ぼんぼん1.jpg すると、こうした子どもと老人の交流を描くという系譜は、児童文学にあったような気がします。児童文学作家・今江祥智の、戦時中の母子家族を描いた『ぼんぼん』に出てくる、元ヤクザの〈佐脇老人〉を思い出しました。『ぼんぼん』の主人公は少年ですが、〈佐脇老人〉は陰に日向に少年を助け、少年の成長を支えます。本書の「グランパ」の役回りは、『ぼんぼん』における〈佐脇老人〉のそれによく似ているように思いました。

ぼんぼん (1983年)

わたしのグランパ .jpg 東陽一監督による映画化作品('03年/東映)では、この主人公の祖父「グランパ」を菅原文太(1933-2014)が演じています。どちらかと言うと中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみよりも「グランパ」を演じた菅原文太の方が主演になっていて、菅原文太にとっては「やくざわたしのグランパ 01.jpg道入門」('94年/バンダイビジュアル)以来約10年ぶりの映画主演作でしたが、これくらい俳優になると、ブランクとかあまり関係ない?(結果的に菅原文太の最後の映画主演作になった) 東陽一監督自身が後に原作をある種ファンタジーとして捉えて映画を撮ったと述べていたような記憶があり、自分が原作を読んだ時の印象に近いなと思いました。

わたしのグランパ02.jpg 中学1年生の「わたし」を演じた石原さとみは当時16歳で、石神国子(いしがみ・くにこ)名義で既に2本の映画に出ていましたが、石原さとみ名義で初出演したこの作品がデビュー作ということになっているようです。この作品で報知映画賞、日刊スポーツ映画大賞に続き、第25回ヨコハマ映画祭、第46回ブルーリボン賞、第13回日本映画批評家大賞、 そして第27回日本アカデミー賞において新人賞を受賞と「6冠達成」、映画公開年のNHKの連続テレビ小説「てるてる家族」のヒロイン・岩田冬子役にも抜擢されています。この「わたしのグランパ」では、オーディションを勝ち抜いて得た役であり、16歳とは思えない演技を見せているのは確かですが、東陽一監督の演出の巧みさもあったのではないかと思います。

わたしのグランパpre_img.jpg「わたしのグランパ」●制作年:2003年●監督・脚本:東陽一●撮影:小林達比古●音楽:Alpha./タブラトゥーラ●原作:筒井康隆「わたしのグランパ」●時間:113分●出演:菅原文太/石原さとみ/浅野忠信/平田満/宮崎美子/伊武雅刀/波乃久里子●時間:113分●公開:2003/04●配給:東映●最初に観た場所:渋谷ユーロスペース(03-08-30)(評価:★★★☆)

「わたしのグランパ」完成披露試写会(丸の内東映劇場、2003.3.6)舞台挨拶(筒井康隆/石原さとみ/菅原文太/東陽一)

【2002年文庫化[文春文庫]】

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今読んでも面白い!ハチャメチャぶりと虚実皮膜の間。

乱調文学大辞典2.jpg乱調文学大辞典1972.jpg    乱調文学大辞典.jpg 
『乱調文学大辞典』〔'72年/講談社〕/角川文庫〔'86年〕
乱調文学大辞典 (講談社文庫)』〔'75年〕(カバーイラスト:いずれも山藤章二)

 学校で教わった文学史は忘れても、この本の「太宰治:大宰府を治める人」なんていうのは忘れられません。この突き抜けたようなナンセンス!

 二葉亭四迷というペンネームが父親に言われた言葉かどうか異説があるにしても、「くたばってしめぇ」に由来するというのは事実のようで、そうした虚実皮膜の間もあって、今読んでもたいへん面白いと思います
 島崎藤村が「島崎」という人と「藤村」という人の合作ペンネームであるといった"純粋な冗談"もありますが、雑誌「中央公論」のそもそもの始まりが、禁酒運動の機関誌であったことなどは"事実"です。   

 「アウトサイダー:密造の清涼飲料水」とか、文学に一見関係ないような項目もありますが(コリン・ウィルソンが『アウトサイダー』という著書の中で、ヘミングウェイ、サルトル、ドストエフスキー、ゴッホらを指して、社会秩序の内にあることを自らの意思で拒否する者をそう呼んでいるが、読者がどれぐらいそのことを知っているだろうか)、まあ面白ければいいという感じで、読者もそれで満足するのでは。
 「悲喜劇」の項などは、読んだとたんに思わず声を出して笑ってしまいます。
 
