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性教育がテーマの学園ラブコメディ。悲恋物語でもあり、マリアの成因を辿ると奥が深いかも。
『やけっぱちのマリア (1) (少年チャンピオン・コミックス)』『やけっぱちのマリア (2) (少年チャンピオン・コミックス)』
父子家庭に育った中学1年生ヤケッパチこと焼野矢八(やけのやはち)は、自分が"妊娠"したような感覚に襲われ、ある日身体からエクトプラズム(生霊)を産む。そのエクトプラズムは、彼の父親の作ったダッチワイフに宿ってマリアと名付けられ、ヤケッパチと同じ学校に通うようになる。マリアは見かけは可愛い少女だが、性格は「産みの親」ヤケッパチ似のやんちゃだった―。
'70(昭和45)年4月から11月にかけて「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)に連載された作品で、作者自身は「性教育をテーマにした青春もの」としていますが、どこかの地方自治体では、この作品の連載を理由に「少年チャンピオン」を有害図書に指定したところもあったとのことです(この作品自体、永井豪の『ハレンチ学園』のヒットなどの影響を受けているとされている)。カストリ誌をはじめ戦後のエロマンガを網羅した漫画評論家・米澤嘉博の未完の大著『戦後エロマンガ史』('10年/青林工藝社)では、1970年に手塚治虫が描いた〈性教育マンガ〉として「やけっぱちのマリア」と「アポロの歌」が挙がっていますが(p109)、ということは「エロマンガ」ではないとの認識ではないでしょうか。
米澤嘉博(1953-2006)
作者は「読者はもっとおおらかだから大丈夫」とみて描き続けたとのことですが、今読んでも、「性教育」の参考書(?)としても古さを感じさせず、さすが医学博士。まあ、トータルで見れば、肩の凝らない学園ラブコメディであり、学校を仕切る「タテヨコ会」のナンバーワン(ボス)が、その学校の女生徒であるというのが面白い設定だと思います。
ヤケッパチを巡って"ナンバーワン"はマリアと争い、"ナンバーワン"はマリアを「荷造り」して(元々はダッチワイフであるわけだ)網走の刑務所の死刑囚の下へ送ってしまった間、ヤケッパチを誘惑する―その際の中学生である"ナンバーワン"の全裸シーン、と言うより裸になって同級生を誘惑するという設定が、性教育としては"ゆきすぎ"であり、"有害"とされたようです(因みに、ナンバーワンの苗字は雪杉)。
一方、死刑囚の下に送られたマリアは、その死刑囚に強引に結婚を迫られるという、双方波瀾万丈のストーリーですが、互いに好き合うヤケッパチとマリアの恋は成就に至ることなく、最後はしんみりさせられるようなエンディング(とりわけマリアがちょっと気の毒、と言うか可哀想過ぎる?)。確かにコメディだけれども、ヒトと生霊の悲恋物語でもあります(手塚作品によく見られる「異類恋愛譚」の1パターンともとれる)。
ヤケッパチの身体の中にエクトプラズムが生じたのは、3歳で母親を亡くした彼が、母性愛への潜在的な飢えから、自らの内部に女性的なものを分身として培っていた結果であるというのが作中の解釈で、「ユングのアニマ」みたいでもあるし、「フロイトのエディプス・コンプレックス」みたいでもあり(作中に「エディプス・コンプレックス」の解説がある)、ヤケッパチのマリアとの別れは、ある意味、彼の成長を象徴するものともとれ、この辺りは意外と奥が深かったかもしれません。
【1971年単行本[秋田書店・少年チャンピオン・コミックス(全2巻)]/1983年文庫化[講談社・手塚治虫漫画全集(全2巻)]/1996年再文庫化[秋田文庫]/2010年再文庫化[講談社・手塚治虫文庫全集BT]】