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大江健三郎が初めて子供向け(?)に書いたエッセイ集。
『「自分の木」の下で』 (2001/06 朝日新聞社) 『「新しい人」の方へ』 〔'03年〕 (画:大江ゆかり)
大江健三郎が初めて子供向けに書いたエッセイ集ということですが、大江ゆかり氏の挿絵との組み合わせでのエッセイは、ノーベル賞受賞直後に出版された『恢復する家族』('95年/講談社)などがあり、著者の暖かく優しい視線や平易な語り口には共に通じるものがあります。
「なぜ子供は学校に行かねばならないか」といった素朴な疑問に、ノーベル賞作家である65歳の著者は、自らの少年時代の回想を交えながら真摯に答えています。
その内容は著者独特の世界観や人生観に根ざすもので、例えばタイトルにもある「自分の木」というのは、著者の小説の中にも出てくる独特なイメージ構造であるし(子供の私が「自分の木」の下で会うかもしれない年とった私―について今書いている「年とった私」にとっての子供の私。考えてみたら結構フクザツな思考回路だなあ)、本書の続編である『「新しい人」の方へ』('03年/朝日新聞社)の「「新しい人」についても同様です。
「なぜ子供は学校に行かねばならないか」についての著者の考え方もそうですが、これらの問いに対する回答としてのメッセージに「普遍性」があるかどうかと言えば、必ずしもあるとは言えないのではないかと思います(「生まれ変わった新しい自分たちが、死んだ子どもたちと同じ言葉をしっかり身につけるために必要なのだ」って言われても...)。
個人的には、大江氏の文学作品を読む感じで本書を読みました。大人にだって、読み解くのが難しい...。
ただし、「子供にとって、もう取り返しがつかない、ということない。いつも、なんとか取り返すことができる」(178p)といった今の子供に対する重要かつわかりやすいメッセージも多く含まれているのは事実です。
書きながら意識した読者年代にバラツキがあることを著者も認めていますが、それだけに大人でも充分に味わえるし、大江文学をよく知る人はより深い読み方ができるエッセイではないかと思います。
続編の『「新しい人」の方へ』ともどもの爽やかな読後感は、著者の将来世代への真摯な希望からくるものだと思いました。
【2005年文庫化[朝日文庫]】
《読書MEMO》
●「人にはそれぞれ『自分の木』ときめられている樹木が森の高みにある...人の魂は、その「自分の木」の根方から谷間に降りて来て人間としての身体に入る...そして、森のなかに入って、たまたま「自分の木」の下に立っていると、年をとってしまった自分に会うことがある」 (21p)