 初出は「小説現代」の連載。単行本は'72(昭和47)年に講談社からソフトカバーで出ていましたが、時代がかった博物誌的な挿画に、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』などに対する意識が窺えます。 
 
 当時の筒井氏は何度目かの直木賞候補になってはいますが、SF作家としては、星新一、小松左京、光瀬龍といった横綱クラスに比べれば関脇か小結だったでしょう。そのことは付録の「あなたも流行作家になれる」を見てもわかります。
 しかし、この本のハチャメチャなパワーは、その後のSFに限らないジャンルでの活躍を予感させるものでもありました。

 【1975年文庫化[講談社文庫]/1986年再文庫化[角川文庫]】

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作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品。

脱走と追跡のサンバ 1971.jpg  脱走と追跡のサンバ 角川文庫ド.jpg   脱走と追跡のサンバ2.jpg  新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他_.jpg
早川書房['71年](装幀/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫)』['74年](カバー・イラスト/杉村 篤)/『脱走と追跡のサンバ (角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20)』['96年]/『新潮現代文学 78 脱走と追跡のサンバ おれに関する噂 他』['79年]

 SF作家となった「おれ」がいる「この世界」は、いつか「正子」と一緒にボートに乗ったときに排水口から流れついた異世界で、情報による呪縛、時間による束縛、空間による圧迫に満ちた世界であり、かつて作家になる前にいた「あの世界」とは異なる時間軸にあるらしい。「おれ」は、「あの世界」へ戻るべく「この世界」からの脱出を図るが、「おれ」を脱出させまいとする「尾行者」と演じる果てしないドタバタ追跡劇の末に行き着く世界もまた「あの世界」ではなく、「おれ」は現実と虚構の境界のゆらぎの間をただひたすら疾走することになる―。

 '70(昭和45)年10月から'71(昭和46)年9月まで「SFマガジン」に連載され、'71年10月に早川書房より出版スラップスティックと言えばそうかなという感じもしますが、「多元宇宙理論」をモチーフに、ボルヘス的なカオスの世界を描いているともとれます。作者のエッセンスが詰まったような作品で、当時の"ニューウェーブSF"の影響はあるかと思いますが、ギャクとユーモアでそうした枠組み自体も笑い飛ばしている感じ。単行本刊行時は「ナンセンス」「奇想天外」「新感覚」というキャッチだったようですが、形容しがたい独自世界だったということではないでしょうか。『世界のSF文学総解説』(自由国民社、最新改版1991、担当執筆者・平岡正明)では「筒井康隆の最高傑作といわれている」と紹介されています。

イノセンス スタンダード版.jpg 今読むと、「パンチ・カード」とか「FORTRAN」などのタームに時代を感じる部分もありますが、女性がデータ化されるところは人々が電脳化された近未来を描いた押井守のアニメ「イノセンス」('04年)さながらであり、主人公が陥っている情報により作られた仮想現実の世界というのは、この小説の中にもある社会事象のワイドショー化や、現在のインターネットの普及などにより、より読者に身近な感覚のものになっているのではないでしょうか、その意味では先駆的だったと思います。

虚航船団.jpgおれに関する噂.jpg家族八景.jpg つげ義春の「ねじ式」などを想起させる部分もある全編に漂うシュールな感じをはじめ、『家族八景』('72年/新潮社)、『おれに関する噂』('74年/新潮社)『虚航船団』('84年/新潮社)など作者の後の作品の萌芽を幾つも見ることもできますが、この作品以降は、〈エンターテインメント〉と〈純文学寄り〉の切り分けがはっきりしていったような印象があり、そうした意味では、作家のある時期のピークであるとともに分岐点的な作品であったのではないかと思います。

 【1974年文庫化[角川文庫]/1996年再文庫化[角川文庫―リバイバルコレクション エンタテインメントベスト20]】

《読書MEMO》
・2010年「菊池寛賞」受賞(作家生活五十年、常に実験的精神を持って、純文学、SF、エンターテインメントに独自の世界を開拓してきた功績)

