【419】 ○ 大岡 昇平 『俘虜記 (1952/12 創元社) 《 俘虜記 [旧版]』 (1949/04 創元社)》 ★★★★

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「捉まるまで」(旧版『俘虜記』と俘虜生活の部分は、主題が別の作品と見るべき。

大岡 昇平 『俘虜記』.jpg俘虜記 旧.jpg 大岡 昇平 『俘虜記』新潮文庫.jpg 俘虜記.jpg
『俘虜記 (新潮文庫)』〔'59年〕/『俘虜記 (新潮文庫)』〔'67年〕

俘虜記 (1949年)

 大岡昇平(1909‐1988)は、太平洋戦争末期の1945年1月にフィリピン・ミンドロ島で米軍の捕虜となりましたが、本書は、その「捉まるまで」から俘虜生活及び帰還までの体験をもとに書かれた、ノンフィクションに近い作品です(「私=大岡」で書かれています)。

 当初、冒頭の「捉まるまで」が「俘虜記」('48年2月)として発表され、翌年、短編集『俘虜記』('49年4月/創元社)として刊行され第1回「横光利一文学賞」を受賞、その後『続・俘虜記』('49年)、『新しき俘虜と古き俘虜』('51年)が刊行され、これらがまとめて『俘虜記』('52年/創元社)として刊行されました(その際に最初の「俘虜記」の部分が「捉まるまで」に改題された)。
 
 戦場で敵兵と1対1で遭遇することも、捕虜生活を送ることも希少な体験であり、小説としても読者を充分に惹きつける素材であると思われますが、著者はむしろそれらをドラマチックに描くことを慎重に回避し、その時その時に働いた自己意識を丹念に記述し、また他者の意識を推察するにしても「心理小説家」になることがないように細心の注意を払っているように思えます。
 
 ただし、「捉まるまで」は、若い米兵と対峙した際にどうして自分が相手を撃たなかったのか、その後自殺を試みるがどうしてそれをなし得なかったか、というその時の自らの情念の省察に重点が置かれていています。
 
 一方、俘虜生活の記録は、日本人俘虜たちの意識と行動、例えば米兵に対する阿諛などを通して、自分をも含め人間のエゴイズムをあぶりだし、また前線の1中隊内の階級社会とは違った社会がそこに現出する様を描いています。 
 
 「捉まるまで」での省察が、日本文学であまり見られない端的なテーマを扱っていて有名であるのに対し、俘虜生活の記録は、一見通俗に流れているようにもとれます。しかしある意味「堕落」した人間像を描いた、ストーリー性に乏しいこの部分は(むろん著者はそれを意図的に排除しているのでしょうが)、戦前までの日本人とそれを生み出した社会とは何だったのだろうか、それは戦後どこか変わったと言えるのか、という問いかけをしているように思えました。

 【1966年文庫化[角川文庫]/1967年再文庫化[新潮文庫]/1971年再文庫化[講談社文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2006年9月 9日 17:50.

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