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道行きの男女にリアリティ。男性主導に見えて、実は女性主導?
『溺レる』 〔99年〕 『溺レる (文春文庫)』 〔'02年〕
2000年の「女流文学賞」と「伊藤整文学賞」をダブル受賞した、"川上ワールド炸裂"(?)の短篇集。
所収8篇は何れも男女の逃避行、道行きがモチーフになっており、男女は何れも世間を捨てたような存在で、ともにパッとせず、年齢もソコソコいっています(男は妻子持ち、女は40歳前後という設定が多い)。
それで今何に「溺れて」いるのかと言えば、まさに愛欲に溺れているに違いないけれども、その日常は、2人でお酒飲んで寿司だのおでんだの食べてばかりいて、そのときに交わされる会話などにお互いの距離感を測っている感じが窺える、そうしたところにかえって何かリアリティありました。
〈メザキさん〉とか〈モウリさん〉とか〈ナカザワさん〉とか、出でくる男の何れも疲れた感じも似ていて、「コマキさん、もう帰れないよ、きっと」なんてズルズル堕ちていく感じは、男性読者には一種の代償的カタルシスがあるかも知れないけれど、同じパターンで繰り返されるとちょっとしんどくなります。
その中で、心中して死んだ女性の側から語られる「百年」や、共に永遠に死ねない道行きの男女という設定の「無明」などは、ちょっと面白い視点でした(漱石の「夢十夜」乃至は内田百閒の影響?)。
男女の交情を描いてもドロドロとした感じがせず一定の透明感を保っているのが受けるのかもしれないけれど、男が女を従えているようで、実は女に囚われているようにも思え、「コマキさん、もう帰れないよ、きっと」と男に言わせているのが女の方ならば、これはこれで怖い構図だと思います。
文章はやはり上手いなあ(『蛇を踏む』より上手くなっている)と思いますが、個人的にいまひとつ好きになれないのは、この怖さみたいなものが伝わってくるからなのかも。
【2002年文庫化[文春文庫)]】