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擬古文が平安の物語に調和し、まさに達人の領域。

谷崎潤一郎「少将滋幹の母」(毎日新聞社)昭和25年8月5日発行.jpg少将滋幹の母.jpg  少将滋幹の母2.jpg
少将滋幹の母 (新潮文庫)』〔'53年〕 『少将滋幹の母 (中公文庫)』〔'06年〕
『少将滋幹の母』(毎日新聞社) '50(昭和25)年8月5日発行

 1949(昭和24)年11月から翌1950(昭和25)年2月までにかけて「毎日新聞」に連載された谷崎潤一郎(1886‐1965)の63歳の作で(単行本は1950(昭和25)年8月に毎日新聞社より刊行)、「今昔物語」など平安朝の古典に材を得た円熟味のある作品です。

 文庫で150ページ程度とそれほど長くない中に、関連する3つから4つの話が入っているという構成。
 最初が、80歳の大納言が美人の若妻を、プレイボーイである甥の左大臣に奪われる話。
 そして、その後も妻を思う気持ちが絶ち難い老人が極めつけの修行をする話と、自身も若妻に気があったのに左大臣の手引きをした形となった平中(へいじゅう)という名うての色男が、若妻を諦め、その侍従をストーカーのごとく追う話が中盤に入り(後の方の話は、芥川龍之介も小説にしている(『好色』))、最後に若妻の子どもが40年後に母親に再会しようとする、言わば「母子物」の話が来て、この若妻の子(今は中年)が表題の「滋幹(しげもと)」であるということです。

 大納言が若妻を左大臣に奪われたという話は、左大臣の策略に嵌まり酒席で勢いに駆られて自分の妻を甥にくれてやったという感じで、これだけの話だとこの老人はなんら同情に値しない気がしますが、この一見愚かな行動を、翌日に老人自身が振り返えるかたちで展開される、谷崎による老人の心理分析が、妻を奪われることが老人の潜在願望であったというなかなか穿ったもの。
 それでも老人は恋慕と絶望に苦しみ、色欲から解脱するために"修行"に励みますが、悟りきれないところも谷崎の人生観を表象しているなあと。

 擬古文の文調が平安の物語に絶妙に調和していて、まさに達人の領域にあり、読み心地もいいです。
 何れの話も原典が示されていますが、その中に1つだけ、実在しないもの(つまり「鵙屋春琴伝」のような谷崎の創作)があるのも味な趣向だと思いました。

【1953年文庫化[新潮文庫]/2006年再文庫化[中公文庫]】

谷崎 潤一郎 『少将滋幹の母』ドラマタイアップカバー.jpg中公文庫/NHK時代劇スペシャル「母恋ひの記」(黒木瞳・劇団ひとり主演)タイアップ帯(2008) 

《読書MEMO》
●「少将滋幹の母」...1949(昭和24)年発表

  

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大阪の町人文化を背景に、"江戸"情緒を醸す擬古文とノンフィクション作家のような視点。

谷崎潤一郎「春琴抄(黒漆表紙)」初版.jpg春琴抄.jpg   春琴抄 創元社 初版.jpg 谷崎潤一郎「春琴抄」角川文庫.jpg
春琴抄』 新潮文庫/ 創元社 『新版春琴抄』初版 ['34(昭和9)年]/角川文庫 映画タイアップカバー(山口百恵/三浦友和)
『春琴抄』初版 ['33(昭和8)年12月](黒漆表紙)

 1933(昭和8)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)47歳のときの作で、盲目の三味線師匠春琴と、彼女に仕え後に彼女に師事することになる佐助との、ある種異形の愛を描いたこの作品は、5回も映画化されていることから見ても、谷崎の代表作と言えます(「鍵」「痴人の愛」は、国内に限れば映画化回数は4回)。

 お嬢さん気質の驕慢勝気ぶりで弟子たちに過剰な鞭撻を施す春琴と、完全に受身的にそれに服従する佐助の関係はSMチックな官能を匂わせ、それでいて佐助が自ら盲目の世界へ踏み入ったときに春琴が初めて彼に対して本当に心を開くという完結した純愛物語にもなっています。

 しかし佐助の行為を、官能と美意識の融合ために実態よりもイメージを選んだというふうにとれば、春琴に対する思いやり以上に自分自身の美意識が動機なのではないか、利他的行動というよりもむしろ利己的行為なのではないかという見方も成り立つかも。

