【415】 ○ 大江 健三郎 『個人的な体験 (1964/08 新潮社) ★★★☆

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それまでの作品と以降の作品の分岐点にある作品。今日性という点では...。

個人的な体験 単行本.jpg 単行本 ['64年] 個人的な体験.jpg 『個人的な体験』新潮文庫

 1965(昭和40)年・第11回「新潮社文学賞」受賞作。

 27歳の予備校講師バードは、アフリカ旅行を夢見る青年だが、生まれた子どもが頭に異常のある障害児だという知らせを受け、将来の可能性が奪われたと絶望し、アルコールと女友達に逃避する日々を送る―。

 この作品は'64年に発表された書き下ろし長編で、頭部に異常のある新生児として生まれてきた息子に触発されて書かれた点では著者自身の経験に根づいていますが、自身も後に述べているように、多分に文学的戦略を含んでいて、いわゆる伝統的な"私小説"ではないと言えます。

 しかし、それまで『性的人間』('63年)などの過激な性的イメージに溢れた作品を発表していた著者が、以降、家族をテーマとした作品を多く発表する転機となった作品でもあり、さらに『万延元年のフットボール』('67年)と併せてノーベル賞の受賞対象となった作品でもあります。

 どちらか1作だけを受賞対象とするには根拠が弱かったのではないかと思われたりもしますが、元来ノーベル文学賞は1つの作品に対して与えられるものではなく、その作家の作品、活動の全体に対して与えられる賞なので、複数の"受賞対象作"があるのがむしろスジです。ただ結果として、この『個人的な体験』が"受賞作"とされることで、著者のノーベル賞受賞には"家族受賞"というイメージがつきまとうことになった?

 そうした転機となった作品であると同時に、それまでの作品の流れを引く観念的な青春小説でもあると思いますが、そのわりには文章がそれまでの作品に比べ読みやすく、入りやすい作品だと思います。

 一方、主人公の予備校講師バードが逃避する女友達の「火見子」との関係には、ある時代(全共闘世代)の男女の友情のパターンのようなものが感じられ、こうした何か"政治的季節が過ぎ去った後"の感じは、今の若い読者にはどう受けとめられるのでしょうか。

 むしろ今日性という点では、出産前の胎児障害の発見・告知がより可能となった医療環境において、障害児が日本という社会で生まれてくることの社会的な難しさに、今に通じるものを感じました(日本人の平均寿命はなぜ高いのか、ということについて同様の観点から養老孟司氏が考察していたのを思い出した)。

 ラストの、2つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)の数ページは不要だったのではないかという批評がありますが、個人的にもそう思います。主人公が赤ん坊を生かすための手術を受けさせる決心をしたところで、そのまま終わっておいても良かったように思いました。

個人的な体験9.jpg(●2023年追記:2023年3月に作者が亡くなったのを機に再読した。かつて議論となった「二つのアスタリスク(*)の後(エピローグ)」の数ページは不要だったのではないかという問題に、作者自身が「文庫あとがき」(《かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた。》というタイトルになっているが、これは二つのアスタリスクの前にある文章の引用である)で答えていたことを再認識した。つまり、多くの人が「かつてあじわったこののない深甚な恐怖感が鳥(バード)をとらえた」でこの小説を終わらせた方が良く、エピローグは要らなかったと批判したことに対する作者の答えである。

 エピローグの要不要と言うより、この言わば三島由紀夫  2.jpgハッピーエンディング的な結末については三島由紀夫の批判が有名で、三島は「技術的には、『性的人間』や『日常生活の冒険』より格段の上出来であるが、芸術作品としては『性的人間』のあの真実なラストに比べて見劣りがする。もちろん私は、この『個人的体験』のラストでがつかりした読者なのであるが(略)」「暗いシナリオに『明るい結末を与へなくちやいかんよ』と命令する映画会社の重役みたいなものが氏の心に住んでゐるのではあるまいか?」と述べている。

 一方、最近では、『ハンチバック』で障害者のリアルを描いて芥川賞を受賞した市川沙央氏が、雑誌『ユリイカ』の大江特集('23年7月臨時増刊号)に寄稿し、「日本文学における障碍者表象の実績に大江健三郎が負ってきた比重は大きく、そして孤高だった。(中略)私は『個人的な体験』の**語のハッピーエンドを、絶対に支持する」としている。)
 
 【1981年文庫化[新潮文庫]】

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大江健三郎
2023年3月3日、老衰のため死去。88歳。
小説家。日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞。

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