「●や 安岡 章太郎」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【521】 安岡 章太郎 『私の濹東綺譚』
吉行淳之介、遠藤周作に先立たれた77歳の作家の"生と死"を見つめる心境。
『死との対面―瞬間を生きる』(1998/03 光文社) 安岡 章太郎 氏
安岡章太郎が編集者との何年かにわたる談話筆記に手を入れたもので、死生観、文学観から社会批評まで話題は広いのですが、平易な文語体のエッセイとして読みやすくまとまっていています。平成10年の出版ですが、77歳の作家の"生と死"を見つめる心境とみていいのではないでしょうか。
前半部分では、南満州の戦地でのこと、復員後にカリエスという大病をし、その中で小説を書いたこと、最近亡くなった仲間たちのことなどが書かれていて、人の生死は「運」というものに左右されることを、経験的に述べています。彼は戦地で肺結核に罹り、やがて本国に送還されてしまうのですが、そのため南方戦線へ行かずに済んだわけです。とは言え、戦地の病院に入院したときに同室で亡くなった兵士もいたわけですが、憐憫の情が湧かなかったと言っています。戦場や病院では、自分のことを考えるのが精一杯で、退院していく人間に対して強い嫉妬を抱くこともあるというのは、戦争に行った人間の実感でしょう。
平成6年に亡くなった吉行淳之介、平成8年に亡くなった遠藤周作の、亡くなる直前の様子などが、淡々と、時にユーモアを交え書かれていますが、やはり友人を失った寂しさのようなものが伝わってきます。著者を含め3人とも"病気のデパート"みたいな人たちだったわけですが、生き残った者の中にこそ「死」はあるという気がしました。
安岡は66歳のときにカトリックの信者となっていて、その辺りの経緯が後半に書かれていますが、宗教というものを文化的に分析していて、自身は特に悟ったフリをするでもなく、むしろ自らの残りの人生の課題を見つめようとする真摯な姿勢が窺えました。
'00年に『戦後文学放浪記』(岩波新書)という文壇遍歴を書いていますが、内容的には、全集の後書き的な『戦後文学放浪記』よりも、この『死との対面』の方がいい(『戦後文学放浪記』で一番面白かったのはやはり吉行淳之介について書いているところ)。岩波よりも光文社の方が、編集者が上手だったのか、よくわからないけれど...。ただし、この2冊を読むことで、戦中派文学の佳作とされる『海辺(かいへん)の光景』を再読してみる気になりました(アルツハイマーの母を看取るというかなり重いモチーフの作品です)。
【2012年文庫化[知恵の森文庫]】