 春琴は言わば天才型の三味線奏者ですが、佐助も後にその道で「検校」と敬称される奏者となるわけで、天才型と努力型の違いはありますが、ともに芸術家であるということを念頭に置いて読むべきではないかと思いました。

 関西に移住して10年目の谷崎は、関東大震災後の復興著しい東京よりは大阪の町人文化(の名残り)の方を偏愛し、物語自体の時代背景は明治初期であるにも関わらず、最初から舞台を大阪に設定していたのではないかと思いました。

 読点、改行の無い独特の「擬古文」が醸す"江戸"情緒に酔えますが、一方、語り手の視座は「鵙屋春琴伝」を読み解き、生き残り証人に取材するノンフィクション作家のように設定されていることにも注目すべきでしょう。春琴はこう思った、佐助はこう感じた、などという書き方はどこにもしていないし、春琴の顔を傷つけた犯人も類推されているだけで、断定はされていません。そうした表現方法が読者の想像力を一層かきたて、物語にも深みを増していますが、「鵙屋春琴伝」そのものが谷崎の創作ですから、ホント、「ニクイなあ、谷崎」という感じです。

 この作品は、戦前を含め5回映画化されており、三島由紀夫の「潮騒」の5回と並んで、川端康成の「伊豆の踊子」の6回に次ぐ多さとなっています(2008年に6回目の映画化がされた)

・1935年『春琴抄 お琴と佐助』(制作:松竹蒲田、監督:島津保次郎)春琴:田中絹代/佐助:高田浩吉
・1954年『春琴物語』(制作:大映、監督:伊藤大輔)春琴:京マチ子/佐助:花柳喜章
・1961年『お琴と佐助』(制作:大映、監督:衣笠貞之助)春琴:山本富士子/佐助:本郷功次郎
・1972年『讃歌』(制作:近代映画協会・ATG、監督:新藤兼人)春琴:渡辺督子/佐助:河原崎次郎
・1976年『春琴抄』(配給:東宝、監督:西河克己)春琴:山口百恵/佐助:三浦友和
春琴抄_3.jpg・2008年『春琴抄』(配給:ビデオプランニング 監督:金田敬)春琴:長澤奈央/佐助:斎藤工


 【1951年文庫化[新潮文庫]/1979年再文庫化[旺文社文庫(『刺青・春琴抄』)]/1984年再文庫化[角川文庫(『春琴抄・蘆刈』)]/1986年再文庫化[中公文庫(『春琴抄・吉野葛』)]/1986年再文庫化[岩波文庫(『春琴抄・盲目物語』)]/1991年再文庫化[筑摩文庫(『谷崎潤一郎 (ちくま日本文学全集) 』)]/2016年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「春琴抄」...1933(昭和8)年発表

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契約解除としての離婚と古き良き江戸情緒?小出楢重の挿絵で触れる谷崎のモダン感覚。

蓼喰ふ蟲.jpg蓼喰う虫.gif  小出楢重.jpg 小出 楢重(1887-1931)
蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1)
1929(昭和4)年11月刊行 改造社版

蓼喰う虫 (岩波文庫 緑 55-1) .jpg 1928(昭和3)年発表の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編小説(単行本刊行は翌年)で、妻に愛人がいて自身も娼館に通っているという既に破綻した夫婦関係にある男が、なるだけ妻子を傷つけないように離婚するにはどうしたらよいかを考えているというのがモチーフになっています。

 主人公の男が離婚を「契約解除」的に考えようとしているところが、谷崎の実生活と重なる点でもあり、モダンと言えばモダン。しかし一方で、義父(妻の父)の浄瑠璃の趣味に付き合って、人形浄瑠璃を見に淡路島くんだりまで妾帯同の義父にわざわざ付き添うなど、優柔不断と言えば優柔不断。これらの話に統合性が無いような感じもあり、スラスラと書いてはいるけれど内容的には通俗小説の域を出ないのではないかという気もしました。

 関東大震災後に関西に移住した谷崎が、変化の激しい東京よりも関西に古典的情緒の名残を見出したことは知られていますが、夫婦の危機と併せてそれを描くことで、伊藤整なども指摘しているように「主題の分裂」を感じます。

小出楢重と谷崎潤一郎_.jpg 敢えてとりあげたのは、岩波文庫版に新聞連載(83回)時に近いかたちでの小出楢重の挿蓼喰う虫2.jpg絵全83葉が収録されているためで、おかげで人形浄瑠璃の桝席の様子や「封建の世から抜け出してきたようだ」という妾・お久の様子などがわかりやすいのですが、その他生活や風俗などで当時の「モダン」なものも多く描いていて興味深いからです。

