【3144】 ○ つげ 義春 『つげ義春日記 (2020/03 講談社文芸文庫) 《(1983/12 講談社)》 ★★★★

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ブームの最中に創作活動しなかったのが不思議だったが、本人は結構たいへんだったのだなあと。

『つげ義春日記』.jpg『つげ義春日記』1983.jpg 『つげ義春日記』現代.jpg
つげ義春日記 (講談社文芸文庫) 』['20年]/『つげ義春日記』['83年]/「小説現代」連載['83年]

つげ義春日記 1983 24.jpg 漫画家・つげ義春が、昭和50年代、結婚して長男も生まれ一家を構えた頃の日記で、正確には1975(昭和50)年11月1日から1980(昭和55)年9月28日までのものとなっています。1983(昭和58)年に「小説現代」に8回に分けて連載されたものに未発表だった1980(昭和55)年分を『つげ義春日記』1983 .jpg加え、同年12月に講談社より単行本刊行、その後、2020(令和2)年、37年ぶりに講談社文芸文庫に収められました(2020年4月から同社より『つげ義春大全』(全22巻)の刊行が始まったのに合わせてか)。「小説現代」連載時は本人による装画があったようですが、単行本化に際しては家族との写真などに置き換えられ、今回の文庫化ではそのうちの1葉のみが掲載されています。

 つげ義春が「李さん一家」「海辺の叙景」「紅い花」「ほんやら洞のべんさん」「ねじ式」「ゲンセンカン主人」といった代表作を立て続けに発表した所謂「奇跡の二年」と呼ばれる期間は'67年から'68年にかけてであり、ただし、'70年代後半に爆発的な"つげブーム"が起こると、逆に自らは創作から遠ざかり、その後、心身不調とノイローゼ(不安神経症)を繰り返す寡作の作家となります。

 この日記はちょうどそのブームが立ち上がった頃のもので、フツーに考えれば脚光を浴びたのを機会にどんどん新作を発表していけばいいのにと思われるところ、逆に過去の自作の売り上げが好調のために創作から遠ざかるというのがこの人の特徴です。これを指して水木しげるなどは彼のことを「怠け者」と評したりしていますが、例えば作品の発表が全く無かった'69年は、一体この人は何していたのかというと、専ら水木しげるの助手としての仕事だけを務めていたようです(水木しげるの言葉には、旧作が何度も取り上げられるつげ義春に対するひがみもあるのか? それとも師匠として激を飛ばしているのか?)。

 この日記を読むと、家族への想いと併せて、将来への不安、育児の苦労、妻の闘病と自身の心身の不調など尽きない悩みに直面する日々が私小説さながら赤裸々に描かれており、ああ、こんな精神状態では仕事にならんだろうなあ、編集者と打ち合わせしたりするだけでもしんどそう、という気がしました。

 また、日々の生活に中での漫然とした死への不安が感じられ、それは妻の手術入院や知己であった評論家の石子順造の壮絶なガン死などにより増幅され、自身の心身不調とノイローゼという形で顕在化していったようです。「病は気から」とも言いますが、やはり、芸術家という人の中には、その繊細さから、こうした気の病に憑かれてしまうタイプの人もいるのかもしれないと思わせるものでした。

 その後、一時持ち直したものの、'99年に奥さんが闘病の末ガン死したことで(日記の中では本人はガンの恐怖に怯える一方、奥さんは退院後はスポーツなどに打ち込んでいたのだが)、また心身不調に陥ったようです。そうした外的要因もあったかと思いますが、この人はもともと普段から気質的にそうした不安神経症的な面を持っているという印象を日記から受けます。そうした漠然とした不安と向かい合いながら、そこから自分を解き放つために作品を描いてきたのではないかと思ったりもしました。

劇画シリーズ 紅い花.jpg 読んでいて、自分の作品を映像化したものへの評価が厳しいのが印象に残りました。「紅い花」のドラマ版はあまり気に入ってなかったらしく、芸術祭参加でグランプリを獲ったことに対して「あの程度でグランプリとは意外なり。テレビ界の程度の低さを物語る」(昭和51年11月25日)と書いています。これは'76年4月3日にNHK「土曜ドラマ」の"劇画シリーズ"で放送された中の1作(70分)で、短編「紅い花」に加え、他のつげ義春の作品「ねじ式」「沼」「古本と少女」などのエッセンスをひとつのストーリーにまとめ上げたものでした(演出:佐々木昭一郎、脚本:大野靖子、音楽:池辺晋一郎、出演:草野大悟、沢井桃子、渡部克浩、宝生あやこ、嵐寛寿郎、藤原釜足ほか)。これが第31回芸術祭大賞を受賞したわけです。NHKのアーカイブで観る前から予想されたことですが、つげ作品を映像化することの難しさ示したような作品でもあったような気がします。
「劇画シリーズ 紅い花」('76年4月3日NHK「土曜ドラマ」)

 一方で、自分の作品そのものについても、池袋のデパートの古書店で自分の絵が10万円で出品されたと聞いて、「とてもそれほどの価うちがあるとは思えぬ」(昭和54年1月11日)と書いていて、ブームの中で当の本人は何となく冷めているのが可笑しかったです。

 病者の日記のような面もあり、読むのが辛くなるよるような記述もありますが、一方で、このようにどことなく飄々としたユーモアも漂っていたりして、結局のところ最後まで興味深く読めました。

 外から見れば、自分の作品のブームが到来しているのになぜ創作活動しなかったのか不思議でしたが、この日記を読んでみて、本人は結構たいへんだったのだなあというのが分かり(しようと思ってもできなかったということか)、貴重な記録に思えました。

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