「●な 夏目 漱石」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【472】 夏目 漱石 『文鳥・夢十夜』
「○近代日本文学 【発表・刊行順】」の インデックッスへ
前半部分は「アンチノベル」、後半部分は「教養小説」。
『坑夫 (1954年) (角川文庫)』
『坑夫』新潮文庫〔2004年改版版/旧版〕
自殺を思い立った19歳の若者が出奔し、ポン引きに誘われ坑夫になるために銅山へ行き、そこで今までの書生のような生活とは雲泥の差の"地獄的"体験をする話ですが、結局彼は「坑夫」にもなり切れず、また自殺することをも踏みとどまる―。
1908(明治41)年1月から4月にかけて大阪朝日新聞に連載(全96回)された夏目漱石(1967‐1916)の『坑夫』は、前年、朝日新聞社に専属作家として入社して最初に書いた『虞美人草』に続く連載作品で、次の連載執筆予定者だった島崎藤村の"遅筆"のためのピンチヒッター的登場だったようです。野田九甫がを担当した連載の挿絵は、漱石が切抜きを貼って喜ぶほどの出来栄えでしたが、社内の「あまりに高級だ」という非難に屈して連載半ばで挿絵を中断させられ、春仙が描く題字飾りのみに切り替えられるという仕打ちにあっています。
漱石のところへ自分の経験を小説にして欲しいと持ち込んだ青年がいて、その体験談を本人の許諾を得て、急遽書かなければならなくなった連載小説の素材にしたようですが、主人公が出奔した理由は漱石風にアレンジされているようで、「坑夫(堀子)」の生活などの実態部分を主に青年の話から抽出したようです。
若者が分別をわきまえた中年になって自らの体験を振り返るかたちをとっていますが、前半部分の銅山(足尾)に向かうまでの記述は、リアリティをもって若者の意識の流れを追っていて、逆に小説的な構想や作為をことさら排しているように思えました(読み物としてはやや退屈だった)。
夏目漱石『草合』初版 明治41年 春陽堂 (「坑夫」・「野分」)
鉱山に着いてからの後半部分も基本スタンスは変わらないものの、極限的な坑夫の生活を若者の眼から描く筆致が良く(読み物としても面白い)、"哲人"乃至は"メンター"のようにも思える先輩坑夫「安さん」の登場で、若者の成長を描いた「教養小説」のような趣を呈しています(しかし、最後に語り手の口を借りて、これは事実を書いたもので小説ではないというようなことを念押し?している)。
漱石の作品の中でも異色のモチーフのものだと思いますが、前半部分は従来の「小説」の通念を超えようした「アンチノベル」で、後半部分は、朝日新聞の読者に向けた「教養小説」になっているという感じがし、個人的に面白かったのは後半部分ですが、漱石が本当にやりたかったのは前半部分の"実験的"試みではなかったかという気がしました。
【1954年文庫化・1969年改版[角川文庫]/1976年再文庫化[新潮文庫]/1978年再文庫化[講談社文庫]/1988年再文庫化[ちくま文庫(『夏目漱石全集〈4〉』)]/2014年再文庫化[岩波文庫]】
《読書MEMO》
●「坑夫」...1908(明治41)年1月発表