「蓼喰う虫」 岩波文庫版 挿絵(小出楢重)


小出楢重と谷崎潤一郎 小説「蓼喰ふ虫」の真相
神戸オリエンタル・ホテル (1910年代/現在)
神戸オリエンタル・ホテル.jpg神戸オリエンタル・ホテル 現.jpg 主人公が"西洋"娼館に行く前に神戸オリエンタル・ホテルで食事したり(そう言えば、『細雪』の主人公一家も特別な時にはこのホテルを使っている設定になっていた)、従弟がマドロスだったり、飼い犬がグレイハウンドだったりと、ハイカラな雰囲気に満ちた小説ですが、その背景が視覚的に堪能できるのがいい。

 主人公が自宅の洋風バスにゆったり浸かっている絵などを見ると、『鍵』('56年)や『瘋癲老人日記』('61年)とあまり時代背景が変らない錯覚に陥りますが、この小説の連載は'28(昭和3)年から翌年にかけてで、それら作品より30年ぐらい前に発表されたものであることに驚かされ、作者のモダンな感覚に改めて触れた思いがします。

 【1932年文庫化[春陽堂文庫]/1939年再文庫化・1951年改版[新潮文庫]/1946年再文庫化[鎌倉文庫]/1948年再文庫化・1970年・1985年改版[岩波文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]】

《読書MEMO》
●「蓼喰う虫」...1928(昭和3)年発表

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谷崎自身の願望の虚構化? 平易な文体だが、完成度、高いと言えるのでは。

痴れ人の愛 1925(大正14)年改造社.jpg痴人の愛.jpg 痴人の愛2.jpg   痴人の愛 谷崎潤一郎.jpg 痴人の愛 (中公文庫) _.jpg
痴人の愛 (新潮文庫)』〔新版/旧版〕『痴人の愛 (中公文庫)』(復刻版 1998)『痴人の愛 (中公文庫)』(2006)

痴人の愛』(改造社 1925年7月)

痴人の愛 田中良.jpg 1925(大正14)年刊行の谷崎潤一郎(1886‐1965)の長編耽美小説で(初出:「大阪朝日新聞」1924年3月20日~6月14日)、「一人の少女を友達にして、朝夕彼女の発育のさまを眺めながら(中略)、云わば遊びのような気分で、一軒の家に住む」という主人公の意図は、今で言う「育成ゲーム」を地でいく感じ。しかし、当時15歳のこの少女ナオミが実はとんでもないタマで、彼女を「立派な婦人に仕立ててやろう」という気でいた主人公は、成熟とともに増す彼女の妖婦ぶりに引き摺られ、ずるずると破滅への道を辿る―。

「大阪朝日新聞」連載時挿画(田中 良)

痴人の愛 田中良3.jpg 前半部分は前年に大阪朝日新聞連載されていますが(中公文庫版は新聞連載時の田中良による挿画を一部掲載)、検閲当局からに再三の注意が新聞社にあって、新聞社がこれに従ったため6月14日付の第87回をもって掲載中止となり、続きは4ヵ月後に雑誌「女性」で連載されました。今ならさしずめ渡辺淳一を日経で読むみたいなものでしょうが、当時としてはやはり風紀紊乱の恐れあり、ということにされてしまったのでしょう。また、後の文芸評論家たちは、通俗小説風でありながらも、このナオミに対する主人公の崇拝ぶりには、当時の日本人の西洋文化に対する崇拝が重なられているとも言っています(この作品もまた文明批評なのか?)。

痴人の愛 田中良2.jpg 最初に読んだときは、主人公の隷属ぶりがある種「悲喜劇」的であるように思えましたが、読み手に「こんな女性にかまけたら大変なことになる」という防衛機制的な思いを働かせるような要素があるかもしれません。だから、西洋文明云々言う前に、この小説の主人公を反面教師にし、実人生での教訓的なものを抽出する読者がいても不思議ではないのではないかと。でも、主人公がナオミに馬になってと言われて四つん這いになる場面で改めて思ったのですが、隷属することは同時に主人公の願望でもあったのでしょう。そうした願望は谷崎自身の内にもあって、それを第三者の告白体にすることで巧みに虚構化しているような感じもしました。平易な文体、単純な構成ですが、この作品の場合、かえってそのことで完成度は高いものとなっているように思います。

