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のんびり読めるアメリカ学園都市滞在"絵日記"。
『うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル』['96年/新潮社]/新潮文庫
表紙絵・挿画/安西水丸
前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)に続く著者の〈アメリカ滞在記〉ですが、居所をプリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジ(人口10万ほどの都市で、学園都市として知られている)に移しています。
著者は'93年から2年間この地に滞在していて、タフツ大学での講義に際して漱石など日本の近代小説を読み直したり、英文小説を読んだり翻訳したり、また、自らの小説を書いたり、ボストンマラソンに出たりといろいろ精力的に活動しているのが窺えますが、滞在記としての文体そのものは、「村上朝日堂ジャーナル」と冠している通り、適度に軽いタッチ("ハルキ調")となっています。 Tufts University
エッセイとしては前々作である『遠い太鼓』('90年/講談社)でもそうですが、このあたりの軽妙さは同じ時期に書いていた長編小説と補完関係にあるようです(『ねじまき鳥クロニクル』の後半部を書いている時期だと思うのですが)。
村上氏の奥さん(村上陽子氏)撮影のケンブリッジ界隈や街のノラ猫を撮った写真(見ていると何だかのんびりした気分になる)と、安西水丸氏のイラストと、その両方を文章と合わせて楽しめます。
奥さんとのコラボレーションは、大江健三郎氏のエッセイ(大江ゆかり氏の挿画が入ったもの)を想起させました。
途中、中国モンゴルと千葉の千倉海岸を旅行していて、いきなり千倉海岸の海の家の写真が出てくるかと思えば、滞在中に足を伸ばしたジャマイカの海辺の写真があったりしますが、不思議と違和感がありません。
初版本には"専用しおり"がついていましたが、そこにある水丸氏の絵は子どもの絵日記によくある絵のようにも見え、本全体のコンセプトも"絵日記"といったところでしょうか
「車盗難事件」など小事件はあったものの、ケンブリッジは静けさに満たされた、本当に「学園都市」という感じで、著者も「のんびり読んで」とあとがきで言っています。
こういうのを読んでいると、一方で長編小説と格闘している作家の姿は見えないし、見せないのがこの作家の基本スタイルなのでしょう。
村上朝日堂シリーズの1冊であるのに、安西水丸氏の名前が表紙にないのは何故? 2008年の単行本新装版では「村上朝日堂ジャーナル」という冠も外しているところからすると、前作『やがて哀しき外国語』('94年/講談社)の系譜に連なるものとして再整理されたのではないでしょうか。
単行本新装版(2008年)
【1999年文庫化[新潮文庫]/2008年単行本新装版】