痴人の愛  .jpg 『現代漫画大観2 文芸名作漫画』(昭和3年発行)より「痴人の愛」

 因みに、この作品は、木村恵吾監督により2度映画化され、最初の「痴人の愛」('49年/大映)では京マチ子がナオミを演じ、2度目の「痴人の愛」('60年/大映)では叶順子がナオミを演じています。更に、増村保造監督によって映画化さ痴人の愛 京マチ子.jpg痴人の愛 叶順子.jpgれた「痴人の愛」('67年/大映)では安田道代(後の大楠道代)がナオミを演じました。この他にも、高林陽一監督の「谷崎潤一郎・原作「痴人の愛」より ナオミ」('80年/東映)のように現代版のピンク映画に翻案されたものが幾つかあります。
「痴人の愛」('49年)京マチ子、宇野重吉/「痴人の愛」('60年)叶順子、船越英二

木村恵吾監督「痴人の愛」('49年/大映)京マチ子(ナオミ)・宇野重吉(河合譲治)
木村恵吾監督「痴人の愛」('60年/大映)叶順子(ナオミ)・船越英二(河合譲治)
増村保造監督「痴人の愛」('67年/大映)安田道代(ナオミ)・小沢昭一(河合譲治)
痴人の愛...京マチ子e.jpg 痴人の愛 叶順子(ナオミ)・船越英二.jpg 痴人の愛 増村保造。安田道代.jpg
「痴人の愛」 (1949/10 大映) ★★★☆

【1947年文庫化・1985年・2003年改版[新潮文庫]/1952年再文庫化[角川文庫]/1985年再文庫化・2006年改版[中公文庫]/2016年再文庫化[宝島社文庫]/2016年再文庫化[角川文庫(アニメ「文豪ストレイドッグス」カバー版)]/2016年再文庫化[海王社文庫]】

《読書MEMO》
●「痴人の愛」...1924(大正13)年発表、1925(大正14)年完結

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「青春小説」であり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある。

人間失格.jpg 人間失格3.jpg人間失格 (新潮文庫)』 〔旧版/新装版〕 起雲閣.jpg 熱海・起雲閣  

人間失格2.gif 1948(昭和23)年の3月から5月にかけて書かれた太宰治(1909‐1948)39歳、最晩年の作品。20代後半の廃人同様の画家が、自分の子ども時代から20歳前後までを振り返る「手記」形式になっていますが、その生い立ちや自殺未遂、女性問題や心中事件、思想事件などに触れた内容は、太宰の体験に即したものであることが容易に推察され、かなり暗く屈折した作者自身の自画像ともとれます。但し、かなり強くデフォルメされている部分もあるようで、例えば、弟子として太宰の身近にいた小山清氏によると、太宰自身はこの作品の主人公の画家のように"男めかけ"のような生活を自分自身がすることは許せないという、そうした点では潔癖なタイプだったらしいです。
人間失格 (1948年)』 (筑摩書房刊)

熱海・起雲閣.bmp この作品の「第二の手記」までが書かれた熱海の「起雲閣」を訪れてみましたが、大正ロマンの香り高い洋風建築で、広大な庭が気持ちよく、こんな環境抜群の処で「自分は生まれた時からの日陰者」とか書いていたのだなあと。
 〈生きる気力を失った人間の苦悩と虚無―悲劇的人間像〉をしっかりと「造型」するための環境づくりをした上で、執筆にとりかかったような気がします(当時の彼の体調は最悪だったようで、まず体調と気力の立直しを図ったのかも)。

 鋭い感受性ゆえに人の哀しさや偽善、世間の虚構が見えてしまい、そうした人間観察の結果に感応する自意識をさらに対象化している―その際に自らがもつ恥ずべきイヤらしさまでも晒した(ただし「造型」的要素は大いに入る)、その見せ方においてのみ自負心を発揮しているようにも思え、この人はそれだけ自己愛的だったと言えるのかも。

 文芸評論家の多くは、戦前の太宰作品に比べ晩年のものは完成度で落ちると言っていますが、確かにこれが小説と言えるのか?とも思えるこの作品は、作者の死を経て時代を超えた「青春小説」となり、新潮文庫では最多刷数を数えるに至っているわけです。
 学生時代にあらゆる堕落を経験する男の話でもあり、人が「世間」(=人)と触れたときに感じる疎外感を如実に示してみせた事例でもあり、純粋さゆえに滅び行く男の痛切な叫びでもある―という感じでしょうか。

人間失格 集英社文庫.jpg人間失格 新カバー.jpg【1952年文庫化・1985年・2006年改版[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1973年再文庫化[旺文社文庫]/1987年再文庫化・1989年改編・2007年改版[角川文庫(『人間失格・桜桃』)]/1988年再文庫化[岩波文庫(『人間失格、グッド・バイ 他一篇 』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈9〉』)]/1990年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[小学館文庫(『人間失格 桜桃 グッド・バイ』)]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】
集英社文庫 (旧カバー/新カバー(イラスト:小畑 健))

2083block_pic.jpg熱海・起雲閣
熱海・起雲閣E5.jpg
《読書MEMO》
●「人間失格」...1948(昭和23)年発表
  

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単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品だと思う。

『斜陽』.JPG『斜陽』 新潮文庫.jpg  安田屋旅館2.jpg 伊豆三津・安田屋旅館
斜陽』新潮文庫

 1947(昭和22)年発表の太宰治(1909‐1948)の晩年の代表作で、主人公のかず子、お母さま、弟の直治、流行作家の上原の4人が主な登場人物ですが、太宰自身の生育歴や思想歴から見て、それぞれが作者・太宰治の一面を反映しているかと思います。
第12回 「斜陽」.jpg とは言え、穿った解釈を挟まずにごく普通に読めば、自身を戯画化した作品ばかり書くようになってしまった「上原」という作家が太宰を直接的に想起させる存在であり(「自身を戯画化した作品ばかり書く作家」を描きことで"自身を戯画化している"という意図的な二重構造ととれる)、かず子の手紙の中での呼ばれ方〈M・C〉が、「マイ・チェホフ」、「マイ・チャイルド」「マイ・コメディアン」と変遷していくところなどは、巧みさと屈折した自虐的ユーモアも感じます。

「文學ト云フ事」(1994年/フジテレビ)出演:緒川たまき/小木茂光/大川栄子/他

太宰 治 『斜陽』.jpg 太宰作品は暗いというイメージがありますが、実際には(こうして屈折してはいるものの)ユーモアを滲ませたものが多くあり、また芥川のようなペダンティックな匂いが無く、同時代の作家と比べても読みやすい、その上に人間疎外という普遍的なテーマを扱っているため、かなりこの先も読まれ続けるような気がします。

 特に「斜陽」は、実在の女性の日記を参照しているとは言え、独自の流麗な文体で"たおやめぶり"を描き、また、主要登場人物のうち3人が、肉体的・精神的・世俗的に滅びていくのに対し("退廃の美学"を描いている点では晩年の他の作品に通じる)、主人公のかず子は世間知らずのお嬢さんでありながら、チェホフの小説の中の強いタイプのヒロインと重なるような前向きな姿勢で、人間的にも成長している点で、単なる自虐小説ではなく、一縷の光明が見られる作品となっていると思います。

『斜陽』(1947年12月/新潮社)

伊豆三津の「安田屋旅館」.bmp伊豆三津・安田屋旅館1.jpg この小説の前半部分は、伊豆三津の「安田屋旅館」で書かれましたが、その旅館に泊まった際に、今も客室として使われている太宰が使った2階の部屋を、掃除の時間の後で見せてもらいました。伊豆三津・安田屋旅館2.png海に面し、壁2面が全面ガラス戸で採光に恵まれた、それでいてゆったりと落ち着く部屋で、「斜陽」の前半部に漂う"気品"や主人公のオプティミスティックな "姿勢"も、こうした執筆環境と関係あるのかなとも思いました。

斜陽.jpg 【1950年文庫化・1990年・2003年改版[新潮文庫]/1950年再文庫化・1979年・1988年改版[角川文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]/1977年再文庫化[旺文社文庫]/1988年再文庫化[岩波文庫(『斜陽 他一篇 』)]/1999年再文庫化[集英社文庫]/2000年再文庫化[文春文庫(『斜陽・人間失格・桜桃・走れメロス 外七篇』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】

《読書MEMO》
●「斜陽」..